2003年5月3日憲法集会

98条、99条を使って闘おう

元読谷村長 平和憲法・地方自治問題研究所長 山内 徳信

1、はじめに

「生かそう憲法、高くかかげよう第9条」をメーンスローガンに、2003年5・3憲法集会が開催、その労をとられました実行委員会の皆さんに敬意を表します。全国集会の中で、沖縄側からの発言の機会を与えて下さいまして心から感謝を申し上げます。

2、 あの光景を忘れるな

かつて大英帝国の植民地であったインドを不服従の闘いを通して、独立に導いたマハトマ・ガンジーは「理想なき政治は罪悪である」と喝破いたしました。

現在の我国の政治、経済、教育、社会等、あらゆる面において混迷をきたしております。

それは指導的立場にある人々が理想や理念、政治や行政哲学を失い、利権にまみれ、夢も希望も持てない社会状況になりつつあり、まさに罪悪であります。国民を不幸のどん底につき落とすものであります。

ドイツの元大統領ワイツゼッカーは、1985年、ドイツの敗戦40周年の節目に、連邦議会で「荒れ野の40年」という演説を行いました。その中で「国民に歴史と向き合うことを求め」、「過去に目を閉ざす者は、未来を過る」と、指摘されたことは、あまりにも有名であります。

ガンジーといいワイツゼッカーといい政治理念をかかげ、それを実践されたからこそ、世界の人々から尊敬されているのであります。そのような人物が日本にも出てほしいと思います。

第二次世界大戦の時、日本とドイツは共に同盟国であり、戦争の罪を背負った国であります。歴史との向き合い方に大きな相違点を感じます。

凄惨を極めた太平洋戦争、日本唯一の地上戦の死闘がくりかえされた沖縄戦、真珠湾攻撃をした日本は結果として人類初の原爆を広島と長崎に投下され、悲惨な体験をしたのであります。

惨憺たる光景を目のあたりにした当時の政治家は、将来への禍根を残さないため、英断を持って日本の平和憲法を制定されたのであります。それは戦争の地獄を体験した日本国民すべての人々の平和への願いが集約されたものであります。

3、 憲法9条は国民にとって命そのものである。

平和憲法の果たしている意義、役割は何人といえども否定することは出来ないだろうと思います。戦後今日まで日本の発展と平和国家としてのゆるぎない基盤となり、世界に平和国家として、その手本を示すことが出来たのでありました。それは「憲法の前文と9条」に打ち込まれている「平和主義」の存在のおかげであります。現在の日本で世界に誇れるものがあるとすれば、それは世界の法典の頂点に立つ、日本の平和憲法であると確信いたします。憲法9条は、制定当時から、現在も、これから先も、日本国民にとっては「命」そのものであります。21世紀の人類の針路を指し示す「世界の羅針盤」なのであります。

小泉首相を首班とする連立自公保政権は、いよいよ「本丸」に総攻撃をかけようと、準備を進めております。有事法制を仕上げ、憲法や教育基本法を改悪しようと、虎視眈々としております。

未来への想像力を失ってしまった政治勢力は、歴史の反省もほうむりすて、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の如く、歴史の歯車を逆まわりさせようとする時代錯誤であり、国民を再び戦争へかりたてていく具体的な準備なのであります。

憲法9条を無きものにしょうとする政治権力の動きは、国民からは勿論、アジアの国々から猛烈な反発と不信を買い、日本は再び孤立し、自滅への道を歩むことを危惧するものであります。

4、 アジアに銃口を向けるな

あたり前のことですが、日本の民主主義、国民の基本的人権の保障、国民主権の政治、地方自治の本旨等が保障される社会とは、「平和が確立」されていなければ成立いたしません。日本国民はそのことを戦前、戦中、いやと言うほど体験してまいりました。

