2月中旬に東京で開催された「第13回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」は「主権者は私たち」というメインスローガンのもとに開かれ、重要な成果を収めた。
今回の集会は、長きにわたった明文改憲派=自公連立政権(自民党政権)の交代という歴史的な昨年の総選挙の結果を受けて、自公政権による明文改憲の動きと対決してきた私たち市民運動は今後どうあるべきかを明らかにしようとする集会だった。交流集会冒頭の問題提起で、私は「政府に9条を遵守させ、私たちの力で9条を生かし、9条を実現していく運動」という課題を提起した。新政権をあれこれと論評する傍観者的な立場にとどまるのではなく、私たちは主権者としてどうするかという立場が必要なのではないかと考えるからである。
それは1990年代初めからの9条をターゲットにした明文改憲の流れに抗して、9条改悪を許さないという運動が獲得してきた世論の多数の力によって、自公政権を権力の座から引きずり下ろしたという歴史的な勝利の意味をしっかり把握し、その上に立ってさらに前進をはかろうとするものだった。私たちは獲得した世論の「9条を変えない方がいい」という多数派、別様にいえば「消極的9条護憲派」が多数を占めるこの国の社会状況から、「自覚的に9条を変えさせない、9条を生かす」という「積極的多数派」の形成をめざす運動へと飛躍をはからなくてはならない地点にたったという自覚である。そのために私たちは力を蓄えること、とりわけ改憲派との攻防の舞台である草の根において、力を組織し蓄えることに努力を注がなくてはならないことを自覚するということである。
容易ではない課題であるが、こうした運動の新しい段階への到達を確認することは、今後の運動の前進をはかる上で極めて重要なことである。それは、この間の運動の経験を総括し、そこから確信と教訓を汲み取り、今後に生かすことである
この度の全国交流集会の討議では、市民の側からの国会への働きかけのいっそうの活発化の課題が討議の重要な柱となった。具体的には現在、市民の側から国会に働きかけているいくつかの分野の立法化運動の具体的な報告があり、討議された。「イラクgou戦争の検証委員会の設立」のための取り組み、「東京大空襲の被災者への補償の立法化」の運動、「軍隊慰安婦など戦後補償の立法化」の運動、教科書や教育基本法の問題でのロビーイングの報告、「盗聴法の廃止法」の成立をめざす運動などであった。いま取り組まれている労働者派遣法の抜本的改正の取り組みや、民法改正を要求する運動などの課題を含め、政権交代という新しい条件を活用して、私たちがこうした課題に院外から主権者として積極的に主張し、実現を図る運動の重要性が確認された。
露骨な明文改憲の攻撃が後景に退いた現在、今後の改憲反対の運動にはいっそう地道な取り組みが要求されることになる。激しく闘う局面ではなく、しっかりとまなび、それを広げて行くことが要求される。「九条の会」が呼びかけている働きかけの対象をさらに広げ、小学校区単位での組織化をすすめるような運動への協力をはじめ、さまざまな憲法問題の運動の組織化に全国でとりくみ、力を蓄え、世論に働きかけなくてはならない。
新政権の主力である民主党は改憲イデオロギーを持つ人びとを指導部に据えている政党であるが、総選挙では構造改革に反対し「生活が第一」を掲げて闘ったことから、容易に明文改憲に踏み出すことはできない。新政権のもとで民主党内の明文改憲派の動きは封印されている。この人びとは当面、個別の政策の部分で改憲の思想を貫徹する解釈改憲の政策を進めようとする。この人びとは普天間など米軍基地や日米関係の問題で、あるいはハイチへのPKO5原則破りの派兵を強行する、あるいはアフガニスタンへの関わり、朝鮮半島の非核化などの問題において、くりかえし9条を破壊する方向に問題をしわ寄せする動きをうちだしてくるだろう。
同時に、自民党、公明党、および財界、右派メディアなどによる明文改憲の運動は再編され、つづいているし、米国からの集団的自衛権行使の要求もつづいている。
また民主党がもし衆参両院で将来、圧倒的な多数派をとなったような場合、明文改憲の動きが再燃することはあり得ることである。その場合、明文改憲を目指す動きの変化球として、いわゆる「地方主権」問題など、9条以外の他の条項での改憲の提起から始まることもありうるとみておかなくてはならない。
これらと闘い、明文改憲に反対し、解釈改憲を阻止し、憲法を生かし、実現していく運動づくりが必要だということである。当面して、私たちは5月3日の憲法記念日を全国的な改憲反対、憲法を活かす運動の共同のキャンペーンを広げる契機にしなければならない。連立政権に参加した社民党と、野党の立場にある共産党との矛盾なども、従来よりも激化する可能性がある。しかし、後戻りは許されない。私たちは改憲阻止の課題での統一行動を堅持し、発展させるために全力で奮闘する必要がある。
5月18日に凍結解除が予定されている改憲手続き法の凍結延長と、同法の廃止を要求する共同声明運動を通じて国会議員に働きかける努力も始まった。この取り組みは沖縄問題と併せて、当面する憲法問題での最大の取り組みである。
そしてつづいて夏の参議院選挙の重要性が確認されるべきである。先ず何よりも、この選挙で自民党・公明党の改憲勢力の再起を許さないこと、構造改革路線を掲げる「みんなの党」への警戒を強めることが前提である。私たちは3党連立政権の政策合意を一定評価する立場に立つが、改憲論者を党の指導部に持つ民主党が両院で圧倒的な議席を持つことは危険であると考えている。2大政党制によっては国民の間にある多様な意見の国政への正確な反映は困難だ。来る参議院選挙においては、改憲反対の立場を明確にする社民党、共産党などの諸政党の前進が必要だ。この立場から、民主マニフェストに記載されている「比例定数80削減」が招く結果の危険性を明らかにし、それを止めさせ、小選挙区を中心とした選挙制度の改正のための世論づくりも重要である。
現在開かれている174通常国会での第9条関連の重要法案には次のようなものがある。
(事務局 高田 健)
憲法を生かす会・小川良則
小泉「構造改革」の下での生活破壊に対する民衆の怒りが2007年の参院選における与野党逆転に続いて2009年の総選挙における政権交代をもたらした一方、2010年の5月には改憲手続法の凍結期間の解除を迎えるという情勢の中、13回目を迎えた「許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」が全国17都道府県から190人の参加を得て、2月13日、14日の両日、東京都内で開催された。
《公開講演会》
冒頭の開会挨拶で、日本消費者連盟の富山洋子さんは、武力を背景としたグローバリゼーションが格差の拡大と貧困をもたらしていることを指摘し、こうした状況を押し返していくための主権者のたゆまぬ努力を呼びかけた後、公開企画としての講演会に入った。
まず,集会の全体の基調とも位置づけられるのが、一橋大学の渡辺治さんによる日米安保50年と憲法9条・25条をテーマとした講演で、その要点は以下のとおりである。
1 日米安保条約は、米ソ冷戦下における米国の極東戦略の一環としての基地貸与条約(旧安保)としてスタートし、その後、1960年の安保改定や1978年の旧ガイドライン、ポスト冷戦時代の安保再定義によるグローバル化など、順次その強化が図られてきたが、その一方で、砂川闘争や安保闘争、ベトナム反戦運動や九条の会の拡がりなど民衆の運動が明文改憲と日本の参戦を阻んできた。しかし、それは米国の戦争への経済的な加担と沖縄の前進基地化という代償を伴うものであった。
2 高度成長期と前後して労働運動の企業社会への囲い込みが進んだ結果、官民あげて取り組んだ60年安保に対し、ベトナム反戦運動には民間労組の参加はあまり見られなかった。また、社員と家族の福利厚生を企業が担うという構造の下で、公的な社会保障は補完的な位置づけに矮小化されてきた。
3 労働運動の企業社会への封じ込めを象徴する出来事が国鉄の分割・民営化だが、その一方で、過労死などの問題も噴出してきた。更に、経済のグローバル化とそれに伴う新自由主義的構造改革がこれに追い討ちをかけ、25条の形骸化が進んだが、これに対して、年越し派遣村のような新たな運動形態も現れてきている。
4 民主党は、これまで自民党と構造改革の推進を競ってきた保守政党であり、鳩山自身も改憲派ではあるものの、選挙で支持を得るには「生活重視」を前面に打ち出す必要があった。こうした政権の出自と民衆の期待との矛盾に加えて、普天間問題で地元と米国の板挟みになるなど様々な矛盾を抱えており、ハイチへの自衛隊派遣には普天間とのバーターという側面もある。
5 アフガン派兵をはじめ日米同盟のグローバル化は、一層の解釈改憲なしには不可能であり、そのための条件づくりが内閣法制局からの憲法解釈の権限の剥奪と比例定数の削減である。もし、保守二大政党制の純化を許せば、それは軍事大国・新自由主義国家の完成をもたらすことになる。
6 当面の攻防の焦点として位置づけられるのが労働者派遣法の改正、後期高齢者医療制度の廃止、普天間問題等である。それには、新しい福祉国家構想や東アジアの平和保障の構想など、民衆の側の新たな対抗構想の構築が必要である。
