私と憲法165号(2015年1月25日号)


戦争関連法制の改定と自衛隊海外派兵恒久法を
全ての反戦平和勢力の総がかりで阻止しよう

安倍首相の掲げる「積極的平和主義」の看板の下で、この国は海外で戦争する国への道を急速に走りだそうとしている。この26日から始まる通常国会は平和憲法のもとで戦争をしない、出来ない国としての道を歩んできたこの国の70年におよぶ歴史の、極めて重大な転機にされようとしている。

2014年7月1日の集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を実行に移すためには、従来の歴代政権の憲法解釈のもとで作られてきた一連の戦争関連法制、とりわけ自衛隊法や武力攻撃事態対処法など関連法制、15本とも18本以上とも言われる法制(註)を「改正」する必要がある。本誌でも繰り返し指摘してきたように、安倍政権はこれらの法制の改定を、統一地方選後の通常国会の後半に「一括法」の形で強行しようとしていると言われている。

この一連の戦争法制の改定とあわせて、従来から安倍・自民党はこの通常国会に、米軍などによる戦争を支援するために、いつでも、海外のどこへでも自衛隊の派兵を可能にするための「恒久法」案を提出しようとしていると言われてきた。先般、その政府の意志が明白に示された。これは極めて重大な問題だ。

1月19日、菅義偉官房長官は記者会見で、この自衛隊海外派兵恒久法案を通常国会に提出し、成立を目指す考えを明言した。菅官房長官は「あらゆる事態に、切れ目のない対応を可能とする安全保障法制を整備することが重要」で、従来、自衛隊の海外派遣は、特別措置法を制定して対応してきたが「将来、ニーズが発生してから新法、特措法で対応することは考えていない。(恒久法案を)通常国会へ提出すべく、与党と相談しながら精力的に作業を進めている」と述べ、新法については政府与党内ではまだ議論がある。

先の閣議決定は海外での米軍や多国籍軍などへの後方支援の拡大と、いわゆる「駆けつけ警護」などでの武器使用に関する新見解を打ち出した。これに沿った海外派兵法を策定しようと言うのだ。

政府はこの法整備について、2月から再開される予定の「安全保障法制整備に関する与党協議会」(座長・高村正彦自民党副総裁、座長代理・北側一雄公明党副代表)で議論しようとしている。

従来はこれらへの対応は、PKO法や、派遣の時期や対象地域を限定した特別措置法で行ってきた。しかし、「テロ特措法」(2001年~2007年、2008年~2010年)や「イラク特措法」(2003年~2009年)はいずれも失効している。こうした事態のなかで、今日、菅長官がいうように、(米軍の要請などの)「ニーズが発生する前」から、自衛隊がグローバルな範囲で、地理的制約なしに活動ができ、後方支援の範囲・内容もより広げた形となる新規立法が検討されている。1月18日、中谷防衛相は自衛隊の海外での唯一の軍事基地化しつつあるジプチを訪問した際に「(米軍などの要請に対応)『できる能力はある。しかし、日本はできないんです」ということで本当にいいのか。地域の安定や海の安全などに積極的に関わっていける部分があるのではないか」などと発言し、派兵恒久法の制定を進める考えを示している。

この米軍戦争支援のための海外派兵恒久法は、おそらく実際の法案名称としては「国際平和構築法」などという欺瞞的な名称を付けて、世論の支持を得ようとするにちがいない。しかし、どのように名称を付けようとも、この海外派兵恒久法案は、第9条をはじめとする日本国憲法の平和主義に真っ向から反するものであり、自衛隊が米軍の要請に従って、いつでも、世界のどこにおいてでも戦争に参加することを推進するものだ。この法律が成立すれば、この国はまさに「戦争する国」となるのであり、自衛隊が世界の各地の戦場で「殺し、殺される」時代になる。このような悪法は絶対に容認できるものではない。

実はこの海外派兵恒久法は2006年の第1次安倍政権が発足する直前、同年8月末に自民党の防衛政策検討小委員会(委員長・石破茂元防衛庁長官)が原案を作成しているのであり、安倍晋三らの長年にわたる念願の法制だ。当時の原案は名称を「国際平和協力法」として、60条にわたって条文化したもの。石破委員長らによる条文案は(1)武器使用基準をこれまでより緩和(2)これまで必要だった国連決議や国際機関の要請がなくても派遣可能(3)これまでしていない治安維持任務に活動を拡大――などが主要な柱であった。具体的には、自衛隊が武器の使用を含む、治安維持活動である「安全確保活動」、他国軍隊への輸送や補給などの「後方支援活動」、人や施設などの「警護活動」、テロリストの移動などを阻止するための 「船舶検査活動」、「停戦監視活動」、「人道復興支援活動」などを行うことができると定めている。国連決議や紛争当事者の要請がなくても、米国など「国連加盟国の要請」や日本政府の判断だけでも派兵が可能で、「国際的な武力紛争」が起こっていない地域であれば、地球上どこででも活動できることになっていた。まさに憲法違反の立法案だ。

この法案は以降、第1次安倍政権の崩壊の後、福田内閣当時も努力が継承されたが、政権交代でお蔵入りになり、集団的自衛権の政府解釈変更の閣議決定を強行した第2次安倍政権でふたたび陽の目を見ることになった。近く始まる与党協議で協議の素材となるであろうことは疑いない。

しかし、障害もある。公明党は「あらゆる事態を事前に一般化して法律を作ることはできない」として、派兵恒久法に消極的だ。少なくとも、同党が重視する統一地方選の前に自民党に同法制定で妥協することは困難だ。閣議決定に関して、安倍首相が「限定容認」論を採ることで、公明党の妥協を引き出したが、日米ガイドラインの再改定と同時進行の恒久法で、与党内の矛盾を解決することは容易ではない。

自衛隊海外派兵恒久法はこの国をふたたび戦争の淵に陥れるための稀代の悪法に他ならない。いま、私たちが直面しているのは、この国の前途の歴史的な選択だ。折しも今年は戦後70年。侵略戦争をしなかった時代の終末を迎えるようなことがあってはならない。いまこそ、全ての反戦平和勢力は総がかりで結集して、戦争関連法制の改定と、派兵恒久法の制定を阻止するために闘おう。(高田 健)

(註)内閣官房の資料では次のようになっている(福島みずほさんのメルマガより)
(1)我が国の防衛に直接関連する法制
○武力攻撃事態対処法(2003)
○自衛隊法(防衛出動に関連した規定)
○その他の事態対処法制
○国民保護法(2004)
○特定公共施設利用法(2004)
○米軍行動関連措置法(2004)
○海上輸送規制法(2004)
○捕虜取扱い法(2004)
○国際人道法違反処罰法(2004)

(2)公共の秩序の維持に直接関連する法制
○自衛隊法
○海賊対処法(2009)

(3)周辺事態への対応に関連する法制
○周辺事態安全確保法(1999)
○船舶検査活動法(2000)
○自衛隊法(周辺事態に関連した規定)

(4)国際平和協力等の推進に関連する法制
○国際平和協力法(1992)
○国際緊急援助隊法(1987)(自衛隊は1992の改正以降参加)
○自衛隊法(国際平和協力業務等に関連した規定)
○派遣処遇法(1995)
・(時限法・失効)旧テロ対策特措法(2001-2007)
・(時限法・失効)旧補給支援特措法(2008-2010)
・(時限法・失効)旧イラク人道復興支援特措法(2003-2009)

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改憲を先取りする戦争関連法制

小川 良則        

【流行語大賞にまでなった集団的自衛権】

会期末の師走の深夜の本会議での秘密法の強行で幕を閉じた2013年に続き、「集団的自衛権」が流行語大賞となった2014年も、安倍内閣の目に余る暴走が相次いだ。

まず、通常国会冒頭の政府4演説で、総理は集団的自衛権の解禁に並々ならぬ意欲を示した上で「責任野党」とは真摯に協議すると述べ、異なる意見には耳を貸さないという姿勢を露わにした。しかも、これに続けて、そうした努力の積み重ねにより改憲も前に進むと述べ、閣僚や議員の憲法遵守義務を定めた憲法99条を無視し、自らが推進する政策が改憲へのロードマップに他ならないことを隠そうともしなかった。

そして、安倍内閣が実際に行なったことといえば、原発の再稼働容認と輸出推進、武器輸出の解禁や教育委員会制度と大学自治の解体など、枚挙にいとまがない。特に、市民に負担増とサービス切り捨てを押しつける「医療・介護総合推進法」に至っては、複数の分野にまたがり、制度設計や趣旨の異なる19本もの法律を一括して改「正」するという、内容的にも立法技術的にも乱暴の極みと言うしかないものであった。

とりわけ問題なのが、集団的自衛権の解禁の強行であり、5月15日、総理の私的諮問機関に過ぎない安保法制懇が集団的自衛権を容認する報告書をまとめた。歴代内閣が積み上げてきた憲法解釈の根本的な転換にもかかわらず、14人の委員のうち憲法の専門家は1人だけ、それも元防衛大学校講師で防衛法学会名誉理事長という結論ありきの偏った人選である。その後、議論は専ら与党協議という密室で進められ、国会での議論は5月28日の衆院予算委と29日の参院外交委の2回だけで、議会や主権者への説明責任を放棄したまま、会期終了後の7月1日に閣議決定が強行された。これを急いだ背景にあるのが日米ガイドラインの再改定との関係だったが、あらゆる限定を外し日米安保の完全なグローバル化を内容とするガイドラインの再改定も、10月8日に中間報告こそ強行したものの、最終確定と関連法案は今年の通常国会の後半に先送りされた。

