尖閣諸島領有問題をめぐって西太平洋海域や東シナ海での日米・中の軍事演習がつづき、北東アジアの緊張が高まっている。石原慎太郎都知事をはじめ各国支配層内の偏狭なナショナリストの無責任で挑発的な策動で、沖縄を再び戦場にするようなことが絶対にあってはならない。
10月18日に「領土問題の悪循環を止めよう、10・18平和のための国会前行動」が衆議院第2議員会館前で小雨降る中、午後6時から開かれ、メッセージを書いたキャンドルや横断幕を掲げて100名近い市民が参加した。集会には韓国と中国の市民団体(作家の崔衛平さんら700名余の「“中日関係に理性を取り戻させよう”ワークチーム」と、金泳鎬・檀国大学碩座教授ら「韓日知識人共同声明韓国署名者596名一同」)からメッセージが届き、読み上げられた。
この集会は9月28日に、大江健三郎さん、本島等さんら1200人余の賛同者を添えて発表された「『領土問題』の悪循環を止めよう!日本の市民アピール」の世話人会が主催したもので、当日までに1900人以上の賛同者が得られたことが報告された。この賛同者の特徴は各界の様々な著名なオピニオンリーダーたちと一緒に、沖縄をはじめ全国の市民が連名し、国内だけでなく外国在住の日本市民たちが数多く賛同していることだ。
集会は世話人の高田健(市民連絡会)が司会し、同じく世話人の岡本厚・雑誌『世界』前編集長、内田雅敏弁護士、小田川興・在韓被爆者問題市民会議代表ら、及び国会議員の橋本勉(民主)、服部良一(社民)、福島瑞穂(社民)、瑞慶覧長敏(無、メッセージ)が発言した。また集会では千葉真(ICU教授)、松本ヒロ(タレント)、筑紫建彦(憲法を生かす会)、糸井玲子(キリスト者平和ネット)、辛昌錫(在日韓国人長老)の各氏が発言した。
集会では25日に首相官邸に賛同者名を添えてアピールを届ける予定であることが確認された。
このアピールの賛同の呼びかけは9月末にインターネットで発表されて以来、沖縄をはじめ全国各地の知識人や市民から熱烈な賛同がとどけられ(賛同に添えられたメッセージの一部を本紙に採録した)、画期的な運動となった。そして、9月28日の記者会見を経て、このアピールは北東アジア各国のメディアで伝えられ、大きな反響を呼んだ。台湾ではこのアピールに呼応して、著名な知識人である陳光興(国立交通大学教授)らが領土問題での「民衆と民衆の直接の対話」のためのシンポジウムを10月6日に開催し、台湾、中国、韓国、沖縄、日本の市民が参加した。中国では著名な作家・崔衛平さんら700人が、困難な環境の中で、インターネットで「中日関係に理性を取り戻そう」のアピールを発表した。韓国では日本のアピールを主要新聞各紙が社説で論評し、大統領選の最中ではあるが市民のアピールが準備されている。各国政府が対立と緊張を激化させている中で、こうした市民の連帯が強まっていることはすばらしいことだ。この力をさらに発展させ、偏狭なナショナリズムに彩られた挑発者たちの策動を打ち破る北東アジアの民衆の大きな力を築き上げることがいま、緊急な課題となっている。(事務局 高田健)
2012年9月28日
1、「尖閣」「竹島」をめぐって、一連の問題が起き、日本周辺で緊張が高まっている。2009年に東アジア重視と対等な日米関係を打ち出した民主党政権の誕生、また2011年3月11日の東日本大震災の後、日本に同情と共感を寄せ、被災地に温家宝、李明博両首脳が入り、被災者を励ましたことなどを思い起こせば、現在の状況はまことに残念であり、悲しむべき事態であるといわざるを得ない。韓国、中国ともに日本にとって重要な友邦であり、ともに地域で平和と繁栄を築いていくパートナーである。経済的にも切っても切れない関係が築かれており、将来その関係の重要性は増していくことはあれ、減じることはありえない。私たち日本の市民は、現状を深く憂慮し、以下のように声明する。
2、現在の問題は「領土」をめぐる葛藤といわれるが、双方とも「歴史」(近代における日本のアジア侵略の歴史)問題を背景にしていることを忘れるわけにはいかない。李大統領の竹島(独島)訪問は、その背景に日本軍元「慰安婦」問題がある。昨年夏に韓国の憲法裁判所で出された判決に基づいて、昨年末、京都での首脳会談で李大統領が元「慰安婦」問題についての協議をもちかけたにもかかわらず、野田首相が正面から応えようとしなかったことが要因といわれる。李大統領は竹島(独島)訪問後の8月15日の光復節演説でも、日本に対し日本軍元「慰安婦」問題の「責任ある措置」を求めている。
日本の竹島(独島)編入は日露戦争中の1905年2月、韓国(当時大韓帝国)の植民地化を進め、すでに外交権も奪いつつあった中でのものであった。韓国民にとっては、単なる「島」ではなく、侵略と植民地支配の起点であり、その象徴である。そのことを日本人は理解しなければならない。
また尖閣諸島(「釣魚島」=中国名・「釣魚台」=台湾名)も日清戦争の帰趨が見えた1895年1月に日本領土に組み入れられ、その3カ月後の下関条約で台湾、澎湖島が日本の植民地となった。いずれも、韓国、中国(当時清)が、もっとも弱く、外交的主張が不可能であった中での領有であった。
3、日中関係でいえば、今年は国交正常化40年であり、多くの友好行事が計画・準備されていた。友好を紛争に転じた原因は、石原都知事の尖閣購入宣言とそれを契機とした日本政府の国有化方針にある。これは、中国にとってみると、国交正常化以来の、領土問題を「棚上げする」という暗黙の「合意」に違反した、いわば「挑発」と映っても不思議ではない。この都知事の行動への日本国内の批判は弱かったといわざるをえない。(なお、野田政権が国有化方針を発表したのは7月7日であった。この日は、日本が中国侵略を本格化した盧溝橋事件(1937年)の日であり、中国では「7.7事変」と呼び、人々が決して忘れることのできない日付であることを想起すべきである)
4、領土問題はどの国のナショナリズムをも揺り動かす。国内の矛盾のはけ口として、権力者によって利用されるのはそのためである。一方の行動が、他方の行動を誘発し、それが次々にエスカレートして、やがて武力衝突などコントロール不能な事態に発展する危険性も否定できない。私たちはいかなる暴力の行使にも反対し、平和的な対話による問題の解決を主張する。それぞれの国の政治とメディアは、自国のナショナリズムを抑制し、冷静に対処する責任がある。悪循環に陥りつつあるときこそ、それを止め、歴史を振り返り、冷静さを呼びかけるメディアの役割は、いよいよ重要になる。
5、「領土」に関しては、「協議」「対話」を行なう以外にない。そのために、日本は「(尖閣諸島に)領土問題は存在しない」といった虚構の認識を改めるべきである。誰の目にも、「領土問題」「領土紛争」は存在している。この存在を認めなければ協議、交渉に入ることもできない。また「固有の領土」という概念も、いずれの側にとっても、本来ありえない概念といわなければならない。
6、少なくとも協議、交渉の間は、現状は維持されるべきであり、互いに挑発的な行動を抑制することが必要である。この問題にかかわる基本的なルール、行動規範を作るべきである。台湾の馬英九総統は、8月5日、「東シナ海平和イニシアティブ」を発表した。自らを抑制して対立をエスカレートしない、争いを棚上げして、対話のチャンネルを放棄しない、コンセンサスを求め、東シナ海における行動基準を定める――など、きわめて冷静で合理的な提案である。こうした声をもっと広げ、強めるべきである。
7、尖閣諸島とその周辺海域は、古来、台湾と沖縄など周辺漁民たちが漁をし、交流してきた生活の場であり、生産の海である。台湾と沖縄の漁民たちは、尖閣諸島が国家間の争いの焦点になることを望んでいない。私たちは、これら生活者の声を尊重すべきである。
8、日本は、自らの歴史問題(近代における近隣諸国への侵略)について認識し、反省し、それを誠実に表明することが何より重要である。これまで近隣諸国との間で結ばれた「日中共同声明」(1972)「日中平和友好条約」(1978)、あるいは「日韓パートナーシップ宣言」(1998)、「日朝平壌宣言」(2002)などを尊重し、また歴史認識をめぐって自ら発した「河野官房長官談話」(1993)「村山首相談話」(1995)「菅首相談話」(2010)などを再確認し、近隣との和解、友好、協力に向けた方向をより深めていく姿勢を示すべきである。また日韓、日中の政府間、あるいは民間で行われた歴史共同研究の成果や、日韓関係については、1910年の「韓国併合条約」の無効を訴えた「日韓知識人共同声明」(2010)も、改めて確認される必要がある。
9、こうした争いのある「領土」周辺の資源については、共同開発、共同利用以外にはありえない。主権は分割出来ないが、漁業を含む資源については共同で開発し管理し分配することが出来る。主権をめぐって衝突するのではなく、資源を分かち合い、利益を共有するための対話、協議をすべきである。私たちは、領土ナショナリズムを引き起こす紛争の種を、地域協力の核に転じなければならない。
10、こうした近隣諸国との葛藤を口実にした日米安保の強化、新垂直離着陸輸送機オスプレイ配備など、沖縄へのさらなる負担の増加をすべきでない。
11、最後に、私たちは「領土」をめぐり、政府間だけでなく、日・中・韓・沖・台の民間レベルで、互いに誠意と信義を重んじる未来志向の対話の仕組みを作ることを提案する。
民間東アジアフォーラムの声明
2012年10月6日初稿/2012年10月9日修正
最近、中国大陸、台湾、日本の間の釣魚島(尖閣)をめぐる争い、そして韓国、日本の間の独島(竹島)をめぐる争いは、過去10年に着実に育ってきた開かれた相互交流の雰囲気を激しく変えてしまった。いたるところで民族感情が高まり、地域内での友好的な交流が難しくなるところまできてしまったのは、残念なことだ。アメリカは東アジアでの軍事力を強化しており、軍拡競争もまた激しくなった。いまや東アジアは戦争の瀬戸際に立っていると感じないわけにはいかない。冷戦の後期以降、東アジア情勢がここまで緊張したことはなかった。この事態は、戦争の記憶と冷戦構造が、歴史の進行とともに自動的に解消されるのではないことを証明している。戦争責任の問題を地域の共同の課題として清算しようと真面目に試みないかぎり、近代の植民地主義と帝国主義の歴史が生み出した深い痛みと怒りは和らげられることはなく、東アジアの平和の基盤はもろいままであるだろう。
