憲法審査会の実質的な審議が11月17日午前、衆議院で始まった。市民連絡会の多くの仲間がこの日の憲法審査会の審議を傍聴した。
憲法審査会は2007年の安倍晋三内閣の当時、国会で強行採決された憲法改正手続法が設置を定めたものだが、その法律制定の経過や附則および18項目の附帯決議に見られるように重大な欠陥を持った法律であることなどから、国会内外で厳しい批判があり、4年以上にわたって始動できないできた。しかし、民主党の菅直人執行部が参院選で敗北し、衆参両院の議席が与野党ねじれ状況になった後から、自民党に妥協して審査会始動への動きが再燃した。
3月11日の東日本大震災と東電福島第一原発の大事故の危機に乗じるように、憲法審査会を民自公3党の取引で始動させた。
17日の審査会では、参考人として前衆議院憲法調査会会長の中山太郎・元外相と、衆議院法制局の橘幸信氏を招いて、「衆院憲法調査会の経緯、並びに憲法改正手続法制定の経緯」などを質疑した。
中山参考人は冒頭、外相時代に起きた湾岸戦争の時、サウジアラビア政府から自衛隊の派遣を依頼されたが、憲法上、許されないとして断らざるを得なかった「苦い危険」から、「憲法の在り方を検討すべきだ」と決意し、憲法調査会設置推進議連を立ち上げたと回顧した。その際、改憲は両院で3分の2の支持が必要なことから自民党と民主党の支持が必要であることを念頭に置き、常に自民党の森喜朗元首相と民主党の羽田孜元首相らに相談して進めたと裏話を語った。
また、改憲手続法の制定では、民主党の枝野幸男委員(当時憲法調査常任委員会会長代理)と相談して、改憲発議の予行演習として3分の2以上の支持で決めたいと考えたていが、安倍首相が功を焦って2007年の年頭記者会見で首相自らが改憲推進を発言して「政局問題」にしたことで、民主党が反発して制定に賛成せず、強行採決になったこと。その結果、制定後4年の「空白期間」が生じた、強行採決せずにせめてあと1週間審議を延期すれば良かったのだと、露骨に安倍元首相への不満を口にした。しかし、安倍執行部の指令とはいえ、当時、憲法調査常任委員会で反対する委員が詰め寄るなかで強行採決を実施した中山会長自身の反省の弁は全くなかった。無責任の限りだ。
橘氏は改憲手続法の「附則」にある18歳選挙権、公務員の政治的行為の制限、憲法以外の国民投票導入など、「3つの宿題」がそのまま残っており、本来、18歳問題と、公務員の政治活動は改憲手続法の施行までに終わっているという期限が切られた「宿題」であったことなどを確認した。
5分に限定された各会派の意見表明では、冒頭に民主党の山花郁夫委員が「(全く必要がないとはならないが、改憲論議は)震災復旧の中、優先順位は相対的に下がる」と発言した。この発言は、翌日の「産経」など右派メディアによって「改憲に消極姿勢」との批判を浴びた。
自民党の中谷元委員は「3つの宿題の早期解決」と合わせて、3・11震災と関連して憲法への非常事態条項の導入の必要性を強調した。そして自民党改憲推進本部がすでに30回もの会合を重ね、来年の4・28(サンフランシスコ講和、日米安保発効60周年)をめざして2005年に策定した自民党改憲案の改定を準備中で、前文、安保条項、非常事態条項などを検討していると発言した。自民党の中では中曽根康弘などをはじめ、ウルトラ改憲派から、2005年当時、森会長と舛添要一事務局長がとりまとめた改憲案への不満がくすぶっている。改憲推進本部はこの空気を背景に作られたものであり、どのような改憲案が出てくるか、おおよそ想像がつく。
公明党の赤松正雄委員は「憲法3原則」を維持していくという意味では護憲派だが、新しい人権などを加える「加憲」の立場であると公明党の立場を確認し、憲法調査会以降の7年で国民的関心が盛り上がったのに、安倍首相による「不幸な事件」で空白の4年をつくったことは残念なことだったとのべた。
みんなの党の柿澤未途委員や、国民新党の中島正純委員も、それぞれ改憲の必要性を主張した。
一方、共産党の笠井亮委員は「憲法審査会を動かす理由は全くない。9条は大多数の国民に支持されている」と指摘し、社民党の照屋寛徳委員は「改憲手続法は国会と国民的議論が不十分なまま強行された。この抜本的な再検討が必要だ。震災の現地や沖縄で反憲法的な生活が強いられている」と改憲策動に反対した。
自由討議では96条改憲議連の代表に一人である自民党の古屋圭司委員が96条改憲を主張し、同党の近藤三津枝委員や柴山昌彦委員もそれぞれ非常事態に対応できる憲法を主張した。この日の最後に一言求められた中山参考人も「非常事態における国の在り方」を議論することが、当面、最大の問題だと強調した。
民主党の辻元清美委員は安倍元首相時代の「問題」は単なる「政局問題」ではなく、99条の憲法尊重擁護義務と立憲主義を理解していないことから生じた問題だ、また政権交代の時代に96条を変えれば、政権が変わるごとに憲法が変えられることになると述べた。
議論の中で自民党の委員が相次いで非常事態条項に触れたことは、3・11大震災の不幸につけいり、ことさら憲法不備を言いつのることで改憲の必要性の宣伝を企てるものだ。また、不安定な政局との関連で民主党内に大連立志向が根強くあるなかで、自民党が来年のサンフランシスコ講和発効60周年を機に、改憲案の改定を準備していることは、民主党の妥協を引き出す動きと関連して見逃せない。米国や財界の改憲要求のターゲットが第9条にあることは明らかだが、今後の憲法審査会の審議の中で、新しい人権や、非常事態条項(国家緊急権条項)の導入など、さまざまな改憲の道の味付けが試みられることに警戒を要する。
参議院憲法審査会も間もなく審議が始まるだろう。憲法審査会の始動で改憲策動は、いまや新たな段階に入った。今後、民自公で構成された憲法審査会幹事会は、審議するテーマを順次、設定しながら、審議を急ぎ、近い将来の改憲原案の審議に持って行こうとするだろう。私たちはこれを許さず、いま改憲(特に9条改憲)は民意ではないことを主張し、憲法論議における、この国での憲法の実現の検証作業と、改憲手続法の抜本的再検討の要求をして行かなくてはならない。
改憲派がいう「空白の4年間」は、院内外の改憲反対の闘いの結果が民主党などの改憲への消極性を引き出し、実現してきたものであり、「偶然の産物」ではない。運動こそが情勢を切り開くことができることの証明だ。私たちは憲法審査会の動向をしっかりと監視し、憲法問題を「理念」の問題としてだけではなく、脱原発や人権、安保など、生きた具体的な課題と結びつけて闘い、運動を広げ、改憲派が展開してくるさまざまな議論を一つひとつたたきつぶしながら、改憲を許さない運動を強化しなくてはならない。(高田 健)
ことしも11・3憲法集会が多くの市民団体などの協力で、神田の韓国YMCAホールで開かれ、210名を超す参加者があった。集会では、沖縄大学名誉教授の新崎盛暉さんが、「沖縄から問い直す日米関係の現状」と題して講演し、原発震災の現地、福島県いわき市から「いわきアクション!ママの会」を代表して佐藤有正さんんが報告した。また音楽は大阪から趙博さんが駆けつけてくれ、元気なうたごえを聞かせてくれた。
原発震災の事故が収まらないなかであるにもかかわらず、沖縄の辺野古新基地建設の動きは急であり、また民自公各党の策動で、国会では憲法審査会が始動させられた。集会はこれらの問題に対する市民運動の在り方が示された。今年も会場外には右翼団体が10台の街宣車を連ねて、妨害にきた。
実行委員会 高田 健
本日は日本国憲法が公布されてから65年になります。
福島のいわき市からおいでいただいた佐藤さんにお話しいただく3月11日に発生した原発震災の問題は、今日、重大な社会問題ですが、同時に沖縄からおいでいただきました新崎先生にお話し頂く沖縄の普天間基地を撤去し、辺野古新基地建設に反対する課題も極めて重要な問題です。これらの問題はお二人に語って頂きますが、私はこうした情勢のなかで、憲法改悪の動きがすすんでいることに触れておきたいと思います。
2007年、安倍内閣の当時、憲法改悪、明文改憲をめざして、「憲法改正手続法」=改憲手続法が強行制定されました。この法律で定められた「憲法審査会」が、多くの人びとの批判と反対の中でまる4年にわたって、凍結されて来ましたが、いま開かれている野田内閣のもとでの第179臨時国会で、とうとう始動させられました。衆参両院で委員が選ばれ、第1回目の会議で審査会の役員(幹事)が選ばれました。
これによって、憲法審査会は「日本国憲法及び日本国憲法に密接に関係する基本法制について、広範かつ総合的に調査を行い、憲法改正原案、の日本国憲法に係わる改正の発議または国民投票に関する法律案などを審査する」ことができるようになりました。
審査会の構成は衆議院50名、参議院45名のうち、改憲反対の政党である社民党、共産党の委員は各1名しかおりません。衆院は民主党が会長で委員は32名、参院は自民党が会長で民主党を除いても改憲政党が過半数です。衆参とも民主党にはいわゆる護憲派が数名ずつおりますが、両院とも圧倒的に改憲賛成論者が多数です。
こうしたなかで、改憲政党の自民党が会長を握る参院憲法審査会の動きは極めて危険です。衆院でも民主党は、(1)憲法調査会のおさらい、(2)3・11と憲法問題、などから議論を始めようと考えているようです。自民党の中からは3・11大震災と絡めて「非常事態条項」を憲法に入れようという動きがあり、民主党でも長島昭久・首相補佐官らが国家緊急権条項を憲法に入れよと主張しています。憲法第96条の3分の2による改憲発議条項の修正などの意見もあります。米国などからの集団的自衛権が行使できる日本への要求は極めて強いものがあります。野田首相の大連立志向と関連して、憲法審査会の改憲論議の行方は極めて危ういものがあります。
私たちは、この憲法審査会の動きをしっかりと監視しなくてはなりません。合わせて安倍内閣当時、9条改憲反対の世論の大波を起こし、安倍内閣の明文改憲の企てを打ち砕いたように、警鐘乱打して、大きな市民運動を起こし、改憲を阻止しなくてはなりません。本日の集会がそうした大きな歴史的な運動の第一歩となるよう願っています。
新崎盛暉(沖縄大学名誉教授)
この11月3日の会は、ずいぶん長くやっていると思います。私も何回かお話をしたことがあります。この前のお話は多分2002年でした、小泉首相が北朝鮮に訪朝した直後で、そのときも沖縄の話をするという注文でしたが、「拉致報道の洪水がなぜこのような形になっているのか」という、全然、違うテーマでお話をしてしまったという記憶があります。今日のお話も、主催者側からの注文で、「沖縄から問い直す日米関係の現状」ということで、お話をさせて頂くことになりました。
皆さんにレジュメをお渡ししてありますので、それにそってお話させて頂きます。
