2015年8月14日、安倍首相は「70年談話」を発表した。
いま開会されている通常国会で、歴代政権の集団的自衛権に関する憲法解釈を変更し、戦争法案を強行しようとしている安倍首相が発表した「談話」は、許し難く危険な歴史修正主義による歴史認識を背景にして、米国政府の意向を忖度しながら、戦争法案を正当化するものであり、断じて容認できない。安倍首相はその談話のなかで、かつての河野談話、村山談話に代表される歴代日本政府の立場と歴史認識、とりわけ内外の多くの人びとが重大な関心をもって注目した「国策を誤り」「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」の4つのキーワードは、若干手を加えながら、不承不承、形式的に言葉としては盛り込んだものの、安倍政権自らの意志を表現する言葉としてではなく引用の形をとり、とりあげる主体を不明確にしたものであった。
今回の安倍談話は、「積極的平和主義の旗を高く掲げ」などとうたったことに象徴されるように、安倍首相らがすすめる「戦争法案」を正当化するために、過去の村山談話などの肝心な部分を骨抜きにし、明治近代の日本の侵略と植民地支配の戦争の歴史を正当化する歴史修正主義の病理に犯された歴史認識に彩られた噴飯物であり、きわめて欺瞞的で、無責任なごまかしに満ちたものであるといわなければならない。
談話は冒頭、「終戦70年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます」という言葉で始まる。しかし、その言葉とは裏腹に談話に貫かれている、偏向した歴史観にもとづく「歴史の教訓」なるものは、安倍政権のナショナリズムを色濃く反映する極めて危険なものである。
談話が描き出す「100年以上前の世界」とその下での「日露戦争」の評価は、15年戦争(アジア・太平洋戦争)の敗戦に連なる日本近代の評価で見逃すことのできない問題を含んでいる。
談話はこういう。
「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」。
日露戦争は朝鮮や中国東北部(満州)の支配権をめぐってはじまった日本とロシアの帝国主義的な争奪戦であり、談話が描き出す日露戦争における一方的な日本の正当性の礼賛、植民地支配に苦しむアジア・アフリカの解放につながるものなどではあり得ない。当時の日本を欧米列強の植民地主義にたいする「立憲主義」と「独立」の旗手のように描き出す談話の立場は断じて許されるものではない。当時の日本は、日清戦争で台湾を奪い(談話はなぜか日清戦争にはふれていない)、日露戦争で樺太の南半分を獲り、遼東半島の租借権を獲り、さらに朝鮮半島を併合し、広大な植民地を獲得した植民地主義、帝国主義そのものである。談話はそのずっとあとの部分で、一般論として「植民地支配から永遠に決別し」などと言及しているが、驚くべきことに日本が過去に行った植民地支配についての反省への言及は全くない。
つづいて書かれている第一次世界大戦の記述も、その結果「人々は『平和』を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。当初は、日本も足並みを揃えました」とするだけで、「戦争違法化」の国際潮流に「足並みを揃える」どころか、日英同盟を口実に参戦し、近隣のドイツの支配圏を奪い取り、中国などへの干渉・支配を強めた責任を曖昧にするものである。
そして「しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました」と解説する。このあたかも「経済のブロック化」の結果、それを打ち破ろうとして日本の「力の行使」があったなどとする史観は、やむをえず戦火を開いたとする当時の日本軍国主義・帝国主義の侵略戦争の正当化のための口実そのものである。「政治システムは、歯止めたり得なかった」などというようなものではなく、非民主主義的な天皇制軍国主義の「政治システム」こそが、「力の行使」=侵略戦争を推進したのである。安倍談話は自民党などの政治家たちや歴史修正主義者がいうように、「日本だけが悪かったのではない」といいたいのだ。ここにはアジア太平洋戦争の戦争責任を正面から受け止めようとする姿勢が全くない。
軍隊慰安婦の問題については、そのことを示唆するかのように、極めて一般的に次のように触れている。「私たちは、20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります」。この他人事のような表現はなんということだろうか。まさに責任やお詫びの言葉のかけらすらないのである。
このような歴史認識が日本近代の「歴史の教訓」を学び、「未来への知恵を学ぶ」ことに不可欠な「反省」を欠いているのは明らかだ。そのうえで、「あの戦争には何らの関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」などと語ることは、この安倍談話をもって、歴史を清算するという宣言であり、まさに未来の子どもたちをアジアの民衆と和解不能な立場に追いやるものである。
安倍談話は戦後70年にあたり、村山談話などがもっていた歴代政権の正当な歴史認識を切り捨て、清算しなければならない歴史認識を復活させるというものに他ならない。
安倍首相は戦争法案を最重要法案とする本年2月の第189通常国会の施政方針演説で以下のように述べた。
「私たちは、日本の将来をしっかりと見定めながら、ひるむことなく、改革を進めなければならない。逃れることはできません。明治国家の礎を築いた岩倉具視は、近代化が進んだ欧米列強の姿を目の当たりにした後、このように述べています。『日本は小さい国かもしれないが、国民みんなが心を一つにして、国力を盛んにするならば、世界で活躍する国になることも決して困難ではない』 明治の日本人に出来て、今の日本人に出来ない訳はありません。今こそ、国民と共に、この道を、前に向かって、再び歩み出す時です」と。
安倍談話に見る歴史認識は、まさにこのようなナショナリズムの礼賛によるアジテーションと軌を一にしている。
今回の安倍談話をめぐる官邸の動きは2転3転し、動揺を重ねた。
当初は、従来の談話の繰り返しなら出す意味がないとして、「未来志向の談話」にするとして村山談話などにみられる立場の否定に意欲を燃やし、有識者会議まで設置した。
これに対して内外からの批判と監視が強まると、閣議決定の形をとらない安倍首相の談話にするということで切り抜けようとした。
