私と憲法175号(2015年11月25日号)


「戦争法」と「憲法第9条」が併存する矛盾は、「新9条論」=「9条の変質」で解決するのではなく、「戦争法の廃止」で

新9条論の登場

戦争法に反対する「2015年安保闘争」が60年安保闘争以来の高揚を見せ、9月19日の強行「採決」後も、運動圏は戦争法の廃止にむけて、たたかいを堅持している。この闘いを牽引し、支えてきた「戦争させない、9条壊すな!総がかり行動実行委員会」などによる「戦争法廃止の2000万署名運動」をはじめとした、「19日行動」など国会周辺でのデモ、毎月第3火曜日の「2000万人署名・全国一斉行動」、安保関連法制の違憲訴訟などの方針が提起されている。これが沖縄の辺野古新基地建設、原発再稼働、反貧困などの課題と結びついて、2016年の参議院選挙での野党共闘の推進などを射程にいれた、ねばり強い運動がすすんでいる。これを意識して、安倍政権は臨時国会も開かず、これからは「経済だ」などとうそぶいて、戦争法の議論から逃亡している(にもかかわらず、安倍は12月10日の桜井よしこらの「美しい日本の憲法をつくる国民の会」に改憲のメッセージを送っているのだが)。

戦争法をめぐって安倍政権との、このような攻防戦が展開されているさなかに一部の論者が「新9条論」を唱えるというなんとも不思議な事態が生じている。これらの論者の中には2015年安保のたたかいで、ともに戦争法案反対の運動でスクラムを組んだ良心的な人びともいるだけに、そして、この議論がこの間、それなりに戦争法案反対の論陣をはってきた「東京新聞」と「朝日新聞」を舞台に展開されたがゆえに、運動圏には一種のとまどいがある。筆者はこれらの友人たちに戦争法廃止の闘いにおいて連帯の可能性を見すえつつも、「新9条論」の誤りと、それがはたす役割を黙過することはできない(以下、敬称略)。

憲法をまもらせるための9条改憲?

10月11日の東京新聞「こちら特報部」は「平和のための新9条論」「『解釈の余地』を政権に与えない『専守防衛』明確に」という見出しをつけた大きな記事を掲げた。記事はリードで「安倍政権の暴走に憤る人たちの間からは、新9条の制定を求める声が上がり始めた。戦後日本が平和国家のあるべき姿として受け入れてきた『専守防衛の自衛隊』を明確に位置づける。解釈でも明文でも、安倍流の改憲を許さないための新九条である」とのべて、今井一(ジャーナリスト)、小林節(慶応大名誉教授)、伊勢崎賢治(東京外大教授)の3人の識者の議論を紹介した。小林はもともと9条改憲論者だが、安倍政権による集団的自衛権の解釈変更と戦争法は憲法違反で、立憲主義の破壊だとして、この間の運動に同調し、積極的な役割を果たしてきた。伊勢崎も安倍政権の戦争法には反対だとして論陣をはってきた人だ。今井は従来から憲法9条の国民投票をやるべきだとして、改憲手続き法の制定などを推進してきた人で、今回の戦争法反対運動の場にはほとんど現れていない。今井はこの問題で、公開討論会を企画するなどして、新9条論のメディアへの登場を企画した人物で、おそらく今回の議論の発信源であろうと思われる。

11月10日の朝日新聞は「『新9条』相次ぐ提案」「憲法論議に第三の視点」という見出しで、加藤典洋(文芸評論家)、伊勢崎賢治、相田和弘(映画作家)、田原総一朗(評論家)らの議論を取り上げた。加藤は陸海空戦力(!)の一部は国土防衛隊、残りは国連待機軍として交戦権を国連に委譲するという議論、相田は9条に「集団的自衛権は禁止する」を明記するという意見だ。

今井は「安倍政権の“解釈改憲”は度を超しているが、(『自衛隊合憲論』の)欺瞞性が逆手に取られた」「9条の条文と現実の乖離は、安保法の成立で極まった。立憲主義を立て直すことが先決という危機感から、解釈の余地のない『新9条論』が高まっている」と主張する。そして、9条の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては」の条文を「侵略戦争」に変える。そして、個別的自衛権と交戦権を明記し、集団的自衛権を認めないと書く。そのために専守防衛に徹する自衛隊を保持する、と書くという。そして、他国軍の基地は各議院の3分の2の賛成と住民投票の過半数が必要だなどと規定するという。

使い古されてきた新9条論

これが「新9条論」だろうか。なんと陳腐なことか。この間の改憲論争の歴史を少しでも知っている人なら、この議論は少しも新しいものではなく、自民党をはじめ、改憲論者によって使い古された「普通の国」をめざした9条改憲論であることがただちにわかる。私たちは耳にタコができるほど、この手の議論を聞いてきた。今井の議論はそれを外国軍事基地の受け入れの承認の仕方などをくっつけることで新しさを装い、目くらましようとしているだけだ。「立憲主義が破られているから立て直すことが先決だ、解釈の余地のない新9条だ」などというが、「戦争の放棄」を「侵略戦争の放棄」に変え、9条の改憲をはかる。9条を個別的自衛権と交戦権を容認した憲法に変えることは改憲派が待望してきたものであるが、だからといってこれで立憲主義がまもられると考えることはできない。いま立憲主義を破る人びとは、どのような憲法ができても、みずからに都合が悪くなれば立憲主義を破るに違いないことは明白だ。昨年来の安倍晋三政権の手口をみてきた私たちは「政権」にこんな幻想を持つことはできない。

第2次安倍政権は最初に画策した96条改憲が世論の反撃で破綻するや、集団的自衛権の政府解釈に固執する内閣法制局長官を更迭して、解釈改憲に踏み切った。かれらに「解釈の余地を与えない」「まもりやすくしてやる」ことで、憲法が守られると考えるのは「ロマンチストだなあ」(斎藤美奈子11月11日・東京新聞コラム)と皮肉られるとおりだ。今井はこの間の市民運動の高揚のらち外にいて、「もう自衛隊の存在を曖昧にすることは許されない」などと叫ぶ。この間の全国の何百万という運動は安倍政権に対し、「戦争反対」「憲法守れ」「9条守れ」「立憲主義を守れ」と突きつけてきたのだ。このことが戦争法を推進する安倍政権に反対する大きなたたかいをつくり出し、恐怖させてきた。この対立の間に新9条論という「第3の道」を提起することは、論者の意図は別として、安倍政権の改憲の動きを助けることに他ならない。

憲法の理想主義が現実の変革に果たす役割

改憲論者は従来から「現行憲法が現実と離れている」、この「乖離の解決が必要だ」と9条改憲論を主張してきた。そして憲法第9条にみられる理念は非現実的で、空想だと非難してきた。斎藤が指摘するように「つまり……『憲法を現実に近づけませんか』って話でしょう。それは保守政治家がくり返してきた論法だ」(同上)。

確かに9条に代表される日本国憲法が提示する理想は、この間、歴代政権によって実現されず、現実から遠ざかってきた。日米安保条約と安保体制しかり、自衛隊の歴史しかり、沖縄の現実しかり、だ。しかし、それでも日本は戦後70年間にわたって、海外での戦争で人を殺さず、また殺されることもなくやってきた。それはまさに憲法第9条をはじめとする平和主義とそれに依拠した民衆のたたかいが歯止めとなり、戦争のできる「普通の国」を拒否してきたからこそだった。米国や政権側の憲法を現実に近づけて改憲するという企てに抵抗してきた民衆の平和運動は、憲法の理想に現実を近づける闘いであった。米国のリチャード・アーミテージらの集団的自衛権を行使できる日本という要求に歯止めをかけてきたのが憲法9条とその理念だった。その意味で、まさに9条の理想が米国の「戦争できる国」への変質の要求を阻止してきたのだ。新9条論は現実主義の名の下に、この点でそれに屈服するものではないだろうか。

いま必要なことは、「新9条論」の提唱ではなく、戦争法の発動反対の運動であり、この運動が9条の旗を掲げて闘うことこそ重要だ。私たちは、この立場から南スーダンのPKO参加に反対し、撤退を主張するべきだし、南シナ海での日米共同軍事演習に反対すべきだ。立憲主義に根底的に反する戦争法と憲法第9条の抜き差しならない矛盾の解決は、第3の道の提起にあるのではなく、「改憲」か、戦争法の廃止によるしかない。もしも立憲主義の擁護の課題を重視したいのなら、2015年安保闘争が到達した地平に立って、広範な勢力を戦争法廃止、発動阻止の運動に再度結集し、拡大することではないだろうか。新9条論を説く皆さんがこの点での共同の立場に立ってくれることを願ってやまない。
(事務局 高田健)

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2000万人「戦争法の廃止を求める統一署名」にご協力ください

2015年11月
戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

憲法違反の戦争法(安全保障関連法)が、安倍自公政権のもと、大多数の世論を踏みにじり、国会内の多数の横暴で「成立」させられました。

戦争法は、政府のこれまでの憲法解釈を180度転換した閣議決定(2014年7月1日)にもとづくもので、平和主義、立憲主義、民主主義を破壊するものであり、絶対に許せません。「戦争法は廃止せよ」の声は国内外に満ちています。

戦争法を廃止するために、総がかり行動実行委員会は一緒に活動してきた諸団体とともに、「戦争法の廃止を求める統一署名」を2000万人以上集めることを呼びかけます。この2000万署名運動は、みなさんお一人ひとりのご協力がなければ成功しません。それぞれの知人・友人、地域、職場、学園などでの積極的な署名呼びかけをよろしくお願いします。

