私と憲法134号(2012年6月25日号)


改憲論議を急ぐ憲法審査会に異議あり

昨年10月、両院で始動した憲法審査会の議論が、あまりにも改憲に前のめりで先を急いでいる感がある。すでに衆院憲法審査会では憲法全文の各条章討議が毎週開催の頻度で進められつつある。また参院憲法審査会では「議論の加速化、深化」のために「3つの小委員会」を設ける方向で民主・自民両党が合意したが、少数会派の発言を奪うものとの抗議で撤回した。参院審査会の小坂憲次会長は「自民党などがまとめた憲法改正草案などを衆参両院で審査したい」と主張、民主党などに提案している。「決められる政治」なる奇妙なフレーズが流行する中で、消費増税や原発再稼働がすすめられ、総選挙後には「大連立」政権の実現すら正当化されつつある今日、憲法審査会が改憲の布石を打っていくことはきわめて危険である。

【憲法審査会の今日に至る経過】

2007年5月、明文改憲を急ぐ安部内閣のもとで「改憲手続き法」が成立し、2009年6月には麻生内閣の下で衆議院憲法審査会「規程」制定が自公両党で強行された。しかし、歴代の自公政権への批判が2009年9月の政権交代を生み出し、明文改憲の風向きは大きく変化し、低調になったが、わずか1年後の2010年7月、参院選で民主党が敗北し、衆参ねじれ国会が再現すると、憲法を巡る永田町の空気が変わった。自民党は参院での第1党の立場を利用し、沙汰止みになっていた参院憲法審査会規程の制定を議会運営交渉の場で民主党に強く働きかけた。これに屈して、参院民主党は2011年2月、参院憲法審査会規程の制定について、自民党との協議を始めることになった。この経過から、3月11日に勃発した東日本大震災のわずか2ヶ月後には、参議院で憲法審査会「規程」が民主、自民、公明などの賛成によって強行制定された。同年の5月の憲法記念日には「読売」や「産経」などのメディアが東日本大震災の惨事に便乗して、「緊急事態条項改憲」を主張した。8月には中山太郎・元憲法調査会会長が「緊急事態に関する憲法改正試案」を発表し、全国会議員などに働きかけを強めた。

こうしたなかで、10月、改憲手続き法制定以来、事実上、凍結状態にあった両院憲法審査会の委員が社民・共産などの反対を押し切って選出され、翌月11月から憲法審査会の審議が始まった。

この6月はじめまでに衆議院 11回、参議院10回(実質審議は9回と8回)の憲法審査会が開かれた。審議の内容は、衆議院が(1)「憲法調査会以来の経過の参考人質疑」、(2)改憲手続き法が残した「3つの宿題」についての関係省庁からの聴取、(3)日本国憲法の各条章についての審査であり、参議院は(1)「憲法調査会以来の経過の参考人質疑」、(2)「改憲手続き法が残した宿題」について、(3)「東日本大震災と憲法」についての参考人質疑であった。

今後の運営については、いまのところ、衆議院は「改憲を前提としない」で憲法の条章討議を続ける、とし、「3つの宿題」の解決については、幹事懇談会で並行して協議する、としている。参院は冒頭に指摘したように、小委員会形式で民・自が合意し、「国家緊急権」「人権保障」「統治機構」の3小委員会を設けるとしているが、審査会を構成する各政党の合意に至っていない。小坂参院審査会会長(自民)は「各党の改憲案を両院で審査したい。衆院の大畠会長や各党の審査会幹事との懇談会を開き、協議したい。会期にとらわれず審査を続行したい」などと主張している。

【この間の憲法審査会の審議で浮かんできた問題点】

(1)改憲手続き法によって、憲法審査会始動の前提となっていた「3つの宿題(投票年齢、公務員の政治的活動の制限、一般的国民投票)」は全く解決されていない。投票年齢の問題をどうするかについては、総務省と法務省など、政府部内においても理解と判断の相違が生じており、解決は容易ではない。また、投票年齢問題の法的解決なしに憲法審査会を始動させたことについては、当時の立法提案者の船田元・参考人が「3年間の凍結期間と18歳投票権をめぐって改憲手続き法が想定していなかった事態が生じている」と発言したように、同法の運営上の問題も存在することが明らかになった。

(2)それだけではない。改憲手続き法の「附則」と、参議院での同法採択に際しての「18項目の付帯決議」が課した「宿題」は「3つ」だけではない。最低投票率、有料広告、国民投票運動における罰則、などなど、いくつもの重要問題が未解決であり、このままでは「国民投票」などの実施は不可能である。「3つの宿題」について両院の審査会では、ひととおり、現状が報告されたが、具体的解決のめどは全く立っていない。上記のように、審査会の議論と「並行して協議する」としか言われていない。

(3)憲法調査会以来の経過の参考人質疑の中で、参考人の中山太郎氏をはじめ、自民党の委員などから「惨事便乗改憲論」ともいうべき「緊急事態条項」改憲論が相次ぎ、その後、参議院の「東日本大震災と憲法」の審議の中でも繰り返された。あわせて一部マスメディアなどが呼応して唱え、改憲の空気の醸成を謀ったのは見逃せない。

(4)両院での憲法審査会の議論の開始に呼応して、自民党など改憲派各党が特に今年の4月28日(サンフランシスコ講和条約発効60周年)を期して、一斉にそれぞれの改憲草案や改憲要綱を発表し、改憲の空気の盛り上げを謀ったことは重大である。衆議院憲法審査会の憲法の各条章討議では「改憲を前提としない」(公明)という申し合わせで各条章の検討がはじまったが、審議の中で自民党などは申し合わせを破って自党の改憲案の説明を繰り返している。

(5)審議の中身とは別に、審査会の運営の問題もある。5月31日は衆議院憲法審査会で、憲法の各条章ごとの検討の2回目、第2章(9条)についてだった。衆議院の審査会はこのところ毎週木曜の午前に開催している。委員は50人、うち自民党は13人で構成されている。自民党席には開会時は半数ぐらいいたが、1時間も過ぎると3~4人になってしまった。この日の議題での「9条」の改正をあれほど叫んできた自民党の委員の出席率がなぜこうもおそまつなのか。実は審査会の出席委員全体の数も、終了近くには半数ギリギリの26人だった。おそらく委員は他の国会の委員会と重なるなど、様々なやむをえない政務があって退席したり、欠席するのだろう。それならなぜ毎週開催などと強行日程を決めるのか。こんな出席率のもと、憲法審査会の審議を急いでどうするのか。くわえて、これは少数会派から抗議を受けて撤回されたが、参議院で提案された「3つの小委員会方式」は、これだと大勢委員がいる党派は別として、委員を1人ずつしか出せない護憲派の社民党、共産党にはきわめて不利なものだった。

(6)憲法審査会の議論は改憲派が圧倒的多数を占める委員会や幹事会で、前のめりに改憲論議が繰り返されているが、一方、民主党内はばらばらで必ずしも改憲積極論者が大勢を占めているのではなく、リベラル、「護憲派」の存在もあきらかになった。この問題は、東日本大震災が緊急に要求する憲法問題はなにかの議論や、憲法にどう向き合うかの議論での立憲主義の認識などを巡って明らかになった。

【9条の旗を高く掲げて】

憲法審査会で改憲派が前のめりで改憲論を展開する背景には、東アジアの緊張と米国オバマ政権による世界戦略の転換とそのもとでの対日要求に対応して、集団的自衛権を行使できる日本、日米同盟の強化、一昨年の防衛大綱と先の野田・オバマ会談での「未来に向けた共通のビジョン」などが打ち出した路線への対応を保障しようとするねらいがある。このなかで石原都知事による「尖閣諸島の購入」や北朝鮮のロケット打ち上げへの対抗キャンペーンなど、中国や北朝鮮をターゲットにしたナショナリズムが鼓吹され、日米韓豪などの軍事的連携の強化と集団的自衛権の行使の既成事実化などが企てられている。
憲法第9条をはじめとする平和憲法が掲げる理想を擁護し、こうした東アジアの軍事的緊張を増大させる改憲論を打ち破る課題は、目下、きわめて重要な政治的課題である。
(高田 健)

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院内集会 「民意にそむく改憲論議にNO! ~審議を急ぐ憲法審査会に異議あり」

6月14日、5.3憲法実行委員会の呼びかけによる「民意にそむく改憲論議にNO!~審議を急ぐ憲法審査会に異議あり」のテーマの院内集会が、衆議院議員会館で開かれた。
社民党党首福島みずほ参議院議員、共産党井上哲士参議院議員、笠井亮衆議院議員、社民党照屋寛徳、吉田忠智、服部良一、各衆院議員、無所属糸数慶子参議院議員が出席。広島、長野、静岡からも参加があった。集会は憲法会議の平井正さんの司会で始まり、主催者側から許すな!憲法改悪・市民連絡会の高田健さんが「いま原発をはじめ数限りない課題のあるなかで憲法審査会をメインとした院内集会を開きたいと思っていた」と今回の集会の目的を話した。原発は緊急の問題だがこの裏で憲法が動いている。昨年11月から審査会が動きだし、今日は所属する委員から発言していただき憲法の課題をとらえていきたい。4月末に自民党などが改憲案を出し読売・産経は社説でも盛り上げている。残念ながら市民運動は強くない。幾つもの課題を同時にやれない、原発の問題にとりくみながら憲法に無関係ではないことを広めていかねばと思う。先日、脱原発の750万筆の署名提出をおこなったが、こういう方たちにも憲法を考えていただくようにしなければならないと挨拶した。

憲法審査会各委員の発言〕

○ 井上議員は、審査会初日から「今とりくむべきは震災の復興であり審査会を動かす必要はない」と主張してきた。自民党は「国家緊急権」を突破口に審査会を進めたいとして、中山太郎氏(前衆院憲法調査会会長)が最初に話をした。参院では<震災と憲法>のテーマで3回おこない、内容は1)震災と人権保障、2)統治機構、3)国家緊急権であった。招致した参考人の意見を通じて明らかになったことは、震災復興のなかで憲法が生かされなかったことが問題であり「緊急権」規定が憲法になかったことで影響されるものは無かった、ということであった。しかし西修氏(駒沢大)は「緊急権」は必要だとし、高見勝利氏(上智大)は現憲法は大災害を想定されてつくられており緊急権の明記は不要の立場を述べた。改憲派は「緊急権があれば普段から意識が違う」としたが、説得力ある見解は示されず改憲に道理はない、と締めくくった。

○ 照屋議員は、改憲を許さないとして参院審査会では赤鬼(福島みずほ)、衆院では青鬼(照屋寛徳)で頑張っていると話をはじめて会場を笑わせた。衆院ではいま憲法の各章を追い第1章天皇では、自民は元首として改憲するべきと言った。社民党はその必要はないとした。沖縄は「まつろわぬ民」であり天皇制とは無縁だったが、薩摩の進攻を経て廃藩置県で明治国家に併合された。天皇制国家に遅れた民として、また<うちなあ>からも天皇制に同化する民として沖縄戦に結びついた。6.23の慰霊の日がやってくる。沖縄戦終結以来無憲法下にあったから「復帰」に期待する運動があり、そして1972年後も反憲法下におかれている。安保が最高規範のように私たちを支配している。6月10日の県議選で48名中21名が改憲にはっきり反対している。国会内外のたたかいを創意をこらしてつくってほしい。この国が平和憲法を捨てるのであれば沖縄がもらって独立したいと、発言を結んだ。

○ 福島議員は、民主党のなかでも改憲の動きに何とかしたいという議員もおり一緒に頑張りたいとし、審査会の感想を述べた。自民の議員から「押し付け憲法なのだから、本来、今は明治憲法下にある」などと言う人もありど肝を抜かれる思いがした。審査会は「初めちょろちょろなかぱっぱ・・」と、いざとなった時この会で憲法審議をしていますよと、一気に改憲審査に流れるのが怖い。「緊急権」が必要と言う大石真参考人(京都大)も3.11の対応とは関係ないと述べたことは注目したい。討議のなかで緊急権のデメリットが出てきた。立法権の剥奪や人権の侵害がある。緊急権を行使した場合、事後的に検証する必要と侵害された人権が如何にして復権するのかという難しい問題がある。参院で先般提案された「3つの小委員会」をつくる話は審議を3倍速させるもので、公明、共産、社民で押し止めたが油断はできない。今後審議にはいる「新しい人権」だが、報道で聞いて一般的にあーなるほど・・となるのは怖い。今後もこのような集会で報告していきたい。

