私と憲法168号(2015年4月25日号)


戦争法制の与党協議が国際戦争協力法案(いわゆる国際平和協力法案)と戦争法制改悪案(いわゆる安保法制関連法改正案)の大筋で合意し、4月27日にはその条文化された法案で合意すると言われています。そして同じ27日には日米両政府の2+2によるガイドライン再改定が結ばれ、28日には日米首脳会談が予定されています。この戦争法制は5月15日にも閣議決定され、国会に上程されようとしています。自民党の佐藤国対委員長は戦争法制の審議入りが5月19日か21日だと説明しています。
情勢はいよいよ緊迫してきました。
「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」は4月末、メーデーや5・3憲法集会に向けて、以下の「アピール」と「当面の主な行動日程」を発表しました。(「私と憲法」編集部)

安倍政権が企てる戦争法制阻止のために、すべての人々は手をつなぎ、総力でたたかいましょう

平和をねがい、戦争に反対するすべてのみなさん!

いま私たちは歴史的な岐路に立っています。安倍政権はこの第189通常国会において、日本国憲法の平和主義のもとでの「戦後70年」の歴史を根本から変質させる 「戦争法制」 を成立させようとしています。

私たちは、この危険な企てを、断じて許すわけにはいきません。

安倍政権は一昨年暮れに秘密保護法を強引に制定・施行し、昨年は武器輸出促進、防衛予算急増、沖縄・辺野古への新基地建設強行などに加え、集団的自衛権の行使など海外で戦争することを 「合憲」 とする憲法違反の閣議決定を行いました。そして日米安保ガイドラインを再改定し、日米安保体制を地球規模の日米軍事同盟にまで拡大させ、その具体化のための戦争法案を国会に提出しようとしています。この戦争法案は、従来、「国是」としてきた 「専守防衛」 政策を大きく転換し、米国と共に世界的規模で戦争に関わっていくことを可能とするものであり、まさに戦後平和憲法の下で培ってきた「海外でふたたび戦争しない国」の政治の一大転換です。さらに、いま安倍首相は、来年の参院選後には明文改憲をめざすとまで明言しています。

しかし、国会で与党が圧倒的多数を占めている現状では、この安倍政権の暴走を止めることは容易ではありません。世論を強め、広範な人びとの声をあげるための、大きな行動をつくり出す必要があります。そのため私たちは、昨年暮れに3つの団体・ネットワークが一つにまとまって、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」を結成しました。これまで私たちの運動がなかなか超えられなかった考え方の違いや運動の経過などから派生した相違点を乗り越え、戦争する国づくりをくいとめ、日本国憲法の理念を実現するために共同行動をするものであり、画期的な試みです。

安倍政権の暴走はこの戦争法制の問題に止まらず、沖縄・辺野古の新基地建設、原発の再稼働、歴史認識の改ざんと教育への国家統制の強強化、福祉の切り捨てや労働法制の改悪などによる貧困と格差の拡大、TPPや企業減税の推進など大企業と富裕層への優遇策といった具合にあらゆる分野で進められています。このため私たちは、これらの分野で行動している人びととも手をつなぎ、安倍政権を政策の転換・退陣に追い込むための「総がかり行動」を名実ともに拡大・発展させていきたいと思います。

安倍政権が5月からの国会で企てている戦争法の制定を阻む運動を急速に強めなくてはなりません。平和をねがい戦争に反対するすべての人々が協力して、この戦争法制に反対する一大共同行動をつくりだすことが求められています。沖縄では島ぐるみ、「オール沖縄」で結束して安倍政権の圧政に反対するたたかいがつくられています。首都圏でも5月3日の憲法記念日には、横浜・臨港パークでかつてない規模の憲法集会が開催されます。私たちは、この集会を契機に5月以降、安倍政権の暴走を許さず、平和といのちと人権を確立するため、国会の内外で総力をあげて、大規模で、持続的かつ多様な行動を展開する決意を表明するとともに、全国各地の皆さんが津々浦々で「総がかりの行動」を起こし、力を合わせて大きな世論をつくりだすために奮闘されるよう、心から呼びかけます。

いまこそ、ともに声をあげましょう。行動を起こしましょう。

2015年4月末日
戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
戦争をさせない1000人委員会(tel:03-3526-2920)
解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会(tel:03-3221-4668)
戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター(tel:03-5842-5611)

戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会の行動予定

念のため、行動の詳細は、実行委員会各参加団体のサイトをご覧頂くか、上記連絡先までお問い合わせください。

5月12日(火)18:30~ 戦争させない・9条壊すな!5.12集会 集会後デモ(予定) 場所:日比谷野外音楽堂
5月14日(木)8:00~  戦争法案閣議決定反対早朝集会 場所:官邸前
5月21日(木)18:30~ 戦争法案反対国会前集会(以降、毎週木曜日連続行動) 場所:衆議院第2議員会館前
5月24日(日)14:00~ 辺野古新基地建設反対!国会包囲行動
(「5・24首都圏アクションヒューマンチェーン」実行委員会主催)
5月25日(月)~26日(火)沖縄県上京団国会座り込み要請行動(詳細未定)
5月28日(木)18:30~ 戦争法案反対国会前集会(連続行動第2回) 場所:衆議院第2議員会館前
6月 4日(木)18:30~ 戦争法案反対国会前集会(連続行動第3回) 場所:衆議院第2議員会館前
6月11日(木)18:30~ 戦争法案反対国会前集会(連続行動第4回) 場所:衆議院第2議員会館前
6月14日(日)午後 【 戦争法案反対全国集会 】(詳細未定) 
6月15日(月)10:00~17:00 戦争法案反対・国会前連続座り込み行動(土・日曜を除く24日まで) 場所:衆議院第2議員会館前
6月16日(火)10:00~17:00 戦争法案反対・国会前連続座り込み行動 場所:衆議院第2議員会館前
6月17日(水)10:00~17:00 戦争法案反対・国会前連続座り込み行動 場所:衆議院第2議員会館前
6月18日(木)10:00~17:00 戦争法案反対・国会前連続座り込み行動 場所:衆議院第2議員会館前
6月18日(木)18:30~ 戦争法案反対国会前集会(連続行動第5回)  場所:衆議院第2議員会館前
6月19日(金)10:00~17:00 戦争法案反対・国会前連続座り込み行動 場所:衆議院第2議員会館前
6月22日(月)10:00~17:00 戦争法案反対・国会前連続座り込み行動 場所:衆議院第2議員会館前
6月23日(火)10:00~17:00 戦争法案反対・国会前連続座り込み行動 場所:衆議院第2議員会館前
6月24日(水)10:00~ 戦争法案反対・国会前連続座り込み行動 場所:衆議院第2議員会館前
昼から連続して【戦争法案反対全国大集会】(詳細未定)

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第93回市民憲法講座 「集団的自衛権行使のための戦争関連法制の問題点」<安保法制>の狙いと構造を読み解く

川崎哲さん(NGOピースボート共同代表 集団的自衛権問題研究会代表)

(編集部註)1月17日の講座で高田健さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の文責はすべて本紙編集部にあります。

「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の勉強会ということですので、とにかくいま起きている事態に関して、これは大変な問題であってなんとか止めていく必要があるという基本的な前提の上で私なりにいま起きている安保関連法制といわれるものの中味はもちろんです。今日はその前提として、どういう構造でいまこれが起きていると見るべきかということを私なりの視点もお話したいと思うわけです。講師ということではあるんですがある意味で同じ仲間として問題点の整理をして、この会が終わったときには、次にいろいろなアクションや働きかけやまたは他の人に語っていくときの糧になるようなものが少し見えてくればな、という気持ちでおりますし、いろいろなご質問やご意見をうかがって、自分なりの活動にも活かしたいと思っているところです。

集団的自衛権問題研究会は小さいグループで、昨年5月15日に安保法制懇の提言が出て、そのとき安倍首相が記者会見でこれから集団的自衛権の行使容認をしていく方向だということを打ち出ました。そのときに危機感を感じた有志が集まって論点整理や情報発信をしようということで、昨年は岩波書店の『世界』の紙面をお借りして7月号と8月号に問題点を示したり、現在では「News & Review」を月に1回のペースで出してwebに載せて発信しています。

閣議決定で世界規模に展開する日米同盟に変質

去年7月の集団的自衛権行使容認の閣議決定はちょうど自衛隊の発足から60年経っていたわけです。自衛隊発足の時には個別的自衛権、集団的自衛権の区分けの議論はあまり行われていなくて、1970年代に入ってから集団的自衛権の行使は憲法上許されないという政府見解が出て、それ以来40年以上にわたって維持されてきた考え方を昨年7月の閣議決定で覆したということはみなさんご存じのとおりです。新3要件に関しては、「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」という、おなじみのワードです。これがいま「存立事態」というような言い方にされるのかといわれていますが、このフレーズが入ったことが重要なポイントで、そこが変化であります。

しかしこの新3要件が「それ以外の適当な手段がない場合のみ武力の行為ができる」、「武力の行使ができたとしても必要最小限の実力行使にとどまるべきである」という、これは70年代からの3要件にも入っていました。ですので、これは限定容認にすぎないと主張する人たちの議論は、まず仮に武力の行使をしたとしても最終手段であるということと必要最小限度であるということが担保されているということ、それから我が国に対する直接的な攻撃でなかったとしても書きぶりによって限定があるというのが、限定容認だという人たちの理屈付けになっています。

背景としては、この問題は別に安倍総理がいきなり始めたということではなく、日本は集団的自衛権の行使をしてはいけないという「たが」を外すべきだということは、一貫してワシントンから発せられてきた。それは非常に長い歴史があるわけですが、一番象徴的なのはいわゆる知日派、ジャパン・ハンドラーといわれるアーミテージやナイといった人たちの一連の動きがあり、2012年には第3次の報告書が出ています。もっとずっと前から、それこそ数十年かけて日本は米国と協力する場合の足かせを外すべきだという主張がなされてきた。それがアメリカから見た場合の憲法9条が足かせになっているということであり、より実質的には集団的自衛権を行使してはいけないということが足かせになっている、こういう議論でした。

あるジャーナリストと話をしていると、安倍政権がこれからやっていくことはアーミーテージ・ナイ報告を読めばわかると言っています。第3次報告書に書いてあるようなことはこの勧告にずっと書いてあるわけです。「原発推進、TPP交渉参加、秘密保護法制定、武器輸出3原則緩和、日本版NSC設置」、この4つはすでにやっていることです。「海賊との戦い、シーレーン、米軍と自衛隊が平時から戦時まですべての環境に対処、ホルムズ海峡封鎖時に掃海艇派遣、PKO 他国の部隊保護」、これはこれからやることです。これらの海賊、シーレーン、ホルムズ海峡封鎖は、正に昨年閣議決定をするときに政府がこういう事態の時にはどうするのかというシナリオを出してきた。ですから安倍政権が考えついたというよりもずっと昔から出されてきたことにそって、政府がこういった必要性を言ってきたということが言えるわけです。

