自由民主党は1955年の立党以来、その「党の使命」並びに「党の政綱」の中に「現行憲法の自主的改正をはかり、また、占領諸法制を再検討し、国情に即して、これが改廃を行う」と記して、「押しつけ憲法論」を根拠に、とりわけ第9条をターゲットとした明文改憲(自主憲法制定)をめざしてきた。しかしながら、自民党の歴代政権は広範な有権者の中に改憲、なかんずく第9条改憲への根強い警戒心があるために、明文改憲を可能にする条件(両院の3分の2の賛成による発議)をつくり出すことができなかった。2000年1月に国会に憲法調査会が設置されると、その議論の過程で自民党委員からも疑問が相次ぐなどして「押しつけ憲法論」が事実上破綻し、改憲派の議論のなかでは第9条を回避して、一般に支持を受けやすいと考えられた「新しい人権」の導入を口実にした改憲論が強まった。それは現行憲法が「環境権」や「プライバシー権」「知る権利」などの保障を明記する条項がなく、これら新しい人権条項を導入すべきだと主張するものだった。これには自民党だけでなく、与党公明党や野党民主党の一部も積極的に呼応し、特に公明党はこれをもって「改憲ではなく加憲」だなどと主張した。
しかし、この新しい人権条項導入論も思うように広がらず、憲法調査会など自民党内での改憲路線の十分な合意もないまま、第1次安倍政権は安倍総裁の「任期中の9条を中心とする改憲」をめざした。これに対し世論は大きく反発し、安倍政権は窮地に追いつめられ、崩壊した。2009年夏の民主党による政権交代が起こると、野に下った自民党は2012年に復古主義色濃厚な「自民党改憲草案」を発表し、現行憲法の全面的な改憲を提起した。この草案の基本的理念は現在の第2次、第3次安倍政権に受け継がれている。しかしながら、この自民党改憲草案をそのままで世論の支持を得ることは不可能であり、やむなく第2次安倍政権は明文改憲のターゲットを99条改憲にずらして、からめ手から推進しようとしたが、これも世論の大きな反発の中で、失敗した。
その結果、前面に登場したのが、憲法9条の集団的自衛権に関する従来の歴代内閣の憲法解釈を変え、9条をそのままにしたまま戦争法を策定するという立憲主義に反した「解釈改憲」の強行だった。従来の政府解釈を維持してきた内閣法制局の長官の首をすげ替え、閣議決定に持ち込むという強引な政治手法をとるなどして、安倍政権は2015年9月19日、戦争法を強行成立させた。しかし強行採決したとはいえ、圧倒的多数の憲法学者をはじめとする法曹界の人びとがこぞって指摘したように、この戦争法は立憲主義を踏みにじるものであり、憲法違反であることは否めない。この矛盾を解決するには第9条の明文改憲による以外にない。安倍政権にとって、9条改憲は至上命題となった。この道は安倍政権にとって、容易ならない道である。
そこで緊急事態条項改憲論が明文改憲の前面に浮上してきた。
2015年9月に「戦争法」を強行採決した安倍政権は、憲法53条によって当然開かれるべき秋の臨時国会の開催要求をスルーして戦争法の論議を回避し、2016年早々の通常国会に臨んだ。安倍首相は年頭会見で「憲法改正についてはこれまで同様(などというが、先の総選挙を含め、実際の選挙戦で安倍首相が改憲を積極的に訴えた事実はない)、参議院選挙でしっかりと訴えていくことになります。同時にそうした訴えを通じて国民的な議論を深めていきたいと考えています」とのべ、衆院本会議などで、具体的な改正項目に関しては、「国会や国民的な議論の深まりの中で、おのずと定まってくる」と曖昧な発言をくり返した。しかし、野党の追及の中で、改憲条項の一つとして挙げられている「緊急事態条項」の新設に関し「緊急時に国民の安全を守るため、国家と国民が果たすべき役割(憲法で国民に義務を課すという反立憲主義の主張)を憲法にどう位置付けるかは、極めて重く大切な課題だ」と、これを先行する姿勢を明らかにした。さらに安倍首相は1月15日の衆院予算委員会で自民党・片山さつき議員の質問に対し、「大規模な災害が発生したような緊急時において、国家、そして国民みずからどのような役割を果たすべきかを憲法にどう位置づけるかは極めて重く大切な課題だ」と答えるなど、「緊急事態条項」の議論を促進する考えを示した。
安倍首相は7日午前の参院本会議での代表質問で、憲法改正について、「多くの党・会派の支持をいただき、国民の理解を得る努力が必要不可欠だ」と述べ、民主党など野党に協力を求める考えを強調した。そして10日のNHKでの報道では、夏の参院選について「自公だけではなく、改憲を考えている責任感の強い人たちと、3分の2を構成していきたい」と述べ、自民、公明両党のほか、おおさか維新の会など憲法改正に積極的な与党よりの政党を合わせて、憲法改正の発議に必要な3分の2の議席確保をめざす考えを示した。
安倍首相が参院選で改憲を問う意志を示した理由は、とりわけ緊急事態条項の新設などの改憲論(他に考えられているテーマには「環境権」の附加、89条私学助成問題への対応、83条財政規律条項の改憲などがある)が、民主党などもその必要性を否定していないという経過からみて、各政党と世論の賛同を得やすいものとしての読みがある。これは一部メディアからは「お試し改憲」と指摘されているもので、これを明文改憲の足がかりとして、自民党改憲派がねらう本丸である第9条の改憲に迫ろうとするものである。
この間の安倍政権による「9条改憲」→「新しい人権」→「96条改憲」→「集団的自衛権に関する憲法解釈の変更」→「緊急事態条項の導入」などというめまぐるしいほどの改憲の動きの変転は、彼らの改憲論がいかに立憲主義を無視、破壊して、憲法を自らの政権に都合の良いものに変えるための姑息きわまりないものであるかを示している。安倍首相はこのところ、口を開けば「自由と民主主義と法の支配」という立場の重要性を強調するが、実際には安倍首相らのやっていることはそれと正反対の立憲主義の破壊である。
憲法に緊急事態条項を導入すべきだとの議論は、この間、2011年の東日本大震災の際にも自民党改憲勢力によって叫ばれたが、大災害や戦争などの緊急事態の発生時に政府の権限を強化する規定である。
2012年の自民党改憲草案の「第9章 緊急事態」の98条、99条には以下のように規定してある。
98条 緊急事態の宣言
1項 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる99条 緊急事態宣言の効果
1項 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。3項 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない」(下線は筆者)
うして、この改憲案の目的は「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」に対応するものであることを明らかにし、さらにこれを解説する自民党の改憲草案「Q&A」は、第99条3項に関して以下のように解説している。
「現行の国民保護法において、こうした憲法上の根拠がないために、国民への要請は全て協力を求めるという形でしか規定できなかったことを踏まえ、法律の定める場合には、国民に対して指示できることとするとともに、それに対する国民の遵守義務を定めたものです」と。
これを見れば明らかなように、もしこの緊急事態条項改憲を許したら、「お試し改憲」などという軽く受け取られかねないネーミングとは異なり、立憲民主主義と日本国憲法の3原則の全面否定につながるものとなる。自民党改憲草案の99条の規定は時の政府権力者による戒厳令と独裁政治への道を保障するものに他ならない。このように重大な歴史の逆行を安倍自民党政権は、大規模自然災害などをダシに使って憲法に導入しようとしている。緊急事態条項の憲法への導入は事実上、憲法第9条の根底的な破壊である。
緊急事態条項を憲法に挿入すべきだという改憲論者の見解の第1は、現行憲法では衆院選が緊急事態と重なった場合、国会に議員の空白が生じてしまうので、特例として会期の延長を認めるべきだという類のものだ。
これは改憲のためにする議論そのものだ。
こういう場合を想定して日本国憲法54条2項、3項には以下のような規定がある。
2.衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。
3. 前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであつて、次の国会開会の後10日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。
万々が1、衆議院議員が存在しない事態に緊急のことが生じた場合には、臨時の措置として、参議院がそれに対応できるし、参議院は選挙においても半数ごとの改選であり、国会が全く空白というようなことはあり得ないのである。
第2に、先の東日本大震災や、フランスのテロのような事態が生じた時に、憲法に緊急事態条項がなければ、うまく対応できないという議論がある。
しかし、災害対応については「災害対策基本法」があり、首相は閣議で「災害緊急事態」を決め、布告をだして、緊急措置とることができるとされている。東日本大震災を口実にして憲法に緊急事態条項が必要だなどと強弁する議論は噴飯ものである。自民党は先の3・11に際して民主党政権の対応が不十分だったということで、これを主張するが、党利党略の強弁でしかない。
また、日本に対する急迫不正の侵害が起きたときに、これに対応するための緊急事態条項が必要だという議論をする人びとがいるが、これには(私見の留保付きで言えば)歴代政府が策定してきた専守防衛を旨とした自衛隊法で対応できるという反論が成り立つだろう。あえて、私見を留保して述べたわけだが、筆者は「専守防衛論」も含めて、外部からの侵略に対して武力で防衛するという議論には賛成できない。まず第1に戦争が起きないような国際環境を外交努力、民間外交などを尽くして、いかに形成するかという課題がある。戦争は自然災害とは異なり人災であり、防ぐことは可能だと考えるからである。しかし、この議論はさておいても、自然災害や侵略を口実にして改憲派がいうような緊急事態条項を憲法に設ける必要は全くないことは明らかだ。
