(本稿は第九条の会ヒロシマの藤井純子さんのメールでのレポートを編集部が若干、加筆しました)
2月18日~19日、広島市で「第15回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」を行った。集会は結成20周年を迎えた「第九条の会ヒロシマ」との共催で開催された。集会に先だって「第九条の会ヒロシマ」の結成20周年を記念して、「上條恒彦ミニコンサート」が行われ、上條さんは「さとうきび畑」などを熱唱した。
公開集会には、330人の参加で広島の原爆資料館メモリアルホールがいっぱいになった。
「ハイロアクション福島」の武藤類子さんのスピーチ(本誌別掲)は多くの人の心に届き、政治学者・渡辺治さんの講演(次号掲載予定)は一人一人がしっかりと社会を見て考えて行動していくために有意義な示唆を与えた。また、18日の全国交流集会第1部は15都道府県から60人、19日午前の第2部は50人が参加し、中身の濃い報告や討論をし、集会アピール(本誌別掲)を採択し、終了した。
集会後、参加者は貸し切りバスと、3隻の船で上関原発の建設予定地近くと祝島を、地元の高島美登里さんらの案内で訪れた。つづいて山口県柳井市で小中さんなど地元の方と交流した後、翌日、岩国市議・田村順玄さんたちの案内で岩国米軍基地や愛宕山開発地を見学して、広島駅で散会した。「ピースリンク呉・広島・岩国」の新田秀樹さんたちの案内で、大変充実したフィールドワークとなった。
第15回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会における高田健さんの全国交流集会への報告と提起の要旨は、下記で、これにくわえて「九条の会ヒロシマネットワーク」の石口俊一さんの意見で、「秘密保全法案」についても取り組むことになった。
(1)14回の歴史に於いて、この全国交流集会の果たした役割。
(2)昨年2月、沖縄の米軍演習の本土での分散移転地のひとつ、大分県日出生台演習場を訪ね「安保と憲法」の問題を考えながら開かれた第14回全国交流集会。その直後、3・11東日本大震災と東電福島第一原発の大事故。
(3)3・11が問うている憲法問題は、平和的生存権であり、25条をはじめ、憲法第3章の労働権、教育権などなど基本的人権の実現に他ならない。そして米軍のトモダチ作戦、10万の部隊を投入した自衛隊の救援作戦、および原発のプルトニウムなど核兵器と第9条の関係であり、福島と沖縄に象徴される現代日本社会の「差別の構造」「犠牲の構造」(高橋哲哉)だ。
(4)折しも、米国の新国防戦略のもとで、沖縄の海兵隊グアム移転と普天間基地の移転の「パッケージ」が破綻した。辺野古新基地建設、普天間基地の固定化、米軍の岩国基地への移駐などの問題が焦点となっている。4月の野田首相訪米と日米首脳会談を契機に、対中国シフトのための「日米安保共同宣言」と日米ガイドラインの再々改定が企てられており、集団的自衛権行使に向けた憲法改悪の要求が強まる情勢にある。
(5)被爆地・広島の近くで、上関原発をはじめ中電・四電の原発の問題があり、米軍岩国基地の問題がある。第15回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会は「原発、米軍基地と憲法」という問題に私たちの市民運動が向き合っていく場だ。
(6)こうした折から、両院で憲法審査会が始動した。憲法審査会で改憲派は、東日本大震災の危機に便乗して憲法に「国家緊急権」「非常事態条項」の導入を主張するなど、新たな装いをこらした改憲論を展開している。本来、3・11以降の憲法問題とは、こうした改憲論ではなく、(3)で述べたような問題だ。
(7)昨年末に武器輸出3原則の緩和が決定され、さらに自衛隊の南スーダン派兵を機にPKO5原則の緩和が企てられている。ホルムズ海峡への派兵も取りざたされている。非核3原則の2・5原則化への動きもあわせ、従来、第9条のもとで「国是」とされてきた諸原則への攻撃にみられる解釈改憲の拡大の動きが著しい。
(8)憲法審査会の始動を明文改憲の好機ととらえ、4・28「サンフランシスコ講和条約発効60周年」を契機にして、自民党が新しい新憲法草案を発表し、改憲論議に拍車をかける構えでいることも見逃せない。自民党が政権奪取を狙い、与党・民主党に大連立志向が根強い永田町の下での憲法審査会を舞台とした改憲の動向は予断を許さない。改憲新党の動きも警戒を要する。
(9)昨年来、市民運動の一部で主張されている「原発国民投票」運動の危険性・問題点は、第1に「大事な事はみんなで決めよう」という一見直接民主主義の実現に見える「1票投票」の旗印のもとで、「原発の犠牲の構造」に無頓着なことだ。第2に、東京都、大阪市での住民投票条例請求署名は法定数を超えたが、これは自分たちの声が政治に活かされない現実への批判の現れではあるが、いずれも否決されて実現しない事は明らかだ。第3に重大な欠陥立法である改憲手続法を安易に援用することで、この欠陥法を免罪し、改憲への道を掃き清めていることであり、第4には真に「公平・公正な国民投票」を実現するには権力やマスメディアと結びついた原発推進勢力の世論工作をうち破るだけの徹底した民衆運動の展開と制度的な保障が前提であることが無視されていることだ。これらのことから、いま「原発国民投票」を主張するのは誤りだと考える。
(10)私たちは、まずなによりも福島をはじめ原発による放射能の被害をくい止め、被災者に連帯し、救済する運動を緊急課題として、原発立地や周辺地域の住民と自治体の脱原発の運動を支援、強化し、全国各地の草の根で脱原発の多様な運動を発展させ、広範な世論をおこすことだ。具体的には昨年来、全国で無数に発生し、高揚してきた草の根からの市民の多様な行動を発展させ、「さようなら原発1000万人アクション」の署名運動や諸行動を軸に、再稼働阻止の世論を盛り上げること、既存の原発の廃炉を求め、新たな原発の建設を阻止すること。今年最大の行動としての7月16日の10万人集会(東京・代々木公園)を成功させよう。政治の方向を、脱原発、自然エネルギーを中心としたエネルギー政策に転換させることが課題だ。
(11)改憲阻止の運動を、明文改憲も、解釈改憲も反対の、憲法3原則を活かし、実現する新たな対抗社会を展望する運動として展開すること。脱原発の運動は憲法を活かし、実現するうえで当面する最大の緊急課題。合わせて、改憲の動きを暴露し、運動を強めよう。全国各地で草の根の運動を起こし、共同行動を強め、つなげ、第16回全国交流集会にもちよろう。
第1部 18日17:30~19:30
土井登美江さんを司会に進められ、各地からの様々な報告がされた。
(1)広島・第九条の会ヒロシマ20年、被爆地で原発、ヒバクを考える機会にしてほしい。(2)札幌・脱原発の運動を中心に。長年、脱原発運動を続けてきた人と「ポスト3.11」の運動と組織の協働。しかし行動だけでは変わらない。決定機関への働きかけが大切。(3)大分・草の根会・日出生台演習反対運動。海兵隊が演習中、県道を行進したことに対し、草の根、平和センター、連合(6500人)、共産党と各者が抗議行動。(4)名古屋・不戦へのネットワークの反戦運動。空自小牧基地からの南スーダン派遣に抗議行動。(5)岩国基地問題の取り組み(田村順玄)。市長選の惨敗と、沖縄からの米空軍分散移転報道抗議。(6)「さよなら原発1000万人アクション」など東京での多様な脱原発運動。(7) 沖縄・オキナワに留学して・含・八重山の教科書問題。(8)大阪市長選、維新の会と闘って。平松前市長50万票は重いはず。橋下は決して圧勝ではない。教育問題など、後退、矛盾が噴出している。若者の支持も一部でしかなく広がっているとは思えない。
第2部は19日午前、開会のあいさつを「憲法を生かす会」の筑紫建彦さんが行い、格差、競争社会、広域の被曝、ヒバクの中で暮す私たちの闘いなどの問題提起をした。(1)釧路、食べ物の放射能汚染、子どもを守る働きかけをしよう。(2)広島。島根、伊方原発の再稼働を止め、廃炉を求める運動、上関支援。(3)東京北部、地域での脱原発署名。(4)平和憲法を広める狛江連絡会。基地も原発も現地ではないが、今、全国的な課題として取り組んでいく。
(5)キリスト者平和ネットの運動について。戦争に加担した償いとして活動をしていく。(6)ピースサイクル長野実行委員会。松本大本営跡から広島へピースサイクル今年で23年。今年は原発に集中している。若者にデモ申請を教えたり、コラボも実現。(7)日立の城下町での脱原発署名。日立に引っ越し、一人でも廃炉署名を行っている。百里基地では日米合同演習も行われている。(8)育鵬社版歴史・公民教科書の採択撤回を求める呉市民の会。呉では育鵬社の教科書が採択された。大和ミュージアムの観光、海上自衛隊が強化共存。呉教委、呉市への働きかけをしていく。
(9)伊勢、福島のこどもたちのサマーキャンプなど脱原発運動。原発卒業パレード、1000人をめざし、メッセージを集めている。サマーキャンプ、ウインタースティに多くのカンパが集まった。(10)広島県北原発さよなら運動と9条看板作り。若い母親たちと食べ物や自然エネルギーという共通の問題意識を持って活動し、デモなど、従来の活動経験で助け合えるようになった。(11)止めよう改憲 大阪ネットワーク。止めよう原発の会と原発ゼロの会が作られた。大組織は動かないが、若い人、女性たちと、従来組とのコラボを実現。その後、討論が行われ、集会アピールが採択された。
