前号の「私と憲法」(173号)で「戦争法に反対するたたかいの経過と展望」について書いた。
その中で今回の戦争法制に反対する運動の特徴について総括的に書き、今後の展望について若干触れた。前号の文章は9月19日の強行採決直後の超多忙な中で書かれたものであり、書き切れていない点が多々あったことは否めない。今号ではその補足を試みたい。
筆者はこの間の戦争法案に反対するたたかいについて、各所で「2015年安保闘争」「15年安保」という呼称を使っている。たしかに60年「安保」、70年「安保」のたたかいは直接的には日米安保条約にまつわるたたかいであり、今回は安保条約と直結する日米ガイドラインの問題とは切り離しがたく結びついた闘いではあったものの、直接的には戦争法=「安保法制」に関わるたたかいであり、多少の違和感が残るのであるが、とりあえず便宜上、この呼称を使うことにしたい。
2015年9月17日から国会を徹夜で包囲する市民の反対の声の中で、9月19日未明、参議院本会議で強行「採決」が行われた。この「採決」は議事録に「議場騒然、聴取不能」としか書いてなく、後に委員長が補追したという前代未聞の事件をめぐって、「採決の事実はなく、無効だ」という指摘は有力で、この問題は未解決であるが、与党は既成事実化しようとしている。しかし、大多数の憲法学者、法曹関係者、歴代の内閣法制局長官経験者らが指摘したとおり、この戦争法は憲法違反である。憲法違反の法律は憲法第98条1項(この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない)に見られるとおり、無効である。にもかかわらず、9月19日以降、憲法9条と違憲の戦争法制が併存する時代に入った。この戦争法によって憲法9条は大きな痛手を被ったが、「どっこい生きている」のである。そして、この戦争法に反対する運動はあの強行「採決」の9月19日以降も継続されており、いわば「中締め」にすぎない。
9月19日以降の運動圏を見ていて、共通することは60年安保、70年安保の後に見られたような「敗北感」「挫折感」がほとんどないことである。思うに、それはこの間の戦争法案反対運動の広範な高揚の中で培ってきたものなのではないか。市民たちが「まだまだ、闘い続ける」「ここであきらめることはできない」と決意している裏付けには、この間のたたかいが生み出したもの、勝ちとったものへの確信がある。
この特徴を本誌前号で筆者は以下のように具体的に指摘した。
今回のたたかいには実に多様な分野や階層の人びとが、全国各地で立ち上がった。(中略)このかつてないたたかいを生み出す契機になり、また牽引してきたのは「戦争させない、9条壊すな!総がかり行動実行委員会」だったことは明らかである。
総がかり実行委員会は、従来はさまざまに立場や意見の違いもあった、戦争をさせない1000人委員会、解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会、戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センターが、2014年春以来のそれぞれの闘いを基礎に、2014年12月15日に発足させたもの。以降、総がかり実行委員会は積極的に戦争法案反対の共同行動を提起し、全国的にも集会や街頭宣伝などにとり組みながら、国会内の野党各党に対する共同行動の働きかけに熱心に取り組んだ。
この呼びかけ3団体に加えて、これに2015年5・3憲法集会以降は、さらに安倍の教育政策NO ネット、一坪反戦地主会・関東ブロック、改憲問題対策法律家6団体連絡会、国連人権勧告の実現を実行委員会 、さようなら原発1000万人アクション、原発なくす全国連絡会、首都圏反原発連合、戦時性暴力問題対策会議、全国労働組合連絡協議会、全国労働金庫労働組合連合会、脱原発をめざす女たちの会、日韓つながり直しキャンペーン2015、「慰安婦」問題解決全国行動、反貧困ネットワーク、「 秘密保護法」廃止へ!実行委員会、mネット・民法改正情報ネットワークなどが、それぞれの固有の課題の枠組みを超えて実行委員会に加わった。
そして8・30大集会の呼びかけには、賛同協力団体として安保法制に反対する学者研究者の会、立憲デモクラシーの会、SEALDs(シールズ)、「女の平和」実行委員会、戦争法案に反対するママの会、戦争法案NO!東京地域ネットワーク、戦争法案に反対する宗教者・門徒・信者国会前大集会、NGO非戦ネット、止めよう!辺野古埋立て9・12国会包囲実行委員会などが名を連ねた。
これらの共同の努力によって、総がかり実行委員会は、現状では戦争法案に反対する人びとのほとんどすべてが結集するような運動体となった。総がかり行動実行委員会の運動は全国各地に影響をあたえ、続々と新しい共同行動組織がうまれていった。これは実に画期的な共同行動であった。(中略)
この実行委員会が(全国一斉街頭宣伝や)インターネットやマスメディアへの連続的広告掲載などによって運動を伝播させ、一層広範な市民個人の参加を可能にし、動かしたと言えよう。
上智大学の中野晃一教授はこの総がかり実と、学者の会、立憲デモクラシーの会、シールズなどとの関係を「掛け布団と敷き布団の関係」にたとえた。「(新しい運動が掛け布団、長年つづく運動が敷き布団)多くが政治への不満を募らせる『寒い時代』には掛け布団が重ねられる。でも誰も気にとめなくても、敷き布団がなければ体が痛くて眠れない」と(朝日新聞8月31日)。
数十年ぶりといってよい歴史的スパンで国会周辺を中心にした全国津々浦々で広範に闘われたこの2015年安保闘争が、運動の参加者、運動を担った人びとにもたらした「確信」の裏付けはここにある。
ある自民党の国会議員は「みんな、餅を食ったら忘れるさ」と言ったという。文字どおり、これを地で行ったようにすでに10月21日、憲法第53条の既定(内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない)にもとづいて4分の1以上の衆院議員=125名が連名で要求した臨時国会の開催に対しても、安倍内閣と与党は応じようともせず、首相は外遊に出発してしまう始末である。これは極めて異例のことであり、憲法を生かすのであれば、臨時国会の開催は当然のことであり、不可欠である。戦争法の廃止法案をはじめ、沖縄辺野古の埋め立て、原発再稼働、TPPの問題や、閣僚の適確性など、問題が山積しているにもかかわらず、議論を避け国会を開かないという安倍政権の姿勢は言語道断である。
運動は一旦収束すると、そのまま右肩上がりですすむわけではないことは、多少経験をした人なら誰でも知っていることである。しかしながら、前述したように、「強行採決」以降も、各地で集会やデモが継続していることは驚くべきことである。実際、総がかり行動実行委員会は19日未明の行動につづいて、19日午前の国会正門前集会(400名)、9月24日の国会正門前集会(5000名)、10月8日の屋内集会(1750名)、10月19日の国会正門前集会(9500名)と行動を続けているし、新宿駅などでの街頭宣伝を始め、全国各地で行動を続けている。SEALDsなどをはじめ、他の団体もさまざまに行動を展開している。
しかし、安倍内閣が第3次内閣を組織したり、TPP交渉の「大筋合意」なるものを鳴り物入りで宣伝する中で、世論の動向に一定の変化が出ていることも見逃せない。朝日新聞社が10月17、18日に行った全国世論調査(電話)では、安倍内閣の支持率は41%(9月19、20日の世論調査は35%)と上昇し、不支持率は40%(同45%)だった。戦争法(安全保障関連法)は「賛成」が36%(同30%)に上昇し、「反対」は49%(同51%)となった。これには「強行採決」という既成事実づくりと、TPPへの参加の「賛成」は58%、「反対」21%等が影響していると考えられる。来年の参院選に備えて、「1億総活躍社会」や「新3本の矢」など新しい政策の宣伝をはじめ、安倍政権の側も必死で世論対策を講じてくるわけで、事態は楽観できない。
すでに一部の報道に見られるように、戦争法の3月施行に伴って、南スーダンで2016年5月にも実施されるとわれていた武力行使を伴う「駆け付け警護」「治安維持・住民保護」(そのための訓練を受けた北部方面隊の派遣)活動も、参院選後まで半年ほど延期するという情報もある。
運動の側が、この間の2015年安保闘争の正反の教訓をしっかりと総括し、闘いを再構築していくことが求められる。
2015年安保闘争に当たって、総がかり行動実行委員会などの運動は戦争法案を本気で止めるために闘ったが、結果としては法案の「強行採決」を阻止できなかった。それにはいくつかの問題点がある。10月14日に成文化した「総がかり行動実行委員会の総括」に沿っていくつか確認しておきたい。
第一、国会内の与野党の議席差は所与のものでは圧倒的に野党に不利であったことは言うまでもない。私たちの闘いは、主要野党(民・共・社民・生活)の結束を作り出したが、自公与党内の大きな分岐を作ることができず、強行採決を許すことになった。自民党引退組などの動きや、広島県庄原町など一部には地方保守層の離反や、創価学会員などの公明党支持層の離反も生まれたが、法案の成否に影響を与えるような大きな分岐をつくり出すことができなかったし、与党内の自公関係の亀裂も作り出せなかった。総裁選出馬の意欲を示した野田聖子らの動きが政財界を動員してつぶされたことを見ても、安倍晋三一強体制を崩すことができなかった。
世論調査における安倍政権の支持率や法案支持率の問題では、異常に高かった安倍政権の支持・不支持率はこの間の闘いの中で逆転させたが、支持率が30%台以下には下がらなかった。世論調査で法案反対が60%、今国会採決反対が80%あったにもかかわらず、これを結集することが必ずしもできなかった。それでも産経新聞が9月12、13日に実施した調査で 「安保法案に反対する集会やデモに参加したことがあるか」との質問に3.4%が「ある」と答えた。実に有権者比で350万人である。さらに、デモ・集会に「今後、参加したいか」との質問では、回答者全体の17.7%がデモ・集会に参加したいと考えていた。さきの3.4% と合わせる と、5人に1人が安保法案反対のデモ・集会に参加した経験があるか、参加したいと考えている。有権者1億人に当てはめれば 2000万人である。これらを組織化しきれなかったのではないか。これはデモに出るほどの余裕すらない非正規労働者層や、中小零細企業家層を組織する課題と不可分ではないだろうか。加えて、社会的多数派に切り込むとすれば、アベノミクスに期待するサラリーマン層など(主観的なアベノミクス勝ち組)への浸透が困難だった。労働運動ではごく一部でストライキが行われたり、大手の労組の一部が旗を持ってデモに参加したことも見られたが、全体に職場での運動は作れていない。まして職場の組合が街頭で市民と合流して共同で人びとに働きかける運動は本格的には形成されなかった。私たちが取り組んできた街頭の反応が尻上がりに高まってきたことや、女性週刊誌の報道など専業主婦層の関心の高まりは、必ずしも運動に呼応しなかったこれらの層の家庭に食い込む上で貴重な経験であり、あと一歩の努力が足りなかったのではないか。
総がかり行動実行委員会の総括は以下のように提起している。
戦争する国・軍事大国化、新自由主義路線に基づき貧困と格差を拡大する安倍自公政権と対決し、平和、民主主義、立憲主義、憲法、人間の安全保障の確立めざして、すべての勢力、市民と連帯して下記のとおり、闘います。
(1)課題としては、
(1)戦争法廃止・発動阻止の取り組み、(2)立憲主義・憲法擁護の取り組み、(3)沖縄・脱原発、(4)人間の安全保障を視野に入れての取り組み、(5)戦争法廃案で奮闘した野党との連携強化(6)諸団体、市民との連携した取り組みの強化、その他、としている。
(2)具体的取り組みとしては、
総がかり行動実行委員会の組織の強化と運動の継続・拡大しながら、(1)毎月19日行動の取り組み、(2)戦争法施行・具体化に対応した集会・抗議行動の取り組み、(3)違憲訴訟支援の取り組み(差し止め訴訟も含めて)、(4)2016年の5・3集会をめざし、2000万筆以上を目標に統一した請願署名行動に取り組み、戦争法廃止、憲法擁護の国民世論の盛り上げと結集をはかる。(5)沖縄、脱原発課題、人間の安全保障課題を視野に連携した取り組み、(6)参議院選挙に向け、野党との連携強化・支援する取り組み、その他、としている。
総がかり行動実行委員会の方針は以上のようなものであるが、若干、私見で補足すると、当面して、私たちの市民運動の目標としては、あくまで戦争法廃止、憲法守れの広範な非暴力的市民行動を組織し、世論に働きかけることを軸に置きながら、国会内の野党との積極的連携をはかり、安倍政権の退陣、政治の転換をめざすということにある。この意味に於いて、総がかり行動実行委員会がいま提起している2000万人統一署名運動は決定的意義を持つものである。
