安倍政権が企てている究極の解釈改憲である集団的自衛権の行使容認と、明文改憲の策動の目的は、私たちがくり返し指摘してきたように、日本国憲法のもとで「戦争ができない、戦争をしない」とされてきた国家体制(安倍のいう「戦後レジーム」)の突破であり、米国と共に「戦争をする国」への飛躍にある。
しかし、安倍首相が企てるこの「歴史的使命」の達成は容易ではない。15年戦争の敗戦から68年にわたって、とりわけ日本国憲法とその平和主義をはじめとする3原則の下で、その具体化のために闘い、積み重ねてきた民衆の運動とそれによって作られてきた民意は大きな障害になっている。「9条改憲」を掲げた第一次安倍内閣の破綻ははっきりとこのことを物語っている。政権に返り咲いた安倍晋三はこの障害の突破のために、当初は極右政党の日本維新の会などとの連携を模索し、憲法96条先行改憲を企て、宣伝した。しかし、総選挙で96条改憲をねらう改憲3派(自民、維新、みんな)で3分の2議席の確保というもくろみが破綻すると、安倍首相は自公連立政権の維持と解釈改憲による集団的自衛権の行使を可能にする道の模索を始めた。安倍首相はその一つの障害であった内閣法制局長官の首をすげ替えるという異例の強引な政治手法をとるなど、当面の政治戦略の目標を明文改憲から集団的自衛権の憲法解釈の変更(解釈改憲)に置いた。
このために「国家安全保障基本法」を制定し、このもとで、自衛権に関する憲法のしばりを解き、歴代政権の確認を覆して集団的自衛権行使の合憲化を確認しようとしている。安倍政権はこの国家安保基本法を公明党の説得を経て、来年の第186通常国会に上程しようとしている。そしてこの基本法の制定を待たずに、「戦争する国」の国家体制としては、その司令塔・国家安全保障会議(日本版NSC)を作り、そのもとでの総合戦略としての国家安全保障戦略(NSS)を策定しようとしている。185臨時国会に提出されようとしている特定秘密保護法案や国家安全保障会議関連法案はその先取り的具体化である。
安倍政権はこうした国家体制作りを具体化しながら、自衛隊と日米安保体制を「戦争する国」の軍隊と軍事同盟へと変質させようとしている。政府は「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長・柳井俊二元駐米大使、座長代理・北岡伸一国際大学長)の集団的自衛権行使に関する解釈変更などの答申や、「安全保障と防衛協力に関する懇談会」(座長・北岡伸一)によるNSSの原案の提言などをもとに、年内に新防衛大綱を閣議決定し、またすでに開始した日米安保ガイドラインの見直しに向けた2+2の協議を経て新ガイドラインを来年中に策定することなどが計画されている。これによって自衛隊は、従来の「専守防衛」の自衛隊から、海兵隊的機能や敵基地攻撃能力の保持など、文字通り海外で(宇宙においてまで)米軍と共に戦争をする自衛隊への変容した体制が作られることになる。
これらの動きはまさに9条破りの戦争法体系づくりとその下で海外での戦争を可能にする安保・自衛隊への変容である。
先の衆院選と参院選で安倍政権は安定多数を確保したものの、それは自公連立政権の維持が前提である。自民党にとって政権を維持するうえで公明党の果たす役割は重大であり、不可欠の条件である。このことが安倍政権のアキレス腱になっている。改憲も、集団的自衛権の解釈変更も公明党の承認なしには不可能になっている。そのため安倍自民党は消費税でも、特定秘密保護法でも最大限公明党に配慮した演出が不可欠になる。集団的自衛権に関する解釈変更に疑念を表明する公明党に配慮して、国家安全保障基本法の閣議決定と国会上程を先延ばししたり、首相が予定していた臨時国会での集団的自衛権講師容認の発言を控えたり、首相の秋季例大祭における靖国参拝の見送りなどもこの側面の要因がある。安倍首相は隠忍自重して連立与党の公明党の軟化工作に時を費やす策にでている。
経済関連や安保関連で重要法案が山積し、それらのほとんどが民意を具体的に問うていないにもかかわらず、驚くべきことに185臨時国会はわずかに50日あまりである。安倍内閣は、このなかで、特定秘密保護法や国家安全保障会議設置関連法、そしてあわよくば改憲手続き法改定案など、超重要法案を片づけることをねらっている。しばしばかたられることであるが、政府やメディアは先の2つの国政選挙で衆参のねじれが解消したといっているが、改憲や集団的自衛権行使、原発の保持と再稼働などでは、永田町と民意の大きなねじれが厳然として存在するし、TPPや消費税などでも政府の政策と民意との間には大きな隔たりがある。だからこそ、安倍内閣は議会の多数にまかせて、短期間での重要法案の強行をねらっている。
これを阻止する力は民意の発露、世論の力にある。私たちは可能な限りの手段を駆使して、世論に働きかける必要がある。公明党・民主党などをも含めた国会の諸政党へのロビーイングなどによる働きかけもそのための時間の獲得のために重要なことである。
人びとの危機感を反映して、目下、特定秘密保護法に反対する運動は急速に高まりを見せている。10月15日の国会開会日には秘密保護法などに反対する院内集会が3つ連続で開催された。憲法・メディア法関係の奥平康弘東京大名誉教授をはじめ、山内敏弘一橋大名誉教授、田島泰彦上智大教授らの秘密保護法反対の声明も発表された。10月29日には平和フォーラムと市民による集会と国会請願デモが予定されている。集団的自衛権行使に反対する運動も、15日の院内集会や5・3実行委員会の署名運動、11・3憲法集会、「九条の会」のアピール、17日の立憲フォーラムによる柳沢協二氏を招いた院内集会など、さまざまに多様な形態でとりくまれている。
この戦後の平和憲法体制の試練のときにあたり、私たちはいまこそ可能な限りの広範な共同を組織し、全国各地で行動を広げ、世論に働きかけて、安倍内閣の企てを阻まなくてはならない。困難だがその可能性はあり、私たちには希望がある。
(事務局 高田健)
2014年5・3憲法集会実行委員会が「集団的自衛権行使は憲法違反です。憲法を守り、生かすことを求めます」の署名を呼びかけています
地球のどこででも戦争する、危険な「集団的自衛権の行使」。集団的自衛権の行使は平和憲法の破壊です。みんなで安倍内閣の暴走を止めましょう
“日本が攻撃されていなくても、アメリカといっしょに戦争する”――安倍首相は、日本をこんな「戦争する国」にするため、集団的自衛権の行使ができるようにしようとしています。
憲法を変えてもいないのに、憲法が禁じていることを勝手に“合憲”と解釈する――これは憲法の否定であり、まぎれもない憲法違反です。こんな安倍内閣の暴走を許してはなりません。それを止めるのは、私たち市民の声と行動です。日本を“戦争する国”にさせず、憲法を守り生かして平和をつくるため国会請願署名に協力をお願いします。
5・3憲法集会実行委員会
<事務局団体>
憲法改悪阻止各界連絡会議
「憲法」を愛する女性ネット
憲法を生かす会
市民憲法調査会
女性の憲法年連絡会
平和憲法21世紀の会
平和を実現するキリスト者ネット
許すな!憲法改悪・市民連絡会
島田啓子(ふじさわ・九条の会)
昨年の衆議院選挙で得票数に伴わない見せ掛けの議席数を獲得して誕生した安倍政権。憲法九条の改悪はよろいの下に隠して、先ず96条を変えて改憲要件を緩和しようと画策し始めました。一方では国家安全基本法制定など条文を変えないまま解釈を変えて九条を空洞化しようとする動きも見えてきました。このように次々と出てくる安倍政権の改憲戦略を前に、資金も権力も持たない私たち市民はどうすればよいか・・・私たちは九条の会として他の護憲団体によびかけて街頭宣伝を増やしたり、若者の関心を引くために大学の前でチラシを配ったりしましたが、藤沢市内での学習会や集まりにはいつもの見慣れた顔ぶれがほとんどです。九条を守ろうとする輪の拡がりが見えてきません。東京や横浜などの大きな学習会に参加すると講師の先生が必ず、今までの枠を超えて幅広くつながって声を出していくことの大切さを話されました。そこで講師の言われるように今までの枠を超えて幅広い人々とつながるために具体的にどうすればよいか――とにかく行動しなければと先ず、保守陣営の中でも九条は守りたいと公に発言している方に接触しようと試みましたがこれはうまくいきませんでした。
次に思い至ったのが、浮田久子さんという藤沢で平和運動の中心的存在の方がある団体の婦人部のメンバーと交流があるということでした。そこで浮田さんに仲介をお願いしてその方たちと話し合いを持つことができました。何度も話し合いを重ねるなかで、「憲法が国家権力を縛るものであるという立憲主義」と「九条を中心とした平和憲法」この2つをなんとしても守りたいという点で共通の思いがあることがわかりました。
私たちはそれぞれが様々な組織に属してはいますが、あくまでも個人の立場で参加し、どこかの組織を頼るというこはしませんでした。そして藤沢の地に新しく生まれた私たちのグループに「あつまろーず・藤沢」という名前をつけたのも支持政党や宗教観など様々な立場や違いを超えて、とにかく憲法について真剣に考えるために集ってみようという思いをこめたからです。
