私と憲法152号(2014年1月1日号)


安倍政権の「戦争する国」への暴走を阻止するたたかいを

「戦後」を「戦時」に変える安倍政権の特異性

安倍晋三という戦後歴代の首相の中でも特異な人物の下で、この国は東アジアをはじめ世界各地で「戦争する国」に向かって暴走を開始しつつある。少なからぬ人びとが表現するように、もはや時代は新たな「戦前」「戦時」に至っているのかも知れない。「いくらなんでも、そんなことはないだろう」と思う人がいることを知っている。

しかし、2014年の年頭にあたり、筆者はそのように思わざるをえない。かつて憲法学者の長谷川正安氏によって「安保と憲法、2つの法体系の相克」と規定された戦後政治史において、少なくとも安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げることで、その枠組みの一方である平和憲法の法体系を全面的に破壊し、もう一方の安保体系の全面的な展開・確立を実現しようとしている。9条明文改憲に失敗し、さらにその弥縫策としての96条先行改憲にも失敗した安倍首相は、直近の明文改憲実現を断念し、集団的自衛権の憲法解釈の変更によって、憲法9条の縛りを解き放とうと決心した。参院選後の安倍政権の改憲のターゲットはこれに尽きる。安倍はこれを第2次安倍政権の「歴史的使命」と自任して、国会における多数議席の力にまかせて、しゃにむに突っ走ろうとしているのである。安倍政権の容易ならない特異性はここにある。

「積極的平和主義」の看板で「積極的」に軍事的緊張を激化させる

国家安全保障会議(日本版NSC)設置法と秘密保護法を強行採決した秋の185臨時国会を終えて、わずか1週間後の12月17日、安倍政権は戦後の平和憲法下で初めての「国家安全保障戦略」(NSS)と、3年前に策定された「防衛大綱」と「中期防衛力整備計画」の変更を閣議決定し、「各種事態の抑止と対処のため、『統合機動的防衛力』を構築」する方向に国政の舵を切った。この特徴は中国や北朝鮮を念頭においた「安全保障環境の変化」を振りかざして、自民党を中心とする歴代政権のもとで長期に採用されてきた憲法解釈=「専守防衛」路線を精算し、集団的自衛権の行使と一体の「積極的平和主義」を基本理念としていることである。いわく、日本は「複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面している」、「わが国の平和と安全はわが国一国では確保できない、国際社会で積極的平和主義による一層積極的な役割を果たす」必要があるというものである。そのため日本版NSCが外交・防衛の司令塔として日常的に一体的に運用され、軍事力をその政策手段の基本に据えるというものだ。決定された国家安全保障戦略は、「国家安全保障の最終的な担保となるのは防衛力であり、これを着実に整備する」と述べて、憲法前文の「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という、武力に拠らない平和の実現という立場を全く否定している。尖閣諸島問題など領土問題をめぐる安倍政権の対応は、まさにこうしたものである。今回、道を開いた敵基地攻撃能力や海兵隊的機能の保有、オスプレイの大量配備などはその軍事的担保である。

安倍首相が2013年9月の国連総会演説で全世界に向かって宣言した「積極的平和主義」は、本質的に言えば軍事力を担保とし、集団的自衛権の行使を前提にした日米同盟の抑止力・対処力に依存するものであり、軍事力による平和の維持・構築という考え方である。安倍政権はこれを今回のNSSで「10年先まで見越した、日本の進路」として策定し、新防衛大綱や中期防でその具体的な諸方策を示した。

たしかに今回閣議決定された諸文書には「集団的自衛権の行使」という文字はない。これは連立与党の公明党に対する政治的配慮であって、ジグソーパズルの真ん中の一片のみが空いている図である。このことは安倍首相にとっては痛恨事であり、彼は通常国会の後半までに公明党を脅し、すかしで説得して、パズルのピース(集団的自衛権の行使という用語)をはめこんで安倍の「戦争する国」の10年戦略を完成させようとするだろう。

185臨時国会での戦争準備法制の強行

2013年10月15日から始まった第185臨時国会は、会期を2日延長した上、12月8日に閉会した。安倍内閣は「臨時国会」であるにもかかわらず、国の基本問題に関わる重要法案、国家安全保障会議設置法、特定秘密保護法などを世論の批判と疑問が極めて大きく表明されるなか、短期間に審議も尽くさないままに与党などの多数で強行採決を行った。

11月27日、参院本会議で自民、公明、民主、みんな、日本維新の会の各党などの賛成で強行可決されたNSC設置法は、首相が議長となり、官房長官、外相、防衛相の4者会合を中核とし、外交・安全保障政策の基本方針や中長期的な戦略を決める司令塔的機関だ。これは6日に参院で自民、公明の賛成で強行採決された秘密保護法、186通常国会で政府自民党が成立を予定している「国家安全保障基本法」とともに、集団的自衛権についての憲法解釈を変えて「戦争する国」を準備するための法制度だ。安倍政権はNSC設置法案をほとんど国民的議論がされないうちに採決したのにつづいて、秘密保護法案を異常なスピードで強行した。秘密保護法は国の安全保障に関して特に重要な情報を「特定秘密」に指定し、それを取り扱う人を調査・管理し、それを外部に知らせたり、外部から知ろうとしたりする人などを処罰することによって、「特定秘密」を守ろうとする、人権侵害と戦争準備の稀代の悪法だ。国会を取り囲む巨大な人波の中で、その波及を極度に恐れた強行採決である。

国会終了後、安倍政権は前項で述べた閣議決定を強行した。臨時国会といい、この閣議決定といい、麻生副総理が言った「静かにやろう。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうか」を想起させるように、国会の議論を極力避け、世論を恐れながら、強行されたのである。

秘密保護法に反対する民衆運動の画期的な高揚

2013年秋の秘密保護法に反対する民衆のたたかいは画期的な高揚を示した。当初、運動の主体の側には「なかなか問題が一般に浸透しにくい」と嘆く声もあったが、秘密保護法に反対する運動は10月後半からは急速に燃え広がった。

10月中旬、従来から盗聴法に反対してきたグループや私たちのような憲法関連の市民運動などによって、「『何が秘密?それは秘密』法に反対するネットワーク」(略称・秘密法反対ネット)が結成されたことを契機に、この市民運動の努力で、11月21日に1日共闘形態で大規模な秘密法反対集会を開こうとの呼びかけと準備が始まった。

11・21実行委員会には秘密法反対ネットを中心に新聞労連、平和フォーラム、5・3憲法集会実行委員会、秘密法に反対する学者・研究者連絡会などが「呼びかけ5団体」として結集し、これを軸に様々な市民団体やグループが参加して、「STOP!秘密保護法11・21大集会実行委員会」が結成された。この実行委員会の特徴は、従来の諸課題での共同闘争の枠組みを大きく超える形での結集が実現したことであり、労働組合の分野では新聞労連など中立系組合と平和フォーラムなどに結集する連合系労組や、5・3実行委員会などに加わっている全労協、全労連などが参加し、共同したことだ。そしてこの運動を弁護士の強制加入団体である日本弁護士連合会が「後援」するという決定をして、共同したことだ。この幅広い仕組みの運動に呼応して、全国各地で集会やデモなどの行動が行われた。

21日の日比谷野外音楽堂の集会は会場が満員になり入場封鎖するほどで、参加者数は会場内外に9000人に上った。会場では「市民個人席」「市民グループ席」が大きな割合を占めた。

その後、この実行委員会は1日共闘から臨時国会会期中の秘密保護法に反対する共同行動機関(秘密保護法廃案へ!実行委員会)に再編された。12月1日に開催された日本弁護士連合会による新宿駅西口の街頭演説会を「実行委員会」が「後援」して協力するという画期的なことも実現した。国会の緊迫を反映して、この実行委員会は連続的に、12・2国会キャンドル行動(1500人)、平日の正午からの12・4国会包囲ヒューマンチェーン(6000人)、参議院特別委員会の強行採決時には12・5国会前集会(昼、夜)と多彩な形態で継続され、参院本会議の強行採決を前にした12・6日比谷野外音楽堂の集会(日弁連が後援)には、前回を大きく上回る15000人が参加し、その後、人波は夜遅くまで国会を包囲した。

一方、この間、学者や研究者、芸術家、文化人、報道界、宗教者など多くの著名人の団体も、連日のように次々と反対を表明した。これらの動きを主要メディアが連日、報道した。大量のチラシはもとより、ツイッター、フェイスブック、ブログなどインターネット・メディアも運動の伝播に大きく貢献した。

国会の周辺は連日、市民のロビイストや抗議の人波が絶えることがなかった。このような政治運動の高揚は実に久方ぶりのことであった。

衆議院段階では議席の数に任せて強行突破した安倍政権は、こうした院外の情勢を反映して参議院段階では動揺し、秘密法の監視機関の設置などの弥縫策を相次いで打ち出したり、5日には本会議強行採決を断念した。安倍政権は会期末の6日ギリギリの場面で2日間の国会延長策を担保にして、参院本会議で強行採決にでた。

特徴的なことは、採決の翌日からも秘密保護法反対の運動は全国各地・各分野で絶えることなくつづき、実行委員会も「秘密保護法廃止へ!実行委員会」と名称が変更され、通常国会に向けた運動が準備されていることだ。12月10日の報道では共同通信の世論調査で、内閣支持率が10ポイント以上急落し、47%になったとある。秘密保護法への反対は60%だった。これは第2次安倍政権の終わりの始まりであるといってよい。

安倍政権の「戦争」政策と対決する多様で、広範な運動を

憲法の3原則を擁護し、その実現のために、とりわけ9条に代表される平和主義を掲げて微力を尽くしてきた私たちの市民運動は、2014年の年頭にあたり、その真価が問われていることを痛感している。

前項の結論で「第2次安倍政権の終わりが始まった」と書いた。これを文字通り現実のものとできるかどうか。1月24日からの第186通常国会ではそれが問われている。最大の焦点は安倍政権がねらう集団的自衛権の憲法解釈の変更を阻止する課題である。自民党の国家安全保障基本法の動きは、基本法という立法による憲法の破壊である。総意工夫をして、広範で、多様な運動を作り、世論を盛り上げ、たたかわなくてはならない。合わせて、沖縄では名護新基地建設のゆくえを左右する名護市長選挙と、東京では猪瀬前都知事の辞職による知事選が始まった。これらは安倍政権の「戦争する国」への道に反対する極めて重要な新年最初のたたかいとなった。

私たちが直接関わりを持つ具体的な日程を列挙しておく。1月18日・市民憲法講座(集団的自衛権問題)、1月19日・名護市長選投票日、1月24日・通常国会開会日(秘密保護法廃止!1.24国会大包囲、同院内集会、5.3憲法集会実行委員会院内集会)、2月9日都知事選投票日(予定)、2月16~17日・許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会、3月8日・原発のない福島を県民大集会、3月15日・さようなら原発集会などなど、諸課題が目白押しになっている。これらの運動を、安倍政権の打倒に向かって大きく連携させていかなくてはならない。

新年、私たちは全国各地の市民運動など各界の仲間と協力して、この国の「戦時」を招かないための歴史的課題を闘い抜きたいと願っている。
(事務局 高田 健)

このページのトップに戻る


2014年 年頭に思う(各地から)

新年に思うこと―いつやるの?「今でしょ!」

山口たか・市民自治を創る会・代表、脱原発をめざす女たちの会北海道世話人

新年をむかえると、気持ちがあらたまるのだが、今年は全くそうならない。2011年3月11日以後はそうだが今年は特に祝う気持ちが薄れているのを感じる。未曾有の大震災・原発事故から、4年目をむかえるこの国は、本当に被災された人を支え生活の再建を担おうと考えているのだろうか。1年前に誕生した安倍政権は、国防軍創設、憲法「「改正」を声高にとなえていたが、それが困難と知るや、改憲要件の緩和―96条改正から手をつけようとした、しかしそれも多くの批判を受け、選んだのが、なしくずしに解釈から憲法をこわしていこうという路線だ。麻生副首相がいみじくも本音を吐露してしまった「いつの間にか、誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」という発言。あの手口とはワイマール憲法を改憲しないで侵略とユダヤ人虐殺路線をひた走ったヒットラーのやり方だ。まさにそれを地でゆくような、国家安全保障会議(NSC)の設置法や特定秘密保護法の成立がその先駆けであり12月17日閣議決定された国家安全保障戦略、新たな防衛計画の大綱、中期防衛力整備改革。さらに年明けには、国家安全保障基本法を制定し、集団的自衛権の行使を可能にし、武器輸出の解禁、沖縄・辺野古への新基地建設、防衛費の増加が待っている。戦争と尊い命を犠牲にして私たちが得た、平和主義、戦争放棄、基本的人権という戦後の価値観を大転換することを意味している主権者である国民はなめられている、無視されている、あまりにひどい、政権ではないか? 希望が見えないそのことが、心晴れやかに新年を祝うことができない大きな要因だ。

