私と憲法146号(2013年6月25日号)


初動でつまずいた第2次安倍政権の改憲策動、来る参院選で安倍ら改憲派の3分の2を阻止しよう

本誌で何度も協調してきたが、間近に迫った参議院選挙が、今後の改憲問題の帰趨に重大な影響を及ぼすことはいうまでもない。この状況を明らかにするために、この間の憲法審査会の審議を概括しておきたい。

(1)
「憲法改正」を自己の使命と自負する第2次安倍政権下で開催された第183通常国会では、衆参両院の憲法審査会を舞台にして憲法論議が行われ、衆議院で11回、参議院で6回、計17回の実質審議が行われた。

今国会の冒頭で安倍首相が96条先行改憲論を展開したことに危機感を抱いた多くの市民が毎回多数、傍聴に詰めかけ、第96条がテーマとなった5月9日の衆院審査会においては、立ち見もでて傍聴人の入れ替え措置がとられる寸前にまでなったほどだった。

しかし、その審議の実態は、例えば衆議院憲法審査会では自民党委員の出席率があまりにも悪く、その「本気度」が疑われるような目に余る事態が繰り返された。最悪の例は自民党が東日本大震災などを口実にして憲法に導入しようとした「緊急事態」条項がテーマとなった5月23日の衆院審査会で、50名の委員中、31名いる自民党委員の出席はしばしば10数名になるという事態で、「委員の半数以上」とされる審査会の定足数が割れそうになり、共産党の笠井亮委員が大声で審査の中止を要求したほどであった。出席していても大口を開いて熟睡している委員もいる始末だ。衆院審査会の保利耕輔会長(自民党)は会議終了後、自民党の船田一筆頭幹事に「欠席の場合は代理を出席させよ」と命令、船田幹事は自民党の全委員に異例の文書を送付した。このように、ひんぱんな憲法議論を重ねたという実績は作ったが、決して熱心に行われたとは言い難いものがあった。

安倍政権下の憲法審査会は3月から始まり、衆議院では前民主党野田政権下で始まった「憲法全文のレビュー(見直し)」が第4章までで中途半端になっていたのを引き継ぎ、再度、4章までをわずか2回で終え、その後、各条章のレビューを6回行った。この審議を推進した自民党の狙いは、ともかく憲法審査会で憲法全章のレビューをやり終えて、改憲案の審議への道を開くところにあった。その後、「レビューをやる」との幹事会での約束を破り、現行憲法にはない「緊急事態条項」について1回、改憲手続き法の「3つの宿題」について2回、審査会が開かれた。
参議院では参考人質疑も交えて「2院制」について3回、「新しい人権」について3回行われた。

これらの憲法審査会の議論を経て明らかになったことがいくつかある。

第1に、第1次安倍政権が失敗した「9条改憲論」ではなく、第2次安倍政権では「96条先行改憲論」で臨んだが、憲法審査会内外で96条改憲論への暴露が広く展開され、その破綻が明らかになった。安倍首相の96条先行改憲論には、参議院の審査会に参考人で出てきた改憲派の論客・小林節教授(慶応大)らまでが反対し、護憲派の社民党、共産党だけでなく、連立与党の公明党も消極論で、民主党、生活の党、みどりの風などからも相次いで反対意見が表明された。各種の世論調査でも96条改憲に多数が反対している。

第2に、議論の終盤には公明党だけでなく、自民党の船田筆頭幹事までが96条先行改憲論に消極論を唱えるなど、与党内の矛盾も露呈し、また96条改憲論のみんなの党が政府機構先行改憲論をとなえ、独自性をしめそうとしたことなど、改憲派のなかの矛盾も顕在化した。その結果、安倍首相は「このままでは国民投票で負ける」とぼやくにいたり、公明党などが応じそうな「9条改憲ではなく、環境権などとの抱き合わせ96条改憲」という憲法の体をなさない改憲論に傾くにいたった。

第3に、参議院の議論では維新の会やみんなの党をのぞく、自民党まで含めてほとんどが現行憲法の「2院制」維持派だったことや、参考人らが「新しい人権」は法的措置でやるべきなどの議論が多く、必ずしも改憲論に誘導されなかったこと。

第4に、第1次安倍内閣が改憲を急いで、審議不十分なまま強行成立させた改憲手続き法の矛盾が表面化したこと。とくに18歳投票権に至っては、選挙権や民法改正との同時実施を要求している同法附則が定めた規定に違反する違法状態にあり、この点で民法を管轄する法務省、選挙権を管轄する総務省などの足並みの乱れが露呈した。現行法制のままでは国民投票は実施できないことから、維新の会が国民投票のみ切り離し実施の主張を強め、法案も提出しており、自民党もこれに傾いている。いずれにしても、参院選後、この「宿題」に取り組まなくてはならなくなっている。

第2次安倍内閣の下で進められてきた両院の憲法審査会で明らかになったことは、安倍首相ら改憲派は先の衆院選で改憲は次に必要な3分の2以上の議席をとり、今度の参院選を通じても3分の2以上をめざしているが、まず96条先行改憲戦略でつまずき、その前途は容易ではない状況にあるということだ。

(2)
改憲論議を積極的にリードしてきた衆議院憲法審査会は、参院選挙後、改憲手続き法の「改定」に着手しようとしている。すでに日本維新の会が同法改定案を提出しており、自民党もこれに賛成する方向だ。改定案は選挙権と民法の成人年齢を同法から切り離して、憲法改正国民投票の選挙権のみ18歳に設定しようとしている(18歳選挙権の実現は当然だが、私たちはこのように事実上破綻した改憲手続き法の出直しを要求する)。

その上で、憲法審査会では改憲案の審議になる。この改憲案がどのようなものとなるか、それは参議院選挙の結果とも大きく関わることであるが、自民党は現在の自公連立政権の下での憲法改定を企てる可能性が大きい。自民党にとって改憲という難事業を進めるには、安定した政権運営が不可欠であり、また改憲国民投票を想定すれば創価学会を背後に持つ公明党の組織力も不可欠である。

維新の会やみんなの党は組織政党ではないだけに不安定だ。自公連立を解消し、維新の会、みんなの党などの改憲勢力と手を組んで改憲に挑戦するのは自民党にとって上策ではない。まして現状では、公明党の支持がなければ小選挙区で自民党が圧倒的多数派になるのは困難である。

自民党は容易に自公連立政権を解消できない。安倍首相らが「96条改憲先行」論を背後に押しやった要因はここにある。自民党にとって公明党の支持のない改憲は事実上、不可能なのだ。自民党は公明党のいう「新しい人権」、あるいは9条第3項で「自衛隊を明記する」加憲と抱き合わせの「96条改憲」論を受け入れざるを得ないのである。

いずれにしても衆議院憲法審査会は幹事会や審査会の場を通じて憲法改正条項をまとめようとする。自民党の船田幹事らが言うように、改憲案の策定の過程で衆参の両院の合同憲法審査会なども開こうとするにちがいない。

まず来る参院選で自民党や、維新の会、みんなの党などの96条改憲を推進する勢力が3分の2以上の議席を確保できるかどうかは当面する憲法闘争において決定的である。社民党、共産党の護憲政党に加えて、96条改憲に反対を表明している民主党、生活の党、みどりの風などが、参議院で3分の1以上の議席を占めることができるかどうか。

そして参院選後、世論を背景に、公明党のいう「新しい人権」などとの加憲と96条抱き合わせ改憲に反対する課題が焦点になる。広範な市民・民衆の運動を背景にした96条改憲から9条改憲に向かう改憲推進と反対の死活を賭けた綱引きが始まることになる。私たちはこのたたかいに勝ち抜かなくてはならない。(事務局 高田健)

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生かそう憲法 輝け9条 あらゆる憲法改悪を許さず
今こそ平和といのちを尊重する社会へ
5・3憲法集会&銀座パレード2013の記録(2)

スピーチ:改憲派の3つの矛盾と憲法9条の生命力

日本共産党委員長 志位和夫

昨年の総選挙では、自民党や維新の会など、むき出しの改憲派が多数を占めるにいたりました。彼らの一番の狙いは、憲法9条を改定して、日本をアメリカとともに海外で戦争をできる国につくりかえるところにあります。

しかし、昨日(5月2日)発表された朝日新聞の世論調査をみても、「9条は変えない方がよい」という方が、52%と国民の過半数ではありませんか。

私は、憲法施行66周年の憲法記念日にあたって、憲法を守り、憲法を生かした日本をつくるために、政治的立場の違いをこえてスクラムをくみ、知恵と力をつくして頑張り抜く決意をまず申し上げるものです。

改憲派が衆議院で多数を占めたことの危険はもとより重大です。同時に、私は、改憲派が次の3つの矛盾を自らつくりだしていることに注目し、その弱点を攻めに攻めるたたかいが大切だと考えています。

第1の矛盾 96条改定を突破口としたことが、多くの人々の批判を広げる

第1の矛盾は、改憲派が、憲法96条改定─憲法改定手続きの緩和を、憲法9条改定の突破□として押し出したことです。このことが、逆に、憲法9条改定の是非をこえて、多くの人々の批判を広げる結果となっているのではないでしょうか。

権力を縛るのが憲法―憲法が憲法でなくなる「禁じ手」は許せない

みなさん。この問題は、単なる「手続き論」や「形式論」の問題ではありません。近代の立憲主義は、主権者である国民が、その人権を保障するために憲法によって国家権力を縛るという考え方にたっています。国民を縛るのが憲法ではありません。権力を縛るのが憲法なのであります。

そのために憲法改定の要件も、時の権力者に都合のいいように、憲法をコロコロと改変することが難しくされております。このことは、世界の多くの国々でも当たり前の大原則になっています。

国会による憲法改定の発議要件を、両院の3分の2以上から、過半数にする。すなわち一般の法律並みにする。これは、憲法が憲法でなくなる「禁じ手」であって、絶対に許すわけにはいきません。

改憲派からも批判の声―96条改定反対の一点で力をあわせよう

自民党や維新の会などは、″96条改定ならばハードルが低い″と見込んでことをはじめました。しかし、これは浅知恵だったと思います。これはとんでもない見込み違いになっていると思います。

日本の弁護士がすべて加入する日本弁護士連合会(日弁連)も、96条改定は断固反対という声明を出しました。

憲法9条改憲派で有名な慶応大学教授の小林節さんは、ラジオ番組のインタビューでこのようにおっしゃいました。

「本来、権力者を制限する、権力者を不自由にするのが憲法ですから、こんなことが許されたら憲法は要らないということになる。良心的な法律家、憲法学者はみな反対するでしょう。体を張って反対する。だって憲法が憲法でなくなっちゃうんですから。裏口入学みたいな改憲は、やったらダメです」

私は、憲法96条改定反対の一点で、一致するすべての政党、団体、個人が協力し、国民的共同を広げ、改憲派の出はなを徹底的にくじくために、力をあわせることを心からよびかけるものです。

第2の矛盾 自民党「改憲案」の時代逆行の内容に、不安と批判が広がる

第2の矛盾は、自民党が、昨年4月に発表した「改憲案」そのものです。ここにもってまいりましたが、そのあまりの時代錯誤、時代逆行の内容にたいして、多くの人々から不安と批判の声が広がっております。

