私と憲法109号(2010年5月25日号)


2010年5・3憲法集会
生かそう憲法!輝け9条!歩み続けて10年

半田 隆

10年目を迎えた「5・3憲法集会」は、今年も日比谷公会堂で開かれた。10周年記念として1万人集会を目指したが、実際の参加者は4500人にとどまる。

集会の内容は、田中優子・法政大学教授、伊藤真・伊藤塾塾長、福島みずほ・社民党党首、市田忠義・日本共産党書記局長のスピーチ、俳優の市原悦子さんの朗読である。司会は和田和枝さんと佐藤生さん。集会は、市民連絡会の高田健さんの挨拶で始まった。

主催者挨拶・許すな!憲法改悪・市民連絡会・高田健

10年前、政治的、社会的立場の違いを超えて、「憲法改悪は許さない」という立場で大きく団結し、広範な共同行動を作りだしてきたこと。この運動は全国的に広がり、改憲反対の大きな世論を作り出してきたこと。この10年間、明文改憲をすすめようとしてきた自公連立政権が倒れ、政治情勢の大きな変化が現れたこと。これは運動の勝利であり、共同は力、継続こそ力であること。明文改憲をめざした自公政権が倒れたとはいえ、さまざまな形で憲法改悪のための策動が続いていること。沖縄の普天間基地の撤去は当面する最大の憲法問題であり、平和と人権、民主主義に関わる基本的な問題であること。この5月18日は、安倍内閣が強行した改憲手続き法の凍結解除されること。憲法審査会の始動を求める声が出ていること、などを指摘。

会場には、イラク反戦運動の当時中学生だった人が子どもを連れて来ている。その若いお母さんと子どもたちに、世界に輝く平和憲法をそのまま手渡したい。アジアと世界の人びとと共に平和に生きることを保障した憲法9条を、生かすことを誓い合いたい、と挨拶。

法政大学教授・江戸文化研究者・田中優子

田中さんは、沖縄の普天間基地問題への思い入れとして黄色い着物を着て来られた。
田中さんは、憲法を生かし、9条を守っていくためには、最低限3つのことが必要だとする。1つは、沖縄から米軍基地を完全撤退させること。2番目は、憲法9条を守ることと再軍備を絶対に阻止すること。3つ目は、東アジア共同体をきちっとつくっていくこと、と指摘。江戸時代は、東アジアとのつながり、とくに朝鮮半島との深いつながりによって、内戦を乗り越え、海外侵略を乗り越えて270年間戦争をしなかった。近代が江戸時代を乗り越えてきたとは到底言えない、と江戸時代を評価。昨年『カムイ伝講義』という本を出版し、被差別民がどのような思いをしたか、百姓とは、漁民やマタギとは、商人とは、武士が何に苦しんでいたかを分析。近代は、これらの身分制度を乗り越えることに失敗したのではないか。それは第1条から8条の存在に示されている、と述べる。

憲法9条を改悪したい人たちは、現実にあわせるべきだという。法律とは異なり、憲法は政治に携わる人に対して憲法を守れというためにある。憲法9条は国内の問題ではなく、東アジアの問題であり、世界の問題だ。“憲法9条は天の贈り物だ”と言われるが、この奇跡を失ったなら歴史の針を昔にもどすことになる、とも語る。

憲法9条を改悪したら、中国やその他の東アジアの国々に緊張感がはしり、中国は日本に対して警戒をつのらせる。それをみて、日本のいくつかの団体は「それみたことか」といい、やはり日本には軍隊が必要だと言い、アメリカの助けが必要だといい始めるだろう。東アジア共同体構想はいきなり実現することはないが、私は先に述べた3つのことをめざして自分なりに研究すすめながら努力していきたい、と結んだ。

伊藤塾塾長・伊藤真弁護士

伊藤弁護士は、法律塾の経営者として法律を学ぶ学生に講義をしている。アフリカから来た30代、40年代の若手官僚にも、日本の統治制度、日本の憲法、平和構築について講義をした。その際ある国の官僚が、「60年以上も一つの憲法を国民が守りつづけてきたことは凄いことですね」と言い、「自分の国では、大統領が変わるたびに憲法が変わる」。国造りのために、日本の平和主義の理想を学びたい、との感想を述べたという。

この国は9条があったから戦争で1人も殺すことなく、殺されることもなくきたが、沖縄では58年間に、米軍兵士による事件で日本人が犠牲になった数は20万7000件、亡くなった人の数は1000人を超えている。米軍の基地、安保条約があることによって、多くの日本人が犠牲になっている。しかし同時に、米軍のアフガニスタン、イラクの戦争に加担し、私たちは殺される側よりも殺す側に立っている、と指摘。

普天間の問題では、鳩山さんの「腹案」に期待している。徳之島のつぎは長崎に、つぎは高知に、中国も近畿も北陸も中部も東京も東北も北海道も、順々と腹案を出してもらえばいい。それで、それぞれの地域の皆さんの反対運動がもりあがる。そのことによって「この国の国民は、基地なんかいらない」という国民の意思を明確に示せる、とユーモアを交えて鳩山政権を批判した。

最後に、理想としての日本国憲法について、憲法の世界では理想と現実が食い違うからこそ、憲法の存在意義がある。憲法の前文および9条の非暴力平和主義を、非常識だとののしる人はいる。最先端をすすむのは風あたりが強いし、さまざまな批判をうける。誰かがその最先端を走らないと人類は前にすすまない。9条は、人類の最先端を走っている。私たちは理想にむかって突き進む、と巧みな話術で参会者を魅了した。

語りと朗読・俳優市原悦子

井上ひさしさんが亡くなりました。先生は九条の会でたいへん大きなお仕事をされていました。その先生の気持ちを受け取って、今日は、先生も私の朗読を聞いてくれているかなと思いながら読ませていただきます。

あまんきみこ作・「ちいちゃんのかげおくり」

「かげおくり」って遊びを、ちいちゃんに教えてくれたのは、お父さんでした。出征する前の日、お父さんは、ちいちゃん、お兄ちゃん、お母さんをつれて、先祖の墓参りに行きました。その帰り道、青い空を見上げたお父さんがつぶやきました。「かげおくりの、よくできそうな空だなあ」。「えっ、かげおくり」と、お兄ちゃんが聞き返しました。「かげおくりって、なあに」。と、ちいちゃんもたずねました。「10、数える間、かげぼうしをじっと見つめるのさ。10と言ったら、空を見上げる。すると、かげぼうしがそっくり空にうつってみえる」と、お父さんが説明しました。「父さんや母さんが子どものときに、よく遊んだものさ」。「ね。今、みんなでやってみましょうよ」と、お母さんが横から言いました。

ちいちゃんとお兄ちゃんを中にして、4人は手をつなぎました。そして、みんなで、かげぼうしに目を落としました。「まばたきしちゃ、だめよ」と、お母さんが注意しました。「まばたきしないよ」。ちいちゃんとお兄ちゃんが、約束しました。「ひとうつ、ふたあつ、みいっつ」と、お父さんが、数えだしました。「ようっつ、いつうつ、むうっつ」と、お母さんの声も重なりました。「ななあつ、やあっつ、ここのうつ」。ちいちゃんとお兄ちゃんも、一緒に数えだしました。「とお」。目の動きといっしょに、白い四つのかげぼうしが、すうっと空に上がりました。--------------。

物語は、ちいちゃんたちが空襲に巻き込まれて命を失う。市原さんの迫真の朗読に会場は涙を誘われた。

社会民主党党首・福島みずほ

福島党首は、憲法13条幸福追求権、憲法24条家族の男女平等、14条法の下の平等、そして25条生存権、21条表現の自由、19条思想・良心の自由、これらの憲法の条文こそが生きる基礎だ、と述べる。

そして鳩山政権に参画するに当たり、憲法の3原則である平和主義、基本的人権の尊重、そして国民主権、これを遵守し、かつその理念を生かしていくという3党合意をした。平和の問題では、国会のなかで憲法審査会を絶対に動かさせない。内閣府担当特命大臣としては、子育て支援、消費者、男女共同参画、自殺対策、障がい者施策、雇用問題、貧困の問題などと取り組んでいる。核兵器の廃絶、脱原子力、非核三原則の現実化と法制化。武器輸出三原則の遵守をさせる、と述べた。

普天間基地の問題では3党合意の、「沖縄県民の負担軽減のために、地位協定の改定と在日米軍基地の再編を見直す方向で」のぞむ。社民党は、沖縄県内はだめ、グアム、テニアンが一番ということを主張。米政府が出した「環境影響分析書」は、さまざまな観点からグアムが一番という評価をしている。北マリアナ諸島のテニアンの北マリアナ連邦議会は、上院も下院も、自分たちが引き受けると決議を出している。沖縄の抑止力といった議論がある。沖縄の海兵隊はアフガニスタンやイラクに行っていてあまりいない。「最大の抑止力は戦争をしないと定めた憲法9条なのだ」と主張。

最後に福島党首は、今年は戦争が終って65年、日米安保改定60周年、という節目の年だ。いま政治は正念場を迎えている。主権者である私たちがこの社会を、時代を、歴史を本当に変えたいと力を合わせれば、必ず変えることができると確信している、と強調した。

日本共産党書記局長・市田忠義

市田書記局長は、志位和夫委員長がNPT再検討会議に出席しているので、代わってスピーチを行なうと前置きし、今日の憲法状況について、および今年改定50年を迎える日米安保条約と憲法との関係について述べる、と話し始めた。

明文改憲の策動は、中曽根元首相を会長とする「新憲法制定議員同盟」が中心で、新体制発足時には150人近くの衆院議員が参加していたが、昨年の総選挙で53人に減少した。「読売」の憲法世論調査では、「改正」が優位だったが、04年を境に改憲「賛成」が減少の一途を辿り、今年は遂に拮抗する結果となった。「朝日」の世論調査では、9条が「平和に役立つ」と答えた人が7割を占めるようになった、と運動の成果を示唆した。

さらに、核廃絶のために、共産党はNPT合意および国際交渉の合意を求めて全力を尽くす、と強調。
普天間基地問題について、4月25日の沖縄の県民大会に見るように、もはや沖縄県はもとより日本のどこにも合意が得られる場所はない。普天間の苦しみは、アメリカに持って帰ってもらおうではないか、と強調。

運動の重要性に就いて、1969年の日米両国政府は、沖縄県民と日本国民の運動の盛り上がりがあったからだ。沖縄県民の苦難に満ちた現状を変えるためには日米安保条約の是非を問う必要がある、という動きが起こっていることは重要だ、と指摘。

政府は、日本の安全保障の観点から、抑止力としての米軍が必要がという立場に立っている。しかし、在日米軍は、“殴り込み部隊”である。日本国憲法の根本である日米安保条約廃棄の国民的合意のために、あらゆる智恵と力を発揮しよう、と結んだ。

最後に、「アピール」を採択して集会は終了した。

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以下は、5月3日、日比谷公会堂でひらかれた集会での発言です。全て編集部の責任で採録するものです。タイトルは編集部が付けました。

主催者挨拶:高田 健(許すな!憲法改悪・市民連絡会)

日比谷公会堂内外にお集まりの全ての皆さん、こんにちは!
2010年5・3憲法集会実行委員会を代表し、一言開会のご挨拶を申し上げます。

本日の集会はこの5・3憲法集会が始まって10回目の記念すべき集会です。10年前、私たちは政治的、社会的立場の違いを超えて、「憲法改悪は許さない」という立場で大きく団結し、広範な共同行動を作りだしてきました。以来、この運動は全国的にも広がり、改憲反対の大きな世論を作り出してきました。

思えばこの10年、憲法をめぐる情勢は大きく変化しました。とりわけ小泉内閣から安倍内閣へと、憲法9条を目の敵にして、明文改憲をすすめようとしてきた自公連立政権が倒れ、政治情勢の大きな変化が現れました。これは私たちの運動の大きな勝利ではないでしょうか。いま、私はあらためて思います。共同は力であり、継続こそ力であります。

みなさん、しかしながら明文改憲をめざした自公政権が倒れたとはいえ、この人びとはあいかわらずさまざまな形で憲法改悪のための策動を続けています。あろう事か自民党の幹部は「徴兵制の検討」さえ口走っております。

それだけではなく、与党の中からさえ、憲法の精神に逆行する動きが繰り返し立ち現れていることを見逃すことはできません。今年は日米安保が改定されてから50年です。沖縄の普天間基地の撤去は当面する最大の憲法問題であり、平和と人権、民主主義に関わる基本的な問題です。これ以上沖縄の人びとに日米安保のしわ寄せをしていいはずがありません。米軍基地のたらい回しや、海外での戦争のための軍事基地を押しつけることは憲法違反の最たるものです。私たちはあらためて主張します。武力で平和はつくれません。

