私と憲法176号(2016年1月1日号)


裁判官の想像力を働かせるような安保法制違憲訴訟を展開しよう

2015年12月21日、元裁判官の弁護士を含む多数の弁護士らによる(現時点立で約300名)安保法制違憲訴訟の会の立ち上げ記者会見が行われた。今般の安保法制(戦争法制)が違憲・無効なものであることを、全国的な裁判で闘おうという下記のような呼び掛けである。

裁判は、(1)差止め訴訟、(2)国家賠償請求訴訟の二類型。(1)は、内閣総理大臣は違憲な安保法制に基いて、自衛隊に出動命令を発してはならないとするものである。(2)は安保法制の「制定」によって、市民の平和的生存権が侵害されたことを理由とし損害賠償請求という体裁による裁判である。今回は平和的生存権の侵害だけでなく憲法制定権の侵害(閣議決定という手段により「改憲」がなされ、市民の憲法制定権が侵害された)も主張する。

日本の裁判は具体的な争訟性を必要とする。安保法制が違憲だということだけでは裁判を起こすことは出来ない。違憲な安保法制によって、市民の権利がどのように、具体的に侵害されたかが必要となる(侵害があるから裁判所に救済を求める)。かっての「テロ特措法」違憲訴訟、自衛隊イラク派遣違憲訴訟等々でさんざん問題とされた点である。確かに安保法制の制定により、直ちに戦争なるということではない。

戦後日本政府の安全保障政策の根幹をなして来た個別的自衛権は認められるが集団的自衛権の行使は認められないという国是がしかるべき憲法改正手続きを経ることなく、閣議決定によって簡単に変えられてしまうという立憲主義の否定がどんな社会を招来するか想像力を働かせることが必要である。

経団連は、武器輸出を国家戦略とする提言を為した。防衛省は、武器輸出の窓口として防衛装備庁を発足させた。武器輸出をするためには武器の需要、すなわち紛争がなければならない。武器輸出を国家戦略とするような「平和国家」があり得るだろうか。福島の原発被害を放置したままでの原発輸出、そして武器輸出、日本の国柄が変わってしまう。それは倫理的な意味だけでなく、日本の産業構造自体が変わってしまうことを理解しなくてはならない。そして国内における人権侵害である。政権周辺からの政権に批判的なメデイアに対する攻撃など、その兆候をあちこちに見ることができる。「法的安定性など関係ない」などいう暴言を吐いた首相補佐官もいた。立憲主義、法治主義の否定、専門家の見解に対する冷笑、反知性主義が横行している。安保違憲訴訟はこのようなことを問う裁判である。裁判官の想像力を働かせるような訴訟活動を為すことが不可欠である。

安保法制の強行成立に心を痛めておられる市民の皆様に安保法制違憲訴訟の原告に加わりませんか2015年9月19日は、多くの市民にとって決して忘れることのできない日となりました。安保法制のこの上ない強引な国会採決を目の当たりにして驚きと怒りを覚えました。今でも怒りがふつふつとわいてきます。

わたしたちは、立憲主義をしっかりと守り、憲法をまもりぬくという強い思いから、安保法制による自衛隊の出動などに対する「差止訴訟」と平和的生存権と人格権侵害などに対して「国家賠償請求訴訟」を提起しようと、「安保法制違憲訴訟の会」を立ち上げました。わたしたちは、これまでいろいろ異なった生き方や活動をしてきました。弁護士会の内外で、立憲主義と憲法をまもる活動を理論的に追求し、実際の運動をしてきた者、行政訴訟を専門に扱ってきた者、戦争被害者を支援する弁護団活動をしてきた者や、この違憲訴訟構想に賛同した複数の元裁判官などが集まっています。

わたしたちは採決の強行(そもそも「採決」自体が存在したのかという問題点もあります)が行われる前後から、内閣や国会の行動が憲法上許されるべきではない、もしこれを司法が黙って見過ごすようなことがあっては、司法はその役割を放棄することになってしまうと心配していました。三権分立の原則の下で、司法は立法・行政に対する監視、抑制機能をなっているからです。

今こそ、立憲主義をまもり、平和主義、国民主権、人権尊重という憲法がうたう価値を擁護するという一点で共同して違憲訴訟を提起することが求められているとの思いを強くしています。多くの市民の皆さんからの訴訟を超すことへの強い期待と希望が日々寄せられていることを実感しております。私たちは、法律家としてこの期待と希望にしっかりと答える義務を負っていると考えております。さらに、この訴訟は、戦争体験者、戦争被害者、国際NGO活動に取り組んでいる人々、基地被害に苦しんでいる人々、これからの社会を憂える市井の人々、二度と戦争加害者にならないことを願っている人々、これからも声を上げ続けようとの決意を行動で表している若者たちに勇気を与えるとわたしたちは考えています。
「差止訴訟」と「国家賠償請求訴訟」には裁判上のさまざまな課題があるところですが、全国各地の有志の方々と共に訴訟提起に向けて全力を尽くしていきたいと考えております。

☆原告になるご負担は日本国憲法を守ること以外にはありません。
☆申し立て費用、弁護士費用は無償弁護活動や賛同者のカンパ等によりまかないますので不要です。若干の手続のための費用と手数だけです。お送りくださった方にはこちらから詳細をご連絡します。
☆ 原告になるご回答をいただいた方にはこちらから詳細をご連絡します。

2015年12月21日
[安保法制違憲訴訟の会・共同代表(50音順)]
伊藤真 内田雅敏 黒岩哲彦 杉浦ひとみ 田村洋三 角田由紀子 寺井一弘 福田 護 堀野紀

【事務局】 安保法制違憲訴訟の会
東京都渋谷区桜丘町17-6 渋谷協栄ビル2階
電話 03-3780-1260  FAX 03-3780-1287

*参加申し込み書式は総がかり行動実行委員会のサイトからダウンロードしてください

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資料 安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合

1.趣意

去る9月、安倍晋三政権は、集団的自衛権の行使を可能にするため憲法違反の安全保障法制を数の力で成立させた。これは、戦後日本の国民的合意である平和国家、専守防衛の国是を捨て去ろうとする暴挙である。

他方、安保法制に反対する様々な市民が自発的な運動を繰り広げ、世論に大きな影響を与えたことは、日本の民主政治の歴史上画期的な出来事であった。とはいえ、権力者による憲法の蹂躙を食い止めるためには、選挙によって傲慢な権力者を少数派に転落させる以外にはない。安保法制反対の運動に加わった人々から野党共闘を求める声が上がっているのも当然である。

しかし、安保法成立以後2か月以上が経過しているにもかかわらず、野党共闘の動きは結実していない。来年の参議院選挙で与党がやすやすと多数を維持するなら、多数派による立憲政治の破壊は一層加速し、憲法改正も日程に上るであろう。

日本の立憲主義と民主主義を守りたいと切望する市民にとって、もはや状況は座視できない。政党間の協議を見守るだけでは、自民党による一強状態を打破することはできない。今何より必要なことは、非自民の中身を具体的に定義し、野党共闘の理念と政策の軸を打ち立てる作業である。安保法制に反対した諸団体および市民が集まり、ここに安保法制廃止と立憲主義の回復を求める市民連合を設立する。

2.要綱

安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合(略称:市民連合)

【理念】
立憲主義、民主主義、平和主義の擁護と再生は、誰もが自由で尊厳あるくらしをおくるための前提となるものである。私たち市民連合は、安全保障関連法を廃止、立憲主義を回復し、自由な個人が相互の尊重のうえに持続可能な政治経済社会を構築する政治と政策の実現を志向する。

【方針】
1.市民連合は、2000万人署名を共通の基礎とし、
(1)安全保障関連法の廃止
(2)立憲主義の回復(集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回を含む)
(3)個人の尊厳を擁護する政治の実現
に向けた野党共闘を要求し、これらの課題についての公約を基準に、参議院選における候補者の推薦と支援をおこなう。

2.市民連合は、参議院選挙における1人区(32選挙区)すべてにおいて、野党が協議・調整によって候補者を1人に絞りこむことを要請する。候補者に関する協議・調整は、選挙区ごとの事情を勘案し、野党とともに必要に応じて市民団体が関与し、その調整によって「無所属」の候補者が擁立される場合も考えられる(無所属候補者は、当選後の議員活動について、市民連合や関与した市民団体との間に一定の協定を締結するものとする)。

3.市民連合は、個人の尊厳を擁護する政治の実現を目指し、
(1)格差・貧困の拡大や雇用の不安定化ではなく、公正な分配・再分配や労働条件にもとづく健全で持続可能な経済
(2)復古的な考えの押しつけを拒み、人権の尊重にもとづいたジェンダー平等や教育の実現
(3)マスコミや教育現場などにおける言論の自由の擁護
(4)沖縄の民意をふみにじる辺野古新基地建設の中止
(5)脱原発と再生可能エネルギーの振興
などのテーマにおいて政策志向を共有する候補者を重点的に支援していく。

4.市民連合は、「2000万人戦争法の廃止を求める統一署名」の共同呼びかけ29団体の個人有志、また市民連合の理念と方針に賛同する諸団体有志および個人によって組織し、各地域において野党(無所属)統一候補擁立を目指し活動している市民団体との連携をはかる。

2015年12月20日
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合・呼びかけ5団体有志
戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」有志 SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)有志 安全保障関連法に反対する学者の会有志 立憲デモクラシーの会有志 安保法制に反対するママの会有志

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2014年~2015年 国会周辺・戦争法反対運動の記録

注:壊すな!実=解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会、1000人委=戦争させない1000人委員会、総がかり=戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