基本的人権を〝不可侵の永久の権利〟とした条文(97条)を全文削除

多くの人々の不安と批判の矛先は、自民党「改憲案」が、憲法9条2項を削除し「国防車」を書き込んでいることとともに、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」とした憲法97条を全文削除し、基本的人権を根底から否定するものとなっていることにむけられています。

憲法21条に保障された表現・結社の自由も、自民党「改憲案」では、「公益及び公の秩序」に反しない範囲のものしか認めないとされています。しかし「公益及び公の秩序」を決めるのはいったい誰でしょうか。時の権力者でしょう。そういうことになりましたら、あれこれの「人権」を掲げながら、それを「法律の範囲内」に押し縮めて、国民を無権利状態においやった大日本帝国憲法と少しも変わらなくなってしまうではありませんか。

雑誌『アエラ』が、この問題について特集をして、「もしも自民党草案が憲法になったら」どうなるか、というシミュレーションを行っています。シミュレーションによると、このようなことになるといいます。

「先日は、皇室のあり方をテーマにした集会が中止になった。憲法が禁じる『公益及び公の秩序に反する行為』にあたる恐れがあると国が指摘し、市民会館が会場の利用を断ったとか。最近、同じ理由で原発反対デモも警官隊に解散させられていたけど、改憲以来、国が市民活動を制限するケースが目立つ」
こういう日本にすることを、いったい誰が望むでしょうか。

米紙も″世界中の人権擁護グループは反対世論の喚起を″とよびかけ

アメリカの新聞ロサンゼルス・タイムズは、自民党「改憲案」を痛烈に批判する論説を書きました。こう言っております。

「自民党は、権威主義日本、軍国日本に向けた基礎を築くための提案をしているのである。…世界中の人権擁護グループは、自民党による憲法に関する革命に反対する世論を喚起すべきである」

よく自民党は、「日米は価値観を共有している」といいますね。しかし、「すべての人間は生まれながらにして不可侵の基本的人権を与えられている」という思想の世界史的源流はどこか。1776年のアメリカの「独立宣言」ではありませんか。その条項を丸ごと削ってしまったら、アメリカから見ても「独立宣言」の精神の否定になるのではないでしょうか。

私は、この自民党「改憲案」を読むことをお勧めしたいと思います。「とにかく読んでみてください」ということをいいたいと思います。一読すれば、誰でも必ず背筋がぞっとします。

このような人類普遍の基本的人権すら否定して恥じない勢力が、憲法9条改定をもちだしている危険性を広く国民に明らかにしていこうではありませんか。

第3の矛盾 侵略戦争肯定・美化の本性をむき出しにしたこと

第3の矛盾は、9条改憲をめざす安倍政権が、この間、過去の侵略戦争と植民地支配を肯定・美化する歴史逆行の本性をむきだしにしたことであります。

靖国問題、「村山談話」見直し─侵略戦争肯定の立場は許せない

麻生副総理ら4閣僚が靖国神社に参拝し、安倍首相は真榊(まさかき)を奉納しました。靖国神社はA級戦犯を合祀していることだけが問題なのではありません。過去の日本軍国主義による侵略戦争を「自存自衛の正義のたたかい」「アジア解放のたたかい」と丸ごと美化し、宣伝することを、その存在意義とする特殊な施設であることこそ、最大の問題であります。ここへの参拝や奉納は、侵略戦争を肯定する立場に自らの身を置くことを宣言するものにほかなりません。

安倍首相は、韓国や中国などからの批判にたいして、「わが閣僚においては、どんな脅かしにも屈しない」と言い放ちました。この傲慢きわまる姿勢、この居直りの姿勢を許すわけにはいかないではありませんか。

さらに安倍首相が、「村山談話」の見直しに言及し、「侵略の定義は定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」とのべたことも重大です。あの戦争を侵略といわないつもりでしょうか。ポツダム宣言を認めないつもりでしょうか。首相が、過去の侵略と植民地支配を「国策の誤り」と認めた「村山談話]の到達点を、大幅に後退させようという歴史逆行の意図をもっていることは明らかです。これは絶対に許してはならないということを、私は訴えたいのです。

戦争の善悪の区別もつかない勢力が、武力で海外にのりだす危険

米国の主要紙もそろって社説で安倍首相の恥知らずな言動を厳しく批判しました。過去の侵略戦争を肯定・美化する勢力─戦争の善悪の区別もつかない勢力が、憲法9条を変えて海外に武力でのりだすことほど危険なものはありません。

みなさん。国会の中だけみれば、改憲派は数が多いように見えます。しかし国民の中では理性をもって憲法問題を考えようという人々が多数であります。

そして、安倍内閣の改憲への暴走は、自ら矛盾と破たんをつくりだしています。その弱点を徹底的に突き、この暴走を世論と運動で孤立させるために、力をつくそうではありませんか。

9条の生命力を生かし、アジアと世界の平和に貢献する日本を

改憲派は、「北朝鮮や中国との関係を考えても憲法改定が必要」との宣伝を行っています。維新の会の石原共同代表などは、党首討論で、北朝鮮問題は「改憲の好機」だとまで言って、憲法改定をけしかけました。

北朝鮮、中国─道理にたった外交交渉による解決に徹することこそ

しかしみなさん。北朝鮮問題にしても、中国との紛争問題にしても、何よりも大切なことは、道理にたった外交交渉による解決に徹するということではないでしょうか。この点で、安倍首相はそういう努力をやっていますか。どちらの問題についても、対話による解決の外交戦略をもっていないではありませんか。

もっぱら「力対力」の立場にたって、これらの問題を、軍事力強化、憲法9条改定に利用しようという態度をとっていることこそ、思慮も分別もない最悪の党略的態度だということを、私は言いたいと思います。

ASEAN方式(紛争の対話による解決)を北東アジアに広げよう

みなさん。人類社会で紛争─もめ事をなくすことは難しいかもしれません。しかし紛争を戦争にしないことはできます。人類の英知によってそれは可能です。

現に東南アジアの国々─ASEAN(東南アジア諸国連合)は、TAC(東南アジア友好協力条約)やARF(アセアン地域フォーフム)など、多国間の対話の枠組みをつくり、それを域外にも広げていますが、その合言葉は、「紛争を戦争にしない」「紛争の対話による解決」であります。

こうしたASEAN方式─アセアン・ウェイを、北東アジアに広げるという構想こそ大切ではないでしょうか。

そして「紛争を戦争にしない」という点では、その最も先駆的な財産を私たち日本国民はもっているではありませんか。それが憲法第9条です。

みなさん。憲法9条を守りぬくとともに、その生命力を存分に生かして、アジアの平和、世界の平和に貢献する日本をつくろうではありませんか。そのことを訴えまして、私のあいさつとさせていただきます。ありがとうございました。

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スピーチ:自由と権利、表現や結社の自由を制限する自民党改憲案は明治憲法と同質

社民党党首 福島 みずほ

みなさん、今日は本当に大事な日です。安倍総理が「憲法をライフワークだ」といい、維新の会の代表の石原さんと橋下さんが、徴兵制にまで言及をする。そして安倍総理は参議院選挙後、維新の会などとともに、96条の改正をすると公言をしています。

5月3日のこの憲法記念日を、いままでとは全く違う、日本国憲法が改悪されるかもしれない、そんな危機感のもとで私たちは迎えています。ここに集まられたすべてのみなさん、また日本国憲法は大事だと思っていらっしゃるすべての国民のみなさん。今日を境にさらに日本国憲法を生かしていく、守っていく、そんな草の根の燎原の炎のような闘いをともにやっていこうではありませんか。

被災地に沖縄に日本社会に憲法を生かすことこそ

日本国憲法、ほんとうに大事です。被災地に行って、被災地のみなさんに聞きました。「福島さん。被災地にこそ日本国憲法を」。そのとおりです。生存権、幸福追求権が、侵害されたままになっています。さきほど加藤弁護士から話がありました。沖縄には、日本国憲法が規定する平和的生存権がまだ実現しておりません。生活保護の受給の引き下げなど憲法25条が規定する生存権を侵害するものではないでしょうか。そして法の下の平等を定めた14条、女性の権利、障害のある方たちの権利、さまざまな権利が侵害されたまま。まだまだ、法の下の平等を私たちは実現していかなければならない。そう思っています。いまの日本の社会で本当に必要なことは、日本国憲法が規定するさまざまな価値を、権利を、生かし、輝かせ、実現していくことにこそあるのではないでしようか。

自民党改憲案─国民縛る「為政者のよる為政者のための憲法」

にもかかわらず、なぜ憲法改悪なんでしょうか。自民党は去年の4月27日、「日本国憲法改正草案」を発表しました。

まず第1に国民にたくさんの義務規定をおいています。国防の義務、そして日の丸・君が代=国旗・国歌尊重の義務、公益及び公の秩序に従う義務、緊急事態のときに命令・指示に従う義務、などです。さらには家族の助け合いまで規定をしています。24条のトップに「家族は、互いに助け合わなければならない」。こんな義務を設けるというのが自民党の案です。憲法にこんなことを書くなんて大きなお世話だと思いますが、みなさんどうですか。家族の助け合い義務は自己責任、自助の強調になってしまうのではないか。介護や生活保護や子育て支援を自己責任として押し付けることになるのではないかと、大きな懸念をもっております。

そして自民党案の極めつけは、これらの憲法を尊重せよと国民に憲法尊重擁護義務を規定していることです。日本国憲法は総理大臣、国務大臣、公務員、天皇・摂政などにこそ憲法の尊重擁護義務を規定しています。憲法とは国民が政府にたいして表現の自由を侵害するな、日本国憲法は政府に対して戦争をするな、そういって国を縛っているものです。それを自民党の「日本国憲法改正草案」は国民を明確に縛るものとなっています。

自民党がつくろうとしている憲法は、為政者の為政者による為政者のための憲法です。この自民党がつくろうとしている憲法は、私は憲法ですらないと思いますがみなさんどうでしょうか。どこの世界に国民を縛る憲法などあるでしょうか。憲法もどきです。憲法もどきの憲法をつくろうとしている自民党に憲法を語る資格などないと思いますが、どうでしょうか。

自民党改憲案─「公益及び公の秩序」で基本的人権を認めない

第2に、自民党「日本国憲法改正草案」は、基本的人権を認めない憲法です。自民党の「Q&A」はこう書いています。「現行憲法の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されていることから、こうした規定は改める必要があると考えました」としています。「天賦人権説」を否定しているのです。この「草案」はアメリカの独立宣言やフランスの人権宣言などに示されている「すべての人間は生まれながらして自由、平等で幸福を追求する権利をもつ」という「天賦人権説」を否定しています。自民党は基本的人権が嫌いなのでしょうか。

自民党「日本国憲法改正草案」は、表現の自由も結社の自由も「公益及び公の秩序」によって制限できる、としています。でもみなさん。「公益」とは何でしょうか。国策のことでしょう。政府の政策に限りなく近づいてしまうのではないでしょうか。このことを安倍総理に予算委員会で質問しました。「上関原発新設の設置許可が仮におこなわれた場合、山口県の上関原発に反対する活動、表現の自由は公益に反するのですか。沖縄辺野古沖に海上基地をつくるのは自民党の規定路線です。これに反対するNGOの活動は公益に反するのでしょうか」。総理はこれに対して「上関原発に反対している人たちは法令に反している。表現の自由で暴れて人を殴ったり怪我をさせている。もうこれはダメですよ」などと答えました。まったく答えになっていません。多数決によって選ばれた正当な国会・政府が少数者の人権を制約してはならないという考え方が立憲主義の考え方です。