またこの5月18日は、安倍内閣が強行した改憲手続き法の凍結解除の動きがあります。与党の一部からは憲法審査会の始動を求める声さえでております。集団的自衛権の行使など、明文改憲ができないままで、解釈改憲をすすめようとの動きも相変わらずです。
私たちは決してこの歩みを止めることはできません。

本日、この会場には実行委員会発足直後、東京でも数万の若者たちが立ち上がったイラク反戦運動の当時、中学生だった友人が子どもさんを連れて参加して来てくれています。会場の外では狛江市から来た中高生たちのよさこいソーランと、子どもパレードのパフォーマンスも演じられました。とてもうれしいことです。この若いお母さんと子どもさんたちに、世界に輝く平和憲法をそのまま手渡したいと思います。それが今を生きる私たちの責任であると思います。

アジアと世界の人びとと共に平和のうちに生きることを保障した憲法9条を、この憲法記念日にあらためて高く掲げて、それを守り、生かすことを誓い合いたいと思います。

みなさん、私たちは本日の集会を「生かそう憲法、輝け9条、歩みつづけて10年」と名付けました。皆さんのご協力で、本日の集会とパレードを成功させ、これからも共に歩みつづけることをここに決意したいと思います。

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9条を守るということは

法政大学教授・江戸文化研究者 田中 優子

いま、1番重要な憲法問題は、普天間基地問題だと思います。今日、私が着ているこの黄色は、その思いをこめています。

私は9条を守るべきだと思っています。守るというのは何でしょうか。たんに博物館に入れて、ひからびたものを守る、ということではないと思います。憲法は生きていなければならない。憲法を生かしていくためには、9条を本当の姿で生かしていかなければならない、と思います。生きたものとするために、私たちがいましなければならないことがあると思います。最低限3つのことが必要だと思っています。

1つは、沖縄から米軍基地を完全撤退させることです。ところが、これは大きな危険をともなっています。完全撤退ということになったときに、すぐに出てきそうなのが日本の再軍備です。日本の再軍備、自衛隊による再軍備をするために、憲法9条を改悪しようとする動きが、もうすでにおこっています。もしかしたら、沖縄からの米軍の撤退ということをにらみながら、むしろ日本の再軍備を望む勢力がいるのかもしれない、と思っています。ですから、米軍が撤退するということになったときも油断してはならないと思います。撤退すればいいということではない。それは私たちの日本が、また再軍備されるかもしれないということなのです。

ですから2番目に大事なことは、憲法9条を守ることと、再軍備を絶対に阻止することです。
そして3つ目は、そのために、私は東アジア共同体をきちっとつくっていくべきだと思っています。なぜかといいますと、日本の再軍備という声があがるとしたら――もうすでに出ていますが、中国脅威論です。北朝鮮脅威論よりむしろ中国脅威論の方が強くなってくると思います。中国の艦隊が海に出始めているといろいろ報道されていますが、最近とみにそういう報道が多いです。私は、そのことはおそらく普天間からグアムに向けて米軍が少しずつ動いていくことをにらんだうえで、中国脅威論をこれからあおっていくのではないか、と思っています。そうだとすると、沖縄に米軍の代わりに日本軍がでていくだけなんです。

ですから、私は今言ったこの3つのこと――米軍の撤退、日本の再軍備の阻止、それから東アジア共同体をつくっていくこと、が同時にすすまなければ、非常に危険なことになると思います。

この東アジア共同体構想は、すでに民主党から出ていますが、現在のところは教育とか研究とかの側面です。人的交流です。これは軍備のうえでとか、軍事的にという構想ではありません。これはお互いに外交面――これは政治的な外交ではなく、民間のあらゆる外交のことなんですが、さまざまな外交をすることによって東アジアが互いに信頼を取り戻すことが、たいへんに重要なことだと思っています。

私は江戸時代の研究者です。江戸時代は270年間戦争がありませんでした。それはなぜかというと、東アジアとのつながり、とくに朝鮮半島との深いつながりによって、内戦を乗り越えて、海外侵略を乗り越えたからです。決して単独でできたことではありません。その東アジアとのつながりによって江戸時代の日本は、海外に依存することなく、きちっと物づくりをして、市場の活性化をしていました。つまり、豊かになりました。

ところが、この江戸時代を暗黒の時代とよび、鎖国の時代とよび、封建時代とよび、遅れている時代とよんだ近代の日本は、戦争をしつづけてきました。現在も戦争をするアメリカを支持しています。つまり私は、今の日本が完全に平和だと思っていません。そういう意味で、私は研究者としても、江戸時代の日本にたいして、近代がそれを乗り越えてきたとは到底言えないと思っています。

日本の歴史の上で、その近代という時代はどういう時代なのか。私たちは何にまきこまれてしまったのか。どうして私たちの税金で米軍をささえ、戦争をささえていかなければいけないのか。そのとき言われている「テロ」とは何なのか。そういうことの一つずつを考え直さなければならないと思います。私たちは、今言った「テロとのたたかい」という言葉等々について、「ああそうなのか」とそのまま受け取ってしまいます。しかし、その向こうにどういう意味があるのか、どういう構造が隠されているのか、どういう憎しみの構造が存在するのか考えなければならないと思います。

私は昨年『カムイ伝講義』という本を出しました。これは1960年代の『カムイ伝』という劇画についての本です。大学でそれを使って2年間にわたって講義をしてきました。それについて書いた本なのですが、この劇画を通して、さらに私は江戸時代について、いろいろ考えました。『カムイ伝』は、被差別民の物語ですから、被差別民がどのような思いをしたかという物語が基本になっていますし、百姓はどういう人たちであったか、漁民やマタギがどういう人たちであったか、そして商人というのはどういう存在であったか、そして武士が何に苦しんでいたか、そういうことが書いてあります。

いま言ったいくつかのことは、すべて身分制度とかかわっています。明治以降、近代になって、私たちは江戸時代のことを封建主義の時代とよびました。今でもよんでいる人がいます。身分制度の違いと、言っています。これは事実です。しかし、それでは私たちは身分制度を乗り越えたのか、ということを私たちに聞き返してきます。私たちは身分制度を乗り越えているのでしょうか。身分制度をのり超えるというか、人権を日々実現しているのか、ということでもあると思います。

私は近代になって、戦後になって、身分制度を完全に乗り越えることに失敗したのではないか、と思っています。それは1条から8条の存在です。これは身分制度なのです。これは、私たちの毎日の生活に関係がないのです。むしろ出版界をうるおす構造ですので、残っていてほしいと思う方はたくさんいらっしゃると思いますが、しかし、これは人権問題に抵触しないのでしょうか。身分というものは下の部分が消えればいいものなのでしょうか。上の身分だからあってもいいということなのでしょうか。だいたい、「下」とか「上」という言葉が出てくること自体が尋常ではありません。

でも私たちが当たり前と思っている日本のそういう構造の一つひとつが、いま憲法ということに照らし合わせて見ると、きちっと捉えられるし、私たちに問題をつきつけてくると思います。ですから私にとって憲法は、自分の顔を映す鏡なんです。憲法を読みながら自分の姿、この日本のありようをそこに映してみる。矛盾はたくさんあります。憲法の条項同士の矛盾もあります。実際とズレています。

憲法9条を改悪したいという人たちの中には、「現実にあわせるべきだ」とおっしゃる方がいらっしゃる。現実にあわせる憲法というのは意味があるのでしょうか。現実にあわせる法律は意味があると思います。しかし憲法は現実に合わせるために存在するのではなくて、私たち一人ひとりが、政治に携わる人にたいして、「憲法を守れ」というためにあるわけです。ですから、憲法を政治家にあわせて変えたら存在の意味がありません。だから私たちは、そういう意味でも、憲法を1つひとつ、よく考えなければならない。

ただ、さきほどいいました。1条から8条があってもいいのか、というと、憲法を変えてはいけないという立場の方とは対立することになりますね。憲法を変えるのか、変えないのかという問題と、憲法を通してどのような世界を構想するのか、という問題とは違うと思っています。ですから、そういう意味でも憲法は私たち一人ひとりに、あなたはどんな世界を望みますか、ということを迫ってくるのです。

私は憲法9条というのは国内の問題ではない、と思っています。東アジアの問題であり、世界の問題です。〝憲法9条は天の贈り物だ〟ということはよく言われることですが、そのとおりで、奇跡のように生まれました。この奇跡のように生まれたものを現実にあわせて失ったならば、私たちは歴史の針を、ずっとずっと昔にもどすことになります。

それから近代はとても大きなものをえました。憲法もその1つです。それによって法治国家になりました。裁判もきちんとおこなわれています。きちんとおこなわれているかどうか問題ですが、きちんと行おうという意思を近代になってもつようになりました。

この近代という贈り物は、その1つひとつについて、実現しないと意味がないのです。
憲法9条も、これは戦後できたものですが、やはり実現しないと意味がないのです。その意味で私が最初に言った3つのことを、私はめざしていきたいと思います。

もしかしたら、東アジア共同体構想については、皆さんは多くの不安をかかえられておられるかもしれない。だけれども、もし憲法9条を改悪したら、中国やその他の東アジアの国々にどのような緊張感がはしるのか、想像してみただけでもわかると思います。先ほど言った3つのことは、どの1つ欠けてもならないと思っています。もし、日本の再軍備のようなきざしが見えたら、現代の中国は日本に対して警戒をつのらせます。警戒をつのらせた中国をみて、さらに日本のいくつかの団体は「それみたことか」ということになって、やはり日本には軍隊が必要だと言い始めます。あるいはアメリカの助けが必要だといい始めます。そう言わせないために、私たちは,東アジアときちっと向かい合って、さまざまな点で結び合っていかなければなりません。東アジア共同体の問題と憲法9条と、アメリカ軍に撤退していただくことは、全部つながりあっています。

アメリカ軍の撤退どころか、普天間基地さえなかなかなくならないのですが、いきなり全部というわけにはいかないでしょう。それは東アジア共同体構想がいきなりできるわけにはいかないということと同じです。でもどの方向を向いて努力していけばいいのか、ということを私たちはいま確認しなければならないと思っています。私は先ほど言った3つのことをめざして自分なりに研究すすめながら努力していきたいと思っています。

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9条を次の世代につなぐ

伊藤塾塾長・弁護士 伊藤 真

私は、弁護士や裁判官、検察官など、将来、法律を使って仕事をする学生に憲法などを講義しています。
昨年、アフリカから来た30代、40歳代の若手官僚のみなさんたちに、日本の統治制度、日本の憲法、そして平和構築について話をさせていただく機会がありました。アフリカにもいろいろな国がありますが、まだまだ内戦とか、さまざまな紛争状態で国民が穏やかに生活するにはほど遠い。そんな中でも、これから自分たちの国を担っていく若手官僚の皆さんたちが、なんとしても平和を実現したい、そして憲法にもとづくきちっとした国家をつくりたいと、その見本として日本にやってきて、日本の憲法を学びたい、ということでした。

私は、憲法の話をしました。そして日本の憲法は63年間もずっと変えられずにここまできたことを話しました。私はてっきり、「なーんだ60年以上も改正されていないのか、そんな古い憲法をあなたたち、いまだに使っているのですか」といった批判や質問がくると覚悟していました。ところが、あるアフリカの国の官僚が、「60年以上も1つの憲法を国民が守りつづけてきた。それはすごいことですね」という感想を述べられました。私はちょっと拍子抜けしましたが、すごく嬉しかったです。

その方は、こんなことを言っておられました。「自分の国では、大統領が変わるたびに憲法が変わってしまう」と。いわば大統領が自分の好きなように憲法を変えてしまう。まったく国民のためになっていない、というわけです。どうしたら国民が自分たちの力で、大統領を縛る、権力をしばる憲法を正しく持ちつづけることができるのでしようか。そんなことで、ずいぶんやりとりをさせていただきました。

そして、日本の平和構築の仕方――積極的非暴力平和主義で軍事力や武力や暴力を使わないで平和を実現していく、そして世界に貢献していく、ということも素晴らしい。もちろん、自分たちの国は内戦でたいへんです。武器をもっていないと自分がやられてしまう。それでも、やはり武器のない、戦争のない、紛争のない、そういう社会をめざしたい、というわけです。その理想を実現している日本は、そして憲法9条はすごい、と言われました。とても嬉しかったです。

