私と憲法110号(2010年6月25日号)


米国や日本財界と政界の改憲派が呼応して
推し進める改憲と日米安保体制の再編

現在、3月11日からの東日本大震災の最中にある。地震、津波、そして原発事故と三重の、史上かつてない大災害の中で、多くの人びとが亡くなり、傷つき、あるいは苦しんでいる。これは史上まれに見る「天災」であると同時に、この間、原発行政を進めてきた政府・財界による重大な「人災」でもある。私たちはその責任をきびしく糾弾しなくてはならない。

とりわけ許し難いのは、未曾有の原発事故対処の最中に財界の幹部が相次いで原発行政の継続を発言していることだ。
日本経団連の米倉弘昌会長は16日、記者会見で福島第1原発の事故について「千年に1度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」と述べ、「(事故は徐々に収束の方向に向かっている)原子力行政が曲がり角に来ているとは思っていない」と発言した。

日本商工会議所の岡村正会頭も16日の記者会見で「原発の建設基準を向上させるしかない。見直しの期間だけ、(建設が)延伸されることは当然起こりうる」と発言し、今後もエネルギー供給の一定割合は原発に依存せざるを得ないとの認識を表明した。今後、こうした財界の原発政策継続の企てを打ち破り、脱原発社会をめざすための市民運動の真価が問われるだろう。

一方、この未曾有の災害の中で、菅直人首相が突然、自民党の谷垣総裁に副総理兼震災復興担当相として入閣を要請したことも極めて奇異で、危険なことだ。公明党の山口代表と国民新党の亀井代表の入閣も想定して、閣僚ポストも3つ増やす手続をやるのだという。菅政権はドサクサにまぎれて、責任回避の大連立内閣=「救国・挙国一致内閣」を構想している。どうしても必要なら「大震災対策会議」を作ればいいのだ。内閣だったら国政全般での協力になる。それは議会制民主主義の自殺行為ではないか。与党、野党の役割が消えて、翼賛体制がつくられるのは、チェック機能の喪失につながる。この間、窮地に陥った菅内閣が、震災を利用して打開策を狙ったもので、卑劣な政治手法だ。今なら何でも許される、できるという考えだ。こんなことを許せば改憲も現実のものとなる。結果として、幸か不幸か、提案は谷垣総裁に蹴られてしまったのであるが。

さまざまにいただくメールの中で、ある人が「私は、この大きな大きな艱難を、新しい社会を創るベクトルに換えていかなくてはと、心を新たにしております」と書いていた。この思いを共有しながら、以下の原稿を記す。

(1)反古にされた連立3党の「政策合意」

めまぐるしいほどの政治の変遷のなかで、一昨年の政権交代は はるか昔のことのようだ。
あらためて当時の民主、社民、国民新の「3党政策合意」を引っ張り出してみる。

「合意」の第9番目、「自立した外交で、世界に貢献」には以下のような記述があった。
「主体的な外交戦略を構築し、緊密で対等な日米同盟関係をつくる。日米協力の推進によって未来志向の関係を築くことでより強固な相互の信頼を醸成しつつ、沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」。

「中国、韓国をはじめ、アジア・太平洋地域の信頼関係と協力体制を確立し、東アジア共同体(仮称)の構築をめざす」。
「包括的核実験禁止条約の早期発効、兵器用核分裂性物質生産禁止条約の早期実現に取り組み、核拡散防止条約再検討会議において主導的な役割を果たすなど、核軍縮・核兵器廃絶の先頭に立つ」、などなど。

そして第10番目は「憲法」で、「唯一の被爆国として、日本国憲法の『平和主義』をはじめ『国民主権』『基本的人権の尊重』の3原則の遵守を確認するとともに、憲法の保障する諸権利の実現を第一とし、国民の生活再建に全力を挙げる」とある。

この「合意」文書は積極的な意義があった。第10の憲法についての明確な姿勢はもとより、第9項目でも、従来の日米関係を見直し、「東アジア共同体」の構築をめざすとした意味は重要であった。筆者は1年前にある雑誌で「しかしながら、……『主体的な外交戦略を構築し、緊密で対等な日米同盟関係をつくる』とある箇所は、深刻な矛盾をはらんでいる」と指摘したことがある。日米関係において「対等」を求めることは「緊密な」「日米同盟」関係と矛盾する可能性があったからである。以降の事態の進展はまさに危惧した通りであった。米国は鳩山新政権の主張する「対等」な日米関係という立場に不安をいだき、さまざまなチャンネルを駆使して対日圧力をかけた。鳩山首相は、のちに「抑止力論は方便」という発言で有名になった本年2月の沖縄のメディアのインタビューで告白したように、「普天間基地」問題で、米国の意を体した外務・防衛などの官僚の抵抗を受け、閣内でも孤立したあげく、3党政策合意の路線とは異なる「日米合意」を取り結ばざるをえなくなった。その結果が、政権からの社民党の離脱と鳩山首相の辞任であった。後を継いだ菅直人首相は揺らいだ日米関係を元の軌道にもどし、米国の信頼を獲得すべく、無惨なほどの逆走を重ねている。

連立政権発足から1年半余がすぎて、当時この「合意」に署名した3党の党首(鳩山由紀夫、福島みずほ、亀井静香)が現在の政権の中に誰もいないことは象徴的な事態である。今日ではこの「合意」文書はまさに反古そのものである。各方面から指摘されるように、今日、菅内閣は経済政策においては新自由主義の小泉構造改革の道へと逆走し、日米安保や憲法の問題においても、小泉政権当時の米国一辺倒、従米路線へと逆走しているかのような状況を呈している。

この事態はたしかに既視感がある。それはかつて細川連立政権の誕生から村山政権に至る過程で見た光景と極めてよく似ている。当時、揺らいだ日米関係は米国や官僚、財界の圧力によって、日本の自主性どころか、最後には日米安保の再定義、「新ガイドライン」の取り決めに到った。いままた、鳩山政権で揺らいだ日米関係は安保、「日米同盟」の強化の方向で立て直されようとしている。

(2)米国から聞こえてくる改憲要求

米国はもはや単独で世界に覇を唱える能力を失った。冷戦と、その後の反テロ報復戦争で疲弊し、史上最大規模の財政赤字を抱えるオバマ政権が国家予算削減を迫られ、財政的余裕を失いつつあるなかで、日本に対する負担の分担の要求、改憲と日米同盟強化の要求が強まって来ている。オバマの米国はブッシュ時代の単独行動主義から、同盟重視、すなわち同盟国への負担の転嫁を推し進める方向へと転換した。

昨年10月、米国議会に強い影響力のある米議会調査局報告書は、日本国憲法の制約について触れ、「米国が起草した日本の憲法は、第9条の現行解釈が日本に『集団的自衛』(第三国に対する米国との戦闘協力)への関与を禁じているため、より緊密な日米防衛協力への障害となっている」などと日米関係の現状に不満を表明し、集団的自衛権の行使を可能にする改憲への期待を示唆した。

本年1月、来日したゲーツ米国防長官は日米合意の履行や日米同盟深化の必要性を強調しながら、「(憲法の枠内で)自衛隊の積極的な海外派遣が安保理常任理入りを正当化する」などとのべた。これは、直接憲法改定には触れなかったものの、オバマ政権が打ち出した米国の新戦略にそって、日本(自衛隊)がより積極的に米軍を補完するため海外で活動することを強く要求した。

2月7日、デニス・ブレア前米国家情報長官(元太平洋軍司令官)は「米軍が軍事力を提供し、日本が米軍駐留経費を負担する安保体制は2011年の同盟関係としてはふさわしくない」「双方がバランスのとれた義務を負う普通の同盟が求められている」「改憲と防衛力増強に全面的に賛成」と発言し、日米安保の見直しと普通の同盟化、双務化、および改憲を要求した。

これらのいらだちを含んだ動きに見られるように、今後、米国政府は日米の防衛協力の強化のために、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈と、中長期的には、その障害となっている憲法9条など平和条項の改変を要求する動きを強めてくるにちがいない。

