09年の政権交代後、初の本格的国政選挙となった7月11日投開票の参院選挙は、政治の激動期を象徴するように、民主党主軸の与党が敗北して過半数割れし、自民党が改選第1党となり、与野党の議席数が逆転した。衆参の与野党の力関係は前回と与野党が異なり、与党が衆院で3分の2を持っていないという違いがあるが、波乱含みの「ねじれ国会状況」になった。小泉・竹中新自由主義路線の徹底をめざす「みんなの党」が第3党になり、その他の党は軒並み議席を減らした。衆院選後、自民党から分裂して立ち上げたいくつかの新党の試みは成功しなかった。かつての「ねじれ国会」で自民党など与党が非常手段に使ったような、参院で否決された法案を衆院の3分の2(欠員2で、318議席以上)で再議決する方法は、現在、民主系無所属を含めて308で、あと10議席程度不足している。
菅首相が唱えた消費税の引き上げに反対し、普天間基地撤去、辺野古新基地建設反対などを掲げて闘った「護憲」派の共産党、社民党がそれぞれ議席数、得票数(比例・選挙区)、得票率(比例・選挙区)の全てにおいて後退したことは、市民運動の一角を担う私たちにとって重たい結果である。
結果を数字で確認すると、議席数は民主党が新議席44で非改選と合わせて106議席、比例区得票18,450,139票(31.56%)、自民党は新議席51で計84議席、比例区14,071,434票(24.07%)、公明党は新議席9で、計19議席、比例区7,639,438票(13.07%)、みんなの党は新議席10で計11議席、比例区得票7,943,800票(13.59%)、共産党は新議席3で、計6議席、3,563,557票(6.10%)、社民党は新議席2で計4議席、2,242,736票(3.84%)、たちあがれは新議席1で、計3議席、改革は新議席1で、計2議席、国民新は新議席0で、計3議席、その他が計4議席である。自民党は比例区で民主党を下回った。自民党も民主党も得票数・率を減らしている。民主党や自民党、各種新党はタレント候補を続々立候補させ、票の伸張をねらったが、有権者に見抜かれ、あまり成功しなかった。
鳩山民主党は普天間基地問題での公約破りの日米合意を強行し、反対した社民党の福島党首を閣僚から罷免して、連立政権崩壊の端緒をつくった。「政治とカネ」の問題を抱えた小沢幹事長とともに鳩山首相が退陣してガタガタになった。菅首相は日米合意の継承をオバマ大統領と約束し、さらに公約に反して突然持ち出した消費税10%引き上げなどで、批判をあびた。民主党は沖縄選挙区で公認候補すら立てられなかった。
今回の民主党の敗北は、政権交代以降の10ヶ月の政治での同党の相次いだ公約破りにその最大の原因がある。民主党の政治姿勢全般が問われたのである。民主党は「生活第一」を掲げて、小泉・竹中構造改革に反対する政治を唱え、自公から政権を奪還したのに、この点で人びとに失望をあたえた。しかし数字が明らかに示すように、民主党に失望した票は自民党には戻らなかった。そのかなりの部分がみんなの党に移行した。菅首相の消費税10%引き上げは批判を浴びたが、消費税引き上げの本家である自民党には向かわなかったし、消費税の引き上げをきびしく批判した共産党、社民党の支持も増大しなかった。民主党の敗北の要因は消費税問題だけではないのである。
第1に、沖縄の選挙区で自民党の候補までが、「普天間基地の県内移設反対」を言わざるを得なかったように、普天間基地撤去は沖縄の民意である。このあと、8月の辺野古新基地の図面や工法の対米約束期限をへて、9月の名護などでの市議選、11月の県知事選挙と日米首脳会談がある。沖縄の民意を前に、日米合意の破綻は火を見るより明らかである。沖縄のたたかいは菅内閣の死命を制する問題となるにちがいない。沖縄の人びとが突き出した日米安保体制の根本的な見直しの課題を全国的な課題と押し広げる努力が必要だ。これは平和と共生の東アジアをつくり出すという歴史的な課題である。
第2は消費税引き上げと財政再建論議である。第3はこれにからんで持ち出される国会議員の定数削減問題である。比例定数を削減して限りなく小選挙区制に持って行こうとする議論は事実上の2大政党制実現の企てである。民主党も自民党も財政危機と結びつけて消費税引き上げ論議をテーブルに乗せようとしている。そのためにも、ということで議員定数削減が語られる。これはためにする嘘である。「ギリシャの二の舞になる」などと脅迫しながら、法人税を引き下げておいて、消費税の大幅引き上げに持って行く。その前に「我が身を削る努力をせよ」などという無責任な評論家やメディアの俗論に悪のりして、事実上の2大政党制を作り上げ、多様な民意の反映という民主主義を犠牲にする。実際には、衆議院議員を80人も削減しても、米軍思いやり予算の30分の1程度、政党交付金の10分の1程度の額の削減でしかない。議会制民主主義の自滅ともいうべき議員定数削減を主張する点では民主党も自民党も、みんなの党も、諸新党も同じである。もろもろの保守新党は最終的には2大政党のどちらかの予備軍にすぎない。ターゲットは護憲派政党の共産党と社民党に絞られている。
第4は改憲を掲げる自民党が力を増した参院では憲法審査会「規程」の制定と憲法審査会始動の要求も強まるにちがいない。今回の選挙で民主党が憲法問題を回避したために論戦にはならなかったが、自民党は自主憲法制定を公約の第1位においた。自民党から分離した新党の多くも改憲を掲げた。選挙で民主党のリベラル系の議員が何人か落選したことも合わせて考えると、憲法問題も容易ならない事態である。
第5はこの秋から政権交替後、初の防衛大綱の制定が始まる。経団連などが要求する武器輸出3原則緩和の要求とあわせて、選挙で民主・自民の両党が「防衛装備品の民間転用推進」を掲げた問題もある。「日米同盟深化」などといいながら進められる米軍の武器購入の動きと合わせて、こうした日本国内の軍産協同体制の強化をめざす動きも見逃せない。加えて、民主党の一部には自衛隊の海外派兵恒久法の制定を企てる勢力がある。これらと自民党などが政策上、呼応しあっていく可能性がある。
第6は政権交代後、獲得しつつあったか、着手されつつあった労働法制、雇用、福祉、人権などの諸問題の後退を許さない課題である。本来、待ったなしの労働法制の抜本的見直し、郵政民営化の見直し、公共事業の見直し、民法改正、在日外国人の参政権実現などなどの諸課題が、保守野党の抵抗で中断される恐れがある。
(4)今回の護憲派政党の敗北がより深刻なのは、この両党の後退傾向がこのところ長期にわたってつづいていることである。たしかに小選挙区制という選挙制度の問題は大きいし、その民意を正しく反映しない不当性は幾度指摘しても指摘したりないほどである。しかし、問題は制度にあるだけではない。両党の得票自体が長期にわたって相対的に減少してきているのである。
この問題を解決するためにはさまざまな課題がある。今回の参議院選挙の結果をみて、いっそう明らかになってきたことは、沖縄の人びとが示しているように闘って前進する以外にないということである。13年にわたって、大衆運動のちからで辺野古新基地を阻止してきた沖縄は、7月9日、県議会が再度、全会一致で普天間基地の辺野古移設に反対する決議をあげた。仲井真知事もこれにそって、8月の辺野古移設計画作成はムリだとの談話をだした。沖縄は日米両国政府を相手にしてひきつづき頑張っている。
