3月11日に勃発した東日本大震災と収まりのつかない原発危機下での憲法問題は極めて重要な局面を迎えている。一昨年の政権交代で成立した民主党中心の政権は、政権獲得後、動揺に動揺を重ね、鳩山由紀夫首相に代わって成立した菅直人内閣のもとで、いま深刻な政府危機に陥っている。対米関係での危機に加えて、東日本大震災という決定的な危機が政権を襲ったのだ。この危機を打開しようと、このところ政界では民主党、自民党を中心にした「大連立政権」待望論が浮き沈みしている。
ねじれ国会の中で、党内もまとめきれず、予算編成の過程で窮地に陥っていた菅直人首相は、この東日本大震災を奇貨として、「かつてない大震災に与野党あげて対処するため」として、野党・自民党の谷垣総裁に「副総理兼震災復興相」として入閣要請を行い、事実上の大連立内閣の編成の道に踏み出そうとした。この要請を菅内閣の政略的な延命策とみた谷垣総裁は「あまりにも唐突な話」とこれを拒否した。
しかし、菅首相があきらめないだけでなく、自民党の各派閥の長老らを中心に「連立」容認の声が相次ぎ、大連立内閣構想の火ダネはその後も与野党の中でくすぶりつづけている。自民党の中では補正予算、復興構想、閣僚ポストなど、巨額の復興関係事業にまつわる利権にかかわりたいという願望がある。
菅直人首相の民主党は統一自治体選挙前半戦でも大きく敗北した。震災対処の失政に重ねて、この敗北でさらに追い込まれた菅首相は、大連立構想の変化球として、4月14日、東日本大震災からの復旧・復興に向けた「復興実施本部」の設置を決め、首相が本部長に就き、全閣僚が参加することと合わせて、野党各党から幹部1人ずつの参加を求める考えを打ち出した。これもいまのところ野党各党は積極的ではない。
今後、「菅おろし」などの与野党の駆け引きを経て、一挙に保守系諸政党の糾合による大連立政権=挙国一致内閣が誕生しかねない。
この「連立」は総選挙を与野党で対立して有権者に選択を迫った民主・自民両党の政策的相違をあいまいにして大政翼賛政権的な状況を作るもので、それは政党政治と民主主義を危うくする。もしもこの大災害に与野党あげて協力する体制をつくるというのであれば、ただちに災害の対策協議の場を設置すればよいだけのことだ。大連立という野合政権の試みは、与党にとっては政府の災害対処の責任の所在をあいまいにする政権延命のための政略で、不謹慎きわまりないものだ。
そして、油断がならないことには、すでに自民党の一部から出ているように、この大連立政権に憲法問題も扱わせようという動きもあり、それは憲法審査会の始動から、震災救援への米軍、自衛隊の出動を礼賛する空気ともあいまって、9条改憲につながっていく恐れがある。実際、国会では連休前にも参院憲法審査会規程で民主・自民両党が合意し、連休明けにも規程を制定する動きもある。(事務局 高田健)
2011年4月21日
民主党幹事長 岡田克也 様
民主党参議院国会対策委員長 羽田雄一郎 様
南無妙法蓮華経
謹啓 日々のお働きに感謝申し上げます。
さて、参議院憲法審査会規程を制定しようとの動きがあるとお聞きしておりますが、今、国難ともいうべき時にあたり、国政を中心的に担われる皆様方が、まず為すべきことは、震災被災者の方々への手厚い生活支援であり、福島原発の放射能汚染から国民の命と健康を守るため、とりわけ乳幼児、学童などの子どもたちを安全な場所に集団移動させるために全力を尽くすということではないでしょうか。
まして、すべての与野党の合意を得ることが難しい「規程」づくりに関しては、しばらく据え置き、あくまで改憲手続き法の18項目の「附帯決議」で指摘された問題点についてじっくり議論されるべきです。
参議院民主党におかれましては、憲法審査会規程の制定はただちに中止すべきです。
このたびの震災被災者の悲痛な苦しみの声に耳を傾けるのが為政者の最優先の勤めと考えます。
特に福島原発被災者で、津波の被害に遭われた方々の「電気も、原発もいらない!欲しいのは家族団らんだけです!」というお言葉こそ、今この国の歩むべき方向を指し示しているものです。
物や金よりも、命を最優先する社会を目指すことが、この度の震災でお亡くなりになられた方々への最大の追善回向につながるものと信じます。
合掌
日本山妙法寺僧侶 武田隆雄拝
富山洋子さん・日本消費者連盟代表に聞く
3月27日に東京の銀座から日比谷公園まで、原発震災に抗議し脱原発社会を求めて1200名がデモ行進した。その解散地点で富山洋子さんは「これまで長い間、原子力発電の危険性を訴え反対してきた。電気料金の不払い闘争、経済産業省への行動などをおこなってきた。しかし、とうとう大きな事故が起きてしまい、まことに残念で無念な事態になった」と語りその怒りと悔しさがビンビンと伝わってきた。
これは参加者の多くが共感するところだ。明らかに福島第一原子力発電所の事故は、地震で引きおこされたとはいえ人災である。いま、富山さんは原発震災をどう見て今後をどう展望しているのだろうか。日本消費者連盟の事務所でお話をうかがった。(編集部)
福島原発の事故は明らかに過酷事故で、チェルノブイリ原発事故に匹敵します。被害はこれからジワリジワリと襲ってきます。いま高レベルで汚染した水の処理に難儀しています。水は囲い込めないものです。それを囲い込むというのが無理なことです。きれいな水なら海や大地に放すことができますが、高レベル放射性物質に汚染された水ほどやっかいなものはありません。今後とても危惧されるものです。
大地の汚染も水につながります。空気も大気も水が蒸発して大気圏の中で雲になり、雨になるわけで、水の汚染ほど深刻なものはないことを、改めてみなさん感じたのではないでしょうか。
原発事故に向き合って今後どんな社会をめざすのかと考えると、水を生かす、涵養する産業構造に変えていくことです。百姓、漁師、工業で働く者など社会総体は、私の言葉で言うと“業い(なりわい)”として人間が生きていくことが大切です。社会が、水を豊かにする社会なのか、少々の量でない水を汚染して環境に垂れ流す社会なのかが問われます。原発に頼る社会は、汚水を垂れ流す社会です。
では、原発に頼らないで生き抜こうとする社会は“業い”として何を選ぶのか。大規模化して資本に牛耳られていると、“業い”ではなく、奴隷化してしまいます。自ら喜んで働くのではなく、強いられた過酷な環境で働くのは奴隷だと思います。奴隷労働を選ばざるをえない社会ではなく、水を生かし循環する社会、“業い”がなりたつ社会こそ原発震災以後のめざすべき社会です。
