私と憲法171号(2015年7月25日号)


総理による法治主義破壊のクーデターを許すな

強行採決を糾弾する!

安倍内閣は7月15日の特別委員会と16日の衆院本会議で与党単独での戦争法案の採決を強行した。各種世論調査で国民の6割が反対し、8割が説明不足と答え、憲法学者の9割や内閣法制局の歴代長官も憲法違反と指摘し、法曹団体や自治体議会が反対や慎重審議を求める決議や意見書を寄せる中での暴挙である。私たちは、この国の、いや全ての近代民主国の国家運営の根本原則である「法の支配」と「主権在民」を無視した暴挙に強く抗議し、法案の撤回と内閣の退陣を求めるものである。

「審議時間が100時間を超え、論点が整理されてきている」(菅官房長官:7月13日の会見)から「決めるべき時は決める」(安倍総理:7月11日・視察先で)と政府は言う。しかし、この命題が成立するには、審議を通じて明らかにされた問題に対する解決策が示され一定の到達点に達することが絶対不可欠の前提である。しかし、法案の随所に登場するいくつもあって紛らわしい「○○事態」の定義とか、どんな場合に機雷掃海をするのかといった根幹部分に対する追及に正面から答えようとせず、閣僚間の答弁の不整合も続出し、岸田外相に至っては採決5日前になって答弁を修正するというお粗末な審議では、何百時間議論しようが、とても「審議を尽くした」とは言えない。そもそも、2会期・190時間を要したPKO法をはじめ10本(附則による改正を含めれば20本)もの法改正を一括して単一会期・100時間程度で済まそうとするところに無理があるのであって、問答無用の強権的姿勢と言わざるを得ない。

昨年6月の本誌第158号でも取り上げたが、以下に「廊下採決」をはじめ強行採決が連発された第61通常国会を評した1969年8月4日付の毎日新聞の社説を掲げておく。

「問答無用で政府の必要とする法案が成立するならば、もはや国会は無用であろう。国会は、多数党政権の強行採決装置(中略)自民『「独裁政治」の体裁を飾るだけの機関となり(中略)大幅会期延長による長期国会は、政府・自民党による議会政治破壊工事の舞台となった観がある。われわれは自民党内閣の非道な強権政治を糾弾する。」

主権者への説明責任を放棄

今回の法案が日本を戦争する国に変質させる戦争法案であることは論を待たないが、この当然の指摘に対し、総理は「いわれなきレッテル貼り」と言い続けてきた。閣議決定のはるか前の4月1日の参院予算委員会での野党議員の発言に対し、議事録からの削除まで求めてきたことも記憶に新しい。しかし、消防隊や救助隊の派遣ならまだしも、(1)自衛隊を、いつでも、どこでも、どんな名分ででも送り出せるようにし、(2)その活動内容も、機雷掃海、船舶臨検をはじめ戦時国際法上れっきとした交戦権の行使に該当するものを含み、(3)その自衛隊を総理は「わが軍」と呼んでいる(3月20日の参院予算委)以上、「戦争法案」としか呼びようがない。むしろ、こんな法案に「平和」や「安全」の名を冠することの方が「虚偽広告」であるし、「わが軍」発言こそ懲罰動議に値する。

もう一つ聞き捨てにできないのが、論理的な答弁に行き詰まる度に繰り返されてきた「総理は私だ」発言である。総理の権限は憲法の範囲で主権者から負託されたものであって、総理の座がオールマイティであるという勘違いをしてもらっては困る。加えて、6月26日の衆院特別委員会での「手の内を見せる」ことを理由とした答弁拒否に至っては説明責任(自民党憲法草案の第21条の2は政府の説明責任を明記している)を放棄するものと言わなければならない。そもそも、人権保障を中核とする憲法秩序を一時的に停止させる「戦時」への突入を意味する「事態」の認定を総理の裁量に委ねるのは主権在民の原則に真っ向から反する。景気回復を争点とした選挙で多数を得たとはいえ、われわれは戦争の白紙委任状など渡してはいない。

また、イラク派兵に関する野党側からの資料要求に対して、防衛省は当初、黒塗りのものを出してきたが、都合の悪い情報は隠蔽するという姿勢丸出しである。そして、原資料を再要求したところ、採決が終わってから出してきたのも、主権者とその代表である議会を愚弄するものと言わざるを得ない。

向こうが「総理は私だ」と居直るのであれば、われわれは「主権者は私たちだ」を合言葉に反撃していこう。

異論を排除する強権的性格

昨年の第186通常国会冒頭の政府4演説で、総理は「責任野党」とは真摯に協議すると述べ、異なる意見には耳を貸さないという姿勢を露わにした。しかも、これに続けて、そうした努力の積み重ねにより改憲も前に進むと述べ、自らが推進する政策が改憲へのロードマップに他ならないことを隠そうともしなかった。今回の戦争法案でも、一昨年の内閣法制局の人事への介入、昨年5月の総理の「身内」で固めた安保法制懇の報告、密室での与党協議による昨年7月の集団的自衛権容認の閣議決定、国会上程はおろか閣議決定すらしていない今年の連休中に米国で今夏までの法案成立を「対外公約」するなど、主権者や議会を無視して強行する姿勢は一貫している。

専門家に対しても同様である。参考人として招いた憲法学者が自党推薦も含めて全員が異を唱えても意に介さないどころか、高村副総裁に至っては「憲法の番人は裁判所であって学者ではない(6月11日の衆院憲法審査会)」と開き直る始末であるが、相次ぐ議員定数不均衡違憲判決は放置しておきながら、何という言い草であろうか。

一昨年の暮れに秘密法を強行した直後、総理は渋々ながらも説明不足を認めたが、今回は「国民の理解が進んでいる状況ではない」と答弁した当日に委員会採決の暴挙である。四の五の言わずに黙って従えと言わんばかりの姿勢は独裁者と言うほかない。

さらに、6月25日の「文化芸術懇話会」と称する自民党若手議員(安倍応援団)の会合では、スポンサーに圧力をかけてマスコミを懲らしめろとか、沖縄2紙は潰せといった報道の自由を否定する放言まで飛び出している。当日の講師である元NHK経営委員の百田尚樹は南京大虐殺の否定など問題発言の多い人物であるが、そうした人物を公共放送の経営陣に起用した総理の任命責任とともに厳しく追及しなければならない。

追い詰められたのは安倍内閣の方

とにもかくにも、法案は会期を70日余り残して衆院を通過し、参院に送られた。しかし、必ずしも悲観材料ばかりではない。

まず、憲法上、みなし否決・再議決条項が置かれているのは事実であるが、これは予算や条約の自然成立とは異なり、時計の針が落ちたら自動的に発動される訳ではなく、あくまでも衆院側の議決が必要となる。言い換えれば、その時点でもう1回ゴリ押しができる状況にあるかどうか(われわれの側から言えば、ゴリ押しを思いとどまらせる状況を作り出せるかどうか)がカギとなる。

相次ぐ強行姿勢と各界専門家からの疑問の声に、さしもの内閣支持率も陰りを見せ始めており、強行採決直後の世論調査(7月17・18日実施、19日発表)では、共同通信・毎日新聞ともに内閣支持率は3割台に落ち込み、不支持が過半数に達している。また、毎日新聞によれば、自民支持層でも4割が強行採決を疑問視している。

一方、調査実施が1日遅れの18・19の朝日新聞(20日発表)では、支持率が3割台に落ち込んだのは同じものの、不支持は5割をわずかに下回った。法案への賛否は先行2社とほぼ同じ傾向なので、五輪会場の見直しによる影響ではないかと見られる(同紙もそう分析している)が、街頭インタビュー等では、余りにも唐突に出てきた五輪会場の見直しが強行採決の「毒消し」に過ぎないことは見透かされており、依然として安倍内閣にとって猛烈な逆風が吹いていることに変わりはない。

これまで見てきたように、今回の強行採決は、議論すればする程ボロが出るという八方塞がり状態の中での窮余の一策という面もあり、むしろ、そこまで安倍内閣は追い詰められたと言うこともできる。したがって、この先、どれだけ世論を盛り上げ、巨大与党の前に民意の大きな壁を築いていくかが焦点となる。

そして、これは決して不可能なことではない。何故なら、安倍内閣にとって8月は時限爆弾をいくつも抱えた時期であり、本当は国会を開いた状態で8月を迎えたくなかったからである。例年8月と言えば、6日・9日・15日と不戦の誓いを固める日々が続く時期である。ましてや、今年は被爆70年・戦後70年にあたる節目の年である。村山談話を目の敵にする安倍総理にとって、内外から注目されるが謝罪はしたくない戦後70年談話は「針の筵」であろう。報道によれば、閣議決定を経ない「私的見解」で済ませるとか、それでも公明党との事前調整は欠かせないとか、早くも迷走気味である。昨年は広島・長崎の式典で前年のものとほぼ一字一句変わらない式辞で済ませた総理であるが、今年の長崎の平和宣言には戦争法制への懸念が盛り込まれると報じられている。これまた「針の筵」であろう。そして、辺野古の埋め立て承認の取り消しや川内原発の再稼働も8月に一つの山場を迎える。会期の大幅延長はこうしたリスクとセットであり、安倍内閣はいつ火だるまになるかもしれないのである。

強行採決翌日の7月17日夕刻、国会前に集まった学生や若者たちを前に、一橋大学名誉教授の渡辺治さんは上記3つの時限爆弾(戦後70年、辺野古、原発)
を不発に終わらせることなく安倍内閣を追い込むこと、帰省先の九条の会で高齢層の多い地域の人たちと一緒になって声をあげること等を訴えたが、私たちの可能性は、まさにそこにある。

総がかりで反撃を

昨年7月の閣議決定の時、官邸前は、今「ノー」と言わなければいつ言うのか、声をあげなければ黙示の「イエス」とされてしまうという思いで、ツイッターで呼びかけ合い、LINEで拡散して集まった1万人を超す人々の熱気で包まれた。

その後の「総がかり行動実行委員会」の結成から今年の横浜での5・3憲法集会等に至る運動の積み上げについては、既に紙数も尽きてきたので繰り返さないが、各地で多様な人々が多彩な行動を積み上げることで、大きな流れを作り出してきた。

「強行しても連休を挟めば忘れる」という政権側の思惑を吹き飛ばすかのように、7月18日には、元サンデー毎日編集長の鳥越俊太郎さんや作家の澤地久枝さんたちの呼びかけに呼応して、各地の駅頭や街角に多くの人々が立った。運動の輪は確実に拡がりつつある。このことに確信を持とう。

