私と憲法110号(2010年6月25日号)


「第14回 許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会in大分&日出生台」決議

2011年2月5~6日、私たちは憲法の改悪に反対し、第9条をはじめとする憲法の3原則を生かし、実現するための市民運動全国交流集会を大分県大分市と日出生台で開催しました。

今回で14回目を数えるこの全国交流集会は、1990年代から今日まで、憲法改悪に反対する全国の草の根の市民運動の連携と共同を形成する上で、重要な役割を果たしてきました。この全国交流集会は、出発当時、各地に分散していた無党派の草の根の市民運動が、緩やかに連携し、改憲の流れに抗していくうえでの貴重な足場となりました。以後、各地の市民運動は共同して、反戦平和、憲法改悪反対の運動を強め、アフガニスタン・イラク戦争反対をはじめとする反戦運動、「九条の会」運動、「9条世界会議」の成功などのために積極的に努力してきました。

これまで、この全国交流集会は東京、大阪、広島、沖縄などで開催してきましたが、今回は米軍の実弾砲撃訓練が行われている日出生台演習場のある大分県ではじめて開催しました。

大分開催にあたっての私たちの問題意識は「沖縄・日出生台から日本のいまが見える」と題した集会のタイトルにはっきりと現れています。

一昨年の政権交代に際して、沖縄の米軍普天間基地を「最低でも県外」と公約した民主党政権は、その後、変節を重ね、名護市の辺野古に移設するという日米合意を結びました。沖縄の人びとの積年の願いを逆手に取り、辺野古に最新鋭の新基地をつくるという暴挙と、沖縄の米海兵隊の県道104号線越え実弾砲撃演習を日出生台、東富士、北富士、王城寺原、矢臼別などに分散移転すると称してはじめた実弾演習を、なし崩し的に拡大強化する手口は極めて似通ったものです。

普天間基地の撤去、米軍基地の縮小・撤去は沖縄の島ぐるみの総意です。ここ日出生台でも長期にわたる住民の皆さんによる米軍訓練の縮小廃止を求める粘り強い運動がつづいています。

にもかかわらず、この住民の願いを無視して、米軍は2月7日から実弾演習を行おうとしています。全国交流集会に参加した私たちは地元の皆さんと共に、この米軍実弾砲撃演習に強く抗議し、中止を求め、以降、実態を全国で報告し、抗議の運動を強めることを決意しました。

この集会を通じて、あらためて、私たちは沖縄や日出生台の置かれている状況と問題が、決して現地だけの問題ではなく、日本に住む私たち全体の問題であり、アジアと世界の平和に直結する問題にほかならないと考えました。私たちは、いまあらためて第9条をはじめとする日本国憲法と日米安保体制のあり方を問い直し、普天間基地撤去、辺野古新基地建設反対、日出生台演習場のすみやかな縮小廃止を主張し、「基地はどこにもいらない」と叫びたいと思います。

折しも、昨年末には「新防衛大綱」が策定され、北東アジアにおける中国や北朝鮮を仮想敵視した南西重視戦略、米・日・韓の軍事的連携強化の方向がとられようとしています。沖縄や日出生台はそのなかに組み込まれつつあります。菅首相はこの6月にも米国を訪問し、オバマ大統領との間で新たな日米共同宣言を出し、戦争を遂行する「日米同盟」の強化を確認しようとしています。いま始まった国会では、憲法改悪のために「憲法審査会」を始動させる動きも出ています。

今後、私たちはそれぞれの地域で運動を強化しながら全国的な連携を強め、改憲と戦争への動きに抗し、各国の人びととも手をつないで平和と人権のアジアの実現をめざしていくことを、本集会の名において確認します。

2011年2月5日~6日
第14回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会in大分&日出生台参加者一

このページのトップに戻る


大分県で14都府県約100名の参加で開催
沖縄・日出生台から 日本のいまが見える
第14回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会in大分&日出生台

2月5~6日、「第14回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会in大分&日出生台」が大分県で開かれた。5日は大分市の中心地にある大分市コンパルホールで公開講演会と交流集会行った。6日は米軍海兵隊が実弾砲撃訓練を行う、自衛隊日出生台演習場での現地抗議集会に参加した。

公開講演会は午後1時から、会場いっぱいの100名ほどの参加者で開かれた。司会の藤井純子さん(第九条の会ヒロシマ)は、「今日の集会は大分・日出生台でやってほしいと無理をお願いしました。準備してくださった大分の『赤とんぼの会』や『草の根の会』の皆さんに感謝して進めたい」ことを先ず伝えた。そして「昨年末の防衛大綱で米軍再編と基地の有り様を大きく変えようとしているとき、現地でがんばっている皆さんと改憲に反対している者たちが繋がっていきたい」と開会のあいさつをした。

集会ははじめに、日出生台のたたかいを映像でふれた。映像を紹介した梶原得三郎さん(草の根の会)は、「松下竜一という作家の始めた事を可能な限り受け継いでいこうと、仲間とともにいろんなことをやっています。映像は『のちきの思想――松下竜一 日出生台2000~2004』です。米軍の砲撃訓練が始まったときに、現地の人任せにしておいてはいけないと松下さんがはじめた抗議集会で、何年かは集会の冒頭に彼があいさつしています。これをご覧になり、明日現地をみていただければ、また違った思いをもてるのではないかと期待します」と語った。

つづいて交流集会の基調報告を高田健さん(市民連絡会)が行い、交流集会の経過と憲法をめぐる今日の情勢と市民運動の課題を提起した。

記念講演は「沖縄から見た平和憲法、日米安保」と題して、高良鉄美さん(琉球大学法科大学院院長)が行った。映像を使ってわかりやすく、1時間ほどがあっという間に過ぎた。

その後、各地の運動の報告があった。渡辺ひろ子さん(平和といのちをみつめる会)は、築城基地での24年にわたる「2の日の座り込み」を圧倒的な迫力で報告した。田村順玄さん(ピースリンク広島・呉・岩国、岩国市議)は、岩国基地への米空母艦載機移転の現状と愛宕山への米軍住宅建設反対運動を紹介した。

中北龍太郎さん(とめよう改憲!大阪ネットワーク)は、安保と基地、改憲の課題を三位一体でとりくみ、各地のたたかいと連帯して決意を力強く語った。最後に宮崎優子さん(赤とんぼの会・大分)は、8月15日に新聞に意見広告を29年間掲載している運動と、昨年起こった意見広告への読売新聞の干渉について報告した。(いずれも詳細は別掲載)

発言相次ぐ全国交流集会

午後4時30分からは、14県から約50人の参加者で全国交流集会が開かれた。土井登美江さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)の司会で進められた。はじめに上関原発建設反対の運動について、藤井純子さんが美しい祝島の映像を交えながら報告した。次にピースサイクルの沖縄や明日の日出生台での取り組みを新田秀樹さんが報告した。各地の参加者から、軽食をはさんで3時間半につぎつぎと20人余りの発言があった。

各地の報告は、沖縄への連帯や戦争協力態勢が進むことへの反対行動がたくさん報告された。長野からは、沖縄知事選挙を応援するために地方紙に1面分の意見広告を出す運動を全県的な規模でとりくんだところ、紙面からあふれ追加の広告を出した経験談が紹介された。PAC3の配備への反対、福岡空港の有事駐留への反対、沖縄と連帯した防衛省への交渉、防衛大綱の問題点の指摘、首都圏を囲む横田や朝霞の基地の実態報告などが続いた。全国的にとりくんだ普天間基地の辺野古移設の賛否を問うシール投票についても報告された。子どもたちにもわかってもらえるような平和の写真展や意見広告のとりくみの報告もあった。

「東京九条まつり」など各地の九条の会としての活動報告もあった。また、昨年の韓国併合100年にあたっての日韓市民集会の取り組み、戦争に関連する場所の見学会や戦争体験を語り継ぐこと、反貧困や「つくる会」の教科書採択の問題など、多岐にわたった課題での報告があった。運動を次の世代にどう引き継いでいくかという課題もだされた。
最後に決議文が提案され、会場からの発言で意見が補強されて採択された。

日出生台の現地抗議行動でともに声をあげる

2月6日は早朝から、大分県外からの参加者は大型バスで日出生台へ向かった。晴天にめぐまれたが、由布岳をまわる山並みは雪がかぶっていて寒さは厳しかった。途中、由布院の見成寺さんの本堂を準備していただき、浦田龍次さん(ローカルネット大分・日出生台)から、米軍の砲撃訓練の状況を貴重な映像を交えて話していただき理解を深めた(詳細別掲)。見成寺住職の日野詢城さん(「宗教者九条の会・大分」代表世話人)からも連帯の挨拶をいただいた。

さらに日出生台の演習場の間を突き抜ける道路をとおって、広大な射撃訓練場を見渡す高台にあるローカルネットの監視小屋へ。ここで日出生台に暮らすの畜産農家の衛藤洋次さんの話を聞いた。日出生台の大地への愛着の思いと砲撃訓練への怒りを語る衛藤さんの話は止まらない(詳細別掲)。155ミリ砲実弾訓練の発射地点と着弾地の距離は、視界距離の8割にもなる。参加者は、広大な訓練場での実弾演習の具体的なイメージと憤りが脹らんでいく。

12時半からは、ゲート前に移動して現地の抗議集会(「ローカルネット大分・日出生台」と「草の根の会」主催)に参加した。集会は、司会の渡辺ひろこさんが「松下竜一さんも参加しています」と遺影を紹介して開始された。草の根の会の梶原さんが「反対の声を上げなければ賛成にされてしまう、という松下さんの言ったことをじっくり頭におきながら、声を上げようと続けてきた。日出生台がどんなところかしっかり見て、全国に持ち帰ってほしい」と主催者を代表してあいさつした。

その後、参加者がつぎつぎに発言した後、菅直人首相にあてた「日出生台・米海兵隊実弾砲撃訓練に抗議します」という抗議文を採択した。最後に、道路をはさんで100名ほどの参加者はゲート前に集合して「マリーン、ゴーホーム」「ノーウォー」などのシュプレヒコールをあげて砲撃訓練に強く抗議した。怒りの声は山々に大きくこだました。

日出生台の平和の一筆箋

「ローカルネット大分・日出生台」では“故郷大分の大地を戦争と直結した場所にして欲しくない。住民としてできる限りノーの声を上げ、拡大を許さない監視活動を行っていきたい”という趣旨で、平和の一筆箋を販売し活動の費用に充てている。会員が描いた、なでしこやききょうなど日出生台でみる草花をあしらったもの6種類と、干支のうさぎの図柄3種類がある。1セット15枚入り300円。問い合わせ先:harappa@oct-net.ne.jp

このページのトップに戻る


許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会in大分&日出生台 基調提起

高田 健

1)許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会の経過。

遠方から、また地元大分からもたくさんの皆さんにおいでいただいております。ありがとうございます。
はじめにこの集会が「許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会公開講演会」という一見不思議な名前がついておりますので、その説明をしておきたいと思います。この集会は大きなタイトルとして「沖縄・日出生台から日本のいまが見える」をつけておりますが、これに私どもの本日の問題意識が全て表れております。

10数年前から、全国の草の根で憲法問題に取り組んでいる市民のネットワークづくりが動き出しました。戦後、長い間、いわゆる社会党さん、総評さん、共産党さんなど、それぞれの皆さんが憲法の問題に取り組んできました。私たちの先輩でもあると思います。しかし、無党派の市民の憲法運動は全国にバラバラとしかありませんでした。それぞれのところで頑張っている状態でした。そこで、何とかして相互の連携を強め、ネットワークを組んでもっと大きな市民の運動にして行かなくてはならないのではないかということで始まったのが、この全国交流集会です。

当時、1990年代ですが、湾岸戦争やPKO派兵のあと、1994年に読売新聞が社としてはじめて「改憲試案」を発表しました。それから90年代は憲法改定、日米安保体制を強め、戦争法をつくるという流れがどんどん強まりました。わたしたちはこのままで行ったら9条は、憲法は変えられてしまう、何とかしてお互いに連携をとって「憲法改悪を許さない」という運動を強めたいと思いました。

1996年には日米安保共同宣言がだされ、「安保再定義」が行われ、97年に新ガイドラインがつくられました。事実上の安保改定ですが、条約をいじると、60年安保のような大衆的な運動が起こりかねないということで、当時の政府は実務的にガイドラインを改定することでそれに替えました。1999年、第145国会では、周辺事態法、国会法改定で憲法調査会を設置するとか、国旗国歌法など、悪法が一斉に制定されました。当時、毎日のように国会に出かけて運動をしていたことを思い出します。これらの改憲と戦争の流れに抵抗しようと、ネットワークをつくりました。

2000年1月にアーミテージ報告「米国と日本―成熟したパートナーシップに向けて」が発表されました。2001年9月には9・11同時多発テロが発生し、それを契機にしたブッシュ大統領による報復戦争と称するアフガニスタン、イラク攻撃が始まりました。当時の小泉政権はいち早く米国を支持しました。

同時に、2000年1月から始まった「憲法調査会」が毎週のように国会で行われ、地方でも地方公聴会が開かれました。私たちはその監視と傍聴の活動などを継続的に取り組みました。地方公聴会は2001年4月の仙台公聴会からはじまり、全国で開かれ、2002年12月には九州でも福岡公聴会が開かれました。大分の「赤とんぼの会」の宮崎優子さんも公述人で発言しました。この地方公聴会は私たちと、各地の地元の人びとの交流の場となり、市民運動の全国的連携が強まりました。

2003年のイラク戦争反対の世界的、全国的な高揚があり、東京ではWORLD PEACE NOWという、最盛期には5万人規模のデモが行われるような新しい運動も生まれました。2004年には「九条の会」が発足しました。これは非常な勢いで発展し、今日では全国に7500カ所くらいにできております。「憲法行脚の会」などが生まれたのもこの年です。

2006年、安倍内閣が発足しました。彼は自分の任期中に明文改憲をすると主張していました。しかし、こういう運動が強まる中で、改憲反対の世論が強まり、にっちもさっちもいかなくなりました。安倍さんの改憲のもくろみは破綻して、憲法問題だけが原因ではありませんが、政権を投げ出すという事態になりました。今日、新聞の世論調査では「9条は変えない方がいい」というのは6割以上になっています。運動の大きな成果でした。

