私と憲法149号(2013年9月25日号)


集団的自衛権行使は平和憲法の破壊であり、米国と共に「戦争をする国」への飛躍だ

第185臨時国会は安倍内閣の下で10月15日にも開会されようとしている。
政府与党はこの臨時国会を「成長戦略実行国会」と位置づけ、TPPや消費税増税、原発収束など、生活危機への不満からくる人びとの政府批判をそらそうと、日本資本主義「経済再生」に向けた産業競争力強化法案など関連法案を重要法案にあげている。2020年開催に決まった東京オリンピックもこのための重要な手段となった。

一方で、この国の前途を大きく左右する憲法・安保・防衛関連の重要法案を準備し、この臨時国会で成立を謀っている。日米軍事同盟の飛躍的強化をねらう特定秘密保護法案や、外交・安全保障政策の司令塔となる国家安全保障会議(日本版NSC)設置法案、明文改憲準備のための「改憲手続き法修正案」など、安倍内閣がねらう米国と共に戦争をする国への飛躍のための集団的自衛権行使の合憲化の準備と合わせた重要法案の成立が企てられている。

参院選で安倍首相が期待した96条先行改憲論の立場をとる3党で、改憲発議に必要な3分の2の議席は得られなかった。96条先行改憲論はもともと、第一次安倍内閣の9条改憲論の失敗から出てきた、迂回作戦ともいうべきものだったが、立憲主義の破壊に反対する各界の運動の高揚のなかで、保守改憲派からもこれへの反対論が続出した。ほとんどのメディアの世論調査は反対多数となり、安倍首相はこのままで「国民投票をやっても負ける」とぼやき、事実上の撤退を始めた。これは世論が安倍政権の改憲の企てを封じ込めた重要な勝利であり、2007年に9条改憲論の安倍内閣を退陣に追い込んで以来の画期的な経験と考えられよう。

もともと冷戦後の9条改憲論のねらいは「集団的自衛権が行使できる国づくり」をめざすもので、米国と共に海外で戦える日本の実現にあった。今日では安倍首相らの9条改憲の目標は、自民党改憲草案がめざす「天皇を元首に戴き、国防軍で米国と共に戦争をする国づくり」にある。

安倍首相ら改憲派は「中国脅威・敵視」論や、北朝鮮脅威論を喧伝して、安保防衛体制の強化を訴え、改憲の条件を作ろうとしてきたが、9条明文改憲は今日の世論の前で容易ではない。改憲派も明文改憲の実現には時間がかかると考えている。96条先行改憲という迂回作戦にも失敗した現在、安倍首相らは集団的自衛権の行使に向けて、9条解釈の変更と、さまざまな立法による「実質的な改憲状態づくり」推進の道に大きく舵をきらざるを得なかった。

秋の臨時国会では憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使によって事実上の改憲をめざして、具体的には日米軍事同盟強化のための「特定秘密保護法」と「国家安全保障会議(日本版NSC)設置関連法」という重要法案が、2ヶ月弱のわずかな会期の中で強行されようとしている。まさに暴走そのものだ。

すでにこうした憲法解釈の変更の障害になるとして内閣法制局長官の事実上の更迭を強行し、さらに9月17日、再開した首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が、11月下旬か12月初めに集団的自衛権の全面的行使を容認する報告書をまとめる。政府はこの私的諮問機関の答申で「権威」づけながら、それを年末に発表する「新防衛大綱」に反映させる。これは戦後の安保・防衛政策の歴史的な変質を企てるものだ。

すでに防衛省は「防衛計画の大綱」見直しに向け7月26日に「中間報告」を公表した。それによると、新防衛大綱では戦後の安保・防衛政策の基本であった「専守防衛」の突破が企てられており、自衛隊の歴史的転換がすすめられようとしている。その際だった特徴は(1)自衛隊への「海兵隊的機能」の付与と、(2)策源地(敵基地)攻撃能力の保有であり、海外で戦争ができる自衛隊への転換だ。敵基地攻撃能力については、1956年の政府見解に「他に手段がないと認められる限り、基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれる」との解釈があるが、従来、政府は専守防衛の立場から攻撃的兵器の保有はしない方針を維持してきた。殴り込み部隊を意味する「海兵隊的機能」保持に至ってはなおさらだ。政府はこれらを「尖閣諸島防衛」「北朝鮮のミサイル攻撃からの防衛」の必要性の強調で正当化しようとしている。中国脅威論で整備した「防衛力」であっても、米国の世界戦略に呼応した海外派兵全般に使用されるのはいうまでもない。

さらにこの問題では腰の重い連立与党・公明党との調整をはかりながら、集団的自衛権行使の法的裏付けとなる「国家安全保障基本法案」(概要2012年7月6日、自民党総務会で決定)の来年の通常国会への提出が目指されていることは重大だ。

自民党による「国家安全保障基本法案概要」では「国連憲章に定められた自衛権の行使は『必要最小限度とすること』(第10条)」と自衛権一般の行使がさらりと書かれている。この基本法によって従来から議論されてきた個別的自衛権、集団的自衛権の区別をとりはらい、集団的自衛権の行使を正当化する。この場合、書かれている「必要最小限度」などという文言は何の歯止めにもなり得ないことは明らかだ。

安倍内閣は、あらたに私的懇談会「安全保障と防衛力に関する懇談会」(北岡伸一座長)を発足させ、国家安全保障戦略(日本版NSC)の策定(防衛・外交・経済政策などの一体化)をめざしている。国家安全保障会議(日本版NSC)設置法案(首相、官房長官、外相、防衛相による会合の常設)と内閣法改正案など関連法が議論される前に、すでに内閣官房に100人規模の国家安全保障局を新設する、発足時は4~50人の事務局、うち半数を自衛官にするなど、具体的な体制作りが先取りして進められている。

こうした具体的な動きを背景にしながら、自衛隊と米軍の協力の在り方を定めた日米防衛協力のための指針(ガイドライン)再改定と日米同盟の再編強化がすすめられている。10月中旬に関係閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)を開き、事務レベルの検討を本格化させる方針を確認し、2015年の再改定がめざされている。

こうした解釈改憲の作業と合わせて、改憲手続き法の修正など、明文改憲の準備が進められている。民主党政権時代に起動した憲法審査会は第2次安倍政権の下で本格的に再稼働した。すでに衆院審査会では一通り憲法のレビューを終えたことにされている。与党はいよいよ改憲原案の審議に入る構えだ。

衆議院憲法審査会では改憲手続き法の「3つの宿題」の解決をめざして、事実上の違法・破綻状態にある「憲法改正手続き法」附則部分の改定、が課題になっている。自公両党は臨時国会で民法や公選法と、国民投票、18歳投票権の切り離しによる改憲手続き法の修正を企てているが、破綻した改憲手続き法の姑息な弥縫策にすぎない。改憲手続き法は、「修正」ではなく、廃法と出直しをする以外にない。

憲法の改悪に反対する広範な諸団体で作る「5・3憲法集会実行委員会」は「集団的自衛権の行使は平和憲法の破壊です。憲法を守り、生かして下さい」の請願署名運動を呼びかけている。また、臨時国会開会日には15時から、同実行委員会の主催による恒例の「集団的自衛権は平和憲法の破壊だ! 10.15院内集会」が衆院第2議員会館第1会議室で予定されている。私たちも様々な団体や個人が、この秋、可能な限りの形態を駆使して、安倍内閣の憲法破壊の企てに反対してともに立ち上がるよう、呼びかけたい。
(事務局 高田健)

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改憲・集団的自衛権の翼賛体制づくりを許すな――枝野幸男改憲試案を評す

小川良則(市民連絡会事務局)     

【安倍内閣の暴走と改憲翼賛体制】

両院での安定多数に気を良くしたのか、安倍内閣の暴走が止まらない。
参院選当日の開票速報で、菅官房長官は「改憲や集団的自衛権など『安倍カラー』を全面に打ち出す環境が整備された」と危険な狙いを口にしたが、早速手を付けたのが内閣法制局の人事への介入による政府憲法解釈の変更への布石であった。安保法制懇が集団的自衛権の解禁を答申するのは規定路線であるし、知る権利や報道の自由を圧殺する機密保全法制を含む安全保障基本法制、事務局のかなりの部分を制服組が占める国家安全保障会議の設置、敵基地攻撃能力の保有や海兵隊の創設を内容とする防衛大綱の見直し、日米ガイドラインの再改定等が矢継ぎ早に出されてくることも疑いない。これは事実上の改憲の先取りであり、決して許す訳にはいかない。

こうした時こそ野党が毅然として内閣の暴走に対峙しなければならないのに、少数に転落したとはいえ最大野党である民主党は、増税も福祉の切り下げも容認するなど、その姿勢からは一向に安倍内閣への対抗軸が見えてこないのが嘆かわしい現実である。同党は9月4日の両院議員総会で、安全保障、エネルギー、社会保障など6分野の総合調査会を設置し、憲法総合調査会の会長に枝野幸男元官房長官を起用した。

枝野元官房長官と言えば、衆院憲法調査会で、中山太郎会長の下、民主党の筆頭幹事として自民党の船田元筆頭幹事とコンビで自公民協調体制を築いてきた人物であり、民主党憲法調査会長として2005年の同党の憲法提言を取りまとめた人物であり、内閣法制局が政府特別補佐人から外されていた際に法令解釈担当閣僚を務めた人物である。経歴だけを見れば妥当な人選のようにも見えるが、しかし、これまでの憲法調査会での発言を一読すれば、彼も集団的自衛権の解禁論者であることは一目瞭然であり、このようなタイミングでこのような人物を最大野党の憲法問題の責任者に据えることは、改憲翼賛体制の構築に一役買う結果にしかならないと言わざるを得ない。