【2014年】
04/08火 解釈で憲法9条を壊すな!4・8大集会&デモ(壊すな!実)5000人
04/22火 解釈で憲法9条を壊すな!4・22国会前行動(壊すな!実)
05/13火 解釈で憲法9条を壊すな!5・13国会包囲ヒューマンチェーン(壊すな!実)2500人
05/15木 安保法制懇「報告書」はいらない!5・15緊急国会行動(壊すな!実)2000人
05/27火 閣議決定で「戦争する国」にするな! 5・27緊急国会行動(壊すな!実)350人
06/09月 閣議決定で「戦争する国」にするな!与党協議を監視する6・9緊急官邸前行動(壊すな!実) 350人
06/17火 閣議決定で「戦争する国」にするな! 6・17大集会(壊すな!実)5000人
06/19木 閣議決定で「戦争する国」にするな! 与党協議で勝手に決めるな!6・19緊急官邸前行動(1000人委/壊すな!実)1000人
06/23月 閣議決定で「戦争する国」にするな! 与党協議で勝手に決めるな!緊急官邸前行動(壊すな!実)500人
06/27金 閣議決定で「戦争する国」にするな! 与党協議で勝手に決めるな!緊急官邸前行動(朝)(1000人委/壊すな!実)
06/30月 閣議決定で「戦争する国」にするな! 与党協議で勝手に決めるな!緊急官邸前行動(1000人委/壊すな!実)
07/01火 閣議決定で「戦争する国」にするな! 与党協議で勝手に決めるな!緊急官邸前行動(朝)(1000人委/壊すな!実)
07/01火 閣議決定で「戦争する国」にするな! 与党協議で勝手に決めるな!緊急官邸前行動(15時~)(1000人委/壊すな!実)
07/13日 「閣議決定」撤回!閉会中審査でごまかすな!7・13国会包囲大行動(壊すな!実)3000人
07/14月 「閣議決定」撤回!閉会中審査でごまかすな!7・14国会大行動(1000人委/壊すな!実)
07/15火 「閣議決定」撤回!閉会中審査でごまかすな!7・15国会大行動(1000人委/壊すな!実)
09/04木 戦争させない・9条壊すな!総がかり行動(1000人委/壊すな!実)5500人
09/29月 9・29「安倍政権の暴走を止めよう!」国会包囲共同行動(朝)2000人/9・29 「安倍政権の暴走を止めよう!」国会包囲共同行動(夜)700人
10/08水 閣議決定撤回!憲法違反の集団的自衛権行使に反対する10・8日比谷野音大集会&パレード(日本弁護士会連合会/1000人委・壊すな!実は協力)3000人
11/11火 戦争させない・9条壊すな!11・11総がかり国会包囲行動(1000人委/壊すな!実)7000人
12/20土 解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会 年末大講演会(壊すな!実)150人

【2015年】
01/26月 安倍政権の暴走に反対する1・26国会前行動(総がかり)2500人
03/13金 戦争関連法制反対!密室協議で勝手に決めるな!3・13国会前行動(朝)(壊すな!実)55人
03/20金 戦争関連法制反対!密室協議で勝手に決めるな!3・20国会前行動・朝(壊すな!実)120人
04/27月 日米ガイドライン改定反対!4・27官邸前行動(総がかり)800人
05/03日 5・3憲法集会(5.3憲法集会実行委員会)30000人
05/12火 許すな! 戦争法案 戦争させない・9条壊すな! 5・12集会(総がかり)2800人
05/14木 戦争法制閣議決定・国会提出抗議 5・14首相官邸前集会(朝)(総がかり)500人
05/21木 戦争法案反対国会前集会(総がかり)※木曜行動初日 850人
05/24日 辺野古新基地建設反対!国会包囲行動(「5・24首都圏アクションヒューマンチェーン」実行委員会主催/総がかりは協力)15000人
05/26火 戦争法案の審議入りに抗議する5・26緊急国会前行動(総がかり)900人
05/28木 5・28戦争法案反対国会前集会(総がかり)1100人
06/04木 6・4戦争法案反対国会前集会(総がかり)1400人
06/11木 6・11戦争法案反対国会前集会(総がかり)1700人
06/14日 とめよう!戦争法案 集まろう!国会へ6・14国会包囲行動(総がかり)25000人
06/15月 戦争法案反対・国会前連続座り込み行動(総がかり)500人
06/16火 戦争法案反対・国会前連続座り込み行動(総がかり)
06/17水 戦争法案反対・国会前連続座り込み行動(総がかり)
06/18木 戦争法案反対・国会前連続座り込み行動(総がかり)/6・18戦争法案反対国会前集会(総がかり)2000人
06/19金 戦争法案反対・国会前連続座り込み行動(総がかり)
06/22月 戦争法案反対・国会前連続座り込み行動(総がかり)
06/23火 戦争法案反対・国会前連続座り込み行動(総がかり)
06/24水 戦争法案反対・国会前連続座り込み行動(総がかり)/ とめよう!戦争法案 集まろう!国会へ6・24国会包囲行動(総がかり)30000人
06/25木 6・25戦争法案反対国会前集会(総がかり)1000人
07/02木 7・2戦争法案反対国会前集会(総がかり)1800人
07/09木 7・9戦争法案反対国会前集会(総がかり)1500人
07/14火 戦争法案廃案!強行採決反対!7・14大集会(総がかり)20000人
07/15水 7・15緊急抗議行動(総がかり)2300人
07/15水 強行採決反対!国会正門前行動(総がかり)25000人
07/16木 強行採決反対!国会正門前行動(総がかり)
07/17金 強行採決反対!国会正門前行動(総がかり)
07/23木 7・23戦争法案反対国会前集会(総がかり)2000人
07/26日 とめよう!戦争法案 集まろう!国会へ7・26国会包囲行動(総がかり)25000人
07/27月 7・27戦争法の廃案を要求する緊急行動(総がかり)400人
07/28火 戦争法案廃案!7.28日比谷集会&デモ(総がかり)15000人
07/30木 7・30戦争法案反対国会前集会(総がかり)2500人
08/06木 8・6戦争法案反対国会前集会(総がかり)3000人
08/13木 8・13戦争法案反対国会前集会(総がかり)2000人
08/20木 8・20戦争法案反対国会前集会(総がかり)2300人
08/26水 日本弁護士連合会主催 日比谷大集会(日本弁護士会連合会/総がかりは協力))4000人
08/27木 8・27戦争法案反対国会前集会(総がかり)2400人
08/30日 戦争法案廃案!安倍政権退陣!8・30国会10万人・全国100万人大行動(総がかり)※12万人&全国1000個所以上同時行動 120000人
09/03木 9・3戦争法案反対国会前集会(総がかり)2100人
09/09水 戦争法案廃案!安倍政権退陣!9・9日比谷大集会(総がかり)5500人
09/10木 戦争法案廃案!国会正門前行動(総がかり)※第一部の参加者の人数 4000人
09/11金 戦争法案廃案!国会正門前行動・座り込み(総がかり)/ 戦争法案廃案!国会正門前行動(総がかり)8400人
09/12土 止めよう!辺野古埋立て9.12国会包囲行動(止めよう!辺野古埋立て9.12国会包囲行動実行委/総がかりは協力)22000人
09/14月 戦争法案廃案!国会正門前行動(座り込み)(総がかり)/ 戦争法案廃案!国会正門前行動(総がかり)45000人
09/15火 中央公聴会開催抗議緊急行動(総がかり)
09/15火 戦争法案廃案!国会正門前行動(座り込み)(総がかり)/ 戦争法案廃案!国会正門前行動(総がかり)10000人
09/16水 戦争法案廃案!国会正門前行動(座り込み)(総がかり)/ 戦争法案廃案!国会正門前行動(総がかり)35000人
09/17木 戦争法案廃案!国会正門前行動(座り込み)(総がかり)/ 戦争法案廃案!国会正門前行動(総がかり)30000人
09/18金 戦争法案廃案!国会正門前行動(座り込み)(総がかり)/ 戦争法案廃案!国会正門前行動(総がかり)40000人
09/19土 (朝の緊急行動)(総がかり)300人
09/23水 9・23さようなら原発 さようなら戦争 全国集会(「さようなら原発」一千万署名市民の会/総がかりは協力)25000人
09/24木 9・24戦争法案反対国会前集会(総がかり)5000人
10/01木 浅沼稲次郎さんを追悼し、未来を語る集会~日本の民主主義を考える(浅沼稲次郎さんを追悼し未来を語る集会実行委員会/総がかりは協力)
10/08木 10・8戦争法廃止!安倍内閣退陣!総がかり行動集会(総がかり)1750人
10/19月 私たちはあきらめない!戦争法廃止!安倍内閣退陣!国会正門前集会(総がかり)9500人
11/19木 私たちはあきらめない!戦争法廃止!安倍内閣退陣!国会正門前集会(総がかり)9000人
12/19 土 自衛隊を戦場に送るな!総がかり講演集会(総がかり)2200人
(作成 服部真之)

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新春メッセージ

2015年は戦後史に残る年、2016年は実現に向かう年へ!

中尾こずえ

戦後70年のなかで今年の夏ほど「戦争反対」「憲法守れ!」の老若男女の声が大きく上がった年はなかったのではないか。
ドイツの元大統領の演説の「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります。」という言葉の通り、過去の歴史に学ぶことによって将来を展望出来るのだと思う。戦争は人命を殺傷するだけではない。暮らしの場や地域社会を焦土と変え、人間の精神を荒廃させる。全ての自由を奪い取り、個人の人生をも破壊する。

第2次安倍政権は「私は最高責任者である」と豪語して独裁者になった。安倍首相の何よりもの怪しさは、まず9条を狙ってきたこと。そして、戦争の非人間性を覆い隠すため戦争賛美の教科書にまで政治介入してきたことだ。この独裁者は思想や表現の自由を制限し、個人の自由と基本的人権を弾圧する。日本の言論の自由度が世界で61位とは酷い。

「安保法」が強行採決された9月19日未明、初めて国会前でスピーチに立ったシールズの女性メンバーは「奨学金の返済に追われ、中絶した友人がいる。シングルマザーとして子を産み育てることを許さなかった命軽視の政治が、『安保法』を強行採決した。命をバカにした政治家には辞めてもらいたい」と声を震わせた。ここにはいない「私と似た女の子」の分も声を伝えたかった。反響は大きかった。(東京新聞「路上から黙っていられない」から抜粋)

今年の夏、“アベ政治を許さない”人びとは国会周辺に路上に溢れ出て怒りの声を上げた。多様な方法で民主主義を表現した。安倍政権の怪しさ、キナ臭さ、ペテン、独裁政治などが日本中の市民を民主主義に覚醒させたのだ。一度目覚めてしまったら、安倍政権を退陣させるまでは居眠りなどできない。人間には言葉があり、表現する力がある。戦争が二度と起きないように知恵を働かそう。想像するちからも大事だ。

未来に対する大人の責任

街頭署名を呼びかけているとき、10代~20代位の人たちから「大丈夫です。」と言葉が帰ってくる。一体、何が大丈夫なのだろうと思っていたらどうやら今どきの簡単な断り文句だった。勿論、こういった若者たちばかりではない。ある時はレゲエグループ4人が「何とかしなければヤバいと話し合っているよ」、「大学のゼミで話題に」、等々と言いながら署名をする若者たちがいる。前出の若いひとたちが頑張っている。見ていて胸がいっぱいになるほど彼らは懸命に自分たちが「おかしい」と思うことにNOと主張する。街宣隊で活躍している若い人たちの企画力や行動力はスゴイ。敗戦から半世紀近くも経った頃に生まれた若者たちが新しいかたちで反戦運動を担っている。もっと大人になっている人たちの熟年層は未来に対する責任を背負っていかなければならないと思う。誰もが「自由に生きたい 平和に生きたい 差別はされたくない」と願っていることだろう。この真逆の事態になるのが戦時だ。戦争の記憶が遠ざかるとき戦争がまた近づいてくるという事にはさせたくない。安倍信三はあった事をなかった事に、有るものを無い事にするのにひたすら熱心だ。

