私と憲法142号(2013年2月25日号)


「集団的自衛権の行使」は「戦争」です共同声明賛同募集

諸団体・個人の賛同(公表可のみ)を緊急に募集します。転送・転載にご協力を。締め切りは3月末日。賛同の連絡先は、kenpou@annie.ne.jpまたはFAX03-3221-2558、郵便は東京都千代田区三崎町2-21-6-301市民ネットあて。

「集団的自衛権の行使」は「戦争」です
安倍内閣は憲法の不当な解釈変更をやめ、9条を守れ!

昨年末の衆院選の結果、再登場した安倍内閣は、リベンジとばかりに「集団的自衛権の行使」と「憲法の改悪」をめざし、ひたすら準備を強めています。しかし自民党が多数議席を獲得したとはいえ、民意が9条をはじめとする改憲を支持したのではないことは多くのデータも示すところです。まして、昨年4月に発表された自民党改憲草案の言う「元首天皇を戴き、国防軍で『自衛戦争』をする国」には大多数の人びとが不安を示しています。

安倍内閣は、改憲の要件を定めた第96条をまず変更して改憲を容易にしたうえで、9条などをはじめとする平和、人権、国民主権の憲法3原則の破壊に向かおうとしています。私たちはこのような憲法改悪を断じて容認できません。

しかも安倍内閣は、そうした明文改憲さえも待たないで、領土問題など東アジアの緊張からくる偏狭なナショナリズムを煽りたて、歴代政府が繰り返し確認してきた憲法解釈を変えて、集団的自衛権が行使できるよう企てています。それをお手盛りの諮問機関による「答申」で飾り立て、国家安全保障基本法なるものを制定することで、その合法化を謀っています。

しかし、安倍内閣がめざす集団的自衛権の行使とは、米国の世界戦略の要求に従い、米国と共に海外で戦争をすることであり、たとえ「基本法」などでごまかしても、憲法第9条の許容するところではありえないのは明白です。「集団的自衛権」を行使することは、9条に真っ向から反して「戦争をする」ことに他なりません。私たちは、このような横暴な憲法解釈による憲法破壊を許しません。

以上の立場から、私たちは連名をもって、安倍内閣に日本国憲法第99条が厳粛に規定する憲法尊重擁護義務に従い、不当な憲法の解釈変更や拡大解釈、憲法改悪への動きを中止するよう要求します。

2013年2月17日  
(呼びかけ)第16回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会実行委員会
I女性会議大阪/憲法を生かす会/憲法を生かす会東京連絡会/第九条の会ヒロシマ/ピースリンク広島・呉・岩国/ふぇみん大阪/平和を実現するキリスト者ネット/許すな!憲法改悪・市民連絡会/

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安倍首相の改憲戦略、96条から、9条へ

安倍晋三自民党総裁は衆院選で大勝した開票日直後の12月17日、記者会見でこう発言した。「(前回)国民投票法(改憲手続き法)で 憲法を変えるための橋を架けたので、いよいよ国民みんなで橋を渡り、最初に行うことは改正要件を定めた96条の改正だ。 憲法改正は逐条的にしかできないからだ。3分の1をちょっと超える国会議員が反対すれば、 国民が指一本触れることができないというのはあまりにもハードルが高すぎる。……今の段階では(憲法改正の発議には)3分の2は必要だ。……参院では(現有議席は)程遠い。次の参院選で果たして(3分の2の議席確保を)達成できるかどうかわからないが、努力を進めていく。日本維新の会やみんなの党も基本的には96条(改正)については一致できるのではないか」と。彼はいま、この改憲戦略にもとづいて参院選の勝利とその後をめざして準備を進めている。

96条の改憲の必要性について、安倍首相と同様に頑固な明文改憲派で知られる評論家の桜井よしこ氏は「3分の2から2分の1以上への緩和はまた、ルールの民主化と公正化をもたらし、憲法は真の意味で国民に近くなる。これまでは3分の2規定ゆえに改正の可能性は現実問題として限りなくゼロに近く、国民の手に届かないところにあった。結果として、憲法への無関心や無責任が生じてきた面もある」(『週刊新潮』2011年6月9日号)などと説明している。

この桜井氏や安倍首相の説明は事実ではない。日本国憲法よりも厳格な改正手続きを定める米国憲法(連邦議会両院の3分の2多数で改憲案が議決されたうえで、合衆国全体の州の4分の3の賛成が必要)やスイス憲法のもとでも、憲法改正がしばしば行われている。要は主権者国民が改正の必要を求めているかどうかだ。日本国憲法が改憲の発議要件を3分の2にしたのは、改憲が過半数で成立した政権与党が提案すれば発議できるのではなく、野党の多くも賛成できるような、合理的な議論に落ち着いたうえではじめて発議できることを想定している。ここには一部の政権政党が暴走して、最高法規としての憲法に手を付けることを避ける狙いがある。自民党の改憲草案などが非常事態条項で人権を制限する方向を出しているように、時の権力によって人権があやうくされる場合がある。

他方、「国会の過半数にするといっても、さらに主権者国民の意思を表明できる国民投票があるではないか」という主張がある。しかし、かつてドイツのヒトラーが国民投票をファシズムに利用したように、国民投票は万能ではない。独裁権力が国会の過半数で発議して、例えば偏狭なナショナリズムなどの特別の政治的な空気を醸成することに成功すれば、国民投票は少数派の基本的人権の弾圧に利用される「プレビシット」と呼ばれる危険に陥ることすらありうる。

日本国憲法がこうした危険をも想定して、権力者の暴走にタガをはめていることは正当であり、民主主義と人権を守り抜く固い決意の表現なのだ。

安倍首相らのめざすところは、故意にこの点をゆがめ、自民党改憲草案がめざす「天皇を元首に戴いて、国家緊急権で人権を抑圧しながら、国防軍で戦争をする国」にむかって、まず96条改憲で、有権者に改憲慣れをさせることに狙いがある。第1次安倍内閣では、究極のターゲットである第9条改憲に向かって急ぎすぎたという反省が、安倍氏にはある。そこで今回は段階を追って、改憲をすすめようとしているのだ。

しかし、維新の会の橋下徹共同代表は「(この通常国会に)憲法96条の改正案は恐らく維新の会とみんなの党が共同で出していくかと思うが、そのときに、民主党の中は(意見が)分かれるのではないか」と語り、民主党の分裂を促した(2013年2月21日記者会見で)ことに見られるように、参院選の前に改憲案が国会に上程される可能性がある。これは橋下氏が狙うように、民主党が分裂することなくして成立しえないことは明白だ。安倍は、時期尚早として、ここで強行せずに参院選後に持ちこむ可能性がある。

安倍首相にはもうひとつの改憲願望がある。それは歴代政府の伝統的憲法解釈を変えて、9条改憲を実現する前に集団的自衛権を行使できるようにすることだ。そのために「国家安全保障基本法」を制定し、集団的自衛権行使の合憲解釈を法制化しようと企てている。すでにその解釈を権威づけるための第2次「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」も動き出した。これも9条を台無しにする解釈改憲だ。

安倍首相はこの安保法制懇の答申に基づいて、参院選後にはまずこれに着手しようと考えているようだ。つづいて第99条になる。私たちはこれらの安倍首相の危険な狙いを食い止めるために、いまこそ力を尽くさなくてはならない。
(カトリック正義と平和協議会ニュースレター「JP通信」3月号寄稿原稿に加筆 高田健)

