私と憲法128号(2012年1月1日号)


憲法審査会始動、新たな段階に入った改憲策動~新年は草の根からの世論の力で反撃を

2012年の新年に際して、昨11年3月11日に発生した東日本大震災、就中、福島の原発震災の収束(政府の無責任な「収束宣言」はあったが)すら実現しない中で苦闘している全ての被災者の皆さんと労働者の皆さんに心を寄せ、現地の会員と「私と憲法」読者をはじめとする友人の皆さんの努力に敬意と連帯の意を込めて、あらためて脱原発社会の実現と、憲法改悪を許さないたたかいへの決意を固めます。

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本誌はこれまでおりにふれて、原発震災や東日本大震災について述べてきた。今回はいよいよ始まった憲法審査会の問題と、私たちの課題について述べたい。

<始動した憲法審査会>

民主党の野田政権のもと、第179臨時国会から憲法審査会の実質的な審議が衆議院と参議院で始まった。それぞれ元憲法調査会会長らを参考人に招き質疑する形と、委員が自由討議する形で、実質的に2回ずつ(衆議院は11月17日、12月1日、参議院は11月28日、12月7日)開かれた。憲法審査会は閉会中でも開くことができることになっているが、新年早々からの第180通常国会での憲法審査会を舞台とする憲法改悪への動きは予断を許さないものがある。

憲法審査会は2007年の安倍晋三内閣の当時、自公与党により国会で強行採決された憲法改正手続法が設置を定めたものだが、その制定の経過(安倍内閣による政治利用と、強行採決など)や、「附則」および18項目の「附帯決議」が付いた。このことに見られるように重大な欠陥を持った法律であることから、国会内外で厳しい批判を浴び、4年以上にわたって始動できないできた。しかし09年の政権交代後、1年足らずで民主党の菅直人執行部が参院選で敗北し、衆参両院の議席が与野党ねじれ状況になった後から、民主党が自民党に妥協し審査会始動への動きが再燃した。そして3月11日の東日本大震災と東電福島第一原発の大事故の危機に乗じるように、憲法審査会を民自公3党の政治的取引で、社民党、共産党の反対を押し切って始動させた。

<憲法審査会の改憲論議の特徴>

179臨時国会での憲法審査会の議論の特徴を概括的に指摘したい。
第1は、自民党の委員が相次いで「3・11」大震災の発生と関連して、政府の対応の立ち遅れを指摘しながら、その原因を憲法に「非常事態条項がない」「国家緊急権規定がない」などを理由に欠陥憲法だと指摘することで、改憲の緊急性を主張した(衆院・自民・中谷元、参院・自民・有村治子ら)ことだ。参考人として招かれた中山太郎元衆議院憲法調査会長や、関谷勝嗣元参議院憲法調査会長も同様の意見をのべた。また、3・11と関連しては憲法への自衛隊の役割の明記、9条改憲の主張もあった。

自民党改憲推進本部(保利耕輔本部長)は12月中旬、「緊急事態に関する憲法改正試案」をまとめた。それは「何人も必要な措置に関して発せられる国や公の機関の指示に従わなければならない」として、基本的人権の制限を含むものだ。震災の救援活動において、米軍の「トモダチ作戦」や自衛隊の「10万人投入作戦」が一定の「成果」をあげたことで、改憲派は「集団的自衛権の行使」や「憲法への自衛隊の明記」を企てる改憲にとって好機が来たと考えているようだ。

民主党の委員からは「大震災」対応の緊急性から見て、改憲は最優先事項ではないという意見(衆院・民主・山花郁夫)があったが、同じ民主党内から「大震災や原発事故は憲法論議の妨げにならない」(参院・民主・増子輝彦)という「反論」も飛び出した。社民党や共産党の委員が「震災の最中になぜ改憲論か」と審査会の始動を批判すると、「いまだからこそ、国の形がどうあるべきかについて国民ベースの議論が必要だ」(参院・自民・川口順子)という反論がでた。

第2には、硬性憲法といわれるゆえんの第96条の改憲規定(両院総議員の3分の2以上の賛成による発議)の問題点を指摘することで、改憲要件の緩和を主張する意見が、主として「96条改憲議連」(衆院・自民・古屋圭司、衆院・民主・小澤鋭仁)のメンバーから相次いで出されたことだ。民主党の辻元清美委員(衆)は「96条を過半数に拠る改憲発議に変えると、政権交代ごとに改憲されかねず、それは立憲主義に反する」と指摘した。

第3には、改憲論としては言い古された感もあるが、環境権やプライバシー権など「新しい人権」の導入を主張する改憲論も、公明党や民主党の委員を含めて根強くみられた。公明党の各委員は「憲法3原則は変えない」としながら、この「新しい人権」を加える「加憲」なる改憲論を主張した。また「衆参対等統合一院制議連」(会長・衛藤征士朗衆院副議長)が自民・民主・公明・みんななどの議員で作られ、改憲をめざしている。みんなの党は憲法調査会で破綻が明確になった「首相公選制」導入をいまなお掲げている。

第4には、自民党の委員たちが、自民党改憲推進本部がすでに30回もの会合を重ね、来年の4・28(サンフランシスコ講和条約と日米安保条約発効60周年)の「独立記念日」(沖縄の分断と全土基地化の日)をめざして2005年に策定した自民党改憲案の、前文、安保条項、非常事態条項などを検討中だと報告したことだ。自民党の中では中曽根康弘元首相をはじめ、ウルトラ改憲派から、当時、森喜朗会長と舛添要一事務局長らがとりまとめた05改憲案への不満がくすぶっている。あきれることに、発言では、憲法調査会当時の議論では、ほとんど「論外」とされた「押しつけ憲法論」を堂々と主張する自民党の委員(参院・自民・西田昌司、同・山谷えり子)が少なからずあった。新改憲案の議論を通じて、自民党は憲法問題でより復古主義的立場に軸足を移行させることで、独自性を出そうとしているかのようだ。

<草の根からの改憲反対の運動の構築を、7・16に10万人集会へ>

米国や財界の改憲要求のターゲットが第9条にあることは明らかだが、今後の憲法審査会の審議の中で、「非常事態条項」(国家緊急権条項)や、「新しい人権」の導入など、改憲への道のさまざまな「変化球」が登場する可能性に対して警戒が必要だ。

2007年の安倍晋三内閣による「9条改憲」の策動をうち破ったのは、危機感に燃えた全国の草の根からの市民の運動による世論の高まりだった。焦った安倍内閣が強行した改憲手続法をめぐる闘いは、改憲派をしてその後「空白の4年半」と呼ばせた改憲運動の大きな後退局面を勝ち取った。しかし、「空白の4年半」で明文改憲の攻勢が下火になった間に改憲反対運動の側も若干、沈静気味になった事は否定できない。

今、「九条の会」の再活性化をはじめとして、「脱原発」など緊急な課題と結合して多様な市民運動を組織し、再度の改憲反対運動の高揚を作り出すべき時がきている。全国の草の根で学び、議論し、協力しあい、その力で街頭での宣伝・行動へでる必要がある。

「さようなら原発1000万人アクション」実行委員会は1000万人署名運動に取り組みながら、2月11日全国一斉行動(東京は代々木公園)、3月11日福島現地行動(郡山市開成山球場)、3月24日1000万署名集約集会(日比谷野外音楽堂)、そして7月16日には代々木公園で10万人集会を提唱している。

5月3日は憲法記念日の全国一斉行動日だ。2月18~19日には広島で上関のフィールドワークを含む「第15回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」が行われる。

私たちは共同の力でこれらの取り組みを成功させ、市民運動のあらたな高揚の局面をつくり出さなくてはならない。
(事務局 高田健)

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第65回市民憲法講座(要旨)食べものと放射能

安田節子さん(食生活センタービジョン21主宰人)

(編集部註)12月3日の講座で安田節子さんが講演した内容を編集部の責任で集約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。

国が決めた食べ物の暫定基準値は非常時の我慢値

今回の原発事故は国際評価でレベル7というもっとも深刻な事故、チェルノブイリと同じレベルですけれど、チェルノブイリは1基、福島は4基も爆発しています。放出された放射能の量は、今頃になって発表されたものだとセシウム137で広島原爆の168個分です。これは大気への放出であって、海洋への放出はその何十倍です。大量に出た放射能が、群馬大学の早川由紀夫教授がつくったマップでは、関東まできています。政府が発表した地図でも、同じように関東の部分、群馬の半分、栃木の西北の部分、宮城と広い範囲の情報がようやく出ました。

しかもこの事故は収束していないんですね。燃料棒が壊れて圧力容器を破って格納容器の下に落ちちゃって、建屋は水素爆発で吹っ飛んでいます。そこから毎時1億ベクレル出ている。つまり1日にして24億ベクレルが、だだ漏れしています。こうやっていまだに放射能が漏れ出ていて、溶け落ちた燃料棒をどうやって拾い上げ、閉じ込めるかという技術はどこにもありません。人類未体験ゾーンに入っています。

あたかも順調に冷却して収束しているかのようにいっていますが、最近になってまさに「チャイナシンドローム」になりかかっていることが報道されるようになりました。今後、地下水、海洋の汚染の深刻さは徐々に明らかになってくると思いますが、相当深刻な事態です。途方もない原発事故を日本で引き起こしてしまった中で、チェルノブイリもそうでしたが、政府の姿勢は「隠蔽」、「うそ」、そして「小出しにしか情報を出さない」ということです。いろいろな情報操作がおこなわれ、国が決めた基準以下なら安心だと思わされている人たちがたくさんいます。わたしは、みなさんに国が決めた基準が一体どういう基準かを知っていただきたい。

日本の法律では、原発が通常稼働しているときは内部被曝と外部被曝をあわせて一般人は年間1ミリシーベルトまでと決まっています。この1ミリシーベルト/年というのは、IAEAとかICRPの原発推進の基準を採用していますから、専門家から言わせると高いんです。ドイツでは0.3ですからね。いま、お米で基準の1㎏あたり500ベクレルを超えた、だから出荷停止にしたとか、そういうニュースをたびたび耳にされていると思います。

この基準になる暫定基準値。これがどういう基準で決められたかというと、レジメの表を見ると放射性ヨウ素、放射性セシウム、ウラン、プルトニウム及び超ウラン元素のアルファ核種と書いてあって、これらのものをトータルでどれだけ見越しているかというと17ミリシーベルトです。日本の法律では1ミリシーベルト以下でなくてはいけないんですよ、内部・外部被曝あわせて。それが内部被曝だけで17ミリシーベルトとなっています。

いま指標になっているのは放射性セシウムです。放射性セシウムは飲料水、牛乳・乳製品、野菜、穀類と肉・卵の5つのジャンルに食品を分けて、放射性セシウムだけで5ベクレルを割り振っています。そして各分野ごとに1ミリシーベルトとしています。そうしますと国が安全を確保するために必要な基準は1ミリシーベルト以下だけど、セシウムだけでも5ミリシーベルトを食品に割り振っていることです。これは全体として途方もないことで、そうすると「この基準以下なら安全」、ではないということなんですよ。

この暫定基準値は厚生労働省が3月17日に決めた基準ですが、ホームページに「この基準は安全性を示すものではない」と書いてあります。でもいったん基準ができあがると、これ以下だから大丈夫、学校給食にもこれ以下のものが使われているから大丈夫という言い方で、政府はそれを都合よくそう思わせるやり方をしているのではないかと思います。だからこの暫定基準値は安全性を科学的に担保しているものではなく、非常事態における「我慢値」なんです。来年の4月に新しい基準をつくると厚生労働省は言っていますが、それまでのあいだこの暫定基準値という我慢値を国民に強いているわけです。

確かにたくさんの放射能が降って食品を汚染したときに、基準を示さないと流通できないから、我慢値だよ、この基準でスムーズな流通を促すという理屈ですが、これは非常におかしいです。日本の関西以西は汚染を受けていないわけで、日本の半分で汚れていない食べものがつくられている。であれば、事故があろうとなかろうと人びとの命を守る、健康を守るために必要な基準で食品の放射能基準値を出すべきでした。

そして、汚れていない地域で春にはたくさんの種を提供して増産体制を敷き、いままで減反を強要してきたのもやめて、外部被曝で大変な状況にある福島の人にせめてきれいな食べもの、内部被曝しないように食べものを届けるとか、学校給食に優先的に汚れていない食べものを届ける態勢にすべきだったんです。ところが政府が取った手は17ミリシーベルトで食品を流通させる、そいて何らかの障がいが引き起こされる。これが世界の常識です。