憲法を実質的に破壊する総理によるクーデターを許す訳にはいかない。安保法制懇の委員で元外交官の岡崎久彦の「そういう総理を選んだ国民が悪い」というのが一面の真理であるとすれば、決して諦めることなく、この間の行動で見せた民意の高揚と怒りを持続させ、そういう総理にお引き取り頂くのも主権者としての責務であろう。(事務局 小川 良則)

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7月9日、 「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」主催 第8回「戦争法案反対国会前集会」/雨にもかかわらず1500人が参加

《連帯あいさつ》

小森陽一・東京大学教授(「九条の会」事務局長)

みなさん、こんばんは。
ただいま紹介されました小森陽一です。

私は、いくつかの立場から、みなさんに連帯を表明します。
まず、国会前のこの集会に参加した一人として、断固として戦争法案の強行採決は許さないということ、なんとしてもこの戦争法案を廃案に追い込むということ、そして安倍政権の暴走を止めて、この政権を打倒するまで闘うということを表明したいと思います。

次に、毎日長距離通勤をしている一労働者として。きょうの東京新聞の一面は、「憲法学者の9割が違憲」という横見出しでした。私は、少し遅い出勤だったので、この一面を抱えながら郊外私鉄の10両目から1両目まで、ゆっくりと歩きました。みなさん、ひとりでも、電車の中でも、運動はできるということを今日確信しました。あらゆる方法を使って運動を進めていきましょう。

3番目、東京大学の教師として。みなさん、明日、東京大学の駒場の5号館525番教室で、戦争法制に反対する集会を東京大学の学生と教師が一緒に呼びかけて開催することになりました。講師は、「学者の会」の呼びかけ人の佐藤学さん、弁護士の伊藤真さん、私の同僚である哲学者である高橋哲哉さん、こんな豪華メンバーが揃うことは、めったにないのです。ぜひ、みなさん、夕方、空いている方は駒場にいらしてください。学生と一緒に大歓迎いたします。

4番目、佐藤学さんと一緒に私も呼びかけ人になっている「安全保障関連法案に反対する学者の会」。今日、学者だけで9000人を突破しました。そのことをまず報告したいと思います。一般の市民は、1万5555人でした。でも、今、「一般」といいましたが、よくよく見ていただくと、著名な作家や文化人が、たくさん名前を連ねています。さらに、映画人も、大きな署名を今、進めています。こうしたあらゆる分野からの闘いで、この戦争法制を廃案にする闘いを進めていきたいと思います。

最後、5番目、「九条の会」事務局長としてです。「九条の会」は、5月1日に事務局の提案を出し、全国津々浦々で、まず地元からしっかりと運動を繰り広げていこう、声明を出そう、地方議会に呼びかけよう、こう運動を提起してきました。今日の段階で、全国で144の地方議会で戦争法制反対の陳情が決議されています。全国181の議会で慎重審議が決議されています。

その中の2つの「九条の会」の話を最後にします。ひとつは、秋田県の「羽後町九条の会」。ここは、陳情の中に自分たちの町で852人が戦争で命を失ったんだ、そのことを確認した上で、絶対に戦争をしてはいけないという陳情を決議しています。中心になったのは、「羽後町九条の会」の方たちだと今日報道されていました。

もうひとつは、900人以上の犠牲者を3.11で出した宮城県の名取です。名取市では、自分たちを救助してくれた若い自衛隊員を絶対に戦争では死なせたくないというメッセージを陳情に込めました。これも「名取九条の会」の方たちが中心になって実現しています。

みなさん、今、全国津々浦々、あらゆる所から運動が巻き起こっています。この力で、絶対に戦争法制を廃案にしましょう。ともに頑張りましょう。

《連帯あいさつ》

中野晃一・上智大学教授(「立憲デモクラシーの会」呼びかけ人)

みなさん、こんばんは。
上智大学で政治学を教えております「立憲デモクラシーの会」呼びかけ人のひとり、中野です。

きょうは、連帯の挨拶といいながら、本当は、感謝の言葉を言いに来た気持ちで来ております。

「雨にも負けず、風にも負けず」といいますが、本当に「雨にも負けず、雨にも負けず」の中、毎週毎週、それどころか連日おいでの方も多いんじゃないんでしょうか。

非常に歓迎すべきことではあるんですが、例えば、憲法学者がこういう活躍したであるとか、学生がこういうことを頑張りだしたとか、日弁連がここまでやっているとか、私ども「立憲デモクラシーの会」もお褒めいただくことがあるんです。

しかし、ともすると、長いことずうっと平和運動に関わってきた、憲法を守れと言ってきた人たちを当たり前の存在のように思って、目が新しい所ばかり行っているんじゃないかと、よく自分自身反省することがあるんです。

これは失礼な例えになるかもしれませんが、敷き布団がしっかりしていなければ、掛け布団をいくら重ねても寒いんですよね。みなさんのことを敷き布団と言ってしまってすみません。しかし、本当に暑いときは掛け布団なんかいらない、だけど敷き布団は必要だと。寒くなってくると、やっぱり断熱をしっかりしてくれる敷き布団がなければいけないと。

たとえ人から感謝されなくても、当たり前のような存在だと思っていても、時間あるときは、自分の仕事で疲れてる、生活がたいへんであっても足を運んで、こうやって声を上げて下さる皆さん方に、私は、政治学者としてというよりも、ひとりの子供を持つ父親として、本当に、本当に感謝しています。

いま、政権は、そこまで追い詰められている。だからこそ、死にものぐるいで来週から衆議院に強行採決をかけてくると思います。

しかし、みなさんのおかげで、声が本当に広がっていると思います。最近では、ご存じだとは思いますが、フェースブックを通じて、さらにまた、ママたちが、これは、ママといってもママじゃない人たちも含めて子供のことを思ったり、普通の市民として声を上げたいという人たちがつながってきて、渋谷の宮下公園でデモをやろうと、今までデモなんて考えたこともなかった人たちまでが、声を上げられるところまで来ているんです。これは、非常に重要なことだと思います。

また、私自身も、海外の記者であるとか学者と交流していて感じるのは、これは違憲立法以外の何物でもないということは、たとえ、日本が集団的自衛権をやってくれたら便利だな、助かるなと思っているような人たちでも、受け入れざるを得ないところまできているんです。これは、すごいことなんです。これから、さらに国際的な連携も含めて、みんなで包囲して、安倍政権を打倒し、このような暴挙は国民が絶対に許さないということを勝ち取っていこうではありませんか。

本当にありがとうございます。頑張りましょう。

SEALDs呼びかけの国会前緊急行動

スピーチ
7月17日 

渡辺治・一橋大学名誉教授

みなさん、こんばんは。学者の会の呼びかけ人のひとりである渡辺治です。よろしくお願いします。今日はみなさんに、ぜひとも 1つお話をしたいことがあって来ました。それは、いったい、この憲法に違反する戦争法案、衆議院で強行採決をされましたが、本当に廃案にするにはどうしたらいいのか。本当に廃案にできるのか。この問題について考えてみたいと思います。

みなさんの中には、怒りでここに結集した、そして同時に、こんな衆議院の強行採決で国民の声も聴かないような安倍政権のやり方では、もしかしたら戦争法案、強行採決されるんじゃないか。そういう焦りもあるかもしれません。でもまず第1に言いたいことは、焦っているのは、私たちより安倍政権です。安倍政権は私たちの運動の中で、2つの大きなミスを犯しました。

1つ。意外かもしれませんが、国会の会期を8月の初旬に終わらせたいはずだったのに、なんと国会の会期を95日も延長せざるを得なかったこと。これは私たちの闘いの中で、6月4日に憲法審査会で3人の憲法学者が意見を言ってしまう。こういうようなことの中で、国会を8月初旬に閉じるなんてことはとてもできなくなった。だから絶対に安全を期すために、なんと9月27日まで延ばさざるを得なかった。

それからもう1つ。これも意外かもしれないが、強行採決は本当は彼らもしたくなかった。そんなことをやれば国民がさらにこの戦争法案をどう見るかわかっているから、彼らだってやりたくなかった。それをやらないと間に合わない状況をつくった。この2つの誤算が安倍内閣を大きく縛っていると私は思います。

なぜ8月初旬に国会を閉じたかったのか。そのことが一番問題です。8月になると、もし国会が開かれていると、戦争法案という大きな害悪に加えて、3つの爆弾が出てきます。1つは何か。8月の中旬に間違いなく川内原発の再稼働が行われます。安倍は絶対にこの川内原発の第1号機の再稼働を実現したい。彼の大国をつくるために、強い大企業本位の国をつくるために、戦争法案と並んで、彼がどんなに国民の反対を受けても、川内原発をまず再稼働したい。これが8月の初めにあります。

続いて、8月の10日過ぎには、安倍がこれまた執着している戦後70年についての談話があります。これも安倍は自分の命をかけて発表したい。そこでは、戦前の日本の侵略戦争と植民地支配を絶対にお詫びしない。それから絶対に謝罪をしない。そうしなければ、これから日本の国を支える若者たちが、この国に誇りを持てないと彼は思っている。馬鹿げたことだ。だけど、戦後70年の談話は、彼は絶対に出す。しかし大きな反響が、中国や韓国だけではなくて、この私たち国民の中からも確実に起こる。これが2番目の爆弾です。

3番目の爆弾は、辺野古だ。辺野古の新基地について、前知事が許可をした埋め立て許可を拒否する。その決定を翁長さんは8月にやると言っている。この原発、戦後の歴史問題の修正、植民地支配を反省しないで居直る。そして普天間の基地を強行する。辺野古の基地を強行する。

この3つのことは、戦争法案がなくても大きな爆弾で、安倍内閣の命を吹っ飛ばすような、私たちにとって重大な課題。これがなんと8月に出てくるんです。だから、彼は8月の初旬に国会を閉めて、心静かにゴルフをしたかった。ところが、この運動は、これを許さなかった。9月27日まで、つまり8月の間中、国会がまさに開かれている中で、原発の問題と、辺野古の問題と、戦後70年の問題について大いに議論する。戦争法案と合わせて、4つの爆弾を彼は抱えている。

もちろん私たちが寝ていたら、この爆弾は爆発しない。しかし私たちがこの闘いを大きくすることによって、確実に安倍政権のこの4つの爆弾で、安倍政権の命運を左右することができる。これが戦争法案をなくす唯一最大の道です。

みなさん、じゃあいったいそのような4つの爆弾を爆発させるために、私たち・君たちは何をやったらいいのか。これについて話をしたい。もちろん毎週金曜日ここに来る。これは前提です。だけどこれだけでは不十分だ。大きな闘いをやるには、これだけでは不十分だ。私も大学で教えていました。

