菅直人内閣が退陣し、民主党は代表選挙に入った。 今国会の後半から民自公3党は事実上与党化したような政局がつくり出される中で、代表選候補者の多くが何らかの形での大連立志向を示している。今後の政治を考える上で、自民党の動向に注目しなければならない。
自民党国家戦略本部(本部長は谷垣禎一総裁)は2011年7月20日、同党の中長期的な基本政策をまとめた「日本再興」と題した国家戦略本部「報告書」を発表した。同党はこの国家ビジョンを次回衆院選のマニフェストの基本とする考えだ。
発表した谷垣総裁によれば、「報告書」の狙いは、「日本には岩盤のように保守の人びとがしっかりと根を張って地域を守っている。自民党は一時、この岩盤のような保守層を置き去りにしたのかも知れない。今一度、地域に立ち返るべきだ」と民主党との違いを鮮明にし、保守回帰宣言をするところにあるという。
戦後、長期にわたって政権政党だった自民党は、現在、野党の立場にあるが、迷走する民主党政権に対する圧力を含めて政権に少なからぬ影響力を持っている。また民主党が09年衆院選マニフェストから後退につぐ後退を重ね、支持率を大幅に低下させるなかで、両党の間では「大連立」への動きもやまない。いま自民党がどのような国家戦略を持っているのか、今後の市民運動の方向を考えるためにも、その政策の検討は不可欠だ。
報告書は6つの分野((1)成長戦略、(2)社会保障・財政・雇用、(3)地域活性化、(4)国土保全・交通、(5)外交・安全保障、(6)教育)に分れており、東日本大震災からの復興に向け、既存の原発の安全確保と稼働・維持を当面容認し、将来の他の地域の震災にも備えた防災対策に10年間で集中的に予算を投入するなどとして、従来の公共事業削減方針の転換、消費税率を当面10%まで引きあげ、学校の式典での国旗掲揚、国歌斉唱の義務化、なども明記した。それぞれ重要な問題であるが、原発震災の最中にある今日、自民党がなおも原発の稼働維持を掲げたことについては、これまでの国の原発政策の責任と合わせて、徹底的に批判されなくてはならない。
しかし、この小論では、特に第5分科会報告(高村正彦座長)で従来の外交・安全保障政策の転換を主張(国家安全保障会議の常設、集団的自衛権の法制化、非常事態法の法制化ないし憲法への挿入、自衛隊海外派兵恒久法の制定、非核3原則の緩和、武器輸出3原則の緩和など)しており、この部分について取り上げておきたい。
この第5分科会のサブタイトルは「『世界ととともに平和である日本』『世界とともに繁栄する日本』をめざす」というもので、これがキーワードに位置づけられている。この報告を貫いている政治路線は、サブタイトルの「世界」という用語を「米国」に置き換えるとまったく明瞭になる。「報告」の冒頭の「21世紀における国際社会の変容」という項の世界情勢認識は、「相対的に影響力を低下させつつある米国」と不離の「日米同盟」を強化することで対応していく、骨の髄まで対米従属がしみこんだ自民党の決意表明となっている。
以下、「報告」で具体的政策として打ち出されているものを検討する。
「報告」は「国家安全保障会議を常設する。武力行使事態であれ、今回の大震災・原発事故のような事態であれ、スピーディな情報集約と意思決定が可能となるよう、官邸の組織を見直す。同会議は、平時にあっても、情報収集、分析などを行う」としている。
かつて安倍首相の時代に、首相官邸機能強化の一環として、安全保障問題担当の内閣総理大臣補佐官(小池百合子)とともに、米国の国家安全保障会議を模倣して日本版NSC(JNSC)を作るため、国家安全保障に関する官邸機能強化会議(議長:安倍晋三首相、議長代理:小池百合子首相補佐官)を設置した。安倍内閣は2006年の第166国会で安全保障会議設置法等の一部を改正する法律案(安保会議設置法改正案)を衆議院に提出したが、翌年の安倍首相の政権放棄でこの構想は頓挫した。いま自民党はこの構想の復活を企てている。これは後述する「非常事態法」の制定と合わせて考えると、極めて危険な超憲的で、強権的な機構になる恐れがある。
報告は「集団的自衛権の行使を認める」として、「それにより公海における米艦防護、弾道ミサイル防衛を可能とする。また、集団的自衛権を行使する範囲を法律で規定する」としている。従来、「憲法第9条違反」とされてきた「集団的自衛権の行使」を、「合憲化」し、9条改憲に先立って、それを立法で正当化するというのである。
かつて安倍晋三内閣は明文改憲への動きを全力で強化する一方、集団的自衛権の「合憲解釈」の動きも強化した。2007年5月、安倍内閣において組織された「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」は安倍首相の意向に沿って、「集団的自衛権行使に関する従来の政府の憲法解釈」の一部見直しをめざしたものであった。その内容は4つの類型で示され、「(1)米艦防護、(2)弾道ミサイル防衛、(3)国際平和活動の際の武器使用、(4)いわゆる後方支援」を合憲解釈することであった。この「安保法制懇」の討議半ばで安倍が辞め、「集団的自衛権行使の合憲化」への動きは頓挫したが、今回、それを復活させようとしている。
この間、9条改憲論者の緊急のターゲットは米国とともに海外で戦争ができるようにするための集団的自衛権の行使であった。90年代から日米両政府が9条改憲を急いだ理由は、ここにあった。しかしながら、世論の大きな反対の前に9条改憲には高い壁があることを思い知らされた自民党は、9条改憲を実現するまえに従来の政府の憲法解釈を自ら変えて、「集団的自衛権の行使」を法律で正当化するというのだ。私たちはこの政治手法を「立法改憲」と呼んで批判してきたが、許せるものではない。
「報告」は「アフガニスタン及びイラクの復興支援、アデン湾沿岸諸国・アフリカ東海岸諸国などへの平和構築/海賊対策分野への支援、中東和平への貢献を着実に実施する」などと強調している。「報告」はこれを自衛隊の海外派兵に関する一般法(恒久法)を制定して進めようとしている。
安倍内閣当時に組織された(2007年5月)「安保法制懇」は2009年8月、麻生内閣に報告書を提出した。この「安保防衛問題懇報告書」は「日本は、PKO以外での自衛隊派遣のうち、安保理決議の要請を踏まえた多国間の取り組みについては、テロ特措法やイラク特措法など、その対象と期限を限った特別措置法によって対応してきた。しかし、その都度法律を作ることは、時間的な損失、政治状況による影響、派遣基準が不明確などの点で問題があり、また特別措置法では情勢変化に伴う修正や延長が必要な場合、あらためて法的手続きが必要となる。こうした点を踏まえ、日本が国際平和協力により積極的に取り組むため、自衛隊が参加できる活動範囲を拡大する観点から、活動を行う国際的枠組み、参加する活動の範囲、武器使用基準、国会の関与のありかたなどを規定した恒久法の早期制定が必要である。このような恒久法の制定は、国際平和協力に関する日本の基本方針を内外に示す上でも有意義である」 としていた。
この問題では、2006年8月、自民党国防部会防衛政策小委員会(石破茂委員長)が「国際平和協力法」(案)=海外派兵恒久法案(石破試案)を策定した。その後、自公両党は2008年5月に「与党・国際平和協力の一般法に関するプロジェクトチーム」(座長・山崎拓自民党外交防衛委員長)を作り、「国際平和協力活動のための一般法の検討について」という基本文書をとりまとめた。
今回の「報告」はこれらの延長上の動きで、「PKO活動への参加を積極化する。その場合の武器使用を国際基準に合わせる。即ち、駆けつけ警護及び国連のPKO任務に対する妨害排除のための武器使用を認める。そのための国際的平和活動に係る一般法を制定する」としている。まさに、PKO5原則の緩和と、「いつでも、どこへでも」米国の要請に従って自衛隊を海外に派兵できるようにするための派兵恒久法の制定が狙われている。
報告はこの問題でわざわざ「改憲」にも触れ、「非常事態(武力攻撃事態も含む)に際して、国として迅速な対応が可能となるよう我が国の法制度・組織を見直し、憲法を含め必要な整備を行う」としている。
大震災後の4月末から5月の憲法記念日にかけて、中曽根康弘・元首相らの「新憲法制定議員同盟(改憲議員同盟)」や桜井よしこ氏らの「民間憲法臨調」が、菅内閣の震災対応の不手際にかこつけて、憲法に「非常事態条項がない」からだ、これは憲法の欠陥だというキャンペーンを強めた。これを援護射撃するかのように「読売新聞」も社説(5月4日)で「本来なら改憲が要るが、すぐできないなら『緊急事態基本法』をつくれ」などと述べた。この動きは、国家安全保障会議の設置の主張と同様、緊急時には首相に強大な権限をあたえ、基本的人権を制限する企てであり、危険なものだ。
(6)非核3原則の破壊、「2.5原則化」へ
「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の非核3原則は1967年、佐藤栄作首相(当時)が表明し、国会決議されたもので、以降、この原則はヒロシマ、ナガサキを経験した日本の「国是」とみなされ、広く市民の間に定着してきた。しかしながら、2010年の民主党政権下で行われた外務省有識者委員会の調査でも「米軍核搭載艦船の立ち寄りを容認する密約」の存在が確認されるなど、日米政府によって、この非核3原則は事実上、破られ、「2.5原則」状態にあった。
今回の報告書はこの現状を積極的に追認し、「これを、陸上への配備は認めないが、核兵器を積んだ艦船等の寄稿などについては容認する『非核2.5原則』への転換を図る」と明記した。これは「密約」の露呈を経て、世論の中で「非核3原則の法制化」による3原則の遵守の声が上がる中で、自民党の居直りだ。こうした動きは、東アジアの平和を実現する上で重要になっている朝鮮半島の非核化への動きを作っていく上でも、百害あって一理もない。今日、東日本大震災を経て、脱原発=核廃絶への世論が高まる中で、この「報告」は世論への逆行だし、冒頭に指摘した「原発保持」の政策が、自民党などの一部に根強い核兵器開発能力の保持の欲求と切り離せないことからみても、容認できない。
「報告」は「日米安保条約に基づく同盟関係は、わが国の外交・安全保障の根本を成し、日本の安全保障のみならず、アジア太平洋社会の平和と安定のための公共財となっている」という立場を確認し、いっそうの日米同盟の強化・深化に努力するとして、「普天間など合意ずみの懸案を処理し、日米防衛協力を推進する」「兵器の国際共同開発は世界の趨勢であり、わが国もその対応を急ぐ必要があり、武器輸出3原則の精神を堅持しつつ、米国をはじめとする特定の先進民主主義国との間で、わが国の技術の活用をはかる」などとのべ、武器輸出3原則の緩和をめざしている。
