3月15日に発表された読売新聞の全国世論調査(2月22~23日、面接方式)は改憲派の読売新聞の調査したデータであるだけに注目に値する。
これによると、「改憲しないほうがよい」は昨年3月時の調査よりも10%増加して41%となり、「改憲するほうがよい」は9%減り42%となって、改憲への賛否がほぼ拮抗した(この場合、「改憲が必要」というのは9条だけでなく多様な理由があり、その合計であることに留意する必要がある)。この両者のあいだには昨年、一昨年と20ポイントの差で改憲派が多いという流れで、改憲派が過半数を占めたのだったが、これに変化が生じた。この背景をどのように見るかは重要な問題だ。過去のデータでみると、今回のように両者が拮抗したのは、安倍政権が倒れた直後の2008年と政権交代直後の2010年だ。なお、この13年ほどで最も改憲が多かったのは小泉政権当時の2004年で改憲が61%、反対が23%というものだった。ちなみに宮澤自民党政権から、細川連立政権に交代した1993年は、改憲賛成が50%で、反対が33%だった。
年代別では30~60歳代では「改正」が「反対」を5~10%上回ったが、20代では5%、70代では14%、改憲「反対」が「賛成」を上回った。この20代の数字を見ると、先の都知事選での田母神候補の得票数などから「若者の右傾化」という議論をストレートに展開するのは必ずしも当たらないと言うことができる。読売は「30~60歳代『改正』多数派」という中身出しをつけた。
改憲が必要と答えた理由(複数回答)を見ると、「時代の変化から解釈・運用では混乱する」が49%で最も多く、次が「国際貢献に対応できない」が35%、「自衛隊の存在を明記する」は30%、「押しつけ憲法だから」は24%、「権利の主張が多すぎ」が20%だ。
現在、安倍政権が懸命に進めようとしている解釈変更による「集団的自衛権」行使については、「行使できなくてよい」が6%増えて43%、「憲法の解釈変更で行使」が27%で昨年と同じ、「改憲して行使できるようにする」が6%減って22%となった。読売新聞は中身出しで2つ合わせて「集団的自衛権『容認』49%」と書いたが、その実、これも昨年より6%減っており、安倍政権がねらう「解釈の変更」は4分の1しか支持していない。読売紙はこの「集団的自衛権」の項だけ、男女比を示したが、それによると男性は容認が60%で、女性は39%だったという。他の項目でも男女比や年代別比のデータがほしいものだ。
改憲派が究極のターゲットにする憲法「第9条」については、「これまで通り解釈や運用で対応する」が3%増えて43%、「厳密に守れ」が3%増えて17%で計60%が「改憲しない」という意見であり、これは2002年以来で見ると2008年、2010年と並ぶ最高値で、「改正する」が6%減って30%で完全にダブルスコアであり、ここしばらくの読売の調査では最低値だった。現在、国会では与党が「改憲手続き法」の改定を提案し、将来の改憲国民投票にそなえる動きを示しているが、この結果をみると、少なくとも「9条改憲国民投票」で改憲派が勝利するのは夢のまた夢であり、9条明文改憲は相当に困難であることは明白だ。
「第96条」は現状の「現在の3分の2条項のままでよい」が52%、「過半数」に変えるが24%、公明党の一部などにある意見で「『過半数』と『3分の2』を条文で分ける」が14%だった。読売の解説は2つを加えて「改憲賛成派」は38%だったというが、それは牽強付会にすぎるというべきものだろう。反対が過半数であり、賛成は4分の1に満たなかったと言うのが冷厳な事実だ。
例年、読売はこの世論調査と同時に「社説」でその評価を書いてきたが、今年は論評した「社説」がない。安倍政権の応援団の役割を果たしてきた同紙にとって、なかなかそれを正当化する数字が出なかったのが苦しいところだろう。
解説を改憲派の論客・五百旗頭真熊本県立大理事長に書かせている。五百旗頭氏はその冒頭で「国会の憲法審査会が優先的に議論すべき項目として、緊急事態条項と自衛隊が上位にあがった。……国の安全に多くの国民が強い関心を示すのは当然だ。にもかかわらず、憲法改正容認派と集団的自衛権の行使容認派がいずれも減ったのは注目に値する」と結果に「不可解」さを表明した。そして「特定秘密保護法の国会審議や靖国参拝では、安倍首相の政治手法が独善的ではとの危惧を国民に抱かせた。国民は急進的で強引な進め方ではなく、実際的で賢明な対処を望んでいる」と世論の変化の背景を分析した。そして「(米国などの)国際的批判や失望を集めるような進め方は慎むべきだ」と安倍政権にクギをささざるを得なかった。しかし、返す刀で五百旗頭氏は「集団的自衛権に対し、アレルギーが強すぎる」「軍事力を途方もなく強大化し、それを背景に領土要求を強める国が近隣にある状況下では……平和を守る知恵が求められている」「乱暴に日本の領土の現状変更をねらってくる国に対してはきちんと抑止力が働く安全保障戦略を機能させる。それこそが、多くの国民が願っていること」などと、それこそ強引に主張し、「国民」を批判している。
この五百旗頭氏の議論が今回の調査結果とかけ離れたものであることは説明を必要としないだろう。安倍政権と改憲派は今回の調査が示した民意に真剣に向き合わなくてはならない。(事務局 高田 健)
2週続けて大雪に見舞われた2月15日、許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会が東京水道橋、韓国YMCA地下ホール「スペースY」を会場に開催された。回を重ねて17回目、今年も懐かしい顔ぶれが全国から集まった。参加は13都道府県から120人。公開講演会のテーマは「とめよう『戦争する国』づくり」。
司会の菱山南帆子さんは、2003年アメリカのイラク攻撃が始まるや、アメリカ大使館前に座り込み、抗議の声をあげた当時中学生だった方。
冒頭、実行委員会を代表して高田 健さんが挨拶。1996年からほぼ毎年この交流集会を開催してきた。始めた頃は市民運動として憲法問題を掲げる運動はなかった。全国各地で憲法を課題に取り上げねばという動きがあり、無党派の市民運動が交流しながら互いに学び合おうということで始まった。大阪、広島、大分、沖縄等で開催してきた。今日は雪のため新幹線が止まった、飛行機が飛ばないなどで残念ながらここに参加できない人々がいる。参加者の皆さんはその人たちの分も周囲に広めてほしい。安倍政権の集団的自衛権を解釈改憲でやろうとするデタラメな動きを止める第一歩となる集会にしたい。
斎藤美奈子さん
続いて最初の講演は文芸評論家の斎藤美奈子さん。「妊娠小説」「文章読本さん江」等の著作があり、現在東京新聞にコラムを連載中、切り口鋭い批評には定評がある。演題は「安倍内閣の暴走と改憲」。自民党憲法改憲草案の問題点を指摘し、第一次安倍政権以降の教育基本法改悪とそれによる教科書検定改悪の動きや広がる新自由主義史観教科書の採択等、着々と積み重ねられて現在に至っていると指摘。こうした流れに抗するためには従来の決まり文句でない未来志向の反対運動が大事、戦前回帰だ!と言っても戦前も戦中も知らない若者には通じない。広く共感を呼び起こすには「私たちは殺すのも殺されるのもイヤだ」「平和もヤバイが人権もヤバイ」「反戦や脱原発に右も左もありません」など、新しい切り口のスローガンが必要だ、と語った。(詳細は本紙別掲)
高良鉄美さん
琉球大学法科大学院教授の高良鉄美さんは、沖縄の現状を紹介しながら、特に安倍政権が進めようとしている解釈改憲により集団的自衛権行使に道を開く動きを強く批判した。日本の軍事費は世界6位(2010年度)だが、NATO方式で人件費まで含めれば世界3位、海軍力は世界屈指とアメリカが評価するまで
になっている。他方教育費は先進国中最下位だ。国防軍になればさらに法外な予算が振り向けられる。若い人たちにどんどん語りかけよう、必ず理解してくれる・・・。教え子が入社試験のプレゼンテーションで憲法9条・自衛隊の問題を堂々とやって採用された、というお話は印象的だった。(詳細は本紙別掲)
安倍悦子さん
続いて愛媛県議会議員・阿部悦子さんが「伊方原発再稼働反対運動から」の報告とアピール。
1999年、伊方原発反対運動を支援母体に初の女性議員として当選して以来4期15年目に入った。県議会は47名中、野党は自分と共産党の1名の2人だけ、女性、少数派ということで男ばかりの与党議員からさんざん嫌がらせを受けながら頑張ってきた。つい最近も「伊方原発の再稼働に慎重な審議を求める請願」不採択に対する反対討論を1人行った。内海に面した伊方原発の危険性は図り知れない。1988年6月、伊方原発近くのミカン山に米軍普天間飛行場の大型ヘリコプターが墜落する事故があった。原発構内までの距離わずか1キロ弱。事故を起こせば3千万人に影響を及ぼす取り返しのつかない事態になる。辺野古の埋め立てに小豆島の石、黒髪島の砂が使われる。とんでもないことだ。環境保全のための「瀬戸内法」改正の運動に取り組んでいる。(詳細次号)
来賓の憲法改悪阻止各界連絡会議・平井正事務局長が挨拶。2001年以来市民連絡会と共同で5.3憲法集会を続けてきた、生活と結びつけて憲法を考え行動する市民運動を展開していることに敬意を表する。安倍政権の改憲策動の真っ只中で開催される交流集会。秘密保護法成立後も大きな反対の声と運動が広がっている。5.3の運動が質的に飛躍しつつあるのが現在ではないか。
続いて全国労働組合連絡協議会・中岡基明事務局長が挨拶。14春闘のさなか、アベノミクスで賃上げが実現するかのような報道があるがまやかしだ。金融緩和・円安誘導、公共事業拡大・軍事費増強、世界で一番企業が活動しやすい国へ、が安倍の政策。1998年に規制緩和で派遣労働が拡大された。労働者の37.2%が既に非正規だが、さらに一層の派遣労働拡大の労働法制改悪が行われようとしている。非正規や中小企業の労働者と如何につながって運動を作るかが課題。自衛隊に入って重機の免許をとって土建業に、という勧誘が行われている。市民運動、労働運動の垣根を越えた運動を進めていこう。
各地からの報告に移る。講演を終えたばかりの高良鉄美さんが沖縄に戻るギリギリまで参加、日本全体の沖縄化が進むことに強い懸念を示した。
●従来の枠を越えた運動の広がりを求めて、ある宗教団体婦人部と接触、9条を守る、平和を守るという点で一致できた。若い人に憲法を語りかける企画を、ということで宇都宮健児さん、木村壮太さん、山秋真さんのシンポジウムを開催し盛況だった。4月にアーサー・ビナードさんを招いての第2弾を準備中、秘密保護法反対の会もつくった。
●80歳前後の5人で参加した。手作りの紙芝居や歌を広げ、小学校で戦争体験を話す機会もあった。かつて呼びかけられた小学校区ごとの九条の会づくりに再度取り組んでいる。
●呉の軍港機能が強化されている。岩国では米軍機が縦横に飛び回っている。1988年の伊方原発近くへのヘリコプター墜落事故がいつ再現してもおかしくない。
●かつてない危機的な状況なのだが、一時期の九条の会簇生の勢いがなくなっているなぁ、と自省している。最近地下街で反原発署名を呼びかけたら1,700筆も集まった。都知事選の影響で改めて関心が高まったためだろう。
●1999年に結成した教派を超えたネットワーク。1月に「天皇制」をテーマとする全国集会を行った。秘密保護法反対の運動も思想信条の自由に深く関わるものとして取り組んでいる。]
●九条の会で6月にペシャワール会の中村哲さんを招いて講演会を企画、市と市教委の後援をもらっている。右翼からは妨害の陳情が出された。他市でも九条の会の催しに自治体の後援を受けている。
●超党派の取り組みを追求する必要がある。秘密保護法については九条の会と厚木基地爆音防止期成同盟共催で街頭宣伝を行った。
●貧困問題、野宿者支援を30数年続けてきた。2012年の総選挙結果にショックを受け、我々の意思を代弁してくれる候補者づくりを目指したが実現せず、引き続き試みている。
最後に憲法を生かす会の筑紫建彦さんがまとめ。現場から日本が見える、が報告の共通項だった。その現場で様々な工夫をして広い運動をつくりつつある。保守層や中間層へも広めよう、特に若者に働きかけていこう!
