東電福島第一原発の事故と爆発を含め未曾有の東日本大震災が招いた歴史的な危機の下で、政治は停滞し、社会全体を閉塞感が覆っている。2009年の政権交代をもたらした衆議院議員総選挙も、多くの人びとに失望感をもたらしたまま、早ければ年内にも、遅くともあと1年半でまた総選挙がくる。こうした政治状況の中で、2007年の明文改憲をめざした安倍晋三内閣の崩壊以来、しばらく鳴りを潜めていた憲法改悪の企てが、ここにきて明文改憲、解釈改憲の両面から一斉に活発になってきた。憲法運動をめぐる局面の転換が来たようだ。
昨年11月から始動した国会の憲法審査会での議論では、東日本大震災を口実として憲法に「非常事態条項」「国家緊急権条項」を導入すべきだとの主張が自民党などの委員から相次いでいる。そして「読売新聞」や「産経新聞」などの一部メディアもこれに同調して改憲キャンペーンをしている。
また自民党が2005年に採択した新憲法草案をことしの4月28日(サンフランシスコ講和条約発効60周年)を期して、天皇元首規定や、自衛軍保持、国民の憲法遵守義務など、憲法3原則と立憲主義を破壊して、いっそう復古主義色濃く改定し、それを国会に提出しようとする動きや、平沼赳夫・たちあがれ日本代表や亀井静香・国民新党代表、石原慎太郎・都知事らの新党、橋下大阪市長らの「維新の会」による新党の動きのなかでも「改憲」がその政策の主要な柱とされている。従来、明文改憲には比較的消極的であった民主党も、これらの動きに引きずられて、同党憲法調査会が「非常事態条項」の導入などの改憲論議を始めている。
そして、民主党野田内閣のもとで、とりわけ第9条の平和主義に関係して、この間、「国是」とされてきたような諸問題、たとえば武器輸出3則、非核3原則、PKO5原則などもタガをはずしたかのごとく、相次いで緩和されようとしている。先の南スーダンへの自衛隊派遣につづいて、緊迫するホルムズ海峡には特措法、ないし恒久法で自衛隊を派遣しようとする動きや、北朝鮮のロケット実験に対応して南西諸島へのPAC3配備やイージス艦の派遣など、いわゆる「動的防衛力強化」のチャンスとする動きがある。これらのさまざまな解釈改憲の動きも容易ならない事態になっている。
これらの動きを反映してか、3月19日に発表された読売新聞の「憲法」世論調査では改憲賛成が54%、反対が30%で、改憲賛成が昨年よりも増加(11%)した。同調査で改憲賛成が5割を超えたのは2002年から2006年と2009年に次ぐものだ。9条については改憲賛成が39%、9条は改憲しない(「これまで通り」「厳密に守る」)が52%で、これは2006年以来、引き続き5割を超えている。また、憲法に「緊急事態条項を明記する」は37%で、昨年9月の調査より2%増であった。改憲賛成が増えた理由として読売新聞は「東日本大震災、原発事故という国難に直面しても、政治は停滞からなかなか抜け出せていない。この現状を変えるには、国会の二院制のありかたなど憲法改正をともなう制度の見直しが必要だ、という意識が高まった」ためと解説している。
自民党の新・新憲法草案の最終案は4月28日までにまとめられるというが、今のところ、明らかになった「原案」の特徴的な項目は以下のようなものである。
前文では日本を「長い歴史と固有の文化を持ち、日本国民統合の象徴である天皇を戴く国家」と規定し、その伝統を継承するとした。第1章では、天皇は「日本国の元首であり、国民統合の象徴」。「国旗・国歌」は「国の表象」。「元号」の明文化。第2章では「自衛権」と「自衛軍」(国防軍とする別案も提示)を明記、集団的自衛権の行使、軍事裁判所の設置、第3章では、選挙権は日本国籍を有する者のみ、家族の尊重、緊急事態に政府の責任で「在外国民を保護」、犯罪被害者家族への配慮など。第8章に、あらたに緊急事態条項を設ける。第9章で憲法改正発議は両議院の総議員の過半数、国民投票は有効投票の過半数。第10章は国民の憲法尊重義務を規定、などなどである。
次の総選挙をめざして「自民党らしさをだす」ということだが、これらの内容は、あきれるほどに復古主義的な内容である。それだけに自民党内からは「我が党は右翼ではなく保守だ(笑)」などという不満も出ているようで、最終的にこの原案の通りになるかどうかは不確定なところがある。しかし、いずれにしても、このような改憲案が野党第一党の機関で議論されていることは容易ならないことである。
政権交代への失望などから、政治の閉塞感は若者をはじめ広範な人々の間に蔓延している。民主党もだめだが、自民党に戻っても期待できないという声である。この空気に乗って、いくつか新党結成の動きがある。
平沼、石原らの古手の政治家による改憲派新党結集の動きは、綱領に改憲を掲げることを明確にしており、石原慎太郎都知事は新党に参加するなら「憲法の破棄を綱領に入れる」「改正しようとすると、国会の3分の2の議決とか、国民投票がいる」と述べており、困難な改正手続きを経ずに破棄すべきだとの考えである。この人々にとっては、もはや憲法も、民主主義もない、強権政治願望だけである。
これとあわせて、「維新の会」の橋下徹・大阪市長らが坂本龍馬になぞらえ、「船中八策」と称して、九条改憲を掲げつつ、「国家元首は天皇」と明示するなど、とんでもない改憲論を主張している。橋下は「みんなの党」のブレーンなども引き寄せながら、かつての小泉純一郎ばりのポピュリズムと新自由主義の政治手法をまねて、受けねらいの「脱原発依存」「首相公選」「参議院廃止」なども政策に掲げている。橋下市長は記者会見で「(9条は)他人を助ける際に嫌なこと、危険なことはやらないという価値観だ。国民が(今の)9条を選ぶなら僕は別のところに住もうと思う」と述べた。また同日、ツイッターで「憲法9条改正の是非について、2年間国民的議論を行った上で国民投票で決定すべきだ」と発言し、96条の改憲3分の2条項の改憲にも言及した。そして、「世界では自らの命を賭してでも難題に立ち向かわなければならない事態が多数ある。しかし、日本では、震災直後にあれだけ『頑張ろう日本』『頑張ろう東北』『絆』と叫ばれていたのに、がれき処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だと思っています」」と述べた。この法律を学んだはず(?)の弁護士にあるまじき、はじめに9条改憲ありきの飛躍した論理にはあきれるほどである。
いま、私たちがこの新旧の改憲勢力の蠢動に対抗できるかどうかが問われている。
その対抗軸は原発震災の下で、脱原発社会の実現をめざす広範な民衆の運動と融合した、憲法前文の平和的生存権や、25条の生存権をはじめ基本的人権であり、それを生かし実現する新たな改憲反対の運動の構築である。憲法の平和・人権の思想は脱原発の運動の政治的思想的背骨となって、その発展を保障するものでなければならない。あわせて、憲法審査会の傍聴などを通じてその動きを監視し、危険な動きを暴露しながら、国会のなかで、9条改憲などに反対する勢力をできるだけ広範に結集するために働きかけを強めなくてはならない。
私たちはいま、こうした歴史的な課題に挑戦しなくてはならない時にある。
(許すな!憲法改悪・市民連絡会 高田 健)
渡辺 治さん
みなさんこんにちは。「3.11が私たちに提起した課題」ということでお話しさせて頂きます。2011年は私たちにとって2つの大きな国民的な経験がありました。1つは言うまでもなく3月11日の大震災と原発の事故でした。もう1つはいささか色あせてきましたが、民主党政権の2年間の経験がありました。3月11日は千年に1度と言われるような大きな震災がありましたし、それ以上に深刻な原発被害がありました。いっぽう民主党政権は選挙で国民が保守の政権を倒す、野党が多数の票を獲得して政権を交代するというのは戦後67年で初めての経験でした。この2つの経験が私たちに何を語っているのか、何を問題提起しているのかを先ず考えてみたいと思います。
結論から言えば、3月11日の大震災も民主党政権も、いずれも日本のこれまでの政治を支配してきた大企業本位の構造改革の政治を止めて、憲法の25条と憲法9条が生きる、人間らしい平和な社会をつくることの緊急性と必要性を訴えていたと思います。ところが3月11日の震災をふまえて政権についている民主党政権は、構造改革の政治を大きく転換して再び原発のない社会、あるいは構造改革に終止符をうつ社会をつくるのではなくて、逆に3月11日をてこにして、日本の遅れている大企業本位の構造改革を強行しようという政治を展開しています。野田政権はまさに、通常国会の中で一体改革、TPP、普天間の辺野古移転という憲法を蹂躙する政治を行おうとしています。
一方で3月11日の経験は憲法の生きる社会を私たちに求めています。政治は憲法を壊す試みを強めようとしています。憲法と私たちの社会をめぐって大きな対立が生まれようとしています。そこで今日は、市民運動はこの2つの問題を課題としてどう取り組んだらいいのかをお話したいと思います。
大震災と原発の事故の被害がこんなにも深刻になり、史上最大といわれる市民たちのボランティアの活動にも関わらず、復旧・復興が1年近く経ってもこんなに遅れていることの背景には、明らかに天災という理解では処理できない、日本のこれまでの地域に対する自民党の構造改革の政治が、東北の被災地域を大きな困難に陥れています。そこに津波がやってきたことを抜きには考えられません。すでに高度成長の時代から東北地方の農業地場産業は大きな衰退を余儀なくされていました。
農・畜産業の自由化の中で日本の農家は本当に困難にさらされていましたが、自民党は自分たちの支持基盤を守るために、地方に対して雇用の創出のために公共事業投資というかたちで、ダムとか高速道路、新幹線を走らせた。農業や地場産業などで食っていけない人たちが、高速道路で10年間雇用を獲得し、ダムで生きて行き、それから新幹線で10年間以上生きて行ける。こういう形で自民党は地域を支配し、自分たちの支持基盤を獲得してきました。
しかしそれが経済のグローバリゼーションのもとで、今から20年ぐらい前に構造改革の政治によって大きく覆されていきました。構造改革の政治は、大企業が世界と競争するために大企業の負担を軽減する。法人税を下げるためには、財政支出を小さくしなければならない。財政支出の中で一番大きいものは社会保障だから、これを削る。あるいは公共投資で地域にばらまいているお金もムダだ、大企業の負担を大きくするような財政支出を止めなければならないという圧力のもとで、東北地方に対する公共事業の打ち切り、地方構造改革が始まりました。
地方構造改革の中で先ずダメージを受けたのは、地場産業や農業、サービス産業など、一生懸命に東北の地域でがんばっていた中小の企業の雇用が失われました。市場がなくなり衰退が始まりました。大企業や首都の東京だけが一人勝ちをして、東北地方や山陰地方、九州の南部といった、日本全国の至る所でシャッター商店街や地域の衰退という問題が起こりました。
もっと深刻な問題は、地方自治体に対する公共事業の補助金・交付金が打ち切られたために、地方自治体の財政が軒並み赤字になりました。財政が赤字になったときに、最初に切り捨てられるのが公務員です。医療や介護や教育に携わっている公務員のリストラが始まりました。そして病院とか介護施設とか医療施設とかいう施設がなくなり、統廃合を余儀なくされました。
