大内要三さん(編集者・平和運動者)
(編集部註)6月18日の講座で大内要三さんが講演した内容を編集部の責任で集約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。
3月11日の事態で日本は大変変わりましたね。ここから見えてきたものを安保条約に即して考えたいと思います。防衛省の発表によりますと昨日現在でも岩手、宮城、福島の3県に実に約66,350名の自衛隊員が出動しております。そのうち原子力災害派遣が約250名です。最大時は10万名といわれて、いまでもこれだけの人が働かざるを得ない状況がある。被災地の人々は大変な生活をされていると思います。
自衛隊の出動は非常に早かった。地震発生は14時46分です。自衛隊が動き始めたのはわずかその4分後、防衛省に災害対策本部を設置したのが15時ちょうどです。仙台の霞目駐屯地の飛行場から映像機ヘリが飛び立ったのも15時、まだ津波がくる前です。地上の様子を撮影するテレビカメラを積んだ映伝機ヘリを飛ばして、被災地の状況を生中継しました。同時に各県庁に連絡幹部が派遣されて情報収集に動き始めています。
それに対して首相官邸の動きはかなり遅く、自衛隊への大規模災害派遣命令を出したのが18時です。原子力災害派遣命令が出たのは19時30分です。命令の3時間前から自衛隊は出動していたことになります。なぜ正式派遣命令がなくても動き出すことが可能だったのかといいますと、これは阪神大震災の教訓から、自衛隊法83条を改正して要請がなくても災害出動を可能にしたわけです。阪神大震災の後、各自治体と自衛隊との間でかなり細かな協議が行われ、いろいろなマニュアルが作られました。マグニチュード7以上の地震が発生したときは、当該地域の自衛隊は自動的に第3種非常勤務態勢に入ることになっていました。1時間以内に出動可能な状態にするという態勢です。
ところが被災地が非常に広範囲にわたりましたので、自衛隊自体もかなりの被害を受けています。松島航空基地は津波で壊滅的な被害を受けました。救難捜索機とか救難ヘリとか、F2戦闘機が18機まとめて津波でやられました。松島基地はブルーインパルスという航空自衛隊の曲芸部隊の所属ですが、この日は出張中だったので無事でした。宮城県の沿岸部に出動するはずだった仙台、多賀城の第22普通科連隊は、津波で車両が全部壊れてしまいました。
それでもなお、自衛隊がきちんと出動することができたのは、きわめて頻繁に訓練がおこなわれていたからです。とりわけ大きいのは「みちのくアラート2008」です。2008年10月31日から11月1日にかけて、陸上自衛隊東北方面隊の震災対処訓練です。宮城県沖でマグニチュード8の地震があり、大津波が来たことを想定しておこなわれた演習です。24の自治体、市民を含めて18,000人が参加する大規模な演習でした。
このほか昨年4月26日には統合幕僚監部が「首都直下地震発生時における災害派遣」という文書をまとめています。昨年10月に行われた「平成22年度総合防災訓練」は、なんと浜岡原発事故を想定した演習なんですよ。
また兵站、つまり人員・物資の輸送に関しては、本年2月17日に東部方面総監を長とする大規模な兵站演習が行われました。今回の出動では、補給ラインとして3本が設定されました。北海道補給処(島松)、関東補給処(土浦)、東北補給処(仙台)に、それぞれ前方支援施設(FSA)が設置されています。ついでに申し上げますと、宮城県知事の村井嘉浩さんは元自衛隊員です。陸上自衛隊東北方面航空隊のヘリのパイロットでしたが、退官後、松下政経塾・宮城県議を経て05年に知事となり、いま2期目です。
では自衛隊は実際どう役立ったんだろうか。救難活動でいうと、まず人命救助・避難場所への移送で19,000人を運びました。なお20の国から救難部隊が来たんですが、人命救助の実績はゼロでした。次に救援物資の輸送。東北自動車道を自衛隊は優先的に使用して、一元的に燃料・生活用品・水・食糧など、ピーク時には連日100トン以上の輸送を担当し、効率的な輸送ができました。ただし、自衛隊でなくてもできる部分にまで自衛隊を使って、救難活動や瓦礫撤去に支障は無かったのかという批判があります。
そして遺体捜索。4月20日までに8372体ですから、さらに多くの遺体を収容しているはずです。損傷した遺体を収容して、個人識別ができるよう遺体組織の一部を保存したうえで仮埋葬するという、誰もが尻込みするような作業が自衛隊に任されました。
これらが災害派遣出動の主な項目です。そして原子力災害派遣は、大宮の中央即応集団・中央特殊武器防護隊がメインです。これは旧101化学防護隊で、サリン事件などで出動した実績があります。生物・化学兵器に対応し、拡散した放射性物質から部隊を守る役割をしますので、対ゲリラ・コマンド戦では活躍しますが、残念ながら破壊された原子炉を修復する能力はありません。
爆発した原子炉周辺の片付けのために戦車も出動しています。自衛隊の持つ戦車ではいちばん旧型の74式戦車です。与圧によって外気が中に入らないようにできる、つまり放射性物質から乗員を守れるとのふれこみですが、自在に動くことはできずに撤退しました。90式戦車や10式戦車より軽いとはいえ38トンありますから公道を自由には走れず、富士山麓の駒門駐屯地からトレーラーに載せて運びました。
自衛隊出動で重要なのは、陸海空が統一された司令部の下で一元化されて働いたことです。自衛隊は陸・海・空、それぞれ別の組織として発足しましたのでそのあいだでは結構仲が悪くて、一緒にやることはなかなかやってこなかった。21世紀からは米軍再編に合わせて米軍と自衛隊も統合運用に変わってきて、演習も一緒にやることも増えてきました。しかし、実際に陸海空が統一司令部をつくったのは今回が初めてです。3月14日に災害統合任務部隊JTF-TH(Joint Task Force 東北)が組織され、司令官は陸上自衛隊東北方面総監・君塚栄治陸将です。仙台に司令部ができました。ただし原子力災害対策だけは中央即応集団の管轄になりましたので、司令部は朝霞でした。
約24万人の自衛隊員のうち10万人、定員を割っていますので実際には約半分の人間が東北に貼り付けになりました。後の半分で日本を守ることができるのか。できてしまったんですね。この間、誰も攻めてこなかった。自衛隊は半分でじゅうぶんだということが明らかになったと思います。
では、ロシアや北朝鮮や中国は、確かにやってきてはいたんです。3月17日には、ロシア空軍の電子情報収集機イリューシン20が日本海で日本領空に接近しています。航空自衛隊がスクランブル発進して領空侵犯のないように対処しました。3月21日にもロシアの戦闘機スホーイ27がウラジオストクから秋田沖へと抜けています。また同日はロシアの電子戦機アントノフ12が能登半島沖から北海道西方沖へと飛びました。これらは、日本の領空警備状況の偵察もあったでしょうが、とりわけ原発事故データ収集の目的もあったのではないかとわたしは思っています。
