私と憲法147号(2013年7月25日号)


参院選後、安倍政権が企てる改憲の道にバリケードを

(1)参院選の結果と安倍内閣の暴走の危険の現実化

参院選が終わった。本誌発行日との関係で、詳細な分析は後日に譲らざるをえないが、結果は過去3番目の低投票率(52.61%)の参院選挙で、改憲派の自民党65議席(非改選と併せて115議席)、維新の会8議席(同9議席)、みんなの党8議席(同18議席)で、計81議席(改革や無所属など非改選の改憲派と併せて143議席)で、3分の2(162議席)には届かなかった。自公与党は135の安定多数を確保したが、事前に一部メディアで語られた自民の単独過半数はならなかった。しかし、「加憲」の公明党20議席を加えれば、163議席で、3分の2を超え、あわせて民主党の中にも改憲賛成者がいることを考えると、改憲問題は容易ならざる所に至った。

昨年の衆院選で民主党政権の大失敗と小選挙区制度に助けられ、自民党が法外な大勝をしているので、このあと、大きな国政選挙は3年後の2016年の参院選まではありそうにない。すでに投票日をまたない段階で北岡伸一安保法制懇委員などは「2016年ダブル選と抱き合わせ改憲国民投票実施論」(日経新聞7月1日)を唱えていた。しかしこれは普通では北岡の無責任なブラフか、願望に過ぎないと考えられる。後述するが、憲法96条による18歳改憲国民投票の投票権と、国政選挙の20歳選挙権の同時実施は、有権者の感覚から見ても、また投票実務上からみても、ほとんど不可能に近いことだ。

これらを考慮すれば、たとえ両院で改憲派が3分の2以上の議席を占めたとしても、改憲案の作成と改憲発議、国民投票実施にはそうとうの時間がかかることはあきらかだ。勢い、改憲派は明文改憲がすぐには難しい条件の下での実質的な改憲状態作り=解釈改憲に向かわざるを得ない。この「解釈」は歴代政府による従来の憲法解釈を大幅に突破する、きわめて強引な「解釈」によるものとなることは疑いない。この点で、私たちは戦後憲法闘争史上、かつてない重大な危機に直面していると言わねばならない。

開票後、菅義偉官房長官は「衆参のねじれが解消されたことで、首相の持論である憲法改正や集団的自衛権の行使容認といった『安倍色』を全面に打ち出す環境は整備された」と発言、その危険な狙いを口にした。衆参両院での多数議席を背景にした1999年の小渕内閣の下での第145国会(盗聴法、住民基本台帳法、周辺事態法、国旗・国歌法など)、2006~7年、第1次安倍内閣の下での165、166国会(教育基本法改悪、改憲手続き法など)の強行採決の連発の悪夢の再現が思いやられる。

昨年末の総選挙と、今回の参院選を経て、改憲をめぐる国会内における力関係は、改憲反対勢力にとってきわめて不利になった。私たちはこれを世論に訴え、国会外の大衆行動を巻き起こすことで、憲法違反の「解釈改憲」を阻止しなくてはならない。

安倍内閣の改憲の究極のターゲットは第9条だ。この小論では当面する9条を軸とした解釈改憲に関わる課題を明らかにしておきたい。(次頁へ)

(2)憲法審査会では「改憲手続き法の改正」が始まる

第2次安倍内閣の下で再活性化した憲法審査会は参院選後、間もなく(もしかしたら、秋の臨時国会を待たずに)再開することになる。

衆議院憲法審査会では前通常国会中に日本国憲法のレビューを一通り終えたということになっているので、今後は改憲手続き法にまつわる「3つの宿題」の解決をめざして、事実上の違法・破綻状態にある「憲法改正手続き法」の改定が課題になっている。維新の会や自民党などの改憲派は、この違法事態を切り抜けるため、法律そのものを変えてしまうという乱暴な手法に出ようとしている。具体的には改憲手続き法がその附則で同時解決を求めてきた民法や公選法と、国民投票の問題で、18歳投票権のみの切り離しによる改憲手続き法の改定という弥縫策が企てられている。

これは第1次安倍内閣が審議不十分なまま強行成立させた改憲手続き法の矛盾が表面化したものだ。とくに18歳投票権問題に至っては、「布告から3年の後」までにとの期限付きで選挙権や民法改正との同時実施を要求している同法「附則」が定めた規定(註)に違反する違法状態にあり、憲法審査会ではこの点で民法を管轄する法務省、選挙権を管轄する総務省などの足並みの乱れが露呈した。このままでは改憲国民投票は実施できないことから、5月16日、維新の会は憲法改正で国民投票ができる年齢を「18歳以上」とする問題だけを民法、公選法改定と切り離して定める「国民投票法改正案」を衆議院に提出したが、憲法審査会で議論されず、陽の目を見なかった。しかし、現在、自民党もこの改正案の実現に傾いている。参院選後、再開される憲法審査会は早めにこの議論を行い、その改正案の成立に着手しようとしている。

18歳国民投票権の切り離し実施は、憲法96条が定める「(国民投票を)特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において」実施するという規定の「選挙と同時実施(ダブル投票)」をほとんど不可能にする。前述した2016年トリプル投票論、憲法は18歳投票権、衆参の選挙は20歳投票権などという同日実施構想はほとんど不可能に近い。

私たちはこの破綻した改憲手続き法の廃止と出直しを要求し、自民党など改憲派の違法・脱法のご都合主義を糾弾しなくてはならない。また、改憲手続き法とは別にして、18歳選挙権への公選法改定は当然であり、世界の常識であるという主張も重ねて展開していきたい。

(註)改憲手続き法附則第3条 ① 国民投票法が施行されるまでの間、18歳以上の者が国政選挙に参加することができること等となるよう、民法その他の法令について検討を加え、必要な法制上の措置を講じることとする 。

(3)96条先行改憲論の困難性と安倍首相の強行突破の企て

安倍首相は第2次安倍政権発足直後から、「96条先行改憲」論を前面に出して、改憲を主張してきた。しかし、これに危機感を抱いた様々な市民団体の反撃の中で、96条先行改憲は立憲主義の破壊だという反対世論が盛り上がり、改憲勢力内部でも「96条先行改憲」論への批判が広がり、改憲同盟軍の維新の会の破綻と公明党の動揺も併せて、「国民投票で勝てない」(安倍)などと安倍首相自身や自民党改憲推進本部の幹部などまでが動揺しはじめた。

安倍首相は参院選の中では「96条先行改憲」の主張を極力薄めることに苦心した。安倍首相は加憲と抱き合わせ96条改憲策を模索したり、自民党改憲草案の修正容認なども(7月7日、安倍、NHKで)口にするに至った。しかし、参院選の最終版では圧勝の報道に気を良くして96条、9条改憲のホンネを叫ぶ場面が見られ、選挙後には議席の結果をみて再度強気になりつつあるようだ。

この道は、公明党との困難な調整を必要とする道であり、安倍首相ら改憲派は、今後もその変化球を投じるなどの画策を講じてくるだろう。
ひきつづき私たちは96条先行改憲で安倍首相らが企てているものこそ、憲法の基本的な思想的背骨である立憲主義の破壊であることを徹底して暴露し、この企てを粉砕しなくてはならない。

(4)集団的自衛権の行使など解釈改憲の推進

改憲論者の安倍首相がたとえ暴走したとしても短期間の内に明文改憲を準備できる条件はほとんどない。どんなに焦っても、安倍首相の明文改憲には相当な時間がかかるのは明らかだ。長期政権をねらう安倍晋三にとって、前述した2016年までの期間はそのための好機なのかもしれない。

安倍首相はひきつづき明文改憲を追求しながら、併せて、現行憲法の下で、9条改憲がねらうものを実現していく道(解釈改憲による9条破壊の実質化)を模索せざるを得ない。

当面、安倍首相らがねらうものは以下のような「解釈改憲」の企てだ。
まず参院選の直後から「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の報告書をもとに、解釈改憲の推進に着手することだ。石破幹事長が21日のTBSの番組で示唆したように、この秋にも提出させようとしている安保法制懇の報告書で「国家安全保障基本法の制定」(自民党の基本法案概要は2012年7月4日策定、同6日党総務会で決定)を答申させる。これには従来、歴代内閣の集団的自衛権の行使は違憲だとの立場を転換するための条項が盛り込まれる。歴代内閣の見解との関係で内閣法制局による憲法適合性の審査を回避するため、議員立法で国会で成立さえることすら考えられている。「基本法」は過半数の賛成で成立するのである。

法案概要の「安全保障の基本方針」には「(四)国連憲章に定められた自衛権の行使は……必要最小限度とすること(第10条)とあり、「自衛隊の任務」の項には「必要に応じ公共の秩序の維持に当たる」などとかかれている。

またこのなかでは「集団自衛事態法」(仮称)なども構想されている。さらに、法案概要の第3条では「わが国の平和と安全を確保するうえで必要な秘密が適切に保護されるよう、法律上、制度上必要な措置を講ずる」とされ、国の安全、外交、公共の安全及び秩序の維持の3分野を対象にした「秘密保全法案」が準備されることになっている。このもとでは「秘密」が無限定に「保護され」、主権者国民の知る権利が大幅に制限される。

一部のメディアで報道されているが、石破自民党幹事長は4月21日放映の「週刊BS―TBS報道部」で、国防軍に「軍法会議」設置する(改憲草案9条2の5項)意義を語り、軍事機密を保護する必要と迅速な裁判の実施のため、軍人その他の公務員が職務の実施に伴う罪か国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行う、その場合、従わなければ死刑、無期、懲役300年だ、そんな目に遭うぐらいなら出動命令に従おうっていう、とまで述べた。

有事や緊急事態における「間隙なき対処」を理由にして、秋の臨時国会では国家安全保障会議(日本版NSC)設置法案と内閣法改正案などの成立が企てられている。NSCでは首相、官房長官、外相、防衛相による会合が常設され、防衛、外交、経済その他の諸施策を統合するため、調整する役割を担う。事務局体制として内閣官房に100人規模の国家安全保障局を新設し、政府機関の情報一元化をはかることが企てられている。

(5)防衛大綱の改定

安倍政権は民主党時代に策定された「動的防衛力構想」をさらに「強靱な機動的防衛力構想」へと飛躍させ、年末の「防衛計画の大綱」見直しでは、①策源地(敵基地)攻撃能力の保有と、②「自衛隊への海兵隊的機能の付与」を盛り込もうとしている。具体的には〈1〉西部方面普通科連隊の強化〈2〉水陸両用車や垂直離着陸機オスプレイを保有する専門部隊の新設〈3〉陸海空3自衛隊の垣根を越えた運用などだ。これは従来からの「専守防衛の国是」を放棄し、米軍の世界戦略に協力して海外で戦える自衛隊へと飛躍をはかることにほかならず、戦後日本の安全保障政策の歴史的大転換になる。これはまさに自民党改憲草案の「国防軍」構想の先取りに他ならない。