私は、東日本大震災以降、東電福島第一原発事故にあった福島の親子の支援を中心に活動をしてきた。北海道産食材中心の食事や、土や花や木にふれたり、日本海での海水浴などを体験し、真っ黒に日焼けして福島へ帰る子どもたち。子どもも保護者もストレスからフリーになってもらい免疫力を高めて健康被害を防ぐことをめざす一時避難(保養)の受け入れである。これまで長期休暇ごと7回行って230人の福島の親子と関わってきた。一部の家族は、札幌や宮城、京都、などへ転居してもいる。希望者が受診する甲状腺検査では、多くの子どもから、のう胞や結節がみつかるが、保護者に要手術レベルの腫瘍が発見された例もあった。3年経ち、一時保養に来る方々も、避難して来た方々も、福島に残る方々も、収束まで先が見通せないなかで、長い歳月を覚悟しつつ疲れや不安で揺れ動いている。しかし、政府、東京都は、福島原発過酷事故などなかったかのように、東京オリンピックへまい進し、公共事業を大盤振る舞いしようとしている。汚染水、溶けた炉心、使用済み燃料の搬出など、経験したことのない廃炉作業だが、「放射能は完全にコントロールされている」と豪語した安倍首相だ。12月7日に公表されたエネルギー基本計画では、原発推進・再稼動へ転換し、再処理継続も書き込まれた。

被災者は切り捨て、特定秘密保護法により国民の知る権利や報道の自由、思想信条の自由を葬り去ることをめざすこんな不誠実な政治が許されていいのかと思う。
この政権の先にあるのは、情報を隠蔽し、国民弾圧を通じて、世界で戦争をする準備である。そして国民の暮らしよりもアメリカに付き従う属国のような日本の将来だ。
だから、だからこそ、私たちは、あきらめるわけにはいかないともう一人の私は思う。子どもたちの未来に、戦争をする国を手渡しては死ねない。放射能に汚染された大地を残すわけにはいかないと。

昨年の福島県下の自治体選挙では、郡山市、福島市をはじめ現職首長が軒並み敗北した。原発対策への県民のNO!の表明だ。だから、きたるべき東京都知事選で、都民は、オリンピックより国民の生活に重きをおく人物を選ばねばならない。沖縄県名護市民は名護市長選では、辺野古に新基地をつくらせない候補を選ばねばならない。

福島県民の一票が、原発推進政策をとめる力になる可能性を信じたいと思うし、都民や名護市民の選択が政治を変える一票一揆となることを願う。かつてないほど 重要な岐路にあり瀕死の日本国憲法、9条平和主義だ。しかし、憲法9条を守り、生かすことで、国際社会において名誉ある地位を占める日本でありたいと願う。それを実現するための闘いはいつやるのか?「今でしょ!」そう今全力で、闘いぬくしか明日はないと思うのだ!

希望の見えない暗い気持ちの年頭だけれど、人生の残りの時間を平和のために使おうと心に決めた。

このページのトップに戻る


「特定秘密保護法反対!」北海道釧路での動き

工藤和美・釧路市

2013年12月8日、「特定秘密保護法反対!平和憲法を守ろう」釧路集会が釧路九条の会(佐藤昌之代表世話人)の主催で300名を集め開催された。篠田奈保子弁護士が「再び国民が戦渦に巻き込まれないために、私たちが今なすことは?」と題する講演をおこなった。

篠田弁護士は、最初に手作りの憲法紙芝居「王様を縛る法~憲法の始まり」をプロジェクターで読み聞かせ、「憲法」って何のためにあるのだろう?立憲主義を学ぼう!を判り易く説明した。次に「知って欲しい憲法のこと、権利のこと」について人権規定を中心にその重要性を強調した。その上で自民党憲法改正案の狙い通りに憲法が変わったらどうなるかというシュミレーションをおこなった。自民党案では、国民と国家の関係が逆転し、表現の自由が制限され、社会保障では「自己責任」が強調されるなど「戦争をする国へ」なることは避けられないと指摘した。そして多くの反対の声を無視して12月6日に安倍政権が強行「成立」をさせた「特定秘密保護法」の問題を「秘密は戦争の始まり」が歴史の教訓であるとしてこの法律の危険な内容を厳しく批判した。また福島原発事故や原発に関する情報が「秘密」とされる可能性が高いとし、「成立」したからといって、あきらめるのではなく廃止に追い込むことが重要であり、自公政権にNOを突き付け、自民党を引きずり下すことを目指そうと呼び掛けた。

憲法改悪に反対する運動をやっていく中で、自分はときどき沈没船の中で水を掻き出しているような無力感に襲われることがあるが、今、周りをみると同じように水を掻き出している人が増えてきていると感じる。安倍政権は次から次へ悪法を出してきており反対する方も疲れてくる。しかしこの疲れさせられるというのも向うの作戦なのではないかと思うようになった。だからあきらめないでやることが大事だと思う。そして若い人に参加して欲しいと思っているが、なかなかそうならない現実がある。「若い人は何をやっているんだ」という声も聞こえる。

私はめずらしく厚労省が支援している「よりそいホットライン」(365日24時間対応)の北海道地区受諾団体の代表理事に就いて電話相談を行っているが、全国で年間1000万コールがあり、そのうち相談出来ているのは33万コールしかない。電話は30~40歳代が中心で、働きづらく生きづらい問題の相談が多く社会的問題に関心を寄せる余裕がない状態に置かれていると思う。若い人の一人一人が生活に困っていて、悩んでいる声を皆に伝え拡げていくことが大切と思う。

最近では働くお母さんたちが子どもの保育園問題などで声をあげ始めている。今回の特定秘密保護法反対の運動は政府・与党を動揺させたことは間違いない。日弁連や釧路の弁護士会の動きも若い力が増えて活発化しているので今後期待できる。こうした運動を拡げていけば必ず大どんでん返しが来ると思う!として講演を終えた。
法案が「成立」した直後にも関わらず会場は満杯となり、釧路市民の関心の高さを示す集会となった。

釧路では2013年5月6日、小出裕章京大原子炉実験所助教を招いた講演会「子どもたちに原発は残せない」(主催:脱原発ネット釧路)が開催された。
その折りのアンケート集計では、参加者の6割にあたる356名から回答をいただいた。男女構成は、ほぼ半々であったが年齢構成では50代以上が75.2%を占めた。40代以下の参加者は年代を下がるにつれて低く、若い世代の参加が少ないことを嘆く声も聞かれた。しかし今回、篠田弁護士が講演で指摘したように若い世代が参加しにくい問題を抱えていることに関心を持ち、耳を傾け、粘り強く参加を呼び掛けていくことが重要と思う。

最近読んだ本に「ヒトの心はどう進化したのか」(鈴木光太郎著 ちくま新書)がある。その中で著者は、進化の過程で「ヒトをヒトたらしめているもの-ヒトの6大特徴」にふれ、直立2足歩行や手・指の動き・道具の製作と使用、火の使用などと共に「長寿と文化の伝達」を重要な特徴としてあげている。文化の利点とは「ひとことで言えば、自分が一からすべてをしなくていいということだ。すなわち、だれかほかの人間が考えついたものを(自分が考えつかなくても)そっくりそのまま自分のものにできるということである。」としている。そしてヒトが他の動物に比べ抜きんでて長寿になったことは、「長寿者が家族や親族の自覚や結束を強めるための中心的役割をはたすようになったと同時に、生きる上で知るべきさまざまなこと(すなわち文化や知識や技術)を若い世代に伝授する役割も果たすようになった」とし、高く評価している。

私も含めて中高年の世代の皆さん、まだまだ私たちにできることがあると思う。あきらめたり悲観しないで、ポジティブに行動していきたい。

このページのトップに戻る


秋の行動を振り返って思うこと

大村忠嗣・信州より長野ピースサイクル

11月初旬、長野の仲間たちと、「安倍晋三内閣の『積極的平和主義』って何だ!それは戦争への道」と銘打って、長野駅前で「日本を『戦争する国』にさせないぞ!」と題したビラをまき、市内を40名ほどでデモ行進をした。日本版NSC反対、特定秘密保護法案反対、集団的自衛権の行使容認反対、オスプレイ訓練の全国化に反対(辺野古への新基地建設反対、沖縄へのオスプレイ配備と訓練反対)を叫んだ。

それから、約1ヶ月半「脱原発」と「特定秘密保護法案反対」を訴える行動の連続だったが、残念ながら安倍政権と与党は、大方の国民の要求である「脱原発」、「特定秘密保護法反対」を踏みにじって、国会での多数派を良いことに、「原発推進」も決め「特定秘密保護法」成立を強行採決した。

この結果には「怒り!怒り!怒り!」だが、あまり敗北感は無い。それは、以前から戦争反対行動する仲間「戦争しない!させない!共同行動・ながの」や「長野ピースサイクル」、私の居住地域で3.11以降に出来た脱原発の仲間で作るネット、地域の「9条の会」連絡会、信州沖縄塾、その他環境問題の市民グループ等々が「脱原発」や「特定秘密保護法案反対」の行動で、何度もの連帯した行動が出来た。そこで生まれた盛り上がりは、かなり力強いものがある。さらに、長野県全体に起こった「特定秘密保護法案反対」のうねりは、「法成立」後も、さらなる「廃止」への闘いとして継続する動きになっている。

今回の「秘密保護法案反対」では、憲法問題や「脱原発パレード」に参加していた市民以外にも「危機感」や「怒り」が広がっていることを実感した。これまで、あまり直接的に政治的なことに関わっていなかった人々が声を上げ、長野県から「はじめて国会へ行ってきた」という人も多くいた。

信濃毎日新聞も連日「特定秘密保護法案」を取り上げ、その主張は基本的に反対を貫いていた(今も記事は少なくなったが、扱いが続いている)。取材に来た記者たちとの信頼関係も出来、意見交換もするようになった。これは、記者たちの「危機感」だけでなく、市民運動のかつて無い盛り上がりが大きく影響した結果だと思う。

こうした中で、強行採決が行なわれ、石破自民党幹事長による「本音」の発言があり、12月13日には閣議決定で公布され、1年以内の施行が報じられている。さらに、矢継ぎ早に「安全保障政策の変更」が強行され、着々と壊憲すなわち「集団的自衛権行使容認」から、「戦争する国」への施策が打ち出されている。一方で「共謀罪」もちらつかせている。少しずつ出しては様子を見ているという動きもあるが、これは、この間の市民運動の高揚が影響していて、彼らの狙い通りには行っていないと私は思う。

しかし、のんびりしていられない。世の中はクリスマス、正月そして、オリンピックへのムード作りも動きはじめている。その間に「武器輸出3原則の廃止」、「防衛大綱の見直し」など、国会での議論なしで進められる重大な安全保障政策の変更が、次々に出されている。沖縄の基地問題に関しても、何としても名護市長選挙までに、沖縄県知事の「辺野古の海の埋立て認可」を出させるために、自民党の沖縄県連の「公約」を反古にさせる強引な手法が繰り出され、一方では「オスプレイ訓練の全国分散」という形で沖縄を分断するアメ(これは負担軽減では無い)もばらまかれている。(信州沖縄塾は早速、自民党沖縄県連に抗議した。)

私たちは、こうした動きに手を緩めることなく、一つ一つ反対の声を上げて行くのは、年末から新年早々の重大な仕事だと思っている。2014年は日本が「戦争する国」になるか、「真の平和国家」になるかの歴史的分かれ目の一年になる可能性がある。

安倍政権の支持率は今度の臨時国会の結果急落した。アベノミクスとかいう経済政策も「貧困、格差」を生み、外国資本も含めた力のある大企業だけが富を蓄積して行く構造の中で、経済指標だけが上向きであるかの様に発表されるが、必ずしも順調にいっているとは思えない。4月以降に消費税増税などに絡んで、市民生活に極端な影響が出る経済状況が到来するとの指摘もある。

その中で、支配構造だけを強化する安倍政権とその追随者がさらに強権的な動きを出して来ると思うが、それを広範な市民運動の連携を作り、その力で一つ一つ失敗に追い込んで行く闘いが求められている。そして、それは可能だと思っている。

憲法施行から66年の時間の中で、市民の「闘う力」は、「ナチス」が「ワイマール憲法を無力化したような手法」で日本国憲法を無力化する事などできないだけになっていると私は思っている。同時に運動の作り方を様々に工夫する必要性も感じている。

秋の闘いの冷静な総括と「明るい未来を後世に引継ぐ」そういう気持ちを込めて、新しい年を迎えたいと思う。(2013年12月18日記)

このページのトップに戻る


“戦爭で平和は作れない”

