2003年5月3日憲法集会

立場の違いを超えて大きな輪を

日本共産党委員長 志位 和夫

私たちは、今年の憲法記念日を、イラク戦争がおこなわれ、有事3法案強行の危険が切迫するなど、戦争と平和をめぐる大激動のなかで迎えました。

私は、憲法9条の恒久平和主義には、2つの意味があると思います。1つは、日本がかつてのような侵略国家にならないこと。もう1つは、国連憲章の平和のルールを日本が世界に率先して実行することです。すなわち、「自ら戦争をしない」「他の国にも戦争をさせない」――ここに憲法9条の真髄があるのではないでしょうか。

昨日、米国のブッシュ米大統領は、米空母のうえで、「戦争に勝利した」「イラクを解放した」と、誇らしげに宣言しました。たしかに米軍は軍事力では、イラク制圧に成功したかもしれません。しかし、私は、これはまともな「勝利」とはよべないし、ましてや「解放」ともよべないと思います。ほんとうの勝利とは、正義と道理にたったものだけが口にできる言葉であり、ほんとうの解放とは、その国の国民自身が国の主人公になったときに、はじめていえる言葉ではないでしょうか。

イラク戦争にかかわって、国際社会が、いまけっして許してはならないことを、私は、2つ強調したい。

1つは、この無法な戦争を追認してはならないということであります。戦争の帰趨にかかわりなく、この戦争が、国連憲章をじゅうりんした無法な侵略戦争であったこと、数千人といわれる罪なき市民の命を奪った非人道的な戦争であったこと――このことにいささかも変わりはありません。失われた命や、粉々にちぎれた子どもたちの手足は、2度と戻ってはきません。

もう1つは、新しい植民地主義を許さないということであります。米国は無法な戦争のうえに、無法な軍事占領をおこない、それをテコに米国いいなりの政権を樹立することをめざしています。しかし、このくわだては、すでに激しい矛盾に出合っています。「サダム・ノー、アメリカ・ノー」を叫ぶイラク国民の運動が広がっています。イラクの復興支援の主体となりうるのは、唯一国連のみです。国際社会はこのことを確認し、その枠組みのなかで、すみやかに米英の侵略軍を撤退させるべきであります。

その重要な一歩として、私は、国連査察団を復帰させることを提案したい。国連の査察団による大量破壊兵器の査察を再開させるべきであります。大量破壊兵器の問題は、米英軍が戦争をはじめるさいに、最大の口実とした問題でした。しかし、いまだに見つかっていないではありませんか。「戦争をはじめればすぐに見つかる」と言っていたラムズフェルド国防長官も、いまになって「発見は困難」だといいだしました。国連査察団の責任者であるブリクス委員長は「アメリカが大量破壊兵器を発見したといっても信用されない」とはっきりのべ、国連による査察再開を求めました。

それでは、世界の平和のルールをとりもどしていく希望はあるでしょうか。私は、危険は直視すべきだが、おおいに希望はあると思っています。

今度の戦争ほど、国連が戦争をくい止めるための力と機能を発揮したことはありませんでした。半年間にわたって国連安保理事会を舞台にした激しい外交的なたたかいがおこなわれました。そのなかで米国は、2度にわたって外交では敗北をしました。

第1の敗北は、昨年10月に米英が提出した武力行使容認の決議案が拒否され、11月はじめに安保理決議1441という査察による平和解決をすすめる決議が採択されたことでありました。

第2の敗北は、今年2月に米英が提出した、査察を中断して戦争にきりかえる決議案が拒否されたことでした。米国は血眼になって、多数派工作をおこないましたが、国連安保理はこの決議案をついに受け入れなかったのです。これは文字どおり歴史上初めてのことです。

目を日本にうつしてみますと、イラク戦争を支持した勢力によって、有事3法案の強行がはかられようとしています。

この法案の本質は、この1年あまりの国会論戦で、すでに明らかです。それは「日本が攻められたさいの備え」の法案ではありません。米軍の先制攻撃の戦争に、日本が武力行使で参戦し、国民を罰則つきで強制動員する。「攻めるときの備え」をつくるというのが、この法案の本質です。

私は、国会の論戦で明らかになった2つの重大問題について、ご報告しておきたいと思います。

第1は、この法律が、海外での自衛隊の武力行使にはじめて公然と道を開くものとなっているということです。

この法案は、「わが国への武力攻撃」に対処するといことが建前ですが、ここでいう「わが国」とは何か。まずここが、実はくせものなのです。わが党が国会でこのことをただしますと、「わが国」とは、日本の領土だけではなく、公海上の自衛隊艦船なども「わが国」だという。これが政府の答弁です。すなわち、いま、「テロ特措法」でインド洋に派遣されているイージス艦も「わが国」となる。