今まで決して出会うことのなかった方たちとこうして話し合いを重ねる中で、私たちが大切にしている憲法の危機を前にして、無関心が一番危険なので、憲法に関心をもってもらうことを企画しよう、ことに若者に集ってもらいたいと「本気で憲法を考えよう」というシンポジウムを開催することにしました。そこで問題はパネリストです。幸いなことに浮田さんが九条の会のよびかけ人のお一人、奥平康弘さんのご夫人と懇意で、藤沢での新しい動きを高く評価してくださり、シンポジウムのパネリストに若手憲法学者としてご活躍の首都大学准教授木村草太さんを推薦してくださったのです。また日弁連前会長の宇都宮健児さんは以前、藤沢発の講師依頼をご自身のご都合でキャンセルされたことと、その藤沢での新しい動きに賛同するとの事でパネリストを快諾していただきました。 もう一人のパネリストは、浮田さんのお知り合いの原発問題を取材発信されているノンフィクションライターの山秋眞さんです。
シンポジウムの第一部では三人のパネリストがそれぞれの視点で憲法について話され、それを受けて第二部では参加者とのトークセッションが行われました。木村草太さんのトークがとても新鮮で参加者にもかなりの刺激を与えたようで、時間切れが残念でした。
こうして年齢的にも分野的にも異なった3人のパネリストに集っていただけたことは本当に幸いでした。当日は、今までの顔ぶれとは違った方々――平和運動に関わっている方だけでなく、キリスト教、仏教などの信仰者、議員関係者、家庭の主婦や弁護士、学生さんや働く若者たち――などが私たちの予想をはるかに超える240人も参加してくださったのです。これは主催者自身とパネリストの多様性が反映したためと思われます。
こうして「今までの枠を超えて幅広いつながりを」という私たちの願いは少しかなえられたかと思いまてみることが大切で、偏見を捨てて話し合えばそこにいますが、これを一過性に終わらせること無く、これからも発展させていきたいというのも「あつまろーず・藤沢」のメンバー共通の思いです。アンケートに寄せられた「またやってほしい」というたくさんの声にもあと押しされて、いま、「本気で憲法を考えよう パートⅡ」の開催に向けて準備を始めているところです。
藤沢での試みは他所では余り見受けられないと聞いていますが、こうしたとりくみが日本各地に広がることを願っています。確かに藤沢では浮田さんが婦人部の方と人間的な信頼関係を築いていたことが今回の成功の大きな要因と思いますが、とにかく声をかけ新しい発見があり、新しいつながりも生まれてきます。
臨時国会での安倍首相の改憲に向けた強い意志表明に対して、私たち市民は大きく手をつないで反撃の声を強めていきましょう。
【編集部より】藤沢でのこの大切な試みを、パネリストの宇都宮健児弁護士や神奈川県の友人から聞いたので、編集部ではぜひこの経験を全国に広めたいと思い、島田さんに寄稿をお願いしました。島田さんが原稿の最後で「こうしたとりくみが日本各地に広がることをねがっています」と書いていますが、各地で奮闘している仲間の皆さんがぜひ参考にして頂きたいと思います。
富山洋子(日本消費者連盟)
安倍政権が、憲法の改悪を目論でいる今こそ、日本国憲法の9条の意義を、世界中の平和を求める人たちと共に確認し、「9条を変えるな!」「9条を世界の平和のために生かそう!」と呼びかけようと、2013年10月13日~14日、「9条世界会議 関西2013」が、大阪で開催された。13日の国際会議(会場:関西大学千里山キャンパス)には、約500人、14日のワークショップ及びメイン集会(会場:大阪市中央体育館)には5,000人が参集。海外からも14人のゲストが参加した。
13日、国際会議の全体会では、共同代表の池田香代子さん、関西大学教授の吉田栄司さんの挨拶に次いで、高作正彦さん(関西大学教授)が「憲法9条をめぐる情勢と課題」と題した基調報告をされた。高作さんは、冒頭で、日本国憲法が危機に晒されている今、保守勢力として台頭した日本維新の会が、政治の場でも勢力を占めてきていた大阪を中心とする関西圏で、9条世界会議を開くことの意義を述べた。
高作さんは、民主党政権への失望が安倍政権を復活させたとも言えるが、現政権は決して民意を反映したものではないことを強調。今、最高裁判所で審判されている議員定数の不均衡が憲法違反だとの判断が下されれば、先の衆議院選挙は無効になり、安倍衆議院議員も失職、内閣は総辞職に追い込まれる。小選挙区制も民意を封殺していると言えるが、危うい基盤に立っている安倍内閣が、憲法改悪に執念を燃やしていることへの危機感を、主権者たる私たち一人ひとりが認識し、現実を見据えて改憲を阻止していくことの大切さを訴えた。そして、今世界中の人々が見据えねばならない現実とは、戦争の悲惨さであり、「国益」を守るためと称する武力行使は人々を守らない、国家の安全保障より人間の安全保障を確立していくことが重要だと締め括った。
続いて、ジーン・マイラーさん(アメリカ・国際民主法律家協会会長)、メアリ・アンライトさん(アメリカ・陸軍大佐で退職。その後外交官を務める)、君島東彦さん(日本・立命館大学教授・非暴力平和隊)、イ・キョンジュさん(韓国・任荷大学教授、参与連帯軍縮センター実行委員)が発言 メアリ・アンライトさんは、2003年3月、ブッシュによるイラク侵攻は、国際法違反として、コリン・パウエル国務長官(当時)に辞表を突きつけ、以来今日まで、世界各地で反戦・平和運動を続けている。
当時、日本で立ち上がったイラク戦争反対運動「World Pease Now」は、「武力で平和はつくれない」との主張を高く掲げた。日本は平和憲法の下、真の平和国家たり得ていないのは主権者として無念である。憲法改悪の阻止はもとより、あきらめることなく主権者として憲法を生かす取り組みを続けていくことの大切さを改めてか噛みしめた。
午後には、私は第3分科会 「平和への権利」に参加した。
コーディネーターは、笹本潤さん(弁護士、日本国際法律家協会事務局長。「9条世界会議 関西2013」の呼びかけ人の一人)、パネリストは5人、ロベルト・サモラさん(コスタリカ・大学3年生の時、米軍のイラク侵攻にコスタリカ大統領が支持声明を出したのを、憲法違反だとして提訴し最高裁から違憲判決を勝ちとり、その後弁護士として活躍)、ミコル・サヴィアさん(イタリア・弁護士)、イ・キョンジュさん(韓国・前述参照)、伊藤真さん(伊藤塾塾長)、飯島滋明さん(名古屋学院大学準教授)によって「平和への権利」が検証された。 「平和への権利」(Right to peace)とは、一人ひとりが平和のうちに生きることができるよう、国家や国際社会に要求できる権利である。これを国際人権法にしようと現在話し合われている。国際人権文書には、世界人権宣言(1948年)、国連自由権規約、社会権規約などがあるが、直接的に平和を扱った国際人権宣言や条約はない。
「平和への権利」においては、権利者は私たち一人ひとりであり、国家が、私たちの「平和への権利」を実現する義務を負う。この権利は、戦争がないということだけではない「平和」、人間の安全保障、貧困や環境汚染などから脱却していくことができる幅広い権利を保障している。
ロベルト・サモラさんは、コスタリカの憲法では、戦争放棄の権限は国民がもっているとの解釈がされており、「今」を生きている人々の権利が大切にされていると言う。「今を生きている人々の権利」とは人間の安全保障と言えるだろう。ミコルサヴィアさんは、2008年に国際民主法律家協会(IADL)の国連ジュネーブ代表に選ばれ、現在IADL事務局次長であるが、この数年間は「平和への権利」の国際法典化作業に、NGO代表として活躍されている。国際的に検討されている「平和への権利」は、単に戦争がないという「消極的平和」だけでなく、社会の「構造的暴力」をなくすことによって初めて平和を構築する条件が整うという「積極的平和」である。安倍首相による言葉のすり替えは、ひたむきに平和を求めている世界の動きを冒涜する行為ではないか。
イ・キョンジュさんは、韓国では、3つの地域、済州島、チョンウッテ、金甫空港が「平和権」宣言を出しており、平和への権利とは、天賦的権利、未来に生きる権利、国家の戦争に巻き込まれないで生きる権利ではないかと提起された。伊藤真さんは、日本の憲法に規定されている平和的生存権は、市民一人ひとりの人権であり、9条は日本ばかりでなく世界の宝だ。共に9条を守り抜き、最大の人権侵害である戦争を阻止していこうと訴えた。飯島滋明さんは、天皇の名によって行われた戦争で、2000万のアジアの人々、310万の日本人が殺され、とりわけ沖縄における殺戮は言語を絶した。憲法9条には、蹂躙された人々の思いが込められていると語った。安倍政権は改憲国民投票の機会を狙っていることを肝に銘じたい。
14日は、午前の部として、「戦争のない世界へ」、「アジアの中の9条」、「若者によるワークショップ」が持たれ、午後のメイン集会は、吉岡達也さん(「9条世界会議・関西2013」共同代表)の挨拶で始まり、第1部は、「世界に広がれ9条」、第2部「若者が伝える9条」、第3部「私たちが生かす9条」の中では、高里鈴代さん(沖縄)、武藤類子さん(福島原発告訴団団長)が発言された。上條恒彦さんの熱唱、木戸衛一さん(同共同代表)まとめで締めくくられた(「9条世界会議 in関西・会議宣言」参照)。世界会議は憲法9条の豊饒な可能性を培っていく覚悟と努力が提起された。老いも若きも、女も男も、どこの国・地域の人々も憲法9条を高らかに掲げ「平和への権利」を、手を携えて確立していこうではないか。
