総選挙の結果、改憲を狙う安倍政権の自公与党に衆議院で改憲発議が可能な3分の2を超える議席を与えたことは、大変残念な結果であった。
投開票の翌日、一部の新聞には「自公圧勝 325議席」(読売)、「自公3分の2超 圧勝」(産経)などの見出しが躍った。しかし、「圧勝」という評価はミスリードだ。少し冷静に考えてみれば、そうではないことがわかるはずだ。
確かに自民党は291議席を獲得したが、公示前から4議席減らした。公明党と合わせて326議席になり衆院の3分の2(317議席)を上回ったが、議席数は公示前と同数だ。民主党は62議席から73議席へと増加し、共産党は8議席から21議席へ、2・6倍の躍進だった。社民党は2議席の現状維持、改憲派が多い維新は42から41へ減(2012年総選挙では維新の会は54議席)、改憲派の次世代の党は19から2へと激減した。そして改憲派が主導するみんなの党は選挙前に自滅した。また沖縄県では4つの小選挙区すべてで自民党が敗北し、政府が進める米軍普天間飛行場の「県内」移設を拒否する民意が再び示された。こうしてみると、改憲暴走の安倍政権とその他の衛星政党は重大な後退を余儀なくされたことがわかる。
投票率は選挙区52・66%、比例区52・65%で、戦後最低と言われた前回からともに6・66%低下し、かろうじて半数しかなかった。得票率では自民党は比例区で33・1%、選挙区で48・1%(連立与党の公明党支持者の票が大量に加わっている)、率の増減の結果は多少ばらつくが、得票数では自公両党とも選挙区、比例区いずれも減少した。議席占有率は小選挙区では自民党は48%の得票で75%の議席を得た。あえて絶対得票率をいえば自民党の比例区得票数1760万票は全有権者の17%にすぎない。小選挙区でも24・5%だ。
決して人ごとのように言うつもりはないが「棄権」、「無関心」の増大は今日の政治に対する不信の表明だ。メディアの多くが「アベノミクス解散」などと喧伝しながら、選挙の序盤から与党圧勝の予測を報じた責任も大きい。投票日の翌々日には大手のメディアの編集委員・解説委員ら(読売、朝日、毎日、日経、NHK、時事通信、日本TVなど)が安倍首相と寿司屋で2時間半にわたって会食し、手みやげをもらって帰った事実も、この国のメディアの底深い腐敗を物語っている。
安倍首相は解散権を駆使して、前回総選挙からわずか2年という時期に、野党の選挙準備が整わないうちにとばかりに与党の最も有利な時期を選んで、不意打ち解散をやった。にもかかわらず現状維持以下の結果であって、一部メディアがいう「圧勝」はどう考えても言い過ぎではないか。
公示前日の12月1日、いくつかの市民団体は参議院議員会館で「衆院選・争点は『アベノミクス』だけじゃない」と緊急記者会見を開いた。会見には日頃から秘密法廃止、集団的自衛権・改憲反対、原発、TPP、雇用、沖縄などの諸課題に取り組んでいる市民団体の有志が出席し、安倍政権が企てている「争点隠し」を批判した。そこに参加した筆者も、同席した皆さんが取り組む諸課題とともに、安倍内閣の「戦争する国」への道を拒否することも重要な争点だと主張した。
なぜ私たちはこういう記者会見を開いたのか。
共同通信によると、菅義偉官房長官が11月19日の記者会見で、集団的自衛権の行使容認に踏み切った7月の閣議決定や、12月10日に施行される特定秘密保護法の是非は次期衆院選の争点にはならない、「いちいち信を問うべきではない」と発言し、「何で信を問うのかは政権が決める。安倍晋三首相はアベノミクスが国民にとって最も大事な問題だと判断した」などと述べたことへの抗議だ。
第2次安倍政権の2年間はこの国の前途に関わる重大な政策が、まさに議会での圧倒的多数の力を背景に強行された。総選挙で信を問うべきはこれらの問題だった。
しかし、安倍首相ら与党はこの総選挙を「アベノミクス選挙」などと呼んで「争点隠し」ともいうべき選挙戦術に出た。
選挙戦最終盤の12月12日、この衆院選を分析して与党支持派の「産経新聞」はいみじくもこう書いた。「(安倍首相は)全国遊説ではデフレ脱却に向けたアベノミクスの意義に多くの時間を割き、憲法改正を訴えることはほとんどない。与野党議員が、憲法改正をめぐり正面から論戦を挑む場面もなきに等しい。果たしてこれでよいのか。……自民党は、衆院選の政権公約(マニフェスト)では論点の明記を見送った。3分の2に手が届くまたとない好機に、あえて憲法論議に火をつけるのは得策ではないという判断なのか。昨年夏の参院選公約には、党の憲法改正草案に基づき「国防軍の設置」など10の論点を挙げただけに残念だ」と。朝日新聞の調査では、公示後74回の演説中、集団的自衛権という言葉を使ったのは、わずか13回で、後半戦の5日間は1度も使わなかったという。
安倍晋三首相は12月14日、テレビ番組の司会だった池上彰氏から「集団的自衛権のことはあまり触れなかったのではないか」と問われると、「そんなことはありませんよ。テレビ討論会でもずっと議論したじゃないですか」とむきになって反論した。
そして、安倍首相は15日、報道に対して、閣議決定した集団的自衛権の行使容認を含む安全保障法制の整備について「しっかり公約にも明記し、街頭でも必要性を訴えた」と語り、有権者の理解を得られたと強調し、「支持をいただいたわけだから、実行していくのは政権としての使命だ」と述べ、来年の通常国会で関連法案の成立を期す考えを強調した(12月15日、毎日新聞)。
この「説明した、理解が得られた」との安倍発言は大うそだ。集団的自衛権の問題は、産経や朝日が指摘するように安倍首相の街頭演説ではほとんど触れられることがなかった。実際、各種の世論調査でも集団的自衛権の行使に理解を示す回答は少数だ。
安倍首相による今回の抜き打ち解散の狙いが、明文改憲の着手まで射程に入れた長期政権の座の確保にあったことは疑いない。安倍首相の念願は、これによって「日本を取り戻す」ための「戦後レジームからの脱却」(歴史修正主義)をはかり、米国と肩をならべて、グローバルな範囲で「戦争する国」を実現することにある。そして、安倍首相は自らの任期中に明文改憲に着手し、歴史に名を残したいと切望している。その明文改憲は第9条からが無理であれば、緊急事態条項の導入と環境権などの加憲から始めてもいいと考えている。
自民党は総選挙で「この道しかない」というスローガンを掲げた。これは元祖・新自由主義のサッチャー元英国首相の「ゼア・イズ・ノー・オルタナティブ」(他に道はない)のキャッチフレーズの一周遅れのパクリだ。安倍首相はアベノミクスこそそれだと言いたいわけだが、サッチャリズムと同様に、すでにその破綻が各所で噴き出している。破綻が決定的になる前に総選挙を行い、3分の2議席を維持したかったわけだ。この点でのみ安倍首相は目論見をはたした。
自民党が小選挙区で手に入れた議席は公明党の選挙協力なくしてあり得ないものだ。自民党は過半数を遙かに上回る議席を確保したとはいえ、「戦争する国」の道に消極的な公明党と手を切ることができないという解のないジレンマを抱えている。第2次安倍政権で内閣法制局長官の首をすげ替えるという禁じ手まで使い、5月15日には安保法制懇の集団的自衛権行使の全面的な合憲化という答申を引き出しておきながら、7月1日の閣議決定では事実上は無限定だという指摘はさておいて、行使の「限定容認」というところに止まったのは自公連立政権を維持するための苦肉の策だった。
10月8日に決定した日米軍事協力の指針(ガイドライン)の再改定に向けた日米当局による中間報告は、安倍内閣が強行した集団的自衛権行使容認の「閣議決定」を「適切に反映」させるとして、「日米同盟のグローバルな(地球規模の)性質」を強調して、従来の周辺事態という限定を削除し、自衛隊の海外派兵について地理的制約を全廃した。そして平時から緊急事態まで切れ目のない協力を確保するとして「戦闘地域」での米軍支援も可能とした。
こうした閣議決定の具体化の日米合意は、公明党が容易に容認しがたいものであり、その後、日米ガイドラインの改定のスケジュールが難航し、戦争関連法制の改定・策定の作業が大幅に遅れている大きな要因もここにある。
国家安全保障会議(日本版NSC)体制の確立や秘密保護法の施行など体制面での「戦争する国」の準備が進み、軍事力の面でも頻繁にくり返される日米間などの合同軍事演習や、強襲揚陸艦、オスプレイの導入とヘリ搭載護衛艦などの配備、水陸機動団の準備など海外で戦争の出来る能力を備えた自衛隊づくりが進みながら、肝心の日米ガイドラインや戦争法制の制定が公明党との不協和音でつまずいている。
安倍晋三首相は衆院選の結果を受け、自公両党で改憲発議に必要な3分の2以上を確保したことを踏ま集団的自衛権行使容認の閣議決定に反対の声をあげる市民(2014年7月1日、官邸前 ?レイバーネット)え、「最も重要なことは国民投票で過半数の支持を得なければならない。国民の理解と支持を深め、広げていくために、自民党総裁として努力したい」と述べ、憲法改正に重ねて意欲を示した。
しかし、日米両政府は防衛協力の指針について、当初合意していた年内の再改定を来年に先送りすることを発表し、ガイドライン再改定は2015年の大型連休明けとなる見通しになった。その原因は日本側で集団的自衛権の行使容認を反映した安全保障法制をめぐる政府・与党内の調整が停滞していることだ。連立政権内に矛盾を抱え、米国との国際公約もあり、安倍政権は容易でない板挟みの事態に陥っている。
閣議決定に対応して見直しが必要な戦争関連法制の中には、(1)自衛隊法、(2)防衛省設置法、国家安全保障会議(NSC)設置関連法、(3)武力攻撃事態法、国民保護法、特定公共施設利用法、米軍行動円滑化法、外国軍用品海上輸送規制法、捕虜取り扱い法、非人道的行為処罰法、(4)周辺事態法、船舶検査活動法、(5)国連平和維持活動(PKO)協力法、国際緊急援助隊法、海賊対処法などなどがある。「国際平和協力」を目的とした自衛隊の海外派兵に関する立法は、従来は目的・対象を限定した時限の特別措置法で対応してきたが、新法(派兵一般法・恒久法「国際平和協力法・仮称」)の策定も実施する可能性がある。
渋る公明党を屈服させ、政府の思惑通りに連休明けに戦争関連法制が上程されるとしても、前途は容易ではない。10数本の重要法制の改正を伴う法制を「一括法」でやるという話が早くから出ているが、連休明けになると、通常国会の残り期間は約1ヶ月半しかない。会期の延長があったとしても、これだけの膨大な法案を処理するには、2013年末の秘密法強行採決の再現とならざるをえないだろう。審議期間の面でも、一括法案という法制処理の面でも、それが容認されるなら議会制民主主義を破壊する暴挙に他ならない。第2次安倍政権の序盤に立憲主義破壊の憲法96条改定論が浮上して大多数の世論に粉砕されたように、この暴挙は世論に火を付けることになることは明らかだ。