峠三吉の「にんげんをかえせ」、栗原貞子の「生ましめんかな」、石垣りんの「弔詞」、児童向けの「ガラスのウサギ」や「はだしのげん」など実話に基づいた詩や物語は山ほどある。長野県上田市の戦没画学生の「無言館」も必見。広島、長崎、沖縄、アジアの国々に残されたものや「慰安婦」ハルモ二の証言集に記録された資料も沢山ある。これらは、「二度と戦争への道を開いてはいけない」と教えてくれる。反戦・平和運動の私の大先輩である岩瀬房子さんはこれらを教材にして春・夏の学校休みに「母と子の映画教室」を地域の公民館で定例開催し、代用教員時代に戦中経験した事などを語って下さった。12月19日、総がかり行動実行委員会主催の講演会の会場ロビーには房子さんの娘さん(私と同年)、お孫さん、お孫さんの腕の中にはひ孫さん(生後3か月)が参加していらっしゃった。皆さん女性ばかり。岩瀬房子さんの反戦平和への祈りのバトンは4世代へとタッチされたのですね。私は、数日前にお会いしたばかりでもあったし、ニッコリとされたお顔が浮かんできて何か温かな気持ちが流れてきた。
2016年は、戦争法を廃止するために総がかりで闘って作り出した宝を余すことなく生かしたい。そのためにも出来ることを全てやる。一口に言えばこういう年にしたい。

裾野を拡げ高い頂を目指そう!

菱山南帆子

平和よりも戦争を好み、民主主義よりも独裁を好み、労働者よりも資本家を守り、中小零細よりも大企業を守り、福祉よりも軍事を優先し、そして歴史に学ばず、命を軽んじ、人間の尊厳を平然と踏みにじる「侮辱の政治」こそ安倍政治の本質であることが露わになるにつれ「もう侮辱のなかで生き殺されるのはゴメンだ!」と市民の怒りが広がってきました。

「アベ政治を許さない!」を合言葉にした市民の怒りの大合流こそ総がかり運動です。
バラバラを乗り越えて「共同しよう」「総がかりで行こう」と踏み出した歩みが8.30の国会前の大結集と全国での大決起につながりました。
9.19に強行可決されても闘いの熱気は冷めるどころか益々熱くなっています。
ここに2015年安保闘争の特徴があると言われます。
60年安保闘争の後、挫折感が世の中を覆っている時、西田佐知子さんの「アカシヤの雨が止む時」という歌が流行ったそうです。
そこでは「夜が明ける/日がのぼる/朝の光のその中で/冷たくなった私をみつけて」と歌われています。
闘いに敗れうちひしがれた心情でしょうか?
9.19強行可決の後、国会で夜明けを迎えた私達は、打ちひしがれて冷たくなるどころか意気高く「倍返しだ!」と熱く燃えていたのです。
勿論悔しさに満ち満ちていましたが挫折感はありませんでした。
それは、きっと市民の怒りはまだ火がついたばかりであり、もっと燃え広がり、もっと燃え上がるに違いないと感じられたからではないでしょうか?
また、自分達の闘いが決して燃え尽きることはないことを感じられたからではないでしょうか?
この一年間「一つの運動としての街宣」活動に取り組んできてつくづく実感するのは、これは「長いものには巻かれろ」という政治風土との闘いそのものだ、ということです。
「急がば回れ」の言葉に従い、草の根から取り組もう、道ゆく人々の「素通り」を「共感」に変えようと多様なパフォーマンスで発信してきたことは正解でした。
老若男女、各界各層などという月並みな言葉では言い表せないほど多様でラジカルな運動が始まっています。それは新たな政治風土を創り出すムーブメントになっていると思います。
市民が主体的に考え、堂々と行動する政治風土には「戦争する国」は絶対に成り立ちません。
また「政治には関わるな」という政治風土は、なによりも権力者の弾圧によって作られてきました。しかし、闘う側の分裂の歴史もまたそのような政治風土に手を貸してきたのではないでしょうか?
今、総がかりの運動は闘う側の分裂の歴史を塗り替え新しい政治風土を作り出しています。
「共同の精神」と「総がかりという戦術」を更に研ぎ澄まし、その無限の力を発揮しましょう!
昨年、新年号に「勝負の年、街宣隊一歩まえへ!」というタイトルの一文を載せていただきました。
その中で二つの目標をあげました。一つは「みんなで歌える歌を作ること」、二つは「勇気をもって様々なことにチャレンジする」ことでした。

一つ目の歌は、詞をつくり、メロディをつけ、練習し、録音する。なんどもやり直しながら「私達に力を」という曲ができました。この曲はYouTubeで再生されるだけでなく、毎回の街宣の最後にみんなで歌う定番となりました。

二つ目では、「お酒の席では政治の話はしない」というタブーにチャレンジし、井の頭公園でプラカードを並べて花見をしながら多いに政治を語り合ったりしました。

このように常に外に向かって発信する姿勢を貫きました。風当たりが強いこともありますが、波紋が広がりウネリになっていく実感がありました。
全国津々浦々で無数の市民が街頭に立ち始めています。一人でプラカードを手にサイレントスタンディングをしたり、トラックデモを行ったりと本当に多様な形で市民が主人公として声をあげ始めています。

また「地元、足元から国会へ」「国会から地元、足元へ」という運動の広がりと深まりの回路が作られてきています。これもまた大きな希望です。
戦争法廃止、辺野古新基地建設阻止、参院選勝利、安倍政権打倒の目標は山に例えれば高い頂きです。しかし裾野を拡げれば必ず攻略できます。
今年は戦争へとねじ曲げられた日本の針路を総がかりの力で平和へととりもどしましょう。地殻変動を起こし山を動かしましょう。
必ずできます。共に頑張りましょう!
12月9日、野坂昭如さんが亡くなりました。
小学生の時「火垂るの墓」を観ました。祖母から八王子空襲の中逃げ回った話を聞いていたこともあり、言いようのない怖ろしさを感じました。
戦争は「人間をダメにする。子どもを犠牲にする」という思いが心に刻まれました。
それが、中学1年の時の「イラクの子供たちを殺さないで!」というビラ撒き行動につながったと思います。
ラジオ番組に宛てた最後の手紙で、野坂さんは「日本は瀬戸際にさしかかっている」と述べられています。
野坂さん、あなたの思いをしっかり継承します。

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第100回市民憲法講座「戦争しない国」であり続けるために―これから安倍政権にどう立ち向かうのか Part 2

お話:高田 健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)

(編集部註)11月21日の講座で高田健さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

はじめに

これと似たテーマでは上智大学の中野晃一先生と渡辺治先生もお話ししてくれて、お2人のお話は豪華版で、だいたい解決ですが、ちょうど講座の100回目ということもあって、わたしも責任を取って今日みなさんに話をしようと思います。この100回の前に、金曜連続講座というのを隔週の金曜日にずいぶん長い間やりました。その金曜連続講座の中から「許すな!憲法改悪・市民連絡会」が生まれました。

早速お話に入りたいと思います。わたしはこのところ、この2年来の戦争法に反対する運動について、「2015年安保」と呼んでいます。60年安保があって70年安保がありました。わたしは60年安保の時に福島県の高校1年生で、大人たちのデモの最後に自転車を押しながら参加したのを今でも覚えています。60年安保と70年安保は文字通りに安保闘争そのものずばりです。今回は若干違っていて、確かに安保に関連する日米ガイドラインから出発しているようなものですから、この戦争法も安保闘争というのもあながち間違いではないし、何よりも政府が安保法制といっているという意味でも、15年安保といってもいいかなと思います。この2015年安保、いったん中締めで、終わったわけではない、今上演してもらった紙芝居にもありましたように続いています。一昨日19日は国会前に9000人集まりました。その1ヶ月前に9500人集まりました。何で1万人っていわないのかといわれました。1万人といっても悪くないですが、デモの人数というのはなかなか難しくて、私たちの流儀としてはなるべく実態通り報告しようと思っているものですから、半端な数字を言いました。

60年安保でちょっと引っかかったのは、当時わたしの妹などは小学校などで安保反対遊びなんていうのをやっていました。福島県の、小学校と中学校がひとつの建物の中にあって、学校の中に校長が2人いるような本当に山の中の、そういうところにも日米安保に反対する運動がありました。わたしは学生運動がやりたいと思って学生運動が有名な学校を選んだつもりだったけれども、1963年でしたからあまり運動がないんですね。先輩たちはいましたが運動らしい運動はあまりない。文学サークルなどに入りますと、当時の同人誌は本当につまらないものでした。安保のデモに行って警官に追いかけられ、新宿の路地に逃げたらバーのお姉さんが助けてくれた。そのお姉さんと仲良くなったのならないのという、こんなことを学生がうじうじ三文小説に書いているような時代で、ずいぶんわたしは不満でした。安保のような学生運動ができると思っていたんですが、必ずしもそうじゃなかった。やっぱり敗北感があったんですね。もちろん敗北感はなかったという方もたくさんいらっしゃると思います。それはそれで結構ですが、たたかった多くの青年たちの中には、やっぱり安保改定を阻止できなかった、自分たちの運動はなんだったのかと。でも本当はすごいんですよね。岸信介内閣を倒したんですから。「そんなにがっかりするなよ、先輩」と言いたいけれども、敗北感はありました。

それからベトナム戦争があって70年安保、これもいろいろな意味でやっぱり印象が悪い面もあります。わたしはもう学生ではありませんでしたが、学生運動がいろいろなことをやる中で最後は内ゲバからあさま山荘まで、70年安保をたたかったひとつの流れが行ってしまったことはすごく悔しくて残念なことで、やっぱり挫折感があるんですね。運動をやると、学生自治会をつくるとああいうことになるのかということで、しばらく学生自治会の運動がなくなっていきました。学生は自分の学校では戦えなくて、運動をやりたい人は地域でおじさん・おばさんと一緒に平和運動をやる時代が長く続きました。

