富山洋子(日本消費者連盟)
「集団的自衛権」の行使は、海外で戦争することであり憲法違反である。歴代の内閣もこれを禁止してきているが、安倍首相は首相の私的諮問機関である安保法制懇の報告書を口実にし、憲法の解釈をねじ曲げて、閣議決定で集団的自衛権の行使の容認しようと企んでいる。これは、私たち主権者を無視した、立憲主義に反する独裁的な政治手法だ。今や、私たちの平和憲法は重大な危機に晒されている。
2014年4月8日夜 私たち主権者は、今こそ大きな声を上げようと、日比谷野外音楽堂で開催した「解釈で憲法9条を壊すな!4・8大集会&デモ~『集団的自衛権の行使』は海外で戦争すること」(主催は、同実行委員会)に結集した。この4・8大集会の呼びかけ賛同団体は128団体、当日の参加者は5千人に及び、会場内外は熱氣に包まれた。
この集会の司会は、菱山南帆子さん(許すな!憲法改悪市民連絡会)。プレ企画では、杉原浩司さん(秘密保護法を考える市民の会)は、武器輸出3原則の緩和についても圧倒的多数は反対であるのに閣議決定だけで決められた。安倍政権の平和主義の破壊は民主主義の破壊の上に成り立っていると表明。武田隆雄さん(平和をつくり出す宗教者ネット)は、宗教の違い、政党の違いを超えて平和を守り抜こうと訴え、高橋若木さん(TOKYO DEMOCRACY NETWORK)は、現在の若い世代は、非常に不安定な境遇に追い込まれている。安倍政権のやっていること全てに反対していくことが必要と強調された。戯作者の松崎菊也さんの、おなじみ麻生さんと安倍さんの口跡をもじった辛口の風刺に、会場は、参加者の笑いで湧いた。笑いは、前向きな思考を創出するエネルギーだ。
主催者挨拶は、高田健さん(許すな憲法改悪市民連絡会)。高田さんは、集団的自衛権の行使は、一旦許せば、グローバルに展開される危惧がある。改憲手続き法改正案が今日衆議院に提出された。この間、安倍政権は、日本を戦争を出来る国にしていくために暴走している。安倍政権を断じて許せない。日本は歴史的岐路にあるが、憲法破壊を許さないという主権者の声は今や圧倒的多数であることは、世論調査によっても明らかだ。アジアの人たちと手を携えて日本が戦争する国へひた走る道を阻止しようと、力強く訴えた。
政党からの発言では、志位和夫さん(日本共産党委員長)、吉田忠智さん(社会民主党党首)、糸数慶子さん(沖縄社会大衆党委員長)、三宅雪子さん(生活の党、前衆議院議員)、近藤昭一さん(民主党衆議員、立憲フォ-ラム代表)が 、それぞれ、集団的自衛権行使を許さないという固い決意を表明。なお、時間の関係で発言されなかったが、以下の議員が登壇した。有田芳生さん(民主党参議院議員)、笠井亮さん(共産党衆議院議員)、井上哲士さん(同党参議員議員)、紙智子さん(同)、吉良良子さん(同)、小池晃さん(同)、二比聡平さん(同)、福島みずほさん(社民党副党首・参議院議員)、又市征治さん(同党参議院議員)。
ついで、大江健三郎さんが登壇。大江さんのスピーチは、今から100年前に生きた夏目漱石に因んだお話から始まった。漱石は、100年前に『こころ』と命名した優れた小説を書いたなど、良く知られているが、「デモ」を「示威運動」と日本語に訳されたことは、あまり知られておらず、その言葉は日本では流行しなかった。明治が終わった年、漱石は、「私の個人主義」と題した講演で、イギリスの人々は、不平があるとよく示威運動をやるのだと、彼の地の人々の生き様を紹介した。当時、日本で流行らなかったのは、日本の人々には、日常的な行為としてのデモンストレーションがなかったからだろう(※)。
漱石は自らが生きた100年前に明治の時代に、日本という国の危うさを指摘したのだ。だが、それからの日本は戦争への道を暴走した。1945年敗戦を迎えたが、日本では、大江さんが12歳の時、新しい時代の方針(精神)が施行された。この新しい時代の精神が日本国憲法だ。戦後、私たちは主権者として、この平和憲法に打ち込まれた精神に基づいて生き抜いてきた。しかし、漱石が生きてきた時代から100年経っている現在、日本は再び危ない時期を迎えている。戦後私たちが守り抜いた精神が、民主的でない方法でぶち壊されようとしている。67年間続いた新しい精神を守る方法は、示威運動しかない。この行動は、次の時代をも守り得る。今ここで、この集会から、私たちが守り抜いてきた新しい精神、日本の平和憲法を掲げた示威運動が始まるのだ。
大江さんのスピーチは、私たちが日々の暮らしの中で、たゆまず新しい精神である日本国憲法を噛みしめていくことの大切さ、その危機に際しての私たち主権者の取るべき行動を提起された。それは、未来へ希望を繋げていく、確かな行動だ。
連帯挨拶は、「『秘密保護法』廃止へ!実行委員会」の白石孝さん(プライバシーアクション)、「戦争をさせない1000人委員会」として清水雅彦さん(1000人委員会事務局長代行)、「日本弁護士連合会憲法委員会」からは、伊藤真さん(日弁連憲法委員会副委員長)、各界諸団体からのショートスピーチは、イラク戦争の検証を求めるネットワークの谷山博史さん(JVC代表理事)、日本出版労働組合連合会の小日向芳子さん(出版労連副委員長)からの発言があった。その内容をご紹介する紙数がないのが残念だが、秘密保護法廃止に向けての取り組みのひとつとして、「『秘密保護法』の廃止を求める請願署名」が取り組まれていること、3月20日に出発集会を開いた「戦争をさせない1000人委員会」でも戦争をさせない全国署名を展開しており、全国各地からのご協力をお願いしたい。
最後に、「平和と人権と民主主義が大切にされる社会と未来をみんなの力でつくっていくことを呼びかけ」た集会アピールが提案され、参加者一同の大きな拍手で、確認された集会後、参加者は二手に分かれ、国会(請願デモ)及び銀座に向けて元気に出発した。
※足尾銅山の鉱毒により多大な被害を受けた人々の政府に向けた行動は、「押し出し」と呼ばれていた。女たちだけによる「押し出し」も敢行された。
(マイクが不調で、会場から「聞こえません」の声のなかで)私は小説家なのでマイクがなくても元気がないのですが(笑い)、この大きな集会とそれから大きなデモが始まる前に時間をいただいて話ができることをありがたく思っております。心から望んでおりました。小説家ですから、文学に関することをちょこっと話して落ち着きたいと思っているんです。
今年、あの有名な小説家の夏目漱石の『こころ』という小説―とても大切な小説ですが―の100年の記念の年だということをご存じでしょう。
ちょうど100年前にあの夏目漱石は『こころ』を書き、また幾つかの非常に大切な講演をしております。もしかしたら皆さんご存じないかと思うことですが、その講演会の一つで漱石という人は、デモンストレーションという言葉を翻訳して「示威運動」という訳語を作りました。彼は英文学者ですから、示威=デモンストレートに「運動」をつけて示威運動ということばを翻訳しました。そして漱石はこの言葉は、少しも流行しませんでした(笑い)。おそらくこういうところで「示威運動」について話した初めての人間は私だと思うんです。
漱石は、「示威運動」が重要だといいました。ちょうど明治天皇が亡くなって明治が終わった年でした。ほぼ100年前です。そのとき漱石は講演をしましたが、たとえば「私の個人主義」という有名な講演がありますね。そのなかでこういうことを言っているんです。これから日本が非常に難しいところに入る。そして日本が模範とするべき国家・社会としてイギリスがある。そしてイギリス人は、(“彼ら”と漱石は言っています)彼らは不平があるとよく示威運動をやります。すなわちイギリスは一応社会も安定したものとして進めているんだけれど、不満、非常に危ないと感じ取ると示威運動をする人たちなんだ、と彼は言っているんです。すなわち示威運動をする人たちだというわけです。皆さんが今やっている大きい集会は示威運動なんです。そしてこれから行われる行進は文字通りの、それこそ文字通りのデモンストレーションであります。
日本で示威運動という言葉が流行しなかったのは、ずっとデモンストレーションというものがない社会体制だったからです。
漱石が死んで30年たって、あの大きい戦争が始まりました。私たちは広島、長崎を経験して、あの戦争に敗れました。
今から67年前、私は12歳でした。明治の人間が明治の精神をつくって、国家を何とかあれだけ推し進めたように、日本人は67年前に新しい憲法をつくりました。そしてその憲法を自分たちの新しい精神として生き始めたわけです。
私はもう79歳でして、あと何年も生きないと思います。その私から申しますと、私の人生はこの新憲法という時代の精神のなかでおこなわれたのです。戦争をしない、民主主義を守るという根本の精神がすなわち私の生きた時代の精神なんです。それを私は死ぬまで守り抜きたいと思っています。
今、どういう時代であるか。夏目漱石が「非常に危ない時代」だと言ったのは、明治の終わりにもう彼はそういう危機を感じ取っていたからです。いまのまま日本がすすんでいくと、大きいゆきづまりに出あうに違いないと彼はいった。そして30年たってあの戦争が起こり、広島、長崎を経験して大きく敗北しました。そして私たちがつくった新しい時代の精神が憲法だった。それを守って67年間、私たちはやってきたわけです。
ところが、いまの政府はどうしているかというと、その時代の精神、このいろんな犠牲によってできあがり、とにかく私たちが67年間守り抜いてきた時代の精神をぶっ壊してしまおうとしています。それも民主主義的な方法じゃないです。内閣が決議してしばらくたてば、日本が集団的自衛権を行使して、アジアでおこなわれる、あるいは世界に広がっていくかもしれない戦争に直接参加する。憲法の平和主義、民主主義という、私たちの時代の原理をぶっ壊してです。保守的な政府すらも67年間守り抜いてきたものを、民主主義的でない方法で国民投票もなしに一挙にぶち壊して新しい体制に入ろうとしているわけです。
それに私たちができることは何か。
それに抵抗して次の100年とまでは言いませんが、次の10年、20年の日本の平和と民主主義を守る。アジアの平和と民主主義を達成することに協力する、そして世界の・・という大きい方向に来ている。もしかしたら漱石の演説以来の100年のうちで、いま、日本人の時代の精神がもっとも危ないところに来ていると思います。この戦争しない、民主主義を守るという、67年間続けた時代の精神を守るために私たちにできる方法は、漱石のいう「示威運動」すなわちデモンストレーション、そして声を大きく上げることしかないのです。