2013年の特定秘密保護法案に反対する運動は、その稀代の悪法の上程という事態が運動圏の人々を緊張させ、広範な共同行動を実現させた。東京でその中心を担った「秘密保護法」廃止へ!実行委員会には新聞労連、平和フォーラム、5・3憲法集会実行委員会、秘密保護法に反対する学者・研究者連絡会、秘密法反対ネットなどが、政党との連携の違いや労働組合のナショナルセンターの違いなどを超えて幅広く結集した。
つづいて安倍政権による集団的自衛権の憲法解釈の変更に危機が迫ってきていた2014年の冒頭からは、さまざまな団体が反対の動きを強めた。まず、大江健三郎さんなど文化人を呼びかけ人にし、平和フォーラムなどが軸になって、「戦争をさせない1000人委員会」が発足した。つづいて、5・3憲法集会実行委員会などに結集していた市民諸団体の呼びかけで首都圏の137の市民・民主・労働団体などが結集し、「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」が立ち上がった。5月末には全労連などを軸にして、共産党系の「戦争する国づくり反対!憲法をまもりいかす共同センター」が再編・再発足した。このいずれもが2014年の通常国会・臨時国会の時期に於いて、安倍政権の暴走に反対する大きな運動を形成する母体となってきた。そして、これらの諸ネットワークは出自や経過から来る違いを乗り越え、中央段階でのとり組みで次第に共同行動を強め、その積み重ねの上に2014年末には「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」を結成した。この総がかり行動実行委員会は、第3次安倍内閣の下での2015年の通常国会で、ガイドライン改定や戦争関連法制の策定に反対する連続的な国会行動や、新聞意見広告への共同のとり組みなど、従来の枠を超えた大きな展開を準備しつつある。また、5月の憲法記念日には「戦争・原発・貧困・差別に反対し、憲法を実現する5・3大集会」(仮称)をさらに広範な諸運動と協力して、安倍内閣の暴走と対決しながら開催しようとしている。
これら運動圏の共同の努力は歴史的な意義があり、安倍内閣の戦争する国、改憲暴走の危険に対決するための、この数十年、実現し得なかった画期的な共同行動になりつつある。この総がかりの共同の運動を全国各地の草の根での共同行動の展開にまで押し広げることこそ私たちの課題だ。
この1年余の共同行動の形成の努力の教訓をあえていえば、大目的の実現のための共同で覇を求めないこと、1党1派のヘゲモニーによる「同心円」的な共同を目指すのではなく、さまざまな勢力の対等な共同(同円多心)のネットワークを実現することだ。その過程での真に運動の前進に有効なヘゲモニーは目的の達成に向けた誠実な努力の結果、付随してくるものだ。そして、この共同は個別課題の「1点共同」に限る必要はない。安倍政権の改憲暴走に反対するいくつかの課題を含む共同が成立するなら、それは歓迎すべきことだ。
たしかに安倍政権は国会での改憲発議することが可能なほどの議席をもっている。しかし、その帰趨を決定する力の根源はそこにあるのではない、国会外の民衆の力、この力こそがこの国を「戦争する国」にするかどうかの選択を左右する決定的な力だ。2014年に実現した広範な共同行動の態勢はその保障だ。この力が国会内で少ないとはいえ、改憲反対のリベラルな議員勢力を共同させ、安倍の道に抵抗し、阻止する院内のたたかいにも影響を与えることができるに違いない。
私たちはあきらめない。あきらめない限り究極の敗北はない。
その手段はなにか。この間の憲法改悪反対や脱原発の市民運動の中でリーダーの役割を担ってきた作家の大江健三郎さんは「私らに何ができるか、私らにはこの民主主義の集会、市民のデモしかないんです」(2011・9.19 明治公園の脱原発集会で)と言った。
中国の作家魯迅の短篇小説『故郷』(1921年11月)にも同様の記述を見ることができる。「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」(ちくま文庫『魯迅文集』竹内好・訳)(事務局 高田健)
飯島滋明さん(名古屋学院大学准教授・憲法学・平和学)
(編集部註)11月15日の講座で飯島滋明さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。
まず今日の話しの概略ですが、この地図をご覧ください。1960年に日米安保条約を改定しています。そのときの日本とアメリカの役割とは何かといいますと、日本に対して武力行使があった場合には、アメリカと日本と共同で武力を行使するということを安保条約の5条に書いています。「(1)極東の範囲」と書かれているところがあります。これは、アメリカ軍は日本にいることになっていて、アメリカはこの「極東の範囲」であれば動いていいというのが安保条約の内容です。1960年、岸信介首相とアメリカのアイゼンハワー大統領が安保条約を変えたんですね。そのときの安保条約の約束では、「日本の施政下」という言い方をしています。そこにもし武力行使があった場合には共同で武力行使をする。それからアメリカ軍は極東の平和と安全のために日本にいることができるということでした。
しかし1996年に当時の橋本首相とアメリカのクリントン大統領が、日米安保共同宣言を出します。そこでは安保の基礎は「アジア太平洋」だと言い出したんです。アジア太平洋の範囲をわざとこの地図に書きました。日米安保条約では日本に攻撃があった場合には共同で武力対処し、アメリカ軍は極東の平和と安全のためにいてもいいという内容だったんですが、日米安保共同宣言ではアジア太平洋と言い出した。そのときにはやっぱり批判が出ます。大統領がそんなことで条約の範囲を変えていいのか。あわてた外務省や橋本首相などは「変えたんじゃありません、確認しただけです」と言い訳しました。メディアが安保再改定だと叩いたんですが、改定じゃありません、再確認だと言ったんです。
このアジア太平洋ということを言い出した1997年に、ガイドラインを変えます。ガイドラインを変えるときに周辺事態というのをつくって、周辺事態においてアメリカの後方支援をしますという約束をしたんです。それも、結論から言いますと集団的自衛権です。要するに戦争は兵站=武器とか食糧などの支援がなければできません。日本が戦わなくても、戦っているアメリカに対して武器弾薬、食糧などを提供するのであれば、これは集団的自衛権の行使になります。この周辺事態、このあと1999年に周辺事態法ができますけれども、このときはさすがに真っ先に手を出して戦うということまでは約束しなかったんですよ。
安保条約はもともと極東だったんですが、これがアジア太平洋にふくらまされた。あるいは周辺事態の際の後方支援をやると約束したんですが、これも集団的自衛権ではあるんですけれども、戦うということまでは約束していなかった。周辺事態というのは、2003年に武力攻撃事態法ができるんですが、武力攻撃予測事態と重なるとは言っていますので、もしかしたら日本が巻き込まれて戦争してしまう危険性はもちろんあるんです。ただ、真っ先にこちらから手を出すということまでは、このときには約束していなかったんです。
ところが10月8日に中間報告が出た今度のガイドライン。これではどうなっているか。1997年のガイドラインの時は、一応アジア太平洋という枠組みはまだしもあったといえるかもしれない。2001年に日本がアフガニスタンにアメリカ支援で行くとき、最初は周辺事態法を適用しようとするんです。ところがそれは無理だという話になって、テロ対策特別措置法をつくった。そういう意味では周辺事態と言ってもまだ地理的範囲があったと少なくとも権力者は考えていたと思うけれども、今度の10月8日のものはそうじゃない。世界中で戦争を支援できてしまう。よく地理的制約がなくなったという言い方がされますけれども、中間報告の全文を見ると宇宙での協力もすると言っているんですね。宇宙に関して偵察衛星を撃ち落とす研究をすることを防衛省は考えています。宇宙で偵察した情報をアメリカと共有することも考えている。地理的制約だけではなく空間的制約も取っ払ってしまっていることが、この中間報告の性格として言えると思います。
防衛省のホームページに「防衛協力小委員会について」というのがあります。ここには「日米両国は、11月14日、都内において、防衛協力小委員会(SDC)を開催します。日本側からは、德地秀士防衛省防衛政策局長、冨田浩司外務省北米局長が、米側からは、ピーター・ラヴォイ国防次官補代行(アジア・太平洋安全保障担当)、ジェームズ・ズムワルト国務次官補代理(日本・韓国担当)他がそれぞれ出席します。」と書いてあります。要するに出席するのは局長レベルなんですよ。このSDCは何をするのかと言いますと「今回のSDCは、先月3日の日米安全保障協議委員会(「2+2」)における合意に基づき、「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)の見直しに係る議論を行う場として開催するもので。」となっています。
このガイドラインの改定は、日本でいえば局長クラスの人が中心になってやっているんですね。こういう人たちがアメリカと話し合ってつくったのがガイドラインです。そういった事務的なレベルの人たちの話し合いで、そもそもアメリカの大統領と日本の総理大臣が約束した安保条約の範囲あるいは権限を変えてしまっていいのだろうか。このSDCの人たちは、少なくとも首相の指示は受けているはずだという主張があるかもしれませんが、安保条約は条約です。条約というのはただ単に総理大臣と相手の代表者が約束するだけじゃなくて、国会の承認がいるんです。これはむしろ教えて頂きたいんですが私は1969年生まれなので安保条約が結ばれたときは生まれていません。母親が高校生でした。ちょっと聞いたらなんか東京で騒いでいたねという感じだったんですよね。正直言ってよくわかりません。ですからたぶん私があとで本などを読んで得た知識というのは、かえって当時その場にいた人には違和感があるんじゃないかと思うんですが、あのとき国会決議が―あったとは言いたくないんですが―安保条約の改定は国会の手続きは踏んでいるんですよね。