○ 笠井議員は、衆院の審査会は委員50人中明確な非改憲は2人。傍聴者がいてくれることは力になるし改憲派への圧力となるのでたいへん意味がある、と話を進めた。審査会の議員の出席率は悪く、こんな状態なら開くべきではないのだ。実は改憲派はおっかなびっくりで様子を見ている。改憲案を出して否決されては困ると思っているので、先ずは96条(改憲発議要件)から変えようとする、これは地ならしなのだ。戦後65年間、憲法を大事にしてきた国民を前にしているわけだから。衆院ではこの間「3つの宿題」(改憲手続法制定時に審議不足を付則とし1)投票年齢、2)公務員の政治活動、3)憲法以外の国民投票)について4回の審査会を開いた。いまは憲法の各章を追っている。私たちは改憲につながる検証ではなく、いまの憲法が現実にどう生かされているかの検証をせよとの立場だ。案の定、自民党は自らの改憲案を配りはじめたので中止させた。警戒しながら怖れずに改憲阻止でやっていこうと、委員としての決意をこめた。

出席した服部議員からは、政権交代で改憲への安心感が一時でたが、異なったいまの状況のなかで頑張っていくと述べた。吉田議員は選挙制度改革のなかで1票の格差是正と共に比例区議員削減問題が重要だ。委員会で審議が続いていると警戒感をうかがわせた。

会場から、長野でピースサイクルを22年続けている大村忠嗣さんが発言。憲法9条を世界へと、脱原発運動をやっている。憲法を空気のように生きてきた若い人たちだが3.11後1000人を集める運動をつくり集めたお金を直接、大槌町へ送った。政府へ送ったら武器になってしまうからと。憲法は生きていると感じる。一方で改憲の動きを意識できていないと、いまの状況を語った。広島から<第九条の会ヒロシマ>の藤井純子さんは、広島には90ぐらいの九条の会があり、大きい会はつくらず東部、北部などネットワークで交流していると運動のもようを話した。市民運動の多くが憲法審査会についてはあまり意識しておらず原発にシフトしているが、このところ憲法意識のある人が出てきて期待している。毎年8月6日、新聞意見広告をおこない今年は「いのちがだいじ」がタイトル。ご協力いただけると嬉しい、と。藤井さんは最後に二つの構想にふれ、「市民の憲法審査会」のようなものや、かつての「九条の会有明講演会」のようなものが必要ではないかと話してくれた。東京憲法会議から6月12日の陸自レンジヤー訓練隊員の市街地行進(板橋~練馬駐屯地)に関する報告があり、続いてキリスト者平和ネット、横浜南部九条の会からも発言をもらった。

当日は120人の参加者のなかには立っている人、床に座る人も多かったが、憲法審査会始動後はじめて憲法状況を把握できる院内集会として活気あるなかで終了した。
(ふぇみん婦人民主クラブ 山下治子)

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原子力基本法の基本方針に「安全保障に資する」と加える改正案の撤回を求める

2012年6月19日  

世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 池田香代子 小沼通二 池内了 辻井喬

衆議院本会議は、先週の6月15日に「原子力規制委員会設置法案」を可決した。

(中略)

国会議事録はまだ公開されていないが、自民党の資料によれば、「原子力規制委員会設置法案」の第1条には、「この法律は、・・・原子力規制委員会を設置し、・・・国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的とする。」と書かれている。

我が国の原子力関連の個別の法律は、すべて日本国憲法のもとにある原子力基本法の枠の中で作られている。周知のとおり、原子力基本法の基本方針(第2条)は「原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。」となっていて、歴代政府は、日本国憲法に抵触しない原子力の軍事利用ができないのは、この法律に抵触するからだとしてきた。

しかし、「我が国の安全保障に資する」という文言は、わが国の独立に脅威が及ばぬように、軍事を含む手段を講じて安全な状態を保障することに貢献すると読む以外ない。(中略) それによると、原子力基本法の基本方針に、第2条2を追加し、「2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする」と改定するというのである。「我が国の安全保障に資することを目的として、安全の確保を行う」という文言は何を意味するのであろうか。

(中略)

使用済み核燃料から、採算が取れないプルトニウムを大量に製造・保有し、ウラン濃縮技術を保持し、高度なロケット技術を持つ日本の政治家と官僚の中に、核兵器製造能力を維持することを公然と唱えるものがいること、核兵器廃絶への世界の潮流に反して、日本政府が米国に対して拡大抑止(核兵器の傘)の維持を求め続けていることを思い浮かべれば、原子力基本法第2条の基本方針の第1項と第2項の間に、矛盾を持ち込んで実質的な軍事利用に道を開くという可能性を否定できない。(中略)

さらに、「基本法」は憲法と個別法の間にあって、個別法より優先した位置づけがされていることを考えれば、個別法の附則によって基本法の基本方針を、討議せずに変更することはゆるされない。(以下略)

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原発をなくそう!沖縄から基地をなくそう!の声高らかに
2012年5・3憲法集会の記録(2)

「私と憲法」134号では「2012年5・3憲法集会」集会での福島みずほさん、志位和夫さんの発言を掲載します。同集会での他の方々の発言は前号で紹介しました。なお、発言の記録の原稿は実行委員会事務局で協同している「憲法会議」のご協力をいただきました。紙面を借りてお礼申し上げます。(編集部)

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《スピーチ》今、時代の岐路─憲法を輝かせ、生かす社会を

社会民主党党首 福島みずほさん

みなさんこんにちは。私はこの憲法集会で話すことを、いつも本当に楽しみにしています。毎年、毎年、ものすごい思い出があります。去年、ちょうど1年前はここで浜岡原発を止めよう! と、叫びました。当時も菅さんにみんなで働きかけて、浜岡原発は止まりました。そのもう1つ前の、2年前の5月3日は、ここであの辺野古の海に基地をつくるべきではないと言い、日米共同声明で辺野古に基地をつくるという決定がされ、閣議決定があるときに署名を拒否して、私は名誉の罷免になりました。

日本国憲法の誕生日、憲法が施行されて65年です。日本国憲法を大好きと思っているみなさんたちと日本国憲法の誕生日をお祝いできることを本当にうれしく思っています。

今年、何としても言わなければならないことは、国会の衆議院と参議院の両方で憲法審査会が、現に動いているということです。これは、安倍晋三内閣の時に衆議院で強行採決された日本国憲法の改正のための国民投票法に則って、残念ながら国会に憲法審査会が設置され、これもまた残念ながら今、国会で動いています。通常国会では衆議院と参議院でそれぞれ四回の審議が行なわれています。私は参議院のメンバーです。その審議ではたとえば、自民党の議員が、今の日本国憲法は押し付け憲法で無効である、今は大日本帝国憲法下にある、などと述べ、本当にびっくりするような議論が展開されています。

参議院では、緊急事態という条項を憲法に規定するべきではないか、ということで参考人質疑をやっている最中です。憲法審査会が設置され、ここで憲法改正も射程距離において議論があるということを、みなさんたちと共有し、何としても憲法を改正しないことに勝利していきたいと考えています。

被災地─岩手、宮城、福島の色々なところに行き、「被災地にこそ、日本国憲法を」と言われました。

私たちは東日本大震災、原発という本当につらい経験を経て、いまだに復興、復旧が進みません。健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する生存権25条、幸福追求権13条、これが侵害されています。震災の復旧、復興はまさにこの基本的人権の回復、「人間の復興」でなければなりません。被災をしている人、避難をしている人、残っている人、あるいは私たちは食べものを食べ、内部被曝の危険を感じています。そんな中で空気を吸い、子どもを育て、そして何とか被曝を少なくし、脱原発を実現したいと考えています。今こそ日本国憲法の出番ではないでしょうか。生存権や幸福追求権、個人の尊重、尊厳といった憲法の価値を実現すべき時だと確信しております。

そんな中で、憲法改悪の動きが声高に主張されています。たとえば「緊急事態宣言がない。有事のときや、災害の時にないのは困るじゃないか、それを置くべきだ」という主張です。あるいは憲法改正は、衆議院、参議院の3分の2の発議でやらなければならない、これを過半数にしようという動きも強くなっています。しかし、憲法に緊急事態条項がないことで、震災で何も困ったことはありませんでした。

国民の知る権利が侵害されたことや、もっと政府が的確に行動すべきであったことはたくさんあります。原発・震災は、3月11日以前におこなってきた国の原発推進策こそ問題であり、緊急事態条項がないから人々が困ったことなど何もなかったんです。緊急事態の宣言は、戒厳令という形で国民の基本的人権を剥奪してきた本当に悲惨な悪い歴史があります。「日本国憲法に緊急事態を」という声に、私たちはしっかり反対していこうではありませんか。

3分の2ではなく過半数というのは言語道断だと思います。最高法規としての憲法を、一体何と考えているのでしょうか。憲法改正をしたい人たちのターゲットは何といっても憲法九条です。しかし、なかなか憲法九条をまん中に据えて改正を言うと反対が強くなる、だとしたら3分の2条項を変えよう、あるいは緊急事態の宣言をやろう、ということで日本国憲法の周辺部分からじわじわと死滅させようという動きがあることに、大変危機を感じています。だまされてはなりません。どんな角度からも日本国憲法を変えない、生かしていくことを、力を合わせてやっていきたいと思います。

自民党が新たな憲法改正案を発表いたしました。今度が2度目です。前よりも、もっともっとひどくなっています。これは憲法だろうか。言うまでもなく、1215年にイギリスのジョン王に対して貴族たちが「勝手に課税するな」と突きつけたマグナカルタ、これが憲法の発祥だと言われています。基本的人権を守る、保障するために、政府、国家権力に対して、「表現の自由を守れ」とか、「生存権を保障せよ」と要求していくのが憲法です。自民党の憲法改正案は、国民に説教垂れ垂れするものになっています。たとえば前文に「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」とあり、「国民は常に公益、公の秩序に反してはならない」という条文もあります。また、21条表現の自由のところに「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」と書いてあります。「公共」と「公の秩序」で、いくらでも基本的人権を制限できる。これは戦前の治安維持法や徴用令、徴兵制、国家総動員法と一体どこが違うのでしょうか。公益や、公の秩序は誰が判断するのでしょうか。私たち国民が、常に公益と公共の秩序に従って生きなければならいと、政府に命令される筋合いはありません。基本的人権を守るために、国こそやらなければ、守らなければなりません。憲法が何かということがわからない人たちが、憲法改正案を作っていることに大変な危機感を感じております。

自民党の新憲法草案の9条は、9条2項を9条の2として、国防軍をつくるとなっています。自衛隊ではない国防軍によって戦争ができる、制限はありません。国会の事前の承認とは書いてないので、いくらでも、何でも、国防軍がやれるということです。実は今日午前中に上野駅で街頭宣伝をやりました。噺家の古今亭菊千代さんが「憲法や、憲法9条って空気みたいなもんだよね。普段は恩恵を感じないけれど、いざそれが傷つけられるとよくわかる」と言いました。憲法9条の効用はたくさんあります。たとえば、自衛隊は海外で戦争ができないことです。韓流ドラマを見ていたら、ベトナム戦争に30万人の韓国の若者が集団的自衛権の行使、アメリカの手伝いをするためにベトナムに送られました。

