高田健
鳩山新政権が成立してから1ヶ月半が過ぎた。この26日からは臨時国会が始まり、鳩山首相の所信表明演説も行われる。長期にわたった自公連立政権の悪政に対する人びとの不満と怒りを反映して、各メディアの世論調査を見ても、新政権への支持率は過去最高値の細川内閣、小泉内閣の高支持率に迫る勢いで、60~70%台に達している。新政権への人びとの期待の高さが表れている。
連日、新政権の各閣僚たちの動向がマスメディアによってにぎにぎしく報道され、それらの一挙手一投足が注目を集めている。新政権のあわただしい動きを見ながら、人びとは09年8月の総選挙の結果がもたらした政治の変化の可能性を実感しつつある。
一方、少なからぬ人びとが政権の前途に不安を感じているのも事実である。従来の自公政権の政治がどの程度変わるのだろうか。与党各党が選挙に際して国民に公約した政策は実行されるのだろうか。巨大化した民主党が暴走しないだろうか。などなど、不安は数え上げればキリがない。
ともあれ、戦後史的な政治の変化が始まった。55年体制の一方の柱であった社会党は15年前の村山政権によって最終的に崩壊したが、いま、もう一方の柱であった自民党が議会第1党の座を滑り落ち、崩壊に向かっている。この激変は戦後政治の基本的ファクターである対米関係と財界大資本との癒着という政治の基本構造を打破するような革命的激変ではないが、その枠内における戦後史を画する変化である。
私たちはこうした中で、この変化を傍観者的に眺め、論評してこと足れりとする立場にとどまるのではなく、生まれてきた新しい条件を生かして、新政権が人びとに約束した政策を実行するよう積極的に運動を起こし、この変化をもたらした根本的要素である民衆の要求を実現するよう行動することが重要だと考えている。
与党各党が総選挙に際してマニフェストに掲げた長期にわたる新自由主義的な、大企業優先の構造改革政策の中でつくられた諸問題の解決、国民生活の立て直しのための施策の実行は待ったなしである。これらを本当に進め、解決できるかどうかは、今後の新政権の前途を左右する。
一方、11月のオバマ米国大統領の来日を前に、ゲーツ国防長官の来日や、長島防衛政務官ら新政権関係者の訪米など、日米両政府の交流と調整がひんぱんに行われている。これらに関連して浮上している沖縄をはじめとする米軍再編問題、自衛艦の給油打ち切りをはじめアフガン関連問題など、日米関係と平和の問題も鳩山政権の今後にとって決定的な問題となってきた。
歴代自民党政権は小泉内閣による米国のイラク戦争への無条件の支持に見られたように対米追従=日米同盟最優先の路線をとってきた。これに対して「新政権の政策合意」は「主体的な外交戦略を構築し、緊密で対等な日米同盟関係をつくる」とした。そして「沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地の在り方についても見直しの方向で臨む」とも規定した。ここに表現されている「緊密な日米同盟」と「対等な日米関係」はもとより二律背反的で深刻な矛盾をはらんでいる。いま、発生しつつある日米関係の諸問題はこれをめぐって生じている。普天間基地撤去と辺野古新基地建設中止をめぐる問題はまさに沖縄に象徴される米軍再編見直しのカナメの問題であり、歴代自民党政権の対米追従、住民犠牲の政治からの脱却の成否を象徴する問題である。鳩山政権内ではいまこの問題で動揺を繰り返されている。鳩山首相は普天間基地問題を来春の名護市長選挙以降に先送りしようとしているが、オバマ来日前に地ならしに来たゲーツ国防長官は、問題の期限を事実上「オバマ訪日時」に区切って日本政府にその解決を要求した。沖縄では総選挙の結果、自公両党の国会議員はいなくなった。鳩山政権が「普天間基地撤去」を要求するこの沖縄の切実な声に沿って、日米交渉に臨むかどうか、真価が問われている。
自衛隊の海外派兵をやめさせる課題も切実である。欧米諸国のアフガン戦争を支援する自衛鑑艦のインド洋での給油活動をやめさせ、海賊対処に名を借りたアフリカ東海岸周辺への自衛隊の派兵を撤回する課題である。すでに長島昭久防衛政務官が国会承認条項を付加して給油法を延長するという案を語って、福島国務相などから抗議されているし、政権内では派遣された自衛官を東アフリカの海賊対処に振り向ける(福山哲郎外務副大臣、長島昭久防衛政務官)などという案も語られている。あらためて詳細な議論は必要がないと思うが、この「自衛艦による外国軍艦への給油」については民主党も野党時代に反対していたものであるし、当時、小沢幹事長は「憲法違反だ」とまで厳しく指摘していた(雑誌『世界』2007年11月号掲載論文)のであり、自衛艦の撤退は自明の理である。
給油艦を海賊対処に振り向けるなどという案も、海賊対処に自衛艦を使うこと自体が民主党は反対だったはずである。軍隊派遣による海賊対処は成果を上げておらず、東アフリカ海域では海賊が増加しており、対処策の抜本的な見直しが必要である。
また「東アジア共同体」構想を掲げた新政権は、そのカナメとも言うべき朝鮮半島の緊張緩和を推進できるかどうかが問われており、そのためにも「制裁ではなく、対話」の道をとり、「北朝鮮貨物臨検特措法」を断念することも重要である。当初、政府は「北朝鮮問題に対話の空気が出てきているので、臨時国会提出を見送る」としていたが、このところ、岡田外相が法案提出を唱えるなど、閣内は動揺しはじめた。このような言動は、ようやく醸成されてきた朝鮮半島の対話の空気を壊すものであり、容認できない。
改憲手続き法による憲法審査会の始動については、今のところ与党もこぞって消極的か反対の立場である。社民党の福島党首は「自分たちが内閣にいる限り、改憲に手をつけさせることはない」と再三言明している。2010年5月18日の同法の凍結条項の解除問題は、憲法審査会の「規程」が参議院にできておらず、両院で審査会の委員が構成されていないなど、始動ができていない。そればかりか同法の「付則」に規定されたいくつかの重要問題もクリアされていないし、参議院で強行採決された時の18項目の「附帯決議」の諸問題にもまったく手が着いていない状態である。凍結解除は問題に成り得ない。こうした重大な欠陥立法の改憲手続き法は抜本的に再検討していったん廃止すべきであるが、そうでなくとも凍結すべきである。まして新政権は麻生内閣の下で先ごろ総務省が啓蒙パンフを作成するなどした「改憲手続き法」に関する予算を計上してはならない。また多くの市民から要求された鳩山首相の「改憲議員同盟」顧問辞任の件も明確にすべきである。
すでにさまざまな民衆運動が新政権への要求を掲げた行動が始まっている。10月17日には貧困対策の取り組みを要求して「世界貧困デー」の行動が行われた。21日には「えっ!?母子加算復活で高校修学費は廃止?~このままでは公約違反。鳩山首相の決断を~」と銘打った院内集会が国会で開催される。29日には「労働者のための派遣法抜本的改正実現」のための日比谷大集会が取り組まれる。都内では、八ツ場ダム建設の中止などを要求する集会も開かれている。
沖縄からは普天間基地の即時閉鎖と辺野古新基地断念を求めて、超党派の県議会代表団が上京して、国会請願行動が行われ、22日には国会近くで緊急集会も開かれる。11月8日には宜野湾市で「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」が翁長・那覇市長らを共同代表にして開かれる。
26日の国会開会日には「9条をまもり、憲法改悪に反対する院内集会」が「憲法審査会を始動させるな! アフガン戦争に協力するな! 給油法の延長を許さない 貨物検査法はやめよ、対話と交渉で解決を! 自衛隊を東アフリカから戻せ! 海賊対処法の廃止を海外派兵恒久法はいらない! 憲法を暮らしと雇用にいかそう!」をスローガンに開催され、11月3日には市民団体共同の「なによりも生命 軍事力によらない国際協力を」と題する憲法集会が開かれる。11月12日のオバマ大統領来日に対してはWORLD PEACE NOWなどがアメリカ大使館への要請行動を企画している。
いま、新政権の成立を機に全国各地でさまざまな人びとが自らの要求を掲げて立ち上がりつつある。鳩山新内閣はこれらの声に謙虚に耳を傾け、自公政治からの歴史的な転換を実現しなくてはならない。(「私と憲法」102号、10月25日号所収)
高田健(許すな!憲法改悪・市民連絡会)
編集部註)9月26日の講座で高田健さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の文責はすべて本誌編集部にあります。
実は総選挙後まだ1ヶ月経っていない、そして国会の論戦も始まっていない、マスメディアのさまざまな情報により、何となく情緒的な雰囲気がいろいろ流されている中で、さあこれをどう見るのかというのは結構話しにくい問題ではあります。
お配りした「この10年のたたかいを振り返って」という文章を見てください。2007年5月14日、改憲手続き法が参議院の本会議で採決されたときです。「10年前(1997年)の5月、改憲議連というのが発足した」と書いてあります。国会の裏のキャピトル東急ホテル、そこで朝早く改憲派の国会議員が集まって憲法調査推進議員連盟を発足させます。いま進んでいる明文改憲の動きは直接はこの改憲議連の発足からはっきりと動き出します。その次が1999年6月、当時小沢一郎さんの自由党が国民投票法案と国会法改正案をつくって、改憲に向かって具体的に動く。2000年1月に両院に憲法調査会が設置されました。私は丸5年半か6年くらい憲法調査会の審議をほとんどすべて傍聴して、その都度「週刊金曜日」に短いレポートを書いてきました。のべ200回くらい傍聴しました。北海道から沖縄までの地方公聴会も全部傍聴しました。