いま日本共産党は戦争法廃止、立憲主義擁護の「国民連合政府」を提唱している。この間の2015年安保闘争の経験の上に立って、従来の同党の主張の一部転換を含む積極的な提案に踏み切った努力に敬意を表したい。
同時に10月16日に民主党が呼びかけ開催された「安保法制反対諸団体との意見交換会」は、今後できるだけ頻繁に定期的に開催することを申し合わせており、この努力も支持したい。
今回、共産党の提案を支持している生活の党の小沢一郎代表はもともと「オリーブの木」構想を主張している。それは「次の参院選を統一名簿による選挙、つまり『オリーブの木構想』で戦うことだ。単なる選挙協力や選挙区調整と考え方が根本的に違う。選挙時の届け出政党を既存の政党とは別に一つつくり、そこに各党の候補者が個人として参加するものだ」(朝日新聞10月2日)。
このオリーブの木構想にしても、共産党の「国民連合政府」提案にしても、目下のところ、必ずしも野党全体の合意となりにくいようであるが、要はこれらのさまざまなイニシアチブを通じて、次期参院選での選挙協力も含めて戦争法廃止をめざす共同が進展し、うちかためられていくことこそ必要である。これらのさまざまな協議の過程で、当面、戦争法の廃止に向けた有効で、有意義な、一致できる道が探り当てられなければならないのである。その前進のための一歩が大きな幅であれ、多少小さな幅であれ、それは努力の結果であり、問わない。連合政権が可能であれば、それに超したことはないが、この問題で民主党、共産党の「合意」ができない場合は、次善の策の選択が必要になる。
参議院選挙は院の半数=121議席(比例代表48、選挙区73)を争うものである。選挙区のうち、1人区は32選挙区あり、2人以上は13選挙区(42人)である。1人区は全国の3分の2以上の地域を占めている。マスコミでは過去の参院選の各党の得票数のシュミレーションが盛んに行われ、選挙協力が実現すると7選挙区で与野党逆転になると報じているが、それは必ずしも当たらない。1対1の選挙は野党統一候補により票が集中するのは明らかで、もし野党共同が成立すれば全小選挙区での勝利を目標にしても、あながち的はずれではない。この場合、複数区と比例区はできるだけ調整された方がよいが、各党が自力で取り組めばよい。次期参院選での野党の勝利は安倍内閣に痛撃を与え、衆議院選挙がらみでの安倍政権の退陣は現実のものとなりうるし、戦争法廃止への道を開くことになる。
いずれにしても、この間の市民運動の高揚と世論の大多数は、戦争法の廃止と立憲主義の確立を望んでおり、各野党はこの声を反映した参院選体制を作る責任がある。
私たちはいま提起している2000万人統一署名を強力に推進することと合わせ、野党と市民のさまざまな協議の場を通じて、こうした方向に積極的に協力していきたい。
(高田健 事務局)
10月8日に発表した総がかり実行委員会の総括と当面の方針要旨です。(編集部)
戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
戦争法案廃案めざして、運動の統一 運動全体の高揚
19実行委員会構成団体と9賛同・支援団体
運動支援著名人署名約1300人
(1)戦法法案廃案・安倍政権退陣めざしての一大大衆運動が形成され、総がかり行動実行委員会もその一翼を担いました。また戦争法は9月19日未明「強行採決」され、廃案はできませんでしたが、私たちの課題も見え、平和と民主主義の再確立への闘いの希望と可能性を確実につくりだすことができました。総がかり行動実行委員会の果たした役割も小さくなく、今後への責任は重大であり、18構成団体、9賛同支援団体との連携を強化し、さらに運動を拡大し、引き続き全力で取り組むことが求められています。
(2)今回の運動がこれだけ高揚した背景は、憲法9条が壊されることの危機、戦争に巻き込まれることへの危機、立憲主義がないがしろにされることへの危機、過半数が反対・憲法学者90%が違憲だと批判し、市民運動が大きく高揚しているにも関わらず強行採決の姿勢を崩さない安倍自公政権への怒り、沖縄基地建設強行・原発再稼働に対する怒り、米国従属路線への抵抗、貧困と格差社会進行することへの怒り、人間の尊厳がないがしろにする安倍政治への危機等、こうした危機認識と怒りが背景にありました。そしてそれぞれの市民が、諸団体が自立し、自発的運動をつくり、また参加し、それぞれが連携しあい、支えあい、大きく運動を高揚させました。民主党、共産党、社民党、生活の党の頑張りも大きく影響を与えました。こうしたことが60年安保以来といわれる運動の高揚を作り出しました。
(3)総がかり行動実行委員会の主要な取り組み
1万人以上 12回 43万人
(5・03、7月国会包囲、8・30、9・14~19の取り組み)
並木通り開放 8・30 9・14
19回の木曜日行動、街頭宣伝活動
運動の全国展開
ホームページ、通信、ポスター、プラカード、新聞広告
カンパ 約1億円、支出内容は、新聞広告、会場借り上げ・音響設備、印刷代等
自発的な多様な運動が高揚・拡大し、連携強化、新しい運動文化など、多くのものを学びとりいれました。
「60%の反対・80%の今回で決めるべきではない」との層を大きく運動に巻き込めなかった。
「38%非正規労働者・権利が侵害されている勤労者」への働きかけの弱さ。
全国展開がまだまだ弱く、市町村のところまで広げることはできなかった。
職場から地域への展開の弱さ。
労働運動との連携の弱さ。
「国会における自公勢力の数」の多さ等。
(1)基本的考え方
取り組み経過と課題を踏まえ、戦争する国・軍事大国化、新自由主義路線に基づき貧困と格差を拡大する安倍自公政権と対決し、平和、民主主義、立憲主義、憲法、人間の安全保障の確立めざして、すべての勢力、市民と連帯して下記のとおり、闘います。
(2)具体的取り組み
大滝敏市
2015年安保闘争。8月30日の12万人による国会包囲と全国1000カ所以上での行動など、連日闘われた8、9月の行動。そのインパクトは強烈なものでした。
この闘いは、私の思い出せる範囲でですが、2014年4月8日の日比谷野外音楽堂での5000人集会(この時は、まだ集会実行委員会主催)、5月13日の国会包囲ヒューマンチェーン(結成されたばかりの「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」主催)から始まり、その後の幾多の行動の積み重ねにより「総がかり行動」が形成されていったことを改めて確認しておきたいと思います。
私も、この間の集会・デモに主に案内・誘導のスタッフとして参加してきました。
国会周辺の集会では、日を追うごとに、参加する方々が、年代・性別や職業に関係なく広範な市民に急速に広がっていったことを肌で感じました。
「いてもたってもいられないので、母と新幹線に飛び乗ってきました」という名古屋の青年、「子供連れでも参加してよいのでしょうか?」と問うてきた赤ちゃんと一緒の家族、「初めて国会に来た。正門にはどう行けば良いのか」との高齢の方…これらの方々が、安全に集会参加できるよう、仲間と共に、時には警察とも対峙しながら精一杯がんばったつもりです。でも、「近くのコンビニを教えて」「地下鉄○○線に乗り換えるには?」などを尋ねられ、とっさに答えられずに「ごめんなさい」も多々ありました。
全国に広がった安保闘争を愛媛新聞(8月21日付)は、「夏デモ」と表し、「デモクラシー(民主主義)を軽んじる政治に、自分の声で、足で、『ノー』のデモンストレーション(明示)を。この夏こそ」と書きました。
夏は終わりましたが、これから「秋デモ」「冬デモ」、あるいは「四季デモ」(通年デモ)を続けていかなければと思います。平和と民主主義、立憲主義のために。
上田市・大村忠嗣
「戦争法案」反対の闘いでは長野県でもかつて無い盛り上がりがあった。「秘密保護法」反対を契機に県内のいろいろな人が参加したMLの存在や、信州沖縄塾の活動、あの3.11以降の脱原発運動、放射能問題への関心があいまって、これまで憲法とか平和運動とかに関心も意志表示もしなかった市民たちが行動を起こした。
長野県地方紙である信濃毎日新聞も積極的に県内各地の動きを伝えていた。全国的傾向としてすでに伝えられているが、私の周りでも子育て中のママさんや、始めて集会に参加してマイクを握る人、国会前の集会に自力で出かけていく人が、7月、8月、9月と日を追うごとに増えて行った。
私たちは3月始めに「戦争しない・させない平和がいい市民の会」(通称ピースアクション)を立ち上げて、安倍政権の「集団的自衛権行使容認」という暴走に立ち向かうべく行動を起こした。この会は基本を「個人参加」におき、出来るだけ広範に文字通り「戦争しない・させない平和がいい」という一点で結集することを呼び掛けた。今までにもいろいろな市民運動に関わって、それぞれ別々に動いていた人が、交流する機会が多くなった。全く今までこうした運動には関わった事が無い人も街頭に出てきてくれるようになった。
7月と8月には「なないろアクション」と称して、7人のママさんが主催して、子供をだっこしたり、おんぶして運営し、200名近くを集める集会もあった。主催者のひとりは「私は安保法案に反対します!私は8歳、4歳、1歳の子供がいます。安倍首相に言いたい、私たちは子供を戦争に行かせるために生むのではありません。世界中の子供たち、そしてこれから生まれてくる命を犠牲にしないでください。母たちが身を削って育てた命を犠牲にしないでください。」と訴えた。
9月6日には上田市で、自主的な個人参加型では始めて、800名を超える「安保法制に反対する集会とデモ」が成功した。9月19日の強行可決以降も毎週金曜日の駅前での街頭宣伝、交通量の多い交差点でのママさんたちのスタンディングアピールなどは続けられている。
この間の活動で思うことは、3.11で脱原発に立ち上がった人も、環境問題だけに取り組んでいた人もこの数ヶ月で、安保法制、沖縄の基地反対闘争へも結びつきを強めたこと、改めて憲法に関心を深めたこと、安倍政権の暴走にきちんと目を向けるようになったこと、さらに巾広い人のつながりが生れたということだ。
安倍首相は外遊を理由に臨時国会を開かないなどという暴挙も、国民に批判をする機会を与えず暴走する手法として露骨だが、一旦目覚めた市民はなかなか眠らない。
戦争させない・9条壊すな!釧路行動実行委員会
事務局 工藤和美
北海道釧路市における戦争法案反対の行動は、昨年7月の「集団的自衛権の行使容認」の閣議決定を許さない!緊急市民行動in釧路、を契機に始まった。
この時は、緊急ということもあり市民有志の形での取り組みであったため、全市的な共同の面では課題を残した。しかしこれまでの憲法改悪に反対する各団体・組織の取り組みが主に室内における集会・学習会であったが、国会前の行動に呼応する形で釧路駅前集会として70名余りの参加で行われたことは今年の行動のきっかけとなった。3月から呼びかけ人になる方々の賛同をいただく活動を開始し、4月の地方選挙で一時中断しながらも5月11日に準備会を開催し、6月4日に「戦争させない・9条壊すな!釧路行動実行委員会」を立ち上げることができた。実行委員会は釧根平和運動フォーラム、いのちとくらしを守る釧路市民会議(釧労連や新日本婦人の会などで構成)、釧路九条の会、憲法を生かす会、アイ女性会議、釧路アイヌ協会、釧路YWCAなどの団体やメノナイト教会の牧師や元民主党道議、市議などが呼びかけ人となって、釧路駅前での連続行動に取り組むことになった。
行動に際しては、「戦争させない」「9条壊すな」の赤青プラカードの用意(ダウンロード:コンビニ印刷含む)やユーチューブなどで国会前行動でのコールの採用・ドラム・太鼓などを準備した。初回は70名ほどの参加で6月11日(木)18時から始め、以降隔週の行動を続けながら7月16日は衆議院での強行採決に抗議する緊急行動、8月30日の全国一斉行動、9月は14日からの連続行動と釧路においても延べ15回に及ぶ駅前行動と2回の集会・デモを共同の力で作り出してきた。呼びかけ人も大学教授やカトリック教会神父、銭湯経営者夫妻などが新たに加わり参加者も最大300名位に増加した。戦争法に反対する行動を市内の団体・個人が大同団結して取り組むことが出来たのは、全国的に大きく盛り上がった運動に大いに励まされたことも相俟って、釧路ではあまり例がない街頭で連続して声を上げる行動を続ける中で、立場を越えて集まった人びとに連帯感が生まれたことがある。しかし私たちの行動には、より一層の幅広い団体・個人の参加と学生・若者・女性の参加をどう実現していくかという大きな課題もある。これからも毎月19日に戦争法制を廃止しよう!安倍政権を倒そう!NEVER GIVE UP釧路行動を続けていくことが確認され、今日の行動(10/19)は寒さが厳しい中、「戦争したくなくて」ふるえながら約80名が集まり声をあげた。今後とも全国の皆さんと繋がって行動していきたい。