日本はあの悲惨な戦争を経験し、3百万の日本の人たち、2千万ともいわれるアジアのみなさんが殺され、亡くなり、日本国憲法を手にしました。私の父は、特攻隊の生き残りで、戦後に私が産まれ、私が小さい時に8月15日に正午のサイレンが鳴るときは泣いていました。私は怖くて父親に近寄れないと思っていました。父親が数年前になくなって、その直後たまたまアメリカから父親の旗が戻ってきました。それは、高校の同級生たちが父が戦争に行く時に80数名が寄せ書きしてくれた大きな日章旗です。私は、その旗を抱きしめて、父親が戦争で死なないで私が生まれたということを、かみしめています。戦後、日本国憲法、憲法九条ができて、日本は海外に自衛隊を派遣しないとしました。あの小泉さんですらイラク特措法を作るときに、武力の行使はしないと言わざるを得ませんでした。どこが非戦闘地域かと聞かれて、自衛隊が行くところが非戦闘地域だなどと答えました。名古屋高裁の「イラク戦争は違憲だった」という判決もあります。憲法が私たちを守ってくれているということです。日本人が海外で人を殺さない、非核3原則、武器輸出3原則など、また日米安保条約ですら極東に範囲を限っていることなど憲法の効用に私たちは助けられていると思います。戦後の日本の財産が憲法9条であり、そこから派生した今の憲法の効用こそ、日本が誇るべきことだと思います。

自民党新憲法案は、日本国民は国旗、国歌を尊重しなければならないと規定しています。みんなの党も同じことを言っています。戦争のできる国にするために個人の内心に入り、基本的人権を国、公、秩序、公益を理由にいくらでも、どんな形でも剥奪することができる。基本的人権を無にできる。戦争する国と、基本的人権の剥奪はコインの表と裏だと思います。維新の会が国会で一定の勢力を得て自民党と手を組めば、あっという間に憲法が改正されてしまうのではないかと大変危惧を感じております。

野田政権は武器輸出3原則等の緩和を進めました。野田政権は武器と原発を輸出しようとしています。みなさん、これは経済界の要求ですが、私たちは危険な原発と武器を世界に輸出し、世界の人々の命を侵害していくことに反対し、これを止めて行こうではありませんか。世界の人々や子どもの命を傷つけることまで許してはなりません。

政権は相変わらず辺野古に海上基地を作ることに固執しています。今年は沖縄復帰40年です。40年たったにもかかわらず、沖縄の基地負担は変わらないどころか、新たな基地建設をしようとしているのですから言語道断です。去年12月、アメリカを訪れた時、「沖縄に、辺野古に基地をつくることはできない」と明言した多くの議員やシンクタンクのみなさんたちに会いました。沖縄をはじめとしたみなさんの頑張りの成果だと思っております。辺野古に基地を作ることを断念させ、基地のない沖縄を作ることができるよう、ともに全力をあげていこうではありませんか。

次に脱原発について、話をいたします。5月5日のこどもの日、日本の全ての原発が停まります。泊原発が停まれば日本の全ての原発が停まります。子どもたちに原発ゼロの日をプレゼントしたい、そう思い多くのみなさんたちと頑張ってきました。

私は2つ提案します。日本で原発が動かない、そんな日をずっと続けて行こうではありませんか。私たちは原発がなくてもやっていける、大丈夫だ、そう多くの人が思えるように、もう危ない原発を動かす必要はありません。原発再稼動に反対して、事実上動かせないということを作っていきましょう。2つ目は、この政権が脱原発を宣言できるよう、私たちで大きな運動を作っていこうではありませんか。政府は今エネルギー基本計画を作っています。そこにはっきり「脱原発」と書かせて、この社会を脱原発に変え、行程表はこうだということを提案し、実現させようではありませんか。

核と人類は共存できません。私は4月2日、参議院予算委員会で枝野大臣に大飯原発の再稼動をすべきではないと質問しました。枝野さんは「現時点で私も原発再稼動に反対です」と言いました。「滋賀も京都も地元であり、日本全国地元だ」と言いました。

2度と原発事故を起こしてはなりません。そのために全力をあげること、政・官・業の癒着に打ち勝つことは私たちの力でできると確信しています。私は、戦争と原発の被害が似ていると思うことがあります。国策として、メディアも教育も総動員して進めます。戦争も原発被害も命を大量に傷つけ、人生を奪い、大きく変えてしまいます。原発も戦争も命令をした人たちはあまり被害を受けず、巻きこまれた人々が多大な被害を受けることも共通しています。枝野大臣などは、大飯原発を動かして責任をとるといいました。しかし、原発の被害に責任は取れません。空気や大地や海を汚して元に戻すことなど、どんな政治の力を持ってもできません。人間や動物が被曝することをゼロにすることはできません。戦争の被害も全く同じです。大空襲であれ、いわゆる従軍慰安婦であれ、軍人、軍属であれ、あらゆる人が戦争のすさまじい被害を元に戻すことも、人生を取り返すことも、命をとり戻すこともできません。

私たちは今まさに時代の岐路にいて、日本国憲法を輝かせて生きるのか、それともそうでないのか、命を守るのか、それともそうでないのか、その瀬戸際にあると思っています。浜岡原発や玄海原発を停めたり、大飯原発再稼動反対を含め、多くの人たちと頑張ってきました。私はみんなが力を合わせれば、政・官・業の癒着や誤った政治に必ず勝つことができると確信をしています。日本国憲法を輝かせていくことを力を合わせ、一緒にやっていきましょう。1%ではなく、99%だという人たちが力を合わせることで憲法改悪を阻止し、脱原発の社会を実現できると確信をしています。

今日5月3日が、そのためのみんなの思いを共有する大事な日となり、また私たちの思いを多くの人に伝えて憲法を生かしていく、そんな社会を一緒に作っていく日にしましょう。ともに頑張りましょう。ありがとうございます。

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《スピーチ》「憲法と相いれない現実」を変えよう

日本共産党委員長 志位和夫さん

みなさん、こんにちは。日本共産党の志位和夫でございます。
憲法施行65周年の憲法記念日にあたって、私はまず、日本国憲法を守り、生かし、平和的・民主的原則が花開く日本をつくるために、力をつくす決意を申し上げるものであります。

憲法を生かした日本をつくるたたかいは、「憲法と相いれない現実」を一つひとつ変えるたたかいと一体のものです。今日は、いま私たちが直面している「憲法と相いれない現実」について、3つの角度から考えてみたいと思います。

1つは、「原発と日本国憲法」という問題です。
福島原発事故の被害は、事故から1年2カ月後のいまも拡大しつづけています。今なお約16万人の方々が避難生活を強いられ、そのうち6万人は故郷を遠く離れた県外での避難生活を余儀なくされています。

役場機能を埼玉県加須市に移転した双葉町の井戸川町長は、野田首相に対して、こう詰め寄ったといいます。「私たち双葉郡民を日本国民と思っていますか。法の下に平等ですか。憲法で守られていますか」。首相は「大事な国民です」と答えたといいますが、町長が訴えたのは憲法の埒(らち)外においやられたことへの無念さだったと思います。首相の「答え」は答えになっていないのではないでしょうか。

原発事故は人々の生存そのものを奪っています。昨年6月に相馬市の酪農家が「原発さえなければ」と壁に書き残して自殺しました。復興庁の最近の集計では、避難で体調を崩し亡くなったり、自殺したりなど「震災関連死」と認定された方は、10都県で少なくとも1618人にのぼりますが、そのうち福島県が最も多い764人であり、その8割の約650人は双葉郡や飯舘村など避難区域のある11市町村だということです。原発事故は、急性の放射能障害による死者こそ出していないものの、多くの人々の命を奪い続けているのです。東京電力はいまだに事故を「人災」と認めていませんが、彼らがやったことは社会的犯罪以外のなにものでもありません。

浪江町は、復興ビジョンの策定にあたって、「子ども向けアンケート」を行っています。それを拝見しますと、子どもたちが今住んでいる場所は、「中通り」が42.5%、「会津地方」が3.9%、「福島県外」が40.2%、あわせて86.6%が故郷から遠く離れて暮らしています。「今住んでいる場所とは別に住んでいる家族がいますか」との問いに対して、49.4%の子どもたちが「いる」と答えています。約半数の子どもたちは家族がバラバラになり、一緒に暮らせなくなっているのです。「今の生活で困っていることは何ですか」との問いへの答えの断トツ第1位は、「浪江の友だちと会えなくなった」で78.6%であります。「大人になったとき、浪江町はどんな町になってほしいですか」という自由記述には、「もとのなみえ町にもどってほしい」という故郷への強い思いが切々と綴られております。

日本国憲法の前文には、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」とうたっています。憲法第13条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、…最大の尊重を必要とする」と明記しています。

ところが、福島県では、これらが根底から損なわれているではありませんか。地域社会が丸ごと避難をせまられ、「震災関連死」が後をたたず、子どもたちが家族とも、友だちともバラバラの生活を強いられる。福島県だけでなく日本全体に被害と恐怖は広がっています。原発と日本国憲法は両立しえない─これはいまや明瞭ではありませんか。

明後日、5月5日には、北海道泊原発が停まり、稼働する原発がゼロになります。私は、これは国民のたたかいが原発固執勢力を追い詰めた第1歩の重要な成果だと考えるものであります。

同時に、無謀な再稼働の押し付けとのたたかいは、これからが正念場となります。私が許せないのは、与党幹部の一人が、再稼働ができなければ「電力不足」で「集団自殺」になると脅したことであります。しかし、「電力不足」といいますが、その根拠は示されていないではありませんか。それにくわえて、私は、再稼働と電力需給をてんびんにかけようという議論そのものが間違っていると思います。「電力需給のためには、多少の危険に目をつぶれ」という議論は、こと原発に関しては成り立たないということを強く訴えたいのであります。

みなさん。無謀な再稼働をやめさせ、原発という「憲法と相いれない現実」をなくそうではありませんか。力をあわせて「原発ゼロの日本」をつくろうではありませんか。

2つ目は、「日米安保条約と憲法」という問題です。
4月27日に日米両政府が発表した「米軍再編に関する日米共同発表」、5月1日の日米首脳会談でかわされた「共同声明」は、きわめて重大な内容をもっています。

1つは、沖縄県民が一致して反対している普天間基地の「辺野古移設」を「唯一の有効な解決策」と固執するとともに、「沖縄における米軍駐留の長期的な持続可能性を強化する」と将来に渡って米軍基地の居座りを続けると宣言したことです。沖縄県民の頭越しの「日米共同声明」に強く抗議したいと思います。

1971年、祖国復帰直前に、琉球政府の屋良朝苗(やら・ちょうびょう)主席が日本政府にあてた「建議書」はつぎのように訴えていました。「県民が復帰を願った心情には、結局は国の平和憲法の下で基本的人権の保障を願望していたからに外なりません」。殺人、暴行、「銃剣とブルドーザー」による土地強奪、絶え間ない事故と犯罪、筆舌につくしがたい米軍基地の重圧に苦しんだ沖縄県民は、平和憲法のもとに復帰することを希求したのであります。

しかし、復帰とともに県民の前に立ちあらわれてきたのは、平和憲法ではなく、安保条約という野蛮な力でした。それはいまなお猛威をふるい、「基地のない沖縄」への最大の障壁となっています。琉球新報は4月28日付の社説で、「沖縄をいつまで日米安保の踏み台にするのか」と指弾しました。

安保条約の名のもとに、日本国憲法が保障したはずの平和、人命、人権をないがしろにする政治を、もはやこれ以上許してはなりません。

いま一つ、「日米共同声明」にはきわめて重大な問題があります。それは、日米の「動的防衛協力」を初めてうたったことです。

「動的防衛協力」とは何か。米軍と自衛隊が、海外に打って出て、共同の軍事行動を行うことです。グアムとテニアンに、日本国民の税金を投入して、日米両軍が共同使用する「訓練場」を建設し、共同訓練を行い、有事に共同行動をする能力を高める─ここまで「日米共同声明」には明記されています。政府は、有事の共同行動の具体化の一つとして、イランによるホルムズ海峡封鎖のさい、自衛隊による米軍艦船への給油、機雷除去などを検討していると報じられています。