さらに昨年11月にフランスのパリで発生した同時多発テロでフランス政府が緊急事態宣言を発したことにならい、人びとの危機感を煽り立て、日本国憲法に緊急事態条項を書き込むことが緊急に必要だ、それは「世界の常識だ」という議論がある。これがいかにまやかしの議論であるかについては、雑誌『世界』16年1月号で長谷部恭男・早大教授が「日本国憲法に緊急事態条項は不要である」という論文で論破しつくしている。長谷部氏によれば、フランス政府のこの対応はフランス憲法の戒厳令条項とは全く異なる「1955年4月3日の非常事態に関する法律」によるものだ。これを改憲論議にすり替える議論を長谷部氏は強く戒めている。
この問題についていえば、テロの危険を煽るまえに、憲法第9条の精神に反して、多国籍軍のシリア爆撃を支持したり、資金援助をするような外交こそやめるべきである。テロは報復戦争ではなくならない。テロを根絶するにはその根源としての「戦争・貧困・差別」を除去するようなとり組みにこそ力を注がなくてはならない。
この長谷部氏と杉田敦法大教授が1月10日の『朝日新聞』で「緊急事態条項は必要か」という対談をしている。そのなかで、長谷部氏はフランス憲法の非常事態条項は「要件が厳しいため、ドゴール政権下で1度発動されただけ」といい、「英国にはもともと憲法典がないので、すべて法律で対処し」ており、「米国憲法には緊急事態条項はおかれていない」として、これらの国々が憲法に緊急事態条項を必要としていないこと、憲法に緊急事態条項がある「連邦国家のドイツでは、立法・行政権限が州と連邦に別れているので、緊急事態では州の権限を連邦に吸い上げる必要があるため」であり、「(日本は)憲法に緊急事態条項を設ける必要はありません」とのべている。
この問題は、1945年、アジア・太平洋戦争、15年戦争の結果、ポツダム宣言を受け入れ、それを基礎に日本国憲法を制定したことに由来する。それまでの大日本帝国憲法には非常事態条項が存在し、それらがこの国をアジア・太平洋戦争に導いた。現行憲法が先に述べた54条のような規定を除いて非常事態条項を持っていないのは、まさにアジア・太平洋戦争に至る帝国憲法下での侵略戦争の反省によるものであり、欠陥などではない。
現行憲法制定時の国会で以下のような議論があった。
第90回帝国議会の衆議院における日本国憲法制定時の関係会議録より(帝国憲法改正案審議の会議録)昭和21年7月15日(月曜日)午後1時48分開議
●金森国務大臣 (略)非常ト云フコトニ藉リテ、其ノ大イナル途ヲ残シテ置キマスナラ、ドンナニ精緻ナル憲法ヲ定メマシテモ、口実ヲ其処ニ入レテ又破壊セラレル虞絶無トハ断言シ難イト思ヒマス、随テ此ノ憲法ハ左様ナ非常ナル特例ヲ以テ――謂ハバ行政権ノ自由判断ノ余地ヲ出来ルダケ少クスルヤウニ考ヘタ訳デアリマス、随テ特殊ノ必要ガ起リマスレバ、臨時議会ヲ召集シテ之ニ応ズル処置ヲスル、又衆議院ガ解散後デアツテ処置ノ出来ナイ時ハ、参議院ノ緊急集会ヲ促シテ暫定ノ処置ヲスル、同時ニ他ノ一面ニ於テ、実際ノ特殊ナ場合ニ応ズル具体的ナ必要ナ規定ハ、平素カラ濫用ノ虞ナキ姿ニ於テ準備スルヤウニ規定ヲ完備シテ置クコトガ適当デアラウト思フ訳デアリマス、
この議事録をひらがな使いに改めると、以下のようなものになる。
●金森(徳次郎:筆者注)国務大臣
(略)非常ということにかりて、その大いなる途(みち)を残して置きますなら、どんなに精緻なる憲法を定めましても、口実をそこに入れて、また破壊されるおそれが絶無とは断言しがたいと思います。
したがってこの憲法は左様な非常なる特例をもって──いわば行政権の自由判断の余地をできるだけ少くするように考えたわけであります。
したがって特殊の必要が起りますれば、臨時議会を召集してこれに応ずる処置をする、又衆議院が解散後であつて処置の出来ない時は、参議院の緊急集会を促して暫定の処置をする。
同時に他の一面において、実際の特殊な場合に応ずる具体的な必要な規定は、平素から濫用のおそれなき姿において準備するように規定を完備して置くことが適当であろうと思うわけであります。
ここで金森国務大臣は衆院解散後の「特殊」な事態への対応も含めて想定して論述するだけでなく、逆に緊急事態条項をもった場合の危険性を大日本帝国憲法下での経験から指摘している。まさに安倍政権など現在の改憲派が非常事態条項を導入する目的は、金森がいうところの「破壊」を狙うが故であると言わねばならない。
以上、見てきて明らかなように、安倍政権とその与党が喧伝する非常事態条項改憲論は、第9条明文改憲のためのまやかしである。憲法違反の戦争法を強行採決したとはいえ、この法律が憲法違反の疑いが濃厚だという法律の本質は変わらない。安倍内閣はこの戦争法の安定化を図るためには憲法を戦争法に合わせて変えるしかない。今回の参院選で改憲をこのように主張する背景にはこの企てがある。
そこでとりあえず、多くの政党や世論の合意を得ることができそうな非常事態条項改憲から始めて、明文改憲への流れを作ろうと企てている。もしも、この非常事態条項などによる改憲を実現させるようなことがあれば、第9条をはじめとする平和憲法の事実上の破壊であり、次は第9条をはじめとする憲法の明文による全面的な破壊である。自民党の憲法改正草案がそのゴールであろう。
かつて第2次世界大戦で日本と3国同盟を結び、侵略戦争を推し進め、人類に大きな被害を与えたヒトラーのナチスドイツは、民主的憲法として有名だったワイマール憲法の下で、政権を握り、それに規定されていた「国家緊急権」の解釈によって、1933年の国会議事堂放火事件を契機に緊急事態を理由にした「全権委任法(授権法)」を成立させた。それによって、ワイマール憲法が保障していた国民の諸権利を「永久停止」させて独裁政権を樹立した歴史がある。自民党の改憲草案の第3項のように「緊急事態」を理由に特別な統治状態を認め、「憲法の一時停止」を容認して民主主義を崩壊させたこの歴史的経験は忘れてはならない。この歴史が、今や安倍政権のもとで単なる歴史ではなくなり、現実の危険性を帯びたものとなりつつあることに注意を払わなくてはならない。
多少論点がそれるが、市民運動の一部に「9条国民投票」論がある。この議論は改憲派の9条改憲を阻止するためにも憲法国民投票をおこなう方がいいという立場である。筆者は「国民投票」を一面的に美化するこの議論は危険だと考えている。そうした「国民投票」はプレビシットと呼ばれるもので、為政者が国民投票を利用して、自らの企てを正当化するのである。このプレビシットを最も頻繁に利用したのがヒトラーである。全権委任法につづいて、1933年の国際連盟脱退、34年の総統就任、38年のオーストリア併合などで、これらのファシズムの政治を「国民投票」を利用して「民衆の支持」を得たように演出した。「国民投票」は時によって容易に、この扇動手段を利用して、一方的に反対勢力を攻撃し「人気」を獲得するポピュリズムによる独裁者の手段となりうる。
安倍政権のような独裁的な政権の下で、「国民投票」が公平に行われるなどという幻想を振りまくべきではない。権力者はあらゆる手段を通じて、自らに都合の良い「国民投票」がおこなわれるように制度設計し、彼らの企てる改憲を実現しようとするに違いない。間違っても、「緊急事態条項」を憲法に導入すべきか、否かの「国民投票を」などという危険な迷路に陥らないようにしなくてはならない。
私たちは立憲主義を破壊する政治を推進する安倍晋三政権が、日本国憲法の明文改憲、自民党改憲草案の実現に血道をあげ、この国をふたたびアジアにおいて、戦争をする国にしようとする(今度は米国と共に)ことを許すわけにはいかない。
7月の参院選に安倍政権が緊急事態条項の導入などを掲げて、改憲に必要な議席の確保に打って出ようとしていることは重大だ。緊急事態条項導入の改憲論を徹底的に暴露することで、安倍改憲政権に反撃し、安倍政権与党を敗北させる課題は、この社会の進路を左右する、当面する政治闘争の最大の課題になった。戦争か、平和か。独裁か、民主主義か。この対置は決して大げさではなくなった。
「戦争させない、9条壊すな!総がかり行動実行委員会」をはじめ、昨年の2015年安保闘争を闘った勢力が共同して、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」という新しいプラットフォームを生みだし、参議院選挙において、野党の共同を要求し、安倍政権に挑戦している闘いは歴史的な闘いである。戦争法と改憲に反対する野党は、せまい党利党略の政治を抑制し、とりわけ32選挙区ある1人区での野党連合の大義につき、安倍政権与党を打ち破らなくてはならない。
(事務局 高田健)
2014年7月1日、政府は憲法9条の解釈の変更によって、集団的自衛権の行使ができるという閣議決定を行った。この閣議決定前日の6月30日に、内閣官房の国家安全保障局から内閣法制局に対して、閣議決定案文に対する法的な意見が求められた。そして、内閣法制局はその翌日に意見はないとの回答を電話で行った。しかし、このような結論に至る審査協議の過程を記録した文書が、内閣法制局には公文書として残されていないことが明らかになった。
以上は、2015年9月28日に毎日新聞が報じた内容の概略であるが、記事の全文をさらに詳細に読むと、この問題の重要性が浮かび上がってくる。
2015年6月の参議院外交防衛委員会で横畠長官が、解釈変更を「法制局内で議論した」と答弁した一方で、衆議院平和安全法制特別委員会では、局内に反対意見はなかったと答弁している。しかし、その議論の過程を証明する文書が保存されていない。公文書管理法第4条は「行政機関の職員は、経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、文書を作成しなければならない」としている。上記の記事によると、文書を残さなかったことについて富岡総務課長は「今回は必要なかった」と説明している。しかし、憲法9条の解釈を変更して集団的自衛権を行使できるようにすることが、軽微な事案であるはずがなく、記録を残す必要がないという説明には全く説得力がない。
したがって、「秘密保護法」廃止へ!実行委員会は、このたびの憲法解釈変更による集団的自衛権行使に際して、意見をまとめる過程の記録を公文書として残さなかった内閣法制局の対応が、公文書管理法に違反すると判断せざるを得ない。
「法の番人」と呼ばれ、長年にわたって政府の行政における法的判断を担ってきた内閣法制局が、自ら法律を破り、またそのことを正当化する姿勢を、断じて容認することはできない。さらに、安倍内閣が、このような内閣法制局の姿勢を正し、法に則った国務を行わせることを怠るのであれば、それは憲法73条に反することになり、安倍首相の責任は重大だと言わざるを得ない。