もし安保条約を変えて範囲をアジア太平洋とするのであれば、それこそ国会承認がいるんじゃないか。まして世界中で協力しますというのであれば、憲法73条3項、条約の改正に関しては国会承認がいるとなっています。こんな局長レベルの人たちがこうしましょうと言ったことを真に受けて、安保条約の中味を変えていいのかというのが今日の大まかな主旨だとご理解頂ければと思います。
ちょっと余談ですが、いま自衛隊の演習で驚くべきことを言っています。もし尖閣で中国とぶつかったら、民間のフェリーあるいは輸送会社を使いますと言い切っているんですね。いざ戦争になれば、もちろん軍人だけでできるわけじゃないということです。いま新聞で問題になっているかもしれませんけれども、18歳くらいの高校生に自衛隊から案内が来る。女性には、女性自衛官になりませんかというのと看護師になりませんかというのが来ています。湾岸戦争の時にも50人程度の医療関係者が、こっそりとですが行かされています。結局集団的自衛権というのは民間人も大きく巻き込まれてしまう可能性がある。その事は申し上げたいと思います。
また、集団的自衛権というのは、日本が攻撃されていないのに海外で戦うことになる。自衛隊の人たちの中には、「大義名分がない」ということを言う人たちがいます。日本を守るために戦うならいいかもしれない。あからさまに安倍首相の批判なんかはしませんけれども、どこの自衛隊の基地に行っても大義名分がないと言うんです。もちろん政治の判断には従うとは言います。政治家の火遊びで俺たちが死ぬのは嫌だということはあると思うんですよ。結局痛い目に遭うのは自衛官だったりこういったところに行かされる輸送会社の人、看護師さんだったりすると思うんです。
1951年9月4日にサンフランシスコ平和条約を調印します。そこで日本が独立するけれど、同じ日に日米安保条約が調印されます。私もこれにはびっくりしたんですが、6人全権代表がいるんですが調印したのは一人だけです。人によっては全権ですらその内容を前の日まで知らなかったというんです。調印したのは吉田茂さんです。国民すら知らない間にこんなものが調印された。安保条約というのは生まれたときから国民主権に相反するものだった。のみならず安保条約は仮想敵を前提としている。世界は安定していないから、アメリカの武力が必要だということで安保条約を結んでいる。こういったように仮想敵を想定して武力による平和を求める安保体制は、憲法の主旨とは相容れないところがあると思います。
日本国憲法は、いろいろな国と外交手段などを通じて仲良くしていく、そういったところで日本の平和を維持していくという考え方です。いわゆる「武力なき平和」ということになると思います。仮想敵を想定して武力によって日本の安全を守るという安保条約の考え方は、そもそも憲法とは相容れないと思います。ただ、吉田茂さんとか岸信介さんなどの記録を見ると、特に岸信介さんなんかは「えっ」と思われるかもしれませんが、アメリカの戦争に巻き込まれたくないということは彼らなりにあったと思うんです。巻き込まないでね、という抵抗の姿勢はアメリカに対して示し続けている。我部政明先生の見解をここで紹介させてもらいます。「集団的自衛権について、日本側は一貫して拒否し続けた。これは、日本が米国の戦争に『巻き込まれる』のを恐れた結果」(『日米安保を考え直す』・講談社現代新書、2002年)。
憲法上集団的自衛権を認められないといっていたのは、もちろん憲法9条という考え方はあります。けれどもただ単にそうではなくてアメリカに対して発信したものだと言えると思います。例えば1951年1月から2月、安保条約を締結する前の吉田・ダレス会談で、アメリカは32万5千人の日本再軍備案を求めてきたんですね。それに対して吉田は、11万以上は絶対に増やせないと抵抗します。もちろん11万という数字自体も憲法に違反することも事実ですけれど、それ以上増やすことには吉田なりに抵抗するんですね。なぜ抵抗したかというと、日本再軍備に関わったフランク・コワルスキーの本(勝山金次郎訳『日本再軍備 米軍事顧問団幕僚長の記録』・中公文庫、1999年)を見ますと、吉田さんはこういうことを言ったと書いてあります。
「ダレスさんの言う通りに、30万の兵力に増強したら、アメリカ政府は、その一部を朝鮮に派兵するように言ってくるでしょう。だから吉田さんは11万以上の兵力に拡張することには応じなかったのです」。「吉田さんは、日本軍が中国で泥沼にはまって進退きわまったあの頃のことを思い出すと、身ぶるいがすると言っています。日本国民も同じです。もし日本が地上軍を30万人に増やすと、国民は、外国から日本を守るだけでそんな大軍は要らぬと非難するでしょうし、国連はアメリカにつつかれて、10万くらいを朝鮮に派兵して、国連に協力するように日本に要請してくるでしょう」。11万に増やしたということは憲法に反する措置ではあったんですけれども、アメリカの戦争に巻き込まれないという観点からずっと抵抗してきたところがあります。
実はここで吉田が面白いことを言っているのがわたしなりの関心なんですが、要するに自衛隊を海外に出せないと反対するときに、吉田茂はこういうことも言っています。「日本の侵略を被ったアジア諸国の警戒もあるだろう」。
実際に1951年にANZUS条約が結ばれます。これはオーストラリア(A)、ニュージーランド(NZ)、アメリカ(US)の同盟です。なぜこれができたかというと、日本が独立することに対してオーストラリアとニュージーランドが恐れたんですね。またやられるかもしれない、アメリカになんとかして欲しいということでできたのがこのANZUSです。日本が独立して、しかも軍隊を持つということに関しては近隣諸国も警戒する。まして海外で戦えるようになれば近隣諸国の理解は得られない。吉田がそう考えていたことは集団的自衛権の問題を考える上でひとつの大きな要点なのではないかと思いました。
新安保条約についてです。1951年に安保条約が結ばれますけれども、革新派の人たちもこんな条約はふざけるなと思ったでしょうが、保守派であってもこの条約は飲めないと考えていたんですね。どういうところかというと、例えば旧安保条約にはいざというときに日本を守るということが条約上明記されていない。あるいは内乱条項というのがありまして、日本で内乱が起こったときはアメリカ軍が介入できる規定があったんです。これこそ独立国の規定じゃないですよね、外国の軍隊が介入できるなんていうのは。あるいは、何年経ったらこの条約をもう結びませんという期限もなかった。そういった意味で保守派の人たちでもこれは平等じゃない、独立国の条約じゃないという思いがあったんです。
日本側がアメリカに対して安保条約を変えましょうと要求します。アメリカはそれをある意味で拒否し続けていまして、安保条約を変えようというのであれば、いざアメリカに何かあったときに日本も軍隊を出せということをアメリカは言い出します。さらに米韓相互防衛条約、あるいは米比相互防衛条約などと同じように、条約の区域を太平洋まで広げろということもアメリカは言ってきます。これに対して日本はどういう対応をしたかというと、アメリカに対して「いや、軍隊は出せないんです」、「憲法でこうなっているんです」と言うんですね。集団的自衛権は憲法上認められない。そして条約区域を太平洋とすることに対しても、日本は反対するんです。
それに対してダレス国務長官はふざけるなと思っているんですけれども、例えばこのときのマッカーサー駐日大使は、このままだと日本が中立に走ってしまうかもしれない。第五福竜丸事件とか、内灘闘争、砂川事件、ジラード事件-群馬県で薬莢を拾っていた女性をアメリカ兵が射殺した事件、そういった事件を巡ってアメリカは出て行けという雰囲気ができつつあった。そのときに太平洋でアメリカと一緒に戦えとか、条約区域を太平洋にしろなんて言ったら、日本が中立に走ってしまうかもしれない。それはやばいだろう、だったら日本の要求を飲もうということで、アメリカの政策が変わるんです。実際はアメリカとしては、日本にいま中立に走られてしまうと佐世保と横須賀は失ってしまう。そうするとアメリカの軍艦は2.5倍必要になる。それは得策ではないという判断をするようになります。日本の中立化を恐れたアメリカは、集団的自衛権は憲法上受け入れられないという日本の提案を受け入れたんです。
安保条約の内容について紹介します。安保条約は共同で武力行使をする場合ということを想定しています。「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」があった場合には共同で武力行使をしましょうということになっています。ややこしい書き方をしているかと思いますが、少なくともこの当時何が想定されていたかというと、沖縄で何かあったときに日本は武力攻撃をしなくてもいい、対処しなくていいということです。日本の領土じゃなく、日本の施政下なんです。いま沖縄の人が見たらどう思うんだろうと思いますが、社会党すら沖縄を安保条約の対象に入れるなといっています。なぜならアメリカの戦争に巻き込まれるから。あの当時、沖縄はアメリカの施政下でしたから、あそこに攻撃があったときに日本も共同で武力行使するとなると、日本が巻き込まれる。日本の領土ではないんですよね。小笠原も同じです。
「要件」というところは「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」となっています。これも日本側の要求が通った結果です。どういうことかというと、米韓とか米比の条約では「自国の憲法上の手続に従つて」としか書いていないんです。ところが日米安保条約の場合は「憲法上の規定及び手続に従つて」ということを書いている。憲法上の規定とは何かというと集団的自衛権は認められない。だから海外に行かないということが前提になっている。
ここに田中直吉先生の本から書かせていただいていますが「新条約案の場合単に『手続き』とのみせず『規定と手続き』として、憲法に違反する措置をいささかでも要求しないことを明記している」ということになっているわけです。米比相互防衛条約(1952年8月27日発効)では「各締約国は、太平洋地域におけるいずれか一方の締約国に対する武力行使が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の手続きに従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」となっています。