岩手県のなかで大きく被災した大槌町という町があります。町長さんも亡くなりました。この大槌町では、津波が来るはるか前の地方の構造改革が始まっている。2000年代のはじめから、それまで1万数千人の町民に対して180人の公務員の人たちがいました。ところが構造改革のなかで40人のリストラをされました。140人では大槌の行政はまかないきれない。医療や福祉や介護や防災のなかで、最初に防災を切らなきゃいかん、という形で切って捨てられているなかで津波がやってきた。津波が40人以上の臨時職員を含めた職員の人たちの命を奪いました。したがっていま100人足らずの人間で、今までより10倍もするような、瓦礫の処理とか、仮設住宅の建設とか、福祉施設の復興とか、行方不明者の捜索とか、地域のさまざまな復旧・復興のための協議とか、そういうものをやらなければいけない。
大槌の町長さんと話をしたときに、最初に間髪を入れずに言ったことは「復旧・復興のためには、とにかく公務員を増やして欲しい。倍にして欲しい。公務員になりたいという人は大槌町の若い人にはたくさんいる。そういう人のために、国がきちんとお金を出してほしい。そうしなければどんなに逆立ちして頑張ったって、復興なんか出来やしない」と言っていました。釜石市では2つの市民病院が赤字だいうことで、2007年にリストラされて1つになってしまった。その時点で、医療崩壊といわれていた釜石に津波が襲ってきた。それが釜石の医療をなかなか再建できない大きな理由になっています。
原発の事故についてはもっと深刻です。100%、徹頭徹尾、人災です。
原発は、大企業本位のエネルギー政策・電力政策によって行われました。日本はエネルギーをアメリカに従属して、99.5%輸入に頼る石油でまかなってきた。水よりも安いから、大企業は石油を使って高度成長を発展させてきた。1973年のオイルショックは、これに甚大な打撃を与えました。電力会社と、特に政府は国策として原発に石油のエネルギーを変えていきました。年間に2基の割合で、市場の原理を無視してどんどん原発をつくりました。
ここで問題なのは、なぜ原発を福島の浜通り地方や福井県、青森県の六カ所という地域に導入したのでしょうか。全国54基もの原発を、なぜこういう地域が導入せざるを得なかったのでしょうか。そこにも自民党に地場産業や農業が壊された地域が、公共事業でもって生きながらえた仕組みが原発にも適用されました。
東北地方に対するダムや道路や新幹線といった公共事業投資で雇用を確保して、地場産業や農業では食っていけない地域で自民党はやってきましたが、原発を導入した地域は、そういう公共事業もいかないところです。
浜通りに企業がなかなか誘致できない。そういうところに福島県が先頭に立って、国と協力しながら言ったことは「原発なら来てくれる」。こうして原発の導入を強要していきました。
1974年に、原発を全国で導入しなければならないと決定した田中角栄内閣は、電源3法という法律を作りました。簡単にいえば、原発を導入すれば湯水のような交付金をあげます、というものです。原発導入を決定した時点から、交付金が入ります。自治体財政が大赤字のところに交付金が入り、本当に自治体は喜ぶ。そして、白亜の殿堂のような市役所や町役場がつくられます。
交付金というのは、公共事業投資にお金を使わなければなりませんから、必要もないようなでかい市庁舎や、温水プールつきの高齢者施設をつくったりする。ランニングコストがかかります。70年代から原発反対の市民運動があり、新しい地域に原発を導入するのはやっかいだということもあり、同じところに2号炉、3号炉を建設する。
その度に交付金の仕組みが働きました。交付金は建設の決定とともに入ります。建設が完成すると交付金は下がってくるんです。その代わりに固定資産税という、これまた使い切れないような巨額の税金が入ってくる。先ほど武藤類子さんが言われた、福島の3号炉に使われたMOX燃料の場合は、固定資産税が通例の原発よりさらに入る。こういう形で、お金で頬をたたくようにしていく。
だけど固定資産税は毎年毎年、減価償却していきます。そこで新しい原発を建てれば、また交付金が入る。また少なくなったら次々と炉を建てる。もうこれがなければ地方自治体が生きていけないようになります。それから、正規でなくても原発に対する雇用が拡大する。そういう形で町に原発を導入してきました。
それが地域の安全とか、国民の安全とかを全くないがしろにした原発の悲惨な事故が起きた。地域に1号炉から6号炉までが集中的に存在する。福島第1原発では、もしあの事故が起こらなかったら第7号炉、第8号炉の建設が予定されていた。日本の地域を台無しにした形で、日本の大企業本位のエネルギー政策が推進されていました。
ここで分かったことは、私たちが原発のない地域、大企業によって蹂躙されない地域をつくる、被災地域を復旧・復興するためには、先ず構造改革を変える。同時にやらなければいけないことは、病人や福祉や介護の事業を復活させる。構造改革前の時代に戻す。単に被災前の時代に戻すのではなくて、大企業や公共事業に依存しなければならない地域、原発に依存しなければ生きていけない地域をなくさなければいけない。
あれだけ悲惨な事故がありながら、たとえば佐賀県の玄海では、住民のなかにもう1回原発を再稼働しなければどうしようもないという声が出ている。それを佐賀県知事が逆手にとって原発の再稼働をしようとしている。福井県でも同じような声がでている。それは、原発が止まってしまったら、地場産業も農業もないところで地域としてやって行けない状態だからです。この状態につけ込んで、政府は原発を全国各地に導入してきた。だから原発のない人間らしい地域をつくっていくためには、単に代替エネルギーを開発していくだけではなくて、原発に依存しない地域自体をつくっていくことが必要だと思います。
3月11日の大震災は、構造改革の政治が酷く地域を困難に陥れ、人びとの生活を苦しめていて、そこに津波が襲って被害の深刻さを招いただけではありません。実は憲法の25条とか27条とかの、憲法の生きる社会がどんなに必要であるか、またそれが無自覚のままに実現したかを示しました。それはどういうことでしょうか。
3月11日の津波が起こった直後に、厚労省はあわてて通知を出しました。それから何十通もの通知や行政通達を出しました。そこで厚労省は被災をした市民に対して、たとえば医療の問題では保険証がなくても治療は受けられますよ、そういう風に医療機関は措置をしなさいと、全国の自治体、特に被災地域の自治体に対して要望書を出しました。その後、原発事故が深刻になってくる中で、原発被災者に対しても同じような措置をとるべきだという通知が出されました。それは原発で被災して避難している、福島以外の地域の自治体に対して出されました。また被災してお金が無くなり、窓口で払えなくなった人たちには、窓口負担はただで診療しなさいという通知も出しました。
また、被災して企業が無くなってしまい、失業した労働者に対して、雇用保険期間の延長の通知も出しました。家庭全体が被災した人たちに対しては、いままでのような高い窓口の受給申請ではなくて、被災して貧困に陥ったということを言えば、だれでも生活保護の受給申請が受けられるように措置をしなさい、という通達も出しました。保険料が払えない人は保険料の猶予をするような通達も出しました。これが私は憲法25条の、国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する、ということを実践したことだと思います。
厚労省は何でこんなことをやったんですか。窓口負担が3割も取られないで、タダお医者さんにかかれる。ヨーロッパではみんなやっていることを、日本でもやらせようとした。保険料は応能負担で、払えない人は払わなくてもいいと言ってしまった。それは厚労省があまりにも被災の悲惨さ、原発事故の悲惨さに対して、取るものもとりあえずやらなければ大変だと手を打ったものです。
しかし厚労省は、それこそが日本社会の医療のあり方だ、生活保護のあり方だ、雇用保険については仕事が探せるまで雇用保険期間を延長して、安心して仕事を探せるようにすべきだということが原則だから、こういう措置をとったわけではないんですね。もう被災があまりにも深刻だから、取るものもとりあえず手を打たなければいけないと、そういう措置をとった。でも取るものもとりあえずやった背景には、被災した人たちの貧困や失業が決して個人の責任ではないことを、厚労省も知らず知らずのうちに認めてしまったということです。
だけど厚労省は同じ時期に、まったくこれと相反することをやり続けました。たとえば大阪で生活保護受給申請が多すぎる、福祉に依存する人間が多すぎると、生活保護の保護基準をきり下げる審議会をしています。医療保険も何度も窓口負担増が行われ、いまは成人は3割、高齢者にも負担を強いています。保険料を払えない人に対しては、厚労省は各市町村に対して容赦なく資格証明書を出すようにしています。保険証を取り上げられたという資格証明書になったら、窓口で全額払わなければならない。風邪だって全額なら7000円ぐらい掛かります。そんなものを保険料が払えない貧困な人が払えるはずないじゃないですか。
こういうように厚労省は、全く相反した矛盾することを同時にやっています。ここに構造改革の政治がいかに人間らしい生活を踏みにじるものか、そして厚労省が被災地でやむなくやったことが、日本の憲法25条や働く権利を認めた憲法27条を実現するような社会保障上の措置であることを示したと思います。
数日前の「しんぶん赤旗」を読んでいてびっくりしました。それは被災地において、本当に大きな憲法の問題が問われたことがかいてありました。去年の1年間に宮城県で、岩手県でもそうですが、歯科診療にかかる高齢者の数が、対前年比で2割増しをしたということです。これは震災がおこって、みんな歯が悪くなったということではありません。厚労省が窓口負担をゼロにしたから、いままで高くてかかれなかった人が、それだけいたのです。震災で歯医者さんの診療所が少なくなっているのにもかかわらず2割り増しになったということは、いかに高齢者の人たちが治療を求めていながら、歯医者に行かなかったかということを示しています。日本の社会を人間らしいくらしにするためには、被災地の特例措置ではなくて、憲法25条に基づく法律でもってきちっと決めることの必要性が明らかになったことだと思います。
3月11日は、他でも生活圏をめぐるさまざまな問題を明らかにしました。政府は、民主党政権になっても今の社会保障・生活保護の問題を、こう言ってきました。生活保護の受給がどんどんどんどん増えて、生活保護の財政がものすごい赤字になる、と。それを口をきわめてののしっていたのが橋下さんで、大阪では受給者が増えて、働く気がないのに福祉依存で、働いている人よりも高い金を生活保護でもらっているといっています。しかし今回の震災で、日本の生活保護の貧困の本質が明らかになりました。