憲法9条を踏み破り、「日米が海外で肩をならべてたたかう」─「集団的自衛権」行使への道を絶対に許すわけにいきません。

この道を進もうとすれば、どうごまかそうとも憲法9条とは両立しなくなります。この間、衆参両院の憲法審査会が始動し、自民党、みんなの党など改憲各派が憲法改定案を発表し、そのどれもが9条改定に標的をあわせているのは偶然ではありません。

今年は、憲法施行65年であるとともに、日米安保条約が発効して60年の年です。その歴史は、憲法と安保の激しい攻防の歴史でしたが、ここに来て、憲法と安保とはいよいよ両立できなくなったとの感を深くいたします。

みなさん。憲法か、安保か─どちらが21世紀の日本の羅針盤にふわさしいかが問われています。日米安保条約という「憲法と相いれない現実」をなくし、基地のない沖縄と日本、憲法九条が輝く平和日本をつくろうではありませんか。

3つ目に、私は、橋下・「大阪維新の会」にふれないわけにはいきません。
「維新の会」は国政進出を狙って、「維新八策」原案なるものを出しました。そこには9条改定の国民投票、参議院の廃止など、憲法改定の主張が明記されています。どれも、手あかのついた古い改憲論のむしかえしです。橋下氏は、“(被災地の)がれき処理が進まないのも9条のせいだ”などという、荒唐無稽な理屈で9条への憎悪をむき出しにしています。「維新八策」は、坂本竜馬の「船中八策」をもじったものだそうですが、竜馬が怒っていると思います。

ただ、この潮流は、ただの改憲派ではありません。人権と民主主義を窒息させる憲法違反の政治を、口で言うだけでなく現実に実行しているところに、特別の危険があると、私はいわなければなりません。

大阪市の全職員対象の「思想調査」、府立高校の「君が代」斉唱の際の「口元チェック」、「教育基本条例」と「職員基本条例」─そのすべてに流れているのは、憲法で保障された思想・信条・良心の自由、教育の自由を土足で蹂躙(じゅうりん)し、「(国民)全体の奉仕者」であるべき公務員を橋下氏の「下僕」に貶(おとし)め、人格を丸ごと隷属下に置こうとする恐怖政治・独裁政治以外のなにものでもありません。

みなさん。日本国憲法第12条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と述べています。私は、橋下・「維新の会」という「憲法と相いれない現実」に、目をつぶったり、傍観することは、許されないと思います。

橋下氏は、貧困を利用し、国民に分断を持ち込み、危険な道を押し付けようとしています。ならば、国民的連帯でこたえようではありませんか。私は、この歴史の逆流の野望を打ち砕くために、人権と民主主義を守る国民的共同をつくることを心から呼びかけるものです。
ありがとうございました。ともに頑張りましょう。
【見出し、採録は編集者の責任でおこないました】

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第69回市民憲法講座 社会保障と税 「一体改革」とは何か

山家悠紀夫さん(暮らしと経済研究室 主宰)

(編集部註)5月19日の講座で山家悠紀夫さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。 

社会保障と税の「一体改革」とは

最初に社会保障と税の一体改革とは何かということですが、これは今年の2月に閣議決定されました「社会保障と税の一体改革大綱」というものがあります。新聞記事等で要約はありましたが、とにかく何が書いてあるか順番にご紹介します。

まず「はじめに」というところで、「日本の社会保障制度は…先進諸国に比べ遜色のない制度となっている」「…世界に誇りうる国民の共有財産として社会の基盤となっている」と書いてあります。日本の社会保障制度は非常に良い制度であると書いてあるわけです。話は「しかしながら」と続き、「社会経済情勢の大きな変化が生じ、制度の持続性を確保するための改革が求められている」、良い制度だけれどもこれを続けていくことは難しいと書いてあります。

「社会経済情勢の大きな変化」とは何かということですが、もっぱら少子高齢化のことが書いてあります。いままでは「胴上げ型社会」であった、高齢者を多数の人が支えている「胴上げ型社会」、具体的な数字ではお年寄りひとり当たり現役世代9人が支えていた。それがいまや「騎馬戦型社会」、馬が3人で上がひとりという社会になっていく。やがて2050年には「肩車型社会」、ひとりがだいたいひとりを肩に担ぐような社会になっていく。だからいままでの制度は持続不可能である。持続可能にするためには「国民のすべてが受益者になり得る社会保障を支える経費は国民全体が皆で分かち合わなければならない」と書いてあります。「世代を通じて幅広い国民が負担する消費税の税率引き上げが必要」ということで、ここで消費税が出てきます。

「はじめに」のあとは社会保障をどうするかということで、これから検討したいということがずらずらと並べてあります。まず医療に関しては入院患者の平均在院日数の適正化――いまは不適正に長期に入院しているという認識らしいですが、とにかく病気の人は早く病院から追い出す仕組みをつくる。どうするかといいますと、保険から入院経費などが払われていますが、ある一定程度以上長く入院させると保険から病院に払う支払いを削る。長く入院させると採算が取れない格好にして、なんとか追い出してしまおうという制度にする。患者の立場を考えているわけじゃなくてお金の立場からそうするといっています。

それから言葉をいろいろと飾っています。たとえば医療機関への外来受診時定額負担制の導入――これは「外来受診の適正化」、いまは行く必要もないのにお医者さんに行っているという認識のようです。お医者さんに行けば1回100円余分に取るという制度が考えられています。わずかであってもお年寄りはいろいろな病気で何回もお医者さんに行かなければいけませんから大変になる。こうすると行くのを抑えるだろうということが考えられているわけです。

それから70~74歳の方の医療窓口負担の引き上げ。いまは原則1割です。所得がたくさんある方は3割ですがごく一般の人は1割負担、それを2割に引き上げる。いままでよりも負担してもらうという方針です。これを「世代間の公平を図る」、69歳以下は3割負担ですからそれに近づけるといっています。悪い方に近づけることを「世代間の公平」と表現しています。それから風邪薬などの医薬品、町のドラッグストアなどで買えるものは保険の対象外にすることも検討されています。

介護については去年の介護保険法の改正で、今年の4月から生活援助の提供時間が60分単位だったものが45分単位、45分ですべてをやってもらうように短縮化されました。それから介護保険給付の重点化・効率化ということで要認定患者数を削減する。要するに認定基準を引き上げて、あなたは介護の必要はありません、支援でよろしいとサービスを削る方向を考えている。要支援者の利用料の引き上げ、自己負担を引き上げる、ケアプラン作成を有料化する等が検討されるとしています。

すでに具体化されているのが年金制度です。年金給付額を2010年10月から向こう3年間で2.5%、いまより引き下げる。支給開始年齢は今後の検討課題ですが、いま65歳から年金がもらえる制度を、68歳ないし70歳からしかもらえないような制度にする。あるいは物価が下落したときには年金給付額をさらに引き下げる、そういうことがうたわれています。その他生活保護の見直し、これも適用の厳格化というか「適正化」といっていますが、そういう格好でやる。ことごとくいまの社会保障制度のレベルを落とす、あるいは負担を増やすことをいろいろ書いているわけです。

3つめが税制でありまして消費税増税法案、これはもう閣議決定をされて国会に提出されて審議が始まったところです。消費税率を2014年4月に8%、15年8月に10%に引き上げることをうたっています。それから所得税率の最高税率を、いま40%ですが、5000万円を超えた所得に関しては45%に引き上げることをうたっています。

もうひとつ余計なことが入っていまして、政治改革・行政改革、「身を斬る改革」といっています。消費税を上げるためには自ら身を斬る改革が必要だということで衆議院の議員定数を80削減する、それから公務員の人件費を削減する。このふたつをあげています。こういうことを言っているのが一体改革大綱です。

「改革」の前提条件はほんとうか

それぞれについて若干の問題点を見ておきます。最初の「社会保障制度がすばらしい」などとよく言えたものです。日本の社会保障制度は、もちろんアメリカに比べると良くできていると思いますが、ヨーロッパ諸国に比べると格段に見劣りがする。「先進国に比べて遜色がない」とはとても言えません。ただそういう現実を認めたら、とても言えないいろいろな問題がある。削減するためにはいまはいいという必要があったのか。これが本当の認識だとしたら大変な問題です。

次に胴上げ型社会、騎馬戦型社会、肩車社会ということです。下に若い人がたくさん立っていて、台の上にお年寄りが乗っている。かつてはたくさんの人が下にいて、いまは3人くらい、将来はひとりなってしまうというような絵です。ここには考え方の大きな間違いがあります。支えるのは主として働き手、ここでは20歳から64歳までとしていますが、その人たちが支えるのは別にお年寄りだけではありません。子どもも当然養わなければいけない。ですから上に乗っかるのはお年寄りと子どものはずです。それをお年寄りだけを取り出して大変になるというのはちょっと違うんじゃないか。

かつては子どもも非常に多い社会でした。それが少子化でどんどん子どもが少なくなっている。それを両方上に乗せて考えたらどうなるか。財務省のホームページにある「少子高齢化の進行」というページから引いてみました。さきほどの胴上げ型、騎馬戦型、肩車型の倍率でいうと1965年には9.1倍であった。それが2012年では2.4倍、2050年には1.2倍になっていることを言ったわけです。

ところが子どもも一緒に支えると考えると、20歳から64歳の人口の比率と、お年寄りの数と19歳以下の子どもの数を入れて考えます。1965年は支える人の数は57%、支えられる人は43%。57%が43%を支えていた。いまはどうなっているか。2012年では58が42%を支えている社会です。2050年は遥か先ですからちょっと置きまして、2025年には56%が44%を支える。要するにこの50年間くらいまったく変わっていない。半分より多くの人がやや少ない人を支えているという社会にほとんど変わりはないわけです。(図「我が国経済及び人口構成の推移」参照)

ですから、お年寄りだけを取り上げて大変な社会になる、社会保障を削らなければいけないという話はそもそもおかしい。子どもに対する負担が減っているから、その分お年寄りを支えられるはずだという話にならなければおかしいんですが、お年寄りだけを上に乗せているのは非常に恣意的な操作だと思います。2050年はまだ40年ほど先です。その間に少子化になんとか歯止めをかけ、もっと子どもをたくさん産めるような社会に変えることをやれば、いまからその効果が出てくると2050年にはすでに大人の仲間入りしている。20歳を超えている人はたくさん出てきます。そういう努力をする方が先ではないか。将来の人口推計はあまり当たりませんから、一応考慮の外にしていいますと、ほとんど変わっていないというのが社会の現実です。

そういうことを取り上げて胴上げ、騎馬戦、肩車といって、大変な社会になるからいまのような社会保障制度はできないといっています。社会保障のところは、ほとんどがいまの制度を厳しいものにする、暮らしが大変になるという制度ばかりです。消費税増税についてはあとでお話しします。

議員定数削減など問題だらけの一体改革

最後に取り上げた自ら身を斬る改革ということですが、身を斬る改革とはなんなのかわたしにはさっぱりわかりません。別に国会議員や国家公務員を養うために消費税を上げるわけでもありません。たとえば国会議員の定数が多すぎて無駄遣いだとか、公務員の人件費が高すぎて無駄遣いだというなら無駄を斬るという一角として、一応筋は通りますがそんなことはまったくありません。

まず日本の国会議員は人口当たりにすると先進国の中ではきわめて少ない。衆参合わせて720人くらい国会議員がいますが、人口で割りますとおよそ17万人がひとりの国会議員を選んでいることになります。ヨーロッパ諸国は、だいたい10万人に1人の国会議員がいます。イギリスは上院と下院があって、上院は貴族院ですから貴族から選ばれます。これを除いても下院議員は620人くらいで、人口10万人当たり1人です。何かにつけて議会政治の模範にしているイギリスにならえば日本の国会議員は倍くらいに増やしても、8万人から9万人にひとりになりますから標準になる。

確かにアメリカは連邦議会の議員数は500人ちょっとです。日本よりも遥かに人口は多いけれども連邦議会議員は少ない。ただしアメリカは合衆国、これは本当は「合州国」と書くべきだと思うのですが、ユナイテッド・ステーツですから国が集まって連邦国家をつくっています。国に当たるのはむしろ州です。その州は当然ながら州議会を持っています。州議会議員の数は7000人くらいいます。人口4万人、5万人に1人の議員を持っていることになります。ですからアメリカも連邦国家ということを考慮に入れれば決して議員の数が少ないとは言えません。