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第16回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会概要報告

松岡幹雄@地元事務局 

第16回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会お疲れ様でした。地元事務局として簡単ですが以下、概要を報告します。

1.都知事選や衆議院選の関係で衆議院選投開票日(12月16日)に交流集会実行委員会を立ち上げました。以降急ピッチで講師依頼等集会準備を開始し、チラシが印刷完成したのは1月13日。それから団体発送ということで短期間での準備となりました。しかし、短期間にも係わらず全国交流集会は、公開集会には147名が参加、2日間の全国交流集会には71名、懇親交流会には61名、また、西成スタディーツアーには33名と大変多くの皆さまに参加頂き成功裏に終了しました。
まずもって、全国の皆さまに地元事務局から厚くお礼を申し上げます。

2.公開集会は、松岡千紘さんが司会を担当し、中北龍太郎さんが主催者を代表し挨拶。その後、特別参加された衆議院議員照屋寛徳さんから挨拶をうけました。
照屋さんは、沖縄の熱い思いを切々と語られ、安倍政権による改憲策動に対する怒りを共有しました。
講演は、高田健さんの情勢報告とこの一年私たちの運動課題の提起、普門大輔弁護士から生活保護改悪に見る憲法25条の先行的な破壊状況と取り組みの報告が行われました。
韓国からの特別ゲスト金 泳鎬(キム ヨンホ)さん(韓国・檀国大学硯座教授)は、「おお、友よ、この声ではない」――市民のアジアを封じる国家主義を許すな――と題して市民の連帯こそが偏狭な為政者たちの妄言を封じることができると全身から声を振り絞られるスピーチに会場は感動に包まれました。

公開集会終了後の初日の全国交流集会は、市民連絡会の土井登美江さんが司会を担当し、西から各地の貴重な報告や経験を交流できました。

その後、皆さまお待ちかねの懇親交流会をPLP会館中会議室で開催。第九条の会ヒロシマの久野さんのいつもながらの名調子の司会でのっけからヒートアップ。大阪の藤本さんらのバンドの歌と演奏に序盤で既に最高潮に達しました。つづいて大分の池田さんの「九条船」「古里は原発を望まない」などを全員で合唱、さらに参加者全員からひと言もあり、いつもの交流集会では見られない皆さまの素顔を垣間見る懇親交流となりました。

2日目の全国交流集会は、第九条の会ヒロシマの藤井純子さんの司会で進行。各地の報告の後、共同声明案「集団的自衛権の行使は戦争です」をもとに討議。たくさんの意見が飛び交う中、何点か修正し全国で取り組むことが確認されました。

午後からは西成子どもの里からのスタディーツアー。子どもの里では館長の荘保共子さんからのレクチャーを受け、橋下「改革」の弱い者いじめの実相にふれ、あらためて怒りがこみ上げていました。また、野宿者ネットの生田武志さんの案内で三角公園からあいりん労働センターなど周辺を見学しました。

3.今回の全国交流集会は、いうまでもなく第2次安倍内閣による改憲攻勢のただなかでの集会となりました。第1に、正念場の反改憲の運動、けっして悲観論に陥ることなく市民運動がその柔軟さを発揮し、様々な運動や団体と積極的に結びつき憲法を守り、活かす取り組みを強めることを確認しあえたこと。第2には、「領土問題アピール」運動で切り開かれた日・韓・中・台の市民ネットワークをベースに緊張深まる東北アジアの平和構築へ継続した取り組みの必要性を共有しあえたこと。第3に、とりわけ、安倍内閣による集団的自衛権の行使容認の動きに対して早急に運動をつくり出すこと、等々を全体で確認しあえた点は重要な成果であったと思います。

4.なお、集会の模様については現在DVD編集してもらっていますのでご覧になりたい皆さまに後日お送りできるかと思います。また、金先生のスピーチにつきましてはデータ起こししたいと思っています。第9条の会・ヒロシマにより詳細な報告を寄稿させて頂く予定です。また、ご覧下さい。

最後に、2日目の討議の模様について少しだけふれさせて頂きます。「憲法九条を守ろう!はもう古いのではないか!若い人たちには伝わらない!」という問題提起があり若干の討論になりました。もちろん、表現を工夫することには誰しも異論はない処ですが、富山さんがあえておっしゃいました。「はたして、言葉の問題だろうか」「私たちが自らの存在をかけて全身でその意味を伝えていくことが重要ではないのか」という趣旨のことを発言され、その後前の席に座られていた糸井さんとがっちり抱き合われる一幕がありました。そのとき、私は鳥肌が立つ感動を覚えました。

表現の問題は確かに大切ですが、大事なことは言葉いじりではない。やはり、若い人たちと全力でぶつかることが必要なのだと思いました。杖をつきながらゆっくりと最後まで西成のドヤ街を歩かれた富山さんや糸井さんの姿にその思いがかさなります。時間の関係で早足になってしまったことをお詫びします。富山さん、糸井さん、最後まで参加いただきありがとうございました。
(2013.2.20記)
追伸:2日目の全国交流集会には、前衆議院議員服部良一さんが参加されました。

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「集団的自衛権の行使」は「戦争」だ!
第16回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会報告

池上 仁    

2月16・17日、「許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」が大阪PLP会館で開催された。東京、広島、大分(日出生台)、沖縄・・・開催地を首都圏に限定せず、全国で憲法改悪反対の運動に奮闘している人々の交流の機会をできるだけ広げ、また、反戦反核の闘いの現地で学びあい激励しあってきた全国交流集会も16回目、今回は橋下・維新の会のお膝元大阪を会場に選んで開催された。集会には全国から147名が参加し、2日間にわたって真剣に議論し交流を深めた。

集会は松岡千紘さん(若者で考える未来ネットワーク)のきびきびとした司会で始まる。
主催者を代表して弁護士の中北龍太郎さん(止めよう改憲!おおさかネットワーク共同代表)が挨拶。「大阪での開催は第10回以来。今、憲法にとって戦後最大の危機が訪れている、日本の戦争をする国化、人権の根こそぎ破壊が目論まれている。明文改憲と集団的自衛権行使への動きが並行して進み、第9条が空洞化されようとしている。日米安保、基地問題、領土問題と関連付けて憲法を考える必要がある。反改憲の一大運動を展開しなくてはならないが、これをアジアの人々と共に進めることが大事だ。万一国民投票にかけられても否決できる世論を作らなければならない。憲法を変える、変えないは主権者たる市民が決めること」と。

次に、「脳梗塞を患い、以前の機関銃のようなしゃべりができない、水鉄砲のような話し方になってしまうが」、と静かに挨拶を切りだしたのは集会に駆けつけた社民党の沖縄選出照屋寛徳衆議院議員。「昨年は沖縄復帰40周年、復帰で沖縄は憲法と同時に日米安保の適用対象にもなってしまった。憲法は国民の人権と命を大事にするもののはず、しかし、共に踏みにじられ人間の尊厳が損なわれているのが沖縄の現状だ。1月27・28日、沖縄全41市町村の首長・議会議長・県議団を含む上京団が集会・デモを行い、政府に建白書を提出した。しかし、安倍政権はこれを一顧だにせず96条改正を策動している。明文改憲も解釈改憲も立法改憲も許さない、元気を出して勇気をもって前を向いて歩んで行こう」。語気は次第に熱を帯び力強く呼びかけた。