最初の「はじめに」というところに「なぜ『沖縄から』なのか」と書き、「戦後の対米従属的日米関係は構造的沖縄差別の上に成り立つ」と書きました。沖縄の問題は、普天間の問題とか、そういう問題で、今急にあるいはここ何年かの間に始まってきたのではなくて、実は戦後66年というか、あるいはそれ以上、沖縄戦の段階からつづいていることです。沖縄が占領されて、そこに基地が作られた。その基地は最初は日本を攻撃する基地だったが、いまは中国とか、北朝鮮に対する抑止力のための基地だということになっている。今の普天間基地が典型的な例ですが、つまり、基地が先につくられて、後になって目的は180度転換しています。その戦争から引き続いて、戦後のアメリカの占領政策のなかで、私が「構造的沖縄差別」と呼んでいる構造は生み出されたと言っていいと思います。
戦後、日本を占領した連合国軍、その中心にいた米軍、マカーサーは、日本を統治するために天皇制を利用するのがいちばん容易な道である、日本国民の天皇信仰の感情を利用することで占領政策はうまくいく、天皇制を否定したらもっとたくさんの米軍が要ると言っています。アメリカの中でもいろいろ議論があって、「天皇は戦争犯罪人である」というところから、「天皇は利用すべきだ」というところまでいろいろあった中で、天皇制を利用しよう、明治時代のような絶対天皇制ではなく、象徴天皇制、国民統合の象徴としての天皇を利用しようと考えるわけです。しかし、「日本人の天皇への信仰こそが軍事的脅威である」と考える連合国、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドなど、日本に占領されたり、波打ち際まで日本軍が怒濤のごとく押し寄せてきた国々、劣悪な装備などであったにもかかわらず、そういうことをやってきた日本軍の軍事的脅威の背景には天皇があると考えたのです。そこでアメリカは日本を非武装国家にする、軍隊を持たせない、そうすれば軍事的脅威にはならないという組み合わせをつくり出します。
そしてもう一つ、いまの世の中、ここに軍事的な空白地帯ができたらどうなるか。そこで沖縄を日本から分離して、アメリカの軍事的要塞にする。こういう考えにもとづいてアメリカの戦後の占領政策がつくられる。天皇制とセットになった非武装国家、これがのちに平和憲法という形になります。ですから平和憲法というものを考えるときに、占領政策としての側面とか、あるいはそれに期待した国民の願望とか、いろいろなものを腑分けして考えなくてはならないのですが、占領政策としての側面はとくに護憲派からは見過ごされて、憲法は押しつけられたという押しつけ憲法派、改憲側だけが見てきたという事があります。
しかし、間違いなく、アメリカの初期の政策の中では日本を非武装国家にするというのが彼らの占領政策であった。そして代わりに沖縄を軍事的要塞にする、もう要塞にしていたわけです。日本を攻撃しようとしたところで、日本がヒロシマ、ナガサキへの原爆投下とソ連の参戦で、ついに膝を屈して本土決戦がなくなった。だから地上戦は沖縄だけで止まったという形になって戦後になります。
つまり非武装国家日本という平和憲法の理想を持つ国家は沖縄を除外して成立した。この憲法を審議した衆議院には沖縄選出の議員は一人もいなかった。それまでは沖縄選出の議員はいたのに、選挙法が改正されて沖縄は選挙区から外され、憲法改正の審議をする衆議院からは沖縄選出の議員は一人もいなくなった。そこで憲法は審議され、憲法は成立した。そこにすでに戦後の沖縄差別の問題が芽を出していると言っていいだろうと思います。
アメリカは初期占領政策の中で、日本を非武装化しようとしたわけですが、憲法が発効する段階ではすでにアメリカは占領政策を変えなくてはならないと考えはじめています。日本に再軍備を要求するとか、そういうことがすでに1940年代後半に始まっています。そして朝鮮戦争が始まると同時にそれが本格化して、アメリカ軍の指示を受けて警察予備隊という、戦後初めての陸軍が誕生します。戦後5年間だけは非武装国家だった。そしてその2年後には警察予備隊は保安隊になる。それは海軍ができたことです。さらに2年後には自衛隊になり、陸海空3軍ができた。こういうプロセスをたどります。
このなかで、先ほどの天皇制を利用することと沖縄を分離支配するということは動かない。天皇制をどうするかということについては、天皇は不安だから、例えば天皇はすでに47年の段階で「沖縄をアメリカが統治してもいいですよ」みたいなことを言っています。「25年、ないし50年、アメリカが沖縄をリースする、日本の領土としたままで借りる、租借する、リースすることは日本の安全にとって役にたつから、日本の平和を守ることになるから、これは認めよう」というのが、いわゆる天皇メッセージです。
そういう中で1952年に対日平和条約が成立します。同時に日米安保条約が成立します。日本には警察予備隊しかいない、軍隊がほとんどないので、日本を外から守ってやるために、日本に頼まれたので、アメリカ軍が日本全土に基地を持つことができる、頼まれたから居てやるということで、これまでの占領軍は看板を塗り替えて、日米安保条約に基づく軍隊になります。
日本全土を基地にできるのだから、沖縄を分離する必要はないだろうと思われますが、そうではないのです。なぜなら、独立した国家と結んだ条約によって存在する基地は、その国家の、国民の意思によって変えられるかも知れない。基地を作ろうとするときに、政府は約束しているけれども、例えば国有地ならいいけれども、民間の土地に作ろうとしたら日本の国内法で、やたらに土地を提供することはできないというような障害が出てくる。しかし、アメリカが支配しておけば、なんでもできる。自由に基地を作ることができる。裏返せば、そこに住んでいる人間の権利は認めない、基本的権利は全て否定される。そういうものが1952年に成立した対日平和条約と日米安保条約の仕組みです。対日平和条約の第3条は、安保条約が日本全土で基地を維持できると決めているにもかかわらず、沖縄を日本から分離して、住民とその地域を全面的に米軍が管理することになったのです。
次に「50年代後半以降、構造的差別は、日本によっても積極的に利用される」と書きました。対米従属的日本を目下の同盟者として引っ張っていくという仕組みは、つまり占領政策としてアメリカが作ったものです。それを日本が利用するようになった。それはどういうところから始まったか。60年安保改定にむけての動きの中で出てきます。50年代は日本にもたくさんの基地がありました。1952年段階と比べると、沖縄の4倍の基地が日本本土にもありました。そしていろいろ軍事演習とか、米軍犯罪とか、基地拡張とかで、日本でも反米闘争、反基地闘争はたくさんありました。東京で言えば、50年代の砂川の基地闘争がもっとも有名です。しかし内灘とか、全国各地でそういうものがありました。砂川闘争の場合には闘争する側が日本の国内法を武器に使えました。同じ頃に、沖縄でも基地建設が進んでいました。これにたいして住民を保護すべき法制度は何もありません。実力闘争しかなかったのです。実力闘争と言っても、片方は銃剣を持っている。座り込みとか、陳情とか、それを銃剣で排除する、いわゆる「銃剣とブルドーザーによる土地取り上げ」が行われるわけです。
そういうなかで、日米両政府は、自衛隊がだんだん強化されて、日本が自前の軍事力を持ち始めたということも利用しながら、非常に対米従属的な旧安保条約を新安保条約に、少し対等な、相互防衛条約に近づけるという改定をやるわけです。その改定の前段階のところで、どういう事が行われたか。安保改定を推進した岸信介とアイゼンハワー・アメリカ大統領の間で出した1959年の共同声明の中で、日本から一切の地上戦闘部隊を撤去するということを約束します。日本における地上戦闘部隊とは何かというと、朝鮮戦争の後方配備でいた海兵隊、これはどこにいたかというと、岐阜県とか山梨県です。これを全て沖縄に持って行く。一切の地上戦闘部隊を日本から撤退させる。日本ではない沖縄に持って行く。そうは書いていませんが、現実に撤退した先は沖縄です。1960年の段階で見ると、1952年と比較すると日本本土の米軍基地は4分の1に減ります。沖縄の基地は2倍に増えます。これでちょうど、ヒフティ・ヒフティになったわけです。日本の面積は国土面積の99.4%、沖縄は0.6%ですから、だいたい100対1の比率になってしまいました。これが60年代です。
こうやって、50年代後半からは日本政府が日米関係を安定させるために、構造的沖縄差別を積極的に利用するようになったということを強調しておきたい。その具体的現れが例えば、これだけではないのですが、基地の問題です。
その間、沖縄でも基地に対する反対運動が続けられてきたわけです。当初は日本に帰って、日本と同じ状況になるというのが運動の最大公約数的な目標だったわけです。それが大きく変わっていくのが、1965年のベトナム内戦へのアメリカの介入からです。沖縄が直接攻撃基地になっていく中で、基地反対運動という性格がだんだん強まっていきます。ベトナム戦争の泥沼に足をつっこんだアメリカは、沖縄を単独で支配するのは難しくなったわけです。沖縄を日本に返還するということになった。詳しく説明しませんが、日本に買い取らせたわけです。その買い取りの金額などもいろいろあって、表に出たものだけでは足りないから密約もあって、その密約裁判などもありましたね。私も原告の一人として、これはおかしいのではないかというような問題を提起したりしています。
沖縄返還によって、アメリカ軍の基地は日本政府が維持していくという責任を負うことになった。構造的沖縄差別の前面に日本政府が出てきました。しかし、全国的には、この問題がだんだん見えなくなってきた。安保の問題は60年安保、70年安保と大きな闘争もあって、つねに日本国民から見えていた。しかし、70年代以降、安保闘争など聞いたこともなくなった。なぜなら、安保は米軍基地と共存する事であるという現実が見えなくなったからです。基地問題は沖縄を中心とするいくつかの地方の局地的な問題になった。日本にももちろん基地は残っている。三沢、佐世保、岩国、横須賀、今でも残っている。しかしそれはいつのまにかその地域の問題になってしまって、日本の問題ではなくなって、基地が重層的にある沖縄だけが、「沖縄問題」として、基地問題は沖縄問題であるかのように思われるようになった。たしかに、沖縄返還によって、第2段階目の基地削減が行われて、フィフティ・フィフティであったものが、さらに日本本土は3分の1になって、沖縄はそのままになった。要するに沖縄に集約化された。だから、国土の0.6%の沖縄に75%の基地が集中するという状況になった。いまは少し減って、74%くらいになった。少しずつ減らしてはいるわけです。しかし、沖縄からより歴然と見えるようになった。沖縄にどんどんしわ寄せされている状況が見えるようになってきた。
そういう中で、90年代後半からの沖縄民衆の挑戦がでてくる。「構造的差別を排除せよ」という動きがでてくる。その口火を切ったのが95年の少女暴行事件です。その世界史的背景としては東西対立がなくなったことがある。そうすると、何のための基地なんだということになります。一人の少女の安全が守れない安全保障とは何だという問いかけがあります。そういう形で挑戦を受けるようになったのです。
