私と憲法133号(2012年5月25日号)


「震災対策」に便乗した改憲策動を許すな

【改憲案の揃い踏みで迎えた憲法施行65年】

サンフランシスコ講和条約発効60周年にあたる2012年4月、自民党は改憲草案を発表した。もともと自主憲法制定を標榜する自民党ではあるが、今回、特筆すべきは、単に草案を取りまとめるだけではなく、その国会提出まで運動方針に盛り込まれていることである。実際にも、昨秋の第179臨時国会から始動した憲法審査会では、中谷会長代理から、自民党の憲法問題に対する取組状況の報告とともに「議員から憲法審査の申し出があれば滞りなく審査が行なわれるようにしておくことが第一であります。......(中略)......衆参の合同審査会が機能する規定を定めるなどの体制整備も早急に行うべきものであります(11月17日・衆院憲法審査会)」という提起がなされている。

しかも、自民党の草案と前後して、みんなの党は「基本的考え方」を、たちあがれ日本も「大綱」を発表しており、これら各党に民主党も加えた議員有志で構成される一院制議連も既に改憲原案を国会に提出している。さらに、維新の会や「石原新党」も改憲を前面に打ち出している。90年代以降、政党が離合集散を繰り返す中で自民党の「改憲DNA」が拡散してしまった側面があるにせよ、これだけ改憲案が出そろうというのは異常事態と言うほかない。

【震災を口実に利用】

そのきっかけの一つが昨年の東日本大震災であり、右派メディアの論調や憲法審査会での議論では、緊急事態条項がないから復興が進まないとの主張が噴出している。

しかし、復旧や復興は災害対策基本法や災害救助法や財政法の領域であるし、そもそも、倒壊・流失した建物や道路や橋の復旧は、建設関係の人的・物的資源をどう集中的に投入し、その財源をどう調達するかの問題である。それが一向に進まないのは、放射能が強くて現場に近づけず、そもそも被害状況の把握すら今なおできておらず、将来的に帰るあてがあるのかどうかさえ判らないという原発事故のせいである。したがって、復旧・復興の遅れを問題にするのであれば、それは「安全神話」の虚構の上に原発を推進してきた財界や歴代政権のエネルギー政策の責任こそ問われるべきであって、決して憲法のせいなどではない。これは少し冷静に考えればすぐに判ることだが、それでも声高に緊急事態条項の創設を叫ぶのは、震災を改憲の突破口にしようという火事場泥棒的な手口であり、被災者を冒涜するものと言わざるを得ない。

なお、緊急事態条項に関連して一言付言するならば、民主党も、自民党政権下での有事法制や国民保護法制の国会審議にあたっては、包括的危機管理法制の整備を盛り込んだ対案を出しており、2005年の同党の憲法提言には国家緊急権の明記が盛り込まれていることを指摘しておかなければならない。

一方、この間の憲法情勢はと言えば、歴代自民党政権ですら躊躇していた武器輸出の事実上の解禁や専守防衛から「動的防衛力」構想への転換等が強行され、連休中の日米首脳会談と共同声明も「動的防衛協力」など軍事面のみが異常に突出するものとなっている。今日の事態は、こうした既成事実の積み上げによる憲法の破壊の集大成としてあると見ておかなければならない。

【立憲制のイロハも知らない自民党案】

さて、今回の自民党の改憲案は、前文冒頭で日本を「長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家」と述べるとともに、本文第1条で天皇を元首と明記したほか、第3条で国旗・国歌の尊重義務を盛り込んだり、家族を強調したりする(前文及び第24条)など、極めて古色蒼然たる内容となっている。しかも、近代立憲制への理解が根本的に欠如しているため、明治憲法どころか、マグナカルタ以前の時代への回帰とも言うべき内容となっている。

具体例を挙げよう。現行の前文は「そもそも国政は国民の厳粛な信託による」という「人類普遍の原理」に基づく存在として憲法を位置づけ、社会契約論に基づく立憲主義を標榜している。これに対して、自民党の改憲案では、この部分がすっぽり削除され、「元首」である天皇を「戴く」国として日本を表現している。一応、前文や第1条の文言上は「象徴」という表現は残されたものの、現行の第1条では「国の象徴」と「国民統合の象徴」と規定されているうちの前者が削除されている。すなわち、元首としての位置付けと矛盾する「国の象徴」という表現を削除した上で、元首化への抵抗感を少しでも和らげるため、あえて国民統合の方で「象徴」という文言を残すとともに、後述するように精神的総動員の布石としての利用が意図されていると考えられるのである。

また、前文で一応は「国民主権」や「三権分立」という用語は使われているものの、なぜそのような原則があるのかの理解が抜け落ちている。換言すれば、憲法とは人権保障のために統治機構を主権者が民主的にコントロールするための授権規範・制限規範であるという原理原則を少しでも学んでいれば、憲法尊重義務(現行第99条)の対象に国民を加える(第102条)という発想など出て来ようがない。確かに、「人権は人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」という人権の本質に関する条項(現行第97条)が最高法規の章に置かれているのは一見すると唐突かもしれない。しかし、これこそが近代立憲制の本質なのであり、自民党の改憲案がこの規定を削除したのは立憲制の構造体系の根本に対する理解が欠如しているがゆえの誤りと言わなければならない。

次に、自民党の改憲案では、現行前文の「これ(人類普遍の原理に基づく憲法)に反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」という表現が削除されるとともに、第100条の改正条項中の公布に関する部分(現行第96条第2項)から「この憲法と一体をなすものとして」の一節が削除され、改正の限界に対する歯止めを外してしまっている。これは、改正の国会発議の要件を3分の2から過半数に引き下げる改正要件の緩和と併せて、時の権力者による恣意的な改変に道を拓くものであると言わざるを得ない。

【人権の軽視と戦時体制づくり】

さらに、改憲案の前文に「人権を尊重」という文言だけは辛うじて残されたものの、「和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成」とか「規律を重んじ」等の文言が直後に続く中で、人権の位置づけが相対化されている。加えて、本文中の人権条項では「自由及び権利には責任及び義務が伴う」という文言が追加される(第12条)とともに、人権相互間の調製原理である「公共の福祉」に代わって、人権より上位に位置する概念としての「公益及び公の秩序」が人権制約の根拠として持ち出されており(第13条)、統治者側が「公益上」制定・運用する法令の留保の範囲内に人権が押し込まれる論理構造になっている。財政の章と地方自治の章に財政健全化条項を盛り込んだ(第83条及び第96条)のも、福祉目的税の範囲内に医療・年金・社会保障予算を押し込めるための口実にされかねない。

また、現行第13条の「個人」としての尊重が改憲案の第13条では「人」としての尊重に改められたり、現行第24条の「婚姻は両性の合意のみに基いて成立」が改憲案の第24条第2項では「婚姻は両性の合意に基いて成立」と「のみ」が削除されたりしているのも、単なる言い換えの問題では済まされない。家族や社会による共助(前文)や社会の基礎的単位としての家族の尊重(第24条第1項)と併せて読むと、そこに「集団の中に埋没させられる個」という構造が見てとれるのである。

そして、こうした人権軽視の最たるものが、緊急事態条項(第98条及び第99条)の創設と平和的生存権の否定である。改憲案第9条の2の軍機保持と軍事法廷の創設は、軍隊の保持の論理的帰結であるし、身体の拘束や苦役を禁じた第18条から「奴隷的拘束」の禁止(現行第18条)だけが削除されたのも、強制徴用に道を拓くものである。現行第20条の政教分離の規定には「儀礼又は習俗」の範囲で除外規定が設けられ(第20条第3項但し書き)、これが財政の章の宗教上の組織・団体に対する公金支出を禁じた条項(現行第89条)にも持ち込まれている(第89条)ことから、閣僚の靖国参拝や公金での玉串料の支出に法的根拠を与える結果となっている。さらに、国旗・国歌の尊重義務(第3条)や一世一元制(第4条)を直接憲法に盛り込むことにより、精神的国家総動員体制づくりも狙われている。

なお、前文や9条の2で国際貢献への言及がされているものの、集団的自衛権については直接の言及はないが、現行第98条の国際法の遵守義務が改憲案でも第101条に引き継がれていることから、個別的及び集団的自衛権を国家固有の権利として国連憲章第51条がストレートに持ち込まれてくる可能性が考えられる。実は、日本は国連加盟にあたり、最高法規の制約上、国連憲章で規定された加盟国の権利義務をフルサイズでは履行できないことを表明しているのであるが、その「最高法規の制約」が取り払われてしまった場合の論理的帰結は明らかであろう。

他の各党の改憲案も似たりよったりだが、震災を口実とした戦時体制づくりを許す訳にはいかない。メディアまで巻き込んだ政財界ぐるみの改憲攻撃に対し、先人たちの幾多の苦難の歴史を経て獲得した人権を普段の努力によって守るという憲法第97条と第12条を主権者として実践すべき時は、今をおいて他にはない。
小川 良則(憲法を生かす会)

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原発をなくそう!沖縄から基地をなくそう!の声高らかに

2012年5・3憲法集会の記録(1)

「私と憲法」133号では「2012年5・3憲法集会」の各界方々の発言のうち、西田さん、松本さん、伊波さん、小山内さんの発言を採録しました。同集会での福島みずほさん、志位和夫さんの発言は次号134号に掲載する予定です。なお、発言の記録の原稿は実行委員会事務局で協同している「憲法会議」のご協力をいただきました。紙面を借りて御礼申し上げます。(編集部)

○集会報告○

「輝け九条、生かそう憲法、meeting平和とくらしに被災地に」をタイトルにして今年も5・3憲法集会が日比谷公会堂を会場に開催された。
集会は西田美樹さん(女性の憲法年連絡会)の主催者挨拶で始まる。自民党、みんなの党などの憲法改正案には「憲法は権力者を縛るルールである」という根本原則がすっぽり抜けている。私たちを幸せにするのが個人の尊重、基本的人権、国民主権、平和主義という憲法のルールだ、これを活かしていこう。原発稼働ゼロは私たちの力の成果、明るい明日に踏み出そう、と力強く呼びかけた。

スピーチの最初は松本徳子さん(つながろう!放射能から避難したママネット@東京)。娘さんと自主避難している立場から、野田政権の原発事故収束宣言のでたらめを批判し、今も下請け労働者が被曝労働を続けているし賠償問題も放射能汚染の問題も未解決、今こそ目を覚まさなければならない、再稼働は絶対に許されない、と訴えた。

伊波洋一さん(元宜野湾市長)は、今年は沖縄返還40周年、銃剣とブルドーザーで65もの自治体が基地にのみ込まれ、米兵による無数の凶悪犯罪に苛まれた沖縄、しかし返還に託された夢は裏切られ「核抜き本土並み」すら実現していない、闘いの相手は日本政府になった、日米安保の現状こそが問題、普天間飛行場は航空法に定められる飛行場でなく提供された基地に過ぎず、そのために安全基準は一切無視されている、この4月の入学式は米軍ジェット機飛来によって妨害された、3日前の日米共同声明は普天間基地返還を放棄しこれからも使用し続けるというもの、列島各地で米軍・自衛隊の対中戦争準備が進んでいる、これは大きな不幸をもたらすもの、中国の台頭著しいアジアの環境の中でアメリカへの追随をやめ、日米安保を見直し清算すべき時だ、と強く訴えた。