坂本照子・いせ九条の会

♪日本国憲法は知っている
第2次世界大戦、 アジア太平洋戦争
幾千万もの人が傷つき いのち奪われた
母と子の流した 涙の重みを

日本国憲法は 見つめてる
武器のない平和な いのち輝く世界
国や民族の違い超えて 結ぶ友情
笑顔の花が溢れる 地球の未来を

日本国憲法は 信じてる
人間の知恵と勇気が 理想実現すると
日本国民に託した願いは 世界の願い
きっと来る必ず 平和な世界が

戦争で平和はつくれない 悲しみの涙が流れるだけ
“憲法9条”未来を照らす “憲法9条”世界の宝

家事をしながら、車を運転しながら、いつの間にか口ずさむメロデイー。改憲の危機迫る中、いせ9条の会々員が作詩作曲したオリジナル曲です。
平和の集いや、地域のイベントに呼ばれて、地域の合唱団でこの歌を歌う機会が多くなった。
CDに吹き込み、歌で広める取り組みにチャレンジとの声も・・・ちらほら。

2004年、全国9条の会の呼びかけに応じて“いせ9条の会”はいち早く立ち上げた。高田健さん、小森陽一さんを始め、各界から駆けつけて下さった方との講演会を重ね、9条の大切さを学び取り、そして広げるために、署名活動を通し玄関前での9条談議。伊勢市の各地域を網羅した。

若者グループは、戦争体験者を取材して周り、聞き取りを漫画で表現した“この夏をこえて“を発刊させた。併せて、年明けには100号を迎える会報“いせ9タイムズ”に4コマ漫画を連載し、読者を唸らせているのも“いせ9”のオリジナルです。

小学校区に9条の会を! 小森さんのアドバイスを受け、それぞれの地域に呼びかけ、24校区中9校区の9条の会が次々に立ち上がっていった。‥ が、2009年政権交替で、改憲への緊張が和らぎ、チョット小休止は、否めない。

今回の危機!眠っていた各小学校9条の会が目を覚まし始めた。他団体と共催した平和学習会や上映会。新たな小学校区9条の会の誕生・・地域に根ざした9条の会、これからが本番です。

会員外への啓発として、成人式、憲法記念日に加えて、新しく“9の日行動”を起こした。“いせ9タイムズ”やチラシを地域を決めてポステイング。その都度、路上会話が生まれ、共感者が増えていく喜びを得ながら、署名活動同様、再度伊勢市を網羅していくつもり!

戦争体験を聞く会も何度か重ねた。

次第に少なくなっていく体験者の一人として、地域の学校で、戦争の恐怖、飢餓、悲しみの中から生まれた戦争放棄を宣言した“あたらしい、憲法のはなし”を学んだ喜び、9条の貴重さ・・を子供たちに伝えるのも私のできる数少ない役割。 防空頭巾・もんぺ姿に変身し、紙芝居を抱えて、明日も学校に出かけます。

このページのトップに戻る


安倍政権の改憲暴走をとめよう!

中北 龍太郎・「とめよう改憲!おおさかネットワーク」共同代表。弁護士

安倍政権は、大多数の反対世論を踏みにじって、特定秘密保護法を強行可決しました。この法律をその中身に合った名前でいいかえれば、秘密国家法、情報統制法、民主主義破壊法、人権蹂躙法、市民弾圧法、報道規制法、監視社会法、密約乱造法、国会空洞化法、裁判形骸化法ということになります。「反対活動はテロ」「秘密報道で国が危機に」という石破発言からも、この悪法の本質と乱用の危険性が露わになっています。

安倍政権が民主主義と人権を破壊する秘密保護法を強引に制定した背景には、日米軍事同盟の強化、日米軍事一体化があります。そのことは、2007年8月に結ばれた「日米軍事情報包括保護協定」が法制定の出発点だったこと、開戦を決定し戦争の司令塔となる国家安全保障会議(日本版NSC)設置法と秘密保護法とは一体のものだったことからも明らかです。米軍とともに戦うための情報の共有と秘密化、これが法制定の直接の原因だったのです。

秘密保護法が施行され実際に機能するようになると恐るべき事態が生じます。日米両国とも、これまで情報を隠しうそで塗り固めて戦争を起こしてきました。うその大本営発表で侵略戦争を始め戦線を拡大してきた日本、トンキン湾事件をねつ造してベトナム戦争を全面化し、にせの大量破壊兵器保有情報でイラク攻撃を正当化したアメリカ。こんな両国が秘密を共有するとなると、秘密から戦争が生まれるという不幸な歴史の再現は必至です。また、市民は戦争計画が作られてもそれを知ることさえできず、いつの間にか戦争に巻き込まれていくことになります。さらに、国家の安全の名の下に戦争の遂行が優先され、「もの言えぬ社会」がやってきます。まさに、民主主義と人権の破壊のうえに戦争する国が作られようとしているのです。

 こうした本質を持った秘密保護法の制定は、安倍政権が今年本格的に推し進めようとしている解釈・立法改憲の一環です。この解釈・立法改憲は、明文改憲のいわば内堀を埋めるための地ならし・布石にほかなりません。自民党の「日本国憲法改正草案」は、戦争をする軍隊づくり、そして官民総ぐるみで戦争を遂行できる国づくりをめざしています。その中には軍事機密保持条項も盛り込まれています。秘密保護法の制定は、この条項を前倒しで実現するものであり、安倍式立法改憲の最初の試みでもあります。

解釈・立法改憲の基軸になっているのが集団的自衛権の行使です。集団的自衛権の行使を合憲化する解釈改憲は、安保法制懇の報告書、それを受けての閣議決定という段取りで進められようとしています。そしてその次に、通常国会で、集団的自衛権の行使を目的にした国家安全保障基本法の制定が企まれています。こうした立法改憲は、違憲の集団的自衛権の行使を違憲の法律で「合法」化する以外の何ものでもありません。これは麻生副総理の言う「ナチスの手口に学ぶ」手法であり、これを許せば憲法9条は有名無実化してしまいます。

今年は文字どおり、反改憲運動の正念場であり、安倍政権との勝負の年です。
昨年暮次第に、秘密保護法の持つ民主主義・人権破壊の問題点が広く知られるようになっていき、世論調査で反対意見が多数を占めるようになり、従来にはない新たな反対の声があがり、マスメディアや弁護士会なども反対の論陣を張りました。しかしながら、悪法制定を止めることはできませんでした。それには、反対行動の立ち上がりが遅かったこともその一因になっています。また、NSC設置法に対する関心が低かったことにも見られるように、秘密保護法と改憲の動きが一体のものだという認識は余り広がりませんでした。これらの反省点は、これからの運動で克服していかなければなりません。

また、秘密保護法の強行採決により暴走政権としての安倍政権の本性が明らかになるに連れ、安倍政権への不信が広がり始め、その終わりが始まりました。しかしなお、未だ大きく力を落としていない安倍政権は、解釈改憲でホップ、立法改憲でステップ、明文改憲でジャンプして戦争をする国の完成に向けて暴走を続けようとしています。

安倍政権の改憲暴走をとめるために、私たちの課題は山積みです。最後に、抵抗の原理としての憲法9条、憲法は市民による権力へのしばりという立憲主義をいかした反改憲運動を力強く構築するために、いくつかの課題を提起しておきます。

  1. 秘密保護法の廃止と集団的自衛権行使の合憲化反対の取組みをセットで展開すること。
  2. 反戦平和のためにも改憲をとめることが現在の最重要課題であり、二つの運動を総合化 してパワーアップを図ること。
  3. 集団的自衛権の行使に反対する多数世論と反改憲運動のつながりを深めること。
  4. 改憲の動きが沖縄の基地強化に波及していることを見すえ、沖縄連帯を強化すること。
  5. 日本の戦争国家化がアジアの平和かく乱の元凶であることを踏まえ、歴史認識問題と改憲問題の結合、アジアの民衆との連帯を深めること。
  6. 安倍政権の暴走は弱肉強食の新自由主義政策、雇用と社会保障の切り捨て、教育の国家統制など日本の国のかたち全体に及んでおり、これら全体の情況が改憲暴走の動きをも深く規定しており、これら諸課題との共闘を進めること。
  7. 反改憲運動の全国的連携、国会包囲行動などへの全国的結集を図ること。

このページのトップに戻る


2014年立法改憲阻止へ総力をあげよう

松岡幹雄・@とめよう改憲!おおさかネットワーク事務局

第2次安倍内閣が秘密保護法案を閣議決定したのが10月25日、審議が始まったのが11月7日、12月6日の夜、正確には7日に成立したのだからちょうど1ヶ月の短い期間で希代の悪法が強行採決された。その間審議にかけた時間は衆参あわせてもわずか67時間、あのPKO協力法の時ですら審議時間は190時間あったことからみてもあまりにも拙速である。法案の内容についても数多くの指摘がある。安全保障上の機密情報を保護する法制度がある欧米でも、行政機関が情報を適正に取り扱っているかどうかは、議会や独立した専門機関がチェックし公開することは当然だと考えられている。しかし、日本政府は、チェック機関はあくまで内閣府など、行政機関の内部に置くことを譲らなかった。これについて国連関係者や人権団体、米国メディアからも厳しい批判があがっていることは周知のとおりだ。なぜ、かくも拙速に走り稚拙際まりない欠陥法をごり押ししたのか。それは、彼らにとってどうしても今臨時国会で成立させなければならない理由があったからだろう。2014年の通常国会で国会安全保障基本法を成立させるためにはどうしても今臨時国会で秘密保護法の可決成立を急いだのだろう。

先に成立した国家安全保障会議(日本版NSC)、そして今回の秘密保護法は一体のものである。日本を戦争する国にするためのワンステップにほかならない。来年の通常国会には集団的自衛権行使「解禁」へむけ国家安全保障基本法の成立がねらわれている。アメリカやイギリスからの戦争情報を得るためには国内で「秘密保全」が欠かせない。とくに集団的自衛権の行使、アメリカとの軍事共同行動のためには国内で反対論が吹き出してはとてもできない。秘密保護法はそのための情報の操作と隠蔽が目的にほかならない。

しかし、アメリカの軍事情報をあてにしてはならないことは「フセインが大量破壊兵器を保有している」との嘘の情報でイラク戦争開戦の口実が作られたこと一つをとってみても明らかだろう。

日本版NSCに全権力を集中させる、解釈・立法改憲で集団的自衛権行使を「解禁」する、歴史教科書は政府見解に沿うものとする、NHK経営委員会に人事介入し公共放送をコントロールする。あとは国家安全保障基本法などの「戦争手続き法」を成立させれば日本国憲法は指一本ふれずに死に体となってしまうだろう。そうすれば国民に異論を唱えさせることなく世界中至る所で戦争をしかけられる好戦的な国家づくりが完成する。これが安倍の描く将来日本の姿にほかならない。

これをくい止めていく力は、もはや国会では限りなく弱くなっている。私たち市民運動や労働組合のとりくみが決定的に重要になっている。先の麻生大臣が「国民がわーわー騒ぐ」のはまずい発言、また、石破幹事長のデモでの「絶叫戦術はテロと本質的に同じ」発言こそ彼らが市民の立ち上がりを最も恐れ嫌悪している現れだろう。2014年は、間違いなく憲法市民運動にとって正念場の年となるし「決戦の年」となるだろう。前年にもまして地域や街頭で「わーわー」騒ぐ運動を創りだしていきたい。

この間、大阪でも連日秘密保護法反対の集会・デモ、街宣行動を取り組んできた。12月1日には「戦争イヤ!御堂筋パレード」を憲法9団体が実行委員会をつくり開催し、2,300人の市民・労働者が参加する関西では最大の取り組みとなった。翌日の「朝日新聞」や「毎日新聞」はこれを大きく報じた。

この間のとりくみで特徴的なことをあげるとすれば、立場や組織の違いを超えて非暴力と相互信頼の原則を踏まえて共同の取り組みが広がってきたことだろう。5月3日の憲法集会とデモは950名、2013年9条世界会議・関西は5,500名、そして今回の12.1御堂筋パレードは2,300名の参加と、着実に運動が広がり相互の信頼関係も深まってきている。2014年は、「護憲9団体」のより緊密は連携を欠かさず、ますます情勢にあった機敏な行動展開が必要になっていると思う。とくに、2014年は、秘密保護法の廃案を目指した運動とともに集団的自衛権行使「解禁」を許さない運動へ全力をあげていきたい。

私たちとめよう改憲!おおさかネットワークも結成から7年目をむかえる。2013年は、2月の許すな憲法改悪!市民運動全国交流集会を皮切りに私たちにとっても息つく間もない「怒濤の憲法運動」の1年であった。2014年すでに上半期の行動予定がびっしりとなっている。1月24日国会開始当日、憲法9団体が主催し大阪で集会とデモを開催する。