今、夏学期の試験、あるいは始まるところです。学生みんな来てるんです。そこのところで、まず集会が終わったら学園に帰って、そこで1人でも多く友だちを見つける。そして戦争法案がいかに悪いかということを話して、ここに連れてくる。そしてもっと余力があったら、学習会を開いて、シンポジウムを開いて、大学の中で戦争法案について議論する。

僕らは喜んで行きます。学者の会は、伊達にあるんじゃない。そういう問題について、もし君らが本当に勉強する、多くの学生を呼びたい、少なくてもいい。だけど学者の会に声をかけてほしい。僕は九条の会もやっています。九条の会の事務局にも声をかけてほしい。みんな行きたい。そういうふうに思っている。ぜひとも学園に帰ってほしい。それが1つ。

もう1つ。もしかしたら夏休みに、地域に帰るかもしれない。郷里に帰るかもしれない。恥ずかしがることはない。絶対に帰るべきだ。そして地域の中で、学生諸君は、必ず地域で起こっている運動に参加してほしい。なぜならば、九条の会は全国に7500あります。7500あって10年以上頑張っています。最大の弱点。なにか。中高年なんです。僕と同じ、おじさんおばさんが必死に頑張っている。だから君らが、地域に帰って、必ず君らの地域に九条の会はある。必ず地域で戦争法案反対の取り組みがある。ここに行って訴えてほしい。自分たちはこんなことをやっている、こういうことを国会の前でやっているんだ、ともに闘おう、とぜひ言ってほしい。これは地域の人びとに、ものすごく大きな元気を与えます。

これから暑い夏がやって来ます。安倍さんはこう思っていると思います。このような強行採決の後の集会も、今は盛り上がっているけれども、そのうち常連ばかりが集まって、静かな国会がやってくるだろう。彼はそれを切望しています。そんなことは許せない。そんなことは絶対に許せない。じゃあどうするか。それは私たちが、安倍さんが嫌がるようなそういう暑い夏に、もう嫌で嫌でしょうがない、生きていられない、そういう夏にしようじゃありませんか。

私たちの熱気で、怒りの熱気で、暑い夏をつくり出しましょう。

この夏が勝負です。この夏は、戦争法案をとおして、国を戦争する国、70年の歴史を変えるのか、それとも戦争する国を阻んで、私たちの国をアジアに広げていくのか、そういう正念場が今来ています。この夏をもっともっと暑い夏にするために、ともに頑張りましょう。

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第96回市民憲法講座 戦争法案を止めるために何が必要か-国会での議論で見えてきたあらたな危険性を考える

お話:高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)

「戦後」でありつづけたい

この間でいうと、私は国会周辺で声を張り上げて絶叫しているんですが、今日はそうではなくて、向かい合った場でもありますのでアットホームな感じで話をしたいなと心では思っているんですが、最後には絶叫するかもしれません。今日は戦争法案を止めるために何が必要か、というテーマでご案内しています。私たちはいま国会で審議されている戦争法に立ち向かって、安倍政権のもとで本当に止めることができるのかどうかということが今日の最終的には私がお話ししたいテーマであるわけです。

レジュメの最初に書いておきましたが、これは昨日の東京新聞です。瀬戸内寂聴さんです。昨日の東京新聞一面トップの見出しは、「すぐ後ろに軍靴の音がきこえている」というものでした。その中で寂聴さんが言っていることは、また、戦争がいまにも始まりそうな気配になってきている。いまの日本の状態は昭和16、7年頃の雰囲気だ。いま日本も表向きは平和だが、少し後ろの方に軍靴の音が続々と聞こえている。そういう危険な感じがすることを、寂聴さんが私たちの集会に来て頂いて話をしてくれたわけです。東京新聞はトップの見出しで書いてくれました。

私は一昨日の集会で驚いたんですが、寂聴さんは車椅子なんですね。病気をして体調も非常によくない。本当に命がけで東京に来られたんですけれども、立って話されたんですね。すっくと立って。だからすごい決意だなと私は寂聴さんの後ろ姿を見ていて思いました。なんとしても伝えたいという気迫がこもっていました。京都からわざわざ東京まで出てきて、この集会のために来たんです、何かのついでじゃないんです。それもわずか5分のお話です。私たちは集会の関係で10分くらいはあるかなと予定していたんですが、長い話だと集会全体の運営に影響するだろうからということで切り上げたんですが、そのために京都から病気を押してわざわざ来て頂いた。そして「すぐ後ろに軍靴の音が聞こえている」という話をされて、そして翌朝の東京新聞の見出しに載る。

いま戦後70年といわれるけれども、私はちょうど70歳です。だからまったくこの戦後を生きてきた人間です。その生きてきた中でこういう見出しの新聞が出てくることを、かつては一度も予想したことがありません。この日本がそういう国になる。軍靴の音が聞こえてくるなどということを普通の新聞の見出しで一面トップ記事で出るような時代が来るとは本当に思いませんでした。私の運動経歴は長いんです。高校1年生の時からですからもう55年くらい平和運動をずっとやっています。しかしその中でまさかこういう時代が来るとは思いませんでした。

一部の市民運動にはよくない傾向がありまして、話をするときにオオカミが来る話をするんですね。20年前も30年前もずっと「オオカミが来る」という人がいました。わたしはそういう言い方はあまり好きじゃないです。まもなく戦争が来るというような話――人を脅すようなことはすべきじゃないなんていう論争をずいぶんやった方なんですが、とうとうそういうことを言わなければいけない時代になったということを、あらためてこの東京新聞を見て痛感をしています。寂聴さんも言われているように平和に見える、そういう中で戦争の足音が近づいてくる。確かに私たちのまわりは平和です。今日もこの文京シビックセンターに来るまでに、東京ドームでジャイアンツの試合があって、これを見て帰る人たちがたくさんいた。これで戦争が本当に近づいているのかな、寂聴さんが言うような軍靴の音が聞こえてくるというのは本当なのかなって、一瞬私たちが戸惑ってしまうような状況があります。

実は私の先生で政治評論家だった山川暁夫という人がいます。今世紀の初めに亡くなりましたが、この山川暁夫さんが私などに常々言っていたことがあるんですね、前の戦争に関して。「高田君、戦争というのは平和に見える中でやってくるんだよ。この前の15年戦争が始まったときに、隅田川では花火が上がっていた。戦争の最中に花火が上がっていて、そしてあそこの橋を若者たちが浴衣を着て下駄を履いて歩いていたんだ。そういう時期に中国戦線では戦争が始まっていた。戦争というのはそういうものだよ。真っ暗な時代に、わーって国が一斉に戦争に、戦争へと走り出してそれで戦争になるということではないんだ」ということを山川さんは何度も私たちに教えてくれました。たぶん寂聴さんも、そういうことを今回は言いたかったのかなと思っています。

そういう意味で私は「日本国憲法の平和主義、立憲主義の最大の危機」だとレジメに書きましたけれど、そういうときがやってきた、そう言わなければいけない時代なのかなと思っています。それは安倍晋三政権という政権を私たちがつくってしまった。あるいはこの国が持ってしまった。その結果こんなところまで来ている。私は戦後最悪の政権だと書きましたけれども、本当にこの安倍晋三政権というのは戦後最悪の政権だと思います。自由民主党の政権は55年体制以降ずっと続いてきたわけです。この歴代の自由民主党政権のなかでも、安倍晋三政権というのは極めて特異な政権、極めて異端な政権だと私は思っています。

戦後最悪の政権――安倍晋三政権

自由民主党政権は55年体制以降、全体としては保守本流が支配する政治をやってきましたけれど、安倍晋三政権はこれらと別の角度から自由民主党の総裁になっている。かつての自民党をそんなにほめるつもりはないんですが、同じ自由民主党でありながら今回は非常に異端な政権を持ってしまった。この安倍政権は本当に特殊だと思います。みなさんご存じのとおり、安倍首相を含めて19人の閣僚のうち16人が、日本会議を支持する議員連盟のメンバーだということが端的にそれを表しています。日本会議、これは尋常な右派とかそういうものではなくて、私は街宣右翼とまったく同じレベルの極右集団だと思っています。日本会議は神道議員連盟とかそういうところから端を発した極右の特殊な思想を持った政治集団であって、その政治集団に属しているのが19人中16人いるというこの内閣の異端性、そこがいまの安倍政権の性質を明確に表しています。残り3人の中の1人は公明党の太田さん-創価学会ですから、神道政治連盟とはそう簡単に一緒になりにくいということもありますから、そういう意味では閣僚のほとんどがそういう政権なんですね。

「戦後70年」で終わらせるのかどうか、という問題をわたしはこの間いろいろなところで言っています。戦後75年とか戦後80年、あるいは戦後100年とか、私たちが現代史を語るときに戦後70数年という言葉がもうなくなってしまう、私たちが語れなくなってしまうような時期がいま来ているんじゃないか。寂聴さんやかつて山川暁夫先生などが私たちに警告を発していることと関係して、いま戦後70年で戦後ということが使えない時代が来るかもしれない。そして安倍政権はさまざまにその戦後を終わらせる。戦争する国にする今度の戦争法案を出してくるような理由として、非常に特徴的なことがあるんです。

露骨な中国脅威論でナショナリズムを煽る

安倍政権が自分のいろいろな法案を正当化するときに言う言葉が「わが国を取り巻く安全保障上の変化」、ほとんどこれが彼のキーワードなんですね。いままでの歴代の自民党内閣と自分の内閣と違うことをやる。その根拠は何か。歴代の自民党政権と違う憲法政策をやろうとしているその根拠は「わが国を取り巻く安全保障環境の変化」だと言うんです。これ一点張りです。自民党が出している資料をいくつか配ってあります。その中で自民党議員向けのあんちょこのような文書もありますが、それらのほとんどでキーワードになっているのは、「わが国を取り巻く安全保障環境の変化」ということです。

その安全保障環境の変化とは何かというと、中国と北朝鮮だというわけです。この中国と北朝鮮がどんなに悪く、いまこの2つの国によって日本の平和と安全がどんなに脅かされているか。そういうことからいままでとは情勢が大きく変わった。日本の安全保障環境は大きく変化したんだから、いま私たちが言う「戦争法制」を出す。これをやらなければ日本は守れない、という演説をやります。アメリカでの演説ですら、安倍首相はとうとう中国を名指しして、中国を仮想敵と公然と言いながらこういう主張をしました。