日本はきわめて国会議員が少ない国です。その国会議員をさらに削ることは、身を斬るわけではなくて、国会議員になることを就職したと考える議員が多いからこういう発想が出てくるんだと思います。そうではなくて国民の声を国政に反映するために議会があるわけですから、その国会議員の数を削るということは少数意見を削ることです。いまは17万人いれば少なくとも比例区ではひとりの国会議員は選べるんですが、これをさらに少なくすると17万人いても選べない。少数意見を切る、国民の声を切ることになりますからこんなことはやるべきではありません。

公務員の人件費も同様でして、日本の公務員は非常に数が少ないことは統計上明らかです。給料だって決して高くはない。ですからそもそも公務員の人件費を削るというのは筋が通らない。公務員の給料を払うために、公務員の給料が高いから、消費税を上げるわけではありませんから切る必要はないと思います。

これは明らかにルール違反です。国家公務員の場合は労働権が制約されていますから、それの代償として、民間の労働者の賃金などを参照して国家公務員の給料はどうすべきだという勧告を人事院が出す。その勧告に基づいて給料を決めることがルールになっています。その勧告は0.3%くらい引き下げるべきだというもので、それはすでにやりました。これにプラス7%以上の給料をカットするということですから、明らかにルール違反です。意見を縛っておいてそういうことをやるのは、憲法違反と言えるかもしれません。これから裁判で争われることになります。連合系の労組はなぜかこれを承諾しましたけれど、そういう問題があります。

加えて国家公務員の人件費を削りますと、必ず地方公務員に波及していき、やがては一般労働者の賃金も下げることに響いてくる。ということで日本全体の景気を悪くすることにもなります。おおいに問題がある改革をついでにやるということです。問題だらけの社会保障と税の一体改革です。そもそもなぜ社会保障と税を一体で変えなければいけないのか、まるでわかりません。

「一体改革」の問題点――対立の構図

ただこういう一体改革は非常に問題がありまして、本来対立しないものを対立させる。社会保障は社会保障、消費税増税は消費税増税、別々のことなんですがこれをセットにすることによって国民に選択を迫る。社会保障をよくして欲しい人に対しては、消費税を上げないとできませんよという格好で歯止めをかける。消費税引き上げ反対の人には、社会保障をよくするためには消費税の引き上げが必要ですと説得する。消費税増税反対の人と社会保障を拡充して欲しいという人を対立させて、選択はあなた方がしてください、政府はその選択に従いますということで、対立すべきでないものを対立させるという大きな問題があります。

これが例えば社会保障と軍事費の一体改革なら話はわかるわけです。ともにお金をたくさん使う分野です。軍隊に使うか社会保障に使うか、選択してくださいというならまだ意味があると思います。あるいは消費税と法人税の一体改革、どっちを増税した方がいいですかということ、これなら意味はわかります。それをまったく関係ないものを対立させるという大きな問題があります。この社会保障と税一体改革が至るところで対立させる構図をつくりだしています。社会保障について、若干はいいことも入っています。いいことの前提がついていて、悪いこと、厳しくすることが成立するという対立の構図にさせています。

もうひとつ、政府が対立させようと躍起になっているのが世代間の問題です。ここでも「国民全体」とか、「すべての世代が」ということをしきりに言っています。若い世代あるいは働き手の世代、先ほどの支える世代と高齢者の世代をあちこちで対立させるような構図をつくりだしているということが目立ちます。

ひとつ例を挙げます。去年の厚生労働白書で社会保障について論じているんですが、その中に「現役世代は社会保障の負担と給付に納得していない」という大きい見出しがあります。そこには「世代間で社会保障の給付と負担との間にアンバランスが生じている」と書いてあり、これは事実です。

たとえば70歳の人は、厚生年金の場合保険料を900万円払って、平均5500万円もらうという非常に恵まれた立場にある。確かにそうだと思います。ところが現役世代、例えば50歳の人は納める保険料が2200万円、もらえる年金は6200万円で3倍くらいしかもらえない。30歳の人は2.3倍になる。年寄り世代に比べてこれからの世代は納める保険料に比べて受け取る年金が少なくなる、ということを言っています。これは事実です。

さらに読んでいくと「社会保障全体を通じて、現在の高齢者は、現役時代に比較的低い保険料等を負担し、高齢期に入って充実した給付を受けている傾向にある。」これも事実です。最後の段落「もちろん、現在の高齢者は、更に前の世代を扶養しつつ保険料も負担してきたという面があり、単純に得をしているということはできないし、所得水準が低く、実質的な負担能力が違っていたということもできる。」これも事実です。政府のペーパーは必ずこういうふうに一応断っています。「単純に言うことはできない」などという。その次もそうですね、「また、年金制度については現に積立金も残っており、そもそも社会連帯の仕組みである社会保障について損得を論ずるのは必ずしも適当ではない。」と言っています。

「適当ではない」と言いながらその「適当ではない」例えをしたのが結論です。「しかしながら、今後を担う若年層の間に制度への不信・不公平感が強く現れた場合には制度の持続的可能性自体が揺らぐことにもなりかねず、今後の社会保障制度の在り方を考える際には留意すべき点の1つではある。」要するに若い人がこういうことに対して不満を持ったら社会保障制度は持たなくなりますよ、いまのうちになんとかしなければいけませんよということを言っています。

文章はこれだけで、これに「納得していない」という表題がついているのがそもそもおかしい。「納得していない」という証拠は何もないわけです。受益と負担の関係についていえば、若い人はかつてに比べて恵まれていないということは事実ですが、それに不満を持っているかどうかはまた別の問題です。そういうふうに単純に比較する問題ではないということはその通りですが、結論はこういう不公平がある、世代間の公平を図らなければいけないという議論を政府はあちこちで出してきています。

厚生労働省の社会保障に関するアンケートの調査結果があります。厚生労働白書を発表したときに同時に結果も発表され、厚生労働白書のあちこちに使われています。その中でただひとつ使われなかった結果があります。それは、社会保障の負担を今後どうすべきかという問です。答えが3つあります。「すべての世代で支えていくべきであり、高齢者と現役世代双方の負担の増加はやむを得ない」という答えが(1)(2)は「高齢者に現在以上の負担は求めるべきではなく、現役世代の負担の増加はやむを得ない」という答え、(3)は「現役世代に現在以上の負担を求めるべきではなく、高齢者の負担の増加はやむを得ない」という答えです。

当然ながら(1)の答えが一番多くて次に(2)(3)の順ですが、ここで注目すべきは若い人も(2)の答えの方が、(3)の答えより多いことです。年齢別のグラフを見ると20代、30代の若い層は、いずれも(2)よりも(3)の答えの方が多い。ここから言えることは、若い世代は別に現在の制度に不満を持っていない、しょうがないことだと納得しているということです。納得している若い世代にあなたたち不公平な目にあっていますよ、納得しないで不平を言いなさいと一生懸命あおっているのが、このところの政府です。

現役世代とお年寄り世代を対立させ、現役世代の不満をあおって、そこでなんとか破綻をきたすような動きを起こす。それによって高齢者からお金を取ろう、あるいは福祉サービスを削ろうと画策しているところがあります。公平であればこのアンケート結果も本文に入れて――入れたら先ほどの文章は成り立たなくなりますが、それは事実ですから「今のところは不満はないが」などと入れるべきです。はじめから無視して、アンケート結果まで探していかないと「ぼろ」が見えないような構図になっています。
社会保障と税の一体改革というのはそういうペーパーです。

財政はどうあれ、社会保障の拡充は必要

わたしは社会保障が政府が認めているようなすばらしい制度ではなく、拡充することはまだまだ必要であると思います。このことは財政がどうだから拡充できないという問題ではなくて、そもそも拡充すべきです。自民党時代からずっとそうですが、政府が社会保障を考える場合、常にお金の側・財政の立場から考えています。あるいは負担する立場から考えている。先ほどの胴上げ型社会社会の問題にしても、負担する側の負担が重くなる、だからできないといっていますが、それは基本的に間違った考え方だと思います。

社会保障は恩恵を受ける人の立場、高齢者や病気の人とか障がい者などの人びとの立場、そういう人びとの人権を守る、憲法25条の権利を尊重するためにはどういう社会保障が必要かを考えなければいけない。25条の後半には政府はそのために努力しなければいけないと書いてあるんですから、その努力をするためにどういうものを目指すべきなのかという観点から社会保障制度を考えなければいけない。それをどれだけお金があるからどこまでやろうとか、これだけしかお金がないからここまでにとどめておこうというのは発想からして間違っています。

そういう立場に立って考えると、日本の社会保障制度は大きな問題をたくさん抱えています。ひとつは制度が貧弱であり、給付の水準が低いことです。例えば年金が代表的です。厚生年金はそこそこの水準にいっていると思いますが、自営業の方、その他サラリーマンではない方が入っている国民年金は給付の水準が低く、老後の生活ができない水準です。もっともっと充実させなければいけない。

次に制度があっても、制度の恩恵にあずかれない人が多数いる問題です。代表的なのは雇用保険です。失業したときに雇用保険によって失業手当をもらえますが、現在失業者のうちでこの失業手当をもらっている人の比率は20%くらいです。残りの80%は失業しても失業手当をもらえない状態にある。

なぜもらえないのか。ひとつは入り口が非常に狭いことです。短期契約の労働者が増えていますが、そういう人はそもそも失業保険には入れません。入り口から排除されている。それから給付期間が非常に短い。まだ失業中でも、もう給付の期限が切れて失業手当が打ち切られる。2割くらいしかもらえていない現状があります。ヨーロッパ諸国を見ますと、失業期間中はいろいろな格好で手当が出て生活ができる制度になっています。生活保護も同様です。生活保護以下の水準の生活をしていてももらえない人がたくさんいる状況です。

3番目は制度利用者の自己負担が重い。医療保険は原則3割負担ですから結構な額のお金がいる。貧しい人の中にはそれでお医者に行くのをやめている人がたくさんいます。介護も同様です。

4番目は、制度の現場で働く人の労働条件が非常に厳しいことです。特に厳しいのは病院の看護士さん。深夜労働をしょっちゅうやらなければいけないとか、ひとり当たりの患者数が多くて大変な過労状態にある。あるいは介護で働く人、これも仕事が厳しい上に給料が非常に安い。一般労働者の給料と比べて、年間で100万円くらい少ないという統計があります。そういう人たちの犠牲の上で日本の社会保障制度が成り立っているという問題があります。

せめて西欧並みの制度に

ちょっと数え上げただけでもこれだけ大きな問題がありますから、これをいい方向に変えていかなければいけない。年金は年を取ったら安心して生活できるくらいの水準に持って行かなければいけないし、失業保険は失業したらみんなもらえるような制度、生活保護も同様にしなければいけない。医療はヨーロッパのようにお医者さんにかかったら医療費は無料、自己負担なしという制度にしていかなければいけない、介護も同様です。それから現場で働く人の労働条件をもっともっとよくしなければいけない。

そうするとかなりお金が必要です。 例えば医療費をただにすると、ざっと計算して約5兆円必要です。われわれが個人で払っている医療費は年間4兆9千億円くらいで、それを全部保険で負担するとだいたい5兆円が必要です。介護労働者の賃金を1人年間100万円上げると、ざっと100万人の介護労働者がいますので1兆円必要になる。数え上げていくと数兆円単位でお金がいる。それだけ政府がお金を出さなければならない。

レジメに「せめて西欧並みの制度に」と書きました。いちばん社会保障が進んでいるのは北欧だと思います。そこまでは今のところ高嶺の花ですから、ドイツ、フランスといった西ヨーロッパ、大陸諸国ですね。イギリスはサッチャーの改革以来アメリカ型になってきて、ヨーロッパから少し離れつつあります。大陸型のヨーロッパで行っているサービスができるような制度に持って行かなければいけない。そうすると、ざっと計算して30兆円くらいの金額を政府は社会保障に使わなくてはいけない。