土井とみえ
国会の前に幟は持たねどもみんなの中の確かなひとり(埼玉県 小林純子)
ここもまた戦争法案反対と人集いたりオリーブの島(香川県 岡上勝通)
10月5日の朝日歌壇に寄せられた作品だが、同じような思いのうたは毎回多数選ばれていて、一連の戦争法案反対闘争の全国的な共感の広がりと多様な行動があったことがしみじみ伝わってくる。
昨年7月1日に、大きな反対の声にも耳をかさず集団的自衛権の容認が閣議決定された。このままでは終わらせられない、何ができるのか。いち早く菱山南帆子さんから提案された“街中から声をあげよう”という街頭宣伝は、「解釈で9条壊すな!実行委員会」の活動としても拡がり、戦争法案への疑問、不安、反対など、普通の人びとの反応を集め大きくなっていった。詳しくは菱山さんの報告に任せたい。
一方、実に紆余曲折がありながら、12月には「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」が発足できた。さまざまな経過のある運動の一本化は、原水禁運動分裂以来のこととも言える画期的な行動のはじまりだった。この時期、7月閣議決定と安倍政権の戦争への傾斜に対する不安は、普通の人びとに重くのしかかっていた。“赤いファッションを身につけて平和を願い国会を取り囲もう”という「女の平和」実行委員会の呼びかけは、1月17日には予想を超えて7000人もの女性たちが国会を囲む行動となって大きなインパクトを与えた。これまでこうした運動をしたことがなかった女性の研究者や弁護士などが口火を切った呼びかけだった。当日は東京圏だけでなく全国各地からの参加、そしてベビーカーのお母さん、若者、国会に来たのは初めての人、本当に久しぶりの顔などさまざまな女性たちが、華やかに、しかし断固として安倍政権にレッドカードを突きつけた。女性たちの顔は自信に満ちた笑顔で、以後の戦争法反対運動の拡がりを示していたように思う。「女の平和」実行委員会は6月20日にも15000人の女性たちの国会包囲を実現したし、この行動は全国各地にも波及した。この時期、「明日の自由を守る若手弁護士の会」の、主として女性弁護士さんたちによる憲法カフェの活動が若い女性やお母さんたちの法案への関心を高めたし、女性誌の話題として登場させていったことも見逃せない。
総がかり行動による5・3憲法集会の呼びかけは大反響をよんだ。新聞1面を使った全国紙の集会広告は、安倍政権への不安や批判のある主権者の「これを待っていました」というねがいに応えたといえる。ひっきりなしに全国から電話、ファックス、手紙とカンパが寄せられた。こうした思いを背に「平和といのちと人権を!5・3憲法集会」が3万人余を集め、野党4党の代表が平和憲法擁護で足並みを揃え、全国の人びとの期待を受け止めた。
以後、「総がかり行動」は行動をよびかけつづけた。戦争法案を討議する自公協議への抗議行動、法案が国会に出されてからは、毎週の木曜行動、座り込み、大規模集会やデモ、国会包囲、街頭宣伝、ネットでの拡散や新聞の1面広告などなど。時には早朝集会や緊急すぎるような行動もあったが、心地よい日、雨の日、強すぎる日射しを浴びて続けられた。私は集まる人びとが毎回増えていったことに驚き、勇気づけられていった。6月の憲法審査会での3人の憲法学者による違憲発言は、確かに大きく流れを変えた。シールズやママの会などの行動や“安倍政治を変えよう”というスタンディングなどでさらに運動はひろがった。8・30の12万人を越える国会前集会をはじめ、つぎつぎと数万人もの集会を、警察の過剰警備に抗しつつ参加者の意志で成功させていった。この強い思いは参議院の採決時には、未明まで国会前で法案反対の声をあげ続けた。法案が通っても敗北感ではなく、これからも声をあげ行動しよう、安倍政治を変えよう、次の選挙では安倍と自民党を惨敗させる、という思いが満ちていた。
一連の運動を通して半年前にはほとんど知られていなかった“立憲主義”という言葉が多くの人びとに共有され、何よりも政治について発言し、行動することが、主権者として当然であるということが広がったこの変化は、私にとって一大感動になっている。そしてこれまで“院内外の行動で”流れを変えようといってきたが、今回は文字通り大衆行動が各政党の動きを支え、強めることができたことも新しい体験だった。60年安保以来の運動といわれている今回の運動だったが、まだ道半ば。この力を、選挙で結果がでるような方向に、そして次に控える国民投票に勝つことにつなげていくことが課題だ。そのためにも主権在民、人権尊重、平和主義の憲法3原則を一人ひとりの手にして豊かにしていくことだ。
富山洋子
2015年10月7日、第3次安倍改造内閣が発足した。多くの憲法学者や弁護士から憲法違反だとの指摘がある集団的自衛権行使容認を引っ提げて、一連の戦争法を民意をも蹴散らして強引に成立させた安倍政権の再登場は無念ではあるが、憲法を活かし、日本のみならず世界の人々と共に、恒久平和を築いていくことを希求している私たちは、決して引き下がらない。私たちは、主権者として「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、平和への道を切り開いていきたい。
だが私は、この度安倍政権が掲げた「1億総活躍社会」なるスローガンに、おぞましさを禁じ得ない。1938年に制定された悪法、「国家総動員法」が脳裏に蘇ってきたからだ。とは言え、当時私は満5歳、この悪法の中身を知ったのは、ささやかながら反戦・平和、反原発の運動に関わり始めた1970年代の始め頃であったのだがー。
1925年に治安維持法が公布され、その翌年、元号は「昭和」となり、1928年には初の普通選挙が始まったものの、政府の選挙干渉は露骨であった。この年には緊急勅令で治安維持法に死刑・無期懲役が追加され、農民・労働運動や大学教授への弾圧が加速してきた。1938年、国家総動員法が制定されてからは、思想・信条の弾圧はもとより、国家の監視は暮らしの隅々まで及んだ。人々は、一人ひとりのいのちではなく、国家による戦争を担う「材」として扱われた。中国大陸で人体実験をしていた731部隊では、生体解剖を執行していた人々を、丸太と呼んでいたことも、決して忘れてはなるまい。
1938年には、製造業の軍事部門と民事部門の従業者数の比率が逆転しており、生業もまた、軍事に関わるものを選ばざるを得なくなり、容赦なく取りたてられた税金の殆どは、戦争のために使われた。1940年3月には、所得税法の「改正」があり、勤労所得が源泉徴収となった。『東京満蒙開拓団』(東京の満蒙開拓団を知る会著 ㈱ゆまに書房発行 2012年12月第1版2刷)に掲載されている図・「国家財政に占める軍事費」によると、1931年には33.7%、38年は76.8%、44年には85.3%に及んでいる。国家財政の総額も10億円程度だった31年を基点として伸び始め、38年には約50億円、44年には550億円余りと膨張している。これら戦争のための費用を賄うために国家は税金を漏れなく徴収、国債を乱発した。
昭和の時代は、1945年8月15日の敗戦を迎えるまで、日本という国家はアジアに出兵し、2000万人に及ぶ人々や、310万人の日本人のいのちを奪った。銃後と呼ばれていた暮らしの場でも、空襲に脅かされ、食うや食わずやの日々であった。日本が仕掛けた侵略戦争の末期、沖縄は戦場と化し、日本軍戦病死者11万人、米軍戦死者6万人と報告されているなかで、沖縄住民の犠牲者は15万人に及んだという。4人にひとりの住民が、いのちを奪われたのだ。
沖縄戦は軍隊は一人ひとりのいのちを守らないことを鮮明にした。日本軍は沖縄のみならず、満州でも朝鮮半島北部でも日本人非戦闘員を見捨てたばかりでなく、邪魔になると思った老若男女を虐殺することを憚らなかった。敵と見立てた他の国の人々をより多く殺すことを至上の目的としている軍隊が、自国の人々を守るという幻想は打ち捨てるべきだ。
今、沖縄の人々は、現在もなお伸しかかっている軍事基地の重圧を跳ね返すべく、豊かな辺野古の海の埋め立て阻止の闘いを果敢に繰り広げている。翁長知事を先頭に立てた、沖縄の風土をこれ以上軍事基地化させないという国家に対峙するオール沖縄の、地域を基盤にした闘いは、国家を包囲する底力を有している。私たちは、この沖縄の闘いを学び共有し、手を携えて闘っていこうではないか。
現在、安倍政権が打ち出してきている様々な不条理、TPPや非正規雇用を推進する政策は、社会の格差・歪みを一層もたらすに違いない。子どもや高齢者の貧困の問題は、私が居住している地域でも浮上しており、貧困故に高校への通学を断念する子どもたち、物乞いをする高齢者に直面することもある。中学3年生の男児がいる家庭に、自衛隊高等工学校入学の勧誘がくることも聴いている。経済的徴兵は既に始まっているのだ。
生きる喜びや希望を萎ませる現在の状況を転換させていくために、それぞれの地域で、国家を包囲する力を培っていこうではないか。そして現段階で「総がかり」で取り組まなければならないことは、来年の参議院議員選挙であるとの認識を共有し、安倍政権を打ち倒す道筋を固めていきたい。それは未来へ希望をつないでいく道筋でもあると思う。
中尾こずえ
昼の座り込み行動、夕方からの集会。そして、夜を徹しての国会前行動は連日のように雨が降った。終盤戦、私は泊まり込んだ。雨で身体が冷える。幼子を連れたお母さんもいる。国会前に結集した市民の必死のコールは途絶えることはなかった。「戦争法制絶対廃案!」、「戦争反対!」、「野党ガンバレ!」と。
1960年安保闘争以来と言われた8月30日は国会周辺に12万人もの人びとで溢れ、連日、数万人の市民が国会を包囲した。全国津々浦々でも多様な運動が取り組まれた。こういった状況の中で2015年9月19日未明、「法案成立」の暴挙が行われたということを私は決して忘れない。同日朝、強行採決に抗議の緊急集会で、みんなの力で必ず戦争法を廃止する事を誓い合った。さっきまで雨模様だった空はすっかり晴れ渡り眩しいほどだった。(通ってしまった事はとても残念無念だが未来に輝くものがみえてくる。だからか、虚脱感があまりないのだ。)
そして、再び24日の国会正門前大集会を迎えた。5000人の参加者が怒りのコールを上げて集会は開会。野党4党の代表発言、この間奮闘した学者や弁護士さんたち、SEALDsのスピーチ、総がかり行動実行委員会から各団体の代表挨拶を「戦争させない1000委員会」から福山真劫さん、「解釈で憲法9条を壊すな」から高田健さん、「憲法共同センター」小田川義和さん等が行った。この日、私たちは戦争法廃止に向かって新たな闘いのスタートを切った。
1990年代前半から半ば頃、私は、もと「日本軍慰安婦」犠牲者になったハルモ二たちの証言を聞いたり、来日したハルモ二の宿泊などのサポートをする機会に巡り合った。「花がつぼみも開かないうちに凋んでしまったから「手折られた花」と名づけたのだよ。」(金順徳さんが自作の刺繍に付けた名)、戦後になっても心身共の傷は癒されずに定住も出来ずに生きた多くの女性たちがいる。
いま、政治家全体が世代交代して、「戦争」というものの本当のきびしさだとか残酷さだとか、この国が戦争で南北朝鮮、中国、台湾、フィリピンなどアジアの国々にどの様な傷跡を残したか、どの様な犠牲を負わせたのかをわからない人ばかりで政治をやっている。謙虚に向き合う事ができなければ政治家をやる資格はない。過去を学ぶことによって将来は展望できるのだ。「過去」は私たちが向き合っている現在、そして明日の問題だ。戦争という非常さと非人間的な残酷さを生み出す事を二度としてはならないという思いと願いは九条と共に七〇年間生きてきたのだ。平和憲法を手放すわけにはいかない。
強行採決された1か月後の10月19日、国会前に9500人が結集! 戦争法の廃止を求める民衆のうねりは増幅する。怒りのコールはさめ止まない。
2015年安保闘争は新たな民主義が溢れ出た。文字通り総がかりの共同行動は野外集会・デモと毎週木曜日国会前行動を繰り返し行った。木曜日になると国会前は地方からかつけて来る人、国会は初めてという人、50年ぶりだという人、子連れファミリー、中・高生等の老若男女で一杯に埋めつくされた。そうして、熱い真夏の闘いへと入って行った。また、街宣隊は街中行動を続けた。(9月29日の新宿西口街宣は301人が参加。何と過去最大規模だ。)多彩な表現力を持つ若者たちがいる。昔若かった元気なおじさん、おばさんたちもいる。一人一人が自分の足で、自分の言葉で、自分のスタイルで意思表示、アピールする。
このくにを変革する若い力に確信を持ち、信頼したい。昨年7月1日からの与党のだまし討ちに怒り、政治を変えるために奮闘している全国の老若男女の仲間たちと繋がりあって必ず安倍政権打倒に勝利しよう。総がかり行動実行委員会が提起した2000万署名はとても有効な運動になると思います。息切れしないように頑張りましょう。