この全国交流集会は、この過程で相互の連携を強め、東京、大阪、広島などで集会をやってきました。一昨年は沖縄で開きました。今回は大分ではじめて開きます。

九条の会は9条で結びつく運動ですが、私たちは、それを支持しながら、同時に憲法への取り組みを「9条」だけには絞らず、憲法の改悪全般に反対する運動として、憲法3原則をいかに生かし、実現するかという立場で考えてきました。2006年第9回目の広島集会で、「日韓市民の連帯」とあわせて、「9条と24条」をテーマにし、2007年の大阪集会では「9条と25条」、2008年は「九条世界会議」のプレ企画として東京で開催しました。2009年沖縄交流集会では「憲法と安保」、2010年、東京集会で「政権交代と憲法運動」をテーマとして、今回の2011年、大分開催に到りました。

2)憲法をめぐる今日の情勢と市民運動の課題

今年は日米安保条約がつくられてから60年目です。昨年は安保条約が改定されてから50年目でした。50年目、60年目ということ自体にはそんなに意味はありませんが、これを契機に安保や憲法を考えていくという意味で、重要な機会となると思います。この「60年」は平和憲法と、安保体制のせめぎ合いの60年でした。

一昨年の政権交代を機に、多くの人びとが、今までの安保優先、米国べったり、財界べったりの政治を少しでも変えてくれるのではないかと期待を持ちました。というのは民主党はそうやると約束をしていたからです。ですから、沖縄の人たちも普天間基地の撤去問題などで、進展があるかも知れないと期待を持ちました。しかし、それから1年半が過ぎて、いまの事態は新政権が小泉政権の時代に逆走しているという状態です。

最近つくられた新「防衛大綱」はいままで、三木内閣以降30数年にわたってとられてきた「専守防衛」という政策、これ自体も問題はいろいろあるわけですが、ともかくもとってきた専守防衛政策を投げ捨てる。米国と共に、中国敵視路線をとり、かつてのソ連敵視に代わって中国主敵の立場で、「動的抑止」政策、南西諸島防衛重視の南西戦略をとるということが、民主党政権のもとで出てきたことに危機感をもっております。普天間基地はこの新政権のもとで全く動いていない。それどころか辺野古に移設して新しい基地をつくるという話になった。そして辺野古の近くの高江ではヘリパットをつくるという動きが住民の反対を蹴散らしながらすすんでいます。新政権のもとで、安保強化、基地強化という動きが進んでいることに対して、私たちはしっかりとらえ直して大きな運動をつくって行かなくてはならないときだと思います。

今回日出生台の問題に焦点を据えて安保と憲法を考えようとしているのはまさにそうした問題意識です。沖縄の負担を減らすといいながら、県道104号線越え実弾演習を日本の5カ所、日出生台、北富士、東富士、王城寺原、矢臼別に砲撃演習地を分散する。しかし、沖縄は普天間をはじめ負担が減るどころか、強化されている。そして分散された5カ所では演習が拡大され、全土で米軍演習が強まっている。こういうわけのわからないような事態が起きていることを、全国の皆さんと共に再度、この大分日出生台の地で確かめ、各地に持ち帰って運動を強めたいと考えております。

私たちは第14回集会を、9条護憲の広範な世論を基礎に、解釈改憲に反対し、9条を生かし実現する運動をいっそう強める契機としたいと考えております。そして改憲反対、「日米軍事同盟」ではない、「もう一つの日米関係」をめざしていく契機としたいと思います。そして民主党政権が投げ出した「東アジアの平和と共生」をめざす広範な運動をつくる方向で努力したいと思います。

私たちはこのあとの高良先生の講演などのこの「公開集会」につづいて、全国の参加者の「市民運動交流集会」をやり、これからの運動のあり方について検討する予定です。

あすはバスなどで、日出生台の演習場のゲート前に行き、「草の根の会」のみなさんと「ローカルネット大分・日出生台」の皆さんが主催する抗議行動に参加したいと思います。大分の皆さんはご存じのことですが、すでに米軍は到着していて、7日からの実弾砲撃演習に備えております。私たちはこの抗議行動への参加を通じて、各地に持ち帰り、日出生台の運動を報告しながら、また新しい1年、憲法と安保の問題に取り組んで行きたいと思います。

このページのトップに戻る


記念講演「沖縄から見た平和憲法、日米安保」

高良鉄美さん(琉球大学法科大学院院長)

みなさんこんにちは。沖縄から来ました高良といいます。今日沖縄から来たわけですが、ほぼ1000キロくらいですね。沖縄の位置づけはみなさんもご存じだと思いますが、じつはこれが安保と関係しているわけです。地政学というものがあります。それで見ますと、東京と沖縄、那覇とフィリピンのマニラを見ますとフィリピンの方が近いんです。グアム移転の話が出ていますが、グアムと那覇は青森の方がまだ遠い、札幌と比べても、ベトナムの方が近いんです。もっといいますと、中国の上海とか、台湾の台北は福岡とほぼ同じか、福岡の方がまだちょっと遠い位置づけになります。

これは米軍の戦略にとっては非常に大きなことです。1949年に中華人民共和国ができました。そして朝鮮戦争、これをにらんで、憲法を歪めていくわけですね。警察予備隊ができます、それから保安隊、保安隊は実は旧安保条約のあとにできていますね。ですから旧安保条約それからいまの安保条約、その間にいろいろなものが変わっています。その変わってきたものは何か。憲法は変わっていないけれども、憲法を歪めていっている。そういうお話も含めて報告していきたいと思います。

沖縄県の面積は東京都とほぼ同じです。大分の2.5分の1、そのくらいの面積しかないんですが、その領域というと日本の半分を覆ってしまうくらいの広さをもっています。沖縄のわたしたちからいうと使える土地はとっても狭いんです。東京都と同じ大きさを80あまりの島々にちぎって、これだけの広さにばらまいているようなものです。まとめて使えるような場所は沖縄本島くらいです。その沖縄本島の2割が米軍基地なんですね。そういう状況にあって人の生活が安保条約、米軍の戦略、そういったものでかなり制限をされています。

僕が帽子をかぶった理由

わたしの帽子は、毎年卒業式で帽子が増えていくんですね。卒業生が帽子をプレゼントしてくれるので。いまは100個を超えています。TPOに合わせてコーディネートしたりしますが、帽子にこだわって16年になります。これは国会の傍聴規則です。国会は実はほとんど帝国議会そのままです。もともと帝国議会で、明治憲法のもとであったということです。いまの憲法によって帝国議会は国会に変わりました。国会というかたちは、主権者であるわれわれが国会議員を選んで、われわれの意思に基づいて国会の中で審議をしてくれる、というものが憲法上のかたちです。

ところがいろいろな制約があります。国会議事堂の中に入ると、通路に入った途端に明治憲法の雰囲気がするんです。冷たいというか、ここは違う、民主化されていないんじゃないかという雰囲気があるんですね。参議院には天皇が座る場所がちゃんとあって、明治憲法そのままですね。皇族席があって、正面が一般公衆席です。主権者が押し込まれている。国会というのは本来わたしたち主権者の意思を反映する場所ですが、主権者が簡単には入れないようになっています。傍聴規則があります。憲法57条には会議はオープンにしなさい、公開であると書いてあります。ところが傍聴するためには規則を守ってくださいと、ちょっと締めるんですね。

憲法の中には“表現の自由”がありますが、表現するというのは人が表現すると同時にこの表現を受けるわれわれの権利もあるわけです。さらには主権者ですから、情報を知るということも大事ですね。選挙をするといっても、この政治家が何を考えてどういうことをやろうとしているのか、そういう情報が入ってわたしたちは判断をしたわけです。沖縄もそういう判断をしました。でもちょっと違うな、というのは問題がありますよね。国会のホームページには「主権者である国民の意思を代表して」と書いてあります。したがって主権者が判断するためには情報を与えなければいけない。主権者のはずのものが、帝国議会の臣民と同じ扱いであるということです。

臣民時代の傍聴規則はいまも変わっていません。ましてや、帽子、外とう、えりまき、傘、つえというようなものが制約されているとはまさか思っていません。国会に行くときに帽子をかぶっている人はあまりいないんでしょうけれども、「外とう」は学生には全然わからないですね。街の明かりと思ったりしていますね。時代が変わっているはずです。衆議院の方はコートと書いてありますけれども。えりまきというのも最近の学生は言わないですね。傘、つえ、こういったものも着用、携帯できないとなっています。これはおかしいんじゃないのかということです。ただし議長が許可すればよいということも書かれてはいるんですが、これは制限をしては本来いけないんじゃないかと思います。つえが必要な方はどうするんですか、いちいち許可をくださいと言うんですか、この方たちは、一市民として一国民として一体国会で何を話しているのか、たとえば障がい者の権利条約とかいろいろあります、それを聞こうとしているのに、いちいち許可を得ないといけないかという問題があるわけです。

これは意外に知られていないんですね。わたしも1994年に議会に行きましたら、だめだと言われたものですから、なぜだめなんですかと聞いたら、書いてあるというんですね。法律ではないんですよ。そういうことでおかしいんだ、知る権利があると、16年帽子をかぶっています。

ムリヤリすすむ日米間の軍事協力

今朝の沖縄の朝刊です。ほかの新聞は火山のことだとか大相撲の八百長のことが1面でしたが、もう1紙は米軍が独断で退役軍人用のクラブハウスにお金を出すと書いてあります。米兵が使用する施設にお金を出すことで合意されていたんですね。ところが米軍は、現役の米兵ではなく退役した軍人の憩いの施設のようなものにお金を使うことに、勝手に変えちゃったんですね。まだ建設はされていませんが、このお金は、再編計画の中に入っているんです。浦添市が6700万円の予算をかけてキャンプキンザーというところを返してもらうために支出しましょうといったものです。それが違ったものになってしまった。

さらに辺野古には、キャンプシュワブとのあいだのビーチに金網があります。金網といっても50~60センチくらいですが、これを140センチにしたわけです。かなり厳しいものになっている。それから沖縄の島のまわりには訓練区域が設定されています。海域も空域もあります。決まったところ以外は訓練することはできないはずで、漁民はそれ以外のところで漁業をしているんですが、米軍はそこでも実は訓練をしています。かなり広大な地域を訓練区域にしているんですが、それを超えてやっていることが判明しているので県議会が抗議決議をしたわけですね。

それから、名護市長を含めて辺野古の環境についての現況調査を拒否しています。この拒否したことに対して、国が異議申し立てをしています。この異議申し立ての結果、また名護が拒否をしたら、今度は裁判になるわけです。行政訴訟によって。こういうふうに裁判をつくってしまう。裁判に訴えると、一般の市民運動はちょっとびくっとしてしまう。いつも訴える側ですから萎縮してしまう。こういうやり方を辺野古だけじゃなくて、高江に対してもやっています。高江のヘリパット建設の抗議で、入り口で座り込みをしています。その中で妨害をしたということで、小学生の子どもも名前を書かれて裁判の被告になってしまった。妨害を排除しろということで。

防衛省が異議申し立てをしているんですが、総務省から、できるはずだという解釈が出たんです。自分の家、土地、そういった権利を持った人が私人と同じ立場なので、やるということです。たとえばわたしが家を建てたいといったときに、行政がだめですといった。どうしてだめなんですかと、行政に対して申し立てます。これと同じように防衛局がやっている。海を調査したいけれどもだめだといわれた、何でだめなんだということですね。

でも「私人と同じ立場だ」といいますが、私人が基地をつくれるわけがないじゃないですか。どうして私人と同じ立場なんですか。国が、政府がこういうことを言っている。むちゃくちゃな解釈をしているんじゃないか。何でこんな無理矢理な解釈をしているのかと考えると、やっぱり日米合意とか安保の問題とかアメリカとの関係とか、そこを優先するからなんですね。憲法とか市民の暮らし、国民の暮らし、そういう権利の問題から考えると、こんな解釈が出てくるはずはありません。ですけれどもこういう無理矢理な解釈をしている。国はあとで本当に体面をなくすと思います。法律上、こんなことができるわけがないでしょうというのに解釈ができるといっているわけです。

去年ですが、普天間はやがて返還するといっているんですが、ダイバート――目的地変更、普段使っている飛行場を使わないで訓練によって緊急のときに別のところを使うことができるようにする――という訓練で、嘉手納飛行場の2本ある滑走路のうちの1本が工事をしているからということで、もう1本を使わないで普天間飛行場にいっています。これは那覇空港にもいっている。ですから普天間は閉鎖どころかどんどん活用している。目的地変更という訓練を実際にやっていることは普天間を嘉手納の代わりに使うということですね。

那覇空港もそうですが、新ガイドラインというのは日米間のあらゆる軍事的な協力なんですね。その中で、普段の民間空港をどんどん使うということなんです。そういう状況が今後ますます進むだろうと思います。

安全保障の根本を考えさせる尖閣列島の話

尖閣列島の話ですけれども、いま中国とのあいだでいろいろ揉めていますが、1880年にこういうことがあったんです。沖縄県が設置されたのがその前の年です。沖縄県というのは宮古八重山を含めたところが沖縄県です。日本は条約で有利になるために、沖縄の半分をあげましょうといったわけです。宮古八重山ですね。中国はこの時代から宮古八重山は中国だといっていたんですね。もちろん宮古八重山の人たちは、わたしたちは中国だとはいわないですけれども、当時は日本も中国も領土をどうしようかという話をしていた。そして沖縄県を設置したので宮古周辺も日本になるわけです。ところが宮古八重山を渡す代わりに欧米並みに扱ってくれということがあった。

でも沖縄は、これはたまらんと中国に密使を送り、中国はわかったということで、いまでいうドタキャンをした。だからいまでも宮古八重山もちゃんと沖縄県になっているわけです。ただ、文化というのは国境を越えるんですね。宮古八重山、特に石垣島の文化、お祭りなどはみんな台湾の影響、中国の影響を受けています。そういう意味で考えると、台湾と石垣島とのあいだにいさかいがあるということではありません。すでに子孫が移住して5~6世代以上経っているわけですから、文化的な面では何の衝突もありません。

