私と憲法122号(2011年6月25日号)


さようなら原発1000万人アクション
「原発にさようなら集会」にお集まりください

3月11日の東日本大震災によって、東電福島第一原発は、1号炉から3号炉までが最悪事態の炉心溶融(メルトダウン)を引き起こしました。

水素爆発、工場外壁の破壊などによって、高濃度の放射性物質が、海水、大気、土壌に放出され、環境を汚染するという未曾有の大事故となりました。

2ヶ月がすぎても原子炉の暴走は収束する気配がなく、いまなお極めて不安定な状況がつづいています。これまでの放射性物質の拡散量だけでも、地域の住民と労働者ばかりか、まだ生まれていない将来の子どもたちの健康と生命にとっても、計り知れない悪影響を与えると危惧しております。

原子力と人間の共生など、けっしてありえないことなのですが、それに気づいていながらも、私たちの批判の声と行動があまりにも弱かった、と深く悔やんでおります。

いま原発を拒否する声はさまざまな運動となって拡がっていますが、わたしたちはこれまでの怠慢を反省し、政府や財界や電力会社などが、原発推進の巻き返しにでないためにも、さらに大きな市民の力で、原発依存の生活から脱却する道をあゆみだしたい、と念願します。

わたしたちは、自然を収奪し、エネルギーを無限に浪費する生活を見直し、自然エネルギーを中心とする「持続可能な平和な社会」にむかうために行動します。

その目標です。

  1. 新規原発建設計画の中止
  2. 浜岡からはじまる既存原発の計画的廃止。
  3. もっとも危険なプルトニウムを利用する「もんじゅ」、「再処理工場」の廃棄。

これらを実現して、わたしたちの生存と未来の子どもへの責任を果たします。
「原発にさようなら集会」を、つぎの要領で開催いたします。どうか皆さんでご参加ください。

日時:2011年9月19日(月・休) 13:00~
場所:東京・明治公園
集会規模:5万人(集会後、パレードがあります)
集会呼びかけ人
内橋克人 大江健三郎 落合恵子 鎌田 慧 坂本龍一 澤地久枝 瀬戸内寂聴 辻井 喬 鶴見俊輔

◆◆◆原発にさようなら集会◆◆◆
日時:2011年9月19日 13:30~
場所:東京・明治公園
集会規模:5万人(集会後、パレードがあります)

◆◆◆さようなら原発1000万人アクション◆◆◆

実行委員会では、9月17日~19日を「福島デー」(仮称)として、全国・全世界に全国アクションを呼びかけます。

「脱原発9月アクション(仮称)」相談会のご案内

福島の原発震災は、核が人間を含むあらゆるいのちと共存できないことを、あらためて全世界に知らせました。いま日本各地で、「脱原発」が大きな世論となり、そのためのアクションを多くの母親や子ども、若者たちがつくりだしてきています。ドイツやスイスが脱原発の方向を打ち出したのに続いて、イタリアでも国民投票で脱原発が決まり、国際的にも大きなうねりとなってきています。

しかし、この日本では、政官産学の原子力マフィアの力は根強く、政局の不安定さと「大連立」の動きなどを利用して、原発の維持・再稼働を確保しようとする動きが強まっています。米国などいくつかの核大国も、それを促し支持しています。この動きにストップをかけ、日本社会を原発の呪縛から解放するのは、私たち市民の力によるしかありません。そして、日本社会のあり方・私たちのライフスタイルを根本的に見直し、日本を自然エネルギーと省エネルギーの社会に転換していきましょう。
「6・11脱原発100万人アクション」の全国的、国際的な広がりの上に、次は9月に「さようなら原発1000万人アクション~脱原子力・持続可能で平和な社会をめざして」(明治公園での全国集会と1000万人署名運動など)が提案されています。この行動をさらに大きく充実したものにするため、具体的なプランをみなさんと相談し、できるだけ早く準備にかかりたいと思います。
このため、次のような相談会を開きますので、ぜひご出席ください。

●「脱原発9月アクション(仮称)」相談会
と き:7月15日(金)18:30より
ところ:総評会館5F 501会議室

なお、WORLD PEACE NOWでは、9月10日(土)~18日(日)を「脱原発駅前アクション・ウィーク」(仮称)として、都内のできるだけ多くの駅前でキャンペーン行動を行い、9月19日(月・祝日)午後に予定されている明治公園での「さようなら原発全国集会&パレード」の成功につなげたいと考えていますので、相談会に提案したいと考えております。

2011年6月
WORLD PEACE NOW
連絡先:許すな!憲法改悪・市民連絡会
03-3221-4668

脱原発を実現し、自然エネルギー中心の社会を求める全国署名

趣旨
3月11日の東日本大震災によって、東京電力福島第一原子力発電所では、1号炉から3号炉までが炉心溶融(メルトダウン)する最悪の事態が発生しました。水素爆発や工場外壁の破壊などによって、高濃度の放射性物質が海水・大気・土壌に放出されて環境を汚染する、未曾有の大事故となったのです。

放出された放射性物質は、地域の住民や労働者だけではなく、まだ生まれていない将来の子どもたちの健康と生命にとっても、計り知れない悪影響を与えるものと危惧します。 

私たちは、人間の生存を脅かす計り知れない原子力エネルギーの恐怖に、多大な犠牲を伴いながら直面することになりました。この恐怖と犠牲を、未来に残してはなりません。エネルギー政策を根本から見直すことが必要です。 

私たちは、自然を収奪し、エネルギーを無限に浪費する生活を見直し、自然エネルギーを中心とした「持続可能で平和な社会」を実現しなくてはなりません。そのために、原子力中心のエネルギー政策の転換を強く訴え、以下の事項の実現を要請します。

要請事項

  1. 原子力発電所の新規計画を中止し、浜岡をはじめとした既存の原子gou 力発電所の計画的な廃炉を求めます。
  2. もっとも危険なプルトニウムを利用する、高速増殖炉「もんじゅ」と、青森県六ヶ所など再処理工場の廃棄を求めます。
  3. 省エネルギー・自然エネルギーを中心に据えたエネルギー政策への転換を求めます。

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東日本大震災の被災者に心を寄せ 生かそう憲法 輝け9条 2011年5・3憲法集会(2)

前号につづき、5・3憲法集会の4人のスピーチのうち、福島さんと志位さんの発言を掲載します。 見出し  は編集部です。この発言記録は「憲法会議」のご協力により採録しました。紙面を借りて御礼申し上げます。(編集

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新しい社会へ向け、「憲法価値」今こそ

社会民主党党首 福島 みずほ

みなさん、こんにちは。社民党の福島みずほです。今日は、日本国憲法の64回目の誕生日、64周年を皆さんといっしょにお祝いできること、とても嬉しく思っています。
私は日本国憲法が大好きで、この日本国憲法を輝かせることこそ、政治の使命だと考えています。

25条・13条の実現、そして原発依存社会を変えよう

今年は東日本大震災、そして原発震災がおきて初めて迎える憲法記念日です。私も多くの避難所にいきました。受け入れている自治体のがんばりと、ボランティアの意気込み、それから避難をされてこられた人たちの苦労、労苦、思いを多くの人たちから聞いてきました。家が流されてしまった、着のみ着のまま逃げてきた、20キロ圏内だから行方不明者を探しに行けない、でもなんとかしたい、いつ帰れるんだろうか、そんな声をたくさん聞きました。だからこそ政治の出番だと思います。命を救い、命を助け、命を支えあう。私たちは、本当に悲痛な大変な体験をみんなでしたと思います。3月11日前と、現在とその後で、違う社会を皆さんたちと全力で作っていきたいと思います。

3月11日前は、菅内閣はTPP前のめり、法人税引下げ、消費税値上げ、という新自由主義で突っ走っていました。でも私たちは大震災を経て、それこそ憲法価値の実現をしていく、ともに支えあうそんな社会をみんなでつくりたいと思っています。この憲法価値の実現ということで言えば、やはり25条「健康で文化的な生活」=生存権がまさにいま侵害されています。もう一つ、憲法13「幸福追求件権、個人の尊重」、これも被災された皆さん、なかなか実現できない状況です。

そして二つ目、何といっても原発震災です。社民党はずっと一貫して脱原発ということでやってきました。このたび福島の原発事故が起きて、私たちの力不足で政策転換ができず、このような事故が起きて、慙愧に堪えません。こんな事故が起きてしまった。そして海、山、土地、空気、土壌、水道水、あらゆるところに放射性物質が出ている、現在進行形です。これは福島県からはじめ、もっと広範囲な人びとの命や健康が侵害されている。平和的生存権が、憲法13条幸福追求権が、命の侵害となっておきている。

だからこそ、憲法価値の実現のために政治を変えたい、社会を変えたい、そう思っています。脱原子力、脱原発。皆さん、どうでしょうか。これはいま54基のうち、22基動いています。新しい原発はもう建てない。そして41年以上の原発があり、30年以上が18基あります。その古いもの、老朽化したものはきちんと廃炉にしていく。そして地震列島でどこも危険といえば危険なのですが、とりわけ危険な浜岡原発や柏崎刈羽をすぐさま止めるように、いっしょにがんばろうではありませんか。

ずっと国会で浜岡原発を止めてくれと言っています。昨日、予算委員会で質問もしました。東海地震が起きる可能性は30年間でどれだけですか、70%ですかと質問したら、「いえいえ87%です」という答えでした。そして静岡にある浜岡原子力発電所は、あの保安院ですら安全設計について安全マークがつけられないのです。申請はしたものの、最終結論は出ていません。また津波対策もありません。砂丘があるだけです。これから防潮壁をつくる、ボーリングをして何年かかるかわからない。だったら、いつ地震があるかわからない、こんな状況なんです。浜岡原発は止めてもらおうではありませんか。

これは経済産業大臣が法律にのっとって停止命令が出せるのです。昨日、予算委員会で質問したら、海江田さんは「現地に行きます」と言っていました。現地に行って止めてもらいたいと思いますが、総理の答弁も少しずつ変わってきました。はじめは「止めない」と言っていたのが、昨日は「検討する」と変わりました。みんなの力できっぱり変えたいと思います。多くの方は本当に思っていると思います。「安全」、「安全」、「安全」と経済産業省が、保安院が、原子力委員会が、そして御用学者たちが言ってきた。文科省は副読本まで出して子どもたちを洗脳してきた、私はそう思っています。その「安全」なんてウソだったじゃないですか。いったん事故が起きれば、これほどまでに、人びとに被害を与えるのです。私たちは理性を使い、知恵を使い、原発に依存する社会を変えようではありませんか。皆さん、原発と手を切ろうではありませんか。