私たちの未来の子どもたち、次の10年15年、次の世代のために、私たちが守りうる時代の精神、そして最も大切な難しい仕事が、この集会、このデモから始まるんだということを、私は強く自覚したいと思います。しっかり歩きましょう。
安倍首相は、自身の私的諮問機関にすぎない「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が準備している「報告書」を口実にして、憲法9条の解釈を変更し、歴代内閣が固く禁じてきた集団的自衛権の行使容認に踏み切ろうとしています。
集団的自衛権を行使するということは、日本がアメリカとともに海外で戦争をする、場合によっては日本独自にでも海外で武力行使をするということであり、憲法9条を根本から破壊するものです。しかも憲法解釈の変更を「閣議決定」でおこなうことは、立憲主義を否定して、国会さえもないがしろにするもので、断じて許すことはできません。
安倍内閣は、その口実に中国、韓国、北朝鮮とのさまざまな〝摩擦〟をあげ、「積極的平和主義」と称して、軍事力と日米軍事同盟の強化で押し切ろうとしています。そのため、すでに武器輸出3原則を破壊し、さらに自衛隊法、周辺事態法、PKO協力法などを改悪し、武器輸出や使用を無限定にし、年末の日米防衛協力のガイドライン改定に結び付けようとしています。
安倍内閣は、秘密保護法の制定強行、沖縄・辺野古への新基地建設、原発再稼働、教育の国家統制の強化、消費税の増税、TPP参加、国家戦略特区設置の推進、非正規労働者を大量に生み出すなど、〝強い国家づくり〟と社会の軍事化、庶民のくらしの圧迫、格差の拡大などの強行で、人々を戦争政策にかりたてようとしています。安倍政権の暴走をこれ以上許してはなりません。安倍政権の解釈改憲の動きには、自民党内や内閣法制局長官経験者ら、海外からも批判が相次いでいます。世論の多数も反対していることが最近のいくつもの調査などで明らかになっています。
私たちは本日、「解釈で憲法9条を壊すな!4・8大集会」に集い、国会と銀座にデモを行ないます。集団的自衛権の行使容認を許すことなく、日本国憲法の平和主義・主権在民・基本的人権の尊重の原則と平和的生存権が生きる社会を実現するために、多くの団体・個人が協力して行動し、いのちとくらし、平和と人権と民主主義が大切にされる社会と未来をみんなの力でつくっていくことを呼びかけます。
2014年4月8日
解釈で憲法9条を壊すな! 4・8大集会&デモ
参加者一同
阿部 悦子さん(愛媛県議)
皆さんこんにちは。
愛媛県議会議員をしております阿部悦子といいます。市民運動から議員になったんですが、議員になった途端に怪しい人と世間から言われ、議員というのはなんと不名誉な職業なんだろうと15年間痛感してきました
いま4期目です。愛媛県議会は47人議員がいますが、社民党を含めて与党でして、野党は共産党1人と無所属市民派の私1人の2人です。議会でも「アベさんが」「アベさんが」と安倍総理のことを言うんです。私もアベなので、「フルネームで言って下さい!」と、私言うんです。迷惑千万だと思いますね、ああいう人と同じ名前は。字が違いますけれども、まずそれを言っておきたいと思います。
愛媛県県議会には、戦後たった1人の女性議員もいなかった。もちろん、市民派の県会議員もいなかった。そうした中で、初めての女性の県会議員として、私が当選したのが1999年です。
95年に立候補したんですが、7千票くらいの内の百何十票差で落選しました。そのときには、私を応援した人たちが、落選した次の日の朝7時にしょっぴかれて、警察でひどい取り調べを受けました。私たちは選挙が終わったボロボロの体で、みんなで警察に行ってその人たちを取り返してきたという経験もしています。そのときに、取り調べ室で「選挙になんかに関わるからこうなんだ」「もう2度と関わるなよ」という警察の言葉があった。本当にひどい目にあったわけですけれども、私が市民派として、女性として、初めて愛媛県議会という非常に保守的な県議会に出ることに関しては、相当な抵抗があったんだなあと思います。
議会に入ったときには、本当にびっくりしました。やり玉にあげられるんですよ。議場でスカーフをしていたら、議員が来て学校の先生みたいに「スカーフ取れ」とか、「それは洋服じゃないだろう」とか言う。「あなただってネクタイしてるじゃないか」と言い返したんだけれど、すごいんですよ。それから、1人会派には政務調査費を渡さない。そして、愛媛県議会でずっとなかったんですが、一般質問で再質問しましたら呼び出されました。小さな部屋に7、8人の大の男が取り囲んで、「何をやっとるんだ。愛媛県議会の長い間の伝統を壊すのか」と机を叩いて言われました。そのときでも、私は「やっちゃいけないという法律はないと思います」と言ったら、「これからお前がまともな議員生活ができないようにしてやる」とまで言われました。
そういう中でうつ病を患いましたし、子供たちとの関係もあって、家庭の中とかいろんなことで議員生活を続けることの悲哀を感じ、また、やりがいも感じてきました。議員になるときは、県議会というところは“本当に行きにくいところ”“なんか悪そうな人たちがいて、入りにくそうなところ”という感じでした。私は、「愛媛県議会に市民の広場を作ろう」という公約を掲げました。たくさんの市民が支え、そして傍聴にきたり、請願活動をしました。私1人では力がないので、支えてくれる人たちが、議会を変えていくということをやってきました。
今日は、伊方原発再稼働反対運動の話なのに、なぜこういう話をするかというと、私が1999年、15年前に選挙したときには、伊方原発の反対運動を長い間やってきた人たちが中心になって支えて選挙をしてくれました。
伊方原発反対運動は話が長くなりますから省略しますけれども、本当に熾烈な戦いがあります。漁業権の売り渡しに際しては、漁民の人たちがどれほどひどい目にあったか。一度総会で原発反対と決めたのに、数カ月後には、また召集されて手続きを踏まずに原発賛成にされたり、でっち上げられて、いろんな人が逮捕されりしました。
土地を売るということで、反対派の中心の男性のお連れ合いの70歳を過ぎた方のところに、夫がいない間に夜な夜な来て「どうせこれ買われるんだから、あんた判をついておいた方が得だよ」と言われて、ご婦人は判をついてしまった。とても仲の良いご夫婦だったんですが、それを機にご夫婦は争うようになってしまい、結局このご婦人は納屋で首をつったんです。そのことから、その男性は90何歳かで亡くなるまで、裁判で「私の妻は四電に殺された」と言い続けましたが、この四電のやり口というのは、県と警察と四国電力とが一体となって潰していくものです。一人一人のリストを作って、「この人の親戚は誰で」「この子供は、どこに勤めていて」と、こういう個人情報を徹底的に洗い出し、一人ずつ潰していく。このような非常にひどいやり方をして、伊方に原発を持ってきた。四国の他のところが断ったものですから伊方では秘密裏にやるという、秘密保護法がここではすでに成立していまして、ほんとうにひどい目にあった。
1988年、伊方原発のすぐ近く、炉心から800m、敷地から400mのところに米軍の大型ヘリコプターが落ちて、7人が亡くなります。ミカン畑に落ちたんですが、伊方原発のある斜面側に1回バウンドしてから向こう側に落ちたんです。それで原発は助かったんです。その時には、7人の地権者がいましたけれど、一切入れない。日本の警察が守って、米軍がすべてを調査し、すべてを回収し、国会議員も県会議員も誰も入れないような状況で、この事故の始末をしました。沖縄国際大学で起こったのと同じことが1988年には、もう起こっています。
この『原発の来た町―原発はこうして建てられた/伊方原発の30年』という本に詳しく書かれています。書いた人は、斉間満さんです。当時日刊紙『愛媛新聞』の記者をしていた方で、生涯を反原発運動に捧げられました。
伊方周辺では、伊方を真ん中に60㎞の範囲内で魚の大量死が、20年間で7回も起きています。この原因の究明を県はやっていません。たった1回の会議を開いて「原発じゃない」「原発は問題ではない」という結論を出させた。この『原発の来た町/伊方原発の30年』、いまは40年になりますけれども、これにそういう熾烈な伊方原発の歴史が載っています。そこの裁判闘争をし、闘ってきた人々が次々と鬼門に入られて、私たちは運動の先輩をなくしているなかで、今また原発の再稼働一番乗りということで伊方原発が狙われている状況の中にあります。
先ほどの話の続きです。私は県議会で嫌がらせを受けているんですが、3・11の事故が起こってからは、原発に関係する特別委員会に希望を出しても入れてくれない。環境福祉委員会が、原発の安全性を審議する委員会なのですが、これにも入れてくれない。本当にひどい扱いを受けています。
仲間が傍聴に来て、知事はきちんと答ないんですよね。「再稼働して県にどんなメリットがありますか」と言ってもそれに答えないで、他のことを言うわけです。メリットはないわけですから。その時に、私が自席から「知事、きちんと答えてください!」と言うわけです。10年ほど前までは、私がヤジられて、半分泣いていたんですが、最近は知事に私がヤジるようになりました。けれども、それを受けて自民党をはじめとした議会運営委員会で、私と共産党以外の人たちが集まって、私が知事にヤジを飛ばすことやめさせるという決議をしたりするんですね。国会でもやっているのにね。『愛媛新聞』にも、いかにもひどいことを私がしたから注意する、みたいな記事が出るんです。そういう中で、原発の反対運動を一緒にやってきました。
もうひとつ言っておきますと、私の選挙は500万円使いますが、全部カンパで集まります。ボランティアとカンパで徹底的に行います。『阿部悦子と市民の広場』の代表は、「議員は、使ってなんぼのもんや。使い倒してやる」と言うんです。折につけて「どれだけ使えるかが、私たちの勝負」とも。私は、言い返します。「私を使うのには、あなたも勉強して力がいるよ」と。そういう関係の中で、私は、たくさんの人に支えられて議員活動をして15年が終わります。
次に、伊方原発の反対運動と伊方原発がどんなに危ないかということを申し上げたいと思います。その前に、せっかく議会のことを言いましたので、議会では最終日にいろんな議案が通ります。たとえば、伊方原発の再稼働をやめてくださいというような議案があったとしたら、それは否決します。委員会で反対されて否決されます。毎回毎回再稼働やめてくださいの請願が出るんですが、否決します。私と共産党、社民党もいちおう否決に反対。反対討論を毎回、私は行っています。たったひとりで毎回行っています。その伊方原発についてわかっていただくために、私が10月8日に反対討論したものを読みたいと思います。5分間と決められているんです。一秒でも越えると「止め」と言われますので、すごい早口で読むんですが、議会でこういうことを言うということも含めて聞いていただけたらと思います。
