本年年頭からあれほど「改憲」を豪語していた安倍自民党から、改憲の話がぱたりと消え、今度の選挙の争点はアベノミクスだなどという話になりつつある。アベノミクスを3年前の参院選と、先の衆院選につづいて、3度も問うなどという話があるものか。あれほど無茶をやって強行採決した戦争法に満足せず、フルスペックの集団的自衛権行使をめざすという安倍の改憲はどこにいったのか。これは安倍政権と自民党によって語(騙)られるトンでもない2016年夏の「怪談」だ。
安倍首相は本年3月2日の参院予算委員会で「(明文改憲を)私の在任中に成し遂げたい」と発言した。安倍首相はそこで「自民党の立党当初から党是として憲法改正を掲げている。私は総裁であり、それをめざしたい」「自民党だけで(3分の2以上を)確保することはほぼ不可能に近い。与党、さらには他党の協力をいただかなければ難しい」とものべた。2月3日の衆院予算委員会では「憲法学者の7割が9条1項、2項を読む中で、自衛隊の存在に違憲のおそれがあると判断している。違憲の疑いを持つ状況をなくすべきだという考え方もある。占領時代に作られた憲法で、時代にそぐわなくなったものもある」とのべ、憲法9条2項の改憲をめざす意志を表明している。
4月29日放送の日本テレビでは「これからも(改憲を)ずっと後回しにしていいのか。思考停止している政治家、政党の皆さんに真剣に考えてもらいたい」といい、夏の参院選では、野党(与党の補完勢力)も含む改憲に賛同する勢力で国会での改憲発議に必要な定数の3分の2以上の議席確保を目指す考えも重ねて示し、9条に関し「自衛隊は日本人の命や幸せな暮らしを守るために命を懸けてくれる組織。その皆さんに対し、憲法学者の7割が憲法違反だと言っている状況のままでいいのか」と大見得をきった。
これに呼応して、菅官房長官は熊本・九州地方大震災が発生すると、ショックドクトリンよろしく、本震に先立って4月15日「今回のような大規模災害が発生したような緊急時に、国民の安全を守るために国家や国民がどのような役割を果たすべきかを、憲法にどう位置づけるかは極めて重く大切な課題だ」と脅しにでた。ただちに9条改憲は難しいから、支持を得やすい緊急事態条項=国家緊急権を挿入する改憲から始めるというのだ。マスコミはその危うい手口をさして「お試し改憲」などと揶揄するが、実のところ「国家緊急権の導入改憲」はお試しなどという軽いものではなく、立憲主義の破壊、憲法の破壊に通じるものだ。
ところが、極めて摩訶不思議なことに6月3日、自民党が発表した「参議院選挙公約2016」からはこの「改憲」の勢いが消えてしまった。
自民党が公約で憲法改正について触れているのは、26ページの冊子の末尾の小さな項目だけだ。政策パンフレット「この道を。力強く、前へ。」という冊子の本文ではアベノミクスと安倍外交の「成果」を宣伝するだけで、改憲はない。つづいて極小文字の「政策BANK」というのがあり、全文27500文字のうち、末尾にわずか270字の「国民合意の上に憲法改正」という項目があるだけだ。そこでは「わが党は結党以来、自主憲法の制定を党是に掲げています。憲法改正においては、現行憲法の国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3つの基本原則を堅持します。(改憲には衆参の3分の2議席と国民投票が必要で)衆議院・参議院の憲法審査会における議論を進め、各党との連携を図り、あわせて国民の合意形成に努め、憲法改正を目指します」と記しているだけなのだ。
安倍首相は雄弁(?)に「任期中の改憲」を叫び、支持勢力の日本会議や産経新聞などから拍手喝采をあびてきた。一体、それはどこに消えたのか。
しかし、これには思い当たることがある。
3年前の参議院選挙で自民党が発表した「Jファイル2013」でも、改憲は政策の356番目、衆院選で発表した「自民党重点政策2014」でも全4項目中4番目だった。そして選挙中は改憲についてはほとんど語らなかったのに、その後、さまざまな場面で安倍首相は改憲の政策は信任を得ているというような言動にでた。とりわけ、2013年の選挙では特定秘密保護についてほとんど語らず、2014年の総選挙では集団的自衛権の解釈変更と、戦争法について語られないままに、選挙後には信任を得ているとばかりに強行してきた。まさにこの「手口」が垣間見える。
今年の5月3日を前後するマスコミ各社の憲法世論調査は軒並み改憲反対が増加していることをしめした。昨年の戦争法反対の闘いの高揚の影響ではないだろうか。自民党の選対はこれをみて震え上がったのに違いない。
前出の朝日の社説はこれらについて「安倍政権はこれまで、世論が割れる政策については選挙の際に多くを語らず、選挙で勝てば一転、『信任を得た』とばかりに突き進む手法をとってきた。特定秘密保護法や安全保障関連法の制定がその例だ」と指摘し、「公約の末尾に小さく書かれた『憲法改正』4文字。これを、同様の手法を繰り返す伏線とさせるわけにはいかない」と結んでいる。私たちは安倍政権が卑劣な手口で「柳の下の3匹目のドジョウ」を狙っていることを座視できない。
自民党の今回の選挙公約に見られる「改憲隠し」には市民運動や野党および一部のメディアなどから厳しい批判が噴出した。そうしたなかで、安倍首相は6月19日、インターネット「ニコニコ動画」の党首討論会で、「(改憲については)参院選の結果を受け、どの条文を変えていくか、条文の中身をどのように変えていくかについて、議論を進めていきたい。次の国会から憲法審査会を動かしていきたい。自民党の総裁としてぜひ動かしたい」と発言せざるをえなかった。そして「(改憲は)自民党結党の精神。選挙で争点とすることは必ずしも必要はない」「私たちは(憲法改正の)党草案を示しており、何も隠していない」などと居直った。安倍はホンネ隠しの後ろめたさの苦し紛れに、ニコ動で暴発した。同時出演した公明党の山口那津男代表は「改憲について、国民に問いかけるほど議論が成熟していない。議論を深めて国民の理解を伴うようにしなければならない」と火消しに回ったのと合わせいいコンビではないか。
昨年の2015年安保闘争を経て、いま2016年になっても運動は全国各地でつづいている。そして5月3日の憲法記念日集会を経て、東京での6・5の4万人規模の国会包囲行動、6・19の1万人の「怒りと悲しみの沖縄県民大会に呼応する命と平和のための6・19大行動」もおこなわれた。
昨年末以来の「市民連合」は4月の衆院北海道補選を始め、参院選の32箇所の1人区での候補者1本化の成功と、歴史的な野党4党との事実上の政策合意を実現した。
参院選挙後に安倍晋三首相が企てる明文改憲への着手と、戦争法発動を阻止するには、当面、全力をあげて改憲反対、戦争法廃止の野党4党で3分の1の53議席以上を獲得し、できるなら安倍政権への不信任を示す「改選議席の過半数」の61議席以上を獲得しなければならない。この議席を野党が獲得するのは容易ではない。しかし、戦後政治史上初めて4野党の政策協定と全1人区での候補者1本化の選挙協力ができ、市民連合と4野党が共同して自公政権に立ち向かう選挙とすることができた。市民の後押しを受けた、このところの岡田民進党代表の憲法問題の発言はぶれていない。これを最大限に生かしてチャレンジすることこそ求められている。不可能ではない。
目下の諸悪の根源は戦争と改憲、民衆の生活と権利の破壊の政治を進める安倍晋三内閣だ。今回の参院選の争点は「安倍政治」そのものだ。野党で3分の1を勝ちとり、明文改憲を阻止すること、野党で改選議席の過半数を獲得し、安倍首相に不信任を突きつけ、安倍政権の退陣を実現することだ。野党共闘が成ったいま、勝利のためのカギは投票率のアップにこそある。
今回の参院選で市民運動が掲げている「選挙を変える」というスローガンは、文法の間違いなどではない。従来の選挙闘争ではない選挙をたたかおうという呼びかけだ。市民も主体となる選挙、従来の運動形態に止まらない市民参加型の選挙、無党派層を大量に登場させる選挙、まさに「選挙を変える」であって、「選挙で変える」ではない。
私たちの市民運動は「議会選挙唯一主義」ではない。草の根の津々浦々から政治の変革をねがって行動する市民運動こそ、社会を、世界を変える原動力だ。選挙闘争を軽視するのは全く間違いであるが、選挙闘争も市民運動の一つの形態であることもまた事実だ。「選挙を変えよう」。この参議院選挙こそ、2015年安保闘争につづく2016年安保の闘いを象徴する闘いの山場だ。市民の新しい政治への希望につながることを、全力で訴えて多くの無党派層を選挙に参加させ、多くの政治的無関心層を掘り起こして選挙に参加させることこそ、勝利の道につながるのではないだろうか。この闘いが、どんなに困難でも、できることをすべてやりきって、諸悪の根源である安倍政権を追いつめ、必ず勝利を勝ちとろう!
