異常な法案審議のやり方
昨年12月6日深夜11時すぎ、特定秘密保護法が与党だけの賛成多数で成立させられた。文字通りの強行採決だ。
重要法案と言われたにもかかわらず、同法は国会での審議時間が極めて短く、衆議院で46時間、参議院ではその半分以下(例えば盗聴法参院49時間、郵政民営化関連法93時間、教育基本法84時間、改憲手続き法53時間など、過去の重要法案と比べても異常だ)に過ぎない。
世論調査では反対や慎重審議要求が8割に達し、報道界、法律家、表現者、市民など多くの団体による、国の内外から相次いだ深刻な懸念と世論を無視したものだ。連日、国会を取り囲んだ市民のデモに対しては、石破自民党幹事長が「テロ」と同様だと決めつける異常なやり方がまかり通った。
この秘密法に先立って、同じ臨時国会で「国家安全保障会議(日本版NSC)設置法」がつくられたことは重大だ。国の安保・外交問題が首相を中心にわずか4人の大臣で決定できるもので、有事に際しては大本営的機能をもつと指摘された危険なものだ。この日本版NSCは早速、南スーダンの韓国軍に自衛隊の銃弾1万発を貸与するという武器輸出3原則破りの強行で機能した。これは韓国軍に緊急だからと頼まれたので、と政府は弁明したが、韓国軍は国連に頼んだのであって自衛隊に頼んだ覚えはないと言っている。ことの真相は闇の中だが、「戦争はつねに政府のウソを国民に秘密にすることから始まる」と指摘したある人の警句が思い出される。
「何が秘密? それは秘密」と批判されたように、この法律は「秘密」が限定されておらず、「政府の違法行為を秘密にしてはならない」ことも規定されていない。報道関係者や市民の行為が教唆・凶暴・扇動と見なされれば、最高刑は10年の処罰になる。これでは市民は政府の違法行為を暴くことができなくされる。この秘密保護法は民主主義を破壊し、市民を萎縮させ、戦争の危険を増大させることになる。
事実、臨時国会のあと、年末には安全保障戦略、防衛大綱、中期防などの発表が相次いだうえ、首相の靖国神社参拝だ。これらの政府の動きは、アジア諸国を挑発しながら、アジアの緊張を口実に軍事力を強化するというマッチポンプ戦略だ。
安倍首相は第一次政権以来、第9条に代表される平和憲法を敵視し、改憲を企ててきたが、多くの市民の改憲反対の世論によって阻まれ、9条明文改憲に直ちに着手する道は阻まれた。迂回策として考えられた96条改憲という奇手も世論の前に失敗した。そこで、安倍首相は明文改憲ができないままで、憲法を踏みにじり、この国が「戦争する」ことが可能な道をすすめようとしている。
安倍首相が実現したい日本は、「積極的平和主義」ということで、米国と共に、アジアで、世界で自衛隊が戦える国だ。このための集団的自衛権の行使は、歴代の自民党政権でさえ憲法9条を変えなくては不可能だとしてきたことだ。昨年9月の国連総会で安倍首相が叫んだ「積極的平和主義」とは、「平和主義」の名の下に、この憲法解釈を変えて、改憲なしで集団的自衛権行使(米国と一緒に戦争する)を可能にすることだ。
安倍首相は、臨時国会で成立させた2法に加えて今度の通常国会でねらっている国家安全保障基本法を成立させれば、この国は第9条があっても合法的に集団的自衛権が行使できると考えているというのだ。
1月19日に開催した自民党大会では、運動方針から従来慣習的に記述していた「不戦の誓い」削除し、「積極的平和主義」を盛り込んだ。同時に安倍自民党は、集団的自衛権の行使とあわせて、PKO、武器輸出3原則の破壊など、集団的安全保障による海外での戦争ができる道を開いていることも要注意だ。
国家安全保障基本法は自民党の法案要綱では、その10条で「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生した場合、自衛権を行使できる」とし、11条で海外での武力行使を可能にしている。「自衛権」一般を行使可能とすることで、従来唱えてきた個別的自衛権は可能だが、集団的自衛権行使は駄目だという見解を精算しようとしている。
昨今の安倍政権の動きで警戒を要することは、これが必ずしも国家安全保障基本法の策定を先行させるとは限らないことで、1月11日の磯崎・内閣安保担当補佐官によれば、有識者懇談会が4月にもだす報告書にもとづいて、法制化・立法改憲なしで、内閣法制局に命じて政府見解の原案を決め、与党との調整を経て、通常国会中に集団的自衛権解釈変更・行使の結論をだすこともありうると言われていることだ。基本法策定を渋る公明党を考慮しての対応だ。これは安倍政権と日本版NSCの独裁となるものであり、注意しておかなくてはならない。
最高法規の憲法の規定を、「国家安全保障基本法」などという、より下位の基本法で否定する、まさに法の下克上だ。これでは立憲主義の国ではない。
憲法の尊厳を取り戻し、平和を守るためには、これら戦争準備3法を許すことはできない。秘密保護法を廃止する運動こそ重要だ。国会が作った法律は民意に拠って国会で廃止することができる。カギは戦争への道をひた走る安倍内閣退陣、国会解散の世論を作ることだ。
いま始まった「『秘密保護法』廃止を求める請願書名」をはじめとする「秘密法廃止へ!実行委員会」の運動は、この社会に民主主義と立憲主義を取り戻し、戦争への道に反対する壮大な市民運動だ。
首相の靖国神社参拝、尖閣列島での軍事的緊張の増大などなど、東アジアはただならぬ情勢にある。私たちは「平和をたたかいとる」腹を固めなくてはならない時になった。
世論の多数は改憲に反対し、集団的自衛権の行使や、秘密保護法に反対している。韓国、中国などの隣国のみならず、米国までも安倍政権の危険な暴走に批判を強めている。
1月19日に投開票だった沖縄・名護市の市長選挙は、辺野古新基地建設反対の稲嶺候補が圧勝した。札束にものを言わせて選挙に介入した安倍政権に対する名護市民や沖縄県民の回答だ。安倍政権は大きな打撃を受けた。これは平和と人権、民主主義を願う民衆の新年早々の大きな勝利である。
つづく東京都知事選で、宇都宮けんじ、舛添要一、細川護煕の主要3候補のいずれが当選するのか。この帰趨は今後の政治に重大な影響を与えるものとなった。
公開討論にもでてこられない他の2候補に対して、宇都宮候補の政策の柱は明確だ。
以上、5つの政策を掲げて闘う宇都宮候補が勝利するか、自公連合の舛添候補か、あるいは細川・小泉連合の細川候補か、この選択だ。
残念なことに、都知事選をめぐって、脱原発の運動に亀裂が入っている。私はツイッターにこう書いた。運動のリーダーたちの責任は重い。別々の候補を支持するのは成りゆきから見てやむを得ない。重要なことはそれを引きずらないこと。ある人にこう書いた。「あえていえば『選挙ごときで』、運動を分裂させてはならない」、終わったらノーサイドだ。脱原発を実現するたたかいは長期の運動で実現しなくてはならないたたかいだ。何よりもこのことを肝に銘じて、宇都宮都政の実現で、安倍政権を追撃するたたかいに確信をもって取り組みたい。(事務局 高田 健)
新年早々の1月8日、東京・豊島公会堂で「宇都宮けんじさんと子どもからお年寄りまでが希望をもって暮らせるまち東京をつくろう!――《東京を変えるキックオフ集会》」が開かれた。豪華ゲストがつぎつぎと宇都宮さんへの期待を語り、雨の中で集まった会場満杯の1200名とともに熱い熱いキックオフ集会となった。この日は池袋駅頭では、横っ腹にスクリーンを貼りつけた宣伝カーが集会のようすを生中継した。つぎに宇都宮けんじさんと応援スピーチの一部を紹介する。
どうもみなさんこんばんは。雨の中、たくさんお集まりいただきましてありがとうございます。みなさんと再び東京都知事選がたたかえる。このことを大変うれしく思っております。いまさまざまな都知事候補が報道されていますけれども、私は昨年末、都知事選出馬の決意表明をいたしました。そして今週月曜日に都庁記者クラブで出馬の記者会見をやって参りました。私は知名度のある人あるいは「後出しじゃんけん」、こういうやり方は市民運動のやり方ではないと考えまして、真っ先に出馬の決意を市民運動のみなさんの中で発表させていただきました。市民運動の選挙は政策を訴え、ひとりひとりの市民のみなさんに理解を得ていく、こういうやり方でないと勝てないと信ずるからであります。