中国は3月26日に国家海洋局のヘリZ9が、東シナ海で海上自衛隊の護衛艦「いそゆき」に70メートルまで接近しました。4月1日には同じ国家海洋局のプロペラ機Y12が同じく60メートルの至近距離まで接近しました。これらは尖閣諸島警備状況の視察でしょうが、海軍ではなく、日本の海上保安庁にあたる国家海洋局であることに注意する必要があります。中国は不要な挑発にならないよう配慮していたわけです。
そして自衛隊は、半数が災害出動する中でも、主力部隊は温存していました。千歳の第7師団。練馬の第1師団。熊本の第8師団。那覇の第15旅団。いずれも主体部分は被災地に送っていません。自衛隊災害出動をどのように見るか。自衛隊は、首相官邸の情けなさに比して、たいへん頼もしい、有り難い存在となりました。彼らの活躍は、正当な評価をする必要があると思います。ただし、命令や要請なしにこれだけ動いていいのか、軍主導の災害対策でいいのか、というあたりはもう少し検討する必要があると思います。
もうひとつ米軍の「オペレーション・トモダチ」という名前が大変宣伝されました。とりわけ大きかったひとつはアメリカの空母ロナルド・レーガンが3月13日、なんと震災の2日後には仙台沖に現れて、救援活動を開始しました。原発災害の影響を恐れてすぐに沖合に移動しましたけれども。艦載機は山形空港を補給拠点に使いました。山形空港は民間空港ですが、県知事は米軍の要請を直ちに受け入れて使用を許可しています。
佐世保に常駐するエセックスは沖縄の海兵隊を乗せて、日本海を秋田沖回りで北上して、仙台沖に向かいました。この部隊の一部は交通の途絶した宮城県の大島に救援物資を運んで喜ばれました。揚陸艦トーチュガは、苫小牧から陸上自衛隊第5旅団の300人を青森に輸送しました。グアムから無人偵察機グローバルホークを持ってきて、原発を含む航空写真を撮影しました。なんとカリフォルニアの基地からの遠隔操作です。ただし撮影された画像は1点も公開されておりません。どこまでその映像で分析できるかがわかると機能がわかってしまうからです。解像度は軍事秘密だからです。
凄かったのは、仙台空港の復興を迅速にやってのけたことです。津波で壊滅した仙台空港に3月16日、第17特殊戦飛行隊が兵と車両をパラシュート降下させました。降りた部隊は滑走路の使用可能部分にマーキングをして、管制なしに特殊作戦機を着陸させました。特殊作戦機といってもプロペラ機のC130輸送機-自衛隊も使っていますが-よく訓練された部隊を強行着陸させて滑走路を直しました。20日からはもうC17Aグローブマスターという大型の輸送機が発着して、大量の人員・物資を輸送しました。
米軍以外でも、たとえば3月17日、オーストラリア空軍のC17が嘉手納から横田へと自衛隊部隊を輸送しています。
原発事故対応で鳴り物入りでやってきた米国のCBIRF(シーバーフ)と呼ばれる部隊は、実質的には何もせずに帰りました。この部隊は大宮の特殊武器防護隊と同じ役割のもので、壊れた原発を直す能力は全くありません。
自衛隊と米軍は緊密な連絡のもとに動きました。司令部も一カ所にしました。3月14日に座間の米陸軍第1軍団前方司令部から10人が陸上自衛隊仙台駐屯地に派遣されて、これが現地共同調整所を構築する準備をしました。そして仙台と市ヶ谷に米軍・自衛隊の共同調整所がつくられて、毎日2回の会議を開き、任務分担を決めて救援活動が実施されたわけです。
米軍からは約1万6000人が救援活動に参加しました。在日米軍は第7艦隊を含めて約4万9000ですから、その約3分の1です。統合支援部隊JSF(Joint Support Force)が組織されて、司令にはパトリック・ウォルシュ太平洋艦隊司令が就任、横田に常駐しました。自衛隊側からは番匠幸一郎防衛副長官が横田に常駐しました。この人はイラク派遣第1次隊の指揮官でした。共同調整所は自衛隊の本拠である市ヶ谷、現地調整所が仙台とはいえ、実質的に横田とハワイを結ぶラインが「調整」の要だったことになります。
米軍側のトップは在日米軍司令部ではなく太平洋軍司令部からの派遣ということで、相当に力を入れています。これは沖縄で普天間問題が膠着していることや、米軍犯罪が根絶されないことで日本国内に蓄積されている不満を払拭するため、ということもあるでしょうが、双方の統合司令部の調整で対処する方式を、演習ではなく実戦的に実施できる機会を最大限に利用したというのが本当のところでしょう。
調整Coordinationとは、一方が他方の指揮下に入るのではなく、対等平等の立場で協力しあうことを言います。今後は東アジア有事の際にも、日米軍事協力・米韓軍事協力は「調整」でいきたい、という米軍の意向が透けて見えます。むろん日米・米韓が対等であるはずはありませんが、自衛隊も韓国軍も自らの分担分に関しては責任を持って対処する、ということです。
原子力災害についても、3月22日には「日米協力の最高機関」(細野首相補佐)として「福島第一原発事故の対応に関する日米協議」が発足しています。
なお、横須賀で定期点検中の空母ジョージ・ワシントンが福島原発事故の影響を恐れて佐世保に退避したのは、これも朝鮮半島有事演習をなぞったことになりました。軍事リポーターの石川巌さんによれば、米軍は「原子力災害フェーズ1」を発動したようです(『軍事研究6月号』)。横須賀の第7艦隊は一時、すべて姿を消しました。有事に日本の原子炉が破壊された影響で横須賀が使えなくなったときは佐世保に退避する。そのようなマニュアルがあるのでしょう。
自衛隊の前身である警察予備隊は1950年、在日米軍の主力が朝鮮戦争に出撃した空隙を埋めるために組織されました。51年の旧安保条約における極東条項も、メインは朝鮮半島だったと思います。65年に暴露された三矢作戦計画は、第2次朝鮮戦争が起こったときに日本側はどのように米軍に協力するか、という文書上のシミュレーションでした。このように朝鮮半島有事対応を第一に考える日米安保体制は、自衛隊海外派兵がイラク・ソマリアにまで及ぶようになった現在でも変わっておりません。
99年に周辺事態法ができています。日本の周辺地域で紛争が起こって、日本に波及したときを想定するものです。周辺地域はどこかといえば、台湾海峡や南シナ海ももちろん含みますけれども、メインはやはり朝鮮半島です。周辺事態における自衛隊・米軍の共同作戦計画は01年に完成したとの国会答弁がありましたが、その文書の実物は国会議員も見ることができません。この延長線上で03年、05年に有事法制が完備して、有事の国民動員体制までが法制化されたことはご存じのとおりです。
じつは共同作戦のための自衛隊・米軍の調整は、平時から日常的に行われています。97年の新ガイドライン(日米防衛協力の指針)で決められた「調整メカニズム」のもと、防衛省・外務省だけでなく他の各関係省庁の課長クラスまでが参加して、在日米大使館・在日米軍の課長クラスと協議して、有事の日米協力の調整に当たっています。