毎日仕事を探して、はるばるハローワークに押しかけている人がたくさんいる。そういう中で雇用保険が切れてしまう。期間の延長もできない。生活保護の窓口はものすごく高く、適正化と称してどんどん追い払われてしまう。そういう中で自分の意に反して登録型派遣であろうが日雇い派遣であろうが、とにかく仕事を見つけるというのが被災地・仙台のハローワークで展開している状況です。つまり生活保護で一番大きい問題は、政府が口を極めて言っている、財政がかかってしょうがない、みんな福祉依存で依存型人間ばっかりが増えているということではありません。一生懸命に仕事を探していて、ハローワークでも仕事がなくて、元気がなくなってしまって、生活保護に頼らざるを得ない人たちが深刻な問題です。
人が人間らしい生活をするには、社会保障だけがあったんでは駄目です。今回の震災では、住宅が無ければ、居住が確実にならなければ、人間らしいくらしの第1歩が踏み出せないことが明らかになりました。居住だけで、仮設住宅が出来たから終わりだよ、と放り出されてしまったら、孤独死をする人が生まれてきます。そこまでの社会保障、そして雇用を確保しなければ、人間らしい生活を確保しようとしてもできません。また、子どもたちが原発の被害の下で、ちりぢりバラバラになって学校教育ができないようではいけません。子どもたちが将来、自分なりにどんな仕事がふさわしいのか、どんな努力が出来るのかをつかむことができません。
こうしてみると、社会保障、福祉、人間らしい生活というのは、どれか一つがあればいいのではありません。仮設住宅があれば、現金があればいいという問題でもない。病院が壊れたり福祉施設が壊れたりすれば、いくら現金をもらってもどうしようもない。それから、個人の尊重――自分たちの思いを実現したい、福島の地域に帰りたいという人もいます。同時に、もう福島のような怖いところで子どもたちを育てるのは私は嫌だ、別のところで生活したいという人もいる。そういう一人ひとりの自立した思い、それを実現するような政治が必要です。それが憲法13条の、個人の尊重だと思います。こういうものがセットとして保障されない限り人間らしいくらしは出来ないということです。
では、こういう3月11日が提起した問題に対して、民主党政権はどういう対処をしたのかを考えていきたいと思います。民主党政権は2009年の8月30日に、衆議院選挙で大勝して登場しました。国民の圧倒的な期待をもって登場したんです。この政権に国民が大きな期待を寄せたのは、民主党政権が構造改革の政治を止めてくれる。大企業本位で大企業の利潤は大きくなるかもしれない。けれどもその結果、社会はネットカフェ難民とか餓死とか自殺とか、先進国では現れないようなさまざまな矛盾に直面している。労働者が500万人ぐらいリストラされて非正規になり、非正規労働者はリーマンショックなどで首を切られて、頼ろうとしたら生活保護の窓口からは追い払われる。こういう悲惨な状態の中で何とか構造改革を止めて欲しいと願った。
また、地域では構造改革の結果、自治体のリストラで本当に困難に陥っている。何とか構造改革を止めて欲しい。こういう声と期待とともに民主党は変わりました。民主党に対して、構造改革に反対する運動が市民や労働者の中に起こってきた。反貧困ネットワークや年越し派遣村などが、テレビで大々的に流された。いままで日本に貧困は無いと言ってきたのに、実際に日比谷公園で現れたのは、雇用を失った貧困の若者たちが大量にいるということが、日本にも世界にも明らかになりました。
後期高齢者医療制度に対する反対の運動、それから障害者自立支援法という形で障害を持つ人たちに対してのさまざまな福祉を打ち切り、それを金で買わせるという構造改革をすすめた。この障害者自立支援法に対して、全国の14地域で憲法25条に反するという違憲訴訟が起こりました。また生活保護については、老齢加算の打ち切り、母子加算の打ち切りに対して、全国10地域以上で復活を求める裁判が起こりました。
そういう運動が、民主党の個々の議員たちや幹部の心を揺すって、民主党の方針を大きく転換し、民主党が反構造改革になる。方針を転換した民主党に国民は期待を寄せて、政権交代を実現しました。運動の圧力が民主党を変え、その民主党が国民の期待を受けて政権に就いたといえます。資料1は、小沢さんが2007年に、いままで右を走っていた車を、突然左に走らせたときのマニフェストがあります。このときは子ども手当が月々26000円、高校授業料の無償化、農家が作っても作っても赤字になるというのに対して農家個別保障が2007年に初めて入っています。
小沢さんが金まみれで倒れた後に鳩山さんが出ました。鳩山さんは運動の声をもっと真摯に受けとめて、小沢さんのときには出来なかったマニフェストをつくりました。それが2009年のマニフェストです。鳩山マニフェストでは、後期高齢者医療制度の廃止――これは民主党が共産党や社民党など4野党と共同して廃止法案を出して、参議院で可決する状態がつくられました――、労働者派遣法の抜本改正も謳いました。こういうたたかいの高まりの中で政権交代が行われました。
そのとおりに鳩山内閣は、自覚はしないけれども、いまからみれば保守の枠を明らかに逸脱していたと思います。憲法25条を前進させるような、高校授業料の無償化とか子ども手当とか、生活保護の母子加算の復活をやりました。それから自民党が数10年来にわたって、無い無いと言ってきた外交密約を、全部公開して捜査にかけた。これだけでも大きな前進です。
それだけ財界やアメリカは脅威に感じて、このまま鳩山に任しておいたらとんでもない事態になるという圧力の下に、鳩山さんは追い払われた。そして登場したのが菅さんの内閣です。菅さんのマニフェストは資料にありますが、もう1回構造改革の政治に戻ります。財界とアメリカの圧力を受けて菅政権は、日米同盟と構造改革に復帰を宣言するマニフェストを作りました。2010年の7月参議院選挙でのマニフェストです。
ここで菅さんは、今まで民主党が言ってこなかった法人税の引き下げと、それに替わって消費税の引き上げを言いました。構造改革の党であった民主党も、選挙目当てでそんなこと言ったら負けちゃうよねと言ってこなかったんですが、いま野田内閣が必死でやろうとしている、最初の消費税引き上げをいったのが菅政権です。鳩山さんのときは、自分の任期中には絶対上げない、もしあげるのなら選挙をして国民に訴えて了解が取れたらやると、しつこいくらいに言っていました。それを菅さんはひっくりかえした。
しかし菅さん率いる民主党は、地域の住民から、構造改革の政治を止めて貰いたいという期待をもった高齢者や貧困の人びとから総スカンをくらって、2010年の参議院選挙では大幅後退をした。何とか財界やアメリカからバックアップの下で、菅さんは政権を維持しましたが、このままでは手も足も出ない、何も実現できないというところで3.11が来ました。
3月11日に構造改革と原発の被害が、本当に地域を深刻に襲っている。民主党政権は大きく方針を転換したのか、もう一回原点に返って構造改革の政治を換えようとしたのかといえば、まったく逆の方針をとりました。3月11日をてこにして構造改革の政治を推進する方針を採りました。3つの復帰と私は言ってきましたが、1つは、「復興を好機として」ということです。この「好機として」という言葉は、5月ごろに経済同友会の報告書(東日本大震災からの復興に向けて<第2次緊急アピール>)を読んだんですが、あるシンポジウムで経済産業省よりの学者がはっきりと「3.11の大震災は日本経済復活のための好機である」と言っています。
それはなぜか。大企業は今まで東北地方に入りたかった。これを阻んでいたのは、一人ひとりの農家が一生懸命お米を作ったり野菜やリンゴを作ったりする。こういう農家が自分たちの農地を耕して、農地の集約化、法人化ができない。また漁民たちが頑張って、宮城県では140余りの漁港の多くで、みんな船をもって漁場を確保してきました。これではカナダとかオーストラリアがやっている大規模漁業に勝てないし、大企業が漁業に進出する大きな妨げになっています。震災で農地が水浸し、塩浸しになった。漁港もほぼ全部が壊れてしまった。
これをそのまま復旧するのはとんでもない。これを絶好のチャンスにして農地を全部買い占める。そのためには国が保障する必要はない。今のままなら農家はみんな高齢者ですから、手放そう、となる。その時に全部集約して、農地法を改正して農地を法人化出来るようにする。漁港についてもはっきりと経済同友会は言っていますが、全部復活する必要はない、大規模漁業、遠洋漁業が展開できるような大きな港の石巻や釜石だけ復活すればいいと言っています。宮城県では140ある港のうち120近くは、復活する必要はない。瓦礫をそのままにしておけば、みんな漁業ができなくて困る。そこで漁業会社が漁業権を取得して法人が参入する。こういうようにしたい。
そのためには大企業が東北地方に自由に入れなければいけないから、東北地方の岩手県、宮城県、福島県でそれぞれ乏しい財政を使うのは止めた方がいい。それよりも県の境を全部取っ払って東北州をつくり、州都を仙台にして、そこにお金を集める。岩手、宮城、福島の県財政を集めて道州制にして、そのお金を大企業が大規模に展開できるようにする。国際的な基地として開発するためにお金を費やす。それを大阪で言っているのが橋下です。西の橋下、東の震災復興構想です。こういう形で大企業本位の東北モデルを作ろうとしています。
そのために、大企業が入るためには法人税はゼロ、規制緩和、そして何よりも重要なのは原発を再開することです。原発がなければ安定した電力供給がないはずだ。外国企業も日本の企業も来てくれない。一番原発の被害が大きかった福島、そして女川原発のある東北地方で、復興のためには先ず原発の再稼働だ。女川や福島がダメならば、新潟から持ってくればいいということで、柏崎刈羽の原発再稼働を財界は主張しました。
今のような話を去年の4月6日、事故からまだ1ヶ月も経たないうちに経済同友会は緊急アピールとして打ち出しました。
当然政府はこんな政策ではなくて、本当に被災地域の復旧・復興のための政策を東日本大震災復興構想会議は出すはずでした。ところが全くこれをなぞったような「復興への提案」という報告書を出しました(「復興への提言-悲惨の中の希望」東日本大震災復興構想会議6.25)。これを比べてよく読んで欲しいんですが、同友会は数ページ、ところが政府の提言は70ページ近いボリュームがあります。なぜかというと国民にいかに分かりにくく説明するか、です。同友会のようにはっきり原発再稼働なんて書いたら、福島県知事の佐藤雄平さんも会議に入っているんです。佐藤福島県知事は、原発を止めて欲しいと言っています。そういう人も含めて復興への提言なので、原発再稼働とはさすがに書くことが出来ない。
何と書いてあるかというと、「……製造業の海外移転による空洞化、海外企業の日本離れを防ぐため、電気の安定供給の確保を優先度の高い問題として取り組まなければならない……」。これをどういう風に読むかということですが、こう読んで下さい。「原発を再稼働しなかったら」という隠れた言葉を入れて読むと分かります。簡単に言えば、原発を再稼働しなかったらトヨタは海外に行ってしまうんです。それから原発を再稼働しなかったら海外企業のGMは日本に来てくれない。だからそれを防ぐためには、原発政策は地域の安全、国民の安全を第1に考えるんじゃなくて、電気の安定供給を優先して考えなさい、ということです。ということは原発を再稼働しなさいと言っているわけです。