さきほど中山選対本部長が説明されましたけれども、1年前みなさんと都知事選をたたかいまして96万8960票の得票を得ることができました。これは、私は大きな成果だと思っています。ただ、これでは勝てない。東京都の有権者は1060万人います。そのうちの約1割は前回の選挙で獲得することができました。私たちがこれから行われる東京都知事選で勝ち抜くためには、もう一回り、二回り運動を広げなきゃいけない。一回り100万票、二回り200万票、300万票をとらないと、勝てない選挙だと考えております。その意味では昨年の、1年前の選挙の反省も必要かと思っております。私を支援していただく勝手連のみなさん、都内に50を超える勝手連ができました。選挙事務所には毎日50人から100人のボランティアの方が詰めかけていただきました。わたしたちは大変盛り上がった選挙をたたかえたと思っておりますけど、ただ私たち仲間内で盛り上がっているだけでは選挙は勝てないということも経験いたしました。
残りの8割9割の人にどう働きかけていくのか。猪瀬さんを支持した人びと、あるいはその前の石原さんを支援した人、こういう人をどうやってわれわれが説得していくか、これにかかっているんじゃないかと思っております。今日参加された方はおそらく前回の選挙も私たちと一緒と戦ってくれた仲間だと思います。
だけど私たちだけが投票するのでは勝てないんです。もう一回り二回り、これまで無関心だった人、あるいは猪瀬候補に投票した人、その前は長い間あの問題のある石原都政を支持した人、こういう人たちを説得して、それではダメなんだということをいかに説得して支持者に加えていくか、これが問われている、そういう選挙戦だと考えております。
1年前の選挙と異なることは3つあると思っております。ひとつは、1年前は国政選挙とダブりました。しかしながら今回は都知事選だけであります。全国の国民が固唾を飲んで都知事選の結果を注視しております。そしておそらく、1月19日に行われる名護市長選もそうだと思います。この1月19日の名護市長選、2月9日の東京都知事選は全国国民が注視する中での選挙であり、おそらくこれからの日本の未来、日本の将来を決めることになる選挙だと考えております。私たちは当然東京都民の思いを受け止めてたたかう必要があるわけですけれども、それだけではダメなんだ。日本国民全体の思いを受け止めてここ東京でがんばる必要がある、そういうふうに考えております。
1昨年、1年前の選挙と違った点は、当時は安倍政権が誕生しておりませんでした。ところが都知事選と同時に行われた衆議院選挙で、自民党が圧勝して安倍政権が誕生しました。安倍政権は何をやってきたのか。多くの原発被害者がいまだに15万人も避難している。そのうち5万人は県外に避難している。こういう被害者の生活再建がまったくなされていないにもかかわらず、原発の再稼働やあるいは輸出をやろうとしている。汚染水問題なんてまったく解決できていない。こういう状況の中で原発の輸出をやろうとしている。
それから私が取り組んでいる貧困問題に関しては生活保護基準の大幅な引き下げをやってしまいました。一方で防衛費を11年ぶりに400億円引き上げております。さらには臨時国会で生活保護法の改悪をやりました。これは生活困窮者を生活保護から締め出す悪法であります。そして生活保護法の改悪を突破口として医療、年金、介護、社会保障全体の改悪をやり、憲法25条を空洞化させようとしております。これは絶対に許せないことであります。さらには今年4月からは消費税増税も行おうとしております。貧困者、中小企業、大きなダメージを与える消費税増税を断行しようとしております。これも許せないことであります。
さらには安倍政権は雇用破壊を進めようとしております。安倍政権は日本が世界一企業にとって活動しやすい国をつくる。こういうことを言いながら労働者派遣法の全面改悪、あるいは正社員の中でも解雇を容易にする限定正社員制度の導入、さらには先送りされましたけれども国家戦略特区構想の中で簡単に労働者を解雇できる。あるいは労働者が残業しても残業代を払わなくてもいい。こういう解雇特区、「ブラック特区」を進めようとしております。安倍政権のいう企業が世界一活動しやすい国ということは企業にとっては天国でありますけど労働者にとっては地獄の国づくりであります。
さらに安倍政権は主権を侵害し憲法秩序を破壊するTPPにも参加交渉を進めております。もっとも問題なのは特定秘密保護法の強行採決、同じ臨時国会で制定した国家安全保障会議設置法、日本版NSC、さらにおそらく今年の通常国会では集団的自衛権の行使を法律で認める国家安全保障法を上程させようとしております。これはアメリカとともに戦争をやれる体制づくりを進めようとしているわけです。実質的な憲法9条の改憲であります。こういうことを絶対に許してはなりません。
安倍総理は12月26日に突如として靖国参拝を行いまして、アジア諸国はもちろん世界各国から批判されております。こういう安倍政権の暴走をストップして憲法を守り東京からアジアに対して平和のメッセージを発信する、それが今回のたたかいの大きな目標であります。
前回と変わったことは、2020年・東京オリンピックの招致が決定されたことであります。このオリンピックは4つくらいポイントがあると考えております。ひとつはこのオリンピックは東日本大震災の被災者、福島原発事故の被害者も一緒になって歓迎できるオリンピックにしなきゃいけないということであります。そのためには東日本大震災の被災者、原発事故の被害者の救済と生活再建を早急に進める必要があります。あわせて汚染水問題を始めとする原発事故の収束についても力を入れる必要があります。
さらに2点目はオリンピックは平和と友好の祭典であるということであります。みなさんはご承知でしょうか、1940年に、実は東京オリンピックは招致決定されていたわけです。ところがこの1940年の東京オリンピックは、1937年の盧溝橋事件以降日中戦争が拡大し、1939年にはヨーロッパで第2次世界大戦の火蓋が切られて戦争が拡がる中で、中止に追い込まれているわけです
いま安倍政権の軍国主義的、国家主義的な政策は1940年のオリンピックの二の舞になる、そういう方向を目指しております。オリンピックは平和と友好の祭典ではなくなる可能性がありますし、まさに開かれなく可能性もあるわけです。私は東京都知事になりましたら、ソウル市、北京市と東京都で平和都市会議を開催したいと考えております。国がやれない、自治体の外交でアジアにおいて平和的環境を作り出してそして、真にオリンピックを平和と友好の祭典にしていく、そういう努力をするつもりであります。
オリンピックで忘れてはならないのは、パラリンピックも同時にやられるということなんです。こちらも重視する必要があります。パラリンピックを開くためには、それこそ東京の街をバリアフリー、ユニバーサル・デザインの街につくりかえていく必要があるんです。さらにオリンピックは金をかけるんじゃなくて、シンプルで環境に配慮したオリンピックにする必要があると考えております。
忘れはならないのは猪瀬知事の金の問題であります。猪瀬知事は辞職することで幕引きを図ろうとしていますけれど、これは許してはならないと考えております。まさに東京都が許認可権限を持っている徳州会という病院の関係者から受け取っている。5000万円ものお金を無担保、無利子で受け取っている。そして東京都は徳州会の医療法人グループに9億円近くの補助金を出しているわけであります。こういうような利権と金にまみれた東京都政を変える必要があると考えております。金と利権から決別したクリーンな都政をつくりあげるためにも、猪瀬知事の金の問題は徹底究明する必要があると考えております。私は東京都知事になりましたら、都議会に対して百条委員会の設置を再度要求します。さらにこの金の問題は猪瀬知事だけだったのか、その前の石原さんはもっともらっていたんじゃないか。こういう問題を明らかにしていくことが都政を変えていく重要な仕事だと考えております。
私はこれまでの都政は都民から遠かったと思っております。都政を都民の側に取り戻す。そのためには、私が都知事になりましたら都内各地で都民のみなさんと対話集会を重ねたいと思っております。都民の声を都政に反映する、そして都民の声が届くような都政に変えていく。つまり都政を都民の手に取り戻す。都政に民主主義を取り戻す。これが都政を変える大きな目標だと思っております。