原発に頼る社会は差別構造の社会でしかありません。
福島の現場で復旧に当たっている労働者は過酷な条件で働かされています。現場の労働者は、放射性物質の恐ろしさを十分に知らされずに内部に入って働いています。被曝労働者を生み出さなければなりたたないようなエネルギーの作り方には絶対反対です。
原発には地域格差もあります。いま、過疎と過密の格差がますます大きくなっています。その過疎地に原発はたてられます。以前その地は、豊かな自然とともに農業をしていた。その“業い”がなりたたなくなって、仕方がないので原発を受け入れる。暮らしがなりたたないので原発労働者になろうという人もいます。
工業化に伴い、農村から都市へ人々が移され、農業も漁業もつぶされていきました。過疎と過密が仕立てられた差別構造は、暴力構造と言ってもいいと思っています。原発は人の命をないがしろにして、水を循環させない社会であり未来が展望できない路線です。
原発の爆発で大気に放出された汚染物質はいろいろあります。なかでも注意しなければいけないのはプルトニウムです。プルトニウムはわずかな量が敷地内で検出されたと発表はありましたが、あまり言われていません。プルトニウムは福島第一原発3号機でプルサーマル燃料が燃やされていたことから検出されたのでしょう。
放射能のうち、ヨウ素131はチェルノブイリ原発事故で甲状腺ガンを引き起こしました。セシウム137は全身にひろがって遺伝に影響します。ストロンチウム90は骨に取り込まれて白血病の原因になります。
福島原発では低濃度だといって汚染水を海に放出しました。これに関連して農水省の担当官が、“ヨウ素の半減期は8日と短く問題にならない。セシウムは生物濃縮の割合が水銀や農薬に比べてきわめて低い”などと新聞にコメントしています。ところがチェルノブイリではセシウムの被害も報告されています。専門家という人たちが、こんなふうにあっさり言うのは悪巧みとしか言いようがありません。こうした解説こそ、逆に風評被害と言いたいです。
放射線の被害は半減期が短いからいいというものではありません。細胞が傷つけられれば大きな害悪が出るのです。それに魚は生ものではありませんか。8日もたった魚を生で食べますか? 干物にすれば濃縮されるし、食物連鎖もあって、海の汚染は深刻です。
これまで食べ物についての放射能の摂取基準は作られていませんでした。野菜など農産物は事故が起こってすぐに基準をつくりました。日消連は海産物の基準もつくるよう、すぐに申し入れました。魚に影響がないということはあり得ません。有害汚染物質を海洋投棄するなど国際法上も禁止されているのに、外国に断りもなく投棄するなんて以ての外です。
3月30日に東京電力の勝俣会長は第一原発の1~4号炉について「廃炉にせざるを得ない」といいました。私は、何でもっと早く海水を入れなかったか、海水を入れるのをためらったのかと怒りがこみあげます。早く海水を入れれば、水素爆発がなかったかもしれません。「せざるを得ない」という言い方は何だ!と思います。東電は人の命や環境汚染の深刻さをまったく考えず、この神経が汚染水を放出してしまう東電の体質をまざまざとみせつけています。
原発周辺の被災者への対応もひどいものです。原発震災さえなければ、周辺の人たちの精神的なダメージはもうすこしは少なかったのではないでしょうか。東電は被災者へ、すぐに当座に必要とする資金を出さなければいけません。情報も詳しく知らせ、体育館などでなく、もっと安心して暮らせる公共施設を準備すべきです。
消費者団体の間では心配が出ています。それは消費者金融などにたより困難を抱える人たちが出るのではないかという心配です。被災者がゆったりと暮らせるような資金をすぐ東電はださなければなりません。政府が何らかのかたちで補償するとか。原発震災保険という1200億円~2400億円の準備制度もあるわけで、いろんなものをかき集め、100万円くらいはすぐ出すべきです。
有機農業をしている人たちからは、休耕田を活用してはどうかという提案もでています。休耕田へ農家の方を受け入れ、政府が制限を解いて、住宅なども保証していくようにする。被災した少し外側の県で農業や酪農はできないだろうか、ということです。
いろいろな立場の方がいろいろなことを心配し、提案しています。東電は、大地を汚染したことの罪深さをもっと認識して、被災者への保証をしてほしいものです。
「東京もんの暮らし方は危なっかしくて見ていられない」、そんな風に自分の祖父母の代の人からいわれました。たしかに今では東京の食料自給率は1%です。東京は水も電気も外からいただいています。ゴミは燃やして外に出しています。こうした生活にならされている私たちのくらしを見直すには相当の覚悟が必要です。暮らしを見直し、電気エネルギーの消費を減らしていかなければなりません。
今は「節電のために停電を」と言っています。でもこれは電気が足りなくなるから原発が必要だという、原発を存続させたいためにやっていることだと思います。
日本の発電所の容量は「最大需要時」に合わせたもので計画されているので、通常は遊ばせている発電所が多くなります。現在、日本の電気の使用量の3割が原発による電気で賄われているので、原発をやめたら電気が不足すると喧伝されていますが、発電設備の出力は火カが64%余り、原子力は約17%余っています(2010年3月末現在)。この数字は、火力発電所は遊休にして原発を目一杯動かしていることを示しています。
この間、都市の電気の必要量は増えています。家庭用も増えていますが、ずっと都市の電力需要を押し上げてきたのは業務用電力です。いまは、事業用電力といっています。これはたとえばビルや百貨店で使う電力で、生産のために使うものではありません。事業用の電力が都市の需要をあげてきました。そこを減らすことはできて、オフィスや商業施設、とりわけビルが大きな割合を占めています。高層ビルは高くなればなるほど1㎡当たりの需要電力は大きくなります。水を上まであげる、エレベーターも高層階まで必要です。上下水道に空調と超高層ビルは電気使用量がとてつもなく拡大しています。地下街や地下鉄も電気を大量消費します。