つづいて、2月1日九条の会・おおさかが主催し講師にジャーナリストの大谷昭宏さんをお招きし「9条とメディアを考える」と題して講演会が開催される。4月12日には、とめよう改憲おおさかネットワークの第7回総会と講演会(講師 水島朝穂さん)を開催する予定である。「怒濤の憲法運動」2年目を大阪の地からがんばりたい。

このページのトップに戻る


広島から考える新年の課題

藤井純子・第九条の会ヒロシマ

ストップ! 国家秘密法広島ネットワーク

2013年第九条の会ヒロシマは、「私と憲法」8月号に皆さんのご支援で新聞意見広告を参議院選前、8月6日、8月末と3回掲載でき、お礼を書かせて頂いた。秋は意見広告から解放され、コリン・コバヤシ講演会をはじめ原発問題ほか様々な活動に首を突っ込み、充電するはずだった。しかし9月、いきなり「特定秘密保護法案」が臨時国会にあげられるという。急ぎ集まった仲間で「ストップ国家秘密法!広島ネットワーク」を作り、まず広島の一回目の動きとして10月15日、国会開会日の行動を決定。このネットワークにはマスコミ関係者が(少ないが現職も)入っていて心強い。2回目は11月2日の憲法集会後のデモを急遽企画する。その間、街頭に出てチラシ配布、シール投票など取り組む。3回目は11月21日の原爆ドーム前集会とデモ。11月27日委員会で強行採決されてからは連日街頭に出ようということになった。夕方街宣、署名集め、公明党、自民党地元国会議員にFAX作戦… 世論が代わっていくことが感じられた。そして12月6日、国会終了日の抗議集会&デモで4回目最大の取り組み。予想をはるかに超えて1000人がドーム前に結集。「秘密は違憲(イケン)、情報を隠すな、知らぬ間に戦争」という危機感は若い人にも驚くほど大きい。政府を強行採決へと追い込んだこの力は、秘密法凍結、発動させない運動に活かしたいと今後の行動の話し合いを重ねている。

原爆資料館の変容

「私は言いた~い! 安倍政権の暴走をとめよう、壊れたブレーキ公明党、知る権利を守れ… 」これはデモのコールだ。安倍政権やその周りの人々は侵略戦争の事実を受け止めず反省も謝罪もしない。これが社会に蔓延し、加害の負の遺産を知らせないまま消し去ろうとする。広島の原爆資料館の改装にもその空気が反映しつつあると思えてならない。

資料館展示は原爆に至る歴史と核兵器の非人道性や廃絶を訴える東館と、被爆の実相を伝える本館に分かれている。しかし本館の見学時間が短くなることを理由に加害の歴史展示を少なくしようとしている。日清・日露をはじめ広島から派兵したことや、中国・韓国等アジアで何をしたか、人々をどんなに苦しめたか、被爆者に強制連行され働かされたアジアの人々がいたことが伝わらないではないか。

そのため、廣島第5師団が67年前マレー半島に上陸した12月8日、「アジアの視点から 原爆資料館の展示を考える」講演会を行った。実は「韓国の原爆被害者を救援する市民の会・広島」は、資料館を改装するなら「在外被爆者コーナー」を作ってほしいと要請し、展示室の一部に予定された。しかし問題は何がどのように展示されるかだ。まだ写真も内容も決まっていないし、加害展示に関しては小さな一角に押し込まれ、関心のある人がコンピューターを操作し探す形態らしい。展示されても的確な説明がなければ伝わり難いのに展示もなくなっては忘れられるだけではないか。

講演会では、中国から広大大学院に来て学び、現在、国際協力研究科客員研究員となった楊小平(ヤン・シャオピン)さん、在日3世で広島市立大国際学部教授の金栄鎬(キム・ヨンホ)さん、資料館の副館長の話を聞いた。

ヤンさんはピースボランティアとして資料館案内をし、感想など集めて研究をしている。上海から来たある大学生は「資料館の展示を見て広島の街が完全崩壊した様子、被爆者のケロイド姿には心が痛む。すさまじい破壊力を持つ核兵器は本当に2度と使ってほしくない。」と言いつつ「私は原爆で亡くなった人々を追悼した。が広島では侵略戦争によって亡くなった中国の重慶や南京…の人々に対して私と同様に悲しむ気持ちがあるのだろうか」とも言ったそうだ。ヤンさんは「彼女は、日本の戦争で亡くなった中国の人々に対する悲しみを原爆慰霊碑の前で感じることができて初めて資料館で感じた自分自身の悲しみを確認できる」ということではないかと話した。人々が共感できる資料館か、問いかけたのだ。

 キムさんも、資料館は人々の苦痛が共有できる場でありたいと言う。被爆者の沼田鈴子さんはアジアの人々に対してはいつも先にゴメンナサイと言い、証言を始めていたことを思い出す。事前授業をしてきた修学旅行生は被爆者に対し厳しく質問をする。廣島が軍都だったから原爆投下されたのではないかと。答えに詰まってしまう場合もあるらしい。キムさんは「資格がないなら黙れ! ではなく資格を持って語ろう」とも言われた。展示改装にあたり、資料館にも2人の言葉をしっかり受けとめてもらいたい。

安倍政権になって広島市長、行政も明らかに変化してきた。軍都廣島、軍港呉の加害の歴史に正面から向きあうことから始めねば信頼関係は生まれない。核廃絶を訴えるのであれば、自国の戦争を反省をし、米国に原爆投下の謝罪を求め、原発をゼロにしなくてはならない。伊方、島根原発再稼動、資料館展示問題は、集団的自衛権行使容認反対の全国的運動と共に広島の当面の大きな課題となりそうだ。

このページのトップに戻る


新防衛大綱で進む呉の軍港化とより重要度が増す米軍岩国基地

新田秀樹・ピースリンク広島・呉・岩国 世話人

安倍政権は特定秘密保護法とともに、強引に決めた日本版NSC設置法にともなう「国家安全保障戦略」を発表し、2010年の民主党政権時代の「防衛大綱」を改定して「中期防」も12月17日閣議決定した。いずれも極めて問題があることは言うまでもない。

詳細については触れないが、念願の「集団的自衛権行使」は盛入れなかったが、民主党時代に「動的防衛力」と踏み出した内容をさらに大きく進め、「統合機動的防衛力」としている。着実に自衛隊のありようを変えようとしている。来年の通常国会では「国家安全保障基本法案」も検討されており、安倍政権に対する包囲網をさらに大きくしていかなければならない。

「ピースリンク広島・呉・岩国」を結成して来年2月で25年を迎える。広島の平和行政、海上自衛隊呉基地を柱とする呉、海兵隊岩国基地問題をはじめ、環境問題に合わせて原発問題と多岐にわたって活動を続けてきたが、いずれも大きな岐路に立っている。その中でも2つの取り組みを重点的に取り組んでいかなければない。

一つ目は言うまでもなく、艦船の数こそ大きく変わらないものの、その総排水量は大きく拡大した海上自衛隊呉基地の問題だ。1991年4月26日、海上自衛隊として初の海外派兵を湾岸戦争の後始末として掃海艇を派兵した。以降、PKO法成立にともなう陸自のカンボジア派兵も翌92年9月17日に呉基地から行われ、以降、アフガン戦争ではテロ特措法に伴う補給活動やイラク特措法の陸自派兵に伴う輸送艦派遣、ソマリア沖には海外警備活動へと現在も護衛艦2隻を送っており、重要な役割を持った基地になっている。

1998年、自衛隊では輸送艦と呼び、以前の艦船の約2倍8900tのおおすみ型揚陸艦3隻を呉基地に配備し、2011年3月にはさらに大型の13900tのヘリ空母である護衛艦「いせ」を横須賀の「ひゅうが」に続いて配備、今年8月6日という日を選んで19500tの護衛艦「いずも」の進水式を行い、2015年配備予定で、その同型艦も建造される。

呉市は2005年の呉市海事歴史博物館、通称「大和ミュージアム」開館を前後して、「海上自衛隊との共存共栄」をより鮮明にし、軍都復活を思わせる政策が民間主導に行政を巻き込み行われている。「動的防衛力」でも満足しない安倍政権の新防衛大綱は自衛隊の性格を大きく変え、「呉」の意味を大きく今後変えていく。

自衛隊と米軍の共同運用もさらに進んでいる。沖縄の猛烈な反対を押し切って配備されたMV22オスプレイと自衛隊艦船の共同訓練も行われ、自衛隊もオスプレイを導入すると発表した。ヘリ搭載護衛艦に、改修予定の揚陸輸送艦や増配備されるイージス艦をはじめとする護衛艦などの多機能化、大型化がより一層進み、戦争のできる軍隊へとより近づいており、来年は年明けからピースリンクとして連続行動を取り組み、呉市民をはじめ、多くの人々の連携でこの流れに歯止めをかけなければいけない。

もう一つの問題に、海兵隊岩国基地の機能強化に合わせて深刻化する米軍機低空飛行の問題である。2006年の在日米軍再編の合意以降、当初予定からは遅れているものの「2017年までに」と修正されて進む米海軍・原子力空母ジョージワシントンの艦載機の移駐のための工事は着々と進み、今年度工事総額は675億円という岩国市の年間予算を超える額が投入されている。先行して、普天間基地の海兵隊空中給油機部隊の先行移駐も容認し、愛宕山への米軍住宅建設も現実化している。さらに、今年3月から始まったオスプレイによる低空飛行訓練の岩国への飛来は頻発化しており、より一層の増加がこれから予測される。

米軍機による低空飛行訓練は今に始まったことではない。1980年代、90年代から顕著化して、ピースリンクとしても取り組んできたが、不十分と言わざるを得ない。5月に「新たな連携を」と結成した「オスプレイの配備と米軍機低空飛行を許さない市民ネットワーク」もまだまだ機能していないのが現状だ。

中国地方だけでも「ブラウン」と米軍が呼ぶ低空飛行訓練コースと、より深刻な対地攻撃訓練を行う「エリア567」直下での被害は後を絶たない。島根県と直下の市町や広島側の市町も自治体として騒音測定器を設置し、監視員を置くなどの対策に乗り出している。保守王国と言われるこの両県下の取り組みはその深刻さを表している。そこにもリンクしながら市民として声をあげていくことがこれから大事になってきている。

さらに、空母艦載機の岩国移駐はこの被害状況をより加速化することが懸念され、それに、極めて危険と言われるオスプレイの低空飛行訓練が現実化している状況で急がなければならない取り組みの一つだ。

来年は原発の再稼働、とりわけ広島に近い「伊方」の問題、国会では集団的自衛権行使をめぐる攻防もあり、まずは「特定秘密保護法」を廃止にするための運動、などと課題は山積みだが、2014年も地元の問題をしっかり見つめ、出来ることからやるしかないという思いだ。

このページのトップに戻る


第82回市民憲法講座 アベノミクスの行方 ~消費増税と私たちの暮らし

山家悠紀夫さん(「暮らしと経済」研究所主宰)  

(編集部註)11月16日の講座で山家悠紀夫さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。

安倍政権がまだ支持率が高い背景には、アベノミクスがマスコミなどで評価されて、何となくいい政策をやっているかのような誤解があると思います。
まず足下の経済情勢、ここ10数年の景気はずっと悪い状態が続いている。その長い悪い状態を何とかしなきゃいけない。だからアベノミクスだと言っている。「苦しくなる一方の暮らし」がいつから始まったか。いろいろな統計をみますと、私は1997年、98年頃が境目だったと思います。安倍政権は90年代に入ってから、すなわちバブルがはじけてからずっと悪くなったと、先日発表された骨太の方針などもそう書いています。世間も何となくバブルがはじけてから日本の経済は悪くなったと言っているんですが、事実はそうじゃない。

90年代に入りバブルがはじけて確かに厳しい状況になったけれども、それでも97年くらいまでは基本的にはいい方向に経済は動いていた。それが変わったのは98年からだと思います。「失われた10年」とか「失われた20年」というふうにとらえたのでは、いまの悪さの背景が理解できない。したがってちゃんとした政策もできないと思います。

何が起こったか。ひとつはわれわれの暮らしの面、収入は減ったし雇用は不安定化して労働環境は厳しくなる。そういうひどいことが起こりました。それと同時に日本経済もぱっとしない状況になってしまって延々と続いている。その背景に構造改革政策があるということがひとつの結論ですが、その話に行く前に、まずこの間の暮らしの流れと景気の流れをおおざっぱにみておきたいと思います。

苦しくなる一方の暮らしは1998年から始まった

賃金と雇用の動きを並べた図1ですが、矢印はひとりあたりの賃金の動き、折れ線グラフはひとりあたりの賃金。これは2005年の賃金水準を100にした指数でつくってあります。90年から97年にかけて賃金は大きな流れとしては右上がり、バブルがはじけて経済が厳しくなった状況でも賃金は上がり続けていた流れです。