また「公の秩序」とは何でしょうか。明治憲法が規定していた安寧秩序でしょうか。治安維持法や国家保安法をつくるのでしようか。

今まで基本的人権は日本国憲法下で「公共の福祉」という概念を使いながら人権の衝突概念、利益の考量で人権を保障してきました。表現の自由はもちろん大事です。でもプライバシー権との関係でどうか。こういう考え方をしてきたわけです。明確に、ある人権とある人権、何を理由に制限するか。そのことをきわめて緻密に考えてきました。しかし、自民党の「日本国憲法改正草案」は、それをやめる。「Q&A」では、このように規定しています。「『公共の福祉』という文言を『公益及び公の秩序』と改正することにより、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにした」。つまり人権の衝突によって考えない、と明確に述べています。つまり、人権の衝突ではなく、「公益及び公の秩序」という大きな概念を上からかぶせることによって基本的人権を制限できる、としているのです。基本的人権の上に「公益及び公の秩序」があるということになれば、基本的人権はいくらでも制限が可能です。過半数で国会で法律をつくり、いくらでも表現の自由を、結社の自由を、信教の自由を、思想・良心の自由を制限することが可能です。大日本帝国憲法は、「法律の範囲内」で信教の自由を設けるなど、法律の留保をつけていました。ですから、大日本帝国憲法下で、権利は規定されていたけれども、治安維持法、国家総動員法、国家徴用令、さまざまな治安維持的な法律が200近くできて、最後は権利が紙くずのようになってしまいました。今度の自民党「改正草案」も一緒です。「公益及び公の秩序」という概念で法律をつくりさえすれば、多数者の横暴で法律をつくりさえすれば、いくらでも基本的人権の制限が可能です。そして戦争はいくら法律を作ってもできない、そのことを変えようとしている自民党「日本国憲法改正草案」は基本的人権を明確に破壊するものです。ですから、自民党「憲法改正草案」が基本的人権の上に「公益及び公の秩序」を置く、基本的人権の上に国家を置くものだ、と思っています。国家のための憲法です。

主権者であるみなさん。こんな憲法のもとで暮らしたいと思われますか。こんな憲法のもとで表現の自由も結社の自由も、思想・良心の自由もいずれ破壊されるこんな憲法を、どんな立場であれ許すことはできないと思いますが、どうでしょうか。自民党「憲法改正草案」に断固反対をしていきましょう。

憲法9条は戦後の日本の決意─自民党改憲案を許さない

自民党「憲法改正草案」の3つ目の問題は、憲法9条を変えて国防軍とし、そして交戦権を認め、武力行使を認め、集団的自衛権を認めるとしているというものです。アメリカの世界戦略に基づいて、アメリカとともに世界で戦争ができる、それをするために9条の改悪をしようとしています。

もし憲法9条が変えられていたらどうでしょうか。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争にも日本の国防軍がアメリカとともに参戦し、人々を殺していたかもしれない。あのファルージャで米軍とともに、イラクで人々を殺していたかもしれない、そう思います。日本の政府は、絶対にいままでは武力行使はできなかった。それを変えるというのが、まさに自民党がやりたいことです。

この国防軍が自民党案によれば、治安出動もすると書いてあります。いまはデモの警備は警察がやっていますが、国防軍がデモの警備にやってくる日が日本で訪れるかもしれません。そして軍法会議を設け、裁判官、弁護人、検察官の全員が軍人、果たして公開の法廷が保障されるでしょうか。特別裁判所を設け、ここで軍人たちを裁いていく。日本の中に軍隊があることを前提に、すべてのシステムが変わっていく。そのことにたいへん危惧をもっております。

日本国憲法18条は、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」と書いています。徴兵制を違憲とするための根拠規定と考えられています。自民党はこれを削除しています。徴兵制を合憲とするために削除したのではないか、と私は考えています。

第2次大戦中、2000万人以上といわれるアジアの人々が亡くなり、空襲も含め兵隊さんも含め300万人以上の日本の人たちが亡くなりました。多くの人たちの犠牲の上に、戦後、私たちは日本国憲法を手にしました。戦後の決意は、戦争をしない、うちの子もよその子も戦争には出さない、これが戦後の日本の決意であり、日本の戦後の政治の重要な部分だと思いますが、みなさんどうでしょうか。自民党の「改正草案」はここを変える、戦後の日本の決意を変えさせてはならない、そう思っております。

自民党はさらに武器輸出の緩和、国連での核兵器廃絶の共同声明の署名拒否など、戦後の取り組みを転換しつつあります。村山談話や河野談話の見直しさえ言及しています。戦後の、人々が勝ち取ってきたこの成果を変えさせてはなりません。

手をつなぎ立憲主義の否定、96条改憲許さない

ところで安倍総理は、憲法改正手続きを定めた憲法96条の改正からおこなうとし、参議院選挙後、維新の会などとあわせて衆参で3分の2を確保しようとしています。これを絶対に阻止しなければなりません。3分の2の発議の要件を過半数にすれば、時の政府がいつだって自分たちの都合のいいときに、憲法改正の発議ができるようになります。過半数というのは、法律の成立要件といっしょです。時の政府がいつだって憲法改正の発議ができる。自分たちの都合のいいときに憲法改正の発議ができる、これを多数決の横暴と言わずして何といいましょう。

自民党は日本の憲法のことを世界的に見ても改正しにくい憲法となっていますと言っていますが、そうではありません。最高法規である憲法を簡単に変えさせてはならない、多数決の横暴によって変えてはならない、というのが立憲主義の考え方です。憲法学者の小林節さんは、「ピストルを何のために使うか言わないで、ピストルを貸してくれと言うようなものだ」と批判をしています。小林教授は改憲論者ですが96条先行改憲への批判はまったくその通りだと思います。自分たちは自民党「憲法改正草案」を発表しておきながら、96条からやろうとするなんて、姑息な手段だと私は思います。堂々と言えばいいではないですか。自民党の幹事長は「96条改正は9条を改正するためだ」と言っています。

ここにいらっしゃるみなさん、日本国憲法に励まされてきた主権者のみなさん。93条改正を何のためにするのか、こんな問題のある自民党「日本国憲法改正草案」、憲法でもないものをつくるための96条改正を阻止するために、すべての人たちと手をつないでいこうではありませんか。

私たちは3月11日の原発事故を経験し、脱原発を実現しなければなりません。沖縄などへの重い基地負担をおしつけ辺野古沖に海上基地をつくることを断念させなければなりません。オスプレイや米軍機が日本全国で訓練することも変えていきましょう。今年の憲法記念日、私もみなさかんたちと同じように特別の感慨をもってこの日を迎えています。憲法改悪が具体的な俎上に上り、国会で多くの人たちが憲法改正のために力を合わせようとしている。ならば主権者である国民のみなさん、国会の内外で手をつなぎ、こういう憲法改悪の策動を共に阻止していこうではありませんか。私たちは国会の中で、「立憲フォーラム議員連盟」、あるいは「憲法13条を考える議員連盟」をたちあげ、さらに96条改憲阻止をめざしいろんな政党と手をつなぎ、何としても憲法改悪をさせず、日本国憲法がこれからも輝きつづけ、私たちを励まし、日本を戦争をしない国であり続けるためにともにがんばりましょう。今日を境に全国でさらに大きな護憲の輪、憲法を生かすうねりをともに作っていきましょう。

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第78回市民憲法講座:96条改憲」論の意味・狙いと私たちの課題――いま、憲法を学び、活かし、守ることの意義――

小沢隆一さん(東京慈恵会医科大学) 

(編集部註)5月18日の講座で小沢隆一さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。

日本国憲法制定以来「最大の危機」――「ブーランジェ将軍の悲劇」に見るファシズム

わたしは以前この会でお話をさせていただいたことがあります。今日は少し突っ込んだ話をしてみたいと思います。ただその話をする前に、最近の憲法や政治について考えるにつけてもやっぱり維新の変な動きが気になるわけです。橋下、石原、西村という妄言を繰りかえす維新の動きをどう考えるのか。要するにマスコミに出たいがためにあんなことにまで手を出しちゃったのかとも見えるわけですが、結果としては維新の政治的な自殺行為になりかねない、あるいはしなきゃいけないことだと思うんですね。この政治的な自殺ということについて、わたしは維新が出た当初から]

最後はもしかしたら自殺するかもしれない。これは肉体的な自殺という意味ではなくて、最後は政治勢力として自殺・自滅という末路をたどるんじゃないかと、半分期待も込めてですが思っていました。

大佛次郎さんが「ブーランジェ将軍の悲劇」という歴史小説を書いています。大佛次郎さんは、「パリ燃ゆ」とかパリ・コミューンを題材にした小説をいくつも書いています。そのうちのひとつとしてフランスの世紀のえん罪事件を素材にした「ドレフュス事件」という歴史小説と合本で、「ブーランジェ将軍の悲劇」という作品が朝日新聞出版局から出ています。ずいぶん古い本ですがおもしろいんです。

「ブーランジェ将軍の悲劇」は1935年、ドイツや日本でまさに軍国主義の足音がするさなかに書いたんですね。ブーランジェ事件というのは、フランスの事件ですが、ヨーロッパではこれがファシズムの走りだと見られている事件です。ヨーロッパのファシズム論ではこれが最初だと見られています。19世紀の末、1887年くらいに起こった事件で、ドレフュス事件がその数年後ですのでドレフュス事件よりも前に起きた事件です。なぜこんな話をするかというと、橋下とか名古屋の河村などの政治行動のパターンが、ブーランジェとよく似ているんです。いわゆるポピュリズム、これによく似ているんですね。

ブーランジェという人はもともと軍人です。退役して一度陸軍大臣になるんです。陸軍大臣になってまず陸軍の民主化を手がけます。当時のフランスはパリ・コミューンのあとだけれど、まだ軍は非常に保守的なんですね。ナポレオン時代からの軍人がまだそのまま軍人でいますから、非常に保守的なグループです。そういう保守的な軍隊を、共和国の新しい軍に改革しようとしたことで名声を博します。それから、当時のフランスでは労働運動がどんどん始まる。あるとき炭鉱のストライキに政府が軍を出そうとします。ところが、われわれは炭鉱夫に連帯すると言って、ブーランジェ陸軍大臣は軍を出さない。これは労働者民衆からすれば拍手喝采です。共和国を守る将軍だということで、一世を風靡します。

ところがその後、彼はどんどん右翼になっていく。彼が一番名声を博したのはドイツとの間で緊張関係が高まったときに、要するにドイツ討つべし、と主張しました。フランスは普仏戦争でドイツに叩かれてアルザス・ロレーヌ地方を失っています。それでアルザス・ロレーヌ奪回、ドイツ討つべし、でフランス国内で愛国主義が盛り上がっている中で、彼はそれを率先して言うわけです。よく似ていますよね。尖閣諸島で中国討つべし、竹島で韓国討つべし。本当に討つかどうかはともかく、そういう世論を国内でどんどんあおる急先鋒に彼はなっていく。そうすると彼のところに右翼がくっついてくる。もともとは左翼的なところ、共和派から頭角を現してきた彼に、右翼とかナショナリストがどんどんくっついて、彼もそちらにどんどん引っ張られていくわけです。大阪維新の会が日本維新の会になっていく時とそっくりです。ばりばりの右翼が彼の政治参謀につくことになるわけです。