それから2001年5月、この時点から5月3日の憲法集会を毎年日比谷公会堂でやっていますが、5.3憲法集会実行委員会というのがこのときに初めて発足します。それまでは社民党系、共産党系、あるいは私たち市民運動系、みんな別々に5月3日の憲法集会をやっていました。そういうことでは間に合わないのではないかという声が期せずしてそれぞれのところからあがりまして、共同して5.3憲法集会実行委員会をつくるようになったんですね。この当時は、共産党と社民党はあまり共同していませんで、党首が同じ壇上に並ぶなどということは本当になかったんです。この集会で初めて、このときは土井たか子さんと志位和夫さんが日比谷公会堂の壇上に一緒に並んで、これはマスメディアも非常にびっくりしました。それが今年までずっと続いています。この超党派の憲法記念日の集会は、5月3日に一緒にやるだけではなくて、だんだんと憲法の重要な問題では1年を通して行動する共同行動機関のようになってきました。
2003年にはWORLD PEACE NOWというイラク反戦運動がはじまります。最大5万人が日比谷に結集した大きな運動がはじまりました。2004年春からは「九条の会」が準備されて、6月に「九条の会」のよびかけが発表されました。今年1月の時点の発表で7443ヵ所に「九条の会」が結成されています。そういう改憲反対の運動が盛り上がっていったんですけれども、2006年5月に国会で改憲手続き法案が出されて、2007年5月に強行採決されるわけです。この法案は非常に不十分なまま安倍さんが強行採決したものですから、法案に附帯決議をつけたんですね。18項目もあります。憲法という重要な問題に18項目もの附帯決議がつくのはやっぱり異常なことですね。与党の側、法律を提案した側がつくった附帯決議です。これは自民党、公明党案で、多数で採決したんですね。野党は、法案自体に反対しましたから附帯決議にも賛成しなかった。いま施行されている改憲手続き法は当時の自民党、公明党から見ても18項目もの不十分さがあるという法律です。それが前提なんです。
この13年を振り返って、「ああこの間、憲法の明文改憲をすすめようとして改憲手続き法までつくった自民党と公明党の政権が倒れたんだなあ」ということをつくづく感じました。前から倒れる、倒れると言われていましたから、8月30日そのものにはあんまり大きな感動もないけれど、この10何年間、こうやって改憲の流れを一生懸命つくってきた自民党と公明党の政権がここで倒れた。このことだけを考えても今度の選挙は重要な意味があったなあということをあらためてその時点で思いました。
厳密にいいますともっといろんな意味がありまして、自民党が第2党になったわけですよね。1955年に左右の社会党が合同し、当時の自由党と民主党が合同して55年体制ができて以降、ずっと自由民主党は国会で第1党だったわけです。細川政権ができましたけれども、一番議席を持っていたのは自由民主党でした。55年体制以降ずっと一貫して国会で第1党だった自由民主党が、はじめて第2党に転落した。これはやっぱり戦後の政治史からみても非常に大きな歴史的な出来事なんですね。55年体制では、改憲を目指す自民党は、社会党が1/3以上の議席を取っていましたから、なかなか国会で2/3という改憲の前提条件がつくれない。それがずっと続いてきたわけです。
1993年、非自民の細川連立政権ができます。これは選挙の結果、自民党以外の政党を連合させると自民党よりも多数派になる、そういうことで細川さんを首相にして連立政権が成立した。今回とちょっと違いますね。今回の場合は、選挙の前から連立政権を組んで自民党と公明党の政権を倒すことを主張して争って、いわゆる政権選択選挙といわれる選挙であったわけです。この間めまぐるしく日本の首相は替わっていった。細川さんはすぐに政権を投げ出す。そのあと非常に短い羽田さんの内閣があって、それから社会党の村山さんが首相になる自社さ連立政権が突然びっくりするようなかたちで成立して、それ以降、橋本、小渕、森、小泉、安倍、福田、麻生と今日までめまぐるしく政権が替わった。細川さん以降、連立政権というかたちで単独政権ではありませんでした。今回は自民党が119議席に激減して、民主党が308議席を取り主客転倒した結果になった。
10年を振り返って、今度の選挙はやっぱり大きな変化があったんだなあって思います。選挙というといつも自民党の誰かが誰かに変わるだけの、そういう選挙をわたしたちは繰り返し体験してきましたから、選挙に特別の期待を持つこともあまりなくなっていました。しかし今回の選挙では明らかに大きな変化が起きた、いまそういう雰囲気になっていますよね。国連での鳩山さんがけっこう颯爽としているじゃないですか。何か世の中結構変わるのかなという印象は出てきています。これらを単に雰囲気で見るだけではなくて、もう少し深く分析しながら、一緒に考えることができたらいいかなと思っています。
鳩山さんの国連デビューでは温室効果ガスの25%削減目標、これを鳩山イニシアチブと称して全世界に売り込もうとしています。オバマ大統領に呼応して核廃絶で世界の先頭に立つ、日本は被爆国家として非核3原則を堅持する、核を開発する能力を持つわが国が核開発を放棄して非核3原則を堅持すると、彼は演説でぶちあげたわけです。そういう特徴が鳩山さんの新しい政策の中に非常に出てきたと思います。国内でも、前原さんが八ツ場ダムの現場に行ったとか、今日は熊本の川辺川ダムの現場に行っているとか、あるいは防衛大臣がすぐ沖縄に飛んでいったとか、福島さんが消費者庁のビルをもっと家賃が安いところにすると言ったり、何か変わったことをそれぞれの大臣がやっているように見えますね。
この新政権の評価の前提で大事なことは、連立政権の合意という、民社国連立政権の当面の政策で、こういうことをやっていきますという宣言ですから、これは基本的で非常に重要な文書です。最初の政権合意の3項目はこれから協力して一緒にやりますよというものです。そのあとの政策合意が10項目あって、これがこの連立政権がやっていく内容です。10項目あるうち8項目までのほとんどは、これまでの自公連立政権が壊した政治の立て直しの項目です。そのあとの2つに特徴がありまして、9番目が外交の問題です。そして10番目が憲法の問題です。
ここは憲法の講座ですので10番目から先に言いますと、これはあらためてよく読む価値のある文章です。「唯一の被爆国として、日本国憲法の『平和主義』をはじめ『国民主権』『基本的人権の尊重』の3原則の順守を確認するとともに、憲法の保障する諸権利の実現を第一とし、国民の生活再建に全力を挙げる」。こう書いてあります。これを見たときに、私は本当にこの10年の変化を考えました。これまでは憲法を変える、変えるといって、平和憲法をとりわけ敵視してきた政権です。その一番典型が安倍さんだったわけですよね。もちろん小泉さんもそうだった。麻生さんも、改憲を公にはあまり言いませんでしたが考え方では安倍さんとまったく同じでした。そういう意味で歴代の自民党政権は当然ではありますが、みんな憲法を敵視して憲法を変えるといってきた政権でした。
政権が発足するときに憲法3原則を遵守すると言って成立した政権は、たぶん55年体制以降初めてではないかと思います。皮肉な人がいて、お前はそう言うけれどもこのことは実は民主党のマニュフェストにも書いてあった。そのことをここに書いただけだということを言った人がいました。でもそうではないんです。民主党のマニュフェストには確かにこれに似た文章があるけれど、そのあとに改憲をしたいようなしたくないような訳のわからない文章がいっぱいついていて、憲法3原則をきちんと守るというようには書いてないんです。今度の政権合意の10項目にはすっきりとそこを書いている。
これは、まあ社民党が粘ったといわれていますね。そこで、たった7議席しかない社民党が308議席の民主党にだだをこねるのは、「福島瑞穂、生意気だ」と書く一部のマスコミが結構ありました。福島瑞穂に民主党は引きずられているというところもありました。しかしこういう項目が政権の発足にあたって入ったということは、私は大変重要なことだと思うんです。さらに、入ったからといってどうってことはないじゃないか、という人もいます。それを言ったら憲法でも第9条があるからといってどうってことはないじゃないかという話になります。
問題は、書いて確認をされたら、これを使って私たちが、あるいは志のある人たちがどういうふうにこれを実現していくか、その足がかりがともかくもこの政権合意でできたという意味で私は非常に重要なことだと思っています。新政権、べた褒めかと思われると困るんですけれども、この10番目はそういう意味だと思うんです。