政府・自民党は「敵基地攻撃能力」については、1956年の政府見解に「他に手段がないと認められる限り、基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれる」とあり、従来からの日本政府の立場だと弁明するが、とんでもないことだ。議論はあったにしても、歴代政権は「専守防衛」の立場から攻撃的兵器の保有はしない方針を維持してきたのであり、いま安倍内閣がやろうとしていることは重大な方針転換だ。中国脅威論や北朝鮮ミサイル脅威論を口実に整備した「防衛力」は、それ以外の目的にも、すなわち海外派兵全般に使用できるのである。

小野寺防衛相は7月5日、「ミサイル攻撃を受ける前に相手国の基地などを攻撃する敵基地攻撃能力の保持について、日米防衛協力の指針(日米ガイドライン)の見直し作業で検討課題になる」「今後、ガイドラインの協議をしていく中で、(日米の)役割をどう分担していくか、協議を始める」と述べた。これは従来、安保体制の下での米軍と自衛隊の役割分担で説明されてきた盾と矛の役割分業論もかなぐりすてるものだ。防衛省によると「アジア太平洋を重視する米国の新国防戦略や、日本の集団的自衛権に関する議論も反映しながら進めていく方針」で、「結論を得るまで2~3年はかかる」と言うが、まさに米国と共に海外で戦える「国防軍」が先取りされようとしている。

7月末のシンガポールでのバイデン米副大統領と安倍首相らの会談で、ガイドライン改定など、これらの日米同盟強化の方向が合意されるという。

安倍政権は昨年の衆院選と今年の参院選で手に入れた与党の圧倒的な多数議席を使って、解釈改憲の企てを次々に繰り出し、憲法を実質的に破壊する道を突き進もうとしている。私たちはこの前にバリケードを築いて立ちはだからなくてはならない。15年戦争の結果、私たちが獲得した輝かしい平和憲法の67年の歴史を賭けて。そのたたかいが始まった。(事務局 高田健)

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国際シンポジウム「平和の海を求めて――東アジアと領土問題」に参加して

富山洋子(日本消費者連盟)

2013年7月7日、東京・日本青年館国際ホールで「国際シンポジウム 平和の海を求めて~東アジアと領土問題」が開催された。主催は、同実行委員会。
7月7日は、奇しくも1937年、日本と中国が全面戦に入った廬溝橋事件が起きた日である。

当シンポジウムは、2012年に問題が噴出してきた、中国とは、尖閣諸島(中国名・釣魚島、台湾名・釣魚台)、韓国とは、竹島(韓国名・独島)に係る「領土問題」の悪循環を断ち切り、和解と共生の東アジアを創りあげるために、私たち一人ひとりの市民が集い、英知を出し合うことを期して企画された。

中国、韓国、沖縄、台湾、日本から研究者などのべ150人が参加したシンポジウムでは、力のこもった豊饒な議論が展開された。その全てをお伝えすることが出来ないのは残念であるが、今後、その全容が報告されることを期待したい。
以下、プログラムに沿った報告である。

■挨拶:河野洋平(元衆議院議長・敬称略、以下同様)

この領土問題は、話し合い、正しく理解することによってのみ、解決できるのではないか。40年に亘り政治の世界に在籍したが、その間、中国、韓国との関係性は方向として間違っていなかったと思う。少なくとも歴代内閣は、閣議決定によって村山談話を継承してきた。現在の安倍内閣も国会の場で、そのように述べてはいる。

しかし、例えば、100人の国会議員が靖国神社に参拝するという状況の中では、韓国、中国の人々は、それらの発言を額面通りには受けとめてはいないだろう。
「領土問題」は、第1に、外交交渉で解決すべきであるが、お互いの信頼関係が基盤になり、各々の国内の状況が安定していることも重要である。外交交渉による解決が進展しない場合には、第2の方策として、司法に委ねるという選択があるが、これは双方合意の上でなされるべきである。第3に、最後の方策として、これもお互いの合意が必須であるが、問題の先送りという選択がある。武力による解決は、決して考えるべきではない。

今大切なことは、領土問題を云々するより、それぞれ多様な地域を包括している東アジアの国としての地域協力があるのではないか。それは政治的、経済的な課題ばかりではないだろう。この方向性を持ち、それらの実践を重ねていく、自国・相手国の人々と互いに向き合って、本音で話しあう。このような過程を含む先送りによる、領土問題の解決こそが、東アジアの各々の地域に生きる人々に愉快な結果をもたらすと思う。

■第1セッション:「なぜいま領土問題なのか」

(座長:高井潔司、桜美林大学教授)

○基調報告1 日本:岡本厚(岩波書店『世界』前編集長)

「領土問題」を解決するには、(1)実力で奪うか、(2)どちらが妥協するか(譲る)か、(3)現状維持(棚上げ)するか、の3つしかない。(1)と(2)の選択が事実上不可能であるとすると、結局、(3)しかないことになる。棚上げという常識に落ち着かせるためにどうしたらいいか、それを両国の市民がともに考え、議論し、政府に働きかけることが必要である。国家は、主権の問題である領土で譲歩することはできないが、市民は自由に発言し、互に意見交換し、議論することができる。市民の立ち位置としては、「自己批判」の原則を貫くことが大切である。

領土問題の全てが歴史問題であるとは言えないが、安倍政権に変わって以降、政府自身が「歴史修正主義」を標榜していると、世界中から疑われている事態は深刻である。自己批判とは、自らのうちに「他者」を持つことである。良識を働かせる自律的な市民こそが、社会の中の「他者」である。

私たちが大人としての良識を発揮し、相手への敬意を失わず、大局的に東アジア地域の将来を考えること、それが「領土問題」から私たちを解放させる。本来なら政治家やジャーナリストがそうあるべきであるが、いま必ずしもそうなってはいない。だからこそ、いま、市民間の対話が大切だ。

○基調報告2 中国:馬立誠(マ・リーチェン.元人民日報論説委員)

2012年9月、釣魚島論争が高まる中、日本の知識人と市民が、日中の政府に対し、両国政府は責任を持って、ナショナリズムを抑え、冷静に問題を対処することを呼びかけた声明に署名し、中国大陸、台湾、香港、マカオの人々がこれに応じた。

この問題については、両国それぞれの主張があり立場は同じではないので、争いが生じているという事実を、まず認めた上での対話が求められる。
釣魚島問題は、日中関係の全体でも大部分を占める問題でもない。大局から発想し、次の三点を踏まえて、領土問題の悪循環から脱して一歩踏みだしたい。

(1)決して、戦火を交えてはいけない、(2)両国に噴出しているナショナリズムの声に対峙する理性の声を高めていく、(3)争点を認めつつ、中日両国の友好は、あらゆる問題を超えるという大局的な観点から「戦略的互恵関係」(※)を留保していくことが大切だ。

○基調報告3 韓国:金泳鎬(キム・ヨンホ、元韓国産業省長官・檀国大学碩座教授)

私自身が、どんなにナショナリズムを超える考え方を持っていたとしても、「独島は日本の領土だ」ということはできない。なぜなら、独島は日本の領土だと主張した川上健三(元外務省条約局)らの論拠は、梶村秀樹教授(当時・神奈川大学、故人)のほか、内藤正中(島根大学名誉教授)、堀和生(京都大学教授)、池内敏(名古屋大学教授)の諸氏によって明白に究明されているからだ。

韓国の、或いは中国の立場に立って発言する人々を親韓派、親中派などと括られているが、それが真実に基づくものであったとすれば、それらの人々を「親真実派」と呼びたい。 彼らこそが東アジア市民社会、或いは世界市民社会を一緒に開いていく主体である。

日本の過去清算を通じたアジアの歴史和解を強調したい。慰安婦問題も過去史の未精算以外の何ものでもない。河野談話、村山談話を超え、韓国併合条約の無効まで行かなければ、歴史の精算、歴史の和解、アジア共同体に行くことは出来ないと思う。

ドイツの歴史に対する徹底的な反省と果敢な補償措置に感銘を受ける。
日本の保守政権の領土ナショナリズムが悪循環を招き、さらに軍拡の悪循環に結びかねないという懸念が深まってきたが、この間の東アジアの市民社会におけるネツトワーク作りの取り組みに大きな勇気を得た。これまで紛争の種であった「島」の問題は、安重根が東洋平和論で構想した日本、中国、ロシアの地域を永世中立化する「旅順モデル」のように、東アジアの平和と協力のテコになりうるのだ。

○報告1 台湾:陳宜中(チェン・イージョン、台湾中央研究院人文社会科学研究センター)

中華民国・台湾の馬英九総統は、台湾政府が釣魚島問題に対処する際の原則として2012年8月5日に出された「東シナ海平和発議」の中で、「主権在我、擱置争議、和平互恵、共同開発」を掲げた。釣魚島と周辺の島々は台湾の島嶼に属しており、アメリカが1972年に、その「執政権」を日本に渡したとしても釣魚島の「主権」は依然として中華民国に属しているという考え(主我主権)であるが、皆が同時に争いを棚上げすべきであり(擱置争議)、平和的手段で争いを解決し(和平互恵)、協力して共同開発すべきである(共同開発)と主張している。 この発議が出された背景には、2012年以来日本政府が「尖閣諸島の主権問題はもともと存在しない」と公言しており、かつ一方的に国有化したことがある。日本政府が釣魚島あるいは尖閣諸島に主権争いが存在することを否定したことにより、「同時に争いを棚上げにする」ことは、もはや実行し難いものとなってしまったのだろうか。日本側がその主権争いの存在を承認(少なくとも黙認)して初めて台湾政府は、漁業権を通して争いを棚上げすることができるのではないだろうか。

(陳さんは、釣魚島の主権或いは領土の争いの背後にあるのは、東北アジア人は、いかに狭隘なナショナリズムの制約から抜け出し、互いを対等に扱い、歴史的な大いなる和解を成し遂げることができるだろうかという問題ではないかと、問いかけた)。

○報告2 沖縄:比屋根照夫(琉球大学名誉教授)

石原東京都知事(当時)の尖閣購入発言に端を発する尖閣諸島の領有権をめぐる事態は、国交正常化以来40年に亘って培ってきた中国と日本・沖縄の歴史関係が一挙に崩壊しかねない危機的な状態だ。今や戦後日本の多くのアジア連帯主義の研究が尖閣問題の一点で水泡に帰しかねない。沖縄にとっての何よりの憂慮は、最もアジア・中国に歴史的に親密な関係を持つこの地域で、日中双方が領土ナショナリズムを激発している事態である。

沖縄の世論は、過熱した「固有の領土」論とは違う。尖閣諸島は、先島や台湾の漁民の生活領域であり、あえて言えば「琉球王国」とアジア諸国との共同の生活空間であったのだ。尖閣問題はまさに「琉球王国」史、琉球・沖縄史と直結する問題であり、この歴史的な前提を抜きにしての解決はないであろうと考える。