2月19日のフィールドワーク後、山口ネットワークの人たちと交流会をしましたが、そこで小中さんは、上関はもう終わったと思っている人が多い中で心にとめて下さって心強い。上関原発白紙撤回まで頑張ると喜んでくださいました。推進派に囲まれる上関町側のごく少数の反対派の苦労も、福島同様、並大抵ではありません。
2月21日、上関で頑張ってくれたのカヤッカーの若者が中電前で写真展示を行いました。昨年600人投入し、田浦で頑張っている人たちを排除し埋立を強行しようとしたことを1年目にあたる日に、どこで、どういうやり方で行われたかの実態と建設予定地の田ノ浦、祝島の風景と暮らしを、中電社員や広島市民に知ってもらい、原発について考えてもらうためでした。通行人が足を止めてくれていました。毎日新聞が大きく写真を撮って報道してくれました。
漁業補償を拒否している祝島に対してまだ次のようなことが行われています。損害賠償など裁判も沢山残っています。上関支援はまだまだ必要なようです。送って頂いたので、以下転載します。
(第九条の会ヒロシマ・藤井純子)
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祝島の漁業者、改めて原発補償金の受け取り拒否を決議
(祝島島民の会blog http://blog.shimabito.net/)
2月22日午後5時より祝島公民館において祝島支店の組合員集会が開催され、上関原発計画にかかる漁業補償金10億8000万円(祝島支店配分額)について改めて反対多数で受け取り拒否を決議しました。
漁業補償金については、2010年の祝島支店組合員集会において法務局に供託されている補償金(半額分)の受け取り拒否を決議しましたが山口県漁協はその決議を無視して供託金を引き出しました。
また予定地の埋立て免許を山口県が許可したことにより中国電力から支払われた残り半額の補償金も、県漁協は祝島支店の意向を無視して受け取りました。
そのことに対し祝島支店の漁業者有志は代理人を通じて山口県漁協へ、供託金の受け取りは祝島支店の決議を無視した暴挙であり即刻中国電力に返還することと、その暴挙によって生じるすべての事態の責任は県漁協にあり、場合によっては法的な手段でもって対応し得る旨を通告しました。
そして2011年には県漁協は受け取った補償金に3億4000万円の税金がかかるとして祝島支店組合員集会において祝島の漁業者にその負担を求めてきました。
祝島支店の決議を無視して補償金を受け取ったこと、また補償金の受け取りを拒否している漁業者にその税金の負担を要求する山口県漁協の恥を知らない態度に憤った祝島の漁業者が県漁協の責任を追及すると、「祝島の漁業者に負担してもらわなければならなくなる可能性もある、と言っただけ」とその場に来た担当者は言を翻しました。
その後、補償金については祝島の漁業者を含む反対派の島民は受け取り拒否したことで全て終わったと考えていました。
しかし今回、祝島の漁業者からの「補償金の配分についての協議を進めることを求める」旨の請願(正組合員の五分の一以上が必要で、今回は氏名が非公開のため人数は不明)があったとして、補償金の受け取りについての組合員集会が召集されることとなりました。
終わったはずの問題を蒸し返そうとする行為に抗議した漁業者に対する県漁協などの説明によると、2010年の決議はあくまでも供託された補償金の受け取り拒否が決議されただけであり、補償金全体の受け取りについては決定されていないというものでした。
このたびの集会では補償金の受け取りについては正組合員58名中反対40名:賛成17名(議長除く)となり、改めて受け取り拒否を決議しました。
また補償金の受け取りの是非については今後は祝島支店の中で議題としないという緊急動議が出され、賛成多数で決議されました。
上関原発計画は町外、島外からは、もはや進展する余地のないものとして見えるかもしれませんが、決して計画は消えたわけではなく、国の新規立地についての方針も明確では無く、また今回のようにいまだに不透明な動きが現地では続いているのが実情です。
祝島島民の会としては、30年に及ぶ反対運動を踏まえ今後も計画が白紙撤回される日まで頑張り抜きますので、どうかこれからも多くの皆様のご協力をお願いします。
祝島島民の会
武藤類子(ハイロアクション福島)
みなさんこんにちは。福島から参りました武藤類子と申します。どうぞよろしくお願い致します。
今日は3.11以来福島で一体何が起きたのか、そしていま何が起き続けているか、それに対して私たちはこれから何が出来るのだろうかと言うことをお話しさせていただきます。その前に今日全国からたくさんの方がお出でになっていますが、広島をはじめ全国のみなさんに福島に対して本当に暖かいご支援をいただいたことをお礼申し上げます。どうもありがとうございます。また、ここに福島からの避難者の方がおいでになりましたら、本当に大変な中を今日までがんばって、知らない土地で生き抜いてこられたことを尊敬申し上げます。
まず、3.11のその時のことからお話しします。私は福島県の三春町というところに住んでいました。そこは原発から約45キロのところです。比較的岩盤が強い土地といわれていまして大きな地震を経験したことがありませんでした。でも昨年の3月11日の地震は、自分がいままで経験したことがないようなとても長くて大きな地震でした。ちょと山沿いのところでしたので、揺れが始まってすぐにテーブルの下に潜り込んで様子を伺っていました。ガラスの食器が割れたり、お茶碗が割れたりする音を聞きながら、ずっとテーブルの下にもぐっていたんですね。大きな揺れが終わったころにそろそろとはい出してきたんですが、そのとき、やっぱり初めに頭に浮かんだのは、原発は大丈夫かなということでした。
私は1986年のチェルノブイリ原発事故の時に初めて原発のことを知ることができました。それまでは何も知らない無知な人間でした。でもチェルノブイリ原発事故は、これはとても大変なことなんだ、原発はとても危険なものなんだということを知りました。それから小さなグループを作ったりしながら、たいへん細々と原発に反対する運動をつづけてきましたので、地震になったとき原発のことはとても心配でした。
そして一昨年の10月からは、福島の第1原発3号機はプルサーマル運転を始めていたんです。このプルサーマルは、運転開始の10年前に日本で始めてプルトニウムとウランとを合わせたMOX燃料を使うことになっていました。ところが運転が始まる寸前に、東京電力のデータ改ざんとか事故隠しが発覚しました。
当時の佐藤栄佐久福島県知事がそのことを非常に懸念して、一命をかけてエネルギー検討会で原発のことを一生懸命に学んだんですね。とても長い時間をかけて勉強して、賛成派、反対派の両方の人を呼んだ検討会を続けました。その結果プルサーマルは白紙撤回にするということを決定しました。そのとき燃料はすでに運び込まれていたんですが、その燃料はプールに入ったままずっと10年間保管されている状態でした。そして一昨年の10月に、とうとうプルサーマル運転が始まっていたんです。それなので、地震が来てよけい原発のことが心配でした。
地震の直後にラジオを聞いたら、制御棒が入って全部停止をしたということだったので、そのときは、ああ良かったな、と胸をなで下ろしました。ところがさらに時間が経って夕方になってみると、冷却系の一部の電源が入らなくなっているというニュースが入ってきました。原発は、常にものすごい勢いで莫大なエネルギーを作り出すんですけれど、その作り出された熱を冷やしながらでないと運転が出来ない構造になっています。その冷やすことが出来ないと、とても大変なことになってしまいます。そして、全部の冷却系電源が入らなくなりました。
ちょうど一昨年の5月ぐらいに福島第1原発2号機で、全電源喪失事故が実はありました。そのときには全部の電源が30分間止まっています。30分間だけだったので大事には至らなかったんです。そういう報道は、福島でも小さなベタ記事だけで、全国的には全く報道されなかったと思います。
そういうことがあったので、全電源喪失ということになって、これがどういうことが起こるのかがある程度想定ができましたので、本当に真っ青になりました。私のところからは45キロほど東の方に原発があるので、東の方を見て火柱が上がるんじゃないかという思いで外を見ていました。でも我に返って、次に起きるのはメルトダウンかもしれないと思い、すぐに、とにかく逃げなければならないという思いになりました。友達の家を廻ったり、いろんなところに連絡をしようとするんですが、電話もメールも全く通じない状態でした。友達に、逃げた方がいいよとメールを廻しながら、私たちも会津方面に避難しました。地震の後に急激に気候が変わりまして、ものすごい吹雪でした。一瞬暗くなって吹雪がやってきて、その吹雪の中を山を越えて避難していきました。
次の日に、思うところがありましていったん私は戻ったんですね。でもその後、12日から1号機、14日に3号機、4号機とどんどん爆発しました。プルサーマルをやっていることが分かっていたので、これはやっぱりここには居られないんだと思い、山形に避難をしました。
1ヶ月山形に避難していました。その間に、たまたま私の知り合いで高校の先生がいまして、その方がガイガーカウンターを持っているのが分かっていたので、その方に三春町の線量を計ってもらいました。そうしたら、15日の朝で10マイクロシーベルトだと聞きました。本当に放射能がやってきたんだということを実感して、恐ろしい思いをしました。
