私と憲法151号(2014年1月1日号)


いまこそ全力をあげて集団的自衛権行使容認の閣議決定と戦争法改定成立を阻もう!

●時代はまさに「戦前」

「東京新聞」5月16日朝刊は1面に「『戦地に国民』へ道」という大見出しを付け、安保法制懇の報告書提出と安倍首相の記者会見に抗議して首相官邸前に集まった2000名の市民の行動の大きな写真をトップに掲げた。15日の記者会見で、安倍首相が緊張した様子で説明した「政府方針」は、人々を戦争の危険におびえさせながら、集団的自衛権の行使の限定容認論と、集団的安全保障参加論、グレーゾーンにおける武力行使論を強行する意志表明だった。安倍首相の企てる方向で日本は、他国の行うケンカ(侵略戦争)を買ってでる国になる。憲法9条を持つ国として、殺し合いの仲裁に行くどころか、ほとんどの場合米国になる「わが国と密接な関係のある国」に加担して殺しに行くことになる。

安倍首相以前の歴代の日本政府見解は集団的自衛権とは「自国と密接な関係のある外国に対する武力攻撃を、自国が攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」のことであり、「歴代政権は『日本が攻撃された時に自衛権は認められるが、攻撃されていないのに武力行使するのは必要最小限度を超える』との論理を積み重ねてきた」のであり、「必要最小限度の集団的自衛権は論理矛盾」(柳沢協二・元内閣官房副長官補)もはなはだしいものだ。

15日午後に首相が受け取った安保法制懇の報告書は「憲法9条は集団的自衛権の行使や国連の集団的安全保障への参加を禁ずるものではない」などという、およそ理解不能な論理で構成されていた。

●15日の安倍首相会見は支離滅裂

安倍首相は「現実に起こりうる事態に対して、万全の備えがなければならない。国民の命と暮らしを守るための法整備が、これまでの憲法解釈のままで十分にできるのか、さらなる検討が必要である」と強迫したあと、「こうした検討については、『日本が、再び、戦争をする国になる』といった誤解がある。しかし、そのようなことは断じてありえない。日本国憲法が掲げる平和主義はこれからも守り抜いていく」などと述べた。そして衝突への備えこそが、抑止力であり、紛争の回避であり、戦争に巻き込まれないことだと言った。

この文脈は支離滅裂だ。戦争法の整備をして、戦争の準備をすることがなぜ憲法の平和主義を守ることになるのか、ここには首相による何らの説明もない。これは戦争の危険を煽り立て、際限のない軍事力増強に走る悪質な「抑止力論」の火遊びだ。多くの場合、戦争はこのような火遊びから勃発してきた歴史がある。

●「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」とは何者なのか

安保法制懇の北岡伸一(座長代理)は新聞のインタビューで「憲法は最高法規ではなく、上に道徳律や自然法がある」と答えた。このように北岡ら安倍首相のお友達ばかりの懇談会には、憲法やそれにもとづく立憲主義についてのまともな認識すらない。

政府は従来「私的諮問機関は出席者の意見の表明又は意見交換の場にすぎない」としてきた。だからそれが提出する「報告書」にも行政的な拘束力はまったくない。北岡伸一は19日、「安保法制懇に正統性がないと(新聞に)書かれるが、首相の私的懇談会だから、正統性なんてそもそもあるわけがない」と語った。語るに落ちるとはこのことだろう。そんな安保法制懇の報告書によって権威付けをして、集団的自衛権行使容認の政府方針を決める、ということの安倍首相の「茶番」と「異常さ」は度を超している。

それを受け取った安倍首相は、記者会見で極めて欺瞞的な手口をつかった。安倍は「報告書」の二つの提言のうち、憲法では自衛のための武力の行使は禁じられておらず、国際上合法な活動にも制約がないという法制懇の提言を「これまでの政府の憲法解釈と整合性がないので、採用しない。武力行使を目的としてイラク戦争のような戦闘に参加することは決してない」と述べた。そしてもう一つの提言、わが国の安全に重大な影響を及ぼす時は集団的自衛権を行使することは許されるという論理を支持して、限定的に必要最小限度の武力行使は許容される、とした。これは従来の政府解釈と整合性があるとでも言うのか。

この手口は安保法制懇の報告を最大限度、過激に出させたうえで、限定行使論、必要最小限度論で少し割り引き、穏健な判断であるかのように見せかけて世論操作を企てる極めて欺瞞的手法だ。「必要最小限度」といっても、どれだけの量なのかは限定されておらず際限がない。これは「小さく産んで、大きく育てる」企てか、9条の城門をかいくぐるトロイの馬の手口にすぎない。

●首相の「限定容認論」は内輪からも否定されている

世論対策や与党・公明党の懐柔策のために、このところ高村自民党副総裁らが集団的自衛権行使の「限定容認論」を唱えてきた。しかしこれは「地球の裏側まで行って戦争することなどない」という「地理的限定論」を一貫して否定してきた石破自民党幹事長が、18日のテレビ討論で「国連の集団安全保障でやっていくとなったときに(参加は)未来永劫(えいごう)ないとは申しません。安倍政権としてそれはやらないが、(将来)絶対否定することを私は申し上げているのではない」と述べ、将来的な多国籍軍参加を否定せず、安倍首相の記者会見での弁明を否定したことに見られるように、ペテンなのだ。北岡伸一もくりかえし「定義は時代によって変わる」と限定容認ではないと主張している。

●安保法制懇報告は憲法の平和主義の破壊だ

安保法制懇の報告書は憲法第9条の否定そのものだ。
憲法第9条2項はこうだ。「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。これに対して安保法制懇や安倍首相による「自衛のための必要最小限度の実力に集団的自衛権が含まれる」、という議論は真っ向からの挑戦だ。9条2項をどう読んでも、これが集団的自衛権、海外で戦争をすることを認めているなどとは言えない。

さらの9条1項はこうだ。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。これに対して、PKOなどの多国籍軍への参加など、集団的安全保障への参加は認められようがない。

集団的自衛権の行使と区別して議論している「グレーゾーン」事案での自衛隊の武力行使は、憲法の平和主義が要請している武力によらない問題の解決に反しており、軍事的緊張と衝突を招く論理に他ならない。

●実態として、進んでいる海外で戦える自衛隊づくり

集団的自衛権の解釈変更が企てられている下で、すでに実態として制度の面でも実力の面でも、自衛隊が海外で戦える軍隊として変質を進めていることを見逃してはならない。

海外で戦争の出来る制度作りや戦争法の準備が進んでいる。制度としては昨年末の臨時国会で秘密保護法と合わせて、「国家安全保障会議」(日本版NSC)が設置された。そして安全保障の中期的戦略となる「安全保障戦略」が策定され、防衛大綱が策定され、これらのなかで敵基地攻撃論の容認などが行われた。この日本版NSC(4大臣会合)は安保法制懇の報告書が提出された直後にも開催され、閣議や従来の9大臣会合に替わって、首相の記者会見で発表された今後の「基本的方向性」も了解している。

そしてこれらの具体化のために必要な集団的自衛権関連11法制のうち、自衛隊法、PKO法、周辺事態法など5つの法改定に突き進もうとしている。

海外で戦える自衛隊のための装備面での強化も進んでいる。すでに米国海兵隊のような軍隊を目指して「水陸機動団」が設立・配置されつつある。与那国への自衛隊沿岸監視部隊の配備(150名)などをはじめ、奄美・宮古・石垣などに350人規模の新部隊を配備する準備がされ、空自那覇基地にはF2C早期警戒機が配備され、F15戦闘機部隊が倍増(40機)される予定など、離島攻撃対処を理由に中国を仮想敵視する南西方面の軍事態勢が急速に強化されつつある。一方、海自最大(248メートル、2万t規模)のヘリコプター「空母型」護衛艦「いずも」が進水するなど、海洋での攻撃力の急速な増強もすすんでいる。

安倍政権は成立以来、教育の破壊・「再生」にとりわけ力を入れているが、これもそうした「人づくり」、戦争準備態勢の強化につながる性格を持っていることも見逃せない。

●明文改憲の動き。改憲手続き法改定案の衆院通過。

今回の安倍首相の解釈改憲が極めて無理なごり押しであることは、改憲派の中にも疑問と不安がある。改憲派は明文改憲の準備をすることで、それを解決しようとしている。

すでに衆議院は7党共同提案の改憲手続き法の改定案を採決し、参議院に送った。この改定案は、現行改憲手続き法が、第一次安倍政権当時の強行採決によって、重大な欠陥を含む法律だったために、機能不全に陥っていた。その矛盾を解決するために立案された改定案では、国民投票の18歳投票権を遅くとも4年以内に実行するというが、国際標準の18歳選挙権については消極的で公務員の国民投票運動の抑制や「組織の活動」への不当な制限の問題、さらに最低投票率が規定されていないこと、有料広告の取り扱いでの不平等性など、問題が非常に多い法制だ。しかしながら、衆議院で7党共同、参議院で8党共同で提案された改憲手続き法改定案は、衆議院憲法審査会の議決が49:1だったようにほとんど翼賛体制で成立している。

これに勢いを得た船田元・自民党憲法改正推進本部長は「環境権の創設や有事などの際に国民の権利を一部制限して総理大臣の権限を強める緊急事態条項などで、2年後の参院選までに改憲発議をしたい」などとあからさまに明文改憲への意欲を表明した。これは集団的自衛権の解釈改憲の動きとあわせて、極めて危険な動きだ。

●改憲反対、反戦の根強い世論

憲法9条改定に関する直近の世論調査のほとんど全ては改憲反対が多数であり、集団的自衛権行使に向けた解釈改憲にも反対が多数であった。例えば、時事通信が5月9~12日に実施した世論調査で、安倍首相が意欲を示す集団的自衛権の行使容認については、反対が50.1%、賛成37.0%だった。

安保法制懇報告書提出後の5月17、18両日の毎日新聞の世論調査は集団的自衛権行使に「反対」が54%で「賛成」の39%を上回った。

しかし、読売新聞が5月12日に発表した世論調査では、集団的自衛権の行使に関して「必要最小限の範囲で使えるようにすべきだ」とした「限定容認論」を支持する人は63%になった。「全面的に使えるようにすべきだ」と答えた8%と合わせて計71%が行使を容認する考えを示した。しかし、これにはトリックがある。通例、世論調査は賛成、反対の2択で調査すべきところを、間に「限定容認論」を入れ込んで3択にした。この3択では対象者の心理が真ん中の選択に動くことを計算に入れ、中間に「容認」の選択肢しか置かず、そこに支持が流れるように工夫してある。読売の調査の後の時事と毎日の調査が、依然として反対多数であることを考えれば、読売の世論調査が恣意的であることが判明する。

内閣法制局を意のままに操るために、安倍首相が強引に首をすげ替えた小松内閣法制局長官は病気辞職した。この人事は任命権者の安倍首相の重大な失敗だった。自民党の中でも長老たちだけでなく野田聖子総務会長らのような必ずしも安倍首相に同調しない人々がいる。与党公明党の支持母体の創価学会は集団的自衛権行使に賛成しないとの異例の声明を発表した。国内外から、安倍首相の危険な企てに反対する声が上がっている。

●安倍政権の企てを破産させること

運動に携わる多くの人々が実感していることであるが、街頭での宣伝や各種の署名、様々な集会などでの人々の結集には力強いものがある。この世論の一層の高揚で、安倍首相の企てを阻む広範な運動を作り上げなくてはならない。

まずは安倍首相が企てる今通常国会、遅くとも「夏」までの解釈改憲の「閣議決定」を阻止しよう。すでに政府・自民党は秋の臨時国会での戦争関連法制の審議の断念と、来春・統一地方選後への先送りなどという予防線を張り始めている。この春以来、安倍首相の改憲・解釈改憲の行程表は軒並み遅れてきた。