原則として放射能汚染された食品は出荷・販売されてはならないものです。これを食べてはならないものです。そこを一般のわたしたちがしっかりと認識していないと政府の恣意的な対応に振り回されて、どうしたらいいのかを見失ってしまいます。特に妊娠している女性、胎児そして小さな子どもたちはこの原則を適用するという大人の意志、それがとても大切です。それがないと、われわれがこの事故を許してしまったツケを何の罪もない未来の子どもたちが負ってしまう。被害は彼らにあらわれます。だから、成長期の子どもには汚染食品を食べさせない、そういう大人の覚悟がいま問われています。

放射線の持つ高いエネルギーが身体の中に入ってくる。身体の中には細胞があって細胞の中に核があって、核の中にDNAがあります。いろいろな物質でつながっています。その分子は、エレクトロンボルトという微少の電気エネルギーでくっついています。そこに放射性物質がものすごく強い、何十万倍、何百万倍のエレクトロンボルトのエネルギーを浴びせる。そうするとこのつながっている分子がみんなぶっ飛んじゃって、二本叉の鎖の1本が壊れただけなら相手方が健全であればまた修復しますが、2本いっぺんに壊れるとなかなか修復できない。修復しようとしてミスが起きます。強い放射線を浴びることによって細胞の大事な遺伝子が壊れていく。こういうことは放射性物質が体内にある限りずっと起こります。どんなに微量でもDNAを傷つけて、がんや突然変異を誘発するといわれています。放射線に安全線量はないんです。閾値(しきいち)がないということですね。

食品安全規制の原則→閾値のないものは使えない

一般的に食品の安全基準を決めるときに、たとえば新しい食品添加物をどういう基準で運用しようかというときに、実験動物のネズミにえさに混ぜて与えます。ネズミに一定の時間食べさせたあと解剖して、腫瘍ができている、ここまでなら腫瘍はできない。そのできない基準を見定めて、さらに人間が食べた場合の種の違いをいれて100分の1の係数をかけて、この基準以下だったら影響がないという閾値で使用量を決めます。

ところが放射性物質は閾値がない。閾値がないものは食品安全行政では使ってはならないというのが原則です。農薬にしても添加物にしてもその他の化学物質にしても、閾値のないものは混入してはならない。ところが放射能は閾値がないにもかかわらず、いまわたしたちが食べる食品に入っています。これはまさに非常事態なんですね。これが必ず何らかの影響を引き起こすということです。

日本の半分で、わたしたちは広く薄く長い間放射能と共に生きざるを得ない状態になっています。この放射能で汚染された食品はいろいろなところに広がっています。しかも瓦礫だとか下水・汚泥とかそういうものを政府は一ヶ所に固めないで、どんどん基準を決めて、400ベクレル以下ならいいとか、肥料だったら200ベクレル以下だったらいいとかいって、どんどん全国にばらまいています。これは放射能をどう扱うのか、きちんとした考え方を持っていないからですね。放射性物質は拡散させず、できるだけ特定の場所にとどめ置いて、そこをしっかりと管理する、永久管理する。それしかないんですね。

いま瓦礫についていろいろやっていますが、わたしから言えばそれは引き受けてはならないんです。人が住んでいるところに持ってきてはいけないんです。そういう原発の放射能は、東京電力がそれを出したわけですからその原発の敷地に全部集めて、立ち入り禁止にして永久管理するしかないんです。目に見えないですから、あと10年、20年たって情報がきっちり示されなくなるでしょう。そうすると何気なく子どもたちが遊んでいるスペースで放射性物質が放射線を放っている。そういうことがあちこちで起こるだろうことが想像できます。みんなが知らず知らずのうちに、目に見えない、色もついていない、においもしない中で拡散をしている、やってはならないことをやっていると思います。

内部被曝と外部被曝

わたしたちが受ける被曝には2種類あります。内部被曝と外部被曝、身体の外にある放射性物質によって被曝することを外部被曝。たとえば東京でも公園だとかいろいろなところで高レベルのホットスポットが見つかってきていますね。風向きとか雨とかによって、水素爆発で大量に出た放射性物質が知らないあいだにあるところにたまっていく。そこで被曝するのは背の低い子どもなんですね。小さい子どもほど地面のホットスポットからの外部被曝を受けます。やはり住民が徹底的に子どもの行くところ、遊ぶところ、草むら、水のたまるところを計測して汚染マップをつくっていくことが必要になります。行政の責任であるわけですね。それがひとつです。福島では大変な外部被曝をしていて、放射線管理区域で子どもたちが学校に通っていることをいまだに放置しています。まさに棄民政策で、これはなんとかしなければならないところです。

もうひとつの内部被曝、これは食べものからの被曝です。放射性物質を体内に取り込むことで起こります。口から食べものと一緒に入ったり、空気を吸うということで入ったり、傷口から入ったりします。放射性物質が体内に入ると、それが排泄されるまでずっと身体の中で放射線を発し続けて細胞を傷つけます。枝野さんが官房長官のときに「ただちに影響はない」と言い続けていました。確かに「ただちに影響はない」、しばらくすると影響があるという意味ですよね。内部被曝はすぐにばったり倒れることはないですが、「晩発性障害」が引き起こされます。

たとえば広島で原爆にあったけれども大丈夫だったという人もいます。よく講演会で「わたしは被爆したんですが親族は誰もがんにもならないで大丈夫だった。核物質ってたいしたことはないんじゃないですか」という質問も受けたこともあります。それは、そのときにどこにいたか、どういう被爆の仕方をしたか、あるいはその人がどういう遺伝子を持っていたかとかさまざまな要因があるので、100人被爆すれば100人全部が死ぬというものではないわけです。だから怖くないということではなくて、広島でも内部被曝の被害者は隠蔽されました。ほとんどその問題は隠されたまま今日に至っています。

ペトカウ効果―怖い低線量による長期被曝

内部被曝の問題で最近知られるようになったのは、低線量による長期被曝の方が被害が大きいということです。カナダの研究者のアブラム・ペトカウ博士が発表した「ペトカウ効果」というものが知られるようになりました。これはノーベル賞に匹敵する発見だといわれています。どういうものかというと、細胞膜というのはものすごく強靱です。これにものすごく強い放射線を当てて細胞膜を破壊する実験をしたけれども、なかなか細胞膜は破けない。そういうときに低線量の水の中に細胞を落としちゃった。しばらくして救い出してみたら破けていた。なんでだろう、なぜあんなに強い放射線を当てても破けなかった細胞膜がこの薄い放射線の中で破けちゃうんだろう、何度やっても同じ結果だった。

ペトカウ博士がたくさんの実験をやった結果わかったことは、低線量被曝によって、細胞の中には水がありますけれども、その水の中の酸素が放射線の影響で活性酸素に変わる、そうすると容易に細胞膜を壊してしまう。そして壊れた細胞膜から放射線が核に入って遺伝子を傷つけることがわかったんです。もうひとつはバイスタンダー効果というんですが、被曝を受けた細胞のそばにある細胞で、まだ被曝を受けていない細胞が、被曝を受けた遺伝子の情報を引き受けてしまう。傷ついた遺伝子の情報が同じように伝染してしまうということです。いまになって、低線量で内部被曝することの身体への影響がわかりつつあります。核爆弾を落としたあとのアメリカを中心とした放医研の研究者などがやっていたのは、内部被曝の被害隠しであったわけです。

内部被曝でどういうことが起こるか。チェルノブイリの事故から25年たちました。そこで人びとがどんな影響を受けているかということは、5000以上にのぼる論文、現地やヨーロッパでたくさんのお医者さんや看護士さんや物理学者などが書いた論文を精査して、ニューヨークの「科学アカデミー紀要」にまとめられたものがあります。チェルノブイリでは100万人以上が死んでいることや、さまざまな障がいの事例などをまとめた論文です。まもなく日本語訳が出ると思いますが、そこでわたしたちが知ったのは、健康な子どもは20%以下で、8割以上の子どもたちが何らかの疾病を持っていることです。大変悲しいことに知能の低下が非常に明らかです。高校を卒業できるくらいの知力を持つ人はほとんどいない。映像で見ると衝撃を受けますが、水頭症だとか目がない奇形の子どもたちがいて、捨て子がたくさんいるんですね。そういう子どもたちを収容する施設の実態なども書いてあります。

チェルノブイリ25年後の現実

よく日本の放射能汚染で40歳以上の人はどうせあと20年か30年たてばがんになるから、積極的に放射能汚染されたものを食べていこう、なんて言い合ったりしますね。それは間違っているんですよ。どうせ死ぬんだからと簡単に思うかもしれないけど、放射能汚染を受けた場合は子どもでも白内障になっていくんですね。それから心臓病です。セシウムは筋肉に散らばります。それが心臓に行けば心筋がやられます。ドキュメンタリー映画「チェルノブイリ・ハート」の中で、子どもたちの心臓に穴があいて、アメリカのお医者さんの手術でなんとか生活ができるまでに助けてもらうところがあります。セシウムを体内に取り込むことで子どもが心臓病になってしまう。

それから免疫力の低下や早期の老化です。40歳くらいで80歳以上にあたる血管の老化とか皮膚の老化、白内障、心臓、腎臓、肝臓などの臓器の老化です。40、50歳の女性が80歳の人のような顔になっている写真などがあります。身体が持っているあらゆる機能に放射性物質が影響を与えることがわかっています。産まれる子供は奇形や死産がすごく多い。大人は早くにどんどん亡くなっていく、いろいろな疾病で。いまや人口はマイナス、マイナスで間もなくいなくなってしまうのではないかという状況が、たった1基壊れただけのチェルノブイリで、25年経っていま明らかになってきました。情報はずっと隠蔽されてきました。政府そのものが最初はまったく情報を出さない。そういう体質は日本も同じです。遠い外国の話だったのが、いまやわたしたちにとって自分たちに降りかかったこととして福島と重なります。

今回、核戦争防止国際医師会議がどのように福島を見ているか、その発言があります。「日本の東北地方においては来年中に放射能に起因する多様な疾病が生ずること。福島で暮らしている現在0から5歳の子どもたちは恐らく3年から5年後には甲状腺がんの増加に見舞われる。現在比較的年長の子どもたち、若者、成人においてもより頻繁に甲状腺がんの診断が下されるであろう――大人もなるんですよ、甲状腺がんに。――そして白血病も恐らく2016年からはっきりと、より頻繁にあらわれてくるだろうと懸念する。2011年12月以降に生まれる新生児にあっては、チェルノブイリ後に記録されている染色体異常と先天性の奇形の増加がある。がんではないさまざまな疾病、たとえば免疫の機能不全、心臓病、神経医学的疾患、内分泌系の疾患、早い老化の原因となる」。もうこういうふうに見られているわけです。

「長崎ぶらぶら病」という言葉を聞いたことがあると思いますが、あれはミトコンドリアという細胞の中にもうひとつの核を持っているものがあって、エネルギーを司っていますが、それが放射線でやられるとぜんぜんやる気にならない状態になる。ぶらぶらしてみんなから「ぶらぶら病」といわれる。チェルノブイリでも大人の方たちがそういう状態で仕事ができなくなってしまうわけです。それから神経疾患、精神をやられ廃人になってしまいます。どうせがんになると簡単に言うけれども、それより手前でさまざまな疾患で苦しむことになります。だからどんな年配の方でも、放射線の汚染があるものを食べていいことはありません。だから今回のこの国の基準は犯罪的であると思っています。

身体に入ったヨウ素やセシウムの害

身体に入った放射性物質は特定の臓器にそれぞれの核種ごとに集まります。人間の身体は、体が必要とするミネラルを、必要とする臓器に消化管から血流に乗せて届けます。たとえば甲状腺ではヨウ素を材料にして甲状腺ホルモンをつくります。だからここに放射線ヨウ素が入ってくるとヨウ素と間違えて甲状腺に届けちゃう。そこで放射線を出し続けるから被曝して甲状腺がんになるわけです。

なぜ子どもに先に甲状腺がんが多発するかというと、子どもは細胞分裂が活発です、成長しなければいけないから。細胞や神経細胞をつくるのに甲状腺ホルモンが必要ですから、子どもにはたくさんのヨウ素が必要です。放射性ヨウ素が入ると、子どもの身体は大人よりもたくさん放射性ヨウ素を取り込んで、甲状腺に届けてしまう。それで子どもたちがたくさん甲状腺がんにかかるわけです。大人はならないかというと、大人だって細胞分裂はしますから、子どもほどではないけれどもやはり甲状腺に届けてしまいます。それで大人は、子どもから何年か遅れて甲状腺がんの人が出てくるわけです。