このような内閣法制局および国務を総理する立場にある安倍首相に対し、私たち「秘密保護法」廃止へ!実行委員会は、強く抗議する。
2015年12月25日 「秘密保護法」廃止へ!実行委員会
山口たか(戦争させない北海道をつくる市民の風)
重苦しい2015年が明けました。16年が希望の一年となるために一層の奮闘が求められています。
憲法破壊・平和主義破壊の安倍政権と市民の闘いは、まだ終わっていません、むしろこれから正念場といえるでしょう。安保関連法案の提出により燎原の火のように全国に広がった反対のうねり。「許すな憲法改悪!市民連絡会」をはじめ皆さまの長い地道な活動があっての、運動の広がりだと心から敬服しています。
8.30国会包囲アクションは、現場に行けなかった地方にも波及しました。ここ札幌では、北海道マラソンがあり、デモが許可されなかったため、街頭宣伝だけに限らざるを得なかったのですが、それでも、駅前歩道に人があふれ、多くの人が次々にアピールをしました。現職の若い自衛官が自ら進んでマイクを取って自分は海外に戦争にいくために自衛官になったのではない、と訴えた時は、道行く多くの人々が足を止め耳を傾け共感の輪が広がりました。圧倒的多数の憲法学者、法曹界がこぞってこの法案が違憲であること、立憲主義に反することを指摘しつづけたにも関わらず、9月19日この法は「可決」「成立」しました。二度と再び戦火を逃げ惑うようなことはあってはならない、世界のどの子どもも戦禍に巻き込んではならないとの願いは踏みにじられました。15年安保闘争についてはすでに多くの方が論評されていますのでここでは直近の北海道の政治現状を報告いたします。
北海道では4月に、衆議院北海道五区の補欠選挙が行われます。これは自民党・町村信孝議員が亡くなったことによるものです。自民党大物で、親子二代にわたり北海道の保守政治を牛耳ってきた町村氏の後継は、次女の娘婿・和田氏です。さらに三代にわたり議員を世襲しようというのです。首相を筆頭に世襲のオンパレードです。いつから「政治」は家業になったのでしょうか。今、安倍首相に異論を唱える自民党議員は一人二人という状況です。そのような政治の劣化のなかで、5区の選挙は戦われます。安全保障関連法の「成立」後初の国政選挙であり、恵庭市と千歳市という自衛隊基地の街を含む選挙区です。その意味ではこの選挙は北海道だけの問題ではなく、全国に波及しあるいは夏の参議院を占う超重要な闘いです。すでに共産党が和田氏の対立候補を擁立していますが、14年の総選挙の結果をみると町村候補13万1394票に対し民主党候補9万4975票・共産党候補3万1523票でした。しかし民主党と共産党の票を合算すると12万6498票で、自公にその差は4896票まで肉薄します。ここはなんとしても一人に絞って野党共闘をしてほしい、安倍政権に打撃を与える選挙にしなければならないと考えた有志が集まりました。
昨年、札幌では安倍首相の戦後70年談話に対置して、市民による70年談話を発表しようと実行委員会ができ7月24日に「敗戦70年 市民談話~北の大地から」を発表しました。「市民による談話」は、内閣府へ持参したほかに在札アメリカ領事館、韓国領事館にも届けました。安倍と同じ考えではない多くの市民が日本にはいることを知ってほしかったからです。その実行委員会に集った有志により11月、戦争させない北海道をつくる市民の会は結成されました。呼びかけ人には前・札幌市長上田文雄さん他、学者、医師、元裁判官、僧侶、牧師など多彩な各界の方になっていただきました。共産党はすでに野党共闘や国民連合政府構想を発表していますが、政党支持率はまだまだ民主党のほうが高く、共産党公認で自公候補に勝つことは非常に難しいとの判断もありました。一方民主党北海道は、道議会議員やスポーツ選手に立候補要請し断られていた時でした。候補擁立が行き詰まり誰が選ばれるか全くわからない中で、無党派や共産党も受け入れやすい市民派候補を先に擁立しようと考えました。そこで市民の会が要請したのは池田まきさん(43歳)でした。ソーシャルワーカーで社会福祉士、北大大学院研究生でもある池田さんはシングルマザーとして2人の子育ても頑張ってこられた方です。公募で民主党の市議候補に選ばれながら14年の突然の解散総選挙に急きょ候補に擁立され十分な準備もなく残念な結果に終わっていた方です。民主党に翻弄された感のある池田さんは立候補には慎重でしたが、12月16日、たまたまその時期、全国交流集会in札幌の打ち合わせにこられた高田健さんに、戦争法反対運動の経過と展望についての講演をお願いし、市民の会のスタートとしました。12月20日結成の「市民連合」構想など非常にタイムリーな内容で北海道の運動の方向も間違ってはいないと確信できた講演会でした。その後、池田さんには立候補受諾いただき民主党も推薦候補として決定しました。
地盤看板かばんを受け継ぐエリート世襲議員か、踏まれても踏まれても雑草のように立ち上がり、弱い立場の人たちと共に生きようとする文字通り生活者議員か。戦争への道か命と平和への道か、重大な選択が有権者に突きつけられています。
12月末に、安倍首相と面会した新党大地・鈴木宗男氏が、年明けに、共産党との選挙協力は絶対しない、自公の和田候補を支援すると明言しました。大地は、北海道だけのローカル政党ではありますが、地域で民主党議員を支援しているため、大地との決裂をおそれる民主党議員も少なくありません。共産党アレルギーの労組もあり、民主党と共産党の話し合いはまだ十分行われていません。維新の会、社民党、市民ネットはすでに池田さんの推薦を決めていますが共産党はまだ候補取り下げの期が熟していないとの判断です(1月20日現在)。その意味では野党統一は道半ばです。しかし補欠選挙は4月24日。座して見ているだけで統一が実現できるほど時間は残されていませんし、状況は甘くありません。各政党の事情はあるにしても、道民・国民は今何を求めているのか、そして戦争と憲法をないがしろにする政治の暴走を止めるのは今しかないことを受け止めてほしい。
待ち切れずに、すでに池田まき(いけまき)勝手連や選挙フェス、いけまきボランティアの会が動き出しました。市民の会も、政治団体「市民の風」を立ち上げました。民主党や共産党へ選挙協力の要請は働きかけつつ、できることから選挙準備を始めます。政党にとっても試金石となるこの闘い。戦争への道を許さない女たちの連絡を作った、故・吉武輝子さんがいつも語っていらしたー改憲の歯車を止めるのは大きな石ではなく無数の小さな砂利であると。北海道の市民は無数の砂利となって5区の闘いに全力をあげます。北海道5区(札幌市厚別区・千歳市・北広島市・恵庭市・石狩市・当別町・新篠津村)にお知り合いのいる方は、ぜひご紹介ください。地元の民主党の議員にも5区での野党共闘を訴えてください。そして「市民の風」の事務所開設やいけまきの活動を支援する資金カンパのご協力も心よりお願いいたします。
<連絡先>
1- 1-siminmado@freeml.com
2- HPhttp://notwar-tsukurukai.org/
FAX 011-596-5848
★ 「市民の風・北海道」の活動に賛同募金、寄附をお願いします、5区の方のご紹介も上記にお願いいたします。
〇郵便振替払込 口座番号 02750-4-48691 加入者名 市民の風・北海道
〇他金融機関からの振込用口座
店名二七九 店番 279 預金種目当座預金
口座番号 0048691
工藤和美(釧路市)
北海道でも昨年9月の強行採決以降、「戦争法制」廃止を目指す市民の行動が毎月19日を中心に各地で活発に取り組まれている。そうした中で昨年11月10日に立憲主義、民主主義、国民主権を破壊し、戦争へと突き進んでいる安倍政権をストップすることを目指す市民団体「戦争させない北海道をつくる市民の会」[呼びかけ人:上田文雄(弁護士・前札幌市長)、川原茂雄(大学教員)、結城洋一郎(小樽商科大名誉教授)など]が「いくらなんでもひどすぎる」を掲げて結成された。札幌を中心に広く呼びかけを行い賛同人は2ヶ月で1000名を超えた。北海道では4月に5区(石狩・千歳・恵庭・北広島・江別・札幌市厚別区など)で衆議院補欠選挙があり、7月の参議院選挙の前哨戦として北海道だけでなく全国的に大きな注目を集めている。安倍政権の暴走を止めるため、全道の市民が協力して野党の共同を実現出来るかが大きな課題となっている。市民の会として道内の全ての野党に対して5区での野党統一候補擁立に向けて協力要請をしているが、現時点で野党共闘は実現していない。その中で市民の会が求める(1)安保法制の廃止(2)立憲主義の尊重による民主主義の回復(3)安倍政権の暴走ストップに共鳴・共感し熱く賛同を表明した池田まきさん(43 ヘルパー1級・社会福祉士・精神保健福祉士) を市民が統一して推す候補として出馬要請を行った。その後民主党も立候補要請を行う中で池田まきさんは両者の立候補要請を受諾した。共産党は橋本美香氏(45)が立候補を表明しているが、取り下げも検討するとしている。市民の会は各野党に対し「候補の一本化」を呼び掛けているが、民主党は、共産党との候補一本化の協議に乗らず、共産党は、候補を降ろす条件が整っていないとしており、政党側が動く気配は今のところない。
特に北海道が地盤の地域政党・新党大地は現在民主党と協力関係(代表鈴木宗男氏の長女貴子氏が民主党北海道副代表・比例選出衆議院議員・新党大地代表代行)にある中で、鈴木代表は、自身のムネオ日記2015/12/27で「共産党と同じ土俵での候補はありえない」と表明し、その翌日には安倍首相と会談を行い5区補選と参議選について意見交換をしたと報道された。続いて鈴木代表は1月9日の記者会見において「5区補選では自民党公認候補で故町村信孝前衆院議長の娘婿の和田義明氏(44)を支援すると表明した。鈴木代表は「共産党が推す候補とは一切協力しない」を最大の理由に自民党候補を推しているが、5区補選や参議選の最大の争点である「安保法制」廃止と「立憲主義の回復」には一切触れていない。昨年9月17日のムネオ日記では「安保関連法案、どうして急ぐのか。…国民の8割が慎重審議を求めている時になぜ、十分な説明をせず、国民の理解もない中で強行して行くのか。腑に落ちない。 いずれ国民から厳しい判断が下されることだろう。いや、下して戴きたいものである。」と述べていることとの整合性はどうなのか?