運動と世論の力で、安倍政権の危険な企てを破綻させる可能性が見えてきた。(事務局 高田健)

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「生かそう憲法 輝け9条」
日本を戦争する国にするな! 集団的自衛権行使反対! 秘密保護法廃止!
STOP国家安全保障基本法! 東アジアに平和を! 安倍政権の暴走を止めよう!
5・3憲法集会&銀座パレード2014の記録(1)

閣議決定で集団的自衛権を認め戦争する国づくりをしようという安部政権。東京・日比谷公会堂での5・3憲法集会で市民は安部政権の戦争政策を決して許さないことを誓った。今回は青井未帆さんと津田大介さんのスピーチを掲載します。次号には1分間スピークアウトと吉田忠智さんと志位和夫さんのスピーチを紹介します。テープ起こし協力は憲法会議。【編集部より】

《集会報告》

半田 隆(市民連絡会)

戦後の歴代政権の中で安倍内閣ほど、詐術的な政権はない。私的な安保法制懇に仮想事例を提示させ、それを論拠に集団的自衛権行使容認論を展開している。
解釈改憲は、立憲主義の否定という体制の大転換をきたす。危機的状況だが参加は3700人に留まる。集会は、プレイベントの大人と子どもの和太鼓の共演で始まった。

*高田健氏・主催者あいさつ

いま、私たちは日本国憲法の根本原則である平和主義のかつてない危機の中にある。秋の臨時国会には、自衛隊が海外で戦争ができるようにする一連の戦争準備法制を出すと言っている。日本国憲法の平和主義を貶める「積極的平和主義」の名の下に、軍事力行使による、殺し、殺される国にするのだ。安倍政権は、解釈改憲のみでなく、明文改憲のための改憲手続き法の成立を図っている。世論調査では、明文改憲、9条改憲、集団的自衛権行使への反対が多数を占めている。私たちが立ち向かうには世論を動かすしかない。集会や対話や署名やチラシ配布、インターネット、そして新聞や雑誌に投稿し、デモなどすべての方法を駆使して広く訴えていくことが重要である。この運動は、絶対に負けることができない闘いである。

*スピーチ

津田大介氏・ジャーナリスト/メディア・アクティビスト

この数年間、憲法をめぐる動きを追ってきた。歴代政権が改憲の発議ができなかったのは、国会のみならず国民世論がそれを望んでいなかったからだ。安倍政権は、9条改憲がうまくいかないことが分かると、96条を替えようとし、それが批判されると、解釈改憲に方向転換した。日本の公式見解では、集団的自衛権の行使はできない。そこで、秘密保護法を強行採決し、自衛隊法など下位法を改定して集団的自衛権行使が実行可能になるように、姑息なやり方をとろうとしている。安倍政権の支持率は高いが、個々の問題では必ずしも支持はしていない。ここ数年が大事である。短期・中期・長期の闘いを考えなければならない。皆さんの力を期待している。

青井未帆氏・学習院大学法務研究科教授・「立憲デモクラシーの会」を設立参加。

政治は何をしてもいいというわけではない。憲法は国を縛るものであり、政治には道理がある。法がある。
立憲主義は智恵である。短期的な視点で必要なことは、民主主義を尊重すること。政治の決め方は、多くの人の納得する決め方が理屈である。中・長期的な視点では、自由を護るのは私たちのためだけでなく、子どもや孫のためを考えることである。9条は他の国にはない条項である。あれは理想だという者がいるが、現実に力を持ってきたということは、理想ではなく現実であり重要なことなのだ。誇るべきことは、あるべき日本の姿であり、あるべき日本の外交の姿であり、平和の形である。これを全く無視した形で進められている今の政治は、おかしいと言わざるを得ない。

*17のテーマでの1分間スピークアウト井賀久恵さん(消費税)、中原純子さん(雇用問題)、浅間基秀さん(教育問題)、荒井克浩さん(靖国問題)、安積宇宙さん(ヘイト・クライム)、榊原登志子さん(女性の権利)、井上睦子さん(介護問題)、菱山南帆子さん(障がい者)、桂 武さん(被ばく労働)、毛利孝雄さん(沖縄)、佐野 究さん(原発再稼働)、加藤真希さん(国際協力問題)、四津谷伸子さん(秘密保護法問題)、小川良則さん(自民党改憲案)、富山洋子さん(集団的自衛権)、高校生(若者の声)。

*スピーチ

吉田忠智さん・社会民主党党首
現在、かつてない歴史的試練に直面している。安倍政権は96条改憲を先行させようとしたが、世論の反対が強かったことから、解釈改憲をしようとしている。
集団的自衛権行使の限定容認論が出されているが、自自衛のためだけでなく、他国のための自衛である。安保法制懇派は何の法的裏付けはない。安倍首相は私が最高責任者だというが、国会が国権の最高機関だ。安倍首相の発言は、立憲主義の否定である。歴代政権は、集団的自衛権は行使できないと言ってきた。安保法制懇の類型は屁理屈である。
当面の闘いは、短期的には、解釈改憲を許さない広範な運動を行なっていく。中・長期的には憲法の理念である9条の意義を知らしめる運動を広めていく。

志位和夫さん(日本共産党委員長)
安倍政権の集団的自衛権行使容認の暴走の中でこの日を迎えた。集団的自衛権の行使が認められていれば、日本もアフガン戦争やイラク戦争でNATO軍とともに参戦しただろう。安倍首相は自由に憲法解釈ができると言わんばかりの発言をしている。安倍首相は自らが憲法に縛られているという自覚がない。北岡座長代行は、憲法は最高法規ではない、道徳律や自然法が上位にある。憲法学は不要だとまで言った。歴代保守政権の自民党の元幹部や憲法学者や歴代元法制局長官までが反対の声を上げている。日本共産党は1月、4つの目標と原則に立った北東アジア平和協力構想を提唱した。立場を超えて立憲主義を護り、安倍の策動をうち砕こうではないか。

5/3憲法集会は、アピールを採択して終わる。パレードは、銀座から鍛冶橋までのコースを行進した。

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《主催者あいさつ》

高田 健(許すな!憲法改悪・市民連絡会)

こんにちは。本日は第67回目の憲法記念日になります。2014年、5・3憲法集会実行委員会から、ご来場の皆さまにごあいさつを申し上げたいと思います。この集会は2001年以来、さまざまな政治的立場の違いを越えた多くの人々の協同で、「生かそう憲法 輝け9条」をメーンスローガンにして毎年開催され、今年は、第14回目の開催となります。

まず、本日の集会にあたりまして、従来にも増して、日本国憲法の根本原則である平和主義のかつてない危機の中で開かれていることを確認しなければなりません。あと10日の後にも安倍首相の私的な諮問機関である、安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会、いわゆる安保法制懇ですけれども、それが報告書を出し、集団的自衛権の行使に関する歴代政権の憲法解釈を変えるという、とんでもない提言をするよう準備が進んでいます。安倍内閣はこれを夏までに閣議決定をし、そして秋の臨時国会には、自衛隊が海外で戦争できるようにするために、一連の戦争準備法制を出すと言っています。自衛隊法、国連平和維持活動協力法、船舶検査活動法、武力攻撃事態法などがそれです。

そして、締めくくりが年末の日米ガイドラインの再改定だというわけです。安倍首相は、なんらの公的機関でもないお友達ばかり集めた安保法制懇、有識者懇談会と銘を打ちながら、その報告書を根拠にして、立憲主義に反するやり方で自らに都合のいいように憲法の解釈を変え、日本国憲法の平和主義を破壊しようとしています。戦後レジームからの脱却、美しい日本、日本を取り戻すなどの美辞麗句を振りまきながら、日本国憲法の平和主義をおとしめるために積極的平和主義を強調する。この安倍晋三政権の下で、日本は再び、軍事力の行使によって、海外で人を殺し、あるいは、殺される国になろうとしています。このことは、私たちの単なる危惧ではなく、現実の危機になっていると思います。今、私たちが、主権者が立ち上がって行動し、声を上げて、安倍政権の暴走を食い止めなければ、この国は再び、アジアの国々と戦火を交える国になるに違いありません。

しかし、一方、この9日にも、衆議院憲法審査会では、7党共同提案という形で、改憲手続き法改正案が採決されようとしています。自民党憲法改正推進本部の船田元本部長は、一昨日、開かれた改憲派の集会で、2年後には環境権の挿入などに限定をした明文改憲をやるとして、明文改憲の意図もあからさまにしています。改憲派や安倍政権がどんなに自らの企てを正当化しようとも、それに反対する声はこの国の多数であります。ほとんどの世論調査の結果が、明文改憲反対、9条改憲反対、集団的自衛権の解釈変更反対です。日本弁護士連合会の皆さまを始め、学者や文化人など、各界の人々、あるいは、保守的と言われる人々までが、そして、改憲派の火遊びでまっ先に戦争の危険にさらされる可能性のある沖縄の人々を始め、全国各地の人々が次々に声を上げています。

だからこそ、安倍政権はまやかしの論理で、懸命にこの世論を改修し、突破しようとしていると思います。彼らは例えば、高村自民党副総裁のように、1959年の最高裁砂川判決まで持ち出して、必要最小限度の自衛権行使には集団的自衛権の行使も含まれるなどと、いわゆる、限定容認論を持ち出して、憲法9条の下で、集団的自衛権の行使を正当化しようとしています。あるいは、安保法制懇の北岡伸一座長ですけれども、憲法は最高法規などではなく、上に、道徳律や自然法がある。重要なのは、具体的な行政法で、その意味では憲法学は不要だとの議論もあるなどと、本当に学者らしからない暴論に暴論を重ねています。このようなでたらめな議論で、憲法の平和主義を壊させるわけにはいきません。最低限度とか、限定的な行使などと言いながら、一旦壁を越えてしまえば、あとは、際限なく広がっていくことが可能なことは、これらの改憲派も含めて十分承知していることです。まさに、まやかしの論理だと思います。

この乱暴な企てに、私たちが立ち向かう方法は世論を起こすこと以外にありません。そのために、私たちは可能なすべての方法を駆使して、行動したいと思います。それは多数の集会やあるいは街頭で、草の根で多くの人々とでもんすと対話を重ね、署名、チラシの配布、新聞や雑誌などへの投書、あるいは、インターネットでの拡散、そして、本日も行います、デモンストレーションだと思います。本日のプログラムに、5・13国会包囲ヒューマンチェーンのチラシが挟んであります。先に述べましたように、この日に安保法制懇の報告書が出されると言われています。平日の昼間です、国会を包囲する人間の鎖を作るのは容易ではありません。この日こそは、ぜひとも国会においでいただきたいと思います。そして、一緒に安保法制懇の報告書はNOだという声を上げたいと思います。

この首都圏の130余りの団体で構成される、解釈で憲法9条を壊すな実行委員会は、今国会のヤマ場である、6月17日の夜にも日比谷野外音楽堂を中心に大集会を予定しています。皆さん、私たちは今こそ、9条の破壊を許さないために、志を同じくするすべての人々が協同して立ち合がるときではないでしょうか。ここにあらためて、5・3集会実行委員会は呼びかけます。本日の集会とその後の銀座でのデモを手始めとして、安倍内閣のこの暴挙への抗議の渦を作り出しましょう。私たちのこの運動は、絶対に負けることができない戦いです。老いも若きも、女も男もこの社会に生きるすべての人々が、平和を願うアジアの人々ともに、力を合わせ、戦争への道に反対しましょう。