さて、構造改革がもたらしたものが格差と貧困でしかなかったことは今や誰の目にも明らかであるが、いつの時代でも社会の矛盾のしわ寄せが集中するのが女性や子どもたちである。女性と子どもの貧困について、豊富な資料を駆使しながら鋭い問題提起を行ったのが「しんぐるまざーず・ふぉーらむ」の赤石千衣子さんで、男女間の賃金格差や正規・非正規の賃金格差により二重に差別されながらも、女性の貧困は「家族」や「世帯」の中に埋もれて見えにくいが、雇用の「流動化」や社会保障の削減により問題が一層深刻化するとともに、親の貧困が教育費の重い負担を通じて貧困の世代間連鎖を引き起こしていることが指摘された。そして、男性が「世帯主」として家族を養い、女性は家事・育児を担うことを前提とした家族・会社頼みの「福祉政策」に代えて、性別に対して中立的で、「一人でも、一緒にも」生きていける制度を構築すべきことや、雇用、住宅、教育などの各方面にわたってセーフティネットを創り出す必要があることを訴えた。
続いては、最近の最もホットな話題である普天間をはじめとする基地問題について、沖縄県憲法普及協議会の加藤裕事務局長からの報告である。まず、基地反対派が勝利した1月24日投開票の名護市長選について、県民世論は一貫して辺野古移設反対であり、基地反対派が候補者を一本化し、新基地建設反対を明確にした覚書を交わしたことが勝利につながったと述べた。更に、民主党のマニフェストには米軍再編の見直しが掲げられていることや、3党連立合意にも沖縄の負担軽減が明記されていることを指摘した上で、自民党系の県知事も県外移設がベストと言わざるを得なくなり、自民党も含めた県議会一致の反対決議の動きすらあることが報告された。そして、その背景として、これまでの「振興策」と称した箱モノ中心の財政投下では雇用状況は好転せず、公債残高ばかりが膨らんだことが明らかになる中で、建設業界の幹部ですら赤旗紙上で基地依存からの脱却を公言するようになるという状況があり、運動の側からも沖縄の自立的発展のための施策を取り上げていく必要があることが指摘された。
にもかかわらず、,内閣の中にも岡田外相や平野官房長官のように民意を無視するような言動があり、総理自身も海兵隊は抑止力として必要と述べたことを批判した上で、海兵隊を日米安保から切り離し、安保が本当に日本を守っているのかを問い直すチャンスであると訴えた。また、米国の内部資料には基地使用の自由度においてグアムは沖縄より数段勝ると明記されていることも指摘された。
さらに、東村高江ヘリパッド移設問題では、座り込む住民の写真を日常的に撮影し、それを証拠として通行妨害禁止仮処分を申し立てるという、司法手続を運動弾圧の手段として悪用するという事態が起きていることが報告され、防衛官僚の言いなりになっている政府を民衆の力で監視していくことの必要性が訴えられた。
最後に、間もなく凍結期間の解除を迎える改憲手続法について、事務局の高田健さんから、一般的国民投票の可否や成人年齢の見直し、過半数の分母や最低投票率の問題、広報や運動規制の問題など、多くの附則や付帯決議を伴ったこの法律は、立法者自らが認める欠陥立法であり、本来、一旦廃止して出直すべきものであることや、2007年の参院選や2009年の総選挙を通じて示された民意が求めているのは改憲ではなく構造改革によって破壊された生活問題の解決であることが指摘された。また、自民党の下野という新たな政治情勢を踏まえ、市民の側から法律の制定・改廃を求める運動についても問題提起があった。
続いて、会場を移して各地からの報告やテーマ毎の報告に移った。
まず、来賓挨拶として、「平和フォーラム」(藤本泰成事務局長)からは、10億人が飢えているという現状に対して世界の富の平等な配分が問われていると指摘した上で、米国一辺倒でないアジア外交の必要性が訴えられた。また、「憲法会議」(長谷川英俊事務局長)からは、普天間問題について基地をなくすことが重要なのに、どこに代替施設を造るかという問題にすり替わっている現状を批判した上で、小沢流「国会改革」は官邸への権限の集中とスピードを主眼とした統治機構の改編に他ならないとの指摘があった。更に、「全労協」(金澤寿副議長)からは,労働者派遣法の見直しではなく、派遣労働は原則廃止すべきだとの訴えがあった。
沖縄をはじめとする基地問題に関連しては、運動が高齢化する中で、ジュゴンの海や環境問題を切り口とすることで若い世代の参加が得られたことや(札幌:おんな9条の会ほっかいどう)、座間基地周辺でも軍用車の通行が増えたこと(神奈川:バスストップから基地ストップの会)、日出生台における海兵隊の演習が事前の予告なく秘密裏に行われるようになったばかりか、白リン弾が使われた疑いがあること(大分:赤とんぼの会)などが報告された。また、横田基地の被害についての裁判では、損害賠償は認めたものの、外国の主権的行為に対して裁判権は及ばないとして差止請求は棄却されたが、引き続き恒久的な運動づくりに取り組んでいる(うちなんちゅの怒りとともに、三多摩市民の会)との報告もあった。こうした統治行為論等による憲法判断の回避や門前払い判決に関連して、砂川事件の情報公開を請求する会(静岡)からは、司法の危機を問う集会等の取り組みについて報告があった。このほか、運動に対する威嚇として、テロ対策と称して会議室に監視カメラが設置されている(戦争をしないさせない・練馬アクション)という事態についても報告された。
戦後補償の関連では、東京大空襲訴訟の原告の千葉利江さんは、軍人には恩給が支給されるのに、戦災の被災者への救済は受忍義務を唱えて拒み続ける政府や裁判所の姿勢を批判するとともに、補償立法の取り組みについて報告があった。また、いわゆる軍隊「慰安婦」の問題について、中原道子さんは、国連諸機関が早期解決を勧告し,EUや米国・オランダ等の国会が決議をあげているのに、日本では野党提出の法案が8回も廃案にされたことを批判するとともに、戦後処理なしに鳩山首相の東アジア構想はありえず、政権交代は取り組みの前進の足がかりとなりうることを指摘した。
また、教科書問題では、つくる会教科書が採択された杉並から東本久子さんが、どの教科書を選ぶかで重要なのは現場の意見であり、学校生活の集大成の場である卒業式に主人公である生徒たちの作品展示がないのは、教育がどこを向いているのかを示すものだと指摘した。また、横浜からは、「日の丸・君が代」の拒否者の名簿収集が有識者による審議会の反対を押し切って強行されている現状について報告された。「国旗・国歌」法と同じ第145通常国会で強行採決された盗聴法についても、その廃止を求める取り組みについて角田富夫さんから報告があった。
ワールド・ピース・ナウでおなじみの志葉玲さんは、イラクの人口の約6分の1が今なお避難生活を強いられていることや、オランダではイラク戦争は違法と断定され、英国でも検証委員会にブレア前首相が証人として呼ばれたことを報告するとともに、嘘で塗り固めた派兵を将来に向けて許さないためにも、イラク戦争についての検証をマニフェストに盛り込むことを求めていくことを呼びかけた。
また、イラクやインド洋から撤収しても、自衛隊は海賊対策や地震の復興支援と称して、ソマリア沖やハイチに出向き、さらにはアフガンへの関わり方も話題になっているが、PKO参加原則をなし崩しにして既成事実を拡大していくことについても、憲法を生かす会から問題提起があった。
国際法律家協会からは、軍事基地被害に対する地道な運動が憲法に結実した中米や、パナマにおける旧軍人を警察に入れない取り組みについて報告があった。また、とめよう改憲!おおさかネットワークからは、5月18日の改憲手続法の凍結解除を改憲のムードづくりにさせないための取り組みについての報告があった。このほか、いわゆる「国会改革」に関連して、憲法調査会時代から内閣法制局に代わって国会自身が憲法判断を下すべきだという主張をしており、本来一体のものである個別的自衛権との集団的自衛権のカテゴリー分けを否定してきた枝野の法令解釈担当閣僚への指名について、憲法を生かす会から問題提起があった。
また、中国電力がブイの敷設を強行した上関原発についても、,現状を紹介したビデオが上映されるとともに、第9条の会ヒロシマから報告があった。
このほか,長年にわたる地道な取り組みとして、意見広告運動(大分:赤とんぼの会・第9条の会ヒロシマ)についても報告があった。
こうして2日間にわたるテーマ毎の提起や各地からの報告と討議を受けて、高田さんから、草の根からのしっかりとした足場の構築や、今夏の参院選における二大政党に対抗して改憲反対を明確に掲げる勢力の前進が必要であり、当面の課題として憲法審査会の始動阻止や市民の側からのさまざまな課題の立法化に向けた働きかけ等が提起され、最後に、改憲手続法の凍結・廃止を求める決議と、そのための共同声明案を採択して、全ての日程を終了した。
あっという間の2日間であったが、この成果をそれぞれが持ち帰り、日常の取り組みに反映させることを通じて、過去幾多の試練に堪えてきた人類の努力の結晶を不断の努力によって守り抜いて(憲法第97条・12条)いこう!