しかし、その沖縄でさえ参議院選挙では社会、共産が分裂し、自民党の候補を勝たせてしまった。共産系の伊集候補が5万8千、社民系の山城候補が21万5千で、県内移設反対を掲げた自民の島尻候補の25万8千に敗れたのである。共産党が最重点区とした東京は、小池候補が55万2千、社民党の森原候補が9万5千で、加えると東京5位当選の松田候補(みんなの党)の65万6千に肉薄している。それぞれが大きく前進できると考えてたたかった選挙であり、これは結果論ではある。それぞれに言い分も事情もあるだろう。国政選挙での共同が容易ではないことは私たちも承知している。しかし、この問題の解決を求める声に両党は応えるべきではないだろうか。一挙に、全ての選挙区での共同をめざす必要はない。部分的にでも共同に着手できないだろうか。沖縄にはすでにその経験がある。知恵を絞り、力を合わせるべき時である。
この点で7月14日の共産党の「赤旗」紙「NHK討論スペシャル志位委員長の発言」の以下の指摘(12日付中央常任幹部会声明と同主旨)に注目したい。「私たちは、今度の選挙結果を重く受け止めております。国政(選挙)で巻き返すための本格的な態勢構築を図るために、党内外の方々のご意見、ご批判に真摯(しんし)に耳を傾けて、私たちの政策の問題、組織の問題について自己検討を徹底的にやって、前途を見いだしていきたいと思っております」。こうした姿勢を歓迎したい。
もとより、共産党と社民党の選挙協力だけで、直面する重大な問題が解決するわけではない。それぞれの党の真摯な総括と対策が必要であることは明らかである。しかし、この問題は外部の私たちがあれこれ言う問題ではない。こうした斬新な対策を契機に、ぜひとも解決していってもらいたい。
選挙だけではない。当面する課題の比例区定数削減などの課題では公明党なども巻き込んでもっとも広い共同を造りだして闘う必要があるだろう。この問題では民主のリベラル派にも反対は少ないが、これも与党であるだけに民主主義の問題として共同することは重要だ。この点で前出の「赤旗」紙が以下のように紹介していることにも注目したい。「社民党の福島瑞穂党首は、国会議員の比例定数削減について、『反対の立場での共同戦線を張りたい』と発言しました」と。社民党本部の声明は以下のように言っている。「今後、民主・自民の2大政党や新党によって日本政治全般の保守化と民主主義の後退が進むなかで、社民党は、あくまでも政策の基本を日本国憲法に置き、国民主権に徹し、平和を守り、働く者の権利を守り、社会保障を充実させるために奮闘します」。
憲法審査会問題しかり、自衛隊の海外派兵問題しかり、生活と基本的人権の問題しかりである。こうした国会外での共同行動をいかに構築するか、これにまつわる困難を大胆に突破する試みこそが、いまこそ重要だと思う。
私たちには経験がある。東京の「5・3憲法集会実行委員会」の10年の歩みがその参考になるのではないか。この運動ではさまざまな市民団体が積極的に共同を造りだしている。毎年、共産党、社民党の党首クラスの代表がスピーチし、民主党の国会議員が連帯のメッセージを寄せている。この経験を生かすことが求められている。大事なことは、お互いが違いをあげつらって非難合戦をするのではなく、誠心誠意、共通の課題で共同することではないだろうか。このことこそが、この間の、国政選挙での後退の連続を断ち切る契機になるのではないだろうか。困難なことではあるが、いまこそ、この道に挑戦すべきだと考える。そして、院内外から政治の流れを変えようではないか。
(2010年7月14日 高田健)
いわゆる「高校無償化」がことしの4月1日から施行されている。この法律には、一条校だけでなく、「各種学校であって、我が国に居住する外国人を専ら対象とするもの」つまり外国人学校やインターナショナルスクールの多くも適用範囲にふくめられている。ところが、朝鮮高校はその適用からいったん除外されることとなった。
周知のとおり、この件は2月中旬に中井拉致担当相が言い出したことである。さらにさかのぼれば、そのきっかけは2月11日、産経朝刊での「北、朝鮮学校に460億円送金」「朝鮮学校の無償化の是非が問題化することは確実な状況」という報道であった。しかしこれはとんでもないマッチポンプだ。この半世紀間、朝鮮民主主義人民共和国政府が日本の朝鮮学校を支援していることは、陰謀でも秘密でもなく、金額まではっきりと公開されている。産経の上記記事の情報源は「政府筋」とあるから、その「政府筋」(中井ら民主党の右派議員であろう)は公表されている周知の事実を、わざわざこのタイミングで、産経新聞に報道するようけしかけたということになる。「高校無償化」の動きを「反北朝鮮」キャンペーンに利用しようという意図が、あまりに見え透いている。
最終的な措置については、「第三者」の「検討委員会」に朝鮮学校のカリキュラム調査を依頼したうえで、文科相が夏じゅうに結論を出すという。しかし、この「調査」もまた疑問である。地方自治体からの各種学校認可や助成金手続きのさい、朝鮮学校はすでにカリキュラムを提出している。また、日本のほぼすべての大学が朝鮮高校の卒業生の受験資格を認めている。にもかかわらず改めて「調査」をするというのは、事実上、在日朝鮮人の民族教育に対する検閲ではないのか。
わたしが思うに、この件における問題は、教育に外交がもちこまれたことよりも、政府がこの措置をつうじて、在日朝鮮人には「特別あつかい」をしてもよい、あるいはするべきだと、差別を扇動していることにある。3月27日の「無償化」排除反対緊急集会・デモ(渋谷)では、ある朝鮮高校の学生が、この「無償化」排除の件が報道されるようになってから、周囲から冷たい視線が突き刺さってくるのを強く感じるようになったと語っていた。立川の西東京朝鮮第一初中級学校では、5月の連休中に校舎に卵が投げつけられた。これらは明らかに「無償化はずし」をきっかけとした反応であり、それを煽った日本政府の責任は重い。
日本が朝鮮半島を強制的に「併合」してから、ことしで100年を迎える。「併合」以降、日本は朝鮮半島にくらしていた人々を炭鉱労働などの重労働や戦争に動員し、さらには日本名を強いるなどして、かれらの主体性を徹底的にうばった。しかもそうした植民地主義は、敗戦後にも改められていない。たとえば政府は、在日朝鮮人の主体的な民族教育の動きをことあるごとに弾圧し、圧殺が不可能となった後もできるだけ法制度から排除しようとしてきた(まさしく今回の「無償化」排除も、そうした差別と弾圧の一環だ)。それどころか、いまや「北朝鮮への制裁」の号令のもとに、あるいはそれをきっかけとして、さらに多くの差別と排除が積み重ねられつづけている――朝日間の輸出入や人の移動の厳しい制限、チマチョゴリ切り裂きなど在日朝鮮人への陰湿ないやがらせ、「北朝鮮打倒」キャンペーンへの民間動員、そして最近あらたに可決された「臨検特措法」。こうしたあらゆる差別と排斥への反対の一環として、「無償化」排除反対の声は挙げられねばならないと思う。