あちこちで、講演させていただいています。今回のように憲法を大切にしよう、9条は誇りだという皆さんたちばかりだと私も話しやすいのですが、いろいろなところで話をしますとなかなかそうはいかない。

私は、「人間は戦争をしてはいけない。この一点だけはゆずれません」とお話するのですが、すぐさま、「何言っているんだ。正しい戦争もあるのだぞ」というヤジがとんできたりします。正義のための戦い、民主化のための戦い、人道のためのたたかい、テロとのたたかい。「そもそもオマエは自分や家族を守るために戦わないのか。卑怯者め!」とか叱られます。それでも私は、「人間は戦争をしてはいけない」というこの一点だけ譲りません。それはどんな正しい目的を掲げても、戦争のような人の命を道具に使うことはあってはならない、そういう強い思いがあるからです。

これまで、この国は戦争で1人も殺すことなく、殺されることもなく、きました。9条があったからにほかなりません。今日も東京は本当に穏やかなポカポカ陽気です。でもこの本当に素晴らしい5月の日本のもとで、しかし沖縄ではどうなんでしよう。今日はお休みかもしれませんが、毎日爆音に悩まされている皆さんたちがいて、そして私たちのこの穏やかなすばらしい平和をいま東京で享受しています。

さきほど1人も殺すことなく、殺されることなく、と言いました。少し前に共産党に調べていただいた、その結果を見せていただきました。これまで58年くらいですが、日本の国内で、米軍の兵士による事故とか犯罪で日本人が犠牲になつたものは、20万7千件くらい。そのなかで日本人が亡くなった犠牲者の数が1084人でしたか、ともかく1000人を超えているのです。「日本人は一人も死んでないぞ、9条があるから」――それはそれで素晴らしいことです。でも米軍にかかわる事故や犯罪によって1000人以上の日本人が犠牲になっています。それはいうまでもなく安保条約があり、米軍の基地があり、地位協定がある、そんな中での私たちの生活だからですね。もちろん、憲法9条によって直接には戦争にはかかわらないできましたが、米軍の基地を私たちが抱えていることによって、安保条約があることによって、それだけ多くの皆さんたちが犠牲になっている。そして何よりも私たちは、アメリカ軍のアフガニスタン、イラクの戦争に加担してしまっている。少なくとも私たちは殺される側よりも殺す側にたっているわけです。

だから戦争の被害者にもならない、加害者にもならない、という強い思いで作り上げたこの憲法そして9条。いままでもたいへんに強い力を発揮してくれましたし、私たちも使ってきました。でも、まだまだ不十分なところがあるかな、と思います。

昨年、沖縄に行ってきました。毎年、塾生を沖縄につれていっていろいろ見てもらいます。将来法律家になろうという人間は、沖縄の状態を見て、自分の頭で考えていい法律家になってほしい思うからです。普天間基地にももちろん行きますし、辺野古にも行きます。

バスガイドさんに案内をしていただきました。そのバスガイドさんは本土からの平和団体などの案内もされている方ですが、言われてしまいました。「あなたたちはいいですね。何か問題がおこったときだけやってきて、沖縄を見てまわればいいのだから」と。

またこんなことも言われてしまいました。「実はいちばんつらいのは、いろいろ案内し終わって、別にかれるときに、本土から来た人が、『普天間の問題がんばってくださいね。応援していますから』といわれること」だと。「どこの国の話だと思っているの。植民地の話だと思っている。外国の話だと思っている。そういう励ましがいちばんつらい」といっていました。そういわれて、私は自分にもそういうところがないだろうか、と思いました。

普天間の問題でいま大変な状況です。徳之島にも一部もっていく。それが「腹案」だったという感じですが、よくわかりません。徳之島の皆さんたち、反対運動されますよ。それはそうですよ。アメリカ国内の環境基準では絶対に許されないような爆音やさまざまな被害を、アメリカの国内法が適用されない日本にわざわざもってくるわけですから許されるはずはない。徳之島の皆さんたち反対運動されます。それでは、それは地域の住民のエゴなのか、そんなことはありません。それは主権者である国民の意思なんです。

私は鳩山さんの「腹案」というのに期待しているのです。徳之島のつぎは、長崎あたりにもっていく。そして長崎のみなさんが「大反対だ」という声を出す。つぎは高知あたりにもっていく。そうすると高知や四国の皆さんは「大反対だ」という声をあげられます。そして中国、そして近畿も北陸も、中部も東京も、東北も北海道も、それぞれのところに順々と腹案を出してもらえばいいと思います。そしたら、それぞれの地域の皆さんたちが「大反対だ」と、それぞれの地域で反対運動がもりあがりますね。そのことによって、「この国の国民は反対なんだ。基地なんかいらない」ということを表明する。それが徳之島の皆さん、沖縄の皆さんの意思、この国の市民の、国民の意思なんだということを明確に示せるわけですよ。ぜひ、そのような腹案をつぎつぎ繰り出していただきたい。

そして、どうしても米軍の基地を日本国内に置きたいというのであれば、その基地でいちばん守りたいと思っている人を、守りたいと思っている人たちで守ってもらえばいいと思います。すぐ近所にとても緑豊かなところもあります。滑走路をつくるにはちょっと小さいかもしれません。でも水を埋め立ててとか、水をはってあるところに杭をうちこんでとか、なんかできそうな感じがしないでもないですよ。もうちょっとまじめに本気で滑走路をつくるなら、内堀通りあたり、虎の門通りあたりから検察庁の前、祝田橋を通って、大手町あたりまでいけば2500メートルの滑走路ができるのではないかと思います。1本では足りないというときは、東京駅あたりから二重橋前、桜田門、そして国会に向けて、というのがいいのではないか。そして米軍の飛行機が国会の屋根をかすめながら訓練に飛んでいくのです。爆音で国会審議が中断される。そして爆音と振動で、中では居眠りもできない。一石二鳥の感じがします。

要するに、自分のこととして考えて初めて、憲法を必至で考える。平和、あるいは人権もそうです。

63年前、敗戦のなかでこの憲法が生まれました。その時には、まだ戦前の天皇制のもとでの自由や言論の弾圧、そして天皇制のもとでの戦争――そういうことはもうゴメンだ、あんなひどいめにあった、という実体験にもとづいて、この憲法ができあがったわけです。そして国民がこの憲法の価値をまさに支持しました。この憲法施行当時の国民の皆さんは、まさに自分のこととして平和ですかと、人権、自由の問題、そして国民主権の問題をとらえておられたと思います。

それがだんだんと平和というものが他人事のような、もちろん平和を享受はしていますが、しかし、それを意識することがあまりなく、そして人権だとか自由だとかをあまり意識しないでも生活ができるような、多くの人たちがだんだんそうなっていく。そして一部の少数の皆さんたちにさまざまなしわ寄せがいってしまって、多くの人たちはのんびりのほほん生活ができてしまう。そして憲法は何のためにあるのか、そんなことを考える必要すらまったくないような時代がつづいてきてしまったのかもしれません。

でもそんな中で、50年前の安保闘争とか、この前の小泉、安倍政権の憲法改悪、そして反貧困ということも含めての政権交代、これはまさに憲法の価値を、自分ごととして感じる多くの国民の皆さんたちの力で、ここまでこの憲法の価値を維持しつづけることができたわけです。

3年前に憲法改正国民投票法という法律が、事実上の強行採決でできてしまいました。私、あのとき反対をしたのですが、当時の政局などもあって、あまりいい法律ではない形でできてしまいました。そして3年後に施行されるということはわかっていました。皆さんはこの3年間、どれだけ多くの子どもたちに憲法の話しをされましたか。あの改定法では18歳以上が国民投票ができる仕組みになっています。実際は18歳は難しいかもしれませんが、ともかく法律ではそうなっていました。これからこの国を担う子どもたちに、どれだけ皆さんが憲法の話をしてくださったでしょうか。自分の子どもたちや孫だけでなくて、何人の子どもたちに憲法の話をしてくださいましたか。3年間猶予があったのです。3年もあればずいぶん多くの子どもたちに伝えられたのではないかと思いますが、どうでしょう。

憲法を大切にしよう、9条を大切にしようという皆さんが勉強会を開いたりすることはすごく大切なことです。でも、1人でも多くの、これからの担い手の若者たちに憲法を伝えていくことは本当に重要なことだと思います。宣伝になって申し訳ないのですが、ちょっと前に、『中高生のための映像教室』というDVDをつくりました。学校の先生たちに授業などで使っていただければ、というようなものなのです。皆さんにも、解説書もついていてわかりやすいのですが、憲法を自由だとか、地方自治だとか、民主主義など、さまざまなテーマについて整理をしたものなんで是非ご活用ください。子どもたちに伝える、自分の言葉で伝えにくいときに、「こんなものを見てご覧」などと紹介してもらえれば嬉しいなと思います。是非、次の世代に伝える具体的な手だてを考えてみたいと思っています。

そしてもう1つ、去年初めて気づいてしまったことがあります。私は、30年近く、憲法は大切だとか、憲法と法律は違うんですよ、憲法は国家を縛るもので国民を縛るものではない、と言い続けてきました。30年前、「憲法の話を聞いてください」といっても、ほとんどの方は、聞いてくださいませんでした。ここ数年、いろいろな方にお話を聞いていただけるようになりました。今日もそうですが、高い所からの憲法の話を聞いていただけるようになりましたが、去年初めて気づいたことがあります。それは、私には1票なかった。1票の格差の問題です。

参議院選挙がありますね。あの選挙もきわめて重要です。憲法の価値を大切にする、そういう意味をしっかり見定めて投票する。これは主権者である私たちの責任です。そこでいいかげんな人に投票してしまって、後になって文句いってもしょうがありません。私たちは選挙権という、とても大切な力をもっているのですから、次の選挙ではしっかりと一人ひとりを見極めて、また1つひとつの政党の主張を見極めて投票しなければなりません。ただその時の1票です。私はずっと、自分は1人で1票をもっていると思い込んでいました。そうではありませんでした。1票の格差、議員定数不均衡という問題があります。

たとえば衆院の小選挙区でいえば300あります。人口のもっとも少ない高知3区でも1人当選します。それから人口のもっとも多いのは千葉の4区でしたか、では人口が48万人います。そうすると人口の少ない地域で一票投じられるその1票の重み、政治に対する影響力は人口がたくさんいる地域にくらべて、1票が2倍、3倍の価値がある、という話です。東京に住んでいる私は、田舎に住んでいる皆さんたちは2票分、3票分もっていて得しているのでは、ズルイのでは、と思っていました。

でも、そうじゃないんです。高知3区の方は1票もっているんです。それに比べて私は1票ないということに気づいたのです。私が1票で、田舎の人たちが2票、3票なのではなくて、彼らが1票だと私は0.5票もない、ということに気づいたのです。男の人は1票です、女の人は0.5票です、としたらどうです。納税額1000万以上の人は1票です、納税額1000万未満の人は0.2票です、といわれたら「何だ」ということになります。高知3区の方は1票です。東京のあなたは衆議院選挙では0.48票、参議院選挙では0.23票です、といわれたら、「ちょっと待てよ」と思いますよね。しかし、それがこの国の実態なんです。選挙で、いまの与党はどうなってしまうだろうか、ずいぶんマスコミや週刊誌は騒ぎますが、私にすればチャンチャラおかしい。茶番ですよ。だって、高知3区の方は1票を投じる。東京の私は4人が束になって初めてそれと同じ1票分です。これが日本の実態です。1人1票ない。民主主義でもなんでもない国だったのです。

1人1票みんな対等にもっていて、その中で議論がなされる。これも憲法にかかわるものすごく重大な問題だと思っています。私は、そういうことで1人1票の実現ということに向けていろいろやっているのですが、Tシャツをつくって皆で販売したりしています。

さて、憲法は理想ですね。理想と現実は常に食い違います。とくに憲法の世界では理想と現実が食い違うからこそ、憲法の存在意義があるわけです。でも理想を語ると、それは最先端をいっていますから、「非常識だ」などといろいろ言われてしまいます。憲法、とくに9条などというのは非常識のきわみです。世界からみれば非常識です。そんなことを百も承知で、あえて非常識の9条を掲げました。

200年前、アメリカの南部で「奴隷制反対」なんて声をあげたら「何非常識なことをいっているの」とバカにされたでしょうね。「200年以上歴史のある奴隷制をいまさら廃止できるわけないでしょ。奴隷制があるから綿花畑をやっていけるのです」ということになったでしょう。しかし200年たっていまのアメリカで「奴隷制反対」などといったら、「なに当たり前のこと言っている」とあきれられてします。「いまは奴隷の子孫がファースト・レディになる時代ですよ」と言われてしまう。200年前非常識だったことは、いまは常識になっています。こうやって人類は進歩していくものなのです。