坂本洋子さん(mネット・民法改正ネットワーク)
(編集部註)2010年1月16日の講座で坂本洋子さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。
まず自己紹介をしたいと思います。私はmネット、民法改正情報ネットワークといいまして民法改正とジェンダー、男女共同参画情報を発信している会の共同代表です。またメディア等でフリーのライターというかジャーナリストというか、いろいろなところで書いたり話したりしています。なかなかこの民法改正が実現しないので運動の方でかなり長い間やっております。
まず戸籍のことですが、私は以前は公務員で、6年ほど地方自治体の職員をしておりました。最後の1年間が戸籍の窓口におりましたので戸籍に接する機会はとても多く、自分の戸籍を変えた、自分で戸籍をつくったという仕事が最後の仕事になりました。
戸籍がどういうものか、一般の人はそんなに戸籍の原本を見ることはないですね。写しというものがあるんですけれども、いまは写しもコンピュータで出します。今日は私がエクセルでつくったものを持ってきましたけれども、一般的には筆頭者がいて、夫婦と子どもが単位になるんですね。おじいちゃん、おばあちゃんとか孫とか、3代はなくて2代になります。家制度があるときには、一族ということで戸主がいて、孫まで入るということがあったんですが、いまは親子2代までになっています。結婚して戸籍を外れて新しい戸籍をつくると、その子どもまでが新しい戸籍になるということです。
いつ頃これができたかというと、いまのような戸籍ができたのは明治なんですね。夫婦別姓の運動をしていると、反対派がよく伝統だとかおっしゃるんですけれども、どこまでさかのぼるか。もともと氏(うじ)――私たちは 姓といっているんですけれども法律的には氏といいます――氏を名乗ることができたのは特権階級だけなんですね。ですから武士とかですね、ある程度の地位がないと氏を名乗ることができなかったんですね。
一般の人、庶民といわれる人たちが氏を名乗ることが許されたのが1870年です。そして1872年に徴兵を目的に戸籍が編成される。最初は結婚して家に入る妻は旧姓のまま戸籍に記されていたんです。「夫婦別姓」なんですね、戸籍は実は。明治民法ができて家の名前になって妻も名前を変える、そこで夫婦同姓になるわけです。たかだか120年くらいですかね。 伝統というには余りにも短い歴史だなと思います。そして明治民法ができて家制度が確立して、1947年に新しい民法ができて家制度というのはなくなります。
人が生まれてから死ぬまで結婚、離婚、養子縁組、相続人の廃除などが身分事項に書かれますし、 続柄というのがあるんですけれども、ここに長男、長女とか夫とかが書かれます。本籍の下の部分に氏名とあってこれが筆頭者になります。この筆頭者は亡くなっても筆頭者なんですね。住民票の場合は世帯主といいますね。夫が世帯主の場合は世帯主が亡くなると妻が世帯主になるとか、その部分が変わるんですけれども、戸籍の場合は亡くなっても筆頭者は筆頭者です。一般的に使われている戸籍では夫が筆頭者になって、離婚すると×がついていますが、よく「バツイチ」とかいうのはこのバツなんですね。このかたちが家制度の名残を非常に残しているので戸籍は問題だということです。それから、やはり本籍地が書かれることによってたとえば被差別部落がどこにあったかとか、本籍地を見ればどこの出身でどういう人たちなのかということがわかるということで、身元調査をされて本当に差別を受ける。いまでもそれがありまして就職、結婚などいろいろな意味で戸籍の制度が問題になっています。身分登録をいまと違うかたちにしたらどうかという意見も非常に多いです。それはなぜかというと筆頭者を残して序列というか長男、長女と順番に書かれていることが、非常に差別的であるということです。
諸外国でこういう戸籍制度をもっている国ってあまりないんですよね。ほとんど個人籍ですね。隣の韓国はどうなっているかというと、日本よりも非常に序列が厳しい。これは植民地時代に日本の戸籍制度を持って行って、そして儒教の思想があったので、そこがぴったりと合致したというか、本当に戸主が強い権限を持っていました。韓国は別姓なんですね。どういう意味かというと、男女平等というよりは、家に女を入れないという意味で別姓だったんです。この強固な戸主制が廃止されました。2008年1月1日から完全に撤廃されて新しい個人籍になったんです。
なぜ日本よりも早く韓国が戸主制廃止ができたのか。儒教の思想が強い人たちの非常に激しい抵抗にあうんですけれども、韓国は市民運動が「中央集権」というか、運動が結集して戸主制廃止運動が活発に行われた。平和運動とか環境運動、人権運動などが一点突破でやりましょうということで、一人の運動家が一人の国会議員についてロビー活動をするということを展開するんです。KBSという放送局があるんですが、そこの第一回目の放送が戸主制廃止だったんですね。それからインターネットで運動がさらに広がっていく。
男女の産み分けをしているということがあったんですね。それで男女の比率が非常にいびつになって、男性が非常に多かった。日本でいう漢方ですが、男性が産みやすくなるような漢方はないかということがありました。なぜだろうということで医者の人たちがまず疑問に思ってネットで発信したりして、それで戸主制が廃止されました。
もう一つ違うのは、憲法裁判所があるのでそこに訴えたりした。大きな違いはやっぱり民主化の運動をしている人たちは、もうあの暗黒の時代に戻りたくないということで激しいんですよね。日本の市民運動とはかなり違うなと思いました。草の根が悪いわけではないんですがなかなか結集できない。運動も縦割りになっている。日本の運動が韓国の戸主制廃止運動に学ぶべきことは多いな、ちょっと脱線しますが、そう思いました。それに比べて日本の運動は非常に弱いし、バッシングは強いしなかなか難しいんですね。日本では運動が成就することが少ないので元気がなくなるんですけど、ちょっと状況も変わってきています。
そういうことで、日本はまだ戸籍制度もありますし、夫婦別姓も実現しておりませんし、様々な問題が本当に多く残っております。先程言いました氏というものは、特権階級しか使えませんでしたけれども、1947年に家制度が廃止されて夫婦のいずれかの氏を選択していいということになりました。建前は平等なんですよね。民法750条は夫か妻のどちらかの氏を選択するということなんですが、結果的に96.2%が夫の氏にしているんです。どちらか話し合って決めましょうというカップルって本当に少ないと思うんですね。結婚したら夫の氏になるものだ、結婚とはそういうものだと思っている人は多いと思うんですよね。わたしは戸籍の窓口にいたので婚姻届を出されるときに、「婚姻後の氏はどちらになりますか」ってわざわざ聞いていたんですけれども、「えっ、うちは養子じゃありません」とか「結婚したら旦那さんの方になるんじゃないですか」と皆さん言われるんですよね。「民法はどちらか選ぶことになっています」と言っても「旦那さんの方にします」と当たり前のように夫の氏を選ばれる。
ですから建前は平等なんですが多くが夫の方を選ぶ、それをよしとする人たちはいいと思うんですが、それ一つしか選べないので「折れる」というかたちで改姓する人も多いと思うんですよね。夫婦同姓制の問題として男女不平等を助長する、この「折れる」ということは名前だけの問題じゃないんですよね。いろいろなところで折れるのが女性だったりするわけです。そして家意識というものを温存させてしまう。
また改姓した側が不利益というか煩雑な作業があるわけです。印鑑を作り直すとか、書類も替えなくてはいけない。旧姓を書かないとわからない、要するに誰だかわからない。アイデンティティの喪失。赤ちゃんとして生まれたときに親がしあわせを願って名前をつけるわけですよね。そしてそれをずっと使ってくる。それを急に変えることによって、いままで使ってきた名前が使えなくなるという不便さとともに自分が変わってしまう。いままで培ってきた自分が変わってしまう。変わりたいという人はいいんです。変わりたくないという人たちはどうするのかということです。選択ができないということですから。
そういう人たちはだんだん増えてきているんですね。それは、ひとつは仕事をしてずっと名前を使い続けてきたのに、突然変わらなくてはいけないということで非常に不利益になる。これは裁判にもなりました。国立大学で旧姓を使えない方が訴えたんですね。論文を書いてもその大学が戸籍名しか認めないということで、前の大学で使えた名前が急に変わると、これが私の著作ですといっても説明しなくちゃいけないわけです。また営業の仕事をしていて、結婚によって変わると旧姓何々の何々ですとか言わなければいけない。変わった人たちは非常に煩雑な手続きをしなくてはいけない。それを片方だけに強いてしまうということです。社会進出が非常に大きくなって、変えたくないという声が増えているのに変えている人が少ないんですね。
この96.2%というのはほとんど変わっていないんですね。1%変わるのに何年かかるかというほど変わらないです。そうではない選択をした人は5%にも満たないわけですから、その人たちが変えたいと思っているわけじゃなくて、この96.2%の中にも本当に変えたくないという人たちがいるということも知っておく必要があると思います。
選択的夫婦別姓を求める人が多くなるにつれて反対の声も多くなるんですね。
簡単に制度だけ説明しておきますね。結婚ですけれども法律的には婚姻といいます。2008年の人口動態統計では、婚姻件数は年間726,106件、離婚件数251,136件です。私は実は坂本なんですがパートナーも坂本なんですね。ですから婚姻によって改姓していないんです。離婚しても改姓しないので坂本で出しても結婚しなかったのとか離婚したのとか言う人もいるかもしれないんですが、名前によって女性だけが結婚したかとか離婚したかとかいろいろなことがわかってしますんですね。これだけ離婚が増えていて、いちいち名前を変えて説明したりというのは不便ですよね。何度も結婚して何度も変わる人がいますね。それでもいいという人もいるんですけど、そういうプライバシーまで名前を変えることによってさらけ出すということです。