講演 「第2次安倍政権のもとでの新しい改憲状況と私たちの課題」

高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)

今回の総選挙、自民党圧勝なのではなく、民主党・自民党の負け比べでの自民党の“大勝”と見るべきだ。史上最低の投票率で前回に比し有権者の10%=1,000万人が棄権に回った。各種世論調査でも憲法9条、原発についての世論は変わっていない。

安倍は前回の失敗を教訓にし、まず96条の改正を手始めにその上で自民党の改憲草案“天皇を元首に戴いて、国防軍で、戦争をする国”の実現を目指そうとしている。一方、これと並行して集団的自衛権行使の実現を目論んでいる。

2005年の自民党“新憲法草案”はその名の通り全とっかえの論理に立っていた。今は少し利口になって、イッシューごとの改憲方針をとっている。そのためにまず96条改正をと言っている。

世論の動向はどうか。第一次安倍政権時ほぼ60%が九条改憲に反対だったが、震災便乗型改憲論や、領土問題での偏向したナショナリズムの台頭、北朝鮮の核実験などの影響により、今、それに揺らぎが生じている。

集団的自衛権について、1981年鈴木内閣は“保有しているが行使できない”との見解を示し、以来これが歴代政府によって継承されてきた。アメリカからは3次にわたるアーミテージレポートに代表されるように再三見直し要求が繰り返されている。安倍も見直しに動き、安保法制懇を再開し、4類型からさらにグアム・テニアン防衛まで適用拡大を目論んでいる。安倍の外交姿勢は、“価値観外交”と日本・ハワイ・オーストラリア・インドを結ぶ対中国包囲網形成の“ダイアモンド安倍構想”にあり、この上に集団的自衛権論議がある。沖縄がその要になる。

領土をめぐる周辺諸国との緊張が激化する中、“『領土問題』の悪循環を止めよう―日本の市民のアピール”を呼び掛け、短期間に千数百人の賛同を得た。アピールは韓国、中国で反響を呼び、中国では呼応するアピールに約700名が署名、台湾ではシンポジウムが開催された(参加の呼びかけがあったが急だったため叶わなかった)。記者会見には15ほどのテレビクルーが来たが、日本のメディアは一つもなく、韓国・中国・台湾がそれぞれ5つ位。沖縄タイムスと週刊金曜日だけが取材した。韓国の新聞は社説で取り上げ、中国・台湾の新聞も報道した。市民同士が呼応して立ち上がろうという空気ができつつある。危険なナショナリズムが再燃する危険があり、これが改憲等の動きと結びつく。日本のマスコミはこうした動きを批判しない。

それではこの情勢の下でどう闘っていくのか。安倍政権は参院選までは大人しくしているだろうという見方が大勢だが、そうではない、既に突っ走っている。例えば教育の問題で。維新の会が今国会で96条改憲を提案するかもしれない。いずれにしても改憲勢力は参院選で3分の2を取ろうとしている、私たちはここで諦めるわけにはいかない。

第一に、参議院の3分の1以上を改憲反対派で確保する努力をあきらめないこと。例えば社民、共産はもとより、民主・生活の中の護憲派も応援する。公明党とどう関わるかも課題、今はどちらにも転ぶ曖昧な姿勢だ。

第二に、原発・9条の問題では民意は決して安倍支持ではない。オスプレイ問題、イラク戦争10周年、“3.11”2周年等様々な機会に反改憲を訴えて行こう。

第三に、9条の問題は日本だけの問題ではない、インターナショナルな運動を追求して行こう。中国でも市民運動が出てきている。東アジアの市民運動の連携を作って行こう。5月頃に東アジア各国の人々が集うシンポジウム開催の動きがある。今集会で提起する“集団的自衛権の行使に反対する共同声明”を全国に発し、大きな運動を作って行きたい。

講演「拡大する貧困と格差―生活保護の引き下げ問題」

普門大輔さん(たんぽぽ総合法律事務所・弁護士)

憲法規範の切り崩しが既に始まっている、それが生活保護基準の切り下げ問題だ。2012年5月に、ある芸能人の肉親が生活保護を受給していた問題を捉えてバッシングが始まった。生活保護法第8条で厚生労働大臣が保護基準を定めるとされ、5年ごとに厚労省社会福祉審議会・基準部会で見直し検討が行われる。全国消費実態調査により全国民を10分割し最下位10%の生活実態と比較する。過去に2回だけ引き下げられたことがある。2003年に0.9%、2004年に0.2%だ。今回は平均6.5%、最大10%の引き下げという大幅なもの。

総選挙前から自民党は生活保護の1割カットを公約にしていた。その内容は、自助・自立を基本とする社会保障政策、給付水準の10%引き下げ、医療補助費の大幅抑制・1割自己負担化、現金給付から現物給付へ、稼働層への就労支援・保護の有期化等々、これによって3年間で670億円という大幅な予算削減を打ち出す。

基準部会は90億円削減を報告したがこれを無視し“デフレだから”という口実で無理矢理10%削減公約に合わせたとしか考えられない。そもそも比較された2008年度は原油高による物価高の年、その後家電製品や教養娯楽費は下がっているが食料、光熱水費等基本的な生活コストは上がっている。削減で最も打撃を受けるのは都市部の夫婦・子供2人世帯、月2万円10%の減額になる。生活保護受給者以外への影響も大きい。最低賃金法には生活保護の規定との見合いが定められている、住民税の非課税限度額切り下げ、就学援助の認定基準引き下げ、介護保険料や医療費上限等の減免措置対象の縮小等々。その一方でアベノミクスの経済対策に20兆円が投じられようとしている。

大阪市においても前市長時代から生活保護の改悪の動きがあったが、とりわけ橋下の“維新八策”は自民党の公約と重なる改悪を盛り込んでいた。
このような悪政を正すために諦めず闘って行こう!

特別講演 「おお、友よ、この声ではない―市民のアジアを封じる国家主義を許すな」

金泳鎬(キム・ヨンホ)さん(韓国・檀国大学硯座教授)
金泳三政権の「通産大臣」を務められた方との紹介を受けて演壇に立った金さんは日本語で話された。
タイトルはベートーベンの第九交響曲第4楽章冒頭から取った。第九はシラーの詩“歓喜に寄す”を歌詞にしているが、ここはベートーベン自身が作詞した部分“おお友よ、この声ではない!我々はもっと心地よいもっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか”民族主義・軍国主義の声では駄目だ、人類は兄弟だと高らかに歌おうという意味。

高田さんに話したことがある。かつて朝日新聞に寄稿したエッセイで、井の中の蛙という言葉があるが、日本は井の中の鯨であろう、日本は世界の中の鯨、それだけ存在が大きいが、ただ内なる意識という点では井の中の蛙、ということになるのではないか。例えば大企業のパナソニックの没落を捉えて、日本のマーケットだけを対象にするから競争力が弱くなる、韓国の企業は世界のマーケットを見て経営戦略を立てるから強いという論があるが、これに賛成だ。ハーバード大学に行くと、日本の留学生は少なく韓国の8分の1位しかいない。北京滞在の日本人は8万人、韓国人は80万人。海の中の鯨でなくてはならない、それが日本の課題だろう。