みなさんと一緒に東京都を変えましょう。都民の手に東京都を取り戻しましょう。そして民主主義を取り戻しましょう。そして東京を変えて日本を変えましょう。一緒になってたたかっていきましょう。よろしくお願いします。がんばりましょう。
中山です。今回の都知事選は猪瀬前知事が徳州会グループから5000万円を受け取って辞職した、そのことでの選挙ですから候補者はまず第一にクリーンでなければならないと思います。宇都宮けんじさんとは私は司法研修所の同期でともに弁護士43年になります。
宇都宮さんは小さいときにお父さんが開拓農民として森を必死に切り開くという、そういう姿を見て育っております。宇都宮さんの生い立ちが彼の生き方の原点です。私も父親が靴修理をしながら母親が廃品回収をして育ててくれました。司法研修所での宇都宮さんとの出会いは私の大切な宝物のひとつです。宇都宮さんは弁護士になってからも貧困問題、社会の底辺で虐げられている人たちの立場で一貫して活動し、人の役に立つことがお金よりも自分の財産だといつも語っております。宇都宮さんがクリーンな候補であることは誰もが認めることだと思います。
そして今回の都知事選は、秘密保護法が強行採決されて戦争をする国づくりが加速しているなかで行われます。宇都宮さんは安倍暴走政権ストップ、憲法を守り東京からアジアに平和を発信するということを基本政策のひとつに掲げております。宇都宮さんが東京都知事に立候補して、東京から国政を変えるということに繋がっていくと思います。
そして第三に東京都知事はただ単に人気があるとか、また有名人であるとかそういうことではダメだと思います。本当に都民の立場に立って、そしてクリーンな人で政治的手腕、行政的手腕のある人でなければならないと思います。宇都宮さんは全国33,624人の弁護士が加入している日弁連の前会長として東日本大震災、福島原発事故の際には全国の弁護士会をまとめて現地の弁護士会と協力して現地を視察され、被災者の救済の意見書、そしてまた立法提案も彼が中心でまとめております。またみなさんもご存じのように、社会問題のサラ金規制法の問題も彼の尽力によるところが大きいのです。宇都宮さんは政治的手腕、行政的手腕も確かなものがあります。
そして最後に、宇都宮さんは昨年の都知事選での体験とそして教訓と97万票近い支持を得たという財産があります。今回はそれを基礎にしてクリーンで透明な選挙、政策本意の選挙、そして協働の全員野球の選挙、これを行えばさらに大きな支持を得られると確信しております。今日のこの集会を出発点として希望の持てる街東京をつくる、東京から国政を変えるため宇都宮さんとともに一緒にがんばりましょう。
今日は雨の中こんなにたくさん宇都宮先生のためにお集まりいただきましてありがとうございます。そしてわたしは実は池袋出身です。小学校時代に、ここの舞台で学芸会をやりました。同じ舞台で宇都宮先生の応援ができるなんてもうすごく幸せです。
実はわたしは地下鉄サリン事件で主人を亡くしました。1995年3月20日、意外とみなさんあの日、何をしていたかということをおぼえていらっしゃいます。
事件からもう今年3月で丸19年になります。ですから20歳くらいの方、25歳くらいまでの方は事件をおぼえていらっしゃらないかもしれませんけれども、わたしは主人を亡くしました。何でも主人と相談しながら人生、家庭生活をやってきたんですけれども、そこでぱったり相談する人もいなくなって、本当にどうしよう、何をすればいいんだろうと思ったときに弁護団を組んで下さって、その団長になってくれたのが宇都宮先生でした。たくさんの弁護士さん達を率いてわたしたちをサポートしてくれました。
みなさんは、アメリカで9.11の同時多発テロが起きたときのニュースをおぼえていらっしゃるかもしれません。そのときに当時のニューヨークのジュリアーニ市長は、いち早くあのグラウンド・ゼロに駆けつけて、消防士や警察官やレスキューの人たちと一緒に、あのがれきの中で、指示をしたり働いたり声をかけたりしていました。地下鉄サリン事件、東京のど真ん中で起きたんです。あの当時の都知事は青島さんでした。わたしは青島さんに会ったことはありません。
でもとにかくわたしたちは、オウムを相手に民事訴訟を起こしました。怖かったですよ、すごく。どんな仕返しされるかわからないということがあるので、すごく怖かったんですけれど、宇都宮先生にも勇気づけられました。とにかくオウムに資産を持たせていたらまた何をやり出すかわからない、だからわたしたちが損害賠償訴訟を起こして、資金を持たせないようにする。オウムに入ったお金は全部被害者に取り上げる、そのための民事裁判だったんですね。そういうことをしました。怖かったですよ、本当に。それでも弁護団と一緒にがんばって民事訴訟を勝訴しました。
実際にお金は入ったかというと、それは一銭もありません。だってオウム信者達は、みんな教団に入るときにお布施として出していたからです。でもやっぱり、わたしは主人を亡くしましたし、他の人たちも現在13人の方が死亡したと判明していますけれども、そういう人たちと6300人近い人たちが被害にあった。実際に、本当に大変だったんですよ。仕事ができなくなっちゃった人もいたし。その救済をして欲しいとずっとわたしたちは言ってきました。そのために関係省庁に行ったり、山梨県にも行ったり、都庁にも行きました。何回も都庁にも足を運びました。代理人である宇都宮先生を始め弁護士さんと一緒に。
そのときの石原都知事には、わたしは一度も会っていません。何回も行ったのに。何回も要請したのに。しかもですよ、都庁爆弾事件というのがあったんですよ。あれは青島さんが都知事の時だったんですけれども。そうやってオウム事件の被害者の気持ちがわかっているはずなのに、石原さんはわたしたちに何もしてくれませんでした。東京都は何もしてくれませんでした。本当に悲しかったですよ。そういう状況が13年間続きました。2008年になって、やっとオウム事件の被害者救済法ができました。本当にそれまでの宇都宮先生を団長とする弁護団が、どれほど苦労してテロ事件の被害者救済に走ったことか。わたしなんかは本当に末席なんですけれども。衆議院議員会館、参議院議員会館、いろいろなところに行って、大臣のところにも行きました。それでやっとできたんですね。
それから地下鉄サリン事件の被害者が何人いるか、いま6300人って言いましたけれども、裁判上は3800人くらいなんです。報道なんかで言われているのは5200人以上とかいわれています。その被害者数さえ国は把握しようとしなかったんです。調べようとしなかったんです。でもその救済法ができて、救済法というのは国がお金を出すんですけれども、オウムの替わりに国が建て替えてわたしたちに支払ったお見舞い金を、オウムから取り立てるという順番なんです。警察が窓口になったんですが、被害者自身が警察に申請して、警察が被害者だということを認定して、それでお見舞い金が出たんですね。
申請したことによって確かに被害者だということがわかって、その人数を出せば被害者数がわかるじゃないか。それもわたしは警察庁に言ったんですけれども、なかなか出してくれませんでした。それは仕事じゃないって。その頃には内閣府の犯罪被害者基本法というのができていましたので、内閣府の担当者に警察庁を突っついてもらいました。やっと警察庁が人数を調べてくれて、正確な人数は6286人です。
こうやって被害者数が出たのも、オウム事件の被害者救済法ができて、そしてお見舞い金を出すというシステムができたからこそなんです。そういうことも、やってくれたのは宇都宮先生なんですね。本当に被害者のこと、弱者のことをよくわかって下さる先生です。これから宇都宮先生が都知事になったら、もう本当に隅の隅まで神経の行き届く都政をやってくれると信じています。本当にわたしも応援して、これから先生にはがんばっていただきたいと思っています。都知事に当選するようにみんなでがんばりましょう。
加藤 裕(沖縄県憲法普及協議会事務局長 弁護士)
2013年の年末は沖縄にとってひどいものだった。
辺野古の埋立申請を仲井真弘多沖縄県知事が承認するかどうか揺れていた時期、まず11月25日、沖縄県選出自民党国会議員全員が「県外移設」の公約をかなぐり捨てて、普天間基地の辺野古移設を受け入れた。揚々と記者会見する石破幹事長の後方で座らされてさらし者になっている5名の議員の映像は、今も生々しく目に浮かぶ。