(3)安保60年~憲法と安保の2つの法体系の相剋の歴史

日米安保50年を期して、政権交代で不安定になり、ギクシャクした日米関係を立て直すため、鳩山訪米と日米首脳会談で新たな「日米共同宣言」を策定することが構想された。しかし、鳩山首相は辞任に追い込まれ、それを果たせなかった。引き継いだ菅首相は、当初、今春の訪米を模索したが、日本の政局の不安定さから先延ばしされ、6月末に延期した。菅政権と米国政府はこの「日米共同宣言」で、同盟深化、強固な日米同盟を内外に誇示する狙いを持っていた。しかし、現在、菅政権の存立事態が危うくなり、この日程が不確実になっている。目下、日米両国政府は外務、防衛閣僚同士の日米安保協議委員会(2+2)を5月はじめに開催し、日米の「共通戦略目標」を打ち出すことで、最低限、当面、必要な日米同盟の実効性を担保しようとしているありさまだ。

そこに降って湧いたような政治献金問題での前原外相辞任事件まで起こった。新たに外相になった松本は「2+2」開催に意欲的であるが、日本側の「2」の動きは事実上、防衛・外務官僚に操られることは疑いない。要するに、「安保条約改定」の代わりに「日米共同宣言」、その「共同宣言」の代わりに「共通戦略目標」設定ということになろうとしている。こうして日米関係の当面のあり方のレールが米国政府と日本の官僚によって敷かれていくのである。

今年は日米安保条約が締結されてから60年目にあたる。この60年間は1960年の日米安保条約の改定を経て、平和憲法と呼ばれてきた日本国憲法体制と、この日米安保条約を根拠とする米軍のアジア・世界戦略の中での軍事力の復活強化という戦争法体系という相対立する2つの法体系(長谷川正安氏らの説)の間にあって、「戦争のできる国の復活」 をねらう勢力と、反戦・平和を求める勢力との拮抗の歴史であった。米国とそれに追従する日本政府は安保体制の要求するところによって平和憲法の拡大解釈を積み重ね、平和を求める民衆は平和憲法を盾に、これと闘ってきた。

この60年の歴史の中で、その3分の2は冷戦体制の下にあった時期であり、後の3分の1は冷戦後であった。安保条約は一度改定されただけで、その後、日米両国政府によって改定安保条約どころか、安保と自衛隊は憲法9条の規範とは似てもにつかないところまで肥大し、拡大されてきた。しかし、それは日米政府にとっては平和憲法の制約のもとでの安保の変容であり、きわめて不自由で、不満なものであった。

1951年、朝鮮戦争のまっただ中でサンフランシスコ講和条約と抱き合わせで、米軍の駐留とその特権的地位を保障する旧安保条約が締結された。

1960年、歴史的な反安保闘争の高揚のなかで、それを押し切って安保条約が改定され、米軍の駐留は日本と極東の安全のためと規定された。以降、10年後からは両国政府のいずれかの通告によって、その1年後には条約は破棄されるとされた。しかし、以来、今日まで、日米安保条約は廃棄も改定もされないまま過ぎてきた。

1978年、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)が作られ、自衛隊にマラッカ海峡に到るシーレーン防衛が義務づけられた。

1996年の橋本・クリントン会談で「日米安保共同宣言」が出され、安保はアジア太平洋安保となり、日米安保が「同盟」として「再定義」され、1997年には新ガイドラインが調印された。

2000年10月には米国の対日専門家リチャード・アーミテージとジョセフ・ナイらによる対日政策提言書「米国と日本~成熟したパートナーシップに向けて」が発表された。

2005年には「2+2」において、「日米同盟:未来のための変革と再編」と題する文書が策定され、2007年には「同盟の変革:日米の安全保障と防衛協力の進展」が策定された。

この過程で日米安保条約による安保体制は、「日米同盟」と称されるようになり、大きな変質を遂げた。
すでに述べたように、民主党政権は6月末に予定している菅首相の訪米で、新たな共同宣言を出し、日米同盟を深化させようとしている。あるいは日米首脳会談が実現できなければ、「2+2」による「共通戦略目標」設定でそれに替えようとしている。米政府はここで日米安保の「双務化」を要求し、事実上、日本に集団的自衛権の行使を要求しようとしている。もしこうなれば、これはさらなる日米安保の新たな段階である。

この間、日本政府はむりやり憲法の拡大解釈を重ねて米国の要求に対応し、安保の定義し直しと、海外で戦える自衛隊のための法的整備と体制づくりをすすめてきたが、もはやそれが第9条のもとでは不可能なほどにまで解釈改憲は極限状態になっている。まさに「2つの法体系」の決定的な衝突が不可避になった。

(4)経済同友会の解釈改憲と安保再定義の提案

日本財界の一角からもこれに呼応する動きがでている。経済同友会は今年2月に発表した「提言」、「世界構造の変化と日本外交新次元への進化~日本力を発揚する主体的総合外交戦略」(以下、「提言))で、2015年の日米安保改定55周年にあたって、日米同盟のあり方を再定義するあらたな共同声明を発表するよう提言している。

経済同友会の「提言」について、長文なので、その見出し部分のみ紹介する。

「提言」の「安全保障」の項には以下の項目のような記述がある。
(1)日本の防衛力整備(国の安全を確保するための体制構築……のためには、憲法改正をも視野に入れた議論が必要である)。「日本の安全保障戦略の策定・遂行に関する官邸の機能強化」「日本の安全保障環境に相応しい防衛力の維持(すくなくとも日本のみが一方的に防衛予算を削減してはならない、など)」「防衛予算のより柔軟で、効率的な配分の実現」「武器輸出3原則の弾力的運用」「在外邦人保護に向けた体制整備」「安全保障上の重要地域における土地取得・利用規制」「安全保障政策の根幹は自身による防衛努力であるという認識の共有」、

(2)日米同盟関係の深化。「集団的自衛権行使の容認」「関係国との強調の下でのシーレーンの安全保障」「日米情報共有体制の強化」「日米同盟の再定義」、

(3)国際平和協力活動の積極的な展開。「自衛隊の国際平和協力活動の法的基盤整備」「民軍協力体制の構築」。
「改憲」と「日米関係の深化」、ここに財界が望む将来の日米同盟のかたちが表現されている。
「提言」は前記の「日米同盟の再定義」の項では次のように述べている。
「政府による現行の憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認することで、日米同盟における片務性を解消し、その新たな法的環境に基づいて日米同盟関係のあり方を再定義すべく両国は協議を進め、その成果を2015年の日米同盟(ママ!、筆者注)改定55周年にあたって、新たな日米共同声明として発表すべきである」と。そして、「日米同盟の再定義作業においては、北朝鮮や台湾海峡をめぐる問題の平和的解決、中国による軍事政策の透明性向上、シーレーン防衛、テロ対策、宇宙やサイバー空間をも含めた安全保障政策の確立、日米豪韓印による「防衛協力等に加え、米国の核の傘の運用、核兵器不拡散条約(NPT)体制の内外にあるアジアの核兵器への対応についても日米間の協議をより密接に行うべきである。なお、核軍縮・核廃絶に向けた取り組みは日本外交にとって重要な課題であり、引き続き、核保有国への働きかけを行って行かなくてはならない」としている。

この財界の動きは以下の産経新聞(本年1月4日「主張:安保体制60年、条約再改定し強い同盟を、責務担い平和と繁栄守ろう」)の論調と呼応しあっている。

「今年は旧日米安保条約調印(1951年)に基づく日米安保体制の発足から60周年にあたる。にもかかわらず、これを祝うどころかこの1年に日本の安全保障環境は劇的に悪化した。尖閣諸島、北方領土、朝鮮半島などで日本の政治・外交を揺るがす事件が相次ぎ、年が明けても解決は見えない。背景にあるのは、民主党政権下で日米同盟の空洞化が進み、国民の平和と繁栄を支える安保体制の弱体化が誰の目にも明らかになりつつある寒々とした現実だ」

「自らを守る意志と能力を備えた上で、日本が米国と共同して防衛する態勢を固めなければ、日本の平和と繁栄は成り立たない。そのためには、憲法解釈を改めて集団的自衛権の行使を可能にするのが先決だが、それだけでは足りない。現行安保条約の規定を見直し、日米が完全に対等な『双務性』『相互性』を実現して『普通の同盟国』としてともに行動できるようにする必要がある」「北朝鮮に加え、核増強を進める中国の存在でアジアは世界でも有数の『核増殖』地帯といえる。現状を直視した実効性ある核論議を避けてはならない。少なくとも、安保体制の下で日本の安全を委ねる米国の拡大抑止(核の傘)の機能を強化する措置として、非核3原則の見直しを急ぐべきだ」

