私と憲法161号(2014年9月25日号)


「臨戦指針」としての日米ガイドライン再改定阻止へ

日米安保のガイドライン(日米防衛協力のための指針)が年末に再改定されようとしている。政府によると、その骨子に当たる「中間報告」が、間もなく10月上旬にワシントンで開かれる日米外務・防衛局長級協議でとりまとめられ、発表されるという。当初、発表は9月中旬と言われ、最近では9月下旬と言われていたが、「文言調整に手間取り」(※)、延期されたのだという。「中間報告」の分析は間に合わないが、この小論ではこの「中間報告」を前にして、論じておきたいことについて書いてみようと思う。

<日米ガイドラインの経過と変質>

1978年、米ソ冷戦時代に日米安保の運用指針として日米当局の間で取り決められた「ガイドライン」は、今日では旧ガイドラインとよばれ、日米安保体制下での日米両軍の軍事的役割分担、日米共同作戦計画を決めたものだ。当時の福田内閣は同時期に有事法制の研究を閣議決定した。このガイドラインは米国ではウォー・マニュアルとよばれる。 しかし、旧ガイドラインは「日本有事」における日米両軍の軍事的役割分担の合意に止まっており、海外での共同作戦は想定されていなかった。

このガイドラインは90年代になって北朝鮮の核開発疑惑やミサイル発射実験を受けて想定された朝鮮半島危機への対応として改定された(いわゆる新ガイドライン)。

1997年のガイドライン改定の際に、新ガイドライン安保体制を批判して、これを「臨戦指針」と規定したのは、政治評論家の山川暁夫だった。

1993~94年、朝鮮半島の第1次核危機とよばれる北朝鮮の核保有疑惑問題で、アメリカが事実上の北朝鮮攻撃の臨戦態勢に入ったとき、日本政府はこれに呼応する対米軍事支援を即座に準備することができなかった。当時はまだ、戦争を可能にするための改憲の世論は高まっておらず、集団的自衛権の行使を禁じた憲法9条の政府解釈が朝鮮半島での米国の軍事行動の支援に歯止めをかけていたからだ。 

こうした日本の対応に危機感を覚えたアメリカ政府は、95年12月、日本政府が朝鮮半島有事の際に行うべき米軍への膨大で、詳細な支援要綱(在日米軍司令部が作成した1059項目)を日本側に提出した。しかし、平和憲法の縛りの下で日本政府はこの米国の対日要求に応えることを「不可能」とした。あわせて韓国政府のシュミレーションが想定される第2次朝鮮戦争では200万人の死者が出ることを予測した事情もあり、米国は北朝鮮攻撃を断念し、急きょ、カーター元大統領を訪朝させ、米朝合意を結ばせることで危機を収拾せざるを得なかった。この屈辱的な事態が米国による日本政府に対する有事法制・戦争法制の整備への強い要求となった。これに沿って1999年には「周辺事態法」が制定された。以降、武力攻撃事態対処法(2003年)、国民保護法(2004年)、ACSA=日米物品役務相互提供協定改定(2004年)など、日本は着々と「戦争のできる国づくり」のための法制化を進めることになった。

<新たな戦前の時代のガイドライン再改定>

その後の政権交代と自民党の復権を経て、2013年10月3日、安倍政権の下で開催された、日本側・岸田文雄外相、小野寺五典防衛相、米側・ケリー国務長官、ヘーゲル国防長官による日米安全保障協議委員会(「2+2」)は、<より力強い同盟とより大きな責任の共有に向けて>を共同発表した。それは、新たな「日米同盟の戦略的な構想」を主題とするものであり、北朝鮮・中国の「脅威」にたいして、「アジア回帰」を打ち出したオバマ政権の米国が、日本の役割を拡大させつつ、「実効的」で十全な協力体制をとろうとするものだ。<共同発表>では、その「基礎となる取り組み」として、(1)日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の見直し、(2)安保・防衛協力の拡大、(3)在日米軍再編を支える新たな措置などをうたい、ガイドラインの見直し・再改定を確認した。

そこで日本側は具体的なとり組みとして、(1)国家安全保障会議(NSC)設置及び国家安全保障戦略(NSS)策定の準備、(2)集団的自衛権の行使に関する事項を含む安全保障の法的基盤の再検討、(3)防衛予算の増額、(4)防衛大綱の見直し、(5)防衛力の強化、(6)地域への貢献の拡大、などを約束した。

そして、「共同発表」は日米の戦略が「アジア太平洋地域およびこれを超えた地域における安全保障および防衛協力の拡大(を基礎としていく)」とのべ、日本の「地域及び世界の平和と安全に対してより積極的に貢献する」との決意を確認し合った。まさに海外で積極的に戦うことの確認だ。ガイドラインの見直しの目的は(1)日米防衛協力の中核的要素である日本に対する武力攻撃への対処能力の確保、(2)同盟のグローバルな性質を反映する協力範囲の拡大、(3)地域のパートナーとのより緊密な安全保障協力の促進、(4)協議・調整メカニズムの強化、(5)相互の能力強化に基づく適切な役割分担の提示、(6)効果的・効率的・シームレスな対応を確保するための緊急事態における防衛協力の指針となる概念の評価、などとした。

これでわかるように昨年の2+2で米国に約束した「具体的なとり組み」は安倍政権はほとんどの項目を、世論を無視し、国会を無視してすでに強引にやってのけた。

2+2の「共同発表」は、「(安倍首相が進めている)集団的自衛権の行使に関する事項を含む自国の安全保障の法的基盤の再検討(を米側が「歓迎」した)」として、その推進を確認した。そして、これら長年にわたる米国の集団的自衛権行使の要求に応えて、安倍政権は本年7月1日、歴代政府の集団的自衛権に関する憲法解釈を、世論に逆らって閣議決定を強行した。そしていま、17年ぶりに行われる年末の日米ガイドライン再改定に向けて、突き進もうとしている。安倍政権は集団的自衛権の閣議決定で立憲主義にそむく政治手法をとっただけでなく、本来はガイドラインに先立って臨時国会で「集団的自衛権」関連法案の改定に着手する段取りだったが、ここでも極めて乱暴なやり方を進めようとしている。日米ガイドラインを先に協定した上で、関連法制の審議を来年の通常国会でするという無法このうえないやり方にでている。

<国会無視、民意無視の独裁的政治手法による戦前への突入>

間もなく中間報告が出されるが、政府がすでにメディアに漏らしているところでは再改定では現行ガイドラインにもとづいてつくられた周辺事態法が認めていない周辺事態の際の米軍への武器・弾薬の提供や、米軍戦闘機への空中給油などを認めるという。99年の周辺事態法制定当時の論議では、こんなこと、ありえないはずだった。同法は朝鮮半島有事などの際に、「後方地域」での給水・給油や医療提供などは認めていたが、武器・弾薬の提供と戦闘のために発進準備中の戦闘機の給油と整備は、米軍の武力行使と一体化するおそれがあるとして認めていなかったもの(読売)。安倍政権は立憲主義・法治主義・議会制民主主義を全く度外視して「臨戦指針」をつくろうとしている。