そして、浦添、宜野湾市長、金武町長など、次々とこれに追従し、さらには宜野湾市議会などでもついに辺野古容認の決議がなされるに至った。極めつけが、12月27日の仲井真知事の埋立承認の報であった。
彼らは、選挙での公約を公然と踏みにじりながら、今でも、「公約違反ではない」「普天間の危険性の除去が原点」など、と開き直りを続けている。知事に至っては、埋立承認をしたのに、「県外移設を求める姿勢に変わりはない」と、まったく理解不能な弁明までしている。日本の政治の劣化の極致をここに見いだすことができよう。民主党政権の公約違反など、沖縄のこれら政治家の裏切りに比べればかすんでしまう。
本当に情けない。9・9県民大会は何だったのか、41首長と議会議長の建白書の提出は何だったのか。同じ壇上に立ち、銀座をともに行進し、彼らと思いを共有したと思ったのは幻想だったのか。
声を上げ続け、それでもその声が為政者によって踏みにじられたのであれば、不屈に立ち上がってたたかい続けることができる。しかし、自ら旗を降ろしたのであれば、もう沖縄県民の声は為政者に届かないであろう。10万人の県民が集まろうが、全市町村長・議長が反対しようが、しょせんわずかな脅しと金のばらまきで簡単に変節するのが沖縄なのだ、そう受け止められるであろう。そうなれば、もはや沖縄に対する差別だ、とも批判できなくなるのではないか。
仲井真知事が受入を決めたのは、安倍首相による何の保証も伴わない口約束との引き替えだ。これらの約束が基地負担の軽減につながるものと引き替えであれば、まだそれなりの説明もできようが、出てきた約束は、沖縄振興予算の大盤振る舞いの2021年度までの継続とか、那覇空港第2滑走路建設予算の前倒しなど、基地負担の軽減とは何の関係もないものである。県内マスコミは、金のための基地反対だったとの「誤ったメッセージ」を発することになる、と警鐘を鳴らす。しかし、そうではない。「金のための基地反対」は、「誤った」メッセージではなく、確実に県内の一部の保守政治家の本性であることが公然と明らかになったのである。このことに正面から批判を加えなければならない。
安倍首相からの回答で基地負担軽減に関するものでは、肝心の普天間の早期閉鎖については、防衛省内でプロジェクトチームを作るというだけである。オスプレイ12機の訓練移転なども検討するというが、残ったオスプレイはどうなるのか。しかも、辺野古に基地を建設するということは、在沖米軍基地のリニューアルであり、沖縄への基地固定化と、沖縄北部での陸海空の広大な軍事訓練施設の完成を意味する。そうであれば移転するはずのオスプレイも外来機として沖縄に戻ってくるのだ。ますます米軍は沖縄を手放さなくなるであろう。
私は、9・9県民大会で「オール沖縄」が普天間基地の県内移設反対、オスプレイ配備撤回で一致団結したことで、米海兵隊撤退に向け、ポイントオブノーリターンにさしかかったと指摘したことがある。あれだけのたたかいの中では、沖縄の事大主義者の保守政治家たちも簡単に寝返ることはできないだろう、と予測したのであった。やはりこれは甘い考えだったようである。
しかし、それでも「オール沖縄」のたたかいは着実に確固な基盤を築きつつある。那覇市議会は、1月6日、知事の埋立承認に抗議する決議を自民党も一緒になって決議した。仲井真知事の選挙参謀だった翁長雄志那覇市長も踏みとどまっている。自民党県連顧問で県議会議長も務めた仲里利信氏は、今、1人で辺野古に行って県内移設反対の街頭演説をしているそうだ。県内のあちらこちらでそのような話を聞く。知事が埋立承認をした12月27日には、事前準備もほとんどなかったのに、県民が続々と県庁に詰めかけ、約1000人が県庁舎内ロビーに座り込んで抗議集会を実現した。
沖縄のたたかいは、土地闘争、復帰闘争と、強大な米軍のもとで無法な支配がなされる中でも、不屈の運動で県民の願いを実現した歴史がある。当時の運動においても、敗北を前提として権力者にすりよる勢力がいたにもかかわらず。今の沖縄のたたかいは、絶望的状況におかれた獄中のネルソン・マンデラと比べてはるかに展望が開けている。
これからのたたかいは、実際に辺野古の埋立に着手させないことに向けられる。現地での運動、そして、埋立承認の取消や、埋立差止訴訟などのたたかいも始まるであろう。民主主義の力で、辺野古を守らなければならない。
山本みはぎ(不戦へのネットワーク)
年末のバタバタの中で「年頭に思う」の原稿をすっかり失念し、締め切りに間に合わないという失態をした。2014年が始まってはや2週間が過ぎたが、一昨年末に安倍政権が登場して以来、心がざわつかない日はない。
昨年9月からの臨時国会で、国家安全保障会議(日本版NSC)の設置、12月6日には多くの反対を押し切って数の力で「特定秘密保護法」の強行採決をした安倍政権は、法案成立後、立て続けに様々なことを提示してきた。
12月13日には、民主党政権時代に曲がりなりにも脱原発の方向にかじを切ったにも関わらず、「原発を重要なエネルギー源とし再稼働を進める」とした「エネルギー基本計画案」の発表。17日には、外交・安全保障の基本方針を示した国家安全保障戦略を閣議決定し、これに基づいて防衛力整備の在り方を定めた防衛計画の大綱と、5年間の具体的な整備計画になる中期防衛力整備計画も閣議決定した。23日には、内戦化する南スーダンに派遣されている自衛隊が、韓国軍に銃弾1万発を提供するという武器輸出三原則に違反することを行った。26日には、宿願の靖国参拝し、近隣諸国はもちろん、アメリカからさえも批判の声があがった。そして、27日には、政府あげての恫喝と懐柔によって、仲井真沖縄県知事が辺野古・大浦湾の公有水面埋め立て承認を表明。わずか半月の間でこれだけのことが起こった。
いうまでもなく、安倍首相が政治生命をかけて目指すのは、自民党が2012年4月に出した「日本国憲法改正草案」にあるような国家、つまり、立憲主義を否定し、現憲法の平和主義、主権在民、基本的人権の尊重を全否定する国家を作るということだ。憲法改正のために政治家になったと公言してはばからない安倍政権の発足から、第1次安倍内閣の失敗の轍を踏まないように慎重に、しかし着々と準備を進めてきた。中国の台頭や尖閣諸島や独島(竹島)などの領土問題や、北朝鮮の核やミサイル問題を、外交で近隣諸国との関係を築くのではなく、軍事力強化によって解決しようとするもので、現憲法の理念を真っ向から否定するものだ。そのことを安倍首相は、昨年9月の国連総会の演説で表明した「積極的平和主義」という言葉で表した。国家安全保障戦略は、「積極的平和主義」を基本理念に日米同盟の強化や武器輸出三原則の見直し、愛国心の強制などを盛り込んでいる。その具体化として中期防では「統合機動防衛力」の整備をあげ、自衛隊の改変や、水陸両用車や無人偵察機やオスプレイ17機の導入など軍事力の強化を目指している。このような実態的な軍事力の増強がすでに憲法の全文や9条に示されている平和主義に反していることは明らかだ。
国家安全保障会議(日本版NSC)や特定秘密保護法の制定が、安倍が言う軍事力による「積極的平和主義」を実現するための法的な担保である。そして、憲法改悪=集団的自衛権行使の容認に向けた立法改憲である「国家安全保障基本法」の制定が今後のもっとも大きな課題になると考える。
昨年、私は仲間とともに憲法、沖縄、原発、日韓などなど様々な課題に取り組んできた。福島原発であれほどの大きな事故を起こし、今もって15万人以上が故郷を追われ、これから先、健康の不安を抱えながら生きていかなければならない現実。事故の責任も取らないまま、原発の再稼働や原発輸出を推し進めようとする。侵略や植民地支配の正当化を主張し、近隣諸国のとの友好関係を築こうとしない。市民の目と耳と口をふさぎ、戦争のできる国に改造しようとする。沖縄の基地負担の軽減どころか、新たな基地建設を強行しようとする。かけがいのない人間の命を大事にしない政治がまかり通っている。課題が山積みだ。