そしてそれは、自然エネルギーの促進や、いろいろな形で可能だと社民党は計算をしています。5月中に具体的なアクションプログラムを再度発表する予定です。いまだって22基しか動いていない。そして火力、水力を止めているのです。そして火力発電所も天然ガスを使うことによってCO2 を減らすことができると計算をしています。そしてどうでしょうか。私は国会議員になった13年前から自然エネルギー促進議員連盟に入って、なんとか法案を出そうとしましたが、10年前に負けたのです。ドイツと同じような自然エネルギー促進法案を出しましたが、国会で成立しませんでした。いま1%の自然エネルギーの比率を上げたいと思います。日本はそれが可能です。環境省も北海道、東北はポテンシャルが高いといっています。皆さん、東北を自然エネルギーの基地にしていく、それで再興していく、そういうプランをいっしょにつくっていこうではありませんか。

ドイツは日本の福島の被害を見て、すぐ原発を止めました。そしてドイツはこれから、2020年には自然エネルギーを35%にしていく。ある研究所は2050年には100%と言っています。日本は物づくりの技術はあるわけだから、2020年までに20%から35%、できれば2050年までに100%にしたいと思っています。

そして、それは可能です。3月11日、原発震災―これはまさに人災であり、政治災害です。私たちはこの災害を経て、3月11日より違う社会を作ろうと思っています。そしてあと二つ話をさせてください。

辺野古新基地も原発も許さない─被災者の心に寄り添い、憲法価値を実現するとき

去年のこの5月3日の集会、私はとてもよく覚えています。当時、私は閣内にいて辺野古に基地を作らせないために、皆さんたちと努力をしている最中でした。5月28日に、辺野古に基地をつくるという日米共同声明が発表され、閣議に辺野古に基地をつくるという案が出ることになりました。本当に残念でした。私は辺野古に基地を作るという計画に断固として反対し、加担するわけにはいかないと署名を拒否し、その場で大臣を罷免になりました。私はこれからも、沖縄辺野古に在日米軍基地をつくることについて皆さんと一緒に根本的な解決のために頑張っていきたいと思っています。そして沖縄辺野古に行って思うことです。さきほど伊藤さんから上関の祝島の話が出ましたが、私も祝島に渡ろうとしたら、わっと人がきて、「国策になぜ反対するのだ」といわれました。私は祝島も辺野古もいっしょだと思います。どちらもきれいな海を埋め立てて片や海上基地、片や原発をつくる。希少動物たちがいる海、おじい、おばあたちが身体をはって毎日がんばって死に物狂いでたたかっている。だから片や30年、片や20年近く、基地や原発ができない。みんな本当にがんばっています。札びらで人の横っ面をひっぱたいて屈服させていく。どんなにいやだと言っても基地や原発をつくろうとする。私は政権交代とは、政治を変えるということとは、この札びらで人の横っ面をひっぱたいて屈服させるそういう政治を変えることだと確信しています。こんな政治をこそ、ごいっしょに変えたいと思います。

そして皆さん、自民党の中には今こそ憲法を変えよう、今こそ憲法を変えて非常事態の条項を憲法に入れるべきだ、そんな主張も出ています。とんでもないと思います。いま憲法を「改正」するようなそんな場合ではないでしょう。そう思います。いま被災地の皆さんの心によりそって命を救い、命を助けることを一刻も早くしなければならない。憲法で決めた基本的人権を制限するような場合ではないのです。憲法に予め基本的人権の制限なんて書いちゃダメなんです。いま必要なことは権利を制限することではなくて、25条や13条など、憲法の価値を回復するための立法こそ必要ではないでしょうか。そのために、たとえば、東北などで無料相談をした多くの弁護士たちの話を聞きましたが、二重ローンの問題、家は流されてしまったのにローンが残っている、そしてもう一度家を建てると二重ローンになる、こういう個人の救済、町の復興のためには、やはり二重ローンの何らかの解消、立法が必要です。仮設住宅はお盆までなどというのは冗談ではありません。もっともっと早く、どうやってつくれるか。憲法の生存権を守るために、憲法を変え、憲法の価値を、憲法の精神を、憲法の権利を制限することではなく、憲法価値の実現のための立法と政治をいっしょにやってまいりましょう。

そして先ほどアナウンスがありました。残念ながら国会のなかでは、衆議院では憲法改正のための国民投票のための規程が設けられていて、参議院ではなかったのですが、いよいよ憲法規程をつくろうという動きが出始めています。先ほども言いました。いま憲法改悪をしている場合ではありません。憲法の価値を生かすことこそ必要であり、社民党は、皆さんといっしょに憲法改正のための規程をつくることは何としても止めるべくいっしょにがんばります。

守りぬこう武器禁輸3原則

もう一つ、憲法9条について話をさせてください。この間、武器輸出3原則の見直しを、「防衛計画の大綱」にのせないように社民党はがんばりました。憲法9条があって、戦後のたたかいがあって、武器を世界には売らない、これが日本のある種のコンセンサスです。非核3原則と同じように国是となっている。それが変えられようとしている。さっき言った基地と原発が似ているように、武器輸出3原則、一応、輸出することは止めました。文言上は。しかしいつこれが復活するかわかりません。それともう一つ、日本に原発はもういらない、地震列島日本に原発はいらない、少しずつ、私たちは時間はかけてでも必ず原発は段階的停止で縁を切りたい。それと同時に、海外に原発を輸出する、ベトナムに輸出する、こういうことについても、何としても止めたいと思っています。

世界中の人たちの命が大事です。やっぱり憲法はみんなを応援している。命が大事、だからこそ、と思っています。
昨日、ある集会を開きました。福島県下で、文科省が校庭や校舎は20ミリシーベルトということを言い、厚生労働省が保育園でもと言い、原子力安全委員会がゴーサインを出したことについてやっている行政交渉です。これをずっとやっています。文部科学大臣に昨日、予算委員会で質問しました。「子どもと大人と同じでいいのか」と私は質問しました。文部科学大臣は、「子どもも大人も同じでいいのだ」と言いました。皆さんどうでしょう。放射能の危険管理区域の5倍なんです。そんなところで子どもが勉強していいのでしょうか。命を守る政治をやらなければならない。そう思っています。学校の再開、勉強はもちろん重要です。でもそれよりも命を守ることに全力を上げたいと思っています。

5月3日の憲法記念日、64回目です。また、改めて3月11日以降、私たちは脱原発、自然エネルギー促進、そして憲法価値―生存権、幸福追求権をもっともっと実現していくためにみんなで心を合わせよう、そんな社会を皆さんたちと力強く作っていきたいと思います。新しい社会をいっしょに作りましょう。

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日本国憲法を生かし真の復興を

日本共産党委員長 志位 和夫

みなさん、こんにちは。ご紹介いただきました、日本共産党の志位和夫でございます。
今年の5月3日は大震災のもとでの憲法記念日となりました。私は、まず震災で犠牲となられた方々への深い哀悼とともに、被災された方々への心からのお見舞いを申し上げるものです。

私は、今日は「震災復興と日本国憲法」というテーマでお話をさせていただきたいと思います。いま、多くの国民のみなさんが、被災された方々の悲しみを癒やし、苦しみをとりのぞき、早く安心と希望がもてる生活を取り戻してほしいと強く願っていらっしゃると思います。私は、その一番の力となるのが、日本国憲法であり、その力を引き出すのは国民のたたかいだということを訴えたいのであります。

一人ひとりの被災者の生活再建こそ、復興の目的・土台

まず何よりも急がれるのは、これ以上の犠牲者を出さないということであります。1ヵ月半以上たっても、温かい食事がない、風呂に入れない、間仕切りがない、医療と介護の手が届かないなど、劣悪な環境の避難所が多く残されています。

首相は、お盆までに仮設住宅をつくるといいますが、それまで待てるでしょうか。これまでの震災などでも避難所生活は2ヵ月が限度といわれてきました。まもなく2ヵ月を超えるではありませんか。政府の計画では遅すぎるといわなければなりません。

避難所生活を抜本的に改善し、希望者全員が入れる仮設住宅を前倒しで早く建設・確保し、これ以上の犠牲者は1人たりとも出すな――このことを憲法25条の生存権にたって、強く求めていこうではありませんか。

復興にあたって大原則にすべきは、「1人ひとりの被災者の生活再建こそ、復興の目的であり土台」ということだと思います。

これはごく当たり前のことですが、当たり前のことがこれまでやられてきたとはいえません。16年前の阪神・淡路大震災の際、「復興」の名目で立派な空港、港、高層ビルがつくられました。しかしそこに住む人々は、バラバラにされ、六甲山脈の裏側の仮設住宅に追いやられ、生活は立ち行かず、孤独死が広がりました。こうしたことを繰り返してはなりません。

「生活再建」と言った場合、まず破壊された「住まい」を再建する。壊滅的打撃を受けた漁業・農業・中小企業を再建し「仕事」を保障する。自治体・医療・介護・学校・保育園など「公共」を再建する。「住まい」と「仕事」と「公共」の再建を一体になってすすめてこそ、「生活再建」がすすむのではないでしょうか。

私は先日、全漁連のみなさんと懇談する機会がありました。先方からこういう発言があったことがとても印象的でした。「生活と漁は一体です。海は生きています。被災地の漁業者はぼうぜんとしているのでなく、船さえあれば魚を取りたいという思いでいっぱいです」。なるほどと思いました。仕事への誇りを取り戻すことは生活再建と一体だと、私は強調したいと思います。

「生活再建」のためには、国の公的支援がどうしても必要です。
阪神・淡路大震災を契機に、市民と政党が共同した粘り強い運動で、住宅再建のための公的支援をおこなう被災者生活支援法がつくられました。しかし全壊でも300万円です。これでは足りませんね。農業・漁業・中小企業などの被害については、本格的な公的支援の枠組みはつくられておりません。