TPPについては何と書いてあるか。「……国際的にも魅力的な環境を整備することにより……」。大企業にとって国際的に魅力的な環境というのは、関税ゼロということです。「自由貿易体制を推進する」というのもTPPのことです。こういう言葉で、基本的には経済同友会の方針をなぞっている。これが第1に菅さんがやったことです。つまりこれを機会に東北地方の復興を大企業本位の構造改革モデルにしようということです。そこでTPPをやって世界にはばたく。誰がはばたくんですか。
地域の住民は困るんです。だって農地は全部法人化する。漁港は、瓦礫は処理する必要もないという方針です。これをまともにやろうとしたのが村井宮城県知事です。漁業権を法人に渡すということで、女川の漁民たちから猛反発をくらって、まだ出来ていません。こういうことをやろうとした。
2番目は、これまでやろうやろうとして出来なかった、集中検討会議による「一体改革」構想を推進した。税と社会保障の一体改革です。復興のために15兆円、20兆円必要だから消費税を上げなければどうしようもないと国民が思い始めた。これをチャンスにした。もともと「一体改革」は、菅さんが最初に言った言葉ではありません。社会保障との一体改革を最初に言ったのは福田(康夫)さんです。福田内閣の時に社会保障国民会議というのが作られて、そこで言われました。
でも福田さんは菅さんよりずっとまじめでした。小泉さんが構造改革をすすめて社会保障を切り、雇用を切り、非正規化をし、地方の構造改革によって地方の交付金や補助金をどんどん削減していった。大企業は大儲けをしたけれど、いま社会はとんでもないことになっている。そこでバトンタッチしたのが福田さんでした。
福田さんは、このまま社会保障の構造改革をやっていったら、日本の社会はガタガタになって、自民党政権は持たないと、強い危機感を持ちました。自民党政権を持たせるには、失業や貧困でとにかく今困っている人たちに対して財政支出をしなければいけない。今までの自民党のように公共事業ではうまらない、社会保障を手当しなければ持たない。そこで言ったのが社会保障の強化です。しかし構造改革を止めるわけにいかない。大企業のお金で社会保障を充実するなんて言ったら、大企業はカンカンになって怒る。じゃあどうするか。そこで消費税を引き上げる。国民のみなさん我慢して下さいね、社会保障を充実するから消費税をあげる、という一体改革です。
菅さんはこれに二重の変質をしました。菅さんは参議院選挙のときに消費税の引き上げで、国民の大きな非難を浴びました。国民を納得させるには社会保障の口実しかない、福田の言っていたことをそのまま使い、消費税を上げることをポイントにして一体改革を言い出した。ところが3月11日を境にさらに悪い方に向かった。それは東北や原発事故の復旧・復興費用がものすごく巨額に必要なことが分かってきた。15~20兆円、あるいはもっとかかる。
大企業は、絶対とられるのは嫌だと騒いでいる。そうすると取るのは消費税しかない。もう社会保障なんて言っていられなくて、地方財政のために、復興・復旧のために必要だ。こうした中で厚労省や政府はこう言い出しています。身を切る努力をしますから、切って切って切りまくるけど、つまりは消費税を上げなければどうしようもありません、と言う議論になっています。社会保障を充実するから消費税を上げさせてもらいますではなくて、社会保障を切って切って切りまくるから、消費税を上げさせてくださいという一体改革になっています。社会保障は切る、消費税は上げるという、一体改革の意味が変わってしまっています。これが6月30日の「社会保障・税の一体改革成案」で、菅さんが閣議決定した。
3番目に菅さんがやったことは、復旧・復興計画の中でも阪神淡路型の復興の悪いところ、それから構造改革型の悪いところを一緒くたにして復旧・復興をすすめた。だから市民がこれだけ頑張っているのに復旧・復興が徹底して遅れている。どこがネックなのか。菅さんがやった復旧・復興計画は3つのおおきな欠陥があります。
第1に、阪神淡路の時には、村山政権のもとで、亀井静香さんと引退してしまった野中弘務さんが中心になって、16兆円以上もの金を被災地に投入しました。これは私は正しかったと思います。迅速に国家財政を投入して、国の責任で被災地域の復旧・復興に乗り出さなかったら絶対にできません。問題はお金の使い先です。これが神戸空港は大赤字です。市街地再開発というかたちで、いまだに生活支援にまわっていません。それが仮設や復興住宅での孤独死を生み出している。こういうことをやってはいけない。
菅さんは機敏な財政出動もやらなかった。瓦礫の処理も国の責任ではやらない。膨大な金がかかり、大槌町でも10数億かかると言っている。瓦礫の処理は廃棄物処理法という法律でやっていますが、この法律は東日本大震災や原発事故を想定していません。廃棄物処理法では、瓦礫処理は市町村がやるようになっています。大槌のように町の機能そのものが失われている。福島のように町そのものを放射性廃棄物が埋めている。とても市町村では出来ない。ところが廃棄物処理法は、国が国庫負担するけれど、費用の半分は市町村が出すようになっています。
これでは出来っこない。だって地方自治体の財政は構造改革でストップされて、病院も介護施設も福祉も公務員もみんなリストラされたなかで、10数億もの金を瓦礫処理のために出せる筈がありません。仮設住宅は3分の2は国が出し、3分の1は自治体が負担して下さい。それから復興住宅も3分の2は国、3分の1は自治体の負担です。こんなことですから、3月11日を境にして、菅政権は国会でこれらの法律を迅速に改正して、100%国庫負担にしなければいけなかった。そうしなければいけないのに、菅さんは財界の圧力で、金を出すなら消費税を上げてからにしてくれとした。
財政出動が15兆円だと、最初に赤字国債が増える。その赤字のツケを大企業に税金という形でまわしてくるから、大企業は絶対にやっちゃいかんという圧力をかけた。菅さんは地方自治体にお願いした。地方自治体は出来るはずがなく、7月1日になって、ようやく自民党や野党4党が瓦礫処理の特例法案を出してきた。それは、国が100%出す。市町村が出来ない場合は国が代行するというものでした。8月12日に全会一致で、衆参両院で議決され、瓦礫処理の特例法ができました。これではじめて瓦礫処理の95%以上の国家保証ができるようになり、ようやく動き出しました。ここまで徹底して菅さんはさぼり続けました。
第2に、ではお金は阪神淡路の教訓をふまえて住民本位に、地元の地場産業に潤うように使われたのか。まったく大型ゼネコンと大企業に丸投げという事態が起こりました。石巻の瓦礫の処理を例に取りましょう。石巻の瓦礫処理は一手に鹿島建設が引き受けました。実は鹿島は、かつて石巻で有名になった横波に対する高い津波堤防を建設していました。その堤防が壊れて、その瓦礫処理をする。だから鹿島は今回の津波で2度儲けたことになります。この結果、地元の業者にはお金がまわらない。大型のプレハブ会社もどんどん入りました。地元の業者が木造の仮設住宅を造りたいと言ったって、そんなものは間に合いっこないと、大手の会社が引き受けて、業者も全部持ち込んでやります。
宮城県の仮設住宅では、こういう大きな会社が入ったために、東北地方では考えられない冬場の断熱材が入っていない状態で、全部作り直す事態すら起きています。
3番目には、地域住民が主体になるべき復旧・復興政策を、東日本復興構想会議が上から復興基本法として、復旧・復興を実現しようとしたことです。
では野田政権はなぜ誕生したのでしょうか。菅さんはこのように大企業本位の政策をとりましたが、財界は菅降ろしにはしりました。なぜならば、菅さんの財界本位の構造改革政策のために、国民、とくに被災地の福島や東北地方の住民から大きな批判を浴びて、支持率がついに10%台に下がってしまった。こうなると財界が喉から手が出るほど欲しい、構造改革、消費税引き上げ、TPP、普天間の辺野古移転など何も出来ない。だから看板を代えろ、という圧力が加わって菅さんは政権を失いました。
野田さんに対する高まる期待は、ものすごいものがあります。とにかく財界は待っていられない。野田さんのもとで、一気に遅れている構造改革と日米軍事同盟を推進する期待をかけました。ここで民主党は財界とアメリカに押されて、改めて憲法を壊す新しい段階に入ったと思います。鳩山さんが誤って踏み出した枠を、菅さんは一生懸命引き戻そうとしたが、しかし彼は口だけで出来なかった。それを実行し、さらに小泉構造改革以来6年の遅れである構造改革を、一気に進めるための新しい段階、憲法を壊す新しい段階に野田さんは突入しています。
なぜ民主党政権はこんなことになるのでしょうか。みなさん不思議だと思うのではないでしょうか。自民党よりも確かに悪い。鳩山さんや菅さんが、確信を持った新自由主義者だということはありません。では何故そうなったか。わたしはいくつか理由があると思います。鳩山さんがとくにそうですが、構造改革や普天間の問題について痛みをとにかく和らげて、何とかしたいという気持ちはあった。しかし構造改革を止めて、大企業からお金をふんだくって社会保障を充実するという考えはなかった。
普天間を何とかグアムに持っていきたい。アメリカさんにお願いすればできると思っていた。日米軍事同盟を変えて、憲法9条にしたがう日本をつくる中で基地をなくしていこうという考えは、さらさらなかった。日米軍事同盟は守る、構造改革は守る、しかしその被害は何とかしたいという真摯な思いが、鳩山さんに一歩踏み出させた。あわてた財界とアメリカの圧力のもとに、日米同盟は、構造改革はどうするんだ、財政再建はどうするんだ(財政再建というのは大企業の負担が重くなるからどうするかという意味ですが)、という圧力を受けて、鳩山さんは転向してしまった。
転向した先にはなにもない。彼らがマニフェストを失ったら、寄るべき基軸がありません。そこで代わりの基軸になったのが財界やマスコミの方針でした。
2番目に自民党の議員とのちがいがあります。自民党の議員はとにかく週末に地域の住民のところに帰って、住民との対話の中で自分たちの悪い方針を点検しています。TPPとか消費税とかについていろいろ言われる。それを持ち帰ってやるから、自民党政権、とくに97年に消費税を上げて以来15年間、財界が言い続けたにもかかわらず、消費税は上がらなかった。自民党の議員たちは、地元民の支持が自分たちの命だからです。
ところが民主党は、自民党以上に地元との関係が薄いんです。だから彼らは消費税を引き上げると言ったって、誰もあまり文句を言わない。そういう人が周りにいないし、そういう繋がりがない。そういう中で民主党が、いったん財界本位に走ると、それを止める住民が彼らの周りにはいない。