しかし、いくらそれ自体は許し難いものではあるにせよ、閣議決定や行政間の協定に過ぎないガイドラインだけで実際に集団的自衛権が実行できる訳ではなく、それには何本もの法律や政令を改める必要があり、それゆえに安全保障法制の根本的な変更を許さない取り組みが重要であることは、従来から本誌でも述べてきたところである。

【今後予想される法案】

その閣議決定やガイドライン再改定を踏まえた法整備について、時期や内容や手法も含めて様々な報道がなされているが、今年の通常国会に何らかの形で出されることは間違いない。現に、総選挙後の昨年12月15日の自公連立合意には、先の閣議決定に基づく関連法案を速やかに成立させると明記されているし、12月26日の記者会見で自民党の谷垣幹事長は、通常国会は安保国会になると明言している。本誌では、さる野党関係者から、首班指名の特別国会の際に参院の外交防衛調査室が今後予想される安全保障関連法案についてレクチャーした資料を入手したので、以下、その問題点を概観してみたい。

既に本誌では、閣議決定前後の第158号及び159号で「集団的自衛権行使に伴い「改定」しなければならない戦争関連法制は、(1)自衛隊法、(2)防衛省設置法、NSC設置関連法、(3)武力攻撃事態法、国民保護法、特定公共施設利用法、米軍行動円滑化法、外国軍用品海上輸送規制法、捕虜取扱法、非人道的行為処罰法、(4)周辺事態法、船舶検査活動法、(5)PKO協力法、国際緊急援助隊法、海賊対処法など」と指摘してきたところである。その後の報道によれば、周辺事態法を廃止する一方で海外派兵恒久化法のようなものを新設する構想等も伝えられているが、自衛隊の任務や運用、政府機関の権限や手続き、日本有事、「周辺」有事、海外派兵の各般にわたる膨大なものであることに変わりはない。

今回入手した資料では、これを実際の場面に応じて、(1)武力攻撃に至らない侵害(グレーゾーン事態)への対処、(2)国際貢献(「後方支援」の「見直し」=事実上無制限の拡大)、(3)集団的自衛権の「限定」容認の3つのカテゴリーに大別している。

【「グレーゾーン」の段階から「シームレス」に?】

尖閣諸島や最近では小笠原の珊瑚の問題に便乗して、中国脅威論を煽りつつ、装備の強化や特殊部隊の創設の必要性を印象付ける世論操作が進んでいるが、ここでは、武力攻撃に至らない侵害(グレーゾーン事態)に対処するための治安出動や海上警備行動の発令手続の迅速化を図るとしている。もっとも、政府は運用で対応するとしているが、解散で廃案にはなったものの、民主党から「領域警備法案」なるものが出されている。

しかし、武力攻撃ではない以上、それへの対応は、仮に警察や海上保安庁の手に負えずに自衛隊が支援することがあったとしても、概念上はあくまでも自衛権ではなく警察権の行使である。ところが、自衛隊の活動形態として平素からの「領域警備行動」を新設し、いきなり自衛隊を出すことで「グレーゾーン」の段階から「シームレス」に対応するとなると、警察権と自衛権(交戦権)の峻別がなし崩し的に破壊され、平時の法体系が有事(戦時)の法体系に浸食されることになる。たとえ離島という限定的な場面にせよ、ひとたび自衛隊が犯罪の鎮圧にあたるという例外を認めてしまえば、自衛隊によるデモやゼネストの鎮圧を否定する根拠が崩れてしまうことを意味する。これは、憲法秩序の破壊と言うほかない。

なお、運用で対応するとしている政府も、米軍部隊の武器防護のための武器使用については法整備が必要だとしている。しかし、武力攻撃には至らなくても米軍が出動する事態とは、そもそも何を想定しているのであろうか。偶発的・局地的な衝突・小競り合いがどこかの国との全面衝突に発展することまで想定しているのであれば、極めて物騒な話であるし、そうならないうちに解決を図るのが外交の仕事であろう。

【日本も交戦当事国に?】

国際貢献の関係では、これまで曲がりなりにも海外での武力行使はできないことを前提に、いかに一定の歯止めの下で例外を設けるかで論じられてきたが、これを全てご破算にして、従来の「後方地域」や「非戦闘地域」といった枠組みをなくし、他国の軍隊が「現に戦闘行為を行なっている現場」以外での支援活動を可能にしようとしている。しかし、戦闘行為が「現に」行なわれていなくても、昨日までは戦場だったかもしれないし、明日そこが戦場になるかもしれないのである。戦闘地域とは「一線を画した」はずのイラクの宿営地に何発着弾したかを考えれば、これが何の意味も持たないことは明白であろう。しかも、そのイラクでは実際には米軍の物資や人員を運んでいたことも判明しているし、今回は武器・弾薬の提供まで解禁しようとしているとも報じられている。これが交戦当事国としての行為でなくて何であろうか。

こうした法整備がどのような形で出て来るかについては、最近では、海外派兵の恒久法として出て来るのではないかという見方が有力になりつつある。これは、憲法調査会等での議論の中でも、テロ対策や人道支援の名の下に個別に臨時の特例法で対応してきた従来の手法では限界に達しており、憲法上の整理も含めて恒久的な法整備が必要だという意見が出されてきたこととも符合する。

なお、2006年に自民党の防衛政策検討小委員会が作成した石破私案では、派兵の根拠付けも現地での活動内容も、武器使用の要件も、歯止めの大半が取り除かれていることを指摘しておかなければならない。すなわち、国連決議がなくても、国連加盟国(米国単独でも)から要請されたり、政府が必要と認めた場合には派兵が可能であり、正規軍同士による交戦地域でなければどこでも派兵できることになっている。任務の範囲も、破壊行為の予防・制止にまで拡大された上、任務遂行のための武器使用も認められており、デモ隊の鎮圧も可能となっているほか、船舶臨検や海上阻止活動まで任務に加えたり、外国軍との連携や民間人徴用条項も組み込まれている。これがそのまま出て来るかは不明だが、事実上の改憲状態の先取りであり、決して認める訳にはいかない。

また、いわゆる「駆けつけ警護」のためのPKO協力法の改「正」や、邦人救出等のための自衛隊法の改「正」については、上述した恒久法の方で対応する可能性もある。

しかし、「駆けつけ警護」は紛争地での武力行使に他ならないし、NGOのスタッフの警護というロジックも、軍隊と共に行動することを避けることで住民の信頼をつなぎとめてきたNGOにとっては有難迷惑でしかない。また、邦人救出のためとはいえ、陸自部隊(地上軍)を派遣し、任務遂行のための武器使用まで認めるのは、紛争地における武力介入にもつながりかねない。むしろ、事態が深刻化する前に在留邦人に当該国からの退去を促すのが在外公館や外務省の任務であろう。

【新たに「存立事態」なる概念まで登場】

最大の問題が集団的自衛権の容認についてである。これを実際に行使するには、自衛隊法の防衛出動の条項と有事法制(武力攻撃事態法等)の改「正」を避けて通ることはできない。そこで、(1)我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある。(2)他に適当な手段がない。(3)必要最小限度であるという7月の閣議決定の際の「新3要件」を自衛隊の防衛出動の根拠規定に書き込もうというのである。しかし、いくら「明白な危険」とか「必要最小限度」と言っても客観的な基準がある訳ではなく、極めて曖昧で何の歯止めにもならないことは、閣議決定の時から多くの人たちに指摘されてきたとおりである。

しかも、これを説明するのに「存立事態」なる概念を新たに設けるというのは、意図的にミスリードするものと言わざるを得ない。集団的「自衛」権の本質は他国への攻撃を自国への攻撃と見做して反撃する(実際には事実上の先制攻撃となるケースも多いのではあるが)ことであるにもかかわらず、日本の「存立」が危機に瀕するような事態と言わんばかりのすり替えには怒りを禁じえないし、いくらエネルギー資源を輸入に頼っているからと言っても、原油の輸入確保は死活問題だから中東の紛争に派兵できるという論法には首を傾げざるを得ない。

なお、周辺事態法については、ガイドラインの再改定により日米安保を完全にグローバル化することに伴い、廃止という見方が浮上している。もともと、日本の参戦義務は日本有事の場合に限定され(第5条)、日本以外の「極東」に関しては施設提供義務にとどまる(第6条)という安保条約と、集団的自衛権は行使できないという憲法の制約をすり抜けるために編み出されたのが「周辺事態」という概念であったが、憲法上の制約を外したことで苦し紛れの詭弁も御用済みという訳である。

また、機雷掃海の問題については、戦争終結後ならともかく、戦闘行為の一環として敷設したものを除去するのは参戦行為と見做されることを指摘しておきたい。

【「安全保障基本法案」に見る危険な全体像】

こうした戦争関連法制や2013年の暮れに強行された秘密法やNSC法をはじめ、戦争国家づくりの全体像を示すのが安全保障基本法案である。今回の通常国会でも見送られる公算が大きいものの、これを概観することで、何が狙われているかが把握できる。

まず、その第2条で「実効性の高い統合的な防衛力を効率的に整備するとともに、統合運用を基本とする柔軟かつ即応性の高い運用に努める」としており、これは陸・海・空の一体的運用のみならず、海兵隊機能の創設をも意味している。続く第3条では「秘密が適切に保護されるよう、法律上・制度上必要な措置を講ずる」と明記されているほか、「教育、科学技術、建設、運輸、通信その他内政の各分野において、安全保障上必要な配慮」とも明記されており、これは、教育の国家統制や通信傍受、報道統制、科学の軍事利用等を宣言したのも同然である。また、第4条には国民の協力義務が盛り込まれているが、「国防の義務」という改憲後の「国の姿」を予め先取りするものである。