憲法の9条、前文の非暴力平和主義を、いまは非常識だとののしる人はいるでしょう。当然ですよ。最先端なんですから。最先端をすすむということは風あたりは強いし、さまざまな批判をうけるし、たいへんです。でも誰かがその最先端を走らないと人類は前にすすみません。私たちの憲法、前文、9条の非暴力平和主義という考え方はまさに人類の最先端を走る、それは私たちが一身でその批判や、さまざまな中傷をうけても前にすすむ、それだけの価値があるから、私たちはそれを掲げ、いまここにこうしているわけです。

そのことを憲法の前文は、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と言葉で宣言しているわけです。誰もやりたがらないでよ。そんなことは。皆といっしょの方が楽だからです。でもあえて私たちはあえて理想にむかってつきすすむ。そばからみれば愚か者かもしれませんが、でも、そういう人たちが必要なんです。そうやって私たちは進歩していきます。

私の塾生にあるときに,まったく眼の見えない学生がやってきました。弁護士になりたいときたのです。小学校の時にまったく眼が見えなくなりました。それでも弁護士になりたいというわけです。彼はそれから一生懸命勉強して、たいへんでしたけれども、それでも立派に合格して、いま弁護士をやっています。彼は眼が見えないで不自由、その不自由であるがゆえに、逆に自分の可能性を広げました。私は彼を見ていてこう思いました。「不自由が人を自由にする」。なにかの制約があってかえってその中で努力することによって、つきぬけて本当に人は自由になると思います。そして人間というのは、そういう強い力をもっていると思います。

私たちだって命が有限だからこそ、それをよりよく生きたい。自分のためではなくて、人のため、世界の子どもたちが一人でも多く笑ったり泣いたり、楽しく泥んこ遊びをして、学校にいってころげまわって、という世界になってほしい。そのために自分は何かにしたい、そう思って皆さん方、今日ここに集まってくださっているのではないですか。

人の命は限りがあります。そして、さまざまな制約があります。軍隊なんか使うな、武力なんか使うな、暴力なんか使うな、という。そんな憲法9条の厳しい制約のなかでこそできること。私たちは世界に出ていって自由に活動することができる。だからこそできることがたぶんあるのではないか。

この9条、そして憲法を大切に次の世代につづけていく、これは大変なことです。これからいろいろ不自由を感じる制約があるかもしれません。障害ももちろんあるでしょう。でもそういう壁にぶつかったり、いろいろな制約、障害があるからこそ、私たちはがんばれるし、それを突き抜けて、より自由な、平和な社会に向けて突き進むことができる、ということを最後に申し上げたい、と思います。

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憲法25条と平和の問題について

社会民主党党首 福島みずほ

みなさんこんにちは、2階のみなさんこんにちは、一階のみなさんももちろんこんにちは。そしてオーロラビジョンを観ていらっしゃるみなさん、外からですみませんがみなさんこんにちは。

私はこの憲法記念日には毎年出席して、みなさんたちから力をもらっています。憲法を守るぞ、憲法を生かすぞと、いつも勇気をもらっています。今年も憲法が施行された日、この日にここにいらっしゃるお一人お一人に、心から連帯のあいさつを差し上げます。憲法を生かしていきましょう。

私は日本国憲法が大好きです。憲法13条幸福追求権、憲法24条家族のなかにおける男女平等、14条法の下の平等、そして25条生存権、21条表現の自由、19条思想・良心の自由、本当にどれをとっても憲法の条文があったからこそ、私たちは元気に生きていくことが出来る、そう思います。

私は今、内閣府担当特命大臣として、子育て支援、消費者、男女共同参画、自殺対策、とりわけ障がい者施策など、がんばっています。どれもこれもまさに憲法の問題です。3党で連立政権を作るとき、「第一章憲法」の章を設けて、憲法について合意をしました。憲法の3原則--平和主義、基本的人権の尊重、そして国民主権、これを遵守し、かつその理念を生かしていく、そう3党で合意しました。ですからこの内閣は憲法9条を変えようとする内閣ではなく、憲法の理念を生かす内閣として全力でがばってまいります。

とりわけいま大事なのは生存権の問題、25条ではないでしょうか。健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある、と憲法に規定されながら、憲法の理念はまだまだ現状のなかでは真の意味で生かされておりません。貧困の問題――女性の貧困、子どもの貧困、すべての人の貧困をどうやって根絶するか、政治は今こそ全力をあげるべき時です。
自民党政権下で壊されてきたものの再構築、それをしっかりやってまいります。

まず、私自身も自殺対策をいまやっています。年間3万人以上の人が死においやられるその根底には、雇用の問題があります。自民党政権下で規制緩和されてきた働く人たちの法律、壊されてきた労働条件、これをきっちり強化していく、そのことに皆さんといっしょに全力をあげたいと思っています。派遣法の改正、そしてその後は契約社員の皆さんの法律的な規制、パート法の改正、均等法の改正、そして正社員の皆さんも含めた長時間労働の規制が、絶対に必要だと考えています。

そういうことを一つひとつ政治の場面でやることが、25条の憲法理念を生かすことだと確信しています。皆さん、どうか応援してください。

そして次に、やはり平和の問題です。
NPT会議が開かれています。核兵器の廃絶、広島の平和祈念式典に出て、平和市長会の2020年までに核兵器を廃絶するというさまざまなスピーチに毎年心をうたれています。核兵器の廃絶、それと脱原子力、この2つの核を無くすために全力をあげてまいります。

そして、非核3原則の現実化、法制化です。政権交代をして密約問題が表に出てきました。しかし、大事なことは、それがわかったいま、実質的に、本当の非核3原則を私たちが堅持し、本当に生かしていくことではないでしようか。そして武器輸出3原則の緩和など、絶対させないようがんばってまいります。

そして憲法改正のための国民投票法が今月施行される予定です。たくさんの宿題をかかえてどうでしようか。社民党は国会のなかで憲法審査会を絶対に動かさせない、そのために全力をあげてまいります。

新党がポコポコできていますが、私はいずれも改憲勢力だと思います。社民党が内閣の中にあるかぎり、社民党が政治の中にあるかぎり、国会の中の憲法審査会を動かして、憲法9条を変えるようなことはどんなことがあってもさせません。そのために、私たちだけではダメです。皆さんたちの大きな力を私たちに、そして皆さんにくださるようお願いを申し上げます。

そして皆さん。普天間基地の問題です。9月に成立した3党合意に、しっかりこれは入れました。「沖縄県民の負担軽減のために、地位協定の改定と在日米軍基地の再編については、見直す方向でのぞむ」と。そして11月、12月、もしかしたら辺野古の沿岸部に海上基地をつくるという決定がされるのではないか、そんな危機感をもちました。それで私は12月3日、「もしこの内閣が辺野古の沿岸部に海上基地をつくるという決定をした場合、社民党としても、私としても重大な決意をしなければならないと思います」と述べました。

それから大きく変わりました。少なくとも12月中に辺野古の沿岸部に海上基地をつくるという、自公政権下で決定したことを、決定させることはなかったのです。これは私は、社民党が閣内にあったことと、それをささえてくださった皆さんたちのおかげだった思います。そして沖縄をはじめとした皆の力だったと思います。

さらに、辺野古の海を埋め立てて海上基地をつくることと、桟橋をつくって海上基地をつくることは、いずれも環境破壊であり、沖縄県民のへの負担軽減とは絶対にならないと私は思います。

4月25日に沖縄で県民大会が開かれました。県内施設を県外、国外へという大きな県民大会でした。その沖縄の人たちの思いをしっかりと受け止めてやるのが、私は政治だと思います。自分のところにくるのはイヤだというのであれば、沖縄に負担をおしつけることはできないと思いますが皆さんどうですか。

社民党は、沖縄県内はダメだ、そしてグアム、テニアンが一番ということをずっと言っています。社民党は2回、グアム、テニアンに行きました。沖縄県議会議長もいっしょに行きました。またアメリカの国会議員、ルース大使と何度も話しをしました。あらゆることを、できることをやろうとしています。

今日ここに、去年11月にアメリカが出した「環境影響分析書」を持ってきました。アメリカは米軍自身がさまざまな観点で評価し、グアムが一番という評価をしています。沖縄ではなく、グアムが1番というのを社民党が言っているのではなく、米軍が言っております。そしてこのなかで、普天間のヘリ部隊がグアムに移ることによって、飛行回数が19,251回が38,206回になるとちゃんと評価されています。増える2万回というのは、いまの普天間基地でおこなわれている回数とほぼ一致します。沖縄の普天間基地の海兵隊はグアムに行くのだ、これが基本的にアメリカの考え方です。

また、テニアン――グアムの近くですが、北マリアナ諸島のテニアン、この北マリアナ連邦議会は、上院も下院も、自分たちが引き受けると手を上げました。上院も下院も決議を出しているのです。ですから私は思います。グアム、テニアンにどうしたら本当に移ることができるのか、しっかりがんばって、私たち自分たちの問題として力を合わせ解決していこうではありませんか。

皆さん。国会のなかでは、「沖縄の抑止力」といった議論があります。「海兵隊の抑止力」ということも言われます。しかしどうでしょうか。沖縄の海兵隊はアフガニスタンやイラクに行っていて、あまりいない、ともいわれています。沖縄の海兵隊の実数は国会の中でも明らかにしていません。私は抑止力について国会できかれて、こう答弁しました。「抑止力、抑止力というけれど、最大の抑止力は戦争をしないと定めた憲法九条だと思います」

さきほど、田中優子さんから東アジア共同体の話もありました。わたしは、戦後の日本の本当にすばらしい財産は、すくなくとも直接の戦争をしなかった、そのことに尽きると思っています。私は、抑止力というのであれば、憲法9条こそ最大の抑止力、これでがんばってまいります。

皆さん。私はもう沖縄県内で新基地をつくることはできない、民意はそうである、日本は民主主義の国だから、沖縄の人たち、住民の人たちが「ノー」というのであれば沖縄に作れないのです、ということを、日本ははっきりとアメリカに言うべきだと考えています。日本は民主主義の国です。人びとが望まないところに、望まない形では、基地はぜったいにつくれないと思います。

アメリカもやはり民主主義の国ですから、「できない」ということをはっきり言うべきではないでしようか。それこそ、日米関係が対等になることだと私は思っています。

自民党はアメリカに対しては「できる、できる」と言いながら、できない計画をずっと言ってきました。「はい、はい」と密約をむすぶ。アメリカにたいしてきちんと交渉しない、その結果が、押され押されて約束する密約だと思います。

今年は戦争が終って65年、日米安保改定60周年、という節目の年です。私は歴史を変えたいと思います。時代を変えたいと思います。普天間基地の即時返還と、その真の解決をなんとかしたいのです。普天間基地問題は社民党問題ではありません。沖縄だけの問題ではありません。私たちが平和を、憲法を、そして米軍基地をどう考え、どう解決するかという、私たちすべての問題だと思いますがいかがでしょうか。

いま政治はまさに正念場を迎えています。だからこそ解決したいのです。沖縄の人たちは5月末に、この問題をちゃちゃちゃと決着してほしい思っているでしょうか。沖縄の人たちは普天間問題の真の解決を望んでいると思います。大事なことは時期ではなくて、皆で力をあわせてこの普天間基地問題の真の解決をすることだと思います。

私は最近、政治とはあらゆる可能性に挑戦する技術であり、情熱であると思うようになりました。憲法理念をこの日本社会で本当に生かしていく、この65年間のいままでの政治を本当に変えていく。違う社会をつくることは本当に大作業です。ものすごい力作業です。でも私は信じています。主権者である私たちがこの社会を、時代を本当に変えたいと皆で力を合わせれば、必ず変えることができると確信しています。

そのために私も閣僚の1人として、社民党党首として、1人の参議院、国会議員として、多くの皆さんたちと力を合わせてかならず勝利をしたいと考えています。

そして最後にお願いです。今年の7月、参議院選挙があります。私は憲法9条を変えさせない、その思いで国会議員になりました。社民党は大きくない政党です。でも皆さん、社民党が国会にいる、とりわけいま内閣にいることで、死に物狂いで問題を変えようとたたかっていることをどうか知ってください。そして東京選挙区は37歳の森原ひできさんが候補予定です。そして全国比例区、私もそして保坂展人さんも全国比例区でたたかいます。社民党を大きくしてください。よろしくお願いします。

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憲法九条と相いれない軍事同盟─日米安保廃棄へ国民の合意広く