沖縄が明治以降経験した歴史は、アジアの植民地体験と共通性を持つ。中国の魯迅と同時代の人であつた沖縄学の父、伊波普猷は魯迅と同様「奴隷根性」という言葉を使って沖縄の人々の反省を厳しく促した。「全民族を犠牲に供して顧みないような奴隷根性を取り去りたい」と~。伊波普猷の実弟伊波月城は、近代沖縄の歴史を「奴隷の歴史」・「虐待の歴史」と捉えている。

今沖縄は、オスプレイの配備阻止、米軍基地の加重負担に対する縮小・撤去を求めて、全島あげての抗議・運動を展開している。沖縄戦で4人に1人の犠牲者を出した悲惨な体験を強いられた沖縄は、日中双方の過激な領土ナショナリズムの激突で再び戦禍を巻き起こされるような事態は断固拒否する。大国主義・覇権主義をどのように克服すべきか、平和主義・王道主義を、この国際社会でどう実現するかが、日中双方に問われているのだ。

○報告3 中国:王鍵(ワン・ジェン、中国社会学院台湾史研究センター事務局長)

大量の歴史的文献が証明するように、中国は明清の時期から釣魚島に対して主権管理を実施していた。第2次大戦後から1970年の間においても中国政府及び台湾民間が釣魚島を領土として使用した記録があり、「無人島」と「無主」の概念を整理する必要がある。 第1に、歴史的事実を整理することこそ、問題解決の根本となる。 第2に「カイロ宣言」「ポツダム宣言」の国際法の権威性及び歴史的地位は尊重されるべきである。第3に、現実を直視し、穏便に釣魚島問題を解決することが、中日関係の大局を守ることになるとの認識に立って忠実な対話を行うべきである。
具体的には、まず、中日双方の学者、有識者及び民間が、「領土問題」に対して多層階対話及共同研究を行う。民間対話は非常に重要だが、共通認識に達するには時間が必要だ。

次に、戦略的互恵関係の基準に照らし合わせ、双方の東アジア地区の経済合作(中日韓FTAを含む)の展開を積極的に推し進めるべきである。

■第2セッション:日中関係をどう打開するか

(座長:加藤千洋、同志社大学大学院教授)

○基調講演:丹羽宇一郎(前駐中大使)

「領土問題」に関する歴史的事実の証明は難しいが、「領土問題をどう解決するか」を問題にしたい。「ツキジデスの罠」にはまってはならない。日中間の領土問題の本当の原因はパクスアメリカーナにも関わるのだが、中国の経済的な台頭があり、互いに無視できなくなったからではないか。また日本の歴史認識のギャップに問題があったのではないか。

かつて、棚上げ論があったかどうかは、非生産的な議論。外交的証拠として両国の議事録に載っていなければ、国の代表としては「あり」とは言えないだろう。相当厳しいと捉えられる日中関係ではあるが、両国の関係は、国際情勢にもかなりの影響を与え、その正常化は、東アジアだけでなくアジア全体の発展に寄与する。

だからこそ、平和か闘いか、建設か破壊という、大局的視点に立って、お互いに努力することが大切。国交正常化で、ドアーは、すでに開かれている。
(1)現状をこれ以上悪化させない、(2)性急に結着をつけようとあせず、棚上げというより「お休みタイム」を取りたい。その間に話し合なければならないテーマが沢山ある忙しいお休みタイムではあるが。最後に一触即発を決して起こしてはならないと強調する。

○報告1 中国:劉江泳(リョウ・ジァンヨン、精華大学当代国際関係研究院教授・副委員長)

釣魚島問題の複雑性は以下の要因を含んでいる。(1)領土問題と国民感情、(2)歴史的に積み重なる怨みと法的認知、(3)地政学的戦略と安全保障、(4)経済利益とエネルギギー資源、(5)政府の尊厳と国内政治、(6)米国要因と台湾問題。これらを解決していくためには、中日間で、歴史的真相及び法的根拠を基に十分な対話を行うべきだ。

○報告2 中国:呉寄南(ウ・ジナン、上海国際問題研究院学術委員会副主任・上海市日本学会会長)

2012年の釣魚島紛争により、中日関係は戦後最悪の状態に陥ってしまったが、中日関係の未来を決して悲観してはいない。その理由は、(1)両国は国交正常化以降の友好交流の固い絆がある、(2)中日間の四つの文書は、あらゆる問題の解決の基本方針を定めている、(3)東アジア地域諸国は勿論、主要大国も決して中日関係の悪化を望んではいない。

そして、信頼関係を再構築するインフラ整備は、第1に至急、紛争地域の危機管理のメカニズムを構築すること、第2は多層的・多チャンネルの意思疎通を促進すること、第3 には、民間交流を引き続き発展させること、第4には、平等互恵を基礎にした経済貿易交流の促進だが、これは、2国関係の更なる悪化を防ぐブレーキ装置である。第5、両国のマスコミは、信頼関係の醸成にプラスの役割を果たすことである。

(第1及び第2セッションョンでは、以上の報告に基づいて、参加者を含めた討論が展開された。自己批判の在り方、ポツダム・カイロ宣言の捉え方、戦後阻害されてきた台湾の問題、棚上げ論については、歴史問題や戦後の日本国家の在り方についての猛省を具体的に示していくということが大前提だという等の意見が出た。現在の領土問題の確執を引き起こしている「国民国家」を超え、アジア共同体を創っていくためには、「島」を巡る問題を「地域」の自治として捉えることが大切だとの意見については、次に紹介する第3セッションの韓国からの報告が、示唆に富んでいると考える)。

■第3セッション:日韓関係

(座長:李鍾元、早稲田大学大学院教授)

○報告1 日本:東郷和彦(京都産業大学法学部教授)

竹島(独島)問題は、韓国にとっては歴史問題であるが、日本における最も大きな関心事項は、島根県漁民の漁業権益の問題であった。1965年から90年前半までは、この問題は日韓の中核的な問題ではなかった。「密約」が本当にあつたか否かはともかく、これを政治問題化せずに、漁業の問題を実効的に処理したいという態度を両国政府は堅持してきた。冷戦終了とナショナリズムの台頭の中で、この均衡が崩れ始めた。98年漁業協定の実施に対する島根県民の不満から発した2005年における「竹島の日」の設定は盧武鉉大統領(当時)に「外交戦争」を宣言させた。12年夏の李明博大統領(当時)の竹島訪問という背景にあって朴槿恵大統領と安倍晋三首相は、きわめて厳しい形で新政権を開始することになったが、対処策を見いだせると考える。その鍵は、竹島・独島との共存の方策を探ることだ。トラック2でおきている対話もある程度進んでいる。しかし双方が今開いている機会を掴むことに失敗すれば、新たな緊張の火種を生み出すかもしれない。

○報告2 韓国:曺喜?(チョ・ヒヨン、韓国聖聖公会大学教授.民主化のための全国教授協議会共同代表)

領土紛争は、各国の内部で「極端な民族主義」的性格が強まることで、これまで行われてきた民間交流と政府交流さえも中断させる傾向にある。そして、東アジアで、アメリカによって強化された軍事的措置は、各国の軍備競争をより激化させることで、領土紛争と同時に軍事的緊張状況も生みだすことになった。現在の領土紛争について、東アジアの平和の新しい基礎を開くという立場から、開かれた視野を持ってアプローチする必要があるだろう。すなわち、(1)グローバル化時代に応じて「国民国家的な自閉的認識」を開放しようとする努力が必要、(2)市民社会は、より積極的に脱国民国家的認識を強化するための努力が必要、(3)究極的には領土紛争地域は「共生の平和協力地帯」として再認識されるべき。

「脱国民国家的」立場から見る時、「独島が誰の領土なのか」という視点だけで論じることはできない。
ここで辺境と接境という概念について論じてみる。辺境は一国家の境界となる周辺地域を指し、接境は二つの国家が接する地域を指すのであるが、前者には、国家の中心部の視覚が孕まれている。後者は、事実ある国の中心部の視覚では想像し得ない他者(他国)の視線と言語が存在する地域である。それは二つの国家の中心部の権力に独占されず、中心部の想像に縛られない、新たな地平の想像が存在する場所であり、二国の「共通性」が呼吸する場所となり得る。「島」は、周辺部としてではなく「接境」として、二つの中心部の視覚を超える共生の領域として再認識されねばならない。

○報告3 韓国:李起豪(イ・キホ、韓信大学教授・ARI(Asia Regional Initiative)代表

独島問題は、戦争と近代国家の遺産であるが、ほかの領土問題と違い東北アジア全体の軍事葛藤までいかないが、韓日の民族主義の葛藤である。しかし、この問題の脈落には、日本と韓国の間に大きな差異がある。韓国では、北朝鮮も同義する民族問題であり、まだ精算されていない歴史問題である。

これらを踏まえて、独島を巡る動きを東アジア共同体への第一歩とするために以下の提案をしたい。(1)国家のものから、住民のものへ、軍事基地(国益)から住民の暮らす場へ。(2)分断の国境から協力の国境へ。(3)海でつながる陸地、東アジアに本来のパシフィク(太平洋、大きい平和の海)に戻して、引き離す海から繋げる海へ。
アジア共同体に役に立つ中国とアメリカの新しい在り方の中での、日本のアジアへの帰還を求め、朝鮮半島の平和を実現していくために、共に歩もう。

(第4セッション、「まとめ 平和の海への英知(総括座長・朱建栄・東洋学園大学教授)」の報告は割愛するが、閉会に際して発表された「7.7シンポ・主催者の総括」を参照されたい)。

紙数の都合で、当日の参加者と発言者との議論を紹介することはできなかったが、当日の議論は、私たち一人ひとりが、主体的に「他者の眼」を涵養し、私たちが生きる社会にも、「他者の眼」を培っていく ことの大切さを痛感させた。

キム・ヨンホさんは、基調報告のなかで、ドイツでは、「ヒトラー政権の登場はヒトラー独りの責任ではなく、ドイツ市民の責任であると強調」されているという。
チョ・ヒヨンさんは、「島」を巡る生活圏では、生身の人間が「他者の眼」を持ち得ること、 それはまた、自治圏にもなり得ることを示唆された。
日本が覇権国家への道を邁進する過程のなかで強制された、沖縄やアジアの方たちの辛苦を、自らの身体性に打ち込んで、微力ながら平和で豊饒な海を取り戻す一端を担いたい。

※政府の公式文書では、Mutually Beneficial Relationship Based on Common Strategic Interests
06年第一次安倍内閣時に、安倍首相が訪中、胡錦涛国家主席(当時)と「戦略的互恵に基づく新たな日中関係の構築」で合意し、08年、福田政権における日中共同声明に明記されたというが、私見として、互恵は、真の友好的関係のなかで培いたいと思う。

7・7シンポ・主催者の総括

2013年7月7日

(1)私たち(日・中・韓・沖・台の市民)は今日、7月7日――奇しくも日中が全面戦争に入った1937年の盧溝橋事件の起きた日――に、東京に集い、近年東アジア地域で深刻な問題となっている(日中、日韓間の)「領土」問題について、直接に顔を合わせ、膝を突き合わせて議論をしました。