大きな共同行動を作り出しましょう。この集会はあと2時間余りの長丁場になります。集会の成功のために、皆さんのご協力をお願いいたしまして、開会のごあいさつといたします。ありがとうございました。

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《スピーチ》

津田大介(ジャーナリスト/メディア・アクティビスト)

皆さん、こんにちは。津田大介と申します。この記念すべき日にお招きいただき、ありがとうございます。
こんな金髪の兄ちゃんが出てきて、と思ってる方もたくさんいらっしゃると思うんですけれども、本業は、僕はメディア関係をフィールドにするジャーナリストでして、J―WAVEですとかCSのテレ朝チャンネル2というところで「日本にプラス」という番組を、毎日平日にやっております。もともと、取材をして原稿を書くという立場なので、憲法の専門家ではないですし、この後、憲法の専門家、青井先生がスピーチされるということなので、法律的な問題点などは青井先生にお任せして、僕はこの数年間、憲法をめぐる動きというものがどのように変わってきたのか、また、それをメディアの報道から読み取れることはなんなのかということをおさらいしつつ、じゃあ、その上でわれわれが何ができるのかっていうことを考えたいと思っております。

まず、今、いろいろな話題あります、冒頭のごあいさつでもあったように、一つはやはり集団的自衛権の話。これまでの政府見解では集団的自衛権っていうのは、自国と密接に関係にある外国に対する武力攻撃を実力をもって阻止する権利を指して、我が国が主権国家である以上、集団的自衛権はある、しかし、憲法9条で許容される必要最小限の範囲を超えるので、集団的自衛権の行使は許されないとされていた。集団的自衛権はあるけど、9条があるのでそれは行使できないよねということが、戦後の日本の政府の公式解釈だったわけですね。それが、日本のずっと基本的な立場ではあったわけですけれども、また、同時に、日本は立憲国家でもあるわけです。立憲主義というのは、国家権力に対して、その権力行使を制限して、憲法に基づいて、すべて国民が縛られて、そして、政治も縛られるということを指すわけですね。なので、憲法が優先されていることによって、集団的自衛権の議論ということも縛られてきましたし、集団的自衛権はあるけど使えないということがされていたわけですね。

そこが、ここ数年変わろうとしてきているわけです。そこで9条を変えようとしました。9条を変えようとしても、なかなか発議要件が厳しくて変えられない。だから、そこの改正要件を定義している内容を変えるんではなくて、改正の手続きを変えようということで、96条を変えようという議論が出てきて。しかしそれに対しても各種の世論調査を見ても分かるように、反発も大きかったということで、さあ、どうなるのか。

じゃあ、これ、憲法改正されないのかなと思ったら、ここからアクロバティックに、憲法の解釈そのものを変えてしまえということが、今、ここ1年ぐらいの大きな集団的自衛権をめぐる流れとしてあるわけですね。そのことに対して、多くの法律家、おそらく青井先生からもそのことについて述べられると思いますが、それに対して、非常に反発が出ています。

また、これ、法律家だけでなくて、憲法学者だけでなくて、自民党の議員からも反発の声が出ています。 小泉内閣のときに、大臣も務められた村上誠一郎議員は、閣議決定で解釈を変えて、それに基づいて自衛隊法を変えるということは、つまり、下位の法律ですよね? 憲法という一番上の法律があって下に自衛隊法があると、それによって、上位の憲法の解釈を変えるという。絶対にやってはいけない禁じ手じゃないかという批判が、自民党の内部からも出てきているっていう状況もあるわけですね。じゃあ、どうすればいいのかっていうことで、これは、結局、実はやっぱり流れとしては自民党が少しずつ外堀を埋めてきていて、2年前の7月の総務会で、国家安全保障基本法の制定を目指すということを決めたんですね。これ、何かっていうと、この国家安全保障基本法っていうのは、国連憲章51条の規定を根拠に、法で集団的自衛権の行使を認める規定を入れるということで、そして、この51条には国連安保理の決議があれば、海外でも武力行使ができるっていう内容が、自民党の目指してる国家安全保障基本法っていうのに入っているわけですね。だから、これはまさに下位の法律を作ることによって、憲法の内容を変えようとしていることで。

ちなみに、自民党が2年ぐらい前から目指している国家安全保障基本法の中には、実は秘密保全法の規定もあったんですね。だから、その秘密保全法の規定もあったってことは、つまり、特定秘密保護法案、今、保護法になりました、そういうものがすべてパッケージとして用意されていて、形を変えて成立をしてきているっていう、そういうように、すべて順序立ててやられてるっていうところがあるわけですね。とはいっても、また、結局、じゃあなんで、改憲論者の方は、この衆参両院の総議員の3分の2以上、厳しすぎるハードルというふうにいうんですけど……。これ、やっぱりおかしな話で、もともと多くの法律っていうのは全会一致で成立するわけですね、消費増税法案なんていうのも3分の2以上で出席されて成立されているわけですから。今まで、結局、改憲が発議されなかったっていうことは、それだけ、この憲法の改正について、広範な合意が得られるようなことがなかった、それは世論調査なんかも含めて見ても明らかだということで、それを強引に変えようとしたっていうことなんですね。

では、今、安倍政権はどうしたかっていうと、まずは、最初、通常の要件に従って改正しようとした。これ、自民党は自主憲法をもともと党が目指していることですから、ずっと変えたいって言っている。しかし、なかなか、3分の2以上を取るっていうことが現実的に不可能になったということで、じゃあ、改正要件だけ変えましょうかということで、96条の改正の話も出てきた。しかし、これも反対が多かった。そして、世論の反発もやっぱりそれは強い。じゃあ、どうしようということで、今、集団的自衛権の解釈を変えることで、この憲法をなんとか動かそうとしている。しかしそれに対してもまた反発もあるということで、今やっていることが、直近の動きですと、先週、自衛隊法など、今年の秋の、もしくは来年の通常国会で、この自衛隊法など関連5法を変えるということで、それによって、集団的自衛権の解釈改憲について、もう先に下の法律を変えてしまうことによって、外堀を埋めていく。ここまで下の法律変わったら、憲法の解釈って変わりますよね? っていうことをやろうとしている。そういうちょっと姑息なやり方というか、筋が通らないやり方で、憲法の解釈を変えようとしているっていうのが、直近のこの集団的自衛権をめぐる状況ということが言えると思います。

そうなると、今、自民党が変えようとしているもののストッパーはどこにあるのかということ、もう、公明党なんですね。かつては自民党内でも、こういう議論に対しての反対意見も多かったんですけど、今、非常に少なくなってきている。となると、公明党ですね。公明党との綱引きが大事ではあるわけですけれども、しかし、こういうことで、外堀がどんどん埋まっていくことで、公明党もどこまで踏ん張れるのかっていうような問題が出てきてるっていうことですね。

先ほどの話に戻りますけれども、この話っていうのは、じゃあ、なんで解釈改憲が出てきた? ポッと出てきた話ではないんですね。ずっと、これはもう第一次安倍内閣のころから、政府の有識者会議、安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会ということで、方針が示されているっていうことで。ただ、実は第1次安倍内閣の有識者会議と、第2次安倍内閣の有識者会議で内容も変わってるんですね。実は、2008年の第1次安倍内閣のときの有識者会議の報告書ですと、集団的自衛権の行使っていうのは、基本的には、絞ると。これ、-公海上のアメリカの艦隊の防護、もしくはアメリカ向けの可能性があるミサイル、それを迎撃する。もしくは、PKOなど、他国軍が攻撃されたときの、駆けつけて警護する、海外での支援活動の拡大っていうことで、それの四つの類型に絞ってたんですね。2008年の時点では、その4つの類型に絞って集団的自衛権ってのを考えようという、ある意味、限定した話だったことだったんですけども、その後、安倍政権が倒れて、後任の福田首相になった途端で、解釈変更っていうことに対して、福田元首相が消極的な態度を示したので、実は、この集団的自衛権見直しの機運っていうのが一気にしぼんでしまって、なかったことになったんですね。

大事なのはここからで、今回の第2次安倍内閣の懇談会では、この4類型に絞る必要はないってしたんですね。情勢が前より切迫しているから。尖閣の問題もあるからっていうことなんでしょう。ということで、北岡伸一座長代理が専守防衛は殴られるまでは絶対に反撃しないということではない。切迫しているときはもう防衛発動できるっていうことで語ってですね。自衛のための攻撃も検討課題に挙げているっていうことなんですね。このとき、実はこの北岡座長代理が重要なこと述べていて、アフガニスタン、そして、イラク戦争、あれも自衛隊参加の対象になるっていうことを明言されたっていうことで、言ってみれば、そこに今、議論されているその4類型に絞られないような、イラク戦争に参加するっていうとまったく違いますからね、そこの一つの本質があるっていうことなんだとは思います。

同時にいろいろあります。一昨年から、国連総会で核兵器を非合法化する努力っていうことを促す、NPTですね、核不拡散条約で、これに対して共同声明で日本も署名してくれていうことが、国連からずっと求められているんですけども、これ、日本が、日本はアメリカの核の傘の下にいるから署名しないっていうことを言っているんですね。ただ、南アフリカはすごい、これを参加してくれっていうことで、かなり日本に促していて。こういう核不拡散条約の共同声明っていうのには、被爆国の参加こそが重要だろうっていうことで、かなり文言なんかも気を遣って参加しやすいようにしてくれたんですけど、最後まで参加しなかったっていうことで。演説で日本は唯一の戦争被爆国だということをよく述べていますけれども、そういうことを述べている安倍首相は、なんでこれには署名しないのだ? っていう、やっぱ、問題もあるんでしょうと思います。

そして、もう一つ重要なのが、その流れで今できている、特定秘密保護法案だと思います。これは、特定秘密保護法案、たくさんいろんな問題もあります。それについては、メディアの報道などで皆さんご存じだと思いますけれども、直近の話題で言いますと、ようやく最近、明治時代から始めて内閣が発足して、憲政史上初、議事録を公開っていうふうにしていますね。これは、報道でも大きく報道されましたが、これって、政府の今まで秘密だった会議がオープンになる、これ、前進じゃないかって考える人ももしかしたらいるかもしれないですけど、実はそんなことはなくて、むしろ後退なんですね。どうしてかっていうと、これ、特定秘密保護法案が妥結するときに、自民党と公明党で取り決めをしてるんですね。そのときは、公明党がとにかく知る権利を明記してくれ、そして取材の自由を配慮してくれ、そして、秘密指定基準の妥当性を検討する有識者会議を設置してくれ、そして、情報公開制度に関する有識者会議を設置してくれ、そして、閣議などの議事録を公文書管理法を改正してちゃんと義務付けるようにするっていうことで、それで妥結して。

有識者会議は確かに作られたんですけれども、これ、結局、法律、公文書管理法を変えないで閣議決定だけで一応公開するってやったわけですね。しかも、現行法の枠組みで、これ、やってるだけなので、そうするとどうなるのかっていうと、閣議で決まったことっていうのは、たまたま、じゃあ、これは出してもいいよっていう情報を内閣の裁量で勝手に出すか出さんか決められるんですね。もっと言ってしまうと、法律で、これを義務付けてないので、そうすると止めようと思えばいつでも止められるっていう枠組み。しかも、国家機密なんかも含めて、機微に触れる情報は黒塗り、もしくは不開示理由を示して出すっていうことで。しかも、出されるまでは3週間と遅いっていうことで。実はそういう政権与党同士の中で成立するときに約束したことも守れていないっていう状況もあるわけですね。