日本共産党書記局長 市田忠義

会場いっぱいにお集まりのみなさん、場外でオーロラビジョンをご覧のみなさん、日本共産党の市田忠義でございます。
志位和夫委員長がNPT(核不拡散条約)再検討会議に出席するためにアメリカに行っております。今年は私が代わってスピーチをいたします。よろしくお願いします。

今日私は、2つのことをお話ししたいと思います。1つは、今日の憲法状況について、もう1つは、今年改定50年を迎える日米安保条約と憲法との関係についてです。

改憲策動の最近の特徴について

明文改憲の策動は、いま、国民のたたかいによって重大な困難に直面しています。
この間、具体的な改憲策動を推進する先頭に立ってきたのが、中曽根元首相を会長とする「新憲法制定議員同盟」でした。この同盟には新体制発足時(2008年3月)、150人近くの衆院議員が参加していましたが、昨年の総選挙で再選されたのは、このうちわずか53人にすぎませんでした。

改憲派の“オピニオン・リーダー”を自認する「読売」の憲法世論調査でも、注目すべき結果が出ています。同紙の調査では、1993年以来、「(憲法を)改正する方がよい」とする回答が、「改正しない方がよい」とする回答を大幅に上回っていました。ところが、あいつぐ自衛隊の海外派兵、改憲勢力の問答無用の改憲ごり押し姿勢を目の当たりにした国民の中に危機感が広がり、2004年を境に「改憲賛成」が減少の一途をたどりはじめ、今年ついに「改憲賛成」と「反対」が桔抗(きっこう)する結果となりました。また、きょうの「朝日」の世論調査では、「9条改正反対」が67%、その9条が「平和に役立つ」と答えた人が、7割を占めました。

一時は“一潟(いっしゃ)千里”にすすむ勢いだった明文改憲策動は、国民のたたかいの前に「頓挫」ともいうべき状態に陥っています。

みなさん、改憲策動の芽が根絶されていないことに十分に警戒心を払いながら、国民がつくりだしたこの状況に、お互いに深い確信をもとうではありませんか。

同時に、形を変えた解釈改憲のくわだてには、特別の警戒心が必要であります。
鳩山政権は、成立以来ことあるごとに、“憲法解釈については、従来の内閣法制局長官答弁に縛られることなく、政治主導で決めてゆく”という立場を表明しています。鳩山政権の掲げる「内閣法制局長官の国会答弁禁止」措置の狙いは、この立場をおしすすめようとするものです。

歴代の法制局長官は、解釈改憲に手を貸しながらも、海外での武力行使、他国の軍隊の武力行使と一体となった活動は「憲法違反」だという一線を越えることはできませんでした。

他方、民主党の立場はどうでしょうか。小沢幹事長が公言しているように、「国連の決定があれば、それにしたがって自衛隊が武力行使することはなんら憲法に抵触するものではない」というものです。この立場を公式の「政府見解」に仕上げるためには、従来の答弁に固執する法制局長官をそのまま答弁席に座らせておくことはできないこ――これが真の狙いにほかなりません。

「国会改革」の名で、無法きわまる憲法「解釈」を国会と国民に強制するたくらみを阻止するため、世論による包囲と運動をいっそう強めようではありませんか。

憲法と矛盾する安保50年、米軍基地の問題について

昨年のこの集会でわが党の志位委員長は、日本国憲法には核廃絶の願いが込められていると強調しました。ちょうどいま、第8回NPT再検討会議がニューヨークで開かれています。日本共産党は、核廃絶へ大きく一歩を踏み出すために、次の2つのことが大事だと考えています。1つは、2000年のNPT再検討会議で合意された「自国核兵器の完全廃絶を達成するという全核保有国の明確な約束」を、再確認すること、もう1つは、核兵器廃絶のための国際交渉を開始する合意をつくること、この2つの実現のために全力を尽くす決意であります。

さて、今年は、戦後65年、安保改定50年の歴史的節目の年です。
今日は、日本国憲法とは相いれない存在である日米軍事同盟の核心の一つ、米軍基地問題について、ご一緒に考えてみたいと思います。

4月25日、米軍普天間基地の撤去・県内移設反対の旗を掲げた県民大会が、沖縄・読谷村で開かれました。仲井真知事をはじめ、代理を含む41市町村すべての首長が参加し、地元紙は「日米揺るがす県民総結集」(「沖縄タイムス」)と書きました。私も志位委員長や小池晃政策委員長とともにこの集会に参加しました。訓練の移設先とされた徳之島では、島民の実に6割が参加し、東京に置き換えれば720万人という空前の規模で移設反対の集会が行われました。

もはやみなさん、沖縄県内はもとより、日本国内のどこにも、「地元合意」が得られる場所などありません。普天間の苦しみは、日本のどこに移しても同じ苦しみです。みなさん、際限のない「移設先」探しではなく、アメリカに持って帰ってもらって、アメリカのどこに置くかは、アメリカに決めてもらおうではありませんか。

私は、沖縄の施政権返還の際の経緯を思い出します。1969年、日米両国政府は、沖縄の施政権返還で合意しました。これは、条約上から考えれば不可能の壁を越えたものでした。すなわち、日本政府は、サンフランシスコ条約第3条で沖縄の施政権を放棄しました。にもかかわらず、沖縄を日本に返還させました。これは、国際社会がかつて一度も経験したことのない画期的なできごとでした。

なぜこんなことが可能になったのでしょうか。それは、抗しがたい沖縄県民と日本国民の運動の盛り上がりがあったからであります。

1968年、初の琉球政府主席公選で沖縄の「即時無条件全面返還」を掲げた屋良朝苗氏が当選しました。その直後に沖縄を訪問した米国務省日本担当のリチャード・スナイダー氏は、ラスク国務長官にあてて次のように報告しました。

「返還問題で引き戻し不能の地点まで来てしまった」「日本でも沖縄でも圧力が嵩(こう)じて……返還をいつにするかを来年末以降にのらりくらり引き延ばすことはできなくなった」(1968年12月24日の沖縄訪問報告)

本土と連帯した島ぐるみの世論とたたかいが、いかに大きな力をもったかを、これ以上雄弁に物語るものはありません。

いま沖縄県民のたたかいは、たとえ安保条約という鎖はあったとしても、1969年の沖縄施政権返還と同じように、あまりにも理不尽な事態は変更させる―─すなわち普天閣基地の無条件撤去という決断を、日米両政府に厳しく迫っているのです。

わが国には、戦争直後の全面占領の時期につくられたアメリカ軍事基地の大きな部分が、戦後65年を経ていまだに、133ヵ所にも置かれ続けています。米軍に提供している基地面積は、自衛隊との共同使用を合わせると、1980年以降は減るどころか、1028平方キロメートルへと2倍以上に増えました。これは、東京23区の総面積の1.7倍にあたります。

世界的にみれば、ソ迎が崩壊した1990年に海外配備されていた米軍総数は半分以下になりました。ヨーロッパに駐留する米兵は3分の1以下に、アジアでも在韓米軍は4割が削減されています。にもかかわらず、日本に駐留する米兵はほとんど変わらない異常さです。

在日米軍基地の実態は、数量的な面だけではありません。量的にもきわめて異常で、日本国民に耐え難い重圧と負担をもたらしています。(1)世界でも例がない、首都圏に広大な面積を占有する横田基地や横須賀基地、(2)人口密集地での米空母艦載機の夜間離着陸訓練などによって耐え難い騒音被害が続く嘉手納基地・厚木基地・三沢基地・岩国基地、(3)宜野湾市のど真ん中を占拠し、交通や上下水道などを分断し、騒音や墜落事故の被害が絶えない普天間基地、(4)港湾水域の八割の使用が制限され、造船業や漁業に甚大な被害を与えている佐世保基地、(5)沖縄では、市町村面積の3割以上を基地に奪われ、住民の生活と安全に重大な影響を与えている自治体が、嘉手納町をはじめ十指にのぼるなど、どれ一つとっても主権国家にあるまじき異常な実態です。

米軍基地が町面積の83%を占める、日本でもっとも米軍基地の重圧に苦しめられている嘉手納町で、5期20年にわたって町長をつとめてきた宮城篤実氏は、こう語られました。

「いくら何んでも基地の存在がこんなに長く続くとは思わなかった。戦後65年、あと35年で100年」「新たな外交展開で、アメリカの質的な軍事支配から脱却することは主権国家として当然の義務だ」(「沖縄タイムス」4月17日付インタビュー)。

沖縄県民のなかで、この苦難に満ちた現状を変えるためには、日米安保条約の是非そのものを問う必要があるという動きが起っていることは重要です。

さらに、98歳になる聖路加病院の日野原重明さんは「半世紀前に結んだ日米安保条約を考え直す時期」「今から10年先を目標にした安保条約の解消を、意を決して提案します」と述べられています(「朝日」5月1日付)。

さらに、注目すべきは、長く日米関係にたずさわってきた米側関係者のなかでも、日米同盟の包括的見直しが必要だという声が起っていることです。ライシャワー元駐日大使の特別補佐官だった人が、最近発売されたアメリカの外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』で、「日米同盟の将来を決めるのは最終的に日本の有権者である」と述べ、多くの米軍基地が居座っている異常さを次のように指摘しています。

「駐留米軍の75%近くが沖縄に駐留している。こうした米軍の存在は沖縄の住民にとって頭痛の種であり続けている」「専門家の中には、そもそもなぜ沖縄に海兵隊が必要なのかと鋭い質問を投げかける者もいる」

かつて米政権の近くにいた人でさえ、戦後65年たってなお多くの米軍基地が居座っている日本の現実は異常であり、「同盟全体の再検討が必要」だと認識しているのです。

政府は、日本の安全保障の観点から、「抑止力としての米軍は必要だ」という立場にたっています。しかし在日米軍は、海兵遠征軍・空母打撃群・航空宇宙遠征軍という、その名が示すとおり、そもそも「日本を守る」という任務をもたない、“殴り込み部隊”ばかりであり、「抑止力」どころか、「戦争力」「侵略力」そのものではありませんか。

日米安保条約改定から半世紀。世界でも突出した従属的で危険なこの体制を、これから先、未来永劫(えいごう)続けようという勢力には、日本の独立も平和も語る資格はありません。

安保改定半世紀の節目の年にあたって、日本国憲法に根本からそむく日米軍事同盟の実態を広く明らかにしつつ、東アジアに平和的環境をつくりあげていく平和外交と一体に、日米安保条約廃棄の国民的合意をつくりあげていくために、あらゆる知恵と力を発揮しようではありませんか。日本共産党もみなさんとごいっしょに、全力をあげることを表明して私のスピーチを終わります。

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第49回市民憲法講座(要旨)「憲法改正手続法」の「施行」をめぐって

井口秀作さん(大東文化大学教授)

(編集部註)4月17日の講座で井口秀作さんが講演した内容を編集部の責任で集約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。

改憲手続法の中身の問題点については、3年前にたくさんのところで書いたし、しゃべったりしましたので、改めて付け加えることはないと思います。来月「改憲手続法」が施行されるといわれています。その施行に当たる問題を少しお話しします。

レジメのタイトルを「『憲法改正手続法』の『施行』をめぐって」として「憲法改正手続法」と「施行」の両方にカギ括弧をつけました。基本的な知識の確認ですが、これから5月18日に向けて各新聞などでは、誘導する意図も込めて「国民投票法の施行」という記事がたくさん出てくるはずです。もちろん国民投票法という法律は日本に存在しません。僕が「憲法改正手続法」と呼んでいる法律のことを、3年前には「国民投票法」とさかんに呼ばれていました。

憲法改正手続法の正式名称は 「日本国憲法の改正手続に関する法律」です。「国民投票」とは一言も入っていません。「日本国憲法の改正手続に関する法律」なのに「改憲手続法」と言うなという変な人もたくさんいます。しかし、どう見てもこの表題から見れば「憲法改正手続法」であると考えられるわけです。

確かに「日本国憲法の改正手続に関する法律」の中には、内容で区分すれば狭義の国民投票法といってよい部分、――これはもともと憲法96条の中に憲法改正については国民投票による承認が必要であると書いてあります――その国民投票に関する手続を記述している部分があります。これは狭義の国民投票法といってよいわけですが、憲法改正手続法は、狭い意味での国民投票法だけではなくて、国会法改正の部分が含まれています。憲法改正にあたって国会の憲法改正原案を策定する手続の部分を改正して、新たに作り出したところがあります。このふたつの部分を合わせて3年前に法律が制定されました。