尖閣列島の問題について石垣がごちょごちょっというんだったら別でしょうが、東京から問題だと言ってきたわけです。実は尖閣列島の問題に一番関係するのは石垣島の漁民なんです。その石垣島の漁民が求めているのは安保のような安全保障ではなく、自分たちがちゃんと漁ができればいいということだけです。それ以前はそこで漁をしていた。国境がどうのこうのと言い始めたらおかしくなってきましたが、尖閣列島の島々にはちょっとした小屋があって、台湾の人も台風が来れば同じように避難してそこに一緒にいても何も問題はなかった。安全に漁業ができればいいのであって、軍を持って行くとか、物々しいもので監視しあう問題ではないんですね。そういう歴史も考えて、中国が尖閣列島のことを言うのもわからないといけないなと思います。安全保障といったときに、何が安全保障なのかも根本的なことで考えなくてはいけないと思います。

戦争についての明治憲法と日本国憲法の違い

明治憲法と日本国憲法の違いはいろいろありますが、明治憲法は憲法の中に戦争のことが書かれています。日本国憲法には書かれていません。戦争の反省が前文に書かれています。明治憲法の場合にはすごいことが書かれています。「我カ神聖ナル祖宗ノ威德ト竝ニ臣民ノ忠實勇武ニシテ國ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル國史ノ成跡ヲ貽シタルナリ」。天皇の祖先の威徳と臣民が何も考えずに忠実勇敢に戦い国を愛し、「公」というのは天皇です。「殉ヒ」(したがい)という字は殉死の殉という字です。殉死を辞書で調べると君子のために死ぬと書いてあります。太平洋戦争の末期は「天皇陛下万歳」といって「神風」を信じていったわけです。これは1889年にすでに書いてあることです。

このあと60年近く、まさにこの通り進んでいくわけです。この5年後には日清戦争が始まり、さらにその10年後には日露戦争が始まります。この通りの歴史になっていくということです。そして外に広げていくことも書かれています。 「我カ帝國ノ光榮ヲ中外ニ宣揚シ祖宗ノ遺業ヲ永久ニ鞏固ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負擔ヲ分ツニ堪フルコトヲ疑ハサルナリ」、「中外ニ宣揚シ」と憲法に書かれています。

憲法というのは何かというと、国の将来のプランになるわけです。さきほどの映像に「一度も日本が戦争をしていないのは誇りだ」ということがありました。そういうことがいまの憲法に書いてないからです。憲法というのは簡単に考えてはいけない、この通りに歴史が進むんだというくらいに考えなければいけない。この明治憲法はまさに予言者のように1945年の敗戦を迎えるまで進んでいった。

今日の情報をさきほどお知らせしましたが、戦時中も情報が非常に重要だったことがたくさんありました。沖縄でも沖縄戦というと1945年の米軍上陸を考えますが、実はその前から10・10空襲というのがありました。このときに宮古八重山、奄美大島も含めて、さらに沖縄本島では那覇、読谷、嘉手納飛行場それから伊江島など軍事基地や軍事の港湾、飛行場、司令部があるところが空襲を受けたわけです。こういうところが攻撃を受けるというのはわかりそうなものです。しかし、向こうから攻撃を受けるような戦況になっていない、日本が外に拡大し、侵攻していっているという言い方をしていたんですね。逆に攻め込まれているという情報を流していない、だから来るわけがないと思っている。

10月10日の朝は本当に来たんです。市民は見ていて、飛んでくるのは知っている。けれども誰も逃げない。それは演習していると思っているからです。爆弾を落として機銃で撃たれる人が出ても「迫真の演習」をしていると思っている。知らないということはとても怖いですね。燃えていくのを眺めている人がいっぱいいる。ところが実際に人がばたばた死んでいくのを見て、初めてこれは違うことがわかるんですね。ですから那覇市の中心部分の家屋の9割近くが焼けてしまった。情報を知る、知らないということはすごく大事なことであるし、大きな差を生んでしまうということです。

この10・10空襲から2週間後、フィリピンのレイテ島決戦で連合艦隊が全滅します。にもかかわらず、アメリカの空母を8隻も沈没させた、米軍機も500機以上撃墜した、日本側は空母1隻、戦艦1隻の被害だったと発表するわけですが、これはまったく逆だった。新聞が発表のまま、鵜呑みにして書いている。そうすると国民の士気が衰えないというか、負けているとは思わないわけです。そういうかたちで情報操作をしてきたわけです。沖縄決戦も本土の大本営で決め、捨て石作戦をする、ずっと持たせるということが決められます。これは文書で残っています。日本全体のためにということですが、現在もそうなのかということです。そういうことをやらないためにいまの憲法ができたんですよ。

平和思想を結実させた日本国憲法

これだけの戦争の経験をしてきました。ですから平和憲法が当然できてきたんです。こういうふつうでない戦争体験を持つ国、世界で最後まで戦争した国はどこかといったら日本です。その変わった体験を持っている国が平和と言わないでいる。被爆をした国が核兵器廃絶を、広島や長崎は言うけれども政府ははっきり言わないという変わった国です。そういうことから言うと、日本はどういう責任を持っているかということを世界に向けて言わなければいけないし、世界もそれを期待していると思います。憲法ができるのは体験からすると自然なことです。政府は軍を持ちたいといったけれども、民間からは平和思想が出てきます。

これが憲法を審議するときの議事録に出てきます。帝国議会の衆議院で2か月、当時の貴族院で1か月半、4か月近く、6月の末から10月までの期間をかけて憲法の審議をしていく。103条ありますけれども、これを1条1句全部チェックするわけですね。

よくGHQが出したといいますが、GHQの前には日本の民間の案が参考になった。その上で、GHQ案をもとに日本の案として出しましたが、それに対しても17カ所だけでも条文が変わっています。さらに憲法制定議会ですごい決議が出ます。帝国議会の衆議院です。これは高遠な理想を語る憲法であるということです。一切の戦争を地球上からなくすという憲法である。これを達成するためには、国を挙げて努力をしなければならないといっています。簡単にはできませんよといっている。よく言われるのは、憲法は理想でしょ、あんなのできるわけないでしょう、ということが若い人を中心にあります。それはわかっていることです。それを達成するためには絶対に国を挙げて努力しないといけないといっているんです。それが本当の意思だったのかは問題です。でも確かにそのときにはそう思っていただろうということです。

憲法から分離された沖縄の中で

対日平和条約で日本は独立します。北緯29度から南は米国が占領することになります。1年後に奄美が返還されます。これは日本本土からの分離であると同時に、憲法からの分離でもあり、安保条約も適用されない。沖縄は安保条約が適用されないからいいのかというと、安保条約の制約を受けないということです。ですから何でもできる状況です。

わたしが憲法を知ったのは小学校の頃でしたけれども、社会科で先生が日本国憲法を見せてくれました。とにかくびっくりして感激して、こんなものがあるんだと思いましたね。そしてこの憲法が日本を救う、沖縄を救うと思いました。わたしたちはこの憲法の下に行ったらいまの生活はがらっと変わるんだと、そう思っていました。こういう日本国憲法が国の本であるのは素晴らしいことだと思っていました。

当時はパスポートをもって修学旅行に行くんです。わたしたちは一生に一回も来られないんじゃないかという思いがあって、どうせ来るなら17泊18日でということで、春休みを全部使ってきました。憲法の条文を読むというのではなくて、まるで違う世界にいったという感じです。それは現実を見ていなかったのかもしれませんが、金網がないなと思ったり、米兵が歩いていないなと思いました。ところが奥の方にはいたわけです。復帰をしたときには「核抜き本土並み」でした。核抜き本土並みということは核兵器が沖縄にかなりあったんですね。本土並みということは、沖縄にある核を撤去して、米軍基地が本土並の比率になると思った。誰でもそう思いますよね。でもこれは安保条約の適用が本土並みだということなんです。

この写真、紅顔の美少年、わたしの身分証明書です。この身分証明書に「本土と沖縄のあいだを旅行する日本人であることを証明する」と書いてあります。変なものですけれども、これで行きます。発行したのは昭和48年ですから、総理大臣が発行しています。それ以前は高等弁務官発行なので、英語で書かれていました。

その後、復帰建議書を沖縄県側から出します。この復帰建議書で出されていることが、憲法のことです。憲法の基本的人権を尊重してくれ、県民本意に経済開発をやってくれということです。沖縄からはこれを届けに行ったんですが、沖縄返還協定を強行採決されます。

沖縄返還協定というのは、一般には沖縄を返すことだけのように思いますが、そうじゃないんですね。米軍の活動を損なわないように、米軍基地を維持して返すということです。返還で一般的には喜ぶわけですが、ところがそれは違うぞということで抗議集会と祝賀会が隣同士でおこなわれることになった。復帰は大歓迎だけれども、中身が違うでしょということです。この視点は、領土と考えたのが日本政府で、沖縄は人権が復帰の意義だと考えたわけです。本土側の文書の多くは固有の領土とか昔からの同胞とか、まるで母のところに子どもが帰るようにということが書いてある。わたしたちは、復帰すれば憲法のもとで人権が保障されるということが大きかったわけです。

そして国会で決議されます。このときの国会決議が、核が沖縄に存在しないこと並びに返還後も核を持ち込ませないことを明らかにする措置を執るべきである、となっています。さらに米軍基地の速やかな縮小整理をするとなっています。これから15%減っていますが、速やかな将来の整理縮小というのは40年かかって15%減っただけです。最近の3年間でちょっと減りました。沖縄の米軍基地の比率は日本全国の75%というのは有名ですが、73.8%になりました。これに何で40年もかかるんですかということです。

核兵器もアメリカ側はないともいいません。発表していません。みなさんも沖縄に行ったらぜひゲートの前をうろうろしてください。ゲートのガードが出てきます。何も聞いていないのに「核ないよ」と言います。それはあるんじゃないかなと思います。

法律を使って米軍基地を維持

最近は法律を使って米軍の基地を維持しています。この問題に対抗しているのは憲法です。この法律は憲法違反じゃないかということで対抗している。憲法の力はこういうところにあります。だから使わないといけない。沖縄にある米軍基地を維持できるか心配して特別法をつくった。公用地法です。ところが沖縄だけに適用されるものですから、憲法95条では「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。」ということで住民投票しなければいけない。

ところが住民投票にかけると基地を維持できないので、住民投票をさせないためには何が必要かと考えたんですね。それで沖縄県になる前に、日本国憲法が適用される前に法律をつくってしまえばいいということで、「公用地暫定使用法」ができます。正式には「沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律」です。沖縄「県」と書いてないんですよ、わざわざ。 県と書いたら憲法が適用されるからです。住民投票をさせなかった。だから復帰直前にできているんですね、この法律は。さらにこれは5年だけという時限立法です。5年経ったら住民投票しなければいけない、もう沖縄県になっているので。

それでどうしたかというと、今度は住民投票がいらない法律をつくったわけです。地籍明確化法をつくって、この法律の一番端っこに公用地法を5年延長しますとしたんですね。この法律自体は住民投票はいりません。でも本当はこんなふうにしなくて良かったんです。安保条約下でつくられた法律があった。30年くらい使われていなかったんですね。沖縄以外どこでも使われていなかったので国も知らなかったんですね、なんと恥ずかしいことか。米軍の基地を維持するために、米軍用地をつくるために強制的に個人の土地を取れるよ、という法律があるんです。 駐留軍用地特措法です。これを最初に使えば良かったのに変なことをやってしまったわけです。いまもこれは沖縄県にしか使われていません。

これが憲法違反じゃないかということで代理署名訴訟、当時の村山首相が大田知事を訴えた。土地を米軍用地に使うということに署名しなさいということで。それで裁判になった。こうやって法律を使って住民運動を止めていく方向があるんですね。これは実はアメリカでは禁止されています。極端に力が違うものが、強いものが法律を使って弱いものを追い詰めることは問題だということで、できません。日本では逆に使っています。「SLAPP」といいます。日本ではまだ研究者が少ないですね。

沖縄は憲法のもとに復帰ということですけれども、いろいろな問題が出てきたときには憲法の原点に返るしかない。憲法が救うんだという信念をちゃんと持つことです。憲法を活用することです。普天間問題も辺野古が移設先として言われていますが、あちらも人権だということですね。単に基地をつくるということではなくて、そこに住む人たちの人権が侵されているということです。

それから名護市も本当にお金で追い詰めている。現在補助金を出さないといっています。米軍基地を受け入れて負担するところには、米軍再編法で補助金が行くようになっているんですね。ところが名護市にはやらないという。昨年度、今年度の2年間です。これについてはふるさと納税ということで全国から名護市に納税している、補助金は来ないけれども、それでなんとか耐えているんです。

鳩山首相が退陣するもとになったのが沖縄の問題ですが、これも沖縄の人たちが表明をしていったわけですね。人間の鎖で普天間の包囲がありました。名護市議選も少数与党だったのが逆転しました。鳩山首相は抑止力を知ったといいましたけれども、沖縄では「ゆくし力」というんですね。「ゆくし」というのは沖縄で「うそ」という意味です。沖縄で最近よく言われます。抑止力というのも軍事的にもあり得ない、海兵隊は抑止力じゃなくて攻撃力です。それから沖縄に自衛隊を2万人配備すると新聞に出ていました。何のために2万人も配備するんですか。沖縄に何をしようとしているんだろうか。何をもたらすのか。現在沖縄には2万7千人の米軍がいます。6800人の自衛隊がいます。それに2万人配置したら日米同じくらいになるわけです。どうなるのかという状況です。

いろいろな訴訟の中で、伊江島の反戦地主で阿波根昌鴻さんという方は憲法に訴えて裁判を起こした。自分が反戦だから税金が高いんじゃないかということで。実際に高かったんです、2千万円くらい違ったんです。税金がですよ。国からの補償金に対してかかる税金が一括払いなんですね。10年使うということだと10年分の税金を1年のあいだに払います。ところが10年契約した人が毎年申告して払う税金はずっと低いという違いがあって、これは裁判所も割れたんですね。第1審は憲法違反であるとしました。

沖縄の基地問題は生活の問題

沖縄では基地が生活に関わっているんです。沖縄の新聞も、生活のことを書いたら基地のことになります。地デジ、あと5か月ですか。普天間基地には地デジの障害がもうでています。地デジの問題が基地の問題です。生活の問題です。普天間基地の反対側に消防署をつくらないといけない。12平方キロの小さなまち宜野湾市に、消防署が3つあるんです。真ん中に普天間基地がありますから。こうなると住民の生活にも影響してくる。