こういうふうに、国家が情報を隠そうとする姿勢があるから、これ、特定秘密保護法案を進めるのには何かあるんじゃないかっていうふうに勘ぐられる部分もあるんだと思います。もちろん、当然、国家として守らなきゃいけない情報がたくさんあることは事実です。それはやはりなんらかの手立てで守られるべきでしょう。しかし、それだけではなくて、それはやはり解釈がいくらでもあいまいにできて、それにやっぱり加えて、公務員が都合のいい情報だけを秘匿するような、そういう立てつけになっているっていうことは非常に問題でもあると思います。

こういった問題の運用を考えるときに、憲法とも関わってくるんですけれども、何かを制限する法律ができるっていうときには、法律ができた後すぐ運用されるわけではないっていうことなんですね。実は、まったく秘密保護法案と関係なさそうなところでですね、2004年、10年前に、刑事訴訟法281条っていうのが改正されたんですね。それ、どういう内容だったのかっていうと、裁判で、被告や弁護人は検察官が裁判のために準備した証拠のコピーを目的外に使用してはならないっていうことを言ったんですね。だから、裁判をやるときの証拠というものを、実は裁判以外で使っちゃいけないよっていうことを決めた法律なんですけれども、これ、どういうことになったのかというと、この法律が変わったことによって、裁判がメディアで報道されることがすごい少なくなったんです。弁護士が被告と、いろんな刑事裁判とかでやっているときに出した証拠っていうのを、告発するときにメディアに情報を流して報道するっていうことがすごく多かったんですけど、これによって、結局、報道っていうのはすごくしにくくなりました。実際に、じゃあ、そういうメディアに対しての、メディアの報道っていうのは公共性があるから、裁判から入手した証拠をメディアで使うことは問題ないだろうっていうふうに、実際に法ができたときにはみんな言ってました。

しかし、どうなのかっていうと、昨年事件が起きました。大阪で起きた殺人事件で、NHKの取り調べの映像がきっかけで無罪になったのがあったんですね。それが、取り調べがちょっとひどいっていうことで、それをNHKがスクープしたんですけれども、その取り調べの映像っていうのは、裁判で使うものだったんですね。その取り調べの映像を裁判で使うっていうことで、NHKの大阪がそれをスクープとして報道したら、検察が怒って、この刑事訴訟法違反だろうっていうことで告発したんですね。というように、もう10年たって、そんなふうには使われないよって言われたことが使われるっていうことなんですね。実はだから、これは、2004年に権力側に与えられた武器っていうのが、そういった法ができたときの想定の範囲を超えて、数年後に使われるっていうことが起きるっていうことですね。

憲法に話を戻しますと、憲法っていうのは当たり前ですけど、重要で、重要であるがゆえに、やっぱり正面突破で大きく変えていくことが難しいということでもあるんだと思うんですね。だから、今の安倍政権っていうのは、第一次に種をまいたことも含めて、今、法律家から反発を招いてでも、日本国憲法を今、実質的に換骨奪胎するようなやり方で変えようとしているんだと思います。無理を通せば道理が引っ込むっていう言葉がありますけれども、まさに今、政権がやろうとしているのはそれなのかなと思います。やはりそれは、その姿勢に対して、日本国憲法を変えるべきだ、改憲論者の人でもこのやり方は筋が通らないって言って否定する人も多いっていう状況ですね。

だから、僕はあまりあおったことを言うのが好きじゃなくて、例えば、今、安倍政権がやってることを含めて、じゃあ、これで安倍内閣は戦争への道を突き進んでるみたいな断言すること、それには抵抗があるんですね。なんでかというと、そういう物言いをすると、普通の人が引いちゃうからですね。いや、そうは言っても、中国とか本気で尖閣諸島に侵略してくるかもしんないし、いざというときに対処できるようにしとかなきゃいけないじゃないっていうふうに思ってる人たちにどうやって、言葉を届かせるのかっていうことが、僕はすごく大事だと思っていて。いや、そうではなくて、日本は今、戦争の道をひた走っていますっていうふうに言うことも大事ですけど、それだけではなくて、いや、そうじゃないんだよと。結局、日本は今、集団的自衛権の解釈変更っていうのは、別に、中国が攻めてきたときに守れないというわけではなくて、これが変わったら、イラクとかアフガンに自衛隊が行くかもしれないという話を教えることだったりとか、特定秘密保護法案っていうのは、防衛の重要な秘密を外に出さないだけじゃなくて、官僚の自分たちの不祥事隠しにも使われるんだよみたいなことを、淡々と指摘していくっていうことが重要なのかなと。

憲法改正をめぐる状況っていうのは非常に厳しいとは思うんですけど、僕は過度に悲観することもないし、悲壮的になる必要もないかなと思っています。これだけ、安倍内閣、支持率が高くても、しかし、個別の問題の是非を世論調査すると、やはり憲法改正、そして原発再稼働も含めたいろんなものが、ほぼ反対の方が上回っているからですね。なんとなく、今、経済がうまく回ってるように見えるから、消極的に支持しているっていうことが現状なわけで。今回のこの2回の国政選挙でも、自民党に票を入れた得票者はほとんど変わってないわけです。野党が勝手に分裂して自民党を勝たせたっていう言い方もできるわけで。だから、深刻っていう言い方もできるんじゃないですかね。

この憲法集会、非常にこれだけの人が集まるほど重要ではあるんですが、やはりまあ、これと同時に、ほんとは、どうやったらリベラル勢力というものがきちんと細かい差異を乗り越えて大同団結できるのか、そういうことも同時にやっていくべきなんじゃないかなと思います。

そしてやっぱり、最後に僕が言いたいのは、これ、ジャーナリストの大谷昭宏さんが言ったことですけれども、この特定秘密保護法案みたいなものが成立したことで、ジャーナリストにとっては、とてもやっぱり大きな挫折でもあると。だけれども、あれは敗北ではない。むしろ、ここからが闘いの始まりなんだっていうふうに大谷さんがおっしゃっていました。確かにこれで、権力側にとっては武器が与えられた、でも、武器が与えられても、その刀を抜かせないっていうことが大事だろう。抜かせないことを、法律ができたからすぐ暗黒時代に突入するわけではなくて、どんな法律があっても捕まる覚悟があってリークする人も出てくる、そういう人をどう守っていけるかっていうことですね。

だから、憲法改正論議にしても、まずはやはりここは短期、中期、長期、いろいろな形でどうこの論議を遅らせていくのかっていうことも大事だと思います。例えば、やはり、安倍政権が倒れたときに福田さんになって集団的自衛権の解釈がストップしたように、いろんなやり方があると思います。そのためには公明党に時間稼ぎをしてもらうっていうこともあるでしょうし、彼らはいろんなやり方で新しい武器を調達してくるわけです。でも、われわれがやらなきゃいけないのは、その武器はなんだって、そんな武器持って発砲するつもりだろう? って言うだけではなくて、そっちがその武器抜いてくるんだったらこっちも黙ってないぞって言って、やっぱ殺気を放って抜かせないようにするっていうことなんじゃないかなって思います。

とにかく、ほんとに重要なのは、ここから数年間だと思います。この集会がきっかけになって、今のゆがんだ憲法改正論議が良い方向になるということをまた、覚悟を持った皆さまの力でそうしていくということを期待して、スピーチを終わろうと思います。ご清聴ありがとうございました。

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《スピーチ》

青井未帆(学習院大学法務研究科教授)

皆さん、こんにちは。学習院大学法務研究科教授の青井と申します。本日はお招きいただきましてどうもありがとうございます。皆さま、ご案内の通り、安倍政権が今、成そうとしていることが、憲法を改正することなく集団的自衛権を行使、解釈によって容認しようということでありますけれども、私は今日、憲法研究者といたしまして、これを立憲主義という観点からちょっと考えてみたいと思っております。

ついこないだ、立憲デモクラシーの会というのが設立されまして、私も呼びかけ人の1人なんですけれども、ここの中には憲法学者も含まれておりますけれども、政治学者も含まれていて、あるいは、人文系の先生方もおられる、中には改憲に反対であるという方も含まれています。ここが一点で集まっている会なんですが、それは何かというと、今の政治のやり方はおかしいと、やっぱり、立憲主義あるいはデモクラシー、民主主義という観点から、おかしいと、この一点で集まっているものであります。

さて、立憲主義というのは、なんだか、ここ数年急に広まったような感のある言葉でありますけれども、皆さんもちょっと前まで、あまり立憲主義と知らなかった方多いんじゃないかと思います。ただ、言葉で知っていなくとも、何か感覚として、政治はなんでもできるわけじゃない、何か限界があるんだという、そういう感覚をお持ちの方は、大多数だと思います。私はそれが立憲主義の意味であって、この感覚に根差したところで理解するっていうことが、非常に重要であると。

最近よく言われるようになったことっていうのが、憲法は国家を縛る法であるということなんですけれども、国家を縛ると言いましても、国家っていうのは目に見えるわけではございませんので、縛るというのは一体どういう意味なのか、なかなか分かりにくいところ。例えば、それ、先ほど津田さんが、道理という言葉使われましたが、無理を通せば道理が引っ込む、ここに言うところの道理というように理解すればいいんじゃないか、あるいは、日本だと、おてんとうさまが見ているじゃないかといったところの、おてんとうさまとかですね。私は、ノリと言ってるんですが、ノリといったら海の海苔と間違えられやすい言葉なんで、どの言葉を使えばいいか、道理がいいのかなとも思うんですけれども、何かやっちゃいけないことがある、政治といえどもやっちゃいけないことがある。

しかしながら、この感覚が、今政治ですごく弱まってるんじゃないかと。ここに危機感を覚えるわけであります。例えば、理念を語るだけで国が守れるのかとか、法律の中で重要なのは行政法であって、憲法はいらないとか、憲法学者はいらないという説もあるというようなことを、国の中枢におられる方がおっしゃったりとかですね。あと、ネットなどを見ましても、私もよく言われるんですが、頭がお花畑、笑笑と、いうようなことまで言われてしまってですね。頭がお花畑というのは、誰がどう聞いても褒め言葉じゃない、これ、笑われているんだなというふうに思うんですけれども。これっていうのはやっぱり、法を軽視している、憲法を軽視していると言わなくてはなりません。これがおかしいと。憲法を軽視すること、これがあってはいけないというのが、本日申し上げたいことです。

今、やっちゃいけないというふうに申し上げましたけれども、危険なことでもあると。これがいかに危険であるのかというのは、私が思うところ、国民にとっての危険でもあるし、政治にとっての危険でもある。なぜならば、立憲主義とか、法律とか憲法によって政治をコントロールするというのは、私たちにとっても自由を守ることではありますけれども、国家にとっても統治で拠り所となるところのはずなんですね。ここが壊されようとするときに、場合によっては、すごく赤裸々な形で、あるいは生の権力、生の決断というところで出てきてしまう、これをうまく制御できるっていうのは、よほどの力がないとできない。今の安倍政権にそういうような力があるのかと。今の安倍政権だけじゃなくてもいいんですけれども、これまで日本の政治を動かしてきた政治にそれだけの力があると、私たちは安心していられるのかと。いられないじゃないでしょうか。そこで、その立憲主義っていうのが、知恵であるということをもう少しお話し申し上げたいと思っています。

さて、立憲主義の考え方、立憲民主主義の考え方というのは、政治を二つの観点から眺めることだと理解すればよろしいんじゃないかと。一つは短期的な政治なんですね。今、必要なこと、今、経済をよくすること、あるいは2~3年後の日本をよくすること、あるいは、ここで間違った政治を行わないこと、こういう短期的に政治を行うにあたりましては、民主主義の観点がすごく重要ですよね。民主主義という言葉もこれまた難しい概念なんですけれども、よく言われるのが、人の頭を割らないで数えると。為政者の側からいたしますと、非常にうるさい国民というのは、できることであるならば口をつぐんでしまいたいと。これを「頭を割る」というようなことでも表現するんですが、そういうような人も含めて、多くの人が納得できるもの、これに支えられて政治を動かしていこうというのが、民主主義、デモクラシーというような考え方ですよね。これは、結局のところ、決め方の理屈なんですよね。どうやって、今、必要な決断をするのか、誰か1人が恣意的に決めることがあってはいけない、多くの人が納得するというような、民主的な正当性。みんながこれを納得しているということを中心に決定するわけですから、多数決という論理が使われるわけです。