柏崎正憲(「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会、ヘイトスピーチに反対する会)
土井とみえ
7月の参議院選挙では消費税率のアップが焦点になったと報道された。この財政問題と関連し行政改革を進めるとして国会議員の定数削減が、民主党、自民党、「みんなの党」をはじめ、自民党を脱退したいくつかの新政党などから一斉に出された。それも「政治家が率先して身を切る必要がある」という、一見すると庶民受けするような理由からだ。
しかし長期にわたる自民党政権下で肥大し、また現実と会わなくなった行政を改革することと、立法府である国家議員の定数削減を同一に論ずるなどはとんでもない間違いだ。いたずらに国会議員の定数を削減することは、主権者である国民の権利を奪うものである。今回のような安易な議員定数削減の提唱は、多様化する有権者の要求にこたえようと国会を構成することに逆行する。またいま以上に少数政党の存立を危うくし、2大政党化をすすめる結果となることは目に見えている。
言われているように日本の国会議員はそんなに多いのか。そこで世界各国の国会議員数を比較してみた。各国の国政の仕組みはそれぞれ違うので、単純には比べられないが大まかな実態として把握することはできる。それは表1で見るように、日本の国会議員が何人の国民を代表しているかといえば、G8各国と比べると少ないほうから3番目になる。
アメリカが587,000人に1人、ロシアは225,000人に1人で、日本は176,000人に1人の議員を国会に代表として出している。アメリカが州を主体とした連邦制をとっていることを考えれば、日本の主権者の声はずいぶん小さくしか国会議員に反映されないことがわかる。イギリス、イタリア、フランスは6万人前後を1人の国会議員が代表しているし、カナダは8万人に1人、ドイツは11万人に1人の国会議員がいることになる。こうしたことは今回の定数削減の議論では、政党だけでなくマスメディアからも一切聞こえてこない。
昨年の秋には注目された民主党の事業仕分けだが、思ったほどは財政を捻出できなかった。では、国会の定数削減でどれほど財政に貢献するのかといえば、わずか自衛隊機1機分に過ぎない。
民主党は「参院40程度、衆院比例定数80削減」といい、秋の臨時国会できめる方向と言っていた。自民党は3年後に両院定数を650(現在722)に、6年後に500にする。「みんなの党」は衆院300、参院100に、「立ち上がれ日本」は衆院400、参院200に、「新党改革」は両院半減にという提案をしている。
民主党のいうように衆院を80人削減したら、秘書給与もあわせると56億円、参院の40人削減を加えても84億円ほどにしかならない。これは自衛隊戦闘機1機分の費用(F15J戦闘機は108億円)にもとどかないわけで、「まず身を切る」という議論の不自然さが突出してみえる。
この問題では、国会議員の歳費の額は議論に値する。その場合、各国に比べてわずか3人という公設秘書を大幅に充実させて議員活動を保証することも考慮されるべきだろう。また政党助成金は、赤ちゃんからお年よりまで国民1人当たり250円を負担して年間320億円も使われている。この2割を削るだけでも、衆院80人の削減額より多くなる。先にみたとおり、国会議員削減による財政への貢献度の少なさと比べれば、政党助成金についてマスメディアでももっと議論されてよいはずである。
民主党などが提唱する国会議員の定数削減は、比例区を削減し小選挙区の拡大につながるものである。これは彼らの年来の主張である2大政党制の実現である。しかし、菅首相や小沢一郎議員が手本とする小選挙区制のイギリスでは、2大政党制の欠陥が指摘され、とうとう連立政権が誕生した。ヨーロッパ大陸の国々では、比例区に重点を置いているところも多い。小選挙区制では、得票率と当選者数の乖離が大きく、死票を拡大していることはすでに指摘されているとおりだ。小選挙区制は、多様化している有権者の意見が国会に反映しにくく、少数政党が切り捨てられる制度である。また1票の格差についても有権者から異議がだされてきており、裁判所から何回も違憲性が指摘され是正が急務となっている。さらに国会議員の質が低下しているから少数精鋭にすべきだなどと、わけのわからない理由から議員定数の削減を主張する識者も出ている。
秋の臨時国会にむけて、定数削減反対の声を上げていこう。できるところで、できることにとりくみ、定数削減をあきらめさせよう。
今年は日米安保改定50年にちなんで、日米安保(あるいは日米同盟)に関する図書の出版が従来になく多い。ここで紹介する2冊の本は市民運動の立場から書かれた問題提起であり、私たちが是非とも一読しておくべきものだと思った。1冊は元レバノン大使であり、小泉内閣によって罷免された天木直人氏の「さらば日米同盟!」(講談社、四六判252頁1500円+税)であり、もう一冊はジャーナリストで市民運動家の大内要三氏による「日米安保を読み解く」(窓社、四六判142頁1200円+税)である。激変する情勢を反映して、前者の帯には「鳩山退陣緊急出版」とあり、後者の帯では高野孟氏が「鳩山総理に読ませたい本だ」と書いている。
両書とも紹介しているが、「日米安保体制」を「日米同盟」と称するようになったのは1981年の鈴木・レーガン会談からであり、当時はそれが憲法違反の軍事同盟を意味する言葉ではないかと国会で大問題になり、伊東外務大臣が辞任する騒ぎになったほどのしろものだ。それが1996年の橋本・クリントン会談では「安保再定義」として堂々と「日米同盟」と称され、小泉内閣当時においては日常化し、使用法も「世界の中の日米同盟」となり、いまやそれは50年前の日米安保条約とは似ても似つかわぬ怪物になってしまった。憲法第9条がありながら、そのもとで「再定義」という名の事実上の条約「改定」をくりかえしてきたこの日米安保条約体制を、私たちはどのようにとらえ、対抗していくのか、おりしも沖縄の辺野古新基地反対の闘いがこの問題をつきだし、私たちに鋭く問いかけている。
前者の紹介文は最近の私の講演旅行の途中で列車の中で読んだ感想文のメモであり、後者の書評はあるメディアに寄稿したものに若干手を加えた文章である。ご容赦願いたい。
本書の天木の主張は「日米同盟から自立すべきと考える国民の声を政治に反映することのできる(イデオロギーから脱却した)新たな平和政党~憲法九条新党が必要だ」、その政策は「護憲だけを訴える受け身の政党ではなく、日米同盟に代わる自主防衛政策を主張する積極的な政党である。それは憲法9条に基づいた平和外交、専守防衛の自衛隊、そして東アジア集団安全保障体制の構築の3本柱からなる自主防衛策である」ということに尽きる。私はこの意見に必ずしも賛成できないが、運動内のひとつの意見として尊重したい。というのは、天木は単なる評論家ではなくて、その思うところを実践に移そうと絶えず努力している人物だからである。彼は2003年、米国のブッシュ政権のイラク戦争に加担した小泉純一郎首相と当時の川口順子外相に諫言してレバノン大使を罷免され、以降も、2005年の衆院選には無所属で小泉純一郎の選挙区で立候補し、2007年の参院選には新社会党に担がれて「9条ネット」という新党から立候補して闘った。この間、2006年には共産党を除名されて間もない筆阪秀世と共著「九条新党宣言」(展望社)を出した。失礼ながら多少ドンキホーテのように見える天木のこの蛮勇をふるうような行動力に私は陰ながら一定の敬意を表している。
