いま、日本の周辺においては尖閣諸島(中国名「釣魚島」)、竹島(韓国名「独島」)、北方四島(ロシア名「南クリル諸島」)などの「領土問題」をめぐり、中国、台湾、韓国、ロシアなどと、ここしばらく類例を見なかったほどに緊張関係が高まっている。
とりわけ尖閣諸島をめぐる日中の対立は、現在、かつてない深刻な状況を招いている。今年は日中国交回復40周年という記念すべき歴史的な年にあたる。この40年、両国の友好関係は発展し、特に経済関係は抜き差しならないほどに密接になり、深まってきた。本来、今年は日中友好を祝うための様々な祝賀行事が盛りだくさんに行われるはずの年であった。今回、日中間で尖閣諸島をめぐる問題が深刻化したきっかけをつくったのは、平和憲法敵視、改憲世論の盛り上げと、この日中友好ムードの盛り上がりをたたきつぶすことを狙った右翼ナショナリスト・石原慎太郎東京都知事による尖閣諸島の都有地化と、その資金の一般からの募金という挑発行動である。本年4月16日、大仰な前触れの下に訪米した石原知事は、保守系で有名なシンクタンク「ヘリテージ財団」で講演し、都が尖閣諸島の3島を購入する準備をしていることを明らかにし、中国と日本政府の従来からの同島をめぐる対応を批判した。前後して、石原知事は尖閣問題で繰り返し中国を挑発する発言を行い、その結果引き起こされる日中の軍事的衝突に米国を巻き込むねらいを公言してきた。石原知事は尖閣諸島の買収工作をすすめながら、日本政府に「尖閣問題棚上げ」を破棄し、施設建設や要員の常駐化など、その実効支配を強化するための対策を要求してきた。この脅迫に動揺した野田首相は、7月26日、衆院本会議で「我が国の領土、領海で不法行為が発生した場合は、必要に応じて自衛隊を用いることを含め、政府全体で毅然と対応する」と首相の職にあるものが言ってはならないことを述べた。結局、同島への施設建設にまでは踏み切らなかったが、政府による「買収」、国有化に踏み切り、くりかえし警告を発してきた中国政府をして強硬政策に転じさせた。この結果、日中関係は最悪の事態をむかえつつある。
自民党総裁選の各候補者の主張に見られるように、一部の政治家や右派メディアは、この問題をナショナリズムの鼓吹に利用し、世論を改憲と日米軍事同盟の強化、集団的自衛権行使の方向へと導く好機にしようとしている。
中国でも政府や軍の機関の一部が対日強硬策を相次いで主張し、各都市では日本への抗議デモや、日本人狩り、尖閣海域への中国船の頻繁な登場などの動きも起きている。
これらの「領土問題」について日本政府は「それらは日本固有の領土である」「領土問題は存在しない」という主張を繰り返してきた。しかしながら、これらの領土問題は日本政府がいう「固有の領土」(政府解説によれば「歴史的にみて一度も外国の領土となったことのない土地」とされている)であるどころか、わずか百数十年前、日本の幕末・明治以降の近代の歴史の中で発生した問題であることは明らかだ。
「北方四島」は現在、ロシアが武力を配置し実効支配しているが、日本政府はこれを「固有の領土だ」と主張している。18世紀末の徳川政権と明治政府の「北海道(アイヌモシリ)」開発の過程で、アイヌなどの先住民族(2008年6月、アイヌを先住民族として認めるよう政府に促す国会決議が衆参両院で可決)から奪い、日本の版図として編入してきた歴史があり、その後のアジア太平洋戦争の敗戦とポツダム宣言受諾、サンフランシスコ単独講和の結果、生じている問題である。いわゆる北方領土をめぐる論争には「4島返還」「2島返還」「全千島返還」など様々な議論があるが、これらの議論はさまざまな勢力のさまざまな思惑を背景にもつれている。
竹島は韓国が武装警官を配置し、実効支配しているが、日本政府は固有の領土だと主張している。竹島問題は日露戦争のさなか(1904~1905年)に日本領に編入、その直後には日本は韓国を事実上、支配下に置いた。その後、サンフランシスコ単独講和の過程で、李承晩ラインの設定などを含め問題が複雑化した。
尖閣諸島は日本が領海権を確保し、実効支配しているが、中国、台湾は自らの領土だと主張している。尖閣問題は、1872年の琉球藩設置から1879年の沖縄県設置を経て、強権的に琉球を日本に編入した「琉球処」分の歴史と不可分であり、尖閣諸島が日本領に編入されたのは日清戦争の最中の1895年1月である。尖閣諸島の周辺では近代よりずっと以前から沖縄の先島、台湾などの漁民が相互の友好的な交流の中で平和的に生産と生活を営んできていたといわれる。
これらの「国境問題」には相手国には相手国の論理があり、日本政府が国際的にも通用しない「固有の領土」というひとりよがりの理屈で「領土問題は存在しない」と言い張ってみても、全く解決にならない。こうした歴史問題から発生する国際関係に関わる国境問題を、ただただ一方的に自己の正当性を強弁し、ナショナリズムを煽りたて、相手国を非難するのは問題の解決を困難にするだけだ。2010年、中国の漁船と海上保安庁の巡視船が衝突したときに、日本の菅政権は「(尖閣諸島の)領有権問題はそもそも存在しない」として、中国漁船などに対して「日本の国内法で粛々と対応する」などと息巻いたが、領有権を主張する日中双方に「国内法」があることを考えれば問題をこじれさせただけである。
アジア太平洋戦争で、ポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏した日本は、中国、ソ連などが参加しないままに米国などの連合国側とサンフランシスコ講和条約に調印し、日米安保条約を調印した。また、米国はこれら地域に領土問題の火種を残すことが戦後の米国の世界戦略の利益と考えた結果、ソ連(ロシア)、南北朝鮮、中国など、日本周辺には未解決の国境問題が残された。
日本政府は戦後処理において、周辺各国との国交回復を重視し、領土問題を棚上げにして、後日の平和条約交渉にゆだねた。
1956年日ソ共同宣言が合意され、国交が回復したが、「北方領土」問題が残され、日ロ(日ソ)平和条約は未締結のままになっている。
韓国との間では1965年に日韓基本条約が締結され、その際、歴史認識問題や竹島(独島)の帰属問題は「解決せざるをもって、解決したとみなす」で知られる丁・河野(一郎)密約により棚上げとされた。北朝鮮との間ではいまだに国交の回復すらできていない。
中国との間には1972年日中共同宣言で国交を回復し、1978年の日中平和友好条約を結んだが、尖閣諸島問題は棚上げにするしかなかった。
たしかに「棚上げ」は問題の先送りだが、時間をかけて解決する機会を得ることであり、ただ非難するにはあたらない。平和的に解決するためのチャンスとされるべきである。
前述したように、米国はこの地域の領土問題で自らの影響力の保存のため、サンフランシスコ講和以降、問題の全面解決を望まず、「北方領土」でも、「竹島」でも、「尖閣」でもあえて紛争の火種を残した。しかし、「同盟国」の日韓の対立は不都合であるし、米中経済関係の現状から必ずしも「米中対決」の到来を歓迎できない。石原ら日本の右翼勢力が、懸命に日中紛争を挑発し、日米安保の適用、米国の軍事介入を画策しているが、米国は「条約の義務を遂行する立場は変わっていない」といいつつ、「主権に関する紛争は、いずれの国の肩も持たない」「平和裏の解決を望んでいる」(パネッタ国防長官)という立場の表明を繰り返し、容易に乗らない状況にある。事態の深刻化は、結局、日中の友好関係のみが破壊され、両国の民衆生活が大きな打撃を被るだけである。
領土問題は偏狭なナショナリズムの餌食になりやすい問題である。オリンピックで知らずしらずのうちに自国チームの応援に熱中するような危険性がある。好戦主義者はこの「国民感情」を利用し、対立をあおり立てようとする。
昨年の3・11東日本大震災に際して日本は中国、台湾、韓国、北朝鮮など東アジアの多くの国々から多大な支援を受けた。2009年の総選挙において民主党はそのマニフェストで「東アジア共同体」構想をかかげたが、その後の経過はさておき、私たちはこの東アジアにおいて、各国との平和と友好、共生の関係を築き、維持することがいかに重要なものであるかを大震災の中でもあらためて痛感した。
しかし、それから1年、領土問題の深刻化で日本と周辺各国との関係は最悪のものとなりつつある。
あえて確認するが、「国連憲章」2条3項には「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」とあり、日本国憲法第9条には「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とある。
これを1947年に文部省が発行した「あたらしい憲法のはなし」では以下のように解説したことは教訓にみちている。
「よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです」と。
尖閣諸島をめぐる緊張の発生に際して、石原慎太郎らの右派からは自衛隊を動員してでも断固として国家主権を防衛すべしという声が聞こえる。中国国内でも「日本との戦争を恐れず」などという声があがっている。この東京と北京で無責任に戦争を呼号する連中の好戦的な動きが現実のものになったとき、真っ先に犠牲を被るのは沖縄の民衆であり、地域周辺の民衆である。これを避け、問題の解決をはかる方策は平和的な話し合いのテーブル上以外にはない。
すでに、1972年の日中国交回復の共同声明と1978年の日中平和友好条約は以下のようにのべている。
「日中共同声明(1972年)」 日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。
両政府は、右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
「日中平和友好条約(1978年)」 第1条 両締約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする。