しかし、有識者会議の答申も内外の世論を反映して必ずしも当初、安倍首相が意図したものとは異なる意見を含んだものとなっただけでなく、連立政権の相手の公明党からも注文がつくに及んで、安倍の70年談話は行き詰まっていった。安倍政権が再度、「閣議決定」としての発表に立ち戻ったときには、官邸の対応は矛盾に満ちたものとなり、安倍首相の意図に反して、いわゆるキーワードと呼ばれた諸点は何らかの形で取り込まざるを得なくなった。安倍首相は苦し紛れに、自分の言葉としてではなく、過去の談話の用語を追認する形で作文せざるを得なくなった。その結果、今回の談話は空疎な、欺瞞に満ちた、極めてできの悪いものとなった。
談話は以下のように述べた。
「70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります」「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。……こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」。「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」「いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも固く守り、世界の国々にも働きかけてまいります」「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで
以上に貢献してまいります」
あたかも憲法第9条の文言に似せるような引用をしながら、安倍の言う積極的平和主義とおきまりのフレーズである「法の支配を尊重」などということで中国などへの批判をにじませた。
安倍首相が「高く掲げる」という「積極的平和主義」は、従来の「日本が国際的に軍事的活動を行わない」とした考えを「消極的平和主義」と批判し、「人道支援」「国際平和維持活動など自衛隊海外派兵」などの国際支援を積極的にすすめると主張した湾岸戦争後の1992年自民党特別調査会などに淵源がある。
安倍政権の「国家安全保障戦略」は「わが国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増していること」や「、わが国が複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面していること」から「より積極的な対応が不可欠」。「わが国の平和と安全はわが国一国では確保できず、国際社会もまた、わが国がその国力にふさわしい形で、国際社会の平和と安定のため一層積極的な役割を果たす」。「わが国の安全 及びアジア太平洋地域の平和と安定を実現しつつ、国際社会の平和と安定及び繁栄の確保にこれまで以上に積極的に寄与していく」と積極的平和主義を正当化している。
いま必要なことは、歴史修正主義ではなく、正しい歴史認識とそれにもとづいたアジアの人びとに対する反省・謝罪であり、日本の戦争責任と戦後責任を明らかにすることであり、1945年の敗戦に至った戦争の惨禍を二度とくり返さないという反省から生まれた日本国憲法の第9条をはじめとする平和主義を擁護し、それを生かすことであって、そのために戦争法案を廃案にすることである。
「戦争させない、9条壊すな!総がかり行動実行委員会」が提唱した「8.30国会10万人・全国100万人大行動」を前に、戦争法案反対の声は、全国各地に広がり、各界各層の人びとの間に広がっている。これらの運動は国会内の野党各党の連携を促進し、共同をすすめている。その連携と高揚は画期的な様相を示している。
国会の多数議席を背景に強行採決、戦争法案成立を企てる安倍政権に痛撃を加え、戦争法案を廃案にする可能性は高まっている。
いま、全力をあげて闘おう。(事務局 高田健)
警視庁麹町警察署長様
戦争法案に反対する抗議行動の高まりのなかで、警視庁の警備警察官の対応について、容認しがたい事例があるので、文書をもって、改善方申し入れる。
全体として、この間の国会周辺で行われている抗議行動の参加者に対する警察の対応における過剰警備と横暴は目に余るものがある。とりわけ、「安全」を名目に実行される国会議事堂周辺の地下鉄の駅の出入り口などの規制と、一方通行や大幅迂回などの歩道の通行規制は、年配者や障碍をもったひとへの配慮に欠け、また高圧的かつ不必要なもので、人権上容認しがたいもの、なかには生命の危険にまで及びかねない事例がみられる。
以下、例をあげて事態の改善を要求する。
7月16日、正午過ぎ、抗議の人びとが集まる国会正門前北庭側角の歩道上に、警察は鉄柵を配置した。狭い歩道上に設置された鉄柵は参加者および歩行者にとってたいへん危険なものであり、通行を確保するなら通例のようにコーンで十分だと抗議した。のちほど、鉄柵は撤去されたが、その後、通行になんらの支障は見られなかった。
7月16日、総がかり行動実行委員会は正門前での午後の座り込み行動を終え、一旦、散会した。その際、正門前交差点を警官隊が鉄柵で一方的に閉鎖し、平穏に帰路につこうとした参加者の交通を妨害した。実行委員会は、麹町署の警備課長らにこの封鎖は不必要で、いたずらに混乱を引き起こすだけであることを申し入れ、封鎖は解除された。
参加者は交差点を渡り始めたが、そのなかの年配の女性が体調を崩し、道路に倒れ込んだ。すると警察官がその女性を無理やり引きずり回したので、実行委員会は「病人を動かすな」と抗議した。間もなく医療関係者が駆けつけてきたが、その間中も、警察が女性を手荒に動かそうとするので、参加者は女性を囲み警察官ともみ合いになった。警視庁の腕章を着けた私服警官が、女性をまもろうとした実行委員の腕をねじり上げて、女性から引きはがそうとした。抗議のなかで、女性は医療関係者にまもられ、実行委員会の救護車に運ばれて休息した後、付き添いの人と共に帰宅した。結果として、危険な事態にならずに済んだ。麹町署の警備課長は実行委員会の責任者に対応の間違いを謝罪した。実行委員会は課長だけでなく、この警視庁の刑事に、役職と名前を名乗ること、警察が病人を勝手に動かそうとする危険、救助しようとした実行委員に暴力的に対応したこと、などについて抗議し謝罪を要求したが、この刑事は最後まで無言を通した。
7月26日の国会包囲行動では、正門前の横断歩道は常時通行可能とされ、また南庭角の歩道を鉄柵で遮断することはなかったが、現場は何らの混乱も見られなかった。