鈴木貴子衆院議員の地元でもある釧路市議会の新党大地系会派の「新創クラブ」(3人 会長森豊市議)は昨年来、民主党系会派や共産党が提出した集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回と安保法制の成立に反対し廃案を求める意見書の採択では、自民・公明と共に否決してきた。しかし昨年9月7日釧路市で開催された「安保法案反対集会」(民主党・連合共催)で、鈴木貴子議員は「命をないがしろにし、違憲といわれる法案を絶対に通すわけにはいかない」と参加者に支持を求めた(9/9北海道新聞)。鈴木代表は「共産党と手を組むと新党大地を支持する保守層が逃げていく」というが、安倍政権に協力することは「戦争法」や「改憲」を容認するだけでなく、TPPや格差拡大など新党大地が一貫して反対してきた「新自由主義」に賛同するということになり、自らの支持層が逃げていくことにならないのか?強く再考を求めたい。
こうした中で市民の会は、選挙・政治活動を担える組織として政治活動団体「市民の風・北海道」の設立を呼びかけ1月16日に札幌市でキックオフ集会を開催し市民が望む統一候補の実現と当選のために全力をあげることにした。
前回の衆議選北海道5区の選挙結果(投票率58.43%)は、自民党131,391票(当選)VS民主党94,975票+共産党31,523票=計126,498票だった。千歳・恵庭は自衛隊票が多く保守地盤といわれるが、「戦争法」で命の危険に晒される隊員と家族の不安は大きい。当該選挙区と北海道中の市民の力を結集し、そしてまた全国各地から北海道への働きかけを強めることが出来れば統一候補の実現と当選は決して不可能ではない。皆さんの特段のご支援ご協力をお願いしたい。
2016年のスタートにあたって期すること~平和・民主・協同の実現を (2016年1月19日)
土井とみえ(市民連絡会事務局)
昨年は戦争法反対と立憲主義破壊を許さないという声が行動となって全国に広がった。実に幅広い年齢の人びとが一人ひとりの思いつくさまざまな形で、自身のことは人任せにはしないと行動したこと、これはは戦後70年のなかでも特筆されることだ。残念ながら与党内部の分岐を起こすところまでは追い込めずに法案は強行採決となった。夏の行動を前半戦とするなら、ことし7月の参議員選挙で安部政権を敗北させる後半戦はすでにはじまっている。戦争法の廃止を求める2000万署名を軸にして、野党共闘をひとつひとつ実現して、戦争法廃止、辺野古移転反対、非正規雇用を減らせ、TPP反対などおおくの市民の思いに重なる政治を半歩でも前にすすめていきたい。
安倍首相をはじめとする改憲勢力は憲法の平和主義に少しも自信が持てず、とにかく軍事力にすがることでしか安心できない明治以来の旧来型思考に凝り固まっているようだ。しかし弁護士の内田雅敏さんが昨年夏に出した「和解は可能か」(岩波ブックレット)で、戦後の日本政府による条約や声明、基本となる談話などで政府の歴史認識を検証し、政府自身が行ってきたことを実施していくことこそが、歴史和解の基本となると指摘している。こうした考え方にヒントを得て、限定的ではあるが政府の「平和政策?」についてもいくつかのテーマが拾えるのではないかと考えてみた。
まず、歴史認識の問題は内田さんの指摘の通りであり、政府の約束したことからはずれた言動をする公人は即刻免職とすべきなのだ。
つぎに非核政策。広島・長崎の被爆体験をもつ国として反核をすすめる国となれるし、世界の市民からの期待もある。しかし日本政府は基本的にはアメリカの核の傘を前提にする外交に終始している。関連して脱原発の課題。日本はプルトニウムを溜め込んでいると指摘されて久しく、世界から核開発の疑いの眼差しは消えない。非核政策をねばり強くすすめるべきだ。
次に自然エネルギーの問題。長い間日本は資源小国といわれてきたが、ここを活用できれば21世紀にこの国はかなりの資源大国といえるのではないか。豊富な水がある。豊富な風や太陽光や地熱や波力にも恵まれている。この分野での技術力は世界水準にあるわけで、科学技術の発展と雇用も生むことができる。地球温暖化とも関連して将来の世界的な水不足がいわれているから、水資源はエネルギー問題だけでない重要性もある。日本は世界で6番目の広い海洋国であり海の利用もエネルギーだけに限らない。地産地消の自然エネルギー開発は、未開発地域の開発やエネルギーをめぐる世界の争いを少なくすることができ、世界平和にも貢献できるのではないか。
中東外交についてはアメリカや英・仏などとはちがった日本独自の中立的外交が可能だとの指摘は、この地域についての研究者や中東と関係の深い財界人などから再三指摘されている。またこの地域でプロジェクトを展開しているNGOなどからも親日の空気や平和憲法が知られていることなどが紹介されている。安倍首相がイスラエルやエジプトでアメリカ外交をなぞるのではなく、ここにも独自の外交が可能なのではないか。
さらに、これまでもおこなってきたアジアやアフリカで教育、医療、保険、農業支援などは、基本的な事業として地域住民の利益を第一にすすめることだ。
私たちは、戦前の富国強兵・軍国主義の歴史とはちがった平和の道を戦後70年、不十分ながらも歩んできて、更に時間を延ばすことができるかが問われている。安倍首相や橋本前大阪市長のような政治――選挙で多数を占めれば何をやっても良いという単純で誤った民主主義や立憲主義の破壊をそのままにしておくことはできない。自らが行動するという昨年の前進を基礎にして、今年こそ継続したたたかいに笑顔で決着を迎えよう。
竹腰英樹(中野協同プロジェクト)
2016年がスタートした。参議院選挙(もしかすると衆参ダブル選挙??)の年であり、戦争法との対決の年であり、沖縄への新基地建設をSTOPさせる年である。そして、中野協同プロジェクト発足後丸2年を経過し、3年目に入る年でもある。
1967年:73.99%→1986年:71.40%→2014年:52.66%。総選挙の全体の投票率の経過である(総務省HPより)。この数字を見る通り、選挙の投票率が大きく低下しているのは事実である。選挙制度やメディアの問題、政党のありよう・教育等々、前段に論ずるべきことは数多くある。それにしても全般的には人々の選挙・政治への関心は低下してきている。私も数え切れないくらい駅頭宣伝等を行なってきたが、多くの人々が無関心に行き過ぎる光景と投票率の低下が強い関連を持っているのは言うまでもない。この状況を直視し、知恵と汗を振り絞って変化を促すのが今年の課題の第一である。
もちろん、2015年8月30日の国会前・永田町・霞ヶ関周辺の戦争法案反対の人々の熱い想いは忘れはしない。(財務省上交差点での交通整理と案内のスタッフとしての役割を仲間たちと担った後、国会正門前の光景を見たとき「うわあ!歩行者天国のようだ!!」と率直に思ったことは記しておこう。)2015年の様々な立ち上がりと相互作用が市民連合などの取り組みを生み、野党共闘が進みつつあることも重要なことである。
しかしながら、駅頭でチラシを配ってもなかなか受け取ってもらえないのは冬の寒さだけが原因ではなかろう。そのような状況をどのように打開するか。スピーチや行動の見せ方・チラシの工夫は当然だし、少人数で取り組むより、一定の人数で街頭宣伝を取り組むとチラシの受け取りがよくなるし、署名数も増えるのは経験上確かである。今ここで論じ、実現したいことはそのことではなく、「政治もしくは社会的な取り組みに参加する人々の気風」をどのように作るのか-ということである。
結論めいたことをいえば、その打開策は、政治もしくは社会的な取り組みのムーブメントを街に吹かせることであり、様々な取り組みと人や組織をつなげ、相乗効果を作り出していくことである。そのために街に出、取り組みの予定を掲げ(中野区には「区民のひろば」という区民活動を応援する区設の掲示板があり、その活用もより積極的に行いたい。)、人々に語りかけることだ。そして学習会等のイベントも大いに企画していきたい。
沖縄への新基地建設をSTOPさせるために
年明け早々の1月16日、日帰りで沖縄県宜野湾市に行ってきた。市長候補のシムラ恵一郎氏の応援のためである。合同選対の事務所に挨拶をして、近くの統一連の事務所を紹介されたので、そちらへ行った。民主団体・医療組織・労働組合等様々な人々が顔を出し、街中へ繰り出していった。翁長沖縄県知事も事務所に来られ、短く参加者にスピーチを行っていた。拍手・握手・記念撮影の嵐であった。事務所の担当の方に頼んで大規模団地への宣伝活動に参加した。植木の手入れをしていたおじさんは「今の日本政府はアメリカ言いなりだ。」といいつつ、「市長にできることはあまり多くないからねえ。」と少々ため息混じりに話していた。「この街からしっかり声を上げていきましょうよ。」と言っておいたが、果たしてどうなるか。辺野古での取り組みにできるだけ参加しつつ、東京・首都圏での取り組み・宣伝にも力を入れたい。政策としての軍縮-そしてその先の軍備撤廃-と自治体の平和外交・平和行政についても考えていきたい。
3年目の中野協同プロジェクト
2014年・2015年と戦争法案阻止を第一の課題として取り組んできた。その結果、2015年の夏は国会前にほぼ日参する日々となった。(そうでなければ中野で宣伝していた。)そのことにいささかも悔いはない。とは言えども、生協をはじめとする協同組合や労働組合、労働者や人々の状況改善についての調査研究等の取り組みや街づくりの実地調査などの課題についてはほとんど着手できなかった。7月までは参議院選挙を念頭に置いた諸活動-「総がかり」も市民連合も中野での取り組みも-が中心となるが、前者の課題についても形あるものにしていきたい。
☆学習会などのご相談については、まずは htakepeace@hotmail.com までメールをお寄せください。
大村忠嗣(長野ピースサイクル実行委員)
2016年があけました。「戦争法廃止」をあきらめない市民の活動が、長野県でも盛んに続いています。長野県下の動きが、地方紙信濃毎日新聞の記事になったり、地域の週刊紙の記事になったり、様々な活動がMLなどでも報告されています。長野では元旦から街宣が行なわれています。
私の住む上田市でも、1月3日には13時から上田駅前のスクランブル交差点を30数名の市民が囲んで「あべ政治を許さない」「辺野古新基地NO」「戦争法NO」など思い思いのプラカードを掲げてスタンディングを行いました。通りがかりの車や観光バスから手を振ってくれる人も多かったです。この日は県内各地で、それぞれこうした行動が行なわれた事が報道もされました。
ママたちのスタンディング行動、毎週金曜日には上田駅前でのリレートーク、1000人委員会のメンバーによる行動などが日常的に、地域での2000万署名の取り組みと共に進められています。また、憲法をしっかり学び直そうとする動きも引き続き行なわれています。