私にとって、本書が面白いのは彼の「九条新党」の所ではない。さすが、外務省官僚だった人物だと思わせる下りが随所ににじみ出てくるところである。天木の九条新党論はあまりにも運動の現状認識が甘い点に於いて買えない代物だ。九条の会が「専守防衛」論者も含めて広範な連携を作り、運動として大きく成功したことと、脱イデオロギー政党としての九条新党を混同してはいけない。本書にも「先に名乗った方が勝ちだ」などという筆の滑りと思えるフレーズもでてくるが、九条の会にとっては迷惑な話である。天木が提唱する新党に可能性があるとすれば、それは「新党」ではなく、昔流に言えば統一戦線の問題であり、共闘の問題である。私が思うに可能性はその道しかない。天木にはこれがわからない。
本書で天木が「対等な日米関係」と「日米同盟の重視」という相矛盾する政策を掲げた鳩山政権の前途に危惧を抱いたと指摘しているのはその通りである。3党連立政権合意の第9番目にこの問題が掲げられている。政権合意の第10番目は憲法3原則の重視であった。新政権は出発において、指摘されるような深刻な矛盾を合意に入れて出発した。この矛盾を突破するとすれば、民衆の運動を背景にする以外になかった。沖縄の民意はまさにそうするにあまりあるほどに燃え広がった。しかし、鳩山政権は米国と官僚の恫喝に屈して、沖縄の民意を無視し、それに同調した社民党の福島瑞穂党首を切ったのである。この点で天木の解説は十分に説得力がある。
この国の平和について論じようとすれば、日米安保条約とその体制について語ることは不可欠である。1960年の安保改定をめぐる大闘争を経て、60年代、70年代の平和運動の議論においては、安保問題の評価がその中心を占めていたものだった。メディアもそうだったが、活動家も評論家も多くが、日米安保体制とは何かについて熱く論じていた。しかし、この安保50年を迎えて、それはメディアの責任でもあるが、安保問題についての議論の当時と現状の議論との落差の大きさをあらためて痛感させられる。
かつて憲法学者の長谷川正安が喝破したことであるが、「戦後日本には『二つの法体系』、つまり憲法と安保の相反する二つの法体系がある」(本書21頁)のである。戦後の民衆の政治闘争史はこの二つの法体系をめぐってのせめぎ合いの歴史だった。そしてそれは60年安保闘争後の一時期、新左翼内部の議論で流行したように民衆の「敗北の歴史」でもなかった。民衆がくりかえし、不屈に憲法を自らの道具として安保体制に抵抗を続けた歴史でもあった。
しかし、安保体制と闘うには、安保とそのもとでの軍事同盟体制の歴史と現実について知らなければ闘えない。本書で筆者が指摘するように「シビリアンコントロール」とは俗論になっている自衛隊内の制服組を背広組がコントロールすることなどではなくて、民が、要するにその代表たる国会が、そして我々市民が軍事の知識を持って軍事を統制することであるはずだ。それにしては、たとえば人気を博している「事業仕分け」の防衛予算への切り込み方の無様さはなんだ。国会議員も市民もあまりにも軍事問題に無知すぎるのではないか。このような問題意識が筆者の本書への取り組みのエネルギーの淵源である。
前述したように「帯」で評論家の高野孟が「鳩山総理に読ませたい本だ」と書いているが、いまでいえば「菅直人総理に読ませたい本だ」というところだ。私たちは、昨年の政権交代で防衛相になったばかりの北澤俊美が初々しいほどに「国防を任された私の立場から申し上げれば、内閣は憲法を遵守することが義務づけられておりますので、まず憲法九条の中で防衛を考えていくことを念頭に置く」(『世界』臨時増刊799号)などとのべながら、その防衛問題の認識の浅薄さもあって、ずるずると日米防衛官僚の論理の虜になっていく過程を見てきた。
メディアの安保問題への関心の希薄さはいうまでもないが、それに挑戦できるわれわれの側の水準も問われている。
1996年の「日米安保共同宣言」(橋本・クリントン会談)をへて、2003年の小泉・ブッシュ会談での「世界の中の日米同盟」という表現、2005年の「日米同盟:未来のための変革と再編」にまでいたって、「日米同盟」は日米関係を表現する常套句になった。このもとで普天間基地問題がかたられ、在沖海兵隊の意義が語られ、抑止力論が語られている。
本書はこの日米安保の変質の過程とその内容を分かり易く説いている。本書が著者の講演を基調につくられたものだから、語り口が分かり易いのだと思う。
いまいちど、日米安保について整理してみようとする読者に最適の本である。ぜひ購読をおすすめしたい。
一点だけ疑問を指摘するが、1994年の朝鮮半島の核危機の際に米側が日本に要求した兵站支援の項目を本書は「400項目」(35頁)としているが、後日、西日本新聞社が入手したといわれる「防衛庁の内部文書」では「輸送・施設提供・補給・空港港湾の使用・艦船航空機の修理・医療・米避難民の支援・基地警備・給食など」1059項目の兵站支援要求にのぼったのではなかっただろうか。指標の取り方、数え方が異なるのかも知れないが、私も各所の講演で触れていることなので気になった次第である。(T)
小林アツシ(映像ディレクター)
はじめて辺野古に行ったのは、2004年の9月。あるテレビ番組の仕事で辺野古での座り込みを取材してほしいという依頼を受けたからだった。それまで沖縄民謡に興味を持って旅行したり全く別の仕事で沖縄に来たことはあったが、「基地問題」で沖縄に来たのはそれが最初だった。当時は辺野古での本格的な座り込みが始まってから約半年、お年寄りたちが100日以上も座り込みをしてたいへんだということがメールなどで伝わってきていた。そんな現場に「ヤマトのテレビ局でござい」などといきなり行って、取材をさせろ、しかもオンエアは翌週に決まっている、などというのは失礼極まりない話だ。できればそんな取材の仕方はしたくない。行くべきかどうか迷ったが、自分が行かなくても誰かが行くのだろうから、だったら自分が行ったほうがいいだろうと思い、行くことにした。沖縄に行く便に乗ったのはこの仕事の電話がかかってきた2日後だった。
私は映像を創る仕事を続けてきた。2001年10月、アメリカがアフガニスタンに対して理不尽な攻撃を始めた時、なにかしなければと思い、同じように映像をやっている仲間と、街頭インタビューや反戦デモの映像をインターネットで流し始めた。イラクへの攻撃が始まろうとしていた2003年の春には当時の反戦・平和運動も我々の映像配信もピークを迎え、毎日そればかりやっていた。イラクへの攻撃が始まってしまい、やめてしまうわけには行かないから細々と続けていたものの、やはり手詰まり感を感じていた。そんな頃、私が反戦・平和に関する映像配信を続けていたことを知っていたプロデューサーからかかってきた電話が「沖縄の辺野古に取材に行ってくれ」という内容だった。「お前なら座り込みの現場に行っても取材できる」と言われ、突然重い課題を背負わされたまま沖縄に向かった。