氏名は人格の一部を構成するということで、日本人ではなかったんですけれども、日本語読みをしたために、これは自分の名前ではないと訴えた人がいました。最高裁は、氏名は人格の一内容を構成する、という判断をしました。人格の一部であるということで、それ以来人権の問題であるということがようやく言われるようになったんです。たかだか名前の問題ではないんです。変えていない人の方が、たかだか名前だって言うんですよね。変えている人たちは、不都合がありますし変えたくないという思いがあるので非常に大きなテーマなんですけれども、なかなかこれが理解されない。反対派も、通称ができるんだからいいだろうと言うんですけれども、この通称も非常に問題があります。
いろいろとバッシングの対象になっているのが、憲法24条に関わることです。憲法24条に「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」という文言があるんですけれども、勝手に本人同士がいいならいい、という条文があるのはおかしいという意見が出ました。自民党の中に憲法改正プロジェクトチームというのがありまして、2004年に憲法改正論議が24条にも及んだんです。そのときに批判されたのが夫婦別姓の問題です。夫婦別姓というのは形式的な差別というか、わかりやすいんですね、建前上平等をとっていますから。憲法14条に違反するという人もいるんですけれども、どちらかというと24条に違反するんじゃないかという意見があって、24条を変えようという人たちに夫婦別姓に反対の人が多かったんです。
その反対論議のときに言われた言葉が、そのまま読み上げますけれども、「いまの日本国憲法を見ておりますと、余りにも個人が優先しすぎて公というものがないがしろになってきている。個人優先、家族を無視する、そして地域社会とか国家というものを考えないような日本人になってきたことを非常に憂えている。夫婦別姓が出てくるような日本になったということは大変情けないことで家族が基本、家族を大切にして家庭と家族を守っていくことがこの国を安泰に導いていくことなんだということをしっかりと憲法で位置づけてもらわなければならない」。このことが憲法改正論議の中でいわれて、夫婦別姓が出てくるような情けない日本になったと。そういうことで24条の改正論議が出てきたんです。その後24条そのものは改正の対象にはならず、「家族生活における個人の尊厳と両性の本質的平等」、基本的にはこの条文は生かされました。
当事者の合意だけだったらおかしいじゃないかという意見については、これは民法に規定されています。なぜ憲法に両性の合意のみと書かれたかというと、合意が優先されなかったからなんですよね。家制度の下では本人の合意はどうでもよくて、結婚式ではじめて会うという人たちもいたと思うんですが、親が決めたんですよね、家同士が決めたんです。ですから本人の合意、本人同士の合意が大切だということを入れているわけです。そのほかの要件は民法で決めていて、合意だけでもできないわけです。根本要因としてまず婚姻届を出すと戸籍簿を担当者が持ってきて最低年齢に達しているか、女性は16歳、男性は18歳という最低年齢がクリアされているかをまず確認します。そして重婚しているかどうか、一夫一婦制ですから誰かと結婚している人は他の人と結婚できません。これは戸籍簿を見ればわかるのでこれも見ます。
離婚していない人は結婚できません。女性の場合だけですが、離婚した女性は再婚禁止期間というのがあって6ヶ月間は結婚できないんですね。これも差別的ですよね。何年も別居していて、男性は離婚届と婚姻届の順番さえ間違えなければ再婚できるわけです。先に離婚さえしておけばいいんですけれども、女性は離婚届を出してから6ヶ月間結婚できないんですね。これがまた大きな問題を引き起こしています。民法でこの規定があるので、戸籍の担当者はこの期間も見ます。そして近親婚の禁止、親と子どもは一親等、孫は2親等、兄弟も2親等です。3親等まではいけませんから、孫とかおじさん、おばさん、甥っ子、姪っ子までが3親等です。日本で結婚できるのはいとこから、4親等からです。韓国はもっと近親婚に対して厳しくて、いとこも近親婚です。これも確認するのは大変です。お互いの戸籍を見てそうじゃないということがわからないといけないわけです。
婚姻の効力として同姓であるということ、同居、これは同居して扶養協力義務が発生しますということですが、別居のカップルもいますし、絶対に同居しなければならないということではなくて、一応同居の義務がある。そして成年擬制、20歳に達していない場合でも社会的責任を負うわけで、擬制、成年したものと見なしますよということです。婚姻すると、こういう効力が発生します。こういう要件をクリアして婚姻届が受理されます。
新しい戸籍でスタートする人たちもいますが、いまは本当に多様化しています。名前を変えたくない人は法律で認められていませんから通称使用をする、つまりどちらかが旧姓を使用するか、あるいは法律婚をして仕事の名刺は通称とか、いろいろなところで通称も広がってきていますので通称を使うか、もしくは法律婚をしないで事実婚を選ぶか。家族のかたちもいろいろなパターンで暮らしています。多世代家族とかシングルマザー、シングルファーザーとか単身赴任による別居、専業主婦、夫婦共稼ぎとかあるわけです。
旧厚生省が家族のパターンを夫婦と子ども2人としていましたが、これはいま探す方が難しいくらいマイノリティになってきています。出生率も非常に低くなっています。三世代同居も少なくなっています。以前にイメージされていた典型的な家族といわれている夫婦と子ども2人、ここに回帰しようとする流れがあります。
ずいぶん前に少子化社会対策基本法というのができたんですが、八木秀次さんという方をご存じでしょうか、憲法改正急先鋒で、「夫婦別姓論者はフリーセックス論者」とか「原始共産制のマルクス主義者だ」とか言われている人です。その方が参議院の参考人として意見陳述をしたんです。家族という基本の形をつくらなくてはいけない、そうじゃない人たちは「逸脱」とすると言って、参議院の人たちが驚かれ、失笑を買っていました。けれども、そこに回帰しようという人たちが夫婦別姓に反対し、憲法改正も中心的にやっている。どんなに自分が変えようとか気に入らないと言っても実態が変わっているので、いまからそれは戻らないのでそこを受け入れてほしいんですが、なかなか国会議員の皆さんもわかってもらえないんです。
2008年に結婚したカップルの一方もしくは双方が再婚だった割合は25.9%です。ですからバツ1とかバツ2とかいうカップルが1/4なんです。カップルのうちどちらかが外国籍だったのは36969件、外国人の方も大変多いです。様々な多様化したライフスタイルに法律が追いついていない。ひとつのイメージしたかたちにあわせてつくられたというとちょっと偏見かもしれませんけれども、多様化したいまの社会に法律が追いついていない、そのために弱い方から犠牲が出てくるんですね。2007年に大きな問題になった300日問題。これも多様な家族、生き方に法律があわないために、その法律のすき間に落ちてしまうという問題が社会問題になったわけです。法律に入りきれない人たちは救われないですから、そこを民法改正で変えていきましょうということです。
そして婚外子差別の問題があります。民法900条4号但し書きというところに婚外子――嫡出である子、嫡出でない子と法律では書いてあります――要するに親が法律婚した子どもと法律婚しない子どもは、相続で1/2の差別があるんですね。これは法律婚していないんだから仕方ないだろうと言う人たちも多いんですけれど、これを平等にしてほしいと言っています。実は、これは戦後の新憲法ができるときから議論はされてきたんですね。24条をつくろうと草案を書いたのがベアテ・シロタ・ゴードンさんという方です。差別を受けている子どもたちを目の当たりにしていたので、ここを24条で是非書きたいということで、最初のベアテ草案では婚外子の撤廃も入っていたんですね。
しかしこれも抵抗にあいました。なぜかというと妻と婚外子が対立させられる、利害が対立するかたちになっていた。明治民法のときには家に男の子、嫡出というのは正統という意味がありますが、法律婚した夫婦の間に子どもがいるとそれは嫡出子、そして家を継ぐのは男子でした。いまの天皇家を見ると、これが明治民法時代の家族であると考えていただいていいんですけれど、嫡出の女の子がいても、妻以外に産ませた子どもで男子がいると、実は家督相続は嫡出の女子ではなくて庶子、認知した庶子が優位なんですね。要するに、男であれば法律婚をした夫婦、カップルの子どもでなくても優位だったわけですよね。これは認知すれば庶子といったんですけれども、認知しなければ私生児といってこれがまた差別になるんですね。
幾重にも差別を受けるんですけれど、庶子が家督を相続する、そこにいる嫡出の女子は継げないわけです。そうするとその母親、妻になるわけですが、利害については娘は継げなくて自分の夫がよその女性との関係で産んだ子どもが家を継ぐとなると、この時代は女性の地位は「法的無能力者」といわれていましたから、たとえば財産管理もできませんしいろいろな契約も制約されるとかまだまだ差別をされるわけです。さらに相続でも、自分に女の子がいてもよその男子の方が優位。