26日午後の抗議行動の際、内閣府の脇道(迂回路)の日陰で直射日光を避けて休んでいた年配の参加者を、第八機動隊の米山警部補指揮のもと、日向(ひなた)に排除したので、実行委員会の整理・誘導担当者らが抗議した。米山警部補は「日向で人が倒れたとしても、こんな時間にやる主催者が悪い」と暴言を吐いたため、これも抗議した。実行委員会は麹町署の責任者にも抗議し、通路を確保すれば、脇道に人がいても(当然のことながら)問題ないことを確認した。
これらの事例に見られるように、この間の警備警察の対応が、憲法21条などに保障された言論表現の自由など、市民の基本的人権の保障に責任をおう立場からではなく、高圧的で、ただ単に上から管理することのみに集中している。これは極めて異常であり、遺憾なことだ。主催者は、戦争法案に反対する一連の行動を参加者に重大な事故がなく、無事、遂行されることを願って責任をもって、心を砕いているのであり、今回のような警察の対応によって、もしも人命に関わるような事態が引き起こされるなら、警備警察の責任は重大である。
実行委員会は今後、こうしたことがふたたびくり返されないことを強く要請する。
2015年8月10日
戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
松岡幹雄 @とめよう改憲!おおさかネットワーク
戦後最悪の違憲立法である戦争法案を強行可決した15日大阪府下で、一斉に抗議行動をそれぞれの団体で取り組んだ。憲法会議・共同センターは駅頭ターミナルで宣伝、市民団体は自民党大阪府本部前で抗議集会、大阪・梅田のヨドバシカメラ前では関西の学生でつくる「SEALDs KANSAI」(シールズ関西)が緊急の街頭宣伝を行い強行可決に抗議した。「アベ政治を許さない」と書いたプラカードを手にした市民や学生など約2000人が詰めかけた。
この間、私たちは大阪府下で憲法運動を進めてきた憲法9団体が御堂筋パレード実行委員会を結成し、特定秘密法廃案や戦争法案廃案の運動を進めてきた。その実行委員会が軸となり7月18日に扇町公園で「戦争法案は廃案へ!おおさか1万人大集会」開催を呼びかけた。7月2日にはプレ集会を開催し、講師に高田健さんを東京からお招きし、この間の東京での総がかり行動のとりくみや運動の経験を詳しくお聞きした。大阪でも困難はあっても東京のような「総がかり」の陣形づくりが目標となった。
これまでの運動の経過や立場の違いを克服することは容易ではなく、「それぞれで頑張りましょ」という旧来のスタンスが残っていたことも事実である。集会は、大阪で活躍する著名人49氏が呼び掛けそれに応える形で準備した。組織や団体に所属していない市民が参加しやすい集会にすることに心がけ、党派を超えた戦争法案廃案集会をめざした。集会の提起から本番までわずか半月という短い期間であったが20万枚のチラシを配布しながら準備を積み重ねた。
7月18日は澤地さんらが呼び掛けた「アベ政治を許さない!」全国一斉行動日でもあった。当日は大阪府下でも多くの駅頭ターミナルでスタンディング行動が取り組まれた。行動を終えた市民が扇町公園に集まりだし参加者は目標を超え11000人となった。集会は、呼びかけ人あいさつに続き、民主、社民、共産、新社、みどりの各党の代表があいさつを行った。パレードは、実行委員会として「個人参加、どなたでもお入りください」のぼりを16本作製し、組織や団体に所属しない市民が安心してパレードに参加できるよう準備した。
翌日の19日には、10~40代の市民でつくるSADL(サドル=民主主義と生活を守る有志)と、SEALDsKANSAI(シールズ関西)が共同で「『反対』の声を大規模に上げ、法案を本当に止めよう」と集会とデモを準備し、主催者発表で8200人の若者、市民らが大阪・御堂筋をデモ行進した。コールの先導役を乗せたサウンドカーを先頭に、「戦争法案今すぐ廃案」などと声を合わせた。沿道から手を振って声援を送る市民も多くインパクトあるデモ行進となった。暑さのなか出発地点で、何度も万一体調の悪くなった方へのアドバイスを事前に送っていたこと。薄いミント入りの霧吹きを参加者に配り、デモのあいだ使ってくださいと案内していたこと。デモの最中万一トラブルが起こったさいの対応を参加者に伝えていたこと。政党名や団体名の入ったノボリの使用は控えていただくよう出発地点で参加者に呼びかけており、実際デモ中で使用されなかったこと。このようなたくさんの気づかいや試みが沿道からの市民の飛び入り参加を促した。
7.18大集会は11000人、7.19若者らの共同デモは8200人が参加という空前の盛り上がりが人びとの意識を変えはじめた。参院審議段階ではもっと大きな集会をやろうという機運が高まっていった。そのためには、今度こそ「総がかり」の陣形をつくりださねばならない。様々な努力が続いた結果、全港湾など中立系労働組合が橋渡しとなり1000人委員会・大阪と事前準備が進んでいった。
8月3日、第1回実行委員会が開かれた。戦争させない、9条壊すな!総がかり行動実行委員会が呼び掛けたアピール「8.30、10万人国会包囲行動と全国100万人行動の創出で、安倍政権をさらに追いつめ、戦争法案を廃案にするたたかいを」に呼応して8月30日大阪で大集会を開くことを正式に確認した。8.30大集会は、文字通り団体・市民が総がかりで開く大阪での初めての集会とパレードとなる。集会名称は、「戦争法案を廃案へ!アベ政治を許さない!8.30おおさか大集会」と決まり、集会規模は3万人を目標としている。また、この日はお昼から「安保関連法案に反対するママの会」などの街頭アピールも予定されている。
「学生デモ 特高の無念重ね涙」と題し、加藤敦美さん(京都府86)が朝日新聞に投書されている。(7月18日掲載)
「安保法案が衆院を通過し、耐えられない思いでいる。だが、学生さんたちが反対のデモを始めたと知った時、特攻隊を目指す元予科練(海軍飛行予科練習生)だった私は、うれしくて涙を流した。体の芯から燃える熱で、涙が湯になるようだった。オーイ、特攻で死んでいった先輩、同輩たち。『今こそ俺たちは生き返ったぞ』とむせび泣きしながら叫んだ。・・・・若かった我々が、生まれ変わってデモ隊となって立ち並んでいるように感じた。学生さんたち心から感謝する。いまのあなた方のようにこそ、我々は生きたかったのだ。」