両締約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。第2条 両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。
この第1条、第2条は東アジアの平和と共生の関係を打ち立てる上で、すべての国々の手本となることができる。いまこそ、日中両国指導部はこの条約を再認識し、両国関係に生かすべきであろう。まさに日中いずれもが「覇権を求めるべきではなく」「覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対」しなくてはならない。この原則は近代史の百数十年に於いてアジアに覇権を求めつづけ、いままた日米安保条約体制の下で軍事力を強化している日本に当てはめられるべきであるし、中国もまたらち外ではない。日中平和友好条約締結の際に、当時の中国側の最高責任者・鄧小平が日本の園田直外相に対し、「中国は、将来巨大になっても第3世界に属し、覇権は求めない。もし中国が覇権を求めるなら、世界の人民は中国人民とともに中国に反対すべきであるとし、近代化を実現したときには、社会主義を維持するか否かの問題が確実に出てこよう。他国を侵略、圧迫、搾取などすれば、中国は変質であり、社会主義ではなく打倒すべきだ」と述べたことを中国当局は真剣に想起すべきであろう。
領土問題の対立を克服し、東アジアの平和と共生の関係を打ち立てるにあたって、相互に国家主権をぶつけ合う国家対国家の関係を前面に出した争いは有効ではない。領土問題の解決にあたっては国家の視点を極力薄め、国家対立を後景に置くことだ。そして争いのタネである資源は民衆のものであり、生活者の視点で、共同で利用することこそ肝心なことだ。尖閣諸島の問題は日本、韓国、中国、沖縄、台湾の民間の地域会議を創設し、発展させる必要がある。「国家主権は分けることは出来ないが、資源は分割できる」という警句があるという。竹島は日韓北朝鮮の政府間交渉だけでなく、それぞれの漁民の参加が必要になるだろう。北方四島の議論では日ロ政府の議論だけではなく、アイヌ民族にも加わってもらわなくてはならない。これは「東アジア共同体」の夢につながるものとなるだろう。
これはかつて自覚的なNGOによって取り組まれてきたGPPAC(=武力紛争予防のためのグローバルパートナーシップ)に通じるものがある。2001年国連のアナン事務総長(当時)は「紛争予防における市民社会の役割が大切」だと述べ、世界の紛争予防に関するNGO国際会議の開催を呼びかけた。これに応えて発足したプロジェクトがGPPACで、東北アジアには「GPPAC東北アジア」がある。こうした民間のNGOの努力が有効になる可能性がある。
ともあれ、領土問題に武力の行使は絶対にしてはならない。すべての当事者は無用な挑発を停止し、日本国憲法第9条や、日中平和友好条約第1条、2条の精神にもとづいて、平和的な話し合いで対応せよ、という声を多数派の世論にするため、全力を尽くさなくてはならない。(事務局 高田健)【資 料】
日本国内閣総理大臣田中角栄は、中華人民共和国国務院総理周恩来の招きにより、1972年九月二十五日から九月三十日まで、中華人民共和国を訪問した。田中総理大臣には大平正芳外務大臣、二階堂進内閣官房長官その他の政府職員が随行した。
毛沢東主席は、九月二十七日に田中角栄総理大臣と会見した。双方は、真剣かつ友好的な話合いを行った。
田中総理大臣及び大平外務大臣と周恩来総理及び姫鵬飛外交部長は、日中両国間の国交正常化問題をはじめとする両国間の諸問題及び双方が関心を有するその他の諸問題について、終始、友好的な雰囲気のなかで真剣かつ率直に意見を交換し、次の両政府の共同声明を発出することに合意した。
日中両国は、一衣帯水の間にある隣国であり、長い伝統的友好の歴史を有する。両国国民は、両国間にこれまで存在していた不正常な状態に終止符を打つことを切望している。戦争状態の終結と日中国交の正常化という両国国民の願望の実現は、両国関係の歴史に新たな一頁を開くこととなろう。
日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。また、日本側は、中華人民共和国政府が提起した「復交三原則」を十分理解する立場に立って国交正常化の実現をはかるという見解を再確認する。中国側は、これを歓迎するものである。
日中両国間には社会制度の相違があるにもかかわらず、両国は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である。両国間の国交を正常化し、相互に善隣友好関係を発展させることは、両国国民の利益に合致するところであり、また、アジアにおける緊張緩和と世界の平和に貢献するものである。
1972年九月二十九日に北京で
日本国内閣総理大臣 田中角栄(署名)
日本国外務大臣 大平正芳(署名)
中華人民共和国国務院総理 周恩来(署名)
中華人民共和国 外交部長 姫鵬飛(署名)
日本国及び中華人民共和国は、
1972年九月二十九日に北京で日本国政府及び中華人民共和国政府が共同声明を発出して以来、両国政府及び両国民の間の友好関係が新しい基礎の上に大きな発展を遂げていることを満足の意をもつて回顧し、
前記の共同声明が両国間の平和友好関係の基礎となるものであること及び前記の共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認し、
国際連合憲章の原則が十分に尊重されるべきことを確認し、アジア及び世界の平和及び安定に寄与することを希望し、
両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため、
平和友好条約を締結することに決定し、このため、次のとおりそれぞれ全権委員を任命した。
日本国 外務大臣 園田 直
中華人民共和国 外交部長 黄 華
これらの全権委員は、互いにその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次のとおり協定した。
第一条 1 両締約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする。
2 両締約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
第二条 両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。
第三条 両締約国は、善隣友好の精神に基づき、かつ、平等及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い、両国間の経済関係及び文化関係の一層の発展並びに両国民の交流の促進のために努力する。
第四条 この条約は、第三国との関係に関する各締約国の立場に影響を及ぼすものではない。
第五条 1 この条約は、批准されるものとし、東京で行われる批准書の交換の日に効力を生ずる。この条約は、十年間効力を有するものとし、その後は、2の規定に定めるところによつて終了するまで効力を存続する。
2 いずれの一方の締約国も、一年前に他方の締約国に対して文書による予告を与えることにより、最初の十年の期間の満了の際またはその後いつでもこの条約を終了させることができる。
以上の証拠として、各全権委員は、この条約に署名調印した。
1978年八月十二日に北京で、ひとしく正文である日本語及び中国語により本書二通を作成した。
日本国のために 園田 直(署名)
中華人民共和国のために 黄 華(署名)
毛利 孝雄(沖縄大学・4年)
「続々と会場に向かう人の波を見て、沖縄の人々の良識を思った。オスプレイ配備に反対する宜野湾市での県民大会に10万1千人(主催者発表)が参加した。一文の得にもならないけれど、貴重な時間を投じ、公のために動く人々がこれほど大勢いる。われわれはそれを誇りに思っていい」
県民大会翌日9月10日付『琉球新報』社説はこう書き出している。確かに、県民大会を象徴するキーワードは、この「人の波」であり、「沖縄の人々の良識」だったろう。
学生にとっては、「午前9時集合」はなかなかきつい時間だ。おまけにウチナータイムでいうと、「9時集合」は“9時には家を出る”ぐらいの意味。でもこの日はちがった。9時05分には、全員が集合。予定時刻通り、沖縄大学のマイクロバスは県民大会会場に向けて出発した。
渋滞を気にしながら、バスの車窓からぼくたちの目に飛び込んできたのは、会場の宜野湾海浜公園に向かって、あらゆる方向から歩道を埋め尽くして続く、この「人の波」だった。
ところどころに浮かぶ白い雲以外は、真っ青な沖縄の空。沖縄戦の時代を生きたであろう、杖を手にしたオジイ・オバアたち。普天間基地に隣接する普天間第二小学校の児童・教師ら。金城実さんは、海老原鉄平君の遺影と阿波根昌鴻さんの木彫を携えて。ユニホーム姿の少年野球やサッカーチームの少年たち。戦中・戦後の沖縄を生き、そして沖縄の今を生きる様々な世代の人たちが、それぞれの思いを旗に、ボードに、衣装に込めて、シンボルカラーの「赤」に会場を染め上げる。
開会には、まだ1時間以上の余裕。しかし、30人がまとまって座れる場所を確保できない。やっと周囲の協力を得て、学生・教職員らの署名が詰まった「横断幕」を広げ、「沖縄大学」の旗を掲げ、“NOオスプレイ”“たかえをすくえ”など手作りのボードを手に座り込む。沖縄の日差しの強さは格別だ。さえぎるもの何一つない会場で、人々は黙々と座り込んで開会を待っている。そこには、確かに「一文の得にもならないけれど、貴重な時間を投じ、公のために動く人々がこれほど大勢いる」のだった。
10時、プレイベントとして若手ミュージシャンらによるライブ開始。サザン応援団のぼくは、元ネーネーズメンバー与那覇歩さんが「平和の琉歌」を県民大会の場で歌ってくれたことに感激!