【どこが「第三の道」?】

その枝野元官房長官が9月10日発売の「文芸春秋」10月号に「憲法九条 私ならこう変える」と題した改憲私案を寄稿した。執筆の動機について「より優先順位の高い問題が山積み」で「憲法問題が喫緊の課題であるとは考えない」が、「安倍政権の発足などによって両極端な主張が激しくぶつかり合う不幸な事態を放置」できず、「安倍総理の言動に危うさを感じる」ためと述べている。この発想は、第1次安倍内閣が改憲手続法を強行した際の「55年体制が崩壊し、ようやく憲法論議が神学論争的二元論から脱却できたのに、総理はこれを一気に破壊した。与党だけで走るのは憲法改正を叫ぶこと自体を目的化するものだ」という発言(2007年4月13日・衆院本会議)と通じるものがある。

しかし、こうして安倍内閣の政治姿勢を批判しつつも、その結論は独自の改憲案の提示である。すなわち、ファナティックな復古主義的改憲論とそれに対する根源的な批判を「両極端」とか「神学論争」と名付けることで、「どっちもどっち」という形で片づけ、「第三の道」と称して中庸を装いつつ、集団的自衛権の解禁を主眼とする改憲論を展開しているのである。一応は、その時々の政府解釈に任せるのではなく、憲法自身の中に歯止め(自衛権の限界)を明示すべきであるという説明がなされているが、この論法は安保・自衛隊を所与の前提として初めて成り立つものであり、そもそも軍事力による安全保障が今日的に有効かつ妥当かという根本的な疑問に応えるものではない。

枝野氏自身、9条の存在が軍拡の歯止めになってきたことは認めているが、抑制的な自衛権行使の要件が解釈頼りで明文の規定がないという主張には怒りを禁じえない。戦力の保持も交戦権の行使も認めないという明文の規定以上の歯止めがどこにあろうか。そもそもの問題の発端は、明文の規定に反して世界有数の軍隊を持ち、米国との間に軍事同盟を結び、軍隊を海外に送り出していることにあるのではないか。「解釈の幅が少しでも小さくなるように」と言えばもっともらしく聞こえるが、規範に反した現実を改めるのではなく、違法な現実の方に規範を合わせろと言っているのに等しいのである。

結局のところ、この枝野私案は戦争をする国づくりへの動きに対峙するのではなく、バスに乗り遅れるなとばかりに改憲の動きを加速させるものでしかない。

【枝野私案の構造と問題】

さて、枝野私案の構造は、現在の9条は1項・2項
ともそのまま残した上で、日本が武力攻撃を受けた際の自衛権の発動に関する規定を「9条の2」として、国連の活動等への参加に関する規定を「9条の3」として追加する方式を採っている。このあたり、「加憲」方式を主張し、国際貢献条項もその検討対象の一つであるとする公明党を意識しているとも考えられる。

そして、9条の2では、第1項で「急迫不正の武力攻撃」があった際には「必要最小限の範囲内で」自衛権が行使できるとしているが、その際に、わざわざ「単独で」あるいは「他国と共同して」という枕詞を冠している。また、第2項では、この際に他国の部隊が攻撃を受けた場合は「当該他国と共同して自衛権を行使」できるとしている。

さらに、9条の3では、第1項で国連の活動等への参加の要件を定めるとともに、第2項では、その活動中に攻撃を受けた場合、9条の2を準用する旨を定めている。

すなわち、まず、日本有事(安保条約でいう5条事態)の場合に国連憲章51条でいう「個別的及び集団的自衛権」を認めた上で、これを国際貢献活動に準用するという構造になっている。しかし、この参照元と準用先の間には大きな落差がある。それは、前者が日本の領土・領海あるいはその周辺を前提としているのに対し、後者の舞台は海外であり、集団的自衛権の本質的な問題は、むしろ後者の方にあるという点である。

振り返ってみれば、1965年の米国によるベトナム侵攻も、1968年のワルシャワ条約機構軍による「プラハの春」の圧殺も、2001年のNATO軍によるアフガン攻撃も、2003年の「有志連合」によるイラク戦争も、いずれも「集団的自衛権」の名の下に行なわれた。私たちは決して「自衛」という言葉に騙されてはならない。集団的自衛権の現実は他国への武力介入以外の何ものでもないというのが歴史の証明するところである。いかに理屈を取り繕おうが、どんな法文上の歯止めをかけようが、本質的に海外での武力行使が前提とされているものを認める訳にはいかない。

また、国連軍が組織された場合について、各国の主権行使の範囲から離れたものを縛ることはできないと述べていることも看過できない。これに対しては、日本の海外派兵に道を拓いた小沢調査会の論理構成が、国連の指揮下で行なわれる行為は国権の発動ではないから憲法上の問題を生じないとなっていたことを指摘しておけば十分であろう。

【改憲の先取りを許すな】

8月25日の共同通信によれば、政府は次期通常国会にも「集団的自衛事態法」なるものを出そうとしている。国会承認や文民統制と言えば聞こえはいいが、そもそも海外での武力紛争への参戦はどう取り繕っても改憲の先取りであり、琉球新報も8月26日の社説で「平和憲法を葬る気か」と厳しく批判している。こうした違憲の立法の強行による「法の下剋上」を許してしまえば、日本はもはや法治国家とは呼べなくなってしまう。

私たちは、こうした危険な狙いを一人でも多くの市民に広めるとともに、あらゆる手段を駆使して、何としてもストップしていかなければならない。

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映画「少年H」を観て

菱山南帆子

先日、島根県の松江市の教育委員会が、「はだしのゲン」が子どもにトラウマを与えるような暴力シーンが出てくるとして学校から撤去させようとする動きがありました。確かに私も子どもの時に読んで、戦中下での残酷さがリアルに描かれていて、単純に「戦争=怖い」という印象を持ちました。しかし教育委員会が言う「怖い」という「トラウマ」があったからこそ「戦争は二度と繰り返してはいけない」という気持ちを持ち続けることができたのだと思います。

私が小学生3年生の時、母が買ってきた「少年H」を読んでから15年。とうとう映画化されたので早速観に行ってきました。戦争の悲惨さを描くというよりは戦争が始まるまで教育現場や新聞などでの情報操作でナショナリズムを煽り国全体が戦争へと駆り立てられていく中で、人々が抱いた心の葛藤や敗戦後の人々の生活、気持ちの変化などの人間模様が描かれ、その中で主人公の男の子が様々な人と関わりながら強く生きてゆく物語です。

映画の中で、戦争が始まるときにレッドパージで逮捕されてしまう青年が登場します。原作を読んだ当時、私は、思想を貫いて捕まってしまう“うどん屋の兄ちゃん“に「どんな状況下でも自分の考えをしっかりと持って流されない”兄ちゃん“はなんてカッコいいのだろう」と思い、9歳という幼さで、作中の”兄ちゃん“に淡い恋心を抱きました。そのあと兄ちゃんがどうなってしまったのか心配で心配で後にまた登場するのではないかと思い、重いハードカバーをランドセルに詰めて学校の休み時間にも夢中で読みました。その時、「少年H」という本のタイトルでクラスの男の子にからかわれ、そんな男の子たちを白けた目で見ながら「だから子どもは嫌なのよ」と自分も子どものくせに思ったことも思い出しました。

 小学校3年生でよく読めたものだなと思い、15年ぶりに原作を開いたところ、作者の意向ですべてにルビがふってあり、読みづらいかもしれないが、子どもたちにも読んでもらうためにそうしてあると前書きがありました。戦争を体験したことがない私にとって、「はだしのゲン」や「少年H」、「火垂るの墓」、井上ひさしの「父と暮らせば」などの漫画や本、映画や演劇を観たり読んだりしたことが、戦争とはどういうものなのかということを想像し、知るきっかけになった

東宝
原作:妹尾河童「少年H」
監督:降旗康男
出演:水谷豊 伊藤蘭 吉岡竜輝

のです。形は違えども情報操作や、反戦書物を子どもたちから取り上げ、東京オリンピックなどのナショナリズムの風により様々なことが追いやられ、今まさに「少年H」の中でのことが同じように進められ、徐々に徐々にとまた戦争ができる国にされようとしていることにひどく危機感を持っています。

今こそ私が恋心を持った“うどん屋の兄ちゃん”のように、どんな状況下でも自分の考えを貫き、戦争は繰り返してはいけないし、憲法9条を守り抜かなければいけません。子どもたちが戦争を体験せず、また戦争に加担するようなことにならぬよう、私たち若者も戦争の体験談を語り継ぐことはできませんが、私たちが戦争の悲しさや残酷さを想像体験することができた本や映画を子どもたちに繋げ、これからも伝え残していかなければならないと強く思いました。

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9.1さようなら原発講演会に約2000人-集会記録

9月1日、東京・日比谷公会堂を会場に「9.1さようなら原発講演会」が開催され、ほぼ会場の定員に達する、約2000人が参加しました。

「3.9つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」でも司会を務めた女優の木内みどりさんが司会を担当。呼びかけ人の鎌田慧さんのあいさつに続いて、バンド「ジンタらムータ」によるオープニングライブで、講演会はスタートしました。

初めに、福島からかけつけたいわき市議会議員の佐藤和良さんが、この日が関東大震災から90年にあたることにふれて、「今日の集会は、必ずしも福島や浜岡、柏崎刈羽の問題ではない。関東大震災が起これば、この首都圏こそが『原発現地』になりうるという想像力を働かせてほしい」と発言しました。

呼びかけ人の大江健三郎さんは講演(本誌別掲)の中で、「脱原発を実現すること、私たちの大切なモラルは次の世代が生きていける社会を残していくことだ」と訴えました。コントグループ「ニュースペーパー」によるコントの後、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんによる講演(本誌別掲)があり、「私が原子力に反対するのは他人の犠牲の上にしか成り立たないものだからだ」と、データなどを交えながら力強く解説しました。