2013年10月14日、ここ水の都大阪に集う数千人の参加者は、世界各地から参集した多数のゲストとともに、世界平和への貢献を話し合った。参加者らは、2008年5月の9条世界会議が採択した「戦争を廃絶するための9条世界宣言」を踏まえ、今日の日本および世界の情勢に鑑みて、以下の諸原則を、確信をもって世界の人々に呼びかける。
私たちは、安倍政権下で進行している日本の右傾化を深く憂慮している。それは、戦争の真実を伝え反省を述べる言論に対する攻撃、それらを教育現場から追放しようとする動き、さらにはくり返されるヘイト・スピーチの扇動などに象徴されている。安倍政権が「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」である基本的人権を踏みにじる方向での憲法改悪を企てていることは、この延長線上にある。
安倍政権による憲法9条改定の動きは、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないようにすることを決意し、……恒久の平和を念願し、……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という決意にもとづいて、「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」を世界に向かって誓ったことをないがしろにするものである。私たちはこれに強く抗議し、9条がもつ世界史的な意味を改めて強く、かつ、深く知る重要な機会をもった。
私たちは、1999年、ハーグで開かれた世界市民平和会議において、ノーベル平和賞(1984年)を受けたツツ司教が「人類は愚かだ。地域紛争は絶えない。しかし、人類は素晴らしい。数千年続いた奴隷制を廃止し、アパルトヘイトをなくした。だから、人類は必ず戦争を廃止することができる。」と呼びかけた言葉を深く、噛みしめる。日本国憲法9条は、戦争放棄を宣言したことにおいて今日の国際法の精神に合致するのみならず、戦力の不保持を定め交戦権を否認したことにおいて国連憲章よりも一歩先をいく平和条項である。これは、今日の世界の中でまさに必要とされている。私たちは、この先進的な平和条項を破棄してしまうような憲法改定はもちろん、その意味を骨抜きにしてしまうような解釈改憲の動きにも、強く反対する。
私たちは、イラク、アフガニスタンでの戦争に反対し、さらにシリアに対する戦争に断固反対する。私たちは、人間の尊厳と基本的な権利を求めて立ち上がったアラブの人々の勇気に学びたい。世界中に蔓延する暴力と戦争の連鎖を断ち切らなければならない。
私たちはまた、筆舌に尽くしがたい被爆の被害を受けながら、核兵器の廃止を世界に呼びかけ続けている広島・長崎の被爆者に励まされている。いままた私たちは、福島での原発災害による被害に苦しむ住民の人々を支えていく。そして、軍事的抑圧の続く沖縄の人々や、日本による侵略と植民地支配によって苦しめられてきたアジア太平洋地域のすべての人々に対して、日本による帝国的支配の終焉と共に生まれた憲法9条の理念の下で、寄り添うものである。
日本の憲法9条を地域レベルで生かし、東アジアに軍拡競争ではなく平和共同体を作り出さなければならない。私たちは、領土の争いを優先する人たちに、もっと大切な平和の創造に力を振り向けることを強く求める。私たちは、軍備の拡大をめざす人たちに、欠乏と貧困、疫病と旱魃からの自由を優先するように訴える。私たちは、今なお世代を超えて被害に苦しむ枯葉剤(エージェント・オレンジ)や地雷、劣化ウラン弾、その他非人道的な戦争の手段による被害者に対して、一日も早い賠償と救済の実現に向けて力を合わせる。
私たちは、世界の一人ひとりの人が、自分らしく生きることができるよう、資源と智慧と能力を傾けて、人権と平和が保障される世界を実現するよう、いっそう強い絆をつくることを願う。私たちは、日本国憲法前文がうたう「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたい」という希望を共有し、恐怖と欠乏から免かれ平和のうちに生きる権利が、国際連合において「平和への権利」として宣言されることを願って、今、ここ大阪の地において、大阪宣言2013を採択する。
池田香代子さん(ドイツ文学翻訳家、口承文芸研究家)
(編集部註)9月21日の講座で池田香代子さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。
ナチス時代のエーリッヒ・ケストナーという作家のこと、みなさんご存じのことと思うんです。今この2013年に日本で思い出すのもいいかなと思いました。
その前に、麻生さんのナチス発言、あれ以来いろいろな新聞から「どう思いますか」とか電話取材などがあるんですが、二重の意味で改憲はナチスの手口を学んでそっとやったらどうかねって言ったんですよね。朝起きたら変わっていた、みんながこれはいいねと言った、あれに学んではどうかねと言ったというのでびっくりしましたね。だって、ワイマール憲法は静かになんて変わらなかったし、だいたいが改憲されていないんですね。ただサドンデスと言いますか、機能停止をしてしまった。全権委任法というのをナチス政権が通してしまって、ワイマール憲法はあるんだけれども、あってもなきがごとしとしてしまったというのが史実です。
みなさんもびっくりしたと思います、いつ改憲されたんだろうって。まずそこがひとつ間違いだし、静かにやったというのも間違いですね。大騒ぎして、暴力的に、共産主義者とか社会主義者を取り締まったりして、選挙をするんですけれども、それでもナチスは過半数を取れなかった。そこで起きるのが国会放火事件、すぐに共産党の仕業だということで共産党員の議員さんをみんな逮捕したりして、いろいろ通してしまったというとんでもない大騒ぎでした。当時は大変な、今と同じ不況で街頭にはデモがすごく出ていたんですね。ナチス党のデモと共産党のデモです。それでぶつかると流血の騒ぎになったりして、とてもとても静かになんていうものではありませんでした。
ではあの麻生さんの、ナチスのように静かにというのはどう意味だったのかって思いますよね。あのスピーチをしたのが、櫻井よしこさんが主宰する国家基本問題研究所というシンクタンクで、改憲を推進するのが目的のところです。そこに行ったわけなんです。産経新聞に非常に重要な記事がありました。櫻井さんが書いているんですね。あの騒動の1週間くらい後かな。すごく怒っているんです。麻生さんは控え室に入ってきたときから「俺は左翼だ」って言ったんですって。「俺は左翼だ」と言って、ものすごく挑発的であった。そしてああいうことを言った。あの「静かにやってはどうかね」というのは、つまり改憲を早くしろというのでこういうシンポジウムなどを開いている私たちを攻撃する言葉であったのだと書いてあるんですよ。
それだとつじつまが合います。コップの中のつじつまですけれども。その外では全然つじつまは合っていませんけれども。麻生さんが言いたかったのは、その前に自民党の憲法調査会の集まりの中で、非常にすばらしい議論が重ねられてきているということを大変誇らしげにおっしゃっていました。こうやって私たち選良が考えているんだから、櫻井さんたち外野はわいわい言わないで黙っていて欲しい。すうっと私たちが出して憲法をつくるから、櫻井さんが騒ぐと今日お集まりのようなみなさんが騒いで、できるものもできなくなってしまう、という意味であったらしくて、それはその場にいた主催者の証言として正しいのであろうと思いました。だからあれは、私は最初にそれを読むまでは私たちのことかしらとかね、騒ぐなと言っているのは護憲派、の私たちのことかしら、マスメディアのことかしら、 メディアのことに口を挟んでくるつもりかしらと思ったけれども、違った。強硬な改憲派に対するけん制であった。とは言え、看過はできませんよね。地味なところからじわじわと、ワイマール憲法が実質的に機能停止したように、じわじわと命脈を絶とうとしているのです。
内閣法制局長官、あれは中から順送りで行くのに、非常に不思議なことに外務省から人を持ってきた。しかもその方は集団的自衛権容認の方だ。こういう手口ですね。あるいは首相懇談会で集団的自衛権について有識者の意見を出してもらうと言っているけれどもね、あれは全部改憲派なんですよね。憲法学者が西修さん一人しかいなくて、その方は強硬な改憲派で、9条改憲の方ですよね。これでは結果は火を見るより明らかです。そうやって搦め手からやっていく。
最初の搦め手は96条先行改憲だったわけです。あれを安倍さんに入れ知恵したのは大阪の橋下さんだって本当ですか? そう言っているジャーナリストがいます。確かに橋下さんの本には書いてあります。96条を先に変えちまえばいいんだって。悪巧みの達者な弁護士さんですけれども、それを直接安倍さんに教えてあげたかどうかはわかりません。96条改憲なんてとんでもないというので私たちがワーワー騒いだ結果、違う搦め手、内閣法制局長官の人事あるいは有識者懇談会で集団的自衛権を解釈改憲で行使できるように変えてしまうということに出てきましたよね。