8月20日の読売は次のように報じている。

「政府は年末のガイドライン改定を受け、来年の通常国会で関連法案の成立を目指す。ただ、具体的法整備の形式をめぐっては、周辺事態法や自衛隊法、日米物品役務相互提供協定(ACSA)などをそれぞれ改正する案と、周辺事態法を廃止して新法を制定する案の両案が検討されている」。

9月10日の毎日は以下のように報じている。

「新たなガイドラインは、武装集団が離島を占拠するなどの武力攻撃に至らない『グレーゾーン』から日本有事まで、切れ目のない日米協力の実現が柱だ。……現行ガイドラインは(1)平時(2)周辺事態(3)日本有事――について自衛隊と米軍の役割分担を規定しているが、……沖縄県・尖閣諸島周辺への中国の進出を踏まえ、これまで規定がなかったグレーゾーン事態について平時からの協力事項として盛り込む方針だ。周辺事態と日本有事にしか設置の規定がない『日米調整メカニズム』を常設とし、グレーゾーン事態でも即時に日米が連絡をとり、効果的な作戦を実施できる体制を構築する方向で調整が進んでいる」

これとあわせ、集団的自衛権の閣議決定に関連する戦争法制は都合10数本にもなり、来年の通常国会ではこれらが予算と統一地方選が終わった春以降、一括法案の形で出されるともいわれている。安倍内閣はこれら国の前途を左右する最重要法案を、国会で保有する圧倒的多数の議席に依拠して力任せに成立させようとの魂胆であり、まともに議論しようとは思っていない。

国会での議論と承認すらないままに、今回のガイドライン再改定は、この国をとんでもない危険なところに引きずり込もうとしている。いま、政府はこれらの日米共同作戦体制の強化のために、沖縄の辺野古新基地建設の暴力的強行や米軍のオスプレイの訓練飛行の全国展開など在日米軍の強化を進めている。一方で5兆545億円に上る史上最高額の軍事予算を2015年度予算の概算要求に盛り込み、南西諸島への侵略排除を口実にした日本版海兵隊・水陸機動団の建設をすすめ、オスプレイの導入や強襲揚陸艦、無人偵察機、イージス艦などの新規購入に着手し、自衛隊の海外での作戦能力を飛躍的に強化しようとしている。

安倍政権による日米ガイドライン再改定は日米両軍が共同して海外で戦争をする体制づくりであり、許すことができない。(高田健)

※「文言調整に手間取り」とは、おそらく「尖閣諸島」でのグレーゾーン事態、有事における米軍出動をめぐっての日米両政府の立場の違いではないかと思われる。米国内には「たかが無人の岩礁の問題」で、日中戦争に引きずり込まれてはかなわないという意見がある。これがガイドラインにどのように表現されるか、要注目だ。

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9月4日 戦争させない 9条壊すな 総がかり行動
共同した力で 閣議決定反対・立憲主義まもれの声を響かせる

土井登美江(市民連絡会)

9月4日、東京の日比谷野外音楽堂で「戦争させない 9条壊すな 総がかり行動」が5500人を結集して開催された。当日は天候に恵まれ開会前から参加をまつ長い行列ができ、会場内外が人並みで埋まった。主催は「戦争させない1000人委員会」と「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」の共同によるもの。これまで共同したことがなかった団体も一堂に会し、本集会の大成功は全国の平和を願う多くの人びとに励ましとなった。

集会は午後6時、司会の神田香織さん(講談師)が「安倍政権の憲法破壊、人権破壊、生活破壊の流れを全国の大きな力でくい止め、平和国家日本をつくっていこう!」という力づよい宣言で開会した。

開会あいさつをした山口二郎さん(法政大学教授)は、「集団的自衛権の行使容認は閣議決定されたが闘いは始まったばかりで、ヤマ場は来年の通常国会での関連法の審議だ。たたかい続けよう。秋の福島、沖縄知事選と来春の地方選挙で安倍への国民の怒りを結集し、やりたい放題の政治をストップさせる糸口を切り開こう。われわれが友人や職場の仲間に広く平和の思いを伝え、じわじわ世論を変えていくことが安倍政権への最大の闘いの方法だ。内閣改造で形ばかりの女性登用をしたが右派ばかりの政権だ。安倍の経済政策も多難だ。支持率も高くならない。次の総選挙は憲法が争点になる。今日の集会を長い闘いの第1歩の大きな力としよう」などと呼びかけた。

つづいての発言はフォークシンガーの小室等さん。小室さんは、山口さんのあいさつを受けて「安倍の支持率が高くなるようで心配です」と会場の笑いをとりながら、黒田三郎の詩に小室さんが曲をつけた「道」という歌を弾き語りで歌った。戦争中に東南アジアで現地召集され、敗戦後に命からがら熊本の焼け野原に黒田が立った時の詩で、道は一つではない、たくさんの道を残しておきたいという思いをうたった。

つぎの発言は作家で活動家の雨宮処凛さん。雨宮さんは、「いま大学生が卒業時に500~1000万円もの奨学金の返済を抱えていて、ブラック企業でも就職先を選んでいる余裕がない。奨学金返済の長期滞納者には防衛省や警察、消防庁などのしごとを紹介するシステムを政府が検討に入っている。まさにアメリカの経済的徴兵制がそのまま日本にきている。究極の不安定労働、使い捨て労働の場として戦争が出てきた。日本の雇用破壊の下で集団的自衛権がでてきて、とても危険だ。」と指摘し、「安倍はアジア情勢が緊張していると言うが、それなら民間でアジアの人たちと仲良くしよう」と提案し、韓国の兵役を拒否した青年との交流を紹介した。

つづいて、作詞家であり作家のなかにし礼さんの詩「平和の申し子たちへ!泣きながら抵抗を始めよう」を、司会の神田香織さんが司会席からステージ中央の演壇に場を移して一語一語かみしめるように朗読した。

発言の最後は作家の落合恵子さん。落合さんは「安倍首相は広島でも長崎でもコピペのあいさつをし、集団的自衛権は納得できないと自分の言葉で語る被爆者の声に、“見解の相違”と答えるとは、首相に値しない。を辺野古では反対する市民に向けられているのは機関砲だ。国民の命と安全を守るなんて安倍首相に使って欲しくない。ヘイトスピーチとデモを一緒にするな!賢い不服従を貫こう。」と呼びかけた。

カンパアピールをした菱山南帆子さん(解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会)は、街頭宣伝の取り組みを報告し、「町中から国会へ、規制できないほどの動きを作り出そう。そのためにもカンパを」と訴えた。

政党からは、はじめに民主党役員室長の荒井聰衆議院議員が挨拶した。荒井議員は「戦争の反省の上に憲法と9条をつくった。外国から日本が信頼されるのは平和憲法をもっていることを体験している。集団的自衛権の行使容認は反対だ。解釈で憲法が変えられるなら、政府が勝手に下位の法律を変えて無罪の人を有罪にできることになり認められない。頑張ろう」と話した。