東アジアで暮らし、民間社会に長期的な関心とかかわりを持ってきた私たちは、島をめぐる今回の紛争が、19世紀後期以来の植民地主義の歴史の残した未解決の問題に、戦後期の帝国による征服および冷戦構造の仕組みがからみついた結果であると理解している。領土主権についての国民的もしくは国家主義的な思考様式は、東アジアにおける民間の連帯、交流と対話、相互の助け合いと協力、平和を求める試みなどに否定的な影響を及ぼしてきた。さらに土地と資源をめぐる争奪は、環境と境界地に住む人びとに害をもたらす。そのうえ、過去半世紀のグローバル資本主義の展開は、全世界で資源と権力をめぐる闘争を激化させ、もうひとつ未来へのわれわれの想像力を切り縮めている。
長期的な国民的記憶および20世紀後半の冷戦による分断構造は、東アジア諸国がお互いに信じあうことを不可能にしている。そして、中国が地域大国の地位に登ったことは、たとえ平和的であろうと、近隣諸国の不安を引き起こし、東アジアにおける米軍配置を強化する口実に使われ、それによって覇権争奪の新しい冷戦構造が出現している。この構造的な文脈のなかで、政治家たちが再び民衆の悲惨な戦争の記憶を土壌として、あるいは地域内の対立を口実として、民族的な情緒を(例えば、係争下の島を私人から買い上げて「国有化」したり、軍事演習を行ったりすることで)煽りたて、対立をさらに激化させることを私たちが許してしまうなら、東アジアの平和は根なし草の観念となり、人びとは戦争の亡霊にこれからも脅かされて暮らすことになるだろう。もし東アジアの国々が、帝国主義の歴史に、共に向き合い、戦争の責任を引き受け、植民地主義の傷を癒しきる気がないのであれば、これらの不安定な構造的要因は、居座り続け、将来の戦争の引き金になるだろう。
私たちは、東アジアの平和と発展の追求と草の根民衆の交流が、東アジアの民衆の共同の願いであるのみならず、各国政府にとって反論の余地のない責務だと考えている。地域の平和が破壊の瀬戸際に立たされ、民衆の生活が脅威にさらされている今、東アジアの平和を大事に思う民衆アジアの当事者として、この危機に居場所を越えた行動で立ち向かうべきだと、私たちは強い責任感を感じている。なぜなら、理性の声で公共の事柄に参加することは、責任ある市民の厳粛な権利であるばかりでななく、民主主義的な実践と東アジア地域の相互交流の基礎でもあるからだ。東アジア地域の厳しい状況に直面して、私たちは、止むに止まれぬ思いを込めて、平和な東アジアという展望に立つ民衆の集団として、以下の呼びかけへの支持をお願いする。
一、 私たちはこれら紛争下の島々を東アジアにおける境界交流圈、近隣住民生活圈、そして東アジア非武装地帯に変えなければならない。
私たちは、領土主権を主張するだけでは紛争を解決できないと考える。東アジアの各国と民間社会は、まず領土紛争が存在することを認め、直視するとともに、平和と軍事衝突回避の原則を固守しつつ、領土関心を乗り越える新たな集団的価値と原則を探し求めなければならない。この意味において、私たちは紛争下の島を「境界交流圈」(人びとはここで自由に交流し動き回ることができる)、「近隣住民生活圈」(そこでは近隣島嶼の住民は日常の生活に必要な空間と資源を分かち合う)、そして東アジア「非武装地帯」に変えることは、領土をめぐる紛争の解決と,地域における相互理解と共生を高めるのに役立つであろう。
二、 私たちは、自国政府に対し、領土紛争に際して、境内での民族主義的感情を鎮静化し、対外的には軍事主義的傾向を抑制するよう要求する。
歴史理解を基礎として、私たちは東アジア各国の民族的な情感が充分に尊重されなければならないと信じている。同時に、歴史的な論争(例えば慰安婦問題や教科書問題)、集合体としての主権と統治権の合法性(the legality of sovereignty and rights of governance as a collectiviy)に戦後の国際諸協定が及ぼしている影響などについて、民間社会もまた境界を越える対話を開始し、歴史によって形作られた互いの感情や感覚を理解し合うようにすべきである。各国政府は、それぞれ国内における民族主義的感情を鎮静化させ、地域内の平和的なコミュニケーションを妨げる暴力や無秩序な振舞いを防がなければならないと、私たちは主張する。民間の連帯、交流と対話、相互の助け合いと協力の原則を再確認しつつ、私たちは、戦争を絶対に回避するために、各地の民間社会が自国の政府の振舞いを監視し、軍事主義的な傾向を抑制することを期待する。民間同士の相互関係と対話の増強を続けることこそが、東アジアにおける平和の探求の成否は、境界をこえる継続的な対話と相互交流に掛っていると私たちは信じている。
三、 沖繩、日本、韓国の人びとよる米軍基地反対の闘いを支持し、各国の政府が地域の平和と安全のための条約を結び、それによって相互信頼と平和のための機構を構築するべしとする提案を推進する。同時にアメリカ政府に対して、地域に米軍基地が存在することから生じる諸問題を完全に解決できるよう、国外の軍事基地をすべて撤収し、東アジア各国を平等に友好的に遇するよう要望する。
地域における平和を追求するためには、民間のコミュニケーションは相互の尊重と理解の基礎の上に行われなければならない。軍事衝突は東アジアの住民(特に境界領域の住民)の生命と安全を脅かすだけである。それは、米国が冷戦構造を維持する口実、米・韓・日軍事同盟によって米国の国益を増進するための口実を米国に与えるだけである。こうして私たちは、沖繩、日本本土(岩国、横須賀などの地域)、そして韓国の人びとによる米軍基地と軍事基地に反対する勇敢な闘いを支持し、「安全保障」の名による国境を越えた軍事膨張と軍事協力に反対し、軍拡競争へのすべての試みを退ける。軍事紛争は、地域の平和の発展には無益であり、基地の展開は東アジアにおける戦争のリスクを増すだけである。私たちは軍事基地に反対し、冷構造を乗り越える運動が、島をめぐる東アジア紛争を乗り越える重要な方向であると信じる。私たちは東アジア各地の民間社会の平和を愛する諸勢力が、東アジア地域平和・安全保障協定を結ぶようそれぞれの政府に要求する方向に動くよう呼び掛ける。またアメリカ政府が冷戦的思考を捨て、東アジアの平和への意志を尊重し、東アジア諸国を、尊敬、平等、互惠の態度で遇するよう期待する。平和と相互信頼の地域的機構を創造することによってのみ、米・韓・日の安保体制を乗り越え、東アジアにおける米軍基地によって起こる諸問題を根絶することができる。
四、 東アジアの平和に向かって動き始められるよう、私たちは歴史的な傷跡と島をめぐる紛争に正面から向き合わなければならない。
島をめぐる紛争は歴史的問題であり、歴史に立ち返って取り扱う必要がある。私たちは、東アジアのそれぞれの政府と民間社会が、東アジアの歴史的な傷跡に正面から向き合い、責任と補償そして正義の問題についてともに熟議するよう心から要請する。東アジアの各国はそれぞれの既定の立場を少し和らげ、沖縄と日本の問題、南北朝鮮の問題。そして台湾海峡両岸の問題など一九世紀以降の地域の歴史が今日に残した衝突と論争を適切に検討し理解できるよう、率直な対話を始める必要がある。そうすることによってのみ、現在の地域の状況が戦前の日本帝国主義、戦後のアメリカ新植民地主義、および過去五〇年のグローバル資本主義と冷戦構造によって重層的に決定されていることをはっきり知ることができる。これらの要因は、外部と結びつきつつ権力獲得を競い合う国内政治勢力と複雑に絡み合ってきたのである。これらの問題をより大きな歴史の文脈に置きなおしてみることではじめて、私たちは現在の島を巡る紛争を充分に把握し、処理し、東アジアの平和に固い基盤を築くことができる。
最後に、私たちは、東アジアの平和は民間の連帯、コミュニケーション、相互理解、信頼、尊敬、自制にかかっていることを再確認する。この意味において、大国にあろうと小国にあろうと、周辺にあろうと中心にあろうと、民間社会は互いの声に耳を傾け、助け合うために、境界を越え続けなければならない。互いの感情と必要を尊重するときにのみ、私たちは民族の自己利益を越えた新しい価値と倫理を見つけ、創造することができる。そのとき初めて、私たちは、戦争の迷路にはまりこんで平和の死に涙を流さずにすむのだ。
(註:これに声明発起人/起草者:個人/団体、がつづきます。本声明は10月6日、台北市国立交通大学で開催されたシンポジウム[主宰:『台湾社会研究季刊』の陳光興氏、中華保釣協会の劉源俊氏]を経ての声明です。この会議には50人ほどの聴衆と、韓国から李大薫・聖公会大学教授、韓嘉玲・北京市社会科学院社会学科、王暁明・上海『熱風学術』、台北・林孝信・人人保釣連盟、王智明・中研院欧美所、那覇・若林千代・『けーし風』、東京からスカイプで岡本厚、野平晋作の各氏が参加した)。
【資 料】 韓国・中国の報道から
●韓国
[中央日報]
【社説】「領土問題、冷静さを取り戻そう」と訴えた日本の知識人
2012年09月29日11時26分
ノーベル文学賞受賞者の大江健三郎氏など日本の知識人約1300人が昨日、韓国・中国・日本間の領土問題について声明を発表した。北東アジアの領土紛争で冷静さと自制を失わないことを呼びかけてきた私たちは、「いかなる暴力行使にも反対し、平和的な対話による問題解決を主張する。各国の政府とメディアは自国のナショナリズムを抑制し、冷静に対処する責任がある」という声明内容に共感する。
特に、独島(ドクト、日本名・竹島)と尖閣諸島(中国名・釣魚島)に関し、「ともに歴史(近代日本のアジア侵略歴史)問題を背景にしているという点を忘れてはならない」とし「韓国、中国が、もっとも弱く、外交的主張が不可能であった中で日本が領有した」と指摘した部分は意味深い。1910年の韓日強制併合は無効だと宣言した2010年の韓日知識人の共同声明を想起させた部分も注目される。中国で日中国交正常化以降最大規模の反日デモが行われ、日本でも右翼団体が連日、反韓・反中スローガンを叫ぶ雰囲気の中で出てきた勇気ある発言であり、評価するに値する。
国家間の懸案には領土問題だけがあるのではない。韓日中3カ国がこれにこだわって冷静さと自制を失えば、昨日の朝日新聞に掲載された作家・村上春樹氏のエッセーのように、「安酒に酔って騒いだ後、頭痛だけ残る」のが常だ。ドイツのヒトラーが第1次世界大戦で失った領土を回復するという政策で政権の基礎を固めたのが、後日どんな結果をもたらしたかという村上氏の指摘を、3カ国、特に日本の政治家は銘記しなければならない。
3カ国の葛藤はまだ消える気配はない。国連総会出席のためにニューヨークを訪問した野田佳彦日本首相は尖閣の国有化について「妥協する考えはない」と述べ、これに対し中国の人民日報は「汚い外交政策に熱中する日本の政客」という表現まで使った。金星煥(キム・ソンファン)韓国外交部長官もニューヨークでの記者会見で、やや激しい言葉で野田首相と日本の政治家を批判した。これでは事態が落ち着くどころか、さらに悪化するしかない。政権交代を控えて3カ国がブレーキのない葛藤と対立で一貫する場合、すべてに大きな損失と国格の失墜をもたらすのは言うまでもない。日本・台湾間の放水のようなものは下手をすると実際の銃撃戦につながるおそれがある。