脚本家の小山内美恵子さんは、自分にとって1990年が人生の転機になった、多国籍軍のイラク攻撃に多額の金を出したのに、日本は血も汗も流さないと非難された、ならば憲法で生きている日本人の顔を見せたい汗をかこうと、ヨルダンの難民キャンプに飛んだ、以後イラン、ジブチ、カンボジアと難民支援の活動を継続してきた、ボランティアの日本の若者が徴兵制に無知であることに苛立ったことがある、子ども、甥っ子、孫を徴兵制で取られたくないなら憲法9条を護ろう、と車椅子から時間一杯熱っぽく訴えた。

合間に中山美保さんのアルト、ソプラノサックス演奏が入る。「長崎の鐘」「愛の賛歌」など平和を希求するメロディが朗々と場内に響き渡った。

続いて社会民主党党首福島みずほさんが演壇に立った。この集会で昨年は浜岡原発を止めようと訴えた。2年前には辺野古への基地移設に反対し閣僚として署名を拒否すると宣言した。現在憲法審査会が衆参両院で改憲を射程に入れて動いている。3.11被災地で、被災地にこそ憲法を!と言われた。憲法25条、13条が侵害されている。今こそ日本国憲法の出番、憲法の価値を実現すべきだ。改憲論議の中で緊急事態条項を取り入れるべきだという議論があるが、これは戒厳令、基本的人権の制約をもたらすもので絶対に認められない。先に発表された自民党憲法改正案は2005年のものよりさらにひどい内容であり治安維持法と同質のもの。私の父は特攻隊の生き残りで、毎年8月15日には涙を流していた。私たちは憲法の効用で守られている、基本的人権の剥奪は戦争のできる国とメダルの裏表。昨年12月訪米した際には多くの議員や研究者から普天間基地の辺野古移転はできないという声を聞いた、今こそ沖縄から基地を撤去しよう!

最後のスピーチは日本共産党委員長志位和夫さん。
憲法を護ることと憲法と相容れない現実を正すのは同じこと。第一に、原発と日本国憲法は両立しえない。震災関連死1618人のうち福島県が764人、その8割が避難区域の住民、原発事故はまさに社会的犯罪だ、原発ゼロの日本をめざそう。第二に、日米安保と憲法は相容れない。4月27日の日米共同文書は普天間基地の辺野古移転を再確認し、米軍の駐留長期化を図るもの、5月1日の日米共同声明は日米の動的防衛協力を謳っている、集団的自衛権の発動を狙うものだ。第三に橋下維新の会、反憲法の政治を現に推進する危険性がある、国民的連帯でこれに抵抗していこう!

最後に砂山亮子さん(「憲法」を愛する女性ネット)から集会アピールが提案され、満場の拍手で採択された。大雨にもかかわらず集会参加者は2600人、会場カンパが100万円以上寄せられたと報告された。
終始はきはきと集会の進行を務めた菱山南帆子さんは、2003年アメリカのイラク攻撃開始が始まるや、アメリカ大使館前に座り込み、抗議の声をあげた当時中学生だった方。
集会後銀座に向けてパレードに出発。右翼による執拗な妨害、罵詈雑言をものともせず、原発再稼働阻止!被災地に憲法を!軍備強化反対!憲法改悪反対!のシュプレヒコールを繰り返した。(池上 仁)

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《開会あいさつ》西田美樹さん(女性の憲法年連絡会)

みなさんこんにちは。幅広い実行委員会による第12回目の5・3憲法集会へようこそ。
あいにくのお天気のなか会場の外で参加のみなさん、ありがとうございます。
今年は日本国憲法が施行されてから65年目にあたります。私たちは日本国憲法を社会と暮らしに生かすことを目指して、様々な政治的立場を越え、毎年5月3日の憲法記念日に共同の集会を積み上げてきました。全国各地にこの運動は広がっています。

昨年の東日本大震災から、1年以上が経ちました。復興は遅々として進みません。福島原発での被害は、その態様さえわかっていない状況です。
今の政権は、消費税と社会保障の一体改革という名のもとに、私たちの健康で文化的な生活の基準を切り下げようとしています。TPP参加の問題もあります。アメリカ軍への思いやり予算、それからアメリカ軍の基地問題は私たちの暮らしを大きく苦しめています。選挙制度も国民の声を切り捨てるために変えようとしています。昨年暮れには、国会で何の議論もなく武器輸出3原則が緩和されました。秘密保全法の国会への提出も着々と進んでいます。

自民党やみんなの党は、憲法改正草案を出してきました。この憲法改正草案には大きな欠陥があります。憲法は、私たちを縛るルールではなく、権力者を縛るルールなのです。このことがすっぽり抜け落ちています。さらに、私たちが平和を誓った憲法九条に、軍隊を作るということさえ入れると言っています。こんなことを許すことはできません。私たちにできるのは、もっともっと今の憲法の素晴らしさを語ること、そして憲法を生かしてゆくことです。

憲法には何が書かれているでしょうか。憲法で最も大切なことは個人の尊重です。私たち一人一人が主人公として、誰のものでもない、政府のものでもない、他人のものでもない、私たち一人一人の人生を生ききること、これが個人の尊重です。この個人の尊厳を守るために、基本的人権の尊重が定められています。そして、国民一人一人が主人公であるから、国民主権が定められました。

何よりも、平和でなければ私たち個人は生き生きと輝くことはできません。平和主義が定められています。私たちが主人公であるために、憲法の基本的人権の尊重、国民主権、平和主義、この3大原則が定められています。そして、この3大原則を支えるために憲法の人権規定があります。この人権規定を具体化するための手段が権力です。それなのに、自民党などの憲法改正案は、権力のために人権を制限しようとしています。これでは逆さまです。自分が主人公であることが目的で、権力は手段である。このことをしっかりと確認したいと思います。

私たちを幸せにするためのルール、それが憲法です。
5月5日から日本で稼動されている原発はゼロとなります。再稼動は許さないという私たちの世論と運動の力が国内で稼動する原発の数をゼロとしたのです。私たちが憲法を使った結果がここにあります。私たちはこのことを喜びあいたいと思います。

どうすれば私たちが幸せになれるか。その答えはちゃんと憲法に書いてあります。そして、そのヒントが今日のスピーチと、銀座のパレードへとつながっていくと思います。明日という字は、明るい日と書きます。会場内外の皆さまの協力で、集会と銀座パレードを成功させ、今日より明るい明日となるために憲法をもっともっと輝かせていきましょう。

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《スピーチ》松本徳子さん(つながろう!放射能から避難したママネット@東京)

こんにちは。ただいまご紹介にあずかりました松本です。放射能から避難したママネットの益子さんのご縁で今日ここに立たせていただいています。昨年の3月11日は私たちに自然の恐ろしさを知らしめました。多くの方々の命を失うというとても悲しい、忘れられない日となりました。そして、福島第1原発の事故です。この事故は、私は人災だと思っています。

昨年12月、野田総理は収束宣言を出しました。しかし収束などしていません。それは国民すべてが知っているはずです。事故から1年2カ月近くたつにもかかわらず、現場では下請けの子会社、孫会社の職員が日々、放射能という恐ろしい汚染のなか、被曝を余儀なくされ何とか事故を収束させるために過酷な作業をおこなっていることを私たちは忘れてはいけないと思います。そして東電は被害者に対する賠償も未解決です。私たちは福島第1原発事故により、今までの原子力に対しての考え方を変えなければいけない現実を知ったはずです。地震や津波だけでなく、人災において事故が起きれば人間の力では対処できないということも知ったはずです。

私は戦争の経験はありませんが、わが国は唯一戦争において広島、長崎に原爆が落とされ、多くの人が被爆し、亡くなりました。原爆の恐ろしさを私は高校の修学旅行で学びました。その日本が、核エネルギーを利用し経済発展を目論んだ結果、この小さい島国に54基という原子力発電所ができてしまいました。

自然を無視し、自然を汚しているのは人間です。そして、その自然の恵みなくして生きていけない私たちであることも知っているはずです。原発事故で目に見えない、においもない放射能で福島を中心に空気、水、大地が汚染されてしまいました。この現実を日本のすべての人びとが知り、これ以上の汚染を食い止めなければ、これからの日本はあり得ないということです。

今回の事故で、今まで知らなかったことがわかってきました。もう40年以上も原発に対して反対してきた人たちがいたということです。でもその声を私たちが聞こうとせず、悲劇が起きてしまいました。自分たちさえよければ、これからの子どもや孫はどうなってもいいのでしょうか。目を覚ます時期が来たと思います。国は福島第一原発事故の原因を究明せず、原発再稼動というとても信じ難い行動をしようとしています。

私は今、これまで住んでいた土地を離れ、高い放射能から少しでも娘の身を守るために自主避難しています。家族がバラバラに生活をしています。先はまだ見えていません。今まで、年間1ミリシーベルト以上は被曝させないという基準があったにもかかわらず、事故を機に20ミリシーベルトに基準を上げてしまったわけをぜひ聞かせて欲しいと思います。そして恐ろしいことに、電気が足りなくなることと大事な家族のいのちを天秤にかけようとしています。同じことを繰り返さないためにも、私たちは立ち上がるべきです。

私の大好きな相田みつを先生の「うばい合えば足りぬ 分け合えばあまる」という、本当に当たり前のことが忘れ去られていると思います。東電が起こした事故のために土地が汚染され、自殺を図った人もいます。その償いもせず今もあぐらをかいて、電気料金をあげるというとてもお粗末な現実を私たちは見過ごすことができませんし、国の原発再稼働も決して許すことはできません。自分たちの子ども、孫、ひ孫にまで、重い十字架を背負わせることになってしまいます。

現在、福島第1原発4号機の使用済み核燃料プールは、危ない状態だと聞いています。福島第1原発事故の収束は、私が生きている間に見届けられないのかもしれないと思っています。

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《スピーチ》伊波洋一さん(元宜野湾市長)

憲法集会にご参加のみなさん、こんにちは。沖縄から参加の伊波洋一です。昨年の東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、福島を含め1日も早く被災者の皆さまの生活の回復を祈念いたします。

最悪の原発事故で原発安全神話が崩れ、次つぎと国内各地の原発の危険な状態が明らかになりました。いよいよ明後日には全ての原発が停止いたします。「輝け9条 生かそう憲法 平和とくらしに 被災地に」のテーマには、どのような困難な状況であっても、その困難を乗り越えて未来につなげるのは私たち一人一人であって、他にはいないことがこめられていると思います。私は憲法と沖縄、日米安保と沖縄基地問題について話したいと思います。

日本国憲法が沖縄に適用されたのは施行から25年後の1972年、沖縄返還からです。沖縄は沖縄戦直後から米軍統治下に入り、サンフランシスコ講和条約でも日本から切り離されました。住民12万人が犠牲となった沖縄戦のさなかから、米軍基地が作られ始めました。私の住む宜野湾市の普天間飛行場も住民を収容所に隔離し、村役場や学校があった中心集落を含む4つの集落と田畑を壊して建設されたものです。