そういう意味で政府の憲法解釈の変更と安保法制ということは、日米関係に非常に密接に関わっているわけでありまして、昨年10月の日米防衛ガイドライン改定の中間報告を見ますと、やはりキーワードは「切れ目のない」という言葉、それから「日米同盟のグローバルな性質」という言葉、このふたつが重要なポイントになります。これらの言葉を読めば必然的に見えてくるのは、日米同盟と言われるものが世界規模で展開していく、そのようなパートナーシップを強める。切れ目がないと言うことですから、ここから先はダメですよという制約を取り除いていくことがキーワードになっている。つまり日米防衛ガイドラインで切れ目がないと言っていることと、この切れ目がないという同じ言葉が閣議決定の場合においても、これからの法制が語られる中においてもキーワードになって出てきているということ、そこが重なり合う問題だと言えます。

米国の「国防予算」の削減→同盟国への要請拡大

日米の協力を強める必要があると言っている背景があって、いまの安保法制があるわけですけれども、その事を世界の軍事費のデータから振り返ってみていきます。世界の軍事費は1988年から2013年までのデータが出ています。これはストックホルムのsipriという研究所が毎年発表しておりまして、88年というのは冷戦末期です。1兆6000億ドルくらいあったものが、冷戦が終わるとぐっと下がって一番底についたのが1996年くらいですね。冷戦が終わって90年代の前半に世界の軍事費は減ります。当然ですよね。これまで核対峙していたものがこれからは平和の時代になるのだということで語られましたから、一気に軍縮の時代がありました。しかしまた右肩上がりになっていき、その年を見ますと2001年で9.11の年です。

9.11以来、アメリカがいわゆる対テロ戦争をアフガニスタンに対して始めて、2003年からはイラクに対して始めていきます。それに伴って世界の軍事費が伸びて、2008年あたりに冷戦時代末期を超えます。いま現在も冷戦時代末期とほぼ同じくらいの軍事費が世界で使われています。この2000年代前半くらいまで、世界の軍事費のほぼ半分はアメリカの軍事費でした。45%とか47%くらいがアメリカだったんです。ですからアメリカが戦争をすれば軍事費が伸びたわけです。注目したいのは、2001年くらいから横ばい、そして微減になっている。2014年のデータは今年4月くらいに出ますけれども、また下がると思われます。なぜ下がるかというとこれもまた簡単でありまして、アメリカが軍事費にこれ以上お金をかけられなくなると世界の軍事費も下がるということです。

2008年、リーマンショックの年ですからそこからいわゆる世界経済危機が始まり、それに伴ってアメリカではこれ以上軍事にお金をかけられないということが非常に大きな問題になってきました。そういう中にあって、アフガニスタンやイラクからの撤退方針を掲げるオバマが大統領に就任していくのがアメリカの動きです。ブッシュ大統領の戦争の8年間で人々が疲れた、お金もなくなった、経済危機にもなった。だからオバマが出てきた。こういう流れなわけです。いまワシントンのいろいろな国防雑誌などを見ますと、お金がない、お金がないという話で埋め尽くされています。お金がない中でどうやって効果的な投資やあるいは同盟国との友好的な関係を持っていくのかということが、アメリカのいわゆる国防総省の非常に重要なアジェンダになっています。

それがいまの動きの背景にあると見るべきだと私は思っておりまして、アメリカ政府もなかなか公式に語りませんけれどもこういう背景がある。これまで以上に財政難の中で、例えば基地の問題にしてもヨーロッパ、ドイツなどの例を見ても、お金だけかかって役に立たない海外の基地はどんどん撤収する方向が打ち出されています。

ところが日本の場合はいわゆる思いやり予算ということで、この国ほどホスト国によってお金を出している国はないからそれは大事にして、沖縄の基地をはじめとして日本における在日米軍基地を残して活用した方が全体として経済的にもうまくいくという、こういう話が日米関係の中であるわけです。集団的自衛権絡みの話というのは、自衛隊が世界のいろいろな国々で米軍とより協調体制を取れることが物事の本質だとすると、それを受け止めているアメリカの側にとっては、国防予算を削減するために同盟国により役割を果たしてもらいたいと思っていることがまずあることを理解する必要があると思います。

米国は集団的自衛権歓迎の一方で安倍の歴史修正主義を警戒

去年4月にオバマ大統領が日本に来て寿司を食べた時の話です。あのときの報道ですと、とても大事な点なんですがアメリカ政府と日本政府が、必ずしも一枚岩となって、いまのアジェンダを進めているわけではない。逆に言うと、アメリカ政府の力点と日本政府の力点との間にはさまざまな相互矛盾、対立があるということを少し強調してお話ししたいと思います。当時、日本政府やマスコミはオバマ大統領が尖閣を日米安保の適用対象であると言ったことを大喜びして、こういう言質を取ったことをある種外交上の勝利だというふうに政府高官が表現したことをマスコミは報じました。それくらいアメリカが日本と中国の領土問題に関して、どれくらい日本側について動いてくれるのかということについて日本は心配だったわけです。だから日米安保の適用対象だと言ってくれたことについて、とても喜んで報じたわけです。

そのときに集団的自衛権についての検討もなされていたので、集団的自衛権問題の検討を歓迎すると言ってくれたことにも喜んだ。なぜかというと、その2ヶ月くらい前に先ほどのアーミテージとかナイという方々が、いまのタイミングで集団的自衛権の行使容認はそれほど急がなくてもいいと、あれほど言ってきた人たちがマスコミで慎重論を唱えていました。それは日本と、中国や近隣諸国にこれ以上緊張が走る状況になるのはよろしくないので、もっとゆっくりやってもいいんじゃないかということを彼らが言ったものですから、アメリカの大統領が歓迎すると言ったことに日本側は喜んだわけです。

一方のアメリカは何を言っていたかというと、こういったことは確かに声明に盛り込まれたけれども、記者会見の場でオバマ大統領は「日中間で対話や信頼醸成ではなく、事態がエスカレートしていくのを看過するのは重大な誤り」であると、極めて日中に冷静になれ、日本側に対しても事態がエスカレートするようなことはするなというメッセージを明確に記者会見で話しています。

ところがこういう発言があったということを日本のマスメディアはほとんど報じていないんですね。琉球新報が少し報道していました。この背景には、アメリカの中で政権の中も含めて、安倍政権というものに対して抜きがたい不信感があると言えます。

ニューヨーク・タイムズが安倍首相になってから、社説とか上級エディターの論説のレベルで安倍政権に対して非常に批判的な、警戒するような表現をしています。特に歴史修正主義の問題だとかあるいは武器輸出緩和の問題では「武器ではなく平和憲法を輸出せよ」と、まるで「9条世界会議」のようなことを書いているんです。そして昨年の解釈改憲の時にも「憲法が政府の気まぐれで変えられてはならない」ということを書いています。もちろんニューヨーク・タイムズがアメリカの中ではリベラルな方だということではありますが、これだけの影響力ある新聞でこういうことを書かれているということです。このような歴史修正主義の言動をして、周辺諸国と対立関係をあおるような困った日本のリーダーと受け止められているということは、他のいろいろな雑誌などを見てもそういう印象を非常に色濃く受けるところです。

アメリカの要請かナショナリスト的国防か

そこで私なりにこの問題をどう見るかというときに、私たちは集団的自衛権は危険だという立場から、こんなことをしたらアメリカの戦争に巻き込まれるというわけです。これは当然人々に平和のメッセージを伝えていくときに重要なことです。確かにアメリカはより大きな責任を果たせといっていることは事実ですから、そうするとアメリカの戦争に巻き込まれる危険性はありますが、先ほどいったようにアメリカや日本の政権の人たちは、今回の閣議決定をもってしても日本の武力行使はなお限定的だという主張を維持しています。新3要件のもとでもなお限定的だから戦争に巻き込まれるなんて大げさだということを、例えばマイケルグリーンとかそういった人たちは言うわけです。

しかし実際問題としてアメリカが日本はより大きな責任を果たせと行っている以上、しかも憲法上の、解釈上の制限が解かれてしまった以上、いくら日本が限定的だと言ってみたところで日本はアメリカの要請を断れるのかといえば、断れないであろうことが濃厚です。その意味でアメリカの戦争に日本が巻き込まれてしまう危険は当然大で、当たり前です。しかし話はここで終わらないわけでありまして、「日本を取り戻す」という選挙ポスターがあります。日本を取り戻す、戦後レジームからの脱却、こういうことを言う安倍晋三氏をはじめとする日本の政治家たちの言動は、ニューヨーク・タイムズでも見られたように非常に大きな歴史修正主義の動き、東アジアの安全保障状況に対してマイナスの働きをする右翼主義ととらえられています。

このことによって東アジアで緊張が高まっていく中で、アメリカの中にはこのまま行くと「アメリカが日本の戦争に巻き込まれるんじゃないか」、これでいいのかという懸念があります。オバマ大統領が日本に行ったら、尖閣の時には守ると約束をさせられてしまったというかたちになって帰ってきている。逆に言うと、中国とこれ以上揉めないで下さいねということを、念を押して帰ってきたという関係があるわけです。

いま起きている日本の安保体制を変えようとする壮大な動きは、私の見るところ異なるふたつの主体によって動かされている。ひとつは、日本はより大きな責任を果たすんだ、仮に武力行使は限定的だとしても大きな責任を果たすと言っているのは日米外交・防衛官僚、アーミテージとかナイとかああいう人たちと、それに連なる日本の、とりわけ外務省・防衛省、というよりは外務省の人たちですね。湾岸戦争のときに日本は金しか出せなかったから悔しい思いをした、これからは人も血も出して貢献したいと言っているような外務官僚の人たちにとってのアジェンダは、日本がアメリカにもっともっと大きな貢献をすることであり、アメリカ側もそれを望んでいる。この人たちがこの話をしている以上、当然アメリカの戦争に巻き込まれる危険性があるわけです。

一方で「日本を取り戻す」という話をしている人たち、安倍首相や右翼政治家など。彼らが言いたいことは日本が周辺諸国との緊張関係がある中で、領土問題などがある中で、強い立場、誇らしい立場に立つこと。この中にはかなりイデオロギー的なものも含まれます。このふたつの立場の人たちが言っている方向性や考えていることは、本質的に正反対のはずなんですね。安倍政権でいる限り、アメリカは日本の戦争に巻き込まれる可能性がある。そしてアーミテージやナイがわーわー言っている限り、日本はアメリカの戦争に巻き込まれる可能性がある。このふたつが、反対なんだけれども、なぜかお互いがお互いを使って、協力しあって、乗せ合って物事を成し遂げようとしている。ここに非常に大きな危険性があるんじゃないかなと思っているんですね。