松岡幹雄@とめよう改憲!おおさかネットワーク
8.30全国統一行動日、大阪での集会は2万5000人を超える人びとが集まった。大阪では画期的な「総がかり行動」の取り組みとなった。その後、各地域へ「総がかり行動」は波及し、強行採決が行われた9月19日まで地域で大小様々な集会やデモが取り組まれた。大阪北部では、吹田市、箕面市、茨木市、高槻市で連鎖的な集会が開催され、私が活動する豊中市でも戦争法案反対!豊中市民アクション実行委員会を結成し、500名を超える市民・市民団体、ナショナルセンターの違いを超え労働組合が結集し共に声を上げた。集会では、民主、共産、社民、無所属の各市議会議員が一堂に参加した。
中央段階でも「総がかり行動」の取り組みは様々な課題を克服し実現されたと思うが、地域へ行けばより具体的な対立や障害を克服していかなければならない。目標が同じだから指たかれ!で「こない方が悪い」というのがこれまでの運動スタイルであったように思う。しかし、それは独りよがりの運動スタイルだ。同じ目標に向かってどうすれば共同が実現できるか、これまでの運動の経過や意見の違いを乗り越えて結集できる方法を提案する側は真剣に検討し、実行することが求められていると思う。各府県や市町村単位で総がかりの陣形をつくり運動を継続することが現在の一つの課題となっているように思う。そういった地域での運動の経験を交流する場があれば、これからの戦争法廃止の運動に役立つと思う。
豊中では、戦争法の「成立」をうけ、あらたに戦争法廃止!豊中市民アクション実行委員会が発足した。来る11月9日には総がかりの陣形をつくりながら集会とデモを予定している。毎月、19日には地域での街頭宣伝を取り組んでいく。より市民と身近な地域であるいは職場で運動を継続し、声をあげ続けることが必要だ。来年夏の参議院選挙までしぶとくつづけていき、戦争法廃止の展望をつくりだしたい。
大阪では、11月22日には大阪府・市のダブル選挙もおこなわれる。今回のダブル選は、安倍政権と気脈を通じつつ憲法改悪と都構想復活をねらう橋下・大阪維新の会に対して、5.17住民投票を勝利した「オール大阪」の共同を維持し、維新政治を終わらせることができるかが最大の焦点となっている。府市ダブル選では、大阪に民主主義を取り戻す第一歩として反維新候補の当選を目指し支援してきたい。
菱山南帆子
2015年安保闘争は前半の6、7月は灼熱の中での国会前闘争、後半の8、9月は実に雨の多い闘いの場になりました。毎回天候は厳しい中にもかかわらず毎回毎回、そして毎日毎日昼から夜まで仲間が全国から国会に集まり、共に声をあげました。
闘いが高揚し、広まり始めてくると、警察の不当な過剰警備などが増え時にはそういった事にも屈せず鉄柵交渉や車道解放をめぐる闘いも行いました。7月に昼の集会時に歩道に鉄柵をしき、私たち市民をその中に閉じ込め抑圧しようとした許せない暴挙に実行委員会をはじめ、多くの市民が怒り、自らの手で撤去しました。また、9月の強行採決前の集会には幸福実現党はじめ右翼が「安保法制賛成」なる横断幕を掲げ私たちの集会中に2度乱入してくることがありましたが、その動きにも私たち市民の力で跳ね返しました。対権力、対反対勢力などによる妨害を一つ一つ市民の手によって跳ね返すことで、「非暴力」の闘いの中には仲間や自分たちの権利を守るための実力の闘いも含まれるんだということを身をもって経験しました。周りに参加していた大勢の仲間も同じ思いでさらに心を一つにしてアメニモマケズの歴史的な闘いを展開しました。
しかし、9月19日戦争法案は強行可決された。阻止することはできなかった。しかし、私達には「負けた」「力尽きた」といった敗北感など微塵もない。それは安倍政権を打倒し、戦争法制を廃止する希望への道が眼前に開かれていると確信できるからです。必ず勝つことはできる、変えることはできるという手応えを感じ取っているからではないでしょうか。
悔しさをかみしめながら、思い起こしてみましょう。賛成をはるかに上回る反対の声を踏みにじることができたのは、だまし取られた「多数の力」と立ちはだかる装甲車、20名以上の不当逮捕という国家暴力を振りかざしてこそだったことを。
そして確認したいと思います。「多数」を「少数」に変え、国家暴力を無力化することが勝利への大道であることを!そのために「共同」の精神を貫き「8.30」を10倍する立ち上がりを実現することが課題であり、必ずできるということを!
戦争(法)にも9条改憲にも反対が間違いなく多数であり、安倍がいう「理解不足」などではなく理解が進めば進むほど反対が増えるということを目に見える形にすることが鍵だと思います。潜在する多数を、顕在する多数に変えることです。
一つの運動として取り組んできた街頭宣伝は、上から目線で立ち上がりを訴えるのではなく型破りで多様なパフォーマンスで立ち上がる、声をあげることを阻むハードルを取り払うことを目指してきました。 政治には無関心でいられても無関係ではいられないことを、声をあげるにはすこしの勇気が必要だけど楽しいんだということを、私達こそが主人公なんだということを発信し続けてきました。
素通りを共感に変えるんだと岩をも穿つ雨垂れのような思いでやってきて、市民が国会へと押し寄せるための目に見えない水路を無数に切り開いてきていると確信しています。
昨年7.1解釈改憲閣議決定から、草の根的にというスタンスを貫いてきたことは正しかった。その上で今私達が向き合っているものが日本の精神風土や政治風土なんだと思うのです。 「長い物には巻かれろ、政治は怖い、関わるな」などです。そこには100年あまり前に非戦平和を目指した幸徳秋水達をでっち上げて処刑した「大逆事件」がいまなお大きく影響していると聞きます。
また改めて思うことはいのちの重さ、貴さに対する態度が根本的な分岐点なのだということです。 戦争と抑圧の過去を居直り、再び戦争へと国民を乗せて暴走する安倍政権がどれほどいのちを軽んじていることか。いのちを守る大義を優先し「共同」の精神を貫くこと、肌の色、民族、宗教が違ってもいのちの貴さを守り抜くスタンスにあらためて立脚したいと思います。辺野古新基地建設も原発再稼働も共に命を軽んじるところから発しています。
運動の分裂の歴史も、いのちの重さの原点に立ち返ることで乗り越えることができます。8.30の歴史的高揚は「共同」の精神、取り組みがあったからこそです。
安倍政権を縛り上げる空前の違憲訴訟、潜在する多数を顕在化するための署名運動、19日の国会前行動などを草の根から、さらに進んで土壌を変える次元からとりくもう! 燃え尽きることがない、闘いが楽しく、闘うものを豊かに成長させる、そんな持続可能な闘いを創り出しましょう!
私は、これからもこれまで以上に街宣に立ち、より大きくコールを上げ続けます。
お話:中野晃一さん(立憲デモクラシーの会呼びかけ人・上智大学教授)
(編集部註)9月26日の講座で中野晃一さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
今日お話しさせていただくテーマですが、このたたかいは終盤が来て、憤りも強くなっています。一方で、何とも形容しがたい希望が生まれ、それがひとつの力になって励まされています。これは総がかり行動をずっとやってこられた高田さんたちに感謝してもしきれない思いがあるんですけれども、みなさん国会前に足を運んでいる方たちは、どこかうれしそうな顔をしている。非常によくわかるんです。私も行くたびに来て良かったと思って、毎回励まされて勇気をもらって帰っています。フェイスブックなどでつながっている人でも、不安な思いが実際の場をつくって、いわゆる組織動員ではなくてもひとりひとりで自分で行ける状況ができた。その事で、こんなひどい状況を許してはいけないと感じている人がこんなにいることが体感としてわかって大きな励みになる。それがまた生活の場に戻って波及していくということが起きた。これは本当に画期的なことだと思います。そこにある希望がなんなのかということもあわせてお話しさせていただければと思います。
最初に絶望的な状況ということについて。過度に絶望しない、しかし決して楽観できる状況ではないのも事実です。それは今回の安保法が成立するかしないかを別においても、仮にわれわれが廃案に追い込むことができたとしても、それで「めでたし、めでたし」にはならない状況があります。それは、政府が非常に漠然とした、いい加減としかいいようがない「安全保障の環境が変化している」というわけです。「厳しさを増す安全保障環境」があって、そこにとりあえず何でも入れておけ、みたいな感じで、サイバーテロとか、中国が、中東や「イスラム国」がどうだとか。これがどれくらいいい加減なことなのか。この安全保障環境が変化しているというのは、1回目の安保法制懇、第1次安倍政権の時に同じ言葉を使っています。だから7、8年前の話で、いまに至るまで安全保障環境が厳しさを増し続けているわけですね。でもその間に、特に何もなかったといえば何もなかったわけです。そういう意味では枕詞になっている空疎な概念です。とは言え、何が世界的に起きているのかということまで射程に入れておかなければいけないと思います。
というのは、いま日本で起きているような変化―立憲主義をないがしろにする、民主主義を踏みにじる、そして安全保障政策の名のもとに国家が権力、権威を強めようとしている動きは、日本だけで起きているわけではありません。私は、政府が言うのとはまったく違った意味で、安全保障環境が変化していることは間違いないと思います。確かに過去20年、30年近く前の冷戦末期くらいから起きてきている変化の中で、日本の変化も起きていることをとらえておく必要があると思います。
フランシス・フクヤマが「歴史の終焉」ということを言いました。日系二世の評論家というか思想家が書いてベストセラーになり、ちょうど冷戦が終わる頃のタイミングで発表した論文が世界的に話題となりました。フクヤマは、歴史はこれで終わった。なぜかというとイデオロギー闘争において共産主義という最後のライバルが自由民主主義によって葬り去られたので、このあと歴史の名に値するようなイデオロギーや価値理念を巡る争いはもうないので、徐々に自由や民主主義といった理念が世界に広がっていくしかない、ということを言った。ですから、すでに民主化あるいは自由主義のもとにあるような国々――彼が念頭に置いているのはアメリカや西欧諸国や、日本のような国もそうですが――においては、自由や民主主義を失うなんていうことは考えられないし、それ無しということはあり得ない。あとは他の国にどれだけこれが広まっていくのか、ということでした。
その後ご存じのとおり、半ばそういった楽観主義というか、いま思えばまったく外れたわけです。そういう自己成就的予言というか、自分からそれを実現させようとするようなある種の予言をしたことによって、アメリカ自身もイラク戦争とか中東の民主化といったかたちで、ブッシュ政権の時にかなり前のめりな政策に出ていった。中東も一気にドミノ倒しのようにできるという楽観論が一時期ありました。そのあとに暮らしているわれわれは、それが惨憺たる失敗に終わった中で生きているわけで、アメリカ政治ではそういう時期がありました。日本も小泉政権のもとでそれに加担していったわけです。
そういう楽観論が四半世紀前、冷戦がちょうど終わる頃にありました。私が皮肉だなと思うのは、自由民主主義の主たるライバルがなくなった途端に、自由主義や民主主義が内部から腐敗していったというか、弱くなって崩れ落ちている状況がいまあるのではないか。ソ連の共産独裁が崩壊したことはもちろん内部から壊れていった。それは独裁政権、あるいは計画経済の中で自由競争がなかった。そういったことで結局「長持ち」できなかった。多様性がなくて自由がないような状況においては切磋琢磨が行われないので、その結果内部から崩壊していくというのが、簡単に言った場合のソ連のひとつの大きな失敗だったわけですね。それがある意味でライバルがなくなった自由民主主義にも同じようなことが起きているとも言えるわけです。ライバルがなくなって切磋琢磨、緊張感がなくなった途端に、本来はこのあと成功を謳歌して世界に広まっていくだけと思われていた自由民主主義が、実はそこまでの強さを持っていなかった。やはり緊張を失って切磋琢磨をする多様性がなくなった。多様な言論が先細りしていった。その中で内部から腐っていったのではないかと思っています。
現実にあるのは、私は先進諸国においては「グローバルな寡頭支配」という言い方をしています。寡頭支配というのは英語でoligarchy、オリガーキーというもので、平たく言うと少数派支配ということです。少数派による統治が、グローバルな規模で拡散していっている状況があります。日本で起きていることもそういう変化であるし、アメリカでも、西洋諸国の多くでもそういった変化が起きている。すべてとは申し上げませんが、かなり多くのところで起きている。それはわかりやすいかたちで言えば昔の貴族制のような、世襲であったり血縁による統治エリートというものの再生産ということですね。