敗北感のない2015年安保

それをそれなりに、端からだったり真ん中からだったり見てきたものですから、今回の2015年安保というのは本当に違うんですね。極楽とんぼじゃないかと言われたらそれまでですが、たたかった、コアになった人たちの中に本当に敗北感がないんですね。これはすごい特徴です。どうしてこういうことになるんだろう。実際に戦争法案を本気で阻止したい、あらゆる可能性を使ってなんとか阻止しようと思いましたが、9月19日に採決もどきがやられてしまった。がっくりしたことはしましたが、そこで敗北感が活動家たち、運動圏の中にないということは今回の運動の大きな特徴のひとつなんですね。

わたしは理由がふたつあると思います。ひとつは2015年安保の運動が作り上げてきたものに対する、多くの一緒にたたかったみなさんの確信です。私たちは確実に新たな力をつくりだしてきたというところで、この中ですごく教訓がある。これを活かしていけば私たちの運動はもっと発展するんじゃないかという確信が運動圏の中にあるのがひとつです。もうひとつは、目の前に安倍晋三がいて、この戦争法を実行しようというときに、先ほどのような三文小説を書いている暇かという話ですよ。その両方から考えて、今回は運動圏のみなさんのなかに挫折感がないんですね。1ヶ月たっても9500人集まり2ヶ月たっても9000人集まり、わたしはいま全国を歩いていますけれど、どこでも集会やデモをやっています。先日も広島の東部の三原、尾道、府中のあたりに行ったら、総がかり行動を市の単位でつくっている。19日は行動をやっていて、それ以外も必ず宣伝とかいろいろやっている。年配の人は歩くのが大変だから自動車デモとか、いろいろ工夫して運動がめげていないんですね。確かにどんどん人数が増えていると言うつもりはありません。しかしそういう運動がいまだに堅持されていることはすごいことなんじゃないかと思います。

3.11のあとメディアは、日本がデモのある社会になったと書きました。これには、わたしはものすごく不満なんです。メディアの悪い癖だと思います。ヨーロッパで500人のデモがあってもデモがあったと書きます。ところが日本で1万人のデモがあっても書かない。ヨーロッパの500人、1000人、2000人のデモをいっぱい並べてヨーロッパはデモのある社会、日本はデモのない社会だ。生意気言うんじゃないといつも思っていましたけれども、しかしとうとう最近では日本もデモのある社会になった。3.11から脱原発の流れで多くのみなさんががんばった。今回の戦争法制の中でも本当にがんばってきた。デモという手段が市民の意思表明にとって当然のものだということが、この社会でも当たり前になってきた。この点は非常に大きいと思います。自分たちのいろいろな政治表現、権利表現の手段がある。デモというのはその中でも重要な意思表示だ。デモでもパレードでも行動でも、言い方は何でもいいんです。私たちが街頭に出て、政府に異議申し立てをする。多くのみなさんと一緒にそこで討論し叫ぶ。それがわたしたちの当然の権利だということが、この社会で言えるようになった。これは大きな成果だと思います。

9月19日の未明、「強行採決」されました。わたしも17日から国会の前に詰めていました。雨も降りました。そういう中で仲間と一緒にずっと国会を包囲しながら監視していた。いまは何でもSNSですね。国会を監視していて国会の中で何が起きているのか自動的にわかるわけですから、本当に便利だと思います。誰が演説をしているという報告があればみんな「誰々がんばれ」と言うし、いろいろなかたちで国会内外呼応しながらたたかいました。わたしも2日連続で徹夜したのは子どもの時からやったことがありませんが、あの日だけは目玉ぱっちりでした。本当に悔しかったけれども「強行採決」がされました。

あの採決は違法だという訴訟も可能だと思いますが、しかしなかなかこの国ではそういうことが認められません。いま大勢の弁護士さんたちが、この壁を突き崩して訴訟にもちこむ準備をしています。政府は強引にこの違法を強行し続け、戦争法を当然の前提としてこれからも続けると思います。その結果、この国は非常に奇妙な状態になりました。誰が見ても、多くの憲法学者も、みんなが憲法違反だという戦争法と、憲法9条そのものがある。条文は全然変えられていない憲法9条と、憲法違反の戦争法が並立している社会になってしまった。安倍政権のもとでそのふたつが当然のようにある。これはものすごい矛盾です。どうしても相容れない矛盾です。これをどうやったら解決するのかといったら、ふたつしか方法はありません。戦争法にあわせて憲法9条と憲法の平和主義が変わるのか、あるいは憲法の平和主義にあわせて戦争法を廃止するのか、今の非常に奇妙な二律背反の状態を解決する道はこれしかありません。ですから私たちの運動は続いているんです。この二律背反の、憲法9条がいまだに生きている状況でこれを解決する、要するに戦争法を廃止する課題が私たちの目の前にあるわけで、「敗北感」にひたる暇はないわけです。

容易ならない状況に入った

9月19日以降やっぱり大変な時代に入ってしまったと思います。あれから6ヶ月後にこの戦争法は施行されます。そういう時代にこの国は入ってしまった。政府・防衛省がこの間考えてきたのは、5月くらいから南スーダンへのPKO、これの駆けつけ警護を最初にやる。これで戦争法を実行することが政府・防衛省の計画でした。安倍政権が強行採決をやるときに何度も何度も言ったのは、国際情勢から見て猶予のならない事態だから、できるだけ急いでこの法律を成立させる必要がある。丁寧に説明すると言いながら強行採決をしたのは、国際情勢が許さないという理由だった。これは何度も聞きました。そして決めるときは決めるんだと言う「名台詞」を言って強行採決をやった。時間がない、時間がないと言ったのは、彼がこの3月から5月にかけて南スーダンで自衛隊を初めて戦闘に使おうとしたからです。

南スーダン――この前もNGO非戦ネットの谷山さんからも聞きました。みなさんも写真をご覧になったと思います。内戦をやっている側は明らかに少年兵です。15歳なのか16歳なのか、10歳かもしれない。その少年兵たちが軽機関銃を構えて写真に写っているのが南スーダンの状況です。海外で一度も戦闘で人を殺したことがない、殺されたことがない日本の自衛隊が、最初にその子どもたちを相手に戦争をするという。9条を持っている国としてなんということですか、これは。本当に悔しい。

ところが不思議なことにあれだけ急いでいたのに、最近は5月じゃない11月だと言い出している。今回南スーダンに愛知県の部隊が行って、あと6ヶ月したら北海道の部隊が行きます。PKOで武装戦闘ができる訓練をしている北部方面隊です。なぜですか。もしその少年兵たちと戦って5月に殺し殺される事態になったら、戦争法というけれどもどうかなあと思っていたこの国の社会の多くの人たちが、それを黙って見過ごすでしょうか。その直後に選挙があります。選挙は避けたいという、党利党略です。ひどいじゃないですか、あれだけ急ぐと言っていたのに。それで選挙が終わってはるか先の11月だと言い出した。こんなふうに、戦争と平和という極めて重要な問題を安倍政権の、自由民主党一党の党利党略でもてあそぶような状態が自分達の目の間にあることを、わたしはあらためて思います。

そしてこれも、確認の意味で言わなければいけない。憲法53条の問題です。みなさん読まれましたよね。わたしも何回も読みました。これはどう読んでも、4分の1以上の国会議員が要求をしたら臨時国会を招集しなければいけない。あの憲法53条というのは、それ以外読みようがないんです。要求したんです、衆議院の125人が。しかし安倍さんは未だに招集しないどころか、中央アジアなどに行って原発を売っている。ひどいですよね。いつまでとは書いていないから来年の通常国会を開いて、そのあとでもかまわない。憲法の解釈上はこうだと言うんですよね。解釈改憲というのはこういうものだなと本当に思います。

自由民主党の憲法改正草案の中には、「20日以内に開かなければいけない」と書いてあるんですよ。だから安倍さんの政党は、この53条はどう理解しても、要求があったら20日以内に開かなければいけないことだと知っているわけです。知っているのにそうやって逃げる。この時期の臨時国会をスルーするとは、わたしも予測しませんでした。戦争法の問題を、沖縄の問題をやってもらわなければいけない。TPPだって、貧困の問題だってある。議論することが山積みになっているのに、53条を無視して安倍さんは逃げ回っている。この内閣は本当に立憲主義に反する内閣だと思います。このままずっと続けさせるようなことがあったら、私たちは孫子の代に頭が上がらない。こういう立憲主義に反する内閣を私たちが持っている状態を、どうしても解決しなければいけないと思うんですね。

もうひとつですが、南スーダンのことと関係してここ何日かの報道、とりわけ産経新聞などで、パリの事態を見て日本の憲法に緊急事態条項がないという重大な欠陥があることがあらためてわかったと言っています。憲法に緊急事態条項がないから、もしああいうことが日本で起きても対応できない、という論陣を一部の連中がやっています。転んでもただでは起きないというのはこういうことかと思うほどひどい話です。テロは何で起こるのかはっきりさせておかないといけない。テロは戦争と貧困と差別によって起こる。テロの根源はこれだということをはっきりさせておかないといけないんですよ。テロに対して戦争で立ち向かっても解決しない。戦争がある限りテロが生まれる。貧困がある限り、差別がある限りテロは生まれる。安倍内閣が本当に考えるとしたらこの問題でしょう。戦争と貧困と差別の問題に、日本国憲法を持つ日本の市民はどう立ち向かうのかという問題ですよ。ところが問題をすり替えてこういうことを言う。もちろん緊急事態条項がないもとでもテロにどう対応するか、いくらでも法律的な対応はできます。

戦争法反対運動の構成と特徴

60年安保以来、大きく言うとそういって間違いないと思いますが、日本の反戦平和運動は残念ながらいくつかの流れに分裂するのが当たり前になってきました。平和運動というといくつかの潮流がある状態が何十年も続いてきました。分裂し対立している当人たちからすれば本当に大事な問題です。自分たちが相手と違った運動をつくるにはそれなりの理由があって、よく聞いてみるとそうだなと思うようなことです。だからあまりバカにしてはいけないんです。しかし結果として日本の平和運動、原水爆禁止運動などは、ずっと何十年も同じようなテーマを掲げているのに、私たちの市民運動から見るとほとんど同じじゃないかと思うんですけれども、違った流れに分裂してきました。そしてごく最近までそういう状態が続いてきました。