5月21日、22日の両日に北海道・札幌市で「第19回 許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会in札幌」が開かれました。その概要は5月号で報告しましたが、今号では公開集会での高田健さん、清末愛砂さん、中野晃一さんのスピーチの内容を、編集部の責任で要約し紹介します。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
高田 健さん(許すな!改憲・市民連絡会事務局、総がかり行動実行委)
みなさんこんにちは。全国各地からあるいは北海道の各地から本当にありがとうございます。総がかり実行委員とか市民連合とか、いろいろとやっております高田健です。
20年前にこの全国交流集会を始めたときにこういう時代が来るかもしれない、それを絶対に止めなければいけないと思いまして全国の仲間と一緒にやってきました。この国が「戦争する国」になってしまったあるいは今新しい戦前になった、こういうことを20年前には絶対に言いたくなかったんですね。いまそういうことを言わなければいけなくなったことを非常に悔しい思いもしますし、怒りも感じています。
新しい戦前ですけれども、85年前の戦前と今の新しい戦前には大きな違いがあると思います。今日ここで私たちがこうした集会を開いているように、あるいは昨年、一昨年と全国で大変大きな市民運動が起きてきたように、今から85年前の日本社会にはこうした運動はありませんでした。いまこの新しい戦前を迎えている中で、この国を再び戦争する国にさせないという力強い全国のたたかいがあることが、85年前と今日の大きな違いではないかなと思っています。私は、この運動の大きな意味を、これからのことを考えますと理解しておかなければならないと思っています。
私は特徴が4つあると思っています。この2年間のたたかいの特徴の第1は「総がかり」でやったということです。日本の反戦平和運動は残念ながら1960年安保以降、それぞれ分裂せざるを得ない理由があったけれども、日本の平和運動はやはり対立し、いくつかの潮流に分かれていった。安倍内閣が、戦争をする国にする事態を前にして、そういうことを繰り返していていいのかという私たち自身の大きな反省があって、何としてもこれを止めるためにそうした分裂の歴史に終止符を打つ。総がかりでこの「戦争する国」に私たちは挑み、そして止める。そういう決意をした運動が昨年と一昨年の運動だったと思います。北海道の皆さんもそうだったと思います。いままで同じ日に同じ集会をやるにしても、東京でいえば明治公園に集まるグループと日比谷公園に集まるグループと代々木公園に集まるグループと、さあ自分はどこに行ったらいいのかと思うような、そしてあのグループはあっちの系統だというような話をずっとやってきた。この2年間それを克服して、総がかりでこの反戦平和の運動をやったという大きな特徴が第1だと思います。
第2の特徴は、私は60年安保を多少知っているものですから非常に感じますが、この2年間は多くの市民のみなさんがこの反戦平和の運動の前面に立ってきた。大量の市民の皆さんの登場があった。60年安保は例えば声なき声の会という運動がありましたし、70年安保は小田実さんたちの「ベ平連」のような運動がありました。日本にも市民運動の伝統はあります。しかし当時から言われていたのは、欧米社会の市民運動と比べると日本の市民運動は弱いと、いつも私などは言われ続けてきました。しかし昨年と一昨年の運動は違いました。本当に大量の市民が、それもどの組織にも属していない市民が自分の意志でこの反戦平和の運動に参加する、あるいは自分の意志で新しい反戦平和の運動を組織する、つくりあげる。そういう中でこのたたかいが進められたのは大きな特徴です。国会前でいいますと、国会の前には並木通りという大きな通りがありますが、国会正門の正面に集まるのはほとんど市民グループです。そしてその両脇に労働組合さんとか、平和運動センターさん、共同センターさん、これまでずっと頑張ってこられた民主団体さんがいる。ど真ん中には市民個人たちの舞台があって、そこで反戦平和の運動をやっている。これが去年の大きな特徴だったと思います。私は結構好きなサッカーの中田君が、「自立した個」といったことがあるんですね。あれは別に反戦運動という意味で言ったのではないのですが、私はそれが本当に去年、一昨年の運動に通じるように思っています。自立した個、そういう市民たちがたくさん集まってきたというのがこの間の大きな特徴だったと思っています。
3番目の特徴は、これらのたたかいが非暴力の市民行動として貫かれたことです。60年安保の時は、残念ながら運動の側に殺されたというか、死者が出ました。70年安保も、やっぱりたくさんの死者が出ました。そしてけがをした人たちもたくさんいた。弾圧をしたのはもちろん警察であって、それは弾圧する方が悪いに決まっていますが、しかしそうした運動を繰り返したくなかった。運動を長期にわたって続けるには、あるいはどなたでも、年配の人でも女性でもあるいは子どもさんを連れたお母さん、パパさんでもみんな参加できるような運動にするには、やはり非暴力の平和行動、市民行動でなければそういう運動は作れないと私たちは確信していました。ですからこの運動は必ず、そう運営すると決意をしていました。そして多くの市民の皆さんが同じように思ってくれて、それをやり抜きました。今でも運動が続いている、全国で続いている重要な理由の一つにこれがあると思います。もし国会前で私たちの運動が大混乱をして運動が収拾つかないようになったら、そのあとの9月19日以降の運動は、大きく展開するのがほとんど不可能だったと思います。多くの市民のみなさんが共同して、こうした非暴力の市民行動をつくりあげたのも、昨年と一昨年の運動の大きな特徴です。
最後の特徴は、この市民の運動が国会での野党としっかりと結びついて、国会内外が呼応してたたかったということです。実は私はいわゆる市民運動出身なものですから、政党の皆さんとのお付き合いというのはあまりない、というかあまり好きではありませんでした。今日はここに国会議員をやっておられていた方も来ていらっしゃいますけれども、あまり政党のみなさんと話すのも得意ではなかったし、「何々系」といわれるのは本当に嫌だと思って、無党派を自認してきた面があるんですね。ですから国会議員のみなさんとのお付き合いというのはほとんどありませんでした。ぶっちゃけいうと岡田さんとは会ったことはありませんでした。小沢さんには会いたくなかったです。そういうのはいろいろありました。
しかし今回はそうじゃなかったんですね。本当に戦争法を止めるのだったら、やっぱり私たちが国会の外でたたかっているだけでは止まらない。国会の外でのたたかいを国会の中で、野党のみなさんとの運動と結びつけることができるかどうか。そうすることによってしか止められないと確信していましたから、運動の最初の時期から野党各党のみなさんに必ず集会に来てもらいたかった。いろいろな集会で国会議員のみなさんが発言をした。国会議員に何であんなに長々と発言させるのかと文句を言われた時もありました。でもそれが大事だと思ったんです。それをずっと続けてきた結果、私は今日があると思うんです。
昨年の9月19日、残念ながら採決をされましたけれども、そのあと国会議員のみなさんに私たちは働きかけました。廃止法を出してもらいたい。国会で決めたなら国会でなくすこともできるはずだということで、廃止法を出す運動をやりました。それだけではなく、国会で少数だから、あるいは国会で野党がばらばらだから、私たちは大きなたたかいができないということを繰り返し言ってきました。
参議院選挙が目前に控えていました。私たちはこの参議院選挙で野党が必ず統一候補を出して安倍政権の戦争政策に向かってほしい。そういう要求を昨年一昨年の運動の延長として、し続けました。ただ参議院選挙はご存知のように1人区が32か所あります。この32か所で、民進党もそれから共産党も社民党もそのほかの政党もみんな候補者を立てていたら自公政権に勝てるわけがない、というのは子どもでもわかる。これを一本化して、野党の方を一人にして自公とたたかう。最低限、そういうことをつくらなければ参議院選挙で勝てないと思いました。そしてそういう運動をやろうと思いました。そういう中からできたのが市民連合でもあるわけです。
しかしそう思うことと、実際にできることとは本当に違います。北海道5区をたたかった札幌を始め北海道のみなさんのご苦労の通りですよね。北海道5区でも、まず野党を一本化するためにみなさんがどれだけ本当に苦労したか。なかなか永田町のみなさん、政党のみなさんというのは、それぞれの論議があってそれぞれの立場があって、そう簡単にまとまらないんですね。私たちから見たら、まとまればいいじゃないかと本当に思うけれども、なかなかできない。でも北海道5区のみなさんはそれをやりあげた。大変な努力の中でやったと思うんですね。私たちも国会の中で、32の一人区でどうしても一本化してもらいたいという働きかけをやる中で、本当に腹が立つことがたくさんありました。街頭演説の場でもあるいは政治集会の場でも、ほぼ罵倒に近いようなことを私もいったことがあります。「何をやっているんだ、ここまで大事な時期にまだ統一ができないのか」。本当にいらいらしたことも何度もあります。私たちの仲間の中には「もうダメだ、野党に期待するなよ。もう無理だよ、あそこはやる気がないみたいだ」という人もたくさんいました。でも本当に我慢したんですね。我慢しなければ勝てないからですね。勝つためには多少の我慢はやらなければいけないと本当に思ったんですね。北海道のみなさんも、それで池田さんに一本化を作り上げた。素晴らしいことだと思います。
実は32の一人区で一本化してくれと言い出したときに、今日来ておられる中野先生はどう思っていたかわかりませんが、32の選挙区で一本化できる確信があまりありませんでしたね。難しいだろうな、半分くらいできたらすごくいいかな、くらいに思っていましたね。本当に難しいんですよね、いままでできなかったんですから。それを今度やろう、32ヶ所でやろうといっているわけです。今日時点で考えたら32ヶ所全部一本化できますよね。いくつか決まっていませんけれどもほぼ決まります。何か夢のような話です。でもこれを作り上げたのは、やっぱり昨年一昨年の国会の外で、運動でやってきた市民運動の大きな流れが野党を後押しした。そして一本化せざるを得ないというか一本化しよう、あるいは一本化して野党と市民が一緒になったら勝てるかもしれないと各党のみなさんが思ってくれたんですよね。ですから実現したと思うんです。
私はいつも言いますが、本当に勝つためには車の両輪の関係だと思います。私はいまでも選挙だけに全力を挙げるつもりはありません。選挙はやっぱりたたかいのひとつだと思っています。選挙だけでも勝てない。選挙に本当に勝つためには国会に対する働きかけだけでは勝てない。去年一昨年やったように、全国の大きな市民の行動をつくりあげ、そして世論を変えていく。こうした市民の運動と、国会の中の野党の結束と、この車の両輪が一緒に転がって初めて進むんですね。どちらかだけだったら前に進みませんから。そういう意味で私はこのふたつをなんとしてもこれから進めたい。そうすることによって私たちは、この戦争する国を止める可能性があると思っています。
憲法の問題を20年近く全国のみなさんとずっとやってきました。安倍政権はいよいよ、昨年憲法のでたらめな解釈改憲をやっただけでは満足せず、これから、国家緊急権、あるいは憲法第9条、そういうものを含めて日本国憲法の3原則をすべて台無しにするような改憲をやろうとしている。今日配られている自民党の改憲草案というのはそういうものですよね。そこにさしかかっているときに、私たちがここからどうたたかうのかということを考えると、いま言ったこと以外にないと思うんですね。大きな大衆行動、市民行動を引き続き全国の民さんが協力しながら起こす。ひとりひとりの市民が立ち上がってそういう運動をつくることと、国会の中の野党を結束させる。
32の選挙区で一本化することとあわせて、実は複数区とかそういうところで野党のみなさんに勝ってもらいたい。あるいは衆議院選挙をやるのであればで、それにも対応しなければいけない。そういう課題がこれから目の前にあるわけですが、それをなんとしてもやり抜きたいと思っています。本当に大変ですよね。去年は本当に忙しかった。でもそういう運動を、この6月7月に向けて大きな運動を全国の市民のみなさんと一緒につくりたい。今日全国から市民運動のリーダーのみなさんが集まっていますけれども、そういう人たちとしっかりと今日は腹合わせをしてこれからの運動をつくりたい。