9項目はどうか。ここもものすごく揉めたところですよね。日米地域協定や基地問題の見直しを入れないようだったら連立政権に参加しないと、特に沖縄の人たち、沖縄の社民党の代議士なんかもすごく頑張った。民主党さんは本当は入れたくなかったんですよね、こういう項目を。ただ、考え方が民主党のマニュフェストと違うことではない。しかし政権合意にこういうことをあらかじめ入れると、いわばけんかしに行くみたいになるので、そこまで言ってアメリカと交渉したくないということも考えたようで、社民党と民主党のあいだですごく揉めたようです。国民新党もそこでは社民党を応援したみたいで、二つの党対大きな民主党のさまざまな揉め事になったのがこの9項目のところだと思いますね。
非常に具体的で、「緊密で対等な日米同盟関係をつくる。日米協力の推進によって未来志向の関係を築くことで、より強固な相互の信頼を醸成しつつ、沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」と書いた。これはアメリカがすごく怒るんじゃないかと一部のマスコミは書きました。アメリカはいままで地位協定とか米軍再編、普天間の問題では1ミリたりとも譲らないといっていました。けれども案ずるより産むが易しで、これを持って行ったらクリントンは、「いいよ、それはこれから話し合っていきましょう」とすっと受けちゃった。鳩山さんは初訪米ではこの問題は言わないで、オバマさんが訪日する過程で交渉すると言っています。これも思ったよりも第1ラウンドではそんなに大きな変化にならないで済んできたところです。そのほかに核の問題などもそのあとにも書いてあります。
ただしこの9番目でこれからいろいろ難しいなあと思うのは「緊密で対等な日米同盟関係をつくるという。そして主体的な国際貢献策を明らかにしつつ、世界の国々と協調しながら国際貢献を進めていく。個別的には、国連平和維持活動」、わざわざ国連平和維持活動に協力することを連立政権合意の中で謳っているんですね。PKOで自衛隊をどんどん出せという要求がアメリカから来たときに連立政権の合意になっていますから、これは福島さんもなかなかごねにくいのではないか。交渉ごとですから3党合意をまとめる上では小さい政党が自分たちの要求だけを通すことは難しかったと思うんですね。そういう意味で多分この民主党の主張を入れていった。
あとはこれが災いの種にならなければいいがなあと思うようなものがいくつかあります。この北朝鮮の問題、拉致問題の解決に全力を挙げるというあたりも、どう解釈するのかについてはいろいろあります。アフガニスタンの問題も同様で、この9番は必ずしも10番のようにすっきりした内容ではありません。いずれにしても連立政権の10項目の合意に基づいて、これから4年間の政治をやっていくことを3つの政党が確認をしたというのは大きな出来事だったんじゃないかなあと思います。
いま特別国会を4日間やって終わりました。通常国会は来年の1月からです。臨時国会が10月の末くらいからだろうといわれています。臨時国会で問題になりそうなことが、給油の撤退ですよね、海上自衛隊の。この問題をいまマスメディアはずいぶん書いています。これはオバマさんがイラクの次はアフガン中心でやっていくと言っているからです。民主党の鳩山さんは、来年の1月にこの法律は切れるからそのまま延長しないで終わりたいと考えているようです。私たちは即時撤退をずっと要求してきました。社民党も選挙中は自衛隊の即時撤退を主張していました。これは3党合意の中で多分何らかのかたちで話がされていると思うんです。
アフガンの問題では即時撤退の社民党と、撤退しなくてもいいから置くべきだという議員がいる民主党のあいだで、鳩山さんが言っているあたりが多分口頭合意になっているんだろうと思います。法律が切れたので引き上げろということにするというのがこの給油新法の対処のようですね。これは福田さんの時に期限が切れて帰ってきた。そのあと福田さんは2009年1月に衆院の2/3を使って強行採決してもう1回出したわけです。それで「給油新法」というわけです。
もうひとつは海賊新法で、アフリカの東海岸周辺に1000名近くの陸海空3軍の自衛官が行っています。これはメディアでもあまり出てこないですね。民主党の主張は、海賊対策は強盗の問題だから警察の問題ではないか。海の警察は海上保安庁だから自衛隊ではなくて海上保安庁にやらせるべきだというもので、それで自公政権とたたかっていました。これを貫徹するならソマリア沖にいる自衛隊は帰すという話になります。社民党、国民新党は帰せという主張を閣内ですると思います。民主党がそれにのるかどうかですね。
今度、防衛大臣に誰がなるかなあというのは非常に関心がありました。民主党はいろいろな人の集まりだから人によってずいぶん違います。防衛大臣は北澤さんですが、防衛政務官は長島昭久さんなんですね。長島さんは麻生さんにソマリア沖に自衛隊を送ったらどうかと国会の論戦で一番先に提案して、麻生さんが飛びついた。その張本人ですよ。この人は民主党の防衛委員会などをずっとやってきた防衛族の右派です。北澤さんが防衛問題ではそれに詳しい長島が欲しいといって取ったというのがマスコミに出ています。副大臣の榛葉賀津也さんという静岡の人も親米派の、結構「う~ん」と思うような人ですから、防衛省関係の布陣は結構厳しいですね。そうすると民主党のいままでの主張と今度のソマリア海賊への対応とは齟齬が出てくる。こんな問題もこれから起きてくるんですね。
もうひとつ臨時国会の大きな問題は北朝鮮貨物検査特措法があります。これは北朝鮮関係の船舶で軍需物資なんかを積んでいるものは全部止めて外国に行かせない、そういう動きが国連中心にはじまった。日本でもこれに呼応すると称して貨物検査特別措置法を麻生政権が国会に出しました。しかし最後のどさくさでこの法案は流れてしまったんです。「臨検法」と私たちは言っています。民主党は、政権を取ったらこの法律を出すと言って選挙をやっています。法案の内容も自民党案とほとんど同じです。だから麻生さんがつくった貨物臨検法と同じ法案が今度の臨時国会に出てくるんです。
麻生さんがこの法案を出そうとしたときに、市民連絡会なども含めて先ほどの5.3憲法集会実行委員会は国会の前で貨物臨検法に反対する集会をやりました。国会議員にも参加を呼びかけました。社民党の福島さんも来て、市民のみなさんと同じ意見だ、断固頑張ろうって彼女もやったんですね。福島さんが市民を激励しているところが社民党の機関紙の一面トップに載っています。民主党がこれを出したときに閣内でどうなるのか、すごく深刻ですね。こういう問題も今度の臨時国会では起きる可能性があります。
鳩山さんは今度の国連での演説で東アジアの協調、共同体のことを主張し朝鮮問題も前進させたいと主張しました。日朝国交回復を実現するという言葉まで非常に具体的に言っています。もしそういう方向を鳩山さんが本当にやろうとしたら、いま貨物検査特措法などを強行すべきではない、話し合いの雰囲気に逆行することになる。わざわざけんかをするような臨検法などをつくるべきではないと私たちは思います。今度の臨時国会でもこういう線で何とかして新政府に働きかけを強めないといけないと思うんですね。民主党がそういう意見を持っているとしても、いまやるな、という運動をして何とか今度の臨時国会に出させない。そして東アジアの協調の雰囲気をつくっていくような運動もこの臨時国会で必要になってきます。
いま沖縄の問題でも大変です。沖縄問題って担当大臣がいろいろいるんですね。防衛大臣、それから前原さんは沖縄・北方問題特別担当ですし、鳩山さんも沖縄関係の議員連盟の会長をずっとやってきて沖縄の基地問題を多くの議員と一緒に考えてきた代表でした。だから民主党にとって沖縄問題はそうゆるがせにできない問題です。普天間基地、辺野古の新基地をどうするのか。今度も北澤防衛大臣が行きましたが、北澤さんは自分の意見を言っていません。それは意見をすりあわせないといけないからです。ただ「ほぅー」、政権が変わるとこういうことがあるのかなと思ったことがあります。与那国島という日本の一番南の島。あそこに麻生政権のときに自衛隊を配置することを決めました。そして与那国島の町長選挙で自衛隊誘致賛成派が僅差で当選したんです。北澤さんが言うには、わざわざそこに自衛隊を配置して相手の国を刺激をしていらぬ摩擦を起こしたくない、そうではない関係をつくりたいと言いました。この点はまともなものだと思いましたね。
今度の臨時国会は、この政権合意の1から8番目の生活関連の問題を非常に具体的に手を打たないといけない。同時に政権合意の9番目と10番目に関係するところでも大きな問題がたくさんあって、そう簡単ではない。この20日余、鳩山政権は一種の順風満帆状態で来ていますけれども、臨時国会では大変なところにさしかかってくると思います。ただ、アフガンのことでも変わりそうですね。ソマリアはちょっとわからない。沖縄では変わりそうか、変わらなかったら沖縄の人が怒るのでここはアメリカとの関係もあって非常に難しいと思います。
いろいろな問題が目の前に出てきましたけれども、安倍さんのときのように明文改憲を騒ぐ内閣では当面なくなったということだけははっきりしていると思います。本当にあのときは緊張もしましたし何とかしようと市民連絡会も頑張りました。「九条の会」が全国で7000いくつもできたのもそういう勢いだったと思います。大変だ、これはわたしたちが黙っていたら本当に明文改憲をやられちゃうぞ、と。教育基本法は変えちゃったんですからね。あれは本当に悔しいですよね。人によっては心配性の人がいっぱいいますから、そんなに楽観したことを言わない方がいいという人もいます。しかし、わたしなりの判断をいま言わないといけないので、当面9条明文改憲はないと思っています。