一番声を上げて民主党を変えたのは、実は運動体でした。自民党以上に民主党のまじめな議員たちは、運動の声を聞いて変わっていきました。あのマニフェストはそうしてつくられた。ところが子ども手当にしても高校授業料無償化も、やいのやいのとマスコミから攻撃を受けた。そのとき運動の人たちとの接見禁止を言ったのが小沢さんです。そして彼らは運動との接点を止めた結果、民主党議員の歯止めのない転落が始まりました。
3番目は、民主党議員が唯一頼りにした国民の声はマスコミでした。ところが今日のマスコミが一斉に言っていることは、今の日本で財政再建をやる
野田政権の第1の課題は、苛立ちと圧力を強めるオバマ政権との関係改善です。近くアメリカに行くでしょう。沖縄、TPP、武器輸出3原則の緩和、秘密保全法と、いくつおみやげをつけるのかというかんじです。沖縄が動かないことに対して民主党政権はことのほか負い目を追っています。とくに鳩山メが悪いことを言ってしまったために、とにかくあの悪印象を除かなければいけないと、次々と譲歩する。アメリカは盾にとって、普天間はどうなんだと脅しをかけながらTPP、秘密保全法を実現させ、武器輸出3原則を緩和させようとしています。
財界は、15年ぶりに一体改革を強行しようとしています。ネバー、ネバー、ネバーと財界の圧力の中で消費税を強行することで、野田政権の第2の課題がそこにあります。これを実現するために、野田政権は1月6日に「社会保障・税の一体改革素案」をつくり、昨日、一体改革大綱を出し、3月下旬には一体改革法案として通常国会に出す予定です。これは菅の素案をさらに踏み込んで悪い方向に持っていきました。
「一体改革」では、「身を切る」努力は社会保障だけではなくて、定数削減もあります。この定数削減は全部やっても約60億円です。一方、消費税を5%上げるだけで13兆円です。その話をしているのに、身を切らなければいかんと、社民党と共産党を0にしようという改革をやろうとしている。
それから菅さんも言えなかったことで、消費税は10%で終わりではないんです。5年ごとに上げていく義務づけを法律案の附則のなかに入れようとしている。5年ごとに点検して不足しているかどうか検討して、消費税を上げようというものです。岡田副総理が最低保障年金について言っていますが、あれだけで消費税率は10%以上ですから、これを加えると25%ぐらいになる。消費税率が10%だったら大間違いだというのを言っているのが財界です。
今日の朝日新聞でも、一体改革大綱決定と書いてありますが、増税大綱といっています。社会保障は朝日でもどこかに行ってしまい、そのうえ社説では「増税大綱を実行しなければいけない」と書いてあります。ここまでマスコミが言うのかと思います。
3番目に、それを実現するためには、何が何でも民主党1党だけではできない。協調体制を作らないと、逆立ちしても野田さんだけではできません。消費税引き上げが、通常国会で衆議院を通っても、自民党と公明党があいまいでは参議院では通りません。消費税だけでなくTPPでも、国会に出てきたらおおきな反対運動になりますからできない。そのために民主党は、自民党か公明党、あわよくば両方と協調体制を作らないといけない。
いざ協調体制ができたときに、一番大きな問題になるのが憲法の改悪です。90年以来、常に自衛隊と米軍との共同作戦をアメリカの下にずっと進めてきましたが、どうしても踏み破れない。そのために憲法9条改悪が間違いなくでてくると思います。
去年の秋に衆参両院の憲法審査会が始動しました。この憲法審査会の議論は、衆議院と参議院の議事録としてホームページで読むことができます。読むと胸が悪くなるような改憲派のオンパレードです。勝手なことを言いまくっている。だけど今は憲法審査会をとにかく開いている枠をつくっています。いざ憲法改悪の問題が出てきたら、あんないい加減な議論ではなくて、9条を改悪するために国民投票にかけるような改悪案が出てくるでしょう。
そのために憲法審査会は必要な手をうっています。附則の3条1項で、国民投票も選挙権も18歳以上することが義務づけられています。もちろんまだできていません。参議院ではこの議論がはじまっています。本来の憲法改正原案が出てきたら、一気に動けるようなさまざまな取り決めや準備が、あきらかに憲法審査会で行われています。今のところ民主党政権はそれどころではなく、財界のいう構造改革のために必死ですが、必ず出てくる。
もう一つ私たちが注目しておくのは、改憲右派がものすごく活発に動いていることです。参議院の憲法審査会では国民新党、みんなの党、たちあがれ日本、また大阪維新の会の船中八策、石原新党などはいずれも憲法改悪をうちだしています。
私たちが反構造改革の運動をやるときに、TPPの問題などでも保守の中にいろんな分裂があります。自民党の中にも民主党の中にもTPP反対派がいる。国民新党は明文でTPP反対だし、消費税も反対している。いっぽう、みんなの党は消費税には賛成している。大阪維新の会は、だいたいすべて悪いんですけど消費税に賛成している。戦線は入り組んでいます。
憲法の問題だけは違うんです。社民党・共産党以外は全部、憲法改悪では一致しています。おそらく今の日本の中で、国民が一番求めているのは民主党でも自民党でもない、第3勢力です。それは、民主党に構造改革の政治を止めてもらおうと思ったら、裏切られた。自民党はもともと構造改革の党だ。じゃあということで、国民は大阪維新の会などに誤ったかたちで期待を求めている。しかし多くの新党は、日本のこの間の経過――3・11もそれを推し進めた日本の経済的停滞、中国にもバカにされている、北朝鮮の核問題での横暴を許している、このままいったら日本はダメになるんじゃないか――というところに国民の一番おおきな関心があると彼らは勘違いしている。
それに対して応えるのは憲法を自分たちで作る。自前の軍隊を持ち、もう1回、日本が大国として復活する。その新しい政治の柱が、憲法だと彼らは思っている。私はこれは国民に対する誤った考え方だと思います。しかし民主党でも自民党でもない政治を求めているのは確かです。その根幹は、構造改革の政治を止めて、憲法の生きる社会を作るのであって、憲法を壊す社会を求めているのではないと思います。その辺が新党の人たちと、私たちの大きな対決点です。
保守の支配層は、そういう中で明らかにもう少し冷静です。この気運をつくりながら、もう1回大国の復活をかかげながら、日米共同作戦体制を実現するための憲法9条改悪に踏み切るでしょう。構造改革も、小泉首相以来6~7年できないでいる。これを突破して大きな憲法を壊す社会をつくりたいというのが、今の支配階級の要求です。
私たちの3・11後の課題はどこにあるか改めて考えてみたいと思います。
第1に憲法が生きる社会を切実に求めていることです。第2に民主党政権は憲法を壊すたくらみをおおいに進めようとしている。私たちは憲法9条や25条の生きる社会を、具体的につくっていくために何をしなければいけないのかが問われています。
2つの課題があります。1つは4大悪政課題に対する国民的大運動です。私は日本の国に住むすべての人びとを国民と呼びますが、なぜ市民的大運動といわず国民的大運動とあえて言うのかといえば、いまの一番大きな問題は憲法を実現させるために、国の政治を変えることだからです。国に責任をとらせること、原発の問題で東電に任せたり、被災地の復興・復旧について国の責任を放棄して大企業本位の政治を行う、消費税を上げて、大企業の法人税を安くする。こういうものに対して、国の政治を憲法に向かって変えていかなければいけない。それがこの国に住むすべての市民の責任としてあります。原発を止めるのは日本に住む国民に対する責任であると同時に、世界の人びとに対する責任でもあります。一体改革、TPP、原発再稼働、普天間辺野古移転。どれも彼らは必死にやっていますが、この4つの課題について市民が一致して大きな運動をつくっていく必要があります。
9.19に東京の明治公園に集まった力は、私たちが「九条の会」をさまざまな憲法改悪に反対する市民運動でのなかでつくってきた大きな共同を、さらに発展させるものとしてありました。この7年間に印象に残っている「九条の会」型の運動のポイントは、安保や自衛隊に反対する人びとだけではなく、自衛隊も安保も認める日米同盟も認める、でも憲法9条を改悪して自衛隊が人殺しの軍隊になって海外に行くのは反対だ。そういうことで憲法9条の改悪に反対するという、この1点で大きな共同をまじめな保守の人びとと組んだことが「九条の会」型の運動です。一体改革・消費税をなくす、TPP、原発再稼働、普天間辺野古移転に反対するときに、私たちがそういう大きな共同をつくっていくことが大事だと思います。
去年、新潟市のある九条の会で講演をしましたが、そこから西南に数10キロにある加茂市の九条の会からも参加されていました。ご存じだと思いますが、加茂市の市長さんはれっきとした自衛隊の幹部をされた方でした。「九条の会」の呼びかけに彼が賛成するときに言った言葉は、「自衛隊のプライドを守る」ということです。彼からすれば、自衛隊は国民の安全を守る部隊だ。それが9条の改悪によって海外で人殺しの軍隊になることは自分の、自衛隊のプライドとして許さないと言います。
これはすごいことだと私は思いました。その加茂市からバスをチャーターして参加していたんです。いま市長さんは代わっていますが、バスの料金に市から補助金が出ています。保守の市政ですが、加茂市の会館などを使う場合も、平和運動の場合はタダです。これが「九条の会」の運動の大きな市民の拡がりだと思います。
この運動の担い手が、中高年だという問題もあります。しかし、これについてももちろん努力しなければいけないんです。でもポイントは、どんな市民でも自分が立ち上がらないとダメだな、と思ったときしか立ち上がらない。みんな生活も忙しいし、やりたいこともあるわけで、自分が立ち上がらないとダメだと思うから動きます。では、なぜ9条の問題に若い人が立ち上がらないか。それは当たり前で、彼らにとってみれば生まれたときから9条は空気であり、戦争はないんです。日本では戦争のないのが当たり前ですが、しかし世界では当たり前ではありません。若者たちが自分たちで、立ち上がらなければこれは守れないぞと思ったときに、彼らは動くし、「九条の会」はそういうように発展させなければいけない。
脱原発の運動は、明らかにこうした状況をつくっています。9.19の集会で中高年だけでなく若い人たちも参加して、いっしょになって大きな固まりをつくっています。地域の集会に行って必ず会うのは、赤ん坊をつれた若い父親や母親が大量の固まりになって来ています。彼らは自分たちで「ポスト3・11系」と呼んでいます。3月11日までは自分は原発賛成だった。ちっともそんなことに関心がなかった。だけど3月11日で、自分の子どもを放射能から守らなければいけないとなったとき、いろんなことをやらざるを得なかった。市長さんのところにも行った。政党にも、自民党から共産党までみんな行った。それぞれがみんな違う。放射能被害について何で予算がこんなに少ないのかも抗議した。デモや集会も初めてやった。こういうなかで彼ら、彼女らは高まっています。