いま大きな問題になっているセシウムは、人間に必要なカリウムに似ている。元素周期表の同じ属です。だから放射性セシウムが入ってくると、腸が「身体に必要なカリウムだ」ということで取り込んで身体の必要なところに送っちゃう。カリウムは筋肉、心臓の心筋とか胎盤に行きます。胎盤にたまった放射性セシウムは、赤ちゃんがいれば赤ちゃんを被曝させます。赤ちゃんは胎児のときに生殖細胞ができていますが、その胎児のときにお母さんの胎盤で放射性セシウムが入っちゃうと生殖細胞が傷つく。その子どもが産まれて大人になって次の子供を産んで、というときにそれを全部引き継いでいっちゃうんです。だから傷ついた生殖細胞がずっと先の先まで伝えられてしまう。人間の非常に多様な遺伝子のプールの中に傷ついた生殖細胞が長く伝わってしまう。これが放射性物質の害の中ではいちばん恐ろしいもので、許してはならないものだと思うんですね。

それからストロンチウム、元素周期表のカルシウムと同じ属です。だから身体の中に放射性ストロンチウムが入ってくると「カルシウムが入ってきた」と身体が誤解して、これを歯とか骨へ届けます。セシウムは物理的半減期30年、ストロンチウムは29年です。半減期というのは半分になることだから、1/1000になるのに300年とか290年かかります。身体に入ると生物学的半減期といって、人間や動物には排泄機能があり、おしっことかうんちとか汗とかで排泄していく。セシウムは100日前後で身体の中で半分になり、外にあるときよりは早く半減期が来ます。ストロンチウムは骨に入って半減期は17年くらいで、すごく長いんですね。1/1000になるのに170年ですから、お墓に入っても焼いた骨の中から放射能物質を出していることになります。

プルトニウムは鉄と間違えて取り込むことがありますが、半減期は2万4000年ですから24万年経たないと1/1000にならないという、途方もないものです。こんな物質を、日本もアメリカも核兵器をつくるためにやってきた。原子力発電所をなんで日本は54基も建てたか。エネルギー効率からいえばものすごく悪い。にもかかわらずなんでこんなに建て増ししたかといえば、ウラン濃縮技術を温存していくために原子力発電で技術や体系を保持し続けることが背景にあったと思います。そういう恐ろしいものを環境中につくりだしていったわけです。

原発からつくり出される放射性物質は31種見つかったと国は発表しましたが、実際つくられるのは40何種類で、同位体をあわせれば100何十種類のものが出ています。その中で放射性ヨウ素、放射性セシウム、ストロンチウム、プルトニウムがなぜ問題になるのかというと、放射性ヨウ素とか放射性セシウムは大変揮発性が高いからです。溶融が始まったときに真っ先に大量に放出されるのが、放射性ヨウ素、放射性セシウムです。

細かい汚染地図をつくって判断を

ストロンチウムとかプルトニウムは、揮発性はないけれど非常に生物学的毒性が高い。今回は非常にたくさん出ています。文科省が飛行機で計って、原発現地から80キロ圏内を調べたものが発表されましたが、80キロのぎりぎりのところでストロンチウムが見つかっています。プルトニウムも4カ所くらい見つかっている。これをもし100キロ、200キロで計測したら出ているはずです。セシウムが計測されれば少なくともその1/10くらいはプルトニウムもあるはずです。どれだけわたしたちの生活環境の中でセシウムとかストロンチウムとかプルトニウムが出ているかは、都内を走り回っている自動車のフィルターを集めて計測すればわかります。簡単なことなのに政府はやろうとしない。人びとに対して、あなた方はすでにセシウムのみならずストロンチウムやプルトニウムの汚染の中にいますということを言いたくないんですね。補償問題になるからです。

横浜の港北区ではマンションの屋上にたまっている泥を市民が計測に出したら、そこからストロンチウムが見つかっています。計測に出すと1万円とか2万円かかるから普通はやりませんが、非常に気になる人は調べようとします。そして計ったら出ているわけです。いまの計測器ではセシウムしか計れないんですが、ストロンチウムだってプルトニウムだって計らなければならない。わたしはとにかく計って、計って、計りまくって、ものすごく細かい汚染地図、自分の住んでいるところの汚染マップをみんながつくって、その上でどうするかを判断をしなきゃいけないと思います。

目隠しをして大丈夫だよ、大丈夫だよ、住んでも食べても飲んでも大丈夫だよということで暮らしているわけです。情報がだんだんなくなれば元の生活に戻ってしまうでしょ。しかし放射能は消えてなくならない。目に見えないけれどもこの放射性物質がどういうものかよくよく考えれば、いままでとは生活が、生活を見る視点が違うんです。

世界も驚く日本の緩い基準値

食べものの放射性物質の基準は、我慢値の数字だということですが、それが非常に高い。特にお米。主食ですよね。お米は野菜や肉やあまりたくさん食べるものではないものと一緒、それで1㎏あたり500ベクレル。途方もないですよ。今回福島で安全宣言したあとにお米から600ベクレル出たから出荷停止した。そういうことをやっているからみんな信用しない。

今回、小宮山厚生労働大臣はいまの基準を1/5にするといっています。みんなは、1/5になるならいいじゃないかと思うかもしれない。けれどもドイツ放射線防護協会は、福島のような事故があったとしても「乳児、子ども、青少年に対しては4Bq/kg以上のセシウム137を含む飲食物を与えないように、成人は8Bq/kg以上のセシウム137を含む飲食物を摂取しないことが推奨される」といっています。一桁なんです。今回、厚生労働省が胸を張っていったのは、学校給食で40ベクレルです。すごく高い。だから、わたしたちがいまどんな状況に置かれているのかということなんです。

みなさんにこの基準が途方もないことを知っていただきたい。国際比較を見ると、たとえば飲み物の基準でいうと国際法、原発の排水基準値はセシウム137が90ベクレルです。日本の暫定基準値は200ベクレルで、原発の排水基準の2倍以上です。食べものの基準は、たとえばウクライナの野菜はセシウム137が40ベクレル、日本の野菜の暫定基準値は500ベクレルですから10倍以上です。ウクライナだってチェルノブイリ事故で食品が汚染された中でみなさん生活している。そういうところがこの数字なのに、日本では半分以上できれいな食べものが食べられるにもかかわらずこの10倍以上の緩い基準を9ヶ月経ったいまでも持っていて、来年の春まで運用するわけです。

みなさんは市場に出ているものは計測済みだと思っていますか? 計測している食品、農産物の数は、汚染がある17都県の中で大量に食品が生産されていますが、それに対する検査の点数はものすごく少ない。だから検査を受けていない高濃度汚染のものが市場に出回っている可能性があります。しかもその基準がものすごく高いし、計っているのはセシウムだけです。政策的には食品安全管理は何もしていないのと同じだ思います。

じゃあどうすればいいの?と反論があるかもしれないけど、これは全量検査することです。市場に入るものは検査して一桁レベルで振り分ける。一桁、5とか6はまあいいでしょう。10を超えたら汚染食品として政府が東電に買い上げさせて補償させ、それを生産者に渡す。生産者は被害者ですから、汚染があるが故に市場に買ってもらえないものは東電がすべて賠償する、生産者に負担させてはいけない。そして市場に流通できる食品は一桁レベルまでで、そのベクレル数を表示して消費者に売る。それは市場に入る前の検査、あるいはJAが集荷する段階で計ってもいいでしょう。そういうふうにしてはっきりと筋道を立てることです。

全量検査・表示して消費者が選ぶ

魚はこれからすごい汚染があります。魚も水揚げ港ごとに計測器でトロ箱ごと検査する。お米も一袋ずつ計る。肉については屠場に入った段階で狂牛病のときと同じように全頭検査する。狂牛病で牛肉の価格が暴落したあと岩手県が全頭検査して、いまは価格が戻っています。人びとがこの食品を買おうか買うまいかという基準は、ちゃんと検査されているかどうか、どれだけの汚染があるのか、です。いまは食品を全量検査していないから消費者は産地で選ぶしかない。汚染のある地域のものは生産者が困っているから買って支えようと言われると、わたしもそうしようなんて思うかもしれない。これ、間違っています。こんなことをやらせちゃいけないんです。

検査して2桁以上の汚染があるようなものは全量を東電が生産者に賠償する。1桁レベルくらいのものは、表示して消費者が選んで買う。実際そういう業者たちが出てきています。イオンなんかは段ボールごと農産物が入ってきたら、全ロット検査をしています。最初は500ベクレルが基準だったからそれで切ろうとしたわけね。そしたらお客さんたちから、限りなくゼロに近いところで切ってと言われて、いまは基準を検出限界のレベルで切っています。みんなが求めているのはそういうことでしょ。国の基準が500だから400なら食べるかといったら、とんでもないですよね。

福島産だって全然汚染がないものもあるんです。広い福島で思わぬところの汚染もあるけれど、まったく汚染がないところもある。それが一緒くたでは売れない。だから計ればいいんです。そしてオーバーしたもの、消費者が求めないものは全部東電が補償すればいい。それをしたくないから「買って食べて応援」、汚染があるけど食べさせるということをやっているわけです。こんなことでは日本全体が救済されないんです。生産者だって、来年も生産ができるのか全然見通しが立たないわけです。

このあいだ、九州に行ったら福島から1万何千人も避難している。ここは福島から離れているからあまり放射能の問題には関心がないかもしれない、玄海の問題もありますよなんて話していたら、福島から逃げてきました、茨城から逃げてきましたというお母さんが何人もいるので本当にびっくりしました。それくらい汚染地帯に住んでいる人たちは生活をかけて子どもを守るためやっていることを知りました。

汚染を受けない食生活――マゴワヤサシイ

食品からどうやって汚染を受けないようにするか。食生活のキーポイントをお話しします。まず取り込みをできる限り防ぐ。いまのように全量検査がされない、ベクレル数も表示がない中でわたしたちができることは産地で選ぶしかないですね。これを風評被害というのは間違いです。消費者ができる、自分が実害を被らないために産地で選ぶしかないわけです。それがひとつ。

それから高ミネラル食で、取り込みにくい栄養状態を目指すということがあります。細胞が必要とするすべての栄養素を食事から摂ることができれば、放射性物質を吸収することはなくなる。そして身体から除去することもできるということを、予防医学ニュースでいっています。それは事実です。カリウムが十分にあればセシウムは吸収しない。カルシウムが十分にあればストロンチウムは吸収する必要がありません。だから身体が十分なミネラルを吸収し、本当に健康に保たれている栄養状態であれば、たとえ食べものに多少の放射性物質、汚染があっても素通りしていきます。だから十分な栄養を身体に満たすことが、まず必要です。

じゃあ高ミネラル食はどう摂取したらいいのか。「マゴワヤサシイ」と覚えていただいてマメ・ゴマ・ワカメ・ヤサイ・サカナ・シイタケ・イモ、――昔から日本人が食べている食材、野菜は旬の、もっとも栄養価が高くなっているものを摂ることです。汚染されていない地域のものですよ。そして汚染されていない地域の玄米を食べると、完全にミネラルを摂ることができます。

カリウムを多く含む食品もいいと思います。小豆などは天然カリウムが非常に多く、熱に強いカリウムを持っています。わたしの母は毎月1日と15日には小豆ご飯を炊いていました。豆は一晩浸しますが、小豆はその必要はないです。火にかけて水を入れて煮れば、すぐ柔らかくなります。柔らかくなった小豆と汁をそのまま炊飯器に入れてスイッチを入れれば、すぐに小豆ご飯ができます。ものすごくカリウムが豊富ですから、ご飯の当たりがふっくらします。薄いピンクで小豆の味も加わって、おいしくたくさんカリウムが摂れます。そんな感じで食べ方も工夫していただければと思います。放射性物質の汚染が検出されたなんていうと、ほうれん草も椎茸もわかめも小魚も何も食べられないと思わないで、やはり十分な栄養を摂ることを考える必要があります。

たとえば、群馬の半分、千葉の上の方も茨城も汚染されて、なんていうと買い物に行けばそういうところが産地のものもあり、すごく悩むわけですね。3月12日から20日くらいの原発が爆発したあとには、葉ものの葉っぱの上にいっぱい降っていたから非常に放射能の検出が多かった。けれどもいまは、土が汚染されて根っこから吸収されているものが多い。それをどう扱うか。