これは日本の場合はかなり明らかです。世襲議員でなければ、総理大臣の子か孫でなければ総理大臣になる資格がないかのように思われています。さらに総理大臣の子か孫であれば、何もやってなくても将来は総理大臣かといわれている。小渕優子さんはちょっとこけちゃいましたけれども小泉進次郞さんとか、そういう構造がしっかりできていて、「あいつはいけるな」とどんどんもり立てられていくわけですね。その一方で、悪い奴といえば政治家として凄腕なのは菅官房長官ですね。でも彼はたたき上げだから誰も総理大臣になんていわない。考えてみればおかしな話です、実力者ということでいえば。名前が挙がるのは世襲が条件のようになっているわけです。
アメリカでも、下手したらヒラリー・クリントンかジェフ・ブッシュかと言われています。やっぱり異常です。結局、血縁関係、家族、縁故がアドバンテージになっていて、アメリカの場合はさすがにもう少し多様な人材が――相当先細っていますが――あるといえばありますが、日本の場合にはかなりひどいかたちで出ている。実はこれは政治体制を問わないわけで、お隣の韓国も同じ自由民主主義の国ですが、やっぱり朴元大統領の娘さんですね。もっといえば中国の習近平さんもいわゆる太子党、共産党幹部の子どもです。朝鮮民主主義人民共和国も同じようなことで、国々でいがみ合ったり競争しているといいながら、極論をいえば実際はどこも王朝支配のようになっている。
そういう状況が生まれていることは決して偶然ではない。ひとつひとつは寡頭支配と呼ぶしかないものが出てきている。血縁だけではなくて、いわゆる財界支配というかグローバル資本による寡頭的な支配が同時に進んでいるわけです。アメリカの場合はそれが非常にえげつないかたちで出ている。結局オバマであろうと共和党であろうと、両方ともにグローバル企業がお金をたんまりあげていますから、経済政策に関しては大差がない。日本にTPPを要求してくることも実は大差はないわけで、そういう状況が生まれてしまっている。日本語の文脈でいえば政財官の癒着といわれますが、そういった構造が世界的にかなり広まっていて、自由民主主義という名前からすればおよそふさわしくない、およそ実体を伴っていないような政治の変化が、先進諸国においてかなりの程度広まっている状況があります。
もう一方で違ったかたちで、発展途上国において破綻国家と言われるようなものが出てきている。ポスト冷戦の状況でかなり目に付くところです。米ソ対立があって冷戦構造があったときは、もちろん非常に良くない時代であったわけで、経験したものとしてはあの時代に戻りたいとは思えません。いつ核戦争が起こるかわからない。ソ連の上を飛行機が飛べない。ヨーロッパに行くのにアンカレッジ経由とかインド経由などがあった。当時は米ソがにらみ合って囲碁の勝負をしているかのように、世界の地理上どこでも、どちらかが抑えようと競い合っていました。アフリカの、経済的にいったら資源が取れるわけではない、あるいは内戦など問題があるようなところでも、米ソが代理戦争を行う。どちらかが抑えて、どちらかがゲリラを支援するような状況です。
米ソ冷戦が崩壊しグローバル経済が出現して、先進諸国においては寡頭支配が進んでくると何が起きるか。多くの発展途上国で、ソ連はなくなったわけですがロシア、アメリカ、中国、日本、ヨーロッパ、といった国々が興味を示さない国が出てきます。代理戦争だったり、独裁者をおいて統治させるということをしないで、いってみれば腐るにまかせるというか、内戦になろうと無政府状態になろうと知ったことではないという状況がいくつか出てきています。例えば一時期ソマリアで海賊が出てきたわけですが、それが典型的な例で、エチオピアなどもそうです。政府と呼べるようなものがない状態がしばらく続いて、いわゆる海賊、盗賊、山賊などがハイテクで、コンピューターとか携帯を使って連絡を取り合いながら、やっていることは物を盗んで子分に配るという盗賊です。そのエリアでは一定の支配をしていますが、持続的なかたちで統治することには関心がありません。収奪する、簒奪する、奪ってくることで生計を成り立たせている。自分達は、お金持ちになったり身の安全を守ろうとしますが、地域的なエリア、人が住んでいてある程度の空間がある部分を統治することにはあまり関心がない状況が生まれています。
イラク戦争の結果もそういうことです。イラク戦争の中でいろいろやったけれども、民主化はうまくいかない。これはできないなと思ったらとりあえず爆発しなければいいということで、 イラクという国はもはや事実上いくつかの国に分かれてしまい、政府があるとは言えない状況のところもあります。でもそれはそれでしょうがないということになっている。そういうところから、アルカイダだったりイスラム国と呼ばれるようなものが出てくる。基本的なモデルは宗教の名をかたってはいるわけですが、やっていることは収奪、簒奪です。高度に武装化した暴力団のようなものなんですね。そこにイデオロギー的な要素を加えることによって民心をコントロールしようとしているわけです。そういうことがどんどん出てきてしまっている。それが、例えばシリアの内戦の背後にあるから、ヨーロッパでいま問題になっている難民問題――日本も何もしなくていいのかという議論がようやく出てきていますが――が起きている背景は、米ソ冷戦の時とはまったく違う地政学的なものの動き方と、それぞれの国や地理的な区域の中における権力構造が大きく異なっていると言えるわけです。
日本でもアメリカでも、持続可能な形態で統治する関心を失っていると言えます。さすがにアルカイダとかイスラム国のようなむき出しの収奪や簒奪はありませんが、法律をつくったり、違憲立法をおこなったりしながら、体裁としては法治国家を名乗りながら実際には、例えば本当に暮らしていけるのかという非正規労働の拡散をしています。それは何かというと、統治エリートというもの、政官業といったかたちができ、世襲化が進んでいて、現代における貴族制-貴族支配のようなものが出てきている。彼らの階級利益、彼らがとりあえず収奪できればいいわけで、それが国民国家として持続可能なモデルなのかということについて関心がないわけです。そういった変化が、実はあちこちで起きています。
少し前に、オキュパイ運動がアメリカでありました。あれは大きな驚きでした。日本でこれだけ多くの人びとが国会前に足を運ぶようになったことが驚きなのと同じように、ウォール街のすぐ横のズコッティパークに、若者たちを中心に多くの人が集まって占拠したことは非常に大きな驚きだった。グローバル資本主義の総本山であるアメリカの、あのニューヨークの、あのウォール街で、こんなことはおかしい、99%対1%だといって寡頭支配を糾弾した。逆にいうと状況がそこまで深刻になっていました。
日本では安保法制の文脈の中で、経済的徴兵制が来ると言われていますね。正規の徴兵制ではなくて貧困をつくることによって、自衛隊に入ることでしか学資が稼げない、生活ができない層がこれから増やされていくのではないか。そうすることによって戦争に狩り出される人が出てくることが心配されているわけです。なぜ心配されるかというと、アメリカはすでにそのモデルをつくっているからです。私もアメリカの大学で勉強しましたが、大学のキャンパスに軍のリクルーターがいるのはごく当たり前のことです。そういう状況が日本でもこれから来てもおかしくない。実際高校を卒業する子たちに向けて手紙が配られたりしていますし、経済状況が良くない地域を中心にもうずっと前から、東北や北海道などから出ているわけです。それがどんどん加速化していくのではないかという心配がされるのは、そういった寡頭支配が相当むき出しのかたちでいま出てきているからです。
直接行動によることでしか反論・抗議ができない状況が出てきたのは、われわれを代表しているはずの政治家や政党がわれわれの方を向いていなくて、グローバルにつながった寡頭エリート、一部の政財界エリートたちが収奪をしている構図になって、投票行為がほとんど意味を持たなくなってきているからです。日本の場合、とくに最近の選挙はそうなっています。自民党を支持しているわけではないけれど、民主党だってとても期待できる状況ではない。あいつ等は裏切ったじゃないかというわけですね。最終的には自民党野田派と言われたような状況で、自民党がやりそうな原発再稼働とかTPPとか消費税増税とか、そういったことを血眼になって援助しちゃったのが野田さんだった。そういう政党に投票できないという中で、半分近い人が棄権をする。あるいは票がばらけてしまって、結果として自民党が大勝ちする結果になりました。選挙制度が機能ない、代議制が機能していないのであれば、われわれ自身が路上に立つしかない。その状況が世界的に起きています。
しかしアイデンティティに関わること、どっちが右翼的というかナショナリズムをあおるかというような、お金のかからないことに関しては差異を強調します。これはアメリがいい例ですが、人工中絶とか進化論を拒否する。歴史修正主義というのは日本だけではなくてアメリカでもやっています。アダムとイブから人類が出たということを学校で教えろとか進化論を教えちゃいけないとか、そういうことを大まじめに共和党が進めていたりしています。なんのためかというと、ひとつはなんのお金もかからないけれども世論を割ることができるわけです。極論をつくって世論を割って、政党間の競争に意味があるかのような仕掛けを作ることができる。
ヨーロッパなどでは典型的な例が出ています。極右、極左の場合もありますがとくに極右政党、移民排斥であったり、反イスラムであったり、そういうアイデンティティを商売にするというか、ことさらにあおり立てる少数政党がまた伸びる状況が、これと同じ文脈の中で起きてきています。
こういった世界的な文脈の中で、「ニュー・ライト」、新右派転換ということが起きてきていて、それが政治の前提になっています。この新右派とは何か。新右派連合という言い方をしていますが、サッチャーが典型です。サッチャーというと1979年ですから冷戦後期のことです。80年代を通してイギリスの首相だったマーガレット・サッチャー、「鉄の女」と呼ばれていました。彼女などが当時のレーガン、日本の中曽根康弘など、1980年代の冷戦末期に旗を振って始めた保守政治の大転換です。自由経済、新進自由主義と言ったりしますけれども、小さな政府でできるだけマーケットに任せる。あるいは企業モデルで組織を変えていき、すべての関係をお客様とサービスプロバイダーの関係に変えようという、そういった変化がひとつです。もうひとつが、これと矛盾するようですけれども国家主義――強い国家をかかげる。小さな政府と言いながら、強い国家ということを同時に言う。この組み合わせですね。
強い国家の方は、対外的にはナショナリズムであったり、安倍さんに見られるような抑止力重視、軍事力を重視する外交政策です。国内政策で言えば、個人の自由や人権を多少踏みにじってでも国家の威信を強める政策をとる。こういった転換が、保守の転換として起きています。そこがイニシアティブをとり続けて、常に攻めている。反対する勢力が常に守勢にまわって、どんどん追い詰められている。いつの間にかわれわれが、多くの疑問をもはや疑問と思わなくなっている。なぜ金持ちから税金を取れないのか。どうして消費税増税を優先させて法人税を下げていかなければいけないのか。そういうことについて朝日新聞も含めて疑問に思わないで旗を振る状況が出ています。それはグローバルな競争が起きているからしょうがないというわけです。
すべての国がシンガポールみたいな国になっていき、安倍さんが国会の演説ではっきり言ったわけですが、世界で一番企業が活動しやすい国に日本をしたいということです。要はシンガポールを見習えと。シンガポールのように非民主的な政治があって、常に与党が勝つわけです。選挙はあるんですが必ず与党が勝つ。そして人権とか自由は非常に厳しく制限されている。ただ経済的には規制緩和があり、金融のマーケットとして成功していてお金が入ってくる。ただしお金持ちから課税はあまりしない。それしかモデルがないというわけです。「この道しかない」と安倍さんがついこの間の選挙で言っていたけれど、これはもともとはサッチャーが言った言葉です。「There is no alternative」、オルタナティヴはないということで、英語では頭文字をとってTINA(ティナ)といわれるくらい有名なセリフです。この新右派連合の政治しかないというわけです。小さな政府で、公共予算を削減し、金持ちから税金は取らないで社会保障は切って、一方で国家は強くして軍備は増強する。そうした方向でやるしかないといって、徐々にそれがなぜか常識になっていっています。