日米安保条約では5条で「各締約国は、日本の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」、例えば日本本土あるいは日本本土にある米軍基地に対する武力攻撃ですが、これが「自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する」となっていて、米比相互条約と日米安保条約を比べると領域が「日本」となっています。ですから海外で戦う必要はないことになっています。それに加えて「自国の憲法上の規定及び手続き」となっていて、手続きだけじゃなくて規定ということを入れたことで、海外で戦わなくていいということが明確になっています。
NATO(北大西洋条約機構)ではこういう規定になっています。「締約国は、ヨーロッパ又は北アメリカにおける一又は二以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなすことに同意する。したがつて、締約国は、そのような武力攻撃が行われたときは、各締約国が、国際連合憲章第五十一条の規定によつて認められている個別的又は集団的自衛権を行使して、北大西洋地域の安全を回復し及び維持するためにその必要と認める行動(兵力の使用を含む)を個別的に及び他の締約国と共同して直ちに執ることにより、その攻撃を受けた締約国を援助することに同意する」。
これは実はアメリカなりの戦略もあって、もし第3次世界大戦があったときにもアジアの戦争に巻き込まれないように「憲法上の手続き」を入れたんですね。NATOの場合は、どこかに攻撃があれば自動的に参戦しますよといっている。でも日米安保条約とか米比相互防衛条約、米韓相互防衛条約では、「憲法上の手続き」ということが入っている。これは、いざというときには議会が反対するかもしれない。大統領が戦争をすると言っても議会が反対すれば、戦争はできなくなります。こうやってアジアの戦争に巻き込まれることをアメリカとしても避けている。ですから今年4月、オバマ大統領が尖閣諸島は安保条約の適用範囲だと言いましたけれども「適用範囲」と「適用する」というのは違うんです。そのあたりは、日本の政治家もメディアも鈍いのかどうなのか。万が一第3次世界大戦になったときには、もちろんヨーロッパでは戦うんですけれどもアジアでは戦わない余地を残すために、わざとアメリカとしても「憲法上の手続き」というものを入れているということがあります。
もちろん私は岸信介という政治家をほめるつもりはまったくありません。彼が目指していたものは憲法を改正して、彼自身も海外派兵を目指してはいたんですね、ただアメリカの戦争に巻き込まれたくないというだけで。ですから彼自身が平和主義者だなんていうつもりはまったくありません。ただアメリカの戦争に巻き込まれないためには、外務省の役人が条約区域を太平洋とすることに対して反対し、「いや、極東だ」と彼自身が言ったという記録が外務省には残っています。米比とか米韓、ANZUSでは共同武力行使領域が太平洋とされたことで、ベトナム戦争のときに結局アメリカに出てこいといわれて出て行かざるを得なくなってしまったわけです。フィリピン大統領のように、まじめに戦うなということだったら良かったんでしょうけれども、韓国のように朝鮮戦争の時に助けてもらったからまじめに戦えなんていうことになると悲惨なことになる。
ニクソン・ドクトリンをあとで紹介したいと思いますが、アジアの戦争だったらなぜアメリカ人が死ぬ必要があるのか、アジア人に戦わせればいいということで、こういった派兵も求められたんです。韓国はまじめに戦ってしまったこともあって、5000人近い死者が出てしまった。日本には出てこいという要請はあったけれども、佐藤栄作首相は、憲法上出られませんということで断っているんですね。そういった意味で安保条約なんてほめられたものじゃないですけれども、アメリカの戦争に巻き込まれないという当時の思いがあって、結局いままで巻き込まれないようには進んできたと言えるかと思います。
1978年にガイドラインというものをつくって、いざというときの役割分担をしましょうという話が出てきます。このガイドラインができたあと、日米の軍事的一体化が進みます。例えば航空自衛隊とか陸上自衛隊は、それまではアメリカ軍との合同訓練はしていなかったんです。けれども航空自衛隊でいえば1978年から、ガイドラインを契機にしていろいろな訓練をするようになります。陸上自衛隊も、このガイドラインが結ばれてから合同の訓練をするようになります。そういう意味ではガイドラインは日米軍事一体化を加速させた側面があると思います。ただ一緒に戦うということをどれくらい想定していたかというと、日本としてはアメリカに巻き込まれたくないという思いがそれなりに強かったと思います。
旧ガイドラインでは3つの柱がありました。日本への侵略を未然に防ぐ体制、日本への直接武力行使への対応、極東における有事の際の日米の協力、この3つの柱についてお互いの役割分担を決めましょうというのが1978年のガイドラインでした。極東の対応は「日米両政府は、情勢の変化に応じ随時協議する。日本以外の極東における事態で日本の安全に重要な影響を与える場合に日本が米軍に対して行う便宜供与のあり方は、日米安保条約、その関連取極、その他の日米間の関係取極及び日本の関係法令によって規律される。日米両政府は、日本が上記の法的枠組みの範囲内において米軍に対し行う便宜供与のあり方について、あらかじめ相互に研究を行う。このような研究には、米軍による自衛隊の基地の共同使用その他の便宜供与のあり方に関する研究が含まれる」。これしか書いていないんですよ。これで何をするのという感じです。
アメリカとしては一番やりたいのはここなんです。極東で何かあったときに、日本が単独で攻められるなんてアメリカだって思っていません。ですから極東で何かあったときに日本とアメリカがどういう協力をするかということをアメリカは一番やりたかったんですが、結局1978年のガイドラインで書かれているのはこれだけです。アメリカとしてはもっと深くいろいろ決めましょうということをいったんですが日本が消極的でありまして、1982年に数回協議しただけで終わってしまった。極東で第2次朝鮮戦争のようなものが起きたときに日本は何をするかまったく決まっていない状態だった。それに対してアメリカは、言い方は悪いですが、ふざけるなという思いを持っていることになります。
このふざけるなという思いが真っ先に出てきたのが、1993年から1994年の北朝鮮の危機の問題です。アメリカはここで北朝鮮を攻撃する準備をしていたんです。日本に対しても協力しろといったけれど、日本は「できません、できません」と断った。それだけが原因ではありませんが、結局北朝鮮での戦争は回避された。アメリカとしてはこんなことではしょうがない。いざというときに日本に支援させる体制をつくらせなければということで、アメリカの方から1978年のガイドラインを変えろという動きを始めます。
その動きの一つが、1996年の日米安全保障共同宣言と呼ばれるものです。安保条約の範囲は極東、要するにフィリピンより北なんです。ところが日米安全保障共同宣言では、アジア太平洋の平和のためにアメリカの軍隊が必要だということを言い出します。なぜ極東からアジア太平洋に広がったのかという批判が出て、橋本内閣あるいは外務省は再定義じゃありません、確認しただけですと言い出します。けれども、極東というのは岸信介なんかの答弁を聞いてもフィリピンより北ですから、どう考えてもアジア太平洋ということにはなり得ない。そうであれば実質的な修正を条約改正によらずに行ったという評価がされています。
つぎは新ガイドラインについてです。手続き的な問題について早稲田大学の水島朝穂先生の言葉をお借りしました。新ガイドラインの問題は何なのかといいますと、「国会承認手続きを脱法する手続き」という批判をされています。水島先生の批判を引用させて頂きます。
「法形式的には、新ガイドラインは、日米の安全保障問題における実務的取極の一形態である。だが、それは、単なる実務的取極の範囲を超え、実質上、日米の連合作戦協定の性格を持つとともに、さらに進んで、条約本体の基幹部分を変更する質をも有している。このような一国の安全保障の根本に質的な変化をもたらすようなことを、実務レヴェルの取極で行うことは許されるのか」(水島朝穂『憲法と新ガイドライン下の「有事法制」』社会批評社編集部編『最新 有事法制情報 新ガイドライン立法と有事法制』・社会批評社、1998年)。水島先生としては、これはできないだろう。そうであれば先ほど申し上げた通り、条約の内容を変えるのであれば憲法73条3項の国会の承認手続きがいるはずだ。にもかかわらず局長レベルの話し合いが中心のもので変えてしまうのはおかしいだろうということを言われています。
では内容的にどう変わったのか。安保条約でできることは、日本の施政下に武力攻撃があったときに、それに対して共同で武力行使をするということだけだったんです。1997年のガイドラインでは、まず極東からアジア太平洋さらには周辺事態ということに適用範囲が変わっている。それから「協力する行為」というのがあるんですが、例えば後方支援みたいなことも行うことになる。さらに1997年にガイドラインが改定されたことによって周辺事態法、自衛隊法が変えられましたし、2000年には船舶検査法もつくられます。こうしてガイドラインが改定されたことによって法律もあらたにつくられたり改正されたりしています。このガイドラインの性格についても、繰り返しますがやっぱり軍隊の活動はドンパチやることもさることながら、9割以上は補給、兵站、ロジスティックが占めると言われています。そうであれば戦っている外国の軍隊に補給活動を行うことはまさに武力行使でありまして、それこそ集団的自衛権の行使、憲法論的に言いますと憲法9条で禁止されている武力の行使になります。
このガイドラインあるいはガイドライン関連法は憲法違反という評価は免れないと思いますが、ただ一緒に戦うという約束はしていないんですよね。9.11のテロがあってアフガニスタンを攻撃した際、自衛隊を派兵するときに外務省などははじめは周辺事態法を適用しようと考えたんです。しかし、やっぱり地理的に無理だ、国会答弁でもインド洋には行きませんと言ってしまった以上、周辺事態法を適用して自衛隊を派遣することはできないということになって、そこでテロ対策特別措置法を2011年につくっているんですね。そういった意味からすると確かに憲法違反の度合いは広がったんですが、ただそれなりの地理的制約もあることも確かです。