憲法改正手続法の3つの「施行期日」

憲法改正手続法が参議院で成立した日が2007年5月14日です。公布が5月18日です。憲法改正手続法の中身のふたつの部分が、僕にとっては非常に意味があることです。5月18日が憲法改正手続法の施行日だということには、僕は「ちょっと待て、それはどう見ても正確ではないぞ」と思うわけですね。

3年前に成立した憲法改正手続法の附則第1条がこの施行期日について定めています。附則というのは法律そのものですから、法律の効力を当然持っています。その附則第1条(施行期日)は、「この法律は、公布の日から起算して3年を経過した日から施行する。ただし、第6章の規定(国会法第11章の2の次に一章を加える改正規定を除く。)並びに附則第4条、第6条及び第7条の規定は公布の日以後初めて召集される国会の召集の日から、附則第3条第1項、第11条及び第12条の規定は公布の日から施行する。」となっています。これが3年前に成立した憲法改正手続法の施行期日に関する規定です。ですから、いつ憲法改正手続法が施行されるのかをこの条項が規定しているわけです。

これを見るとわかるように施行期日が3つあるんですね。下線を引いた部分です。ひとつは「公布の日から起算して3年を経過した日から」という部分(1)。2番目が「公布の日以後初めて召集される国会の召集の日から」というのもの((2))、もうひとつが「公布の日から」の部分((3))です。3つあるんですね。今日の話として国民投票法が施行され、憲法改正手続法が施行されるのは3つあるうちの、ここの文章でいうと最初のところですね。大事なことはすでに施行されているものがあるということです。これは忘れてはいけないことだと思っています。

「公布の日から起算して3年を経過した日」は、公布された日の2007年5月18日を起算日として「3年を経過した日」ですから、2010年5月18日、これが来月に来る、ということです。法律の文章は、こういう書き方をしている場合には、何が公布の日から起算して3年経過した日から施行するかというのは、但し書きから見ていかないとわからない。但し書きで除外した部分以外は「公布の日から起算して3年を経過した日から施行する」と読まなければいけないわけです。但し書きには「公布の日から起算して3年を経過した日」ではない日から施行される部分が書いてあります。

とすると、「ただし、第6章の規定(国会法第11章の2の次に一章を加える改正規定を除く。)並びに附則第4条、第6条及び第7条の規定は公布の日以後初めて召集される国会の召集の日から」となっています。「公布の日以後初めて召集される国会の召集の日から」というのは、公布日の2007年5月18日以降初めて召集される国会の召集の日ということになります。当然2007年5月18日に、国会は開かれているわけですからその国会の日ではない。そのときの通常国会が終わって次に始まる国会が召集された日が、「第6章の規定並びに附則第4条、第6条及び第7条の規定の公布の日」になります。

3年前にさかのぼってどんなことがあったのか思い出してみると、国民投票法が成立したときに誰が総理大臣だったのか。毎年毎年替わるので忘れちゃうんですが、憲法改正手続法にこだわりがあった人がまさに推し進めた時代、安倍晋三が首相のときですね。その2007年の通常国会が閉じたあと、いつ新しい国会が開かれたか。7月に参議院選挙があって自民党がボロ負けしたとき、それ以降初めて国会が召集された日、安倍晋三が涙目になっていてみんなやめろといっているのになぜか続投して、その1ヶ月後にやめちゃったときです。参議院選挙後に初めて国会が召集された日、2007年8月7日、これが2つ目の施行日になるわけです。

最後の公布の日は、繰り返し言いましたように2007年5月18日です。まず憲法改正手続法には3つの施行日があることを基本的な知識として確認しておきます。ひとつは2010年5月18日、これはこれから来るわけですね。2つ目は2007年8月7日、これは3年前です。もうひとつ2007年5月18日です。

ではそれぞれに何が対応しているのかということについてです。但し書きを見ていかなければいけないのですが、(1)の公布の日から起算して3年を経過した日、これは但し書きを取った上で初めてわかることですから(2)(3)から見ていくと、(2)の公布の日以後初めて召集される国会の召集の日に施行されるものは、附則の第1条を読むと「第6章の規定並びに附則第4条、第6条及び第7条の規定」となっています。この第6章の規定は、憲法改正手続法のふたつの内容のうちの、国会法の改正部分のことです。これについては「公布の日以後初めて召集される国会の召集の日」となっています。

ちなみに括弧書きの (国会法第11章の2の次に一章を加える改正規定を除く。)の除かれている国会法は、国民投票広報協議会を国会につくる規定のことです。今の括弧書きを除くと、第6章は国会法改正の部分に該当します。もっと端的に言えば、憲法審査会をつくって国会の憲法改正の発議に関する手続を規定している部分のことです。

「並びに」となっている第4条、第6条及び第7条の規定は、いずれも憲法審査会について規定しているものです。第6条、第7条は、他の法律でいままであった憲法調査会を憲法審査会に読み替える規定です。第4条は憲法審査会のことをいっていますから、ここは細かいことをいわなければ憲法審査会に関する規定の部分だと考えていい。したがって「公布の日以後初めて召集される国会の召集日」、2007年8月7日から憲法審査会を立ち上げる、ということが附則の2番目の施行日に該当する部分です。

附則第3条2項・18歳投票権年齢

3番目の「公布の日から」に該当するのは、附則の3条第1項、11条、12条です。これが重要なところで、施行までに検討すべきことを書いてあります。こういうことを検討しますよというから、よく「3つの宿題論」、施行までに3つ検討しなければいけない宿題があるということをよく聞くわけです。僕は、宿題といういいかたをしてよいのか、というところがあるので括弧書きにしています。とにかく施行までに3つの課題があることを規定しています。これについては「公布の日から」施行されます。

本当に「宿題」は3つかというと、付帯決議は18個もついていますから宿題はもっと多かったかもしれませんが、それは置くとして、附則は法律上の効力がり、法律そのものです。検討すると規定してあり、検討しなければいけないのに、していないのはおかしいじゃないか、今こういう話が起きています。いまいった(2)(3)に該当しない部分は(1)に該当します。つまり2010年5月18日に施行されるものに該当します。国会法改正が(2)の部分、国会が検討すべき事項が(3)と考えると、それを除いた部分だから、狭い意味の国民投票法が施行されるのが(1)の期日ということになります。そういう意味では、今回は狭義の国民投票法が施行されますよという言い方は必ずしも間違いではないわけです。

その(3)の附則の3条第1項、11条、12条に何が書いてあるのか、「3つの宿題」を確認すると、附則の第3条が特に重要です。「憲法改正手続法」本則の第3条では、国民投票の投票年齢は18歳以上と規定しています。この附則の1項、2項では、「第3条 国は、この法律が施行されるまでの間に、年齢満18年以上満20年未満の者が国政選挙に参加することができること等となるよう、選挙権を有する者の年齢を定める公職選挙法、成年年齢を定める民法(明治29年法律第89号)その他の法令の規定について検討を加え、必要な法制上の措置を講ずるものとする」と書いてある。そして2項は、(3)に入っていません。3条1項の公布の日は(3)となっているけれども、2項は入っていないということは、3条2項の効力が生じるのが来月の5月18日だということです。

第2項は「前項の法制上の措置が講ぜられ、年齢満18年以上満20年未満の者が国政選挙に参加すること等ができるまでの間、第3条、第22条第1項、第35条及び第36条第1項の規定の適用については、これらの規定中『満18年以上』とあるのは、『満20年以上』とする」という規定です。

これはまだ施行されていない。1項は3年前に施行されています。本則で国民投票法の年齢は18歳以上だと書いてある。法の施行までに国政選挙も18歳以上の人間ができるように公職選挙法を改める、民法を改める。民法もいまのところ成人年齢を20歳としているので、これを引き下げるなどの必要な措置を講ずることになっている。2項はそうでなかったら20歳と読み替えるという規定ですが、単純に読み替える規定でないことはまたあとで話します。これがひとつめの宿題、投票権年齢の問題です。

附則第11条・公務員の政治的行為

ふたつ目は、「第11条 国は、この法律が施行されるまでの間に、公務員が国民投票に際して行う憲法改正に関する賛否の勧誘その他意見の表明が制限されることとならないよう、公務員の政治的行為の制限について定める国家公務員法(昭和22年法律第120号)、地方公務員法(昭和25年法律第261号)その他の法令の規定について検討を加え、必要な法制上の措置を講ずるものとする」となっています。これは公務員の政治的行為の制限に関する問題です。

先月29日に東京高裁の判決がありました。旧社保庁の職員が共産党のビラをまいたということで、国家公務員法の政治的行為の禁止に反するとして起訴された事案について一審は有罪判決でしたが、高裁の判決はそれをひっくり返して違憲判決を出しました。つまり違憲となるような法律がいまもあるわけですね。公務員の政治的行為を制限する法律があるわけです。高裁判決は適用違憲でしたが、公務員が政治的行為をしてはいけないという法律がある。憲法上かなり問題がある。これが国民投票の運動についても適用されることになればこれは問題だから、これについて検討しなければいけないというのが2つ目の宿題です。

附則第12条・憲法改正以外の国民投票

3つ目は憲法改正問題についての国民投票制度に関する検討です。「第12条 国は、この規定の施行後速やかに、憲法改正を要する問題及び憲法改正の対象となり得る問題についての国民投票制度に関し、その意義及び必要性の有無について、日本国憲法の採用する間接民主制との整合性の確保その他の観点から検討を加え、必要な措置を講ずるものとする」となっています。

日本国憲法96条は憲法改正の国民投票、つまり国会が憲法の改正発議をしてその賛否を国民に問う国民投票だけを規定しています。それ以外の国民投票について、附則では「憲法改正を要する問題及び憲法改正の対象となり得る問題」となっているところについて、憲法改正国民投票法そのものではないけれども、それ以外の国民投票の必要性の有無について検討し、必要な措置を講ずるものとするというものがありました。大きく分けると「投票権年齢」、「公務員の政治的行為の制限」、「憲法改正以外の国民投票」、この3つの問題が「宿題」とされたわけです。

繰り返しますが、何にも検討されていません。この3つの宿題は、いずれも当時の自民、公明の与党案と民主党案の、いってみれば妥協の結果出てきたという側面があります。投票権年齢について与党案は一貫して20歳、民主党案は一貫して18歳という対立がありました。これは新聞などでもそこだけクローズアップされたりしましたが、まさに妥協の産物、本則は18歳だけど「必要な措置を講ずる」までは20歳とする。公務員の政治的行為の制限についても、これは制限しない方向で行くという民主党の立場に対して、与党案の最後はむしろ規制すべきだというものが非常に強くなった。また組合が動くじゃないかという声が出た。これも妥協の産物になるわけです。

国民投票制度についても同じです。与党案はこの国民投票法は憲法改正だけに限定するということでしたが、民主党案はもともと一般的国民投票といって、国政の重要問題に関する国民投票も含めて規定するという法律案でした。民主党案のような国政の重要な問題一般には広げないけれど、「憲法改正を要する問題及び憲法改正の対象となり得る問題」、憲法改正周辺の部分については国民投票を認めてもいいかもしれないというような、これも妥協案です。

この3つの「宿題」が、すでに3年前の2007年5月18日から施行されているのに全く検討されていない中で、施行日が来る。では2010年5月18日は、結局は狭い意味の国民投票法の施行日が来るだけなのかというと、これがそうではないところが「みそ」なんです。

狭義の「国民投票法」の施行日

附則第4条の問題が出てきます。狭義の国民投票法の施行日にはもうひとつの意味があって、これは憲法審査会の憲法改正原案の発議・審査の凍結期間の解除日を意味します。というのは、附則の第4条は「第6章の規定による改正後の国会法第6章の2、第83条の4、第86条の2、第102条の6、第102条の7及び第102条の9第2項の規定は、同法第68条の2に規定する憲法改正原案については、この法律が施行されるまでの間は、適用しない」となっていて、第6章は国会法改正の部分を規定しています。つまり国会法の中の憲法改正について定めている規定です。この部分は、国会法を改正して憲法審査会はできたけれども憲法改正原案を取り扱うことはしません、という意味です。これが3年間憲法改正原案については凍結するといわれていたことの意味です。

つまり3年前に憲法改正手続法ができて、実際に(2)の公布日2007年8月7日には憲法審査会が一応法律上はできているわけですが、憲法審査会は憲法改正原案について提出したり、憲法改正原案について審議はしないということを意味しているのがこの第4条です。だから具体的に憲法改正案の議論をし始めるのは3年後ですよということでした。