11時、10万1千人の参加者の視線が集中するなか「県民大会」開会。「緊迫した静けさ」(同行の松枝さん)のなかで共同代表5名によるスピーチが続く。
大会のなかで、会場がどよめく瞬間が3回あった。1回目は、大会不参加のため代読となった仲井眞弘多県知事メッセージに対する抗議のブーイング。2回目は、「みんなが力を合わせれば、危険な基地は平和な街に変えられる。この空は米国や日本政府のものではなく県民のもの」と、若い世代の責任を率直な言葉で呼びかけた沖縄国際大学学生・加治工綾美さんへの拍手。3回目は、加藤裕沖縄弁護士会会長が閉会挨拶のなかで、「オスプレイは宜野湾にも嘉手納にも飛ばさせない。高江にも飛ばさせない」と、連日の工事強行に抵抗を続ける「高江」に言及した瞬間。
いずれもが、大会参加者の切実な期待を示した瞬間だった。
大会は最後に、オスプレイ配備計画の撤回と普天間基地の閉鎖・撤去を要求する決議を採択、さらには「今後、各市町村・地域での集会の開催/週一回の基地ゲート前行動の検討/日米両政府への要請行動」などを内容とする行動提起を確認して、12時10分には閉会。
会場出口では、「たかえをすくえ」のボードを掲げ、大会参加者に高江の現状と支援を訴える「住民の会」と支援する若者たちの姿が印象的だった。
大会後は、平和市民連絡会などの呼びかけによる、普天間基地大山ゲート前での抗議行動も取り組まれ、基地フェンスは赤と黒のリボンで彩られた。
当初、県民大会が予定された8月5日は、台風直撃のため中止に。新たに決まった9月9日は、沖縄の主要な年間行事の一つ「全島エイサーまつり」の最終日。エイサーまつりの日程を夕方にずらし、午前に県民大会を開くというウルトラC(たとえが古い?)の調整のなかで開催された大会だったことも、記しておきたい。
大会から沖縄大学に戻って、簡単に感想を交流しあった。大会の評価を考えるうえで参考になると思うので、いくつか特徴的な声を拾っておきたい。
第1は、壇上の訴えは参加者の心に響いたか、ということについて。
「最後の県民大会になってほしいと思うけど、どうなるか正直わからない。少年野球のこどもたちや中学生も参加していた。こどもたちにもわかる大会だっただろうか。あの時参加した、そういう時代があったということが、経験として残ってほしいと思う」
「前々回の教科書問題での県民大会は、壇上からの語りに参加者が耳を澄ますという関係、壇上と参加者の気持ちのつながりがあった。今回は、静かに話を聞くと
いう形ではなかった。大会の持ち方として有効な形なのかどうか。たとえば、全体集会のあとは個別ブースでの交流とか、県民大会という形は残しつつ、顔の見える運営のあり方が必要かもしれない」
「入学してすぐの時、普天間基地の県外移設を求めた県民大会に参加した。2度目の県民大会に参加するとは思わなかった。ずっと共同代表の人たちの話が壇上から続くという運営には、威圧感も感じて若い人の賛同は少ないのではないか。どこかに所属していないと一人では参加しづらいし、赤は基調になると恐いイメージがある」
「大学生のメッセージは新鮮だった。同年代の学生として、もっと勉強しなければと思った」
「大会の運営は、少なくとも男女半々にすべき」
…等などが、大会の率直な感想として出された。
第2は、石垣島の友人がぽつりと話した「行動提起の貧弱さには落胆した」ということについて。
入口で渡された「大会次第」に「行動提起」の項を見つけたぼくは、“やっぱり力はいってるな~”と思いながら、壇上からの提起をメモするためにペンを手にしていた。そして、正直なところ「…について今後検討したい」式の提案にガックリもしたのだ。オスプレイについては1ヶ月後の10月配備の方針を、日米政府ともに崩していない。それなのにこの緊張感のなさは何なのだろう、そんな気分にさせられた。
「週一回普天間基地ゲートでの抗議行動の検討」を提案するなら、“大会実行委員会は来週から輪番を組んで座り込みをすることにしました。皆さんの協力を”という提案がほしかった、そう思ったのだ。
後日、日本政府への要請団に立ち会った東京の友人からは、次のメールが送られてきた。
「昨日午後やってきた46人の政府要請団(県民大会実行委員会で構成)は官房長官・沖縄担当大臣・外相・防衛相・樽床ら“豪華メンバー”と会見。30-40分もひきのばして、『命がかかっている』と必死の訴え。異例の政府要請でした」
緊張感とは、大会参加者がそれぞれの持ち場で創意を凝らし造り出していくものなのだろう、今はそのように考え直している。
沖大での取り組みは、まず宜野湾市民大会(6/17)に参加したメンバーが中心になって、当初の8/5県民大会に向けては、学生・教職員を対象にしたオスプレイ・シール投票、オスプレイの実寸を布で表現し校庭に「配備」、事前学習会などに取り組んだ。シール投票の結果は、「ダメだと思う」390票(79.8%)、「わからない」77票(15.7%)、「よいと思う」22票(4.5%)。5日間、昼休みのみの取り組みだったが、学生のほぼ5人に一人が投票してくれた。
延期の9/9県民大会に向けては、正門前スペースに72時間の“Village square”(「ゆんたくひろば」といったイメージです)と名づけた交流スペースを開いた。学内だけでなく近隣の高校生や地域の皆さん、県内外の大学生たち、そして世代を隔てた先輩など150人を超える方々が訪ねてくれた。ピンポン球の大きさのおにぎり2個と水だけで沖縄戦当時の食事を追体験したり、「オキナワ文庫」を開いたり、最終日のライブは若手のミュージシャンやコザ伝説のロッカー・ヒゲのかっちゃん、知花昌一さん等など、にぎやかなものになった。
大会参加者の感想交流のなかで、もう一つ強調されたのは、これら県民大会に向けて沖大のなかで取り組んできたことの評価だった。
「沖大のなかでみんなでいろいろやりながら、まとまって参加できたことを大切にしたい」
「学生・教職員が一緒になって取り組み、こういうつながりができたことがよかった」
「学生のなかには、オスプレイや基地に賛成の人もいる。いろいろな立場の人と議論したいし、自分ももっと勉強したい」
これは以前にも書いたことになるが、ぼく自身は、これら県民大会に向けた取り組みを通して、県民大会とは“いのちをかけて生活してきた”沖縄の過去、そして“日々、いのちをかけて生活している”沖縄の現在、その中から未来の沖縄を紡ぎ出す営みとしてのあるのではないか、そんなことを考えさせられてきた。この意味で、県民大会とは「県民大会」の開催を中心に取り組まれる“世代をつなぐ県民運動”なのだ、そのように捉えておきたいと思っている。
新崎盛暉さんは『沖縄とヤマト』所収の小森陽一さんとの対談のなかで、沖縄大学の学長当時、学生たちに話していたことを交えて、次のように発言している。
「…沖縄ぐらい、ものがよく見えるところはない。東京辺りにいたら相当勉強しなければ見えない世界の情勢が、生活しているだけでよく見えるような位置にある。沖縄というのは、認識における優位性を活用できる場所なんだよ、と。
沖縄の運動を支えているのは、そういう面もあると思うんです。沖縄は大変な歴史を歩んできた。しかし人間というのは、そこで完全につぶれることはない。それをはね返す力を持っているのです」
沖縄の戦後史は、少し長いスパンで見れば、人間としての諸権利を民衆自身が下部からの運動によって獲得し、強く正してきた歴史でもある。
3.11以降、沖縄問題と原発問題とは、同質の「構造的差別」として認識されるようになった。9/9県民大会の歴史的位置が、「構造的差別」の変革に向かう沖縄戦後史の転換点にあった、そう評価されるものであってほしいと思う。ぼくたちもまた戦後世代の民衆のひとりとして、その生き方が問われることにもなるだろう。 そして、ヤマトンチューであるぼくには、あらためて大江健三郎さんの次のことばが立ち上がってくるのだ。
「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」(『沖縄ノート』)
(2012.9.20記)
原 明広(琉球大学学生)
はいさい。沖縄に移り住んで5年目の原明広と申します。いつも懐かしく「私と憲法」を読ませていただいております。普段は琉球大学で医学生をしています。住居が普天間基地のわりと近くで、米軍ヘリが部屋の真上を飛んで行きます。オスプレイが来たらいやなので、9月9日に県民大会に行ってきました。
会場の宜野湾海浜公園は夕陽がきれいで、お気に入りの散策コースのひとつです。国道58号線を海沿いに北へ向かうと、おしゃれな街、北谷へと続いています。会場に近づくにつれて、炎天下の道端を三々五々歩いている人たちが目立ってきました。もの静かでやさしく素朴で、いっしょにいると楽しくなる友人たちが僕は大好きです。
日差しがとても強いので、大会も1時間あまり。
「ここから始めてゆきましょう」「この青い空は沖縄県民のものなのです」印象的なメッセージに会場は大きな拍手、指笛に沸きました。のぼりや横断幕を見ると嘉手納、高江、金武と読めます。沖縄中の老若男女が集まって来ているのです。麦わら帽や日傘や巻いたタオルの列、列、列。家族連れも多く、自転車の荷台に小さな子をのっけてやってきたお父ちゃん。子らの握った赤い風船が揺れています。みんな地べたの芝生にペタッと腰をおろして、ゆったりゆんたくしましょうねという雰囲気が終始流れています。居場所があるっていいなあ、沖縄好きだあとあらためて思いました。
沖縄でも宮森小学校への墜落事故で大勢の子どもたちが亡くなっています。映画「ひまわり」も制作中で今年の冬には上映されるようです。
大学病院で実習していて、患者さんから大切な言葉をいただいたことがあります。「戦争で親にたすけられた命です」お会いして2週間で逝ってしまったそのかたは、沖縄戦を生き延びたかたでした。年輩のかたは上空から爆音が響く度に、戦争の記憶がよみがえるのではないでしょうか。
沖縄から、日本から、基地がなくなる日も夢ではないかもしれない。そんなことを久しぶりに考えた1日でした。
9月9日11時、沖縄の県民大会と時刻をあわせて国会包囲のアクションが始まった。国会議事堂の正門前に向き合う歩道に「♪♪沖縄を返せ!沖縄に返せ!♪♪」の歌声と三線がひびいた。つづいて「オスプレイの配備を止めろ!」「高江をまもれ!」「沖縄・岩国・全国と連帯してたたかおう!」などの力強いシュプレヒコールを間に挟みながらトークが行われた。
主催者挨拶をした外間三枝子さん(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック共同代表)は「危険なオスプレイ配備の強行で沖縄の怒りは頂点に達している。日本の未来のために沖縄と手をつなぎいっしょにたたかおう!」と訴えた。背にしている「9.9沖縄県民大会と同時アクション『国会包囲』、オスプレイ配備を中止に追い込もう!」という横断幕の後ろには議事堂がそびえている。