* * *
請願「フクシマを繰り返さないために、伊方原発の再稼働を認めないことを求めることについて」を、環境保健福祉委員会が不採択にしたことに、反対の立場から討論します。
福島原発は高濃度放射能汚染水流出の重大な局面を迎えています。一方伊方原発過酷事故時には、閉鎖性水域である瀬戸内海は、太平洋のように汚染を薄めてくれる立地条件にはないため、海の放射能汚染はより高濃度に長期間続くことになります。この問題を県が甘く見ていることが今議会で明らかになりました。
福島の汚染水問題で、田中規制委員長の「薄めて放出する」との発言は、公式の場で複数回行われたにも関わらず、県は「経緯を知らない」と答弁せず、さらに(伊方原発内に汚染水を溜めるタンクの敷地がないんです。すごい狭いところなんです。原発がようやく建っていて、福島のように汚染水を貯めるタンクを設置するような場所が全くないことについて質問したことについて)「伊方原発内に汚染水を溜めるタンクの敷地があるか」と聞いても「汚染水の放出を仮定したような質問には答えられない」と答弁しました。
しかし、国が過酷事故を想定して作った、新しい「設置許可基準規則55条」にのっとって、四電が再稼働に向け今年7月に国に提出した「申請書」には、「汚染水の拡散抑制には土のうを設置」などとあります。(土のうですよ。)このことを県は知らないのでしょうか。なんと「土のう」は論外でしょう。汚染水タンクを設置する場所がないのですから、伊方原発の再稼働はありえません。
先日、当請願の提出団体の呼びかけで、三崎半島(45㎞ある日本で一番長い半島です。5000人が住んでいます。)に、「あなたは安全に避難できますか」と書いたチラシを一軒ずつ配って歩きました。原発から5キロ10キロ圏内にある5つの集落、大江、志津、小島、田部、神崎の200軒です。配布に3人で6時間かかりました。行っても行っても、空き家ばかり、蔦や木々に家全体が覆われてしまった廃屋も多数ありました。大地震でこれらの家が崩壊して細い道をふさぐことは目に見えています。急な狭い階段を上らなくてはなりません。坂や階段をのぼりつめた所に人が住んでいます。神崎や田部には、愛媛県が設置した「急傾斜崩壊危険区域」の看板がいくつも見えます。自転車も、車いすも使えません。リアス式の美しい瀬戸内海の景色が悲しかったです。
この日は土曜日でしたが、子どもの姿を見たのはたった1人。6時間の間、店も病院も学校もありません。出会ったのは70、80歳以上の方ばかり、狭い畑の手入れなどをしておられました。過酷事故時には、どう避難するのか、そこでは、「私ら逃げれんよ」、「諦めとるわ」という声を聞きました。
今議会の私の質問に、県はこの地区は「自家用車で松前へ避難する」(自家用車に乗るまでがたいへんなんですから)、「放射性物質の大量放出時には・・・投入可能な陸海空あらゆる手段を用いて救出する」と答弁しました。(こんな所にヘリコプターは着けませんよ。)現場を知らない答弁です。
ご存知でしょうか、県のデータでは伊方町に、55の集落があり、特に伊方原発から西側(三崎半島ですね)は、ほとんどが小さな集落です。10世帯もない集落が4つ、10から50世帯の集落が26もあります。住民は高齢者ばかりです。
(知事は、サイクリングイベントばかりやっているんで、それを捩ったんですけど)
サイクリングが得意なみなさんには、是非とも三崎半島の、「メロディライン」から降りて行く集落に、足を運んでください。そうすれば、伊方原発の過酷事故時に、人々が避難することが、どんなに絶望的か分かるでしょう。
特に指摘したいのは、伊方町の人口についてです。原発建設が正式決定したのは昭和45年、その10年前、伊方、瀬戸、三崎町の人口は、合計3万人を超えていました。今の人口は約1万人です。またこの地域の小中学校数は昭和40年(原発が来る頃)には32校、現在は12校です。児童生徒数は6860人いたのに、現在では630人です。
地域振興の名目で土木事業が盛んに行われても、人々はこの地を去り、未来の見えない地域が残りました。伊方町の人々は、「原子力村」の金儲けのために、事故の恐怖の中で生き、すでに、今も大きな犠牲を払って生きています。
「伊方原発環境安全管理委員会」(御用学者の人たちが集まってやるのですが)の傍聴を同僚議員のみなさんにおすすめします。再稼働の是非の決定に大きな影響を与える委員会の傍聴もせずに、議会が結論を出すことは許されません。(私と共産党の議員しか聴きに来ません。)しかし、知事は、「傍聴席は10人枠を守る」というのですから、45人の議員が学習することを望まないお考えのようです。議会基本条例の趣旨にのっとり、このような知事の議会軽視と非公開主義を打ち破り、本来の議会の役割を果たしましょう。
県の秘密主義の中で、公正な再稼働審査(審議)が出来る訳はなく、それゆえに県民は知事が「実は再稼働するのでは」と懸念しているのです。このような県の姿勢が続く中で、伊方原発の再稼働が危険であることを訴えて、討論を終わります。
* * *
ということで、そこで手をたたいてくれるのは、共産党のひとりだけ、パチパチ。ほかのみんなシーンとか、うるさいとか。
伊方原発には1~3号炉があるんですが、3号炉を再稼働させるといっています。これはプルサーマル炉です。福島で黒煙を上げて大きな爆発を起こしたのが、プルサーマルの3号炉でした。伊方の3号炉もプルサーマル炉です。
半島の6~8㎞を平行して600メートル、中央構造線活断層があります。世界最大級の活断層が走っています。伊方原発は、活断層はないとして設計されたんです。1万年前から2千年ごとに大きな地震が起こっていることが明らかになっています。もう、その2千年目に入っていると言われています。
もうひとつ、南海トラフの大地震が高知沖に来ると言われています。国は、マグニチュード9.1を想定して、愛媛県だけで被害額は16.2兆円、死者は16,032人という計算をしていますのに、避難訓練には「地震がきたら」としか書いていないんです。地震が来て原発がどうにかなったらどうするんだ、ということに全く言及しないでいます。たいへんアンフェアな耐震安全性ですね。
それから、瀬戸内海の特殊性があります。瀬戸内海に伊方原発があるわけですが、世界の中で小さな内海に原発があるのは、伊方原発だけなんです。どんな特殊性かといいますと、わたしは、実家が今治なんですけれども、この辺りの潮の満ち引きは満潮時と干潮時で2m以上あります。瀬戸内海の両方から潮が押し寄せて、そして引いていく。毎日、これを繰り返しています。海の狭いところが瀬です。瀬の所では、海は垂直に拡散されます。そこから栄養分を持ってくるんです。だから、瀬戸内海は大変豊かな枠組みなのです。それが移動して灘に入ったら沈殿していきます。そして、また行ったり来たりを毎日毎日繰り返しているんです。この瀬戸内海の海水が入れ替わるのに数年かかるといわれています。
福島は本当に深刻だと思いますが、立地条件としては、福島は一方的に放射能が流れます。瀬戸内海の場合は、往復流という形で貯まっていく。ここに住んでいる人たちは3千万人です。瀬戸内海は昔から大変豊かな海でしたから、たくさんの人がここに住みついています。3千万人が故里を奪われ、そして食料庫である瀬戸内海が奪われるというのが、伊方原発の過酷事故時に起きうる想定です。全国の原発をどこも止めなければいけないと思いますが、伊方原発はそういう特殊性があります。冊子『瀬戸内海は今』に詳しく書いてありますので、是非お読み下さい。
私は「環瀬戸内海会議」の代表をしていますけれども、今年25周年の総会を迎えます。25年間で、ゴルフ場を24カ所止めたり、埋め立てとか、様々な反対運動をしてきました。その中でもっとも記憶に残るのが、岩国です。松山から50㎞程、上関原発予定地から40㎞ぐらい、上関原発と伊方原発の間は40㎞です。とっても狭いところですね。この岩国基地の210ヘクタールというたいへん大きな埋め立てですが、1994年に当時の防衛施設庁が予算要求して、それからどんどん進んで広大な米軍基地の拡張が行われました。
岩国沖は瀬戸内海で最もきれいな海が残っていました。海の中に藻場がある。海の中に森があるんですよ。そこで魚が卵を産み、育つんです。岩国沖に最も大きい藻場、たいへんいいところでした。なぜなら、ここは米軍で、周辺は立入禁止になっていたから。瀬戸内海に残る最後の漁業の場所を埋めてしまいました。
私たちは、ずっと反対運動をしてきましたけれども、今、何が起こっているのか。辺野古の埋め立てと一緒に普天間を閉鎖する。普天間を閉鎖したときに、岩国にKC130空中給油機を3機増やして、今12機あるのを15機にする。それから、厚木から59機の空母艦載機を持ってくる。原子力空母が、瀬戸内海を通ってくる可能性があるということでしょう。原子力を積んだ空母ですよね。それに、世界で初めて米国外に配備するF35Bステルス戦闘機を2017年に岩国に持ってくる。普天間に配備したオスプレイを岩国から全面展開する、ということです。
オスプレイは、岩国から自衛隊高知駐屯地と土佐清水分屯基地へ飛びます。瀬戸内海を飛び、ちょっとずれたら伊方原発ですよ。1988年に事故が起こりました。昨年の3月に四国電力は、戦闘機が伊方原発の真上を通ったと国に申し入れをしています。つまり、ここは普天間への通り道であり、そしてオスプレイの通り道でもあり得るんです。この周りでは、墜落事故とか不時着とかが米軍で起こっています。広島県の方はオスプレイのブラウンルートといいますが、この岩国基地は、極東最大の陸海両用の基地としてこれから機能していく。
私たち「環瀬戸内海会議」は、もう15年くらい前から瀬戸内法の改正をしてほしいと国に働きかけてきました。瀬戸内海は、埋め立てと海砂の採取と、それから廃棄物の持ち込みによって破壊されてきた。瀬戸内法という法律が1973年に臨時法としてできるんですが、この法律には「埋め立ては厳に慎む」と書いてある。それなのになぜこの岩国が埋め立てられ、そして上関も埋め立てをしないと原発ができません。私たちは瀬戸内海を埋め立てるなと言っています。じゃあ、なぜ岩国が埋め立てられたのかというと、瀬戸内法に「陸の環境問題などを解決するためには例外とする」というのがあるんです。何でもやれるんです。だから、この時、岩国は周辺の人たちが騒音被害を受けていましたから、1㎞沖に滑走路を出して、そのための埋め立てはよろしいということになったのです。私たちはずっと、瀬戸内法改正、埋め立て禁止の運動をしてきましたけれども、それは、まさに安保条約そのものを問う問題であったと考えています。