「この法律が施行されるまでの間は、適用しない」の「施行」は当然(1)の施行日です。つまり2010年5月18日までは憲法改正原案については適用しないということです。そうすると2010年5月18日は「国民投票法の施行日だ」と新聞は書くでしょうけれど、憲法審査会の憲法改正原案の取り扱いについての凍結の解除日を意味するはずです。(1)の2010年5月18日の施行日をさらに凍結・延期しろということの意味は、もちろん施行したところで国民投票が行われる状況ではないということはいえるかもしれないけれども、これは国会に憲法審査会の発議を凍結する期間の延長を意味するわけだから、こんな状況で憲法審査会を開いて憲法改正原案を扱うのはおかしいという、むしろそちらの方が意味を持つだろうと思います。

要するに3つの宿題をやっていないわけですね。では「3つの宿題をやるために憲法審査会を開け」という議論が成り立たないことはあとで話します。そのためにも「国民投票法」の(1)の施行日を延期するべきだという議論がでてくることはわからないことではないし、むしろ普通のことだと思います。いま言ったところは基本的な確認のところです。3つ施行日があって、来月に施行日が来るのは(1)のことをいっていますが、これは単なる国民投票法の施行日という意味だけではなくて、憲法審査会の憲法改正原案発議凍結の解除日です。ですから、憲法審査会が開かれたときには、国会はもう堂々と憲法改正案について審議してよいということを意味する、このことは確認をしておきたいと思います。

3年前の二方向の予測

3年前に僕は、ふたつの方向のことを言っていました。ひとつは憲法改正手続法ができたら、憲法改正は新たな段階に入るということです。これは憲法改正論議が進んでいないから、外れていると言われればそういう側面もありますが、でも間違いなく新たな段階に入っていま。というのは、憲法審査会さえ開ければ5月18日以降は国会が憲法改正原案を扱うことはできるわけですから、新たな段階に入ります。施行日を延期するとか憲法改正手続法を廃止することは、新たな段階に入ることを阻止することを意味します。新たな段階に入っているけれども改憲論議が進まないのは、政治状況の結果になりますが、国民の意思の反映でもあります。

もうひとつの予測、むしろこちらの方を強調していましたが、国民投票法ができたからといって国民投票が行われるとは限らないということです。国民投票法ができるということと、国民投票が行われることは違うという話です。

3年前に、国民投票は国民主権の具体化だ、国民主権を具体化する法律のどこが悪いんだ、という議論がありました。これは僕はよくないと繰り返し言ってきました。国民投票法ができたからといって、これが行われるとは限らない。5月18日に施行されたとしても、国民投票は当面行われる状況にはないわけです。だからこそ、国民投票法が国民主権の具体化だからつくるべきだということから、今度は施行するべきだという議論が出てきますよ。そこがおかしいことを指摘しておく必要があると思います。

現状とその評価――憲法審査会は「開店」していない

現状についてです。憲法審査会は開店休業という人もいますが、僕はそもそも開店していないと思います。参議院には規定自体できてないし、衆議院は規定ができているけれど誰が委員なのかわからない。要するに誰が店の人かわからないわけだから、やっぱり開店してない状況だと思います。憲法審査会が開店休業あるいはそもそも開店していないというのは、繰り返しますが国民投票法が凍結されていたからではないんですよ。もうこの憲法審査会の規定は、3年前の2007年8月7日から施行されていました。狭い意味の国民投票法が3年間施行日を延期していたことが理由ではないんです。この状況はもちろん政治状況の帰結であるわけですが、同時にそれは国民の意思の反映の一面でもあります。つまり国民が強く憲法改正を望んでいて早く憲法改正案をつくれ、準備しろという世論が強いのであれば、開店休業とか、そもそも開店しないということはあり得ません。

2007年以降、ふたつの選挙がありました。3年前の参議院選挙と昨年の衆議院選挙、いずれもそこであらわれた国民の意思は、憲法改正こそが今大事なものだという意思でないことだけは間違いないでしょう。もし、国民が憲法改正を強く望んでいるのであれば、安倍内閣のときの参議院選挙であそこまで自民党は負けなかったでしょう。あるいは昨年の衆議院選挙で中山太郎、保岡興治、船田元、葉梨康弘、これは全部自民党の憲法調査特別委員会の理事ですが、彼らが軒並み落選した。これは政治状況の帰結であるとともに、それを支える国民意思の反映です。少なくとも国民は憲法改正をいま強く望む政治課題だと思っていないということですから、憲法審査会が開かないのは当たり前の話です。

にもかかかわらず、(2)(3)の施行日は3年前に来ていて、動いているはずのものが動いていない状況なのに、(1)の施行日が来月来るという現状です。総務省は憲法改正手続法の施行令、施行規則を発表して、いまパブリックコメントにかけています。これは4月25日までですが、総務省はもう施行する立場を崩していない。一時民主党内では施行延期という議論もあったようですが、5月18日が来たら粛々とに施行することになっています。現状は(2)(3)ですでに施行していたものが止まっているのに、法律上止めていたはずの(1)まで施行期日が来てしまうわけです。

言ってみれば国民投票法だけ凍結していたはずだったのに、国会法まで凍結してしまった。これは肉と野菜を買ってきて、肉はあとで料理するからちゃんと冷凍しておきなさいと子どもに言ったのに、間違って野菜まで冷凍庫に入れてしまった。次の日料理しようと思ったらかちんかちんに野菜まで凍っていて料理しようがない。お客さんが来て肉を出さないといけないのに困ってしまったという状況だと思います。国会法は凍結したままで、国民投票法の解凍の時間が来てしまったということが現状です。

「改憲派」「国民投票派」やナイーブな集団

そもそも(1)の施行日の到来の意味は、国民投票法を施行したところで憲法審査会の開店休業状態が克服できなければ先に進みません。施行してもほとんど意味がないはずです、法形式上は。そう考えれば施行そのものを延期すべきだという議論が出てきてもそんなにおかしな話ではありません。

ただ施行を延期したくない人たちはいます。ひとつは憲法改正をしたいという人たち、これが当然そう考えます。早く国民投票も解凍して、国会法も解凍して先に進めたいと思う。これは素直な気持ちだと思うし、本当は3年前もこれが素直な気持ちだったはずです。でもその素直な気持ちを言わないで、これは手続法なのですぐに憲法改正にいくとは限りません、国民主権の具体化ですよという説明をしていました。でも施行したところで憲法改正論議がなかなか進まない現状ではあるわけです。その中でいらだちがあります。

この人たちはもっと先に進んで、施行をきっかけに憲法改正の議論を進めたいと思っている。これは3年前の再現ですよ。「国民投票法が施行されて国民投票ができるんだから憲法改正の議論を先に進めましょう、是非は主権者である国民に問うんだから」というかたちで進めたいと思っているでしょう。「たちあがれ日本」という政党ができたようですが、あの動きの中にはそういう臭いがしますね。施行をきっかけとして議論を先に進めたい人たちがいるだろうと思います。

もうひとつこのまま施行したいという人たちの中に、国民投票を行うべきであると考えている人たちがいます。僕は3年前、国民投票派と呼んだ人たち、むしろこういう人たちの議論を批判していました。これは国民投票法の制定は国民主権の具体化だという人たちですね。こういう人たちはやっぱり具体化したものを施行したいと考えているはずです。そしてなかなか進まない現状にやはりいらいらしているはずです。ともかく施行しないことには国民投票はできないから、施行すべきだと思うでしょう。だから施行を延期するなんてとんでもないと思っているでしょう。こういう人たちには「これは施行したところで、現状では憲法改正論議は進まないから国民投票は行われませんよ。むしろこののまま施行したらもっと変な方向に行くと思わないんですか」と訴えたいと思います。

もうひとつ、憲法を改正したい人たち以外に憲法審査会に対して非常にナイーヴに期待している人たちがいるように思います。つまり憲法審査会は幅広く憲法について議論をする土俵を設定する、この憲法審査会こそ日本国憲法において立憲主義を確立する舞台だと、ナイーヴに考える人が一部にいるように思います。なぜナイーヴかというのはこの3年間で証明されています。期待するのは結構だけれども、何のために憲法審査会をつくったかというと憲法改正の議論をするためですよ。でも、国民の世論が憲法改正を強く望んでいないがゆえにいま開くわけにはいけないという意味で凍っちゃっているわけです。だから勝手に憲法審査会について憲法について幅広く議論する場だと期待するのは、僕から見たら「妄想」です。

つくった国会議員たち自らが、たぶん憲法審査会は憲法改正について議論する場だと思っている。だから、附則4条は議論するけれども3年間は憲法改正原案は凍結するという議論をするわけです。憲法審査会を開くと国会で幅広く憲法の議論ができて、むしろ憲法が幅広く認識されて立憲主義に寄与する、というような期待をする人がいますけれども、これは僕はナイーヴな発想だと思います。

こういう議論もあります。国会が憲法解釈をして、違憲か合憲かを判断するという側面があります。これで行政権をコントロールするという意味で、立憲主義に活躍するんだという議論です。僕はこの「立憲主義」はにわかに理解しがたい。この議論が、内閣法制局という行政機関の一部分が言っている憲法解釈を、憲法審査会という国会の部分でひっくり返す。これが立憲主義だということであれば「なんだ、その立憲主義は」と思います。行政機関である内閣法制局が、集団的自衛権は認めないと解釈する。行政機関をコントロールする国会が、憲法審査会で集団的自衛権は行使できると言えばできる――これが立憲主義だ。もしそうであるならば立憲主義とは何なんだと思います。いま言ったような議論が結局は国民投票を歪めるんですよ。

おそらく憲法審査会にナイーヴに期待する人たちは、国民投票を行うべきだという人たちとかなり重なると思います。だけどいまのような議論をすると、国民投票で国民は何を判断していいのかさっぱりわからなくなる。つまり、現状の憲法においても集団的自衛権の行使は認められますよという解釈をする。次に本当に憲法改正案をつくって国民投票に問う。その憲法改正案には集団的自衛権の行使ができるとあり、賛成ですか反対ですか。賛成すると、憲法の条文に集団的自衛権の行使ができると書いてあるから、集団的自衛権の行使ができるとなる。しかし反対して否決されても、現行の憲法でも集団的自衛権の行使ができると国会が言っちゃっている。いったい何を選択すればいいのか。かえって歪めるわけです。

本題からは外れますが、国会も憲法解釈ができるというのも確かにその通りです。しかし国会という地位に限定されている点は重要です。これは変な話ですけど、「国会は自衛隊法が憲法9条に反するという議決はできない」はずです。議決したらおかしいですよね。なぜなら自衛隊法をつくったのは国会です。ということは、国会は自衛隊法が合憲だという立場に立って議決しているわけです。それが他方で、憲法審査会みたいなところで、自衛隊は戦力に決まっているじゃないか、あんなもの違憲だ。だから憲法を変えろ、という議論をするのはおかしな話なんですよ。

そうすると憲法審査会みたいな変な舞台ができちゃうと、片方で自衛隊法は合憲ですよと説明する、片方の憲法審査会では自衛隊はどう見ても戦力だから憲法改正しましょうという変な議論になってくる。そう意味で憲法審査会に期待するナイーヴな発想は、僕には理解しがたいし、そもそもそういう場ではないと思います。でもいま言ったような人たちは、どうしても5月18日に施行させたい。国民投票法を施行すると同時に憲法審査会を開きたいと思っているはずです。

現状の背景

現状は、憲法改正手続法の制定過程の帰結で、つくられ方の問題です。もともと21世紀に入って、国民投票法の議論が出始めたときから変な話がありました。なぜか国会法改正よりも狭義の国民投票法の議論が先行していました。これは論理的にはおかしいんです。なぜならば、憲法改正は国会が憲法改正案を発議して、次に国民投票による承認という手続を踏むわけです。国会が発議しないのに国民投票が行われることはあり得ません。それなのに国会法の改正を後回しにして、国民投票法の議論を先にしました。いわゆる「議連案」が2001年1月16日に発表されたとき、議連案は正確にはふたつでした。国民投票法に関する議連案、これは有名です。もうひとつ国会法改正に関する議連案でした。

この憲法改正の国会法改正に関する議連案について、説明の文章にこういうことばが書かれていました。「政治判断としてやむを得ず、日本国憲法改正国民投票法案のみを先行して成立させるということも選択肢の一つになろうか」。つまり論理的にはおかしいけれども「政治的判断としてやむを得ず」という意味です。国民投票法だけ出来たって国会法が整備されていなかったら、国民投票は絶対に行われません。なのに国民投票法だけ先行させるというのも「選択肢の一つ」だという議論です。

