2016年2月19日、総がかり行動実行委員会の呼びかけで国会議員会館前に7800人の市民が結集して、戦争法廃止、野党は共闘を叫んだ。集会に参加した野党各党の幹事長、書記局長らはそれぞれのスピーチのあと、しっかりと手を組んだ。集まった市民の前で、この通常国会に野党共同の安保法制(戦争法)廃止2法案が提出され、参院選での野党の共同が確認された。集会に結集した市民は万雷の拍手でこれを歓迎した。筆者は「ようやくここまでたどり着いた」という思いで、枝野幹事長の報告を聞いていた。
昨年9月19日未明の国会議事堂を取り囲んだ市民のコールを忘れない。「戦争法は憲法違反!」「野党ガンバレ!」はまさに私たちの叫びだった。そして19日午前9時、国会正門前に数百人の市民が再結集し、闘いを継続することを誓い合った。
以来、総がかり行動実行委員会は、戦争法廃止の2000万人統一署名を提起し、戦争法廃止と沖縄辺野古埋め立て反対、原発再稼働反対などの闘いを結合して、毎月19日の行動と、毎月第3火曜の統一街宣など、全国的な運動を継続する方針を掲げた。そして12月には学者の会やSEALDsなどとともに5団体で「市民連合」を立ち上げ、戦争法の廃止法と、参院選での野党の共同を呼びかけてきた。
特に衆院北海道5区の補欠選挙をめぐって、市民団体「戦争させない北海道をつくる市民の会」の仲間たちは、これを夏の参院選の前哨戦と位置づけ、予定候補の的を絞って、すばやく動き出した。しかし、政党間の候補者調整がなかなか進展せず、困難な局面がつづいたが、本誌前号での北海道の仲間の報告にみられるような市民運動のねばり強い努力がつづけられ、2月18日、統一候補が実現するという画期的な成果をおさめることができた。この北海道の朗報は、市民連合結成以来2ヶ月に近い期間、2月初旬の参院熊本選挙区での市民連合と候補者の政策協定の調印につづく大きな前進だった。そして、2月19日、午前の5野党党首会談での画期的な合意が実現した。
19日夜の総がかり行動実行委員会の国会議員会館前の集会で、共産、社民、維新(生活はメッセージで参加)の各党代表が勢揃いする下で、民主党の枝野幹事長が発表した野党党首会談での確認事項は以下の通りだ。
そして、5野党の幹事長・書記局長は、これらの確認事項の目的を達成するために、早急に協議し、その具体化を進める、というものだ。
これは5野党が共同して、戦争法の廃止と、集団的自衛権の行使に関する政府解釈の変更を決めた閣議決定の撤回を目標に、国政選挙などでできる限りの協力を行うという確認で、この間、市民連合をはじめ、多くの人びとが求めてきたものであり、極めて大きな前進だ。2015年安保闘争が作りだした国会外の運動の大連合が、国会内での野党の共同から、さらに参院選での画期的な野党間協力にまで発展させたものであり、戦後政治史上かつてない大きな出来事だ。この事態を切り開いたエネルギーは全国各地で奮闘する広範な市民の声であり、これが総がかり実行委員会や市民連合に結実して、野党各党を後押しした。選挙は政党にとって、その政治生命に直結するものであり、野党各党の間には深刻な利害の対立が存在し、選挙協力の実現は容易でない課題だ。
しかし、2015年安保闘争を戦争法案廃案、安倍政権退陣をめざして闘った広範な市民運動は、法案が強行成立させられた後も闘い続けた。市民運動は、この戦争法の廃止法を野党が共同で提出することと合わせて、安倍政権を退陣させるため、次期参院選での野党各党の共闘を強く要求して、各種の集会などの街頭行動や、戦争法廃止をめざす2000万人統一署名運動を広範に展開しながら、ひきつづき運動を堅持してきた。全国の津々浦々、いたるところで、寒風など冬の悪天候をものともせず、街頭や地域での市民の献身的な行動が展開された。
この問題では、強行採決を見越した共産党がいちはやく動いた。2015年9月19日午後、日本共産党第4回中央委員会総会が開かれ、志位委員長が「『戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府』の実現をよびかけます」を発表した。声明は安倍内閣の戦争法の強行に反対して、戦後かつてない新しい国民運動が広がり、それを背景 に野党の共闘も発展したこと、戦争法廃止 で一致する政党・団体・個人が共同して国民連合政府をつくることをよびかけ、この国民連合政府で一致する野党が、国政選挙で選挙協力をおこなおうなどとよびかけた。
これは政界や運動圏にさまざまな議論を呼んだ。与党は民主党などの野党に対し、共産党と手を組んで政権を作るつもりかと、反共主義に依拠したキャンペーンを展開し、「野合」批判を強めた。社民党や生活の党は基本的には共産党の提案を支持したが、民主党は態度をはっきりさせなかった。その後、民主党は枝野幹事長が中心になって、野党各党と市民団体を招いて懇談会を開催、今後の共同について話し合った。懇談会は都合、2回開催されたが、野党共同は容易にすすまなかった。同時に進行していた衆院北海道5区の補選の候補者一本化も、市民団体「戦争させない北海道をつくる市民の会」などの努力が事態をかなり切り開いていたが、新党大地(鈴木宗男代表)などの動きもあり、暗礁に乗り上げつつあった。
この枝野氏らの懇談会に出席した5つの市民団体(総がかり実行委員会、立憲デモクラシー、学者の会、SEALDs、ママの会)は後に、戦争法廃止と参院選の選挙協力を考える新しいプラットホーム「市民連合」を設立した。そして、新年1月5日の新宿西口大街宣行動や、シンポジウムなどを開催しながら、各方面への働きかけを強め、2月11日には熊本選挙区の候補者との政策協定にまでこぎ着けた。
民主党の中では、党内右派の動きもあり、とりわけ「国民連合政府」を条件にした共産党を含めた選挙協力には動きが鈍かった。一時は京都市長選で、民主と共産が対立したことなどもあり、すすまない野党共闘に市民運動圏でもいらだちが強まった。
戦争法の廃止法を民主と維新が単独で提出するような構えも生じ、総がかり実行委員会は特に戦争法の廃止で5党が足並みを揃えるべく、各党に働きかけを強め、市民連合は32の1人区での野党共同の実現に焦点を合わせ、働きかけを強めた。これら市民の動きに加えて、社民党や生活の党などの努力も合わせて、2月19日の総がかり実行委員会の国会行動に先立って、野党各党の廃止法案共同提出の動きが急浮上し、実現した。冒頭に書いたように、この日の夜の国会行動は、さながら廃止法案提出の報告集会の様相を呈することになった。
この間、とりわけ焦点になってきたのは参院選の32箇所あるいわゆる「1人区」であり、市民連合はこれに焦点を合わせて働きかけを強めた。共産党は沖縄・熊本などを除く29選挙区で独自候補者を予定候補としてきた。民主党は繰り返し、共産党が独自候補
をおろすことへの期待を表明するだけで、容易に両党間の協議に踏み出さず、共産党支持者を中心に市民の感情を硬化させた。
20日に開かれた共産党の幹部会では民主党推薦の無所属候補がいる7選挙区、および民主党公認の候補と競合する14選挙区で候補者を取り下げる方向で野党間の協議・調整をすすめるという「思い切った対応をとる方針を確認」するという決定をした。
同党が昨年9月19日の第4回中央委員会総会の決定以来、共同候補の条件としてきた「国民連合政権構想」を事実上取り下げ、安保法制(戦争法)廃止の1点での共同に絞ったものだ。野党共同の高いハードルになってきた「国民連合政権構想」が脇に置かれた。国政選挙での野党共同が実現するならば、日本共産党の歴史の中でかつてないことであり、多くの市民の要求と願いに応えるものだ。民主党は誠実にこれに応えなくてはならない。
こうして参院選の1人区のかなりの部分で野党の統一候補のメドが立ちつつあるが、これらにしてもまだ各政党間の調整にゆだねられているところもあり、また新潟選挙区のように各党の有力候補が乱立するところもあって、課題は多く残されている。さらに、市民連合もこれら1人区の共同候補の擁立に力を入れながら、複数区での闘いにも目配りをしていく課題が残っている。
そして何よりも、統一候補の擁立は、選挙闘争の第一歩にすぎず、これが各地で与党候補をうちやぶっていく本格的な選挙戦はまさにこれからだ。与党筋からは衆参ダブル選挙などの変化球の情報も流されている。
しかし、それにしても、偉大な一歩が踏み出された。私たちは全国の市民運動が切りひらいたこの新しい情勢に確信をもって、さらに大きな闘いに歩みをすすめていこう。
(事務局 高田健)
2015年2月10日
各野党 様
戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
安全保障関連法(戦争法)廃止に向けての取り組みの要請
日頃のご奮闘に敬意を表します。また野党の皆様方の安全保障法関連法案(戦争法)廃案に向けてのご奮闘に心から敬意を表します。
この安全保障関連法(戦争法)は、米軍の世界戦略に基づき、「自衛隊」が中東から東アジアまで、武力による威嚇、行使、戦争をすることがその本質です。多くの憲法学者が「違憲だ」と主張しているように、「違憲」です。また世論調査でも、「60%が反対、80%が今国会できめるべきではない」(朝日新聞世論調査)としています。
2015年は、若者、シールズ、ママの会、お年寄り、市民団体、平和団体、労働団体、などなど多様な方々が、「日本の平和、民主主義、未来に対する危機意識と不安の中」から、全国各地で運動に参加し、戦争法廃案・立憲主義確立の運動が全国で大きく高揚しました。そして東京では、連日の国会を包囲する市民の声にこたえて、野党が共闘し、自公政権を大きく揺さぶり、追い詰めました。
しかし安倍政権は、昨年9月19日、院内における議員数だけを頼りに、参議院で「強行採決」によって、「安全保障関連法」(戦争法)を成立させました。そしてこの3月下旬には、施行するとし、その具体化に向け、準備を加速させています。
一方総がかり行動委員会は、「私たちはあきらめない。戦争法廃止めざして、野党と協力して頑張る」として、引き続き闘いを継続しています。運動に参加した市民はあきらめていません。憲法を破壊し、戦争する国へと突き進む暴走を止めるべく全力で闘う決意をさらに固めています。
各野党におかれましても、引き続き「戦争法廃止・立憲主義確立」に向け、私たちと連帯し、ご奮闘されることをお願いします。
そのうえ下記の項目について、要請をお願いしますので、ぜひその実現のため、ご奮闘されることをお願いします。
記
以上