辺野古に着いて、恐る恐る挨拶をした。座り込みのリーダーの人から最初に「ヤマトのマスコミは信用してないんだ」と言われた。それを言われたことで逆に救われた気がした。これでお願いしやすくなった。
「この問題についてろくに知らないでいきなり来ました。100日以上も座り込みをしている皆さんに対して大変失礼だと思っています。私がテレビでどこまで皆さんの意見を伝えられるかわかりません。私にできることはできるだけ多くの皆さんの意見をしっかりと聞いて少しでもそれを伝るように努力することだけです。」
座り込みをしている人たちに、ひたすら低姿勢で説明した。
2004年の9月と言えば、那覇防衛施設局(当時)が辺野古沖でボーリング調査のための予備調査を始めた時だった。現場では「調査を阻止する」と緊張感が高まっていた頃だ。しかし幸運なことに、私が辺野古に行った時は台風が来ていた。飛行機が飛ぶかどうかも危ういし、辺野古の海の美しさも撮れない。しかし、那覇防衛施設局も調査ができないのだ。「台風が来たら私たちは休めるのよ」、座り込みをしている女性がにこやかに言った。そして多くの人たちが私に話をしてくれた。
そこには、それぞれの人の人生や想いが凝縮していた。当時70歳になる女性は「私、30年しか沖縄に住んでいないのよ」と語り、子供の頃にヤマトに住んでいた男性はウチナー口が使えないことにいまでもコンプレックスを感じ、別の男性は小学生の時にヤマトから沖縄に転校してきたら標準語を喋るので先生からエリート扱いされた居心地の悪さがいまでも心に残っていると言う。座り込みの中心になっている沖縄の人たちが、自分が生粋の沖縄人ではないことにある種の後ろめたさを感じ、沖縄に生まれ育ったおじいやおばあに敬意を払っていた。
ヤマトから沖縄にやってきた人たちも、さまざまな想いを抱えていた。「青い海と青い空」に憧れて沖縄に移住して来たらイメージとは違うさまざまな問題に驚かされて座り込みに参加している名護市在住の女性、環境問題に関心がありアルバイトをしてお金を貯めて辺野古に来た男性、それぞれの人がそれぞれの想いで座り込みを続けていた。沖縄の人、ヤマトの人、共通するのは「ここに絶対、基地を造らせない」という信念だ。
反戦・平和運動を取材してきた者として、聞かなければならないことがあった。沖縄からも多くの兵士がアフガニスタンやイラクに行っているのだ。私からその話を切りだすまでもなく、「ここの隣にあるあの基地(キャンプ・シュワブ)からもイラクに行ってるのよ」と語ってくれた。そして、被害者の立場だったはずの沖縄が加害者側に荷担されている現実があるからこそ、新しい基地を絶対に造らせないという想いを強くしているのだと感じた。
その時に放送した番組では、自分の思いをなんとか入れたものの、与えられた放送時間は1分半というわずかな時間だった。あれだけの話を聞いた自分には、この問題をもっと伝える責任と義務があると思い、なんとか企画を通して、翌年、報道番組の数分の枠で辺野古の問題を放送した。
辺野古では基地建設を阻止する行動が連日行われた。多くの人たちがそれぞれの違いを越え辺野古に基地を造らせないという一点で協力しあった結果、閣議決定までした辺野古沖案を廃案に追い込んだ。それでも日米両政府は辺野古での基地建設にこだわり続け、阻止行動の影響を受けないように米軍キャンプ・シュワブの中から海に突き出す形で基地を造ろうと企てた。
当時、世界規模での米軍再編が行われ、日本国内でもさまざまな地域で基地強化が行われた。私は2005年から2006年にかけて辺野古をはじめ全国各地を取材し『基地はいらない、どこにも』というDVDを発表した。取材をしながら感じたのは、辺野古と各地の温度差だった。残念ながら全国各地の自治体あげての基地強化に対する反対は長くは続かなかった。暮らしている人たちの権利として「自分たちのところに来るな」と声を出すことは憲法でも保証されている権利だ。ただ、それだけでは結局はお金をもらって自分たちが我慢するという結果になってしまいがちだ。辺野古の人たちは「人殺しのための基地を造らせない」という想いで阻止行動をしていた。だからこそ体を張ってでも基地建設を止めたし、多くの人たちがその行動を支持した。
それでもなかなか止まらない辺野古での基地計画のことを、私はもっと多くの人たち伝えられないかと思っていた。ブログも始めていたがそれだけでは限界がある。2009年、そんな私にチャンスが訪れた。安保条約に関するDVDを創るという話が来た。さらにラッキーなことに、政権交代が起きた。鳩山政権は「迷走」し「辺野古に回帰」したと言われ多くの批判を受けたが、それでも連日この問題が報道されるようになり以前に比べてこの問題が知られるようになった「成果」は大きいだろう。辺野古での基地建設を進めたい側にとっては、状況はますます困難になっている。
DVD『どうするアンポ』は鳩山政権が「迷走」した影響もあり2度にわたって完成を延期する必要に迫られたが2010年2月1日に完成した。この作品は「アンポ」についてまったく知らない中学生が観てもわかるようにしたつもりだ。これまで教育用ビデオを作ったきた経験や、音楽関係の人脈、そしてもちろん反戦・平和や辺野古の取材を続けてきた自分のノウハウをすべて注ぎ込んだ。
日米両政府は、今でもなお辺野古に基地を造ろうとしている。私たちも決してあきらめずに阻止しよう。普天間基地は「代替地をどこにするか」ではなく無条件に閉鎖するべきだ。人殺しのための基地など、どこにもいらないのだ。
(編集部より)
第51回市民憲法講座は6月26日、DVD『どうするアンポ』の制作者である小林アツシさんをお招きして、開催されました。当日は『どうするアンポ』の上映に合わせて、小林さんがいろいろと興味深い解説をして下さいました。また、街での安保についてのインタビューの映像も映して頂きました。
参加者は大いに啓発され、沖縄と安保の問題の重要性と、それへの取り組みをいっそう強める決意を固めることができたお話でした。しかし、映像の解説であるため、本誌が通例、行っているような記録の採録が不可能でした。そこで、小林さんにご無理をお願いして原稿を書いて頂きました。大変すばらしい原稿をいただきました。
小林アツシさんに感謝するとともに、ぜひともこのDVDが各地で上映されることを望むものです。
『どうするアンポ』専用ブログ
http://anpo50.seesaa.net/
DVD 45分 価格 5250円(税込・送料別)
図書館、学校などでの貸出権付きライブラリー価格 10,000円(税込・送料別)
東京大空襲訴訟原告 千葉利江
2月14日に開催された第13回市民運動全国交流集会で、「地裁判決」とマスコミの後押しを受けて「空襲被害者等援護法」(仮称)の制定を求めて、立法化運動に取り組んでいくことを発言しました。裁判と立法運動の現状を報告します。
一審の敗訴判決は「戦争の被害、戦争の犠牲を国民は受忍しなければならい」という1987年の最高裁判例に依拠したものではありませんでした。「受忍論」を高裁で復活させないためにも、裁判を1回で終わらせないように弁護団が奮闘され、戦争の被害も国民の犠牲も知らない裁判官、国の代理人に280頁におよぶ「控訴理由書」を提出しました。国に民間人被害者への責任を認めさせ、人権を回復し憲法を実現するための闘いに、一人でも多くの方にご理解と支援の輪が広がるように願って、控訴理由書の「はじめに」の部分3頁を紹介させて頂きます。