〔夜の懇親会では元軍国少女合唱隊!?のコーラスや大分某氏による「九条船」の熱唱など、うち解けた雰囲気のうちにたちまち時間が過ぎていった。〕
前日に引き続き各地からの報告。
●憲法・教育基本法改悪に反対する連絡会を結成して11年、年4回の講演会を開催、初めて日教組の役員を講師に呼んだ。現場では平和教育のマンネリ化が進み、ネタがないと言いつつそれより学力向上に奔る傾向がある。
●九条世界会議関西の報告書を作りあげた。12月1日の戦争はイヤ!御堂筋パレードには2,300人が参加、新聞も大きく取り上げた。
●高校生を防災訓練に動員するなど、自衛隊を浸透させようとする動きが進められている。池子米軍住宅移設問題に注目を!
●東海第2原発の運転差し止め裁判が始まった。山梨では3.11以降毎月11日に超党派で街頭宣伝を行っている。5.3集会実行委員会で取り組んだ集団的自衛権反対の署名難しかった。訴え方の研究・工夫の必要を痛感。
●東京大空襲損害賠償訴訟、昨年最高裁で敗訴となったが運動体は継続している。「空襲被害者援護法」の法制化に取り組んでいる。
●日本人慰安婦のことについても研究している。「慰安婦問題解決全国ネット」をつくり、教科書に慰安婦問題の記述を求める会やNHKへの抗議行動に取り組んでいる。
●慰安婦問題の基盤は社会的な女性差別意識だ。九条の会で毎月定例の宣伝活動を行っている。
●オリンピックと原発との関わりは都知事選ではあまり語られなかった。30数箇所の競技場候補地の放射能測定をしたら自然値の倍以上の値が出た、世界に発信し反響を呼んでいる。自治体議員はオリンピック歓迎の声に遠慮して非協力だった。
●都知事選宇都宮応援で闘ってよかった。この力を集団的自衛権反対の運動につながっていこう。
休憩を挟んで後半は集団的自衛権反対運動の進め方に絞って意見交換された。まず、高田健さんが状況について説明。「国家安全保障基本法」について公明党は反対しているが安倍首相は自公連立は崩したくない。安倍の手法は内容の一つ一つを実現化していくというもの。4月に出る安保法制懇の答申を受けて閣議決定で集団的自衛権容認を打ち出そうと目論んでいる。憲法解釈権は政権にあり、選挙の洗礼を受ければいい、というデタラメな姿勢だ。公明党の太田大臣は安倍に一致という見解。4月にオバマが来日、年末には日米ガイドラインの再改訂がある。靖国参拝への「失望」表明など日米間の矛盾も激化している。事態は正念場、この3月から5月、全国で具体的な集団的自衛権反対の運動を展開して行こう。
●3.11以降災害対策としての自衛隊の評価が高まっている。集団的自衛権で自衛隊の性格が大きく変わるのだとアピールする必要がある。
●米軍空母艦載機の陸上空母離着陸訓練(FCLP)の移転候補地に馬毛島がなっている。川内原発は再稼働第1号になるかもしれない。
●安倍は解釈改憲、立法改憲、実態改憲の3つの手法を使おうとしている。北岡伸一はアメリカだけでなく密接な関係のある国への派兵まで考えている。
●反対運動にわかりやすいキャッチフレーズが必要だ。軍縮・軍備撤廃の運動が必要。私の住む区は「憲法を守る比較宣言の街」これを訴えていく。
●自衛隊員に向けて直接働きかけることが必要だし、できる。
●「今マイクを握っているのは88歳」と語りかけるとビラ受け取りに行列ができる。5月に松浦悟郎・浜矩子講演会を開催する。
●若い人へのメッセージの内容が大切、とお二人の講演者も語っていた。参加しやすいスタイルの行動形態を考えだすことが必要。
●地元で小さな町の平和展を数年来続けている。地元での取り組みが必要だ。
●参院選、福島みずほさんが来た時は50人くらい集まった、三宅洋平さんが来たら500人集まる。インターネットで広がった。
時間いっぱいまで熱心な議論が交わされた。閉会後、午後のスタディーツアー靖国神社見学のためのレクチャーを内田雅敏弁護士から受ける。河野談話、村山談話からポツダム宣言まで諳んじているという内田さんの迫力ある説明に感嘆の声があがる。その後、40人ほどの参加者で靖国神社・遊就館を訪ねた。
斎藤美奈子さん(文芸評論家)
こんにちは。雪がすごいですけど、私は出身が新潟なのでこのくらいで騒ぐなって感じですね。「安倍政権の暴走と改憲」というタイトルを一応付けました。
私がこのお話をいただいたときは、暴走度はたぶん6割くらいだったと思うんですね。そのあといろんなことがあっていまはもう8割くらいの感じではないでしょうか。例えば、去年何をやってくれたかということを思いつくままに書き出してみましたが、特定秘密保護法を始め本当に秋から冬にかけての臨時国会の会期中にずいぶんいろいろやってくれたじゃないの、と思いますが一個一個追いかけていられない感じになってきますよね。
今年国会はもう開かれていますけれども、介護保険制度の見直しですとか労働者派遣法の改定ですとか4月には消費増税もありますし、いわゆる戦争への道、安全保障関係のことと生活まわりのことが両方一気に来るというのがいま安倍政権のやり方なわけです。暴走も止まらないけれども暴言も止まらない人たちですね。「私を右翼の軍国主義者と呼びたければ呼べばいい」と言っている方がいます。これが総理大臣だと思うと、どういう国なんでしょうか。ヨーロッパから見ると「ファー・ライト」と言われていますけれどもまったくそうですね。こういうことを言った方もいますね。「国防軍になったら懲役300年なら300年、死刑なら死刑、無期懲役なら無期懲役」、要するに戦争に行かない奴はこうだ。懲役300年という言葉はこの方のどこの頭から出てくるのかわからないけれども、これが与党の幹事長ですね。こういうことを言った方もいますね。「憲法改正はナチスの手口を学んだらどうかね」。正確には「ナチス政権下のドイツでは憲法はある日気付いたらワイマール憲法に代わってナチス憲法に変わった」。これは嘘で間違ったことを言っているんですけれども、「誰も気付かないで変わった、あの手口を学んだらどうかね」というのは7月の終わりくらいの発言でしたね。この方は財務大臣なんですね。
最近ではNHKの籾井新会長ですが、「政府が右と言っているものを左とは言えない」とおっしゃっていま問題になっております。こういう方もいますね。この間NHKの経営委員になられた、ベストセラー作家百田尚樹さんですけれども、「他国が日本に攻めてきたら9条教信者を前線に送り出すのがいい」ということをツィッターでつぶやかれて結構騒ぎになりました。こういう方もいますね、都知事選に立候補されて60万票も集めた田母神俊雄さんですけれども、「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」。田母神さんは自衛隊の航空幕僚長という航空自衛隊のトップだったわけですが、そのときにこういうことを書いた論文を発表して賞を取り、それが問題になって幕僚長を事実上更迭されたのが2008年でした。そのときは石破さんなんかも、こんなことを言っているなんて信じられないと言っていて政府からも総スカンを食ったわけですが、そのあと軍事評論家になられてすごい人気ですね。
さて、なんでこんなにこのみなさんは好き勝手なことが言えるのかというと、そうだよね、こういうのを聞いていると漫画の国に住んでいる気がしてきますね。SFの国でもいいですけど。これはネットからお借りしました。上手につくる人がいるものですね、「でっち上げたい美意識がある 自滅党」。余りにもすばらしいのでお借りしました。なぜこんなことになったのかというと、もちろんすべての源は自民党のひとり勝ち状況ですね。
今更振り返るまでもありませんけれども。この左側は2012年、一昨年12月の衆院選後の勢力図です。右側が昨年7月の参院選後の勢力図です。衆院の方は3分の2というと320です。自民党と公明党だけで343、とっくに3分の2を超えています。維新も足すと402ですね。すごい数、これがいわゆる改憲派と呼ばれる勢力ですね。それから参院の方は去年7月の選挙は半分の改選だったわけで、参院の3分の2は161です。自公を合わせて135ですから3分2はいっていませんが、みんなとか維新を足せば結構な数ですね。55年体制下のいわゆる中選挙区制の頃の選挙では自民党は過半数を必ず取っていましたが、当時の社会党を始めとする野党で3分の1以上は必ず押さえて、3分の2はいかないということでバランスが取れていたわけですが、小選挙区制になってからガラッと変わる。小選挙区制の恐ろしさとも言えます。だから政権交代も可能なわけですけれども。
じゃあ何で自民党が勝ったのかということを調べてみました。去年の参院選のあとの朝日新聞の世論調査ですが、「野党に魅力がなかったから」という理由でみんな自民党を選んでいる。与党に投票をした人でさえも「自民党が評価されたから」増えたと思っている人は27%しかいない。半分以上の人は消極的選択で自民党に入れた。トホホマークを付けてしまいましたけれども、こんなしょうもない理由で自民党が勝っているわけですね。得票率から言えばみなさんもご存じのように4分の1とか3分の1くらいの得票率なわけですね。
何でこうなったかというと、「ねじれの解消」って去年の7月の参院選ではよく言ってましたよね。決められない政治がいけないということをしきりにメディアが言っていて、これは選挙の翌日の新聞ですけれども、みんなねじれ解消、ねじれ解消って言っていますね。朝日新聞と東京新聞は若干違いますけれども、このとき「良かったね、ねじれが取れて。これで決められる政治になるよ」ということをみんな言っていた。その責任をどうやって取ってくれるんだと思います。
これから、改憲への道に進んでいくのかなともちろんみなさん思っていらっしゃると思うんですけれども、たぶんその前に一個別の山があると私は思っていて、改憲の前に来るのはなんだろうと思うと、教育現場――学校教育が相当来ているという感じがしています。
例えばね、「はだしのゲン」が問題になったのをおぼえていらっしゃいますでしょうか。去年の夏でしたよね。島根県松江市の中学校の図書館から「はだしのゲン」を閉架式にしろ、開架の棚から閉架の棚に移せという教育委員会からの要請があったわけです、学校にね。なぜ教育委員会から学校に要請があったかというと、市民から電話で「あんなものを読ませていいのか、子ども達に」というようなクレームが来たので教育委員会が校長会に進言をして、その校長先生たちが学校に持ち帰って司書に閉架にしろと言った。何でそこでみんなへーへーと言うことを聞くかな、逆らおうと思う校長先生とか学校の司書はいないのか、松江にはって思いますけれども。
そういうことが公になって話題になりました。そのときの新聞記事ですね。「ゲン閲覧 小中学校で制限 松江市教育委員会」「旧日本軍の描写 残虐」。要するに残酷な描写を子どもに読ませていいのかということで問題になったのかとわたしたちは思っていました。でも実は違うんですね。実はもっとすごく政治的な理由です。これにクレームを付けた「市民」という人が言ったのは、ひとつ目は、日本軍は残虐なことを大陸でやっていない、これは史実に反するというのが一個。もう一個は天皇の戦争責任を追及しているのが許せない、ということだったんです。
それはね、新聞をよーく読むとわかるんです。あんまりそういうふうな報道のされ方をしていなかったんですけれども、去年の秋に「正論」という雑誌が40周年記念の総力特集「『はだしのゲン』許すまじ」をしました。40周年の特集が「『はだしのゲン』許すまじ」ですよ。それでこの「正論」をもちろんいそいそと買って読みました、隅々までね。それで「はだしのゲン問題」のどこが出所だったかということを初めてわたしは知ったんです。「新しい歴史教科書をつくる会」というのをおぼえてらっしゃいますでしょうか。「自虐史観」を攻撃したグループですよね。あの辺がこれに引っかかっているんですよ。
例えばどういう場面を彼らが問題にしたかというと、台詞があります。ちょっと読みます。「わしゃ日本が三光作戦という殺しつくし、奪いつくし、焼きつくすでありとあらゆる残酷なことを同じアジア人にやっていた事実を知ったときは、ヘドが出たわい」と言っています。それから「数千万人の人間の命を平気でとることを許した天皇をわしは許さんわい」と言っています。こういう台詞がいかんというのが理由であって、残酷な場面が描かれているからでは全然ないんですね。だから天皇の戦争責任を言っちゃいかん。大陸で日本軍がこんな残酷なことをしたというのは嘘である。南京大虐殺もなかった、従軍慰安婦もなかったという論旨の中での批判が「はだしのゲン問題」だったわけです。
松江市が問題になりましたけれども、その後このチームは文部科学大臣にもこの本を子ども達に読ませるなという要望書を出したりしておりますので、意外と全国的な動きになっていくかもしれません。この問題は一応騒ぎにもなったから松江市は「すいません」ということで、もう一回開架式に戻して一件落着に見えます。「よかったよかった、みんなで騒いで良かったね」という感じがしますけれども、それで終わりではないということですね。だからわりと教科書を狙い打ちにされてきたけれども学校図書館というものもこれからはあるかもしれません。