冷戦が終わったら黄金の時代が来ると期待していた。しかし、飛ぶことができずに途を失った鳥、それが東アジアの現状ではないか。中国、北朝鮮、韓国、日本の新しい指導者同士の憎しみ合い・恨みの悪循環が非常に危険なものになっている。ニューヨークタイムス紙が危惧するほどに。東アジアは日本の侵略があったところ、その歴史の清算ができず、歴史的和解ができていない。EUが可能になったのはドイツがナチズムを清算したから。メルケル首相は、ナチズムの責任はヒットラーだけでなくドイツの市民・知識人にもあると言った。日本が侵略の歴史を清算していないことが現在の東アジアの緊張の原因なのだ。

私は韓国人として日本で初の国立大学の教授になったし博士号も得た、自身は親日派だと思っている。その私から見て従軍慰安婦の問題を解決しないのは日本の指導者の怠慢だと思う。最近ニューヨーク州議会上院で慰安婦問題について決議がなされた。歴史を清算しないで一番被害を受けるのは日本の市民だ。日本がかつての覇権主義を清算することが中国の覇権への動きを抑えることになる。

反原発集会に17万人が参加したという話を聞いて、日本で市民革命が起こる、と思った。これまで日本の市民運動は専ら生活面の課題が中心で政治には目を向けていないと思っていた。色々運動をやっても日本の新聞は記事にしない、いったい誰の声を代弁する新聞なのか?かつて東京のホテルで行われた九条問題の集会に参加したことがある。千人もの参加があり、翌日の新聞には一面トップで報じられるだろうと思ったら、社会面の片隅に小さく載っただけ。

VOTEよりもVOICE、選挙での投票には限界がある、より大事なのは市民の声である。市民の声を反映するマスコミでなくてはならない。憲法9条は世界の宝、目指すべきモデルだと思っている。日本は被曝国として韓国、モンゴルと共に東アジアの非核化を目指すべきだ。日本と韓国との間に領土問題はないと考えている、あるのは歴史問題だ。竹島の問題について本格的に研究している専門家は日本にも韓国にも5~6人しかいない。皆日本の領有権を否定している。梶村秀樹氏もそういう論文を書いた方、亡くなった時に新聞に追悼文を書き、“竹島が韓国のものではないという史実が出てくれば、私はそう主張する”と記した。尖閣諸島、竹島、北方領土・・・紛争の種になっている島を東アジア共同体の協力の種にして行こう、アルザス・ロレーヌのように。そうする力が市民にはあると思う。

中身の濃い3つの講演の後は2つのアピール。

池島芙紀子さん(ストップ・ザ・もんじゅ)は、長らく教員をしながら30年来反原発運動を続けてきた、“教え子を戦場に送るな!”というスローガンに共鳴してきたが、“教え子を被爆者にするな!”ということを強く言いたい、脱原発が叫ばれているのに高速増殖炉もんじゅは既に1兆円以上を使い、事故で15年間停止中にもかかわらず今も日々5,500万円を使っている、稼働すれば猛毒のプルトニウムを作り続ける、直ちに廃炉にすべきだ、と訴えた。

新田秀樹さん(オスプレイの配備と低空飛行を許さないヒロシマ市民ネットワーク準備会)は、防衛省の低空飛行についての苦情調査によれば、群馬県が一番多く900件以上、島根あさひ社会復帰促進センター(半官半民の刑務所)は建物が想定目標に擬せられて飛行訓練が行われている、住民は恐怖を抱き、飛行訓練中止を求める議会決議も相次いでいる、オスプレイは今後全国6ルートで飛行訓練が行われる予定で、2百数十の自治体がこれに巻き込まれる、欠陥機オスプレイだが、航空法では安全が確認されない航空機は飛ばせないことになっているのに、特例法で米軍機は例外にされている、とんでもないことだ、今後全国で自治体・市民が一体となってオスプレイ配備の撤回と米軍機低空飛行の中止を迫っていかなくてはならない、と呼び掛けた。

各地の闘いを交流―全国交流集会

公開講演会を終え、2日間にわたる全国交流集会に移る。この1年間の貴重な運動を交流する場だ。

大分…オスプレイが飛ぶ予定のイェロールート下の学校に勤務している、昨年から低空飛行が増えている、憲法・教育基本法の改悪に反対する市民連絡会を作って10年、毎年4回の集会を開催。

広島…意見広告運動,毎年8/6に行っていたが今年は参院選前6月にもやりたい、憲法を守る候補者に投票しようと呼びかける、8/6にも是非やりたいので全国の協力を!

大阪堺市…「堺からのアピール」の運動を1年間やってきた、少数教員組合・全教・日教組等5団体が共同声明を出し大きな反響、呼びかけ人が千名を越えた、維新の会は市議会に教育基本条例を提出できないでいる。大学生奨学金の問題、半数の大学生が有利子の借金をしている、5年間償還猶予だが5年後には10%の利子がつく、若者に寄り添う運動が大事だ。

大阪…正念場の年になった、力を入れて年間スケジュールを立てた、5/17には作家の赤川次郎さんを講師に招いて集会を行う、5/3集会は超党派の枠組みでやりたい、東アジア民衆連帯を主眼に5年前の九条国際会議に匹敵するものをやろうと10/14 1万2千人収容の府立体育館を押さえた、しばらくあまり元気のなかった九条の会を活性化させたい。

伊勢九条の会…今日は6名で参加、憲法記念日に伊勢神宮でビラまき、橋下問題や慰安婦問題での講演会を行った、2月から九の日行動、団地でのビラ入れをしている、3月には津市で反原発集会をやる。

名古屋…小松基地、イラク派兵の問題に取り組んできた、高裁判決5周年、4月に学習会をやる。

長野…ピースサイクルの運動の中で若者の参加が増えた、積極的な姿勢に手ごたえを感じている。

東京、憲法を生かす会…ナショナリズムの問題大きい、1/27沖縄上京団を迎えての集会・デモでは右翼が大動員し、暴言を吐いていた、茨城東海原発差し止め訴訟の口頭弁論が始まる。

ふぇみん・大阪…活動家集団の枠内に留まらない広い運動を作っていかねばならない。

平和を実現するキリスト者ネット…毎月仏教者と共に“自衛隊海外派兵中止と脱原発を求める要請書”を首相に届け首相官邸前で祈りを捧げている、11月には沖縄の平良修牧師も参加、同時に行われている普天間基地ゲート前の集会と交流し素晴らしい連帯の集いになった。

日本消費者連盟…用事で綾部に行ったら反原発、憲法を守れの看板があった、“健やかな命を伝えていく”が消費者連盟の理念、まやかしの声に負けないで私たちの途を歩いて行こう。

練馬アクション…反戦反基地の闘いと憲法問題を繋げていきたい、国体競技に“銃剣道”がある、開催地の学校にやれ旗を作れプランターを作れと協力が要請されている、 これに反対する運動進める。

フォトグラファーの山本さん…沖縄出身の自衛官が格闘技訓練で亡くなった。札幌地裁で裁判を行っている。

大阪…橋下は“北朝鮮は暴力集団、そこと付き合いのある所とは付き合わない”と言って朝鮮学校に対する1億4千万円補助金をカットしたため運営が危機に瀕している、このひどい維新の会が何故支持されるのか?