最後に、昨年愛知県でやった全国交流集会は非常に大きな意味を持ったと私は思います。ちょうど総がかり行動実行委員会ができて、ほんの直後の全国交流集会でした。私たちはこれを土台にして安倍政権の戦争政策に立ち向かっていこうという意思統一をやって、全国で力を尽くしてたたかいました。今日北海道で集まってあらためてお互いの意思の確認をしながらこの安倍政権の戦争政策を絶対に止める、戦争する国になってしまったなどと絶対に言わない。海外で戦争しなかった国ということを71年で終わらせることはしない。それがいま生きている私たちの責任だ。そういうことを果たし抜くために今日の全国交流集会があると思って来ています。今日ここでみなさんにお会いしていて、そして昨年一昨年全国のみなさんと会う中で、本当に20年頑張ってきて良かったと思っています。そしてそこに本当に力があると思っています。この力をみんなでお互いに結束して安倍政権を倒すということにしたいと思います。
安倍さんは任期中に改憲をやると本当に言っているわけです。任期中に改憲をするということは、参議院で3分の2を取るということです。彼の任期は2018年の9月までしかありません。参議院で3分の2をとるための選挙は、今度の参議院選挙しかないんです。だから安倍晋三は今度の参議院選挙で改憲発議に必要な3分の2を取ると言っているわけです。3分の2を阻止して、安倍さんをもう一回おなかを痛くさせる必要があります。2007年の第1次安倍内閣の退陣を再現して、戦争政策を止める。今日冒頭に自衛隊員のお母さんの平さんの話を聞きました。この自衛隊員たちが海外で発砲し、戦争して殺し殺されるような、そういう国に絶対させない。今日平さんと同じ場所で会合ができて私はあらためてそう誓いたいと思います。これをみなさんと共通の認識にして、戦争する国にさせないために一緒に頑張りたいと思います。どうかよろしくお願いします。
清末愛砂さん(室蘭工業大学大学院工学研究科准教授)
権力(保持)は蜜の味
みなさん こんにちは。今日は、自民党がいうところの緊急事態条項、憲法学でいうところの国家緊急権の問題について30分ほどでお話させていただきたいと思います。
そもそも国家緊急権とはいったい何なのかという話をする前に、権力を持つ者はどういう傾向があるのか、それは私も含めてですが、少し話をさせていただきます。本当に人間は権力に弱いですよね。権力を持つと「蜜の味」ですから、誰でもそれをいつまでもずーっと持っておきたくなる。さらにどんどん行使し、次の力次の力を得たくなる。ということで、権力を握ると誰でも腐敗したり、濫用したりする可能性があるというのは、私たち自身の問題として考えなといけないと思います。それを前提として、国家緊急権というものの危険についてお話をさせていただきます。そもそも日本の平和運動の中では、国家緊急権の話につては何が危険なのということも含めてあまり共有されていないと思っておりまして、まず、そもそも何かということについて話をしてから、その危険性について話を移していきます。
憲法学の大家である芦部信喜先生の定義によると、「戦争・内乱・恐慌・大規模な自然災害など、平時の統治機構をもっては対処できない非常事態において、国家の存立を維持するために、国家権力が、立憲的な憲法秩序を一時停止して非常措置をとる権限」です。それに関連する条項、すなわちそういう非常措置をとる権限を国家権力に一部に認めるような憲法上の条文を入れるというのが、今、自公政権が狙っているところです。国家緊急権なるものが憲法の中に入っていくと、憲法秩序、憲法機能が一時的に停止します。そして、非常措置の権限が与えられていますから、国家権力の一部が大幅な権限を用いて好き放題にできるようになるだろう、そういう可能性があるわけです。
くわえて、国家緊急権の性格はそもそも国家の存立が前提にありますから、結果的に民衆より国家の存立の方に価値がおかれ、国家の方がより優先的になるという問題になっていきます。そこで私たちが考えなければいけないところは、本来の考え方として、国家という枠組みを正当化する理由が一つあるとすれば、それは私たちの基本的人権を遵守する、すなわち国家が私たちの人権を担保する枠組みとして、手段として存立するというのがあるのかもしれません。私は、必ずしもその立場をとるわけではないけれども、一つの理由としては、そうだろうと思うところもあります。
一方、私たちが近現代史を丁寧に見ていくとはっきりすることがあります。歴史は明確に語るわけでして、国家というのはけっして民衆を守らない、必ず銃を向けるということです。それによって多くの人たちが、日本に限らず世界中の各地で民衆は弾圧をされてきました。そういうものがありますので、私は国家存立と聞くと鳥肌が立つ人間です。恐怖心とともに鳥肌が立つ、そういう感覚を覚えます。
もう一つ、国家緊急権を認めるということは、すなわち立憲民主主義を完全に否定していくことになりますので、憲法の意味が大きく問われる事態が発生します。そうすると、「国家緊急事態がありうる」と反論が出てくると思うんですね。「災害とかテロとかあるかもしれないじゃないか」と。また「だから、手続きとか、期間とか、条件とか、非常事態が宣言されたときの効果とか、きちんと定めておいたらいいのではないのか」という人もいるかもしれません。しかし、最初に私がそもそも論として話をしましたように、権力というのは非常に恣意的な濫用をする。権力を一度握るといくらでも暴走する人たちがいるわけです。昨年、そして特にこの1年間、私たちは目のあたりにしてきたところがあると思うわけですけれども、恣意的な濫用が可能なわけです。そうなると国家権力の一部が自分たちの思うままに動くことができる、そういう危険性が常につきまとうことになります。だから、その危険性を先に予防しておく、そういうものが入らないようにしておく必要があるかと思います。
ではどうして自公政権は、これだけ緊急事態条項を入れたいのか。それは明らかに戦時体制・国民総動員体制をとにかく完成させる総仕上げのために、ものを言わない国民を作るために、そして少しでもものを言おうものなら表現の自由を奪われ 、私たちが政治参画として意思表明したときには、襲いかかるということになると思います。
非常事態宣言が実際に発令されたときに、憲法によって保障されている様々な人権条項や条文が、国家の存立とか、危機、テロという名の下、そして震災の名の下で、人権条項が制限されてくことにもなります。なによりも私が非常に恐れているのは、さらに監視体制が進んでいくでしょうから、ますます特定秘密保護法が大活躍したり、共謀罪などがどんどん入っていったりすると、警察国家への道が進んでいくことです。もしかしたら私たちがこういう集会をもって、安倍自公政権反対といって、さらにデモとかに出たりして、反政府的な活動をしていると見なされたら、「見なされる」わけですから、見なされた者への弾圧ということで一網打尽にやられてしまう。清末も2度とマイクを持たせてもらえない。マイクを持とうとしても「おまえ、しゃべるな」という状況が将来生まれてくるかもしれないなと思います。マイク取られても、しゃべりますけれどもね。表現の自由が大幅になくなり、ものが言えなくなる状況が生まれるということで、非常に恐れています。くわえて、社会の中でナショナリズムを台頭させて、反体制な人間だと見なされている人たちをどんどん追いやっていくような状況が生まれてくると私は思っています。
今の日本国憲法には、緊急権を定めるような条項はないわけですね。それはなぜかというと、大日本帝国憲法時代には、いくつかの国家緊急権を認める条文が入っておりました。例えば、緊急命令(8条:天皇による緊急勅令)とか、戒厳宣告(14条:天皇による戒厳宣告)、非常大権(31粂:天皇大権)というように、いくつかの緊急事態条項に相当するものがありました。とりわけこの中では8条の緊急勅令がたくさん使われています。みなさんが名前として知っているようなものでは、関東大震災時にこの8条を使って軍が出動し、実際に人々を鎮圧しました。その中で朝鮮人・中国人に対する大虐殺が起きるということを引き起こした憲法上の法的な弾圧手段が、8条でした。
このように人の命を奪ってきた歴史を持つこの国家において、1946年に制定された日本国憲法には大日本帝国憲法時代の歴史を反省した上で入らなかったという、非常にポジティブに、あまりにひどい大日本帝国憲法時代のカウンターとして生まれてきたのだと思われます。しかし、この国家において非常事態宣言が1945年以降の世界で一度も発令されてこなかったのかというとそれは嘘ですね。1948年、GHQが戦後初めて非常事態宣言を発令しています。それは、関西から来られた方であれば知っておられる、関西でない方も知っている有名な事件だと思います。阪神教育闘争、民族学校団交を求める闘いが大弾圧された。在日コリアンの方々に対する大弾圧がなされた。ですから、戦後において何もなかったというわけではなくて、実は、こういうものがありました。
私は、この阪神教育闘争に対する大弾圧から、ひとつ大きなことを学ばなければならないと思います。今後、日本国憲法に国家緊急権に相当する条項が入っていくならば、誰が最も大きな影響を受けるのかということについて考えなければなりせん。特定秘密保護法にしても、安保法制・戦争法にしても、適応される中で明確に差が起きてくるわけです。この差別的な社会の中で、とくにターゲットにしたい人たちが当然いるわけです。その時々によると思うけれども、例えば沖縄の反基地闘争に対する大弾圧がおこなわれるようになるでしょう。日本軍が沖縄戦のときに沖縄の民衆に銃を向け命を奪ったように、再び同じことをこの国はしてしまう可能性があります。そのことを私たちは心しておかなければいけない。自分たちが危険だということではなくて、緊急事態条項なるものが、この社会で最も虐げられている人たちに銃を向ける手段になり得る。2度と朝鮮人の虐殺であったり、けっして朝鮮人だけではないけれども、沖縄の民衆に対する大弾圧のために使われることがあってはいけないと私は思っております。
よく使われる海外の例として、1919年に制定されたワイマール憲法がわずか14年という短い期間で事実上終了しました。そして、ナチスの台頭がいかにしておこなわれたかということで、国家緊急権の話をするときにはドイツの話が例として出るんですね。非常に簡単に言うと、ワイマール憲法は、当時は最も民主的な憲法だといわれたものです。しかし一つの脆弱点がありました。それは、大統領の非常措置権というものを第48条において認めていたわけです。ナチスドイツが支配権を確立していくときに、この大統領の非常措置権をどんどん多用することによって、自分たちの政敵を追い出していく、逮捕・弾圧の対象としていきました。最初ナチスはそれほど議席を持っていたわけではないけれど、例えば大統領令に基づいて共産党の全議員や社会民主党員を逮捕して、議決の場に入れないことによって「全権委任法」の可決を可能にしていきました。この全権委任法というのは、政府による立法を可能とするものです。これはよく覚えておいていただきたいところですけれども、自民党の2012年4月27日に決定された改憲草案の中にもこれに似た内容が入っています。政府による立法を可能とするというのが、まずワイマール憲法の1条。これ、たった5行しかありません。2条、これは後に否定されている条文ですが、「政府によって立法化された法律は憲法に違反できる」という恐ろしい内容をもつものでした。そのようなワイマール憲法の崩壊から私たちは大きなことを学ぶことができるわけですが、それだけではありません。もちろんいろいろな国の例を学んでいく必要がありますけれども、パキスタンの例を紹介しておきます。
私は、アフガニスタンやパキスタンという国を調査している人間なのですけれども、パキスタン憲法の緊急事態条項に相当する条文がいくつかあります。これまで何回か、大統領がその条文を使って緊急事態宣言をしています。一番新しい例ですと、今や失脚したムシャラフ大統領が、2007年に突如として非常宣言を出しました。名目は、テロ対策です。2007年の11月に出て解除されるのが12月なので、約1ヶ月ちょっと続きました。その期間に、軍事国家によって4000人上の人が逮捕されています。その中には、1000人以上の弁護士とか人権活動家が含まれています。テロ対策として、ですよ。その当時、確かにムシャラク大統領の非常宣言は世界的に話題になり、日本のメディアでも少しだけ報道しました。アメリカもとにかく解除しろと、プレッシャーも若干かけました。しかし、アメリカは強いプレッシャーをかけなかった。なぜなら、パキスタンはたいへんな親米国家であり、2001年の対テロ戦争でのアフガニスタン攻撃の時に、アメリカに場所の提供も含めて明確に協力体制を敷きました。そういう国であったということで、強く出なかったんですね。その間に4000人以上の人が弾圧されるという恐ろしい事態が起きていたんです。