セシウムもストロンチウムも水溶性です。ですから水で洗って湯がくと出ます。さらしておひたしにしたり、それを炒めて食べてもいいでしょう。怪しいなと思ったら、水溶性を利用して水と一緒に出すようにする。これで葉ものなどはどんどん落ちることはわかっています。

チェルノブイリとか大気圏内の核実験が頻繁におこなわれたあと、食品汚染をどうやったら除染できるかがヨーロッパやロシアですごく研究されました。そのたくさんの実験や研究論文を集めて、日本の原子力環境整備センターが「食品の調理・加工による放射線核種の除去率」にまとめています。ホームページで見ることができるようになっています。それを読んで得た方法は、わたしの本でも紹介しています。

コメ、キュウリ、牛乳などの食べ方は

お米は胚芽のところに放射性物質がたまりやすいので、汚染の可能性があるお米の場合には玄米ではなく精米することで90%位は落ちます。さらに、無洗米じゃなくてお米をとげば50%は落ちます。灰色だなあと思ったら、といで食べればほとんど放射性物質は落ちると思います。今回福島で見つかったもののように、高濃度の汚染があるものは論外です。まったく汚染がない地域のものであれば、ぜひ玄米で食べていただくのがいいと思います。
  キュウリとかナスとかトマトなどは、なぜか放射性物質を吸収しにくい野菜です。しかも水洗いしたり酢漬けにしたりするとほとんど出てしまう。キュウリのピクルスなんかは90%以上が出たことが先ほどの論文に書かれています。

それからミルク。これは問題です。ミルクは油には放射性物質はほとんど移行しないので、チーズとかバターとかクリームには行かない。ただし乳清、ホエーと呼ばれる白く澄んだ液体は、栄養価もあるけれどもそこにみんないっています。わたしが心配しているのは学校給食にいつも牛乳がついてくることです。その牛乳はだいたい大手の乳業メーカーが入れています。大手のメーカーはミルクのミックスをしています。原乳を提供する酪農者があちこちにいて、それを集めてミルクプラントで混ぜて製品にしているんですね。

彼らは原乳検査をしています、というんです。検査の基準は乳の暫定基準値の200ベクレルです。わたしは200ベクレルを切っていても、150ベクレルでも子どもにこのミルクを飲ませてはいけないと思う。いまの学校給食ではメニューが和食だろうが何だろうが必ず牛乳をつけて、目標とする栄養価を充足するようにしています。牛乳なんて飲まなくなっていいんです。いまの子どもはそうでなくても成人病になっているんだから、栄養を少し減らした方がいいくらい。そのくらいの考えでやらないと。

この乳業メーカーの原乳は関西にとっても非常に大きな問題になっています。名神高速道路でミルクを入れたタンクローリーが横転した事件が明るみに出ました。そのタンクローリーが原乳を運んできたのは東北地方からでした。それを関西の消費者が知って、あんな遠くから、しかも汚染の心配がとても高いところのものも持ってきて、混ぜて関西で処理して売っている。すごい衝撃でした。これはロンダリングというか、産地の偽装というか、そういうことをやっています。

魚、淡水魚、野菜への影響と食べ方

魚は、表層を泳ぐ魚とか海底に生息する魚と、回遊魚のような魚といろいろいますね。それらが、どう放射能を身体にため込んでいるのか。それに応じて危険度の高いものから計測しなければいけない。だけど水産庁はほとんど計測してこなかったし、当初グリーンピースが海洋汚染を心配して計測させてくださいと、船まで持ってきたのに、禁止したんですよ。でもグリーンピースが漁協の協力を得て海草とか貝を計ったら、すごい濃度だった。いま水産庁のホームページでは魚の計測結果が出ています。まず三陸沖の底もの、海草、ほや、うに、貝などです。いまは漁をやめていますからみなさんの口に入ることはないですが、検査結果が出ている。

小魚や魚は、はらわたに放射性物質がたまりやすい。だから小魚のようにはらわたごと食べるもの、しらすとかコウナゴとか、最初はすごく出ましたね。わたしは魚を食べるときに必ず内臓を取って食べることをお薦めしていますが、小魚はそうはいかない。はらわたごと計測せざるを得ず、高レベルがでました。いまの季節は戻りカツオがあります。カツオは四国沖から三陸海岸を北上して、それを初カツオと呼んで、そこの豊かな海でプランクトンをいっぱい食べて太ったカツオが下ってくる、それが戻りカツオです。三陸沖から帰ってくるわけで、四国で獲っても要注意ですね。

水産庁は水揚げ港の表示ではなくて、獲った海域名を表示するガイドラインを10月から施行しました。でもお店で海域を書いているかどうかは、みなさんぜひ確認してください。書いてなかったら「水域を書くようになったんじゃないですか」「水域を書いてください」と言った方がいいと思います。声を上げないと全然変わりません。
  わたしがもっとも懸念するのはマグロです。マグロは回遊魚で日本海でも太平洋でもぐるぐる回っている。たとえ富山で揚がったマグロだって、実は太平洋側をまわって大きな身体になるまでたくさんのえさを食べています。魚は海水中の放射性物質を吸収し、なおかつ魚食性の魚は食物連鎖の頂点にいますから、その蓄積濃度はすごく高くなる。水産庁は水銀汚染の問題のときもマグロはなかなか計らなかった。妊婦さんは、金目鯛は週2回までなんていって、金目鯛なんて高い魚をそんなに食うかという感じなのにね。そんな変な基準は決めておいて、なんでマグロはやらないのかと思ったんですよ。これだけマグロを食べる国にもかかわらず、水銀の汚染についてはマグロを計らない。ようやく一昨年あたりに計って、マグロの水銀はすごい濃度だったわけです。

今回は放射能の問題で、底ものの魚、小魚、淡水の魚とか調べて一応データは出ていますがサンプリングの数は少ない。にもかかわらずマグロはやっていないんです。確かにマグロの値段は高いからね、検査、検査で捕まえていたら費用がかかってやりたくないというのはわからないではない。けれど、国民がたくさん食べるようなもの、そして汚染の高い可能性があるものからやるべきだと思います。それをやっていない。

魚の中でも淡水魚はよくよく注意してください。淡水魚の汚染はチェルノブイリのときでも、日本で非常に高濃度の汚染がありました。淡水は海水に比べて栄養価が少ない。閉鎖水域の中で淡水魚は、少しでも自分に必要な栄養素があると、取り込むように身体ができています。群馬県の赤城山の大沼で、すごく高濃度のワカサギが見つかっています。これから冬に向かって釣りに行く方もいるかもしれないけれども、こういうところの淡水産の魚はよくよく注意をする必要があります。ほかの淡水魚も汚染は高いです。

放射性物質が放出されて半年後から1年、2年が魚の汚染のピークです。ですからこれは全部検査してもらわないといけない。みなさんが大丈夫かな、と思った場合は、はらわた  サンマなんかははらわたがおいしいんですが  ここは涙をのんで食べない。そして塩水で洗うと引き出されていきますから、塩水で洗うことが大事です。

それからストロンチウムは魚に行きやすいんですね。特にカルシウムを必要とするのは貝とかエビ、海草です。ストロンチウムをカルシウムと間違えて濃縮します。エビは殻を取りますね。殻ごと焼いて食べないで、薄い塩水で洗って使う。魚はだいたい塩水で処理しますから、いままで通りでいいです。貝は貝殻にものすごく濃縮しますが、身の方にはほとんど行かない、幸いなことですね。魚は骨に行きますから、骨せんべいは食べない。いろいろと知った上でこれまでと違って注意をして対応することが必要になります。

レジメのグラフは、チェルノブイリでセシウム137が降下した土壌で野菜を栽培した場合の蓄積で、作物によって違いがあります。すごく取り込みにくいのがトマト。これはセシウムが葉っぱや茎に検出されても、なぜ
か身には検出されないんです。それからウリとかナスとかカボチャとかキュウリなどは非常に取り込みが少ない。逆にカラシナとかクレソンとかカブカンラン、キャベツが取り込みやすい。

4番目に多いキャベツは、わたしの本では「ベラルーシの部屋」というブログをやっていてベラルーシに住んでる辰巳雅子さんがベラルーシの情報として載せていて、そこではキャベツが一番取り込みにくいと書いてある。そうするとこの「チェルノブイリ救援・中部」の図とあわないんですね。問い合わせてみるとキャベツの外葉にセシウムが集まる。それを4、5枚はいだ柔らかいところだと1/40に落ちている。その結果、「ベラルーシの部屋」ではもっとも取り込みにくい野菜に入っています。「チェルノブイリ救援・中部」では外葉も含めて、非常に取り込みやすい野菜に入っています。そういう情報も参考にしていただいて対応していただければいいかなと思います。

有機農業への希望

みなさんは放射能汚染の中で日夜どういう食べ物を選んだらいいのかと悩まれていると思うんですね。中には輸入食品を買う、それがもっとも安心だと思う方も多くいらっしゃるかもしれません。しかしわたしは、それはしない方がいいと思うんですね。なぜかというと、輸入食品にはポストハーベスト農薬がたくさんかかっている、遺伝子組み換えの原料でできているものも入っている、放射線照射もかけているかもしれない。いろいろな国内農産物とは違うリスクを持っている。だから国産の素性確かな安全な食べ物を選んでいこうと思ってきたわけですね。それがひとたびこの放射能汚染になったとたんに「わー、輸入品がいいわ」となっちゃう。それはちょっと待った方がいいんです。

なぜかというと、ストロンチウム90があると添加物とか残留農薬とかの化学物質の毒性が倍増するということを「沈黙の春」を書いたレイチェル・カーソンがいっています。お医者さんの松井英介さんは、たばこの害は足し算で毒性が増えるんじゃなくて、毒性は倍加する、放射性物質が入ると化学物質の毒は倍加すると書いています。であるならば、今まで以上に安全できれいな食べ物をわたしたちは摂る必要があります。放射能汚染の中で生きざるを得ないわたしたちは、今まで以上にきれいな食べものを手に入れる、有機農産物を手に入れる、化学汚染のないものを手に入れることがすごく大事なります。

もうひとつお伝えしたいのは、放射性物質が土壌に落ちたりしたとき、土壌の形態によって吸着します。粘土質の土壌、あるいは腐葉土がいっぱいある腐食の多いところでできた有機質の土壌には吸着されます。作物への移行を阻害するわけです。茨城の半分はかなり土壌が汚染されています。そこで有機農業をやっている生産者たちが土壌の汚染を測定し、採れた有機作物を測定したら、ほとんど汚染は出ないということです。提携の消費者は、それを買って食べて続けてくれているということを聞いています。ほかの地域でも同じような事例が報告されています。

わたしはぜひ農林水産省という公的な機関で、どういう土壌だったら移行を阻害するのかを調べるべきだと思います。もしも有機農業によると、作物への移行が抑えられているとすれば、この不幸な日本の放射能汚染の中で有機農業に対する希望が開けるのではないかと思います。日本では、いろいろな制度の不備や政府の支援がない中で、有機農業は全農産物の中で1%を切っています。よその国は倍々で、すごい勢いで増えているんですよ。

TPPに参加せず、米の自給と食の安全を守る

きょうはTPPのことをどうしてもお話したいんですが、TPPでは日本に農産物の関税を完全に撤廃しろといっています。それが撤廃されると、お米なんか日本の1/3以下の値段で入ってきます 。みなさんこれを買うでしょ。外食でも使う、給食でも使う。そうすると日本の生産者はどうするか。子どもに後を継ぐな、もうつくるのやめよう、ということになります。放射能の汚染をどうやったら除染できるか、がんばってつくっても消費者はもう買わない、安い米がこれからずっと入ってくる、だったらもうやめようということになるはずです。

実際に口蹄疫で牛を全部殺された宮崎県の農家は、今回牛肉の関税38.5%が全部撤廃される、だったら借金してまた牛を買い入れてがんばろうと思ったけれども、無駄な投資になる、もうやめたという人が続々と出てきているんです。畜産王国宮崎は再生しないだろうといわれています。

いま世界の穀物価格は最高値で張り付いています。もう食糧は高騰時代に入ったんです。ギリシャとかエジプトとかチュニジアとかリビアで、なぜこんなに反政府デモで国家が転覆していくか。もちろん圧政があった。でもなぜあの圧政の中でじっと耐えていた人たちが怒りを爆発させてそれが大きな連鎖となったか。飢えなんです。食糧が高くて買えない。その飢えが、怒りの導火線に火をつけたんです。それで国家が変わっていくんです。そのくらい世界はいま食糧を巡って大変な動乱の事態に入っているんです。