推進派の内部矛盾を突く運動にも智恵をめぐらす

お配りした資料の中で、「これからの安全保障」という朝日新聞の記事があります。昨日与党合意があったことを踏まえて出ているわけですが、左側の柳沢協二さんは集団的自衛権の問題では先頭になって批判的論陣を張っている方です。右側の拓殖大学の川上高志さんは推進派ということで意見が出ていますが注目しなければいけない点があるんですね。この方は「普通の国に転換 代償覚悟」というタイトルですが、彼は米国を日本の戦争に巻き込まなくてはいけないと明言しています。これはすごく典型的な議論で、ほっとくとアメリカが中国についちゃうから、私たちの側に立って戦争してくれるように米国を引きつけなければいけないという議論をするんですね、この手の人は。それは右翼政治家とは若干異なるけれども、日中関係あるいは日本と周辺諸国との関係においては軍事的に手伝ってくれるようにアメリカを引き込む、アメリカを巻き込む必要性をとても強調しています。

しかも面白いことに、この人は「代償覚悟を」という少し怖いことを言いながら、後半では「その都度議論を」とか「歯止めこそ必要」とか書いています。これは、日本の防衛体制を考えている人にしてみると、ほっとくとこっちが心配だ、推進派だけれどもその都度議論して歯止めをしないと自衛官がいたずらに殺されちゃいますよ、ということを言っているわけです。純粋に日本のナショナリスト的な国防という観点からいえば、アメリカを引き込んでいった方がいいし、日本の自衛官の犠牲は少ない方がいいということであるわけです。ですからこの人は推進派のようにいながら、この構図の中ではどういう推進派かによって内部的には矛盾があるということなんですね。

私はいまの状況で、安倍政権が進めることに「待った」をかけることに対してなかなか絶望的ではあるんですけれども、この内部矛盾を突いていくというのは非常に重要なポイントだと思うんですね。ワシントンの安保官僚がやりたいような、米日共同体制をやりたい人たちと、それから日本を防衛することにおいて、被害を最小限にしながらアメリカにいろいろ手伝ってもらいたいと言っている人たちの間には根本的な矛盾がある、ということをうまく突いていくような、どのように展開するかということはこれから知恵がいるんですが、そういう運動が必要じゃないかなと思います。

閣議決定の新3要件で広げた武力行使できる事態

その上で具体論に入ります。閣議決定は長いもので8ページくらいありますが、3つの柱にそっています。この順番に意味がありまして、「1.武力攻撃に至らない侵害への対処」「2.国際社会の平和と安定への一層の貢献」「3.憲法9条の下で許容される自衛の措置」ということで新3要件のもとで集団的自衛権を認めるということです。私たちはこれを集団的自衛権行使容認の閣議決定だと言うわけですが、その事が書いてあるのは最後の3番だけです。

その前提が実はすごく重要でして、1番目は例えば離島警備の話です。離島警備というのは、これまで日本を守るというのは個別自衛、専守防衛であって、最小限度で本当に最終手段で武力に出るということだった。これを武力攻撃に至らなくても、もう少し武力の出動をしやすくしましょうという、手続き迅速化という話なんですね。これは日本防衛の少し範囲拡大の話です。

2番目の国際社会の平和と安定への一層の貢献というのは、例えばPKOにおける武器使用の拡大であるとか、あるいはイラクやアフガニスタンでこれまで特措法ベースで行われてきた、いわゆる後方支援の対象をゆるめるということです。どちらかというと日本から離れた場所で、国連のもとであるとか多国籍軍のもとで、より軍事的な貢献をできるようにするという話でありまして、話している筋が大きく異なるんですね。

先ほど日本のナショナリストたちとワシントンの官僚の対立を言いましたけれども、この場合は日本のナショナリストの話は1です。尖閣が危ないから尖閣をもうちょっと効果的に守れるようにしたい。そのときに武器をもう少し使いたいし、アメリカとも一緒に行動したい。これがナショナリストたちが言いたいことです。2はワシントンの官僚たちが、もっといろいろな対テロ戦争をやりたいけれども金もないし日本の自衛隊がもっとたくさん来て手伝ってくれれば助かるなという話なんですね。2つの対立が1番目と2番目に盛り込まれていると読むべきじゃないかなと思うんです。大事なことは、どちらの場面でも武力行使はしないというのが彼らの建前なんです。これら2つは武力行使に当たらないんですね。武力行使に当たらないけれども手続きを迅速化する、武力行使に当たらないけれども武器使用は拡大するという論理です。

こういったことをそれぞれやって、ある段階で、ここから先は武力の行使に行かざるを得ないとか武力行使に気がついたら入ってしまったという場面が出てき得るので、それはもう認められたことにしてしまいましょう、というふうに構造を立てているんじゃないかなと私は読んでいるんですね。つまりこれは武力行使でないと言いながら日本周辺で、武力行使でないと言いながら世界各地でやりながら、仮に武力行使に足を突っ込んでしまっても、それはわが国の存立や国民の権利にとって重大な事態だったんだという説明を後付けでしていくという、3段構造になっているのがこの閣議決定ではないかと読めると思います。

その意味で集団的自衛権が問題だということはもちろんなんですけれども、これら日本周辺で、あるいは海外において武力行使ではないといいながら武力行使に近づけていこうとしている動きが何なのかということをきちんと理解する必要があるし、実は安保法制の一番のポイントはこのあたりにあるんじゃないかなというのがいまの与党協議などを見ていて私が思うところなんです。

武力行使ができる事態というのは限られているんですが、それを広めた。広めたんですがそれが存立事態等々によって広めたということですから、武力行使できる事態の問題というのがこれまでは有事の時のみ自衛隊が出動しうる、国民の権利が制限されうるとなっていたものが、有事と平時の切れ目があいまい化して、有事と定義されるものが増えているという問題であります。もうひとつは、武力行使できない事態といいながら、これらのことにおいて武力行使に近づいていくという問題があるということです。

隠している武力行使できる事態での国民の権利制限

もうひとつ武力行使できる事態、まさに存立に関わる事態というのは存立事態という名前になるかどうかまだわからないようですけれども、この場合の問題点は、当然誰がどのように判断するのかということもありますし、国会の承認等々の問題があります。けれども一番重要な問題は、いまある有事法制は、有事という状態になった場合には国民の権利や財産が合法的に制限できると>いう、これが有事法制の考え方です。これがいまから十数年前に作られました。この有事と見なされることが存立事態という考え方とともにふくらんでいくということは、国民の権利が制約され>る状態がこれまで以上に増えることですので、皮肉なことに、わが国の存立が脅かされ国民の権利が根底から覆されるおそれがあるという理由を使って、国民の権利を制限することを合法化しよ>うとするのが存立事態という考え方の一番の問題なんですね。

政府は賢くて、いまその問題が表に出ないようにしています。本来であれば有事法制の時、周辺事態法の時も、例えば地方自治体の学校や病院の施設が優先的軍事利用させられる、接収させら>れる、こういう事態が発生しうるということで各地方自治体が慎重意見を述べたりする攻防がありました。しかし、今回はそれが起きないような細工をしながら、国民の権利制約に直接触れない>ようなかたちで出てきていますから、自治体の反応がまだまだ弱いと思うんですね。逆に私たちの側から見れば存立事態で国民の権利が脅かされる、国民の命を守ると彼らは言いますけれども実>態としては国民の権利が制限されるという面について、地方レベルでも議論を起こしていく必要があると思います。

安保法制の目玉は海外派兵恒久法

与党協議で検討されてきたさまざまな法案――自衛隊法から周辺事態法、船舶検査法、PKO法、テロ特措法、武力攻撃対処法等々あるわけですが、これらが一通りセットになって出てくるわけです。ここでやや概念的なことをもう一回整理したいと思います。日本の自衛隊の役割とは何だったか>ということを図に落としてみますと、日本を自衛するということですから日本が攻撃された場合には自衛隊が武力で対処することが定められている。これが一番ベースの部分です。次に国連PK>O協力だという話が出てきた。1990年代の初めですけれども、日本の自衛とはまったく無関係に国連PKO協力は平和貢献ですからこれはやりますよ、となった。

その後90年代後半になりますと周辺事態法が出てきます。これは日本の自衛そのものではないですけれども、日本の自衛の問題に繋がりうるような事態は米軍とより協調してやった方がいいですね、という話になってこの範囲が広がっていきました。97年の新ガイドラインもこういったものを想定していたわけですね。2000年代に入りますとテロ特措法でアフガニスタンの行動に後方支援をする。またイラク特措法で、2003年からイラクの戦争に後方支援をすることが定められてきます。重要なことは、これは国連PKOではないんですね。国連PKOは明確な定めがあって、国連のもとで停戦合意がある、中立である、武器使用は極めて制約的であるとか、こういったいわゆる中立性という考えの中で、まさに「平和維持」という考え方の中でやっていましたからまったく違う。戦争のサポートをするということで、自衛でもない。こういうことが2000年代にぽんぽんと出てきた。しかしながらそれはいまでは失効している。ミッションは終わりましたということになった。

そうこうしているうちに今度は有事法制というものがでてきまして、これ自体は武力攻撃について定めているというよりは、有事法制にともなって国民を保護しなければいけないという名前で>、国民の権利の制約という話が出てきた。つまり自衛行動ということと、国民保護という話がセットになっている。しかしこれは論理として言えば日本自衛という枠組みとしてなっている。この>へんまでは最近までの話なんですがここからいまの話に入っていくわけです。

安保法制がやろうとしているのは、やはり一番目玉なのは海外派兵恒久法だろうと考えます。今日の朝日新聞の柳沢さんのインタビューの中でも、真っ先に今回の安保法制の一番のポイントは海外派兵恒久法であろうと論じていて、その見方は私も賛成です。つまりこれまでは、日本の自衛をするかあるいは国連の国際協力をするかどちらかしか自衛隊の役割はなかったはずなのに、なぜか恒久的に、こういう事態はたくさんあるだろうという想定をして、海外派兵恒久法あるいは後方支援恒久法というものがつくられようとして議論されている。これが非常に大きいんですね。いまの与党合意を見ますと、これがボーンとできるだけではありません。