そこで朝鮮半島有事のさいの具体的な日米の共同作戦が問題です。空母ロナルド・レーガンが震災の2日後には仙台沖まできていたのは、米韓共同演習に参加する途中だったためとお話ししました。この米韓共同演習こそが、朝鮮半島有事対処、概念計画(Draft Operation Plan)5029を作戦計画に練り上げるための演習だったのです。米韓は3月から4月にかけて、指揮所演習ウルチフリーダム・ガーディアン、実動演習キー・リゾルブ、実動演習フォール・イーグルの3つの共同演習を立て続けに実施していました。
演習は、単なる訓練とは違います。シナリオに基づいて行い、作戦計画を練り上げていくために行われます。この場合の作戦計画(OPLAN)5029のシナリオは6項目ありました。(1)核・ミサイル、生化学兵器など大量破壊兵器の流出、(2)北朝鮮の政権交代、(3)クーデターなどによる内戦状況、(4)北朝鮮内で韓国人を人質にとる事態、(5)大規模な脱北事態、(6)大規模な自然災害など(2月15日デイリーNK、金泰弘記者による)。朝鮮半島でやるはずだった演習を実践的に日本ですることがたまたまできたという結果になりました。(1)(6)あたりを日本で実戦的に演習することができたことになります。
この間、日米・米韓の共同演習を見ますと、運用の一体化が進んでいます。昨年10月の日米共同演習キーン・ソードでは、自衛艦に米給油艦が給油をする場面が公開されました。また航空自衛隊のE767早期警戒管制機を先頭に米日の戦闘機が編隊を組む写真も公開されています。この共同演習は4万4000人が参加する大規模なものでした。
米韓の共同演習が立て続けに行われていることは前に述べました。
かつては米韓共同演習チーム・スピリットと、日米共同演習ヤマサクラ(実動演習でなく指揮所演習)が連動・連続して行われていましたが、94年からは休止されています。しかし共同作戦を織り込んだ作戦計画を練り上げていくことで、米日韓の共同による北朝鮮包囲・脅迫が継続されています。
有名な作戦計画は0PLAN5027です。92年あるいは94年に策定されて、以後2年ごとに改定されました。極秘のはずの作戦計画なのにその概要が分かるのは、意図的にリークして脅迫の材料とするためです。0OPLAN5027も、94年3月の韓国国会で韓国国防相が概要を説明しています。
0PLAN5027は北朝鮮政権を打倒して、南北統一をなしとげる作戦計画です。北の軍隊が境界線を越えて南下してきたとき、米韓は共同して北の南進を阻止し、首都ソウルを死守する。さらに境界線を越えて北進し、平壌を包囲、米韓軍は中国との国境までを制圧する。北政権を打倒し、統一政府を樹立する。
この作戦計画には、自衛隊の後方支援が織り込まれています。防衛庁(当時)は「K半島事態対処計画」をまとめました。日本の国内法としてこれに対応した周辺事態法、有事法制が整備されたのは前に述べたとおりです。韓国国防院でも94年4月に、第2次朝鮮戦争シナリオを作成しています。しかし、現在ではこの作戦計画が実施される可能性はきわめて低くなりました。代わって登場したのが0PLAN5029と5030です。
米軍が計画5029を策定したのは1999年と言われます。これは、北の政権崩壊に対応する作戦です。99年8月にティレリ在韓米軍司令官がその存在に言及しています。しかしこれを米韓共同作戦に練り上げていく過程で、太陽政策を継続していた盧武鉉政権は躊躇して、05年に米韓協議を中断してしまいました。李明博政権になって協議が復活して、連続的共同演習でOPLANに練り上げていく作業が行われているわけです。
もうひとつ現役の作戦計画が、5030です。米軍側では03年に策定されていますが、これもまだドラフト・プランでしょう。しかしこれに基づく演習はひんぱんに行われています。中味を簡単に述べますと、攪乱工作作戦です。北に軍事的圧力をかけて北の政権内部での反乱・政権崩壊を誘発する。ひんぱんに演習を行って、対応せざるを得ない北の備蓄燃料などの枯渇をねらう。韓国軍に領空・領海侵犯をさせないようにしようとすれば、北の戦闘機・軍艦が出動せざるを得ませんから。蔚山の基地に最新式のF117ナイトホーク戦闘爆撃機を配備して情報収集活動をしているのは、この作戦のためと言われます。
こうして作戦計画5029、5030を練り上げ、事実上の日米韓共同作戦体制をつくる作業が進行中です。ではなぜ自衛隊・韓国軍の役割が強化されるのか。理由は簡単です。米国には東アジアに大軍を送る余裕がないからです。
09年1月、米国の外交問題評議会、これは『フォーリン・アフェアーズ』という権威ある外交専門雑誌を出しているところですが、朝鮮問題で特別報告書を出しました。ここにはこう書かれています。北朝鮮政権崩壊の混乱に米軍が単独で介入した場合、最大46万人の兵力が必要だと。イラク派兵最大時よりもはるかに多いですね。さすがにベトナム戦争時よりは少ないですけれども。イラク・アフガン派兵では州兵まで送ったり、若者を相当に無理をしてリクルートしたりしていますけれども、中東に加えて朝鮮半島に46万の兵力など、送れるはずがありません。だから日韓をあてにするわけです。
では本当に北朝鮮は脅威なんだろうか。日本に攻めてくることはありうるかを考えたいと思います。
昨年11月23日に延坪島事件がありました。北朝鮮軍が島を砲撃して、2人の韓国軍人と、軍施設の修理に当たっていた2人の民間人が亡くなりました。大変野蛮な行動だと思いますけれども、この事件は突然に起こったものではありません。
この日、延坪島駐在の韓国海兵隊の砲撃訓練が予定されていました。朝の8時20分に北朝鮮は訓練中止を求め、実施すれば報復するとのファクスを送りつけてきました。実際に北では後方の第4軍団ロケット砲旅団から18門の砲が延坪島の対岸に展開していました。それを韓国側も承知していました。このような警告を無視して10時30分に韓国側が海に向けて砲撃訓練を始めると、北朝鮮側は14時34分から島への攻撃を始め、これによって韓国側に4人の犠牲者が出ました。韓国側も14時47分から北朝鮮側に80発の反撃しましたが、これによる北側の被害は不明です。
この島は南北対立の象徴のような島です。1945年に日本の植民地支配が終わって以後、38度線の南側にあったこの島は対岸の甕津半島とともに韓国の京畿道甕津郡に所属しました。朝鮮戦争によって甕津半島は北朝鮮の支配下に入りましたが、延坪島は韓国領にとどまり、95年に仁川広域市に編入されました。対岸の甕津半島からわずか12キロですが、ここが境界線となり、島には韓国海兵隊が常駐しています。
朝鮮戦争が休戦となったとき、陸上では38度線近くに軍事境界線を引くことが合意されましたけれども、海上では境界線についての双方の主張が異なっています。「国連軍」が定めた北方限界線と、北朝鮮の主張する海上軍事境界線が異なるわけです。北朝鮮の主張によれば、韓国の延坪島領有は認めるけれども、同島は軍事境界線から神社の参道のような細長い水路の奥に袋小路のような形で存在している。この水路以外はすべて北朝鮮領という主張です。北方限界線は延坪島と甕津半島の間に引かれています。このように境界についての合意がないため、海上では衝突が起こりやすい状況が続いています。