本件は、1945(昭和20)年の東京空襲の被害者131名(控訴は113名)が国の責任を追及して損害賠償等を求めた集団訴訟である。東京地方裁判所は2009年12月14日に原審原告の請求をすべて棄却する判決を言い渡した。判決には、事実認定においても、重大な誤りが存在している。
一審判決が「原告らの受けた苦痛や労苦には計り知れないものがあったことは明らかである」として、「被害者の実態調査や、死亡者の埋葬、顕彰等についてできるだけの配慮をすることは、国家の同義的義務である」としていることは、被害者への人権侵害が深刻で重大であることを裏付けているかのようである。しかい、裁判所は、本当に控訴人らの被害とその声を理解していたのであろうか。
1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲では、約10万人にも及ぶ人々が殺された。アメリカの戦略爆撃調査団が戦後出した報告書では、「6時間で死亡した東京の死亡者数は、人類史上、これだけ短い間に死亡した数としては最大であろう」と報告されている(田中敏行「空の戦争史」P226)。もし6時間で10万人もの人々の殺害が銃や機関銃により行われたとしたら、誰もがそれを大虐殺と呼ぶであろう。しかも、殺害だけではなく、破壊、焼毀まで行われたのである。それはまさに人道に反する犯罪行為であった。
想像して欲しい―焼夷弾が降り注ぎ、建物とともに血や肉が砕け散り、紅蓮の飛び交う炎の中を逃げまどう人々、世界に類のない短時間における殺害、その中で傷つき生き残ってしまった人々、そして、残された子供達。大虐殺行為の地獄を生き残った人々に、様々な傷が残らないはずはない。その傷による疼きは戦後も継続し、現在も癒えることはないのである。
この虐殺が、戦争における空襲というだけでその異常さが見えなくなった。後述するように、攻撃する側は、総力戦の中で敵国民の戦意を喪失させることが早期に戦争を終結させるので人道的であり、自国民の被害を最小限にするために「やむを得ない」犠牲として、合理化してしまった。そして、攻撃する側に虐殺される側が見えないことが空爆を残虐化させたのである。
このように、戦争において、空爆する側は、殺され、焼かれ、傷つけられる人々は「やむを得ない犠牲」なのだとして虐殺を実行した。しかし、それでも、戦後それを容認してはならないものであることを規範化することが求められた。一方で、非戦闘員の無差別殺戮を禁ずる国際人道法が確立し、他方で、各国が非戦闘員の戦争被害を国民全体で分かち合う戦争被害補償制度(被害回復措置)をとったのは、そのためである。
ところが日本政府は、自国内の大虐殺の被害を戦争における「やむを得ない犠牲」として切捨て続けてきた。大虐殺の被害を日本政府は、被害者が死に絶えるまで見捨てたままにするのか、この訴訟で問われているのはまさにその点である。
戦後、日本政府は、一方でアメリカに対して、賠償請求権を放棄しただけではなく、東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイに勲章を与えることまでしつつ、他方で、虐殺され、傷ついた非戦闘員の被害を「耐え忍ぶべき犠牲」としてその補償を拒否してきた。
加えて、国が民間人被害者を切り捨て放置する一方で、戦争を遂行した軍人軍属との差別を肯定していることにより、その不条理がさらに被害者の苦しみを拡大させてさえいる。それは、日本国憲法の精神からみて明らかに異常である。
憲法76条第3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と定める。言わずと知れた裁判官の独立を謳う規定である。原審原告弁護団も法曹として、法を用いて、誰もが人間としての尊厳を認められるような社会になるように力を尽くしたいと思う。裁判官は、さらに進んで法を公的に解釈することで、一層大きな力で正義を実現することができる立場にある。原審原告らは、未曾有の戦中の悲劇に翻弄され、戦後65年片時もその被害から逃れることなく生きてきた。
原審の裁判官は「原告らの受けた苦痛や労苦には計り知れないものがあったことは明らかである」と判決の中で述べた。その良心を垣間見ることはできるとしても、「この裁判は請求を棄却しなければならない」という結論に拘束されてきたのではないだろうか。
日本国憲法は、過去の戦争に対する反省と共に、国際法における戦争に対する規制の延長の中で誕生したものである。
原告は高齢であり残された時間はほとんどない。
原告は思う。
「無差別爆撃は許される行為なのか」
「許されない行為なのに放置されるのか」
「人の命に尊い命とそうでない命があるのか」
「なぜヨーロッパ諸国のように、民間の被害者を戦争の被害者と認めないのか」
原審判決が「国会の立法に関しては、極めて広汎な裁量を認めざるを得ない」などとして、空襲被害者と旧軍人・軍属との差別が憲法の平等原則に違反をしていないなどとしていることは司法の役割を放棄する重大な誤りである。
貴裁判所が原告らの切なる訴えに謙虚に耳を傾けられ、原告らの主張と立証を十分に保証したうえ、原審の誤りをただして空襲被害者を救済する内容の判決をすることを求めるものである。
3月10日衆議院第1議員会館で院内集会を開催し、144名の熱気溢れる集会となりました。民主党、社民党、国民新党、共産党、みんなの党の国会議員21名と代理の方が40名と予想を超えての参加が得られ、それぞれにご自身の戦争体験と戦後の体験、日本政府の戦後補償のゆがみとヨーロッパ各国との比較、人権と平和への思いなどと共に、「国会議員に課せられた使命は大変大きく、みなさんと共に頑張りたい。」と力強い決意を述べて頂くことができました。
集会後に、大阪と東京の訴訟原告団、「全国戦災傷害者連絡会」会長の杉山千佐子さん、「被爆者団体協議会」、「重慶大爆撃被害者と連帯する会」の代表が集まり、全国運動の組織化に取り組んでいくことが確認されました。
それから4ヶ月の間に全国150団体へ「運動への参加のよびかけ」を行い、組織の掘り起こしと「全国空襲被害連絡協議会(仮称)」の準備会を3回重ねてきました。首都圏各地で活動されている方々との新たな出会いや遠方からは文書や電話連絡でのやりとり、また新聞報道で知って自ら参加される方など、期待が寄せられています。
大きな広がりの中で「誰彼の差別のない戦後補償を」実現するために、被害を受けた外国籍の方もふくめた日本の戦後補償のゆがみをただしていくとの声が高まっています。
いろいろな取り組みでお忙しい時期と思いますが、今号同封チラシの「差別なき戦後補償を求めて立法化運動をすすめる8.14集会」にも、ぜひご参加くださるようお願いいたします。
日時:8月14日(土)午後1時30分~
場所:台東区民会館9階ホール
(03)3843-5391
東京都台東区花川戸2-6-5
(都立産業貿易センター内)