みなさん。被災者一人ひとりの破壊された生活基盤の回復のために、住宅再建の個人補償の抜本的充実をはじめ、あらゆる分野で公的支援の制度を打ち立てるために力をあわせようではありませんか。
そのためには国の姿勢を根本から変えることが必要です。

阪神・淡路大震災のとき、ときの内閣(村山内閣)は、「自然災害の個人被害は、自助努力による回復が原則」とのべ、憲法をたてにして、個人補償や公的支援を冷たく拒否しました。この政府の姿勢は今にいたっても変わっておりません。しかし、いったい憲法のどこに公的支援を禁止する条項がありますか。そんなものはどこにもない。反対に、その権利を力強く保障しているのが日本国憲法ではないでしょうか。

憲法第13条は、「すべて国民は、個人として尊重される」、国民の「幸福追求」の権利は「最大の尊重を必要とする」と明記しています。

憲法第25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と明記しています。

大震災のもとで、これらの権利が侵害されていることは明らかです。それならば侵害された権利を回復することが国の責任であるということは、当たり前の道理ではないでしょうか。

被災者1人ひとりの破壊された生活基盤を回復し、自立した再出発を可能にするための公的支援は、憲法が禁止しているどころか、日本国憲法の要請であり、国民の権利です。憲法の持つこの力を引き出し、被災者救援・復興に生かすたたかいを、全国でご一緒に進めようではありませんか。

復興の進め方─計画は住民合意で、財政は国の責任で  

いま一つ、大切な問題は、復興の進め方です。ここでは、「計画は住民合意で、実施は市町村と県・国が連携して、財政の大半は国の責任で」――との大原則が大切ではないでしょうか。

一番悪いのは、「上からの青写真の押し付け」です。これをやってはなりません。

ここでも阪神・淡路大震災の苦い教訓があります。当時、国と兵庫県がスローガンにしたのは「単なる復旧でなく創造的復興を」でした。どこかで聞いた言葉ですね。神戸市の助役が、震災直後のテレビに出て、震災前につくった神戸空港などの開発計画を振りかざしてこういった。「幸か不幸かこういうことになりましたので、今日からでもこれを実行する」。こう言い放った姿を怒りとともに思いだします。その結果、人のぬくもりにあふれた商店街や地場産業がなくなり、超高層ビルと採算がとれない空港にとってかえられました。

私は、率直にいって、こうしたことが繰り返されることへの強い危惧を持っています。政府の「復興構想会議」で、菅首相は「単なる復旧でなく創造的復興を」とまったく同じ言葉を使った。私は、ぞっとする思いで聞きました。

五百旗頭(「復興構想会議」)議長は、「東北モデル」をつくり「日本の将来モデルを示す」と言いました。「上からモデルを押しつける」ことが復興だと考えているとしたら、とんでもない考え違いだと私はいいたい。

先日、JA全中や全漁連のみなさんと懇談した際、先方からこういう声がだされました。「『復興構想会議』に、一番被害のひどかった農漁業関係者を参加させていないのはどういうわけか」。その通りだと思います。
みなさん。復興とは、あくまで被災者一人ひとりのための事業でなければなりません。

被災者そっちのけの「上からの青写真の押し付け」は、きっぱり拒否しようではありませんか。

「被災者の声」、「小さな声」、「弱い声」をすべてすくいあげ、復興計画を住民合意でつくる。それを応援し、尊重し、財政責任を果たすことこそ、国の責任だということを、私は訴えたいと思います。

そしてここでも一番の力となるのは、憲法第8章に規定された地方自治の大原則、さらには、憲法のすべてをつらぬく国民主権――「国民こそ主人公」の大原則だということを強調したいのであります。

みなさん。住民自治と民主主義、国民主権を輝かせてこそ真の復興――人間復興は可能になる、私はそう信じてやみません。そのために力をあわせてがんばろうではありませんか。

福島原発が明らかにしたものと日本国憲法の立場

この大震災を党略的に利用しようというとんでもない勢力がいることを告発しなければなりません。
自民、民主、公明などの国会議員でつくる「新憲法制定議員同盟」が、4月28日に「大会」を開き、大震災を引き合いに出して、「非常事態規定」のない現憲法の欠陥が明らかになった、緊急の憲法改定が必要だなどと気勢をあげました。

しかし、みなさん。政府が「非常事態」に対応できていないのは憲法のせいでしょうか。福島原発事故が起きたのは憲法の責任でしょうか。冗談ではありません。安全対策をとらないまま原発大増設をすすめてきた政治の責任ではありませんか。

だいたい面々をみてください。この「議員同盟」の中心に座っている中曽根元首相、海部元首相、安倍元首相、鳩出前首相などは、原発大増設を推進してきた張本人、直接の責任者ではありませんか。そういう勢力が、大事故への反省ぬきに、憲法にぬれぎぬを着せ、改定を言いつのる。これほど卑怯千万な態度はありません。文字通りの「火事場泥棒」的なやり方で、憲法9条改定に道を開く動きは、断固食い止めようではありませんか。

福島原発事故が明らかにしたものは何でしょうか。
一つは、いまの原発の技術は、本質的に未完成で危険をはらんだものだということであります。冷却水がなくなると炉心が溶け、コントロール不能になり、放射能をまきちらす大災厄をもたらす。さらに、放射性廃棄物を処理する方法がまったくない。そうした本質的危険が万人の前で明らかになったのではないでしょうか。

二つは、そうした施設を、世界有数の地震国であり世界1、2の津波国であるこの日本で集中立地することは、とりわけ危険きわまるものであるということが明らかになったのではないでしょうか。

三つは、にもかかわらず歴代政府は「安全神話」にしがみついてきた。「原発は安全です」と国民に宣伝する。宣伝しているうちに、宣伝しているご当人も「安全」だと思い込む。これが一番危険なのです。こうした姿勢だから、繰り返しの警告を無視して安全対策をとらず、大事故を引き起こしたのです。

政府と東京電力は、この事故が「人災」であることをはっきり認めるべきであります。政府は、今度こそ「安全神話」と決別し、安全最優先の原子力行政への転換をすみやかにおこなうべきです。東電は全面賠償の責任を果たせ。この声を突きつけようではありませんか。

そして、私は、この大事故をふまえ、政府にたいして、原発からの撤退を決断することを強く求めるものです。原発をゼロにする期限を決めたプログラムを策定することを、要求するものです。原発から撤退し、自然エネルギーヘの戦略的な大転換を決断することがいまこそ必要です。

原発の危険と恐怖を拒否する権利も、大きく言えば、その根拠は、日本国憲法のうちにあります。憲法前文にはこう書いてあります。 

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

これはただ戦争がないというだけではありません。世界のすべての人々が、「恐怖」や「欠乏]から免れる権利をもっているということを宣言しているのです。すべての人々が、安心して平和に暮らす権利をうたっているのです。この日本国憲法の素晴らしい内容を生かすたたかいを、大いにすすめていきたいと思います。

みなさん。日本国憲法を生かし真の復興を─これを合言葉に、力をあわせてがんばろうではありませんか。以上をもってごあいさつといたします。
ありがとうごさいました。

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第60回市民憲法講座(要旨)原発震災~いま何が起こっているのか

山崎久隆さん(劣化ウラン研究会代表、たんぽぽ舎)
(編集部註)5月21日の講座で山崎久隆さんが講演した内容を編集部の責任で集約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。

東日本のほぼ全域をなめ尽くした放射能

今日は「原発震災」ということでお話をさせていただきます。低レベル放射線の問題で、福島県の小学校で放射線が降り積もっている中で子どもたちが毎日通っています。日本の法令は1年間で1ミリシーベルトの被曝をするようなところにいてはいけないというのが基本です。私たちが住んでいるところは、1ミリシーベルトより遙かに低い自然放射線しかありません。ところが福島県内には大量の放射能が降り積もってしまったところがたくさんあります。人口が多いところでは福島市、郡山市、二本松市、に異常に高い地域が点在しています。点のように高いところ、ホットスポットは主に雨の影響で、ヨウ素やセシウムが降ってつもったところです。そういうところに子どもたちは住んでもいるし、学校に通ってもいます。

校庭で1年間に20ミリシーベルトを超えてしまうところもいくつか出てきています。ところが国は20キロ圏内は全員避難、20~30キロ圏内は避難の可能性があるから準備せよ、ちょっとはみ出したところの飯舘村などはすでに一部で避難が始まっていますが、これはおおむね20ミリを超えているところを避難対象地域にしたといわれています。実際はかなりばらつきがあるんですが、そういう地域を避難地域にした結果、現状のようなことが起きてしまっています。

本当はもっと遙かに低い線量で避難地域を決めなければいけなかったんですが、要は「社会的影響が大きすぎる」という理由です。1ミリシーベルトを超えたところも全域避難としてしまうと、福島市はかなりの部分で避難地域が発生し、郡山や二本松でも避難しなければならなくなる。そうなると福島県自体の行政がたちゆかなくなるなどと勝手に考えて、それで避難しなくていいと決めてしまったわけです。それ自身が非常に問題です。

このグラフは福島県内から東京に至るまでの主要なところの放射線の時間変化です。おおざっぱなかたちでみていただきたいんですが、一番上のラインはほとんど人間が住むことができない、1日で50ミリシーベルトを超えてしまうとてつもない値です。1日で50ミリシーベルトですから2日で100ミリシーベルトです。さすがにこれだけ高いのは初日からだいたい3月19日くらいまでの間、第一原発の中、正面ゲートとかそういうところです。グラフの1番目、2番目のラインは原発の中ですから、さすがに人はいません。福島と郡山のラインは、今は確かに平均をみると20より下がっていますが、3月31日、4月2日という時点では20ミリシーベルトよりも遙かに高い数字だった。だからこの期間は国の基準でいっても避難しなければいけなかったんですが、数値が明らかになったのは4月4日頃、つまり20ミリシーベルトを下がり始めた頃におもむろに発表するわけです。こういうのを普通は犯罪行為というわけです。

さらに南相馬、いわき、あたりになると1年間で2.4ミリシーベルトのラインです。1年間で2.4ミリシーベルトというのは自然放射線などでわたしたちが1年間に浴びるとされている値です。したがってこのラインで、福島原発の影響で浴びることになれば2倍になるわけです。自然の放射線プラス福島原発の影響で倍になる値というところが南相馬でありいわきであり、そこでは2倍の線量を被曝するという現状です。もちろんこの辺は避難地域にはなっていません。南相馬の一部は避難地域になっていますが、このグラフに出ているのは避難地域ではない地域です。