その教科書自体も結構すごいことになっています。「『自虐史観』を批判する歴史修正主義教科書が席巻中!」というなんか漢字ばっかりの見出しをつけましたけれども、新しい歴史教科書が問題になったのをおぼえていらっしゃいますか。2001年のことでした。「自虐史観」というふうに攻撃するチームが「新しい歴史教科書」を扶桑社から出しまし、検定も通って採用まで行きました。それから市販版というのも出まして、市販版はたぶん100万部近いベストセラーになったんじゃないかなと思います。
この頃「新しい歴史教科書をつくる会」って聞かなくなったと思いませんか。もちろんちゃんと活動は続けていて、結局仲間割れしたんですね。仲間割れして出ていった別のチームが作った、育鵬社というところの中学校の歴史と公民の教科書があります。これは沖縄県の八重山地区でこれの採用を拒否したことで、文科省からちゃんと使えという文句が行ったということがあったりして、ちょっと報道されたりした教科書ですね。ですけれども、これは八重山だけの問題では全然なくて、この育鵬社はフジサンケイグループの100%出資の子会社です。編集は日本教育再生機構という、これも安倍さんのお友達のチームです。
中味はどうなっているかというと、神話を肯定するとか大日本帝国憲法を称揚するとか、侵略戦争や加害責任についてはちゃんと書かないとかですね。それから領土問題についいてはやたら詳しいとか、愛国心条項などについても非常に忠実な教科書ですね。この教科書は自民党が公認というか、公式に推薦している教科書です。特定の教科書を、政党が、政府じゃないから政党が推薦するのは問題ないのかもしれないんですけれども、自民党のホームページで育鵬社の教科書がいかにすばらしいかということを他の教科書との比較表なんかも付いていて、ちゃんと自民党というロゴ付きで推薦しています。
シェアですけれども扶桑社版はたぶん1%に満たなかったんだけれども、育鵬社の教科書は3%台、4%近くなっています。大きいところでは横浜市の市立の中学校は全部これですね。それから東京ですと大田区がこれです。あと東京は中高一貫校なんかもこれです。広島県の呉市とか尾道市もこれを使っています。藤沢市とか結構大きなところが使っています。横浜市の場合は林文子市長という方が、どうも市長選の時にこれを使うということを交換条件なのか要請されたのかで、自民党の推薦で市長選に立ったということも報道されています。ここに「がんばろう日本!」って書いてありますね。
この教科書問題ですが、なぜそんなに騒ぎにならなかったのか。かつてのつくる会教科書の時の報道の大きさから考えると、もっとこれは大きく報道されても良かったと思うんですけれども、全然報道されなかったし、ご存じなかった方もいらっしゃると思うんですね。なぜかというと採用の年が東日本大震災だったんですね。その年、2011年の秋だったのかなので、2013年度からすでに使われているんですが、地震と原発問題にみんな目が行っていたときなので、これはあまり報道もされず目にも止まらないうちにこんなふうになっていたということですね。
東京都の場合ですけれども、東京都は昨年度かな、今年度かちょっと忘れましたけれど、日本史が高校の必修科目になったんですね。7、8年前に揉めたことがあったでしょ、日本史が必修じゃないって。あの辺からいろいろ紆余曲折があって、東京都は日本史が必修になったんです。それ自体はいいと思うんですけれども、東京がつくった副読本が「江戸から東京へ」という近代史の東京だけをテーマにした副読本なんです。この副読本にもいくつか問題点があって、東京都慰霊堂について書いたコラムです。この慰霊堂は、関東大震災と東京大空襲の身元不明の遺骨を納めた慰霊堂で、東京都江戸博物館のとなりにあるんです。
これについて書いたコラムの中で、慰霊堂にある碑には、大震災の混乱の中で数多くの朝鮮人が虐殺されたという記述があったんです。これを書き直せというクレームが都の教育委員会から入って、大震災の中で「朝鮮人の尊い命が奪われました」というわけのわからない記述、「虐殺されました」を「尊い命が奪われました」というふうに直したようですね。猪瀬知事の時ですけれども。教育委員会が言うには、いろんな説があり、殺害方法がすべて虐殺とわれわれには判断できないとかってむちゃくちゃなことを言っています。この副読本を監修した専門家には相談しないで通達が出たそうです。
副読本っていうのは、教科書じゃないので検定がなくていいんですよね。だから何でもある程度やろうと思えばできるという状態です。「心のノート」も副読本ですから、わりと好き放題できる。副読本で、いわば解釈改憲みたいですよね。正規のルートは行かないで横っちょから変えていくというような副読本、こんなのもあったりします。ですからこの1、2年、改憲もさることながら、文科省の動きとか教育委員会の動きを見ていった方がいいと思うんです。
何でこんなことになったのかというと、2007年の第一次安倍政権のときに教育基本法が改正、改定ですけれども、されました。2007年12月、このときもこの間の秘密保護法と同じくらいすごく大きな反対運動が起こりました。だけど全然報道されなかったよね。あのときのメディアはひどかったですね。文句言ってもしょうがないんですけれども。今度はそのときの反省もちょっとはあるんだよね、新聞は。秘密保護法に関しては。あの時本当になんにも運動を報道しなかったということに対する社内からの批判なんかもあったりしたということもあるので。
このとき通っちゃった改正教育基本法のおかげでどうなったかというと、その後愛国心条項なんていうのが入ったりしたわけですね。それで教育基本法が変わると教育指導要領が変わるんですよ。それによって教科書も変わるし学校で教える教科の内容にもちゃんと影響を与えるんですね。だからこのときのことをおぼえていても、その後それがどういうふうな影響を持っているかというのはきちんと調べてみないとわかりにくいんです。よく見るとそれがもう隅々まで効いて、今頃毒が回っている感じです。道徳の教科化とか、「心のノート」とか、それから検定制度を変えると下村文科大臣は言っていますけれども、もとはといえばこれですよね。第一次安倍内閣でおなか痛いって言って安倍さんが辞めちゃったときにざまあみろと思いましたけれども、やっぱり成果は残した。あのときに布石は打ったので、いま続編をやるにあたってこれが彼にとっては非常に使い勝手のいいものとしてあるということはあるかなと思いますね。
もっとさかのぼると、90年代にまさに「自虐史観」という言葉が出てきたときですが、この本をご存じでしょうか。「教科書が教えない歴史」という、のちに「新しい歴史教科書をつくる会」を立ち上げるメンバー達がつくった本です。100万部とかのベストセラーになりました。こういうのみなさん読まなきゃダメですよ。それからね、「新ゴーマニズム宣言スペシャル 戦争論」小林よしのり。これもすごいベストセラーになりました。100万部以上行ったかもしれません。これは1996年とか98年だから、ちょうど15年くらい前です。いまの30代なんかに聞くとこの本がどれだけ読まれていたか、中学生、高校生、大学生くらいで。その当時これらを読んだ人たちが、いま30代とか40歳前後くらいになっていて、田母神さんに投票したりする人たちに目出度く育っていたりするんだと思うんですよ。
学校の教科書の問題はもちろん大きいんですけれども、教科書はしょせん教科書とも言えるのね。学校教科書なんてみなさんあまりおぼえていないじゃないですか。大人はすごく細かい記述、さっきの朝鮮人虐殺問題とかにクレームをつけたり、それ自体はすごく大事なんだけれども、でもね、本当に青少年に影響を与えるのはこういうものだと思うんですね。小林よしりんは、このあと反省してイラク戦争に反対したり脱原発論なんていう本も書いているし、最近では安倍さんに「靖国なんか行くな」なんて諫めたりしているけれども、「お前のせいじゃん」というかですね、「この責任をどう取るんだ、お前は」という感じがしますね。小林よしのりとか安倍首相とかさっきの百田尚樹さんとかみんな同世代なんですよね、斉藤も同世代なんですね。この世代の、このおっちょこちょいな感じ、私はすごくよくわかるんですよ。だから百田さんなんかもこの頃にこういうものを読んで、やっぱり日本の戦争観は間違っていたと思った、という人たちが結構いますね。だからこういうものはね、無視してはいけません。
もう少しさかのぼって、何でこんなことになったんだろう。いまの「ゴーマニズム宣言」がなぜ売れたかということも含めて、みなさんが右傾化みたいなことで心配なさっている現象がなぜ起きたかというと、まずはやっぱり経済が良くないからというのはどうしてもありますね。生活が不安だと若者たちは排外主義になる。これはもう歴史の必然で、ヒトラー親衛隊から中国の紅衛兵に至るまで、若い人たちは生活不安というところで絡め取られていきます。それから日中関係、日韓関係も決して良くないですね。明日にでも中国が攻めてくるようなことが、毎日のように報道されたりしています。それからやっぱりね、護憲派にも問題あるんですよ。ワンパターンの平和教育が飽きられたんだと思うんですね。
それから戦前回帰という理屈。ついわたしたちは、憲法改正しようとしているとか軍事費を増やそうとしているとか、そういうことを聞くと、戦前に戻ろうとしているのかと思うわけです。またあの戦争を繰りかえすのかとかですね、そういうことをすぐ言うわけ。私もそう思うんですよ。でもね、その理屈はもう若い衆には通じない。戦前のあそこと同じになるんだということで、それはまずいと思うのは50代以上ですね。ここにいらっしゃる方はそういう感じかなと思いますけれど。本当は、いまの若者たちが右傾化しているのが心配だという「右傾化」とか、それから「戦前に戻ろうとしている」という理屈は彼らには通じない。
なぜかというと右傾化していると心配になるでしょ、わたしたちは。でも、わたしたちが右傾化していると思っている青少年は、自分が右傾だと思っていないわけですね。私は真ん中です、私は中立で世の中全体が左に寄っているので、私が右に見えるだけで右翼なんかとんでもないって百田さんなんか言うわけ。安倍さんもそう思っていたりするわけ、50代にもなって。私なんかもそうなんですけれども、みんな自分が真ん中だと思っているでしょ。自分が真ん中で正しいことを言っているけど、世の中全体が右に寄っているので私が左に見えるのだと思っていたりするでしょ。彼らもそうなんですよね。だからちょっと論法を変えなきゃと思うんですけれども。
「自民党の改憲草案を読んでみよう」というところでは、ポイントは「国民主権が危ない、基本的人権が危ない、平和主義が危ない」です。全部危ない、憲法の3原則が全部危ないのが、ご存じのように自民党の改憲草案です。条文を拾ってみました。私は憲法の専門家ではないので、私が読んでこれはまずいだろうというところを抜いたわけですが、前文の書き出しですね。現行憲法では「日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて」となっています。改憲案では「日本国は」という国中心になっています。
それから第1条の天皇ですけれども、「天皇は日本国の象徴であり」というのが現行憲法ですが、改憲案では「日本国の元首であり」っていきなり言っています。それから99条は、現行憲法では「天皇または摂政及び」、つまり公務員がこの憲法を尊重し擁護する義務を負うというのが現行憲法です。同じ条項が改憲案では「すべて国民はこの憲法を尊重しなければならない」。これが去年すごい問題になったんですね。というかあきれられたわけです。いわゆる立憲主義というものをこのときに勉強した人がいっぱいいて、憲法は国民ではなく為政者の側、権力者を縛るものである。にもかかわらず国民に憲法を守らせるというのはバカじゃないの、ということでこれは非常に有名になりましたね。現行憲法には国民の義務が3つしか書いてなくて、納税の義務、勤労の義務、普通教育を受けさせる義務ですけれども、改憲案では20個くらい義務があったりします。
それから、基本的人権が危ない。13条です。これは現行憲法では「すべて国民は個人として尊重される」。改憲案では「すべて国民は人として尊重される」。個人の「個」の字が消えました。これ一個消えて何が問題かって思うんですけれども、これ一個の字がすごい大きいんですね。個人の尊厳が守られるかどうかというのは、人というぼやっとした言い方ではないんですよ。だから絶対この“個人”は大事なんです。自民党がなぜこの個人の個という字を消したかという理由を読むと、「個人主義を助長してきたきらいがあるので」と1行書いてあります。そんなことで削るな、お前には個人の尊厳なんかわからないだろうけど、この一字はすごい大きいんだ。
21条、これも非常に問題があります。「集会結社及び言論出版その他いっさいの表現の自由はこれを保障する」というのがいまの憲法です。けれども改憲案に追加された部分がありまして、「前項の規定に関わらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした行動を行い、並びにそれを目的として結社することは、認められない」というのが付け加わる。つまり表現の自由に制限が加わる。これはこの間の特定秘密保護法案のもっとすごいやつ、憲法で表現の自由を制限しようとしている。これは全部のメディアが大騒ぎしなきゃいけないんですよね。これだけでもテレビも新聞もありえないってことを言わなきゃいけないわけなんですけれども、みんなぼうっとしていてわかってないというところがあります。