この様な市民の動きは、お互いに連携もあり、SNSを通して伝えあったり、励まし合ったり、補い合って取り組まれています。参議院選挙での「戦争法に反対する野党統一候補擁立」の動きも様々な立場で提唱され取り組まれ、政党や市民団体、政党同士が話し合いも行っています。これについては必ずしも一筋縄では結論が出ない、産みの苦しみがありますが、「何とかしなければ」という機運があります。
昨年暮れには沖縄の支援もかね、沖縄での「島ぐるみ」に学ぶ意味もあって、様々な団体が共同して「仲里議員を迎えての講演会」も長野市で行なわれました。1月8日には「市民の連合」による統一候補選定を呼び掛ける記者会見も行なわれました。
そして、この間の行動の中で、多くの方から労働組合の平和のための活動をもっと積極的に働きかけようという声が上がり始めています。上田地域で9月に行なわれた基本的には個人参加を中心に800名の集会が行なわれた時も、労働組合が直接に関わるのはほんの少しでした。それでは、労働組合に組織されている若い労働者の出番が無いし、意識にも関係すると言うことで、イベント(集会や後援会など)の際には企画段階から実行委員会に入って貰うように働きかける事になりました。この1月からの取り組み(3月に講演会やバスでの東京集会への参加企画)では、市民団体の側から労働組合などに積極的に働きかける具体的な動きをはじめています。
日本会議などが傘下の地方議員を使って、「あべ改憲」の動きを強めようとするなかで、日々生産活動に追われ、超勤ずくめにある労働者も、春闘の時期には少しは組合の活動に関わらざるを得ない、そういうところで少しでも「戦争法に反対する」事の意義を学び取って貰おうと言うことです。まだまだ、地方の労働組合の組織の中で、2000万署名の取り組みも浸透していない感があるので、企業ぐるみで与党に票を持って行かれないためにも有効な取り組みと考えているのです。
長野県内では、戦争法廃止を求め改憲に反対する動きと共に、沖縄の辺野古新基地に反対する行動も強まり、現地に出かけて阻止行動に参加する人も少しずつ増えています。辺野古新基地建設に反対を訴えるための企画も準備されています。原発の再稼働に反対する活動も3.11直後に比べれば地域での放射能汚染への関心としては少し薄れ気味ですが、5年たって「それではいけない・フクシマを忘れるな」という意識の人達が改めて動き始めています。
2015年の戦争法に反対する闘いは、辺野古の新基地に反対する闘い、そして原発の再稼働に反対する闘いに結合して、大きな動きに変わって行く下地をこの地域に創ったと私は感じています。
とはいえ、一方では今年この地域はNHKの大河ドラマ「真田丸」現象も起きていて、そのイベントのために集会などに使えない場所も出て来たり、市民の関心がそちらに向いたりもしています。地方紙の紙面もそうした傾向になりがちです。したがって、意識的にマスコミにも働きかけることも忘れないようにして行きたいと思っています。
負けてはいられません。休んではいられません。こうしている間にも自衛隊が戦争法の運用のための準備を具体的に進め、装備が着々と強化されているし、武器輸出の緩和によって日本が「死の商人」なっている現実、不足している若い自衛隊員を確保するための施策も地方自治体を使って着々と行なわれていることも訴えながら、2016年は昨年の闘いでつくられた土壌の上に、もっと力強い市民運動、をつくり上げて、当面する参議院選挙での勝利を作り出し、その後の闘いへ前進して行きたいと思っています。今年を戦前1年目にしないために、工夫をして知恵を出し合って、出来るだけ楽しくて、元気の出る運動を2016年の課題としたいと思います。
松岡幹雄(とめよう改憲!おおさかネットワーク事務局)
戦後70年の昨年は、民意を無視する安倍暴走政治とのたたかい、また、大阪では橋下維新政治とのたたかいの一年でした。5.17大阪都構想住民投票では、僅少さで反対派が勝利し、橋下維新政治を終わらせる寸前まで追い込んだものの11月23日の府市ダブル選挙では、大差で橋下維新の復活を許す結果となってしまいました。「オール大阪」のたたかいといいつつも「政党間共闘」の難しさをあらためて実感しました。夏の参議院選は、この橋下・維新と安倍・自民党の改憲タッグとのたたかいとなることは必至であり反改憲の一議席を守りきることができるか正念場のたたかいとなります。
私(たち)の総括視点
大阪でも昨年はかつてない運動の広がりをつくりだすことができました。7.18集会は大阪でも万を超す市民が集まり、8.30にはさらに3万近い市民が結集し、戦争法案廃案の声をともにあげることが出来ました。日本を再び戦争する国にしてはならない、この一致した思いはそれぞれの立場や運動の経過、政党支持の違いを乗り越え「総がかり」の集会とデモに結びつきました。これは大阪の社会運動史上画期的な出来事といっても言い過ぎではありません。しかし、それは、ただたんに自然に成し遂げられたことではなく市民連絡会の日々の実践に触れる機会があり、その経験から学び、活かそうと活動している私たち市民運動のとりくみが少なからず影響を与えたと思っています。元来、市民運動は地域性やメンバー性に依拠するものであり、それがまた、市民運動の特質でもあるわけですが、幸いにして私たちは年一回ですが、全国交流集会を活用して全国性をもったネットワークが力を発揮したと総括しています。しかし、結果的には法案成立を許してしまいました。これは、言われるように与党内部に造反、亀裂を生じさせるところまで追い込めなかったことによるものです。
これまでの運動は、法案成立で一端は終了し、また次のテーマで運動を始めることが多かったように思います。しかし、今回は違う。これは特定秘密保護法からのこととして言えると思いますが、これは、「終わりではない!」終わりになどできません。言うまでもなく憲法に基づく政治=立憲民主主義が破壊されているからです。今、日本は、憲法9条と憲法9条に違反する法律が併存する異常な国になっていると思います。この矛盾は、憲法9条にそって違憲立法を廃止させるか、違憲立法が違憲でなくなる「憲法改正」が行われるかでしか解消できません。そして安倍晋三首相は、この夏の参議院選挙で後者への歩みを加速させようとしているわけです。
さて、総括は私たちの主体的なとりくみがどうであったのかにまで及ぶ必要があると思っています。この点で言えば、総がかりの広がりをつくり出せた一方で、私たち自身の足下である職場や地域、また、個人的な家庭や知人、友人との関係性で運動の広がりをつくり出せたのか、この点での総括が本当に必要な事柄だと思います。もっとも身近なところでどういった変化をつくりだすことがきたのか、その点か今問われているもう一つの課題であると思います。小さなところ、一見遠いところ、弱いところから変革が始まる、この視点も重要です。
総がかり行動実行委員会の総括にこういう一文がありました。「また、参加者の中に、年間所得200万以下の層や非正規労働者の層がどうだったのかも見てみる必要があります。」私は、この視点は本当に重要であり、さらに深めていくべき課題であると思っています。いま、日本の雇用労働者の4割は非正規雇用労働者です。彼ら彼女らに私たちの訴えははたして届いていたのでしょうか。少し話は変わりますが、私自身、郵便局で働いています。昨年11月末から1月はじめまでマイナンバーの関係で仕事漬けの日々を過ごしました。物事を考える力が萎える経験でした。おそらく、多くの非正規雇用のなかまは、日々そういう生活におかれているのだろうと思います。そういう人たちは、唯一の娯楽はテレビです。あるいは、インターネットもあるでしょう。多くの情報はテレビから得られていると思います。しかし、今テレビの多くは安倍チャンネル化しており、支持率が30%を切らなかった理由もここにあるわけです。現在の雇用社会に切り込むには、なんと言っても労働組合に役割が大きいことは明らかです。しかし、また、市民運動も、こういった層に対して届く宣伝力をどうつくりだすのか真剣な検討が必要だと思います。今年一年は正念場、課題もはっきりしています。けっして、あきらめず、へこたれず、全国のみなさんとともに運動の前進をめざします。
大阪でのこれから
最後に夏の参議院選挙に向け大阪での取り組みをいくつかご紹介します。
半田 隆(市民連絡会事務局)
安倍政権は、国民の圧倒的な反対と疑念の声をしり目に違憲立法の「戦争法案」の強行突破を画策した。この憲法を無視した異常行動は、プチ・ナショナリスト安倍の大国主義が根底にあるとしても、あの愚昧な首相が国のあり方を根底から変えることになる脱法行為を敢行できるはずがない。と考えた私は、誰が黒子なのか、そしてその理由は何なのかを探ってみた。
既に3月の参院予算委員会において、民主党の小西洋之参議院議員が「憲法を、何もわからない首相とそれを支える外務官僚を中心とした狂信的な官僚集団が、日本の法秩序を根底から覆すクーデターをやっている」と指摘していた。外務官僚たちは小西議員の指摘など一顧だにせず、日本側から提案した「日米ガイドライン」の改定を予定通り昨4月27日に合意に持ち込み、4月29日には米連邦議会における安倍首相の「安保関連法」の成立確約演説を演出し、自国の国会審議に先んじて米国への誓約をするという前代未聞の売国的対応を内外に宣明した。
「戦争法案」が「平和安全法制」として衆議院に提出されたのは、その後の5月15日である。このとき、安倍首相は「集団的自衛権」の必要性として安全保障環境の変化を挙げ、立法事実としてのホルムズ海峡の機雷封鎖の除去と北朝鮮有事の際の邦人救出を例示した。国会は当然紛糾した。この間、冨澤暉元陸幕長は「今回の集団的自衛権の話に、ホルムズ海峡が入ってくるのはおかしなことなのです。あんな軍事情報を誰が安倍首相に教えたのでしょうか」と述べている。この時点で、イラン核開発問題に関する国際外交交渉は合意寸前にまで進んでいたことなどを勘案すれば、これを立法事実に入れるのは当該の者にとって的外れであることは明白だったのである。
私が黒子たちの狙いを直接確認する機会は、7月7日の総がかり行動による外務省への陳情行動に参加したときに与えられた。そこで、応対した外務省の官僚に「安保関連法案の立法事実として、ホルムズ海峡での機雷敷設が挙げられているが、そうであるならばなぜイランとの核開発問題の交渉に日本は参加しないのか。交渉団には安保理事国5ヵ国以外にドイツが参加しているのだから、日本も参加可能なはずだ」と問うた。それに対する外務官僚の返答は意想外なものであった。「日本の外交政策の重要な課題は、安保理常任理事国になることだ」と述べたのである。意想外というのは、私が探っていたのはこのような内容であったものの、これほどあからさまに外務省の重要課題が示されるとは予測していなかったからだ。ともあれ、この回答の持つ意味が重要なのは、外務省が何を目標として外交政策を行なってきたのかが如実に示されているからである。しかし、この外務官僚の一言だけで、戦後の外交政策、あるいは「安保関連法」の強行成立を図る裏付けと決めつけるのは軽挙だと考えたので、新聞報道や当時盛んに出された出版物などを詮索することにした。すると直後に、東京新聞紙上で坂田雅裕元法制局長官の「これはもともと外務省の案件なのです」とのさらりとした発言が目についた。しかし、メディアによる「安保関連法」と外務省絡みについての詳細な報道を目にすることはなかった。それから間もなくの7月14日に、イランの核開発問題の国際外交交渉が合意に至る。これでホルムズ海峡の機雷封鎖は立法事実として使えなくなった。すると、政府は臆面もなく中国脅威論を挿入するという目くらましの騙しに転じた。