こういう運動を、私たちは憲法の問題でもう1回起こしていく。中高年も、若い父親や母親も一緒になって、構造改革の政治を変える。九条だけでなく、25条も生きるような運動を繰り広げる必要があります。
2番目に反対だけではもうダメです。多くの市民のなかで消費税は仕方がないね、と思っている人たちがいます。それは消費税を上げないで、福祉や財政は持つのか、ギリシャにならないの、というキャンペーンが入っています。原発をゼロにして大丈夫なの?日本の経済は。法人税を上げて、大企業はみんな外に出て行かないの?と言われます。
そういうときに、消費税を引き上げず、25条にもとづいて人間らしいくらしをする。雇用と社会保障を充実し、大企業から税金をとり、原発をゼロにする、原発に依存しない地域をつくる。これには大きなお金がかかります。そのお金をどこから調達するのかをふくめて、私たちの国のすがたの代案を示していかないと市民たちは我慢できません。ここに橋下などが蠢動する意味もあります。私たちは9条と25条が生きる社会の対案をつくっていくことです。
宣伝になりますが、私たちは30人ぐらいの活動家と学者が集まって、新しい福祉国家型の対案をつくろうと本を作りました。ところが膨大なページ数になりました。これをたたき台にして、市民のなかで運動の現場で必要な対案を政治に示していけたらと思います。
最後に、私は3月11日を国民的な記憶の日にすべきだと思います。私たちは8月6日が国民的な記憶の日してあります。その結果、私たちは日本国憲法をまもり、何とか9条の改悪しないできた。これは8月6日を国民的な記憶の日とした一番大きな成果だったと思います。しかし憲法の25条にもとづく、人間が安心して生存でき人間の尊厳に見合った生活は、いま五分五分です。3月11日を境に改めて問われています。こんなに酷い原発を止め、構造改革の政治を止めて、新しい福祉の、25条、26条、27条の生きている社会をつくる、そういう日に3月11日をしなければいけない。
菅や野田は、この日をきっかけにしてもう1回大企業本位の構造改革をやることで、日本経済を復活させようとしている。わたしたちは、これを機会に構造改革の政治を転換する第1歩にしたい。それが市民運動の責任であるし、政府が「次の世代にツケを廻す」と言っている、次の世代に対するわたしたちの最大の責任ではないかと訴えて、私の講演をおわります。(文責・編集部)
斎藤邦泰
人間らしく生きる権利を求めて国を相手に「朝日訴訟」を起こした重症結核患者の朝日茂のたたかいを顕彰する墓誌が、故人の50回忌を来年に控えて出身地岡山県津山市の墓所に建てられ、命日の2月14日、墓所のある本行寺で除幕式があった。
墓誌には、
朝日訴訟の一審勝訴の翌年から生活保護基準が引き上げられ、国民の最低生活の改善がなされた。この訴訟は今なお社会保護運動の「みちしるべ」となっている
と記された(要旨)。
朝日訴訟とは、国立岡山療養所(当時・岡山県早島町)に入所していた結核患者の朝日茂が、低額な生活保護基準では、憲法25条が定めた健康で文化的な最低限度の生活は営めない、と国を相手に1957年に起こした訴訟のこと。一審は朝日が勝訴したが、控訴審で逆転敗訴した。最高裁は朝日の死去(64年2月)にともなう養子・健二夫妻の訴訟継承の申し立てを認めず上告を退けた(67年5月)。
一審判決は、
〈最低限度の生活水準を判定するについて注意すべきことは、...その時々の国家予算の配分によって左右さるべきものではないということである〉
〈最低限度の水準は、決して予算の有無によって決定されるものではなく、むしろこれを指導支配すべきものである〉
と述べている。
朝日訴訟一審判決から、わたしたちは二つのことを学ぶことができる。
ひとつは、国民の生活をどうやって向上させるか。
とりわけ、憲法25条のいう「健康で文化的な最低限の生活をどうやって実現していくか、についての指唆である。
もうひとつは、前例がない事例にぶつかったとき、どのようにして憲法にもとづく適切な判断をし決断をくだすのか、についてである。
ここでは、主としてふたつめの点に焦点をあてて考えてみたい。
朝日茂は、独身で、身寄りもなく、収入もない長期入院患者として、1ヵ月600円の生活扶助費を国から「生活保護」によって支給されていた。茂の兄は中国に抑留されていたが、1956年になって、既に帰国して九州にいることが分かった。岡山県津山市の社会福祉事務所は、兄に対して、「弟に1ヵ月1500円の仕送りをするよう」要請し、兄は、妻と子供4人をかかえて生活が決して楽ではなかったが、要請に応じて仕送りを始めた。ところが、社会福祉事務所は、兄の仕送り金1500円から、600円だけを朝日茂の生活扶助費として残し、残りの900円を朝日茂の医療扶助費の一部負担金として国に納めるを決定した。朝日茂は、もともと、1ヵ月600円では生活扶助費としてとても足りないと思っていたのに、それだけ残して、兄の残りの仕送り金を政府が全部取上げてしまうのはどうしても納得できない、と感じた。そして、この決定が、厚生省の当時の生活保護基準に従ったものであることを知り、最初は岡山県知事に、次いで厚生大臣にたいし、行政不服審査申立てをした。厚生大臣の却下決定に対して取消請求の行政訴訟を起こした。代理人となったのは、新井章、渡辺良夫弁護士であった。
朝日訴訟が、東京地裁で開始された1957年当時の日本は、今から55年前で、敗戦後まだ10年余りしかたっておらず、経済の回復もまだまだ十分ではない状態だった。男性サラリーマンの初任給は、月額平均1万円程度だった。当時、収入のない長期入院患者に、生活扶助費として支払われた600円という金額は、厚生省が長期入院患者について定めていた生活保護基準の「生活扶助の支給額内訳表」によって算定されたものであった。
別表 生活扶助の支給額内訳表(1957年)
生活保護法による医療の適用を受け病院又は療養所に入院入所中の患者に対する生活扶助の支給額内訳表(但し、入院入所3ヵ月以上の成人)
費用 | 年間数量 | 月額(円) | 備考 |
---|---|---|---|
被服費 | 131.71 | ||
衣類 | 102.90 | ||
肌着 | 2年で1着 | 16.66 | 1着400円×1/2×1/12=16円66銭 |
パンツ(ズロース) | 1枚 | 10.00 | 1枚120円×1/12=10円 |
補修布 | 4ヤール | 43.33 | カナキン361ヤール130円×4×1/12=43円33銭 |
縫糸 | 30 | 8.75 | 10匁35円×3×1/12=8円75銭 |
手拭(タオル) | 2本 | 11.66 | 1本70円×2×1/12=11円66銭 |
特配衣料 | 特別基準 | ||
足袋 | 1足 | 12.50 | 1足150円×1/12=12円50銭 |
身廻品 | 28.81 | ||
下駄 | 1足 | 5.83 | 1足70円×1/12=5円83銭 |
草履 | 2足 | 21.66 | 1足130円×2×1/12=21円66銭 |
縫針 | 20本 | 0.32 | 1包(26本)5円×20/26×1/12=32銭 |
湯呑 | 1ケ | 1.00 | 1ケ12円×1/12=1円 |
保健衛生費 | 223.33 | ||
理髪料 | 12回 | 60.00 | (男のみ)月1回60円 |
石けん | 洗顔12ケ 洗濯24ケ |
70.00 | 1ケ30円 1ケ20円 1ヵ月70円 |
歯みがき粉 | 6ケ | 7.50 | 1袋15円×6×1/12=7円50銭 |
歯ブラシ | 6ケ | 7.50 | 1本15円×6×1/12=7円50銭 |
体温計 | 1本 | 8.33 | 1本100円×1/12=8円33銭 |
洗濯代 | 50.00 | ||
衛生綿 | 女子について理髪代充当 | ||
チリ紙 | 12束 | 20.00 | |
雑費 | 244.96 | ||
葉書 | 24枚 | 10.00 | 1枚5円×24×1/12=10円 |
切手 | 12枚 | 10.00 | 1枚10円 |
封筒 | 12枚 | 1.00 | |
新聞代 | 12部 | 150.00 | 1種150円 |
用紙代 | 20.00 | ||
鉛筆 | 6本 | 5.00 | 1本10円×6×1/12=5円 |
お茶 | 3斤 | 40.00 | |
その他 | 8.96 | ||
計 | >600.00 |
(注1)この表は、朝日判決にも別表として添付されています。この別表は、「入院3ケ月以上の大人」の長期入院患者を対象とするものでした。
この別表は、いわゆる「マーケット・バスケット方式」と呼ばれる方法によって厚生省が作成して決定したものですが、もちろん、今から50年以上前の1957年当時の金額ですから、金額的には、現在の金額と比較してもあまり参考になりません。しかし、生活扶助費の基礎となった各項目の月間又は年間の基準数量を見れば、時代が変わった現在でも、果たして十分であったかどうかの判断は可能です。(小中信幸氏)
(注2)マーケット・バスケット方式については、中澤秀一「現代版マーケット・バスケット方式による貧困の測定」『貧困研究』7号、2011年を参照されたい(筆者)
一審の裁判官のひとりであった小川信幸氏は、
〈私が最初にこの別表を見て、直感的にこれはと思ったのは、肌着2年に1着(1年に半着のみ)、パンツ1年に1枚だけの衣料類でした。私自身の経験として、同じシャツ1着を2年も、同じパンツ1枚を1年も、着続けることは到底考えられませんでした。また、手拭(タオル)が年間2本だけというのも、タオル類をとくに汗ふきなどに良く使うであろう長期の入院患者の場合、到底足りないのではないか、という感じを持ちました。チリ紙1ヵ月1束というのも、大きさにもよりますが、厚さ1センチ位のチリ紙の束だったようですので、長期入院患者の場合、やはり全く足りないと思いました。その他にも、鉛筆1ヵ月に半本(ペンは支給なし)というのも目を引きました。衣料のうち、寝巻は支給項目に含まれていませんでしたが、寝巻の場合は、医療扶助の一部として現物が国から貸与されることになっていました。しかし、証人の証言によると、決して十分なものではなく、1人の患者が不幸にも亡くなると、その方の寝巻を争って譲ってもらうという状況もあったようです。また、別表の項目には、教養娯楽費が全く含まれていませんでした。長期に亘って単調な入院生活を余儀なくされる入院患者にとって、精神衛生的なケアが必要不可欠と思われるのに、教養や娯楽を配慮する項目が全くなかったのです。〉
と書いている。
小川信幸氏は、判決への思考プロセスを、次のように述べている。
〈裁判所が、まず結論を出さなければならないことがありました。それは、厚生省が所管庁として、生活保護法により専門的・技術的な知見をもって定めた保護基準は、これを決定するにあたって考慮しなければならない沢山の要素があるという理由で、法律が、所管庁である厚生省にその決定を委ねているのに、裁判所が、それが違法か違法でないかの司法的判断をすることが果たしてできるのか、という法律問題でした。〉
生活保護は「憲法25条水準」を満たしているのか