(2)その上で、まず第1に確認されたのは、どの国も決して武力(実力)によって現状を変えようとしてはならない、ということです。武力(実力)の行使は、それがどんなに限定的なものであれ、東アジア地域の未来に巨きな禍根を残します。

(3)第2に確認されたのは、それぞれの紛争当事国は、「領土」について争いが存在していることを認め、相手国と平和的な対話を始めなければならない、ということです。対話の中身がもちろん大切ですが、いまはまず、対話をする姿勢が何より大切です。

(4)第3に確認されたのは、争いが生じている海は、周辺の人々の生活の海であり、生産の場である、ということです。そこに暮らす人々は、争いや衝突を望んでいません。

(5)第4に確認されたのは、メディアが果たす役割の大きさです。どの国のメディアも、この種の問題が起きると国民世論を煽り、ナショナリズムを掻き立てようとします。それは相手国国民への憎悪を助長し、政府の理性的な選択を妨げ、不幸な結果をもたらします。メディアは常に自らの役割を認識し、理性的、抑制的な報道を心がける必要があります。

(6)第5に確認されたのは、こうした紛争における民間(市民)の役割の重要さです。「領土」問題は主権の問題であり、政府は妥協することが難しい。面子もあり、国民からは「弱腰」を非難する声があって、政府が相手政府と対話することや妥協することをさらに困難にしています。それに比べ、民間(市民)は自由な立場で、自由に発想し、交流し、対話し、議論することができます。それはナショナリズムに凝固しがちな国論を和らげ、衝突を避ける様々な回路をつくり、政府の決定をより柔軟にすることに寄与できるでしょう。

(7)それだけではほとんど何の価値もない、小さな島(岩)の領有を争い、傷つけあうのではなく、東アジア地域の大局を見つめ、冷静に対話し、互いに尊敬し、「平和の海」を作り上げることに全力を尽くすことを、本シンポジウムとして確認しました。

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第79回市民憲法講座 6月15日に考える今日の日米安保

池田五律さん(戦争に協力しない!させない!練馬アクション)

(編集部註)6月15日の講座で池田五律さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。

6月15日という日

私は1960年生まれですので、まさに自分の年齢通り53年前の6月15日になるわけですが、非常に大きな闘争があった日です。学生時代に先輩からお前は安保と共に歩んできた人生を考え直せとか言われたんですが、「そんなことを言われても」と思ったりしました。幼稚園の時代にエンタープライズ寄港反対ごっこから始まり、警察・泥棒ごっこという遊びが、ある1、2年だけは警察・学生ごっこになって、隠れたまま出てこないやつがいると「君たちは完全に包囲されている、早く出てきたまえ」などと言っていていました。1979年に大学に入って東京に出てきました。学生運動10年周期説というのがまだあって、何とか80年安保に乗り遅れないように東京に行かなければならないと思ったんですが何もなくて、同世代で上智大学でミニコミをつくっている連中が、「60年代はアンポだ、70年代はインポだ、80年代はウンポだ」ということで「ウンポ」という雑誌を出していました。とはいえ80年代前半は6月15日というとさまざまなグループが集会をやっていましたし、日比谷野音などで6月共同行動ということで日市連などが呼びかけて大きな集会があって、そこに私たち学生も参加しました。

6月15日という日なので53年前の6月15日がどういう日かということから振り返っていきたいと思います。レジメにも書きましたが「この日のストには580万人が参加したと言われる。全商連では全国3万店で閉店ストを行った。東京では11万人が国会議事堂を包囲。『第18次統一行動』として、『国民会議』『都労連』『新安保反対キリスト者会議』『安保改定阻止新劇人会議』などが参加した。さらにこれに同調した全学連主流派も抗議デモを敢行。国会構内へ突入を試みる。規制しようとした警官隊と衝突、そのなかで午後7時過ぎに東大生・樺美智子さん(22歳)が死亡」ということがあった日です。

日米安保の基本構造と旧・新安保の違いと連続性

どうしてこれだけの反対運動があったのか。旧安保と新安保がどれだけ違うものだったのかということと、この反対運動は大きく関わっていると思いますので、この違いをざくっと確認しておきたいと思います。1952年、サンフランシスコ講和条約と同時に締結された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約、いわゆる旧安保条約です。その前文に「日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。」とあって、日本への侵略を阻止するものでした。その次に「直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する。」ということで、旧安保では「間接侵略」が入っていた。この「間接侵略」とは何かというと、1条を見ていただくとわかりやすいですが、「(アメリカ合衆国)軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起された日本国における大規模の内乱及び騒じょうを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。」、旧安保は日本国内の内乱及び騒じょうにもアメリカ軍が登場することが規定されていたわけです。

それに対して1960年に改定された新安保条約をみると、第5条に「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」とあって、日本国内での内乱とか騒じょうを対象としていたものが消えて「共通の危険に対処する」となりました。当時「双務化」といわれたことを象徴する条項になると思います。

しかし片方でものすごく連続性があって今日につながるような条文が、もう52年の旧安保からあります。「日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。」、ちゃんと集団的自衛権を行使することを前提とした条約なんですね。そのことはいまの安保にも引き継がれていて、前文の「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し」とあって、ここでも集団的自衛権は位置づけられています。ですから日米安保の論理でいえば集団的自衛権の行使は当たり前なんだけれども、日本の憲法の解釈において「持っているが行使できない」ということで歯止めがかけられてきたに過ぎない。一貫して日米安保の論理からすれば、その憲法解釈自体を変えろということが出てくる仕掛けになっています。

もうひとつ今日につながるところで注目しておいて欲しいのが、60年に改定された安保条約の第2条にはっきりと「両国の間の経済的協力を促進する。」という文言があります。いまのTPPの問題を考えるときにもこの文言は忘れてはならないと思います。

さらに両方とも基本的な構造は「日本の要請で米国は居てやるから日本は自衛力を増強しろ」という枠組みになっていることも忘れないでいて欲しいと思います。旧安保では前文に「直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する。」として、アメリカ合衆国は日本が防衛力を増強することを期待するということが入っています。いまの安保条約の第3条には「武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。」ことが入っています。日米安保は日本が「米軍さん、居てください」「おう、わかったよ。居てやるから基地を貸せよ。その代わりお前は防衛力を増強するんだぞ」という枠組みになっているということです。

「極東の範囲」・「従属か自立か」の論争

60年安保改定の国会論争では、いわゆる極東の範囲がどこなのか、例えば新安保の第6条に「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」という言葉があります。それ自身は旧安保の第1条にも「極東における国際の平和と安全の維持」とあります。アメリカ軍にとっては極東というのは旧安保には言葉としてはありました。先ほどの第5条の「共通の危機に対処」ということで言うと日米安保の範囲、そして日本自身の対処するところが極東に拡がるのではないかということが当然危惧されたわけです。新安保の前文にも「両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有する」ということがあって、かつては日本に対する侵略、日本国内での内乱・騒じょうだったものが、極東の平和と安全に関する共通の危険への対処に拡がったことになります。

運動の中の論争でいうと、この安保改定はアメリカへの従属を深めるものだという主張と、これは日本帝国主義が復活して自立へ向かう過程のものであるという論争がありました。ひとつ確認しておきたいことはそういう論争の一方で、沖縄の問題は著しく軽視されていたのではないかということです。例えば、1970年に出されたすごく便利な「総括 安保報道」という分厚い本があります。その中に1958年10月24日の朝日新聞の「条約改定の方向に潜む危険」という社説が載っていました。読んでみます。

「岸総理は沖縄を日米の共同防衛地域とすることを認め、しかも沖縄に日本の自衛権が及ぶことをアメリカが認めるならばこの共同防衛は現行憲法においても憲法違反ではないと言っている。これは何よりもまず事実を誤る解釈であると言うべきである。沖縄に日本の潜在主権があり住民が日本国民であることは言うまでもないが、その全施政権は現実にアメリカに握られておりしかも最近は通貨改革を行ってドル地域に組み込まれるところまできている。いつか将来において沖縄施政権の日本返還の期待はあり得るであろうが現実にはその可能性、その時期は空たるものである。そこでアメリカの完全支配下にあるそうした地域を日本の防衛地域に含むとすれば海外派兵の点からいっても明らかに現行憲法を逸脱するものであり、かつまたそれによってなされる結果は防衛という戦略的観点に関する限り日本の地位を現在の沖縄の地位と同様にするものになろう。というのは政府は他方においてすでに国会答弁で沖縄に対するアメリカの核兵器持ち込みは日本として拒否できぬ旨を明らかにしているのであって、それは沖縄の全施政権がアメリカにあるため日本政府としては口を差し挟む根拠がないからとの理由に基づいている。そうだとすればその地域と日本を一括して共同防衛地域とすることは実質的には日本本土が沖縄と同様の戦略的条件に巻き込まれることであって、日本の核武装あるいは核兵器の持ち込みはこれは認めないという首相のたびたびの言明も全く意味のない空々しい言葉に終わらざるを得まい。さらにまた沖縄地域に対する共同防衛が施政権の一部返還を意味するという首相の解釈は明らかに事実をゆがめるものであり、首相は共同防衛ということで施政権が拡張されると言うが実際はアメリカの絶対の支配下にある防衛機構の中で日本の施政権などと言ってもそれは本質的には全く動きの取れないものであり架空のものであるに過ぎない。施政権の一部返還などとは三百代言的な虚偽ということに他ならない」という社説です。

そういう意味では沖縄の問題がまるっきり議論になっていないわけではないですが、いま読んだ社説の中にもいくつかの問題点があります。「本土が沖縄並みになってしまう」というところとか。ところがこの論点自身が消えていきます。これは「総括 安保報道」をまとめた人たちが書いていますが、「この朝日の社説が触れ、毎日も11月4日の社説『沖縄を含めるための条件』で述べているように沖縄と小笠原を日米の共同防衛地域に加えるかどうかという問題は安保条約の適用範囲と関連してこの時点で大問題のひとつであった。しかし政府がまもなく沖縄、小笠原を条約の適用地域から外すという政策に転換したためそれとともにマスコミはこの問題を全く取り上げなくなってしまう。」とあります。

ですから1958年当時はこういう社説は出ていたんですが、59年に入ると沖縄は争点から消えてしまったんですね。このことが70年安保では大きな問題になるんでしょうが、これは今日の問題を考える上でも、53年前を振り返って沖縄問題が軽視されていたことは押さえていた方がいいと思います。

日米地位協定に変わっても色濃い従属性

旧安保と新安保の違いという点でいうと、行政協定と日米地位協定の違いがあります。これはすごく複雑ですが、一番よく知っているのは本間浩さん(法政大学教授)です。2005年に神奈川県が主催し自治体の首長が参加した、日米地位協定シンポジウム「再編の今こそ地位協定を問う」での本間さんの発言を紹介します。