いま、シールズやSADLなど若者らの行動がどれほど多くの人びとに希望をあたえているだろうか。若者の行動にお母さんたちも励まされ、高校生らも立ちあがった。8月8日に大阪弁護士が主催した市民集会が開かれた。集会には赤ちゃんや小さな子どもづれのお母さんたちが多く参加した。「安保関連法案に反対するママの会」の代表は「私たち母親は命をかけてこどもを守る責任と自信があります。それは、とてもシンプルです。毎日『こども』という命と向き合っているからです。」「だれの子どもも、ころさせない、ママの会は安保法案にはんたいします。」と発言した。会場からはひときわ大きな拍手が沸き起こった。
「ママの会」に対して堀江貴文や高須クリニックの高須克弥から「頭の中にウジがわいてるんだね」と女性とりわけ母親の政治的な発言や自己主張を封じ込める、あるいは主張を認めようとしない母差別に根差した非難が繰り返されている。「だれの子どもも殺させない」このスローガンはこれまで母親が「黙って」子育てをすることがあたりまえだと思っていた連中にとってはショックだったからこそ暴力的な反応をみせたのだろう。
8月14日付毎日新聞は、最新の世論調査の結果を発表した。「安倍内閣を支持しますか」の問いに対して「支持する」が3ポイント下がって32%となった。女性では、支持率は26%にまで下がっている。一方、「支持しない」が全体で49%、女性では51%となった。「内閣危険水域」の2割台突入が迫っている。磯崎首相補佐官の「法的安定性は関係ない」発言、さらに、武藤自民党議員によるシールズに対する「自分中心。極端な利己的な考え」という中傷発言。そして、新国立競技場建設計画見直しと下村文部大臣の管理責任問題、さらに戦争法案自衛隊内部文書問題での中谷防衛大臣の責任問題。議員辞職、大臣罷免に値する問題が次々に出てきている。そして、安倍晋三首相自身のあいまいな非核3原則に対する姿勢も浮き彫りになっている。安倍内閣の支持率が上昇する材料は全くない。
政府は、14日閣議で安倍晋三首相談話を決定した。当初安倍晋三首相は、「未来志向」であるとか、「全体として従来の内閣の立場を引き継ぐ」とか「安倍カラー」を強く打ち出すこと狙った。だが、そうすれば支持率をさらに低下させ、戦争法案審議に影響を与えてしまいかねない情勢に追い込まれたことから今回「侵略」「植民地支配」「反省」「おわび」等のキーワードを言葉としてだけ盛り込む道を選択した。4つのキーワードは、言葉は同じでも「村山談話」とは全く異なった文脈で使われた。また、記者会見では、「具体的にどのような行為が侵略にあたるか否かについては歴史家の議論にゆだねるべきだ」とか、韓国の植民地化をすすめた日露戦争を「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人びとを勇気づけた」など歴史的事実の修正を強調して見せた。今回の70年談話について、朝日新聞は「いったい何のための、誰のための談話なのか」「この談話は出す必要はなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う。」「いったい何のための、誰のための政治なのか。本末転倒も極まれりである。」と痛烈な批判を社説として掲載した。
中国や韓国など周辺諸国の警戒感や公明党の反対、安保法案審議への影響、反対の世論の高まり、内閣支持率の急落によって安倍晋三首相の思惑は頓挫し、「安倍カラー」を一部挿入することで一貫性のない長文羅列のパフォーマンス談話となった。沖縄新基地建設も一時中断に追い込まれている。この時期、支持率の急落にあえぐ安倍晋三政権が火種を先送りしたい思惑も重なったことによるものだろうが「オール沖縄」のたたかいの結果である。いま、私たちは、安倍晋三政権を追いつめつつある。8月3日の戦争法案廃案をめざす全国100万人統一行動をなんとしても成功させよう。民衆の力で戦争法案を廃案にし、民意を無視し暴走政治を進める安倍晋三政権を葬り去ろう。
山本みはぎ・不戦へのネットワーク(愛知)
この夏はことのほか暑い日が続いている。天気ばかりではなく、安部政権に対するフツフツとした怒りが、そこかしこに渦巻いているからである。違憲の戦争法案は言うまでもなく、原発の再稼働、辺野古の新基地建設の強硬、欺瞞に満ちた「戦後70年安部談話」などなどでたらめなことをやり続けているからである。
4月、国会で戦争法の審議が始まるのを機に「安部内閣の暴走を止めよう連続行動実行委員会」を立ち上げ、4月28日の集会を皮切りに、1週間の連続街宣、5月3日には2回目の集会・デモを行った。その後、名称を「安部内閣の暴走を止めよう!共同行動実行委員会」に変更して活動を継続している。目指したのは、「愛知版総がかり行動」だったが残念ながらそういう枠組みにはならなかった。しかし、7月1日、24日と連続して集会・デモを行い、参加者も回を追うごとに1500人、2000人と増えている。参議院に舞台が移った今、8月26日には全国一斉行動に連動して集会・デモを前倒しで開催する。(30日は市内中心部で大規模なイベントが行なわれ会場の確保ができないため)。同時に、裾野を広げるために「安部内閣の暴走を止めよう!戦争法に反対しよう!1万人アピール」運動や、自民・公明の選挙区選出議員へのハガキ作戦などにも取り組んでいる。9月5日には愛知県弁護士会主催の1万人規模の集会が準備され、この集会には戦争をさせない1000人委員会も総がかりで取り組むことが確認されている。
共同行動が一つの大きな結集軸になりながら、ユニークな女性たちが怒りの女子デモや、SEALDs(シールズ)の動きに連動をして若者たちが自主的に集まって集会を企画したり、大学や、地域で小規模ながら継続した草の根の運動が広がっている。私たち、不戦ネットも戦争をさせない1000人委員会、東海民衆センターとともに5月から毎週土曜日情宣を継続している。これらの運動は、マスコミもかなり報道をするようになり、「私もなにかしたい」「今度はいつ企画があるのか」などこれまでの運動とは明らかに違う反応がある。安倍の進める戦争法に対して危惧や不安を抱いている人たちの多いことがわかる反応である。8月末から9月初めにかけて本当に正念場の時期になる。すでに9月10日、13日には大きな集会の企画が進んでいる。戦争法案廃案、安部はやめろ!の声をさらに大きく広げて廃案にしたい。