日本でなぜこんなに安閑としていられるか、米を自給しているから、国内市場の価格で買えているからです。でもいつまで買えると思いますか、円とかドルがこれからどうなるかわからないでしょ。そういう動乱の時代の中で永遠に海外のお米が安く手に入ると思っている人は、よっぽどのんきなお人好しです。国内できっちりと主食のお米を自給してこられたんだから、そのお米を守り続けることが必要です。そのためにはわたしたちひとりひとりがTPPに参加しないということ、これを徹底的に考えなければいけない。

いまアメリカがやろうとしているのは、日本の農産物をアメリカの農産物に入れ替えさせることです。もう遺伝子組み換えの表示も取っ払おうとしています。狂牛病の確率の高いアメリカの牛肉を全頭検査しないで、30ヶ月齢以上でも何でも入れるよういってきて、日本政府はそれをしますといっています。TPP参加の条件として、アメリカの要求を飲んだ上で参加を認めてあげますといわれて、やるといっています。遺伝子組み換えもどんどん入ってくる中で、主食のお米を海外市場に操作されていくようになる。そういう状況なのにいまだにTPP賛成だという人がいるわけです。

まさにひとりひとりがどう動くか、民主主義が問われています。いま日本も世界も大きく動いていますが、変わるべきはわたしたちなんです。「おまかせ」では変わらない、だまされっぱなしです。誰かがやってくれるかといったらやってくれない。国がやってくれるか、やってくれるわけがない。そのくらいのことを思っていないと。ひとりひとりが声を上げることで企業が変わるんです。消費者が「買わないよ、表示しろよ、計測しなさいよ」、そういう声をどんどん出す。その事で大手の企業から変わっているじゃないですか。イオンが計り、西友が計り、そうすればダイエーも変わる。声を上げなければこんなコストがかかることは誰もやりはしません。

求めるものを手に入れていくという自覚のある市民運動が、日本を必ず変えると思います。わたしたちの市民運動の精神、わたしたちが主権者だということをはっきりと意識して動いていけば、この放射能汚染を乗り越えていくことはできると私は思っています。

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「九条」署名5万筆を超えて(2011年10月26日)

蓑輪喜作

★振り返れば啄木に始まりいまがあるわが人生の「九条」署名も
★新潟の村から出でて十六年「九条」署名いま五万となる

私のいままで6年間続けて来た憲法「九条」を守る署名が、この10月11日に5万筆を超えた。5万人目は小平市の若い女性であった。

いまでもその節々には幾たびとなく新聞各紙に紹介されたり、沢山の皆さんに励まされてきたが、66歳になって都会に出てきて諸病をかかえつつもどうしてこんなことが出来たのかと思うと実に感無量である。やはり東京に出て来たから、小金井にも「九条」の会が出来たからだ。その「九条」の会も小金井では10月22日に6周年の集いがおこなわれた。講師は佛教学者の武蔵野大学教授の山崎龍明氏の「親鸞と平和」と題した講演で、集まった人は「九条」の会の会員以外の人も沢山おられたようで、はばの広い集会となり、会場は殆ど満席であった。

さて私の署名だが11日以後も続けることが出来て、26日現在50,560筆を超えている。なぜそんなことが出来るのかということで、昨年は「九条おじさんがゆく」と題して本も出していただいたが、あまりに人との差もあり、少し自嘲的な歌もある。

★わが署名忠犬ハチ公という人ありハチ公八年われまだ五年

そんなことで自問自答し、なにがそうさせたのかと思うこともあるが、よく署名のとき若者に言う言葉だが「戦争を体で知っている世代だ」ということだ。

おぼろげながら満州事変の頃から、昭和12年に始まった日支事変は小学2年生のとき南京陥落の提灯行列にも参加。そして最後の敗戦までの1年半は私達世代は少年兵として、また軍需工場にその経験はみんな持っており、満州開拓義勇軍として大陸の土となった者も居り、私の手許にはいま「永遠の平和のために」と題して170名の故郷新潟松代の人たちの戦争体験を書かれたものが残っている。越後人はがまん強いということであらゆる戦争にやられた。「連合艦隊壊滅の日」を書かれた五十嵐政勝さんという人の最後の一節を紹介したい。

「最後に私は第2次大戦に参加した者として一言付加えたい。戦争は一部のまちがった指導者の面子のために全国民が否応なしに巻き込まれ国の文明、文化を失い、若者の尊い命を鴻毛の軽きに扱われ名誉といわせる。他に類のない愚かな行為で永久に防止しなければならないと思う」

もうこれを書いた人たちは殆どあの世に逝ってしまい、残って居る人でも90代の半ばである。

そういうものが私の根底にあって今日も署名にかりたてられるのだ。最近では若者に対しては、戦争はどんな戦争もしてはならないし、この署名はこれからの人、あなた達のものだとも言う。私の遺言だと言うことも多い。そしてあとはたのむぞと言うと、まかしておけの声も返ってくる。そして最近の国会の動きなども話し、こうして署名をいただいて議員さんにしっかりして下さいと国会にいくのだと。

いただいた署名は5万だが、おそらく10万人以上の人に声をかけたであろうと思う。それからいまは個人情報にこだわる人が多いので、2割ぐらいの人が戦争は反対だがと言いながら書くことはためらうが、私は強制はしない。書けなければ書けないでよいが、もし国民投票になったらあなたの命の問題なので9条だけは守って下さいと言うと、殆どの人がそうしますという答えが返ってくる。

それから無関心もおり、反対者もおり、私に意識的に論争をしかけてくる者も居るが、私は体験者として言っているのであり、論争をするのでしたら専門家も沢山居るのでそういう人とやって下さいと言う。しかしそういう人の言うことは声は大きくともつじつまのあわない言葉が多く、囲りの人にはかえって反面教師になっており、冷静に対応することであると思っている。

さてここでなぜこんなことが出来るかということで、いままでにも申し上げて来たことですが、1歳と10ヶ月で父を失い、母一人子一人の生活で、次の一首をあげておきたいと思います。

★やもめ婆の子どもと言われ悔しくて泣いて駆けたる雪解けの道

その頃、昭和10年代のはじめには卒業式に優等賞というものがあって、それを私もいただいたということの「いじめ」、子供たちの背後には親も居て「艱難汝を玉にす」という言葉も覚えたものでした。
そういう私を励ましたのが東京の叔父さんや、母の身内の出稼ぎの兄さんが夜店で買い送ってくれる月おくれの『少年倶楽部』などで、いつしか本好きになっていったということです。

そんなことで敗戦には悲憤慷慨しましたが、価値転換はあんがい早かったと思います。そして手にしたのが啄木とプロレタリア文学でした。都会の人たちは戦時中読めなかったものを求めて古書店などを廻ったと聞いておりますが、山の中ではそうもゆかず、その頃発行された人生雑誌『葦』『人生手帳』、それから16歳から勤めた用務員人生でしたが、その頃有名になった「山びこ学校」、詩集『山芋』、『北方の灯とともに』など、いつしか「生活綴方的教育」で、ものごとを身近から考えてゆくということを学んだことがいちばん大きかったと思います。

そんなことで「政治は下から変えてゆくもの」「誠実に愛情を持って接すれば必ず応えてくれる」「最初困難でもやり続ける」「一つか二つの山を越えればあとは楽になる」「そういうことでやるかやらないかは自分とのたたかいである」「自分の身の丈にあったことからやる。自分の足もとからやってゆく」。それから心臓発作を起こした用務員40代の後半からは校長、教頭を含めて全職員みんなの聞き役でした。奥さんにも、ご主人にも言われないことも、「ああ、おじさんに話してよかった」と帰ってゆく教師の後ろ姿がいまも目に浮かびます。

そして最後にいま九条署名をやっている自動車運転免許試験場のバス停です。50年ぐらい前になりますが、ここは出稼ぎの村の青年たちが、あの高島平のマンモス団地の資材運びで神田運送のトラックの上乗りで、その頃は自動車学校などはなく、ぶっつけ本番でみな運転免許をとったところです。

ところで以前にもたびたび書きましたが、そういう出稼ぎの中で青年たちが都会の労働者に学び、おれたちも労働者のようにもの言える組織を、ということで作ったのが1965年に作った伊沢地区農村労働組合でした。くわしいことは拙著「山間豪雪地帯に生きる」に。そのたたかいは県下に全国に拡がり、それまでの失業保険が雇用保険として一時金でもらえるようになり、また豪雪地帯に保安要員制度というものが出来ました。そんなことで遠い日になりますが、労農交流ということで沢山の方が都会からも私の村に来ていただきました。こちらに来てからも農林水産九条の会の設立のとき呼びかけ人の一人でもあられ、さきの本にも書いていただいた農業経済学者の石井啓雄先生もいまはあの世の人となってしまいました。

さて最後にしんぶん「小金井」10月23日、1315号に関根ゆうじさんが次のような一文を書いて下さいましたので紹介します。

☆蓑輪喜作さんが「憲法9条を守れ」の署名をとうとう5万筆達成されました。
☆おひとりで5万人の署名を集められたことは、「前人未到」「空前絶後」「ギネスブックもの」といくら言葉を並べても言い尽くせないほどです。
☆八月に放射能測定を武蔵野公園の野川沿いでいっしょにやったときも、5分間測定値を待つ間も、近くの若者に声をかけて署名を集めておられました。
☆その日は猛烈は酷暑の日でしたが、熱中症になりかかった僕がふらふらして帰りかかると、首に布をまき麦茶で常に水分補給するなど万全の暑さ対策をしていた八十過ぎの蓑輪さんに「気をつけてね」と逆に心配されました。健康管理も日常的に万全にしておられたのだと思います。
☆蓑輪さんはこれから原発廃止署名に切り替えて、また一からがんばるとも言われていました。その歩みは止まることを知りません。(関根ゆうじ)

こんなことでは体力は年々衰えてゆきますが、私の大先輩だった女性歌人の八坂スミさんは「這いずろうとも」と歌っていますが、体調管理に努め、出来るだけ長く署名活動は続けてゆきたいものだと思っています。
全国のみなさん6年間の応援大変有難うございました。

★四十代で発作起こししこのわれが生き生かされて八十路いまゆく

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12・10 がんばろう!「さようなら原発1000万署名」集会

日比谷野外音楽堂の集会での発言(中尾こずえ)

12月10日「さようなら原発1000万人アクション」実行委員会が呼びかけた集会とパレードは日比谷野外音楽堂に5500人の市民・労働者を結集して、「がんばろう!1000万署名」の決意を固め、元気にひらかれた。

集会で発言した大江健三郎さんは、先の9・19の6万人集会が人生で2番目に大きな集会だったこと、一番大きかったのは沖縄での11万人集会だったこと、沖縄の11万人は人口の1割で、1000万人アクションの名付け親の澤地久枝さんはこの沖縄の1割を集めた集会を意識していたことなどをお話しした。集会では各市民団体の発言として「駅前署名アクション(WPN)」から、市民連絡会の中尾こずえさんが発言した。以下、発言要旨。

集会にご参加の皆さん、こんにちは!
私は3・11からしばらくの間、気持ちの落ち着かない日々を過ごしていました。

そして「生きることとは」という意味のようなことを考えさせられたような気がします。それは「福島と福島の人びとと生きていく」というようなことであり、「原発はとめる」ということです。個人的なことですが、「いわきたいら」に暮らしていた私のいとこの安否はいまだにわかりません。東北では昨日など、とても寒かったでしょう。厳しい冬を迎えます。

WORLD・PEACE・NOWの仲間たちと1000万人署名を上野・原宿などで取り組んできました。新宿では中学校で社会科を教えているという男の先生が、生徒たちに教えるといって、署名をしてから、用紙をたくさん持って帰って下さいました。上野の公園口は子ども連れの若いファミリーや初老のカップル、外国人などが多く足を止めてくれました。原宿では警察の妨害もありましたが、のらりくらりやって、署名を集めました。今日は有楽町でやってきました。

また私は地域の仲間たちと地域の駅前に立って、署名を集めたりしています。署名板の前に学生さん達の小さな列が何回もできました。ベビーカーをひいている若いお母さん、お父さんも足を止めて署名してくれます。反応はとても良いですが、原発を止めることができなかったことで、私はこれからの若いお母さんたちにとても申し訳ない気持ちでいっぱいです。