実は周辺事態法も、周辺事態法はもとからいうと日本自衛を少し拡大した、先ほどアメリカの要請なのかナショナリスト的な国防なのかということを2項対立的に言いましたけれども、その事>で言えばこちらはナショナリスト的国防の話だったわけです。その周辺事態法の中に事実上置かれていた地理的制約の考え方を撤廃する。周辺事態という名前も重要事態だとか、「周辺」ではな>くてかなり広い事態にも当てはまるように、周辺事態法の考え方を広げていこうというのが周辺事態法改正の考え方の中で打ち出されています。国連PKOも、国連が統括しない平和協力活動に>ついても国連PKO法の改正によって定めようということです。国連PKO協力は、本来は国連のもとで停戦もあって中立もあるから正統性があるという理屈付けでやってきたんですけれども、>そうでないものにも同じように対応できるようにしようということで、これも海外派兵恒久法に近づいていっている。すでにあったものがどんどんどんどんと海外派兵恒久法の中に吸収されるよ>うな動きで展開しているのがいまの構図だと思います。

言葉の使い方として、日本を取り戻すと言っているのはナショナリスト的なことで、積極的平和主義というのは海外での活動のことだとしてみんな理解していると思います。安倍首相が昨年5>月に記者会見をやったときに2つの事例を出しました。日本周辺の海域で、お母さんが赤ちゃんを抱えて逃げている絵がひとつ、もうひとつは国連PKOの現場で他の国の軍が困っているときに>助けにいくという、駆けつけ警護の絵です。それは国民コンセンサスがあると言われています。こういったときに自衛隊が必要だよねと言われているところに、ちょっと行くんだよ、ちょっとは>み出るんだよということをいいながら、実態としてはテロ特措法だとかイラク特措法のようなアメリカ中心の多国籍軍の支援をする方向に、周辺事態法しかり、国連PKO協力法しかり、そちら>へ持っていこうとしている。やはり本丸は海外派兵恒久法なんですね。しかし海外派兵恒久法をやるということを彼はひとつも言わなかったんです、あの5月の記者会見で。あれはだまし討ちな>のか、安倍さんが騙されたのかもしれませんね。安倍さんは日本を守る、取り戻すと言いながら、実はワシントンと東京の外務官僚にいいようにやられているというのがいまの実態かもわかりま>せん。

支援地域を拡大し、米軍対象をかくす恒久法

そこで恒久法のことなどですが、これは2月の新聞紙面です。周辺事態法は、基本的にはそのまま放置すれば日本に対する直接の武力攻撃に至る恐れがある事態、から始まっていますので日本>防衛の話の延長です。この概念が大きく変わって、直接の武力攻撃に至るおそれのある事態よりももっと広くなっていきます。後方支援恒久法に関しては、テロ特措法やイラク特措法のようなか>たちの後方での支援が想定されていますけれども、これまではいわゆる非戦闘地域でしか活動できませんと言っていたものが大きく幅を広げて、現に戦闘が行われていなければやってもいいです>よとなっていきますから、ここの一体性が今まで以上に強まっていくと言えます。

周辺事態法に関しては、確かに繰り返し国会答弁でこれは地理的概念ではありません、事態の性質に着目した概念ですと言われていたことはわたしもよく記憶しております。それでも当時の首>相が中東やインド洋では起きることは想定されないと答弁しておりますので、一定の地理的な考え方があると解釈できたわけです。

また重要なことは、この90年代後半の周辺事態法審議の時に、繰り返し政府官僚が後方支援ではございません、後方「地域」支援ですと言っていたわけです。野党側は後方支援と後方地域支>援とどう違うんだと突っ込んでいた。それに対して外務省は後方支援というのは極めて軍事的なサポートという意味合いがあるから、後方地域の支援をするだけなので、これは戦闘行為とは一線>を画されるということを繰り返し言っていた。例えば97年の外務省のパンフレットは、いまでもホームページに出ていますが、後方地域支援で一線が画されていますとずっと言ってきた。この>歴史を考えると、私はいまマスコミなどが後方支援恒久法などという言葉をよくも平気で使えるなという気がするんですね。後方支援ということはそもそもダメで、後方地域支援なんですよとい>うことをいってきたはずです。それを後方支援の恒久法にしようというのは言葉のすり替えというか、すっと違う言葉に置き換えてしまっている問題に無批判に乗っかってしまってこの言葉を使>っているマスコミは問題です。

もうひとつ、支援するというのは対象が必要です。「何々を」支援すると。後方支援恒久法は「何々を」というのがないんですよ。何を支援するのか。私は海外にいって後方支援恒久法を英訳>しようとすると「何々を支援する」と訳さなければいけない。それがないと訳しようがないんです。後方支援恒久法というのは、この流れを見ればアメリカ軍を恒久的に支援する法律だとしか説>明がつかないんですけれども、日本のマスコミはそこまでは言えないわけです。後方支援恒久法、何を何のために。つまりこれまで特措法だったということは、アフガニスタンを支援する、イラ>クを支援するという場合、これは極めて論争を呼ぶ話題であるからアフガニスタンの米軍の活動を支援すべきか、イラクの米軍の活動を支援すべきか、一個一個国会できちんと議論をして国会の>多数がこのアフガニスタンの行動は日本が支援するべき行動だという結論を出して特措法をつくったわけです。そのときに何を支援すべきか支援しないべきかをきちんと議論したわけです。しか>し、いま出されている後方支援恒久法というのは、何を支援するのかはよくわからないけれども恒久的に支援をする。その先は非常に漠然とした積極的平和主義ですとか、国際の平和と安定です>よとか、つかみ所のない言葉を恒久的に支援をする。そういう言葉がまかり通っていること自体に私たちは危機感を感じるべきですし、問題点を言っていかなければいけないと思うんですね。

このことに関連していまからお示しする書類は、首相官邸のホームページにいけば検索できます。第1次安保法制懇の2007年時点の資料です。つまり第1次安倍政権の時にすでに集団的自>衛権をやろうとしていたわけで、そのときの資料を政府は出しています。後方支援の話ですが、その時点ですでに政府は、いま自衛隊が海外に出られる局面は、いろいろなパターンがあるけれど>もということを言って、90年代最初の湾岸危機の場合、国連PKO、アフガニスタンテロ、イラクそして周辺事態と分けています。国連PKOというのは、国連PKOとしてひとつ決まったも>のがあるんです。国連が入って停戦合意があったところでやるということですから、停戦合意とか中立性、受け入れ同意とか参加5原則が明確がされている中でしか動けないわけです。湾岸危機>、アフガニスタンテロ、イラクというのは、その都度国連決議があったとか、国連決議はないけれども戦争に加担したということを一回一回決めているわけです。

米軍無条件支持の海外派兵恒久法を主権者は許すのか

みなさん覚えていますでしょうか、たぶん5、6年前でしたが国会で大きな問題になったんです。日本の自衛隊がインド洋でアメリカ軍に給油した。それはこのテロとのたたかい、9.11の>対応でアフガニスタンで行動するアメリカ軍に対して給油をした。その船がアメリカの航路図を追って行ったら、イラクに行ってイラク戦争に参加している。これは大きな問題じゃないか。あの>油はこのテロとのたたかいのための油であってイラクでの戦争を支援する、イラクの戦争における武力行使と一体化するようなものに使ってはいけないはずだ、ということで大きな問題になった>。それは基本的にあってはいけないことがあったという議論になったわけです。

私が思うには、いま行われている恒久法はそういうトラブルをなくすための法律である。つまりアメリカ軍は、アフガニスタンの戦争であろうがイラクの戦争であろうが「イスラム国」とかい>ろいろなところで世界的に展開している。そこでは同じ航空機、同じ船がいろいろなところに行く。それをひとつひとつ、この戦争はいいがこの戦争はダメだとかやっていったら、途中でこの油>はどっちの油だということになって面倒くさい。もう一括してアメリカ軍がやることはいいとするような合意をしないと、運用が面倒くさい。これが海外派兵恒久法の考え方じゃないかと思いま>す。私たちは、ではそれが本当によいのか問えばいいわけです。アメリカ軍を全面的に信頼して、アメリカ軍がやることであれば何々を支援するということがなくても支援法で決めるというふう>に、そこまで気前がいい国であればそうすればいいけれども、そういうふうにきちんと論点を提示したときに日本の国民の多数がそれを支持するとは思えません。特にイラクの問題などは一番大>きいわけです。

イラク戦争は国連決議のない戦争でしたから、当時からいまに至るまで国連総長はあの戦争はイリーガル・ウォー、違法な戦争と言っているわけです。あれは違法な戦争だった。国連の立場か>ら言えば許されざる戦争であったわけです。あのイギリスですら国連決議のない状態で戦争に突入して、結局大量破壊兵器も見つからず、たくさんの兵士が犠牲になった。その国では当時のブレ>ア首相がイラク戦争検証委員会で大きく指弾されて責任追及されているんです。そういう検証が行われています。それがあったから2、3年前にシリアの化学兵器の問題でシリアに対して空爆が>議論になったときに、イギリス議会はあのときに反省を踏まえてシリアへの軍事行動は賛成しないと決議して、政府もそれはやめたんです。まともな民主主義の国であれば、その国が軍事的なサ>ポートをする、しないということについて、この戦争は支援すべきなのか支援するべきではないのかということをひとつひとつ議論することがあり得るべきです。イギリスのような軍事大国であ>ってもそういうことをやっているわけです。

政府は自衛隊の協力可能範囲の狭さを繰り返し宣伝

日本でいまやっていることは、そういう区別をすると煩雑になるから、一括で派兵を支持しちゃえということがまかり通っています。まかり通させようという政府の策略は、すでに2007年>時点で日本はどこまでの後方支援ができるのかという概念図を出しています。「事態の推移と現行法下でなし得るいわゆる『後方支援』活動(概念図)」で、いかに後方支援していいところが小>さいかということを思わせるような図を出してきています。PKOの場合は参加5原則がなければできませんということをあえて小さく書く。停戦合意がないような場面では、自衛隊は活動でき>ないと言っている。テロとのたたかいにおいては、非戦闘地域ではできるけれども戦闘地域ではできないことをあえて「こんなにできないですよ」としている。イラクの問題に関しても、やはり>非戦闘地域における安全確保支援活動に限るといっている。

この当時から、さまざまな場面で自衛隊がアメリカ軍を中心とした多国籍軍に協力できる範囲がこんなに狭いことを繰り返しロビー活動してきたわけです。いまの法体系の中ではできないこと>がたくさんあるということで、武器弾薬の補給とか――でも私は武器弾薬の補給をあまり強調しすぎない方がいいと思うんです。武器弾薬の補給というのは、それほどニーズがない可能性がある>んですね。本当に武器弾薬が必要だったら自分のところから持ってきた方が武器にも合うわけです。象徴的な意味はありますけれども、実際は武器弾薬の補給は需要がないこともある。より自衛>隊本隊が参画するとか、給油といった問題の方が本質的に重要だと思っています。戦闘作戦行動に発進準備中の航空機に対する給油及び整備等々、それからイラクやアフガニスタンの治安部隊の>訓練、こういったことができませんよ。情報公開に関しても、特定の国の武力行使に直接支援するために偵察活動を伴うような情報収集を行う場合、いま軍事における情報の問題、ITの問題な>ども非常に密接になっていますから、できないことがたくさんあるよ。また武力行使と一体化するといわれてできないこともたくさんある。例えば現に戦闘が行われているような医療部隊のとこ>ろにいわば踏み込まれるかたちで医療活動を行うことなどたくさん挙げているわけです。