1ヶ月の避難の後に、また福島に戻って来たんです。それは87歳になる母親と一緒に避難していたんですが、母親は長い避難生活でくたびれていました。知り合ったお宅に本当に良くしていただいてはいたんですが、疲れてきていました。私のいとこの姑さんも、避難先で認知症が出て、病院に入院したけれどそのまま亡くなってしまったこともありました。いとこだけでなく、そういう方がたくさんおられます。福島だけでなく他の被災地でもそうでした。お年寄りの方、障害を持っている方々、そういう方にたくさんのしわ寄せというか、一番の被害がどんどん及んでいったと思います。
福島はすごい状態のなかにありました。私は小さな喫茶店をやっておりましたが、たくさんの方が訪ねてきて下さって、福島の様子を話してくれました。本当に驚くようなことがそこには起きていました。
まず、政府が事故後にやったことは大きく3つありました。1つはデータを、情報を隠すことです。まずSPEEDI(スピーディー)の情報が、国民に開かれることがありませんでした。その情報が流れていれば、不要な被曝をする必要はなかった。知らないで、もっと線量が高いところに避難してしまった方々がたくさんおられました。それから原発の中のことですが、メルトダウンが起きたことがわかったのは、ずいぶん後のことです。そういう風に原発内の正しい情報を、私たちは知ることが出来ませんでした。
もう一つは、事故を大したことがないという風に、矮小化して見せることです。それは私が1ヶ月後に帰る前から始まったことですが、安全キャンペーンが、福島県内くまなく張りめぐらされました。安全キャンペーンというのは、事故後3月15日に来られたと聞いていますが、3人の放射線リスク健康アドバイザー来られました。一番有名なのは、長崎大学から来られた山下俊一さんという方です。その方々が県内を回り始めました。飯館村、伊達市、福島市、二本松市、郡山市という線量の高いところから、事故でばらまかれた放射能は大したことがない、このくらいの線量は危なくない、外で子どもが遊んでも大丈夫、マスクをしなくても大丈夫、そのように言ってまわったんです。講演会のみならず、テレビ、ラジオ、市政だよりなどの広報にいたるまで、その方の考え方と言葉が紹介されました。そういう中で、すごく不安をかかえていた人たちも、被爆地の長崎から来ている人たちが言っていることだから大丈夫なんだと、安心してしまった人もたくさんいます。
もう一つやったのは、さまざまな基準値を引き上げることです。われわれ日本人は、年間1ミリシーベルトまでは浴びても大丈夫でしょうという基準があったんですが、それをいきなり20ミリシーベルトにしました。食べ物の基準も、子どもも大人も同じ500ベクレルにしました。今度の4月に基準値が100ベクレルに引き下げられることになっていますが、日本人の子どもの場合は50ベクレルという数値がでましたら、こともあろうに文科省が50ベクレルでは低すぎる、大人と同じ100ベクレルでいいと言い出しているわけです。
こういう風に、私たちは混乱の中にいるんです。文章を書いたものがあるので読ませて貰います。
避難区域をめぐり、補償をめぐり、健康調査をめぐっていまだに混乱が続いています。何も知らされずに外で地震の片づけをしていた人がいます。卒業式のために避難先から戻ってきた母親がいます。子どもを給水車の列に並ばせてしまったことを悔やむ父親がいます。学校に水筒を持って行き注意された子どもがいます。自分だけ安全な場所に行くのがいやだと泣いた中学生がいます。事故の後に福島に転勤を命じられた若者がいます。福島第一原発で働く息子を持つ母親は、ぼろぼろに疲れて戻り現場のことについて一言も語らない息子を案じています。障害をもつ私の友人たちは、放射能被害が新たな差別や分断を生むのではないかと危機感を募らせています。秋、収穫した米に基準を超えたセシウムが次々と計測されています。学校給食に地元の食材を使うところがあります。東京電力は、放出された放射性物質は誰のものでもなく、着地した土地の所有者が除洗するべきだと主張しました。ある除洗アドバイザーは、付近の住民の不安を煽るからといって、除洗に参加するボランティアに大げさな防護の自粛を促しました。
放射能被害で仕事をなくした人が、原発の事故処理の仕事に就かざるを得ない現実がある一方で、除洗ビジネスで富を得るのは東京電力の関連会社や大手ゼネコンだという不条理があります。
このようなことが福島の県内では起きています。こういうなかで私たちは、本当に細部に至るまで分断されているんです。最近は国が除洗に巨額のお金を投じました。県全体の徐洗ということになっています。福島県は、いま県全体から人びとが流出するのを非常に恐れているので、なるべく除洗をするので戻ってくるようにと言っています。原発から20キロぐらいのところにある小さな村があります。川内村といいます。そこでも一番早く帰村宣言が、このあいだされました。もう除洗をするから大丈夫だから戻っておいでということを、避難している人ひとりひとりに電話をかけて、村長さん自ら呼び戻すような状況に至っています。
郡山市では安積米が給食で使われています。除洗した汚泥や草を、子どもが遊んでいるスポーツ広場に埋めています。本当に信じられないようなことが起きています。それに対してきちんとした政策が全く示されず、私たちはいろんなことに翻弄され、右往左往する状況に置かれています。国の無策、自治体の無策が感じられます。
私は25年間、細々と原発の反対運動をしながら、原発というものについてずっと考えてきました。原発は人の被曝がなければ成り立たないという、そういう発電方法なんですね。まず燃料になっているウランを掘り出すところから人びとの被曝は始まります。それは現在では、北米やオーストラリアで掘り出されています。そこで人びとは被曝し、それから原料を精製する過程で劣化ウランがでます。劣化ウランは兵器に使われます。アフガニスタンやイラクで使われて、そこの人びとの健康被害を生み出しています。そして今回のような事故が起きれば、ものすごいたくさんの人たちが被曝を強いられることになりました。
そして最後に残った使用済みの核燃料は、日本中の原発からあふれ出ています。六ヶ所村にある中間貯蔵施設もほぼ満杯になっています。そういうものを、長い長い長い間安全であるか見届けていかなければならないというものです。そういうものを人類は地中から掘り出してしまったわけです。そう考えると、原発に手を染めた、核に手を染めたことは、本当に人類の不遜、不遜な行為だったのではないかとつくづく思います。
わたしはそんなことを考えながらずっとやってきたんですけれど、あるとき脱原発という運動の中で自分の暮らしはどうなるのだろう。私の脱原発は一体どうなるのだろうと、突き詰めて考えなければいけないと考え出しました。自分で実践しようと思ったら、自分の暮らしを顧みることでした。はじめたのが、小さい山を開墾することでした。山の木を切ってそこに土留めを作りました。重機が入らないところでしたので、鍬で掘って掘って3年かかって小さな平地を出しました。そこに小屋を建てて、ランプと薪ストーブだけで暮らすことをやってきました
そんな風にしながら、原発のようなものの対極にある暮らしを少しずつ実践したいなと考えました。永年勤めていた仕事も止めて、そこで自分が出来ることは何だろうと考えて、小さな喫茶店を始めました。その喫茶店は周りの野草を採ってきてお茶にしたり、ドングリを拾ってきて何回もアク抜きをしてカレーに入れてドングリカレーにしたりドングリのパンを焼くとか、農園に山菜がたくさんありますので、そういうもので多少の料理を作るとか、そういうことをしていました。
電気も、なるべくエネルギーも自給したいなと思いました。もちろん完全なことはできないですが、中古のソーラーパネルで発電して、太陽の熱を使ったお風呂にしたりとか、切り出した薪で薪ストーブを焚いて、そのオキを七輪に入れてご飯を炊いたりとかしました。エネルギーを消費するばかりでなく、なるべくエネルギーを自分で作り出すことが出来ないだろうかと自分なりに考えてきました。
しかしこの原発事故で、とにかくそういう暮らしはもう出来ないんだと思いました。周りのものを食べることが出来ても、薪を使えないんです。外に放置しておいたものですから、薪にたくさんの放射線が降り注いで焚くことが出来なくなりました。それを焚くと、灰にものすごくたくさん濃縮されているんです。そういうことで今年はとても悲しく石油ストーブを焚いています。わたしの周りにはエネルギーを大事に使い、自然から食べる糧を得る暮らしをしている人がたくさんいました。私は遅ればせだったんですが、そういう暮らしをしながら原発のことを考えてきました。それが出来なくなりました。
福島はものすごく自然が美しいところ何ですけれども、それを諦めなければいけない状況になっています。福島は農業の県でした。たくさんの農業者の方がいらっしゃいます。昨年の4月の段階で、土壌調査がちゃんとされないままに耕していいと言われました。そして耕せば表面のセシウムが落ちたりして線量が低くなり、そういう状況で作付けがされて、秋に作った米からセシウムが出てきています。そういうことを考えますと、消費者の立場があるし、生産者の立場があります。そういう一つ一つのところで、とてもたくさんの溝というか亀裂が生まれてきています。