7月14日、安部首相は「戦後70年談話」を発表した。宣言の発表を、新聞記者を含む「戦後70年市民宣言あいち」のメンバー数人で聞いた。予想通りひどいものだ。内外のいろいろな圧力と、したたかな計算の中で、一応村山談話にあった「国策を誤り」「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」の言葉は盛り込まれているものの、「主語」のない文章は誰がどんなことを誰にしたのか全く曖昧なものになっている。そればかりか、「子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と、戦争・植民地支配の問題に幕引きをはかり、「積極的平和主義の旗を高く掲げて」と、今国会に上程している安全保障法制=戦争法の成立に談話を利用している。談話が発表されてすぐに、街頭にたってこの宣言の問題点を市民にアピールし、「歴史の事実を曖昧にし、政治利用をしてはならない」という見解を発表した。
戦後70年市民宣言あいちは、3月1日に「日韓条約50年、敗戦70年 今、日本を問い直す」集会で、宣言運動が提案され、日韓連帯運動や戦後補償を取り組む市民運動メンバーや研究者など44名の呼びかけで始まった取り組みだ。市民の視点からの戦争責任・戦後責任を問い直すということで宣言を作り、最終的には1024名の賛同を集めた。7月29日には、北海道、東京、埼玉、大阪、広島など全国で宣言運動に取り組む8団体が衆議院会館で全国集会を持ち、翌日には安倍首相あての要請書を提出した。
安倍の戦争政策の推進の基底には、かつての日本の侵略戦争や植民地支配を「正しい戦争」だったという歴史修正主義、戦後民主主義の否定の考えがあるからだ。戦争責任、植民地支配責任、戦後責任の精算の課題と、戦争法案反対の運動は車の両輪として取り組まなければならないと考える。もろもろ課題や山積みで十分に対応しきれないこともあるが、「戦後」を今年で終わらせてはいけないという思いで戦争法廃案に今は全力で取り組もう。
藤井純子(第九条の会ヒロシマ)
今年は被爆、敗戦70年、安倍政治の戦争する国づくりが急な中で、全国の皆さん同様、広島でも「ぜったいに戦争する国にさせない」という強い思いで8月6日を迎えました。私たちは8・6新聞意見広告で直接、多くの皆さんに戦争をする国にさせるまいと呼びかけ、一方で私たち自身も考えをきちんとまとめる作業が必要だとして「検証:被爆・敗戦70年―日米戦争責任と安倍談話を問う8・6ヒロシマ平和へのつどい2015」を行いました。
安倍談話に対し市民による談話を考えようという動きは全国的にもあったようですが、広島でも半年をかけて練り上げ「市民による平和宣言」を出しました。8.15に発表された主語のない安倍談話「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」は、単なる一般論にしか聞こえませんし、日本の台湾・朝鮮、満洲国への植民地支配、侵略戦争にも何ら反省の気持ちは感じられません。「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫…に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」これは安倍自身も謝罪しないようにも聞こえます。こんな首相を持てば戦後世代も歴史的事実の認識と国家責任をとらせる義務と責任を背負わねばなりません。私たち広島の市民による平和宣言は、日本政府に対して侵略への反省、謝罪、補償を行うよう、同時に米国政府に対して原爆投下、非人道兵器を使用した反省と謝罪と核廃絶を強く求めるものにしました。
今年は、毎年行ってきた「8・6ヒロシマ平和へのつどい」を例年よりも時間をかけ掘り下げる機会にしようと広島で各課題に取り組む人々に呼びかけ、いくつかの分科会を企画し、被爆・敗戦70年を検証しました。安倍政治に対し、私たちの考えを理論的にきっちりまとめたいという思いからです。かなりタイトなタイムスケジュールで質疑の時間が取れないほどでしたが、首都圏、関西を始め北海道や沖縄など遠くから広島に来てくださった皆さんさんからも「こんなにじっくり考える機会が時にはあってもいいね」と好評で、スタッフの疲れも吹き飛ぶというものでした。
8月4日(火) 8・6ヒロシマ平和へのつどいスタート集会(上野千鶴子さんの講演)
セッション1 日本軍性奴隷と戦争責任
渡辺美奈さん(女たちの戦争と平和資料館wam事務局長)
セッション2 日本戦争犯罪と教科書・領土問題 高嶋 伸欣さん(琉球大学名誉教授)
8月5日(水) 午前 平和公園、岩国米軍基地、呉海上自衛隊基地のフィールドワーク
セッション3 韓国・朝鮮人被爆者と市民運動
市場淳子さん(韓国の原爆被害者を救援する市民の会)
セッション4 戦争責任と天皇制
日米戦争責任と安倍戦後70年談話を問う 天野恵一さん(反天連絡会)
セッション5 沖縄・辺野古新基地建設阻止!安保・自衛隊・米軍再編
安次富 浩さん(ヘリ基地反対協)
セッション6 戦争法制と明文改憲
中北龍太郎さん(弁護士、関西共同行動)
メイン集会 武藤一羊さん(現在、ピープルズ・プラン研究所運営委員)「安倍政権を葬るなかで新しい世界を視野に捕える - 戦後日本国をめぐる原理次元での対決」
8月6日(木)
7:00 「8.6新聞意見広告配布行動(原爆ドーム前)
7:45 グラウンド・ゼロのつどい(原爆ドーム前)
8:15 追悼のダイ・イン(原爆ドーム前)
8:45「NO NUKES」デモ(原爆ドーム前~中電本社)
9:30 中国電力本社前で脱原発座り込み行動
10:30 まとめの集会と市民による平和宣言(被爆・敗戦70年市民談話)採択
(15:00 反核の夕べ2015 世界核被害者フォーラムプレ企画 )
ここではタイムスケジュールのみに留めますが、第九条の会ヒロシマ会報次号に簡単なまとめを掲載する予定です。毎年6月の会報に案内チラシを同封しますので、来年の8.6広島にはぜひおでかけくださいね
今年の新聞意見広告は、8月6日、読売新聞大阪本社版朝刊に全15段と山口県版に全5段、朝日新聞大阪本社版に5段、毎日新聞東京セット版に全5段に掲載しました。そして8月6日~12日に毎日デジタルトップラージレクタングルから第九条の会ヒロシマのホームページを見てもらうというインターネットでの挑戦も2回目になりました。一人でも多くの人に見てもらい、賛同して頂きたいという思いです。今年は、安倍政権が戦争法を強引に進めようとしている最中で、戦争法ストップの行動で忙しい時に無理なお願いだったかと思いますが、最終的にはお約束した以外の朝日新聞大阪本社版全5段にも掲載することができました。すると意見広告をご覧になった購読者から、電話やファックス、メールでたくさんの声が寄せられました。