昨年1年間も改憲をテーマに学習会を重ね、原発の問題では核のゴミ連続講座、コリンコバヤシさんや原発労働者の講演会などなどを重ねながら地域で反原発を取り組む人たちとつながり、集会やデモも行ってきた。また、幸い名古屋での秘密保護法の取り組みは、2年前から「秘密保全法に反対する愛知の会」として取り組まれ、法案成立後も廃止に向けてますます活発な動きになっている。そういった様々な動きの中で今年の一番の課題は、1月から始まる通常国会か9月の臨時国会に出されるであろう、「国家安全保障基本法」の制定に反対する運動を作っていくことだと思っている。この法律ができれば9条はあってなきがごときである、ということを肝に銘じたい。安倍首相は、昨年「(憲法改正は)私のライフワークだ。何のために政治家になったのか。何としてもやり遂げたい」「(衆院議員は)3年の任期がある。この期間、日本を正しい方向に導くためにも落ち着いて政治家が仕事をしていかなければいけない」といった。
安倍がその覚悟なら私は「憲法を活かすのがライフワークだ。何のためにこれまで運動を続けてきたのか。何としてもやり遂げたい。任期はない。日本を間違った方向に行かせないために連帯をして運動を続けなければいけない」と決意したい。
池上 仁(横浜市)
昨年3月に高校の同級生H君を亡くしました。郵便配達の仕事を定年まで勤め上げ、放送大学で学士号をとって大学院に進み、韓国の民衆運動史をテーマに博士論文を仕上げる間際のことでした。韓国に滞在、勉強中に悪性の肺癌が見つかり、わずか1年で逝ってしまいました。
高校の時から抜きんでた聡明さと文学的センスを示していました。かつて総評文学賞というものがあり、詩の部門で入選したことがあります。 ストップ・モーション あるいは冬の一日」という詩。最後の一連はこうです。
少し寒いが 思い切って
外に出てみるといい
そうすれば
自分が守ろうとしているものの
卑小さが見えてくるだろうし
運が良ければ
不可視のコミューンから派遣された
かくめいの配達人の
くっきりとした足跡を
雪の上に
見つけだすことができるかも知れぬ
奇しくも、私は10月に韓国を訪問する機会を得ました(前前号に旅行記を掲載していただきました)。韓国に関わって柳宗悦の存在を教えてくれた鶴見俊輔の「コレクション」全4冊(河出文庫)を年末年始に読みました。自分の偏見と思い込みが一枚一枚引き剥がされる爽快感があります。高校のサークル読書会の最初のテキストが久野收との共著「現代日本の思想」(岩波新書)だったことを懐かしく思い出しました。
昨年4月から団地自治会の会長をやっています。300世帯ありますが、入居開始から37年、かつては、駐車場が不足し、子供の遊び場の小公園を潰して駐車場にするかどうか総会で大激論になったことがありました。今では駐車場が余って、駐車料収入の減少に頭を悩ませています。普段はひっそりとしてケアサービスの車の出入りが目立つ団地ですが、夏祭りには湧いたように子供たちが集まりました。ここで育って巣立っていった子供の世代が孫を連れて帰ってきたからです。この年末年始は来客用の臨時駐車場が足りなくなるという事態も生じました。かつて100名を超えていた子供会は今や10数人、代わりに老人会が80名に達する勢いです。高齢化の実態を自治会活動を通じて改めて思い知りました。独居老人が増え、大地震の際の対策も自治会の大きな課題になっています。
この団地では自治会役員は1年で総入れ替え。1フロア8世帯で順繰りに役員が回ってきます。中には高齢や病弱で役員が無理という方も出てきます。他方、年金生活に入る方の割合が増え、現役で仕事をしている時よりも時間に余裕があり、きめ細かい自治会活動が出来るという面もあります。各種行事はそうした住民が支えてくれました。65歳の私などまだヒヨッ子、というのは、高齢化社会の一面の可能性を示しているのかもしれません。
近隣の小学校で個別支援学級の見守りボランティアを始めてから足掛け4年目に入りました。学校事務職員としての現役最後の職場の校長に頼まれて始めました。多動の子どもが入学して目を離せない、困却しているとのことでした。その校長は私の現役最後の年に新任で着任しました。着任早々まずやったことは、校内を隈なく歩いてチェックし、事務室に危険箇所の一覧表を持ち込んで修理を依頼してきたことでした。施設整備関係は他人任せの無責任な校長が多い中で初めての経験でした。ボランティアを受けたのは彼女の意気に感じるところがあったからでしょう。なぜか、在任2年で定年前に退職してしまいましたが。
当時1年生の子供も今3年生、多動だった子はすっかり落ち着いて、息を切らせて追い掛け回すこともなくなりました。大人の顔色を読むことなく率直な意思表示をしてくる子供たちの遊び相手をし、勉強の面倒を見るのは楽しいです。
現役を退いてからも小さな労働組合の執行委員を続けています。今の最大課題は昨年3月新採用で免職処分を受けた学校事務職員Sさんの職場復帰を求める運動です。事務職員1名の学校に配置され、仕事ができないとクビにされました。所属していた教職員組合は彼を見放し、私たちの組合に入って裁判闘争を開始しました。新採用者は事前研修もなく学校現場に放り込まれます。西も東も分からないうちに沢山の仕事をこなさなくてはなりません。校長・副校長を含め仕事を教えてくれる同僚は一人もいません。私たちはこの問題を橋下大阪市政と同質の公務員攻撃だと捉えています。人は増やさず仕事ばかり増やす、それに耐えられない人間は簡単に切り捨てる、社会問題となっている悪質企業のやり口と変わりません。幸い支援の輪も広がっています。何とかしてこの闘いに勝利したい。無論その前に、大事な東京都知事選があります。今年もせっせと東京通いすることになります。
中尾こずえ(市民連絡会事務局)
昨年の12月6日、「特定秘密保護法」は強行採決された。翌朝、国会前に集まった人びとは前日に使った横断幕の文字、「廃案」を「廃止」に差し替えてミニ集会を行いシュプレヒコールをあげ、戦いの新たなスタートを切った。
今朝の東京新聞の「10代も訴えたい『秘密はいやだ!』嵐起こす」の見出しに目が留まった。10代の主催者たちがデモを呼びかけている。彼女たちを動かしたきっかけは秘密保護法に懸念する国民の声が無視され成立した事。そして、その翌日、安倍首相が「嵐がすぎ去った感じがした」と語った事を知って「だったらもっと大きな嵐を起こそう」と決意したそうだ。
成立後、全国の自治体から反対の意見書や撤廃を求める陳情書が次々と上がっている。各界の著名人たちの声明や市民団体の反対アピールもあとを絶たない。1月24日の国会開会日は人間の鎖で国会を包囲する。同日には、全国各地でも秘密法廃止を訴えるデモが準備されているようだ。
廃案に追い込む事ができなかった無念は残るものの、昨年秋から冬の連日的な会議や取り組んだ行動は何ひとつとして意味の無いものはなかった。集会やデモ、国会請願行動、国会を包囲したヒューマンチエーン等々に参加した市民たちにはそれぞれの個性が光った。ベビーカーで子連れ参加の若いお母さんたちのグループも目立った。お父さんは会社で来られないけれど私たちはママ友とデモに、といった感じでした。一人ひとりが豊かでみずみずしい感性で表現し行動を起こした。脱原発デモのパワーも合流した。
10年前、イラク反戦の行動に声をあげるためアメリカ大使館前に通った中学生の小柄だった少女は、いま市民連絡会のメンバーだ。彼女はヒューマンチエーンの日、スッタフの一員として大奮闘。官邸前でハンドマイクを手にシュプレヒコールをあげると明るい空気が湧き上がった。
自民党が野党時代に作った「憲法改正草案」を初めて読んだとき、あまりの時代錯誤に唖然としたものだ。(ワッ!ワーイ!メッチャ嬉しい。いま、テレビで稲嶺さんの当確のニュースが入ったのだ。みなさま、本当に良かったですね。お疲れ様でした)
「国防軍」、「国と郷土を誇りと気概をもって国を守り・・・」等々。13年の夏頃の麻生発言を思い出した。どこかでの講演で「狂騒の中、わーっとなった時にやらないで静かにやろう。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法になっていた。あの手口に学んだらどうか」。この発言は失言と扱われたがとんでもない。安倍自民党の本音に決まっている。12年末の衆院選、13年7月参院選で圧勝した安倍政権は黄金の3年間と位置づけ、数にものをいわせ秘密保護法、国家安保戦略、新防衛大綱、靖国参拝など一連の動きで解釈改憲を。そして集団的自衛権行使の合法化へと暴走しようと目論んでいる。「積極的平和主義」という誤魔化しのスローガンを振りかざした安倍内閣の軍事体制強化を許す訳にはいかない。
今回の都知事選を迎えて思うこと。問われているのは不断の努力!