それが変わったのは98年から。97年がピークで98年から下がり気味なって今日まで下がり続けている。表の黒い部分は景気が悪くなっていた時期、白い部分は景気が良くなっていた時期です。景気が悪くなると賃金は大きく下がる。良くなっても上がらず、せいぜい横ばい。悪くなるとまた下がり、それからまた横ばいということで、通算すると10%以上下がっている。日本経済は戦後の1945年以降、基本的に賃金は右肩上がりで97年まで50年近く続いた。その流れが98年から反対方向に動き出し、10数年続いているのが今日に至る状況です。

雇用について、働いている人が正社員として雇われているか、非正規・パートとかアルバイトとか派遣で雇われているかを見てみます。97年を堺にして、90年から97年までは正社員は330万人ほど増えています。非正社員も270万人くらい増えています。正社員も非正社員も増える流れが97年まで。98年以降、2012年までの流れを見ますと、目立つのは正社員が大きく減っていることです。3812万人が3340万人で、470万人の正社員が減っています。それに対して非正社員は1152万人が1813万人、650万人も増えた。その前から非正社員は増えていますが、正社員が増えるのと合わせ増えていた流れが、98年以降は正社員が減り、その穴埋めに非正社員が使われて、非正社員が大きく増える流れになっています。

こうした暮らしの悪化の中で日本経済はといいますと、国内でものがさっぱり売れなくなったことが98年からの流れです。国内需要と輸出の動きを表した図2があります。企業に限りませんが売り出すものは、国内で買われるか外国に買われるかふたつに分けることができます。国内の買い手は個人であり企業であり政府であるわけですが、それを全部合わせて国内需要といいます。その国内需要全般の動きが97年を100としますと、94年以降97年までは増えていた。それが98年から減り始めてずっと減りっぱなし。一度として97年の水準を超えたことがありません。

それに対して輸出は、外国の景気――中国とかアメリカとかヨーロッパの景気を反映して大変伸びた年がありました。2005年、2006年頃は97年に比べて1.6倍くらい伸びました。日本経済全体としてはある程度外国にものが売れた、輸出が伸びたということで多少はいい状態もあったわけです。小泉内閣の頃ですね。小泉さんは構造改革が実って景気が良くなったなんて言っていましたけれども、それは真っ赤な嘘でして、構造改革とは関係なく輸出が大きく伸びた。ただし、国内需要の方はいっこうに伸びなかった。減った水準のまま、基本的にはじりじりと減る格好で動いてきたという流れです。

この国内需要の不振の背景にあるのは雇用者報酬です。雇用者報酬とは、日本全体で働いている人すべての給料、ボーナスとか手当を足しあげた数字です。これも1997年を100として指数化してみますと、98年以降減り続けている。最近では88ですから、働いている家計が受け取る報酬は97年より12%くらい減っている。働く人の受け取るお金が減っているから、国内でものが売れない。国内需要のかなりの部分は個人消費、われわれの家計が買うものです。

それが伸びない。その結果として景気もよろしくないということが起こっている。いまでは経済学者の大半の人はそういうことを言っています。賃金が伸びないのは良くないと言っていますが、それはグラフで見ても明らかです。こういうことがいま日本で起こっております。

グローバル化では説明できない日本だけの収入減少

注目すべきは、こういうことが起こっているのは先進国で日本だけだということです。賃金について、民間企業の労働者ひとり平均の賃金がどう変わってきたか(図3)。1997年を100として2009年までの流れを見ると、日本は98年以降ずっと基本的には減る方向で、90を切るくらいの水準まで落ち込んでいます。これに対してイギリス、アメリカ、ドイツ、いずれも賃金は右上がりの傾向です。イギリス、アメリカは1997年に比べますと50%から60%上がっている。フランスも30%、ドイツも10%くらい上がっている。ひとり日本だけが下がっている。実は日本も97年までは欧米諸国と同じ流れでした。ドイツかフランスの間くらいの感じで日本も賃金が上がっていた。それが日本だけは98年から突然下がる方向に動き出した。

国内総生産を見ても同じようなグラフができます。日本だけは経済規模が縮小している。なぜこういうことが起こったか。かなりの学者がこれはグローバリゼーションの影響だと言います。中国とかアジア諸国との競争、交流が活発になって日本はそういう国と競争しなければいけなくなった。そういう国々は日本より賃金がはるかに安い。そうすると日本としても賃金を上げるわけにはいいかない。賃金が下がっていくのは当然だというわけです。

この説明はおかしいところが3つほどあります。ひとつは、グローバリゼーションの影響というのならばアメリカや西ヨーロッパ の国でもそういうことが起こっても当然です。アメリカはメキシコや中南米の国々と競争関係になり、アメリカの企業はどんどんメキシコに進出しています。そういう中でもアメリカの賃金は上がっている。ヨーロッパ諸国はベルリンの壁の崩壊があって、東ヨーロッパの国々と競争関係が激しくなった。東ヨーロッパ諸国は西ヨーロッパに比べて賃金水準が低いけれども、ドイツもフランスも賃金は上がっている。なぜ日本だけ賃金が下がるのかという説明がグローバル化ではできないわけです。

グローバル化が起こったのは1990年頃ですが、その頃から中国もどんどん発展、拡大し始めました。日本企業の海外進出も盛んになった。ですから90年代からこういうことが起こっているならば、まだグローバル化といえると思います。それがなぜ98年からこういう変化が起こったかを説明できないわけです。付け加えますと、グローバル化が起こって競争が激しくなって賃金が下がったのであれば、企業経営だって厳しくなったはずです。順序として競争でまず企業が厳しくなってもうけが少なくなった。だから賃金も下がった。要するに日本の企業も厳しくなって賃金も下がったというなら話はわかるんですが、日本企業はむしろもうけが拡大しています。いままでにないほど利益が上がるような状況が90年代後半から生まれている。ですからグローバル化では本当のことを説明できないと思います。そこでなぜ98年からなのかということが問題になります。私は構造改革政策の影響ではなかろうかと思うわけです。

「構造改革」以降、企業は儲かっても賃金は上がらず

構造改革というとすぐに小泉内閣を思い浮かべますが、実は構造改革政策を始めたのは橋本内閣です。1996年に誕生した橋本内閣が当時6大改革と呼ばれる、いまで言う構造改革政策を始めました。誕生したときは社民党とさきがけの3党の連立内閣で、その年の秋の参議院選挙で自民党が安定多数を確保し、単独政権になりました。単独内閣になって橋本さんは、財政構造改革、行政改革、教育改革、金融改革それから産業構造改革などの構造改革政策を大々的に採り始めました。それが経済面、社会面に大きな影響を与え出したのが98年からだと私は理解します。その結果こういう賃金が上がらない構造が生まれてきたのではないか。

構造改革のポイントですが、90年代中頃はバブルがはじけたあとですね。日本は景気が悪くなっていた時期です。いまから見ると、それまでに比べて悪くなっていただけで結構いい流れにあったんですが、その悪くなった時期が長く続いた状況でしたので、世間ではどうしてこんなに日本の景気は良くならないんだろうという議論が起こりました。その前のバブル景気が良すぎたのでその反動で悪い、だから長く景気が悪いんだと私などは思っていましたし、いまでもそう思っている学者もいると思うんです。しかし、そういう景気循環ではなくて構造が悪いという学者が現れ、構造を変えることが必要だといったのが構造改革論者でした。それに飛びついて構造改革政策を始めたのが橋本内閣です。

どういう構造が悪いのか。簡単に言うと企業が儲からなくなっているということです。商売しても儲からない構造になっている、だから企業がやる気を失って新しい設備をつくろうとか新しい商品を開発しようという努力をしなくなっている。構造改革を簡単に言うと企業が儲かるような経済構造に日本経済を変えていこう、そのためにいろいろな改革をしようという政策であったと言っていいと思います。そのための一番大きな政策は規制緩和です。企業がやりたいことをできるだけ自由にやらせる。そうすれば企業が元気になって、日本経済も良くなるということです。

そのもとで賃金が上がらなくなった事を示すような統計があります。図4は去年の「労働経済白書」で厚生労働省が分析して出したものですが、まず景気が一番悪かったときの企業の利益と賃金を100という数字に置き換えます。そして景気が良くなるにつれて企業の利益がどう変わったか、そして賃金がどう変わったか。横軸に企業の利益、一番景気が悪かった時を100として以降景気が良くなるにつれてどう動いてきたかを取ります。縦軸に賃金、一番景気が悪かったときの賃金水準を100として景気が良くなるにつれてどう変わってきたかを取るわけです。

それぞれ統計で当たってみてグラフに書いてみました。1980年代以降、日本経済が景気のいい方向に向かいだした時期がこのグラフでは5つあります。その5つのそれぞれの景気回復の時期を見てみます。明らかに2つのグループが生まれています。ひとつは右上にグラフが流れている。もうひとつはやや右下に流れています。「1986年Ⅳ~」とか「1994年Ⅰ~」などの註がありますが、これは「1986年第4四半期」から始まった景気が良くなった時期という意味で、構造改革が始まった1996年、1997年の前の景気回復期は前者のようになる。70年代にさかのぼっても、同じような右上がりにグラフは動いています。景気が良くなるにつれて企業は儲かるようになり、それにつれてグラフは右に動きます。それに伴って賃金も上がり、グラフは上に上に動く。要するに右上に動く。景気が良くなると企業が儲かるようになり賃金も上がる。ごく当たり前のことですが、そういう経済だったのが構造改革前です。

ところがやや右下に向かって流れている3つの線を見ますと、「1998年Ⅳ~」とか「2002年Ⅰ~」とか「2009年Ⅱ~2012年Ⅰ」の時期で、構造改革以降です。98年の橋本内閣のあと猛烈に景気が悪くなって、そのあと小渕さんが登場して公共事業をいっぱい増やして景気対策をして、多少景気が良くなった時期があります。2002年は小泉内閣のもとでアメリカやヨーロッパ、中国の景気が良くなって輸出が伸びて、日本も景気が良くなった時期です。2009年はリーマンショックで景気が大きく落ち込んだあとの回復期です。いまはそのあとの4回目の回復期が起こっています。要するに構造改革以降の景気の回復期は、グラフはやや右下に向かって動くようになった。

何が起こっているか。景気が良くなると企業は儲かるようになる。このグラフを見ますと一番長いところではもう200を超えていますから利益が2倍、あるいはそれ以上に増えている。それにもかかわらず賃金は、景気が一番悪かった時期に比べて下がって、ずっと下がりっぱなし。いくら企業利益が倍になり、もっとふくらんでも、賃金は上がらない構造になってきた。企業が儲かっても賃金が上がらない構造日本経済の構造が変わったということが見て取れます。

賃金が上がらなくなった背景

構造改革が賃金が上がらなくなったこととどう関係しているのかを5つにまとめてみました。

まず構造改革政策をとると大変な不景気が日本にやってきたということが歴史的事実です。橋本内閣のときは行政構造改革とか財政構造改革とか社会保障制度改革、俗に9兆円の国民負担と言われ、消費税を上げ、社会保障でお医者さんにかかったときの原則1割負担を2割負担に上げる。そういう改革をどんどんやった時期です。景気が大変悪くなりました。1997年、98年は大銀行が次々に潰れ、構造改革のために大不況がやってきました。

小泉内閣の時には、不良債権処理の促進を小泉さんが竹中さんと組んで積極的にやりました。銀行から金を借りているけれども、景気が悪くなって思い通りに利益が上がらない。それで銀行に対して返済期限を延ばしてくれとか金利をまけてくれという願い事をした企業に対する貸し金は、不良債権と認定しろという指標を政府が出したわけです。中小企業が次々に潰れて景気が大変悪くなりました。構造改革とともに景気が非常に悪くなって、企業の経営環境が厳しくなった。

同時に構造改革は規制緩和、弱肉強食、自由に競争させて強いものが生き残り、弱いものが潰れるという世界をつくる政策でしたから、企業経営が非常に厳しくなった時期であります。ですから企業としては、それまで以上にコストを削減して何とか生き残らなければいけないという思いを強くした時期です。その結果、企業が賃金を下げたい、人を削減したいという意欲が非常に強くなっていることが大きな背景としてあります。

労働の規制緩和

企業がそういう状況にあるところに、構造改革政策の規制緩和、救いの手を差し伸べました。労働規制の緩和、人を安く使える、自由に使える、必要なときはいつでも使えて、いらなくなったいつでも首を切れるような制度をつくった。労働基準法の改正が橋本内閣、小泉内閣の時に3度にわたって行われています。企業が自由に人を使いやすくするための改正でした。労働者から見れば改悪ですね。

もうひとつ大きいのが雇用規制の緩和――派遣労働をどんどん自由に使えるようにした。労働者派遣法は中曽根内閣のときにできたものですが、そのときは特別な才能を持った人、例えば優れた英語能力を持っている人とかコンピューターに特別優れた人を、企業が必要なときに臨時に派遣してもらって使ってもよろしいという法律でした。そういう人であれば競争力があるから賃金や労働条件が悪くなることもないし、臨時の仕事をやってもらうわけですから雇用全体に影響を与えることもない。それなら必要なときだけ派遣してもらって、いらなくなったら契約解除でいいだろうと認められた制度です。