24条も、新しく加わった条文になります。「家族は社会の自然かつ基礎的な単位として尊重される。家族は互いに助け合わなければならない」。何でこんな学校の生徒手帳みたいなものを憲法に入れるのかということですね。道徳的なことを入れるというのはそれだけでも憲法じゃないんですけれども、なぜこれが入ったと思いますか。わたしたちの感じだと、戦前の家族主義に戻ろうとしているのではないかっていうのを思っちゃうところですけれども、私は違うと思っているんですね。これは非常に新自由主義的自己責任論と一対だと思っているんですよ。
つまり家族、保育であるとか老人介護とか病者とかは基本、家で見ろ。いま片方では介護保険なんかも充実してきているし、自治体レベルではいろいろなことをやっているし良くなっているんですけれども、これは福祉切り捨てのための方便ですよね。全部家でやってね。「だって憲法に書いてあるじゃん」って言えばそういうふうに逃れられるわけですね。「国は健全な財政に務めなければいけない」みたいな条文があって、そこと組み合わせると、精神的に戦前に戻ろうなどというゆかしい話ではなく、もっと現実的なことだろうと思いますね。
それから97条ですが、大事な条文だと私は思っていて、すごくいい条文だなって思うんです。「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」。唐突にこれが入っているのね。何でかわからないんですけれども、96条がみなさんご存じのように3分の2の要件があれば憲法を変えられるという条項です。その次にこの97条が来るんですよ。ということは、これはやっぱり釘を刺しているんだよね。簡単に変えるなよって。これは人類の叡智の結果としてあるんだから、ということがここに唐突にある。この条文を読んでいるとね、ちょっと泣けてくるような感じのすごい深い条文だと思うんです。これを改憲草案では全文削除です。意味がないと思ったんでしょう。
先ほど申し上げた21条の、表現の自由に出てくるんですが、「公共の福祉」が機械的に「公益及び公の秩序」というのに何ヶ所も変えられています。これはどう違うかというと、公共の福祉というのはおそらく基本的人権が制限される場合のことをいっているわけですね。人権と人権がぶつかった場合、例えば窃盗とか殺人とかっていうときは逮捕されますね。それは個人と個人の基本的人権がぶつかった場合には、それは公共の福祉として制限されるんです。けれども公益及び公の秩序というと、これは国の都合で、公の公序良俗に反するといったらば、それで制限することができるわけですね。
「平和主義が危ない」。ここはみなさんも勉強されているので良くおわかりだと思いますが、9条ですね。2項「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」が現行憲法ですが、「前項の規定は自衛権の発動を妨げるものではない」と変えるわけです。
それから新しく付け加わるものが9条の2というやつで、国防軍の新設ですね。「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」。これが9条の2の第1項なんです。国防軍を保持するというのも「どうよ」なんですが、私が嫌だなと思うのは5項というのがあって、「国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪または国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより国防軍に審判所を置く」。これは軍事法廷を設けるということですね、ぶっちゃけたところをいえば。
いまの自衛隊、自衛官と国防軍は全然違うんですね。軍人と公務員はそれくらい違う。いまの自衛官は公務員ですから、警察官とか消防官と同じ扱いです。何かあったら普通の民間の法廷で裁かれます。国防軍ができちゃうと、そこの軍人は審判所、軍事法廷の中で裁かれるということで、もう一個別の権力ができちゃうわけです。そうすると極端な話、市民に銃を向けたとしてもその軍人なり公務員は軍事法廷で裁かれるので、民間の法廷に出なくてよろしいとなるんですね。戦争になるかどうかじゃないんですよ。戦争がなくても軍があるということは、そういうことなんですね。そういう国がほとんどですよ、世界中。でも日本人は、戦後60年そうじゃなくて来たでしょ。そこでこういうものを持ってこられると、軍人とか軍をコントロールする力はたぶん政府にはないし、国民にもないのね。だから明日戦争がなくても、こういうものができるということ自体で国のあり方が大きく変わるということです。
66条ですけれども、内閣総理大臣の要件、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と書いてありますが、改憲草案では「現役の軍人であってはならない」、ここは微妙な言い方ね。現役の軍人であってはいけない、リタイアした軍人ならいいわけですね。そうすると田母神さんだって大臣になれるという理屈です。
この3つ、ざっと見てきましたけれども、いま改憲したいとか言っている人たちはこういうことを知っているのかなって思うんですね。現行憲法もたぶんあんまりよく知らないし、改憲草案もあまり知らないんじゃないかなと思うんですが、その人たちは憲法に対してどういう意識を持っているかというのをちょっと見てみます。これはNHKで去年の憲法記念日に放送された世論調査の結果です。憲法改正の必要がある42%、必要ない16%。これを見ると、もう圧倒的に改憲派が多いみたいな気がするじゃないですか。でもどうなんだろうかということですが、「どちらとも言えない」という人は39%いるんですよ。どちらとも言えないってどういう人だと思いますか?
どちらとも言えないという人は、憲法をわかっていない人なんですよ。知らない、わかりませんということとイコールだと私は思うのね。電話調査ですから、電話が来るでしょう、憲法改正必要だと思いますか、どう思いますかって聞いたときに、何言われているかわからないから、「うーん、どちらとも言えませんよね」。これが大人の対応なんですね。わからないとは言えない。子どもはわからないですって言います。でも大人はね、わかった振りしたがるの。だから、別にアンケートだから何だっていいんだけど、正直に答えないんですよ。それで「まあ、どちらとも言えないと思いますね」とかって言うわけ。それが39%だと私は思っています。その証拠に「わからない」って言っている人は3%くらしかいないんだもん。この39%、40%近くわからないといっているものを、簡単に変えようなんてダメですよ。しかも「わからない」人と「必要ない」って言ってる人を足すと55%ですからね。42%って16%と比べるから多いように見えるけど、半分以下なわけですね。
じゃあ変えたい人はどういう理由で変えたいのかというと、42%の変えたいと言っている人の中で一番多いのが「時代が変わり対応できない問題が出てきた」というのが75%です。「時代が変わり対応できない事」って何ですか、という話ですよね。何ですかっていうと答えられないですよ、この75%の人は。そうするとこれはね、気分改憲なんですよね。気分だけで変えた方がいいんじゃないか、「やっぱりさ、もう60年も経っているし、変えた方がいいんじゃないか」、これが75%です。
護憲派はどうかというと、護憲派も気分。気分護憲ですね。53%の人が「戦争放棄を定めた憲法9条を守りたい」。これはいいと思いますよ。こういう気持ちが日本の戦後60年を支えて来たんですね。だからこういう気分はとても大事だけれども、でもこの人たちもいまの改憲草案をきちんと読んで、ここがまずいとかってあまり思っていないと思う。やっぱり何となく9条を守った方が“いいんちゃうか”というくらいなんですよ。
なので、改憲したい人もしたくない人もあんまりよくわからないで、変えたい変えたくないと言っている。この中味をちょっと見ていくと、確信犯的に変えたい人たちは10%だと思います。それから確信犯的に絶対変えちゃいけないと思っている人も10%くらい。あとの80%は「どちらとも言えない」という「わからない人」と、何となく変えた方がいいかな、何となく変えない方がいいかな、という人だと思いますね。
じゃあ9条はどうかというと、必要である、必要でない、それからどちらとも言えないというのは、公平に見ても3分の1ずつですね。この改正が必要であるという人が3分の1で、必要ないという人とどちらとも言えないというわからない派が合わせると62%。先ほどと同じ結果です。
それから96条です。これは去年96条から先に変えると安倍さんが言っていたので、この96条が話題になったわけです。96条の内容を知っていますかという質問をしています。そうすると、知ってますかと言われるから、まったく知らない15%、あまり知らない30%。
憲法96条を「あまり知らない」と「まったく知らない」ではどのような差があるのでしょうか。「あまり知らない」というのは、「聞いたことはあるかな」という人は「知らない」と言うんです、普通はね。でもあまり愚かだと思われたくないので、こういうふうに答える人が45%。半分近くの人が知らないわけですね。それから「ある程度知っている」というのも「よくわからない」ですよね。3分の2なければ憲法が変えられない、国民投票が必要であるという、それって知っているか知らないかですよ、簡単に言えば。だけど「聞いたことあるかな」というのを「ある程度知っている」と言う人もいるということでいうと、本当にちゃんと知っている人は17%しかいないわけですね。じゃあ96条の改正に賛成ですかと聞くと、賛成28%で反対24%、どちらとも言えない、わからないという人が40%くらいいるということですね。
でも96条は、このあとすごいいっぱい報道されました。それで3分の2の要件が取れなければダメだ、ここから変えるのはダメじゃないかということを、憲法学者とか野党の議員とかいろいろな人が書いたり言ったりした。これは去年の5月の話ですけれども、そのあとみんなすごく勉強したと思うんですね。だからいまこのアンケートを取るとこうじゃない。96条から変えるのは良くないと言っている人が7割くらいに変わりました。だから勉強すればわかるんですね。
いままでのところをまとめると、民意というものは「憲法はわからない」んです。変えたいとか変えたくないとかじゃないんですね。集団的自衛権なんてもっと難しいですから、集団的自衛権を行使できるようにすべきかどうかというときに、思う27%、思わない27%。そしてどちらとも言えない――どちらとも言えないというのはどういう意味だったか思い出して下さい――「わかりません」ということですね。ですから民意は「集団的自衛権って何ですか?」という人たちなんですよ。そういう人たち相手に集団的自衛権を変えようとしています、解釈改憲をしようとしていますと言ってもダメ。全然わからないんだから。だから民意というものは集団的自衛権もわからない、全体もわからないですね。それは、憲法を教えていないんですよ、学校でもどこでも。学校では一応あります。もちろん小学校6年と中学3年の義務教育では公民でやりますが、条文を読ませないんですね。条文のない憲法教育ですね、いまの日本の教育は。なぜかというと恐らく、自民党政権が長かったですから、もともと自民党は改憲のためにできた党ですから、憲法とはって、一応三権分立とか言っているんです、面白くもないね。一応3原則とか習うけど何にも面白くないし、条文ががないわけだから何の感動もないわけですね。そういう教育しか受けていないので誰も条文を読んでいないんですよ。
さっきの続きで言うと、よく学んだことについてはちゃんとした数字が出てくるんです。この間の特定秘密保護法案では、11月の終わりくらいのFNN、フジテレビ系ですから非常に保守的なメディアなんですが、ここの世論調査でも特定秘密保護法は今国会で成立させるべきか――「慎重に審議すべきだ」が82%ですね。それから「政府の都合の悪い情報が隠蔽されると思うか」――思う85%です。
成立後の朝日新聞の調査では、審議は十分だったか――、十分ではない76%、自民党一強体制はよくないことだ、68%。これは自民党に不利なことだとかそういうことじゃなくて、あいまいな答えが少ないでしょ。最初は秘密保護法案なんて誰も何にも知らなかったですよ。憲法よりもっと知らなかった。だけど1ヶ月、2ヶ月いろいろな報道が出て、いろいろな人が反対声明を出しっているうちに学んだ結果なんですよね。だから憲法もこういうふうになっていく可能性は持っているんですよ。
これから世論調査でする質問は、絶対この3つは入れるべきだと私は思っていて、ひとつは「日本国憲法の全文を読んだことがありますか」。どちらかと言えばあるとかないとかじゃなくて、これはイエス、ノーしかないですね。読んだことがありますか、ある程度は読んだ――ないですよそんなものはね。だからイエス、ノー。それから「日本国憲法の3原則を知っていますか」。これもある程度知っているとかはダメですよ、イエス、ノーだけ。それで知っているという人には3原則を言えって書かせるの。そうすると半分くらい間違うから。それで間違ったのはこれだけという統計を出すべきなんですね。つまり知らないものについて変えたいも変えたくもないもヘチマもないわけ。学校で習っていないものについて、国の根幹なのに。改憲が怖いとかいう話じゃなくて、憲法を読ませる、ここからやらないとダメですね。それからついでに変えようと言っているんだから、NHKでは必要と思いますかってくだらない質問なわけですよ。でも変えようという案はあるわけだから、そうじゃなくて改憲案も読んでいただかなくてはならないんですね。それでどっちがいいですかということをちゃんとそこからやらないと絶対ダメで、これは新聞社とかNHKはこの頃さよならっていう感じのメディアですからもはや当てになりませんけれども、やっぱり共同通信とか朝日新聞とかはこれをやるべきだと私は思っています。改憲を問うのはそのあとですね。