わたしは憲法記念日の運動を中心に憲法の問題に取り組んできました。金曜連続講座から市民連絡会に移る過程で、市民連絡会なども憲法記念日の行動をやろうと思った。5月3日、日本国憲法の平和主義をたたえながらこれを活かそうという集会をやろうとすると、今から十数年前は同じ日に東京だけで3つか4つあったんです。もちろん三多摩と都内でやるというならわかります。でも5月3日の記念日に23区内でいくつかある必要はないでしょう。その当時市民連絡会も言いましたが、せめて5月3日くらい一緒にやれないか。憲法を記念する日くらい一緒にやらなかったら日本の平和運動はどうなるんだと思いました。

それで十何年前実現しました。日比谷公会堂でみなさんも参加していただいたと思います。1回目、社民党の土井たか子党首と共産党の志位和夫委員長がお出でになって、NHKがびっくりしたんですよ。憲法であれこれ対立していたこの両党の党首が、市民集会で挨拶したことを報道しました。以来ずっと日比谷公会堂や日比谷野音で統一集会がやられて、5000人とか1万人近くが集まり、公会堂の外にまであふれた。東京くらいは憲法の運動は統一していると見えるかたちになった。ところが実を言うとこの十何年の間にもうひとつありました。超党派の統一集会をやっていますとわたしも言いましたから、ごめんなさい。それがいま一緒にやっている、平和フォーラム主催の5.3憲法集会です。中心は連合左派の日教組や自治労などの人たちです。ですから統一集会ができてもまだふたつあった。去年までですよ。憲法ですらこうで、原水禁だのそのほかのいろいろな運動もしかりです。日本の運動の残念な側面でした。

立場や意見の違いをのりこえて共同に踏みきる

今回の大きな特徴は、去年の12月15日にこれらがみんな一緒になって安倍政権の戦争法に立ち向かおうという体制ができました。だから1月のこの講座では、そういうのができた、これからがんばれるという報告をしたように思います。安倍さんがいくつかいいことをしてくれたとすれば、そのひとつはこれです。運動に大きな統一をつくりだしたということが言えるかもしれない。安倍政権が、憲法の集団的自衛権の解釈を変えて集団的自衛権を行使するような、戦後70年海外で戦争をしなかったこの国が、海外で戦争をする国になる。この事態の前で私たちの間の意見の違い、組合の違い、政党の違い、そういう歴史の違いがどれだけの意味を持つのかということをみんなが考えてくれた。それは大きな違いだという意味で大異といってもいい、小異といってもいい、小異を捨てて大同につくとかいろいろな言葉があります。いずれにしても、今それをやらなかったら私たちは歴史に対して責任が取れないのじゃないか。そういうふうに大きな流れの中でそれぞれが決断してくれたんです。

簡単ではありません。何十年も対立してきたからには、それなりの理由がある。その対立している理由で説得されてそこの組合員になった人とか、何十年もそうやってきた人がいるわけですから、簡単にはいきません。いつの間にあの連中と手を組むのかという意見が出ても不思議はない。決して簡単ではないのをこの3つが踏み切ったんですね。これは大きかったと思います。「戦争させない1000人委員会」、「戦争する国づくりストップ! 憲法を守り・いかす共同センター」、そして市民連絡会などが入っている「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」、これは137の市民団体が中心になってつくったものです。この3つの流れが去年の12月15日に一緒にやろう、組織的にも共同してやろうということを決めました。

その前から、官邸前とかそういうところでは共同行動の積み上げがありました。なかなか簡単にはこれは行きませんでした。それがようやくできた。だから名前もそれぞれの名前をとっただけです。「戦争させない・9条壊すな!総がかり実行委員会」としたのは文字通り「総がかり」なんです。沖縄の人たちは格好いいから「オール沖縄」ってなった。こっちでどういうか。オールニッポンというのは変でしょう、なかなか格好いい名前がなくて、やっぱり「総がかり」なんですよ。ださくても格好悪くても、文字通りこの中には私たちの意味が込められているんです。いままでばらばらだった人たちが、みんな総がかりでやろう。誰でもここに来ていいんだよ。多少違ってもみんなが一緒にやる場所だよ。そういう意味を込めて総がかり行動実行委員会ができたんです。だからわたしは大げさに55年ぶりだとか60年安保以来だとかいっている。運動史に詳しい人は必ずしもそうは言えないよと言う方もいらっしゃるかもしれませんけれども、わたしはそう思っています。

この3つの呼びかけ団体は、それぞれの中にたくさんの市民運動が参加しています。「9条壊すな」は137の団体が入っているといいました。「共同センター」は、わたしは聞いたことがないからわかりませんけれどもここも何百もあると思います。「1000人員会」もたくさんあると思います。そしてそれらと連携している運動が地域にいっぱいあるという意味では、日本の多くの反戦平和運動が、この3つが統一するということはみんな一緒になるといっても間違いない、たぶん80%は一緒になるような、そういうものができたと思います。

固有の課題の団体も5・3憲法集に参加

そしてあの5月3日の横浜での憲法集会になったんです。去年までは実はふたつ流れがあった。そのふたつも統一してみんな一緒にやろうということになった。だから3万人以上集まった。ずっと一緒にやれなかった人たちが一緒になった。場所がない、横浜に行った。早めにいっておきますが来年の5月3日はお台場の防災公園がおさえられました。ですから来年は横浜ではありません。その憲法集会をやるときに、3つの団体以外にさらに多くの人たちが集会を一緒にやろうということになった。例えば原発だとか女性の問題だとか、あるいは国際連帯や貧困の問題だとか、この国の憲法と関係するあらゆる問題で運動をやっていた市民運動の人たちが、そういう5.3実行委員会ができるなら自分たちも協力するということで実行委員会に入ってくれました。ですから十何年前から見ると夢のような実行委員会ができたと思いました。

これはいろいろな人がいっぱい来るなと思いました。そして本当に来ました。5.3憲法集会が終わってから、新しくいろいろな課題で参加してきてくれた人も全部含めて、総がかり行動実行委員会を再編、再発足しようという話になって、それができちゃったんですね。ご存じのとおり原発の問題でもセンターは3つあるんですね。毎週金曜日にやっている反原連、わたしも参加している「さようなら原発1000万人アクション」、それから全労連などが中心にやっている全国連と3つあります。ところが5.3実行委員会には、この3つとも参加しています。それでみんな一緒にやっていこうとなったんです。だから本当に幅広い総がかり実行委員会ができたように思います。

こういうこまごました運動の話は知りたくないという人もいるかもしれないかもしれませんが、日本の運動の実態ですから多少は聞いておいて下さい。労働組合とかみなさんそれぞれ事情があって大変ですよね。個別の名前をあげて申し訳ないですが、自治体の中には自治労と自治労連という組合があり、学校の中には日教組と全教という先生の組合があります。当然新しい組合員が来たらこれに誘わなければいけないわけですから、自分のところが正しいんだからこっちに入ってねとか、お酒を飲んだりいろいろなことをして誘うと思います。そのときに、どさくさ紛れであっちは間違っているとか、こういうところが悪いからあれとはやらないなどと言っているはずです。わたしは聞いたことはないので間違っていたらごめんなさい。それを聞いてきた人たちが集会に来たら、全教の旗と日教組の旗が並んでいることはすごいことじゃないですか。5.3集会は、そういうものをつくりだしたんです。日本の運動の大きな変化なんです。

なぜそんなことをくどくど言っているのかと思う方がいると思います。当たり前の人たちが当たり前のことをやっているのに、何をそんなに一生懸命話すのか、と。違うんです。これらが一緒になったら、この外にいる人たちがどんなに参加しやすいかということです。自分は組織ではない、市民だ。でも戦争法は反対だ、原水爆は反対だ、原発は嫌だと思っていて、自分が今日誘われている集会はどのグループの運動か、もしかしたらあそこの政党の系統か、なんて思わなくてすむんです、みんな一緒になれば。誰でも、同じ課題を持っている人はここに集まればいいということです。これは運動にとってはものすごいことなんです。だからくどくどと、この統一したことはすごく大事だとさっきから話しています。そしてそういう経過をたどって、全体がそういう対立がなくなったものですから、さらに新しい人たちの運動が起こしやすかったと思います。

個別の名前を出して申し訳ないですが、この間「学者の会」というのができました。1万5千人という、すごい数の学者が参加しています。シールズはちょっと前からですけれども、ママの会とか女の平和とか、いろいろな市民の、いわば無所属というか無党派というか自立した市民の運動体がこの社会にいっぱい生まれましたが、この人たちも非常に行動しやすくなりました。非常に活発にこの間動きました。戦争反対というのが決してどこかの政党がいっていること、あれをいっていたらお前は共産党かとかお前は社民党かというそういう問題じゃないことは、すごく大事だったと思います。そういう運動体が新しくたくさんできました。今ではそちらの方が有名なくらいで、運動をやると誰でもシールズって言うし、ママの会と言う、それは結構なことでどんどん有名になっていただいたらいい。でもわれわれもがんばってるよと言いたくなるときはあります。上智大学の中野晃一先生はうまいことを言うんですよね。この間の総がかりのような運動のことを「敷き布団」、シールズとか学者の会とかは「掛け布団」だと言っています。政治学者は面白いことを言うと思って感心しているんですが。敷き布団と掛け布団があって初めて私たちは暖かく過ごすことができる、運動を発展させることができると中野先生は言っていましたけれども、本当にそう思います。

2000万署名運動での協力

そしてびっくりするんですけれども、この敷き布団と掛け布団が一緒になって今日もお配りしている2000万署名運動――これはみんな一緒になった署名運動です。これもまた本当にあり得ない話です。署名と言ったら1000人委員会の署名か、さようなら原発の署名かあるいは全国連の署名か、それぞれの団体ごとに署名をやります。だから全部でいくつ集まったかよくわかりません。署名簿ですら別々ですよ。今回の2000万署名は、これらの名前が並んでいます。統一署名と言っているのはそれなんです。こんな署名で2000万の目標を呼びかけたのは、わたしの記憶ではほとんどありません。たぶん原水爆禁止運動で50年代のストックホルムアピールに対する大々的な署名運動、80年代の国鉄分割民営化の時の、国民の足を守る署名運動がありました。日本の戦後の運動史上これほど大規模な署名運動が始まったのは、たぶんこれくらいです。これはすごいことです。ぜひ運動の核になる人たちにはその意味も伝えて下さい。今回の署名は、みんな一緒になって共通の課題でやる署名だよ、という話をぜひしていただきたいと思います。