それが実は政治体制を越えて、自由民主主義を名乗っている国だけではなく中国も同じ状況です。市場開放を1978年から鄧小平が始めた。サッチャーが1979年ですから、まさにこの転換は世界的に同じ時期に始まり、その後80年代を通じてずっとやってきています。中国の場合はいまに至るまで共産党独裁です。民主化の動きも出たけれども1989年に天安門事件で潰された。経済の自由化も社会の自由化もある程度起きたけれども、政治の自由化は最後まで許さなかった。ある意味みんなが中国の後追いをしているようなものです。政治体制としては、太子党と言われるような世襲だったり利権を抱えている人たちが政治を行って、経済的には商売できますよということで、そちらでやろうとする。でも実際には勝ち組と負け組の差、貧富の格差はとてつもなく広がっていく。ただ勝機はあるかもしれないが、自己責任論を強調します。負けた奴は負けた方が悪い、だって勝った奴がいるじゃないか、という社会をつくっている。でも非常に勝ちやすい地位にいる人たちがいることには触れない。中国やシンガポールをモデルに、そういう国の後追いをしている状況が世界的にあります。
北東アジアの韓国も日本もまったく同じです。貧富の格差、労働者に対する弾圧、世襲、財閥の利権、そういういったことはまったく同じですが、ナショナリズムがなぜか強まっています。それは実態を隠す隠れ蓑に使っているところが多分にあります。われわれが思っているような本来の国民国家という実態はもうないわけです。日本国民だからといって同じような生活は保障されません。昔で言えば悪いところはいっぱいあったけれども田中角栄のような人がいて、トンネルは掘るは道路は通すは、新潟県民だって同じ国民なんだぞ!という、ある程度人々が納得できるようなものをつくろうとしていたわけです。もちろんばらまきで、持続可能だったかと言えば可能ではなかったし、平等にしていたかと言えばそうはしなかった。常に従属してくれなければ困るわけですから。
でも親分=子分の関係の中で親分が子分に金を配り、子分は親分に仕える。決して子分は親分と平等にならないけれども、その中である程度の均衡化がなされ、ある程度の帰属関係、日本人であるという中味があった。それがいまはもはやなくなっている。安倍さんは選挙区が山口県にあるけれど、あそこで生まれ育ったわけではない。世襲議員の非常に多くは、決して負けることはない選挙区を持っていますがそこで育ったわけではない。小学校から東京の私立に行って、この辺に住んでという状況です。放っておいても当選する。小渕優子さんなんかは典型で、後援会組織ががっちりやっているから、彼女自身はお金がどう集まってどう使われているかわからなくていいわけです。政治資金団体は無税で世襲出来ちゃうわけです。世襲議員はとてつもなく有利です。名前だけ、地盤があるだけじゃなくて、お金がごっそりそのまま移ります。いかにお金を持ってきて、配るかというシステムも含めて。そういう安泰な状況が日本全国に散らばっています。小選挙区制によってさらにそれが盤石なものになった。まさに封建領主のようなものができた。参勤交代はしないけれど。
その中で出てきているのが集団的自衛権で、そこがポイントです。専守防衛は変わらないと真っ赤なうそをついています。個別的自衛権と違って、日本が攻撃をされていないのに他国の戦争に出ていくのが集団的自衛権ですから、専守防衛のはずがない。うそをついてまで守ろうとしているものは、本当は国民国家じゃないんです。シンボルとしての尖閣諸島がすごく大事で、中国脅威論で日本の領土である尖閣が危ないというと、「危ないのか」とみんなの目がそこにいって欲しいわけです。でも集団的自衛権はそのためにどう使われるのかわからないんです。尖閣諸島が日本の領土だと日本政府は主張している。実はアメリカは、日米同盟がこれだけ大事だと言っていながら、いまに至るまで中国のものとも日本のものとも言っていません。そして尖閣諸島の一部をアメリカは射撃場として借り上げているにもかかわらず、アメリカは同盟国である日本の領有権を認めていません。それなのに、なぜかアメリカの戦争に日本が入っていくことができる集団的自衛権を使わないと、尖閣を守れないかのような印象操作がされています。ここに何か臭いものがあるわけです。
それが何か。安全保障の目的というと昔であれば国防とか専守防衛でしたが、今は、国際秩序を維持するために日本もやりなさいという話なんですね。国際秩序とはグローバル経済です。グローバル企業が世界のあちこちで儲けることができる秩序を守るために自衛隊も出ていかなければダメですよ、ということです。だから、中東のようなところが本当は大事なんです。だから、アメリカが日本にそれをやれと言っているわけです。ようやく今になってナイとアーミテージが出した報告書が、いかに今回の法制の下敷きになっているかという話です。彼らは、日米関係は制約があってうまくいかない、アメリカとイギリスのような関係を目指すべきだと言っています。
アメリカの一番の子分はイギリスで、アメリカのやる戦争には全部一緒にいくわけです。ブッシュの時にはブレアがフランスやドイツが行かないときでも行った。しかも中道左派の政党だったはずの労働党のブレアが、共和党右派のブッシュの戦争について行った。それくらい忠実な子分です。そういう国に日本もしたいわけです。ヨーロッパの中にイギリスがあるように、アジアの中の日本にしたい。何がしたいかというと、彼らの言うグローバル経済を簒奪する国際秩序を守りたいということです。そのために、日本もそこで儲けているんだから所場代を払えということです。やっているのはやくざの論理なんですね。これが集団的自衛権を行使できるようにしなさいと言っていることの中味です。本当は尖閣諸島を守ることとは直接の論理はないわけです。でもそれを言ってはおしまいだから言わない。
この間もオバマと習近平は仲良く会っていたじゃないですか。あの人たちはお互い儲けたいわけで、その中でどうするかという議論をしています。そういう文脈ですから、国民国家を長期的に統治しようと考えていないんです。安倍政権を見ていて保守に見えないのはそこです。保守しようとしていない。持続可能な国民国家であることが保守の肝だったはずです。それが、明日がないかのような無茶な振る舞いをする。憲法を壊すということもまさにそこで、昔はせめて憲法を変えようとしていた。いまは壊しちゃう。まず憲法96条を変えようとして、反発にあってできなかった。今度は、同じことのために解釈を変えればいいという話になった。もう何でもいいわけです。とにかく憲法を壊してでも集団的自衛権を使えるようにしようということになるのは、そもそも保守の発想とは違っています。
やり方も典型的です。ガイドライン改定を先にやって、アメリカの議会で8月までに安保法案をあげると勝手に約束しちゃう。もう国民国家を代表しているとか、そこで持続的に合意をつくって安全保障政策を組み立てようなんて端から思っていないわけです。そういうことを国会審議より先行させる。さらにはアメリカと同じようなかたちで国家安全保障会議をつくって、一部の閣僚とさらに自衛隊の制服組が入って、そこで保護されるような特定秘密をもらって共有し、政府が総合的に判断して存立危機にあるとかなんとかいって、集団的自衛権を発動できる体制をつくった。これはまさにクーデター、東大の憲法学者の石川健治さんが法学的にクーデターとおっしゃった。
そもそも憲法が禁じていることを、そのときどきの政府が「総合的」に判断して戦争に行けるようになるなんて、むちゃくちゃじゃないですか。すべての閣僚でさえない。これは安全保障政策がわれわれの手から完全に離れることを意味しています。日本はこれまで個別的自衛権のためには3要件――明らかに日本の領土が侵略された場合、そして外交などによってそれを取り除くことができないときには、最小限において自衛権を発動することができる――が、9条でもできると無理して言っていた理屈だった。それが客観的に認定できる事実がないにもかかわらず、政府が総合的に判断すればできる。ホルムズ海峡うんぬんも、米艦防護のお母さんと子どもが、いなくてもいいという話で、もうむちゃくちゃなわけです。結局は、こういうことがまかり通るようになると文字通りクーデターになってしまいます。
このあと必ず明文改憲にいくわけです。実際安倍さんが、また何だかよくわからない「新三本の矢」とかいっていました。「帰ってきた三本の矢」とかいって、帰ってきたら自分に刺さっちゃうんで帰ってくればいいと思うけれど、その新しい三本の矢もお粗末なものです。そう言いながら、夏の参議院選で憲法改正をやるといっていましたね。やれるものならやってみろ、受けて立つぞとわれわれが思っていることですが、これは必然的にやらざるを得ない。一度ここまでひどいうそをついてしまうと、うそをつき続けないといけない。
日本国憲法は日本が戦争をしない国だという提起をしています。だから戦争が起きた場合の規定がゼロです。戦争する国になった場合は、戦争した場合のことを改正して入れないとダメになります。このやり口はグローバル企業うんぬんと一致していて、労働法の壊し方とまったく同じです。偽装請負だとかサービス残業だとかという既成事実を先につくり、実態に合わないから法律を変えないといけないと堂々といってくる。先に既成事実をつくってしまい、そのあとつじつまが合わないから法律や憲法を変えないといけないという。労働法制の分野と同じことを、今度は安全保障でやろうとしている。これはやらざるを得ないわけです。ですからこれは食い止めるしかない。全面的な改憲案を自民党が用意しているというのは、そういうことです。もちろん最初は緊急権だとか環境権だとかでハードルを下げる。あるいは最低投票率の規定がないですから、国民がうんざりして3割くらいしか投票しないときに、日本会議のようなものを動員して大事なものは通してしまう。われわれがあらがう気持ちがなくなることを待っている、強行してくる政治の手法はまさにそこです。
辺野古でのやり方とか今回の強行採決とか、ことさらにわれわれに無力感を味わわせようとしている。われわれに屈辱的な思いをさせて、抵抗しても無駄だ、デモなんかに行っても無駄だと教え込ませようとしているわけです。そういうことによって、どんどんわれわれのことを支配していこうと考えているからです。もっと賢かったら他にやりようがあるだろうと思いますが、あれは意図的にやっているわけです。問題ない、適切にやっている、十分に説明した、これからも説明していく、まさにそういうやり方をやってきている。というのは国民国家として、持続可能的にわれわれのことを統治しようとは思わずに、単に従属させて自分達が寡頭支配を貫徹させればいいと思ってやっている動きです。
こういった流れがかなりはっきりわかるのは、村山談話と安倍談話の違いです。村山談話はコンパクトですけれども重要な文書です。「植民地支配」と「侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」の4つのキーワードを、マスコミは安倍談話に入るかどうかそこばかり注目しました。村山談話では、この4つのキーワードが極めてシンプルなロジックによってつながれています。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。」
誰にお詫びしているか。特にアジア諸国、もっといえば中国や韓国を念頭に置いて、フィリピン、インドネシアなども含めてアジア諸国に対し、植民地支配と侵略してしまったことを痛切に反省し、心からお詫びしますといっているわけですね。だからこれは4つのキーワードだけではなくて、このロジックが大事なんです。なにを「反省」をしているかが問題です。単に反省しているだけなら負けたことを反省していることもありますからね、勝てば良かったって。安倍さんならあり得ますよ。そうではなくて、植民地支配や侵略をしてしまったことを痛切に反省し、心からお詫びをすることがポイントです。
けれどもこの4つのキーワードが一人歩きをして、あたかもこれを入れればいいだろうという話になったから安倍談話は無残なんですね。非常に長くて、最初に読んだとき、これは完成原稿なのかなと思いました。論理矛盾もすごい。要は4つのキーワードを入れているんですが、ずたずたに間を切り裂いてしまってロジカルなつながりがありません。一番すごいのが侵略ですよね。「事変、侵略、戦争」、なにをいっているかわからない。だから何だという話で、入れればいいんだろうと、それくらいいい加減な気持ちなわけです。
でもこれはある意味で、とても良くできている文章でもあるんです。というのは、談話を出している相手が中国や韓国じゃなく、アメリカに向けて出しています。そこが最大の違いです。村山談話はアジアでの和解を一応目指して、保守自民党に支えられた社会党首班ではあったけれども、そのときなりに村山さんがこだわった。そして、まだ周りにいた官僚とか野中さんとか橋本龍太郎さんまでもが、責任ある保守政治家として後世までこういった禍根を残してはいけない、きちんと謝らないといけないと、彼らなりの努力で出したものでした。