それでは改憲が問題にならないかというとそうではないんです。改憲問題は非常に重要だと思います。少し前のことに戻りながらこの大きな政治の変化を生み出した要因について考えてみると、最大は小泉構造改革の問題です。小泉構造改革のもとで、湯浅誠君たちが派遣村で頑張りましたけれども、貧困問題がここまで深刻になってきた。高齢者の問題も、社会保障の問題も、小泉構造改革の下でずたずたにこの社会が壊されてきたことに対しての多くの人たちの怒りがあったと言えます。メディアでは民主党が支持されたのではなく自民党、公明党が見放されたと書く人がいます。これは結構あたりだと思います。みんなが民主党を支持したのは、もう自民党、公明党の構造改革で弱いものいじめの政治はもうごめんだ。それから自民党、公明党の政治家は信用できないと思った。それがこれだけの大きな変化をつくり出したんだと思うんです。
しかし、選挙でこれだけ大きく差が付くにはいろんな理由があります。小選挙区比例代表制という選挙制度の問題も大きいと思います。そういう選挙制度の中で、わたしが大きかったなあと思うのは、ひとつは日本共産党の方針転換の問題です。2007年9月に日本共産党が小選挙区制で全選挙区立候補という方針を変えました。これを聞いたとき、志位さん思い切ったことをやるなあと思いました。それまでは日本共産党は、沖縄を例外にして、必ず全選挙区に自分たちの候補者を立てる、当選しようがしまいが一生懸命頑張って、そこで力をつけていくという選挙方針を伝統的に取っていました。
いろんなことを言う人がいました。お金がもったいないとか、他の野党に渡した方がいいんじゃないかとか。しかし日本共産党は正しい主張をして支持を仰ぐのが党の本来の方針だということで、これは頑張ってきたんです。お金も大変かかったと思うんですね。あの政党は政党交付金をもらいませんからね。いろんな理由があったと思いますが、全選挙区に立候補する方針はやめ、比例区重点の方針にしたわけです。実際には300ある小選挙区で候補者を立てたのは152人です。
わたしは選挙中に「うちの選挙区は自民党と民主党の右派、それから幸福実現党しかいない。いままでは当選しなくても共産党に入れられた。今度は入れるやつがいない」という嘆きを聞きました。そういうこともこの結果起きて、功罪はいろいろあると思うんです。そういう方針を2007年に取りました。これは民主党さんにとっては非常によかった。いままで自民党がこれだけの議席を維持してきたのは、公明党が立てない選挙区で民主党と競って、この1万、2万の公明党の分で当選した。誰かは公明党のモルヒネ効果といって、これをやり出したらもう離れられないというんですね。似たようなことが、まあ、よりましで民主党と書くか、という現象もいろいろなところで起きてきていると思うんですね。
さらにもうひとつ大きな変化がありました、日本共産党に関しては。都議選のあと方針が変わったんですね。いままでは民主党について、基本的には自民党も民主党も同じような政党であまり変わりがない、という評価でした。ところが都議選のあと、このままでいくと民主党が国会でも第1党になると判断した。そのときに自民党と同じだといって、いままでのように「確かな野党」でけんかをするのか。そうせずに建設的野党といいました。是々非々だといいました。民主党さんでも支持できるところは積極的に支持して一緒にやります、しかし悪い政治をやるときには自分たちはその悪政の防波堤になります、という方針を共産党は出したんですね。
いままでだったら、共産党は新政権ができたときに批判がすぐはじまると思うんです。いまはまだやっていませんね。民主党の新しい連立政権がどういう政治を実際にやっていくのかを非常に慎重に見ています。国連での非核3原則の堅持とかああいう演説に関して、共産党は非常に好意的に新聞で報道しています。支持するような報道をしています。そしてもっと頑張れと言っています。これもわたしたち市民運動から見ると、ずいぶんと世の中が変化した、いい方に変わってきたなあと思える変化だったと思うんです。
社民党さんです。社民党さんが連立政権に加わるのかどうかは、これも結構大問題です。違うところがいっぱいあるわけですから。一説によると福島瑞穂さんは連立政権に加わらないという意見を強く持っていた、などとマスコミは書いています。わたしは個人的に言えば閣外協力がいいという意見を持っていましたし、社民党さんにはそういう意見を自分なりに言ってきました。閣外協力であっても、参議院で依然として社民党の議席に頼らなければ民主党は政権維持できないわけだから、社民党の要求は聞くはずだ、中に入ったらいろいろ縛られるから入らない方がいいという意見でした。
というのは、昔の村山政権のトラウマがあるわけですよ、わたしなんかには。自民党と社会党とさきがけの連立政権が突然できて、安保は堅持だ、自衛隊は合憲だと首相の村山さんがまた突然、勝手にばんばん言っちゃうわけです。こうしないと自民党と一緒に政権をつくれないというのが村山さんの、善意で言えばそういう気持ちだったと思うんです。これは当時、社会党さんもびっくりした。党の中で何も議論をやらないんですから。村山さんが連立政権をつくって勝手に走っちゃったためにこの当時の日本社会党は分裂して、それで社民党と新社会党ができていくわけです。
いま考えると言いようはいろいろあったと思うんです。安保の問題でも首相になったからといって突然この国に革命を起こすわけではないので、とりあえずいままでの状態を引き継ぐことを認めざるを得ないといってみたりとか、自衛隊についてもすぐになくすわけにもいかない、とか言って社会党の中で議論をしたり、自民党と交渉したり、いくらでもできたと思うんです。連立政権をやられて自民党が社会党の分裂に成功し、社会党を決定的に弱めることに成功したんですね。今日の社民党が7議席という状態にさせられた最終的な契機は、この自社さ連立政権と村山さんの態度だったと思うんですね。
それはいろんな傷を運動の側にも残しました。私たち市民運動から見ても、この党は信用していいだろうかといつも思わざるを得ない状況がありました。今度の社民党の連立政権参加でこの村山政権の教訓を生かせるかどうかですね。福島さんの発言をみますと、ずいぶんこの問題は考えているようですね。政権と党は違うんだ。連立政権の方針が即、党の方針にはならない。党の方針が連立政権の方針と違う場合があり得るということを、事前から彼女は主張していました。わたしは一般的に言えばそうだろうと思います。これだけ基本的な立場が違う政党が一緒にやるとしたらそれしか方針はないと思うんですね。
ともかくも福島さんたちは連立政権に入る道を選びました。これは私たちがどうこう言える問題ではありません。だから社民党はいわば一種の閣内での建設的野党みたいになって、共産党は閣外での建設的野党になる。この間わたしたちが一緒に憲法問題で取り組んできたふたつの政党の人たちは閣内と閣外に分かれちゃって、これからどうなるんだろうと、いろいろわからないところもあります。
今度の連立政権で、なぜ308議席もある民主党がたった7議席の、あるいは3議席の社民党や国民新党と連立政権を組んだのかというと、参議院の問題ですよね。この前の参議院選挙の結果、民主党は第1党ですけれども過半数ではなく、何かを決定しようとすれば必ず最低ふたつくらいの政党の支持を得なければいけない。共産党は民主党の方針にそう簡単には賛成しないとなれば、社民党と国民新党を取り込む以外にない。そうしないとねじれになってしまう。
選挙の最中ですかね、鳩山さんが次の参議院選挙で自分たちが過半数になったらそれで終わりだというようなことを言った。それを福島さんが聞きつけて「離婚を前提にした結婚なんてできません」って彼女がねじ込んだんですね。すぐに鳩山さんは撤回しましたけれども、結構これは本音じゃないかと思いますね。だから小沢さんを幹事長に据えて次の参議院選挙で民主党は単独でも過半数を獲りたい、それをいま狙っていると思います。岡田さんは「いや、参議院でたとえ民主党が過半数を獲っても、一度つくった連立政権ですから自分たちからは壊しません」と言ってカバーしていますけれども、それはほとんど意味がないんです。なぜふたつの政党の意見が通るかというと「通らないなら反対するよ」という、この脅しが効くから通るわけです。だから来年7月の参議院選挙がどうなるかで非常に大きく変わっていくことになると思います。そうするとこの政権合意は本当に4年保つのか、9カ月くらいで終わるのか、そこをにらみながら毎日やっている当事者たちは本当にご苦労なことだなあと思います。
民主党の308人の議員、あるいは国会での勢力をどう見るかという問題です。選挙前に各新聞がすべての候補者にいろいろな項目についてアンケート調査をやっています。憲法9条の改正や集団的自衛権の解釈変更に賛成ですか反対ですかとか、北朝鮮問題の解決方法も聞いています。その中から当選者だけの調査結果の分析をやってみました。毎日新聞の候補者アンケートでは、308人のうち憲法9条改憲に反対と明確に答えている人は190人います。それから、集団的自衛権の政府解釈の見直しに反対だという人が178人いました。アフガニスタンへの自衛隊派遣には196人が派兵しなくていいと言いました。保留とかいろんな意見があったので、派兵賛成が100何十人もいるとは思わないで下さい。改憲反対のところでも同じです。