9月14日、週刊金曜日が「戦争への不服従」なる臨時増刊号を発行し、そこに孫崎享、天木直人、野中大樹の3者による外務省の関与の実態についての論考などを掲載した。野中大樹によると、第1次安倍内閣が誕生した際、外務省の谷内正太郎外務事務次官は「われわれは20年間このときを待っていた。絶好のチャンスだ」との言葉を漏らしたという。安倍を支える「日本会議」などが抱くナショナリズムと対米従属は矛盾するはずだが、この集団は米国の政策批判をすることができない程度の卑屈な歴史修正主義者の集団にすぎない。外務省の谷内にとっては、この集団に支えられている安倍のプチ・ナショナリストの方が組みしやすしと捉えたのであろう。あるいは、安倍首相がナショナリストとしての大国化への妄想を抱いていたから、外務省の大国願望と合致するとの判断を下したのかもしれない。しかし、宰相の器ではない安倍第1次内閣はたちまち行き詰って退場してしまう。外務省の落胆はいかばかりであったろうか。その後に誕生した民主党内閣が「政治主導」を唱えたため、官僚たちは恐慌をきたし、非協力であったばかりか民主党政権をつぶしにかかった。そして小沢一郎をターゲットに据え、検察が動けるようにと単なる記載日のずれを大犯罪であるかのごとく報じるようメディアを操作した。世論の支持を失った小沢一郎は、内閣を組織できなかった。
その後、第2次安部内閣が誕生すると外務省は素早く対応し、「集団的自衛権の行使容認」に向けて安保法制懇の座長に柳井俊二元外務事務次官を据え、事務局長には兼原信克元外務省国際法局長を送り込んだ。一方で、新設された国家安全保障局長に谷内正太郎元外務事務次官を就任させ、その谷内正太郎安全保障局長が安保法制懇の報告書を受け取る役割をさせるという外務官僚の仲間内で完結する方策を仕組んだ。谷内は、9・11事件の際にイラク特措法を制定するなどして自衛隊派遣による対米支援に道筋をつけた外務官僚である。
そして、「戦争法」をスケジュールに沿って9月19日に強行採決すると、安倍首相は国連総会への出席を口実に9月26日に訪米し、11年ぶりにドイツ、インド、ブラジルの首脳とともに4ヵ国首脳会合を開き、国連改革と「安保理常任理事国」入りについて協力していくことを確認する。さらに安倍首相は、9月30日に行なった国連総会での一般討論演説において「日本は国連改革に取り組み、安保理常任理事国入りを果たして国際貢献をしたい」と述べた。小西洋之参議院議員の指摘と陳情の際の外務官僚の発言が明白に繋がり、常任理事国入り工作を表在化させた瞬間であった。
では、なぜ外務省はそこまでして国連常任理事国入りに固執するのか。国際外交の世界では、日本は2等国としてしか扱われていない。1等国とは国連常任理事国の5か国である。日本政府の外交力は元来劣弱なこともあり、世界の中での評価は10位以下といわれる。外交の世界において、日本の意見が求められることはほとんどない。外務省は、国内では国民を見下しているが、外交の世界では日本は対米従属の有象無象扱いなのである。ならば、国連常任理事国入りすることで1等国扱いを獲得しなければならない、という大国願望が外務省を支配することになった。なにしろ、日本は国連への拠出金を米国に次いで出している。しからば、当然常任理事国になってしかるべきである、と外務省は分析して常任理事国入りを実現するために機会をとらえては敵国条項の削除などの国連改革を提起してきた。
日本の安保理常任理事国入りの阻害要因は中国やロシアだと考えられがちであるが、そうではない。米国が最大の阻害要因なのである。21世紀初頭にも国連改革を唱え、日本はドイツとともに常任理事国入りを画策した。このとき、ブラジルやインドも名乗り挙げたため、この4ヵ国の常任理事国入りが協議された。しかし、米政府が「現時点で国連を改革しなければならない必然性は認められない」とのコメントを発したことにより、この画策は頓挫した。外務省は、この米政府の頑なな態度を変えるためには、従来にも増して徹底的に米国の要求をのむことで翻意を促す方策を強化する。そのためには、日本の法体系を変えてでも集団的自衛権の行使を可能にし、米軍の要求に応じていつでも自衛隊を派遣できるようにしなければならない、と外務省は考えた。ガバン・ マコーマックは著書の「属国」で、「永田町や霞が関のナショナリストが、経済大国にふさわしい国連安保理常任理事国の席を手に入れ、強国として世界の舞台で政治力を発揮することを望んでいることは間違いない」と分析しているのは、このことを指す。
冷戦が終結し、戦後70年を経ても尚、日本に米軍の基地が数多存在しているのも、安保条約に伴う「地位協定」の改定を行なわないのも、基地内が治外法権扱いなのも、空域や海域の管理権が完全に返還されないのも、米軍に多額の「思いやり予算」を提供しているのも、不必要な武器を米国から購入するのも、日本全土で戦闘機やオスプレイの訓練飛行が自由に行なえるのも、沖縄の辺野古新基地建設が強行されるのも、郵政の民営化も、TPPで譲歩するのも、米大使館への過剰警備も、「安保法制」を含む米軍への協力法も、あれもこれもサービスしますという外務省の阿諛追従の方針の故なのだ。ナイ・アーミテージの3次にわたる私的報告も、それを外圧として利用するために外務省が働きかけた結果出された可能性も否定できない。日本の外交政策は米国からの圧力によって捻じ曲げられてきたと考えられがちだが、米国の「軍産複合体」絡みの圧力はあるものの、それよりも日本側からの積極的な追従姿勢からきていると見るべきなのだ。
米国は最近日本の常任理事国入りを認めるような発言をしているが、米国に阿って常任理事国入りをしても、理念なき外交では外務官僚の自己欲求を充足するのみで、米国への従属をより深めるだけだろう。なにより、近年の隣国との関係から考量すると、常任理事国5ヵ国が日本を歓迎するとは考え難いから、日本の常任理事国入りはきわめて困難なものとなろう。その間の弊害は、計り知れないものがある。目前の沖縄・辺野古基地建設はその最たるものであり、醜悪な国と沖縄県の対立となって現れている。辺野古新基地建設は国の代執行訴訟に持ち込まれ、沖縄県は準備書面で憲法92条違反であると主張したことから、憲法訴訟となる可能性が高い。
外務・防衛両省によると、辺野古基地建設は抑止力を高めるための唯一の解決策なのだそうだが、唯一の解決策しかないなどということは論理上も現実的にもあり得ない。すなわち、柳沢協二元防衛官僚によれば「抑止力は一度も検討されたことがない」程度の曖昧な概念であり、利害関係者にとっていかようにも解釈可能ないかがわしい文言にすぎないのだ。外務省が米国との集団的自衛権の行使容認を推進するのは、彼らが「日本国憲法」より「日米安保条約」の方が上位にあると位置付けているところにある。だから外務省は、安倍政権による「集団的自衛権の行使容認」の閣議決定および「安保関連法」が、憲法の条項に違反している違憲行為であるということなどほとんど意に介していない。
前後するが、もう一つの立法事実としての朝鮮半島の有事を検討してみる。そもそも北朝鮮が核開発に執着するのは、米国の先制攻撃を恐れているからであって、北朝鮮が第2次朝鮮戦争を引き起こすことなどあり得ない。北朝鮮が先制攻撃をすれば、即国家消滅となるからだ。第2次朝鮮戦争が起こるとすれば、それは米軍の先制攻撃以外にない。実際に、第2次朝鮮戦争が起こされる瀬戸際まで行ったことがあった。それは北朝鮮の核開発疑惑が頂点に達した94年、米国は北朝鮮の核関連施設の爆撃を企図し、それを実行に移すべく日本と韓国に協力を要請した。このとき日本側には千数百項目もの協力要請がなされた。しかし、日本側にはそれに応じられる態勢がなかった。それで、米国は第2次朝鮮戦争をあきらめたのだ、との解釈が日本の一部ではなされている。もちろん、米国としてもその要素は考慮しただろうが、米軍が北朝鮮攻撃を断念した理由はそれではない。
当時の韓国の金泳三大統領が、断固として拒否したからである。それでも、米政府は在韓の米軍および米国人の移動の準備を始めた。それに対して金泳三大統領は、毅然として韓国の空港と港湾をすべて封鎖すると米国に通告した。米国は、北朝鮮との戦争の前に韓国との戦争をしなければならない事態に陥ったのである。これで、第2次朝鮮戦争は立ち消えとなった。このようにホルムズ海峡の機雷封鎖や朝鮮戦争は立法事実として起こりえない事例なのだが、それを承知で外務省が出してきたのは、国民などこの程度で騙し得ると考えたからだ。日本の官僚たちの中でも特に外務官僚は、国民を「無知蒙昧」な「有象無象」としか視ておらず、議員さえ頭の回転の速くない者たち、と小ばかにしている。だからこそ、このような筋の悪いことを承知で情動操作を行なったのだ。しかし、この2つの立法事実が国会の審議の過程で虚構であることが明らかになると、禁じ手ともいえる仮想敵国に中国を位置づけた。中国が日本に戦争を仕掛けることもあり得ない仮想である。大国同士の戦争が国家存亡の危機に瀕するばかりか、世界を大混乱に陥れることは相互に知悉しているからだ。さらに、米中が合同軍事演習をしていることを考慮すると米中戦争も起こりえない。
一方、「安保関連法」の主担務機関の一つである防衛省の位置づけはどうなのか。ある外務官僚は、「軍隊は外交の道具なんです。外交上、必要が生じれば、死んでもらわなきゃならないときだってある」とクラウゼヴィッツの「戦争論」の亜流みたいなことを語ったそうだ。この言葉が示すように、あからさまにいえば防衛省は外務省の伴走者としての使い走りをさせられている機関と化していると言っていい。冨澤暉元陸幕長によれば、湾岸戦争時の機雷掃海も、カンボジアのPKOも、ルワンダのPKOも、ゴラン高原、モザンビーク、ザイール、イラク、そして現在の南スーダンへの自衛隊の派遣も、すべて外務省が提言し、防衛省はそれに伴って実施させられている、というのが実相なのである。「安保関連法」については、最終的に防衛官僚の高見澤將林が国家安全保障局次長になった段階で法案作成に関与したであろうが、骨格を外務官僚が作成していたため、防衛省そのものが「法案」についての理解が十分ではなかった。そのことが、中谷防衛相が言葉に詰まったり矛盾する答弁となったのだ。