呼びかけ人からは澤地久枝さんが「原子力政策に責任のある人の責任を問うていきたい」と発言。内橋克人さんが「『技術の進歩により安全になる原発。私たちの国だけ持たなくていいのか』というような、新しい原発安全神話が猛々しく、メディアを通じて流されている」と、現政権の姿勢を批判しました。閉会のあいさつで、落合恵子さんが「『まるで原発事故などなかったかのように』社会の流れを変えようとしている、そんな政治の中に私たちは生きている。その恐ろしさを心に刻みましょう」と呼びかけました。

終了後は首都圏反原発連合が主催する「官邸前抗議 日曜版」への参加が呼びかけられ、呼びかけ人や講演を行った小出さんをはじめ、多くの参加者が移動しました。
(さようなら原発1000万人アクションのホームページより。なお、大江さん、小出さんの講演録は文責「私と憲法」編集部として紹介するものです)

講演:大江健三郎さん

人間の根本的な有り様にせまる死者の声

大江健三郎でございます。いま司会者の方が、すばらしい女優さんですが、私が今度出そうとしている本について紹介して下さると言われたんですが、私は辞退しました。もっと大切なことがおありじゃないでしょうかと申しました。そしていま福島の子どもたちを含めて、なお避難所で苦しんでいられる人たちについてお話になった講演は、私はすばらしいと思います。そこで私の講演は全体として10分間短くしたいと考えておりましたが、でも5分間短くするだけでよろしいようですので急いで始めます。ああいうすばらしいお話のつぎにお話しできることをありがたく存じています。

さて私の話は、あのように本当に真実を孕んでいて、真実に立っていてしかも本当に人間らしい感銘をそそるという話ではありません。私は小説家でありまして、長生きしてきましたがもう50年も小説を書いています。小説家の話というものですから、小説のことからお話を始めて、いまの主題に次第に近づくことができればと考えております。

この前の芥川賞の候補作に、いとうせいこうという非常に優秀な方ですが、実力のある作家です。その方の「想像ラジオ」という、イマジナシオン、イマジネーションによるラジオという小説、もう10万部も売れているそうですからご覧になった方も多いと思いますが、この小説は、私としては残念に思っておりますが、落選されました。これは福島の大被災、核発電所の大事故ということで、いまお話になったようなつらい現実を生きていられる人たち、そしてつらい現実の中で亡くなられた方たち、その側に立って書こうと一人の才能のある小説家が思い立った小説なんです。今現在の状況で、私はこういう小説を書く人を尊敬します。そして、どういう小説かということを私がお話しするよりも、雑誌を読みましたらば芥川賞の選考委員の、これも本当に優秀な若い小説家たちです、その人たちが批評をしていられる。もちろん好意的な批評もあります。いとうさんの友人の方の遠慮しながらの批判というものなどいろいろあります。

しかしそれらの批判の中で、私がこれは違うんじゃないかと思ったことがあるんです。それをまず申したいと思います。それはこの作品が、すなわち大津波があって流されて山の上に運ばれてしまって、そして亡くなった一人の人物が、大きい杉の木の頂のあたりに引っかかっていましてね、少し仰向けなのか、だから港が、そしてまたその周辺の家々がどういう被害を受けたかということ自体はこの死んだ人物の目に入っていない。むしろ半ば空を見上げながら、彼は自分がいま大津波で死んだ人間として残したい言葉、表現したい言葉をディスク・ジョッキーの口調で話し続けるという小説なんです。

そしてこういう才能の人ですから、実に若々しいおもしろい言葉遣いで、この自分がどのように死んだか、どのように生きてきたか、どのように後に残した子どもたちや妻のことを考えるかということを述べていかれるという、想像されたディスク・ジョッキーというものを見事に書いていられるんですね。しかしそれが、こういう大津波で亡くなった人の思いというようなものを伝える、そして彼に対する関心を読者に呼び起こそうという態度は、ヒューマニズムというものじゃないか。ヒューマニズムというものは小説の主題、小説の思想として古いんじゃないかということを私は言っていられるんだろうと思うんです。あるいはセンチメンタルなものじゃないかと言っていられるんだろうと私は思う。

しかしですね、いま現在、例えば16万の人間が、避難した場所で生き続けなければならない。しかも子どもたちは、例えば自分たちは生きて学校に通うが、その地面そのものが放射能で汚染されている。そしてそのお父さんやお母さんは、自分たちが田畑を作って暮らしてきた。そういう、稲の、お米の栽培をするための田あるいは野菜のための畑、そういうものがすべて放射能で汚染されているわけですから、そこでつくられたものを売ることはできない。従って生産そのものができない。しかも自分のその土地がいつ放射能から解放されるのか、除染されるのか。除染するということを政府はやっていますけれども、それが実際にどのような効果を生むかということについては何もわかっていないのです。

確かに除染ということが行われている。しかし実際には、例えば福島第一原発では、そこで原子力発電を行っていた非常に大きい量の放射性物質、核物質がそのままメルトダウンして、それを支えている容器、非常に高い温度です。それを水で冷やしておかなければそのまま数千百度になるというのがこの核物質であって、核燃料であって、それによって水を沸かして、その蒸気でもって発電するということが行われてきたわけです。それが現にそこにあるだけで、空気に触れていればどんどん水によって温度が下げられなければいつまでも温度は上昇し続ける、1400度になっている状態というものが報告されていた。

新聞も読みましたが、それでもってそれを支えていた機関が、鋼鉄で作られた容器が溶けてしまって、そして地面に落ちてそれが地面をどんどん溶かしていって、ある深さまで入り込んでいる。しかも高い熱を持っている。それが大きい地下水、地下における大きなプールのようなところに入り込んでしまったとしたらどういうことが起こるか、ということなどもはっきりした予想を日本の電気会社、東電なら東電がしているわけじゃない。日本の専門家が行っているわけじゃない。だいたい地面の中で、どのような状態で核物質の大きなものがそこにあるのか、そしてそれはいつまでもいつまでもその状態であり続けるわけですから、それがこれから、長い、言葉で言えば何万年もその状態であり続ける。それがこの国の人間の、あるいは水の汚染から言えば太平洋で結ばれている島々の、国々の人びとにとっての大きい不安でもある。しかしまだその状態がよくわからないと政府の機関が認めている。

しかも福島の事故は収束した、と彼らは約2年前に言っていた。それから1年半以上たって今もいかに多くの汚染水がその処置をどうしていいかわからないまま増えているか。いま言ったメルトダウンした原発の恐ろしい核物質の固まりはそのままである。そういう状態の中で私たちは生きているんですから、そしてそこで大津波で死んだ人が木の上で、自分がどのように生きたか、どのように死んだか、そして、ということを語ろうとすれば、私はそれがセンチメンタルなヒューマニズムということで非難されるということはあり得ないと思う。こういう状況に私たちはいるんですから、私たちはそれを声にせざるを得ないじゃないですか。そして何よりもヒューマニズムという言葉は、16世紀のヨーロッパを考えていうと、それからずっと現在に至るまで人間がどのように生きていくか、人間がどのようなものであるかということを根本的に考える思想がヒューマニズムというものであって、それをヒューマニズム的なセンチメンタリズムというふうなことを言える人間は、私は実はいないと思う。単に無知の言葉に過ぎない。非常にセンチメンタルな無駄口に過ぎない。

そういうことを乗り越えて、じゃあ自分たちがそういう小説を書こうじゃないか。いま福島でどういうふうに人間が苦しみ、そしてそこから立ち直っていかれているか。それが国際的な規模の大きい危険の中で、回復するための動きが行われているんだ。それを私たち日本人がまず分け持っているんだ、その運命もそしてその仕事も。そしてそれを書いた文学について読もうじゃないか、それを書こうとした作家を励ましてやろうじゃないかと思うのが、私はずっと人間らしい行為、すなわちヒューマニスティックなことであろうと思う。そういうことが、しかしセンチメンタルなものとして投げ出されてしまう、物笑いの種になるというふうなものが日本文学であれば、私は日本文学全体がやり直しというものをしなければならない。そして日本全体がやり直しをしなければいけない、その大きい必要性の中にあるんだということを考えたいと思っています。

 私はいまの小説の中に死者の声、死んだ人間が話すんだ、それについて文学者というものは、小説家というのものは自分が知らない、しかも多数の方が亡くなられた、この人たちを小説に取り込んで彼らの声を自分で書く、自分で「偽造」する、そしてそれを小説にしていいのか、そういう態度は死者に対して無礼じゃないかという、それこそモラルに即した批判もあります。しかし私自身について言うと、わたしは福島の大きな事故があったあと毎日のように考えることがあります。自分が自分の一生で影響を受けたそして尊敬した、愛してきたのでもある、そういう人たちがどんなに多く死なれているか、彼らが今生きていられるとしたらどういう言葉を発せられるであろうかということを考える。ほとんど自分で彼らの言葉を口にしてみることさえある。すなわち、私たちが自分の敬愛していた死者の言葉を紙に書いてみるということは、決して出過ぎた振る舞いではないし非人間的なことでもない。人間とはそういうものなんだ。そしてそういう行為として文学というものがまずあるんだ、そこから出発していこうじゃないかと私は考えて今文学の話をしたわけであります。

聞こえる亡くなった文学者2人のことば

私はこの2年間いろいろな死者の声を聞いてきたわけでありますが、その中でも2人の文学者のことをいつも思っていました。それはちょうどフクシマが起こる1年前あるいは2年前に亡くなられた2人です。彼らはそれまで非常に社会的に、あるいは文学的に世界的によく知られていた人でありますし、社会的な批評というものを積み上げてきた方でありました。けれども直接批評というものを、文学についての批評あるいは古典についての批評ということはされていても、社会に出て行って社会的な問題を市民たちと一緒に考えようとすることは余りされる方ではなかった。しかしその人生の最後にそういうことを始められた。そしてその上で、その中で亡くなられた。そしてそのあとでフクシマが起こったという2人であります。