さっき未来志向が必要だって言いましたでしょ。「戦前に回帰しようとしているんです、みなさん」って言っても、50歳以上の人しか戦前のイメージがわからないわけです。先の戦争をどこでやったかもわからない人たちがいるわけですね。そういう人たちに戦前回帰、戦前に戻ろうとしていると言ってもダメなので、例えばどういうやり方かというと、「政府は日本を戦前に戻そうとしています」ではなくて、「私たちは殺すのも殺されるのもイヤだ」って言った方がたぶんいいんだよね。
戦後の自衛隊についても賛否両論ありましたよね。あったけど自衛隊は海外に行って誰も殺していないんですよ。銃を向けていない。これは誇っていいことですよ。せっかくここまで築いてきた歴史を「捨てるのか、君たちは」ということです。
いまの集団的自衛権は具体的にどういうことかっていうと、米軍にくっついていって、イスラム圏での紛争にくっついていって米軍と一緒になってイスラムの人たち、ムスリムに銃を向けることなんですよ。中国が攻めてくるのをアメリカが一緒に守ってくれる訳ない。いまも、領空権でも勝手にやりなさいって言っているわけでしょ。そういう事を見ても集団的自衛権ってそういう問題じゃないし、かつて冷戦体制の時にはソ連が明日攻めてくるようなことを言っていましたけれども、「どうだったよ」ということまで含めてね。平和主義を守るには戦前に戻ってはいけませんというのは、もう思考停止なんですよね。私もそうなんですけれども、つい言っちゃうんです。頭にそうインプットされちゃっているので、また戦前になるのかしらって60年安保の時からずっとみんなそうなんですよ。それは50代以上の時はそれだけで話が通じるので、そこでやりあうとして。この前の細川さん応援団の人たちもみんなすごい危機感を持っていたでしょ。鎌田さんとか澤地さんとか広瀬さんとか、私も本当に痛いほどわかるよって思ったけどあれは通じないんだよ、若い人たちには。
2番目に9条だけが問題なんじゃないよということをアピールしていった方がいいです。「平和もヤバイが人権もヤバイ」という。今朝適当に考えたコピーなんですけれども、いまの若者たちは本当にブラック企業ですとか、労働条件が非常に悪い会社で働いていますから、私たちの比ではなく生活が本当に苦しくて不安なんですよね。そういうところで9条が危ないとか言ってもさ、そんなものより明日の生活だとなる。反原発より明日の生活だよという人たちなのね。でも彼らの人権なり生活権を脅かそうとする改憲なんですよ、これは。新自由主義と結びついて福祉を切り捨てていく、自己責任に帰していくという制限がすごく多いのは戦争したいように一見見えるけれども、そういうふうにしてもっと生活が苦しくなるような格差を固定化していくような改憲の方向ですから、そうするとみんなの不安とかが高まって暴走とか起きやすくなるのね。そうなるのを見越して、あらかじめ結社の自由とか表現の自由をストップさせておこうぜというのとセットだと思っているんですね。だから戦争をしたいわけじゃないかもしれないんだけれども、それよりも格差社会、階級社会みたいなものを固定化させていく方向であるとなれば彼らもわかるんです。戦前になる、9条が危ないと言うよりも生活を脅かすものだということを「憲法を読んでご覧、わかるから」っていうふうにすることだと思いますね。25条の生存権を守ろうという運動、雨宮処凛さんなんかが貧困問題をやっていましたが、そこにアピールしていかなければいけないと思います。
右傾化問題ですけれども日本はますます右傾化していますと言ってもわからないわけ。だから「反戦や脱原発に右も左もありません」、これですね。イラク戦争の時にピースパレードがあったでしょう。あのときの「イラク戦争、やめようよ」という若者たちがいま脱原発デモとかにずっと繋がってきているんだと思うのね。 彼らはイデオロギーじゃないんだよ。でもやっぱり戦争は嫌だね、原発は嫌だねと思っているそういう人たちの動きとつなげていくってことだと思います。
本日のまとめですけれども改憲への道は学校教育から始まっている、そこをちょっと見ていって下さい。それから人びとは憲法を知らない。「どちらとも言えない」というのは「知らない」ということ。これからアンケートを見るときは「どちらとも言えない」とか「ある程度知っている」というのは、「わからない人」というふうに見て下さい。それから 戦前ということを強調するよりも明日に向けたアピールというのかな、それを私も私なりにみなさんもみなさんなりにやっていきましょう。終わります。ありがとうございました。
(本文の文責は全て編集部です)
高良鉄美さん(琉球大学法科大学院教授)
ご紹介いただきました高良でございます。高いに良いと書いて髙良と読みますので英語では「ハイグッド」と言いますけれども。
先ほど斉藤さんの方で9条教というのがでてきましたけれども、ネットで9条教の教祖と書かれていたことがありましてびっくりしました。平和というのは見えないものではありますけれども、でも現実としてはあるということは非常に大切なことだと思います。沖縄の問題というのは、実は沖縄から日本がよく見えるということがありますけれども、ぱっと見ると沖縄から日本は見えないんですね。もちろん何千キロもありますから。ただ沖縄から見るというのは、客観的に見ると非常にいま怖いです。何でこうなったんだろうというくらい、理解しにくいんですね、いまの日本の政治状況というのは。もうひとつ沖縄でいま起こっていることを見ると、日本で起こっていることとも共通したことがいっぱいあるんですね。先に小さい沖縄で始まっているという面があります。そういうことも含めて今日は沖縄の状況のお話しをしたいと思います。
まずオスプレイ。どうですか。大変な感じに見えますけれども、これはたった5機ですよ。沖縄には24機飛んでいますよ。この5倍近く飛んでいます。私の家の上も通っていきます。本当は通らないところなんですけれども、通っています。琉球大学のところも本当は通っちゃいけないんですけれども、毎日飛んでいます。大学も抗議をしているとは言うんですけれども、弱く抗議しているのかどうかわかりませんけれど。
最近、中央大学からの留学生を含めたグループが沖縄平和学習ということで先週の木曜日に沖縄に来て、ちょっと話をしたんです。会うなり「今日はオスプレイを見ました」と言うんですね。「とてもラッキーでした。2機飛んでいました」と言うんですね。ラッキーじゃないですよ、毎日飛んでいるし、見せ物でもないと言うんですけれども、やっぱり全然違うので、こういう光景があるのかということを、観光ではなくて住んでいる場所でそういうことがあることを感じると、いまの日本の全体が見えてくるんじゃないかなと思います。
いま問われることは何かというものです。憲法の改悪の問題もあります。でもその憲法改悪のもとは何なのかですね。それから沖縄でいろいろなことが強行されようとしています。辺野古の基地の問題ですね。これも何が問われているのかということです。そしてさらに原発の問題でも再稼働について何が問われているのか。共通項は何なんだろう。そういうことがまず大きな問題提起としてあります。
憲法について。沖縄の場合は復帰して42年目に入りました。沖縄ではすごく米軍機が飛んでわーわーやっていたので事件事故が起こって、いろいろなデモもずいぶんありました。でもこれも抑えられているし、いろいろ禁止されたりした時期が実は40年くらい前まであった。また現在も始まろうとしています。これからすると、憲法をつくるということについて憲法の理念、いまの憲法ができたときの理念というのは、アメリカの理念だったかという問題なんです。「押しつけ」というのは、最近は9%くらいしか思わないわけですけれども、ただ子どもたちはまだそうは思っていないですね。どういうことかわからないけれども、というようなことがあって、ひとことGHQの話などが入ってくると「それは押しつけだ」みたいな感じに受け取るんですね。
立憲主義の話は先ほどもありましたけれど、安倍首相は最近、憲法についてどう思いますかと聞かれて、憲法というものの役割について彼が言ったのは「国家権力を制限するという考え方もありますけれども」ということです。いや、そうじゃないですよ。それは考え方のひとつじゃないですよ、それなんです、憲法というものは。安倍首相は勝手に考え方のひとつにしてしまいますけれども、それは絶対王制のルイ何世とか、そういう時代の憲法の話でいまはそうじゃないと言うんですよ。いまは何かというと「国のあり方を語るものだ」というんですね。「美しい」と最近言っていますけれども。
このあいだの建国記念の日のメッセージを、歴代の首相で初めて出しましたね。その中に「美しい」という言葉が3回出ているんですよ。800字の中に。「誇り」という言葉が4回出て、「先人の」という言葉はさらに4回出ているんですね。だから「美しい先人の誇り」みたいなものがわっと何回も出てくるんです。そういうことですけれども、この立憲主義、憲法をつくるという意味がわからない。ただ私の思う国のあり方だけだ、というようなそういう憲法観を持っているということです。
ところが、私たちの憲法が制定されたときの帝国議会の議論がどうだったかということですね。これは実にすばらしい議論をしています。特に制定の理由ということを、芦田均、当時憲法制定委員会の委員長をしていました。国会議事堂は空爆を受けていないんですね。そのまま帝国議会のビルなんです。みなさん国会に行かれて中に入った途端、これは帝国議会だという雰囲気があるんですね。変わっているんですよね、あの中というのは。
そういうものからすると、中で議論したんでしょうけれども、1946年6月25日から憲法の議論を開始します。このときは梅雨の時期で、窓を開けて外を見なさいと言ったんですね。私たちがどんな憲法をつくるのか、窓を開けると国会は残っているけれども、いまのこの議事堂は残っていますが、議事堂のまわりが瓦礫ですね。この瓦礫は瓦礫としてあるのではなくて、いまは家になっているわけです。そういうものに住んでいるわけです。なぜこうなったのか。そしてこれは戦争がもたらしたと言っているけれども戦争がもたらしたということだけじゃなくて、この戦争そのものに対しての日本の責任もあるということですね。これも大きいということも言っているんですね。日本だけじゃなくて人類の問題だと言っているんですね。同じ光景がロシア、中国、ロンドンでも、上海でもこんな感じなんだ、空爆を受けて。ロンドンでも空爆を受けている。連合国として戦争に勝ったといっているところも、同じなんだということですね。
そういう問題の中でどう考えますかというと、この生活をどうやって立て直していくかということで、福祉ということが初めて憲法25条に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が入っているわけですね。これはもうまさに「国民は健康で文化的水準の生活を営む権利を有する」と言ったのは憲法研究会の案ですから、ほとんど同じですよね。そういう中で生まれてきている。基本原理は特にそうなんですよね。誰がこんな戦争をしたの、誰が決めたんですか、私たちがやろうといって決めたんですか。おかしいじゃないですか、ひとりで決めないで下さいという問題ですよね。なぜこうなったんだろうという問題も平和の問題なんですね。もちろん人権というのも問われてくるんですね。
先ほどあまり「戦前回帰」と言うのはいけないということでしたが、でも歴史というのは繰り返すんですね。今年2014年、100年前、ご存じですよね、第1次世界大戦が1914年ですね。そのときの繰り返しはあるんですね。第2次世界大戦がありました。やっぱりどうやって動いてきたんだろうということを考えると、第1次世界大戦は本当はすぐ終わる予定だったんですよ。2ヶ国で終わる予定だったんですね。それがヨーロッパ全部を巻き込んでしまったということです。
安倍内閣の中で戦争についてどう表現しているかというと、日本は戦争に巻き込まれたような言い方をしているんですね。戦争が天災のように降って湧いてきて、これに耐えてきたと言うんです。建国記念の日のメッセージにもそういうことを書いています。敗戦ということを反省しなかった人たちがいるんですね。自分たちが悪いんだと思っていない人たちがいる。そういう認識があるんですね。村山談話の話がありましたけれども、そういったものも本当にまったく感じていない、そういう人びとがいらっしゃるのも確かなんです。これが先ほどのようなかたちで「はだしのゲン」の問題とかいろいろなものが上がってくるわけですね。