そうすると、「いや、でもパキスタンだから。軍事体制だし、憲法はどうなの?」というふうに思う人もいると思います。ちなみに、なんでパキスタンの憲法に緊急事態宣言を認めるような条文があるのかというと、これはイギリスの植民地の影響です。イギリスの植民地の影響を受けた憲法がそのままインドにもパキスタンにも残っているからですね。イギリスは成文憲法の国じゃないけれど、インドやパキスタンは成文憲法をもっている国ですが、あきらかに内容は植民地時代の影響がそのまま残っていて、それが今の軍事体制によって使われているということです。その点を含めて考えていく必要があるかなと思っています。
日本に話を戻しますと、災害やテロを利用した改憲の動きが、日本では猛烈な勢いで進んでいるわけです。とりわけ2011年の東日本大震災の後に今の自公政権だけはなく、当時の政権も憲法の中に緊急事態条項を入れた方がいいと言っていたと思います。2016年の熊本・大分での震災を大利用する形で、あるいは海外の、フランスのテロを利用する形で、どんどん動きを進めていると思います。わたしは、一つこういうこと言っておきたいと思います。この緊急事態条項を「いれるのはけしからん」と簡単に言うことはできます。しかし私が何より嫌なのは、震災などというものでたくさんの人が亡くなる、そういう人の不幸を利用して、命のなくなった人たちを利用して、人権を制限するような条項を入れるという浅ましさに腹がたつんですね。本当に人を愚弄する行為だと私は思います。被災地のニーズを完全に無視する形で、中央から地方自治体にどんどん指令を出していくような状況もこれからどんどん生まれると思います。もう一つ政治利用としては、オスプレイの使用問題があります。熊本の震災の時にオスプレイで物を輸送するという話が出ましたけれども、まさしくオスプレイの風圧で被災者が吹き飛ばされた。オスプレイが避難所に墜落したなんていうことがあったらどうするのか、と私は思います。まさしく人災ですよね。それで亡くなったら、どういうふうに政府は責任を取るのか。これは取れません。人の命がなくなったらそれまでです。こういう人災が起きるようなことを平気で言い出すメンタリティというのが私にはわかりませんが、まさしくオスプレイみたいなモノは被災者をより危険に陥れる行為そのものであるにもかかわらず、日米軍事同盟のためにこれ幸いとばかりに普通に持ち出すということがあります。
さて、みなさまに資料として自民党の憲法改憲草案が配られていますが、自公政権はやる気満々だと思います。礒崎陽輔氏のツイッターを見たりすると、「はぁ~」と言って頭痛がするんです。彼はなんでこんなこんなものを書くんだろう。彼は最近、憲法に緊急事態条項を入れることを力説しています。とにかく必要だと一生懸命書いていて、彼は本気だと思います。磯崎さんと言えば、この改憲草案の2012年の起草委員会ができたときの事務局長です。
自民党の改憲草案ですが、緊急事態と題して第9章を新設しています。条文としては98条、99条です。98条から始まりますが、緊急事態宣言です。「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において」と続いて、「 閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる」とあります。「内乱」とか「社会秩序の混乱」、そしてすごく怖いのは「その他の法律で定める緊急事態」とあります。かなり広い範囲での緊急事態であると指摘できると思いますが、民衆による抗議行動が「内乱」と見なされるかもしれない。私たちが、デモをしたり、国会の前にすごい人たちが集まってデモをするとかいったら、一網打尽。私はそういう状況が起きたときに、警察や自衛官は私たちに必ず銃を向けると思っていますから、「内乱」として鎮圧の対象とされるかもしれないと思っております。
98条3項では、「百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない」とあります。ということは、これ簡単に継続できてしまい、緊急事態宣言がずーっと続いていく可能性があります。最初にそもそも論として国家権力についてお話ししましたが、危険な政権ほど長期政権維持の手段をほしがります。一度権力を握ったら、蜜の味をなめて喜んでいますから、もう「おなかかが痛い」とか言いませんね。ずーっと(政権に)いたがると思いますよ。だから、ポンポンポンと入れたくなってしまうんですね。
99条は、「緊急事態の宣言の効果」です。1項では「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」、あるいは「内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」とあります。これって、人権を制限するような政令が、どんどん乱発するかもしれないということですよね。可能性としてあると私は思います。磯崎さんは、「そんなことありませーん」と言っていますけれども。国家権力についている者が、「はい、します」なんて言うはずがないですよ。それから、財政的な徴収も、勝手に内閣総理大臣が財政的な処理ができたりします。国会なんてどうでもいいということです。戦争に必要な経費も、ここでバンバン処理されたり使われたりするし、声が消されたりするということになると思います。そして、地方自治の原則が否定されていくことが明確に見えます。非常事態の指示が出たら自治体の長が、なかなかノーと言えない状況が現実的にはあるわけで、自治の原則といってもどんどん否定しにくくなることが進むと思います。
3項では、「緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない」。ここのところ、本当に怖いですね。市民の協力義務です。もっと間接的なものを含むであろう服従命令であろうと言って言えないわけではありますが、まさに、指示に従わなければならない。「努める」などという努力義務とかではなく、「従わなければならない」ということですから、まさしく服従というものが、ここに見えてくるなという感じがします。
さらに、政権についた者はそこかななかなか降りたくない。どれだけ批判しても、一切聞かない。そういう状況の時に、もうひとつ彼らがやりたいのは、選挙は先き延ばしになるわけです。99条4項には、緊急事態宣言が発せられた場合、「宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし」という言葉が入っています。となると、どんどん選挙の引き延ばしの手段と使える可能性もあります。
自民党改憲草案には、9条に恐ろしいことを書いています。もちろんわたしは、9条の改訂がよいというわけではありません。そうではなくて、緊急事態条項が入ったら、この社会は一巻の終わりだと思っています。正直9条の改憲は、かわいく見えるぐらい深刻な状況がうまれるだろうと思うわけです。その点を考えると、彼らには「お試し改憲」なんていう雰囲気がありますけれども、とんでもない。これこそ最終目標だという感じもします。緊急事態条項は私たちの日常生活を破壊しますから、絶対に入れるというようなことがあってはなりません。市民の間でなかなかその危険性が伝わっていないと私は焦ってので、毎日、周りの人たちにコソコソっと「危ないよ」「危ないよ」とささやいて、ささやいて、状況を伝えることが必要かと思います。
ちなみに、災害対策とかいろいろ彼らは言いますが、現行の災害対策基本法とか災害救助法などで対策は可能です。私は、それらの法律の内容がいいとはいいません。やはり、緊急事態条項に相当する内容もあって、それが濫用される可能性がありますが、それでも憲法に入るよりはよいと思っています。そもそも災害対策は個別の法律で対応すべきもの、そして、被災地のニーズにあったものをきちんとやることも非常に大切だと思っていますので、憲法に入れることだけは避けるべきだろうと思っています。
そうすると、テロ対策だって必要だという方が出てくるわけです。でも、そもそもテロの生じる原因がどこにあるのかということをきちんと解明して、重要なことは解明した上で、我々自身がテロを誘発するようなことをしない。国家が外交政策においてテロを誘発するような行為をしない、そして、国家にさせないということが非常に大切だと思います。正直、軍事力の強化というのは、挑発に等しい行為です。武力に頼らない、武力を否定した平和外交をやっていくということが、きれいごとではなくて、実はテロに向けた最善策だということは、私自身の紛争地における経験で学んできたことです。力と力でぶつかると絶対的に衝突が大きくなり、わざわざ挑発する必要はない。それが、テロを防ぐ道だろうと思います。
中野晃一さん(上智大国際教養学部教授)
みなさんこんにちは。札幌はとっても暖かいですね。学会でヘルシンキに行っておりまして、向こうはまだ15度くらいで、それでも短い夏を楽しむという雰囲気がでした。こちらに到着して、快速エアポートに乗って北海道5区の選挙の駅をひとつひとつ見ました。みなさんが頑張っていらした、本当に惜しかったなという思いをあらためて復習しながら到着したところです。「市民連合と民主主義の展望」ということでお手元にレジメをご用意いただいておりますので、前半はこれまでの流れをもう一回大づかみにして、後半は選挙に関わることについて具体的にお話をさせていただきます。
まず新しい市民運動の広がりというところで、市民運動というのは日本にはずいぶん前からあるわけですね。ただ今回新しいということはなんなのかということが、あると思います。その新しいことに関しては、高田さんが運動に関わってきた立場から先ほどお話がありました。私はずっとこういう運動に関わってきたのではありません。
いま46歳で、大学で教え始めて17年目くらいですが、小泉政権あたりからおかしいなと思い出しています。というのが、日本を含む西ヨーロッパ、アメリカなど先進諸国の国内政治の官僚制や政党政治を比較して研究していたので、一応象牙の塔の人間のつもりでした。もちろん政治に関心があるから政治学をやっているので自分なりの考えはありましたけれども、それにもとづいて行動するかというとそういう世代でもなく、また留学していた時期も長かったので、学生時代に何か行動に参加したことも特にありません。そういった背景でしたが、やはり実際おかしい思って行動し出したのは、いわゆる新しく入ってきた人たちの多くと重なるところだと思いますが、2011年の東日本大震災、そして東京電力の福島第1原発事故が一番大きなきっかけです。いま8歳の息子が一人おりまして、何をおいても父親として、このままではいかないだろうという思いで行動をとるようになったのが正直なところです。
「新しい」というところにひとつ興味深いと思うのは、「市民」という言葉が一方ではまだ浸透していないところもございます。いま選挙に向けていろいろなところにおうかがいすることがあって、憲法記念日は金沢でした。地元の方とお話をしていると、保守的な土地柄になってきますと「市民」というと「いや、うちは町民だし」とか「村民だし」という、そういうレベルで話が始まり、そういう反発があったりします。いま市民連合を名乗る団体が地方でもできていますけれど、確か富山などは県民連合という名前をあえてつけてやるんですね。「市民」とつけると一定の層のイメージが浮かんでしまい、自分はそこじゃないと思う人はまだ結構いるということがあると思います。市民の「市」が、「町」や「村」と違うというところが、入りにくいのかもそれません。もともとは西欧の概念、citizenであったりフランス語で言うとcitoyenそういう概念から入ると、ややバタ臭いと言うか西洋渡来的なイメージがあるかなと思います。