しかしながら、多数決で全部やっていいのかと、もちろんそうはならないわけですよね。最近、記憶に新しいところで言うならば、例えば、小泉政権で郵政解散がされたとき、これに反対する人、賛成した人、皆さんの中に、反対された方結構多いと思われますけれども、その賛成、反対ということとは別に、国民の世論が湧きましたよね。すごく期待する動きもあれば、これに大きく反発する動きもあるというように、世論がすごく動きました。そして、自民党政権から民主党政権に変わったというときも、大きく世論が動きましたよね。これは大事なことでもあると思うんです。政治ってパッションがないといけませんので、政治はこうしたいというような目的がなければうまくいかないことですから、重要なことではあります。

しかしながら、決して多数者となれないような人たちっていうのはいるわけですよね。少数者、これを多数者のいいように任せておいていいのかと。これがいけないというのが、憲法で人権をうたっていることの意味。つまり、短期的な普段の生活とは別に、中長期的な、すごく長いスパンで、国民、今、生きている私たち、それから将来の私たちの自由がよく守られるための仕組みを作ろうじゃないかと。その仕組みの中で政治を行っていこうじゃないかと、これは、立憲主義であって、その長い長い長期的なスパンで考えているところが、憲法、立憲主義ということになります。だから、それは今必要だから変えるとか、そういうことにあまり馴染まない。中長期的なことについては、今の状況だけではなく、将来的な状況、次に生まれてくる子どもや孫の世代ということも考えて自由が守られるためにはどうしたらいいのか、慎重にも慎重を期す必要があり、今の先進国と呼ばれるような国では、硬性憲法、普通の法律を作ったり改正したりするよりも厳しい手続きが取られています。

日本国憲法は96条というように、この96条というのも、あんまり知られてなかった条文なんですけれども、あっという間に知られるところになりまして、不思議なもんだなと思いますが。ちなみに、安倍さんっていうのは、第96代の首相ですので、なんか関係があるのだろうかというような気もいたします、それはどうでもいいんですけれども。96条によりまして、国民が投票する前に、一度国会が発議をする、国会が発議をしてから国民の過半数が承認をすると、結構厳しい手続きが取られております。で、集団的自衛権の行使、これは中長期的なところに、まさに関わるところですよね。恒久平和主義となぜうたわれているのかというと、再び政府の行為による惨禍が起こることのないようにと。再び戦争が起こって、私たちが塗炭の苦しみを舐めるというようなことがないようにという仕組みの問題ですから、これはそれこそ、ちゃんと考えて、今の私たち、皆さんのお子さん、お孫さん、そしてその先の方々というところまで含めて、ほんとに日本はどういう社会を作っていくのか、これからあるべき日本の姿はなんなのか、これを考えなくちゃいけないわけでして、当然、憲法改正という手続きを踏まなくちゃいけない。

これを憲法改正手続きを無視したとすると、なんで96条があるのかという話にもなる。一内閣がやっていい話では決してない。集団的自衛権を行使容認できるようにすると、結局のところ、9条の意味を無くすということになりますので、こういうような政治権力の行使をするのはいけないと。そういう政治が信じられるのかということにもなるわけですよね。9条っていうのは、他の国、特に憲法9条の2項、陸海空軍、その他の戦力はこれを保持しないと定めている条項は、他の国には類を見ないような条項です。ということからすると、あれは単なる理想なのだと、解釈できないことはなかったと思うんですね。確かに、制憲議会で吉田首相の答弁があったからということがありますが、なんだかんだと理屈をこねくり回すというようなことで、あれは理想だということはできないはずはなかったんだと思うんですね。しかし、今まで、ずっと日本国憲法9条は政治を縛る力があるということを前提にしてきたわけですよね。これって、実はすごいことだったんだろうと思います。憲法9条というのが、政治を縛る法であるということを前提にこれまで来ているのに、いや、あれは法ではないと言うような改革を、変えてしまうということはおかしいと言わざるを得ません。

それは、いくら私が最高責任者だということを言っても駄目なんですね。駄目なものは駄目だと。最高責任者だということを言いさえすればなんでもできるというんであれば、それは短期的な政治ですむわけですね。短期的な政治っていうのは、その人に責任を取ってもらって、駄目だったら首を変えていただくということで済むわけですけれども、中長期的なところっていうのは、責任者だということが通じないからこそ、中長期的な観点に立たなくちゃいけないというところですね。これは、ほんとに政治家の方には深く深く反省していただきたいと思うんです。

憲法はなぜあるのかと。憲法はいらないというふうなことを言う人がいるくらいですから、なんでいるのか考えてくださいって言っても、スルーされてしまうのかなということを感じるわけなんですけれども。決して、憲法が要りませんということは、公にはできないですよね。これを国際政治、国際社会の中で、いや、憲法よりも行政法の方が重要ですからという、仮に、首相が言ったとするならば、これは信頼を失うこと請け合いです。まったく先進国の首相が言うようなことではありません。ただ、もうすでにアメリカのある新聞によって、安倍首相のコンスティテゥーショナリズムは間違っているというようなこと、社説で書かれてしまっておりますので、この辺りは、今、瀬戸際的に信頼ができるかどうかというところにも関わってくるはずであります。

そこで、考えてみますね、集団的自衛権が行使できることになる、そのお話がリアルの現実に根差して話されているのか。4類型とか、なんとか類型っていうのは、柳沢さんもご指摘されているように、アンリアルなんですよね。本当に日本の上、飛んでいくんですかとかですね。そういうようなところで、そもそも、お話として間違っている、アンリアルなところで進んでいるわけなんですが。ただ、集団的自衛権が行使できるということになりますと、当たり前のことですが、これ、リアルな問題なんですよね。つまり、私たちが、あるいは私たちの子どもが孫が、他の国の戦争に加担することにもなる。

で、集団的自衛権っていうのは、他の国を守る自衛だという説明はされるんですけれども、その自衛権の行使を受けた国の側からすれば、まさに日本が攻撃をしてきたということになるわけですよね。そうしたときに、日本にはたくさん、原発がございますけれども、まさに、私たちの生活に大いに関わってくる。そして、日本はこれまで67年間、日本国の名において、他の国で、外国の市民も含め兵士も含め、殺してきていないんですよね。殺されてきてもいない。これはすごいことですよね。誇るべきことであります。ここが問題となるんですよね。イラク戦争、アフガン戦争のときに、棺の中にだいぶアメリカの若者が入れられて、輸送機で運ばれてアメリカに帰ってくるという映像を私たちも見ました。同じような状況が起こったときに、私たちの心に直接訴えかける問題ですよね。こういうことを私たち、受け止められるんだろうか、これが日本のあるべき姿だと言えるのだろうか。誇るべきことだと先ほど申し上げましたけれども、ほんとにすごいことですよね。

しかも、自国民に銃を向けたことがない、自衛隊がですね。これ、他の国の軍隊を見たときに、自分の国の市民に銃を向けるということは、これは残念ながらよくあることであります。他の国の軍隊は、当然のことながら、いざとなったら人を殺すということを前提にしている。でも、日本の自衛隊に入る、私の教え子等でもですね、自衛隊に入りたいというふうに言ってる学生、なぜ自分が自衛隊に入りたいのか、災害のときに、他の人を助けたい、あるいは、国際的な救助活動等も含めまして、国際貢献したいという学生、すごく多いんですね。自衛のためということを当然の前提にしている。ここまで浸透してきていることが、自衛のためではなく他衛のためだというような、根本的な考え方を転換するにあたって、本当にこれが私たちの望む日本なのか、進んでいく社会なのか。これを私たちの、多くの納得、あるいは、覚悟というものなしに変えてしまうことは、自衛隊員の方々にとっても大きな不幸ですよね。そしてまた、私たちや私たちの子どもや孫たちにとっては、それこそ、自分たちの生命、身体、財産にも関わることなのであります。

そういうことを考えると、殺し、殺されるというような価値観への展開、納得とか合意とか覚悟がないと絶対にいけないことなのに、今、そういうリアルなことって語られていないんですよね。どのぐらいのリスクを負わなくてはいけないのかと、リスクという言葉は私、こういう場合において好きではありませんけれども、国会議員の中でそういう言葉を使っている方はいらっしゃいます。リスクという言葉で国会議員の方、把握された内容っていうのは、私たちにとっては生活そのものですので。政治にとってはリスクかもしれませんけれども、私たちの生活そのものをリスクを越えて、私たちの心の問題として、政治でぜひ、考えていただきたいと思っています。

実際、今年の各種世論調査、だいぶ、改憲に反対するっていう人たち、増えましたよね。それから、武器輸出3原則が転換されてしまいまして、防衛装備3原則という名に変わってしまいましたけれども、各種世論調査によると、これについても反対が多い。つまり、みんなまだ納得していない、集団的自衛権ということを含めまして、私たちが今、考えなくちゃいけないのは、あるべき日本の姿であり、あるべき日本の外交の姿で、平和の形であると。こういうことをまったく無視したまま進められている今の政治というのは、おかしいと言わざるを得ない。このことを申し上げて、私のごあいさつと申し上げたいと思います。どうもありがとうございました。

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第85回市民憲法講座

安倍政権は子どもたちの教育をどうするつもりなのか

俵 義文さん(子どもと教科書全国ネット21事務局長)
(編集部註)4月19日の講座で俵義文さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。

歴史歪曲を公約に掲げた極右の第2次安倍政権

私が改めていうまでもなく、安倍政権はまさに極右政権だと思います。安倍晋三という政治家自身が、ヨーロッパの基準でいえばまぎれもなく極右政治家ということができると思います。「村山、河野談話見直しの錯誤」という本を、林博文さんとか渡辺美奈さんたちと作りました。ここに私が書いていますが、イギリスの新聞「インディペンデント」東京特派員のデイヴィッド・マクニールさんという人が、安倍首相について「彼は戦後制定された憲法や、戦前よりはるかにリベラルな教育制度を変えようとしています。これは保守というより欧米の概念ではむしろ極右とみなすべきでしょう。」と指摘しています。神道議員連盟という、憲法を変えて明治憲法体制に戻して、天皇を中心とした「神の国」に日本を変えることを目指している議員連盟があります。いま会長は安倍晋三さんです。その安倍政権には、この議連のメンバーが大臣の87%を占めています。靖国議連も同じくらいいます。何よりも日本最大の右翼組織である日本会議と連携している日本会議議員連盟に所属する大臣が、7割以上という政権です。

そもそも自民党という政党自体が保守政党ではなくて、右翼政党あるいは極右政党に成り下がったと私は見ています。欧米では歴史を歪曲することを歴史修正主義といいますが、この歴史修正主義・レビジョニズムは極右の考えであるとみなされるわけです。自民党は選挙公約の中で、戦後補償問題とか「慰安婦」問題で、日本は事実に反していわれない非難を受けていると書いています。でもこれらは歴史的事実です。