夜もヘリコプターが飛んでいます。これも日本側が何も言っていないようです。イラク戦争のときなども、びくびくするんです。何で外国で戦争をやっているのに、沖縄がこんなに騒々しく、不安で怖いのか。この影響が市民生活に来るんです。米軍基地のまわりがものものしい警戒です。近くを通ると銃を構えています。普天間基地は、もともと人が住んでいて、戦争で避難して捕虜収容所にいたあいだに基地ができたところです。

沖縄がいま頼るのは憲法しかないんです。憲法番外地といわれますが、それ以外の方法はない。ただ強いのは、憲法違反ができないのは国民ではなくて国です。憲法は国の行為を制約するものです。国は国民の基本的人権の守らなくてはいけないですよ、国会はこういうことをしなければいけませんよ、裁判所はこういうことをやらなければいけませんよ、ということが憲法に書いてある。

われわれが政治を見ていると、沖縄の人に理解を求めるとか説得をしていくことしか考えていませんけれども、説得して、あなたの人権を侵しますからね、ということは言えないんですよ。それ自体がそもそも間違っている。政治的決着を落としどころと思っているのも大間違いです。これまでの政府の行動を見ていると、アメリカと落としどころを計算するけれども、憲法のことを考えないんです。人権のことを考えないんですね。それが下地にあります。

沖縄ではずっと米軍基地に抗議をするために、人口が60万人くらいの時代に11万人の島ぐるみ闘争で、わたしの高校のグラウンドも集会場みたいになっていましたが、軍用地を取るための4原則貫徹県民大会というのがありました。さらに1995年の少女暴行事件のときは8万5千人、2007年9月の教科書検定撤回を求め集会では11万人が集まりました。沖縄から見ると憲法がいまでも後ろ盾だということです。土地財産の強奪というのは、その日に布告が発せられるとそのまま土地を取られるという「銃剣とブルドーザー」ということが本当にあったんです。

米兵が事件事故を起こしても、裁判はできない。アメリカの協力を強いられる。それは場合によっては職場ですから。いまは労働基本権があって、完全ではないけれども職場でもある程度の抵抗ができます。9条改憲の問題もありますが、沖縄は憲法が変わったら要塞になってしまうんじゃないかと思います。人間が生活する場所じゃないですよね。そうなるとこれは大変だということで、憲法の問題には普段の生活の問題です。

沖縄の一番のリスク、それは米軍

米軍機も墜落していますが、復帰前も非常に多かった。補償もほとんどない状況ですね。核兵器は沖縄には600発といわれていたんですが、翌年に訂正されて倍に増え、1200発でした。核兵器を積んだB52が墜ちたのが嘉手納飛行場です。ただ、ありえない奇跡でしょう。B52は核兵器を積んでいないことはないんですね。ところがこの墜落したB52は積んでいなかった。もし積んでいたら、いま沖縄は地図の上になかったと思います。1200発ということは、沖縄どころか九州もないかと思うくらいです。

これは沖縄国際大学の墜落直後の写真です。もう米兵が来ています。墜ちる瞬間を見ていますからどんどん走っているんです。この裏が普天間基地ですが、普段はわれわれを入れないために金網がありますが、そのフェンスを乗り越えて来ている。いま、リスク管理ということがいわれますが、沖縄ではリスクは米軍だと思います。イギリスからインタビューにきてびっくりしていましたが、リスクといいうと何をイメージするかといったら、沖縄では米軍ですよ。一番危険ですから。

沖縄では平和的生存権、平和に生きるということを身体のあちこちで感じます。辺野古で上陸訓練をしていますが、これは安保かということです。安保は日本を守るとですね。100歩譲って専守防衛と考えたとしても。この上陸訓練は攻撃ではないのか。何でこれを沖縄でやっているのか。これは安保じゃないんじゃないの、ということです。

沖縄国際大学の事故のあとも非常に不気味でした。近くの中学校では、視覚でも墜落の危険を感じます。恐ろしいくらいゆっくり飛んでいます。墜ちないのが不思議なくらいです。それから爆音というのは耳から直接入ってきますので難聴の問題、子どもが生まれる場合のいろいろな問題もあります。それから鼻からも来ます。毒ガスです。実際に毒ガスの事故が起こりました。毒ガスは撤去したといっていますが、ほかのジェット燃料が去年たくさん漏れたんですが、調査拒否されています。これは地位協定だというんです。米軍が管理権を持っているので入れないというんです。日本政府は入らないでいいのかもしれないけれども、沖縄の住民にとってはたまったものじゃない。実は米軍の燃料が漏れると全部沖縄側に出てくるんです、民間地区に。これが民間地区に出てきた井戸の水で、燃えていますがガソリンじゃないんです。味覚でも、何か味がおかしいなと思ったら何かはいっているんじゃないのと思うものもあるということです、地域によっては。

それから104号線超えの訓練が移転しています。移転というと沖縄ではなくなったように思いますがそうじゃないんです。全国5カ所でやりますけれど、全部沖縄から運んでいって沖縄に戻ってくるんです。米兵も民間飛行機に乗っていってまた戻ってきます。わたしも大きめのシートのところに乗りますけれどもほとんど米兵が乗っています。料金は高いですよね、このお金はどこから出ているのか。身体が大きいから大きなところに座っているように見えますけれどもそうじゃない。それも迷彩服を着ていればおかしいと思いますが、ふつうのTシャツですから、観光に来たのかなと思うわけですね。

不発弾の問題ですけれども、去年首里で不発弾処理をしました。10時間かかっています。その時間、首里はすごく混んでいましたが、半径300メートルの範囲で、2850人が避難しました。これが年間たくさんあります。128キロ爆弾を年間30トン処理するというんですね。年間30トンということは約300回です。こうなってくるとほぼ毎日です。わたしの友人が東京大学にいますが、「今日のホームラン」ではなくて「今日の不発弾」という番組をつくったら日本全国がわかるんじゃないかといっていました。この不発弾は新しいもの、復帰直後のものが出てくると自衛隊は処理しません。やや新しい、日本のものじゃないものは技術的に難しい。そうすると自衛隊は処理しません。米軍は認めたくないからやらないんです。そうすると6か月ほったらかしにされるんですね。そういうものがあるんだということです。

沖縄の問題は皆さんの暮らしの問題

憲法と安保条約については、どんどん憲法が浸食されているんですね。これを維持するためにいろいろな法律ができている、周辺事態法や新ガイドラインや有事法制、武力攻撃事態法、国民保護法ができてどんどん憲法に書かれていないような住民の避難訓練、戦争があったときどうなる、ということが書かれてくるようになる。そうなると憲法の体系とまったく違うものができあがってくる。組織としては国家安全保障会議という、憲法とまったく違うのに軍事国家であるアメリカと同じ制度ができているということです。これは実はアメリカの方が安保条約で対等にというんだったらつくろうということで対応する組織をつくったんですね。保安隊も警察予備隊も自衛隊も全部米軍が絡んでできてきている。相互防衛援助協定の中で自衛隊ができているわけで、自衛隊は日本がつくったのかというと、つくりたいと思ったかもしれないし、喜んだのかもしれないけれどもきっかけは全部米軍であるということです。

沖縄にいる自衛隊は、米軍を守るという任務を担っています。米軍との共同訓練は、自衛隊員がのべ1万人、アメリカに行って訓練をする。この費用は当然全部税金から出ています。沖縄の場合にはいろいろな面で米軍基地と生活、社会が関わっている。米軍は沖縄社会の中でどっぷりとあるんですが、なぜこういうかたちになっているかというと、日本が支持しているということです。日本政府が沖縄にいるようにしている。出て行けといわない。いさせるようにしています。

沖縄の言葉で「みるくゆ」というのがあります。これは戦争がないどころか差別も病気も不安もストレスもない社会ということです。沖縄はよくのんびりしているとか長寿といわれるんですが、最近では男性の平均寿命が全国26位になりました。かろうじて1位を保っているのは女性の87歳です。男性は「26ショック」といわれました。沖縄の昔からの生き方といまの生き方はあっていないと思います。いろいろな恐怖と欠乏から免れるという言葉が憲法の中にあります。欠乏というのはいろいろなことがなくなることです。

戦争があると飢えが来る。沖縄戦がそうだった。沖縄戦は4月に上陸があって5月の半ばから飢えです。沖縄本島の中で何がつくれるか。食料は1年持つように決戦のために日本から運ばれてきた。ところが1か月半でなくなります。沖縄の人が大食いだったわけじゃなくて、これは実は消えたんです。艦砲射撃と爆撃があって隠したんです。隠した場所がわからなくなったくらい地形が変わったんです。あの大きな山の大きな木の根元に、たくさん食料を隠しておいたはずなのに、山も木もなくなった。こうして飢えが始まったわけです。

憲法が直接言っているのは欠乏から免れるということです。それは食料の飢えがないようにということですが、最近考えると人間関係が足りていませんね。人に対する配慮とか思いやりもなくなっていますよね。それから信頼とか人間性もなくなってきている。これはある意味現代的なものです。さきほどの不安、ストレスもそうですけれども、この憲法が言っているのは戦争だけじゃなくてもっと大事な人間の生き方を言っているということです。結局こういうことをなくしましょうと憲法はいっている。憲法だけじゃないんですね。憲法9条を守ることで莫大な軍事費を減らす、それが仕事にいったり福祉にいったりということです。軍事国家というのは必ず戦争を起こす、なぜなら財政が狂うからです。耐えられなくなって戦争になるんです。

沖縄では「基地外住宅」といいます、「基地の外にある住宅」です。これは本当にデラックスです。賃貸ですが家賃40万円くらいです。これは日本政府がみなさんから税金を取って出しているということです。仕分けをするならここからだろうと誰でも思います。沖縄の問題というのは実は沖縄の問題ではなくてみなさんのふところの問題ですよ、自分の暮らしの問題ですよ、ということです。よくよくみてみると本当にいろいろな税がそこに使われていっているんですよ。思いやり予算といっていますが、どこに思いやりが向いているのか。われわれが言っている思いやり予算は、アメリカに日本のお金がいっているということでしょうけれども、最近はアメリカは思いやり予算と呼ばないでくれと正式に申し入れています。それだったらどういう言い方をしましょうか。「強奪」でしょうか。ということで終わりたいと思います。ありがとうございました。(文責・編集部)

このページのトップに戻る


各地からの報告

集会は、高良さんの記念講演のあと、各地の市民運動からの報告を受けた。以下、文責は編集部。

渡辺ひろ子さん(築城/平和といのちをみつめる会)

みなさん、こんにちは。
遠いところから御苦労様です。築城というとご存じない方もおられるかも知れませんが、福岡県の小倉と大分県の中津市の間にある航空自衛隊築城基地での反対運動をずっとやっています。小さな運動を細々とやっているのですが、ご報告したいと思います。

私が築城で運動を始めて24年目になります。24年前に日米共同訓練が築城で行われるという発表があって、これになんとか一市民として反対したいということで、住民運動をやったことがなかったので(あとで失敗したなと思ったのですが)、つい松下竜一さんのところに一本、電話をかけました。全く未知の人だったのですが、住民運動といえば松下さんだろうと思いまして、「住民運動の仕方を教えてください」と。それがズブズブと底なし沼に落ち込んでいく第一歩だったわけで、それから24年間、もがきつづけております。

日米共同訓練を築城でやるということについては、私たちがそれまでずっと基地の問題について無関心というか、見ないできた、その結果がこういう事態を生んだんだなということで、私自身の責任として何かやらなくてはいけないという思いが強くあって、一歩踏み出しました。その後、「2の日の座り込み」というのを22年間つづけておりまして、先日、2月2日が261回目でした。

「2の日の座り込み」がどうやって始まったかと言いますと、1989年4月2日にF15が築城に配備されるというので、F15配備反対の「人間のくさり」というのをやりました。当時はまだ社会党や地区労というのが存在していまして、その人たちが動員をかけてくれて2500人が集まって、基地を包囲することをやりました。このまま終わってしまうと、私としてはよりどころがなくなるので、4月2日の2をとって、毎月2日に反基地行動の日ということで基地前で座り込みをはじめました。最初は動員があって、結構集まったのですが、これが1年もつか持たないうちに動員がおりなくなりました。あとは本当に少ないときは4人という時もありまして、これはもうダメかなと思ったこともありました。

しかし、市民運動の人たちが「あそこで座り込みしよるらしい」といろんな人たちが来てくれるようになりました。これもあちこちで呼びかけてくれた松下さんの力が大きいわけです。反原発の運動をやっている人たちなどがきてくれるようになりまして、22年たって、毎月、30人から40人の人たちが来てくれるようになりました。

地元の人はほとんど来ません。地元は基地の町で、自衛隊さんの顔色をうかがって生きていく人がほとんどなので、地元の人たちは気持ちはあっても行かれないということで、ほとんど来てくれません。私たちは「変な人たち」ということになっています。しかし、米軍再編の問題、普天間移転の問題ということで、米軍が築城基地をかなりひんぱんに使うようになり、それに対して戦後、一時期、米軍がいて、朝鮮戦争の時には大変な思いをした人たちがまだ生きていて、その人たちが中心になって自衛隊はしょうがないけど、米軍が来るのは困るという声があがりました。

行橋市の西側の高津校区というところでは自治会の会長さんの集まりが反対しようということで、「回覧板」で(回覧板でこんなことしていいのかなと思いますが)、反対署名を集めて、何万人の署名があっという間に集まり、防衛施設局に出すということがありました。また自治会長さんが動員をかけ、1世帯からかならず1人はだせということで、1000人集会というのもありました。

それから米軍がくるので、端がゆがんでいた滑走路をまっすぐにしなくてはいけないとか、新しく燃料タンクをつくりたいということで、基地の拡張問題が起こりました。農地だったので、農家の人たち、地権者は万々歳で「早く買って下さい」ということでしたが、自治会は反対決議をあげて、絶対反対だ、米軍が来る準備ではないか、まして危険な燃料タンクができるなどトンデモないと反対決議をあげて、それを受けて、町も議会も反対ということで、私はとてもムリと思っていたのですが、なぜか我々の言うことはちっとも聞いてくれないのに、防衛庁が白紙撤回するという異例の事態になりました。
  これも私たちの運動に直接参加してくれるのではありませんが、あそこに22年間、私たちが座り込みをつづけているというその事実が、地元の人たちのどこかにあって、ギリギリのところで、何か姿勢を正さなくてはいけないぞ、このまま流されてはいけないぞという気持ちを持ってくれるのに役に立っているのではないかなと、勝手に自画自賛しています。これからもあそこに座り込みつづけるということの意味をしっかり見つめながらやっていきたいなと思っています。