歴代の自民党の首相、保守というのはそれなりに知恵があって、仮想敵は明確にあったけれども、当時は米ソ対立の中ではソ連であったり、ある時期から中国になったりしましたが、歴代の首相は仮想敵を想定しながらそれを名指しで言うという愚かなことはほとんどしません。そうやったら緊張が一層激化するのは目に見えているからです。それを不必要に拡大しようと思わないからこそ、仮想敵を公然と名指しするような愚かなことはやらないできた。安倍晋三政権というのはそれを平気でやるようになった。中国敵視、このことに関して安倍首相は最近でも徹底していると思います。ですから南シナ海での中国と他の国との争いまで例に出して、それに対しても日本が積極的に介入するような姿勢をとりながら露骨な中国脅威論、ナショナリズムを宣伝するというのが安倍首相の非常に特徴ではないかと思います。

中国が悪いという中に、これも決まり文句ですが「自由と民主主義」、「法の支配」と言います。要するに自由と民主主義と法の支配にそっている国は自分達の友好国である、あるいは同盟国である。それに比べて、中国その他の一部の国はこれに該当しない、この価値観を持たないというキャンペーンも、また決まり文句としてやるわけです。最近私たちの運動の中で言われているのは、安倍さんは法の支配ということを言えた義理なのかということです。憲法をここまで露骨に破って、憲法体制、立憲主義をここまで破っている者が、中国に対して法の支配がないとか北朝鮮に対して法の支配がないとか、それを攻撃する立場にありますか、ということです。しかし安倍さんは、口を開けばあの国はこういう法の支配がない。その事で嫌中あるいは嫌韓、嫌北朝鮮のキャンペーンを張っていくわけです。そういうナショナリズムに基づいて、いまの安倍政権の正当性を主張しているようです。

苦し紛れの9月まで会期延長で採決狙う

その結果、いま国会で起きていることはこの戦争法制――実はあと4日で第189通常国会は会期末が来るわけです。1月から始まって会期末があと4日に迫ったこの時点でも、今国会最大の法律論争点だといわれる政府がいうところの安保関連法制、これに関する議論はほとんど進んでいません。ですからこの期限までにはこの法律を解決することは安倍内閣にとって絶対にできないわけです。ですからいま国会会期を延長すると言い出しています。相撲で言えば土俵際に追い詰められて、さらに土俵を広げるような話です。この国会会期延長は、当初は8月上旬までやろうという話でした。なぜ8月上旬かというと、8月というのは、15日――敗戦の日といわれる日があります。ここで安倍首相の戦後70年談話が出るわけで、これを越して国会をやっていると、この70年談話で安倍首相がどう言ったのかということが国会の論争の対象になる。だからできるだけこの前に国会を終わらせたいということで、8月上旬に国会を終わるという話がしばらく前までは安倍政権の中で当然のことになっていました。

ところがここで9月のはじめという話が出てきています。9月のはじめまで、盆を越して延長するという話が出てきています。なぜいま2ヶ月以上も大幅に延長するという話が出てきているのか。明日発表されるようですね、いつまでやるのか。この2ヶ月以上延長するというのは、憲法59条の規定で、衆議院が可決した法案がそのあと参議院に行って参議院で否決されたりあるいは審議未了になったりした場合に60日を過ぎれば自動的に衆議院に戻る。そして衆議院でもういちど3分の2の多数をもって可決すれば、参議院が否決しようと審議未了だろうとその法律は成立するという規定があるわけです。安倍首相はいまこれを適用するしかないというところに追い詰められていて、衆議院で強行採決をしたあと最低60日は確保したいということで、9月はじめという話が出ています。逆に言うと議論がどこまで進んでいようがいまいが、とにかく7月はじめまでには強行採決をやってしまう。それをやればそのあと60日が確保されて、この法案が今国会で成立するというのが安倍首相のいまの見込みのようです。どこまで延ばすのか。維新との関係もありますから最終的にわからない。明日わかるところですけれども、非常に緊張しながらこの動向は見ておかなければいけないと思います。

もし9月の上旬まで延ばすようなことがあればどうなるか。安倍晋三内閣はいま、一方ではドキドキしていると思うんです。というのは8月6日があり、8月9日があり、8月15日があるわけです。この戦争法案に関係してメモリアルデーがいくつもあるような8月。この8月に戦争法案を引き延ばしていくことは大論戦になるということで、多くの人がこの時期、戦争と平和の問題を今より一層考える。そういう中でこの法案を出すということはどういうことになるのか。安倍首相としては非常に嫌だと思っているに違いないんですね。にもかかわらずそうしなければ法案が通せないので、いま苦し紛れで9月はじめという話が出てきているんだと思います。

安倍首相の思想と歴史観

安倍首相が非常に異端な政治家、歴代の自民党の中でも特殊な政治家だと申し上げました。それは安倍が言っているこの間の一連のフレーズで非常に特徴的だと思います。「日本を取り戻すため」、「戦後レジームからの脱却」、そういうことを言います。そしてそのために「積極的平和主義」を掲げて、アメリカと肩を並べて、これを「希望の同盟」だと言ったわけですけれども、グローバルな範囲でアメリカと一緒に戦争ができる国を実現するという考え方で安倍首相はいま戦争法制を進めているわけです。その議論の中でこの前とんでもない話が出てきましたよね。ポツダム宣言の話です。「ポツダム宣言をつまびらかに知らない」。これは週刊誌などで議論になっていますが、本当にあいつは読んだことがないだろうか、つまらない話ではありますがそういう話もあって、私は読んでいるだろうと思うんですね。ただあのときの論争で、知らないと答えるしかなかった。でも知らないではあまりにもひどいので、わけのわからない、彼も普段使わないであろう「つまびらかに」などという表現で言ったのではないかと思います。

ポツダム宣言が、まさに戦後レジームの出発点なわけです。戦後の日本は、ポツダム宣言をもって出発しているわけです。このポツダム宣言体制を壊したいというのが一方での彼の念願なわけですから、ポツダム宣言をよく了解していると言うと彼の政治論の立論ができないということがあって、あまり知らないということで論争を避けたのではないかと思います。もし本当に知らないとしたら大馬鹿ものだし、5分くらいで読めちゃうんだからもう一回読み直して下さいと本当に言いたくなるような話ですが、これをできるなら否定したいということをすごく持っているようですね。安倍の側近は、広島・長崎の原爆のあとポツダム宣言が出て、原爆を落としておいてポツダム宣言を日本に呑ませたという話をしたようですね。これはむちゃくちゃです。ポツダム宣言は7月に出ていて原爆はそのあとです。頭の中がナショナリズムになっていますから、原爆で脅されてやむなくポツダム宣言を呑んだと、安倍晋三政権の中枢の連中で思い込んでいる人がいるというのは大変な誤解であり、歪みだと思っています。

安倍晋三政権は異端だと言いましたが、ここに安倍政権の歴史観の問題を書いておきました。今国会で大変遅れて2月に行った施政方針演説です。その中で明治国家の岩倉具視が富国強兵を目指していった言葉を引用しました。施政方針演説というのは明治の元勲を引用してみたり江戸時代の何かを引用してみたり、どうせゴーストラーターが書くんですが、昔は「米百俵」なんていうのを引用した総理大臣もいましたね。そういうことをやるものですが、安倍晋三はこの岩倉具視を引用して、「明治の日本人にできていまの日本人にできないわけがない」と彼は演説をします。ここに安倍晋三の歴史観が出ていると思うんですね。明治の日本人できていまの日本人できないわけがない。いま戦後70年ですけれども70年前の1945年にコンパスの軸を置いて180度回してみると、明治の初年頃になります。ですから明治維新から70数年と、戦後70年のちょうど真ん中が1945年の敗戦になるわけです。戦後の、戦争のなかった70年の前の70年はどういう時代だったかというと、この日本近代の歴史はある意味で戦争に継ぐ戦争の歴史だった。私が子どもの頃、歴史を習ったときに子ども心に不思議なものだと思ったのは、この日本というのは10年に1回は大きな戦争をしているなということです。そう言ってもいいほど明治以降、近代の70年は戦争に継ぐ戦争の歴史でした。ですから岩倉具視をどう引用しようが、明治の近代を一面的に安倍首相のように礼賛していいものではありません。やはり明治近代の日本には非常に大きな陰があると思いますね。その陰の部分をきちんと見られない歴史観を持った安倍晋三なんです。

憲法体制批判の一方で安保体制礼賛のいい加減

安倍晋三さんは司馬遼太郎の大ファンだといいますから、司馬史観の影響を非常に受けているんですが、みなさんの中でも私と同じ世代の人間でしたら、司馬遼太郎に熱中した時期があった方が多いかと思います。特にその時代のサラリーマンというのは司馬遼太郎の本を一生懸命読んで、いつの間にか自分があるときは坂本龍馬になってみたりあるときは吉田松陰になってみたりしてしながら、厳しい会社での労働に耐えて競争してきてきたようなそういう司馬史観の役割というものがありました。安倍首相はその司馬遼太郎のファンということで、明治の評価もたぶん司馬遼太郎に大きな影響を受けていると思います。司馬遼太郎にいわせれば「『明治』は清廉で透き通った“公”感覚と道徳的緊張=モラルを持っていた」という総括をする作家ですから、安倍さんはたぶんこの影響を非常に受けている。わたしはこういう一面的な明治近代の美化と、いまの戦争法制に向かう安倍さんの思想性というものが、まったく表裏一体になっていることに危険性を感じます。

しかし安倍さんのナショナリズムというのは単純なナショナリズムではなくて、非常にねじくれているのもまた変なんですね。わたしは街宣右翼に対してもときどき怒鳴ってやりたくなる気がするんですが、あの人たちもあれだけ民族主義、ナショナリズムを鼓吹していながら、一方ではアメリカに対する批判はほとんどやらない。押しつけ憲法だ、押しつけ憲法だといいますけれども、日米安保条約はどうなんだということについて街宣右翼から、例外的な民族右翼以外から、聞いたことがない。安倍さんもそこは非常にねじれています。ナショナリズムを鼓吹する政治家でありながら、今回の米国での安倍さんの演説というのはぞっとするような演説でした。アメリカの議会で演説をさせてもらう、非常に光栄だということを考えながら、前の戦争について触れたところでは、「真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海・・・、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、わたしはアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました」。ここまで具体的に言った非常に情緒的な演説なんですね。そういうことをいっておきながら、アジアに対してはさらっと言う。そして今度の70年談話では、いままでの村山談話、河野談話などをきちんと引き継ぐ立場を明確にしない。今度のアメリカでの安倍さんの演説は、ここまでアメリカにごまをするのかという演説だったわけです。ナショナリストでありながら、アメリカに対しては非常に屈従的に言う。

