現在開会中の第190回通常国会の冒頭から安倍晋三首相は、明文改憲をめざす異例の前のめりな発言をくり返している。歴代内閣で9条改憲など明文改憲を正面から取り上げたのは、過去には1955年の鳩山内閣の総選挙があるが、その時は有権者の支持を得られなかった。その後の政権は自称改憲論者の中曽根康弘元首相なども改憲に慎重であり、「政権担当中は改憲を政治日程にのせない」という立場をとった。第1次政権時も含めて安倍首相のように、憲法99条の公務員の憲法尊重擁護義務を顧みず、立憲主義の精神に反して公然と改憲を主張する安倍政権の立場は異例中の異例だ。
安倍首相は3月2日の参院予算委員会で「(明文改憲を)私の在任中に成し遂げたい」と述べた。自民党の党則では総裁任期は連続2期6年となっており、現在2期目に入っている安倍総裁の任期は2018年9月までの2年数ヶ月になる。この間、参議院選挙は本年7月の選挙の1回のみであるから、首相にとって参議院で改憲発議に必要な3分の2を獲得する選挙は今回のみということになる。まさに、この発言は来る参院選で3分の2を確保するという意志の表明でもある。安倍首相は国会答弁では「自民党の立党当初から党是として憲法改正を掲げている。私は総裁であり、それをめざしたい」「自民党だけで(3分の2以上を)確保することはほぼ不可能に近い。与党、さらには他党の協力をいただかなければ難しい」とものべた。安倍首相はこの日の議論では優先して改憲をめざす条項については言及しなかった。しかし2月3日の衆院予算委員会では「憲法学者の7割が9条1項、2項を読む中で、自衛隊の存在に違憲のおそれがあると判断している。違憲の疑いを持つ状況をなくすべきだという考え方もある。占領時代に作られた憲法で、時代にそぐわなくなったものもある」とのべ、憲法9条2項の改憲をめざす意志を表明した。
同時に昨年末以来、緊急事態条項(国家緊急権)の創設の必要性を強調している安倍首相は、3月14日の参院予算委員会で、自民党の山谷えり子元防災担当相の「この規定(緊急事態条項)が憲法にないがゆえに東日本大震災でも混乱が起きた」との発言に呼応して「大規模な災害が発生したような緊急時に国民の安全を守るため、国家、国民がどのような役割を果たすべきかを憲法に位置付けるのは極めて大切な課題だ」とのべ、憲法に緊急事態条項(国家緊急権)を創設する必要性を強調した。安倍首相は9条改憲をめざしながらも、まず比較的支持を得やすいと思われる緊急事態条項挿入から手をつけるという2段階戦略をとろうとしている。そのため、「お試し改憲」と指摘されることも多いが、国家緊急権の導入による改憲は「お試し」というような軽いものではない。これは憲法の基本原則にかかわる改悪だ。
自民党の改憲草案を擁護し、改憲を口にしながらも、安倍首相は国会の答弁では、首相としての立場と自民党総裁の立場を使い分けるという姑息な対応で、改憲の優先条項などであいまいにし、「憲法審査会で議論してもらいたい」「(めざす改憲の)内容について答えるのは差し控えたい」などと野党との本格的な論戦に応じていない。ときにこのように言を左右にしてごまかそうとするが、安倍首相の昨年来の発言をみると、緊急事態条項の創設などを手始めに明文改憲に乗り出したいという意向はほぼ明白だ。
しかしながら、3月13日の自民党大会での演説では肝心の憲法改正について全く触れず、改憲争点化を回避するなど、安倍首相の改憲発言にはブレがみられる。3月7日の参院予算委員会では「(9条改憲については)国民的な理解と支持が広がっている状況ではない」と答弁した。安倍首相は3月4日の衆院予算委員会で「(2012、2014年衆院選と2013年参院選で改憲を公約に掲げ)大勝をえた」「夏の参院選でも今まで同様、訴えていきたい」などと発言したが、メディアなどから指摘されているように、これらの公約では140~296あった項目のうち、改憲は末尾に掲げられただけで、155項目の筆頭に改憲を掲げた2007年の参院選では大敗し、第一次安倍政権の退陣の要因の一つになった経験のトラウマがあるのかもしれない。このように動揺しながらも、安倍首相はもしも参院選で勝利するようなことがあれば、自民党の主張する改憲が有権者に支持を得たと強弁するであろうことは間違いない。
2016年2月の共同通信社の世論調査によると、夏の参院選後に憲法改正を進めることに「反対」は50・3%で「賛成」の37・5%を上回った。読売新聞が3月17日に発表した(調査は1月下旬~2月下旬)世論調査では、「改憲する」は49%で、「しない」は50%(前年より5%改憲しないが増加)、この15年間で「改憲しない」が「改憲する」を上回ったのは初めてだ。緊急事態条項を「憲法に明記する」は29%、「法律で対処」、あるいは「いまのままで」は68%にのぼった。この1年、改憲反対が増加し、緊急事態条項挿入改憲が圧倒的に拒否されている。2015年安保闘争の高揚の反映とみることはできないだろうか。
この間の安倍晋三首相の改憲をめざした動きは、第一次安倍政権時の「9条改憲」論の破綻から、公明党などに同調した「新しい人権」挿入改憲論、そして第2次安倍政権発足直後の「96条改憲」論へ。これが世論の猛反撃を浴びると、明文改憲ではなく「集団的自衛権に関する憲法解釈の変更」、戦争法の制定へ、などというめまぐるしい動きを見せてきた。
2015年9月19日、戦争法を強行した安倍政権が、その後、2016年3月29日の同法の施行を経てなお、この時期に明文改憲を主張するのは、意外に思う人もいるかも知れない。
憲法学者をはじめ大多数の識者が憲法違反と指摘した戦争法の採決強行を経て、今日なお日本国憲法は改憲されていない。戦争法が安倍政権によって国会で強行されても、憲法違反の指摘は消えない。平和憲法と憲法違反の戦争法が併存している。安倍政権にとって、こうした状況での戦争法の発動は極めて窮屈になっている。それだけではない。もともと「戦争法」はムリヤリ憲法解釈を変えて制定したものであり、第9条など憲法上の制約があって、集団的自衛権がフルスペックで行使(全面的な行使)できるものではない。
安倍首相にとって、この制約を取り払う課題はひきつづき存在している。
戦争法の施行が可能になったにもかかわらず、明文改憲を唱える理由はこのことに他ならない。
安倍首相らが狙う憲法への国家緊急権の導入はどのようなものか。
安倍首相らは、大規模自然災害や国に対する急迫不正の侵害があった際に、これに対する対応措置としての国家緊急権条項(非常事態対処条項)が憲法にないのは重大な欠陥だとして喧伝している。安倍首相らは、この主張は野党の一部や世論の支持を得ることが比較的容易で、9条改憲への布石になると考えている。
しかし、国家緊急権は非常事態において、「国家」を守るため人権や3権分立原則を制限するものであり、「国民の」人権を守るためのものではない。
2012年の自民党が野党の時代に策定した改憲草案の「第9章 緊急事態」の98条、99条がそれに該当する。
98条 緊急事態の宣言
1項 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる
99条 緊急事態宣言の効果
1項 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
3項 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない
国家緊急権の規定が憲法に必要だという理由にはいくつかの論点がある。
第1に、先の東日本大震災のような事態が生じた時に、憲法に緊急事態条項がなければ、うまく対応できないという議論がある。
自民党の改憲草案「Q&A」は、第99条3項に関して、「現行の国民保護法において、こうした憲法上の根拠がないために、国民への要請は全て協力を求めるという形でしか規定できなかったことを踏まえ、法律の定める場合には、国民に対して指示できることとするとともに、それに対する国民の遵守義務を定めたものです」と解説している。
これは実際にはどのようなものか、自衛隊幹部出身の佐藤正久参議院議員は、東日本大震災時の例を出してこのように説明する(産経新聞15年1月23日)。
「被災地ではガソリン不足が深刻だったが、福島県の郡山市まで行ったタンクローリーの運転手が、原発事故の影響がある沿岸部の南相馬市へ行こうとしなかった。そこで南相馬から資格を持った運転手を呼ばざるをえなかったが、憲法に緊急事態条項があれば元の運転手に『行け』と命令できた」と。前記「Q&A」そのものだ。まさに基本的人権を保障する憲法18条の規定を、憲法に国家緊急権を挿入することで否定しようとするものだ。
災害対応についてはすでに「災害対策基本法」があり、首相は災害時には緊急措置をとることができるとされている。ここでは都道府県知事に一定の「強制権」も認められている。しかし、災害対策基本法では、法の濫用にしばりをかけ、濫用を防止するための議論が積み重ねられている。災害対策では憲法に国家緊急権を挿入するなどではなく、「むしろ被災地に権限を」「震災時は、国に権力を集中しても何にもならない」(陸前高田・戸羽市長)というのが被災地の意見に多いのが実情だ。国家緊急権は災害対策には無用なのだ。
必要論の第2は、現行憲法では衆院選が緊急事態と重なった場合、国会に議員の空白が生じてしまうので、特例として会期の延長を認めるべきだという類のものだ。
しかし、日本国憲法54条2項には以下のような規定がある。
衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。
第3の必要論に、テロ対策からの必要性が語られる。これは国家緊急権が発動される事態ではなく、従来、問題が多い法律だが法律で対処してきたところだ。