いまの天皇家でいうと、これは庶子ではありませんが愛子さんという嫡出の女子がいるわけです。ところがこの人には相続の権利がないわけです。いまの皇室典範では女子は継げないわけですから。そうすると男子というと、浩宮さんの弟の子どもに男性がいますから、皇太子の次は弟になり、その次はその男の子ということになるわけです。そういった時代では反対せざるを得ない状況ではあったわけです。いま婚外子差別撤廃で女性が差別してきたという方もいらっしゃるんですけれども、そういった利害があったという悲しい歴史、不幸な歴史を考えないと、女性だけが責められるのはつらいなと思うんです。そういうことがあって1/2もいらないという意見もあったりしました。
諸外国も婚外子差別は非常にあったんですよね。キリスト教の国は、本当に婚外子が親の罪を背負ってきた子どもであるということで憎しみの対象になってきたんですね。ところがヨーロッパはいま婚外子差別する国ってないんですよね。フランスが2005年までしていましたが、嫡出概念、正統か正統じゃないかという差を、キリスト教の国はどこも欧州人権条約ですとかさまざまな条約を結ぶときに法整備をして差別をなくしてきました。いまは相続で法律によって差別をしているのは日本とフィリピンといわれています。先進国の中では日本が唯一と言っていいと思います。
夫婦別姓も、日本の民法はフランスの民法を参考につくられていますけれども、同姓を法律で強制している国というのはほぼ日本だけです。前はトルコとかタイがあったんですけれども、トルコは、法整備をしないとEUに入れないわけですから、人権をちゃんと整えて法整備をしてからEUに加盟申請しました。タイはもともとできていましたが、軍事政権で夫の姓を名乗らなければいけなかったんですね。これも2005年だったと思うんですが法改正をして、いま日本が用意している選択的夫婦別姓、夫の氏でも妻の氏でもそれぞれが名乗ってもいいという制度に変わりました。ほとんどが同姓ですが、これは宗教の問題とかいろいろあってそうなっていて、同姓を強制はしてはいないんですね。
ですから法律で同姓を強制しているのは、世界広しといえどもほぼ日本だけといわれています。反対派の方が夫婦別姓は家族を崩壊させるとか解体させるとかおっしゃるんですが、諸外国では解体する理由は違うところにあるんです。これだけ再婚カップルが増えていて、離婚するケースがこれだけ多いというのは、いまの同姓の時代にもこれだけあるわけです。ですから夫婦が破綻するのは違う理由だと思うんですよね。夫婦別姓にしたから破綻すると言いますが、別姓にしたくなければ同姓にすればいいんですよね。破綻すると思っている人たちは同姓にしておけば破綻しないということですし、別姓でも破綻しないと言う人たちは、そこは自分たちの責任でやればいい。
それこそ自己責任とおっしゃる人たちがそういうことを言うのは困るんですよね。自己責任は夫婦の関係とかこういうことこそ自己責任でやればいいわけです。ほかのところで切り捨てたり排除していたりしているのに、こういうときに自己責任というわけです。余計なお世話なんですよね、破綻するかしないかはね。国家にそこまで夫婦関係を保護してもらわなくてもいいと思いますけれども、家族が崩壊するとか夫婦関係の一体感がなくなるとか、そのときに長勢甚遠さんにあったときに「貞操観念が」とかおっしゃった。離婚後300日問題で、子どもが前の夫の子どもになるというのはおかしいじゃないかと話したら、結婚後しばらくは貞操の義務が女性にはあると思っていらっしゃるようでした。その後長勢さんに赤坂の女性問題が出てきて、おっしゃる方の「貞操観念」を問いたいなと思うことがあるんです。そういった方は永田町には非常に多いんですよね、実は。自己責任論は家族にこそ持ち込んで欲しいと反論するんですけれども。
夫婦別姓に反対する議論というのは、法制審議会(法務大臣の諮問機関)が1991年に夫婦別姓など民法の改正の議論を始めました。そして5年間しっかり審議をして1996年2月26日に、やっぱり差別的だとして法制審答申が出ました。1996年は自社さ政権のときでした。そのときは激しいバッシングがありました。当時、生長の家がバックにいた村上正邦さんが激烈に反対した。法律をつくりたいときに役所は何をするかというと諮問して答申させる、そうするとご議論いただいて答申されましたので法律として閣法にします。閣法というのは政府提出法案のことです。本来は法制審議会が答申すると閣法ということになるんですが、96年の答申のときにはそうならなかった。それくらい激しいバッシングがあったんです。
皆さん憲法9条について非常に関心がおありだと思うんですが、ここと関係がすごくあることを少しずつお話ししたいと思うんです。いまバッシングを受けているもので何があるかというと性教育、そして夫婦別姓、男女共同参画。これらは実は関連しているんです。 性教育は1992年、どんどん広がりますが、ここではバッシングはほとんど受けていなかった。教育の領域だけですからあまり広がらなかったからです。ところが夫婦別姓は1996年に激しいバッシングに会います。性教育がバッシングを受けるきっかけ七生養護学校です。東京都の養護学校で、最初にバッシングをやった土屋さんという民主党の都議は最近除名されましたが、夫婦別姓にも反対していた。この方が七生養護に乗り込んでいった。性教育そして夫婦別姓は法制審の答申からバッシングが広がった。
男女共同参画社会基本法が1999年にできたときは、あまりバッシングを受けないんですよ。バッシングを受けたのは、広がっていって条例ができるときなんですね。バッシングを受けるか受けないかは、かわいそうな事例は受けないんですよ。DVとか児童虐待とか被害が出てくるものは国会で通りやすいんですよね。それから基本法というもの、わけがわからないですよね、細かいことは決めませんから、理念とか方向性を示すものですから。ですから男女共同参画社会基本法もそんなにはバッシングは受けていませんね。
ところが法律ができて、各自治体で条例ができていきます。その条例ができていくときに、東京と埼玉が先でした。私は埼玉なんですが、埼玉も「いいじゃないか」と保守派のおじさんというか年配の方たちも「まあ、いいんじゃないの」と、全会一致だったんです。これがどんどん広がっていくときに、「男らしさ、女らしさ」を否定するんじゃないかとか、中性化されるんじゃないかということを心配された方たちが反対していくんですね。しかし、それはその人たちが気づいたんじゃないんですね。そういうことを組織的に動いた方たちがいるわけです。その中で自治体、議会で反対運動が広がっていく。
山口県の宇部市で条例ができたときに「男らしさ、女らしさ」を盛り込んだ条例ができたんです。そこは尊重するというようなことです。「男らしさ、女らしさ」も、別に、いいんですけれど、要するにそこにとらわれて、ほかを否定しないで欲しいということです。「男らしさ、女らしさ」ってなんだろうと思っているときに、それを条例に盛り込むことが私たちにはよく理解できなかったんです。これを盛り込んだことから、宇部のような条例をつくろうという、バッシングをしようとする人たちが運動を展開されたんですね。さいたま市の条例づくりのときにもやっぱり保守派の人たちが「男らしさ、女らしさ」を盛り込みましょうということで、どんどんパブリックコメントを出しましょうという運動がありました。たぶんあらゆる場所でそういう運動が広がったんだろうなと思います。
ちなみに男女共同参画社会基本法ができたのは小渕内閣でした。そこで中心的に法律をつくろうとしたのは野中広務さんです。当時の自民党幹事長をおさえた。実は異論は出ていたんですが、そこでできたことが大きかった。自民党政権のときに成立したんですね。
夫婦別姓に対してバッシングが激しくなったのは1996年です。日本会議というのをご存じでしょうか。日本会議ができたのは1997年です。なぜできたかというと、ひとつは夫婦別姓がキーポイントになります。97年に初めて旧民主党が民法改正の法案を出します。世論調査で賛成がどんどん増えてきていて、それに危機感を覚えて日本会議ができます。日本会議の中心的な運動の一つに夫婦別姓に反対することがあった。日本会議の人たちは伝統的な家族、基本の家族を守りましょうというんですが、まるでこちらの主張が家族を崩壊させる、イデオロギーというかマルクス・エンゲルスが出てきそうです。
笑い事ではなくて、先日千葉県で出た意見書にはポル・ポトまで出てきます。その意見書にはエンゲルスが「エングルス」と書いてあるんですけどね。本当に笑えないんですよ。地方議会、県議会レベルでこの程度の夫婦別姓に反対する意見書があげられている。何でポル・ポトかというと24条改正論議のときにも、性教育バッシングのときにも出てくるんですね。自民党の中に性教育バッシングをするチームができていたんですね。そのチームが2005年に自民党本部で性教育の人形を陳列したりシンポジウムをするんですけれども、そこで安倍晋三さんが「ジェンダーフリーを進める人には特徴がある。家族を崩壊させるという意味ではカンボジアで大量虐殺をしたポル・ポトを連想させる」とおっしゃったんですね。それを連想する頭も恐ろしいなと思ったんですけれども、夫婦別姓とかジェンダーフリーからポル・ポトを連想するというそういう連想ゲームは、わたしたちはできないですよね。それくらい飛ぶわけです。
これは、実は憲法24条の論議のときに岩手日報に出ているんです、このポル・ポト発言が。どこかからポル・ポトとかマルクスとかエンゲルスといった言葉を教える人たちがいるみたいです。でも安倍さんは総理までなられた方ですから、ここまで発言されると良識というか資質を疑われると思うんです。そういうことが彼の発言で出てきましたので、朝日新聞もジェンダーフリーをポル・ポトになぞらえたと大きく取り上げました。今度は夫婦別姓とポル・ポトが結びつけられてしまった。そして千葉県議会が意見書をあげたので、それは国会にそろそろ届いていると思います。こんなの読んだらひっくり返ると思うんですけどね。それくらい怖いことなんです、実は。