市民連絡会…都知事選、石原が突然辞任して殆どのグループ・個人は選挙戦をほぼ諦めた、時間がないし力がないと、しかし私たちは諦めたくなかった、最初10数人で決意し結果あそこまで闘えた、運動は単なるアイディアでは駄目で、5.3憲法集会実行委員会などの10数年の積み重ねの上にこうした闘いも可能となった。

憲法を生かす会…都知事選の勝手連連絡会がまだ残されている、地域によっては区議会九条の会に公明党が加わっているところも、市民運動の主張が有権者に届いていないというのが衆議院選総括、参院選は沖縄の糸数慶子さん応援に駆け付ける。

服部良一前衆議院議員…かつてはこの交流集会に毎年参加していた、これからは政治と市民運動を繋ぐ役割を果たしたい、参院選は大きな統一戦線=統一会派をつくって数議席でも取るようにしたい、ファシズムに負けるわけにはいかない。

共同声明案・今後の運動をめぐり活発な論議

続いて全国に発する共同声明案の検討に移る。96条の改正=硬性憲法から軟性憲法への変更の重要さを指摘すべきではないか、普通の市民に伝わる言葉の工夫が必要等々活発な意見が出された。提案者からは集団的自衛権に反対する運動がまだ作られていないこの時期に活動家の人々に動き始めようと訴えるのが声明の目的、96条改憲については別途リーフレットを準備しつつある旨説明された。ここでの意見をもとに原案に手を加えて発表されることで確認された。

最後に今後どう闘うかについて自由討議。広島から県下九条の会の統一ビラを作りたい、偏狭なナショナリズム批判と私たちの平和の構想を提起しなくてはならない、九条アジア会議が求められている、と。

キリスト者ネットの方は、地元で地道に運動を積み重ねることが大事、マイクを握って87歳だと言ったら署名に行列ができた・・・。

消費者連盟の方は、若者にも通じる言葉でという指摘もあったが、問題は言葉の古い新しいでなくそれを発している人の生き方だろう、キリスト者ネットの方より私は10歳若い、それだけ頑張らねば、と。

憲法を生かす会の方から、領土問題は頭上の目の前にある危機、市民アピールを改めて熟読し、国と国との関係でなく地域と地域、市民と市民の関係で問題を解決して行こうと総括的な提起があった。

釜が崎へスタディーツアー

集会終了後、有志はスタディーツアーに。釜ケ崎地区の“こどもの里”はカトリック大阪大司教区の運営する“大阪市子どもの家事業・小規模住居型児童養育事業・緊急一時宿泊所”だが、橋下改革で事業廃止・補助金大幅削減の危機にさらされている。これまでも補助金では足りずバザーや“ともの会”の援助などで運営されてきたというのに。地元TVニュースの録画を見、館長さんの説明を聞く。子どもたちも夜まわりに参加している、中学生になるとなかなか声がかけられないが、小学生は素直に野宿者に声かけができる、というお話に深くうなずく。ボランティアの方に地域を案内していただく。幾度か住民の不満や怒りによる暴動があったため、地元の警察署の建物は人気のない巨大なトーチカのようで不気味。公園での炊き出しに長い列が作られていた。

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「おお、友よ、この声ではない」―市民のアジアを封じる国家主義を許すな!―

金 泳鎬(キム ヨンホ)さん(韓国・檀国大学硯座教授)

韓国からやってきました金と申します。今日は非常に貴重なこの集会に参加することができまして身に余る光栄です。わたしは日本語が非常に下手です。わたしのこれからの日本語のミステイクをエンジョイしていただきたいと思います。

わたしのテーマは「おお、友よ、この声ではない」というテーマになっています。わたしは偶然にソウルでベートーヴェンの音楽会に行ったことがあるんですが、ベートーヴェンの交響曲の9番を聴きながら、ベートーヴェンが自ら書いた歌詞の中にこの「おお、友よ、この声ではない。」O Freunde, nicht diese Tone !という有名な歌詞があります。民族主義的な、軍国主義的な声ではない、こういう声ではない、こういう声ではダメだというシラーの「歓喜の頌歌」、世界の人類がわれわれのきょうだいだという「歓喜の頌歌」を合唱するときにベートーヴェン自ら書いた言葉です。この言葉をテーマにしてスピーチをしてみようかなと思いました。また、ご存じのようにこの言葉はヘルマン・ヘッセがドイツのナチズムが登場したときに「この声ではない、人類はきょうだいであろう、この声ではない」というエッセイで書いた言葉です。そしてヘルマン・ヘッセはドイツを追放されスイスに逃れた。こういうシラー、ベートーヴェン、ヘルマン・ヘッセの流れの立場に立って少し申し上げたいという気持ちで参りました。

井戸の中の鯨を海の中の鯨に

先ほど高田先生が貴重なお話をされましたが、最初にお目にかかったときにわたしが昔、朝日新聞に書いたエッセイについて、その内容についてお酒を飲みながらしゃべったことがあります。日本では「井戸の中の蛙」と言うんですが、日本はけっして蛙ではない、世界では大きな鯨であろう。ただ日本の枠組みや発想の仕方、あるいは内なる国際化という面では、井戸の域を超えていない面があるかもしれない。そう言う意味で、「井戸の中の鯨」ではないかと書いたことがあります。それを高田先生が聞いて、そのときは黙ってわたしの話を聞いていましたが、その後電話がかかってきてちょっとしゃべってくださいといわれた。恐らくそのときの話が先生の印象に少し残って招待してくれたのではないかと思います。

わたしは、日本は本当に世界の中で大きな鯨だと思います。世界の中で日本の存在感は非常に大きい。ただわたしは日本に来るたびに、あるいは日本の新聞を読むたびに、あるいは日本について何かを書くときに、まだ日本は井戸の域を超えていないという気がします。日本の経営者・会社、ソニー、パナソニックといった世界一の会社が、どうして競争力が低くなったのか。それについて、みなさんがよく指摘するのは国内のマーケットだけを的にして経営をする。世界の市場、マーケットではなくて国内市場を主に的にして経営戦略を立てるから、結果的に競争力が低くなったということです。韓国では「三星」とか「現代」などは国内マーケットがわりと小さいですから、世界のマーケットを的にして経営をするので競争力が高くなったということなんですが、わたしはある面では同感です。日本は国内市場が大きいですから、それを見て経営戦略をとるから、そういうことで「井戸の中の鯨」としてどんどん競争力が低くなったということだと思うんです。

わたしはハーバード大学にときどき行くのですが、そこで驚くことは日本の学生が非常に少ないのです。韓国の学生の8分の1だと聞きました。またわたしは北京大学の、日本でいうところの客員教授ですが、聞くところによれば北京に行けば日本の方が8万人くらい、韓国の方が80万人くらいだといいます。とにかく世界のいろいろなところに行くと日本は韓国よりはるかに大きい国なのに、大きな大学の中で日本人が非常に少ない。国内の大学ばかり見ていて、ある面では「井戸の中の鯨」なのです。その鯨は井戸の中でどんどん身体が小さくなっていく。海の中での鯨でなければならない。いま日本で最も重要なのは、井戸の域を海の域に拡大しなければならない。「井戸の中の鯨」を「海の中の鯨」にしなければならないということです。これがわたしの考えです。