署名の目標は2000万人以上です。署名にただちに取り組みましょう。

全国の地域・街頭、職場、学園などいたるところ、草の根で、対話を重ね、署名を集める団体、個人をひろげ、「取り扱い団体」をどんどん増やし、力を合わせ、対話を重ね、2000万人以上の署名を実現しましょう。なお、請願には年齢制限はなく、定住外国人も請願できますし、非定住もネット署名は可能です。積極的に声をかけていきましょう。

集約日は、2016年4月25日とします。5月3日憲法集会での発表をめざし、それまでの半年間に2000万人以上の署名を集めましょう。

署名は集まり次第届けてください 

署名は集まり次第どんどん届けてください。多数の署名簿をまとめて送られる場合は、できるだけ「筆数」を添付してくだされば幸いです。なお、FAXは無効となりますので、ご注意を。

送り先・届け先は、「取り扱い団体」の住所、または「〒101-0063東京都千代田区神田淡路町1-15 塚崎ビル3F 戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」にお願いします。

連絡先・問い合わせ先 
◇各取り扱い団体
◇戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
戦争をさせない1000人委員会  TEL 03-3526-2920
解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会 TEL 03-3221-4668
戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター TEL 03-5842-5611

◆なお、同じ内容の署名がインターネットでもできるようにします。ただし、ネット署名は国会請願署名にならないので、その署名は署名人数として算入し、首相官邸に届けることにします。

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第3回 李泳禧賞の受賞にあたって

2015年12月3日 於・ソウル
高田 健

この度、韓国の運動圏の名誉ある賞=第3回李泳禧賞をいただくことになりましたこと、全く思いがけないことで、恐縮しております。

11月中旬の朝、内々に知らせがあったときに、私はよく事情が飲み込めないままに「私が受賞してよいのだろうか」「私は、韓国の民衆運動の人びとからこのような名誉ある賞をいただくに、ふさわしいのだろうか」「私はこれまで日韓民衆連帯運動にどれだけ力を尽くしてきたのだろうか、他に受賞にふさわしい人がたくさんいるのではないか」等々の思いが次々に浮かんできて、恐縮するばかりでした。正直に告白しますが、恥ずかしいことに私はこのときまでに李泳禧先生の著書すら読んだことがなかったのでした。

しかし、ある人がこう言ってくれました。

「高田さんの長年の護憲運動を支えてこられた努力、あくまでも非暴力で、かつ党派を超え、考えの違いの乗り越え、結ぼうとした努力が評価されたのだと思います」と。

そういうことだったら、うれしい限りです。この賞は、この間、長年にわたって「許すな!憲法改悪・市民連絡会」に結集して改憲反対運動に取り組んできた全国のすべての仲間たち、とりわけ2014年春以来の「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」それが参加してともに戦争法案反対の歴史的運動を支えてきた「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の「2015年安保闘争」に対する、韓国の民衆運動からの国際連帯の証だと考えました。

憲法第9条を掲げて、東アジアの平和と共生の実現をめざす私たち日本の市民運動にとって、日韓の民衆連帯は不可欠の課題です。李泳禧賞の受賞は日本でたたかう私たちへの叱咤激励だとおもいます。

実は、この秋、私も事務局の一員を担ってきた「九条の会」も「ノーベル平和賞」候補の一つにエントリーされたという話がありました。私は、さまざまな理由で、同賞へのエントリーは心から喜べるものではありませんでした。結局、この話は沙汰止みになったのですが、今回の李泳禧賞の受賞は、私にとっては、それを超える意義があるのではないかと思っております。

11月19日夕刻、戦争法の廃止をめざして、国会の正門前に結集した約1万人の市民の皆さんに、受賞の報告をしたときの皆さん案の熱い拍手を忘れません。

この受賞に応えて、日本と韓国の、そして東アジアの民衆が連帯して、戦争のない、平和と共生の東アジアをつくるという私たちの「希望と夢」を実現するために微力を尽くしたいと思います。

最後に、かつて中国の作家、魯迅が書いた言葉をもって、受賞のお礼にかえたいとおもいます。

希望は本来、有(ある)というものでもなく、無(ない)というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。(1921年「故郷」)

◇李泳禧氏について(ウィキペディアより)

大学卒業後の1957年、韓国合同通信(後の聯合ニュース)に外信部記者として勤務する。ベトナム戦争への韓国軍派兵を批判する記事を書いたことで朝鮮日報から追放され、軍事政権を批判する運動に参加したことにより、1971年に合同通信を解職。
その後、漢陽大学校に招かれて教壇に立つも、朴正煕政権から度々弾圧を受け76年と80年の二度にわたり教授職を解職される。

1988年、新しい言論を唱えたハンギョレ新聞創刊時には理事および論説顧問に就任。ハンギョレ新聞による北朝鮮訪問取材を企画した1989年には国家保安法違反の罪で起訴され、懲役1年6月を受けて服役した。

晩年には金大中政権を継承する盧武鉉政権の樹立に奔走した。2000年に脳出血で倒れ、右半身に麻痺が残った後も時代を憂いた活動は止むことがなかった。死後、遺体は光州事件の犠牲者を弔う「5・18民衆墓地」に埋葬された。

運動圏の父

1970年代、80年代韓国民主化運動において、活発な言論活動や聖域を破る執筆活動から「運動圏の父」と尊称され、いまもって韓国における知識人・ジャーナリストの筆頭に挙げられている。

とりわけ、軍事政権下で言論・報道に厳しい監視を敷いていた韓国社会では知識人ですら諸外国の情報から遮断されていた。そのため、諸外国の事情に通じていた李泳禧のジャーナリストとしての活動は軍事独裁体制下の民主化運動勢力の理論的支えとなる一方、政権側にとっては大きな脅威であった。生涯に三度 投獄されたが、獄中で看守についていた青年も羨望の眼差しで李泳禧に握手を求めてきたという。常に軍事政権から命を狙われる立場にあったが、諸外国に多く の友人知人を持ち、国内においても余りに著名であったため、暗殺を免れたといわれている。
李泳禧は、自らの言論人としての行動を自著のなかで「偶像に挑戦する理性の行為」と定義していた。

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第99回市民憲法講座 「戦争しない国」であり続けるために―これから安倍政権にどう立ち向かうのか

渡辺 治さん(一橋大学名誉教授、九条の会事務局)

(編集部註)9月26日の講座で中野晃一さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

はじめに

安倍内閣によって戦争法が強行されました。戦後70年の間、自民党政権が多かったので悪いことが続いてきました。例えば安全保障の問題についても安保条約が締結され全土の基地が認められる。沖縄の基地はいまだに何の解決も見ていない。そういう自民党政権のもとでも国民の運動が憲法を守ってきたことによって、いくつか他の国にはない私たちの財産を作ってきました。自衛隊はアメリカの戦争にさまざまなかたちで加担し、日本の米軍基地がなければベトナム侵略戦争は戦えなかったというくらい全面的に大きな加担をし、アジアの戦争を食い止めることもできなかった、しかし、この憲法を守ってきたことによって自衛隊は今年61歳ですけれども、ついに一度も海外で武力行使をする、政府の解釈で言えば海外派兵をすることはできなかった。その結果、自衛隊は他国で人を殺すことはなく、日本は戦後70年のあいだ戦前とはまったく違って、ただの一度も戦争に巻き込まれたり直接に戦争に加担したり関わったことがないまま過ごしてきました。

戦後70年を巡ってNHKが去年世論調査をやりました。かなり大量の調査でしたが、戦後70年でもっとも印象に残る言葉は何か――圧倒的に「平和」なんですね。「繁栄」とか「成長」とかより圧倒的に「平和」です。それから戦後日本社会の中で何が一番つくられてきたと思うかという質問に対して、8割5分の人が「戦争のない平和な社会」と答えています。もっとすごいのは、これからの日本社会は何を目指すべきかという質問の答えの第1位が「戦争のない平和な社会」です。これが、いろいろな弱点を持ちながら日本社会の中での多くの国民が合意としてつくってきたものだと思うんですね。いま安倍政権が壊そうとしているのはこの考え方です。この70年のあり方を根本的に変えようというのが今回の戦争法の中味だった。

そこで今日はまず安倍政権はなぜ戦争法にこれだけ固執したのかということから振り返ってみます。それはこれからの安倍内閣が何を目指すか、そして私たちが安倍内閣にどう立ち向かうかということをあらためて検討する土台になると思います。その上でこの戦争法反対の5ヶ月あまりの大きなたたかいの中で確認された戦争法の危険性、違憲性について考えたい。そしてこの戦争法を満を持して出してきた安倍内閣は、みなさんもいろいろなかたちで参加されたこの大きな戦争法反対運動によって、誤算と挫折を余儀なくされたと思います。その大きな反対運動をざっと振り返って、なぜこのような大きな戦争反対運動の高揚が起こったのかということを検討したいと思います。これが恐らく安倍内閣を倒し戦争法を廃止していくこれからの運動にとっての私たちの原動力になるといます。最後に私たちは、戦争法が強行された今の段階で安倍内閣に対してどう立ち向かっていけばいいのか、運動の課題はどこにあるのかということについても触れられたらいいと思います。

安倍内閣はなぜ戦争法に執念を燃やしたのか?