だから戦後レジームからの脱却といいますけれども、戦後レジームとは何かといえば、戦後の法体系というのは日本国憲法体制と日米安保体制、これです。この日本国憲法体制のことだけは言うけれど、日米安保体制から脱却する気なんですかというと、それはどうもそうではないらしい。ここまでアメリカにごまをするわけですから。ですから、彼の戦後レジームからの脱却というのも非常にいい加減なものなんです。

アジア民衆に敗れたことを認めない安倍の歴史感

これは安倍さんの大きな問題点ですけれども、私たち一般の日本の社会で生活している庶民の歴史感覚でも考え直さなければいけない問題点があるように思っています。

特にあの戦争、これを何と呼ぶか。人によっては太平洋戦争、あるいは第2次世界大戦と言う。これはどちらも半分あるいはそれ以下しか当たっていないですよね。1945年に終わったのは太平洋戦争だけではない。第2次世界大戦はあの戦争の後半のごく一部の時期です。だからわれわれは、そういう歴史観に抵抗して「15年戦争」と言い、あるいはせめて「アジア太平洋戦争」くらいに言うわけです。あの戦争をどう見るのかということも、安倍さんの歴史観あるいはわれわれ全体の歴史観の上で非常に大きな問題だと思っています。

1945年の日本のポツダム宣言受諾は、どこと戦争をやってどこに日本の天皇制軍国主義が敗れたのかという評価が非常に重要な問題だと思います。多くはアメリカに敗れたという歴史観を持たされています。あるいは持っています。広島・長崎の原爆によって日本は負けた、そういう考え方を持っています。しかしそれはあの15年戦争の見方としては正しくないわけです。実際には15年戦争は主力のほとんどが中国戦線、アジア戦線で大日本帝国陸軍海軍が戦っていたわけです。ここでの大きな敗北と合わせてアメリカとの日米戦争の結果――この両方から見ていかない限り、あの15年戦争を正確に評価できないのではないか。確かに日本人も310万人死んだといわれていますけれども、膨大な戦費を投入して2000万人のアジア人民を殺戮し、その結果アジアの民衆から反撃を受けて日本の軍国主義が敗れていった。こういう歴史の側面を見ないといけないんです。

非常に重要な問題は、1945年2月24日の近衛文麿の上奏文の問題があります。天皇ヒロヒトの側近であった近衛文麿が、2月24日に「天皇さん、もうこれで日本はいま負けましょう、降伏しましょう、そうしないと日本にもアジアにも革命が起きます。大変なことが起きます」という上奏文を天皇に出したわけです。しかしそのとき天皇ヒロヒトは「いや、いまはできない。もう一戦やって勝ったところで講和をしない限りこの戦争はうまくいかない」と言って継戦をしたわけです。これは2月ですから、考えてみれば本当にひどい話ですね。3月には東京大空襲があった。東京大空襲の被災者の裁判などをずっと闘っている私たちの仲間がいますけれど、もし2月24日に天皇ヒロヒトが上奏文を受け入れて降伏を決断していたら、東京大空襲はなかったんです。東京大空襲に続いて大阪や関西の空襲を含めて全国に大空襲があった。100万人以上になるんでしょうか、その被災者はあり得なかった。6月の時点で沖縄戦があって、沖縄の4人に1人が死んだと言われるあの沖縄戦もなかったはずです。そして8月の広島・長崎の原爆投下もなかったわけです。

この2月の時点での近衛上奏文を巡る評価というものは、さきの15年戦争を考える上で非常に重要だったと思います。というのはこの近衛文麿が決断した中には確かにアメリカの反撃というのもありましたけれども、アジア各地で日本軍が敗北に次ぐ敗北を重ねていた。もうダメだ、このままで行くとアジア各国で革命が起きてしまう、と近衛文麿が思わざるを得ない状況があった。中国大陸の戦線ではすでに19くらいの省で日本軍が降伏あるいは武装解除される状況が進んでいた。ビルマ・ラングーンが解放される。その直後にフィリピンが解放される。いろいろなアジア戦線で日本軍が窮地に陥っている中での、そのずっと後での広島・長崎の原爆に繋がっていったんだと思うんです。

これを見ないんですね。アジア太平洋戦争と見ない。知っているわけです。しかし安倍首相にとっては非常に屈辱的で認めたくない。アメリカに敗れたことは認めても、アジアに敗れたことは認めないという歴史観があの人の中にあると思います。それを裏返せば中国に対する敵愾心あるいは韓国・朝鮮に対する敵愾心、嫌中、嫌韓というものにねじれて形成されていくところが非常に危ないところではないかと思います。安倍さんのナショナリズムの歪みというのは、15年戦争をどう見るかということとも大きく関係してくるのではないか。こういうこと全体が今回の戦争法制をあれほど固執して頑固に進める安倍晋三の思想性に繋がっているように思っています。

安倍の高い支持率とナショナリズムの問題

私たちはここの点でいまの安倍さんの思想とたたかえる人間にならないと、安倍さんの目指す戦争法制を打ち破って平和な時代を築いていくという点では問題が残るのではないかと思うんですね。ナショナリズムというのは非常に怖いんです。安倍首相の政策のほとんどが、多くの世論調査では支持されていませんね。いまの戦争法制でも圧倒的多数がこれは反対だという声、あるいは今回の国会で強行するのは間違いだという声が7割以上になっています。原発も、消費税、TPP、いろいろな問題で安倍さんの政策は必ずしも支持されているわけではないのに、安倍晋三首相には40%ないし50%は支持がある。わたしがいろいろなところでお話をするときに、この質問が結構多いんです。なぜ安倍さんの政策は支持されていないのに、安倍政権の支持率は高いのかと聞かれます。この問題はきちんと考えてみる価値があると思うんですね。確かに「他に適当な人がいないから」という理由が高かったりしますから、それほど深刻に考えなさんなという意見もあるかもしれませんが、わたしは理由があると思っているんです。

ひとつは確かにアベノミクスです。これに対する安易な期待あるいは期待せざるを得ないという状態がある。しかしこれだけではなく、やはりナショナリズムの問題です。中国や韓国が嫌い、どんなにこれらが危険か、それと真っ正面から闘う安倍晋三。こういう打ち出し方が、かなり安倍晋三政権の高い支持率の中にあらわれているんじゃないかと思います。数字的な根拠はありませんけれど判断としてそう見ておくべきなんじゃないかとわたしは思います。ナショナリズムは怖いと言いました。本当に怖いんです。わたしはスポーツが大好きで、サッカーも好きです。「なでしこジャパン」の番組も一生懸命見ます。外国チームとの試合を観ていると、「なでしこジャパン」をいつの間にか応援しているんですね。本当のスポーツマンだったらフェアプレイとか、相手がいいプレイをすればそれがうれしかったり、同じサッカーの試合でも見る角度が違うと思うんです。わたしは愚かなものだから「なでしこジャパン」が勝つとうれしくて仕方がないんですね。「澤さんかっこいいな」なんて思ってしまうんですよ。私はさすがにそういいませんが、多くの人びとはいつの間にか「ニッポン、ニッポン」になっていく。これにからめとられていく本当の怖さが、わたしはあると思うんですね。オリンピックでも何でも、そういうものを使ってナショナリズムにつけ込んでくるということがあると思います。ですからスポーツひとつとってみても、ナショナリズムの危険性は非常に根深いわけで、私たちは、今回の安倍政権がそれらすべてを総動員してこの戦争法制を進めようとしていることに対して警戒をする必要があると思っています。

戦争法制に関する論戦で見えてきたもの

次の「戦争法制に関する論戦で見えてきたもの」、これはもう毎日のように新聞に出ていますから詳しく説明は必要ないと思います。ただ昨年7月1日の閣議決定がなぜ間違いなのかという、とくに衆議院憲法審査会での3人の憲法学者の発言は、みなさん何度も新聞、テレビで報道されましたから見られたと思うんです。ちょうどわたしも傍聴していて、目の前で3人の発言を見ていて「おお」と思いました。そのとき自民党の筆頭理事の船田元さんの顔がゆでだこのように真っ赤になって、となりにいたウルトラ右翼の古屋という人と顔をつきあわせて、困ったなという相談をしていました。余談ですが、「傍聴しなくてもテレビを見られるじゃないか、速記録で見られるじゃないか、わざわざ時間をかけて国会に行かなくても」という意見がないわけではないんですが、傍聴で大事なことはこれが見られるんです。テレビでは発言している3人の先生しか映さない。ところが同じところで船田はあんな顔をしている、困っているんだなとわかって面白いですよ、みなさんにお勧めしますので、憲法審査会とか委員会をぜひ傍聴して下さい。ワイドに全体的に議論されている状況がわかります。

脱線しましたが、ああいう中でよかったと思うことがあります。長谷部恭男先生は自民党が推薦です。実はわたしは長谷部先生の憲法学は、正直申し上げて好きではありません。それから語弊があるかもしれませんが小林節先生の憲法論も嫌いです。最近、小林先生を持ち上げすぎるとわたしは運動の中で言っています。小林先生は9条改憲論者だということを頭に置いて、でも小林先生のいまの役割は大事だよということでやるといいんですが、いつの間にか小林先生全体が良さそうなことを言う人がいるので、私はときどき反発することがあります。それは別において、あの3人の先生が、自民党が出している戦争法制――去年7月1日の閣議決定は憲法違反だということを明確に彼らなりの論理で論証したんですね。これは大変なことだったんですよ。

あの議論より前の戦争法制に関する国会論戦は非常にわかりにくかった。私たち一般市民が見ていてもそんなにわかりやすい国会論戦じゃないですよね。ナントカ事態とか法律が10本も11本もあるような中で、国会議員にしてみればそれを詰めていかなければ論争にならないからやってきたと思うんです。けれども、この前の憲法審査会の議論は、いろいろあるけれどもこの法律が根本的に日本国憲法違反だというところにもう一回議論を戻した。これは自民党にとっては非常にピンチだったと思うんですね。われわれにとっては非常にわかりやすくなった。

街頭宣伝をやっていらっしゃる方も多いと思うんですけれども、街頭宣伝でそれ以前の議論を丁寧に説明するのは大変ですよ。説明する人はいますけれども、30秒とか1分しか通らない人たちに筋道立てて10分も20分もかけていまの国会論争を話しても、街頭宣伝で伝えることはきつい。ところが今度の憲法審査会の議論で、もう一回街頭宣伝でも非常に説明しやすくなったんですね。どんなにこれが憲法違反か、ということから切り込んでいける。自民党支持の憲法学者ですらこう言っているという説明をしやすくなる。そういう意味であの3人の先生の話は非常に大きな役割を果たしたんです。