2月15日、東京四ツ谷で、「高田健さんの李泳禧賞受賞を祝う会」が、内田雅敏(弁護士)、岡本厚(岩波書店)、小田川義和(憲法共同センター)、 鎌田慧(さよなら原発1000万人アクション)、小森陽一(九条の会)、筑紫建彦(9条壊すな実行委員会)、富山洋子(日本消費者連盟)、福山真劫(1000人委員会)、福山洋子(弁護士)など、各界の呼びかけ人によって開かれ、さまざまな運動圏の人びと、許すな!憲法改悪・市民連絡会の会員、民主、共産、社民の各党の国会議員の皆さんなど、100名を超える人びとが参加しました。
司会は許すな!憲法改悪・市民連絡会の菱山南帆子さんがおこないました。
冒頭に開会の挨拶に立った戦争させない1000人委員会の福山真劫さんは「高田さんの李泳禧賞の受賞は韓国の民主運動のみなさんが日本の民衆運動を高く評価したものであり、共に闘った者として喜びに堪えない。高田さんの運動での特徴は、笑顔であり、運動への献身性だ。高田さんは長い間、さまざまな課題で運動に携わってきた。とりわけ昨年の戦争法案廃案、安倍打倒の闘いで、この運動は総がかり行動ですすめられた。これはわかりやすく言えば、旧総評系の運動と、全労連の運動、それに高田さんたちの中立系の市民運動、この3つによって担われた。高田さんはこの流れの統一が夢だった。法律は強行採決されたが、運動の内部には敗北感はない。それどころか、私は安倍政権の敗北が始まったと考えている。これからも高田さんと共に闘っていきたい」と力強く発言しました。
韓国のハンギョレ新聞東京支局のキル・ユンヒョンさんが李泳禧賞についての説明をおこないました。
李泳禧(リ・ヨンヒ)先生は、韓国の著名な元ジャーナリストで、後に学者となり、民主化運動のときには、若い人への影響力が大きく、獄中に入ったこともしばしばでした。数年前に亡くなりましたが、いまなお韓国の民衆運動圏から尊敬を受けている方です。この受賞は李泳禧先生を記念して設立された財団が設けた同賞の3回目の受賞で、昨年の安保法制に反対する運動など、高田さんをはじめ、日本の憲法改悪に反対するたたかいを評価しての受賞であり、日本人ははじめてです。
選評は以下のように述べています。
彼は1993年改憲に反対する市民運動を結成して以来、20年以上平和憲法を守って日本の右傾化を阻止するための闘争に献身してきました。
ノーベル文学賞受賞作家の大江健三郎などが中心となった九条の会事務局を導いて彼は今年の夏、安倍政権の集団的自衛権国会上程に反対する数十年来の大規模デモを引き出すなど、日本の安倍政権が推進している平和憲法の改正を阻止するための運動を組織して支えてきました。 彼のこのような努力は東アジアの歴史的真実と平和のために献身した リ・ヨンヒ精神に合致しています。
女性の憲法年前事務局の榎本陽子さんから花束贈呈がありました。
高田健さんから、挨拶がありました。(要旨別掲)
乾杯の挨拶は憲法共同センターの小田川義和さんがおこないました。小田川さんは総がかり行動実行委員会で高田さんと一緒に行動した経験を思い出しながら、挨拶しました。とくに9月19日未明の強行採決のあと、早朝国会正門前に駆けつけてくるであろう市民たちと一緒に抗議集会を開こうと提案し、実行したことは、高田さんが市民の皆さんの空気を良くつかんでいたことの証明でした、とのべた。
日本消費者連盟の富山洋子さんが、高田さんと一緒に活動した経過をふりかえりながら、熱く、お祝いの言葉を述べました。
つづいて岩波書店社長の岡本厚さんの挨拶がありました(要旨別掲)。
日本弁護士連合会憲法問題対策本部本部長代行の山岸良太弁護士も挨拶しました。
民主党の近藤昭一衆院議員、共産党の笠井亮衆院議員、社民党の吉田忠智党首などが挨拶しました。
解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会の街宣チームから、歌「オラシャヤーン」「私たちに力を」が披露されました。
閉会の言葉は日弁連憲法問題対策本部の福山洋子弁護士が行いました。福山さんは昨年の安保法制に反対する運動を振り返りながら、高田さんをはじめ、市民運動の皆さんと連携しながら運動を進めてきたことなどを語りました。
つどいは終始和やかに、かつこれからの運動の前進を共に担っていくという決意に満ちたものとなりました。
本日は、尊敬する運動圏の各界の皆さんに呼びかけて戴き、また日頃からお世話になり、あるいは行動を共にして頂いているたくさんの友人のみなさんにご出席頂いて、このような会を催して下さいましたことに対して、心から御礼申し上げます。
この度、韓国の民衆運動の父と讃えられる李泳禧先生の名称を冠した賞を頂きましたことは、私にとってとまどいを覚えるような、身に余る、大変名誉ある出来事になりました。
受賞した理由を知ってあらためて思います。この賞は、私と一緒に、憲法改悪に反対する活動をやってきたすべての仲間が頂いた賞であり、とりわけ2014年以来の政府の集団的自衛権に関する憲法解釈の変更と戦争法に反対し、総がかり行動実行委員会に結集して、2015年安保を闘ってきたすべての市民に対する韓国の運動圏の民衆からの心からの連帯の思いが込められているということです。東アジアと世界の平和を心から願う韓国の民衆の、日本の市民運動に対する激励の熱い気持ちが込められた賞であると思います。私はこれらすべての皆さんの「お使い」として、昨年12月3日、韓国を訪問し、受賞してきたのだと考えております。
ちょうどこのお話が飛び込んできました頃、実は私が所属しております九条の会がノーベル平和賞の候補にエントリーされたという話があり、万一受賞したなら、事務局員としてのコメントを準備するようにと、いくつかのメディアの皆さんからの連絡を受けておりました。私はかつて佐藤栄作元首相や、オバマ米国大統領が受賞したこともある平和賞の話を、若干、複雑な思いで受け止めておりました。幸か、不幸か、九条の会は受賞しませんでした。私は韓国で、今回、韓国の運動圏の皆さんから大変栄誉ある李泳禧賞を頂いたことは、ノーベル財団への失礼を顧みずにいえば、九条の会がノーベル平和賞を頂いたことよりもうれしいと申し上げました。本当にそう思います。
と言いますのは、私が関わってきた憲法改悪に反対する運動は、日本国憲法という課題の特性として、一国的な運動になりがちです。しかし、日本の平和憲法の破壊に反対する課題は、日本国憲法前文が示しているように、決して一国的な課題ではなく、世界の、東アジアジアの、とりわけお隣の韓国・朝鮮半島の民衆との連帯なしに成立しません。今回の受賞は改めて、私たちにこのことを確認させるものとなりました。
今回、李泳禧賞の受賞に際し、改めて李泳禧先生の日本語訳の著書を勉強致しました。
優れたジャーナリストであり、民衆の教師であり、活動家であった李泳禧先生の業績を知るにつれて、私は一人の大先輩を思い出しました。私の政治運動の師であり、2000年2月12日に72歳で亡くなったジャーナリスト、大学の教師でもあり、市民運動家であった山川暁夫という人です。山川先生をご記憶の方も少なくないと存じます。なんだか不思議なことに、李泳禧先生の写真を見ていると、山川暁夫先生の風貌にそっくりに見えてきます。
2015年安保闘争は道半ばであります。目前には、戦争法を廃止し、改憲を阻止する厳しい、長期の闘いが控えています。私はひきつづき皆さまともに、闘いの戦列の中にあり続けたいと思います。
最後に、本日は、会を企画し、あるいは受賞を祝って駆けつけて頂いた皆さまに心から御礼申し上げ、今後、一層のご指導・ご協力をお願いして、ご挨拶と致します。本日は、まことにありがとうございます。
高田健さん、李泳禧(リ・ヨンヒ)賞の受賞、まことにおめでとうございます。
私は、今回の高田さんの受賞は、高田さんお一人に贈られたのではなく、憲法9条や平和主義を守ろうと日々動いている日本の市民すべてに対して、韓国の市民社会から連帯の心を持って贈られたものだと考えております。
日本が憲法9条を維持し、平和主義を貫くことが、東アジア地域の平和と安定にとって決定的な意義を持つことを、東アジア各国の市民たちは認識しています。それは、20年前、30年前に、日本に対してかつての侵略者、軍国主義者のイメージしかもっていなかった東アジアの市民とは違うのです。
韓国と台湾が民主化を遂げた後、市民と市民が国境を超えて交流し、対話を繰り返し、そして共同で様々な活動を進めてきた一つの成果が、いま、ここに現れていると私は思います。9条は、日本国民だけでなく、東アジア市民共有の財産でもあるのです。(韓国では、9条にノーベル平和賞を送る運動があります)
私も、この20年ばかり、日韓市民(そしてあるときは中国も含めた)の国際シンポジウムなどを行い、交流を進めてきました。2012年夏、尖閣問題が焦点になったときは、それまでのネットワークを活かしながら、日本市民の声明を出し、それに対して、韓国の市民・知識人、台湾の市民・知識人、そして中国の市民・知識人の声が呼応してくれました。それぞれの政権の主張やナショナリズムとは一体とならない、市民の柔軟で冷静で平和的な声が、東アジアにたしかに育ちつつあるのです。高田さんも、そうした行動を行ったお一人です。
李泳禧先生には、私は3回ほどお目にかかりました。穏やかで、温かで、しかし鋭い目をした、ジャーナリスト、知識人でした。大変な勉強家で、新聞社に勤めていたとき、その図書室にある本をほとんどすべて読破したと伝えられます。ご承知のように、民主化運動の父と称され、何回も投獄されました。
80年代の終わりに、何人かの韓国知識人が禁じられた地である北朝鮮に渡りました。牧師の文益煥(ムン・イクファン)師、作家の黄晳暎(ファン・ソギョン)氏らです。彼らは韓国に帰国して拘束されますが、韓国の民主化運動が国内の民主化と同時に民族の統一を目指していたことから、ある意味当然の行動でした。その南北の仲介をしたのが、日本人でありました。詳しくは申しませんが、岩波書店の『世界』の編集長をしていた安江良介氏が、その仲介役でした。南の知識人からも、北の政権からも信頼されていたことで、この役割を果たせたのです。
実は、李泳禧先生も、そのとき、北に渡ることを計画していたのです。残念ながら、その計画は実現せず、彼は訪北の前に拘束されてしまうのですが、そのときの仲介も、安江氏であったということです。(そのとき、当局に安江氏の名前が明らかになってしまったということで、先生は私が90年代の初めに訪韓し、最初に会ったとき、しきりに恐縮し、詫びておられました)