超高層のマンションは命を軽視していると思います。もし何かあったとき、階段を歩いて降りることが出来るくらいでないと逃げられません。何かあったとき、上層階では水もなく、エレベーターもなく、トイレも使えない。大変な生活です。ビル風も大変です。今ある超高層マンションやビルを壊すのは悩ましいけれど、今後は制限する必要があるのではないでしょうか。ビルの高さ、昼なのに電気がついているプラットホーム、地下鉄もあります。消費電力の少ない都市構造に変えていく必要があります。
私たちが支払っている電気料金の内訳を見ると、今年の4月からは太陽光促進付加金が徴収されていることがわかります。これはいいんですが、じつは電源開発促進税も取られているんです。過疎地域にお金をばらまいて、原発を押しつけるために使われているお金です。この項目は書いてありません。私は書いてないのはなぜですか、と聞いたんですが、訳の分からない答えしか返ってこなかったんです。このどちらも付加されているんです。電気を使わないということは、そういう意味もあると積極的にとらえてみてください。こういうことが負担になるようではいけませんが、自分がどういうものを払っているのか一つひとつ確認していくことは必要です。
私はその電源開発促進税の負担を最小にしたいので契約アンペアを15Aにしています。アンペア契約を少なくすると、それはそれで工夫して生活できるものです。掃除機を使わなくてもほうきで掃けば充分きれいにできるので、私はたまにしか掃除機は使いません。蛍光灯やLEDなど消費電力の少ない器具を選ぶこともでき、身に付いてしまえば省エネが普段の生活になります。オール電化の住宅は今度のように停電になると生活できず不便です。
いま私の住んでいる地域で、「クリーンな市政と市民勝手連」をつくっています。地域に里山をつくろうとしています。それは、子どもの遊び場が大きな建物の中にあって、屋内で何でもあるんです。そうではなく自然のなかで、自然を生かす地域作りをして子どもの遊び場も作っていこうとしています。こうした中で自然でエコな照明などができれば、都市も変わっていくのではないかと思っています。将来的には学校などを基礎にしてエネルギーの問題も考えて行ければと思います。
被災地に対してカンパをするだけの関係ではなく姉妹都市などを使って顔の見える関係が結べたらいいなと思います。
平井憲夫
(編集部より)長年にわたって原発で働いていた平井さんの文章がインターネットなどで広く発信されています。原発を知る上で、貴重な資料です。編集部では残念ですが、紙面の都合で一部省略して掲載します。平井さんのプロフィールについては以下の紹介が添付されています。
1997 年1月逝去。1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。
20年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。
はじめて聞かれる話も多いと思います。どうか、最後まで読んで、それから、原発をどうしたらいいか、みなさんで考えられたらいいと思います。原発について、設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工、造る話をする人がいないのです。しかし、現場を知らないと、原発の本当のことは分かりません。
私はプラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です。20代の終わりごろに、日本に原発を造るというのでスカウトされて、原発に行きました。1作業負だったら、何十年いても分かりませんが、現場監督として長く働きましたから、原発の中のことはほとんど知っています。
去年(1995年)の1月17日に阪神大震災が起きて、国民の中から「地震で原発が壊れたりしないか」という不安の声が高くなりました。原発は地震で本当に大丈夫か、と。しかし、決して大丈夫ではありません。国や電力会社は、耐震設計を考え、固い岩盤の上に建設されているので安全だと強調していますが、これは机上の話です。
この地震の次の日、私は神戸に行ってみて、余りにも原発との共通点の多さに、改めて考えさせられました。まさか、新幹線の線路が落下したり、高速道路が横倒しになるとは、それまで国民のだれ1 人考えてもみなかったと思います。
世間一般に、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしい検査が行われていると思われています。しかし、新幹線の橋脚部のコンクリートの中には型枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした。一見、溶接がされているように見えていても、溶接そのものがなされていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。
なぜ、このような事が起きてしまったのでしょうか。その根本は、余りにも机上の設計ばかりに重点を置いていて、現場の施工、管理を怠ったためです。それが直接の原因ではなくても、このような事故が起きてしまうのです。
原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にプロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。
原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。
日本の原発の設計も優秀で、2重、3重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。
仮に、自分の家を建てる時に、立派な1級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。
ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。全くの素人を経験不問という形で募集しています。素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。それが今の原発の実情です。