安倍談話は中国や韓国のことは端から考えていません。アメリカが許してくれる範囲でできるだけ歴史を書き換えたいということを、とてもうまくやっているのがこの談話です。最初の部分、「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました」。端から他の人のせいだと言っています。読んでいて日本の植民地が出てくるかといったら、日露戦争で植民地を解放したということに近いことが書いてあります。「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」。すごいなと思います。確かにフィンランドが喜んだとかいう逸話があります。ずっとロシアにいじめられていた国だったから。ただ日露戦争は朝鮮半島を日本が植民地支配していくためのホップかステップのような段階です。それにはまったく触れていません。植民地支配と言っておいて、台湾も、それ以上に朝鮮半島についてまったく触れないということがすごい。
でもこれはアメリカ側には違和感のない文章です。アメリカの自己認識は、自らが植民地支配をしていない国というものです。ハワイやグアムとか遠くまできていますが、彼らは、自分達はイギリスの植民地だったので、植民地であるから植民地は持っていないと思っています。ですからヨーロッパ諸国の植民地支配を、こうやって人のせいにしても特に違和感なく読んでしまいます。ちなみに日露戦争ではアメリカもイギリスも日本側についています。だから選んだ戦争としては、良い戦争なんですね。
次ですが、「世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました」。これもまた欧米諸国のせいだといっているわけです。この「経済のブロック化」というのは重要なのでひとつ心にとめておいて下さい。日本経済が打撃を受けて、「日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした『新しい国際秩序』への『挑戦者』となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました」です。奇妙なのは、ひとつはブロック経済を欧米が始めたというような話ですが、その前に満州事変が起きていますから、日本が満州に行く方が早いわけです。それは欧米から見れば経済ブロックをつくろうとしていることになり、順序が違います。アメリカしか考えていないと、こういう発想になると思います。満州事変が侵略戦争だったということをあまり考えたくなくて、パールハーバーから戦争が始まっていると思えば、この順序でもおかしくないのかもしれません。
安倍さんがこの談話の中で反省し謝罪している、ここがすごく重要です。「『新しい国際秩序』への『挑戦者』となってしまいました、ごめんなさい」と言っている。そのあとに70年前に日本が敗戦しましたとつづきます。ここが、彼が「反省」して「お詫び」しているところです。もっとはっきり言うと「アメリカを中心としてつくりだされていた国際社会の秩序に刃向かってしまってごめんなさい」と書いてある。侵略したことや植民地支配したことではなくて、「『新しい国際秩序』への『挑戦者』となってしまった」ことがまずかったということですね。
ここでもうひとつ、「いまの国際秩序への挑戦者は中国ですよね」ということを言外に言っています。チクっているみたいに。実は言いたいことはそこなんですね。経済のブロック化というのはそこなんです。TPPは、本当は経済のブロック化ですが、進めている人は自由貿易だと思っている。中国を排除してブロックをつくっているわけで、あれが経済のブロックじゃなくてなにが経済のブロックかと思うので、本当の自由貿易でさえありません。アメリカの保険会社とか製薬会社の代理人の弁護士などが、日本のトヨタとかそういったところと調整してやっているわけで、そもそも自由貿易とは呼べません。加えて、中国を排除するかたちで中国に対抗するためにやっている。アジアインフラ投資銀行(AIIB)に日本は入らなかった、アメリカ側につきますよと一生懸命やっている。彼らは、TPPを推進することは経済の自由化、自由貿易だと思っていて、経済ブロックだとは思っていません。
つぎのところは異常な段落です。「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」。謝罪をしているところで、打ち止め宣言をするというのはないですよ。そのあと、「しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」。
このふたつの文章がどう接続するのかがよくわかりませんが、気持ちとしてはもう2度と再び謝りたくない。俺は謝らせられるけれどもこれで打ち止めだぜと言って、稲田朋美だとか山谷えり子だとかを満足させた。次に、アメリカに怒られますよと官僚に言われたのか「謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」といって、引き渡すのか引き渡さないのかさっぱりわかりません。だから村山談話の精神とは真逆です。謝罪するときには心からの謝罪しなければ謝罪にはならないのに、時期を区切ってこれが最後だなんていうことはあり得ません。
その続きが私が一番言いたいところです。「私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります」。「いかなる国」―中国と言っています。そして最後ですが「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」。「国際秩序への挑戦」がまた出てきます。これが大事なんですね。「昔はアメリカに刃向かってすいませんでした、もうやりません。今度はアメリカの子分になって集団的自衛権を行使します」と言っている。「いまアメリカを中心とした国際経済秩序に刃向かおうとしているのは中国ですよね、けしからんですね」、そういう文章です。
こう読むと何を言いたいかわかります。アメリカで評判がいいのもわかります。でもアジアの和解につながるわけがないですよ。私は、これは歴史文書としても残らないと思います。何を言っているかわからないから。村山談話は、完璧とは言いません。ただあの時代の政治状況から言えば、あそこまでのものはありません。一般的には、植民地支配とか侵略について国は謝らないんです。ドイツはちゃんとやっていますよ。日本はもちろんドイツほど謝罪したことはないけれども、一応90年代を中心に河野談話も村山談話も、日本政府はそれなりにきちんと謝って向き合おうとしてきました。まわりとうまくやっていこうということで謝るというくらいの誠意はあるので、それはそれで評価してあげていいと思うんです。それで終わりというわけではなくて。
言葉としての河野談話、村山談話というのは、中国や韓国もこれでは足りないからもっと謝れとは言っていません。彼らが怒ったり何か言っているのは、せっかく河野談話や村山談話が出ても、安倍さんたちが違うことを言うから台無しになってしまうわけです。それから、言葉は言葉でいいわけで、あとは踏襲することです。10年ごとに談話を出す必要なんて本当はありません。そうではなくて行動です。補償などは、どういう枠組みで納得してもらえるのか。個人補償は法的に解決しているからもうやらないと日本政府はずっと言っています。国と国との間で解決しているのは確かにそうなんですが、それで済むかという話です。ドイツはまだやっています。そうしないと世界の信任が得られないから、個人レベルの補償はやらないといけないということで、いまでもやっているわけですね。
日本でも最近の例で珍しいのは、西松建設が一歩踏み込みました。西松建設は小沢一郎さんの陸山会の関係で妙に有名になってしまったので、強制労働の問題について個人レベルの補償をしています。やる気があればやっていいんです。法的に解決したことで人々が納得するかどうか。保守の政治家でも、日本が世界の中でいろいろ影響力を持ちたいのだったら、この問題を解決しておきたいといった打算で解決する知恵が昔はあったけれど、今はありません。アメリカにたくさんいろいろなものを差し上げることの代償として、アメリカが許してくれる範囲でこれくらいは書き換えてもいいだろうとやっているところでしょう。いわゆる国際秩序、経済秩序のための集団的自衛権と同じように、この談話でも出てきているのがそういう政府の姿勢です。これは議会演説でもまったく同じ仕組みで書いています。
もうひとつアメリカに気に入られる理由は――そういう意味ではそこだけに知恵を絞ってやったことがよくわかります――ボーンアゲインクリスチャンという図です。「生まれ変わったキリスト教徒」という意味です。「私は過去、道を誤って神に背きました。しかし神は私を見つけてくれて更正していまは神の道を歩んでいます」という、共和党右派とかキリスト教原理主義みたいな人が好きなストーリーがあります。ジョージ・ブッシュでも敬虔なキリスト教徒と言っているけれど、若い頃はさんざん悪いことをやったわけで、そのあと敬虔なキリスト教徒になって人にそれを押しつけようとしています。その図式と同じです。「かつて日本は神のようなアメリカに背いてしまった。そしたら敗戦して痛い目にあったけれども許されていまは神に従って、アメリカに従って」という話です。どこまで卑屈なんだと思いますが、これはアメリカでは受けますよ、かわいい奴だということで。議会演説もまったく同じ議論でしています。
こういった事実がなかなか分析や共有されないのは、被害者意識が日本の中に蔓延していることがあります。日本だけではないですけれど。小泉さんは明るいシニシズムとわたしは言っていますが。安倍さんは被害者意識の固まりですね。「日本を取り戻す」という発想がそうで、誰かに奪われたと思っている。そういう暗い被害者意識があって、「左翼が悪い」と思っている。そんなに左翼が強かったら日本はこうなっていないと思いますよ。いまだに「日教組」というやじをとばすわけで、ものすごい被害者意識がある。ただそれが、日本である程度共有されてしまう素地があるのは、それだけ収奪、簒奪される仕組みになってしまっているからです。自己責任論が蔓延し、金持ちは金持ちで自分達が被害者だと思っています。税金を取られているのに生活保護を受けているやつがいるという議論が堂々とまかり通り、みんなが被害者になっている意識がある。そういう薄暗い「パトス」(情念)に対してアピールするわけです。
わかりやすい敵を国内の対立ではなくて外に出す。北朝鮮が一番わかりやすいかたちで出てきます。拉致被害ですからまさに被害です。けれども拉致被害を受けたわけではないわれわれまで一緒に被害者のようになって大騒ぎをして、そこで政治家として頭角をあらわしたのが安倍さんです。被害者意識を代表する政治家として出てきて、いまだにその成功体験の中でやってきている。それは加害者ということから解放されるわけです。
日本は戦後ずっと加害行為と向き合わなければいけないといわれてきた意識がありますが、安倍さんの話を聞いていると日本が慰安婦問題の被害者です。そこまで被害者妄想に走れることは、ある種の才能というかすごいなと本当に思いますよ。どうすると慰安婦問題で日本が被害者ということにいけるのか。それを信じ切っているわけです。とんでもないことですが、アメリカに出かけてキャンペーンをやろうとしているわけで、それほどまでに被害妄想を持って、それを政治の道具としてマーケティングするわけです。
われわれはなにをして、こういった状況と対峙していくのか。非常に難しい部分です。私達がひとつのキーワードとして注目していかなければいけないと思うのは、個人の尊厳、人の尊厳だと思います。ここまで露骨に少数派、寡頭支配が、国家の威信を隠れ蓑にしてやってくる状況になってくると、それに対抗するようなわれわれの大きな連合体、緩やかな連帯をつくって行くに際して、個人の尊厳を基盤におくしかないと思います。過去を振り返って、ここがいわゆる革新勢力が負けていったところでもあります。一時期「山が動いた」ということで、土井たか子さんの社会党が勝ってねじれ国会をつくった。それにもかかわらず最終的にどんどん守勢に立たされたままだった。なぜかというと、左派やいわゆる革新派が、冷戦が終わる頃の、自由を求める人々の気持ちに応えられなかった。そこでの主導権を絶えず奪われ続けていった。そして個人の自由を尊重しないとか、悪平等を強調するとか、そういう非難を受けてどんどん守りに入ってしまったということだと思うんです。