それが橋本内閣、小泉内閣でどんどん緩和されました。いまはほとんどの企業で、ほとんどの仕事で派遣労働が使えるようになった。企業にとってこんなにありがたい制度はありません。要るときにはいつでも人に来てもらって、要らなくなったら派遣契約を切ればいいわけですから、解雇の問題など難しい問題は何も起こらない。しかも日本の場合は派遣労働者の賃金が安い。ヨーロッパにも派遣はありますが、同一労働同一賃金ですから賃金は変わらない。おまけに派遣会社に派遣料金を払わなければいけませんからそれが上乗せされて、派遣を使うとコストが高くなる。当然ですよね、便利な使い方をするわけですから。そういうメリットがある分、支払う料金は高くしなければ使えない。それがヨーロッパの制度です。日本は便利な制度で、おまけに賃金までも安い。非常に企業にありがたい制度を導入してどんどん使えるようにしてくれた。その結果安い賃金の人を雇える環境ができた。労働の規制緩和が2つ目です。

資本の規制緩和と人員削減

3つめは、資本の規制緩和を行いました。いろいろな規制緩和を行いましたが、いまの話との関連では、企業合併がしやすい規制緩和を行った。合併がしやすい、買収がしやすいというのは、する方の立場です。される方の立場からしますと、合併や買収されてしまいかねない状況が用意されたことでした。経営者の立場で言えば儲かっているといっても安心できなくなった。不採算部門をそのまま持っていて、他の部門で利益を上げているからそのまま続けていこう。そこで働いている人もいるから企業として支えていこうなんて甘いことを考えたら、そういう企業は買収の対象になります。

その企業を買収して不採算部門を整理すれば、もっともうけが出るようになる。そうすれば買った値段よりもっと高く株を売れるということで、他のファンドなどから狙い撃ちされる。あるいは企業からも買われる。誰がこの会社を請け負って経営しても、いま以上の利益は出せないという状況にできれば経営者は安泰です。そういう状態になるように企業経営者に圧力が働いたということです。2番目の労働の規制緩和は、人件費を削減しやすいようにアメを与えてくれた。そして人員削減をしないと首になるよという格好で3つめはムチの政策が行われました。

「構造改革」思想の広まり、対抗する労組の弱さ

もうひとつは、「構造改革思想の広まり」です。この頃から、株主が儲かるようにすることが経営者の使命だという考え方が社会全体に拡がった。特にマスコミなどに拡がりました。日本企業は、伝統的にもうちょっと広い意味で企業経営をしていました。儲けて株主に奉仕することも大事だけれども、同時に企業を支えている労働者に対してもきちんとしなければいけないとか、取引先、仕入れ先、販売先も大事な関係だから大事にしなければいけない。あるいは社会との関係も大事にと、八方に目を配りながら経営をしていたわけです。そういう状況から、とにかく株主に奉仕しなければいけないというイデオロギーが強くなった。人件費などを極力削って、あるいは取引先、仕入れ先、販売先もネットで探したりして、古い関係を無視するようなことになってきました。

一般化して言いますと、構造改革以前は日本の企業は首切りを発表すると株価が下がりました。いよいよ追い詰められた企業が首を切る。だから首を切ると発表すると、あの企業はいよいよ危ないらしい、最後に手を付けたということで、その企業の株価は下がるのが一般的でした。ところが構造改革以降、90年代末から2000年代に入ってからは、首切りを発表すると株価が上がるわけです。あの企業は儲かっているけれどももっと儲けよう、更に改革を進めようとしている頼もしい企業だということで株価が上がる。経営者にとっては非常に楽な時代です。社会の批判や株価の下落を心配して、恐る恐る首を切ったり人件費を抑えたりしていたのが堂々とできるようになって、経営者自体も褒めそやされる時代になったという変化があります。これらすべてが構造改革と絡まっています。こういう変化があって、上に見たような賃金が上がらない構造が生まれてきたのではないか。それがいまの日本経済の停滞に繋がっていると思うんです。

これに最大の抵抗勢力となるべきは労働組合のはずです。残念ながら日本の労働組合の大多数が抵抗力が弱くなった。日本の労働組合はほとんどが企業別組合ですから、このまま安閑としていたら企業が潰れるかもしれないと経営者に言われると弱いわけですね。企業が潰れては元も子もない、派遣労働を使うのも仕方がないだろう、賃金が上がらないのも仕方がないだろうという格好で、ついつい容認してしまう。アメリカとかヨーロッパなどの組合は、基本的には産業別組合あるいは業種別組合ですね。自動車産業なら自動車産業の労働組合が自動車メーカーと協議して賃上げなどを決める。そして水準が決まると、それに従わないといけないは経営の方です。経営側がその賃金を労働者に払ってちゃんとやっていけるように頑張らなくてはいけない。日本は逆です。企業がまず条件を決めて、これでなければ企業は生き延びられませんよというと、組合の側が我慢をしなければいけない。こういう構造があって、組合としても抵抗できないことがあったのではなかろうかと思います。ともあれこういう中でいまの日本経済があり、われわれの暮らしがあるということです。

アベノミクスの機動的な財政政策=借金の山

こういう状況を打開しようとしますと、基本は賃金が上がらないことですからそれに手を打たなきゃいけないはずです。ところがアベノミクス、これは3つの政策をやるというわけです。ひとつは大胆な金融政策、要するにお金をどんどん社会に供給していく金融緩和政策。ふたつ目は機動的な財政政策と言葉を飾っていますが、要するに公共事業をやって景気をよくする政策です。3番目は成長戦略、企業がもっと成長できるような政策をすることです。いまの日本経済の停滞の根本原因にはまったく手を触れていません。これでは景気も、暮らしももちろん良くならないと思わざるを得ません。

機動的な財政政策というのは、公共事業をバンと増やすので一時的には建設業の仕事が増えて景気が良くなります。公共事業費がいっぱいつけばその分人手もいるし、工事もできるので部分的には良くなります。ただ、財政難ですから基本的には全部借金で、そんなに長く続けられるものではない。お金が続かなくなってやめれば途端に景気はまた元に戻ってしまう、一時的なごまかしの策です。安倍内閣が成立したときの第一の目的は参議院選挙に勝つことでした。勝つためには景気を良くすることだと、とりあえずこの時期に集中的に公共事業をやった。

安倍内閣のもうひとつの狙いは、消費税の増税を決めることでした。秋に決定するとしましたから、10月頃に見える景気がまずくなったのではいけない、その前にいろいろなことをやろうと、とりあえず、とりあえずという政策でいままで来ました。そういう政策は長続きしない。それが機動的な財政政策で、あとで残るのは借金の山です。つい最近までは、日本の財政は借金が山ほどあるからということで、消費税を上げたんですよね。上げることを決める法律を通した途端に借金なんかどこへ行ったという感じで、借金をしまくって景気をよくしようとやっています。たぶん2~3年後には借金が大変だからまた消費税を上げなければいけない、10%にしたあとで、15%か20%にしなければいけないという話が必ず出てきます。

「大胆な金融政策」の発動と考え方

次ぎに「大胆な金融政策」とはどんな政策か。金融政策を安倍内閣の政策として取り込んでいるわけですが、金融政策の担当は日本銀行と決まっています。安倍内閣は内閣成立前から日本銀行に大胆な金融政策をとるようにといろいろ圧力を掛けました。選挙期間中から安倍さんの発言で、日銀が政府の言うとおりの政策をしなければ日本銀行法を変えるぞという新聞報道がありました。政権を取って衆参で多数を占めれば法律を変えることができます。その力で日本銀行法を変える。政府の言うことを聞かない日本銀行総裁は、政府が首を切ることができる法律に変える、と脅しをかけた。日本銀行は妥協する方向に流れが変わりました。それでまず布石を打った。

それでもこの3月までの総裁だった白川さんは、嫌々ながら政府の言うことに従っていたという調子でしたが、安倍さんはそれでは面白くない。たまたま今年の3月から5月にかけて日本銀行の総裁と副総裁2人の任期切れの時期が来ました。これをいいことに後任の総裁、副総裁には安倍さんの言うことを聞きそうな人を推薦した。日本銀行の総裁、副総裁は政府が国会に提案して国会が承認すれば決まるわけです。ただしやめさせることはいまの法律ではできません。絶好の機会ということで、再任はしないで黒田さんその他の総裁、副総裁を選んだ。これで大胆な金融政策を日本銀行にやってもらえる条件をつくりました。

そして日本銀行が何をやっているか。どんどんお金を供給する。これも誤解がありまして、世間では日本銀行が日本銀行券をばらまくような政策が、という話があるんですがそんなことはしません。できることは、日本銀行が民間の銀行にお金をどんどん供給することです。銀行の手元にお金がいっぱい貯まると、銀行はそれをもとに貸し出しを増やすだろう、それで効果が出てくるだろうという政策です。とりあえず日本銀行は、民間の銀行にどんどんお金を供給し始めました。すでに前から大胆な金融政策という、かなりの金融緩和を始めています。もっともっとやろうというのが大胆な金融緩和政策です。

ではどうやって民間の銀行に日本銀行がお金を出すかと言いますと、民間の銀行が持っている国債を買うという格好で、お金を供給します。いま銀行にはみなさんの預金が結構ちゃんと増えています。銀行は金がたくさん手元にできるんですが、借り手がないわけです。もう長年金融緩和をやっています。ずっと超低金利でやっています。ですから借りたい人はもうみんな借りてしまった。さらに金融緩和をしてもあらたに借りてくれる人がいない。ですから銀行は預金が集まっても使い道がありません。

それでどうしているかというと国債を買っているわけです。国債はいま0.6%くらいの金利で発行されています。わずか0.6%ですが、みなさんから集めた預金の金利は0.0何%ですね。ですから利益が取れるということで、銀行は集まった預金をもっぱら国債に向けています。その結果銀行はたくさん国債を持っている。その国債を日本銀行が買って、その見返りに預金、各銀行が日本銀行に持っている口座に預金として振り込むわけです。それで銀行が日本銀行に持っている預金の残高がふくらむ。そういう政策を今とっています。

図5のベースマネーというのは、日本銀行が民間銀行に出しているお金の総量です。2007年を100に置き換えています。相当の勢いで日本銀行の供給した資金量は増えています。2010年くらいまで3年間で1割くらいのペースで増えている。そして2010年の半ばくらいから角度が変わって、今や144。2010年末の段階で1.4倍くらいの資金を供給している。それで銀行の手元にお金が貯まっているわけです。

それに対してマネーストックとは、民間の企業とか個人などの世間一般が持っているお金の総量です。このお金の総量は大部分が銀行から借りて増えるわけです。一番下の国内の民間需要は、政府を除いて国内の民間がどれだけものを買っているかという数字です。金融緩和の考え方は、日本銀行がベースマネーをどんどん増やします。これは増やす以外に政策はないわけですから、これをどんどん増やす。そうすれば銀行は貸し出しを増やすだろう、そうしたらマネーストックも増えるだろう。これは推測です。企業や個人がお金をたくさん持てば国内の民間需要も増える、ものを買ったり設備を増やしたりするだろう。要するにベースマネーが増えるとマネーストックも上に向かい、民間需要も増えるだろうという想定の下に大胆な金融政策をやろうとしているわけです。

ところがベースマネーはすでに安倍内閣成立以前からかなりの勢いで増えています。けれどもマネーストックは増えていない。それでもこの5年間で13%くらい増えています。それが国内の需要にはまったく結びついていない。要するに金融緩和政策はまったく効いていないというのが2012年までの実績です。なぜ効かないかははっきりしていて、銀行は、安心して貸せる相手がいないから貸し出しに回せない。だから国債を買っていた。その国債を日本銀行が買ってくれる。せっかく国債を運用して儲かると思ったら、それを日銀に買い上げられてしまう。使い道のないお金がどんどん貯まってきたのが今の状況です。

日本銀行の新しい政策――物価を2%上げる

新しい総裁、副総裁になってからの2013年4月4日、日銀の政決定会合で新しい政策を発表しました。これは異次元の政策、今までやったことのない政策と言われます。何をやろうとしているかというとマネタリーベース、これはさきほどのベースマネーと同じことで、要するに日本銀行が銀行に供給しているお金の総量です。それが2012年末で138兆円でした。それを2013年末には200兆円に増やす。1年間で70兆円ばかり銀行にお金を供給します。14年末には270兆円、今の倍にするといっています。さきほどの数字から類推していただきたいんですが、2012年末に約144だったのが200になる。14年末には270になるという政策です。破天荒というか異次元といわれるもので、これまで日本の銀行はもちろんどの国の中央銀行も、全然やったこことのない緩和政策です。そうすれば効くというのが安倍内閣の考え方です。