いま政府が社会保障に使っているお金は年間で約108兆円です。年金支払いに53.6兆円、医療費に33.6兆円、介護・福祉・その他で20.6兆円、全部で107.8兆円です。その金は年金保険料、医療保険料等々の保険料で60兆円くらい。6割を保険料でまかなっています。足らないので、国は一般会計から30兆円くらい、これは一般会計の社会保障関係費という予算を組んで負担しています。それでも足りませんから、地方自治体がそれぞれ国民年金の負担分とか介護の負担分とかで10兆円ばかりお金を出している。こういうことでお金をまかなっているわけです。

この108兆円が経済規模に対しての比率で見ると、日本は2005年の数字で国民所得の25.7%を使っている。これは少し前の統計で、いまは108兆円ですからだいたい30%くらいまでは上がっていると思います。これくらいを社会保障の支出に使っている。ところがドイツ、フランスは39%台です。これらの国は経済規模の違いを考慮に入れれば、日本より10%くらい余分に使っている。分母になる国民所得は、日本はいまだいたい350兆円です。350兆円の10%、厳密にいえば9%ちょっとがおよそ30兆円から35兆円です。日本政府が社会保障費、年金の水準をもっと上げるとか医療費を無料にするとか介護負担も自己負担をゼロにするとか、その他もろもろのお金の使い方をすればあと30兆円くらいはお金を余分に使わなければいけない。そうすれば西ヨーロッパ並の社会保障サービスができるようになるかなという感じです。

ではどうするか。もともといまの日本の財政は大変な赤字です。いま社会保障に使っている30兆円ばかりの半分くらいは借金でまかなっている。税収が政府の支出の半分くらいしかありませんので、半分は借金に頼っています。それをなんとかしなければいけないという問題があります。それプラス、社会保障をさらによくするためにはもう30兆円くらいのお金を使わなければいけない。大変な額のお金を調達しなければいけない。だから消費税を上げなければいけないというのが政府の言い分です。あるいはマスコミの主張であり学者の主張でもあるわけです。

消費税増税の問題点

「そうかな」と思われると困りますので、消費税増税が問題であるというお話をしたいんですが、特にいまの時点で消費税を上げることには大変な問題があります。大きく見て4つほど問題があります。ひとつは貧しい人の暮らしを直撃する、生活を成り立たせなくするということを挙げました。被災地の人のことはいうまでもありません。これから家も建てなければいけないし生活を再建しなければいけない。そこに消費税を上げて5%から10%にするなんていうことをしたら、本当に生活は成り立たなくなります。

そうでなくてもわたしたちの暮らしは非常に貧しくなっています。いまアンケート調査をしますと生活が苦しいという世帯が全世帯の60%、これは震災前の調査です。母子世帯だけの統計を見ますと85%という数字です。要するに毎日稼いできて、それでなんとか食べている状態です。やりくりしながらなんとか生活を維持している。年収200万円以下という人が1000万人を超えています。月収にすると10数万円でなんとかやりくりしている。そういう人びとに対してさらに消費税を5%上げたら、生活費がその分上がるわけですからとてもやっていけない。どうやって生活していくんだろうか。本当はそういうところを政治家は心配しなければいけないんですが、まともに心配している人は消費税増税論者の中にはあまりいなさそうです。

2番目の問題として逆進的である。消費税は貧しい人ほど厳しい。所得が年間200万円くらいしかない人はそれを全部消費に振り向けないと生活できませんから、ほとんど消費に使います。消費税をまるまる負担するわけです。所得が1000万、2000万円あるいは億単位の人は、そのうち何割かは貯蓄とか投資にまわす。消費にまわすのは何割かにとどまりますから消費税がかかるのはその分だけです。 所得に対する消費税負担の比率は低くなるというアンバランス、所得の多い人ほど負担が軽いという問題があります。もともと所得に差があるのに消費税でさらに差をつけるという、非常に問題のある税制です。

3つめは消費者の側にとっても厳しい税制ですが、売る側、商売をする側、特に中小・零細企業にとっても消費税は非常に厳しい税制です。消費税は買い手に税を上乗せして売って、預かった分を税務署に払う。だから業者には負担にならないと説明されていますが、実質は違います。消費者に転嫁しようがしまいがかかってくるのが消費税です。ヨーロッパではこれを付加価値税といっています。日本でも本質は付加価値税です。付加価値があればかかる税金、転嫁しようがしまいがかかる税金です。

付加価値とは何かということですが、おおざっぱに言えば売り上げから仕入れを差し引いた金額、要するにその業者が商売することによって得た利益というか粗利に5%の税金がいまかかる、将来は10%かかります。この付加価値がどう分配されているかを見ると、大部分は人件費に消えます。雇っている人たちの人件費を商売の粗利から払う。それから銀行から借りていれば利息をそこから払う。あるいは家とか土地を借りていれば家賃とか地代を払う。その残りが商売で得た純利益、経常利益ということになります。

ところが日本の企業の70%以上は赤字企業です。付加価値は商売をしている以上出てきます。その付加価値から人件費を払い金利を払い家賃を払ったら、もうあとは何も残らない。利益はゼロないしはマイナスという企業が日本では7割以上を占めています。赤字ですと法人税はかかりません。支払能力、負担能力がないから法人税はかからないんですが、消費税は付加価値税ですから赤字であろうと払わなければいけないわけです。従っていまいちばん滞納が多くなっているのが消費税です。払うお金がない、でも払わなければいけない。それで払わないでなんとか逃げているというか、いずれ取り立てられますが、とりあえず払わないでいるのが消費税です。

5%でそうなんです。大企業はこういう問題はほとんど起こらない。消費税分を買い手、お客さんに転嫁できて、その分を払うからちゃんと負担できる。中小・零細企業になるほど転嫁が難しい。大企業と取引しているところは、ほかの業者はまけているぞと言われれば、まけざるを得ない。商売を続けるためには自分で負担せざるを得ない。それから、スーパーなどで安売りしていると、それと同じくらいの値段にしないと売れないからどうしても消費税を自分でかぶってしまう。身銭を切って消費税を負担せざるを得ない状況にあります。このまま行きますと消費税が10%になれば商売ができなくなる中小・零細企業がたくさん出てくる。

4番目の問題として、いうまでもなく景気を悪くする。商品にかかる税金ですから消費を抑えて景気を悪くする。そういういろいろな問題を抱えている消費税です。ですから仮に政府が増税しなければいけないと考えても、消費税をやめてほかの道はないかを探すのが常識だろうと思うんですが、なぜか日本の政府はお金が必要だとなると消費税ということになります。

なぜ消費税なんだろう、その根拠は薄弱

なぜ消費税なんだろう。実はこのことがほとんど説明されないまま消費税だ、消費税だと政府もマスコミも学者もいっています。経済学者のアンケートが載った新聞のコピーがあります。日本経済新聞と日本経済学会――日本の主要な経済学者がほとんど入っている経済学会としては最大の学会――の両者が、共同で経済学者に対しておこなったアンケートです。学者がどう考えているかを見ると、消費税は15%以上に上げるべきだが30%くらい、10%くらいには上げるべきだという答えと合わせると80%を超えています。経済学者の8割以上は、消費税を2桁にするべきだと考えています。そしてなぜ消費税を上げなければいけないかというと、財政再建とか経済低迷打破のための財源とか、高齢化に伴う社会保障財源と答えています。新聞とか政府も主としてこういう言い方をします。

この答えは消費税を上げなきゃいけないということの答えにはなっていません。この説明は、財政再建のために、社会保障のお金のために、だから財源が必要だとは言えます。あるいは増税が必要だとは言えます。わたしはその通りだと思います。社会保障や財政をもっとよくするためにはどこかからお金を持ってこなければいけないし、増税もしなければいけません。ただ、財源が必要だ、増税が必要だということと、消費税を上げなければいけないということはイコールではありません。財源にも増税にもいろいろあります。所得税もあるし法人税もある、その中に消費税もある。「だから消費税」ということにはなりません。ところがほとんどの説明は増税が必要である、だから消費税を上げるという説明に終わっています。

野田さんはどう言っているか。去年12月4日に政府が全国紙、朝日・毎日・読売・産経・日経それから地方紙63紙、全国の新聞の全面をつかった政府公報があります。野田総理と小島慶子さんというニュースキャスターとの対談という格好での広告です。小島さんが「では、なぜ、《消費税》なのですか。社会格差が広がる中、皆が負担する消費税より、『お金がたくさん有る人からまず取る』税目もあるのでは?」と聞いています。それに対する野田さんの答えは「どなたにも、社会保障は必要になります。だから、特定の誰かではなく世代を超えてオール・ジャパンで、公平感がある税金で《お互いに支え合う》んです。今回の震災では、支え合う強い絆が生まれましたが、社会保障も正にそうで、保険料と税金等で、世代を超えた支え合い制度を構築するんです。それに、日本の基幹税3つ(法人税、所得税、消費税)の中で、いちばん景気に左右されないのが、消費税だと思います。社会保障が、景気に左右されて支えられないという状況になってはいけませんから。」これが答えのすべてです。

わたしは答えになっていないと思います。少なくとも小島さんの質問の後半部分、「皆が負担する消費税より、『お金がたくさん有る人からまず取る』税目もあるのでは?」ということにはまったく答えていません。前半に答えている理由はふたつあります。前段の、これもよくわからないんですが、「特定の誰かではなく世代を超えてオール・ジャパンで、公平感がある税金で《お互いに支え合う》んです」というのがひとつの答えです。なんのことかわかりますかね。大抵税金はみんなの必要のために集めているもので、別に社会保障に限りません。わたしは必要とは思いませんが、軍事費だって建前としては日本国を守る、日本国民のためにやっているわけで、こういう説明はおかしいと思います。

それから、「オール・ジャパン」というのも、すべての日本人という意味ですとこれは間違いです。日本には日本人ではない人、在日韓国、朝鮮人の人もいます。中国人もいます。あるいは日本に来た人も消費税を払うわけですから、「オール・ジャパン」というのも間違いです。それはともかくとして、「特定の誰かではなく世代を超えて」というのは「所得税ではなく消費税で」、ということを言っているんだと思います。これも間違いだと言うことはあとでお話しします。

なぜ消費税か、説明できない専門家

後半では「いちばん景気に左右されないのが、消費税だと思います。」と言っています。これもおかしな答えです。実はこの答えのネタになったのが、政府が民主党になってから税制調査会の中に専門家委員会をつくりました。財政とか経済の専門家、学者を10人ほど集めて、中長期的な観点から日本の税制の在り方を検討してもらうという委員会です。いまは変わっていますが、神野直彦さんなどがメンバーに入っていて比較的ましな学者が入っていた委員会ですが、そこが2010年6月22日に「論理の中間的な整理」というペーパーを発表しました。

いろいろと議論して中間的にまとめた中に、かろうじて「なぜ消費増税か」という説明があります。3つの理由が挙げられていて、ひとつは「勤労世代など特定な者への負担が集中せず、広く社会の構成員が負担を分かち合うことができるため、世代間の公平の確保に資する」、これが野田さんの最初の答えの裏にある考えだと思います。それから2番目は「税収が景気の動向に比較的左右されにくく安定的である」、これが野田さんの2番目の答えの背景です。3番目が「経済活動に与える歪みが小さく、経済成長を図る上で効率的である」。この3つです。学者が知恵を絞ってもこの3つくらいしか出てこない。

これはこの委員会の結論ではありません。いろいろな委員がいろいろな意見を言ったことをまとめたもので、これに賛成しない先生もいたはずですが、ともかくこういう格好でまとまっています。この専門家委員会はこれを出したあと休眠状態に陥っているようです。