そして、ここが危ない状況――「武力攻撃が予測される事態」になれば、有事法制が動きだします。そして、相手から攻撃されれば、「武力の行使」で対抗するということは政府も答弁でみとめました。

1999年に「周辺事態法」が強行されましたが、この法律では、「海外での武力行使をしない」ことが建前とされています。危ないところでは活動できないというのが建前です。わが党が、「米軍を支援している自衛隊が危なくなったらどうするのか」と質問しますと、「その場から逃げるのです」という答弁です。そんなことができるのかどうかは別として、これがともかくも建前だったのです。しかし有事法制では危なくなったら法律を発動し、その場にふみとどまり、攻撃されたら応戦することになる。

みなさん、憲法違反の海外での武力行使法案を、絶対に許すわけにはいかないではありませんか。

第2は、米軍の先制攻撃の戦争に参戦する法律だということです。

わが党の議員が、先日国会で質問しました。「米国の先制攻撃の戦争でも、この法律は発動するのか」。この質問に、石破防衛庁長官は、「武力攻撃事態、あるいは予測事態に至ったという場合には、この法案が適用される。米国が先制攻撃をやるとは考えていないが――イラク戦争があったのにまだこんなことを言っているのですね――、そうであったらこの法律が発動できないというわけではない」と答弁しました。

つまり、国連憲章をふみやぶったイラク型の先制攻撃の侵略戦争にも、自衛隊が参戦するということを認めたのです。米軍の先制攻撃の戦争に、武力行使をもって参戦し、国民を強制動員する。これが有事法制の本質です。

有事法制を許さないたたかいは、憲法9条を守りぬくたたかいであるとともに、世界の平和のルールを守りぬくたたかいでもあります。昨年のこの日を思いこしますと、「憲法のつどい」が一つの出発点となり、4万人、6万人という規模で有事法案反対の大集会がもたれ、2度にわたって国会での強行を食い止めてきた。ぜひこの力をさらに大きく広げ、有事法案を廃案に追い込むために共同のたたかいを、いま急速に広げようではありませんか。

さて、一部に、「北朝鮮問題があるので、有事法案の成立を急ぐ必要がある」という議論があります。

もちろん、北朝鮮問題の解決は、北東アジアの平和と安全にとって重要な課題であります。とくにいま北朝鮮がすすめている核兵器開発計画を放棄させることは、重大な国際問題にもなっています。被爆国日本の国民の強い声です。ただみなさん、これは、あくまでも平和的・外交的手段でおこなうべきであって、軍事の手段を許してはならない。そして、現に動いている方向も、米朝中の3国会談がはじまりましたが、外交交渉による解決という方向です。

私は、ここでいま国際社会が知恵と力をつくすべきは、北朝鮮にたいして「道理をもって説く」というところにあると思います。それはどういうことか。北朝鮮が、核兵器問題での国際的な取り決めを次々と破り、これに違反していることへの批判をすることは、当然必用なことです。しかし、それにとどまらないで、私は、北朝鮮が核兵器開発をすすめている「論理」そのものの誤りをただすことが大切だと思います。

その「論理」とはどういうものか。北朝鮮の朝鮮通信などは、「物理的な抑止力によってこそ安全保障がはかられる」ということを、核兵器開発を合理化する「論理」にしています。

しかし、北朝鮮にとっての一番の安全保障の問題というのは、「物理的な抑止力」が足らないところにあるのではありません。問題は、北朝鮮が、周辺諸国とのまともな外交関係をもっていないということ、この国が国際的に孤立しているというところにあるのではないでしょうか。

そして、少なくとも、その原因の大きな部分は、北朝鮮自身にあるということをいわねばなりません。この国が、テロや拉致などの国際的な無法行為をおこなってきたこと、国際的なルール破りをおこなってきたことなど、北朝鮮自身にも原因はあるのです。それを本気になって清算し、ただして、周辺諸国とほんとうの平和友好の関係を築くことこそ、北朝鮮にとっても一番の安全保障になるということを、いま国際社会が「道理にたって説く」べきではないでしょうか。

日本国憲法は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することこそ、安全保障の最大の土台だとのべています。この憲法の精神で、北朝鮮にたいして、「道理をもって説く」外交努力をおこなう、このことを、私は、日本政府に強く求めたいと思うのであります。

そしてみなさん、ほんらい平和的・外交的に解決すべきこの問題を、有事法制の強行のために利用することは、国民をあざむく党略的態度であり、北朝鮮問題のただしい解決にとっても有害きわまりない態度だということを、私は、きびしく指摘したいと思うのであります。

憲法9条を守り、国連憲章にもとづく平和のルールをとりもどすために、立場の違いをこえ、さらに大きな共同の輪を広げようではありませんか。みなさん、ともにがんばりましょう。

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