たとえば私の隣の畑のおじさんには、毎年サトイモや枝豆とか干し柿とかいろんなものを頂いていました。でも今年、私が畑を何一つやらなかったのを見て、その人は私に今年は何も作物を持ってきてはくれなかったんです。それは、きっと食べないんだな、という心遣いで持ってこられなかったのだと思います。でも今までほんとに仲良くしていた生産者の友だちとの間に、言葉に出せないようなものが生まれてきているんです。原発事故というのは、たくさんの私たちの絆を引き裂いていくものだと思います。
それに対して国は、私たちの人権を無視している。高い放射線量の中で学校生活が行われていることも、子どもたちの人権を無視していると感じます。私たちは、どうあっても原発を止めていかなければなりません。経済優先とか、国が大事というそういう国ではなく、私たちが安心して暮らせて人びとと繋がっていけるような新しい国を作っていかなければならないと、今回の事故でつくづく思います。それをやっていくのは私たち一人ひとりです。今回の原発事故も一人残らず当事者だと思っています。一人ひとりが、いま変わっていく時です。その力を、たくさんの力をみんな内包しているんです。社会の一人ひとりが大事にされていないなかで、力が発揮されないだけです。これからみなさんと繋がり合って、新しい世界を作っていきたいなと思います。
この広島に来て放射能のことを話させて頂くことに、とても意義深いことを感じます。みなさん、どうぞこれからも福島のことを忘れないで下さい。そして日本中の原発をともに止めていきたいと思います。ありがとうございました。
清水雅彦さん(日本体育大学準教授)
(編集部註)1月21日の講座で清水雅彦さんが講演した内容を編集部の責任で集約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。
いまご紹介いただきましたように日本体育大学で憲法を教えています。去年の4月に赴任しまして、3月までは札幌学院大学にいました。
わたしのテーマとしては、普段は平和主義と監視社会について研究しています。平和主義については院生の頃から、湾岸戦争のあとの政府の戦争協力行為に対する違憲訴訟やカンボジアPKO違憲訴訟、ゴラン高原PKF違憲訴訟、テロ特措法違憲訴訟など、一連の平和を求める訴訟に関わってきました。最近ですと国連の人権理事会で平和への権利を国連総会で採択させようという動きがありまして、それはスペインの法律家が中心に担っているのですが、昨年12月にその法律家を日本に呼んで、東京、名古屋、大阪、沖縄で集会を開催しました。それと連動した本が『平和への権利を世界に―国連宣言実現の動向と運動―』(かもがわ出版)です。そういう運動もいまおこなわれていることも頭に入れていただけるとありがたいです。監視社会の問題では、警察の治安対策で昨今ではあちこちで防犯パトロールが組織化され、監視カメラも増えています。その治安政策あるいはテロ対策についての批判的な検討も行っています。
今日のテーマですが、昨年くらいから緊急事態条項の議論が高まったので、基本的には緊急事態条項を中心にお話ししたいと思います。緊急事態条項というのはいわゆる国家緊急権と呼ばれる議論に基づいた議論です。話を進めるに当たって用意したレジュメがあります。全体の構成は、最初に国家緊急権を含めた憲法学での一般的な議論と改憲論について簡単におさらい的に説明します。次に非常事態・緊急事態についての議論です。ここでは、いままでいろいろな議論がありますが、とりわけ中山太郎氏が昨年作成した「緊急事態に関する憲法改正試案」、週刊ポストにもインタビューが出ていましたが、全国会議員に配布したらしいのですね。これが一次資料として手に入りましたので、新聞等では全文は紹介されてないはずですから、これを中心に検討を行います。そして次に緊急事態条項論を含む国家緊急権という議論をどう考えるのかということでまとめていきたいと思います。
憲法学での議論そして改憲論について簡単に見ていきます。憲法学では「憲法の保障」という議論があります。憲法は国家の最高法規として国家権力の行動の仕方や範囲を定め、それによって国民の基本的人権を保障しています。短く言うと憲法は国家権力制限規範であるという言い方をします。
ご存じのようにヨーロッパにおける封建制は国王が権力を握っていたわけですが、それを打倒していくのがフランス革命やアメリカの独立など17、18世紀の市民革命です。それによって封建制体制は壊れていきます。そのときに国家権力、国王の権力を打倒したけれども今後の運営をどうするのか。従来国家は悪だったわけですが、国家をなくしてしまうと今度は無秩序になってしまう。国家は悪だけれども国家は必要である、しかし国家は常に暴走する可能性がある。そこで国家は残すけれども国家を縛るために憲法をつくったわけです。
英語で憲法はconstitutionという単語を使います。もともとこの英単語には憲法という意味はなかったわけです。動詞のconstituteは「構成する」とか「組織する」という意味ですけれども、その名詞形ですから「構成」とか「組織」という意味です。ではなぜ憲法にこのconstitutionを当てはめたかと言えば、憲法は国家の組織、構成を書いた法だからです。憲法というと日本国憲法でいえば第3章の人権規定をまず思い浮かべる方が多いかと思いますが、日本国憲法の目次の部分を見ていただければわかりますように、人権規定はわずかひとつの章だけで、それ以外の圧倒的多数は統治規定です。
統治規定が国家の組織、構成について定めた部分であって、なぜ統治規定が大事かといえば、憲法にどういう組織、機関があるのか、そしてそれが何をするのかを定めることによって、基本的にはそれ以外の組織、機関を認めない、あるいは余計なことをさせないという意味があるからです。統治規定によって国家の組織権限を明確にすること、これが結果的には国民の人権を守る、それが統治規定になるわけです。
それが憲法ですけれども、先ほど言いましたように、常に国家権力は国民の権利、自由を侵害する可能性があります。ですからそういうことをやった場合に、当然憲法規範の回復予防措置が必要である。これが「憲法の保障」という概念になります。この憲法の保障は大きく分けてふたつの部分から構成されています。憲法に規定がある憲法内的保障と憲法に規定がない、これは厳密に言うと国家緊急権は憲法に書く国もありますが日本では憲法にありませんのでここに入れておきますが、超憲法的保障です。
憲法内的保障はさらにふたつに分かれまして事前保障と事後保障があります。事前保障として、まず憲法98条で憲法自ら最高法規であると宣言するわけです。だから憲法に反するような法律や政府行為等は認められない。実際に98条を担保しているのは、事後保障としての憲法81条の違憲審査制になります。ほかに事前保障としては、公権力の担い手、実際には公務員が憲法を守らないと国民の権利侵害が生じますから、99条で公務員に憲法尊重擁護義務を課します。そして憲法は国民が国家を縛るためにつくったものですから、この99条は公務員が縛られるものであって99条の対象に国民は含まれません。最近でも一部に99条に国民を含めるべきだという議論がありますし、国民の中にも当然国民も憲法を守るべきだという議論はありますが、もともとの憲法誕生の背景を考えればここに国民が入らないのは当たり前のことです。
では国民は憲法が保障する人権保障を侵害していいのかというとそうではなくて、ちょっと難しい話になるかもしれませんが、国民は直接憲法によって縛られません。もちろん個別の条文においては直接国民に適用される規定、18条や26条がありますが基本はそうではありません。ただし私人間効力という議論がありまして、基本的に憲法は直接国民に適用されませんが、民法などの私法を媒介に憲法の規定が及びます。たとえば民法90条の公序良俗違反の規定とか民法710条の不法行為の規定など、その中に憲法を読み込んで、民法などの私法を媒介に憲法が間接的に適用されます。間接的に憲法が適用されることによって、たとえば私人間における人権侵害も許されないと考えられています。
話を戻しますと、あくまでも憲法は国家を縛るために、国家に向けてつくられたものであるので、99条の憲法尊重擁護義務は公務員が対象になっているわけです。
それから憲法の統治規定全体からくる三権分立の規定もあります。
96条は憲法改正の規定ですが、日本国憲法は硬性憲法で、憲法改正が法律改正より厳しい場合に硬性憲法といいます。日本の場合には法律改正は国会議員の過半数の賛成で改正できます。もし憲法改正も国会議員の過半数の賛成だけでできれば、それは軟性憲法といいます。日本は憲法改正の場合には総議員の2/3以上の賛成で発議し、国民投票で過半数の賛成が必要です。法律改正より非常に難しいので硬性憲法と位置づけられていて、多くの国で硬性憲法になっています。なぜ憲法改正は法律改正より厳しいかというと、憲法は当然法律より上位にあるわけですし、簡単に変えられてはいけないからです。以上が憲法内的保障になります。
超憲法的保障についてですが、これはふたつあって、ひとつは抵抗権です。国家権力による憲法破壊行為に対して国民が実力で抵抗するものを抵抗権といいます。この抵抗権については日本国憲法には明示する規定がありません。明示する規定はないのですが、たとえば12条で「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」という規定があります。あるいは97条で「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」という規定があります。これらの規定を根拠に抵抗権が日本国憲法上も保障されているという考え方と、明示されていない以上保障されていないという否定説とに学界では分かれています。