なぜ効くか。理由をふたつ言っていました。ひとつは、消費者物価の上昇率という目標を設けた。消費者物価が2%になるまで、2014年末にはだいたいそれになるように金融緩和政策をする。そういう目標を設けたことが、今までと違うというわけです。もうひとつは、供給する資金の量がこれまでとは桁違い。12年末の数字自体が極めて異常に大きくふくらんでいるわけですが、それをさらに2倍にまでふくらませるわけですから、異常な金融緩和です。

この政策が効くという理由のひとつは、2%の物価上昇という目標を掲げて日本銀行が一生懸命やり始めた。それを宣伝していくと国民みんながそれを信じるようになる。2年後には物価は2%上昇するに違いないと信じるようになる。それが大前提です。何か新興宗教の教祖様が一生懸命言えば、みんな信じるようになるというような、信じられない話なんです。そう信じるようになる、それが大前提。

信じるようになると行動するようになる。2年後に2%物価が上がると信じれば、今のうちにものを買っておこうと消費が増える。個人はものを買い、企業は2年後と言わずに今のうちに設備を増やそうとする。だから2%になる前に消費が増え、企業の設備投資が増えて景気が良くなる。そういう説明です。信じるかどうかも信じがたいですが、信じたら実際にそういう行動を起こすかどうかも信じがたい。今の物価上昇率は円安ですが、ともかく2%に上がると信じたら、今のうちに買っておこうとなるか。例え信じたとしても、じゃあ何を買うんですかということです。

具体的に考えますとあまり買えるものはないんですね。生鮮食料品なんて買うわけにはいきません。冷凍食品なら買えるかというと、冷凍庫がいっぱいになってしまう。トイレットペーパーも部屋がいっぱいになってどうしようもない。耐久消費財くらいですが、携帯電話にしろ自動車にしろパソコンにしろ結構モデルチェンジがあります。時代遅れになってまた買わなければいけないということは十分考えられます。消費税のように来年4月から上がるということなら、今から家を建てる人もいるかもしれないし、来年の2、3月になったらトイレットペーパーくらい買う人はいるかもしれない。その程度であって、2年後に物価が上がるとして個人の消費が上がるとは信じがたい。

企業にしても、設備投資が2年後に計画があるところはいまから少し早めてやるかもしれませんが、そもそも2年後の計画自体があまりないわけです。設備を作ると「もの」ができてしまいますから、できたものが売れなければ設備費を回収できない。売れる見通しがないところで設備だけ作ることはやらないはずです。いくら物価が上がるといっても、いらない設備投資をやる企業はない。ですから実際こういう政策はほとんど効かないと思います。

日本銀行から供給された資金はどこに向かうか

そうしますと問題が起こります。あれだけ銀行の手元にあるお金、マネタリーベース138兆円は今160兆円、170兆円にふくらんでいます。それをどうしているか。銀行ができることは、また国債を買うことだけです。もう貸しようがないという状況です。かろうじて貸せるのは、お金でお金を稼ぐ資金、株とか外債を買うとか、あるいは低利で借りて外貨で運用するとか、そういう投機のための資金ならある程度買えることができます。しかも日本銀行は金融緩和でどんどん低金利でお金を貸してくれるわけですから、世間もこれで株は上がるだろう。株というのは株式市場に向かうお金と株式の発行高の関係で決まります。発行高がそんなに増えないかわりに株式を買うお金がいっぱい出れば、必ず株は値上がりするわけです。

それから、いま日本は先進国で一番安い金利ですから、それで借りて若干なりとも高いアメリカなりヨーロッパで運用すれば利ざやも稼げる。だから外貨で運用しようという投機用の資金は出ている。供給に限りがあると言えば、土地も限りがありますからやがて土地が上がるかもしれない。そういう投機資金だけは銀行から出て行く道はあります。それが出て行って今起こっているのが株高円安、外貨高ですね。そういう動きが出てきた。でもそれで終わりです。実際に景気が良くなる、国内の民間需要が増える方向にはお金は流れないというのが結論です。ひたすら上がるのは株で、外貨が上がって円が安くなる、これがいま現に起こっていることです。

ただし株も、安倍内閣発足前から、株が上がるぞという期待で株を買った。市場はそういう期待で動くわけです。みなさんは期待だけじゃ動きません。企業経営も動けないけれど、投資家だけはそういう期待で動きます。それで株が上がっていますけれども、5月、6月の水準に戻ったというんですが、5月か6月で金融緩和政策の効果はだいたい終わりました。そろそろ下がるかなという感じです。円安も1ドル100円くらいになって、だいたい終わりました。あとは90円台に上がって最近また円安になっているという流れです。最近の株高円安というのはもっぱらアメリカ発です。

アメリカでも非常におかしなことが起こっています。アメリカの中央銀行・連邦準備制度理事会も金融緩和政策をやっていました。しかし、そろそろ景気が良くなりかけたので、金融緩和政策をやめるといった発言を連銀の総裁が言い始めた途端に株が下がった。あるいはアメリカの金利が上がるかもしれないということで、ドル金利が上がりました。しかし、しばらく金融緩和政策を続けますというと、株はまた上がり金利もまた下がります。その影響をいま日本の円相場、株式市場は受けています。

普通は景気が良くなり、企業が儲かるようになれば、株が高くなる。投資家はそれを見越して株を買う。だから株が上がると景気が良くなる。安倍内閣も「景気が良くなり始めた、株が上がっているでしょう」というんですが、そうじゃないんですね。アメリカの動きを見ているとよくわかります。アメリカの景気が悪くなりそうだと株が上がります。なぜか。悪くなると金融緩和政策が続けられ、お金は供給される。だから株は上がるわけです。良くなる兆候が出てくると、金融緩和政策がやめられるかもしれないということで株は下がります。非常におかしなことで、景気が悪くなると株が上がり、良くなると下がるということがアメリカで起こっています。

日本もだんだんそうなると思います。大々的な金融緩和政策をやりました。その効果はだいたい5月頃で出尽くした。株も上がったし円も安くなった。株を買う人もそろそろ心配になってきた。ここまで上がって大丈夫か、景気の方はいっこうに良くないのに株だけ上がっている。心配をし出すと、もう上がらなくなる状況に足下はなっています。たまたまアメリカの影響でいまちょっと違っています。円相場もそうです。ここまで円安になったら外国からクレームも出るし、そもそも日米の関係はそんなに変わらないのに、円だけどんどん安くなっていいものかという足下の不安が起こりますから、逆の流れが起こるかもしれない。

アベノミクスで何かいいことが起こったか。株が上がって円が安くなった。株が上がったことは確かに大企業とか金融機関など、株をたくさん持っているところにはいいことですね。お金持ちで株を持っている人もそうです。評価額が上がる、売ればもうけが出るということで、この3月期は大企業も金融機関もいい決算になりました。その余波でボーナスなどは若干増えるかもしれないというプラスはあります。それからお金持ちが株を売って儲けたとか、持っている株の値が上がって心が大きくなり、貴金属や贅沢な買い物をしているということが起こりました。若干消費が増えております。だけれどもそれだけです。そろそろ終わりじゃないかなという感じです。それが大胆な金融政策の効果です。

安部内閣の「成長戦略」

3つめの成長戦略、第3の矢ということです。内閣発足して間もないころ安倍さんは、「日本を世界で一番企業が活動しやすい国にしたい」と言いました。一体安倍さんはいつから経団連の会長になったんだろうと思ったんです。一国の宰相ですから日本を世界で一番人びとが住みやすい国にするというならば、当然です。しかし、企業が一番活動しやすい国にするということをなぜ真っ先に言うのか。本当におかしいと思いますが、そういうことを堂々と言いました。記者会見でも、企業が儲かるようになれば企業収益が向上して雇用も良くなるし賃金も上がり、日本経済全体が良くなると言った。橋本内閣から始まって小泉内閣に引き継がれた構造改革政策もそう言いました。企業が儲かる構造にすれば日本経済は良くなると。

ところが実際にはどういうことが起こったか。小泉内閣のもとで起こったことをまとめてみました。小泉内閣が発足した2001年から2011年までの10年間を見てみますと、企業の利益は2001年に28兆円だったのが2011年には45兆円になった。1.6倍くらいに企業の利益はふくらんだ。そのもとで企業がいくら賃金を払ったか。2001年に215兆円だったのが、2011年は196兆円。支払賃金の総額は下がっている。一人当たりにしても、年収が平均454万円だったのが409万円になった。要するに企業が儲かるようになっても、賃金は下がったわけです。

雇用も正規雇用がどんどん減って非正規雇用だけがふくらみました。そして企業が儲かったからといって暮らしが良くなるわけでは全然ない。むしろ暮らしは悪くなったことが過去10年以上の歴史が証明しています。その構造を変えないまま平然と、企業が儲かるようになれば賃金も上がる、雇用も良くなるなんてよく言えたものだと思います。単純に企業が儲かるようになれば賃金も上がる、雇用も良くなる、要するに構造改革以前の常識の世界、こういう方向に向かって安倍内閣は動いています。

国家戦略特区や労働規制を撤廃する成長戦略

今年の6月に発表したのが「日本再興戦略」。成長戦略を言い換え、いろいろな政策を具体化しています。どんどん動いているのは国家戦略特区です。特別の地域で、企業が他の地域できないよう規制されている法律を取っ払って活動することを許すと言っています。例えば、そこに進出すれば税金を安くする。これは引っ込めましたが解雇を自由にできる。労働契約を結ぶときに、いつでもいらなくなったら首を切ってもいいという契約書にサインしてもらえれば解雇できる。そういうことも含めて企業が自由にできる地域をつくると言っています。いまどういう特典を企業に認めるかを詰めているところです。

しかもこの戦略特区の対象は、東京とか大阪なんですね。非常に寂れた地域を特区にするというのはわかります。途上国はそういう特区を設けたりしています。日本でも東北で被害を受けたところを特区にして、企業の税金を安くするのならまだわかります。しかし、日本で一番集中が進んでいて相対的に一番いい場所である東京、問題はあるけれども大阪とか大都市圏に限ってやるというのは大変な問題で、ますます集中が進み格差を拡げます。寂れた地域は寂れたままどんどん東京だけが恩恵を受ける、企業に恩恵を与える、ということになります。具体的な政策もいろいろ問題ばかりです。安倍政権の狙いは、こういう特区をつくってやれれば、全国的に拡大していく。全国的に企業に特典を設けようとするとまだ抵抗が多いから、一定地域だけでとりあえずやって広げていこうという趣旨のようです。

雇用に関して再興戦略に書いてあることは「行き過ぎた雇用維持型の政策を改め、労働移動支援型の政策に変える」という大方針を出しています。いまの日本の雇用規制は行き過ぎていて、労働者を保護しすぎている。それを労働移動支援型――言葉を飾っているだけで首切りをしやすい労働規制にするということです。首切りをしやすくすると、好むと好まざるとにかかわらず労働者は移動せざるを得ない。それが「支援する」という変な表現になっています。

同時に発表された「規制改革実施政策」で、もう少し具体的な案が出されています。例えばホワイトカラーエグゼンプション制というのは、一定水準以上の給料を取っているホワイトカラーについては残業代を払わなくてもよく、一定の決まった賃金でいくらでも働かせてよろしいという制度を導入しようということです。またジョブ型正社員制度というのは地域限定、職種限定の正社員を設けてもよいということです。例えば地域限定ですと、あなたは関西地区担当の営業社員という格好で採用する。そうして関西地区で仕事がなくなるとか、何らかの理由で関西地区から撤退するとなったら「あなたは首です」と簡単に首が切れる制度にする。職種限定型は、あなたにはこういう仕事を担当してもらい、その仕事を企業としてやめることなったらあなたはクビです。こういうふうに正社員の中に2種類――本当の正社員と企業の都合によってクビを切れる正社員を、堂々と認めてよろしいという制度が提案されています。前の構造改革の時には正社員と非正社員に分断して、非正社員の待遇を非常に悪くした。それにつれて正社員の待遇も悪くなって、そういう分断を設けました。非正社員が1/3くらいになってしまった現在、今度は正社員の中でもさらに細分化して、クビを切りやすい正社員制度をつくることを考えています。

これに限らず、安倍内閣の成長戦略は構造改革の繰り返しです。第1次安倍内閣は小泉内閣の後を受けて発足しました。そしてこういう改革をやるはずだったんですが、その後の参議院選挙で自民党・公明党が大敗して、過半数を取れなかった。ですから構造改革でいろいろな法律の改革をやろうとしても、参議院を通らない状況が生まれた。やり残したことがいっぱいあるわけです。今度こそは両方で多数を取ったからやれるぞということで、もう一回構造改革をやるのが成長戦略です。何が起こるかはもう明らかです。構造改革を始めた1997年頃に比べて、いま人びとの暮らしの水準は猛烈に悪くなっています。賃金も下がっているし雇用も厳しくなっている。そういう土台の上に、もう一回これを悪くしようというのが成長戦略です。これを認めてどんどんやらせてしまえば、どういう社会になるか。悲惨な結果が予想されます。