参加者が非暴力で開放した国会前の車道

運動がそういうかたちで統一をしてきました。大きな共同行動がつくられてきました。その共同行動の中で今年最大の行動は8月30日の行動ですよね。さきほどの紙芝居の表紙にありました。12万人集まった。現場に行った人たちはおわかりになると思いますが、公園の中にも人がいます。航空写真だから木があってわからない。国会議事堂の反対側にも脇にもいるんです。それだけじゃなくてここから日比谷公園までの歩道にもすごくいた。この写真はすごいなと思っているんですが、実はここは全部車道を人が埋めました。国会正門直前を機動隊の車で止めています。それから国会図書館の方も車道に人が進出した。この8月30日の行動がありました。

今年最大の運動だったと思うんですが、ここに一番象徴的なかたちがあらわれました。今では当たり前のようですが、ずっとここで集会はやれなかったんですよ。国会前の車道は使えなかった。今回も何度も私たちは警視庁に要求しました。歩道に閉じ込めてがんじがらめに鉄柵でやったら圧迫されてけが人が出る。実際60年安保の時は、樺美智子さんが押し殺されたわけでしょ。そういうけが人が出かねない。だからこの前の車道を解放しなさい。どうせ夜なんて国会に向かう道を車なんてほとんど行かない。脇道だっていくらでもある。当然やれと言ったけれども、警視庁は絶対に聞かなかったんですね。最後に何度も抗議したら、あとは「現場判断で」とか言って、まったく約束をしなかった。みなさんご存じだと思いますけれども、国会前ではデモができないんです。いまデモと平気で言っていますけれど、60年安保以来この絵柄はなかったんです。60年安保の写真では、全学連とか労働組合が国会前を埋めたんですが、60年安保以来あの絵柄はなかった。日本では、今でも国会のまわりではデモ行進は禁じられています。

わたしは多少運動の経歴が長いから、みんなから言われたことがいくつかあります。60年安保のような闘争をやれよ、何でやらないんだよ。日比谷あたりでやってたってしょうがないじゃないか、国会の前に行けよ、と言われる。でもそうはいかないんですよね。60年安保の教訓から、日本の権力は国会に向けてデモをさせないことを法律で決めたわけです。でも国会前にも行ったと言う人もいっぱいいると思います。あれは請願デモと言うんです。財務省の上に行ったら幟はおろしなさい、拡声器は使えません。ここからは国会議員に会う請願デモですから、静かに行きなさい。これは認められています。厳密に言うとそれも含めて全部禁止されたときにわたしの先輩の知恵者がいて、彼がいうには憲法の請願権を使ってこの権力の弾圧になんとか抵抗できないかということで、請願デモはやれるはずだと編み出したんですね。

当時の全学連には「お焼香デモ」と言われました。幟をおろしてしずしずと国会議員が待っている前に署名を差し出す、お線香を上げているみたいだとさんざんからかった。しかしそうやって編み出した請願デモしかこの何十年、国会のまわりではできないかった。そんなことを言うけれども、反原連などもやっているじゃないか。これもデモじゃないんです。歩道の上で人が集まっているだけなんです。だから集会と言わないで「行動」と言います。「本日の行動にご参加のみなさん、できるだけ前にお進み下さい」なんて麹町署の人間が生意気なことを言っている。「本日のデモにご参加のみなさん」とは言わないんです。

それが今回、8月30日と9月14日、国会の前にあふれたんですね。何十年もやれと言ってきた人に、やったじゃないですかと言いたいですよ、本当に。外国で、国会の前で市民が行動できないなんて先進国と言われる国でありますかね。あまり外国の事情を知らないけれど、こんな国は珍しいです。自分たちの意思表明ができない。でも今回の8月30日、9月14日は、やり抜いたんですね。確かに機動隊が設置した鉄の冊を突破するというのは並大抵ではないです。危ないこともありますし、多少実力も伴わなければできません。わたしはデモあのときに、あそこから市民がどーっとあふれたのに対してこれは当然の行動だと言いました。警官が悪い。今まで不当に制限しているから、だからけがをしないようにしてやってくれ、とにかくここでけがをしたら大変だ、われわれの権利の行使として最後まで非暴力でやり抜こうと呼びかけましたけれども、それが今回実現できました。そういう意味でも今回の安保闘争というのは歴史的な闘争だったと思っています。

暴走ストップへ野党議員への働きかけを重視

この総がかり行動のもうひとつの特徴があります。国会で野党に対する働きかけをものすごく大事にしました。総がかりの会議の中でその仕事の重要性を再三確認してきました。座り込みをしているときでも、みんなで国会議員をまわるとか、国会議員にFAXを送るとかあらゆる方法でやる。資料に野田聖子さんの朝日新聞のコメントを入れましたけれども、メールとかそういうものが国会議員にどんなに役に立つかという例で、あとで読んで下さい。わたしはあまり政党とつきあおうという方じゃないんですね。これは市民運動の悪い特徴かもしれませんが、しかし今回はやりました。そうやって国会の中と外で連携してたたかわない限り、この安倍の暴走は止められない。

5月3日の集会でも、4党来がましたけれどもまだそのときは本当の団結にはなっていない。それがこの8月、9月段階になると、もう4党の代表がみんな市民の前で手をつないでいますからね、パフォーマンスで。申し訳ないけれどもあの小沢さんまでその中にいたんです。もちろん岡田さんとかみんないらっしゃいました。そういうところまで今回の運動は来ました。それはやっぱり今回の総がかり運動の大きな特徴でした。最初からそれを大事にしていました。そして野党の団結をつくる上で一番の要は民主党なんですね。あそこが一番大きいですから。この民主党が動かなければ野党の団結はできないです。この点は1000人委員会のみなさんが得意です。一緒にやった中で1000人委員会のみなさんは、本当にがんばって民主党に対して働きかけた。わたしも一緒についていったりしていろいろやりました。

最後の段階では、国会で野党4党が非常に結束する。一昨日あった集会でも4党が来ていますけれど、そこで民主党の福山哲郎さん、若い参議院議員で副幹事長です。福山さんなんか運動の中で人気者で、出てくるとみんながわーっと言う。国会でのあの名演説とかみんな知っているんです。民主党がどんなにがんばったか。見ていると頼りないとかいろいろなことを言う人がいて、それもそうだけれども、福山さんなんか一番人気があるくらいの拍手です。こういう運動を総がかり行動は市民行動としては珍しいほどこの間重要視してきた。だから一昨日の19日の国会包囲行動でも「野党は共闘」というシュプレヒコールが出てくる。「フレー、フレー、ナントカ」というシュプレヒコールまで出てきて、わたしはちょっと引いちゃいましたけれども、それくらい国会議員と国会外の運動の団結を重視してきたことがこの間の総がかり行動の特徴でした。単に挨拶に来てもらうというというくらいでは満足しなかったんですね。一緒にたたかう、あなたたちは私たちの単なる代理人でもない、同じ仲間としてこの戦争法に反対してたたかってくれ、そういう運動をずっとこの間作り上げてきたという意味では今回の運動は、わたしはすごい特徴のあった運動だと思っています。

60年安保・70年安保との比較

もう言い尽くしたことですが、60年安保・70年安保との比較を書いておきました。60年安保は戦争が終わって15年ですから、戦争を知る世代が社会の大半を占めていた時代の安保闘争です。誰かは戦争の犠牲者になっている時代です。だからそのあとに、60年安保のようにやれと言うのは無理があるんです。戦争のことを知っている世代がたたかった。今回は、ほとんどが戦争を知らない子どもたちの世代です。そういう大きな背景の違いの中で、60年の場合は社会党・総評ブロック――総評が「昔陸軍・今総評」という言葉がありました――それくらいの力強い部隊として総評が中心になって安保闘争を牽引していった。

70年の場合は、青年、学生たちは権力に刃向かい国際的な連携のもとで国際闘争の中でやってきて、権力の象徴としての例えば機動隊、学校当局、教授、そういうものに非常に具体的に反抗して自分たちの思想をつくりあげていった面があります。最近よく言われるのは、今回の運動は大学の先生と学生が仲良く手を組んでやっている、70年とものすごい違いだ。ここにいる年配者はみんな、そう思うでしょう。あのときは教官室から先生の本まで引っ張り出して表に放り出すというような、そしてそれが自分たちの主張でした。若者の特徴でもあり、やっぱり抑圧するもの、権力に見えるものを許さないでたたかう。70年安保はそういうたたかいでもあった。そういう意味では今回はすごいですよね。1万5千人の学者たち、そしてあのシールズの人たち、こういう人たちが一緒になってたたかっている。

それからツールが違うんです。やっぱりわたしはSNSはすごいものだと思うんです。わたしもあまりできないんです。今年の2月、市民運動全国交流集会で約束した結果、フェイスブックにも挑戦してぼちぼちやるようになったけれども、昔のように謄写版でつくったビラを撒いて歩くとか電話で誘うとかときには電報でまで誘いました。そうやってデモのメンバーをそろえる時代と違ってSNSが運動を変えたと思います。必ずしも組織のルートじゃなくて人に意志が伝わるという意味ではすごいことですね。街宣隊は、ツイッターで連絡して何月何日の2時から新宿南口で宣伝をやりますといって、最近は300人集まっています。その人たちを知っているわけじゃない。ツイッターやフェイスブックです。これは道具としてすごいものだと思います。

同円多心の大連合の思想と非暴力の市民行動

運動の中で以前と単純に比較できない変化がいろいろあります。いくつかこの間の運動で、理屈上で大事だと思うものをあげておきたいと思います。ひとつは大連合の思想というのが、この総がかりの運動の中でかなり当然のこととして広がっていったと思います。わたしは「同円多心」なんて表現しますけれど、同心円ではないんです。丸の中の一つの点が少しずつ広がってく。あるいはそこを中心に広がっていくのではなくて、大きな戦争法反対という課題の中にセンターだと思う人、芯がいっぱいあってかまわない。個人でも団体でもいろいろなものがあってかまわない。同円多心の思想のような大連合の思想が、一連の2015年安保の中で根付いていったと思っています。

もうひとつは、非暴力市民行動の思想がかなり浸透したということです。多くの人が誰でも参加できる状態をつくるためには、年齢の高い人あるいは子どもを連れたママさんやパパさん、女性も男性も、そういう人がみんな参加できるような行動をどうやってつくるかということは、総がかり行動にとっては非常に重要な課題でした。一部の元気のいい者だけがたたかうんじゃなく、みんなでこの戦争法に反対する運動を作り上げる。だから今回のような、12万人が集まるような行動ができたとわたしは思っています。繰りかえし言ってきたのは、この行動は非暴力の市民行動だということです。国会前の小さなステージから何度も言いました。あの車道にあふれたときにも繰り返し言いました。非暴力の市民行動なんです。かつてガンジーが非暴力不服従と言いました。あるいはマーチン・ルーサー・キングが非暴力直接行動と言いました。いろいろな表現でこの間の国際的な市民運動の中で非暴力の運動というのは言われてきました。今回の運動は明らかにそれを受け継ごうという意志がわれわれにもありましたし、その運動の結果がこういう大きなたたかいを生み出したと思います。