突然話は変わるけれども、集団的自衛権、集団的自衛権って「耳にたこ」で言われているとね、「あまちゃん」の「じぇじぇじぇ」を思い出して「集団的じぇじぇじぇ権」というのを考えてしまって、そんな流行語はまっぴらですね。あれは全部ナンセンスだということは何度かお聞きになっていると思います。私もナンセンスだと思います。でも怖いですよね。特にアメリカ本土に向かうミサイルを撃ち落とすというのは集団的自衛権だっていうのが1項目ありました。アメリカに行くのは北極圏を通りますから、日本からだとロシア領空に打ち込むんですか? ロシアから文句言われたらちょっと怖くないですか。それから大陸間弾道ミサイルは1000キロとかすごく高いところを飛ぶんですよね。日本のミサイル・ディフェンス・システムって上空300キロくらいだから、届かない。ハワイに向けて北朝鮮がもし飛ばしたとしたら、日本の領空を通るんだけれども届かない。
だから「バカじゃない」って思っていたんだけれども、ちょっと怖いことに気づかされた。というのは、政府与党の政治家の人たちが敵基地の先制攻撃ということも言い出したじゃないですか。ということは、ミサイル基地で動きがあった。これはミサイルを発射するつもりである。今ここであそこを叩くことは集団的自衛権の行使なのである。あるいはそれが日本に向けて撃たれる予定のものであれば自衛権の行使であるといって、どこかの国にばんばんこちらから先制攻撃することを正当化する議論じゃないかな、そうしたらちょっと笑っていられないと思いました。
それが間違いだったらどうしますか。情報というのは偵察衛星でいつも見張っているわけですけれども四六時中というわけにいかないですよね、衛星が通るときにぱっと見るんですね。それでもかなりのことが今はアメリカの衛星とかを合わせればわかるようですけれども、そういう情報だけで攻撃したらとんでもないことになる。ヒューミントといって現地のスパイ、情報員、諜報員の情報と偵察衛星の写真の情報を合わせて判断するというのが軍事常識なのだそうです。日本は北朝鮮からヒューミントを取れるような体制を持っているでしょうか。持っていません。もしも間違いだったら大変です。
私が北朝鮮の「キム・なんとか」さんでしたら、ミサイル基地にちょっと動きを見せて先制攻撃させると思います。そしてわざと被害を被ると思います。そしてこれは通常の訓練であった、なのに日本は攻撃したといって国連に提訴すると思います。そういうことに引っかからないだけの知恵や体制が、日本の外務省なり防衛省なりにあるかといったら皆無です。こんなことを考えている彼らこそが「平和ぼけ」なんですね。「平和ぼけ」の軍隊が怖いことを考えています。それが「集団的じぇじぇじぇ懇談会」の一番怖いところだなと、素人ですけれども、思いました。そして確かにいろいろな搦め手で日本国憲法をいつの間にか機能停止にさせてしまうということに踏み込んでいる今の政府は、確かにナチスに手口を学んでいるわいと思います。
今読んでいる本にこんな記述があったんです。戦争中に書かれたものです。「日本は世界に対して重要な役割がある。それは世界平和をもたらす理想社会の実現である」。戦争中に、すごいですね。でも感動しないで下さい。これはね、テロ事件を起こして、5・15事件、2・26事件と来て、そして軍人がのさばる社会にしてしまった血盟団の若者の言葉なんです。中島岳志さんの「血盟団事件」という本に出てきます。日本は世界平和を作る、そういう使命を帯びていると信じて「一人一殺」とか言ってテロをやっている。わけがわからないですよね。
でもこれを読んでどきっとしました。私たちはともすると「9条を世界へ」とか言いませんか、「平和の輸出」「平和を世界に」、そこのところだけをとったら。血盟団はなぜ日本にそういう使命があるかというと、天皇の国家だからというわけのわからないことをいうんですね、そこまでになってしまったらついて行けないんだけれども、「日本は世界平和を作る崇高な義務を負っている」というのと、「9条を世界へ」というのとダブってしまって、まったく逆の方法であれ、そういうことを私たちって考えがちなのかな、ちょっと考え直してみたいと思いました。血盟団は、ご存じのように世界平和のためにどこかで何かをやったというのではなかったけれども、私たちも「9条を世界へ」なんて言っていないで、行いで示して、そして「あれっ?」って世界の人に思ってもらうという、そういう積み重ねをしてくるべきだったんだなと思ったんです。
そういう方々ってたくさんいますよね。アフガニスタンで医療奉仕をなさり、無料で病気を治してあげていたら、きれいなお水さえ飲めれば罹らなくて済んだ病気だったということで村々に井戸を掘って、今なんと1600本の井戸を掘った。それからアフガニスタンって海がない内陸の国ですが、80%、90%が農民で、ちょっと高度が高いんです。世界的な気候変動で土地がどんどん砂漠化している。そうすると食べていけない。ソ連の侵攻からずっと群雄割拠して、戦国時代のように豪族が私兵団を持って雇っている。だからドンパチが絶えなくて40年来ているんです。食べていけなくなった農民のお父さんが、しょうがないからそういうところへ雇われる。それでカラシニコフとかを持つ。そういう悪循環があります。
このペシャワール会の中村哲先生は病気を治してもダメ、井戸を掘ってもダメ、農民の生活が落ち着かなければこの国が落ち着くわけはないということで、砂漠に何十キロと農業灌漑用水を作られたんですよね。今も改修工事をしたりいろいろとなさっていますけれども、いろいろなエピソードがあります。診療所時代に私兵を持ったような豪族が来て、先にうちのものを診ろと言ったら、中村先生の方は「ダメ、順番」というんですね。そうしたら「貴様、おぼえていろ」と帰って行って、手勢を連れて襲撃する騒ぎになった。このときに、中村先生は一人でロバに乗ってボスのところに談判に行くと言うんです。アフガニスタン人のスタッフは絶対に行くなと止めるんですね。絶対に殺されるからって。そうしたら中村先生が言うんです。「丸腰が一番強いんじゃ」って。これ、「歩く憲法9条」なんですよね。
いま「一番強いんじゃ」ってつい言っちゃいましたけれども、話がわき道にそれますが、中村先生のお母様は福岡県の北九州市若松のお生まれで、お母さんのお兄さんが作家の火野葦平です。火野葦平の「花と龍」という作品は一代で玉井組――あそこは石炭の積み出し港なのでその人足のための私設ハローワークですね――を築きあげたお父さんとお母さんのことを書いたものなんですね。つまり中村哲先生は玉井金五郎の外孫に当たるわけです。若松に火野葦平の住居兼玉井組の事務所だった豪壮な和風建築があって、そこが火野葦平の文学館になっていて、玉井金五郎の写真をいっぱい飾っています。火野葦平の三男の史太郎さんが館長さんをやっています。「花と龍」は、映画にもなりましたね、石原裕次郎とかでね。そのモデルになった玉井金五郎に外見も気性も一番似ているのが外孫の哲なんだって。確かに本物の玉井金五郎さんは石原裕次郎のように足は長くない、渡哲也のように苦み走っていない、中村先生にそっくりなんです。中村先生は歩く9条であると同時に任侠みたいなところがいっぱいです。
ついでに言うと、その「花と龍」に私設ハローワークの組がいっぱい出てくるんです。その中にどてら婆さんという有名な女親分がいて、人を殺すことを何とも思っていない。玉井金五郎もどてら婆さんの子分によって半殺しの目にあって、それで死んでいたら中村哲先生も存在しなかったんですが、そのどてら婆さんの位牌が私の大叔父の家にあるんです。どてら婆さんは天涯孤独で、晩年に子分だった大叔父が気に入られて養子縁組をしたのでお位牌があるんですね。玉井組のはす向かいに福田組という組がありまして、そこが私の父親の本家なんです。だから若松の親戚ってその関係の人たちで、若い頃はすごく嫌だったんです。東京の友達には秘密にしていました。そうするとおじ達が怒るんですね、「やくざとちごうたい、任侠たい」って。「同じです」なんて答えたりして、いまこの年になったら笑って言えますけれども。
なぜここまで話したかというと、9.11のすぐあとに中村先生がアフガンのための緊急募金を呼びかけられたのを覚えていらっしゃる方も多いと思います。逃げ惑う人びとに食べものや毛布やテントを配る。私は9.11が起こるまでまじめな市民じゃなかったので、全然世界とか平和とか憲法とか関心がなかったんですね。でもアフガン攻撃には腰を抜かすほどびっくりして、これは何とかしなきゃと思いました。でも関心がなかったから何も知らないんです。そこに中村哲先生のペシャワール会の緊急募金を知って、何もできないけれども中村先生に募金はできると思って、当時インターネットではやっていた100人村メールを書き直して100人村の本を作ったんです。その印税は中村先生に使って頂こうと思ってね。