国家緊急権とは何かというと、戦争や内乱等非常時に政府が憲法を停止し非常措置をとる権限です。これは国によってはあらかじめ憲法に規定している場合と日本国憲法のように規定していない場合とに分けられます。日本国憲法の場合には国家緊急権は明示していません。しかしこの国家緊急権というのは非常に危険を伴うので、国家緊急権については認めないという考え方が学界では多数です。この国家緊急権というのは憲法の保障の、超憲法的保障の部分で議論されるものです。以上が前提的な話になります。
改憲論についてもいろいろありますが、おおざっぱにふたつに分ければ、ひとつは従来の自民党的な復古的な改憲論です。その特徴は、天皇元首化、伝統的価値観の重視、国民の権利の縮小と義務の強調、9条「改正」により戦争のできる国へ変えることなどです。何回か出てきますけれども9条の「改正」問題、この表現については「改定」とか「改悪」という表現もありますが、それらは法律用語ではありませんのでここでは使っていません。ただし内容的にはとても改正といえるような問題ではありませんからカギカッコで表現しています。
一方で1990年代以降、冷戦が終結した以降に見られる改憲論ですが、これは新自由主義的改憲論ともいえると思います。内容的には、天皇制にはこだわらない、自由化による企業の競争激化・個人の自立の要求・司法による救済を促進する一方で、弱者切り捨て・治安強化を図るもので、また、9条「改正」により「普通の国」を目指すものです。これを主張するのは自民党の新自由主義改革を目指す人びとや民主党の中心的メンバーが多いですね。改憲派も一枚岩ではありませんから、これがきれいに分かれる場合もあれば両者を取り込んでいる場合もありますので、組み合わせはいろいろとあると思いますが、潮流としてはこの大きなふたつの考え方があります。
改憲論について留意しなければいけない点は、国家緊急権もそうですが、この間はやっていたのは環境権やプライバシー権などの新しい権利規定が憲法にないから、それを「改正」によって導入すべきだという議論です。しかしそれらを唱える人たちはもちろん新しい権利を本気で必要だと考えるよりは、本当は9条を中心とした改憲をしたいがための議論です。簡単にコメントしますと、2005年の自民党の新憲法草案には新しい権利規定ともいえるものが入ってはいますが、環境権とか情報公開とかプライバシー権などをはっきりと権利と謳っているわけではありません。
憲法学の専門的な話をすると、たとえばプライバシー権とか知る権利などは日本国憲法には明示されていませんが、裁判所が憲法を根拠に憲法上保障されると認定すれば、憲法に明示されていなくても保障されると考えるのが判例とか学界通説の考え方です。たとえばプライバシー権は憲法に明示されていませんが、13条の幸福追求権を根拠にいまでは認められています。知る権利については21条が根拠にあげられます。環境権について裁判所はまだ正面から認めていませんが、学界では憲法上環境権は保障されると考えるのが圧倒的多数です。その場合の根拠は13条の幸福追求権と25条の生存権になります。ですから自民党の新憲法草案のような、いわゆる改憲論に出てきている新しい権利というのは、いまの日本国憲法のもとでもじゅうぶん対応可能であって、わざわざ憲法「改正」をしなくても保障できます。
ただ一方で考えなければいけないのは、たとえば25条には生存権の規定があります。はっきりと「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定しているにもかかわらず、実際にはみなさんご存じのように従来政府は生存権をきちんと保障してこなかった。だからもし自民党的な発想で新しい権利を憲法に入れたところで、それは政治宣言的な権利であって実際には保障しない。25条に生存権はあるけれども、これは必ずしも裁判上の権利ではないというのが政府の立場です。このように、憲法上の権利と裁判上の権利を分ける議論があります。たとえば25条は憲法上の権利だけれども裁判上の権利ではない、あるいは裁判規範にならない。だから25条を直接の根拠として裁判では争えないというのが従来からの政府の立場です。改憲によって新しい権利をいろいろ入れたところで、同じような対応をする可能性があり、だまされてはいけないと思います。
もうひとつは解釈改憲がもう限界に来ているので、改憲派は最低限9条を変えることがいちばん大きな狙いだと思います。しかし予想されるのは9条だけでなく、可能であればいろいろなところを変えていきたい。たとえば首相公選制を導入するとか、憲法裁判所を導入するとか、あるいは国家緊急権にもとづく非常事態・緊急事態条項を入れることが考えられます。したがって今後の展開は、ひとつは解釈改憲、政府の解釈によって9条のもとでも集団的自衛権の行使は可能だとしてしまう。あるいは小沢一郎的な国際的な軍事活動、国連軍への参加も可能だとすることもありえます。ふたつ目は立法改憲であって、いわゆる安全保障基本法を制定して9条の意味を変えてしまうやりかたもあります。
憲法「改正」もいろいろなレベルがあります。いちばん大きな狙いは9条ですけれども、最近は世論調査をしても憲法改正について賛成派が増えてきていますが、9条は変えたくないという人もいる。したがって9条を変えるとなるとかなり抵抗も予想されるので、改憲自体に慣れてもらうために、9条以外のところで改憲するということがあります。しかしいちばんの狙いは9条ですから、とにかく最低限9条を変えてしまう改憲案もあります。さらに可能であれば全面的に9条以外も変えてしまおうという全面「改正」もあります。2005年の自民党の新憲法草案はまだまだおとなしい改憲案だと思いますが、今後出てくる自民党の改憲案はもっと踏み込んで提案してくるかもしれません。全面改憲案というのも出てくる可能性もあります。
以上5つくらいをあげましたが、どれになるかはやはり国会内における力関係あるいは国民の世論の動向によって決まってくるわけです。当然憲法改悪させないという立場からすれば、国会内に憲法を改悪させない勢力を増やさなければいけませんし、憲法改悪をさせない世論をつくらなければいけません。これはまったく今後の運動次第で変わってきます。ただし安倍政権のときが改憲の危険性があった頂点だと思いますが、安倍政権が崩壊した以降は九条の会の運動もちょっと盛り上がりに欠けてきているように、改憲の危機は以前よりは遠ざかっていると思います。でも憲法審査会ももう動いていますから、常に憲法を変えようという動きはあるわけで、警戒は怠ってはいけないと思います。
改憲論における非常事態・緊急事態条項論について検討します。まず従来の代表的な議論ですが、いくつかピックアップしてみました。政党では自民党と民主党が中心的に提案していますが、2005年の自民党の新憲法草案ではいわゆる国家緊急権、非常事態・緊急事態条項については明示していません。しかしこれにつながるような、たとえば「公共の福祉」という概念を「公益及び公の秩序」に変えてしまう、あるいは自衛軍をつくって活動の範囲を拡大していくとか、首相の権限強化論が出てきています。ダイレクトではありませんが、それにつながる発想の提案はなされています。
公共の福祉論というのは誤解を受けがちな議論ですよね。それは「公共の福祉」という日本語がわかりづらくて、「公共」という表現であたかも公共的な、公の論理で人権を制限できると誤解を受けがちですが、公共の福祉という議論は人権と人権がぶつかった場合の調整原理と考えられています。
たとえば表現の自由は憲法21条から保障されますが、野放しの表現の自由はないということはみなさんご存じの通りです。表現内容にプライバシー権を侵害する、名誉権を侵害するような内容があれば、もちろんプライバシー権の侵害といっても相手が公人か私人かなどいろいろな要因が絡んできますが、表現の自由があったとしても場合によってはプライバシー権の侵害あるいは名誉権の侵害ということで表現の自由が制約される。この人権と人権がぶつかった場合に制限するというのが公共の福祉という考え方です。
これは英語から考えるとわかりやすい。「公共の福祉」は「public welfare(パブリック・ウェルフェア)」ですけれども、「ウェルフェア」が「福祉」というのはわかると思います。「パブリック」も「公共」という意味ですが、パブリックを形容詞ではなくて名詞で考えた場合に「人びと」とか「民衆」という意味があります。けっして「パブリック」には「国家」という意味などはなく、「パブリック・ウェルフェア」といった場合には「民衆の福祉」と考えた方が理解しやすい。ある人権と、人びと全体の福祉あるいは人権を天秤にかけるものと考えるとイメージしやすいと思います。
しかし自民党の新憲法草案は、「公共の福祉」という確かに誤解を受けがちな表現を、「公益及び公の秩序」という表現に変えてしまうのですね。新憲法草案では「公益及び公の秩序」という表現を使っていますが、実際にはそれに至る委員会段階の議論では、「安全」とか「社会秩序」を理由に人権を制限する概念だという説明の仕方をしています。有事法制も制定されていますが、これは有事になれば、あるいはテロ対策を理由に簡単に国民の人権を制限するのが「公益及び公の秩序」の論理になるわけで、国家緊急権論につながる議論にもなりますから注意が必要です。そして昨年の自民党の改憲推進本部では武力攻撃事態等で権限を発動できるような憲法改正試案を考えてきています。