米軍は戦争が終わっても、新たな基地建設のための銃剣とブルドーザーによる強制土地収用を強行し続けました。基地に消えた集落は60を超えます。今日まで残る沖縄の広大な米軍基地は、沖縄住民の基本的人権を踏みにじって存在しています。明らかにハーグ陸戦条約などの国際法違反です。基地の外では米軍人の凶悪な犯罪が沖縄住民、特に女性たちに向けられました。これまでに幼児から、児童、生徒、高齢者を含む多くの婦女子が米軍関係者の強姦や殺人の犠牲者になりました。今でも米軍犯罪は続いています。

沖縄は、米軍の横暴な土地接収や凶悪な犯罪に黙っていたわけではありません。非暴力の粘り強い抵抗としてたたかってきました。島ぐるみの土地闘争は米国に沖縄住民の土地所有の権利を認めさせました。日本国憲法への即時無条件、全面復帰を求める屋良公選主席を誕生させました。米軍基地で働く労働者は組合をつくり、ストライキを打ち、沖縄の労働者と政党、民主団体はベトナム戦争に反対して沖縄基地が使われるのを阻止するために反対し続けました。私もB52爆撃機が嘉手納に落ちた高校生のときに、その抗議集会に参加したことを今でも覚えています。

戦後27年の米軍統治で沖縄県民の財産権や基本的人権は米軍に無視されていました。権利は沖縄県民自身がたたかって、米軍から勝ち取らなければなりませんでした。一方、憲法第11条には、国民はすべての基本的人権を妨げられない、この憲法が保障する基本的人権は侵すことができない永久の権利として、現在および将来の国民に与えられるとあり、沖縄にいる私たちにはまぶしく、輝かしく見えました。

1950年生まれの私も教室で憲法を学んできました。沖縄から本土に行くには、1972年まではパスポートが必要でした。ですから本土復帰をして日本国憲法のもとに入れば、沖縄県民も基本的人権が尊重され、沖縄県民の土地を取上げて作った米軍基地もなくなると思っていました。しかし、沖縄返還が実現しても基地はなくなりませんでした。沖縄が即時無条件、全面返還を求めたのに日米政府は「核抜き・本土並み」とし、その「核抜き・本土並み」の約束も反故にされてしまいました。沖縄の基地は今でも決して「本土並み」ではありません。私たち沖縄は、日本政府に裏切られつづけています。沖縄戦で捨石にされて12万の住民が亡くなり、講和条約で27年も米軍統治下に置かれ、広大な米軍基地がつくられ、本土復帰後は日本政府が米軍に代わって基地をつくり続けています。

今年は沖縄返還から40年です。72年の沖縄返還で沖縄にあった全ての基地は、日米安保の提供施設とされました。そのとき以来、今度は日本政府が基地を作りはじめました。沖縄県民は日本政府とたたかわざるをえなくなっています。日本国憲法があっても、基地の前では立ち止まります。1957年の砂川事件の伊達判決は、日本国外での武力行使を前提として駐留する米軍を憲法9条違反と断じました。当然の判決です。しかし、アメリカの介入と干渉によって最高裁でフタをされてしまいました。今でも米軍基地は、日本国憲法の空白地帯となったままであります。私は今こそ日本国憲法の、戦争放棄の理念の輝きを取り戻すべき時期だと思います。

日本国憲法が保障する基本的人権や平和主義を曇らせている大きな原因は、日米安保の現状だということを沖縄から強く訴えます。日米安保には、2つの大きな問題があります。1つは、米軍基地の管理権が米軍に委ねられ、日本政府はひとことも言うことができないということです。もう1つは、米軍人と家族、軍属の犯罪を日本側が起訴しないという密約があることです。このような現状が日本国憲法を大きく損なっています。米軍基地は日本を守るためではなく、アメリカが戦争するためにつくられ、使われ続けています。

現状がいかに日本国憲法の保障する基本的人権を損なっているか。普天間基地問題を通してお話したいと思います。多くのみなさんは、普天間飛行場が、飛行場ではないといわれたら驚くでしょう。多い時には数10機の米軍機と米軍ヘリが駐留し、年間2万から3万回の飛行訓練が行われる飛行場は、航空法による飛行場ではなく、日米安保の提供施設に過ぎません。航空法の飛行場ではないため、国は何の安全対策もしていません。米軍機には航空法で規制されている危険飛行も規制されず、滑走路の進入の経路に設定される安全基準も無視され、米国なら連邦航空法で守らなければいけない安全基準も無視されています。小中学校や住宅地の上空を、低空で米軍ヘリが昼夜を問わず飛びまわっています。普天間飛行場が「世界一危険な飛行場」といわれるゆえんです。2004年8月の沖縄国際大学へのヘリ墜落事故のような大事故がいつでも起きうる状況が放置されています。昼夜を問わず訓練もひどくなり、いま大変厳しい状況にあります。

嘉手納基地も同様です。嘉手納基地での2万2千名の原告による第3次爆音訴訟団と訴訟、そして普天間における3千名を超える第2次爆音訴訟、この訴訟が日常的な被害の大きさを物語っています。子どもたちも毎日、学校でも、家でも、地域でも爆音にさらされています。先月4月10日に小学校の入学式が、F/A18ホーネット・ジェット戦闘機12機の突然の飛来によって中断されました。100デシベルを超える爆音が15回も記録されています。このような現状が沖縄返還から40年たってもなお放置されています。明らかに安保優先の政策が沖縄県民を苦しめています。沖縄でわがもの顔に航空法を無視し、住民を無視して飛び回る米軍機も、米国に帰れば連邦航空法や、より厳しい安全基準を守っています。旋回訓練コースも基地の中に設定されなければなりません。住宅地上空の飛行などはありえません。しかし、このようなことがこの日本では、沖縄では、あるいは普天間では放置されている。私たちは、このことを日米政府に質さなければなりません。

驚くべきことに、3日前の日米首脳会談で合意した米軍再編の見直しでは、1996年以来前提としていた普天間飛行場返還を反故にして、2019年以降もこの普天間飛行場を使い続けることを日米両政府は合意しています。さらに今年、あの危険なオスプレイを配備することも合意しています。この合意が宜野湾市民、沖縄県民に大きな怒りと反発を生んでいます。私はこのような危険な状況を放置して、普天間飛行場を更に10年以上も使い続けようという日米政府に対して驚きを禁じ得ません。解決能力を失った外務、防衛の両大臣、首相も即刻辞任すべきであります。

見直しは当初、25日発表の予定でしたがアメリカの軍事委員会のルビー委員長の申し出で、延ばされました。上院の何名かの議員の申し出で延ばされて、文言まで修正されるのに、沖縄について日本側からは一言もない。まさにこのようなことが、私は問われるべきであると思います。1881億円もの思いやり予算、そして6千億近い予算が在日米軍のために使われているのに、私たちの国の大臣は、総理は一言も言わない。こんな国が、こんな現状が続いていいのでしょうか。私はこのようなことを許している日米安保の現状を1日も早く見直し、そしてこの沖縄の問題の解決を図るべきだと思います。

みなさん、日米安保は60年前の米ソ冷戦の中で、サンフランシスコ講和条約による独立と引きかえに占領下の米軍基地をそのまま受け入れて、旧安保条約が締結されて始まりました。しかし今でも60年前の仕組みと内容が続いています。アメリカに一言もものが言えない関係は、当時の米ソ冷戦下の関係の継続に他なりません。今では政府は考えることすら停止してしまっています。私は、今年は日米安保を見直すスタートの年になると思います。なぜならば、いまのように主体的に安全保障を考えず国民を犠牲にしたまま日米安保を続けると、とんでもない不幸が待っているからです。かつて日本がアメリカ市場によって成長していた時代は、ある部分ではそれで是認されたかもしれませんが、今では日本をとりまく環境が大きく変わっています。今では中国が日本の最大の貿易相手国です。2009年の貿易総額は日中貿易が24兆7千億円、日米貿易は14兆2千億円、中国のほうが、10兆5千億円多いんです。2010年からは輸出も中国が多くなりました。私たちはそういう時代の中に、そういうアジアにいます。

みなさまご承知のように中国が日本を追い抜きました。2020年にはアメリカを追い抜いて世界第1位の経済大国になると言われています。日本の内閣府の「世界の経済潮流」という報告書でも、2030年には世界におけるGDPシェアは中国が23・9%、アメリカは17%、日本は5・8%で、アメリカの1・4倍、日本の4倍の経済力をもつ国になります。私はやはりこのような時代のなかで、アメリカだけを見て軍事的な緊張を作り続ける、このような関係はおかしいと思います。日本は90年代から長い経済停滞に陥っていますが、くらしも年々厳しくなっています。これも日米安保で首根っこを押さえられ、市場開放や規制緩和やTPPなどアメリカの市場としての役割を強制されているからではないでしょうか。なぜなら、その間にもアメリカはGDPが2倍になり、中国は10倍になりました。近隣諸国も同様です。本当に私たちはこのまま日米安保、日米同盟深化まっしぐらに進む政府をそのままにしていていいのでしょうか。

最後に訴えたいのは、とんでもない不幸というのはどういうことかということです。多くのみなさんには信じられないでしょうけれども、いま列島の各地で米軍と自衛隊が中国との戦争準備を急ピッチで進めているということです。沖縄からはよく見えます。米軍基地と自衛隊基地がどんどん強化され、基地だけでなく民間空港や民間港湾をアメリカ軍が使えるようにし、そしてその目的は戦争です。アメリカの目標は中国と戦争できる状況を日本列島に配置していくこと、これが進められています。辺野古も同様です。昨年5月4日に朝日新聞が報道したウィキリークスが暴露した極秘公電では、アメリカのキャンベル国務次官補が発足当時の鳩山政権に対して、「辺野古を作るのは中国との戦争のためだ」ということを日本の政府高官たちに細かく話している様子が報告されています。

ほかの秘密公電でも同様のことが行なわれています。私はやはり、今日本が進めているアメリカ言いなりに日本国内における軍事強化を目指す方向は、日本にとって大きな不幸をもたらすと思います。私はこのことをやめさせるためにも、日米安保をやはり見直して清算すべき時期に来ていると思うのです。

東アジア専門家のジョセフ・ナイ氏の「戦争はいかなる時に起こるか。超大国、ナンバーワンが別の超大国ナンバーツーに追いつかれると思ったときだ」という言葉が、孫崎亨氏が最近出した「不愉快な現実 中国の大国化、米国の戦略転換」という本に出ています。まさに今、日本で起こっていることがその言葉の意味です。やはりこのようなことを起こさせてはいけないし、アメリカもまた必ずしもそういう人たちだけではありません。日本政府が聞いている国防総省や国務省の日本通のみなさんというのは、軍事的意味だけで日本を見ています。その役割だけを演じさせられているのが今の状況です。その中で沖縄は、辺野古基地づくりや様々なことが行なわれています。先島にも自衛隊を派遣するという状況にあります。このことを私たちはしっかり見つめ直していかなければなりません。

私たちは中国とも仲良くし、話し合いを通して尖閣諸島の問題も解決する。すでに日中国交正常化以来、多くの積み重ねができています。日米安保を見直しながら、日本の平和主義、憲法9条の基本に立って中国とも、他の東アジア諸国とも向きなおす時期に来ていることを感じます。そのためにも私たちは平和に向かって憲法を守り、そして日本のアジアにおける平和的立場を明確にするためにも沖縄から基地をなくしていきましょう。その始めに、普天間飛行場そして嘉手納基地をなくし、日本の平和、アジアの平和、沖縄の平和を作っていこうではありませんか。ともに頑張ってまいりたいと思います。