たくさんの戦後補償裁判があり、「慰安婦」の問題でも、裁判では補償を勝ち取れませんでしたが、南京事件、「慰安婦」、強制連行、強制労働、これらについて裁判所は事実認定をしています。それに対して、自民党は歴史的実ではない、いわれなき中傷、誹謗だといっている。つまり歴史の修正・歪曲を選挙公約に掲げた政党です。だからこそ保守政党時代の、私たちが自民党の中でも右翼ではないかと思っていたような山崎さんとか、日本遺族会の会長をずっとやってきた古賀さんとか、こういう人たちが今の安倍政権に対して危惧を表明し批判し反対しています。

「戦争をする国」のための安倍「教育再生」政策

この安倍政権が誕生して1年5か月になります。この間、安倍さんは日本を企業が世界で最も自由に活動できる国にすると主張してきました。大企業や多国籍企業のための政策を推進する。これがアベノミクスの本質ですけれども、もう一方では、最終的には憲法を変えて日本を戦争する国にしていくんだということです。彼は昨年、明文改憲を目指して政権を発足させたわけですけれども、それはすぐにはできないと96条をまず変えて、改憲手続きを3分の2ではなくて2分の1にする。その上で9条をはじめとした憲法全体を自民党の憲法草案のような内容に変えていこうとしました。けれども、これも大きな批判を受けて頓挫をする。今は、解釈を変えて集団的自衛権の行使を可能にする。米軍と一体となって自衛隊が世界のどこでも戦争する、あるいは多国籍軍と一緒になって戦争ができるようにすることを目指しているわけです。

憲法の問題と同じくらいの重点を置いて安倍政権は教育政策を推進しています。憲法については最近の世論調査を見ても安倍政権にとって厳しいところがあります。しかし教育の問題は、世論は私たちが思うほどには高まっておらず、彼が言うところの教育再生政策を強引に推進していくと思います。

安倍政権が掲げる教育再生政策は、大きくいって2つの柱、2つの内容で進められています。ひとつは新自由主義的な教育改革。多国籍企業が世界に出て行って競争にうち勝つための人材を作るというのが一つの柱になっています。1%のエリートを育てる。いま小学校1年生の生徒数は110数万人ですから、エリートが1%とすると1万人ちょっとになります。あとの圧倒的多数は非正規労働者として、どんな仕打ちを受けても不服も言わないし反乱も起こさないでエリートに従っていく、大企業に従っていく、こういう人間を作っていくのが教育政策の一つの柱です。

いま「人材」といいました。自民党の文書でも教育再生実行会議の文書でも文科省の文書でも、最近は「人材」なんですね。つまり彼らが考える教育というのは、人間を人間としてどう育てて行くかという人間教育ではありません。人材ですから子どもたちをモノと見て、自分たちが必要な材質に作っていくというのが、自民党あるいは文科省の教育政策といっていいと思います。そういう人材育成が一つの柱です。もう一つが、まさに戦争する国の人材を作るという問題です。自民党は自衛隊を国防軍にするといっていますが、その国防軍の兵士と、兵士を支える人たちを作るのがもう一つの柱だということができます。

戦争する国の兵士とそれを支える人材を作るためには、この人たちの意識あるいは歴史認識、そして安倍さんたちが強調するところの愛国心を叩き込む。そういうものを植え付けなければ、戦争に進んでいく、あるいは戦争を支持しそれを支える人を作れないと思います。そのことを非常に端的に言っているのは教育委員会改革で、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」――地方教育行政法と略しますが、この一部改正法案がすでに国会に出されて、衆議院の文部科学委員会で審議が始まりました。

自民党のトップバッターの質問が義家さんでした。彼は、いま改憲手続法が国会で審議されていてこれが通る、そうすると18歳から投票権が付与される。18歳というのは高校3年生であるが、今の高校生に対する現代社会あるいは政治経済の教育はまったくなっていない。高校生たちが国防の義務などを自覚するような教育がされていない。4年後には18歳に選挙権が与えられるが、日本には徴兵制がないから義務をきちんと学ぶような教育をそれまでにやらなければならんのだ。4年しかない。こういうことを彼は国会で言っていますね。

もう一つ彼は集団的自衛権の問題を持ち出して、この地方教育行政法の審議が拙速だ、議論が足りないという意見があるけれどもそんなことはない、集団的自衛権について何年も前からやってきた。同じように地方教育行政法についても教育委員会の問題についても何年もやってきた。十分議論は尽くした。だから集団的自衛権ももうやっていい、と文部科学委員会の中でいうわけです。ここに彼らの教育の狙いが端的にあると思います。

国定教科書をめざす教育再生政策

教育政策の中で今いくつかの柱があります。ひとつは何と言っても教科書です。彼らは教科書を変えたいとずっと言ってきました。高校の日本史の教科書では1、2を除けばまだ南京事件を一応やることになっています。強制連行、強制労働、植民地支配などもまだ書かれています。中学校の歴史教科書には「慰安婦」はなくなり、だいぶ後退しています。高校は採択が学校ごとなので、ちょっと怪しくなっていますが、まだ歴史の事実がきちんと書かれる内容になっています。

それに対して自民党や安倍首相は「自虐史観」であり、偏向していると言ってきました。例えば昨年の4月10日に衆議院の予算委員会で教育問題の集中審議が行われました。予算委員会はNHKテレビが入りますから、昨年9月末に文部科学副大臣になった西川京子さんがその予算委員会にパネルを持ち込んで、教科書が偏向している、教育が偏向しているということをやりました。彼女が言ったのは山川出版の高校教科書――山川の歴史教科書は高校生の6割が使っているガリバーな教科書です――この教科書の南京虐殺事件が偏向記述である、事実でないことが書いてあると言っています。実は山川の教科書は、日本会議が作っている明成社版を除けば最も保守的な、文科省寄りといわれている教科書なんですね。それでも南京虐殺事件は書いています。ただきわめて控えめに、事実を数行で書いているに過ぎません。これを攻撃するわけですね。

彼女はこう言いました。安倍さんが事務局長として97年につくったのが「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」、今は「若手」を取った教科書議連です。一時期、彼女が事務局長をやっていたときに南京虐殺事件について調査をして、あれは事実ではないことが明らかになった。確かに日本が南京を占領した時に南京で戦闘行為があり、それによって死んだ人たちがいる。しかしあれは通常の戦闘行為であって、虐殺というようなものではないことが自分たちの調査で明らかになった。そのことを何年も前に記者会見をしたのに、いまだに南京虐殺事件が教科書に載っている。これはけしからんとやったわけですね。

彼女は私立中学校の入試問題が偏向していると、フェリス女学院、立教女学院、湘南白百合学園、田園調布学園、栄光学園などの入試問題をパネルに書き出して言った。どうってことないことが書いてあるんですけれどもね。中学の入試問題は小学校6年生が受けるわけで、いたいけな子どもたちにこんな偏向した入試問題を出していいのかと。こういう例にみられるように、教科書がなぜ偏向しているのか、それは教科書の検定とか採択制度が悪いからだ。この制度を変えなくてはいけないと言っているわけです。

変えられた教科書検定基準

2012年、当時まだ自民党は野党でした。その年の3月27日に文部科学省が前年の高等学校の検定を公開しました。この教科書について4月10日に自民党の文教部会と教科書議連が合同会議をやって、文部科学省の検定関係の役人を呼びつけました。八木さんが理事長をしている育鵬社版の教科書を作った日本教育再生機構のメンバーもどういうわけかその会議に出て、彼らが分析した日本史教科書の問題点を報告しています。その会議で安倍さんは、自分が総理大臣の時の2007年に、「慰安婦」強制連行はなかったということを閣議決定したし国会でもそのように答弁をした。それから何年もたっているのに、なぜいまだに慰安婦が教科書に載っているのか、なぜ検定でそれを修正させないんだということで、文科省の役人を叱ったといわれています。文部科学省は、検定では事実である限り修正できないと言ったそうです。

そうすると、修正できるように検定制度を変えなきゃいかん、修正できないのであればそういうことを教科書に書いて検定に出さないようにする必要がある、ということが彼らの課題として言われるようになります。安倍さんが2012年9月26日に自民党総裁になって、すぐ党内に教育再生プロジェクトを作れという指示を出します。下村博文さんを本部長にして10月下旬に教育再生実行本部が立ち上がります。5つの分科会を設けて29回の会合を分科会・全体会を持って、11月21日に安倍首相に中間とりまとめを出します。その中でも教科書の検定採択制度を変えることを主張していました。それを受けて、安倍さんの懐刀、萩生田光一という八王子選出の超右翼の国会議員が主査をする教育再生実行本部の教科書検定制度の特別部会が、昨年6月に中間まとめを出します。それに基づいて昨年11月に下村文部科学大臣が、教科書改革実行プランを発表しました。教科書の編集、検定、採択までいかに改革するかというプランを発表しました。私たちに言わせればいかに統制するかということです。

こう書いてあります。「バランスよく記載され採択権者が責任を持って選んだ教科書で子どもたちが学ぶことができるよう教科書の編集、検定、採択の各段階において必要な措置を講ずるとともに各手続きを積極的に公表していく」ということです。これに基づいて文部科学省が社会科教科書についての検定基準の改定を12月25日に発表します。30日間のパブリックコメントの期間を3週間に短縮して1月14日で終わらせて、3日後の1月17日に検定基準の改定を原案通り告示しました。パブリックコメントでは6500の意見があって、1月21日に文科省と交渉した時には文科省は精査していないというんですね。でもざっと見ると3分の1が反対で3分の1が賛成、3分の1がその他だったという大まかなことを言って、寄せられた意見を一切検証することなしに官報に告示した。これは行政手続き法違反のやり方なんですね。パブリックコメントは行政手続き法で決められていて、寄せられた意見をきちんと検討し、それを反映させる必要があると定められているんです。

どう変えられたかということですが、3つ新たな項目を作りました。ひとつは「未確定な時事的事象について特定の事柄を強調するな」ということです。2つ目は「近現代の歴史的事象のうち、通説的な見解がない数字などの事項については、通説的な見解がないことを明示し、子どもが誤解する恐れのある表現をするな」ということです。3つ目は「閣議決定などの政府の統一的な見解又は最高裁判所の判例に基づいた記述をせよ」です。これらの検定基準は「バランスよくいい教科書を作る」ことを狙いとしてやっているわけです。未確定な時事的事象は何を指すのかというのはだれが判断するのか。これは教科書を検定する検定官が判断するわけです。そうすると未確定であるかないかというのは、かなり恣意的に判断できることになります。

記憶に新しいところでは、例えば沖縄戦のいわゆる「集団自決」-強制集団死について、それまで軍の強制によって「集団自決」が起こったと教科書は書いたわけです。けれども2005年の検定のときに、それは確定していない、違う見解があるということを教科書調査官が言い出した。違う見解とは、「集団自決」を指示した元隊長が大江健三郎さんと岩波書店を相手にして、大阪地方裁判所に裁判を起こした。その裁判所に出した陳述書を一つの根拠にして、これは確定していないから強制と受け取られるような記述はだめだということで、修正をさせた。こういうことが今度の新しい基準では、文部科学省とそこの役人である教科書調査官・検定官が、かなり恣意的に判断して検定ができることになると思います。「未確定」とか「特定の」とか「強調」というのが何を指すのかがきわめてあいまいな規定なんですね。

通説的な見解があるかないかを誰が判断するかというと、これも教科書調査官が判断することになります。実際、南京虐殺事件は学問的にはもう通説になっているわけですね。しかしいまだに、学者の中でもごく少数がなかったと主張している。学者といっていいかどうかわかりませんけれども亜細亜大学の東中野修道という人は、「なかった」と言っています。右派の研究者でいえば、秦郁彦さんでも南京虐殺事件はあったと言っている。政府も外務省のホームページでも歴史的事実としてあったと言っています。しかし「なかった」という説があれば、少数説があるからそれも書けということになります。バランスよくとは、多数説・少数説を書けということです。