鳩山前首相は「最低でも県外、できるだけ国外」と約束した普天間基地撤去の公約を、みずから設定した5月中などという期限が近くなって追いつめられ、方向転換を探っていた。折良くというのか、なんというのか、朝鮮半島沖合で韓国の哨戒艦「天安号」が沈没し、韓国政府は一方的に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の攻撃によるものと発表し、南北朝鮮間に軍事的緊張が高まった。鳩山首相と外務省はこれに飛び乗り、一方的に韓国政府に加担して北朝鮮を非難しながら、在沖海兵隊の「抑止力」としての重要性を強調し、普天間基地の辺野古移設方針に利用した。しかし、この問題の真相は全く不明であり、国連でもさまざまに議論になっている。
私たちは日本政府がこれを奇貨として利用して普天間基地の重要性を語るのは正当でないと考える。ここに日本のNGOである「GPPAC」の声明と、韓国最大のNGO、「参与連帯」のメッセージ要旨、および、日本の「平和フォーラム」の声明を資料として掲載し、読者の皆さんの参考にしたい。なお、参与連帯のメッセージは「朝鮮総連」の機関紙が翻訳・要約したものである。(編集部)
武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ(GPPAC)東北アジアは2010年3月26日に起こった韓国の哨戒艦「天安号」の沈没事件に衝撃を受けるとともに、すべての犠牲者ならびに親族の皆さんにお悔やみを申し上げます。同時に私たちは、東北アジア地域における政治的・軍事的緊張が高まっていることを非常に憂慮しており、事態の平和的解決を求めます。私たちは、すべての関係国が、完全な調査と対話へのさらなる努力を行うことを奨励します。それは、市民社会が参加する透明な過程の中で、事件のあらゆる側面を徹底的に検討するものでなくてはなりません。私たちは、いかなる関係国も緊張状態をさらに悪化させるような行動に出ないよう要請します。そのような行為は、平和的解決という目的のために逆効果になります。
韓国内および国際的な多くの市民社会団体や個人が、この問題の解決に向けて重要な意見表明を行っています。なかでも韓国のNGO参与連帯は、2010年6月11日、国連安全保障理事会に報告書を提出し、同年5月20日に発表された韓国および米国、豪州、英国、スウェーデンからなる合同調査団による報告書に対して理にかなった疑問を提示しました。他のさまざまな団体も疑問を提示していますが、これらは主に、爆発の技術的側面や、合同調査団の報告書の透明性とタイミングに関する疑問です。
このような不安定な状況において、市民社会は、建設的な対話を促進し徹底的な調査と問題の平和的解決を助ける重要な役割を果たすことができます。それにもかかわらず、韓国政府は市民社会の取り組みに十分な敬意を払わないばかりか、逆にそれを妨害するような行動をとっており、私たちはそのことを憂慮しています。私たちは韓国政府に対して、このような政策を変えることを要請します。市民社会、各国政府そして国連が協力して冷戦の残滓を克服し、相互の信頼を醸成し、東北アジア地域における平和と軍縮を促進すべきです。こうした見地から、私たちは以下のことを訴えます。
2010年6月24日
当初署名人(GPPACフォーカルポイントおよび協力者。アルファベット順)
チョウ・ヨンヒ(CHO Younghee)/平和をつくる女性の会・ソウル
バディム・ガポネンコ(Vadim GAPONENKO)/国立海洋大学・ウラジオストック
黄浩明(HUANG Haoming)/中国NGO協力促進会・北京
徐斯倹(HSU Szu-chien)/台湾中央研究院政治学研究所・台北
メリ・ジョイス(Meri JOYCE)/GPPAC東北アジア地域連絡オフィサー・東京
チョン・ギョンラン(JUNG Gyung-Lan)/平和をつくる女性の会・ソウル
川崎哲(KAWASAKI Akira)/ピースボート・東京
君島東彦(KIMIJIMA Akihiko)/立命館大学・京都
イ・ジェヨン(LEE Jae Young)/韓国アナバプティスト・センター、東北アジア平和構築インスティテュート/ソウル
イ・ナレ(LEE Narae)/ピースボートUS・ニューヨーク
デニス・リン(Dennis Lin)/東呉大学・台北
松井ケティ(Kathy R. MATSUI)/ハーグ平和アピール平和教育地球キャンペーン・東京
ミャグマール・ドブチン(MAYGMAR Dovchin)/ブルーバナー・ウランバートル
牛強(NIU Qiang)/中国人民平和軍縮協会・北京
笹本潤(SASAMOTO Jun)/日本国際法律家協会・東京
ソ・ジョンギ(SEO Jung Ki)/韓国アナバプティスト・センター、東北アジア平和構築インスティテュート・ソウル
沈丁立(SHEN Dingli)/復旦大学・上海
吉岡達也(YOSHIOKA Tatsuya)/GPPAC東北アジア地域イニシエーター、ピースボート・東京
南朝鮮の市民運動団体、参与連帯の平和軍縮センターは5月25日、「天安」号沈没事件の「調査結果」(5月20日)において8つの疑問点が解明されていないとするレポートを発表した。レポートは、調査内容には北の魚雷攻撃による沈没だと断定するには証拠が依然として不十分であり、多くの疑問点が解消されていないと強調した。要旨は次のとおり。
(魚雷の爆発時に起こる)高さ100メートル、幅20-30メートルの水柱によって艦首と艦尾、砲塔などすべての箇所でアルミニウム酸化物が検出されたとしながらも、船上の兵士の顔に水滴が飛びはねてきただけだという説明は説得力が欠ける。
5月20日の報告で、突如として水柱の高さ、幅、色などを詳細に証言する兵士の存在が確認されたというのも釈然としない。
生存者らは水柱はなかったと証言していた。4月26日の中間調査発表で民軍合同調査団は、水柱はなかったと報告し、水柱が観察されなかった原因を説明するのに躍起になっていた。
最も決定的な証拠のひとつである生存者の負傷の程度や死亡者の状態など、重魚雷の爆発による人体の損傷を立証できていないし、解明もしなかった。
とくに、死傷者に傷痕が見られなかったというが、魚雷攻撃だった場合は死体が著しく損傷されているはずだ。このように重要な問題に対して最終調査結果で説明がなかったのは理解できない。
魚が群れて死んだ現象もなかったのは理解できない、という指摘に対しても解明はなかった。国防部は潮流が速くてそのような現象は確認できなかったとしている。しかし、朝鮮日報5月21日付によると、軍消息筋は「北の潜水艦は当時、潮流が遅く攻撃しやすい時間帯を選んで攻撃したようだ」と述べている。その矛盾点は明らかだ。潮流が速かったとしても、救助活動の際にも魚群を発見できなかったのは理解できない。
魚雷爆発による切断であれば、船体は力が加わった方向にへこみ、切断面は形態も分からないくらいに損傷され、電線はすべて落ちてなくなっているはずだ。
船底の鉄板の厚さは小指程度なので全体に損傷があって正常だ。また、爆発による破片が船底に穴をあけ、破片が船内にあふれ、窓も割れているはずだ。しかし「天安」号の窓はそのまま残っているし、船底もきれいだ。