昨年3月には韓国の天安艦沈没事件がありました。北朝鮮軍の攻撃によるものとされていますが、異論もあります。朝鮮戦争が休戦となった53年以来、韓国と北朝鮮の間では、絶え間なく互いに挑発し、衝突する事件が相次いできたわけです。今年の1月3日、韓国国防省は休戦以来の北の挑発は221件、うち武力挑発が25件と発表しました。韓国側からも、とりわけ軍政時代には映画にもなった実尾島事件のような、金日成を暗殺しようとする計画も現実にありました。
延坪島事件をどう見るか。北朝鮮指導者の命令による組織的な行動というよりは、北朝鮮権力内部での抗争の結果と見るべきだと思います。09年2月には中央総参謀長の金格植、この人は83年のラングーン事件責任者の古参軍人ですけれども、格下げで第4軍団長に転出しました。第4軍団はまさに今回の事件の当事者です。他にも09年11月には北の哨戒艦が韓国軍との銃撃戦に大敗して逃げ帰り、責任をとって総参謀部作戦局長の降格がありました。天安艦沈没事件の後、北の軍幹部約100人が一斉に昇進しています。軍内部で権力闘争があり、それは金正日への忠誠競争の形を取るわけです。
延坪島事件は日本で大々的に報道され、今にも北朝鮮が日本に攻めて来るとか、朝鮮戦争が再開されるかのように煽る評論家もありました。そのなかで新「防衛計画の大綱」が抵抗なく成立し、沖縄知事選挙では伊波候補が負けました。
北朝鮮軍の実力はロンドンの国際戦略研究所が毎年出している『ミリタリー・バランス』の2011年版が3月に出たところです。これによって北朝鮮軍のデータを見てみましょう。
北朝鮮軍は119万人。人口が2399万の国ですから、5%が軍人です。人口に比して膨大な数ですが、これは軍人でないとまともな人間として扱われず配給もない、だから軍人になりたがる、ということもあるでしょう。旧社会主義国で、共産党員でないとまともな人間として扱われなかったのと同じです。軍人は糧食の優先配分を受けるとはいえ、主食だけで副食は自給です。弾薬の不足もあって、ふだんは農業をして暮らしている。屯田兵のようなものですね。
虎の子の兵器としてミサイルがあります。ノドンと欧米で呼ばれているミサイルは最大射程1500キロで日本を狙えますが、半数必中界250-500メートルと、正確さに欠けます。より大きなテポドンは射程3000-4000キロのミサイルです。核兵器開発を進めていますが、ミサイルに搭載できるほどの小型化には成功していないようです。
戦車が3500台ありますが、ほとんどは50年代製という骨董品のようなもので、現代の戦車戦には使えません。戦闘艦は1500トン級のフリゲート艦が3隻、これは海上保安庁の大型巡視船クラスです。他の艦艇は沿岸警備用の小型艦と、工作員潜入用の小型潜水艦だけ。
爆撃機はこれまた50年代のイリューシン28。米韓日の防空網は突破できないでしょう。戦闘機458機のうち第4世代、つまりいま空中戦のできる能力のあるのは69機。しかも燃料不足でパイロットの年間飛行時間は20時間だといいます。これでは飛行がやっとで、とても戦闘はできません。日本や韓国の戦闘機パイロットは少なくとも年間150時間は飛んでいます。戦闘機の代わりにプロペラ複葉機のアントノフ2が多数あって、低空を低速で侵入するのに用いると言われます。
この状態で朝鮮戦争が再開したら、北の敗北は明白です。だから通常の戦争はあきらめて、核開発とゲリラ・コマンドに依存して、あとは外交努力で生き抜くほかはない。戦争など望むはずがありません。
対する韓国軍は、68万5000人。人口4850万。経済力は北とは桁違いですから、戦車2414台のほか、戦闘機はF15、F16と最新式、海軍にはイージス艦があり、ミサイル防衛システムがあります。
さらに在韓米軍2万5000人がいます。主力は議政府にいる第2歩兵師団と、烏山の第7空軍です。海軍と海兵隊は司令部要員がいるだけです。有事には在日米軍が朝鮮半島に出動します。ただし在韓米軍はかなりの部分が撤退する方向で、ソウル市内龍山の在韓米軍司令部は平沢に移転が決まっています。境界線付近には米軍はいなくなります。有事には韓国軍が米軍の指揮下に入るという大田協定は、12年には廃棄されるはずでしたが、15年まで延びました。
金正日の後継者として三男の金正恩が指名されたと報道されています。朝鮮労働党が一党支配する北朝鮮ではなんと80年の第6回大会以来、大会が開かれておりません。昨年9月28日に党大会・党中央委員会よりも格下の党代表者会が開催されて、金正恩が党中央委員、党軍事委員会副委員長に就任しました。続く10月10日に正恩は党創立65周年記念軍事パレードを閲兵しました。お披露目です。党大会も国会審議も経ずに世襲3代目決定となると、社会主義とも民主主義とも無縁の社会だと思いますが、体制維持のためにはもっとも安全な方法なのでしょう。
正恩は28歳の若者で実績は何もありませんが、正日の実妹の夫、張成沢が補佐をするとも言われます。ただし張成沢もまた軍の中でたいした実績はありませんから、正恩の権力確立は困難が予想されます。
ご存じのとおり、北朝鮮は先軍政治です。98年の憲法改正で国防委員会を国家の最高機関としました。ただし党中央委員会の組織指導部が軍の総参謀部を指導し、各軍団・師団にも政治部将校がいて党の意向を優先させますから、党が軍を指導する体制は残っています。党と軍の関係は微妙です。どちらも指導部は高齢化して世代交代がなかなか進まず、硬直化しています。
北朝鮮は金正日の独裁国家だとよく言われますけれども、戦前の日本の天皇制によく似た社会だと考えたほうがいいのではないでしょうか。昭和天皇は絶対者ではあっても、日常的には軍と元老・特権勢力のミコシに乗っていて、軍の暴走を抑えることもできませんでした。このような社会では、延坪島事件のところで述べたような「忠誠競争」が起こりやすいと思います。
金正日の健康に不安があるいま、北朝鮮の権力移行が混乱なく行われるかどうか、危ぶまれています。世襲に反対の意向を表明した長男の正男、この人は北京・マカオで生活しています。在中亡命グループとの関係も取り沙汰されています。
金正日は昨年の2度の訪中に続き、この5月にも訪中して胡耀邦主席と会談しました。穀物が決定的に不足していますから、経済援助を求めたでしょう。中国としては、韓国主導の朝鮮半島統一が果たされると、その韓国と国境を接することになって、国内の朝鮮族の民族運動と連動することになるのを恐れます。しかしもう北朝鮮を見限ったほうがいい、韓国主導の半島統一でいいという議論も政権内にあります。当面、北朝鮮が6ヵ国協議の枠組みに戻ること、国際社会に復帰することを、やはり中国は説得しようとしたでしょう。経済封鎖の下で北朝鮮経済が成り立つはずもありませんから。