橋下とか河村によく似ていると言いました。このブーランジェという人の政治行動のパターンは次から次へと選挙に立候補して、それで圧倒的な多数で勝利するというやり方です。そして議員になったら、議員としての活動はしない。補欠選挙があると、議員のまますぐに立候補する。当時のフランスの補欠選挙というのは小選挙区ですが、例えば3つの選挙区に空きが出ると一人で3つとも立候補できる。3つ立候補して当選したあと、どの選挙区の議員になるかは選んで良い。そしてブーランジェがひとつの選挙区を選んだら。空になった選挙区は次点が繰り上がる。3つの選挙区に立候補して3つとも圧倒的に勝利して、だけれども議員活動はしない。また次の選挙、ということで橋下によく似ている。河村とも似ています。住民投票を仕掛けて、自分の政策を支持するかどうかという個人の人気、支持を集めるというやり方を取る。

そうやってブーランジェはどんどん勢力を拡大していって、最終的にブーランジェ派は600議席のうちの30くらいを確保する。次は政権だ、多数派を取る。そうしたら何をやるかというと、憲法改正だというんです。何のために憲法を変えるかというと、要するに私を大統領にするための憲法改正だというんです。いまふうにいえば首相公選制です。似てるでしょ。ですから僕は橋下の選挙参謀にブーランジェ事件のことをよく知っている人がいるんじゃないかと思います。やることなすことまるっきり同じですね。

そうやってどんどん頭角を現していくけれども、ドレフュス事件も結局はドイツとの戦争が是か非かというときに、それはまずい、和平で行こうという方が最終的にはドレフュス事件でも勝つんです。結局ブーランジェ事件の場合でも、こいつにのし上がられたらかなわない、こんなのを首相にしてはいけないということで結束した。ばらばらになっていた保守的な共和主義派、あるいはどちらかというとラディカルな左派的な共和主義派が、共和主義を守れと大同団結をした。それでブーランジェがここぞとばかり大量に候補者を立てた国政進出の選挙で、ぺしゃんこにつぶした。小選挙区制ですから1票でも多ければ勝つわけですが、結局ブーランジェ派は多数を取れなかった。

ブーランジェに対して共和派の策略、ちょっと汚いやり方ですが、国家反逆罪で起訴しろという動きが出てくる。ブーランジェは海外亡命してブーランジェ運動は下火を迎え、最後は隣国ベルギーのブリュッセルの、先に亡くなった愛人の墓の前でピストル自殺をしてしまう。これでブーランジェ事件は終わる、という話です。肉体的な自殺かどうかはともかくとして政治的な自殺行為、権力をとるぞといいながら政治綱領はすかすかです。憲法を変えたいとか、私を首相にしろだとか、ドイツ憎しとか、扇情的なエキセントリックなスローガンだけを掲げて一時的には人気を博してのしていった政治勢力は、最後には下火になるという末路です。

どうもそうなりそうだなというのがいまの維新の動きであって、でもそれはそれで維新が勝手に転んでも、残る改憲勢力はものすごく大きな勢力です。もしかしたら、この維新の政治的な自殺は単に漁夫の利で自民党を勝たせるだけの結果しか出てこないかもしれない。その意味では日本国憲法制定以来最大の危機をなお迎えているといってもいいと思います。そういう中でいま私たちが何をすべきかということを考えてみたいと思います。

憲法をしっかり学んで、同時に私は憲法というのは実際に使ってみて実践の中で活かさなければ、どんなに学んでも学ぼうとしても学びきれないと思うんですね。学校教育の中でこれだけ憲法が教えられていて、教えられていない部分もありますが、大人になって忘れてしまうのか、大事な点が残っていないのかと疑問に思うんですが、それは使ってないからだと思います。使っていなければ頭の中から消えて無くなってしまう。使わなければ学んでも意味がない。使えばその大事さがわかって、学んだことが生きてくるという関係にあると思います。その結果として、私たちが憲法を使った、あるいは人権を使った結果、憲法は守られることになる。権力者に憲法を守らせることになると思います。今日はこんなことをみなさんと一緒に実感するための時間にしたいと思います。

「96条改憲」論の3つの視点

96条改憲論を考える上では3つの視点が大事だと強調したいと思います。これらは関連していますが微妙に視点が違っていて、それぞれが意味を持っていて、3つの視点が3つとも必要だと思います。

第1の視点は96条改憲論がそれ自体として憲法にどういう意味を持つのか、あるいは私たちが日々学んでいる憲法学から見てこれはどんな意味のものとしてとらえるべきなのか、すなわち意義ですね。96条を変えること、すなわち3分の2を2分の1にすることが、それ自体としてどういう意義、意味を持つのかをとらえる必要がある。

2番目は、96条改憲論はとんでもないことなんですけれどもね、それがとんでもないものだとしたら一体なぜそんなものを改憲派はいま持ち出してきているのか。彼らは何を狙っているのかという、主観的な意図、彼らの主観的な思いを見る必要がある。

そして3番目は、彼らがこれを持ち出してきて、私たちは対峙しようとしているわけですが、そして国民もこれは変だぞということにだんだん気がつき始めているわけです。改憲派の小林節さんまでこんなものはダメだといっている。ちょっと脱線しますが、5月3日に静岡市の労政会館で講演をしたんですが、休憩の時にTBSテレビから電話が会場までかかってきた。携帯にリコールしてくれということで、4日のみのもんたの「朝ズバッ」に出てくれということです。僕は3日が静岡で4日が藤枝でした。夜のうちに東京に入ってTBSの近くに泊まってということでした。こちらからかけ直したんですがちょっとむかっときて、あなたはこういう依頼をしてマスコミ人として恥ずかしくないんですかと言って切っちゃったんです。ともかくこういう依頼の仕方はおかしいということを言っておこうという思いで電話をしたんです。

その「朝ズバッ」を見たら小林節さんが出ていた。あれを見て受けときゃ良かったかなと思ったんです。見られた方いますか。ひどいでしょ。結局96条改憲反対は最後の最後で、僕はその前のところで嫌気がさしてみなかったんです。翌日の新聞を見たら彼は96条改憲に反対だといったという記事を読みましたけれども、そこに行き着くまでは9条改憲をやれやれ、どうぞどうぞ、といってとなりの中谷元さんを持ち上げているわけです。そういう人ですよね、あの人は。それを見てやっぱり小林さんと中谷さんを相手にして僕が出ていくべきだったかなと思ったんです。

首都大学東京の木村なにがしという若い人は「自民党の改憲案はなかなかマイルドですよね」って最初に言うんでがっくりしたんですよ。どこがマイルドなのか、ちょっとずれているなという感じで勉強していないんじゃないかと思ったんです。32歳の首都大学東京の憲法学准教授です。96条の問題では小林さんはダメだと言い続けているので、その意味では意を強くしている人もいますが、あの人は両面を持っている人です。9条改憲は堂々としゃべる人でもあるので、あの人がメディアに登場することは、半分はいいことでも半分は良くない。いや10%はいいけど90%は良くないと考えないといけない。96条改憲反対なんて誰でも言える話です。こんなものに賛成する人は京都大学の大石眞さんくらいしかいません、私が知っている憲法学者では。あの人は無責任で、出してみて国民が判断するんだからやればいいじゃないですか、お試しですということを言う。でもそれはないだろう。

「96条改憲」論の「意義」――とてもあやしい自民党のQ&A

96条改憲反対の憲法学から見た意義ですが、自民党の改憲草案は非常に怪しいですね。「現行憲法は、……世界的に見ても、改正しにくい憲法になっています」と言い切っている。でも週刊金曜日にも書きましたが、アメリカの方がよっぽど改正しにくいわけです。アメリカは日本に対して9条を変えろと言いますが96条を変えろなんて一言もいわない。そんなことを言ったら、お宅の憲法の方がもっと厳しいじゃないか、簡単にしろなんてうちにだけ要求するのはおかしいぞ、と日本に言われかねないので言わないわけです。アメリカは上下両院の3分の2の賛成で発議をして50州のうち4分の3の承認が必要です。議会での議決ですが、50の4分の3は38州です。ひとつひとつ集めて回らないと行けない。人口の多いカリフォルニアとかテキサスが、数にまかせて押し切ることはできない。アラスカやハワイだって1票を持っています。連邦国家であるということを念頭に置いても、アメリカは日本よりも厳しいわけです。あえていえば、フランスのやり方に自民党の改憲案はそろえようとしていると言えるかもしれません。そうだとしたら「日本国憲法は世界的に見て改正しにくい憲法になっている」とはとても言えません。国会レベルでいえば、3分の2のハードルをかけているところはいくらでもあります。世界の憲法の何を読んでいるのかと思うわけです。

それから自民党のQ&Aを見ると「憲法改正は、国民投票に付して主権者である国民の意思を問うわけですから、国民に提案される前の国会での手続きを余りに厳格にするのは、憲法について意思を表明する機会が狭められることになり、かえって主権者である国民の意思を反映しないことになってしまうと考えました」とあります。さらっと読めちゃうんですが、でもこれはやっぱり憲法というものを挟んで権力者と私たち国民、治者と被治者が対峙しているという関係を全く捉えない、権力者の側からするあざとい説明だといっていいと思います。確かに国会議員の手足は3分の2というかたちで縛られています。これは当然です。最高法規を法律と同じように変えてはいけない。手足を縛られて当たり前です。権力者、治者の手足を縛るのが憲法、その事によって国民、被治者の権利を守るのが憲法だとすれば、この自民党の理屈はその憲法の基本を全くわきまえないとんでもない、答案に書けば×をつけてあげたいくらいの答えです。

けれども残念なことにこういう議論が今まかり通っています。野田さんとか橋下さんが言っている、決定できる民主主義論というのはまさにこれですよね。決定してもらってその中味如何で国民は良かったり悪かったりするわけです。悪いことだったら決定してもらわなくてもいいわけです。むしろ決定してもらったら困ります。しかし社会保障と税の一体改革ということで消費税を上げるなどという決定を、平気でやる。ねじれ国会で消費税増税をやり抜く。その事が国民にとってプラスになることでは全くありません。それをごまかして、そのごまかしを指摘しないマスコミも問題ですが、こういったねじ曲がった憲法観は私たちの運動で正して行かなくてはならないと思います。

「96条改憲」論の「狙い」

次に96条改憲の狙いですが、要するに彼らは9条改憲はすぐにはできない、今すぐできそうなのは96条改憲だ。これであれば自分達は野合できる、糾合できるということだと思います。自民党が提起して維新の会、みんなの党もくっつける、公明党もおつきあいできる。そういうテーマとして出てきている。しかしこれは彼らの弱さのあらわれでもあります。9条改憲をいま真っ正直にやったら、せっかく確保した議席が次になくなってしまうかもしれない。だから回り道かもしれないけれども96条からやっていこうということです。しかし彼らは本当に96条改憲を先行的に提起できるのか、しようと考えているのかというと、そんなに簡単じゃないと思います。彼らの本当の狙いはこれをやりたくてしょうがないから出すというよりも、別のところにもあるんじゃないかと踏んでおいた方がとらえ方としては正確だと思います。