第4、日本に対する急迫不正の侵害が起きたときだという。歴代政府は個別的自衛権の行使という立場で専守防衛を旨とした自衛隊法などで対応してきた。しかし、私見では、「専守防衛論」も含めて、外部からの侵略に対して武力で防衛するという議論には賛成できない。21世紀の今日、まず戦争が起きないような国際環境を外交努力、民間外交などを尽くして、いかに形成するかという課題がある。戦争は自然災害とは異なり人災であり、防ぐことは可能だからだ。
憲法に国家緊急権を規定していないのは、1945年、アジア・太平洋戦争、15年戦争の結果、ポツダム宣言を受け入れ、それを基礎に日本国憲法を制定したことに由来する。それまでの大日本帝国憲法には非常事態条項が存在し、それらがこの国をアジア・太平洋戦争に導いた。現行憲法が先に述べた54条のような規定を除いて非常事態条項を持っていないのは、まさにアジア・太平洋戦争に至る帝国憲法下での侵略戦争の反省によるものであり、欠陥などではない。
第90回帝国議会(1946年7月15日)の衆議院の議論で金森(徳次郎)国務大臣(憲法担当)は「言葉を非常ということにかりて、その大いなる途(みち)を残して置きますなら、どんなに精緻なる憲法を定めましても、口実をそこに入れて、また破壊されるおそれが絶無とは断言しがたいと思います」と、憲法に非常事態条項を作らない理由を述べていることを想起しなくてはならない。
私たちは今後の闘いを展望するにあたって、2014年はじめから2015年にいたる戦争法廃案をめざした「15年安保闘争」の教訓を学び、それをさらに発展させることで戦争法を廃止し、安倍改憲をくい止め、安倍政権を打ち倒さなくてはならない。
「2015年安保闘争」の特徴を考える際には、まず第1に、なんと言っても2014年末の総がかり実行委員会の成立の画期的な意義を確認する必要がある。14年初めからの集団的自衛権の解釈改憲に反対する3団体、「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」、「戦争をさせない1000人委員会」、「戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター」の鼎立状況が、安倍政権の暴走の前に、2014年末に「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の誕生に至ったことだ。60年安保以来といってもいいほどの長年にわたる反戦平和運動の分岐の状態に終止符が打たれ、「総がかり」行動実行委員会の結成へと歴史的な飛躍を果たした。これが核となってさらに反原発関連諸団体などの多くの団体が加わり「2015年5・3憲法集会」実行委員会に拡大し、さらに9月19日の法案の強行採決後はこれがSEALDsやママの会、学者の会、立憲デモクラシーなどが加わって「2000万人署名実行委員会」に発展した。この反戦平和諸団体の共同に触発されて、SEALDsや安保法制に反対する学者の会などなど、新たなさまざまなネットワークが生まれ、運動の協働がすすんだ。これらは弁護士の強制加盟団体である日本弁護士連合会などとも活発に連携した運動を展開する条件になった。
第2に、この運動には大量の「自立した市民」が参加し、「流れ」として登場した。分岐していた反戦平和運動の統一がこの市民の大量の登場を促進した。これらはツイッターやフェイスブックなどSNSをツールとして急速に拡大した。また総がかり行動実行委員会がくり返し実施した新聞への「意見広告」なども、市民個人の結集に極めて大きな役割を果たした。かつての運動参加者や、運動に全く参加したことのない大量の市民が行動に参加した。このデモ参加者数について、産経新聞は当時の世論の過半数が戦争法に反対という見解に反撃したかったことから、デモに関する世論調査をおこなった。産経は9月12、13両日に実施した世論調査で「安保法案に反対する集会やデモに参加したことがあるか」を尋ね、「ある」が「3.4%にとどまった」と書いた。「今後参加したい」が「回答者全体の17.7%」あった。要するに、この結果を全国の人口で換算すると、今回のデモに参加したことがある人が350万人、これを含めて今後参加したい人が2100万人という結果だった。今回の運動の規模の広がりを示す一つの貴重なデータだ。8月30日の行動で総がかり行動実行委員会が発表した国会前12万人、全国1300箇所、100万人という数字が根拠づけられている。
第3に、さまざまな階層の人びとが参加できやすいような呼びかけもデザインなどに細心の注意を払って実行され、また運動の現場では「非暴力」の市民行動に徹するよう最大限の配慮が払われた。これらの行動のなかで、8月30日と9月14日の両日、国会正門前の車道(並木通り)が参加者によって開放されるという60年安保以来初めての事態が生まれた。再三にわたって総がかり行動実行委員会が警視庁に「正門前車道の開放」を要求したが、警備当局がかたくなに拒んで、鉄柵や車両で市民の行動を包囲してきた警視庁の警備方針の破産だった。市民が主権者として表現の自由を行使するという壮大な運動の過程で、のべ数十名に及ぶ不当逮捕者がでたが、全体として大きな負傷者はなく、非暴力の市民行動として、自覚的・自律的な意思表示の場として貫徹されたことは、大多数の参加者の自覚の高さを表現するものだった。これがその後の運動の継続を保障する重要な要素だったことは疑いない。
第4に2015年安保闘争は、その初期から国会内の野党各党に対する共同行動の働きかけを重視し、その実現に熱心に取り組んだ。集会への野党各党の参加呼びかけはもとより、「野党は共闘」のシュプレヒコールにみられるような野党共同の働きかけを繰り返し、9・19以降は戦争法の廃止法案の野党共同提出の働きかけと、「戦争させない、9条壊すな!総がかり行動実行委員会」をはじめ、2015年安保闘争を闘った勢力が共同して、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」という新しいプラットフォームを生みだした。参議院選挙において、野党の共同を要求し、安倍政権に挑戦している闘いは、戦後史上なかった歴史的な闘いだ。
いま運動圏は戦争法の廃止と発動阻止の運動にとりくみ、戦争法廃止の全国2000万人統一署名が展開されている。ほとんどの団体が同一の署名簿で共同して運動に取り組むという画期的な署名運動だ。この目標はかつてないほどに高い。署名運動は、手段であり、道具だ。私たちがこの2000万署名運動を通じて、全国の至る所で、戦争法廃止の世論を起こし、機運を高揚させ、安倍政権を追いつめていくことは可能だ。くわえて戦争法の違憲訴訟(国賠訴訟)や、差し止め訴訟を準備している。同時に、総がかり行動実行委員会は、戦争法だけでなく、安倍政権下での喫緊の課題でのたたかいに取り組んでいる。沖縄辺野古埋め立て反対、原発再稼働反対、労働法制規制緩和などに反対する課題、東アジアの民衆連帯などの課題と結合して安倍退陣の運動を展開しつつある。また全国各地で戦争法が強行された9月19日を忘れない19日行動を展開し、全国統一街宣(毎月第3火曜)を実施するなど、さまざまな行動が展開されている。
こうした努力のなかで、戦争法強行採決から5ヶ月目の2月19日、戦争法廃止法案の野党共同提出と、画期的な参院選での野党共同の道が開かれた。
以下は野党5党の党首会談での確認事項だ。
戦争法廃止、立憲主義の復権、安倍政権の打倒!を課題にした運動と国政選挙での選挙協力が、市民運動の後押しの中で実現した。
「市民連合」はとりわけ全国32選挙区ある「1人区」での野党共同を重視し、その実現のために働きかけを強めている。来る参議院選挙で与野党逆転がならずとも、改憲発議可能な議席を安倍政権に与えないこと、野党が3分の1以上の議席をとることは、安倍内閣に痛撃を与え、任期中の改憲を公言した安倍政権の退陣は現実のものとなりうるし、戦争法廃止への道を開くことになる。
これらの一連の行動は60年安保闘争以来最大の反戦・平和の運動といっても過言ではないだろう。
(事務局 高田健)
資料
昨年9月19日未明、「戦争法(安保関連法)」の採決を強行した安倍首相は、同法の3月29日の施行をめざして、本日3月22日に施行令の閣議決定をおこないました。私たちはこの戦争法の施行と発動を許すことはできません。そのための施行令閣議決定に怒りをもって抗議します。
周知のように、昨年の採決強行後も世論の多数はこの憲法違反の戦争法に反対しています。このような中で、安倍政権が施行を強行し、この国を戦争する国に変えようとする動きを強めていることは許されません。
戦後70年以上にわたって海外で戦争をしなかったこの国が、いま、安倍政権の下で、戦争をする国に変えられようとしています。昨年、国会前をはじめ全国で歴史的な高揚を見せた「戦争法案廃案」の運動は、多くの市民の平和の願いの表現であり、叫びでありました。ほとんどの憲法学者をはじめ、多くの識者がこの法律は憲法違反であり、立憲主義に反するものだと指摘しました。憲法第98条により、憲法違反の法律は国会で採決されても、無効であり、廃止されなくてはなりません。
先般、野党5党によって安保法制廃止法案が提出されたことは全く当然です。にもかかわらず安倍政権と与党はこの法案の審議を回避しています。口を開けば「丁寧に説明する」と言ってきた安倍首相は、廃止法案の審議に応じる責任があります。
私たちは、民意に逆らい、野党の法案提出を無視して強行されようとしている憲法違反の戦争法の施行に反対し、同法の廃止を強く求めるものです。
2016年3月22日
戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
中尾こずえ(市民連絡会事務局)
福島原発事故から5年が経過した。