2012年12月、安倍内閣になってから突然のように集団的自衛権などの言葉が乱れ飛ぶようになったので、戦争法とか集団的自衛権というのは安倍が言い出しっぺだ、安倍のような邪悪な時代錯誤の考え方がこういうものを生み出していると思われている方が多いと思うんですが、私はこれは大きな間違いだと思います。冷戦が終焉して以降、アメリカが世界の覇権者になって四半世紀にわたって手を変え品を変え日本に圧力をかけ、ともに血を流せと言ってきた。そのコアに集団的自衛権の行使を認めろという声がありました。安倍政権の危険性は、いままでアメリカが25年間にわたって、財界も言い続けてきた、自民党政権も努力をしながらできなかった。その課題を安倍がやってのけようとしている。ここに安倍政権の危険性があると思います。

なぜアメリカは、日本にともに血を流せ、自衛隊の海外派兵と集団的自衛権行使を求めてきたのかということを検討したいんですが、ひとことで言えば冷戦が終焉して世界は大きく変わりました。冷戦期はアメリカや日本のグローバル企業といってもいわゆる自由陣営でしか活躍できなかったんですが、社会主義圏、ソ連、東欧が崩壊する、中国が市場経済に突入する、インドが第3世界から日本やアメリカの企業を導入して経済発展する国になるということで、世界は大きく変わりました。世界の中で日本の大企業やアメリカの大企業が活躍できる、夢のような時代がやってきた。しかしこの世界は大企業にうまみが大きいかわりに、極めて危険な世界だった。とくに新たに市場参入した東北アジア、中東アフリカではテロも起こるし、独裁政権が日本やアメリカの企業を追い出すようなことをするかもしれない。アメリカや日本の企業が世界を股にかけて、しかも自分たちの国と同じように安全に大もうけできる、そういう世界をつくるための警察官が必要だった。

オバマが世界の警察官を辞めると言いながら、昨日アフガニスタンで米軍を存続させると言いました。まさに世界の警察官に名乗りを上げたのがアメリカでした。しかしアメリカは、アメリカ一国だけではそれに応じなかった。日本にともに血を流せ、日本の企業も同じように儲けている。いま放っておいたら中国がアメリカ経済を食うのと同じように、当時は日本企業がアメリカ経済を食う状態だった。そんな日本企業のただ乗りを許さないと、一緒に血を流せ、血を流せないのならば汗を流せという要求・圧力が湾岸戦争以来非常に強く日本政府に求められた。

ところが日本政府はそれにうんと言えなかった。財界もそれを求めたけれども日本政府は言えなかった。そこには憲法と憲法に基づく長年の政府解釈-運動が自衛隊は違憲だと言い続けたために、自衛隊は憲法のもとで合憲ですよと言うために渋々つくった政府の解釈です。これが大きく自衛隊の海外への派兵、ともに血を流す体制づくりを阻んだ。もともと自民党政権は、こんな「戦力」を持たない日本国憲法のもとでは大国としての復活なんてあり得ないと、正々堂々と軍隊を持つために改憲を求めました。しかし安保闘争の大きな高揚の中で、この改憲は挫折を余儀なくされた。1960年以来しぶしぶ自民党政権は、現憲法の下で自衛隊や安保条約を維持せざるを得なくなった。そこで、現憲法のもとで自衛隊を維持し大きくするために自民党が編み出した解釈が、自衛隊は憲法9条が禁止している戦力ではありませんというものです。

憲法9条と政府解釈の壁

戦争法はこの解釈をこわそうとしているということをおぼえておいて欲しいのです。自衛隊は合憲だ。なぜかと言えば自衛隊は憲法9条が禁止している戦力ではありません。では何だ、憲法に書いてあろうとなかろうと、日本が武力によって攻められたときに撃退する権利、「黙って死なない権利」はどこの国にもあり、それを自衛権という。侵略されたら撃退する権利-自衛権は、素手では行使できない。中国やソ連がミサイルで攻撃してくる、場合によってはアメリカが攻撃してくる、そのときにそれを撃退するための実力、自衛権を行使するための実力はどこの国にもある。あまりに当たり前だから憲法には書いていないけれども持っていい。ところが日本の場合はそこからが違います。憲法で軍隊を持ってはならないと書いてあるので、自衛権を行使するための実力は、軍隊に、戦力にならないような、小さなものでなければならない。それを政府は「自衛のための必要最小限度の実力」といった。

これを言ったのは1954年ですが、60年安保で憲法が改悪できないことになってから、この解釈を徹底します。自衛のための必要最小限度の実力だ、簡単に言えば警察に毛の生えたようなものだから、憲法で軍隊の保持を禁止していても自衛隊は大丈夫だと言い逃れようとした。それは当時の運動と、野党-社会党は当時160議席あり、1議席しかなかった共産党、そして1964年にできて自衛隊の違憲性を追及した公明党です。この3つの政党が、ベトナム侵略戦争に日本の米軍基地が全面的に協力し、自衛隊もそれに加担していたことから、自衛隊が政府の言う自衛のための必要最小限度の実力だなんていうまやかしは認められない、自衛隊はれっきとしたアメリカ軍に追随する軍隊じゃないかと追及した。政府は致し方なく自衛隊は最小限度の実力だと言うために、自衛隊の活動に対する制約をふたつ設けざるを得なかった。そのひとつが、自衛隊は攻められたら撃退する、それを個別的自衛権と言います。そして攻められてもいないのにアメリカの戦争に協力して海外で武力行使をすることは、自衛隊が軍隊ではないのでできません。海外派兵はしない、集団的自衛権は認めないということを、60年代から72年の政府解釈で政治的に確認し、そのあと何度も確認することになりました。

海外で戦争をしない、武力行使をしないというだけでは、アメリカの要求に応えて自衛隊がアメリカの戦争に加担することは大いにあり得ました。アメリカは、海外派兵、武力行使ができないのであれば後方支援でいい-後方支援というのは日本語だけの言葉で外国にはありません。外国では兵站とかロジスティックスと言って、戦争では後方は絶対必要なんですね。武器を運ぶ、弾薬を運ぶ、兵員を大量に輸送する、けがをした兵士を治療する、病気になったら治療する、通信施設を完備する、破壊された兵器を修理する、こういった膨大な後方が必要です。

これは直接人殺しではない、武力行使ではないからやってもいいということで自衛隊を動員しようとしたことに対して、戦場で後方支援をやったら戦争と一体化したことで9条が禁止している戦争の放棄、武力の放棄に矛盾する。それから戦闘発進準備中の戦闘機に燃料を入れるとか、武器弾薬を運ぶ、提供するとか、後方支援と言っても他国の武力行使と一体化するような活動をやれば、憲法9条が定めた戦争と武力行使をしたことになるので認められない、ということを政府が言った。野党の社会党や共産党や公明党あるいは憲法裁判などで、この条件があるから日本の自衛隊は普通の国の軍隊、憲法が禁止している軍隊とは違って、合憲だという条件を言ったわけです。

自衛隊の海外派遣に努力するも武力行使できず

この条件が90年代以降、アメリカが「ともに血を流せ」と言うときに大きな限界をつくりました。自民党政権はアメリカの要請に応えるためにこのふたつの政府解釈をなんとか壊し、自衛隊を海外でアメリカに追随できる軍隊にしたいと、25年間がんばってきました。一番がんばったのが小泉政権です。自衛隊をイラクに派兵しました。しかしこのふたつの原則は小泉政権にも大きくのしかかって、正式には突破できなかった。確かにイラクのサマワやバクダッドに行ったんですが、あれは武力行使の派兵ではありません。例えばフィリピンの台風とかネパールの地震に対する復興支援はやってもいい。同様に憲法の政府解釈が禁止している派兵ではなくて派遣だという口実で、サマワに行った。あの自衛隊は地元の武装勢力の攻撃に対して武力で反撃できず、オランダ軍やイギリス軍にまかせざるを得なかった。アメリカはいらだちました。結局小泉はイラクまで行ったけれども、後方支援といえども戦場には行けないということで、小泉は戦場ではないということを証明するために四苦八苦したわけです。これはあとで名古屋高裁の自衛隊違憲訴訟の判決で、あれは戦場だと言うことを認めています。でも小泉は戦場ではないと言って、サマワやバクダッドに行った。

アメリカは冷戦終了後200回戦争をしていますが、ほんの数回しか日本の自衛隊は行けなかった。アメリカの「ともに血を流せ」という要求は依然として非常に強かった。それを25年ぶりに突破したのが安倍政権だった。ですから安倍政権の戦争法の、あるいは閣議決定の重要な狙いは、自衛隊の活動を縛っている海外派兵はしない、集団的自衛権は行使しない、それから後方支援目的でもアメリカの戦場には行かない、このふたつの限界を突破して自衛隊がアメリカの戦争にいつでもどこでも協力し加担し武力行使をする、この体制をつくることであったわけです。

これを本格的にやるには明文改憲、憲法改正と、政府の公然たる解釈の改変です。これをやったら60年安保の悪夢が蘇るというわけで、60年安保を知っている自民党の政治家たちはやらなかった。安倍首相のような人は、60年安保の頃には渋谷の岸信介の邸宅で安保反対と言って怒られたという小さな子どもだったわけですが、自民党政権で安保闘争を経験した人は解釈や明文改憲に関してみんな手を触れられなかった。その火中の栗を拾うように手を触れたのが今回の安倍政権です。そういう意味ではアメリカにとって大きな期待の星ということになります。

安倍内閣の野望・「大国」政治の3つの柱――改憲

なぜ安倍がそれをやったのか。間違いなく歴代の自民党政権と違った大きな野望を持っていると思います。それは、戦後の日本は経済大国といわれるけれども、アメリカ、中国、ロシアあるいはイギリス、フランスと比べても軍事大国、つまり大国としての権威を兼ね備えていない。日本は戦前れっきとした大国として世界に君臨した。日本を再びアジアで中国や少なくともロシアに対峙できるような軍事大国になりたい。これが安倍首相の大きな野望だと思います。その野望から言えば、アメリカの戦争に協力して集団的自衛権を認め、世界の紛争地域に日本の自衛隊が思ったままに介入するという体制は、何もオバマに言われなくたってやりたい。これをやらなければ、いくら経済で第3位だといってもちっともG7の中で権威は持てない。日本が大国になるために不可欠の条件として、戦争する軍隊を国益のためにあるいは世界の紛争派遣のために、アメリカに追随して世界に派兵して大企業の安全な活動を守る、そういう活動ができなければ大国になれない。