そういうなかで、民主党は沖縄の最大公約数的主張に寄り添ってきました。つまり、沖縄側の言うことはその通りだと。民主党は沖縄では県議会でも、市町村議会でもあまり議席がなかったのです。いまでも沖縄では支持政党の第一位は社民党です。全国にそんなところはない。世論調査をやると2%とか、3%とかいうところです。そういうなかで民主党は、沖縄の主張を自らの主張とすることによって、例えば今の辺野古移設反対です。普天間基地を撤去せよとは言いませんでしたが、移設先は「国外、最低でも県外」と言ってきた。
これは後に鳩山首相だけが言ったかのように偽装されましたが、先日も玄葉外務大臣が「鳩山があんな事を言ったのは間違いで、あんなことをいって民主党政権はつぶれると思った」などと寝言を言っていますが、鳩山だけではありません。岡田克也、当時の岡田幹事長も言っています。言っているどころか、活字にも残っています。そういうことで、民主党への期待感、政権交代への期待感が沖縄で非常に大きかったのは間違いないです。ですから、選挙の結果、沖縄で自民党、公明党は壊滅して、4つの選挙区のうち、2つで初めて民主党の新人議員が当選し、国民新党と社民党、それに九州地区の比例区では沖縄の共産党の赤嶺政賢が当選するということになったわけです。
いまの民主党の惨状をみると、政権交代なんか意味がなかったのではないかという声がたくさんあるかと思いますが、僕は意味がなかったとは思いません。いろいろな問題を浮き彫りにしてくれた。この功績は非常に大きいだろうと思います。民主党の政権交代の初期には、たしかにそれらしい理念はあった。「生活重視」とかのこともありますが、ここでは安保防衛問題に限りますが、非常に微温的な形ではあったけれども、対等平等な日米関係の追求という事を言っています。例えば具体化はしていないけれども「東アジア共同体」などということを言ってみたり、インド洋における多国籍軍への給油活動をとりやめるといったり、そういうものとの連続性を持った形で普天間の問題もあったのです。構造的沖縄差別を是正するということは、普天間に象徴されてはいたけれども、戦後の日米関係を修正しようという試みだったわけです。だからこそ、猛烈な反発を受けることになったわけです。
次に「アメリカの圧力、官僚の抵抗、ジャーナリズムの思考停止」と書きました。アメリカは「なぜ一度決めたことを修正しようとするのか」と、たしかに圧力をかけてきました。9月に民主党政権ができて、10月にアメリカのゲーツ国防長官がやってきて、日本政府を一喝したのです。一喝されたらみんなフラフラになって、そこからひっくり返るのです。フラフラになりながらもひっくり返らなかったのは鳩山一人です。岡田外務大臣、北澤防衛大臣、この問題のアメリカ側との交渉の前面に立つべき人間がみなひっくり返った。岡田などは幹事長時代に鳩山と同じ事を言っていた。それらが全部ひっくりかえった。元気がでたのは官僚だけです。「政治主導だ、官僚などは大馬鹿ものだ」と口汚いののしり方をしたのは菅直人ですが。アメリカに脅かされて、もともとの案を作った外務官僚、防衛官僚が息をふき返しました。例のウィキリークスは駐日米大使館からアメリカへの公電を入手して朝日新聞に流して、朝日にチェックさせて、朝日が裏を取って、公開したものです。
そのなかで何という奴がなんと言ったか、前原がなんと言ったか、斎木という官僚がなんと言ったか、克明に出てくるのです。それは我々がそうであろうと推測したことを、いやになるほど立証してくれました。外務官僚は、日本の利益よりもアメリカの利益を考え、「民主党政権にやすやすと譲歩するな。そのうち愚かな民主党政権も自覚するであろう」などと言っているのです。これをアメリカ側が公電として送っているものが暴露されたのです。
もうひとつ重要なのは「ジャーナリズムの思考停止」です。僕はこれが一番大きいと思っています。「とにかくアメリカを怒らせるな、アメリカを怒らせたら日米同盟に傷がつく、そうなったら大変だ」と、どう大変だかわかりませんが、そういうことで鳩山バッシングを始める。そこで粘りに粘っていた鳩山が、手足をもがれる形で膝を屈したのが、2010年の5月28日です。結局、元に舞い戻るということになったのです。その数日後、彼は引きずり下ろされる形で、小沢と道づれ、一緒に降りるわけです。そこで全ての責任が鳩山と小沢に押しつけられ、菅内閣の成立になります。
菅政権は「党内対立と場当たり的ポピュリズムで自滅」しました。本当は菅政権は東日本大震災の前に命脈がつきていたのですが、あれで世の中大変だという話になり、内閣をつぶすわけにもいかず、延命をしました。その中で、普天間は沖縄の反発が強くて手をつけられない、それでTPPなどという大問題が菅内閣になって突如、出てくる。これはアメリカへのすり寄り、農業が、輸出産業がどうだという前に、まずアメリカへのすり寄りだということを何よりも見ておかなくてはならない。
鳩山と菅という政権で閣僚がくるくる替わる中で、ずうっと防衛大臣の地位をキープしていたのが北澤です。はじめは全然目立たなかったのが、よれよれになった菅首相の後ろ盾くらいの存在感を示すようになりました。彼は一貫してこの5・28決議を履行するという立場を堅持しました。彼は、海にも陸にも基地を造らせないという名護市長に圧力をかけること、またかつては条件付容認派であったのに世論におされていつの間に県外・国外派になってしまった仲井真知事を懐柔すること、これが彼の基本的な役割でした。彼らは長い間築いた地元名護市の建設業など基地容認派と密接なコンタクトをとり続けている。前原もそうです。前原に至っては鳩山内閣の国交大臣、当時は沖縄担当大臣も兼ねていましたから、現在の稲嶺進市長が当選した直後に、北澤などと共に島袋前市長を東京に招いて慰労会をやっています。鳩山内閣がつぶれた後も、彼は沖縄にいってつながりを維持しようとした。彼は外国人の政治献金問題などで辞任しますが、彼は泥船からいち早く逃げて、次を狙おうという計算であった事は見え見えですから、そういう形で、無任所になったあとも沖縄にやってきました。
ここに「在日米軍海兵隊の意義および役割~防衛省」というパンフレットがあります。これは菅内閣当時、北澤が防衛大臣であったときに、県が「国外・県外と言ったあなたがたが何故、辺野古に舞い戻ったかわからない」ということに対して、「いや、こういうことです」と知事に説明するために造らせたパンフレットです。 例えば「沖縄は地理的に非常に重要な位置にある」と書いてある、「朝鮮半島や台湾海峡といった潜在的紛争地域に敏速に到達可能である」と書きながら、一方で、「部隊を防護する上では近すぎない事が重要である」とある。つまり、近いだけがいいのであれば、鳥取や島根とかに持って行けばいいじゃないかとか、佐世保の方が全体を一体として行動できるのではないかと言われると困るので、「敏速に到達可能な、近いことが重要だけれども、近すぎてはいけない」と書いている。こじつけなんです。
それを受けた沖縄県は面白いことに文書で質問を提出してある。「潜在的紛争地域とは具体的に何をさすのか」とか「近すぎない近さとは何キロメートルをさすのか」とか、いろんな質問事項を文書で提出している。半年すぎたのですが、まだ回答はない。琉球新報がからかい半分でそれを書いていたのを見てかどうか、この前、国会でだれか、山内徳信だったか、質問した。そしたら「いま回答の用意をしている」と回答をしたようです。
そういうことを北澤がやってきて、今度の野田政権です。どう表現しようかと思い、「理念なきそろい踏みで体制立て直しを図る野田政権」と書きました。だんだんと悪くなってきているというところがありますが、野田内閣は非常に低姿勢で、とにかく党内対立をできるだけ避けようとしている。そろい踏みをして、何をやろうとしているのか、見えてきました。一つはTPPです。もう一つは普天間です。要するにそういう対米従属的な側面を推し進めようとしています。
そのつぎに「沖縄詣での顔ぶれ」と書きましたが、これは朝日新聞が使った言葉です。彼らの政権ができたのが9月で、1月も経たないうちに、まず斎藤勁という官房副長官が沖縄に行きました。継いで10月になると、川端達夫沖縄担当相、これは総務大臣です。さらに北澤俊美、もう防衛大臣をはずれている、民主党の副代表、何しに行ったかというと「離任の挨拶」だという。それに続いて行ったのが、長島昭久首相補佐官、続いて一川保夫防衛相、続いて玄葉光一郎外相、締めくくりがまた斎藤です。2週間くらいで6人がぞろぞろぞろぞろ行っている。まさに「沖縄詣で」です。それぞれ役割が違う。
「普天間固定化と辺野古移設の二者択一、振興策と基地のリンク」とあげておきましたが、一つは恫喝政策です。辺野古を認めないと普天間が固定化されてしまうぞという、もともとは普天間をどうにかしないといけないという日米合意ができて出発した問題です。ところが、この普天間固定化という言葉は実は6月21日の「2+2」、アメリカの国防長官、国務長官、そして日本の外相、防衛相、この4者会談の日米合意で、前の5・28をもっと具体的に確認する共同声明の中で出てきたのです。
この特色はいくつかありますけれども、目立ったところをいいますと、普天間を辺野古に移設するという目標年次がこれまでは2014年だったわけで、もう2011年ですから、これは完全に不可能です。その不可能であることを認めたのです。目標年次の達成が不可能だということを認めつつ、普天間を固定化させないためには2014年の後のできるだけ早い時期にこの計画を完成させなければならないと書いてある。「普天間の固定化を避けつつ」と言う言葉が、ここで初めて出てくる。そこで野田などが使うようになったのがこの言葉です。「私たちも仲井真知事も普天間を固定化させないという点では共通点がある、だから話し合いの余地がある」という。これは恫喝手段として使いすぎて、逆効果で、沖縄を怒らせてしまったということで、「固定化」という言葉を使わないという箝口令ができたようです。そういう意味での低姿勢を一生懸命やっている。
沖縄は復帰後10年ごとにいろんな振興計画が作られてきました。その振興計画が今年度末、来年の3月にきれます。それで従来通りのやり方、国が主体でやるのではなくて、沖縄に主体性を持たせろということが仲井真の主張です。これにはいろいろ問題はあるのですが、主体性を持たせろということについては、あまり反対はない、県議会も、県政野党の側も賛成している。そのためにはひも付き補助金ではなくて、一括交付金をよこせ。一括交付金ということは東北大震災の補正予算の中にも出てくるのですが、主体的に地域でカネが使えるようにする、こういう切り替え時なのです。
いちばん最初に前触れできた斎藤という人は、元は社会党で、この前の知事選挙で民主党執行部がどちらを支持するという立場を明確にするなと言った規制を無視して、伊波洋一支持を明確に言った人です。そういう意味では、ある意味では沖縄通で、沖縄にも受けがいい。例えば稲嶺進現市長などと旧知の間柄です。ですから、9月に来たときに、彼は知事に会っただけではなくて、稲嶺市長もわざわざ訪ねて、会談しているのです。それが皮切りになって、川端達夫沖縄担当大臣、一川保夫防衛大臣、玄葉光一郎外務大臣、みんな、稲嶺市長に頭を下げに行っているんです。去年の今頃、どういう事が起こっていたかといったら、稲嶺市長、名護市議会議長がいろいろ自分たちの意見を聞いて欲しいと上京してきたときに、枝野幹事長、仙谷官房長官は「そんな政治的パフォーマンスにつきあっている暇はない」と言って、大臣とか、政務官とかの会談を全部阻止したのです。