3カ国の最高指導者から閣僚・政治家にいたるまで、まずは言葉から自制しなければならない。あえて韓国の例から挙げるなら、金星煥長官はAP通信とのインタビューで「日本の戦後世代はそのような意識(過去の歴史に対して申し訳ないという気持ち)が全くない」と述べたが、朝日新聞に痛烈なエッセーを掲載した作家の村上春樹氏は戦後世代(1949年生まれ)ではないのか。知識人の声明、村上氏の寄稿など日本の知性界の動きは、韓国・中国の知識人社会でも共感と省察の契機にできるのではないだろうか。
[東亜日報]
【社説】自国の侵略主義を叱咤する日本の識者1270人
SEPTEMBER 29, 2012 07:30
ノーベル文学賞受賞者の大江健三郎をはじめとする日本の知識人1270人が、独島(ドクト、日本名・竹島)と尖閣諸島(中国名・釣魚島)の問題に対して、「領土問題の悪循環を止めよう」と自省の声を上げた。彼らは28日、東京で声明を発表し、「今回の問題が近代日本のアジア侵略の歴史に背景を置いているという点を忘れてはならない」と強調した。日本が過去に目を向けず、周辺国との対立を招き、その結果、各国に民族主義が高揚し、領土問題へと突き進む危機の悪循環を阻止しようというのが声明文の核心内容だ。
急速に右傾化に突き進む日本社会で、過去の侵略主義の歴史を直視することを求める勇気ある発言には、本島等元長崎市長、平和憲法を守る「九条の会」の高田健事務局長らが賛同した。独島問題も日本の侵略の歴史から始まった。日本の識者は、「日本の竹島編入は、韓国が最も弱く、外交的に主張ができない時に行われた」として不法性を認めた。しかし野田佳彦首相は、「韓国が竹島を不法占拠している」と妄言を吐いている。次期首相として有力視される安倍晋三自民党総裁は、「政権を獲得する場合、『河野談話』と『村山談話』を修正する」と公言した。野田首相と安倍総裁は、「韓国国民にとって、独島は侵略と植民地支配の象徴」という日本の識者の忠告を重く受け止めなければならない。
日本の識者が、北東アジア地域の排他的民族主義を憂慮したことに対しても共感する。彼らは、民族主義が国内の矛盾の排出口として権力者に利用されることを警戒し、領土問題の平和的解決を主張した。日本の代表的な作家である村上春樹氏も28日、朝日新聞に寄せたエッセーで、「北東アジアで、多くの人々による地道な文化的達成を領土問題が大きく破壊してしまうことを恐れる」とし、「領土問題が国民感情の領域に踏み込んでくると、出口のない危険な状況を出現させる」と指摘した。韓中日3国が民族主義の感情に包まれてはならないという日本の識者の訴えは原則的に正しい方向だ。韓国社会も、これまで3国が築き上げてきた信頼と協力の関係は最大限守っていくという原則を持って、周辺国との問題に接近する必要がある。
日本の識者の呼びかけは、自国民だけでなく、韓国と中国にも極限対立に突き進む領土問題を理性的に眺めるきっかけを提供した。何よりも日本の保守政治家が変化した歴史認識を示してこそ、解決の糸口を見いだすことができる。
●中国
[CRI. 中国国際放送局]
日本の市民団体、領土問題に反対の声明
2012-09-29 14:05:38
日本の市民団体が28日、東京にある参議院議員会館で声明を発表し「領土問題で日本と周辺諸国との摩擦が大きくなることを懸念している」としました。この声明にはノーベル賞を受賞した大江健三郎氏、翻訳家の池田香代子氏、及び弁護士や学者などを含む1200人あまりの市民が署名しました。
この声明は釣魚島について「中国がもっとも弱く、外交的主張が不可能であった中で日本が領有した」と指摘しています。今年は中日国交正常化40周年に当たりますが、両国関係について声明は、「友好を紛争に転じた原因は、石原都知事の購入宣言とそれを契機 とした日本政府の国有化方針にある」としました。
また、「日本は『領土問題は存在しない』とする見方を変えるべきだ。日本にとって最も重要なのは、歴史問題を認識し、反省することであり、誠意のある態度で隣国と結んだ共通認識を守り、友好と協力の姿勢を示さなければならない」として反省を促しています。(Yin)
[人民網(人民日報)]
「領土問題の悪循環を止めよう」 日本有識者が野田政権に声明
2012年9月29日
野田政権による釣魚島(日本名・尖閣諸島)国有化に反対する日本各界の有識者約100人が28日、東京の参議院議員会館で会議を開き、「領土問題」の悪循環を止めよう!--日本の市民のアピール--」と題する1270人分の署名付き声明を発表、日本政府に歴史を反省するよう呼びかけた。
声明は「釣魚島は日清戦争の帰趨(きすう)が見えた1895年1月に日本領土に組み入れられ、その3カ月後の下関条約で台湾、澎湖諸島が日本の植民地となった。いずれも中国(当時は清朝)が最も弱く、外交的主張が不能であった中での領有だった」と指摘。
「自らの歴史問題(近代における近隣諸国への侵略)について認識し、反省し、それを誠実に表明することが何より重要」とし、日本政府に対して「これまで近隣諸国との間で結ばれた『日中共同声明』(1972)、『日中平和友好条約』(1978)などを尊重し、また歴史認識をめぐって自ら発した『河野官房長官談話』(1993)、『村山首相談話』(1995)などを再確認し、近隣との和解、友好、協力に向けた方向をより深めていく姿勢を示すべき」「こうした近隣諸国との葛藤を口実に日米安保の強化を図るべきではない」と呼びかけた。
(編集YT)
(賛同メールに添えられたメッセージの一部を紹介します)
■ アピール第9項にあるように、資源の共有・分配という観点にたつことが、問題解決への現実的な糸口になると思う。領土問題については冷静にその歴史的経緯を検証して、奪い合うのではなく、分かち合うことに眼を向けたい。(2012/10/17)
■ わたくしは戦後生まれですが、憲法では〝政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し〟というところがだいすきです。また、戦争前夜を突っ走っている為政者に異を唱えます。地球上から人間の行為による戦争をなくする日を夢見ています。(2012/10/17)
■ 東アジア共同体(仮称)を目指す私たちは、その実現のために、私たちコリアは南北統一の実現によって自己統治能力を、日本は朝鮮植民地とアジア侵略の歴史の清算によって自浄能力を証明すべきと訴えてきたが、韓日政府ともにその能力の欠如を露にしている。国境を越えた市民の連帯によって少しづつでも前進していこう。(2012/10/16)
■ 地元紙の記事で、日本の「領土問題の悪循環を止めよう」という市民アピールに応じて、中国でも「中日関係に理性を」という市民アピールが出されたことを知って感動しました。久しぶりに新聞で明るい話題を読んだ気がしました。国家という固定化された枠組みの中でしか思考・行動できない政府や国民を超えて、人間同士が感応道交し合うのは共存と繁栄への道です。(2012/10/16)
■ 高校で世界史日本史を教えているものです。私たちは、歴史を知識として学ぶだけではなく、そこから、公正な社会をともに作る知恵を学ばなければならないと思います。(2012/10/16)
■ 民族主義を煽るのは最低の政治と思います。争いをしないことをめざすのが政治の役割でしょう。国境も領土も持たざる市民には無用の概念。ましてやこんなことで命を落とすのは愚の骨頂だ。一人の力は弱いが何事も一人から始まる。いつの日か多数派になろう。いや、多数派にならなければならない。がんばろう!(2012/10/16)
■ 8月下旬から1ヶ月中国に滞在して9月23日に帰国しました。中国の友人や街の店主からは、「(この問題は)政治家同士が事を起こしている。庶民同士には関係ない」「国民同士は友人だ(人民是朋友)。石原が戦争をしたがっている」「自分は政治より友人を守る」「島の現状を維持すべきだ」「マスコミは庶民生活の本当の姿を報じるべきだ。政府は庶民生活の利益を一番に考えるべきだ」などの声を耳にしました。冷静な人はちゃんと見抜いていますし、そういう人は少なくないと感じました。(2012/10/15)
■ 日中台韓で共有の漁場として利用できるように共同管理するということも考えていくべきではないか。(2012/10/14)
■ 先人たちが「棚上げ」してきたことの理由を理解して、冷静な判断をしていきたい。東アジアで紛争を起こすのはわたしたちの利には決してならないから。(2012/10/14)
■ 領土なんか国家の我がまま、こっちの人間にとっては。あっちの人間には大事なんでしょう。あっちとは支配の側。(2012/10/12)
■ 日本人は15年戦争に関して、真摯な反省が必要である。迷惑をかけた近隣国の信用、市民との友情を取り戻すには、本心からの反省と自分の誠意を示すしかない。失った信用と取り戻すのは容易なことではない。それには時間がかかることも覚悟しなければならない。(2012/10/11)
■ 日本は平和憲法を持っている、世界に珍しい国です。領土問題も冷静に、相手国との話し合いで解決すべきです。沖縄問題も同じで、アメリカの基地があることで問題が起こります。すべての外国基地を廃止することを全世界にアピールすることで世界平和に貢献すべきです。これからは隣国(朝鮮・中国)と仲良くすることで、様々な問題を平和的に解決することを望みます。(2012/10/10)
■ 中国の知識人が「中日関係を理性的なものに戻せ」と訴える署名活動をネット上で始めた。(10/9朝日新聞)との記事を読み、日本人でも署名が可能かを調べていたら、ここにたどり付き、賛同の署名をいたしました。どこの国民だろうと、隣人同志、理性的文化的交流を絶やさず、平和を維持することが大切であることを認識してくださる多くの市民がいらっしゃることに心強いと感じております。一般市民レベルでこの輪が広がっていくことを心から願っております。(2012/10/9)
■ お互いの領土から引っ越すわけにはいかない。いつまでもにらみ合っているのか。そんな日々は疲れる。いろいろあっても笑いあって、認め合って生きていける、そんな国同士のあり方を決めていくのが市民であり、真の政治家だ。事務局の皆さんのご奮闘に敬意を表します(2012/10/7)