そうは言いながら、都市に住んでいて教育レベルがそれなりに高く、生活レベルも運動に関われるくらいには何とかなるという方たちが、80年代以降、市民運動というかたちで支えてこられて、その中にはもちろん平和運動だったり生協運動だったりがあるわけです。そういったものがさらに今回大きく広がったことが、実は非常にわかりやすいかたちでありまして、ひとつ取ってみるとシールズですね。シールズというのは、ざっくりしたくくりで言えば恐らく学生運動ということになるのでしょうけれど、従来の学生運動とはだいぶ違うわけです。かつての日本の学生運動であれば、暴力的な部分が自ら好むと好まざるとに関わらず、機動隊とのやりとりの中でヘルメットと角棒というイメージがどうしてもあると思います。一方でもうひとつ面白いところは、学生運動は日本に限らず世界的にも普通はエリート学生の運動で、あるいは学生だということがエリートである、そういう社会において学生運動が展開されるのが通常ですね。
しかし今回シールズの学生たちは、いわゆる偏差値エリートは本当に少ないんですね。私も去年の夏以降に一緒にいろいろなことをやるようになって、いまも市民連合として一緒に作業したりしますが、本当に賢いと思いますし素晴らしいなと思います。大学教員の立場から言うと、どこからこういう学生が出てきたのかなと正直思いますね。残念ながらと言いますか、決して多数派ではありません。ああいう学生がどこの大学でもひしめいているかと言えばそんなことはなく、極めて特殊ですし、実際同じ大学生世代からものすごい反発がある。大学でイベントをやると、むしろネガティブな意見の方が多い。やっかみもあればいろいろとあり、フェアじゃないなと思うところもたくさんあります。全共闘の時代、全学連の時代にかなり多くの学生がやっていた。学生の母数がいまと比べると少なかった時代とちょっと違うところがあって、偏差値エリート校にはほとんどいません。東大とか早慶とか、幸いにして私が教えている上智には何人かいます。女子学生が多くて良い大学にみんな行っていますが、いわゆる偏差値エリートが多いわけではなく、これはある種、特徴的です。
教育に関わっていて思うのは、偏差値エリートはこういうときに何も言わないのだなと、正直思いますね。間違いをしないことが大事で、そうすると東大に入れる時代になってしまっていますから、小学生の時から間違えないで生きているわけですね。だから間違いをしかねないことはしない。せっかくここまで来て、就職もまだしていないときに、顔と名前を出して政府に楯突くなんていうことをすると、就職活動はどうなるのかという話だと思います。そんなバカなことはしないということが恐らく非常に多くて、そういう思いとはまったく違う思いで動いている学生たちが、シールズです。これは本来であれば学生たちの運動で、実際自分達も「自由と民主主義のための学生緊急行動」と名付けていますから、主体は学生です。もう一方で「総がかり」で高田さんたちが一緒にやられている大きな流れで言えば、平和フォーラムだったり日教組だったり自治労、連合左派という流れから来ている運動体もあれば、全労連の小田川さんたちもいらっしゃる。これは労働運動です。労働運動が平和運動に関わってきた流れは非常に長いわけです。それは労働運動として特に戦時中の反省を踏まえた中で、日本の大きな屋台骨としてあった。もちろん分断されていたり、一緒に行動が取れないという問題があったのは高田さんのご指摘の通りですが、労働運動が中核となって日本の戦後革新を支えて来たというのは紛れもない事実ですね。でも区切りとしては労働運動です。
ママの会なんていうのもありますね。ママの会は女性が基本ですが、もちろんパパでもいいし、おじいちゃんでもおばあちゃんでも子どもがいない方でもいいわけです。「誰の子どもも殺させない」というスローガンに共鳴する人であれば、誰でも入れます。とはいいながら女性がやっぱり多いわけで、それなりに若い女性も多いですね。女性運動ということで言えば60年代、70年代からずっと女性運動があって、女性が主役の運動体もたくさんあります。ただママの会は女性運動かといえば、女性が中心で担っている運動だから女性運動とは言えるけれど、いわゆる女性運動とはちょっと違います。
山形に行ったときに現地の共産党の方とお話をしたら、「僕なんかは古い世代だから市民運動というのが新しくてちょっとドキドキしちゃうんですよ」と言っていました。なぜかというと「私たちの発想からいうと大衆運動というのはやってきたけれども市民運動というのは自分達とはちょっと違った」。平たくいえば前衛政党としての共産党があって、それが大衆を導くという構図で大衆運動があったということです。これって考えてみると、こういう多様な人たち、それから私たちのような大学の研究者も、あるいは弁護士さんとか、これが今回「市民連合」を名乗っていまして、平和フォーラムの福山さんも平気で「市民」という発言をしているのを見て、私はちょっと面白いなと思うときがあるんですね。それに限らずいろいろなところでみなさんが「市民」といっていて、学生たちもいま「市民連合」といっていますよ、シールズも。こちらに講演に来ていたときも市民として、といっていました。
これは新しいことなんですよね。明らかに目の前で、いま私たちの力によって市民の概念が広がっていっているということです。日本語の限られた語彙がある中で、いわゆるピープルという言葉の日本語はなかなか難しいじゃないですか。「人々」と言えばかなりくだけた感じになってしまうので、自分達の運動を名付けるときに「人々」というわけにはいかない。となると据わりの良い言葉を探さないといけないが、それが難しい。「国民」というとやはり国ありきなのか、という話になって問題が出てくるし、市民というといままである、ある種のイメージを喚起すると言うことがあったので、自分は違うという人がいたし、いまでもあります。けれども市民という言葉がいま実は広がっていて、それが高田さんがおっしゃったような大きな運動につながっていっているという側面があります。これだけ重要なことが政治の中で起きている。われわれから見ると戦争法としかいいようがないものを、平和安全法制ということで国会を通しちゃった連中が権力の座にいるわけです。黒いものを白といっているわけですから、ある意味言葉を巡る、文明、文化を巡るといったら大げさに聞こえるかもしれませんが、そういうたたかいだという側面もあります。
その中で、私たちは幸いなことに守勢にまわるだけじゃなくて、いま市民社会といっても恥ずかしくないようなかたちで広がっています。というのは、伝統的な社会学などの学問の理論でいうと、日本に市民社会はあるのか、みたいな議論がありました。西洋の市民みたいなのがいないとダメで、それは本当にまだ薄くてあまりないという話がずっとありました。今回、市民社会と呼べるようなものが広がっていて、最終的な市民概念がより包括的なものになりながら、市民アイデンティティというものが大きく広がって、これは資産としてこのあとにも生きてくると思います。そう意味では学生であったり労働運動の系統であったり、あるいは無党派のもともとの市民運動であったりママの会もそうだし学者の会にしても、今回こういったかたちで合流して一緒に運動をつくることができた。その中で私のような新参者も含めて、総がかりの先輩たち、年齢的には若いけれども学生で頑張っている人たちとか、そういったところから学ぶことができて、つながることができた。これはやっぱりすごく大きなことになるんだと思うんです。
これはどういうことかというと、私は主権者運動としての市民運動だと思います。主権者運動というのは耳慣れない言葉ですけれども、主権者意識がここまで強いからこういった運動ができているということで、主権者としての市民、英語だったりフランス語でcitizen、citoyenと言うときの、いわゆる市民社会と言われるときに含意されるものですね。政治の単位になっている、国、社会の中で、それを正常にしていく主権者としての市民、古代ギリシャまでさかのぼればアテネ市民のような感じでしょうか。その意識でみんながこれは自分ことだから声を上げるということになってきたということで主権者運動というのは考えてみるとかなり新しいのではないかなと思います。
平和運動であるとか、ファッショ化的流れに対して対抗するということだったり、公害の被害であったりとか、そういうものに対する運動はありました。今回の運動の大きな特徴はやはり主権者運動としてあったということで、それが市民の概念を書き換えるような、より大きなものにするようなつながりに至ったということだと思います。主権者としての市民です。もちろん日本国憲法に「国民」とあるわけですが、主権者としての人々が一緒になって運動をやることで、当然多様であらざるを得ないわけです。多様であるということは、やっぱりお互い違いがあるということ。その違いを認めつつ、それを受け入れて、そして黙るところは黙って、ちょっと違和感があっておかしいなと思っても、正面にある国会や官邸や、そちらが問題だから、そちらに注意を集中させようという思いで手をつないでいくことができた。これは非常に大きなことではないかと思います。
主権者運動ですからこれまでと違って、大きく人々に呼びかけて入ってもらう運動になってきたことが大きいのだと思います。それはともすると運動が、日本のように政府に楯突くといいますか、政府がやっていることに異議を唱えると、そうした問題に政治的に偏向しているといわれがちです。香山リカさんがツイッターなどでいっていました。「声を上げていると、メディアに出ているのに政治的なことをやっていると大変でしょうと言われるけれど、櫻井よしこさんはそういうことをいわれるとは思えない」って。確かにそうですよ。櫻井さんはものすごく政治的なことをやっているけれど、政府の意にかなうことをやっているから、「メディアに出られなくなって大変でしょう」とはいわれない。これはやっぱり奇妙なところで、日本では政府がニュートラルのような印象がいまだに根強くて、官僚支配の伝統がずっとあるわけです。こちらの北教組が非常に苦労されていたりしますけれども、教育現場であったり公民館などで政治的なことをやるというのは、政府のことをやっていればいいわけです。
大学などでもそうです。うちにも今度来ると言うのでびっくりしましたけれど、TPPの首席交渉官だった外交官が上智に来て授業で話すらしいんですね。そういうのは全然OKなんですよ。誰も政治的に偏向しているなんていいません。ところが私が何かやろうとしたら、あいつは偏向しているという話になるわけです。どう考えてもおかしいです。はっきりいってそんな国は日本しかないと思います。政府がやっていることをそのまま提灯持ってやっていれば中立というか、おとがめ無し。けれども声を上げた途端に、なんだこいつは刃向かって、偏向している、ゆがんでいるという話になるのは異常ですけれど、根強いわけですね。そういう中でいままで運動を担ってくるということは大変なことです。そうすると負けないために中で団結して隙を与えないということもあり、どうしても純粋、純血主義に向かっていく傾向が、運動間の排他性になったりします。無関心層からみると、一部の少数派の人たちが何か怒っていて怖いとか、また関心を持っていない、知識がない人から見ると、なぜこうやっているのかわからないという感じで、中に入っていこうということにならない残念なことがありました。
わたしも含めて原発事故が起きてから、これはおかしい、これはまずいのではないかと感じて動きが出てきた。このときに、新しく入ってきた人たちみんなが言っていたことですが、つい昨日まで自分は運動に対して冷ややかに見ていた。そういう自分の目線があるわけです。けれども、例えば政府がNHKで繰り返していることは「ただちに健康に被害がない」と言っている。どうも信用できないけれど、富も権力も特にないとなると、声を上げるしかありません。代理人であるはずの代議士たちが、こちらの方を見て政治をしていない。メディアは権力をウォッチドッグとして牽制する番犬の機能を果たすはずなのに、まったくそういう気配がない。われわれと権力の間を媒介している代理人、メディアと政治家がふたつともおかしいということになってくると、主権者が自ら姿を現すしかなくなるわけです。