一方で民主党は自民党の新憲法草案と同じ2005年に憲法提言を出しています。民主党の場合は明確に国家緊急権を明示すべきだと書いています。国家緊急権とは何かについて詳細には触れていませんが明示はしていて、あとは比較的自民党と似たような議論をしていますが、実は自民党以上に民主党の方が国家緊急権論は早い段階で出しています。
次は憲法調査会、憲法審査会の議論ですが、2005年に憲法調査会の報告書が出ます。この報告書の中でも非常事態についての独立した項目を掲げて憲法に明記すべきだあるいは明記すべきでないという議論の紹介をしていますが、ここでも民主党の議員が非常事態についての議論を活発にやっています。そういう意味で民主党の動きは要注意だと思います。憲法審査会は従来民主党が名簿を出さないことによって機能が止まっていたわけですが、2011年野田政権のもとで名簿を出して動き始めました。
そうすると早速この中で自民党議員らが、緊急事態条項が必要だという議論を展開しています。それは中山太郎氏もそうですが、3.11の東日本大震災を大きな理由に挙げて議論をしています。つい最近の議論からするとこの緊急事態を理由に憲法にも規定を盛り込むべきだ、憲法を改正すべきだという議論は自民党が一生懸命やっているようなイメージがありますが、民主党にはこういう考え方を持っている人がもともと存在するので注意が必要だと思います。
その他の議論で典型的なのは読売新聞の憲法改正試案ですが、ここでは内閣総理大臣による緊急事態宣言の提案をおこなっています。従来の議論は戦争、自然災害などの際を念頭に議論を展開してきています。
次に中山太郎氏の「緊急事態に関する憲法改正試案」をひとつの題材にして検討します。これは中山太郎氏が全国会議員に配布しておりまして、週刊ポストのインタビューでも「菅さんのような場当たり的な対応では緊急事態は乗り切れません」と、これも東日本大震災を口実に議論しています。構成は「緊急事態に関する憲法改正試案」の「条文イメージ」が1ページ目からあります。そして4ページ目から改正試案の「趣旨及び内容」が示され、さらに資料として諸外国の表が示されています。
最初の条文の1項で「内閣総理大臣は、地震、津波等による大規模な自然災害、テロリズムによる社会秩序の混乱その他の緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、全国又は一部の区域について、九十日以内の期間を定めて、緊急事態の宣言を発することができる」と規定しています。そして2項で、「内閣総理大臣は、前項の規定により緊急事態の宣言を発したときは、これを発した日から二十日以内に国会に付議して、その承認を求めなければならない」としています。事後の承認ですね。
5項のところですが、新しい提案として、「……両議員が会議を開くことができないときは、……両議員の議員で組織する両院合同委員会(仮称)がこれを行う」、これは諸外国でもこういう組織をつくる場合はあり、国会あるいは議会全体で何百人単位で動くことが大変な場合、あらかじめ委員を指定しておいて、数十人の小規模の人数で緊急事態のときに国会・議会の代わりに動く組織はあります。それを参考にしていると思います。
次の条文には内閣総理大臣への権限集中等という規定があります。「内閣総理大臣は、……行政機関の長を直接に指揮監督することができるとともに、地方公共団体の長に対しても必要な指示をすることができる」としています。あるいは2項では「内閣総理大臣は、……国会の議決を経ないでも、財政上必要な支出その他の処分を行うことができる。この場合において、当該支出その他の処分については、事後に国会の承諾を得なければならない」としています。
国民に関わってくる部分は3つめの条文の「財産権等の制限」となっている規定です。そこでは「通信の自由、居住及び移転の自由並びに財産権は、緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、政令でもって、これを制限することができる」と規定しています。4つめの条文は両議院議員の任期延長及び衆議院解散の制限の提案を行っています。以上が主な提案の内容になります。
次に「趣旨及び内容」がついています。ここでは東日本大震災の復興が遅れていることについて、「被災地の一日も早い復興を願う国民の思いに応えられずにいる現状は、これまで、緊急事態に関する議論が必ずしも十分に行われてこなかったことにその一因があるのではないか、と考えます」と言っています。
「内容」については、第一から第三まであります。それを見ていきますと、第一は条文イメージの中に表れていますが、内閣総理大臣への権限集中、財産権等の制限、議員の任期延長あるいは衆議院解散の制限に効果があるといっています。効果については第二のところにあり、ここでは3点あげています。
最後の部分では、「憲法は、緊急事態条項を持つことによって初めて、緊急事態が生じた際でも、その想定する憲法秩序を維持することができるのです」というまとめ方をしています。
こういう議論というのは従来から民主党などが行っているわけですけれども、中山太郎氏の文章では、「ご存じのとおり、現行の憲法には、緊急事態に対処するための規定はありません。そのため、緊急事態に際して内閣総理大臣が現行憲法の枠を超えて迅速・強力な措置を採ろうとすれば、それは民主的正統性のない、超法規的なものとなるでしょう」「基本的人権も広範かつ無原則に制限されるかもしれません」とし、「緊急事態に対処するための規定を欠く憲法は、緊急事態が生じた際にはその機能を失って、憲法秩序そのものの崩壊を招く危険を内包しているのです」としているわけです。
最後の後半部分では、「むしろ、憲法に緊急事態についてのこのような規定をあらかじめ設けることにより、基本的人権の制限に歯止めをかけて自由の保障を確保し、国会の行政権に対する民主的統制の機能を維持することができます」とし、先ほど引用した「憲法は、緊急事態条項を持つことによって初めて、緊急事態が生じた際でも、その規定する憲法秩序を維持することができるのです」に続いています。今日の話の最初の方で私から「憲法の保障」のまとめをしましたが、中山太郎氏の文章の最後はこう言っています。「緊急事態条項は、違憲立法審査権等の憲法裁判制度などと並んで、憲法自体が明文で憲法秩序を守るための『憲法保障』のための重要な制度の一つなのです」。以上が中山太郎氏の提案です。
ごく簡単に問題点を指摘しますと、ひとつは有事法制も含めてこの間政府がつくってくる法律がそうですが、非常にあいまいな規定がまずあるということです。地震、津波等による大規模な自然災害、テロリズムははっきり明示していますが、そのあとに「その他の緊急事態」という非常にあいまいな規定を置いていますね。この「その他」には何が入ってくるかわかりません。自然災害とかテロリズムに相当するようなもの、あるいはこれを上回るものであれば何でも入ってくるわけで、当然ミサイル発射なり日本が戦争、武力攻撃を受けたとかそういう事態も入ってくるわけです。従来の議論は戦争などを明示していましたが、中山太郎氏は明示していません。けれどもいわゆる有事の概念も彼は考えていると思います。ひとつには正面から入れると反発が生じることもあるでしょうし、防衛白書も認めているようにいまの日本は直接侵略を受けることはほとんどありえない、それで主張しづらいということもあるかもしれません。それはさておきこれは当然有事も考えているし、入ってくると思います。
あいまいな問題で指摘したいのは「テロリズム」です。「テロ」というと何となくわかったような概念、表現ですけれども、実際には日本においても国際社会においても法的に「テロ」の定義がはっきりできていないのですね。最近の使い方は「テロ」というと国家とか社会に対して何か無法者が暴力行為を働いて混乱に陥れるようなものをイメージすることがあると思います。小林よしのり氏が漫画で描いていたように、そして小林氏も言うように、「テロ」というのはもともとフランス革命のあとに国家が権力を握って反対者を弾圧していくのですが、国家による暴力行為を指していたわけです。最近では何か国家に歯向かうような暴力を「テロ」と捉えるイメージがありますが、もともとは国家による暴力行為です。もちろんそれ以外の暴力行為も入ってくるので、やはり「テロ」について議論するからにはまず「テロ」とは何かという定義をはっきりさせなければいけないと思います。
困るのはいわゆる9.11事件以降のアフガン戦争ですが、もちろんあの9.11事件がビンラディン・アルカイダグループが本当にやったかどうかは定かではないわけですが、事件自体は起きています。そしてあれは「テロ」とされています。「テロ」は犯罪ですから警察が対応する問題であって、ブッシュのように戦争で解決する問題ではない。これが従来の法的な常識ですよね。