もうひとつ、私たちは瀬戸内法改正で瀬戸内周辺10万人の反対署名をとって国会に請願を出すつもりでいます。去年の暮れから、国会に行って、いろんな議員に会っています。その中で分かったのが、沖縄は土砂が少ないですから、辺野古の埋め立てに使う土砂を黒髪島と二十四の瞳の小豆島から山を崩して持ってくるんです。それが防衛省の資料から出てきました。辺野古の埋め立てが27日に決まるわけですけれども、私たちは、去年の12月24日、沖縄県知事、あるいは防衛省、環境省に対して「辺野古を埋めるな」「瀬戸内海を破壊する」と申し入れに行きました。環境省は、「それは知らなかった」と言ったわけです。私は、沖縄県知事に会いに県庁に参りました。けれども、その頃、知事は入院して安倍晋三と仲良くやっていて、27日にはGOサインが出てしまったわけです。
この写真は、小豆島の山です。瀬戸内海国立公園法ができて、瀬戸内海が日本で初めて国立公園に指定されました。にもかかわらず、こういう形で採石場で石をとっていって、関空とか神戸空港とか、埋め立てに使うわけです。こういう破壊が瀬戸内海国立公園といいながら起こっています。これが、もっとどんどん辺野古のために進むわけです。琉球新報に載せていただきましたが、私は「戦争に使う砂は、瀬戸内海には一粒もない」といって街頭に立ちました。
「環瀬戸内海会議」は、ゴルフ場反対から始まりましたので、「山を崩せば海が変わる」「瀬戸内海を毒壺にするな」ということでやっていました。そして、「瀬戸内海はひとつ」と言って考えてきたけれども、実は、瀬戸内海からじっと環境の問題を見ていると安保が見えますし、世界が見えますし、何よりも国策が全て見えてくる。そのことを私たちは、結論として思い至っています。
それから、もうひとつあります。皆さんは昨日の新聞をご覧になったでしょうか。村上誠一郎自民党議員が総務会で、一人で集団的自衛権に反対をしていますね。私の故郷出身の9期目の議員です。去年11月に「瀬戸内法改正の力になってくれ」と言いに行った時に、彼は秘密保護法に一人で反対していました。そして、「政治というのは如何に戦争を起こさないかだ」とおっしゃったんです。私は、自民党で敵だと思っていたんですけれども、いたく感銘を受けました。そして、原発も「福島の事故の原因が分かっていないのに次に行くべきではない」と言って、安倍晋三に直言しています。そういう人が、自民党で私の故郷にいるということが分かったので、「1月に講演会をして下さい」とお願いして、1月12日に愛媛県の2箇所で講演会をしました。
彼は、いま秘密保護法についで集団的自衛権も「いかんやろう」と強く言っています。そういう自民党の議員がいるということです。敵じゃない。ずっと敵と思ったんです。私は、いじめられて、相当かわいそうな気の弱い人だなあと思ってきたけど、でも、向こうの陣地に私たちは乗り込んでいって、そこに友達を作ったり、そこから穴を開けるということは、やっていいんじゃないかな、そういう人もいるんだ、そういう人を励ますような行動をしていかないといけない。彼は、「非常に孤独だ」と言っていました。自民党の中で外される。でも、「9期目だからできるんだ」とも言っていました。私たちは、右左じゃなくて、平和を守るんだ、環境を守るんだという視点で力を合わせて行きたいなと思っています。
ありがとうございました。
高田 健さん (市民連絡会)
(編集部註)3月22日の講座で高田健さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。
今日は会場に憲法学の大御所の浦田賢治先生がお出でで、難しい問題があって私がわからなくなったら浦田先生に頼ればいいと大船に乗った気持ちで今日はここに立たせていただいています。
私もこのところ全国をかけ歩く機会が非常に多くなりました。多くの市民運動や労働者のみなさんがこの集団的自衛権の問題をはじめとして安倍内閣のもとで憲法がどうなるんだろうか、そして私にいつも求められるのは自分達がどういう運動をやっていったらいいだろうかということです。そういうことで私も比較的学者さんとはまた別の角度からいろいろなところでお話しをさせていただく機会が多くなってきました。そういう話の続きとして今日のテーマの「いま求められる集団的自衛権行使解禁とのたたかい」ということで今日はお話しをしてみようと思います。
レジメの第一に「戦後を戦前に変える安倍政権の特異性」ということで「立憲主義を否定して、憲法9条をないがしろにした」と書いたんですが、実はもうご覧になったと思うんですがこれは今日の東京新聞の一面トップですね。いつも東京新聞はなかなかやるなあと思うんですが、「解釈改憲 国会国民の議論飛ばす ルールを変えずに解釈を変える」と書いているんですね。いま安倍さんがやろうとしていることで一番大きな問題はこれなんですよ。憲法の解釈を変えてしまうという、これほど大事な問題を国民に諮らず、国会に諮らず、安倍さんの内閣によってやってしまうというとんでもないことをやっているんですね。こんな大それたことを考えた歴代政権というのは、たぶん私はないと思います。こういうとんでもないことをいま安倍さんはやろうとしている。これに私たちは立ち向かっていくわけですから結構大変な仕事です。
こんなむちゃくちゃな安倍さんにどう私たちは立ち向かっていくのかという問題を今日はみなさんと一緒に考えてみたいと思います。いろいろなところで話すんですが、戦後と戦前という話がありますけれども市民運動の中ではずいぶん昔から今は戦後なんだろうかあるいは戦前なんだろうか、あるいは戦時なんだろうか、そういう議論が私の周辺でもありました。もう戦後ではないのはだいたいはっきりしているとして、戦前などと言っていていいのだろうかというかなり先鋭的な議論をする人たちもいます。まさにいまは戦時なのではないかというわけです。そこら辺は非常に難しいところですが、いずれにしてもいま戦前になっていることは間違いない。かつての戦前とは違ってあらたな戦前が、いま安倍さんのもとで進んでいるという状況だろうと思うんですね。
このまま突き進んでいけば本当に戦争になるんじゃないか。私は今日ツイッターに書きましたけれども安倍さんは昨日自衛隊に行って発言したんですね。諸君がここで備えておくことがどんなに大事なことかという激励を一生懸命していました。これを聞いていると、この人は本当に戦争をやるつもりだな、普通はあまりそうは思わないんです、いくら何でもいま戦争をやろうと思っているなんていうことはないんじゃないかと疑いたくなるわけですが、最近の安倍さんの話を聞いているとそんな生やさしいことじゃない、本当にこの人は戦争の準備をしている、この国を戦争ができる国にしようと一生懸命やっているということを最近痛感しています。
安倍さんがこの間口癖のように言ってきたことをレジメの冒頭に書いておきました。「戦後レジームからの脱却」「美しい日本をつくる」「日本を取り戻す」、口を開けば安倍さんはそういうことを言うわけです。「戦後レジームからの脱却」、戦後の枠組みですね、その枠組みから脱却をする。あるいは「美しい日本」、どういうふうに安倍さんが日本の美しい姿を描いているかという問題もあるんですけれども、安倍さんはもうひとつ「日本を取り戻す」といっているんですね。どういう日本を安倍さんは取り戻そうとしているのか。たぶん安倍さんによれば失ったものがあるわけですね。その失ったものがあって、取り戻すんですから、昔あったんです。いつの時代かあったんです。そういう日本を取り戻したい。安倍さんのいろいろなフレーズを考えると非常に重要な意味がここに入っていると思います。
戦後の枠組みというのは何だったかという問題がまず第一番に考えてみたい問題です。よくいろいろなところで言われるのは戦後の日本の政治というのは日米安保体制の法体系と日本国憲法の法体系、このふたつの法体系の相剋だったという話、これは亡くなられた長谷川正安先生が言われたことからずっといろいろなところで引用されるようになったと思いますけれども、そう言われます。日米安保の体制と日本国憲法の体制、相対立するこのふたつの法体系の対立。確かに戦後はそうだったと思うんです。そしてそこから先、そのふたつの法体系の相剋は、安保による憲法の浸食の歴史だったと私の友人の内田雅敏さんは言います。私もそうだろうと思います。
しかし考えなければいけないのは一方的に日米安保によって日本国憲法が浸食されてきた戦後60何年だったかどうか、これは私たちのこれからの運動を考える上で非常に重要な問題なんです。安保体系と憲法体系の相剋であることは間違いない。このふたつが相争っていろいろな場でこのふたつの戦いがいろいろな政治の局面を決めてきたことは間違いないんです。しかし同時にこの歴史はずっといわば憲法の負け続けの歴史ではないんです。ずっと日米安保体系が勝って、これを推進しようとした日本政府とか自民党とかそういう人たちが一方的に憲法体系を浸食してきた歴史とは、私は思わないんです。確かにそうなんですけれども、一方では日本の市民運動や労働運動をはじめとして民衆運動が、この憲法を使って日米安保体系、日米安保を進めよう、これを強化しようとする人たちに対して戦後一貫してたたかってきた歴史でもあるんですね。このたたかいの歴史がなかったら、私は日本がいまの安倍さんのこんな時代どころか、10年も20年も30年も前にこういう時代になっていたんじゃないか。
よくとうとうこんな時代になってしまったよね、こんな時代が来るとは思わなかったけれどもとうとうここまでやられてしまったと非常に受け身に考える人がいます。確かにここまでやられてしまった。大変な流れを安倍さんがつくってきた。大変なことなんです。決して容易なことではない。しかし今日ここに至るまでずっと私たちの先輩たちが日本国憲法を道具にして、これを使って、もっと早くこういう時代をつくろうとした人たちに抵抗してきた歴史だと私は一方で思うんです。これを考えておかないと、これからどう安倍さんの攻撃に立ち向かっていくかということの回答が出てこないかなあと思うんです。だから最初にこのふたつの法体系の歴史という話をしながらそういうことを考えます。