過剰防衛する人というのは恐怖心を持っているわけです。戦争をしようという人たち、防衛をしようと思っている人たちは恐怖心があると思うんですよね。北朝鮮が攻めてくるかもしれないからこちらも防衛しようということです。戦争をするのは簡単だといわれますよね。ひとつは反対する人を愛国心がないといって取り締まる。もう一つは恐怖心をあおる。本当は誰も戦争したくないんだけれどもこの二つがあれば戦争ができると言われています。それと夫婦別姓を同列には考えたくはないんですけれども、夫婦別姓にすると家族が崩壊するよとか日本が崩壊するよというところまで行く人もいますからね。
これは自民党の中にも推進派がいっぱいいまして、自社さ政権のときに野中さんとか社民党の清水さん、さきがけの堂本さんたちがチームみたいなのをつくって議論したんですね。2001年に夫婦別姓に賛成か反対かという世論調査をしたんです。この世論調査で初めて賛成が反対を上回ったんですね。これで自民党が動き出すんです。自民党の中に夫婦別姓を認めようということで、会長が笹川堯さん、この問題でいうと残念ながらなんですけどこの間の選挙で落選してしまった、非常に積極的でした。事務局長が野田聖子さんでした。笹川さんは困っている人がいるんだからそれを政治で解決するのは政治家の役割だというところまでおっしゃって、保守派の議員、私もちょうど一緒にいたんですが、靖国派といわれる議員に「あのね、私だって靖国神社に行って拝んでいる、でも夫婦別姓には賛成だよ」とおっしゃったんですね。
当時、山中貞則さんという税調のドンといわれた、その方は「私の目の黒いうちは絶対に夫婦別姓は許さん」と言っていたんです。ところが笹川さんが説明に行かれたんですね、「先生、こういう制度ですよ」と言ったら、「なんだそういう制度か、私が会長になってもいいよ」とおっしゃった。浪花節の世界なんですが、そうしたら笹川さんが「いや、会長というのは頭を下げて走り回らなくちゃいけないので、よければ最高顧問になってください」ということで夫婦別姓を進める会の最高顧問になられたんですね。顧問に誰が並んだかというと、野中広務さん、古賀誠さんといった人権擁護法をつくりたかった人たち、自民党の中で人権派と言われている人たちです。
憲法9条改正論議と関わるのは、この人たちはハト派と言われている人たちなんですよね。この人たちが夫婦別姓も賛成している。戦争をするために9条を変えなくちゃと思っている人たちというか、軍備増強派というような人たちが夫婦別姓に反対です。守ろうとするのと壊そうとする人が逆じゃないかなと思うんですけれどもね。そうそうたる人たちが推進派のメンバーにいらしたんですね。私も何度も自民党の法務部会に出ているんですけれども、元外務大臣の高村さんは最初反対だったんです、ところが法務大臣になって賛成に変わるんですね。反対の方は、一度法務大臣をして法律的に理解すると反対と言えなくなるんじゃないかなと思うんですね。彼は法務部会で、高村家では別姓は許せない、やっぱり一緒にして欲しい、しかし他の人が別姓にしたいというのは認めようじゃないかと言ったんですね。 でもこれが夫婦別姓の選択制ということなんですよね。ですからそこはちゃんと理解していただいているなと思いました。
部会に行ったとき「やっとあなたたちにこの部会に入っていただけるようになりましたよ、以前は灰皿が飛んでいました」と言われました。賛成派と反対派はすごい議論というかドンパチをやったというくらい、自民党の中が真っ二つに分かれるようなことだったんですね。当時、法務部会長だったのが佐藤剛男さんという方で最初は慎重派だったんですが、福島大学でシンポジウムをやってそこの大学の教員が話をしたりして、ちゃんと話を聞くと賛成派に変わっていく。反対派のシンボルだったのが中川昭一さんとか、いまだと稲田朋美さんが非常に反対をされています。
森山真弓さんも法務大臣をされてこの問題をやろうとしていたんです。けれども、性同一障害などの問題は進むのにここが動かないので、南野さんにどうして夫婦別姓は動かないのかしらと言ったそうです。男性の実害はDV防止法とかパワハラとかあるんですが、夫婦別姓は何もよその夫婦が同姓にしようが別姓にしようが関係ないと思うんですが、ここがどうも難しくて他のところは進んでいく。そしてこれが象徴的になって、要するに夫婦別姓が最後の砦になってしまったんですね。ここを守りきれば何とか自分たちの思うところ、方向にいく。ここがもし変えられたら本当に大変なことになると思っている。そういうことで切実に反対されている。
2006年に世論調査をして、また賛成が反対を上回って、産経新聞でも賛成が反対を上回ったんですね。世論を理由にするのは反対派が使っていたんです。国民の世論は反対が多いという理由だったんですけれども、賛成が増えると世論だけで決めていいものかと今度は言われたんです。じゃあ何を理由にするのかとも思ったんですが、わたしたちも世論を理由にするのはよくないだろう、人権の問題ですから世論が少なくてもやらなくてはいけないと。マイノリティの人権をどうやって守っていくかということは、国が国民に聞いてやらなくてはいけないわけです。そうでなければ、たとえば被差別部落の人たちの人権ですとか障がい者の人たちの人権とか、多数派になれない人たちの人権は守りにくいですね。ですから世論を理由にしてはいけないということは、国連の女性差別撤廃委員会が今年日本に勧告して、世論を理由に法改正しないことに対して批判をしています。
夫婦別姓については人権規約、子ども権利委員会は、嫡出でない子、正統でない子というような差別的な用語も改めるように勧告しています。今年はまた、子どもの権利委員会が日本の実施状況を審査する年です。毎回同じ勧告を受けるというのは不名誉な国だな、「名誉ある地位をしめたいと思う」と憲法に書いてあるのになあと思います。安全保障は国際基準に追いつかないといけないとか、数学の点数が下がると国際的に遅れているといって怒るんですけれども、人権こそ国際人権基準に追いついて欲しいなと思います。
人権についての勧告は本当に恥ずかしいんですね。行く人たちは直接その国際的な批判を浴びるので変えたいなと思うんですけれども、反対する人たちには一度国際舞台に行ってもらう機会を与えるとか直接言われないとわからない。本当に困っている人の痛みを感じないで反対しているわけですよ。ですから痛みを感じてもらうように、今年の国連の子ども権利委員会に、子どもの人権などに反対の発言をする人たちに行ってもらうことも意義があるんじゃないかと思います。
個人の立場で反対されることについてはいろいろ意見があってもいいと思うんですけれども、たとえば教科書に介入してくるのは非常に影響があるんですよね。この間の教科書検定をみると、「慰安婦」などは早くから批判されて記述がなくなってきました。最近の傾向は、多様な家族とか性の自己決定とかそういうことに対して反対する人たちが多くなっている。笑えるんですが、犬や猫が家族であると思わせるような記述があったんですね。ペットも大事な家族だということについて検定意見がついたんです。おじいさんやおばあさんを家族と思わない人たちがいて、犬や猫を家族と思うというのはけしからんと。ここに検定意見がつくのは本当に笑えるんです。
そのことを安倍晋三さんが誇らしげに先程のシンポジウムでもおっしゃっていましたし、教科書検定に介入したと思われるような「美しい国へ」という本の中で書いている。あの人は引き際は美しくなかったんですが、美しいとか伝統とかいっている人たちは美しくないんですよね。中川昭一さんもそうですが、あそこまで醜態をさらす方もいらっしゃらないですよね。皇室の三笠宮寛仁さんも、妻が麻生太郎さんの妹ですから日本会議の人たちともつながりがありますが、あの人はアル中ですよね。アル中がだめだとはいわないんですが、美しいとか、他人を制限するようなことをおっしゃる人たちは、自分は何なのということを言いたいんです。
山谷えり子さんもそうなんですね。山谷えり子さんについて、わたしはかつて週刊金曜日に「山谷えり子研究」というものを書いたんですが、彼女は民主党から出ていますが、その前に一度民社党から出ています。彼女の父親は山谷親平さんですね。山谷姓というのは旧姓なんですよ。自分は旧姓を名乗っておきながら、夫婦別姓はけしからんとおっしゃる。山谷親平さんの親の七光りで、彼女はいつも「サンケイリビング」、900万人の読者を持つ情報誌の編集長だったというんですが、経歴詐称と言っていいんです。要するに編集長は別にいて、看板になるような人たちを集めて「ママさん編集長」みたいなかたちで各エリア、県ごとに目玉の企画をしていたんです。その編集長だった。「私は編集長だった」っていつも予算委員会などで言われますが、「ママさん」でしょって。「ママさん」という言葉は差別的だといわれるかもしれないけれど、そのときの企画としてであって、編集長はちゃんと別にいたわけですから、それはちがうだろうと思いますど。
それから、若いときにお子さんを出産された後「リビング」に書いてあったのをみると、家事と育児でノイローゼになるような日々だった。乳飲み子をおいて仕事に行ったら母乳がばっと出た。それまで母乳が出ないほどだった。どうして女性だけがこんなに閉じこめられて自分を犠牲にして何とかって書いているわけですよ。いまはなんと言っているか。お母さんは子どもが3歳になるまでちゃんと見ましょうとか、アンペイドワークなんてとんでもない、家族のために尽くすのは当たり前じゃないかということです。よく180度ちがうことを国会で言ったり、人に強制できるものだなあと思うんです。