要するに社会のすべての物の基本は「平和」でなければ存在し得ません。憲法の平和主義の健全な発展によってのみ、日本の民主主義は存続しうるのであります。

憲法9条を目のカタキにする政治家や国民がおりますが、それはいつしか日本の民主主義と基本的人権、地方自治を蝕み、人権を蹂躙しつつ、アメリカに隷属し、アメリカ帝国主義の世界制覇の尖兵となり、いつの間にかアジアの国々に銃口を向ける立場になってしまうことを恐れるものであります。

改憲政党や組織の力学の中にあって上意下達にならされ、真実の姿と未来を見失ってしまえば、再び戦前の政治家や軍人と同じ過ちをくりかえしてしまうのであります。心すべきであります。

5、 政府は憲法を守れ

私は小学校時代に沖縄戦を体験しました。1951年に高校生となり、日本の平和憲法の存在を知りました。憲法との出会いは感動的で今でも忘れることはできません。

心ならずも死んでいった多くの人々の分まで平和な社会を創造しなければと誓いました。それが私の平和への原点であります。

戦後の米軍統治下の沖縄は、無憲法、無権利の状態でありました。

米軍は沖縄県民に「銃剣をつきつけ、ブルドーザーで家屋敷を破壊し、焼きはらって土地を接収し、基地を作った」のでありました。戦後58年経過いたしましたが、現在でも日本全体にある米軍基地の75%を沖縄に押しつけて平然と差別しつづけているのが日本政府であります。

沖縄側からの基地の整理、縮小、返還、基地被害の改善、日米地位協定の見直し等、全く聞く耳を持たない日本政府の理不尽さを告発するものであります。

6、 憲法を楯に本気で9条を守る壮大な闘いを

私は1974年から1998年まで24年間、基地の村、読谷村(人口37000人)の村長をしておりました。村域の73%が米軍基地でありました。米軍基地を返還させ、夢あふれる跡地利用を精力的に進めてまいりました。村政の基本姿勢は「憲法の精神を踏まえ、憲法を実践する」ことでありました。村長室には「憲法9条」と「憲法99条」を掛軸にしてかかげてありました。

私にとってこの「憲法9条と99条」は、どれほど大きな力を与えてくれたことか、計り知れないものがあります。

「21世紀の歴史の批判に耐え得る村づくり」を目指しておりましたので、政府から憲法に反するような事案が持ち込まれると、それを否定するとか、更に、米軍のパラシュート降下演習場として使用されている読谷補助飛行場を21世紀の読谷村の村づくりの拠点として位置づけ、日米両政府や米軍へ交渉したり、演習に対しては抗議行動を展開し、4年に1本の割合で「公共施設(福祉センターや陸上競技場、野球場、多目的広場、大型駐車場、役場庁舎、文化センター等)」を打ち込んでいく闘いを組んでまいりました。

この闘いの楯となり武器となったのは、すべて憲法の精神(平和主義、主権在民、基本的人権の尊重)でありました。国民が本気で真剣に闘うのであれば、憲法は「非常識を常識化し、不可能を可能とする」力を国民にあたえてくれることを私は体験したのであります。

したがって私にとって憲法は、幾百万人、幾千万人の力を貸してくれたことになります。

今、権力の横暴や不法不当を認めない為に制定された憲法が、逆に権力者や、憲法を目のカタキとする政治勢力によって、骨抜きにされ、憲法が無視され、改悪への動きが顕著になってきております。

これにどう立ち向かうか、日本と日本人の将来を左右する極めて重要な問題であります。憲法9条を守り抜こうと決意し、緊迫した思いで全国から参加して下さいました皆さん。

憲法9条を守り抜く闘いの知恵を出し、闘いの戦略、戦術を具体化し、それぞれの地域でも闘いの輪を広げていきましょう。

憲法98条は「この憲法は国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」。これを武器として理論武装はできないものか。

憲法99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」。小泉内閣や国会議員は、この憲法を擁護する義務を負わされているのです。政府の反憲法的行為を放置せず、司法の場、行政の場、運動の場を通じて「相手の動き」を牽制し改悪を阻止する。そういう展望を開く為の理論武装と実践論の確立を急がねばなりません。以上申し上げて終わります。

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