さらに、第8条の自衛隊による「公共の秩序の維持」は、現行の自衛隊法が治安出動を警察力では対応不能な緊急事態に限っているのに対し、「必要に応じて」発動できるように要件を大幅に緩和するもので、強権国家志向を露わにしている。

そして、第10条の「自衛権」の標題に、わざわざ「国連憲章に定められた」という枕詞を付けることで国連憲章第51条に掲げる集団的自衛権を所与の前提としたほか、第9条に国連等の活動への積極的な参加を盛り込むことで、制裁活動への参加等にも道を拓こうとしている。さらに、第12条では防衛産業の育成と武器輸出まで明記されており、このいくつかは既に既成事実化されているというのも大きな問題である。

しかし、いくら自公与党で全議席の3分の2以上を得たとはいえ、安倍内閣の基盤は決して盤石ではない。自民党は改選前よりも減らしているし、安倍内閣の党外応援団とも言うべき極右・次世代の党は壊滅、みんなの党も解党してしまった。何より、不況と生活不安で経済対策以外の争点が後背に退いた中での選挙であり、依然として原発にも集団的自衛権にも反対というのが世論の多数である。沖縄では全選挙区で「安倍ノー」の民意が示されたし、年が明けて最初の選挙である佐賀県知事選でも自公候補は大敗を喫している。こうした声を粘り強くつなぎあわせて、大きなうねりを創り出し、戦争国家づくりをストップさせていこう。

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2015年 年頭の決意・各地から

核のゴミ最終処分場問題-北海道釧路での動き

釧路市 工藤和美

北海道の根室・釧路地域では、2014年初めに核のゴミの最終処分場の有力候補地として名前が挙げられたことから大きな波紋が拡がった。発端となったのは、昨年1月28日に自民党資源・エネルギー戦略調査会の「放射性廃棄物に関する小委員会」の初会合が開かれた際の講師の高橋正樹日大教授(火山学)の発言である。同教授は、安全になるまで数万年から数10万年かかる高レベル廃棄物は「人間の力では管理できない」、「地層処分が唯一の選択」、国内に活断層や火山活動を避けられる科学的有望地域をランク付し、「トリプルA」として「根釧海岸地域」「北上山地海岸地域」「阿武隈高原北部海岸地域」の3地域をあげた。

同年4月には、釧路で市民運動「核のゴミいらないアクション」が立ち上がり「この豊かな自然を子孫に残すため、一切受け入れないと声をあげていきましょう」と幅広い層への署名活動が活発に行われた。音楽ライブや出店と署名を呼び掛ける署名フェス(ティバル)などの取り組みが行われ、8月末までに釧路市長宛約1万6千、厚岸町長宛は約1万2千の署名を集めた。釧路市長は「皆さんと思いは同じ」とし厚岸町長は「受け入れない」と表明した。厚岸町議会では9月に「厚岸町に核廃棄物最終処分場はいらない宣言」と「受け入れない意見書」を全会一致で決議した。

厚岸町は、90年代に原子力政策の中枢にいた政財官関係者で構成された「原子力政策研究会」において東電の豊田正敏元副社長が「(幌延町)は地下水がだぶだぶしてて、あんなところ駄目だ…もっといいところがある。厚岸湾」と名指しされたことがあった(2011年文科省情報公開)。北海道ではこれまで放射性廃棄物の地層処分場の研究施設がある道北の幌延町が「最有力候補地」とする見方が強かった。しかし2013年12月、政府は第1回最終処分関係閣僚会議を開催し「先送りをせず、国が前面に立って取組を進めていく」としたことや、自民党内での高橋教授の発言で厚岸町が「本命」ではないかとの疑念が拡がった。更には昨年9月の第2回同関係閣僚会議では、最終処分地選定において「科学的適地」との条件の他に「土地の利用状況」や「輸送の確保」「人口密度」などが、社会科学的観点からの適性として追加された。太平洋側で港がある厚岸町は(1)再処理工場がある青森県・六ヶ所村から海上アクセスが良い。(2)「土地の利用状況」や「人口密度」が低いなどの「利点」があるとされる。

そして昨年11月3日、処分事業を担う原子力発電環境整備機構(NUMO)が、全国で開催するシンポジウム「地層処分を考える」を都道府県所在地以外では初めて釧路市で開催した。NUMOは同シンポを6月7日札幌で開催(84名参加)したばかりであり、私も参加する市民運動の脱原発ネット釧路は「受け入れの素地を作ろうとするもの」として会場前で開催に抗議する集会を呼びかけ、約30名が参加した。厚岸町から参加した酪農家の方は「適地として名前があがるだけで牛乳が売れなくなる」と訴えた。釧路のシンポジウムには、過去最多の113名が参加し、地層処分推進への疑問や地元・住民の意向を尊重するように求める意見が相次いだ。畠山釧路消費者協会会長は、日本学術会議の提言の核廃棄物の「総量規制」「暫定保管」に基づき、「特定地域が犠牲になるような方法をとるべきではない」と指摘した。会場から発言した厚岸町議の方は、町議会で決議をあげたことと町の基幹産業に打撃を与える処分場は認められない、と訴えた。

この間の政府・NUMOなどの急ピッチの動きの背景には、国内の原発から出る使用済み核燃料の貯蔵容量が最短3年で満杯になることや、六ヶ所村の貯蔵量がすでに94.5%(2010年)になっており、原発の再稼働を推進する上で大きな障害となっていることがある。また核兵器製造に結び付く「核燃料サイクル」が全く進んでいない状況の打開を狙って、最終処分場を国が前面に立って指名しようとしていると思われる。原発再稼働・核のゴミ問題は、「エネルギー問題」だけではなく、2012年原子力基本法を改悪し「我が国の安全保障に資すること」したことで、原発は軍事目的の核兵器開発と不可分になった。「戦争する国」化は憲法の制約を突破するともに核武装の制約をも危うくするものだ。

今年4月の統一地方選挙後、「集団的自衛権行使容認」に対応して戦争関連法の改悪が国会に上程されようとしているが、同時に安倍政権が地方自治法第84条の「首長の選挙から1年間(無投票当選を除く)又は解職投票日から1年間は解職請求をすることができないとする」規定を悪用して、原発再稼働や核のゴミ最終処分場候補地の指名が強行される可能性が高まっている。これからも全国の皆さんと協働して、釧路において原発再稼働反対!核ゴミ埋めるな!「戦争する国」反対!の声をあげていきたい。

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個人情報とさようなら原発署名と

日立市 角田京子

日立駅頭での署名活動、86回目(2013年10月12日)のことでした。

若い男の人が、署名の呼びかけにふと立ち止まり、いったん書こうとしましたが、待てよ、と思ったのでしょう。

「個人情報がねぇ……」と言うのです。個人情報が悪用される今の日本、確かに不安でしょう。しかし、はいわかりましたと引き下がるワケにはいきません。

「ここに連ねている署名呼びかけ人を見てください。そして、どこの馬の骨かわからないでしょうが、私の名刺。信頼してもらうしかないのです。少なくとも呼びかけ人はれっきとした人たちです。信頼できる人だから私も街頭に立って呼びかけているんです。信頼関係しかないです。もし悪用されたら連絡してください。個人情報を保護するために署名しちゃいけないと否定はできないでしょう。民主主義の一つとして署名活動があるでしょう。ずっと昔……江戸時代だって血判状があったんじゃないですか。もし私たちの一人ひとりが『個人情報』と言って署名活動もしなかったらどんな国になっていくのでしょう。死を覚悟してまでも血判状……そんな時代があって、今の時代がある。ぜひ歴史の勉強もしてください。勉強は自分の為だけにするんじゃない、みんなのため、社会のためにも大切でしょう」

自分でもあきれる程の冗舌です。でもそんな声高には言っていないですが。その男の人は私の話を静かに聞いてくれて、「書きます」と言って署名したのでした。大変ラッキーでした。でも、実は、多くの人、それも若い人なんですが、「個人情報ですから」といって署名せず、会話も拒否するように通り過ぎて行くのです。

「うちのお母さんが、街とかで署名なんかしちゃダメ、と言います」

「私の学校の先生が、署名しちゃダメ、と言ってます」

母親や某高校の教師は「~しちゃダメ」という教育をしている。子どもに考えさせる教育ではなく、従わせる教育をしている、社会や政治にかかわらないように、そう願っているのでしょうか。

「親に伝わらないですか」

「署名したらうちに連絡とか来ませんか」

仮に署名した場合、親御さんからのおとがめを不安がっているケースもあります。

こうした傾向は若い女性に多い、署名はしない、親の言う通り、教師の言う通りに行動する従順な女性が理想? 女だから、政治や社会に関係なく生きていけるのでしょうか。どこかで無意識のうちに「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿の教えに美徳を見いだして子育てをしているのかも知れません。我が子の身の安泰?を願っての親心?教師も同じ?。これって上から目線で言えば「依らしむべし知らしむべからず」みたい……江戸時代からの。

政治問題とか原発問題に関わらないようにすれば世間の評価が高くなる? 就職・将来が安心? そうでしょうか。今の私たちが生活する時代は、差別支配の構造がすみずみまでできあがっていて、人と人とが競争するようにしくまれており、よほど意識的に行動しなければ、人と人の信頼関係がこわされて疑心暗鬼社会になってしまいます。

自分さえ安泰であればよい、また我が子さえ安泰であればよいのではなく、みんなで問題に立ち向かい、声を出し合い、協力し合って、よりよい社会、よりよい政治の展開される世にして行かなくてはならないのではないでしょうか。

相次ぐ個人情報の不正利用や情報漏えいに対する社会的不安を軽減するために決められた「個人情報保護法」があります。さまざまな違反時の罰則とリスクがあります。そんな中で「さようなら原発1000万署名活動」に対する疑問・反感を持ち、署名をしない、署名をさせない人たちがあらわれていることの意味を問う必要がありましょう。