この説明を見ますと、まず1番目、野田さんの答えの前半では、所得税よりも消費税がいいということを説明していると思われます。しかし、この説明には所得税に対する誤解があります。「勤労世代など特定な者への負担が集中せず 」と所得税があたかも勤労世代、働いている世代が負担すると取られていますが、これはうそです。所得税は勤労世代、サラリーマンだけが負担するものではありません。所得のある人すべてが負担するのが所得税です。ですから年金世代でも、ある程度年金があれば所得税がかかります。あるいは自営業者でも自分の所得があれば所得税はかかります。土地を売っても所得税はかかる。所得のあるところにかかるのが所得税ですから「勤労世代など特定な者への負担が集中」する税金ではないし「広く社会の構成員が負担を分かち合う」税金でもあるわけです。

所得税と消費税の違いは大きく言ってふたつあります。ひとつは所得のある人が負担するのが所得税。プラス所得がない人も負担するのが消費税です。消費税を負担する人の範囲は広くなりますが、だから消費税の方がいい、所得のない人も負担すべきだというのはどう見ても乱暴な議論だと思います。所得税と消費税のもうひとつの違いは、所得の高い人ほど負担が重いのが所得税、高い人ほど負担が軽いのが消費税です。そういう所得税と消費税の違いを比べると、どちらを取るべきか答えは明らかでして、消費税は取るべきではない、所得税を取るべきであるということになります。

2番目の、「景気の動向に比較的左右されにくく安定的である」というのは事実です。景気がいいときはボーナスが増えたり時間外収入が増えたりして所得が増え、所得税収が増える。景気が悪くなると逆になります。あるいは失業者が増えて所得そのものがない人も出てくる。消費はそうはいきません。所得が減っても消費生活はなかなか抑えられないから、ある程度貯蓄を崩しても消費生活は保つ、ということで消費税収の方が安定的です。それは事実ですが、だからといってそれを社会保障の支出に反映させるなんてバカなことはこれまでも政府はしてこなかったし、するはずもない。所得税収が多いときには、いまの財政で言えば国債を大量に発行していますから、国債の発行額を抑えればよろしい。所得税収が少ないときは、しょうがないから国債発行額を増やすという格好で対応できる。もうちょっと国債を発行しない経済を考えても所得税収が多いときは、一定程度貯めておいて次に所得税収が落ちたときに社会保障の補填に当てることは十分可能な操作ですから、税収が安定しないと社会保障も増えたり減ったりするなんてことは決して起こりません。消費税でなければいけないという理由はありません。

学者の説明の3番目、「経済成長を図る上で効率的である」ということはよくわかりません。というのはこのペーパーには何も理由が書いてありません。わたしは逆だろうと思います。景気に与える影響が大きい。景気を悪くする税金だと思います。というわけで学者の説明まで入っても、消費税を選ばなければならない理由は少しもないということになります。

消費税を上げたい本当の理由

にもかかわらず、なぜみんな「消費税、消費税」といっているのか。本当の理由ですが、ひとつは大企業に非常にありがたい税金だからです。大企業は消費税分をだいたい買い手に転嫁でき、自分の懐は痛まない。それから輸出には消費税がかからない、というか0%でかかることになっています。売り上げにかかる消費税は0%です。仕入れにかかった税金は、輸出メーカーはみんな仕入れ段階で負担して、それが還付として税務署から返ってくるありがたい税金です。

2番目にたくさん稼ぐ人ほど負担が軽いという、高額所得者にとってありがたい税金です。ですからこういう人は一生懸命「消費税、消費税」といっている。それから政府にとっても非常にありがたい。ちょっと税率を上げれば多額の税収が入ってくる都合のいい税金です。法人税だと企業から国際競争に負けちゃいますよといろいろ理由をつけて反対してきます。高額所得者から取ろうとすると、勤労意欲がなくなるからやめた方がいいとかいろいろ文句が出る。

消費税だといちばん困るのは一般大衆、国民です。日本の一般大衆は非常に勉強家で、人がいい人が多いものですから、日本の状況は大変だと認識して我がことのように心配している人が非常に多い。そうすると消費税増税はしょうがないかな、嫌だけれども国家財政を考えればしょうがないんじゃないのという人が結構いて、消費税増税が通りやすい風土をつくっています。企業は国家財政がいくら赤字でも国際競争に負けたら困るでしょう、といって法人税引き上げに反対どころか引き下げろと強く主張する。高額所得者は高額所得者で金持ちが逃げていきますよとか自分たちの税金が増えるのは反対する。みんな国家のことなんかどこかにおいて自分たちのことを心配しているわけです。

わたしは常々言っているんですが、もっとギリシャの国民とかイタリアとかスペインの国民を見習って、ちゃんと嫌なものは嫌だ、国家がどうあろうと嫌だ、消費税はダメだという声を大にすればあるいは政府も考え直すかもしれない。おとなしく「そうですね、しょうがないですね」といってしまう、こういうことが消費税の引き上げを支えることになるんじゃないかと思うわけです。 そういうわけで消費税は根拠がないし非常に問題のある税だから頼るべきではありません。

日本の財政はなお健全

では、どうするかという話になります。消費税に頼らないで、しかも財政赤字を治すためにあるいは社会保障を拡充するために、そして震災からの復興のために何10兆円ものお金がいる。それをどうするか。それはほかの方法があることを、残りの時間でお話ししたいと思います。

まず日本の財政の状況を見ていきたいと思います。ここで「日本政府」というのは国のほかに自治体、都道府県、市町村すべてを含めています。政府の借金=負債は、国債・地方債を合わせて1037兆円あります。国民ひとり当たり何百万円などとよく言われます。恐らく、経済規模との比率でいうと先進国中最大、ということは世界最大の借金政府だといっていいと思います。ただ、政府は結構資産も持っています。資産を合わせますと494兆円、500兆円近くの金融資産を持っている。これはやはり世界一です。こんなにお金を貯め込んでいる政府は世界にふたつとありません。たくさんお金を貯めているからその分も借金している、ということで借金の多さにもつながっています。

それから政府ですから、固定資産、道路とか建物や施設あるいはダムとか港湾とか空港とかもろもろの固定資産を持っています。それを土地は取得価額で評価し建物などは時価で評価しますと579兆円の資産を持っています。資産全部を合わせると1073兆円。借金より多い資産を持っている。差し引き正味資産が36兆円あるのが日本政府です。ですから日本の政府の借金は資産の裏付けが一応あるわけです。

ここから何が言えるか。借金は返さなくてもよろしいということがひとつです。借金を返さなくてもいいというと道徳の問題のようですが、期日が来た借金はもちろん返さなければいけません。国債の期限が来たら国債を持って来た人にお金を返さなければいけません。ただその国債を別の人にまた買ってもらう、あるいは国債の代金を受け取った人にもう一回国債を買ってもらってもいい。要するに借金残高をこのまま維持してもほとんど問題ない状態です。

これも天下国家を憂える人は、もう破綻じゃないか、あるいはどうやって返すかと、自分のことのように心配します。それはほとんど心配してもしょうがない、心配する必要がないことです。このまま借り続けていいことです。個人ですと、住宅ローンはその人が生きているうちに返した方がいいでしょう。返さないと、子どもたちが返さないといけないという問題がある。でも企業とか政府はずっと続くわけですから、このまま借り続けてもなんの問題もありません。

よく借金が多いと、孫子に返済負担をかけるのは良くないというふうに、日頃はあまり子どものこと、孫のことを心配しない政府が、なぜかお金の問題になるととたんに孫子のことを心配する。もっと放射能のことなどで子どものことを心配すればいいと思うんですが、それもほとんど心配するまでもないことです。

確かに1000兆円以上の借金は引き継いでもらわなければいけないんですが、子どもたち、孫たちは同時に資産も引き継ぐわけです。金融資産も引き継ぎます。それから固定資産、学校とか道路とかそういうものを子どもたちも利用できる。借金とほぼ見合うだけの資産が残ってそれを利用できるわけですから、子どもたちに対してそんなに引け目に感じる必要もない状況です。そういうふうに財政の状況を理解していただいて、ただ日本の財政は正味資産をどんどん食いつぶしつつありますから、これだけを見れば非常に厳しい状況になりつつあることは確かです。

日本は世界一の金余り国

国はこういう状況ですが、日本国全体で見るとお金はずいぶん余っている。政府と企業と家計と非営利団体の4つで、それぞれいくらお金があるかあるいは足りないかを見ると、政府は借金=負債が1037兆円で金融資産が494兆円ですから、543兆円足らない状態にある。不足分がどこから来ているかというと家計です。みなさんの家計の集合体で 金融資産を1507兆円貯め込んでいる。いわば心配の固まりですね。歳を取ったら、病気になったら、子どもが大学に進むので、とか心配しながらお金を貯めていらっしゃる。家計も住宅ローンなどで借金が367兆円ありますが、それを差し引いても11146兆円のお金が余っています。大半は金融機関に預けられ、主として金融機関を経由して543兆円流れている。企業も商売をするために必要なお金を、396兆円借りています。

家計の1146兆円をこのように国内で使っていますが、まだ使い切れていません。政府の借金543兆円と企業の借金396兆円を合わせて、それを家計の資産1146兆円から引いてもまだおつりがある。そのおつりと財団などが持っている44兆円を合わせますと、251兆円のお金が国内で余っている。使い手がないお金が国内にあります。このお金はどうなっているか。国内で使い手がないわけですから、海外に投資されたり預金されたり債券投資に使われています。

251兆円という額は世界一です。主な国の余っているお金、足りないお金を見ると、日本は251兆4950億円、その次は中国167兆7278億円、ドイツが114兆1720億円ですから日本はダントツの金余り国です。世界でいちばんお金が足らない国はアメリカ合衆国です。252兆419億円のマイナス。国も赤字、企業も赤字、家計も赤字ということで世界中からお金を借りている。アメリカの消費者は海外から借りたお金で家を建てたり自動車を買ったりしているし、企業はそのお金で経済活動を営んでいるし、アメリカ政府はそのお金で戦争をしているというわけです。

そのお金が一部払えなくなったのが、サブプライムローンの問題でありリーマンショックの問題です。要するに借りたお金が返せなくなったという問題です。そういう格好でアメリカは世界中から借金をしている。日本の余ったお金とアメリカの足らないお金がほぼ同額です。直接アメリカに行っているのは余ったお金の半分くらいですが、いろいろな経路を通じて結局アメリカに使ってもらっている格好になっています。日本政府は放っておくとギリシャのようになるとよく言います。ギリシャとのいちばんの違いはここです。

ギリシャは政府の借金も多かった。これは日本と同様、あるいは日本と比べてもうちょっと足りなさが少なかったかもしれません。ただしギリシャは国内にもお金がなかった。だからギリシャ政府は国内では借金ができずに、ヨーロッパの国々あるいはアメリカの投資家とか金融機関からお金を借りていました。ギリシャの国債が払えそうになくなると、そういう投資家がギリシャ国債を売り出した。誰も引き受けてくれずに、ギリシャにはお金がない、入ってこない、大変な状態になったわけです。

日本はこれだけお金が余った経済です。日本の国債の90%以上は国内の金融機関、個人、企業が持っています。しかも、まだ251兆円も国内にお金が余っている。いつでも借りられる状態にあるわけです。ですからどう間違っても日本がギリシャのようになることはありません。このお金はまだまだ使える。政府が借りられる状態です。政府が借りられる力は実際のところあまりなくなっていますが、貸す力はいっぱいありますから借りることができるわけです。

消費税によらないで、財源はどうするか

そこで財源の問題です。とりあえず、いまお話しした国内で余ったお金あるいは政府が持っているお金を有効に使うことがでます。政府が持っている500兆円近い金融資産のうち、170兆円くらいは年金関係の積立金です。いまほど高齢化が進んでいない時代に、年金保険料を集めて年金を支払ってもまだおつりが出ました。余ったお金を将来の高齢化社会に備えて積み立てていました。それは高齢化になったいまも使っておりません。いま年金の支払いが増えていますが、それは年金保険料を上げることによって出入りイコールの状態にしています。ですから積立金はそのままです。いつ使うのか。政府は当分使うことは考えていないようです。これを使うことができ、使うべきだろうと思います。

