2005年5月3日憲法集会

スピーチ(4)福島瑞穂(参議院議員、社会民主党党首)

自民党がいっている憲法改正案の中身、要綱がでました。ひどいものです。9条、全文を変える、これもひどい。しかし根本的に問題なのは、憲法の規範を変えてしまう、そこにあると考えます。自民党が考えている憲法とは、憲法ですらないのではないか、そう私は思います。前文に「国を愛する」という言葉を入れる、憲法25条、24条、そして13条の個人の尊厳も見直す、基本的にそういう中身です。

私は日本国憲法が大好きです。憲法は女の子も男の子も元気でいいのだ、高齢者もハンディキャップのある人も外国人も元気でいいのだと私たちを励ましてきました。憲法13条はすべて人は個人として尊重される、そういうことを規定しています。どんな人もこの社会に生まれて、生きててよかったと思える権利がある、どんな人もすべての人が自己実現の権利がある、そのことを憲法は保障しています。しかし、自民党が提案している要綱は、そうではありません。基本的人権は公共の福祉にもとづいて、行使されなければならない、基本的人権は国家の制約のなかででのみ行使が許される。これでは基本的人権は保障されません。大日本帝国憲法下では、権利が保障されていました。しかしご存知のとおり、法律の留保がありましたので、最後は日本の国民の権利は紙切れ同然となってしまいました。

自民党が考えている権利とは、そのような中身ではないでしょうか。憲法25条が生存権を規定しています。「すべて国民は健康で文化的な生活を営む権利を有する。国は社会保障などについて責務を負う」と規定しています。自民党はこれに対して、今の格差社会の拡大、国民は社会的費用負担の責務を有する。生存権の見直しを提言しています。いま現に日本の社会で進行している、格差社会、弱肉強食、自己責任の強調、金を払え、それで介護保険の改悪やそして福祉の切り捨てをおこなっている。この現実の政治の延長線上の中に25条の見直しがあります。本当に住みにくい社会になっていくのではないでしょうか。

また、自民党は憲法24条、家族の中の個人の尊厳と男女平等の見直しも提案しています。「夫婦は互いに良好な家族を良好な関係を維持しなければならない」「親を敬わなければならない」、こういう中身を書くと要綱はいっています。本当にびっくりしました。離婚をすると憲法違反になるのでしょうか。仲の悪いカップルは、違憲状態の夫婦というのでしょうか。うちは護憲の夫婦ですというふうになるのでしょうか。おかしいです。

国家が個人の私生活、個人の頭の中や心の中に入って、行動について命令をする、これは憲法ではありません。憲法はご存知のとおり、国家権力に対して、国民の私たちがつきつけるものです。「あんたたち、ちゃんと憲法を守りなさい」、国家権力を制限して初めて国民主権、基本的人権、平和主義が生まれます。だからこそ憲法は私たち国民が国家権力にあてた親展状なのです。それが基本的人権を踏みにじり、国家主義が台頭し、国家のために国民は生きろとそういう憲法を今の自民党が作ろうとしているのですから、私たちは体を張るしかありません。国家がのさばり、個人の権利が侵害される、そんな社会に住みたいと思う人がいるでしょうか。

2つ目に、やはり憲法9条、前文のことを申し上げます。明らかに憲法調査会のターゲットは憲法9条と前文です。私は自衛隊をどう位置づけるか、専守防衛、そして集団的自衛権の行使とどう書こうが、目的は一つだと思います。自衛隊を戦争するとために海外に出し、米軍とともにたたかう、そういう国をつくることです。戦争する国にするということと基本的人権の制限はセットです。憲法9条と前文だけかえなきゃいいのかといえば、私はそれは違う、とそう思います。一番重要なのは、9条と前文、しかし自民党は政府与党は、それ以上のことを考えています。この社会を根本的に変えようとしているのですから、基本的人権の尊重と平和主義、国民主権、この3つのセットを私たちはどれも譲り渡さない、そのためにがんばりたいと思っております。

鈴木茂三郎さんが「青年よ 銃をとるな」そういいました。いま、その言葉「青年よ 銃をとるな」という言葉が、戦後のどの時代よりもリアリティがあるものとして私たちに働きかけております。だからこそ、いまこそがんばろうと思っております。

小泉総理はバンドン会議で村山首相の談話を引用し、こういいました。「第2次世界大戦後、移管して軍事大国にならず、いかなる問題も武力によらず、平和的に解決するという立場を堅持する」そう述べました。

私はいいたい、いっていることとやっていることを同じにしてほしい。あなたは言っていることとやっていることが違うじゃないの。小泉総理はこの言葉に従うのであれば、靖国神社公式参拝をやめるべきです。教育基本法を変えるべきではありません。そして今、アジアに向かって世界に向かって憲法を変えない、そう明言すべきです。それができないのであれば、口先政治といわれてもしかたがありません。そうでなければアジアの人びと、世界の人びとの信頼をかちとることはできません。私たちはこの言葉どおりの政治を政府に求め、この言葉どおりの政治を実現するべく力を尽くします。

いま、アジアのなかで日本にたいする反日デモや反日感情が大変強まっております。本当に残念なことだと考えています。憲法9条、戦争をしないと定めた憲法9条はとりもなおさずアジアの人びとに対する約束でした。世界にたいする公約でした。それをいま、破ろうとしているのですから、人びとが危機感をもつことを私は大変理解ができます。アジアの人びと、そして世界の人びとと私たちがともに生きる信頼関係を持つためには、憲法を変えるべきではありません。憲法を変えて戦争する国にし、武器輸出原則の見直しをし、非核国家宣言の見直しをしようとしているのはアメリカの一部の政治家、日本の一部の政治家、そしてそれにつながる人たちです。

論憲なんていう人たちの気持ちがわかりません。その人の主観的意図がどうであれ、論憲という人たちは、憲法改悪というパンドラの箱を開けるのです。パンドラの箱からでてくるのは、日本を戦争する国にすることと、国のために基本的人権を制限する、その2つです。私たちは憲法をかえるというパンドラの箱を開けてはいけません。今の政治状況で憲法を変えてよくなる可能性などはありません。

どうかどうか5月3日、憲法を変えない人を一人でも多く作るために一緒にがんばりあいましょう。

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