共産党委員長の志位和夫衆議院議員は、「集団的自衛権はアメリカの戦争する戦闘地域で日本も軍事活動をすることだ。国民の反対の声で立法措置を国会に持ち出せないよう安倍政権を追いつめよう。ガイドライン見直しや5兆円を超える大軍拡予算、消費税増税、辺野古基地建設、脱原発、雇用破壊などに大きな反対の声をあげ、安倍政権の戦争国家への道を大もとから断ち切ろう。」と呼びかけた。

社民党党首の吉田忠智参議委員議員は、「昨日の内閣改造は右向け右の改造だ。立憲主義を否定した暴挙である閣議決定強行の反省は全くない。国会集中審議で明らかになった1つは、ホルムズ海峡で日本の集団的自衛権行使があり得ることだ。2つ目はアメリカから求められれば軍事力を行使するということで限定的行使などあり得ない。これからが重要なたたかいだ。国民の声をひろげよう。」と挨拶した。

生活の党から寄せられた連帯のメッセージが読み上げられた後、集会に出席した国会議員が紹介された。

連帯あいさつでは、はじめに弁護士の山岸良太さん(日本弁護士連合会憲法問題対策本部本部長代行)が発言した。山岸さんは「弁護士会は人権擁護と社会的正義の確立のために活動している。日本の各県にある52の弁護士会のすべてが集団的自衛権の閣議決定に反対し撤回を求め一致団結して行動している。普通の法律家は、平和憲法をもつ日本が集団的自衛権で他の国へ行って戦争ができるという解釈のあるはずがないと考えている。解釈で大事な憲法が変えられるなら、どんなことでもできることになる。特定秘密保護法も心配だ。集団的自衛権の閣議決定を撤回させよう。」と話し、日弁連が行う10月8日の抗議集会参加を呼びかけた。

つづいて連帯あいさつをした「立憲デモクラシーの会」呼びかけ人の中野晃一さん(上智大学教授)は「学者・研究者の集まりである私たちは、理論と言説でたたかおうとしていたが出番がなかった。それは政権に理論も言説もなかったからです」。この発言に爆笑の会場。さらに中野さんは「安倍首相は内閣改造が日本を取り戻す第2幕の闘いと言うが、誰から取り戻す闘いなのか。私たちへの闘いだ。私たちは憲法と9条があり、私たちが主権者だ。新しい仲間をつれてまた集まりたたかおう」と話し、11月に早稲田大学で行うシンポジウムを紹介した。

各地からの報告は、沖縄から高良鉄美さん(琉球大学法科大学院教授)が報告した。高良さんは「かつて佐藤栄作首相は沖縄の復帰がなければ戦後は終わらないと言ったが、戦後が終わらないどころか日本が戦前になりそうだ。復帰で沖縄に日本国憲法が適用され、米軍がいなくなり平和になると思ったが誤解だった。辺野古の状況は恥ずかしくないのか。辺野古が集団的自衛権の寄ってくるところになりそうだ。辺野古にはまだ何もできていない。今止めよう。最後まで正しいと思うことをやっていこう。」と沖縄の思いを語った。

沖縄から同行した金城実さん(靖国訴訟原告団長・彫刻家)も「軍隊は住民を守らない」と発言した。

つづいて北海道からは「戦争をさせない北海道委員会」の長田秀樹さんが報告した。長田さんは「1月から会の発足を準備した。寺本聡さんら多くの名のある方たちに呼びかけ人を引き受けてもらい発足できた。札幌で10回のデモや集会を行い、署名もとりくんだ。ベビーカーの家族連れや若者などたくさんの参加者で勇気づけられた。短い期間で5500人の参加者の集会も成功させ、大きな行動が展開できた。一内閣の決定で憲法破壊は許されない。民衆の力の恐ろしさを安倍政権にたたきつけよう。」と決意も含め報告した。

東京からは「調布・憲法ひろば」の石川康子さんが報告した。石川さんは「10年前に『調布・憲法ひろば』を立ち上げた。今は“池辺晋一郎さんと平和をうたおう”という企画をたてている。合唱の応募者が120人もあり、調布市で一番大きな1300人のホールでの開催を成功させるためがんばっている。憲法、とくに9条が音を立てて壊れていくようでいても立ってもいられない。いま『9条の会』は全国7500の会が集団的自衛権の課題で10月に全国一斉行動を呼びかけている。調布でも多くの市民団体や個人に呼びかけ行動計画をたてている。かつての戦争のころ多くは民主主義を知らなかったが、今は憲法があり、私たちから憲法と民主主義を取り上げることはできない。」と訴えた。

報告の最後に、パレスチナ・ガザ地区の現状をジャーナリストの志葉玲さんが行った。志葉さんは「4月から殺害された2141人のうち3分の1が子どもだ。なぜ子どもたちが殺されなければいけないのか。ハマスやイスラエルが悪いのではなく、国際社会こそが戦争責任を追及しなければならない。これ以上虐殺を起こさないことを国際社会が共有することが必要だ。やるべきことは集団的自衛権ではなく、9条を持つ日本が世界に平和をひろげることだ。」と話した。

集会の最後に、解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会の高田健さんが閉会挨拶を行った。高田さんは「今日の集会は2つの団体と個人が総がかりで結集し、成功させた。安倍首相は反対の声を恐れて戦争立法を先延ばして一括法も考えている。一方で辺野古やガイドライン再改訂を強行しようとしているだけでなくグローバルに戦争を準備している。私たちは多様な運動形態で多様なたたかいをおこし、世論を形成しよう。」と結び、当面臨時

国会開会日の国会包囲共同行動と、沖縄知事選挙前の11月11日の国会包囲第2波行動を呼びかけた。

集会後、参加者は銀座~東京駅方面にデモ行進した。ドラム隊を先頭に「集団的自衛権行使容認反対!」  「日米ガイドライン改定絶対反対!」「憲法破壊の安倍政権を退陣させよう!」などのシュプレヒコールを夜遅くまでひびかせた。

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「共に街頭に立とう! ~ひとつの運動としての街頭宣伝~」

菱山南帆子(市民連絡会)

6月30日、7月1日、どれほどの人々が首相官邸前に押し寄せ、声を限りに「戦争反対!」「9条壊すな!」と叫んだことでしょうか。その中でも夜になると仕事や学校が終わり、首相官邸前に駆けつけた若い世代の仲間の姿が特に目立ちました。またその運動は全国津々浦々でも行われ、一体感に包まれました。