日本人は一般に大勢への同調意識が強いが、それにしても安倍政権は徹底したお仲間主義を貫いている。それは安倍内閣の閣僚のほとんどが、狭隘・卑屈なナショナリズムを標榜する「日本会議」の一員というところに現れている。これでは多様な社会的要請に応えることができない。安倍は「美しい国」に少し手を加えた「新しい国へ」を著しているが、読むほどの価値はないものの、彼が大国主義、すなわち軍事大国化、経済大国化を妄想していることは読み取れる。また、特攻隊の行為を賛美し、「確かに自分の命は大切なものである。しかし、時にはそれを投げうっても守るべき価値が存在する」と書く。「特攻」は、人命を粗末にした狂気の時代のもっとも劣悪な戦術である。それを未だに賛美する安倍の精神構造は、反省なき民の象徴ともいうべきものであろう。さらに、「私たちが守るべきものは何か、それはいうまでもなく国家の独立、つまり国家の主権であり、私たちが享受している平和である」と述べている。その上、彼は「戦後レジームからの脱却」を立言して戦後の民主主義制度を否定していながら、米国の保守的なハドソン研究所を設立したハーマン・カーンの賞を受賞した際、「世界の中で日本は民主主義の最も成熟した国なのだから、世界の貢献者でなければならない」と述べている。彼は、民主主義に成熟した形など存在しないことさえ理解する能力がない。また、誰に知恵を付けられたのかわからないが、集団的自衛権を自然権だと書いている。集団的自衛権は「国連憲章」が初出の概念であり、むろん自然権ではない。恐らく、権力に追従する暗愚な学者の発言を安倍は鵜呑みにしたのであろう。
安倍政権は、国会における審議など端から重視するつもりはなかった。だから、詐術を弄して11本の法律のうち「自衛隊法、国際平和協力法、米軍等行動関連措置法、重要影響事態安全確保法」など10本の法改正を「平和安全法制整備法」にまとめ、他の1本は「国際平和支援法」とした。これで、国会審議をしたとの体裁さえ整えれば採決に持ち込めるとの見通しを立てた。審議の過程でこれは「違憲立法」であるとの声が澎湃として上がったため、少し狼狽したものの予定通り審議を打ち切り、強行採決に持ち込んだ。
「戦争法」を素直に読めば、あらゆる事態で自衛隊が米軍の軍事行動に参加できるようになっている。すなわち、この「戦争法」は日本の安全のために制定したのではなく、ただアメリカの覇権主義と軍産複合体の利益のために奉仕することを目的として制定されたものなのだ。第2次大戦後、米軍産複合体は自らの権益のために、ベトナムや中南米など、あらゆる地域で紛争を起こしてきた。中東の混乱はこの軍産複合体によって作り出されたものだが、とりわけシリアの苛酷な惨状は、アフガニスタンやイラクで米軍産複合体が仕掛けた戦争が遠因である。いま世界は、狂気の時代に逆戻りしているように見える。この狂気の中の殺戮と破壊に加担することになるのが、「戦争法」なのである。
佐藤優は、「自由主義と独裁は対立するが、民主主義と独裁は親和性がある。」と分析。さらに、「過去のどの時代よりも官僚階級は暴力的である。国家が公共事業として行なう最も手っ取り早い方法は戦争である。」と指摘している。これは、米軍産複合体が採用してきた手法である。前田哲男は、「日米安保条約と戦争法案は整合しない。日米安保条約と日米ガイドライン、そして戦争法と憲法との間に法の下剋上が起こっている」と述べている。孫崎享はいう、「集団的自衛権は日本には有害無益だ。首脳も政治家もそれを知っている。しかし、米国に追随した方が保身にプラスだとして、その嘘を指摘しないのだ」と。寺島実郎は、「15年の夏は戦後民主主義の空洞化を再確認するような時であった。私たちは得体のしれない管理主義的全体主義へのなだらかな道を歩いているのかもしれない」と述べる。安倍政権は、「特定秘密保護法」を制定して国民から国家情報を隠すとともに、マイナンバーをつけて国民の監視を強め、管理主義的全体主義国家をつくりつつあるということなのだろう。
日本は戦後70年、少なくとも自国の権益のための戦争には参加してこなかった。これは先進国の中では唯一の貴重な国家存在であり、伝統ともなりつつある国柄である。保坂正康は、「現憲法を、せめて100年は続けて国柄にしてからどうするかを考えてはどうか」と提案している。だが、外務官僚と安倍首相がそれぞれの大国願望を吻合させ、内外に害悪を及ぼす米国への従属策を選択した。このような官僚たちの倒錯した行為は、妄想に浸る安倍政権でなければ決して起こることはなかった政変であり、日本のあり方を大きく歪めたことは疑う余地がない。この安倍とそれを取り巻く人物たちは、一刻も早く退陣させなければこの国が損なわれることになる。
今夏の国政選挙では、改憲を視野に入れた衆・参両院同日選挙が取りざたされている。安倍首相はそれを否定しているものの、最高法規の憲法を踏みにじる男の発言は信用するに値しない。いずれになろうとも、違憲立法に賛成した自・公その他の劣化したモラトリアム陣笠議員たちは落選させなければならない。倨傲な官僚の専横と政権の逸脱を抑制し転換させ得るのは、国民と国会だからである。小泉・安倍へと続いた新由主義的市場経済によって、日本は衰亡の道を歩んでいる。破滅への道程を避けるためにも、自・公政権は交代させるのが相当だろう。現憲法を100年維持し、戦争で他国民を殺さないということを国柄として定着させるためにも。 <敬称略>
斎藤邦泰(ニュースレター『月刊伯楽』編集長。もと鈴木安蔵の著書の担当編集者)
安倍晋三首相は、国会答弁で「読んでいない」といったポツダム宣言を、その後読んだのであろうか。
敗戦直後、人々はポツダム宣言をつまびらかに読んだ。それが日本再建の出発点となる文書だったからである。
1945年、日本がポツダム宣言を受諾したとき、この宣言が約束する「平和と民主主義の新国家」を自主的に建設することを担うことができる政治勢力(政党)は、〈治安維持法―軍国主義化―翼賛政治体制〉のもとで、日本のどこにもなかった。8月15日に戦争が終ったにもかかわらず、哲学者・三木清が獄中にあったまま死に追いやられ、戦前、民主主義と反・軍国主義のためにもっとも献身的にたたかった日本共産党の指導者たちがようやく10月10日にGHQ(連合軍総司令部)によって解放されるまで、獄中にとどめられていたことが、それをもっともよく示している。
国民の政治的自由は、GHQが10月4日に発表した「政治的市民的及び宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書」によってはじめて実現された。この覚書にはじまるGHQの一連の民主化政策に元気づけられて、民衆の側からの組織的な民主化運動が急速に展開された。労働組合、農民組合、被差別部落解放、女性解放、在日朝鮮人解放の運動がいっせいに動きはじめた。こうした民衆の運動をまとめて政治的な力にしようと、日本社会党は、11月2日に結成大会をおこない、日本共産党も11月8日に全国協議会を開いた。
日本社会党は、戦前の「合法と認められた無産政党」がよりあって結成した。書記長には片山哲(のちに首相)を選び、委員長は空席とした。綱領には民主主義、社会主義、平和主義の3項目を掲げ「単一社会主義政党」の樹立をめざした。結党時の所属国会議員は17名にすぎなかった(翼賛体制下でも17名もいた)が、日本労働組合総同盟や日本農民組合などに支えられていた。
日本社会党は、帝国議会に合法的に参加した無産政党の人たちによって結成されたが、戦時下の翼賛体制に慣らされていたため、「旧体制内」反対派の色彩が濃かった。中央執行委員17名のうち、ポツダム宣言のいう民主主義を実現したいと志向していたのは加藤勘十、黒田寿男、鈴木茂三郎、松本治一郎らにすぎず、主導権は西尾末広を中心とする「体制順応」「共産主義から民族を守る」を旨とする人びとに握られていた。
日本共産党は、GHQの「人権指令」(10・4指令)によって獄から解放された徳田球一、志賀義雄らを中心に再建された。書記長には徳田球一を選び(当時は委員長制をとっていなかった)、綱領に天皇制打倒と人民共和政府樹立を掲げ、ブルジョア民主主義革命の遂行をめざした。
11月27日の社会党常任委員会は、「天皇大権の大幅な縮減」といいつつも、「主権在国家説たる国家法人説を採り天皇制を存置す」と国民主権論を退け、「天皇制打倒の共産党とは提携できない」と決定して、全国の各支部に通達した。
共産党は、その行動綱領の一つに「天下り憲法〔「明治天皇が下賜した憲法」という意味〕廃止と人民による民主憲法の設定」を掲げていた。ところが、11月11日に発表した「新憲法の骨子」は、「天皇制打倒、人民共和政府の樹立」にはじまる党の行動綱領全25項を、7か条に圧縮したものであった。つまり、共産党の行動綱領が、めざす革命が成就したときにはそのまま憲法の骨子となるというものであった。その革命は、GHQの支持のもとに現在進行中であるという「占領軍=解放軍」という認識が、この考えの前提としてあった。
共産党は、社会党との共同闘争、統一戦線をたしかに主張していたが、「天皇制打倒、人民共和政府樹立」のスローガンが「敵味方のけじめを付ける動かすべからざる一線」(徳田球一)と、共産党の方で、高いハードルを設けていた。しかも、社会党を「社会天皇党」「社会ファシスト」と呼んでいた。これでは、共同闘争や統一戦線などできるはずはなかった。
共産党のセクト主義、「おれ様」主義は、「天皇制打倒を機械的に主張することは大衆からの孤立を招く」「当面は民主連立政府を目標に、主権在民を綱領の基本とする民主統一戦線の結成をめざすべき」と主張した戦前からの活動家・中西功を解党派よばわりし入党を拒否したほど、強烈なものであった。軍国主義に屈せずたたかいぬいてきたという誇りがそうさせたのであろう。
こうして、主として天皇制と憲法構想についての見方のくいちがいから共同闘争・統一戦線へと進もうとしない社・共両党の関係に、新憲法への構想を軸に橋を渡そうとする知識人グループがあらわれた。
新憲法の草案をつくったことで知られることになる憲法研究会である。
憲法研究会は、岩淵辰雄と室伏高信が「陰の画策者」となって、高野岩三郎を「提唱者」としてつくった知識人のグループであった。
1945年11月5日にはじめての会合をもち、5回の会合をかさねて鈴木安蔵が起草した憲法草案を、12月26日、高野岩三郎・馬場恒吾・杉森孝次郎・森戸辰男・岩淵辰雄・室伏高信・鈴木安蔵の7人が署名して、「憲法草案要綱」として発表した。