例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。
現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるようになりました。マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。
また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。
原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。それに、いわゆる腕のいい人ほど、年問の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。
また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになります。
皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。
ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。
原発を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。検査は施工の過程を見ることが重要なのです。
検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。
原発の事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。原発の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。
というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。その人は「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。美浜原発にいた専門官は3か月前までは、お米の検査をしていた人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。このようにまったくの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。
東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。なぜ、専門官が何も知らなかったのか。それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。だから何も知らなかったのです。
そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。けれども大変な権限を持っています。この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの日立・東芝・三菱の3社があります。私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社もほとんど素人ということになります。だから、原発の事故のことも電力会社ではなく、メー力-でないと、詳しいことは分からないのです。
私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進しているところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。このように、日本の原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです。
阪神大震災後に、慌ただしく日本中の原発の耐震設計を見直して、その結果を9月に発表しましたが、「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫」というあきれたものでした。私が関わった限り、初めのころの原発では、地震のことなど真面目に考えていなかったのです。それを新しいのも古いのも一緒くたにして、大丈夫だなんて、とんでもないことです。1993 年に、女川原発の1号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して、自動停止したことがありましたが、この事故は大変な事故でした。なぜ大変だったかというと、この原発では、1984 年に震度5で止まるような工事をしているのですが、それが震度5ではないのに止まったんです。わかりやすく言うと、高速道路を運転中、ブレーキを踏まないのに、突然、急ブレーキがかかって止まったと同じことなんです。これは、東北電力が言うように、止まったからよかった、というような簡単なことではありません。5で止まるように設計されているものが4で止まったということは、5では止まらない可能性もあるということなんです。つまり、いろんなことが設計通りにいかないということの現れなんです。
こういう地震で異常な止まり方をした原発は、1987年に福島原発でも起きていますが、同じ型の原発が全国で10もあります。これは地震と原発のことを考えるとき、非常に恐ろしいことではないでしょうか。
原発は1 年くらい運転すると、必ず止めて検査をすることになっていて、定期検査、定検といっています。原子炉には70気圧とか、150気圧とかいうものすごい圧力がかけられていて、配管の中には水が、水といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸気がすごい勢いで通っていますから、配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。そういう配管とかバルブとかを、定検でどうしても取り替えなくてはならないのですが、この作業に必ず被曝が伴うわけです。