だからあれは最初からお金が目当てだったんですよ。100万円くらい印税が入ったらいいと思ったの。ところがたくさんみなさんがお買い求め下さって、こちらもいい気になって、5冊までシリーズを出して印税がものすごいことになったんです。でも喜んでいられなくて、税金が来るんですね。「あらっ」て思った。生まれて初めてこんないいことをしようと思ったのに。でも税金が印税の半分ちょっとくらいで、それを払って、残りで100人村基金を作って、その中から最初に考えた100万円だけを中村先生に使って頂きました。
そうなんです、気が変わったんです。全部中村先生に使って頂こうと思ったんですけれども。でもみなさんだってある日突然思いもよらない大金を、通帳の数字だろうが目の前に見せられたらくらくらっと来て気が変わりますよ。当時私はこう考えたんです。いまは中村先生が、アフガンが注目を集めているけれども、大変なのはアフガンだけではないはずだ。そういうところですばらしい活動をされているのは中村先生だけではないはずだって。いろいろ調べて、緊急を要するところや「ここは」と思ったところに受け入れて頂きました。100人村基金はいまは700円か800円くらいしか残っていません。と言うのは、どんな国際協力NPOもすばらしいことを考えているんですね、でもどこもすばらしくお金がないんです。だから本の増刷のお知らせが来ると、だいたいのお金の計算をして税金も引いて、先に自分のお金から送っちゃうんです。あとから印税が入ったら、立て替えた分を返してもらうというやりくりをしているので100人村基金はいつも底を突いています。
先ほど100万円だけと言いましたけれども、すごいですね。自分のお金だったら「100万円だけ」なんて口が裂けても言わないけれども、100人村基金はなんと5000万円超あったんです。半分ちょっとが税金なんです。シリーズですけれども、とは言え最初の小さな絵本が1億円超のお金を呼び寄せたんです。すごいです。本それぞれの値段が違うのでおおざっぱな話ですが、みなさんが100人村の絵本を1冊買って下さると、私に印税が入り、そこから税金を払った残りがだいたい30円くらいです。でも、30円でも積もり積もれば5000万円を突破するんです。「私たちは無力ではない、微力なのだ」と誰かが言ったけれども本当だなと思いました。お金が絡んでいるからわかりやすいですね。骨身に染みました。
先ほど半分ちょっとが税金だというお話をしたら「わー」ってお顔をなさった方がいらっしゃいましたけれども、びっくりするのは早いですよ。亡くなった井上ひさしさん、親しくさせて頂いたんですけれども、私たちは会うとくだらない話をしているわけです。本を出す仕事をしているものはベストセラーを出すと、ある日突然所得税の最高税率というのが来るんですね。それをいつ何で食らったかという話になって、井上さんは「吉里吉里人」のときだったそうです。あの舞台になった吉里吉里は今度の津波で大変な被害を被りました。それで税金は70%だったということなんですね。でもまだ上があって松本清張さん、400字詰め原稿用紙の最後の2行分が松本さんの懐に入るんですって。90%だったそうです、なんだかんだで。
お金持ちの税金は90、70、50というふうに順調に低くなっています。調べたら井上ひさしさんの「吉里吉里人」の翌翌年くらいから目に見えて減っているんです、急速に。がくんってなったのが1999年。不況対策の3つの減税で法人税率を下げて、それから私たちに定率減税、懐かしいですね。あれはとっくになくなっているのね、もう10年近く前に。もう好景気だからって。どこが好景気じゃ、と思うけれども。じゃあ、失われた20年とかで一番得をしたのが高額所得者と企業なんだから、あとふたつの減税も元に戻ったのねって思うと、後のふたつはそのままどころかいろいろな手口で実質減税なんですよね。こんどまた法人税を下げようと言っています。
消費税というのは社会保障制度との一体改革って言っていたんじゃないのと思うけれども、介護保険も生活保護もなんだかずいぶん私たちが利用しにくくした。持続可能な社会保障制度なんていうのはそっちのけで企業減税って、麻生さんがその分給料を上げてやってくれとか言っているけれどもそんなの信じられないですよね。解雇特区と言うんですか?サラリーマンの残業代を出さなくて良くって、いつ首を切ってもいいとか、ブラック特区という名前がいいと思うけれども、そんなことをいっているときに麻生さんがそういったからって免罪符にもなりませんよね。そういう傾向はリーマンショック以降どんどん続いていて、先進国というのは常に自分たちの国民の中の中産階級を食いつぶしていかなければ、経済成長しようと思ったらできない。自分で自分の身体を食べる蛸のようなことになっています。スペインの画家でゴヤという人がいます。ゴヤの絵とされてきましたがどうもゴヤの作品ではないらしいんですが、「我が子を食らうサトゥルヌス」という、大男が悲痛な顔をして人間を食べている絵、それを最近のニュースを見ていると思い出すんですよね。そんな感じです。
100人村は計算すると吉里吉里人よりも千何百万円税金を得していますけれども、ベストセラーが出たおかげでそういうところもちょっと垣間見たりしました。でも私や井上さんはいわば「最大瞬間風速的金持ち」なわけです。でもそうじゃない、本物のお金持ちはこの減税措置でどんどん資産を作っています。竹中平蔵さんとかからは、お金を儲けるのが得意な人にはどんどん儲けてもらいましょうよ、そうしたらそのお金を使うでしょ、それが回り回ってあなたのところにもくるからお口を開けて待っててねって10何年前に言われたけれど、ずっと口を開けて待っていてもほとんど落ちてこないんですね。もうあごもくたびれたしのども渇いたから、もう待っていません。トリクルダウン理論というんですか、したたり落ちるというね。
違うんですよ。そんなにおもしろいようにばんばか儲かるようなお金を万々が一持ったとしたら、みなさんは何に使いますか。損したら、失敗したらパーになっちゃうけれども、その代わり当てたらものすごく増えるというハイリスク・ハイリターンのところに投資するでしょう。なくなったってかまわないんだもん、もっとお金があるんだから。
そしてその投資先は国外なんですね。だからこの20年、どんどんお金持ちが大金持ちになった。年収1億円の人と年収10億円の人が国内市場で使うお金って10倍も違わない。人間ってそんなにお金を使えるものじゃないから。お金持ちが大金持ちになったというのがこの20年の特徴ですけれども、そのお金は、竹中さんが言うように私たちのところに回るんじゃなくて、海外に行ってしまった。しかも税金がかからないタックス・ヘイブン――バミューダ諸島とかバージン諸島とかに口座を持って。だから日本の大金持ちは日本国の税金は払っていません。所得税とか、私たちと同じ消費税くらいしか払っていません。だからどんどん国の財政は大変になっている。お金持ちが大金持ちになって海外に持って行くから、それでしょうがないから消費税を上げるという、とても悪いスパイラルに落ち込んでいます。そういうことを、一攫千金をやっちゃった私は垣間見てしまいました。これが100人村のご報告です。
憲法のお話になりますが、100人村がブームになるといろいろな経験をします。ユニバーサルレコードというところからプロディーサーが来て、イメージCDをつくりたいと言うことでつくって下さった。世界中のいろいろな歌を集めて100人村を表現するものですが、私は歌詞の翻訳で参加しました。うれしかったです。なぜかというと1曲目が大好きなジョン・レノンの「イマジン」だったからです。ところがね、私が翻訳すると何から何まで100人村っぽくなるらしいんですね。そしてその100人村翻訳版の「イマジン」の歌詞を読んだ当時20代の若者が、「なんだ、イマジンって憲法じゃん」「憲法がこういうノリで書いてあったら読むのにな」って言ったんですよ。私たちは気づかなかった。
100人村は政治学者のダグラス・ラミスさんと一緒につくりました。ラミスさんは憲法の本をいっぱいお出しになっています。この間も「憲法は、政府に対する命令である」という文庫をお出しになりましたね。ラミスさんと私はびっくりして「イマジン」を読んだら、確かにそうなんです。「イマジン」の3番の歌詞、うろ覚えですけれども「さあ、想像して。国家はないと。難しくはないはず。殺し合う理由はなく、すべての人が平和のうちにある様、生きる様を」。憲法9条なんですよね。ジョン・レノンのお連れ合いは日本人のオノ・ヨーコさんです。オノ・ヨーコさんがこれに関わったという証言を何かのインタビューで読んだんです。この3、4年のことです。
ここに日本国憲法の思想が入っていても不自然ではないわけです。そして20代の若者の声に促されて100人村チーム、編集者やイラストレーターなどで「日本国憲法」という絵本をつくりました。英文の憲法がありますね。私は憲法のことを何も知りません。その何も知らない私が英語から読んだらどうなるかなあと思って、もちろん複数の少しずつお考えの違う専門家の意見をいちいち聞きながらまとめていきました。