こんなに年金の積立金をたくさん持っている政府はありません。ほかの政府はだいたい1年の支払い分のうち1ヶ月分か2ヶ月分は積立金として持っている。何らかの理由で年金保険料が入ってこないことがあったら、次は年金を払えませんでは困りますからある程度は持っている。でも1~2ヶ月あれば手当はできるので、それくらい持っておけばいいだろうということです。日本は年金の支払額は年間53兆円くらいで、170兆のお金を持っていますから、年金保険料をまったく誰も払わなくても3年間払えるだけのお金を持っています。これを取り崩せば今すぐにでも国民年金のかさ上げ、たくさん年金を払うことができます。

10兆円ずつ余分に払うと、いまの53兆円が63兆円払うことになり、相当いい年金制度ができます。10兆円ずつ取り崩しても10年くらいはゆとりがある。そのあいだにいい制度を考えることは可能です。政府は消費税を上げないと基礎的年金を上げることはできないなどと言っていますが、そんなことはありません。目の前にたくさん貯め込んだお金がある。それを有効活用することができるわけです。

まだ借金ができますから、余剰資金を政府がさらに借金することも可能です。さしあたり震災関係で必要なお金などは現にいまそうしています。そういうかたちで資金を調達して制度を良くする。社会保障その他の分でも、まず社会保障をよくすることを考えたらどうかと思います。とりあえず借金でも、持っているお金を取り崩してでもよくしていく。その間に次の資金調達を考える。政府の持っているお金にしろ国内の余剰資金にしろ、限りなく使えるものではありません。それが心配になる前に恒常的、恒久的な資金調達を考えるということでいいと思います。

無駄な支出を削減する、とりわけ軍事費

恒久的な資金調達にどういうものがあるか。最初に財源として考えるのが、使っているお金の中で無駄な支出を削減し、そこで財源を生み出すことです。これは国会議員の定数を減らすとか公務員の給料を減らすとかではなくて、明らかに無駄で巨額なもの、その代表は軍事費だと思います。軍事費を削って社会保障にまわす。1機100億円以上するような戦闘機を40機くらい、まだできあがっていない戦闘機をこれから買う計画を立てています。そういうことをやめれば何百億円というお金が浮きます。あるいは大型のヘリ空母を買うとか、そういうものはいらない。最終的には軍事費はゼロでいいとわたしは思います。そう簡単にはクビにすることはできませが、人件費の部分は将来は災害救助隊などの組織に衣替えして、いまの半分くらいの人数にすれば1兆円くらいで済み、相当削れる余地があると思います。

今回の災害で自衛隊はあっても無駄だし、いらないということがはっきりしたと思います。災害時に10万人の隊員が、被災地に行って作業しました。ご苦労さんでしたが、自衛隊員20万人の中で10万人がすぐに戦闘につけない状態でほかのことをやっている。それで国防が非常に手薄になったんですが、どこから攻められることもなかったし攻めようという国もなかった。少なくとも自衛隊の隊員は半分でもなんの心配もないことがわかったわけです。

もうひとつわかったことは、日本を攻めるには別に軍隊で攻める必要はないということです。国内に54基もある原発のひとつやふたつを壊せば、それも本体ではなく電源施設などの付随設備を壊せば、日本はたちまち核攻撃を受けたのと同じ状態になる。そのためには軍隊はいらなくてテロリストが何人かいればよいことになります。自衛隊があっても米軍があってもそれは防げない。ですから、そもそも軍隊はいらない、あっても無駄だろうと思います。 無駄な支出を削ってそこから財源を生み出すことをまずすべきだと思います。

景気を良くする

2番目に、景気を良くする。景気を良くすれば税収は増えます。リーマンショック以前、国の一般会計の税収は50兆円くらいありました。いまは40兆円です。あと10兆円、消費税を4%くらい上げたくらいの税収は景気さえ良くすればあっという間に増えてきます。そういうかたちで財源を増やす。景気を良くするための対策を講ずることが大事だと思います。

それから3つめは、不公平な税制をただしてちゃんと税金をもらう。次に負担能力のあるところに負担してもらうという方法があります。それについては所得税を何%負担しているかというグラフがあります。横軸が年間の所得額、70万円以下の人から100億円超まで、それぞれの所得の人が何%所得税を負担したかという実績です。国税庁の統計です。途中までは右肩上がりです。所得税は累進税率で、1億円までは登り勾配になっています。ところが1億円を超えると税負担率は逆に下がっている。稼げば稼ぐほど税金は少なくてよろしい、負担率は少なくてよろしいという税率になっています。

なぜかというと、たくさん稼ぐ人は何で稼いでいるか。もうひとつのグラフは、全体の所得に対する株式の売買とか配当収入の比率です。所得の多い人ほど増えています。働いて稼いでも、まあ1億円を超える人は本当に指折り数えるくらい、ユニクロやトヨタのなんとかさんとか、ほんの数人です。それ以上稼ぐ人はほとんどが配当収入や株を売買して儲けた稼ぎです。いま配当とか株の売買所得に対する税率は、所得税は7%、住民税は3%、全部で10%という優遇税制になっています。ですから所得の多い人はそういう所得が増えてくる。所得税のグラフだと7%でいいという人がどんどん増えてきます。そうすると全体の所得税の負担率も下がっていく。ということで、所得が多い人ほどたくさん負担するのが税の原則ですが、そうなっていない。

株式投資に対する優遇税制は小泉内閣のときに設けられました。株式市場を活発化し株を上げようと、こういう税制をつくった。3年の期限付きの優遇税制でしたが、期限が来るたびに延長されました。民主党内閣になっても、去年6月にさらに延長する法律を通しました。野田さんは今度の期限が来たらやめるといっています。2年後に来ますが、怪しいものです。こういう優遇税制は早急にやめるべきだと思います。

応能原則で法人税・所得税・相続税など増税

負担能力に応じた負担について、その代表は大企業の負担が非常に軽いことです。日本の法人企業の年間利益の総額、税金を納めなければいけない企業の利益の総額とその年納めた法人税の額について見ます。最近いちばん利益が上がったのは2007年、リーマンショック前ですが、企業は年間に66兆円の利益を上げました。そのとき納めた法人税は13兆円です。その10年前の1997年を見ると利益は40兆円で、納めた法人税は13兆円です。利益が40兆円から66兆円に26兆円、1.5倍も増えたのに、収めた税金は前と同じです。非常に税金の負担が軽くなっています。利益に対する税負担の比率は1997年、1998年くらいは31.8%だったのが、いまや22%です。10%くらい下がっています。それだけ企業は優遇されている。

法人税率がこの間どんどん下げられた。いろいろな租税特別措置という優遇措置がとられたためです。企業は負担能力があるのにまったく負担しなくていい状況になっています。法人税率の推移を見ると、以前は40%を超えたときもあったんですが、現在25%に下げたのは民主党内閣です。去年の11月に下げる法案を通しました。一方で個人には財政がピンチだから消費税を上げますよといって、片一方では企業には財政がピンチだけど下げてあげますよといっている。こういう税制になっています。こういうことはまったく不必要なことだと思います。

資本金10億円以上の大企業のバランスシート、資産と負債がどうなっているか、2010年度末の数字を1997年度末と比較します。利益剰余金――利益が出た、そこから配当と税金を払ったあと企業の手元に残ったお金を積み立てた総額が1997年度末では119兆円でした。2010年度末は230兆円です。この13年間で111兆円ふくらんでいます。それだけたくさん手元にお金が貯まった。今度はそのお金をどう使っているかを見ると、資産合計で増えているのは証券等への投資が145兆円増えています。要するに企業がこれだけ儲かって税金の取られ方は少なくて、中に貯め込んだ。100兆円以上貯まったお金をどうしようか。もう設備投資もやってしまったし、ほかに商売で使い道はない。それじゃあ株でも買って儲けよう、外債でも買おうということで証券投資へ回っているということです。お金として遊んでいる、経済の中でうまく回っていないということが起こっているということです。

仮にこの111兆円が賃金となって働く人に配られたら、われわれの所得はもっと増えて、消費も増えて景気も良くなっているだろうと思われます。あるいは大企業が中小企業との取引条件をもっと緩やかにして、ちゃんとお金を払いましょうということで、中小企業にまわったらそれはそれで中小企業を活発化させて経済の中でうまく役立っていたと思います。また、このうちのかなりの部分を税金にとって政府が社会保障にまわせば、相当なこともできるわけです。それをしないでひたすら大企業に貯め込ませているから、そのお金は株式投資などでぐるぐるとお金の世界だけで回ることになっている。そこに日本経済の最大の問題があるかと思います。これだけ余力があるんだから、企業はまだまだ税金を負担できるということです。

次に負担できるのは高額所得者です。結論だけ申しますと、所得税と住民税を何%負担しているか。1980年代半ばは、8000万円以上の稼ぎについては88%の税金がかかっている。いまは50%に下がっています。これは優遇のしすぎだと思います。これを政府は55%に、所得税でいいますと40%を45%に上げるといっていますが、これはまだ手ぬるいので、せめて1990年代後半の65%位まで上げれば税収は増えるということです。

いま申し上げたように、軍事費などの無駄な支出を削り、景気を良くし、不公平税制をなくし、負担能力のあるところにきちんと負担してもらえば、消費税を上げなくても日本の税制はきちんと立ち直ることができるといえます。それでも社会保障を30兆円増やすには足らないと思いますが、その場合には消費税ではなくて所得税でちゃんと所得に応じて負担する方が公平だろうと思います。
これでお話を終わりたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

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普天間飛行場にオスプレイを配備するな! 宜野湾市民大会決議全文

2012年6月18日

米軍普天間飛行場は、戦後66年を経過した現在も宜野湾市の中心に存在し、宜野湾市民や県民に対し、早朝から深夜に及ぶ騒音被害を始め航空機事故等によるさまざまな被害を与え続けてきた。

日米両政府は、普天間飛行場の危険性を除去するため協議を重ねてきたが、SACO合意から16年、沖縄国際大学へのヘリ墜落事故から7年、在日米軍再編協 議から6年が経過した現在も普天間飛行場では早朝から深夜に及ぶ飛行訓練が繰り返され、周辺住民は、騒音被害や航空機事故の危険性にさらされ続けている。

とりわけ、2004年8月13日に発生した沖縄国際大学へ米軍CH53D大型輸送ヘリが墜落炎上する大事故は、市民、県民に甚大な被害と恐怖を与えた。

そのような中、昨年6月米国防総省は、現在普天間飛行場に配備されているCH46を12年の遅くから垂直離着陸輸送機MV22オスプレイに換装すると発表した。オスプレイは、開発段階から墜落事故が頻発している。

また、実戦配備された10年4月に墜落死亡事故が発生し、12年4月にもモロッコで訓練中に墜落し米兵2名が死亡、2名が重傷を負う事故を起こしており、さらに6月14日にはフロリダ州で訓練中に墜落し米兵5名が負傷しており、到底安全と言えるものではなく、普天間飛行場への配備は断じて容認できるも のではない。

普天間飛行場全面返還合意の原点は「世界一危険な基地」普天間飛行場の危険性を一日も早く除去し、市民、県民の過重な基地負担の軽減を図ることである。 宜野湾市民は、民間住宅が隣接し、「世界一危険な基地」と言われている普天間飛行場に、安全性が懸念されるオスプレイの配備に反対し、普天間飛行場の固定化を許さず、以下のことを強く求める。

一、普天間飛行場へのMV22オスプレイ配備を直ちに中止すること。
一、普天間飛行場の固定化を許さず早期閉鎖・返還すること。
一、普天間飛行場の閉鎖・返還の時期を明確にすること。

以上決議する。

2012年6月17日
普天間飛行場へのオスプレイ配備等に反対し、早期閉鎖・返還を求める「宜野湾市民大会」

あて先
在日米国大使/在日米軍司令官/在日米海兵隊司令官/在沖米国総領事/内閣総理大臣/防衛大臣/外務大臣/内閣府特命担当大臣(沖縄および北方対策担当)/沖縄防衛局長/外務省特命全権大使/県知事

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