そういうことだけでは手のうちようがないということで、今度は斎藤勁を先払いにして、全部が訪問して「よろしく」と言った。名護市長も驚いたと思います。全部が訪問して、低姿勢、北澤だけが高姿勢、北澤は稲嶺市長など訪ねません。知事を訪ねて、あとは地元の容認派だけを訪ねて会談する。「辺野古移設は何が何でもやりぬくぞ」と戦時中のスローガンみたいですが、硬派を代表して取り組んだ。だから「頑張れ」と条件付容認派の尻をたたいて、北部振興名護大会をやらせた。さすがにタイトルには出せなかったですが、基地と振興策は間違いなくリンクしているのだから、北部振興のためには辺野古移設は不可欠だという集会決議を持って上京したりしています。これはまあ宙に浮いた感じです。先ほどの長島昭久、彼は鳩山政権では防衛政務官をやった人ですが、もちろん足を引っ張る側、沖縄の海兵隊必要論ですが、彼は沖縄で何をやったかというとあまり公的には動いていません。稲嶺恵一前知事とか、大田前々知事時代の吉元副知事とかに会って、水面下で情報収集をしている。
ゲーツをはじめとしたアメリカの圧力の話ですが、そのアメリカ自体も足並みが乱れて、混沌として来ているのは報道などでご存じの通りです。ここに書いた「日米安保再定義」というのはクリントン時代ですが、この時に抱き合わせで普天間の県内移設が出てきている。その後、9・11を経てブッシュが登場して対テロ戦争ということで、アフガン、イラクに侵攻して、さらにもっとフットワークの軽い米軍の再編、対テロ戦争、見えない敵に対する対処が必要だということで、グァムを拠点、ハブ化して、沖縄は軽くしてもいいという感じの再編成がすすんでくるわけです。2000年代の後半になると、大国中国が台頭してきて、その存在感が経済的にも、軍事的にも、イヤがおうでも目に見えてきた。
アメリカ国内でいうと、クリントンの時代には単年度の財政赤字は解消されていたにもかかわらず、ブッシュの対テロ戦争その他によって財政破綻に瀕していた。そしてどうしても財政再建が必要だということで歳出削減策がでてくる。オバマ自体も歳出削減を言っているのですが、特に議会はそれ以上の軍事費削減を打ち出している。なかでも上院ではグァム移転経費の全額削減措置をやっている。下院は承認しているのです。アメリカでも上院、下院のねじれがあります。特に上院の議員達は超党派的に対案を出してきている。もう辺野古はむりだろう、非現実的だ、カネがかかりすぎる。だから彼らは、辺野古は嘉手納に統合してしまって、嘉手納の飛行機は日本の本土とかに散らばらせて、米軍再編を手直ししろ、特に財政削減の面からそういうやれと主張をしている。実際は沖縄だけではなくて、グァムでもいろいろな現地のインフラ整備が地元の先住民族の伝統的な聖地に引っかかるとか、いろいろな問題があり停滞している。
ところが、日本のこれまでの新聞は普天間が先へすすまないから、議会が「グァム移転予算」、沖縄からグァムに移転させるためにグァムの軍事基地の整備が行われているかのようなことを言っているのです。たしかに対テロ戦争と米軍再編で出てきた考え方によると、8000人の米海兵隊をグァムに移します。移して負担軽減になるから、日本もカネを出せと言っている。グァム移転協定を結んで、日本はすでにカネを出している。予算の6割は日本が持つことになっている。ところが出したカネは1000億近く、凍結されている、むこうにわたって使えないままになっている。問題はそこにあるのだけれども、普天間に圧力をかけるために、「沖縄がごたごた言っているから、移転費用も出しているのに、アメリカ側が認めないじゃないか」と言う。そうではなくて、米議会は政府の見積もりはズサンで、もっとカネがかかる。こんな事はやっていられない、グァムの基地整備を見直すということとセットになっている。そういうなかできちんと明確なプログラムを示せと、議会がオバマ政権に要求しているのです。そこで、オバマの方は、とにかく現行計画の進捗状況を議会にしめさなくてはならないと、野田政権に圧力をかけた。野田政権は手のひらを返したようにして、一生懸命、沖縄詣でを始めたのです。手のひらを返しただけではなく、名護市に対しては、もっとあくどいこともやっているのですが、時間がないので省略します。
オバマはノーベル平和賞を貰ったりして、いろいろの発言もあり、平和を求めているというところへの期待感もあって、先ほどの岡田も幹事長時代に「国外、県外」と言ったとき、オバマ政権ならこういう交渉を受け入れてくれるだろうと言って、期待と幻想が日本の民主党政権の中にもあったのですが、なかなかそうはいかない。それでこの前、9月21日にオバマが国連総会の時に野田に対して、「普天間の問題は結果を求める次期に近づいている。具体的な進展を示せ」という圧力をかけたと、日本の新聞で大きく報道された。そこまで言われたじゃないかと、自民党の石原伸晃が衆院予算委員会で問いただしたら、野田首相は「大統領本人というよりも、ブリーフをした方の個人的な思いだろう」と、そんなことを言われたおぼえはないと言っている。記者会見の時に琉球新報の記者が「そうだったら
アメリカ側に確認しろ」と言ったのですが、玄葉は「たいした違いはないから、その必要はない」と蹴飛ばしている。
そのときに、大統領との首脳会談のブリーフ、内容解説をやったのはキャンベル国務次官補です。キャンベルはクリントンの時代の後半に、国務次官補代理に就任したこともある人ですが、ある意味、沖縄通で、この普天間案を作ったアメリカ側の重要メンバーです。彼がわざわざ解説のところでそういうことを言っている。それを日本の新聞が取り上げた。
つまり、向こう側でも、ある種の情報操作がやられている。それがオバマ政権の真意なのか。どうなのか、よくわからない。ただオバマにとって、おそらく、普天間などというのは、政策順位としては優先順位の低いもので、アフガンとか、そっちのほうが大きな問題だと思います。普天間を担当したキャンベルなどは、なんとか自分たちの担当した仕事の辻褄合わせをしようとして、あらゆる機会をとらえて情報操作をする。日本のメディアはきわめて安易に乗せられている。さっきの鳩山バッシングもそうです。そういうことが非常に明確になってきた。つまり、アメリカ側の拠って立つ足下もグラグラしている。こういうことも我々はきちんと見ておかなければならないだろうと思います。
沖縄の世論はちょっとやそっとでは動かないようになっています。「基地反対世論が60%から80%へ」という言葉は誰が言ったかというと、稲嶺恵一前知事が言ったのです。彼は新聞の大きなインタビュー記事の中で、「大田前知事の時も、自分の時も、県内移設反対の世論は常に60%はあった。だけどそれを何とかかいくぐって、日本政府と何とか妥協したんだ」と彼は言いたいのです。そういうのに配慮して、沖合2キロ、軍民共用空港、使用期限15年などといって妥協したわけです。にもかかわらず、日米両政府が、稲嶺や岸本名護市長が妥協した案を勝手にチャラにして、沿岸に引き寄せてきたのが、今の案なのです。稲嶺は苦心惨憺して、「政府の言うとおりになっているわけではない」とか言いながらやってきた。「6割までだったら、こういう事ができる、知事という立場はつらいのですよ、知事と国家権力は立場が全然違う。できれば対立したくない。対立したくないけれども、鳩山さんがあんなことを言ったために、沖縄の世論は80%にまでなってしまった。もう、仲井真さんが妥協したくてもムリでしょう」と解説をしている。
これをちょっと見ておきます。この前の尖閣の問題が起こって、「船をぶつけた、日本の領海内だ。公務執行妨害だ」と船長を逮捕して、勾留延長までやった。日本の国内法で粛々と処理をして、「ここは日本の固有の領土である」ということを、歴史的にも証明して、中国の圧力があるということを沖縄にも示して基地問題を解決したかった。このときの国交大臣は前原です。ところが中国が高圧的に出てきたので、びっくり仰天して、極めてみっともない形で、「那覇地検が判断しました」といって、那覇地検が政治的に判断したらその責任を問わなくてはならないはずですが、「やれやれ救われた」という顔をした。 ここで問題になるのは、中国側の圧力とは何か、です。軍事的圧力を用いたのではないのです。用いたのは経済的圧力です。日本はその事件が起こった9月の前の8月に、中国人に対してビザの規制緩和をやって、中国の観光客を大歓迎しますという政策を大々的にやっていた。それをストップした。またレアアースの輸出禁止、日本商社員の拘束などをやった。軍事的圧力というより、経済的圧力をかけた。要するに、軍事と経済という問題をどういうバランスで考えなくてはならないかという問題がでてきている。
もう一つ、日本が頼りにしたのはアメリカの後ろ盾です。そのためにアメリカがいてくれるはずだ。ということで、前原はアメリカに働きかけたけれども、これは二国間で片づける問題だとしかアメリカは言わない。オバマ大統領と温家宝首相の会談でもアメリカが話しているのは、中国元の切り上げの問題。アメリカの国債を世界で第一に保有しているのは中国です。日本の貿易相手国の第1位もいまや中国です。要するに経済と軍事をどうやって使い分けなくてはいけないかと言うことが問われているのに、尖閣の問題があるので与那国に陸上自衛隊を配備するとか、辺野古移設が抑止力のために必要だとか、政策に統一性がない。経済的相互依存関係と軍事的対抗関係をどうやってバランスさせるのか、この点ではアメリカの方がはるかに上手です。
アメリカにとって、世論調査などでも中国と日本のどっちがアメリカにとって大事かと問えば、中国の方が高い。アメリカも中国の軍事力強化は望んでいない。対抗関係にはあるから、日本を利用はしても、いつ切り捨てるかわからない。そういうなかで、日本が自立してどう考えるか、これが問われているのに、それができていない。
東日本大震災が沖縄からどう見えたか。沖縄でまず思い起こされたのは、戦場の光景でした。アメリカの収容所の中から出てきた人たちが、あるいは九州とか台湾に疎開していた人たちが帰ってきて自分たちの生活の場を目にする。そういう光景が重なっている。これは新聞の投書などからの、大ざっぱな感想です。
もう一つ、これは原発と関係して重要な問題ですが、「構造的差別の上に立つ偽りの豊かさ」が目に浮かんだことです。沖縄の問題は、「構造的沖縄差別の上に成り立つ偽りの平和」です。日米同盟によって日本の平和は保たれていると戦後一貫して言いつづけられてきた。いまでもマスコミはそういっている。だけど、そうなのか、それは偽りの平和ではないのか。ちょうど、東京電力の原発が福島にあるように、中央を中心とする豊かさを維持している、もう一つの構造的差別ではないか。
「偽りの平和」とか、「偽りの豊かさ」が見えたら、それをどう変えるかを私たちは考えなくてはならない。「頑張ろう日本」ではない。何のために、どう頑張るのか。「変えよう日本」「変わろう日本」でなければならない。