あの3・11から毎年。今頃、私は集会に参加するためフクシマを訪れている。今年は3月12日(土)、郡山市の開成山陸上競技場で開催された。
はじめに参加者一同、黙祷をおこなった。開会の挨拶後、実行委員長の角田政志さんは「5年が経過した今も新たなホットポストができている。除染土砂や放射能廃棄物はいまだに置きっぱなし。避難生活者はすぐに帰還できる状況にない。福島の現実を置き去りにして再稼働は絶対に許されない」とあいさつをおこなった。
つづいてさようなら原発1000万署名から鎌田慧さんが連帯挨拶。「福島原発の被災者は、公害の原点、足尾銅山の鉱毒事件の農民と同じ立場に置かれた棄民。フクシマ連帯キャラバンで13日間、東京の政府・東電へ抗議の『押し出し』を行う。“原発のない誇りある経済”と“沖縄の基地のない経済”は同じだ」と発言。
次に呼びかけ人、県民、県外からの訴えがつづいた。
●呼びかけ人の武藤類子さん(ハイロアクション)は「原発事故の真実を知る権利がある。告訴団を結成した。これからの刑事裁判で犯罪は明らかになるだろう。裁判は法廷だけがたたかいの場ではない。多くの市民の力で裁判を支えていこう。国と東電は謝れ! 償え! 補償を! 高浜原発は停止を!」と訴えた。
●浪江町・津島被害者原告団団長の今野さん「浪江から転々とし、いま4箇所目の避難先にいる。まっとうに生きてきた家族の団らんやふるさとが丸ごとなくなってしまった。帰る場がない。漂流感を背負って生きている。原発は人権や生存権を奪った。224世帯で提訴を起こした」
●大熊町の相葉まなぶさん(避難者)「家族は分断されバラバラに。家族が壊された。これが原発事故なのだ。再稼働は許されない」。
●高校生平和大使の鈴木まなみさん「核開発の費用を貧困対策にと願って大使になった。ジュネーブの国連軍縮会議に参加し、フクシマを報告した。天気予報を聞くのと同様に放射線の情報を聞くのが当たり前になった。5年経つと情報は少なくなり、フクシマは薄れてしまった。福島のいまとこれからを自分の言葉で発信していきたい」
●ストップ川内原発!鹿児島実行委員会の向原祥隆さんは「東シナ海に毎日汚染水を流して原発は膨大な生き物を死滅させている。ワカメ、天草、ヒジキは全滅だ。魚もいない。川内原発は絶対にハイロにする」と。
最後に集会宣言を採択し、市内にアピール行進を行って終了した。
集会が終わってつのる思いは、なんとしても安倍政権の残虐を許してはならないということだった。集会宣言の中に「国や東京電力が避難指示の解除を、賠償や支援の打ち切りとセットにしていることに『早すぎる帰還』との懸念を抱かざるをえません」という一文が載せられている。全くその通りだ。そして『記憶の風化』などあり得ないことだ(原発事故で亡くなった方々は2000人を超えた)。
――2日目はスタディツアー――
マイクロバスで郡山を朝8時に出発→田村市内から35号線で避難解除準備区域の大熊町へ(線量計は車内で0.6に)。道路や家にはフェンスが張り巡らされ、立ち入りはできないようになっていた。→富岡
町へ。福1、福2が見える。ここまでの経路のいたるところにフレクシブルコンテナ(フレコンバック)が置かれてあった。常磐線の富岡駅は廃線になったまま。ここは居住制限区域。「PM3:00までに立ち退いてください」と役場のアナウンスがながれた。倒壊した家を片づけた跡地はフレコンバックが山積みされている。焼却するものと、できないバックが分別されていた。焼却できないフレコンバックはいったいどこへ? 仮設の消却施設の中の作業は見えないように閉ざされ、3年で焼却されるというが、放射能廃棄物10万ベクレルのゴミがでるということだ。楢葉町の天神岬で昼食をとった。人の住めない町、太平洋を臨んだうつくしいところ。スイセンがポツンと咲いていた。
ツアーの最後はいわき市福祉会館でキャラバン交流集会。身につまされるたくさんの話を聞いた。「被ばく労働者の問題は長期にわたる終わりなき闘いだ」「いわき市民訴訟の会は18歳以下の226人の子どもが原告。賠償と救済を求め、長期の闘いに」「日本の原発54基のうち11基が双葉郡に集中してある。除染の袋は1日に500個(500トン)でる。家の脇に、校庭の隅に置かれる。除染の意味がない。それなのに来年は避難解除だと」「除染労働者のピンハネ問題は深刻」「自治体労働者は国と避難者の板挟みになり、ストレスから自殺者まで出ている。家族と仕事の板挟みになり、遠距離や離散家族の苦悩がある」などなど。
安倍政権は帰還政策をすすめ、補償の打ち切りを狙っている。多くの子どもたちが「がん」と診断され、心を痛めていることをまじめに受け止めなければならない。避難解除がされたとしても不安が取り除かれるわけではない。ある方は発言の中で「狂気の沙汰」とあえて表現した。私の2日間のフクシマはこの沙汰を忘れてはならないということに尽きる。
福島原発作業員の記
著者 池田 実
発行 八月書館
定価1600円+税
東日本大震災から5年となるが、被災地域では多くの人びとが使用期限をとっくに過ぎた仮説住宅暮らしを余儀なくされている。福島原発では事故の収束すらめどが立たない。本書はその原発事故現場で1年あまりにわたって作業員として働いた体験を記している。著者の池田実さんは東京に生まれ40年余りにわたって郵便局員として働き、定年退職後に福島で原発作業員として働いた。大震災が発生した当時、東京の郵便局で配達の仕事中に大きな地震の体験し、原発事故と放射能雲の下でカッパを着ての配達作業体験が著者を“ガラリと変えた”ようだ。
長めと思える序章では、配達先の女性事務員から「大丈夫ですか」と声を掛けられて一瞬怪訝な顔の著者に「放射能ですよ」と言われてはっとして、福島で働く外務作業の仲間たちの汚染リスクを心配する。郵政本社は3月23日に「安全性が確認された」として屋内退避要請地域以外で業務再開を指示するが、福島県の現場の社員は異口同音に「行きたくない」と言ったという。著者は事故から半年ほどして福島を訪れ、数人の郵政職員から話を聞かせてもらっている。避難途中に被爆におびえて家族が号泣するとか被爆の危険を感じながらの配達とか、その詳細がリアルに語られて、読む側を5年前の困難なあの時に向き合わせる。こうした池田さんの労働者としての長い蓄積が、原発作業現場での体験報告の下敷きとなっている。
2013年3月末に退職後、著者はハローワークに通い、福島原発での就職口を探す。作業員不足が深刻だといわれているが、年齢・経験・資格不問という求人票とは違って、就職先はなかなか見つからないという案外な実情が書かれている。そこで「ど素人では無謀だったか」と、除染現場の仕事を探し当てる。2014年2月から4ヶ月ほど浪江の除染現場に入る。
7月からはようやくイチエフの仕事に就いた。イチエフでは事務本館棟内から出たゴミの分別作業にあたる。次いで原子炉の1、2号機と3、4号機にそれぞれ1つあり、発電の運転管理を行っていたサービス建屋から出たゴミの後片づけの現場で、可燃物や危険物の回収・分別作業に就く。さらに原発の横に5棟ある倉庫群の第2倉庫で、使用済保護衣など低濃度放射能可燃物が詰まった袋を、大きいサイズから小さいサイズに詰め替える作業に就いている。第2倉庫の大きさは高さ10メートル、横幅7~8メートル、奥行き30メートルほどの建物だ。ここの作業は、イチエフ内にできた焼却炉の口の大きさが、第2倉庫に可燃物を詰めて保管してあった袋の大きさより小さくて入らないから詰め替える、という信じられないような二重手間の作業だ。
著者は2015年4月末に退職して東京に戻る。
一口に原発事故の収束作業といっても実に膨大な作業だ。除染作業でもイチエフ内の作業でも仕事を始めるときに教育があるが、やはりイチエフ内の教育には時間がかけられているようだ。イチエフの事故後に、チェルノブイリ事故の収束作業の現状がテレビで放映されたが、世界中から集まる作業員の教育にはかなり時間をかけているようで、こうしたことも参考にされているのだろうか。またチェルノブイリでは宿舎も保障されているようだったが、本書での福島の宿舎の実態はあまりの息苦しさで、長く働くことには大きなストレスがかかることがわかる。
顔全面をマスクで覆った作業服は映像でよく目にする。しかしこれを身に着ける手順と身に着けた感覚、作業での困難さなどはこれほどなのかと思わされ、体験者ならではの緊張感だ。地震と事故で瓦礫が建物の内外に膨大に散乱する現場。これを何年にもわたって延々と片付ける作業が続く。そこは高レベルで時には不安定な放射能の環境と隣り合わせ。ゴミの中にも恐ろしい危険物が散在し、処理作業の過程では作業衣はじめ汚染ゴミが積み上がる。作業員の給与や労働時間、仕事の進め方と突然の打ち切りなど、労働者の視点からの報告がつづく。作業員の汚染水タンクでの死亡事故は鮮明に記憶しているが、フクイチで同じ時間に居合わせた著者は事故について1章をとり、これもリアルな記録を知ることができる。(土井とみえ)
志葉 玲さん (ジャーナリスト)
(編集部註)2月20日の講座で志葉玲さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
ご紹介にあずかりましたジャーナリストの志葉玲です。私がいわゆる戦場ジャーナリストとしての仕事を始めたのはイラク戦争がきっかけです。その前にコソボとかパレスチナとか、治安の悪いところを取材に行ったりしていました。でも初めての大きな戦争というのはイラク戦争でした。なぜイラク戦争を取材に行ったのか。実はイラク戦争開戦前に、ここにいらしている高田健さんや「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の方々や、当時いまでいうところのシールズのような若者たちが反戦デモなんかをやっていたわけです。そのときに私もお仲間に入れていただきました。開戦してしまったので、悔しくて現地に取材に行ったのがそもそもなんですね。反戦運動が高じて戦場ジャーナリストになってしまったという経緯もあって、やっぱりイラク戦争は自分にとっても感慨深いものがあります。早いもので来月3月で13年になります。でもイラクに自衛隊が派遣されていた頃なんかは、かろうじてイラクの状況が日本のテレビでも紹介されたりしたけれども、結局日本のテレビって日本の誰かが関係していないと現地の状況とかをあまり取り上げないんですよね。報道が減ってきている。「じゃあ、いまどうなっているの」というところがみなさんが気になるところでもあると思います