これも余談になりますが、5月15日あるいは7月1日に安倍さんが説明に使ったパネルですが、これはホームページで取れるんです。要するにたぶん自慢しているんですよ。でも実は1997年のガイドラインを見ますと、「日本国民または米国国民である非戦闘員を第3国から安全な地域に退避させる必要が生じる場合には、日米両政府は、自国の国民の退避および現地当局との関係について各々責任を有する」、要するに自分でやりなさいってガイドラインで決まっているんです。でもあのパネルではアメリカの軍艦になぜか日本の女性とか子どもが乗っている。アメリカはいつからそうなったんだと思っているかもしれません。ここに嫌みで書いたんですけれどもガイドラインを変えるということは、アメリカに対しても日本人を守ってねと要求するんでしょうか。たぶんしないと思いますけれどもね。
「軍事研究」という雑誌がこのパネルのことを扱っているんですね。「軍事研究」という雑誌はどちらかというと憲法改正大賛成の雑誌です。けれども「安倍総理の防衛知識は大丈夫なのか」、こういう人たちもこう言わざるを得ない。「小保方先生の実験ノートにも驚かされたが、このパネルはそれに匹敵するほどお粗末な代物だ」、そういうものなんですよね。そもそも軍事的合理的性格からしてこんなことはあり得ないですし、自国民の避難は自国がするってガイドラインに書いてあるんです。にもかかわらず安倍首相はアメリカにやらせようとしている。ガイドラインもちゃんと読んでいないんだと思います。
次に10月8日に発表されたガイドラインの話に入ります。中間報告を見て何がやりたいのかわかりますかという感じです。これを見ても話し合いが進んでいるかどうか。去年の10月に2+2という日本の防衛大臣と外務大臣、アメリカの国務長官と国防長官との話し合いがありました。実はその文章の丸写しに近いんです。その文章の方がまだ何がやりたいかがわかるんですよ。ですからこの項目で何がやりたいかを理解して頂くには、1997年のガイドラインの別表と重なっているものがまずあります。それから去年10月の2+2にほとんどの項目が重なっています。そちらの方が具体的に書いてあります。そこからどれだけ話し合いが進んでいるのかわからない。むしろこれを見るとほとんど進んでいないのではないかという感じしかしないんです。
例えば、去年10月の2+2でガイドラインを書き直すことを約束してSCC、日米小委員会がこうやっていますということを最初に紹介しました。例えば訓練・演習というのがありますが、ここでは「同盟の抑止力を維持しつつ日本本土を含め沖縄県外の訓練を増加させるため次の機会を活用することを決定した」、人道支援とか災害救助訓練を使って日米の軍事訓練をやると言っているんですね。最近も和歌山県にオスプレイが飛んでいって災害救助をやってみたり、防災訓練を利用して軍事訓練をするということを去年の2+2でやっています。さらにはオスプレイのフォレスト・ランプ訓練への参加や低空飛行訓練、空中給油訓練、後方支援訓練といった飛行訓練をやると言っています。
協力内容は10何個項目が並んでいますが、「経済制裁の実効性を確保するための活動」というのは1997年のガイドラインを見ますと臨検のことです。経済制裁をしてもどこかから変な国が入ってきたら、差し押さえるということです。あるいは海洋安全保障というところに機雷除去とあります。これはシーレーンの確保ということも書いてあります。こういったようにどんどん海外で武力行使できるようなことが書き込まれている。これが恐らくもっと今年の末か来年の初めには書き込まれるのではないかと思います。平和維持活動なんて書かれるといいんじゃないかと思うかもしれませんが、ここで武器の使用を拡大することが目論まれていると思います。
去年の2+2は防衛省のホームページで取ることもできます。ガイドラインも取ることができますのでご覧頂いた方が内容がご理解頂けると思います。それから能力構築というところがあります。能力構築といわれるとどんな能力だと思うかもしれませんが、こういうことがあげられています。去年10月の2+2を見ますと海兵隊によるオスプレイの2個飛行隊の導入、あるいは2014年春からグローバル・ホーク、無人機のローテーションによる展開を開始するという米海軍の計画。去年5月に青森県に無人偵察機が来ました。グローバル・ホークという無人機が青森県の三沢基地にいたんです。あのときは台風の関係でいさせてくださいということを青森県民に言っていました。私もそのとき青森にいましたのでいつ来るんだと待ち構えていたら、朝の6時に来たんです。やっぱり裏をかかれたと思います。全国の新聞社の人たちは朝の4時くらいから張り込んでいたらしいんです。これは台風の関係でこざるを得ないんですという言い方をしていたんですが、台風なんかなくても10月から来るといっているんですね。
あるいは、海兵隊によるF35の初の前方配備となる2017年の配備の開始。自衛隊がこのF35を導入するということも書かれています。ここで海外派兵に向けた自衛隊の装備と書いたのはそういった理由で、F35を配備することも去年10月にアメリカと約束しています。こういった意味でむしろ去年10月の2+2の方がよっぽど何をやるのかということがわかりやすい。こうやってどんどん海外で戦える、例えば国連平和維持を名目にして武力行使ができる体制が整えられていると思います。
何が問題か。1997年のガイドライン改定の時に水島朝穂さんが国会軽視だ、憲法違反じゃないかとおっしゃっていましたが、今回も同じことが言えると思います。そもそも1960年の安保条約は岸首相とアイゼンハワー大統領がそれなりに約束して、あまり言いたくないけれども、手続きは踏んでいる。そこでアメリカが活動できるのは極東だと言っているにもかかわらず、それすらも局長レベルの話し合いで変えてしまっている。局長レベルで話し合って実質的に決めたことで総理大臣などが絡んでいるものを変えてしまう。これがいいのかどうかということが憲法的に問題になると思います。
そもそもの問題としてアメリカと一緒に海外で戦うことになる、日本が攻撃されていないにもかかわらず。そういった集団的自衛権というのは、憲法9条からどうやっても考えられないと思います。そうしますと7月1日の安倍首相の閣議決定も憲法違反だ。もっと言いますと、憲法98条1項として扱われるべきものだろうと憲法の観点から言えると思います。憲法98条はこういう文言になっています。「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」。閣議決定も憲法9条に反するようなものであれば当然憲法違反であります。ですから効力があるのかと言えば無効といわざるを得ない。憲法研究者としてはそういわざるを得ないと思います。ただ彼らはそうは言わないかもしれない。国民の生命と暮らしを守る、あるいは積極的平和主義ならいいじゃないかというかもしれませんけれども、日本が攻撃されていないのに海外で戦うことがなぜ日本人の生命と暮らしを守ることになるのか。かえって日本人の生命、暮らしを危険にさらすんじゃないかと個人的には思います。
集団的自衛権を認めることになれば、海外の戦争で日本人が外国人を殺す可能性が出てきます。そういった悲惨な戦場での体験から精神的におかしくなってしまう人はたくさん出てきています。私も紹介させて頂いていますが、ベトナム戦争でアメリカ人の死者は5万人だと言われていますが自殺者は15万人出ているわけです。精神障害にかかった人は50%~70%といわれています。アメリカの場合、離婚率はもともと高いけれど、ベトナム戦争に行って帰ってきた兵隊の離婚率は9割だという統計も見たことがあります。戦場ではやっぱり自分の身を守るためにどんどん暴力的になってしまう。ただ戦場から戻ってきてもその癖はなかなか抜けない。妻や子どもに暴力をふるってしまう。結局それが離婚原因になってしまう。
この4月に、裁判員裁判で死体の写真を見ただけでPTSDになってしまった例があります。写真じゃなくて現場で見たら・・・。私が読んだアメリカ兵の手記では、あまりにもひどくてその場で吐き出した、その臭いなども抜けなくてアメリカに帰っても大変な目に遭ってしまう。そういった状況に自衛隊員を置くことになってしまうのに、それでいいんだろうか。あるいは当然戦場で殺される可能性も出てくる。
殺すだけじゃなくて自分の夫や父親が殺されるかもしれないと心配する家族が出てくる。私は小牧基地でこういう家族が出ていることを聞いています。特に子どもが学校に来ても授業に身が入らない。自分の父親がイラクに派遣された、C-130の部隊は日本で小牧基地だけですから、真っ先に飛んでいく。そうすると自分の父親が戦争に行って殺されるかもしれないということで授業に身が入らない、登校拒否になってしまう。先生としてもどうしたらいいのか。先生たちはどうやって慰めたかというと戦争に行っているわけじゃない、戦っているわけじゃないと言ったらしいんですね。その慰め方がいいかどうかというのはあるかもしれませんが、子どもがおびえていたらそういわざるを得ないのかもしれない。そういった家族が増えることになるかもしれないけれどもそれでいいんだろうか。
徴兵制の話です。徴兵かどうかを決めるのは政府なんですよ。オスプレイに関しても陸上自衛隊が欲しがっているかというと、欲しがっていない人もいるんですよ、乗るのは自分ですから。墜ちるかもしれない。でも政府が17機導入するとしたら、それには従わざるを得ない。徴兵制でも、いざというときにそれがないと言い切れるかどうか。自民党の政治家のトップだとか防衛官僚が言い出しています。結局どこの自衛隊基地でも、海外で戦うことに関して大義名分がないと判で押したように言います。海外の戦争で死傷者が出る。そうすると自衛隊への志願者が減るかもしれない。そうすると徴兵制という事態がないと言えるのかどうか。
雑誌の「プレイボーイ」で取材を受けたとき、記者ははじめはあり得ないと思っていたらしいんです。でもいろいろな話を聞いていって、変わっていったのがわかりました。例えば防衛大学校の退職者ですが、イラクに派兵にされている2003年から2009年は大幅に増えています。防衛大学校を出ますと、すぐ幹部候補になって私くらいの年になると1000万円くらいの給料をもらえます。将来を約束されているかどうかわかりませんが、そういった高給取りですら辞めてしまう率が1.5倍も増えている。本当にこうした事態がないと言えるかどうかを考えていたたく必要があると思います。