以前リビアの諜報部員がアメリカのパンナム機を爆破するテロ事件を起こしましたけれども、これは犯罪ですから国際社会は何をしたかというと、リビアに対して容疑者を引き渡せという圧力をかけた。そしてとうとうリビアは容疑者を渡して、パンナム機が爆発したのはイギリス・スコットランドの上空だったので、スコットランド法で裁判によりこの事件は解決しています。ですからもし9.11事件が誰かによるテロ行為であれば、容疑者を見つけて、もし容疑者が国外に逃げていたのであれば引き渡しを要求して、事件のあったアメリカで裁判すべき問題であって、戦争で解決すべき問題ではありません。ちょっと横道にそれますが、あの事件の真相は定かではありませんし、ビンラディン・アルカイダグループがやったかどうかもわかりません。ましてやアフガニスタンにいたかどうかもわからない。しかしブッシュ政権はアフガニスタンがかくまっているという理由で戦争したわけです。こんなおかしな論理はないわけです。
以前日本にはフジモリ元ペルー大統領が逃げてきていましたが、彼はペルー国内ではまさに国家の側のテロリストです。ペルー政府はフジモリ氏の引き渡しを求めていました。国家テロリストであるフジモリ氏の引き渡しを日本政府は拒んだわけですが、ではペルー軍が日本を攻撃していいかといったらそんなことあるわけないですよね。そういうありえないことをアメリカはやってしまったわけです。テロはあくまでも犯罪ですから警察組織で対応すべき、そして司法で解決すべき問題です。
しかし最近では軍事と治安の融合化という現象が起きています。これを助長したのはやはり9.11事件です。軍事と治安の融合化とは何かというと、従来は国内治安は警察、防衛は軍隊という役割分担が基本的にはっきりとしていたのですが、最近では軍隊の警察化と同時に警察の軍隊化が進んでいるのですね。軍隊の警察化ということではアフガン戦争が典型です。軍隊が犯罪であるテロに対して活動してしまうということです。警察の軍隊化というのは日本でいえば機動隊の中に特殊部隊(Special Assault Team、通称 SAT)をつくって、SATの装備は軍隊に近い、自衛隊が持っているような自動小銃とかライフル銃なんかを装備しています。
2000年代に入ってから日本では治安出動の規定を変えて、不審船とかテロ、ゲリラに対処するために陸上自衛隊と機動隊を中心とする警察が、最初は共同の図上訓練を各都道府県すべてでやった。次に各都道府県で実働訓練をやって、いまは陸上自衛隊と警察、さらに海上自衛隊と海上保安庁が共同訓練をしていて、ますます軍事と治安の融合化が日本でも進んでいる状況にあります。法律でも有事法制は2003年に3法が制定され、2004年に有事関連7法の制定に至ります。その過程で武力攻撃事態法の中にテロ等の緊急事態対処条項も入れて、テロなどにも対処できるように変えてしまった。有事法制の中でもこの軍事と治安の融合化を助長するような規定が入ってきています。
問題点の続きですが、中山提案は非常に乱暴な議論をしています。中山太郎氏によればどうも東日本大震災後の復興の遅れは緊急事態の議論が行われなかったからだとしています。では緊急事態の議論が徹底的に行われていた、あるいは仮に憲法に緊急事態条項があったからといって迅速な対応ができたかといえば、必ずしもそうは言えないだろうと思います。憲法に緊急事態条項がなくてもじゅうぶん対応できると思います。
それから条文の中に自然災害とテロリズムを並列していますが、地震を完全に予知することはできないわけで、えてして自然災害は予知をある程度はできても難しいし、発生防止はできませんよね。しかしたとえば従来から緊急事態の典型である戦争は、外交交渉などで防止は可能あるいは予測もできるわけです。当然対応も変わってくる。これを一緒に議論してしまうような乱暴さがあります。
首相の権限強化ですけれども、憲法は国会を「国権の最高機関」(41条)としていますが、その国会の承認は事後承認にしてしまっています。さらに憲法では国と自治体の関係は対等です。大日本帝国憲法には地方自治の規定はなかった。なぜなかったかといえば、国と自治体が対等ではなく、中央集権国家体制だったからです。その結果、地方は国の方針に一方的に従わざるをえず、戦争も遂行しやすかった。これに対して、日本国憲法は独立した章を設けることで地方自治を保障し、そして国と自治体は憲法上では基本的に対等な関係にするわけです。このイメージもなかなか浸透していないところがありますが。
ひとつはこれもやはり日本語の問題だと思いますが、地方自治体あるいは地方公共団体という表現が誤解を招きやすい。これも英語では地方政府(Local Gover- nment)という言い方をするのですね。たとえば連邦国家が典型です。連邦国家は本当に地方の権限が強くて立法権もあれば司法権も持って、地方は地方で政治を行っていく。しかし日本の場合は地方政府というイメージがなくて、地方公共団体という訳のわからない日本語を使っている問題もあるので、憲法上国と地方自治体が対等であるというイメージがつきづらいわけです。しかし憲法上は対等なはずですが、その自治体に対して上から一方的に指示できるようなかたちにしてしまう問題があります。
人権の制限の問題では、中山太郎氏の提案では制限する人権は限定しています。その点ではまだ慎重な姿勢を持っています。「通信の自由、居住及び移転の自由並びに財産権」というかたちで自由権を中心に限定しています。もちろん一回憲法を改正してしまえば、それ以外も制限される可能性があります。たとえば緊急事態に対処するために財政的に大変だから社会保障を削るとか、教育予算を削る。そうすれば当然教育を受ける権利だとか生存権が脅かされます。あるいは有事が典型ですが、労働運動、ジャーナリズムに勝手なことをされては困るからということで労働運動の規制とか表現行為の規制も起きかねません。中山太郎氏の提案はまだ限定的ですが、これは当然今後どうなるかわからないので警戒が必要です。
あと問題なのは、安易に政令でこういう規定をしてもいいのかどうかです。日本国憲法が考える基本的人権は大日本帝国憲法とは違っていて、大日本帝国憲法下では「法律の留保」という概念があります。大日本帝国憲法では、社会権は保障していませんが、一定の権利(自由権)は保障しています。けれども「法律の留保」という考え方があって、それは「法律ノ定ムル所ニ従ヒ」とか「法律ノ範囲内ニ於テ」というように、憲法上は権利を保障するという構成をとっていますが、法律でいくらでも制限できるという考え方です。
この中山太郎氏の考え方は法律の留保以上に、さらに政令で制限できてしまうという意味でかなり問題があります。政令というのは内閣が出す法令です。1980年代の中曽根政権の頃からいわゆる「政令政治」というものが増えてきて、法律を改正して法律事項であったものを政令でもできるのだと変えて、国会をバイパスして内閣だけで物事を進めることが可能になりました。それを「政令政治」という言い方をしていますが、それと同じような問題があるのではないかと思います。
憲法の保障の問題では、国家緊急権を明記したことが憲法の保障になると必ずしも言えないので、これはあくまでも中山太郎氏の思い込みに過ぎないと言えます。
次に国家緊急権について検討します。諸外国ではいわゆる国家緊急権をいろいろなかたちで認めている国はあります。これは例外的権力の実定化ともいわれる現象で、タイプはいろいろあります。条件・手続・効果等を詳細に規定するタイプもあれば大綱のみで包括的権限を、たとえば議会とか大統領に授権していくタイプなど国によって分かれています。ただし諸外国で認めているから日本でも認めていいのかというと、やはり必ずしもそうは言えません。
諸外国でなぜこういう規定があるかといえば、諸外国では基本的には戦争を肯定している部分があるからだとわたしは考えています。厳密に言うと国連憲章でも戦争は認めていなくて認めているのは自衛権行使ですが、いまの国連憲章のもとでは、あるいは多くの憲法では一定の条件の下で自衛権行使を容認しています。これは事実上戦争を認めているわけですが、認めている以上当然戦争という非常事態での規定が必要になってくるので、そこで諸外国はこういう規定を置いていると考えるべきだと思います。ですから諸外国の憲法、戦争を肯定しているような国の憲法は、「憲法で国民の人権を保障する。但し、非常事態を除き」という言葉が、明示されていなくても入っていると考えたほうががいいわけで、非常事態の際には国民の権利自由は制限しますよ、ということです。
大日本帝国憲法の場合は、代表的な以下の3つの条文があります。
緊急勅令(8条)「天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス」、 戒厳大権(14条)「天皇ハ戒厳ヲ宣告ス」、非常大権(31条)「本章[第二章 臣民権利義務]ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ」です。
日本国憲法と諸外国の憲法・大日本帝国憲法との大きな違いは、憲法の平和主義です。ひとつは戦争違法化の最先端を行く憲法9条の平和主義があります。第1次世界大戦後初めての悲惨な世界戦争の経験を受けて、諸外国は世界戦争を防ごうという意図から国際連盟規約をつくって侵略戦争を制限しようと試みます。さらに制限だけでは不十分なので1928年に戦争抛棄二関スル条約、いわゆる不戦条約をつくった。
不戦条約は単に「戦争」としかしていませんが、具体的に不戦条約で放棄されたのは侵略戦争です。これはアメリカにおけるoutlawry of war(戦争非合法化運動)というものがあって、そういう人たちの強い運動もあって不戦条約というかたちで成立します。しかし残念ながら不戦条約は侵略戦争を放棄しましたが、いわゆる自衛戦争についての制限規定はなかったので、日本のように自衛の名のもとに戦争をする国が出てきてしまいます。そこで第2次世界大戦後、国連憲章51条によって自衛戦争を制限していくのですね。