「集団的自衛権」と「解釈改憲」の犠牲となるのは私たち若者です。もちろんヒトゴトでは済まされない!そういった強い思いを持って立ち上がり始めたのです。

しかし「集団的自衛権」は「閣議決定されてしまい本当に悔しい思いをしました。

諦めの広がりが戦争への道を広げることを噛み締め直し、せっかく勇気を持って声をあげはじめてきた

若者が「無力感」に包まれ「どうせ行動しても無駄だ」という流れになってしまわぬよう何とかしなくてはと思っていました。

集会や抗議行動に参加するだけではなく、日常の中で思いや気持ちを表現でき、いつも気持ちを温めていられる場をつくらなくてはならないとも思い始めました。そんな思いを巡らせながら、駅近の書店で本を探していたところ、「集団的自衛権の閣議決定を許さない!」といった街頭宣伝が始まりました。とてもよく通る女性の声が本屋の中までしっかりと響き渡ってきました。「殺し殺される国は嫌だ!」その言葉が私の心に残り、連日の行動で疲れていたのですが、とても元気をもらえたのです。

いやでも言葉が耳に入る状況というのは乱暴なようですが、時に人を励ましたり元気付けたりしてくれることもあります。そして<街頭に立ち声を上げる>という行動を個人の行動の集まりとして、燎原の火の如くブームのように広がらないかと思い立ち市民連絡会の仲間に相談しました。そこから「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動大作戦!」と題して、思い切ってTwitterやFacebookに大々的に「街頭宣伝」の「宣伝」を行いました。「誹謗中傷しない」この1点で様々な仲間とともに街頭に立つことを決めました。

8月10日から9月3日まで計8カ所にて街頭宣伝を行いました。いちばんはじめの街宣は台風直撃の中でしたが「雨ニモマケズ、安倍ニモマケズ」と言って街宣を決行しました。
そんな中12名の仲間が参加してくれました。初めて街宣に参加される方、初めてチラシを配る方が多く参加されていたことに驚きました。最初から最後まで腕を組んで私の正面奥に立っている男性がいて、街宣中その人と、見合う形でマイクをもっていました。

怖いなと思っていたら街宣終了後「実は職業柄チラシをまくことができないので見ていました」と話しかけ下さったのです。街宣見守り隊の誕生です。この「初代・街宣見守り隊」の方の登場により、呼びかけ文の中に「見守り隊募集」と入れることにし、そこから多様な参加者が増えてきました。

また新宿西口での5時間ロングラン街宣を行い60名以上の参加者があり、見守り隊もいて、数え切れないほどでした。日比谷野外音楽堂で行われた「9.4総がかり行動大集会」の前夜には高円寺で前夜街宣を行いました。そこには50名以上の参加者がありました。歌を歌ってくれる方が2人。高円寺らしく髪を赤く染めたロックな20代の若者がギター片手に「友よ」を歌い、もうひと方は「ウィシャルオーバーカム」を歌ってくださいました。「夜明けは近い、闇の向こうには輝く明日がある」「勝利は我らの手に」。希望持って元気に声を上げ続けることが大切だと改めて思いました。

9月4日の当日街宣に参加してくれていた仲間が数名スタッフとしてプログラム配布やのぼり持ちとして動いてくださったことも大きな成功でした。連日の街宣でのチラシ配りの成果なのか、プログラム配布の仕方がとてもうまかったとの声がありました。

街中から新しい仲間が増えてきています。新宿街宣で精神障がいを持つ方が駆けつけてくれました。集会などたくさん人が集まる場所が苦手で、いつもネット中継などみて家で応援しているが街宣を見ているうちに自分も見ているだけではなく行動しようと決めてきたと言ってきてくれました。集会などに参加したくても参加できない事情がある同じ思いを抱えた仲間がたくさんいます。街頭に立つことで少しでもそういった仲間の受け皿となっていけたらいいなと思います。また、若者もたくさん参加しました。

「今の若者は、無関心でどうしようもないなぁ」と言わず、ぐっとこらえて若者が自分で考え、行動に移せるようなきっかけを街中から作っていかなければならないと、若者のひとりとして強く思います。「経済のため」「いい会社に入って荒波立てずに暮らしたい」そんな風に従順で「物言わず」、「物考えず」の生き方にしがみつくことはないのだ。勇気をもって私たちに話しかけて!そして一緒に声をあげよう!と呼びかけていきます!

どの駅に降りても市民が声を上げている、そんな状況になったら安倍政権は倒れます。希望にあふれた元気な私たちの声を街中から掘り起こし、結びつけ大きなウネリにしよう!
今まで平和のための運動をして来た仲間のみなさんでがっちりと手をつないで戦争する国づくりの歯止めとなり、「無気力」、「無関心」層の若者も立ち上がれるような運動を巻き起こしましょう。言葉の力を信じて街頭に立ちつづけていきましょう!

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投稿

高橋龍児(岩手県出身元731部隊員の証言を集め後世に残す会 会長)

私は憲法第9条は絶対に守るべきだと思っている。デスクの前には他県で作られ、友人たちにたのんで5枚手に入れたポスター「あの日からパパは帰ってこなかった。こんな未来はあまりにも悲しい」「集団的自衛権にNOを」を貼ってある。小さな男の子が学校の廊下に座り込んでいる図だ。「岩手日報」で、このポスターが作られたのを知った。玄関にも貼ってある。じっと見ていると涙が出てくる。

安部総理は「積極的平和主義」を作り出すために集団的自衛権を確立すべきと主張しているが、平和は平和で「積極的」とかなんとか形容詞をつけるべきではないと加藤登紀子さんが書いていた。

イランやイラクの戦争へ自衛隊が派遣されたが、日本は69年間にわたって戦争を起こしたことはない。しかし、戦闘には参加しなかったが、帰って来た自衛隊員の中には自殺者が多発し、うつ病になる者も多かった。それほど戦争というものは人の体や心を傷つけるものであることは、元岩手県出身の731部隊員10人以上の体験を聴いて同感していた。死ぬまで消えない記憶となっている。

増してや特定秘密保護法は憲法第19条・思想信条自由、及び21条・集会・結社表現の自由に明らかに反するものだ。日露戦争に反対して投獄・殺害された幸徳秋水の時代が来ようとしている。これには石川啄木 原敬がそれぞれ怒りの論文を書いている。ヒソヒソ話や町内会の集まりでさえ官憲がチェックするようになる。労働組合は私が思うにすでに崩壊しているが、特定秘密保護法が成立すれば、完全に活動できなくなってしまう。

警察はすでに特定の人間が乗る自動車にレーダーをつけて居場所が分かるようにしているが、これも違法なことだ。

私は9条については解釈改憲すべきでないと思うが、ある意味で改憲主義的考えだ。

第1章 天皇 第4条「国政に関する権能を有しない」は第19条と21条に反しているし、天皇が日本に住む1人の人間であることを否定するものである。1人の人間の権利も守れない日本国憲法では日本人全体を守ることは出来ない。平成天皇はかつての戦争に反対し、犠牲になった人々の慰霊に国内だけでなく海外まで回っている。誰にも出来ることではない立派なことだと思う。最近、昭和天皇も戦争について心良く思っていなかったという文書が明らかになった。