■ マスメディアの問題は、何を報道しているかではなく、何を報道していないかが大きいと思います。戦前、大本営発表しか伝えていなかった歴史を繰り返してほしくない。竹島と尖閣諸島問題に対する日本政府の姿勢は、海外では批判の対象になっているようですが、新聞・テレビなどはそれをきちんと知らせていません。(2012/10/7)
■ 土地(海も同じ)は、個人が生きている期間だけ借りているもの、と思っています。安心して生き延びるためには、"生産の海”“生産の土地”を共有して行くのが賢い選択と信じます。(2012/10/6)
■ このアピールに全面的に賛同します。危機感を持ちながらも、いろんな方面から領土や日中・日韓の問題を考えようとする冷静な新聞記事がある中で、その同じ紙面に、敵対感情を煽る見出しの突出する週刊誌の広告が載る。そのような現状を含めて、メディアリテラシーを高めることの必要性も感じている。(2012/10/6)
■ 人の住めない尖閣や竹島(今まで通りで何の不都合があるのか)もさることながら、福島で16万人もが故郷を追い出される「領土喪失」問題こと深刻です。(2012/10/5)
■ 過去の日本の侵略戦争の責任をしっかり認めること。それがこの問題の原点だ。「固有の領土」「無主地先占」論は侵略と植民地主義の論理だ。(2012/10/5)
■ 資源の共同利用などで「領有」の意味を減らしていく解決策を講じるべき。国連海洋法条約による排他的経済水域の制度が、途上国の資源保護だけでなく、関係国の資源独占によって事実上の「領土拡大」の意味を持っていることで、島や岩礁、砂州自体には経済的価値はないのに、「基点の確保」が焦点になって領土紛争の原因の一つになっている現状を超える「共生」の思想が必要。(2012/10/4)
■ ドイツとフランスは第1次・第2次大戦と戦争をしたけれど、領土について争うことなく、現在では友好関係を作り出している。 また、中国とロシアでは、国境をめぐり争いがあったが、すでに解決している。 同じ漢字の文化圏でありながら、海を隔てて遣唐使・遣隋使を派遣し多くの文化を学びあい友好関係を築いた仲があるにも関わらず、たかがわずかな島をめぐり争いを拡大せずに、収める知恵を競うことをすべき時代が来ていると考える。(2012/10/4)
■ 最近の騒動で、どこの国でも、ナショナリズムは醜い、と実感しました。それに加えて、日本は侵略戦争を反省していない問題があります。これまでも、尖閣周辺は日中漁業協定で中間水域でしたし、資源採掘も共同開発を合意していました。それを発展させて、資源・漁業の共同で、国境のないアジアを目指しましょう。(2012/10/4)
■ 在日韓国人三世です。日本と朝鮮半島の関係がギクシャクすると、一番割を食うのが私たち定住外国人です。祖国である韓国。生まれ育った日本。ともに愛する国であります。国家の論理で市民同士が憎しみの連鎖に絡め取られることのありませんように。(2012/10/4)
■ 「領土問題」で争っている場合でない。アピール文にあるように、民間レベルの未来志向の対話の仕組みを作り、解決を模索しよう。エネルギー問題、環境問題、貧困問題などが、喫緊の問題であることを認識し、力を合わせて解決しよう。(2012/10/4)
■ 林子平の禁書「三国通覧図説」の三国とは琉球王国、李氏朝鮮、蝦夷です。幕末の知識人にとって異国であった地が、欧米を見習った富国強兵による三国の植民地化となった。その帰結がポツダム宣言の受諾となる。そして現在サンフランシスコ条約と日米安保による片面講和の問題が顕在化したということができるでしょう。(2012/10/3)
■ 今こそ日米安保条約を「日米平和友好条約」などの軍事力を伴わないものとすべき。日本国憲法の精神を現代に活かす工夫が必要。歴代の政府によって、憲法と逆方向が追求されてきた歴史を変えること。教育、社会保障、周辺諸国との外交等々、すべて憲法の規定に基づくべし。(2012/10/2)
■ 韓国の新聞社説のよってこれを知りました。まったく今回の趣旨に賛成です。(2012/10/1)
■ 「北方領土」も独島も尖閣諸島(魚釣島)も、日本領土だと多くの日本国民が思い込んでいるのは、原発の安全神話とおなじです。歴史的に見ると、どんなにひいき目に見ても、半々の分しかなく、おそらくどれも日本領土という権利は日本側にはないです。領土神話が徐々に形成されてしまったようです。それに領土で争うのは無駄。福島でどれだけの「領土」が失われたことか。(2012/10/1)
■ 日本人としては、まず歴史を直視する事。今回の尖閣問題では日本は経済的に大きな打撃を受け、慰安婦問題では当事国以外の諸国にも非難、または呆れられ、国益をそこなっている。そのような結果を招き続ける発言をする政治家どもの思想こそが『自虐史観』だと思う。(2012/9/30)
■ 領土問題を後ろで操っているのは軍産複合体を抱えるアメリカです。アメリカの破綻を戦争で乗り越えようとしている企みに加担してはなりません。日米同盟など一日も早く解消し、独立国を目指すべきです。(2012/9/30)
■ 領土問題は双方共にそれなりの理があって主張している。自己の主張が一方的に正しいと決め付け、相手を嘘つき呼ばわりしても対立が先鋭化するだけで解決につながらない。メディアまで一緒になって相手を貶め、日本は正しい、冷静と言った報道をしているのは全く情けないと思う。(2012/9/30)
■ 平和こそ尊い。そこに向けて日中韓、お互いが知恵をしぼる時なのでしょう。薄っぺらなナショナリズムに抗して。(2012/9/30)
浦田賢治(国際反核法律家協会副会長;早稲田大学名誉教授)
(編集部註)9月22日の講座で浦田賢治さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。
私がこの講師を引き受けるきっかけになりましたのは、市民連絡会が出された声明(本誌136号所収)に賛成という意思表示をしたことです。そうしましたところ、それでは講演をして欲しいということになった。すぐに私は、この話を引き受けることにしました。私は市民連絡会がお出しになった声明はすばらしいと思います。そう思う理由をいくつも挙げることができますが、今はひとつだけ挙げますと、「憲法無視の集団的自衛権の行使は認めない」という結論がよろしい。そこでこの講演を引き受けるに当たりまして、賛同者である私自身がどのような理由で集団的自衛権の行使を認めないというのか、そういう自分はこれまでどういうふうに集団的自衛権行使について自覚してきたのか、いまどう考えるか、そして将来どう考え行動するのか、こういうことを考えました。そういう考えでもって、与えられた時間を務めたいと思います。
みなさんの手元にありますレジュメを用います。映像は使わず、文字情報で伝達する仕方を取りました。みなさんに想像力を働かせていただきたいと思います。地球上にアメリカとか日本とかあるいはかつてのソ連とか、現在もNATOという国々があります。地球上の国々のことを想像していただきたい。それからもうひとつ想像していただきたいのは時間です。歴史上の出来事は年表で示されるのですが、いまという時代を時間軸でもって想像していただきたい。今日とりあげるテーマは、事柄自体としてはおよそ100年くらい、そして未来を展望しても150年間くらいのことしかとりあげておりません。類としての人間の営みはもっともっと長いものでありまして、特に将来世代のことを考えると、私どもは時間軸というものを大事にする必要があるだろうと思います。
さて今日は、3章構成でお話ししたいと思います。(1) 集団的自衛権ができる歴史的経緯はどうだったか、(2) 日本政府による集団的自衛権解釈の特徴は何だろうか、(3) 「憲法解釈見直し」を読む、この3つです。では、どういう手法をつかうかといいますと、自分にとってこの問題はどうだったかということを自覚し反省をしたい、いわば自分史に引きつけて話をしたいということです。
では、集団的自衛権の歴史的経緯はどうだったか。このことについて、まずわたし自身の話をすることをお許しいただきたいと思います。1935年、いまから77年前の2月25日に、九州は熊本県の田舎に生を受けました。この日、東京の貴族院では菊池武夫という男爵が、美濃部達吉という東京帝国大学教授を糾弾する演説をしました。美濃部は貴族院議員でもありまして、『憲法講話』という本を出していました(有斐閣書房、1912年)。菊池の演説のあと、貴族院もやはり美濃部を糾弾すべきだという決議をする。岡田内閣もそうだという。なぜならば天皇親政の「国体」を明らかにすべきである、その「国体」について 美濃部達吉は天皇が主権者ではなくて天皇は単に国家の機関であるに過ぎない。もちろん最高の機関であるけれども、機関に過ぎない。主権は国家にある、などという不埒な学説を述べておる。こういう人物を東京帝大教授とか貴族院議員にしておくのは断じて許されないということになりました。
しかしながら大日本帝国憲法は、天皇に統治の大権はあるけれども、その大権のうち一定のものは、憲法に基づいて憲法の条規に従ってこれを行うことになっていました。憲法に従って統治をおこなうという建前、これを当時、立憲主義といっていました。しかし、天皇には軍事大権があって、軍事問題は陸・海軍の大臣が国務大臣として輔弼(ほひつ)する。しかし軍事作戦のことは陸軍大臣、海軍大臣ではなくて、陸軍参謀総長や海軍軍令部長が天皇に直接、帷幄上奏する、そういう体制になっていました。
さて、帝国憲法の立憲主義的な建前は、どのように壊されていったか。このことを時間軸をさかのぼって振り返ります。1928年(昭和3年)、わたしが生まれる7年前ですが、不戦条約でもって戦争は一般に違法化されました。フランスのブリアンとアメリカのケロッグの協議から生まれたもので、パリ協定ともいいます。しかしこの協定では「国際紛争を解決する手段」としての戦争が禁止されたのであって、国家の自衛のためにする戦争については禁止されていないというのです。日本と中国の間で、1931年9月18日に関東軍による盧溝橋事件が起きて、アジア・太平洋戦争が始まります。こうして不戦条約も空洞化されていくことになります。
この私が生まれて10年間の時期をとりますと、社会体制としては片や欧米と日本の資本主義の体制がありますが、他方1917年にロシアで革命が起きましてソ連の社会主義体制ができます。この間に植民地従属国が世界の圧倒的地域を占めていきます。英米仏などによる植民地・従属国の支配の仕組みを変えようとして、ドイツや日本やイタリアなどはトルコ等々の国々と一緒になって枢軸の陣営をつくります。この枢軸の陣営は主権を制限する国際法、とりわけ不戦条約に示されるような国際連盟の在り方に見切りをつけて自存権、自衛権のために戦争を始めることになります。こうして戦争する側は自国の主権を主張するし、自分達の生存権を確保するための軍事同盟を正当化します。1939年9月1日、ドイツのナチス指導者ヒトラーは、ポーランドに侵攻して第2次世界大戦が始まります。こうして戦間期の平和から戦争へと世界の状況は大きく変わりました。