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《スピーチ》小山内美江子さん(脚本家)

小山内美江子です。こんにちは。車椅子で来たのですが、みなさん心配なく。この雨で帰りに〝いっちゃうんじゃないか〟と思わないでください。そそっかしくて足をちょっと痛めただけですから。

沖縄の本当に力強いスピーチ、そしてこの後も素晴らしいスピーチが続きます。私は本業が脚本家ですから、少し脚本家っぽいスピーチをしてみようかと思います。急に変えたので上手くいくかどうかわかりませんが。

それぞれ人間には、生きてくる中でいろいろ転機というものがあります。きっかけとかそこから変わるというような意味です。私の場合は、1990年にその転機がやって参りました。
その年は一体何だというと、私は大河ドラマを無事書き終えました。そこまで私をずっと支えてくれていた母が91歳で亡くなりました。さらにこれからどうしようかと思っていたときに始まったのが、1990年8月2日のイラクが武力でクウェートに侵攻したことです。でもその時は、またオイルショックが来るのかな、という程度でした。でもそんなことがたくさんあったら大変なので、イラクの隣のサウジアラビアの王様がアメリカに、「助けて!怖い! あの人は乱暴だから」と言いつけたんです。そしたらその時のアメリカの大統領というのはパパ・ブッシュ、前の方のおとっつぁんブッシュです。彼が「わかった」ということでみんなに声をかけました。いろんな国でイラクに圧力をかけようとうことで、本当に小さな国も後々のことを考えてみんな兵隊さんを出した。これを「多国籍軍」といいます。そして、フセインに「兵を引きなさい」というわけです。「そうすれば自分たちも引く。そんなことをしていたら本当に戦争にするぞ」と言いました。

その時、いろんな国から兵隊さんが出ましたが、先進国で兵隊さんを送らなかったのはドイツと日本だけです。理由はもうご存知でしょう。第2次世界大戦のときに両方の国は大変いろんな国に迷惑をかけた。それだけではなく、日本には軍隊がありませんでした。今でもないはずです。日本は「自衛隊」だから、内を守っていればいいので、軍隊として外に出すわけにはいかない。けれどもものの勢いというのは、いろんな国が参加すると日本としては後ろめたいのでしょう、大変なお金を出した。大変なお金といっても、総理大臣なんかが一生懸命働いて貯めたお金ではありません。みなさんの税金です。それを「よろしく使ってちょうだいね」と託されたのが内閣です。とにかく大変なお金を出した。にもかかわらずというか、戦争というのは物凄い金食い虫ですから、しかも兵器がどんどん優秀に新しくなるたびに高くなっていく。だから戦争やるにはお金がいるわけです。

だから日本が出した大変なお金というのは、戦争をする側からしてみたら大変助かったはずです。にもかかわらず、よその国は「日本はお金だけ出して、血も汗も流さない」とバッシングです。その頃はみなさんも体験していらしていれば、本当に悔しい思いでした。せっかくお金を出しているのに、血も汗もと言ったって、私たちはアラブの人たちとけんかをしたことがありません。けんかしたことのない人に、なんの恨みもないのに戦いに参加して、向こうの人を殺して、日本の若者も死ぬ。そんなことがあってはいけないと日本の憲法に書いてあるわけですから、それで忍んだわけです。

ただ私は先ほど、自分の転機といいましたけれども、1990年、大きな仕事も終わった。母もいない、私は60歳でこれからどうしようと思っていた矢先のことです。よし、ただ笑っていられるより、日本人は戦争をしない、そのかわり、皆さんのためになることは色々なことをする、日本人というのはこういう顔をしている、これでよかったら見てください、というノリで、私はヨルダンという国へ行きました。たまたまコーディネートしてくれる方がいたからですが、私が行くと言ったら、友達も行く、私の息子も行くと言いました。でも息子には、「行かなくてよろしい」と。まだ若くていろんなことがあるから、変なことに巻き込まれて殺されたくなかったので言いました。私はもう60の還暦で十分生きたからもういい、と。本当はそんなことはなく、色々なことをしたかったのですが言いました。楢山節考の世界なら、息子の背中に負ぶさって姥捨て山かどこかに行って凍死してしまうのが日本の母親の自立した運命である、などと言いました。

すると息子が、「そうですか、でもあなたは英語ができないでしょう」と、いちばん痛いところを突いてきました。私が女学校に入学したのは1943年で昭和18年。その年から英語はやらなくてよいと、文部省は舵をきりました。大変なことです、野球だってストライクは「よし」、ボールは「だめ」。それから音楽もドレミで歌ってはいけない、ハニホヘトで歌えと。そんなことで日本は勝つのでしょうか。今でもなにか上っ面をなでているのは、その時の遺産があるのではないかと私はとても心配しています。

そういうことで、はじめて何がなんだかわからないけれど、血と汗を流すよりは汗だけのほうがいいからと、7人の仲間ではじめてヨルダンに行きました、ヨルダンというのはイラクの隣でそのときイラクに入れなかったからそうしました。コーディネーターをしてくれた人が成田まで送ってくれ、行くメンバーみんなが手をつないでお祈りをしてくれた。彼はクリスチャンです。クリスチャンでもご利益があればこんな良いことはないので、ここに本当のクリスチャンの方がいらしたら申し訳ないですが、「天にましますわれらの神よ、ここに7人の子羊がいて」というお祈りでした。私は午年です。なんでここで羊なのかわからない。とにかく行きました。そのときにつくづく感じました。それは、キリストさんが私たちを守ってくれるのかも知れない、だけど私は家を出るときに仏さんにお線香をあげてチーンとならして「行ってきます」といって家を出ました。

向こうに着いたら本当にしっかりしたヨルダンの人がいて、「アラーの神の名において、あなたたちをお引き受けいたします」と。思わず私は「あらー!」となりましたが、このキリストさんと、仏さんとアラーと3人の考え方というのは、日本だけでなく世界でいろんな人に影響しています。本当に影響している。その3人が果たしたようなことは、お釈迦様もふくめて、「満ち足りた者は、満ち足りない人と分かち合おう」と必ず書いてあります。それを実行していれば、戦争なんて起こるわけがないのです。どうしてそんな簡単なことが守れないのだろうかと、とても悲しいです。

日本は1945年に、戦争に負けたのか終わったのかわかりませんが、その後にそれに加担していないということは、私は本当に素晴らしいことだと思います。けれど今、にわかに中東とアフリカがあやしくなっています。しかも身近なところでは、北、というところがあやしくなっています。1945年8月15日以来の、なにか穏やかじゃない気持ちがここへきて、82年生きていると冗談じゃないという気になってきます。

まずヨルダンに行って何をしたか。なにも特別なことはできません。そこに大勢の難民が、イラクで石油の仕事をしている人たちが命からがら逃げ出してきた。そのキャンプでのお手伝いです。ご飯の時間になると、1列に並んでもらいます。「One line please !」(1列に並んでください!)このくらいは言えます。そのほかに内陸ですから夜中というのは本当に寒いです。その毛布を干して、次の難民を迎えるように、など本当に簡単なことをやりました。あちらとしては日本人を初めて見たような顔をしているから、そういうボランティア活動はまだまだヨルダンに行ってなかったのでしょう。かなり珍しい存在のようです。そこのキャンプを守っているのはヨルダンのエリートのMPみたいな人です。

この人と話しているうちに、「うちの国と、あなたの国は仲良しだ」ということで「この前、お宅の天皇が亡くなったとき、うちからちゃんとお悔やみにいった。だから、うちの方でこないだ亡くなったときは日本が来てくれて、とても仲良くなった」と、腹の底では何をおねだりしているのかと思っていたら、「本当にいい国だから、私の国も一緒の考えで生きていきたいと思う」ということで、「あなたたちの国の憲法は戦争をしちゃいけないということを書いている。それだけじゃなく、公布された時に全世界に向けてそれを宣言した。だから、あなたたちの国には軍隊がない。素晴らしい。軍隊があると私たちみたいに勉強の途中でここにこなきゃいけない。日本というのは実に賢い。そして、この憲法は素晴らしい世界の宝だから私たちも頑張るけど、これは守っていこう」なんて、24、5の結構イケメンに言われました。私が口説かれてるのか、憲法が口説かれてるのかわからないけれども、憲法に対しては非常に熱心に勉強していたと思います。

ヨルダンから帰ってきたら、「オサナイというおばちゃんが向こう見ずで行った」という話が多少流れたので、一緒にこういう運動をやろうと誘われました。「こういうのとは何ですか」と聞いたら、「日本人の顔を見せに行こう。自衛隊を出すわけにはいかない。自衛隊を出すなというデモもいいけれど、向こうに行ってそういう顔を見せることはたいへん大きい」と言ってくださったのが、東京芸大の学長であった平山郁夫先生でした。そしてこの間亡くなって、まだまだつらい思いをしている俳優の二谷英明さんでした。残念ながら若い人は二谷英明さんといってもわからないかもしれません。これを説明するのは大変です。本当に素晴らしい人でした。

「みんなで平和のために顔を見せに行く。それは、われわれができることである。政治家は別の形でやってくれるでしょう。私たちができることでは、そういうことをやりましょう」。そういう話をし、平山さんも二谷さんも一緒にやろうといった人は5、6人でしたが、不思議なことにみんな昭和5年生まれの当時60歳でした。これは何だろうと思いました。今の中学3年の歳で戦争に負けていますから15歳です。これは私の中にとても残っていますので、かつて「3年B組 金八先生」で書いたのも15歳です。だから、その思いをもって一生懸命書きましたが、要するにフセインが言うことを聞かず、何月何日までにといわれたのに兵隊を引き上げなかった。そのために本当に戦争になってしまいました。

兵器とかそういう物は全部揃っている多国籍軍のほうが強いですから、向こうはすぐ負けたわけです。負けて兵隊を引き上げたので、パパ・ブッシュの方は最初の目的を達したから引き上げ、よその国も全部引き上げました。

引き上げられなかったのがクルドの人たちです。これは本当にすさまじい攻撃を受けて、山を越えて隣のイランという国へ逃げ込みます。現在またイランは核の問題でややこしくはなっておりますけれども、イランに逃げ込んでそれはひどい生活ぶりで、私が見たキャンプの中でも一番酷いといっていいようなところでしょう。それがテレビでどんどん日本へ入ってくる。これを何とか自分たちの問題として助けましょう、ということで、昭和5年のグループは「行こう」ということになりました。そしたら、ある大学の学長さんで「こんなことを言っている人たちがいる。言っていることは勇ましいけれども、みんな60歳のじいさんばあさんだ」と、随分失礼なこと言うなと思ったのですが、学長が「君たちはどうする」ということで、その大学の学生が立ち上がってくれたわけです。夏休みを利用してクルドの人たちを支援しに行くということで、私たちが行くときにその学生と一緒に行きました。