59年砂川判決と72年政府見解しかない合憲論

その結果、自民党はどういう反論を持ち出したかです。前と同じなんですね。しばらく前に自民党が苦し紛れに持ち出した1959年の砂川判決と1972年の政府見解。またぞろこれらを持ち出したんです。高村さんにはこれしかないんですね。3人の憲法学者が出た次の憲法審査会、これもわたしは傍聴しました。高村さんは憲法審査会の正規の委員じゃないのに他の委員と入れ替えて、勢い込んでこの演説をやりました。どうしてこれが大事なのかということ、あの3人の先生がなぜ間違ったのか。憲法学者はだいたい憲法の文言に拘泥しすぎる、もともと憲法学者はこういう連中だ、政治の判断をするのはわれわれ政治家であって憲法学者の議論なんてなんの意味もない、という啖呵を切ったんです。それならわざわざ呼んできて参考人質疑なんてやるな。なんのために参考人質疑があるかと聞きたくなるような演説をやりました。その中で出したのは、やっぱりこの砂川判決と1972年の政府見解です。去年7月に前後して出してきたのもこれです。公明党と苦し紛れで出してきた切り札がこのふたつだったわけです。これは非常に明確に反論できる材料です。これを出してきたということは、これ以外に説明材料がないということですから、高村さんは非常に苦しいんですよ。

1959年の砂川判決が何のために出されたか。在日米軍の存在が違憲かどうかという議論をやっていて、あの中で集団的自衛権が判決ではまったく触れられていないということはこの間も暴露されています。それから1972年の政府見解を引っ張り出して集団的自衛権を合憲化する論議は本当にひどい。1972年の政府見解の結論ははっきりしている。「したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。」、これがこの見解の結論です。これを持ち出して集団的自衛権が合憲であるということに使うわけです。文章の一部だけ抜き書きして、その前後の脈略をまったく無視して、そしてこの文章全体の結論を無視して、高村さんはこれを使うわけです。

いま高村さんが言うのはこればっかりですね。3人の憲法学者の発言の次回に出てきた高村さんは冒頭にこの説明をしただけで、そのあとの各党の議員からの論争をいっさい避けて、さーっと席を立って引き上げちゃった。他の党の議員が「高村先生が先ほど言った議論に反論しようと思うのに本人がいないので非常にやりにくいです」、なんてつまらない議論をしていました。高村さんは本当に自信があったら残って野党との論戦をやればいいんですけれども、それに耐えられないと高村さんは思ったのではないでしょうか。

戦争法制――政治生命賭け、強行採決・成立図る

いずれにしてもいまの戦争法制について友人の筑紫さんの調べによると、実はこの一括法案は10本ではなく20本くらいを一括にするということです。確かにそうです。この10本というのは骨のようなもので、筑紫さんが言っている20本というのは、道路交通法とか関連する法律、戦争に関連する法律の細かいところを少しずつ微調整していかなければいけないので、そういうのを全部合わせると20本くらいあるそうです。基本はこの10本ですね。この10本を1本にして、戦争関連法制ということで名前は「平和安全法制整備法」。私たちは国会前などで「国際戦争支援法反対」「戦争法制整備法反対」と言っています。戦争法制整備法と言い換えています。高村さんがこの程度の説明しかできない状態ですから、民主党や共産党もそこを一生懸命攻めていますので、国会の審議はまともに進んでいません。質問に対して回答がないということで、回答があるまで審議をストップしろという繰り返しになっていくものですから、なかなか特別委員会の審議は進みませんね。

特別委員会ということで、月水金と週3日の9時から17時までやりますから、どんどん審議が進むはずなのに、政府がまともに答えない。安倍晋三首相は党首討論をやってもそのほかの質問に対しても本当にまともに答えないんですね。自分の意見を言うだけ。国会中継を見ていると、こちらも面白くなくなっていつの間にか人間が悪くなるんじゃないかと思うような論戦です。とくに安倍首相の論戦のやり方は非常によくない。これでなんとか今月末あるいは7月はじめ、たぶん7月9日、10日当たりで、安倍首相が想定している強行採決ですね。安倍首相から見ると、この衆議院での強行採決は本当に政治生命を賭けてやろうとしていると思います。ですからこれを阻止するというのはほとんど不可能なくらい並大抵のことではありません。

確かに永田町政治は一寸先が闇ですから、何があるかわかりません。それから私たちが運動を続けていれば、この前の3人の憲法学者のようなことが出てきます。あの3人の憲法学者も、世論の盛り上がりの中で言ったとわたしは思っています。静かな情勢の中では必ずしも長谷部さんは言うだろうかと思うところもありまして、世論全体、運動全体の反映でもあると思います。そういう中で安倍首相は、自分の政治生命を賭けてまず衆議院で強行採決をやる。そして最悪60日の59条規定を活かして、やれるだけの期限を延長して何とかいまの第189通常国会でこれを成立させたいということが安倍首相のいまの狙いになっている。そういうことが私たちの目前に迫っています。

アメリカで8月半ばにこの法制を仕上げると報告してきたわけですが、どう考えてもそれはダメでしょうね。安倍さん自身が、アメリカに対する約束を事実上放棄せざるを得ないと思っているに違いないんですが、それでも必死になって、政治生命を賭けて衆議院での強行採決をまもなくやってくると思います。私たちはこれに立ち向かっていかなければいけない情勢だと思います。マスコミの人たちはいろいろな方面から分析して、いろいろなことを言うものだと感心することがありますが、強行採決を1回やると支持率が10%下がるという統計があるそうです。どこまで本当かわかりませんけれどもそういうことを言う人がいます。そうすると、支持率が最低40%以上あるときに強行採決をしないと、衆議院で10%下がって参議院で10%下がると20%以下になってくる。20%以下になるともともと政権は持たない、死に体だといわれるわけです。そういう意味でも、支持率が多少でも高いうちにこの強行採決を安倍首相としてはやってしまいたいと思っているんじゃないか。私たちとしてはこれを阻止するたたかいをこれからやっていかなきゃいけないわけです。

重要な局面で考える国会外のたたかいと世論

今日の一番主要なテーマはこれからの話になるわけです。この戦争法制を成立させるかどうかという非常な重要な局面にあってあらためて考えることですが、こういう法案の正否が国会の中だけで決まるとしたらもう終わりです。この前の衆議院選挙、参議院選挙が終わったところで勝敗は決着がついています。ただし安倍首相にとっては残念ながら、私たちにとっては当然のことですけれども、政治の帰趨というのは国会の中の多数・少数だけで決まるのではない。国会の中の多数・少数は非常に大きな重大なファクターではありますが、それだけで決まるわけではない。国会外での闘いと、それによる世論の動向の力が大きいと書きました。これは決して負け惜しみではないんです。この間の歴史を見ても幾度もこういうことがあります。

ごく最近の非常に明確な例で言えば、2006年から2007年にかけての第1次安倍政権の成立と崩壊の過程、これを思い出せば非常にわかりやすいと思います。第1次安倍政権が2007年に崩壊しましたが、当時問題になっていた年金問題や格差問題とあわせてもうひとつ第1次安倍政権が成立以来ずっと言ってきた、自分の政権で憲法9条を変えると公言をしてきた公約です。それを聞いた多くの全国の市民たちが、これに非常に危機感を持って運動を強めました。九条の会という運動が、ものすごい勢いでこの2006年を前後して全国に広がりました。毎年新しい九条の会の組織が1000ヶ所くらいできるような勢いで、その後流れが止まっていま7500くらいですが、九条の会が全国にできました。九条の会のせいだけだとはわたしは言いません。それ以外の憲法の運動もありました。私たちの「許すな!憲法改悪・市民連絡会」も一定貢献したと思いますけれども、年々9条改憲に反対だという世論が非常に強くなった。

これはもうどうしようもない。自分は9条を変えると言ったけれども、国会だけではなくて最後は国民投票をやらなければいけない。ところが6割、7割近くの人が9条改憲に反対だという状況の中では、安倍さんが2006年に公約した9条改憲などは不可能だということが安倍さんにずんとのっかってきたわけです。すごく重かったと思います。そういうことと参議院選挙で敗北したことと合わせて、参議院選挙のあと施政方針演説をやったわずか1週間後に安倍さんは政権を投げ出してしまった。普通、施政方針演説をやったということはそのあとずっと政権を維持するということですが、もうダメだ、おなか痛くなった、ボク辞めるということになった。ですから憲法9条に対する世論や、年金や格差問題に対する世論の動向が安倍さんを追い詰めた経験から見ても国会外の運動の果たす役割の重要性はわかっていただけると思います。

1960年の日米安保条約改定に反対する運動に関しても、確かに岸信介内閣のもとで日米安保条約は改定されたわけですけれどもそのあと岸信介内閣は倒れた。退陣せざるを得ないところに追い込まれた。これもその当時の民衆運動の大きなたたかいの結果だったと思いますから、いろいろな歴史があります。民衆がたたかって世論を盛り上げ、それが政権を包囲し、その結果与党の一部からさえ政権を支持しないような勢力が出てくる。いろいろな状況が出てきて政権自身が追い詰められるという歴史を何回も見てきました。先頃の安倍首相らの96条改憲論も、あっという間に運動と世論の包囲で、引っ込めざるを得なくなりました。

一番肝心なことは、私たちが今回それを再現できるかどうかということです。どうやって安倍政権をそういう状況に追い込むのか。2013年に秘密保護法の反対の運動がありました。さまざまな市民運動や労働運動がいろいろなたたかいをやりましたけれども、この運動が急速に盛り上がったのは2013年の10月くらいなんですね。12月6日には強行採決されてしまった。運動が盛り上がったけれども10月、11月の2ヶ月くらいです。どうして盛り上がったかというと、あの秘密法に反対する運動が市民運動や労働組合や政党の違いを超えて大きく結束したんです。大変な法律だ、戦争と秘密法は表裏一体だと危機感を持った秘密法に反対する人たちが2013年10月くらいから共同し始めたんですね。あの12月6日は本当に悔しかったですよね。あれだけ国会を取り囲んで、揺れ動くほど国会を取り囲んだけれども強行採決がやられてしまった。遅かったなということを本当に思いました。多くの人がそうだったと思います。悔し涙を流しました。しかし、秘密法反対運動の人は偉いもので、それから12月6日の強行採決にめげずに、そのあと「6の日行動」というのを全国で組織して、法律は成立したけれどもこれの廃止法を出すんだ、この法律を廃止させるんだという運動を今日なおも続けているところはなかなか根性者で非常に大事なことだと思っています。わたしたちはそれからの教訓でやっぱり運動が大きく統一すること、できるだけ早く共同して世論に働きかけることがどんなに重要なことかということを学びました。