東京沖縄県人会の島袋徹さんは「普天間基地は1945年に住民が住んでいた場所を米軍が強制接収したもの。アメリカも認めた世界で最も危険な基地にオスプレイ配備は絶対に許さない」と決意を語った。軍事評論家の前田哲男さんは「米軍機の訓練空域は安保条約にもないもの。オスプレイ配備の強行は沖縄に犠牲を強いるものだ」と話した。オスプレイ配備に反対する国会議員の挨拶とメッセージも紹介された。8月15日からキャンプ瑞慶覧のゲート前でハンストを敢行した(2日間でドクターストップとなった)上原成信さんも挨拶にかけつけた。
最後に呼びかけ人の一人である高橋哲哉さん(東大教授)は「沖縄への基地負担は限界だ。これを進めてきた政府はもちろんだが、本土に住む私たちも責任の一端を負っている。状況を変えるために行動しよう」と話しと話した。
11時半からは、参加者が国会を包囲するために移動を開始した。12時25分頃、国会包囲は成功し、1万人の参加者は手をつなぎながら国会に向けてオスプレイ配備反対のプラカードを示しシュプレヒコールを繰り返した。このアクションは、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックやピースボートなどの市民団体と個人の呼びかけによるもので、8月5日の教育会館での集会につづいて取り組まれた。
オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会の決議(全文)
我々は、本日、日米両政府による垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ強行配備に対し、怒りを込めて抗議し、その撤回を求めるためにここに集まった。
沖縄県民は、米軍基地の存在ゆえに幾多の基地被害をこうむり、1972年の復帰後だけでも、米軍人等の刑法犯罪件数が6000件近くに上るなど、米軍による事件・事故、騒音被害も後を絶たない状況である。
1995年9月に、米海兵隊員3人による少女暴行事件が起こり、同年10月には事件に抗議する県民総決起大会が行われ、8万5千人もの県民が参加し、米軍に対する怒りと抗議の声を上げた。県民の強い抗議の声に押され、日米両政府は、96年の日米特別行動委員会(SACO)により米軍普天間基地の全面返還の合意を行った。
しかし、合意から16年たった今日なお、米軍普天間基地は市街地の真ん中に居座り続け、県民の生命・財産を脅かしている。
そのような中、日米両政府は、この危険な米軍普天間基地に「構造的欠陥機」であるオスプレイを配備すると通告し、既に山口県岩国基地に陸揚げがなされている。さらに、オスプレイは米軍普天間基地のみでなく、嘉手納基地や北部訓練場など、沖縄全域で訓練と運用を実施することが明らかとなっており、騒音や墜落などの危険により、県民の不安と怒りはかつてないほど高まっている。
オスプレイは開発段階から事故をくり返し、多数に上る死者を出し、今年に入ってからもモロッコやフロリダ州で墜落事故を起こしている構造的欠陥機であることは、専門家も指摘しているところであり、安全性が確認できないオスプレイ配備は、到底容認できるものではない。
沖縄県民はこれ以上の基地負担を断固として拒否する。そして県民の声を政府が無視するのであれば、我々は、基地反対の県民の総意をまとめ上げていくことを表明するものである。
日米両政府は、我々県民のオスプレイ配備反対の不退転の決意を真摯(しんし)に受け止め、オスプレイ配備計画を直ちに撤回し、同時に米軍普天間基地を閉鎖・撤去するよう強く要求する。
以上、決議する。
2012年9月9日 オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会
リチャード・L・アーミテージ、ジョセフ・S・ナイ 2012年8月
第3次アーミテージレポートが発表され、筑紫建彦さん(憲法を生かす会)が取り急ぎ翻訳してくれた。今後の国際関係を考える上で重要なので、本誌は訳者の了解を得て、一部を割愛した上で掲載する。(編集部)
米国の歴代政権に大きな影響力を持つ「知日派」とされるアーミテージ氏とジョセフ・ナイ氏が中心になって、2012年8月に「米日同盟」の課題や将来のあり方を提言した報告書が発表された。
「米日同盟」(日本側では「日米同盟」)については、日米安保条約に基づくものではないが、もはや安保条約をはるかに超えて、米国のグローバルな覇権(ヘゲモニー)を維持、強化する戦略システム全体を指すものとして独り歩きし、両国政府や官僚、学者たちに「便利」に用いられている。
ここに訳出した、いわゆる「第3次アーミテージ報告」は、あくまで米国側から見て、米国の長期、短期の戦略体制の構築、強化のために何が必要か、そのために日本に何を求めるかを率直に主張し、さらに「勧告」として両政府に提言したものである。その骨格は、もちろん日米の軍事一体化の拡大・深化策の具体的な列挙だが、報告書はそれにとどまらず、エネルギー戦略、貿易戦略(FTAやTPP、それ以上のCEESA)、中国の評価と対応策、米日韓豪の軍事協力、日本の憲法9条と集団的自衛権、PKO、秘密保全法制のあり方、戦略的ODAなどにまで及んでいる。
言葉を換えれば、このアーミテージ報告は、あくまで米国の戦略的利益を追求するための、米国から日本への「要求リスト」である。外務省などは、この報告書を「民間機関の文書」として公式には論及していないが、すでに野田内閣や自民党の総裁候補たちは、この路線に沿った発言を繰り返し、オーストラリアなどとの交渉を始めており、米国から下された「聖典」として扱われつつある。
私たちは、議論が活発に持ちだされてきた「集団的自衛権」問題や、自衛隊の「南西防衛戦略・島嶼防衛論」、オスプレイの沖縄配備と日本全域での飛行訓練計画などの背後にある「米国の意図」を知るためにも、この報告書を吟味する必要があろう。
*文中の[ ]は訳者による註であるが、必ずしも意味が明確・正確でない部分もあり、ご指摘があれば歓迎したい。
2012年9月 筑紫建彦(訳者)
筆者:リチャード・L・アーミテージ、ジョセフ・S・ナイ
2012年8月 CSIS(戦略・国際研究センター)
[目次]
研究グループの参加者(略)/序文/エネルギー安全保障(略)/経済と貿易(略)/近隣諸国との関係/新たな安全保障戦略に向けて/結論/勧告/
研究グループの参加者(略)
米日同盟に関するこの報告書は、その関係が漂流している時期に出される。米国と日本の双方の指導者たちが、健康や福祉など他の非常に多くの課題に直面しているときに、世界で最も重要な同盟の一つは危機にさらされている。カート・キャンベル国務次官補と両国における彼の同僚たちの根気強い努力が、この同盟をかなり安定させてきたが、この地域とそれを超えた今日の課題と機会は、より多くを要求している。われわれは共に、中国の再登場とそれに伴う不確実性、核能力と敵対的意図を持つ北朝鮮、およびアジアのダイナミズムの展望に直面している。他方、グローバル化した世界の多くの課題と、ますます複雑化する安全保障環境が存在している。これらとそのほかの今日の大きな諸問題に適切に対処するには、より強力で、より対等な同盟が求められている。
そのようなあるべき同盟のために、米国と日本は、そのような展望から、またその具体化として、両国民が一つに結び付いたものになることが必要となろう。われわれの見解では、1本のロープの[一つに結び付いた]両国民は、顕著な経済的重みと軍事力の可能性、グローバルなビジョン、および国際的関心事への明示的なリーダーシップを持つ。米国がこの同盟をよりよく支えることができる分野はあるけれども、われわれは米国が1本のロープの状態を継続することに疑いを持っていない。しかしながら日本にとっては、そうなるには決断がいる。日本は一つに結び付いた国民でありつづけることを望むのか、あるいは、2本のロープの状態に満足しているのか? もしも日本国民とその政府にとって、2本のロープの状態で十分にいいのなら、この報告書は関心を引かないことになろう。この同盟についてのわれわれの検証・評価と同盟のための勧告は、日本が貢献すべき多くのことがある世界の舞台で全面的なパートナーになることにかかっている。
この質問をする上で、われわれは、今日の世界における日本の影響力と役割を混乱させている諸問題について認識している。日本は人口の劇的な高齢化と出生率の低下を抱えている。そのGDP比の負債率は200%を超えている。日本では6年間に6人の異なる首相が就任してきた。そして多くの若者たちには、悲観的な感覚と内向きの姿勢が増えている。しかし日本は、その重要性が弱まったと見られるように運命づけられてはいない。日本は十分に、一つに結び結び付いた国であり続けることができる。それはまさに、日本が決める問題である。
日本が多くの課題に直面するにつれ、日本の国力と影響力が不十分に認識され、不十分に活用されるという事態が存在している。日本は世界第3位の経済大国であり、中国の2倍の規模の消費部門を持っている。日本は、改革と競争によって解放されうる巨大な経済的潜在能力を持ち続けている。貿易と移動の自由の一層の開放と、労働力としての女性のより大きな参加は、日本の国内総生産(GDP)に著しく寄与することになろう。日本のソフトパワーもまた、相当なものである。日本は国際的な評価で上位3カ国の中にあり、「ナショナル・ブランド」の面では世界で1位である。日本の自衛隊――今では日本で最も信頼されている機関――は、もし時代錯誤の憲法が緩和されるなら、日本の安全と評判を強化するうえで、より大きな役割を果たす用意ができている。
日本は、世界の静かな片隅に置かれるような価値のない国ではない。米国その他の国は、日本をアジア太平洋地域で安定的な戦略的バランスを保つ沿海の要として、国連と国際通貨基金(IMF)、その他の主要な多国間機構への2番目に大きな拠出国として、また、世界で最もダイナミックな半球のためにシーレーンを開放しておく米軍の受け入れ国として、信頼している。
米国は、日本が強力な米国を必要とする以上に、強力な日本を必要としている。われわれがこの同盟とその責任について扱うのも、この展望からである。日本にとって、米国と肩を並べて立ち続けるためには、日本はわれわれとともに前進する必要があろう。日本は過去においてアジアのリーダーであったし、将来もそうあり続けることができる。