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安倍改造内閣のアブナイ面々

小川 良則          

【日本会議中心の極右内閣】

秘密法、集団的自衛権、改憲手続法など、これまで何度「安倍内閣の暴走が止まらない」という書き出しを用いてきた数知れないが、今回の組閣にあたっても、この言葉から始めなければならない。

去る9月3日に行なわれた内閣改造は、官房長官をはじめ財務・外務等の主要閣僚を留任させる一方で、2001年の第一次小泉内閣と並んで史上最多となる5人の女性閣僚を起用するというものであった。メディアの多くがこの後段の部分のみを起用された人の来歴抜きで報じたこともあって、各種世論調査を見ると、改造後の「ご祝儀相場」的な要素を割り引いてもなお、低落しかけていた内閣支持率が持ち直している。

しかし、その実態を見れば、極右勢力で固めた「お友達」内閣と言うほかない。

まず、よく指摘されるように、閣僚の大半が日本会議またはこれに極めて近い面々で占められており、「子どもと教科書全国ネット21」の俵さんの言葉を借りれば「日本会議による官邸ハイジャック」とも言える状況である。何しろ、閣僚19人中16人が日本会議で、残る3人のうち2人も神道政治連盟や靖国議連である。「史上最多」と言うのなら、形式的な男女比よりも、こちらの方を厳しく問うべきであろう。

本稿執筆の時点で、ネオナチ団体関係者とのツーショットに関する英ガーディアン紙の報道が高市法相や稲田政調会長の進退に発展するかどうかは不明だが、旧軍の蛮行をなかったことにしようとしたり、靖国参拝を進めようとしたりする人たちが目指す国家像が国際的にも受け容れ難いものであることは明白であろう。

【適材適所からかけ離れた「お友達」内閣】

この顔触れが本当に「適材適所」を考えた人選の結果であれば、まだしも判らなくはないが、実態は、安保法制懇やNHKの経営委員と同様に総理の「身内」で固めたり、次期総裁選をにらんでの布石だったりという側面が極めて強い。

例えば、歴史教科書から強制連行等の記述を削除させようと画策する教科書議連の創立メンバーを教育行政のトップに据えているが、下村文相(留任)は武富町に育鵬社版の公民教科書を使うよう異例の介入を行なったり、道徳の教科書を家庭に持ち帰って家族にも読ませるよう働きかけたりしている。そもそも、教育行政は誰もが教育を受けられるように条件を整えるために存在するのであって、内容面にまで権力が介入することは厳しく慎むべきであることは民主国家の常識であろう。また、下村文相は賭博の推進を図るカジノ議連の顧問でもあることも指摘しておかなければならない。

また、幹事長から地方創生担当相に転じた石破は「軍事オタク」として知られているが、TPPの推進を掲げ、法人減税と成長分野への集中的な資本投下や外資の誘致を主張するなど、経済政策的にはネオコン色が強い。そうした人物に新自由主義に基づく構造改革で疲弊した地方の再生を委ねることには何重にも疑問符を付けざるを得ない。
このほか、谷垣前法相の幹事長起用も、消費税増税シフトという面が強い。

【執拗なメディアバッシング】

最近、いわゆる「慰安婦」問題等に関する朝日新聞へのバッシングが凄まじい。もちろん、1950年の伊藤律会見記や1989年の珊瑚礁落書き事件(いずれも同紙)のような捏造はあってはならないし、誤報も判明次第すぐに訂正すべきものであることは言うまでもない。今回も裏付け取材不足等の落ち度があったことは事実であり、きちんと総括して再発防止に努めてもらうしかないが、問題は、それに便乗して、この際、強制連行や性奴隷等の事実そのものを「なかったこと」にしようという動きである。そして、安倍内閣には、トップの総理自身を筆頭に、菅官房長官、下村文相、高市総務相など歴史教科書の書き換えを求めたり、「慰安婦」否定の意見広告を出した顔触れが並んでいる。

今は戦時中のような用紙統制で「兵糧攻め」できる時代ではないが、それでも記者クラブ制度を通じた有形無形の「締め付け」は従来から指摘されているところであり、現場が出稿を躊躇したり、デスクが掲載を自重したりするなど、同紙のみならずメディア全体への萎縮効果が懸念される。

一方、紙媒体とは異なり、電波メディアには放送免許制度という世界にも類を見ない制度が存在している。これは使い方によっては報道統制への悪用が可能であり、実際にも、1968年には免許更新不許可の脅しにより北ベトナムからのレポートを伝えた田英夫が東京放送のキャスターを降ろされている。そして、その電波行政を所管する旧郵政省の後身が今の総務省であり、そのトップこそ、あの高市なのである。もっと言えば、国際戦犯法廷を報じた番組(2001年1月放映)の内容に介入したと報じられているのが安倍総理(当時官房副長官)なのである。

今後、昨年暮れに多くの反対を押し切って強行された秘密法を傘に着て、市民の知る権利とメディアの取材・報道の自由に対する抑圧が進むことは想像に難くない。今回の事件も、大枠としては、こうした文脈で捉えるべきであろう。

結局のところ、安倍総理自身を「改造」しない限り、何も変わらないという野党各党の談話が全てを物語っていると言っても過言ではなかろう。

【参考】第二次安倍改造内閣閣僚名簿

役職氏名主な所属議員連盟
総理安倍晋三日本会議 教科書 神道 靖国 拉致 慰安婦 創生
総務高市早苗日本会議 教科書 神道 靖国 拉致 慰安婦 創生
法務松島みどり神道
外務岸田文雄日本会議 教科書 神道
財務麻生太郎日本会議 神道 靖国 拉致 創生
文部科学下村博文日本会議 教科書 神道 靖国 慰安婦 創生
厚生労働塩崎恭久日本会議 神道 創生
農林西川公也神道 靖国
経済産業小渕優子神道 靖国
国土交通太田昭宏
環境望月義夫日本会議 神道
防衛江渡聡徳日本会議 教科書 神道 靖国
復興竹下亘日本会議 神道 靖国
官房長官菅義偉日本会議 教科書 神道 靖国 創生
公安委員長山谷えり子日本会議 神道 創生
経済再生甘利明日本会議 神道 靖国
沖縄・北方山口俊一日本会議 教科書 神道 靖国 創生
行革・女性有村治子日本会議 神道 靖国 創生
地方創生石破茂日本会議 神道 靖国 拉致
副総裁高村正彦神道 靖国 拉致
幹事長谷垣禎一日本会議 神道 靖国
総務会長二階俊博靖国
政調会長稲田朋美日本会議 教科書 靖国 拉致 慰安婦 創生

日本会議:代表に神社本庁や伊勢神宮等の神官、財界人等
教科書:日本の前途と歴史教育を考える議員の会
神道政治連盟:神社本庁の関係団体、紀元節復活や靖国国家護持運動を推進
靖国議連:閣僚の公式参拝を推進。民主党等にも会員あり
慰安婦:米紙に慰安婦否定の意見広告・米議会の慰安婦決議に抗議
創生:戦後レジームからの脱却を目指す議員連盟