御前会議というものがありました。この御前会議でポツダム宣言を受け入れることが決まりました。1945年7月の話です。しかし私たちが教科書で習ったのは8月14日ポツダム宣言受諾です。20日位違うんですね。なぜ違うかというと、いったん受け入れると言ったのを、受け入れるなという軍部の圧力があって黙殺する。このほぼ10日後くらいに広島、長崎に原爆が落ちるという状況があった。こうやって決める問題について、このときの運命はこちらで決まっているようなものなんですけれども、そうすると改憲案の中味はやっぱり戦争に対する反省が入っていないんですね、全文を見ても。ところがいまの憲法はその反省の上に立っているということがはっきりしているんですね。全世界の問題としてですね。
国と国民が一体化するというのは、いまの安倍首相のメッセージの中にも一体化ということが含まれているんです。国がすべて、国に問題が起きると国民もみんな巻き込まれる。同じだから国民は国を大事にするということがあるわけです。かつては「一億玉砕」というスローガンがありましたけれども、そういう一体化ですね。国民国家というものはそういうものだろうということはあるんですけれども、そういうかたちがいまもある。いまのかたちの中で軍事力を増強していっている、あるいは安保の中でそういうことを進めていくという中で、残った人びと――戦争体験をされた方も今日もおられると思うんですが、沖縄にももちろんたくさんおります――いま沖縄で辺野古の問題、普天間の問題を一所懸命ずっと張り付いて毎朝7時からゲート前にいらっしゃる人たちが多いんですね。そういう方々はほとんど年配の方です。でも私たちがやるべきことだ、生き残った人がやるべきことだということで、がんばっていらっしゃいます。その中には80代のアメリカ人もいるんです。自分も同じだということですね。
残ったひたとたちがやるべきことは、軍事力を増強することなのかということなんですね。そういうことではないはずですよね。いまの軍事の拡大というのは、日本の軍事予算というのは決して少ないわけじゃないんですね。いま世界で6位です。2010年の資料で6位です。ところがこの6位という数字にマジックがあって、自衛官の手当が含まれていないんですよ。世界の軍の維持費、軍事費というのは軍人の手当は全部入っているんです。そういうのがNATO方式なんですよね。日本は別のやり方で軍事費を示しています。ですからNATO方式に日本の軍事費を入れますと、世界3位なんですよ。それがさらに5年間で25兆円増やすという話をしています。そうすると「えっ」と思いますけれども、これはやっぱり信頼を得ないといけないわけですね。もちろん増やしてはいけないわけですけれども、そういうかたちでそのまま軍拡していいんですかということも、もう一方にはあるということです。
この図は「地獄の黙示録」の映画ではなくて自衛隊です。私もこれを見たときは最初どこかなと思ってしまいましたけれども、こういう状況だということですね。海軍力、最近は日本海のことを東海と言おうとしているかもしれませんが、日本が海に囲まれているのは地理的に事実です。それで海軍力です、問題は。日本の海軍力は、軍事費で見ると実際は世界3位、アメリカ、中国に次いで日本です。海軍力はアメリカが日本を評価しているんですね。日本のいわゆる駆逐艦、この数はアメリカの第7艦隊、太平洋艦隊を遥かに凌いでいるというんですね。海軍力に関しては、アメリカが言うんですよ、恐らく世界一だろうと、そういう状況です。イージス艦があるということが大きいんでしょうけれども。アメリカの評価です。
集団的自衛権が今日のひとつのテーマですけれども、これは先ほど言った第1次世界大戦がそうなんです。集団的自衛権から始まっているんですね。つまりセルビアの青年がオーストリアの皇太子を暗殺したという問題で、オーストリアがセルビアを攻めて終わり、というのが第1次世界大戦の本来の終わり方だった。何日かで終わる。ところがこれにセルビアにロシアが付く、オーストリアに対してドイツが付く。そうするとイギリスが出てくる。それで結局いろいろあってふたつに分かれるわけです。自分たちのグループとあちらのグループで、自分たちは直接攻撃されていないけれどもグループを攻撃した国を攻撃する。それがヨーロッパ全部に拡がったわけです。もちろん領土争いもありました。どちらかが勝ったらどちらかを獲るということですね。この集団的自衛権というのは戦争が誘発されやすいということなんですね。
安保条約が問題になった砂川事件、いまは砂川町はなくて立川市ですね。その第一審でだされたのは、米国が行う戦争に巻き込まれるといって、安保条約や米軍が憲法違反だと言ったわけですよ。これが懸念されるのがいまの問題です。集団的自衛権というのはもちろん憲法に書かれているわけではありません。まったくつくり出してきたものですよね。国連憲章に集団的自衛権、個別的自衛権を概念的に認めているのはありますけれども、砂川事件では集団的自衛権は認められないと言っています。個別的自衛権も認められない。では何かというと国連の安全保障の中でやるんだということですね。
そういうことでいうと憲法を解釈で変えるという解釈改憲は、言葉は明文で変えるということよりちょっと柔らかい感じがしますけれども、実は一番たちが悪いんです、憲法から見ると。そんなこと書いてないのに、勝手にするなよというのが解釈改憲ですよ。
これは変な話です。憲法はもともと権力を制限するものですから、ここに書いてあること以外はやるなというのが憲法なんです。勝手につくり出してはいけませんよというのが憲法なんですよ。それを解釈でつくりますよ、ということになると、憲法自体のあり方に対しての挑戦です。解釈改憲というのは、憲法ができたときにはそんな言葉はまったくないです。ずっと後に、PKOのところから出てきたんですね。解釈改憲なんていうのは憲法の教科書にもないわけですよ、そのときには。いまも解釈改憲というのは教科書の項目にありません。ただ項目にはないけれども、憲法の変わる可能性の問題として解釈改憲が出ているけれども、という教科書なんですね。そういう意味では本当に自己矛盾させてるような、解釈をしてはいけないよといっているものを、解釈で勝手に変えるんですよという言葉です。
戦争の歴史というのは、戦争のやり方とか歴史とかきっかけというのは、実はローマ時代から変わっていないんですよね、人間は。相手が悪いというんですね。攻めてきたらどうするんだ、だから先に攻めようとか。それは本当に第1次世界大戦よりずっと前、古くはギリシャの時代ですよね。ギリシャのマラソンという言葉ができたマラトンの戦いもそうです。いまの解釈改憲、これをやっていこうと強く打ち出しているのは、明文に入れようとしたわけですね。改憲という、いまの憲法改悪を進めようということで、自民党の案が発表されました。それがそのまままともに集団的自衛権のことを書くと、これは難しい、しかもいまややそういう考え方も入っていますけれども、それを今度はまともに自民党案の中には入っているんですよ。
そうなるとやっぱり反発も大きいだろうということで解釈改憲を先にする、それが浸透してそれを明文化するんだなということで抵抗が少なくなるという計算をしているわけですね。解釈の仕方が先に来るということですね。この問題は国会で集団的自衛権がありますと認めるものでも何でもないわけです、政府解釈ですから。法律でも何でもないんですよ。この集団的自衛権を認めるというのは。そういう法律はないわけです。ですけれども解釈で認めるということになりますから非常に大きな問題点があるということです。
もう一方では憲法を包囲しているということで法律、特定秘密保護法もそうでしょうし国家安全保障基本法はまさにそれに当たるわけです。すでに国家安全保障会議はできています。設置法で法律ができて憲法が残っているという状況。そういう状況にいまある。ただし憲法が、将棋でいえば王将だけが残っていますけれども、使い方ではこの王将が勝てるということ、そういうことで改憲を許さないというわれわれの力にしていまの憲法を広めるということがとても大事ですね。
私はいま法科大学院で憲法を教えていますけれども、もう一方では市民運動というか沖縄県憲法普及協議会というのがあり、その活動をしています。これは復帰の直前にできたんですけれども、沖縄で憲法を普及させようというものではないんです。沖縄から憲法を日本に普及させようというものなんですよ。復帰の時に憲法が危ないという。だから沖縄では復帰の時の返還協定にすごい反対をしたんです。基地をそのまま残すというからおかしいんじゃないですかということで。ですから憲法を普及させるということがいままさに重要なことだろうと思います。
よくネットでも出ていますけれども、いまの首相は法の支配と言って、しきりに中東のオマーンでそういうことを言いましたね。法の支配とは何かというと、法律の支配ではないわけです。法律でいったん決めたルールを守りましょう。契約の安全とか経済交渉の安全を確保するために、決めたことを守りましょうという。それを法の支配と言っているんですよ、彼は。中東の諸国やアフリカ諸国、アジア諸国が日本と協定を結んだり契約を結んだりしたときは、その通りやりましょうねということを言っているみたいですけれども飛んでもない話です。
法の支配というのはそういうレベルの問題じゃないんですよ。人が勝手に自分の考え方で、もちろん契約もそうでしょうけれども、そういうものを結んでも、憲法という一番上にある法がこの契約はおかしいぞと言ったらこの契約はダメになるんです。これが法の支配です。ですから法というのは、この場合憲法を指しているんです。法律の支配じゃないんですよ。この法律での決め方はおかしいというのが憲法、これが法の支配です。ところが首相が言っていることは全然違うんですね。その辺の意味もわからないとよく言われますけれども、本当にわからないですね。憲法を小さいときに勉強しなかった。小さいどころか大学で法学部に入っても勉強しなかったというのが、いま首相ですから。どういう宣誓をしたんでしょうか。「日本国憲法を守り」というのが公務員の憲法宣誓義務ですけれども、考えていないということですね
「戦争の臭い」というのは、多くの方も経験された方もすでにご存じだと思うんです。戦争の臭いというのは、本当にホワーンとくるのがわかると思います。軍事体制という、福祉体制じゃなくて軍事体制に向かうというものができているのあれば、これは間違いなくそこに向かうということなんですね。国家安全保障会議設置法、これはもう改憲案の中に、行政権は内閣に属するというのがいまの憲法です。行政は内閣に属するんですよ。内閣が全部見るようになっているんです。ですから自衛隊もそうです。内閣が見るんです。防衛大臣が全部自衛隊を見るんじゃないんです。最終的には内閣が見るんです。これがいまの憲法なんです。
ところが国会安全保障会議というのは4名で国家安全保障を見るといっているんです。内閣が外されているんですね。この総理大臣、外務大臣、防衛大臣、官房長官――官房長官は国務大臣です。この4名の大臣は内閣じゃないんですよ。内閣のメンバーではあるけれども大臣の数としては4分の1もいないんですよ。これが大事なことを決めるというわけです。これだけで憲法違反の問題が出てくるはずなんですね。アメリカではそうなっているからといって日本もそうするというのは問題なんです。
そこで歴史を見ますと五省会議というものがあります。これは総理大臣、陸軍大臣、海軍大臣、外務大臣、大蔵大臣ですね。この5名で当時のいろいろな軍事関係の選択を決めていた。そこに陸軍大臣と海軍大臣がいるわけですし、総理大臣も軍人ですから答えは決まっているわけです、軍の考え方で。国家安全保障会議は総理大臣、外務大臣、防衛大臣、官房長官といますけれども、防衛大臣は、いまは制服ではありませんけれども改憲案では制服だった人でもいいわけです。現役であってはならないというのがありましたね。現役の軍人であってはならないんですけれども、昨日軍人だった人を指名したら現役じゃないんですよ。こんな状況があるんですね。これは戦前の話ではないけれども少なくとも軍事体制という意味では共通しているんですね。
それから防衛大臣というのは、最近は新聞などでは当たり前になっていますけれども、本来あらわれてきてはいけない言葉です。日本国憲法、見たことはありますかというと、見たことはあるとか、わからないという人はいないと思うんです。1条から始まりますけれども、その前の前文から「日本国民は」となります。この前文と1条の間に何があるか見たことはありますか。大臣の名前が書いてあるんです。大臣の名前がずっと書いてあって、憲法ができたときには防衛大臣という名前はもちろんないです。あのときは自衛隊もできていないですから、そんな大臣はないんですよ、憲法の中に。それを国務大臣として防衛庁の時に入れたんです。それが勝手に防衛大臣になったらおかしいんですね。このときにもっと大きな議論があってしかるべきですね。しかも2008年に防衛省ができていますから、まだ5年ちょっとですよね。どうして残りの13名くらいを差し置いて、あの4名の中に入っているかですよね。こういう体制になるということです。
この漫画を見て何だこれはと思う人は多いかもしれません。これはいまの高校生の間ではやっているものなんです。だから戦車とか軍の問題とか戦争ゲームというのは普通に入ってくるんです。武蔵という名前があって日章旗が出てきている。現在とミックスしているので、それこそ今風になっているということです。武器輸出3原則を緩和するということは、経済界から出てきましたね。それでもう緩和されている。