以下の報告は、米日同盟に関する超党派の研究グループのメンバーたちの一致した見解を示している。この報告は特に、エネルギー、経済と世界貿易、近隣諸国との関係、および安全保障関係の諸問題を扱っている。これらの分野の中で、研究グループは日本と米国のための政策的な勧告を提示している。それらは、短期および長期的な時間的枠組みに及んでいる。これらの勧告は、アジア太平洋およびそれを超えて、この同盟を平和と安定および繁栄のための力として強固にすることを意図している。
同盟と、地域の安定および繁栄にとって絶対的に不可欠なのは、強力な米・日・韓の関係である。アジアにおける3つの民主主義的同盟国は、共通の価値と戦略的利益を共有している。この基礎を固めつつ、ワシントンと東京、ソウルは、北朝鮮による核兵器の追求を協力して抑止する外交的資本をプールし、中国の再興に対応する最適の地域的環境を形成するのに役立つべきである。
3カ国すべてが将来の国際的システムのルールを明確にするうえで深い関心を持つ分野は、原子力である。中国が核大国の間で力を持ってきているので、日本や韓国のような同盟国――両国ともグローバル市場における重要な存在――には、原子力の生産における適切な安全措置、非拡散の実施、高い基準の透明性の確保が非常に重要になりつつある。政策的不確実さで後退しつつある原子力分野や、経済的不調(主に安い天然ガス価格による)、および韓国との改定123協定[米韓FTAで混乱した韓国憲法123条(農漁業保護育成義務)問題?]の不在という米国の軌跡から、東京とソウルがグローバルな原子力発電の基準を明確にする、より大きな役割を引き受けることは特にタイムリーである。安全な原子力への日本の再誓約と、韓国のグローバルな原子力供給国としての最高の透明性の基準と非拡散の誓約は、この体制の将来を確保するのに不可欠となろう。
3カ国協力のもう一つの分野は、海外開発援助(ODA)である。米国は現在、日本および韓国と戦略的な開発援助協定を結んでいる。3カ国はともに、同様の概念による展望から開発を考え、各国はグローバルな援助の大きな供与国である。韓国は、無償援助の世界で最初の純受入れ国だが、純供与国となるべきである。その最大の受入れ国は今日、アフガニスタンとベトナムであり、両国は米国と日本の双方にとって戦略的に重要な国である。韓国は現在、世界中で開発と良好なガバナンスのプロジェクトに従事する男女で構成される4000人の強化型の平和部隊を持っている。同盟3カ国は、世界中で戦略的な開発を推進するうえで、それらの国の見方と資金を一つの協働協定にプールすることで利益を得るだろう。
共通の価値と共通の経済的利益に加えて、米国と日本、韓国は、共通の安全保障上の関心を共有している。集中性のある核心的分野は、3つの民主主義国を自然な同盟に据え付けている。短期的な差異は、しかしながら、核兵器を追求する北朝鮮を抑止し、中国の再興を扱うのに最適の地域的環境づくりを推進するために多くを要する3カ国の協働の進展を困難に[窒息]させている。
機微な歴史問題に判断を示すのは、米国政府の立場ではない。しかしながら、米国は緊張を緩和し、同盟国が核心的な国家安全保障上の利益と将来に注意を戻すよう、十分な外交的努力を行わなければならない。同盟がその潜在的能力を十分に発揮するには、日本にとっては、韓国との関係を複雑にし続けている歴史問題に向き合うことが不可欠である。われわれは、このような諸課題の複雑で感情的かつ国内政治的なダイナミズムを理解しているが、個人の賠償請求訴訟が許されるべきであるという韓国の最高裁の最近の決定のような政治的行為、あるいは、軍隊慰安婦の碑を建てないよう米国の地方の公職者に働きかけるという日本政府の行為は、感情に火を注ぎ、韓国と日本の指導者たちとそれぞれの公衆を、彼らが共有し行動しなければならない、より広い戦略的優先事項から引き離し、分裂させるだけである。
ソウルと東京は、現実政治のレンズを通して2国間の結びつきを再検証すべきである。歴史的な憎悪は、どちらの国も戦略的に脅かしてはいない。2つの民主主義国は、双方がその関係において持つ経済的、政治的および安全保障上の資産[equities]があるのだから、これらの問題で戦争には向かわないだろう。しかしながら、北朝鮮の好戦性と中国の増大する軍事的強力さや能力、自己主張は、両国に本物の戦略的課題を課している。2010年以来、北朝鮮の核とミサイルの脅威は、「天安」[チョンアン、韓国海軍の哨戒艇]の撃沈や、延坪島[ヨンピョンド]への砲撃のような、挑発的な通常兵器による軍事行動によって増大させられてきた。金正恩の最近の長距離ミサイル実験と軍部との権力闘争は、北東アジアからますます平和を奪い取っている。同盟諸国は、深い歴史的な意見の相違を掘り起こしたり、国内政治の目的のために民族主義的な感情を利用するという誘惑に抵抗すべきである。3つの同盟国は、歴史問題を扱う非公式のトラック2[政府間の公式ルート以外の第2ルート]を拡大すべきである。そのようなフォーラムが現在はいくつか存在しているが、その参加者たちは、共通の規範や原則および相互の行動に関する合意文書をつくるために積極的に努力すべきであり、それぞれの政府にそれらのアイデアを提示すべきである。
2012年6月の米・日・韓の海軍合同演習への参加は、より大きな現在の脅威に対応するために、不和を生じる歴史問題を脇に置くことにおいて、正しい方向への一歩を示している。加えて、北朝鮮に関する諜報情報を東京とソウルに制度的に共有させることになる「総合的軍事情報保護協定」(GSOMIA)や、軍事的供給の共有を促進する「物品役務相互提供協定」(ACSA)のような、保留されている防衛協定の締結への迅速な動きは、同盟3カ国の安全保障に利益となる実践的で実務レベルの性質の軍事協定である。
過去30年以上にわたる中国の経済的重要さや軍事的腕力、政治的影響力の流星のような勃興は、世界最大の人口を持つ国を劇的に刷新してきただけでなく、東アジアの冷戦後の地政学的な風景を決定的に形作ってもきた。強力な米日同盟は、中国の再興を圧迫するのではなく、その中で中国が繁栄してきた安定的で予見可能な安全保障上の環境をもたらすことに役立つことで、それ[中国]に貢献してきた。この同盟は、中国の成功に利害関係を持ってきた。しかしながら、中国が新たに見出した力をどのように使うつもりか――現存の国際的規範を再強化するのか、北京の国益に沿ってそれらを見直すのか、あるいは、その両方か――ということに関する透明性の欠如とあいまいさは、懸念が増大する分野である。
特に不安な一つの分野は、中国の拡大しうる核心的利益である。公式の3地域――新疆ウイグル自治区[Xinjiang]、チベット、台湾――に加えて、南シナ海と尖閣諸島が、現れつつある利害地域として言及されてきた。後者は非公式だし宣言はされていないが、人民解放軍(PLA)の海軍の南シナ海と東シナ海でのプレゼンスの増大は、われわれを別の推論に導いている。主権という共有のテーマが、尖閣諸島と南シナ海における北京の意図についての疑問をさらに生じさせている。一つだけは確実である――中国の不明確な核心的利益の主張は、この地域における中国の外交的信頼性をさらに低減させている。
中国に対する同盟の戦略は、関与と障壁を設けることとのブレンドであり、中国が急速に成長しつつある包括的な国力の使い方にどのような選択をするかについての不確実性に相応している。しかし、中国の増大する軍事力と政治的自己主張に対する同盟による障壁の最大の側面――地理的視点での同盟の活動の漸進的な拡大、ミサイル防衛技術での共同作業、[兵器、情報などでの]共通運用性とシーレーン交通路の維持に関連する任務への注意の向上、東南アジア諸国連合(ASEAN)のような地域機構を強化する努力、航海の自由に新たに焦点を当てること、および2011年12月に打ち出された米・日・インドの3国対話――は、中国が高い経済成長の道を進み、防衛支出と能力を同様に増大させ続けるだろうという想定に基づいてきた。
この想定は、もはや断言できない。中国は、1979年の鄧小平による「改革開放」の打ち上げから40年の時期[fourth decade]に入っているので、成長が遅くなっているという多くの指標がある。輸出主導から国内消費を加速する経済に移行する中国の能力については、疑問が存在する。中国の指導者たちは今後数年間、少なくとも6つの悪魔と格闘しなければならないだろう。すなわち、エネルギーの逼迫、悲惨な環境悪化、威圧的な人口統計的現実、国民間および地域間の所得格差の拡大、新疆とチベットの御しがたい少数民族、および根深い公務員の腐敗である。
経済的成功は、このリストに「中間所得の落とし穴」に対抗するという不確実性を付け加える。そこでは増大しつつある中間所得層という軍団が、中国の政治構造に、期待の高まりに対応するための格別の圧力をかけている。これらの課題のどれ一つも、中国の経済成長の道を脱線させ、社会的安定を脅かしうるだろう。中国共産党は、これらの気の滅入るような難問を自覚しており、その指導者たちが2012年に、防衛予算にほぼ匹敵する1200億ドル[約9兆6000億円/1ドル=80円として]以上に国内治安の予算を増額したのも、それが一つの理由である。人民解放軍は、台湾が正当な独立に向かって進むのを抑止することを含む、外的脅威に対処するための財源の獲得に集中している。しかし中国共産党は、同様に国内の脅威にも心配している。
ひどくつまずいている中国は、必ずしもより小さくはないが、まったく異なる課題を[米日]同盟に提起しうるだろう。われわれはみな、平和で繁栄した中国から得るものが多い。代わりに、深刻な国内的亀裂に直面している中国の指導者たちは、民族主義に逃げ込むことができるだろうし、団結を再び捏造するために、たぶん、現実に、または想像上の外的脅威を作り出しうるだろう。秩序を維持するために、指導部はさらに苛酷な手段に向かうこともできる。現存する人権侵害をいっそう悪化させ、外国のパートナーたちを遠ざけ、40年前にニクソンが扉を開けて以来、西側の中国への関与を動かしてきた政治的合意を危険にさらす、などである。
代わりに、将来の中国の主席は、温家宝首相が求めたような新たな一連の政治改革を採用して、中国の国内政治と対外的姿勢に異なる結果をもたらすかもしれない。確実なのは、ただ一つである。すなわち、同盟は中国の変化しつつある軌道と、広い範囲にわたる将来の可能性に適用できる能力と政策を発展させなければならない。高度経済成長と変化しない政治的権威は、中国の新しい指導者たちが期待している将来ではない。したがってわれわれは、彼らの判断を知らされるべきである。