日出生台に明日も行きます。演習が始まってから毎回来ているのですが、これも松下さんが命がけで日出生台に全霊をかけて取り組んだという思いを、松下さんに受けた恩を返すという意味でも、日出生台から、足を遠ざけるわけにはいかないなと思っています。大学の先生やいろんな方がいる前で言うのは申し訳ないですが、市民運動は理論や思想ではなくて、義理と人情だといつもいっています。来てくれるんだから私も行かなくてはいけないとか、衛藤洋次が山の上でああやって孤立しても頑張っているんだから、見棄てちゃいかん、年に一回ぐらいは会いにいってやらなくちゃいかん、そういう感じで日出生台とも関わりつづけていきたいと思っております。

今日も東京から何人も来ていると思うのですが、物好きな(笑い)と思うのですが、3月2日の座り込みに国立市から、70代、80代のご高齢の婦人の方が3人、わざわざ、飛行機で、それだけのために来てくれるというのです。そんなたいそうな座り込みじゃないんですと、固辞したのですが、来てくれると言います。こうやって頑張って座り込みをつづけているとそういうふうに全国の人とつながりができてくるんだなあと思って、そういうつながりをこころの支えにして、地元では「困ったおばちゃん」と思われていると思うのですが、これからも頑張っていきたいと思っております。

ちょっと、宣伝ですが、私が描いた絵葉書を売っております。資金カンパということで、4枚組300円で2種類あります。できましたら、3部買って頂いて1000円だして、「おつりはいいよ」といっていただくのがベストですので、よろしくお願い致します。

田村順玄さん(ピースリンク呉・岩国・広島、岩国市議)

こんにちは。岩国からやってまいりました。ちょうどこの大分の海向いの反対側に岩国があり、晴れた日には、大雨が降った次の日などにはこちら側が見えるような気がします。近くには上関原発の現場があります。広島から約40キロしか離れていません。岩国基地、アメリカ海兵隊の基地です。

私は1945年8月12日に中国で生まれて、その後、岩国に来ました。私の年齢と一緒に岩国基地が君臨をしてきた町に住んでいます。

私は、「追跡在日米軍リムピース」というホームページを、基地のある町の市会議員5~6人で10数年前に立ち上げまして、その中におりおりの岩国基地の状況をほとんどUPしております。

岩国は海兵隊の基地です。岩国には井原勝介さんという有名な市長さんがおりました。さんざん国にアメとムチでいじめられまして、3年前にとうとう自分で辞職してしまいました。防衛省に49億円という補助金をもらって100億円の市庁舎をつくるということがありました。市長自らが住民投票条例を提起して、自分から発議をして、国が厚木からの空母艦載機59機を岩国に持って来るという提案に最後まで反対しつづけて、最後は住民投票を行って、圧倒的な多数の市民が艦載機の移転は反対だということになり、その住民投票は成功しました。しかし、そのわずか1週間後には平成の大合併ということで、その住民投票の結果も全て消えてしまいました。

その後、その年の暮れに庁舎の補助金35億円(その前に14億円もらっていました)を国がくれないということで、とうとう行き詰まりまして、辞職をしました。その後の選挙は勝つ予定でしたが、わずか1782票の差で負けてしまいました。そのあと、いま、40歳の市長がいるわけですが、井原さんが退陣したあとの岩国市には1週間後には35億円を国がさっさとくれました。日常的な行政経費は再編交付金という、再編を受け入れるという意志を示した新しい市長のもとで、着々と出し、あらゆる事業が順調に進んでいます。

3年経ったら、井原さんの威光は全てきえまして、来年1月12日に新しい市長の下で初めての選挙がありますが、井原さんは大変厳しいところです。井原さんはいまそういう状況ですが、とりあえず井原さんの奥さんが私たちの地域では初めての女性議員になるんだということで頑張っています。草の根の市民もこの井原さんの奥さんの選挙を戦っているという状況です。

日本政府は昨年の政権交代に際して、さんざん米軍再編は見直しだと打ち上げていまして、われわれも応援したわけですが、政権が代わったら北沢防衛大臣も、見直しどころかさっさと「岩国基地見直しは、旧政権が提案していたものをもう一回見直したら正しかった、だからその通りやります」と、そういう政策をすすめています。

すでに岩国基地には2500億円かけて、思いやり予算で滑走路を1000メートル、沖合いに出しました。そして昨年の5月29日に、新しい滑走路の運用をはじめました。厚木からの艦載機がくるために、毎年6~700億円の再編経費という予算がついて、基地の中には再編になった場合の新しい施設がドンドンできています。戦前にできた海軍の飛行場を使っていた海兵隊は、その思いやり予算で新しく1.4倍に拡がった基地の中に、全ての施設をリフォームして、配置換えをして、新しく全部入れ替えています。岩国基地ではそういうことが進んでいます。

合計約4000億円、岩国基地に投入するということになっていまして、岩国には岩国以外の町の土建屋さんが殺到しています。毎年6~700億円の予算が入ってくるのですから、ゼネコンや基地に絡む業者にとっては非常においしい話で、これがドンドン進んでいます。艦載機がくるという話とパッケージの米軍再編の事業の話がすすんでいる。

国は59機を岩国に持ってくるので狭くなる、岩国に迷惑をかける、だから岩国の海上自衛隊の17機を厚木に移す、それが思いやりですと提案してきた。すると岩国市民は市長も、議会をあげて、それだけはやめてくれ、築城の皆さんの自衛隊に対する闘いがありますが、岩国では自衛隊はいてくれ、米軍が来るのはカネにならないが自衛隊約3000人が岩国にいることはしっかりお金を落とす、だから岩国にいてもいいんだ、こういうような構図になってしまっています。

それから今日の話の中心ですが、私の自宅がある愛宕山という、約100ヘクタールのなだらかな丘があります。それが12~3年前から、岩国基地の沖合移設事業の工事のために約2000万立方メートルの土砂が要る。それを切り取って、跡地に5600人が住める町をつくる計画をした。そして約800億円の予算を使って、全部借金ですが、その山を切り開いて土を海へ出して、基地を拡張して、跡地にきれいな住宅地をつくることにした。その土砂だけ出し終わった時点で、バブルがはじけて、跡地はもう誰も買わないだろうということで住宅計画をやめる。その跡地をどうするかといえば、厚木からくる艦載機の米兵の家族のための住宅地をつくるという提案をしてきました。まさにわれわれを騙して、全くちがった方向に使われることになってしまった。

私たちはなんとかこの計画をやめさせなければならないということで、「愛宕山を守る会」をつくりました。たまたま私がその愛宕山の団地に住んでいるのですが、3年前からこの取り組みを進めています。去年の8月21日から、午前10時から12時まで月に3回、「愛宕山見守りのつどい」、1の日、1日、11日、21日に座り込みをやっています。毎回、50人から70人くらいの人が参加します。うれしいことに、この座り込みには地元のお年寄りや主婦や市民が毎回、20人から25人が出てくれます。この地域に私たちは「愛宕山に米軍住宅はいりません」という黄色いのぼりを約500本立てて、家庭の玄関には「米軍住宅はいりません」というステッカーを5000枚つくってはりました。おいでになったらわかりますが、周辺の部落に入ったら、一目見たら2~30本の旗が見えます。1年で色がさめるので、すでに3回、立て直しました。

なかなか岩国の話を全国に広めるというのは難しく、住民投票のときは全国からマスコミがきましたが、愛宕山でそういうことが起こっているということは、ローカルな話で全く全国の皆さんはご存じありません。

愛宕山を山口県住宅供給公社と岩国市が共同で住宅開発をやって、国から約400億円の土砂代をもらって団地を造ったのですが、途中でやめてしまいましたので、あとできた土地を分譲で売って、そのお金で愛宕山を整理する予定だったのですが、250億円の借金ができました。銀行で借りたカネなので、毎日毎日、1日約100万円の利子が付く。県知事は県民世論を盛り上げて、1日100万円の利子が付くのだから、早く防衛省に売って、米軍住宅にしてもらえば借金も全て棒引きになるからいいじゃないかといっている。私たちにとっては、こんな提案をのめるわけがない。

昨年9月に国が提案してきたのは、売る対象の用地が約45ヘクタールある、このうちの15ヘクタールに米兵のためのスポーツ施設をつくる、野球場、トラック、サッカー場、体育館を造る、そのエリアは身分証明書もナシに使える市民の利便施設にしますので、許して下さい、残りの30ヘクタールは将校用に270戸建てる、本当は1100戸くらい要るのですが、残りの900戸は基地の中のゴルフ場をつぶして下っ端の兵隊の宿舎を造る、だから高級将校の住宅ですから、上品ですから大丈夫です。こういう提案でした。私たちはトンデモナイ、そういう思いやり予算で米兵のためにスポーツ施設を造る必要はないといって、裁判に訴えています。

岩国ではいま4つの裁判をしています。1つは終わり、3つの裁判が進んでいます。沖合移設事業の埋め立てを無効にせよという裁判は私が原告団長です。愛宕山の新住宅市街地開拓事業をやめたこと、もともとの事業をやりなさいと言う裁判、もう一つは爆音訴訟です。その3つの裁判の口頭弁論が続いています。

愛宕山で1の日に座り込みをしています。午後には岩国基地のフィールドワークをやって案内します、夕方帰るつもりで、ぜひおいで下さい。

もう一つ、最近私が見つけたことです。5月29日にできた新滑走路の、誘導路にアレスティング・ギアという飛行機を強制的にワイアでとめる装置がついている。どういうことかというと、誘導路も滑走路に使うということです。新しい滑走路の両側に誘導路が2本できるのですが、岩国基地に59機増えて、海兵隊の飛行機と海上自衛隊の飛行機と、全部で130機の飛行機が2014年には岩国基地にそろう。ということは大変煩雑になる、輻そうするということです。滑走路で事故でもあれば、空に飛んでいる飛行機が降りられなくなる、そういう時にどこで降りるかと言えば、誘導路を使う。

厚木からくる艦載機、空母が出る前にはNLP(夜間離発着訓練)をやる。しかし、2年前に政府はNLPの場所を硫黄島からどこかに変えると言っていますが、いまだに発表していません。2014年に艦載機が岩国に来たときに、もう訓練する場所がなくなる。空母は出さなくてはならない。5000人の兵士が乗っている空母は1日、延ばせば大変なことになる。そういうときに誘導路を使ってNLPをやることがあり得るのです。いまの岩国基地はわれわれの手が届かないところで、どんどん既成事実として新たな運用が始まっている。

沖縄で辺野古に新しい滑走路を造る計画がありますが、岩国の沖合でやったそのままの図面をあてはめている。水深13メートルの岸壁もできましたが、辺野古だってそうでしょう。弾薬庫もそうです。米軍にとっては日本政府のお金を使って、どんどん、機能的な施設を造っていくことが狙われている。そういうことが集約された基地が岩国ではないかと思います。戦後65年経って、世界でも、滑走路、格納庫、監視塔などを新設した新しい基地を造ったというのは岩国以外にないと思います。これは全国の人びとにも関心を持って頂いて、岩国基地の機能強化をみんなで阻止して行かなくてはならないと思います。

最後ですが、先ほど言いましたように「愛宕山を守る会」というのをやっています。昨年9月7日に、私の一級年上の、部落のすぐそばにいる恩田さんというかたが、ちょうど防衛副大臣が岩国に来て愛宕山の住宅計画を説明しに来る日の朝です。岩国基地の米兵軍属に殺されてしまいました。4000人もの米兵が新たに岩国にきたら、そういうことが日常的に起こるということを予言させるような事件があったということも付け加えておきたいとおもいます。
ありがとうございました。

中北龍太郎さん(とめよう改憲!おおさかネットワーク)

私は今日、この交流集会に参加してよかったなあと思っています。
松下竜一さんや梶原得三郎さんが、「暗闇の思想」で豊前火力の闘争で奮闘されていたことは知っておりましたが、お二人が日出生台の運動も支援されていたことは今日、はじめて知りました。交流集会、素晴らしい機会を設けて頂いてありがとうございます。やはり大きな意義がある憲法の交流集会だったと思います。

いま、基地と懸命に闘っておられるお二人のお話を聞きました。一方、私がいる近畿地方は米軍基地がなく、なかなか反基地の闘いがしづらい地域です。そういうなかでどのように反戦平和の運動を進めていくかということで、仲間たちと相談して、ひとつは沖縄をはじめとする米軍基地と闘っている方々としっかり連帯していく活動をしてきました。まさに基地というのは安保が具体的に見える形で表れた姿です。安保問題を考えるときに、基地の問題をぬきに考えるのは市民にとって難しい問題があります。そういう問題を克服するために、昨年も沖縄や岩国から来て頂いて交流会を開いてきました。

高田さんの発言にもありましたが、いま政府のほうは安保と、基地、改憲の問題をひとつの問題として強引に進めています。そうであるならば、私たちもこれらの3つの課題を三位一体の問題として取り組んで行かなくてはならないとおもい、そういう視点で取り組んで来ています。「市民連絡会」の会報でも書かれていますが、いま、菅民主党政権が進めている動きは、安保の再々編、2度目の再編であるとおもいます。1度目は、日米軍事一体化、自衛隊の海外派兵体制化、外征軍化を進めてきたものと思います。それをさらに飛躍的に強化されているのが現状だと指摘されています。すでに防衛大綱で、動的防衛力というあらたな概念が打ち出されています。専守防衛から、自衛隊を海外で展開する方向への変質が民主党政権のもとで堂々と打ち出されています。そして6月には訪米して米国大統領と約束を交わす方向が進められています。

沖縄、岩国、日出生台、いずれも安保の強化が米軍基地の再編強化となって、具体的な姿を現していると思います。こういうなかで、自民党の改憲路線がいったんは破綻したにもかかわらず、民主党が自民党と見まがうような、課題によっては自民党よりよりタカ派の軍事政策を進めている、こういう状況はまさに安保翼賛体制が事実上、成立している状況を示しているだろうと思います。この動きが進めばいずれ9条改憲へつながることは間違いないと思います。