これからの戦争法に反対する闘争も、それでなくてはダメだと思います。戦争に反対すると言って戦争をやって何になるんですか。自己矛盾じゃないですか。戦争に反対するのは非暴力のたたかいです。こういうとわたしはいろいろと批判される。わたしはそこは妥協しません。あの最中も、何で国会に突っ込まないのか、何であそこで止めるのか、と何度も言われました。わたしは無理に止めるつもりはないけれども、考え方としてはこうです。元気のいい人が100歩走り込むのかそれとも200人で一歩前に進むのか、あるいは100人で2歩だけ前に進むのか。この運動論の違いですよ。わたしにそういった人は自分で突っ込んだかというと、どう見ても突っ込んだ形跡はいっさいない。だったら人にそんなことを言うなと言いたいんですが、それは言っても始まらない。

非暴力の行動というのは本当に大事です。多くの人、立場の違う人、条件の違う人がみんな参加できる。だからツイッターだけではなくて、新聞広告を意識的に出したのもそこです。合計7回、資金として1億円近くかかりました。これは最初から7回という計画があったわけではありません。1回やるごとに、お金がどれだけ集まるだろうか、あの頃に出したいけれどもお金が集まるだろうかという繰り返しです。ツイッターをやらない、インターネットから離れている人がいます。そういう人たちに新聞広告は見てもらえる。若い人は新聞を見ないと言うから逆ですね。

わたしのところは連絡先になっていて、電話が鳴りっぱなしでした。「国会ってどうやっていくんですか」、「今度のデモは参加資格がありますか」、「持っていくものはなんですか」-ハイキングじゃないって、「トイレはありますか」。初めて来ようと思ったらやっぱり心配なんです。全国紙に出しましたから、九州のどこどこですと電話が来る。本当に新幹線で東京に来ちゃうんです。こういう運動が今回の非暴力市民運動の大きな特徴でした。それだけの人が集まってきていますから、できるだけ怪我のない状態で帰ってもらう、そしてさらに運動を大きくしてもらえる状態をつくる。そういう合意を総がかりの中でつくっていきたい。そう思ってこの間仲間と一緒にやってきました。

おまわりさんがあれだけ乱暴にやったら、頭をぶん殴ってやりたいと思う人もいると思います。しかしそこは自分ががんばるだけじゃなくて、広い人たちに参加してもらうことをお互いの責任の中で考えなければいけないんですよ。それでも20何人逮捕したんですからね。1週間や、長い人でも2週間くらいで帰ってきましたが、その救援活動も一生懸命やったし、声明も出した。ただし長期に投獄される人は出さないで済んだ。実際は病気になった人も出ました。あれだけ人も集まって、高齢者も多いですから。

あるときは現役のお医者さん50人を配置しました。良くできたなって感心しました。お医者さんたちが駆けつけてくれて、あのデモの中に50人の現役のお医者さんと看護師さんが支えて、救護の車がある。そういう体制をとりながらあのデモはやられました。そのお医者さんのひとりが言っていました。目の前が人でぎっしりで身動きできないのに、倒れた人がいる。どうやって運び出せるんだろうかと。救護班だ、ここを通してくれと言ったら「モーゼ状態」になったと言うんです。みなさんの協力なんです。一歩身体を寄せるだけですごく大変だったのに、道をあけてくれた。またある心臓が悪い女性は、新聞広告を見て絶対行きたいということで、連れ合いがついてきたそうです。集会が始まる前に彼女は倒れてしまいました。実は彼女は重症でした。救護班が応急処置をして救急車が近くの病院に担ぎ込みました。心肺停止だった。かつぎ込まれた病院は、その病気で日本の超一流のお医者さんがいるところだったそうです。そのお医者さんが実行委員会に対して、あなたたちの救急処置が本当に立派だったと言ってくれました。救護班のお医者さんたちががんばってくれたんですね。今は最悪の状態は脱して退院したと思います。私たちもものすごく心配でしたが、今回の行動ではこれが最大の病人でした。

あれだけの行動があればいろいろなことがおきます。しかしそれをものともせずに最大限自分のできることをいろいろなかたちで非暴力市民運動として今回の行動を貫徹してくれたなとわたしは思っています。これはこれからの財産です。教訓です。70年の道じゃなくて、この2015年の道でやっていこう、そう本当に思うんですね。

法案を止められなかった運動の弱点いくつか

私たちは法案を19日の最後まで本当に止めようと思っていました。何があるかわからない。まだチャンスがあるかもしれないと最後までがんばって、国会の中の野党を励ましておこうと思っていましたが、止められませんでした。いろいろな国会闘争の弱点も市民運動の弱点もありました。結局本当に止められなかったという点では悔しいし、反省点はいっぱいあります。とりわけわたしが最大の問題だと思っているのは、与党に分岐を作り出せなかった。もともと国会の議席数は決まっているわけですから、あの連中が強行採決をやるといえば、今の議席数ではやれるんですよね。私たちが本気で止める、勝てる契機をつくるとしたら、ここに分岐をつくりだすこと以外にはありませんでした。いろいろな運動を通じてそれをやりたいと思っていた。残念ながらあまり成功しませんでした。自民党の中では村上誠一郎さんと丹羽雄哉さんとかほんのわずかでした。彼女なりにがんばったと思いますけれども、あの野田聖子さんですら腰砕けだった。

もうひとつは自民党と公明党との間にも楔も打ちたかった。創価学会の信者のみなさんが本当にがんばってくれた。創価大学に反対する会ができ、私たちの運動の中に三色旗が翻りました。ステージの脇にでかい三色旗があって、ときどきは創価学会の信者だという人が挨拶をするような運動をつくりだしました。しかしそれを政党の分岐にまで持って行けなかった。いろいろな理由があります。私たちの力足らずということもある。それから自民党論の問題があります。すでに安倍を中心とした自民党は、かつての自民党ではない変質した自民党とたたかわざるを得なかった。いろいろな条件がある。それをつくりだせなかったという点が今回の大きな問題だと思います。

しかし産経新聞の世論調査の中で、デモに出た人が3.5%、そして機会があったら自分もデモに出たいという人をあわせると21%近くいた。産経新聞ですよ。デモがあったら出てみたいと思う人が17%いた。産経新聞はこんなに少ないと書きました。そうしたら毎日新聞の論説をやっている人が、産経の見方はおかしい、3.5%ということは350万人が参加したことじゃないか、21%は2000万の人たちがデモに参加したいと思っていたということじゃないか。いろいろな条件で思っていても参加できなかった。これらの人が動いたらどうなったでしょうね。わたしはすごい状況がつくれたと思います。そこを総がかりはやりきれなかった。2000万の人がやりたいと思っているのにここをどうしたらいいだろうか。これからの大きな課題ではあります。

わたしはこの行動の中で、1回だけ女性週刊誌を買いました、女性週刊誌は何度も安倍政権に反対するキャンペーンをやり、戦争法に反対するキャンペーンをやりました。それから日刊ナントカという夕刊紙。これらは商売ですから、それを書けば売れる、支持される。このことは当然編集者の計算に入っているわけです。今度の世論調査で女性の反対世論はすごく高いです。30代40代50代の男どもが一番悪い。関係ないというような無関心を装っている。女性たちがここまで動いてきたのに、どこかの家庭の家庭内野党じゃないですけれども、この何十代の男どものところまで家庭内の論争が必ずしも行かなかった。もっと運動が盛り上がったらもっと女性たちががんばってくれて、もっと変わったと思います。

そしてその2000万の中には、大事なことは非正規の人がいたと思うんです。たくさんの非正規の労働者、条件があったらデモに行きたいと思っても、この社会に本当に怒りを感じていて社会の労働者の半数に迫ってしまった非正規労働者のみなさん。この人たちが参加できるような運動を私たちがどこまでつくりだしたかということも本当に大きな反省点です。日頃から非正規の問題に関心を持って一緒に運動をしているような状態をつくりだしていたら、もっと違ったと思います。反省点はいろいろなあります。それを丁寧にやりながら次の運動をしたいと思います。インターネットをやっている人は総がかり実行委員会のサイトを見て下さい。この間の膨大な総括を載せています。わたしが言ったような内部事情も、ここまで出していいのかなと思うほどの、会計報告も含めて全部載せていますから、ぜひ見て下さい。

今後の課題――裁判・辺野古・原発・反差別

こういう経験を全部活かして、これからの戦争法を廃止し発動を阻止する運動を今からやり続けなければいけない。南スーダンに出さない、あるいは南シナ海での日米合同軍事演習などで中国を挑発して緊張をいっそうつくりだすようなことをさせない。とりわけ沖縄で、辺野古を戦争の拠点化するような動きを絶対許さない運動をやらなければなりません。そのためにいくつか課題があります。みなさんからは憲法違反だから裁判をやれといわれました。しかし日本の司法は、この戦争法が憲法違反であるということをまっとうに取り上げて議論するようにはなっていません。これは日本の最高裁判所の非常に大きな問題です。その壁を突破して、訴訟をやるという大変な作業です。

ですから元気のいい人が、個人で違憲訴訟をやっている人たちがいます。それはそれでやっていただいて、同時に弁護士や元裁判官などそういう人たちの知恵をみんな集めて、この憲法違反の法律は憲法違反だから発動を差し止めるという判決を出させる必要があります。それから、この法律によって私たちがどんな被害を受けているか、国家は賠償しろという訴訟です。今すでに伊藤塾の伊藤真弁護士を中心に違憲訴訟の弁護士の会ができあがりました。年内にこの国家賠償訴訟と、差し止め訴訟の原告募集の呼びかけが出ると思います。ぜひ市民のみなさんもこの弁護士や元裁判官の人たちがやるこの違憲訴訟のたたかいに協力して原告になっていただきたいと思います。ただ10万人の原告がいたら、この実務だけでも大変だと思います。伊藤塾に事務所を置いてやるということになっています。これは絶対にやり抜こうと思っています。

それから一昨日あったのは19日、「行く日」という人もいるし誰かは「月命日」だとも言いましたけれども、これも19日は絶対に忘れないという行動をやり続けます。12月は屋内集会です。北区の「北とぴあ」でやります。1月からは、国会の議員会館前に移して19日の行動も統一街頭宣伝も続けます。そして、いろいろな問題があったら必要な行動をその都度やっていきます。とくに安倍さんは、憲法53条をスポイルしておきながら1月4日から国会を開くと言っています。憲法違反じゃないかという世論に押されて持たないから、1月4日からやるそうです。それなら私たちは1月4日にも国会に集まりましょうと呼びかけています。そういうひとつひとつの、安倍政権のやり方に対して抗議する行動を続けます。