私たちの住む東京は、実際には雨などが降ってもっと高いところは散見されますが、渋谷でみると3月21日あたりで跳ね上がりが見えます。3月20日から21日にかけて東京でも雨が降りました。その中にはヨウ素やセシウムが含まれていて、この辺がピークです。この2日位前から第一原発から大量の放射能が放出し始めています。最初の大量放出は3月12日、13日の第一原発の1号機、3号機の爆発です。そのあとに2号機も爆発し、建物は壊れていませんが、下の方の格納容器の爆発です。その噴出した放射能が気流に乗ってヨウ素、セシウムを含んで東京方面に流れて降り注いだのが20日、21日に当たります。それからは一貫して下がり続けています。

けれどもわたしたちが住んでいる東京でも環境放射能の値を超える値のヨウ素、セシウムが出ているということ、おおむね従来の環境値の倍くらいの空間線量になります。いわき等のラインでは自然界から浴びる空間と食品、医療療法も含めて2.4ミリシーベルトといっていますが、その倍くらいの被曝が現れていて、東京では空間線量の1年間で1ミリシーベルトという線量のほぼ倍の空間線量の放射能を浴び続けてきたという関係になるであろうと考えられます。放射能は東日本のほぼ全域をなめ尽くしたということになります。ここまでは実は被害の半分くらいです。これから起こるのは水への大量放出で、ここまでで総放出量はおおよそですが4700兆ベクレルという値です。

低線量放射線被曝100ミリシーベルト以下の危険性

低線量放射線被曝の危険性をもっとも世界で主張している市民団体に、ICBUWという団体があります。これは「ウラン兵器禁止を求める国際連合」という劣化ウラン兵器に関して活躍している団体です。このICBUWは低線量被曝の基準を欧州放射線リスク委員会(ECRR)によってたっていますので、資料にある声明は、いわばヨーロッパにおけるもっとも厳しい低線量被曝に関する考え方によっているとみていいです。

低線量被曝について日本政府の主張は、20ミリシーベルト以下は安全、さらに100ミリシーベルト以下は「ただちに健康に影響はない」、したがって何をしてもいい、というのが日本政府のいう20ミリシーベルトです。20ミリシーベルトから100ミリシーベルトの間は汚染を除去するなりすれば暮らせる、という立場です。いま20ミリシーベルト以上の場合は避難していますが、ここについてはそのうち汚染除去なり汚染低減なり、あるいは自然に下がっていくなりして20ミリシーベルト以下になれば居住を再開してかまわないという考え方です。

およそ世界中でこんな考え方をしている国はどこにもありません。チェルノブイリですら周辺5ミリシーベルトで、基準を超えると居住できないという考え方にたって、30キロ圏内にはいまだに公式には帰宅ができない状態です。もちろん帰ってきている人たちもいますが、これは国にいわせれば勝手に帰っているだけということです。日本の場合は従順というか何というか、20キロ圏内居住禁止といわれるとほぼ全員の住民が避難しています。このあと、9ヶ月といっていますが、1年以内に帰宅をすることになる可能性があります。そのときの基準が20ミリシーベルトという世界に類例のない値になる可能性が非常に高いので怖いなと思っています。

「怖いな」という理由は、20ミリシーベルトという数字はきわめて危険な値だからです。簡単にいうと、将来がんになって死亡する確率が無視できないほど高いと考えられているからです。これがECRRの考え方です。ECRRの考え方は、10ミリシーベルトあたりに低線量被曝でのがん発症のピークがあるというものです。100ミリシーベルト以上が危険だという考え方は国際放射線防護委員会の基準、これは国の基準と考えて差し支えないです。100~0の間に非常にリスクの高い部分があるので気をつけなさいという、ECRRの考え方によって書かれている声明文が資料の文章です。低線量被曝に対して日本が非常に甘い考え方を持っていることに警鐘を鳴らしています。

欧州放射線リスク委員会(ECRR)の2010年勧告という文章は、日本ではインターネットで無料公開され、大阪の市民団体が翻訳しています。この考え方の基本は、国際放射線防護委員会(ICRP)の考え方は直線モデルで閾値がないということですが、ECRRは10ミリシーベルトのところにピークのある二相的な考え方をとっていて、相容れないモデルといっています。

ICRPもどこの国も低線量被曝の危険性についての基準は、ヒロシマ・ナガサキの原爆被爆者です。原爆被爆者がどのようにがんになり、健康障がいを受けたのかを統計的に考え、それを受けて低線量被曝の危険性を評価していったのがこの60年間の放射線の危険性に関する考え方です。その中で出てきたのが100ミリシーベルトを超える部分は線量に比例して危険性が高まっていくだろうという考え方で、これ自身は何も違いはないんです。問題は、100ミリシーベルト以下のラインが非常に危険であるという考え方と、逆に健康にいいという相反するふたつの考え方がぶつかり合っています。

ラドン温泉なんかに行くと健康になって帰ってくる、だから低い放射線量ならば健康にいいという考え方、「放射線ホルミシス効果」で、これにほぼそったことをいっている人が福島県にいます。原子力推進派でならした医学者が言っているので恐ろしいんですが。

私たちが言っているECRRの考え方は何かというと、原点はあまり変わりません。しかし100ミリシーベルトからゼロに向かって下がっていくと、だいたい20ミリシーベルトのところで急激に上がって、ピークを迎えてまたゼロに戻る。低線量のエリアで、100ミリシーベルトに近いエリアで受けるのと同じような被曝の影響を受ける可能性がある、というのがECRRの考え方です。

20ミリシーベルトは、全身60兆個の細胞がほぼ1秒間に1回くらい照射される線量です。これがさらに低いところに行くとほぼ数秒間に1回という線量になる。その値の違いによって、修復過程に入っている細胞が二度照射されることによるダブルパンチで細胞がガン化する。そういう特異的な線量がこのあたりにあるのではないかという、これも仮説です。この考え方に沿って低線量は危険である。ならば被曝しないためには5ミリシーベルト位を限界線としなければいけないのではないかということです。国際放射線防護委員会(ICRP)が基準としている最新のものはだいたい10ミリシーベルトです。ECRRはさらにその半分、5ミリシーベルト以下といっています。理想的には1ミリシーベルト以下にしなさいと主張しています。

2007年ICRP勧告と20ミリシーベルト

ICRPがなぜ10とか20の数字を出しているかというと、2007年勧告でICRPがいきなり20ミリシーベルトという基準を持ち出してきた。きっかけは当然 チェルノブイリです。チェルノブイリで事故が起き、大量の放射能がヨーロッパに降り注いだ。それによって1ミリシーベルト以上全が避難となったらヨーロッパから誰もいなくなってしまう事態になった。実際には逃げないままに現地に止まることになったので、国際放射線防護委員会としても幅のある勧告をせざるを得なかったわけです。幅のある勧告とは、緊急時被曝と減損被曝という考え方です。

緊急時被曝というのは、まさにいま福島原発で大事故が起きている状況です。こういう時は100ミリシーベルトを超える被曝があっても収束作業、作業員が中に入って止めなければいけない。これについてはICRP勧告では上限無しです。いくら浴びてもいいからとにかく止めに行けという基準です。

もうひとつ減損被曝です。住民にとっては減損被曝が問題になります。まさにいまの福島県の状況で、降ってきた放射能の中に住み続けなければいけない。住民にとっていくつまで許容範囲とするのか、いくつを超えたらどうしなければいけないのかという勧告をしたのがICRPの2007年勧告です。

そこではまず20ミリシーベルトを基準におきます。20ミリシーベルト以上は逃げなきゃいけない。したがって20ミリシーベルト以上を退避地域にしたのは、国のやり方としては2007年勧告通りと言えます。問題はそこから下ですね。小佐古敏荘という内閣参与が急に辞任をして涙の記者会見をしましたが、あの人は何で20なんだ、非人道的だと言った。それはICRP勧告には、20ミリシーベルト以下は減損被曝としてそこに住んでもいいけれど、低い方を基準としなさいとしている。低い方と言えば1~10としか言いようがない。事実上そこでは基準を10ミリシーベルトだと言っているんですね。

何が違うのかというと、10~20は除染して、放射能を取り除いてとにかく低くしろ、10以下にしろといっています。10から1についてもなるべく1に近づけろと言っています。両方とも除染しろと言っています。小佐古敏荘が辞めたのは、おそらく10にしたかったんだと思うんですね。ところが頭越しに政府が20と発表してしまったので自分の立場がないわけですね。というのは、2007年勧告を国内基準に取り入れるときの審議会の責任者は小佐古敏荘氏でした。自分が主張している基準をあっさりと拒否されたので、そこで「学者生命」という言葉が出てくるんだと思うんです。彼は別にECRRの基準を採用したかったわけでも何でもない。そこは私たちとは立場が違います。しかし小佐古敏荘氏ですらとんでもないと言った20ミリシーベルトは、ICRP勧告上でもとんでもないわけです。

20ミリシーベルト以下で住んでもいいけれども、汚染を除去して10ミリシーベルト以下にしなさいといっているのに何もしていませんからね。小学校が土をどかし始めたら文科省がストップをかけた。その理由が、どかした土をどこに持っていくのか決まっていないし、作業の間に舞い上がって内部被曝したらどうするんだというんです。あるものをどかそうとして内部被爆するということは、そのままあれば内部被曝することをいっているのに等しいわけですから、何を言っているのか。そういう次元です。

文科省はもうひとつ恐ろしいことを言っています。それは「放射能恐怖症にかかるな」ということです、ひとことで言えば。いま福島県内で触れ回っている長崎大学の山下教授がよく言うんですが、みんな放射能被曝を怖がってそれがストレスになる。放射能の影響ではなくて、ストレスによって免疫力が低下して結局はがんになると言っています。さきほどのホルミシス効果の裏返しみたいなことです。でも、実際にある放射能を吸引して内部被曝でがんになる確率は、彼自身の言葉の中でも上がるといっています。ゼロじゃない。それを怖がるなということ自体がめちゃくちゃな論理で、それを本気で信じるのなら、それはマインドコントロールです。文科省はどうやら学校の教員も含めてマインドコントロールしようとしているらしい。