「集団的自衛権の行使、非核3原則見直し、安保条約再改定は、日米同盟を立て直して新たな出発とするために不可欠な3本柱といえよう。政権を超えて是が非でも達成する必要がある。中でも条約再改定は次の10年、20年後を見通して日本の平和と安全を確保し、時代の要請に応えるための基本設計と位置づけなければならない」「安保条約は既に一度、1960年に改定を経ている。新たな時代の新たな挑戦に応えるために再度の改定をためらう理由はない」
  今後、こうした経済同友会「提言」や産経新聞「主張」に見られるような安保体制、日米同盟の再定義と改憲の動きとの闘いが重要な課題になっている。

(5)民主党による参院憲法審査会規程策定の動きと、自民党などの改憲への動き

参議院民主党は憲法審査会「規程」原案を決め、今後、今国会での制定をめざして自民・公明両党との協議を進めようとしている。背景としては、問題が昨年秋の臨時国会における参議院議院運営委員会から出発しているところから見て、衆参ねじれ国会状況に対する野党対策の側面もある。しかし、すでに見たように、この動きの意味するところは「国会対策」の域にとどまらない。「規定」策定は米国政府や財界、官僚などによる今後の日米関係のあり方の模索と結びついた改憲の動きの一環と見なくてはならない。

2007年5月、安倍内閣が主導した改憲手続法の強行以来、同法が定めた「憲法審査会」は両院に設置されないでいる。2009年6月、その事態に焦った麻生内閣が野党各党の反対を押し切って衆院憲法審査会「規程」を強行採決したが、当時の野党の反対で参院憲法審査会「規程」が策定されないまま今日に至っていることには、正当な理由がある。

安倍内閣から麻生内閣にいたる憲法審査会に関する議論の過程で、野党各党は以下のような問題点を指摘してきた。第1、改憲手続法の強行採決は、憲法改正問題という全国民的な課題を野党各党の反対を無視して、一党一派の党利党略で議会の多数に依拠して行われたものであり、手続き上も重大な瑕疵があること。第2に、同法の採決にあたって、いくつもの重要問題を「附則」にし、与党自らが制度設計の根幹部分にも及ぶ18項目もの「附帯決議」をつけるなど、この改憲手続法は重大な欠陥法であったこと。そして第3に、その後、「附則」や「附帯決議」で指摘された問題のほとんどが未解決のまま放置されてきていること、などであった。

今日、これらの事態が何も変わっていないにもかかわらず、参院民主党が「規程」の制定に乗り出したことは不当であり、まさに天に唾するものである。

一方、自民党の谷垣総裁は1952年4月のサンフランシスコ講和条約発効60周年を記念して、憲法改正案をまとめる考えを明らかにしている。すでに自民党は2005年11月に党創立50周年を期して自民党新憲法草案をまとめ、発表している。これは森喜朗が起草委員長になり、舛添要一が事務局長になってまとめたものであるが、発表当時から自民党内で中曽根康弘らの極右派などから不徹底だと不満が噴出していた。こうした経過から、谷垣総裁が主張するあたらしい憲法草案策定の作業は、これら極右派の意向をより濃厚に反映したものになる可能性がある。

また、民主党の小澤鋭仁前環境相と自民党の山本有二元金融相が公明、みんな両党にも呼びかけて現行憲法の「各議院の総議員の3分の2の賛成で(改憲を発議)」とある96条に関してそれを「半数の賛成」に変えようと企てる「憲法96条改正議員連盟」(仮称)を発足させようとしている。これに関しては9条改憲派の安倍晋三元首相も「(民主・自民両党は、改正の中身の一致は)ムリだが、2分の1にする改正だけはできる」などと、同様の考え方を述べたことがある。

またみんなの党の渡辺代表は3月5日、「憲法を改正して国会を一院にする」と改憲論をのべている。
政治が混迷し、社会に閉塞感が漂う中で、このように政界再編がらみで、さまざまな改憲論が浮上していることも注意しておかなくてはならないだろう。

(6)東アジアの対立を拡大する改憲と日米同盟深化ではなく、東アジアの平和と共生を
これらの戦争の危険を招く「安保再々定義」、際限のない軍拡につながる「軍事力による抑止」をめざした「日米同盟」の強化、それらは不可避的に解釈改憲のさらなる拡大と9条明文改憲を要求する。米国政府や日本の政財界が主張する「日米同盟」の強化と、9条改憲は不可分の問題である。

しかし、すでに欧州各国は軍縮の過程に入っている。冷戦の時代の米ソの争いのように、お互いに莫大な軍事費を投入してどちらが先に息切れして倒れるかのチキンレースを行うことは愚の骨頂だ。21世紀の今こそ、9条が現実的な可能性を持つ時代となっている。

東アジアとならんで、世界の緊張を激化させてきた中東・北アフリカで、いま歴史的な変動が起きつつある。朝鮮半島や台湾海峡など冷戦体制が残存する東アジアの緊張を緩和し、北東アジア非核地帯の実現をはじめ、平和と共生の東アジアを実現し、真に「戦争の20世紀」に終止符を打つ課題は世界現代史の要の課題である。

民主党は衆院選マニフェストで公約した「東アジア共同体」の実現のための努力を堅持しなくてはならない。そのためには日本自らが、さきのアジア太平洋戦争にいたる歴史認識を確立して、周辺諸国との戦後処理を清算することが必要不可欠である。あわせて、その過程で、普天間基地の撤去など在日米軍基地の縮小撤去、日米安保の抜本的見直し(廃棄)と平和で友好的な「もうひとつの日米関係」を構築しなくてはならない。
(本稿は、雑誌「進歩と改革」5月号に寄稿したものに、若干、手を加えました。事務局 高田 健)

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第58回市民憲法講座(要旨) 揺れる検察-いま、何が問題なのか

内田雅敏さん(弁護士・市民連絡会事務局長)
(編集部註)2月26日の講座で内田雅敏さんが講演した内容を編集部の責任で集約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。

薄氷を踏む思いの村木局長無罪判決

昨年11月に厚生労働省の問題が大きく論じられることになって、検察の実態が明らかになったと思います。
村木局長の無罪判決があったときに主任弁護人の弘中惇一郎が、「すべての人に喜ばれた無罪判決だった」と語っていました。彼は弁護士の世界では有名な人で、これまでにもいろいろと無罪判決を勝ち取っています。ひとつは「ロス疑惑」といわれた三浦和義氏の事件、高裁での無罪判決がそのまま確定しています。それから薬害エイズ事件の安倍副学長の事件についても無罪判決です。そのときには無罪はおかしいという裁判批判もあったけれど、今回はすべての人が喜んでくれた、と彼が語っていたのが非常に印象に残っています。

三浦和義氏の事件については、証拠とすれば共犯者が確定しておらずに一審は有罪判決を書いたわけで、証拠法則にふつうに従えば無罪判決が出るのは当たり前です。しかしマスコミの報道等もあって、かなり判決がおかしいという意見がありました。しかし裁判というのは、証拠に基づいてなされなくてはいけないことを、あの三浦和義氏の事件は示していたと思います。その意味で、今回の厚労省の事件もまさに証拠によって無罪が勝ち取られたわけです。

厚労省の上村係長が偽造の証明書を発行して、それが村木局長の指示によるものだということで起訴された。上村係長が偽造の証明書をつくったのが5月の末であった。ところが控訴事実、起訴状では村木局長からの指示が6月8日となっている。つまり6月上旬に局長からの指示があって係長が偽造証明書を作成したならば、その作成日時は当然に6月中旬以降にならなくてはおかしいのに、5月末になっていた。遅くとも6月1日になっていたことが明らかになって、この事実関係がずれていた。

さいわいにしてこの裁判は、この証拠が明らかになることによって無罪判決が出たけれど、実はかなり危険な側面があった。ひとつは係長のつくったフロッピーディスク。これについての捜査報告書が、もし弁護団の知るところでなかったとするならば、その矛盾を突くことはできなかったわけですね。