安倍が軍事大国、大国を目指す証拠は、戦争法を自ら進んで実行しようとしたことだけではありません。安倍政権はこの大国をつくるために強い経済、大企業本位の経済を復活・強化する課題を掲げています。この通常国会でも戦争法案だけに目がいきましたけれども、実は労働者派遣の永続化を果たす労働者派遣法が改悪された。民主党政権になる大きなきっかけが労働者派遣法の抜本改革でしたが、それを今回はもう一回改悪した。これは戦争法案のためにできませんでしたが労働基準法の改悪、残業代ゼロと言われていたものです。それからほとんどすんなりと通ってしまった国民皆保険制度を解体するような医療制度改革。これは病院から患者、高齢者を追い出して、包括ケアというかたちで地域の公的な介護、医療保険を縮小することによって社会保障費を抜本的に削減する。戦後の日本の国民皆保険制度を、根本的に解体するような攻撃も安倍さんはやっています。

大企業が繁栄する「強い経済」と国民意識の改変

安倍政権が強い経済をつくるというときに、歴代の構造改革、新自由主義改革の推進者と違うのは、大企業の400兆円近い内部留保をアメリカ国債を買うようなかたちで無駄遣いをさせないで、もっともっと大儲けをさせる市場を提供することです。その市場づくりのひとつが、地域経済を破壊するとわかっていながら強行したTPPです。もうひとつ、大企業に市場を提供するために、アベノミクスはふたつの大きな市場を考えています。ひとつは健康医療産業で、社会保障を切り捨てて公的な国民皆保険制度や医療保険制度を解体・縮小する中で、小金を持っている中高年層、とくに団塊世代のお金を健康医療産業に吐き出させる。トヨタや多くの大企業が一斉に健康医療産業に突入する。そのためには大学も人文社会科学なんていうくだらないものをやっていないで、先端的なノーベル賞を取るような、産業化に役に立つような先端的科学技術に大量のお金を使う。どんどんお金を使って日本に新しい産業、IPS細胞のような産業をつくりだすことがひとつの市場づくりです。

もうひとつが原発です。原発を大量に輸出する。日本では3.11後、原発をつくることができなくなりましたので原発を世界に売りつけようとしています。安倍内閣は2012年12月に成立して以来、2年10ヶ月の間に50ヶ国以上海外に政府の公式訪問をしています。これを安倍は地球儀俯瞰外交と称している。いままでの記録ホルダーは小泉純一郎で48ヶ国に行っています。これは5年半かけていますが、安倍はすでに55ヶ国です。今度は臨時国会をやらないで行こうというので60ヶ国は簡単に超えます。安倍は海外訪問するときに、必ず100人からの財界人を連れて政府専用機で行きます。最初に行ったのはベトナムで、トルコ、サウジアラビア、クウェート、どこに行っても必ず売り込むのはインフラと同時に原発です。

原発はすべての産業が投入できる大もうけする事業であると同時に、つくるだけで5000億円、バックヤードシステムまで入れれば1基6兆円です。中国はいまペースダウンしましたけれども2020年までに数十基をつくるといっていますし、インドも修正中ですが2020年までに70基つくると言っています。こういう大きな市場に日本企業が参入する。そのために安倍は訪問外交で原発を売り歩いているわけです。

最初にベトナムに行ったときにモデルができましたが、日本の原発は韓国や中国、ロシアに比べて高いけれど、韓国や中国やロシアの原発にない長所がある。それは世界一安全な原発だと言っています。世界一安全という理由は、福島のノウハウがあるからだと言っている。とんでもない話ですが、彼はそういうかたちで、福島の問題が何ら解決していないにも関わらず売り歩いています。こうして強い経済をつくる。この弱点は、世界一安全な原発が動いていないということです。ですから8月10日の川内原発第1号機の再稼働は、戦争法と並んで彼にとっては絶対成立させなければいけないものだった。戦争法案のまっただ中で川内原発を動かし第2号機も動かそうとしている。彼の大国化、強い経済にとっては重要な柱です。

3番目の柱は大国化を支持する国民をつくる。あの70年談話で村山談話を否定して、侵略と植民地支配とお詫びは絶対に入れない。すでに安倍内閣のもとで文科省は教科書検定基準を変えました。今年の3月から適用されている新しい検定基準の中では、閣議決定のような政府の答弁や正式の表明について、教科書は準拠して書かなければいけないという規定があります。村山談話を否定して安倍談話を出すということは、侵略も植民地支配もお詫びも否定する政府の正式な談話が入ることです。これは、安倍が戦争法と並んでこの8月14日には絶対やりたいと思っていたことです。この3つの柱をもって安倍内閣はやろうとしている。そのもっとも大きな柱が戦争法案だったことを見ておく必要があります。これから私たちが運動の手をゆるめれば、彼はこの3つの柱を必ずやってくることを考える必要があります。

アメリカ、財界の全面支援

こうした安倍内閣についてアメリカは当初警戒心を持ちました。安倍が目指している大国はもしかしたらグローバル大国――アメリカに追随して世界の自由な市場秩序を守るための大国ではなく、戦前の日本のような、あるいは部分的に中国のような軍事大国、自国の排他的な市場をつくるような軍事大国を目指しているのではないかという疑いを持ちました。靖国神社の参拝は、戦後の出発点であるポツダム宣言を否定する気かと考えた。焦った安倍政権は、アメリカの威を借りた大国化だということを証明するためにさまざまなことをやった。とくに新ガイドラインを締結し戦争法を出すに及んで、オバマは全幅の信頼をするようになった。個人的にはいまでも嫌いだと思いますけれども、オバマは4月26日の安倍訪米に対して、上下両院合同会議で初めての演説をさせる。安倍は有頂天になって、戦争法をこの8月上旬までに成立させるなんて言ってきました。それはオバマが、安倍のような男ではなければ、歴代の総理大臣のように国民の意識や自分の政権を考えたりするような野郎では、とてもじゃないけれども25年間アメリカが要求してきた戦争法を成功させることはできない。安倍のような野蛮な情熱を持った男でなければ、自分が嫌いなような奴でなければできないだろうと思っていると思います。

だからオバマ、あるいはアメリカ政府は全面的に安倍を信頼し、安倍に期待した。その証拠が4月27日に締結した新ガイドラインだと思います。2015年ガイドラインは、まさにオバマがなぜ安倍を歓待したのかということの証明だと思います。実は戦争法は先ほど言ったふたつの解釈を打破して、アメリカの戦争に全面的に加担することです。アメリカの戦争に全面的に加担するとは、2015年ガイドラインの内容です。ですから、戦争法は2015年ガイドラインを実行するための法律だと考えていいと思います。そういうかたちで安倍は戦争法を焦点にして自己の野望を達成しようとした。

戦争法制の狙い――3つの危険・3つの違憲

そこで戦争法は基本的にどんな危険を持ち、どんな狙いを持っているのかをあらためて簡単に振り返っておきます。2014年7月1日の閣議決定の段階から、焦点は集団的自衛権だといわれてきました。それはまったく間違いではありません。先ほどの2つの政府解釈の第1は、海外で武力行使はできない、アメリカの戦争に武力で加担することはできないということですから間違いではありません。しかしもっと正確に言うと、この間の特別委員会や国会の審議の中で明らかになった戦争法の危険な狙いは、ひとことで言うとアメリカの戦争にいつでも・どこでも・あらゆるかたちで加担する体制をつくる法案だ。こう言うのがより正確で、その中で極めて重要な柱が集団的自衛権だということになります。

アメリカの戦争にいつでもどこでもあらゆるかたちで加担できる、その体制をアメリカは求めてきました。しかしアメリカが第一に求めてきたのは、いままでの政府が憲法9条の解釈によって限界があると言ってきた「後方支援活動」に対する制約を取り払って、いつでもどこでもアメリカの戦争に、集団的自衛権の後方支援という口実ならば加担できる体制、これが第一の狙いだと思います。後方支援という口実というのは簡単に言えば「人を殺さない」と言うことです。直接武力を行使しないで「輸送、調達、修理・整備、医療、通信、宿泊、保管、訓練業務、捜索救助、弾薬提供」、こういう人を直接殺さない行動ならば、いつでもどこでも限界なく日本の自衛隊がアメリカ軍の戦争をサポートできる体制、これをつくることです。

いままでの政府の解釈から言えば、後方支援という口実でもふたつの大きな限界があった。ひとつは、例え後方支援と言っても戦場に入ってはいけないという大きな限界です。もうひとつは、アメリカ軍の戦闘行為と一体化したような後方支援、弾薬の提供とか武器の提供とか発進準備中の飛行機への給油とか、こういうことはやってはいけない。後方支援の中味についても政府解釈は限定を加えていたんですね。このふたつの限界を取っ払って、戦場でもどこでも行ける。「テロ対策特措法」にしても「イラク特措法」にしても「周辺事態法」でも、後方支援であっても戦場に行ってはいけないということを、「非戦闘地域にしか行ってはいけない」とか「後方地域にしか行けない」というい葉で言っていた。今回の戦争法ではどこでも行けます。

アメリカ軍の後方支援に協力してはならない場所は、現に戦闘行為が行われている場所、これ以外は行ってもいい。目視できて、実際に見えるところ、「イスラム国」の掃討のための空爆支援について行ってもいいんです。もしアメリカ軍が「イスラム国」を攻撃するために地上軍を配置したら、それも行ってもいいんです。後方支援ならば行ってもいい。いままでは非戦闘地域しか行ってはいけないかったけれども、今回は行ける。では何がダメかというと、一緒に行って、500メートル先からだんだん「イスラム国」が100メートルくらいに近づいて攻めてきたら、現に戦闘行為が行われている場所になりますから、そうしたら後方支援活動を中断する。それは現地司令官が決めるということでした。