英語で読んでいろいろな発見がありました。例えば、憲法前文、「日本国民は」ってはじまりますよね。英文は違うんです。weで始まるんです。We, the Japanese people、「私たち日本の人びと」ということです。「日本国民」という言葉は実は英文憲法では1回しか出てこなくて全部ピープル、人びとなんです。「国民」というのは、誰が日本国籍をもつのかというのは、法律によって定めるというところ。ここは国民という言葉が必要だったので使っているけれども、後は全部ピープルという言葉なんです。ここにまず感動しました。もちろん私たちの憲法の中にも「われら」というとても印象的な言葉があります。「われら」が9回出てくるのかな。法律には珍しい、似つかわしくない言葉ですね。基本法と名の付くものに多いんですが、普通の法律ではお目にかからない言葉です。だったら最初のところもせめて「われら日本国民は」って書いて欲しかった。そうすれば憲法というものが、私たちのものなんだと言うことがはっきりします。
では私たちは憲法によって誰に何を言っているかというと、ご存じのようにこの国の主権は私たちのものですと主権者宣言をしています。主権者である私たちにはこういう権利がありますというふうに人権宣言をしています。そして政府はこの私たちの権利を侵してはいけませんと、結構きつい口調で政府に言い渡しているんですね。それが99条の憲法遵守義務、誰が憲法を守らなければいけないかということを定めています。天皇、摂政から国会議員、公務員、裁判官は憲法を守らなきゃいけませんと書いてあって、そこには国民はいないんですよね。だってこれは国民の命令だから。だからこの憲法というのは私たちの権利宣言、人権宣言です。
この憲法にけちをつけたい人は、権利ばっかりで義務が少ない、だから義務をちゃんと書き込んでバランスを取らなきゃいけない、って言われます。そう言われると私たちはまじめだから「あ、そうかな」って一瞬思っちゃう人が結構いますね。でも違うんですね。私たちは憲法によって政府を縛る、政府は憲法の下に無数につくられる法律で私たちを縛る、それでバランスを取っているのであって、これ以上憲法の方にも国民の義務が書き込まれたら、わたしはもうバランスも何もないと思います。
これは私の素人考えですけれども、憲法の中には国民の義務が3つ書いてあるということはどの憲法学者の御本を読んでも書いてあります。1つは納税の義務です。私はこれは義務じゃないと思います。この日本国という組織の主人は私たちですって私たちが言った。だったらこの組織を運営していくにはお金がかかります。それには誰にも世話になりません。私たちがちゃんと自腹で出します。憲法は私たちがオーナーですという、オーナー宣言だと思うんですね。だから私は、納税は義務じゃないと思うんです。2番目が労働の義務です。でも憲法には労働は権利であり義務であると書いてあって、純粋な義務じゃないんですね。だからこれも違う。
もうひとつは教育の義務です。2000年前後の中教審だったかな、中教審ってこんなに非常識な、また日本語の読めない人たちがやっているのかと思ったけれども、「教育を受けて一定の素養をつけるというのが国民の義務であるということは」って書いてあります。劇作家の山崎正和さんとか小説家の三浦朱門さんとか、そういう人たちが書いています。違いますよね。私たちには教育を受ける権利がある。けれども未成年、子どもとか私たちが保護する義務のある若い人びとは、その権利を行使するのに自分一人ではできないので、親とか保護者はその子どもとか保護するべき若い人たちが教育を受ける権利を行使できるようにする義務があるというのが義務教育という意味だから、3つの義務って違うでしょ。
私は憲法に書いてある私たちの義務はたったひとつだと思うんです。それは12条、100人村語訳で読みますね。これを最初に読んだときに意味がわからなかったんです。「この憲法は人びとの自由と権利を保障します。自由と権利はそれらをみだりに振りかざすことを慎む人びとが常に努力して維持していきます」。「常に努力して維持する」ってどういうことだろうと思って専門家に聞きました。そうしたらこういうことですって。
よく人権裁判が起こります。息子が自殺した、これを過労自殺と認めなければ息子の無念を晴らせない。息子の名誉回復ができないと親御さんが訴えます。あるいは会社の中でひどい扱いを受けた人が訴えます。そういうときに人権裁判の原告になっている人って人権の闘士とかそういう感じじゃないですよね。そんなことにならなければ一生まじめにこつこつと働いて家族をつくるなりして過ごしていく、私たちの親戚とか友達にいて全然おかしくないような人たちがひどい目にあって、これを泣き寝入りしたら私は私を尊敬できなくなると追い詰められて訴訟を起こしているんですね。それが常に努力して人権条項を維持していることなんだって。なぜならその人達が回復を求めている人権は、私たちもそれぞれが持っていて、私たちはたまたまそれを侵されていないけれども、その原告がやっていることは私たちが持っている同じ人権のためのたたかいでもあるんですって。つまり私の人権が侵されたと思ったらどんどん言っていく、それが私たちの義務。言っても埒があかなければ裁判に訴える。厳しい話だけれどもこれも私たちの義務だと憲法12条がいっているんです。
よく私たちの人権はあてがわれたもので血であがなったもではない、だから柔なものだ、根付いていないという人がいます。とんでもない話だと思います。この憲法ができて67年、そういう人たちが声を上げてたたかってきたんですね。それを思ったら本当にありがたい、頭が下がります。そういう人びとのたたかいのおかげで私たちの人権になっているのだと思います。
詮ないことなので、なるべく考えないように考えないようにしていることがあります。もしもこの憲法の通りの国づくりをしようとしたら、特に9条に関して憲法通りの国づくりをしようとしたら、前文にのっとれば、まず私たちは外交力を鍛えるべきでした。世界最強の外務省を持つべきだったんです。そこのところも100人村語訳で読んでみます。「日本のわたしたちは、平和がいつまでもつづくことを強く望みます。人と人との関係にはたらくべき気高い理想を深く心にきざみます。わたしたちは、世界の、平和を愛する人びとは、公正で誠実だと信頼することにします。 そして、そうすることにより、わたしたちの安全と命をまもろうと決意しました」。
憲法前文では、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」となっています。ここにも「諸国民」と出てきたけれども、英文だとここは良いんですよ。peace-loving peoplesっていうんです。平和を愛する人びと、国の違いは出てこないんです。これが目的です。これが国家の目的。憲法9条はこの目的を達成するための方法というか、やり方を書いたものって感じですよね。
前文に戻ると、人びとの「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」っていうのを「信頼することにします」って訳したんです。信頼できないかもしれない、だけれどもこちらから先に信頼しちゃうんだっていうことを、「信頼することにします」というところに込めたつもりです。そうやって一歩踏み出すことによって、中村先生の「丸腰が一番強いんじゃ」という姿勢ですよね。これをやっていくには最強の外交力が必要です。それは9条を世界に広めようということではなくて、個別の事柄に対して個別の人間が個別の現地でネットワークをつくり、日々汗を流し大変な思いをしていくものです。そのためには、そういうことをやってくれる外交官だったらどんな高給取りだっていいし、もっともっとたくさんいてもいいと思うんだけれども、全然ダメね、外務省は。
すばらしい人っているんですよね。例えば伊勢崎賢治さんなんて、シエラレオネやアフガンにPKOで政府の特使や国連の特使として入っていって武装解除するんですね。もちろん一人って言っても、彼が全権特使で行くんだけれども、外務省の人も何十人も一緒に行くんですって。その外務省の人たちって無能なんですかって聞いたことがあるんですね。そうしたら、ものすごく有能だって。こういうことでこうしてこうしようって言うと、ものすごくよく動くんだそうです。伊勢崎さんみたいな人が外務大臣にならないとね。
そして外国の軍隊に守られて入るんです。日本人は外務省の職員だから丸腰、でも軍隊に守られていきます。まだ硝煙がくすぶっているような、PKOがやっと入ったようなところです。それで「私は日本から来た」っていうんですって。「日本って知ってる?ずっと戦争していないんです。トヨタのピックアップトラックがこのへんでも走っているでしょ。ああいうのつくって結構金持ちなんだよ。だからあなたたちも内戦なんかしていないで、銃は捨てて日本のまねをした方がお得でっせ」と言うんだそうです。それはものすごく説得力があるんだそうです。
こうも言うんだそうです。「みなさんその銃はどこ製?、カラシニコフだね。それはイギリスって書いてあるね。日本って書いてあるのはある?」って聞くんだそうです。「ない」ということになって、「日本は武器を輸出していないんです。武器なんか輸出しなくても民生品のいいのをいっぱいつくって輸出すれば結構お金持ちになるんですよ、お得でっせ」と言うんです。すごく説得力を持つ。それでアフガンでタリバンとたたかっていた北部同盟の武器を、その「紛争解決トーク」で全部取り上げちゃったのね。そうしたら今度は押さえ込まれたはずのタリバンが台頭してきちゃった。北部同盟は全然武器を持っていないので大変ことになってしまって、伊勢崎さんはしまったなあといっていますけれども、そんな感じです。