捜査官は、すべての証拠をガサッと持って行ってしまいます。そして、それをすべて公判部に渡すわけではありません。さらに公判部は、それをすべて裁判所に出すわけではなく、有罪の立証に役立つものだけを出すわけです。そうすると、もしこの捜査報告書が公判部に移管されていなかったならば、そして公判部がこの捜査報告書の存在を弁護団に明らかにしていなかったならば、弁護団はこれを知るすべがなかったわけです。証拠が開示され、捜査報告書があることを弁護団が知って、裁判所を通じて捜査報告書の開示を求めた。その結果、控訴事実との違いが明らかになったわけです。もし、この捜査報告書が公判部に移管されていなかったら、あるいは公判部の検事がこれを明らかにしなかったならば、この事実は明るみに出ませんでした。

前田検事は、フロッピーディスクを改ざんして係長の弁護団に返しています。もし係長の弁護団が、局長の弁護団と連携せずにフロッピーディスクを自分たちの証拠として出していたならば、これはまた違った展開になりました。局長の指示によって係長が偽造の証明書をつくったという調書を取られているわけです。係長の弁護団がその線にしたがって弁護活動をするならば、前田検事が改ざんしたフロッピーディスクをそのまま出すことが、自分たちの方針に沿うわけです。さいわいにして係長の弁護団が局長の弁護団と連携して事実関係を明らかにしてきたことによって、今回のことが明らかになったわけです。そういった意味では非常に薄氷を踏む思いだったということです。

このことは、それほど指摘されませんでした。「世界」の座談会で佐藤博史弁護士(足利事件の菅家さんのえん罪を晴らした弁護士)が指摘しています。

すべての証拠を開示して真実に迫る

われわれ弁護人の常識として、検察官をやめた弁護人がついた場合には、検察側と十分に対決せずに取引をするケースが非常に多い。

係長の弁護団がもし「ヤメ検」の弁護士たちだったらどうですか。この弁護団が本来の係長の供述に沿って――彼が偽装の証明書をつくった事実は間違いないわけです――それが彼の判断でつくったのか、それとも局長の指示によってつくったのか。局長の指示によってつくったという方が当然責任は軽くなるわけです。そうすると係長の弁護団がその線に沿って動き、かつ検察と協力したならば、これは検察が描いた筋書き通りの判決が出される危険性が非常にありました。しかし何度も言うように、さいわいにしてこの弁護団が局長の弁護団と連携を取って事実を明らかにしたことがあって、無罪判決がでたわけです。このように証拠が開示されることが、大きな問題になるわけです。

みなさんもご存じだと思いますが、松川事件のときに有名な「諏訪メモ」です。赤間という国鉄の組合員が列車転覆の謀議をしたという虚偽の供述調書をつくるわけですが、そこに東芝の佐藤一という活動家がいたという供述調書になっていた。ところがその同じ時間帯に、佐藤さんは東芝の松川工場の団体交渉に出席していて、そのことを東芝の労務課員がメモしていた。これが「諏訪メモ」で、佐藤さんのアリバイを証明するものでした。この証明によって、赤間被告の供述が虚偽であることが明らかになるわけです。

しかし、検察庁はこの「諏訪メモ」の存在をずっとひた隠しにしていた。それが明らかになったあとでも、なかなかこれを出さなかった。その結果、松川事件では一審で死刑判決が5名、控訴審でも死刑判決が維持されます。そのほかにも無期の判決があったりして、重刑の裁判になった。最高裁で破棄されて仙台高裁に戻り、無罪判決がなされたわけです。死刑が5名という判決が虚偽の供述のもとに組み立てられ、その供述を覆す証拠を、検察庁がもっていながら出さなかったという事実があった。ですから、まず証拠を開示する。すべての証拠を明らかにして、その中で取捨選択を双方がしながら真実に迫っていくことが不可欠であるわけです。

狭山事件でも、東京高検には開示していない証拠がかなりあるといわれています。成城大学の指宿信教授が朝日新聞への投稿で、「証拠というのは検察官が独占的に使用できるものじゃない。巨大な国家権力を使って集めたものであるから、これは真実に迫るための公共財産だ」という論を展開しておられました。非常に明解でわかりやすい論で、わたしは本当にそうだなと思いました。つまり検察官は、公益を代表して真実に迫るという役割ですから、被疑者を何が何でも起訴して被告人とし、何が何でも有罪にしなくちゃならないという職務ではありません。もし捜査の途中で被疑者が真犯人ではないとわかったら、当然撤退しなくちゃいけない。裁判の過程でも、この起訴は間違っていることが明らかになった場合には、公益の代表者として当然起訴を取り下げなくちゃいけない。

検察の責務は公益代表者としての真実追究

よく日本の裁判は当事者主義の訴訟行動といわれます。当事者主義というのは、検察側が攻撃して弁護側が防御をする中で、裁判所が公平な立場で判断するということです。しかし、検察側は何が何でも攻撃一辺倒ということではなくて、真実と違う場合にはそこは撤退する責務があるんです。この点は弁護側と異にするわけです。たとえば、弁護側は無罪を主張していた、しかしこれは有罪だという認識を弁護士が持った場合に、弁護士は有罪だと法廷でいう責務があるかどうかということです。弁護士にはないんです。しかし検察官は無罪だという責務があるんです。

なぜかというと、検察官は公益の代表者として真実を追究する。弁護側はもちろん真実を追究しますが、弁護側と被告との関係があるわけです。わかりますでしょうか。検察官の依頼者は被害者ではなく、国民です。国民との信頼関係に基づいて検察官は行動する。真実を明らかにすることが国民の願いですから、当然、検察官は被告人が犯人ではないということがわかれば、無罪の主張をして裁判の終結を求めることが国民から委託された責務なんですね。

弁護人の依頼者は国民ではなく、被疑者、被告人です。被疑者、被告人は弁護人を信頼して自分のことをしゃべる。その弁護人が、あるとき突然自分の意向に反して国民の立場に立って自分を有罪だとして弾劾することになれば、弁護人を信頼できないわけです。つまり弁護制度というのは弁護人が秘密を守る、被疑者、被告人の秘密を守るというところに成り立っています。

指宿さんの論考を読んで手紙を出しました。目から鱗が落ちる思いで、もやもやしていたものをすっきり教えてもらったということを書きました。そのときに、こう付け加えました。みなさん『推定無罪』という映画を見られた方はいますか。この映画では、検察官が同僚の女性検察官と不倫行為をしていた。その女性が殺された。その検察官は被告人として起訴され、裁判の過程で無罪の判決を得ます。ところが無罪判決を得たあと、彼が自分の家の地下室に入って整理をしているときに、女性検察官を殺したのは自分の妻であったことに気づきます。

さて、そこで彼はどういう責務があるでしょうか。その時点で彼は検察官を罷免されています。彼が検察官であったならば、自分の妻を告発する責務があります。しかし検察官でないならば、告発する責務があるかどうか。それは本人の生き方の問題であるわけです。私は、その映画を見ながらそういうことを感じました。指宿さんにそのことを書いて送ったんですね。彼も非常に興味深く思ったことを書いてくれました。

何が言いたいかというと、検察官は被告人を必ず有罪にすることが責務ではなくて、真実を追究することが責務である。しかし、弁護人は真実追究が責務ではなくて、被告人の防御に徹することが責務である。そういうことによって弁護人制度が成り立っている。では、自分が無罪だと思って弁護活動をしてきたけれど、どうも有罪だとわかったときに弁護人としてどうすべきか、こういうことが昔から語られてきています。

われわれはよく酒の席で論ずるんですが、そのさいに3つ立場がある。ひとつは被告人に真実を告げるように説得する、つまり自白することを説得する。でもそれは、弁護士じゃない坊主だ。ふたつ目は弁護人の職責として職能として、たとえ本人が真犯人であっても自分はあくまでも無罪の弁論を展開する。それもちょっと生き方としておかしいという言い方があるわけです。そうすると三番目の選択肢として、辞任をする、こういうこともあるわけですね。そうすると事件の中身によって、自分はこの犯人を無罪として弁護活動を遂行することができないとすれば辞任する。または、これは犯人だけれども本来はそれほど批判される事件ではない、あるいは政治的な事件だという時には、場合によって積極的に犯罪の隠蔽に荷担することも弁護士としてはあるわけです。この3つの生き方のどれが正しくてどれが間違っているのかということは言えません。