一人は私とほぼ同年配の井上ひさしさんです。そしてもう一人は、私よりも年上でした。非常に優れた加藤周一というフランス文学者、評論家でありました。私はその2人の声がいつも自分に聞こえてくるという気持ちを持つわけなんです。そしてその2人のことを常に考えてきたということを申します。

まず井上ひさしについて言いますと、この人は不思議な人でありまして、私は非常に彼が好きでした。非常に信頼していましたけれども、彼は例えば誰か第三者が私のことを批評しますね、「あいつは頭が固くて話がおもしろくない」とか、本当のことを言っているんですよ。そういうことをみんなが言っている。そこに行って「いや、そういうことはない」とは言わないんです、この人は。ただ悲しそうな顔をしたり、それからつい笑ってしまったりしているという非常に人間らしい人なんです。

まだ2人が30代の頃、私たちは 文芸講演というのをやりまして、私たち純文学を書いている人間はだいたい小説を3ヶ月に1つくらい書いても生活していきにくいんです。結婚もしています。そこで出版社からあるお金をもらって講演会に行くということをしていました。私と井上さんとは2人分で呼ばれていたんですね。私はこの人と一緒に行くことは本当に好きでした。

そうしましたらね、ある場所で井上さんが話して、まずそれが大いに歓迎されたんです。拍手が起こっていた。その次に私が出ていくと、何となくみんな「しん」と静まりかえってしまわれた。私だって小説家ですから少しは空想もします、想像もします。ああ僕はダメだったなあと思ってしょげておりました。そうしたら色紙を旅館のご主人の方が2枚持ってこられたんです。そしてその2枚を井上さんに「2枚ともあなたが書いて下さい」といった。それは私はいいんですよ。私は自分の講演の失敗について考えることがあったんですから。そうしたら彼が、本当に美しいきれいな字で書いたんです。それはよく知られた井上さんの言葉で、詩のような言葉です。「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく」という文章です。そしてそれを非常に井上さんらしいきれいな字で書きまして、それを渡した。

そうしたら女将さんが「先生もう1枚、同じものでいいです」と言われたんですけれども、彼が「大江さんに頼みましょう」といわれた。それでぼくも努力しましてね。僕も井上さんのように文学について詩を書いてお渡ししますと言ったんですね。そして色紙をもらって私が書いたのは「やさしいことをむずかしく ふかくもなく おもしろくもない ただながい 大江健三郎」と書きました。そうしましたら井上さんは、はじめはね、しおらしい顔をして黙っていたんですよ。でも一緒の部屋にいるんですから、食事している間、まあ30分くらい彼は我慢していた。しかし突然、我慢も何もなくなって死ぬほど笑ったです、のたうちまわって。この人は優しい人なんだろうかあるいは残酷な人なんだろうかと思いました。しかし私は彼のことを思ってこの3年以上過ごしたと思います。

彼が死ぬ前に私の一冊の本を読んで、そこで私と私の障がいを持っている子どもがいるんですが、その私と子どもがけんかになってしまった。それは音楽の問題が中心で、その音楽について息子がしたことは決して悪くないと彼は考えているので、私に謝らない。私は、私の好きな友人がくれた楽譜に息子が書き込んだ、ボールペンで。それについて私は怒っているということで、2ヶ月間も言葉を交わさないということがあったんです。その事を小説に書きました。そうしたら井上さんは、もうガンになって亡くなられたんですが、亡くなられる前の日に自分のベッドで全部読んでくださったんです。そしてそこにカードがあってですね、「光さん、-私の息子なんですが-、光さんは原理的なことでは妥協しない、お父さんがどんなににこにこしてレコードを買って買収しようとしたりしても、自分がやったことは音楽について間違っていないと思っているから妥協しないんだ」と書いてある。「そして」と書いてあって、大江に対する批判があったんでしょう。しかし彼はそれが最後の言葉になっては大江を一生苦しめるんじゃないかと思われたんじゃないでしょうかね。点々だけ打って終わったカードがあった。夫人がそれを私に送って下さって、私は今ベッドの脇にそれを貼って、日々反省しています。

フランスで女性たちの支持得た反原発の表明

加藤さんは本当にフランス語の名手でした。そして実に自由に語る人でした。そしてある程度議論するということ、ある程度以前にまったく反対することがあっても平気な人なんです。フランス人と話していて、女性に対しても偉い人に対しても。私は一緒に大臣と話したこともあるんですが、彼は平気です。そしてしかも相手から尊敬を受けるという人でした。

その事を思い出したのは、私は去年の夏フランスに行きまして、ブックフェアというものがありまして、そこに私たち日本の作家が呼ばれて行った。漫画家も呼ばれていた。そしてブックフェアの会場で討論会がありましてね。テレビで全国中継するということも何度かあったんです。私は一番年長ですから日本側から話す人間に選ばれてしまった。そうすれば、私は日本の原発について反対です、それについて私は話す。そうすれば質問者がフランスの原発についてどう思うかと言われる。それに対しても率直に正直に答える必要があります。フランスの女性、特に中高年というべきでしょうか、30代から40代、50代くらいの女性の方たち、インテリの方たち、学校の先生などしていらっしゃる方は非常に地味な服装をしていられます。いい服装ですよ。シックというのはこういうものをいうんだろうと思う。地味な格好をしていられて、正確な質問をされる。

そしてこの司会者は原発に賛成でして、政府側に立っていて私をやり込めようとする。私に、私が下手なフランス語に発言するように誘うということをするわけです。日本語で話すでしょう。そうすると通訳の非常に優秀な女性がいられて日本通の立派な人たちですが、2人組で私が話そうとする。そうするとすぐ「今のフランス語をあなたのフランス語で言い換えるとどうなるか」と質問をして、笑いを取ろうとするわけです。私は、もうそういうことには慣れていますから話しますが、そういうことをしていると私の下手なフランス語について確実に理解して下さって、拍手してくださる一群の女性たちがいるんです。それは先ほど言った人たちです。そうしますと司会者が「どうも今夜は変な夜だ、こういう人の変なフランス語に感心して拍手する女性がたくさんいたりもする。私はこういうフランス語を全国放送に仲介したということをみなさんにお詫びしたい。ありがとうございました。」と彼が言う。そういうことがあったんですね。

私がどうしてそういうことをしたかといいますと、加藤さんならそうするだろうと思ったんです。加藤さんは非常に魅力的な人ですが、魅力的な人として受け入れられても、自分がフランスの原発について賛成でなければ、それに反対するということを言われただろう。私は加藤さんが今ここにいられない以上、自分でその働きをしようと思いました。そしてそうした。

次の世代が生きられる世界を残す

それからちょうど大統領選挙がありまして、フランスで。そして保守派の、原発に対して非常に熱心な賛成派の大統領が選ばれました。そしてその直後、日本に来たことをおぼえていらっしゃるでしょう。この大統領はどうしたかといいますと、とにかく原発の開発というものを促進し、日本とフランスがそれに協力しよう。そして兵器産業の生産についてもお互いに協力し合おうではないか、という共同声明を日本で行いました。すなわちこういう人がフランスの政界で大統領に当選するという時代背景が、今フランスにあるということだと私は考えるわけなんです。この核政策についてですよ。それに対して我が国の首相は、非常に徹底的にフランスの大統領に対する賛成の言葉を述べています。そして彼らは協力を誓い合っている。それでいいのかということが私の考えなんです。

その日本政府が、首相がこのような政策を進めていく。特に原発について、選挙の間ははっきりしたことは何にもいいませんでしたが、経済的に日本を復興させるということを言って、確実に勝利を収めた。そしていま日本で政権を担当しているわけです。それでいいのか。私はフランスと日本との間で、それに対してインテリ間の論争がなくていいのかということについて疑問を持っています。といいますのは先ほどの女性たちがそうであったように、フランスに原発について非常に明瞭な反対の意見を発表して、それがフランスのインテリたちの強い関心を引いて、尊敬を得ている人がいます。その人のことを思うからです。

その人はもともとチェコ人でした。チェコの非常に苦しい時代にフランスに亡命して、それからフランス語で彼は文学を発表してきた。ミラン・クンデラという人です。いい作家です。彼が生涯の最晩年に2冊、3冊といってもいいのですが、非常にすばらしい評論集、エッセイ集を出したんです。その中に彼が主張していることがある。自分たちは次の世代を明らかにこの地上で生き延びさせていく、そういう環境を持ち続けなければならない。それを壊してはならないと彼が言う。そしてその事を、人間にとって彼はモラルというんです。モラルというのは先ほどもちょっと言いましたけれども、日本語で倫理という中国から来た言葉で私たちは訳します。モラルという言葉は日本語でも使われます。「人間らしさ」という言葉の意味を含んでいると思います。

人間の倫理性、このように生きなきゃいけないという人間のモラルというのはいろいろある。この人が例えばその本で書いていることは、人間にいろいろなモラルがあるけれども、モラルの中で最も本質的な最も大切なモラルというものを、彼はエサンシエルといっている。エッセンシャルですね。最もエサンシエルなモラルというものが人間にあって、それは絶対に守らなければならない。それは次の世代に生きていく社会を、世界を作っておくこと、残しておくことなんだ。それがわたしたちがやらなければならないことだということを、ミラン・クンデラは生涯の最後と言ってもいいような本の一番中心の主題として持ち出しているんです。

わたしはこのエサンシエルという言葉は本当に大切だと思うんですね。英語でもエッセンシャルと言う。私たちもエッセンシャルと言います。しかし私たちは本当に自分だけにとって一番中心の、何より大切な、最も大切なモラルとは何かと考えるでしょうか、いま。わたしはそれをしなければいけないと思う。そしてそれをするときに私たちはミラン・クンデラが言うとおり、この世界を核の放射能によって次の世代が生き延びることができないような社会にしてしまう、それをしないということが最も重要な、最もエサンシエルなモラルだと思うんです。私はこのような作家が非常に愛されて尊敬もされるフランスを信じています、フランスの文化を。