民主党政権下で日米両政府が、昨年の日米安保条約改定50周年を機に策定することで合意していた新たな「日米共同宣言」を、このほど断念するに到った。菅首相の退陣問題との関連で、その舞台として予定されていた日米首脳会談が中止となることが濃厚である。そのうえ、普天間基地の移設の見通しもたたず、米側が強く要求していた環太平洋経済連携協定(TPP)への参加が先送りされ、経済分野での連携強化も打ち出しにくくなったことなどが理由である。
「新宣言」は、「集団的自衛権」の行使など日米安保の再々定義にも匹敵する課題の実現を想定し、日米同盟のさらなる強化の象徴となるはずだった。この点でも、今後、自民党は民主党政権への批判を強めていくだろう。
「報告」は「07(「平成」7年)大綱以降縮減されている防衛力を、今後の新しい安全保障環境に適応させるため『質』『量』ともに必要な水準を早急に見直し、適切な人員と予算の強化を図るべく、新たな防衛計画の大綱及び中期防衛力整備計画を策定する」と述べている。また「南西諸島(尖閣、与那国、石垣、宮古)が脆弱である現状にかんがみ、自衛隊の駐留等により、これを強化する」とものべ、民主党政権下で出された専守防衛、基盤的防衛力構想などを放棄し、いっそうの飛躍をめざした「防衛大綱」の路線をさらに危険な方向へと進めようとするものだ。
また、報告が、「日韓の防衛協力を強化する」などとして、韓国との実質的な同盟関係の構築による日米韓三角集団安保(軍事同盟)の形成をねらっていることも見逃せない動きだ。(高田 健)
西村智巳さん(ジャーナリスト)
(編集部註)7月16日の講座で西村智巳さんが講演した内容を編集部の責任で集約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。
今回の原発事故ですが、大変ひどい状況でわたしも仕事を離れて一市民として本当に怒りを禁じ得ません。この間、何万人ものデモがありながら報道されません。原発を巡る状況がゆがめられて報道されている可能性が非常に強い中で、電力不足のキャンペーンが張られています。実はそうではない、というところからお話を進めたいと思います。
その前に、この間の原子力被災で健康被害の問題も大きいです。加えて雇用破壊、中小企業を中心に禁止区域、周辺区域は風評被害も含めて非常に厳しい状況があります。その当たりをごく簡単に紹介します。いま、原子力損害賠償紛争審査会が賠償の問題をやっていて、いろいろな事業者団体がヒアリングを受けています。全国旅行業協会が、福島原発事故による被害状況を集めました。福島県支部会員の主な声として、震災発生以降福島県民の旅行需要がほとんどなく、開店休業状態のため従業員を一時解雇したとか、営業は再開したが原発事故が収束しないとまったく営業にならない、このままでは秋冬の旅行にも大きな影響が心配される。原発事故により、ほとんどの会員は風評被害で仕事がない。東北地区の中学生のスポーツ大会が他県に変更されるなど、非常に営業を侵害されています。
全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会というホテル関係の団体は、3月12日、震災翌日以降の宿泊はすべてキャンセルされ観光客がゼロの状態が続いて、旅館ホテルの経営が困難になる。政府の金融支援策があっても旅館ホテルそのものがなくなっている状況では返済計画もたてられない。稼ぎ時の5月のゴールデンウィークでさえも売り上げが昨年の5割減で、老舗の大手旅館の倒産も相次いでいる。大きいのは訪日外国人が減っていて、外国の方が原発事故以降まったく来なくなっています。東京以北の日本が危ないということで、外国政府が日本への渡航を注意喚起したことが、訪日外国人が少なくなった原因ですね。福島県の旅館ホテルの売上高は、ゴールデンウィーク中で対前年比7割も減少しています。風評被害のあった茨城県でも、やはりゴールデンウィークで5割減です。
全国石油商業組合というガソリンスタンドの団体があります。福島県に728あるガソリンスタンドで、37カ所が営業停止を余儀なくされています。売掛金の回収ができないとか、周辺地域にあるにもかかわらず放射線量が高いため取引先の撤退や縮小が相次ぎ、売り上げが減少しています。緊急時避難準備区域に所在しているガソリンスタンドの場合、軽油の売上高が54%減少していて、小野町ではガソリン、軽油、灯油それぞれ44%、57%、57%と大変な売り上げ減です。こういった市井の人びと、一生懸命働いている人びとが今回の原発被災によって、商売があがったりだ、事業も撤退せざるを得ない、従業員も解雇せざるを得ないという厳しい状況があります。
外国との通商もまったく成り立たない状況です。法務省によると震災直前の1週間の外国人入国者数は15万7千人でしたが、震災直後の1週間では5万8千人にも急減しています。再入国許可を有しない観光客やビジネスマンの入国は12万7千人から3万8千人まで大きく減少しています。外国人の出国者数は14万人だったのが、震災直後の1週間では24万4千人に急増しています。震災直後には在京の大使館はアジア1ヶ国、欧州5ヶ国、中南米4ヶ国、中東3ヶ国、アフリカ19ヶ国が一時閉鎖して、西日本や海外に機能を移転しました。外資系企業では東日本、太平洋沿岸地域の拠点を一時閉鎖し、国外や関西地方への移転に踏み切るところもありました。
輸出品に対しても非常に厳しい措置がとられておりまして、米国も検査をしたり、地域によっては通関も拒否されています。貨物についても、アメリカの海上保安庁や米国国土安全保障省の規定にもとづいて放射能検査をおこなっています。EUでも日本から輸出される食品飼料については証明書の添付をもとめており、サンプルの検査を実施しています。韓国、中国、マレーシア、インドネシア、タイなどでも工業品や食料品の事実上の禁輸がいまでも続いています。通商も厳しい状況に置かれていて、日本経済全体がだめになるんじゃないかといわれています。
政府も閣議決定で政策推進指針を決めまして、非常な危機感を抱く中でエネルギー政策を再検証することは決定されています。国家戦略室では原発依存度は引き下げる方向性を打ち出し、菅総理も先日、原発の依存を将来は引き下げたいという、あとで個人的な見解ということでよくわからないんですが、そういう話もありました。ところが、相変わらず原子力を維持していきたいという経済産業省を中心とした動きですが、政府の中にも確執があります。大きな流れの中で、原発の利権を維持したいがために電力が足りないというキャンペーンを張っている伏線を見る必要があるのではないかと思います。
今日の朝日新聞によると昨日は猛暑で最大電力量を更新し、午後2時の段階で需要が4640万kw。これは最大だった11日の4594万kwを50万kw上回る電力消費量だったそうです。ところが供給力に対する需要の割合を見ると88%で、余裕がないといわれる90%は超えていません。つまり電力は足りているんです。以前わたしは「消費者リポート」誌上で、電気は震災直後に1200万kwくらいは足りなくなるという記事を書いたんですが、その後状況は一変しています。
確かに震災直後は福島第一、第二原発で900万kwが被災し、火力発電所も東北、関東を中心に合計1200万kw被災しました。全体の4割が被災したわけですが、その後供給力をどんどん積み増しして、現状では需給バランスはとれています。7月13日に、東京電力の新しい社長も「東電管内の電力は足りている」と話しています。最近では電力は足りていることが一部マスコミからも出てきていますが、需給バランスがとれているという話は5月頃から明らかになっていたにもかかわらず、足りなくなるという漠然としたキャンペーンが張られていました。
東京電力の記者会見の発表記事を見ていくと、7月14日、7月末に東電管内の需要が5500万kwに対し供給が5680万kw-これはいちばん新しい東京電力の発表記事ですが-これによると電力は足りているわけですね。過去にさかのぼってみてみます。
3月25日の発表では、7月の予測は需要がピークで5500万kwに対し供給力は4650万kwしかない。需要と供給を差し引いた予備力はマイナス850万kwで、全然電気が足りないという話だったんですが、徐々にガスタービンを積み増ししたり、被災した火力発電所を復活させたり、自家発電を東京電力に送電させるということをして、さらに節電が進んだことによって急速に改善していくわけです。
5月13日の時点では、7月の予測は需要が5500万kw、供給は5520万kw、予備力が20万kwのプラス。8月予測についても需要が5500万kwで供給は5520万kw、これも予備力は20万kwのプラスになっています。その後も東京電力は需要予測を発表し続けているんですが、7月1日の時点でも、7月予測では180万kwのプラス、8月でも60万kwのプラス。7月8日の発表を見ても7月は180万kwのプラス、8月予測は60万kwのプラスです。不足している事態はこれまでありません。最初に申し上げたように、昨日のいちばん猛暑だった時点においても電力は足りています。
仮に経済産業省がいっている過去最高の需要のピークの6000万kwになったとすると、7月ではマイナス320万kw、8月はマイナス500万kwの供給が不足しますが、率にすれば5.3%、7.3%の不足です。これは節電するなりガスタービン等を増やせば何とかなる数字です。この小さな数字に対して騒ぐこと自体がおかしいです。なぜ基本的に需給バランスがとれているにもかかわらず、政府がこれだけの電力不足キャンペーンを張っているのかということを考えていきたいと思います。
東京電力は今夏の電力供給見通しを上方修正しています。7月末の見通しはこれまでの5200万kwを5520万kwに、8月末の見通しについては5070万kwから5620万kwにしています。これは供給の積み増しが急速におこなわれていまして、報道もされていますがタイとかアメリからガスタービンを輸入しています。それを既設の火力発電所の空いた敷地に敷き詰めて発電しています。火力発電所もどんどん復旧していて、長期停止していた横須賀火力発電所も運転を再開しました。原発がなくても、実はLNGや石油の火力発電所は大量に余っていて、それを復活させれば電力はじゅうぶんに足りる状況にあるわけですね。
東京電力の発表によると、これまでの追加供給力は3月25日時点で鹿島火力発電所1~6号機、常陸那珂火力発電所1号機などで760万kwが復活、長期計画停止火力の運転再開、横須賀火力発電所の3号機4号機も再開している。品川火力1号系列第1軸、横浜火力7号系列第2軸など等で370万kw、外国から輸入したガスタービンの設置で40万kw、これだけの供給の積み増しがおこなわれています。3月25日以降になるとさらにガスタービン等の設置で、7月+20万kw、8月+80万kw、千葉火力、袖ヶ浦火力敷地内などにタービンを設置しています。震災で停止したり定期点検だった火力発電が復帰しています。鹿島共同火力などが110万kwです。