韓国の民主化(軍政への非常に厳しい闘いでした)に対する日本の市民社会の支援、連帯、それが韓国の人々の日本へのイメージを大きく変えたのです。私が出会った、知識人たちは口をそろえてそう語っていました。「はじめて日本人を信じる気になった」と。
それ以来、民主主義と平和を求める市民が、出会い始め、お互いに信頼を寄せ合うことになったのです。その底流は、当時から途切れることなく、いまも両国市民をつないでいると信じます。それは、日本における嫌韓流や安倍政治とも真っ向から対立するものでありますし、強権を強めている朴クネ政治とも真っ向から対立するものだと思います。
平和を求める東アジアの市民にとって、現在は厳しい冬の時代です。中国では、言論統制、市民の活動への規制が強まっていますし、北朝鮮は核兵器を年々高度化しているようです。日韓の政治状況も排外的な社会の雰囲気も思わしいものではありません。しかし、それとは違う市民の流れがたしかに存在します。国境を越え、ともに手を携えて、現在とは違う東アジアの道を開いていきたいと思います。
高田さんの李泳禧賞受賞は、その流れの存在を明らかに示した画期的なものと思います。
(土井とみえ)
岩波新書 定価780円+税
私が「オール沖縄」という言葉を実感したのは2013年1月27日、日比谷野外音楽堂で開催された「NO OSPREY東京集会」だった。12年9月に95,000人の県民集会を開き、その実行委員会が上京団を派遣して開催した集会。全41市町村の首長、市町村議会議長、超党派の県議、県議会議長、連合沖縄会長、婦人連合会長、商工会連合会長等が一堂に会し、オスプレイ配備撤回・普天間基地早期閉鎖・返還、辺野古新基地建設反対を訴えた。沖縄現地についての情報はマスコミで多少は得ていたが、目の当たりにする「オール沖縄」の決起に衝撃に近いものを感じた。集会後の銀座デモで右翼勢力が浴びせた汚い罵声の数々と共に、今なお忘じ難い。
戦争法反対の運動が総がかり運動実行委員会に収斂したのにはこのような沖縄の動きに後押しされた面が少なくないと思う。どうして沖縄でこのような広範な連帯が可能になったのか、どのような努力の積み重ねがあったのか、市民連絡会の前共同代表である著者が解き明かしてくれる。
「米国の占領政策は天皇制の利用、日本の非武装化、沖縄の分離軍事支配という3点セットを基本として出発した。その後の国際情勢の変化の中で、『日本の非武装化』は、『目下の同盟国化』へと変化したが、基本的枠組みは変わらなかった」この枠組みは「対米従属的日米関係の矛盾を沖縄にしわ寄せすることによって日米関係(日米同盟)を安定化させる仕組み」すなわち「構造的沖縄差別」であり、サンフランシスコ体制、60年安保条約、72年沖縄返還後も維持され続けた。
何よりも60年安保闘争自体が、共同防衛地域包含論をめぐる議論に明らかなように、沖縄が新しい安保体制の中でどのような役割を担わされようとしているのかについては、まったく関心がなかった。日本、韓国、台湾などの地上兵力を強化して極東防衛の前面に立て、その背後に米海空軍を配置するという当時の米極東戦略により、52年の段階で8対1の比率だった米軍基地は60年には1対1になった。本土の基地が4分の1に減り、沖縄の基地が2倍に増えたからである。
72年の沖縄返還を機に、在日米軍の再編統合が行われ、本土の基地が約3分の1に減り、沖縄の基地はほとんど減らなかったので国土面積の0.6%の沖縄に、在日米軍基地(専用施設)の約75%が集中するという状況が生み出された。
89~90年「慰霊の日」休日廃止反対運動が一坪反戦地主会、キリスト者、一フィート運動の会、沖縄県遺族連合会によって取り組まれ、地方自治法の改正を実現する。沖縄戦を風化させない運動。
「1995年、米兵の凶悪犯罪をきっかけにして爆発した米軍基地の整理縮小、日米地位協定の改定要求は、沖縄の民衆が構造的沖縄差別を可視化し始めたことを意味していた」。以降の一連の日米政府の振舞が「オール沖縄」への動きを醸成した。
95年、地位協定見直し要求(一蹴される)と米軍基地強制使用に対する非協力宣言としての大田知事の代理署名拒否。10月「米軍人による少女暴行事件を糾弾し日米地位協定の見直しを要求する沖縄県民総決起大会」85,000人。
96年4月12日、橋本首相SACO中間報告発表直前、普天間基地全面返還合意を発表。4月17日クリントン・橋本会談「日米安保共同宣言(安保再定義)」米軍の後方支援など日本の軍事的役割を飛躍的に増大させる日米軍事協力強化。9月8日、日米地位協定見直しと基地の整理縮小に関する県民投票、賛成89%。
1997年名護市民投票で52.86%が海上基地建設反対。
2004年8月、米軍ヘリ沖縄国際大学に墜落。
2007年9月29日、教科書検定意見撤回を求める集会11万人。全41市町村議会意見書採択。
2009年、民主党鳩山政権発足。普天間移設先は「国外、最低でも県外」
2010年4月25日「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外への移設を求める県民大会」9万人。
そして冒頭のオスプレイ配備反対の運動。13年12月、仲井間知事による裏切り的辺野古埋め立て承認。2014年は名護市長選、名護市議選、沖縄県知事選、那覇市長選、那覇市議補選、衆議院選の一連の選挙で「元自民党の一部から共産党までが辺野古新基地建設反対を掲げて、政府自民党と闘うという、恐らく日本の戦後史に先例を見ない共闘体制で闘われ」勝利した。翁長知事誕生に至る経過は決して平坦なものではなかった。「歴史的に例を見ない幅広い『オール沖縄』体制は、保守の分裂と革新的党派の衰退と、さまざまな市民・住民運動の担い手たちの自立的活動を前提として形成されたとも言える」
「安保法制(戦争法案)反対の運動は60年安保闘争、70年安保闘争を越えられるだろうか。それは、次期国政選挙に至る過程での辺野古新基地建設阻止闘争の広がりにかかっているように思われる。-略-辺野古新基地建設が阻止できるか否かは、沖縄のみならず、日本の、そして世界の、少なくとも東アジアの将来を左右する」と展望している。
(池上 仁)
お話:加藤 裕さん (沖縄県憲法普及協議会事務局長 弁護士)
(編集部註)1月16日の講座で加藤裕さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
私自身は岡山県出身の内地の人間です。弁護士として沖縄で仕事をしようと、1992年に沖縄弁護士会に弁護士登録をして24年くらいになります。普天間基地の爆音訴訟とかいろいろな基地の裁判に関わってきました。辺野古の関係も、2004年に海上基地のボーリング調査が始まったときの差し止めの裁判をやりました。あれは海上基地がいまのV字型の沿岸案に変わったものですから、途中で裁判を取り下げました。辺野古の環境アセスメントが違法だという裁判もやりました。いまは辺野古で仲井真前知事の2013年12月埋め立て承認に対して、埋め立て承認を取り消せという裁判を住民の側に立って県を相手に訴えてきました。いま代執行の裁判が始まっていて、途中からいきなり私も弁護団に投入されました。今もこの裁判は続いてはいます。
この裁判は今非常に面白いことになっています。もともとは県の顧問弁護士とか県の職員が代理人として出るわけですが、ああいう裁判は国の役人が県の代理人として追加してやって来るんです。これは法律があって、国に利害関係のある訴訟が地方自治体について起こった場合に、地方自治体の代理人として国の役人が入って裁判を遂行していくことができるんですね。ですから最初の段階では県の弁護士・県の職員と、国の法務省や防衛省の役人たち、訟務検事といわれる裁判官、検察官出身の法律家たちがあちら側に座って県の主張をしていたわけです。
ところが途中で県政が替わった。そうすると前の県の顧問の弁護士はやめざるを得ない。それでいまの顧問の弁護団に入れ替わったわけですが、国は立場はなくなりますね。仲井真知事と一緒に辺野古の埋め立ては適法だといって裁判をやっていたけれども、翁長知事がこれはけしからんということになったわけです。今の裁判で県は、埋め立て承認には間違いがあった、という主張に変わりました。国の代理人はその場にいるわけにはいかずに、翁長知事が当選した直後にごっそり抜けてしまいました。どうしたかというと、訴訟参加といって原告と被告以外に利害関係のある第3者が裁判に参加を申し出ることができます。それまで県の代理人としてやってきた国の連中が、おれたちは国だといって訴訟参加をして、今は3者で裁判をやっています。これは今も続いています。
それとは別に今起こっている国と県、翁長知事と政府の間の裁判が進んでいます。これは、仲井真県政から翁長県政に替わって、県の顧問弁護士も替わって、新しい県の顧問弁護団が裁判の準備とかいろいろ法的な対応をしてきました。その中で私たち辺野古の住民側の弁護団は、県と県民の利害が一緒になったから住民側の弁護団も県の弁護団に入れろということを、何か月も前からずっと言い続けたんです。県の側は、そうは言っても一応県と住民のあいだの裁判で、原告・被告席に座っている相手方ですから、簡単にあっちに行くというわけにはいかないんですね。これは、弁護士の倫理として普通はダメなんです。みなさんが依頼した弁護士が、「実は今日から相手方の代理人になりました、ごめんなさい」というわけにはいかないですよね。これは本来対立している中ではできないけれども、私たちとしては、住民と県は同じ立場だから、われわれも弁護団に入れろと言っていました。県の側は、それはちょっと容易にはいかないんじゃないかと判断していました。そして県の顧問弁護団プラスα、5人で裁判の準備をしていたんですが、11月17日に代執行の裁判が提訴されて12月2日が第1回の口頭弁論でした。この代執行という裁判はめちゃくちゃな裁判です。提訴して15日以内に第1回の裁判を開け、そして第1回の裁判までに全部の主張や証拠を提出しなければあとは受けつけませんというルールなんですね。選挙で100日裁判というものがあります。選挙の裁判は100日以内に済ませろ。こういう公益性が高くて緊急性があるものは、裁判所のルールで迅速に進めることがあります。この代執行の裁判もそういうルールがあるものですから、裁判が提訴されてから何日か経って私のところに依頼がありまして、「追加で入ってくれんか」と。今までの話はどうなのと聞いたら住民の弁護団を辞めてくれればいいからということで、私は住民の弁護団を辞任して、急遽途中から県の弁護団に入ることになりました。