行ってみたら、日本で当たり前のことが当たり前でないというカルチャーショックが身に染みたはずです。でもそこの国にはそこの国の教えがありますから、それに則ってやらせてもらう。まず、私が行った時に200万のお金を預かりました。イランはクルドの人を帰してあげたい、クルドの人もイラクに帰りたい。ただ、イランの方としては1週間分のお米だとか必要なものを持たせてあげたい。本当にやさしいのですが、お金がありません。その前に戦争をしていてお金がないところへ私どもが入ったので、大喜びでやってくれとなったので、まず200万円の一部でしたがお米をトラックいっぱい買いました。私の生涯の中であんなすごい買い物というのは、実に記録すべきものでした。これを全部、帰っていく人の人数に合わせて、大学生は専門技術がありませんから手作業で分ける。それを、お米の袋、お料理をするためのサラダオイル、お洗濯するための洗剤、色々なものを1つの大きな袋にして難民に渡す。難民はそれを担いで山を越えて自分の国へ帰っていく。というようなことが私たちにできる最初のボランティア活動でした。

学生たちは、向こうの人たちにはそうでもないのでしょうが、とんでもないものを見た。彼らは「日本はいい国ですね」といってくれました。この人たちがまたどこかに行くぞという時には、私はまた付いていこう。承知していないといけないことをうっかりやってしまうと、やっぱりその国の規定に反します。こっちのほうが悪いわけです。年をとっている人間のほうが、わかることがあるから、自分の健康とお財布が続く限り、この若者たちと一緒に歩いていこうと思って、一緒にやりました。

そのうちジブチという小さな国へ行きました。ジブチでは日本のお医者さんが、逃げてきた難民さんたちを一生懸命お世話命している。日本としてもジブチに兵隊さんを何名か送ったのは、今年に入ってからです。やろうと思ったらやっていいというのは民間の強みですから、私たちのほうがずっと早い。にもかかわらず、情勢を聞きにも来ない。横着です。

情報というのはいっぱい取ってから行くべきであって、ただそこで知り合ったお医者さん、コーディネーターやいろいろな方、その中で、みんなでそろったらいろんな事ができるのではないか、ということでできたのが「ジャパン・エマジェンシー・エヌジーオーズ」という団体です。これができたので、即ユーゴスラヴィアに行きました。ユーゴに行ってもそこで「あんたたち日本人だろ? いいねえ、いい憲法を持ってるね」と誉められる。日本で歩いていて「小山内さんですか、憲法はいいですね」と言われたためしがありませんが、やっぱり自分で持ってなきゃいけないことです。

それで、向こうの大学生とこちらの大学生を交流させました。どっちも英語で一生懸命自己紹介をして、これから話し合いというところで、日本の若者が「日本の大学生というのは18から22、3歳までだ。でもあなたたちの話を聞くと、皆さん26とか27とおっしゃっている。どうして年齢が高いんですか」と聞いた。私はその日本の学生を蹴飛ばしてやろうかと思ったのですがそうもいかない。はっきり言われました。「あなたの国には徴兵制がない。私の国にはある。だから大学の途中で兵隊にいくのです」。日本の学生は「兵隊になってどういうことをやったんですか」。私はまた蹴飛ばしてやろうと思いました。「兵隊としてやるべきことはすべてやりました」と返事が返ってきました。

その頃になると少しわかってきて、日本の彼らは「ゾーッ」とした顔をしていました。つまり、人を殺す、敵を殺す。敵を殺すというのことは人を殺すことです。よくわからないなりに彼は「ゾーッ」としたと思います。そしたら、向こうの学生のひとりが、髪を短くしていて「ここのところわかりますか」と見せてくれました。「これは弾がかすっていったんです。僕はあの時もう2センチ高い位置にいたら、完全にここにはいません」と。日本の学生はそんな話は初めて聞いたのではないでしょうか。その晩、徴兵とは何かという話し合いになりました。こういう若い人たちの話し合いの場にいられるということは、私はとても嬉しいことです。

「君たちと同じ年頃の人たちが、前の戦争でどんどん学校から呼び出されて兵隊になって、そして亡くなっていって今の日本の平和があることをちゃんと考えてほしい」ということが、おばさんからの言葉です。それがあったので、その次もまたやりたいとなりました。

カンボジアは長い内戦が終わって、これからがんばるというところにちょうどぶつかったので、難民キャンプから帰ってきた人たちのお世話をしましょうという話から始まって、イランの時にいかれなくて口惜しい思いをした学生たちが応募してくれました。彼だけでは大変なので、色々な人にこういう学生を応援してくださいと言ったら、そうですか、と募金をしてくださいました。

難民の人が戻って、そして選挙をしてあの国は独立国として歩いています。けれども、難民が帰ってきて選挙が終わったから、私たちは何をしましょうか、ということで学校を作ろうということになりました。

子どもが朝、学校へ行く登校風景がないわけです。それまでにはもちろん調べておりますけれども、とにかく学校の先生は8割が殺されて、教育がないのです。教育がないということは、「平和」というものがどういうものなのかわかりません。だから、これをやりましょうということになったものです。

今年は3月の活動から帰ってきった学生が今日当たり南三陸に入っています。私が家を出てくる前は雨がすごくてバスが着かないというような話がありました。
勉強は勉強、社会での勉強もやってほしい。よその国とも本当に仲良くやっていこう、それが兵隊を出さないですむ、日本の平和を守ることです。そしてそれをよその国にも伝染させる、ということだと私は思います。

昨日の新聞では、自衛隊を国防軍にしようと出ていました。「軍」なんかにされてたまるか。私は兵隊に出すためにわが子を産んで、シングルマザーとして育てた覚えはない。みんなだって、大学生だって、お父さんの給料がなかなか上がらないのだけど一生懸命やっています。憲法を改正するということは、9条を改正するということです。9条を変えた場合なにがくるか。徴兵制です。

みなさん、どうか自分の息子、甥っ子、孫を戦争にやりたくなかったら、この憲法を一緒に守りましょう。たたかいましょう。ありがとうございました。

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第68回市民憲法講座(要旨)震災がれき処理を考える視点

鷹取 敦さん(環境総合研究所 調査部長)
(編集部註)4月14日の講座で鷹取 敦さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。

放射性物質だけの問題なのか

環境総合研究所は、この前まで東京都市大学の教授もやっていた青山貞一と池田こみちがつくった会社です。先日、池田こみちのインタビュー記事が東京新聞に載りまして、それ以来がれきの広域処理の問題について彼女は全国を飛び回っています。広域処理の問題は私も池田と話していたので、認識としては共通したものを持っています。

がれきの広域処理の問題は、放射性物質だけの問題なのかということが第一の問題意識です。広域処理をしたい側、受け入れる側も放射性物質はたいした汚染ではないと言っています。受け入れたくない側は放射性物質の危険があると言っています。でも実際はそれだけが問題ではありません。

必要性、妥当性、正当性の3つの観点から具体的に検討して、この広域処理にはどういう問題があるのかを考えました。

もともと公共事業の評価や、それ以外の民間のことやわたしたちの生活で、何かをやる場合にそれが本当に必要なのか、方法や量や規模が妥当なのか、それをやるに当たってのプロセスが正当なものなのかという観点から検討して、ちゃんとしたものじゃないといけないということです。

今回の広域処理については、このいずれにも問題があるというのが私の問題意識です。必要性というのは、広域処理についてはどういうものなのか。地域・被災地にとっての必要性と、優先順位として広域処理はどうなのか、ということが必要性の問題。妥当性というのは、その広域処理という方法の経済的な合理性、安全性、それから社会的な面、いま全国で問題になっています。反対している人と受け入れるべきだといっている人とのあいだに大きな亀裂ができています。そういう面も含めての妥当性。それから正当性、国が広域処理の方針を決めて進む上でのプロセスに、問題はなかったのかという点です。

広域処理で10年を2年にするのではない

必要性に関して検討するには、妥当性とも関係ありますが、誇張されていない客観的な個別具体的な情報が必要です。具体的なデータとか情報に基づいて、本当に必要なのか、必要だとすればどういうものが必要なのかということを検討する必要があります。

国はなんと言っているのか。部分的に出ているデータが間違っているわけではなくて、たとえば岩手県では約476万トンのがれきがある。一般廃棄物の11年分に相当する。宮城県はもっと多くて約1569万トンある。一般廃棄物で19年分に相当します。日本全国の廃棄物排出量の半分に相当することはさんざん言われています。反対している人でもそうかなと思う人は多いと思います。この数字自体が間違いかどうかではなく、広域処理しないと19年、あるいは11年かかると思っている人は多い。広域処理で受け入れないと20年かかるから、受け入れてあげなきゃいけない。受け入れれば国が言うとおり2年で処理できる。だから受け入れるべきだと思っている人が多い。これは環境省が、がれきの広域処理をアピールするためのホームページを結構お金をかけてつくっていて、こういう情報を流しているわけです。でも岩手県はこういうスケジュールで2年後には処理すると言っています。宮城県についても言っています。

石巻ブロック、亘理ブロックなど被災地の状況について、わたしは3回調査に行きました。上司の青山と池田は7回とか9回くらい行っています。福島、宮城、岩手の海岸沿いを車で走ってきました。わたしが撮った東松島の写真ですが、津波で流されています。そこら中にがれきの山があるかというと、車でしばらく走ると仮置き場にあります。確かにひとつひとつの山は大きいですが、海岸線がずっと埋まっているわけではありません。

これは女川の高いところから見た写真ですが、仮置き場に撤去された跡で、がれきがそこら中に積まれているわけではない。環境省のホームページでは、広域処理希望量というものがあります。これは岩手県が希望している量、約57万トンです。全体で476万トンと言っていますので、全体の1割くらいが広域処理の希望量です。

つまりがれきを広域処理することによって10年を2年にするわけじゃない。11年分のがれきが出たということは、11年かかるという意味ではないわけです。岩手県の域内だけでかなりの部分は2年で処理できるというのが現在の計画です。どういう内訳かというと、コンクリートとか土砂は復興資材として埋め戻す。これは現地処理です。それから再利用、太平洋セメントでセメントの材料として使う。この部分も当然地元で焼却リサイクルです。広域処理の依存度は岩手県についていえばかなり低い。

不燃物は広域処理しなくてもほとんど地元で処理する計画になっています。可燃物も同じです。多いのは柱材・角材、つまり木です。木については広域処理の依存度はかなり高くなっています。木も安全性を確認したものであれば何もゴミのように燃やしてしまわなくても、チップにして燃料として使ったりほかの処理の方法もあるわけですから、必ずしも全国のゴミ焼却場で燃やす必要なはないと思います。

国は必要性を議論し判断できる情報提供を

環境省のホームページに載っているのは、こんなにがれきがありますよとか、現地の人ががれきを早くどけてほしいと言っている動画なんですね。情緒に訴えるものばかりで客観的に冷静に判断できるデータはほとんどありません。数少ないデータの中で、宮城県の分では1569万トンのうち広域処理希望量は約20%です。だから宮城県の場合も広域処理しなければ19年かかるのではなくて、2割を広域処理に依存している。広域処理が仮にできなくてもその2割分が、あとで現地で処理しなければいけない量だという話です。

比較的広域処理が多いのは安定型品目、管理型品目、これは埋め立てるものですから焼却炉で燃やすものではないです。焼却して出る焼却灰も可燃物は比較的広域処理の依存度が高い。ではどこの市の広域処理依存が高いのかというと石巻市です。石巻市は圧倒的に広域処理の依存度が高い。課題が残っているのは石巻市を中心とした石巻ブロックです。地元処理だけで2年で片付くかといったら、かなり厳しいと思います。