それから揚水発電の活用などで400万kw程度を見込んでいる。こういうかたちで4月15日以降もガスタービンをさらに設置する、それで7月で80万kw、8月で150万kw。5月13日時点では横須賀火力発電所を除いた東京電力すべての火力発電所を復帰することを折り込んでいます。それと自家発電の余剰の購入と揚水発電の活用等々で供給電力はじゅうぶんなんですね。7月14日の報道で横須賀火力発電所も再開しています。そういう状況で、追加供給力は十分あるという現状を見る必要があると思います。
次に原発以外の潜在的な電力供給量はどれくらいあるのかということですが、資源エネルギー庁が2009年8月にまとめた長期エネルギー需給見通しがあります。政府のエネルギー予測です。それで見ると2005年度の設備容量、発電所のキャパですが、その実数と全体の発電所に占める各発電の割合を表しています。たとえば水力発電は4574万kwあります。全体の発電所に占める割合は19%です。一方で原子力は4958万kwですが、全体に占める設備容量の割合は21%です。水力とそんなに変わらないんですね、原発の設備容量は。
火力発電所は1億4303万kwもあって全体の59%を占めます。内訳を見ると石炭火力発電所3767万kw(16%)、LNG5874万kw(24%)、石油4662万kw(19%)となっています。
いろいろいわれますが火力発電所が占めるウェートが高い。これは設備容量ですから実際に発電している容量ではなくてキャパシティの能力の量ですが、これが約6割を占めている。地熱発電は全国で52万kwにすぎず、限りなく0%に近い数字になってしまいます。太陽光発電、風力発電などの再生可能エネルギー、新エネルギーは250万kwで1%くらししかない。実態的にいうと設備容量は原発が2割、火力が6割、水力が約2割という中で拮抗して、火力が非常に設備容量は多いということです。
次に発電電力量、実際の電力量はどうかというと、水力が813億キロワットアワー(kwh)でこれが全体の8%、火力が5940億kWhで60%、内訳は石炭が2529億kWh、LNG339億kwh(24%)、石油1072億kwh(11%)です。原子力は3048億kWh(31%)、地熱が32億kWhで0%に近い数字、新エネルギーが56億kWh(1%)です。実際に発電している量を見ると原発が30%、火力が60%、その中のLNGが24%ということでLNG火力と原子力の発電量はほぼ変わりません。
ここで何が言えるかというと、原発は設備容量が全体の2割に過ぎないのに、なぜか発電に占める割合が高いということです。何でこういう現象が起こるかというと、火力発電を全部休眠させているわけですね。発電所全体の設備は過剰状態ある。それをあえて火力を止めて原発を運転して電気をつくっているわけです。それがこの発電の電力量にしめるシェアに表れています。原発の設備容量よりも実際に発電する容量が多いという偏った数字が出ているのはこういう理由です。
追加供給余力の話に戻りますが、埋蔵電力と報道されている自家発電を全国の企業で持っていて、それを生かせば相当の電力供給ができるんじゃないかといわれています。ただ残念ながら現状では埋蔵電力の正式な統計がないようですね。報道によると菅総理が経済産業省の松永事務次官と細野資源エネルギー庁長官に調べさせています、自家発電のポテンシャルがどのくらいあるかということを。
電気新聞という業界紙の報道ですが、全体で5373万kwの自家発電があると判明したそうです。記事をなぞりますと「ただし、電力各社の供給力に織り込まれている卸供給設備を除くと、設備容量は3445万kw。このうち約260万kwは今夏の供給力として電力会社に充当されている。問題は、残りの3200万kwをどこまで供給力として見込めるか。エネ庁が262社に聞き取り調査をしたところ、利用可能な余剰電力は休廃止設備を含めても275万kwにとどまる。このうち売電の可能性があると回答があったのは116万kw。全体の設備容量に対し活用が見込まれるのは3割程度。」(7月13日付)と書かれています。いずれにせよ全体として5373万kwの自家発電のポテンシャルがあることは資源エネルギー庁で把握していることはわかりました。ずいぶん前の日本経済新聞の報道では6000万kwくらいあるだろうとありましたので数字的には一致していますから、そのくらいはあるんだろうと思います。
これは週刊誌の記事ですが、自家発電をやった方が電力会社から電気を買うよりは企業の採算という意味でも非常に効率がいいところが多いという実態が紹介されています。ちなみに自家発電設備の出力約6000万kwは東電1社分とほぼ同規模です。たとえばJR東日本は川崎火力発電所と信濃川発電所(水力)を保有しているんですが、東日本大震災後の計画停電を受け、供給量を1時間あたり56万kwhから62万kwhに増強しました。「ラッシュ時の急激な消費電力増に対応するため、両発電所を造りました。現在は電力使用量全体の6割を自家発電で賄っています」と広報部は言っています。
新日本製鐵も君津共同発電所を東電との折半出資で所有しています。「鉄を造る関係で、常時、石炭が大量にあります。その石炭を有効に利用できると考えて発電所を建設しました。君津製鉄所の使用電力の9割は自家発電です」(広報部)とのことです。採算制の問題を考えると、「電力会社から電気を買うのはバカバカしい」という企業が多くて、たとえば2004年に稼働した舞鶴発電所の建設費は5700億円かかるのに対して、神戸製鋼所が保有する2002年稼働の神鋼神戸発電所は2000億円しかかからない。発電コストの約5割を占める建設費で、1kw当たり2.2倍も違うということです。
企業から見ればコストは安い方がいいに決まっているわけですから、企業は自前の発電所を持って少しでも安く電力を供給することはできますが、わたしたち消費者は結局独占企業である東京電力から電気を買うしかないという、電力も押しつけられている実態があります。電気というのは何も電力会社だけが作るんじゃなくて企業もつくっているし、あるいはエネファームなどの分散型電源もだんだん普及しつつあります。家庭でも電力をつくることができるわけです。
実態として東電1社分くらいの自家発電がある-こういうことはいままで隠されていたわけですが今回の原発の問題でだんだん明るみに出てきています。発電容量が原子力は2割しかないにもかかわらず発電電力量は3割になるのはなぜか。原発がなければ停電してしまうようなキャンペーンが、政府やマスコミでおこなわれているのはなぜか。それを見るに当たっては、電力会社が発電所それぞれに性格付けをして、こういういった役割で発電しますよということを決めているわけですが、それを見ていくとかなり「解」が出てくると思います。
電気はためておくことはできません。電力の消費は毎日昼と夜では違いますし、季節によっても全然違います。電力消費量は変動があり、それに対応するには発電所は出力調整ができた方が、効率がいいはずですね。ところが原子力は、発電の需要の変動に応じて電力の供給量を瞬時に動かすことができないという性格があります。出力調整ができないわけです。では、あえて出力調整がまったくできない原発をなぜたくさんつくったのか。
原子力発電は、ウランを採掘し、立地し、廃炉にするときのコストですとか再処理のコスト、また今回のような事故を起こせばコストはさらにかかります。コストはかかるんですが通常の運転だけを見ると非常にランニングコストは安い。そのランニングコストはほとんど燃料費ですね。
火力発電は天然ガス、それを液化したLNG、それから石油などを焚いて発電します。原油価格など見ると、この間の中東情勢、リビアの動きですとかあるいはWTI(ウェスト・テキサス・インターミィディエイト・原油価格指標)とかヨーロッパ産のブレンド原油が100ドルを超えるような異常な状況にあります。いままでは80ドルくらいでした。価格が乱高下すると、企業から見るとコストの変動を追い切れないわけで利益が失われてしまいます。
それに対して原発の燃料のウランは原油などに比べて安定的に価格が推移している。ランニングコストは、燃料費の変動が大きい石油や天然ガスに比べればウランは安定している、一度どかーんとイニシャルコストをつかって原発をつくってしまえば、あとは稼働力を最高に高めて、電気を使おうが使うまいが電力を供給し続けた方が彼らにとっては採算がいいという性格が原子力にはあります。
そういった理由もあって本当は使えるのに、出力調整もできて電力需要の変動に対して機敏に対応できる火力をあえて閉じて原子力をたくさんつくっている実態、供給構造があるわけです。そこはきちんと見ておく必要があると思います。
原子力はイニシャルコストが安いと言ったんですが、買収費用だとか廃炉のコスト、再処理の問題、今回のような事故を起こしたときの天文学的な賠償費用などの外部コストを考えれば、原発のコストは高くつくものです。それを電力会社が見ていなかったのは、独占企業で競争が働かないので、コスト意識がなかったのかなという感じもあります。
もうひとつ、電力不足キャンペーンを張っている背景にあるのは、原発は出力調整がきかないので、昼でも夜でも電力を供給し続けていることです。これだけ暑いので、夏はエアコンをつけますね。産業界が使うほどには、わたしたち一般家庭で使う電力量は多くないです。しかも夜は電気をそんなに使っていませんが、電気はどんどん送り続けています。電力会社の方は、使ってほしいということで仕掛けを作りました。オール電化住宅のセールスが、地方の戸建て住宅を中心に展開されています。いまは震災で状況は変わりましたが、オール電化は危なくないし子どももやけどしない、クリーンだ-これはうそですが-、そういう宣伝がされて普及率が高い。ガス会社と電力会社の競争はありましたが、その背景には夜に使わない電気をいかに使わせるかということがあったんですね。
マスコミがそういった電力会社の思惑に乗せられて、電力会社を批判できない体制が完全につくられている実態があります。友人で産経新聞の記者がいるんですが、ある官庁の記者クラブに朝日新聞の記者がいて、そのデスクが「うちは脱原発はもうやらないからな」と怒鳴っている、というはなしをきいたこともあります。さすがに菅さんの発言以降は、新聞社も原発依存は下げようという世論が動いてはいますが、つい最近までは震災以降も、電力会社を擁護する傾向の強い報道がされています。電力会社から多額の広告をもらっている実態もありますし、マスコミと業界との懇親会などで近い関係ができてしまって批判ができない傾向が強まっていて、特に電力業界に対しては本当に批判ができていません。