私はむしろ徴兵よりも、民間人の技術者を連れて行く方が確率が高いだろうと思います。朝鮮戦争時の仁川上陸作戦は、敵のまっただ中でした。釜山まで北朝鮮に占領されているわけです。マッカーサーはその裏をかいて仁川に上陸する作戦を立てたんですが、あそこに派遣されている船は、最近の研究を見ていると3隻に1隻は日本人が乗っていたんじゃないかと言われています。
つい最近私が見た資料ですと日本からも8000人くらい行っているんですかね、そのうち4000人は神戸あたりから出航しています。仁川上陸作戦なんかにもかなり行かされています。こういった危ない軍事作戦に日本人も使われているんですよね。少なくとも50数人死者が出ているけれども、秘密にしてくれ、瀬戸内海で死んだことにしてくれ、とされてしまう。いざ戦争するときに秘密保護法が役に立つのはこういうところもあるかもしれません。このようにアメリカの戦争に連れて行かれてしまう。
湾岸戦争の時には医療で50人程度行かされている。しかも自発的に行ったというかたちにされている。ですから医師、看護師、薬剤師は戦争の時に無事なのかどうかということもあると思います。日本人を守ると安倍さんなんかは集団的自衛権に関して言っていますけれども、イラクに自衛隊を派遣したときには新宿とか池袋にたくさん警察がいた気がするんです。あれはやっぱりテロを警戒していたんじゃないですか。イギリスとかスペインは自国の軍隊を派遣したらテロに遭っています。かえって日本人がテロに遭う可能性が高くなるんじゃないか。あるいは日本人が外国旅行に行ったら、そこで捕まってしまう可能性が増えるんじゃないかと思います。そういうことはないと言えるのかどうかも考えて頂く必要があると思います。
集団的自衛権が認められるようになると、アメリカの戦争にアメリカ人の替わりに日本人が血を流すことになる。過去のアメリカ大統領の発言では、アジアでどうしても戦争が必要ならアジア人同士でやらせろと言っています。これでいいんでしょうかということですが、安倍さんはいいと言っている。2004年に出した本でこう言っています。「軍事同盟というのは、“血の同盟”です。日本がもし外敵からの攻撃を受ければ、アメリカの若者が血を流します。しかし今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊は、少なくともアメリカが攻撃されたときに血を流すことはないわけです。……日米安保をより持続可能なものとし、双務性を高めるということは、具体的には集団的自衛権の問題だと思います」(安倍晋三・岡崎久彦対談『この国を守る決意』・扶桑社、2004年)。ここで田母神さんの言葉を借りると、「他国民のために血を流すバカはいない」(田母神俊雄『座して平和は守れず』・幻冬社、2009年)。
でもいたんですよ、ここに。安倍さんは戦争に行かないからいいですよね。国民に対して「国際貢献だ、行ってこい」と言えばいいだけですから。そういう人たちのために国民が死ぬことを認めていいのかということを考えて頂く必要があると思います。
憲法の平和主義を本当に放棄してしまってもいいんだろうか。アジア太平洋戦争を侵略戦争ではないなんて言い方をしていますけれども、実はスイス・ジュネーブにある「国連人権理事会」の資料室にパネルがあります。「1931年9月、日本軍は中国の満州地方を宣戦布告なしに侵略(invades)する」と書いてある。外国で、日本が侵略戦争をしていないなんて言ったら総スカンを食います。そういった侵略戦争で近隣諸国の民衆2000万から3000万人、日本国民だって310万人も亡くなっているわけです。
死んだ人だけが犠牲者だと思ったらある意味で間違いだと思います。例えば日本軍「慰安婦」です。1日60人の日本兵の相手をさせられたという記録もあります。殺されていないかもしれませんけれども、まさに個人の尊厳はズタズタにされているわけです。強制連行されて虫けらのように働かされた人々もさることながら、ある日突然、父親あるいはお兄さんが家庭からいなくなった家族はどうなってしまったんだろうか。私は6月30日に花岡事件の慰霊祭に行くことが多いんですが、そこでの遺族の泣き方などを見ると、自分の父親がここで殴り殺された、これはやっぱりやりきれない気持ちになりますよね。それに対して侵略戦争じゃないなんて言われたら、わたしが中国人だったら許さないと思います。
そういった悲惨な侵略戦争が、実は自衛権の名目で行われたんですよね。これは1937年7月の新聞ですが「支那側度重なる不信行為、衝突は不可避 いまや膺懲あるのみ」――中国人はとんでもない、懲らしめるのみだ。そのあとは「日支交渉いよいよ決裂、自衛権発動決意」。自衛権なんですよ。7月7日の盧溝橋事件の盧溝橋がどこにあるかを地図で考えてみれば、あれを自衛権だといえるのか。支那側はゆるさん、懲らしめるのみだという論調で動いてしまっているんです。今年9月にアメリカがシリア空爆をしたんですが、それもやっぱり自衛権なんですよ。自衛権では何でもできるんですよ、侵略戦争を起こす側からすれば。だから自衛戦争なんて言葉でいいのかどうかということは考えていただく必要があると思います。
こうした悲惨な侵略戦争を2度としないということを、日本国民や外国の民衆に対して約束したのが憲法なんです。それを変えてしまっていいんでしょうか。海外で戦えますと言っていいんだろうか。しかも非人道的な戦争を起こした権力者あるいは軍の上層部は、国民に対してすら、愛する国のために死ねという言い方をするんですよね。でも彼らは愛する国民のために死ななかった。真っ先に逃げたんですよ。
私は明日から沖縄に行ってきます。沖縄は草木の一本に至るまで戦えと言われて、4人に1人の住民が亡くなっています。沖縄戦が始まったのは1945年3月から4月ですけれども、1944年11月から彼ら権力者が何をしたかというと、長野県の松代に逃げる準備をしているんです。天皇が逃げるところは地下まで何十メートルも穴を掘っている。天皇の御座所は檜、よくそんな高価なものがあるなというものです。国民に対しては死ねといっている最中、その前から逃げる準備をしている。戦争なんてそんなものですよね。
ですから権力者に2度と無責任な戦争をさせないために、憲法では徹底した平和主義が取られています。憲法の前文にはこういった規定があります。「日本国民は、……政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」。国民は権力者の無責任な戦争を2度とさせないということが憲法の主旨なんですけれども、これを変えてしまっていいんでしょうか。例えばいま中国の問題、こんなに関係が悪化したのは石原さん、野田さん、安倍さんなんかが、非常に「立派な」政治をしてくれたおかげなんですよね。こういった政治のために国民に死ねって言うんでしょうか。自衛隊を派遣して戦えと言うのか。戦争にならないために憲法は平和的な外交を求めていますけれども、憲法を変えて国民に対して愛する国のために死ねということをやっていいんだろうか。ここを考えて頂く必要があると思います。
安倍さんたちは集団的自衛権に関して新3要件を定めたからどこでも戦うわけじゃないと言うかもしれません。これもなぜ日本が攻撃されてもいないのに、海外で戦うことがわが国の存立が脅かされ云々となるのか、私はよくわからないんですよね。日本が攻撃されてもいないのに、「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」というのはいったいどういう場合なんだろうか。
例を挙げて欲しいと思うんですが、安倍さんは国会で挙げてくれました。ホルムズ海峡での機雷除去がそれに当たると言っています。これが「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」に当たるということだったら、なんでもできてしまうと思うんですよ。これを「厳格にしました」と言うのであれば、どんな恣意的な解釈もできてしまうと思います。結局アメリカから出てこいといわれたときに、嫌です言えるのかというあたりには大いなるクエスチョンマークがつくのではないでしょうか。
今後どうすべきかということです。私が国会議員などから聞いたところによると、今年の末か来年の初めくらいに新ガイドラインを変える計画を立てています。10月8日に中間報告が出たときに、人道支援という項目がありました。さも人道支援をやりますよということをいっていたんですが、最終的には外れているんですよ。中間報告は結構変わるかもしれません。こんなあいまいなことだと何をやるのかよくわかりませんので、もっと具体的なことが入ると思います。それが入ったあと、2015年5月ですが、自衛隊法を変えて海外で武力をできるようにしてしまう。
自衛隊法95条を見ますと、自衛隊の武器防御のための武器使用というのがあります。これは自衛隊の武器を守るために武力行使をしてもいいということですが、この95条に自衛隊の武器だけではなくてアメリカの設備を入れてしまう。そうすると、さきほどのあり得ない事例、アメリカの軍艦が攻撃されていることにも対応できるようになる。それから周辺事態法でも、周辺事態に対して後方支援だけではなくて、先に武力行使をしてしまう。船舶検査も周辺事態だけじゃなくて、湾岸戦争の時にアメリカがペルシャ湾でやったようにどこでもできるようにしてしまう。
PKO協力法なども海外で武器を使うときには、自己又は自己の管理のものが危険に陥ったときだけ武器を使っていいというのがいまのPKO協力法の建前です。今度は、アメリカみたいに任務遂行のための武器使用、自衛隊が何らかの任務をするときに邪魔だと思えば先に手を出してもいいというように変えてしまう。こういった個々の法律を変えるのか、それとも基本法みたいなものをつくるのか、そこがまだ読めないらしいです。