安倍さんはときに戦後レジームの中でこれを壊すということは、安倍さんが意味するところはポツダム宣言とそれを前提にした日本国憲法の法体系を安倍さんは本当に憎んでいて、なんとしてもこれを壊したいということが安倍さんの主張だと思うんです。そしてポツダム宣言を受け入れて戦後の日本があるわけですから、そういう中でその延長で村山談話とか河野談話とかいろいろなものが出されてきたわけですね。いろいろなたたかいの中でそういうものがつくられてきた。安倍さんはこれを非常に敵視する。ご存じのとおりです。最近ではこれに対する内外の反撃が非常に強いものですから村山談話や河野談話を検証はするけれどもそれを否定はしないと言い出しました。しかしもともとは安倍さんはこれを否定したいわけです。村山談話も河野談話も否定したい。しかし内外の反対が非常に強い中でこのまま行くとまずいなと思って、そこは一歩後退しているわけです。否定しないなら、見直さないなら何で検証するんでしょうね、という話が本当にわからないんですね。あの人の頭の構造が理解できないのはそこなんです。検証してどうするんでしょう。普通はそれに問題があって何とかしたいということで検証するわけでしょう。いくらなんでも河野談話の正当性を再度立証しようとして安倍さんが検証するなんてまったく思われないわけですね。ですからその戦後レジームを何とかしてやっつけようという安倍さんの考えはそういう中にも出てきます。もちろん先日の靖国参拝などもそうだったと思います。
ただ不思議なことに戦後レジームというのは憲法と日米安保だといいましたけれども、安倍さんはたぶん主観的には日米安保体制を打ち破ろうとは思っていないはずなんです。ここのところもどうも怪しいところがあるけれども、一応歴代の自民党政府というのは日米安保体制は維持するという政治潮流ですよね。ですからふたつの法体系の中で片方だけです、打破するというのは。憲法体制を打破する。
しかし最近どうもおかしくなってきた。アメリカとかヨーロッパから見るともしかする安倍は戦後レジームからの脱却ということで、この日米安保の体制も含めてポツダム宣言体制そのものを打破しようとしているかもしれない。それが靖国参拝であったり戦後補償、戦争責任そういう問題に対して非常に否定的になったり、あるいはナショナリズムを非常にあおる。この危険な流れというのはもしかしたら安倍はそういうこと考えているかもしれない。いま安倍さんが一番信頼して何とかそこにすがろう、日米同盟を維持しようとしているアメリカの本体の中からそういう批判が出ているのはご存じのとおりです。オバマ政権から出ている。あるいはニューヨークタイムスやワシントンポストなどのアメリカの主要メディアからまで、安倍さんの本当の本心はどこなんだろうかということが出ているんですね。ジャパンハンドラーといわれたアメリカの中では一番親日的でそして対米従属体制を日本に維持させようとしてきたジョセフ・ナイとかリチャード・アーミテージとか、そういう人までどうも最近安倍が言っていることはおかしい、もう少し安倍はきちんとしてくれないと困るという注文をし始めた。それが最近の特徴なんだと思います。ここは安倍さんは苦しいところだと思いますね。
いろいろな文書の中で見ると、安倍さんはもしかしたら本当にアメリカとの関係そのものも見直したい。たぶん本心からいえばできれば見直したいと思っていると思うんです。ただ、いま見直すわけにはいけない。日米関係とか世界の全体的な力関係から見て、という程度のことなんだろうと思いますけれどもアメリカはそこを非常に心配しています。
安倍さんは何をやりたいんでしょうといろいろなところに話しに行くと聞かれます。安倍さんは本当に戦争をできる国にして何をやりたいんですか、安倍さんは戦争が好きなんですかという質問を市民運動や労働組合の人たちから聞かれます。これは非常に困るんですね。私も安倍さんから本当のところを聞いてみたことがないのでこの質問は非常に困るんです。ただそういう質問は当たり前だと思うんですね。なぜ、これだけ一生懸命戦争の準備を安倍さんはやるんだろうか、と思う。
それについて、私はこう書きました。「それでも安倍政権はアジアの覇者としての位置を回復しようとして」、やっぱりアジアの覇者ではなくなっている現状が安倍さんには我慢がならないんだと思うんです。私は直接安倍さんが戦争が大好きでたまらないという人間だとは思わないんです。しかし安倍さんが絶対にやりたいと思っているのはアジアの覇者になりたい、アジアで一番になりたい。日本を輝かせたい。彼はアジアで尊敬されたい、ますます尊敬されない道だと思うんですけれども、安倍さんはそう考えるわけです。アジアで尊敬される日本になりたい。わたしは安倍さんが戦争が好きかどうかと聞かれたときにはそう答えることにしています。それで中国や韓国をあそこまでひどく挑発をして、あるいはさまざまなメディアを抱き込んで日本はすばらしい国なんだ、日本はアジアの覇者になって当然なんだという宣伝をマスメディアにさせる。
今日触れることがないと思うので触れておきますけれども、みなさんご存じのとおり安倍さんのいまのメディア戦略というのは本当に特徴がありますよね。NHKのことはいうまでもないですね。籾井さん以下ああいう人事をどんどんやった。それだけじゃないんですね、先日北海道新聞が詳細な記事を書いていましたけれども、安倍さんが官邸にどれだけメディアの人たちを呼び込んでいるか。これほどメディアと癒着して、癒着を進めている安倍さん。その極めつけが昨日です。「笑っていいとも!」に出ちゃった。デモがやられて、「辞めていいとも!」と抗議をしたっていいますけれども。とにかくメディアに出て、メディアを抱き込んで、これを使って自分を売り込んでいく。何を一番売り込むかというと、ナショナリズムです。安倍さんのいまの路線を、メディアを使って徹底して売り込むというやり方をこの間やってきていると思うんです。
そういう意味で私は「この安倍政権が存続することはもはやこの国は戦前に入ったということを意味する」と書きましたけれどもそう思います。この安倍政権を続けさせておく限り私はこの先は確実に戦争になると思います。それが大規模な戦争なのか、あるいは局地での戦争なのか、それはいろいろな場面があると思います。しかしいま安倍さんが突っ走っている道というのは本当に危険です。
市民運動はこの間ずっと言ってきたでしょう。いつも戦争が来る、戦争が来るといってきた。大変だ、大変だと言ってきた。私ももしかしたらそういうことを言ってきたひとりかもしれない。ただ最近はあまりそれが好きじゃなくなったんですね。あまりそうやって脅すなよという、やっぱり冷静に状況を分析して言わなきゃいけない。大変だ、大変だということだけでみんなの危機感をあおって運動をやるようなことはよくないという考えをずっと持ってきたし、いろいろなところでこの何年にもわたって言ってきました。けれども、いまはやっぱりそう言わなきゃいけない、言ってもいいというふうに思うんですね。そういう時代になってしまった、その中味を今日はいろいろな角度から話をしたいと思います。
去年の秋の臨時国会の中でつくられた法律ですけれども、日本版NSC設置法と特定秘密保護法、去年の秋の臨時国会でこれがあっという間に通されました。私も残念で、自分のことをふがいないと思っているのは日本版NSCに対する運動をつくれなかったんですね。多くのみなさんもそう思っていると思うんです。日本版NSCというのは本当に大変な問題だったんですね。特定秘密保護法に対する運動は短期間の間に急速に盛り上がりました。12月6日を最高頂点にした秘密保護法に反対する運動は全国で盛り上がりましたね。ただ私は返す返すも残念なのは日本版NSCに対する暴露と運動をこの秘密保護法程度にやっていれば、私たちはいま集団的自衛権に反対するたたかいをもっと進めやすかった。そういう意味では運動は弱かったですよね。あっという間に通っちゃったですものね。多くの国民がほとんどこれがなんなのかわからない間でしょ。国会で論戦がやられたり、私たちがいっぱいデモで騒いだり、集会をやったり署名をやったりしていれば多くの国民から見てもそうか、日本版NSCというのはそういうものかと思ってくれますよ。それをやれなかったんです。どんなにその結果大変になっているかということを、ちょっと話しておきたいんです。集団的自衛権のことも私たちはそんな二の舞になるわけにはいかないんですね。
日本版NSCができてから、短期間ですよ。臨時国会が終わって1ヶ月もしない間に次々とこの日本版NSCは働いた、というか悪いことをいっぱいやったというか、本当にそうなんですね。防衛大綱それから中期防あるいは安全保障戦略、国の10年にわたる安保戦略だと言われるようなNSC戦略、そういうものを次々につくりました。そして例えば南スーダンで韓国軍に自衛隊の銃弾を1万発貸すという話も、いままでだったらあんなことはあり得ないんですよ。ところがあっという間にこのNSCで話しちゃうんですね。NSCというのは安倍さんを含めて4人の閣僚しかいませんから。安倍さんと考えがまったく一緒。東京新聞の半田さんは、4人だけど1.5人程度のものだと言っています。本当にそうなんです。だから決めるのは非常に簡単。安倍さんがやりたいと思ったら、はい韓国軍に銃弾を貸しましょう。韓国軍が借りたいと言ったからとか言わなかったとか、そのあとあれこれ言い合うような事態になりましたけれども。そして防衛大綱とかもほとんど議論がなくて、NSCで議論して、ここが承認したからということで自動的にどんどんどんどん国家戦略が決まっていくんですよね。
防衛大綱とこの安全保障戦略の中で私は日本自衛隊の歴史的な変質がやられたとみなさんに申し上げているんです。本当に自衛隊の歴史、長いですけれどもこの歴史を画するような変質がこの日本版NSCと安倍政権のもとでやられた。非常に特徴的には私はふたつあると思っています。ひとつは敵基地攻撃論という考え方を取るようになった。敵の基地を攻撃するという考え方。もうひとつは日本自衛隊に海兵隊的機能を持った部隊をつくる。水陸機動団、そういうものをつくった。このふたつが非常に特徴的なことだと思うんですね。日本の自衛隊が敵の基地を攻撃するということはどういうことか。自衛隊はずっと専守防衛を建前にしてきたんですね。専守防衛と言っても、憲法9条からどう見ても違法だと思うんですけれども、歴代の政府はそこを何とか憲法9条のもとでも自衛隊の存在を認めさせるという非情に苦しい、まやかしの解釈をしてきたんです。その最大の根拠が専守防衛――自衛隊は攻められたら守る、攻められたら守るのは当たり前じゃないか、それを理由にしてきたんですね。