原発の設備容量が18%しかないのに発電量は3割を超えている話をしましたが、これによって火力が休眠状態になっていて、発電所は設備過剰になっています。原発の稼働率だけを上げ火力のほとんどを停止していることがその理由です。設備利用率を見ると水力が25%、火力が43%にたいし、原子力は83%もあるんですね。いまは不祥事などで6割くらいに落ちていますが、あれだけある火力発電所の稼働率を下げて、原子力発電所の稼働率を8割に上げているんです。たくさんある発電所の中で原発だけを過剰に動かして、それを軸にほかの発電所はおまけみたいにしている。これは新エネルギーを導入することの足かせのひとつにもなっています。
石油火力の場合、なぜそんなに設備が休眠しているのか。1979年に国際エネルギー機関(IEA)が加盟国に対して、石油火力の新設やリプレイス(修復)をするのをやめなさいという勧告をした。当時の通産省が石油の依存度を引き下げることを狙いに勧告をつかいました。しかしこれは何の罰則規定もないし、わたしが役人に聞いた話だと事実上これを守っている国はないというんですね。ところが資源エネルギー庁はその後も石油依存度を引き下げるという大きな政策を、IEA勧告を非常に厳密に活用して、いまだに石油火力は休眠しているわけです。一方で石油火力の場合はCO2を排出します。これは別の問題ですから、わたしも石油火力を全面的に復活させればいいとは思っていません。ただ原発だけが高い稼働率にあって、ほかの火力発電所はなぜ使っていないのかという背景にこういう問題があるということです。
その原子力の設備稼働率は現状6割くらい、通常は8割くらいす。それをもっと引き上げて9割くらいにしようという動きが昨年ありました。経済産業大臣の諮問機関で総合資源エネルギー調査会に設置された原子力部会が舞台です。この当時原発事故が相次ぎ、稼働率が6割くらいだったと聞いています。その稼働率を上げるために、自治体に交付する「電源立地地域対策交付金制度」を見直す方針を示しました。発電量に応じ、立地自治体に重点的に資金を配分することが柱です。これは国のエネルギー政策の指針となるエネルギー基本計画案にも盛り込まれているので、いまも生きていると思います。エネルギー基本計画は今度改正する動きがありますが、まだ作業が始まっていません。
この電源立地交付金は、わたしたちが支払っている電気料金に付加されています。電源開発促進税が財源になっています。わたしたちの電気料金が原発の稼働率をあげるために使われています。原発の稼働率を上げるということは、東京電力をはじめ電力会社の採算をよくして彼らをもうけさせるための供給体制を揺るぎなくするために仕向けられているものです。さらに言えば、原子力以外の発電設備をビジネスチャンスとしたい企業もたくさんあるんですね。太陽光発電とか地熱発電もそうですが、こういった体制では参入する機会はないし予算や制度もないという実態もあるので、これも変えていかなければいけないと思います。
繰り返しになりますけれども、原発をベース電源に使うことは、需要のピーク以外にも大量には使わない電力を作り続けて、常に高い稼働率を維持しなければいけないように仕向けられてしまっているわけです。高稼働を維持しないと、電力会社の採算制に影響が出る供給構造になっています。そういう集中型電源、1カ所だけに電源が偏っている体制は、今回の震災もそうですが、一度壊れてしまうと修復は効かないし途方もないリスクが表れます。ですから原発をベース電源というとらえ方をやめにして、既存の発電所であればピークとかミドルといった出力調整が効くようなものをもっと活用することが大切です。
もうひとつはそれぞれの地域で電力を供給するような、分散型電源に徐々にシフトしていくことが電力供給のリスクを分散するためにも非常に有効な手段だと思います。そういう方向でエネルギー政策なり電力の供給政策を変えていかなくてはならない。そのためにはとにかくもう原発はつくらせない、いまある原発も順次廃炉にして、最終的にはゼロにしていくことを目指していかなければならないと思います。
原発以外のものをどうやってつくっていくのか、という議論に今後なっていくと思うんです。中長期的エネルギー政策の議論ですけれども、そういうプランニングをこれからやらなければならない。集中型電源から分散型電源へという方向性は、政府もおおむねその方向です。あとは原発をどのくらいに引き下げて、最後にゼロに持って行けるかという工程表をつくらなければならない。
たとえば財界、経済界からも、原発の依存を引き下げるプランも出てきているんですね。経済産業省の産業構造審議会の中の競争力部会というところでも、エネルギー政策の議論をしている。そこに提出された資料ですが、中長期的エネルギー戦略を見ると原発共存と書いてあるんですが、原発の新増設は3基だけです。現行では2030年までに14基つくることになっているんですが、3基だけつくって原子力発電所の稼働率は75%に抑える。いまは6割くらい、通常は8割くらいのものを75%にする。ここがミソなんですが、経年劣化が進みますから40年でいまの原発はすべて廃炉になります。廃炉になる原発をリプレイスはしないとしています。
そのスケジュールでいくと、2020年に原発の発電量は2600億kWhになるというんです。こういった考え方を突き詰めていくと既存の原発もどんどん老朽化して廃炉になるわけですから、あと30年、40年たてばすべての原発はなくなります。こういった経済界の側からも原発依存をやめようという意見がかなり出てきているんです。あとはこれからの議論の中で段階的にどうやって廃絶していいけるかを、きちんと検証していくことが必要であると思います。飯田哲也さんも20年後には10%まで原発依存度を引き下げ、最終的にはゼロにするというシナリオを出していますね。
そういう状況ですが、それでも経済産業省は原発をまだまだ推進したいという気持ちが非常に強いんですね。いまどういったエネルギー政策の話がされているかです。エネルギー政策は、いままで経済産業省が経済産業大臣の諮問機関である総合資源エネルギー調査会で、エネルギー基本計画を3年に1回作成していました。そこで長期目標をつくり原発を2030年で14基つくる、供給は50%にする計画をつくったんですが、今回の原発事故を踏まえて菅さんが全部白紙撤回しようということになりました。そういう議論を受け、エネルギー基本計画をこれから見直そうという動きがあります。
もうひとつの流れとして経済産業省にエネルギー政策は任せられないということが官邸側から出てきています。玄葉さんがやっている国家戦略室が新成長戦略実現会議をつくって、エネルギー環境会議というエネルギー政策を検証するところをつくりました。そこで政府主導でエネルギー政策をやろうという流れがあります。議長をやっている玄葉さんは、菅さんが将来は脱原発というよりかなり前の段階で、原発の依存度を引き下げるための中長期的エネルギー政策をやると、記者会見ではっきり言っています。
経済産業省は相変わらず、利権もあり、原発輸出をしようということです。これは民主党政権になってからパッケージ輸出ということで、鉄道とか水とか原発も輸出して、日本成長力の源泉にする政策を決めたわけですが、それをへし折られることもあって引くに引けないところもあります。国民世論を背景にした玄葉さんの国家戦略室と経済産業省の対立があって、そこの綱引きが今後どのように展開していくかが重要だと思います。エネルギー基本計画を策定する総合資源エネルギー調査会は、本来は6月中に開催されるところでしたが、いまだに開催されていません。経産省も将来の見通しの判断をしかねているのかもしれません。
マスコミでは、原発の依存を下げなければいけないという論調は、産経新聞を除くと強まっていますが、つい最近までは原発がないと電力供給も不足するし経済もだめになるという論調が強かった。最近はちょっと変わっては来ていますが、それでもまだ経済産業省の原発を維持したいという力と、官邸の成長戦略の綱引きをきちんと見据えている報道は見えにくいと思います。
政府は国家戦略室率いる新成長戦略実現会議のもとにエネルギー・環境会議を設置して、これまで経産省が総合資源エネルギー調査会で主導したエネルギー政策の奪還を始めました。7月14日の記者会見で菅首相は「計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくなってもやっていける社会を目指す」と発言した。でもこの発言も個人的な発言とか、閣僚懇談会でも思ったことをいっただけだとか、すべて政局に利用されている。脱原発という正しい方向に動いていることも、菅さんを辞めさせる材料に仕向けているような報道が現状だと思います。確かに菅さんの政策というかキャラクターの問題もあるとは思いますが、分散型電源を目指すという考え方自体は間違っていなし、それをどうやって支えていくかという方向性の中でいろいろな議論がもっとあっていいはずです。いまのマスコミは腐っているとしか思えないんですけれども、ああいうていたらくの報道で国民もだまされているんじゃないと思うわけです。
経産省も反撃を始めています。新成長戦略実現会議のもとに設置したエネルギー・環境会議の中で海江田経産大臣が提出した資料をみると、原発が再起動しないとこれだけの損失があるということが書かれています。仮に定期点検等で停止した原子力発電が再起動できないと、約1年で全ての原子力発電が停止(供給力で4770万kwを喪失。国内の発電電力量の3割に相当)する、供給力喪失分を火力発電によってある程度代替可能ではあるが、追加的な燃料コストの発生、長期停止火力が復帰した場合の脱落リスクの懸念もある。仮に全てを火力発電で代替するとして試算すると、今年度は約1.4兆円の燃料コスト増となる(震災を受けた東北、東京電力の増加分を含むと計約2.4兆円)。それ以降1年間全て停止すると仮定すれば、1年間でコスト3兆円超増加。化石燃料輸入増による国富流出及び国民負担増につながる。こういうことを言っているわけです。
日本エネルギー経済研究所という政府系のシンクタンクでは、火力発電の稼動によるコスト増で電力料金が月1000円アップと試算しています。1000円という金額をどう考えるかということですが、原発をやめさせるためのコストだと市民の側が考えるのであればそれをよしとするということもひとつの考え方と思います。
分散型電源、これから再生可能エネルギーをどのように普及させていくかということです。全量買い取り制度は震災のときに法案が国会に提出されましたが、これが通れば菅さんはやめるといっています。これを成立させれば太陽光発電、風力発電の電気を電力会社が買い取ってくれますから、コスト低減につながり市場にどんどん普及していくひとつの引き金になる可能性は非常に強いと思います。