この間討議に加わったのは、高野岩三郎・大内兵衛・森戸辰男ら大原社会問題研究所と深い関係がある社会主義者、吉田茂(のちに首相)とともに終戦工作に加わって憲兵隊に捕えられたこともあるジャーナリストの岩淵辰雄、かつての民本主義の論客である馬場恒吾・室伏高信、『東洋経済新報』の主筆・石橋湛山(のちに首相)と親しい杉森孝次郎・三宅晴輝ら、多彩な考え方と経歴をもつ知識人で、憲法研究会自体がいわば共同戦線・統一戦線といってよいグループであった。
会の憲法草案の起草者・鈴木安蔵は、京都大学在学中は河上肇門下の学生社会科学研究会のメンバーであり、全国の学生社会科学研究会の連合会をつくったことによって治安維持法違反で投獄されたあと、定職につくことができないなかで憲法学・政治学の研究を志し、京大の佐々木惣一、東大の美濃部達吉に師事し、労働運動、社会主義運動にかかわる雑誌などに多くの論文や翻訳を発表して、生計を営んできた。そのなかで、33年に刊行した『憲法の歴史的研究』や『日本憲法成立史』など、とくに自由民権運動をも踏まえた明治憲法成立史の研究で実績をあげた。鈴木が就いた職らしいものといえば、衆院憲政史編纂委員くらいであった。鈴木のこうした経歴に〈自由民権→大正デモクラシー→社会主義〉という戦前日本の民主主義者の系譜が凝縮されている(歴史学者・松尾尊兊の評)。
鈴木の起草した憲法草案には、植木枝盛案をはじめとする自由民権運動による憲法草案の発想が大いに生かされていた。しかも、戦後、鈴木がいち早く憲法改正問題に取り組んだのには、当時、海外の代表的な日本近代史家で、連合国の一員カナダ政府からGHQに派遣されているE・H・ノーマンからの示唆があった。1940年、ノーマンがカナダ公使館員として来日した時期、鈴木は、羽仁五郎、平野義太郎らとともに明治の革命の研究を通してノーマンと親交し、自由民権運動、近代世界の革命や憲法についても議論して、民主的憲法をもつことの大切さを学んでいた。
のちに発表されるGHQの憲法草案には、こうして憲法研究会案を媒介として、自由民権運動にはじまる「明治憲法に対抗する民衆憲法」の精神が吸収されていた。
憲法研究会のメンバーに共通していたのは、軍国主義の翼賛政権とは無縁で、しかも、大正デモクラシーの洗礼を受けていたことであった。
憲法研究会の「憲法草案要綱」は、「根本原則(統治権)」5条、「国民権利義務」13条、「議会」11条、「内閣」7条、「司法」6条、「会計及財政」8条、「経済」4条、「補則」4条、計58条からなっていた。
特色は第1に、冒頭に「日本国の統治権は日本国民より発す」と国民主権を明記したことにある(以下、引用にあたって片仮名まじり文を平仮名に改めた)。
天皇制については、存続をみとめたが、「国政を親らせず」「国民の委任により専ら国家的儀礼を司る」ものとし、即位も議会の承認を受けねばならない、とした。「親しむ」とは、天皇・天子に使う言葉としては、「天皇親政」などのように、「自分でする」を意味する。「親らせず」として、天皇の政治への関与を否定した。研究会のなかには、のちに独自の憲法案を発表する高野岩三郎のような共和制論者もいたが、研究会の大勢は「民主化された天皇制」の存置に同意した。
特色の第2は、「国民権利義務」において、法律のもとの平等、男女の同権、民族・人種による差別の禁止、爵位・勲章の廃止など、平等についての規定を多くもうけ、また、労働の権利と義務、8時間労働制、休息権、社会保障を受ける権利、「健康にして文化的水準の生活を営む権利」などのワイマール憲法以来の「20世紀的な新しい人権」=社会権を規定しもりこんでいることにある。
当時GHQで憲法問題を担当していた民生局のM・E・ラウエル中佐は、憲法研究会案を詳細に検討したうえで、9項目15点にわたる「勧告」を付記しながらも、「この憲法草案中に包含されている諸条項は、民主的でかつ承認できるものである」と報告した。
このことから、もし幣原内閣が憲法研究会案の水準と内容をもつ憲法草案をGHQに提出していたならば、承認され、GHQ側から草案を押しつけられることはなかったであろうことが十分に想像できる。「憲法押しつけ」は、当時の日本の支配層がみずから招いたことであった。
憲法研究会案は、主張の多くを実際にGHQ草案に取り入れられた。家永三郎『歴史のなかの憲法』は、取り入れられた個所が23か条にわたる、と指摘している。
憲法研究会の憲法草案は、GHQ案に生かされただけではなかった。膠着状態にあった社・共両党を中心とする民主戦線・統一戦線結成のかなめとなり、橋わたしの理論的根拠を提供した。
1946年新春早々の1月10日、戦時中の中国において日本の侵略戦争に対する反戦活動をし日本国内にも反戦を呼びかけつづけてきたコミュニスト・野坂参三が帰国することを前に、日本の社会主義運動の最長老の一人・山川均は、野坂の帰国がひとつのきっかけになるかもしれないと考え、進行中の民主革命を軍国主義=「国体護持」勢力から守りぬくための人民戦線(民主戦線)をただちに結成するよう提唱した。
山川は、いっさいの民主主義勢力を結集するためには共同綱領はごく基本的な項目にしぼるべきと考え、共同綱領の第一に「統治権を人民の手に確保する民主主義の原則の上に立つ国家機構の完全な民主化」をあげた。これは、まさに憲法研究会案の基本的趣旨を採用したものであった。
1月12日に帰国した野坂は、山川の提唱にこたえようと、共産党中央委員会と協議して、「天皇制打倒」を「封建的、専制的、独裁政治制度としての天皇制の廃止」と変えさせ、より広汎な人びとの民主戦線への結集に道をひらいた。
共産党の方針転換は、社会党の民主戦線への対応を変えさせた。のちに60年安保闘争に際して民社党をつくり社会党を割ることになる水谷長三郎でさえも、「野坂の天皇制に対する見解は憲法研究会案に一致し、社会党とも接近している」と歓迎した。
1月16日の社会党中央委員会は、鈴木茂三郎の主張する「主権在民憲法論」、「人民戦線即時結成論」こそ採用しなかったものの、天皇制の問題では、「天皇は儀礼的存在にとどめる」と憲法研究会案に一歩近づき、人民戦線についても「主体的条件がととのいしだい社会党が主唱する」として、それまでの完全拒否の姿勢を改めた。
社・共両党にたいして憲法研究会案が影響力を発揮したのである。
1月26日の野坂参三帰国歓迎国民大会は、実行委員長・山川均、司会・荒畑寒村で開かれ、社・共両党をはじめとする20を越える団体の共催によって、5万人が集まり、「民主戦線は成功するにちがいない」との印象を与えた。翌日、山川は、「人民戦線組織準備事務所」を設け、世話人の勧誘に乗り出した。
こうした動きは、たちまち地方に波及した。全国各地に社・共両党を中心とする民主戦線が続々と発生し、24府県にひろがった。
「京都民主戦線」(2月21日結成)の場合。
経済学者・名和統一が音頭をとり、共産党を一歩退かせて社会党を立て(水谷長三郎は京都が地盤であった)、社会党が提唱するかたちをとり、この結果、自由党の多くまで参加して、京都民主戦線は成立した。
高山義三(のちに京都市長)ひきいる自由党京都支部は、本部の「憲法改正要綱」に反対し、「日本国家の統治権は国民より発す」とする憲法研究会案にのっとった主権在民論をとる、と1月21日に表明した。社会党京都府連合会も、2月4日になって、憲法研究会案を全面的に支持することを決定した。
ここでも、憲法研究会草案が影響力を発揮したのであった。
このように、各地で憲法研究会案がかすがいとなって民主戦線が成立した。
民主戦線は、憲法を国民の手でつくる運動の色彩をもっていった。
こうして民主戦線が全国へと広がるなかで、来たるべき4月総選挙は、「天皇は統治権の総攬者」にこだわる政府・自由党・進歩党の非・民主連合と「主権在民論」の社・共両党の民主戦線との決戦となるはずであった。
3月6日、「GHQ草案にもとづく政府案」が発表された。政府案の発表は、あっというまに、民主戦線を分断してしまった。
社会党は、当然、賛成した。政府にしたがう自由・進歩両党は、態度を急変して政府草案に賛成した。
ところが、共産党は、「象徴天皇制」の意味を正確に理解できなかったのか、「〔政府案は〕事実上天皇主権を主張する精神に貫かれている」という誤った理解にもとづく硬直した反応を示し、「天皇制打倒、人民共和政府樹立」という元のところにもどってしまった。このため、社会党は正式に民主戦線不参加を決定し、それを受けて共産党は社会党への罵倒を再開した。
民主的方法による憲法制定を要求――民主人民連盟と憲法研究会
山川均は、見切り発車をせざるをえなくなった。3月10日、第1回の世話人会を開き、民主人民戦線のための組織として「民主人民連盟」の結成へと動き出した。その暫定綱領の第2項には「人民の発意に基く民主的方法による新民主憲法の制定」が掲げられた。
この綱領の趣旨も憲法研究会がかねて主張してきたものに他ならなかった。
すでに1月25日、憲法研究会は、鈴木安蔵の提案にしたがって、「5月中旬頃に民主勢力が憲法制定会議を開き、草案を決定する」と提唱していた。政府案が憲法研究会案に近い有力案であることは認めながらも、「人民主権の不徹底」などの欠陥があることを指摘し、政府案のみを唯一の決定的な草案とはせずに、人民主権憲法を国民自身によって審議決定し国会にのぞむべきである、と強調した。
高野・森戸・大内ら憲法研究会の有力メンバーを含む民主人民連盟の世話人会は、3月15日、「民主的方法による新憲法の制定を要求する国民運動」を提唱した。しかし、分裂・対立を深める社・共両党は、それに耳をかそうとはしなかった。
「民主的憲法制定には民主的手続きが必要」との主張は、「天皇機関説」を根拠に弾圧された経験をもつ美濃部達吉も唱えていた。
連合国の対日政策決定機関である極東委員会の多数も、この点では同じ見解であった。
もし、国会でGHQ案にもとづく政府草案だけではなく、さまざまの草案をまじえて審議する方法がとられていたならば、「憲法押しつけ論」は根拠を失ったであろう。民主戦線の不成立が、その機会を失わせた(松尾尊兊)。
しかし、憲法研究会草案を考え方の軸とする民主戦線の結成など、民衆の力づよい憲法運動が広く存在していたからこそ、支配層は「GHQ案→政府案」を受入れざるをえなかったのである。
* * *
憲法運動のもつ力
今年2016年は「憲法誕生70年」にあたる。それにたいして安倍晋三政権は、安保・戦争法制につづいて、「憲法壊し」を本格化しようとしている。7月の参院選挙で「憲法壊し勢力」を少数派にしなければならない。
政党は、とかく、まちがうものである。しかし、そのまちがいは、国民のまちがいを反映してもいる。国民が民主主義的に成熟し、国民にふさわしい政党をもつようにしなければ、日本の民主主義を発展させることはできない。
市民連合をつくることができたのは、その点でも、日本の民主主義にとって画期的な前進である。
憲法制定に向けての敗戦直後のたたかいにおいて憲法運動が果たした重要な役割を改めて確認し、教訓をくみとり、誤りをくりかえさせず、なんとしても、安保・戦争法制の廃棄、憲法の実現をやりとげていきたい。 (2016年1月5日)