毎日新聞東京セット版は社説の下に掲載されたため、かなりの反響がありました。皆さんの力をお借りして多くの購読者の心に届け、声にして頂く、これが意見広告の目的ですから、大変嬉しい限りです。今年のテーマ(タイトル)は戦争と原発に絞りましたが、メッセージは様々で、各課題に取り組む皆さんの想いが共有できたように思います。(紙面はホームページhttp://9-hiroshima.org/に載せています)また「活動はできないけれど私の名前が皆さんと一緒に掲載されて有難い」という声も頂き、続けてよかったなと思います。賛同してくださった約2400の個人(匿名含)・団体のご支援、ご協力に、心より感謝いたします。
今年も、8月6日朝7時から原爆ドーム前で、意見広告のコピーと市民による平和宣言(今年は安倍談話に対抗して市民による70年談話でもある)を2000枚、配布しました。この日は日本中、世界各地から非戦、非核、非暴力を求める人々がヒロシマに来てくださるメモリアルデーです。意見広告のコピーがカラフルなので多くの方々が「なんだろ?」と興味深そうに受け取ってくださいましたし、新聞のように大きく広げ、くまなくご覧になる方もあります。英語版もありますので海外の方も「Oh Article 9」とニッコリ。8月9日から11日まで川内原発再稼働反対の集会やデモに参加してきましたが、ゲート前でこの8.6新聞意見広告を見てもらうと、若松丈太郎さんのメッセージ「あったことを終わったことに、なかったことにするつもりか! 福島核災棄民」など丹念に読んでくださる方がありました。5枚しか持って行ってなかったのですがお渡しできてよかったなと思いました。これからも皆さんからのご支援と勇気を頂きながら、直接市民に訴える8.6新聞意見広告は続けていきたいと思っています。
広島では8.6が終わると少し休みたいなと思ったりしてしまいますが、今年は参議院での戦争法審議が続けられ休むわけにはいきません。イラク戦争の検証では、陸自のイラク派遣で、もし一発撃てば自衛隊は全滅した可能性があったことが明らかにされました。反米派は「ノー・ジャパン」と自衛隊も「占領軍だ」と敵視し、押し寄せた群衆が、警備の隊員たちは包囲し、幹部たちを建物に閉じ込めることが起こりました。中には銃をもつ男たちもいたようですが、地元のイラクの人に逃げ道を作ってもらい窮地を脱することができたそうです。一発も撃たなかったことが隊員たちの命を救い、武力行使がどんなに危険か、ということが証明されたのです。
国会前では戦争法案に反対し、川内原発再稼働を止めようとする多くの人々の抗議行動が連日続いていて感謝をするばかりです。その国会前や各地の動きに触発されながら広島でも集会&デモ、街頭行動と続けています。8月30日の国会前10万人、全国100万人の行動に呼応する広島市内・県内50か所近くのスタンディングと街頭宣伝の準備を進め、さらには9月13日には、広島で一番広い中央公園での一文字NO WAR NO ABEの一文字とデモを呼び掛けています。秘密保護法や原発再稼動、教育問題、労働問題、農・食の問題… あらゆる安倍政権の悪政にNOを突きつけ、今秋も全国の皆さんと共に戦争法を廃案にするために、広島でも全力で取り組みたいと思っています。
池上 仁(市民連絡会会員)
炎天下、国会前で「戦争法案反対!」のコールを繰り返しながら、ふと、この先のことに思いが及ぶ。中野晃一が言うように、まずは「この政権に対する不服従の運動を強め、倒閣へと追い込むほかない-略-ひとたびアベを退陣させたあとも、弱体化した自公暫定政権を脇目にし、リベラル・左派側からのオルタナティブを構築していくための石を積むような作業を、根気強く市民社会の側から政党へと働きかけていかなくてはいけないだろう」(「世界」9月号)。
7月末に刊行された本書は執筆者12名中11名が中野と同じ「立憲デモクラシーの会」呼びかけ人である。緊急出版の性格の論集と言ってよいのだろう。多岐にわたる議論があり、ここでは個々の論考の特徴と思われるところを紹介するのが精一杯。
樋口陽一「序 日本国憲法という文化を創り続けよう」…樋口は「私たちの日本語、その『ことば』が?(けが)されている」と説き起こす。「平和安全法制」「積極的平和主義」等々。「マクベス」の「きたない は きれい、きれい は きたない」を引きつつ。後述の山口の論考ではジョージ・オーウェル「1984年」から「戦争は平和である。自由は隷従である。無知は力である」が引かれている。安倍政権に特徴的な詐術的語法は多くの人が指摘するところだ。
樋口は「戦争法案」は自民党の憲法改正草案の眼目の一つである「国防軍」創設のためのものであるとし、同草案を「明治憲法への逆戻り」と批判するのは甘すぎる、帝国憲法ですら原則としていた立憲主義からも「脱却」しようとするものと批判する。さらに表現の自由と労働基本権について「権利の保障と制限に対等の地位を与え」、他方、22条1項(居住、移転と職業選択の自由)と29条(財産権)で経済的自由への制限の根拠とされてきた「公共の福祉」が削除され、29条では「公益及び公の秩序」に代えられ、22条1項では削られたままであることを指摘し、草案前文の「活力ある経済活動を通じて国を成長させる」と相俟って「ネオリベラル路線をあからさまに憲法規範化」するものと喝破している。
中北浩爾「『戦後レジームからの脱却』への道程」…中北は「現在の自民党ではかつて存在した多元性が希薄化し、リベラル派から右派に主導権が移行したという意味で右傾化した」とし、その変容の過程を追う。結論として、右傾化の直接的な原因は民主党が小選挙区制を背景に急速に台頭してきたこと、一旦は政権の座を追われた自民党が、リベラル色の強い民主党に対抗するため、右派的な理念を強調することになった、それを主導したのが安倍であるとする。
遠藤誠治「軍事優先の安全保障政策の不毛」…安倍政権の安全保障政策は軍事偏重であり、周辺諸国の眼差しを無視しているがゆえに有効性を欠いているとする。幾つか疑問を感じる箇所があった。例えば、「米国の現政権は、民主主義や人権重視の価値意識では、日本の護憲派やリベラル派と共通する」「軍事的な対応を重視する安倍政権も、日本自身が他国に対する攻撃的意図をもとうと考えているわけではない。むしろ、防衛的な意図から軍事的能力の強化を強調しているといってよい」果たしてそうなのだろうか?