原発は1回動かすと、中は放射能、放射線でいっぱいになりますから、その中で人間が放射線を浴びながら働いているのです。そういう現場へ行くのには、自分の服を全部脱いで、防護服に着替えて入ります。防護服というと、放射能から体を守る服のように聞こえますが、そうではないんですよ。放射線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けているんですから。つまり、防護服は放射能を外に持ち出さないための単なる作業着です。作業している人を放射能から守るものではないのです。だから、作業が終わって外に出る時には、パンツ1枚になって、被曝していないかどうか検査をするんです。体の表面に放射能がついている、いわゆる外部被曝ですと、シャワーで洗うと大体流せますから、放射能がゼロになるまで徹底的に洗ってから、やっと出られます。
また、安全靴といって、備付けの靴に履き替えますが、この靴もサイズが自分の足にきちっと合うものはありませんから、大事な働く足元がちゃんと定まりません。それに放射能を吸わないように全面マスクを付けたりします。そういうかっこうで現場に入り、放射能の心配をしながら働くわけですから、実際、原発の中ではいい仕事は絶対に出来ません。普通の職場とはまったく違うのです。
そういう仕事をする人が95%以上まるっきりの素人です。お百姓や漁師の人が自分の仕事が暇な冬場などにやります。言葉は悪いのですが、いわゆる出稼ぎの人です。そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで作業をするわけです。
例えば、ボルトをネジで締める作業をするとき、「対角線に締めなさい、締めないと漏れるよ」と教えますが、作業する現場は放射線管理区域ですから、放射能がいっぱいあって最悪な所です。作業現場に入る時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によって放射線の量が違いますから、作業の出来る時間が違います。分刻みです。
現場に入る前にその日の作業と時間、時間というのは、その日に浴びてよい放射能の量で時間が決まるわけですが、その現場が20分間作業ができる所だとすると、20分経つとアラ-ムメーターが鳴るようにしてある。だから、「アラームメーターが鳴ったら現場から出なさいよ」と指示します。でも現場には時計がありません。時計を持って入ると、時計が放射能で汚染されますから腹時計です。そうやって、現場に行きます。
そこでは、ボルトをネジで締めながら、もう10 分は過ぎたかな、15 分は過ぎたかなと、頭はそっちの方にばかり行きます。アラームメーターが鳴るのが怖いですから。アラームメーターというのはビーッととんでもない音がしますので、初めての人はその音が鳴ると、顔から血の気が引くくらい怖いものです。これは経験した者でないと分かりません。ビーッと鳴ると、レントゲンなら何十枚もいっぺんに写したくらいの放射線の量に当たります。ですからネジを対角線に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです。すると、どうなりますか。
冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。
海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、1分間に何十トンにもなります。
原発の事故があっても、県などがあわてて安全宣言を出しますし、電力会社はそれ以上に隠そうとします。それに、国民もほとんど無関心ですから、日本の海は汚れっぱなしです。
防護服には放射性物質がいっぱいついていますから、それを最初は水洗いして、全部海に流しています。排水口で放射線の量を計ると、すごい量です。こういう所で魚の養殖をしています。安全な食べ物を求めている人たちは、こういうことも知って、原発にもっと関心をもって欲しいものです。このままでは、放射能に汚染されていないものを選べなくなると思いますよ。
数年前の石川県の志賀原発の差止め裁判の報告会で、80歳近い行商をしているおばあさんが、こんな話をしました。
「私はいままで原発のことを知らなかった。今日、昆布とわかめをお得意さんに持っていったら、そこの若奥さんに『悪いけどもう買えないよ、今日で終わりね、志賀原発が運転に入ったから』って言われた。原発のことは何も分からないけど、初めて実感として原発のことが分かった。どうしたらいいのか」って途方にくれていました。みなさんの知らないところで、日本の海が放射能で汚染され続けています。
原発の建屋の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようになるのです。どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。体の外から浴びる外部被曝も怖いですが、一番怖いのは内部被曝です。
ホコリ、どこにでもあるチリとかホコリ。原発の中ではこのホコリが放射能をあびて放射性物質となって飛んでいます。この放射能をおびたホコリが口や鼻から入ると、それが内部被曝になります。原発の作業では片付けや掃除で一番内部被曝をしますが、この体の中から放射線を浴びる内部被曝の方が外部被曝よりもずっと危険なのです。体の中から直接放射線を浴びるわけですから。
体の中に入った放射能は、通常は、3日くらいで汗や小便と一緒に出てしまいますが、3日なら3日、放射能を体の中に置いたままになります。また、体から出るといっても、人間が勝手に決めた基準ですから、決してゼロにはなりません。これが非常に怖いのです。どんなに微量でも、体の中に蓄積されていきますから。
原発を見学した人なら分かると思いますが、一般の人が見学できるところは、とてもきれいにしてあって、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに言っていますが、それは当たり前なのです。きれいにしておかないと放射能のホコリが飛んで危険ですから。
私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも、私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです。