2012年4月30日、米日同盟の将来についての共同声明は、その関係を強化させる共通の価値についての明確な言及を含んでいる。すなわち、「日本と米国は、民主主義、法の支配、開かれた社会、人権、人間の安全保障、および自由で開かれた市場への誓約を共有する。これらの価値は、この時代のグローバルな諸課題に対処する共同の努力にわれわれを導く」と。この共同声明はそのあとで、これらの共通の価値を実行に移すことを約束している。「われわれは、法の支配と人権の保護を推進するために共に努力することを約束し、平和維持、紛争後の安定化、開発援助、組織犯罪と麻薬取引、および感染症に対する協調を強める」と。
人権に関する、より具体的な行動計画の策定は称賛に値する目的であり、その機会とすべき多くの目標がある。ビルマ(ミャンマー)の民主的改革を進めることは、優先順位の高いものであるべきである。米国と日本は、民間部門の投資や外国の援助、国際金融機関からの融資でもたらされる経済的テコを、良好な統治や法の支配、人権の国際的規範の厳守を前進させるために利用すべきである。企業の社会的責任に最高の基準を設け、ビルマのすべての利害関係者たち――少数民族や政治的反対派を含む――がビルマの経済的将来について意見を訊かれ、関与することを確保することにより、ワシントンと東京は、国を野蛮な軍事独裁から真に代表制民主主義に変えるために動いているビルマの人びとを元気づけることができる。同様の協調による努力は、もし国際人権法を推進し、市民社会を守る誠実な約束に沿って行われるなら、カンボジアとベトナムにおいて配当金を支払うことができるだろう。貧弱な人権の記録を持つこの両国は、米国が最近、安全保障協力を格上げしたし、日本は重要な経済的、政治的な利害関係を持っている。
日本にはより密接なことだが、北朝鮮は難問を提示している。ピョンヤンによる人権の悪用は、十分に記録されており言語道断で、米日両国はそれについて見解を明らかにしてきた。しかし米国は伝統的に、北朝鮮における人権問題を、非核化という「メイン・イベント」から気をそらすものと見てきた。そして日本は、何年も前に北朝鮮に拉致された日本市民の運命に大きな焦点を当ててきた。われわれは、すべての拉致被害者について十分な説明を受けとるための日本の努力への支持を再確認し、日本と米国が、人権や北朝鮮のその他の課題に効果的に関与するためのより広範な戦略の文脈の中で、この課題について緊密に協力することを勧告する。
この同盟にとっての解決は、韓国とともに、朝鮮半島の人道的課題という全体像に対処しつつ、関心の視野を拡大することにあろう。すなわち、拉致や強制収容所、政治的自由と宗教的自由への深刻な規制だけではなく、食糧安全保障、災害救助、公衆衛生、教育、文化交流もそうである。この半島の非核化に関する6者協議が事実上、停止させられており、人道に焦点を当てた計画は、ソウルその他の関心を有する国との緊密な調整により、ピョンヤンの新しい指導部が北朝鮮の将来を描くような戦略的環境を再形成する機会を、この同盟に提供できるだろう。
原子力やODA、人権のような実際的な課題への関与に加えて、東京はこの地域の民主的パートナー諸国、特にインド、オーストラリア、フィリピン、台湾とともに、地域的フォーラム、すなわちASEAN、ASEAN地域フォーラム(ARF)、アジア太平洋経済協力機構(APEC)への関与を継続することを十分に助けられるだろう。日本は、共通の価値を超えて、また共通の利益と目標に向けて、地域のパートナー諸国との結びつきの基礎を強化してきた。日本は、平和的で合法的な海洋環境を推進し、海路による貿易が妨害されないよう確保し、全体的な経済と安全保障の良好な状態を推進するために、地域のパートナー諸国との協働を継続すべきである。
安全保障環境はめざましく変化してきたが、われわれのそれぞれの戦略の構成要素もそうである。「役割・任務・能力」(RMC)の見直し[review]が最近完了し、日本の防衛戦略は主に北と南に拡大した。1980年代のレビューは地理的な視野を拡大し、東アジアにおける同盟の能力を高めた。1990年代のレビューは、日本の防衛協力の空間のための機能を明確にした。今日、関心領域はさらに南へ、そして大きく西へ――遠く中東まで――拡大している。われわれは、われわれの戦略を十分に再定義し、われわれの実行方法と手段を調整すべきである。新たなレビューは、われわれの軍事的、政治的、経済的な国力の包括的な組み合わせとともに、より広い地理的視野を含むべきである。
日本は、[軍事]能力の増強と2国間および多国間の方法で、防衛と軍事的外交をより十分に行うことができる。新たな役割と任務のレビューは、地域的な不測の事態において、日本の防衛と米国と共同の防衛とを含む、日本が責任を持つ分野を拡大すべきである。最も緊急な課題は、日本自身の近隣地域にある。東シナ海の大部分と、事実上、南シナ海全体に対する中国の積極的な自己主張、および繰り返される日本周航を含む、人民解放軍その他の海上機関の運用テンポの劇的な増大は、「第1列島線」(日本―台湾―フィリピン)または北京が「近海」と考えている海域全体に、より大きな戦略的影響力を主張するという北京の意図を示している。これらの類の接近阻止/拒否地域(A2AD)[anti-access / area denial]の挑戦に対応するため、米国は、空海戦闘や合同作戦接近コンセプト(JOAC)のような新たな作戦コンセプトの上に作業を始めてきた。日本は、「動的防衛」のような同様のコンセプトで作業を始めてきた。米海軍と日本の海上自衛隊は、歴史的に2国間の共通運用性[interoperability]を進めてきたが、新しい環境は、米国と日本の間での相互的な、より大きなめざましい合同と共同運用性の相互提供を要求している。この課題は、2国間の「役割・任務・能力」対話の核心であるべきで、米国防総省と国務省における上級指導部により、日本の防衛省と外務省と一緒に、完全に統合され推進されなければならない。予算に制限がある時期において、「役割・任務・能力」は、断片的に、あるいは下級官僚によって対処されることはできない。
同盟の防衛協力が潜在的に増大している追加的な分野は、ペルシア湾における機雷除去と、南シナ海の合同監視である。ペルシア湾は、重要なグローバルな貿易とエネルギー中継の軸である。ホルムズ海峡を封鎖するというイランの意図が最初に言葉で示されるか、その兆候が現れたら、日本は、この国際的な不法行為に対抗するため、この地域に掃海艇を単独で派遣すべきである。南シナ海の平和と安定は、日本にとって特別に重要な海域であることにより、なおも同盟のもう一つの重要な関心事である。死活的に重要なエネルギー資源を含む、日本への供給の88%が南シナ海を経由しているので、安定と航海の自由の継続を確保するために米国と協働して監視を増やすことは、日本の利益である。
「日本の防衛」と地域的安全保障との差異は小さい。ホルムズ海峡の封鎖あるいは南シナ海での不測の事態は、日本の安全保障と安定に深刻な影響を与えるだろう。昔、押し売りされた矛と盾の例え話は、現在の安全保障のダイナミクスを単純化しすぎており、日本が自国の防衛に備えるには攻撃的責務を必要とするという事実をまげて解釈するものである。しかし同盟諸国は、日本の領域をはるかに越えて広がる、強健で共有された、共同運用性のある「情報・監視・偵察」(ISR)の能力と作戦を必要としている。その一部として、在日米軍は、日本の防衛という特定の役割を与えられてきた。作戦能力の目標と、事実上の在日米軍-自衛隊の合同タスクフォースの能力を念頭に置き、米国は在日米軍に、より大きな責任と任務の意味を与えるべきである。
ワシントンと東京で立ちはだかっている予算削減と緊縮財政の真っ只中にあって、資源の賢明な使用は能力を維持するのに不可欠である。より賢明な資源の使用の重要な表れが、共通運用性である。共通運用は、米国の装備の購入の婉曲的表現ではない。その核心は、それが一緒に働くための基本的な能力であることである。米空軍と日本の航空自衛隊は進展をさせつつあるが、米陸軍と海兵隊の陸上自衛隊との協力は、力点の違いがあって限られてきた。日本が平和維持や災害救助の作戦を行ってきたのに対し、米国は、中東で地上戦を戦うことに努力を集中させてきた。
共通運用を強化する一つの方法は、2国間の防衛演習の質を改善することである。米空軍と海軍航空部隊は自衛隊と一緒に、民間空港を毎年巡回して訓練を行うべきである。新たな訓練地域は、潜在的な不測の事態という、より広い視野を想定し、両軍により多く体験させ、沖縄の人びとに負担共有の意味を与えることができよう。第2に、自衛隊と米軍は危機に合同で対応する能力を改善するために、トモダチ作戦から学んだ教訓をテストすべきである。第3に、陸上自衛隊は、注目すべき平和維持活動(PKO)と災害救助活動を継続しつつも、水陸両面作戦の能力を強化すべきである。陸上自衛隊の態勢を、陸上を基本にしたものから敏捷で展開可能な部隊に向け直すことは、同盟国にとって将来の兵力構成をより良く準備することになろう。第4に、米国と日本は、オーストラリアのダーウィンの新たな共有施設とともに、グアムと北マリアナ諸島連邦の新しい訓練場を十分に使用すべきである。合同の海洋遠征能力は、日本、韓国、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドにとって核心的な焦点である。米軍、特に海兵隊との訓練は、より広範な共通運用性を強化するだろう。最後に、東京は、2国間と国家の安全保障秘密および機密情報の保護のため、防衛省の法的能力を強化すべきである。[日本の]現在の法体制は、機密性において同じ米国の基準を満たしていない。政策と厳しい防衛訓練の組み合わせは、日本の発生期の「特殊作戦部隊」の能力を加速し、共通運用性を改善するだろう。
共通運用の第2の側面は、ハードウェアである。米国と日本双方の経済的現実と防衛予算の増大が起こりそうにないことから、防衛産業のより緊密な協働が必要である。日本の「武器輸出3原則」の見直しは、武器輸出と技術協力についての政策的窓口を拡大してきた。合同の協働は、両国政府にとってコストを削減し、産業的関係(欧州と米国の防衛企業間の数十年間のパートナーシップと同類の)を強化するだろうが、この同盟は依然として、この分野でどう前進するかを決めなければならない。
米国は、[日本の]政策変更の音頭を取り、日本の防衛産業に技術を輸出するよう奨励すべきである。アメリカ人が、日本の防衛輸出を米国の安全保障あるいは産業基盤に脅威を及ぼすと危惧すべきだった時期は過去のものである。マイクロ・レベルでは、米国はエレクトロニック、ナノテク、合成物、その他の高価値のコンポーネントを輸入すべきである(日本は自由に輸出すべきである)。この分野での同盟的貿易は、米国の防衛企業に、日本がすでに独占的に製造し、あるいはライセンス生産をしている、精巧な2次的または主要な源泉技術へのアクセスの機会を与えるだろう。日本からの輸入はまた、米国と日本の防衛生産品のコストを引き下げ、品質を改善する可能性を持っている。