もうひとつは現状ではまだ市場に普及していないので、エネファームにしても太陽光発電にしても非常に高い。太陽光発電は取り付けるのに100万円とか300万円かかるといわれますし、しかも戸建て住宅しかつけられないのでマンションに住んでいる方とかには無理ですね。5人に1人がワーキングプアといわれていて年収200万以下の人が非常に多い。小泉政権の労働市場の規制緩和が進んでひどい状況がもたらされてしまったんですが、そういった中でなかなか出費できない人も多いです。これも普及の足かせになっている理由のひとつなので、量産してコストを低減して技術力を高め、安くコンパクトなものを開発してどんどん使えるようになる枠組みを進めていく必要があります。
いずれにしても全量買い取り制度の成立は必要だと思います。今度の「消費者レポート」でも書いたんですが、再生可能エネルギーの電源がなぜ立地促進されないかという理由のひとつに、いまのエネルギー特別会計の制度にあるという問題提起をさせいただきました。
というのは、いまのエネルギー特別会計は、むかしは石特会計(註1)と電特会計(註2)に分かれていて、旧電特会計は事実上原発の立地予算のためだけにほとんど使われていました。もんじゅの開発の研究費などにも充当されていますが、ほとんどが電源三法に基づく交付金の原資になっています。その中で太陽光発電、風力発電を立地させるための余地はほとんどゼロに近い。2003年に電特会計に電源多様化勘定をもうけた。そのとき政府は、石油の依存度を引き下げるために非石油系の発電所をたくさんつくらなければいけないという政策があって、それを旧電特会計の中に制度を設けた時期があったんです。しかしなぜかそれが外されて燃料政策、いわゆる石油政策の会計に移管させられています。
そのときに電力の自由化の議論、いま送発電分離の議論もありますが、2003年に総合資源エネルギー調査会であったんですが、電力会社の圧力で見送られています。送発電分離をおこなわないと、結局地域独占の中でなかなか風力や太陽光発電が育たないんですが、要するに育てたくないから全部見送りにさせられたんですね。そのひとつの根拠として、会計制度の中に旧電特会計に風力や太陽光を立地させる勘定があったけれども、それを全部石油特別会計に移管させたのではないかと思っています。エネルギー政策も全部原発を中心に回っていくように、政府の予算の制度から法律から決められてきた。その積み上げがあるわけですから、それを徐々に変えていく必要があると思います。
註1:石炭並びに石油及びエネルギー需給構造高度化対策特別会計
註2:電源開発促進対策特別会計
菱山南帆子(学生)
本書の発刊は、2011年8月15日となっています。「誤ちは繰り返しません」と誓ってから66年目。東日本での巨大地震と津波、レベル7の福島第一原発事故から5ヶ月目。あと1ヶ月で<9・11>10年目となります。著者の方達はいろんな思いを込めて、とりわけ次代を担う中高生に本書を提供されたのだと思います。
私は中学1年の時、アメリカがイラクに攻撃を開始する時期に、戦争反対と訴え、アメリカ大使館に座り込んだりしました。そんな中で本書の著者の一人高田健さんと出会いました。高田さんはその頃から中高生であった私達に期待を寄せ、やさしく接してこられました。その姿勢は変わることなく本書の内容はもちろん、タイトルにも反映されていると思います。
私は中三の時、日比谷野外音楽堂で開催された「5・3憲法集会」において、「私たちが20歳になる5~6年後に改憲が予想されています。成人すると同時に強制的に銃を握らされることになるかもしれません。私は戦場で血を流し、必死に生きているイラクやパレスチナの子ども達と連帯して私達の未来をつくっていきたいと思います」と発言しました。それから7年後の現在、私は22歳になりましたが、銃を握らされる事態はむかえていません。しかし、“改憲”への流れは<政権交代>で一旦停滞しているかのようですが、大震災をうけて「現憲法は非常事態を想定していない」からやはり改憲しようとか、米軍の「トモダチ」作戦を軍事同盟容認に結びつけたり、中東に自衛隊の本格的駐屯地をつくろうとするなど改憲につながる動きが活発化していると思います。
私はイラク戦争開戦直前から戦争反対を訴えるビラを校内で配り始めました。それは高校生になっても続けましたが、私たちの行動に対して、一部の保護者から「もっと勉強してから」とか、「大人になってからでもできる」などと否定的な声がありました。
しかし、今の社会で“もっと勉強し大人になる”ということは<想像力>や<思いやり>を捨てていくことと変わりないのではないでしょうか。中学生は高校受験を、高校生は大学受験を、大学生は就職活動をと常に仲間と競わされて、目先の利益に振りまわされ続けることによって、社会の矛盾や未来に対する豊かな発想や闘うエネルギーが奪われてしまうのだと思います。だからこそ私は中高生に受験のための参考書や過去問を横に置き、本書を是非手にしてほしいと思います。もちろん大学生や社会人にも読んでいただき、平和憲法のすばらしさと大切さを再認識し、その思いを行動へとつなげてもらいたいと思います。
本書を読んで初めて知ったことの中で、アフリカのカナリア諸島の中のテルデ市に、「ヒロシマ・ナガサキ広場」と名づけられた所にスペイン語に訳した“9条”の碑が建てられているということが印象深かったです。
このような事は受験勉強で学ぶことは決してないだろうし、“9条”平和憲法を持つことに誇りを感じ、その素晴らしさを伝え、実践していきたいと強く感じました。
互いに銃を突きつけながら空いている手で握手して友好が築けるのか?。それが真の平和と言えるのか。平和は与えられるものではなく、創り出すものだと思います。努力なくして平和はありえません。戦争を体験した人を祖父母に持つ最後の世代として子どもの頃聞かされた戦争の体験談を次世代に語り継ぎ、改憲に反対し、平和憲法を実践する事が私たちの役割だと思います。
イラク戦争を止められなかったため、瞬く間に10万人を超える人びとが殺されてしまったように、また、唯一の核兵器による被爆国でありながら原発を容認してきたため、今未曾有の原発事故に苦しんでいるように、もし改憲を阻止できなかったら……。9・11から始まった私の活動は、3・11によって生活・生存からの活動へと変わる予感がします。とりわけ、許し難い原発事故に対して若者の反乱が始まっています。改憲反対の運動の担い手が反原発を闘い、反原発の若者が反改憲を闘う、このようにして未来に向かう流れが生まれることにこれからも努力していこうと思っています。
藤井純子(第九条の会ヒロシマ)
今年は、8月6日朝日新聞朝刊大阪本社版(近畿地方、北陸、中国4県、四国地方)に15段、朝日新聞東京都心と山口県全域に5段を掲載することができました。2月から半年間、取り組んできた意見広告ですが、ご協力があったからこそできたのです。心より感謝申し上げます。
「子どもはおとなが守らんとイケンよね」
広島弁このタイトルが、お分かりいただけるのかな? とちょっと心配でした。福島の人たち、とりわけ子どもたちのヒバクが心配で「ヒロシマの責任」を考えて生まれてきた言葉です。そしてサブタイトルは「戦争も原発もない、緑と青の地球を未来へ」とし、イラストも合せて描いてもらいました。そして皆さんからの様々なメッセージを掲載させて頂きました。
東北の復旧、復興、原発事故の収束が急がれる今、政治がすべきことは改憲ではなく、憲法の精神に立ち戻り、人々の生きる権利を保障し、命を守ること! 力を合わせて行動しようよと訴えました。
意見広告面のコピーを3000枚、8月6日朝6時半か原爆ドーム付近で配布しました。今年は、8・6新聞意見広告と一緒に、毎年出してきた「市民による平和宣言」と、今年初めて作った「みんなの平和宣言」をセットして配布しました。
私たちの意見広告をみて8.6の朝、早々に電話がありました。「心に思っていることが書いてあって、そうだそうだと力強く読みました。」「原発や米軍に多くのお金が使われているんですね。悔しい…」また「頑張って下さい」と激励も頂きました。「名前が小さすぎるよ」というお叱りも頂きましたが、紙面をご覧になって、ご感想、ご意見など、お寄せいただければ幸いです。
福島原発事故によりヒバクシャを生み出してしまった今年、核兵器と原発を分けないで、ヒバクをテーマに一緒にやりたいなという声が出てきました。3月から息つく暇もなく行動をしてきた「原発なしで暮らしたい人々」のメンバーが8.6の「みんなでウォ-ク」を呼び掛け、1500人が集まりました。午後の集会は、昨年まで核兵器廃絶をめざす集会と劣化ウラン兵器の禁止を実現するための全国交流会とがそれぞれ行っていたのですが、「みんなでウォ-ク」も入って合同の集会が実現できました。
被爆地でありながらなぜ原発を容認し、中国電力は原発を作るのか?とよく聞かれます。少なくとも私たちはこれまでも、「核を軍事利用と商業利用に分けるな」「戦争責任をあいまいにするな! 在外被爆者に謝罪し償え」と言ってきました。しかし広島市や被爆者団体を先頭に「核兵器廃絶」は訴えるものの「ヒロシマは反原発は言うな」「ヒロシマは加害を言うべきではない」が大勢でした。
しかし最近、反原発は言わない訳が分かってきました。米国と日本政府が意図的に「アトムズ・フォー・ピース」としてヒロシマを利用したのです。ビキニ核実験第五福竜丸被爆の怒りと恐怖は、女性たちを突き動かし、原水爆禁止を求める署名は3200万筆(広島で100万)にもなりました。それが1955年8月広島での第1回原水爆禁止世界大会につながったことはご存知でしょう。そうした中で米国が原発を日本に売り込むために「原発は平和利用だ。核兵器とは目的が違う。苦しめられた核が平和に使われるのは喜ばしい」としてヒバクシャをも欺き、ヒロシマが原発推進に使われることになったのです。翌1956年には、原爆資料館で原子力平和利用博覧会も開かれ、多くの広島市民、子どもたちも動員され、私も記憶に残っています。それ以後、平和都市ヒロシマの運動で原発問題が大きく取り上げることはありませんでした。
しかし今、平岡敬元広島市長のように「平和利用という言葉に惑わされた」と間違いを自ら認め、原発を否定する誠実な人も出てこられました。被爆者の中にも、証言をする時には脱原発も、9条も話していきたいという声が聞かれるようになりました。広島も変わらなければ…。
この実行委員会は元気でした。上関の海を祝島島民と共に守ってきたカヤッカ―たち、従来からやってきた私たち、そして毎回、新しい人が加わります。非暴力であれば誰でもOK。意見がどんどん出て、納得するまで話し合い、呼びかけ文を書きあげ、やっとのことでチラシが出来ました。