東アジアの和解は日本政府の歴史的清算から

冷戦の時代が終わったら、そうすれば黄金の時代になるだろうという期待があったのですが、冷戦が終わっていま20年経ちました。いまの東アジアは道に迷ったような気がします。わたしはラテンアメリカの詩人ネルーダさんの「飛ばないと道に迷う」という詩が大好きですが、飛ぶことができなくて道に迷っているのがいまの東アジアの状況ではなかろうか、道を失った20年ではなかろうかと思います。

日本で安倍さん、韓国で朴さん、北朝鮮で金正恩、中国で習近平、という4つの最高権力者の関係が非常に怖いです。ニューヨークタイムズで2、3日前に、この4人の「歴史的恨み」が東アジアにとって非常に危険な状況をもたらすのではないかという特集が出ましたけれども、わたしも非常に危険ではないか、冷戦が終わって20年になって、非常に危険なところまで来てしまったとわたしは思います。

東アジアとは何でしょうか。簡単に申し上げたいと思いますが、わたしを呼んだのは「あなたの考えを率直に話してください」ということだと思いますので申し上げますと、わたしは東アジアとは日本の侵略があったところだと思います。その侵略に対して日本が歴史的清算をしなかったところです。歴史的和解がまだできていない地域です。この地域の一番の特徴はその問題です。

ヨーロッパでいまEUが可能になった一番の理由は、いろいろあるのですが、ドイツが昔のナチズムの歴史をきちんと解決したこと、1年前にドイツのメルケル首相は「ナチズムの責任からわれわれは永遠に離れることはできない」といいました。「ナチズムの問題はヒトラーだけの責任であろうか、ヒトラーにすべての責任をまわしてわれわれは責任がないというふりをしないで、ナチスの責任はドイツの市民と知識人の責任であろう」という演説をしました。これはこの頃の安倍さんお話とは正反対であって、ドイツが歴史を清算したことでヨーロッパの和解が可能になって、それがいまのEUになったという説に反対する方はほとんどいないと思います。

わたしはこの東アジアの危険な状態がなぜいまも続いているのかという一番大きな理由は、日本がそれを清算しなかったことだと思います。わたしは日本に非常にお世話になりました。日本で博士号をとりましたし、日本で教授にもなった。国公立大学で正式に教授になった外国人はわたしが第1号だったそうですが、ですから非常にありがたく思って恩返しをしなければならないと思っています。わたしの友人もたくさんいます。本当に立派な友人がたくさんいます。本当に立派な方がたくさんいます。恩返しをしようということで何かをいうとすれば、わたしは本当の意味での親日家です。韓国で親日派というと非常に悪い意味になりますが、わたしは親日派ではなくて親日家だというんですけれども。わたしは日本がこの過去の歴史を清算する能力、力が十分にあると思います。

慰安婦の問題を、これを解決しないのは日本の指導者の罪だと思います。この問題は、強制性はなかったとかいいますが、それはそうじゃないんです。2週間ほど前でしょうか、アメリカ上院でこの慰安婦の問題に対する決議案が満場一致で通過しました。これは日本の右翼がいろいろな手紙をいっぱい送りましてね、これに対する反発によって満場一致で通過したのです。そんなことはできないことだということを、はっきり自覚しなくてはならないと思います。日本はそれを解決する力が十分あるのにそれを隠している。その結果は一般の日本市民が大きな損害を受ける悪循環となります。その悪循環は止めなければいけない。

軍拡・民族主義の悪循環を止めるのは市民の声

いまこの地域の、4人の最高指導者の登場を申し上げましたが、この4人の最高指導者を巡る恨みの悪循環。わたしが「恨み」というと、日本の人は「中国人は非常に親切だった、そんなことはないですよ」というのですが、「そんなことはないですよ」。本当に韓国人、中国人の「恨み」は非常に深いものがあります。しかしわたしは、それはある面では簡単に解決できると思います。中国人も韓国人もそこから解放されたいという気持ちでいっぱいです。わたしは日本政府が歴史の清算をしなくて一番損害を受けるのは、日本の市民だと思います。歴史の井戸の中で鯨なのです。それを全部清算して海の世界の中で鯨になって欲しいのです。わたしは日本の市民は、日本の知識人は、日本の友人は、そういう力と資格は十分あると思います。どうしてそれができなかったのか、わたしは不思議に思います。

その「恨み」によって、その結果が民族主義の悪循環に入ってしまって、軍拡の悪循環に入ってしまって、その結果それぞれが軍備を拡大しなければならなくなってしまった。あちらが軍備を拡大するから、日本も拡大しなければならない。あちらで核を開発するから日本も開発しなければならない。憲法9条を変えなければならない。この軍拡の悪循環からは税金を取るしかなく、みんなの生活水準は低くなり、平和は後退せざるを得ない。わたしはよく言うんですけれども、中国のこれからの軍拡あるいは覇権主義を止めるカギになるのは、かつての日本の覇権主義、軍拡の伝統、影を解消するのが一番先だと思います。それで信頼の循環を拡大すべきであるし、その主人公はもちろんいうまでもなく日本の市民だと思います。

いまの安倍さんを中心とした保守グループが言っている慰安婦の強制連行はなかった、あるいは歴史を清算することは何もない。憲法9条はもう変えるべきだ、ふつうの国になりたいとか、「この声ではない」と思います、市民の声は。日本の市民の声、原発に反対する市民のデモが東京で15万人以上が集まったということを韓国の新聞、テレビで見て、そのあと東京に飛んできたとき日本で市民革命が行われるだろうとおもいました。こう言うと、今日わたしはここから追放されるかもしれませんが、日本の市民運動は主に生活の改善の問題が中心で政治権力の問題についてはわりと比重が低いような気がしていて、その面は韓国と違うと思っています。いいか悪いかは別にして。とにかく韓国では市民運動が市民革命になって、それで政権が変わった。市民運動で政権が変わったのはとにかくアジアでは韓国しかない。

マスコミは市民の声を反映しなければならない

日本で15万人以上が集まって市民の集会が行われたということは、いまの政権にとって大きな危機になることは間違いないと思ったのに、いざ日本に来てみるとそんなことはないですね。韓国の新聞の記事を比べても10分の1にもなっていない。われわれはいろいろな運動しましたが、日本の新聞で記事になったことはほとんどありません。日本の大きな新聞は何の声を代弁する新聞でしょうか。わたしは数年前に東京のあるホテルで開かれた憲法9条を守るという「九条の会」の集会に参加したことがあります。わたしの記憶では1000名前後のみなさんが集まって、このくらい人が集まればもう憲法改正などあり得ない、この集会は明日の新聞の1面トップになるだろうと思い込んで、次の朝早く起きて新聞の1面を見たら記事がなかったんですね。2面を見てもない、3面にもない、そして社会面で小さい記事がやっとあった。何の声を代弁する新聞であろうか。

申し訳ないのですが、わたしは朝日新聞の「21世紀委員会」の委員も務めたこともあります。そのほかにもいろいろなかたちで朝日新聞との関係があって、そのおかげで朝日新聞が毎日わたしの机に来るんですね。それは非常にありがたいのですが、読むときに次々と思うのは、例えば竹島の問題とか、こういう記事になれば日本の読者は韓国人はけしからんと反応するしかないのです。どうして真実を報道してくれないのか。わたしは新聞を敵にすることはしたくないのですが、日本の新聞に対して申し訳ないのですが、おかしいと思います。