この武器輸出は何だということですけれども、実は当のアメリカがナチスに売っていたんです。ナチスの戦車はアメリカのものを使って動いていた。車輪がどこでエンジンがどこで、ジェネラルモータース製とかフォード製とかですね。経済もだんだんそうなってくるというのはアメリカの例を見れば、アメリカはもう軍需産業がなければアメリカの経済はいまよりもずっと下がってしまう。これに依存しているわけです。この武器商人というかたちでアメリカは東南アジアも含めて全世界に危機感をあおって日本にも「オスプレイ買わんか」といって、自衛隊は「いる」というわけですよね。何10億もするものを自衛隊は簡単に予算を出すんですよ。「請求している」と本当に簡単に書いているんですね。
それだけじゃなくて、軍需産業というのはゲーム会社も産業なんですよ。軍需産業です。アメリカの国防省のもとでやっている米軍は、入るときにゲームでやっているんです。シミュレーションを。ゲーム会社というのは大変な影響を与えるんですね。ゲームだけじゃなくて、子どもが銃を撃つ、バズーカ砲のおもちゃというのがアメリカにあるんです。4歳くらいの子どもがやっているテレビのコマーシャルがあるんです。そのおもちゃは売れるんですね。そういう事態があるということです。いまはもう抵抗がないんです。これも子どもの価値観をずいぶん変えている。戦後すぐの世代とか、戦前から戦中にかけて経験された方とはまるっきり価値観が変わっている。ですから先ほど斉藤さんが言ったようにいまのやり方できちんとやらないと、昔の話を持ち出しても価値観が違うので、どうやって憲法を大事なものとして普及させるかということですね。
「国民の情報操作の芽がありますか」というところですが、これはもうはっきり今度できたわけですね。秘密保護法という、まだ実施されていませんけれども恐らく今年施行されますね。いま国家安全保障局をつくるということですが、これに自衛官はいっぱい入ります。制服組がこの保障局の中に入ってきます。そうすると情報操作がそこでの役割になるわけです。秘密を保護するわけです。そこでのやり方というのは、前の大本営が全部握って発表したのと同じで、発表するものとしないものを分けるわけです。しかもそれを取り扱うものを非常に厳選することになりますね。
それから先ほどもあったNHKの役員の問題ですね。報道機関がどうしてこういった体制に対して消極的なのか。報道の介入ということですね。これは戦前がそうだったというまたさきほどの話になりますが、これは戦前だけの問題ではないですよ。世界中がいまそうでしょう。何も昔の話ではないんですね。そういう体制があると、もう走りますよということですね。
教科書の話です。道徳の教科を求めるといっています。この道徳の教科は何のためかというと、いじめ問題というんですよ。道徳を入れて、道徳を強化しようとする国家権力が、どこかをいじめてませんか。いじめをしているでしょう。本当に道徳を守って下さいよと言いたいくらいですね。
それで竹富町です。西表島が一番大きくて竹富島は小さいんですけれども、全体の名前は竹富町です。こちらではいま東京書籍を使っています。強制的に3つ一緒じゃなくてはいかんと言って、残りのふたつが育鵬社の教科書に決めたものですから、西表を含むこの竹富町は拒否したんですね、おかしいということで。ですからいま教科書は無償じゃなくて、東京書籍を買って授業しています。教科書無償法というのがありますから、それには反するんですけれども、別に無償じゃなくていいと言えば国は何も言えないはずですけれども、国は言ってくるんですね。「変えろ」と。
いまあるのにどうして変えろとわざわざ言うのか。しかも法律違反と言ってもその法律は何かというと、3つの地域で1つを選ぶようになっているんだから、竹富町が違反したということなんですね。3つのところが1つでいいなら、石垣市と与那国町が違反しているんじゃないのということですね。教育委員会ではそうやったわけですけれども、これは教育長が採択会議の中で勝手にやったということです。文科省は直接司法に入ってくるということですね。教科書の中に、あるいは教育の中に国が土足でどんどん入ってくるというのは「軍国主義教育の芽が出ていませんか」ということです。「はだしのゲン」もそうですよね。そういう面がもうあるということですね。
愛国心の教育というのはすごいですけれども、天皇の元首化も入っていました。ところが国旗国歌の尊重というのは改憲案の中に入っています。なぜ改憲案の3条にこれを入れたのかということです。さらに国民は国歌を尊重しなければならないということを憲法に入れているんですね。アメリカの憲法にもないですよ。アメリカは毎朝歌っているじゃないかといいますね。あれは歌いたい人は歌って下さいと言っているんです。歌いたくない人は歌わないで下さいということです。それは州によって違うからです。町によって違うんです。というのはアメリカには文部省はないんですよ。教育省というのはありますが、地方には入れないんですね。全部州がやります。
そして三矢研究ですね。このシナリオでは北朝鮮が攻めてきた、飛行機が来たときに首相がテレビに出て愛国心に訴えるということがシナリオになっていたんです。三矢というのはどういう意味かというと、一番多い説はロシアの方から北海道方面に攻める、朝鮮半島から攻める、中国が台湾方面を攻める。3つから来たときの3つの矢ということと、もうひとつは1963年にこの研究があったんです。昭和38年だから、3と8で三矢といわれているのもあるんですね。こういうかたちが出ていませんかということです。
民主主義の問題ですけれども、最近でもテレビで民主主義は、ということが言われますけれども、多数決だと思っている。つまり多数決だったら民主主義と思っている国会議員が多いんですね。
私は参議院の公聴会で、実は帽子をかぶったまま話したんですけれども、何回も取れと言いに来ました。でもどうして取らないといけないかと何度も行き来をして、これで20分のやりとりをして、どこにそんなことが書いてあるんだと言ったら、国会の傍聴規則に書いてある、帽子ではダメなんだと。それでも例外はないのかと何度も何度も行き来させたら、もうすでに中継が始まってしまったんですね。何度言ってもわたしがノーというものですから、「えーっ」という委員長の声が中継が始まった途端響き渡りました。ですから他の議員にもういいですかということで、帽子をかぶったまま始まった。ですから私の国会の議事録の中には、私の発言は「帽子の件についてはありがとうございました」という発言から始まっているんで、何のことかわからないんです。写真があればわかるんですけれども。多数決でしょ、ということをこの公聴会で言われたんですよ。いくら先生がそんなことを言ってもね、国会は多数決ですからと言うんですね。
そんな問題じゃないでしょ。民主主義は多数決と言っているんじゃなくて、民主主義には土台がないと民主主義にならないんですね。それは何かというと、十分判断材料が提供もされていないのに決まりましたといったら、これは多数決と言ったって民主主義じゃないんですね。判断材料が隠されて、みんながわからない。さっきのアンケートのわからないが60%いて残りがちょっとだったら、これは多数決でしょという言い方になるわけですよね。判断材料が提供されているか。それから人権が侵害されないように尊重されているか。これをクリアしないと民主主義とは言えないわけです。多数決で宗教を決められますかということです。これは民主主義ですかね。日本の宗教をこれにします。キリスト教がこれだけで、仏教はこれだけだから日本の宗教はこれにしましょうということを国会で決められませんね。これはそういう問題ですね。
隠す、隠さないという問題も適正な手続きが取られているか、勝手に隠しているだけの話ですよね。それから言論の自由も圧殺されたり打ち切らされたり、特定秘密保護法なんていうのはいろいろ質問している途中で終わっていますよね。打ち切って可決されました。そういうもののかたちだと、もう民主主義と言えないんですよ。しかも建国記念の日の首相メッセージには「我が国は平和で豊かな民主主義の国家として生まれ変わりました」と書いているんですよ。本当にそうですかということですね。
さらにまた憲法には、一地方公共団体だけに適用される法律は、そこの住民の同意がいる、賛成がいるんだ。いくら法律をつくっても、この法律は、例えば沖縄だけに適用されるといったときには、沖縄の住民がOKと言わないと国の力ではできないというんです。ところが「永田町にも民意がある」と言ったんですね。これは嘘でしょ。本当に永田町に民意があるという言い方をしているんですよ。沖縄の名護の問題で。名護で建設反対の稲嶺氏が圧勝した。政府が一生懸命てこ入れした候補が負けたんですね、あんなにやっても。1月19日の4日後、「永田町にも民意がある」。ちょっと意味がわからないですね。名護の民意はわかりますよね。名護につくろうとしているわけですから。防衛政務官が言っています。
憲法95条で、なぜ法律が多数決で決まっても一地方だけに適用されるものはそこの住民がOKと言わないとダメなのかという趣旨をわかっていないということですよね。
最後ですけれども、沖縄の現況です。最初は、知事は屈してはいけませんよという応援だったんですよ。知事はがんばっていると12月25日のクリスマスまでそう思っていました。大変なことをやりましたね。みんなが飲み屋でよく言うのは、「ブルータス、お前もか」。そう思ったというんですね。沖縄選出の自民党の国会議員、みんな県外移設と言った人たちです。この前にいる人は勝手なことをやっている人たち、500億円を沖縄にあげますと言った大臣でもない人ですね。それで27日から抗議活動に変わります。本当に私たちもぎりぎりまで知事をサポートしていました。だから裏切られたということが大きいので、いまリコールをどうするのか、県議会にいたっては辞任を要求した決議をしました。
このリコール運動には実際には具体的にどれだけの署名が必要ですかということで、沖縄県の100万人の有権者を計算すると、地方自治法に書かれていることでいうと24万弱の署名が必要なんです。これはしかし、ただの署名じゃないんですね。住所、署名と印鑑がいるんですよ。街頭でやるにも印鑑を持って歩いている人って、そういないですよね。これで24万集めるというというのは大変ですから、いま一生懸命策を練って一気にキャンペーンをしてやろうといろいろ動いているところです。実はこの名護市長の応援ということでもないでしょうけれども――実は応援だったんですけれども、海外識者29名が声明を出して、辺野古中止ということを提言しました。オリバー・ストーン監督やチョムスキー、ジョン・ダワーとかたくさんの人々が出しました。これを日本語で出すときに、実は私がチェックをしまして、沖縄についての表現、基地が何%ということなどを直したりして、それが日本語訳として、全訳は別の方が担当しましたが、そういうことがありました。海外の動きもあるということですね。
ところが、民主主義の国家になりましたと言った政府が、民主主義じゃなくていろいろ押しているわけです。市長が当選したその2日後に、反対を表明した市長が当選したのに辺野古に業者の入札をした。これは民主主義ですかということなんです。辺野古はいま市長が地方自治法上の権限で止めると、一生懸命がんばっているんですね。これに対してまた自民党の、県外と言っていた人が、反対運動は当初から対策を取って下さい。反対運動が起こるからと言った。はじめから対策を取るということですね。反対運動が始まってからでは遅いという言い方ですね。始まろうとしたらすぐ捕まえるという言い方ですね。
抗議活動は違法でもないのに、抗議することは違法ではないんですよ。でもどんな反対運動かわからないですよね。中に入っていっていろいろやるならまだわかりますけれども、まだこの時点では反対運動はそういうものでもないのに。名護市長はいま一生懸命、自分の権限で何ができるのかということを研究しています。私の名前も出たんですが、私もサポートしています。私は琉球新報に出ていなかったので安心したんですが、沖縄タイムスには私の名前が市長権限にどんなのがあるかということをサポートしている研究者グループということで載っていたのでびっくりしましたけれども、そういうことです。とにかく法律でやっていこうということですね。
結局いろいろな条件がありますけれども、知事は普天間を5年以内に運用停止してくれ、地位協定も変えてくれ、こういうことを条件として認める、承認をするといったんですね。首相は最大限努力すると言っているわけですね。最大限努力すると言った。そのことをアメリカに提案しません、ということが新聞に出ました。外務大臣はアメリカに行ったときに、アメリカにこの5年以内の運用停止は提案していません。2月9日の新聞です。その条件で認めたんでしょうということです。
それから去年の今頃ですね。1月に建白書、沖縄から41市町村長、市町村議会そして県議会も名前を連ねて、オスプレイ配備撤回とかいろいろなものを出した建白書というのがあるんですね。これは政府に手渡したんです。これをどうするか、防衛省などは、これは行政文書だ、行政文書だから2年経ったら廃棄する。あんなに一生懸命いろいろやったものが簡単に廃棄されるんですか。そうやって扱いますと言っているわけです。こういうことからすると沖縄だけじゃなくて、海外もそうですけれども、いま日本国民はダメージですよね、閣僚の発言、言動で。いろいろなかたちで、外から見ても日本国というのはどういう国なんですかという見方をされるということです。