いままでのところをまとめます。広域処理をしなければ、被災地全体のがれき処理に10年から20年かかるわけではない。岩手県は今後2年以内で、柱材・角材を除けばほぼ自区内処理が可能です。それをもともと計画しています。宮城県のうち量が多い石巻ブロックは、可燃物がいちばん大きな課題になっています。仮置き場にするような平地も少なくて厳しいという声もあります。

わたしが言いたいのは全体を誇張して必要性を強調するのではなくて、具体的にどの地域でどういうものが課題になっているのかということを、国がきちんと提供して国民的に議論した上で、広域処理が必要かどうかを本来は考えなくてはいけない。それを環境省や国はまったくやっていないということです。

処理プラントは22基建設していて、一部が稼働しています。これから30基前後に増やす予定です。これが動き出せばどんどん処理が進みます。今後2年で、もともと域内で処理する予定のものは終わります。そうするとプラントは空くわけです。その空いたプラントに持って行けば、2年で終わらせるんじゃなくて1年とか2年延ばすことによって、広域処理をしなくても処理できる可能性がじゅうぶん出てきます。総量ではなくて実際どうなっているかを見ていかなければいけない。

がれきの山が復興を妨げているのか

被災地に行って動画を撮ってきました。がれきで埋まっているかどうかも確認できます。当然がれきがある場所もあります。朝日新聞の見開き広告などに大きく掲載されていましたが、あれはがれきのあるところをクローズアップで撮ったから大きいのであって、あれがそこら中にあるわけじゃないです。現地に行ったときに受けた印象と、環境省ががれきがいっぱいあって埋まって大変だといっていることとはずいぶん違います。

もうひとつよく言われるのは、そうは言っても仮置き場にずっと置いておくわけにはいかないじゃないか、自然発火もするし粉塵も飛ぶし衛生の問題もあるということです。それはおっしゃるとおりです。では仮置き場がどこにあるのか。ひとつは津波で発生したがれきが圧倒的に多いので、当然海岸沿いにあります。海岸沿いは家も流されてビルも流されていますから、人が住んでいないところが多い。

地震で発生したがれきが、住宅や仮設住宅の近くにある場合もあります。そういうものを広域処理で持って行くまで待っていていいのか。それは疑問です。広域処理した場合でも全体の1割とか2割しかないわけです。これから1年2年、仮設住宅の近くのがれきの山をそのままにしておいていいのか。それは当然よくないわけです。広域処理を待たずに何らかの対策を立てるとか移動しなければいけない。いま仮置き場にあるがれきが、近くに住んでいる人たちに影響を及ぼすから、広域処理をするというのはおかしい。広域処理を待っていてはいけない状況だと思います。

がれきの山が復興を妨げているのか、という問題がもうひとつあります。がれきの山があんなにたくさんあるから、復興が妨げられているといいます。先ほどからお話ししているように、津波によるがれきはほとんど海岸の近くにあります。海岸の近くは、そこにまた町をつくるのか、当然地域によってはそれを計画することもあると思いますし、地域によっては高台に移転することもあると思います。いずれにしても今日明日に工事を始めるわけではありません。復興計画をきちんと決めて、優先順位をもって必要なところからがれきをどんどん撤去していけばいい。そのうち広域処理で当てにされているのは全体の1割、2割ですから、それはきちんと処理の手順を最適化するなり移すなりしていけば必ずしも広域処理は必要ない。

がれきの処理にしても復興計画のメニューにしても国主導でやっていますから、国のメニューに従ったことをやらないと国から復興の支援が得られないという問題があります。これも被災地の自治体が自分たちで考えて、自分たちで必要なものにお金がついて、柔軟に使えるような財源と権限を委譲していくべきです。その中で2年で撤去が必要なところは2年で撤去すべきでしょう。もうちょっと待てる、ほかのところにお金を回したいところには、そういうところにお金を回してもらった方がいいところもあると思います。

今年2月6日の朝日新聞がとったアンケートによれば、被災地の方々は、雇用の確保・促進、原発事故の収束、被害補償、除染、住宅の確保、心の傷のケア、こういうものが必要だと思っていて、がれきをどけて欲しいか聞かれれば当然どけて欲しいと思うでしょう。一刻も早くといわれれば当然一刻も早く目の前から無くなって欲しいと思うでしょう。でも必ずしもそれがいちばん優先なものでもない。お金にしても人にしても限られたものですから、被災地が本当に必要としているものから優先的に使っていくべきだと思います。

国の広域処理方針PRに税金をかける

処理費用はどうなのかというと、広域処理をした方が運搬費用もかかります。トン当たりの処理費用も被災地の地元でやるよりも、例えば東京でやる方が何倍もかかると大田区議の奈須りえさんも指摘しています。必要性について議論できる情報をきちんと提示してみんなが議論できるようにすべきですが、国は広域処理をやると決めていて、それを納得してもらうために誇張された広報を行っている。それで必要だと思う人もいればそれでかえって不安になる人もいる。国のやっていることはかえって不安をあおっているということがわたしの認識です、朝日新聞の広告は、確かに仮置き場の近で撮ればこうなります。でも被災地のそこら中がこういう状況ではない。こういう写真を載せることで不安などをあおっているのが国のやっていることです。

放射線については客観的に安全性を考えましょうと言いつつ、がれきについてはあおって、誇張しています。平成23年度3月までの年度には、9億円かけて新聞広告やテレビCMをやっています。平成24年度は、がれきの広域処理は15億円の予算で企画書を募集して、いま何かをやっているところだと思います。それから除染についても15億円、こういう広報に30億円もお金をかけています。2億円が広告出稿、7億円で先ほどのホームページをつくったり、パンフレットをつくったり、DVDをつくったり、コールセンターをつくったりしています。合意形成にお金にかけるわけでも、がれきの広域処理にお金をかけるわけでもなく、PRに税金を使っています。

ただ無駄に税金を使っているという話ではなくて、例えば新聞に広告を載せることは、新聞にとってはがれきの広域処理に賛成する立場の広告を、お金をもらって載せるわけですから、当然記事の論調にも影響があるんじゃないかというインタビューをしたメディアがあった。新聞社はそれに対して「関係ない」とか「答えられない」とかいっています。でも実態は、ほとんどの新聞なりテレビなりで広域処理をすべきだ、広域処理を受け入れないのは被災地に冷たい、という論調で流れている。唯一東京新聞の「こちら特報部」、東京新聞も全体ではがれき広域処理は必ずしも反対じゃないそうなんですが、一部の記者などががんばって問題提起をしています。

日本ではいかに大新聞が影響力を持っているかということです。発行部数がほかの国々に比べてきわめて多い、国民が新聞・雑誌などに寄せる信頼度がほかの先進国に比べて格段に高いということがあります。そういう状況を利用してお金をかけてがれきの広域処理が必要だといってきたのが国のやり方です。

以上が必要性の話です。必要性についてもそもそもかなり怪しい、全くないかどうかはわからないけれども、それがちゃんと判断できるような内容が国から示されていないということがわかりました。

発生する放射性物質の問題

次に妥当性の問題です。がれきを広域処理することが妥当なのかどうか。それを考えるときにふたつの視点が必要です。がれきを広域処理をするから問題だという点と、例えばがれきを東京で燃やしても被災地で燃やしても両方問題だという点です。

広域処理の問題については、運搬では余計な環境負荷それからお金もかかる。焼却は、燃やせば灰にセシウムが濃縮されますし、排ガスから出ているかもしれない。最終処分でも灰から溶け出すかもしれないという問題があります。例えば焼却についていえば被災地で燃やしても同じ問題がありますし、最終処分も被災地で埋めても同じ問題があります。ですから必ずしも広域処理だけの問題ではなく、廃棄物としてがれきを処理するときに発生する問題についてお話ししたいと思います。

いちばん関心の高い放射性物質の問題です。放射性物質に関して一般の人たちがどういう関心を持っているかは、がれきが放射能で汚染されていないかどうかです。今回広域処理の対象になるのは岩手県、宮城県で、そういうところの汚染は東京とあまり変わらないと説明されていますが、本当に問題ないのかということです。燃やしたときに煙突から出ないのか、燃やしたあとに残った飛灰とか焼却灰が処分場から飛ばないか、水を汚染しないかなど。また、燃やしたり埋め立てたりする過程で作業員は被曝しないか、放射性物質のひとつひとつの濃度は薄くても、施設を汚染することで維持管理コストが上がるんじゃないか、といろいろな心配があると思います。

岩手県、宮城県を東京と比べた汚染度です。航空機のモニタリング地図を見ると、宮城県の南の方は汚染されていますが岩手県、宮城県では汚染の低いところが多いです。東京を見ても同じくらいの濃度のところが多い。ただし個別の数値をみると0.1マイクロシーベルトを超えているところがどちらも多い。0.1マイクロシーベルトというのは事故前の水準の2倍から3倍くらいですから、汚染されているといえば汚染されています。ただ汚染の程度は場所によりますが、東京と同程度のところが多いのは間違いないです。環境省のホームページに載っているデータでは、被災地のがれきはこんなに低いですよといっています。69ベクレルとか104ベクレルという数字を載せています。

燃やすことで濃縮される

燃やしたらどうなるのかということです。燃やしたら濃縮されますから、こういう濃度では済まないわけです。それを扱っていかなきゃいけない。当然、東京のゴミも下水汚泥も汚染されていますから、燃やすことによる問題はあります。わたしたちが被災地に行ったときに放射線を測ります。GPSも持って行って、通常でどこでどのくらいの放射線量になっているのかということを測って、区ごと、市ごとに平均してグラフにしました。

南相馬市、相馬市、新地町までが福島県で、そこから先が宮城県です。東京がだいたい0.06、0.07、ちょっと高いところは0.1くらいですから宮城県の南部は東京より高い。それから女川が少し高い。女川原発の近くは女川町の中でもちょっと高い。ただ女川原発から出ているのか福島から出ているのかというと、状況から見て福島原発のものが届いたといわれています。福島県内、今回の広域処理の対象ではないんですが、わたしが機械を持って測ったら、がれきに近寄ると確かに何倍かに上がりました。

首都圏の汚染ですが、首都圏の下水処理をしたときの脱水汚泥中のセシウム濃度がどう変わってきたのか、去年の5月から12月までです。半年でだいたい1/10くらいに下がっています。5月頃は12月と比べると約10倍あった。これを燃やすと、10倍くらい焼却灰の中の濃度は高い。焼却灰の中の濃度そのものも半年でだいたい1/10くらいになっています。東京の下水汚泥も汚染されていて、それがだんだん減った。焼却によって10倍くらいになっています。

下水汚泥のセシウムは、恐らく地上に落ちたセシウムが側溝に流されて下水道を通じて集まったものだと思います。東京に降り注いだセシウムが最終的に下水処理場に行っています。東京と同じくらい宮城県、岩手県が汚染されていることは、向こうでもこういう状況が起こっているということです。

大気拡散や浸出水の管理は

焼却、埋め立てによる課題を整理しますと、がれきそのものについた放射性物質の測定方法が適切なのか。鉛で遮蔽してその中にがれきを入れて測っているところはまだいいですが、それでもベクレル計ではなくて線量計で測っているところが多い。線量計でどれくらい正確に測れるのか。膨大にあるがれきの中で一部だけ取り出して測って、それで代表性があるのか。どのくらいの数のサンプルを取り出して測っているのか。それから第三者性があるのか。島田市などは一般の市民が来て測ってもいいですよとやったらしいんですが、東京都は測っちゃダメといったと報道されています。