「第一は、日米地位協定というのは、二重構造になっている。一つの側面は、駐留軍構成員等の法的地位に関する原則、もう一つの側面は基地協定としての側面である。1960年に行政協定から現行協定に改定になったときに、NATO並みになったと評価する向きがあったが、要するに法的地位の側面について、NATOと同等になったという意味だと思う。もう一つの側面、つまり基地協定の側面に関しては、正に日米間の政治関係、軍事関係が露骨に反映した所産であると見ることができる。このことから、日米協定の改定という問題を考える場合に、アメリカのどこに向けて問題をぶつけていったらいいのかということが、おぼろげながら示唆される」。つまり基地協定の側面を問題にしていくべきだというのが本間さんの考えだと思います。

「二番目の特徴としては、基地の使用について米軍が排他的権限を与えられている。排他的権限というのは、普通、国際法上は、他国の干渉を受けないという意味だが、ここではむしろ日本国法令の適用が原則的に除外されるという意味で使われていると思う。米軍は、自らの思惑に従って基地を自由に使用することができ、例えば夜間のタッチ・アンド・ゴーもできるし、それから騒音公害が生じても、基地の軍事的使用ということは許されるというのが、アメリカ側の基本的な捉え方だと思う。そのことが住民に大変な生活上の負担を生じていることは、ご存知のところだ。これに対して外務省の捉え方は、伝統的な考え方だと思うが、この日米協定によって、基地の中においては、米軍の排他的権限が認められる。その裏返しとして、基地の外については、日本側の権限が全面的に認められる、あくまでも原則的ということだが、こういう説明をしてきたと思う。

しかし実際には、基地の外でも米軍側が権限を主張することがこれまでしばしばあり、沖縄の航空機事故では、日本側の当局の第一義的な関与を否定された。それから被疑者の逮捕権という問題についても、もしそこに米軍の当局がいた場合には、米軍側が先行的に逮捕権を行使できるということだ。基地を巡ってのこういう権限ということは、これは主権間の衝突というふうに捉える向きがあるが、本当にそうなのかということを、もう一度考えてみる必要があると思う。

三番目の問題としては、先ほど稲嶺知事からお話があった刑事裁判権の問題だ。外務省の説明によると、日本の刑事裁判権についてのアメリカとの合意はNATO協定よりも進んだ形になっているとの説明がしばしばこれまであったが、翻って考えると、現行の日米協定の刑事裁判権、それからNATO地位協定の刑事裁判権の問題点を日本が改めて問題提起した、そういう意味を持っていると思う。この刑事裁判権の原則は、主権間の問題といわれるが、実はアメリカ内部の政治的妥協の産物で刑事裁判権の原則ができているということがある。稲嶺知事がおっしゃったように、特に刑事裁判権の問題をめぐって運用の改善では対応できない、地位協定の改定まで進まなければ駄目だという指摘がされていると思うが、日本側の対応を通じて、米軍関係者による犯罪をどう防止するか。再教育を繰り返してきたが、実効的な結果が出ない。そうなるとどうしたらいいか、自ずと方向が決まってくると思う。

それから四番目に申し上げたいことは、沖縄に対して現行の地位協定をそのままの形で適用するということは、そもそも私は無理だと思っている。沖縄返還協定が結ばれ、それに伴って安保条約、地位協定が適用され本土並み適用ということが言われた。しかしこれは形式的な平等が実現されたということであって実質的な平等を実現するためには、基地の整理縮小ということが伴わなければならなかった。それを疎かにして、言葉の上だけの平等を実現してきたと思う。

それと、海外の変化は、事実だけ言うと、特に1993年に、ドイツ駐留NATO軍補足協定、ボン協定と言われている協定が大改正になった。その背景には、冷戦構造の崩壊とか、東西ドイツの統一とか、大きな政治的条件の変化があったが、それ以外にドイツの中ではまず緑の党という環境を旗印にする政党が議席を伸ばしたという国内政治的な背景がある。それから1987年と翌年にドイツでNATO軍による航空機の墜落事故が2度起こった。こういうことで、ドイツの住民のボン協定改定への要求が非常に強くなった。これに対してアメリカはドイツの中でナショナリスティックな主権論争が強まっているという捉え方をしたが、私はそういうことではなく、これは住民が自らの安全の確保を、ボン協定の改定という形で主張したと捉えるべきだと思う。そのドイツの協定がイタリアに対して影響を及ぼし、1995年に在伊米軍地位協定が改定された。また韓国が2001年に米韓協定の改定にこぎつけた。韓国では長い間、日米協定並みに改定すべきだという要求がありましたが、韓国内での米軍によるいろいろな事故を通じて、反米感情が高まる、そういう中で、米韓協定の改定ということが、一応実現した。しかし、改定は部分的であり、日米協定並みにはまだ及ばない」。

こういうふうに旧安保と新安保の違い、それが変わったことによって、行政協定から地位協定に変わったわけですが実質的には基地協定の側面によって何ら行政協定時代と変わっていないということが言えるのではないかと思います。先ほどの自立か従属かという論争ということで言えば従属という面がいまでも色濃いということが言えると思います。

実質改定されるたびに増強される自衛隊

安保条約の中で自衛隊を増強することが書かれているわけです。明文改定は60年が最後ですが、70年の自動延長、1972年の沖縄の返還、これが実質的な次の安保改定だったと言えます。先ほど1958年の社説を紹介しましたが、まさにそのときにも本来争点であるべきであったもののひとつ、沖縄での共同対処、共同防衛が、68年の沖縄返還協定を通して実質化されたわけです。そういう意味では沖縄返還というのは自衛隊の沖縄進駐だった。安保は実質的に改定されるたびに自衛隊が大きくなる。

その次の実質的な安保改定が1978年の日米ガイドライン締結です。ちょうど私が東京に出てきて運動を始める時代になります。78年にガイドラインが締結され、そのころは日米同盟と言ったか言わないかで国会が大もめになる。いまでは当たり前のように日米同盟という言葉が使われてしまう状況になりましたが、80年前後は日米同盟という言葉自体がいわばタブーで、内閣の首が飛ぶ、飛ばないという問題だった。そこで日本有事の際の共同防衛についての研究が始まります。

シーレーン防衛などということが言われ、中曽根時代には三海峡封封鎖が言われた。そこでも自衛隊の役割が確実に拡大しました。その時期のアメリカの要請という言葉を日本の役人たちは必ず言うわけです。中公新書に「海の友情」という本があります。阿川尚之という、阿川佐和子の兄貴で、作家の阿川弘之の息子ですが、彼が書いています。すでにガイドライン以前から自衛隊の幹部の部屋にシーレーンの線が引いてある。つまりアメリカ側の要請というけれども実は日本の中に要請するやつがいて、それを受けてアメリカのあるサイドから日本政府に要請がある。そういう意味では出来レース、国家間の関係と考えるよりも国家の中にはさまざまなグループがあって、その例でいえば自衛隊の幹部たちの中の一部のアイディアにあったものが、シーレーン防衛につながっていくわけです。

冷戦後ここまで来たグローバル安保

その次に日米安保の中身が大きく変わったのは、いわゆる冷戦が終わった段階です。1996年にクリントン・橋本会談で日米安保宣言が出されて、一気にグローバル安保ということが言われます。極東もへったくれもない、グローバル安保です。

グローバル安保がどこにきているのかという話をしたいと思います。私はずっと練馬で自衛隊と向き合っていますので、1995年に沖縄での少女レイプ事件があって、沖縄の問題がクローズアップされるに従って自衛隊問題が後景に退いてしまうということで、すごく悩みました。運動の潮流で言えば安保ブントの流れを汲むとかいうのはどちらかというと自立派だと思うんです。私のようなノンセクトも含めてどちらかというと日本は自立しているという流れにいるんだろうなくらいの感覚でいたんですが、沖縄での少女レイプ事件以降にそういう流れかなと思っていた人たちからも、アメリカに従属している面をきちんと考えなければいけないんじゃないかということが強調されだした。それとともに自衛隊の話が消えてしまう。今年も観閲式が朝霞駐屯地で行われますが、観閲式反対闘争になかなかきてもらえない。沖縄にはみんな行くということで淋しい思いをしているわけです。

1990年前後はPKO派兵反対でした。一昨年くらいに無くなってしまいましたが「派兵チェック」というミニコミがあって、私もメンバーでした。その頃は、日本が経済大国化するにつれて海外にある権益を軍事的にも担保することが必要だからPKO派兵を突破口にする、という議論がカンボジアPKOの時には結構あったと思うんです。ところが1995年くらいを境にして、そういう議論が尻つぼみになっていった気がします。被害者意識かもしれませんが。

いまのグローバル安保の現状を考えたときに、私もそんなに自立論者で日本帝国主義が自立しているという経済分析をいまでも信奉しているわけではないんですが、何か奇妙なんですね。イギリス帝国主義はアメリカに従属しているという議論はしないですよね、ドイツ帝国主義はアメリカに従属してアフガニスタンに派兵させられたとか言わないと思うんですよ。ですから自立か従属かということではなくて、いまの世界的な秩序をどう先進国の支配層が担保する仕組みを作り、そこでどう役割分担するのか、その中でそれぞれの国が海外に持っている権益をどう守ろうとしているのかという文脈で考えないと、どちらかの面を強調するのでは起こっている事態を見落としてしまうのではないかと思います。

グローバル化した米軍の展開とその新戦略

では現在の日米安保がどうなっているのかを見ていきたいと思います。昔の古典的な、私なんかが30歳くらいまでの6月15日の安保集会というと、まず世界経済の分析があって次に山川暁夫さんの世界情勢分析があって、次に日本の支配体制再編の分析があって、ということだったわけですが、経済分析は抜きでいまのアメリカの世界戦略はどうなっているのかということから行きたいと思います。

アメリカの規定力は確かに現象的には低下しています。アフガニスタン戦争、イラク戦争の泥沼化、それからの疲弊から立ち直れない、リーマンショックが尾を引いている、こういうことがあると思います。いまのシリアの状況ひとつ見てもアメリカが何らかの規定力を発揮することができていない、制御できていないというのが実際のところだと思います。しかしアメリカは対テロ戦争をやめる気は全くありませんし、覇権を放棄する気もありません。

2009年にアメリカ国防長官が議会に提出した年次報告書「中華人民共和国の軍事力・2009」というものがあります。いまアメリカの世界戦略のカギになっているのが「A2」、「AD」というものです。A2というのはアクセス阻止(Anti-Access)、ADというのはエリア拒否(Area Denial)の略です。アメリカ軍が緊急展開するときに、その緊急展開が必要な地域へのアクセスを拒否する力を持っている。それから展開した先で軍事行動をする、それが領域になるわけですが、その領域で妨害をする能力を奪うというのがいまのアメリカの世界戦略です。そのアクセス阻止と領域拒否の能力を持ちうるのは中国だと位置づけている。ほかにもイラン、北朝鮮それからヒズボラなどの非国家主体も加えて考えています。これはもう90年代からですが、国家間の戦争というだけのイメージでは全く考えていないということは変わらないんです。中国脅威論で対テロ戦争の時代ではなくて次の局面になっているような印象がマスメディアなどではあるかと思いますが、非国家主体も含めて脅威だという位置づけは一貫して変わっていません。