ここで注目しておきたいのはソ連の動きです。第1次世界大戦の末期に、レーニンは「戦争から内乱へ」と革命運動を導いて10月革命を成功させ、ロシア皇帝の支配体制を崩壊させました。しかしこれに反発した資本主義勢力の反発もつよく、ヨーロッパ全体にボルシェビーキの影響力を決定的に及ぼすことができませんでした。スターリンの時代になると、片やドイツや日本と中立条約を結びまして戦争をしないというような態度を取りながら、最後のところで、とりわけヒトラーがポーランドに侵攻する前にはチャーチルやルーズベルトなどの米英側につきます。こうして民主主義の名において世界再支配体制を再編成する戦争に参加していくことになります。こうして第2次世界大戦が1939年から45年まで行われます。この結果「連合国」が枢軸国を負かせまして、これが「国際連合」をつくります。この国連の憲章を連合国49ヶ国がサンフランシスコで調印し、連合国を主体とした国際連合が発足しました。ですから国際連合は、発足当初は50ヶ国あまりに過ぎない。ときに1945年10月24日でありました。戦勝国がつくった「国際連合」によって実は集団的自衛権という観念が生まれます。その経緯はつぎのとおりです。
アメリカ、イギリス、ソ連、中国の4ヶ国がアメリカのワシントンDCのダンバートン・オークスで会談をします(1944年8月21日から10月29日)。当時ソ連は日本との間で中立条約を結んでいましたから、日本の敵である中華民国とは同席できないということで、この4ヶ国の会議はふたつのグループに分かれて行われますが、39ヶ国の代表が会議を行いまして国連を設立しようという合意に至ります。しかしその後スターリンを含む連合国首脳によるヤルタ会談(1945年2月)が行われて、これからできる国際連合の常任理事国を5ヶ国にして、その5ヶ国はそれぞれ拒否権を持つという合意ができます。拒否権ができるとどうなるか。例えば南米の中小国は自分達の国の紛争について国連の集団安全保障をやってもらいたいと思うけれども、常任理事国が拒否権を発動すると国連憲章の第8章でつくられる地域的機関の動きが取れなくなる。そういう理由から、ヤルタ会談のあとで行われるサンフランシスコ会議――1945年4月から6月にかけて行われましたが――、この会議においてラテンアメリカ諸国の主張を入れて集団的自衛権が国連憲章に採択されるに至りました(51条)。すなわち安全保障理事会の許可がなくても、共同行動を行う法的根拠を国連憲章の中に書き込んだということであります。
こうして戦後すぐ1947年には、「冷戦」という言葉が使われるようになります。この東西冷戦の時期に、まずもって北太平洋条約機構(NATO)ができます。なぜだろうか。国連のレベルでみると、安保理の常任理事国が一致して国際紛争の平和的解決策をとれない。国連が行うところの集団安全保障体制が作動しない。作動しないがゆえに国連加盟国に対して武力攻撃が行われた場合は、犠牲になった国を救うために各国は自衛権を行使する。各国の自衛権の行使をお互いに共同で行うという考え方で、まずはNATOができます。そのあと、やや時間が経ってからドイツがNATOに加盟したことを受けて、ソ連を中心としてワルシャワ条約機構ができます。これらが集団的自衛権を実践するための共同防衛機構になりました。
次は、日本国憲法の前文と9条に注目したいと思います。ここでは私が11歳から20歳頃までの10年間を自覚して多少は反省するということになります。日本国憲法は連合国最高司令部、GHQ、実態はマッカーサーを長とする司令部、米軍の占領下で制定されております。しかし「冷戦」開始のまえに構想されており、また制定された。このことが歴史的にも論理的にも重視されて然るべきです。この憲法の安全保障観は何かというと、前文にあらわれているように平和を愛好する諸国の人民、平和を愛好する世界の人民への信頼ということであります。ここが非常に重要なところであります。しかも世界の人民が恐怖と欠乏から免れて平和のうちに生存する権利があると確認しております。
この憲法案を審議した会議において――1946年5月から6月にかけてのことですが――時の首相吉田茂は質問に答えて、日本国憲法はこれまでの自衛権なるものを否定しておりますと答弁をしております。これまでの自衛権というのは、不戦条約の下で日本の生存権を確保するために軍事力を使うことは、これはいわば自衛権行使であるという趣旨の理解をしている。その自衛権は、刑法の例でいいますと自分に対して急迫不正の侵害があった場合に、これを排除するために他にとるべき手段がないときには、必要最小限度のバランスを取った武力行使ができるという考えであります。国際法上でいうところの軍事力を行使する自衛権は日本国憲法では否定されている。これが吉田答弁でありまして、これをその通りに理解すべきだといったのは憲法学者の山内敏弘教授であります。日本国憲法はそもそも自衛権を否定したのである。それまでの国際法上でいうところの自衛権を否定したという学説が、当時の若手の憲法研究者たちの支持するところになりました。わたしはもう若手ではないけれども、のちに私もこれを支持すると決めております。
もっとも1946年当時にはまだ日本国憲法の下で集団的自衛権について政府内でも研究がなされておらず、見解もまだ表明されておりません。では当時外務省を中心として事実上、集団的自衛権と関わってどういう動きがあったかということを見ておきたいと思います。サンフランシスコ対日講和条約はどのように準備されたのかということが焦点です。まず近年外務省が発表した文書があります。『日本外交文書』の中の『サンフランシスコ平和条約 準備対策』と題するものです。これによりますと、ひとつは1947年3月、――これは日本国憲法が制定されてほどなくです――マッカーサーが対日講和を早くやろうと発言している。次いで7月、アメリカから対日講和予備会議の提唱があります。そこで外務省の内部で平和条約の基礎、その自主的な履行、国連への早期加盟、領土問題、賠償問題など9項目にわたる希望事項をまとめました。これを鈴木九萬(横浜終戦連絡事務局長)など、とりわけ鈴木さんの個人的な見解である、まったく非公式の個人的な文書であるという名目でもってアメリカの代表などに会って手渡しております。
その後、ソ連が日本との講和条約の予備会議に参加しないということを言ってきたので、次のような事態が出てまいります。それは日本におりました第8軍司令官、アイケルバーガーという将軍と鈴木さんが会談をしまして、これこれの条件の講和条約を結びたいといったところ、アイケルバーガーから日本は将来安全保障の方針をどうするんだといわれた。それで日本はそれまでの研究の方向、すなわち日本の安全保障は国際連合を中心とした集団安全保障とするという方向で考えてきたけれども、この時期から国連集団安全保障の構想を中心とするという作業をやめて、新たな方向に変更することになります。こうして日米同盟を主軸とした安全保障の形態が本格的に議論されることになった。なんと1947年のことです。前年の11月に日本国憲法が公布されて、この年5月に施行されるという、そういう時期です。ですから無軍備・戦争放棄の憲法の制定、施行という事態と、ソ連やインドなどを排除した対日講和の在り方、特に安全保障の在り方というものがアメリカ側から見るとセットになっている。しかもそのセットの仕方も内容も非常に複雑なねじれがあるのではないかということがうかがえます。
それでは冷戦期1950年代の軍事同盟の形成というところに進みます。1948年6月11日に戻りますと、バンデンバーグ決議がなされます。アメリカ上院のバンデンバーグ氏提案の決議でありまして、アメリカの見るところヨーロッパではNATOというものができそうだ。NATOができるとすると、アメリカ側が援助する場合には一定の条件を満たすべきであると決めます。要するに自助と相互扶助をする関係の国としか、この集団的な安全保障の条約は結ばないということです。憲法上の手続きに従って継続かつ効果的な自助と相互扶助に基づくものとして、また自国の安全保障に影響するものとして、そうした地域的協約及びその他の集団的協約に合衆国は関与することといっている。そもそも1948年6月の時点では日本では軍隊は解体されております。また自衛の手段もないわけで、そういう日本と集団的自衛権に基づく相互防衛条約は結べないというわけです。
ではNATOだけに焦点を当ててみますとどうなるか。1949年4月4日にNATOが成立します。この状況は次の通りです。1945年5月にヨーロッパでは第2次世界大戦が終わります。そうするとソ連が東欧圏を影響下に置いたいわゆる共産圏ができます。この共産圏と自由主義圏との間で、戦後世界支配を巡って争いが激化してまいります。例えばギリシャの北部には共産党政権ができる。これをどうするかということを巡って緊張が深まります。そういう中でイギリスやフランスが主体となって、それに同調する小さい国々がつくったのがNATOでした。
このNATOの狙いは3つあります。ひとつはロシアを閉め出す、ふたつ目はそのためにもアメリカを引き込む、そして3つめは当面一番の関心のドイツです。この3つ目の狙いの中で政治的にもっとも差し迫ったものはドイツを抑え込むことだけれども、ロシアを閉め出す――反共ということと、反共のためにアメリカを引き込むという3つの狙いを込めてNATOはずっと動いていきます。NATOの加盟国はいわゆる集団的自衛権の発動ということを決めます。この場合は次のような意味合いであります。加盟国は国連憲章の定める集団的安全保障に加えて次のような定めをする。NATO加盟諸国の領域内、たとえばロンドン、パリ等々、そういう領域内のどこかに攻撃が加えられた場合には共同で応戦し参戦する。これが集団的自衛権の発動である。こういう義務を負うということを1949年4月4日に取り決めています。
繰り返しますとNATOの狙いは、当初はドイツを徹底して脱工業化する、非ナチ化することでしたが、冷戦が始まりますとドイツの経済を復興させる、そしてドイツの主権を回復させるということになります。これが1950年になりますと西ドイツの再軍備を検討することを認めることになります。こうして西ドイツは、新たなドイツ連邦軍を創設するとともにNATOに加盟することを準備し始めます。