焼却については大気拡散の問題もあります。排ガス中にどれくらい含まれているのか。バグフィルターのついたものは去年の冬、12月くらいに測ったデータではほとんどNDでした。ただNDというのは定量下限値より低いということなので、定量下限値が適切なのか、もっと下げたらもっと正確にわかるんじゃないかという問題があります。

それからバグフィルターで99.9%除去できるかというのは、定量下限値との関係で電気集塵機で問題ないのか。排ガスの処理をする仕組みではバグフィルター――フィルターで漉し取るタイプと電気集塵機があって、国のデータを見ると電気集塵機の方がバグフィルターよりも濃度が出ています。セシウムが検出されています。国のガイドラインでは電気集塵機を使った焼却炉でもいいとなっています。いま焼却によって出る排ガスを心配している人が多いわけですから、少なくともバグフィルターよりも明らかに出ている電気集塵機で燃やすのはやめなさい、ということを決めることによって国民の信頼を得られると思うんですが、国はそれも「あり」にしてしまっています。

埋め立てについては処分場から飛散する心配があります。大量に飛ぶとは思えないんですが、全くないとは言えない。これは放射性物質だけではなくてダイオキシン問題の頃からいわれたことで、処分場の周りではダイオキシンとか重金属がほかの地域よりも出ているというデータもあります。

浸出水から出る話ですが、最終処分場は屋根がありません。雨が降ると、雨がゴミとか灰を通過するわけです。その中にセシウムがしみ出して浸出水の処理施設から出ていくわけです。どのくらい灰からセシウムが出てくるのか。これは国の資料に出ていましたが飛灰で数10%、かなり多い割合で出ます。主灰で5%くらい出ます。それが国の検討会の資料に出ていますが、検討会ではきちんと議論されているかどうかわからないのが実態です。これについてはあとでお話しします。

それから維持管理についてです。東京などでは下水処理場にしても焼却場にしてもゴミ自体が汚染されていますから状況は変わらないかもしれません。しかし汚染されていない地域に持って行くことによって、あらたに放射線に対処しなければいけないという課題が生まれてきます。国が99.9%取れるといっている根拠の一つ、それが「災害廃棄物安全評価検討会」という国のがれきを安全に処理するための検討会の資料に、去年のかなり早い時期に載っていたものですが、パワーポイントの1ページだけでバックデータはまったくありません。あとでお話しする議事録問題というのはここから始まりました。もうひとつは日本原子力研究所のデータがあって、広域処理のがれきを燃やす方針を国が決めたときには、この2つしかデータはありませんでした。そのあと現地で燃やしたデータがあって、それが先ほどのバグフィルターについてはほとんどNDが並んでいるデータです。

排ガス中に含まれるセシウム

その放射性物質がどう移行しているかを図にしてみました。廃棄物の中にセシウムがくっついています。それを燃やすことによって濃縮されます。体積が減るのでセシウムの量が変わらなければ結果的に濃くなるわけです。燃やすときにできた排ガスをバグフィルターで取ります。こちらの方が焼却灰に残るよりもさらに濃度は高い。でも量はもっと少ないです。そのうちバグフィルターで取り切れなかったものがあれば排ガスとして大気に出ていく。ただ濃度としてはかなり薄いと思います。

わたしたちもときどき相談されますが、大気に出ていった分をなんとかモニタリングできないかということです。例えばわたしたちは松葉を使ってダイオキシンの調査をやってきましたが、松葉の中には去年3月の時点で付着したセシウムがあります。すでに汚染されているので、それに上乗せになった分を見つけられるほど大きな汚染はちょっと考えにくいので、なかなか大気中に出ていったあとを捕まえるのは難しいと思います。

有名なゴミ弁連の梶山弁護士は、むかし東京都の公害研究所にいた専門家ですが、バグフィルターとはどういうものかお聞きしたことがあります。 排ガス中のセシウムをどう測っているのか。煙突から管を突っ込んで、濾紙の部分でひとつ取る。濾紙は、基本的には流出防護紙といって気体じゃない固体の部分を取ります。セシウムはここを通るような温度の中ではだいたい固体になっているので、取れるだろうというのが一般的な考えです。

すべてここで取れるわけではなくて、水を通したあとに取って、国のガイドラインではなくなっているんですが、このあとに活性炭を入れて活性炭でも吸着して漏れがないような方法で測ります。それでもきちんと取れているかどうかは疑問を持っている方もいて、データを見る限りではだいたい取れているようですが、なにしろ排ガスを採取している時間が短いのでじゅうぶんに定量下限値が下がっていない。測定時間でいうと排ガスの検出下限値は2Bq/m3(ベクレル/立方メートル)、NDというのはこの2ベクレルです。

データを見るともっと下げているところもありますが、それよりも低いということで、ゼロかどうか確認するのは不可能です。ゼロを確認できないから安全じゃないというわけではないですが、実際に煙突からどのくらい出ているかは、とことん排ガスの採取量を増やして定量下限値を下げて時間をかけて把握し、実際にはこれくらいしか出ていないということを示さないと、なかなか納得は得られないだろうと思います。

問題が大きい飛灰中のセシウム

それから灰についてです。わたしは排ガスについてはそれほど心配していなくて、測り方に問題があり、もっと正確に測らなくてはいけないと思ってはいるんですが、それより灰の方が問題が大きいと思っています。これは先ほどの国の検討会の資料にも載っていて、飛灰に含まれるセシウムは特に水に溶けやすい、ちょっとオーバーに言えば大半が出ていくといってもいいと思います。主灰についても5%出ていきます。量が多いのでそれなりの量が出ていきます。それを最終処分場の浸出水の処理施設で取れるかというと取れないということが国の検討会の資料にも書いてあります。

国の検討会は非公開で開かれていて、検討会が開かれた翌日には環境省がこういう方針を示したという記事が出ます。そういう記事は、非公開なのでたぶん環境省が記者クラブの記者に説明して記事が載ると思います。それで飛灰からセシウムがたくさん出るとか主灰で5%くらい出るとか浸出水の処理施設で取れないということは、報道されていないんです。国立環境研究所の研究者も実はこの点については問題があるとおっしゃっている人がいて、焼却した灰を埋めてしまうのはまずいということを実名で問題提起をしている方がいます。その方は検討会の委員にはなっていないので、国のガイドラインの作成には反映されていません。

ちなみに横浜市はゼオライトを使って浸出水の中のセシウムをとっていました、一時期だけ。市民にはそれを使っていると説明をしていましたが、あるときからとるのをやめたそうです。そのゼオライトでとれたセシウムの量から計算する2750万ベクレルくらいが、その間にゼオライトでとっていなければ海に出ていただろうということがわかったそうです。横浜市は水を測ったらND、基準値よりも低いからゼオライトは使わないと1ヶ月でやめました。国の検討会の資料を見ていくといくつも数字が出ていて、これは明らかに飛灰から出ているというのがざっと見ただけでもわかります。

8000ベクレル以下は埋め立て処分しても安全かということですが、それは何をもって安全かということによります。8000ベクレルというのは、作業される方が作業する時間の中で外部被曝を受けて年間1ミリシーベルトを下回る、ということで決められたようです。浸出水に出ていく観点から決めたものではないので、少なくとも灰については8000ベクレル以下であれば「安全か」というと微妙ですが、「問題なし」とは言えないと思います。PCBは濃縮率が非常に高いので生物濃縮は2500万倍くらい濃縮されますが、セシウムはそれほどではないけれど一定程度濃縮されます。

水産庁のデータからわたしがつくったデータでは、去年4月頃によく報道されたのが表層の方にいる魚に非常に高い濃度が出ているということでした。そのあとずっと下がっています。下がっているのは同じ魚の濃度が下がったんじゃなくて、その魚の調査をしなくなっただけです。その後を見ると、その魚は別として、表層の魚の濃度は下がって、今度は底の方にいる魚の濃度が上がって来ました。いまの食品の基準が100ベクレルですから、それをぎりぎり下回るかどうかの濃度が底の方の魚から出続けています。もうひとつ問題なのは、川とか湖にいる淡水魚にも同じくらい汚染が続いています。

放射性物質以外の環境面への影響

次に放射性物質以外の環境面からの妥当性について考えてみたいと思います。アメリカの環境健康科学研究所、NIEHSというところがホームページ載せていて、わざわざ日本語にしています。「化学物質の影響 東北地方太平洋沖地震と津波による汚染と除去」というタイトルでまとめています。10ページくらいですが、PRTR制度(化学物質排出移動量届出制度)という、事業者が普段使っている化学物質を排出したり移動したり使用したときにその量を把握して、最終的に国に届け出る制度に基づいたデータがあります。それをベースにして、津波によって事業所からいろいろな汚染物質が流れ出て汚染している可能性がありますよ、という警告をしています。日本で被災地のがれきを処理する上で、そういうものに対する配慮がされていないという指摘がされています。

被災地のがれきは放射性物質だけで汚染されているわけではありません。日本でゴミの焼却炉で測っている有害物質は、煤じんとイオウ酸化物、窒素酸化物、塩化物/塩化水素、ダイオキシン類対策特別措置法によるダイオキシンだけです。これしか測っていません。工場もあるし、燃料が漏れたりして重金属などいろいろなものが付着したものを燃やす可能性があります。これは東京で燃やしても被災地で燃やしても同じですが、そういうものを燃やしたとき、きちんとモニタリングがされている状態にない。そういうものを前提とした排ガス処理をそもそもしていないという問題があります。

それについて災害廃棄物安全評価検討会で議論された形跡はまったくありません。検討会の資料を見ると放射性物質のことしか話していません。「災害廃棄物安全評価検討会」というくらいですから、災害廃棄物一般についてどういう汚染物質で汚染されている可能性があって、実態がどうなっていて、それに対してどう配慮して適切に処理していくかという議論が本来あるべきだと思いますが、そういうものはまったくありません。ヨーロッパでは日本で測っていないような重金属類も規制の中に入っていて測定もされています。なぜ日本で測らないのかと聞くと、「出ていないから測っていない」と環境省は言うんです。測っていないのに何で出ていないとわかるんですか、ということです。

正当性の部分でわたしが一番重要だと思うのは、各地で受け入れ拒否、当初はほとんどの自治体が受け入れをしていませんでした。受け入れに反対すると、こういうことを言われてきました。受け入れを認めた例えば東京都の石原知事などですが、国の意向を丸呑みしているというか、国は広域処理をするべきだといっているからするんだ、国が災害廃棄物、がれきがたくさんあって大変だというからするんだ、国が安全だといっているから受け入れるんだ、ということです。

受け入れ自治体には処理に必要な費用、交付金がもらえたり財政的な支援が積み上がっている。受け入れる自治体がない状況で、そこにお金をかけている状況です。処理費用は全額国が出す、事務費ももらえる。清掃工場の固定費の補助ももらえるなどなど、国からお金がやってくる。

正当性を保障する基準作りは?