そしてフランスでも私は核状況について、原発状況についての転換が起こるということを考えています。そういう人びとといくらかの通信もしています。このエサンシエルという言葉を、いまフランス語を大学でおやりになっている方は、Le Petit Prince、「小さな王子様」(星の王子様)という本をお読みになった方はおぼえてらっしゃると思うんです。このエサンシエルという言葉を。それは、狐がいて、その狐が小さな王子様の良い友達だったんですが、狐が自分の星に帰って行かなければいけない。そこで王子様に大切な言葉を君に教えてあげようという。それは、人間は相手の言葉、それが聞こえる言葉だけ理解しているのではいけないんだ。一番大切なのは、一番エサンシエルなのは、相手の言葉として声に出さないものを聞き取る力なんだ。それがもっともエサンシエルなものだから君はそれを大切にしなさいと言って狐は去って行くんです。私はミラン・クンデラの言葉と、このサン=テグジュペリの有名な童話に一番大切な言葉としてエサンシエルという言葉が使われているということを大切にしたいんです。大切に記憶してもらいたいと思うんです。

反原発を新しい日本人の根本的なモラルにする

さて、そのフランスについて、大統領が来て原発について一緒にやっていこうじゃないかということを言った。それに対して共同声明も我が国は出しました。
2年前になりますが、メルケルというドイツの女性の首相が、自分たちはフクシマがあったからフクシマに学んで、フクシマの警告に耳を傾けて、自分たちが原発を近い将来廃止すると彼女は言った。そして議会で議決した。その事をおぼえていらっしゃるでしょう。本当に法律にして原発はもう作らない。2030年には完全にドイツから原発をなくしてしまう。もっと早くそれが達成される、そしてエネルギーの問題は起こらないということを、今いろいろな専門家たちが明らかに計算した。いま私たちは完全な脱原発に向かって進んでいるということをあのメルケルさんはこの7月に宣言しています。これはすごいことじゃないですか。

2年前に声明で彼女がそういったときに、私はその人の名前をおぼえています。今名前を言うこともできますが、私は井上ひさしほど意地悪な人間ではありませんから、その名前は言いませんけれど、こういうことを言った有名な評論家がいます。それはですね、ドイツは今脱原発を図ろうと声明した。しかし近いうちに彼らは、フランスが原発によってつくり出した電力を最もたくさん輸入する国となるであろう。ドイツ人はそういう人間となるであろう、と言ったんです。そう書いたんです。

そしてこの7月にメルケルさんが、あと数年のうちに脱原発を確実に自分たちは成し遂げる、しかも自然エネルギーによって自分たちは問題なくやっていけるということを明らかにした。そう言ったときの、この人のいかにもドイツ人らしい、発言の根拠があるんです。それは今年そして昨年ですね、ヨーロッパのですよ、ヨーロッパのすべての国でもっとも多く電力を輸出した国、自然エネルギーによってつくった電力を輸出した国はドイツなんです。ドイツはそのようにしてメルケルが言ったとおりに前に進んでいるんです。

私が言いたいことは、今この国で反原発の勢い、私は反原発と言いますが脱原発といわれる方が多いでしょう、そういう人たちの運動が確実にあります。しかし今の日本は脱原発ということを、政府がはっきり主張するということはない。さらに私ははっきりその態度は政府のものとなるだろう。そして原発を再稼働する勢いも進んでくるだろう。そういう非常に核兵器、核原発、原子力発電について日本人が進んでいく方向は非常に悪い方向に行っている。それは私は認めざるを得ないと思う。

しかし私はそれに方向転換が来ると信じているんです。それは根拠があります。一番強い根拠は、先ほど言ったフランスの中高年の女性たちがいかにしっかりした考え方をああいう討論会で話されたかを言いました。日本でもいろんな新聞社が行う世論調査があるでしょう。そこで女性たち、日本の女性たちの意見はすべての新聞において、すべての世論調査において、原発をやめる、近い将来やめるというのが日本の女性の意見なんです。私はこれが状況の逆転を起こさないということはないと思う。近い将来、私はこの女性たちの意見がはっきり表面化すると思う。そしてあのハンサムの、いま機嫌のいい首相は、かつてやめたように静かに去っていくんじゃないでしょうか。これがあり得るということを私は考えている。そしてあり得るだけではない。それが行われなければ、例えばドイツ人があのヒロシマ、ナガサキを体験したじゃないか、日本人は。そしてフクシマを今経験しているじゃないか。それでいて原発について、今のような積極的な態度を政局筋、官僚筋、実業家たちが示しているのはおかしいと思うと、ドイツのかつてのエネルギーの専門家だった大臣が新聞でこの前書いていました。

私たちはドイツ人からそういわれて、はっきり顔をまっすぐ上げて答えることができるか。私は答えないといけないと思う。そして私は近い将来それは実現するんだ、そしてその力の根本は女性たちが支える。それは、私は遠くないと思う。

しかし日本人の条件として、日本人は原発をやめるというときに、ある年月、ある年代-例えば2020年に完全に原発をやめてしまう-とはっきり述べることが、日本人の感受性の上では必要だと思うんです。日本人は、ある年月というものをはっきり提示しておかないと、政府がぼんやりとあいまいなままに延ばしてしまうことに対して寛大なんです。ところがドイツ人はあと5年でやめるといって、そしてあと3年でやめてしまう。現に実際には2年半で達成しようとしているドイツ、そのような国と違って日本は、日本人は今原発をやめろという大きい世論があるにもかかわらず黙っている。そして政府が再稼働を一挙に行う勢いになろうとしている。しかし黙っている。これは日本人が、日本人の美徳と言いますが日本人の悪徳として、いまもっともあらためなければいけないことだと思うんです。

これをはっきりさせることが私たちの一番根本的なモラル、エサンシエルな一番大切なモラルというものを私たちが作って、次の世代の子どもたちや次の次の世代の子どもたちに、あなた方が生きていく世界というものがあるんだ、そのために私たちは全力を尽くした。それでもそれが引き起こした大きい傷口、大きい負債というものがあなたに残るけれども、それを恥じながら死んでいくという人たちもいたんだ。そして現にあなたたちのために一番根本的な、エサンシエルなモラルを確立するためにそれを願っているというのが新しい日本人だ。その証拠にいま法律で2020年には確実に原発をなくするということを日本人は誓ったではないか。

日本人はいったん法律として作ったものはそれを守る人間だ。現にどのような状況になってもこの67年、日本人は不戦という憲法を、それから民主主義という権利をはっきり述べている憲法を、守り続けてきたではないか。日本人とはそういう人間なんだ。確かに今憲法が明瞭に書いてあることを、日本人は裏切っていますよ。しかしそれをなくしはしない。それと同じように原発をこの何年かの間に、私たちはやめる。そして自然の再生可能なエネルギーによって、私たちの電力をつくり出していく。そしてドイツに遅まきながら習っていくことをする。これを日本人の根本的なモラルとするんだ。そういうことを私たちが自分たちに示して、そしてその上で2年くらいのうちに実際にそれを現実化するということが行われる。それが私は日本でもあり得ると思う。そしてそれは今日ここにいらして下さっているみなさん方、そして私なども何とか一緒に付き従って、デモにも参加したいと思っている。この前はデモでひっくり返ってしまいましたが、そういうやつもいるんだ。それが日本の新しい根本的なエサンシエルなモラルとなるだろう。それに希望を持っているということを申し上げたいと思います。

講演:小出裕章さん(京都大学原子炉実験所助教)

みなさんこんにちは。日比谷公会堂を埋め尽くすほどのみなさんが、今日福島のことを忘れないでこの場所に集まって下さっているという事は大変ありがたいことだと思います。今日私は、「福島を忘れない」という事をひとつお伝えしたいというか、みなさんと共有したいと思いますし、福島の事、それは全てに繋がっているという話をさせていただきたいと思います。始めます。

これはみなさんご存じのとおりの福島原発の写真です。原子炉が1号機、2号機、3号機、4号機と並んでいましたが、1号機、2号機、3号機は運転中に事故に遭遇しまして、全て炉心という部分が溶け落ちてしまいました。いまその炉心がどこにあるかもわからない。どうしたらいいかもわからないという中で、十次におよぶ下請け、孫請けという労働者たちが、今この一瞬も作業に当たっているという状態です。4号機は当日運転をしていませんでした。それでもこのように爆発して建物が吹き飛んでしまいましたし、いまだに使用済み燃料プールという中に大量の放射性物質を抱えたまま、いつプールが落ちてしまうかもわからないという困難な状況の中にあります。2011年の暮れに当時民主党で首相だった野田さんが、事故の収束宣言なんていうものを出したわけですけれども、残念ながら事故は全く収束していないのです。今現在も危機は続いています。

運転中だった1号機から3号機、それは溶け落ちた炉心がどこにあるかもわからない。ただひたすら水を入れ続けて冷やすしかないということを2年半にわたって、今日までやってきました。しかし、水を入れてしまえば汚染水になってあふれるのはあたり前なのであって、マスコミは最近になって「汚染水が大変だ」と言い始めたわけですが、私としては「何をいまさら」と思いました。2011年3月11日からずっと汚染水は流れ出ていたのです。これからもそうですし、ずっとこれまでも何とか汚染を食いとどめようとして戦いが続いてきて、労働者が被ばくをしてしまっている状態が続いています。これからも何10年もその作業を続けなければいけないという困難なことです。そしてすでに大量に放射性物質がまき散らされてしまって、今日も福島から来て下さっている方がいらっしゃると思いますけれども、何10万人もの人々が故郷を追われてしまったのです。生活もコミュニティーのつながりも全部が破壊されて流浪化してしまうという、こんなことは戦争が起きても起きないというくらいの事が今現在も続いている。そしてこれがまた何10年も続かざるを得ないという状態になってしまっています。