マイクロ・レベルでは、規制緩和は、将来の精巧な兵器やその他の安全保障システムの共同開発の機会を容易にする。ミサイル防衛は、この点で優れたモデルとなってきた。この計画は、同盟は協力によって非常に複雑な防衛システムを共同開発、共同生産、共同作業をすることができることを示している。当面の同盟の兵器計画は、相互の関心と作戦上の要請による特定のプロジェクトを考慮すべきである。しかしながら、この同盟はまた、共同開発に向けて長期的な作戦上の要請を明確にすべきである。可能な兵器協力の分野は、次世代戦闘機、戦闘艦、レーダー、戦略的空輸、通信および包括的なISR[情報・監視・偵察]能力でありうるだろう。加えて、米国は東京と他の同盟国の間での武器輸出と技術協力を奨励すべきである。たとえば、オーストラリアはディーゼル潜水艦と、もしかすると戦闘攻撃機の技術協力について日本と議論している。米国は、このような対話を奨励し、この勢いをつけるべきである。
米国と日本は、地球上で最も大きな、最も能力のある研究開発の2カ国である。われわれは同盟国として、コストと複雑さが急速に高まっている部門でこれらの能力を結合させ、効果を達成すべきである。兵器協力のための同盟の枠組みは、よりよい組織を必要としよう。過去においては、協力は「科学・技術フォーラム」(S&TF)に追いやられてきた。この機関は、政策中心の「安全保障協議委員会」とは別個に運営されている。この二つの機関のいっそうの統合は、兵器における同盟の効率と効果を達成するだろう。この努力にとっての基本は、米国の「対外軍事販売」(FMS)プロセスの改革であるだろう。それはもはや、現在の予算、軍、技術の現実を反映していない。
サイバー安全保障は、米国と日本の役割と基準をさらに明確にすることを要求している、生成中の戦略的分野である。すべての防衛作戦、協力、合同の戦闘は、情報を確実なものにする手段の信頼性と能力に厳しく依存している。近年、サイバー攻撃やサイバー・ハッキングが、特に政府機関や防衛産業の企業に対して行われるケースの増加は、機微なデータの安全保障を脅かし、機密情報がテロリストや反政府勢力の手に渡るリスクをくりかえしてきた。情報の安全確保で共通の安全対策と基準がないため、米日の通信回路は外部の侵入に対してますますもろくなっている。米国は国家安全保障局(NSA)に並んでサイバー・コマンドを運営しているが、日本は同様なものを持っていない。この不釣り合いを解消するため、米国と日本は調査と共通の情報安全保障基準の実施のための「合同サイバー安全保障センター」を設立すべきである。そのようなイニシアティヴは、日本のもろいサイバー安全保障のインフラを強固にしようとし、日本の国防を支えることになろう。サイバーへの関与と協議がないなら、安全保障の課題への同盟諸国のいっそうの関与は制約に直面するだろう。
同盟による防衛において信頼向上を必要とするもう一つのカギは、抑止の傘[核の傘]である。日本は、核のない世界を見たいという願望と、もし米国が、その核戦力を中国と同量まで減らすなら、米国の抑止の傘の信頼性が弱まり、日本がその結果に苦しむことになるという懸念との間で引き裂かれている。抑止の傘は、核兵器の数の均衡とか日本の領海内への核兵器の配置に依拠していると考えるのは間違いである。抑止の傘は、能力と信頼性の組み合わせに依拠している。冷戦の間、米国はベルリンを防衛できたが、それは、そうするというわれわれの約束が、高い賭け金、つまりNATO同盟によって信頼できるものにされたからであり、また、米国の犠牲者とソビエトの攻撃の分離を不可能にする米国軍のプレゼンスがあったからである。米国と日本は、米国の抑止の傘の戦略と能力における相互信頼を助長するため、現在の抑止の傘の対話を再活性化させるべきである。日本への米国の抑止の傘の最良の保証は、やはり米軍のプレゼンスであり、それは日本の気前のいい思いやり予算[host nation support]によって強化されている。
日本における米軍のプレゼンスは、同盟の一体性の分野から遠いものであった。この同盟は過去10年間、沖縄の米軍の配置という細部に過大に高度の注意を費やしてきた。その結果は、普天間の海兵隊航空基地という第3順位[優先度の低い]の課題が時間と政治的資本を奪うことになってきたが、[それがなければ]その資本は、これから10年間の最善の兵力編成のための計画立案により良く投資されてきただろう。過去の配置から生じた遺産問題がどんなものであったにせよ、われわれは、よりしっかりと将来に焦点を当てるなら、それらがより容易に溶解できることが分かると思われる。
3・11の三重の危機[大地震、大津波、原発の過酷事故]とトモダチ作戦は、米国と日本の軍隊の展開について興味深い皮肉をもたらした。3・11は外敵に対して防衛するという事態ではなかったが、自衛隊と米軍は、集団的自衛の禁止規定に注意することなく行動した。米国の軍艦は危機に対応して、北海道にいる陸上自衛隊を日本の東北地方に運んだ。両国の軍隊は、仙台の重要な飛行場が使用できるように行動し、そこでは軍と市民組織が災害対策と救援に従事した。これらの活動は、東北アジア[東北地方の誤記?]の復旧の条件をつくり出した。トモダチ作戦の期間中の憲法9条のあいまいな解釈に加えて、日本と米国は他のいくつかの国と協力して、アデン湾で海賊行為と戦っている。日本は、インド洋における重要な海賊取締りに参加できるよう、法的課題を解釈し直してきた。しかしながら皮肉なことは、われわれの軍隊が日本を集団的に防衛することを法的に阻まれていることである。
日本の集団的自衛の禁止における一つの変化は、その皮肉に十分に対処することになるだろう。政策の転換は、司令部の統一や、より軍事的に攻撃的な日本、あるいは日本の平和憲法の変更を求めるべきではない。集団的自衛の禁止は、この同盟にとって障害物である。3・11は、われわれの両軍が、必要な場合にはその能力を最大化できることを示した。われわれの軍隊が平和時、緊張、危機、そして戦争という安全保障の全領域で完全に協力して対応することを許すのは、それぞれの政府当局であるだろう。
2012年は、国連平和維持活動への日本の参加の20周年に当たる。自衛隊は南スーダンで、若い政府が国家の機能を拡大するのを助けるために基本的なインフラを建設している。自衛隊はジブチでは、アデン湾で海賊取締りの任務のパトロールをするために駐留している。自衛隊はハイチでは、災害後の復興を進め、感染症の拡大を封じ込めることに参加している。PKOの役割と責任は根気のいるもので、非常にしばしば、過酷な環境と生活条件を伴っている。PKOへの日本の参加を通じて、自衛隊はその国際的関与と、対テロ作戦や核の非拡散、人道的援助、災害救助への準備態勢を拡げてきた。さらに完全な参加のために、われわれは、日本が、必要な場合には武力をもって他国の平和維持要員だけでなく市民をも防護するために、日本の国際的な平和維持軍に与える法的許容範囲を拡大すべきであると勧告する。自衛隊についての認識は変化しつつあり、彼らは日本の外交政策の最も実行性のある手段の一つと見られている。
日本についての現在の論文・講演は、「危機」と「不決断」に関する言い回しで責めたてられている。これらの言葉は国の衰退を示唆しうるが、われわれは、それがすでに先行した結論だとは信じない。日本が危機的な状況にあるというのは、われわれの意見である。日本は、戦略的に重要なときには、自己満足とリーダーシップの間で決断する力を持っている。アジア太平洋地域全体でダイナミックな変化が起こっているが、おそらく日本は、この地域の運命を導くのに役立つための同じ機会を持つことは決してないだろう。日本はリーダーシップの選択において、一つに結び付いた国としての地位と、同盟における対等なパートナーとしての必要な役割を確保することができる。
この漂流の時期において、トモダチ作戦はしばらくの間、米日同盟を手に入れた。それはこの同盟に、過去3年間の特異な政治的不一致に続いて同盟が緊急に必要とした意味と価値を与えた。しかし、それは直面する課題を通じて同盟を運用するには十分ではないだろう。急速に進展する戦略的見通しと、途方もない予算の難題は、米国と日本の側に、より賢明でより適応性のある関与を要求している。この報告書に含まれている勧告は、米国と日本がそれに関して前進できる分野に光を当てるための試みである。同様に重要なのは、両国の側での実行である。そこで、最後の勧告として、われわれは米国と日本の双方に、その[同盟の]改善に単独で専念する政策責任者を任命することによって、米日同盟に対する誓約を立証するよう求める。この同盟は、この注意を払われることに値するし、それを必要としている。
●原子力発電の慎重な再開は、日本にとって正しく責任ある前進である。原子炉を再起動させることは、二酸化炭素の排出を2020年までに25%削減するという東京の野心的な案を可能にする唯一の方法である。再起動はまた、高いエネルギー価格が円高とあいまって、日本からエネルギー依存型の重要な産業を[海外に]追い出さないことを確実にするのに役立つ賢明なものである。フクシマからの実地の教訓に学びつつ、東京は安全な原子炉の設計と健全な規制の実施を推進するリーダーシップを引き受けるべきである。
●東京は、海賊行為と戦い、ペルシア湾の海運を防護し、シーレーンを確保し、イランの核計画でもたらされているような地域の平和への脅威に立ち向かう多国間の努力への積極的な関与を続けるべきである。
●TPP交渉への参加に加えて、日本は、この報告書で説明されているCEESAのような、より野心的で包括的な交渉を検討すべきである。
●この同盟が潜在能力を十分に実現させるには、日本は、韓国との関係を複雑にし続けている歴史問題に向き合うべきである。東京は、長期的な戦略的展望において2国間の結びつきを検証し、根拠のない政治的声明を出すことを避けるべきである。3カ国の防衛協力を強化するため、東京とソウルは、延期されたGSOMIAとACSAの防衛協定を締結し、3国間の軍事的関与を継続すべきである。
●東京は、民主主義的なパートナー諸国、特にインド、オーストラリア、フィリピン、台湾とともに、地域的フォーラムへの関与を続けるべきである。
●役割と任務の新たな見直しにおいて、日本は、日本の防衛および地域的な不測の事態において米国とともに行う防衛を含む責任分野を拡大すべきである。この同盟は、日本の領域をかなり超える、より強健で、共有され、共通運用可能な「情報・監視・偵察」の能力と作戦を要求している。米軍と自衛隊が、平和時、緊張、危機および戦争という安全保障の全局面において十分に協力して対応することを許すのは、日本側の責任当局であろう。