長谷部恭男「緊急事態条項」…9条はハードルが高いので、受け入れられやすい緊急事態条項の導入から改憲の途を開こうとする動きについて批判している。ワイマール共和国は緊急事態に対処するためという理由で全権をヒトラー政府に付与する授権法を制定し、主権独裁(守るべき体制の存在を前提としない独裁)を現出してしまった。この反省のもとにドイツ基本法では、緊急事態における権限の集中に厳しい歯止めをかけ立法・司法・行政の密接な協力と相互抑止の仕組みを設けている。日本の場合には司法が政治部門の判断を丸飲みする「統治行為論」によって司法のコントロールが無効化されている。仮に緊急事態条項を導入するとすれば「統治行為論」を捨て裁判所の権限の根底的な強化が必要、とする。そうなれば。集団的自衛権の閣議決定の合憲性についても最高裁が判断することになる、と。
石川健治「環境権『加憲』という罠」…政権側で公言される9条改憲への地均しのための「お試し改憲」論と、その一例である環境権「加憲」論を批判する。前者については「他事考慮」「隠された不法な動機」による権限の濫用であり、安倍政権は真っ当な立憲主義から、憲法は権力が縛られる事項を限定的に列挙されたものにすぎないとする「外見的立憲主義」に回帰していると批判する。後者については「生圏中心主義(生態系それ自体を保護する)を明記した環境保全義務規定を国家目的規定として増設する」か、「反原発・脱原発の国家目標規定を増設する」という提案でなくては真摯な改憲提案たりえないとする。
井手英策「『財政の健全性』規定」…「民主主義を求める人間の闘いの歴史は、財政や課税をめぐる国王の権力を議会が統制するための歴史でもあった」と総括しつつ、「財政の健全性は、法律の定めるところにより、確保されなければならない」を83条2項に書き加える自民党改憲草案を「財政民主主義の自殺行為」であると批判する。現在の膨大な財政赤字は財政の健全性の定義をなし崩し的に解釈変更し、特例法による巨額の赤字国債発行という事実上の「脱法」行為が常態化している中で作られてきたもの。仮に憲法に健全財政を書き加えても事態は変わらず、法秩序の一層の混迷をもたらすばかりである、と指摘する。さらに井手は地方自治に関する改憲案を批判し、「自助と共助の強化のうえに、消極的に公助の担い手たる地方自治体を位置づけ、さらに公助の弱体化を自治体どうしの協力、国への協力を義務づけることで補完する」にすぎないとする。
西谷修「沖縄 未完の『復帰』と『自治』」…強権的に辺野古新基地建設を推し進める安倍政権のやり口は「いま沖縄を日本政府との全面対決に追いやっている。そう言ってよければ、じつはいま日本は、近代国家成立以来、初めて『国家分裂』の危機に直面している」と西谷は言う。「『復帰』以来、沖縄を『基地の島』にとどめ置く『差別』の構造が、沖縄の人々を『諦め』のうちに屈従させるのではなく、むしろ『復帰』への思いに込められていたことを、『自立』ないしは『自治』によって実現しようとする意思が明確になり、それを『独立』の可能性が裏打ちしているというのが現在の状況だ」と。そして「自治」とは「自ら律すること」、自己決定の権利であり、一定の地域の「自律」であり、中央からの「自立」でもある。沖縄の闘いは私たちの立憲主義と民主主義のための闘いでもある、と。
三浦まり「『戦争ができる国』へ向けて『女性が輝かされる』日本」…安倍政権の下で進められている「戦争ができる国」づくりと「女性が輝く」国づくりとは表裏一体の関係にあると三浦は言う。一方では女性を生産労働力、再生産労働力、無償労働力の資源調達先とすることによって、他方では改憲案に見られる「国家家族主義」のイデオロギーに露わなように「母親の犠牲の下に家族の日常生活が営まれ、家族の犠牲の下に国家が運営されるという犠牲の入れ子構造を作る」ことによって。「『女性が輝かされる』社会は、男性が『暴力を行使させられる』社会でもある。それを拒否する強さが、男性たちにはあるのだろうか。それが問われている」と三浦は締めくくるが、私には見当はずれの問いかけとしか思えなかった。
蟻川恒正「最高権力者の『表現の自由』」・・・安倍が小林よしのりや朝日の記者に気安く電話したり、有名無名を問わず意に反する意見の持ち主を批判したりする特異な言動について、「権力者の表現」という枠組みで問題化している。しかしどういう問題なのかよく理解し難い。「昨今不幸な流行ともいうべき現象を呈している立憲主義によれば、憲法の眼目は国家権力を制限して市民の自由を確保するところにあるのだから国家権力を行使する者が憲法上の自由を享受するのは本末を顛倒する謬説であるとの議論が盛んである」と言うが、どこでどう盛んに議論されているのだろう?蟻川は首相でも私人としてなされた言論には表現の自由が保障されるが、政府としての職務遂行にかかわる言論には表現の自由は保障しえない、と考えているようだが、靖国参拝問題同様、ここでの私人と公人(政府としての職務遂行者)との区別にあまり意味があるとは思えないのだが。
千葉眞「憲法平和主義の系譜vs.『積極的平和主義』」…宮沢俊義の敗戦=「八月革命」説を評価しながら安倍政権を「反革命」と規定し、その「積極的平和主義」なるものは言葉の詐称、実態は「能動的軍拡主義」に他ならないと批判する。そして憲法前文99条の徹底的平和主義には多彩な「思想水脈」が流れ込んでいる、と強調する。曰くカント、トルストイから諸宗教、ジャーナリズムまで。しかし、あれもこれも盛り込むことにより却って現憲法制定の実態から離れてしまうのではないか、という気がする。
杉田敦「まっとうな憲法改正論議の条件」…いわゆる「押し付け」憲法論に反論して杉田は言う、「現憲法とは、日本国憲法のテキストに限定されるものではなく、それに基づいてこの70年近くにわたって積み重ねられてきたさまざまな法的・政治的な蓄積を含んでいる-略-さまざまな力と戦いながら、一歩一歩勝ち取られてきた人権保障、そして、外国での戦争への(米軍基地の提供などによる)間接的協力はあっても、日本側から一発の弾丸も発射しなかったという平和主義の実践などは、憲法体制の根幹をなしている」と。