誕生した戦争法制反対の3つのネットワーク

昨年、安倍内閣が閣議決定で集団的自衛権の解釈変更をやりそうだということが明確になる。この国がいよいよ戦争する国になりそうだ。そういう情勢の中で運動の側は、去年のはじめにいち早く「戦争させない1000人委員会」という運動が立ち上がりました。これは大江健三郎さんなどをはじめとして文化人の方々や一部労働組合の方々、労働組合連合の中の日教組とか自治労などの連合左派と言われる人びとを中心に組織されている平和フォーラムという運動があります。この平和フォーラムと大江先生たちの文化人が一緒になって「1000人委員会」を組織し始めました。その「1000人委員会」に市民の一部なども加わりながら、なんとしても戦争法制を阻止しようという呼びかけが全国に広がりました。今日では「1000人委員会」は全国にすでに成立していて、市や区や町村でも「1000人委員会」ができているところがあります。戦争法制に反対する大きなネットワークのひとつができてきました。実はわたしはこの事務局次長という仕事もやっていまして協力しています。

それから「1000人委員会」のあとに東京周辺の137の市民団体や労働組合が集まって「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」がつくられました。これは毎年5月3日に集会をやっていた5・3集会実行委員会運動という憲法記念日には必ず社民党の党首と共産党の委員長が出てくる、民主党の国会議員から連帯メッセージをもらうという、できるだけ幅を広げた超党派での憲法運動として10何年やってきた。その延長上で市民的な超党派の運動が成立しました。これも大きなネットワークになりつつあって、つくられたのは東京周辺ですけれども、それに加わっているさまざまな市民団体がそれぞれに全国ネットワークを持っていますから、これも全国的な広がりを持っています。私たちの「許すな!憲法改悪・市民連絡」も全国的なネットワークです。北海道から沖縄まで仲間たちがいてそれらの仲間たちが共同しながら憲法改悪に反対する運動をつくろうね、市民らしい運動をつくってがんばりましょうということでこの間やってきています。そういう人たちが「9条壊すな実行委員会」をつくりました。5月の段階になりますと、いわゆる共産党系と言われる労働組合の全労連、そういう人たちを中心にして「憲法共同センター」が再編・再発足するかたちになりました。

この5月末の時点で戦争法制に反対する、集団的自衛権の解釈改憲に反対するという大きなネットワークが3つできたんですね。よい面と悪い面が両面あるわけです。脱原発の運動でもいま3つくらい流れがあります。脱原発運動も盛り上がっているでしょ、いまでも粘り強く闘ってますよね。毎週金曜日に首相官邸前を中心にやる「首都圏反原発連合」という市民運動を中心にした運動体のネットワークがあります。それから「さようなら原発1000万人アクション」というかなり広範な労働組合や市民運動を加えた運動があります。もうひとつは「全国連」という全労連の人たちを中心とした運動があるんです。ですから原発反対の運動でもいまでも3つくらいあります。

戦争法制に反対する、集団的自衛権の解釈改憲に反対する運動も似たようなかたちで3つ生まれました。これでいいのかということをそれぞれ思いながらやっているわけです。多くの人たちはそんなことでは本当に安倍政権とたたかえないじゃないか、もっと大きく共同して世論を一緒に盛り上げなかったら、自分が今日来ているデモは何系のデモなのかなんて思われないかなって心配しながら行くような運動は大きく広がりにくいですよね。運動はいつもああだからわたしが行くところはないよねと、家で寝ている人だって出てきますよね。

違いを越えて生み出した「総がかり行動実行委員会」

やっぱりこれらがみんなで共同して幅広く呼びかけるような運動がつくれないだろうかと3団体のまわりからも声があり、3団体自身もそれぞれの中から自分達でそういう運動をつくりだそうという声がありました。結果、12月15日に集団的自衛権に反対する3つの団体は共同行動をやることになり、共同行動の組織をつくりました。「総がかり行動実行委員会」という名前です。「総がかり」ってダサイな、なんだその古くさい名前は、もう少しかっこいい名前にならないのかといろいろなところから言われました。沖縄はかっこよくて「オール沖縄」です。この間、翁長さんを押し立てたり、昨年の選挙は4戦全勝ですよ。辺野古基地建設派をこてんぱんにやっつけた沖縄は「オール沖縄」なんですよね。でも私たちは「オールニッポン」なんて絶対言いたくない。プロ野球じゃあるまいし。でも実はこの「総がかり」という一見古い名称の中に私たちの思いがこもっているんですね。本当に総がかりにしたい。この3つの団体は、何らかのかたちでいろいろな地域の無党派の市民団体とかとネットワークを持っているんです。だからこの3つが連合するということは、日本の反戦平和運動の大多数が連合すると言って過言ではないほどの意味があって
それだけ本当に総がかりでやろうじゃないか。ダサイ名前ですけれどもそういう名前をつけてようやく昨年末につくられました。

これはなかなかできなかったんですよ。その中に入っている労働組合だけでも例えば1000人委員会の中には市民運動も入ってはいますけれども、労働組合で言えば自治労とか日教組という団体が入っています。一方では共同センターに入っている先生方の労働組合で全教というのがあります。自治体労働者の組合では自治労連があります。組合運動の現場では全教と日教組は対立しています。自分の県でどちらが組織していくかということになりますから、全教に入ってもらおう、日教組に入ってもらおうと当然運動をやるわけです。自分のところに入ってもらうには、相手より私の方が正しくて相手は間違っているということを言わざるを得ない面もあって、日常の現場では結構対立しています。あまり茶化していってはいけないんですけれども、労働組合ひとつをとっても対立がいろいろあります。それらが一緒にやるというのは本当に面倒くさい話なんですね。やっぱり歴史があっていろいろな理由があって組合は分裂してきたわけです。その分裂を簡単に修復するのは容易ではないからこそ、この間いろいろ対立してきて統一がなかなかできなかった。それがようやくこの反戦平和運動の分野で、総がかり行動実行委員会ということで12月15日に結成されたことは大変なことだと思います。ごく直近から言っても80年代の労働戦線の分裂以来ですから、20年、30年ぶりに大きな統一行動組織が組織されたと思います。じつは、それより前から平和運動の分裂・対立はありましたから、もっと長期的に見ても歴史的な意味があるこの総がかり行動実行委員会の共同行動だと思います。

今年の初めからこの3つの団体が、一生懸命共同して運動を呼びかけるようになりました。どれかだけに参加しようというと参加しにくい無党派の市民、個人、グループ、も、自分たちもここに行って一緒に行動する場がつくられてきました。ですから1月、2月からの運動は寒い時期の運動も含めて急速に盛り上がってきたように思っています。最近の国会周辺の運動なども、ほとんど総がかり行動実行委員会が呼びかけています。一番頂点になったのが5月3日の横浜臨港パークで開かれた憲法集会です。憲法記念日の集会もこの3つの団体が中心になって開催した結果、3万数千人が集まりました。戦後の憲法プロパーの歴史の中では画期的だといわれている統一が始まりました。

それ以降、5月3日に集まったさまざまな団体がより一層共同を広げて、いまの189通常国会での戦争法制に反対する運動をやっています。特徴は、その当時の総がかり行動実行委員会からまた一段と成長しました。今日の総がかり行動実行委員会には単に憲法とか反戦平和とか戦争に反対するという団体だけではなくなりました。さきほど脱原発運動の3つの団体は、いずれも総がかり行動実行委員会に正式に入っています。原発の戦線での統一組織はまだできていませんけれども、それら3つが一緒になってこの総がかり行動実行委員会に入っていることは非常に大きいと思います。それから反貧困ネットという貧困に反対する運動をやっている方たちも実行委員会に加わっています。女性たちの民法改正などの問題に取り組む運動の人たちも加わっています。安倍政権のもとで日本が戦争する国になりそうだという危機感を持ったいろいろな分野の人たちがこの実行委員会にいま加わっています。そういう実行委員会がようやくできた。そういう意味では2013年の秘密法の時に比べると、この一番重要な時期に立ち向かっているという意味では、なんとか滑り込みですけれどもこの総がかり行動実行委員会は間に合ったかなと思いながらいまやっています。

全国で運動の高まりを呼んでいる共同行動

冒頭に言った瀬戸内寂聴さんに来て頂いた集会にしても、これは総がかり行動実行委員会が、毎週木曜日・夜6時半から国会前に来て下さい。市民たちあるいは労働組合の人たちが集まって戦争法制に反対していますという、木曜連続行動の一環で寂聴さんがきてくれたんです。寂聴さんは、その2日前に東京に行ってみようかなと決意されたそうです。行ったら本当に命がけになるけれど、自分はやっぱりあそこでいまの思いを伝えたい、そういう場がつくれたんです。これは共同の力がないとなかなかつくれないんです。本当に力がいる仕事です。6月14日には国会を包囲する2万何千人の集会をやったんですけれども、その翌日から、毎日ですよ、朝の10時から夕方の5時まで国会前に座り込んでいる人たちがいます。これは総がかり行動実行委員会がやっています。

これは朝昼晩と集会をやって、その合間に国会を傍聴したり議員のところ、維新の党あたりまで含めてみんなで手分けして回るんです。戦争法制に反対して下さい、こういうことで私たちは反対だと。いろいろなことをやりながら連日座り込んでいます。野党周辺の議員訪問は一通り終わり、これから与党に行こうかという話をしています。こういう行動も続いているんですね。ですから必ずしも新聞に報道されていませんけれども、そういう運動を粘り強くやっている人たちがいます。今度の6月24日には、14日よりもさらに大きな規模で国会を包囲しようと思っています。24日は、本当は国会の会期末の日ですからそこで大きくやろう。7月段階にはもっと大きな運動をやって、あの2006年から2007年にかけて安倍内閣を追い詰めていったような、ああいうたたかいをなんとか実現したいと思っています。

そして東京だけではなく、それらの運動が全国に発進して、全国のみなさんも一緒にいまやっています。今日も女性たちの国会包囲のヒューマンチェーンがありましたけれども、地方でも北海道や愛知などいろいろなところで同じ行動をするところが増えています。呼応し合いながらこうした運動をずっと連日のようにつくっています。わたしはこの運動が進んでいくと世論はもっと変わるかなと思っています。先週NNNの世論調査、日テレ系ですね、必ずしも私たちにとってうれしい結果をなかなか出してこなさそうなところの調査で、安倍内閣の支持率が41%くらい、支持しないという人が39%くらい、その差は2%もなくなりました。前回のNNNの調査とは支持率で2%以上落ちているんです。次回やったらNNNでは逆転しているかもしれませんね。いろいろな運動の高まりの中で世論調査の結果は変化が出てきています。読売の調査でも支持率が一挙に5%下がったということが、安倍内閣には衝撃だったようです。いろいろな全国の運動、国会での論戦、この前の憲法学者3人の先生の見解も含めて、いま世論が大きく変わりつつあるように思います。これをもう一押し二押し、そういうことができるかということを思います。