この代執行の訴訟は国が地方自治体に対して、その地方自治体がやっている事務が違法だから是正しろという、国が自治体に命令する裁判です。これは非常に特殊で過去数例しかありません。有名なのが大田知事の代理署名の裁判で1995年です。少女暴行事件があって、そのあと大田知事が反戦地主の土地強制使用の手続きへの協力を拒否した。それが違法だといって、国が大田知事を訴えた裁判です。これも職務執行命令訴訟といって、今と同じような手続きで行われました。大田知事の弁護団に私も入っていました。いま県の弁護団の松永弁護士もそのときの弁護団で、翁長知事の弁護団は7人ですが、わたしと松永弁護士は20年前と同じことをやっています。その事を思うと、やっぱり「20年前にどういう主張をしたんかな」と、当時のことを引っ張り出してみるわけです。結局最高裁で負けて強制使用されました。あのあと普天間基地返還がいったん合意されました。代理署名の訴訟が1995年12月で、1996年4月に橋本―モンデール会談で県民の怒りを収めようと普天間基地の返還を合意するわけです。それから20年、大田知事の代理署名の時に私たちが主張した沖縄の基地の過重負担、そして人権が脅かされている事件・事故、これをなんとかしてくれと今も同じことをいっています。まったく変わらないんですね。結局あの事件をきっかけに普天間基地を返すといったくせに20年返さずに、米軍基地の負担もまったく軽減されない。そしてまた同じように国が地方自治体の異議申し立ても押しつぶそうとしている。本当に沖縄のたたかいというのは、なかなか長いたたかい、大変なたたかいになっているなということをあらためて感じました。
ただ20年前と今とは、だいぶ違うと思っています。20年前の大田知事の代理署名裁判、あれは県民8万5千人の大集会をやって県民が一致してがんばった。けれども、大田知事は8、9ヶ月後くらいに最高裁で敗訴判決を受けました。その後大田知事はたたかう手段を失った。そして、どうやって政府側と交渉するかを模索するようになっていきます。たたかう術を失っていったわけです。
それに伴って県民も、当時有名になった言葉で「チルダイ現象」というのがありまして、身体がだるい、力が抜けたという脱力現象です。いままで知事を支えて県民一体となってがんばったのに大田知事がたたかいの術を失って、県民のたたかいも急速にしぼんでいった。それにはひとつ要因がありました。ある意味で大田知事のたたかいに寄りかかった運動だった。もちろん復帰後、あのように県民の怒りが盛り上がってひとつになったのは初めてですから、それは大きかったとは思います。けれども県民の側で、知事だけにがんばらせるだけではなくて、自分達ががんばろう団結しようという力がまだまだ弱かったと思います。あの当時大田知事を支える大学人のみなさんとか一所懸命がんばったけれども、大田知事がこけたらみんなやる気をなくしてしまった。しかし20年後、同じことをやっているようで、翁長知事を誕生させた力があるんですね。20年前の大田知事は保革のたたかいで、当時沖縄は保革伯仲でしたからその中で勝った。今回は翁長知事の誕生からして、県民がたたかって団結して誕生させていった。だから知事に寄りかかるのではなくて知事にも当然がんばってもらう、あらゆる手段を使ってたたかう、けれども知事をつくったたたかいの力がこの運動を支えている。だから20年前と違ってそう簡単なことでは折れない。やっぱり前進するたたかいになっていると私も今思っているところです。その上で、たたかいの現状、いろいろと起こっている裁判、翁長知事がした公有水面埋め立て取り消しの主張とは何か、この間の政府の行為がいかに法の支配――法治主義を踏みにじっているのか、そういうことをお話しして、たたかいの展望もお話をしていければと思っています。
辺野古は、現在2014年7月着工で始まりました。これは2013年12月に仲井真前知事が埋め立てを承認することによって、法律的には埋め立てが可能になった。それにもとづいて国の側は埋め立ての準備を始め、半年後に着工になりました。しかし着工とはいっても、今までやっている工事はなんなのかということです。ひとつは、陸上部ではもともとキャンプシュワブという海兵隊基地の兵舎が滑走路予定地にたくさんあったので、この兵舎を取り壊したり移設したりする陸上部の工事です。それから海上では埋め立ての実施設計をするためのボーリング調査をやる。海底に何本も穴を開けて土を掘って岩盤の強度を調べる作業があります。このボーリング調査は絶対にやらないといけないわけです。実際にどれくらいの地盤の強さがあるのかがわからないと、どういう施工をするかもわからない。このボーリング調査と陸上部の調査が始まりました。
昨年10月には、ついに本体工事着手という報道がなされました。本体工事というと、海に土砂を入れたりコンクリートの護岸をつくる作業のように思われるかもしれません。そうではなくて陸上部の整地というような作業をやっている段階ですから、まだ海は無傷とは言えないけれども汚されていない段階にとどまっています。いまも海上ボーリング調査が進んでいます。大浦湾の北側の、水深が30メートル以上ある深いところの海上ボーリング調査があと2本の残っているといわれています。大きなやぐらの船が止まっているところを見たことがあります。あれでボーリング調査をやって、一応今年度までの契約のようです。こうして着々と進んでいる。国の側はどうにかして既成事実を積み重ねたいわけです。積み重ねれば積み重ねるほど、反対している運動の側にもあきらめが出てきます。もう反対してもしょうがない、止められない、じゃあ次の手に移るかという話になってくるわけですから、あきらめさせるために工事を強行するのが今の政府の姿勢です。しかし現実には政府の思惑通りに工事は進んでいないのが実情です。
このボーリング調査も、一昨年の11月までに終わる予定だった。数ヶ月で終わる予定だったものが、1年半近くずれ込んでいます。それは翁長知事が当選しただけではありません。去年、集中協議期間なるものを政府が設けて、知事が取り消しをする前に1か月間話し合いをしましょうなんて政府側がいいました。ああいうポーズを示したり、選挙があると選挙の前は工事を止めるわけです。一昨年の知事選挙の直前、衆議院選挙直前も工事を止めた。いまも宜野湾市長選挙が明日告示ですから、海上での作業なども目立たないようにしています。こういった反対運動、政治的な局面、それから技術的な問題、いろいろな事情でこの工事はずれ込んできています。ずれ込めばずれ込むほど私たちのたたかいの展望は開けるだろうと思います。この工期は、埋め立てから滑走路建設まで含めて5年で計画しています。去年10月に本体工事に着工したのであれば2020年中には完成するはずですが、今の状況からしてもおよそ無理な状態です。これからもいろいろなことが起きるだろうと思います。
埋め立て工事は普通みなさんがご覧になっている工事とはだいぶ様相が違います。大浦湾は深いところは30メートルを超える水深があります。だいたい埋め立てというのは、浅瀬を埋め立てるものですよね。いま那覇空港の第2滑走路の埋め立て工事が始まっています。那覇空港から2、3キロ先くらいまでは干潮になると歩いて行けるようなところです。那覇空港の第2滑走路の埋め立てに使用する土砂の量と、辺野古の埋め立てに使う土砂の量は10倍違います。那覇空港の第2滑走路10本くらいの土砂を使うわけです。2100万立方メートルの土砂を使うと計画ではなっています。
「2100万立方メートルっていくらね?」ということですが、東京ドーム何個分と聞いてもピンとこないんですよね。2100万というのは、10トンダンプが1回で6立方メートルくらいですから350万台です。5年で350万台のダンプに相当する土砂を埋め立てに投入するわけです。もちろん大部分の1700万立方メートルくらいは今現地でも反対運動が起こっている奄美、天草、北九州、瀬戸内、鹿児島といった県外から土砂運搬船で運んで、海を経由して投入するということですから、ダンプで運んでくるわけではありません。でもこの土砂運搬船も、普通のサイズだったらダンプ50台から100台分くらいです。そうすると土砂を山盛りに積んだ船がタグボートに引っ張られてくるのが3万隻とか5万隻です。それを毎日毎日辺野古に県外からやってきて土砂を投入するとなったら、1日何十隻もどかどかどかどかと投入しなければいけない。これが本土からですから、片道何日もかかる。土砂運搬船をそれだけチャーターできるのかという問題もあります。これだけの大規模工事をやるわけですから難工事なんです。ですから私たちはこの工事を少しずつでも止めていく中で、たたかいの勝機を掴んでいくことが必要になっています。
たたかいの現場ですが、僕も県の弁護団に入ってから現場に行けなくなりました。現場に行ってもひとり分ですが、書面を書くのは弁護士しかできない仕事ですからそこで貢献しようと思ってがんばっているんですが、連日早朝7時前後に工事用のトラックなどがキャンプシュワブに進入します。そこで毎朝座り込みをしています。そして毎朝ごぼう抜きされています。早朝の辺野古ですから、泊まらなければ朝5時くらいに那覇を出ないと行けないので、そんなに簡単に行けない。何10人かだとごぼう抜きされて突破されてしまう。だけど300人とか400人いると突破できないんですね。だから数百人の行動でその日の搬入を止められる。毎週水曜日には県内の議員団、県議や市町村議をはじめとした、運動団体も含めて必ずこの毎週の水曜行動をしようということで動員をしています。この日は人数が多くなりますので、1日搬入を止めることも可能になっています。こういうたたかいを少しずつやって、どちらが最後まで粘るかというたたかいをしています。
東京から機動隊が投入されています。年末には帰って、また来てしまいました。これについても東京の弁護士会は、東京都とは関係ないことにお金を使うことになるので住民訴訟の対象ではないかということで確認すると、国が金を出しているんですね。東京都の予算でそんなことはできないわけですから、国費を使って、警視庁の機動隊を100人単位で投入して市民運動を弾圧しています。いま何人も逮捕される方、起訴される方も出ています。機動隊は殴られた、蹴られたといって逮捕するわけですが、それは向こうが勝手に言っているようなもので、弾圧のための逮捕も繰り返されている現状もあります。