さらにみますと、新しい人たちに9条改憲すべきでないとか、集団的自衛権の見直し反対だとかアフガンに自衛隊を出すべきではないという人が多いです。そして民主党の幹部に9条改憲賛成の人が結構いるんです。鳩山さんをはじめとして、みなさんが名前を知っているかなりの人たちが9条改憲賛成です。これは当たり前ですよね。3期も4期も5期もやってきた、自民党から移ってきた人たちですよ。その人たちは本家と同じような憲法の考え方を持っていますから、古手の人、幹部に改憲派が多いということです。
どうしましょうね、これ。こういう幹部のもとでこれから若い人たちが教育されていくわけです。結構厳しいと思います。これは引っ張り合いですよ。この新しい人たちは市民感覚を持っていて、そういう感覚でものを言っているんだと思います。ここを本当に私たちが食いついていけるかどうかということが、これからはじまっていきます。だから選挙前の政治傾向の調査だけで安心するわけにはもちろんいかないです。
しかし、あえてわたしが言いたいのは民主党の中も違いもあるということです。一色に見てはいけないと思います。民主党といったってもともと自民党から出た奴らだろ、自民党とあまりかわりない、どっちもどっちだと見るのは本質論では正しいのかもしれません。けれども、いまそういう議論は意味がないんじゃないかと思うんですね。保守か革新かという話では必ずしもないと思います。具体的な政策についてどういう立場を取るのかと言うことを突きつけていくことが大事だと思うんですね。
私はよく言うんです。ブッシュもオバマも本質は一緒だよ、帝国アメリカの代表だろ、産軍複合体の金で当選してきているんだろ、だからブッシュだってオバマだって変わりないという議論をする人がいるんです。それは正しいかもしれないけれど、しかし相当変わったのも事実でしょ。オバマはアフガンに行けと言っているからとんでもないですよ、しかしイラクはあきらめたわけですよ、とりあえず。それから、初めて自分たちは核爆弾を使った国だということを認めて、核兵器の廃絶を言い出した人であるのも間違いありませんね。これも、本心はわからないよと言えばきりがないです。しかし明らかに世界の流れの中で、いま核兵器は廃絶されなければいけないと国連の5大国を含めてみんなが言い出した。これは力になりますよ。だんだんとそれを実行しない人が暴露されていくわけです。だから、本質的にいえばブッシュもオバマも同じだということと同じ論理で、本質的にいえば民主党も自民党も同じだという論理はあまり現実的ではありません。
具体的に議員の中身を分析して、市民運動が働きかけていく。市民運動は表でデモをやるだけではありません。デモも一生懸命やります、集会もやります、同時に国会でロビーイングというのもやるんです。アフガニスタンの資料を選挙のあとに持っていったりすると、良い資料をもらった、本当にありがとうという人が少なからずいます。これは欧米の市民運動が非常に得意にしていますが、わたしたちもいまそういうことを一生懸命やります。今度の政権の人たちは一応市民の意見を聞く耳はあると思うので、これからはいままでよりはやりやすいなと思っているんですね。
実はこの間、鳩山事務所に行ったんです。総理大臣になった翌日です。持っていった文書の内容は、鳩山さん改憲議連の顧問を辞めなさい、という署名でした。「あなたはまだ中曽根さんのところの団体の顧問をやっているそうですけれども、首相になったんだからそんなことをやっていてはダメです。憲法99条違反です」ということを、全国からインターネットで集めた署名を持って鳩山事務所に行きました。門前払いを食わされるかなと思ったんですけれども一応ちゃんと受け取ります。こっちも「今度首相になられておめでとうございます」とか一応言って行くんですけれどね。向こうも「ありがとうございます」とか言って。鳩山さんにこれをぜひ渡して下さい、という話がとりあえずはできます。
どこまで本当に聞いてくれるかどうかわかりませんけれども、この顧問を辞めなさいという運動はこれからも続けようと思っています。みなさんにも署名をしていただきました。それでも辞めなかったら、どの党かに代表質問の時にでも言ってもらおうと思っています。いずれにしても民主党を一色で見ないようにしましょう、そして私たちの可能性について、小さな手がかりでも敏感に利用していけるようにしましょう、というのがひとつです。
2番目に、今度の選挙結果の特徴は、改憲派のボスたちが次々に落選したことです。びっくりするほどです。中山太郎さんという人は、85歳ですので自民党の規約で重複立候補ができず小選挙区だけで、小選挙区で落ちちゃったんですね。中山太郎さんは憲法調査会で10何年、憲法調査会の会長だった人です。この人は結構手強い人で、改憲を一生懸命考えるだけに、改憲には2/3の議席がないと提案できないことを真剣に考えていた人ですね。だから中山さんは民主党を懸命に抱き込もうと、民主党には当たりが柔らかかったんですね。会議の運営でも何でもそうです。民主党だけではなくて社民党にも共産党にも同じ発言時間をくれました。憲法の課題はそういうふうに運営すべきだと言って。一見民主的に運営した人です。何としても国会で2/3を確保するために野党の抱き込みにこの10年努力をしてきた人です。
だから、今度も何としても当選して改憲の目処をつけたかったんでしょうけれど、最後に落ちちゃった。勲一等旭日とかいう勲章をもらった人です。中山さんは改憲手続き法を採択するときに強行採決をやらなきゃいけなくなった。安倍さんは、議席が多数あるんだから法案を通しなさいと、中山さんに命令したんですね、総裁でしたから。中山さんはそれまで民主党とも仲良くやりながら少しずつ改憲に持っていこうとしたのに、最後に民主党の反対を打ち切って強行採決をしなきゃいけなくなったんですよ。最後はマイクが飛んだりして荒っぽい採決になったんです。だから、最後にはそういうこともやるやつなんだと、見ていてそう思いました。
民主党の憲法の責任者は枝野幸男という人でした。中山さんが強行採決したときの枝野幸男さんの演説は「安倍晋三君は究極の護憲派である」というものでした。これは名言だと私は思いました。安倍が強行採決を命令したために、かえって改憲ができないことをやったので「安倍晋三君は究極の護憲派だ」という演説をやったんです。さきほどの10年を振り返った文章で、最後に「政治的には負けたけれども本当の意味では負けた気がしない」と書いたのはそういうことです。彼らが強行採決を焦った結果、改憲は遅れるだろうとその時思ったんですね。そういうことをやった中山さんが落ちてしまったんですね。
そしてその中山さんの手代になって抱き込みの先頭になっていた船田元さんという栃木の人も落ちました。それから鹿児島の弁護士で法務大臣経験者の保岡さんも落ちました。茨城から来ている警察官僚あがりの葉梨さんも落ちました。憲法調査会の論客がみんな落ちたんです、今回続々と。鳩山さんが顧問をしている改憲議員同盟という、中曽根会長のウルトラ改憲団体があります。これは自民党の中でも極端な改憲派ですけれど、この団体の衆議院議員139人が、53人になりました。半分以上は落ちたんです。ですから改憲を推進してきた、先頭に立っていたような有名人がかなり落ちたんですね。
公明党一番の改憲派で赤松さんという人も、実は落ちたんです。小選挙区で。けれども、ゾンビなんです。民主党が比例区の候補者が足りなくなって、議席が自民党か公明党に行ったんですね。それでこの赤松さんがかろうじて救われちゃった。公明党の改憲派の中心だった赤松さんは残りました。しかし改憲議員集団が139人から53人に激減する。それも大きな特徴だったと思います。
選挙結果の特徴で、少しずつ指摘はされている議席の占有率と得票率の乖離ですね。実は民主党が308議席を取りましたが、比例区の得票率で議席配分すると230くらいの議席しかないんですね。共産党とか社民党はそれぞれ30とか20いくつか持つような、本来ならそういう状態です。得票率と選挙制度の矛盾があり、今回308議席という大勝をしたけれど、それは小選挙区比例代表制という特殊な選挙制度のもとで起きたことです。それこそ議席の得票率で割ってみると民主党、共産党、社民党、国民新党全部あわせないと過半数に届かないくらいの割合だったと思います。それも今度の308議席の特徴です。
2010年5月18日のことに触れておきたいと思います。2007年5月に強行採決された改憲手続き法は、憲法審査会を国会につくって、法律ができて3年経ったら憲法改正案を憲法審査会で討議することができるという法律です。その3年後が、来年の5月18日です。それで市民運動で憲法関係の人たちの中に、改憲手続き法が凍結解除になる5月18日が来る、どうするんだ。5月18日から改憲の議論がはじめられることになる、大変だという人がいます。私は「そうは思わない」とそういう人たちに言っています。私はそういう運動のやり方では本当の意味で力をつくれない、そう思っています。