放射能というのは蓄積します。いくら徴量でも10年なら10年分が蓄積します。これが怖いのです。日本の放射線管理というのは、年間50ミリシーベルトを守ればいい、それを越えなければいいという姿勢です。
例えば、定検工事ですと3ケ月くらいかかりますから、それで割ると1日分が出ます。でも、放射線量が高いところですと、1日に5分から7分間しか作業が出来ないところもあります。しかし、それでは全く仕事になりませんから、3日分とか、1週間分をいっぺんに浴びせながら作業をさせるのです。これは絶対にやってはいけない方法ですが、そうやって10分間なり20分間なりの作業ができるのです。そんなことをすると白血病とかガンになると知ってくれていると、まだいいのですが……。電力会社はこういうことを一切教えません。
稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが1本緩んだことがありました。動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人30人を用意しました。1列に並んで、ヨーイドンで7メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。行って、1、2、3と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。ネジをたった1山、2山、3山締めるだけで160人分、金額で400万円くらいかかりました。
なぜ、原発を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、原発を1日止めると、何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。放射能というのは非常に危険なものですが、企業というものは、人の命よりもお金なのです。
世界では原発の時代は終わりです。原発の先進国のアメリカでは、2月(1996年)に2015年までに原発を半分にすると発表しました。それに、プルトニウムの研究も大統領命令で止めています。あんなに怖い物、研究さえ止めました。
もんじゅのようにプルトニウムを使う原発、高速増殖炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも止めました。ドイツは出来上がったのを止めて、リゾートパークにしてしまいました。世界の国がプルトニウムで発電するのは不可能だと分かって止めたんです。日本政府も今度のもんじゅの事故で「失敗した」と思っているでしょう。でも、まだ止めない。これからもやると言っています。
どうして日本が止めないかというと、日本にはいったん決めたことを途中で止める勇気がないからで、この国が途中で止める勇気がないというのは非常に怖いです。みなさんもそんな例は山ほどご存じでしょう。
とにかく日本の原子力政策はいい加減なのです。日本は原発を始める時から、後のことは何にも考えていなかった。その内に何とかなるだろうと。そんないい加減なことでやってきたんです。そうやって何十年もたった。でも、廃棄物1つのことさえ、どうにもできないんです。もう1つ、大変なことは、いままでは大学に原子力工学科があって、それなりに学生がいましたが、今は若い人たちが原子力から離れてしまい、東大をはじめほとんどの大学からなくなってしまいました。机の上で研究する大学生さえいなくなったのです。
また、日立と東芝にある原子力部門の人も3分の1に減って、コ・ジェネレーション(電気とお湯を同時に作る効率のよい発電設備)のガス・タービンの方へ行きました。メーカーでさえ、原子力はもう終わりだと思っているのです。
原子力局長をやっていた島村武久さんという人が退官して、『原子力談義』という本で、「日本政府がやっているのは、ただのつじつま合わせに過ぎない、電気が足りないのでも何でもない。あまりに無計画にウランとかプルトニウムを持ちすぎてしまったことが原因です。はっきりノーといわないから持たされてしまったのです。そして日本はそれらで核兵器を作るんじゃないかと世界の国々から見られる、その疑惑を否定するために核の平和利用、つまり、原発をもっともっと造ろうということになるのです」と書いていますが、これもこの国の姿なんです。
廃炉も解体も出来ない原発
1966年に、日本で初めてイギリスから輸入した16万キロワットの営業用原子炉が茨城県の東海村で稼動しました。その後はアメリカから輸入した原発で、途中で自前で造るようになりましたが、今では、この狭い日本に135万キロワットというような巨大な原発を含めて51の原発が運転されています。
具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えないままに動かし始めた原発ですが、厚い鉄でできた原子炉も大量の放射能をあびるとボロボロになるんです。だから、最初、耐用年数は10年だと言っていて、10年で廃炉、解体する予定でいました。しかし、1981年に10年たった東京電力の福島原発の1号機で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来ないことが分かりました。このことは国会でも原子炉は核反応に耐えられないと、問題になりました。この時、私も加わってこの原子炉の廃炉、解体についてどうするか、毎日のように、ああでもない、こうでもないと検討をしたのですが、放射能だらけの原発を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造るときの何倍ものお金がかかることや、どうしても大量の被曝が避けられないことなど、どうしようもないことが分かったのです。原子炉のすぐ下の方では、決められた線量を守ろうとすると、たった十数秒くらいしかいられないんですから。
机の上では、何でもできますが、実際には人の手でやらなければならないのですから、とんでもない被曝を伴うわけです。ですから、放射能がゼロにならないと、何にもできないのです。放射能がある限り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなければロボットでという人もいます。でも、研究はしていますが、ロボットが放射能で狂ってしまって使えないのです。