民社党で落ちて民主党から出るんですが、民主党のときに夫婦別姓の法案を出す賛成者として名前を連ねているんですね。民主党の中には、いまの埼玉の上田知事などが中心にして慎重派の会ができて以降、法案を出す賛成者のメンバーがぐっと減るわけです。当時の党首は実は鳩山さんです。その慎重派の会が、法案審議のときには党議拘束を外すようにと党に申し入れたんですね。鳩山さんはなんと言ったか。公約に掲げて法案を提出している党なんですよ。鳩山さんは「新しい議員も増えたし全党的な議論が必要だろう」。だったら公約から外してから、それを問うてもらわなければいけない。公約にして、法案も提出しているのに、そういったことを言われるのは、そうやって揺れる人なんだな、いまも揺れているようですが、なかなかリーダーシップを発揮できない。
稲田さんが去年の予算委員会で通称も含めると反対が多いんじゃないかと発言された。通称を反対に含めるところが私には理解できないんですが、別のかたちで名前を名乗ることからすれば、これを反対に含めるのはおかしい。でも反対に含めないと多数派にならないからそう言われたんですね。そしたら「私もむりやり通すのはいかがなものかと思います」とかなんとかおっしゃったんですよ。何でそんなことをおっしゃるのか、鳩山さんはずっと提出するときの賛成者でもありました。
民主党のインデックス、選挙公約には入っているわけですよね。マニフェストに入らなかったのは、反対する方がいて、国家公安委員長の中井さんという方が新進党から民主党になった人ですが、新進党のときに高市早苗さんという方がいて、そういう方たちが大変に反対されるわけですね。この高市さんも旧姓でして、山本さんが戸籍名です。山本拓の妻になって一時山本姓を名乗っていました。日本会議の中に「日本女性の会」というのができるんですが、その会議が五つの柱として国民運動を始めて、その一つが夫婦別姓に反対することです。メンバーを見ると通称使用をしている人たちです。山谷さんとか、副会長が高市さん、西川京子さんです。西川さんはいなくなったけれど、西川京子さんは戸籍名と同じですが、ほかの2人は通称使用ですね。
高市さんはなぜ高市に戻したかというと選挙に勝てないからですね。「山本早苗」で選挙をやったらたぶん負けていたでしょうね。ですから彼女が一番不便を感じているはずなので、夫婦別姓の推進論者に変わっていただきたいなと思うくらいですね。「通称使用をオーソライズする」とかまたわけのわからないことをおっしゃる。要するに「自分たちは特別だ」と、戦争をする人たちもそうですよね、自分たちは戦争に行かないから。国民を統一させる、言うことを聞かせるということと本当に同じだと思うんですよね。それで「日本女性の会」が反対運動をする。
稲田さんは、山谷さんが連れてきて2005年の郵政選挙に出ましたが、稲田さんは福井で、山谷さんも福井なんですね。山谷えり子さんが東京に出てこられた理由は、山谷親平さんが地元の新聞社に勤めていて、民社党から選挙に出るんです。ところが泡沫のような票しか取れず、逃げるようにして東京に出てきた。それでニッポン放送でパーソナリティとして長いあいだ活躍された。その親の七光りということもあるんですが、参議院で自民党から復活して議員になり、郵政選挙で刺客として福井から出る予定でした。彼女はしたたかで、次を考えたわけです。それで稲田さんを持ってきて、郵政選挙で勝った。
稲田さんは小選挙区で勝ちましたが、これは公明党が推薦していることが一番大きいです。のきなみ小泉チルドレンは落ちていますが、復活しているのは公明党が追加で推薦している人たちですね。公明党の福井県本部に電話して、「この方は外国人の地方参政権にも反対しているし、公明党が言っていることに反対されているんですが、なぜ推薦されたんでしょうか」と聞いたら、「えっ、それは知りませんでした」とおっしゃるんです。地元では、やっぱり女性だし優しい声で話される方がこんな乱暴なことをおっしゃるのかとびっくりされるんですけど、教えてあげることは次の選挙に有利かなと思って、努力してやっています。夫婦別姓と9条の問題は非常に密接な関係があるということを申し上げたかったんです。
今年の通常国会で夫婦別姓の問題は議論をするということで、千葉大臣も3月には法案を提出したいとおっしゃっています。一昨日の議運で5つの法案が出されました。その5番目に民法改正案が出ています。ひとつが裁判所の職員の定数法、そして国際受刑者移送法の改正、民訴法、刑事訴訟法、5番目が民法改正です。今回の予定法案の一覧表として政府から出されましたが、民主党の中で抵抗があったと聞いています。これは閣議決定されていませんが、提出予定時期は3月中旬となっています。ほかの法案は、1月下旬、2月下旬、そして3月上旬、3月中旬 というかたちになっているんですが、順番にやるといいますから、前の法案が進まないと行き着かないわけです。
反対派を説得したのはここだな、ということなんですね。ですから世論が大きくなってうねりとなってこの法案を出せということにならないと、もしかしたら提出もおぼつかないか、あるいは継続審議になってしまう。民主党政権で千葉さんが積極的にやる人だ、そして男女共同参画担当大臣に福島さんがなって、これは行くんじゃないという人がいるんですけれども、まだそうはいかないわけです。世論の声が高まらないと、マスコミが注目しないと、国会議員はなかなか動かないということもあるので、宣伝なんですが3月3日3時から、憲政記念館で大決起集会を行います。皆さんにもいろいろなメディアを通してお知らせがいくと思いますので、ぜひぜひご参加ください。
高田 健(許すな!憲法改悪・市民連絡会)
「主権者は私たち」というメインテーマを掲げて、第13回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会が2月13日~14日に開催されました。13日の集会(公開企画)では、「日米安保50年と9条・25条の力を考える」のテーマで渡辺治さん(一橋大学教授)、「女性の貧困を打ち破ることから」のテーマで赤石千衣子さん(しんぐるまざーず・ふぉーらむ)が講演し、「沖縄からの報告」として「米軍再編をめぐる沖縄の情勢」について加藤裕さん(弁護士・沖縄憲法普及協議会)、「改憲手続き法の『凍結解除』と私たちの運動」で高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)が報告をしました。本稿はこの高田さんの報告です。
3人の方からお話いただきました。それぞれ現在の憲法問題について大変重要な提起をしてくださいました。3人の方の提起を受け止め、参考にしながら、私たちはこれから2日間の市民運動全国交流で、この1年、憲法問題でさらに大きな前進を闘いとっていくような討議をしていきたいと思います。
私がお話しするテーマは改憲手続き法の問題です。
マスコミでは「国民投票法」と言っていますが、法律の正式な名称は「日本国憲法の改正手続きに関する法律」であり、私たちは略して「改憲手続き法」と言っています。これは意図的な間違った言い方ではありません。むしろ国民投票法と表現することには、この法律がもっている非常な危険性を歪めて伝えようとする意図があるのではないかと思うほどです。
この点は、メディアの皆さんに対しても国民投票法ではない、改憲手続き法だと何度も指摘してきたところです。私たちの運動のなかで国民投票法と言ってしまう人がいますが、今日の集会に参加された方は、絶対に間違えないで頂きたいと思います。改憲手続き法との闘いです。
改憲手続き法案は、安倍内閣が2007年5月14日に参議院で強行採決をしました。衆議院では討議の最中にマイクが飛ぶような強行採決をしました。討議をしなくてはいけない問題がたくさんあり、それがほとんど残されているのに、なんとしても自分の任期中に憲法改正をしたいという安倍内閣が非常に焦って、不当にも9条を変えたいという意図から、自民党と民主党の協調体制をぶち壊して、強引な乱暴な暴力的な強行採決を繰り返して出来たのが改憲手続き法です。07年5月です。
しかし、じつに乱暴なやり方で、また積み残された問題があまりにも多いものですから、採決にあたって参議院で、自民党・公明党、当時の与党みずからが18項目もの附帯決議を付けるという法律でした。もちろん今までも、多くの附帯決議が付いた法律がなかったということではありませんが、憲法の問題でこれだけの附帯決議を付けるということは、法律としての体をなしていないことを与党じしんが認めたような法律です。
また、じつに乱暴に決めましたから、すぐに法律を施行してしまったらまずい、強行採決のヒートアップした状態をなんとか冷却させようということも含めて3年間の凍結期間を設けました。これは公明党の知恵です。憲法改正案について審議可能にするのは3年後にしようというものでした。この中で国民投票もすぐにでも実施出来るというのはあまりにも性急だということで、この2つに関しては3年間凍結することを合わせて決めたわけです。その3年が今年の5月18日に来るということです。
しかし自公・与党にとって、この3年間は幸か不幸か大変重大な3年でした。この間に参院選挙(07年7月)があり、昨年は衆院選挙がありました。自公・与党が民主党とケンカしてまで強行採決をして成立させたわけですが、参院選挙で自公・与党が負け、衆院選挙でも大敗しました。政治の大きな変化が起きました。
先の渡辺先生の話でもハッキリしたように、民主党はもともと90年代から2000年代初めに、自民党の改憲運動に引きずられながら民主党じしんも改憲案を出し始めたわけです。しかし07年の参院選、そして昨年の総選挙では、民主党の小沢さんは「生活が第一」というスローガンを掲げて、小泉構造改革に反対する立場から、自公・与党とは対決する、自公・与党とは違うということをアピールしながら多数議席を勝ち取ったわけです。この大きな変化があります。