こういう事態になりますと、ドイツとフランスの関係がうまくなくなる。フランスではドイツ再軍備とNATO加盟はよろしくないということになりまして、欧州共同防衛軍をつくろうという構想を打ち出します。けれどもこれはフランスの議会で認められず、イギリスを中心としたNATO構想が西ドイツを含むものになります。1952年のことです。その結果フランスもドイツの再軍備を認め、ドイツ連邦軍が1955年11月12日に誕生します。こうして西ドイツはNATOに加盟しました。
これに対してソ連側は対抗措置を採らざるを得ないということになりまして、この年ソ連邦を盟主とした東ヨーロッパ諸国が軍事同盟を結成します。これをワルシャワ条約機構といいます。こうして片や西ドイツの再軍備とNATOへの編入、もう一方ではこれに対抗するワルシャワ条約機構ができて、両者が対立する「東西冷戦」体制になります。これは、1991年7月1日にワルシャワ条約機構が名実ともに解体するまで40年余り続きました。
次にアジアに目を向けますと、とりわけ中華民国が支配する中国大陸の事情はどうであったか。ここでは毛沢東が率いる「八路軍」と蒋介石の「国民党軍」が戦ったり、あるいは抗日のため「国共合作」をするという状態でした。しかし戦後1947年、48年になると「国民党軍」に対して中国共産党の軍勢が優勢になってまいります。蒋介石の一派は台湾に逃亡する。こうして1949年10月1日に、毛沢東が天安門広場で「中華人民共和国成立万歳」という宣言をします。翌日、ソ連はこの中華人民共和国を承認します。
翌年1950年6月15日に「金将軍」――金日成が38度線を突破して南進します。これが朝鮮戦争の勃発といわれているものですが、これに対して米軍が国連軍の名において対戦をする。そうすると中華人民共和国は人民義勇軍をつくりまして、朝鮮半島に迫ってまいります。こうして一定の膠着状態が生まれます。付け加えますと、ここでトルーマンが朝鮮戦争で原爆を使うぞとおどす。しかしヨーロッパ戦で功績のあったアイゼンハワーは、それはよろしくないと言います。こうして1950年という時点は「ストックホルム・アピール」などもありまして、核兵器を使ってはならないという声が強くなります。が、そういう中で1951年7月10日に休戦会談が開始される。こうして1953年7月には、いちおう停戦ということになります。しかし、国際法上は戦争は終わっていないわけです。停戦という名の休戦状態であります。だから、いまもって朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は「国連軍」との戦争状態が終わっていないということです。
このなかで注目すべきは国連の役割です。国連総会はこの中で、中国政府を侵略者であるという非難決議をしている。1951年2月1日のことです。ですから国連総会というのはアメリカ軍を主体とする軍隊を国連軍として認める。そういう平和のための結集決議をするとともに、中国政府を侵略者とするという事態であった。これは大事なことであります。そういう国連総会であったということを確認しまして自覚をあらたにした次第です。
1951年という時点で、講和条約や安保条約はどのように進んだかということを見ていきましょう。1951年9月20日にサンフランシスコ講和条約が調印されて、同じ日に別の部屋で、ミスター吉田茂だけが署名したのが日米安保条約でありました。この1951年9月は私が16歳のころで、高校2年生です。このとき私は校長先生がこういわれたことを、違和感をもって受け止めました。「この平和条約は日本と連合国の間の和解と信頼の条約です。これからこの条約の下で平和に仲良くやっていく、これがわれわれの努めです」ということをおっしゃった。私は戦争被害者のひとりですが、学校ではつい5、6年前までは「鬼畜米英」と教わったんですね。米英は鬼であり畜生であるという敵であった。そういう敵に対して、占領下のあのひどい状態をもたらした米国に対して、これから信頼関係でやっていくといわれたことに大変違和感がありました。先生不信になるひとつの体験でもあります。小学校の児童の頃に価値観ががらっと変わり、とりわけ『くにのあゆみ』という歴史書の場合には黒塗りの教科書になりました。ですから教師不信というのはまずは小学生の頃に芽生えまして、中学生の頃には反抗的になりました。高校に入ってもこういうことでありますから、教師信ずるに値しないという心証を持ちました。
それはともかくとして、客観的に見ると事態はどうなっていたか。1951年に調印された講和条約は第5項C項で次のように書いた。「国際連合憲章はすべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している」。すなわち連合国は日本の集団的自衛権の保有を認めるということです。そして講和条約が日本の集団的自衛権を認めるということを、1951年の安保条約が前文でもこれを確認しています。ですから講和条約も安保条約も前文のレベルでいうと集団的自衛権の保有を認めるとあえていっています。これは法の建前、形式においてこのようにいっていると言うことではあるけれども、しかし重たい意味を持つことになります。それは後々、安全保障条約を運用していくときに大きな意味を持ってくるということになります。
この講和条約及び安保条約の調印、承認のあと、日本は国際連合に加盟することが承認されます。首相が吉田茂から鳩山一郎になりまして、ソ連との国交回復をする。そうするとソ連が日本の国連加盟に安全保障理事会で拒否権を行使しないことになる。こうして5ヶ国が日本の国連加盟を認めることになります。ときに1956年12月18日のことであります。
この1956年の承認の際に、日本の国会ではいろいろと議論されました。国連憲章によると、とりわけ常任理事国(P5)は軍事参謀委員会をつくって強制行動を実行するとなっている。日本はP5にはならないけれども安全保障理事会のメンバーになることはあるだろう。安全保障理事会のメンバーでありながら強制行動をとるときに何ら参加しないということでいいのか。日本は警察予備隊から保安隊、やっと自衛隊を持つに過ぎない。そういう自衛隊を強制行動に参加させるのかという議論がありました。
そういう議論がある中で、外務大臣岡崎勝男は声明を出し、次のようにいいました。日本は国連加盟の日からその有するすべての手段をもって義務を守ります。「その有するすべての手段をもって」という条件をつけた。日本は軍事力でもって強制行動に参加することはできません。そういう手段を持っておりません。持っておりませんがもっと平和的な手段、例えば警察、文民等々によって貢献するだけですと伝えるのが建前上は本当の意味だとされている。しかし文言としては「その有するすべての手段をもって」ということは、これは意味が変わりうるとすれば、自衛隊がますます実力をつけていけば集団安全保障の取り決めに実力行使でも参加するということが求められてくることになります。これは国際活動における平和協力の在り方に影響を与えることになります。
さて、日米安保条約は1960年の改定安保条約によって、日本の施政権下について「共同防衛」をするということになりました。こうして日本の施政権下における攻撃に対しては共同して防衛する、こういう形式上の双務性を認めることになりました。しかし実質的にはこれまでの基地提供を継続するとともに役務の供与を拡大することに止まったものでした。これが文言上の日米安保条約であります。
これまで述べてきたことを2点にまとめます。ひとつ、集団的自衛権は、国連常任理事国の拒否権が導入されたことによって国連憲章(51条)に書き込まれた。ついで、NATOといった軍事同盟を正当化する役割を果たした、こういうことです。ふたつ目、日本国憲法についてはどうか。この憲法の制定と平行して対日講和条約づくりや日米安保条約づくりがなされて、集団的自衛権はねじれたかたちで対日講和条約や日米安保条約に取り込まれている、こういうことです。そのねじれの事情や実相は、これから述べていきます。
日本政府の集団的自衛権についての解釈を読むと、その特徴はなんだろうか。ひとつは、マッカーサーが1950年の年頭に声明を出したことです。朝鮮戦争の勃発を前にして、「日本には自衛権がある」という、これが出発点であります。このあとMSA協定――アメリカと日本の相互防衛協定が結ばれまして、警察予備隊、保安隊は自衛隊になっています。自衛隊を統括する防衛庁が設置されます。
こういう中で内閣法制局は1954年になりまして、自衛権という観念を基礎とした次のような3条件を提示します。1954年4月6日です。これは自衛権という観念をもとにして集団的自衛権の解釈をするという手法を採るということです。3条件のひとつ、現実の侵略がある。ふたつ目、排除のために他に手段がないということ。みっつ目、必要最小限の方法を採る、ということであります。以上の事柄は、わたしが大学生になる前に起きたことです。こういう解釈手法によって何が帰結したかというと、日本の自衛隊は海外派兵は禁止されるということ、これが重点だったと思われます。
ところで1956年に国連加盟がありまして、岡崎文書が出る。1960年に安保条約の改定がなされる。大学院生のころでして、昼間、授業のない時間には国会周辺にまで繰り出して、「教授団」のデモの後ろにくっついて、「安保粉砕」と叫んでおりました。こうして私は27歳で大学助手になり、それからおよそ43年の長い憲法研究者の仕事が続くわけであります。しかし自衛権の問題については、迷って決断がつかず、この問題を直接取りあげず、論文を公表することもしなかった、ということを深く反省をしております。本当にこの長い間怠慢であったと思うんです。 1969年に沖縄返還が問題となりました。このときのアメリカ大統領ニクソンと首相佐藤栄作が会談をして、核抜き本土並み返還などということで世論をなだめる。沖縄の人たちに対しては本土並み、日本国憲法の下に復帰するということで説得して、いわゆる沖縄の施政権返還がなされます。1972年のことです。しかしながらこの中では、日米安保条約の運用に当たっては中国と台湾の緊張関係をどうするか。台湾には中国の国民党政府、蒋介石を長とする国民党政府が実効支配をしております。それに対して中華人民共和国の方では、台湾は自国の領土であると主張して金門・馬祖島に軍事攻撃を加える。米軍が反撃をするぞといって休戦状態になっている。これがひとつです。もうひとつは朝鮮半島の地で軍事紛争が起きた場合には、これは日本の平和にとって脅威であるということを理解するといいます。これがいわゆる台湾・韓国条項といわれているものであります。こういう事態を受けて、国会では集団的自衛権の行使を巡る議論がなされました。この結果、集団的自衛権の行使は禁止される。禁止という言葉が入る。この憲法解釈によって、自衛隊は米国のベトナム戦争に出兵しないことになりました。1972年の時点で集団的自衛権の行使は禁止されるという、そういう政府の解釈が決まります。この年私は、早稲田大学大学院の憲法担当教授になりました。その前年に「沖縄協定と現代日本法の再編」という論文を発表しました(法律時報)。