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こころも命も、捧げるもんか
8.6新聞意見広告2014へのご参加、ご協力、ありがとうございました

藤井純子(第九条の会ヒロシマ)   

ストップ改憲! 8.6新聞意見広告2014

今年は、8月6日、朝日新聞大阪本社版朝刊に全15段 朝日新聞東京都心版と山口県版に全5段と8月4日~10日、朝日デジタルトップパネル、8月14日読売新聞東京都内版に5段に掲載した。今年初めてインターネットの世界への挑戦。「こころも命も、捧げるもんか」とかなり過激なタイトルですが、イラストの子どもたちが、和らげてくれたかな? 安倍政権の立憲主義無視して軍事国家に向かい、原発推進など、市民の声を聞かず民主主義を破壊する政策に、きっぱりNOを突きつける人たちがこれだけいることを見て、そして賛同してもらいたいと思いました。

イラストの子どもたちは憲法103条のピースにアベがカバーをかけようとしたのをはがそうとしています。憲法前文には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないように…」とあります。それらを壊そうとする安倍首相を子どもが「コラッ」と叱っています。「大人はなぜ平和のために戦争をするの?」という素朴な質問に安倍首相はまともに答えられないでしょうね。

私たちは92年からストップ改憲8・6新聞意見広告を掲載し続けてきました。小さな市民団体であり、膨大で細かな作業に押しつぶされて、もう止めようかと思う時もあります。でも「活動はできないけど私の名前が皆さんと一緒に出て嬉しい」という声を聞くと「やめられないよねぇ」。また、原水禁の分裂をはじめ、複雑な事情で共同行動が難しく、せめて紙面上では改憲反対を共に訴えることができるのでは、と続けています。賛同してくださった約2500の個人(匿名含)・団体のご支援、ご協力に、心より感謝しています。

原爆ドーム前での配布

毎年、8月6日朝7時から原爆ドーム前で、意見広告のコピーを配布していますが、今年は40年ぶりの大雨。ところがバケツをひっくり返したような土砂降りの中、世話人だけではなく、会員さんや賛同してくださった遠方からの方々も、応援に駆け付けてくださって30分で500枚も配布することができました。8・6新聞意見広告は、皆さんのご協力がなければできないことです。チラシ配布のみならず、皆さんが集会や会議での配布、ニュース発送に同封、またメッセージを寄せてくださったり、様々な呼びかけをしてくださったからできたのです。これからも多くの皆さんから勇気をもらって、直接市民に訴える行動を続けていきたいと思います。

購読者からの声がたくさん届きました

今年は安倍政権の政策への危機感が強く、昨年より多くの皆さんに賛同して頂き、メッセージもたくさん届きました。また、広告を見た朝日新聞だけでなく、読売新聞の購読者の皆さんからも電話やFAX、お手紙が届きました。驚いたことにお手紙が多く、戦争をする国になることには反対、とても不安だという思いが切々と書かれているものばかりでした。(第九条の会ヒロシマ会報83号に掲載) 皆さんの想いがぎっしり詰まった「STOP!憲法改悪! 8・6新聞意見広告」が多くの人に届き、行動に移してくださることを願っています。

広島の8.6、市民による次のような集会や行動を行いました。
8月5日には
12:00 ピースサイクル到着、歓迎集会 
ほか平和公園、岩国基地のフィールドワーク
17:00 8・6ヒロシマ平和へのつどい2014 と全国交流会

6日には
7:00 「8.6新聞意見広告配布行動(原爆ドーム前)
7:45 グラウンド・ゼロのつどい(原爆ドーム前)
8:15 追悼のダイ・イン(原爆ドーム前)
8:45「原発も核兵器もない世界を」デモ(原爆ドーム前~中電本社)
9:30 中国電力本社前・脱原発座り込み行動
ほか軍都廣島のフィールドワークとスタディークルージング
15:00 8.6ヒロシマ国際対話集会 反核の夕べ 広島市民交流プラザ)

来年は敗戦から、被爆から70年。世界各地の核被害者をお呼して11月に「広島・長崎被爆70周年・世界核被害者フォーラム」を行います。8.6にはプレフォーラムを予定していますので来年は是非!8.6か、11月に広島にお出かけください。

7月1日、安倍政権が集団的自衛権行使容認を閣議で決定しようとした時、国会前では連日、何千人、何万人の抗議行動が何日も続きました。若い人の動きもありました。全国各地で、もちろん広島でも大小さまざまな講演会、集会を開き、連続の街頭行動やデモを行いました。若い人たちも「戦争に行かせるために産んだんじゃない」と子ども連れで歩きました。これらは集団的自衛権行使だけではなく、秘密保護法や原発再稼動、教育問題、労働問題、農・食の問題… あらゆる安倍政権の政策に納得がいかない、ならば頑張って声を挙げようという強い思いからです。

「現状に合わないから憲法を変えるというならこっちは、憲法に合わないから首相を変えると言えばいい」と松元ヒロさんが言われたそうですがまさにその通りですネ。広島では今秋、集団的自衛権行使反対、原発再稼働させるな、STOP改憲、秘密保護法廃止の4つの大きな行動を準備しています。全国の皆さんと共に元気をだして!

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米軍キャンプ・シュワブ前座り込みで見たこと・聞いたこと・感じたこと

竹腰 英樹(中野協同プロジェクト) 

1.米軍キャンプ・シュワブゲート前 

「海を壊すな!」「海を壊すな!」「ボーリングやめろ!」「ボーリングやめろ!」「台船帰れ!」「台船帰れ!」「穴を掘るな!」「穴を掘るな!」「サンゴを壊すな!」「サンゴを壊すな!」「新基地反対!」「新基地反対!」「埋め立て反対!」「埋め立て反対!」「絶対反対!」「絶対反対!」「新基地許さん!」「新基地許さん!」…沖縄県名護市辺野古。米軍のキャンプ・シュワブのゲート前で人々はシュプレヒコールを上げ、ぐるぐるとゲートの前をデモ行進する。手には「新基地反対」「辺野古埋立阻止」のプラカード。

2014年9月5日、成田空港から午前8時発のバニラ・エア機で那覇空港に向かい、高速バス経由で辺野古に着いたのは午後2時過ぎだった。歩道に設置されたテント下の人々に挨拶をして、折りたたみ椅子に座りこむ。9月になったとはいえ、まだ真夏の沖縄である。暑い。

東京から来たという女性が「原発の問題を研究しているが、米軍基地問題にも関心があり、辺野古のことも勉強したい。」と発言する。フリートークの時間のようだったので、手を挙げ、私も「東京都中野区からやってきて、今着いたばかりである。昨日、戦争させない・9条壊すな『総がかり行動』が日比谷野外音楽堂で行われ、老若男女およそ5500名が参加し、その後、デモ行進した。沖縄からは高良鉄美さんをお招きして、連帯挨拶をいただいた。辺野古への新基地建設は許せない。東京・関東に見聞したことを持ち帰り、皆さんと連帯していきたい。」と発言した。