じつは改憲手続き法の強行採決に関して触れておかないといけないことがあります。ご承知のように憲法を改正するには国会の総議員の3分の2以上の賛成がなければ発議が出来ません。しかし当時の自公・与党には、衆議院では3分の2以上の議席がありましたが、参議院では3分の2はありませんでした。ですから安倍内閣が明文改憲をするには、民主党の協力なしには改憲案は出せないという状態でした。ですから2000年代の初めから改憲を具体的に準備してきた中山太郎を中心とした自民党メンバーは、なんとかして民主党と協調することに腐心してきました。私は国会の憲法調査会をすべて傍聴しましたが、中山太郎は本当に手ごわいと思いました。憲法調査会では、国会運営とは違って、政党ごとの発言時間はみな平等に与えました。国会運営ではふつうは議席数で違うわけです。中山太郎は憲法調査会の運営をできるだけ民主党や野党の意見を聞き入れるという形で進めました。中山太郎は人が良いからではありません。彼は「3分の2」がなければ、国会で改憲の発議が出来ないということを十分知り尽くしているからです。これがわからなかったのが安倍晋三です。自分の任期中になんとしても改憲したいと前のめりになっていましたから、中山太郎に任せておいたら、時間ばかりかかってしょうがないと思って、中山太郎に命令して強行採決をさせたのです。
その時の、民主党憲法調査会の責任者(当時)であった枝野幸男の「名演説」をいまでも覚えています。安倍晋三君は究極の護憲派である、安倍晋三君が代表をしている間は、私は自民党と憲法論議はしない。それが枝野演説の要旨でした。枝野が言いたかったことは、安倍晋三が強行採決をやって改憲手続き法案を通したことは、憲法問題で自民党と民主党の協調体制を壊したことになる。お前は、憲法改正をやりたいと言っているが究極の護憲派ではないか、という演説でした。まさに見事に安倍の失策をついた発言だったと思います。枝野さんはもともと改憲派です。今度新たに大臣になりました。内閣では憲法解釈を彼が担当するというので驚いています。
いずれにしても今年の5月18日を前にして、この3年間の情勢の大きな変化がありました。
ほんとうはこの3年の間に改憲手続き法の下で憲法審査会は動いていなくてはいけなかったわけですが、動いていません。また議論が先送りされ、附帯決議などで自公・与党(当時)も不備を認めた改憲手続き法の問題点は以下のようなものですが、この議論も進んでいません。
…などなど。
投票権者を18歳にするか、20歳にするのかという問題でもいろんな議論があります。私たち市民運動は中学校を卒業したら投票できるようにしろという主張でしたが、当時の自民党と民主党の対立は20歳か、18歳かという対立でした。こんな問題についてこの3年間ですべて解決しておかなくてはいけなかったわけです。しかし、枝野さんが啖呵を切ったことにも表されているように、この3年間自公・与党と民主党の間で、これらの問題はほとんど進みませんでした。3年間でやるべきことは何も進んでいません。
憲法審査会も法律上はあることになっていますが、委員も選出していないし、会合も一度も開かれていません。要するに箱だけはできたが中身がないという状態で3年が過ぎたわけです。
ですから今年の5月18日を前にして、明らかになったことは、改憲手続き法が、どんなにいい加減な法律であったか、そしてそれに基づいては事態が何も進んでいないという状態です。つまり凍結を解除する条件はなにも出来ていないということです。そのことが明らかになったのだと思います。
国会で憲法審査会や特別委員会など作る時は、その運営規定が必要なわけです。昨年麻生内閣はあのドタバタのときに衆議院でまた強行採決をやって、衆議院の憲法審査会の規程を作りました。麻生さんは安倍さんと同じ思想ですから、きっとなにもやらないわけにはいかないということで必死に作ったと思うんです。しかし、また強行採決でやったもんですから、参議院では多数だった野党(当時)は、絶対に作らないと主張して、参議院ではいまだに規程も出来ていません。だから憲法審査会がないだけではなくて、運営規定は衆議院にあるだけで参議院にはありません。
この5月18日が来ても、改憲について討議をする場すらできていません。こういうなかでとうとう5月18日が来てしまうわけです。
危機煽りの運動ではいけない
実際に投票権者の問題を解決しようとしたら、ざっと聞いたらところでは民法関連で200くらいの法律を改正しないと18歳投票権者にふさわしい法律体制にすることができないと言われています。問題はそれくらい困難な代物であるわけです。それがまったく出来ていません。
市民運動の中に、5月18日が来る、大変だ、大変だ、もう改憲運動が始まるぞ、といつも言うような人たちがいました。私は、これに危惧して、私たちの友人でもありますが、その人たちには「狼少年のようなことは言わないでくれ」と申し上げてきました。「狼が来る、狼が来る、5月18日が来たら改憲が始まる、と言って脅さないでくれ」と言ってきました。
事態を冷静に見る必要があるのです。事態がどうなっているか見ないで、大変だと言ってやる癖があるのです。古い活動家にはどうも大変だ、大変だ、と言わないとエネルギーがでないという変な癖があります。しかし誇大宣伝をしてはならないのです。私たちの力についてもしっかり確信を持たないとならないのです。
3年間にわたって憲法審査会を始動させてこなかった力はどこにあるか。これも先に渡辺治さんが講演で十分申し上げましたから、私は、それ以上は言いません。明らかに改憲反対派の力によって今日5月18日が来ても実際には施行しきれない状態になっています。
私は、5月18日が来る、大変だ、という狼少年的な意見に対しては何度も苦情を申し上げてきました。高田は楽観論者だ、とんでもない、ともしばらく言われましたが、そんなことはありません。安心しろと言いたいのではないのです。鳩山さんも小沢さんもその著書で改憲論をすでに公表しています。今の民主党の執行部の人たちは、思想的には明確な改憲派です。そして、いずれかの時点で憲法改正に踏み出そうと考えている人たちです。この点に関してはいささかも気を緩めてはいけないと思います。同時に、そういう人たちだから明日やるということではありません。運動を進める場合は、この間合いをきちんと計っておかなければいけないと思います。運動を一緒にやる者の責任でもあると思うのです。
しかし、5月18日が来て、どうなりそうかという問題があります。法律上の凍結期間が解除されます。どんなデタラメな法律であると言っても国会で成立していますから、5月18日に凍結が解除されます。この時の闘い方です。
私たちは、民主党の中に凍結を3年間延長しようかという声があるのを知っています。これは先日NHKが報道しました。そういう動きもあります。同時に、今の民主党執行部は、民主党が主張した点について法律ではほとんど解決されていないけれど、5月18日が来れば法律として施行するという以外にないのではないかということを考えているようです。じつは国民投票法の対象の問題もあります。憲法だけではなくて政治の重要問題について国民投票をやりたいというのが民主党の主張でした。そういうものが何も解決されていないけれども、5月18日が来れば法律として施行するという以外にないと考えているようです。
漫然と期間が来てしまったからこの法律が通用する、ということを私たちは認めるわけにはいきません。私たちは全国交流集会で「共同声明案」について議論し、決めようを思っています。2月14日から私たちは全力を上げてこのデタラメな改憲手続き法を凍結し、法律として廃止しろという運動をやろうと思っています。
私たちが院外でこの運動を強めなければ、新政権に入っている社民党は護憲の立場をとっていますが、福島さんも閣内で断固として闘うのは難しいと思います。今普天間基地の問題が社民党にとっても私たちにとっても最大の問題です。普天間問題で福島さんは、鳩山さんや小沢さんの指導が間違った方に行くなら断固として闘う決意を固めていると思います。連立離脱という話もありました。普天間問題で一戦を交えようと思っている福島さんが、閣議が開かれるたびに、この問題もあの問題でもと異議を唱えるのはなかなか難しいと思います。だからこそ私たちが騒がなくてはいけない。主権者が態度を明確にして、普天間の問題は普天間の問題、しかし改憲手続き法の問題も私たちは譲れないという世論を盛り上げて、市民がこう言っているんだ、自分たちも引くわけにはいかないと社民党に言わせないといけないと思うのです。私たちは、この点で社民党がどうするだろうかなどとい客観主義的に見る立場ではないように思います。
私たちは主権者ですから、私たちの明確な主張を、運動を通して力を作ってぶつけていく。なんとしても改憲手続き法を凍結させ、できれば廃止法を作るところにもっていく必要があろうと思います。
最後に、新しい政権の下で、私たち市民運動の進め方は、新しい面に目を向けなくてはならないことがいっぱいあります。市民が法律に直接異議を申し立て、あるいは市民が法律の提案をして国会に採択させていくような運動が重要です。
私たちは今日、明日の討議を通じて、例えば「イラク戦争の検証」を求める立法化運動、かつて強行採決された盗聴法を廃止する運動、教育基本法や教科書の問題についてもう一度巻き返す運動、あるいは東京地裁判決では負けましたが、立法の面から補償しろという東京大空襲の補償立法化運動など、また赤石さんからお話のあった貧困の問題や労働者派遣法の抜本的改正なども含めてそうだと思いますが、いままで以上に改憲反対と言うだけではなく私たちがもっと憲法を生かしていく、私たちが政治に憲法の精神を生かしていくような市民運動を作らなくてはいけないと思っています。
今回の全国交流集会で私たちがそういうところまで踏み込むことができるとすれば、全国の市民の憲法運動は大きく変わるのではないかと思います。いま9条の会は全国で7443カ所に作られています。さらに小学校区単位に作ろう、9条の会を1万にも2万にもして草の根の力をつけようとしています。こうした運動の人たちを積極的に支援するなかで、私たちは新たな憲法運動を作り出す出発点に立ちたいと思います。