「自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない・・・」の憲法第12条をしみじみ読み返した。そのきっかけになったのは、いち早く出馬表明をした宇都宮健児さんに仲間うちから「脱原発で勝てる候補に1本化を」と説得がかかった事だ。冗談じゃない。大事な問題だが脱原発シングルイッシューでいいのか。宇都宮候補は「希望のまち」は住民参加で、として政策に5本の柱を立て、安倍政権の暴走を止め、誰もが希望を持って暮らせる東京をつくっていくと訴える。憲法の理念を大切にしているのが見えてくる。
猪瀬前都知事は石原元都知事のお墨付きを貰い後出しじゃんけんで当選。細川さんも小泉元首相のお墨付きを貰い後出しじゃんけんで出馬。細川は何と政策発表を3回も延期し告示日の前日にやるらしい。この人びとに共通するのは任務を途中で放り投げたのですよね。知名度に泳がされ、当選させてしまうような選挙は民主主義を破壊させるものだ。繰り返してはならない。メディアにも異議を訴えたい。それにしても小泉は構造改革で東北を弱体化させ、3・11で甚大な犠牲者を出しておきながら素通りしているではないか。犠牲者の家族に謝ったのか。イラク戦争に最後まで加担したのは誰だ。私、私たちは宇都宮さんだから主体的に都知事選を闘うのだ。明日は地域の女性勝手連で2000枚のチラシをポスティイングする予定だ。東京を変えようと一人ひとりに政策を訴える事ができるのは素晴らしい事だ。
24日の国会開会をまえにして、都知事選を間近かに控えた様々な局面をまえにして思う。名護の市長選は勝った。東京も勝ちたい。安倍政権に大打撃を加えたい。民主主義に大事なのは日常のたたかいの積み重ねなのだ。それは小さな戦いもあれば大きな戦いもあるだろう。民主主義は不断の努力によって結実するのだろうと確信する。私は3・11を境にしてこの国は変らなければいけないと強く思った。昨年、一連の戦いをたくさんの人々と共有することが出来た。そして、都知事選で共通の願いを共有する仲間たちと闘うことができる。それは、この国を変えていくための大きな宝、希望だ! 今年も忙しい年になりそうだ。
土井とみえ(市民連絡会事務局)
一昨年12月の衆院選で自民党は政権に復帰し、昨年の参院選でも多数議席を獲得した。衆参のねじれを解消し国政上では強い権限をもつことになった。そして安部首相は第1次安部政権で果たせなかった改憲=国の安全保障を軍事力で解決する「普通の国」に、この国を作り替えようとしている。しかし、衆議院選挙当時の、またこの時期の多くの世論調査にもあるように、脱原発、沖縄の基地問題、9条はじめ憲法擁護と安全保障問題、雇用や格差是正、TPP、消費税など、人びとが暮らしの中で感じているテーマではどの課題でも支持されておらず、安部の政治は民衆の望みと際だってねじれている。
原発問題は東電福島事故から3年が経とうとしているのに、70%近くの国民が今も脱原発を望んでいる。沖縄の基地問題では昨年1月、県内の自民党員も含む全自治首長が県民とともに上京して安部政権に基地撤去を建白書という形で提出したことは忘れられない。それを自民党は力と金でねじ伏せて、すぐに第2の琉球処分とさえいわれている。名護市長選の稲嶺勝利で県民は政府に抗議の意思をつきつけた。
さらに内閣法制局長官のクビのすげ替え、武器輸出3原則を緩和して軍需品の輸出や外国との武器の共同開発。当面失敗したとはいえ憲法96条の要件緩和、そして国家安全保障会議設置など、憲法の条文を変える前に平和と人権の現憲法の破壊の先取りを、時間と争って急激に固めようとしている。
安部首相は「世界で一番企業が活動しやすい国をめざす」として、この実現のためには雇用を破壊し、働く者の人権を侵害する制度変更を着々と準備している。TPPにしても農業分野だけに止まらず、健康保険制度の破壊をはじめ国民生活の幅広い分野と国の主権をアメリカに売り渡そうとしている。
70年になろうとする戦後の有りようを、安部政権は急速に、大きく変更しようとしている。マッチポンプのように東アジアの緊張をあおりながら。
一方、東電福島原発の事故から私たちは何を学んだんだろうか。ひとつは、これまで私たちの社会が歩んできた大量生産・大量消費の社会には、もうこれ以上未来がないということではないか。事故で奪われた人びとの元の暮らし方が、たくさん報道されている。ウサギ小屋ではない広い家に、3世代、4世代の家族があった。子どもは自然のなかで育ち、高齢者は年齢にみあった農業を生き甲斐とすることができ健康も維持できた。家族は助け合いの中で違いを経験できたのだろう。これが人間らしい暮らしなのではないか。
私たちは、原発がなければ経済が成り立たないということが単なる脅しでしかないことも学習した。地産地消のエネルギーや生産物という、大量生産・大量消費ではない社会を展望することにも希望がもてるようになった3年間だったのではないか。
もうひとつはこの3年間、人びとは自らの希望を少しでも実現するために自分自身で行動することの必要さを、日本中の多くの人びとが体験したことだ。長らく日本社会を覆っていた、政治問題をスルーする方が、賢明ということに風穴があいた。脱原発の意思表示と行動は全国で今も展開されている。憲法96条の問題でも、人びとは動き、反対の意思表示を行動で示した。秘密保護法反対でも、全国的にそして有名人か無名人かを問わず各界各層の人びとがNOの声を明確に示して行動したただけでなく、法案が通った今も引き続き反対と監視の行動をつづいている。
いま私たちの社会が大きな曲がり角にあることは、多くの人びとが感じている。近代化した明治以降を150年とみれば、富国強兵・海外侵略の70年と、平和憲法と民主主義・経済第1の戦後も70年となる。凝り固まった保守こそが「日本の伝統」ではないのである。平和憲法と民主主義は、失敗した側面も含めて近代日本ですでに2分の1の時間的な経験を積んでいる。安部首相らの右翼・保守の人びとは安全保障を軍事力に頼り、何はともあれ大企業を栄えさせるために税金をつぎ込み、そのために民衆を使う体制づくりを急いでいる。私たちは、戦後70年の民主主義の智恵と力の経験をフルに使って、安部政権の国家主義と戦争政策に反対していこう。カギは民主主義にある。そのためにも各自それぞれが、自分自身の思いを何らかの行動につなげることだと思う。それは通信革命とグローバル化という世界的な変化にもつながるのではないか。今年こそ正念場、なのだ。
富山洋子(日本消費者連盟)
「真の文明ハ山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるベし」と喝破した田中正造は、勿論戦争には、反対であった。1913年3月31日の日記には、「世界海陸軍備全廃論ハ、正造神ノ摂理ニヨリテ去ル三十五年入獄四十一日に及ベリ(※)。此時聖書ヲ通読スルノトキ軍備ノ不可ナルヲ確信シテヨリ、静岡、東京、栃木一府二県中二於テ五回ニ及ンデ同一ノ確信ヲ演ベタリ(明治三十六七ヨリ四十一年ニ及)。但し学生ヲ世界ニ放ツベシト云エ、外交員及外交費を現在ノ三十倍モシクハ三百倍ニ増加スベシト決言セリ」との記述がある。
また、正造は、「公益々々と呼ぶも、人権去って他に公益の湧き出るよしも無之と存じ候」と、鈴木桂次郎宛書簡(1913年7月24日)に、したためており、山崎秀次郎への揮毫には、「天の監督を仰がざれハ凡人堕落 監督国民を怠れハ治者為盗 正造草」と墨書している。
これらの言葉は、正造の治者(権力)に対する確固たる構えを披瀝しているが、公益という言葉は、将に国家・権力に盗み取られてきた。
国家は、人々に「滅私奉公」を強いてきたが、その「公」は、社会・衆人を意味するのはでなく、国家(権力)を指してきた。『広辞苑』によれば、公益とは、国家または、社会公共の利益であると説明されているが、正造は人権が保障されなければ、公益はあり得ないという。然りである。彼が思い描く公益とは、平和的生存権が保障され、一人ひとりが生き生きと、自らの生き様を全うできる社会・経済・政治の創出に他ならないのだと思う。