先日、大塚駅でやったときです。終了して道具の後片づけをしていたら、福島の浪江から避難してきたという60歳代くらいの女性が「家族はバラバラよ。避難できずに、何もできずに、浪江に残されている家族もいる」と訴えていらっしゃった。ご自身の署名をしてから、家族や親戚の分の用紙を持って帰って行きました。

当日のスタッフは5人。うち3人が署名板を持ち、1人がマイクを持ち、1人が大きなパネルを持って、同時にそれぞれがチラシも配るというスタイルでした。署名板を持つスタッフは行き交う人々に積極的にアプローチして、1時間半で90筆が集まりました。このときは平均1人が3分に付き1筆でした。署名運動は、短いですけれど、会話ができるのでとてもよいと思います。

「原発に頼らなければこの国の経済は成り立たない」と主張する原発推進勢力があるかぎり、命は危険にさらされるのです。私たちは自然エネルギーを使って、それに見合った暮らしで良いのです。署名は脱原発、原発はいらない、命が大事という意思を一人一人が署名という具体的な行動に表すわけですから、これが1000万人集まったら、政治家の皆さんたちも無視するワケにはいかないでしょう。

命を大切にすることが何よりも優先されなければならない。それは福島と共に生きるという私たちの、私の3・11以降のとても大事な問題なのだと思っています。全ての命が健やかに共に生きあっていけるように、脱原発社会を実現したい。政治家がいまやらなければいけないことは、憲法25条の生存権を守るために働くことです。生活が壊された福島では、東北では、厳しい冬を迎えます。1日も早く安心した暮らしをとりもどせるように、願っています。

今日、ここに集まっていらっしゃる一人一人が社会を変えていく力の源だと思います。東京の街のなかはどこでも人があふれています。一人でも多くの人に1000万人署名の共感を呼びかけていきたい。目標の締め切り日まで、風などひかないように気をつけて、力を尽くしたいと思います。
みなさん、ちからを合わせましょう。

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若き学生達との刺激的な対話

大日本帝国の実在よりも戦後民主主義の虚妄に賭ける
―─ 沖縄 戦後補償 植民地未清算問題 靖國 ─―

2011.11.31 内田雅敏

(社会学部1年 女性) さん 
2011年11月22日 内田 雅敏

「私は今日の授業に出席したことと、このような方が、一橋大学で授業をなさっていることに恥を覚えました。」
との刺激的な感想を有難うございました。また私の講義を途中退席せず、最後まで聴いて下さったことに感謝します。

「先生は鹿児島県知覧にある『特攻記念館』へ行ったことがございますか。あの記念館に行って、今の先生なら仕方ありませんが、恐らくあの場所へ行ったら先生も英霊に敬意を持たずにはいられないはずです。」
とのお尋ねですが、もちろん私も知覧の「特攻記念館」には行きました。また学生時代に元従軍記者であった髙木俊朗氏が書いた『知覧』(文春文庫)も読んでおり、若き特攻隊員達が寝泊まりしていた半地下の三角兵舎など、一通りの知識も有しておりました。

私も知覧で死者を追悼しました。しかし「英霊」に敬意を表することはしませんでした。死者を悼むことと、死者を称えることとは全く別なことだからです。

知覧で涙を流すだけでよいのでしょうか。

生きていれば春秋に富んだ人生を送ることができたであろう彼ら若者達が何故、20歳前後で、短い人生を終えさせられたのかについて考えてみました。それが戦後生まれの私の責務だと考えたからです。私が知覧で感じたことは涙ではなく怒りです。

「英霊たちが最後まで守ろうとした天皇という存在に敬意を示すことは日本国民の義務」とあなたは書いておられますが、特攻出撃させられた彼らが守ろうとしたのは天皇ではなく、父、母、弟、妹ら愛する家族であったと思います。しかし、彼らは愛する家族を何から守ろうとしたのでしょうか。「鬼畜米英」からだったのでしょうか。彼らが特攻出撃して、死ななければ愛する家族を守ることができなかったのでしょうか。亡くなった彼らを称えることによって彼らを死なせた当時の指導者たちの責任を不問に付してはなりません。1945年2月10日、日中戦争開始時の首相だった近衛文麿は天皇に対して、最早、敗戦必至として戦争終結を進言しました。いわゆる「近衛上奏文」(起案者は吉田茂だと言われる)です。天皇の答えは「もう一度勝ってからでないと」でした。3月10日の東京大空襲、4月からの沖縄戦(知覧の特攻出撃はこの沖縄戦の中でのことでした)、そして8月の広島、長崎です。敗戦必至を誰もが認識しながら、ずるずると戦争を続けたのです。

陸軍補充兵として召集され、比島から、かろうじて生還した『レイテ戦記』の著者大岡昇平は「勝利が考えられない状況で面子の意識に動かされ、若者に無益な死を強いたところに神風特攻の最も醜悪な部分がある。」と書いています。

いつの時代にも、若者が時代の「大義」に殉ずる姿は美しい物語です。しかし、その実体は「本土防衛」「国体護持」のための時間稼ぎとして、撃ち落されることが分かっていながら、技術も十分習得していない若者達を時代遅れの飛行機に乗せて出撃させたのです。

「神風特別攻撃隊の奮戦の結果、連合国軍の進撃速度が鈍り、その間に、米軍機の空襲により、我が国の要地が甚大な被害を被ったために、わが国民に心の準備ができ、わが政府が降伏を受諾した際に、大いなる混乱を起こさなかったことは不幸中の幸いであった。」(奥宮正武『海軍特別攻撃隊 特攻と日本人』)特攻を送り出していた或る海軍中佐が戦後になって書いていることです。私はこの一文を読んだとき腸が煮えくり返る思いがしました。
もう一つ当時の軍指導者の堕落を示す事例を挙げたいと思います。

1945年8月15日夕刻、九州、大分の海軍飛行場から第五航空艦隊司令長官宇垣纏海軍中将は司令官「親率」と称し、「特攻機」11機、部下22名を引き連れ、沖縄方面に向けて「出撃」しました。既に戦争は終結していました。宇垣は自殺行に部下を途連にしたのです(3機は不時着)。死ぬならば一人で死ねばいい。生きていれば戦後日本の担い手となっただろう若者達を己の「美学」のために殺してしまったのです。宇垣の行為は海軍刑法第31条「指揮官、休戦又ハ講和ノ告知ヲ受ケタル後、故ナク戦闘ヲ為シタルトキハ死刑ニ処ス」に該当する「私兵特攻」です。これを知らされた小沢海軍総隊司令長官は「玉音放送で大命を承知しながら、私情で部下を道連れにするとは以てのほか、自決するなら一人でやれ」と口をきわめて難詰したそうです。しかし、敗戦のドサクサの中で彼は裁かれていません。

「出撃」に際し、彼は遺書を認めていますが、その遺書の署名者を海軍大将宇垣纒としていました。勝手に階級を上げてしまっていたのです。

この宇垣も靖國神社で「護国の英霊」として祀られています。その展示には批判めいたことは一切書かれていません。

まだまだいろいろお伝えしたいことがありますが、私が以前に書いた「知覧と国立競技場」「石川護国神社の『大東亜聖戦大碑』に見る時代錯誤」をお送りしますのでお読みください。

映画も一つご紹介したいと思います。黒木和男監督の遺作『紙屋悦子の青春』(2006年)です。特攻隊員に関するもので、岩波ホールで2ヶ月間、上映されていました。戦闘場面は勿論のこと、出撃シーンすらなく、登場人物もわずか数名、しんみりとした中で平和の大切さを遺された者の目を通して、淡々と訴えるとても良い映画です。DVDになっていますので是非ともご覧ください。

最後に、信州 上田市郊外にある戦没画学生の記念館「無言館」に行かれたことはありますか。まだ新しい施設ですが、知覧の「特攻記念館」とはまた違った、戦没画学生たちの「もう征かなくてはならない。もっと描いていたかった。」というような息遣いなどを感じながら当時の事を静かに、想い、考える場所となっています。
もしまだでしたら、いつか、是非行ってみて下さい。

友人の一橋大学法学部長村岡啓一教授からの依頼により、伊藤塾の寄付講座「法律家と現代社会」の一端を担った。
講師は裁判官、検察官(OBを含む)、弁護士。対象は全学共通で1、2年生が主体。テーマは各講師に任され、法律知識というよりも、法律家がどのような思いで具体的な課題に当たっているかということを学生に語ってほしいという依頼であった。私が依頼を受けたのは花岡事件など中国人強制連行・強制労働などの戦後補償問題、靖國合祀取下げ訴訟、「日の丸・君が代」問題などに取り組んでいるからであったと思う。

私が講義したのは「大日本帝国の実在よりも戦後民主主義の虚妄に賭ける」というテーマ(もちろんかの有名な政治学者からのパクリ)。

学生140名が聴講してくれた。今年1月8日、桐蔭学園と東福岡高校が闘った高校ラグビー決勝戦、ともに持ち味を発揮し、引き分け、両校優勝、清々しい「ノーサイド」であったことと、1989年1月7日、この日予定されていた高校ラグビー決勝戦が昭和天皇の死により中止となり、両校優勝として処理された痛恨の思いと比較することを枕詞として昭和天皇の死に際しての服喪の強制の風潮の蔓延、議会答弁で「昭和天皇に戦争責任あり」とのべた本島等長崎市長(当時)狙撃事件等々について話し、日本は1945年8月15日、戦争に敗れたが、ドイツの敗れた5月8日と異なり、戦前と戦後の連続性を切断できなかったこと、そして敗戦後、6年の長きにわたる占領から脱した際のサンフランシスコ講和条約・日米安保体制の問題点について語り、現在未解決となっている沖縄の米軍基地、領土問題、戦後補償、植民地未清算など様々な問題は全てサンフランシスコ講和条約、日米安保体制に起因するというような話をした(別紙1レジュメ参照)。

結構、みんな真剣で、

「法律とは条文通りの解釈をすべきでなく、その根底に流れる心であるという意見には感銘を受けた。憲法の講義で学んだ理論的な実定法的解釈は小手先の技術に過ぎず、既に存在している憲法その他の法律を適用して問題解決を図るには日本社会の成立過程(歴史)について学ぶことが不可欠であると気づいた。特に理念の詰め込まれた憲法には20世紀の戦争の反省という視点が明らかに備わっている。その意味でその時代にこの世に既に生を受けていた人、戦後日本を生き抜いてきた人々の時代から、21世紀という物質的な豊かで戦争を知らない世代へと憲法が引き継がれていくことに不安を感じる。戦争の問題について教科書を通してしか知らない私たちが憲法問題について向き合うためには、大学時代に単に憲法という法典をまなぶのではなくその背景に存した戦争の実態、20世紀を生き抜いた人々の生の声についてますますもって耳を傾け、学ばなければならないと感じた。」(法学部2年生 男性)

「私は法学部に所属していますが、法律よりも国際政治学を中心に勉強しています。内田氏の様に戦争と平和、それに伴う諸問題を扱いつつ、弁護士として活躍する人からお話を伺う事が出来、『法学部=法律を勉強すべきではないのか?』とつまらないことを心のどこかで気にしていた自分が恥ずかしくなりました。90分の中で様々なトピックに触れることができ全体を通してとてもためになる講義でした。」(法学部2年生 女性)

「戦争責任については僕も、ここ数年考えていることの一つであった。高校生のころには漠然とした日本の将来への不安(アジア諸国の成長による日本の相対的国際競争力低下など)を、いわゆる「自虐史観」と結び付けて、日本がもっと愛国心や自信を深めれば日本は強くなるのではないかというプチ右翼のような考えを持つようになった。しかし種々の戦争関連本(洋書『Nankin』など)を読んだり、様々な人のお話を伺ううち、アジア諸国と対抗するのでなく、協力してゆくために必要なことは『誠意』であるのだという事を強く実感するようになった。別に『あの戦争に日本には一切非がない』と考える人がいてもよい。但し他国の理解や許しを得て戦争後の関係を良好にしてゆくためには戦後ドイツのような圧倒的なまでの誠意を実務面で見せて行くことが必要であると思う。その点でこういう意識を長年、戦争責任の第一線におられた内田先生と共有できたことは再び自身の意思を確認するうえで重要な機会となりました。本当にありがとうございました。」(法学部3年生 男性)