裁判ですが、沖縄の新聞でも正確に把握しきれないくらいいろいろなことが起こっています。今たたかっている裁判を概観すると、レジメに「ア 沖縄防衛局:岩礁破砕許可にかかる工事停止指示に対する農水大臣への行政不服審査法に基づく審査請求と執行停止決定、イ 沖縄防衛局:承認取消処分に対する国交大臣への行政不服審査法に基づく審査請求と執行停止、ウ 翁長知事:イに対する国地方係争処理委員会への審査申出と却下、エ 国土交通大臣:承認取消処分取消を求める代執行訴訟(福岡高裁那覇支部)、オ 翁長知事:イに対する抗告訴訟と執行停止申立の提起(那覇地裁)、カ 県民:仲井真前知事の承認処分に対する取消訴訟、イに対する抗告訴訟と執行停止申立の提起」と書きました。先ほど申し上げた県民が仲井真知事の承認処分を取り消せという裁判は、「カ 仲井真前知事の承認処分に対する取消訴訟」としてたたかっています。知事も国が強権的にやるものについて、県の権限として持てるあらゆる手段を使ってたたかう決意で臨んでいます。
ひとつめの「ア」は、去年3月のことです。岩礁破砕許可という手続きがあります。これは水産資源保護法という法律で、水産資源保護のために海の中の岩だとか海底だとか、そういったものを壊したり変更したりするときは、都道府県に管理権限をゆだねてその許可を取らせるとなっています。沖縄県はこの法律に基づいて漁業規則を作って、その漁業規則で岩礁破砕の許可申請があれば、許可するかしないかを判断します。公共事業をやるときに、公有水面埋め立て許可だけではなくていろいろなことについて行政的な取り締まりの法律がありますから、いちいち許可を取らなければいけないわけです。
国側は海の中で埋め立てをするときに岩礁破砕許可も取らなければいけない。これを仲井真知事は許可しましたが、許可対象外と思われる最大45トンの大きさのコンクリートブロックを海の中に投下している。これは許可範囲外ではないかと、翁長知事が調査するからその間工事を止めるように防衛局に指示しました。45トンのコンクリートブロックというのは、3メートル×3メートルくらいの巨大なもので、これが岩場の珊瑚を踏みつぶしている、これを是正しろという指示をしました。これにすかさず防衛局側が農水大臣に対して、行政不服審査法に基づく審査請求をした。知事の指示は違法だ。本来許可がいらないコンクリートブロック投下について、許可がいる行為ではないかといって工事停止指示をしたのはおかしいと申し立てた。この水産資源保護法はもともとの法律の所管大臣は農水大臣ですので、農水大臣が所管する事務に都道府県で違法な行為があった場合には、農水大臣が是正する権限が一定程度与えられています。
行政不服審査法について解説します。行政機関が市民に対して何らかの処分を行ったときに、不服の申し立てをどのように手続きするのが原則でしょうか。通常は裁判です。何らかの行政処分を受けた。例えば飲食店で営業停止の処分を受けた。でもこの営業停止処分はおかしいと考えたら、本来は裁判所に申し立てて権利の回復を求めることになります。しかし行政処分で国民の権利が侵害された場合に全部裁判所に救済を求めなければならないとなれば、国民の権利救済は非常に大変なことになりますね。ですから行政不服審査法という法律ができて、この法律によって裁判所での救済よりも簡単・迅速に、行政機関内部の不服手続きで救済しようという制度ができています。ですから行政処分については行政不服審査法によってほかの、典型的には上級官庁に審査を請求してそこで是正してもらう、もしくは裁判で是正してもらうという手段があるわけです。
この行政不服審査法の手続きを沖縄防衛局は利用したわけです。行政不服審査法というのは、行政自身の誤りだから行政が救済しようという手続きとして制定された法律で、その法律の1条にも国民の権利の簡易迅速な救済が目的だと明記されています。沖縄防衛局は、私たちも事業者、私人だといって申し立てをした。どういうことかというと、たとえば電力会社が発電所をつくるとか、工場を建てるために埋め立てをさせて下さいということもあります。沖縄防衛局はいま埋め立て事業をやっているけれども、これは一般の民間業者と同じ立場にあり、それができなくなったので行政側に救済を求めたというのが理屈です。
でも出来レースですよね。だって防衛局が国策として辺野古の移設をやっているのに、県知事に妨害されたといって申し立てしたら、農水大臣、この場合は水産庁の側が「いやいや知事のいっていることは正しい、あなたがやっていることは違法だからやめなさい。あなたの申し立ては受けつけません」というはずがありませんよ。水産庁と防衛省はどちらが強いですか。申し訳ないけれども明らかです。国策として内閣をあげてやっている事業で、自分達で県知事が許可権限を持っているものを取り上げるような審査請求をした。農水大臣は、すぐ岩礁破砕許可の指示停止に対して執行停止という命令を出し、決定しました。執行停止とは、行政庁がこの申し立てについて最終的に判断する前に、暫定的にもとの処分の効力を止めましょうということです。審査が終わるまで待っていたら被害が拡大するかもしれないからいったんその行政処分を仮に止める、これが執行停止です。岩礁破砕は違法ですからやめなさいと知事がいったことを執行停止にすることは、続けていいでということです。続けていいというお墨付きを農水大臣からもらって、同じようにコンクリートブロック投下を継続しているわけです。
仮の処分ですから、最終的には農水大臣が岩礁破砕の許可の取り消しに関する指示について、知事の判断が正しかったかどうかを判断しなければいけない。これは申し立てされてからもう1年近く経ちますが塩漬け状態です。農水大臣は恐らく判断しない。放置して埋め立てが完成したころに、沖縄防衛局がもういりませんから取り下げますと言うでしょう。農水大臣は防衛局からこんなことを求められて、最終的に採決するのが怖いんですよ。岩礁破砕の許可をどういう基準でやるかということは、もともと都道府県にゆだねています。なぜかというと、地域によって水産資源の保護のあり方は違うんですね。海の状況も違います。ですからそれぞれがそれぞれの判断基準で岩礁破砕について判断するのがルールです。これを水産庁の側が上からがんとやるわけにはなかなかいかない。ですから執行停止という決定をかすめ取って、事実上工事をやり抜くというのがいまの向こうのやり方です。
これと同じことをやったのが「イ」です。岩礁破砕は本体部分ではありません。翁長知事は昨年9月の段階で埋め立て承認を取り消す判断をして、10月には取り消し決定をした。公有水面埋め立て法という法律を所管する大臣は国土交通大臣です。公有水面埋め立ての免許を与える権限は法律で都道府県知事にゆだねられています。しかし都道府県知事の処分に過ちがある場合には、事業者の側は裁判を起こすことも、行政不服審査請求をすることもできる。審判は国土交通大臣です。ですから同じことを沖縄防衛局はやったわけです。そして国土交通大臣は10月27日、もうあっという間に翁長知事の承認取消処分は違法だ、だからこの処分の執行停止をするという決定をしました。
翁長知事が取消処分をしたらすぐに効力を発効することになっていますが、その取消処分をして国交大臣が執行停止決定をするまで約10日間あります。この10日間は法律上工事ができないので工事はしませんでしたが、国交大臣が執行停止決定をすると翁長知事の処分が宙に浮いてしまうので、前の仲井真知事の処分が生きているということで工事を再開することになるわけです。
これも先ほどと同じです。国交大臣と沖縄防衛局は違う判断をするはずがない。昨年10月27日に執行停止を決定しました。同じ日に――閣議了解、内閣で閣議をして、この辺野古事業のために知事を相手にいまやっている代執行の裁判を起こすことを決定しました。知事のやっていることは違法だから、それを是正するために裁判所に救済を求めて裁判を起こすことを、内閣をあげて決定しました。防衛相も国交相も入っている閣議です。そういうことをやりながら、国交大臣が、私たちは裁判官です、防衛局のいっていることは正しいから知事がやっていること止めますというのは、これは詐欺以外のなにものでもない。国はそういうことを平気やっています。
国交大臣は、翁長知事の承認取り消しが違法だから執行停止だといいました。一方で、知事の処分を取り消せという裁判を起こしました。行政不服審査法の手続きが法律上認められる手続きであれば、国交大臣は執行停止という仮の決定だけではなくて、裁判でいえば判決に相当する採決という最終結論を出すことはもうできる状態になっているはずです。国交大臣が翁長知事の取消処分は違法だ、これを取り消すという採決をしてしまったあとに、知事はどうするのかというのは法律的手段として難しい問題が生じてくるんですが、いま行われている代執行の裁判でも裁判所からどう言われているか。原告は国交大臣ですね、あなた方は翁長知事の処分取り消しが違法だということで裁判を起こしたんでしょう。でも他方では執行停止決定もやっているでしょう。その行政不服審査の結論を出さないんですか。自分で出せばいいじゃないですか、どうして出さないんですかということを聞いているわけです。
それに対して国の側はどう言っているか。「国民の司法に対する信頼を踏まえて、司法の判断にゆだねることが適当だと判断したからです」と言う。よく言うなと思うんですけれども、突っ込みどころ満載ですよね。「国民の司法に対する信頼を踏まえて」、要するに最高裁は自分達の味方だ、だから最高裁でお墨付きをもらおうということだけれども、じゃあ国交大臣は自分で採決することが後ろめたいんですかという話になってくるわけです。国民の行政に対する信頼が薄いから、信頼の厚い司法に頼むんですか。まさに自分達でやった手続きを貶めるようなことを平気で言っておきながら、「裁判所でお墨付きを」ということをやるわけです。
何でこんなことをやっているんでしょうか。実はこの代執行という裁判は国が地方自治体を訴えて、地方自治体の行為を是正する手続きです。迅速に手続きはできるけれども、執行停止とか仮の措置とかそういった手続きはないんです。普通はわれわれが民事で裁判をやるときに、例えば誰かからお金を回収しようとするときには資産隠しをされるかもしれないですね。そのときに、資産隠しをされる前に仮差し押さえで財産を押さえてしまいます。そしてゆっくり裁判をして、裁判に勝ったら仮差し押さえしている財産から回収するという手続きをします。そういうふうに仮の手続きというのはいろいろな法制度で認められています。行政不服審査法でも、仮の手続きとしての執行停止というものがある。