一部誤解があるかもしれませんが、国連憲章は別に自衛戦争を野放しに認めているわけではなく、自衛戦争を制限しています。武力攻撃の要件、暫定性の要件、均衡性の要件といいますが、自衛権行使ができるのはこの3つの要件を満たした場合です。それは武力攻撃を受けている、受けつつあるという武力攻撃の要件や、国連の安保理が必要な措置をとるまでのあいだに限ってという暫定性の要件、あるいは自衛権行使は攻撃に対して見合ったかたちでおこなうという均衡性の要件、この均衡性の要件からでてくるのは報復戦争や先制攻撃はできないという考え方です。
憲法9条の解釈は学界でもいろいろありますが、もし憲法9条1項の解釈を自衛権行使も否定したと考えれば、憲法9条1項は国連憲章のさらに先を行く、すなわち自衛戦争を放棄した規定と考えることができます。そういう意味では憲法9条1項は、戦争違法化の最先端を行く平和主義だと思います。わたしは前任校に赴任してすぐに大学の九条の会をつくりました。確かに9条は先進的な意味があるのですが、一方で「九条の会」というネーミングにしてしまうと、憲法の平和主義を9条の問題に限定しかねないということもあり、注意が必要だと思います。どういう意味かというと、9条の平和主義は、誤解を受けそうな表現ですが、消極的平和主義と表現したりします。消極的平和主義というのは「~をしない平和主義」、戦争をしない、軍隊を持たないなどという平和主義です。
これと対比されるのが積極的平和主義で、ヨハン・ガルトゥング氏が構造的暴力の議論をしていますが、まさに構造的暴力を解消しようというのが積極的平和主義の考え方です。実は日本国憲法の前文にこの考え方があって、「専制、隷従、圧迫、偏狭、恐怖、欠乏」から免れることを権利としているわけですね。この「専制、隷従、圧迫、偏狭、恐怖、欠乏」というのは物理的な暴力、戦争以外のもっと広い概念であって、これがまさに構造的暴力です。これをも解消しようと考えているのが日本国憲法前文の平和主義です。
しかも前文の平和主義は「平和のうちに生存する権利」という表現を使っていますが、この権利の主体は日本国民ではなくて全世界の国民なのですよね。いま9.11事件以降、対テロ戦争がいわれていますが、国連も指摘するようにテロの温床は世界の貧困問題であって、テロを撲滅していくには世界の貧困問題を解決するのが根本的な解決方法だと思います。そうであれば日本がやるべきことは、憲法前文の積極的平和主義を全面的に展開していくことです。そういう積極的平和主義という考え方も憲法にはあるわけで、平和主義を考える際にはその点を確認しなければいけません。この平和的生存権を権利にしたのですね。
多数決でも奪えない人権
日本国憲法の基本的人権は、明治憲法と違って多数決であっても奪えないものです。仮に国会の多数決で特定の人びとの人権を侵害するような法律をつくったとしても、それは違憲審査権を発動して無効にしなければいけない。また横道にそれますが、日本人のあいだで誤解があるのは、法の支配と法治主義の混同です。従来法治主義というのはできた法は守るというものです。その場合の法は中身を問いません。ですから「悪法も法なり」という言い方もありますね。これの典型的なものは戦前の日本、ドイツです。
一方で従来の英米的な発想は法の支配であって、法の支配の場合は中身が大事であり、法は正義にかなっていなければならない。ですから悪法は破らなければいけない。アメリカではもともとは政治的な理由から違憲審査制を導入しましたけれども、違憲審査制というのは議会が多数決で決めたことでも、憲法に反する法律や行政の行為を裁判所が違憲無効にできるというものです。
違憲審査制は当初アメリカ独特の制度でした。しかし人類は第2次世界大戦でナチスの経験をする。ナチスは、多数の国民から支持を受けて選挙で合法的に政権を取ったあとに、ワイマール憲法を停止していろいろな人権侵害、戦争をやっていった。この経験から人類が学んだことは、多数決で決めたことでも間違いがあるということです。仮に多数決で決めたことでも間違った、悪があればどうするか。そこでアメリカの違憲審査制度に目をつけて、第2次世界大戦後各国で違憲審査制度を導入していきます。日本でも憲法81条で具体化しています。第2次世界大戦後に各国で違憲審査制が導入されたことを、「違憲審査革命」という言い方もします。どうしても日本は法治主義的な発想が強いと思うのですが、違憲審査制はやはり法の支配を具体化したものといえます。
民主主義と立憲主義という表現もありますが、日本だと民主主義という言葉が何か絶対のような発想があって、多数決で決められたことは守らなければいけないのだということがあるかもしれません。立憲主義というのはそうではなくて、憲法が最高法規であって、仮に多数決で決めた法律あるいは多数の支持を受けた行政が何か行為をしたとしても、それが憲法違反であれば無効にしなければいけない。だから日本の場合には、通常は民主主義ですが、それは立憲主義によって担保されているのであって、場合によっては民主主義的な決定も立憲主義の観点から否定するということもやるわけです。
でも日本だとどうしても法治主義とか民主主義の発想から物事を考える人が多いようで、その典型が橋下徹氏ですよね。多数決で選ばれたのだから、反対する者は黙ってろ、悔しかったらおまえが知事になれ、俺に従えとか。あれが典型的な「多数決民主主義」論です。それを戦後の日本は否定したはずなのですが、橋下徹氏の言動が容認されるように、まだ根付いていない部分があると思います。それはさておき、人権というのは多数決でも奪えない。そして平和的生存権というかたちで権利にしたことは、自由権にしろ社会権にしろ戦争状態になればいろいろなかたちで制限を受けるわけであって、それらを全面的に保障するためには平和状態がいちばんであるということです。だから平和的生存権というのは自由権、社会権を全面的に開花させるための根底にあるものとして位置づけられます。
国家緊急権が大日本帝国憲法にあったのになぜ日本国憲法にないのか。これは前文の第1段などにあらわれている、日本国憲法が先の戦争の反省からつくられたというのが非常に大きな部分だと思います。戦前のような悲惨なことを防ぐために、日本国憲法は国家緊急権についてあえて「沈黙」したと考えるべきであって、これは基本的には国家緊急権を日本国憲法のもとでは認めていない、国家緊急権は戦争と結びつく場合が多いのでそういう意味でも認めていないと考えた方がいいと思います。抵抗権の場合は国民が発動しますが、国家緊急権は国家が発動する点で非常に危険が伴う。しかも国民を守るためにある憲法を停止してしまうわけですから、国家緊急権は日本国憲法上認められないというのが学界の多数説です。わたしもその立場に立つべきだと思います。ただ、実際には再軍備の中で自衛隊が存在している。そういう中で自衛隊法の中に、たとえば76条以下ですが、国家緊急権的な規定が盛り込まれていることも現実です。これをどうするのかということも考えなければいけません。
やはり日本国憲法の意義を再確認すべきであって、他国が国家緊急権を保障しているから日本国憲法でも規定するというのは安易な考え方といえます。いま世界で27ヶ国の軍隊のない国がありますが、まだ多くの国では軍隊がある中で、そういう国の憲法と同じようなかたちで国家緊急権を認めるべきではないと思います。こういう議論は、当初小沢一郎氏がいっていたような「普通の国」論ですよね。小沢一郎氏がいっていた「普通の国」というのは、諸外国のように軍隊を持って「国際貢献」する国のことですけれども、日本の平和憲法は普通の国と比べると「優等生」なのです。戦争違法化の最先端を行く優等生であって、その優等生がわざわざレベルダウンして普通のレベルに下がる必要はありません。憲法の意義を踏まえた上で、他国並みになる必要はないわけです。中山太郎氏らの国家緊急権論の本当の狙いは9条を変えたい、さらには全面改憲のためにまずは変えやすいところから憲法を変えて、改憲自体に慣れてもらうということだと思います。
改憲論にどう向き合うかということでは、まずは日本国憲法に規定された理念を実現すべきです。いま日本国憲法の理念はじゅうぶんに実現できていないわけですね。14条に「法の下の平等」があるのに、まだいろいろな差別が残っています。21条の表現の自由があるのにデモをはじめとしたいろいろな表現の規制がある。25条の生存権があるのに社会保障がどんどん切られて格差が開いている。まずは徹底して理念を実現する努力をした上で、その中で不十分なところがあれば憲法改正も考えなければいけません。それができていないところで憲法を改正すれば、当然変えられた憲法もまた実現できないまま終わってしまうわけで、順序が逆だと思います。
憲法は国民が国家を縛るためにつくったものですから、望ましい改憲というのは国民の側がもっと国家権力を縛るためにするべきものです。しかし昨今の改憲論は、縛られる側の、国家権力の側の人たちが縛りを解くために唱えているわけで、これは警戒が必要です。特に最近、国家緊急権論、緊急事態に関する憲法改正試案が出てきていますが、これは到底容認できないというのがわたしの立場です。ご静聴ありがとうございました。