そして、この7月で中朝友好協力条約が締結されて50年になります。この条約には軍事協力条約もありますけれど、北朝鮮の冒険的軍事行動を中国が支援することは、もうあり得ません。中国はかなりクールに実利を追求する。中朝国境、鴨緑江の黄金坪島に工業団地を中国資本で建設して、朝鮮労働者を雇用することを始めます。6月始めに起工式の様子が報道されましたね。
この4月にはカーター元米大統領が訪朝して、朴宜張外相と会談しました。6カ国協議の枠組みに戻るよう説得したはずです。米中とも、まだこの説得に成功していません。米国では北朝鮮の権力移行期の混乱に対して、軍事的対応をしていますけれども、カーターのような人もいるわけです。ただし、混乱時にはなるべく米国の犠牲は少なくして、日中韓に任せたい。なぜかといえば、米国自体が落ち目だからです。
「グローバル・トレンド2025」という文書があります。これはアメリカの国家情報会議(NIC)がつくった文書で、2025年までの世界の流を見通した予想文書です。国家情報会議というのは非常に権威があって、アメリカの情報組織のCIA、FBIなどいろいろあるのを全部束ねたのがこの国家情報会議です。国家情報長官の諮問機関です。そこが出した「グローバル・トレンド2025」には、アメリカは落ち目だってはっきり書いてあります。世界は多極化に向かい、アメリカの一人勝ちの時代は2025年にはもう終わっている。東アジアの緊張が高まり、それはアメリカの危機管理能力が低くなるからだといっているんですね。
同じ文書で、日本についての分析がかなりクールに書いてあります。日本は米国と中国のあいだを揺れ動く。アメリカとしては日本を同盟国としてつなぎ止めておきたい。しかしアジアの主要な大国は、2025年の時点では日本ではなくて中国だ。東アジアでものを考えるに当たっては、同盟国になるかどうかわからないけれども、競争的な協力国である中国とどのようにつきあっていくのかが基本だと、公然と言っていることですね。
これから日本も同じように落ち目になります。とりわけ東日本大震災の復興に向けて日本経済は相当落ち目になります。そういう中で日本周辺に何かあったとき、アメリカが日本を助けてくれるなどと決して思わない方がいい。日米安保条約によって、日本に何かあったら米軍がすぐに助けに来てくれる、そのために在日米軍があると常にアメリカは言い続けてきました。しかし、そうなるかどうかは大変微妙です。わたしは、アメリカは日本を守ってくれないと思います。
昨年から今年にかけて、日本周辺で軍事的にも緊張関係があったときに、アメリカは動かなかった。昨年の11月1日に、ロシアのメドベージェフ大統領が国後に渡りました。これに対してアメリカは何もしませんでした。声明ひとつ発表していません。逆に安保の対象外だとクローリー国防次官補はいっています。国後を守るかどうかは日本の問題であって、日米安保の問題ではないと言い切った。
尖閣列島で漁船の体当たり事件があった2日後には、米中の軍事交流が再開されています。あの漁船体当たり事件では、アメリカは中国に何の申し入れもしてくれませんでした。尖閣列島問題について、アメリカとしては領土紛争には関与しないという態度をはっきりさせています。2010年9月23日に、ベーダー国家安全保障会議アジア上席部長が、尖閣諸島の領土紛争があってもアメリカは関与しないとはっきり言っている。
もともと安保条約によってアメリカ軍は日本を守ってくれるのかな、というような条項がありますけれども、きちんと読んでいただければわかるように、そのように明記はされておりません。実際に日本周辺での大規模な軍事衝突は、幸いにして日米安保ができて以後ありませんでした。しかし、日米安保はどんどん変質していって、1978年の旧ガイドラインの段階で、日本の防衛は主に日本がやるとはっきり書かれています。自主防衛です。何かあったときには助けるとほんのちょっと書いてありますが、日本は自分で守れということが、すでに1978年段階で日米間でははっきりしていることです。
したがってもし尖閣諸島に中国軍が上陸しても、沖縄の海兵隊が駆けつけて中国軍を蹴散らすなどということは絶対にありません。24万人の全自衛隊をもってしても排除できないことにでもならないと、米軍は来ないんです。こういう実態がいまの日米安保です。
アメリカが落ち目だということですが、アメリカはなんといっても大きな国です。130万の軍隊を世界中に展開しているその軍事力。経済力が世界の2位、3位になる事態は2025年以降もしばらくありません。超大国であることには違いはない。しかし世界を自由に動かせる状況はどんどんなくなっていきます。。
米軍が使っている軍事費は、2位以下、10位までの国の軍事費全部を合わせたよりも多い。アメリカのいまの経済状況をみれば、そういう軍隊をいつまでも維持できるはずがありません。アメリカの軍隊が突出して、その力でドルを守っている状況はアメリカ人にとっても大変な負担です。アメリカの貧困がどれだけ悲惨なものかは、いろいろな本で書かれています。倒れようとしているけれども何とか軍事力をドルで支えている国と同盟を結んでいていいのか、日米同盟を「深化」させていいのかということです。
09年に政権交代選挙があり、民主党政権ができました。ここで何か変わるんじゃないかと期待された方は多いと思います。民主党に幻想をまったく抱きませんが、総選挙でのマニフェストで福祉政策を非常に強調したこと、もうひとつはアメリカからの独立ということをいったこと、このふたつに対して日本の民衆は半分だまされながらも相当期待したと思います。それが、本当にだまされてしまった状況がいま出てきている、これが民主党政権の実態だと思います。ただ、いま民主党政権をつぶしたところで次に何が出てくるかといえばどうしようもありませんから、いまの首相を替えろという運動は実にナンセンスなことだとわたしは思います。
日米安保条約については最初の安保が締結されてから60年、新安保が締結されて50年あまりがたちました。50年の記念イベントは民主党政権とのあいだでおこなわれましたので、50周年のスピーチは日米両方とも非常に型どおりで中身はありませんでした。しかし民主党政権とのあいだで米軍は必死に実績を積んで、朝鮮半島で何か起こったときは自主的に自衛隊が動けよ、韓国軍も自主的に動けよ、アメリカは軍隊を送らなくてもいい状況をつくりたいわけです。それが日米同盟の深化です。
民主党政権になったあと、新安保防衛懇という懇談会をつくりました。防衛大綱は、5年間隔、ときには10年計画になりますが、日本の安全保障、軍事体制の基本文書です。その防衛大綱は民主党政権ができた直後に期限切れになり、とりあえず1年延ばしました。いちばん基本的な文書がないままで防衛予算をつくった。ものすごく乱暴なことです。とにかく鳩山の諮問機関として「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」、新防衛懇といったり新安防懇といったりしますが、それをつくって新しい時代の防衛政策の基本を考えました。鳩山自身はすぐに辞めてしまい、次の政権になってからの昨年の8月27日に、この懇談会の答申が出ています。