偽りの豊かさを、本当の豊かさへ。物質的な所得水準では測られないかも知れない豊かさ、です。平和についても言えると思います。
最近、沖縄問題に熱心に取り組んで来た人々の中から、東日本大震災の中で沖縄の問題が忘れられているという心配の声が出ていますが、実は忘れられてしまったのではなくて、もう一つ別の日本の構造そのものが見えてきた。多角的に見えてきた。だから沖縄だけでなく、多角的に変えなくてはならないという雰囲気になってきたと私は捉え返したいと思います。
(中見出しと文責は編集部)
山浦康明さん(日本消費者連盟共同代表)
(編集部註)10月15日の講座で山浦康明さんが講演した内容を編集部の責任で集約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。
日本消費者連盟は1969年に竹内直一が設立した消費者団体です。戦後消費者運動の高まりがあって、有名なところでは主婦連合会ですが、60年以上前につくられて物価値上げ反対とか「米よこせ」とかさまざまな消費者の身近な問題に取り組んできました。たとえば不良マッチ追放集会とか物価の問題とか、身近な問題を採り上げる消費者運動が戦後大きく広がりました。女性が社会に向かって声を上げることが初めて認められて、当時の女性は非常に解放感にも浸っていたと思われますね。非常に素朴な運動だったように思いますが、日本における社会運動がひとつの形を見せていたように思います。現在も、脱原発あるいはエネルギー政策の転換を主張など、いままさに新しい社会運動の波が起きています。
この竹内直一という人物が1969年に消費者団体をつくったときのモデルが、アメリカのラルフ・ネーダーの消費者団体で、非常にラディカルな運動をしていて、欠陥車の問題がその当時は出発点でした。欠陥車問題を取り上げて裁判で勝訴して、企業に対してもどんどんもの申せば社会が変わるというモデルをつくったんですね。
訴える手法としては、政府に対しても企業に対しても歯に衣着せぬ鋭い指摘をして成果を上げたので、これは新しい消費者運動だとみんなが注目した。日本でもこれをつくろうと、農水省の官僚だった男性の竹内さんが、役所を飛び出して、消費者団体をつくった。これが69年で、出発点でした。その後、富山洋子さんが1990年から代表になり、女性の視点も含めて消費者運動に取り組んで参りました。
わたしたちは「健やかないのちを未来へつないでいく」ということをスローガンにしています。たとえば食品の汚染の問題には、食品添加物とか農薬とかさまざまな問題があります。こういった問題は催奇形性といいまして、遺伝子が損傷したりすると子どもや孫の代にも影響を及ぼすことがあります。健やかないのちをどうやってつないでいったらいいか、そのためには危険なものは社会から追放しなければいけないという運動をおこなって参りました。企業に対しては「矢文(やぶみ)」という言い方をしていましたが、公開質問状を出し、それを同時にマスコミにも流します。社長に対して追及する文書を出して回答を求めるというやり方で、鋭い抗議活動をして、さまざまな食品の状態とか悪徳商法の問題などについて成果を上げてきた歴史があります。
そして2011年に共同代表制になりました。告発型の運動、そして遠慮なくどの企業あるいは東京都や国に対してもしっかりものを言うという姿勢で、日本消費者連盟は活動しています。昨日も消費者庁長官に会い、共同代表制になったご挨拶に行きました。いま消費者庁は国民センターをつぶそうとしているとか、新しい食品表示のあり方が生ぬるいんじゃないかとわれわれは考えたので、そういう点も含めて福嶋浩彦長官に話をして参りました。そういう活動をしておりますので、企業からは嫌われ、いつも目の敵にされています。また政府、特に厚生労働省とか農林水産省からは非常に煙たがられています。
よく消費者団体や市民団体がいろいろな審議会の委員になって活躍していますが、お飾りになるような委員はだめだと批判をしてきました。わたしは今年の夏まで、2009年にできた消費者委員会の、食品表示部会の委員になぜかなれたんです。これは日消連にとっては画期的なことで、そういう委員になって政策に関わることは、これまでなかったんです。当時の消費者担当大臣が福島みずほさんでした。審議会にはいろいろな層の委員を選ぶべきだと考えていらっしゃったようで、日消連からも一人という話が出て、わたしが1年半ほど第1期の食品表示部会委員をしました。
そこでは原料原産地表示の拡大をしようという前提があって、そのための議論をしましたが、20人ほどいた委員の中で事業者側の委員とか大きな生協の人は、そんなに原料原産地の国を細かく表示しなくてもいいという発言をしました。これに頭に来まして、ことあるごとに反対意見を述べ、最後のまとめの報告書でも“食品表示の統一化をこれから考えなくてはいけないし、これまでの縦割り行政にこだわった非常に狭い、後ろ向きの考え方は排除して、どんどん拡大するような姿勢を見せなければいけない”という文言をなんとか入れさせました。役所の人は困っていました。その結果、第2期はこれから選ばれるますが、たぶんわたしは選ばれません。政権もずいぶん変わりましたから、わたしが委員として活躍することはないと思いますが、そういう経験もしてきました。
日本消費者連盟は農業の問題等にも以前から関わっております。日本では、1970年頃から減反政策を農水省はとってきました。それで全国平均で4割もお米を作付けしてはいけないというのが、いまの農業政策です。これは営業の自由の問題です。米農家にとってはお米を作ることが仕事ですから、人から制限を課されるんじゃなくて自分でつくりたいように、またつくりたい方法でお米をつくって、それを消費者に届けることが本来のあり方だと思うんですが、これが強制的に減反を強いられた歴史があります。
これは米価の問題とかさまざまな要因はあったんですが、基本は自由につくって、あとの過剰の問題をどうするか、農法、有機米をどうするかを考えていく必要があるのではないか。水田は非常に重要ですから、水田に作付けすることは原則自由にすべきであると、裁判を起こしました。国の強制減反をやめさせろという裁判です。全国から1000人以上の原告を募りました。生産者が100人から200人くらいと消費者ですが、そういった政策によって農家も消費者も損害を被ったと、民事責任でしたが減反政策の差し止めを求めた裁判でした。
わたしはこの裁判の事務局長をしていましたが、東京地裁で負け、東京高裁に控訴しても負けました。その途中で国の強制減反の政策が変わり、自主的な減反になりました。政策は変わりましたが、そのあと最高裁に上告をしても負けました。3回負けたんですが政策の方は変わりました。ですから、わたしたちの裁判は内容的には勝ったと思っています。もし勝ったら、民事裁判で1人10万円の慰謝料を請求していたので1億円くらいもらえたんですが、まあお金じゃないので。政策を問う、事実上は行政訴訟だったんですね。
グローバリゼーションの問題にも取り組んでいます。貿易の問題も日本の消費者、生産者に深く関わるので、特にWTO、以前はGATTという組織でしたが、その交渉について注目をしてきました。WTOの閣僚会議という非常に重要な決定をする会議が2年ごとに開かれていましたので、現場に行って抗議活動とか市民の集会、アクション、イベント等をやってきました。わたしは皆勤賞で、1999年にはアメリカのシアトルに行きました。世界から7万人のNGOが集まり会議場を取り囲んで、ピケを組んで会議が半日くらいずれ込んだことがありました。
その当時、先進国が途上国に対して恫喝し、先進国のいいなりにするような「アメとムチ」の政策を使って承認させる手法があったんです。そこでNGOと途上国、特にアフリカ諸国との連携がかなり広がって、途上国が言いなりになるとこんなデメリットがあるということを訴えていきました。第三世界の人たちが声を上げるようになって、シアトルでは合意文書が得られなかったことがありました。その後メキシコのカンクンで2003年に会議があり、2005年には香港で閣僚会議がありました。そういうところにわたしも行ってNGOとして活動してきました。わたしが行くとなぜかWTOの文書がまとまらないんです。わたし個人の力ではなく、世界の構図がもう先進国主導ではなくなっている時代に入ったと思うんですが、結果的にはWTOはもう全然進展していません。
それからFTAという自由貿易協定を日本も13くらいの国と結んでいます。先日アメリカと韓国のFTAが、アメリカ議会で批准されました。これはフリー トレード アグリーメント(Free Trade Agreement)、自由貿易協定といいます。これも非常に問題が多いので、わたしたちはこの問題にも以前から取り組んでいます。日本の非常に重要なFTAとして、いまは中断していますが、韓国との協議をずっと続けています。日本とオーストラリア のFTA も協議されています。
これは要するに両国間で関税を引き下げましょう、あるいはさまざまなサービスの自由化をお互いに進めることを協定に盛り込むものです。WTOは関税を中心に協定を結び、対象は農産物だけではなく工業製品とかサービスなどさまざまな問題に広がっています。WTOは、もしある国が関税を下げたら他の国も全部平等に下げる、という平等原則をいちおう建前としては持っています。それに対してFTAは、強国と弱い国とが結ぶ例が多いですが、2国間だけで関税について決めます。他の国には影響を及ぼさない、非常に閉鎖的なものです。ですからWTOで世界の貿易ルールを作ろうという議論がある中で、これは例外的に2国間だけで、地域的なものもあるんですが、貿易協定を結んで、それをいろいろな国とやっていこうという流れが最近増えてきています。
ですから今日お話しするTPPも、WTOとFTAというさまざまな貿易自由化のための道具のひとつとして、どういう問題があるのかを見なければいけないんです。わたしたちは消費者団体ですが、FTAの問題にも取り組んできました。日韓のFTAが何度か協議されて、わたしもソウルに2回ほど行きました。韓国でも日韓のFTAに対する反対闘争があって現地の人たちと一緒に活動しましたし、韓国の活動家が来日したときには外務省前で抗議行動をするとか日比谷公園で集会、デモをしました。こういう話をすると過激な人だと思われるかもしれませんが、実は明治大学の法学部で消費者法――消費者問題に関する法律で独占禁止法などに似ている法律です――を教えています。運動もしながら、現状や法制度について学生に教えています。
TPPのTは「とんでもない」のTです。次のPは「ペテンに満ちた」のPです。その次は「パートナーシップ・アグリーメント」のPです。 「とんでもない」、「ペテンに満ちた」FTAなんです。なぜかというと、アメリカがアジア太平洋地域で影響力を持てなくなったので、焦ってTPPという小さい4つの国がつくろうとしていたFTAに乗っかってきて、アメリカの勢力をアジア太平洋に広げて覇権を握ろうということです。