放射能の危険性を正しく怖がれということは私たちもいっています。放射能がある以上、確率的にはどうしても怖いです。怖いときの恐がり方とはどういうものかというと、怖いのは小さな子ども、これから50年、60年生きる子どもたちの方なんですよ。それこそ余命との相談です。そのあいだにがんになって死ぬ確率は確実に上がります、わたしも皆さんも。しかしその上がり方は、わたしよりも子どもの方が遙かに深刻です。だから子どもたちにどう責任をとるのかが、この放射能の問題の一番の根幹にある問題だと思います。ただこれ以上、放射線量の放出が最悪の事態になったら、わたしたちががんで死ぬ確率は飛躍的に上がりますので本気で怖がらなければいけない状態になってしまいますが、とりあえずいまの時点では、子どもたちのことを主に心配してあげましょうということです。

ノーベル賞受賞者の公開書簡と脱原発の流れ

「公開書簡」の翻訳を資料に入れました。6人のノーベル賞を受賞した女性たちのNGO、「ノーベル賞女性イニシアティブ」が、プラス3人の連名で原子力はもうやめようという提言を出しました。わたしがこれを翻訳した一番大きな理由は、日本ってノーベル賞好きですよね、ところがこの文章を報道で見たことがありません。これだけの受賞者が一堂に会して記者会見まで開いて、これだけ重要な提言を発表しているのに、ものの見事に無視してくれました。9人が「No to nuclear power」と言って、ホームページにもあるのに、報道したマスコミはひとつでもあっただろうかということです。

世界の趨勢は、もう脱原発、反原発です。脱原発はいまある原発はやめようということだし、反原発はもう一切新しい原発は建設しないということです。この人たちは原発のある国の人も、ない国の人もいる。それはあまり関係なくて、原発を持っている国の指導者は原発のない未来を想像してください、という呼びかけです。ここで言っているのは「To World Leaders」、世界のリーダーに対しての呼びかけですね。

実は世界で原子力なんてやっているのは30カ国しかないんです。そのうち電力の20%以上を原子力に依存している、原発が電力の基幹部門を担っていると言えるのは、さらにその半分の15カ国です。逆に言えば残りの15カ国は今すぐやめてもほとんど影響がない、2割以下ですから。日本は3割を超えていますから、前の15カ国に含まれます。そのほか3割を超えている主な国はフランス、韓国、台湾(とりあえず中国とふたつに分けます)、それからカナダなどです。世界中で原発の話をしても通じない国はたくさんあります。特にアフリカで通じる国は南アフリカくらいですね。そういう状況です。原発、原爆一字の違い。どっちにしても地獄行きですが、原爆の怖さは世界中知っているけれど、原発の怖さは、持っていない国は、「何それ」という感じですね。

そういう事態の中で日本の原発が4基もまとめて事故を起こしたので、こういう声明が出ました。相手は原発を持っている30カ国のリーダーです。わたしたちも含めて原発を持っている国の人たちが自分たちの問題として考えて、自分の国を動かして原発のない社会をつくっていこうという呼びかけです。ワンガリ・マータイさんも参加していますが、この声明は紹介もされていません。

世界の趨勢はドイツが反原発に舵を切ったとか、イタリアがもう一度原発を再興しようとして断念したとか、アメリカがサウステキサスプロジェクトという日本が受注した原発計画を中止したとか、断片的にニュースは入ってきます。しかし、こういう動きなどほとんどニュースにならなくて、今度G20で菅首相が日本は原発を推進すると述べるらしいことが新聞に載っている程度ですね。日本はいまや世界の中で本当に孤立しています。日本ほど特異な国は珍しくなってきています。

火山国で地震多発地帯に位置する日本の原発

福島原発の現状ですが、まず今回起きた地震とはいったい何であったのかということを簡単に説明します。日本は4つのプレートに乗っています。実際には太平洋プレートにはのっていないのですが、日本の間際まできていて、今回の地震も主に太平洋プレートの影響ですから4つのプレートに乗っているといいます。東日本がほぼ全部乗っているプレートが北米プレート、アメリカから来ている巨大なプレートです。フィリピンから来ているちょっと小さいフィリピン海プレートがあります。それからユーラシアプレート、中国から来ている陸のプレートです。海のプレートの方が比重が重いので、海のプレートが潜り込んでいって、陸のプレートが上に持ち上がっている状態になります。このプレート境界でストレスがたまり、このストレスが解放されると地震になるわけです。これをプレート境界地震または海溝型地震などと呼んだりします。

今回起きたのは三陸沖、宮城県沖、福島県沖、茨城県沖のエリアが一斉に動いた地震です。ここは実は昔から地震の巣でありまして十勝沖、根室沖さらに行くと北方4島がありますね、ここも1990年代にマグニチュード8級の地震があって日本が救援にいっています。この一帯はマグニチュード8から8.5の地震が頻発する、世界でもこんなに起きるところはないというところです。

この宮城県沖は30年間でマグニチュード8級の地震が99%の確率で起きると言われていました。ですから地震が起きたと聞いた瞬間 、宮城県沖地震かと直感的に地震学者は思ったんですね。それより遙かにエリアが大きな地震が起きた。福島県、茨城県沖は単独で大きな地震はあまり知られていなかったんです。でもこの辺の地層の調査で津波がきていることなどはわかりますので調べると、どうやら過去に何度も起きていたらしいことがわかった。日本の古い地震は文献資料を基に調べます。たとえば今から1000年前の都は京都です。京都に近いところの文献はいっぱいあるんですが、東北地域とかはまとまった文献はなかなか残っていない。お寺の過去帳とかを探して調べるんですが、時間もかかるし手間も大変、予算もつかないということで、余りよく知られていなかったんですね。

ところが2000年代になってこのあたりに平安時代に巨大地震があったことを探し出した人がいます。貞観地震といいます。869年ですが、ほぼ今回と同じくらいの規模で起きただろうといわれています。仙台平野がだいたい内陸まで5キロくらい水につかった。そのときに福島第一原発のあたりでも20メートルから10メートルの範囲の津波に襲われていたことがわかっていました。ですから想定外というのはうそです。ここでは同じ規模の地震はどうやら500から800年くらいの範囲で1回ずつ起きているらしいです。

さらに貞観地震の再来だとすると、もっと怖いことがあるんですね。貞観地震の18年くらいあとに東海、東南海、南海地震が起きています。これが仁和地震で、それによって京都が壊滅的な被害を受けて、巨大津波も起きています。さらに富士山が噴火をして、さらに関東地震というのが起きています。関東地震は武蔵の国の地震といわれていますが、おそらく関東大震災級の地震だっただろうといわれています。ですから今後、連動して起きる可能性があるかもしれないと考えないといけないですね。

こういう中で原発の立地点をみてみます。問題は東電の柏崎刈羽原発それから若狭湾に高浜、大飯、美浜、敦賀の関西電力と日本原子力発電で15基の原発がある。もんじゅも立っている。これらの下に縦の方向で活断層型の地震が多発している有力な断層が何本も走っています。それから北米プレートとユーラシアプレートとの間にプレート境界があることがわかっています。このエリアで地震が起きれば柏崎刈羽まで目と鼻の先で、ここもプレート境界地震の直撃を受ける可能性があります。

それから富士川河口から糸魚川・静岡にかけての構造線の一帯で地震が多発しています。松代群発地震、中越沖地震、新潟地震、日本海中部地震、北海道南西沖地震、聞いたことのある地震ばかりですよね。ここも地震の巣です。その間に挟まって泊原発、柏崎刈羽原発、下北半島にある東通原発、六カ所再処理工場、東海原発、東海再処理工場、JCOもある。そういうところがこのプレート境界の間にすっぽり挟まっていて、さらに東海、東南海、南海地震が起きたときに縦の方向にある活断層が活動する、松江市にある島根原発、この山側にマグニチュード7.5の大地震を起こした断層があります。名前もついていない断層で、地上に出ていないから名前をつけようがない。非常に特異な地震で1997年に起きています。

また玄海原発、川内原発がある九州は火山島といってもいいですよね。新燃岳が噴火中です。ついこの間阿蘇山が噴火しました。実は貞観時代にも大地震が起きたとき開聞岳が大噴火しました。鹿児島市の南側、川内原発から60キロくらいのところです。あちこちで地震が起き、さらに火山噴火が活性化するというのも、地震によって揺さぶられて地下にたまっているマグマが活動を活発にすることは十分あり得るというお墨付きをくれたのは東大地震研です。

原発があるから電力が不足する

日本の原発で福島第一原発は止まっています。浜岡の3、4、5号基も止まっている。日本に54基ある原発のうち、いま動いているのは20基、半分以下です。やっと脱原発の第一歩かという感じですが、これを止めたまま夏を乗り切ることができれば-できると思っていますが-「なんだ原発っていらないのね」ということで来年は全部止まることになるでしょう。それをさせないためにあちこちで電力危機キャンペーンが張られています。

最初に計画停電をやった最大の理由は、原発が止まったからです。3月11日から4月上旬までですが、もともと火力発電所などの定期検査が入っていて、止まっている火力が多い時期です。その間、原発も定期検査で半分くらい止めて、夏場の需要期にフル稼働しようと準備する段階です。従ってあの時期に設備が足りないのは当たり前です。そのとき東電の原発も、東北電力の女川原発も止まった。さらに東通原発も止まった。東京にほとんど売っていた東海第2も止まりました。その結果、その電気を当てにしていた東京電力の需要下にあるところはみんな電力不足になってしまったわけです。

逆に言うと、そのあと電力需要が増えているにもかかわらず停電の話にならないのは、ほかの火力を立ち上げたからです。福島第2原発のすぐ南10キロにある広野火力は、7月には運転再開するそうです、津波で被災したのに。さらにその南にある常陸那珂発電所、石炭火力ですがここも津波で10数人死亡したんですが再開するそうです。原発以外は立ち上がるんですよ。火力は津波で被災しても、放射能はないので、設備の破壊は人と金をつぎ込めば直せます。原発は人をつぎ込もうが何をしようがだめです。地震にも弱いし、いざとなれば電力が不足するというのも、原発があるからなんです。原発があるから電気が不足する、こう言わないといけない。