自民党が何を考えているのか。数年先には憲法改正を目指そうとしている。この憲法改正で目指されているものは、自衛権という名目で自衛隊が海外でも武力行使ができることです。その海外で武力行使をするにあたっては、やっぱり国民を協力させる必要がある。さきほど徴兵とか徴用という話をしましたけれども、これができる規定も、2012年4月に自民党が出した日本国憲法改正草案ではつくられています。徴兵なんか嫌だ、軍に協力したくないという人にはどうするかというと、軍法会議をつくってそこにかける。軍法会議も自民党の憲法改正草案に入っています。石破さんも去年「敵前逃亡は死刑だ」と言って大問題になりました。こういうことで国民を無理矢理戦争に持って行ってしまうかもしれない。それだけじゃなくて、国内で海外での武力行使は反対だということをやれば、公の秩序に反すると逮捕してしまう。あるいは11月11日にやったようなデモであれば、非常事態条項を根拠にデモを弾圧してしまう。
12日の新聞ですが「改憲派の動きが加速している。保守系団体が『美しい日本の憲法をつくる会』を結成した。あと1年8ヶ月で国民投票を目指す」ということを彼らは言っているらしいんです。よほどテーマを選ばないと国民は動かない。ぎらついたテーマだけでは警戒されるということを、百地章という憲法学者が言っているというんです。国民に耳障りがいいようなものをあげていくと思うんですが、この記事によると改憲派が先鋒と位置づけるのは緊急権だというんですね。たとえば東日本大震災のような非常事態の際には、内閣が緊急権を使えればうまく対応できるんじゃないか。だから緊急権を目玉にしようとしているとこの記事では紹介しています。そういうことを通して国民投票をしようとしている。
ヒトラーが権力を取った理由はいくつか要因がありますが、法的な理由は緊急権です。非常事態条項を使って共産党の国会議員81人を逮捕してしまう。そのあとはヒトラーにとって目障りな出版物を全部差し押さえてしまう。そういったことをやってヒトラーは独裁政権を確立した。フランスでも、いまの憲法の下では緊急権は行使されます。緊急権というのは、独裁体制にとっては一番便利な規定なんですよね。ドイツやフランスの法律を見れば、この規定が非常事態に役立つはずだとはとてもじゃないけれども言えないはずですが、東日本大震災あるいは阪神淡路大震災の時に緊急権があれば、ということで、それだったら国民に理解されやすいだろうと持ち出しています。
11月11日は国会包囲の集会がありましたけれども、朝日新聞でも記事がわずかしか載っていない。朝日だから味方だと思ったら大間違いだということですね。東京の場合はぴんとこないですけれども、名古屋の朝日新聞をみると、さきほどの改憲派の記事が大きく載っていて写真も入っている。東京新聞では11月11日の集会はそれなりに載っていましたが、中日新聞には載っていませんでした。ですから、これから私たちの運動は非常に重要になるだろうということです。いままでの安倍政権の動きを見ますと、福島瑞穂さんからいわれたことの受け売りなんですが、ガイドラインは実はもうある程度できているのかもしれない。いきなりボンって出されて、そのあと1ヶ月か2ヶ月の審議で終わってしまうかもしれない。
秘密保護法がそうだったと思うんですよ。あれもとっくにできていて、それが1ヶ月半で強行採決でやられてしまった。安倍さんは来年5月に法律案を出すときに同じようなことをやってくるかもしれない。そうであれば今回ガイドラインを出させないように、いまのうちに運動をしっかりやっていく。わたしは集団的自衛権関連法案といっていますが、一括の通則法になるのか周辺事態法、自衛隊法などの個別の法律改正をするのかわかりません。そういったものを5月に出させないように運動をしていくことが必要ではないかと思います。わたしはツイッターをやっていないんですけれども、こうした市民の動きでこれは問題だということを、ましてやメディアがこんな状況ですから、ますます頼れるところは頼った方がいいんでしょう。いろいろなものを使った私たち市民の運動が非常に大切なのではないかと思います。
安倍政権は、民主主義とは言えないことをしてきている。国会での議論を通じて悪かったら変えていくことが民主主義のあり方だと思うんですが、彼のやり方はそうじゃない。原発にしろ集団的自衛権にしろ秘密保護法にしろ。内閣改造の時に「国民の声を聞きながら」と言ったけれども、何を聞いていたのか。しかも短期間で強行採決をやってしまう。こうさせないためにも、ガイドラインの最新版とか集団的自衛権に関する法案を出させない運動を、いまから必死になって取り組む必要があるのではないかと思います。
自民党が考える改憲(船田元・憲法審査会自民党筆頭幹事の発言)
自由民主党の船田元でございます。党の憲法改正推進本部長という立場で、今議題となっております今後の憲法審査会の審議のあり方につきまして考えを述べたいと存じます。
まず、これまでの審査会の議論でありますが、さきの通常国会では、憲法改正国民投票法の改正を行い、法施行後四年間は20から、5年目以降は18歳から投票することとし、いわゆる年齢問題を解決いたしました。
公務員の運動規制のあり方あるいは一般的国民投票のあり方など、なお宿題は残るものの、いよいよことしの6月20日からは憲法改正が名実ともに実施できる環境が整ったと申せます。
このことは8党合意のもとで進められたのでありますが、その合意のもとでは、さらに、同じ参政権グループである選挙権につきましても、できるだけ速やかに18歳に引き下げるため、公職選挙法も改正するという課題について、現在鋭意取り組んでおります。
さらに、この話し合いの中では、高校3年生の1部が投票することとなるために、中立的な政治教育あるいは歴史教育を充実することも大きな課題として浮上しており、この解決にさらに努力をしなければいけないと思います。
なお、憲法改正国民投票法が改正され、将来、投票権が18歳から与えられることなどに対しての国民の認知度はまだまだ低い状況にあるため、当審査会としても、予定されている地方公聴会を初め、さまざまな手段で広報活動を行っていく必要性を指摘しておきたいと存じます。
当審査会としては、いよいよ憲法改正の中身を真剣に議論すべきときを迎えたと思います。憲法に新たにつけ加えなければならないこと、憲法が現実と乖離する箇所が出てきたことなど、憲法改正の必要性は論をまちませんが、我が党は、既に2年前に日本国憲法改正草案を発表いたしております。各政党の皆様にも、憲法をどのように変えるべきか、また変えないべきか、改正の全体像を具体的にお示しいただけると幸いと思います。
我が党の草案の主な内容は、まず前文については、憲法の3原則を明記するとともに、我が国の文化や伝統を大切にすることなど、日本国籍を持った憲法前文にふさわしいように前文を書きかえます。
第1章天皇におきましては、天皇は国家元首であること。
第2章戦争の放棄においては、9条1項は、平和主義の象徴であり、変えてはなりませんが、2項以降におきましては、国防軍を置いて、自衛権の存在を明確にし、その行使の範囲については下位法に委ねます。
第3章国民の権利及び義務に関しては、新たに環境権やプライバシー権などを加えるほか、家族を尊重すること、権利には義務が伴うことを自覚すべきこと、公共の福祉を公益及び公の秩序に変更し、その概念を明確にします。
第4章国会については、会期の設定を柔軟にすることなど、また、第5章内閣については、総理大臣の権限に衆議院の解散権や国防軍の最高指揮官の地位を付与して強化します。
第7章財政におきましては、財政規律を守ることや予算単年度主義を是正すること。
第8章地方自治では、地方自治の本旨を明確にし、基礎自治体と広域自治体の2層構造を示すこと。
また、新たに緊急事態を章立てし、緊急事態においては政省令や予算の国会事後承認や一定の私権制限を許容することといたします。
第九章改正においては、国会の発議要件を3分の2から2分の1に緩和します。
これらの改正項目を参考にしつつ、各党の皆様と精力的に協議していきたいと存じております。
ところで、国会法68条の3に、「憲法改正原案の発議に当たつては、内容において関連する事項ごとに区分して行うもの」と規定されています。これが個別発議の原則と言われております。
これに従えば、憲法改正とは、1度に全て行うのではなく、何回かに分けて行うこととなります。
部分的な改正が続くわけですが、憲法全体のバランスを失しないように配慮すべきこと、さらには、改正作業全体が長期間を要したり途中でとまってしまってはいけないことは言うまでもありません。
それでは、初回の憲法改正として何を取り上げたらよいでしょうか。
優先度の高いものから取り上げていく、そういう方法もありますが、国会も、国民も、何しろ初めての経験でございますから、できるだけ多くの政党が合意できる項目から取り上げていくのが適切ではないかと思います。
具体的には、例えば、先般行われた審査会の海外派遣の際、派遣メンバーの多くが関心事項としておりました環境権、緊急事態、財政規律などが挙げられます。
しかし、環境権と一口に言っても、国民の権利として規定するのか、国の責務として規定するのか、さらには、国民の環境に関する訴訟にどの程度影響が与えられるのかなど、現行の法律などとの整合性も図らなければいけません。
緊急事態につきましても、衆議院の解散を凍結するだけでいいのか、宣言された後の政府の権限をどこまで認めるのか、個人の権利の制限というのは認められるのかどうか、多くの問題を抱えています。
財政規律条項の設定についても、累積債務が1千兆円という膨大な金額にまで積み上がっており、その必要性はますます高まっておりますが、時の政府の予算編成権にどの程度影響を及ぼすのか、難しい課題があると思います。
さらには、裁判官の報酬が下げられないとした79条や、公の支配に属さない教育に公金を支出することを禁じた89条は、明らかに現実と乖離しており、早急に改正されなければなりません。
また、意見の分かれるところかもしれませんが、国会発議の要件として、両議院の総議員のそれぞれ3分の2以上の賛成を規定した96条の改正も視野に入れたいと思います。いずれかの院の3分の1の議員が反対すれば、国民の憲法判断の機会が奪われることとなり、憲法についての民意は反映されなくなります。
それぞれの項目について、今後、審査会において深掘りの議論を行い、第1回目の憲法改正の原案作成につながるようにしていかなければいけないと存じています。
私たち自民党や与党だけで憲法改正ができるとは全く考えておりません。これまでの国民投票法などの環境整備において大切にしてきました幅広い合意を、憲法改正のときこそ大切にしていかなければいけないと思います。
改憲発議までの流れと国民投票について(武正公一公聴会派遣団副団長からの報告)