みなさんご存じのようにいま重要なのはvoting、投票が非常に重要ですけれども、投票は選挙があるときの投票であって、次の選挙までとても長い期間があります、この間にいろいろなことが起こりうる、だから投票で自分の意志をあらわすのは限界がある。それから投票は新聞の記事を見て、いろいろなボイスを聞いてそれで投票先を決める面がありますので、選挙の投票よりもっと重要なのは、ボイス、声です。わたしの講演のテーマは「この声ではない」と申し上げたんですが、市民の声が大きく報道される、そういう仕組みでなければ投票は声に従う。それがいろいろな国の一般的な特徴だと思います。ですから、いまのデモクラシーはボーティング・デモクラシーではなくてボイス・デモクラシーという人もいます。

ところでいまは、ボイスはあまり聞こえない。そのボイスを聞こえるような仕組みをつくることがまず非常に重要です。市民のボイスがそのまま運ばれる、そういうマスコミでなければならない。市民のボイスを反映するマスコミが非常に重要なポイントだと思います。わたしは日本のマスコミから叱られるのは避けられないのですが、わたしはアメリカの新聞よりは日本のマスコミの方が、遥かに一般市民のボイスを反映してくれないのではなかろうかと思います。日本の道路を歩くと全部右翼のマイクの大きな声ばかりです。「この声ではない」のです。

9条-普通以上のモデルを普通にする声はない

わたしは日本の憲法9条は世界の宝だと思います。世界のすべてが日本の憲法9条のような平和国家を目指すべきであり、世界のモデルにしなければならないと思います。これは普通以下のモデルではなくて、普通以上のモデルです。普通以上のモデルを普通の国家にするのは、わたしは「この声ではない」と思います。世界の、アメリカの、あるいはイギリスの、あるいはフランスの軍事産業が非常に繁栄する理由は、もちろん中東もあるんですけれども、東アジアの緊張によって中国が軍備の拡大をする、韓国がする、北朝鮮がする、台湾がする。そうすると相手はまた拡大する。こういう悪循環が世界最大の武器市場です。

この中で日本が軍拡の方向ではなくて平和国家の方向に行きましょう。日本と韓国は行きましょう、それに中国と北朝鮮がついてくるように、そしてアメリカもこういう方向についてくるようにする。日本は被爆国ですから非核、韓国も非核、モンゴルも非核。これで日本、韓国、モンゴルが手を携えて東アジアの非核地帯化を目指す。アフリカも非核地帯化、ヨーロッパは言うに及ばず、東南アジアも非核地帯化されて、次は東アジアが非核地帯化されるべきであるのだから日本が先頭を切る。そうすれば、わたしはアメリカの政府もついてくる可能性があるのではないかと思いますが、そういう大きな方向に行けば日本は世界の平和の一番先頭に立つ国になります。

どうしてそういう方向ではなくて軍拡の、あるいは核開発の、憲法9条を改正する方向に行くのか。それは市民の声ではないと思います。この地域の緊張が高まれば高まるほど、ナショナリズムの緊張が高まれば高まるほど、わたしの考えでは最高権力の国内の立場はどんどん固くなると思います。これは誰の利益のための行動であろうか。

「領土問題」はないが「歴史問題」はある

わたしに領土の問題について少しでも触れて欲しいと言われています。率直に申し上げたいと思うのですが、日本と韓国の間にはわたしは領土問題はないと思います。歴史問題があると思います。竹島の問題は、領土問題ではないと韓国人の誰もが思っています。あるアメリカ人は、竹島のために死んでもいいという人間は日本人では500人は超えないだろう、しかし韓国人は500人以上になるだろうという話をしたそうです。韓国人は、これは歴史問題だと思うんですね。

野田総理が8月の下旬に、竹島は日本の領土である3つの理由を挙げました。ひとつは17世紀に日本は領土権を確立した。ひとつは1905年に国際法に従って日本に編入した。3つめは、サンフランシスコ講和条約によって日本のものにしたという3つ理由です。こういうふうに一国の首相が日本の国民にしゃべっていいのか。わたしの考え方を言うよりは、日本で竹島の専門家は5、6人しかいないんです。韓国にも5、6人しかいないんです。本当の論文らしい論文を書いたのは、日本では5、6人です。ほかの方は勝手に書いたのです。

ところで日本の大学で歴史の専門家として本当に論文らしい論文を書いた方は、たとえば神奈川大学の梶村秀樹、島根大学の内藤正中、京都大学の堀和生、名古屋大学の池内敏、これらの先生です。これらの先生の論文では、ほとんど全部があの島は日本と関係ないとしています。歴史家ではなくて法律家で、これは日本のものだという論文を書いた人はいるんです。しかし歴史学の中では、例えば梶村秀樹さんの論文では、この島は日本と何の関係もない島である。そして論文の最後に自分の住所と電話番号が書いてあって、もし疑問があったらここに電話してくださいと書いたんです。

彼が亡くなったときにわたしは韓国の新聞に追悼文を書きました。こう書いたんです。「日本の名誉のために、あるいは学問の真実のために先生がそういう論文を書きましたので、もし韓国の史料を見てこの島が日本の島だと思わせる史料が出てきたときには、わたしは必ずこの島は韓国とは関係ないと書きます」と誓った追悼文を書きました。わたしは本当にそういう気持ちだったんです。また北海道の社会科の先生の組合が、これは日本と関係ない島だという声明を2008年に出したことがあります。2011年に東京の社会科の先生の組合が、昨年には東京の2000名の人びとが声明を出したことがあるんです。

紛争の種を東アジアの協力の種に

しかしながら、わたしは日本とロシアの間の島の問題と、日本と韓国との間の島の問題と、日本と中国との間の島の問題など紛争の種になっている島が、これから東アジア共同体の協力の種になる、そういう方向性しかないと思います。アルザス、ロレーヌ地方の鉄鋼と石炭をヨーロッパが共有することによってEUにつながったという歴史があるんですが、いまの紛争の種の島がこれからこの地域の協力の助けになるような、そういう種になる島にしなければならない。日本と韓国と中国と台湾と、この東アジアの市民にはそういう力があると思っています。そういう力を発揮することが、今の時代に何よりも期待する新しいリーダーシップだと思います。

先ほど高田先生がおっしゃったように、昨年日本で「日本の市民のアピール」が出たときに、わたしが韓国の中でみなさんと相談して、500人以上の知識人が参加してそれに賛同する署名をしたんです。同時に中国でも市民のグループがこれを支持する声明を出しました。もちろん台湾でもそうです。そういう、市民のアピールに対して向こうの市民がそのまま支持する、アピールするということがすでに確立されつつある。これをもっと大きくしなければならない。アジア市民の連帯、この市民の声、この声を引き出す交響曲をこれから演奏しなければならない。その主人公は政治家ではなくて一般市民であると思います。
失礼いたしました。

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スタディーツアー報告

◇◇西成区釜ケ崎(あいりん地区)の「こどもの里」を訊ねて◇◇

中尾こずえ(市民連絡会事務局)

全国交流集会2日目のスタディーツアーは、野宿者ネットの生田さんの案内で西成区の「こどもの里」や三角公園、あいりん労働センターなど周辺を見学することができました。
「こどもの里」ではビデオ上映を観て、館長の荘保共子さんから「こどもの里」の成り立ち、社会的役割、橋下「改革」のなかで起きている問題など、貴重な報告を伺いました。