でも日本は武器を輸出していないでしょうというのがちょっとひるむようになってきた。部品はさんざん輸出しちゃっている。だから武器輸出を見直すなんてダメですよ。憲法9条を持ってできること、私たちの身を丸腰で守るためには伊勢崎賢治さんが100人いて、あちこちでこういう「お得でっせトーク」をするっていうことです。NGOの立場からは中村哲先生があと100人いて、「丸腰が一番強いんじゃ」ってやる。弾よけに日の丸のマークをトラックに着けていたんですって。でも最近は、日本は怪しい動きをしているというのが現地にも伝わるようになったので、日の丸を消したっていうことです。日の丸が付いていたら撃たなかったのが撃つようになった。伊勢崎さんもいつばれるかハラハラだそうです。9条があるから世界に貢献できることをしていくべきだと思うんです。
こういうことをそれぞれのやり方でやっていたのが北欧の国々です。このあいだオスロ合意20年の記念日がありました。ノルウェーのオスロです。そういう外交を一生懸命やってきました。私は20年近く前に「ソフィーの世界」という、厚い哲学史の物語というノルウェーの作家が書いたものを訳して、大ベストセラーになって、そのときも最高税率がきました。そのときのお金はどうしたんだろうなあって思ってる? 最近言うようになったんですけれども、私の母親は私とまったく性質の違う、ラスベガスに行くのが大好きな人なんですね。それで全額は言わないけれども、家屋敷も全部総額2億くらいすって、銀行への利息が毎月30万円だった。「助けて」って言うけれども助けられない。毎月30万くらいで暮らしているんですからみたいな。どうしようと思っていたら1年後に「ソフィーの世界」を当てちゃった。そのお金を母にあげたら贈与税を取られるので、友達の悪徳会計士にすぐ相談して、個人事務所をでっち上げて母を役員にして役員報酬で入る印税をどんどん入れた。それで借金を返し終わりました。金は天下の回りものって本当ですね。それがなかったらどうなっていたろうと思いますよ。
それでノルウェーの作家が書いたものですが、影の重要な登場人物として、ノルウェー軍の将校が出てきます。その人は国連軍として青いベレー帽をかぶってゴラン高原にいる。作者のヨースタイン・ゴルデルはパレスチナ問題にすごく心を痛めている人です。ゴラン高原にいる大佐というのがキーパーソンですね。そうやって軍隊を国連軍としてそういうところに出したり、あるいは外交のいろいろな舞台を設定したり、影でいろいろな交渉ごとの間に立ったりしてきました。ノルウェーだけでなく、スウェーデンもハマーショルドなんていう国連事務総長を出したり、オランダなんかもそうなんです。
しかしデンマークはアフガンに、NATO軍が統括するISAF(国際治安支援部隊)で行って、アフガンの人をばんばん殺してしまった。それでいままで築きあげてきた、軍隊だってちょろっとあるだけの小さな国です、そこが世界の平和のための貢献できることというので外交力をいろいろ駆使してきたんだけれども、いまはまったく正当性を失っています。そういうことに日本がなってしまう、集団的自衛権を行使することになったら。アメリカの戦争にくっついていく。そうではなくて憲法に立ち戻り、言っているとむなしいんですけれどもね、伊勢崎賢治さんのような人がいっぱい外務省にいて、そういう営みを日々重ねていることによって平和が保たれる。
このあいだトルコに旅行に行った若い女性が殺されたときも、日本人になんてことをするんだと言うことでトルコの人たちが怒り、恥じ、悲しんだ。あの様子を見ても日本がどれだけイスラム圏に好意を持たれているか。本当は好意をもたれるようなことはしていないんですね。イラク戦争の時にクウェートから完全武装したアメリカ兵をばんばんバクダッドに送っている。でも、わたしは9条の国づくりというのはそういうことなんじゃないかなって、いまでもむなしく思いながら考えています。
ドイツの話ですが、なぜケストナーの話をしたかったというと、ケストナーの「エーミールと探偵たち」とか「ふたりのロッテ」とか「点子ちゃんとアントン」とか「飛ぶ教室」を、いま私は岩波書店で訳し直しをしているところです。いまは「わたしが子どもだったころ」を訳しています。ドレスデンで育ったんですが、ドレスデンという街がいかにすばらしかったかということが、これでもか、これでもかというくらいに「わたしが子どもだったころ」には書き込まれています。なぜならこの作品は戦後に書かれたけれども、ドレスデンは大空襲で跡形もなくなった。古い古い芸術の都だったんですが、なくなってしまったんですね。だから、ドレスデンの在りし姿を書くという行為が、ケストナーにとっての怒り、悲しみの表現、反戦の表現だったということです。
ケストナーって左翼の人だったのかというと、当時の左翼の人たちからはなまぬるいということで「あんなの左翼じゃない」って批判されていました。けれども私は左翼リベラルだったと思いますよ。弱いものに対する義侠心とか、間違ったものに対する義憤とか、そういうものに突き動かされていた人だと思います。彼は新聞記者でした。ある編集者にあなたは子どもの本が書ける人だ、書いてご覧なさいと言われて書いた「エーミールと探偵たち」が大成功をしたんです。
そうやっているうちにナチスが1933年に政権を取るんですね。それでまず何をするかというと、気に入らない本を図書館から引っ込めるということです。この間もありましたね。「はだしのゲン」が引っ込められそうになったけれども、私たちがわーわーわーわー騒いだから、ムニャムニャとなって事なきを得た。でも数年前のフェミニズムへのバックラッシュ、女は女らしくというのではなくて、男だろうが女だろうが人間らしく、という考え方に対して気にくわない人たちが、そういう本を目の敵にして図書館から引っ込めさせたりとか、いつもあるんですね。
ナチスも焚書をやりました。ベルリンの広場に本を集めて。ケストナーも風刺的な詩を書いたりしていましたので発禁の作家のひとり。だからケストナーの本もそこで焼かれました。ケストナーは、自分でも書いていますけれども、それを見に行ったんですって。夜だからわからないだろうと思って見に行った。火がつけられたら、1万冊とも言われるような数を燃やしたので、大きな焚き火なので真昼のように明るくなった。「あっ、ケストナーがいる」ということになって、走って帰ったというお茶目な人です。それも新聞記者から出発した野次馬根性、あっぱれということなんですが、結局亡命せずに、でもドイツの出版社からは出せずに、スイスの出版社から子ども向けの本を出していました。
とは言えナチスに目をつけられています。早く亡命した方がいいって言われたんだけれども、自分の国の行く末が心配だからというので、それも野次馬根性ですね、ドイツに居残った。これは実は、私たちが考える以上にものすごく危険なことだったんです。
ケストナーはひとり息子ですけれども、お母さんがかかりつけのお医者さんと浮気しちゃってそれで産まれた子供です。すごくお母さんっ子、マザコンです。お父さんをほったらかして、お母さんはお父さんのことを全然愛していなくて、息子と母親べったりなんです。だけどお父さん、戸籍上のお父さんのお名前はエミールです。そのかわいそうだなっていうお父さんの名前を付けるんですね。かかりつけのお医者さんというのがユダヤ人です。目を付けられている作家ですから、どうなるかなんて想像つきますよね。なのに踏みとどまったんです。
1933年にナチスが政権を取ったときに書いたのが「飛ぶ教室」です。つまりここに出てくる男の子たちが実在の人間たちだったら、年格好からいってみんな戦争に狩り出されていますね。エミールたちもそうです。みんな死んでいますね。ちらっちらっとはっとすることが書いてあるんです。言葉が出てくるんです。うろ覚えですが、校長先生が言うんです。「悪いことがなされるときに黙っていた人にもそれだけの責任はある」。1933年に書いているんです。ナチスが政権を取ったときに。これは後からだったら、そうだったなということで戦後に誰が書いてもおかしくないことだけれども、これからとんでもないことが起こるというときに書いているのがすごいなあって思う。
実は明日、新宿と大久保で「東京大行進」がありますね、レイシズム反対の。それの賛同メッセージに書きました。「カウンターの若者たちの出現に、まず衝撃を受けたのは、レイシストではなく、それまでヘイトスピーチにたいして、眉をひそめるくらいのポーズはしても、実際には何もしなかった、たとえば私であったりするのです。ごめんなさい。恥ずかしながら、今からでも仲間に入れてほしいと思います。私のような、明らかな悪から目を背けたおびただしい人びとが、かつてナチスを行くところまで行かせてしまった以上、声を挙げられるうちにせいいっぱい『それはダメ、私たちが許さない』と言い続ける所存です」。そのときにこのケストナーの「悪がなされるときに黙っていた人にも責任がある」という言葉を思い出していました。ケストナーが書いてくれたおかげで悪がとんでもないことになってしまう前に声を上げる重要性に気付かされているわけです。