今日はイラク戦争があれからどうなったか、また安保法制、戦争法制がイラク戦争にどう関わるのか関わらないのかということで話をしていきます。いきなり結論から言ってしまうと、イラク戦争を日本は支持・支援したわけですが、やっぱり戦争がどうなったかということをちゃんと知らずして安保法制とか、それはないだろうと思います。安保法制・戦争法制というのは日本がアメリカの戦争のお手伝いをするということじゃないですか。過去日本が支持・支援した戦争の結末といまの状況がどうなっているか、それが良かったのか悪かったのかちゃんと見ないで、またアメリカの戦争を支持・支援していきましょうなんていうことは、本当は絶対ありえないと思うんですよね。ところが昨年の国会質疑でも、やれお友達の麻生君がどうだとか、母屋が燃えてなんて模型を使って安倍首相がテレビで遊んでいたり、普段は安倍首相を応援しているようなネットの書き込みをしている人たちですらあきれるような、本質的議論がまったくなく、前のめりに前のめりに戦争をすることだけが進んでしまっている。これはちょっとやばいと思うんですよ。私はやはりあくまでも「FACT」-「事実」だと思うんですね。実際に何が起こっているか。戦争に反対する側も戦争を推し進めていく側も、一番重要なところは実際のところをちゃんと見て、それで考えることがまず必要だと思うんですね。
残念ながら日本のテレビも新聞もなかなか最近イラクの状況をやらないので、私はこの1月末から2月の頭にイラクに行ってきました。まずは最新の状況からお話ししたいと思います。今回私が行ったのはイラクの北側、いわゆるクルド人自治区です。なぜここに行ったかというと、ここは比較的イラクの中でも治安がいい、いきなり誘拐されたりするリスクがゼロとはいわないけれども、ないといって過言ではない。そういうところに行ってきたわけです。本当はもうちょっと激戦地に行きたかったんですけれども、今回は時間があまりなかったものですから、時間がない中で無理をするとろくなことにならないので慎重に北イラクだけの取材になりました。
北イラクに行ったのにはひとつ理由がありまして、治安がいいんです。だからイラク中からいろいろな人たちが逃げてきます。その人たちを取材しようというのが今回の大きな目的でした。みなさん難民という言葉は、例えばヨーロッパにシリア難民がたくさん来ている状況はテレビなどでご存じだと思うんですけれども、実は大変なのは難民だけじゃないんですよね。むしろ、報道される機会もなく支援も行き届いていないのはいわゆるIDP、日本語に直接訳すと「国内避難民」です。難民は国境を越えて逃げた人ですが、国内避難民はイラク国内に止まってというか逃げることすらできない、ただし自分たちの住んでいた地域はめちゃくちゃな状況で命からがらすべてを捨てて逃げた人々で、イラク国内の比較的ましな地域に止まった人、それをIDPと言うんですね。北イラクは治安がいいのでIDPたちが一杯集まってきてい状況です。
この写真はそのIDP用のキャンプ、国連や地元のNGOなどが支援しているキャンプですけれど、非常に粗末な仮設住宅やほとんどテントに住んでいます。イラクの人たちって大家族なんですね。一家族10人とかざらにいます。だから狭いところにぎゅうぎゅうに押し込まれている感じがよくあります。それから物資が全然足りていないんですよね。北イラクって、イラクだけれども冬は寒いんですよ。イラクは世界で一番暑い国で、南の方に夏に行って車の窓を開けて走っていると、顔にドライヤーを当てられているような気分になります。気温が50度まで上がってめちゃくちゃ暑いんですね。ただし北部は山岳地帯で標高も高いので冬はかなり寒い。このキャンプの地面を見たら水たまりが凍り付いていて、夜は氷点下まで下がります。そういった中で10人家族で毛布が一枚しかないこともざらにある。一応国連などが灯油を配って灯油ストーブをつかっているんですけれども、全然灯油が足らないんですね。だからもう灯油ストーブを使わないで、その辺に転がっていることもざらにあります。
国連は何えをやっているのかという気持ちになるかもしれませんが、実は国連も非常に困っています。というのは、まずシリア難民がものすごい数になっている。アフガニスタン難民だとか世界でいろいろな難民がかつてないほどいて、かつイラク難民も、ということで、はっきり言って予算が全然足りないんです。安倍さんは外遊に行くたびにいろいろお金をばらまいていますけれども、あれは結局何に使われるのかよくわかりません。こういう国内避難民に支援がもう少し行くようになるといいと思うけれども、UNHCRだとか難民などをサポートする国連の組織は慢性的にお金不足です。
これがシャクラーワです。さっき映したのはアルビルというクルド人自治区のいわば首都のようなところで、シャクラーワはアルビルから少し北に行ったところです。山に雪がいっぱいあるでしょ。これくらい寒いんですよ。シャクラーワで私が泊まったホテルでエアコンが壊れていて、夜寒くて目が覚めました。でも私は毛布をかぶっていたからまだいいんです。毛布すらなくて、例えばこういうガレージの中に、小さな子どもたちが満足な毛布がないまま住んでいます。じめじめしていて寒くて暗い。でもこういうところに行かざるを得ない。先ほどのようなキャンプに住んでいる避難民たちはまだいいんです。なぜかというと不十分ながらもとりあえずは支援が行われるからです。ところが全体の避難民のうちキャンプに入れたのは20%にも満たない。他の人たちは
こういうガレージだとかあるいは建設中の建物に住んでいる。
次の写真の人たちはシンジャルというイラクの一番北の地域から逃げてきた避難民で、いわゆるヤジディー教徒の人たちです。IS、イスラム国にめちゃくちゃな被害に遭っていた人たちです。こういった方々の支援が深刻です。ここのヤジディー教徒の人たちには地域の方が少し食糧を分けてくれたりしていました。地元の方々もそんなに裕福ではないんですが、そういう人たちになんとか支えられているという感じです。今回は2004年の日本人人質事件で拘束された高遠奈穂子さんが案内してくれました。高遠さんはいまもこうした避難民の支援を続けていらっしゃいます。この病院では聞き取りをしながら、彼女のバジェットで集めた、募金の中でどういう支援ができるのかできないのかを相談しているところです。このベッドに寝ている女性は仕掛けられた爆弾で足が吹き飛んでしまった方で、そういう方が普通にいるわけです。こちらの男性は、対ISとの戦闘で大けがを負って両目を失ってしまった。子どもが4人いるらしいんですけれども、子どもの顔を見ることができないのが何よりもつらいといっていました。
さきほどからIDPが増えて大変だという話をしていますが、ではなぜ開戦から13年経って、しかも米軍の主力部隊もほとんど撤退したイラクでこのような状況が続いているのか。それにはふたつ理由があります。ひとつはみなさんご存じのイスラム国、ISです。もうひとつはイラク政府軍が、実はイラクの人たちを弾圧したり空爆したりしているということです。順を追って説明します。まず私は「イスラム国」という言い方は嫌いです。例えば仏教徒の方もいらっしゃると思いますが、仏教ってみんなオウム真理教みたいだよねといわれたら、むっとしますよね。キリスト教徒の方だって、キリスト教ってブッシュ万歳の福音派みたいなメガチャーチでわーわー言っている人たちでしょ、といわれたらちょっとカチンと来ますよね。「一緒にするな」ですね。イスラム教も同じで、大多数のイスラム教徒は私たちと同じような普通に穏健で、テロとか戦争がいけないという人がほとんどです。ですからイスラム国という言い方は好きになれないのでとりあえずISといいます。ただISも「イスラミックステート」ですから日本語に訳すと「イスラム国」となってしまうんですが、イスラム国というよりはいいかなと思うのでISということにします。
この写真はあまり使いたくないんですけれども、ISの存在が知られるようになったのはこの事件です。後藤さんと湯川さん。私は後藤さんとは面識はなかったのですが、知り合いの知り合いみたいな感じで噂は聞いてはいました。ISというものは非常に残酷である、それ自体は間違いではありません。ただISについて語るべきいろいろなことが日本のメディアの中ではかなり抜け落ちていると思うんです。
まずこのISがどのように凶暴かということはご存じかとは思いますが、今回 IS支配下から逃げてきた人からインタビューしたので少しだけ紹介します。ISは勝手に作ったルールに背いたりするとすぐ首を切ったり銃で撃ったりむちゃくちゃな処刑をするというのはその通りですが、現地の人たちが困っていることとして、子どもたちに過激な洗脳教育をするということを言っていました。それから大きくなって15歳とかになると戦闘可能年齢として戦闘員にさせられてしまう。そういうことが非常に嫌なので、IS支配下から逃げてくる。ただし逃げてくるのも命がけで、とにかくいろいろ用事をつくってどうしても出ないと行けないというんです。でも、いついつまでに戻ってこなかったらお前は処刑リストに入るといわれるらしくて、実際にIS支配地域からいったん逃げたらもう帰れないそうです。家財だとかその他もろもろを没収されてしまう状況で、ISは基本的にひどいわけですよ。