論理的に考えると、集団的自衛権なるものは、その手段に着目すると実力によって阻止することです。なんのためかというと、Aという国がBという国に対して武力攻撃を加える。そういうことを阻止するためにCという国がAという国に対して武力攻撃をする。Bという国が武力攻撃を受けないためにということが目的であります。外国に対する武力攻撃を阻止するということです。このように手段と理念の両側面に整理してみましたが、1972年はひとつの画期をなすわけであります。その後政府が出す文書はこの点で同旨でして、1981年の文書があり1985年の文書があります。これはいずれも冷戦体制下のことです。
さて冷戦が終わって1991年以降はあらたな問題が出てまいります。イラクのクウェート侵攻で国連決議があり、湾岸戦争に日本も参戦して武力攻撃する米・英などを軍事的に支援するよう要求されます。が、このときは戦費の提供にとどめました。そこで1996年に、橋本・クリントン会談が行われて安保条約の再定義がなされました。日本は国際平和のための協力行動という大義でもって国際貢献をせよということを言われる。そういう国際貢献について、集団的自衛権行使の禁止という政府の考え方はこれでいいのかということが問われてきます。1999年、ユーゴスラビアのコソボにNATOが空爆をする。ついで第1次「イラク戦争」がおきる。2001年に至りますと、9.11事件が起きて、米国は自衛権行使を主張し、アフガニスタンを攻撃して「アフガン戦争」を始めました。小泉純一郎政権は、直ちにこれを支持します。独・仏などのNATO諸国も、その後「アフガン戦争」に参戦します。そして日本政府は、集団的自衛権行使は禁止されるという内閣法制局の見解を見直すことになります。その後4回の政府関係文書が出ます。そういう見直しの時期に入ります。
さて、これまでの冷戦下そして冷戦後のテーゼをまとめてみると次のように言えるかと思います。これまでの集団的自衛権行使禁止論というものにはふたつの面がある。ひとつは、日米同盟のもとで政府の軍事行動が正当化されるのはどこまでか。自衛隊の海外派兵を含めて自衛隊の行動が許される範囲はどこまでか、という線引きをしたわけです。そして線引きした枠内であれば自衛隊の行動は許されるということになります。たとえばイラク戦争が起きて、2003年3月に米軍がイラクのバクダッドを攻撃します。バクダッドに近い空港には米軍が物資兵員等を空輸しています。そういう作業を日本の自衛隊が「後方支援」と称して手助けする。手助けするのは米軍の「武力行使と一体となったものではない」がゆえに、集団的自衛権の行使ではありませんという、そういう役割を果たすのが政府の解釈であったわけです。いわば正当化の理由だった。
しかし他方において、そういう自衛権の行使として認められる必要最小限度を超えた場合には、憲法違反になります、そういうこともまた認めざるを得ない。これは権力行使をしばる立憲主義によって制限を受けるということです。しかしその立憲主義も日米安保条約の枠内で働く立憲主義であるとすれば、そうした限定つきであります。そういう側面がありますけれども、それは世界とアジアの平和を志向する世論と共鳴 しつつ、戦争の惨禍を受けて平和憲法をもった日本国民の世論を反映するものになります。不戦の役割をはたすものだった。
にもかかわらず、日本の支配層では、この集団的自衛権行使の禁止論は見直すべきだということになりまして、見直し作業が進んでいきます。小泉政権、安倍政権、福田政権、麻生政権、となります。「アフガン戦争」を支持した小泉純一郎談話に対して、私は朝日新聞記者の取材に応じて「タリバン政権が9.11事件を支援したという証拠は示されていない」というコメントを書きました。しかし朝日新聞のデスクは、私の談話からこの部分を無断で削除しました。
こうしたこともあり、2005年に70歳になり、定年退職しました。その後私は、乞われて大宮法科大学院で3年間専任教授をいたしましたので、憲法教材をつくりました。教材をつくっているときに安倍晋三総理が有識者懇談会をつくって、「安全保障の法的基盤の再構築」という特定した課題を出しました。集めたメンバーは、対米追随の柳井(俊二)をはじめとした外交官、国防総省と繋がる佐瀬(昌盛)など防衛庁の幹部上がり、北岡(伸一)といった学者たちも総じて自民党政府御用学者です。そういう人たちがつくったものが2008年6月に出てまいります。そのとき総理大臣は福田康夫になっています。結論から言うとこの報告書はお蔵入りになった。お蔵入りになったけれども、この報告書は集団的自衛権の行使の見直しをする、しかも法的な観点から見直しをするという。これは「見るに値する」というか、これ以外には見るべきものはありません。ですから見てみましょう。
安倍総理は、有識者に対して4つの類型を示しました。公海における米艦の防護、公海でアメリカの軍艦を自衛隊が守ったら違憲かどうか、ということがひとつ。ふたつ目は米国に向かうかもしれない弾道ミサイルを自衛隊が迎撃したいがどうか。このふたつが集団的自衛権に関わる問題です。あとのふたつは国際的平和活動にかかわるもので、武器の使用や後方支援の在り方です。
ここで特に具体的な例を挙げておきたいと思います。4つのうちのふたつ目です。付け加えていうと、朝鮮半島や中国から米軍に向かってミサイルが飛んでくる。これに対して日本のミサイル防衛システムを発動するか否かの判断は、50秒、1分という「分秒の単位で行わねばならない」。さらに複数のミサイルが日米双方に向かう場合もある。そういう場合にわが国に向かうものは撃ち落とせる。個別的自衛権の行使として撃ち落とせるが、しかし米国に向かうものは撃ち落とせない。これが内閣法制局すなわち日本政府の公式見解です。ということになれば撃墜の可否を即座に判断することは困難なものになる。これが現実の状況だというのです。
ではこれに対してどういう政策目標を立てるべきか。米国に向かうかもしれない弾道ミサイルをわが国が撃ち落とす能力を有する、にもかかわらず撃ち落とさないという選択はあり得ない、というのです。撃ち落とすのだというのです。分秒を争うミサイル攻撃がなされる場合に、まず撃ち落とすことが日本の政策目標だという。だからどうするか。だから法的制約を見直す。見直すということは取っ払うということです。要するに集団的自衛権の行使を認めることにするというのです。そこでどうなるかというと、米国に向かう弾道ミサイルをわが国が撃ち落とせる場合には撃ち落とすべきであるということが我が国の政策目標である以上、この目標達成を法制的に可能にする方法としては、集団的自衛権の行使を認める以外にないというのです。関連事項として、ミサイル防衛に関して最も重要なことは、極めて迅速に決断し、遅滞なく実施し得る体制と手続を平時より整備しておくことであると付け加えています。
私が考えるに、このような懇談会の考え方は、米軍の軍事力を補完するために日本の政府の軍事政策を憲法よりも優先させているものである。これは法の支配ではなくて力の支配を優位させているものである。そのために政府の憲法解釈さえも否定してしまう。その結果、憲法解釈の歪曲をさらに進めるものであると思います。以上が、安倍内閣が求めた問いに対する懇談会の答えでありまして、その答えに対する私の批判です。
次は、もう77歳になって読む文書であります。今年7月6日に出ました「平和のフロンティア部会」の報告書です。「2050年の世界と日本の望ましい姿」を描きたいという、野田内閣の国家戦略会議(古川元久担当大臣)が、部会委員に求めてつくったものです。この中には、「安全保障の法的基盤の再構築」懇談会の学者委員のひとりが加わっています。
この部会の上に分科会があります。分科会の上に戦略会議があります。戦略会議は日本再生戦略というものをつくっています。分科会は分科会のペーパーを出していますが、この部会報告で書かれた集団的自衛権行使を見直すとか認めようという記述は、分科会報告にも、いわんや戦略会議の文書にも入りませんでした。しかしながらこれは市民連絡会の声明で迅速に適切に受け止められたものであります。
この部会報告書の中で私が特に注目したのは、今日のレジュメの資料に参考図表として出しましたが、かの著名な、いまや悪名高いゴールドマンサックスがつくった図表です。この図表をフロンティア部会が使っている。どのように使っているか。例えば中国は2050年には2兆1779億ドルも軍事費を組む、そしてアメリカは1兆8102億ドルしかない。こういう資料を出しまして部会が議論している。ですから実に「未来学」みたいなもので、当たるも八卦当たらなくても八卦ですから、当たらなくてもいい。だからこういう資料を出せるんでしょう。こういう資料をつかって政府の政策形成をやっているというのは、アメリカの場合に似て政府の情報・見識がお粗末で、驚きです。
次は7月4日発表された自民党の法案です。国家安全保障基本法案といわれているものです。骨子がいくつもありますが、そのうちの第一に挙げたのが集団的自衛権の行使を可能にするということです。ただし一部というふうに限定しています。自衛権の最小限行使として一部を可能にするということがミソですね。
ではどうなっているか、法令を見ますと第10条に詳しく書いています。集団的自衛権の行使については、原則として事前の国会承認を必要とする旨を別途規定するという。ところが集団的自衛権の行使の実務はどうなっているか、実態はどうなっているかというと、米軍に向けられている敵国からのミサイルに対して分秒を争って自衛隊のミサイルを発射する事態、現状はそうだといいながら、他方で事前の国会承認を必要とするという。事前の国会承認というのは実はあらかじめ白紙委任をしてもらおうということでしょう。そういう運営になるほかはない。これは実効性に疑問があると私は思います。以上が集団的自衛権行使の見直しの一端ですが、現状です。