原子力発電がほんとうに平和利用といえるのか、福島の原発事故による避難者の問題、収束作業員の被曝の問題、故郷を失った問題、汚染水、土、空気の汚染の問題。どんどんたまっていく汚染物~黒い袋に詰められていたるところに野積み山積みにされている~そして使用済み核燃料の問題をどうするのか。当事者は解決済みだと宣伝して回っているこの新しい安全神話。万年にもわたる放射能問題と同居してしまった私たちの運命共同体としての課題から、知らないよ、関係ないよ、と抜けることはできません。この今の時代こそ、弱ってしまっている民主主義、一人ひとりの民の力が大切な時ではないでしょうか。

“凩や 署名をの声に くれ手あり あったまりなと あつき茶2つ”

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「負けてなるものか」と闘い続ける

東京大空襲訴訟原告団世話人 千葉利江

2007年、第一次安倍政権の時に国を被告として、空襲による民間人被害者への救済をせず長年放置してきた責任を問い、謝罪と損害賠償を求めて集団提訴。6年余の闘いを経て、第二次安倍政権で2013年5月8日「上告棄却」を受け、敗訴が確定しました。

国が民間人への補償を拒む理由は「民間人とは雇用関係がない」、「国土は戦場ではなかった」という2つだった。軍人軍属とその遺族には、戦後50兆円以上の補償を行いながら、分かちあうことをしない政治とそれがまかり通る世の中で、闘いは終われません。

原告団は引き続き、日本弁護士連合会に対し「人権救済申立て」を行い、勧告をだしてもらい「援護法制定」の後押しにつなげる活動、戦争の惨禍を風化させないために「語り継ぐ集会」の取組み、小学校に招かれて戦争体験の話や紙芝居で子どもたちと交流したり、議会に「援護法制定」の意見書採択の要請を行なうなど運動を続けています。1月17日の「女の平和」の集会にも参加してヒューマンチェーンを繋ぎました。

私は昨年1年間、「東京大空襲訴訟原告団報告集」の編集に集中しました。裁判所を支配している「戦争被害ないし戦争損害は、国の存亡にかかわる非常事態の下では、国民の等しく受忍しなければならなかったところ」という不条理を、憲法判断に基づき、正すことができなかったことは何より残念でした。けれども原告代理人が「受忍論批判を通じて、それは法律論ではなく、最高裁の財政的『配慮』が法的衣を纏った単なる行政・財政的隷従であることに辿り着いたのである」と明らかにしてくれたので大変うれしく思います。手弁当でご尽力くださった弁護団と支援して頂いた皆さんへお礼と感謝をこめて、報告集は本年3月刊行されます。

何故裁判で闘ったのか

「本件訴訟は人間回復を求める訴えである」、「本件訴訟は加害(重慶爆撃)と被害(東京空襲)を問う訴訟でもある」と中山武敏弁護団長が意見陳述され裁判が始まりました。原告たちは、幼児や子どもの時に空襲で傷害を負い、孤児となり、生涯にわたる被害と差別を受け、人間としての尊厳を傷つけられた無名の人たちでした。「戦争で親兄弟を殺されて、どんな残酷な仕打ちを受けても自己責任では、死んでも死にきれない」との思いを共有して闘いました。「家族にさえ話すことができなかった」という自己否定する心の傷と、自分の境遇を理解できなかったことに苦しんできた話を聞いて、私も表現できなかった心の中を整理できるようになりました。

1969年、母が急逝した時私は20歳でした。長女の私は幼い弟妹を育て生活することに追われて、事あるごとに無力感と親の人生の後始末という思いに襲われました。1994年に東京都慰霊堂を初めて訪れた時は、戦争の犠牲者に対する粗末な扱いに言い表わしようのないショックを受けました。その後、「天涯孤独」と言い残した不可解な母の人生の足跡探しと、「戦争孤児の会」や「平和の広場をつくる会」に参加してつながりを持ち学ぶことが私の生き方になりました。石原都政で東京都平和祈念館建設構想が凍結となり、無念な思いは募るばかりでした。2005年「東京空襲犠牲者遺族会」の会議に参加して東京大空襲訴訟提訴の話に巡り合い、私の選んだ道は退職して裁判で闘うことでした。

侵略した国と自国の民にちゃんと謝れ!

裁判から立法運動に広げて「全国空襲被害者連絡協議会」の起ち上げ、議員連盟の結成と「空襲被害者等援護法(要綱素案)」に結実しました。被害救済の対象は「内外人平等主義」を柱に、戦争の惨禍を語り伝える追悼碑、記念館の建設が盛り込まれました。加害を与えた人々に謝罪と補償ができる国にして戦後補償問題を解決し、二度と戦争の惨禍を繰り返さない道筋をつけることだと期待しました。民主党政権で扉が開いた立法運動は、再び安倍政権で足踏みしました。

人は家族の歴史を知らなければ自分を確立できない。国も戦争の加害と被害の歴史にちゃんと向き合わなければ世界に通用しない。東京都慰霊堂に眠る朝鮮人犠牲者のご遺骨は、未だ無念のままに在ります。重慶大爆撃訴訟は、2月25日第一審判決を迎えます。

現在、中東を訪問中の安倍首相は19日、イスラエルでユダヤ人を追悼する記念館で献花し、「特定の民族を差別し、憎悪の対象とすることが人間をどれほど残酷にするのか、そのことを学ぶことができた。ホロコーストを二度と繰り返してはならない」とスピーチし、「日本としても人々の人権を守り、平和な暮らしを守るため、世界の平和と安全により積極的に貢献していく」と決意表明。またエジプト訪問では「過激主義の流れを止めるため、中東地域の安全に積極的に関わる」姿勢をアピールし、25億ドル相当の支援を表明した。積極的平和主義をふりかざし、国家存亡の危機を創りだす安倍政権を自滅に追い込みたい。

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思っていることは行動で示す

土井登美江  

昨年末の総選挙で目論み通りの結果を得た安倍首相だが、第2次政権発足以来、改憲、原発、雇用、それに女性政策などの個別課題では、各種世論調査でも反対の声が大きい。なかでも集団的自衛権行使容認に代表されるように、日本を戦争する国に変えようとする安倍政権の動きには批判が強く、女性の反対や不安はきわだっている。こうした女性の思いが、1月17日に取り組まれた「女の平和」国会包囲を成功させた。7000余名の女性が赤色アイテムを身につけて集まり、総選挙後の年頭から安倍政権に明確にとレッドカードを突きつけた。

当日は議事堂の目の前にいるのに「国会議事堂はどこですか?」と尋ねるような、全く初めての参加者であふれたかと思えば、数十年ぶりに顔を合わせる人たちの出会いもあった。たった一人で遠くの県から参加した女性もいて、行動への共感がふくらんだ。男女平等を求めて立ち上がったアイスランドの女性たちの「レッド・ストッキング運動」にちなんで、女性たちが身につけた赤色に染められた国会周辺は壮観だった。初めてのひとも、久しぶりに足を運んだ参加者も、互いに元気づけられ、繋がり合い、一人一人が行動することの自信を分かち合った。この国会包囲は、安倍政権の動きに危機感を強め何とかしなければという、これまで運動とは無縁だった女性が思いたち呼びかけたことからはじまった。それが市民運動、女性運動の経験者も加わって大きな動きに拡げることができた。多くの人が安倍政権の動きに危機感を感じているこの国で、民衆と政府のこの1年のたたかいを象徴する行動の幕開けとなった。

安倍政権は、“戦後レジームからの脱却”としてクーデターに等しい改憲への道にひた走っている。そのために改憲をめざす集団は「憲法改正国民運動」の助走を始めている。こうした中で今年の私たちの課題を3つばかり考えてみた。まず、考えられることは何でも、多くの人たちと手を組んで、いち早く行動に移すことではないか。

昨年の暮れに「平和憲法を広める狛江連絡会」のニュースレターをいただいたが、同封されていた「改憲勢力が『草の根』の活動スタイルで、全国津々浦々に浸透を図っています」という資料に注目した。昨年秋に日本会議などが国民投票の実施をにらんで発足させた「美しい日本の憲法をつくる国民の会」のチラシと、チラシに対する「~狛江連絡会」の考え方をA3用紙の裏表1枚にまとめたものだ。「~国民の会」のチラシには「美しい日本を子供たちへ あなたのご協力で憲法改正を実現する1000万人賛同の輪を!」とか「美しい日本へ希望の虹を 憲法改正を国民の力で!」などと、気持ちの悪くなるようなコピーが並んでいる。うむ、“1000万人賛同”なんてどこかで聞いたような!と怒りも沸いてしまう。すでに「~国民の会」の動きはご存じの方も多いと思うが、「~狛江連絡会」はチラシの現行憲法批判に対応する形で、最初の占領についてから、(1)前文について、(2)元首について、(3)九条について、(4)環境について、(5)家族保護規定について、(6)緊急事態について、(7)96条について各項目にコメントをつけている。「・・・私たちの考え方 チラシと比較して考えてみて下さい」という形で、この資料を受け取った方たちに呼びかけている。

すでに「~国民の会」が駅頭などで賛同者拡大をめざして、住所、氏名、電話番号まで入った、まるで選挙準備の名簿のような賛同者集めの活動が始めている。国民投票運動をにらんだ行動だ。しかもスーツに身を固めた若者を前に出しての街頭宣伝だ。この動きに「~狛江の会」は素早く、丁寧な動きを始めたのだ。