かつて、ロッキード事件の田中角栄の一審の弁護人がほとんどヤメ検、ヤメ裁でした。それで有罪判決が出た。石田省三郎とか弁護士としても無罪判決をとることで有名な人たちが参加し、我々の仲間もその中に入っていた。我々の仲間内でかなり議論がされました。冒頭に言った弘中惇一郎の二つの無罪事件の話と絡むことで、証拠開示が必要だということです。

「人質司法」、密室捜査で嘘の供述

それから係長がなぜ真実と違う供述をしたかということです。これは「人質司法」、密室での捜査と関連します。逮捕されますと48時間以内に検察庁に送られ、72時間以内に裁判所に送られて勾留が10日間つきます。さらに勾留が延長になって10日間。合計23日間です。さらに再逮捕。本来の犯罪とは別個に、関連する、あるいはささいな微罪で再逮捕される。こういうことを何回も何回も繰り返して身柄を拘束する。特捜部がやる事件については、強制捜査をする前に長期間にわたって任意捜査というかたちでの事実上の強制捜査に近いことをやるわけです。

いまわたしは脱税事件をひょんなことから担当することになりまして、国税の、マルサの捜査が1年半続きました。捜査に応じないと検察庁に告発されて逮捕されるという脅しで捜査が1年半続いた。そして20日ほど前に、検察庁と国税の合同で強制捜査が行われ、連日、朝昼晩、深夜まで調べがなされています。家族も逮捕され、家宅捜索は自宅の畳を上げて天井裏、娘の嫁ぎ先まで全部調べられ、幹部社員の自宅まで。多少おもしろおかしく話しますが、実は一昨日庭から現金が3億円出てきました。

もちろんそれはしゃべった方がいいですが、長期間にわたっての徹底した捜査があるわけです。この件は脱税していて、お金を隠していたわけですからしょうがない。わたしは、別に隠し通せなんていう弁護活動をした訳じゃありません。本人が言いたくないというから、それじゃしょうがないね。でも大変だよ、再逮捕を繰り返すよ。あなた1人ならいいけど家族も大変だよ、と言っていた。

そうではないえん罪事件で、長期の強制捜査に入る前に、任意捜査という名の強制捜査が延々と続く、そして強制捜査に入ってからも23日間だけではなくて別件、別件で再逮捕が繰り返されます。もちろん弁護人の活動があって面会には行きます。最近ではわれわれの活動によってなくなりましたけれど、かつては本当に面会の妨害がされました。そういう中で、何か検事が自分の味方のような錯覚に陥ってしまうわけです。

敏腕の特捜検事「割り屋」の取調手口

田中森一というとんでもない検事がいました。いまは獄中にいます。ぼくも一回だけある事件の関連で会ったことがありましたが、ちょっと変なやつでした。敏腕の特捜検事-「割り屋」-として鳴らし、上司と衝突し、退官後は弁護士として暴力団や詐欺師連中の守護神となり“活躍”。現在は手形詐欺事件で塀の内側に落ちた元特捜検事の田中森一が収監直前に出版した『反転』(幻冬舎2007年)という本があります。この本からの抜粋です。

「取り調べは、検事と被疑者、事務官だけの空間である。すると、犯人も検事が味方のように思えてくるらしい。それで、つい調書にサインしてしまうのである。そうやって、被疑者を追い込みながら、調書を取る。そのテクニックに最も優れているのが、東京地検や大阪地検の特捜検事である。換言すれば、ここまでできなければ特捜部には入れない。犯人が否認したままだったら、能なしの烙印を押される。良心が痛むときもあるが、それはほんの一瞬だけだ。」

「被疑者本人に対しては、わざと冷たくあしらうように心がけてきた。とくに逮捕後、最初の10日間の勾留までは、ほとんど相手の言い分や情状を訴える言葉を聞かない。『貴様』『おどれ』『お前』と常に呼び捨てにし、一方的に怒鳴りつけた。机を激しく叩きながら、ときにフロア中に響きわたるほどの大声を出して責め立てる。被疑者を立たせたまま尋問することもしばしばだった。

最初の勾留期間となる10日間は、弁護士が被疑者との接見を求めてきても、体よく断った。『大事な調べだから今日は勘弁してください』『今日は現場検証に連れて行くから』そう口実を作っては、接見させない。そうして被疑者を孤独にさせ、こちらのペースにはめ込む」

「決まって自供後にはこう言っていた。『よう喋ってくれた。あとのことはわしにまかせてくれ。悪いようにはせん』」。
「人間の記憶は曖昧なものである。だから、取り調べを受けているうち、ほんとうに自分がそう考えていたように思い込むケースも少なくない。それを利用することも多い。最初のうちは、『殺すつもりはありませんでした』と犯意を否定いる。実際そう思っていても、それが取り調べを進めるうち、だんだん変わってくる。『憎かったのではないか。あれほどのことをされたら誰だって殺したくなる』毎日、毎日、繰り返しそう検事から頭の中に刷り込まれる。すると、本当に自分自身に犯意があったかのように錯覚する。実際、多くの被疑者には、犯行の意図まではなくとも、こころの奥底では往々にして相手を憎らしいという思いが潜んでいる。それが調書のなかで全面的に引き出される。すると、『殺すつもりだった』となるのである。」

「他の事件でも手法は同じ。狭い拘置所の取調室で、被疑者に同じことを毎日教え込むと、相手は教え込まれた事柄と自分自身の本来の記憶が錯綜しはじめる。最後には、こちらが教えてやったことを、さも自分自身の体験や知識のように自慢げに話し出すのである。そういう被疑者を何人も見てきた。

なかには、教え込んでいる最中、みずから頭を叩きはじめた銀行幹部もいた。『僕はなぜこんなに頭が悪いんだろう。やっぱり覚えていないんです』そう言っては拳骨でこめかみの上あたりをゴツンゴツンやるのである。かなりの年配だったが、まるで子供みたいに見えた。なぜ、自分の親父みたいな年配の人にここまでしなければならないんだろう、あのときは正直そう思ったりもした。そして、多くの被疑者はいざ裁判になって記録を取り戻して言う。『それは検事さんに教えてもらったのです』

だが、それはあとのまつりである。調書は完璧に作成されているので、裁判官は検事の言い分を信用し、いくら被疑者が本心を訴えても通用しない」。

検察官を味方のように錯覚させる取調べ

これは極端な話ではないんです。こういうケースは非常に多い。というのは、23日間獄中にいて、そして逮捕を繰り返すとなると、弁護人が毎日接見にいったとしても時間数から言えば非常に少ないわけですね。そういう中で味方は誰かという感じになってしまいます。最近では面会の妨害はさすがになくなりました。われわれ弁護士会が国賠訴訟を全国的に展開して、その勝訴判決をもってそうなったわけです。しかしこの田中森一が言っているように、いろいろな理由をつけて何とか会わせないようにするわけです。お茶の水女子大の事件がありました。これはお茶の水女子大寮に侵入したとしてある男性が逮捕されました。ところが彼の足形と現場にあった足形がはっきり違っていて、結局無罪になったんですが、その途中で自白します。

逮捕されて3日間が過ぎて、勾留がつきます。それが延長になり、その一番厳しいときに3日間くらい弁護士に会えなかった。それで弁護士が、検察官が面会を妨害すると、裁判所に対して準抗告という手続きをとりました。裁判所は、検察官の都合もあるだろうから3日間くらいは仕方がないと言った。その3日の間に検察官は「お前の弁護人は来ないじゃないか。お前は見捨てられたんだろう」と言って、検察は本人に認めさせた。しかも念入りに、検察庁に連れて行った際に、「お前はいままで嘘を言っていただろう。検事の印象が悪い。だから検事さん、いままで嘘を言って申し訳なかったと言って土下座をしろ、そうすれば検事の印象はよくなる」と言った。それで彼は検事の前で土下座をして「嘘を言って申し訳なかった」というわけです。そういう妨害がある中で、味方は弁護人ではなくて検察官なんだという錯覚に陥れられるケースがあるわけです。