その後、宜野座村松田区に住む労組役員の男性は「宜野座村も遅ればせながら、新基地反対に立ち上がりつつある。松田区は区長を先頭に反対の取り組みを行なっている。」と発言。

トークの後は、岡林信康の「友よ」を参加者で合唱した。基地推進勢力との闘いのみならず、こんなひと時も人々は大切にしているのだ。(別の時間には三線演奏もあった。)

2.若者の参加が多く、励まされる

今回、多くの若者がいくつかのグループで参加していたのが特徴的だった。東洋大学のTゼミ11名は「社会福祉を学んでいる。その土台として、人権や平和があり、沖縄に学びに来た。」とスピーチしていた。

そして、愛媛大学からは平和学の講義を受けた学生有志十数名が、「沖縄平和友好の旅」という手書きの横断幕を持って参加していた。毎年、行き先を論議して各地で学んでいるとのことで、沖縄のみならず、韓国などにも行っているとのことである。

また、SAY-Peace PROJECTはNPO法人格を持ち、インターネットのHPもある団体であり、バスをチャーターして参加していた。翌日は高江に行くとのことであった。

数人の若者と話をした。ある若者は、ある時期まで平和に関心がなかったが、映画「標的の村」を鑑賞する機会があり、平和活動に参加するようになったと話していた。平和のメディアそして、地域での取り組みが一人の若者を辺野古の現実と多くの仲間へ引き合わせたのである。

別の若者は「沖縄では平和の取り組みが活発に行われているが、本土ではそのような状況でない。」ということを言っていたので、テントに来訪していた日本平和委員会のT氏とともに「例えば、横須賀には原子力空母が配備されており、それは『動く原発』であり、危険極まりない。横須賀の人々は配備の是非を問う住民投票を再び準備している。米軍基地問題が沖縄で突出して問題化しているのは事実だが、他府県で平和の取り組みがないわけではなく、様々な取り組みがなされている。地元の取り組みなどに注目してほしい。」と語り、その若者は「なるほど」という顔をして納得していた。

「平和運動をはじめとする市民活動に若者の参加が少ない。」 という見方はこの間「当たり前」のように流布されてきた。その見方は一面の真実かも知れないが、脱原発の取り組みや集団的自衛権行使容認をめぐる6月30日、7月1日の首相官邸前のムーブメントを見るように、状況が動けば、そして、その問題点がしっかり伝われば、若者は、人々は自ら動き出すのだ。そのようなことを改めて痛感するとともに、個人のあり方のみならず、NPOや大学での講義・ゼミといった組織での継続的な取り組みの重要性や可能性を認識した。

3.9月5日・6日のテントでのいくつかのスピーチより(筆者の責任で抄録とした)

・地元の採石をストップさせた事例より~地元の山から採石を大規模に行なう動きがあり、その動きに反対した。相手企業は「あなた一人とお会いしたい。」と持ちかけてきたが、それがアメをしゃぶらせ企業に取り込む動きと思ったので、拒否した。その経過があり、その動きがストップした。相手の策にだまされない態度を示すと相手の動きも止まる事例である。

・平和丸の船長より~沖縄防衛局と政府の横暴に抗議している。「こんなきれいな海を守りたい。」という思いである。多くの人々に美しい海を見てほしい。全国からのカンパでできた船である。積極的に乗船してほしい。台船をなくし、水平線の見える海を取り戻したい。

・大浦湾の美しさを大切に思う立場から~多くの生き物がいる大浦湾は生命のゆりかごであり、入るたびに感動している。海上で抗議活動に参加をしたら海上保安庁に「確保」された。特別な動作をする専門部隊のようであり、同様なことが各地で広がるのではないかと懸念する。

・糸数慶子参議院議員~貴重なサンゴが生育する海に基地は要らない。アメリカに数度行き、訴えてきた。いよいよ明日(筆者注:2014年9月7日)名護市議選挙である。「この海を新基地で埋め立てさせない。」という議員を一人でも多く当選させることが大切。

・ヘリ基地反対協議会 安次富浩共同代表~防衛局が設置したフロート内は私たちの海である。世論の声を背景に現地での取り組みを強化したい。わずか1週間で4000名を超えるとも言われるゲート前行動を作り出せた。アメリカ政府と安倍政権を震撼させ、変えていきたい。仲井真知事は「いい大人がテントで平和と言っている。」と私たちを揶揄している。こんな知事は県庁から引き摺り下ろそう。知事選に圧倒的に勝利し、安倍政権をガタガタにしていきたい。この闘いは負けるはずがない闘いである。

4.2日間を振り返って

9月5日・6日のわずか合計7時間ほどの現地滞在であった。その短い時間でも、多くの人々の頑張りとスピーチ・歌声とシュプレヒコールに接し、辺野古の闘いの広がりを感じた。(6日は熱帯低気圧が接近し、雨であったが、多くの人が参加していた。)

時あたかも名護市議選の直前であり、各候補の宣伝カーがキャンプ・シュワブ前を行き来し、与党候補には大きな声援が飛んでいた。(政府は改めて示された名護市民の民意に従い、新基地建設を断念すべきだ。)7月28日にも座り込みに参加しているが、ゲート入り口の「殺人鉄板」(写真(2))は残念ながら敷かれたままであったが、ゲート前の警察の過剰警備はとりあえず影を潜めていた。海での海上保安庁の抗議船の「拘束」はエスカレートする一方であり、ボーリング調査も進められる状況があり、全体的に予断を許さない状況ではあるが、ゲート前の警察の過剰警備については多くの人々の抗議が実を結んだことを感じた。(だからホッとしている訳ではないが)

なお、那覇への帰りは沖縄平和市民連絡会の送迎車に同乗させていただいた。人々の参加可能性を広げる取り組みに敬意を表したい。

9月以降も名護市そして辺野古に行って知事選勝利、新基地建設阻止に力を注ぎたい。そのことが安倍政権の「暴走」をSTOPさせ、民意の反映する政府を作る足がかりとなる。改めてそのことを決意した2日間であった。

☆ 上記の内容を含め、報告会を東京・関東を中心に旺盛に行ないたいと考えています。
htakepeace@hotmail.comまでご連絡ください。

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抗議声明 警備当局は国会周辺の市民の抗議行動に対する不当な干渉と妨害をやめよ

2014年9月24日 「安倍政権の暴走を止めよう!国会包囲共同行動」実行委員会

このたび、9月29日、臨時国会冒頭に開催予定の多数の市民団体による「安倍政権の暴走を止めよう!国会包囲共同行動」に対し、警視庁と麹町警察署が国会正門前歩道などにおいて異例の規制強化を企て、市民の正当な抗議行動を妨害しようとしていることに私たちは厳重に抗議し、警備当局がこの不当な規制拡大をやめるよう要求します。