しかし国が地方自治体を訴えるときに仮の手続きというのは法律上、地方自治法にはないんです。なぜでしょうか。これは地方分権の中で、いまの地方自治法が改正されて、国と地方自治体は対等な関係、対等な法主体です。地方自治体がやっていることが違法だといって、最終的な結論も出ないのに仮の手続きで地方自治体の行為を止めるというのは、これは国の権限としてやり過ぎ、地方の主体性を損なうものです。地方自治法上そういう手続きは認められていません。ですから国はこっそりと、沖縄防衛局は私人です、民間事業者ですという顔をして行政不服審査法という国民の権利救済手続きを使って翁長知事の処分を凍結する。あとは工事はやりたい放題ということをやりながら代執行をやる。こういう手続きにいまなっているわけです。これが「イ」です。いま「イ」の話をしながら「エ」の話までしました。結局行政機関に救済を求める手続きを防衛局はやろうとしました。これが「イ」です。
それから「エ」。本来ならば沖縄防衛局がやっている行為は国の行為だから、国と地方自治体との争いなんですね。国と地方自治体との争いでは、法定受託事務という本来国の事務を地方にゆだねている事務に関して地方に違法行為があった場合には、国が地方自治法上の代執行という訴訟をやって、地方自治体の違法行為を是正する手続きが本来の手続きとしてあります。だから所管大臣である国土交通大臣が、知事の取消処分を本来は取り消せないのに取り消したという違法があるということで、代執行の裁判を起こしてきたわけです。「イ」と「エ」というのは裏腹な関係があるわけですね。私達は、本来法律的に見れば「ア」や「イ」という手続きは防衛局とか国の機関がやってはいけない手続き、やるのであれば「エ」の手続きでしかあり得ないと考えています。けれども、執行停止をかすめ取るために「ア」や「イ」の手続きをやっているのが国のやり方です。この「ア」や「イ」の行政不服審査手続きでの執行停止は、私達から見れば、国が出来レースで、本来適用されるべきではない手続きなのに適法だと言って執行停止決定を行ったことは、地方自治を侵害する違法なものだと考えています。
このような国と地方自治体との紛争に関して、裁判とは別に地方自治法に第3者機関というものが設置されていまして、そこで地方自治体が国の措置に不服がある場合には申し立てをして審査してもらい、そして勧告等をしてもらうことができるわけです。これが国地方係争処理委員会という仕組みです。国が地方自治体にいろいろな違法行為の是正措置を求めた、それに不満がある場合は地方自治体がそこに申し立てができます。ここは学識経験者などで形成する第3者委員会で地方自治体の申し立てに基づいて検討することになります。「イ」の手続きに対して、本来やってはいけない手続きをやったのは違法だから止めろという申し立てを翁長知事側はしました。それは去年12月に却下されました。
この却下自体が不当だということで裁判をすることも翁長知事は判断しました。昨日くらいの報道です。弁護団の内部でもどうするか議論があったんですが、県の方では使える手段は何でも使う、不服申し立てができるのであればどんなものでも使って訴えていくのがいまの県政だという立場で、この却下の決定に対しても訴訟を起こす決断をされたようです。私達もこれから準備しなければいけない。年末に却下決定が出て、1月4日に届きましたので、30日以内に裁判を越さなければいけません。訴状を書くのはこれからです。やっぱり、この行政不服審査法を使うのはいかにもおかしいだろう。あなたは国民じゃなくて国なんだから使っちゃダメでしょうということをいう必要があると思います。
県が関わっている裁判は、代執行が1件目、2件目が「オ」の手続きです。これはさきほどの「イ」、国土交通大臣の承認取消処分に対する審査請求への執行停止決定がやはり本来違法な手続きだということで、これをダイレクトに取消を求める行政訴訟を年末に提訴しました。これは那覇地方裁判所で審議される見込みでが、年末に提訴したのでいつ期日が入るか調整がついていない段階です。このように知事の承認取消処分を軸に、国がその効力をいろいろな手段でどうにかして止めようとしていることに対して対抗してたたかっている現状にあります。
翁長知事が承認取り消しをして、辺野古に基地をつくらせない理由はなにか。仲井真前知事の埋め立て承認処分のどういう判断が間違っているのかについて触れます。大きくいえば米軍基地の過重な負担があるにもかかわらず、また新たにつくることの不当性、これがひとつです。もうひとつは、なぜ本当に豊かな自然環境がある辺野古大浦湾につくるのか。基地負担と環境、このふたつです。これを公有水面埋立法の埋め立てを認める要件に当てはめるとどうなるか。
公有水面埋立法は、埋め立てをする事業者が免許や承認を求めるときに、知事は一定の要件を満たしたものでなければ免許を与えてはならないとなっています。そのメインの要件は、埋め立てが「国土利用上適正且つ合理的」と言えるかどうかを審査しなければいけないとされています。「適正且つ合理的と言えるかどうか」について、典型的な場合について国土交通省のマニュアルにも書いてあります。例えば豊かな景勝地や自然公園に工場を建てるために埋め立てをすることは認められないとか、沿岸に住宅地区があるのにそのそばに大量の排気ガスを出す工場の建築のようなものはダメですとか、国土利用上その土地利用が適正に利用できるのかという観点から判断しなさいというのが1号という要件です。2号の要件は、環境保全や災害防止に十分配慮した埋め立てであるかどうかということで、この1号と2号が大きな問題になります。
「国土利用上適正且つ合理的」というところで政府のいっていることは、普天間基地の危険性の除去は一刻も早くなさなければならず、それをするのは辺野古が唯一ということです。本当にそうなのかというところですよね。沖縄の過重な基地負担、これを軽減すると政府は言っています。しかし翁長知事はずっと言っています。仮に移設が成功したとしても、全国の米軍専用施設の73.8%が沖縄にあり、これが辺野古に移設すると73.1%になる。1%も変わらない。面積だけでいってもそうです。しかも埋め立てをしてしまうと、30メートル以上の深さのところも護岸をつくって埋め立てる。耐用年数200年と言われています。いったんこの基地ができると、未来永劫沖縄は米軍基地のもとにあることになってしまいます。このようなことが許されるのかということです。
政府は辺野古が唯一、とずっと言っています。ではなぜ海兵隊がずっと沖縄にいなければいけないのか。とくに普天間基地は海兵隊の航空部隊で、しかもヘリ部隊ですね。海兵隊の輸送部隊であるヘリ部隊がなぜ沖縄にいなければいけないのか、なぜ辺野古なのかについて、国は裁判でも大きく3つ言っています。ひとつは米軍の抑止力です。抑止力って、言えば言うほど何が何だかわからない。あると思えばある、ないと言えばないのが抑止力です。翁長知事も日米安保自体は否定していません。米軍の嘉手納にいる空軍とか自衛隊自体を否定してはいません。そこは、僕は個人的には考えが違いますけれども。ただ仮に抑止力があるとすれば、嘉手納基地には抑止力はある「かも」しれない。
でも海兵隊にはどう見てもないでしょう。この海兵隊というのは敵前上陸部隊です。強襲揚陸艦で敵の浜辺に船を着けて上陸して陣地を確保し、敵を撃破する。これが典型的な海兵隊の任務ですけれども、もうそういう戦争はなくなっていますよね。超高々度から爆撃をして敵の基地を叩いて、安全になったところにゆっくり陸上の部隊は入っていく。これがいまの中東での米軍の戦争です。海兵隊が最後に海兵隊らしい戦争をしたのは1950年、仁川上陸作戦、朝鮮戦争で北朝鮮軍が圧倒的な武力で釜山まで南を追い詰めた。それを分断するために、海兵隊がソウル近くの仁川に上陸して補給線を断った。これが最後の海兵隊の戦争で、あとは陸軍のような戦争しかしていません。しかも沖縄にいる海兵隊はいまグアムに移転計画があります。最初は司令部の移転と言っていましたが、いま第4海兵連隊という主要部隊、戦闘部隊が移転する方針に変わっています。そうすると沖縄に残るのは第31海兵遠征隊というせいぜい2000人弱くらいの部隊だけです。
こういう部隊で何をやるのかと国に聞くと、特殊作戦だとか人道支援だとか災害救助、こんなことを言うわけです。でもそれはいまの彼らが言っている脅威、中国だとか北朝鮮だとかの脅威といったものとまったく関係のない話です。フィリピンの台風の救援に海兵隊が行ったから沖縄は大切だと言うけれども、災害はどこでも起こるわけです。沖縄でなければいけないという理由は何もない。また特殊作戦というのはいきなり起こることではなくてあらかじめ計画をするわけですから、沖縄でなければいけない理由は何もない。特殊作戦をする部隊がいるから、相手方が戦争を抑制するなんていうことはない。海兵隊の任務が抑止力というのは飛躍していますけれども、国はそれを裁判で言い続けます。
地政学的優位性という2番目の問題も、防衛庁は必ず「沖縄は潜在的紛争地域に近すぎず遠すぎない」と繰り返します。近すぎるとすぐに攻撃されて基地が危ない。遠すぎると攻撃にいけない。ちょうどいい距離だというわけです。潜在的紛争地域といったら、朝鮮半島や中国だったりします。朝鮮半島や中国に一番近すぎず遠すぎないのは、熊本か、九州ですよ。なぜ九州じゃなくて沖縄なのか。「近すぎず遠すぎない」という理論はまったく通用しない。民主党政権時代の森本防衛大臣が退任間際に、沖縄に海兵隊を置いておく必要は軍事的にはない、自分の考えでは西日本だったら大丈夫、沖縄に置く理由は政治的理由だと言いました。要するにほかに、受け入れてくれるところがないから沖縄がいいということです。ですからなぜ沖縄なのかということについてまともな説明がない。
そして海兵隊と運用の一体性ということをいいます。海兵隊は司令部と陸海空の部隊が一体となって運用することに意味がある。沖縄には陸上の兵舎も、演習場もあり、これが離れてしまうと海兵隊としての一体性がなくなるといいます。これを言うと、ずっと沖縄は海兵隊の基地なんですよ。負担軽減は絶対にあり得ないことになります。こういうことを言っているから知事の側からすると、なぜ沖縄でなければいけないのか、なぜ辺野古なのかが納得できないということがひとつの大きな理由です。