今回はそうではなくて非常に具体的に敵の基地を攻撃することを、この全体の防衛大綱やそういう考え方の中で打ち出し始めました。これからもっともっとこの考え方を完成させていくと思うんです。敵の基地というのはどこにあるのかということです。専守防衛というのは日本の領土領空領海の中で守るということです。この日本の領土領空領海の中に外国軍基地があるのはアメリカ軍基地だけですから、アメリカ軍を攻撃するというわけはないんですね。そうすると海外しかない。海外の軍事基地を攻撃するという考え方を、あっという間に、あの臨時国会が終わったあとの一連のNSC以降打ち出した方針の中でつくってしまったんですね。この敵の基地を攻撃するという考え方は「臭いものは元から断たなきゃダメ」という話ですから、危ないものに対しては守るだけではなくて元から断つという話です。これは先制攻撃に繋がっていくんですね。やられる前にやってしまえという考え方に繋がっていきます。
いま先制攻撃を明確には主張はしていませんけれども、敵基地攻撃は可能だと何度も言い始めているわけですから、これは当然そこに行くと思うんです。そして日本の自衛隊が海兵隊的機能を持った部隊をつくるということになって、これは尖閣諸島を口実にしているわけです。尖閣諸島がもし某国の軍隊に占領されたらどうするか。あるいは某国の漁民が大量に襲ってきて、尖閣諸島を占領してしまったらどうするか。これに対して自衛隊は殴り込み部隊を持って排除する。そういう特別の部隊をつくるんだということで、いま水陸機動団を作り始めたわけです。これも私は日本自衛隊の重大な変質だと思うんです。これは決して海兵隊的部隊が出れば尖閣諸島問題だけに対応するわけはありません。この部隊は尖閣諸島問題以外永久に使わないなんていうことはあり得ません。海外の殴り込み部隊になるのは間違いないです。
沖縄でどれだけアメリカの海兵隊が悪いことをやっているか。アメリカの世界戦略の中で明日をも知れぬ命でいつでも殴り込みをさせられる。大統領の命令があったら殴り込みをやる。そういう中でますます乱暴者になって悪さを働く。こういう部隊は日本の自衛隊にはいままでなかったんです。だから陸海空三軍といいますか、三自衛隊体制だった。いま日本の自衛隊は「小さく産んで大きく育てる」ですから、これが必ず日本の自衛隊の第四軍になってきます。そういう道が昨年の暮れに切り開かれたことは、私は非常に大きいことだと思うんですね。これらを本当に食い止めていかないといけない。こういうものがいろいろなかたちで動き出すのを私たちは食い止めていかなければいけないと思っています。
安倍さんは国会で圧倒的な多数を持って、いま何でもできるようなつもりがしている。最近あの人はすごくハイですよね。どうしてこんなに浮かれるんだろうかと思うほど、心配なほどハイになっています。それは大きな議席を持って、その議席を背景に何でもできると思っているんだと思うんです。私たちも安倍さんが次々とやってくるのを見て、厳しいなと思うことは非常にあります。
ただ物事を両面から見ようと、私はいろいろなところで言いますけれども、安倍さんの改憲の動きというのは必ずしも順風満帆ではなかったと思うんです。第1次安倍政権の時がまずそうですよね。2006年から2007年にかけて自分の首相任期中に日本国憲法を変える、日本国憲法のもっともおかしいところは第9条であると啖呵を切った安倍さんは、実際にはあの時期に憲法9条を変えるのはイヤだという世論がどんどん大きくなっていって安倍さんの9条改憲という野望は崩れました。いくつか理由はありましたけれども、安倍さんは自分で政権を維持できなくなって2007年に放り出します。
そこで今度もういちど登場してきた安倍さんです。登場してきたときにはリベンジで、なんとしても自分が第1次政権で失敗したことをやり遂げようと思って登場してきたと思います。そこで少し自分が利口になったつもりなんでしょうか、9条改憲からやるとこの国の世論はなかなかまずい、9条改憲というとみんな一斉にすぐに反発する、だから96条からやるということを考え出した。というか、前から言っていたんですけれども正面に持ってきたわけです。九条の会の運動を私もやっていますけれども、9条と思っていたら96条かとずいぶん言われました。96条って何だという学習会もずいぶん行きました。みんな本当に一生懸命に勉強しましたね。短期間の間に日本の市民運動は非常にこの問題でも勉強しました。最初から知っていた方もいるかもしれませんけれども、やっぱり多くの方は安倍さんが96条改憲を言ってくれたことで、実は憲法の立憲主義に正面から反する安倍さんの企てだということを勉強しました。立憲主義ということもずいぶんと市民運動の中で言われるようになりました。
そしてどの世論調査をみても非常に短期間に、96条を変えるのはダメだと。安倍さんがいろいろな理屈を言いましたよね、あの頃。物事を変えるのに民主主義であったら何で3分の2なんだ、過半数でいいじゃないか。民主主義とは過半数だ。国会のたった3分の1の議員が反対したら憲法を変えられないなどというのは民主主義じゃない。いろいろ聞いた風な説明を一生懸命自民党は当時やりました。しかし多くを学んだ日本の民衆の運動は、この96条改憲はダメだという答えを出したんですね。96条の会というのもできました。その中で安倍さんはもう96条はやれないな、96条を変えるにしても最後は国民投票をやらなきゃいけないわけですからね。国民投票をやったら絶対負ける。彼は「負ける」と言いました、あの当時。「このままでは負ける」と。だからやめちゃったんですよね。大動揺ですよ。あれだけ96条、96条と大騒ぎしたのに安倍さんはやめた。
その次ぎ、少し前からもちろん言っているんですが9条改憲も96条改憲も今のままで、安倍さんが思うような国にしたい。それを考え出したわけですね、考え出したというか強調し出した。その道具のひとつが国家安全保障基本法です。私もこれをいろいろなところで言いました。国家安全保障基本法という舌をかみそうな法律ですけれども、面倒だけれどもやっぱり私たちは国家安全保障基本法とは何かということを早急に勉強しましょう、そしていろいろなところで伝えましょう、これからは国家安全保障基本法が問題ですという話をずいぶんしました。そうだったのに最近これは後ろに引っ込んじゃったんですね。
国家安全保障基本法というのは自民党はすでに骨子を出していて、この骨子はサイトで読めますから是非読んで下さい。その中に書いてあった秘密保護法制とかそういうものが先取りしてやられていますから、勉強したことは決して損したわけではないでしょう。自民党は9条も96条もそのままにして国家安全保障基本法をつくることで、この憲法よりの下の法律、下位にある法律をもって解釈を変えてしまおうとしたわけです。その中に自衛権の行使は当然だということが、すらっと書いてあります。議論になっている集団的自衛権か個別的自衛権か、などという面倒くさいことは言いません。自衛権の行使は当たり前だということになるわけです。とどのつまり集団的自衛権も行使して当たり前であるという、そういうことを書き込んだ国家安全保障基本法をつくる。これによって憲法を変えないけれども法律で決まっている、国会が認めたんだということで集団的自衛権の解釈を変えようとしたんですね。これは過半数でできますから簡単です。国民投票もいりません。簡単です。これをやろうとしました。そして去年やった参議院選挙の公約にも書いてあるんです。「国家安全保障基本法の制定など日本の平和と地域の安定を守る法整備を進める」。ですから参議院選挙の当時は国家安全保障基本法をやる、やると安倍さんは言っていたんです。
ところがまた動揺する。安倍さんは本当に動揺の連続ですから見ておいて下さい。この基本法を作るというのは、過半数でいいといいましたけれども国会に出さなきゃいけないわけですね、そして過半数を取らなきゃいけない。誰が法案を出すか。最初に自民党が考えたのは、公明党は乗ってこないだろうから自民党単独で出すと考えたわけです。議員立法でやる。もちろん、その当時維新の会とかそういうところが賛成すると踏んだでしょうけれども、公明党が乗らなくても国会に出すということで議員立法でやる。国会で決める法律には、よく言われますけれども議員立法でやるのと内閣が出す法案でやるのと、法案審議にふたつのかたちがあると言われています。簡単に議員立法でやろうとしたんですね。
しかし安倍さんは途中で考えたんです。「待てよ、いくら何でもこれは軽すぎるかな」。憲法の解釈を変えるほどの大事な問題を議員立法などでやっていいんだろうかということで、彼は一度方向転換します。閣法でやる。そういうふうに7月22日の記者会見で啖呵を切りました。解釈をただ変えればいいのではなく法的な裏付けが必要だ、基本法は閣法でやるべきだと。議員立法でしたら議員が法案を作るんです、もちろんつくったあと議会法制局がチェックはするんですけれども、基本的には議員が法案を作ります。閣法でやるときには内閣法制局、法の番人と呼ばれる。もうこの間何度も問題になってきたからみなさん十分ご存じの機関ですけれども、この内閣法制局が全面的にやらなければ閣法で提案するというのは無理です。
当時の内閣法制局は、長官がこういう解釈は無理だ、いくら何でも歴代の内閣からずっと日本国憲法9条のもとで集団的自衛権を行使するというのは無理ですと言ってきた、そのままですからこれが邪魔になったわけです。それで小松さんという人を持ってきたわけですね。外務省のフランス大使だった小松さん。これは第1次安倍内閣の当時からずっと安倍さんの言うことを聞く人だったんです。これに目を付けて自分の言うことを何でも聞いてくれそうだということで、小松さんを内閣法制局の長官に据える。クビを切ったらいくら何でも聞こえが悪いということで、ちょうどそのときに席が空いていた最高裁の判事のポストにいままでの内閣法制局長官を「栄転」させる。何のことはない追い出しただけなんですね。こうしてまったく別の畑の外務省から小松さんを持ってきたわけです。
最近小松さんはいろいろなところで物議を醸していますよね。あの人も本当に脱線した発言というのはどこまで言うんだろうかと思う。国会議員とケンカをしてみたり、共産党に質問されたのに社民党の質問の時間を取ってそこで延々と答えてみたり、いろいろなことをやっていますね。これは理由があるということで、人の病気のことはあまり言っちゃいけないですけれども、あの人は本当に具合が悪いんです。具合が悪くて入院していた。小松さんは自分の一生をこの集団的自衛権の解釈の成立に賭けたいと安倍さんに直訴したという話があります。聞いたわけじゃありませんけれども、そういう話がいっぱいあります。そこで安倍さんはその熱心さ、「殉死の思想」に打たれてといっていましたけれども、退院してもらって1週間に1回病院に行かなければいけないんですが、それでやってもらっている。だから小松さん自身非常に追い詰められた気分なんですね。非常に緊張していますし、けんかっ早い。それでしょっちゅう問題を起こしているんですね。だからこの先は本当にどうなるかわかりませんよ。