安保、反基地、反改憲を、私たちは自覚的に三位一体の課題として取り組んで行く必要があるだろうと思います。そして、安保の再編強化にたいして、沖縄のねばり強い県民一致した闘いが進み、辺野古新基地は簡単にはつくれないという状況が進んでいます。本土でも先程来報告がありましたような運動がつづけられています。安保の強化にこうした闘いを持って反撃して行く必要があります。

もともと改憲は権力がすすめるものです。これを許さないのも民衆の権利であり、責務だと思っています。この自覚と誇りをもって、権力に立ち向かって行きたいと思います。

お手元の「関西共同行動ニュース」で昨年の私たちの取り組みの報告を載せております。昨年の取り組みを踏まえて、ことしもさらに運動を発展させていきたいと思っております。2月13日は饗庭野で日米共同演習が予定されており、800人の結集で抗議する行動が予定されております。翌週、2月19日は「とめよう改憲ネット」の総会と講演会を、沖縄からダグラス・ラミスさんをまねいて行う予定です。

本日の高良さんの講演は、本当にストンと胸に落ちました。基地があるところ、基地と闘ってきたところだからこそ、憲法9条の意味が本当にリアルにわかっておられる、そのことがよく伝わってきました。

反基地、反安保、反改憲の闘いを一緒に闘っていけたらと思います。私も明日、はじめて日出生台の闘いに参加させて頂きますが、今後、日出生台、岩国など、西日本の闘いが連帯して進められたらと思っております。ありがとうございました。

宮崎優子さん(大分/赤とんぼの会)

全国からお集まりの皆さん、大分へ、日出生台へ、本当にありがとうございます。
明日はぜひみなで日出生台に登って行きましょう。今日は浦田さんも来ていますし、明日は洋ちゃん、衛藤さんにも会えると思います。

「赤とんぼの会」ですが、松下竜一さんもはじめの頃、事務局をしていました。赤とんぼの会の名前も、砂川の基地闘争で座り込みをしているときに自然発生的に赤とんぼの歌が歌われ、ジワジワと拡がり、大合唱になったんだそうです。松下さんが、そのエピソードを話されて、自発的な活動、心からの活動、みんなで力を合わせて、長く頑張ろうという思いを込めて、赤とんぼの会を作ったんだよとご自身からお聞きしました。先ほど映像がありました、竜一さんのお写真を見ると涙がでてしまいます。

赤とんぼの会はもう29年になります。大分県下の5紙に8月15日、敗戦の日に一面の意見広告を出します。だいたい3000人くらいの方たちが協力して下さっています。毎年毎年、みんなで智恵を出しながら頑張ってきました。

去年、28回目の時にとんでもないことが起こりました。「事件」としか言いようがないのですが、読売新聞社からクレームがついたのです。

意見広告の一番下に、毎年、その年に気になったこととか、みなさんにお知らせしたいことを文章で書いていました。そこの文章が問題になりました。会報で比べて頂くとわかりますが、「読売」は一部白抜きになっています。びっくり仰天したんですが、何が問題になったか今でもわからないんですよ。応援者のかたからメッセージが届くのですが、その中で中国で戦争体験をした方からのお便りで、中国で上官の命令で捕虜を銃殺したという経験があり、それが未だに自分を許せないし、家族にも話していないというお手紙がありました。そういうお便りがきていますと、ここに書いたのです。

その「銃殺」と言うのが刺激的すぎるというのです。もう一つはソマリアの問題で、ジプチに自衛隊が基地を造っているというのが外電で流れたので、そのことを書いたのです。それが「確たる証拠がない」というのです。変だと思うんです。外務省に電話一本して確かめればいい話ですね。大分の仲間が外務省に確かめているんです。ただ、外務省は「基地」といういい方はしません、「自衛隊の根拠地です」とおっしゃったそうです(笑い)。言葉の問題です、軍艦を護衛艦というような問題ですね。そこらへんのおばさんが言うんじゃないんですよ、読売新聞の西部本社の広告審査部の方がおっしゃるんです。それも直接ではなくて、広告代理店をとおして「広告審査基準に合わない」と私たちに言ってきたんです。私たちは2回、質問状を出しました。「広告審査基準ってどういうものですか」って。当たり前の質問です。まるでロボットが答えるように同じものが、2度送られてきたのです。これはしょうがないなと、西部本社を相手にしてもしょうがないと思い、いろんな市民のメディアに伝え、報道してもらいました。

8月15日の私たちが意見広告を出した日の同じ読売新聞の「編集手帳」という、朝日の「天声人語」のような欄があるんです。そこに「昔は、戦時中ははっきりものが言えなかった。いろんなこと、はっきりものが言えないから替え歌で言っていたんだよ」という文章があるんです。そこを読ませて下さいね。「暗号のような替え歌や俳句でしか、ありのままの心情を語れない時代があったことを、言論の末席につながる者として忘れまい」、ねえ、えらいでしょう。「鎮魂と慰霊の日は、声の無事を確かめる日でもあります」、いい新聞ですねえ。ホントにびっくりしました。

なんという酷いやり方だと思って、私はホントに落ち込んでしまいました。読売にとても強い人、ナベツネっていうんですか、渡辺恒雄さん、会長さんだそうです。抗議文とかだと伝わらないというので、私信を出そうと思っていたのですが、落ち込んでいて書けませんでした。

この集会で何か私が報告をしなくてはいけないということで、漸く、昨晩、渡辺さんに手紙をかくことができました。ありがとうございました。

このページのトップに戻る


沖縄の米軍訓の本土移転は有事体制への備え 日出生台演習場での米軍砲撃訓練練について

浦田龍次さん(ローカルネット大分・日出生台/NPO風のはらっぱ)

米軍の砲撃訓練を止めさせるための住民運動

NPOをやっている浦田です。僕はですね、この湯布院という町で生まれまして、その後東京に行ったんですけれど、5年ほど前に帰ってきました。帰ってきて1年後に米軍の問題が起きました。日出生台演習場は湯布院と玖珠と九重という3つの町にまたがっているんですけれども、その3つの町の町長を代表とする反対組織ができまして、官民一体の反対運動としてやってきました。結果的には、国の強硬姿勢、当時の久間防衛庁長官がやってきて国の責任でやると押し切るという形で米軍の訓練を始めました。

明日からは8回目の実弾訓練が行なわれるわけですけれども、過去7回、実際にこれまでどのように行なわれてきたかという問題があります。この映像は上空から見た日出生台演習場です。初夏の頃には緑が広がった風景が見られますが、今は真っ白です。日出生台演習場の広さは4900ヘクタールで東京ドームの1000個分で、着弾場の射程は約4キロです。

監視小屋での監視そのものが抗議の意思表示

普段は自衛隊が演習をしていますが、年間330日の演習日程で、うち230回実弾演習をやっています。そこに米軍が1ヵ月ほど滞在して、実弾演習を最大で10日間行なうことになっています。その演習場を見下ろす高台に「日出生台監視情報センター」という監視小屋を建てまして、僕らは毎回監視しています。そこで米軍の演習を監視するわけですけれども、その意味は、訓練の変化や 部隊のチェック、演習の状況をチェックしています。国はこの米軍の演習を始めるに当たって、幾つかの約束をしています。実際には、それを毎回どんどん破りながら拡大しています。

2番目が、監視小屋を設置して監視行動をしているという、そのものが抗議行動になっているのです。3つ目が、皆様方、激励とか訪問者の受け入れるための小屋がもう一つありまして、それはピースカフェ、「日出生台ピースカフェ」となっていまして、お茶とか、軽い食事も出しています。

もう一つはマスコミへの対応です。こに来る人の9割はマスコミ関係者です。日出生台は、今日は暖かいですけれども、冬は昼間でも曇っているときは氷点下になります。マスコミも取材を続けようと思ったら、とんでもない寒さなんですね。寒くていられないような状態で、マスコミも映像を撮らなければならないので、監視小屋に来て監視するということになっています。そうゆう接触の中で、僕らがどういう思いで反対しているか、どういう形の運動なのかということをマスコミに理解してもらえるのではないかと思っています。

米軍は次第に訓練内容の拡大を求める

7回目から、米軍はこれまでとは違うことを要求してきました。小銃・機関銃などの小火器を訓練で使用したいという要求です。何ということはないじゃないかと思われるかも知れませんが、実は米軍の訓練は155ミリ榴弾砲しかやらないということで始められたわけです。沖縄の104号線越えで行われていた訓練が危険だということで本土に分散されることになったのです。

小火器、小銃・機関銃とはいうけれども、155ミリ榴弾砲に比べれば小さいかも知れないが、かなり大きな機関砲がその中に含まれています。結果的にはこれを受け入れさせられました。ほとんどあらゆる武器を使った訓練ができるようになると、僕らは考えています。これは日出生台だけでなくはなく、本土の5ヵ所のすべての訓練場で行われるようになります。
  日出生台は本土の5ヵ所の中で唯一米軍使用協定を結んでいます。その中で、米軍が155ミリ榴弾砲しかやらないということになっていたんですね。他の場所は協定はないけれども約束事項として155ミリ砲以外はやらないということになっていました。日出生台では協定があったわけだけれども、突然米軍が要求してきて、結果的には協定そのものが書き換えられてしまいました。協定は歯止めだから心配はないといわれていたけれども、歯止めの意味がなくなりました。

惨虐兵器「白燐弾」の射撃は無届け訓練

2010年に、「照明弾」を日出生台で初めて使用しました。6回は使用しなかったけれども去年初めて使いました。それから「白燐弾」を使用しています。これは監視小屋から撮った写真です。新に行なわれた訓練で、3度の火災が発生しました。今まで米軍訓練では1度も火災は起きていなかったんですが、新しい訓練が行なわれるようになって火災が起こるようになりました。しかし、その因果関係は解明できていません。県はなかなか拡大ということを認めません。国を相手にして非常に腰が引けています。

これは去年2回目の「白燐弾」が撃たれたときの映像ですが、この日はマスコミに対する公開訓練の日でした。そんな日にはおとなしくしているのではないかと思ったんですけれど、念のためにビデオとカメラで撮っておこうと構えていたら、朝いきなり撃ったんですね。この写真はマスコミが撮ったんではなく、監視活動をやっていた人間が撮りました。なぜマスコミが撮れなかったかと言いますと、マスコミの公開訓練なのでマスコミを集めてバスに乗せようとしていました。その時間帯に撃ったんですね。それでマスコミは撮れなかった。

マスコミを翻弄した「白燐弾」の射撃

これは7連射、同じ日です。監視小屋から撮ったんですけれども、「白燐弾」の7連射は監視活動をしていた僕らが撮っていて、マスコミはどれも撮れていません。なぜかというと、今度は公開訓練が終わって引き上げるバスに乗っているときに撃ったんです。何でそんなことをしたのかはよく分かりません。このときは、結果的に僕らの監視活動がなければ表に出ることはなかったでしょう。その意味でやっぱり監視することは、非常に重要であるということを再認識した場面でした。

「白燐弾」については、詳しい方もいるかと思いますが、少しだけ説明します。空中で爆発して子爆弾になって拡散してその落ちたところで更に燃え続けるという爆弾です。煙幕として発煙弾という言い方をされて、煙が目的だと言いますが、実際には戦場ではこれ自体を直接住宅地とかいろいろなところに撃ち込んでいます。その被害があまりに酷く、焼き尽くす兵器として、非人道的兵器といわれている兵器です。まさか、こんな時に目の前で繰り広げられるとは予想もしていなかったわけですけれども、ビデオで映すことができました。

これは同じ日の日出生台での白燐弾ですけれども、北海道の矢臼別で一番最初に使われ始めました。地元の人たちはこれをタコクラゲ爆弾と言っていまして、白燐弾ではないかと国の役人にずっと言ってきたんですが、なかなか認めませんでした。それがですね、2年前くらいに認めました。東富士で行なわれている訓練でも白燐弾を使って、これは2000年からやっています。これは一時間以上燃え続け、当然山火事が起きちゃっているわけです。

人体を焼き尽くす非人道兵器の「白燐弾」

白燐弾について、1つだけテレビ・ニュースで放送しています。イスラエル軍がアメリカ製の白燐弾をパレスチナのガザ地区の中心部に撃ち込んだものです。

「イスラエル軍が、空中で爆発して白い煙を振り撒く白燐弾と見られる兵器を使用していることが分かりました。この白燐弾は人体に触れると高温を発して骨を溶かすほどに激しく燃え上がるという極めて恐ろしい兵器です」。「夜が明けたガザ地区で、爆撃は止まない。今回の攻撃で繰り返し現地から映し出される炎の雨。まるで花火のように見える爆弾がいま問題視されている」。「国際人権団体、ヒューマン・ライツ・ウォッチはイスラエル軍が白燐弾といわれる兵器を使用している可能性が高いと批判している。現地で活動している医療NGO職員に聞くと、(~現地インタビュー)。白燐弾とはどんな兵器なのか。白燐弾は空中の酸素と反応して発火する爆弾。燃焼する温度は2500度。骨まで約尽くす惨虐兵器といわれる」。

まあ、こういったものなんですね。まさか僕らの故郷、この日出生台、地元の土地を使ってですね。こういうものまで行なわれるとは思っても見ませんでした。

これはガザ地区に撃ち込まれたのですが、イスラエル軍がM825という同じような白燐砲弾を使っています。アメリカ製で、同じものを使っていますね。ネットを見ますともの凄いものが、本当にこれは酷いんだというものが出てきますけれども。やっぱり撃ち込まれている現場がどうなっているかを知っておかないと、なかなか演習だけを見ていますと、何でもない派手な砲弾に見えるだけなんです。

イスラエル軍は国連学校に「白燐弾」を撃ち込む

イスラエル軍がガザ地区の国連学校に白燐弾を撃ち込んだときの写真です。白燐弾が炸裂して人々が逃げ惑っているところです。水をかけても消えない。学校の中はこういう状況です。この砲弾を日出生台で砲撃練習をしています。練習なしに戦争は出来ないので、結果的にこれを認めることは戦争を許すことになるという気がします。こういう風に訓練が拡大して来ているのですが、県はなかなかそれを認めません。国も拡大を言いません。