2001年当時、教科書議連は自民党の議連でした。これを民主党議員まで巻き込んで、超党派の教科書議連ができたんですね。その時に民主党から参加したのが、そのあと神奈川県知事になった松沢さんとか埼玉県知事になっている上田さんとか、横浜市長になってまた維新の会から国会議員になった中田宏さんとか名古屋市長の川村さんとか、こういう人たちが超党派の教科書議連に入って、「つくる会」の扶桑社版教科書の採択を応援した。その超党派の議員連盟が、文科省に対して南京虐殺事件はなかったという説もあるんだから、それも教科書に書かせろという要求をやりました。こういうことを今後は公然と文科省自身が要求できる検定基準を作ったということです。

諸刃の剣でもある閣議決定の基準

もう一つ閣議決定や最高裁判例ということになれば、戦後補償問題について韓国との関係では、日本政府の見解は1965年の日韓基本条約によってすべて解決済みだということですから、戦後補償問題を教科書に書くときは必ずそれを書かなきゃいけないといわけですね。中国との関係では1973年の日中平和宣言で解決済みである。領土問題では、すでに解説書の改定を3月にやって、竹島は日本の固有の領土であるが韓国が不法に占拠している、と書けということになる。尖閣諸島では検定で、領土問題と書くとそれは誤解する恐れのある表現である。尖閣については、領有権問題は存在しないということが政府見解なので、それを書かせるということです。

いま大きな問題になっている集団的自衛権の問題で、閣議決定を安倍政権は目指しています。これが閣議決定されれば、これからの教科書では「憲法9条があるけれども、日本は集団的自衛権を行使できるので海外で戦争することができます」と書かなければならなくなると思うんですね。こういうことを教科書にやらせるための検定基準を作ったわけです。
ただ、閣議決定に基づいて書けというのはある面ではもろ刃の剣のようなところがあって、そのことについて「つくる会」や再生機構の人は気にしています。例えば村山談話、これは閣議決定ですね。村山談話はいま日本史の教科書で載っているのがあります。そうすると村山談話をみんな載せるようになる。

先日の衆議院文部科学委員会の審議の中で、村山談話、河野談話は閣議決定されていないと下村文部科学大臣は答弁したんです。これは間違いで、河野談話は閣議決定していませんが村山談話は閣議決定しています。16日の審議で謝罪して訂正しました。その時に共産党の宮本議員が、河野談話もここでいう検定基準の閣議決定にあたるかどうかと追及した。下村文科大臣は、辻元清美議員の質問趣意書に対する回答の中で河野談話を引き継ぐということを閣議決定した。したがって河野談話を引き継ぐことが閣議決定であるから検定基準に該当するという答弁をしたんです。ということは河野談話を教科書に書いていいということになります。働きかけて、中学の教科書は「慰安婦」はいまストレートに書けない状況にあるわけですので、今後私たちは教科書会社に河野談話を書けということを要請していくことができるんじゃないかと思っています。

「何が欠陥か、それは秘密」の内部的規定を新設

もう一つ重要な改悪をしました。検定基準は省令ですから官報に告示をしていますが、表に全く出てこない内部規定があります。検定審議会の内部的な規定で審査要項です。それを改悪しました。2006年に安倍内閣が作った、あの教育基本法の第2条の「教育の目標」に、愛国心だとか道徳心だとか公共の精神だとか20くらいの国家が決めた徳目があります。この第2条に照らして重大な欠陥がある場合には、教科書内容を審査することなく不合格にできるという審査規定を作っちゃったんですね。文科省が見て、第2条に照らして重大な欠陥があるとみなせば、勝手に不合格にできるということです。

いままでは検定に申請された教科書の1ページから最後のページまで審査をして、ここに問題がある、欠陥があるとチェックをしていって、それが一定の数以上になったら不合格になるという検定のやり方です。今度は11月15日に記者会見で下村大臣は、個々の審査はしなくていいと発表しました。ちょっと見でこれは偏向しているとみなせば、あるいは「自虐史観」だとみなせば、個々の内容を審査しなくて不合格にできるということなんですね。とんでもない、究極の思想審査の規定です。朝日新聞は社説で「『重大な欠陥』の欠陥」という見出しで書きました。つまり何が欠陥なのかということが、不合格になった出版社にはわからない。秘密保護法のときは「何が秘密、それは秘密」と言っていましたが、この規定も「何が欠陥か、それは秘密」として不合格にできる規定を作ったんですね。

こうなると、教科書会社はもうどこまでも自主規制するしかありません。というのは不合格になった教科書を手直しして再提出することができないんです。何が欠陥なのかわからないで不合格になるわけですから、直しようがないわけですね。一発ドボン検定という言い方をしています。教科書会社はこれは避けなきゃいけない。教科書を検定に出すまでに何千万円かの先行投資をするので、不合格になると全部パーになる。ですから絶対に不合格は避ける。文科省あるいは自民党に少しでも睨まれるような内容は、できるだけ書かないようにせざるを得ないわけです。

1950年代の後半に似たような状況がありました。大量に教科書が不合格になりました。ある小学校の社会科の教科書が不合格になって、社長があわてて文部省に飛んで行って初等中等局長に面会し、なぜ不合格かと聞いた。初等中等局長は、あなたの会社の教科書は○○さんが執筆者でしたね、と言ったそうです。その人が執筆者である限りはどう直しても不合格ですよ、ということを暗に言ったわけです。社長は著者を入れ替えて、パージするわけです。その時には、戦後検定制度が始まって日本の最良の学者たちが教科書を書いていました。日高六郎さんとか長洲一二さんともう一人、3人が高等学校の教科書を書いていましたが記者会見をやって、こんな状況では教科書は書けないと断筆宣言をするということも起こりました。

編集趣意書というのは前から出していましたが、2009年から制度が改悪されて教科書会社は対照表を出すことが義務付けられました。対照表には教育基本法第2条の1号から5号までが書いてあります。社会科だけではなく、教科に関係なく、その教科書の内容のどこに、1号から5号(5号に愛国心などがある)までがあるかを書いて出さないといけないんです。何ページの何行目から何ページの何行目まで、とページ数まで書かないといけない。

これが出た時に私は文部科学省と交渉し、あなた方は例えば小学校の算数の教科書で愛国心をどう盛り込ませようと思っているんだと追及しました。戦前戦中の国定教科書では、確かに愛国心を盛り込んだ教材がありました。小学校低学年で1+2=3を教えるときに、戦後だとリンゴが1個とかみかんが2個とかの絵を書きましたが、当時の国定教科書では戦車だったり鉄砲だったりしたわけです。またそういうことをするつもりなのか、と追及しました。文科省も答えられなくなって相談し、これを全部埋めなくても検定を受け付けますと言ってきた。これは大きな成果だったんですが、その結果、教科書会社はかなりいい加減に書くようになりました。1ページから最後のページまでとか、特定しなくても出すようにしたんですが、これを今度は逆にしようとしています。

逆にするとは、その教科書の1科から最後の科までを書かせて、それが具体的に教育基本法の何条にあたるかということを書かせるということです。今のような、ある意味で大雑把なやり方はできなくなるわけですね。たぶんこれを見て、重大な欠陥があるかどうかを判断しようとしているのではないかと私は見ています。

この結果、実際に起こっていることです。これはある会社の小学校算数の教科書の見本本(教科書業界では内容見本というカタログ)の中にあったんですね。算数と道徳教育との関連と書いてあって、昔の九九は小学校3年生に出てくるんですが、昔の人の努力を知り、進んで勉強する態度を育てる。道徳教育との関連については郷土愛、愛国心であると書いてある。昔の長さの単位は郷土愛、愛国心、昔の時刻の教え方は愛国心。算数が好きなしるしは愛国心とか度量の大きさを計るというのが愛国心とか、かなりこじつけです。こういうことを教科書会社は現実にさせられています。これがもっとひどいことにならざるを得ないのが、今度の制度改悪だということができると思います。

もう一つ、近隣諸国条項というのが検定基準にあります。これは1982年に教科書検定で歴史をゆがめるような検定をしていることが世界中に知れ渡って、特にアジアの国々から抗議が来て、外交問題になった。当時の鈴木善幸内閣は、宮沢喜一官房長官が近隣諸国の声にきちんと耳を傾けて善処しなきゃいかんということで、政府の責任で是正するという官房長官談話を出した。これが宮沢談話ですが、それに基づいて検定基準を作りました。近現代史、特に明治以降の日本のアジアとのかかわり、アジア侵略と書いていませんけれども我々から見ればアジア侵略にかかわる内容について、きちんと友好親善の立場に配慮して教科書を書かなきゃいけないし検定しなければいけないというのが近隣諸国条項です。

これを見直すというのが自民党の方針で、安倍さんもそういってきた。しかし、これを見直すとアメリカからまた言われるし、中国や韓国との関係がますます悪くなると、今回は見直さず「残した」と言っています。しかし今のような検定基準を作り、審査要項を作ることになれば、教科書会社は近隣諸国条項に配慮した記述はできなくなりますから、近隣諸国条項は残したけれども事実上無効になると私たちは見ています。

教科書採択地区設置で矛盾する文科相の主張

教科書採択については教科書無償措置法が先日改定され、すでに参議院を通ってしまいました。複数の教育委員会による採択地区においては、協議によって規約を定め採択地区協議会を設置するとなりました。今でも複数の教育委員会が一つの採択地区になっている場合には、採択地区協議会とか選定協議会とかの名称がつかわれていますが無償措置法にはきちんとした名称がなかったし、設置しなければいけないという規定もありませんでした。しかし無償措置法を変えて、採択地区協議会を設置しなければいけないことにしました。そして採択地区は、いまは市または郡となっているのを市町村に変える。つまり今よりもっと小規模にすることが決まりました。

さらに複数の教育委員会が一つの採択地区になっている場合は、当該採択地区内の教育委員会は採択協議会の協議の結果に基づき種目ごとに同一の教科書を採択しなければならない、としました。つまり採択協議会の決めたことに教育委員会は従わなければいけないとしたわけです。いま無償措置法は同じ採択地区では同じ教科書にしなければいけないという規定になっていますけれども、そのやり方については何も決めていません。今回は採択協議会の決定が優先するとしたわけですね。これはご存じのように、八重山地区の竹富町の教育委員会が採択地区協議会の決定と違う教科書を採択したことで、竹富町が違法であることを明らかにするために作ったということです。

しかし文科省は、採択権は教育委員会にあるという考えをずっと主張してきました。その根拠になっているのは、地方教育行政法の23条6号です。この地方教育行政法の教科書についての規定は、今回政府が出した地方教育行政法の改定案でも現在のものと一字一句変わっていません。そういうもとで採択権は教育委員会にあることを文科省は主張してきたにもかかわらず、その採択権を侵すような規定を作ったわけです。採択地区協議会の決定に教育委員会は従わなければいけないということになれば、文科省が言っている、採択権は教育委員会にあるという主張そのものが矛盾することになります。

戦後レジーム解体を狙う教育委員会制度の改悪

今国会で焦点になっているのは「地方教育行政組織及び運営に関する法律」の改定案です。この法律は一応重要法案ということで、15日の本会議で首相出席のもとで趣旨説明が行われ16日から審議が始まりました。政府が出した法案の概要と、民主党と日本維新の会が共同で出した法案の概要を今日配りました。政府案では、執行権を持つ教育委員会を残すことになっています。しかし教育委員会は残りますが、今と同じような形で残るわけではありません。