ハンギョレ新聞などのメディアは、船体が真っ二つになる瞬間をとらえたTOD(熱状監視装備=撮影担当の軍人によって自動的に回りながら記録を保存する監視カメラのこと)映像が存在するとの疑惑を提起した。メディアによると、この映像を見たという目撃者が存在し、彼らは「急に船体が割れ、5分も経たないうちに艦尾が沈み、艦首は20分で沈み始めた」と証言している。
軍は3月30日、40分の映像を1分20秒に編集して公開した。なぜすべて公開しないのかという批判が起こると、4月1日にこれを公開しながら、これ以上の映像は存在しないとした。ところが、民軍合同調査団によって発見された映像が追加公開され、軍のウソが明らかになった。これによって軍の信頼は落ちた。この問題を明確にすべきだ。
沈没原因を明らかにすると期待されたガスタービン室に対する調査が全くなされていない状況で発表した調査結果を「充分」とする調査団の説明は納得できない。
最初からガスタービン室の引き上げを公開しなかった軍の態度も疑わしい。
ガスタービン室が引き上げ中だということが5月18日に明らかにされると、国防部はこの日になってこの事実を明らかにした。
軍の発表によると、ガスタービン室は5月19日に引き上げられ、翌日に海軍第2艦隊司令部に到着。これは、調査結果にガスタービン室に対する調査が反映されていないことを意味する。
にもかかわらず調査団は、「ガスタービン室中央から左側3メートルの位置から総爆発量200-300キログラム規模の爆発があったと判断される」という調査結果を発表した。
このように納得しがたい調査結果は、特定の政治目的のために無理に発表を急いだのではないか疑問だ。
軍は艦尾を除いて艦首、海底などから高濃縮爆薬成分であるHMXを462ナノグラム、RDXを69ナノグラム、TNTを11ナノグラム検出したと発表した。しかし、調査団が魚雷爆発の主な状況証拠としてあげたのはこれらの極少量の爆薬ではなく、酸化アルミニウムだった。
アルファ潜水技術公社のリ・ジョンイン代表は、「アルミニウムは、海中で性質の異なる金属と合わさると、酸化が早い」「船体の大部分はアルミニウムだ。船体の白いのはアルミニウムがさびたもの、酸化したものだ」としながら、これが爆発によるものだとするなら爆薬、鉄などが酸化したものと発見されたものがないかぎり、爆発の痕跡だと説明するのはむずかしいと述べた。また、「250キロ級の重魚雷が爆発を起こしたなら火薬成分がこのように(少しだけ)残っているはずがない」と指摘している。
5年前からヨノ級潜水艇の存在を知っていたと明かした国防部長官は、4月2日、国会の報告で「北の潜水艦は映画で見るような米国の最新潜水艦のように長い潜行能力を有していない」と報告した。
130トン級の潜水艦の潜行能力は300トン級のサンオ(さめ)級潜水艦の20時間潜行能力よりずっと下回ると見られるのに米・南の合同戦力が唯一この潜水艦だけ追跡できなかったとするのは納得しがたい。
潜水艇の潜行を探知がむずかしいのは事実であり、軍もそのように言っている。しかし、魚雷発射を探知できないということまで説明されるものではない。
一般的に潜水艦は魚雷を発射するとき、位置が露出されるので追跡は容易だ。
魚雷が「天安」号はもちろん米・南の合同戦力の追跡装置がまったく分からなかったというのは理解できない。もしも当時兵士が失策したとしても、記録を再生する方法でいくらでもその記録を探せるはずだ。これに関しても解明がない。
レポートは、この他にも (1)魚雷スクリュー発見の経緯 (2)魚雷の腐食の程度 (3)北の魚雷部品の表記方式など様々な疑問点があるとしながら、これらについては真相究明の過程を見ながら問題提起するとしている。
なお、市民連帯の平和軍縮センターはこのレポートと同時に、軍の情報統制や民軍合同調査団のあり方など、調査過程においても6つの問題点があるとするレポートを発表している。
[朝鮮新報 2010.6.1]
大韓民国大統領 李明博 様
内閣総理大臣 菅直人 様
平和と民主主義を求める市民団体として、この書簡をお送りさせていただきます。
1994年の発足以来、民主主義の実践を通して政治的発言権を拡大してきた市民団体、参与連帯が、正当な活動に対して弾圧を受けるようなことがあってはなりません。
参与連帯は、6月11日に哨戒艦「天安」沈没事件の軍民合同調査団報告書にいくつかの問題点と疑問点が有るとする文書を国連安保理事国に送りました。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と大韓民国李明博政権に対して、挑発的な威嚇や軍事行動を起こさないように要求、また韓国政府に疑問の残る沈没事件の合同調査の更なる調査と国民への説明を要求するもので、国連安保理に対しては、緊張高まる情勢にある朝鮮半島の平和を最重視した判断を求めるものです。
哨戒艦の沈没原因を北朝鮮の魚雷攻撃によるものと断定し、国連安保理での北朝鮮非難決議を求めている李明博政権は、国民への説明責任を果たさずに、この要求に対して民主国家としてあり得ない弾圧を加えようとしています。また韓国政府外交通商部は15日、「わが国の外交努力を阻害するもので極めて遺憾な行動」と参与連帯を批判、検察も国家保安法の嫌疑、刑法上の名誉棄損などで捜査をはじめました。与党ハンナラ党、大統領府広報や首相などが、「利敵行為」、「国益に反する行為」などと非難するなか、参与連帯本部前では連日、保守系団体が糾弾集会を開く事態となっています。
哨戒艦の沈没事件が極めて重要な政治・外交課題であるにせよ、そのことの調査・報告に対して疑問や意見を表明するための民主的手続きは、全世界の国民に等しく与えられる権利と考えます。李明博政権の参与連帯への弾圧は国際的人権規約に反するものであり、極めて遺憾であるとせざるを得ません。
李明博政権は、即時にこのような弾圧姿勢を改め、国民の疑問に対しては丁寧に答える必要があります。そのことを実行しないかぎり国際的な説得力を持ちません。
安保理議長国メキシコのヘラー国連大使は14日、安保理として合意した議長所感として、「安保理は、乗組員46人の犠牲を招いたこの事件と、事件が朝鮮半島の平和と安定に及ぼした影響を深刻に懸念する」とし、「安保理は、同地域の緊張を高める可能性がある行動を自制するよう関係国に強く求める」と述べました。
日本の菅直人首相は22日、韓国海軍哨戒艦沈没に関する関係閣僚会議で、「日米韓の連携強化が重要だ」とし、「オバマ米大統領、李明博・韓国大統領としっかり3国が一致してこの問題に当たることを確認したい」と述べ、哨戒艦対応が焦点になるG8サミットで、北朝鮮を厳しく非難する李明博政権支持の立場を明確にしています。多くの疑問が氷解されない中で、一方的な非難をもって朝鮮半島および東北アジアの緊張をもたらす姿勢は短慮であるとの非難を免れません。
平和フォーラムは、日韓両国政府に対して、民主的姿勢を堅持しつつ東北アジアの平和を最優先し、自制的な態度で事態の処理に臨むことを強く要請します。加えて慎重姿勢を見せているロシア・中国とも協力し、東北アジアにおける平和醸成に重要な課題となっている六カ国協議の再開を追求するよう要請します。
2010年6月24日
フォーラム平和・人権・環境 / 原水爆禁止日本国民会議
事務局長 藤本 泰成