代議制とか代表制といわれる民主主義。古代アテネのような直接民主主義と区別して、選挙で代理人を選ぶことを代表制民主主義とか代議制民主主義と言いますね。そのときに使う言葉で、英語でいうとリプレゼンテーション(representation)という言葉があります。リと言うのは「再び」、プレゼントというのは「現在」とか「現存する」という意味です。だから代表制民主主義というのは、言い方を変えると再現民主主義が本当です。要はわれわれのことを再現してもらわないと、本来は困るわけです。プロとして政治をやっているなら、できればそれ以上のことをやってもらいたいわけです。もうちょっと賢くあって欲しいとかはありますが、残念ながらそういうことにはいまなっていません。最低でも代表は「再現」をしなければいけないことになっているのにその再現機能が失われているとなると、主権者自らが姿を現すしかないというのがデモの原点ですね。代理人が当てにならないから、本人である主権者たちが公共空間に姿を現すということです。
新参者の人たちからしてみると前にやっている人たちがいるから、こういうことをやればいいんだということがわかって、やってみるようになった。自分はいままでは入っていけなかったが、ようやく入れた。でもまだ入れない人がいるのがわかっていて、昨日の自分みたいな人がたくさんいると思うと、そこをどうやって呼び込もうということに熱心だと思うんです。それでできるだけ開かれて、できるだけ入りやすいかたちでやってきたわけです。とりわけ国会前の抗議でいえば、国会前に参加された方が地方に行ってまたやられて、その話をわれわれが聞いてまた盛り上がるような感じで、お互いに相互に強化するように展開してきました。総がかり行動の木曜行動、あそこに行けばいいんだということです。それまでであれば共産党系、非共産党系、無党派とかに分かれていて、それぞれの独自のブランドで平和主義があったわけです。平和の砦を守るといっているけれども、それぞれの砦を守ることに一生懸命にならざるを得なくて、孤立しているそれぞれの砦はやっぱり陥落されやすいというか、守勢にまわらざるを得ないところがありました。その砦の点と点が結ばれて線ができ、線と線が一緒になると面ができて、面ができるということは場ができるわけです、やっぱり2014年の12月に総がかり行動ができたことは本当に画期的だったと思います。それによって木曜日に行動が行われ、いままで運動と関係のない私たちのような人間も含めて行動に参加できるようになったわけです。
私の高校時代の友人で、ある市役所で働いている人間ですが、もうすっかり高田さんとか菱山さんのファンになって、去年の夏は結構行っていろいろ手伝ったとか言っています。もちろん職場では一応労組に入っていますが、問題意識はあったけれども彼からしてみれば直接行動デビューできた。それができたというのも総がかりが場をつくってくれた。ツイッターとかSNSが非常に大きな役割を果たしたことも特徴的だと思います。これも代理機能、再現機能をメディアがやっていないから、ひとりひとりがメディアにならざるを得ない。そうやって広がってつながって、さらにつながってということで、つながることが変えることにつながっています。変えたいからつながらなければいけない。つながること自体がすでに変えることを始めているということで、明らかに大きく変わっていっています。
私がここまでできるのかと感じたのが、まさに北海道5区の補選で最終盤、前日の土曜日です。何度でも「あの」と付けたくなる、「あの」前原誠司さんが、ついに街宣車に乗って、小池晃さんとか穀田さんと一緒になって手を挙げたりしているのは、市民の力以外の何ものでもないわけです。だってはっきりいって彼が改心したとか、あり得ませんよそんな話。何も変わっていないと思いますよ。だけど民進党の流れで野党共闘に行って、池田まきさんが勝つかもしれないとなったら、たぶん、彼からしたら一番価値があるときに自分を売ったつもりですよ。勝ち馬に乗りたかったんです。あのときに行かないでそのまま池田まきさんが勝ったら、完全に蚊帳の外じゃないですか。そうしたら自分は何かやったといっておいた方が絶対いい、そういう計算で来たわけですよね。所詮その程度なんですよ。その程度なんだから別にその程度でいいんです。その程度でも、どうせ党を出ていかないですから。
私も聞かれます。「ああいう連中は出ていきませんか」って。出ていきません、残念ながら。なぜかというと、彼らの存在意義は民進党にいることです。ワシントンのいわゆるジャパン・ハンドラーと言われるような日本政策関係者から見て、彼らのメリットは民進党にいること以外ありません。彼らが自民党に行ったらそんな連中はいくらでもいますから。第一野党である民進党の足を止めるときに使えることで彼らはかわいがってもらっている。最近では細野さんも仲間入りしましたけれども、長島さんとか前原さんという、あの辺の連中というのはそのためにいるので、そこが生業ですから幻想は持ってはいけません。彼らが自ら出ていくことはありません。
でも極端な話、いいんですそれでも。黙ってついてくるのであれば、それで流れが変われば、票を数えるときに頭数にしてしまえばいいわけです。自民党だって同じようなことをやっています。公明党も。中にはまともな人も何人かいるけれど、声を上げない。日本会議で一色に塗ったかたちになっているから黙っているわけです。それでも頭数になっているわけです。とりあえずそれに対抗するためには、もちろん長期的にはもう少しまともな信頼できる人たちだけで政党を作ってくれたらとは思いますけれども、ここまで持ってくることができたのは本当にすごいことだと思います。
市民連合などが野党共闘しろと去年の暮れから言い出したときに、本当になるのかなと思っていまして、2月19日にようやくなる直前まで、2月に入るくらいに、私の感触では時間の問題だということはわかってきました。けれども、そこに至る1月は最悪でしたね。胃が痛いわ、市民連合の運営委員会で朝打ち合わせをするんですが、本当にお葬式みたいな感じで。前に進まないわけです。水面下では、私も会いたくもない政治家と会いましたし、何とかならないかと動いていても、公にそれを言うわけにはいかない。一方では、みなさんじりじりしています。実際に北海道5区の補選みたいに、一体いつまで何をやっているのかという声があります。聞こえてくる話はのんきで、3月末までには何とかなるのじゃないかとか、補選の1ヶ月前くらいには何とかなるのじゃないかとか。冗談じゃないよという感じでした。そういった状況だったにもかかわらずここまで動いたのは、本当にみなさんが辛抱強く働きかけを、現地でもやって東京でもやった。お互いつながってやることができた。主権者はこっちだから、代理人が変な方向を向いていたらこっち向きなさいよ、と言うのは当たり前だという意識で、主体的にどんどん関わって動かしたことが大きかったと思いますね。
広がるということに関していえば、最初に声を上げることが一番大変なんですよね。私は、インスピレーション(inspiration)という言葉がこの事をすごくよくあらわしていると思います。「イン」というのは「入る」と言う意味ですね。「スピレーション」はスピリットという言葉から来ていまして、気概とか勇気とか元気とか、「人から気をもらう」ということがインスピレーションですね。インスパイアされるというのは、他の人あるいは音楽だったり気概だったり勇気だったりを伝播してもらう、受け取るという意味があり、まさにそういうことだと思います。総がかりの方たちがずっとやってきたように、一人からでもこれはおかしいと思ったら、抗議行動をする。本当にそれが難しい社会の中で、後ろ指を指されたりほとんど冷ややかな無関心しかない中で、でも声を上げている人たちがいて、そこに新しく加わるのは、1人目が声を上げるのは、本当に大変だと思います。でもそこのとなりに2人目としてスタンディングに参加するとなると、ちょっと気が楽になって、それが3人目4人目になってくると、どんどん必要な勇気の敷居が下がってきますよね。
そういったかたちで勇気が伝播して、私はあえて「勇気」という言葉を使いますが、特に学生を見ていて思います。偏差値エリートは来ないのかなというのがあります。うちの大学でもおかしいと思っている、知性とか感性の面でわかっているような感じの子は結構いますよ。けれども最終的には、何かというと、勇気がないと無理ですよ。最終的に声を上げるのか上げないのか、学生を見てもそうだし、ママの会でもそうだし、あるいは普通の市民の方でも誰でもそうだと思いますが、知性や感性というのはもちろんあります。けれどもそれだけでは足りなくて、やっぱり最後には勇気ですよ。もちろん地方でもいろいろあるけれど、実際に抗議行動で国会前に行きたかった。一度でいいから木曜日に行きたかった、金曜日に行きたかった。行くとそこで自分がやっていることについての自信と、そこいる人たちから気をもらえるみたいなところがあって、そこはいままでの運動ではなかなかなかったのではないかと思います。それは自立した個と高田さんがおっしゃいましたけれど、それぞれが思い悩んで考えて行動をとってみて、他の自立した個人と出会えてお互いのインスピレーションを与えあっている。運動のやり方としても、こういうプラカードとかコールがあるとか、こういったことができるということをお互い学びあうことができたことは本当に強いことだと思います。
これがどうして強いかというと、繊維がきれいにそろっているものって破けるのは簡単ですね。けれども紙を漉いたみたいに、繊維の太さや長さがまちまちで色も微妙に違っていても、自分で漉いたような紙だと破けにくいですね。そういう強さを今度の運動は持つことができたと思います。きれいに上意下達みたいになっていたり組織化されているのではなくて、動員で来ているのではなくて、それぞれがそれぞれの思いできている。来ている人が、今日この場に来られなかった人がたくさんいることを知っている。毎日は来られないとか、遠くにいていけないとか、子どもが小さいからいけないとか、もちろん仕事が忙しくていけないとか、いろいろな人がいるわけです。そういう思いをそれぞれが持って、自分は来られて良かったと思っている。去年の夏は雨が多かったけれど、明らかに初めてこられたんだなと、ずっと傘を差して、自分でプリントアウトしてきたプラカードを持って、コールに参加するわけではないけれども、いつまでも、帰るわけでもないという若い女性がいました。あるいは疲れてしまって縁石にずっと腰掛けている老夫婦の方がいらっしゃったり、本当にいろいろな方がいたと思います。みんな憤りがあるから来るけれど、同時に来られて良かったとほっとして、他の人ともつながれて、自分の思い自分の考えにもう一回自信を持つことができた。他の人たちから気概をもらってそれぞれの生活の場に帰ることができたという、そういう広がりができたことが本当に大きかったと思うんですよね。
その流れで、そのまま市民連合にきていることを実際にやっていて実感します。というのは一番つらかった時期にシールズなんかとよく話していました。とにかく総がかりが背骨だから、われわれが割れないでずっとやっていれば野党共闘にはなる、時間の問題だ。なぜかといったら、高田さんたちがいることによって全労連系と自治労系が一緒にやることができていて、ここが割れなければ、いずれは野党共闘はやらざるを得なくなる。とにかく何があっても歯を食いしばって我慢してやっていけば、あとは大きな市民の広がりで後押しをする構図ができてくる。そのプロセスをどれだけ早めることができるかということになるのじゃないかと、励まし合っていたわけです。本当に胃が痛くなるというか、うんざりしてくるような、早く普通の生活に戻りたい、とか言っていた気がします。本当にそういうことでした。私だけじゃなくてみなさんそうなんです。正直いって秋以降の方が忙しいですね。いろいろなところにおうかがいすると、私は私でまた元気をもらって、身体は疲れていても気持ちが元気になるということを繰り返している。そうやって、どこでも運動はまったく勢いは衰えていない。それどころかさらに広がっていく可能性があります。
市民連合は5団体の有志というかたちでやっています。女性とか若者が人数として多いのではなくて、起爆剤といいますか牽引する力になっています。5団体のうちで一番見えにくいのは学者ですね。学者の会と立憲デモクラシーの会は、もちろん青井未帆さんとか岡野八代さんとか女性の研究者も大変活躍されていて素晴らしい方たちはいますが、どうしても中高年のおじさんというのが典型的なプロフィールになります。ただ総がかり行動にしても、菱山さんのコールを聞きたくて行っていた人たちも結構いたと思います。やっぱり若い人が出てきて、あるいは女性が出ているという雰囲気で違ってくるわけで、そこが求心力になることが大きかったと思います。この5団体の中の総がかりに菱山さんがいて、ママの会は西郷さんという20代の京都大学大学院生で、若いお母さんですね。シールズはもちろん基本的に学生です。3つの団体の中で若い人たち、中でも女性が中心的な役割を果たしているので、市民運動といったときに全然発想が違ってくることが大きいわけです。