というのは、本当に96条改憲を先行的にやってみて国民から否決されたら、どんなことが生じるかと考えると、たぶん想像するだに恐ろしいと彼らは考えていると思います。想像したくないという事態が待っています。これで圧倒的に負けたら、ほとんど政権がひっくり返るようなものです。結局は出して絶対に大丈夫の時にしか出さないと見ていいと思います。

フランスとかオランダがヨーロッパ憲法をつくろうとしたときに、国民投票で否決しています。各国の憲法はそのまま残した上で、ヨーロッパ全体で合衆国になってしまおう、ヨーロッパ大統領のようなものも置こう、今のEUよりももっと強いものをつくろうと、憲法案までつくって各国でひとつひとつ承認手続をしたわけです。ところがオランダとフランスで国民がノーと言った。フランスでは議会が圧倒的多数で可決したにもかかわらず、国民は嫌だといった。ここで、自民党の改憲案は2分の1でフランス並みすると言いましたが、手続きの面ではフランス並です。だからフランスの前例があるじゃないか、私たちにもやらせてくださいと言うかもしれませんが、フランスは8割、9割の議決で可決したものを、国民投票で否決しているわけです。「議会と私たちは別々です」「議会がどんなに多数であっても私たちで判断させてもらいます」という自立心の旺盛なお国柄なんですね。そういう国のフランスで2分の1でできているからといって、私たち、今の日本がそれで良しとはならない。

今の日本国民が、9条以外で、例えば環境権とかで改憲を提起されたときは、国会議員のみなさんがそういっているんだったらいいじゃないですか。そんな悪い案じゃないですね、ということですいすい通る可能性だってあります。それだけで提案されれば。3分の2の国会議員が提案するんだったら認めて上げましょう。過半数だって中味が良ければわかりました、絶対に嫌だというもの以外は通す、ということになると思うんです。日本の今の状況の場合は。

そうすると彼らの狙いはふたつあると思います。本当にこれをやりたいと思っている部分と、これをやるぞやるぞと言っておけば憲法審査会が動かせる、憲法審査会が動かせれば宿題問題を片付けられる。そこが実は真の狙いだと勘ぐりたくなるような動きです。それくらい96条改憲というのは向こうにとっても簡単じゃない。もしこれで失敗してしまったら9条改憲は未来永劫できなくなる。そういうテーマです。慎重には慎重を期してやるだろう。そうやっているうちにどんどん遠のいていく可能性も十分にあります。

ここが一番重要・「96条改憲」論の「影響」

3番目に96条改憲の影響の問題を考えてみたいと思います。いま私たちが憲法改悪反対運動をやるときに、ここが一番重要じゃないかと思います。この点ではおもしろい局面にさしかかっています。96条改憲については、9条改憲派の小林節さんも含めて圧倒的多数、99%位の憲法学者はこれはダメだといっている。ごくごく少数の人がこれでもいいとメディアで主張するくらいです。憲法学会は圧倒的に、東京大学の名だたる教授たちをはじめとしてこれは戦線が張れる問題です。そういう意味ではこれに憲法学者が反対するのは9条改憲より簡単です。9条改憲では旗幟を鮮明にしたくない学者でも、これでは旗幟鮮明にできる。反対しやすい問題だということを理解していただきたいと思います。

そういう問題ですし、やっぱりこういうルールを改めるのはまずいでしょう。憲法改正のルールそのものを変えてしまうのはまずいということで、国民のなかにも反対は根強くありますから、これで本気にやろうとしたら猛反発を受けるものです。ですからある意味改憲派は、私たちの猛反発を引き出すような禁断の実に手をつけたと見ていいと思います。私たちは、こんなことをやったらとんでもないことになることを思い知らせる必要があります。

自民改憲案2012について(その1)-復古的・反動的な国家を目指す部分

96条が今日の本題ですが、自民党の改憲案の問題に触れていきたいと思います。自民党の改憲案を特徴によって腑分けしてみました。3つほど性格の違うものが混在しています。第1は復古的な、あるいは反動的な国家を目指す部分です。これについてはみなさんもいろいろなところでご案内でしょうからあまりくどくど言いません。前文の中でも「天皇を戴く国家」なんていう、とんでもない言葉を使って、国民主権なのに天皇を戴くとは何事かと思うようなもの。あるいは天皇を元首にするという1条とか、国民の国旗国歌尊重義務の3条とか、いまの前文の平和的生存権をばっさり削るとか、そういう「ちょっと待てよ、戦前に戻すの?」というところがうかがわれる部分です。

12条、13条、21条ですが、これは結構私たちも堂々とキャンペーンを張れる部分です。自民党の改憲案は13条の「すべて国民は個人として尊重される」というところを、「人として尊重される」に変えます。個人と人とはどう違うのかと考えたときに、要するに自民党の人たちは個性のない人が好きなんだ、個のない人が好きなんだと、これは高橋哲哉さんも強調されていましたが、そう考えるとわかりやすい。それは言いがかりだ、個人から人にしたからと言って13条を変えるつもりはありませんと反論するかもしれませんが、それだったら前文に「和を尊び」なんて言葉をなぜ入れるのか。和を尊びなんていうことは言い換えれば「長いものに巻かれろ」なんですね。ということは個性のない人が好きなんでしょう。国と郷土を気概を持って守る、国が守れといえばはせ参じるという人が欲しいと前文で書いているじゃないか。それは要するに個性がない人、個がない人と違いますか、と質問したくなるわけです。

私は、一昨日産経新聞から取材を受けました。産経新聞は毎月最終金曜日――今月は31日だそうですが――に、対論というかたちで憲法とかそのときどきの政治の話題について賛成反対で掲げるそうです。東大教育学部出の30代前半くらいの記者がきて2時間取材を受けました。案外まじめに自分の仕事をやる人なのかもしれません。変な紙面にはならないと思うんですが、もう一人は改憲派で私が会ったことのない憲法の先生を呼んで、憲法観、そもそも憲法とはなにかという話で組み立てるようです。そのときにも言ったんですが、和を尊びということは憲法に入れていい言葉ではありません。憲法に入れていい言葉というのは、憲法も法ですから、しかも国の最高法規ですから、細かいことを書く必要はない。法の原理的なことを書けばいいわけです。逆に、法ではないものは入れちゃいけないんです。単なる倫理、こころの持ちようとか、それから法にならない単なる事実についての説明とか記述です。

和を尊びというのは単なる倫理命題、倫理の表明でしかない。倫理以上のもの、法にしようとすると国民に対して「長いものに巻かれろ」ということを強制することになるのでそれはやめた方がいい。もともと倫理命題だったものを法に入れると、倫理命題から格上げされて法的な強制力を伴うので、そんなことはやめてくださいと思うんです。

12条、13条について言えば、“公共の福祉”を“公益とか公の秩序”に変えるということもとんでもないことで、公共の福祉というのはもともとみんなの幸せを意味している言葉です。法律は非常に難しい表現が多いので読みづらいのですが、あえてかみ砕けば公共の福祉とはみんなの幸せだと思います。みんな基本的人権を持っている。基本的人権を持っているもの同士がお互いに幸せになろうと思ったら、どこかで譲り合わなければいけない。そのための言葉が公共の福祉だと概念づけると、公益および公の秩序というのはどうも違う。上から降ってくるような、権利制限を正当化する理屈で、それを表現の自由、結社の自由にのせてくるというのは、まさに自民党が何を考えているのかが見え透いているということだと思います。

政教分離、家族の尊重、労働基本権、憲法尊重義務

20条の政教分離を改定して「社会的儀礼・習俗的行為」を政教分離から除外するのは、まさに靖国公式参拝をするための道具立てだと考えられます。24条で「家族の尊重・家族の互助」を書いていますが、これを民法の親族編に書くならまだいいわけです。民法は人と人の間の法律で家族の間柄を定めた法ですから、家族の構成員同士がお互いに相互扶助しましょうねと書くのは当たり前です。しかしこれを憲法に入れると全然意味が違ってきてしまって、家族のあり方が国家によって義務づけられることになります。そうすると家族扶養の原則が国家から押しつけられて、生活保護、いまとんでもない法律がつくられそうです。あるいは高齢者介護も自分でがんばれ、家族でがんばれということになる。しかしこれは24条をつくったベアテさんの思いに真っ向から背くわけです。

ベアテさんは24条以外にたくさんの条文をつくってくれていて、その中にはシングルマザーの生活保障とか嫡出子・非嫡出子の差別をしないこととなども入っています。そこまでやらなければ子どもやシングルマザーが幸せになれないという思いから、彼女はいろいろな条項を盛り込もうとしたんです。しかし、GHQの他のスタッフは彼女より若くても20歳年上でしかも男ばかりなので、ばさばさ削られて24条だけが残ったということです。それでも60数年経ってみれば、非嫡出子の差別はやめましょうねという話になっている。自民党は家制度が壊れるとかいって、別姓もいつまで経っても頑固に認めない。逆にあまりにも復古主義後的、後ろ向きなことを憲法に入れようとしている。

公務員の労働基本権の全面禁止も28条に入ろうとしている。102条でいまの日本国憲法の97条をなくして、99条は国民の憲法尊重義務と公務員の憲法擁護義務に分解するというとんでもないことをやろうとしている。このあたりに自民党の改憲案の復古的、反動的な面が非常に良く現れています。

復古的・反動的部分を軽視せず反論・批判を

これは一体どこから出てくるのか、なぜこんなものが登場したのか。2005年の自民党の新憲法草案はここまでひどくなかった。これが出てきた背景は、要するに自民党が野党暮らしを迫られた結果だと思います。民主党に義理立てするとか、そういう人たちは野党としての自民党には見向きもしてくれない。そういう人たちの顔をこっちに向けようとしてもお金もないので向いてくれない。ですから、お金とか利権で釣るのではなくて、固く結束してくれる人を確保しないともう自民党はなくなる。だから自民党を再生させるために、まずは復古的反動派、ばりばりの改憲派に結束してもらって、でき得れば自分達のために動いてもらう。そういう勢力になってもらわないと大変なことだと思ったんだと思うんです。そういう人たちに向けてつくった部分が、いま紹介したような自民党の改憲案の中にある部分だと思います。

これはもしかしたら、このあと消えて無くなる可能性もあるところだと思うんです。こんなことでほかの政党や国民を説得させられない、無理だと思ったらばっさり削ることになるだろう。安倍さんはもともとこういう発想をする人ですよね。靖国派やつくる会教科書の人たちと人脈を持っていて、個人的にはこういうことをやりたくてしょうがない。そういう人たちとお友達で、首相になるまではそういう人たちに祭り上げられた。しかし首相になったあとは、こういう人たちをばっさり切っちゃうわけです。言うとおりにはしない。しかしやっぱり義理立てもしなくちゃいけないということで、産経新聞には言っちゃうわけです。そしてそのあとは火消しに回る。首相のくせに右に行ったり左に行ったり、腰が定まらないことをやっている。それはもともと靖国派だからです。真ん中がない。それを繰りかえしています。でも安倍さんは靖国派の人たちを切る場合だってあるわけです。自民党の改憲案のこの部分も削られるときが来るかもしれない。