2つ目は、一人称の憲法運動とでも名付けたい。この会報の「私と憲法」は暉峻淑子さんのネーミングだが、同じような意味合いをさらにはっきりさせることができるのではないか。それほど遠くない時期に、改憲のための国民投票運動を迎えなければならないかもしれない。そのときに私たちが依拠するものが、一人称の憲法とも言うべきか、個人個人にとって憲法のどこかの条文が身近であることは強みとなる。この条文があるから憲法が好き、この条文にこだわっている、という主権者を一人でも多くつくりだすことではないか。

私たちの仲間であり、東京大空襲訴訟の原告として原告団の活動を支えてきた千葉利江さんから以前お話をうかがった。私が「あなたにとって一番大切に思う憲法の条文は何ですか」とお尋ねしたら、即座に「憲法14条・法の下の平等です」という答えが返ってきた。軍人・軍属への保証に対して空襲被害者に国が全く保証を認めないことは、憲法14条の「法の下の平等」に違反するということだ。千葉さんの憲法への強い思いが伝わってきた。また沖縄県憲法普及協会が出している「わたしの憲法手帳」にも同様の視点がある。沖縄で起こった身近な事件を憲法の条文に引きつけて解説している。この本を読んだ若者は、憲法とのつながりで日常生活を考えるようになるだろう。

最後に、問われれば「平和憲法を守りたい」と答える人たちは多数派だが、同じ人が自民党の改憲案に“国防軍の創設”が入っていることを、ほとんどの人が知らない。社会的経験のある人も知識人も若者も、憲法以外の課題で熱心に市民運動をしている人も、ほとんどの人たちは改憲の動きについて詳しくないのが実際だ。これを現実として向かい合うことが必要だと思う。

憲法運動に関わってきた人たちは、これまでも憲法運動を拡げようとしてつくられた実に多くのツール(パンフ、リーフ、九条せんべい、九条の歌、映画、ビデオ・・・)をつくってきた。これからもたくさんのツールが工夫されるだろう。これらのツールを、だれでもふれることができるようにしよう。共有化を拡げよう。普通に暮らす一人でも多くの人びとに、多くの情報が届くよう努力しよう。憲法にこだわりを持つ主権者を一人でも多くしていくことがカギになるのではないか。

今年1年、悔いを残さぬよう行動しよう。

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歴史を後退させてはならない
不戦の決意新たに新年を迎えて

中尾こずえ

昨年末、安倍内閣は「景気回復 この道しかない」をスローガンにだまし討ちの解散総選挙。原発、TPP、沖縄、格差・貧困、雇用などの重要課題を覆い隠して有権者をひとつの方向に駆り立てていった。投票率は戦後最低の52、66%、自民党の獲得した議席率は75、6%だった。選挙が始まる前から「与党の圧勝」と報じたメディアの責任は重大だ。安倍首相はこの選挙で「政権の信任は得られた」と、より強引に暴走するだろう。今年は蓄えてきた市民運動の力を信じて歴史を後退させないために精一杯のことをしたい。

先日、東京都美術館で開催された「九条美術展」を観に行った。憲法九条と平和への願いをこめた沢山の力作に感銘した。発起人の一人である窪島誠一郎さん(無言館館主)は「窓を開ければ、ふるさとの海が見える。美しい野山が見える、輝く太陽が見える。愛する恋人たちがいる。子どもたちの元気な声が聞こえる。ピアノを弾く人がいる。絵を描く人がいる。そんな当たり前の風景が欲しいだけ。あらそいのない、おだやかな、だれもが生きる歓びを味わえる「平和」が欲しいだけ。」とメッセージを送っていた。かつて、戦没画学生の絵を展示した美術館「無言館」が長野県の上田市にできたと知って訪れた事がある。私のなかに無念の思いが消えず再度訪れた。戦地から家族や恋人に送った手紙なども展示されている。無念は消えないままだ。また、美術評論家の武居利史氏は「改憲論者が自説を合理化するのに日本の文化や伝統に対して本来の文化や伝統が何かを提示していくのが大事です。問題なのは排外主義であり、右翼的で偏狭なナショナリズムです。(中略)美術の創作や評論は人々の心に働きかけ社会を変える原動力となるものです。そこに確信をもって進みたいと思います。」ときっぱりと述べている。

年末~年始、大きな幾つかの希望が
○雨にも負けず、風にも負けず、寒さにも負けずあちこちの駅頭に立って行った宣伝活動は市民参加の創意がキラキラしていた。呼びかけたのは25歳の女性。この街宣隊は昨年そして今年も集会やデモに大活躍です。
○沖縄、11月の県知事選で「辺野古NO!」を明確に打ち出した翁長雄志新知事の誕生(嬉しくて、自宅でひとり乾杯!)。また、12月の総選挙では「辺野古NO!」の候補者が全選挙区で4人が当選。保守と革新が「オール沖縄」の総力で勝利した。故菅原文太さんは沖縄の総決起集会で「政治家の仕事は二つ。飢えさせない事、戦争しないこと。」と演説のなかで明言した。本当にその通りだ。安倍首相は真逆方向に爆走しまくりだ。文太さんが益々かっこ良くみえた。その後の安倍首相の恥知らずな振る舞いにはあきれ果てるばかりだ。オール沖縄は一層強個なオールを創り出すだろう。
○1月17日の「女の平和」は十人十色、思い思いの怒りのレッドファツションで国会を赤く染め上げた。7000人が国会をヒューマンチェーンで結んだ。「国会はどこですか?」と何人もの女性たちから質問を受けた。これはすごい希望です。大変インパクトのある行動だった。
○前記の美術展もその一つ。

3・11から4年が経つ。あの時、この「国」は変らなければいけないと強く思った。

寒い日が続く雪のなか、仮設住宅で暮らす人々がいる。原発労働のなかで命の犠牲が絶えない。「原発作業員、連日の死傷事故」のニュースが流れた。満足のいく介護サービスを受けられない高齢者がいる。学校に通う事ができない子どもたちがいる。仕事に就けない若者たちがいる。得た希望をこの「国」の未来を変えていく力にしたい。

安倍政権は過去最大の防衛予算を組む一方、介護報酬など福祉予算は大幅に削減。介護保険制度が導入されてから15年になる。私はスタートして間もない頃から介護職に就いたが時の政権に翻弄され続け、現在は最悪だ。沖縄は「金ではなく命」を選択した。アベは「命より金」の政治。平和と命を踏みにじる安倍政権はいらない。4月は統一地方選挙がある。安倍首相の狙う憲法改悪に反対する議員の一人でも多い当選を望む。

憲法九条は命を守る精神であり希望だ。

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「勝負の年、街宣隊一歩前へ!」

菱山南帆子

とうとう勝負の年が始まりました。2015年元旦、毎年の澄み切った青空とキリッと引き締まった空気はどこへやら。重く厚い雲が広がり東京では雪が降り出し、今年の激動を予感させる天気でした。この重く厚い雲をどうやって払いのけ、陽射しが差し込む未来にしていこうか。私の心はそんな熱い想いでいっぱいになりました。

さて、去年の8月から始めた街頭宣伝。この「私と憲法」にも「ひとつの運動としての街頭宣伝」として文章を載せていただき、その後この街宣運動が少しずつ広まり、何度か新聞で取り上げられました。街頭宣伝の中味も回を重ねるごとに工夫をして変わってきました。参加者の方がオリジナルの紙芝居を作って街頭宣伝に来てくださったり、歌を歌ったり、それらに手話をつけたり。受け身の運動から参加者一人一人が道ゆく人にどうやったら伝わるかと考え、勉強して街頭宣伝に参加してくれるようになりました。紙芝居やプラカードを作って参加している主婦の方は、最初トラメガのボリュームをマックスにしないとなかなか声が届かなかったのですが、今では、とてもよく通る声で紙芝居をしたり、歌を歌ったりと大活躍です。いつもアイディアをたくさん出して下さいます。また学生運動以来の活動への参加をしている団塊世代の仲間もいます。その方はスピーチで「自分たちが子どもの頃、戦争で怪我をした人たちが街中にいた。戦争の影がひしひしとあり、体験しなくても実感として戦争を感じていた。だから戦争は嫌だ。憲法を守りたいと思った」と話されました。戦争の影も形もない平成生まれの私は、とても心動かされました。そして前述した「運動としての街頭宣伝」の文章にも登場した初代街宣見守り隊の方がスピーチデビューしてくれたことも、とても嬉しかったです。「政治にたくさん関心があったわけではないが、安倍首相の憲法に対する考え方が自分が学校などで学んできたものと違うと思った。日本国憲法があるから王様のような存在を許さなかった。権力が暴走したら止めるのは大変だ。」と街頭で訴えられたのです。誰か有名な人の話を聞いて、デモをして…と言う形だけではなく、一人ひとりが〈主人公〉として動き始める。私はこういった行動こそが民主主義で、こういった勇気こそが社会を大きく変えるチカラにつながると信じています。

今年、私の中で目標が2つあります。1つは、「みんなで歌える」歌を作ったり見つけることです。街頭宣伝の中でフランスでのデモ出発前に歌われる曲を日本語で替え歌にしたものを歌いSNSで流したところ、たくさんの反応があり、広まりました。いつの時代も闘いの中から歌が生まれてきました。闘いの只中で歌の力を発揮したいと思います。

2つ目は、勇気を持って様々なことにチャレンジすることです。最初にSNSなどで幅広く呼びかけて街頭宣伝をやろうと企画した時、「どれだけ集まるのか」「怖い人が来たらどうしよう」と不安ばかりでした。しかし高田健さんに「あれこれ心配しても何もできなくなっちゃうしね」と言う言葉に励まされ、一歩を踏み出すことができました。その後5時間のロングラン街宣や、100人集めて街宣をやったり選挙に行こうと呼びかける街宣など様々なことにチャレンジしてきました。新しいことを始める時はとても不安で「大人しく誰かが企画したことについていけばいいや」と思ったりします。しかし仲間と一緒になって一生懸命頑張れば頑張るほど、不安やドキドキが大きいほど仲間の輪が広がり、「やってよかった!」と思えました。常に何か自分でできる事はないかとアンテナを張り、不安を恐れず、多様性を受け入れる勇気を持ってパワフルに元気に楽しく思いつくことをどんどん行動に移して実践していきたいです。