そして先ほど見ていただいた4号機ですけれども、建屋が爆発しまして、炉心の中にあった使用済み燃料も使用済み燃料プールというところに入れられていたのですが、そのプールは宙づりのような状態になって今でも存在しています。そのプールの底には、広島原爆に換算すればたぶん1万4000発ぐらいに相当する膨大な放射性物質が、まだ宙づりのプールの中に眠っているという状態です。それを、一刻も早く何とかしなければいけないのですが、いかんせん、なにかをしようと思うと労働者が被ばくをするしかないという、そういう状態の中で、今でも苦闘が続いています。

撒き散らされた広島原発の4~500倍の放射能

では今まで一体どれだけの放射性物質が環境に漏れてきたかというと、今から私がみなさんに見ていただこうと思うのはIAEAと呼ばれている、国際的な原子力推進団体、原子力マフィアの一つの組織であるIAEAという組織があるのですが、その組織に日本国政府が報告書を出しました。その報告書の中に大気中に放出したセシウム137という放射性物質の量が書き込まれています。どの程度だったかという事をお見せします。まず左の下に黄色い四角を書きました。これは広島原爆が大気中にまき散らしたセシウム137の量です。数字も書き込んでありますが、たぶんみなさん全然ピンとこないと思いますので、数字は無視していただいて結構です。ただしこの黄色い四角の大きさだと思って下さい。

では、福島の第1原子力発電所から、どれだけのセシウムが噴き出してきたかというと、1号機だけで広島原爆6発分から7発分噴き出させました。なんといっても悪いのは2号機。こんなに噴き出した。そして3号機もやはり噴き出させて、当日運転中だった1号機から3号機を合わせると、広島原爆の168発分をすでに大気中にばら撒いたと、日本国政府が言っているのです。

しかし私はこの数字は必ず過少評価だと思っています。なぜかと言えばこの事故を引き起こした直接の責任は東京電力という会社にありますが、その東京電力に「お前の原子力発電所は安全だ」、「安全性を確認した」といってお墨付きを与えたのは日本国政府なのであって重大な責任があるし、私は「責任」という言葉は甘いと思います。「犯罪」と呼ぶべきことをやったわけです。犯罪者が自分の罪を重く申告する道理はないのです。「できる限り軽く見せたい」と言ってはじき出した数字がこの168発。多分これの2倍か3倍だと私は思います。つまり広島原爆がまき散らした放射能の400倍とか500倍をすでにまき散らしてしまったという事故だったのです。大変な事故なのです、これは。

「法治国」日本が反故にした「放射線の管理区域」の規制

そのためにどんな汚染が生じたかという事を日本国政府が地図に示しました。福島原子力発電所はこの位置にあります。西側は土地ですし、東側は海です。そして日本というこの国は北半球温帯というところにありますので、基本的には偏西風という西風が吹いているのです。福島第1原子力発電所から大気中に放出された放射性物質は、ほとんどが西風に乗って太平洋に流れたのです。日本というこの国にとってはありがたいことだと思います。しかし風ですから、北風の日もあった、南風の日もあったという事で、日本の国土もこんなふうに汚れたのですね。

今日はこの汚染を詳しくみなさんに聞いていただく時間はありませんが、福島第1原子力発電所の北西の方に赤黄緑の帯がずっと延びているのを分かって頂けると思います。ここが猛烈な汚染地帯です。民主党が政権をとっていた時代に、一番初めは福島第1原子力発電所から3kmの範囲の人たちに、万一のことを考えて避難しろという指示を出しました。しばらくしたら10kmの人に対して万一のことを考えて避難しろと指示を出しました。次にすぐにまた、半径20kmの人に対して、万一のことを考えて避難しろと指示を出しました。そしてバスを差し向けて、住民を避難所に連れていった。それっきりもう住民は帰れなくなってしまった。しかし猛烈な汚染を受けたのは、20kmでもとどまらない、30kmでもとどまらない。なんと40km、50kmという離れたところまでが猛烈な汚染を受けてしまいました。

この40km、50km離れたところには、福島県の飯舘村という村があります。原子力発電所からは何の恩恵も受けない、「自分たちの村は自分たちでつくる」と言って長い年月苦闘を続けて「日本一美しい山村」と自他ともに認めるほどの村を作り上げました。しかしその村が何の警告も受けないまま猛烈な汚染地帯に巻き込まれて、住民たちはその汚染地帯の中で被ばくを先ずしてしまって、数ヶ月経ってから「お前のところが汚れている」と教えられて、今は全村離村です。こんなことが起きていい事なんでしょうか。この赤黄緑のところは面積にすると約1000平方キロメートルあります。琵琶湖が1.5個入ってしまうという、それほどの広大な土地がすでになくなってしまったのです。かつての戦争で日本は負けました。負けたけれども「国破れて山河あり」だったんです。国家なんてものが負けたって、大地があれば人々は生きられるということだったわけですが、この範囲はもう人々が生きることすらが出来ないという事にされてしまったのです。戦争が起きたって、こんなひどいことは起きないという事が、今もうすでに発生してしまっています。

そして福島県を中心にして青く塗ったところが東北地方、関東地方にずっと広がっているのが分かって頂けると思います。そしてその青の周りにくすんだ緑があります。福島県でいえば会津の方もそうですし、群馬県の西部、宮城県の南部も北部も岩手県の一部もあります。茨城県の南部、千葉県北部、東京の一部にもありますけれども、こういう色のところは現在の日本の法律を照らすならば、「放射線の管理区域」にしなければいけません。普通のみなさんは入れないのです。私のようなごく特殊な人間だけが立ち入っていいと許されるのが放射線管理区域ですが、その場所に私が立ち入った途端に水すら飲めなくなる、というのが放射線管理区域です。それがこんな広さですでに生じてしまった、ということになりました。

こういう状態を見て、日本の国は一体何をしたんでしょうか。これまで日本の国は法治国家だと自分のことを呼んできました。国民がなにか悪いことをすれば国家がちゃんと処罰する、「しょっ引いていって処罰するから、日本の国の中には悪いやつはいないから安心しろ」と言ってきました。それなら、法律をつくった国家が法律を守るのは最低限の義務だと私は思います。そして国家が被ばくとか放射能について決めた法律だってたくさんあります。例えば一般の人々、今日この会場にいらっしゃるほとんどの方々は1年間に1ミリシーベルトという被ばく以上の被ばくはしてはいけないし、させてもいけないという法律があったのです。放射線管理区域からなにか物を持ち出す時には、1平方メートル当たり4万ベクレルを超えているような汚染物は、どんな物でも持ち出してはいけないという法律もあったのです。

しかしさっき見ていただいた地図で、青いところは1平方メートル当たり6万ベクレルを超えてすでに汚れています。くすんだ緑のところも3万ベクレルを超えて汚れているのです。それも放射線管理区域の中で汚れた私の実験道具ではない、私の実験着ではない。大地そのものが全部汚れてしまったと言っているのです。それを見て日本の国は何をしたか、私は先ほど「犯罪者」だと呼んだわけですけれども、その犯罪者たる日本の国は、自分が決めた法律の一切を反故にしてしまいました。「1ミリシーベルトなんていう基準はもう守れない、20ミリシーベルトまでの被ばくは我慢しろ」、「放射線管理区域の基準は超えているけれども、そこにみんな住め」ということにしてしまいました。今逃げている人に対しても「帰還しろ」というようなことを言っているわけです。「逃げたいやつは勝手に逃げろ。国は何も知らない」というような事を言っています。「犯罪」なんじゃないですか、これは。今日、福島の原告団の方々もたくさん来て下さっていると思いますけれども、ここまできてなぜ罪を裁けないかと、わたしは思いますし、絶対にこの事故を起こした責任のある人たちを処罰していかなければならないと思います。

再稼働・輸出に対抗する「福島を忘れない」こと

先ほどの「ニュースペーパー」の方もおっしゃっていたけれども、東京には原発はないんですね。これは東京電力のパンフレットから取ってきた図ですけれども、東京電力は東京湾にたくさんの火力発電所をつくりました。当り前ですね。東京湾周辺でたくさんの電気を使うわけですから、電気をそこでつくるのが一番効率がいい。送電ロスも何もないわけですから東京湾につくったわけです。そしてみなさんも東京電力の電気をたぶん使っていた方々だと思いますが、では東京電力は原子力発電所をどこに作ったかといえば、福島第1、第2、そして柏崎刈羽という、これは東京電力と何の関係もない地域なんです。この関東地方のこの部分が東京電力が給電の責任を負っている範囲ですけれども、それとは全然関係ないところに原子力発電所を建てたんですね。「万一でも事故が起きたら大変だ」という事でこんなところに建てた。そして事故が起きてしまえば、こういうところの人達が苦難のどん底に突き落とされるという事になってしまっているわけです。

そして今彼らは、この事故をなかった事にしようとしています。日本ではこれまで58基の原子力発電所がつくられてきました。その全ては自民党政権が「安全性を確認した」と言って建てたのです。福島第1原子力発電所もそうです。安全性を確認して建てたのです。その原子力発電所が事故を起こしているのに、いま自民党政権、安倍さんですけれども、「安全性を確認して、いま止まっている原発を再稼働させる」と言っているんですね。まことに正気の沙汰ではないと私は思いますし、安倍さんはさらには「新しい原発もつくる」そして「海外に原発を輸出する」というようなことまで言っているわけです。そしてそれをやるためには「福島の原発の事故を忘れさせる」という事が彼らにとって必要になっているのだと思います。マスコミもそれにどうも乗っているようですし、福島のニュースはどんどん少なくなってきて、被災者の方々がどれだけ苦しんでいるのかという事に関しても、報道はほとんどなされなくなってきていると思います。そうであれば私たちに必要なことは「福島を忘れない」という事だと思いますし、私もそうしたいと思いますし、今日この会場にいらっしゃって下さっている方々はその思いでここに集まって来て下さっていると思いますし、これからも福島を忘れないという事で、是非ともお願いしたいと思います。