中身を見ますと、必ずしもアメリカべったりでない部分もほの見えるんですよ。たとえば、アメリカ一辺倒の世界でなくなる状況に対応する防衛計画でなければいけない、とこの答申は書いています。一定の自立傾向を見せた。しかし防衛省あるいは外務省の側で大反撃をやり、実際にできた防衛計画は、もう一度アメリカべったりに戻りました。2010年にできた防衛計画の大綱はきわめて危険な内容をいくつか持っています。
北朝鮮と中国を事実上の仮想敵国として明記したことが、まず危険なことです。ミサイル防衛に邁進するということもあります。島嶼防衛、南西諸島は自分で守ることもあります。そのために潜水艦を16隻から22隻に増やします。主力戦闘機、これはアメリカからまた買うんでしょうが、これもやります。海上自衛隊は東京、グアム、台湾を結ぶ三角海域で中国潜水艦を常時監視する態勢に持って行くということもあります。つまりアメリカの手助けをしてアメリカがやってきたことの肩代わりましでして、日本を守るだけではなくてアメリカも守る。ミサイル防衛というのはそういうことです。そういうことを約束させられつつあるのが、いまの新防衛大綱の体制です。
北の政権を武力でつぶすのではなくて、北の政権に揺さぶりをかけて崩壊を早める新しい作戦にアメリカが変えてきた。それに対応する日本の態勢、韓国内の態勢を何とかつくりたいという動きに合わせたものです。 そこで共通戦略目標を書き換えるといっています。共通戦略目標というのは、米軍と日本軍だけではなくてアメリカ政府と日本政府が共同して、どういうものに対処していくのかを定めた基本文書です。05年2月19日に策定されています。この中には台湾海峡や朝鮮半島で何か起こったとき、中国の南方の海域で何か起こったときに、日米が共同で対処すると書かれています。
その明細部分については、もっと詰めていく必要があり、共通戦略目標は近く書き換えられます。それを何時にするかは、今度の大震災といまの民主党政権-日本のトップが誰になっているかわからないこともあるので、今度の日米会談がずるずると延びていますが、とりあえず日米安保協議会、2+2の会談がもう行われることになっています。そこで新たな戦略目標が策定される動きになってきます。それがほぼ固まったところで日米の首脳会談をする、その日程が詰められつつあるわけです。
外交面あるいは政権トップの話し合いが遅々として進まない中で、軍当局の協力関係が密になっています。東日本大震災の共同作戦は、日米の一体化が非常に強まりました。戦争ではありませんが、演習ではなく実際に両方の軍隊が出動して調整しながらの対処が、体制としてできました。それに対して、日本政府とアメリカ政府とのあいだの話し合いはじゅうぶんではなかった。とりわけ原発対処で遅れがあったことに対して、アメリカ政府は大変に怒っています。災害対処でも自衛隊の連中は、共同調整所の中で「本当はミリ・ミリでやりたいんだ」といいました。軍隊同士で話せば早いのに、外務省の役人とか民主党の偉いさんがあいだに入るから話が進まない、ということを露骨にいっていた。政治の混乱をよそに自衛隊と米軍との協力関係は着々と強化されています。
たとえば普天間基地の辺野古移転、これは昨年5月の日米合意であることは何度も何度も確認され、政府間ではまったく揺らぎはありません。アメリカの議会でいろいろな人がいろいろと言っていますが、基本的には変わりません。沖縄にオスプレイが配備されることも公然たる事実として発表されました。
さらに相模の総合補給敞に戦闘訓練センターが完成して、運用を開始しました。バトル・コマンド・トレーニングセンターです。ここは、座間にやってきたアメリカ陸軍第一軍団前方司令部が使用します。自衛隊の中央即応集団も使用します。ここで訓練した兵隊が、世界に散って実際の戦争をする、そういう訓練センターがすでに稼働しています。このバトル・コマンド・トレーニングセンターは、ハワイの同じ組織と一体で運用されています。在日米軍の部隊はハワイの司令部のもとに動いているからです。この戦闘訓練で使われる教材、すなわち戦闘シミュレーションは、韓国の戦闘シミュレーションセンターでつくっています。ということは、ここで訓練されて出て行くところは当面は中東ですけれども、本命は朝鮮半島だということです。それをいま自衛隊と米軍が着々と進めています。
そういう日米同盟が進んでいって本当にいいんだろうか。
自衛隊の力は非常に強くなりました。かつては米軍のお手伝いをほんの少ししかしていなかったけれども、いまは海外まで行って対地攻撃をする能力を持っています。たとえば護衛艦「ひゅうが」という非常に大きな軍艦は13500トン、長さ200メートルある空母型の戦艦です。同じ型の「いせ」もすでに就役しています。いま建造計画があって来年から建造が始まるものは、なんと19500トン、長さ248メートルという船です。すでに予算は全部付いていますから、予定通りつくられると思います。
空はどうかというと、次の輸送機XC2の運用が始まります。12トンを積んで6500キロ飛べます。いま自衛隊が使っている輸送機C130がイラク戦争に協力しましたが、日本から中東に行くのに4泊5日かかった。ところがこれから運用される輸送機は、中東まで1泊2日で飛べるんです。ということは世界中で自衛隊が動ける力を持ったことになります。実際に演習をかなり実戦的なかたちでやっています。「レッドフラッグ・アラスカ」という演習で、空中給油機と輸送機と戦闘機が一団を組んで演習をやっています。しかも日米の戦闘機が編隊を組んでいます。そういう演習は日本の上空では目立つので、アラスカまで行ってやるわけです。「コープノース・グアム」というグアムで自衛隊がやっている演習は、爆弾を落とす演習です。F2支援戦闘機が500ポンド爆弾を積んで地上に落とす演習を毎年やっています。
アフリカのジブチに自衛隊の基地ができ、5月1日に開所しましたね。ソマリアの海賊対処部隊がアメリカ軍の施設の一部を借りていたのが、自前の建物を造りました。相当立派な建物で、40億円かけました。今年の夏でソマリア対処法の期限は切れますが、これは絶対にすぐにはやめない。ほぼ恒久的に日本の自衛隊は、アフリカに駐在する態勢を整えたことになります。なぜかといえば、アフリカでの権益を守りたい。当面はアフリカの石油を押さえたい。アフリカ国内の混乱に乗じて実質的に政権を握ってしまう、傀儡政権をたてる。そういう拠点として自衛隊としても、アメリカとしても、いくつもアフリカに基地を持ちたいわけです。それがジブチに自衛隊基地ができた根本的な原因です。