〈私たち東京地裁行政部では、憲法25条、生活保護法にいう「健康にして文化的な最低限度」の生活水準(以下「憲法25条水準」といいます)は、いろいろな複雑な要素が絡む、具体的に示すことが困難な水準であることを認めながら、実際の具体的な保護基準が、憲法25条水準を満たしているかどうかについての決定は、所管庁の自由裁量に任されているのではなく、憲法25条水準を実際に国民に保障するために、裁判所に司法的判断が可能であり、また、どうしても必要である、という結論にまず至りました。〉
このようにまず、裁判所が判断すべき課題であるのかどうか、判断する権限があるのか否か、について判断した。
社会学者、医師、看護師、ソーシャルワーカーらを証人として
〈その上で、問題の保護基準は、違法と断じなければならない程度に不当に低すぎるかどうか、の判断をするための検討をしたのです。しかし、私たちが結論を出すための、判断材料としての先例はもちろん、参考となる十分な資料も当時はありませんでした。そのために、いろいろな観点から最終的な結論を出すまでに、随分と苦労したことは言うまでもありません。多くの証人〔「原告、被告双方からの申請による合計約30人もの証人の尋問を許可し、そのために提訴から判決まで約3年の日時がかかりました。裁判で、証人として採用されたのは、社会学者、医師、看護婦、調理師、ソーシャルワーカー、国会議員などさまざまな人たちでした。その中でも、証人となった2人の社会学者が、憲法25条、生活保護法にいう「健康で文化的な最低限度の生活」の水準について、著しく違う意見を述べた」――小川信幸氏〕の主張や両当事者の主張に耳をかたむけつつ、いろいろな問題点を検討しました。そして、何よりも「憲法25条水準」は、「人間に値する生存」、「人間としての生活」、「人間らしい生活」を満たすものでなければならないことを念頭に置きました。〉
こうした思考プロセスを経て、結論が出されていった。
〈第一審としての審理に、3年近くの期間をかけた朝日訴訟の口頭弁論が終結したときは、朝日さんにも適用された別表にもとづく1ヵ月600円の生活扶助費の生活水準は、どうみても憲法25条、生活保護法の保護する「健康で文化的な最低限度」の水準に達しているとはみられない違法不当なものであるとの判断から、朝日さんの請求を認めるべきであることは、私たち3人の裁判官の間で意見が完全に一致していました。そして、朝日さんが要求している補食費についても、本来は医療扶助の分野の問題であって、医療扶助の一端として現物で給付されるべきものであっても、長期入院患者の場合、体力を補強維持することが何よりも大切であり、とくに岡山療養所のような、とくに問題のある給食施設の場合には、朝日さんのいう「潤滑油」的な最低限度の嗜好物の購入費を、清潔扶助費に全く加えないのは、やはり違法と言わざるを得ない、という結論になりました。〉
「憲法は絵に描いた餅であってはならない」
小川氏は、
浅沼武裁判長の「憲法は絵に描いた餅であってはならない」という言葉を念頭に、「人間に値する生活とは何か」を3人の裁判官で議論し、違憲の判断で一致。自分が夏休みを費やして起案書を書き上げた。
と、2010年6月5日に東京で開かれた集会で述べている。
朝日訴訟から50年経って、司法の判断は後退する傾向を見せている。
たとえば、2010年5月27日の東京高裁の老齢加算訴訟を棄却した判決文は、
老齢加算をしなければならない「特別の需要が失われている」のに加えて、「我が国の経済力や財政」ではそれを支弁することが困難だとしたうえで、以上二つの理由に基づくものであるから、「もっぱら財政的動機によるというのではない」
としている。朝日訴訟一審判決など、一顧だにしなかったのだろう。
働いているにもかかわらず生活保護基準が定める最低生活費以下の所得しかない、という世帯が389万世帯にのぼり、就労者世帯の10.4%を占めるという推計を厚労省が発表したのは、2010年5月のことであった。
そのうち、実際に生活保護を受給しているのは、13万世帯(3.3%)にとどまっている。
会社員や公務員など雇われて働く世帯(2478万世帯)では、生活保護基準以下の所得の世帯が217万世帯、8.8%にのぼっている。そのなかで生活保護を受給しているのは5.2%にすぎない。
自営業者などの世帯(1272万世帯)ではさらに生活保護基準以下の割合が高く、172万世帯、13.5%に達している。そのうち生活保護を受給しているのはわずか1.2%となっている。
また、働いている母子家庭世帯60万世帯のうち、生活保護基準以下の世帯数は42万世帯(70%)と高い割合となっている。
生活保護基準以下の所得世帯数(率) | 生活保護需給率 | |
就労者全体 | 389万(10.4%) | 3.3% |
被雇用者 | 217万(8.8%) | 5.2% |
自営業者等 | 172万(13.5%) | 1.2% |
この調査は、2007年国民生活基礎調査を使ったもので、2010年4月に厚労省が公表した低所得世帯数の推計を、就労別に集計している。
見逃してはならないことは、この計算では、最低生活費に家賃分などが含まれていない点である。これらを含めると生活保護基準の最低生活費に満たない所得の世帯はさらに、増える。
こういう実態が、改善されたわけではなく、拡大・深化しているというのに、政府や石原慎太郎東京都知事、橋下大阪市長らは、まるで、生活保護を受けることが悪いことであるかのように言っている。
マスメディアでも、生活保護受給者が増加しているのは、受給者が悪いかのような論調がめだつ。
これらの「生活保護受給者=悪者」キャンペーンはまったくまちがっている。
生活保護は、衣食など日常生活の需要を満たす生活扶助をはじめとして、住宅扶助、医療扶助などの8種類の扶助を組み合わせて最低生活を保障するという仕組みになっている。
扶助費総額は2009年度に3兆72億円となり3兆円を超えたが、必ずしも増加一辺倒となっているわけではない。扶助の種類ごとの人員や、1人当たり平均受給額の推移を見ると、減少しているものもある。
たとえば、衣食など生活の基礎を充たす生活扶助の受給者数は、2006年から2009年で1.17倍となったが、扶助額は1.14倍にしかならなかった。生活扶助基準額は2003年、04年と2年連続で引き下げられている。また、2005年以降、老齢加算、母子加算が縮減・廃止されている。
生活保護受給者の多くは、老齢年金、障害年金をはじめとする他の社会保障給付を受けている。生活保護は、それでも最低生活費に足りない分を補完している。年金、雇用保険、児童扶養手当が増えれば、当然、生活扶助で補完する額は減り、これらの社会保障給付が減れば、生活扶助の給付額が高まり、受給者も増える、という関係になっている。
「就労可能な受給者」の増加は、何らかの勤労収入を得ながら生活保護を受給する人が増えるということであるから、1人当たりの給付額は、収入認定された金額分、減ることになる。
こうした事情から1人当たりの生活扶助給付額は、実は、減少してきた(2008年までのデータによる)。
生活保護受給者が増加すれば、各扶助の財政支出額が大きくなる――それは事実であるが、実は、それが住宅手当や公費医療サービス制度創設の原資となることを忘れてはならない。
1人当たり給付額は、社会保障制度及び雇用のあり方に応じて増減する。他の社会保障給付が改善すれば、生活保護受給者は減るし、1人当たり給付額は減る。就労可能な受給者が増加すれば、医療ニーズが少ない人たちが増加する。したがって、1人当たりの医療給付額は減少する。その人が雇用労働者として社会保険(被用者医療保険)に加入していれば、家族も社会保険(被用者医療保険)での適用対象となり、家族の分も含め医療扶助の負担は大きく減る。今後、仮りに社会保険の適用条件が週20時間等に緩和され、就労している受給者への社会保険適用が進めば、医療扶助給付額は減少する。「受給者の増加=保護給付総額の増加」とはならなくなる。
したがって、貧富の差が拡大し、貧困層が増えているいま、たいせつなことは、生活保護受給者が増加していることを非難することではなく、貧困とたたかうために、生活保護受給を促進することである。
受給促進計画を、政府とすべての自治体が早急に策定しなければならない。それが、景気の回復にもつながり、財政再建にもつながる。
「健康で文化的な最低限の生活」を営むのは、人間としての正当な権利である。健康で文化的な生活を送っていなければ、働く者は労働生産性を上げることはできない。それは、企業経営者の側からみれば、すぐれた生産力の担い手を確保するための最低限の条件でもあるはずだ。
憲法25条を実現することは、日本経済を活性化し、社会を豊かにすることにも、まっすぐにつながっている。
そこを深く考えたい。
(一審の裁判官のひとりであった小中信幸さんは、2010年6月に岡山市のNPO法人「朝日訴訟の会」に判決の起案書を寄贈した。本稿では、朝日訴訟の会が発行したパンフレット『人間裁判 元裁判官の手記』を参照・引用させていただいた。なお、布川日佐史静岡大学教授の「現代日本の貧困と生活保護の課題」『賃金と社会保障』1531号、2011年、「最低生活保障と就労支援の課題」『月刊全労連』No.177、2011年、および「貧困の拡大と生活保護受給促進への課題」『前衛』2012年2月号を、また山田篤裕、四方理人、田中総一郎、駒村康平氏ら「貧困基準の重なり―OECD相対的貧困基準と生活保護基準の重なりと等価尺度の問題―」『貧困研究』4号、2010年を参照した)
(2012年2月15日)
蓑輪喜作
まず最初に故里でも70代の友人を失ったが、小金井では誰よりもこの私を支えて下さった9条の会・こがねいの事務局長の小山さんを失い、その哀悼の一文として年金者組合のニュースにのせて書いてみました。(略)。
さて、その後の私の九条署名ですが、たくさんの人や若者を前にすると6年間という馴れもあってか、声をかけることにはさして抵抗もなく、特に気分の落ち込んでいるときでも、がぜん元気になって次のような歌なども作ってきました。
●蓑輪さんの本読みました保育園の園長われに声かけてゆく
●無理をせず力みもせずに自然体それをめざして署名に歩く
●八十を越えてこの頃思うこといつしか弱音はかなくなりし
●六年間ともに歩みし署名板書きてくれたる幾万の人
●振り返れば啄木に始まりいまがあるわが人生の「九条」署名も
●体調のよき日は声も大きくて「九条」署名常より多し
●新潟の村から出てきて十六年「九条」署名いま五万となる
●出来るなら百歳までも生きのびて「九条」署名続けてみたし
しかし実は昨年の6月頃、子どもとのつきあいで固めの野菜いためなどを食べたことから、胃の調子をくずして、その後、便秘にもいろいろ悩まされ続けたが、署名にでるのが一つの救いで、最近どうやら少し落ち着き、胃と腸の検査の日も決まったが、その1月20日の検査日には東京も幾年ぶりの雪で、タクシーも駄目、血圧も上がって中止になったが、もうここまでくれば暖かくなってからゆっくり検査してもらおうと思っている。