余計な方に行っちゃいましたけれども、内閣法制局を安倍さんの意のままに何とか動かそうと、そう簡単に意のままに動かないんですけれどもね、いままでの母体がありますから長官のクビを替えただけでそう簡単に動くというものではありませんし、それから歴代の中でずっと積み上げた解釈を変えるというのはそう簡単な仕事ではないわけです。小松さんになったからといって簡単ではないんですけれども、やっぱり小松さんになってずいぶん変わりました、内閣法制局は。そこで安倍さんは内閣法制局を変えて、解釈改憲の道に進もうとしてきたわけです。ただ実際には内閣法制局に努力をさせて国家安全保障基本法案をつくっても、公明党がいま閣内で非常に抵抗しています。それから最近よく見られるように自民党の中にも必ずしもそういう道でいいと思っていない人もたくさんいる。だから国家安全保障基本法で解釈を変えるという道は本当に楽じゃないなと思うようになったんですね。確かに公明党の太田さん、国交大臣ですけれども、安倍さんの考えでだいたいいいよということを言って早々と屈服していますけれども、公明党本体はいまでもまずいと言い続けていますからこれはなかなか、いざ閣法にするというときには太田さんはどうするのか、与党として公明党はどうするのかというのは重大問題で、これではいけないなと思い出したのが最近の安倍さんです。
その考え方を一生懸命裏で支えているのが北岡伸一さんという人です。「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の座長代理ですけれども、この人が前々から言っているんですが、去年の中央公論10月号で言ったのは、この集団的自衛権の解釈変更には3つの方法があるよ。ひとつは首相が談話で言っちゃえばいい、首相がこれから変えると言っちゃえばいいというのがひとつ。ふたつ目は閣議決定をやればいい。3つ目は安全保障基本法の制定だ。しかし安全保障基本法ではなくて前のふたつでやるべきだというのが中央公論に書いた論文です。私もコピーを取って一生懸命読みましたけれども、そういうことを言っています。安倍さんはいまこの道を進もうとしています。だから国家安全保障基本法も、もう追求するのはしばらくやめた。特に2番目の閣議決定でいきたいというのが、いま安倍さんが考えている道です。磯崎陽輔さん(総理補佐官)という人がだいたいのコースを言っているんです。
これからどうしようかということです。4月に安保法制懇が報告書を出します。そうしたら小松さんを中心とした内閣法制局に解釈を変えるのは合憲ですと確認をさせて、法制局もそう言っているんだからということで公明党に働きかける。公明党との与党協議が終わったら、閣内で集団的自衛権行使についての解釈変更の合意をとって閣議決定をやる。今日冒頭に東京新聞の報道を紹介しましたけれども、国会の論議はこのあとやると言うんです。すごいんです。先に閣議で決めてしまう。もちろん国民にも諮るわけはありません。国会の論議がやられたら私たちもその中味が、問題点とかわかってくる。国会の論議に先立って閣議決定をやってしまう。本当にこれはとんでもないやり方になっているんです。
そういうとんでもないやり方を安倍さんは、これもずいぶん新聞で報道されました、2月13日の予算委員会で、憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使を認めるかどうかの最高責任者は私だ、私たちは国民から選挙で審判を受けるんです、と居直ったんですね。だから憲法解釈を変える最高責任者は私だ、国会で議論したり国民の間で議論したりすることは必要ない。もともと私たちが多数になったのは国民の支持を得たからだという、こういう論理でこの閣議決定で解釈を変えることを正当化しました。
その後どういうふうに進めるかというのが、もう少しはっきりしてきました。2月20日の予算委員会の話ですけれども、与党とも協議しながら最終的には閣議決定する方向になる。実際に自衛隊が活動していくためには根拠法が必要だ。閣議決定して案が決まれば国会でご議論をいただく。ですから解釈を閣議決定しても、それですぐに自衛隊が動ける、自衛隊が戦争をできるわけではないんです。いろいろな法律は今のままですから、例えば自衛隊法がある、周辺事態法がある、PKO法がある、全部今のままですからその閣議決定の趣旨に基づいて、これらの法律を全部変える作業ができるんです。
これは結構大変だと思うんです。安倍さんは、これを秋の臨時国会の間でやっちゃうといっています。9月から臨時国会になるかどうか、9月、10月、11月、このへんでこれらの自衛隊法の改定、周辺事態法の改定、PKO法の改定をやって、集団的自衛権を自衛隊が行使できる具体的な法律で裏付けていく。そのときに国会で議論するというんですね。もう閣議決定で憲法解釈は合憲だよ、解釈改憲は合憲だよとしちゃった上で、そのあとで議論をするというのが安倍さんがいま考えている中味です。
もう少し詳しく北岡伸一さんが言っています。北岡伸一さんというのは当初はあまりこの人は重視されていないんじゃないかといわれていましたけれども、どうも最近は安倍政権の中ではかなり北岡さんは頼りにされているようです。北岡さんは「報告書提出後のプロセスについて、政府が行使容認を閣議決定し、自衛隊の行動を定める自衛隊法や朝鮮半島有事などへの対応を定めた周辺事態法、国連平和維持活動協力法(PKO法)の改正に着手するとした。」これでやっちゃう。国家安全保障基本法なんかは二度手間になるからやらない。そのままやってまた国民的議論を起こしたら面倒なことになる。だから直接こちらの諸法律の改正にいっちゃおう、そういうことを言っています。
ですから繰り返しますけれども、この通常国会の間に解釈の変更はたぶん難しいなと自民党はいま思いつつあるんです、安倍さんも。これもまた動揺したんです。もともとこの通常国会の間に宣言をしちゃおうといっていたんですが、いくら何でも世論や公明党の抵抗があって難しい。だから計画としては国会が終わったら、「夏に」というんです。国会がやっていないときです。夏に閣議決定をしちゃおう。国会議員はどこで反対すればいいかわからないですね。野党が街頭で反対するくらいしか方法がないようなことを考えているんです。そして秋に、いまずらずらあげたこの法律をやっちゃうというんです、安倍さんの計画は。どうしてそんなに急ぐのか。いま自民党の幹部たちが言っています。この前の総務懇なんかでも、こんな重要な問題を安倍さんはどうしてそんなに急ぐのかわからない、もう少し慎重にやったらどうかという意見がいっぱい出ています。
でも安倍さんには、急がなければいけない理由があるんです。年末に日米ガイドライン、防衛指針の再改定がもうスケジュールが決まっているんです、日本とアメリカとの間で。日米の防衛大臣、外務大臣の2+2で何度かやってきて、秋から年末にかけて再改定をやる。ここで自衛隊とアメリカ軍との関係とか、そういうのを全部整理し直すというんですね。
ついでに言っちゃいますけれども安保体制でよく言われるのは、日米安保体制の中で自衛隊と米軍の関係は盾と矛の関係だということをわかりやすく言われます。矛、攻撃的な役割はアメリカ軍が担う。日本の防衛は自衛隊が担う。非常におおざっぱ、ざっくりとですけれども日米安保体制の中でそういうふうに分担されてきたんです。しかし集団的自衛権が行使できる、集団的自衛権を行使するとなるとそういうところに止まらないんです。敵基地攻撃もやりますし、殴り込み、水陸機動団もつくっちゃうわけでしょ。もう盾どころじゃないんですよ。攻撃の役割も自衛隊は担っていく。そうすると従来の日米安保体制の了解でいいのかどうか。ガイドラインをどうするのかというのは大問題なんです。それをアメリカが全部受け入れるかどうかというのもちょっといろいろこれから難しいところです。ここまで安倍さんがナショナリズムで突っ走っていると、簡単に安倍さんの言うことをアメリカが認めるということはしないと思いますけれども、何しろアメリカはいま財政難です。もうアメリカの国防軍の軍事費はどんどん減らしている。なんとしても自衛隊の力を使いたい。あるいは思いやり予算を含めて日本の財政を使いたい。だから自衛隊をそういうことまで含めて「やります、やります」と言いだしたときに、アメリカが「おう、よしよし」と言う可能性はもちろん十分にあります。
日米安保体制をどういうふうに見直すかということが控えていますからそれまでの間に安倍さんは全部やっちゃうというわけです。こういう自衛隊の体制になりました、これで行きましょう。日米ガイドラインの交渉に臨む。だから後ろがはっきりしているものですから、今度の国会ではできないとなっても非常に短期間でバタバタと、通常なら1年も2年もかけてやるようなことを数ヶ月でやらなければいけない。安倍さんはそういうところに追い込まれてもいるんです。だからあっという間に次々にやってくる可能性もありまして、私たちは本当にこれらの法律の問題点などをいっぱい勉強して、いろいろなところでいろいろな人々に語り尽くさなきゃいけない。そういう仕事がこのあと迫っています。
安保法制懇という北岡伸一さんが座長代理を務めている懇談会ですけれども、これが非常に大きな役割を安倍政権の中で占めているんですね。しかし何のことはない、これは首相の私的諮問機関です。何らの行政的な位置があるわけでもない。安倍さんの私的な諮問機関としてのこの安保法制懇が4月の上旬に集団的自衛権に関する答申を出すと言っています。実は4月8日に大集会を準備しているんですね。これに何とか反撃しようと思って、いろいろな市民団体がいま70団体くらいが参加しています。これを100団体以上くらいにしてこれに反撃する大きな運動のきっかけを作ろうと思っているんですが、4月8日で間に合うのかどうかちょっと心配になってきているんです。
私的諮問機関で報告書を出して、いろいろな識者、研究者が大丈夫だと言っているんだから大丈夫なんです、と安倍さんは言いたいわけです。14人の研究者、外交官、そういう人たちがいます。何度も言われましたけれども、みんな安倍さんの友達です。第1次内閣の時につくって、ほとんどそっくりそのまま横滑りしています。どういう意見を言うか全部安倍さんは知っています。自分の意見と同じ人だけ選んでそれを諮問機関としてつくって、この人たちの報告書を出させるというのはなんと言うんですかね。「やらせ」とか。本当にひどい話だと思うんです。これがさもすごく権威があるようにいま言っています。こういう私的諮問機関が報告書を出してそれをやるというのは、権力の私物化と言ってそれ以外のなにものでもないと思います。4月上旬に彼らが報告書を出した時点から、また非常に新聞などで問題になります。私たちはこれらについての暴露、こんなものは何の価値もないということを本当に多くの人に暴露していく課題が出てくると思います。