たとえば若狭湾の先で震度5くらいの地震が起ると、関西は停電します。美浜、大飯や高浜の原発に頼り切っているからです。いま7基も動いています。マグニチュード5.5、震度6弱くらいの地震が来ただけで全部止めざるを得ません、勝手に緊急停止がかかりますから。そうするとあっという間に関西は停電します。原発に頼り切っているから停電する。停電しないために、原子力発電所が動いている電力会社は、原発が全部止まってもすぐに電力を供給するだけの火力設備を常にスタンバイしておかなければいけないわけです。

東京湾岸は3000キロワットの火力発電がいっぱい並んでいます。この間、五井に行ったときに電車に乗っていて石炭のにおいがするんですよ。どこかの石油会社がタール状の石炭を燃やしているらしいんですね。がんがん燃やして東電に電気を売っているわけです。この湾岸は東京電力で300万キロワット以上、自家発電を加えればおそらく4000万キロを超えるような発電所が集中しています。いざとなったら東京電力の原発の1700万キロワットをバックアップしなければならないからです。

設備だけでいうと東京電力は、原発も含めて7000万キロワット以上の発電設備を持っていました。東京電力は最大需要6400万キロワットを想定しますが、それだけの火力は普段止めておきます。でも原発に何か問題が起きたら次々と立ち上げて原発をバックアップするわけです。だったら最初から火力を使えばいいだけの話です。だから東京電力の原発がすべて止まろうが、東京で電力が不足することはありません。

同じことを関西電力に言えるのかというと、設備では4割程度が原発で、それをバックアップする火力発電所をじゅうぶん持っていないらしい。理由は簡単で東京電力は西側から電気をほとんどもらえないんです。東北電力からしかもらえない。西側の発電設備は60サイクル圏なので、全電力会社が500万キロワットくらいの融通性を持っているんですね。ですからほかの電力会社の余剰電力を全部吸収して大阪は成り立っているわけです。

日本中を一体化した直流送電網を

ですから日本中を全部一体化した直流送電網をつくる。1兆円くらいあればできます。北は北海道から南は九州まで、1000万キロワットの直流送電線を1本だけ通せば-超伝導で通せばロスもなくなります-、ほかの電力会社の余剰設備は一切いりません。いまの余剰設備は全体の10%です。日本の電力会社はフル装備で1億8000万キロワットの発電設備を持っています。その1割が、実は無駄なんです。1800万キロワットというと100万キロワット原発18基分です。5%の余剰設備だけなら900万キロワット、原発9基分が何もしなくても自動的に廃炉になります。

そういう日本全部の融通線を公共設電線でつくって、どこの発電所からも個人の発電設備からもつなげる。供給のための送電会社は全国1社でいい。その全国1社の送電会社が各発電所、東京電力などから電気を買って需要家に売る方式にすればいいんです。これはとっくにヨーロッパでやっています。ヨーロッパでは直流送電網が、ドーバー海峡を経てもつながっていて、スペインで電気が余っていればノルウェーが買うことができますから、日本みたいに狭いところだったら簡単にできます。ただ最初の設備投資1兆円を誰が出すのかという話です。公共料金として、公社としてみんなで出資すればいい。数年でできます。みんな頭を抱えて電気をどうしようといっていますが、放射能の方がよっぽど大変な問題であって、電気なんてどうにでもなるということだけは触れておきます。

地震による冷却水の喪失

福島第一原発がどこでどうなっていったのか。写真でお見せします。地震、津波によって設備が破壊され、海岸線の護岸堤など何もなくなっています。復水サージタンクの前はほとんど何もなくなっています。この写真では津波の直後でまだ爆発はしていませんが、3月12日の昼ですから、1号機はほぼメルトダウンを始めています。2号機、3号機についてもほとんど冷却水がなくなって、おそらく燃料が溶け始めている頃だと考えていいと思います。この時点で水を突っ込めば、もしかしたら建物や格納容器が吹き飛ぶような大災害は回避できたかもしれないと惜しまれる時間帯の写真です。

ではそのときに水はあったのか。ここに海の水があります。実はもうひとつあったんです。集中処理施設といま呼んでいる、低レベル放射性廃液が1万トンたまっていました。ここは原子炉とかタービン建屋から出てきた放射能に汚染された水を一時的にためておいて、蒸発効果といって水を加熱して放射性物質、ゴミと水に分ける。そうすると普通の水になりますから水は海に捨て、ゴミはセメントに固めてドラム缶詰めにします。廃棄物処理施設に水が1万トンくらいあった。

これは確かに海に捨てるのには大変危険な汚染水ですが、環境放出限界の100倍程度です。100倍というと、実は原子炉の中に入っている原子炉冷却材の10分の1くらいです。だから濾水として使うには全然問題ないんです。それを突っ込めばよかったんですが、誰も気がつかなかったのか、4月になって捨ててしまいました。

もうひとつ、ため池があります。ここはほとんど雨水です。こういう緊急時に原子炉に水を突っ込むために、溜めていたんです。なぜ使わなかったのかというと、地震で地盤が壊れて送水管が破断してしまった。だから地震によって水を失ったといっても過言ではないんです、この原発は。東京電力はなんとしてもこの原発は津波でやられたことにしたくてしょうがないんですね。でも、津波がくるのは3時半くらいですから、その遙か前の2時46分に地震によって真水を断たれていたわけです。水さえ突っ込めれば冷却できていたわけで、それが初期の段階でできなかった最大の理由は地震です。 あと1万トンの水を忘れたことですが、本当に忘れたのか、何度聞いてもわからない答えしか返ってきません。

地震による電源喪失

もうひとつ、原発は電気を失うと冷却ポンプも動かなくなって、とんでもないことになります。ですから電源を喪失したことがメルトダウンした最大の理由のひとつです。そのことを図示した東電の資料があります。ここに書かれているのは電源ケーブルが破断していく過程です。電源ケーブルが破断したら、当然非常用ディーゼル発電機によって電源を供給しなければなりません。福島第一原発には3本の送電線が来ていましたが、その1本が鉄塔が倒れて切断されました。土砂崩落で倒れたと書いてあります。土砂崩落は地震で起きました。原発は発電中は自分でつくった電気でポンプを回しますが、止まってしまうと電気がなくなるので外から電源を受電しなければなりません。そのための送電線をこの土砂崩れは破壊して、これによって5号機、6号機へ電源は行かなくなりました。

ところがこの5号機、6号機は、非常用のディーゼル発電機4台の内の1台が動いていました。この2基は定期検査で止まっていたのですが、それでも冷却できなければメルトダウンしますので、この非常用ディーゼル発電機で何とか持っていたわけですね。

さらに怖いのは1、2、3、4号機です。これらは地震のせいで新福島変電所にある所内変圧器などが破壊され、そのためにまったく電気が来なくなったことがあとになって発表されます。これも地震の影響です。1、2号機、3、4号機には結局すべての送電線、大熊線と夜ノ森線、の電気が来なくなって電源喪失してしまいました。東北電力から東京電力が受電するための別の送電線をわざわざ引っ張ってきてそれでつないだり、それから電源車につないだりしましたが、復旧できたのが3月20日です。メルトダウンしたのが3月12日から13日にかけてですから、ひとことで言って手遅れです。この電源復旧は地震、津波が来て止まったら数時間以内にできなかったらだめなんです、原発というのは。

こんなことは今回のような巨大地震じゃなくてもいくらでも起きるわけです。地震が起きて停電しました、なんて当たり前すぎてそれが事故だなんて思わないくらいですよね。にもかかわらず、東京電力の原発は外部電源が喪失するとメルトダウンしてしまうくらい脆弱なんです。最後に非常用ディーゼルにとどめを刺したのは津波ですが、津波がくる前に地震で外部電源が破壊されていますから、津波だけのせいにされては困ります。

非常用のディーゼル発電機が仮に水没していたとしても、他の線が生き残っていれば冷却できたのは女川原発です。女川原発も津波で非常用のディーゼル発電機が水没しました。けれども女川原発は外部電源を受電できていた。あれだけの地震があったにもかかわらず送電線が生きていたんですね。偶然としか言いようがないです。

福島第二原発も同じです。津波によって非常用のディーゼル発電機を起動できなかったんですが、メルトダウンは免れました。電源線が2本だけ生き残っていた。第一原発より南の方ですから被害が少なかった。その分だけ福島第二も生き残ることができました。これもいわば偶然ですね。外部電源さえ生きていれば第一原発もメルトダウンせずに済んだんです。だけど外部電源を倒さないようにするなんて、当てにならないことです。福島第一原発は多重防護になっていないわけですね。

危険なプルトニウム燃料を入れた3号機

地震が起き、津波が来て冷却不能になった3号機は、プルトニウムを入れたプルサーマル原子炉です。プルサーマル計画の第1号です。何とか止めようとしたんですが止められなかった痛恨の原子炉です。

プルトニウム燃料だと、ウラン燃料に比べて多くの核分裂生成物のガスを出す性質があります。もうひとつやっかいな性質は融点です。溶ける温度がプルトニウムは絶対温度で3000度、摂氏だと2700度くらいで溶け出します。普通のウラン燃料は3100から3150度くらいです。私たちは、溶けやすい燃料を入れるのは危険ではないかと国や電力会社にいった。通常運転時、燃料の中心温度は1200度くらいです。国や電力会社は、1200度くらいで通常運転しているものが3000度で溶けようが3100度で溶けようが関係ないだろうというんです。しかし、過酷事故の時にはプルトニウム燃料はより危険である、というのがわたしたちの主張です。

今回はまさに過酷事故です。100度近く低い温度で溶けてしまう燃料が入っていれば、危険に決まっています。2号機と3号機は同じ体積で同じ挙動です。運転中だったことも同じです。しかし3号機は木っ端みじんで格納器の上は吹き飛びましたが、2号機は原形をとどめています。炉心の破壊状況も、もしかしたら3号機の方がひどいのではないのかと想像していますが、想像の域を出ません。あけてみなければ本当のことはわからない。

もうひとつの問題はプルトニウムの絶対量が多いことです。普通に原発を運転していてもプルトニウムは出てきますから、ゼロにはもちろんなりません。しかし最初からプルトニウム燃料を詰め込んだ原子炉は、絶対量がふつうのウラン燃料だけの原発よりも多くなります。プルトニウムを大量に含んでいる燃料が入っている3号機の方が潜在的に怖いと言えます。今後、大量の放射能に汚染された水が2号機と3号機の両方から流出したら、より3号の方が汚いということになります。周辺のがれきの放射線量は3号機の方が遙かに高いことが過去のデータでも明らかになっています。このプルトニウム燃料が影響を与えているのではないかと疑わせるに十分な状況になっているのが実態です。それもあけてみなければわかりません。

情報隠しでプラントの状態は?