等々、

「多くの学生は感銘を持って聞いてくれ」た(村岡教授)ようだった。しかし、日頃、聴いている講義と異なり、平成生まれの若い学生諸君には「相当に刺激的 」(同教授)な面もあったようだった。
私は天皇を敬うことは当然だと思う。ラグビー決勝戦の中止も違和感はありませんでした。むしろ天皇の崩御を『一老人の死』と表現されていたことに大変驚きました。」(法学部3年生 男性)

「現代社会と法律は密接に関連していることが分かり、法律に興味を持てたように思う。ただ残念なことに、本講義は極左的であったため導入としても思わしくはない。」(経済学部1年生 男性)

「私とは違う意見、見解を聴くことができて勉強になった。私は国歌として君が代を強制すべきだと思う」(法学部1年生 女性)

等々の感想は同じ考えの人ばかり集まっている会合で「異議なし」と拍手を受けるのとは違い、自分の立ち位置もわかり、結構、刺激的なものであった。

冒頭の手紙はそんな学生に対する返書の一つである。彼女のような率直な感想を寄せてくれる学生にはゾクゾクするほどの親近感(?)を覚える。

その昔、大学1年生の時、当時問題になっていた文部省作成の「期待される人間像」について、先輩が「手には技術を、心には日の丸を」だとして批判するのを聞いて、私が「それがなぜいけないのですか」と素朴な 質問した時のことを思い出した。其の場が、一瞬、シーンと凍りついたようになった。きっと先輩たちは「こいつに何から説明してやればいいのか」と思ったのであろう。

受講者と真摯な議論ができることは講義を行う者として何よりの楽しみである。別紙の様に私の返書に対して「お忙しい中、お返事を下さり有難うございました。僕の受講票での感想には礼を書いた表現まで入ってしまっていたにもかかわらず、ご丁寧なお返事をたまわり、大変光栄です。」と述べたうえで、更に論争を挑んで来、「長くなってしまいましたが、ここまでお読みいただき有難うございました。政治的考えが異なるにもかかわらず、このように一人の学生に、先生のお話を伺い、また意見を申し上げる機会を与えて下さったことに感謝申し上げます。」と述べる、外交官志望の元気のいい、法学部2年生の男性もいる。他の学生からもどのような返答が届くか興味津々である。

ところで私達の学生時代、貧しさと懐疑、とりわけ権力に対する懐疑は青春の隠し味だと言われた。今はどうであろうか。「感想」中にはこんな意見もあった。

「新憲法の成立、サンフランシスコ講和条約による独立回復を経て、日本が民主主義国として、新たに歩み始める一方で、安保条約等により戦争処理、適切な清算がなされず、占領期の区切りがつかないままでいること、また戦前から続く天皇制も清算を免れ存続しているところに、未だに戦争や植民地支配をめぐる国民全体の評価の位置づけを仕切れない日本の原因があるという事がよくわかった。しかし、こうした一個人ではどうしようもないような大きな問題を法律家が扱う意義や理由をもう少し詳しく話して頂きたかった。こうした問題をデモや裁判といった手段で解決することは困難であるように思うが、何故政治家として活動しないのか。また下世話な話だがこうした問題を職業として扱う弁護士は弁護士として食べていけるのか。こうしたスタイルの弁護士は時代遅れではないのかと疑問に思った。」(法学部2年生 男性)

もっともな意見である。彼には以下の様に回答した。

「感想有難うございました。仰る通りです。『こうしたスタイルの弁護士は今後、時代遅れではないのかと疑問に思った』というのは私自身の疑問もあります。しかし、弁護士がこうした問題に取り組まなかったら誰がやるのかという事になります。最終的には政治の場面でなければ解決になりませんが、そのためにも誰かが問題提起をしなければなりません。政治は政治家だけでやるものでなく主権者たる国民の声があって初めてまともになるのです。民主党の仙谷氏などは一緒に仕事をしており、それなりに期待していたのですがご覧のような有様です。デモや裁判という手段は迂遠なように見えます(事実そうですが)が、日本社会ではなかなか見えにくいのですが、最近の中東における民主化の動き、あるいはもっと身近なお隣の韓国のケース、軍事独裁政権との戦いを担ったのは学生を中心とした若者達であったことは記憶されておくべきでしょう。」

最後に,日ごろ私は、「正しい」ことを話すという事だけでなく、それが相手に届くようにどのように話すかという事を心掛けているつもりだが、以下のようにうれしい「感想」を寄せてくれた法学部2年生(男性)もいたことを紹介しておきたい。

「日本と世界各国との関わり、戦時中におけるそれぞれの国の密約、また戦後における日本の歩み、象徴天皇制と国民主権という相反する面を抱えた中で日本はどのように歩んでゆくべきなのか。これらの話を聞いて、かつての日本のあり方とこれからのあり方について考えさせられたわけですが、今日、話をしていただいて一番印象的だったのは話の展開の上手さです。最初はスポーツという身近な話題から入ったと思うと、それが憲法における表現の自由の問題へと移行し、いつの間にか、配布資料にない、世界との関わりついて語っている。継ぎ目のない語りによって、さまざまに別れている話題を一つの話とし、世界との関わりから日、中、韓の戦後和解、そして今後のために歴史を見直してゆくことの大切さを述べる。弁護士としての話の上手さ、説得力に凄みを感じ、感服させられました。」

なお、「感想」中に「今日は自分と違った意見が聞けて良かった」、「ご意見を聞いて、より自分の思いを確かなものとすることができました。このように考える人もいるのだと、お互いの価値観を受入れて生きていきます。」、「個人的な意見として憲法改正は必要だと思っている。また歴史の清算についてもすでに解決済みという政府の考えに疑問の余地はないです。しかしながら、自分と異なる意見を聴けたのは非常に有意義だったと思う。」等々のものが少なからずあったのが些か気になる。これはいいことだろうか。若者の反応として、ちょっと、お行儀がよすぎる気がしないでもない。他者の意見、あるいは少数意見を尊重するというのは、その意見を表明する機会を保障するにとどまらず、その意見に耳を傾け、もしその意見がもっともだと考えるに至ったならば、いつでも自分の意見を変える用意があるということでなくてはならないと思う。即ち少数意見の尊重と言うのは少数意見が多数意見にかわりうる可能性の保障でなくてはならない。

教えることは、同時に、学ぶことでもある。なかなか刺激的な体験であった。

別紙1

大日本帝国の実在よりも戦後民主主義の虚妄に賭ける
― 沖縄 戦後補償 植民地未清算問題 靖國 ―

2011年10月27日 弁護士 内田雅敏

  1. 日本の戦後を規定したサンフランシスコ講和条約と日米安保体制
  2. 1945年2月、ヤルタの密約とソ連の参戦
  3. ポツダム宣言の受諾と米国の同宣言違反…カイロ宣言の反故
  4. 沖縄(サ条約3条)、北方領土(同2条)、戦争賠償の免除(〃14条)と日米安保
  5. 日米安保と天皇制…45年9月、天皇の沖縄メッセージ
  6. ヨーロッパのドイツ化でなくドイツのヨ―ロッパ化を目指した戦後ドイツと、米国に追従しアジアの一員になれなかった戦後日本
  7. 1988年秋から99年初頭まで日本社会を覆った天皇賛美の狂気・・・ 本島等長崎市長に対する狙撃
  8. 小泉政権下における靖國の狂気…靖國イデオロギーから抜け出ることのできない日本社会
  9. 「死者に対する思い」が歴史に向き合う目を曇らせる…戦没学徒を称えてしまった南原繁東大総長と特攻隊員に対する大岡昇平の眼差し
  10. 「ドイツは歴史上初めて隣国全てが友人となった」(2001年、独国防軍改革委員会報告書)と欧州共同の家
  11. 北東アジア共同の家を阻む「愛国心」と領土問題
  12. サ条約・日米安保体制の克服こそが、戦後日本再生の途
    1. 戦後補償を実現して道義ある国家に・・・受難之碑を友好の碑に(西松安野友好基金)
    2. 沖縄米軍基地の撤去…フィリッピンの実例
    3. 「3・1運動により建立された大韓民国臨時政府の法統及び不義に抗した4・19民主理念を継承し」(韓国憲法前文)と韓国人戦没者靖國合祀取下げ
  13. ちょっといい話 裕人の高校ラグビーもう一度(01.1.20 朝日)

別紙2 感想と返信

■(法学部2年生 男性)
何故国民主権と象徴天皇制が相容れぬのか。憲法によって君主の権能を大幅に制限して民主主義が成立、否、漸次民主化が少しずつ進んできたのだ。それが立憲制。『悲しみ』と『寂しさ』を準備することが迫られとあるが、彼ら(大部分の日本国民)は自発的、素朴な感情から昭和天皇の死を悼んだのである。そのような感情を持たないからといって先生が今教壇に立っていられるように逮捕されるほど我国は偏狭ではない。確かにテロを起こす右翼団体は存在するがそのような過激派はとらえればいい。上記のような素朴な感情を国民が持つことが「この国が毎日恥をかいているよな」なのか。ご指摘のとおり日米安保体制はNATOと異なり、日本を「馬」、米を「騎士」とせん、主従のごとき同盟で、沖縄などに負担を与えている。この状況は是正が必要。しかし、それに必要なのは何か。集団的自衛権を認め、充分に欧米自由主義体制の護衛に貢献しうる憲法改正を行ってこそ、対等、そして基地撤去をさせうる。所謂反基地運動家らは何故それが分からないだろう。『愛国心』=『排外』ではない『他国への憎しみ』=『排外』なのだ。先生が韓国にも反日展示をするなとおっしゃっていることを伺い、少し安心した。前から、愛国心を否定する方々は日本のそれに対してばかりだなと思っていたからだ。

◆(法学部2年生 男性)さん 
感想有難うございました。
確かに、私の発言によって私が逮捕されるようなことはありません。しかし、今からたかだか66年前にはそのような時代があったのです。
『人々は、大正末期、最も拡大された自由を享受する日々を過ごしていたがその情勢はわずか数年にして国家の意図するままに一変し、信教の自由はもちろん、思想の自由、言論、出版の自由もことごとく制限、禁圧されて、有名無実となったのみか、生命身体の自由をも奪われたのである。』、『今日の滴る細流がたちまち荒れ狂う激流となる』との警句を身をもって体験したのは最近の事である。情勢の急変には10年を要しなかった。・・・初期においては、些少で問題にしなくてもよいと思われる事態が既成事実となり積み上げられ、取り返し不能な状態に達することは歴史の教訓でもある。』(愛媛玉串料訴訟最高裁大法廷判決における尾崎行信裁判官の補足意見)。
日本国民は自発的な気持ちから天皇の死を悼んだというのはそのとおりかもしれません。戦前の「暴支膺懲」、「鬼畜米英」も似たようなものではなかったのではないでしょうか。天皇賛美の風潮に見られるような言語の一元化の事態を恐れます。本島等長崎市長狙撃事件はこの言語の一元化の延長上に起きたものであり、実行犯を逮捕し、処罰すれば、それでよしというものではないと思います。
また、日米安保の従属性から脱却するために自主防衛の強化、集団的自衛権の容認、憲法改正は一つの選択肢だとは思いますが、アジアで2000万人、日本で310万人の死者をもたらしたあの戦争の反省として生まれた日本国憲法の理念を実現するためにもう少し知恵を出しあってもよいのではないでしょうか。あの熱病のようなイラク戦争について今日国際社会で厳しく批判されているように人類は平和に向けての復元力を持っているという事を信じてもいいのではないでしょうか。

■(法学部2年生 男性) 
お忙しい中、お返事を下さり、ありがとうございました。僕の受講票での感想には、礼を欠いた表現まで入ってしまっていたにもかかわらず、ご丁寧  なお返事をたまわり、大変光栄です。

(1)先生の引用された、玉串料裁判の尾崎裁判官の補足意見を読み、当時の時代の雰囲気のとある面をわかった気がしました。確かに、治安維持法の拡大解釈による言論弾圧はすさまじいものがありましたが、現代日本では言論の自由が認められておりますし、先生は立川反戦ビラ事件の弁護側にたたれたとのことですから、それは『完全」』なものではないとお考えでしょうが・・・街頭演説や選挙活動においては何を言っても捕まらないですし、少なくとも僕自身は言論的な窮屈さは感じたことはなく、やはり日本社会が『不寛容』とまではいえないのではと感じました。