原子力発電・本当の狙いは「核兵器開発」

それから、福島の問題はもちろんとてつもなく重大な問題です。しかし原子力の問題というのは、単に安全か危険かという問題ではありません。もともと日本が原子力をやろうとした動機は「核開発」です。ここに「我が国の外交政策大綱」という文書があるんですが、その中の一節を紹介したいと思います。こう書いてある。「核兵器については、NPTに参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策はとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれに対する掣肘をうけないように配慮する。また、核兵器の一般についての政策は、国際政治、経済的な利害得失の計算に基づくものであるとの趣旨を国民に啓発する」、すでに1969年にこういう方針を立てて原子力を進めてきたのです。

ある時には外務省の幹部が新聞のインタビューでこんなことを答えています。「個人としての見解だが、日本の外交力の裏付けとして、核武装の選択の可能性を捨ててしまわない方がいい。保有能力は持つが当面政策として持たないという形でいく。そのためにもプルトニウムの蓄積と、ミサイルに兼用できるロケット技術は開発しておかなければならない。」、というのです。まことに見事だと私は思います。原子力の平和利用だ、と言いながらプルトニウムをどんどんどんどん蓄積して懐に入れてきました。すでに日本には45トンの分離されたプルトニウムがありますが、それで原爆をつくれば4000発作れてしまう。そしてつい先日はイプシロンというロケットを打ち上げようとしました。その前にはH2ロケットはたくさん打ち上げているんですね。それも全てミサイルに転用できるロケット技術を開発できるという事でやってきたのです。

日本国内では、たとえば朝鮮民主主義人民共和国が人工衛星を打ち上げる、そのために「ロケットを打ち上げるんだ」と言って、イカオ(ICAO)という国際的な団体に申請しました。そして申請した通りにロケットを朝鮮民主主義人民共和国が打ち上げた。それに対して日本という国は「実質的なミサイルを打ち上げた」というんですね。「撃墜する場合もある」というような事を言う国でした。何のことはない、日本はたくさんH2ロケットでもなんでも打ち上げている。「それはじゃあ、実質的なミサイルではないのか」と、むしろ私は聞きたくなります。朝鮮民主主義人民共和国が核兵器をつくったつくらないということがありますけれども、私は実はまだ、彼らは作ってないと今でも思っているのですが、どうせ出来たとしてもそうするはずです。それなのに日本はもうすでに4000発もつくれるだけの材料を懐に入れているという、そういう国なのです。

今、世界を支配しているのは国連です。国連というのは英語で言えばUnited Nationsです。かつて日本と戦った連合国が今世界を支配しているわけです。日本は戦争で戦った国ですから、「敵国条項」というのがあって悪い国には特別の制裁というかやり方をとっていいという事がいまだに国連憲章の中に残っているのです。その国連の常任理事国は、米国、ロシア、イギリス、フランス 中国ですけれどもたくさんの連合国があった中で、なぜこの5ヶ国だけが常任理事国になれているのかと言えば、核兵器を持っているからです。核兵器を持つという事は現在の世界を支配するために決定的に重要なファクターになってしまっているという、そういう世界があります。

そして、その5ヶ国には、核兵器を製造するための中心3技術というのがあります。ウラン濃縮、原子炉、再処理、という3つの技術ですけれども、そのすべてをもちろん持っています。そして自分は持っているけれども他の国にはそれを持たせないというので、核不拡散条約をつくって、自分たちだけが独占できるようにする。そして、IAEAという国際的な原子力マフィアを使って、他の国を監視するという、そういう体制をずっと作ってきました。しかしそういう体制の中で、核兵器保有国ではなくて中心3技術のすべてを持っている国が世界で1ヶ国だけあるんです。どこですか、日本ですよね。日本という国は平和利用だという事を言いながら、実質的な核兵器保有国にすでになったという、非常に特殊な国なのです。

そのためまた日本は、さらなる悪事を働こうとしています。昨年の6月に原子力基本法というものが改定されました。もともとの基本方針にはこう書いてありました。「原子力利用は平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営のもとに実質的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする」と書いてあります。なんとなく文言は綺麗に読めますけれども、「平和の目的に限り」なんてあっても実質的には「核兵器を開発するためにやってきた」ということは今聞いていただいた通りです。そして去年の6月にこんな文言を付け加えました。「前項の安全の確保については確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全、並びに我が国の安全保障に資することを目的として行うものとする」。

「安全保障」という言葉はみなさんよくご存じだと思いますけれど、「日米安全保障条約」という名前がある通り、要するに軍事的な専門用語です。つまり日本は原子力をやるにあたって、「安全保障を目的としてやるんだ」というところにまで、日本の政府は踏み込んできている。つまり日本というこの国が核兵器を持つか持たないかという事は政策の問題だし、利害得失の計算に基づくものだという事を国民にちゃんと知らせようという事を多分やり始めたという事だと思います。

他者の犠牲の上にしか成り立たない原子力

私は原子力にいる人間として原子力は徹底的に危険だと思います。こんなものはやってはいけないと思いますけれども、私が原子力に反対しているのは単に危険だからではありません。原子力というのは他者の犠牲の上にしか成り立たないという、そういうものです。差別に基づかなければできないという、そういうものに私は反対しています。もともと原子力発電所で働いている労働者の被ばくは、9割以上は下請け、孫請けの労働者がこれまでも担ってきました。そこで事故が起きたら大変だという事で、都会を離れて過疎地に押し付けた。過疎地で事故が起きてしまえば、そこの人達が本当に苦難のどん底に突き落とされて、そして事故の収束に行くのは下請け、孫請けの労働者たちがまた被ばくをさせられてしまうということになります。

仮に事故が起きなくても、原子力を使ってしまう限りは、核分裂生成物という放射性物質を生み出してしまって、その放射性物質を私たちが無毒化する力を持っていないのです。100万年にもわたってどこかに隔離をしなければいけない。そんな事は出来る道理が無いのです。私が死んでも、みなさんが死んでも、自民党政権なんてなくなっても、なくならないゴミを残していくという事になります。今私たちが原子力を選択するという事に何の決定権も持たない子どもたち、未来の子どもたちが毒物だけを押し付けられるという事になります。「未来犯罪」とでも呼ぶべきだろうと私は思います。

その上で今聞いていただいたように、原子力というのは核です。核兵器そのものなのです。みなさんは原子力と核は違うものだと思い込まされてきたかもしれませんが、同じです。その核を持つ事が世界を支配するための力なのだと、要するに自民党政府もみんな思っているわけですけれども、力の論理で平和が築けるはずはないのです。その事に気付かなければいけないと思うし、私たちは他の人たちを犠牲にするという、そういう原子力、「原子力的なもの」というものを捨てるということが必要なのだと思います。

憲法も原発も、一人ひとりの生き方が問われる

これはお分かりになりますね。私たちがいる日比谷公会堂です。そして私は日比谷公会堂のこの壇上にいます。そして、53年前、この壇上でなにが起きたかというとこういう事でした。

いま見て下さった通りですけれども、当時の社会党委員長だった浅沼稲次郎さんが、こういう姿で殺されました。犯人は防共挺身隊の山口二矢という17歳の少年でした。この事件を受けて、大江さんが小説を、「政治少年死す」という小説でしたけど書いてくれました。大変困難の多い時代でもあったと思います。自由とか平和とかを守るという事は、大変難しい。自由や平和をつくっていくことも大変難しいことだと思います。今私はここに、日本国憲法の前文の全文を書こうと思っているのですけれども、初めの方にこういう事が書いてあります。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、」と書いてある。つまり政府がバカなことをやらないように私たち国民がちゃんとチェックして政府を監視するんだ、それを決意したというのが日本国憲法なのです。私たち一人一人がしっかりしなければならない。そうしなければ自由も平和も作れない。また戦争になってしまうよという事が憲法前文に書いてある。

そして、こう書いてある。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」というのです。軍事力によってわれらの安全を保障しようというのではないのです。軍隊ではない、「諸国民の公正と信義に信頼して」自分の安全を守ると決意したというのです。これは大変な事なのです。簡単なことではない。とても大変なことを私たち国民が請け負うという事を憲法で書いているのです。

そしてこうです、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」というのです。日本だけではないんです。世界中全部の国の人々が平和のうちに生存する権利があるということを認める。一国平和主義でもなんでもないんです。世界全体を平和にするために自分たちは軍隊を捨てると言っているわけですし、諸国民の公正と信義に信頼すると言っているんです。大変素晴らしい憲法だと思います。なんとしてもこれを守るという事も同時にやらなければいけないと思います。

かつて戦争がありました。大本営の発表ばかりで、一般の人々はほとんど真実を聞かされませんでした。いつも勝っている、戦争で勝っていると聞かされて、「日本は神国だ」、「天皇陛下がいるから絶対に戦争は勝てる」と言われました。実際の軍隊は殲滅されてなくなっちゃっている時には、今度は「転戦」だという言葉で報道したわけです。ほとんどの日本人が戦争は勝てるだろうと思いこまされた。そして中に反対する人がいると、国家がその人たちを虐殺していくという事をやったわけですし、それどころか住民自身がそういう人を「村八分」というかたちで虐殺していったという歴史もあるんです。そんな歴史が一応は終わったけれども、その後で「いや、悪かったのは軍部だ」、「俺たちはちゃんとしたことを聞かされなかったからこうなった」と言い訳をする人は多分たくさんいたと思います。