だから国会で問題になった。現地司令官が現に戦闘行為が行われている場所になったら後方支援行為を中断するといっても、司令官の判断で中断できますか、ということです。それまで米軍の司令官と自衛隊の司令官が共同行動をして「イスラム国」討伐のために行動してきた、確かに前線と後方の区別はありますが、一緒に活動してきた。いよいよイスラム国が来て命をかけた戦闘が行われるという時に、日本の現地司令官がアメリカ軍の司令官に対して「じゃあ、ごめんね。憲法上これ以上できないからさようなら。」なんていったら、行かない方がましだという話になりますよ。だから必ずやるんです。こんなことはいわないんです。ということは、後方支援といえども殺し殺される関係に必ず入ることが明らかになります。

これはまさに憲法の、戦争とあらゆる武力行使をしない原則と背反する、違憲なことです。アメリカはこれを望んだんですね。自衛隊は61歳になりました。その自衛隊は憲法上の厳しい制約と国民の監視の中で、海外で人殺しをしたことがありません。61歳になった外科医が1回も外科手術をしたことがない。外科手術のようなものではなくて人殺しですけれども、それを自衛隊はやったことがない。ですからアメリカ軍は本当に自衛隊が使えるとは思っていません。しかし後方活動についてはいろいろな資料を読むと、日本の方が米軍の本隊よりも優れているといわれるところがあるんですね。例えば修理施設などは横須賀とか佐世保の方が優れているとアメリカはいっています。ただし物価が高いといっています。ですから後方に動員したい。これが新ガイドラインの中でアメリカが一番要求してきたことです。これをまず達成するというのが第1の危険性、狙いです。

あらゆる形で「後方支援」

国際平和支援法に別表第一があり、後方支援活動の中味を一気に拡大した内容が書かれています。「補給 給水、給油、食事の提供並びにこれらに類する物品及び役務の提供」、「医療」、「通信」などです。これを読むと「一体何ができないの」ということで、人殺し以外は何でもできる。最後にやや条件的、限定的な言葉が出てきます。「備考 物品の提供には、武器の提供を含まないものとする」、これは武器の提供はやってはいけないという意味です。これは限定を加えているのかというと、そう読んではいけない。周辺事態法、イラク特措法、テロ対策特措法のすべてに別表第一はあります。そこでは「武器、弾薬の提供はしてはならない」という規定です。今回「物品の提供には、武器の提供を含まない」と書いてある。これは逆読みすれば「弾薬の提供はできる」ということです。

だから衆議院の特別委員会で大きな問題になった。民主党が中谷を追及した。核兵器と私たちは一般にいいますけれども、例えば中国や北朝鮮が軍事パレードで見せているのは弾道ミサイルですね。弾道ミサイルの上に核弾頭を付けて、それがアメリカを攻撃するといわれています。そうするとその核弾頭は、ここで提供が禁止されている「武器」ですか、それとも提供ができるようになった「弾薬」ですかと聞いたら、中谷は「弾薬だ」と答えた。核弾頭は弾薬なんです。法的には戦争で日本は核弾頭をアメリカ軍に提供することができる。化学兵器についても、一般に化学兵器というけれども、例えばサリンというのも化学弾頭、弾薬です。ですからサリンも提供できる。運搬手段はここでいう武器だけれども、弾頭は提供できる。それで大騒ぎになりました。そこで中谷は慌てて法的にはできるけれども、日本は非核三原則を持っていて「核は持たない・つくらない・持ち込まない」という原則があるので持てない、だからできないと答えた。けれども、要するにできるということを今回いっています。できないのは航空母艦や戦車をあげることです。アメリカは、いらないっていいますよ、もう十分持っているんだから。これがひとつの大きなポイントです。

「存立危機事態」と「情報収集・警戒監視活動」

アメリカの戦争の中で日本の存立を脅かすような事態、これを存立危機事態と略称していいますが、これが2番目の狙いです。この存立危機事態の時には日本は人殺しもできる。そこで安倍はこれを拡大しようとしたわけです。朝鮮での戦争では、金正恩はもしアメリカが攻撃して戦闘に応戦したとしても日本に宣戦布告しないだろう。そのときでも自衛隊は北朝鮮攻撃にいけるというのが集団的自衛権の中味ですが、安倍はそれを中東でやりたかったんですね。当初、ホルムズ海峡で石油が止まっても日本の存立を脅かす事態だから行ける、掃海艇を派遣できるということに固執した。なぜかというと集団的自衛権の活動範囲をできるだけ広くしようとしたことがポイントです。

大国化を目指す安倍にとっては「後方支援」よりも「存立危機事態」ですよ。後方支援だけやらされるのは嫌なのでやっぱり人殺しもしたいということで、安倍は恐らく存立危機事態をもっとも強調した。けれどもアメリカは後方支援も欲しい、存立危機事態も欲しいけれどもあまり使えないかもしれない。両方欲しいのがアメリカだと思います。

3つ目の狙いの「日米共同の情報収集・警戒監視活動」は、平時でもアメリカと一緒に行動できるというものです。これもいままではできなかった。アメリカ軍の攻撃で日本が攻撃されていない場合は応戦できませんから、一緒に共同訓練といっても特別参加だった。今回はアジア太平洋地域を第7艦隊と一緒に自衛隊はパトロールできる。これも戦争行為、れっきとした武力行使です。つまり3つともに危険性と違憲性、これが非常にはっきりした意図的な狙いがあります。特別委員会で戦争に巻き込まれることに対して、安倍は口を極めて反論しました。巻き込まれるなんていうことはないといった。わたしもそうだと思います。わたしは今回の戦争法は日本がアメリカの戦争に巻き込まれるということではなくて積極的に加担する、ここがポイントだと思います。そういう戦争法を通した。だからアメリカは喜んだんです。

戦争法案反対運動をふり返る――準備期と運動の担い手の登場

この戦争法案を安倍は満を持して、衆議院選挙に勝利したうえで出してきました。本当は3月中旬、予算委員会の審議明けで出したかったけれど、公明党がなんとしても統一地方選挙後ということで、渋々5月14日閣議決定、5月15日国会提出になりました。最初から1ヶ月ちょっとしかないですから、会期延長は織り込み済みでなんとしても通そうとしましたが、大きな反対運動が安倍の誤算を生じさせました。そこで5月15日から強行採決をした9月19日までの期間、反対運動はどのように行われ盛り上がったかを振り返ってみます。5月15日には、戦争法案反対運動を大きく盛り上げていったふたつの組織が登場しました。ひとつは総がかり行動実行委員会、なにやら古めかしい名前ですけれども、もうひとつはシールズです。この登場した背景には、安倍内閣がつくられた2012年12月以降の反対運動の長い準備期間を見ておかないとそれからの運動の高揚はわからないと思います。

2013年2月に安保法制懇が再開された。安倍は政府のふたつの解釈、自衛隊は海外派兵をしない、後方支援、集団的自衛権は認めない、後方支援といえども戦場には行かないという限界を突破するために、安保法制懇によって全部OKという懇談会の報告書をもらって解釈を改変しようとした。それに対して九条の会をはじめとしてさまざまな市民団体が、第2次安倍政権の発足直後から、解釈の改変で日本を戦争する国にすることに対する反対と非難と警戒のキャンペーンを張りました。これが今回の5月15日以降の素早い立ち上がりの大きな土台をつくったと思います。

もうひとつ見逃すことができないのは、第2次安倍政権発足から半年も経たないうちに、9条を壊し、自衛権を持った正式な軍を持ちたいがために、96条改憲を打ち出してきた。安倍は、これはうまい、橋下大阪市長が乗っかっていましたから、これは行けると思ったと思います。それまで公明党は賛成していたし民主党もこれは悪くないと思っていた。ところが、とんでもない。裏口入学だ。憲法改正の手続きを変えて憲法の改変をやりやすくしようというのは、まさに立憲主義の根幹を揺るがす暴挙だと反対の声が起こりました。96条の会なんていうのもつくられた。この立憲主義の蹂躙だという声が起こったことが、今度の集団的自衛権行使容認の閣議決定や戦争法案の時に、早々と違憲の法律を国会の多数で押し切るような立憲主義の破壊だという声をもたらした。戦争法案は戦争する国づくりだという平和の声にプラスして、立憲主義の破壊に反対する、安全保障法案はあってもいいけれどもこんなかたちでやるのはおかしいという意見が当初から出てきた。安倍はそういうことをやりかねない男だということが、この準備期のあいだにあった。これはすごく大きかった。

準備期での注目すべき3つめは、戦争させない1000人委員会ができ、解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会ができ、憲法共同センターが改組され、この3つが集まって2014年12月15日に総がかり行動実行委員会が結成された。そして閣議決定、国会提出前の5月3日に、いままでの5・3憲法集会と平和フォーラムの集会を統一したかたちで横浜の臨港パークで3万人の集会が行われた。これが準備期間で一番大きな共同の取り組みとして行われた。これを前提にして、5月15日の法案国会提出から6月4日の憲法審査会での3人の憲法学者の参考人としての違憲発言につながります。このときはある運動団体の総括によると、なかなか盛り上がらなかったといっています。この時期が大事なのは、総がかり行動とシールズが戦争法反対で初めて姿を現して、定例行動を行うようになった。この運動があって初めて第2期以降の市民の反対運動の大拡大が起こると思います。