それから環境の問題です。この埋め立ても、環境保全の観点から不十分であると免許・承認を与えることができません。なぜ辺野古なのかということについて、環境保全の観点から見て極めて不当だと言わざるを得ない。沖縄の海はどこも青くてきれい、素晴らしいと思うかもしれませんが、実は沖縄の海も開発されてどうしようもないところはたくさんあります。辺野古大浦湾は非常に豊かな自然が残された、しかもその生態系がほかの地域とだいぶ異なったところです。大浦湾という辺野古の北側は、いきなり水深が深くなってリーフがない。普通は珊瑚礁域ですから浅瀬があってリーフがあって、どんと落ち込むような海底地形です。けれども大浦湾にはいきなり切れ込んだ深い海がある。そして大浦川からの栄養とか泥が流れ落ちて、海底の地質としては沖縄でも変わった地形が形成されている。
そして辺野古のあたりは沖縄島の中では一番大きな海草(うみくさ)藻場があります。この海草藻場は絶滅の危惧があるジュゴンがエサ場としています。いまジュゴンが生息している範囲は辺野古大浦湾から北側のあたりと、名護市の反対側の古宇利島で最近確認されている程度で、非常に生息域が狭まっています。にもかかわらず政府は多くの海草藻場を埋め立ててここに基地をつくるという。もう取り返しのつかないことになってしまう。なぜわざわざ辺野古大浦湾なのか。自然環境の保全という観点からは極めて重大と言わざるを得ません。環境保全についても裁判でも問題にしていますが、国は本当に不当な環境アセスをやるわけです。ジュゴンが実際にいるのは辺野古大浦湾から少し北のあたりくらいまでしかありません。ここの藻場が奪われることは生息にとって決定的に重大な影響があります。基地を建設するのとしないのとでジュゴンの住む環境がガラッと変わってしまうわけですね。
国の環境アセスの例をひとつ挙げると、ここの海草藻場がなくなっても沖縄本島全体の海草藻場からすれば消失する面積はごくわずかだ。宮古八重山の先島も含めた沖縄県全域にある海草藻場と比較しても消失するのはごくわずかだ。ほかに海草藻場はたくさんあるからジュゴンの生息に影響はないという結論を出すわけです。しかし現実にジュゴンはここのエサ場を選んで、ここで生息している。それを「あっちのエサを食べるだろう」なんて、ジュゴンにも聞いていないのにそんなことを言っちゃだめなんです。ジュゴンがそこで食べている理由があるわけです。そこの海草の種だったり地底の状況だったり周辺の環境だったり、そういったものを無視してほかの海草藻場があるから、海草があれば何でも食べるというわけではありません。そういうことを平気でやって、ジュゴンを絶滅に追いやろうとしている。こういうことはやっぱり許されないと思います。
本当にこの辺野古大浦湾はすごい地域です。防衛省が、民間の研究者ではできない大規模な環境アセス調査をやってくれました。おかげでこの辺野古大浦湾に5000数百種という生物種を確認しています。こんな狭い地域にこれだけの生物種を確認できることは、とんでもないことです。しかもその中に絶滅危惧種もたくさん含まれています。こういう貴重なところに、環境保全の観点から埋め立ての承認免許を与えるのは過ちです。免許の要件を満たしていないと言うべきだろうと思います。
こういう中でも政府は、普天間基地の危険性除去だとか沖縄県の負担軽減だとか、日米同盟の信頼関係が損なわれるから辺野古しかないと言い続けています。裁判でも本当にひどいです。訴状では普天間基地周辺の宜野湾市民に生命身体に現実的な危険が迫っている、だから除去しなければいけないと言うわけです。生命身体に現実的な危険が迫っている――国がこう言っているんですよ。僕は普天間基地の爆音訴訟もやっていますが、そこで国の側はこんな騒音は生活被害に過ぎないと言っています。音を聞いたら墜落の恐怖を感じることが違法だと言っても全然応じていません。国は違法ではない、ちゃんと騒音規制措置もしているから大丈夫だと言っておきながら、こちらの裁判では“普天間基地周辺の住民に現実的な危険が生じている”です。本当にそう思っているんだったら今すぐ撤去しなさい。これは国の責任です。現実的な危険だと、そこまで言うんですから。国民の生命身体を守るのは国の義務ですから、当然そうなるだろうと思います。
日米同盟の信頼関係が損なわれるということについても、翁長知事のやることによってこれまで日米が積み重ねてきた辺野古建設が覆され、日米同盟が「覆滅してしまう」、ひっくり返ってなくなってしまうというくらいのことを書きます。大げさとしかいいようがない。安倍さん、あれだけアメリカと仲良くやっているんだから、辺野古がひとつこけたくらいで日米同盟は壊れますかと聞いてみたいですよね。菅官房長官と翁長知事が会談したときに、菅さんは、橋本―モンデール会談で約束した普天間基地返還を守ることが原点だというわけです。それに対して翁長知事は、それは原点ではない。原点は沖縄戦によって米軍が占領し普天間基地を違法に建設したことだ。ふるさとの土地を奪われたことが原点だ。そこが違うと言い返しました。まさにその通りです。
危険性の除去というのは、口実としていわれている。もともと危険な基地にしたのは誰で、どういう経過ですか。沖縄戦では普天間周辺の住民を追い出して基地をつくった。サンフランシスコ講和条約では沖縄をほったらかしにして米軍基地の要塞にした。本土返還復帰の時にも米軍基地はそのまま日米安保体制に組み込んだ。こういうことを繰り返してきた日本政府が本来やるべきことは、違法に略奪した土地を返す。まずそこがスタートです。これも戦後補償なんですね。「従軍慰安婦」問題と同じです。あれも、本人を無視して最終解決なんてできないですよね。沖縄の問題もまさにそうなんです。まさに被害を回復するところから戦後の清算をしなければいけない。“戦後レジームの脱却”とずっと安倍さんは言っていましたけれども、沖縄だけは戦後レジームに閉じ込めようということが彼らのやり口です。こんな2枚舌は許せません。
なぜ辺野古につくるのか。やはりリニューアルした新基地がどうしても欲しい。もうこれに尽きるとしかいいようがありません。沖縄本島周辺に浅瀬はいくらでもあります。なぜ深いところがある大浦湾につくるのか。ひとつは強襲揚陸艦が接岸できる岸壁をつくって基地機能を強化、リニューアルした新普天間基地を米軍は望み、それを日本政府が提供しようとしている。これに尽きるだろうと思います。
普天間基地は内陸にありますから船で航空機の輸送ができません。CH-46が退役したときも、一部は分解してトレーラーで補給基地に運んでいます。大きな飛行機の修理などは大型輸送機をチャーターして運びます。辺野古の新基地ができると、強襲揚陸艦ですぐ戦争にも積み出せる。そして弾薬庫。普天間基地は弾薬積み降ろし場がありませんから、弾薬の装填もできなくて嘉手納に行っています。しかし辺野古には弾薬庫をつくって弾薬装填もできます。何でもできる新基地ができる。こうなると2度と米軍は手放さない。私達と考えが違った前の前の稲嶺知事は、1999年に軍民共用で15年使用期限といって辺野古の基地を容認しました。沖縄で新基地を容認した政治家は確かにいましたけれども、稲嶺さんに見られるように未来永劫ではない。妥協策として、一時的に我慢して将来はなくそうということでした。しかしいまの辺野古はそうではない。これはやっぱり大きな問題です。
こういう中で安倍政権は、破廉恥と思えるような法の濫用をくり出してきています。以前の政権とその下での官僚体制であれば「それはちょっと政治レベルでやってはまずいですよ、いままで日本の官僚が積み上げてきた行政の体系をぶちこわすからできませんよ」といって止められるはずだったようなことを、平気で打ち破ってくり出してきています。
そのひとつが辺野古沿岸の、海の臨時制限区域の設定です。一昨年6月に設定しました。辺野古の沿岸は、もともとキャンプシュワブの沖合にあり、常に日米地位協定によって演習場として米軍に提供されている水域でした。しかしこの演習区域自体は沿岸域の、ごくわずかな常時立ち入り禁止区域をのぞくと、大部分の海は米軍が演習をやっていない時の立ち入りは自由というルールでした。ですから抗議船がキャンプシュワブの提供水域内で航行しても、違法でも何でもなかったんです。しかし政府は、海上基地の時に、海上のやぐらに市民がしがみついてボーリング調査を止めた経験を教訓にして、市民が立ち入れないような法制度にしてしまおうと、米軍に提供している水域を臨時制限区域とすることに米軍と合意します。そして常時立ち入り禁止にする。日本政府の新基地建設のために、日本政府と米軍が共同使用して立ち入り禁止にしたわけです。
この米軍に提供している施設・区域の使用条件を変更することは、日米地域協定合同委員会で自由にできます。けれどももともと海は公共の財産ですから、制限するためには理由が必要です。米軍に提供している水域を制限しているのは、まさに地位協定によって米軍に使用してもらうために支障がないように使用制限するのが地位協定での水域提供です。それを日本政府が公共工事をやるために、たまたま米軍に提供している水域を、米軍と結託して立ち入り禁止にしてしまうのは目的外使用です。米軍の演習のために立ち入り制限するのは合同委員会の合意として一応制度上は当然ですが、日本政府のために米軍の施設を濫用して、奇貨として利用した。これは、中国電力が上関原発をつくることに対して抗議行動をカヌーでやりますね。中国電力は民間業者ですから、建設現場のまわりの海域を規制することはできません。だから抗議ができるわけです。当たり前です。海はみんなのもの。それをたまたま米軍に提供している水域であるのを口実にして反対運動を押さえ込んで、場合によっては刑事特別法という、米軍基地への立ち入りを処罰する法律によって処罰するという脅しも入れた上で制限する。これは法の目的外使用で、本来許されない。こういうことをやっている。これがひとつめです。
それからふたつ目。先ほど申し上げましたが、行政不服審査法という手続きを用いて、知事が持っている権限を行使したことに対して、それを主務官庁が吸い上げて民間の私人、国民が利用できる制度を防衛局が私人になりすましてやる。こんな原告と裁判官が一緒だったら、公平な裁判なんて望みようがないわけですね。そういうことを平気でやっている。これも従来の政権だったら恐らくできないだろう。僕らもこういう裁判とか法的闘争が起こる前にいろいろなことを検討しました。しかしまさか行政不服審査法を使ってくるとは思わなかった。それほど禁じ手だった。行政法の学者のみなさんは「あれ、おかしいよ」って言っています。でも権力だからやったもの勝ちなんですね。こういう状態です。