ケネディ大使はよくわかったと、5年以内の提案もしなかったところが、よくわかった、大統領にも伝えたということです。伝えてみますということは言ってはいるようです。本当に伝えるかどうかわかりませんが、ケネディ大使にはあまりにも期待が大きすぎるようなところもありますが、ちょっと怪しいところありますね。ケネディ大使が来たときには琉球新報は英文で出しているんですね。ケネディ大使がわかるように、県民の声ということで出しています。どういう伝え方をするかということもありますけれども。
いま普天間ゲートに行くと面白いですよ。リボンで絵が描かれています。ところが米軍などはこの金網に、なんと油を塗り始めたんですよ。リボンができないように。そこまでやるのかと思いますけれどもね。秘密保護法があってこの人たちも一生懸命やっているんですけれども、数も減ってきています。騒音調査をしようとしているところにも、秘密保護法でいうと中の秘密を調査しようとしているとか、捕まるんじゃないかというようなことも聞こえてきます。オスプレイも夜間に飛んでいますので何月何日何時頃に飛んでいたということも秘密の問題と関係してくるということが言われています。
最後ですが、君が代です。私の高校の時の恩師――古文の先生でしたけれども、この先生がこういう歌を新聞に投稿したんですね。「基地の島沖縄 千代に八千代にさざれ石の 巌となりて苔のむすまで」、本当にこうするつもりですかというすごい皮肉です。これは私の先生ですけれども、すごいことを投稿したなと思いましたね。「次の世代にも安心して暮らしを引き継いでいくことは我が国の責務である」と首相は言っていますけれども、沖縄の次の世代って安心して暮らせますか。この基地が辺野古にできたら。ということです。
もとに戻りますけれども、問われていることは何なのかということですが、やっぱり憲法の3原則ですよね。本当に国民主権で、平和主義で、人権を尊重していますか、ということが問われているんです。憲法そのものではあるわけですけれども、そこにある理念が問われているということです。警察官が普天間のゲートの抗議活動でもこんなに来るわけです。ジュゴンもいます。V字型も入札が始まるわけです。説明では、ここで止まってここで飛ぶということだったんですが、普天間でいまやっているのはタッチアンドゴーですから、ここで止まるわけないんですよね。
米軍ヘリが落ちた沖縄国際大学は、いまはあとかなもなくビルの黒い壁もなくなっています。外から見えないです。木は生い茂ってきました。緑が回復しています。焼け焦げた一本があるだけです。それをいま見ると全然違うんですね。当時は大学が隠れるくらいの、米兵がいるから落ちた瞬間でもない、相当時間が経ってもこうだった。「歴史は繰り返す」じゃないですけれども、1960年に小学校に落ちたことがありましたけれども、やっぱりそういうことはある。オスプレイにいたっては事故率がずっと高いんです。大学に落ちたヘリよりも。それを考えると、また巡るわけではないですけれども、最初のオスプレイの画像がそういう意味だったということで時間です。どうもありがとうございました。(本稿の文責は全て編集部です)
「想像力と複眼的思考~沖縄・戦後補償・植民地未精算・靖國」
(内田雅敏著 スペース伽耶発行 A5判296頁 定価:2000円)
評者・小川良則(市民連絡会事務局)
今年1月、市民連絡会の事務局長の内田弁護士が「想像力と複眼的思考」と題する新刊を上梓した。内田弁護士と言えば、戦後補償等の分野で、法廷活動以外の場でも広く活躍されている方であり、したがって、本書も、強制連行と戦後補償、歴史認識等を主なテーマとしており、第4章に実際の裁判の現場レポート的なものが盛り込まれてはいるが、決して法廷弁論の解説ではなく、より根源的な「ものの見方・考え方」を問うような内容になっている。
第1章は、大学での講義に対する学生からの意見や感想への返信という形をとりながら、戦後日本の原点について語っている。中には「知覧に行ったことがあるか」といったかなり刺激的な感想もあったのには驚いたが、年を追って少なくなっていく戦争を体験した世代が後に続く世代に自らが見聞きしたことをきちんと伝えていく努力が足りなかったのも一因かもしれない。返信の一つとして掲載されているのが、本書のタイトルにも関連するが、「自分で考え、複眼的な思考を」という一文である。そこでは、「いろいろな人の意見を聞き、自分で考え(中略)、両者の意見が違うのは何故だろうと考えること」が重要であり、「戦後補償の問題を考える場合ならば、条約は、法律はどうなっているかという問題よりも、まず被害者の蒙った損害(中略)についてどう想像力を働かせるか」であると述べている。執拗にヘイトスピーチを繰り返して恥じない人たちに聞かせたい言葉である。
靖国問題と従軍「慰安婦」問題を取り扱った第2章では、「死者への思いが(中略)目を曇らせる」と指摘しているが、読んだ瞬間、思わず「言い得て妙だ」と膝を叩いた。旧軍の大陸での蛮行に関する議論が噛み合わない要因の一つに「あの祖父がそんなことをする筈がない」とか「父は犬死だったのか」いった反応があげられる。確かに、晩年は好々爺だったかもしれないが、そういう人でも人格が狂わされてしまうのが戦場という異様な状況下なのであるし、「犬死」と認めるに忍びないからといって、前提となる事実まで否定していいことにはならない。問題は、そうした遺族たちの素朴な心情に付け込んで、「追悼・慰霊を隠れ蓑に」して、敗戦と平和憲法の制定によって決別したはずの「聖戦思想」が今なお臆面もなく展開されているところにある。2月の全国交流集会で遊就館をご覧になった方々は、この章の意味するところがよくお判り頂けることと思う。
そして、こうした戦前の侵略行為を否定する妄言が後を絶たない構造を説き明かしたのが第3章で、一つひとつ具体的な史料を提示しながら南京大虐殺否定論を論駁した上で、返す刀で尖閣問題に便乗した中国脅威論を批判している。石原慎太郎にしても、橋下徹にしても、河村たかしにしても、まさに、英国の文学者サミュエル・ジョンソンの「愛国主義はごろつきどもの最後の隠れ蓑」(156頁)と言う表現がピッタリである。そして、それだけにとどまらず、互いに一歩も退けなくなりがちな領土問題を、資源問題・漁業権問題ととらえることにより、ウィン・ウィンの関係に持ち込めるのではないかという解決の糸口も提示している。
弁護士の「本業」とも言える法廷活動のレポートである第4章で取り上げているのは、「君が代」の伴奏を拒否した教員の懲戒処分取消訴訟、強制連行が問われた花岡事件、連続企業爆破事件、ポツダム宣言受諾後に治安維持法違反で有罪とされた横浜事件の再審など、それぞれ、その問題だけで一冊の本が書けるくらいの深遠なテーマである。ここでは、「日の丸」・「君が代」の押しつけにより画一化が進む社会に対して、著者は「皆なちがってみんないい」という金子みすずの一節を提示する(173頁)。また、政府間による求償権の放棄や時効が壁となる歴史問題の解決には、和解が望ましい(195頁)と説く。ただし、裁判所で和解書面に捺印して終わりではなく、「相互の意思がやわらいでとけあう(中略)という真の和解へとさらに深めていく」必要性を指摘している。横浜事件の判決が「無罪」ではなく「免訴」であったことについては、廃止された不敬罪で起訴されたメーデー事件を引き合いに出しながら、形式論理に終始した論理の貧弱性を突いている。そして、その根源的な問題として、戦前と戦後の連続性を切断できなかったことを挙げている。「明治100年」等といった連続性が強調される(実際にも、司法も含めて官僚制は戦後にほぼそのまま引き継がれた)ことにより、1945年8月15日を境とするパラダイム・シフトが見えなくなっているという指摘を重く受け止めるべきであろう。
最後の第5章は「読書ノート」だが、「いま、憲法改正をどう考えるか(樋口陽一)」は、とりわけ現下の情勢において一読の価値があろう。できれば、原著も併せて読まれることをお勧めしたい。「理念と現実の間の緊張に疲れて理念を捨てるのか、それとも、理念と現実の開きを目の前にしてなお、理念を語ることのカッコ悪さに耐えながら現実を理念に近づけようとするのか」という投げかけは、私たちが常に肝に銘じておく必要があろう。
小林 新(市民連絡会)
2011年3月11日に起きた東日本大震災から3年。早いとみるか遅いとみるかは、人によって違うと思います。私は、もう3年たったのかという思いと、まだ3年という思いがあります。実際、地震・津波で被害を受けた地域の現状を、メディアにより正確に報道されているのかわからない状況で、自分の目で見てこようと思い、宮城県女川に行ってきました。
なぜ、女川かというと、ひょんなことから「女川さいがいFM」の人達と繋がりができ、その時から1度は女川へ遊びに来てほしいと誘われていました。3月16日(日)に女川で復幸祭がおこなわれるということなので祭りにかこつけて、初めて訪問しました。女川町の現状を見ることと女川の人達との交流を目的に行ってきました。
女川町は町の70%が津波で被害を受け、人口の約1割の命が奪われました。宮城県内でも最大の被害を受けた地域の一つです。被害状況は、女川町の公式発表をご覧ください
<女川町の被害状況>(女川町公式サイトhttp://www.town.onagawa.miyagi.jp/から)
最大津波高 14.8m:港湾空港技術研究所調査
浸水区域 320 ha:国土交通省被災状況調査
被害区域 240 ha:宮城県発表
人的被害 町人口:10,014名(2011.3.11時点)
死者:569名(2014.3.13現在)
死亡認定者:257名(震災行方不明者で死亡届を受理された者)
行方不明者:1名
住家被害数 総数:4,411棟
(一般的な家屋) 全壊:2,924棟(66.3%)
大規模半壊:147棟(3.3%)
半壊:200棟(4.6%)
一部損壊:663棟(15.0%)
避難状況 最大25ヶ所 5,720名
(2011.3.13時点)
二次避難 延べ360名
震災後、3年で職(食)住や進学の関係で女川町から離れる人が多いそうです(震災で被害を受けた他の地域でも程度の差はあれ離れる人はいます)。女川から離れた人達は「女川で住み続けたいけど、職住を考えると離れざるをえない」という思いを持って離れた人が多いと思います。
JR東日本石巻線(小牛田駅~女川駅)の内、浦宿駅と女川駅間は、女川駅と駅周辺の線路が津波で流された影響で不通区間になっており、JRバスで代行運転をおこなっています。2015年春には不通区間も開通が予定されています。
女川町の中で高台にある女川町立地域医療センターから女川町の被害の状況を見渡しました。現在は、「瓦礫」はほぼ撤去され、ほぼ更地の状態です。それでもまだ撤去されていない施設も3カ所(船員宿舎、旧女川交番、女川サプリメント〔解体作業中〕)ほど残っています。撤去されていない施設を震災遺構として残そうという話もありましたが、旧女川交番だけが震災遺構として残すことになりました。医療センターから望んで一番目につくのは、横転した建物、女川町の離島・江島(えのしま)住民の船員宿舎です(近いうちに解体される予定)。
本当に、ここで生活の営みがあったとは想像できない。3年前の震災直後は、ひどい状態だったことは想像に難くはなかったと思う。
復興へ向けた事業が他の地域よりも進んでいる模様です。現在、津波被害を受けた地域は、盛土事業が急ピッチで進んでいます。また陸上競技場跡地に災害公営住宅として集合住宅200戸分が3月末に入居が始まります。まだ多くの人達は、仮設住宅での生活を強いられていますので、今後も公営住宅の建設が求められます。
東日本大震災によって大きな被害を受けた宮城県女川町の中学生たちは、地震の教訓を1000年後の後世に伝えるために、町内21の浜の津波到達点以上の地すべてに石碑を建てる、というプロジェクトを立ち上げました。「(1)絆のある町づくり (2)高台へ避難できる町づくり (3)震災の記録を残すという3つのテーマを掲げ」(「いのちの石碑プロジェクト」サイトから)取り組んできました。写真は2013年12月、女川中学校に建てられた「いのちの石碑」です。
震災直後から、女川の若手が中心に開催されている女川商店街復幸祭が女川中学校で開催された。今年で3回目の開催になる。現在の町の住民(8,500人ほど)を上回る15,000人が参加した。
体育館では、女川町町長と別所哲也氏との対談、リアスの戦士イーガーショー(ご当地戦隊もの)、獅子舞や太鼓、八神純子さんや新生アイドル研究会BiSのライブがおこなわれた。
校庭では、けんちん汁や魚介類の串焼きや佃煮などの飲食、DVDなどの物販ブースがだされていた。女川名物のサンマが3000本が無料で振る舞われたり、地元の飲食店の協力による復幸祭限定の復興弁当が5種類ほど販売された。どれも美味しそうだった。
初めて行った女川町。地震と津波の被害は、想像以上にひどかった。それでも女川町の人は、元気だった。家族、友人・知人が亡くなるなど、何らかのものを抱えながらも。今後も何らかの形で女川町とは関わっていきたいと思う。
女川の最新の状況は、女川さいがいFM(サイマルラジオから聞けます)やインターネットで河北新報などをご覧いただくとわかります。