ある公安事件では、取り調べに際して「お前もなかなか大変だろうから、女房に弁当を作らせた。これを食べろ。検察官のところに行ったらこう言えば有利になる。調書を作るときに、裁判では検察官の調書が証拠として出てくる。お前に有利になるような調書を作っておいてやる。こういう調書があることを裁判の場で言えば、それが証拠として出てくる。差し入れられた六法全書の番号のところに書いておくから、これをみて裁判になったらその調書を裁判に出してもらえるように言えばいい」と言って、自分に有利な調書を作っていたことがあった。三菱重工の事件についてのある被告でした。

検察官は、本人が本当のことを言わない、これは弁護人が嘘を言わせているんだ、だまされているんだ。弁護人は本人のことを思っているんじゃなくて組織のこと、あるいは会社のことを考えているんだ、弁護人はお前のことなんて考えてない、3日間もこないじゃないか、お前は見放されたんだ。こういうことを言うわけです。だから田中森一が「最初の勾留期間となる10日間は、弁護士が被疑者との接見を求めてきても、体よく断った」と書いていますが、こういう妨害はあったわけです。そういう妨害に対して弁護士会の委員会で国賠訴訟を起こしながら、現在のようなかたちで妨害は少なくなった。

それにしても、弁護人が毎日面会に行ったとしても実際の持ち時間は圧倒的に少ないです。拘置所の面会は執務時間の昼間しかありません。ところが検察官の調べは夜中までやることはしょっちゅうです。「人質司法」というわけです。こういう中で実際と違う調書をつくってしまうことがあります。このようなことを避けるためには、身柄を逮捕したならば弁護人の活動をじゅうぶん保障する。なるべく早く身柄を外に出さないと、えん罪は避けられません。身柄の隔離を必要最小限度にしなければいけないということがひとつ。

それから証拠はすべて開示する、証拠というのは真実を究明するための共通の、公共の財産である。だからこれをすべて明らかにしなくてはいけない。

検察官作成の「検察官面前録取書」

それから調書の作り方です。検察官が出す調書が、裁判所に証拠として出てきます。検察官の面前で本人がしゃべったことを調書にしたのが「検察官面前録取書」といいます。この録取書の主体はあくまでも被疑者、被告人です。それを検察官が書面化したものです。ところが実際には、なかなか検察官は調書を取らないんですよ。20日間の持ち時間がある場合、ずっとメモをつくっていて調書はつくらない。調書は最後の段階になってつくるんですね。メモにもとづいて検察官が調書を作成して、それを本人が作成したかたちにするわけです。そうすると、ここが違うというと、いや、それはたいした違いじゃないだろうというようなことをいって、なかなか調書の訂正を認めないわけです。実態は「検察官面前録取書」ではなくてまさに「検察官が作成した調書」なんですね。われわれは検事調書という言い方をしているんですが、ある意味では正しいわけです。検事が作成した調書であって、被疑者がつくった調書とは違うわけです。

田中森一という人は、本の中でこう言っているんです。悪賢いやつなんです。「わざと調書を訂正しておく」。調書をまとめてつくるとき、全く訂正がない調書というのはまずいから、わざと間違ったところをつくって読み上げる。「これで間違いないか」と聞いて「ここが違います」となると「そうだな、じゃあこれは訂正する」ということで、わざと訂正があった痕跡を調書の上に残しておくというんですね。そうすると裁判官は、これは正確にとった調書だと考えるわけです。問題なのはこの田中森一は、彼はやけくそになっている側面もあるんだけれども、得意げにこれを語っているわけです。違法な捜査をした自覚がないんです。これが多かれ少なかれ検察官の認識です。

チェックする機関のない特捜検察

ところが最近になって、昨年の9月14日に朝日新聞で村山治という記者はこう言っています。フロッピーディスクの改ざんの事実が明らかになる前の話です。

「郵便不正事件で、村木敦子・厚生労働省元局長に言渡された大阪地裁の無罪判決。明らかになったのは、特捜警察の捜査に対する裁判所の驚くほど冷めた視線だった。…捜査に携わった検察幹部は嘆く。『5年前なら調書も含め、有罪が期待できた捜査だ。裁判所が変わってしまった』…裁判所は、違法な取り調べが明白でない限り検事調書を信頼し、検察側に軍配を上げ続けた。それが特捜検察を支えてきた。背景には、同じ官僚の法曹家である検事への信頼感があったと見られる。その『蜜月の関係』が壊れたのは、司法制度改革がきっかけだ。特に、昨年から国民参加の裁判員制度が導入された影響が大きい。検察と被告側の主張を公平に聞き、判決を下すことを義務づけられている裁判所が『訴訟指揮に対する国民の目を強く意識するようになった』と法務省幹部。結果として、検察側の証拠への裁判所の見方は、以前よりも厳しくなる。それが象徴的に現れたのが今回の無罪判決ではないか。しかしこれは決して悪いことではない。むしろこれまで裁判所が特捜検察に甘すぎたと考えるべきなのだ。無罪判決は特捜検察の捜査を根本から見直せ、とのサインである」。

これはわたしたち弁護士から見ればきわめて当たり前。今回の村木局長の無罪判決の際には、フロッピーディスクが検察官によって変造された。証拠の偽造変造ですね。しかし調書のねつ造が日常茶飯事ですから、それから考えればブツのねつ造というのは五十歩百歩です。検察官がそんなことをするのかという驚きがあったわけですが、調書の変造が日常頻繁に行われていることを考えれば、決してそんなに驚くことではなかった。ある新聞に、警察が後になってシャツに血痕をつけるという証拠のねつ造はあった。しかし検察官がそんなことをするなんてことは考えられなかった、という論説がありました。しかし同じ捜査官である検察と警察が、警察がやって検察がやらないという保障がどこにあるのかということが言えるわけですね。

警察による違法な捜査、そしてその暴走をチェックするのが検察の役目です。ところが特捜事件の場合には、特捜検察が全面に出て捜査をする。そしてそれをチェックする機関がないわけです。警察の場合には一応の制度として、警察が捜査をする、検察官がそれをチェックする、そしてそれを裁判所がチェックする、こういう仕組みがあります。

しかし特捜検察の場合には特捜部が捜査をして、検察庁としてはそれをチェックする機関がない。そして裁判所は「特捜ブランド」という言葉があって「特捜事件ですからね、信頼できますよ」という裁判官がいたわけです。そういうことにもとづいて裁判所も特捜がつくる調書は、すべて信用していたということです。それは、特捜は正義を実現しているという虚構があったわけです。特捜の捜査はほんとうに無茶苦茶で、自分たちはなにをやっても許されると思っている。特捜検察をチェックするものがない。裁判所にも国民にも「特捜神話」がある。特捜部が我が物顔でふるまうという事態があったわけです。

わたしが書いた文章から引用しますと、「特捜検事の連中の夢は、バッヂ(国会議員)や、高級官僚を捕まえることだそうだ。検察実務研修で接した或る検事-父親も兄も検事で父親は戦後の特捜検察の生みの親で、検事総長も務めた馬場検事という人なんですがね-が後に特捜検事となり、検察官を志望した理由として〈悪い国会議員を逮捕するため〉というようなことを語っているのを読んで驚いたことがある」。

実は新潟の検察庁の修習の時にこの馬場検事とは接したことがあります。とにかく「政治家になって社会をよくするため」とかそういう活動をするんじゃなくて、「悪い国会議員を逮捕するために」検察官になるという言い方に驚いたことがありました。リクルート事件の時に特捜部の副部長が、「政界再編は俺がやってやる」といっていたことにも驚いたことがあります。

「特捜部検事は獲物を追い詰める猟犬のようなものです。断片的な情報から隠されている真相を明らかにして事件を立件します。だから、何としてでも事件を立件し、評価されようとします。証拠改ざんは絶対にあってはならないことですが、自己顕示欲か功名心が、今回の事態を引き起こしたのだと思います。特捜部で最大に評価されるのは、容疑者や参考人から自白を引き出すことです。…贈収賄事件を立件するには、当事者の供述を得るしかなく、供述を引き出す検事が高く評価されます。当然、特捜部は自白を引き出す能力が高い検事を集めます」。2010年10月9日の朝日新聞夕刊で現弁護士で元特捜検事の木目田裕氏は述べています。これは成果主義ということで、真実に対して自分の立てた筋の通りに動いてしまうということがあるわけです。