結局、福島の原発では、廃炉にすることができないというので、原発を売り込んだアメリカのメーカーが自分の国から作業者を送り込み、日本では到底考えられない程の大量の被曝をさせて、原子炉の修理をしたのです。今でもその原発は動いています。
最初に耐用年数が10年といわれていた原発が、もう30年近く動いています。そんな原発が11もある。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けていて、私は心配でたまりません。
また、神奈川県の川崎にある武蔵工大の原子炉はたった100キロワットの研究炉ですが、これも放射能漏れを起こして止まっています。机上の計算では、修理に20億円、廃炉にするには60億円もかかるそうですが、大学の年間予算に相当するお金をかけても廃炉にはできないのです。まず停止して放射能がなくなるまで管理するしかないのです。
それが100万キロワットというような大きな原発ですと、本当にどうしようもありません。
なぜ、原発は廃炉や解体ができないのでしょうか。それは、原発は水と蒸気で運転されているものなので、運転を止めてそのままに放置しておくと、すぐサビが来てボロボロになって、穴が開いて放射能が漏れてくるからです。原発は核燃料を入れて1回でも運転すると、放射能だらけになって、止めたままにしておくことも、廃炉、解体することもできないものになってしまうのです。
先進各国で、閉鎖した原発は数多くあります。廃炉、解体ができないので、みんな「閉鎖」なんです。閉鎖とは発電を止めて、核燃料を取り出しておくことですが、ここからが大変です。
放射能まみれになってしまった原発は、発電している時と同じように、水を入れて動かし続けなければなりません。水の圧力で配管が薄くなったり、部品の具合が悪くなったりしますから、定検もしてそういう所の補修をし、放射能が外に漏れださないようにしなければなりません。放射能が無くなるまで、発電しているときと同じように監視し、管理をし続けなければならないのです。
今、運転中が51、建設中が3、全部で54の原発が日本列島を取り巻いています。これ以上運転を続けると、余りにも危険な原発もいくつかあります。この他に大学や会社の研究用の原子炉もありますから、日本には今、小さいのは100キロワット、大きいのは135万キロワット、大小合わせて76もの原子炉があることになります。
しかし、日本の電力会社が、電気を作らない、金儲けにならない閉鎖した原発を本気で監視し続けるか大変疑問です。それなのに、さらに、新規立地や増設を行おうとしています。その中には、東海地震のことで心配な浜岡に5機目の増設をしようとしていたり、福島ではサッカー場と引換えにした増設もあります。新設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口の上関、石川の珠洲、青森の大間や東通などいくつもあります。それで、2010年には70~80基にしようと。実際、言葉は悪いですが、この国は狂っているとしか思えません。
これから先、必ずやってくる原発の閉鎖、これは本当に大変深刻な問題です。近い将来、閉鎖された原発が日本国中いたるところに出現する。これは不安というより、不気味です。ゾーっとするのは、私だけでしょうか。
それから、原発を運転すると必ず出る核のゴミ、毎日、出ています。低レベル放射性廃棄物、名前は低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に5時間もいたら、致死量の被曝をするようなものもあります。そんなものが全国の原発で約80万本以上溜まっています。
日本が原発を始めてから1969年までは、どこの原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海に捨てていました。その頃はそれが当たり前だったのです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。
しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。海に捨てたドラム缶は1年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと思ったのがはじめでした。
現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行っています。全部で300万本のドラム缶をこれから300年間管理すると言っていますが、一体、300年ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が300年間も続くのかどうか。どうなりますか。
もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残った放射性廃棄物です。日本はイギリスとフランスの会社に再処理を頼んでいます。去年(1995年)フランスから、28本の高レベル廃棄物として返ってきました。これはどろどろの高レベル廃棄物をガラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。この容器の側に2分間いると死んでしまうほどの放射線を出すそうですが、これを1時的に青森県の六ケ所村に置いて、30年から50年間くらい冷やし続け、その後、どこか他の場所に持って行って、地中深く埋める予定だといっていますが、予定地は全く決まっていません。余所の国でも計画だけはあっても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はありません。みんな困っています。
原発自体についても、国は止めてから5年か10年間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に入れて、原発の敷地内に埋めるなどとのんきなことを言っていますが、それでも1基で数万トンくらいの放射能まみれの廃材が出るんですよ。生活のゴミでさえ、捨てる所がないのに、一体どうしようというんでしょうか。とにかく日本中が核のゴミだらけになる事は目に見えています。早くなんとかしないといけないんじゃないでしょうか。それには1日も早く、原発を止めるしかなんですよ。