もっともっと沖縄に学び信頼関係をつくる

いくつか結論的な話をしておきたいんですが、沖縄の運動についてさきほどオール沖縄だといいました。翁長さんは県として一定の対策を7月はじめには決断をして、法的措置を含めて辺野古新基地建設を阻止するたたかいを発表すると思いますけれども、あの人はもともと自民党の人ですね。オール沖縄の闘いが非常に進んできている。私たちはこの沖縄の教訓を学ぶ必要があると思います。総がかり行動も、もっともっと沖縄に学んでいく必要がある。

沖縄は辺野古基地に反対するという民衆運動、集会やデモ、そういうさまざまな運動をやっているだけではなくて、選挙も一緒にやっているんです。衆議院選挙も一緒にやっている、参議院も糸数慶子さんなどを一緒に推している。それから県議会選挙とかも一緒にやっているんですね。ヤマトの方は残念ながらいま選挙では共同はできていません。いま総がかり行動実行委員会に参加して協力している政党は具体的に4つあります。民主、共産、社民、生活、この4つは必ずといっていいほど私たちの集会に連帯挨拶してくれて、一緒にたたかおうと言ってくれます。うれしいことですが、しかしこれらが選挙運動を一緒にやろうというところまではいっていません。今日は市民連絡会の場なのでぶっちゃけでいってしまいますが、わたしは選挙でも統一してやるべきだと言う意見を持っています。ただいろいろな政党の独自の事情がありますから、運動の現場で、共同行動を進めている人間が選挙でも一緒にやって下さいと、それぞれ都合が悪いところにぐいぐい食い込むような話はできるだけやるまいと思っていますから、今日はくらいにしておきます。

それらの中では沖縄は例外だという意見があるんですよ。「沖縄は特殊だものね、沖縄には歴史があって例外的に選挙共闘ができるんです。本土ではそうは行きませんよ、一杯難しい問題があるんです。市民運動はあまり甘っちょろいことを言わないで下さい」。政党のみなさんからいうとそう言いたいんだと思うんです。わたしはそうは思いません。沖縄を例外にするな。沖縄はわれわれの先駆けだ。ヤマトの方が遅れているんだ。沖縄の運動に学んで、ああいうところまでどうやって到達するか。それはただ単に一緒にやりなさいといってできることではないんです。非常に地道なお互いの信頼関係をつくっていくような、共同を担保するような保障が必要だと思います。そういうことがなければ、そう簡単に選挙の共同はできません。いまの政党のみなさんが苦労していることはよく存じ上げていますから、さきほどはぶっちゃけた言い方をしましたけれども、ヤマトでなかなか選挙共闘が進まないという事情に関してはよくわかりますし、了解もしています。

ただしそこまで行きたいじゃないか、お互いに。そうして本当にこの世の中を変えることに貢献するそういう選挙になったらいいな。そういうことを実現したいなという希望をわたしは持っています。たぶんこの総がかり行動実行委員会のようなことを積み重ねていけば、いずれ可能な時が来ると思っています。だから総がかり行動実行委員会というのは、単にこの戦争法制に反対するたたかいのなかで意味があるだけではなくて、これから先本当にどういう社会をつくっていくのか、それはいろいろな野党が協力して新しい社会をつくっていくことに繋がるような、そういう運動との関連の中でも非常に大きな意味があると思っています。

同円多心型の共同行動を

もうひとつ大事な問題があります。政党、労働組合という運動の中には、必ずといっていいかどうかわかりませんが、主導権という問題が出てくるんですね。やっぱりどこが中心になっているか、当事者の人たちにとってみればこの問題は非常に大きな問題なんです。こういう話もあまりしません。わたしは50何年運動の世界をずっと見てきましたから、そういう世界の中ではよく「ヘゲモニー」という話があるんですね。昔の東京都知事選挙とか京都府知事選挙とかいろいろな選挙などもありました。そういう中でどの党がヘゲモニーを取るのかということが結構深刻な問題なんです。ビラ一枚つくるのでも大論争、大げんかをやるような歴史もこの間ありました。ですから政党同士、労働組合同士が共闘すると、このヘゲモニーが問題になってくる。これは避けがたいんですけれども非常に大きな問題で、わたしがいつも言っているのは「同心円」的な運動、運動というものを同心円的に構想してはダメだ。同心円、中心があってそこのまわりに広がっていく、そういう統一の構想ではなくて、わたしは自分の造語ですが「同円多心」と言います。造語と言いますが、半分はわたしの先生の山川暁夫からの借り物で、山川暁夫は「同円多中心」と言っていたんです。これの方がわかりやすいけれども長いので、わたしの造語で「同円多心」と言っているんです。

それは大きな共同行動の丸の中で、山川さんが言う、中心がいくつあってもいいじゃないか、多中心でいいじゃないか、そういう統一戦線論、共同行動論です。わたしだけが中心になっていなければだめだというのではなくて、いくつも芯があってよろしい。自分が中心だと思う人が一杯いればいいんですよ、共同行動の中に。それはわたしが中心だから正しい、ではないんです。正しいというのは誰が決めるか、どこが一番もっとも献身的だったか、どこの出した方針はそのときどきにだいたい当たっていたね、そういうことによって人が評価することであって、俺が正しいから俺が、ということではダメなんです。申し訳ないけれども、かつての運動の中にはそういうのが結構ありました。先験的に自分のところがもっとも正しい、そのくらい思わないと、そういう運動に入っていく覚悟はできないというのもわかりますよ。自分が入るところがもっとも正しいというくらいの誇りがなかったら、政党に入ることなんてできないだろうと思います。

政党外の人間が勝手にこんなちゃらちゃらしたことを言ってとお叱りを受けるかもしれません。けれども、そう思うのは結構だけれども、本当にどこで決まるかと言ったら、それはみんなが評価することなんです。あそこが我を張らずに本当に運動を前に進めるためにがんばってくれている。そういう中でだんだんと支持も集まってくると思うんです。相手を攻撃することで、あの党にはこんな弱点がある、あの党は私たちと比べてこんなに問題があるということをやり合うことで主導権を争うことはやってくれなさんな、というのがわたしのこの間の意見です。共同行動をそういうふうにしてつくっていくことができればいいんじゃないか。わたしは、総がかり行動実行委員会はそこに限りなく近づいた運動をやっていると思うんです。会議の議長も総がかり3団体のメンバーが一回ごとに変えていきます。それから街頭集会を見て頂くとわかりますけれど、挨拶する人、シュプレヒコールをする人、最後の問題提起をする人、これも一回ごとに順繰りにやっています。これも知恵なんですけれど、だんだんそういうことを積み重ねていくことによってお互いの信頼関係がもっとできていったら、そういう同円多中心、同円多心の運動がつくられていく中でわたしはこの運動はもっと展望が開けてくるかなと思っています。

国会内の改憲反対勢力と呼応し戦争法案を廃案へ

そういう運動をつくりながら、もうひとつわたしが大事だと思っているのは、集会とデモだけでは勝てないと思っています。いま集会とデモを私たちは必死でやっています。街頭宣伝も含めて一生懸命やっていますけれども、安倍内閣にこれだけでは勝てません。やっぱり国会の中の、いまいる国会議員さんたちの結束とこの人たちのたたかいをどうやってつくりだし支援していくかということに私たち自身が貢献していかない限り、勝てないと思います。再三言いますけれども、政党同士なかなかそう簡単に結束できない。しかしいまの私たちの総がかり行動に4つの政党がいつも来てくれるようになった。数は少なくとも、せめてこの4つの政党が連携をとって、リベラルな勢力として安倍政権に立ち向かっていくなら、もっともっと国会論戦でも面白くなってくるし効果的にできるようになっていく。現実にいまそうなりつつあるわけです。そう思っていますから、国会に対する働きかけを総がかり行動実行委員会は極めて大事にしています。表で全力を挙げてたたかうこととあわせて、全国でたたかっている力を背景としてさまざまな政党のみなさんとの会議とか話し合いを繰り返し繰り返し続けています。そしていろいろな場に必ず一緒に来てもらうような、そういう働きかけをやっています。わたしがやっているだけではなくて、日本弁護士連合会とか立憲デモクラシーの会とかさまざまな運動の人たちが同じような意志を持って、各政党に働きかけています。

各政党の結束は結構強くなっています。みなさんもお気づきかもしれませんが、最近の民主党は結構しっかりしていると思いませんか。やっぱり心配でしたよ。民主党が本当にこの戦争法制に対して頑強に戦えるかな。だって中には前原さんとか長島さんとか、ほとんど自民党よりももっと右ではないかと思われるような人がいるわけです。この党が結束して私たちと一緒にやってくれるだろうかどうだろうか、非常に心配があります。しかしいま結構民主党は結束しています。民主党の中のリベラル派の代表の立憲フォーラムの人たちは、「我が党は結束してこの安倍内閣とたたかいます」というような演説を最近は繰り返しやるようになっています。集会にも民主党の議員が何人も来てくれる。横浜の5・3憲法集会には代表代行の長妻さんが来てくれた。いずれ岡田さんも、とにかくこういう運動の中に引っ張り出したいと思っているんです。

この世論と運動の盛り上がりの中で、政党のみなさんにもそういう変化が出てきていると思うんですね。それをつくり出しながら安倍政権とたたかっていくようなことをやらないと、本当に勝てる運動にはならないと思って、そこも必死でやっています。ですからわたしもあまり慣れないんですが、背広を着て国会の中を歩いていることもあります。そういう仕事もやりながら、この戦争法案をなんとしても阻止したい。目前に強行採決も迫っているかと思うんですけれども、それをできるだけ食い止めて、万々が一衆議院の強行採決を、安倍内閣が政治生命を賭けて打って出たら、その前後で総力を挙げたたたかいを展開して参議院では絶対に廃案にするような、そういう運動をいまつくりたいと思っています。日頃から総がかり行動実行委員会を一緒にやっているみなさんが、今日は大変多いわけですけれども、かなりぶっちゃけた話、わたし個人の見解も含めていろいろ申し上げさせて頂きました。ありがとうございました。

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