私は、正造の気骨に満ちた生き様を学び、及ばずながら一歩でも近づきたいと、自らを励ましつつ生き抜くことを期している。谷中村の住民になってからの正造は、村に残留している人々から不退転の勇気と自覚心を学び、リーダーとしてではなく、一人の住民として生き抜く意志を固めていたことを知るに及んで、正造への敬愛の念は更に深くなった。
かつては、天皇への直訴と大日本帝国憲法に対する評価について釈然としないものを感じていたのだったが、このわだかまりは、すでに氷解している。
天皇への直訴については、正造の臨終に立ち合いを求められた木下尚江もまた、「終止賛成することが出来なかった」のだが、生前のやりとりで、「その行き届いた用意を聴くに及んで深き敬意を抱くようになった。」という。
以下は、粛然として語ったと紹介されている正造の言葉である。
「若し天皇の御手元へ書面を直接差出すだけならば、好い機会が幾らもある。議会の 開院式の時に行れば、何の造作も無い事だ。然しながら、議員の身でそれを行ったでは、議員の職責を侮辱すると云うものだー」(木下の『臨終の田中正造』〈近代日本思想大系10 木下尚江集 筑摩書房 1975年7月初版発行 初出:1933年9月中央公論〉)。
正造は、議員を辞職し、死を覚悟して直訴に及んだのである。
正造は、議会に提出した「亡国に至るを知らざる儀につき再質問書」で、「帝国議会ありといえども憲法遵守せざれば議会なきに如かず」と批判している。大日本帝国憲法では、天皇は「統治権を総攬する」と規定されており、帝国議会は天皇の立法権への協賛機関と規定されていたが、正造は議員の職責を、憲法を拠り所にして、人々のために働くものであると位置づけていたのだ。
小松裕さん(熊本大学教授)が寄せた、東京新聞・「談論 誘発」(2013.9.1朝刊)によれば、正造にとって「『真の文明』とは人権が尊重されることとイコ-ルであった。憲法とは『人民の権利章典』に他ならなかった。だからこそ、あの大日本帝国憲法すらも鉱毒被害民の人権を守るために徹底的に活用したのである。
最終的に正造は、大日本帝国憲法を廃止して、普遍的人権の擁護を中心とした『広き憲法』の新造を構想するようになったのだ。そして、正造が理想としていたのは、国民の上下貴賤なく、強弱貧福ない社会である。貧福とは経済的な平等に加えて、「幸福感」の平等であり、共に幸福になること、誰もが幸福であると実感できるいわば「共福」の社会の実現を希求していたのだった。韓国併合後、当時の多くの日本人が有頂天になっていた時にも、正造は、「他をおもわざるもの社会二充満して国漸く滅亡す」と警告していたのだ。
前文に、主権が国民に有することを宣言している、日本の平和憲法は、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有すること」を確認している。そして、9条には、戦争放棄・戦力の不保持・交戦権の否認が高らかに掲げられている。11条には、永久の権利として基本的人権が保障され、12条には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と規定され、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」(99条)ているのである。
この間、日本の政府は、日本を戦争ができる国にするために、憲法破りに邁進している。憲法99条違反ではないか。正造が大切にしていた議員の矜恃のかけらさえ持ち得ていない議員には、怒りを禁じ得ないが、それらの議員たちを選んだのは、言うまでもなく、主権者たる人々である。政治の在り方・国の構えは、自らの暮らしに及んでくることを先に気づいた人々が、どのように伝えていくかも重要な課題である。
昨年、安倍政権は国家安全保障会議の創設に次いで、暮れには、特定秘密保護法を強引に成立させた。そして今年は、解釈改憲によって集団的的自衛権の行使の容認を目論んでおり、「国家安全保障基本法案」の提出が予定されている。国の最高法規である憲法より下位の法律によって事実上も改憲をするという暴挙は、決して許されない。
憲法改悪への布石も進められている。1月18日には、自民党主催の「憲法改正」に向けたシンポジウムでは、高市政務調査会長は、安倍内閣で憲法「改正」ができなければ、いつ出来るのかと述べたという。
田中正造が希求していた理念を内包している、時を超え国境を超えた、平和に生きたいという人々の希いと意志を全うさせていく9条を高く掲げた日本国憲法を、改悪させてはならない。今年こそ正念場だ。
特定秘密保護法を廃止させていく運動や沖縄を始めとした基地反対、脱原発の運動とも連動し大結集して、日本という国家が戦争への道をひた走るのを阻止していこうではないか。
未来へ、世界の人々と共に平和に暮らせる社会を、今、ここに生かされている風土を基盤にして、いのちと環境を大切にし、人権を守り抜くという気骨を、しつかりと手渡していこうではないか。
※1900年12月7日、前橋地方裁判所における兇徒嘯集事件公判廷において立会検事の冷酷無残な論告に立腹した正造が大あくびしたのが、官吏侮辱罪に問われ有罪、入牢。獄中では新訳聖書を通読した。
大滝敏市(市民連絡会事務局)
今年の干支は午。安倍晋三は、年頭記者会見で「馬のように広い視野を持って、今年も政権運営に当たってまいりたい」と述べたそうですが、私には、「戦争する国」という人参を鼻先にぶら下げられた馬のようにしか見えません。
「丁寧に説明する」と言い訳をしながら内外の世論を無視する「馬の耳に念仏」の安倍政権は、年をまたいで暴走しています。
▼武器輸出原則可能とし社会的基盤整備で“愛国心”を明記した「国家安全保障戦略」・“統合機動防衛力”や“敵基地攻撃能力”の保有検討を盛り込んだ「新たな防衛大綱」・自衛隊へオスプレイ17機導入、“水陸機動団”(海兵隊)創設、無人偵察機3機配備などとする「中期防衛力整備計画」の閣議決定。
▼戦略実現のために、PKOでの武器使用や集団的自衛権の行使を巡る憲法解釈の見直しに向けた「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の開催。
▼南スーダン派遣陸上自衛隊が所有する小銃用銃弾1万発の韓国軍への提供。
▼安倍 靖国神社参拝
▼名護市辺野古の水面埋め立て申請を仲井真・沖縄県知事承認。
▼自民・石破幹事長、集団的自衛権の行使容認に向けた解釈改憲「絶対やる」と表明
年賀状を買いに行った郵便局で、なにげに手にした広報誌。特定秘密保護法に関するコラムにこんなことが書いてありました。
子供の頃、大人の話に口を挟もうとすると、「あっちに行ってなさい」と、たしなめれた。「どうして?」と頑張ってみても「知らなくていいことだから」と取り合ってくれない。知らなくていいことかどうかは、こちらで判断したいのに、聞き入れてもらえず悔しい思いをした。…政府が、法案反対論が高まりつつある世論を軽視するならば、子供を無碍に扱う大人と同じ論理だろう。…できた子供ならば、「わかった、じゃあ知らないでいてやる、その代わりうまいことやってくれよ。幸せに健やかに育ててくれよ」とでも言うのだろうか。
主権者である私たちは、「知らないでいてやる」わけには絶対いきません。しかし、もし仮に「その代わりうまいことやってくれよ。幸せに健やかに育ててくれよ」と言ったとしたら、この国に住む人々は「幸せに健やかに」なるのでしょうか。安倍晋三のいう「強い日本」「誇りある日本」の人柱になるだけです。
自民党ホームページに安倍晋三総裁の『今あるのは、未来への希望』と題する年頭所感が載っています。私には、「未来への希望」が何なのか、ちっともわかりませんでしたが、どうも「改憲」を意味しているようです。安倍にとって、「今あるのは、改憲への希望」ということなのでしょう。
私は、福島県郡山市の近くに住む義母の家で“年越し”をしました。90歳の義母を子、孫、ひ孫たちが囲んでの宴で“ややこだ(子供たち)の未来、どうなんだっぺな~”という話になりました。原発はいらない、被曝は大丈夫だろうか、秘密保護法なんて余計なもの、何の考えで東京オリンピックをやるのか、戦争になりそうで怖いetc。最後は、義母の“がんばって生きでいぐしかねぇな~”という言葉で笑って終わりましたが、「今あるのは、未来への不安」なのです。