具体的に言うと、教育委員長と教育長を一本化した新教育長を新たな責任者として置くことになっています。現在の教育委員は首長が議会の承認を得て任命します。町や村などでは3人でもいいことになっていますが、大体5人ないし6人で、都道府県や政令指定都市では6人です。この中で教育委員長と教育長を互選することになっていて、教育委員会の責任者は教育委員長です。その教育委員長と教育長を一本化して新教育長にする。新教育長は首長が議会の同意を得て直接任命し、罷免できるようにするという規定です。

教育長が教育委員会を代表して教育委員会の会務を行う。教育長の任期は3年、他の教育委員の任期はいまでも4年ですが、これはそのままで教育長についてだけ3年にする。自民党は当初2年という案を出していました。要するに任期を短くして、首長の気に食わなければいつでも辞めさせることを考えていたんですが、公明党が4年を主張していました。与党の中の自民、公明の協議の中で4年と2年がぶつかりあって、3年になったわけです。信濃毎日新聞は、社説で小学校の算数か、と見出しで書いていました。教育長と教育委員長を一本化した新教育長を設置して、首長が招集する総合教育会議を設置するとなっています。総合教育会議は首長と教育委員会によって構成され、ここで教育振興計画とか教育についての大綱を策定する。総合教育会議で合意したものについては尊重しなければならない、という規定を設けるとしました。いままでと違って首長が地方の教育行政について、総合教育会議を通じて相当大きな権限を振るえることになるわけです。

この総合教育会議は教育委員が5人のところだと、首長と5人の教育委員のメンバーで会議をします。しかし多数決で決めるときには6人が投票するわけではありません。首長が1票、そして教育委員会が1票です。1票対1票で投票して合意をつくることになっています。したがって仮に教育委員会が首長に抵抗して、それに反対すると合意できない。そうすると、首長がこうやりたいといってもできないことになるだろうと思われますけれども、しかしその教育委員会を代表しているのは教育長です。その教育長は首根っこを首長に握られています。いまの教育長は首長、助役あるいは副市長などに次ぐナンバー3なんですね。これを一般の局長クラスまで落とすことになっています。そういう存在の教育長ですから、首長の言っていることに反対できないだろうと思われます。その教育長が代表する教育委員会が1票を持つわけで、教育委員が相当強力に首長をけん制するとか、そういう人たちでない限り、首長が考えた方針が総合教育会議で了承され、それを遵守しなければならず、その通りに執行されていくことになると思いますね。

もうひとつは、文部科学省が首長を通じて地方教育行政に今まで以上に介入できるようにしようとしています。この法律が成立すれば、戦後教育の自主性、教育の政治からの独立、こういうものがほぼ崩壊する。戦後教育改革の大きな内容が、これによって反古にされる。安倍さんが言ってきた戦後レジームの解体が、これによってまさに目指されています。

民主党と維新の会が出した法案は、最初に自民党が言っていた法案です。つまり教育委員会を解体して、教育行政は首長が全部やる。その首長をチェックするために教育監査委員会を設置する。これについて、16日の文部科学委員会で義家さんは、維新の会は教職員組合を敵視してずっと問題にしてきたじゃないか、それなのになぜ教職員組合をバックにしている民主党と一緒にこんな法案を出せるんだ、と言って揶揄していましたけれども、こういう法案が出ています。

この審議が急テンポで進んでいます。16日に文部科学委員会で1日かけて質疑がありました。18日に参考人質疑があり、23日に地方公聴会が行われます。いずれにしても5月の半ば過ぎには衆議院を通過させて、会期内に参議院で成立させることが自民党、公明党の狙いとして進んでいます。

地方教育行政法がこうなれば、先ほど申し上げた検定制度のもとでは、どの教科書もつくる会系の教科書にならざるを得ないということが心配されます。実はすでに小学校の検定について明らかになっています。その中で、ある小学校の社会科の教科書に、現在は南京虐殺事件については事実として女性や子どもたちが被害を受けた、それが外国に報道されて大きな非難を受けたことが書かれています。今度の検定に出したものには、「南京事件」という見出しだったのが「南京占領」に変わって、日本軍が南京を占領したときに「女性や子ども」というのが消えて、「中国人をたくさん殺害したと外国に報じられた」と変えたんですね。つまり事実として書いていたのが「報道された」と伝聞にされた。さらに、南京事件については戦後もさまざまな議論があっていまだ確定していない、という育鵬社と同じことが書いてあります。さすがに文部科学省は、伝聞のところは育鵬社や自由社の教科書でも検定で修正させて、日本軍が殺害したということで止めていまが、後半の部分はそのまま残っているんですね。いまだに議論が続いていて決着していません。事実かどうか不明です、というようなことがそのまま小学校の教科書に載ってきたんです。

今年の5月から中学校の検定が始まり、この検定基準はそこから適用されます。今年3月に検定が終わった小学校の教科書には適用されていません。ところが安倍政権の誕生で、そういう動きがあることを恐らく教科書会社は見て、自主規制をやっちゃったんだと思うんですね。これが今後中学・高校でもっと広がる危険性があります。そういう中で教育委員会制度がかわれば、つくる会系教科書を支持する首長がいるところだと、ほとんどこういう教科書が採択されてしまう可能性、危険性があると思います。

大阪の橋下さんが「ピースおおさか」を攻撃したときに、記者会見で、現場の教員たちが育鵬社の教科書や自由社の教科書を全然上げてこない、だから育鵬社や自由社の人たちを入れて新しい歴史の資料館をつくるとぶち上げました。同じように下村さんや安倍首相などは、育鵬社の教科書をなぜもっと多くの教育委員会が採択しないかとなりかねません。2011年にはかなり増えてましたけれど、まだ4%なんですね。圧倒的には使われていません。それが気にくわないわけですね。そこで教育委員会を変えて、ああいう教科書を採択されやすくしようということだと思います。

教員と教育内容の管理の徹底

教員については、さまざまな面での統制が目論まれています。まず免許法を変える計画です。自民党は教員についてもさまざまな改革案を提しています。教員免許は、大学で教職課程の単位を履修すれば、都道府県知事が教員免許を付与します。従来は生涯ずっと有効だったわけですが、前回の安倍政権のときに10年という期限付きにされてしまいました。今度は大学で教職課程の単位を取得しても本免許は与えずに仮免許、準免許を与えて3年間インターンをやらせます。ここで素行などをちゃんと見て、少しでも校長や教育長にたてつくような教員には本免許を与えない制度にしようということですね。教員免許から制限をする。

教育公務員特例法という法律を改定して、公務員としての服務の規定を設ける。これによれば服務の根本規準を設け、法律や条令、学習指導要領及び上司の職務上の命令に従う義務を義務づけます。そして政治行為の制限があって、教育公務員は教育を利用して政治的目的をもって児童生徒に政治教育をしてはならないという法律をつくる。何が政治的目的をもった政治教育かを、誰が判断するのか。現場は校長ですけれども最終的には教育長あるいは文科省が判断するということになる。

そうすると原発の危険性を授業でやれば、これは特定の政治的目的をもった政治教育だということになりますね。新聞の記事をコピーしたりして、教科書に載っていないことなどを授業で取り上げたりする教員もいるわけですけれども、そういうことをすれば特定の政治的目的をもった政治教育だということですべてやられます。16日の国会で義家さんが問題にした産経新聞の記事――八王子の都立高校の教員が安倍首相の靖国参拝とアメリカの反応とか、そういう新聞記事を紹介してテスト問題を出した――これが偏向テストだと言っている。こういうことをやれば政治的目的を持った政治教育だということになるわけですね。恐らく憲法を教えてもそうでしょう。本来憲法遵守義務があるわけです、公務員なんだから。その地方自治体が、憲法をテーマにした集会に会場を貸さないとか後援を取りやめるとかが起こっているわけですから、憲法も教えられないという事態になりかねません。つまり教科書を教えるしかないということですよね。しかもこれは罰則規定を作るんですよ。3年以下の懲役又は100万円以下の罰金刑です。そうなると教員は教科書しか教えることができない。その教科書を、事実上の国定教科書にしてしまうわけですから、教育は恐ろしいことになってしまうと思います。

“国家が公認した道徳”を教える道徳教育

道徳教育の問題では、愛国心、道徳教育を植え付けることを、一貫して自民党はやってきたわけですね。今回、道徳を正規の教科にすることを打ち出して、いま中教審が審議をしています。正規の教科になれば、検定教科書をつくることになります。検定に合格した教科書というのは、国家が公認した道徳ということになるわけですね。それができるまでは、心のノートを改定した「私たちの道徳」を教科書として使う、そして検定教科書ができても並行して使うということになっています。

心のノートに比べて、新しく改定した「私たちの道徳」は1.9倍くらいの分量になっています。内容は心のノートのコンセプトを骨格として取り入れながら、いわゆる偉人とか著名人の言葉・伝記をプラス、それから物語をプラスしてつくられています。3、4年生以上になると、最後に出てくるのは愛国心です。最後は「郷土を愛する心を持って」となっていて、愛郷心、伝統文化というのが出てきます。小学校5、6年生用も最後は郷土や国を愛する心で終わっています。これは心のノートもそうでした。中学生用は国を愛し伝統の継承と文化の創造ということで、日本人としての自覚を持って真の国際人として世界に貢献したいという内容で終わっています。まさに心のノートに基づいてつくられています。

面白いと思ったのは、心のノートは表紙にメッセージが込められていて小学生用は小さな双葉が出てきます。これが道徳心なんです。小学1、2年生のときには小さな双葉で、心のノートを学ぶことによって3、4年生になるとかなり大きくなります。5、6年生になると青々とした大きな大樹になります。「私たちの道徳」も双葉から始まり、3、4年生用になると大きくなります。5、6年用になるとまた大きくなって、中学生用になると森林を構成するような木に、道徳がここまで育つというメッセージが表紙にまで込められている。こういうものを子どもたちに持たせることになっています。この「私たちの道徳」は3月に学校に配布されました。新学期が始まりましたので、個々の学校で配られていると思います。こういうものを使って子どもたちの心を国家が掴むというか、そういうことが行われます。

新自由主義的な改革に向けていま教育再生実行会議がもっとも議論しているのが、6・3・3・4制という単線型の教育制度を複線型にすることです。それから5歳児義務教育化、つまり幼稚園を義務教育にすることです。エリートを育てるためには飛び級制度なども導入して、早い段階から「できる子」、「できない子」を区別する。それを全国一斉学力テストでやる。首長の中の多くは学校ごとの成績を公表しろということを言っていますね。静岡県知事もそうです。今後、教育委員会制度が変われば、教育委員会は、いまは抵抗していますけれども、これからはできなくなるだろうと思います。こうして子どもたちが、いっそうの競争にさらさるような制度が行われていく。こういうさまざまな教育再生と称する教育改革を、安倍内閣は強引に押し進めています。

日本の教科書制度というのは世界でも類のない非常に遅れた制度で、検定制度のある国なんて欧米にはほとんどありません。採択が地域ごとになっていて現場の先生が自分で選べない、学校ごとの採択になっていないという国も、欧米にはひとつもありません。韓国でも学校ごとの採択で、教師が自分で選べる制度です。そういう点では日本の教科書制度を知っていただくことも必要なので、そうしたブックレットも出しています。

最後に、私たちは教科書採択への不当な介入をやめさせるアピールを5月下旬くらいに出そうとしています。是非ご協力ください。また安倍教育政策の問題をひろく知らせようとパンフレットやブックレットもつくりました。日本の教科書制度は世界でも類のないほど遅れています。検定制度のある国、そして教科書を現場の先生が自分で選べない、学校ごとの採択になっていない国も欧米にはひとつもありません。韓国でも学校ごとの採択で教師が自分で選べる制度です。以上です。ご静聴ありがとうございました。

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