アメリカは世界の「ジャイアン」ですから、アメリカの基準をアジア太平洋地域に押しつけよう、特に日本が経済的に大きな国なので日本に対してアメリカのいいたいことを全部TPPを通して日本に認めさせるという、非常にとんでもない協定です。本当はトランスパシフィック パートナーシップ アグリーメント(Trans-Pacific Partnership Agreement)、環太平洋経済連携協定です。アメリカが日本に難癖をつけるための道具だと理解していただければ間違いないと思います。
日本経団連とか日経新聞なども、TPPに乗り遅れるなという論調を張っています。NHKも基本的にはいま原発震災もあって大変だから、景気回復のためには貿易をもっと広げなければいけないと、TPP推進論を本音としては持っています。しかし、わたしはメリットをそんなに感じられないんですね。
たとえば自動車をアメリカで販売しようというときに、韓国とアメリカが今回FTAを結んだので、韓国の自動車は関税をゼロに近づけてアメリカで売れる。それに引き替え日本は、関税がかかっているからアメリカでは高くなって売れない。だからTPPに参加して工業製品の関税をゼロに引き下げることができれば、日本の製品はアメリカで売れるといいます。みなさん、どうでしょう。もし関税がゼロに近づいたとしても、日本車がアメリカでこれ以上売れるでしょうか。いま円高ですから、それどころじゃないですよ。それからアメリカの景気は非常にダメですよね。みんな車を買おうなんて意欲をあまり持っていません。ですから、TPPを結んで日本の工業製品をアメリカに輸出しようと言いますけれど、実態としてはそんなことはたぶんないですね。
それからTPP参加国にはオーストラリア、ニュージーランドがあります。そういう国に日本の工業製品をもっと輸出することができるといいます。でも市場としては非常に小さいし、工業製品も行き渡っているので、それほど輸出拡大は望めずメリットはあまり感じられないんですね。それなのになぜかTPPだとしきりに言っています。そういった問題を今日は考えていきたいと思います。
TPPは、2006年11月にニュージーランド、シンガポール、チリ、ブルネイの4つの当事国によって発効されました。2000年代にいろいろなFTAが盛んにおこなわれる中で、この4カ国は中国などの影響下に飲み込まれてしまうという懸念を持っていて、小国でまとまってFTA、経済連携協定をつくって防衛したいという意図でつくられました。このTPPを結んだら、関税をゼロにしてEUみたいに域内の貿易を全部自由にしよう、人の移動も自由にしようと考えていたようです。
2009年11月にシンガポールAPECが開かれ、ここでオバマさんがTPPへの参加を表明しました。このTPPを使えばアジア太平洋に乗り込めるぞと考えたようで、それ以降アメリカが入るならと、オーストラリア、ベトナム、ペルー、マレーシアの計9ヶ国が交渉していて、さらにカナダも検討することになっています。ですからTPPの交渉はずっとおこなわれていて、今年も第2回の交渉が6月に、第3回の交渉が10月におこなわれています。11月にハワイでAPEC、アジア太平洋経済協力会議が開かれますが、ここでアメリカがTPPへの参加、ルール作りを表明して、そこで基本的な枠組みを決めようとしています。それまでに日本も入った方がいいとアメリカが言っている状況です。
去年開かれた横浜APECで「横浜ビジョン」という宣言文をまとめて、APECとしてはFTAのAPを将来的につくりたいと考えました。FTAAP、ASEAN+3、ASEAN+6というのがあり、これは全部FTAをアジア太平洋圏でどうつくるかというときのルートですが、アジア太平洋で大きな経済圏をつくることがいまブームになっています。世界ではWTOがまとまらないあいだにさまざまな経済の協力機構ができています。
いまギリシャで大変なEUですが、27ヶ国が加わっています。EUとは、実態はなんでしょうか。政治的には連邦国家を目指しています。大統領もいますし憲法もある。議会や裁判所もあり行政府もあります。ですからヨーロッパ圏におけるFTAの最たるものがEU、欧州連合です。国境はないも同然で、人の移動も自由。通貨のユーロは27ヶ国のうち17ヶ国が使って、経済的なひとつの地域が達成されています。いろいろな経済危機のときに、EUをつくったメリットがありました。今回はギリシャが足を引っ張ったかたちで、今後もイタリアとかスペインで、国債の問題がネックになって逆にユーロ自身の信用が問われる状況があります。とにかくヨーロッパではEUという枠組みがあります。
アメリカではNAFTA(North American Free Trade Agreement)があります。これはFTAがついていますから自由貿易協定です。北米の自由貿易協定、アメリカが中心でカナダとメキシコが参加しています。アメリカは中米、南米も含めたアメリカ大陸全体のFTAを考えていましたが、南米の国々では反米政権が続々と登場していて、そんなの嫌だよ、自分たちでつくるよという動きがあり、アメリカの思惑通りには行かなくなっています。
アジア太平洋地域はFTAの空白地帯でした。2ヶ国間でFTAを結ぶ動きが始まり、いま多くのFTAがアジア太平洋地域で結ばれていますが、大きな経済圏としてはまだまとまっていません。去年の横浜APECではこの問題でいろいろなロードマップが示される中で、最終的にはFTAAP、アジアパシフィックのFTAをつくる見通しが語られました。そのためにどこからつくっていくかで、いろいろなヘゲモニー争いがすでに始まっています。ASEAN+3は韓国が中心となってASEAN10ヶ国(インドネシア、フィリピン、ベトナム、タイ、ミャンマー、マレーシア、カンボジア、ラオス、シンガポール、ブルネイ)と日本、中国、韓国という枠組みです。インドはASEAN+6(インド、オーストラリア、ニュージーランド、日本、中国、韓国)というかたちで、インドもいま非常に力をつけてきていますので、インドがリーダーシップをとってFTAをつくる動きもあります。
日本はAPECの一大スポンサーなんですね。日本はFTAAPを最終的には進め、アジア太平洋地域におけるリーダーシップをとりたいという思惑があります。去年はさまざまなロードマップが示され、その中にTPPも有効であるという話もあります。去年、横浜APECで菅首相は、TPPに参加してFTAAPに向かって盛り上げていくと演説したかったそうですが、TPPの所信表明が非常に唐突だったので各界から批判を浴びました。特に農業団体から大きな批判を浴び、これができなかった。じゃあということで、今年の6月に参加するかどうかを最終的に決定したいと着々と準備をしていましたが、3月11日の原発震災でそれどころではなくなって6月にもできなかった。今度は11月のAPECだという流れになっているんですね。
FTAもTPPも、どの国がリーダーシップをとるかを巡る覇権争いの側面があり、アジア太平洋がこれからどういう経済圏をつくるかという国同士の争いが、非常に大きな要素だということを覚えておいていただきたいと思います。わたしたち庶民の暮らしがこれによって大きな影響を受けますので、細かい議論をすることなく参加だ、参加だといわれて、結果的にそれが押しつけられることはとんでもないことです。そういう覇権争いにわたしたちの生活が巻き込まれることはゴメンだということを、是非わたしとしては訴えたいと思います。AEANそして中国、韓国、日本があって、太平洋の向こう側にはチリがあって、日本はペルーともFTAを結んでいます。日本とオーストラリアはいま自由貿易協定の協議をしている最中です。それからアメリカがあるという関係があります。それを頭に入れておいていただきたいと思います。
去年の10月に菅前首相が唐突に国会でTPPへの参加表明を示して、そこから議論が始まりました。野田新首相は、9月21日の日米首脳会議では参加表明はできませんでしたが、言い方としては「しっかりと議論し、早期に結論を出す」という、期限をかなり意識した表明をしました。11月のハワイAPECに向けて参加表明をしたいという本音があります。ただ民主党内では「TPPを慎重に考える会」が去年の秋から立ち上がっていて、党内では意見が一本化されていません。しかしなんとかハワイAPECに向けてまとめていこうと、昨日から開かれている国会内での動きがあります。民主党内でもプロジェクトチームが総会を開いていますが、その座長が鉢呂さんですね。厚生労働大臣もTPPでプラスになる部分もあるなんて言ったそうですね。医療問題は非常に大きな影響があると思いますが、民主党内では意見がいろいろあります。
このTPPのとんでもない部分が何なのか、農業・農村に与える影響、食の安全に対する影響、生活に与える影響などさまざまな問題点があります。自由貿易は、経済のあり方としてひとつの理想の姿であると教えられてきました。日本も戦後の復興の中で、貿易によってさまざまな利益を拡大できました。しかし、貿易の自由化を進めると国内の強い輸出産業は伸びるんですが、弱い産業はどうしてもそれによって被害を被ります。結果的に国の富が増えたわけですが、ただ輸出産業の大企業に利益が及んだことが実態です。そこに関わるいろいろな利益が配分されて、国民もそのおこぼれに預かることはあったとは思いますが、やっぱり国内の産業秩序が大きく変わってしまうんですね。
世界の貿易秩序を考えますと、強い国の強い産業が伸びていくので、輸入された国では、産業界としては強い国の産業に負けてしまうことがあります。経済学ではちゃんと利益が配分されていい調和がとれるといいますが、結果的には貧富の格差が拡大する、あるいは国内の秩序が強い企業中心になってしまいます。
ですから今回も、TPPによって農産物の貿易自由化ということが必ず出てくるわけですが、この問題は農業、農村に与える影響が非常に大きいとが言えます。これについてはJAの資料にもあり、農水省の試算もあります。もし関税を撤廃することになると、生産額が減少せざるを得ないということで、米が90%減少するとか、ほとんど日本国内でつくられなくなる。小麦もそうです。それから乳製品、砂糖、牛肉、豚肉です。なぜかというと農業輸出大国がTPPでは相手国になります。アメリカがそうですね。それからオーストラリア、ニュージーランドがそうです。
たとえばオーストラリアとニュージーランドは、小麦が非常に得意ですね。讃岐うどんは、いまオーストラリアから来ています。それから日本人向けの米も、どんどん生産しています。アメリカでもカリフォルニア米があります。それで価格が安いんです。牛肉もそうですね。乳製品、砂糖もそうです。日本の農業はもろにかぶってしまうものが相手の国にはあり、大規模にやっていくのでコストが非常に安く済む。それが関税をゼロにすると非常に安く日本に入ってくる恐れがあるんです。