でもそれで本当にいいのか、と私は思います。福島の事故が起きた今もそうです。今日この会場を埋め尽くして下さっている人たちにしても、福島の事故が起きるまでは原子力がこれほどのものだという事に気がつかないでこられた方は多いと思います。もちろん日本の国が安全だと言って、マスコミ全てが安全だという宣伝を流してきたわけですから、普通の方々がそう思っても不思議ではないし、みなさんが騙されたと思っても私は不思議ではありませんけれども、「騙されたから無罪だ」というなら、またきっと騙されてしまいます。騙された事に関しては「騙された責任」があるだろうと思います。そして私たちは未来の子どもたちから問われるのです。福島の事故が起きて以降、お前たちはどうやって生きたか、とわたしは必ず問われると思います。憲法が今危機に存している時に、その憲法を守ろうとしている人たちももちろんいるけれども、「一人一人がどうやって生きたか」という事を必ず未来の子どもたちから問われるだろうと思います。その問いにきちっと答えられるように私は生きたいと思います。

私もそうですし、みなさんもそうですけれども、たった一度しか生きられません、人生は。どんな事を言ったって一度きりです。みなさんも死ぬし、私も死ぬ。そのたった一度の人生ですから、歴史と事実をしっかりと見つめて、騙されないようにする。そして自分のやりたいこと、思いに忠実に生きていきたいと私は願います。
ありがとうございました、終わりにします。

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【種子島通信 8】

和田 伸

8月です。私にとってはこの月は何故か鬱陶しく、あまり好きではないのですが、今夏は猛暑に加え、種子島の7月の降水量3ミリ(50年近く農業をやってきたが初めてだ)、基幹作物であるサトウキビ、芋に被害が出始めている。TPPに加えて干ばつ被害-そんなに不安定な農業なら、TPP参加で関税徹廃し、全て安い外国産にと都会の「消費」者は考えるのかしらん。数10年後には島の平均気温は38度以上になり、マラリア等が流行るという説もあります。そんな中で今年もやってきたのが8.15全国戦没者迫悼式です。

2015年の戦後70年に向けた首相談話への布石とも思われる、歴代首相が明言したアジア諸国への加害責任と反省抜きの式辞は「根本から作り直す必要がある。あくまで英霊の御霊に直接語りかけるスタイルに」と文案作成の厚労省に指示したことの表れか。それにしてはある記事によると1984年からの式典における首相の式辞を調べたら、安倍首相の式辞の中にある「あなたがたの犠牲の上に……」の「あなたがた」は初めてだという。異例の表現も。首相が日頃から「尊崇の念」を抱く「ご英霊」に対して上から目線で失礼ではないのかとあったが、安倍の言語感覚はそんなものと思いつつ天皇の「お言葉」はと見ると、こちらは「人々」だった。どう違うのか浅学の私には解らない。

以前にも記したことがあるが、帰島2年、全くと言っていいほど「市民」運動らしきものに出会ったことがなく、多少の危機感を持って5.3「原発そして憲法」集会をやったのですが、この8月指をくわえて見ている手はないと、「あの夏の日」に寄せてのお話と大討論会-『「原爆と原発」日本人の「心性」を読み解く』を開いた。68年前日本人は敗戦を終戦と言いくるめ戦後をスタートした。ヒロシマ・ナガサキ・敗戦・天皇制・靖国・日米安保(沖縄)・ビキニ・三井三池・水俣……戦争の総括と戦後責任。被爆国日本は何故原発大国になってしまったのか。講師は遠嶋春日児氏(県議、原子力安全対策等特別委員会副委員長)。

遠嶋氏は豊富な資料を基に九電川内原発或いは原発そのものの危険性を説明された。知事の本音は再稼働容認と。後半の討論会では進行役の私が、かつて必ず負けると政府や軍の上層部のほとんどが判っていながら、どちらかというと反対だったがなんとなく開戦になってしまった。政府も東電も東電福島原発事故を収束解決させる意思はない。それは戦前から連綿と続くこの国の無責任体系そのものであると補足し討論に入ったが、時間の制約等でなかなか討論が深化しなかった。私の主旨(ねらい)としては、天皇制批判までいきたかったのだが。その理由として (1)この地の人々は、集会等何かの集まりは2時間で終わるものと決めてかかっている、(2)講師の話を聞けば終わりと思っているのか、討論会そのものに慣れていないのか、討論会に残った人がわずかだった点は今後の重要な課題である。

九電川内原発の再稼働については、予想通り九電は7月8日、1、2号機の安全審査を原子力規制委員会に申請した。去る5月の家庭向け料金値上げも2基の再稼働を織り込み、再稼働がひと月遅れると、2百億の減少。審査の第一陣に入れなかったら、再値上げもと脅しつつ安全対策も不完全なのに「全て完了しなくても申請できる」と言う。また「原発停止で1日10億円の赤字。約40億円の寄付金の約束は4日早く運転すれば何のことはない」と、松尾新吾相談役が5月に佐賀県のガン治療施設の開設式典で言い放ったという。専門家によると火山対策(県内には巨大噴火のカルデラが集中)、活断層評価ヘの疑問等問題点が多数あるが、地元川内市では市長、商工会議その他の業界業者が双手を挙げて再稼働賛成の現実。本音が言えないのが実情との声もある。交付金補助金を含めた「原発マネー」漬けになった地域の典型か。

橋下市長、麻生副総理等政治家の常とは言え妄言失言放言に毎度毎度うんざりさせられる中、ここ西之表市議会でもやってくれました。先の市議選で次点からわずか3票差で最下位当選の、唯一「馬毛島米軍施設賛成」を表明している元自衛官のN議員です。あろうことか2013年度第2回定例会において、N議員は市長へ馬毛島問題の質問中「(米兵の)婦女暴行など危惧していたら限りない」「馬毛島から12キロも泳いできて夜這いをするのか」等の発言に対し、「懲罰動議」が出され、結果「5日間の出席停止」(除名の次に厳しいものだそうだが、実効性はまるで無し)。N議員の発言は論外だが、この決定に反対の4議員の意見がそれ以上に無残で無知としか言い様がない。「偶発に出たもので」「言葉は悪いが陳謝でいい」「ごく普通の日本語だ」「言論弾圧だ」等々。この4人のうち3名は米軍施設賛成(他にも1議員)と見られる。

運良く(?)議会報告会(市議8名出席)が私の地元地域で8月21日に開催されたので、市職員の給与削減、生活保護等の質問の後、この件に関しての質問の途中、複数の議員から「もう終わったことだ」「陳謝し発言を撤回している」「吊し上げになる」等々……。何のための報告会か、私の発言を封じるのかと抗議したが、馬鹿馬鹿しさこの上無し。私の発言を確認の意味でアンケ‐卜に実名で「政治は言葉であり、その言葉とはその人の思想であり人格でもある。言葉は政治家にとって命である。よって言葉を徒らに弄んだり、的確に使えない者は議員失格であり、人間失格でもある。このように議員の劣化が著しい現在、議会制民主主義は限界に来ており、そろそろ直接参加型を模索すべき時ではないか」と記しておいたが果たして?。

馬毛島問題そのものは現在膠着状態であり、防衛省が説明に来てから2年、島の約99%を所有するタストンエアポート社(東京)との土地交渉が進まず(TA社は賃貸を希望)、12年度予算の調査費2億5千万が全く執行されずそのまま13年度に繰り越す始末。ただ4月TA社所有の土地が、市及び他企業に差し押さえられていることが判明。市への滞納税金は納付解除になったが、企業分はそのままで地裁で強制競売の手続きが進んでいると言われている。この企業どうもブラックとの噂も。7月の参議院選挙では候補5名中賛成は幸福実現党のみ。自民党の尾辻候補(当選)ですら経済効果も見込めず強引にやるのはどうかと言っている。ちなみに西之表市からの共産党新人の野口候補は善戦むなしく落選。

余談になるが自衛隊は、今春隊員募集と活動啓発のポスターにあの懐かしいサンダーバードを起用したという。サンダーバードは人命救助第一で、いかなる国にも所属せず援助を受けず、区別なく世界のどこへも出動するらしいが、自衛隊は「国防軍」方針との違いを理解しているのだろうか。また南日本新聞の「自衛隊に吹く風」第2回・8月10日付に、女性隊員が「国の平和を守り国民の命と財産を守る使命」云々とあるが、本当にこんな教育を受けているのだろうか。かつて自衛隊幹部の栗栖某は「国民の生命財産身体を守るのは警察の使命であり、武装集団の自衛隊は国の独立と平和を守る」と言っているのだが。

県では(1)鹿児島・上海空路の維持促進のため、職員千人を派遣する事業費として1億1千8百万を予算計上、(2)2020年の鹿児島国体に向け総合体育館を商業施設ドルフィンポート(県有地)に整備することを決定、定期借地契約を4年短縮して施設内業者に公金で補償する。この2つが税金の無駄遣いと市民の間で反対署名が始まり、既に5万筆以上が集まっている。知事は8月25日、計画の見直しを表明したが、近々知事の解職要求(リコール)を始めるという。

問題の国体です。2004年埼玉国体の際、全国の仲間の支援のもとで何とか反対闘争をやり遂げたこと、デモ終了後の交流会の最中、中越地震の発生で一同驚いたことが懐かしく思い出される。第75回鹿児島国体は、会場地となる市町村の第1選定分11市3町を決めているが、西之表市は諸々の理由で希望手続きをしなかったという(社会教育課)。まさに賢明な選択です。知事は本県でも国体が素晴らしいスポーツの祭典となるよう工夫し、成功させたいと言っている。なお皆さん注目の銃剣道は、19年が競技の見直しに当たり、クレー射撃は現時点では保留だが、競技種目に決定した場合クレー射撃か銃剣道のいずれかが行われるという。いずれにしても何らかの取り組みはやらねばと思っていますので、今のうちからその際のご支援をよろしくとお願いしておきます。
2013年8月

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