ただし日本のメディアでも、やれISはひどくてむちゃくちゃな恐ろしい連中だということを言っているわけですが、みなさんISってそもそも何で急に出てきたと思いますか。この辺のことはあまり言わないですよね。ISの支配地域を見てみるとシリアとイラクにまたがって勢力を拡大している。赤いところがISの直接の支配地域、オレンジのところがISをサポートしている地域といわれています。後藤さんと湯川さんの事件がシリアで起きました。またISの首都とされているのがイラク北部のラッカです。ですからISがシリアの問題だと思いがちです。でも実はちょっと違うんです。
シリアの問題でないことはないけれど、ただISのリーダーはみんなイラク人です。バクダーディというISの指導者はもともとはイラクの普通のおっさんでした。さらにISのいわゆる上層部、リーダーたちは全員イラク人です。シリア人は一人もいない。それはなぜかというと、いまから13年前イラク戦争が開戦されました。そのときはサダム・フセイン政権で、バース党がリーダーでした。そのサダム・フセイン政権が崩壊したとき、米軍に逮捕されたり殺されたりする可能性があったので、その政権の軍人たちはあちこちに逃げたわけです。その中の一部がバーシスト、バース党の残党として米軍に対する武装抵抗を続けるようになる。正面切って戦っても軍事力の違いで勝てないのでゲリラ戦をやるようになる。さらにその一部が海外から来た過激なアルカイダとかそういうテロネットワークなどと結びついて武装勢力をつくって戦っていたことがありました。
始まる前にお見せしていた映像は、私がイラクに最初に取材に行った頃のバクダッド市内のホテルの映像です。このホテルに毎日大型バスでどんどん外国からの戦闘員が来ていました。その何人かにインタビューできたんですが、中東だけじゃなくて、例えばインドネシアだとかマレーシアの方だとか世界中のイスラム圏から戦闘員たちが来て、それこそ「アメリカと戦うんだ、おー」みたいな感じで気勢を上げているんですね。今から考えるとよくこういう映像を取ったな、よくインタビューができたなという感じです。同じところで取材していた別の外国人は、サダム政権に捕まってそのまま連れて行かれたりしていました。そういうことで、外国から来た勢力はかなり入っていました。そういった勢力と、サダム・フセイン政権の残党などが結びついてできたのがISです。つまりISのルーツはイラク戦争以外のなにものでもないわけです。いま世界中がISは本当にひどいとか、ISを掃討しなければならない、空爆も辞さないとも言っていますけれども、じゃあそのISをつくったのは誰なんだという話です。ほかでもない、イラク戦争です。
もうひとつISがはびこる原因がありました。これは私がイラクの首都バクダッドで取材していたときの写真です。当時、米軍がイラクにいた頃は毎日のように米軍が市内に展開していて、テロ掃討の名のもとで家宅捜索を行いました。家宅捜索というと聞こえはいいですが、はっきり言って武装強盗よりもたちが悪い。まず米軍への攻撃があったエリア全部をしらみつぶしに家捜しして、有無を言わさずに住人を連れて行ってしまう。テロリストか武装勢力に関わっているかは一切関係なく、しらみつぶしです。
家宅捜索というと東京地検特捜部が段ボールを持ってやるようなことをイメージするかもしれませんが、そんなものじゃない。例えば小型爆弾を使ってドアを吹き飛ばして、それと同時に武装した米兵たちが何人も突っ込んでいって住人をなぎ倒し、頭に銃を突きつけて縛ってそのまま連れて行ってしまう。ここで抵抗すれば、よくて殴られて鼻をへし折られたり腕をへし折られるくらいで済みますけれども、本当に撃ち殺されたりします。下手に抵抗すると本当に命に関わる。実際にそれで何人もイラク人が殺されています。さらに家の中を徹底的に破壊していく。テレビからタンスからみんなぶっ壊して、ソファーもナイフを突き立てて切り裂いて中の綿を全部出したりカーテンを全部引きはがす。それは武器を探すためですが、やられた方はたまったものじゃない。ひどいのは貴金属とか現金を米兵たちは持って行ってしまう。「お前等がお金を持っていると武装勢力の資金になるだろう」なんてむちゃくちゃな論理です。こういうことを毎日毎日やっていた。それは嫌われますよね、米軍は。米軍が嫌われて武装勢力が攻撃すると、そのエリアでまたこういうことが行われてそれに対する反発があって、という悪循環だったわけです。
問題は、連れて行かれたイラクの人たちがどういう状況になっていたかということです。家宅捜索だけでもひどいけれども、実際、私も過去に米軍に拘束されたことがありまして実体験を持って話ができます。私はイラク西部のラマディという激戦地で取材をしていたときに、ラマディ攻略のための秘密基地を見つけちゃったんですね。それでお前はスパイに違いないと決めつけられて、頭に袋をかぶせられて後ろ手に縛られてギャング映画のようにそのまま車の中に詰め込まれて、砂漠の中を何時間も行ったところにある捕虜収容所に放り込まれてしまった。そこは格納庫をそのまま使っている感じで、イラク人の方々が一杯詰め込まれていて、みんな同じように両手を縛られてコンクリートに直に座らされていました。中を見ていると、杖をついているおじいさんだとか、どう見ても10代前半だろうという子どもが捕まっている。その地域に住んでいたというだけで捕まえてくるから、そういう人も捕まって来ちゃうわけです。私語は禁止だったり勝手に動いたりできないわけです。ひどいのは、私の通訳のイラク人が頭に袋をかぶせられて両手両足を背中側で縛られていました。こういう苦しい体制だと血管が詰まったりして下手したら死にますよ。私が取り調べを終わって帰ってきたら通訳がこんなことになっていたので、米軍に怒ってやめさせたんですが、そういう状況でした。
ちなみに私は米軍に捕まったときに運悪くというか、劣化ウランに関する資料を持っていたんですね、しかも英文で。お前はアメリカを恨んでいるのかとか言われたり、さらにまずいことに私はシリア経由でイラクに入りました。シリアのスタンプが押してあったものだから、お前はスパイに違いないといわれました。「スパイじゃなくてジャーナリストだけど、日本大使館に連絡を取ってよ」という感じでさんざん言ったわけです。それでも無視されて放り込まれて、日米同盟って何なんだろうと思ったりもするわけです。米軍兵士もびっくりします。イラク人がずらっと並んでいる中で日本人がひとりいるわけで、お前どうしたんだと聞くわけです。「俺の方が聞きたいよ。あんたのボスが言うには俺はジェームズ・ボンド フロム トーキョーらしいぜ」、要するにスパイ容疑をかけられているから東京から来たジェームズ・ボンドらしいぜと言って、それならボンドガールってどこにいるんだよって冗談を言ったんです。米軍兵士はゲラゲラ笑っていましたが私にとっては笑い事ではないですよね。
とにかく私は8日間で拘束を解かれて解放されたからよかったんですが、私が受けた仕打ちなんていうのはたいしたことはないです。銃を突きつけられて、俺たちの気分次第でいつでも殺せるんだぜといわれたりもしましたが、そんなこけおどしくらいは屁とも思いません。しかし実際にイラクで捕まった人たちはどんなことをされていたか、自分の経験もあったので、その後私は何十人とイラクの人たちにインタビューしました。実際私が受けた仕打ちはそんなにたいしたことはなかったんです。
例えばよくやるのは「ミュージック・パーティー」という拷問です。これは、頭にヘッドホンをかけて大音響の音楽を何時間も繰り返す。それから殴る蹴るは当たり前ですね。でも殴る蹴るといっても米兵たちはみんな身体が大きいですから、プロレスラー数人がかりで殴られると想像して下さい。電気ショックも普通にありますね。私がインタビューしたひとりは何度も何度も電気ショックを受けて倒れたんです。そうしたら白衣を着た軍医が近づいてきて脈を測って、こいつはまだ生きているからもっとやってと言ったとか。みなさんご存じだと思うんですが、捕虜は虐待してはいけないんですよ。ジュネーブ条約違反ですから。米軍は米兵が捕まったときはジュネーブ条約を守れといいながら、このときは本当にめちゃくちゃです。
性的虐待もひどいことが相当ありました。少数ですがイラク人男性だけではなくてイラク人女性も捕まっていました。それは情報を聞き出すためで、人質に取っていたわけです。捕まえる人間がいなかった場合にその家族を捕まえて、お前の家族は預かった、返して欲しかったら出頭しろということです。実際こういうことがあって、わたしが噂を聞いただけではなくて、アメリカの弁護士グループなどが情報開示した米軍の通信記録だとかウィキリークスに流出した米軍の通信記録からもそういったミッションがあったことは確定しています。わたし自身も性的虐待については聞かないという条件でイラク人女性からインタビューしたこともあります。
イラク人が怒るのは当たり前なんです。ISの幹部にイギリスのガーディアンという新聞がインタビューしました。ISの幹部は「われわれは米軍の刑務所からやってきた」と言います。ISのリーダーであるバクダーディは、もともとはそんなに過激思想の持ち主ではなかった。彼が過激思想を持つに至った経緯は捕虜収容所での虐待や拷問がきっかけだったんです。彼はイラク南部のブーカ刑務所にいました。ブーカ刑務所には私のイラク人の知り合いの兄弟がいまして、話を聞いてみると「地獄のようだった、あれはテロリスト製造工場だ」と言っていました。本当にひどい拷問が繰り返し行われていますから、米軍への憤りが充満しています。入る前は普通だった人もそこで過激思想に感化されて、ここを出たらみんなで米軍に復讐しようとなる。