降った雪はわずか3、4センチだが、寒くて、野川の川辺など10日以上も消えなかった。そんなことで、いまテレビも新聞も毎日、豪雪地帯のことを伝えており、故里からも地元の十日町新聞なども送られてきたり、またこちらからも電話をかけたりもする。いま故里の松代、松之山の積雪は3米50ぐらいのようだが、私の経験だと過去にはこれ以上の豪雪も沢山あったが、それなりに人がいて処理してきたが、まさかいまのように80代のお年寄りまで雪掘りをやることなどは思わなかったから、東京にいても故里の人にすまなく、心中はおだやかでなく、いろいろ思うこともおおいのであるが、テレビも新聞もあまり言わないが、なぜこうなったのかということであるが、私の考えてみるに、あの60年代から始まった減反政策で、もう40年以上になるが、農村から人を追い出したことだと思っている。
現地に行ってみればかつて美田であったところが、原野に返り、村々はつぶれ、そういうことで私のようにそこに長くすんだ者には涙が出てきます。そしてよく考えてみれば、いま問題になっている原発も、これからやられようとしているTPPも、みんな根っこは一つだということです。そんなことで、いまみんなが大きな目を開き、考えてゆかねばならないときだと思うのです。
私は署名をしていて、この頃言うことは、孫の時代が危なくなるということです。そんなことで自分のいままでのことを振り返ってみるためにも以前に出した「山間豪雪地帯に生きる」の中の「過疎と離村」(略)、そしていま豪雪で困っている故里の友人に書いた手紙と、さらに私が体験した「豪雪のうた」(略)など、長くなりますが入れてみました。
最後に、いつも言うことですが、署名は寒いので2月のはじめで53100ですが、これからも暖かくなったら、健康に注意して出来るだけ続けてゆきたいと思っております。
全国のみなさん、長い間の応援、大変ありがとうございました。
拝啓 お便り有り難うございました。今年の豪雪は実に大変のようですね。
平成18年豪雪は私にはわかりませんが、56年、59年豪雪はいまも次の歌のように悪夢のように蘇って来ます。
回想は苦痛をともない浮かび来る妻といどみし五九豪雪
そんなことで今年に入って故里の友人宅にいろいろと見舞いの電話などしていますが、1月2日、松之山より来た電話が3米、昨日の2月4日の夜は松代の室野で350などと聞こえております。
しかし、量から言いますと、私の今も持っている59豪雪の記録は犬伏460,松代で480、そのときにくらべるとはるかに少ないですが、そのときとの違いは除雪する人間の層です。あのころはいまより人口も多く、若く、除雪の主体は父ちゃん達は出稼ぎだったけれど、主力は30代、40代のお母さん方で、まだ中学生、高校生も多くいて、それなりの力があったと思います。
しかし、いまは長年の過疎化と人口の減少で、松代の中心街も商店はつぶれる、たとえ主要道路は59豪雪のときよりもブルドーザーで除雪すると言っても、朝5時半までにブルの通るところまで出さないと玄関の雪も持っていってもらえないと、いま75歳で心臓疾患をかかえる私の従兄弟が言っておりました。そんなことで以前は屋根になど上ることのなかった80代までが悲しい転落死なども聞くのです。
誰がこんな国にしたのかと思うと怒りが湧いて来ます。それでいま思い出すのは60年代の初めの頃ですが、そのころの県の総合開発計画書というものが手に入って、私たちのような東頸城郡は18パーセントぐらいしか残さず、あとは自然公園にすると書いてあり、警鐘を鳴らしたこともあり、そのとき書いた私の一文も残っています。
それは外国の安い農産物を入れて、日本の農業を切り捨てるということでした。そしてその結果は一郡の消滅、大合併で、1月の十日町市の広報によると、戦後は1万5千近くあった松代の人口も、現在3573人、松之山2542人となっています。
かつて農業委員を長くやっていた、今は亡き私の友人が、私の犬伏部落80戸の田んぼに等しいものが毎年減反でなくなっていくと嘆いたものです。
さて、この問題はアメリカが、世界の人口が、どう動いているのか、大きなところから見てゆかなければならないということです。九条の署名などをやっていると、名案米やアフリカの青年に、日本、こんなことをやっていると駄目になるぞと言われることがあります。
いま問題になっている原発も、国民の知らない英田に54基も作られ、そしてさらにいまTPPの問題が大変で、原発も豪雪も、根っこは一つだということです。
そんなことでいまいってきたようなことも話しながら、今年は寒く、いつもより署名の回数は少ないですが、続けています。ただいま、53100です。
さて、私たち世代として言わなければならないことは、どんなことがあっても戦争はしない、九条は守る、昭和の初めのような右傾化の道だけは絶対に進んではならないということです。
ところで昨年、ヒマラヤのブータン国王夫妻が来られて、一部の大企業だけが潤うのではなく「国民の総幸福」ということをいわれましたが、考えて見なければならないと思いました。
では、大変でしょうが、雪掘りとお仕事にがんばって下さい。
敬具
内閣総理大臣 野田佳彦様
2012年3月5日
9条でつなごう・めぐろネット
目黒に住む私たちは、「憲法手続法」の制定過程で憲法9条の改悪がなされる可能性に危惧を抱き、9条を堅持するための活動を続けています。
昨年10月20目に開始された179国会において、衆議院では50名、参議院では45名の構成による憲法審査会が編成され、活動を始めたことに大きな不安を抱いています。
野田総理の178臨時国会での「政治家個人としての持論はあるが、首相の立場として憲法を遵守し、現行憲法下で最善を尽くす」「震災復興などの課題が山積みし、憲法改正が優先課題とは考えていない」との発言は、立場や情勢をわきまえた妥当な答弁だと受け止めていました。
ところが、震災地の復興や福島原発事故後の処理がいっこうに進まないにもかかわらず、社民党や共産党などの反対を押し切って憲法審査会がつくられ、活動が始まったのは、どうしたことでしょう。自民党や公明党の意向を慮っての対応かもしれませんが、民主党が味方につけなければならないのは、市民・有権者ではないのでしょうか。
まして、2007年の憲法改正手続き法は、自民・公明による強行採決により18項目もの附帯決議がついています。当時の安倍首相の進め方は国会内外の大きな批判を呼び、強行採決に手を貸さなかった民主党に政権担当のチャンスが巡ってきたのではありませんか。だからこそ、その後、衆参両院で審査会は動かず、つくられなかったのだと理解していました。しかし、昨秋来、衆参両議院審査会の会合が幾度も開催されています。
日本の戦後が、戦争によって他国の人々を殺戮することなく、ある種の繁栄を維持し、アジアの人々の信頼を多少でも取り戻すことができたのは、憲法9条があればこそといえましょう。今回の福島原発事故は、日本中を、いえ、世界をも巻き込んで放射能汚梁を拡散させ、未来に向けて甚大な負の遣産を残しました。この事態に重ねての「憲法の改悪」は断じて許されることではありません。
衆参の審査会はすでに実質2回開催されていると聞きますが、今、せねばならないのは、厳寒の被災地の人々や原発事散により苦しむ福島の人々が一刻も早く安心して生活できるようにすることではありませんか。
(請願事項)
1.野田総理は今後も憲法遵守を貫き、平和を願う市民の思いを受け止めてください。
2.「憲法改悪」への第一歩ともいえる憲法審査会を停止・凍結させてください。
引き続き「馬毛島」問題ですが、昨年10月20日一市三町の人口の約55%にあたる2万4千709人、総数7万2人の反対署名を政府に提出後の動向を、以下極力私見を入れず、主に南日本新聞の記事及び「馬毛島問題対策協議会」(以下協議会)の「協議会だより」を中心に報告していきます。
11月16日、今まで明確な態度を表明していなかった伊藤祐一知事は、FCLP(陸上艦載機離着陸訓練)に反対と明言「地元が反対だから」。長野力市長「これまで知事については不安もあったが、心強い。」
ただ現在まで開発業者「タストンエアポート」(以下TA)に対する不動産取得税は課税できていない。
11月18日、知事定例記者会見で、「TAの開発許可の取り消し」の検討をと。
11月26日、協議会は30日に防衛省を訪れ、FCLP移転計画の12年度予算化したことに抗議文を提出すると発表。
11月28日、TAは住民運動の高まりを受けて、滑走路工事を中止し従業員15名を30日付で解雇すると発表。
11月30日、協議会は防衛省に予算化見送りを要請。渡辺周副大臣「地元住民の意思を無視して強行することはない」。
12月8日、不戦を誓う日の集会(主催県護憲平和フォーラム)テーマ「米軍再編と馬毛島~基地で地域振興は可能か」講師湯浅一郎(ピースデポ代表)は「南西諸島防衛強化は建前でFCLPの恒久的基地化が狙い。FCLPを許せば100年先も基地の街。横須賀・岩国・馬毛島は三位一体の基地となる。しかし自治体と住民が連帯すれば、長い闘いになるが勝てるし、第一次産業を中心とした地域づくりが大事」だと。
12月21日、防衛省は12年度予算案に調査費として1億円を要求。11年度は3千3百万円。22日に市と県に説明するが、自治体の了解なしに執行するつもりはないとも。
12月22日、九州防衛局企画部長は県庁と市役所を訪問。施設備に直接繋がる予算ではないと断りつつ、「適地かどうか判断するため地形気象等の調査が必要」。県企画部長、「地元の理解を得ない段階で予算計上は手順としておかしい、強行突破しますというように聞こえる」。市側は検討するための予算もNOだと即日抗議文を送付した。
12月24日、省側予算案として航空測量調査費や事務費として5千1百万円とファックスで市側に送付した。
12月25日日、FCLPの調査費として2億2千5百万円が盛り込まれる。
12月27日、県の護憲平和運動センターの代表ら13人が市役所を訪れ、全国反対署名約1()万人分を提出。また市議会議員団は27日までに嘉手納町、岩国市を視察した。
12月30日、「馬毛島問題」についての今後の対応を問われ、知事「ある程度の冷却期間をおいて改めて必要性を考えなければ。県議会も南西諸島の防衛力強化では概ね一致している」。
12年1月24日、県護憲平和フォーラムが防衛省を訪れ計画の撤回を申し入れるとともに、調査費2億2千5百万円の地元対応の内容を質すが、省側は理解を得るために努力したいと繰り返すのみだったという。
2月3日、県はTAの開発許可取り消しに向けた聴聞を開く。TA会長「県職員に不信感があり替われば調査に応じる。工事は再開しない。FCLP誘致は困難」との認識を示したが一方では相手があるとも語り、その省担当者は馬毛島が有力な侯補地であることに変わりはないと。
以上ですが、信頼できる知人からの情報では、TA側は民主党防衛関係者に以下の要望を出したという。
なお市民連絡会は10月提出署名55%の80%実現を目指して、強化した活動を行っています。南日本新聞によると、建国記念の日の11日、県内集会で反対派2団体は大阪市橘下市長の「教育基本条例」を政治介入と批判。また、つくる会系教科書にもっと敏感になるべきだとも。
一方奉祝派は、「国を愛する心を養う日に」と呼びかけ、式典に先立ち小中学生4人に教育勅語を奉読させたというが、これ如何。
2012年2月20日 和田伸