今年の干支は未年です。私は中学生の時イラク戦争に反対するチラシのタイトルに「従順な羊になるのはやめよう!」と書いたことを思い出しました。羊というのは放たれると、やがて野草地や山を肥沃な土地へと生まれ変わらせ、遊牧して歩いた後に道ができると言われています。「街頭宣伝」は直面する闘いへの訴えだけではなく、「もの言わず耐える」生活を「声を上げ、主人公として行動する」生活へと変えていこうという大きな目的を持った運動です。羊にあやかり、今年こそ、安倍政権の暴走に全力で立ちはだかり「諦めと我慢の生活」を根本から変えていく道を「街頭宣伝」を通して切り拓いていきたいと思います。

「過ちは繰り返しません」と誓ったのに、戦争へと向かう安倍政権の暴走にNO!と言えないのはなぜでしょう。広島・長崎での被曝、福島での原発事故があっても、原発再稼働にNO!と言えないのはなぜでしょう。アンケートでは改憲や原発に反対意見が多数でも行動に表れないのはなぜでしょう。私はいつもこのような疑問と憤りを抱いています。香港での「雨傘革命」と言われる学生を中心とした闘いの中で歌われた「雨傘を掲げて」の歌詞を引用します。

「怖くないわけじゃない。でも人生でこの夜を迎えたのに心の声を叫ばぬほうがもっと恐ろしい」心の声を押し殺すのか、それとも叫ぶのか。「街頭宣伝」を通じて〈声が声を〉〈叫びが叫びを〉呼び、つながり、大きなウネリを作りだしていきたいと思います。

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「この道しかない」なら私たちがそれを阻む

松岡幹雄@とめよう改憲!おおさかネットワーク事務局

雪が残る東京で開催した昨年の全国交流集会からもう1年が経とうとしています。昨年は、安倍暴走政治が吹き荒れた1年であったとともにそれを許さない民衆の怒りが全国でこだまする年になりました。とくに印象深いのは、1昨年11月21日「STOP!『秘密保護法』大集会」の成功以降の秘密保護法反対運動の急速な盛り上がり、戦争させない・9条壊すな!11.11総がかり国会包囲行動のとりくみ等です。その後の全国での運動の広がりを見るとき、あらためて非暴力を原則に意見の違いや過去の経過を乗り越える統一行動の重要性を実感することができました。また、FKA SASPUL自由と民主主義のための学生緊急行動(サスプル)が取り組んだ集会やサウンドデモ、ブルドーザーを先頭にしたドラムデモも取り組まれました。いまやドラム隊は全国各地で広がってきています。運動の広がりは運動の質的な変化をもたらし「古い・固い・ださい」デモから多様性があり表現の自由が実現されている新たなデモ文化が生み出されました。

もうひとつの変化は、こういった運動の変化は、直接東京にいない、行けなくともダイレクトに体験し、感じることができるという変化です。ツイッターやフェイスブック、インターネット放送などの普及は全国の運動に革新的な変化をもたらしています。

こうした新たな息吹を感じつつ大阪でも昨年はこれまで以上に街頭に出て行く取り組みが増えました。集会には必ずといっていいほどデモあるいはパレードをセットで取り組んできました。また、新たに「御堂筋パレード実行委員会」を発足し、臨時国会や通常国会開会日に集会とデモを開催してきました。こういった取り組みはたびたび大手新聞に掲載されてきました。

昨年12月の総選挙は、残念な結果になりはしましたがメディアがいうところの「自民圧勝」ではなく、明らかに「9条改憲派」の大きな後退をもたらしています。私たちの運動は決して無力ではなかったことを感じています。世論に訴えかける無数の集会や街頭活動の積み上げによって安倍自民党が「現状維持を下げる」政治状況をつくりだしたといっても過言ではありません。

これからの政治課題について様々なところで議論になります。とくに、政治は国会内の議席数に左右されるので議論がその点に集中しがちですが国会内の議席数だけが政治をうごかすわけではありません。私たちには民衆の運動によって安倍暴走政治をくい止める道があります。来る名古屋での全国交流集会では全国の皆さんとその展望について大いに語り合いたいと思います。

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帝国主義を目指して敗退した日本の100余年

半田 隆

今年は敗戦後70年を迎える。その意味を考量するためには、それに至る100余年の経緯を顧みることが求められよう。

日本は明治維新後に富国強兵を目指し、列強を模倣して帝国主義路線を採用した。1894年に朝鮮半島の支配権をめぐって日清戦争をしかけ、それに勝利すると朝鮮の権益と台湾の割譲および莫大な賠償金を清国に支払わせた。これに味を占めたのか、1904年に満州の権益をめぐってロシア帝国と戦い、満洲鉄道の南半分の権益と南樺太を割譲させた。1910年には、韓国を脅迫によって併合してしまう。第1次大戦においては、ドイツの租借地だった中国の青島や南洋諸島を獲得する。この時以来、青島は中国本土を侵略する支那派遣軍の拠点となる。満州に進駐した関東軍は柳条湖事件を自作自演して満州事変を起こし、満州全域を支配下に置き、清朝最後の皇帝溥儀を担ぎ出して傀儡国家満州国を擁立する。そして、現地住民を追放するか安い価格で土地を取り上げ、日本から満蒙開拓団を送り込んだ。

さらに中国本土侵略に乗り出した軍部

5年後の1937年、廬溝橋事件および上海事変を契機に日中戦争にのめり込んでいく。支那派遣軍は上海事変が起こると、参謀本部や政府の不拡大方針を無視して南京攻略に向かうが、派遣軍独自の行動であったことから糧秣などが不足した。そのため、周辺の中国人民家から食料などを略奪して補給した。抵抗する者は、殺害し、さらに陵辱を恣にした。派遣軍が南京に至る進軍中の交戦と略奪の過程で殺害した中国軍・民間人は、合わせて26万人に達したという。南京攻略後の城内での虐殺事件が問題になるが、その数については異論があるものの、なかったとするのは戦争と兵士を美化する無責任極まる言動である。日本兵は南京を攻略すると武装放棄した便衣兵などを含む男性の多数を殺害し、民家に押し入っては美術品を強奪し、女学校に侵入しては陵辱するなど、悪逆ぶりを恣にしたのは紛れもない事実である。

上海事変なるものを機に、支那派遣軍はさまざまな理由を付けて中国全土の支配を目論見、「暴支膺懲」などと称して戦線を拡大していく。他国を侵略しておいてその国を懲らしめるとは身勝手な言い分だが、当時はこのように無茶苦茶な認識であった。この戦線拡大の過程でそれぞれの派遣部隊は慰安所を管理・帯同し、いわゆる「従軍慰安婦」を拘束した。

日中戦争では負けていないというのが一般的な理解であるが、初期の頃は勝利したものの、広大な中国を支配するなどできるはずもなかった。そこで、参謀本部は中国軍の殲滅と、援将ルートを遮断することを目論む。そして、大規模な遠征部隊を北支からベトナムに至る3000キロに及ぶ長大な距離を徒歩で進軍させた。3000キロを徒歩行軍させる参謀たちの作戦計画は、無謀というより無能としか言いようがないが、これが当時の日本軍の作戦能力であった。行軍の途中は泥濘の中にあり、延びすぎた悪路での補給もままならぬことから病と飢えで兵士はばたばたと行き倒れになったという。糧秣の補給不足を補うために、周辺住民から食糧を奪い、略奪、殺戮、陵辱が行なわれたことは必然でもあった。結局、この無謀な作戦は待ちかまえていた蒋介石軍の反撃に遭い、敗退して逃げ帰っている。このような無思慮な中国での勝利なき戦いにおいて、中国人軍・民を1000万から2000万人を殺害したといわれる。

「教育勅語」「軍人勅諭」「学校教練」「学徒勤労動員」

私は満州で生まれ育ったが、物心ついたときは日米戦争が最中であった。小学校では、式典の度毎に「教育勅語」を読み聴かされた。「朕惟ウニ我ガ皇祖高宗国ヲ肇ルコト広遠に~」と読み上げている間、生徒たちは頭を垂れていなければならなかった。小学低学年の私にとって、意味の分からぬ言葉を聞かされることそのものが苦痛であり、ただ只管早く終わらないかなと考えていた。教室では、教師が軍人勅諭なるものの暗誦を毎日させた。「一軍人ハ忠節ヲ尽スヲ本分トスベシ」、「一軍人ハ礼節ヲ正シクスベシ」という短縮形である。

さらに、小学校にも配属将校・下士官を送り込み、学校教練を行なわせた。教練は、中学校以上の教育機関で行なわれたというのが一般的な理解だが、実際には小学校でも行なわれていた。街路に出て、軍歌を歌いながら、軍隊式の行進をさせるというものである。その上、学徒勤労動員までさせた。航空機の潤滑油としての「ひまし油」採取のための「ひま・唐胡麻」の種を、校庭の一隅や道路沿いに植えさせたのである。私はその際、配属下士官に後ろから物も言わずに張り倒されたことがあった。おそらく、私がきびきびとした動作をしなかったのが気に入らなかったのであろう。