皮肉な話で、米軍は対テロ戦争だとかテロリスト掃討だとか言ってイラクでの軍事作戦を展開していたけれども、実は米軍の刑務所がテロリスト製造工場になっていたわけです。そして一番やばいテロリストがブーカ刑務所でできあがってしまった。イギリスのガーディアンに対してISの幹部は、米軍の刑務所がなかったならISは存在しなかっただろうと、そこまで言っているわけです。こういったこともやっぱりIS報道をするときに報じられるべきだと思います。ちょっと取材すればわかることです。
みなさん香田証生君のことは覚えているでしょうか。2004年10月にバクダッドに旅行中だった当時24歳の若者が「イラクの聖戦アルカイダ」というグループに捕まって、人質に取られて、結果的に首を切断されて殺されてしまうという非常に痛ましい事件がありました。このときに「イラクの聖戦アルカイダ」が要求したのは、当時イラクに派遣されていた陸上自衛隊を撤退させろということでした。ところが当時の小泉政権はあっさり断ってしまって、それゆえにあっさり香田君は殺されてしまったという状況でした。彼が処刑される直前の映像からキャプチャしたのがこの写真ですが、わかるでしょうか。香田君は何の上に座らされていますか。星条旗です。星条旗の上に座らされて首を切断され殺されてしまった。つまり日本人は、日本はアメリカに付き従ってイラクへの戦争を支持・支援した。日本はアメリカの犬、下僕であると訴えているわけですね。香田君のご遺体は星条旗にくるまれてバクダッドの道ばたに捨てられていました。そして、まだ話の続きがあります。この「イラクの聖戦アルカイダ」こそのちのISなんですよ。
確かに後藤さん、湯川さんが拘束されたときに、安倍さんの対IS 2億ドル支援が引き金になった。だけどそれだけではないんです。ISが日本に敵意を向けていたのは昨日今日の話じゃない。13年前からずっとそうです。イラク戦争を支持・支援した直後からです。ISのリーダーたちは、もとはイラク政府の軍人でした。よその国の戦争をうかつに支持・支援するというのは、それだけ大変なことなんですよ。その怖さをまったくいまの安倍首相はわかっていない。私は取材していてぞっとしましたよ。よくイラクの人たちは、アメリカやその他の有志連合のことをクルセイダーズ――十字軍だと言うんです。十字軍って最後の遠征から考えても700年以上前の話ですよね。よその国を侵略して攻撃するということは、7代祟られるんです。数十年経って、ちょっと謝ったから許されるという話じゃないんですよね。
どこかの国がとなりの国に攻め込んで占領して、「従軍慰安婦」の問題もあったりして、もう謝っているじゃん、不可逆性でいこうよとか、蒸し返すななんていっていますけれども、やられた方は覚えているわけです。それは何十年、場合によっては何百年も遺恨を残すわけです。だから他の国にうかつに戦争を仕掛けたり攻撃してはいけないんですよ。だって何百年も先のことに私達は責任を持てますか。原発の放射性廃棄物、億単位で時間がかかるわけで、こういったものに対して私達が責任を取れないように、戦争で生まれた敵意、憎しみ、偏見、遺恨、そういったものが何百年も続くとしたらそれに私達は責任を持てますか。安倍首相は絶対に責任持ちませんよ。安倍首相はすぐに根拠もないのに私は責任を取るとかいうけれども、絶対に責任取れませんから。
私も取材していて何度か怖い思いをしたことがあります。高遠奈穂子さんが誘拐されたイラクのファルージャで取材したときです。屋外での取材でしたが、その時点ですでにアウトだったんです。インタビューしていたらすごく向こうにトランシーバーで話をしていた人がいて、もうダメだと思ってインタビューをその場で打ち切って車にかけのって逃げようとしたんですが、交差点で車が止まってしまった。そうしたらカラシニコフを抱えた若者たちが何人も走って寄ってきて車を取り囲んで、お前はどこから来た、自衛隊を送ってきた日本人は敵だとものすごく騒ぐわけです。銃の柄で車を叩いたりする。こうなることは予想していたので、ファルージャで食糧を配ったりしている人道支援の人を通訳に頼んでいたんですが、なんとかしてくれということでお願いしました。その通訳が、「まあ落ち着け、こいつは悪いジャーナリストじゃない、むしろ米軍がいかにひどいことをやっているか伝えてくれるいいジャーナリストだ」ということでなんとかその場を抑えてくれたので私は誘拐されないで済んだわけです。そういう備えをしていなかったら、通訳が助けてくれなかったら誘拐されていました。バクダッドなどでもそういうことがあって、米軍がめちゃくちゃなことをやっていればやっているほど、そういうエリアでは日本人に対するリスクはあったわけですね。ですからある意味香田君が誘拐されてしまったのも必然だったわけです。
日本のメディアは、そのときはイラク南部のサマワに行っていました。サマワは比較的治安は安定していました。自衛隊が駐屯することによっていろいろな利権も生まれてくる。そういうこともあって、自衛隊NOという人はいなかったわけじゃないけれど、「いてもいいんじゃない」という人も結構いたんですね。そういう自衛隊が歓迎されているという報道がわーっと出たものだから、自衛隊をイラクに送ってもウェルカムじゃないか、やっぱり米軍と自衛隊では違うみたいなイメージができあがりました。けれども、そういう報道をしていた人たちはバクダッドの一番きついところとかファルージャなどを取材していないんですよ。そういう状況の中で変に自衛隊ウェルカムという報道が出てしまった。でも自衛隊を送ったことは、それなりにリスキーだったわけです。
ちなみにサマワも本当に安全だったのかなという疑問もあって、サマワの取材の帰りに車の中で疲れて眠っていました。ふと目を覚ますと、車がものすごいスピードで走っている。運転しているイラク人の友達に、そんなに飛ばさなくてもいいじゃないか、確かに早く帰りたいけどこんなにスピード出したらむしろ危ないと言ったんです。そうしたらそのイラク人の友達はバックミラーを突くわけです。みたらRPG――対戦車ロケット砲を背負った武装勢力が追いかけてくるわけです。私の車なんて簡単に吹っ飛びますよね。わかった、スピード出しまくれという感じで、カーチェイスを繰り広げてなんとか逃げ切りました。あれは怖かった。そういうことが結構ありました。ですから自衛隊を出したということはそれなりのリスクがあったということです。そういった中でISが生まれて、そしてISがいまも日本に敵意を持っていることはおわかりいただけたと思います。
IDPの話に戻ると、IDPが逃げているもうひとつの理由は、イラク政府がむちゃくちゃなことをやっていることがあります。今回の取材でファルージャから逃げてきたIDPの人にインタビューすることができました。ファルージャではイラク政府軍がどかどか空爆をやっていて、民家もめちゃくちゃに壊されて、当然民間人も死んでいます。これは現地の人が提供してくれた写真ですが、子どもとか女性とかみんな空爆でやられている。これは病院です。病院にまで繰り返し攻撃が行われている。ファルージャはいまIS支配下だということで、イラク軍がバカスカ空爆をやっています。
みなさん「たる爆弾」ってご存じでしょうか。シリアのアサド政権が使って非人道的だと非難されています。大型の容器の中に爆薬だとか金属片を一杯詰め込んだもので、これを爆発させると当然金属片が飛んで住民を無差別に殺傷する。こういうものを何度も使っています。シリアのアサド政権がこれを使っていることに関して、アメリカなどは非人道的だといって非難しています。それ自体はいいんですが、ではなぜイラク政府が使っていることについては誰も文句をいわないんですか? アメリカはイラク政府に対して空対地ミサイルのヘルファイアミサイルを提供しています。ファルージャなどの住民たちはメイド・イン・USAのヘルファイアミサイルで殺されているわけです。そういった武器輸出の問題もある。そういうようなことで、ファルージャの状況がひどいものですからみんな逃げてこなければいけない。
このおばあさんは97歳でもわりと元気そうでしたが、そういった老人から子どもまで、みんな住み慣れた土地を離れて逃げないといけない。IS支配下ですから、彼女の息子さんとかお孫さんはまだファルージャにいるんですね。家族がばらばらになってしまう。残るのも地獄、避難するのもその先で就職できないとか家族と離れたりだとか本当に大変な状況ですね。 そういった中で高遠さんなどがファルージャからの避難民に食糧を配ったりしてくれています。でも高遠さん自身が砂漠に水を撒くようだと言っています。個人でやれることって限りがあるじゃないですか。そもそもこういう支援を行わなくても済むような状況にしないといけないけれど、なかなかイラクの混乱に終わりが見えてこない状況です。
イラク政府がなぜ自国民の上にミサイルを落としたりする状況になったのか。これもイラク占領の失敗から来ています。簡単にイラクの民族宗派構成を説明しますと、イラクにはだいたい3大勢力があり、イスラムシーア派、それからイスラムスンニ派、そしてクルド人です。かつてイラクの人たちはシーアとかスンニとかクルドとか関係なく、お互いに結婚したり普通に隣人同士として住んでいました。2005年1月にイラクでサダム・フセイン政権が崩壊して最初の選挙の時に、私は選挙の結果によってはスンニ派とシーア派の間で対立が生まれるのではないかとイラク人に聞いたんです。そうしたら、お前は何を言っている、俺たちはイラク人だ、スンニもシーアも関係ないと当時のイラク人たちはみんな言っていました。ところが現実はそんなに甘くなかった。