山口二郎「安倍流改憲は日本をどこに連れて行くのか」…繰り広げられている戦争法案論議の最大の特徴は平和という言葉の破壊(「平和の敵をあらゆる手段を使って除去、殲滅させる行動」が平和である!)と、言葉の過剰と曖昧化(存立危機事態、重要影響事態、国際平和対処事態・・・そしてこれらの事態判断は政府が行う)であると山口は言う。安倍政権の報道機関や大学に対する干渉は「知的・精神的領域の全面的な政治化を意味している」それは「政治の劣化」の裏返しに過ぎず、「貧弱な統治」であり「全体主義」に他ならない。原発再稼働、集団的自衛権行使容認などの問題について世論は一貫して安倍政権の目論見とは反対の意思を示し続けている。「したがって、安倍政治に不安を持つ国民の意思を受け止める政策的結集軸と政治主体を立ち上げれば、状況は転換できる」「脱原発や九条擁護のために動いた市民の力量を、具体的な選挙に向けて発揮することによってしか、戦後民主主義の危機は打開できない」と。中野晃一の「石を積むような作業」という言葉がズシリとした手ごたえで受け止められる。
内田雅敏著
岩波ブックレットNo.930(定価530円+税)
なるほど、こうした目線からの向き合い方があった、というのがはじめの読後感だ。本書の帯には「どうすれば、隣国と未来へ歩み出せるのか? 歴代政権の歴史認識を振り返りつつ、基本から考える」とあるように、本書では戦後の政府による条約、声明、基本となる談話などで政府の歴史認識を検証した後に安倍政権の特殊性を比較し、最後は和解のあり方に言及している。
第1章・日本政府の歴史認識の推移では、次のようなものを基本認識にあげている。第Ⅰ期として「冷戦期」をみると、(1)日本国憲法前文の冒頭部分、(2)サンフランシスコ講和条約第11条、(3)椎名悦三郎外務大臣の外交演説(日韓基本条約関連部分)、(4)日中共同声明(前文後半部分)、(5)日中平和友好条約(前文)、(6)歴史教科書にかかわる宮沢喜一官房長官談話、(7)国連創立40周年記念会期における中曽根康弘首相演説。
第Ⅱ期・冷戦終結から村山談話では、(8)「慰安婦」関係調査結果発表に関する河野洋平官房長官談話、(9)細川護熙首相所信表明演説(関連部分)、(10)戦後50周年にあたっての村山富市首相談話。
第Ⅲ期・村山談話の継承と葛藤では、(11)橋本龍太郎首相の内外記者会見での談話(関連部分)、(12)元「慰安婦」の方々への内閣総理大臣のおわびの手紙(橋本首相名)、(13)日韓共同宣言[第二項](小渕恵三首相・金大中大統領)、(14)平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言[関連部分](小渕恵三首相・江沢民主席)、(15)日朝平壌共同宣言[関連部分](小泉純一郎首相・金正日国防委員長)、(16)戦後60年小泉首相談話[前半部分]、(17)日韓併合100年に際しての菅直人首相談話。
ながながと引用したが、第1章であげている多くの声明・談話などから、まさに日本政府の歴史認識の推移が確認でき、私たちも共有すべきだろう。憲法、サンフランシスコ講和条約がまずもっての基礎である。日中両国政府によって交わされた(4)~(7)、及び⑭の小渕首相・江沢民主席による共同宣言は、両国関係の基礎にするべき約束であることをあらためて知らされる。ここで私は江沢民の時代で対日批判が激化したように思っていたが、こうした共同宣言が出されていたことを知った。
また(10)の村山談話は、…わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り…という箇所ばかりが有名になっているが、全文をみると著者の指摘のように「アジア外交の基盤としての村山談話」と位置づけるべき内容であることがわかる。また戦死者に対する言葉として今日では常套句になっている“今日の繁栄が心ならずも命を落とされた……尊い犠牲のうえにあることに…”という違和感ある表現も、村山談話では説得力ある語り口となっている。
第2章・安部政権とその周辺の歴史認識では、安倍首相ととりまく人びとの歴史認識が靖国神社の示す歴史観――「大東亜戦争」は侵略戦争ではなく、植民地解放のための戦い、聖戦だった――であり、日本政府歴代の公式見解を理解していないと著者は指摘し、安倍の戦後70年談話にも危惧を示している。「歴史認識にかかわる、官僚などによる数多くの問題発言が、政府の公式見解にもかかわらず、日本の認識を疑わせ、和解を阻害してきた。しかし、これらの発言は、おおむね撤回や、発言者の更迭・罷免などの措置がなされてきた。」として、戦後ずっと続いている敗戦や歴史認識を認めたがらない一部勢力を批判している。
第3章・和解はどうすれば可能か、では、民衆による戦後70年談話を提唱している。弁護士として戦後補償に長くかかわってきた著者による政府の歴史認識と向き合う視点だ。中国人強制連行、強制労働をめぐる西松建設の損害賠償裁判の原告側代理人として携わった著者は、16年にわたる裁判を経て2009年10月に和解を成立させた。その後、中国電力安野発電所の一角に中国人受難者・遺族と加害者西松建設株式会社の連名で、「安野 中国人受難者之碑」が建立され、和解事業を行っている。著者は「歴史問題の解決のためには、被害者の寛容と加害者の慎み、節度が必要である。加害者は忘れても、被害者は忘れない――私たちはこのことを肝に銘じて、加害の事実と誠実に向き合いつづけなければならない。」と結んでいる。
本書を読んで、紹介されている政府見解が出されたときの社会状況や、私自身が何を考え何をしていたかを思い起こしていた。そして今後これらの政府見解は、運動をすすめる基準として大いに活用できるのではないかとおもう。(土井とみえ・事務局)