第2期・反対運動の急速なひろがり

これが6月4日憲法審査会での3人の憲法学者の違憲発言を生み出すわけです。これは決してオウンゴールではない。風もないのにオウンゴールは起きない。圧倒的なこちらの攻撃の中で仕方がなく蹴り出したら、それが入ってしまった。そういった問題としてとらえれば憲法審査会での3人の発言は、決して真空の中で起こった発言でもなければミスでもない。6月2日に200人を超える憲法学者の戦争法案反対声明が出されています。長谷部さんも小林さんも入っていなかったけれども、そういうものを見て憲法学者の責務としてこの段階でどうなのかということがあの発言に反映したでしょう。もっと大きいのは安倍の立憲主義を蹂躙するような手続きに対して、かねがね長谷部さんと小林さんは遺憾の意を表し反対していた。その準備期における彼らの発言が6月4日の自民党、公明党の推薦のもとでの長谷部の参考人発言になったと思います。

これが大きく変えました。マスコミが運動や集会を本当に報道しやすくなった。それはこの法案は権威ある3人の憲法学者が違憲だといった。そのマスコミの報道が多くの市民に運動の存在、集会の存在を知らせていくようになった。集会参加者が激増しました。6月14日には25000人、24日には30000人ですが、5月12日の日比谷野音集会の2800人から比べると、わずか1ヶ月の間に10倍の市民が結集することになった。大きな運動の高まりをもたらし、安倍政権にとんでもない誤算を生じさせました。ひとつは、安倍は8月上旬まで会期延長して、衆参で4回の強行採決をして突破することが不動のもくろみだった。だからアメリカの上下両院合同会議での演説でも8月上旬という。それからあとで暴露されますが、半年前の12月に河野統幕長が米軍幹部に会話していますが、そこでも盛んに8月上旬に通るからよろしくといっている。安倍のもくろみは大きく崩れ、歴代最長の95日間の延長を余儀なくされた。揉めに揉めて、まだ衆議院特別委員会の段階でとても採決なんていう状況ではなくなった。参議院は自民党のコントロールが弱いですから、参議院で採決できない場合でも衆議院に戻して3分の2で通すには60日の猶予が必要だからと、9月27日の日曜日まで持って行った。

この95日間の会期延長は安倍にとって大きな誤算です。というのは8月10日に川内原発の再稼働を事実上政府は決めていました。これが衆議院、参議院で問題になったら大変だ。もうひとつ、8月14日に70年談話を出すことも深く決意していました。これももし国会が開かれていたらとんでもない議論になるだろう。なんといっても翁長知事が8月中旬に辺野古基地の埋め立て許可を取り消す。これをやられたらたまったものではない。50%あった支持率がどんどん減りつつあって、70年談話で10%、辺野古で10%、川内原発は数%となったら支持率がなくなってしまうということで、安倍は80月上旬にこだわったんですが、突破せざるを得なかった。

さらに特定秘密保護法の教訓を踏まえて死んでもやりたくなかった強行採決をそれでも2回やった。95日も延長したのにそれでも強行採決しないと間に合わない状況まで追い込まれ、2回強行採決をやって案の定支持率が33%まで下がった。これが第2期の、安倍に大きな誤算を生じさせた時期です。

反対運動の第1の高揚期から参院審議と運動の再編成

第3期といえる反対運動の第1の高揚期は、強行採決からの10日間で起こりました。国会の前を万を越す単位の人々が結集し、安倍が恐れたとおり支持率の後退と、安倍内閣始まって以来の支持と不支持の逆転、それから、いらだちの中で記者会見での暴言、失言の相次ぐ暴露が行われました。

そして第4期、7月27日以降の参議院の審議を迎えます。この参議院の審議では安倍内閣は反攻に転じたと思います。支持率が20%台、10%台に下がって安倍がやめることが、戦争法を阻止する私たちの唯一の手がかりだった。それを安倍は本気で恐れたんですね。そこで安倍の反攻が始まります。なんと辺野古の埋め立て工事を1ヶ月中断した。8月10日から9月11日まで。これは安倍にとって重大な後退です。工事を止めてもう一回再開するときになんの違いもないわけです。再開したら、沖縄県民の怒りをもっとかき立てる。それがわかっていながら止めた。これは戦争法と重なるのが嫌だったからです。しようがないから止めた。9月11日は、奇しくも安倍が当初目的としていた強行採決の日でしたが、結局できませんでした。どんどん運動に押されて、強行採決は9月19日まで延びてしまいました。これで終わり、辺野古再開という予定だった。

もうひとつ、あれほど総裁選挙の前から安倍が要求していた70年談話。その中で絶対に入れたくないと言っていた侵略と植民地支配とお詫びの文言を覆した。安倍が抵抗したのはシールズと違って「わたしは」という言葉を入れなかった。死んでも入れたくない。誰かがやったような侵略と誰かがやったような植民地支配と、お詫びについても「わたしは」と言わない。この程度がものすごく大きな抵抗で、とにかく支持率がここで10%減ってしまったら終わりだということで、彼は泣く泣く村山談話を上書きして、教科書検定で使うという点については大幅な後退を余儀なくされた。

運動側はどうだったかというと、8.30の大行動、国会包囲の10万人と全国100万人の大行動を提起して、新たな運動の広がりを目指していろいろな地域とか団体がこの間準備をした。そういう意味でいえばこの第4期は幕間の時期だったと思います。そして第5期8月30日から9月19日、反対運動の第2の高揚と戦争法の強行採決の時期でした。8月30日の大行動は国会前で12万人、これは非常に正確な数字だということは総がかり行動の高田さんから聞きました。そういう意味でいえば恐らく60年安保以来の大きな声が国会を包囲し、全国ではわかっているだけでも1000ヶ所を超えるような行動が行われた。にもかかわらず強行採決を行った。国会の前では連日万を超える反対の声が取り巻いた。

運動昂揚の原動力――2つの共同と新たな力

では戦争法反対の運動は安倍政権を追い詰めましたが、原動力はどこにあったのかを考えてみたい。わたしは2つの大きな要因があったと思います。この運動の高揚をつくった一番大きな大元は、ふたつの共同が行われたことです。ひとつの共同は、運動団体間がこれまで、大げさにいえば60年安保以来、もっと近くでいえば90年代の冷戦終焉以来、自衛隊の海外派兵反対運動以来、なんとかつくろうとした運動団体の共同がついに実現した。統一戦線の歴史を語る必要はないですけれども、60年安保でなぜあのような高揚があったのか。わたしは同じ憲法改悪と安保条約改定に反対しながら角を突き合わせていた社会党と共産党が、総評を媒介として初めて同じテーブルについた。安保条約改定阻止国民会議というかたちで23回の統一行動を事務局のもとで展開した。これが多くの市民が運動に入れる場を提供したと思います。これは一党派の運動が共同することによって、どんなに大きな力を発揮するかということを証明しましたが、安保条約改定の強行直後から、60年安保共闘は崩壊の危機に瀕します。

安保共闘を再開しろという声の中で、60年代前半には原水爆禁止運動で組織的な分裂が起こり、80年には社公合意で社会党は共産党とは手を組まないということによって、基本的には共闘運動は終焉します。90年代以降、共闘の試みはむしろ市民運動のイニシアティブによってさまざまに行われます。5・3実行委員会、九条の会、それから宇都宮健児さんを掲げた都知事選などさまざまにありました。しかし長期の目標を持って運動団体が共同することは残念ながらありませんでした。それを達成したのが今回の、ややソフィスティケイトされたというか、3つの実行委員会が共同する総がかり実行委員会をつくったことです。

ご存じのように「戦争させない1000人委員会」の呼びかけ人になってその中心にいるのは連合、平和フォーラム共同代表の福山真劫さんです。それから「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」には100を超える在京の市民団体、市民が入っている。「改定憲法共同センター」では全労連と日本共産党が正式の加盟者である。この3つが連携、共同するかたちで、実行委員会は連合系と全労連、全労協系を市民運動が媒介したかたちで共闘を結んだ。その共闘の上に立って連合、平和フォーラムのイニシアティブで民主党と、それから共同センターには共産党が入っていますから、民主党、共産党、社民党が、民主党と共産党は民主党が生まれて以来、共産党と社民党ですら一堂に会するということがなかなかなかった、この3つの党が一堂に会して連携するという、かつてない事態をつくりました。

5・3憲法集会には4党が、とくに民主党は代表代行が正式に党を代表して挨拶をするという画期的なことが起こりました。わたしが生きているうちにぜひみたいと思っていた光景がここに登場したと思います。その後この光景は、例えばシールズの集会では必ず民主党と共産党と社民党と生活の党と維新の党が出てきます。見慣れた光景になってきていて、恐らくシールズに参加している学生にとってみればこれは当たり前のことかもしれません。とんでもない、見たことのない景色なんですよね。見たことのない景色が総がかりの共同行動の自主性の中で日常の景色に変わっていく。その中で恐らく民主党の議員も共産党の議員も生活の党の議員も社民党の議員も変わっていったと思います。成長し、学習したと思います。話している中味も徐々に変わっていくし、そういう意味でこの共同の力を発揮しました。

なぜこのようなものができたのか。わたしは2つの流れ、伏流があったと思います。実は2006年、小泉内閣の新自由主義攻撃の中で貧困と格差という問題が大きく社会を揺るがせました。過労自殺だけではなくて、北九州では50代の男性が生活保護を打ち切られて餓死するということが起こりました。そういう中で連合と全労連が、上部団体は手を組めなかったけれども、下部組織がリーマンショック以降の非正規切りにあって非正規労働者の地位を改善するための労働者派遣法の抜本改正で、2008年12月4日に統一集会を持ちます。ものすごく大変な集会でした。その中で信頼を得た全労協、全労連、連合の下部組織が、湯浅誠さんの反貧困ネットワークなどとも組んで2008年12月に年越し派遣村をやります。これは世界に貧困の存在を知らせましたがもっと大きかったことは、この年越し派遣村はそういう3つの労働組合の下部組織が一緒になって、貧困をなくすためにたたかおうと集まった組織です。この取り組みはその後、民主党政権の中でぽしゃります。しかし反原発の運動で再びこの芽が持ち上げられて、これがひとつの流れになったとわたしは思います。