取調べの全過程を可視化する

検察官は、何が何でも被疑者を起訴して被告人を有罪にすることではなくて、公益の代表者として真実を究明する。真実を究明する過程で自分たちの捜査が間違っていた、あるいは自分たちの見立てた筋と違う証拠があった場合には、当然それを明らかにして軌道修正をしなくてはいけない役割があります。ところが実際には成果主義で、被疑者、被告人の真犯人ではない証拠があっても、それを無視する、隠す、あるいは前田検事のように改ざんする事態があります。それがこの村木元局長の事件です。

さいわいにして村木局長ががんばって、双方の弁護団も原則的な対応をした。そして上村係長も公判になってからは真実を語るという、いろいろな要素があって無罪判決が出た。しかし、いたるところに「もしこのときにこうだったならどうだったか」という「落とし穴」がいっぱいあって、非常に危険だった。こういう事例はいままでにも当然たくさんあったわけです。

これを避けるために一番重要なことは、人質司法をやめることです。長時間身柄を拘束し、最初の3日間、それから10日間、さらに10日間の23日間、朝から晩まで取り調べをする可能性があります。深夜まで及んだこともありました。最近は12時を過ぎることはなくなったようですが、9時、10時はざらです。この人質司法をやめることです。
  それから取り調べの過程を可視化する。どういう取り調べをしているかを明らかにすることです。弁護士の立場からすると、取り調べには弁護人の立ち会いを認めることです。これを認めないならば、取り調べのすべての過程を録画することが必要です。ところがいま最高検がいっているのは、一部だけの録画です。23日間調べをやって、最後に調書をまとめるときにだけ録画しても、無理矢理口をこじ開けてしゃべらしているようではないわけです。全過程を明らかにしなくてはいけない。長期間による身柄の拘束を許さない。調書や供述による捜査ではなくて、ブツ、ものによる捜査をすることです。こういう捜査の構造を基本的に変えないと、えん罪は避けることはできないです。

厚労省の事件では、弁護人が非常に精力的な活動をした。大阪の事件だけれど、弁護士が東京から毎日交代で面会に行った。その後、ある時点から大阪の弁護士の協力を得て頻繁に面会をして励ました。そして証拠開示を徹底して求めた。手持ちの証拠を全部出させる。有利なものも不利なものも全部出させた。それでも一番大事なことは、本人ががんばったことです。これがひとつでも欠けると、えん罪を晴らすことはなかなか難しい。

裁判員制度の危険性と「無罪の推定」

今回の判決については裁判員制度が影響したともいわれていますが、いまの裁判員制度はかなり問題がある。どこに問題があるかというと、非常に短い期間に行わることです。2日間、3日間、長くても5日間という、短期間に行われてしまう。短期間に行うためには、公判前整理という手続きで裁判官と検察官、弁護人で、密室で実質上の審理が行われてしまいます。どういう証人を何人調べるかという、訴訟の構図が決められてしまうんです。しかし訴訟は生き物なんですから、その中で事実が明らかになって、さらにその事実をより明らかにするために「他の証人を」、ということは当然出てきます。ところが最初にやり方を密室で決めてしまうことで、中身が事実上決まってしまうことになります。いまの裁判員制度は短期間に、しかもいままでのような訴訟構造のままでやってしまうと非常に危険です。

よく学生に話すんですが、「ヒマラヤ杉に降る雪」という映画があります。戦時中の日系人の強制収容所を背景とした殺人事件の裁判の話で、原作は「殺人容疑」という作品です。この中に陪審員制度が出てきます。裁判官が陪審員に説示しますが、これが実に重要です。日本の裁判員制度でも裁判官が説示しますが、説示した裁判官がそのまま審理に参加します。9人の裁判員のうち3人がプロとして力を持ちます。裁判官が審理を始めるに当たって、証拠の評価はこうしなければいけません、こういった点に注意しなければいけません、こういう点は無視してください、などというのが説示です。説示をした裁判官がそのまま合議に参加するのがいまの裁判員制度で、陪審制度との大きな違いです。

この「殺人容疑」の説示で、すごくいいことをいっているんですよ。「被告人を有罪と認めるにはあなた方は、容疑のあらゆる事実を、合理的な疑いの余地なく確信しなければいけません。合理的な疑いの余地なく、です。おわかりですね。もしもあなた方の心の中に合理的な疑いがあれば、あなた方は被告人を有罪にはできません。もしも、被告人に対する容疑の事実に対して合理的な不確かさが、あなた方の心の中にあれば、あなた方は被告人を無罪と認めなくてはいけません。それは、法律によって課されている、あなた方の義務なのです。あなた方は、ほかの仕方で行動したいといかに強く思おうと、合理的な疑いの余地なく有罪と認めるのが正しいと確信した場合にのみ、有罪と認めることができるのです。」
  これが「無罪の推定」という刑事裁判の鉄則といわれているものです。

しかし、日本の裁判の現状は「有罪の推定」、そこから出発するわけです。裁判官と検察官との「判検交流」が行われています。ある裁判官が、それで検察庁に行って戻ってきて、裁判所の広報に、「検察庁に行ってみて検察官というのは100%以上有罪の確信をしなければ起訴しないということがわかった」と堂々と書いています。だから検察官の言うことは信頼できるというわけです。ここが判検交流の弊といわれるわけです。

裁判官、検察官、弁護人の3者がお互いに交流するのならば、これはいいわけです。しかし裁判官と検察官だけが交流するのは、官僚同士の信頼感、官僚はあやまりを犯さない、検察官は無実の人を起訴するなんてありえない、日本の裁判は精密司法だ、ということになるんですね。実質は「有罪の推定」です。大阪のある裁判官が弁護士に「特捜部が起訴したんですよ」と言ったそうです。最近は特捜部はだいぶ威信が落ちましたから、「特捜部が起訴したんですよ。気をつけなくちゃいけませんよ」となるのかわかりませんが。

有罪判決こそおののきを持って書かなければいけない

先ほどの本の中で、裁判官の説示は2番目にこう言うんです。「あなた方は容疑のみを考慮に入れて、その容疑にもっぱら注意を向けなくてはいけません。あなた方はここでひとつのことを決めればいいのです。すなわち被告人は第一級謀殺の罪を犯したかどうか、それだけです」。

戦後のえん罪事件で死刑判決が出たものも4、5件あります。その中には若干素行に問題があった人もいて、そこを引っかけられた場合もありました。しかし裁判というのは起訴された事実、この事実について有罪か無罪か、ほかのことは一切関係ない。こういう判断をしなくてはいけないわけです。

あの三浦和義氏の事件についてもいろいろな新聞、週刊誌の報道がありました。しかし問題なのは、彼が起訴された事件について有罪なのかどうなのか、それが証拠上他の合理的な疑いを入れない程度に証明されているかどうかであったわけです。あの事件ではアメリカにおける共犯者が全く特定されていません。それで一審は有罪にしました。控訴審は、証拠の原則において無罪としたわけですね。

その無罪についても、われわれ弁護士の間でもいろいろ意見はありました。わたしは娘から聞かれました。「あの人は無罪なの?」「そう、無罪なんだよ」「あの人は犯人?」「いや、それはよくわからない」と言ったんですがね。しかし、裁判というのは合理的な疑いの余地がないと証明された場合に有罪になるんです。ところが日本の裁判は、無罪の合理的な疑いが証明されないと無罪にならない。本来ならば有罪判決こそ、裁判官はおののきを持って書かなければいけない。もしこの人が無罪だったらどうしよう、自分は無罪の人を有罪にしてしまう。でもね、現実の裁判官は無罪判決を書くときに「もしこいつが犯人だったどうしよう」という治安的な発想に立つわけです。

裁判というのは治安を維持するためのものじゃないんです。裁判はあくまでも被告人が有罪か無罪か、それを通して大局的には治安の維持にかえすわけです。裁判は本来無罪のものを有罪にしてはいけないのであって、有罪のものを無罪にしてはいけないのではないんです、極端なことを言えば。有罪なものを無罪にすることはあっても、無罪なものを有罪にしては絶対にいけない。こういう観点に立たなくてはいけないんです。

かつて「土田邸、日石・ピース缶爆弾事件」というのがありました。この爆弾事件についいて無罪判決が出たときに、大久保太郎裁判長が判決の言い渡しをした後に「捜査官のご苦労を思うと大変残念なことです」と、ほんとうにこう言ったんですよ。もし、裁判長が判決の言い渡しを終えた後に発言するとすれば、「みなさんは無罪であるにもかかわらずほんとうに長期間の拘束を受けて、厳しい取り調べを受けて、そして困難な裁判を長い時間をかけて、さまざまな犠牲を払ってたたかう中で無罪になった、皆さんの活動に敬意を表する」とこう言うべきです。