あわせて戦争法に反対する運動のこの実行委員会は、安倍政権のもとで苦しんでいるいろいろな課題に連帯して、その運動を盛り上げる中でしか、この運動は勝利できないと思っています。第1番は沖縄の辺野古です。今この瞬間も座り込んでいるんです。朝早くから座り込む。東京から警視庁の機動隊が、悔しいことに150人派遣されているんですよ。第2の琉球処分を今やる気かと言いたくなります。東京がもっとがんばっていたら、沖縄に機動隊を派遣する余裕を持たせないようにできたのに、われわれの責任だな、といった人がいました。そこまで責任を感じなくてもいいけれど、沖縄に呼応する運動を東京でもつくりましょう。29日に大きな集会をやります。こちらでも沖縄の課題を取り上げる。それが戦争法を潰していく大きな運動になります。

原発も差別問題もしかりです。戦争法だけではないいろいろな課題を団子になってたたかっていくような運動をやりたいと思っています。それら全部あわせて2000万署名をやっていきます。いろいろな意見が事務所に来ます。今までデモをやっていて、署名かよ、元気ないな、とか言う人もいます。わたしは決してそう思いません。来年の4月25日まで2000万の署名を私たちが集め抜いたらどういうことになるか。この前の選挙で与党は2600万票くらいだった。2000万の署名を集めるというのは、与党が選挙で取る票に匹敵する運動です。これを集めるということは、選挙の時はその人たちだけの投票ではなくいろいろ呼びかけをしてもらえるわけです。4月25日までに2000万署名を作り上げるということは並大抵な事ではありません。わたしはデモに匹敵する、場合によってはそれ以上の大きなたたかいだと思っています。この2000万署名を集め抜くことは非常に大きなたたかいだとわたしは思っています。

参議院選挙の野党共闘と2000万人署名

今度の選挙ですけれども、いろいろな案が出ています。いずれにして野党が共闘しないことには話にならない。121改選議席があります。121のうち1人区が32選挙区あります。32の県があるということは日本全体の中の4分の3くらいが1人区だということです。それだけの地域で、1人区のガチンコ勝負を私たちがやることができたらどういうことになるか。与党対野党という構図、戦争法に賛成対反対、沖縄の辺野古の基地に賛成対反対、いろいろな課題で与党対野党の構図をつくりだせば、ものすごいたたかいになると思っています。シミュレーションをやると、野党各党の票と自公が勝ったところを足すと、ひっくり返るのは7選挙区くらいしかないと、さも偉そうに言う評論家がいます。そして野党共闘と言うけれども7選挙区くらいしか変わらない、こんなことで今の安倍政権が変わるのかという人がいます。でも選挙はそういうものではないでしょう。負けるかもしれないから投票しない人が結構いるじゃないですか。野党が共闘したら勝つかもしれないと思ったら、この投票行動はすごいですよ。4党がいて1+1+1+1=4じゃないんです。選挙は4つ足したら5にも6にもなる。与党を上回る可能性は十分ある。だからどうしても選挙共闘を作ってもらいたいんです。

いろいろ難しい問題があります。政権構想があったり、政権構想は今すぐには難しいという政党があったり、いろいろな意見があります。小沢さんはオリーブの木構想というのを出している。そうすると二重党籍でどうだろうとか、いろいろあります。しかしわたしは最低限この1人区の32選挙区で、野党がみんな団子になるくらいできなくてどうするんだ。この間の闘争を一緒にやってきたんだからそれくらいやってくれ。それ以外の複雑なところでは、それぞれ立てるとかいろいろな調整があるでしょう。そして、今度の参議院選挙で与野党逆転というのは格好いいですよ。衆議院は与党が多数ですから参議院で与野党逆転を実現すれば、改憲は絶対できないです。わたしもそう言いたい。しかしわたしは、もしかしたら与野党逆転は今回できないかもしれない。どうするか。改選議席の過半数を最低限取る。62ですよ。その32の1人区、プラス2人区以上のところをあわせて、改選議席の過半数を最低でもとる。

これは意味があるんです。第一次安倍内閣が倒れたのはこれです。安倍内閣への不信任ということになって、彼らは総辞職したわけです。ですから最低でも改選議席の過半数を取るくらいのことを市民運動と野党がいっしょになってやりあげることによって、今度の選挙で安倍政権を総辞職に近いところまで追い込むことができるかもしれない。最後、政権は衆議院選挙ですから。そこまでの間にさらに政権構想をもっと議論してもらった方がいいかもしれない。これはいろいろ差し障りがありますからこれ以上は言いません。どこで政権構想を議論するのか、政党の人たちは選挙のプロですからそこは知恵を発揮してもらいたい。何しろ野党共闘です。何しろ最低でも1人区で勝てる状態を政党の人たちはつくりだす必要があります。

10月16日に、野党5党と市民団体6団体くらいの会合がありました。そして先日17日にも2回目がありました。市民団体は、総がかりとかシールズとか学者の会、ママの会などで、各政党のみなさん、幹事長クラスの7人たちと会議を行いました。そしてこういう議論をしています。どうやったら勝てるか。どうやったら勝てる候補をつくれるか。10月16日にやって2回目が11月17日なんてとろいという意見が出ました。もっと頻繁にやって市民団体と野党が結束してこの参議院選挙に立ち向かうことをがんばろうという話になっています。わたしは年内くらいに大きな方向で決着ができないと、本当に勝てないと思っています。時間はそんなにありません。

いま、いろいろなアイデアがでています。わたしはいいと思うものはみんなやったらいいと思います。今日の午後に行ったところで、落選運動は選挙違反になるのかという質問がありました。わたしはなりませんと言いました。特定の人を当選させる目的を持ってその人の運動をやるのが公選法で選挙運動ということですから。落選運動はそれに該当しないんです。ただ多少面倒なのは1人区です。1対1しか出ていないときにこっちを絶対落とせというのは、結局別の人を当選させろという運動ではないかという解釈が成り立たないわけではない、などという問題があります。そういう意味では、野党が勝つために、何よりも戦争法を廃止するために役立ちそうなことがあったら、何でもやった方がいいと思います。それは2000万署名を柱におきながら本当にがんばっていきたいと思うんですね。

「新9条」論について

最後に言いたいことがあります。新聞でお読みになったでしょうか。新9条論というものです。最近、東京新聞と朝日新聞に新9条論が載りました。あそこに出ている名前のほとんどは友達です。ちょっとびっくりしました。あの中で今井一さんが言っているのは、憲法を政府は守らない、立憲主義が壊されている。だからこの立憲主義を立て直すことがもっとも大事だ。守れそうなところまで9条を変えろという話です。どうですかみなさん、これ。新9条論というのはこれです。だから個別的自衛権は認めよう。自衛隊も自衛軍として自衛戦力として認めよう。ただ集団的自衛権はダメだよという新しい憲法9条をつくったら、あの連中も憲法を守るかもしれないというのが新9条論です。これが立憲主義かとわたしは言いたいんですよ。何十年も憲法運動をやってきて、そしていま言っている相手の人たちもほとんどわたしは友達です。友達でもこれはやっぱり言いたい。安倍さんがいま憲法を守れなくなったから守れるような憲法にしてあげましょうなどというような、それはいっさいやめた方がいい。あの連中は守れる憲法をつくたら、都合が悪くなったらまた破る。何度つくっても都合が悪くなったら憲法を破るなんてわかっていることじゃないですか。

だから斉藤美奈子さんが「本当にお人好しだね」ってコラムで見事に言いました。わたしはそう思います。ここまで運動が戦争法で追い詰めているときに第三の道なんて言うな、もう一回私たちと一緒に戦争法発動阻止、9条守れ、国会の前でみんな一緒に叫んだあのスローガンのところに新9条論の人たちには立ち戻ってもらいたい。あの人たちに、こうやったら守ってくれるんじゃないかというような変な知恵で勝負しようと思わない方がいい。正面切って市民運動でガチンコで安倍さんとぶつかった方がいい。これからいろいろなところで議論になるかもしれません。そのときには言って下さい。この議論は今はやめよう、そういうことではないだろうと言って下さい。

最後に、私ごとで私ごとではないんですけれど、12月3日の韓国の李泳禧賞をいただくことになりました。これは本当にもらっていいんだろうかと思いました。ウィキペディアで見ると李泳禧さんという人は、5年前に亡くなったんですが、どんなに素晴らしい人だったかが出てきますので、検索してみて下さい。今回で3回目ですが、韓国ではこの方を記念して、ジャーナリストとか在野のたたかう人を中心に賞をつくったそうです。今回は日本から高田に来いと言ってもらいました。わたしは日韓連帯運動もまだまだやれていない。こんなところでいいのかなと思いました。たぶん日韓連帯、民衆連帯ということでいったら、わたしなんかよりもっと先輩でがんばってきた人がたくさんいます。

それを聞いてみたら、そうではなくて今回の日本の戦争法制に反対する運動に、韓国の民衆は非常に励まされていると通訳の人が言っていました。みんな今度の運動ですごい喜んでいるというんです。韓国の人たちが励まされているというんです。だからお前が来いというので、行ってこようと思います。どこかでこんなことを言ってもいいのかなということを言ってしまったんですが、この前「九条の会」がノーベル平和賞に4番目にエントリーされたという情報がありました。発表の日にわたしは地方に行っていたんですが、もしかして携帯に電話が来るかななんてちらっと思ったことは思ったんですね。

けれども、わたしは正直韓国の李泳禧賞はノーベル賞よりうれしいです。韓国の人たちが、この日本の運動を評価して一緒にがんばりたいと言ってくれるという、こんなにうれしいことはないじゃないですか。だからわたしは、いっそう日韓の民衆がこの安倍さんが進めようとしている戦争法制に反対する運動を一緒にやれる、東アジアの人たちと一緒にやれる、沖縄の人たちと一緒にたたかえる、そういうために行ってこようと思っています。ひとりで行くのでドキドキなんですよが、2日目に日本の報告をしろということで、韓国の運動体の人たちが集まって聞いてくれるというので報告してきたいと思います。

いろいろ一気にお話を申し上げました。100回目の憲法講座で、それにふさわしい話になったかどうか非常に不安でありますけれども、長い間話を聞いていただいてありがとうございました。

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