もちろんこの案をひっさげて自民党が衆議院でこれだけの議席を取ってしまった。とにもかくにも2010年綱領で日本らしい日本の保守主義という妙なネーミングを掲げ、この改憲案を党の文書としてまとめ上げた結束力は非常に大きいと思います。これは決して軽視してはいけない。その証拠に、結局こういうかたちで自民党がまとまったから、いま右翼が妙に元気で、在特会を始め右翼が元気ですよね。

私がびっくりしたのは、1月28日に国会内で「九条の会」の記者会見をやった日のことです。国会に陣取っていた沖縄からのオスプレイ反対の代表団、労働組合の人たちが日の丸デモにサンドイッチにされて、大音響で「オスプレイ賛成」をがなり立てられていました。なぜこういう汚い、相手の表現の自由を抑圧するようなデモを警察は取り締まらないのか。本当にブロックしている。労働組合の旗を持っている人のまわりを取り囲んで、街宣車を仕立ててオスプレイ賛成をがなり立てている。引き離せばいいじゃないか、お互いがそれぞれ表現の自由を行使すればいいじゃないかと思うんですが、こういうことをやっても規制されないと、彼らが高をくくっている証拠ではないかと思いました。本土にいま住んでいる一員として本当に恥ずかしくなりました。

何でこんなことがまかり通っているのか。そういう人たちが勢いを増してしまうことも含めて、この自民党の改憲案のこの部分は決して軽視できません。しかしこの部分は、何でこれが問題なのか、おかしいのかという切り返しは比較的簡単です。その切り返しに対して多くの国民に納得してもらえる部分でもあります。そういうものとして反動的復古的な部分は見ておく必要がある。これだけを主敵にしていたら改憲策動は止められない。これはある種の陽動作戦の部分でもあるというくらいの気持ちで、軽視せずに反論・批判をする構えでいた方がいいんじゃないかと思います。

自民改憲案2012について(その2)-新自由主義

次に、なぜこの復古的な部分を陽動作戦としてみる必要があるのかというと、そうじゃない部分が自民党の改憲案にあるんです。それが新自由主義を目指すところです。83条に財政の健全性は守らなければならないという規定が入っています。これは大事だね、と国民・マスコミははやし立ててしまいかねない規定ですが、これはとんでもない規定です。83条に何を入れるのかというと、財政の健全性は法律の定めるところにより確保されなければならないということです。

何が財政の健全性なのか、どうやって財政の健全性を守るのかは、いっさい法律に任せています。法律で、社会保障と税の一体改革でもって、これが財政の健全性を守るやり方だと決めてしまって、消費税増税、社会保障改革は先送り、後期高齢者医療改革も先送りとしてしまう。これが、私たちが目指す財政の健全化ですと政権は胸を張れることになる。こんなものは憲法に入れたからといって何の役にも立たない。権力の正当化の道具になってしまうという意味では、むしろ憲法の精神に反する規定です。でもこれは新自由主義派はやりたくて仕方がない。憲法に自分達がやりたい財政の健全策のお墨付きが盛り込まれるならこんなにありがたいことはないわけです。だからこれを入れてくるんだと思います。

財政の健全性が保てるかどうかは、経済の状況と、その結果税収がどのくらい上がるかによります。ですからこれは生き物です。黒田日銀総裁が、いくらインフレターゲットを2%に押さえるといっても、市場がそれを許してくれるかわかりません。むしろマーケット、機関投資家にいいようにされて、日本経済をぐちゃぐちゃにされてしまう結果にもなりかねません。憲法で財政の健全性を守るといっても、これで守れるんだったらもっと前から憲法に入っているはずです。そんなことはできないのが経済、財政の本質ですよね。およそ経済学、財政学を知らない人のやり方です。これはだまされてはいけない。

それから92条にも新自由主義的な規定が入り込んでいます。地方自治体は、住民に身近な行政を総合的に実施することと定められています。総合的に実施することができないような地方自治体はダメだということです。そうすると小さな自治体はやめろということです。市町村合併をやって、住民に身近な行政を一通りまかなえるようなサイズの自治体にしなければダメだということが導かれてきます。

でも、すでに行われている市町村合併、三位一体の改革で、地方の自治体はぼろぼろがたがたにされています。3.11はその東北の自治体にダブルパンチ、トリプルパンチを浴びせたようなものです。それをこれから先、憲法のお墨付きをもってやっていくことが許されるのか、という問題があります。そして2項では、自治体の役務は住民の負担を公平に分担させることになっていて、要するに地方のニーズは基本的には地域住民でまかなえ、国はあとから出ていくだけだということを表明しています。

こういった新自由主義的な改革を目指す部分は24条、28条にも見られます。24条で生活保護や介護保障をケチるのは、まさに新自由主義そのものです。28条で公務員の労働基本権を丸ごと禁止してしまって、公務員労働組合を骨抜きにするというのも新自由主義派にしてみれば万々歳だろうと思います。そういうことを狙った部分が自民党の改憲案にある。先ほどの復古的、反動的なものとは性格が違うものとして含まれていることを、しっかり掴まえる必要があると思います。

既成事実化した新自由主義へのオルタナティブを

なぜ性格が違うものかというと、この部分は私たちがたたかう上でやっかいな部分です。たたかう相手としては非常にたたかいにくい部分です。なぜかというと、新自由主義改革はこの間とうとうと続けられてきました。首の下あたりまで私たちは新自由主義改革に固められてしまっている状況です。なおかつ既成事実ができあがっていますので、国民の中には非常に広い範囲でこの新自由主義でいいじゃないかという雰囲気が醸し出されています。自立自助、自己決定、自己責任、これで仕方ないじゃないかと思わされている人たちがたくさんいます。

そういう状況に対して、そうではないと私たちはいっていかなければならない。そしてこれから巻き返していかなければならない。そういう課題なんです。復古的、反動的な部分は、戦前のあり方を復活させるという、彼らがこれから実現しようとする課題です。そうとは言えない部分も確かにあります。表現の自由については秘密保全法で虎視眈々と狙っていますが、しかし明治憲法のようなものに戻すのは、彼らにとってこれから実現しなければならない課題です。

一方、新自由主義とのたたかいは私たちが課題を背負ったものです。そのためには私たちは、新自由主義に代わるオルタナティブを提示してたたかっていかなければならない。こういう経済はどうですか、こういう財政運営でやりましょう。社会保障のあり方、医療のあり方、教育のあり方はこうでなければならないんじゃないですか。いまの新自由主義に任せていたら、将来とんでもないことになりますよ、と説得していかなければいけない問題なので、本当に一歩一歩地道に長い時間をかけて努力しなければならない課題です。これをやらないと改憲の動きをなかなか止めることができない問題として、正面からやらなければならない課題だと思います。

いま若手弁護士の中で「明日の自由を守る会」という運動が始まっていて、とてもいい取り組みをしています。改憲反対の紙芝居などもつくってたたかっています。ただあの会がいま押し出しているのは、復古的、反動的な改憲論の部分と9条改憲の部分です。新自由主義とのたたかいについては、いま前面に押し出している改憲反対のスローガンの中では、トーンダウンしているような気がしてなりません。たたかいやすい敵とたたかうだけではダメだと思います。この新自由主義とのたたかいは長い時間をかけなければ説得しきれない問題だと思います。このたたかいを回避して改憲とのたたかいはできないと私は思っています。ここはぜひ重視するべきだと強調したいと思います。

自民改憲案2012について(その3)-軍事大国化

そもそも自民党の改憲案が一番やりたいことは9条改憲です。これが3番目のパートです。自民党の改憲案は、復古的な部分と新自由主義の部分と、9条改憲で軍事大国化を目指す部分という3つのパーツがあります。いまの9条をがらっと変えてしまう。9条、9条の2、9条の3。25条の3。98条、 99条。これらでもって、至れり尽くせりの軍事体制にしていこうということです。

9条を変えて自衛権を発動できるようにすることは、いうまでもなく集団的自衛権を行使しようということです。国防軍を保持することを9条の2で謳っています。簡単にいうと国防軍ですからよその国の軍隊と同じ資格のものになる。自衛隊ではなくなり、正式の軍になる。そうなると軍事裁判所をつくることになりますし、在外邦人の保護のために海外に平気で出て行く。アルジェリアまであの短いタイミングで出ていくというのは簡単ではない。よっぽど緊急投入部隊でもなければ1週間で出ていくのは至難の業だと思いますが、でも出て行けるものなら出ていきたいと思っている。そのために25条の3、「在外邦人保護」規定を入れようとしています。

軍を動かすとなれば緊急事態対処規定がどうしても必要になります。自然災害、地震や津波も規定の中に入っていますが、こんなものは口実にすぎません。残念なことに憲法に非常事態規定を入れたとしても、地震や津波は待ってくれません。地震や津波、ハリケーンは、あるときさっとやってきてさっといなくなります。ですから悠長なことはやっていられない、憲法の規定で政府に緊急事態権限を与えて、なんていうことは。それよりもいまある法律で十分です。また実際の対処を自治体、地域、企業などで綿密に組み立てておくことしか、自然災害に対処する方法はありません。憲法をいじる必要がない。

この部分で憲法をいじって意味があるのは、軍事対処の時だけです。軍事対処は敵があることなのでだらだら続きます。相手が戦闘態勢を解かない限りずっと続きます。相手が何をするかわからない以上、いまある法律の穴を突いてきたときには、法律制定なんか待っていられない。政府が緊急事態に対処するしかない。緊急事態対処規定は、軍事の時にだけ意味がある規定だと見て置いた方がいい。3.11のあとに憲法審査会を動かしていきなりこの話をやっていましたけれども、あんなのは全く意味がない、むしろ口実だということです。

明文改憲と解釈改憲-両刀遣いの安部首相

もうひとつ9条改憲の問題点は、この部分については解釈改憲の動きもあるわけです。安倍さんは明文改憲と解釈改憲を、前の政権の時から両刀遣いのようにいってきた。私はこの一点だけで、安倍さんの知的能力というか、憲法学習能力のなさを嫌というほど感じてしまうんです。明文改憲と解釈改憲の両方を言う人は、自民党の中にもそうそういない。分かっている人はどちらかしか言わないんです。だって解釈改憲でできるんだったら明文改憲は必要ないし、明文改憲が必要なのは解釈改憲ではできないからです。両方できると考えている安倍さんの頭の中はどういう組み立てになっているのか。

それなりによく分かっている石破さんは、解釈改憲しか言わない。国家安全保障基本法で行けという。一方、中谷さんはそんなのはダメだ、明文改憲で行くしかない。解釈をそこまでねじ曲げるわけにはいかないという明文改憲派です。ところがその中谷さんでさえ、この前の「朝ズバッ」でこんなことを言っていました。それだけでこの人も勉強不足だなと思ったんですが、いまの自衛隊は公務員なのでダメだというんです。国防軍になったら、軍になったらいいんだと。でもちょっと待ってください、自衛隊あるいは国防軍を丸ごと民間会社に委託して、外注に出してしまうなら公務員でなくなるかもしれないけれども、もし国防軍にしても国防軍は公務員じゃないですか。公務員でありなおかつ軍人であるということになるでしょう。