ところが大久保太郎裁判官は「捜査官の苦労を思うと」といったんですよ。そのときに弁護団は懲戒請求という議論もあったらしいんですが、「無罪だから」ということで結局しなかったようです。かれは合議で負けたんですね。2対1で。いまの裁判所は無罪の推定ではなくて有罪の推定をして、無罪判決を書くときにはすごく悩んで苦労して判決を書く。大久保太郎の発言に見られるように捜査官の苦労を思うと、などというわけです。

少数意見が多数意見に変わる可能性を保障

さらに「殺人容疑」にこういうことがでてきます。ここが一番重要なところです。
  「あなた方は本件で陪審員に選ばれました。あなた方の各人が、恐れたり、えこひいきしたり、偏見を抱いたり、同情したりせず、正しい判断力を働かせ、やましさを覚えずに、わたしの説示通りに、証拠にもとづいて評決を下すことができると信頼されたからです。我が国の陪審制度がまさに目指しているのは、陪審員同士で見解を比較し合い、討論することによって評決に達するということです。-そのことが合理的に、かつ、良心的な確信一致するようなやり方でできるのならば。各陪審員は、他の陪審員の意見と議論に、率直な気持ちで耳を傾けなければいけません。陪審員が、審議されている事件に関する自分の意見を評決に反映させようと固く決心して陪審員室に入ることは、法律上認められていません。また、陪審員が自分と同じように正直で知的であると思われている他の陪審員の討論と議論に耳を貸さないということも認められていません。要するに、あなた方はお互いの意見に耳を傾けなければいけないのです。客観的で合理的でなければいけません」。こういうことを裁判官が説示するんですね。

「他の陪審員の意見と議論に、率直な気持ちで耳を傾けなければいけません」、自分の考えをかたく決めて、それを通そうとしてはいけない、耳を傾けなくちゃいけない。裁判は、双方の言うことに耳を傾けることだということですね。これは「十二人の怒れる男」という映画の中で、最初にひとりの建築家が有罪と早急に決めてしまうことに異論を述べ、だんだん議論していく過程で、イタリアからの移民である時計職人が「自分は有罪だと思う、だけどもっとみんなの意見を聞きたい」という。これこそがまさに民主主義だ、意見をぶつけあうことによって自分の見解を高めていく、ということです。

よく、民主主義は少数意見の尊重だといわれます。あなたの意見を述べる機会を与えますよ、終わりましたね、はい多数決。これでは少数意見の尊重ではないんですね。少数意見の尊重というのは、少数意見が多数意見に変わる可能性を保障するということです。自分は有罪だと思う、でもあなたの意見を聞きたい。あなたの意見に説得力があれば自分は無罪に変える用意がある。つまり少数説が多数説に変わる可能性が保障されている。このことを裁判長が説示で言っています。「あなた方はお互いの意見に耳を傾けなければいけないのです。客観的で合理的でなければいけません。」というわけです。

そして次のことが一番重要です。「これは殺人事件なので、おわかりですね、あなた方の評決は-有罪であれ無罪であれ-全員一致でなければいけません。急ぐ必要もありませんし、審議をしている間われわれを待たせていると感じる必要もありません。当法廷はこの裁判であなた方が尽力されたことに対し前もって感謝します。停電したためにあなた方はアミティー港ホテルでつらい夜を過ごされた。自宅の様子や家族と愛するものの安否を気遣いながらこの裁判に集中することは、あなた方にとって容易なことではなかったでしょう。吹雪はわれわれの力の及ばぬものですが、この裁判の結果はそうではありません。この裁判の結果はいまやあなた方次第なのです。あなた方は陪審員室に席を移し審議を始めて結構です」。 この中で「急ぐ必要もありませんし、審議をしている間われわれを待たせていると感じる必要もありません」。こういうことを言うわけですね。

検察官も裁判官も成果主義におわれる

「それでもボクはやってない」という映画で、すごく印象的だったのは、裁判官が時計をしょっちゅう見ているんです。予定の時間内に終わらせることにしか関心がない。裁判所は審議の時間を決めたら、その時間内に終わらせる。そうではなくて、訴訟は生き物なんだから、やっていく中で新たな事実が出てくれば、さらになかみを究明していこう、となるわけです。時計を見るんじゃなくて、ちゃんと言っている本人の方を見なくてはいけないんです。

あの映画で、われわれ弁護士がみんな言うのは「あの裁判長の態度はおもしろい、いつもああなんだ」ということです。すべてだとは言いませんが、裁判官も、事件を多くこなした裁判官が優秀だという成果主義です。検察官も同じです。まさに彼らはいったん見込んだとおりの事件の筋立てで被疑者を落とすのが優秀な検察官、それができないのは無能という烙印が押される。そういう中で、物理的な暴力はさすがに戦前じゃないですからないですが、壁に向かって立っていろ、ということをやります。こういうことをいい大人にさせて(子どもに対してもやってもいけませんけれど)、自尊心を粉々に砕いて全くの無防備の状態に陥れる。そして事実とは違う供述を、ほんとうにそうであったような供述を出す。特捜検察が威信を地に落としたのは、まさに成果主義の弊なんです。

被告人は、単なるお題目じゃなく、ほんとうに無罪の推定を受ける。そして捜査においては人権が保障されることが不可欠です。昨年の「世界」12月号で、足利事件の菅家さんのえん罪を晴らした佐藤博史弁護士などが座談会をしています。そこで宗像紀夫元特捜部長が「僕が特捜にいた昔、特捜にいた頃は検事調書は信用できると言ってきましたが、逆の立場に立ってみて、最近の取り調べでできあがってくる調書はひどいものだと思いましたね。今後刑事裁判がどうなっていくかのポイントは、検察官側調書に対して裁判所の考え方がどう変わるかだと思います。」といっています。検察官であったものが裁判官になってみて、検察官の調書が信用できるかどうか疑問に思うと言い出しているわけです。

法曹3者が変わる関係で真実に近づく

最後になりますが、重要なことはまず最初にみんな弁護士をやる、弁護士をやる中で裁判官、検察官を選任していくという「法曹一元」ということが不可欠です。たとえば面会に行く場合でも、われわれは拘置所に行くのに非常に時間がかかります。ところが検察庁の取り調べは、本人を連れて来させるわけですから全然違います。あるとき一緒にいた若い弁護士が「いやあ、時間がかかりますね、もっと接見数を多くしてもらわなくちゃいけませんね。僕は検察官だったんですが」というわけです。彼らは、調べは連れてきてその場でやるわけですから、待つことは経験がないんですね。

でも弁護士は待つことに慣らされてしまっています。われわれは調べについても執務時間中にやらなければいけないけれど、彼らは執務時間を超えてもやっている。こういうアンバランスな、不公平でフェアじゃないやり方をやっているわけですから、そういうことを知るためには、まず弁護士をみんなやる。そしてその中から裁判官や検察官を選んでいくという、法曹三者が変わる関係をつくっていかなくてはいけないと思うんです。僕が研修所に入ったときに裁判官と検察官と弁護人の3人の教官がいるんですが、検察官の教官が「弁護人の手口は」という言い方をいてして、すごいことを言うなあと思いました。

3者の関係をあらためてつくることによって、本来のルール・オブ・ロウ、法律の手続きに従った捜査、起訴、裁判、弁護活動ができる。検察官に言わせると、弁護人の連中は事実を隠すといいますが、まあそういうことがないわけではないけれど、権力が行う犯罪ほどではないということがわれわれの言い分です。仲間内で酒などを飲むときに「お前、事件つぶしたことあるか」というと、にやっとする連中がいないわけではないですが。

刑事訴訟の本来の手続きに従って、捜査が行われ、裁判が行われないと、えん罪は避けられない。その場合、刑事裁判の原則は被告人は無罪の推定を受ける、十分な弁護活動を受ける、そして集めた証拠はすべて公共財産として開示される。その中でおたがいに自分の有利なものを出し合って議論することによって真実に近づくことが必要だと思います。

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