アメリカはQDRという、4年ごとに戦略見直しをやります。2010年2月1日に議会に提出したQDRでは――現在行われているテロとの戦いを最優先課題に位置付ける一方で、「将来において最も蓋然性が高く、死活的に重要な脅威に備える」ことを戦略目標として明示した。統合エア・シー・バトル構想(Joint AirSea Battle Concept:JASBC)は、その戦略目標を達成するための一手段として開発される。/QDR2010においては、アクセス阻止の環境における敵対者として、中国の他にイラン、北朝鮮、さらにはヒズボラ等の非国家主体をも加えて例に挙げ、「海外に戦力を投入する作戦を遂行する米軍は、将来、アクセス阻止の戦略によって無数の挑戦を受けるであろう」と予測している。(後掲・木内論文)。――それを阻止するためのエア・シーバトルというのは 陸海空のみならず、宇宙空間やサイバー空間での覇権を前提にしています。強襲揚陸艦からの遠距離攻撃などを前提にしてオスプレイが飛び立つということです。今年の日米共同演習ではどうも自衛隊の艦船にオスプレイが降りる訓練をやるという話も出ています。このエア・シーバトル戦略と米軍再編そして自衛隊再編、海上自衛隊はこの10年大軍拡されてきたわけですが、それと連動しています。いまの話は、木内啓人という人が書いた「統合エア・シー・バトル構想の背景と目的 ―― 今、なぜ統合エア・シー・バトル構想なのか ―」(海幹校戦略研究2011年12月)という論文で、海上自衛隊幹部学校、海幹校の紀要です。

こういうものは今は普通にネットで出てきます。昔の山川暁夫さんのようにものすごく努力してルートをたぐって調べるとかアメリカの文献を翻訳しなくても、オープンにしてもいまはマスコミも問題にしないので平気で見られます。ちょっと検索していただくとアメリカの世界戦略を防衛研究所の人間などが丹念にわかりやすく解説してくれて、それに伴って海上自衛隊もこうあるべきという論文を書いていますので見てください。

オバマ政権の核兵器ゼロ、裏に新兵器開発と軍産複合構造

エア・シーバトルどころか、オバマ政権はいま全地球即時攻撃プロジェクト(「Prompt Global Strike」 略して「PGS計画」)を立てています。2014年から前倒しの配備を計画をしています。これは地球上のあらゆる場所へ1時間以内に通常戦力による攻撃を行うというもので、爆撃機や潜水艦、巡航ミサイルや弾道ミサイルがその運搬手段となります。その背景は、核兵器の使用はハードルが極めて高く、使えない。核兵器維持の財政的負担、通常兵器における米国の圧倒的な軍事的優位な状況がある。このことからすると核兵器ゼロ宣言というのは、誰も反対できない理屈を盾にして核兵器の武装解除を中国やロシアに迫って、自らは新しい兵器の開発をする。裏返すとそういうことになります。しかも米兵がなるべく死なない戦争ということで、無人機とかロボット兵器の開発に力を入れる。

PAC3、ミサイル防衛の時からそうですが、商品というのは普通は役に立つことが証明されてから販売されるものです。ところが役に立つかどうか分からない段階から販売し、配備するんですね。そういうのを先端科学技術のスパイラル方式といって、開発しながら配備し、その事を通してさらに新しい技術開発につながるという構造になっています。

話しが少し先に行ってしまいますが、こういう計画が出てくるのは背後に軍需産業、アメリカの産業構造というものが抜きがたく軍産複合体になっていることがあります。冷戦が終わってクリントン政権の初期には多少軍需を民需に転換することも試みたんですが、それについては民主党、共和党を問わず議員にとっては地元から大反対があります。雇用を守れという圧力がかかります。アメリカの産業構造自身がどうしてもその構造になっていっていることが大きな要因になっていて、これは今後の日本経済がどうなっていくのかということの悪い意味での未来像を示唆しているのではないかと思います。

圧力一辺倒でないオバマ政権の対中戦略

オバマ政権は中国を本当に脅威だと思っているのか。私は自分達側の学者や研究者ではなくて、向こう側に言わせて向こう側の論理から正体を暴く方がいいと思っているんですが、これも川上高司さんという拓殖大学教授が書いた「オバマ政権の対中戦略の大転換」という文章があります。一部ですが「相対的にパワーを低下させているアメリカと、パワーを増加する中国との関係の中で、オバマ政権の対中戦略は、対中ヘッジを強めながらも、しっかりと中国に関与し、中国を国際社会に適応するような責任ある利害関係国にするよう環境整備(Environmental Shaping)を行っていく戦略であろう。」とあります。

ここで出てくる「ヘッジ」というのは、先物取引などのリスク管理の考え方です。リスク管理という考え方自体、米ソ軍拡競争の中で生まれた概念を金融工学に当てはめたものですが、予測を立てて起こりうるリスクを減らすということです。ですからいまの対中脅威論というのも、本当に中国が脅威だからということではなくて、脅威になる不確実性、リスクに予防的に対処しておくということです。あるいは「利害関係国」という言葉も、利害関係者、ステイクホルダーという言い方、企業にとって株主も従業員も地域住民もステイクホルダーだという言い方を経営学ではしますが、そういう概念の使い方です。

現に中国海軍が今年リムパックに参加します。TPPへの参加もアメリカは中国を勧誘しているという報道があります。中国がアクセス阻止とか領域拒否をやろうとしないのであれば、例えばソマリアの海賊対処などといった点では協調を取っています。それから南スーダンの独立、これも南スーダンの石油資源の安定的な確保を考えたら、独立という線で互いに手を打ちましょうという米中の意志一致が裏にあって、南スーダンの独立も承認されたという背景があります。

対テロ戦争というのは米中の利益が極めて一致しているわけです。中国とアメリカが共通する利害で結ばれている点も多いのです。当面は圧力を高め、軍拡で疲弊させながら、これは対ソ戦略の焼き直しですよね。その一方で対テロ戦争での協調と世界経済への統合を促すというのが対中戦略です。よく本屋さんには「米中戦わば」なんていう本が売っていますが、そういうものを読んでいると見損なってしまうと思います。

おもしろい本があって「空を制するオバマの国家戦略-中国・日本を手玉に取る巨大軍需産業」という、航空評論家で元日本経済新聞編集委員の小河正義さんが書いた本ですが、これが先ほど紹介したPGS計画についてものすごく詳しく書いています。矛盾していておもしろいんです。アメリカを動かしているのは軍需産業だ、だから核兵器ゼロなんていっても新しい軍事を開発していろいろな国に売り込む。軍備を売り込むためにもアメリカは脅威をつくり出す。そういう意味でもイラクの脅威をつくり出すことによって湾岸に新しく開発した武器を売った。いま中国脅威論をつくり出すことを通して日本とか東南アジア市場に武器をいっぱい売り込める。それと同時に、アメリカは軍需産業と航空宇宙産業は表裏一体というかそのものと言えるので、中国の経済発展に伴って中距離旅客機が中国で必要とされてくることも見込んでいるんだということです。それだけを読むと、アメリカの陰謀で中国と日本が手玉に取られているという論調で書いていると思いきや、後ろの方になると、だから日本は中国に対して防衛を強化しなければならないという矛盾した本になっていて、すごくおもしろい本です。

いま中国脅威論を言い、そこで日本も防衛力を強化する、あるいは経済力を含めて安倍流に言う「日本を取り戻す」という人自身が、実はよく読んでいくとそんなに中国を脅威だと考えていなくて、アメリカが設定した土俵の中にあることも分かっている。その上で、なおかつその状況の中で日本が発言力なりを持つためには、日本自身が軍事的パワーも持たなければいけないと思っているような気がします。こういうアメリカの世界戦略は日本や同盟国に対しては、米兵の死傷コストを下げながら同盟国の分担を増やすことです。米兵が死なない代わりに自衛隊さんも危険なところに行ってね、ということに尽きます。

役割を拡大する自衛隊―海外派兵の拡大

どういう役割をグローバル化した日米安保の中で日本が果たすかというと、簡単に言うと海外派兵の拡大です。日本が特に権益を持っているところ。ソマリアへのPKOは90年代半ばですが、ソマリアの紛争当事者になって米兵が殺されて引き回されている映像が流れて、クリントン時代に米軍は撤退します。そのときにクリントン政権が選択的関与ということを打ち出したんですね。アメリカの国益にとって死活的ではない地域に関しては国連などから要請があってもアメリカは行かない。裏返していうと死活的利益があるところに関しては、国連がどう言おうが誰が止めようが行くぞということです。クリントンとブッシュとはそう違いがない、つながりがあるわけです。「選択的関与」と「単独行動主義」というのはつながっている。

選択的関与の論理は「ここはアメリカにとっては死活的関与ではないけど、日本にとっては死活的関与だろう、そういうところはお前が行けよ」ということになるわけです。海外派兵、特に日本の権益があるところに関しては日本が行きなさいよという流れがある。そして日本自身も現在も経済大国であることには変わりがなく、経済大国である以上海外権益があればそれを担保する軍事力が必要だという流れは変わらないわけです。

今年1月のアルジェリア人質事件、いまでも自衛隊が行けるわけですが、陸上輸送ができないようになっているんです。その邦人救出のために、陸上輸送もできるようにする法律をこの国会で通そうとしたんですが、会期の関係で通らないだろうという報道があります。でもいまそういう法律が出ています。さらには公明党の慎重姿勢で通らなかったんですが、自民党は邦人救出に際しては武器使用の基準を緩和しようとしました。

私は新聞とかテレビの報道にすごくショックを受けたのですが、フランスなどの多国籍企業は悪いことをやっているけれども日本企業は何も悪くないという報道ですよね。アルジェリアの開発のためにがんばっている人が、ヒロヒト流の言葉で言うと「無辜の民が犠牲になっておる」という報道の仕方です。少なくともカンボジアPKOまでの派兵反対の運動の中では日本の企業進出、その利権を守るための海外派兵を許すなという大きな声が上がったものだと思います。けれども日本がどれほど海外権益をアルジェリアに持っているのかということが全然報道されませんでした。

あの事件はフランス軍のマリへの軍事介入に対する抗議で行われたものですが、マリのウランの権益は日本が独占しています。マリのとなりのニジェールに紛争が及んでくることを予防するためにフランス軍がマリに介入したといわれていて、ニジェールのウランはアレバ社が握っている。アルジェリア、ニジェール、マリという地域は大きなウラン資源の地域であって、それは日仏にとっての死活的国益が関わっているところです。日揮は原子力産業でもあるんですよ。いまマリとかニジェールとか言いましたが、その国境線は勝手に植民地支配のもとで敷かれたものに過ぎません。トゥアレグ人の解放運動は、イスラム主義の影響を受ける前から反帝国主義の運動がいろいろなかたちで間欠的にあって、その人たちのスローガンは国境線を引かれたこと自体についての批判もあるわけです。