記者会見をし「さぁ呼びかけよう!」という時になって、「みんなでウォ-クでも平和宣言を出そう」という声が出ました。広島市の平和宣言が脱原発から後退することが分かったからです。従来組はこれまで20年「市民による平和宣言」を出してきましたが、「いろんな平和宣言があっていいんじゃない」ということになってそれからがまた大変。原案にいろんな意見を取り入れ、アーサー・ビナードさん(3月から在広)に英訳を依頼し、ぎりぎり8月5日夜遅くに完成。この会は、話し合いでは常にみんな対等です。やりたいことがたくさんあって、できるだけ実現しました。7月末から連日昼夜、繁華街でビラまきをし、その上で8.6前の集会を見つけては会場前で配布したり、ナビア(電光掲示板)をなぜか無料で活用したり… 若い人たちと、今回新しく加わった人とのコラボレーションは、従来組としては経験も素直に聞いてくれるし、嬉しい限りでした。
8.6当日、朝からチラシ配布、8時15分ダイ・イン後、「みんなの平和宣言」を読み上げ、ウォ-ク出発。広島市の平和式典に出た人がチラシを見て加わって下さったし、子ども連れの人たちもたくさん。そして北海道、福島、首都圏、浜岡、名古屋、関西、山口、四国、九州、沖縄…、各地から駆けつけて下さいました。これも、それぞれの繋がりを駆使しての合作です。
始めは思い思いのプラカードやバナーを持って静かな祈りのウォ-ク、中電本社だけは「原発止めろ」の大合唱(在特会の挑発にも乗らないように注意しつつ)、最終地点の噴水前には炎天下、韓国、フィリピン、タイ、インドネシアなど、ノーニュークス・アジアフォーラムの人たちも駆けつけて下さいました。玄海、伊方、島根、浜岡原発からの現地報告もあり、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマの被爆者に思いをはせ「みんなでウォ-ク」を無事終了しました。
集会は4団体合同が実現し盛りだくさんでした。長くなるのでお2人だけ特記しますが、下記のように内容のある提起ばかりでした。
肥田舜太郎さん… ヒロシマの人にお願いをしたい。福島の人には「汚染されてないものを食べなさい、逃げなさい」と言いたい。だがそれが無理なら、これから覚悟を決めて自分で内部被曝と闘うべし。広島も原爆投下されて放射線を浴び続け、何も知らされず逃げられなかったが、生き残った人もいる。ボクも多くの被爆者を診て内部被曝をしたが、こうして生きている。被曝をしてもすぐ病気にはなるわけではない。後で病気にならないよう放射線に負けない丈夫な体を作ってほしい。日本政府は、アメリカの基準を使い、内部被曝について考えようとしない。ぶらぶら病や鼻血が出ても病気じゃないと言うだろう。いずれ福島、東北の人々から広島や長崎の被爆者に聞きたいということがあるだろうが、出来る限りの援助をしてあげてほしい… 肥田先生は、原爆投下直後から救護所で被爆者治療をされ、本当に重みがあります。でも子どもたちの食べ物や水はやっぱり心配になります。
佐藤和良さん(いわき市議会議員)には、集会やドーム前で何回も発言をして頂きました。「広島だからこそ反原発を!」という思いをビンビン感じました。また、「ヒロシマ・ナガサキの放射線の権威者が『直ちに健康に問題はない』として福島県、国と共に県民を県内にとどめている。ヒバクの記録を取り、福島の人々はモルモットではないか!」これには怒りを隠されませんでした。
「福島県民は、自主避難したいと思っても、経済的、社会的に難しい。国は避難したい人が避難できるような施策をとるべきだ。健康調査もABCCのように調査のための調査であってはならない。福島に住めばヒバクを免れない。憲法25条の生存権(15頁下段へ)(14頁より)を保障するためには「被曝者援護法」を早急に作るべきだ。健康管理手帳を配布し、手帳を持てばどこでも検査、治療ができ、働けない人には生活保護を、損害賠償とは別に医療、福祉、総合的な国が責任をもって援護対策をするべきだ。
今、いわき市は福島の中でも放射線の値が低いため1万5千人が避難されていて今後2万人に増える見込みだ。また原発労働者が増え、原発立地町がいわきに移動した感がある。交通量も増え、傷害事件も起き、夜の飲食店街など街が変貌した。住宅、ゴミ、教育、社会保障、病院、介護施設、雇用… その上、放射性瓦礫、廃棄物の管理など問題は山積。自治体だけでは到底できないことは国が財政負担を考えるべきだ。原子力委員会は環境省の外局などではなく独立させるべき。相当な長期間が要するだろう。責任者は、汚染された水、食べ物をとり、当事者になる覚悟で社会的責任を負うべきだ。」と強く訴えられました。
今年の8.6は私の場合、5日早朝から6日の夜終わるまで緊張の連続でしたが、皆さんからたくさんのエネルギーをもらい、気合で乗り切れました。でも本当はこれからです。福島原発事態が収束し、脱原発が実現し、被曝者が救われなければ。そして平和に生きる権利を保障する憲法改悪が止まるまで。 2011年8月19日
栗田禎子千葉大教授が報告
7月28日、「自衛隊は南スーダンに行くべきでない~PKO5原則見直し、ジプチの基地建設など海外派兵に異議あり」緊急集会が、市民連絡会などいくつかの団体の共同で、衆議院議員会館で開かれた。東日本大震災という大変な中で、一方で自衛隊の海外派兵が進んでいくことを見逃すことなくきちんと意見を表明していかないと大変なことになるとの思いで開かれたものだ。集会には福島みずほ社民党党首、糸数慶子参議院議員(無所属・沖縄)、赤嶺政賢衆議院議員(共産党)が連帯の挨拶をした。また集会では、栗田禎子・千葉大学教授がスーダンの状況について報告し、質疑を行った。以下、栗田さんの講演を紹介する。
南スーダンへの自衛隊派遣の問題ですが、日本国内の政治としては、憲法9条に即して自衛隊は海外に行くべきでないことは自明のことです。巨視的に見ると自民党政権でも民主党政権に変わっても、政府はなぜか自衛隊の海外派兵の拡大を一貫してやってきています。ある場合にはイラクのようにアメリカの占領に協力する。アフガニスタンに送る話もありました。これがだめな場合には国連のPKO活動だ、それがだめな場合には今度は海賊対処法だといって送る。形態は様々であってもとにかく自衛隊を送ることを続け、海外派兵の実績をつくっていって、最終的には憲法9条改悪につなげていこうという動きは明らかだと思います。そういう意味では今回南スーダンに送る動きも、新しい国造りを応援するためだとか、人道目的だといくら言っても、客観的にはこの間の自衛隊の海外派兵の実績を作っていく営みの一環であることは明らかです。私たちは厳しく批判していかなければなりません。
今日は南スーダンの現地の情勢はどうなっているか。7月9日の独立をどうみるか。南北両スーダンはどういう問題を抱えていて、いまそこに自衛隊がいくと、どういう問題が深刻なのかなどについて、現地の情勢に即してお話しします。
7月9日に独立した南スーダン共和国の背景です。旧スーダン共和国から南部10州が分離する形で独立しました。国家分裂という形で起きた独立だったことを、まず最初に押さえておきます。では、どういう背景があって南スーダンの人たちがスーダン共和国から分離することを選んだか。現在のスーダン・バシール政権は、ウマル・バシール大統領の支配下にあって、1989年に軍事クーデターで成立しました。イデオロギー的にはイスラム原理主義の政権です。簡単に言うと、ちょっとスマートなアフガニスタンのタリバン政権みたいです。
バシール政権下のスーダンは、いま問題になっている南部や、少し前のダルフールなどの低開発地域に対する弾圧で知られました。同時にスーダン全体の国民にとってもとんでもない政権でした。国民はひとしく強権的な独裁的な政治のもとで苦しんできました。
もう南部が分離独立してしまったので未練がましいことですが、軍事クーデター直後の90年代は、スーダン国民の間では国家を割るのではなく、北部の民主勢力と南部をはじめとする経済的・政治的にうち捨てられてきた地域の人たちが、連帯する形でスーダン全体を民主化していこう、一致団結してバシール政権を倒し、スーダン全体を統一を守る形で民主化するプログラムがあったことは大事です。
南スーダン独立後の新政府を形成することになったSPLM・スーダン人民解放運動という運動体があります。ふつうマスコミ等では、南部の運動と言っていますが、名前のとおりスーダン人民解放運動で、決して南スーダンだけではないんですね。もともとは自分たちのかかえている南部の問題――1956年スーダン共和国独立後、低開発状態に置かれていて苦しんでいた地域です――は、決して南部だけの問題ではない。これはスーダン問題であり、スーダン国家全体の権力構造が間違っているから起きた問題だ。決して南部が分離すれば解決するのではなくスーダン全体の富と権力の分配の不公正、これを正すことで解決しなければいけない。南部の分離ではなく、「ニュー・スーダン」を作ることだ、という言い方していました。
行政区分的には北部に属する南コルドファーン州のヌバ山地、青ナイル州、西部のダルフールなどの地域があります。スーダン内部の中央・周辺格差は、南と北のように単純化できるものではなく、行政区分的には北部に属するところでも、立ち遅れ、経済的にうち捨てられた地域がたくさんあります。SPLMは南部だけではなく、このヌバ山地、南コルドファーン州や青ナイル州やダルフールでも活発に活動して、スーダン共和国の中の低開発地域を代表する運動でした。90年代は低開発地域の運動と、北部の、首都ハルツームにも強い労働運動や市民の運動があって、民主化運動があったんですね。これがいっしょになってバシール政権を倒し、スーダン全体の国のあり方を作り直す。民主化のなかには複数政党制の保障とか、宗教の政治利用を許さないために宗教と政治の分離、法の下の平等が含まれます。
経済的には開発格差を是正する。民主化して開発格差を是正することで、みんながこういう統一スーダンならとどまっていいと、どの地域の人も思えるような国をつくろう。民主化と経済格差の是正でスーダン共和国の統一を守ろうという動きがありました。
こういう動きは90年代に頑張ったんですが、バシール政権の非常な弾圧にあい、一方で国際社会も応援しなかったんですね。うまく応援すれば、スーダンはチュニジアやエジプトより先に民主化革命が起きる中東・アフリカ初の国になっていたかもしれないんです。実際には、アメリカをはじめとする国際社会はアフリカが民主化することは、あまり望んでいない。今回のチュニジアやエジプトで革命が起きたときも、アメリカは最初、うれしいようなうれしくないような、微妙でした。民主化は応援すべきだけれど、実は親米政権だからちょっとまずい、みたいなスタンスをとったことでもわかります。先進国は中東とかアフリカを本当に民主化して欲しいとは、そんなに思っていなくて、独裁政権でも親米政権で安定してくれればいいと思ったわけです。90年代のスーダン民主化運動は国際的の支援も得られずにつぶれていきます。
21世紀にはいりアメリカが介入してくると、もっと安直にスーダンが抱える問題を解決しようとします。南北でもめているようだ、南北で宗教も人種も違うようだから別れたら、という形ですね。それまでスーダンが抱えていた問題は必ずしも南北に単純化される問題ではなくて、バシール政権対、全スーダン国民という対立だったわけです。しかし、あえて南北内戦に単純化し、イスラム教徒・アラブが多数を占める北部と、キリスト教徒・黒人の南部があり、文化的にも宗教的にも違う2つが争っているらしい。その2つがとりあえず停戦して話し合い、最終的に南部が分離したいなら分離すれば。こういう形でアメリカが南北和平プロセスをはじめます。