ナチスがやったとんでもないことの大きなひとつが、ユダヤ人とかロマの人びとに対する人種差別ですね。明日は性的マイノリティの人たちも来るそうですが、レズビアンやゲイやトランスジェンダーの人びともナチスが収容所で殺した。最初は共産党、社会主義者、反政府の運動をした人々だったけれども、ユダヤ人やロマ、性的マイノリティという人びとを殺していきました。その中のお医者さん、ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」を10年くらい前に訳しました。私は霜山徳爾先生の翻訳で育ったし、いま読んでも立派な翻訳だし、翻訳し直す必要は全然感じていなかったんです。けれどもいまの高校生に読ませたい、という声にほだされて訳し直しました。これが3.11の後すごくたくさん読まれています。毎年5万部くらいのペースで出ている。すべてを流された方が、ようやく仙台に必需品のお買い物に行った時に「はっ」と思って本屋さんに行って「夜と霧」を買ったんです、とかそういうお話がいっぱいあります。何もかも奪われたときに、若い頃に読んだ霜山先生の翻訳を思い出されて、私のがあったのでお求め下さったんだと思うんです。
この春に若者たちと一緒にアウシュビッツに行ってきました。「池田香代子と行くアウシュビッツの旅」なんていう暗いツアーに行く若者はまじめなんですが。アウシュビッツというのは狭いところに建物が立て込んでいて、中が見えるようになっていていろいろな展示があって、わたしは言っては悪いけれども「収容所テーマパークだ」と言うんですね。見どころは隣接しているビルケナウです。広大な敷地に残っている収容棟とか施設もあるんです。焼却炉はドイツ人が逃げるときに爆破していったので爆破跡がそのまま残っています。ものすごく広大です。そこが、被収容者たちが暮らしたところ。
そこを歩いていたら若者がひとり近づいてきて、「でも日本もひどいことをしたんですよね」って言ったんです。それがね、同じようなことをもうひとり言ったんです。私はとっても感動しました。つい私たちはヒロシマ、ナガサキ、アウシュビッツと並べて自分を被害者の側においていたなあって若い人に気付かされた。そうじゃないということを、いまの若い人はちゃんとバランス良く入っているんですね。大したものだと思いました。つまり「夜と霧」がなぜ戦後最大のベストセラーにして最大のロングセラーになったかというと、私たちがヒロシマ、ナガサキそれから空襲、そして出征していった親戚は飢え死に、このひどい目にあった被害者意識に重ね合わせ合わせるのにちょうど良かったんじゃないか。もちろんこれを読んでその人間性に感銘を受けるのは重要なことだけれども、加害の面をついつい忘れてしまうという作用もこの「夜と霧」は、戦後の私たちの社会にもたらしてしまったんじゃないかなっていうことを、若い人たちに考えさせられました。
最後に、この前の翻訳をした霜山先生のエピソードで締めくくろうと思います。翻訳の業界には業界のオキテというのがありましてね、前訳者が存命の間は絶対に訳し直してはいけない。そんなことをしていいのは村上春樹くらいだといわれます。訳せと言われたときにはとんでもない、霜山先生にはお会いしたことはないけれども、御本を通じて後学の栄に浴してもいた。その先生に恩を仇で返すような、そんなことはって、半年逃げ回った。編集者は私だけじゃなくて霜山先生も説得しなければいけませんね。あなたの翻訳は古くなったから訳し直しますって。そちらのほうが嫌ですよね。
その後、霜山先生が試し訳を見てみましょうとおっしゃったんです。だから「さあ訳せ」ということになって、もう否応なくカチカチになって400字で20枚くらい訳しました。それをプリントアウトしたら編集者が奪うように霜山先生のお宅に持って行った。そうしたら編集者が会社に帰る前に会社に電話があって、「いま読んだ。いますぐ訳してもらいたい、私は末期ガンなんです」とおっしゃった。戦後のどうしていいかわからないときに西ドイツに、まだ円の持ち出し制限があったときに留学して、そして出会ってウィーンまで著者に会いに行き、霜山先生も精神医学だったのでフランクルのロゴセラピーという学問を紹介することになり、「夜と霧」を訳した。つまり自分の一生を変えた本が、古くなったから見ず知らずの女に訳し直させますって言われて、「よろしい」と言った先生はすごいです。そういうことですから今すぐ取りかかって下さいという電話を切った後、私は声を上げて泣きました。
でも訳して良かったなって思います。私が訳したのは第2版から、1977年版です。先生のはもちろん初版です。ちょっと違うんです。違いをあとがきに書きました。ひとつは先生が訳した初版には「ユダヤ」という言葉が1回も出てこない。今回初めて気がつきました、何度も読んでいるのに。それで私が訳した第2版には1回だけ出てくるんです、ふたつ。それは何なのかということを考えて、あとがきを書いたんです。
霜山先生の翻訳は品切れになったら絶版にするつもりだったんですね、出版社は。ところが新訳が出たら霜山先生の本も売れ出したんです。みすず書房ですけれども、社が続く限り2本立てで行くって。すごく良かったです。
私の「夜と霧」には前訳者あとがきが載っているんです。業界のタブーを侵しているんだから、こんなものがくっついている本はないんじゃないかと思うんですね。霜山先生は特攻隊の話から始めて、昭和天皇の戦争責任を最初に書いておられます。実は私のおじが早稲田の学生だったんですけれども、特攻隊員として亡くなっています。霜山先生は若いお医者さんとして特攻隊の基地に勤務して、年のそう変わらない隊員達のいまでいうメンタルケアをしていたんです。その勤務地が鹿児島県の海軍鹿屋基地です。私のおじはそこから飛び立っているんです。だから霜山先生にケアしていただいた特攻隊員の姪が訳し直した。あとから知って雷に打たれたように驚きました。おじのことを霜山先生に、もしかしたらおぼえていらっしゃるかもわからないと思って、うかがおうかなと思っていたら亡くなっちゃってすごく残念です。
あまりワイマールのことじゃないけれども、ケストナーのお話ってあまりできないので、私は大好きなのでお話ができてすごくうれしいです。ありがとうございました。
日本国憲法はいま、大きな試練の時を迎えています。安倍首相は、「憲法改正は私の歴史的使命」と憲法の明文を変えることに強い執念をもやす一方で、歴代内閣のもとでは「許されない」とされてきた集団的自衛権行使に関する憲法解釈を転換し、「戦争する国」をめざして暴走を開始しているからです。
日本が武力攻撃を受けていなくともアメリカといっしょに海外で戦争するという集団的自衛権の行使が、「必要最小限度の範囲」という政府の従来の「自衛権」解釈から大きく逸脱することは明白です。それどころか、日本やアメリカの「防衛」ではなく、日米同盟を「世界全体の安定と繁栄のための『公共財』」(防衛省「防衛力の在り方検討に関する中間報告」)とみなし、世界中のあらゆる地域・国への武力介入をめざす体制づくりです。
この企ては、本来なら衆参両院の3分の2以上と国民投票における過半数の賛成という憲法「改正」の手続きを経なければ許されない内容を、閣議決定だけで実現してしまうものです。そのため、長年にわたり集団的自衛権行使を違憲とする政府の憲法解釈を支えてきた内閣法制局長官の入れ替えまでおこないました。麻生副総理が学ぶべきと称賛したナチスがワイマール憲法を停止した手口そのものです。これは立憲主義を根本からつき崩すものであり、とうてい容認することはできません。
それだけではありません。安倍内閣は、自衛隊を戦争する軍隊にするために、海外での武力行使に関する制約をすべて取り払い、「防衛計画の大綱」の再改定により、「海兵隊的機能」や「敵基地攻撃能力」など攻撃的性格をいちだんと強めようとしています。
「戦争する国」づくりにも足を踏み入れようとしています。すでに安倍内閣は、防衛、外交に関する情報を国民から覆い隠し首相に強大な権限を集中する「特定秘密保護法案」や日本版NSC(国家安全保障会議)設置関連法案などを臨時国会に提出しようとしています。自民党が作成した「国家安全保障基本法案」では、「教育、科学技術、運輸、通信その他内政の各分野」でこれらの「安全保障」政策を優先させ、軍需産業の「保持・育成」をはかるとしているばかりでなく、こうした政策への協力を「国民の責務」と規定しています。これを許せば、憲法の条文には手をふれないまま自民党が昨年4月に発表した「日本国憲法改正草案」における第9条改憲の内容をほとんど実現してしまいます。
さらには福島原発事故の無責任と棄民、原発技術輸出の問題、その他問題山積の現状があります。
戦前、日本国民はすべての抵抗手段を奪われ、ズルズルと侵略戦争の泥沼に巻き込まれていった苦い経験をもっています。しかし、いま日本国民は国政の最高決定権をもつ主権者であり、さらに侵略戦争の教訓を活かした世界にも誇るべき九条を含む日本国憲法をもっています。いまこそ日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、歴史の教訓に背を向ける安倍内閣を草の根からの世論で包囲し、この暴走を阻むための行動にたちあがりましょう。
2013年10月7日
九条の会
大江健三郎 奥平康弘 梅原猛 澤地久枝 鶴見俊輔