いま日本がアルジェリアにどれくらいの権益を持っているかというと、2011年6月段階のジェトロの資料だと日本のアルジェリア進出企業は、住友商事、双日、丸紅、三井物産、三菱商事、伊藤忠丸紅鉄鋼、商船三井、日揮、三菱重工、コマツ、NEC、豊美(トヨタ、ダイハツ販売のサウジ資本日本企業)、COJAAL(鹿島、大成、西松、ハザマ、伊藤忠からなる企業連合)の14社。在留邦人は954名。

それだけではなくてTICAD(アフリカ開発会議)が先日横浜で行われました。国連常任理事国入りの票田をつくるために日本政府の呼びかけで始まったものです。アジア諸国は日本の常任理事国入りなんてちっとも支持しませんので票田のトラクターを国際版でやっているわけです。これからアフリカの経済成長が見込まれるということと、常任理事国入りを目指した票田というかねてからの位置づけと、そしていま対テロ戦争の戦場はアフリカに移行しつつあって、日本のアフリカ投資全体が2005年末までは1億ドル台だったのが2012年末には8億ドルになっています。その中であの事件が起こっているということです。全然そういうことは問題にされていない。一部報道されていましたけれども、人質になった人たちの中には派遣労働者の人もいました。

邦人救出とPKO派兵拡大

山東出兵ということがかつてありました。1928年のことですが、中国の北伐があって、当時日本は山東省に第一次世界大戦の結果ドイツから奪って権益を持っていて、邦人保護を名目にして山東省に出兵し第二次山東出兵の中で日中衝突があり、済南事件があった。戦場になればどういうことになるかということですが、中国側の資料では軍民あわせて死者が3000人も出ています。日本の居留民も死んでいますし、軍人だけに限っても日本軍で死者26名、負傷者157名が出ています。何か問題が起こると軍隊が使えたらという話になり、自衛隊が使えたら大丈夫だと。「アルジェリアで日本人が人質になった、自衛隊が使えたら」と。

そんなことはないわけです。軍事組織が邦人救出に行ったら、そこでは戦闘になり、逆に居留民も含めて死んでしまう。これもまた自衛隊の防衛研究所の人間が書いた「山東出兵と済南事件」という文章があって、こういうことが書かれています。「中国の自開商埠地である済南市で生業を営む在留邦人は避難の余裕のない移民同然の邦人であり、危ないから避難せよといっても行く場所がなく」、移民というのは棄民ですよね。食えなくなった人を移民として送り出してその人たちを保護するという名目で軍隊が行く、この構造を繰りかえさせてはならないと思います。そういう観点から問題にされていないというのはおかしいと思います。

それから南スーダンのPKO部隊の展開地域が拡大されることになりました。自衛隊はソマリアに海賊対処でいます。そして南スーダンにいる。完全にアフリカシフトで自衛隊は増強されている。もはや極東の共同対処どころの騒ぎではないわけです。ジブチに海外基地を手に入れた。地位協定の問題でいうと在日米軍並みの刑事裁判権も得たわけです。参考資料に示した「教えて塾長 伊藤真の憲法Q&A」第8回・「海賊対処法」と「地位協定」という司法試験予備校で有名な伊藤塾の伊藤真さんですが、そのQ&Aでジブチ政府と結んだ地位協定は日米地位協定並みにひどいことだと書いていらっしゃいます。
ちょっと読みます。

「日本政府は、海賊対処法に基づいて、ソマリア沖に自衛隊員等を派遣しました。その準備として、2009年4月3日、自衛隊員等の地位協定を、ジブチ政府との間で結びました。しかし、この地位協定には、現地で自衛隊員が犯した犯罪の裁判や、加害行為に関する損害賠償責任について、日本に極めて有利な内容が盛り込まれています。ジブチの人に自衛隊員が犯罪行為を行っても、それを裁くのは日本の裁判所です。ジブチの人に危害を加えたときに、自衛隊員に損害賠償責任を負わせるかどうかは、当事者や政府間の協議によって決めるというのです。

ところで、日本国憲法は、前文で、国際協調主義を宣言しています。そして、国際協調主義こそが、『自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務である』としています(前文3項。ここでの「主権」とは、対外的独立性という意味です)。他国の主権を一方的に制約することを禁止しないと、強国が、力で小国を支配してしまうからです。これは、平和憲法である1946年フランス第4共和国憲法の前文で『相互主義の留保のもとで、フランスは平和の組織と防衛に必要な主権の制限を承諾する』というのと同じ趣旨です。中曽根外務大臣は、日本に有利な協定を結ぶことができたことを強調しましたが、協定を結ぶ過程で、一方的な要素が、事実上でもあったとすれば、この地位協定は、ジブチの主権を大きく制限するものとして、国際協調主義に違反する疑いがあります。」ということです。

沖縄問題で従属の角度で見ていると、こういうことは本当に見えなくなると思うんですね。米軍にやられている側ではなくて、もはや日本はジブチに加害する側に立っていることを忘れてはならないと思います。

集団的自衛権行使の武器使用基準緩和というのは、集団的自衛権合法化の動きともセットになっていて、アフガニスタンの治安支援部隊と似たようなもので、NATO軍、ドイツ軍とかイタリア軍が行っています。それに行って欲しいというのがアメリカの以前からの要求ですし、そこに自衛隊を出したいというのが以前からの動きです。ほかにも集団的自衛権に関わっては米軍艦船の警護や弾道ミサイル迎撃などもあって、これらに関しては明文改憲をしないで安全保障基本法でやってしまおうとか、集団的自衛権行使事態法という言葉が出てくるような自民党の内部文書を見たこともあります。明文改憲は無理でもそういうことをやろうとしています。

対中戦略における役割拡大

もうひとつ、対中戦略においても積極的な役割を自衛隊が担おうとしています。米軍ではなくて自衛隊が、中国軍が出てくるんだったらまず俺にやらせてくれということです。アメリカも「ハイハイどうぞ」ということです。先ほど紹介した木内啓人の論文では「我が国としては、当面、昨年12月に閣議決定された防衛計画の大綱に示されている『動的防衛力』を構築するに当たっては、JASBC(統合エア・シー・バトル構想・Joint AirSea Battle Concept)の開発動向を踏まえつつ、新たな戦略環境に適した組織・編成及び装備体系への転換を図るとともに、同盟国等との関係を一層緊密化することによって実効的な抑止及び対処に資する防衛態勢を構築していく必要があろう。」と言っています。

この10年間で海上自衛隊はものすごく増強されています。前泊博盛さんが書いた「沖縄と米軍基地」(角川ワンテーマ21新書)がわかりやすいんですが、中国海軍の軍拡があって自衛隊が増強したんじゃなくて自衛隊が増強したから中国が増強した。特にヘリ空母ですね。中国の空母が問題だといいますが、まず日本が実質的な空母を持ったんです。空母というのは昔の真珠湾攻撃のような映像を思い浮かべるのは間違いで、いまの空母は洋上出撃拠点なんですね。洋上出撃拠点の空母があってさらに戦闘地域に近いところには強襲揚陸艦、これは海に浮かぶ基地です。洋上出撃拠点からオスプレイが飛ぶ、無人機が飛ぶという、本当にSFみたいなことなんです。

日本では「ひゅうが型」というヘリ空母を持っていて、2013年度防衛予算でも周辺海域の情報収集、警戒監視、安全確保、洋上における抑止力の向上ということで護衛艦を要求しているんですが、これが1隻701億円です。シーレーン防衛といっていた時代がかわいいくらいのもので、台北、グアム、東京の三角形、西太平洋の警戒監視は海上自衛隊の役割です。そういう軍拡をしています。陸上自衛隊も南西シフトです。

沖縄の辺野古基地新設に反対するということで毎月防衛省行動をしていますが、そこに毎月のように来ている東京労組の仲間で下地さんという方がこの間アジっていて、これはいただきだなと思ったんですが「琉球弧の日米共同軍事要塞化」、これはすごくわかりやすいです。沖縄の米軍基地は機能アップはされるんですが、整理・縮小・合理化なんですね。部分的に土地を返すということはあるんです。増強されるのは自衛隊なんです。辺野古にこだわるのは戦前大浦湾に海軍基地があって自衛隊も狙っているんじゃないか。米軍基地が返還されると自衛隊施設になることが多いんですね。朝霞もそうです。そうすると米軍基地じゃないから、自衛隊施設は地位協定で勝手に共同使用といえばいつでも使えることになっているので返還しておいて日米共同で、というかたちで数字の上では負担軽減とかいくらでもやれるわけです。

今後の自衛隊再編

またまた防衛大綱の見直しが考えられています。防衛大綱は1976年に最初の大綱ができて、1995年にその大綱が見直された。19年たって改定されたわけです。防衛大綱というのはすごく重要な位置を持っているものだと思っていて、大綱が出るたびに私たちはその分析などをパンフレットしてきたんです。1995年に改定があって9年後の2004年に改定があって、6年くらいで2010年に変えられた。そこで基盤防衛力から動的防衛力に概念が大きく変わったわけですが、また見直すという。これからはアメリカの4年ごとの戦力見直し、QDRと周期を同じくして防衛大綱は見直されていくんじゃないかと思っているんです。

自民党の防衛大綱の見直し骨子案が5月30日の産経新聞に出ていて

――自民党の安全保障調査会と国防部会は30日、政府の新たな「防衛計画の大綱」策定に向けた提言をまとめた。防衛政策の基本的概念として、従来の「動的防衛力」に代わり「強靱(きょうじん)な機動的防衛力」を提示。島嶼(とうしょ)防衛強化を打ち出したほか、日本を標的とする弾道ミサイル発射基地など策源地(敵基地)攻撃能力の保有について「検討を開始し、速やかに結論を得る」とした。/今後党内手続きを経て、6月上旬にも安倍晋三首相に提出。これを受け、防衛省は同月中に大綱見直しの中間報告を取りまとめる。/「防衛を取り戻す」と題した提言は、中国の海洋進出や北朝鮮の核・ミサイル開発を強く意識。沖縄県の尖閣諸島など離島奪還を想定し、垂直離着陸型輸送機オスプレイや水陸両用車を備えた「海兵隊的機能」の保持、部隊を迅速に展開させるための輸送能力の大幅拡充などを打ち出した。/ミサイル迎撃能力を高めるため、地対空誘導弾パトリオット(PAC3)やイージス艦の増強を進言。海上自衛隊・自衛艦隊や航空自衛隊・航空総隊と同様に、陸上自衛隊の一体的な運用性を高めるための「陸上総隊」新設も検討課題に挙げた。――