ところがあのときの「朝ズバッ」では、いまの自衛隊は単に公務員なので法律でがんじがらめになっていて何もできない、でも国防軍にすればできるという理屈です。それは法律をいじる国会議員としては余りにもひどい法律の理解の仕方だ。それも見たので、これは出ておけば良かったと思った。中谷さんに国防軍は公務員だからダメだというなら、民間会社にするんですかと聞きたくなるような話でした。小林節さんはいっさいこのことについて質問しませんでした。安倍さんだけじゃなくて中谷さんなども含めて、憲法についての理解が危ないと思うんです。安倍さんが一番危ないのは確かですけれど。

「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を再開させて、いままでは(1)米艦船が公海上で攻撃された場合の自衛隊艦船の対応、(2)米国に向かう弾道ミサイルへの自衛隊の対応、(3)国際的な平和活動における武器使用、(4)戦闘地域での輸送、医療など後方支援の拡大ということを審議してきましたけれども、今度5番目として何かないかと検討させています。6月くらいに、あるいは参議院選挙後に結論を出させるのか分かりませんが、とにかく検討しています。なぜこれを急ぐのかと言えば、昨年第3次アーミテージ報告で「集団的自衛権の禁止は、米日同盟の障害物」だと書かれた。アメリカからは矢の催促なんですよね。昨年、森本防衛大臣の時代にガイドライン再改定の約束をして、選挙が始まってしまったので少しストップしていました。現在どこまで進んでいるか分かりませんが水面下で動いている。

緊張する東アジア情勢と国家安全保障基本法案

そして極めつけは、石破さんの好きな国家安全保障基本法案で、集団的自衛権をほぼ全面的に解禁してしまおうというやり方です。ただこの集団的自衛権を、一片の法律で全面解禁するというのは余りにも強引なやり方です。確かに野党時代の自民党は、これをこしらえて「出すぞ、出すぞ」と動いていましたが、いま与党になったこの段階で、本当に出すかどうかはまだいろいろな不確定要素があると思います。というのは内閣法制局を通さなければなりません、もし内閣提案立法にしようとすれば。そうするとおそらく内閣法制局は、この法律は憲法違反だというと思います。

内閣法制局が協力してくれないなら議員立法でやるかということになりますが、これは恥ずかしい話です。330人の与党が内閣提案立法にできなくて議員立法にする。維新も乗っかって380くらいの総動員の議員立法にするという、こんな無様な提案の仕方はないと思います。そんなことまでしてやる勇気があるかどうかです。維新は強力な応援団ですから、もしかしたら維新にせっつかれて出したくなるかもしれませんが、最初に言いましたように維新も自殺状態ですから、いずれどうなるかは分かりません。そんな問題も抱えた法案です。しかしこれも注意しなければならないのは、これがもし可能になるならば憲法を変えなくてもできてしまうわけです。参議院選挙後にこれがさっと出されてさっと通るという恐ろしいシナリオは、余り想像したくないけれどもゼロではない。私たちが黙っていたらゼロではない。これはこれで大変な問題として警戒をして声を上げていく必要があると思います。

この9条改憲に関わる部分ですが、これも新自由主義改革の部分と似たようにやっかいな部分です。既成事実ががっちりと積み上げられています。そしていままた東アジア情勢が妙な追い風になって、「やれ、やれ」という状況になっています。現状を変える、変革するのは私たちの方ですから、私たちがオルタナティブをつくって国民に対して納得してもらわなければならない課題です。これは復古的、反動的国家を目指す部分とは質的に違うんですね。すでに既成事実がある、そしてこれは払いのけてもアメリから催促がきます、むしろ復古的、反動的部分はアメリカからやめろと言われる部分です。9条改憲は、改憲派がずっとしつこく狙ってくるところです。いつまでもまとわりついてくる部分なので、ここはやっかいです。

安部の「怖い」国際政治観・憲法観

もうひとつ注意しなければならないのは、首相として9条改憲の動きの先頭に立っている安倍さんが、とんでもない国際政治観、憲法観を持っている人だということです。昨年12月にも河野談話、村山談話の見直しの問題について、産経新聞のインタビューで変な発言をして、それがいまでも尾を引いています。産経新聞相手には気を許して本音が出るんですね。でもこの本音はちょっとまずいぞという中味です。

「日本を取り巻く安全保障環境は随分変わった。かつて冷戦時代は憲法の要請通り、実際にわが国の安全を事実上、米国に委ねていて、外交も基本的に米国の後についていくということだった。現在、冷戦構造が崩壊した中で、わが国は独自の防衛力を保持する必要性に迫られ、同時に国際貢献を果たし、日米同盟を維持する上でも役割が要求されている。それに対応できるかということがある」。「冷戦時代は憲法の要請通り」って憲法はそんなことを要請してないと思いますけれど。次が問題です。「そもそも憲法がつくられたときは、国際連合がものすごく機能するとみんな思っていた。(前文の)『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し』というのは国連を意識し、『国連がちゃんと機能するからそこに任せろ』ということだったが、実際は全く機能していない。憲法の前提条件は、実はもうあっという間に崩れていた」。(2013.4.27産経新聞)と言っているんです。

ちょっと待ってくださいという話なすね。国連は全く機能していないということですが、そうじゃないですよね。確かにイラクにアメリカが攻め込んだときは堂々と国連憲章破りをしたわけですから、その点では機能しなかった。しかし逆にそんなことをやったらとんでもないことだと猛然と他の国から批判を浴びて、だからこそアフガンの時にドイツは付き従ったけれど、イラクの時はついていかなかった。フランス、ベルギーも反対したわけです。国連憲章は国際政治の中で生きているわけで、安倍さんは国際政治のどこを見てこんなことを言っているのかと思います。

オバマさんに読ませても恥ずかしい国際認識です。オバマさんは、国連は無意味だとは決して言わないと思うんですよね、5大国のひとつとして。それを無視してしまったら、戦前の弱肉強食の軍事同盟全盛の時代に戻ってしまうわけです。そんなことはとんでもない、プラハ演説までするオバマさんですから、こんな国際政治観では絶対にありません。

ところが安倍さんは無頓着にも言ってしまいます。国連に任せろと考えていたのがいまの日本国憲法で、その前提は崩れたと言うけれども、そんなことは全くない。むしろいま国際社会は6ヶ国協議を見ても分かるように、確かに北朝鮮のやり口によって変なことになりかけることもありますが、基本的には交渉によって物事を進めていこうという動きになっています。当の安倍政権のもとで飯島さんが北朝鮮に行っているじゃないですか。一方でこんなことを言っていながら、なぜ飯島さんが北朝鮮に行くことを安倍さんは許しているんですか。明らかにおかしいです。頭の中の組み立てがどうも理解できない。そういうことを平気で言う本当に困った人です。こういう人が首相でいる限りどっちに転ぶか分からないという可能性をいつも持っておく必要があると思います。

実は国際社会は、安倍さんが言っているような方向には動いていないことについても、私たちは声を大にしていく必要があります。先ほどの産経新聞の記者にも言ったんですが、中国や北朝鮮の問題は当然あります。どうするんですかということです。9条を守った方がいいか変えた方がいいかということをそれに絡めて聞かれたんです。当然9条を守った方がいい。もし9条を変えて国防軍にしてしまったら北朝鮮や中国はどう出ますか? あきらめて、日本とアメリカには太刀打ちできない、降参だと自発的に軍縮をして謝ってきますか? それはあり得ないでしょう。むしろ逆に日本が9条を変えて堂々たる国防軍にしてしまったら、これは大変なことになったと身構えて軍拡に走るに決まっている。そんなことを引き出すために9条を変えることは軍事冒険主義以外のなにものでもない、9条を守った上で外交を展開しなければいけないということは見やすい話ではないか、と産経の記者に言ったんです。これを本気で考えているところです。北朝鮮問題、尖閣問題を解決するための決め手は、9条を守ることだということを堂々と言っていったらどうだろうかと思います。

憲法を「使う」ために「学ぶ」

結びですが、私たちがこれから改憲の動きに向き合っていくための心構え、頭の整理をしてみたらどうかと思います。みなさんが会の外の人たちにお話ししたり、論争をふっかけられたりした時の、ひとつの素材として考えていただければいいんです。まず憲法は使うために学ぶわけです。使わないと憲法はどんどん自分達の頭の中でも廃れてしまう。フェイドアウトしてしまう、消えて無くなってしまうわけです。

例えば憲法99条の公務員の憲法尊重擁護義務――これは大切だ、なぜ憲法は公務員にだけ憲法尊重擁護義務を課して国民に課していないのか。それは憲法が国家権力を縛るものだからだということを学習会で言うと、よく分かりました、とても大切なことだということを実感させていただきました。ありがとうございます、今日の話は初めて聞きました、と言われるんです。結構年配の方から聞くんです。えっ、そうですかと言うんですが、若い方からも聞こえてくるとなると、これは案外知られていない。教育の中で教えられていないのかなと思うんです。ここを最初にやる必要があると思うんです。私たち大学で教育しているものの責任も大きいと思いますし、小中高でも強調してもらう必要があると思います。でもこれは使わなければすぐに記憶の彼方に消えて無くなる話です。要するに99条の大切さが意識の中に残らないのは普段憲法を使わないからで、使ったときに初めてこの大切さが分かるわけです。

使うということ、一番使う場面に立たされるのは弾圧された人です。弾圧されたりえん罪にされたりした人は、自分の権利を守るために憲法を使います。そのとき初めて憲法や人権の大切さが分かる。99条論が国民の中に余り知られていないのは1980年代、80年代から国民の中の運動がだんだん下火になってきたことのあらわれではないかと思います。自分たちの権利を自分たちで使う経験がだんだん減ってきているから、99条の大切さも消えてなくなっているんじゃないかと思います。ですから、単に学ぶだけではなくて憲法を使うという観点をどこかにいつも入れておかないと、また1回勉強しただけで大事ですね、ハイ終わりということになりかねないという危機意識を持っています。

次は、憲法は難しいかという話です。みなさんも憲法は難しいから勘弁して欲しいということを聞かれると思います。私も今日の話をよく分かりました、でも難しいですねと言われます。確かに難しいです。知れば知るほど、極めれば極めるほど。しかし憲法の難しさ、あるいは憲法を巡る政治の難しさは、よくよく考えてみると政治や憲法だけが難しいんじゃない。政治や経済、労働運動で労働組合で使用者側と対峙してぎりぎりたたかう、労使交渉で相手の出方を見ながら少しでも前進を勝ち取ろうとするときには、問題は難しいと思います。使用者側は、賃上げは無理だとかいろいろの理由をつける。そこを何とかしようと、こちら側はデータを出す。そのときはその時なりに、難しい問題まで踏み込んで知恵を出すわけです。

それから友達づきあいとか家族の中でとか、あるいは恋人とのつきあいとか、そういう人間関係も難しいことばかりです。言っちゃいけないことはたくさんあるし、ここでやったら破綻しちゃうなんていうことはやらないようにとか、いろいろな知恵を絞って相手のことも考えてやらなければいけないわけです。同じ知恵を絞るわけではないですが同じ程度の難しさではあるんです。家庭生活も労働運動も、そして憲法や政治の問題も。真剣に考えるに値する問題はみんな難しい。憲法も政治も主権者として真剣に取り組む問題です。真剣に取り組むに値する問題だったら、どんなに難しくてもかみ砕いて勉強して理解して、そして自分達で使いこなして自分達のものにしなればいけない。こういうことを強調したらどうでしょうか。