PKOにおいて治安維持活動を行う他国のPKO部隊に対する輸送等であるとか、あるいは紛争当事者の認定が困難であるから停戦合意や受け入れ同意の確認ができないような混乱状態におけ>るPKOであるとか、戦闘行為は行われていないけれども今後同行為が行われることがないと認められるかが不確定な状況があるといった場合。恐らくこういった場合は今回の認定の中で認めて>いこうということだと思います。

それから戦闘行為が現に行われている海域に墜落した他国の航空機の乗組員の捜索・救助、あるいは紛争によって国内の治安組織が破綻した国において将来治安維持活動の業務を担うために再>建されつつある新生国軍に対して、わが国が育成のための教育訓練の実施をする。それから、わが国が活動を実施している区域において、多国籍軍を巻き込む戦闘行為が認められるに至った場合>にどうするかといった事例を事細かに挙げて論じています。こういった中で、いま出されている安保法制は本当に多岐にわたっていますが、もっとも重要な性格は、これは事実上の米軍協力体制>を恒久化させる狙いが一番大きく、その恒久法のもとに周辺事態法、それからPKO協力法すらもそちらの方向に統合していこうという動きが見られていることです。

歯止めの余地は残されているか

では何ができるのか悩ましいところですが、私はまだ歯止めについて議論する余地は十分残されていると思っています。今日の東京新聞に与党合意の全文が出ています。これ自体はとても長い>ものですが、例えば「四、国際社会の平和と安全への一層の貢献」とあって、これがいわゆる海外派兵恒久法に該当する分です。その(1)から(4)まであって、(1)では「他国の『武力の行使』との一体化を防ぐための枠組みを設定すること」ということがあります。その前にも「三、わが国の平和と安全に資する活動を行う他国軍隊に対する支援活動」という部分、周辺事態法の改正に関するところについても「(1)他国の『武力の行使』との一体化を防ぐための枠組みを設定すること」が残っております。

つまり武力行使と一体化してはいけないという考え方自体を維持することは閣議決定でも残されて、いまの与党合意でも残された。しかしこれをどうやって担保するのかは、まったく議論され>ていない。議論の流れは、これまでずっと歴代の政府が積み重ねてきた武力行使と一体化してはいけないというぎりぎりの部分をかなりぐちゃぐちゃにして、非戦闘行為という概念さえ削除した>。取り除いたけれども、武力の行使と一体化しないということだけは引き込んだ。恐らく公明党が抵抗したといえば、この言葉を残したところにあると思います。では、どのようにするつもりな>のかということが唯一実態的な、何でもアメリカに白紙委任の「何でもいうことを聞きますよ法案」にならないようにするためのもっとも実態ある抵抗のカギはここに残されていると思います。

もうひとつは国連決議の問題です。イギリスでさえ国連決議のない戦争が禍根を残し、イラク戦争検証委員会によって元首相が指弾されている状況が生まれているわけですから、いまの書き方>では国連決議か関連する国連決議があればやってもいいみたいになっているんですね。「関連する国連決議」というのはどういうトリックかといいますと、イラク戦争が2003年にあったとき>、イラク戦争を始めることを認めるような国連決議は出せなかったんです。けれども過去20年くらい前の戦争を容認するような関連決議に言及しながら、だからいいんだということで戦争をし>たわけです。つまり同じような場面だったらいいのか。イラク戦争型の戦争の支援をすることもこの恒久法は含むのか含まないのかという論点が、非常に大きなところであると思います。今日の>朝日新聞を見ても最低限、国連決議くらいは条件に組み込むべきだと主張している保守派の方の意見も紹介されています。

自衛隊法95条の改正で戦死者が出る事態も

いわゆる武力攻撃に至らない事態、どちらかというと日本周辺を想定していてグレーゾーン事態という言い方をされています。これは基本的には手続き迅速化の他に、米軍部隊の武器を守るた>めにも自衛隊が武器使用できるようにするという95条の改正がいわれています。これは武器使用の基準ということで少しわかりづらいところがあるんですが、PKOでも同じように武器使用の>拡大がいわれています。PKOの場合は任務遂行のための武器使用も新たに盛り込みましょうといわれています。もともと自衛とPKOしかなかった、どちらかといえばPKOというのは戦争状>態じゃないわけです。日本の自衛の場合は戦争に近い状態ですね。直接武力攻撃されているわけですから。ですからPKOの方がどちらかといえば平和的な状態、戦争状態ではない状態だという>前提があるんです。ですからPKOから先に武器使用の拡大をしていくんですね。

今回周辺事態法の改正も含めて、武器使用の緩和枠、第1次安保法制懇のときに政府側が出してきた文書ですが、武器使用権限には2種類あるといっています。能動的武器使用と受動的武器使>用があると整理しています。受動的な武器使用というのは、極端に言えば正当防衛です。これまでの武器使用の拡大の幅というのは、自分の身を守ることから始まって、自分の持っている武器を>守ることまで拡大した。今度やろうとしているのは、自分を守ろうとしてくれている米軍の武器を守るということで、それも全部受動的な、いわゆる正当防衛、自分を守るという範疇で理解しよ>うとしている。ですから彼らは周辺事態法を変えて、日本の周辺において米軍を守るがゆえに武器を使うとか、日本を守ろうとしている米軍を守ろうとしているオーストラリア軍を守るために武>器を使うというのも、一応論理として正当防衛としての受動的な武器使用の幅の中でちょっとずつ拡大するということで一定抑制されているという説明なんです。

PKOの任務遂行のための武器使用というのは、より根本的に積極的なんですよ。つまり自分を守るだけではなくて、ほぼ戦争中みたいなことにより近づくわけですね。だけどPKOというの>は「国家または国家に準ずる組織が敵対するものとして登場しないことを確保」することが前提になるのでアクティブな、積極的な武器使用をしてもそれは戦争に当たらないという理屈付けです>。平和的な状況があるから、平和が担保されているから積極的な武器使用をしても大丈夫だということですね。しかしあまり安易に見るべきではなくて、実際のPKOの状態というのは本当に停>戦合意がなされているかわからない。あるいは、これからは国連PKOではなくても、国連の管轄下でなくても似たような平和活動であれば、ということになってくる。

具体的に想定すれば、これからアメリカやヨーロッパの各国が「イスラム国」との戦争をどんどん拡大していくことは十分あるわけです。その中で、周辺に起きている平和協力的な活動が必ず>しも国連決議があって、国連のもとで展開できるものにならない可能性がある。PKOにならない可能性がある。しかし「PKO的」なものだからということでそこに自衛隊が入ることになる。>自衛隊が入ったときに正当防衛を超えて任務遂行のための武器使用ができることになる。すると、何らかの活動に従事していて、例えば警護任務の時に武器を使用していいということになると、>そのあたりから事実上の戦闘、戦争に近い状態に生まれてくる可能性は十分あるわけですね。

しかしそれはそもそも「イスラム国」との戦争ですから、相手が国なのかよくわからない。アメリカがアフガニスタンに攻め入ったとか、あるいはイスラム国に対して空爆していることが、戦>争行為なのか警察的な行動なのかというのは諸説あってよくわからないわけです。その後方地域に自衛隊が行って、警護任務だといって武器を使うとなったときに銃撃戦になって戦死することは>十分あるわけです。それは戦争に自衛隊が参加しているのとどう違うのか。国際法上はまだ戦争に至っていない状況だとしても、実態としては極めて戦争に近くなるわけです。日本周辺の場合は>まだ、日本の自衛隊の武器を守るための米軍の武器を守るためだという抑制的だからという理屈があって、自分達に身近だから抑制的にしようということが働く。でも遠く離れたPKOになって>いくと、それすら働かなくなってしまう。

任務遂行のための武器使用を認めることはどういうことか。日本が戦争に巻き込まれるという語感をもう少しリアルに考えると、純粋に国連PKOではないけれどもPKOっぽいものだからと>りあえず行けといわれて行った自衛隊員が事実上の銃撃戦に応戦して参加しなければいけなくなって戦死者が出ていくという状況になることが想定されていくんだと思うんです。そこから何が展>開するかを私たちはしっかり考えなければいけない問題だと思います。

同じように対テロ戦争、つまりPKOなのか対テロ戦争なのかよくわからない状況がいろいろな場面があります。例えば数年前のリビアに対するNATOの爆撃は、一応国連決議があったんで>すね。国連決議のもとでの人道的介入という名前でNATOはリビアに爆撃しているんですが、大変な被害を出すわけです。それが国連のもとでの平和活動なのか有志国の対テロ戦争なのか、よ>くわからないで物事がどんどんと起きているときだからこそ、本来であればひとつひとつの行動について、これは正当なのか、これは日本が本当に支援すべきことなのか、ということがきちんと>議論されなければいけないのにもかかわらず、それがあいまいとされている。あいまいとされていくことは、実は今回の安保法制の前からすでに海賊処罰という話の中で、かなりそれに近いこと>がすでに法整備されています。2009年に海賊処罰対処法や、それから発展してきたジブチの自衛隊拠点の開設というのは安保法制からも外れていて、私がつくった図でもどこに位置付くのか>よくわからない。うまく説明がつかないんですが、一定の国際的な警察取り締まりのようなもので、戦争じゃないということをいっておきながら、かなり自立的に判断して行動する権限を自衛隊>にもっていく。そういったものがどんどん強くなっていく。それが海外派兵恒久法の流れと組み合わさっていくという、そういうことがあると思います。

抑止力が高まることで戦争が起きにくくなるか?