確かに改憲手続き法に書いてある来年の5月18日はまもなく来ます。しかしその前提は国会に憲法審査会ができているはずです。ところが未だに国会には憲法審査会はないんです。法律上はあることになっていますが、変な話です。箱だけあるんですけれども委員は決まっていませんね。今回も特別国会が4日間ありました。ふつうは各委員会の委員を全部決めますが、憲法審査会の委員はもちろん決まっていません。そして憲法審査会を運営するには、運営の規約が必要です。それを規程といいますが、麻生さんの時に衆議院で規程だけ強行採決しました。これは民主党さんも反対しました。また、野党の反対を押し切って規程をつくったんですね。参議院ではその議論にも入れなかった。衆議院には規約だけはあるけれど委員はいない。参議院には規約もないし、委員もいないという状態です。だから3年間、そこで議論をしなきゃいけなかったことがいっさいやられていない。
冒頭に言った18項目の附帯決議、この中身も一度もどこでも議論をされていません。だからすぐに改憲案の討議などができる状態にはまったくないわけです。そしていまのままだと、国会に憲法審査会がすぐにできる状態ではありません。参議院選挙のあとにどうなるかはわかりませんが、3党連立合意の時に、福島瑞穂さんが憲法審査会を動かさないというのが社民党の方針である、と宣言して連立合意の中で暗黙の了解になった、これは口頭合意のひとつになっているんじゃないかと思っています。憲法審査会を動かさないと、連立政権の中でなっているんですね。だから動きようがない。
それまでにやらなければいけないことがいくつもあったんです。例えば18歳選挙権も法律で決められていますが、これは国会でまだ議論されていません。法律をいっぱい変えなきゃいけないんです、選挙法だけではなくて民法など、この大変な議論がまだ全然やられていません。それから公務員の処罰規定もこれをどうするかという議論がまったくやられていない。国民投票を憲法だけでやるのか、それ以外の問題でもやるのかなどという基本的なことでも合意がつくられていない。そして民主党の主張は、マイクが吹っ飛ぶような大騒ぎをして強行採決した法律ですから自民党と公明党が民主党と話し合いたいのであれば、謝罪がないかぎり自分たちは話し合いに応じられないということです。ところが謝ったらあの法律がなくなっちゃうわけだから、自公も謝れないわけです。
お互いにぶつかっていますから、憲法審査会は当面動きません。少なくとも参議院選挙で民主党が圧倒的な多数を取って、民主党の大部分が改憲だと言い出すようなことがあったとして、それからだと思います。いまのように民主党の中に改憲に反対だという議員が多いような状態、そして3党連立があるような状態のもとでは憲法審査会が5月18日から動くなどということはあり得ない。これは断言していいことなんですね。だから来年5月18日は大変だ、大変だといってみんなを脅すのはやめたほうがいい。そうではなくて事実を事実通りにお互いに確認しあって、そのうえで運動をどう組むかということをやらなければいけないでしょう。
来年の5月18日は大変だという人から見ると、例えば「九条の会」はいま全国の小学校区単位に「九条の会」をつくろうと言っています。1万5千とか2万という単位で「九条の会」をつくろうという方針で、いま各地のみなさんはそれぞれ頑張っています。来年の5月18日に改憲がはじまるとしたら、こんなことやってられません。これは方針上もすごく違ってきます。わたしたちは来年の5月18日にはそんな事態にはならないと思っていますから、よりいっそう明文改憲が来ないように、人々の中に憲法改正を許さないという声をもっと強めるために、全国に網の目のように「九条の会」をつくりたいと思っています。それは市民連絡会でも同じです。来年の5月18日に改憲があるとしたら、いまはえっさえっさ頑張りまくらなきゃどうしようもない事態になると思います。5月18日という問題は附則と、18項目の付帯決議との関係で考えて下さい。
運動の展望との関係ですが、さきほど国会の外でのたたかいと国会議員そのものに働きかけることの重要性を言いました。この前、沖縄の仲間から連絡があって沖縄には自公の議員はひとりもいなくなったよと誇らしげにメールに書いてありました。すごいですね。その与党の議員7人がウルの会というのをつくって、会長は喜納昌吉さんです。彼が中心になって基地問題で連立政権に圧力をかけています。沖縄の意見を代弁して例えば「うるの会」が頑張っている。こういうたたかい方がこれからはできるんだと思います。沖縄の人々は、このうるの会を一生懸命突き上げています。いままでの運動を継続することとあわせて、この新しい状況の中でどういうことができるのかを考える必要があると思います。
例えば、この9月19日にワールドピースナウでペシャワール会の中村哲先生の講演会をやりました。これは一定の判断がありました。この問題が臨時国会を含めて最大の問題になるだろう、だから中村哲先生を国会のそばに呼んでやりたいと思ったんです。永田町でやりたかった。どこまで成功したかは別です。当日は超満員でしたが、事前に新しい国会議員に招待状を入れたんですね。中村先生が来るから来て下さいと。説明を書いた文章も入れて。
いま中村さんの講演のテープを仲間が起こしています。これを持って、また国会議員のところへ行こうと思っています。この秋、大変な問題になるわけです。鳩山さんが日本は農業分野が得意だからと、なんか中村さんみたいなことを言っていますが。もし民主党政権が中村さんを応援するといったら受けますか、という講演のときの質問に、中村さんは「自民党でも誰からでも応援するというならみんな受けます」と堂々と言っていましたね。ああいう活動こそいまの私たちの対案です。単に集会をやるだけではなくて、ことあるごとに国会議員に働きかけることもいろんなやり方が出てくる、そこを知恵を絞ってやるべきではないかなあと思います。
今度の臨時国会で直面する政治的な課題を最後にいくつか挙げました。引き続き憲法審査会を動かさない、そして2007年に強行採決された改憲手続き法を抜本的に再検討しろという運動が必要だと思います。ところが社共あわせても16議席です。議案の提出権は21人以上です。だから廃止法が出せないですね。民主党の何人かが廃止法に賛成しないと出せません。悪いことに民主党はいま議員立法をやらせないと言いだしているでしょ。何でこんなことを出したんだと思っています。民主党はいままで議員立法は大事だと言ってきたんだから、何を言っているんだ、という声もあげていかないといけないんですね。
給油新法の延長はちょっと含みを残していますね。1月で絶対やめるとはいっていません。これは絶対やめろという運動を国会のおもてで起こしていかないと、やめない人たちの力になってしまうんですよ。みんな見ているからやっぱりこの法案はやめようよ、という世論をつくっていかなければいけません。アフガンへの非軍事人道・文民支援の提案は大変だと思うんですね。この前、中村さんは言いましたよね。「わたしたちは何をやったらいいでしょうか」という質問に対して、「何をやったらいいかではなくて、何をやってはいけないかということを考えて下さい」。すごい言葉でしょ。そのあとです。「戦争に協力してはいけない、人殺しを手伝ってはいけない、日本はまずこれです」と彼は言うわけです。すぐ対案、対案と言ってしまうけれど、そうじゃないんですね。まず戦争に協力しない、日本がアメリカのアフガン戦争に協力しないようにさせることがもっともアフガンに対する貢献だ。この考え方もこれからの臨時国会の中で国会議員にも相当に働きかけなきゃいけないし世論もつくっていかなきゃいけないと思うんです。
それから海賊新法の抜本的再検討で、自衛隊の撤収です。自衛艦が行っても海賊は減るどころかますます増えています。ジブチとか周辺国からコーストガード、沿岸警備隊をつくりたいので援助をしてくれという要求が日本に来ています。自衛艦を出すだけのお金があったら、もっと非軍事の支援をすべきだという世論をつくっていく必要があります。
貨物検査特措法は、対話をすすめていくために、いまこの特措法をやるのは有効ではないという世論をつくっていく必要があります。いま北朝鮮との間にいっそう軍事的な緊張をつくるのは決していいことではありません。米軍基地の再編強化、これは沖縄が一生懸命頑張っていますけれども、沖縄と足並みをそろえてやらなければいけないと思います。
もうひとつ、これは民主党のマニュフェストにある選挙制度を変える、比例区を80人削減することです。いま小選挙区300人、比例区180人、それを比例区100人にするというんです。この削減で誰が引っかかるかわかりますよね。そうするとうるさいのがいなくなるから2大政党になって便利なんですね。これは世論受けする。議員報酬が減って財政再建に役立つ。議員定数削減はこのところ地方自治体でも流行ってきて、毎回、地方議会でも減らしてきています。これはメディアも支持しているんです。