――お話から――
<生き抜こうとする力を持つ子どもたちが創り出した「居場所」>
あいりん地区の中心部に建つ「こどもの里」は、1977年に学童保育としてスタートし、1996年に大阪市独自の事業である「子どもの家事業」に移行した。0歳から18歳までの全児童を対象とし、もちろん障がい児も利用でき、無料。多様な家庭事情を背景にもつ子どもたちが、遊びを通して集い、憩い、相談できる場になっている。子どもたちが抱える暮らしの現実は、用意された制度やサービスの枠にとても収まりきれるものではありません。子どもたちとの関わりを通して見えてきたしんどさや、それでもなお生き抜こうとする子どもたちの底力に応えようと、“里”は1日24時間、365日機能させ、宿泊もでき、親の生活相談に応じ、里親を経てファミリーホームの機能を加えました。

生活保護の申請に行ったら「お父さん、ちゃんと働けるでしょ」と。お父さんが働きに行く為には子どもが施設に入らなければならない。何かあると、一時保護や施設に行くしかない。一時保護所では学校に行けない。DVを父親から受けた母子が、ここへ逃げてくる。被害者が他所へ移され、加害者が地域に住み続けるのではなく、「こどもの里」でなら、住む家とは違うかも知れないが、いつも遊んでいる所で遊んで、同じ学校に通うことができる。これは子どもの安心感につながるし、負担も減る最善の道と考えたのです。

障がいのある子もない子も、年齢の違いのある子たちが一緒に過ごすというのは、すごく大切な事だと思う。そこにお互いが自然と共に生きられる空間が生まれてくる。

――ビデオの上映で――
“里”で育った高校生になったお姉さんが、ここで今度はお母さんのような役割を担っていた。彼女は訴える。「母子家庭に生まれた私のふる里はここです。
“里”の存続を願う」と。

<子どもの夜回りパトロール>
幼児がいて、そのそばで気を遣いながらボール遊びをする子がいて、小学生の勉強をみている中・高生がいる。野宿する人たちにおにぎりを握って、夜、訪問する子どもたちがいる。小学生のうちからパトロールにつれて回って来た。中学生になってからではできない。子どもが声をかけると心を開いてくれるのです。パトロールの行動を起こすきっかけになったのは横浜での中学生たちによる「ホームレス殺人事件」で、さらにショックだったのはこの事件を擁護する空気が周辺の一部大人たちにあったということです。

<地域に「子どもの家事業」がある意義と運営の現実>
虐待、DV、両親の蒸発、障がい、不登校、戸籍のない子ども。深夜の駆け込み、親もまた、救われた。誰かがSOSを出したなら、24時間受け入れる。家族まるごと引き受ける。ここまでできるのは「こどもの家」だけです。いま、橋下大阪市長の「改革」で存続の危機にある。いまでさえも「こどもの家事業」に出ている補助金では人件費が足らず、バザーとか寄付金で補っているのが現状です。更に、この事業廃止で補助金が打ち切られても、有料の学童保育へはほとんどの子が行かれません。虐待事件が増えたり、施設入所する子も増えるだろう。引き続き、市との話し合いやNPO法人化などへの取り組みを行って行きます。

荘保さんの“何よりも命が大事”と子どもたちと一緒に地域で生き抜く決意をもって命がけの活動をされているお話に私は感銘しました。「弱い立場の人間を切り捨てる橋下改革や石原前都知事、安倍政権などではないよ、指導者は」と市民の声を大きく届けて行こう。
まず、採択された「集団的自衛権の行使は戦争です」の共同声明を大きくしていこう。憲法改悪を止め、アジアの民衆の平和と共生を求めて。
第16回集会の開催地大阪の特徴が良く生かされた実のある2日間でした。尽力された大阪の皆さま、ありがとうございました。

◇◇「こどもの里・子どもの家事業」の切り捨てに橋下市長のホンネを見た◇◇

土井とみえ(市民連絡会事務局)

全国交流会のスタディ・ツアーは2日目の午後、PLP会館前を出発した。環状線で20分ほどの新今宮駅で下車。駅からは片側3車線の幅広い道路を渡ると、そこには「あいりん職安」があり釜が崎の地域に入る。

巨大なコンクリートの職安の建物には医療センターの案内もあって併設されているようだ。通りをすすむと小さなお弁当屋さんが店を開けている。古いが鉄筋の大きな萩ノ茶屋小学校の横をすすみ、木造2階建ての小さなアパートに、文字が消えそうな「婦人アパート」の看板を見つけた。あとで聞くところでは、今は看板のような特色はないようだった。野宿者の小屋がある四角公園を曲がるとすぐ、「こどもの里」があった。

小さな花の鉢が並んでいる「こどもの里」の入り口を入ると、中は思いの外広かった。1階には子どもたちが遊べる広い板張りのスペースがある。そこで遊んでいた子どもたちが場所を空けてくれて、館長の荘保友共子さんの話しとビデオで説明をうけた。

「こどもの里」は40年も釜が崎の地で、こどもたちの遊び場と生活の場としての役割をはたしてきた。今は大阪市の「子どもの家事業」として補助金を受け、利用料は無料になっている。それでも「こどもの里」はバザーや資金カンパなどを広く募って運営してきたのが実情だった。

ところが昨年4月、橋下市長の下で大阪市改革の一環として「子どもの家事業」を廃止して学童保育事業に一本化する方向が出された。何と大阪市では学童保育料として子ども1人当たり2万円の負担がかけられている。これでは子どもが2人、3人いたらと思うと、実に家計に重いし、これを支払える家庭はほんの一握りに限られるだろう。大阪市として子育て支援を切り捨てることではないか。

「子どもの家事業」存続のための署名やマスコミへの働きかけ、大阪市への申し入れなどの結果、来年度は存続することが決まったものの、その後は廃止の方向だ。この経過は「橋下の改革」の実態をはっきりと見せつけていることがわかった。「こどもの里」は地域の状況に向き合い、複雑でさまざまな要素に対応できる空間を、運営するスタッフと子どもたちの力でつくり出してきた。これからの私たちには、こうしたコミュニティづくりこそが求められている。そして効率と民営を叫ぶ人びとにとっても十分活用できるはずの事業ではないか。

しかし「橋下の改革」は、選挙で選ばれた彼の描いた構図だけが正しくて、従わないものの存在は許さない。マスコミの寵児・橋下市長の実際の顔をここに見ることができた思いだった。

釜が崎の地域を生田武志さん(野宿者ネットワーク)に案内してもらった。1960年の暴動以来ここに住む人びとを抑圧してきた西成警察署の建物は、要塞そのものだった。7、8階建てで頑強にそそり立つ白いビルは、太い鉄骨の塀で周りが囲われている。入り口は二重の鉄の扉が準備され、ドアの中は見ることができないガラスが使われている。屋上や周辺には監視カメラがにらんでいて、人の姿はまったく見えない。こんな建物を見たのは初めてだった。

あいりん職安も大きな建物で、2階のコンクリートの床には多くの人が毛布や段ボールを敷いて横たわっていた。この人たちも閉館の時間にはここから出なければならない。消毒薬特有の強いにおいが空気をおおっている。午後の時間帯だったが2ヶ所で炊き出しの行列があった。

フィールドワークとはいえ、30人以上の大人の集団が徒歩で移動するのは目立つし、ひと固まりを保つこともなかなか難しく、案内をしてくれた方々にはずいぶんお世話になった。ほんとうにありがとうございました。

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