経済・社会・人びとの暮らしを破壊

安倍内閣の政策はアベノミクスに止まりません。社会保障制度改革も、生活保護の水準の切り下げが8月から始まっています。年金も向こう3年間にわたって2.5%減らす政策も始まっています。介護も医療も制度改悪が進みそうです。それからTPP加盟の問題。アメリカがちょっと腰砕け状況ですが、コメの関税についてTPPに参加する10ヶ国が、関税ゼロを要求していて、日本政府は苦境に立っています。TPPとはそういうもので、もともと関税をゼロにして経済の一体化を図ろうとする政策ですから、例外なしの関税自由化はTPPの基本条件だと思います。日本が勝ち取れるといっても、せいぜい関税ゼロにするのは5年後か一番頑張って10年後。それまでにはゼロにしなければいけないというのが、TPPの原則に照らせば必然だと思います。

TPPに加盟しますと日本の農畜産業は壊滅すると思います。それによって地域経済が成り立たないところがいっぱい出てくる。砂糖が関税ゼロになるとサトウキビの島、奄美大島にしろ沖縄にしろまったく成り立たなくなってしまう。地域自体が崩壊してしまいます。それからアメリカ並のルールになりますと、食品の安全性などいろいろな問題が起こってくる。こういう政策が進むとこのままでは日本の経済、社会、人びとの暮らしは破壊される。文字通りそっちに向かってどんどん進もうとしているのがいまの状況だと思います。

消費税増税決定は誤りである

安倍内閣は10月1日に、消費税を来年4月に上げると正式に決めました。消費税増税法案が去年国会を通り、その付則で、実際に消費税を増税するかどうかは、増税前に中止を含めて検討するという条項が入っています。それにしたがった安倍内閣の判断ですが、秋にもしたいといって10月1日に決定しました。中止するという決定もできたんです。中止しないためにさっきのいろいろな政策をやってきたわけですが、それでもこの決定は誤りだと私は思います。

その理由の1つは、安倍内閣が見ているのはいまの景気だということです。具体的には4月から6月までのGDP統計――いまの日本経済活動全体をどうとらえたか。あるいは9月に行われた日本銀行のアンケート調査。それを見て景気は良くなっている、消費税を上げても大丈夫という決定をした。法律が求めている趣旨は、消費税を増税してもいいかどうかの判断ですから、消費税を“増税するとき”の環境を見なければいけない。それなのに、10月始めにわかる経済指標で見えることだけを見て決定したというのが間違いです。4-6月のGDPなどは政府が特別の努力をしてつくった景気ですから、それで判断されたのでは困ります。先行きを見れば、いまの状態がずっと続いていくということにはならない。つい2、3日前に7-9月期のGDP統計が発表されました。4-6月期に比べてだいぶ悪くなっています。多少はプラスになっていますが、4-6月期の勢いはなくなっている。これはアベノミクスの魔術がそろそろ切れてきたことがあると思います。7-9月期に多少良くなったことを支えているのは、一つは公共事業です。政府が公共事業を増やした。それからもうひとつは住宅建設が増えたことです。

先ほど言ったように公共事業はいつまでも続くものではない。今年の水準は相当無理して公共事業をつけていますから、来年も良くしようとすると今年つけたと同じものを上乗せしないといけない。無理の上に無理を重ねるわけですから難しいですし、いずれはその効果は消えていく。住宅建設は、来年4月から消費税が上がる。その前に契約すれば消費税が安くて済むということで住宅建設が増えている。これは来年になれば確実に反動が来て落ちるわけですから、来年4月以降の景気は相当悪くなると予想せざるを得ないわけです。株高円安にしても5月の終わりから6月にピークが来て、それからずっと横ばいですから、そろそろ魔術が消えかかっている頃かなと思います。来年になれば、逆に株安になったり円高になったりするリスクが高まっているといわざるを得ないと思います。

2番目ですが、判断したいまの指標にしても、良くなっているのは大企業だけです。日本銀行の経済観測調査の9月の結果のなかに、企業に景気の感じを聞いた項目があります。企業に対して景気がいいか悪いかを聞いて、景気がいい、どちらとも言えない、悪いの3つの答えのどれかを選択してもらって、そのうちいいと答えた企業の比率から悪いと答えた企業の比率を引き算して出すという統計操作をしています。その結果大企業の製造業は+12、非製造業は+14、いいと答えた企業の方が悪いと答えた企業より10%以上上回ったという結果が出たわけです。これをもって景気が良くなっている、消費税を上げても大丈夫だといったんです。

実は同じ調査で中小企業に関していえば、いずれもマイナスです。中小企業はまだまだ悪いという状況の方が多いわけです。特に消費税の影響を大きく受ける卸・小売業とか運輸業とか宿泊・飲食業は、ずっと悪いんですが、相変わらず悪いままです。こういった企業は、1998年くらいから10何年にわたってずっと悪いままです。その中で悪いと答えた企業のかなりの部分は倒産したり廃業したりしています。残って頑張っている企業に聞いてもやっぱりこんな状況であって、足下の統計を見ても消費税を引き上げる状況ではない。それを無理して一部のいいところだけを見て決めたということです。

人びとの暮らしは少しも良くなっていない

3番目の問題は、安倍さんの目はひたすら大企業ばかり見て、暮らしの方をまったく見ていないということです。本当は消費税を上げるときは人びとの暮らしを見ても大丈夫、みなさん耐えられますね、ということでなければいけないと思うんですが、暮らしはとてもそういうことを言える状況ではない。

いくつか統計を拾ってみました。収入では、7-9月期の統計の可処分所得(収入から税金とか社会保険料を引いたお金)、要するに家計が自由に使えるお金は前年に比べて0.8%しか増えていません。ところが、アベノミクスの悪い効果で、消費者物価がどんどん上がっています。輸入の原油が円安で上がった結果、ガソリン代、電気代、ガス代が上がった。あるいは食料品の原材料、小麦粉が上がってパンが上がりました。消費者物価は0.9%上がっています。ですから生活の面で見ますと、自由に使えるお金は0.8%しか上がっていないのに、生活費は0.9%上がっている。暮らしは去年に比べても足下は厳しくなっているということが起こっています。

雇用では、安倍さんは失業者が減って、雇用も良くなってきたといいます。その中味はといいますと、1年前に比べて今年の4-6月期は、正社員が50万人以上減っています。増えているのは非正規、パート、アルバイト、派遣といった人びとで100万人ちょっと増えている。全体で働いている人は50万人位増えているので、その結果として失業者もある程度減っているんですが、決して良くなっているとは言えない。厳しい労働条件で働いている人が増えているということだけです。消費税を上げればこれがますますひどくなってしまう。しかも最低賃金の今年の引き上げが決まりましたが、全国平均で時給749円が764円に15円ほど上がり上昇率は2%に止まります。これから来年までずっと2%までしか上がらない。消費税は3%上がるわけです。来年消費税を上げることを決めるのであれば、少なくとも最低賃金は3%以上上げなければいけない。それを2%に止めてしまった。ぎりぎりの生活を最低賃金でしている人の生活は、来年は確実に悪くなります。

あわせて生活保護の支給水準の切り下げが始まり、年金の減額も始まっています。本当に考えなければいけない消費税引き上げで大丈夫かなと思う人の生活を、どんどん悪い方向に政策的に動かしている。それに加えて消費税を上げていく。踏んだり蹴ったりの状況が予想されます。

4番目は、安倍さんもさすがにこれでは心配だということで、景気を悪くしないために5兆円規模の経済対策を行うと発表をしました。中味はまだ決まっていませんが、法人税の減税、企業が投資した際の減税、自動車を買う人、家を建てる人に減税します。公共事業を増やしますということです。こういうことで景気を良くしますから大丈夫だと言うんですが、消費税3%の増税で国に入ってくるお金がざっと6兆円です。3%だと7兆5千億円の税収がありますが、そのうち1兆5千億円は都道府県、市町村に配分されるので国に入るのは6兆円です。そのお金の5兆円を景気対策に使うということです。

それなら増税はやめたらどうか、あるいはせめて1年待ったらどうか。そうすればこの景気対策も必要ないわけですが、やると言っています。問題はやる内容です。もうあきれ果てて開いた口がふさがらないというものです。消費税は貧しいところから取るわけです。そして集めた6兆円を誰に配るかというと、大企業に配る。あるいは自動車を買う人とか家を建てる人、相対的に恵まれた人に配ると言っているだけです。こういうあからさまな政策をよくやろうとするなという感じがしますが、ともかくそういう格好で消費税の増税は行われます。大変な問題だと思います。

何をすべきか-消費増税取りやめと賃金引き上げ

では何をしたらいいか。まず、消費税増税の取りやめです。日本経済を良くするためには、さらに大企業・儲かっている企業を中心に賃金を上げることが必要です。それをやらない限り日本経済は決して良くならないと思います。

大企業の経営状態がどうなっているか。資本金10億円以上の企業の経営状態を、97年度と2011年度を比べてみます(表1)。97年度は、日本経済が全体として一番良かった年で、賃金が上がった最後の年です。その年に企業経営は、経常利益が全大企業合わせて15兆円でした。それが2011年度には24兆円にふくらんでいます。大変儲かるようになっています。それに対して法人税、は6.6兆円が6.5兆円に若干減っています。利益は1.6倍にふくらみ、税金は前よりも少なくて済むという企業優遇策をこの間政府はしてきました。

その結果企業の手元にたくさんお金が残ります。企業は、第一に配当を増やしました。97年度は配当総額が3兆円で、2011年度は8.6兆円、およそ3倍にふくらんでいます。働いて稼いだ人は賃金が減って、大企業の株を持っていた人は配当収入が増えたということがこの間に起こっています。これだけ配当を増やしても企業の手元に残ったお金は、単純計算で97年度の5兆5千億円が、2011年度は8.9兆円、倍近くにふくらんだ。その結果、企業の手元にたくさんお金が残りました。

残ったお金を累積したのが利益剰余金等です。97年度末に119兆円でした。それが2011年度末には233兆円。この間114兆円の利益の蓄積が行われています。問題はこれから先です。貯まった114兆円が何に使われたか。資産で見ますと一番増えているのは証券等への投資です。95兆円だったのが274兆円、152兆円も増えています。すでに大企業はお金がいらなくなっている。儲けてお金ができたけれども使い道がない。必要な設備はつくった。研究開発投資もそれなりにお金をつぎ込んだが、それでもまだ100兆円も残高が増えた。この使い道がないから、株でも買おうとか外債で運用しようとか、そうして増やした152兆円です。

これは日本経済の中で、ものやサービスをつくる活動からは一歩外れたところにお金がいっているということです。もちろん一部では株が上がって若干経済活動にプラスになった部分があるかもしれませんが、大部分は大きな経済活動から外れたもので、日本経済の最大の問題がここにあります。この利益剰余金114兆円が働く人に賃金として払われていたら、人びとの暮らしは遥かに良くなったでしょう。あるいは大企業の取引先の中小企業に払われていたら、中小企業はもっと楽になって日本経済にプラスになった。あるいはこの114兆円を、税金や社会保険料として大企業から取っておけば、政府の財政赤字はこんなにふくらまなかったし社会保障だってもっと良くなった。日本経済にとってプラスに使えたお金が、ひたすらお金のいらない大企業に貯まり続けていることが最大の問題です。

日本は資本主義社会、私有財産尊重です。この利益剰余金は企業の私有財産ですからそう簡単に取ってくることはできません。政府が取れるのは毎年の利益の中から税金として取ることですから、残らないほど取ればいいんですが、これをちゃんと取る権利があるのは労働組合です。あるいは中小企業は賃上げできないならば、中小企業と労働者が一緒になって大企業と交渉することで、これをみんなに分配できるような構造に持っていくことができれば、日本経済は良くなる。やるべきことは賃上げです。

安倍内閣がやっていることは、これだけ儲かって貯め込んでいる企業がもっともっと儲かるようにしようとしている。いままではどちらかというとこっそりとやっていたんですね。いまは堂々と、政府が消費税で取った5兆円は大企業に還元します、さらに企業天国にしますと言っている。企業天国の裏は、たぶん労働地獄です。働く人の労働環境がもっともっと厳しくなってしまいそうです。とにかく現場でいろいろ頑張っていらっしゃる方に頑張っていただく。それからいろいろなところでこういうことを広めていただくことが必要かと思います。
ご静聴ありがとうございました。

このページのトップに戻る
「私と憲法」のトップページに戻る