「戦争する国」への道から決別し「幸せに健やか」になる「未来への希望」は、安倍政権の暴走をストップさせ、憲法の明文改憲・解釈改憲を許さない、私たち自らの闘いの中でつかみ取る以外にありません。
絶え間なく続いている秘密保護法反対・廃止や脱原発の運動をはじめ、全国各地・各分野で闘っている皆さんに見習いながら、この一年、私も頑張っていきたいと思います。
『希望はある、絶望のど真ん中に』(むのたけじ)
角田京子(日立市)
NHKテレビは頻繁に「安倍首相」を大写しで登場させるようになった。しかもその顔は「したり顔」である。ついにNHKは「安倍放送局」に成り下がったか……と思わせる。加えて近頃は「なんてことか!」と口惜しくなることが増えてきた。安倍首相は「巧言簧の如し、顔之厚し」をためらいなく行く人だ。
原発問題は何一つ解決できていず、日に日に大変になっているのに「コントロールされている」と、世界の人々をも欺く。「秘密法」だ、「積極的平和主義」だ、「消費税8%へ」などと次々だ。お金持ちには優しく、貧しき私たちには厳しくしていく悪代官ここにあり。
こんなのいやだ、こんな世の中いやだ、の心境から始めた日立駅頭での署名活動「さようなら原発1000万署名」は、あの福島第一原発事故のあった2011年の7月9日(土)より始め、今、2014年1月11日(土)で98回目を数えた。友人・知人への署名活動依頼による「署名も合わせて、3192筆になった。
けっこうたくさん集まったなあと、心もホカホカ。何でかなあ、というと、実はわけがある。やはり一人でできたんじゃない、だ。
日立駅頭での「署名活動」を続けていたら、だんだん伝わっていったらしく、昨年9月にこの活動に参加を表明してきた人がいる。退職し、何か役に立つことをしたいと思っていたので、この活動が未来に向けて大切だ、と思ったという。他の人にも参加を呼びかけるプリントも用意して、一緒に活動を始めた。これが功を奏し、じきあと一人が加わり、3人に広がった。何倍もの署名が集まるようになって、「3人寄れば文殊の知恵」か、アイディア・知恵が次々出され、大いなる飛躍とあいなった。3人連名での署名を呼びかけるチラシも作り、友人・知己に依頼して回った。
「原子力タービン」がドーンと置かれているこの駅頭での署名活動を励ますものがある。それはアイディアマンの行動で掲げられた「幟旗」だ。「脱原発1000万署名」「さようなら原発1000万人アクション」「三陸の海を放射能から守ろう」「再稼働を許さない」の合計4枚もの幟旗が、この日立の寒気にひらめき、呼びかけてくれている。
あと1つ。「小○」の本当に小さい幟旗がある。これはご存じ、江戸時代、岩手の寒村の三閉伊一揆の旗印だ、しかも勝利の旗なのだ。私はこの旗を手に持ち「原発はこまる、この旗の通りこまるのです」と呼びかけている。
協力者は増え、一番多いときで6人、日立駅頭は週末土曜日、お祭りのような華やぎ?となった。可能なこと、あの手この手作戦……。そして驚いてしまった。この9月から1月までの間に1010筆も集めることができたのだった。お願いして回ったことも幸いし、いろいろな人達が手渡し、郵送等で次々届けてくれるのだ。人と人のつながりは本当にありがたく、大切なものだと、しみじみ感じる。
水戸の原電前の金曜集会にも、私は昨年の4月19日から参加し、今回の1月10日で22回目の参加となる。ここでも署名活動をしている。今年初の集会では挨拶に立った人が「あけまして、あべだとう!」と叫んだ。そう、今年は「安倍打倒」と言って笑ったり。
この1月11には、私は署名してくれた人に手書きのメッセージを渡し始めた。協力してくれる人を一人でも多くしていきたいがためである。
原発についていろいろな考え方があることは知る所だ。行くところは全て私にとっては、ホンネを語り合う社交場だ。日立駅頭では、私の側に来て、「オレ推進」といってのける人がいる。また「コノヤロウ! バカヤロウ!」とののしっていく人もいるが、呼びかけの私のけっこう大きい声でも「聞こえません」というように、「見ざる言わざる聞かざる」紳士、淑女が多い街、日立。さすがに「ああ無情、ああ非常」の心境にさせられる街、日立。
推進、という人には、放射能汚染灰もたっぷりたまっているので、「ぜひお覚悟を!」と放射能汚染灰入り手作りポプリをお渡しして、汚染灰、汚染水、使用済み核燃料などたまって捨て場に困っています、ぜひどうしたらよいか考えてください、とでも言おうか。
問題はまだある。「無関心」の人たちだ。根っから無関心な人、無関心を装っている人。「依らしむべし、知らしむべからず」を打ち壊すこと、つまり知らせる活動が大切になるだろうと思う。無関心の人は権力者の思い通りに国の政策を動かす力になっていることを知ってもらうために工夫していきたいと思う。
署名数は全体で昨年12月17日現在8386830筆。まだまだ続けなくてはならない。ころんでもタダでは起きない覚悟をもって、あきらめず、投げださず、続けていこうと決めている。寒さの冬は身にこたえるが、日々体力増進につとめ、未来のひとのためにもしっかりと歩いていこうと思う。これが私の歩む道である。この道はもっともっと広がっていくだろう。
12月26日、安倍晋三首相は先の戦争を「聖戦」として美化し、A級戦犯を合祀する靖国神社に参拝しました。今回の参拝は本殿に上がる正式な形式にのっとったもので、安倍首相は「内閣総理大臣 安倍晋三」と記帳したことを明らかにしています。私たちは、首相の靖国神社参拝に強く抗議します。
安倍首相は、「英霊に尊崇の念を表するのは当たり前のことだ」と発言していますが、アジア侵略を企て指導したA級戦犯を「英霊」として顕彰する神社に首相が参拝するのは、侵略戦争の反省に立った平和理念、政教分離原則の憲法20条に違反するのみならず、戦後の国際関係を築いてきたサンフランシスコ講和条約、日中共同声明、あるいは戦後五十年国会決議、日韓パートナーシップ共同宣言などの内外合意をことごとく踏みにじる暴挙です。日韓首脳会談は2011年12月以降開催されず、尖閣問題等をめぐり日中関係が緊張している今、首相の靖国神社参拝は日本が国際社会の中で築きたいと願う立ち位置を台無しにするものです。
戦前靖国神社は、天皇が祭主となって戦争の悲惨な実態をおおい隠し、戦死者を顕彰し遺族の悲しみを喜びに転化させる闇の祭儀の場でした。陸・海軍省管轄の軍事施設でもあり、民衆を戦場に駆り立てる精神的支柱でした。
戦後は一宗教法人となりましたが、A級戦犯の合祀・顕彰や遊就館の展示に明らかなように、今も英霊顕彰・侵略美化の施設であり続けています。また、日本の侵略戦争に駆り出されて死んだ約28,000名の台湾人、約22,000名の韓国・朝鮮人を含む多数の戦没者が今も合祀されています。台湾・韓国の遺族から、いま切実な合祀取り下げ要求が出されていますが、靖国神社は遺族の声に耳を傾けようともしません。今回の安倍首相による靖国神社参拝は靖国神社に体現される誤った歴史認識を日本政府が肯定するものとして世界から受け止められます。私たちはそれを許すわけにはいきません。
安倍政権は今臨時国会で、国家安全保障会議(NSC)を設置することで、外交と安全保障に関する官邸の司令塔機能を強化し、特定秘密保護法で市民の「知る権利」を奪い、さらに次期通常国会で国家安全保障基本法を制定することで、憲法9条の解釈改憲を目指しています。こうした一連の施策と合わせて考えると、このタイミングで安倍首相が靖国神社を参拝するのは日本が平和主義を否定し、再び民衆を戦場へ駆り立てる国へと生まれ変わる意思表明であることは衆目の一致するところでしょう。
私たちは今こそ未来に向かって平和な日本、平和なアジアをつくり出していくために、首相の靖国神社参拝に反対し、強く抗議します。
2013年12月27日
「平和の灯を!ヤスクニの闇へ」キャンドル行動実行委員会
賛同団体
アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam) /「慰安婦」問題解決オール連帯ネットワーク/子どもと教科書全国ネット21/中国人強制連行を考える会/ピースボート/許すな!憲法改悪・市民連絡会