こんなことをやるなら減らさなきゃいけないところはいっぱいあると思います。私は、政党助成金なんかはつまらないと思いますね。もし本当に議員を減らすほど財政が大変ならまず政党助成金を減らせばいい、ここから300億円くらい出てくるでしょう。場合によっては議員の歳費を下げても議員の人数は減らさないとかいろんな工夫があると思います。私は歳費を下げることにも反対です。もっと議員は秘書さんを多く雇えた方がいい。いろいろ議論すべきで、お金の問題で単純に比例定数削減なんてなったら、私たちは大変なところに連れて行かれてしまうんじゃないかという問題があります。それから今回やった、鳩山さんの改憲議員同盟顧問の辞任要請を引き続きやろうと思っています。
鳩山さんは国連で非核三原則の堅持を明言しました。核廃絶に対する国際的な世論形成の先頭に立つといっていますからもっともっとプッシュする必要があると思います。国連では「核兵器のない世界」も決議しました。非核3原則の関係では、アメリカの艦船が入港するときの核兵器搭載問題。非核3原則からいうと積んでいたら入っちゃいけないわけです。いままでの政府は、アメリカが事前通告することになっている、アメリカから積んでいますと一度も言ってきていないから今度も積んでいないに違いないというのが口実でした。アメリカに問い合わせもしないんです。
ところが今度の政権になって、この理屈が変わったんです。昨日の高知で、この船は核兵器を積める構造の船ではありませんので入港させます、安心して下さい。これはこの間の歴史の中で初めてです。日本から判断して核兵器を積めない船だから入れてもいいと外務省がいった。ちょっとですけれどもこれからの運動のきっかけになりそうな変化が出てきています。
大まかに新政権の中身についていま考えていることを報告いたしました。冒頭からいっている政権合意の中の憲法3原則を活かしていく政治を実現していくためには、今度の政治的変化は本当に第一歩だと思います。足の幅は大きかったかもしれませんけれどもやっぱり第一歩であって、これで世の中がバラ色になるわけでも何でもありません。それどころか放っておいたら危ないところがいまの連立政権の中にもいっぱいあります。それだけではなくて自民党や右派メディアもこれからさまざまに動くと思います。ですから私たちは主権者の責任として単に国会に任せるということではなくて、国会の外から日本の主権者として運動をいっそう強くしていかなければいけないと思います。
憲法12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」と書いてあります。憲法に書いてあるからいいというのではなく、この憲法の中身を本当に実現させるかどうかは国民の不断の努力にかかっていると憲法12条に書いてあるとおり、わたしたちの責任というのはそういうことだと思います。この政治の変化の中で使えるものは何でも使って、憲法3原則の平和・民主・人権がこの社会で本当に一歩一歩でも実現していくような方向で力を合わせていく。こういう点で頭も鍛え、運動の力もつける仕事がこれから出てくると思います。
蓑輪喜作
私が今の「九条」署名を始めてから4年目の秋を迎えることになった。心配していた颱風もなく、一時は冷夏で心配された稲作もそれほどでなくまあまあのようだ。いま署名に通う公園の道はコスモスの咲き始め、ススキもはやいものは穂を出し、おだやかな日が続いている。緊張して各戸を廻った4年前のことなどうそのようだ。
9月25日午前37、9月26日午前20、9月27日午後66、9月28日午後39、9月29日午前35。これはいただいた署名の数で、いま9月29日現在25455筆で、人は大変だろうと言ってくれるが、たしかに今年は80歳でかなり体力は落ちたが、私自身にとってはさほどには感じないのだ。ほどほどに人としゃべり歩くことは一つの健康法になっていて、ストレスのたまるようなことはない。4年というと公園に来る人々、この土地の人や子ども達は私のことを知らない者はいない。
先日も11月の「はらっぱ祭り」には署名用紙を沢山持って来て下さいと実行委員の一人と思われる人から声をかけられ、また10月の○○日には町内会でバーベキューをやるので署名をと声をかけられる。
そんなことで、ここで今年になってからの署名のことを振替ってみたい。以前には私は署名は若者と婦人が多いが、中年の男性が少ないと言ってきたが、それが今年に入ってから変わってきたのだ。
それはあまりに人間を人間としてあつかわない政治が長く続いたからだと思う。
きちんとした身なりの人が、あるいは体制側とも思われる人が署名してくれる。また名前は出せないが心から応援すると言ってくれる人も多くなった。
そして迎えたのが8月の総選挙だった。バス停などでは実にいろいろの人と会う。自民党のマニフェストをくれた女性がいたかと思うと、「じいちゃん誰に入れる」と聞く若者も多く、一つの熱気のようなものを感じる日が続いた。そして結果はあの大きな大きな山が動いたのである。この国の歴史を振返ってみても、はじめて国民が自分自身で自覚しての選挙だったのではないかと思い、あらためて歴史とは一人一人が作ってゆくものだという言葉をかみしめた。
そんなことで選挙の終わった翌日朝早く、少し興奮気味の私の大先輩で近くに住む年金者組合の支部長から電話がかかってきた。いろいろと話し、これからのことも聞かれたが、私は新しい政権をよくする為にもいまやっている「九条」署名をさらに続ける、あなたは高齢者運動を、と言った。政治はエライ人だけでやるものではない。たえず下からの声を運動を、それが基本だと思っている。
ほんとにこんなに変わったのかと驚いた。私の故里、あの保守王国と言われた新潟で自民党の議員が一人も居なくなったのである。
そういうことで私の8月の「九条」署名ですが、昨年が800、今年が1200。昨年よりも暑くなかったということもあったが、私の体力はかなり衰えているのに、これはいままで書いてきたようにこの国のいまの大きな流れにほかならない。署名などをやっているとそのときどきのことを肌で感じるのだが、今回ほど大きく感じたことはなかった。
さてこの間にも各地からかなりのお励ましの便りをいただいたが、次にその中のいくつかを紹介したいと思う。
まず書いておきたいことは、15年前離村のとき「過疎に追われ、老夫婦はムラを去った」と題して、故里の新潟日報の記者がわざわざ小金井まで来てくれ、当時企画していた「20世紀にいがた100シーン」の一つに加えていただいた。今回上越市の友人の投稿した「9条おじさん」が「窓」という欄に紹介されて、幾人かの方から切抜きなどが送られてきた。
そしてこの夏私にとって大きな励ましとなったことは、6月にはじめて「こがねい・9条の会」の人達15名と1万7千の署名を持って国会請願に行ったことと、8月12~16日まで開催された新宿での「平和のための戦争展」にパネルを展示していただいた事だと思う。
バス停やバーベキュー広場で署名していると、新宿であなたのパネルを見たよと幾人も言ってくれたが、最近になってからも見て来たという人が私の近所にも居て驚いている。そしてそのパネルの前に置かせていただいた「こがねい・9条の会」の署名用紙に256名もの署名が寄せられたということ。
次に終わってから私のところに送っていただいた責任者のお手紙と、パネルの写真につけた文章を紹介します。
蓑輪喜作様
「平和のための戦争展」の星野です
このたびはお忙しいところお話を聞かせていただきありがとうございました。
その時のお話やいただいた新聞記事、「私と憲法」の掲載記事をもとにしてパネルをつくりました。
多くの方に観ていただくことができ、アンケートにも「蓑輪さんのパネルを観て涙が出ました」と書いてくれた人もいました。改めて蓑輪さんの活動がどれだけすごいことなのかを気付かされました。
当日会場で写した写真、パネルに付けた文章、パンフレットを送ります。
まだまだ暑い日が続きます。くれぐれもお身体に気をつけて下さい。「9条の会・こがねい」のみなさんにもお世話になりました。本当にありがとうございました。
星野正樹
戦争展パネルの写真につけた文章です。
「9条署名」2万を超える
東京都小金井市に住む蓑輪喜作さんは80歳を過ぎた今も9条を守るための署名活動を毎日のように行っている。近所のバス停留所や公園でバーベキューをしている若者のグループ、散歩を楽しむ家族連れなどに話しかけ署名を集めている。2005年11月からたったひとりではじめた署名は2009年5月に2万に達した。
「きまじめな軍国少年」だった蓑輪さんは通信兵として硫黄島に向かう予定だったが、雪で講習所の面接通知が届かずに命拾いをした。当時は身長147センチでも少年兵試験に合格でき友人には少年兵として戦死した人もいた。蓑輪さんは終戦の翌年16歳のときに新潟県の豪雪地帯にある小学校の用務員になった。「教科書に墨を塗る手伝いが最初の仕事。それから憲法ができ、教育基本法、自由、平等、新しい言葉がたくさんやってきた。先は明るく希望がありました」。44年間勤めたあと15年前に夫婦で東京に移った。
その後、地元の「9条の会・こがねい」が結成されたことをきっかけに九条を守る署名をはじめた。「あの15年戦争を体で知っている者として、もし9条がなくなってまた戦争に巻き込まれるようになったとき、なぜあのとき戦争体験者が動いてくれなかったのかといわれないために」という思いからだった。