3つ目は、代執行訴訟の濫用です。代執行訴訟というのは仮の措置がない。仮の措置がないから自分たちで行政不服審査法の執行停止をやる。それから代執行訴訟で本当は国交大臣が採決できるにもかかわらず、裁判所のお墨付きを得るためだけにこの裁判を起こしました。自分で裁決をせずに、裁判所にその言い分を通させようとした。本来はこのふたつの手続きが並行して行われることなんてことは想定されていないわけです。
これからの展望です。代執行訴訟というのは本当にひどい手続きでして、国が訴えを提起したら15日以内に第1回の裁判の日を持たなければいけない。それから第1回目の裁判までに、当事者はすべての主張と証拠を出し尽くさなければいけない。普通は裁判は1年2年かかります。こういう裁判だったら2~3年かかってもおかしくありません。どうしてこういう制度になっているかというと、代執行裁判は国と地方自治体との紛争の最終手段です。国と地方自治体の間で、地方自治体がやっている事務がおかしいということになると、国は指導・助言したり是正の指示・勧告等をします。国と地方自治体が行政主体同士として協議を重ねて重ねていろいろな手続きを経て、それでもやっぱり一致しない。国の側としては、これを放置するわけにはいかない。最後の手段として、本当は対等な行政主体同士だけれども、裁判所の手を借りて法の支配を回復しようという手続きがこの代執行訴訟です。
ですから国と地方自治体は本来、前段階でいろいろとやりとりがあるはずです。今回、国はそんなことは一切しません。どうせ翁長知事と話をしても無駄だから裁判を起こしたということです。そういう言い方ではないけれども、翁長知事はいくらこれを取り消せといってもいうことを聞かない、そのことは明らかだから代執行裁判を起こすしかないといっています。事前にあなたの処分はこういう違法なところがあるからこう直しなさい、ということは一切なく裁判を起こしました。もうめちゃくちゃです。
その中で裁判所もさすがに第1回で全部やれとは言い切れずに、12月2日の第1回、1月8日の第2回、1月29日の第3回になったわけです。一番裁判所が関心を示していることは何か。この代執行が起こせる要件として地方自治法には3つの要件があります。ひとつは地方自治体が法令に違反することをやった違法行為です。2つ目は他の方法で是正させることが困難であること、つまり代執行の裁判を起こす以外にやりようがないということです。3つ目は放置しておくと著しく公益を侵害する。
国の側は3つ目を言っていますが、裁判所が一番関心を示しているのは、他の方法が困難かどうかということです。代執行裁判の前に国と地方自治体の間のいろいろな手続きをすっ飛ばして、国は裁判を起こした。しかも他の手続きがないといいながら、国交大臣は行政不服審査法で執行停止をして、採決ができる状態になっている。他にやれる手段をやっていないのに、それについて国はどう考えているのかについて、1月8日も裁判長が国に確認を求めました。たぶん来週、国からその回答の文書が来るだろうと思います。これは代執行の最終手段性というところから考えると、もともと翁長知事の処分が違法か適法かという以前の問題として、前の手続きを踏んでいないからアウトでしょう、国の代執行の請求は認められないと言えると思っています。これが大きな関心を持たれているところです。
ただ私達は翁長知事の処分の適法性についても繰り返し主張してきています、基地負担の問題、環境の問題。証人申請も翁長知事プラス8人の証人申請をしています。環境関係が4人、国防関係が3人、それから名護の稲嶺市長です。1月29日の裁判は、この証人申請を採用するかどうかを恐らく裁判所は判断します。20年前の大田知事の代理署名の時は20人か30人くらい証人申請をしましたが、大田知事以外は全部却下されて大田知事の尋問しかありませんでした。しかし争点が違いますので中味の審議をしなければいけないと私達は考えています。環境についても防衛問題についても、きちんと証人の採用を求めている段階です。いずれにしても採用されれば2月3月の早い時期に尋問して、そんなに遅くない時期に裁判所は判決するだろうと思います。大田知事の代理署名裁判では、国が提訴して最高裁の判決まで8~9ヶ月くらいでした。それとだいたい同じくらいのペースになる可能性がありますので、今年の夏前後にはこの裁判は最終決着がつくだろうと思います。
私達は、この裁判は勝てると思っています。国がこんな安易な手続きで代執行の裁判を起こしたのはおかしいと思います。私達は確信を持っています。しかし国も確信を持っていると思います。最高裁は国の味方だと。この前、夫婦別姓の最高裁判決がありました。情けないですね、長官の意見とか。これは国会に任せるなんていう問題ではなくて、人権の問題だということをわかってくれない。通称使用して困っている女性の裁判官3人が目の前にいるのに、それでもわからない感性の人たちが裁判をやっているわけで、簡単ではないです。それでも私達は勝つためにたたかっていきます。この裁判が勝てばひとつ前進はします。勝った場合の勝ち方の問題もあるし、負けた場合の負け方の問題もあります。けれども、どんなことがあってもこの裁判で辺野古の問題に決着がつくことはたぶんないでしょう。どんな結果が出ても国は進めようとするでしょう。これに対して県民はたたかって行かざるを得ないと思います。
この裁判で中心的な課題は、翁長知事の埋め立て承認取消処分がどうなるかということだけです。もちろんこの埋め立て承認処分が取り消せることになると、国は埋め立て権限がなくなりますから工事は止まります。そうすると国は一から出直さなければいけないことになります。それはやっぱり大きな前進です。他方で仮にこちらが負けた場合でも、翁長知事はあらゆる手段でたたかうと言っています。都道府県知事とか市町村長に残されている権限は、まだまだいろいろあります。例えば公有水面埋め立てというのは、いったん承認されても工事が変更されるたびに変更の承認申請をしなければいけない。施工の方法が変わったりすると、あらためて施工の方法の変更について知事の承認が必要になってくる。こうした、知事が処分権限を行使できる可能性はまだまだいくらでもあります。それから、稲嶺市長も、例えば、キャンプシュワブの中に美謝川という川があります。この河川の管理者は名護市ですけれども、これが埋め立てによって河口がなくなってしまいますから川を付け替えなければいけない。これは名護市が管理している部分について、名護市との協議等が必要になってきます。そこで川のルートを変更するとなると、知事の許可がいることになる。こういった、いくつもいくつもハードルが高いものが残っています。そのために権限を行使してたたかいます。
ほかにもいろいろあります。例えば去年4月議員立法で「土砂搬入条例」を県はつくりました。埋め立てに県外から1700万立方メートルの土砂を投入します。外来種、アルゼンチンアリという侵略性のあるアリがいるんですが、こういったものが沖縄に入ってくる可能性があります。亜熱帯特有の自然を守るために、外来種の侵入を防止するために、県外から埋め立て土砂を搬入する時はちゃんと調査をして、調査結果を明らかにして保全措置を講じてそれを届けなさい、という条例をつくりました。これによって県が土砂の搬入をチェックしていく。また今度の2月の議会では、県土保全条例を改正しようという話が出ています。県土保全条例というのは土地の形状を工事で変えるときに、一定の規模以上の場合は県の許可を必要とする条例です。これは開発工事をするときに必要ですが、従来の条例は国が行う土地の変更については許可対象外でした。これはどこの県もそうですけれども、最近、国といえども許可を取りなさいと条例が変わっている県があります。沖縄でもそれをやろうとしています。そうすると、辺野古の山の方から土砂をとってきて埋め立てに使うことも予定されていますが、これも県土保全条例の審査対象になってくるわけです。こういったいろいろなことをやる。
もちろん、いろいろな政治的な手段で訴えることもやります。国連にも、アメリカにも行っている。それから、カリフォルニア州のバークレー市議会も辺野古反対の決議をあげた。世界で圧力をかけていく活動もやっていく。そういうことが必要になっています。政治的なたたかいも大切になります。
最後になりました。宜野湾市長選挙が明日からです。もう始まっています。昨日はオール沖縄の志村さんの集会で4000人集まったといっていました。その前日は相手方の現職、佐喜真市長の集会で3000人集まったといっています。ともかくいま非常にぎりぎりのところでたたかっています。前回の市長選挙は、佐喜真さんは新人でしたが、伊波洋一さんが立って、どの世論調査でもリードしていたのにふたを開けたら逆転負けをしてしまいました。簡単な状態ではない。いま横一線といわれています。最後の最後まで宜野湾市長選挙でたたかって勝ちきることが大切になっています。それからオール沖縄会議が昨年12月に発足しました。企業グループ金秀の会長さんたち、企業人も入ってオール沖縄で、もっと運動を広げようという取り組みが始まっています。そして県議会選挙、参議院選挙-参議院選挙はすでに全国で戦争法廃止のための候補の取り組みがうまくいったり大変だったりしていますが、沖縄はオール沖縄で伊波洋一さん、元宜野湾市長を統一候補として掲げてたたかっている状況です。こういったたたかいをしながら、辺野古現地の座り込みを継続していきます。
やはり「オール沖縄」のたたかいを「オール日本」のたたかいにしなければ勝てません。温度差があるといわれます。沖縄では、どうしてこんなに理解してもらえないのか、だったら県外で基地を引き取ってくれ、なんて言ってくる人たちが出てくるわけです。それは僕はまずいと思いますが、実際に本土でいくらがんばろうと思っていても情報がないですよね。普通に大手の新聞を読んでも、ここのたたかいはどこにも出てこない。テレビも、ごく一部の番組でやってくれているけれども、それもいま風前のともし火のような状態になっている。その中で県外のみなさんが沖縄の情報をちゃんと把握して一緒にたたかっていくのは、すごく大変な状況に置かれていると思います。けれどもやはりアンテナを張って沖縄の情報を知ってもらう。そして本土のメディアに取材させるような努力をしていって、県民の戦いを全国に知らせる。このおかしいものが本当に全国に行き渡ったらもっととんでもないことになることを伝えて、沖縄のたたかいを勝利させていきたいと思っています。ずっと立って聞いていただいた方もいて大変だったと思いますが、私からのお話は以上にさせていただきます。