それによって消費者は安いものをたくさん買えると言われますが、日本の農業と日本の消費は一体として考えなければいけないと思います。安いものをどこからでもどんどん持ってくればいいや、という安易な考え方はどうかなと思うんですね。それぞれの生産基盤が失われてしまいます。たとえば水田の90%が影響を受けることになれば、全部耕作廃棄地か太陽光パネルの設置場所になって、いままでの水田の風景は一変します。日本列島で水田がなくなる、山間地の田畑がなくなる未来というのはどうなのかと考えます。
地域社会はこれによって当然崩壊します。人びとが住めなくなってしまうので、生産ができなくなり、そこで暮らしていけなくなるので人がいなくなります。日本の場合は中山間地が4割以上あり、そういった地域が原野になっていくことが目に見えています。それによって環境が破壊されます。水田があるために、その保水能力によって降った雨がじわじわと地下に浸透して国土を潤す、という循環が一気になくなってしまう。あるいは森が崩壊するとかさまざまな影響があります。こういったことは、消費者としても安ければいいという発想では考えられません。
乳製品なんかもアメリカから、オーストラリアから入ってくることになると、牛乳はロングライフという超超高温殺菌法のものになりかねません。牛乳にこだわっていらっしゃる方も多いと思いますが低温殺菌牛乳、ビンで飲むと非常においしいものがあります。食べ物に対する志向の問題を考えると、ただ牛乳なら何でもいいやという商品化されたものにはわたしたちは耐え切れないんじゃないかと思うんです。
牛肉もアメリカから入ってきますね。アメリカがここ数年間、輸出プログラムという日本に対する輸入条件緩和のプレッシャーをかけています。TPPに入りたいんだったらいまの輸出プログラムをなしにして、牛の月齢制限を全部取っ払って日本に輸出できるようにしてくれといっています。わたしはまだまだBSEの問題は解決されていないと思います。これを日本人が受け入れなければいけないのかという問題があります。
砂糖なども100%減少する。日本の甘味資源がなくなると、沖縄のサトウキビの生産はゼロになります。北海道のビートという砂糖大根の生産もゼロになりますので、これを生産している人は生活できなくなります。沖縄の離島のサトウキビ生産で、何とか人びとが住んでいる集落で人がいなくなると、日本の防衛問題になるなんていう話もありますね。ここまで影響しますので日本農業への影響は非常に大きいと思います。
農水省の試算では、経済的損失は4兆4千億円になる。食糧自給率は、計算方法にもよるんですが、いまの39%が13%とか14%になるだろうと計算されています。北海道農業への悪影響は5563億円に及び、北海道の農産物が生産できなくなると経済としても2兆円あまりの損失になります。
TPPによる貿易の自由化と同時に、政府はいま農業の強化をしきりにまた言うようになりました。日本の農業への補助金の支給方法について、以前はばらまきといわれて、大きい農家だけを育てようと全国平均で4ヘクタールくらいの農家にしか補助金をあげない政策を決めました。民主党政権になって戸別補償を考えるといということで、去年そういう方針をとった矢先でしたが、構造改革をもっと進めなければいけないという流れが去年の秋から急に出てきました。菅首相のときです。いま民主党としても構造改革路線で農業の大規模化、機械化などを考えて、これがまた言われています。これによって日本の農業はアメリカ、オーストラリアに太刀打ちできるように強くなるというわけですよ。
でもこれは現実的でしょうか。わたしはオーストラリアに視察に行ったんですが、うちは小さいという農家が800ヘクタールありました。日本の農家の平均は1ヘクタールちょっとですよ。真ん中に農家の建物があって、見回すと地平線全部が自分の農場です。その農家は400ヘクタールで牧草をつくっていて、200ヘクタールで菜種、200ヘクタールで小麦をつくっていました。家族でやっていて、大きい機械を使って1人か2人でやっていました。ですから人件費がかからない。中古の機械も手入れしながら丁寧にやっていく家族経営の農家でした。アメリカも大きいですよね。オーストラリアはもっと大きい1000とか2000ヘクタールなどの大規模農家が多いです。
実はアメリカもオーストラリアも、もっと小規模な家族農家もいたんですが、政策によって法人経営が主流になり、家族経営が淘汰されていった歴史があります。そういう農家と日本の農家、せいぜい3ヘクタール、4ヘクタールあるいは10ヘクタールくらいにこれからするというわけですが、太刀打ちはしょせん無理だと思います。それを政府はやろうとしています。本当に勝ち目のない大規模化をするのは、何のためかを考えなければいけないんですね。TPPの問題を足がかりに、日本における農業の再編成を試みようとしているのが、日本政府のいまのやり方だと思います。誰かがこれで利益を得るわけです。そういったことがありますので農業の問題は非常に深刻だと思います。
消費者団体としては食の安全についての影響に注目したいんです。貿易の自由化という場合、関税引き下げ交渉だけではないんです。TPP交渉の中で、各国の非関税障壁を、ハーモナイゼーションしようと加盟国、参加国は主張しています。域内の非関税障壁をなくすことをルールとして盛り込もうとしています。さまざまな検討部会が24つくられ、この中に食の安全基準の問題も検討されています。
ハーモナイゼーション、「調和化」というきれいな言葉ですが、要するに各国の基準を統一化して、貿易がスームーズに行くようにしましょうということです。ということは、輸出国にとっては自分の国の基準を相手国に認めさせることができるという話です。これは先ほどの「とんでもない」の象徴で、アメリカ基準を輸入国に押しつけるのがハーモナイゼーションの中身です。
これについてはUSTRという輸出拡大をすすめる役所があって、米問題などでもよく出てきました。ここが毎年、議会に対して外国貿易障壁の報告書を提出しています。これは、アメリカの貿易相手国の現状を分析して、アメリカに損を与えるようなやり方をいまだにやっているよということを「チクった」文書です。議会に提出され、議員はこれを資料にして、自分の選挙区の生産者に対してこの国はこんなことをやっているからやめさせなければいけない、そうしないと自分の国の輸出が伸びないと訴えて選挙での支援を受ける狙いがあります。
それからSPS協定という、衛生及び植物検疫措置と訳されるWTOの協定があります。各国が輸入された製品に対して、検疫のルールをつくってチェックすることが認められていますが、貿易拡大のためにはどういうルールでなければいけないかが議論されています。SPS協定の中で各国の検疫のルールを引き下げて、ハーモナイゼーションさせようという議論が盛んにおこなわれています。アメリカもこのSPS協定に関しても、貿易の相手国-特に日本を名指ししています-の基準が厳しすぎる、検疫が科学的な根拠もなく貿易を歪曲化するようなルールであると盛んにいっていて、それによって日本でアメリカ産牛肉の輸入拡大ができなくなっていると言っています。
それから食品添加物、アメリカで使用が認められているものが、日本では使用が禁止されていて輸出できない。いま外国では認められていて日本国内にはないけれど、貿易でよく使用されているような食品添加物を、日本でも政府が音頭をとって使用を認めようという動きがあります。それについて、アメリカ側はその承認のテンポが遅い、もっと速くしろと勝手に言ってきています。
ポストハーベスト農薬といって、船で運ぶときに防カビ剤、防虫剤などの農薬をあとからかけます。アメリカ国内では使いませんが、日本に輸出する際に太平洋を越えてくると虫がわいたり、カビが生えるので製品が劣化を防ごう、損失を少なくしようと業者がまくことがあります。このポストハーベストをもっと認めろ、それから農薬の残留基準値が日本は高すぎるから、もっと引き下げろと言っています。これはフルジオキソニルいう防カビ剤が一昨年、去年と議論されて、これは輸入柑橘類に使われていたんですが、まだ認められていなかったんですね。これを厚生労働省が食品安全委員会を使って安全であるという評価をして強引に認めさせました。
これは農薬ですが防カビ剤として使う、というかたちで認めました。日本でも一部農薬として使っていた基準がありましたが、ポストハーベストとしての使用はなかったんです。その際に6倍の甘い基準で使っていいことになりました。農薬の場合は生産者にも害が及びますし、もちろん食べるときに危険が及ぶことで使用濃度を低く定めることが基本です。ポストハーベストは、虫がわかないように、カビが生えないように速効性が求められるので、あとから強力にまいてもいいというルールになってしまい、6倍も強い基準がつくられました。
その結果、日本国内の農薬に比べてポストハーベスト農薬の基準が非常にゆるいという矛盾が生じました。これは消費者委員会の食品表示部会でも議論になったんですが、消費者庁の職員は「矛盾がある、どうしようか、日本の農薬の基準をゆるめればいい」と言っていました。生産者、消費者が安全な基準値にしてくれと、ずっとつくってきた基準が、貿易をきっかけにしてゆるめられてしまう。これを平気で役所はやるわけです。
消費者委員会でもこの表示をどうするかという話になったので、わたしがそこで“これは安全性に問題があるから認められない。ただし表示をするという議論をする際にはせめてどくろマークをつけなさい”ということです。議事録は一言一句全部載りますので、そこにわたしの発言は載っています。どくろマークがあればみなさんもこのミカンは、グレープフルーツは変だなと思いますよね。消費者がしっかりわかるような表示にしてもらいたいと思いますが、そんなことも実はもう始まっています。
食品添加物やさまざまな化学薬品の使用を、アメリカが認めているから日本も認めろ、という議論がこれから必ず起こってきます。現にBSEの問題では政府間交渉が始まっていて、TPPに絡めて日本も早く20ヶ月齢以下の牛肉及び牛肉製品しか輸入しない、とか言っていないで全部入れろというプレッシャーをかけています。
それからTBT協定という、貿易の技術的な障害に関する協定というのがWTOの協定文にあり、貿易の技術的な障害もなくしていって貿易を拡大していこうというものです。これに関してアメリカが言っているのは、遺伝子組み換え食品についてアメリカはOKである。日本が表示の義務化をするのはけしからん、TBT協定に反すると言っています。なぜかというと、アメリカ政府は遺伝子組み換え食品は安全だと考えるから、表示させると何か危険なものであることを消費者ににおわせてしまう。だから、売れなくなるからダメだというわけです。それから、表示をすることでコストがかかるとかいろいろ難癖をつけ、TBT協定から見ても遺伝子組み換え食品の表示の義務化はなくしてくれと言ってきています。
実はニュージーランドとアメリカはすでにFTAを結んでいます。その中でニュージーランド政府に対してこの遺伝子組み換え食品の表示、ニュージーランドでは表示義務化がされているんですが、これが取り上げられて以前からニュージーランド政府はアメリカから追及されています。こういうTBT協定による表示の問題も出てきます。日本では消費者ががんばって表示制度をつくってきた。これが全部ご破算になってしまいます。
