7月25日、衆議院憲法調査会(中山太郎会長)は幹事会を開き、オブザーバーの共産党、社民党の委員の反対を押し切って、11月3日の調査会中間報告発表とその内容の構成を決めた。そのねらいは形式的な実績づくりだけだ。反対意見の「調査会の議論は中間報告をするほど煮詰まっていない」し、「中間報告書の提出は調査会の義務ではない」ことなどの指摘は無視された。
国会法102条の6で「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行なうため」と規定して両院に設けられた憲法調査会は、当初、「改憲をめざすのではなく論憲のための機関だ」と宣伝され、弁明もされてきた。しかし、もはや同調査会の運営は「論憲から改憲へ」と変質し、改憲調査会の本性を赤裸々に露呈してきた。
それを衆議院憲法調査会の自民党委員は「憲法を『過去(憲法制定経緯の検討・筆者註)』と『未来』(21世紀日本の在り方・同前)から挟み撃ちにして形が整った」とふりかえったという(7/26読売新聞)。
こうした中で「論憲派」を自認してきた公明党と民主党(大部分)の委員たちは「改憲派」に転向した。当初は「9条以外の改憲」をおずおずと主張していたが、最近は「9条改憲」も公然と主張するようになった。これも憲法調査会の「改憲機関」化を推進している要因だ。
そればかりか中山会長は一部マスコミにたいして「(かつて内閣に作られた調査会の報告が両論併記だったことにふれ)最終報告をまとめる時点で意見が分かれれば多数決で採択する」とも述べている。また別のところでは「(調査会の5年をメドとするという期限が終われば)改憲のための特別委員会を設置することになろう」とも発言している。
有事法制制定への執拗な動き、教育基本法改悪の動きなどと合わせて、これらの動きには平和憲法体系に規定されたひとつの時代に強引に終止符をうちたいという日本の支配層の政治的意図が代弁されている。
この流れは憲法調査会の中だけでは絶対にくい止めることができない。その力は院外の市民の運動展開とそれによる改憲反対の世論の高まりにある。しっかりと腹を固めて立ち上がる時がきた。(高田健・事務局)
8月2日、来日したアメリカ連邦下院議員のバーバラ・リーさん(民主党)の講演を聞いた。
彼女は「9.11」に対する報復戦争の熱に浮かされたようなアメリカ議会のなかで、ただ一人「報復戦争決議」に反対した。彼女の講演を聞いて、いい意味でも、あるいは別の意味でも「アメリカ」のリベラリズムをかい間見ることができた。
煽り立てられるナショナリズムによる「報復戦争」の熱狂のなかでは、こうした議員はたった1人にならざるを得なかった。
以下は当日の彼女の発言の抄録である。
9・11の3日後の9月14日には、私は報復攻撃に反対するたった1人の議員となりました。議会の決議は「大統領はテロリストとそれを援助する、かくまう国、組織、個人に対する武力を行使する権限がある」としました。この決議は世界のどこにも当てはまり、時間的にも無期限だというのです。私はこのような巨大な権限を大統領に渡すことに反対しました。このような権限は憲法上、議会にのみあるはずです。
私は反対する議員が自分一人だとは知りませんでした。しかし、私は当時もいまも、あの行動は正しかったと思っています。
テロリストは法によって裁かれるべきです。どんな国、個人、組織であってもこの考え方を理解しないのはあやまちだと思います。しかし、罪のない人を危険にさらすような報復戦争、軍事行動は間違いです。
かつてキング牧師は言いました。「平和とは緊張がないという状態だけではなく、正義が存在することである」と。
国家予算の優先順位を見ると、正義がその国でなされているかどうか明白であります。
アメリカは軍事予算では世界一なのに、教育の質は10位でしかありません。核兵器の貯蔵量は世界一である一方、新生児死亡の予防率は13位です。大統領が2003年度の予算案を提出しましたが、軍事費は4000億ドルです。海外支援はGDPの0.1%で80年度の半分に過ぎず、他の先進国に比べても低いものです。優先順位のつけ方やビジョンに欠けているといえます。アメリカの連邦予算は変えなければならないし、他国の発展のためにもっとお金をかけるべきです。
テロと対決するには、貧困、病気、経済的な格差の是正、よりよい価値観の構築を目指すべきです。アメリカの一方的な行動は、テロの解決にはなりません。
平和を推進するためには病気や貧困、失望の念に対処すべきであり、まず希望をつくるべきです。希望こそが怒りや憎しみに対処するものです。そして草の根運動、NGO、市民活動を通し、具体的な解決を見出していくべきであり、政策に働きかけるべきであり、人々の力を引き出していく必要があります。
平和こそが我々の最終目的であり、我々は行動しなければならないのです。というのも、我々が行動しなければ、誰も平和を構築してくれないからです。