もうひとつの流れは90年代以来の市民運動-この中に市民連絡会も入っていると思いますが-の共同を求める努力、5・3憲法集会で社民党の福島さんと共産党の志位さんが、七夕よろしく5月3日には二人が会うという、こういう集会をやっていた。それでも平和フォーラムとは一緒にできなかったけれども、これが今度総がかりでできた。それは九条の会でも都知事選の中でも行われる。この市民運動のイニシアティブと労働組合の下部での共同の要求、他にもいろいろある流れが今回合流して総がかりの実行委員会というかたちになったと思います。

共同実現の効果

共同の実現で3つの効果が発揮されました。ひとつはこの力で、議会での政党間の共同が生まれた。集会の最後の頃になると「野党がんばれ」という声が流れましたけれど、本当に政党間の共同ができたことが安倍内閣を特別委員会や審議の中で追い詰めていったものすごく大きな理由です。例えば共産党は反対しても必ず出席して反対答弁をやることをかたくなに守ってきた。今回、共産党は民主党と社民党と生活の党と統一した戦術ということで、欠席という戦術をとりました。こういうことはいままでになかったことです。それから、いままでだったら今回共産党が暴露した統合幕僚監部の資料は、死んでも民主党は使わなかった。新聞が他社の特ダネを追随しないのと同じようにやらなかった。ところが今回は、共産党が統合幕僚監部の資料を追及した。そのあとに民主党がその資料の特に最後のページを使って立憲主義の問題で追及する、そういうことをやるようになった。これは安倍にとって大きな誤算だし、大きな力を発揮したと思います。

2番目は、とくに各分野で、いろいろなかたちで共同の試みが行われた。宗教者の全国集会とか法律家6団体の連絡会とか学者の会とか、学者が1万数千人もいたなんて私も初めて知ったんですけれども、そういう大きな共同ができた。法律家6団体の連絡会議は、最初から民主党などと協議して法律専門家の立場から民主党と一緒に額をつきあわせて、特別委員会での戦争法の追及の論点をずっと系統的に学習していくんですね。これは法律家の専門家性と同時に共産党系と社民党系が共同で連絡会議をつくったということに安心して民主党などに受け入れられた理由があります。それから6団体連絡会議のやり方ですべての在京マスコミ、といっても読売などをのぞいた大手マスコミと懇談が行われています。この中でマスコミの人たちのさまざまな法的な疑問点などに答えていった。これがマスコミの報道を大きくさせる大きな原因だったとわたしは思います。

宗教者の集会で、わたしが感激したことをいつも言っています。8月24日の「戦争法案に反対する宗教者・門徒・信者全国集会」の冒頭の1分間で黙祷が行われました。そのとき、こちらからは南無妙法蓮華経、こちらからは南無阿弥陀仏、あちらからはアーメンという声、みんながそれぞれ自分たちの宗教を捨てるんじゃなくて、自分たちの宗教を保持しながら戦争法案反対の一点で集まる。ここが重要なんですね。総がかり実行委員会も、それぞれの独自の実行委員会はそれぞれに沖縄の問題とかさまざまな運動をやっている。同時に総がかりの共同行動を大きく成立させようという、ここに今回の共同行動の大きな意味があったと思います。

3番目は、一番わたしは重視しているんですが共闘の文化ができた。いままで運動をやっていて、例えば共産党系は社民党系の、社民党系は共産党系の運動を知らずに、関心もあまりない。でも今回はそういうものが一緒になった。言葉も文化も違う、生活スタイル、運動スタイルも違う、こういうものが侃々諤々の議論をしながら一緒にやる。これはこれからの運動にとってすごく大きな財産になったと思います。政党間でもそうだと思います。民主党と共産党と社民党が一緒になっていろいろな話をした。これは国民連合政府という提言を共産党がしましたが、他のところがそっぽを向くのではなくて、それはまじめに考えてみようとなったのはそういう共闘の文化ができたからだと思うんですね。そういう意味でこれは大きかった。

運動を支え広げた新たな運動・新たな力

この共同の大きな試みが市民の立ち上がりと新たな階層、新たな力を生み出しました。結論だけの話しになりますが、60年安保は確かに2000の安保共闘組織が全国につくられたといいますが、職域が多いんですね。今回の反対運動は、大都市部だけではなくて地域の広範な広がりをつくった。地域におけるさまざまな共同の試みが地域を変えたというところがあると思います。九条の会も今年の5月1日に 「九条の会事務局からの訴えと提案」を出して7つの行動提起をしました。この中で強調したのが地域との共同ということですが、地域の全戸への宣伝行動や地域における共同です。総がかりは中央レベルではできましたが、総がかりをつくったところもあるけれども、ほとんどのところはいままでの共同の試みをなんとか前進させようと、山形や北九州などでは連合からの呼びかけに応じて共産党と民主党と社民党が初めて一緒に集会をやる、こういうかたちで共同ができたり、連合・平和フォーラムと全労連が共同した集会が持たれたりと、いろいろな地域で工夫しています。

また、地域ごとで工夫して、その力を背景に地方議会における意見書運動とか請願が行われました。その結果未曾有の405議会で集団的自衛権と戦争法案についての意見書が出て、そのうち反対、慎重が393議会という事態が生まれました。多くの地域が変わっていったと思います。それから保守的な人々、わたしは「良心的な保守との共同」と言ってきましたが、自民党の分裂はなかった。これは60年安保よりももっと自民党は固かったんですね、不思議なことに。でも地方の保守層の安倍政権離れ、それから地方の自民党、公明党の議員たちが、いろいろなかたちで中央の締め付け・統制に反発してそうでない行動を取った。毎日新聞のアンケートでは309議会から回答があって、305議会が反対・慎重だった。反対169、慎重136、賛成4。そのうち114議会で与党議員が反対の決議に賛成しています。わたしが講演で各地をわっても、例えば旭川市で公明党は集団的自衛権行使容認に反対の決議で反対に回ったけれども、となりの市では賛成に回ったとか。ここでは自民党が保守系無所属とともに賛成に回ったとか、いろいろなところがあるんです。地域の運動の力だと思いますが、それぞれのところで保守的な人々が重い腰を上げた。

3番目はシールズです。新しい組織で新しい学生が立ち上がった。わたしも数百の九条の会で講演をしていますが、必ずいわれるのは「若い奴は何をやっているんだ」ということです。わたしは、彼らが立ち上がらなければ事態が変わらないと思ったら、必ず立ち上がると答えてきました。確信はありませんでしたけれども、やっぱりその通りの立ち上がりを見せたと思います。

市民個人が参加できるような組織の形態をつくったんだと思います。そこが大事だと思います。女性もそうです。同じように立ち上がって、これは九条の会ではどこの講演会でも5割か6割が女性です。そういう意味ではこの10年あまりの運動で、女性たちの力はまったく大きいんですが、今回は「ママの会」とか「女の平和」とか女性自身が女性自身の団体としても声を上げる。それが、いままでの世論調査では考えられないような事態を生んでいます。7月19日付けの毎日新聞では、戦争法案賛成が全体で27%、男性は実に39%が賛成している。ところが女性19%、差が20ポイントです。これが女性たちの立ち上がりの結果だと思います。

それから弁護士会、日弁連、学者という人たちが、かつてない広範な立ち上がりを示しました。全国142の大学で有志の会がつくられ、法律家6団体連絡会がいろいろなかたちで活動しました。いろいろなかたちでの共同する試み、立憲主義と平和を共同する試み、運動団体で総がかりをつくるという共同の試み、これがいろいろな分野で新しい力・新しい組織を生み出したと思います。

戦争法案反対運動は何を切り拓いたか

では、戦争法案反対運動は、いったい何をもたらし敵にどんな打撃を与えたのか、また以降の安倍政権にどう立ち向かっていけばいいのか。わたしは3つの打撃、3つの確信を与えたと思っています。

第1の打撃は、戦争法について衆参両院の特別委員会の旺盛な審議の中で、安倍政権は苦し紛れにいろいろな答弁をしています。答弁したあと、私たちは法的にはどこに書いてあるのかと反撃します。これらの、苦し紛れに法案を通すための答弁は、戦争法を発動するときに大きな縛りになります。

例えば、小渕が周辺事態法を通すときに、「周辺」という言葉は地理的概念ではないといった。テムズ川も日本とつながっているから、ロンドンも日本周辺だというのが周辺事態法の考え方です。ところが追及されるなかで、小渕の段階になって「地球の裏側までは周辺とは認めない」といった。これは致命的でした。アフガニスタンもイラクも周辺ではないといった。それが結局いまだに周辺事態法が一度も発動されない大きな原因です。だからアフガニスタンの戦争に自衛隊が協力するにはテロ対策特措法をつくり、イラクの時もイラク特措法で行ったんですね。周辺事態法を適用できなかったのは、そういう小渕の答弁がいまだに尾を引いています。

同じように安倍は、最後まで集団的自衛権にこだわった。ホルムズ海峡の機雷掃海。これを最後になって、念頭にないといって変えました。それは、反対運動に押しまくられて参議院が危ないというときに、最後のところで公明党にしっかりと一緒にやってもらうためには、公明党が嫌がっているホルムズ海峡における掃海艇派遣は認めないことを、泣く泣くいった。もっと早くは「イスラム国」には行かないとかいろいろいっています。最後の方になればなるほど手を縛る発言をしています。アメリカの戦争にあらゆるところで協力するということが明らかになって、集団的自衛権は違憲だというだけではなく、そういう戦争法の本質が明らかになったことは大きな打撃になっています。