解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会、戦争をさせない1000人委員会、「秘密保護法」廃止へ!実行委員会、さようなら原発1000万人アクション市民の会、憲法を守り・生かす共同センター、5・3憲法集会実行委員会、沖縄一坪反戦地主会関東ブロック、消費税廃止各界連絡会議、ほか多数の市民団体は、この間の安倍政権による民主主義と人権、平和を破壊する政治に反対して、9月29日(月)正午から国会正門前歩道をはじめ、国会周辺の歩道上で、抗議行動を企画しております。これは従来、国会周辺では国会開会日などをはじめ、一般的に行われてきた行動です。

しかし、今回に関して警備当局は国会正門一帯の路上での抗議行動に対して、29日12時から14時ごろまで、市民の通行を禁止すると表明しています。理由は天皇の国会出席時間前後、正門周辺を「クリアにする」というのです。これは今年1月24日から開会された通常国会の開会日の措置とも決定的に異なります(警備当局は「方針は変えていない」と強弁しますが、これは明白な虚偽です)。今回の行動の実行委員会にも参加している「『秘密保護法』廃止へ!実行委員会」は1月24日、国会包囲のヒューマンチェーン行動を行いました。その際、正門前(国会正門に向かって左側)歩道上でも数百名による市民の行動が整然と展開されました。このことは各メディアも写真入りで報じています。今回の警備当局の対応は明らかに従来の警備を大きく超え、市民の行動に対して不当な制限を加えるものです。この制限は国会包囲のヒューマンチェーンという企画を事実上、困難にするもので、私たちは容認することができません。

振り返ってみれば、昨年11月末、自民党の石破茂幹事長(当時)は、国会周辺のデモに対して「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質に於いてあまりかわらない手法に思います」と言い、批判を浴びて「お詫び」したが、なお「一般の人々に恐怖の念をあたえ、市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような手法は、本来あるべき民主主義とは相容れない」と言い放ちました。つづいて本年8月28日からの自民党のヘイトスピーチ規制策を検討するプロジェクトチームの会合で、高市早苗政調会長(当時)は、「(街宣やデモの音で)仕事にならない状況がある。批判を恐れず議論を進める」と国会周辺の市民活動への音量規制も検討課題にする意向を示し、批判を受けて方針転換しました。昨今、埼玉県の某公民館がその発行物に掲載予定の「九条俳句」を削除したり、都下のある市の市民祭りで従来継続されてきた市民団体「九条の会」の出店が拒否されるなど、地方自治体においても政権の政治的意向を忖度して市民活動に制限を加えるなど、監視社会化の動きが目立っています。

今回の警備当局の規制強化措置は、悪政を許さない世論と運動の巨大なひろがりを何より恐れる為政者の思いを示す流れの一環をなすもので、私たちは断じて受け入れることができません。

実は今年になってだけでも、国会周辺の市民活動に対する警備当局の人権を無視したさまざまな不当な規制が目立っており、私たちは繰り返し、その撤回を申し入れてきたところです。

いくつかの事例を紹介します。これは7月15日に弁護士同行のうえ、警視庁などに抗議したところです。

1.国会周辺での抗議行動の際、地下鉄国会議事堂前駅の出口を過剰に封鎖し、議員会館方面への通行を阻止し、年配者や杖をついた人々まで、財務省上の交差点から国会を大回りして永田町駅方面へ誘導していること、そのため、参加者の中にはタクシーを使わざるを得ない人まで出ていること、

2.議員会館前での夏の抗議行動に際し、目の前にある参院議員面会所のトイレや水分補給のための売店の使用を阻止したこと、

3.官邸前の行動に際し、歩道の真ん中に鉄製の柵を並べ、通行を分断する危険な規制を実施したこと(これは極めて危険な措置です)、

4.首相官邸前から官邸裏の地下鉄(溜池山王)に抜ける通路を一方的に封鎖し、市民の通行を妨げるのが常態化していること、

等々です。これらは抗議の結果、一部「是正」も見られましたが、全体として不当な規制が続いております。従来から、私たちは行動するに際しては自主警備を行い、通行を妨げることのないよう努力しています。当局の対応は、力にまかせた極めて不当な対応と言わざるをえません。

これらの警備は、主権者である市民の表現の自由を尊重し、保障すべき警察官の責務に反する容認できない行為です。

私たちは、とりわけ今回9月29日の国会正門前の不当な警備方針の変更を撤回し、従来通り市民の自由な通行と意思表示を保障するよう強く要求します。

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蓑輪喜作さんを送る

荒れ模様の天候の8月10日、「九条おじさん」という名で広く知られていた蓑輪喜作さんの葬儀が都下府中市でありました。享年85歳。「私と憲法」には何度も寄稿され、それをもとにして「九条おじさんが行く」(新日本出版)も編まれたことがあります。

葬儀での高田健のお別れの言葉を、掲載します。

蓑輪喜作さん
蓑輪さんが署名集めに歩いていたあの公園は今日は雨で濡れています。
雨さえ降らなければ、蓑輪さんは毎日、毎日、公園に出かけました。

●じんじんとセミ鳴きしきる公園に今日はどんな若者くるらん

白い帽子をかぶり、白い布のカバンを肩から下げ、バインダーに挟んだ九条署名簿を持って、セミ時雨の中を歩いていく「九条おじさん」の蓑輪さんが、目に浮かびます。
2005年の年末からから始めた蓑輪さんの九条署名は、以来1人で不屈につづけられ、2013年には約6万筆になりました。これはもし、ギネスブックにそうした項目があったら、おそらく前人未踏の世界記録だと思います。

2007年8月、私は朝日新聞の記事がきっかけで、蓑輪さんのお宅をおたずねしました。以来、7年、蓑輪さんにおつきあいさせて頂き、時には私どもの市民運動の会報に原稿を頂き、またある時は「九条の会」の全国交流集会で報告者にもなっていただきました。集めた署名を持って、一緒に国会議員の事務所も回りました。

いつもにこにこと、希望と愛と未来を、とつとつと語る蓑輪さんの署名活動はまさに達人の域に達しておりました。
安倍政権の下で、蓑輪さんが最も大事にしてきた日本国憲法第九条が傷つけられようとしている今日、蓑輪さんの心配はいかばかりでしょう。
しかし、蓑輪さんに私は報告したかったことがあります。あの集団的自衛権の閣議決定強行に先立つ6月30日、7月1日、永田町の首相官邸前には1万人を超える若者たちがあつまり、「憲法壊すな」「9条守れ」と叫びました。

私は、もしかしたら、蓑輪さんの署名簿に署名した若者の誰かは、この中にいたかも知れないと思ったりします。
蓑輪さんの思いはこの若者たちに引き継がれております。

蓑輪さんはすばらしい歌詠み、歌人でもありました。
私の好きな蓑輪さんの歌を読み上げて、お別れの言葉にしたいと思います。

●せいいっぱい生きて愛してたたかってこの世終われば悔いなかるべし

蓑輪喜作さん、ありがとうございました。
高田 健

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