私が5年程前に、北海道で話をしていた時、「放射能のゴミを50年、300年監視続ける」と言ったら、中学生の女の子が、手を挙げて、「お聞きしていいですか。今、廃棄物を50年、300年監視するといいましたが、今の大人がするんですか?そうじゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その次の世代がするんじゃないんですか。だけど、私たちはいやだ」と叫ぶように言いました。この子に返事の出来る大人はいますか。
それに、50年とか300年とかいうと、それだけ経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじゃありません。原発が動いている限り、終わりのない永遠の50年であり、300年だということです。
日本の原発は今までは放射能を一切出していませんと、何十年もウソをついてきた。でもそういうウソがつけなくなったのです。
原発にある高い排気塔からは、放射能が出ています。出ているんではなくて、出しているんですが、24時間放射能を出していますから、その周辺に住んでいる人たちは、1日中、放射能をあびて被曝しているのです。
ある女性から手紙が来ました。23歳です。便箋に涙の跡がにじんでいました。
「東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が何か悪いことしましたか」
と書いてありました。この娘さんに何の罪がありますか。こういう話が方々で起きています。
この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話なんですよ、東京で。皆さんは、原発で働いていた男性と自分の娘とか、この女性のように、原発の近くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から喜べますか。若い人も、そういう人と恋愛するかも知れないですから、まったく人ごとではないんです。こういう差別の話は、言えば差別になる。でも言わなければ分からないことなんです。原発に反対している人も、原発は事故や故障が怖いだけではない、こういうことが起きるから原発はいやなんだと言って欲しいと思います。原発は事故だけではなしに、人の心まで壊しているのですから。
「私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」。最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。
その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ300人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。
話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学2年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。
「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、24時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」
と、泣きながら300人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。
「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、2号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」
と。ちょうど、泊原発の2号機が試運転に入った時だったんです。
「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。
「2基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。
私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。
「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。
これは決して、原子力防災の8キロとか10キロの問題ではない、50キロ、100キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。
みなさんには、ここまでのことから、原発がどんなものか分かってもらえたと思います。
チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。
でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。
原発は確かに電気を作っています。しかし、私が20年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。
みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だということは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。
それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。
そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。
だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。
ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼働している原発も、着実に止めなければならないと思っています。原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。
優しい地球残そう 子どもたちに。