小泉首相が9月17日、朝鮮民主主義人民共和国の首都ピョンヤンを訪問し、金正日総書記とのあいだで初の日朝首脳会談が開かれることになった。首脳会談では植民地支配など過去の清算を含む両国間の諸問題を解決し、日朝国交正常化の実現を目指して話がなされることになる。東アジアの平和と共生を願う私たちはこのことを重要な出発として歓迎したい。
しかし、疑問もある。小泉首相は秋の臨時国会で、「継続審議」になっている有事3法案や「国民保護法制」の議論をすすめ、早急に法案の成立を図れと指示をだしている。
先の国会での有事3法案の審議の過程で、さまざまなメディアを駆使して与党側から繰り返し流されてきたのは「有事に備えるための立法措置」ということであり、与太話のなかでその必要性の根拠として必ず引き合いにだされてきたのは「北朝鮮のテポドン」であり、「北朝鮮ゲリラによる原発攻撃」でり、「北朝鮮の不審船の横行」であった。
もしも北朝鮮との間に国交の正常化が実現すれば、政府がこうした有事法制を必要とする理由の大半が消滅することは間違いない。いや「有事法制」を作ろうとする動き自体が北朝鮮をはじめアジアの人びとを挑発するものであり、アジアの緊張を激化させるものだ。「有事法制」はアジアの平和にとって百害あって一利なしではないのか。憲法調査会を中心に進められている憲法改悪の動きもそうしたものだ。
「有事法制審議の促進」と「北朝鮮訪問」という小泉政権のこの一見ちぐはぐに見える動きは何を意味するのか? 日朝首脳会談の実現を歓迎しつつも、こうした不透明感、不信感をぬぐいさることができない。もしも小泉首相の意図が一部報道で伝えられるような、支持率の低落打開のパフォ-マンスを意味したり、アメリカとの対イラク作戦と連動した短期的な緊張緩和策であったりするような狙いが含まれていれば、事態は好転しないだろう。
こうしたなかで与党や右派のひとびとの間からは「かつての日本と朝鮮の関係は戦争をしていないのだから戦争責任は存在しない」などという、どうしようもない議論も聞こえてくる。この民族排外主義、大国主義は有事法制や憲法改悪を推進する思想と同根である。また北朝鮮の政治体制に批判があろうが、なかろうが、その是非を決定するのは民衆自身だ。日本政府がとやかく言う問題ではないのは明らかだ。国交の正常化とは互いの違いを認めあいながら、平和的に共生することを確認することだ。
もし小泉首相が真剣に不正常な日朝関係の打開を目指すのであれば、ただちに有事法制の審議をやめ、廃案にすべきであろう。相手を強盗呼ばわりして、匕首(あいくち)を構えながらの正常化交渉などはありえない。(高田)
8月6日早朝、新聞意見広告のコピーを配布するため、原爆ドーム前に30人を超える人たちが集まった。若い参加者も手渡しをしながら、57年前の被爆者、日本による戦争被害者、世界中の武力紛争に今も苦しむ人たちに思いを馳せ、「過ちを繰り返さない」と誓ったに違いない。今年もこんな経験が出来たことを賛同者の皆さまに心から感謝したい。
「若者にぜひ見てもらいたい。納得できる紙面づくりをはやくしなくちゃ」と4月、「意見広告プロジェクトチーム」を立ち上げた。メンバーの大学生が考えてくれたキャッチコピーと彼女の友人作の4コマ漫画を採用し相談を重ねた。チラシの裏に紙面案を刷り込み、5月3日の憲法記念日のリレートークや様々な集会に間に合わせることができた。そして個人・グループにご協力をお願いした。広島県外の参加者が多いのは「許すな!憲法改悪市民連絡会」等でもチラシをたくさん引き受けて下さったからだ。そして紙面案に様々な意見が寄せられた。「インパクトがある」「若者感覚でいいんじゃない」、そして「もっとはっきり有事法制反対を!」、「強い憲法改悪反対の言葉が欲しい」「名前は要らない」などなど… その中でぜひ皆さんのご意見を伺いたいことがある。
「備えと称して災害など緊急事態から法を定め戦時に広げる。西ドイツのやり方もそう。だから『備え』は危険よ」このご意見には考え込んでしまった。私も「備え」は小泉首相の土俵の上だから釈然としない部分もある。地震のような非常事態には「住民の安全」をたてに避難も強要し「イヤダ」とは決して言わせない。食料、石油などの供給も法律化し、最後の緊急事態=戦時で全部が一つに括られることは私にも容易に想像できる。なのに送って頂いた林茂夫さんの資料を読み、メンバー全員で考える時間が持てなくて説得できなかったことが悔やまれる。8・6後、新聞を見た賛同者から「タイトルも詩も非武装抵抗の思想で訴える力があり、共感できる」と言われた。なるほど…と思うけれど、私にはいまだに迷いが残っている。「平和への備え」とは何ぞや?
名前の掲載は家族や友人に呼びかけられ多くの人の参加が得られる。こんなに多くの人が「9条が大切。有事立法反対」なんだと表せるメリットがある。しかし意見を述べるべきスペースが名前で小さくなるというデメリットもある。今年は名前を極力おさえ、タイトルや4コマ漫画、主張である詩に力を入れた。それでも名前の校正には時間・労力がかかる。反省会でも今後どうするか結論は出なかった。これは毎年、問題となる永遠のテーマかもしれない。
ともあれ8.6新聞意見広告を朝日新聞広島県全面、東京都心版・西部版5段に掲載でき元気をもらった。今秋、賛同者の皆さまの思いが国会に届くよう願い、広島で行動していきたいと思っている。
藤井純子(第九条の会ヒロシマ)