●ホルムズ海峡を封鎖するというイランの意図が言葉で示され、またはその兆候が出た際は、日本は単独でこの地域に掃海艇を派遣すべきである。日本はまた、航海の自由を確保するため、米国と協働して南シナ海の監視を増やすべきである。
●東京は、2国間および国家の安全保障上の秘密を防護するため、防衛省の法的権限を強化すべきである。
●PKOへのより十分な参加を可能にするため、日本は、必要な場合には武力をもって市民や他の国際的平和維持要員を防護することを含めるため、平和維持要員の許容範囲を拡大すべきである。
●フクシマからの実地の教訓に学びつつ、東京とワシントンは、原子力の研究開発の協力を再活性化させ、安全な原子炉の設計と健全な規制の実施をグローバルに推進すべきである。
●安全保障関係の一部として、米国と日本は、天然ガスの同盟であるべきである。日本と米国は、メタン・ハイドレートの研究開発における協働を強化し、代替エネルギー技術の開発に参加すべきである。
●ワシントンと東京、ソウルは、歴史問題に関するトラック2の対話を拡大し、これら機微な事柄をどのように扱うかについての合意を追求し、対話から生まれた政治的指導者や政府の指導者たちの行動のための提案や勧告を採り上げるべきである。この作業は、これらの困難な課題における相互協力についての「最良の行動」規範と原則についての合意を追求すべきである。
●同盟は、中国の再興に対応する能力と政策を発展させなければならない。同盟は、平和的で繁栄する中国から得るものは多いが、高度経済成長の持続と政治的安定は確実ではない。同盟の政策と能力は、中国の核心的利益のありうる拡大、変化しつつある軌道および広範な将来の可能性に適用できるものであるべきである。
●人権に関する具体的な行動計画の策定は、称賛に値する目標である。特に、ビルマ(ミャンマー)、カンボジア、ベトナムでは、同盟国の関与が国際人道法と市民社会を助長できる。北朝鮮に関しては、この同盟は韓国とともに、人道問題のすべてにわたって対応すべきである。それには、非核化と拉致問題に加えて、食糧安全保障、災害救助、公衆衛生が含まれる。
●米国と日本は、「役割・任務・能力」(RMC)対話により、空海戦闘と動的防衛のようなコンセプトを一致させるよう調整すべきである。それは現在まで、上級レベルの注意は不十分にしか払われてこなかった。役割と任務の新たな見直しは、同盟国の軍事的、政治的、経済的な国力の総合的な組み合わせとともに、より広い地理的視野を含むべきである。
●米陸軍・海兵隊の陸上自衛隊との協力は、共通運用に向けて前進し、水陸両用の、敏捷で、展開可能な兵力の態勢に向かうべきである。
●米国と日本は、民間飛行場を巡回使用し、トモダチ作戦から学んだ教訓をテストし、水陸両用の能力を強化することで、2国間の防衛演習の質を高めるべきである。米国と日本は、2国間および他のパートナー国とともに、グアム、北マリアナ諸島連邦、オーストラリアでの訓練の機会を十分利用すべきである。
●米国と日本は、将来の兵器の共同開発の機会を増やすべきである。当面の兵器計画は、相互の関心と作戦上の要請による特定のプロジェクトを考慮すべきである。この同盟はまた、[兵器の]共同生産のための長期的な作戦上の要請を明確にすべきである。
●米国と日本は、米国が重要な同盟国に差し伸べている抑止の傘の信頼性と能力における対等な信頼を確保するため、抑止の傘についての対話(おそらく韓国と協力して)を再活性化すべきである。
●米国と日本は、共通の情報保証基準の研究と実施のための「合同サイバー・センター」を設けるべきである。
●米国は、資源ナショナリズムに訴えるべきではなく、民間のLNG輸出計画を禁じるべきでもない。危機の際は、米国はその同盟国に定常的で安定したLNGの流れを提供すべきである。議会は、日本を他の潜在的な天然ガス消費国と平等な地位に置き、自動的なエネルギー認可を与えるために、FTAの要件を削除する法律改正をすべきである。
●TPP交渉における主導的役割を持つ米国は、交渉プロセスと協定草案に、より多くの光[影響]を及ぼすべきである。TPPへの日本の参加は、米国の戦略的目標として見直されるべきである。
●米国は、日本と韓国の間の機微な歴史問題に判断を差しはさむべきではない。しかしながら米国は、緊張を和らげ、両国の核心的な国家安全保障への注意に再び焦点を当てるため、十分な外交努力をすべきである。
●在日米軍は、日本防衛のための特別の責任を負っている。米国は、在日米軍に対し、より大きな責任と任務の意味を与える必要がある。
●米国は、「武器輸出3原則」の緩和を前進させ、日本の防衛産業が米国だけでなく、オーストラリアのような他の同盟国にも[防衛]技術を輸出するよう奨励すべきである。米国は、古臭く障害となるFMSの手続きを見直さなければならない。
●米国は、共同の研究開発と技術協力をさらに推進するため、「科学・技術フォーラム」を政策中心の「安全保障協議委員会」の組織とより適切に統合し、活性化させるべきである。
●米国は、大統領により任命される者を選択し、その物に米日同盟の強化の責任を負わせるべきである。日本は、同様の任命を考慮することを希望しうる。
蓑輪 喜作
今日8月22日は暦の上では処暑と言われ、少し涼しくならなければならないのだが、今年の夏はいましばらく猛暑が続くということです。そんなことで私の九条署名ですが、8月15日の終戦の日を最後にお休みしており、現在数の上では55600で昨年までとくらべれば少ないですが、暑中お見舞いをいただいた方、電話をいただいた人も居るので報告しておきます。
体調は3月に少しくずしたこともあって、いままでのようなわけにはゆきませんが、9月に入れば少しは涼しくなるだろうからまた始めたいと思っています。
ところで今回はいままでにもたびたび書いて来ましたが、私は本を読むことが好きで若いときからいろいろと読んできました。この夏は暑くて外に出られないので沢山読むことが出来、先日も故里の友人にまだ本を読む力があるから生きられるだろうと言いましたが、その中の一冊を紹介したいと思います。
この本はレイテ沖海戦にも参加し、最後はフィリピンの山中で上官はいちはやく食料を持って逃げてしまい、残された兵5、6名で米軍に投降した記録です。題名は「守るべき国家とは何か 戦場で地獄を見た」といういまから10年前に発行された小島清文さんという方の書かれたもので500部作ったとあります。知っておられる人も居ると思いますが紹介します。
小島さんは慶応大学を卒業した27歳の知識人で、4月13日に手作りの白旗を作り仲間と投降したのですが、いちばん若い2人は「天皇の為に死ぬ」と言って聞きませんでした。そしてハワイの捕虜収容所で終戦を迎えるのですが、そのときの8月6日の広島に投下された原爆のことが書かれています。
=新聞を食い入るように読んでいた彼はびっくりした顔をして我々をみた。「見ろよ猛烈な原爆批判がここに載っているぜ。アメリカでは戦争中でも、こんな記事が掲載が許されるとはすごい」
彼がいう通り新しい我々の知らぬ社会がそこにあった。これが民主主義というものか。私はそこに明るい新鮮な空気を感じた。
それからこの本にはベトナムが日本軍に米を奪われ、100万、200万人とも言われる餓死者を出したことも書かれている。
さて私が署名を始めた7年前にはまだ戦争の体験者も多く、若者が集っているとよくお婆ちゃん達にも話してもらったものですが、いまはそういう人も少なくなってしまいました。しかし先日、うちの父親は99歳だが、いまもときどき夢で戦争のことでうなされると言っておりました。
さて小島清文さんは、私より10歳上の93歳でおそらくあの世の人かと思いますが、当時は反戦兵士の会を組織し、1日に1人でもいいから戦争体験を話してゆくと言っており、いまそういうことが九条の会にもひきつがれているのだと思います。
それで先日年金者組合小金井で、戦争体験者2人の方を中心に話しあわれましたが、どちらかが残るようにと 子どもを別々に疎開させたという話も出ました。
そしていま中国と韓国とこの国は2つの島の問題でゆれていますが、お互いに国民をあおるのではなくて冷静に対応してゆかねばならないと思います。
私はよくあの朝鮮戦争で、北と南で400万人も死んでいるのだと言うとみんなびっくりするのですが、どんなことがあっても戦争だけはしてはなりません。いちばん大切なのは人の命です。しっかりとそのことを次の世代に伝えてゆかねばならないと思います。
mネット・民法改正情報ネットワークは、9月5日に緊急院内集会をひらき、次のアピールを採択した。
選択的夫婦別姓制度導入や婚外子相続分差別規定撤廃などの民法改正は、1996年2月に法制審議会から法律案要綱が答申されましたが、16 年以上が過ぎても実現していません。民法改正を公約に掲げた民主党が2009年9月に政権をとり、2010年の通常国会では、提出予定法案とされたことから、私たちは民法改正が実現するものと大きく期待しました。
しかし、与党内がまとまらず、閣議決定には至りませんでした。また、野党からも議員立法案の提出がなかったため、1997年以降続いた法案提出が途切れるという残念な結果となりました。その後、国会での議論はほとんどありません。
法改正の見通しが立たない中、2011年2月には、夫婦同氏規定の違憲性や女性差別撤廃条約違反を問う初めての国家賠償訴訟が提起されました。また、今年4月9日には旧姓使用権を求める訴訟が提起されました。婚外子への相続分差別規定については、高裁レベルで違憲判断が相次いでいます。昨年8月には大阪高裁が「区別を放置することは立法府の裁量判断の限界を超えている」と立法不作為を厳しく指摘しました。
民法改正を求める声の高まりは国内だけに留まりません。1993年以降、国連の各人権委員会は日本政府に対し改善を勧告しています。とりわけ、女性差別撤廃委員会は再三の勧告に従わない日本政府に対し、どのような措置を講じたか再度報告を求めています。
残念ながら、法改正を求める国民の声も、差別撤廃の立ち遅れを指摘する司法や国連の声も、立法府にはほとんど届かず、今国会でも実現には至りませんでした。
民法改正が実現しないこと、人権政策の立ち遅れは政治の問題です。人権政策に背を向ける政治は、あらゆる場面で少数者や社会的に弱い立場の人たちの声を排除してしまいます。人権政策を重視する議員が多数を占めることこそが最も重要となります。
近く行われる衆議院総選挙、来年夏の参議院選挙において、人権政策を重視する議員が1人でも多く誕生し、民法改正が早期に実現することを心から期待します。
本日がその第一歩となるよう、私たち一人ひとりの力を結集しましょう!
2012年9月5日 集会参加者一同