蓑輪さんは「人を選ばない」「押しつけない」ことを大事に署名活動している。意見が違っても決して無理強いしない。「次にあったときにまた話を聞いてもらいたい」「今日は反対でも、明日もう一度考えて署名してくれるかもしれない」と考えるからだ。署名の半分は若者だという。「若者たちは『戦争になったら俺たちが送られるんじゃないか』という不安がある。政治に無関心だと言われるけれどそうではない」。署名が千を超えたとき「二千目指してがんばって」と励ましてくれたのもスケボーをしている青年だった。
「私はよく人が好きだというのですが、署名を続けていくと、とくにこの頃、その思いが強くなっています。人、人、です。誠実に愛情を持って接すれば必ず応えてくれる。そんな思いがしています。署名も愛だと思うようになりました。歳はとりましたが、これからもその時々の体調に合わせて続けてゆきたいと思います」。
次に8月9日、午前に運転免許場のバス停で署名していただいた沖縄出身という20代の女性に、午後からも公園で会い次のようなお便りをいただいている。
セミも大合唱で暑い日が続いていますが、
今日もお元気に公園をまわられているのでしょうか。
先日は、二度もお会いすることができ、私も大変嬉しかったです。
また、早速「学校用務員のうた」をお送りいただき、どうもありがとうございました。
蓑輪さんの美しい半生を想像しながら、楽しくよませていただきました。
お会いしたのは偶然にも8月9日。平和を思うには最良の日でしたね。
私は沖縄出身なのですが、沖縄での反戦教育はとても熱心です。
それが故に、「犠牲者としての沖縄」のイメージが強く、沖縄だけが苦しんだ戦争という思いこみを持っていました。
しかし、こちらに来て視野が広がると、そうではない現実を知り、今までに自分をはずかしく思いました。
知らない、関心がないといった心が、平和の対極にあるものではないかと考えています。
今は、たくさんの事を吸収し、勉強したいです。
もちろん、沖縄人としての誇りを大切にして。
そんな中、蓑輪さんの活動にふれ、大変感激いたしました。
なんて想像力豊かな方だろう、と心がとても熱くなりました。
これからの日本がもっと豊で平和になる様、
私自身も行動していきたいと強く思いました。
どうもありがとうございました。
まだまだ暑い日が続きます。ご自愛ください。
また お会いしたいです。
2009年 8.12 T.M子
蓑輪喜作様
そして私の故里松代の隣の松之山で暮らして10年、地域から発信を続ける つるたとよ子さん、新潟日報の紹介によると1941年東京生まれ、教員、編集者を経て松之山に、自著「暮らしてみたら魔法の里」。今回送っていただいた通信に、とくに私宛に9条について次のような一文がありましたので紹介します。
松之山九条の会、十日町九条の会主催で「平和展」をやることができました。小森陽一氏を招いてすばらしい講演をしていただきました。打ち上げはわがふるやの炉端の宴。盛り上がりました。少しずつ裾野を広げていきたいものです。
9/10 とよ子
小森さんにはほんとにご苦労様でした。松之山と言えば越後の山奥ですが、今年は「天地人」で私の犬伏部落も紹介され、次のような短歌も作りました。
戦争をしない憲法九条を守る運動は国のすみずみまで広がっているの思いもしますが、しかし今回の選挙で改憲派は大きく議席を失ったとは言え、新潟・長岡市の平和運動の大先輩からは「長岡市では全市を挙げての非核の流れの一方に、青年会議所が田母神元空幕長の講演会を催すなど軽視できない面もあり、ともに頑張ってゆきましょう」と言って来ています。長岡市は新潟では唯一の空襲の被災地で終戦前の8月2日に1500名近い人が亡くなっています。
さて最後に前回の三鷹市大沢九条の会ですが、九条の会というのは私の早とちりで正式の名前はまだなく、しいて言えば「大沢顔見知りになる会」とでも言うことなので訂正させていただきます。その土地柄と言いますか、はばの広い言葉で学ばなければと思いました。
そして中心になっておられる方がかつて岩波書店に居られた方で――かつての轍を踏むまじ――小林勇、横浜事件、大江岩波訴訟などもいただき、よき人にお会いしたことを感謝し、その方が中心になっておられる「本を楽しもう会」主催で11月に武蔵野公会堂での澤地久枝さんの講演「一人からはじまる」をたのしみにしている。
なにごともいつの時代も人と人ですが、一生を振返ってみるに、いつの時代もよき人にめぐまれ今があるのだとしみじみと思うこの頃である。
署名日記 2009年8月
8月1日 年金者組合「戦争と平和を語る集い」講師・藤田廣登。
8月2日 近くの喫茶店で国分寺のAさん前原4丁目のS向さんと話し合う。
8月3日 午前診療所、午後年金者組合ニュース編集。
8月4日 署名・午前46、午後24。雨と会議が続き久しぶりの署名で気分がよかった。どこかの役人と思われる人にガンバッテと言われる。ペルー人の署名、私の歳を聞く。こちらが言わないのに選挙に行くという青年。午後から湿気多く1時間ほどできりあげる。
8月5日 署名・午後33。昨夜クーラーをけちったので湿気で気分悪く午前中は署名を休む。午後から1時間ほど、相変わらず署名多し。
8月6日 署名・午前32。「ひろしま」の日ですと呼びかける。4、5名の青年といつものように語り合い、あとはあなた達だと。しかし気分がイライラするのかバス停のイスをけっている若者もいた。
8月7日 署名・午後45。暑かったが午後からは風もあり、2回も10名ぐらい若者の署名があり気分がよかった。貫井囃子保存会より私の短歌をホームページにとのお手紙をいただく。
8月8日 署名・午後28。バーベキュー広場いつもより人少なく、スケートボードの青年と話しあう。私に自民党のパンフなどくれた女性もいた。
8月9日 署名・午前45、午後35。暑いけれど署名が多くなればしゃんとなる。長崎から東京の子どものところにとの署名もあり、沖縄出身という20代の女性に午前試験場のバス停で、午後、公園と二度も会う。
8月10日 署名・午後50。午前は雨、午後は晴れて相変わらず署名多し。
8月11日 署名・午後41。被爆3世という青年に会う。祖父が長崎で被爆。
8月12日 署名・午前30、
午後37。若い女の子でこの署名をすると民主党が得をするのか損をするのかとの質問もあった。また午前には南太平洋の小さな島から来たという青年と話し合う。署名は疲れておっても迫力を持って話しかけることが大切。
8月13日 署名・午前31、
午後26。午後国分寺駅ビル、JRP写真展(湧水)に。
8月14日 署名・午前20。
かんかん照りではないが湿気多し。先日署名した沖縄出身の女性よりお便りがくる。
8月15日 署名・午後38。公園のバーベキュー広場での8月15日の署名はこれで4回目。人は少なかったが殆どの人が署名し、ジュースもいただく。終戦は詭弁だという人もおり、昨日新宿の「平和のための戦争展」で私のものを見て来たという人もいた。
8月16日 署名・午前28、午後37。午前バス停、午後バーベキュー広場で殆どの人が署名してくれた。
8月17日 署名・午前23、午後からは年金者組合運営委員会。
8月18日 署名・午前33、午後38。湿気が多かったがなにか「えらそうな」人にガンバッテ下さいと声をかけられる。
8月19日 署名・午後46。午前湿気が多く、署名を休んで手紙を書く。午後は休んだので調子宜しくハッスルする。
8月20日 署名・午前33、午後26。ふるえる手で署名してくれる人がいた。途中で用紙がなくなり帰ってくる。注意しなければ。イラン人の署名あり。
8月21日 署名・午前34、午後24。署名用紙が欲しいという青年がいて渡す。豊島区の青年。オーストリア人の署名。体調を考え午後少しはやくきりあげる。
8月22日 署名・午前29。バーベキュー広場も暑いのでいつもより人少なし。原っぱでは子ども達のキャンプの準備。
8月23日 署名・午後43。バーキュー広場で選挙での各党の9条に対することが問題となる。みなさんの関心が高い。長崎出身者もいた。4ヶ月の赤ちゃんを私にだかせ署名してくれたお母さんもいた。
8月24日 署名・午前34、午後27。タイ、フィリピン女性の署名。公明党だという青年が署名してゆく。
8月25日 署名・午前34、午後27。朝から涼しく秋のようだ。今日は自民党だ。右翼だ。戦争大好きだ。いろいろな人と会う。
署名してから私にバス停の椅子に座らせ仏像のようなポーズをとらせ3分ぐらい手を合わせ拝んでくれた50代ぐらいの人がいた。以前私の顔を彫刻のように彫りたいという人もいたが、先日三鷹では仙人のようだと言った人もいたそうだが、こんなことをやっているといろいろの見方をしてくれる人もいるようだ。
8月26日 署名・午前16。急に涼しくなったので血圧のことも考え早くきりあげる。
8月27日 署名・午後25。午前、立川の病院に。午後、外人がとってもよい署名だと若者に言っていた。
8月28日 署名・午前40。少し暑かったが署名多し。いままでの署名1200筆をKさんに。
8月29日 署名・午後40。明日の夜(選挙開票)が楽しみだと言う人がいた。またバーベキュー広場で赤ちゃんを私にだかせ署名してくれたお母さんもいた。
8月30日 署名・午後20。午後は雨がぱらつきバーベキュー広場も人少なし。現職の自衛官という青年4、5名と話す。今日の選挙で9条を守る議員が多くなって欲しいという声もあった。
8月31日 午前、診療所に。選挙は予想はしていたが大きな大きな山が動いた1日であり、この国の新しい1頁になってくれればと思う。主人公は国民一人ひとりにあるの思いを深くした。署名30。