2005年5月3日憲法集会

連帯のあいさつ

三木睦子 三木武夫記念館館長

レオ・シロタというピアノの先生がございました。戦争中はユダヤ系だということでだいぶ迫害されていらしって、東京芸大の職務を失われておりましたけれども、私はその先生の一番かわいがってくだすったお弟子の住田治子さんと小学校からずーと友だちでございました。女学校もいっしょに、高等科もいっしょにというようなことでございましたけれども、シロタ先生の軽井沢の別荘にもいっしょにうかがったこともございます。ただ、そのシロタ先生のご令嬢が、この日本国の憲法をつくることにたいへん力を注いでくだすった。しかも20歳や21歳のまだまだ若いお嬢さんであった時代でございましたけれども、日本の憲法について、もちろんお嬢さんもほとんど日本で育ったからだとおもいますけれども、日本にたいする大きな愛情で日本のこの憲法をつくってくだすった。私はそれにとても感謝しております。そして、シロタ令嬢に「ベアテさんにあなたがこんなに一所懸命してくだすったのを私たちが守らなくてだれが守るでしょう」というようなことも申し上げました。

私はこの憲法をなんとかして守っていかなければいけないというのに、私の夫が自民党の党員であったので、「なんであなたは自民党なんかにいるの?」といったら、「それは僕が自民党からやめたら自民党はさっそく憲法を改正するんだよ、だから僕は自民党でがんばっているんだ」とそういっておりました。だからかれが今でもがんばっておれば私がこの日比谷の公会堂に立って、ものをしゃべる必要がなかったんでございますが、彼が亡くなってしまったら彼の代わりに仕方なしに私は皆さんの前で、どうぞ皆さまでこの日本の憲法を守ってほしい、たとえだれの差し金でできたにしろ、こんなにいいことはないのだから守っていただきたい、とそう思ってそれをお願いにあがったわけでございます。

なにか新聞で見ますと、憲法を守りたいという人が40何%、この憲法を廃止して、新しいものをつくろうという人が50何%、「どうしてそんな」と私は思うのですが、それが現実かもしれない。だからこそしゃべったこともないのに私がここに来ておしゃべりをしなきゃいけないんだ、とそう思って出てきたわけでございます。

私はもう、88歳、そろそろ年貢の納め時でございます。どうか憲法を守るという意思を後の方が継いで、しっかりと日本の憲法として大成させてやっていただきたいと思うからこうしてでてまいりました。どうかよろしく、よろしくお願い申し上げます。

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