これにバシール政権ものって、結果的にスーダン全体が民主化するのではなく、今回のような南北に分離独立する方向にカジが切られてしまった。
具体的には、2002年にアメリカ主導の「南北和平」プロセスが本格化します。2005年に北のバシール政権と南のSPLMの2者間だけの「包括和平協定」(CPA)が調印されます。最終的にその後6年間の暫定期間を経て、2011年1月に南部がスーダンにとどまることを選ぶかどうかの南部住民投票を行います。皮肉なことにこの南北和平合意は、スーダン全体を民主化することで問題解決をすることではなくて、北のバシール政権と南のSPLMの手打ちという形でした。アメリカが介入して進めたプロセスだったので、南部の分離という方向に進みましたし、同時に一種、北の独裁政権であるバシール政権がそれによって温存されてしまう効果ももたらしています。
アメリカは南が独立すればスーダンに関わる最大の問題は解決したので、北はそのままでいい、という姿勢をとります。そしてバシール政権はダルフールでのジェノサイドも引き起こした政権で、バシール大統領自身も国際刑事裁判所(ICC)に訴追されている犯罪者です。にもかかわらずアメリカを中心とする先進国が熱心に進めた「南北和平」プロセスの一方の当事者だということで、それを唯一のよすがとしてバシール政権が温存されています。つまり、バシール政権が倒れてしまったら、2005年から動き出した6年間の暫定期間がうまくいかないかもしれないし、南部の分離独立の動きが頓挫するかもしれないということもあって、国際社会が6年間はバシール政権を温存した、目をつむったわけです。それでこの「南北和平」プロセスは、結果的には南部が分離し、北では皮肉なことに独裁政権であるバシール政権が温存される結果ももたらしました。
21世紀に入ってから、アメリカを中心とする国際社会がスーダン問題の何らかの形での決着、南部の分離独立に熱心になった背景には、やはりスーダンの抱える資源があります。とくに21世紀になってから生産が本格化して、産油国になった南部の石油資源問題があります。それからアメリカの世界戦略上、スーダンが中東・アフリカの要であること、アメリカがアフリカの内陸に入っていくときの地政学上重要な位置をスーダンが占めているといわれています。そういう資源や戦略的・地政学的な重要性があったことは否定できません。
2005年の「包括和平協定」では、6年間の暫定期間にできるだけ信頼醸成をして統一を守ることもうたわれてはいました。しかし結果的に2011年1月に南部で住民投票をやってみたら、圧倒的多数の9割以上の人々が分離独立しようということを選んだ。そのことの判断は厳粛に受け止めないといけない。これまで独立以降のスーダン共和国の中で、ずっと低開発状態におかれてきて、反対の声をあげようものなら暴力的に弾圧されてきた南部の人たちが、はじめて自決権を行使した。その結果、独立を選択したことは厳粛に受け止められるべきです。今後は南部スーダンの、平和で民主的な国家としての発展をわれわれは応援していくべきです。
南スーダンと国境を接している北部スーダンは、どういう問題を抱えているか。2つのスーダンで解決すべき問題でよくあげられるのは、まず石油をどう分けるのか。スーダンは2000年紀に入ってから産油国に転じた。日本も、サウジや湾岸諸国とインドネシアの次の石油は、実はスーダンから入っている。けっこう日本にとってもスーダンの石油は大事なんですね。このスーダンの石油は南部から出るので、6年間の暫定期間中は北のバシール政権と南のSPLMの間で折半していました。今後はどういう風に分けるのか。もちろん南部スーダンは南で出るんだから俺たちの石油だというし、北部スーダンは、精油所が北部にあり、パイプラインが通って北部から輸出しているからその手数料を払えという。今後、石油収入をどう分けるかが問題です。
また、スーダンはナイル川が南部から北部を貫くかたちで通ってエジプトへ流れているので、ナイル川の水流問題、ナイルの水をどう分けるのかも、全然決まっていない重要な問題です。それ以上に直近の課題として深刻なのは、もともと南北スーダンという敵対的な2国が、国境を接する形で成立してしまったことです。6年間の信頼醸成がうまくいかなかった。北のバシール政権は和平プロセスの結果、むしろ国際社会で温存されてしまった。6年間に北部の民主化は進まなかったので、南部スーダンは、こんな政権と一緒にやっていきたくないと喧嘩別れをするかたちで独立したわけです。
国の場合、喧嘩別れしたからといって荷物をまとめて出て行けないので、結局隣にいるわけです。同じ隣国として国境を接して四六時中顔を見合わせなきゃいけない状態になった。はじめから敵対的な関係の2国家として出発せざるを得なかったことは重大な問題です。
その矛盾はすでに火を噴いていて、マスコミ等でもよく知られていることは、南北間の国境自身が確定していないことです。地図のアビエイというところですが、ここの住民構成は、南部で多数を占めるリンカという民族集団と北部のアラブ系の牛を飼う牧畜民が伝統的には混住していて、支え合っていた地域です。南北スーダンを分離するときに、アビエイは南なのか北なのか決まっていなくて、ここがたまたま産油地帯なので、非常に大きな問題になっています。
ここは、最終的にはアビエイで住民投票を行って住民の意志を聞いて決めることになっていたのが、引き延ばされていました。5月にバシール政権は一方的に北から軍隊を送って、ここを占拠してしまいました。その後、国連の部隊が入って引き分けていますけれど、いまアビエイ問題は南北国家間で未決着の最大の問題です。
また、この1ヶ月で急にマスコミで報道されるようになったのは、南コルドファンのヌバ山地という地域の問題と、潜在的に同じ問題を抱えている青ナイルの問題です。南コルドファンや青ナイルは、独立した南スーダンを挟む形で接している地域です。これは行政区分的には北部にあります。けれども、一般に北部が、宗教的にはイスラムで言語的にはアラビア語が浸透しているイスラム・アラブ文化が強い地域であるのに対して、このヌバ山地とか青ナイル上流の地域は、文化的・宗教的に必ずしもイスラムが100%浸透はしていません。また、アラビア語ではなく現地の言葉が残っています。文化的・宗教的にアラブ・イスラム一色の北部ではないわけです。
近現代のスーダンで中央・周辺の格差が広がっていったのは、19世紀末から数10年間スーダンを治めたイギリスの植民地支配の下でした。その中央・周辺格差や、権力や富の分配を公平に行わないことを口実にして、文化とか宗教の基準が逆に使われてしまう経緯がありました。南コルドファンのヌバ山地や青ナイル、ダルフールといった地域は、行政区分的には北部にありながら、低開発地域として取り残されてきました。これが90年代には、いま南部で政権を担うことになったSPLMの強力な基盤でもありました。
前にも言ったとおり、SPLMは南部だけの運動じゃなくて、南コルドファンや青ナイルなど北部の中の低開発地域の運動でもありました。これらの地域は、国際社会がむりやり、これ南北紛争でしょうと、南北間で線を引いてしまったことによって梯子を外され、北部スーダンのなかに取り残された地域です。
2005年のバシール政権とSPLMで結ばれた「和平協定」でも、この南コルドファンとか青ナイルについては言及があって、これらの地域は行政区分的には北部に属するとされてしまいました。アビエイは住民投票で帰属を決めるとなっています。行政区分的には北部だけれど、もっと住民の意見を反映する政治に転換するべきですし、そういうことも謳われていました。実際にはバシール政権は南部が独立した後、その約束を踏みにじってしまって、約束を無期限延期する形で口をぬぐっています。
さらにこの南コルドファンや青ナイルの地域は、従来SPLMの支持基盤だったので、SPLMの部隊が存在しています。それを独立前後から、バシール政権は強制的に武装解除しようと動き始めました。そういうこともあって6月上旬から南コルドファンで、バシール政権と、南コルドファン州ヌバ山地のSPLM及びそれを支持する住民との間で武力闘争が起きています。武力闘争といっても、実際はバシール政権による一方的な弾圧であって、そこではヌバ山地の住民をエスニッククレンジング・民族浄化といえるジェノサイドに近い形で無差別に殺しまくっているといわれています。流血の事態が起こり始めています。
似たような事態は青ナイル州でも起き始めています。こういう動きがさらに西につながれば、21世紀に入って国際社会で最大の人道悲劇といわれているダルフールの問題とまさに同じ構造です。ダルフール危機とも連動して火を噴いてくる可能性があります。
南スーダン独立後も、南北2国家間は一触即発の事態であって、絶えず戦闘が起きています。ひょっとすると戦争になる。これまではスーダン内戦だったけれど、南スーダン独立後は紛れもなく2国家間の戦争になる可能性を持っています。つい先日も、北部スーダンの政治家で、バシールによるクーデターの直前まで首相だったサディク・マハディ元首相が、「南スーダン独立後はかえって緊張が高まった、今後北部スーダンと南スーダンは基本的に冷戦状態の中で共存していくことになるだろう」といっていました。ひょっとすると冷戦ではすまなくって、熱戦になってしまう可能性もある事態が生じています。
これまで2国家間の問題をみてきましたが、それぞれの国も問題を抱えています。
旧スーダン共和国の最大の問題は、いうまでもなくバシール政権そのものです。バシール政権をチュニジア、エジプトにならって、ぜひ市民に民主革命を起こしてもらって倒すことです。北部スーダンが抜本的に民主化することがないと、ダルフール紛争とか南コルドファン、青ナイル問題など、北部スーダンのなかに取り残された低開発地域の問題が解決しないのです。それがさらなるスーダンの分裂とか分離独立の問題になっています。
今後は北部スーダンのさらなる分裂を防ぐ唯一の道は、民主化しかない。それはスーダン国民がたちあがることで、幸いスーダン国民は民主化闘争の伝統を持っていますので、それに期待するしかありません。
一方、今回独立した南スーダン共和国は、これも内部に矛盾を持っています。
一つは、独立の政権を担ったのはSPLMで、そのリーダーだったサルバキールという人が、初代の大統領に就任しました。SPLMは80年代半ばに結成されて、89年以降、北部の民主勢力とタッグを組んでバシール政権に対して抵抗運動をしてきた組織です。しかし基本的には南部をはじめとする低開発地域で、中央政府によるむき出しの武力弾圧にたいし武装闘争をしてきた。住民と武器を取って武装闘争をしてきた軍事組織です。中央政府の圧政に対する解放運動の担い手でした。