プラントはどうなっていったのか。すでに11日に冷却材が止まって電気が止まりつつあった。12日のおそらく未明にはメルトダウンが始まっていたことがわかってきたわけです。東電が出したものをみると、3号機の13日午前2時とか2号機の12日午前2時とか、24時間くらい時間差がありますが、ここで原子炉の冷却能力がほぼなくなったことがわかります。1号機に至っては11日の15時25分、つまり津波がきた直後で、このあたりで冷却能力がなくなったことがわかります。この時点から計算すればおよそプラス8時間から16時間の間にメルトダウンが起きることは原発をやっている人だったら誰でもわかります。

したがって11日の夜10時でほぼ1号機はメルトダウンが確定です。おそらく12日のうちには確実にわかっています。翌12日になると午前2時に冷却能力はゼロになっていますから、ここから数時間でメルトダウンというのは常識的にわかります。そうすると13日に至るまでにはメルトダウン。3号機はもうちょっと後になります。13日の2時42分に冷却能力がゼロになっていますので、この時間に確認したということでしょうから、これプラス数時間13日の午前中にはメルトダウンということがこれでわかります。これを出さないんですよね。今回初めて出てきて、これで誰にでもメルトダウンということがわかった。

これを何で出さなかったのか。3月20日以降のデータは3月下旬から4月の頭までにでてきたんですが、事故が起きた3月11日から3月20日に至る間が空白です。温度も圧力も出てこなかった。出しなさいと東電とずっと議論していた。そして5月になって出てきて、マスコミ各社一斉に原子炉がメルトダウンと書くわけです。これほど情報を隠しきってくれたのはあきれ果てるということです。世界でこんなことをやった国はありません。ソ連のチェルノブイリですら、爆発したその日のうちに悲惨なことになったことを発表しています。26日に爆発を起こし、翌日にはスウェーデンで大量の放射能が観測されています。軍用の施設ならばありますが、商業用でこんなに隠したのは初めてです。日本は情報鎖国、秘密主義国家といっても過言ではない。

SPEEDIの情報隠しで遅れた避難

放射能の拡散状況もみんな隠してしまったので本当に危険な時期、逃げなくてはいけない時期に知ることができなかったという意味で、本当に犯罪的なことをやったとほとほと思います。放射能拡散予測図はSPEEDIという装置の解析です。原発から放射能がでた瞬間、その後の数時間の気象条件、アメダスとかのデータと併せて、この放射能が何時間後にどう広がっていくのかをリアルタイムに追っていくシミュレーターです。

これは12日午前6時、2号機が下で爆発を起こしたタイミングから4月24日午前0時までの期間、40日以上の間に広がっていった放射能を、SPRRDIが毎時出していくデータを積算して出しています。ここで問題なのは、積算で100ミリシーベルトのところがあるんです。この100ミリシーベルトというのは1歳児の甲状腺被曝線量ですね。もし子どもが100ミリシーベルトもの被曝を甲状腺にした場合、1000人のうち5人くらいが今後生きている間のどこかで甲状腺がんになるといわれている値です。

最初に避難指示が出たのは3キロ圏で、翌日には退避した。次に10キロ圏で避難が始まります。それは格納容器ベントも終わって放射能が放出し始めた後です。さらにそのとなり20キロ圏になると、いま飯舘村とか川俣町は5月いっぱいといっていますからまだ避難していない。これがいかにひどいかというと、少なくとも乳幼児はもともとここにいちゃいけないわけです。SPEEDIというシステムが正常に機能していたならば、少なくとも3月中旬くらいにはそのエリアは全員避難指示が出ていなければいけないし、4月下旬には飯舘村などは少なくとも乳幼児避難をしていなければいけないというほどの線量です。

さらに安定ヨウ素剤は甲状腺被曝に対して効くことは効くんです。しかし被爆してから数時間以内に飲まなければほとんど効果がないことが知られています。もちろん被曝する前に飲むのが一番いいんですが、放射能が拡散する前に飲むことができた人はほとんどいないと思います。いくつかの町村では配布をしたところもあります。そこで飲んだという人もいますが、実際には3月12日ではなくてもっと後になってから飲んでいるようですから、ぎりぎり間に合うか間に合わないか、時間がたってしまったかということだと思います。現在この安定ヨウ素剤を毎日服用している人がいます。それは原発の作業員ですね。中にいる人たちはこの安定ヨウ素剤を飲み続けているのが現状です。

このSPEEDIというシステムがなぜ機能しなかったかというと停電のためです。SPEEDIがいくら高性能コンピュータといっても、周辺のデータがなかったら計算のしようがないので、ただの箱になってしまった。ところが電源が復旧してデータが入るようになってからもSPEEDIのデータを一切公表しませんでした。最初のデータがとれなかったので計算ができないことを口実に、文科省ですから一切その後データを出さないんですね。180億円もかけたシステムは何の役にも立たず、最後にこういう悲劇的な結果になっていたことを示して、終わってしまいました。考え方がひとつひとつ全部だめなんですね。

ちょっと話は飛びますが無人ロボットが活躍しているかのような報道がされています。作業員の被曝死を考えたら、過酷事故の時にロボットにやらせようと誰でも考えますよね。80億円もかけて何機ものロボットを開発して、ある程度使えるものもできたんですが、東京電力とか電力会社は引き取るのを拒みました。なぜか、「別に人間が行けばいいでしょ」、そういう考え方ですね。ほとんど解体されて、展示館に1台だけ生き残っていたそうです。今回はフランスとかアメリカから持ってきて、緊急作業に使っているというちぐはぐさです。80億円という税金をドブに捨てた上にアメリカから借りてきています。

放射性廃液流出と海の汚染

今後の話ですが、汚染の広がりもまだ止まっていません。4月4日から10日にかけて低濃度廃液-先ほど海に捨てないで突っ込めばよかったといったもの-これは1万393立方メートルです。この放射性物質の値は約1500億ベクレルです。たいした量に見えますが、その前、4月1日から6日にかけて流出した高濃度汚染水500立方メートルの放射能量は4700兆ベクレルです。桁が違います。韓国や中国が問題にしたのは、1500億ベクレルの方です。これがなぜ問題になったのかは、わざと捨てたということと通告しなかったということです。本当に怖いのは4700兆ベクレルの方です。これについては「出てしまったものはしょうがない、ごめんなさい」というとんでもない世界ですよね。

イギリスのセラフィールドという再処理工場が放射性物質を大量に放出していた80年代の事件がありました。その時に放出した放射能量は、毎年2000兆ベクレルということで大問題になりました。4700兆ベクレルというのは、その2年分を一気に出したということです。セラフィールドが放射性廃液をアイリッシュ海に排出したために、周辺住民で白血病になる人が全イギリスの平均の10倍になりました。さらにアイリッシュ海の魚を食べてがんや白血病になる人が続出したために、イギリスはブラック委員会をつくって放射性廃液の影響調査を1990年代まで延々続けた。最終結論として「そのときの被曝線量は低いのでこのアイリッシュ海に放出した放射能の影響とは考えにくいが、他の地域に比べてセラフィールド周辺の白血病やがんは確かに高いけれども原因不明」という報告書です。報告書になっていないんですけれどもね。

この原因は、その線量ではがんになるはずがない、という前提があるからです。低線量被曝はたいしたことはないというドグマにおかされているからですね。さきほどのECCRの話に引きつけて考えればわかります。低線量被曝がそれほど危険だとすれば、ブッラク委員会の「原因不明の原因」は、放出されたセシウム、ストロンチウムのせいだとはっきりわかったはずです。その部分が欠落していたために、原因不明になってしまった。

アイリッシュ海に放出された放射能の2年分が福島第一原発から出てしまっています。グリーンピースがこの地域の海域調査をしようとして、政府に立ち入りはできないと言われた。20キロ圏内ですね。 そこでグリーンピースは、いわきとかから漁に出る漁師にサンプルを頼んだ。採ってきたホンダワラという海草からは、キロあたり1000ベクレルのセシウムが出ました。海草で、しかも20キロ圏内には漁師だっては入れませんから、その外側でとったはずです。これはわたしも想像を絶する恐怖感にとらわれています。

アイリッシュ海の汚染がひどかった1980年代のことですが、鱈とかカレイとか車エビとかムラサキガイとか、そういった海産物の放射能量でセシウムのキログラムあたりの値です。さきほのどいわきでは、コウナゴなどは500ベクレルが出ています。アイリッシュ海のセシウム汚染量はそれより遙かに低い100ベクレル以下です。しかし長期間、1982年から2000年代まで続いていますので、それを摂取し続ければ大変な被曝量になって、数ミリシーベルトから10ミリシーベルトくらいの被曝量になるだろうという評価がされています。いま福島県沖で出ている最も高い値は、この数字の数倍上です。おそらくこれからは、セラフィールドの放射能汚染とほぼ同レベルの、汚染された海産物が食卓に上るのを避けることはもやはできない状況に、現在の放出量ですらなってきているということです。

問題は何年続くのかですね。これもアイリッシュ海と太平洋の性質の違いを考えなければいけません。アイリッシュ海はあまり出口がないんです。したがって放出された放射能はなかなか外に出ないで堆積しています。堆積された土の中からまた再浮揚して魚に入ったりするので乱高下があると考えられています。太平洋は、相手はアメリカですから、広大に広い。ボンと入れれば広がって、薄まっていくことを期待したいですよね。