整理しますと、この安保法制というのは事実上の米軍協力恒久法制である。記者会見ではお母さんが子どもを守るという話から始まって、もう一枚のパネルにはPKO現場で他国を助けるとい>う話をしていたわけですが、それとも矛盾するわけです。彼は「国民の命を守るため」といい、しかも「抑止力が高まることによって、より戦争に巻き込まれることはなくなる」ということをい>い、「自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してありません」と言った。この部分が本当にまったく根拠がないし、いまの安保法>制の中身を見るとこういうふうになることが十分に想定できるわけです。

もちろん政府にすれば、最初から武力行使を目的として派遣したのではないとか、最初から戦闘目的で行ったわけではないとか、そういう理屈は立つかもしれません。いまの安保法制の中では>、周辺事態の活動も海外派兵恒久法の活動も、原則武力行使ではないと言っているんですね。しかし武器使用を拡大することにより、実態として戦闘が始まる、巻き込まれる、そして戦闘に参加>せざるを得なくなる。戦闘に参加したら、彼らが言うのは武力行使は認められる。なぜなら集団的自衛権は最小限認められるからだとして、恐らく事後的にこれは集団的自衛権の行使をしている>のですと、戦争が始まったらそういうふうに言い訳するだろう。そのための法制なんだと思います。

もうひとつ重要なことは、「抑止力が高まることによって、より戦争に巻き込まれることはなくなる」という、この意味です。先ほどの拓殖大学の川上さんとかこの手の人が言うことは、アメ>リカと一体化していろいろな対テロ戦争の現場でアメリカに恩を売っておけば、アメリカは日本周辺でより積極的に行動してくれる。だから対中国との関係、対朝鮮半島との関係において抑止力>が高まって、日本を攻撃しようなどと思う国はなくなるであろうということですね。これに本当に信憑性があるのかということです。川上さんは、そういう位置にアメリカを巻き込んでいくため>には代償を覚悟する必要がある。日本の若い自衛官が対テロ戦争に派遣されて戦闘に巻き込まれて死んだ。そのことによってアメリカはより日本を積極的に応援してくれるから、尖閣諸島も日米>安保の対象だと喜んだのと同じように、日本は戦争に巻き込まれないというわけです。

実際のところ、ある世論調査によれば中国人の53%、日本人の29%が2020年までに戦争が起こりうるという結果があります。去年の9月の数字です。抑止力というのは何かというと、>軍事用語でありまして、相手を思いとどまらせる力ということです。抑止力が効いたか効かないかを決めるのは相手なんですね。こちらが攻めるぞという姿勢を見せることによって相手が行動し>なくなったら、抑止力が働いたということですから、それは自分が決めることではなくて相手が決める。結果がすべてなんです。日本がいまのような行動を取ることによって抑止力が高まるとい>うのは、実際に中国や韓国がどう反応しているかを見れば一目瞭然です。日本の一連の行動、特に安倍首相の場合は、歴史修正主義とかイデオロギー的な展開を伴っておりますので、その行動に>よって中国や近隣諸国が思いとどまっている状態になっているとはとても言えないと思います。だからこそ、このような世論調査の結果が出ているわけです。この動きは東アジア全体に戦争の危>険を高めている。日本から離れたところで自衛官の若者が命を落とす危険性を遥かに高め、その代償によって日本が安定するということを主張する人も一部にいますが、実態としては東アジアに>おいて戦争の危険性は高まっていると言わなければならないと思います。

歯止めの論理と大きな運動で、遅らせ止める可能性の追求を

先ほど歯止めを求める運動の余地の話をしました。こういう活動をする仲間の会として話をしたいんですが、まだ歯止めは可能だし歯止めのための議論をするという姿勢はこの運動のすべてで>はないとしても、しっかり言っていかないといけないと思います。たしかにこれは憲法9条の完全な骨抜きであるとか、あるいは戦後の平和秩序、平和主義を根本的に否定するものであるという>怒りは私も共有します。では去年の7月1日の閣議決定をもって、すべてはおじゃんになってしまった。去年の7月1日以降は暗黒の世界なんだとしてしまうことは、後世の歴史家が見て状況認>識としては正しいかもしれません。しかし運動としてはもうダメだということだけではなくて、この状況でもきちんと歯止めをかけるんだということをいっていくことによって、圧力をかけてい>かなければいけない。

周辺事態法のときでも、小渕総理が「いや、インド洋まで行くことは考えられません」とぽろっと言ったわけです。ぽろっと言ったことで、一応今日ここまで周辺事態には一定の地理的制約が>あるということになった。それも取り外そうということになっているわけですが。その意味で確かにいまの国会状況の中で、この法制を物理的に止めることは極めて難しい状況ではあります。そ>れでも大きな運動をつくって、その中で国会議員や政府と対峙するときには、こういった観点に関する歯止めの議論をかなり細かくやって、その事によって一つでも二つでもぽろっと答弁を出さ>せることは運動としてやるべきである。なぜそのことを強調するかというと、これは本当に人の生き死にに関係することであって、安易な国会論議によって自衛官がまずは「イスラム国」との戦>闘の後方支援あたりから始まって、どんどん命を落としてしまうような状況が生まれるわけです。その事は明らかでありますから、それを少しでも遅らせる、止めていくというときにあって、私>たちの憲法9条を守るという観点の運動も歯止めの論議をきちんとした方がいいと思います。

相手から、世界からどうみられるか。事実上対テロ戦争に参加するということです。後藤健二さん、湯川遥菜さんの事件のときに、「イスラム国」と対決すると首相が言っただけで、ああいっ>た事態に口実を与える状況です。実際に戦闘に参加する、戦闘の事実上のサポートをすることが見えたとき、つまり何らかの対「イスラム国」戦線の後方で自衛隊が警護活動などに当たって、そ>して武器を使う事態になって戦闘状態になるということになったとき、そこからの展開は、その戦地でさらに戦争状態がヒートアップするということだけではありません。より大きく国際的に日>本は敵陣営のひとつであると認定されていくことに繋がるということだと思います。

国連憲章と比べても特殊すぎてはいない日本国憲法

もう7年くらい前になりますが、9条世界会議を幕張メッセなどでやりました。そのときの「世界が9条を選びはじめた」というスローガンはいまでもとても重要だと思っております。本当に>多くの方が集まって武力によらない平和をつくろうと語り合った。これは単に理念的な、理想のアピールを繰り返しただけではなくて、本当にいま、先ほど世界の軍事費が減ってきているという>話をしましたけれども、世界全体が軍事にお金を使っていられない状況に至る中で、武力によらないやり方こそがよりスマートで持続可能なんだということを、多くのノーベル平和賞の受賞者の>方などから、非暴力の価値ということなどを教わったと思うわけです。

集団的自衛権の問題に関しては、みなさんはよくご存じだと思います。忘れてはいけないのは、この日本国憲法9条というのは、特別な憲法なんですけれども、そんなに特別すぎないんです。>なぜかというと、憲法9条の第1項には「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段と>しては、永久にこれを放棄する。」と言っています。これとほぼ近い表現が実は国連憲章の第2条の4に「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇または武力の行使を・・・>慎まなければならない。」と書いてあります。憲法9条の1項と、国連憲章の第2条の4というのが非常に親和性がある。国連憲章の方が1年早くできています。

つまり第1次大戦、第2次大戦を経た世界は、これからは各加盟国が武力によって問題を解決するということはやめにしようと国連をつくって宣言し、その流れでつくられた日本国憲法も、当>然そういうモデルを導入したというわけです。ただ国連憲章と日本国憲法とは確かに違いもあります。国連憲章は、武力はダメだよ、戦争はダメだよということを原則にしながら、何か問題があ>ったらまずは平和的に解決する、平和的に解決できなかったら最終的には軍事が動かなければいけない。けれどもその軍事というのも、基本的には国連安保理がやるのが筋であって、各加盟国が>軍事でやってはダメということです。まさに今年は国連創設70年になりますけれども、それが原則なわけです。最終的に軍事は認めているけれども、それは安保理がやるしかないということが>国連憲章です。

それに対して日本国憲法は、9条の2項でより徹底して軍隊を認めず交戦権を否定しているわけです。しかしながら、よく日本の役人などがいいますけれど日本だけが特別で他の国が普通だと>いう論理は、この対比の中では極端だと思います。そうは言えないと思うんです。つまり国連憲章の方は安保理が最終的に責任を持つけれど、どうしても無理だったら自衛権を行使してもしよう>がない。その場合は集団的自衛権もあると書いている。日本国憲法は、それも戦争に繋がるからやめましょうといっていまして、こちらの方が一歩前進しているんですが、基本的な方向性は、文>脈的方向性は同じところにあるわけですね。ですから国連の想定する平和で安定した世界をつくっていきたいという共通の理念の中に、国連憲章より1年後にできた日本国憲法は、より徹底した>非武装主義、非軍事主義を取ったわけです。その事をプラスと見るのかマイナスと見るのかという問題で、外務省の役人はワシントンの役人と結託して、それはマイナスだ、日本が他の国連加盟>国よりも少し武力の行使に制約がかかっているというのはマイナスだ、というキャンペーンを張っています。

私たちは、それはプラスだと考え直さなければいけないと思います。つまりいまの世界の国連システムの中で、紛争の平和的解決ということがもっとも根本的な原則でありまして、この安保法>制の話をすると、いきなりこれがぽんと飛んでいくわけですね。安全というのは、軍事によってしか担保できないんだという極論が横行する。いまの新3要件のもとですら、「他に手段がないと>きのみ」武力行使をしていいといっているわけですから、わたしたちは「他に手段」をどんどんつくらなければいけないわけです。他に手段をつくるということをしっかり議論し、国会議員にも>議論させる。それは例えばいまの東アジアの状況です。尖閣の問題、領土の問題を巡る緊張関係をどう解決するのか。それは自衛隊の出動を迅速化させることによって解決するという側面もある>かもしれませんけれども、本来議論すべきことは他の手段でこの領土問題の緊張を解決するということです。それは東アジアの協調的な安保体制をきちんと取っていかなければいけない。そして>いたずらに自衛隊を危険にさらしてはいけないということはいま述べたとおりです。

マスコミ、議員、地域、国際的にも世論の形成を

今後の流れです。与党の基本方針が出たということですが、ただしいま言ったような本当の歯止めをどうするのか。武力行使と一体化しないということをどうやって理屈付けるのかということ>は後回しにした状況の中で、恐らく与党はマスコミも含めて当面議論を止めて統一地方選挙を乗り切って、その直後に安倍が訪米して首脳会談並びにガイドライン改定に関する何かを発表する。>その直前には2+2も開かれるので、統一地方選挙までは少し静かにして、それが終わったら、まずガイドラインを表に出して法案も出していくということのようです。国会は1ヶ月以上延長す>るかもしれないといっていますので、ここが非常に大きな流れになっていく。恐らくマスコミも含めて意図的にしばらく静かにして5月にぽんと出そうということです。私たちは今日お話しした>ことも土台にしながら、いまの法案の問題点をまさにこの期間中に議論して、国会議員たちにこれに備えるようにどんどん情報を提供していくし、地域でもいろいろな世論の形成をしていくこと>が大事だと思います。

国会情勢は厳しいものがありますけれど、そこから先のことも見越していかなければいけないのは、8月の戦後70年談話を踏まえて自民党総裁選が9月にあります。ここで安倍があらためて>支持を獲得すると、恐らく彼が考えていることは明文改憲の動きが出てくるわけであります。参議院選挙以降、そういうことが本格化していくということでなかなか厳しい状況にあると思います>。