8月になりますと防衛省が白書を出します。去年も出ました。今年も出ました。去年と今年のふたつのものを見比べてみますと、共通しているのは「動的防衛力」を採用するということですが、今年の特徴は「動的防衛協力」において戦闘機を買うことです。防衛白書の目次を比較するとわかりますが、去年までは東日本大震災のことが冒頭に来ていまして、戦闘機のことなんかちょっとしかなかったんだけれども、今回はこの戦闘機購入がいかに適切で公正かということを縷々書いてある。曰く、防衛省としてF-35Aを次期戦闘機に決定し、42機を取得することにした。22大綱――これは平成22年の大綱、新防衛大綱といわれているものですが――において、空自の戦闘部隊については、12個飛行隊および戦闘機約260機の体制を維持することにしており、現在は、F-4飛行隊が2個、F-15飛行隊が7個、F-2飛行隊が3個の計12飛行隊、定数約260機の戦闘機によって構成されているということを冒頭に書きまして、1機45億円という膨大な買い物をします。これは適切でありかつ公正であるということを延々と書いています。これが「動的防衛協力」の一端です。
これまでのことをまとめます。3つ挙げますが、まずはNATOです。NATOは冷戦終結のあと、各国の領域だけを守るということではなくて、領域外でも行動を起こすとしました。これがワシントン・コンセンサスのひとつでありまして、ユーゴの空爆が実行例です。ユーゴは当時NATOの領域の外でした。領域外での行動をする。その名目はふたつあって、ひとつは紛争予防、もうひとつは危機管理です。
ふたつ目は、2010年に新しい戦略概念をつくりました。戦略概念は8回くらいできているいといわれますが、新しい戦略概念では、たとえば射程距離500km以下の戦術
核兵器をヨーロッパから撤去することを進めます、と言いながら核抑止力論を採ることを述べたりしています。翌2011年2月には「スマート防衛」という言葉が出ました。これはミュンヘンの安全保障会議で出た言葉ですが、片やNATOの国防費総計の7割以上は、アメリカが負担してくれているという。例えばどうなっているかというと、去年欧州主導で行われたという、リビアにおける軍事作戦ではNATOの能力は非常に劣っていた。米軍にほとんどすべてやってもらった。こういう現状を受けて、NATOにおいてはスマート防衛構想を採る。なぜスマートかというと、「多国間協調を通じたより少ない資源でより確実な安全保障の実現」をする。ということは、新聞情報ですけれども、ミリタリーバランスでは、――去年までの世界軍事情勢をまとめたものですが、軍事費はアメリカが7393億円で、ロシアを含むアメリカ以外の上位5ヶ国の合計が3224億円です。この国々の軍事力を合わせてもアメリカの7割くらいしかない。いかにアメリカが超軍国主義国かということがわかります。ですからイギリス、フランス等々はなけなしのお金を寄せ集めて防衛をするという、これがスマートだというんです。
今年の5月にシカゴでNATOの首脳会議があって第一の課題はAGS(地上監視同盟 Alliance Ground Surveillance)をどうするかということを1日かけて議論した。2日目はアフガニスタンの撤退をどうするか、これも1日かけてやった。NATOの首脳会議でやったのはこのふたつだけではないか。このふたつしかやらないようなNATOはもういらないよということです。このシカゴの首脳会議を取り囲んだNGOの人びとはNATOを解体せよと言っております。
最後になります。日米同盟についてです。尖閣諸島は日米安保の適用区域だという国防長官の発言がありましたが、アメリカが日米よりも米中の関係を重視する動向からして、リップサービスにおわるのではないかと感じています。市民連絡会の尖閣問題の声明文はこれも立派にできていると思いますから、ぜひお読みになって賛同なさるようにお薦めしたいと思います。さらにTPP(環太平洋戦略的経済連携協定 Trans-Pacific Economic Partnership Agreement)というものがあります。これは貿易を通じて日本経済に対するひどい収奪をする仕組みであります。
いずれにしてもNATOの解体や日米同盟の解体は、非同盟への途を進むことになると思います。動的防衛協力についてはひとつひとつの施策でありますからその施策についてひとつひとつ批判し、これに抗議行動をするとともに、対案を提起する。現場において抵抗行動をすると、直接行動に対しては強い弾圧がありますから、抵抗権の行使を主張するというたたかいになるだろうと思います。
最後に結語を述べたいと思います。3点述べます。ひとつ、憲法無視の集団的自衛権の行使は認めない。これは主観的な言い方です、自分は認めないという。ですから憲法無視とはどういう意味か。いくつもの命題でできる重層構造をなしていると思います。一番基礎にあるのは、日本国憲法は集団的自衛権を含めて軍事力を持ちこれを使う自衛権を認めていないという命題です。いってみれば平和的生存権に徹している。次に、仮に自衛権を一定変容させたかたち、すなわち「武力なき自衛権」として認めるとしても、憲法9条を無視した集団的自衛権の行使は認めないという命題です。さらに、1954年頃から72年、さらに85年に至る政府解釈を見てくると、憲法9条の規範的な意味というものを排除して、これを正面から論じておりません。それは防衛白書の「憲法と自衛隊」というところを見るとはっきりします。そこに「憲法第9条の趣旨」についての政府見解があります。しかしこの趣旨は、憲法9条の規範的意味そのものではなくて、解釈者が理解する趣旨です。ですからここでもって憲法9条の規範的意味なるものは、政府の武力行使論とすり替えられています。そして内閣法制局がさまざまな事態を受けて、日本政府として憲法解釈としてこうすると決めたところの自衛権論、この解釈は集団的自衛権の行使を禁止するというものです。これを放棄して別の論理と取り換えようというのです。ですから私は、今回の集団的自衛権行使の見直し論は三重の意味で憲法無視であると言えると思います。
私は憲法9条というのは、片や戦争放棄、そのために他方において無軍備主義を取っていると考えています。まったく非武装とは考えておりません。警察も武装している。海上保安庁も武装しています。しかし常備軍の廃止を中心とした軍の廃止、したがって軍備の廃止をしていると考えています。なお「その他の戦力」(9条2項)という言葉は、軍備の生産・流通・備蓄をふくむもので、これを禁止するのですから軍需産業の禁止を意味します。
また憲法をゆがめる憲法解釈の技法が取られていることも重大です。武力の行使を特別に実力の行使といって、実力の行使でないものの領域をどんどん広げていっている。たとえば「後方支援」というのはその最たるものです。後方支援は米軍の武力行使と一体となっていなければ、それは自衛権の行使ではない、このように日本政府、内閣法制局は独自のとらえ方をしている。これは憲法の規範的意味をゆがめる解釈技法だと思います。
最後に情勢論に及びたいと思います。市民連絡会の声明にある一句、すなわち「憲法の国際平和主義と不戦・非武装の原則」について考えたいと思います。私はこの原則に賛同するものです。しかし「非武装の原則」という点では、先に指摘したように「無軍備の原則」だと読むので、この点で理解が違うところがあるかもしれません。
しかし重要な方向性を、私がどう理解しているのか。それは「力の支配から法の支配へ」ということです。これは、国際紛争解決についての国連総会の諸決議や事務総長の見解でもあります。たとえば、いま現在国連総会が開かれていますが、最初に行われるのは、高いレベルの政府代表による「法の支配」に関する討議です。それは「力の支配ではなくて法の支配を強めよう」ということであります。国連はこの意味では私の考えと近いものがあります。力の支配から法の支配へと進んでいくべきだと思います。
そしてこの立場から、情勢の基本をどうとらえるかということですが、情勢というのは現状がどうなっているかということを認識するとともに、その認識にもとづいてこれからどうなるかという見通しをすることです。このふたつの要素を含みます。現状はどうなっているか。この100年、150年をとってみても世界史の大転換期にあると思います。大きな世界平和構想が争われている。力の支配か法の支配かという軸で区切っても、大きな世界平和構想の分岐があります。例えば「核抑止」を基底に据えたままの安全保障構想か、反核の平和構想かという分岐です。
ここで「小さな問題」についていうと、例えば日本にとっては決して小さくないという方もいらっしゃるかもしれませんが、日本語で言うところの竹島問題、日本語で言うところの尖閣諸島の問題は国際紛争、とりわけ二国間紛争のひとつです。日本帝国以来の領土問題は、大きな世界平和構想と比べると小さな問題です。しかしこうした問題について、私たちはどう考えたらいいか。
大きな世界平和構想は、70億の人民と190を超える諸国家を抱える国連の在り方に関わる課題です。ですから国連憲章の意義、とりわけ武力行使の違法性を制度化しているという点が重要だと認めること、しかしながらそれとともに、51条をふくむ憲章の定めの限界もまた認識して、ことにあたるようにしなければならない。戦勝国である5大国が拒否権を、いまも持っているというこの制度を改めなければならない。そのためには、5大国が主導する集団的自衛権なるものをまず運用において転倒しなければならない。集団的自衛権というのは、弱い国が無法に侵略された場合に助けて欲しいという趣旨だけれども、しかし日本の集団的自衛権の行使を認めよといっているのはアメリカです。強い国、アメリカが行う戦争に日本を引き込むために使おうとしている。そういう大国が主導する集団的自衛権なるものに対して、ノーということが大事です。そのうえで、集団的自衛権の行使をしばる世論を強めて、さらにこれを明文でも否定する方向にすすまなければならない。個別の協定の積み重ねが必要かもしれません。「平和への権利国連宣言」は、そのひとつになるでしょう。これは集団安全保障体制をとる国連憲章の原則を強める方向です。
これと関連して「九条の会」の活動をとりあげます。この活動は地球規模で非常に注目されています。日本ではつい5、6年前までは自民党政権のもとで明文改憲は必至かと思われていました。安倍晋三が出てきて総選挙で明文改憲をやるといった。これで自民党は惨敗しました。いま明文改憲への動きはいちおう下火になっています。憲法の改正手続き(96条)を改めるということが焦点になっています。それほど「九条の会」の活動は日本の平和憲法を守るという1点で世論を動かしました。さらに付言すると、憲法の統治・人権の諸条項を実現することを通じて憲法9条を護るということになっていきます。そういう「九条の会」の活動に関わりながら市民連絡会に集うわれわれとしては、ひとりひとりの生き方、私の場合は77歳になるまでの生き方を検証し深く反省しまして、これから勇気をだして発言し行動しなければいけない、こう思っている次第です。ありがとうございました。