それにしても、小学低学年の子どもを物も言わずに張り倒す、この粗暴な兵士の精神構造とはいかようなものなのか。このような兵士が敵と位置づけた中国人に対し、人権を尊重する行為を採らなかったであろうことは容易に推察できる。それが当時の日本の軍隊の一般的な意識構造であり、それが生体解剖さえ行なうに至ったのであろう。張り倒されただけでも兵士に対する嫌悪感が消えないのだから、拷問をされた人々の屈辱感と苦悩はいかばかりのものであろうか。日本は何でも神に祀り上げる風俗・習慣を持つが、私は今も「英霊」という言葉を聴くたびに、あの粗暴な兵士を思い浮かべ、言葉と実態との間にある乖離に違和感を覚えずにはいられない。

米軍は満州をも空爆した

米軍のB29は満州にも飛来して空爆を行なった。高々度を飛ぶB29はきらきらと輝き、美しくもあったが、授業中に空襲警報が鳴ると、教師とともに近くの山に逃げ込んだ。そこは日本軍の高射砲陣地でもあったが、6000mほどの射程距離の性能しかなかった高射砲は、1万mの高々度を飛行するB29に対しては何の役にも立たなかった。B29が空襲を行なったのは、当時東洋一といわれた鞍山製鉄所があったからだと思われるが、時折住宅地にも爆弾を落とした。

ソ連の参戦は、南部の鞍山に住んでいた私たちにほとんど影響を与えていない。しかし、北満では悲惨な事態が起こっていた。関東軍の首脳は、ソ連の参戦を予想はしていたのだが、下克上を頻発させるほどの野放図な強行策しか念頭にない凡庸な参謀たちは、積極的な対応策を整えようとしなかった。

関東軍は住民を見捨てて南に逃げた

だから、ソ連軍が攻撃を開始したとの報を受けると慌てふためき、主要な部隊は迎撃することなく、開拓団や在住日本人に知らせることもせずに南部の通化地区に防衛線を敷くとの理由を付け、特別列車を仕立てて逃げたのである。それを知った住民がその特別列車に乗車させて欲しいと懇願しても、関東軍は、これは軍事作戦だとの理由を付けてそれを拒絶した。ところが、自分たちの家族だけは密かに乗せて脱出していた。最近、「軍隊は国を守るためにあるのであって、国民を守るためにあるのではない」と放言した国会議員がいたが、関東軍は「満州国を守ることなく、自らの命と家族の命を守る」ために退却したのである。このときの軍人家族の脱出乗者数は、大使館・満鉄関係者を含めて3万7000人余りで、一般住民は200人余りが辛うじて潜り込んだにすぎなかった。これが、最強と称された関東軍の正体である。

見捨てられた満蒙開拓団は、少年義勇軍を含めると30万人を超えていたが、彼らは徒歩での悲惨な逃避行を強いられることになる。開拓団の男性は直前にほとんどが現地召集されていたから、逃避行を余儀なくされたのは女性と子どもたちであった。彼らは食料もないまま、苛酷な南下を続けた。私の知人は、ソ連の戦車が追撃する中を、必死に車で逃げたと話した。それでも逃げおおせた人は幸であったというべきだろう。多くは餓死、凍死、殺害、病死、遺棄などで20万人が死亡し、帰国できたのは3分の1の11万人に過ぎなかったからである。少年義勇軍はほとんどが10代の若者であったが、彼らは強盗・盗賊団と化し、日満両国住民から恐れられるほどに凶暴になっていた。それでも生き残りは困難だった。

朝鮮半島へのソ連軍進撃は、東部のいわゆる沿海州からであった。日本軍の朝鮮派遣軍はほとんど迎撃の役に立たなかった。たちまち北朝鮮は蹂躙され、数十万の日本人は準備する余裕もなく逃避行をせざるを得なかった。東京新聞は昨年、夕刊でソ連軍参戦時の日本人住民の悲惨な境遇を連載した。逃避行を余儀なくされた日本人は、ここでも北満の開拓団同様、餓死、凍死、殺戮などで数万人が死亡したという。これら日本人移住者は、日韓併合後に建設したチッソの興南工場に代表される財閥の鉱工業の関係者であり、また産米増殖計画に加わって地主となった人たちでもあった。

異常な捕虜虐待を行なった日本軍

第1次大戦でドイツから確保した南洋諸島を含む南方戦線においても、初期の勝利はあったものの米軍が反撃に転じると、悲惨な状況に陥った。ここでも、参謀たちは無能をさらけ出しながらも口先だけは勇ましく兵士たちを督戦したが、兵器の粗末さに加え物資の補給もままならない状況に置かれたために勝利などあるはずもなかった。「生きて虜囚の辱めを受けず」という「戦陣訓」のために玉砕か逃避行しか残されておらず、南方における日本軍の戦死者の内、60%が餓死か病死という悲惨な負け戦を強いられたのである。

いずれの戦争でも同じようなことが行なわれるものの、日本軍の捕虜に対する行為は並はずれて異常だったといえる。南方戦場では、会戦した敵側捕虜を苛酷な仕打ちに曝した。フィリピンの米兵士捕虜のバターン死の行進、オーストラリア兵士捕虜のサンダカン死の行進、英兵士捕虜のビルマの泰面鉄道建設での酷使、収容所での虐待など、数限りないほどの虐待や拷問や酷使によって数万から数十万の米・英・豪の兵士や現地の住民を死に至らせている。東京裁判でオーストラリアが、天皇の戦争責任を問うことを強く要求したのには、サンダカンでの死の行進という実態を反映したものである。

沖縄を犠牲にして日本国体の護持を図る

当局の無責任さは、日本の敗戦が確定しつつあるにもかかわらず、本土決戦に備えるための捨て石として沖縄戦を戦わせたことにある。あの狭い島で玉砕戦が行なわれれば住民の多数が巻き込まれることは明白である。鉄の暴風といわれた米軍の爆撃に曝された沖縄では、住民10万人が犠牲となり、兵士も凡そ10万人が死を強いられた。その後、原子爆弾が広島と長崎に投下され、瞬時に双方で30万人余が命を失った。この無差別殺戮の被害の実態は、米占領軍当局が検閲によって内外ともに報道を抑えたため、その悲惨な原爆の被害が世界に知られることがなかった。まもなく始まった米ソ冷戦によって、すべてが覆い隠されてしまったのである。米国はこの非人道的な原爆の投下について、未だに謝罪をしていない。

神風は吹かずに敗戦を迎える

このような状況の中で、ともかくも敗戦を迎えた。8月15日、夏休みであったにもかかわらず、生徒たちは学校に呼び集められ、玉音放送を聴かされた。初めて「現人神」といわれた人の声を聴かされたが、何を言っているのか分からなかった。玉音放送後に、校長先生が涙を流しながら、原子爆弾が落とされて日本が敗けたのだと告げたので敗戦だと理解した。このとき、「神の国は負けないのだ」と教え込まれていたことが吹き飛び、私は神の存在を信じなくなった。そして、大人は、社会は、国は嘘をつくものだということを悟った。

敗戦で直ちに変わったのは、広大な敷地を持つ学校が接収されたことであった。この敗戦によって、自らが住む満州の主要な都市に建設された並木道のある整然とした日本人街は、中国人住民の犠牲の上に成り立っていたものであることも思い知らされた。のちのことだが、日本は中国や韓国という国に対して何をしたのか、戦争とはいかなるものなのかに関心を持つようになる。そこで知り得たのは日本軍の作戦の愚昧さと、侵略した国々に対する苛酷な加害行為であった。日本国内では、スパイ容疑や危険人物と決めつけた人々を「治安維持法」で逮捕し、拷問し、獄死に至らせながら、暗号による軍事通信がすべて解読されて作戦が筒抜けになっていたということであった。軍事通信の暗号解読を恐れた参謀本部の唯一の対処法は、極力通信を行なわないということである。日本軍の作戦のちぐはぐさは、この愚昧な対処法にあり、そのために連携作戦がスムーズにできず、個別撃破での負け戦は当初から決まっていたようなものであった。

無条件降服の意味を解しなかった日本政府

日本は無条件降服を受け入れながら、この無条件降服の意味を日本政府は十分に理解していなかった。だから、占領軍最高司令部・GHQが憲法を変えるようにと示唆しても、その意味を解せずに「明治憲法」を少し手直しすれば良い程度に受け取った。そのため、憲法が専門ではない松本烝治元商工大臣を憲法改正担当相として改定案の作成にあたらせた。マッカーサーの意図は、占領統治のために天皇制を利用する必要性からその戦争責任を回避させるところにあり、また軍部が台頭しないようなシステムを作り上げるところにあった。担当大臣の松本烝治は民主主義を理解しないまま、天皇制維持のみに力点を置いた粗末な改定案を作成した。それを知ったGHQは、急遽「憲法制定会議」を設置する。

GHQの「憲法制定会議」は精力的に動いた。諸外国の憲法および日本の在野の憲法草案を集めて、それらを参照しつつ短期間で「新憲法案」を作成した。その背景には、オーストラリアとソ連から天皇の責任を問えとの強い要求があり、それを躱すことにあった。GHQの「新憲法草案」を突きつけられた幣原喜重郎首相、吉田茂外相、松本烝治憲法改定担当相は顔色を変えたといわれる。この3者とも民主主義を理解していなかったために、GHQの憲法草案を理解することができなかったのである。吉田茂外相は戦時中に駐英大使をしていたのだから、イギリス式の民主主義を学ぶことはできたはずだが、彼は軍部を嫌ってはいたものの民主主義を理解しない心底からの天皇制信奉者だった。彼は首相となってからも終生「臣茂」と書いていたことにそれが表れている。だから、民主主義など学ぶ必要がなかったのである。