とあります。

ここで「強靱な機動的防衛力」とありますが、民主党政権時代に動的防衛力になったから変えたというだけですね。じつは民主党政権になる前から前の安倍政権時代につくられた諮問委員会で動的防衛力のようなものが出てきて、それを民主党政権がそのまま使ったので、自民党が動的防衛力という言葉を批判する意味はまったくないんです。政権交代して、また自民党に戻ったという変化は、防衛政策では基本的なところでは変わっていない。粛々と自衛隊が海外でも周辺でも動的に動かせる構造、さらにトップダウンで緊急事態に意志決定ができるような仕組みを作るというのは、民主党時代も歯止めがかからずに着々と進行していきました。

さらに「 日本を標的とする弾道ミサイル発射基地など策源地(敵基地)攻撃能力の保有について『検討を開始し、速やかに結論を得る』とした。」とあって敵基地攻撃まで防衛だというんです。「防衛を取り戻す」とか言って、何でも取り戻すんですね。自衛隊もオスプレイを買って自衛隊版の海兵隊をつくるということです。

ここで見落としてはならないのは、中国脅威論で購入され整備されている防衛力は、海外派兵でも使えるものです。先ほどの大型護衛艦などはインド洋にも展開できるものです。PAC3も、アメリカはどういう使い方をしているかというと、湾岸戦争とかイラク戦争を見てもらえれば分かるように、クウェートにあるテントでつくった司令部を守るために展開されています。防衛のため、中国脅威のためと言われているものも、海外派兵にも使えるものだということも頭の隅に置いていただけるといいと思います。

日米安保の新たな分野

日米安保協力の新たな分野として宇宙からの監視、サイバーテロ対処そしていま盛んに言われているのがホームグロウンドテロ対策です。アルジェリア事件に関わった人にもカナダ人がいた、そしてこの前のボストンテロですね。どこか外国からアルカイダのメンバーが潜入するというのではなくて、先進国の中で生まれ育った人間、場合によってはアラブ系の人などが差別や抑圧を受けてというのではなくて、白人の若者の中でウェブサイトを見てアルカイダがかっこいいと思って参加する人がいるとかいないとかを言い出しています。つまり脅威がなくなると脅威をつくるんですね。

冷戦が終わったらテロだと言い、対テロ戦争がぴんと来てくれないなとなってくると中国だと言う。ですからこちらが脅威というものを、あるものだという前提で運動を組むと間違えると思うんです。いまテロの中で強調されているのはホームグロウンドテロです。これは90年代の、これからは非国家主体によるテロなども脅威だと言い出したときからそうですが、軍事が警察化し警察が軍事化するわけです。領海警備でも海上自衛隊が警察化し、海上保安庁が軍事化する。これらのことは自衛隊を国軍にしなくてもできるので着々と実質的な改憲は進められています。

今後の日米安保と改憲問題の関わり

今後の日米安保と改憲問題との関わりですが、日米安保は再編される度に自衛隊の役割が拡大されてきました。今後もそうなると思います。アメリカとも自衛隊幹部とも知識人たちは認識を共有しています。外務省の外郭団体が出している「外交」という雑誌があります。時事通信から出ているんですが、その「外交」17号の特集「2032年 未来予測を超えて」という中で、2032年が中国のパワーの頂点だと予測しています。2032年まで中国のパワーを何とかしのげばこっちのものだというような話です。防衛省や自衛隊の雑誌ではなくて外務省の雑誌です。そこに東大教授の北岡伸一が書いています。

「東アジアに前近代的な中国を中心とする陰紋的な秩序は、よほどのことがない限り、成立しないであろう。とはいえ、それは無条件ではない。関係国がそれぞれの国の発展に向け、リベラルな国際秩序を尊重する方向で努力することが、最低限度の必要条件である。なかでも鍵は、合従国の中で最大の経済大国であり、また最大の軍事力を持つ日本である。

日本が経済を立て直し、防衛力に力を入れ、周近国との連携に力を入れることが不可欠である。デフレからの脱却、成長戦略の加速、増税と社会福祉の圧縮による政府累積債務の削減などを行うと同時に、国家安全保障会議の設立、集団的自衛権の行使を可能とするような憲法解釈の変更、専守防衛政策を変更して、米国との責任分担を変更して、日本がより大きな責任を負うこと、防衛費を増やして、装備の近代化効率化を進めることなどが、最低限度必要である。

ここで注意しておきたいことは、リアリズムと観念的右翼化を区別することである。国家安全保障会議にせよ、専守防衛政策の変更にせよ、防衛費をある程度増加することにせよ、あるいは憲法9粂の第二項(戦力不保持)を削除あるいは修正することは、世界の国々においてごく普通のことであって、何ら特異なことではない。こういう政策を右傾と呼んで批判する論者が、外国にも国内にもいるが、これは誤りである。

他方で、日本は侵略をしていないとか、日本は周辺国に対して優れた国だというような主張は、事実において問題があるのみならず、これまで述べてきた周辺国との連帯を妨げる主張である。これが観念的右傾化であり、日本のためにも世界のためにも、避けなければならない。

これらの政策によって、中国の勢いが弱り始める2030年まで、東アジアの秩序を維持しておくことが決定的に重要だ。それは何も中国を敵視することではない。中国はこのような国際秩序の中で、十分発展していけるはずである。そのことを中国が理解して、責任ある大国となることを保すための、合従であるにすぎない。」

観念的右翼と同列化されないように歴史認識だけはちょっとおとなしくしようね、というところが安倍と違うだけです。このような素朴な勢力均衡論に先祖返りした話が大手を振っていて、私が学生の時の相互依存論などというのはどこに行ってしまったんだろう。普通に一般教養的な国際政治学の授業を受けていても、相互依存で戦争はリスクが大きくて割が合わないなんていうことはよく言われたものですよね。勢力均衡論なんて言うとその教授からお前の頭の中は三国志かなんて言われたものですけれども、それが逆になってしまったというのはどうなっているんだろうと思ってしまいます。

市民的自由と権利の制約に対決を

最後ですけれどももうひとつ強調しておきたいのがして、それは裏返すと緊急事態法を制定するということですが、最近出ている話では首相と官房長官と外務大臣と防衛大臣のたった4人で最終的には決めてしまうということになるんですね。緊急事態が起きたときは物事を4人で決めるというんです。憲法問題でいうと9条の問題も大きいんですがこの国家緊急権の問題を忘れてはならないと思います。緊急事態においては超憲法的に執行権を行政が発揮できるということを国家緊急権といいますが、それはないというのがいまの憲法です。戦争放棄をしたのだから国家緊急権はないということです。明文的には規定されていないわけです。しかしこの国家安全保障会議というのは国家緊急権を前提にしているものですね。

国家緊急権を前提にすると、恐ろしいのはワイマール憲法を死滅させたのはまさにこれだということなんです。国家緊急事態の時には大統領にすべての権力を集中するという授権法を使って、ヒトラーは自由や権利や民主主義を否定したわけです。決してワイマール憲法を覆して新しい憲法を制定したわけではないんですね。民主主義的に民主主義を葬る劇薬がこの国家緊急権です。それを前提にした国家安全保障会議を制定させてはならないんです。これを明文改憲もしないでやろうとしているということ自体が問題ですが、しかもこれが緊急事態の時だけではなくて平素からあって、平素から安全保障政策などを立てるという役割を持つわけです。そこには当然自衛隊OBなどが入っていくわけです。それに合わせたかたちで防衛省再編も着々と進んでいます。

そういう発想からすると何でも軍事で解決できるはずだという考えがあって、でも軍事が先行すればどういうことが起きるのか、平素からあることがとても怖いわけです。平素から脅威に備えるということでできたのがCIAです。自由と民主主義の国アメリカを脅かす敵がどこかに潜んでいるかもしれないから、怪しいやつを探すということでできたのがCIAです。情報を収集して危機管理に役立てる、諜報するということは裏返すと防諜だ、情報を漏れないようにする。情報を洩らすやつがいるかもしれないので秘密保全法、これが治安と重なると共謀罪です。

この秋は、この選挙がどうなろうと、明文改憲がちょっと沈静化しようとも憲法の根本に関わり、私たちの人権の根本に関わることにものすごく踏み込んだ再編が行われようとしていることと対決していかなければいけないと思います。カギになるのはやっぱり沖縄だと思っていて、沖縄に行くとか沖縄と連帯する運動に参加するだけじゃなくて、沖縄の反戦運動を孤立化させてはいけない。最後の抵抗のよりどころとして沖縄があって、かつてゲバラが言ったベトナムを支援するんじゃなくて第2第3のベトナムを、というか沖縄と連帯するのであれば、第2第3の沖縄を私たちが作れるかということを考えるべきではないかと思います。この前沖縄から来た人たちに右翼たちが銀座でものすごい悪罵を投げかけた。ああいう状況を何とか変えて第2第3の沖縄をつくるような運動をこちらでもつくりたいと思っています。

日米安保と改憲にどう向き合うか

最後にビラを配ります。7月7日に池袋で改憲反対のデモをやろうと思っています。ぜひ参加していただきたいということと、それから今年東京国体で銃剣道大会というのが練馬で行われます。銃剣道というのは戦前軍事教練で学校でも行われた、いわゆる突きの訓練です。映画でも日本軍の虐殺のシーンに出てくるもの、新兵の度胸試しで捕虜を刺せというあれです。リーフレットを見ていただければ分かるんですが、一度GHQによって禁止されたんですが自衛隊が復活させました。いまでも「戦技」として行われています。それが国体の種目になっていて、少年の部で高校生が出場します。練馬区の都立光が丘高校の剣道部の生徒が東京都代表です。もちろん教えているのは元自衛官などです。

じわじわと社会の軍事化というのも進んでいる。怖いことだと思うので何とか歯止めをかけていきたいと思います。では自衛隊っていまゴリゴリのイデオロギー集団かというと決してそんなことはありません。よく憲法9条が自衛隊を守っているという言い方をしますけれども、ビラをまいていてもそれを感じます。

駐屯祭でビラをまいていてもむしろ隊員らしき、非番でほかの駐屯地から来たらしい人あるいは家族でこそっとビラを受け取ってくれる方が少なからずいます。練馬の平和委員会の方が僕なんかよりずっとウオッチしているんですが、この前その人が道を歩いていたら隊員の奥さんから声をかけられて国軍になったら夫の仕事は変わっちゃうんでしょうかと聞かれたというんです。自衛官やその家族は決して殺し殺されたいとは思っていません。去年駐屯祭でビラを配っていても文句を言いに来るのはネット右翼ふうの連中です。一緒に配っていた東水労の人が自衛隊よりも見に来る若者の方が怖いよといっていましたけれども、逆に言えばそういう人が隊員を追い詰めるんですね。そういう若者と何年か前に話す機会があって、じゃあキミが自衛隊に入隊したらといったら「それはまずいっすよ、やばいっすよ、いやっすよ」と言うんです。自分の血は流さないけど人の血を流させるというナショナリズム、それが社会の中に蔓延しているということと対決していかなければいけないと思います。以上で終わります。

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