(2)『暴支膺懲」』、『鬼畜米英』などの問題点は、その言葉概念自身ではなく、そういった類のイデオロギーや観念が、外交政策に影響を与えてしまったことである(この点は当時の中国人の反日侮日意識、中華意識や、米国民の根拠のない黄禍論や対日恐怖心も、それが両国の冷静な国際情勢分析、外交政策をゆがめたということから、責められて然るべきと思います)と考えます。狂信的なものではなく、あくまで素朴な気持から皇室を思うのは、戦前のように外交に影響を与えるわけでもなく、やはり健全であると思います。受講票にも書かせて頂きました通り、極右による長崎市長狙撃事件において、許すまじきは暴力行為であり、彼(当該極右)の考え(皇室崇敬)そのものが不健全だということは、まさに反戦感情を不健全と考える極右の人々と同じなのではと思います。

少しずれますが、僕は外交官を目指しておりまして、主に国際政治を勉強しておりますが、空理空論に基づく観念やイデオロギーが外交にもちこまれることこそ、まさに国際関係の不安定化の原因と考えております。『東アジア共通の家』とか『市民主義』などといった思想も、結局は『暴支膺懲」』『鬼畜米英』とかわらないのではと思います。二次大戦前夜のチェンバレン英首相やダラディエ仏首相が、極度の厭戦世論のために、ヒトラーの拡大、あそこまでの大規模戦争を招いてしまったように、例えば『東アジア共通の家』『アジア主義』などを中心に据え外交を行えば(実際鳩山由紀夫氏がやりましたが)、中国の好戦主義者をヒトラーの如く喜ばせやしないかと不安です。

(3)人類が平和への復元力をもっているということを信じるのも、これまた日本国民の大部分がもっている素朴な感情で、僕は皇室崇敬とこの点に置いて変わらないと思いますが、(2)でも述べさせていただいたように、やはり対米交渉など実際の外交交渉に持ち込まれることは不安です。たとえ理念として心に持っているにしても、急進的にそれを追及することで、勢力均衡を壊してしまっては、かえって不安定になるのではと心配なのです。沖縄負担軽減、地位協定改正提起など対米交渉における発言力向上という現実的利益のためにも、憲法改正などで日米安保をNATOのような同盟にするのがベストと考えました。

また日本国憲法、特にその9条は「戦争への反省」から生まれたというのは、連合国による日本の共和化という脅しをかわすための苦渋の手段という説もありますので、僕にとってはあまりしっくりきません。

長くなってしまいましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。政治的考えが異なるにも関わらず、このように一人の学生に、先生のお話を伺い、また意見を申し上げる機会を与えて下さったことに感謝申し上げます。

◆(法学部2年生 男性)さん
お手紙拝見しました。是非とも外交官になられて、対米従属から脱し、自主外交の出来る国作りに頑張って下さい。憲法9条が天皇の戦争責任を覆い隠すイチジクの葉っぱという側面があったのはその通りです。それは同時に日本国民の戦争責任を免責するものでもありました。しかしそのような負の側面があったとしても、やはり、新憲法制定当時、『戦争放棄』は人々の共感を得たのではないでしょうか。

ヒットラーに対する宥和政策の問題についてもいろいろ考えなくてはならないと思います。1962年のキューバ危機の際にも米国のルメイ将軍(日本に対する空爆を指揮)らはこの宥和政策の失敗例を挙げ、ケネディー大統領に開戦を迫ったといいます。イラク戦争に際しても言われました。しかし、今日「ブッシュ大統領は歴代の中でも最低の一人。何故ならしなくてもいい戦争をして多くの米国の若者を死なせたから」(岡本行雄)です。

外務省OBの岡本氏の豹変には驚きです。イラク戦争を支持していた日本の知識人たちが後になって何の反省もなく批判に回ったのは驚きでした。

◆(法学部4年生 男性) さん
従軍慰安婦問題は日韓条約、日中共同声明ですでに解決済みと聞いたことがあるとの質問ですが、1965年の日韓請求権協定、1972年の日中共同声明に際してはいわゆる「従軍慰安婦」問題について認識されていませんでした。中国も韓国もこの問題は重大な人権侵害として未解決であるとしています。

もともと日韓請求権協定はヴェトナム戦争を背景として米国の圧力のもとに韓国が不満を有しながら、また日中共同声明は中・ソ対立を背景として日本に有利に結ばれたものであり将来に問題を残すものでした。

◆(法学部2年生 男性) さん
感想有難うございました。ご質問のドイツと日本の違いですが一つは地政学的な違いがあったと思います。日本は戦後、米国との関係だけを考えれば生きて行けました。ところがドイツでは米国との関係だけでなく周辺諸国との関係を考慮し、自国の歴史に向き合わなくては欧州の一員として認めてもらえなかったと言う事情があります。
日米安保が直列型、従属性の強いものであるのに対し、NATOは並列型と言われるゆえんです。

◆(法学部1年生 男性) さん
ご意見有難うございました。戦後補償の実現に要する費用をどう捻出したらいいのかという事ですが、以下の事実は参考にならないでしょうか。

2000年夏、ドイツは国家が50億マルク、企業側が50億マルク、合計100億マルク(約5300億円)を拠出し「記憶、責任、未来基金」を設立し、ナチス時代に強制連行・強制労働させられた被害者に対する賠償にあたりました。日本は日米安保条約の下で、年間、在日米軍駐留費の約76%約4800億円を負担しています。ドイツの場合は駐留米兵の数はほぼ同じで負担額は日本の4分の1以下の約1150億円となっています。
日米安保による日本の負担を減らし、その資金をもって、順次、戦後補償に充ててゆくというのはどうでしょうか。

◆(法学部3年生 男性) さん
感想有難うございました。「日本から中国などへ様々な支援が行われたと思うがそのような形では戦争賠償として不十分なのでしょうか」というご質問ですが、確かに、中国も含め日本のODAはアジアに対してかなりやってきました。しかしODAは経済支援で、しかも基本的には日本の商品、技術を売り込む狙いの強いものです。インドネシア賠償など現地政権との黒い癒着もありました。戦後補償は (1)加害の事実及び責任を認め、謝罪する、(2)謝罪に見合う補償をする、(3)後世のための歴史教育、三つが不可欠です。ですからODAではだめなのです。

◆(法学部1年生 女性) さん
感想有難うございました。国歌として「君が代」を強制すべきだとお考えだとのことですが、映画「炎のランナー」を見られたことがありますか。戦前のロンドン・オリンピックでイギリスの100メートル競技の選手(宣教師)が、たまたま予選が日曜日に行われることが分かり、日曜日は神にささげた日だとして予選に出場するのを拒否した話です。イギリスのオリンピック委員会の役員たちが必死になって国家のためとして彼に出場するよう説得するのですが彼は国王よりも神に忠誠を誓うとして応じませんでした。後で知ったのですが、これは実話でした。しかも彼は日本で亡くなっているのです。数年前のラグビーワールドカップでも同じような話がありました。ニュージーランド・オールブラックスの名選手がやはり日曜日は神にささげた日として試合に出ないことがありました。実は開会前から、途中で試合が日曜日になることは分かっており、その日は彼が試合に出られないこともわかっていたのですが、それでも他の試合に出てくれればいいということで、彼は代表選手に選ばれたのです。チームメイトも彼に理解を示したという事です。彼が出なかった試合でオールブラックスは敗れ、結局それが最後の試合となりました。
多様な価値観を許容し、各人の思想および良心の自由を尊重する、そんな社会にしたいとは思いませんでしょうか。「君が代」を歌う人は愛国者で歌わない人は愛国者でないということではないと思います。

◆(法学部3年生 女性) さん
感想有難うございました。原発はやはり廃止すべきだと思います。原発は潜在的な核抑止力としても必要だという意見があるくらいで、当初から核の問題と深く結びついていたと思います。政治家としての活動、裁判官としての活動,NGOとしての活動、様々な分野の活動が必要だと思います。弁護士の活動がなければ判例は変わりません。NGOの活動がなければ政治家は動きません。頑張ってください。

◆(経済学部1年生 男性) さん
「天皇制の批判や、国旗・国歌法に対する反対意見を直接耳にするのは初めてであったのでとても衝撃的なものであった。過度な天皇賛美への抗議の意見などは確かに納得できる。しかし戦前・戦中の問題について日本が歩みよれば解決できるというのは違うと思う。かつて、中国の抗日記念館に行ったとき、そこに中国の幼稚園児が来ていた。彼らは『日本は敵だ』と幼少期から叩き込まれている。この問題は日本が頑張れば何とかなるような問題ではない。彼らは問題を解決する気はないのだ。」

感想有難うございました。歴史に向き合うというのは日本だけでなく相手国もそうなのですが、しかしまず加害国からしてゆかねばならないと思います。私も中国や韓国の戦争博物館の展示には困ったものだという部分があります。国家の威信を示す中華民族の英雄的な戦いの展示などと言うものは困りものです。特に中国政府はこの問題を外交上のカードとして使おうとしているのではないかと疑いを抱いてしまうような場合すらあります。国家と国家だけでなく民衆間の交流が大切だと思います。

◆(法学部2年生 女性) さん
感想有難うございました。私の学生時代に1965年の日韓条約反対闘争がありました。ところがその反対運動は南の朴正煕軍事独裁政権を支えるのは許されないというもので、植民地支配の問題が完全に欠落していました。今考えて不思議でなりません。歴史認識は相手国との関係もあって次第に進化してゆくものです。

最近になって、私は初めて韓国憲法の前文を知りました。日本の植民地支配に抗した1919年の「3・1独立運動」と李承晩の独裁政権に抗した1960年の「4・19学生革命」が韓国の建国の礎となっているのです。これは日本国憲法の前文「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」に対応するものです。私たちは米国の独立宣言については知っていますが、この隣国の憲法前文についてどれだけの人が知っているでしょうか。私自身もつい最近知った次第です。私はこのことに愕然としております。

◆(法学部4年生 女性) さん
「日本はこの先どのように歴史と向き合わなければならないのですか。」というご質問ですが、確かに、これまで日本の代表者が先の戦争について謝罪を「繰り返し」ています。ところがその謝罪の直後に日本の指導者から日本の責任を否定する、例えば「南京虐殺はなかった」、「植民地支配は正しかった」、「アジア解放の戦いであった」とか、いわゆる妄言がなされています。

朝日新聞の政治部記者で後に論説主幹を務めた若宮敬文氏はこれを「妄言と謝罪の政治史」(『和解とナショナリズム』)と呼んでいます。

2004年、韓国の武鉉大統領(当時)は3・1独立運動の記念式典で「日本は(歴史問題について)既に謝罪した。したがってこれ以上日本に謝罪を求めない。但し、謝罪に見合う行動をすることを日本に求める。」と演説しました。
このような妄言が繰り返し表れるのは、日本人の中に米国との戦争には負けたがアジアとの戦争には負けなかったという誤った考えがあるからではないでしょうか。

また「多額の賠償金」と言いますが被害の甚大さを考えるととてもそのようには言えないと思います。
ただ、とりわけ中国について感じるのですが、戦争賠償、歴史問題を未解決にしておいて、外交上のカードとして使おうとしているのではないかと思うことがしばしばあります。歴史問題の解決はまず日本がしなければならないことですが、同時に相手国との共同作業でもあると思います。

◆(法学部2年生 女性) さん
感想有難うございました。「歴史を体験してない私たちがどうやって憲法の理念的な問題について学ぶことができるのか」という御問い合せですが、体験が記憶になり、記憶が歴史になると言います。「前事不忘后事之師」、「過去に目を閉ざす者は現在を見ることができない」とも言われます。体験していないことをどのように後世に伝えるかは難しい問題がありますが、例えば、アウシュビッツ強制収容所の存在などはどうでしょうか。中国ハルピンの731部隊の建物跡などはどうでしょうか。広島の原爆ドームはどうでしょうか。大切なことは歴史の遺したものに接し、そこで想像力を働かすことだと思います。想像力をいかに培うかです。歴史学が事件当時、見えなかったことを明らかにすることがあります。「戦争の最初の犠牲者は真実である」とも言われます。

◆(法学部1年生 男性) さん
感想有難うございました。歴史の清算については、条約的には「解決済み」となっています。ただし、この条約は冷戦下、米国の戦略に基づき締結されたもので、実際の戦争被害の補償、賠償がなされているとは言い難いのです。それで国家の枠を超えアジアの被害者たちからの直接請求がなされているのです。条約がどうであれ、法律がどうであれ、被害の重大性を考えるとき被害を放置しておくのは正義、人道に反すると思います。西松建設中国人強制連行・強制労働事件で最高裁が中国人被害者の請求を認めた広島高裁判決を破棄しながらも、当事者間の自発的な解決が望ましいと付言を為したのはこのような背景があったのです。

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