農薬関係でひとつ気になるのは、フライドポテト、ジャガイモは生で日本に輸入してはいけないというルールがあります。加工されたものはいいんです。アメリカの冷凍フライドポテトは日本に入っていいんですが、当然日本には安全基準があります。大腸菌の数の基準です。もし港で、空港で検出された場合には突き返すことになっています。実際に突き返したことがあります。
議会に提出するSPS報告書では、冷凍フライドポテトについては、日本が過剰に安全基準をつくって、しかも違反した食品をアメリカに突き返した、これはとんでもないと言ったんです。根拠は、冷凍フライドポテトだから油で揚げれば大丈夫だ、日本は何をやっていると言っています。アメリカ自身の違反事例があったにもかかわらず、自分は間違っていない、相手の国の基準が厳しすぎるという言い方を本当にまじめに書いています。こういうことをやっている国なので、TPPでも安全基準の問題は非常に心配になってきます。
次に生活に与える影響です。いま24の部会があって非関税障壁の問題もTPPの中では議論しています。アメリカは2008年に「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府へのアメリカ政府要望書」というタイトルの報告書をまとめ、日本に要求していることがあります。それは通信制限の撤廃とか情報技術、医薬品の市場開放、金融サービスの市場開放それから商法の改革、これは一部会社法の改正ということになりました。それから司法制度改革、政府慣行、政府調達といって公共事業、それから民営化の問題、流通の問題などがアメリカから指摘されています。
おなじことがTPPの24の、各部会の交渉の中でも議論されています。典型的なのは医療です。病院はいまの健康保険制度に基づいて医療サービスをやっています。一種の公共サービスの側面があります。ですからお金儲けではないというのが日本の病院・医療の建前だと思いますが、アメリカでは違います。アメリカはお金儲けでいい、金持ちからは高い診察代、ベッドの代金をもらって手厚く介護、看護するけれども、貧乏人は対象にしない。保険制度もアメリカでは充実していませんので、各人で健康保険のようなものに入ってそこでまかなえということです。お金のない人は、高いお金を払って診療を受けられませんから医療にアクセスできないのが現状です。こういった民営化の最たるものがアメリカの医療制度ですが、これをTPPを使って日本に持ち込もうとしています。
医療サービスの自由化ということで、営利企業として病院を経営できることが始まります。それによって過度なコスト圧縮が起こり、医療従事者の質の低下とか労働環境の悪化、不採算部門があればすぐに切り捨てる、地域から撤退する、それから患者の選別がはじまります。こういった医療の自由化の問題が必ず起きます。日本医師会もこの問題に気づいて反対しています。農業だけではなくて各方面でTPP反対の動きが広がっています。
政府は、各医療機関に対してTPPでは医療の問題を例外扱いするから大丈夫だよと言ったりしています。マニュアルのような、Q&Aのようなものをつくっていますが、そこでも医療の問題は心配ないという表現をしています。しかし、これはアメリカとの交渉になりますので、日本がそういう説明したからといってそれが保証されるものではありません。これまでのFTAをみても、すべて自由化の嵐に巻き込まれてしまっているんですね。ですから医療の問題も非常に重要だと思います。
労働者も、人の移動の自由化ということが出てきます。いまフィリピン、タイの看護士、介護士さんが日本に来て仕事をされています。これは日本の医療現場の貧困という問題があってやむを得ない、人手が足りないという部分があります。しかしこういった医療体制については、本来日本国内で考えなければいけない問題を、外国人労働者を使ってなんとかカバーしようとしている問題があります。結果的に賃金の水準が引き下げられてしまっていますね。こういうことがほかの部門でも全部出てくるんです。
技術労働者としても、たとえば渉外弁護士、外国企業との契約を結ぶ際の渉外についての弁護士の仕事を、アメリカの弁護士にやらせろという要求が出されようとしています。日本の弁護士はアメリカの渉外事案を扱かっちゃダメという言い方をしています。結局勝手なんですが、そういう人の移動がサービスの自由化という問題でこれから出てきます。さまざまな分野でこういった問題が非関税障壁だとして出てくる可能性があります。
国内産業の雇用の空洞化が起きることも目に見えています。金融サービスなんかはすでに一部始まっていますが、外国の金融機関あるいは保険会社がどんどん日本に入ってきて国際化するわけです。アメリカのターゲットは郵政で、日本の郵便局はお金を持っていて、ここが強すぎるからさらにもっと民営化しろという要求です。それから共済事業にも目を向けていて、JAもそうですが、共済事業にアメリカの企業が参入できるように自由化をやれとか、いろいろなことを言っています。こういうことがありますので、消費者としてもTPPの問題にはさまざまな方面から目を向けなければいけません。
わたしどもはいろいろ集会・デモをして、ほかの生産者団体、市民団体と一緒に活動をしてTPPの問題点を訴えて、11月に向けて運動をしていきます。原発震災以降、国内の産業秩序、エネルギー問題、景気回復あるいは復興のためには、貿易の自由化を足がかりにしようという論調も、ややもするとあるかもしれません。特に食品では、放射能汚染があるから外国の農産物の方が安全じゃないか、安く入るならいいじゃないかという議論があります。また、すでに加工食品のメーカーなどは、原材料に外国のものを入れることも始まろうとしています。
そういうふうに安易に考えるのではなくて、貿易秩序とか日本の農業とか流通の問題を、しっかり自分たちで考えていくことがまず必要です。貿易の自由化で復興に道筋をつける発想には、わたしは賛成できません。いま農業分野では非常に課題が大きくなっていますが、TPPの問題をみんなに理解していただいて、ぜひ反対の声をこれからもあげていきたい。それから非関税障壁部門の問題も、さまざまなところが影響を被ります。
このとんでもないパートナーシップ協定はゴメン被ると、わたしは声を上げたいと思います。
帰島して4か月が経ちました。やはり青と緑が違います。子どものころは「西之表のチ○○○」と揶揄されていましたが、私は今「西之表の軽井沢」と言っています。それくらい夏でも涼しい。ことに夜は。
種子島の人口は現在約31,000人。うち西之表市は16,951人、世帯数7,569。65歳以上31%。昨年より1,247人減。当然女性が千人くらい多い。市の行政単位は小学校単位に分割され、「A校区」と表記され12校区ある。私が住んでいるところは立山校区にあり、御牧自治会という。1885年台風のため米国船カシミア号が漂着したことで有名(?)。
区の人口は65世帯125名で、12区中11番目。ちなみに最大は榕城校区8,315人。6自治会で構成され(そのうち1自治会は住民0)、先日の敬老会では、125名中55名が70歳以上でした。小学校は生徒5名、うち赴任教員の子ども1名、保護者世帯3。ほとんどが農業漁業に従事。唯一の商店も近日中に廃業とか。路線バスも来年2月で廃止。御牧は18人11戸中70歳以上が8人。3人以上世帯無し。鹿のほうが多いかも。夜は周囲真っ暗。よって月と星がきれい。
さて、馬毛島の米軍基地化問題ですが、
7.2抗議集会の後、急きょ「反戦、平和・熊毛」を立ち上げ、先行の「馬毛島への米軍施設に反対する市民団体連絡会」(以下連絡会)に加入。連絡会は自民党系、民主党系、共産党系、女性の会、漁業組合、サーファーグループと色とりどり。米軍基地化反対の一点で大集結とか。
7.6「岩国基地に見る米軍基地の現状と問題」と題して、田村順玄岩国市議の講演あり。「一旦受け入れる姿勢を見せると、国は徹底的にそこを食い物にする。熊毛の人と連帯して闘おう」。主催「馬毛島の自然を守る会」。
7.8「馬毛島を守る女性の会」(以下女性の会)決起集会。「戦争加害者になりたくない」。
8.11金子ときお氏(相模原市議)来島。「基地の実情と反対運動について」講演。「騒音は防衛省説明より広範囲に及ぶ。日米合意があっても市民と市長が連帯すれば、撤回させられる」。主催「米軍基地等馬毛島移設問題対策協議会(1市3町首長、議会議長で構成)」(以下協議会)。
8.17「なぜ私たちは反対なのか」。主催「女性の会」安保地位協定の問題、騒音、交付金等についての説明あり。
8.28連絡会会議に初めて参加。代表が三宅島の例を説明の後、署名や情宣、デモ等これからの運動のあり方を協議。市の人口約17,000人中10,000の署名を目指すことに。
9.3市内2ヶ所での署名活動に、連れ合いと参加。
9.6市議会傍聴。質問議員4名中N議員が70分のほとんどを馬毛島問題に絞り、「協議会」が行っている署名は「地方公務員法」に反しないかと執拗に質問する。翌日も含め質問議員8人で同様の質問は無し。
9.21「馬毛島訴訟」会議に出席。原告団の再編とその二次募集について討議。
10.23サーファーグループの主催で「津波と福島の現状」で奥本英樹福島大准教授の講演。「補助金をもらっている地域の人ともらっていない地域の人とを同じ仮設住宅に入れたが、喧嘩になり、次からは別々に入居させた」。「原発の最大問題はコミュニティーの崩壊」と言いつつ「私は脱でも反原発でもない」。との発言があったので、私はこれからもこの地でしっかりと反原発運動をしていきたいとの発言をしたが嫌味に取られたかも。
賛成派の動向としては「自衛隊訓練施設設置の推進を求める会(代表中原勇-自衛官OB)(以下求める会)が8月1日、市内スーパー前で署名開始。7月29日の臨時委員会で不採択された陳情書を、9月の市議会定例会に合わせ署名を添えて提出するとか。4,000人の署名を集めて議会の態度を変えたいとも。結果15名中3名の少数賛成で不採択となる。また9月吉日付けで「求める会」は「市自衛隊父兄会」に「相手が『組織力』なら我々は『使命感と情熱』で勝負」と署名を要請しているが、その中で交付金により高齢者児童生徒の医療費無料や市内循環バス、スクールバスの無料増便、或いは各種工事整備等の補助金10%を謳っている。更には雇用の創出等…。
10月14日、協議会は県知事に対し、反対が各市町でいずれも過半数に達し、30日にも首相に提出すると伝えた。1市3町の人口45,455人の54.4%に当たる24,709人(未成人も含む)が署名。島外を含めると69,052人、賛成署名は伸び悩んでいるとか。
10.20対策協議会の7人は、首相と防衛省に島内外70,002人の反対署名を提出し、あらためて共同文書からの削除を求め、神風政務官は「重く受け止める」と。また民主党陳情対策本部は「地元の理解がないまま進めることは考えられない。」と回答したという。
以上が現在までの「馬毛島」問題の動向ですが、防衛省側は所有者と用地交渉に入り、その他でも「密かに」地域住民等に接触しているとか。
2011.11.6 和田 伸