それで言わないときに、すり替えの言葉が沢山出てくるようになりました。当初、僕らに説明したのは155ミリ砲実弾射撃訓練の移転という説明でした。ところがいまはこういう風に言っています。「キャンプ・ハンセンの米軍訓練の移転」。これだったらキャンプ・ハンセンの訓練はいろいろなことが行なわれているわけですから、そのすべての訓練が移転されてしまう危険性があるんですね。それから、「沖縄の米軍訓練の移転」。ここまで言われる危険性があります。

「白燐弾」射撃は拡大ではないという県行政

国が本土の5ヵ所で訓練するときは、実弾演習は最長10日間となっているけれども、いままでは最長9日間でした。去年初めて最長のぎりぎり一杯10日間実施しました。砲撃数も日出生台では過去最多で699発撃ちました。僕らのカウントでは603発だったんですけれども、後で発表されたのは699発で、僕らは控え目に数えたなということです。

これは「照明弾拡大は明らか」という地元の大分合同新聞の記事です。拡大は明らかというのは括弧に入っています。これは僕らが言っているという意味なんですね。県は「拡大じゃない」といっています。では、県は容認しまくっているかというとそうではなくて、こうゆう表現を使っています。「将来的な縮小・廃止を求めている」。僕らが県に要請に行きますと、必ずこういうんですね。この意味は、「今はやってもいいよ」という意味になってしまうんじゃないかと批判しています。

訓練はSACO合意の範囲内というウソ

自衛隊のやっている訓練は年間330日です。だから、「自衛隊がやっているからいいだろう」という言い方もよくするんですね。国が言っていたのは、思い出してみると、沖縄の県道104号線を越えてやっていた155ミリ榴弾砲のみだったはずです。それでこういう風にすっと言われると、僕らは惑わされるんですね。「SACO合意の範囲内」という言い方、最近これが一番多いです。こういわれると、SACO合意は何でもいいといわれている感じを僕らは持っちゃうんですけれどね。マスコミも思わずそういう風に受け取って、同じ表現を直ぐに記事に書いてしまうんです。

では、SACO最終報告には何と書いているのかといいますと、「県道104号線越え実弾砲兵射撃訓練」について、「平成9年度中にこの訓練が日本本土の演習場に移転された後に、危機の際に必要な砲兵射撃を除き、県道104号線越え実弾砲兵射撃訓練を取り止める」この一文だけです。移転したら、沖縄で行なわれていた県道104号線越えの砲撃は止めますよ、これだけがSACO合意の最終報告に書かれているものなんですね。だから、「白燐弾」をやっていいというそういった表現は全然出てこないんですけれど、こういった上手な表現を使って拡大の誤魔化し、すり替えが行なわれています。
  日出生台演習場の訓練は、当初沖縄と同質同量、あるいは沖縄の痛みの分散移転という大義名分で移転をしました。けれどもいまや米軍が必要とする訓練、日米安保に必要な訓練、これは米軍の表現ですけれども、そういうものを行なう場へと変わってきていると、こういう風に思います。日出生台については以上のような状況です。

米軍訓練の本土への分散化は有事体制の訓練

もう一つ、この訓練で見過ごしてはならないポイントがあると思っています。米軍の訓練というのは、米軍だけの訓練ではありません。徹底した民間の動員が図られます。これは大分空港、県が管理する民間の空港ですけれども、民間のチャーター機、これは日通が手配しています。こうやって米軍兵士が軍服で降りてきて、大分空港からは地元の民間のバスに米兵は乗って、前後を警察の車輌がついて高速道路に入ります。

これは大在埠頭です。沖縄から民間貨物船に乗って、155ミリ砲がいま降ろされようとしています。日通の車輌、トラックから装備を降ろしています。降ろしているのは米兵ではありません。港湾労働者が降ろしています。これらの人たちは、米軍訓練が行なわれるまで、直接武器を扱ったり、荷降ろしするようなことはありませんでした。本来は武器に触れることのない人たちが、毎年武器に触れるということが、日出生台もそうですが、本土の5ヵ所の場所で繰り返されています。
  毎年こうやって監視していますけれども、因みに、いまのは155ミリ砲でしたけれども、米軍の車輌もここで降ろされて港から高速道路を行くわけです。沿線には警察官がいて、米軍を最優先して信号操作を行ない、ノンストップで高速道路に入れるということが、行なわれてきました。ただし、去年と今年はここまではやらなかったそうですが、こういうことが行なわれています。それから米軍の弾薬の輸送は、佐世保から日通のトラックに乗せて運ばれます。「火」という、火薬を積んでいますというマークを前後につけています。

沖縄では米兵のものを乗せるのは米軍のバスであったり、トラックであったり、輸送用のものであり、沖縄では米軍が運んでいます。弾薬も155ミリ砲も米軍が牽引トラックで運んでいます。その意味で本土の訓練の特徴というのは、日本の民間が徹底して動員されていると思います。

昨日も、高良先生のお話にありましたように、この5ヵ所の訓練は、民間を総動員した有事協力訓練となっています。法律だけでは機能しないということで、こういう実働訓練を行なって来たわけですね。

日出生台から離れたい住民には移転費用を支給

今日、日出生台に行って戴きますので、現地の衛藤洋次さんのお話があると思いますが、地元の演習場周辺は、ほとんどの地域で移転補償というのが適用されています。赤い線が日出生台の演習場の枠です。その外の黄色いところ、これがほとんど移転補償区域になっています。今日行って貰うところの目の前の地域はすべてここに入っています。2001年から始まりまして、移転補償の最初の家が取り壊されました。壊すのは自分で壊して、壊しましたよという申請を国にして、初めてこれが適用されるのですけれども、144世帯ある内の20世帯が既に適用され、1割を超えています。

これが始まった当初の記事ですけれども、地元の人にとっては訓練そのものよりも、移転補償措置が、これが一番不安だったのです。それでなくても、過疎化している地域に対して、国がこの措置を出してきました。これは強制ではないんです。強制ではないんだけれども、希望すれば国がその移転費用を出しますというわけです。高齢化している地域で、息子とか娘とかは都会に行っている人が多いんですけれど、まあどこも経済は厳しいですから、「これを貰って家においでよ、おじいちゃん、おばあちゃん」ということで移転する人が、いま増えてきているんですね。

微力であっても無力ではない

そういう形で行なわれて来ているこの訓練に対して、僕らは大きな声を上げています。この記事は今年の1月30日ですね。雪の日出生台ですけれども、抗議行動です。本当はですね、先発隊が入る最初の米軍訓練が入るというので、地元の「大分県平和運動センター」に大動員をかけて貰いました。しかし、大雪が降っちゃったんですね。組織動員は途中で何か起きるとそちらに対処しなければならないので中止になったんですね。そういうことで大きな集会そのものが中止になり、僕らの住民運動は13人ぐらい。衛藤洋次さんは4人ぐらい集まればいいか、なんて言っていましたけれども、こんなに沢山集まりました。

僕らの組織、ローカルネットというのでやりますけれども、全然会費も取らなければ、メンバー制でもないんですけれども、集まった人たちだけで大体こんな感じでやります。その時何か起きたときにやれる人がやれること、やれる分だけやろうというようなものです。

私たちの力は微力ではあっても、無力ではないというふうに考えています。微力というのは威力があるという風に思っています。この表現ですけれども、微力こそ効き目があるというふうに勝手に思っています。

米兵が巷で酒を飲んで回るのも公務

米兵の集団外出というのが、演習終了後に行なわれます。これについて少しだけ話します。米軍指揮官は集団外出についてこう言っているんですね。「外出を含めて、展開から撤収まですべて公務である」と。どういう意味かというと、すべてを日本の費用で税金でお世話しますということです。だから、外出は彼らのいう公務なのでフリーの自由な、私人として外出しているわけじゃないんですね。実際防衛局がすべてお世話し、ずっとついて回ります。

本来、本土の5ヵ所への移転というのは少女暴行事件というのが95年に起こりまして、それに対する怒りが爆発したのを受けて逆手に取るような形で、米軍の訓練が本土に移転して行ったわけなんですけれども、そういう経緯からすると、やっぱり治安問題というのが僕たちの一番の不安だったんですね。そこを聞かれたときに国はこういう風に説明したんです。「米軍は最高度の規律を確保する」。そして防衛局の職員、当時は防衛施設局の職員が同行する。だから大丈夫だ。という風に言ったんですね。実際にはどういう風になったかといいますと、99年の日出生台での最初の訓練の演習終了後の外出の状況です。

3日間の外出は別府で行なわれたんですが、夜中まで外出しています。1回目は問題は起こさないと思っていたんですね。ところが初日からもうぐちゃぐちゃだったんです。いまから見て貰いますけれど、僕らは、ビデオとか持っていなかったんです。あまりにも酷いので僕らはビデオを買わなくちゃいけないということで、現場でビデオを買いまして撮りました。

米兵の無銭飲食も税金で補填する防衛局

外でいろいろなことが起きていたんですね。米軍兵士同士のグループの喧嘩が、別府の街の路上で起きているというので急いで向かいました。もうグループは分かれていたんですけれども、残っていた1つのグループを防衛局の職員は遠巻きにして、近寄れないという状況でした。カメラも近寄るのはさすがに怖いので遠くから撮っています。で、上官が何をやっているんだと近づいて来て、収まりました。それから、兵士が近くのトイレでぶっ倒れているとの通報を受けて運び出されました。佐世保から犯罪捜査官が来ていて、右側の男がそれで、何か起きたときに、日本の警察官が来るより前に確保するということをやっています。店の人は「店の入り口で困るよ、こういうことは」と言っています。これが彼らの最高の規律の状況です。1回目からこういう状況が繰り返されました。

3回目の訓練では、別府市のカラオケ店で無銭飲食が起きました。警察が出動しました。しかし、何と防衛局の職員が肩代わりをしちゃったんですね。これは親告罪ということで、警察は呼んだんだけど取り下げますと。お金は国が出してくれたので店としては赤字もないし、それでいいということで取り下げたのです。だから、未だに日出生台では1件も外出に伴う事件は起きていない、というふうに県とかは言うんですね。沖縄でもいろいろな事件が起きていますけれども、危惧する事件が起きかねない状況というのは1回目から3回目までずっと起きています。本土の5ヵ所もそうです。こういう状況で僕らは外出は止めてくれと、国に言って来たんですけれど、それでも外出しています。

昨年はこの米軍外出が、福岡のキャナル・シティで行なわれました。別府の外出は私たちは何処に何があって、行くとしたらどの辺だと言うのは想像がつくんですね。ところが福岡のキャナル・シティは余り行かないこともあり、巨大すぎることもあって、何処に行っちゃったのか、何が起こっているのか全く分かりません。なので彼らは自由に外出行動を行なっています。

「御守」にメッセージを託す運動

であれば、彼らに対して直接アプローチして行こうじゃないかということで、外出する米兵にこういうものを渡しました。「御守袋」です。御守袋を渡しますと彼らはなんだろうというんで直ぐ中を開けるんですね。それでこのようなメッセージの入った「御守」を渡すんです。

御守 a good-luck charm

皆さんが誰かに殺されたり、誰かを殺すことなく、また皆さんの軍事基地や演習で誰かを苦しめることなく、故郷に無事に帰り着き、家族とともに幸福に暮らすことができますように……。

そして、あなた方米海兵隊員と この地域に暮らす私たち住民とが 真の友達となろうとする上で 最大の妨げとなっている 米軍基地や演習が この地からなくなることを 心から願っています。

May you never kill anyone, and never be killed by anyone. May no one suffer from your military bases and exercises. May you go back to your hometown, and live with your family and friends peacefully. 

May there will be no U.S.Base and U.S. Military training here, which is the biggest obstruction to make a real friendship between each of U.S.Marines and residents living here.

彼らは縁起を担ぎます。戦場で何が起きるか分からないので、こういう御守りに興味を示し、よく受け取ってくれます。貰っていなかった米兵が、僕は貰っていないから頂戴と言ってくることもあります。何でこれを始めたかといいますと、始めはいろんな直接メッセージを渡していたんです。そうすると米軍の指揮官が「お前ら、貰ったものを全部回収する。渡せ」と言って集めてまとめて返してくるんです。それではイカンということで何とか方法はないかと考えたのが、このようなものだったわけです。因みに「御守り袋」は、抗議行動とかには直接出られないけれど、裁縫は得意なのでと、毎年200個くらい送ってくれてます。もう一つ、「GIライツ・ホットライン」という、米兵の人権を守ろうというのがアメリカにはいっぱいあるんですね。兵士といえども実際には人権がありますよと。契約時に書かれていないようなこと、イラク派遣とか、本当は拒否することができるんですと。あるいは暴力とかを受けたときにはちゃんとした対応をすることができます。その組織はこちらですので、是非連絡してくださいというような内容です。亡くなられたアレンさんにメッセージを作ってもらって、こういう御守りをつくりました。

訓練内容の拡大のために情報を隠す行政

弾薬輸送の日程というのは最初から出なかったんですけれど、その後は外出の日程が出なくなり、米軍の車輌、155ミリ砲の搬入の日程が出なくなりました。日出生台は辛うじてぎりぎりに出ますけれども、米軍はいつ来るか、いつか帰るか。本土5ヵ所の米軍訓練の状況がどんどん出なくなっているんですね。訓練拡大が進むと同時に、情報がどんどん出なくなっています。そういう状況がいま起きています。

情報が出なくなった理由はですね。記事によりますと「テロの危険性」があるから情報を出さないのだと言っているんですね。よくもこういうことをぬけぬけと言うものだと思いますけれども、情報は出さないけれども訓練はやると、あるいは外出はいままでやったようにやるというわけです。危険ということは知らさなければいいだろうというようなんですけれども、情報を出さないといった状況で福岡に行っています。今年も福岡に行くのではないかと見ています。

「民衆に平和」を実現するために去年の映像です。演習が始まる初日に僕らはいつもピース・キャンドルをします。この後ろが日出生台演習場ですけれども、日出生台演習場を見下ろす高台にロウソク500本を買って去年は「PEACE ON PEOPLE」という風に平和のメッセージを出しました。人々に平和を、民衆に平和を、ということですね。どれが一番大事かということではなくて、本当に沖縄とか日出生台とかそういう地域の人々に対して、平和のアピールを出していこうということです。