イギリスは憲法を持たない「臣民」扱い

イギリスは民主主義の先進国のように見られているが、「憲法」は存在しない。憲法が存在しないとどうなるか。すなわち、人民主権も表現の自由も保証されないということである。それが露呈したのが、「スノーデン事件」における経緯である。スノーデンは米国の無差別盗聴は民主主義に反するとして、実態を暴露した。これに積極的に協力して報道し続けたのが英「ガーディアン」紙である。彼らは慎重に、また大胆に当局の圧力を躱して報道し続けた。しかし、ついに英安全保障当局の圧力に屈して、パソコンの保存ファイルを叩き壊させられた。これは、表現の自由を保証する「憲法」が存在しないことから、当局の強要を拒絶する法的根拠を見出せなかったための結末であった。はしなくも、英国は人民主権の国ではなく、名目上は英王室の「臣民」にしかすぎないということを露呈したのである。因みに、NSAを中心とした世界レベルでの盗聴は、米国単独で行なっていたのではなく、米・英の共同作業であったことから、英当局が抑圧したのである。

最近、フランスで風刺画を発刊した新聞社へのイスラム教徒過激派によるテロ行為をめぐって、言論の自由を守れ、との大規模なデモが実施され、ヨーロッパを中心とした首脳たちがそのデモと一緒に行進する姿が報じられた。この首脳や市民たちの行為は、言論の自由を守るものとして世界に影響を与えたように見えるが、イギリスでの言論の抑圧を横目に見ると表現の自由を守れという声高な主張には首を傾げざるを得ない。テロ行為を許すべきではないことはいうまでもないが、欧米先進国による植民地支配の歴史的背景と昨今のアフガニスタン戦争とイラク戦争が過激派を生み出したのだということを、真剣に捉え直すべきだろう。

冷戦下で再軍備を要求してきた米政府

ところで、米国は世界の模範となるべき「新憲法」を受け入れさせておきながら、新憲法制定後2年を経ずして、日本政府に再改定をして軍隊を設置せよと要求してきた。いわゆる「逆コース」の始まりである。それは、冷戦構造が明白になってきたことによる。日本政府は、さすがに憲法再改定だけは受け入れなかった。国民の中に、あの悲惨な戦争を阻止できなかった自らの不明と騙し続けた政府への不信から、「新憲法」の規定した戦争放棄の9条の条項を護ろうという意識が醸成されていたからである。

自民党は1955年の結党に際し、米国から資金援助を受けていた。そのこともあって、米国の憲法再改定の要求を綱領として取り入れてきた。しかし、歴代の政権は、党綱領の中には入れても民意がそこにないことを認識しており、改憲を強行するようなことはなかった。そのため、戦後70年の間に主として米国主導の戦争に巻き込まれることなく、軍事行動として、殺し、殺される、という行為には加わらないでこられた。

ところが、敗戦後70年を経て戦争の悲惨さと無益さを理解しない政治家が増えるにつれ、戦争への抵抗感が薄れてきたのか、国家主義的な憲法を制定する動きが強まった。この傾向の中に登場したのが安倍政権である。歴代の自民党政権の中でも最も思慮の乏しい反知性的集団ともいうべき安倍自民党は、憲法改定こそ自らの使命と考えたのか強行策を繰り出してきた。安倍自民党の改憲案を見ると立憲主義の思想から明らかに逸脱しており、国家主義的な内容となっている。一方で、「特定秘密保護法」および「集団的自衛権行使容認」、「TPP」は米国の軍産複合体や金融による世界支配体制を形成する「新世界秩序」を補完する対米従属を示す法制である。これは明らかに矛盾なのだが、幾つかの独裁国家にありがちな対米従属性が身体の芯に染み込んでいる故なのであろうか。このような政権は、この国にとって有害でしかない。

米国の覇権は揺らいでおり、もはや「新世界秩序」の形成は不可能な状態となっている。しかし、米国はそれを諦めたわけではない。エジプトのタハリール広場から始まった民衆革命では米CIAの下部組織である「民主主義基金・NED」が、エジプトやイエメンの若者たちを呼び寄せてソーシャル・ネットワークの使い方を教育して起こさせたものであった。ウクライナの政変もやはり米CIAなどが過激派に資金を提供したものであり、米国が支援していることを知らしめるためにヌーランド補佐官を広場に送り込み、パンを配らせることなどをしていた。これらの事実を見ると、彼らが目標としている「新世界秩序」を、何としてでも成就したいと足掻いていることが分かる。紛争は意図的につくり出されているのだが、日本をこれに加担させてはなるまい。

米軍の占領状態にある沖縄

米国は沖縄を27年間に及ぶ占領をし続けたが、1972年に沖縄が返還され、冷戦が終結したのちも米軍が基地占有をやめずに拡大させてきた。現在、沖縄住民の民意を無視して普天間基地を返還する代替として機能を強化した辺野古基地の建設を、住民の抗議を蹴散らして強行している。民主主義の基本は民意の尊重にあるが、この実態が米国政府および日本政府の民主主義の認識の程度であり到達点である。

日・中・韓の善隣関係が成立しない限り戦後は終わらない

敗戦に至る50年前後の日本の行為は、列強ともども愚かな悪行を重ねたものであったが、この所行に対する厳格・適切な反省は不可欠である。戦争は人間性を喪失する狂気の世界であり、兵士を「英霊」などと祀り上げることは相応しくない。戦争のすべての犠牲者を弔うための戦没者慰霊所こそが、適切な施設であろう。日本は敗戦後に成立した「憲法」によって、この70年間は世界の弱者を抑圧する恣意的な戦争に加担しないできたことは貴重な経緯といえる。日本政府の貧弱な対米従属外交では「憲法」の不戦条項を広める可能性は零に近いが、私たち市民・国民がこれを護り広めることは可能である。

だが、70年を経ても、中国、韓国との関係は悪化したままである。原因は、ここ100余年の日韓・日中関係の歴史の中にある。この近隣関係を改善する鍵は、日本が握っている。侵略し、加害したのは日本であり、中・韓ではないからだ。これを改善しない限り、日・中・韓の戦後は終わらないが、私たちが終わらせなければならない。自らの国だけを「美しい国」と主張する狭量な者たちに、委ねるわけにはいかないからだ。

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イスラム国の人質となった2人の解放を求める緊急アピール

2015年1月21日  

私たちは、米英によるイラク攻撃に反対し、それを支持して攻撃に加担した日本政府に抗議する広範な運動を行ってきた者(people)として、また、現在の安倍政権による『海外で戦争する国づくり』とそのための日米の軍事協力を強める政策に強い反対運動を進めている者(people)として、世界で実現されるべき正義と人道の名において、今回の日本人2人のシリア入国の経緯と立場の評価は留保したうえで、2人の日本人の生命を奪うことなく、無事に解放するよう求めます。そして、日本政府が2人の生命を救うために、最大限の交渉の努力を行うことを要請します。

私たちは一貫して、「集団的自衛権」の行使容認をはじめとした日本を戦争へと引き込む一切の政策に反対するとともに、米国の戦争にグローバルな規模で加担するという危険で、誤った道を進むのではなく、平和憲法の下でこそできる日本の国際協力のあり方を求めて、とりくんできました。私たちがとりくむなかで、航空自衛隊による中東地域での米軍への協力は、日本の憲法に違反するとの判決も出されています。

2人の日本人を拘束した人びとは、日本の民衆のこうした願いと努力を理解し、かけがえのない生命を奪って失望させないよう賢明に対処することを切望します。

憲法を生かす会 hico@ma.kitanet.ne.jp 電話090‐2761‐1907
戦争をさせない1000人委員会 info@anti-war.info 電話03-3526-2920
フォーラム平和・人権・環境 peace-forum@jca.apc.org 電話.03-5289-8222
平和を実現するキリスト者ネット cpnet@mica.dti.ne.jp 電話03-3813-2885
許すな!憲法改悪・市民連絡会 kenpou@annie.ne.jp 電話03-3221-4668

Urgent Appeal to Demand Release of Two Japanese Hostages Taken by the Islamic State

We are people representing citizens’ groups which staged broad anti-war campaigns against the war in Iraq committed by the United States and the United Kingdom as well as against the government of Japan which supported belligerency to involve in their attacks. At this moment we engage in intensified campaigns against the Abe government which is keen in ‘building up Japan as a nation that could wage wars abroad’ and wild in consolidating military cooperation with the United States.

In the name of justice and humanitarianism to be realized in the world, we here demand an immediate release of the two Japanese citizens without depriving them of lives, with temporal reservation how to evaluate their entry to Syria and stances they take over the war situation. At the same time we urge the government of Japan to make maximum efforts in order to save their lives.

We are people who consistently oppose the government’s policy package to lead Japan to warfare, including its approval of use of the right of collective self-defense. We are people who wish the government of Japan not to take a dangerous and erroneous path to join the US global war policy but to pursue genuine international contribution of Japan based on the Peace Constitution. That is why we have been engaged in various citizens’ activities. In the course of our experiences we have witnessed a right court decision that the Japan’s Air Self Defense Force’s cooperation with the US military in the Middle East violates the Constitution.

We sincerely hope that a group of people who have abducted the two men might understand petitions and efforts of Japanese people and should solve the issue prudently so that we may not be disappointed with a loss of priceless lives.

January 21, 2015

Citizens’ Association for Peace Constitution  hico@ma.kitanet.ne.jp phone: 090-2761-1907
Anti-War Committee of 1000  info@anti-war.info phone: 03-3526-2920
Forum for Peace, Human Rights and Environmentpeace-forum@jca.apc.org phone: 03-5289-8222
Christians’ Peace Network  cpnet@mica.dti.ne.jp phone: 03-3813-2885
Citizens’ Association against Revision of Constitution  kenpou@annie.ne.jp phone: 03-3221-4668

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