私はいま、労働組合の人たちを中心に勤労者通信大学の憲法コースの責任者をやって、憲法コースのお誘いもしています。大学と銘打っていますが通信大学です。家にいながらにして通えます。手紙のやりとりだけで学べるコースです。関心のある方はぜひ受講していただければと思います。2006年に開設したんですが、そのときは1年で7500人以上の受講生を集めました。それが憲法を守る運動の息吹だったんです。いまはテキストも新しくして、2006年は憲法、安保の問題ばかりで、それだけでは労働組合の人みなさんに学んでもらうには足りないんじゃないかと、労働基本権とか社会保障、教育、男女平等も入れて憲法を丸ごと学ぶという仕立てにしました。受講料は年1万円です。普及版ということで『憲法を学び、活かし、守る』(学習の友社) というブックレットをつくりました。憲法コースのエッセンスをそこに入れています。ご静聴ありがとうございました。

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週刊金曜日に連載でコラム

「今週の憲法審査会」を書いてきた。第183通常国会が終わるので、ひとまず約束は終わった。以下、再録する。(高田健)

5月10日号・改憲めざす自民党の空席目立つ

改憲をめざす第2次安倍政権下で、憲法審査会はすでに参院で2回、衆院では第1章からのレビューで5回開催され、4月は毎週開催になった。衆院の審査会は50人の委員構成中、9条改憲反対の政党からは共産の笠井亮氏1人。

4月25日、衆院憲法審査会は憲法第8章「地方自治」の検討。冒頭に説明聴取をした衆院法制局の橘幸信部長が、明治憲法では軽視された「地方自治」が現行憲法では重視された意義などを確認したことが光った。

この日の審議は、8章の憲法問題の議論でいつも焦点となる「地方自治の本旨」にかかわる論点、道州制、条例制定権、地方財政、定住外国人の参政権、特別法の住民投票問題など、論ずべき点は少なくなかった。しかし各党代表の一通りの意見表明の後の自由討議は全体として低調で、12時終了予定が11時頃には議論が「尽きて」(保利耕輔会長)はやばやと終了した。

今回も自民党席の空きはひどく、開始60分ほどにもなると15人(自民党委員数31人)ほどになり、75分頃には13人くらいになってしまった。共産党の笠井委員が「一番開催を急ぐ自民党に相当空席がある、幹事も2人(自民党の幹事は6人)だけ。この状況で毎回、大事な憲法問題の議論をやるのがいいのか。無理に日程設定するのをやめよ」と発言。自民党の保利耕輔会長と船田元筆頭幹事は顔を見合わせ、苦笑いしていた。

5月17日号・96条改憲先行論、与党内でも動揺

5月9日の衆議院憲法審査会は、テーマがいま焦点の第9章(96条)。傍聴者も超満員。驚いたことに、いつも空席ばかりの自民党委員席が結構埋まっている。この間、メディアなどでたたかれた結果だ(やればできるじゃん!=筆者)。

各党代表の発言では、自民、維新が96条先行改憲を主張、みんなの党は条件付き賛成。民主、公明は96条先行に慎重論、共産と生活は反対。

自民党の船田元筆頭幹事は個人の思いと断りながら「国民の多くは改正のための改正と受けとるきらいがある。理想を言えば、96条と例えば環境権を加えるなど、幾つかの改正項目をセットにして発議することが望ましい」と96条先行論に疑問を呈した。

しかし、同じ自民党の中谷元幹事は「国会で3分の2の議決を採用している国は多いが、これを温存すれば、改憲は半永久的に実現しない。改革に慎重で、現状維持を好む日本人の特性だ(えっ!?=筆者)。現実論として改正要件を緩めるしかない」と強調。

公明党の斉藤鉄夫幹事は「96条先行論は賛成できない、内容と一緒に議論すべきだ」と慎重。みんなの党の畠中光成委員は「統治機構の改革の約束なしに96条先行改憲に同調しない」と条件付を付けた。

共産党の笠井亮委員は「自民党の石破茂氏は9条改憲を念頭に置けと言っている、96条改憲先行論は国民を愚弄するもの」と指摘した。

5月24日号・大震災に便乗した緊急事態条項改憲論

5月22日午後、参議院憲法審査会が一ヶ月半ぶりに今国会で三回目の審査会を開き、ひきつづき「2院制」について参考人を招請して議論。参議院では自公も含め8党が2院制の堅持を主張しみんなの党、維新の会が「決められない国会」などと2院制を批判、1院制への改憲を主張した。次週は「新しい人権」の議論をするなど、今国会であと数回開催するという。

衆議院憲法審査会は5月23日午前、「緊急事態と憲法をめぐる諸問題」および「裁判官弾劾裁判所及び裁判官訴追委員会等」について議論した。

前回、「前文」の討議で「諸外国の例」などの調査を衆院法制局に要求した土屋正忠委員(自民)が、法制局の報告時になっても出席しておらず、批判が噴出した。相変わらず自民の委員席は空席が目立つ。

現行憲法にない緊急事態条項の審議というテーマ設定自体が、「憲法のレビュー」をするとして審査会の審議を始めた申し合わせと異なるとして、共産党の笠井亮委員が厳しく抗議した。笠井委員が指摘するように、議論は憲法のレビューではなくて、各党の改憲案の開陳の場になりがちだった。「基本的人権の抑圧につながるおそれ」などを指摘しながら反対した共産、党内に両論とあいまいにした公明を除く自民、民主、維新の会などが東日本大震災を引き合いに出し、憲法に緊急事態条項の創設(改憲)を主張した。

5月31日号・安倍首相の言動に99条違反の疑い

5月16日の衆議院憲法審査会は日本国憲法の第10章(最高法規)、11章(補則)、および前文について議論。

第10章99条の憲法尊重擁護義務との関係で、共産党の笠井亮委員が安倍首相の度重なる改憲推進発言や、「96条改憲議員連盟」の顧問職に就いていることを厳しく批判した。民主党の辻元清美委員も首相が96条改憲発言を繰り返していることは問題が大きく、立憲主義の危機だと指摘。自民党の土屋正忠委員らが、「政治家としての意見表明だ」と反論したが、民主党の武正公一幹事が「国会で党総裁としての意見を質してもしばしば逃げる。ご都合主義的使い分けは不当」と指摘した。

「前文」の議論では自民党の保岡興治委員が「ユートピア的発想」で書かれており、全面書き換えが必要と主張。日本維新の会の伊東信久委員も「他国に自国の生存をゆだねるもの」と書き換えを主張した。改憲派の委員たちは前文に「基本的人権の擁護」が明記されていないのは問題だと口をそろえて主張(いつから改憲派は基本的人権の擁護に熱心になったのか=筆者)。笠井委員がそれは「わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し」という規定に明示されていると反論。奇妙なことに、維新の会の委員たちは代表発言では用意した原稿を読み上げるが、討論になると一言の発言もできなかった。政治的中身の欠如の故か。

6月7日号・参院「新しい人権」の議論

5月29日(水)午後、「新しい人権」で参議院憲法審査会。参考人は高橋和之(明治大学)、土井真一(京都大学)。

冒頭、参議院憲法審事務局から、憲法調査会では自公民3党は新しい人権(プライバシー権、環境権)を憲法に明記せよという意見だったが、他党は13条、25条などの包括的規定から読み取るべきで改憲の必要なしという意見。知る権利、自己決定権、生命倫理、知的財産権、犯罪被害者の権利などを憲法に明記すべきと言う意見は趨勢とはならなかったと報告があった。

両参考人からは立憲主義、とくに「個人の尊重」規定の重要性が強調された。新しい人権を憲法に書くかどうかは、徹底して立法措置で対応した後の話だとの意見があった。

質疑では井上哲士委員(共産)が安倍首相らの「立憲主義は古い時代のもの」論を批判。福島瑞穂委員(社民)は自民党改憲草案が国民の憲法尊重義務を加えたり、基本的人権を制限する動きを批判。

桝添要一委員(改革)は「自分が関わった自民党の05年草案では『個人』としたのに、12年案では『人』になった。感情論ではないか」と批判。

片山さつき委員(自民)が「自民案は前文に基本的人権の保障を入れたように、人権を尊重している」と反論したが、高橋氏は「表現を変えた理由がはっきりしないと議論にならない」と指摘した。

6月14日号・憲法改正国民投票だけ「18歳投票」?!

会期末の26日までは間があるが、都議選、参院選をにらんでのゆえか、憲法審査会も審議のテンポが早い。6月5日は参議院、6日は衆議院で審査会が開かれた。

参議院は前回にひきつづき「新しい人権」がテーマ。慶応大学の小林節教授と小山剛教授への参考人質疑。自民党の山谷えり子委員は「憲法は国柄や歴史、文化を国民と共有するもの」と主張したが、改憲派の小林教授から「家族仲良くなどと最高法規から説教されたくない。『法は道徳に踏み込まず』は世界の常識」と反論され、シュンとなった。小山教授も「新しい人権のためにだけ改憲の必要はない」とのべた。また小林教授は「立憲主義は時間と場所を超えて有効だ」とも言明した。

衆議院は改憲手続き法の「附則」関連の「3つの宿題」(18歳投票権に合わせた選挙権や成人年齢の引き下げなど)問題の議論。第1次安倍内閣当時、改憲を急いで審議を尽くさず、強行採決された結果、矛盾が露呈、同法が3年以内に実施を決めた「18歳投票権」などは実現されないまま違法状態になっている。維新の会や自民党は選挙権や成人年齢の法整備を待たず、憲法改正国民投票のみ18歳以上とする同法の改正を主張。民主党も同調した。みんなの党は選挙権と同時実施、共産党はもともと強行採決で作られた法の体をなしていない同法の廃止を主張した。

6月21日号・最後の審査会「改憲」の結論には至らず

第183通常国会中最後となる憲法審査会が、12日の参院、13日の衆院で開かれた。閉会中審査もできるとはいえ、事実上、終了した形だ。

参院はこの国会で「2院制」と「新しい人権」についての参考人質疑などを行なったが、2院制は「維新の会」「みんなの党」以外は大方、維持で「改憲」の結論にはならなかった。「新しい人権」も参考人の意見は「立法で解決できる」というのが大勢だった。

12日も自民や維新の会の委員は「新しい人権」を憲法に書き込むべきと主張。民主、みどりの風、共産、社民は11条、13条などの具体化こそ必要と述べた。

憲法のレビューを一通り終えた13日の衆院憲法審では隣席の土屋正忠委員が「憲法は権力制限だけじゃなくて国民の義務規定がある」という趣旨の発言をしたのに対し、自民党の河野太郎委員は、自民草案を批判、「憲法の義務規定を今以上に拡大すべきでない。家族が助け合うのは大事だが憲法にわざわざ書くことではない」とした。

自民の中谷元幹事は今後の運営に関し「改憲はシングルイシューになる。各党協議で合意ができたところからやりたい」とし、船田元筆頭幹事は「今後、審査会で各党の改憲案を出し合い、幹事会や審査会で議論し、衆参合同審議をやることもあるかもしれない。96条先行改憲でなく他の条項と併せてやるべきだ」などと発言した。

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