アメリカはそれを当然知っていますので、4月になって米軍が輸送機を福島沖に飛ばして大量のブイを投入しました。そのブイには無線機がついています。おそらくGPSが付いた無線機だと思いますが、水温とか海流を調べる。ブイの位置を刻々と米軍はとっています。そのデータで放射能の固まりがハワイやカリフォルニアにいつ来るかがわかります。測定して汚染が発見されれば、警戒宣言を出す体制をすでに準備しています。日本とはえらい違いですね。アメリカ的感覚はやってくるのを待ち構えていて、もし汚染が発見されればただちに警報を出す体制をとっています。アメリカの基準は、おそらくですが370ベクレルを基準とするようで、水の場合は日本よりも遙かに厳しいんです。

対処が難しい魚の汚染

日本の水道水は300ベクレル、子どもは100ベクレルです。アメリカは10ベクレル、場所によっては3ピコキュリー、0.1ベクレルです。汚染がないといってもいいでしょう。水道水にセシウムやヨウ素などが含まれていたらただちに摂取制限、飲むなという警報を出す体制をアメリカはどうやらとっています。食べ物については、核実験によっても数ミリベクレル程度入ってきますから、それを完全にゼロにするというのはたぶん無理なので、アメリカはキログラムあたり370ベクレルを制限値としていると考えられます。ただ困ったことに、農産物は農地が汚染されていれば確実にその農産物は汚染されていると見なして、畑の耕作禁止または除染作業ができます。

海はそうはいかないですね。海で汚染されたものは海流にのって拡散していきます。魚介の汚染は食べているもので変わります。たとえばある一帯の魚を一網打尽にとって一匹一匹計ったとしても、全然違う値が出ます。とりわけプランクトンを食べる魚は変わってきます。プランクトンが海水を摂取してセシウムなどを濃縮しますので、それを直接食べる魚は当然高い値を出しますが、しかしながらコウナゴなどの小魚を大量に魚を食べる魚も当然高い汚染にさらされます。

その魚が回遊魚であると、福島県沖ではないところでたくさん食べて、たまたま福島県沖で捕まった魚であれば汚染されていません。非常に幅が広くなってしまうので、とりわけ回遊魚についてはどれくらい汚染があるかはあらかじめわかりません。定住しているカレイとかエビとか動かない魚は、一定水準の汚染が出ることは想像できるので比較的規制はしやすいです。いまの季節だと回遊魚のカツオとか、規制しろと言ってもどだい無理な話で、ふつうに食べることになると思います。

魚を測定するのは難しすぎて現実的ではありません。一匹のカツオを計って仮にセシウムが出なかったとしても、それを食べられるかというと、時間がかかりすぎますから、腐ってしまう。凍らせて計るわけにもいかない。ということで、実態として海産物の汚染を正確に計ってから安全と見なして食べるということは現実的にはできないんですね。したがってあるエリアを危険と見なさざるを得ないんです。福島の場合は、北は金華山沖から南は銚子沖まで世界3大漁場のひとつが使い物にならなくなるわけです。関東に住むわたしたちにとって最大のタンパク源の供給源を事実上失うことになってしまう。非常に難しい状況に追い込まれています。

しかし子どものことを考えるならば、はっきりするまでは摂取しないと言わざるを得ないほどの放射能、4700兆ベクレルというあまりにも恐ろしい量が出ているわけです。これは500トンくらい出した時点での数字です。いま同じ汚染レベルの廃液が10万トンもタービン建屋とかに溜まりきっています。これを何とか汚染が流出する前に処理しちゃわないといけないんですが、現状ではできていないんです。それがいまもっとも危険の高い状況を生み出しています。

壊れた原発にどう手を打つか

東京電力が撮影した第一原発の写真ですが、まだ何もしていない。3、4号機の冷却材を出す放出口があります。タービン建屋からつながっているんで、放射能汚染水がどんどん流れ出しています。緊急に、ここに阻止線を張らなくてはいけない。10メートルから20メートルくらい掘削して、排水溝も含めて分断して、間に鋼鉄の矢板を並列に打ち込む。その隙間に高密度コンクリートを流し込む。それくらいしかとりあえず緊急にはできませんが、それによって流出することはとりあえず止められます。これを梅雨の始まる前にやらなくてはだめです。これが第一、まずは汚染水の流出を阻止すること。

第二は耐震補強です。次にも震度6強の地震が来たら倒れます。倒れたらもはや手の打ちようがありません。格納容器が崩落する恐れがあります。使用済み燃料プールは1500トンの重さがあり、これを現在の建屋の破壊状況で支えきれるとは思えません。どうするか。建屋の外側に鉄筋コンクリートの柱を立て、そこにかすがいを入れる。地震の揺れによっても建屋が倒壊しないように、補強材を中に入れる話もあったんですが、中は放射能が強すぎて人が入れる状況ではないので、外側に補強するしかないですね。上に何かをかぶせようという話もありましたが、そんなものは何の強度もありませんから無意味です。むしろ外側にコンクリートの柱を立てて倒壊しないようにすることが必要です。

三番目、これも同時並行ですが、高さ15メートル以上の防潮堤を建てることです。次に余震がきて津波が襲ったら、もう何もないんですから10メートルでなくても一気に破壊されます。破壊されると、中にある大量の放射能を流出させることになるので、絶対津波を中に入れてはいけないんです。15メートルの防潮堤を仮設で建てなきゃいけないんですが、コンクリートじゃだめです。コンクリートはつくったばかりのときは半分水です。コンクリは固まっていく間に水が抜けていくので、つくった途端は比重が軽すぎて津波に押し流されるんですね。

ここは密度の高い石で、それを金網でくるんだようなものを15メートル積み上げる。そうすればとりあえず津波が直撃することは防げます。テトラポットを置こうものなら津波が来たら凶器になります。こういうことを同時平行でやらなくちゃいけないのに何も手が着いていないんですよ。それが本当に腹が立ってしょうがない。

さらに言うと、冷却用に水を入れていますね。最初は6万トンと言っていたのが昨日になって10万トンの廃液に数字が変わっています。どんどん水を入れているからです。冷却しないと怖いから水を入れるんですが、いま中の温度は300度以下です。現状でそんなに水を入れなくても、急激に高温になる可能性はあまりないと考えられます、3号機を除いては。1、2号機については、水を入れ続けていくと放射能の汚染水を漉しだしているようなものです。何しろ格納容器、圧力容器がみんな貫通して、放射能はただ漏れ状態です。つまり容器が容器の機能を果たしていません。

最終的に緊急で何ができるか。鉛を詰めなさいということです。水に細かくした鉛を流し込む。そうすると最初に原子炉に入る鉛は、燃料に到達すると熱で、300度くらいで溶けます。溶けて燃料をコーティングして、その上から水がかかりますので燃料要素がしみ出すのを防ぐことができます。

鉛の沸点は1700度位ですから、いまの状況でもそう簡単に沸騰するほどの温度にはなりません。鉛を詰め込んでその上から水をかけるという方式にしないと、放射能の汚染水を製造しているだけのことになります。放射能を垂れ流して、海がどんどん汚染されることになったら取り返しのつかないことになります。チェルノブイリですらなかったことです。チェルノブイリは8日間燃え続けましたがほとんど大気中にでて、海に出たのは河を通って黒海に流れ込んだ程度です。

ところがここは500トンの汚染水で生じた4700兆ベクレルという膨大な放射能水の20倍の放射能がまだあるんですね。それがもし毎日流出をすれば、アイリッシュ海の20倍の汚染になってしまいます。

いまでさえ太平洋の魚を食べられないといっているのにもっと食べられなくなる。北方四島の周辺漁場までが深刻な打撃を受けることになると、あの海域はロシアだけではなくて中国や韓国の漁船もたくさん行っていますから、当然中国や韓国から賠償請求されます。これからは海流に乗った汚染により漁業に壊滅的な打撃を受けたロシア、韓国、中国から、請求書が回ってくる可能性があります。

ストロンチウム、プルトニウム、明らかにされていない放射線の危険性

10万トンの廃液についてはセシウム、ヨウ素は測定しています。でも当然入っているはずのストロンチウム、プルトニウムは計っていません。ストロンチウムやプルトニウムはベータ線、アルファ線を出すので分析が手間取ります。しかし、そもそも測定をまじめにやっている形跡がありません。おそらく、プルトニウムとかストロンチウムとか刺激の高い物質についてはいわないでおこうというもくろみだろうと思います。

セシウムというのは全身に回って筋肉に被曝をより多く与えます。典型的には心臓血管を硬化させ、心筋梗塞を起こします。毛細血管や心筋血管の組織にセシウムが入り込んで細胞をだめにするので、それによって心筋梗塞を起こしやすくなるといわれています。当然ほかのがんの原因にもなります。

ストロンチウムはカルシウムと同じような挙動をします。骨に集まり造血細胞に影響します。白血病の最大原因はストロンチウムです。プルトニウムも同じように身体の中に入ると半永久的に出て行きません。これもまた造血細胞にいってアルファ線を照射しますので、白血病の原因物質になります。そのほか骨がん等の原因になります。

つまりストロンチウム、プルトニウムとセシウム、ヨウ素の決定的な違いは身体の中に入ったときの挙動です。セシウムも半減期は30年といいますが、体内半減期は50日です。もし50日間放射性セシウムを摂取しなければ体内の量は半分に減りますので500日、1年半くらい転地していれば、恐らく普通の人と変わらないくらい体内セシウムは下がります。けれどもストロンチウムやプルトニウムはそうはいきません。体内半減期は50年です。したがってストロンチウムなどを大量摂取してしまうと、ほとんど白血病は免れられないくらいの危険物です。その一番怖いものは調べてくれないわけです、国も電力会社も。

何回もメールを出して、プルトニウムとストロンチウムの量をはかれといっているんですが、30キロも離れた土壌から出ました、とか意味のない数字しか出てこない。肝心要の場所のプルトニウム、ストロンチウムを計らないというのが、国や東京電力の対応です。本当に犯罪的と言わざるを得ません。本当に怖い状況がいまも続いています。
  ストロンチウムは高温にならないと揮発しないので、チェルノブイリは3000度の爆発で日本にも降ってきました。福島はどんなに高くてもせいぜい400度くらいですから、揮発することはほとんどないので、周りに飛び散っていないんですね。でも水によく溶けます。炉心を漉しだしてたまっている汚染水、それから4700兆ベクレルの、すでに排出してしまった500トンの汚染水には相当量含まれているとしか思えないのに、何も発表されていないというのが現実です。
  わたしの話は以上です。ありがとうございました。

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