きわめてナンセンスなことに、ジブチ政府と日本政府とのあいだで、米軍と日本とのあいだと同じような協定が結ばれています。ジブチに駐在する自衛隊の刑事裁判権は日本にあるという地位協定です。米軍が日米地位協定によってどんなにひどいことをしているかは皆さんよくご存じだと思います。罪を犯した米兵を捕まえることができない、裁判もできない。そういう関係が日本とジブチのあいだでできました。日本という国はすでにそういう国になっているということです。
もうひとつ朝鮮半島とのあいだで無視できないのは、日本に国連軍の基地があることです。朝鮮戦争のときに出動した国連軍は、もちろん正規の国連軍ではありません。しかし、そのときの国連軍と日本政府とのあいだで協定が結ばれていて、日本国内に7カ所の国連軍の基地が存在しています。すべて米軍基地ですが、この7カ所にはアメリカの国旗、日本の国旗と、もうひとつ国連旗が正面に掲げられています。いざというときには、かつて国連軍を形成していた軍隊がここを使うことができる。09年には、イギリスの部隊が朝鮮半島の状況を視察するために日本の国連軍基地に着陸し、実際に使っている事態もあります。ですから第2次朝鮮戦争的なことが起こったときには、国連軍という名称で米軍は動けるし、そのほかの軍隊も動ける体制は現在も存在しているということです。
世界でいちばんの強力な軍隊が日本周辺にいて、韓国にもいて、そしてひょっとすると世界第2位の海軍国になった日本-海上自衛隊はイギリス海軍をすでに量的あるいは能力の上では凌駕しているから世界第2位の海軍といっていい-が協力して対処する状況が東アジアにあるときに、緊張をつくっているのは誰なのか。それは誰が見てもアメリカと日本です。中国は、いま海軍力を高めていますが、まだ数年先までとても自衛隊の敵ではありません。南西諸島で小競り合いがありますけれども、中国は海上自衛隊に対抗するかたちで、軍を出さずに海上保安庁的な船しか出してきません。それだけの節度があるんです。
尖閣列島の衝突事件については、菅内閣は捕まえた船長を起訴する姿勢を見せて中国の顔をつぶしました。尖閣諸島の扱いについては、鄧小平が1978年に日本に来たときに協定ができています。尖閣諸島をどのように扱うか、当面主権については棚上げにする、日本の実効支配が及んでいることは中国も認める、海底資源の開発は共同でやろうという3項目を、当時の日本政府と鄧小平とのあいだで決めました。04年にも中国の民間人が尖閣諸島に上陸しましたが、当時の小泉内閣はその中国人を逮捕して強制送還することで済ませたわけです。逮捕・強制送還は、明確な主権の行使です。
それ以上のことを今回菅内閣がやってしまった。慌てた中国側が相当強硬な抗議をして、菅内閣もまずいと思ったんでしょう、釈放しましたね。外交的にも非常にまずい対応だった。東シナ海の海底資源の共同開発についても08年6月に政府間了解ができていて、実際にガス油田の開発について了解ができています。この協議は中断されたままです。中国軍と自衛隊との軍事交流もおこなわれています。衝突防止の枠組みはまだできていませんが、お互いが交流を深めることによって不測の事態を防ぎたいということを始めています。菅内閣にいたって、これも当面中断しています。
日本のまわりの米国の力は、確かに大きなものがあります。米軍は東アジアに10万人体制を維持するといっていますが、いま10万人の米軍などおりません。そんな力はアメリカにはない。韓国からも撤退しつつある。しかし日本の米軍基地は非常に使いやすいので使いたい。何せただで使えるし、ほとんどの費用を日本が「思いやり」というかたちで持ってくれる。ですから、米軍が世界中に展開していくために日本の基地はなんとしても維持したい、日米同盟も維持したい。これが東アジアの緊張を高めているわけです。
日本の隣の国はどこなんだろうか。朝鮮半島にふたつに分かれた国があります。中国と台湾、これも引き裂かれた国があります。そしてロシア、それぞれに海を挟んで日本と国境がある国ですよね。そして非常に広い海を隔てた向こう側にアメリカがいる。この6つの国あるいは地域を考えたときに、いちばん遠い国とだけ仲良くして、軍事的な協力関係、共同作戦態勢を日常的につくっていて、すぐ隣の国と敵対関係にある。これは非常におかしなことではないでしょうか。やはりすべての国と軍事同盟ではなくて友好条約を結べるような状況をつくる方向に、日本の政治を転換しなければ緊張は続くのではないでしょうか。とにかく国は引っ越しができません。仲良くはできなくても普通のおつきあいができるようにならなければ、緊張状態は続き、小競り合いは続きます。
そういうことをなくしていく。そういう「もの」を日本は持っているはずです。それはやはり憲法9条です。憲法9条は戦争をしないと決めました。軍隊は持たないと決めました。どちらもまったくの反古になっていましました。憲法9条は非常に立派な理念であるにもかかわらず、中身はもうほとんどなくなってしまっている状況があります。
しかし全部なくなってしまったのではない。憲法9条によって自衛隊は外国に出かけても戦闘行為をすることはできません。だから、アメリカの軍隊を運ぶ宅急便の役割、あるいはガソリンスタンドの役割をしている。米軍の行動に協力するかたちで戦争に参加しました。しかし実戦で日本の自衛隊はまだ戦闘はできない。これは憲法9条の縛りです。この最後の望みにわたしたちは賭けなければいけないと思います。
日本国憲法にはもうひとつ大事な条項があります。どうか前文をもう1回読み直していただきたいと思います。非常に格調高い文章です。その中に世界に向かって開かれた部分、世界の民衆とともにという文章があります。世界の人々とともに平和に暮らそうということを書いているのは、この前文の一部分だけです。憲法9条だけを守ろうとすれば、日本の国民が安全で豊かな生活をしていればそれでいいということになる危険があります。
それで憲法9条を守ったことになるんだろうか。前文を読めばそうではありません。世界の人々の平和のために、そのために日本国憲法はできている。その日本国憲法を、9条と前文を合わせたかたちでぜひ考えていただきたいと思います。世界の平和というのはもちろん大きなことですが、当面、東アジアの平和を考えたときに、日米同盟がどれだけ邪魔になっているのか、日常的な緊張を作り出しているのかということになると思います。そういう意味で日本国憲法は、まだまだ働いてもらわなければならないものだと考えます。
そろそろ、お話をまとめていきたいと思います。
いま、自衛隊賛美のビジュアルな出版物が相次いでいます。私の目に止まったものでも、たとえば『週刊アサヒ芸能増刊・頼もしいぞニッポン自衛隊!』、『JGround特選ムック・自衛隊災害派遣装備パーフェクトガイド』、志方峻之監修『図解こんなに凄かった自衛隊』などというのがあります。いずれも東北大震災での自衛隊の活躍、日米同盟の再確認、そして世界で活躍する自衛隊を描くものです。軍事関係の雑誌『軍事研究』、『丸』なども、今回の自衛隊災害派遣とオペレーション・トモダチに関する特集をしています。