米軍はスンニ派の人たちはサダム支持層ということで敵、シーア派はサダムにいじめられていたからお前等は味方、というものすごくざっくりした分け方をしました。実際はスンニ派でもサダムに逆らって殺されたりしていたし、シーア派でもサダムにゴマをすっていた人は重用されたりしていました。米軍はせいぜい15万人、多くて17万から18万人くらいしかイラクに兵員を展開できませんでしたから、当然兵員不足です。イラクは2800万から3000万人くらい人口がいますから全然足らない。しかも日本と違って各家庭に普通に銃があったりしますから、そう考えると兵員が足らない。どうするかといったら、シーア派の連中は味方だからイラク軍とか治安部隊に入れてしまえと。そしてこのシーア派の人たちを中心とするイラク軍や治安部隊を、スンニ派のところに攻め込ませたりしました。シーア派を使ってスンニ派を殺したり略奪をしたりさせたわけです。
なぜそういうことをするのかですが、アメリカはイラクから逃げた亡命イラク人たちをイラクに呼び戻します。その中の結構な割合がいわゆるシーア派至上主義者、宗教的にものすごくエクストリームな人たちを呼んでしまって、しかもそれに治安関係を担当させ、内務省の大臣などに据えてしまった。それでどういうことが起こったか。これは現地の人権団体が私に提供してくれた映像ですが、2005年からこういう状況でした。これはバクダッドの郊外ですが、殺された人々が数珠つなぎにされて放置されています。これはみんなスンニ派です。殺した側のイラク警察はシーア派です。バヤンジャブルという非常にエクストリームな、過激なシーア派至上主義者がイラク内務省の大臣についたことによって、内務省からスンニ派はみな放り出されました。シーア派の特に過激な人たち、シーア派民兵たちが警察になって、スンニ派というだけで捕まえて殺すようなことを繰り返すようになってしまいました。
私は内務省の治安部隊の将校にもインタビューしましたが、捕まえた人たちに電気ドリルで穴を開けてそこに硫酸を流し込むとか、むちゃくちゃなことをやっていました。ほかにも首を切ったり皮をはいだりとか、要するにISとやっていることは変わらないわけです。ISがなぜあそこまで残虐になったかというのは、こういうイラク内務省のめちゃくちゃなことが関係していると思います。実際そういうことを言う人もいます。私が今回のIDP取材をやっていたときに現地のNGOの人が言うには、とにかく若い連中がISに入りたがって困る。なぜなら、彼らは目の前でお父さんだとかお兄さんをイラク警察、シーア派民兵に殺されている。そのときのショックでまともな考え方ができなくなっている。ISに入って復讐すると言う若い奴らが多くてとても困っている。そういう若い奴らが一番過激で、人を殺すことになんの躊躇もない。目の前でお父さんやお兄さんを殺された若いIS参加志望者が実は一番凶暴で怖いと言っていました。
そういったことを日本も支援してしまった。イラク内務省に対するODAを日本はやっています。イラク内務省は人権侵害を繰り返してきたことは、秘密でも何でもありませんでした。繰り返しアムネスティ・インターナショナルとかヒューマンライツナウとかが詳細なレポートを流していました。何でこういうことをODAでやるのかと思います。要するにイラク警察に対する支援をかなりやっていた。円借款と無償支援で72億ドルの支援です。その中では例えばイラク警察車両の支援などがあります。でもイラク警察、内務省なんかは人権侵害に関わっていました。最悪なのはサマワで行われた平和構築というODAです。平和構築で何をやるのかを外務省に問いただしたところ、イギリスの民間軍事企業を使ってサマワの警察に軍事訓練を受けさせるということです。
戦闘訓練を受けさせる。友人のサマワの人もそうですが、イラク政府に反抗的だと見られた人間は、みんな捕まって殺されたり投獄されたりしていました。その友人は命からがらイラクから逃げ出して、いまも帰れない状況です。そういったイラク警察に対してODAで支援していたんですね。私は、日本国際ボランティアセンターなどのNGOが外務省とODAの中味について議論する場などで、このことについても追及してもらいましたがとぼけ続けています。こういった問題があることをまともに考えていないわけで、そういう恐ろしい内務省の支援などを、日本がやっていたわけです。本当は検証しなくてはいけないことですね。
これは比較的最近の映像です。イラク政府の民兵組織というかそういう連中が、スンニ派の男性を捕まえてリンチしている。しかもこれはジャーナリストが撮ったのではなく、彼らがおもしろ半分に動画にとってフェイスブックにあげているものです。そういう感覚なんです。そのコメントを見ると、スンニ派は皆殺しにしろだとかものすごいヘイトスピーチです。少年に銃を突きつけて頭を吹っ飛ばすとかそういうこともやっている。イラクの政府軍や治安警察がめちゃくちゃなことをやっているのは、もう秘密でも何でもなく、こういう映像を自分達がフェイスブックで流している。ISのことはみんな言うけれども、じゃあイラク政府軍がやっていることはオールOKなのか。
なぜISが支配地域を拡大させたのか。少なくともイラクでISが支配地域を延ばしているエリアはスンニ派のエリアです。つまりイラク政府はシーア派至上主義者が牛耳っている。そしてスンニ派のエリアでは、こうしたむちゃくちゃなことをやっているわけです。ISのことは本当は好きじゃないかもしれない。でもISと手を組まなかったらイラク政府軍に殺されるという話です。だからこのエリアはISサポーターが結構いたりする状況です。もともと仲良く暮らしていたスンニとシーアの間を引き裂いたのは誰か。アメリカでしょ。日本もお金を出してお手伝いしたでしょ。そこの振り返りもなく、ただ対テロだということで空爆すれば問題は片付くんですか、という話ですよね。そう簡単にはいかないと思うけれども、確実に空爆してISを滅ぼしたとします。でも賭けてもいい、また新しいISが生まれます。それはそうでしょう。だって、テレビをつけたら日本の人がむごたらしい方法で残虐に殺されていたらどう思いますか。どんどんミサイルを落とされて、女性や子どもが死んでいたらどう思いますか。それと同じことをイラクの人たちは毎日毎日テレビで見ているんですよ。これで怒るなという方が無理ですよね。
中東の人間はみんなそうですよ。イラクだけでなくシリアもパレスチナもそうです。衛星放送だから現地の人たちだけじゃなくて、世界中のイスラム教徒の人たちが見られるわけです。毎日毎日見ているんですよ。日本のテレビのようにモザイクをかけたりしません。こういう問題には一切文句を言わないどころか、これは対テロで正しいこと、正義だ、自由と民主主義を守ると言われても、イスラム圏の人は納得しないですよ。そういうことを繰り返している限り、絶対に憎しみの連鎖は終わらない。仮に空爆でISを潰してもまた新しいISができます。すでにISはアルカイダ化している。アルカイダというのはもともとアフガニスタンの方で勢力を拡大させましたが、各地域の過激派が勝手にアルカイダを名乗るようになった。つまり「テロ・ブランド」のようなものなんです。ISも、ISの支持者が勝手にISを名乗るようになってきている。そして個々にテロをやるようになってきている。それは世界中に不平等とか憤りが拡散していて、それに感化される人たちがあちこちにいるからです。だから空爆とかそういったもので防げると思ったら大間違いです。
テロと言えばパリのテロがありましたね。パリのテロで捕まった人はみんなフランス国籍です。1人か2人ベルギー国籍ですけれども、別にシリアから来たわけじゃない。でもヨーロッパは移民2世3世がいます。何となく自分のルーツ的に中東の人たちにシンパシーを持つわけです。そしてさっき言ったようにひどい現実を見ているわけで、その中で感化される。いわゆるホームグロウン型テロ、ローンウルフ型テロを防ぐのはアメリカでも無理です。じゃあどうしますか?パリを空爆するんですか?そんなことできないでしょう。だから私はイラク戦争の検証が必要だと言っているわけです。
イラク戦争でそれまでの世界の流れは変わってしまった。シーア派、スンニ派の争いはイラクだけにとどまらず、シリアもそうです。シリアのアサド政権はアラウィー派というシーア派の分派で、対する自由シリア軍などはスンニ派の人たちの方が多い。ですから、あれも宗派間対立というところもあります。ロシアのプーチンはシリアに海軍基地があり、アサド政権と仲良しで武器をたくさん輸出している。だからアサドが倒れてしまったら困る。アメリカは昔からアサドが大嫌いです。それはアサド政権とイスラエルは仲が悪く、自分の子分のイスラエルにかみつく非常に気にくわない奴だというところもあって、とりあえずアサドを倒すためには自由シリア軍がんばれという感じで資金や武器をばらまきました。
ところがその武器や資金を、当時イラクから勢力を拡大していたISがありがたいということで受け取っちゃったわけです。拘束されたISの兵士たちが持っている武器がみんなメイド・イン・USAなんですよ。そういう意味でもISをつくったのはアメリカだと言えますよね。そんな大量な武器や資金が流れなかったらISがそんなに支配地域を拡大させるわけはなかった。スンニとシーアの争いはイスラム圏全域に広がり、わかりやすい例で言うとサウジアラビアとイランの対立がそれです。サウジはスンニ派、イランはシーア派です。イラク戦争以降、イスラム教徒の中での対立も拡大してきて、それが地域での不安定化にかなりつながってきている。