集団的自衛権を行使するということについて話すのはは非常に難しいです。シール投票とかを街頭などでやっている仲間たちがいます。結構難しいと言っています。ずいぶんいろいろなシール投票をやりますけれども「わからない」という人がかなり多い。秘密法のときは「何が秘密?それは秘密です」という言葉がありました。何かこういうのがないかといつも言われるんです。みなさん考えて下さいよ、私に言わないで下さいよと言いたいんですけれども、ただ何か知恵を絞ることは必要だと思うんです。はっきりしているのは、集団的自衛権を行使するということは海外で戦争をすることなんですね。「行使する」ということは「戦争する」なんです。集団的自衛権で戦争をやるということ、ここは非常に多くの人にはっきりわかってもらわなければいけない。これから戦争の準備をするとかそういう話じゃないんです。行使するということは、もう戦争をやっているということです。ここのところを私たちはいろいろに説明して行かなきゃいけないと思います。
おさらいのような話ですが、集団的自衛権というのは、「日本が攻撃されていなくても、密接に関係する国に対する武力攻撃を実力で阻止する権利、これまで内閣法制局は国際法上保有はしているが、憲法9条で許される必要最小限度の自衛権の範囲を超えるため行使はできない」、そういう見解を言ってきて、これがイラクとかそういうところで自衛隊が軍事行動できない、歯止めになってきたわけです。この解釈自身にもいろいろ問題があって認めるわけではありませんけれども、しかし歴代の自民党政府のもとでずっとこういう解釈が政府の公式見解ということで確認されてきたわけです。特にいろいろな国会審議の中で、1981年の鈴木善幸内閣当時に確立された考え方で30年以上にわたってずっと日本の政府はこれに拘束されてきた。あの小泉さんの内閣でもそうなわけです。中曽根内閣でもそうなんです。こういう考え方に拘束されてきた。
ところが最近自民党が言うのは、権利があるけれども使えないというのはおかしい。そういう権利があっていいものかという、一見するともっともな話をするんですね。そういうのは権利と言わない。持っている権利が使えないというのはおかしいと言うんです。でもそういうことはあなた方の先輩が言ってきたわけで、私たちが言ったわけじゃないんです。自民党がそういう解釈を発明してきたわけですけれども、それはちっともおかしいことじゃない。だからいろいろな酒屋談義みたいなところで言われると、「んだ、んだ」ということになっちゃいますから、やっぱり私たちも反撃をしておかないといけないんですね、いくつか。「そうですかね」と言わなきゃいけないんです。世界には永世中立国とかいろいろなことを言っている国がある。この国が自分たちで外国と戦争をやらないのは間違いなんですか。持っている権利を使わないと宣言しているんでしょ。そうですよね。日本国憲法でそういうものはできないと言ったら、それをやらないのは決しておかしいことではないんです。それぞれの国の権利なわけですから。さもわかったように、持っている権利を使えないなどというそんな変な権利はないなどという論理は、私たちは拒否しなければいけないと思うんです。
最後に、これも運動と関係することなので今日どうしても申し上げておきたいなと思ったことなんです。
資料の中にグラフを入れました。市民連絡会のオリジナルのグラフです。これは読売新聞の憲法世論調査です。3月15日にまた世論調査の結果を発表しました。毎年やるんです。読売新聞は言うまでもなく改憲派の新聞ですから、できれば改憲に有利な材料を出したいというのは当たり前ですよね。ですから今回も2月に調査をして、たぶん安倍さんの応援ができたらいいなと社の方では思いながら調査したと思うんです。調査をした結果が、読売が願った結果とはまったく違いました。それがこのグラフと、それから読売新聞のコピーです。実は普通読売新聞が憲法世論調査をやると、必ずその日に社説も書くんです。「これはこういう意味を持っている、改憲が大事だ」みたいな。今回は社説がなかったんですね。笑っちゃったんですけれども。社説に書くだけの気力がなかったのかもしれませんね。いま多くの人たちがこれだけ大変な問題が起きている中で、世論はどうなっているかというのを改憲派の新聞の調査の中から私たちは見ることができる。あとでその細かい数字などを見て下さい。
簡単に言いますと改憲した方がいいかどうかという調査に関して言うと、「改憲した方がいい」というのが42%で、「しない方がいい」というのは41%。なんだ改憲が多いじゃないかというかもしれませんけれども、実は去年よりも9%改憲が減っているんです。そしてほとんど賛否が同数になった。去年と一昨年は20ポイントくらいの差がありました。改憲をしたいという方が、読売の調査では改憲反対よりずっと多かった。それが今年の調査ではほぼ同じになってしまった。特に特徴的なことは20代と70代ですね。本当に20代の中では、改憲は反対だという方が5ポイントくらい多かったんです。70代ではもっと多かった。14ポイント多かった。やっぱりこれは戦争を知っているからでしょうね。安倍さんがいまやろうとしていることに、イヤだと思う人に70代の方が多かった。私は20代が5ポイント改憲賛成より多かったというのも重要だと思います。
このあいだ東京都都知事選がありました。その中で田母神さんが60万票だか取りました。あのあと一部の評論家で言う人がいるんです。私はあまり好きではないんですけれども、若者が右傾化している証拠だ。田母神があれだけの票を取ったというのは、大変な事態がこの国で起きている。いまの若い奴らはファシズムにあおられているという人がいるんです。確かにこの調査でも30代は改憲が多いですから、まったく当たっていないということはない。しかし20代がこういうことになっているというのはいまの説明ではできません。実は私は都知事選挙をやったから知っているんですけれども、私の仲間は田母神陣営の若い人たちといろいろな人と話をしているんです。その報告を聞きました。田母神に入れるか宇都宮に入れるか迷っているというふうに、その運動員たちは言ったそうです。ちょっと理解できないでしょ。あの右と左に見える、このどっちかで迷っているというんです、若者の一部は。
私はわかります。そうなんですよ。昔「希望は戦争だ」といった人がいるじゃないですか。この社会で差別され、格差社会で自分はいつも下積みに置かれている。なんとしてもここが突破できない。自分の将来がよくなりそうもない。戦争でも起きたらこんな格差社会はぶっ壊れるんじゃないか。「希望は戦争だ」だって彼は言ったんですよ。田母神か宇都宮かというときにこの格差の問題、若者の貧困の問題をどっちが取り上げているだろうかということで迷ったというんです。田母神さんは力強い、宇都宮さんもその問題を取り上げている。いまは田母神陣営に来ているけれども迷っている。私は大事なことだと思っています。だから簡単に若者の右傾化といわないでもらいたい。ここにこういうパーセンテージも出ているように、これからの仕事です。この若者たちのところに私たちの改憲反対、戦争反対の運動の声がどれだけ届くか、その人たちとどれだけ一緒にできるかということがこれからの勝負です。いまの若いやつはもうダメだよというのは絶対禁句です。これからなんです。それがこれに記されていると思います。
集団的自衛権、これは行使できないという人が43%です。安倍さんのように解釈でやろうというのが27%です。憲法9条を変えろというのは30%。いまのままがいい、もっと厳格に9条を守れという人を合わせると60%。ダブルスコアです。96条を変えろという人は24%、反対は52%。ですから私は、安倍さんがいま勢いよく解釈改憲を進めようという状況ですけれども、私たちがこれからどうやっていけばいいかということを考えるヒントがこれらの中にあるんじゃないかと思っています。
五百籏頭真という改憲派の論客がいます。五百籏頭さんがこの読売の調査結果を解説しています。彼によれば安倍さんが去年、あの秘密法だのを非常に強引にやったということが反映しているんじゃないかと言っています。まんざら間違ってもいないんです。多くの人がこのまま安倍政治を任せておいたら大変なことになると思い始めていると思うんです。私たちには残された時間はあまりないんです。4月から年末までという、彼らが設定した日程でいえば半年あまりの日程ではあるんですが、その間で本当にどれだ大きな運動を作れるかということにかかっていると思います。秘密法は、残念ながら最後の12月6日まで大きく盛り上がりましたけれども、短期間のうちで間に合いませんでした。あれがあと1ヶ月でも運動があったら、世論を大きく変えていくチャンスになったと思います。実際に安倍さんは、あのあとやりすぎたといっているわけです。こんなに運動を盛り上げちゃったと、彼は失敗しちゃったと思っている。そういう運動を、これからつくる仕事が私たちの前にはあるような気がしています。
最後にお知らせですが、4月8日に、いま70団体くらいの市民団体や労働団体が横並びで連名して、日比谷野外音楽堂で大きな集会をやろうとしています。秘密保護法でいえば昨年11月21日の大きな集会と同じ位置づけです。あそこから短期間で国会包囲とかいろいろなことをやってきました。今度の4月8日の大きな運動をつくることをきっかけとして、全国の仲間にこの集団的自衛行使に反対する運動に立ち上がるように訴えていきたいと思います。野外音楽堂はいま3000人しか入れません。それ以上入れると貸さないといわれるんです。ですから野外音楽の外にもたくさん集まるような状態をつくりたいと思っています。そしてデモも国会方面だけでは何時間もかかっちゃいますから、銀座と国会と両方向につくって国会議員の人たちも呼んで、そういう大きな集会をやろうと思っています。
ここに連帯の挨拶もいただこうと思っています。それは秘密保護法反対の実行委員会と、それから数日前に集会をやった、私もメンバーなんですけれども「戦争をさせない1000人委員会」というものがあります。この大きな団体の連帯挨拶もここで受けようと思います。いまお話しをしているのは日本弁護士連合会、ここの連帯挨拶も受けたいと思います。秘密保護法のときは日弁連が来てくれました。そういろいろな各界の人たち、学者、文化人や報道関係などが集まってこの4月8日の大集会を成功させることをきっかけにして、この集団的自衛に反対する運動をつくっていきたいと思っています。ありがとうございました。