この流れの中でも、ワシントンの人間と安倍のような日本の右翼の政治家が行っていることの間に分断があると申し上げました。ここを叩くためにはワシントンにきちんと話をした方がいいで>すね。ニューヨーク・タイムズにもっと書いてもらう。このまま安倍が暴走したならば、中日関係がもっともっと悪化して東アジアが安定しなくなる。この危機をアメリカの市民にも伝える。あ>るいは安倍の靖国参拝に世界中から抗議がありましたけれども、そういったプレッシャーをむしろこのプロセスの中でかけさせていく、こういうことをいまから世界に発信していく必要がありま>す。右翼ナショナリスト政治家とワシントン官僚の結託に少しでもくさびを入れていくことが重要であろうと思います。そういったことも含めて集団的自衛権問題研究会の方でもこれから精力的>にニュースをも出していきますのでwebも見て頂きたいと思います。これからは質疑応答をしながら議論を深めていきたいと思います。

資料:「戦争法案」議事録修正には応じられない

「福島瑞穂参議院議員のブログ2015年04月22日」 から
4月1日(水)の参議院予算委員会における私の質問のうち「戦争法案」「鉄面皮」という発言に対して、削除ないし修正の要求が出ています。自由な議論に対する封殺であり、表現の自由>に対する侵害です。

議事録は、まだ掲載されていませんが、予定稿はあります。これを読んでいただければ分かる通り、もし「戦争法案」と言う言葉を削除修正すれば、議論そのものが成り立たなくなってしま>います。安倍総理と私は、戦争法案という言葉をめぐって議論をしており、これを他の言葉に置き換えたら、議論そのものが成り立ちません。削除や修正要求には応ずることは、できません。

また、「鉄面皮」についても、戦後50回も使われている言葉です。

1988年11月24日の衆議院本会議における中野寛成議員(民社党)は「自民党は、最近の鉄面皮とも思えるような無謀な国会運営」と発言しました。

1967年8月10日の衆議院本会議における西宮弘議員(社会党)の発言議事録には「うそつき、裏切り者、詐欺師、インチキ師、ぺてん師、あるいはイカサマ師、鉄面皮、こういうものいろいろありまするけれども、それらの本質を全部寄せ集めて、全部合計し、合算したのが、今日の自民党の実体でございます。(拍手)」とあります。

こうした国会審議の歴史から考えても、今の自民党は変わり、極めて狭量になっているのではないでしょうか。批判を受け付けない体質になっているのではないか。

議事録の正式な掲載は、理事会での全会一致が原則ですから、今回のように自民党が反対したりすれば、議事録が永遠に公表されないまま葬り去られるという危険すらあります。

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談話 2014年度中学校教科書の検定について

政府の見解を一方的に教科書に強制する検定制度は廃止すべきである

2015年4月6日
俵 義文(子どもと教科書全国ネット21事務局長)

文部科学省は、2015年4月6日、14年度中学校教科書の検定について公開した。この教科書は、2008年3月に改訂告示された学習指導要領にもとづく教科書の2回目の検定である。今回の検定には、社会科歴史分野で新たに「学び舎」が検定を申請した。学び舎は、現場の教員などが中心になって組織した「子どもと学ぶ歴史教科書の会」が設立した出版社である。

今回の検定は、2014年1月に政府見解に基づいて書くなど3点にわたって改悪された検定基準、同年3月に改悪された検定審査要項(検定審議会内規)によって行われた。この制度改悪が、今回の申請図書や検定結果にも大きな影響をもたらしている。

今回の検定では自由社と学び舎の歴史の申請図書が最初の審査で不合格となり、指摘された欠陥箇所などを修正して再提出して合格した。

なお、自由社は公民教科書の検定申請を行わず、現行本を見本本として採択に臨むとしている。今回合格した教科書は前述のように改定された検定制度の下で行われ、自由社の公民教科書は旧検定制度による検定合格本であり、新制度の検定を受けていないので、それを見本にはできないという疑義があるが、文科省は「問題ない」としているということである。

以下、社会科教科書に限定して今回の検定についての問題点を指摘する。

1.新検定基準にもとづき政府見解を教科書に強要する検定

(1)「学び舎」版に対する不合格理由とされた「欠陥箇所」の一つに「慰安婦」問題に関する記述がある。「欠陥」と指摘された記述は「朝鮮・台湾の若い女性たちのなかには、『慰安婦』として戦地に送りこまれた人たちがいた。女性たちは、日本軍とともに移動させられて、自分の意思で行動できなかった」という237ページの記述と、279ページの「日本政府も『慰安所』の設置と運営に軍が関与していたことを認め、お詫びと反省の意を表し」たこと、政府は「賠償は国家間で解決済みで」「個人への補償は行わない」としていること、そのため「女性のためのアジア平和国民基金」を発足させたこと、この問題は「国連の人権委員会やアメリカ議会などでも取り上げられ、戦争中の女性への暴力の責任が問われるようになって」いることなどの客観的事実を述べた記述である。

その「指摘事由」は「政府の統一的な見解に基づいた記述がされていない」ということであり、文科省の説明によれば、ここでいう「政府の統一的な見解」とは、「河野談話」発表までに政府が発見した資料の中には「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」とする辻元清美議員への答弁書(平成19年3月16日閣議決定)と、クマラスワミ報告書について「重大な懸念を示す観点から留保を付す旨表明している」とする片山さつき議員への答弁書(平成24年9月11日閣議決定)であるという。

この「欠陥箇所」指摘の結果、不合格後に再提出された「学び舎」版では、資料として掲載された「河野談話」中の用語を除き「慰安婦」の用語はすべて削除された。

しかし、ここで「指摘事由」とされた政府見解については、専門研究者や「河野談話」の直接の関係者などから数多くの異論が提出されている。すなわち、「河野談話」自体が残された公式文書によるだけでなく被害者からの聞き取りなどを総合して強制性を認めたものであること、「河野談話」発表時においても、その後発見された資料等によっても文字通りの強制連行の事例やだまして連行した事例が数多くみられること、日本軍「慰安婦」の強制性の問題は連行時における強制だけが問題なのではなく、「慰安所」に収容された後の移動や逃亡の自由が奪われたもとでの性暴力の強制こそが問題であること、などである。

これらの異論をまったく無視して、政府見解のみが唯一の正しい結論であるとして、政府見解のみを教科書に書かせ、それのみを子どもたちに教え込もうとすることは、民主主義社会ではあり得ない暴挙であり、愚行である。そもそも歴史的事実の認定は歴史研究者の研究と議論を通して確定されてゆくべきものであり、歴史の専門的研究を行う立場ではなく一定の政治的主張をもって政治活動を行う政治権力者が、たとえば「慰安婦」に関する歴史的事実を決定すること、かつそれを子どもたちに教えることを強制するなどということは、考えられない非常識な行為であり、重大問題である。2013年第68回国連総会において,歴史教科書に特に焦点を定めて出された報告(A/68/296)の中でも、歴史教科書の内容は歴史研究者の選択に任されるべきで政治家が介入すべきではないとしているが、これが国際社会の常識である。

このようなことを押し通し、検定によって「慰安婦」記述が削除されたことが明らかになれば、国際社会からも激しい批判をあびることは必定である。このような検定行為はただちに撤回すべきである。

また、昨年の検定基準の改定で政府見解にもとづいて記述することを求める一項を設けたことがこのような結果をもたらしたのであるから、昨年新設したこの検定基準は直ちに廃止すべきである。

(2)政府見解を押し付ける教科書づくりは、領土問題でも顕著である。これに関しては、検定以前に、昨年1月に行われた社会科の「学習指導要領解説」の改訂による出版社側の自主規制が大きく働いている。歴史教科書は現行本では1社のみが領土問題を扱っていたが、2016年度用ではほぼ全社が取り上げ、2ページの大型コラムを設けたのが3社あり、その他にも小コラムで扱うなどしている。地理や公民では領土問題の記述を軒並み増やし、政府見解通りに、北方領土・竹島・尖閣諸島は「日本の固有の領土」、北方領土はロシアが、竹島は韓国が「不法に占拠」と横並びに書き、尖閣諸島には領有権問題は存在しないと政府見解を丸写ししている。そのなかで韓国や中国の主張にもふれたものはない。

なお、領土問題について、育鵬社は歴史で「竹島は、遅くとも17世紀半ばには江戸幕府によって完全に治められていました。」と書いたが、検定意見で「竹島は、遅くとも17世紀半ばには我が国の領有権が確立していたと考えられます。」に修正した。ところが清水書院の歴史の「竹島については江戸時代中期から日本が領有権を確立していた」という記述が検定意見で「竹島については、江戸時代からその存在が知られていた」と修正している。きわめて矛盾したご都合主義・恣意的な検定である。

政府が政治問題・外交問題で一定の見解をもつのは当然としても、政府の決定には誤りがある可能性が常に存在する。民主主義社会の主権者たる国民は、政府とは異なる見解をも学びながら自主的判断力を備えていくことが求められる。憲法26条1項ないし教育基本法16条(「不当な支配」の禁止)に違反しないためには、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような内容を含まないこと、一方的な観念や見解を教え込むように強制するものではないこと等の条件を満たす必要がある(旭川学力テスト事件最高裁大法廷判決)。政府見解を一方的に教科書に書き込ませるのは子どもの学習権に対する重大な侵害になる恐れが強く、子どもの権利条約にも違反するといえる。その意味で、政府見解のみを教科書に書かせる愚挙は直ちにとりやめ、(1)でも述べたように関係する検定基準は直ちに廃止すべきである。

2.「通説」にかかわる新検定基準にもとづく検定

通説がないときは通説がない旨を明記せよとの新設された検定基準が文字通り適用されたのが、清水書院の関東大震災における朝鮮人虐殺事件についての記述である。「警察・軍隊・自警団によって殺害された朝鮮人は数千人にものぼった」との現行本記述をそのまま検定提出したのに対して、通説的な見解がないことが明示されていないとの検定意見が付され、「自警団によって殺害された朝鮮人について当時の司法省は230名あまりと発表した。軍隊や警察によって殺害されたものや司法省の報告に記載のない地域の虐殺を含めるとその数は数千人になるともいわれるが、人数については通説はない。」との必要以上に詳細な記述に変更された。著者・出版社がこのような検定に抵抗しようとすれば、バランスを欠くほどに詳細な記述にせざるをえなくなる。教科書の記述は歴史研究のおよその到達点を簡潔に記述すれば足りるのであって、歴史資料が必ずしも完全な形で残存しているわけではないことを利用してことさらに戦争の被害や加害の事実を小さく見せようとする意図的・政治的なねらいのために、教科書記述を不必要に歪めることがあってはならない。このような検定意見を生み出す検定基準改定も撤回廃止すべきである。