それは端的にいうと、こういうことだと思います。安倍さんのあの「イヤーな感じ」ってありますよね。私は政治学者なのでテレビのニュースを見なくちゃいけないけれど、正直言って安倍さんが出てくるとチャンネルを変えちゃう。だから演説などは文章を読みますが、それだけでも腹が立ってきます。あの安倍さんの嫌な感じって分かる人にはわかって、分からない人にはわからないのです。明らかに安倍政権は女性の支持率が低い。それは安倍さんの嫌な感じにより敏感なのは、女性に多いからですね。なぜかと言ったら、個人の尊厳が今回ひとつのキーワードになっていますけれども、人が人であるということにおいての尊厳が、残念ながら踏みにじられる。日本の社会はとりわけ「おんな 子ども」、女性や若い人、とりわけ若い女性がもっとも標的になります。人権侵害の最悪の形態である戦争になると真っ先に犠牲になるのが、これまた「おんな 子ども」です。その「おんな 子ども」をバカにしきっているのが安倍さんです。見ていればわかるわけです。だから女性の議員が質問するとすぐ口をとがらせてヤジを飛ばしたり、だだっ子もみたいな振る舞いになるじゃないですか。「大丈夫か、あなた」って、はっきり言って人としてダメなレベルですよね。完全にアウトですよ。
それからあの鈍感さ。今回の沖縄で起きてしまった本当に気が重くなって耐えがたい事件。これで何を心配しているかといったら「タイミングが悪かった」といっている。ふざけるなという話ですよ。でも正直な感想で最初に出てくるのが「タイミングが悪かった」なんです、あの人たちは。だから何を守ろうとしているのか、もう明らかですよ。われわれでは断じてなくて、ましてやその中での女性や子どもではありません。大日本帝国の陸軍にしたって海軍にしたって、歴史を見ればとりあえず自国民を守ることがプライオリティじゃないことなんてわかります。沖縄戦でも満州や朝鮮半島でも、真っ先に逃げてしまい、普通の人たちが命からがら戻ったり残留孤児になったように、いわゆる「おんな 子ども」は真っ先に置き去りにするわけです。そういう態度があらわれていることに対して、いま出てきている運動は、逆に自然に女性や若者たちが中心になり、起爆剤となっていて、それを象徴している運動として引っ張っていることが大きいです。
このことについて私は去年の秋くらいにシールズの奥田愛基君と話をする機会があって、とても印象深く覚えていることがあります。彼が言ったのは、“僕らなんかは男だから、やっていてどこか喧嘩みたいで楽しいところがあるんですよ、安倍はやめろとか”といいます。私も結構好きで、すっきりするというか、何もしないで悶々しているよりましということがあって、やっぱり向こうが力で来るならこっちも力だ、みたいな発想があります。でも彼が言っていたのは、女の子はみんなやめたがっているんですよ、ということです。それはそうだよなとしか言いようがないところがあって、やっぱり若い女性が顔を出してやっていることに対して誹謗中傷、セクハラから何からひどいわけです。奥田君だって殺害予告がふつうに来るわけで、はっきり言って小林節さんとか僕には同じようなものは来ません。別に来いと言っているわけではないですが。本当に陰湿で卑怯だと思います。一応社会的な地位とか職が保証されているようなところには来ずに、弱そうな所、より攻撃し甲斐があるような、そういうところに行くわけです。そういう陰湿さが安倍応援団にはあって、そういうものに一番さらされているのが若者、女性だったりします。そこの部分が、逆に言うとことの深刻さを表していと思うんです。
抑止力って安倍さんは言っていますけれども、要は武力には武力でやればいいという単純な、そして明らかに間違っている発想です。だって軍事力で世界が平和になるのだったらば、アメリカが一番平和な国のはずじゃないですか。そのアメリカは自分たちで銃規制もできなければ、武装すれば安全になるという力の信仰がそこまで行っているわけです。さらには、戦争に参加してトラウマを抱えて戻ってきた人たちに対するケアももちろん十分ではありえなくて、そういったことにであれだけ人が殺されている。幼児が暴発で殺してしまう数もものすごいわけです。そういう社会を作ってしまっています。
フランスのテロがありましたけれども、対テロ戦争だと言って一緒になってやっていくとどうなるのか。安全といっても、自分の国に住んでいて囚人みたいになってしまっているわけです。この先の道で明らかなのは、自衛隊の方たちがより大きなリスクにさらされてしまうだけではありません。日本の中でも北海道新幹線が延伸して、あっという間に金属探知機が導入された。そしてパリとかワシントンとかロンドンでよく見るように、軍人が銃を持ってパトロールすることが主要駅や空港では当たり前の光景に日本でもなっていくことになります。いったい何の安心、何の安全なのかということが全く分からなくて、単に力には力で抑え込めばいい。抑え込めるという勘違い。その不毛さを理解していることに関していうと、私も男性だからその辺は鈍感だったなと思います。
けれどもやっぱり女性だと思うんですよね。私は、どうして女性のほうが平和主義の言葉がより素直に出てきて、その言葉がどうしてこんなに力強いのかと疑問に思っていました。というのは、立憲デモクラシーの会を山口二郎さんたちとずっとやっていますが、意図的に「平和」と一言も言わないで、立憲主義とデモクラシーの問題に限っています。その方が、改憲派も含めてまっとうな保守といわれる人たちも入れるだろうということで、そうやったわけで、それ自体は作戦としてはいいと思います。シールズも「自由と民主主義のための学生緊急行動」ですから、「平和」と一言も言っていません。奥田君くらい戦略的にやっている人だと、確かに彼のスピーチは上手だしぶれないし、そういう意味でうまくやります。でも女子学生は平気でぶれるんですよね、そんなこと気にしていないから。そこで平和への思いを語ります。それが何でこんなに力強いんだろうと思ったら、それはこういうことだと思うんです。これはある女性の弁護士の方が言って、私がなるほどなと思ったことです。
彼女は夫が元野球選手で、ふだんはヘタレ夫とか言ってからかっているけれど、よく考えたら130キロとか140キロの球が投げられる。ということは、拳が140キロで飛んでくるということだから、そんなので殴られたら私は死んじゃうと。実は女性は常にそういう状況の中で暮らしていて、それは性暴力にしたって暴力にしたって単に嫌なことを言われたというだけじゃなくて、実際に割合として被害に遭うことは女性の方が男性よりはるかに高いわけです。私より筋力のある女性はいますけれども、平均的には女性の方が腕っ節の力で、暴力で黙らせられ、被害を受けることが多い。そうした中で、その彼女は、ボディーガードを雇おうとか銃を持って歩こうとか思ったことは一度もない。どうするかと言ったら、それは危険な状況になったりしないように、変な雰囲気になったりしないように絶えず考え、身を振る舞う。いくら日本が安全な社会だとしても、すべてを防ぐことはできないけれどもそれしかできない。腕力に腕力をといっても、特に男性が、中国が尖閣に攻めてきたらどうする、みたいなことを言うとピンとこなかったのはこのことなのかと自分は思った、と彼女が言っていました。
中国が日本よりも軍事力や経済力が強い時代が来た。それで慌てふためいて、日本もまた軍事力を相応のものにしなければいけないという発想が、いかに不毛なものなのか。女性の方がそれを直感的にわかる場合が多いだろうと思いますね。どうしても力と力ということになると、恐らくそういったものは何も生まないことについての直感は、女性の方がわかる。腕力とか暴力という点では弱いかもしれないけれども、その弱い人間の中に宿る尊厳、その尊さを語ることができていて、その中で若い世代の中から、平和運動や平和教育をいままで担ってきた方たちを継承していくことが出ている。湾岸危機、湾岸戦争の時からですよね。日本は一国平和主義だとか消極的平和主義だとか、平和主義をとっていることを揶揄され罵倒されて、非現実的だと言われるようになった。これに対して、ずっと運動を担ってきた人たちがいて、その運動が無駄だったのか、そんなことは決してなかったということが地下水脈のように、多数派ではないかもしれないけれども、気概のある若者たちがそれを行為にしてくれている、それが見えてきたことは大きいと思います。
シールズの中での有名な例で言うと、ワカコさんという女性がいて、彼女もよくコールをしている。格好いい大きなイヤリングをしている人ですが、彼女は根津公子さんの教え子なんですよ。君が代不起立を貫いて、処分を受け続けた東京の先生です。彼女が語っているところによると、自分が生徒だったときには根津さんは休職処分を受けていて、授業ができず、担任がもてない。ただ、自分がなぜこういうことを貫いているのかを伝えたかったから、説明するプラカードを持って校門の前にいたということです。ワカコさんはそれをずっと見ていて気になっていたけれど、ボーイフレンドの手前恥ずかしくて声をかけられなかった。でも根津先生の姿を見て、声を上げるときには上げなきゃいけないということがずっと残っていたということです。彼女は自分の頭で自分で動こうと、大学生になった今回、声を上げて、奇跡的に2人が国会前で再開するところがユーチューブか何かに出ています。びっくりしちゃいます。ワカコさんがコールしていて根津先生がそばに立っている。「あれ?」みたいな顔をしていて、終わったあとに2人で抱き合っている。これは象徴的な瞬間だと思います。先生方や親や広島、長崎、沖縄に修学旅行で話を聞いたことが残っていたり、特攻隊だった方との交流の話とか、いろいろなかたちで伝わるところには伝わっていたことが出てきています。私たちはみんな、かつては若かったですから、若い人が出てくるとうれしいですよね。それがすごく大きかったと思うんです。
シールズがやっていたことで面白くて象徴的だともうひとつ思うのは、若者のスピーチが学者とか私も含めてのスピーチよりはるかに感動的だし、いいんですよ。それは何でなのかなと思っていたら、スタイルがひとつあります。いまの子ですからスマホに用意してきて、暗くなってくると慌てて触って明るくしてやってますね。大学の教員は、安定感はあるかもしれないけれども正直あまり面白くない場合もありますが、学生はたどたどしいけれども自分の頭で考えて、自分で一生懸命話しているから、みんなハラハラしながら聞くわけです。最後は決まっていて「何月何日、私は安保法制に反対します」といって名前で終わります。私がそれを見て、これは出産の光景に似ていると思ったんですよ。みんなでハラハラドキドキして、最後は名前と日付けがあって、「ああ産まれた」ということで盛り上がります。何が生まれているかといったら、平和主義だったり、立憲主義だったり、民主主義を主権者として私は担っていくという宣言です。
自立した個人として、私はこれから主権者の一員として、こういったものを担っていく決意を表明することになっています。それが中高年も含めて非常に気持ちが揺さぶられるのだと思います。少子高齢化だからではないですけれども、新しい命が生まれることはこれほどうれしいことはありません。若い人たちが入ってきていて、自分達の思いで行動して、決意を持って自分が平和主義を語る。抽象的な理念ではなくて、ひとりひとりが具体化し、自分から自分が平和主義を担っていくことを言ってくれていることが、運動を大きくしています。彼らの多くも原発事故以降初めたり、東日本大震災のボランティアが原体験にあって、きています。でも中高年の運動に関わってきた人たちの姿を見て、どうやってやるのかを真似る。ただ、自分達のような若い世代にもっと広げるためには、自分達のやり方でやったらどうかということでやった。するとさらに中高年も含めてより多くの人がつながっていくことができた。これは大きいですね。これは私たちの運動の、エトスです。エトスというのは精神だったり文化だったり慣習という意味があります。新しい組織文化、ネットワーク文化がいまつくられてきているということがすごく大きいと思います。