では、どうやってその自由を土台にわれわれが対抗するのか。ひとつには自由の中味を、もういちど豊かにしないといけないわけです。そこにわれわれの勝機もあると思います。冷戦が終わる頃は、自由というものがどんどん保守に取られていった。その自由は、究極的には経済的自由、新自由主義の経済的な、消費者の自由になっていって、それがいまや企業の自由になってしまった。何しろ安倍さんが、国会で堂々と企業の自由を最大化したいという趣旨の演説をしても問題にならない。それくらい自由の中味が、個人の自由とは無縁のものになった。本来の自由というのは、経済の自由だけではないはずです。政治的な自由、表現の自由、社会の中でセクシャルマイノリティーの持つべき自由なども含めて、われわれはもう一回ポジティブな概念としての自由から逃げない、むしろ我がものとして主張することをやっていいんですね。安倍さんたちがやっている「強い国家」の中で出てきている反動的な、日本会議的なものは、例えば伝統的な家族観の押しつとか、すさまじいものがあります。それに対してわれわれは、堂々ともっと豊かな個人の自由を主張することで勝てるものが本当にあるはずです。
政治参加をしていくときに、やっぱり個人の自由を前提にしなければいけない。それが出てきたことが、今回の国会前でのたたかいです。その場をつくってくれた総がかり行動、その場をつくってくれたシールズ、そういういった人たちによって、個人が、自分の自由を表現するために来たわけです。それはやっぱり大きな変化です。そこに希望があるわけです。そこに来られなかった人も含めてそこに共鳴した人たちがたくさんいて、お互いの自由、お互いの違いを尊重しているわけです。
例えばそのコールに違和感がある場合には、言わなければいい。シールズのコールにはついて行けないから総がかり行動に行くとか、シールズの方が好みだから行くとか、どっちにも行くという忙しい人もいるわけです。それでいいわけです。その中で自由なかたちで連帯することができた。同じたすきやはちまきじゃなくて、それぞれがそれぞれに来て、他者性を認めた上で連帯ができるという広がりは、ものすごく強くて簡単に崩せるものではない。だからこそ、まだわれわれは熱気を持っている。本当に採決があったのかという状況で採決がなされた中でも、誰ひとりそこで絶望だけに終わらずに、とんでもないと怒っている。あのときわたしは国会前にいたんですけれど、「通りました」という感じで、また何事もなかったように抗議が続いたという感じでしたよね。それくらいわれわれはわかっていたし、たたかいはまだまだいけると思っていた。それは自立した個人、お互いを尊重することができる個人が連帯できている、これは非常に画期的なことだと思うんです。
わたしが希望として感じていることがあります。立憲デモクラシーの会が活動を始めたのは去年の春くらいでした。そのとき立憲デモクラシーという名前はどうなのかという議論もありました。民主的に選ばれた政府であっても憲法に従いなさいということが立憲主義ですから、デモクラシーでも歯止めをすることで、これはお互い矛盾する言葉です。立憲主義ができたのはもともと中世で、日本だって明治期に藩閥政府とか軍部に対して立憲主義と言ったわけです。わたしはそこまで戻るのかという違和感はありましたが、それくらい危機的だし、そこまで戻れば勝てるんじゃないかというものがありました。護憲か改憲かという議論になると、保守は入ってこない。まともな保守を取り入れるようにするためには立憲主義まで戻ると言われて、わたしも納得したんです。
でも、学者なんてできることは限られています。マスコミの人たちに話をしたり、本を書いたりシンポジウムを開いたり、講演に呼んでいただいたりはできる。でも最終的にはデモクラシー、デモス(民衆)、クラトゥス(力)、民衆の力なんです。民主主義ってそんなにおとなしいものじゃない。民衆の力で立憲主義を守れないと、とても守れない。われわれは立憲主義という旗を立てようという思いがあり、それが立憲デモクラシーの会です。
今年の6月4日、憲法審査会での長谷部恭男さん。特定秘密保護法を推進した人ですよ。正直わたしは彼が会に入るのを反対したんです。良い方だからたぶん根に持っていないと思うんです、希望ですけれども。特定秘密保護法反対でたたかった市民の人たちの理解を得られないんじゃないかとの思いでしたが、他の人たちが入れた方がいいということでそれ以上反対しなかった。ただあのときに、わたしは入れて良かったと思いました。真ん中で、政府ともやっていた人がひっくり返ったと見えることがいかに強力か。小林節さんだって1980年代から改憲派で、改憲派の学者は一人しかいないのかというくらいの人でした。ああいう人が、目に見えるかたちで、これは憲法違反だとおっしゃってくださった。やっぱり大きかったわけです。それがさらに国会前の運動と連動して盛り上がりが見えてきたわけです。
それにとどまらずにすごかったと思うのは、われわれが期待したことを超えたんです。立憲デモクラシーということまでは考えていたんですが、その先に総がかり行動からずっと、毎週、場合によっては毎日人が出ている場がつくられていった。そこでシールズのような若い人たちが出てきて、自分達のやり方でやってみようとやり出した。彼らも実は立憲主義の論理で出ていました。シールズというのは「自由と民主主義のための学生緊急行動」の略で、立憲主義の話を最初はしています。自由主義を守るということでやってきてきて、彼らも立憲主義でたたかうつもりで来ているわけです。ところが彼らが話をし出した。特に女子学生がスピーチをし出すと、自分の言葉で平和への思いを語り出した。その中で見えてきたのは、前の世代のお父さんだったり先生だったりあるいは平和活動をやってきた人たちや平和教育、その影響をいかに受けてきて、それが自分の血肉になっているのかということを自分の言葉で語り出した。その力たるや、びっくりするくらいだった。
わたし自身も政治学者として恥じるところが正直あります。湾岸危機の頃から、冷戦が終わって日本の国際貢献が言われ出した頃から、平和主義は恥ずべきものになっていた。守るものになっていて口に出せないものになってきていた。特に学会のようなところでは、現実主義ではないとか一国平和主義だと揶揄されるようになった。いつの間にか守勢に立たされて言論が萎縮していきました。ところが自分の言葉で、自分で考えて、自分の経験に照らして語り出した人々が口を開いてくると、新たな息吹を持って平和主義が戻ってきたんですね。その力にわれわれみんな勇気をもらいました。シールズは最終的には触媒としての力だと思います。実働部隊の数はそんなにいるわけではない。もっと言えば、わたしは学生を見ていますからわかりますけれども、彼らは普通の学生じゃないですよ。あれが普通の学生だったら大学の授業がどんなに楽しいか。傑出しています。企画力とか失敗から学び続ける意欲、すごいですよ。われわれにインスピレーションを与えてくれるわけです、われわれもいつかは若かったから。
総がかり行動がその前にできたことが、もうひとつ画期的なことです。それまではともするとわれわれはポジション争いをしていた。微妙な違いといえば微妙な違いだし、大事な違いといえば大事な違いですが、運動論だったり見方の違いというところでやっていた。ポジション争いをしていて、ポジションを取られていって、どんどん守勢に立たされていった。ところがここの中で、人々が個人として集まって自分の思いを語るとなると、統一されたポジションはないわけです。シールズのスピーチはシールズの声明などからは外れています。はっきりいえば、あそこまで平和主義に踏み込んでいないですよ、オフィシャルな見解では。奥田君なんかはとても規律正しいからいまでもがんばってやっていますけれども、でも他の人たちはかなり自由に自分の言葉で語っている。特に女性などは身体性を持った、弱い個人である自分を受け止めて、しかしそこに尊さがある。まさに人の尊厳、人間はか弱いものだけれども、そこに極めて尊いものがある。だから殺したくないし殺されたくない。そういった社会はごめんだということです。それはポジションじゃない。願いなんですよ、思いなんですよ。
方向がある、矢印がある、ベクトルになっているんですね。沖縄のこともそうなんです。「日本は平和主義でした。」じゃないんです。確かに戦争には巻き込まれなかったし自衛隊は誰も殺していないけれども、例えば自殺率がとても高いとか武器を供給する、戦地に人を運んでいた、沖縄がある。もっと平和な社会をつくりたいじゃないか、そういうことなんです。平和主義というものがまったく意味がなかったわけではない、そこは誇りに思っていいだろう。でもここで満足している場合じゃない、もっと前に前に行かなければいけないんだということをいっているわけです。だからあるポジションを守ろうという話ではもうないんですね。もっと前に行こうという動きが初めてこれだけ出てきたと思うんです。
こういったかたちが社会の中でこれだけ大きなうねりになったのは、過去30年なかったことです。特に学会から見ていてかもしれませんが、なかなかそういうものが広がりを持てなかった。その中で、個人の尊厳を脅かす暴力や貧困という問題に連帯できるんじゃないかということです。根本にあるのはそこです。ママの会の言葉は「誰の子どもも殺させない」です。札幌のデモでは「戦争したくなくてふるえる」です。札幌から来た高塚愛鳥のコールに、わたしも「ふるえる」って声を上げました。あれは男の発想では出てきません。弱くて踏みにじられそうな自分だけれど、そこに宿る魂や命の尊さを、同じ人間たちすべてに向けています。その力です。それは踏みにじられたって従わないで立ち上がる力だと思います。弱いからこそ強い、弱いからこそ人の本質がわかる。安倍さんは強がっているけれども弱い。そこにわれわれがたたかっていけるものがある。
そういう個人の尊厳を脅かすような暴力、究極的には戦争ですが、貧困の問題もある。いまの戦争のあり方、安全保障のあり方をつくっている収奪の構造、貧困の構造に向き合っていかなければいけないとなると、どうしたって長期戦になります。個人同士が連帯していくことは、わたし自身の課題でもあります。わたしはアメリカに対してかなり批判的立場ですが、いわゆる反米だとは思っていません。アメリカの中でもまともな人はいて、そこでたたかっている人たちもいる。そことの連帯をつくっていかなければいけない。辺野古の問題にしても単なる反米では辺野古は帰ってきようがありません。アメリカの側のまともな人たちを少しでも多くつくり、つながって、そこからも変えていくことを腰を据えてやっていく。翁長さんがわざわざアメリカに出かけたり、国連で話す努力をしているのもそこです。そういう国際的な連帯をどんどん広げる。それぞれが自分の生活の場でもできる。語学が得意な人、インターネットが得意な人は情報を発信していく。何も知らない人がいるところになにか届ける。いろいろなかたちでいろいろなことができてきます。
そうすると、国民国家がここまで空洞化して、暴力装置を兼ね備えた簒奪の道具のようになりかかっていることに対して、個人の自由や尊厳の擁護を旗頭としたリベラル左派の連合体ができないだろうか。いま永田町でそれをつくろうということがようやく動き出した。共産党が先頭で仕掛けたわけで、これからどうなっていくか。紆余曲折があると思います。われわれは国会前に立つことによって、政治家は使いよう、お尻を叩けば動き出すことがわかったわけです。だって本当にへなちょこだったじゃないですか。人数が少ないだけではなくて、民主党がどちらを向いているのかがわからなかった。だけど毎回毎回人が集まって、減らないどころか増えていく。雨が降るたびに思い出しましょうよ、あの憤りと忘れないということを。政治家に働きかけることによって少しずつ変わっていく。根気よくそれをやっていくしかないんです。われわれの代理人でしかないわけですから、彼らにいうことを聞かせる。彼らをちゃんとサポートしてあげ続ける。
ここまで追い詰められてはいるけれども、個人の尊厳を脅かすような暴力や貧困、究極の戦争、戦争をつくるような経済社会構造、政治構造、それに対して立ち向かっていくことを広げていく。それはひとりひとりができる。だからこそ強い。頭があってということだと頭を潰されちゃうわけです。変な話、警察にとってはやくざとかの方が抑えやすい。親分がいるし右翼もそうです。でもアルカイダとかがたちが悪いのは、どこがトップということがないので抑えようがない。われわれのように個人が集まっているのはもっと強いわけです。だからあれだけ恐れているわけです。ここまで罵詈雑言を投げかけて、踏みにじろうとすることは、その力を恐れているんです。長いたたかいにはなると思います。しかし、もうすでに希望があり、もうなにをやればいいかわかってきています。「民主主義」という言葉が出てきてみんな感動し、さらに「平和主義」の勢いが出てきている。これは戦後なかったのではないかということがわたしの印象です。これを守り、育てて行こうということで、わたしの話を終わります。