沖縄65年、基地と隣り合わせと良く言われます。日出生台は1989年から110年余りにわたって演習場にされています。沖縄もそうですし、日出生台もそうですけれども、いま生きている人たちの多くが、生まれたときから、基地と隣り合わせ、常に演習や武器とかいうものを目の前にして生きてきたわけですね。平和ということがいわれる中で、地元にとって本当に平和があったんだろうか。こういう状況はそろそろ変えるべき時期だろうというふうに思います。いま、この写真でいつもお話をしているわけですけれども、後は演習場でお話をしたいと思います。どうもありがとうございました。

沖縄から移転した本土の砲撃訓練演習場は、大分・日出生台演習場、静岡・東富士演習場、山梨・北富士演習場、宮城・王城寺原演習場、北海道・矢臼別演習場の5ヵ所。 (文責・半田隆)

このページのトップに戻る


牛を飼いながら、ここ日出生台で声を上げていると、 たくさんの友だちに会える

衛藤洋次さん(酪農家)

日出生台にようこそいらっしゃいました。
いまみなさんがお立ちになったところ、すてきな大地があります。これが僕の自慢です、誇りです。日出生台の大地です。みなさんがこうして日出生台の大地に触れることをすごく僕はうれしく思います。やはり日出生台を語るときには北風をほほに受けて、大地が見えるところで見ていただくことが素敵なことだと思いますし、僕もすごく話しやすいです。

ご覧になっているのが日出生台演習場です。向こうの高い山が由布岳です。あの山の麓が湯布院盆地です。あそこは演習場ではありませんが、この辺のずーっと雪が見えるところは演習場です。面積にして4900ヘクタール。東京ドームの1000個分なんていう言い方をします。「平成の大合併」で大分もかなり合併したんですが、昔はこれと同じような面積でひとつの町がありました。ひとつの行政区が成り立つくらいの面積があります。

陸上自衛隊の演習場で、歴史としては110年くらい続いています。当時は小倉の陸軍さんが一番最初に訓練して、その後戦争が終わってちょっとの間、民間の手に移ったんですが、すぐに進駐軍というかたちで米軍が接収しまして、それから陸上自衛隊演習場となっています。悲しいことにここはすべて国の土地です。僕たちの先祖、多分ひいじいちゃんの時代には演習場で暮らしておりました。いまここに暮らしている住民たちの土地だったんですね。それは個人の土地だったり「いりあい」といいますか、共有財産としてあったんです。

当時は「天皇陛下万歳」で死ぬ時代ですから、国の方針に従った。みなさんが来られるときにちょっとした集落があったと思うんですが、僕はいまあの中に住んでいます。喜んで出たのか、ただで出たわけではありませんからいまと同じように補償をもらったんですが、いまはもうその当時のことを知る人がいなくて、そのときの思いは僕にはわかりませんけれども、一番北側のへんぴなところに追いやられたという経過の中で僕たちの暮らしがあります。

陸上自衛隊の115ミリも当然そうですが、戦車であったり、ヘリコプターであったり、バズーカ砲とか、小銃とか、機関銃とか、陸上自衛隊の演習はすべてここでおこなわれております。1年間365日ありますが、訓練は330日くらいあります。お正月、お盆それからゴールデンウィークの頃はリフレッシュ休暇とかいって勝手にリフレッシュするんでしょう、そういう休暇を設けている。それくらいしか休みがなくて、四六時中この中に自衛隊車両が入っています。330日の中で実弾射撃、本当に弾を入れて撃つ訓練は210日から220日、実施されています。

今回アメリカから海兵隊がやってきていますが、広いようでもどこからでも撃てるというスペースはなくて、大きなものに関してはきっちり場所が決まっています。155ミリはあの向こうの方に、茶色い稜線のようなものがあって、その上にちょっと黒いものがぽんとありますが、あそこから撃つわけです。ぽーんと撃ったものがしゅるしゅるという風切りの音を立てて飛んでいくんです。そこに3本のauのアンテナがありますがその遙か向こうの白い山の麓に撃ち込むんですね。ここでは155ミリ、海兵隊も陸上自衛隊もそうです。そして観光地の湯布院にも陸上自衛隊がありまして、そこでは203ミリ、直径が20センチ3ミリの弾を撃ちます。それも同じように撃ちます。日出生台にはふたつの着弾地があります。大きな火砲はそこに撃ちます。もうひとつはこの正面に落ちます。それは戦車であったり、バズーカ砲であったり、距離の短いものはそちらに向けて撃ちます。僕らは第一弾着地、第二弾着地といっています。そういうことで訓練はおこなわれています。

僕たち、ここに暮らしている人間と演習場の関わりについてお話しします。100年前はこの中で暮らしていまして、しばらくのあいだ、ここが演習場になってからも田んぼをつくることができたんです。何十年かして、耕作権を国に奪われたのか、買ってもらったのか、それもよくわからないんですけれども、お米も作れなくなった。いまでも野焼きをすると、あとに田んぼの畦であったり、自然の水でつくっていたので、その名残がいまでも残っています。

現在はどうかというと、僕はいま牛を飼っています。みなさんがしゃぶしゃぶとかすき焼きとかで美味いなーといって、でもお金持ちじゃないと買えないという和牛を飼っています。現在も親牛を40頭ほど飼っています。今日もみなさんにお会いするために朝早くから 準備してみなさんが来るのを首を長くして待っておりました。この中に僕たちの先祖が住んでいたという名残の中で、いまでも演習場に放牧しています。いまはちょっと雪が降っていてわかりにくいんですが、いまは放牧していないんですが、いま食べさせる草をこの演習場から秋に干し草として取るんです。この採草と放牧だけは慣行、僕たちの権利じゃないけれども昔からそうだったからいまでもいいでしょうというということになっています。僕たちの自治体 玖珠町というんですが、僕たちの町が毎年毎年申請して、地域の住民たちが放牧していいですか、草を刈っていいですかと聞くわけです。そうすると今年もいいでしょうということで毎年の契約の中で成り立っています。でも一番やっかいなのは一番下にある「演習に支障のない限り」というのがいつも頭に引っかかります。いままでは支障なかったんでしょう。中では山菜も採れますけれども、それを生業にしている人はいないので、いまでは畜産農家としての演習場との関わりです。

さきほど言ったように330日くらい演習があります。そのときは入れるときと入れないときがあるんですね。入れないときというのは210日の実弾射撃をやっているときは、さすがに僕たちも命が惜しいですから実弾が飛び交う中を入れませんので、そのときだけは入りません。でも牛たちはどうかというと、4月の下旬から12月の中旬という契約になっているんですが、そのあいだずっと野原にいます。ここの牛たちは155ミリの弾の下で、戦車の弾の下でのどかに草を食んでいるんですね。よく聞かれるんですが、牛たちがびっくりすることはないんですかということですが、僕たちと同じなんですね。母ちゃんの腹の中にいるときからそういう音を聞いています。だから155ミリの音でどうかなる牛はいません。それは実をいうとすごく悲しいことです。もうそれに慣らされてしまっているんです。ぜひみなさんにも音を聞かせてあげたいんですけれどもね、明日になれば聞けたんですが。建設現場の音だと考えてもかまわないと思うんですが、建設現場は8時になると音がしますが、ここはいつするかわからないわけです。大きな音が突如としてするわけです。

今回は海兵隊がやってきていて、今回は5日間ですが、1週間で500~600発くらいですが、でも陸上自衛隊は1日でそれくらい撃つんですね。どんどん撃ちますよ。そういうことでほほに風を受けて、日出生台の感覚を感じるときにぜひ音を聞いて欲しいんですけれども。こうして日出生台に訪れる方も多いんですが、実際に音を聞くというのは2割、3割くらいですかね。なかなか聞けないです。

僕は浦田君たちともう10数年間、海兵隊が来ることに反対しています。自分の愛する大地で米軍が演習するというのはもってのほかで、すごく嫌なんですね。当時は僕と同じ年代の人たちで声を上げてきたんですが、いまでは住民運動というのはどうしてもお金にならないのでやっぱりみんなやめてしまうんですね。生き残ったのは僕くらいになってしまって。僕は1997年に海兵隊に関して、当時の久間防衛庁長官が当時の大分県知事に県庁で国の力でやりますといった時も県庁前で集会をしたんですが、そのときも涙を流してすごく悔しかったんですね。自分のエネルギーはそういう悔しいことの連続ですね。悔しいということでやっていくんですけれども、いつの間にか少しずつ少しずつ重荷を背負わされているような気がしてなりません。この日出生台のことで何回涙を流したかわからないくらい悔しい思いをしています。自分はその悔しさがあって、いつまでもいつまでもこうして長いことやれるのかなあと思います。

それからもうひとつ僕がこうして持続してやれるのは何かというと、僕はこうして牛を飼っているんでなかなか外に出られないんですね。いまでも家族には本当に申し訳ない。旅行もいける状況ではありませんし、家族はよう辛抱してくれてるなあと思います。でも僕が一生懸命やっていると、今日みたいに僕を訪ねてきてくる人がいるんですね。僕はそういう人たちを子どもであろうとじいちゃん、ばあちゃんであろうとみんな友達だと思っています。今日またこうして多くの友達ができたということも僕のエネルギーです。また明日からがんばろうと思えるのはこういう人たちが現れたことがすごい思いになります。すごく感謝しています。なかなか自分たちの思うようにはいかないけれども、外にも出て行けなくて、ただここで牛を飼いながら、ことがあるときに声を上げていくだけですが、声を上げることもすごく大切だと思います。やっぱり声を上げないと前に進んでいきませんからね。

昨今の情勢からすると西の方から、普天間の方からまたヘリコプターが来るんじゃないかとすごく不安なんですね。ここの地域の人たちもそういう思いはあるんですが、海兵隊の訓練の中で生活に影響を及ぼすことはほとんどないんですね。みんな自分の生活が脅かされていないので声を上げることを、あきらめたのかな、休んでいるのかな。でも僕は何かがあって声を上げたら絶対だめだと思います。その前から、現に海兵隊はやってきていますからね、僕は海兵隊をどうにかして追い出したいし、あまり大きな声で言うとこの辺は自衛隊の息のかかった人間もいますが、自衛隊の演習場じゃなくなったらいいなと思っています。僕の手に戻ってきてもこれだけ広いのは大変なんで、みなさんと共有できる大地になって欲しいな、本当の意味で平和な大地が来るのを望んでいます。目の黒いあいだはそういうことにはならんでしょうけれども、僕は声をあげ続けていきたいなと思います。

いまは茶色ですけれども3月くらいになると住民が野焼きをします。するとこの大地は真っ黒になります。ここに暮らしている人たちはこの大地によって季節を感じるんですね。その真っ黒の中からゴールデンウィ-クくらいになると新芽のすごくいいのがぐんと出てくるんですね。そのときはとうちゃん、かあちゃん、僕をここに産んでくれてありがとうと思うんですね。今の時期はどっちかというと、とうちゃん、かあちゃん、何でおれをここに産んでくれたのと思うんです、寒いで。今日なんかはすごく暖かいんですよ。1週間ほどは僕は冷凍庫の中で生活していました。日中でもずっとマイナスです。洗濯物を干すとすぐにかちんとなってしまうんですね。この2、3日でだいぶ暖かくなりました。うまくみなさんに伝えられることはありませんけれども、みなさんも地域の中でいろいろな思いで活動されているということですごく感謝しています。僕は自分の足もとをおろそかにしては絶対だめだというすごい思いがあるんですよ。僕が日出生台で一生懸命声を出して活動することは、沖縄にも通じているといつもいつも思ってやっています。

みなさんみたいにそこに暮らしている人たちが自分たちの足もとの問題を一生懸命してくれたことは、絶対日出生台に通じてくると思います。上の方を見て上の方の運動をしてもだめだし、学生とか学校の先生ともこうして話をすることもあるんですが、いつもそういいます。まずは自分たちの足下にある問題をしっかりやっていかんとだめだ。日出生台のことは、こっちに置いておいてもいい、おまえたちが足もとでやることこそ大切なんだ、それがいつの日か僕に返ってくるからだということを、いつもいうんですね。僕が日出生台で寒い中、風を受けながらやるのは沖縄に続いていると信じて、絶対そう思っています。

元気がいいのが僕のウリでして、ほかは何もないんですが、でも運動は元気が良くなくちゃだめだとすごく思います。どんな厳しい運動でも下をうつむいていたら絶対先がないと思っています。だから明るく元気にやることが大切かなということが僕の信念です。それはなにかというと僕のとうちゃん、かあちゃんは沖縄でして、沖縄の方ってそういうところがあるじゃないですか。沖縄にいって飛行機に乗るときに、ああ何か元気になったなあ、明日から僕もがんばってみようとみんな思うでしょう。僕の運動の原点は沖縄です。とうちゃん、かあちゃんは沖縄です。そういう運動をこれからもしていきたいな。ずっとここで生活しているんですけれどもすごく素朴な人柄というか、いい人間が住んでいるんですよ。それはすべてこの大地が生み出してくれものじゃないかと思っています。何度も言うけれどもこの大地はすごく素敵です。住民の手に一日も早く戻ってくるまでがんばっていきたいなと思います。ということで簡単ですけれどもお話しさせていただきました。ありがとうございました。

このページのトップに戻る


お知らせ:高良鉄美さん

市民連絡会の共同代表に就任

このたび、憲法学者の高良鉄美さんが許すな!憲法改悪・市民連絡会の共同代表のお一人に就任されました。この間、高良さんは「許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」などにひんぱんに参加し、問題提起して頂いております。高良さんの就任に会員一同、力強く思い、ご報告致します。
2011年2月9日
許すな!憲法改悪・市民連絡会運営委員会

高良鉄美さんプロフィール:1954年那覇市生まれ、九州大学法学部卒業、95年琉球大学教授、07年 琉球大学法科大学院院長 現在に至る。 沖縄県憲法普及協議会会長
【著書】
『僕が帽子をかぶった理由(ワケ)』2009(クリエイティブ21)/監修『群読日本国憲法』CDブック2007(高文研)/『わたしの憲法手帳』2006沖縄県憲法普及協議会/『沖縄から見た平和憲法』1997(未来社)/

このページのトップに戻る
「私と憲法」のトップページに戻る