わたしが先ほどおかしいといった「災害廃棄物安全評価検討会」です。この検討会は、もともと福島県内の災害廃棄物が放射線で汚染されているので、それをどう処理するかを検討する目的でつくられ、開催される前から非公開となっていました。これについて公開されている資料は、当日会議で配付された資料と議事要旨――発言を簡単にまとめただけの要旨でしかも誰が発言したかも書いていないものを、ホームページで公開しています。議事録は公開されていません。

去年の4月か5月にその資料が載りました。どういう議論をしたのかとホームページを見たら、パワーポイント1枚という状況だったので、これはおかしいと思ったわけです。委員は環境省が選んでいます。傍聴もできません。関係自治体、特に広域処理の話が始まってからは、当然広域処理の受け入れ側となる自治体も参加して、議論を聞いたり意見を言ったりするのが本来のあり方ですが、それもない。心配している市民も当然そこに参加して、詳しい議論を聞いたり意見を言ったり質問したりできればいいんですが、それも一切ありません。

代替案の検討もないんです。代替案というのは、いま国が決めたメニューだけではなく、仮に広域処理をするにしてもいろいろなやり方が考えられます。例えば現地にいま処理施設をつくっていますが、それができるまで部分的に受け入れようとか、運搬費用がかからない範囲で受け入れようとか、放射性物質について問題があるからそれについてしっかり対策をした施設をひとつだけに集中して、そこのゴミはほかで受け入れるとか、いろいろな代替案の検討は当然あるべきです。また、そこに参加するのは環境省が選んだ委員だけではなくて、被災地の自治体、被災地以外の自治体、関心のある人みんなが知恵を寄せ合えば、もっといい案が出るのではないかと思います。

本来環境省は、代替案の比較とか透明性とか参加とかは得意なはずです。きちんと住民の意見を聞いて代替案の検討をして合意形成をしていきましょう、というのが環境アセスメントのやり方で、環境省はそれが専門のはずなのにやっていません。

わたしは災害廃棄物安全評価検討会の議事録を、開示請求してみました。1回から4回までは開示されました。ただし通常は請求してから30日で開示を決定しなければいけないんですが、例外として30日延ばせるという規定があって、結局60日待たされました。請求したのが7月で9月に開示されました。その議事録は名前も発言も載っていて、普通の議事録でした。請求すれば当然そのあとのも出てくるだろうと思って、5回から8回目も請求したら、不開示だったんです。

どうして不開示かというと、実はこの不開示の決定がされる前に環境省の情報公開の担当者から電話がかかってきました。「議事録をつくるのをやめました」と言うんです。何でかと聞いたら、「必要ないからです」というわけです。議事録をつくらなくてもできることがわかったからですと言うんです。わたしが請求しているから、必要と思っている国民がいるわけです。それなのに必要がないというのは失礼じゃないかと思いますが、不存在だったらすぐに不開示決定が来るだろうと思ったらなかなか来ない。電話して、不存在だから不開示決定はすぐにできるでしょうと言ったらすぐに送ってきました。

議事録の怪

環境省が環境庁だったときにわたしは何度か実際に仕事をしていますので、実務がどうなっているかわかっています。議事録をつくるのに録音はしていると思っているので、録音と議事録を含めて請求したところ、5回から7回の録音は、委員の率直な意見の交換や意志決定の中立性が損なわれるうんぬんということで開示できません。それからまるめていうと、大げさにとって騒ぐ人がいるかもしれないから録音は出せませんといっています。これは7回までで、8回以降は録音も不存在といっています。7回目までは開示できなくて、8回目以降は不存在ということは、8回目以降は本当に録音していないんじゃないかとちょっとびっくりしました。

議事要旨をつくるにしても、担当者がその場でメモするだけで確認できるんですか。いまはICレコーダーのボタンを押すだけですからお金もかからない。議事録をつくるのをやめたのはお金がかかるからと言っている。一方で9億円をかけて新聞広告出し、CMを流す。来年は15億円かけるわけです。議事録は業者に委託しても数万円ですよ。議事録を請求したら議事録はつくらなくなった。録音を請求したら録音をしなくなった。5回目以降というのは広域処理の議論が始まったときです。請求したからやめたのか、広域処理が議題になったからやめたのか、その両方なのかはわかりません。そういうタイミングで記録を取らなくなってくる、開示しなくなっているのがこの検討会です。

この検討会と環境回復検討会とが合同検討会を開きました。環境回復検討会というのは除染について議論する検討会です。こちらも同じように非公開で議事録は不開示、不存在といわれたんですが、その中の委員のひとりが去年12月の会議で、きちんと公開すべきだ、議事録もつくるべきだ、そういうことをしないから国民の信頼を得られないという発言をしました。これは議事要旨に載っています。委員の中にもそういう方もいらっしゃるんですが、まったくしていない。

今年に入ってから参議院の予算委員会で、福島瑞穂さんがこの議事録をつくっていない問題について質問しました。細野大臣は「1回から4回は公開しています」と言った。これはうそです。公開していないから、わたしは開示請求をしたわけです。でも他の人は知らない。そういうのを公開とはいわないんですよ。この開示を受けたものはわたしたちのホームページに載っています。環境省のホームページには載っていなかったんです。細野大臣が答弁をしたときに「隠すつもりはないんです、隠すようなものではないんです」と言った。でも答弁した1週間後に、環境省のホームページの1回から4回の資料のところにこっそり載せてありました。いかにも最初から載っていたかのようなかたちで、大臣が言ったあとから、それに合わせて載せている。そういうことを環境省はやっています。

利害関係者が意志決定に直接関与する――ICRPの勧告

ICRP(国際放射線防護委員会)が信用できないと思っている方もたくさんいると思いますが、いいことも言っています。ICRPの勧告で日本政府が従っていないことはたくさんあります。ICRPの勧告で、いま日本が検討しているのは103勧告です。これは震災の前から放射線審議会で検討しています。103勧告は広く一般的なことについて書いてあって、その第2回目の中間報告は震災のちょっと前に出ています。いまだに検討しています。月に1回も開かれていないんですね。

そのあといくつか勧告が出ていて、特に重要なのが111勧告です。これは現存被曝、いまの東日本のように放射線ですでに汚染されてしまっているところに人が住んでいる状況で、どうやって放射線を防護していくのかを書いたものです。チェルノブイリやほかの放射性物質に関する事故の経験を踏まえて書いてあるものです。

わたしが一番重要だと思うのは3つです。利害関係者――当然住民も含まれます――が意志決定に直接関与する。その意志決定をするに当たっては、透明性が必要であるということ。そしてすべて記録を正確に残さなければならない。これをきちんとやらなければいけないということを、「ICRPですら」言っています。どれも日本政府はまったくやっていない。それどころか111について検討すらまともにしていない。いまだに103の検討をしていて、そこの参考資料、ちょっと横に置く資料として111が置いてあって何ヶ月かに1回開かれている放射線審議会で専門家が話している。

ICRPは、これは日本に必要だと言うことで去年の震災以来、普段は有料で配布しているんですが、無料で英語版を出しています。アイソトープ協会が3月までは無料で日本語版を出していました。そうしたものをまともに活用していない状況です。

いちばん問題なのは環境省、国がきちんと客観的なデータを示さない、細かい状況がわからないことです。本来はすべてをオープンにして細かいデータも見せて、被災地の自治体と、受け入れるのであればそういう自治体も参加をして議論して、きちんと記録も取って公開で決めていく。その中で代替案の検討もすればいいんです

信頼感を壊す国の広域処理

いまの広域処理は、引き受けるところはありますかと自治体に手を挙げさせて、いってみれば場当たり的にやっているわけです。その場当たり的な方法で手を挙げる自治体がなければ何億、何十億というお金をかけてテレビCMとか新聞広告を出す。手を挙げたところがやろうと思うと、当然不審を抱いた住民の方が反対する。結果的に被災地と被災地以外の住民のあいだに大きな亀裂が生まれ、不信感が生まれるわけです。

受け入れ側の住民にしてみれば国がきちんと手続を経ない、安全性もよくわからないものを際限なく持ってくるんじゃないか。なにしろ国は膨大な量の災害廃棄物、がれきがあると言っているわけですから、どれくらい来るかわからない。どれだけ安全なのか危険なのかもわからない状況でがれきが来るとなれば、反対する人がたくさんいるのは当然です。

一方で被災地から見れば、被災地はこれだけ大変なのに受け入れてくれないじゃないかということで、被災地以外の地域について不信があるかもしれません。もしくは、実は国が言っているほどたいしたことないのに、何でこんなに騒ぎになっているんだろうと思っているかもしれません。いずれにしても本来は被災地と被災地以外の地域は、わたしは「絆」というキャンペーンはあまり好きじゃないんですが、きちんと信頼感をもって助け合える関係をつくらなければいけないと思うんですが、それを壊しているのはいまの国のやり方です。それがいちばん大きな問題だと思います。

智恵を出し合い納得できる解決を

食品基準が4月から厳しくなりました。もともとの1キロあたり500ベクレルというのは、もし1年間500ベクレルのものばかり食べていたら年間5ミリシーベルト被曝するという根拠です。いま100になったのは、同じようにこればかり食べていたら年間1ミリシーベルト被曝するというのが根拠です。

では実際どうなのかというと、高いのが出てきたらときどき報道されます。ものすごく高いのもあるので心配になりますが、恐らく市場に流通されているものだけを食べていれば1ミリシーベルトよりかなり低い状況だと思います。ただし自家栽培で被災地で、自分で育てたものばかり食べているとか、川魚を食べる方はあまりいないかもしれませんが、比較的数値が高目のものを食べている方もいないとは限らないので、そういう場合は気をつけなくてはいけない。

日本政府は平均でこれくらいだから問題ないと、この問題に限らず言いがちです。ICRPの勧告では個々人で被曝の状況はそれぞれ違い、同じところに住んでいても外部被曝でも内部被曝でも大きな開きがある。福島で実際にやっている外部被曝の調査結果などを見ると、かなりばらつきがあります。大半の人は低くても、ものすごく高い人もいます。そういう人をきちんと見つけ出して下げていく努力をしなければいけないということが、その勧告に書いてあります。その方法については住民参加も必要だし、意志決定の透明性も必要だと言っています。それをやっていないわけです。

がれきをどう処理したらいいかということについて、青山や池田が提案しています。津波が問題だということで、南相馬市長もこの案を言っています。それは堤防の代わりのものを海岸線につくって、その上を公園とか林のようなものにして、下は汚染物質が漏れないようにしていく。そうすれば焼却によるリスクもないし、コンクリートの堤防をつくるよりはよほど見た目もいいということで、ひとつの案として検討すべきじゃないかといっています。これはモデルがありまして、オランダの堤防ですとか低いところには人が住まずに高いところに移転して、低いところは漁業などの必要な人だけが行くという町づくりを提案しています。かえってコンクリートの堤防をつくることで逃げ遅れて被害者が出たりしている状況もあります。

被災地の首長の中には、がれきの広域処理ではなく、そんなに慌てなくても地元で処理すべきだという人もいます。地元に焼却炉をつくろうとしたところ、それはまかりならんといわれたところもあるようです。国が一方的にメニューを示してお金が無駄になるとか、地元のニーズに合っていないということは、今回の問題に限らず過去の公共事業に共通した課題で、それがこのがれき問題に表れています。日本の民主主義が問われているのがこの広域処理の問題だと思います。

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