3.「正確性」を重視するという理由で歴史をわい曲する検定

文科省は、今回の検定はこれまで以上に正確性を重視したと説明している。その一例がアイヌについての次の検定で、申請図書の「政府は、1899年に北海道旧土人保護法(「保護法」)を制定し、狩猟採集中心のアイヌの人々の土地を取り上げて、農業を営むようにすすめました。」という記述に「生徒が誤解する恐れのある表現」という前回検定(2010年度)合格の現行本と同じ記述に、検定意見をつけて「政府は、1899年に北海道旧土人保護法(「保護法」)を制定し、狩猟や漁労中心のアイヌの人々に土地をあたえて、農業中心の生活に変えようとしました。」と修正させた。

文科省は、「旧土人保護法」の文言は「土地を与える」となっていることを検定基準の理由にしている。しかし、「旧土人保護法」制定当時、アイヌの土地を取り上げたということは、歴史研究では通説となっているものであり(他社教科書では「土地を奪われた」などが検定合格している)、「土地を与えた」というのは明白な歴史のわい曲である。1997年に制定された「アイヌ文化振興法」によって「旧土人保護法」の内容は否定されているし、これは、2007年の国連総会で採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」(日本の衆参両院でこの内容が決議された)にも反するものである。「正確性」を理由に歴史の事実をゆがめ、逆に不正確にして歴史わい曲の検定である。

4.教科書を政権の道具にすることは許されない

以上に例示したように、今回の検定では昨年度の検定基準改定と「学習指導要領解説」の改訂が、検定の在り方に大きな歪みをもたらしていることが明らかになった。従来の検定に対しても私たちは「書かせる検定」だと批判してきたが、今回の検定基準改定によって「政府見解」という新たな明確な基準に基づいて書かせる検定という性格があらわになり、歴史でさえ政府見解に基づいて書かせるという驚くべき段階に達したといわなければならない。それは安倍右翼政権がめざす「戦争する国」づくり、「大企業が最も利益を上げる国」づくりのために教育・教科書を最大限に利用しようとしていることを示している。

5.侵略戦争と植民地支配を美化する育鵬社版・自由社版の本質

育鵬社版・自由社版については、それぞれの編集発行の母体が、侵略戦争と植民地支配のさらなる美化をねらったと思われるが、国内外の批判的世論の前で内容の枠組みを戦争美化の方向へ大きく変えるまでにはいたらず、検定意見による修正も含め基本的には現行版の枠組みを維持している。そのことは同時に、育鵬社版・自由社版が、神話と神武天皇の扱いにおける歴史歪曲、近代日本が行った侵略戦争と植民地支配の美化、韓国併合の美化、天皇制賛美、日本国憲法の敵視と歪曲等々の点で、これまでと本質的に全く変わらないことを示している。

育鵬社版公民教科書は現行版同様に「江戸しぐさ」を全く同じ内容で載せている。この「江戸しぐさ」は70年代に考案されたもので江戸時代には存在しなかったことが明らかになっている。明らかな歴史の偽造であり、それをそのまま載せたのに対して、何らの検定意見もつけないで合格させた文科省の検定は歴史修正主義に加担する重大な問題である。

自由社版歴史教科書は南京事件の記述を無くした。現行本では側注で南京事件を書いていたがこれを削除し、逆に通州事件の側注を詳しく3倍にした。文科省はこれについて検定意見をつけていない。1984年版の全中学校歴史教科書に南京事件が記載され、扶桑社・育鵬社・自由社版にもこれまでは何とか記述されてきた。戦後70年の今年、南京事件を削除したのは「南京事件はでっち上げ」という彼らの主張を露骨に表現したものであるが、それを許した文科省は検定基準の近隣諸国条項に違反するものであり重大である。

育鵬社版・自由社版教科書については、今後、さらに内容を精査して、もっと詳しい見解を諸団体による「共同アピール」として発表する予定である。

6.安倍政権の教科書変質政策は全面的には貫徹していない

一方、それ以外の教科書も、2001年の扶桑社版の検定合格以来、戦争の事実をあいまいにする方向に変質してきた。そのなかでたとえば「慰安婦」や「強制連行」などの用語が中学校教科書から消え、南京事件などの顕著な事件について犠牲者数を明記しなくなるなどの残念な変化が進んできた。

今回の改訂でも、東京書籍が南京事件の注記で東京裁判でその事実が明らかになったという記述を削除する、教育出版が日露戦争の項で新たに東郷平八郎を評価する説明とともに写真を掲載する、太平洋戦争開始の項でABCD包囲網を打ち破るために開戦の必要を説く論議をあえて紹介する、沖縄戦における日本軍による住民殺害を削除する、1945年の箇所で「解放の日の朝鮮」の写真を「玉音放送を聞く人」に差し替えるなどの自主訂正による変化がおこっている。

しかしその反面、改善された記述もいくつかみられ、全体としては、私たちが危惧していたほどには育鵬社版・自由社版に大きく近づいたといえるような顕著な変化はみられなかった。その意味で、教科書検定制度を改悪してまで、安倍政権とそれをささえる右翼勢力がねらってきたような、すべての教科書を戦争美化の方向へ変質させるという企ては、全面的には貫徹できなかったといえよう。これは安倍政権の暴走に対する批判的世論の高まりと、著者・出版社の努力に負うものであろう。

7.育鵬社版・自由社版採択を許さない取り組みをよびかける

したがって、依然として、育鵬社版・自由社版と他社版との違いは歴然と存在している。そのことを広く訴えて、いま安倍政権・自民党・日本会議などが教育の全面的な右翼的政治支配を貫徹するための当面の最大目標として総力をあげてとりくんでいる育鵬社版・自由社版の採択を、全国すべての地域で阻止し、「戦争する国」づくりへ痛打をあびせるために、全力をあげることを表明する。

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ストップ改憲! 8・6新聞意見広告にご参加ください

70回目の夏に、戦争・原発さようなら

第九条の会ヒロシマ 藤井純子

「はじめよう! 次の不戦の70年を」これを合言葉に今年も8・6新聞意見広告に取り組む。18歳になる若者が選挙権をもつ時、初めての権利行使を改憲の国民投票に使わせたくはない。敗戦・被爆70年の今年、次の不戦の70年を始める年にしたい。8月6日までに戦争法が通らせないよう、プロセスを大事にして取り組むつもりだ。

政府がマスメディアに介入し、方針と違うものは排除する。マスコミは委縮して本当のことを伝えない。だから安倍外交によって日本の市民が攻撃の対象になっても、政府が人質を見殺しにしても安倍政権の支持率は下がらない。このまま「戦争法案」の与党協議が進んで国会に出されてしまったら? この「私と憲法」を読まれている皆さん同様、私の辞書に「諦め」という言葉はないと思ってはいるものの、この国は本当に戦争国家になるのではないかと不安になる時がある。そんな時、国会を取り囲む首都圏の皆さんをみて「落ち込んでいる場合じゃないぞ」と思い直す。ヒューマンチェーンや大集会、地道な議会の傍聴、戦争立法、原発、慰安婦、教育問題など様々な院内集会、国会前集会等々、休みなく頑張ってくださっている。私たちも広島でできることを精いっぱい頑張ろうと思う。

毎年、多くの皆さんのご支援を頂いて8・6新聞意見広告に取り組んでいるが今年は読売新聞に掲載する。いつも賛同してくださる方の中にも、あの朝日バッシングはひどい、読売の営業にプラスになることには参加したくないという人もいるがそれも承知の上だ。意見広告は今年で19回目、読売には3回掲載した。掲載した年にはそれは聞きたくもない電話、読みたくもない罵詈雑言をメールやFAXが来て悩まされる。名前のないものは無視するが、名前が書いてあっても「中国や北共和国が攻めてきたらどうする。9条では領土を守れんぞ」「原発をなくせというが、お前たちは電気なしで暮らす気か」などなど思考停止に陥っていて、対話も成立しない。

しかし思いのほか、まじめな反応も多い。前回も「自衛隊・軍隊がなくて大丈夫だろうか?」「米軍基地があるのは抑止になっているのでは?」と迷っている人や「武力は負の連鎖を引き起こす」という女性や「政府は平和外交の努力が足りないのでは?」という男性、「市民の交流も必要ではないか」という9条を理解した若者たちもいた。朝日や毎日新聞のように共感してもらうと確かに元気が出て嬉しい。読売だとおそらく今年も批判や反論が出るだろう。だが読売購読者が全て「保守」とは限らないし「改憲論者」でもないことはこれまでの3回で分かってきた。「安倍政権はなんか変だぞ」と思っている人、今の日本のあり方に疑問を持っている人は多く、戦争が好きな人は殆どいないはず。購読者には暮らしや環境問題の記事が多いために若い層が増えたと聞く。そんな人がこちらの主張に対して「子ども、未来のために考えてみよう」と思ってくれたら… 様々な反響があっていい、まじめな相手なら対話も期待できる。そのためにも私たちも頑張って、政治にあまり関心がなかったり、保守的傾向の強い人たちにも「なるほど」と思ってもらえるような紙面を作りたい。なによりもあの読売新聞の1面を「日本は戦争をしてはいけない国であり、原発なしで暮らしたい」という私たちの主張で埋める8・6意見広告は意味があるのではないだろうか。

広島の周りには、拡張強化が進む岩国米海兵隊基地や呉の海上自衛隊基地、再稼働や新設が心配される伊方原発、上関原発建設計画があり、私たちがなすべきことは多い。この3月、第九条の会ヒロシマ23周年の講演会で映画「標的の村」監督の三上智恵さんから「憲法を獲得する沖縄」と題して、辺野古新基地建設に反対しオール沖縄でたたかう話をお聞きした。祝島の人たちも、今年も漁業補償を受け取らず「上関原発のお金はいらない」と海を守ってくださっている。民主主義は沖縄や上関から始まろうとしているのだ。

昨年6月、国会で社民党が質問をしたが、水島朝穂さんの『武力な平和――日本国憲法の構想力』によると、1954年、保安隊=治安維持から自衛隊=防衛に変わった時、宣誓のやり直しが全国の部隊で一斉に行われ、保安隊から7300人、警備隊から10人、保安大学校から6人が宣誓書に署名しなかったそうだ。今、自衛隊が専守防衛からも攻撃する軍隊へ踏み出すのであれば隊員の人権を守るためにも宣誓をやり直さなければはならない。陸自の中で一番海外派遣の多い北部方面隊は「戦争立法」に備え“遺書”ともいうべき『家族への手紙』を書かせようとしたが苦情申し立てをした隊員もいたという。自衛官自身が署名をしなかった先輩たちのようにしっかり考え行動してほしい。(次頁へ)

今年の8・6新聞意見広告は、自衛隊員にも、考えが違う人にも見て考えてもらいたい。これは皆さんからの協力無しには実現できないし、賛同してくださった方の中に連絡会のメンバーのお名前を見つけると本当に嬉しく力が湧いてくる。
(2015年4月20日)

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