2番目、辺野古の基地は苦しくなりました。これから法廷闘争に入りますが、私たちの本土におけるたたかい次第だとは思います。これを安倍政権で強行することは恐らく非常に難しいでしょう。それから一番大きいのは明文改憲です。これは私たちが戦争法廃止の運動を続ける限り、一番の念願の明文改憲は参議院選挙が終わってもできないと思います。そこまで私たちの運動は追い詰めたと思います。これを、安倍を倒すことによって終止符を打ちたいと思いますが、この3つの打撃を与えた。

確信という点では、反対運動でつくられた共同、なんといってもこれが一番大きいと思います。総がかりの共同と政党間の共闘の経験、地域におけるさまざまなかたちでの臨時的な戦争法に反対するという一点での共同の経験です。いろいろなところに行くとやっぱりいまだにぎくしゃくしているんですね。そういう意味でいえばこれが今回の反対運動の中で一番大切な宝だと思います。これだけは瞳のように大切にし、大いに使うことです。これからの運動で必ず一緒にやる。できないものはそこの段階で幅広い共同でやる。そういう共同というものが大事です。

2番目は反対運動での新たな階層、特に学生、学者が立ち上がって運動の確信になった。これはやめていませんよね。昨日も野党と共同の協議がありました。そういうかたちで新たな階層が立ち上がる確信を持った。まだまだ学生の中でシールズは小さいです。これをもっと大きなものにしていく、根を張ったものにしていく、その第一歩がつくられた。

3番目、これがわたしは一番大きいと思うんです。安保闘争の記録をずっと見ているとやっぱり挫折の季節というのは学生だけではなくていろいろな団体、運動の中でかなりあったと思います。あれだけたたかったのに強行されてしまった。今回はそういう意味では安保以来の運動をやったわけです。しかし思いの外というか、戦争法が強行されたときにがんばった人の中では結構明るいんですよね。もちろん暗い人もいますけれども。

どうして戦争法反対運動は強行されたにもかかわらずある程度の確信を持ったかというと、「こうやれば勝てる」という方向が出た。それは運動の確信と同時に、例えば、その日の午後に共産党が国民連合政府の構想を出した。わたしは、そういう意味では評価する。何を評価するかというと、この戦争法を廃止する主力の運動は政治を変えることだ。政治を変えるために運動を行う。憲法裁判とかいろいろなやり方があり、市民が必要だと思う運動をやるといいと思いますが、主力は政治を変える。これが今回の運動でとくに政党間が共同してさまざまな活動をやったために、政治を変えることによって事態を打開しようという確信が生まれたことが、みんなが今後もやっていこうと思っている大きな根拠ではないかと思います。

安倍内閣の第2の柱「強い経済」への集中

しかし大きな2つの課題があったと思います。ひとつは安倍はアベノミクスを中心として新自由主義改革を新たな段階に突入させようとしている。社会保障の解体といってもいいようなことを全国で、地域包括ケアというかたちで進めています。原発再稼働、TPP、労働者派遣法の改悪、こういう新自由主義改革と戦争法、これが安倍政権によって行われていることで、大きな反対運動のうねりが安倍内閣を追い詰めれば、もっと大きな安倍内閣に対する打倒の動きになったと思います。いま通常国会で労働者派遣法が強行されました。何度も強行しようとして失敗して、今回強行されたんですが、残念ながら大きな運動のうねりにはならなかった。ここをどうするか。もうひとつ大きいのは、せっかく辺野古の新基地建設を追い詰めた。総がかりは最初から辺野古の問題を書いています。にもかかわらず戦争法反対の運動と辺野古新基地建設阻止の沖縄のたたかいが本土で一緒になかなかできなかった。いろいろな努力はあったけれどもこの点はまだまだ弱かったと思っています。 この2つの課題は残されたけれども、この到達点と確信を踏まえて今後のたたかいをやっていく必要があると思います。

参議院選挙に向けて安倍内閣は大きな反撃、というか手直しを始めています。ひとつは来年1月、南スーダンPKOの具体化から入ってくると思います。まずこれでの戦争法の発動を絶対に阻止しなければいけない。ここから入ってきて後方支援の問題で行くかどうかというと、来年はポスト・オバマの大統領選挙なので、私たちの運動が本当に強ければ、戦争法を発動させないうちになんとか廃止の方向に持っていくことが可能ではないかと思います。アメリカの期待は本当に大きい。河野統幕議長の三軍幹部との懇談の中でみんな期待している。やって欲しいいろいろなメニューを出してきていますので、安倍にとって圧力は非常に強いです。私たちの運動との兼ね合いで、戦争法の発動と体制づくり、この体制づくりの中には共同指揮所とそれから共同計画を公表するといっていますからこれを絶対にさせないことが必要です。

第2の柱が恐らく中心になるでしょう。大企業の競争力回復のためのTPP、原発再稼働、労働力の柔軟化、社会保障の本格的切り込み。どうも新3本の矢はこっちに焦点を合わせてくる。戦争法がよほどこたえたと思うんですね。さしあたり参議院選まではこちらで来る。これは私たちにとって地域の経済を本当にダメにする大きな問題なんですが、なんとTPPが通ったら世論の支持率が上がった。TPPの支持は高いんです。私たちは安倍内閣の「地域経済殺し」、新自由主義改革についてやっぱり弱いことを示しました。昨日のNHKの討論会でも、もっと運動をしないとTPP推進派を完全に切り崩すところまでいっていません。それから国民意識の改造のための教科書統制も盛んにやるでしょう。

安部政権を倒し戦争法を廃止するためには

私たちが今後どんな点に焦点をおいて運動をしていったらいいのか。4つの課題を考えました。なんといっても戦争法廃止と辺野古の新基地建設阻止の市民・労働者の大衆運動、大きな批判を立ち上げることが一番大きなことだと思います。共産党が国民連合政府構想を出しました。普通はこういう構想を出すと猛烈に反発があって、共同が潰れかねないんですね。今回はそうなっていないのは運動の中から生まれたからです。ですからこういう共同を支え強化するためにも国民が、私たちが観客になってはならないんです。「うまくいくかな、民主党と共産党が会った、維新の党と会った、どうなるかな」、そんなことをやっていたら国民は観客になってしまう。政党間だけでは絶対にこんな共同はできません。その教訓が民主党政権です。民主党政権ができたときにみんな期待しました。その段階で、やっぱり総観客状態になってしまった。辺野古はどうなるかな、普天間はどうなるかな、この「観客」では鳩山政権があれだけ努力をしたけれども辺野古の新基地建設を止めることはできなかった。そういう意味でいうと、今回の運動にとって政党間の共同をつくるためにも大きな運動が必要です。

今回、総がかりは2000万署名を出しています。有権者のかなりの人たちが共同を求め、戦争法の廃止を求めているということになれば、政党はそういう国民の負託を受けているわけですから、これはものすごいプレッシャーです。また2000万の署名が集まり戦争法廃止の運動が続けば、最高裁判所の元長官がいったように最高裁判所の長官は世論を気にする。そう、彼らも人間なんです。彼らは私たちの運動を見て判決を出す。運動があるかないかに大きく左右された問題になると思います。

廃止のための国民連合政府とか政党間の共同をつくるためにも大きな大衆運動が必要で、特に辺野古の問題は重要です。総がかりの共同行動の中に辺野古は入っています。ところが、共産党が出した国民連合政府構想の中には戦争法廃止と立憲主義は入っているけれども、辺野古も原発も入っていません。でもそれは仕方がないんです。民主党政権で外務大臣だった岡田さんは、普天間の県外移転を廃棄して日米同盟の容認にまわったわけですから、いまの岡田さんにそれを追及するのはかわいそうですね。

じゃあ黙っているのか。そうじゃないんです。私たちが自分たちで、オール沖縄に匹敵するような大きな共同の行動を示す。原発再稼働阻止の大きな共同の行動を示す。そういう中で政党間がいろいろな学習をしながら考えていくでしょう。さしあたりは戦争法反対一本でもいい、しかし国民が望んでいるのはそれだけではないよということを私たちが運動で示す。これは私たちしか示せないんです。「オール沖縄に連帯して沖縄の元気をもらいました」、ではダメなんです。私たちが本土の責任として沖縄の運動をやらないかぎり、翁長さんもそうですが、沖縄は安保反対論、基地反対論から差別反対論になるだろう。沖縄だけの負担は負いたくないという話にならざるを得ない。それを防いで運動の中で米軍基地を撤廃し、沖縄の基地を解決する運動が必要です。これは本土で考える必要があると思います。

2番目の「運動がつくった共同を守り発展させる」というのは何がいいたいのかというと、恒常化することです。地域でいま臨時的に共同ができています。いろいろな共同ができていますができるだけ当面の戦争法阻止や辺野古や原発の問題で共同を持続する、共同の組織をつくっていくことを大事にしたいと思います。3番目は戦争する国づくり阻止と新自由主義改革反対の運動を両翼で行うということ。

最後は提案ですけれども、戦争法廃止一点でいま共同しています。しかし新たな9条をつくろうとかいろいろな動きが出ている。それから現に3割くらいの人が、手続きがどんなにダメでも戦争法に賛成しています。この人たちのかなりの部分は、9条は良いかもしれないけれども中国は怖い・北朝鮮は怖い。これを日本とアメリカの軍事同盟によってしか解決できないと思っている人がたくさんいると思います。それに対して「憲法の生きる平和」というものを現実的にどうやってつくっていくのかという展望を、私たちが運動の中で探求し示していかないと、本当の意味で新しい日本を作る力になっていかないと思います。最後は少し長期の話になりますが、戦争阻止の大衆運動と共同をつくることと、構造改革と戦争をする国づくり阻止の運動を両翼で進めていく、そういうたたかいを展望してわたしの講演を終わりたいと思います。ありがとうございました。

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