確かに、自衛隊の災害出動はたいへん有り難いものであって、今回の地震・津波被害では自衛隊に助けられた人がきわめて多数にのぼったこと、そのような作業を警察・消防・ボランティアで代位するのは不可能だったことは事実です。
しかしこれらの本には、地震・津波被害の機会を捉えて自衛隊・米軍が朝鮮半島有事の共同作戦練り上げに利用したことについては、まったく書かれておりません。また、対処が軍主導であったことへの批判もありません。5月15日付朝日新聞は原発事故対応の日米協議に関して、「協議途中で防衛省幹部が『これから先はミリ・ミリでやります』と情報開示を拒否することも。ミリはミリタリー(軍)の略で、軍同士で対応した方が話が早いという本音がのぞいた」と書いています。このような状況は各所で見られたでしょう。
近く行われる日米安保協議委員会(2+2)で「共通の戦略目標」がどこまで改定されるか分かりませんが、中朝を仮想敵とした路線のもとにあることは確かだと思います。東アジアでの自衛隊の役割は、ますます大きくなっていきます。冷静に見るならば、北朝鮮は富国強兵でなく貧国弱兵であって、中国は軍拡途上で日米同盟に対抗できるのはまだ先の話なのですが。
では、3.11以後の日本の安全保障をどう考えるか。本来、国家安全保障と軍事とは別の概念です。米国では国家安全保障計画と国防計画は別個のものであって、国会に提出される教書もそれぞれ別物です。国家安全保障には軍事だけでなく自然災害対策も、ハイジャック・テロ対策も、感染症対策も、情報のセキュリティーも含まれます。けれども日本では多くは軍事問題として自衛隊主導で、国防・国際協力以外のことは付けたりになっています。災害出動は自衛隊の本来任務ではありません。
自然災害の多い国であるにもかかわらず、日本の災害対策は不十分でした。地震・津波災害の復旧には、これからまだ長くかかりそうです。未だに避難所生活を余儀なくされている多くの人々があります。そして原発事故対策と言えるものは何もありませんでした。原発は止めてからでも安全になるまで何十年もかかり、放射性廃棄物は何百年、何千年ものお守りが必要です。にもかかわらず防災訓練は型どおりで、自衛隊OBの警備会社が作成したシナリオをもとに、住民のごく一部だけが参加して行われてきました。
繰り返しになりますが、3.11で明らかになったことのひとつは、自衛隊が確かに頼もしい存在だということです。円匙(スコップ)を持って災害出動した兵たちは、銃を持って米国の戦争協力に出動するよりも、はるかに喜ばれ、はるかに感謝されたのではないでしょうか。殺し、殺されるかもしれない海外派兵より、命を救う災害出動のほうがどんなにいいか、身をもって体感したのではないでしょうか。
自衛隊を災害対処部隊に改変しようという提案は、古くは60年代に公明党が主張していました。その後はこの提案は前田哲男さん、深瀬忠一さん、水島朝穂さんらによって理論化されてきました。いま、この提案が現実性を持って目の前に現れています。
私はすでに日米安保について2冊の本を書きました。そこでは、安保条約は廃棄されるべきであり、日本国憲法9条を実現化して軍隊の不要な社会をめざそうと書きました。しかし、そこに至る条件作り、外交的・政治的努力を考えると、必ず過渡期があります。また、日本にどんな政府ができようと、24万の自衛隊員の首切りがただちにできるはずがありません。だとするならば、自衛隊員の「活用」法を、隊員・OBを含めて議論することが有用でしょう。
じつに3.11という事態は、自衛隊の将来、日本の安全保障の将来について、多くの示唆を与えてくれたと思います。これで、私のお話を終わります。
約40年目に帰島し、しばらくは浦島太郎よろしく寝たふりで日々をのんびりと過ごすつもりが、帰島2日目に「馬毛島が大変なことになっているぞ」と知人からの連絡。テレビはまだ無いし、ラジオは聴けず、一体何のことかと問わば……。
6月21日、日米安全保障協議委員会(2+2)の協同文書に「馬毛島への米軍空母艦載機の陸上離着陸訓練(FCLP)移転計画案」が明記されたという。地元1市3町の首長への説明のため7月2日、防衛省小川勝也副大臣等が種子島入りするので反対集会を開くとのこと。参加を約束する。
当日、いかなる個人・団体がいかなる趣旨目的で反対するのかも全く知らぬまま、気軽に(軽率に)出かけてみる。集合時間は8時45分。場所は西之表市役所前。すでに200人以上もの人々が、自前の横断幕やプラカード等を準備し、抗議の意思表示をしている。ただ労組系の団体は県教組の旗のみ、他の団体はどうしたのか?(連合系はどこへ?)
老若男女(小中学生も目につく)。島外から移住してきたサーファーや、自然食に関わっている若いカップルも多い(特に屋久島からの参加者)。その後も続々と集結する。たぶん種子島ではこの手の集会は初めてじやないのか。メデイアもすでに取材を始めている。
到着予定の9時15分に少々遅れて小川副大臣らが説明会場の市役所玄関前に車で乗りつけてきたので、すぐさま取り囲み、この時を待っていたとばかりに、「小川帰れ」「基地はいらない」「米軍は来るな」「自衛隊も来るな」「自然を壊すな」等の抗議。すぐに説明開始みたい。
防衛省からは小川の他、中江公人事務次官ら幹部4人、地元は長野西之表市長を含む熊毛地区4市町の首長と議長。オブザーバーで地元選出県議2人が出席。その間、更に増えた仲間とともに3階の会場の中まで屈けと「市長頑張れ!負けるな!」「小川帰れ」等の声を挙げ続け、それは市長にまで届いたという。
説明の時間が意外とかかりそうなので、参加者に反対の理由を聞いてみた。
男性(22歳東京から移住)「自然を壊すな」
女性(20歳島生まれ)「反戦の意思表示」
男性(34歳夫婦で屋久島から。自然食品店を経営)「当事者意識で反基地」
男児(15歳中学生。両親は塩作り)「基地反対」
女児(11歳小学生)「自然を壊すな」
11時25分、説明を終えて車に乗り込もうとする小川に、「基地反対、米軍反対」をぶつける。市長等は引き続き記者会見とか。11時50分「赤旗」記者が「市長らの考えは変わらず、断固反対を表明した」旨報告。
11時52分、「市長説明を!」の声を受け、市長「皆さんに一言。防衛省の説明を聞いただけで何も得るもの無し。はっきりと反対の意思表明をした。皆さんありがとうございました」と。「市長、よくやった」の大歓声が上がる。以上が7月2日の抗議行動です。
馬毛島~最盛時は人口528人、小中学校もあった。周囲は好漁場、また絶減危惧種の馬毛鹿の生息地でもある。1980年から無人島となり現在、島のほぼ100%を「タストンエアポート」(本社東京)が買い占めている。竹下首相時、住友銀行事件でも登場。使用済み核燃料貯蔵施設の候補地にも。
当然、当局側もあらゆる策を弄し、反対派の切り崩しをしてくるのは間違いない。闘いは今始まったばかり。学習会や署名運動、抗議行動を積み上げながら、継続していきたい。
全国の皆さん、これからも馬毛島に注目し、この闘いに支援連帯していただきたい。
2011年7月10日 W・S 種子島にて