これが一転して、軍事組織から政党に脱皮しなければいけない。政党から政府に脱皮しなければいけないという課題をつきつけられています。これは必ずしも容易なことではありません。それまで軍事組織独特の上位下達で中央集権的で、時には何でも力で決めてしまうような意志決定のあり方をもっていた組織が、突然、民主的な組織になっていけるかといえば、そうでもないので、そういう矛盾ももっています。
これまで解放の闘士だったSPLMが、政権になったらにわかに一党独裁になって強権化していくこともあり得なくはない。さらに南スーダンは石油が出ますし、石油以外の希少な天然資源もあるといわれています。これらの資源をめぐってアメリカをはじめ先進諸国が、独立景気にわいている南スーダンに入り込んでいます。先進国が働きかける形で、独立後の利権をどうするかが大きな問題になってきて、SPLMが利権を独占する独裁組織になっていってしまう可能性も、そして腐敗していく可能性も否定は出来ません。
これまで南スーダンは北部の政権に抑圧されていたことで、まとまりがあったんです。ただ部族グループでみると、南スーダン人というものがあるわけではなく、多様な部族からなっています。独立した後は、その中で圧倒的多数を示すディンカとよばれる部族集団(SPLMの指導者もディンカから出ている人が多いです)と、それ以外の部族集団の矛盾が高まってくるのではないか。単に部族が違うということでは問題にならなくても、利権の分配とつながってくると、今度は南部の中で部族紛争というかたちをとって、利権の分配に絡まるような闘争も起きるのではないか。これまでは南北対立でしたが、こんどは南の中の紛争も起きるのではないか。そして実際に起き始めています。
さらに始末の悪いのは、この南南対立に北部のバシール政権が、“敵の敵は味方”みたいに介入する。バシール政権はSPLM率いる南部政府を不安定化させるために、SPLMではない少数派の南部のグループを支援しているといわれています。南内部の対立に、北部のバシール政権が微妙に干渉して、南部の中の不穏な状況もあります。
そういう中で、今回国連がPKO(平和維持部隊)を送ることが決定されました。この国連の南スーダンPKO活動、これはUNMISS(United Nations Mission in the Republic of South Sudan)というんですけれど、その性格を見ていきたいと思います。
このUNMISSは、この以前にUNMIS(United Nations Mission in the Republic of Sudan)という、先行するスーダンにおけるPKO活動があります。これは2005年の「包括和平協定」(CPA)が結ばれた後の暫定期間中に、南北間の和平を監視して和平協定がちゃんと実施されるように監督する名目で、国連のPKOが展開しました。これは南スーダンが独立したことで任務を終えました。この後継のPKOとしてUNMISSを作ることになりました。これは、南スーダン独立の前夜の7月8日に国連安保理決議1996号として決定されました。
これに基づいて国連が国際社会に協力を呼びかける。9条を持っている日本に対しても自衛隊を送れと言ってきました。国連は、もっと日本が9条を持っていることを認識すべきで、そういう不見識なことを言ってくるべきではないと思いますが。この安保理決議1996号はインターネット上でも簡単にダウンロードできますので、みなさんも是非検討して下さい。安保理決議1996号はいろいろ気になることが出てきます。
1つは、おとといの朝日新聞社説をふくめて日本での報道は、アフリカで一番新しい国が生まれた、ここに国連がPKOを送ろう、というものです。きな臭い、ドンパチやるようなところにいくPKOではなくて、むしろ民生支援で新しい国造りを応援するためのPKOだというイメージが先行しています。朝日新聞の社説でも南スーダンの国造りを応援しよう、みたいなことが前面に出ていました。
ただ1996号を読むと、ガバナンスを向上させるとか、民主化とか、健全な独立したマスメディアが作られるように監督するとか、軍隊と関係なさそうな仕事もあります。しかし、前提としてそこに書かれていることは、南スーダンが直面している問題は、依然として国際社会の平和と安全を脅かしかねない状態があることに鑑みてPKOを展開することにした、とあります。なので、そこに7000人の軍人と900人の文民、と書かれています。ここでは軍事的脅威がまだ去っていないので、軍事組織でなければ出来ない仕事だからPKOを展開すると謳われています。ここを押さえておかないといけないと思います。
今回の南スーダンPKOが任されている仕事をみると、平和定着があります。そのなかに民生とかありますが、前提として平和をつくりあげることがあります。平和をつくるということは、実は軍事部隊にしかできない仕事で、このことが強調されています。
それから、今後南スーダンで紛争予防をするとあります。紛争予防を丸腰でできるかというと、そうではなく、軍事部隊が必要だから軍事部隊を送ることになります。あるいはセキュリティセクターズといって、今後南部スーダンに安全をつくりだしていくために、現地の警察を訓練していきます。それもアメリカ軍が、イラクでもアフガニスタンでも警察をつくったのと同じように、武装した組織でないとできないと考えられています。
こういうように、新しい国造りだからといって、道路や橋をつくればいいという安全で平和なお仕事では、必ずしもないということを考えておく必要があります。
国連安保理決議1996号をさらに見ていくと、新しい国造りを手伝うだけではなく、一触即発の危機にある南北両国境間のモニタリングをすることが、すごく言われています。
同時に、ダルフールの国連部隊(数年前からダルフールの人道危機にストップをかけるためにアフリカ連合と共同で緊急に入った国際部隊)とか、5月にバシール政権が一方的に占拠したアビエイの部隊を引き分けるために国連軍が入りました。これらの国連部隊とも連携をとるといっています。そうすると、南部の中だけで道路を造っていればいいんではなくて、南北国境間のモニタリングもするし、北部に属するダルフールや、国境地帯のアビエイとかの国連軍とも連絡を取りながらやっていくことを要請されている存在であることがわかります。
さらに見ていくと、バシール政権の糸がついているような、SPLM主体の南部政府に反乱を起こしているような、南部内部の反乱者に対する対策や、武装解除を言っています。
また、南部には別の不安定要因があります。ウガンダとの問題です。ウガンダ北部から越境してきているLA(ローズ・アーミー)=主の軍隊というキリスト教原理主義のゲリラで、これがスーダンの南部に入り込んできて、SPLMと闘っています。やっかいなことにLAをバシール政権が応援している。敵の敵は味方ということで、なぜかイスラム原理主義を掲げるバシール政権が、ウガンダから来ているキリスト教原理主義ゲリラを応援するというねじれた状態もあります。これに対しても対策をとり、武装解除すべきだということが謳われています。
このように今回決定された南スーダンPKOは、かなり軍事的な仕事がメーンにあるPKOです。そのなかで、市民を保護する過程では明確に武力行使をしていいということが書き込まれているミッションであることを押さえておくべきです。そこに自衛隊を送っていいのかが問題になります
最後に、自衛隊派遣問題をさらに大きなコンテクストで考えてみたい。自民党や民主党の反動的な部分の課題として、憲法改悪にむけて何とか自衛隊の海外派兵の実績をつくりたい。イラクでもアフガニスタンでもソマリア沖でも南スーダンでも、何とか出したいという狙いはあります。では、中東・アフリカ・東アフリカという地域において自衛隊を派兵する意味は何か。
巨視的には、2000年紀に入ってスーダン問題や南スーダンの分離に国際社会が強い関心を持つようになった背景には、この地域が持っている豊かな天然資源とか、戦略的・地政学的な重要性があります。それに引き寄せられる形で東アフリカやアフリカの角といわれる地域――ジブチ・エリトリア・ソマリア・エチオピア――への先進諸国の関心が増しています。アメリカの国務省のホームページでは、アフリカの角にはスーダンとチャドまで含んで拡大アフリカの角という言い方がされていて、そこが今後アメリカの世界戦略上大事だと言われています。そこに日本もかんでいき、そこの危機管理に日本もくみしていくことを政府がねらっている。その中での南スーダンへの派遣だとも言われています。
南スーダンへの自衛隊派遣は、一見関係ないようにみえながら、2009年にソマリア沖の海賊対策を名目に強行された海賊対処法案の成立と、それに基づいてソマリアへ自衛隊を派遣した。その基盤をつくるためとして、ジブチと地位協定を結んで恒久的な自衛隊の軍事基地をつくったことが、着々と進んでいます。じつはこれと連動する可能性もあります。
これについては「朝日」の7月18日付けに非常にいい記事が出ています。ソマリア沖に派遣され、ジプチに基地を置いたことは、仕事が終わったら去るのではなく、長期的に東アフリカで日本がアメリカを手助けする形で軍事的プレゼンスを築いていく動きの第一歩になるだろう。その過程では、ジプチの基地と連動して南スーダンにも自衛隊を送る。連携づけられる可能性があると指摘しています。南スーダンに自衛隊を送ることが国造りの支援だけだはなくて、アメリカの要請もありながら、東アフリカ・中東における日本の軍事的プレゼンスを高める一環だということも無視できません。
こうしてみると、資源が欲しいからとか地政学的に大事だからといって、そこに先進諸国が積極的に関与して軍事的なプレゼンスを築くことは、現地の人からすれば植民地主義的な動きです。なので長期的にはしっぺ返しが来るだろう。短期的には南スーダンの人たちは、独立を国際社会が支援してくれてありがとう、何でも支援は歓迎だというかもしれません。でもやっぱり彼らも先進諸国が善意だけでやっている訳じゃなくて、我々の石油や資源が欲しいから、戦略的な意味があってやっていることは知っていますから、現地の人々の厳しいまなざしもある。長い目で見ると、植民地主義的な日本やアメリカの動きに対する現地の人々の反発も増してくる危険性もあります。
こういうことを考えると、たとえ国造りを応援しようという美辞麗句の下であっても、部隊を派遣することは言語道断です。やはり日本は医療とか教育とか、非軍事的分野で出来ることはたくさんあります。実際に、自衛隊という軍事組織ではなくて現地で汗を流してやっている日本のNGOや市民の人たちがいっぱいいます。むしろそういう動きを今後応援していく、強めていくことです。(文責・編集部)