それだけではなくて、いまは中東ではみんなスマートフォンを持って、iPhoneとか人気ですが、情報の伝達がすごく早いんです。どこで何が起こっているかは世界中でみんな知っています。日本が安保法制だとか、うかつにアメリカと出かけていってうかつなことをしてしまったら、世界中のイスラム教徒がその事を知ります。イスラム教徒みんながテロリストだなんて言うつもりはないですし、むしろイスラム教徒の多くは平和的な人たちです。だけど世界中にああいう問題が知れ渡って、そこに日本が関わっているとわかってしまったら、日本人が襲撃されるリスクは確実に上がります。東京オリンピック、心配ですね。そういう問題がある。本当に深刻に考えないといけません。日本人のセキュリティはここ数年で一気に悪くなっていると思います。いまだに中東なんかに行って日本人だというと、必ず「おお、ヒロシマ・ナガサキ」といってきます。日本は戦争の被害から立ち直って平和的に経済発展したということで、ものすごく中東の人たちは親近感とリスペクトがありました。尊敬されていたんです。広島の平和公園にある佐々木禎子さん、折り鶴の少女のことも知っていたりする。教科書に載っていていろいろな人が知っている。それくらいもともとは日本の人たちに親近感を持っていてくれていました。「美しい誤解」もあります。
本当に日本がやるべきことは、日本の良いイメージを使って例えばシリア内戦でも、アメリカ側もロシア側もアサド側もサウジもみんなとりあえず落ち着けということで、ニュートラルな立場だから、平和的に介入できるのは日本なんです。これがフランスとかイギリスが出てくると、またバルフォア宣言かとかサイクス・ピコ協定かという、過去の占領統治の話になってくるので、日本が行くと本当は平和的に貢献できる。
だいぶばれてきましたけれども。そういうことをやらないでひたすらアメリカにくっついていく。中東の人である程度教育レベルの高いそれなりに国際ニュースを見ている人は、安保法制の話なんかも結構知っている人は知っています。安倍首相がエキセントリックなことを言うたびに世界中にニュースで知れ渡って、そういう意味では日本はやばいと思います。イラクで航空自衛隊が運んでいたことは実はうそをついていた。
国民をだまして米兵支援をやっていたことを、安倍首相は第1次安倍政権の時に国会でしらを切っていた。実際には国連なんて人員輸送の6%にすぎず、6割くらいが米軍だった。昨年夏の安保法制審議の時に参議院議員の山本太郎さんに追及してもらったんですが、政府は人道復興支援のためになんてまだそんなことを言っている。じゃあこの米兵はみんな人道復興支援なのか、どんな任務に就いていたのかと聞いたら、答えられない。米軍を支援するのなら、せめて米軍が何をやったかくらいは知っていようよ、という感じです。こんなことも答えられないで、ただただ米軍を支援すればいいわけではないでしょう。
この写真も、私が提供して国会審議で使われましたが、ファルージャ攻撃の時に破壊された救急車です。救急車とか医療関係者を攻撃することは、国際人道法に違反する戦争犯罪です。安倍首相は安保法制の閣議決定の時に国連憲章を守ります、イラク戦争のようなものに巻き込まれるようなことは安保法制ではありませんと言っていました。では国際人道法も守りますねと審議で聞くと、「はい、守ります」と言うんですが、これはなんですか。これは米軍がイラクの救急車を破壊したわけですが、これって国際人道法違反ですねと問いただされると何も答えられない。そもそもイラク戦争はイラクが大量破壊兵器を持っていなかったことを証明できなかったから、とか話をすり替える。このすり替え方が最悪で、イラクには国連の査察が7破壊された救急車 ガザ市シュジャイヤ地区にて00回入っています。そのときの査察のリーダーだったハンス・ブリックスさんに私はインタビューしましたけれども、米軍の情報は本当にいい加減で、査察は米軍が提供した情報のもとにやるわけですが、出てこないわけです。そして、査察を全部やり終える前に戦争が始まってしまった。アメリカでさえ大量破壊兵器はなかった、情報は間違いだったと認めているわけです。戦争犯罪のことを追及したら国連憲章違反の戦争のことを自分から持ち出す。はっきり言って答弁としては零点です。それくらい安倍首相はイラク戦争のことを全然わかっていない。結局何となくイメージでしかものを語っていないわけです。
安保法制で私が一番問題だと思うのは、アメリカって要するに戦争犯罪の常習国じゃないですか。自分が一番強い、自分で何でも決められるということで敵に対しては手加減のない国です。そういう国に日本が安保法制で支援したら、戦争犯罪の片棒を担ぐことになります。それは平和国家として絶対やってはいけないことですよ。憲法の前文に書いてあります。それこそ平和的生存権ですよ。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。航空自衛隊のイラク派兵違憲訴訟で名古屋高裁がそういう判断を示していますけれども、「平和のうちに生存する権利」というのは単に殺されない権利ではありません。殺されない権利というのはもちろんあるけれど、殺さない権利なんです。人が殺し殺されるような状況は平和ではありません。だから日本国憲法前文は殺すのも嫌だ、殺されるのも嫌だ、それが権利なんですよと高らかに謳っています。素晴らしい部分だと思います。
この日本国憲法の前文を、安倍首相はじめとして自民党の憲法改正草案では削除することになっている。要するに平和に生きるなということをいっているらしい。ひどい話です。でも私は行使すべきは集団的自衛権ではなくて、この平和的生存権を他の誰でもない私達の権利として行使すべきだと思っています。だって私達の権利だから。私達の権利を勝手に奪うなということです。憲法を変えようとしている安倍政権、非常に大きな問題だと思います。9条もそうだし、平和的生存権もそうだし、全権委任法的な非常事態条項だとか、本当に独裁者になりたいみたいですね。ここはやっぱりがんばって止めないと。いつの間にか中東だけではなくて日本もやばくなってきています。
最後に、日本国憲法の精神を踏みにじっているということでいうと、武器輸出の問題も非常に深刻です。これは本当に許せません。いままでは平和憲法の理念に基づいて武器輸出3原則がありました。子どもでもわかる理屈です。争いあっている人たちに武器を与えたらお互いが殺し合うって。そういう中で日本は武器輸出を長く自ら禁じていました。ところが安倍政権は武器輸出3原則を撤廃して防衛装備移転3原則をつくって、原則NGから原則OKにしてしまった。しかも税金を使って武器輸出を応援しますと。
最悪なのはこのF-35戦闘機です。これはアメリカの最新鋭戦闘機ですが、対地攻撃に特化した要するに空爆が専門の戦闘機です。「空爆されるのは誰?」という話です。この戦闘機に、日本企業が最大で40%の部品を提供する。三菱電機とかIHIとか三菱重工とかそういうところです。メイド・イン・ジャパン40%の戦闘機が、中東の人間を殺すということになりかねないわけです。ちなみにこのF-35戦闘機は核兵器搭載能力もあります。つまり、被爆国日本の企業が、核戦争に加担する可能性もないわけではありません。さらに、このF-35戦闘機はアメリカの戦闘機ですが、イスラエルがこれを買うことを決定しています。イスラエルは何をやったか。
私は2014年の夏にガザで取材をしていましたが、イスラエルのやることはむちゃくちゃですよ。これは現地で取材していたときに私がまとめた映像です。イスラエルはしょっちゅうガザとかレバノンとか他の地域に攻撃を仕掛けてきますが、本当に手加減がないんですよ。私はいろいろな紛争地を取材していますが、このときのガザほど壊されていることはないです。いまシリアのアレッポはこんな状況でしょうけれど。これはガザのシュジャイヤという地域ですが、戻ってきた人が自宅のある場所がわからないくらい原形をとどめていません。一般住宅なのにこんな状況です。さらにイスラエル軍なんてしょっちゅう救急車を攻撃しています。夜通し空爆があったりして、私が泊まっていたホテルの近くが爆撃されて窓ガラスが全部割れるという状況でした。取材していると弾が通り過ぎることもあります。当然あれだけ空爆されていれば、一般人がけがをしたり死んでしまったりします。爆撃されて一家全滅ということもよくあることです。普通の民家で17~8人くらい一気に爆撃で殺されたりします。
さらにひどいのは国連などの学校です。それこそ避難民が逃げているところに空爆する。しかも1回だけじゃなくて50日間の攻撃で3回もやっている。国連の学校で見つけましたが、あごの骨とか歯が転がっています。発電施設なども爆撃して、電気が止まってしまう。これも国際人道法違反です。問題はこういうことをイスラエルは2014年にだけじゃなくて何度もやっている。取材を終えて帰ろうとする私にガザの友人の言葉が耳に残っています。「また何年かあとに会いましょう。その頃また大きな戦争が起きてあなたがガザに戻ってくるでしょうから」。戦争を取材しているジャーナリストだから、ガザに攻撃が行われたら戻ってくるでしょうという非常に皮肉な言葉ですよね。こういう別れの挨拶をしないといけない。
わたしはこういった中で安倍政権の武器輸出を本当に止めたい。これは日本国憲法から見ても絶対に許せないし、人道的にも許せない。過去の実例から見てもイスラエルに武器を持たせたらどういうことになるかわかりきったことです。お金儲けができればいいやという、日本のごく一部の大企業が儲ければいいやという、そういうビジネスの仕方でいいのかということです。私達の税金を使っているんですよ。消費税を上げて福祉だとか大学の学費をただにするとか、サンダースが言っていますけれども、そういう税金の使い方だったらいいでしょうけれども、武器に使うわけです。そういう意味でもやっぱり許せない。
今日ちょうど社民党の大会を取材していました。そこに野党4党が招かれて、野党5党が野党共闘ということでやっと重い腰を上げた感じです。ぜひぜひ野党の人たちにもがんばってもらい、また野党の人たちに対して私達が有権者として、こういう戦争への支援だとか支持を繰り返さないように、人殺しで金儲けするようなやり方はやめましょうということを訴えていかないといけないと思います。ご静聴ありがとうございました。