エトスというのは古代ギリシャ哲学でいうパトスの対になる語です。パトスというのは情念。ですから一方では日本を取り戻すみたいな薄暗い情念がある。空疎なナショナリズム、口だけのナショナリズムです。だって国を愛しているなんて明らかにうそじゃないですか。安倍さんなんて中味がないんですよ。TPPを進めて、辺野古の基地建設を進めて、アメリカの戦争に加わることができる集団的自衛権の行使を、憲法を曲げてまでやっている。どこが愛国者ですか。好きな言葉じゃないですけれど、国益にだってあっていませんよ。実態はまったく中味がない。歴史修正主義で歴史をねじ曲げる。しかも最近わかってきたことですが、戦時中の歴史だけじゃなくていまの歴史も書き換えてしまうわけです。議事録改ざんだとか、とんで
もないですよ。まったく愛国者とか保守の中味が伴っていない。保守といったら伝統を大事にします。なぜかと言えば、それを次の世代にも伝えたいからだと思うけれど、安倍さんの日本の先には何も伝えるものは残らないじゃないですか。国土は原発の事故で汚されたまま放置して、さらにはまた川内原発を止めない。TPPでは農業も日本の戦後歩んできてつくってきたものが簒奪にあうわけです。さらに自衛隊が南スーダンなどに行って、専守防衛とはまったく違うレベルで、自衛隊の人たちが命を失うわけです
それを覆い隠すために、「中国けしからん」「韓国がどうした」とかヘイトをあおったりしている。残念ながらそういう政治手法が世界的に席巻しています。パナマ文書が明らかにするように習近平にしてもプーチンにしてもイギリスのキャメロンにしてもオーストラリアのアボットでしたか、あの人たちは自国民よりもお互いの方が共通点が多いわけです。見た目には中国が憎いだのアメリカがどうしたとか、言っていますけれども、実体は寡頭支配という少数派支配です。要は民主主義や立憲主義がここまでないがしろにされているというのは、実は残念ながら世界的な潮流です。その中で富裕層や特権階級は逆に情念をあおることによって、自分達が収奪的な行いをしていることを覆い隠そうとしているわけです。ヨーロッパであれば反イスラムや反移民、アメリカであればメキシコとの間に壁をつくってそれをメキシコ政府に払わせると言っている人が、本当に大統領になってしまうかもしれないわけです。デマゴーグの政治というか、人間の薄暗い情念という部分をとにかくあおろうとする。
それに対抗する市民の側の新しい組織文化――つながっていく、お互いを尊重しあう、個人の尊厳を求めるという運動、それを守るための運動です。だから戦争に反対していて、平和が大事、戦争をする国にさせないといっている以上は、運動の中でもお互いの他者性、個性を尊重しあう、そういうことをつくっていくとなれば、それは大きな対抗軸になれると思います。日本だけではなくスペインでも、あるいはアメリカでサンダースを支えている人々にしても、いろいろなところで、連動するかたちでいま起きていて、それが実は興味深いことに2011年くらいが出発点です。もっと早くみてイラク戦争がありますが、日本も含めてタイミング的には同じように動いています。まさにグローバル社会の中で起きていることで、そういった中で私たちの運動も大きくなってきました。
選挙についていくつかお話をさせて下さい。なぜ市民連合が野党の共闘をとにかく32の1人区で先行させているのかと言いますと、絶対得票率を見るとわかりやすいのです。絶対得票率というのは左側の大きな楕円のところです。これは小泉よりあとの安倍第一次政権からおこなわれた国政選挙の中で、衆議院と参議院で制度は違いますが、両方とも比例区があります。通常は比例区の方が候補者や政党数が多いので死票が少なく、より自分の気持ちを素直に投票できるので、ここでは比例区の数字を見ています。絶対投票率というのは、棄権した人も含めた全有権者のうちの何割の人が、自民党ないし支持政党の候補者に投票したのかというのがこの数字です。
ここで明らかなのは一番高くて18.1%、一番低くて13.5%、だいたいならすと16~17%というように、まったく動いていない。棄権した人も含めた全有権者のうち何割の人が比例区で自民党に投票しているかというと、6人に1人くらいしかいません。もっと言うと、この中で一番高かったのはなんと麻生政権が下野して鳩山政権に道を譲って自民党が惨敗したときが18.1%で一番高かった。しかもそのときと比べて、民主党政権に道を譲ったときの得票数にいまも追いついていない。だから安倍さんになって人気が戻り、自民党が支持されたのではありません。より多くの人が自民党に戻ってきたから、いま自民党政権があるということでは全然ありません。
どういうことかというと、右側の小さな楕円を見ると、民主党の絶対得票率が完全に崩壊して一桁になっていまに至っている。野党乱立、候補者乱立、そして嫌気がさして投票率が下がる。だから野党が分裂していて投票率が低い。受け皿がないので人々が投票する気にならない。自民党が好きになって戻ったわけでは決していないけれど、野党に投票したい政党がない。どうせ負ける。あるいは、勝てるかもしれないけれども投票する気にならない、となっている状況で、いまの自民党があるわけです。いまだに衆議院を解散するぞといつでも脅せるのは、何回やっても同じ結果が出るからです。自民党は、6人に1人の固定支持層以上に支持を広げるインセンティブはゼロです。はっきり言って菅さんたちは、南スーダンの派遣を少し後に延ばそうとか、TPP審議をあとに延ばそうとか沖縄の辺野古の工事を中止した振りをしてみようとか、そういうことはやるけれど、支持を広げようとはこれっぽっちも思っていません。6人に1人が投票する固定層が動かないだけで、あとは創価学会票がありますからそれで構わないんです。
何が大事かといったら野党を分断すること、そして多くの有権者に無力感を与えて投票に行かせないこと。これははっきりしています。このふたつが彼らにとってのプライオリティで、それをやっていれば何があっても勝てるわけです。野党を分断し有権者が嫌気をさすようにして、政治離れあるいは期待しても無駄、自分は無力だと思わせることによって投票に行かないようにする。いま投票率は2人に1人になってしまっています。そういう状況が続けば何度やっても勝てるわけで、積極的に支持を広げようなんていう気持ちはゼロです。だからこういう政治ができてしまう。
じゃあどうすればいいか。明らかですよね。野党が共闘して投票率を上げること。こうしていけば自民党には6人に1人しか投票していませんから、ひっくり返せるところがたくさん出てきます。自民党が勝っているところでも、小選挙区制で1人区、あるいは衆議院の小選挙区制でも野党が共闘して説得力のある野党共闘ができると、これは投票に行った方がいいのではないかと多くの人が思う。こういう構図がつくれれば、投票率も上がるし、野党の候補者が当選する割合がどんどん上がっていく可能性が出てくると思います。向こうも必死だから、野合批判だとか民共合作とか、とにかくそこに楔を打ち込もうということで一生懸命やっているのは、そういう意味合いがあるわけです。実際やっていけば、相当数ひっくり返すことができる。いま相当流れとしては良くなってきています。
つい最近、ある通信社の選挙問題を一番追っている人から話を聞いたら、だいたい改憲をぎりぎり阻止することができるところまで見えてきている。いま安心しちゃうとまたやり返されてしまうけれど、改憲派は自公と改憲勢力のおおさか維新とかが78議席をとってしまうと、3分の2を手にしてしまいます。いま77くらいです。われわれは野党共闘が整ってきているけれど、ここで慢心するとまた向こう側にやられてしまう。これからもっともっと実績を積んで盛り上がっていけば、さすがにねじれ国会を起こすのは相当大変ですけれど、3分の2には遠く及ばないとなります。そうすると、これだけ改憲に前のめりになっている安倍政権は何をやっているのかということになり、安倍退陣も夢じゃなくなるわけですね。経済はこの先しばらくはうまく行きようがないです。だから安倍さんは政権に止まり続けてやりたいことができなくなったら、もうやめるという話も十分あり得ます。それですべて終わらないのが残念ですけれども、一刻も早くやめさせるのに越したことはありません。少なくとも時間稼ぎにはなります。別に石破だって谷垣だって構わないわけです。安倍よりはましになりますから。やっぱり野党の体制を立て直したりするには1回だけではさすがにひっくり返せないので、そこを何とかしたいと思います。それをやっていけば複数区や比例区でもいけると思います。
北海道5区の補選での教訓を、先ほどのジャーナリズムで専門に見ている方の話もうかがいながら考えると、やっぱり北海道5区の補選があってあれだけの戦いができたということで、明らかに野党側は共闘態勢が進んでいるのではないですか。北海道5区が成し遂げた最大のものは、短期的に言えば野党共闘を決定的にしたこと。「あの」前原さんが、から始まって、方向としてそうなった。これはいける。逆にこれしかない。これをやれば大きく変わっていくことが野党関係者にわかったので、方向はそちらになった。あとはタイミングや地域の事情があるだけで、衆議院でも相当やれる可能性が出てきました。市民が中心となった新しい選挙運動は都市部でとても有効だった。安保関連法反対も有効だし、アベノミクス、TPP批判も有効です。
基本的にはやっぱりネガティブキャンペーン、残念ながらネガキャンです。私たちはもちろんより良い社会をつくりたい。そのより良い社会というのは、人々が自由と尊厳の中に暮らせることがあるべき社会だと思っていますけれど、やっぱり野党として一番やらなければいけないことは与党批判なんですね。対案を出せとか反対だけでいいのかと言う人が必ずいます。それはその通りですけれど、政権交代はすぐにはならないわけです。残念ながら、そこまで民進党を誰も信頼していませんから。逆に変に張り切って、これを実現しますなんていうマニフェスト、数値目標の話はしらけるだけですね。そうではなくて政権批判をちゃんとやって、ただポジティブな感じでネガキャンをやる。あまり後ろ向きなことではなくて、こういう社会をつくりたいのにちゃんとできていないじゃないかということは言わなければいけない。合わせ技で、そこは難しいけれど、基本はネガキャンでいいんです。おかしいということを広げていくことはとても大事なことです。
ポジティブなこととしては、選挙に行こうということはとてもいいと思います。ポジティブだし、当たり前のことだし、党派性もないですが、明らかに割合で言うと野党側に有利です。もちろん自民党の票は増えるけれども野党側の票はもっと増えます。選挙に行こうという当たり前のことをとにかく言うことは、ネガキャンをやっているだけに言った方がいい。ポジティブな感じがするということです。
選挙をずっと報道してきた人から見ても、北海道5区で新しく来た人たちも含めてやっている選挙運動は、本当に斬新でインパクトがあったとおっしゃっていました。プロだったらやらないようなことをやるから、見ていて面白い。横断歩道の上に立って走っている車に向かってやっていた人がいて、選挙のプロは絶対そんなことをしようと思わないことをやっているのがとても胸を打つと。そこはあるんですね。小泉さんの郵政民営化選挙、もちろんいろいろ問題は多いんですが、でも選挙のやり方としてはうまかったわけです。何がうまかったかというと、小泉が必死に見えたからです。非常に単純なレベルで、人が頑張っているのは応援したくなるところがあります。やっぱり市民側も思いで先走ってやっているところはあるかもしれないけれど、必死にやっていること自体は悪いことでは決ありません。それが疎外感を与えてはいけないでしょうけれども、そうでなければいいということはあるようです。
そうは言いながら、プロがちゃんと関わって全体をコントロールしたり、都市部や保守地盤などの選挙区内の地域事情によって応援のかたちを考えていく、ニュアンスを考えることができる人がいた方がいいとか、いろいろあります。いずれにしても最後まであきらめないで、とにかくやっていくことが一番大事なことです。北海道5区は本当に残念だった。悔しいですよね、あそこまで行ったら勝ちたかった。私は市民連合の側では北海道には関われなくて、京都の後始末をやっていて、「いけまき」とか言っている人はうらやましいなと寂しい思いをしていたんです。でもあれによってわれわれも元気づけられたと思いますし、野党側もやる気が出てきました。何ができるのかということが可視化されたことでここから大きく変わっていって、今日北海道でこういった集会を持たれたというのは偶然でしょうけれども、本当に象徴的なことだと思います。これをわれわれがそれぞれの持ち場でより、広げていって、後押しをすることができれば本当に大きく変わっていくと思います。