なぜ選択肢のひとつになったのかというと、論理的には国会法改正が先行している必要があるけれど、それだと国会法の改正だけですから「国民主権の確立ですよ」という議論ができない。「国民投票法の制定=国民主権の具体化論」が使えない状況があったからです。だから国民投票法の議論を先行させたわけです。国民投票法がないのは立法不作為だというような議論を展開していました。はじめから変な話が始まっていた。

なぜ2007年だったかというと、当時の安倍内閣が2011年には憲法改正を発議して国民投票をやると言っちゃったから、そこから逆算してこのタイミングしかなかった。たぶん当時、安倍さんは、2011年は自民党総裁として再任され、2期目の冒頭で堂々と国民投票をやって憲法改正を実現して歴史に名を残す総理大臣になる。夢か妄想かはわかりませんが、それを持って、ひょっとするといまも持っているのかもしれませんが、国会で憲法改正案をまとめるためには3年くらいかかると安部さんは踏んでいた。だから狭義の国民投票法の施行は3年後で端から十分だと思っていたはずです。それを言葉を換えて「護憲派にも配慮していますよ、3年間はやらないことにしているんだから」という思惑があった。いずれにしろ2007年の段階で国民投票法ができたとしても、国民投票法が稼働するのは絶対3年以上先だというのは端から考えられていたことだと思います。

国会法凍結は改憲派内の政治的対立

むしろ現状で問題なのは、何で国会法まで事実上凍結されたのかということです。この要因は言うまでもなく改憲派の中の政治的対立ですね。自民党と民主党の中の憲法改正を目指す中での部分的な政治的な対立です。その背景は国民の中の改憲論議そのものが低調だという国民意思のあらわれでもあります。本当に国民が憲法改正を強く望んでいるのであれば、改憲派の政治的対立はあり得なかったはずです。むしろ対立しないでやった方が国民の意思に合致することになっていた。そうならなかったのは、そもそも国民の間で改憲論議が低調だったからです。それを如実に表したのがふたつの選挙、2007年の参議院選挙と昨年の衆議院選挙です。

そういう対立を要因として、国会法まで凍結されたまま3年間過ぎてしまった。本当は凍結していない(2)(3)で施行された国会法改正部分まで凍結されてしまった。これはもとを考えれば(1)として施行された狭義の国民投票法については改憲派、国民投票派にとっても政治的対立をもたらしてでも制定するよりは制定そのものを先送りした方がよかったはずです。むしろ無理してやらない方がよかったという側面があるはずです。

おそらくいらいらしている人たち、さきほど言った改憲派、国民投票派の中には、あれは安倍晋三が悪い、自分が総理大臣在任中に憲法改正をやる、なんてとんでもないことを言うからだ。もうひとり悪いのは小沢一郎だ。選挙目当てに自民党との対立姿勢を強調した、あれが悪い。悪いのはあのふたりだ。こういう議論が改憲派、国民投票派と僕が呼んでいる人の中にはあるようです。しかし二人だけの責任ではありません。ともかく国民投票法を制定するのは意義があると考えて、国民投票法を制定すべきだとした人たちも責任は免れません。こんな対立をつくって国民投票法を制定したってやれっこないわけだから、そうであればつくったところで動かないという状況ではあり得なかったはずです。

いろんな問題があるけれどもともかく国民投票法をつくろう、つくるべきだ、つくった、万歳といっていた人たちは同じ失敗の道を歩もうとしているのではないかという印象を僕は持ちます。ほら、3年前にちゃんとやらなかったからこうなるんだよという意味です。同時にこの3つの宿題がいま足枷になっているわけです。その足枷の話として、狭義の国民投票法施行の問題があるわけで、3つの宿題が全く手がつけれられていない、にもかかわらず国民投票法の施行日は来るわけです。

狭義の「国民投票法」施行の問題――投票年齢

これについてはいろいろなところでいろいろな人が批判を加えています。日弁連の会長声明が4月14日に出て、全く検討されていないのに施行するのはおかしい、施行を延期するべきだと言っています。これはその通りだと思います。ただしこれはある程度「敵失」、改憲派の失敗という側面があります。「あんな条件をつけちゃったから」という側面です。僕は「宿題」というのは全部括弧書きにしています。宿題という言葉の使い方はよくないと思っています。ふつう「宿題やってからテレビを見なさい」というように親が子ども叱るときには、「宿題をやりなさい」という意味で使いますよね。そうすると宿題をやったらテレビを見ていいよということだから、われわれは宿題をやりなさいといったらこの3つのことを検討しなさい、検討したら憲法改正やっていいよと言っちゃうことになるから、宿題と言い方はおかしいと思っています。

その中で一番敵失と考えられるのは投票権年齢の問題です。18歳か20歳かというのは当時の与党案と民主党案の対立の中で、最終的に与党案が併合修正案というかたちで出されてできたのが、現行の附則の3条1項と2項の規定です。本則は18歳、そして附則をつけるかたちの併合修正案です。総務省は法整備が間に合わないので附則の3条2項に基づき、その整備ができるまでの間は18歳を20歳に読み替えるという規定があるわけだから、20歳で施行するという立場を取っているようです。

憲法改正手続法を担当している衆議院の法制局担当者は、これは僕も伝聞で聞いていますが、それは立法者の意思に反すると言っているようです。間に合っていないからすぐに3条2項を使って20歳でやればよいというのは、立法者の意思に反すると法制局の担当者は言っているようです。その根拠は、2007年4月12日の衆議院日本国憲法に関する調査特別委員会での船田元発言です。この附則の3条1項あるいは2項が何を意味しているのかについて、彼の発言を抜き書きしてみると「何らかの理由によりまして公選法の規定が十分整備されないという」「事態が万が一生じた場合」「を考えての措置ということで書いたわけであります。」と言っています。ですから「万が一の事態が生じた場合」があるから整備が間に合わなかったら20歳と読み替える3条2項があるということです。

では「万が一の事態」とは何かということが問題になるわけですが、「与党の立場として、ここまで明記をさせていただいている限りは、当然、この3年の間に必要な法的措置を講じるということについては、これは義務を負ったというふうに我々は認識をしております」。つまりもし3年間でやらなかったなら、それは義務を怠った。ともかくやれるかやれないかはわからないけれどもやってみて間に合わなかったら20歳でやりますということではなくて、18歳にすることを自ら義務を負っていると言っています。

ただ「万が一の事態が生じた場合」として次のように言っています。「3年後のぎりぎりのところで公選法が18歳で公布をされたとしても、それが施行される半年の間に憲法改正の原案が決まりまして、そして、国民投票を行うまでの期間を考えますと、実際に国民投票を行う前に18歳の公選法の規定が施行される可能性は極めて強いと思っておりますので、実効上の問題はないと思っております」。これがおかしいという根拠ですね。

この発言から想定される「万が一の事態」というのは、たぶんこういうことでしょう。いま2010年4月ですけれども、18歳に引き下げるという改正公選法あるいは民法の改正は5月1日に公布され、そのときに周知期間を半年と設定するといっている。そうすると5月1日に公職選挙法と民法が改正されて、成人は18歳として選挙も18歳となる。6か月の周知期間を取ると11月1日から公職選挙法では選挙が18歳からとなり、民法でも成人年齢は18歳となる。

ところが2010年5月18日から憲法改正原案の審議はできるわけですね。2010年5月18日から憲法改正原案ができるとして。1か月半くらいで憲法改正発議ができるとすると2010年7月1日に憲法改正発議があり得る。発議から投票日の規定でだいたい3か月取ったとして2010年10月1日に国民投票をやるとなった場合にはひと月前に始まっちゃうから、これは20歳と読み替えてもしょうがないということです。でもこんなのほとんどあり得ない。ぎりぎりになった場合についてはこんなことが考えられるということですよ。少なくとも2010年5月18日の段階で、公選法や民法が改正され、公布はされている。あとは施行を待っているだけだ。その施行の周知期間の間に発議されて国民投票になった場合、このようなものが「万が一の事態」だということを船田元は言っています。船田発言からすると、全く何にもやってこなくて単に施行日がきたから20歳にするのは立法者意思に反するという、衆議院法制局担当者の説明はその通りだということになります。

とすると、これは立法者が想定していなかった状況です。つまり法律の規定は、本則は18歳、附則でそれまでに必要な措置を講じますよ、例外のときだけ20歳と読み替えるとなっています。何もしないで20歳でやりますというのは、これはおかしいことです。立法者が想定していなかった状況なんだから、これはやっぱり施行を延期するという選択肢が出てくるわけです。

ウルトラCとしては附則3条2項の効力を否定して、18歳で施行すると言う人が出てくるかもしれない。でもこれもあり得ないと思います。制定過程の最終場面で、与党側が併合修正案というかたちで附則をつけた法律案を出して国会を通しました。他方で最後に民主党は、別の民主党案を直接衆議院本会議に出しました。それは、本則で18歳、附則は3条1項だけで2項がないものです。もしそれを出していたとすれば、本則で18歳、そのほかは必要な措置を講ずるとなっていて、講じなかったとしても本則通り18歳でやることになります。その民主党案が本会議で否決された以上、その選択肢もありません。現行でやろうとしていることは、本則で20歳、附則で努力しましょう、法改正を目指しましょうとなっているような運用をされている。一方で18歳で施行する案も民主党案ではっきり否決されている、そうするとどっちにしてもおかしな話になります。

無視できない憲法改正原案の取り扱いや審査会開催

いろいろな議論はあったと思いますが、まじめに考えている人たちの中にも、施行してもいいんじゃないのと考えている民主党議員もかなりいると思います。その背景は、国民投票が行われるのはまだまだ先で、それまでに整備できればよいのだから、さしあたって20歳で施行しましょう、という感覚があるんだと思います。これはその通りだけれど、5月18日は国民投票法の施行日だけではなく、国会が憲法改正原案について取り扱いができる日であることを無視してはいけないと思います。

もう1点こういう議論があるかもしれません。確かに3年間放っておいた。だから、今回宿題を解決するために憲法審査会を開催すべきだという主張です。確かに憲法審査会の権限の中に「日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行う」こと(国会法102条の6)があるから、この「基本法制」として公職選挙法や民法があるという議論があるかもしれない。しかしながら公選法や民法の改正は本来的には法務委員会や総務委員会の所管になるので、憲法審査会の権限だというのはおかしいと思います。

さらに重要なのは憲法改正手続法の立法者意思からしても、附則3条1項の検討は、憲法審査会の権限として想定されていないはずです。附則の1条の最後を見てわかるように「附則第3条第1項、第11条及び第12条の規定は公布の日から施行する。」となっています。つまり2007年5月18日から施行されている部分です。憲法審査会はいつできるかについて、この法律の規定は、(2)「公布の日以後初めて召集される国会の召集の日から」となっています。これは公選法の改正や民法の改正について、憲法審査会で検討することは端から想定されていなかったはずです。この議論をするために憲法審査会を開くという議論もおかしいわけです。これは施行日の(2)と(3)のずれになるわけです。

まとめると、「宿題論」は、さっさと宿題をやって憲法改正の話に行くようにします、という議論になってしまいます。宿題をやれという議論にならないようにする注意が必要です。

「仕切り直し」しかない

僕は、これはもともとの発想に無理があったと考えています。18歳の議論が典型的ですけれど、憲法改正のためには民法を改正する必要があるという思想には無理があります。つまり民法の20歳は法律行為、契約についての話です。結局民法を改正しなければ憲法改正の話が進まないという、この議論の仕方がそもそも間違っていたと思うんです。

発想に無理があったし、立法者の想定していない状態が生じたということも、これは想定が間違っているところに尽きます。とすれば、これは仕切り直しにした方がよいと思います。日本の国民の中で、民法を改正して18歳でも契約を認めるべきだとか、大人として扱うべきだという人は、僕はそんなに多いとはとても思えない。それを何とか憲法改正にくっつけちゃったからその議論をしなければいけない。片方で憲法改正の議論は静まっている。もともと民法で20歳の年齢を下げようという議論は低調だった。どっちも低調で何も進まないという現状です。これは発想が間違っていた、想定している人間が間違っていると考えれば仕切り直しした方がよい。

「あなたたちが憲法改正に反対だから仕切り直しと言うんだろう」という人がたくさん出てくると思います。だけど僕はまじめに憲法改正をしたい人、国民投票をしたい人も仕切り直しにした方がいいと思います。その方が早く進むと思います。とにかく施行が先、と言っている方がかえって隘路に入って進まないと思います。

これが3年前に起きたことなんです。とにかく国民主権だと言うために国民投票法を制定させてしまった。憲法改正に反対するためだけではなく、まっとうな憲法論をするためにも仕切り直しにした方がずっと良いと思っています。以上のようなことが5月18日を目の前にして僕が思っていることです。

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