それでは、お手元にあるパンフレットの6、7ページにある「憲法改正国民投票法における手続の概要」をごらんください。
憲法改正の手続全体を概観すると、左側の「ア 憲法改正の発議までの流れ」、すなわち、国会議員または憲法審査会が憲法改正原案を提出し、国会での議論を経て国民に提案するまでの段階と、右側の「イ 憲法改正国民投票の流れ」、すなわち、国会の発議を受けて国民投票に至る段階という二つの段階に分かれます。
まず、前者の概要について御説明いたします。左側の6ページをごらんください。
国会議員が憲法改正原案を提出するには、提出者のほか、衆議院では百人以上、参議院では50人以上の賛成者が必要とされます。
他方、憲法改正原案については、国民に開かれた形で、特に慎重かつ十分な審議の必要が要請されます。この趣旨に鑑みれば、日本国憲法の調査を所管事項の筆頭に掲げている憲法審査会において、事前に改正の必要性があるかないか、あるとした場合には、その具体的な内容及び論点に関する調査がなされ、衆参両院間の意思の疎通を図りつつ、これらを踏まえて憲法改正原案が立案され、憲法審査会から提出されるというのが典型的な手続との認識が示されてきました。
憲法改正原案は、内容において関連する事項ごとに区分して発議するものとされています。これが個別発議の原則です。
憲法改正は、基本的に国家の基本ルールの変更ですから、これに当たっては民意を正確に反映させることが必要で、平成18年11月30日の日本国憲法に関する調査特別委員会では、例えば、「第9条の改正と環境権の創設という全く別個の事項について、それを一括して国民投票に付するということは明らかに好ましくない」と答弁されています。このようにして、内容が異なる憲法改正案は、それぞれ別個に国民投票にかけられることになります。
次に、このように提出された憲法改正原案は、提出された議院の憲法審査会で審査されます。憲法審査会では、一般の法律案よりも慎重な手続で議論することが想定されており、その一つのあらわれが、国民の意見を聞くための公聴会の開催の義務づけです。また、一般の法律案と違い、会期をまたいで議論する場合でも、特別の手続は必要ありません。これは、提出された憲法改正原案が、その同じ国会の会期中に議決されるとは想定されておらず、複数の会期にわたって継続して議論することが想定されているためです。
憲法審査会で可決されれば、憲法改正原案は本会議へ移され、そこで総議員の3分の2以上の賛成があれば、もう一方の議院、すなわち、仮に衆議院が先に審査した場合は参議院に送られます。
もう一方の議院でも同様の審査が行われ、憲法審査会の議論を経て、本会議での総議員の3分の2以上の賛成を得て可決されれば、その可決をもって憲法改正の国民への発議となります。国会が憲法改正案を発議し、国民に提案されると、その後は、憲法改正国民投票の段階に移ります。資料の右側の7ページに、その概要が掲載されています。
まず、憲法改正国民投票の期日を定めなければなりません。その期日は、憲法改正の発議後速やかに国会の議決で定めるのですが、発議をした日から起算して60日以後180日以内とされています。
投票権者については、より多くの国民が国民投票に参加できるようにとの観点から、日本国民で満18歳以上の者とされています。ただし、経過措置として、平成30年6月20日までは20歳以上の者となります。
憲法改正案が発議され、投票日が決まれば、その投票日までに、憲法改正案の内容について国民に十分に知ってもらうことが必要です。そのための国民に対する広報、周知は、客観的かつ中立に行わなければなりません。
そのため、国会に、衆参両院の議員各10名、合計20名で構成する国民投票広報協議会が設置されます。この広報協議会は、憲法改正案の内容について国民に周知を行う国民投票公報の作成などを行う機関です。国民投票公報は、憲法改正案やその要旨などについて客観的、中立的に記載した部分と、賛成意見、反対意見の両方を公正かつ平等に記載した部分から成るものです。
また、同じ情報は、インターネット上にホームページを開設して周知、広報に努めるほか、テレビや新聞などでも憲法改正案に関する広告を行うこととされています。
憲法改正案に対し、他人に賛成、反対の投票を勧誘する行為を国民投票運動といいます。憲法改正という最重要事項について判断することから、全ての国民の意見表明や国民投票運動は、原則として自由となっています。ただし、公務員や教育者の地位利用及び大規模な買収行為を禁止するといった制限が設けられています。
さらに、新聞などの活字メディアと異なり、テレビなどについては一定の規制があり、国民投票が行われる日の二週間前に限って、スポットCMの放送を禁止しています。
国民投票の具体的な進め方や投票方法などは、基本的には一般の国政選挙と似たようなものになりますが、幾つかの重要な相違点があります。お配りしたパンフレットは、裏表紙から、日本国憲法を初めとした関係法律が掲載されております。こちらから漢数字18ページをごらんください。上段に投票用紙のイメージが掲載してあります。
国民投票の投票方式は、投票人の意思を酌み取ることを重視し、また無効票をできるだけ少なくするよう、極めて平易な方式がとられています。
投票は、あらかじめ投票用紙に印刷された賛成、反対のいずれかを丸で囲んで行うものとされています。白票や他事記載、例えば、自分の名前を記載したりした票は無効なものとせざるを得ませんが、賛成または反対の文字をバツの記号、二重線などで消した投票も有効とすることとしています。先ほど述べた個別発議の原則ですが、これに対応して、賛否の投票も、提案されている憲法改正案ごとに投票を行うこととなっています。これは個別投票の原則といいます。
先ほどの例を用いれば、憲法九条を改正する憲法改正案と、環境権の創設を目的とする憲法改正案との2つの憲法改正案が発議された場合には、それぞれの憲法改正案ごとに投票用紙を受け取って記入、投票をすることになります。すなわち、まず、9条改正案について投票用紙をもらい、賛否いずれかについて丸をつけて、これを投票箱に投じ、その後、環境権創設の改正案の投票用紙をもらい、賛否いずれかに丸をつけて、これを別の投票箱に投ずるといったぐあいです。
また、憲法改正案に対する賛成の投票数が投票総数の2分の1を超えた場合は、国民の承認があったものとなります。なお、この場合における投票総数とは、賛成投票数と反対投票数の合計数、すなわち有効投票総数のことをいい、無効票や棄権は入りません。
以上が、憲法改正の手続の概要です。
2013年末の強行採決から1年目、12.6秘密法施行するな!日比谷野音集会・銀座デモは全国各地からの仲間を含めて1600名の市民が参加しました。私たちはこの悪法の廃止を目指して運動を続けます。
我々は萎縮しない!秘密保護法廃止まで闘い続ける!
安倍政権が市民の大きな反対の声を無視して秘密保護法を強行採決した屈辱の12月6日の一周年がめぐってきた。そして政府は、よりによって「世界人権デー」の12月10日に「21世紀最悪」とも評されるこの悪法を施行しようとしている。
秘密保護法の下では、なにが秘密にされるか分からない。ちゃんと秘密が指定されていることを確認する手続きがない。まともな第3者機関もない。そして何よりも「政府に不都合なことを秘密にしてはいけない」という当然のことがこの法律の中には書かれていないのだ。そして秘密を漏えいした公務員だけでなく、これを取得し、あるいはしようとしたジャーナリスト・市民にも最高懲役10年の重刑が予定されている。
内外の現代史をひもとけば、隣国への敵意を煽る誤った情報によって戦争が始められた事例には事欠かない。秘密保護法は集団的自衛権の行使容認、憲法改悪と一体となった、戦争をはじめるための政策の一環である。
安倍首相は、秘密保護法は普通の市民生活には無関係だと述べた。本当に無関係だろうか。政府が自らに都合の悪い重要な情報が秘密にできるなら、原発事故が起きても、正確な情報は市民に提供されないまま、無用な被曝を強いられ、誤った戦争に市民は賛成してしまうだろう。安倍首相の述べる「普通の市民生活」とは、主権者として知る権利を放棄し、真実を暴いていくようなジャーナリズムと市民の活動を断念するところに成立するものだ。
施行の時期が近づくにつれ、市民の間には基地や原発の監視活動を今までどおり継続していて大丈夫かという危機感が高まっている。適性評価制度の対象とされる公務員や情報提供を求められる医師の間にも懸念が深まっている。この法律が成立したことにより、政府の指定する特定秘密に触れる可能性のある活動には一定の危険性が生じている。政府情報に迫るジャーナリスト、原発や基地の監視を続けている市民活動家、武力紛争地域で人道支援活動に取り組む国際協力NGOなどには、これまで政府から得られた情報が得られなくなるなどのさまざまな影響が生じてくる可能性がある。秘密保護法は共謀や独立教唆、煽動まで取り締まっているので、特定秘密に触れるところまで行かなくても、嫌疑をかけられる危険がある。しかし、我々が萎縮して、これまで遂行できていた市民活動を断念してしまうようなことは政府側の思うつぼだ。
法律が制定されたあとも、我々はこの一年間粘り強く廃止運動を全国で続けてきた。署名活動に取り組み、国際シンポジウムを開催し、運用基準などに関する政府のパブコメにも多くの意見を提出した。
2014年7月、国連自由権規約委員会は、規約19条にもとづいて、秘密指定には厳格な定義が必要であること、制約が必要最小限度のものでなければならないこと、ジャーナリストや人権活動家の公益のための活動が処罰から除外されるべきことを求めた。忘れっぽいとされる日本の社会の中で、このような運動は画期的なものである。我々の施行反対の声に応えて、衆議院解散前の国会に、共産党、社民党などによる秘密保護法廃止法案、民主党などによる施行延期法案が提出された。自民党の中からも秘密保護法に対する懸念の声がようやく高まっている。
衆議院の解散により、時ならぬ総選挙が闘われている。我々は、安倍政権の1年前の暴挙をしっかりと心に刻み、この選挙で、秘密保護法の制定に手を貸した政党と国会議員に厳しい審判を下さなければならない。我々は、解散総選挙により国会の「監視機関」すら機能しない中で強行される12月10日の施行を許さない。そして、我々は、この法律の威嚇に萎縮することなく、秘密保護法の廃止を求めて闘い続けることをここにアピールする。
2014年12月6日
強行採決から1年 「秘密保護法」施行するな!12・6参加者一同