2003年5月3日憲法集会

平和な世界に生きてと死者が託した夢

翻訳家・『世界がもし100人の村だったら』再話者 池田 香代子

私は、一種のチェーン・メールとしてまわっていた話を『世界がもし100人の村だったら』という絵本にしました。それを読んだご年配の方が、「ウチでは『100人の村』を、『日本国憲法』の隣に置いている」というメールをくださいました。また、あるきっかけでジョン・レノンの「イマジン」という曲の歌詞を翻訳しました。それを読んだ若い方が、「このノリで日本国憲法を読んでみたい」とおっしゃいました。こんな歌詞です。

さあ、想像して、国家はないと
難しくはないはず、殺しあう理由がなく、
宗教の対立もない、ということなのだから
さあ、想像して、すべての人が平和のうちに生きてあるさまを
そんなのは夢だと、あなたは言うかもしれない
でもこれは、私ひとりの夢ではない
いつかあたなも私たちと、夢をともにしてほしい
そうすれば、世界は変わる、ひとつになる

私が訳すと、「イマジン」も『100人村』語になってしまうのですが、憲法が生まれた時に立ち会った方と、その憲法のなかで生まれ育った方が、『100人の村』から憲法を連想した。これはただごとではないと思いました。そこで、英文憲法から憲法を訳してみました。それが、『やさしいことばで日本国憲法』です。考えてみれば、日本国憲法をつくったのは、日本人とアメリカ人で、その時の共通語は英語でした。ですから、英文憲法があるのですね。少し前までは六法全書に英文憲法も載っていて、こちらも正式な憲法なのだそうです。私たちが知っている憲法=正文憲法と英文憲法は、双子の姉妹のようなものなのだそうです。そういうことも、私は知りませんでした。憲法のことを、私は何も知らないのです。そういう人間が憲法を英語で読んだらどうなるだろう、というコンセプトで訳してみました。

どんなことになったのか、前文だけ読ませていただきます。

日本のわたしたちは、正しい方法で選ばれた国会議員をつうじ、わたしたちと子孫のために、かたく心に決めました。すべての国ぐにと平和に力をあわせ、その成果を手に入れよう、自由の恵みをこの国にくまなくいきわたらせよう、政府がひきおこす恐ろしい戦争に二度とさらされないようにしよう、と。わたしたちは、主権は人びとのものだと高らかに宣言し、この憲法を定めます。

国政とは、その国の人びとの信頼を、なによりも重くうけとめてなされるものです。その権威のみなもとは、人びとです。その権威をふるうのは、人びとの代表です。そこから利益をうけるのは、人びとです。これは、人類に共通するおおもとの考え方で、この憲法は、この考え方をふまえています。私たちは、この考え方とはあいいれないいっさいの憲法や、法令や、詔勅をうけいれません。そういうものにしたがう義務はありません。

日本のわたしたちは、平和がいつまでもつづくことを強く望みます。人と人との関係にはたらくべき気高い理想を深く心にきざみます。わたしたちは、世界の、平和を愛する人びとは、公正で誠実だと信頼することにします。そして、そうすることにより、わたしたちの安全と命を守ろうと決意しました。わたしたちは、平和をまもろうとする国際社会で、この世界から、圧政や隷属、抑圧や不寛容を永久になくそうとつとめる国際社会で、尊敬されるわたしたちになりたいと思います。
わたしたちは、確認します。世界のすべての人びとには、恐怖や貧しさからまぬがれて、平和に生きる権利があることを。わたしたちは信じます。自分の国さえよければいいのではなく、どんな国も、政治のモラルをまもるべきだ、と。そして、このモラルにしたがうことは、独立した国であろうとし、独立した国として、ほかの国ぐにとつきあおうとするすべての国のつとめだと。日本のわたしたちは、誓います。わたしたちの国の名誉にかけて、この気高い理想と目的を実現するために、あらゆる力をかたむけることを。

 これが、憲法の素人の私が訳した憲法前文です。

いろいろな発見がありました。まず、のっけからびっくりしました。私の知っている日本国憲法は、「日本国民は…」と始まります。ところが、英語の憲法は、「We,the Japanese people…」と、一人称複数で始まっているのです。「わたしたち」が語っているのです。そこで、ここは「日本のわたしたちは…」と訳しました。

「people」は、法律では「国民」と訳すべきなのだそうです。でも、「people」という語に「国民」という意味がつけ加わったのは、たかだかこの二百年ぐらいのことです。それ以前も、そして今も、「people」は、まずは「人びと」です。それで私はとぼけて、知らんぷりをして、「people」を「人びと」と訳しました。なぜかといいますと、ジョン・レノンの願いとは裏腹に、国はなくならないと思いますが、国と国を隔てる垣根は、どんどん低くなっていくと思います。たとえば、いま素敵なダンスを披露してくださったピースボートの若者たちは、どんどん国境を越えていっています。私たちの若い頃には、考えられもしませんでした。そうやって垣根がどんどん低くなっていくときに、「people」を「国民」と訳しておくと、垣根の向こうは何々国民で、こっちは何々国民ということになりますが、「人びと」と訳しておけば、あっちにいるのもこっちにいるのも、「国民」であることはそのままなのだけれど、それよりも何よりも「人びと」なんだ、ということが示せるかと思って、「people」を「人びと」と訳したのです。

訳したのは全部ではありません。憲法前文と1条、9条、国民の権利と義務にかかわるところ、最高法規であるということ、憲法改正の仕方、それから憲法を誰が守るべきかというところだけを抜粋しました。すべての文章と英文憲法は、いちばん最後に小さな文字で載せてあります。1週間ほど前に、池澤夏樹さんが、私と違って全部訳されました。どうも私と池澤さんは、やることがかぶるんですよね。「どこかの雑誌で対談しようね」と池澤さんがおっしゃるので、それが実現したらいいな、私も思っています。

<「丸腰」の夢>

私は、憲法記念日には、トンチンカンなことに、芥川龍之介の『羅生門』を思い出します。あの小説では、下人が門の上に昇っていきますが、朱塗りの階段がある、と書いてあります。ところが、歴史上存在した羅城門には、階段はなかった。とても不思議な建築物です。当時の建築技術を無視するほどに巨大で、楼上には大きな空間がしつらえてありますが、人間はそこには入れない。朱雀門も同じような構造でした。

平安京は唐の長安の都を模してつくられたものですけれども、長安には都を守るための城壁が築かれました。ところが、平安京には都の外と内を区切る城壁がありません。城壁の代わりに門をつくったのです。

その楼上の、人間を閉め出した大きな空間には鬼がすむ、という伝説がありました。鬼は「オン」、自然界のさまざまな力です。それが都を守る。この自然界の力とは、精神性です。精神性が都を守るのだ、だから塀はいらない、防御するものはいらない、ということです。驚くべき思想だと思います。ここには、いわゆる丸腰の思想が実現しています。丸腰の平和憲法など外国の押しつけで、いまや非現実だという人がいますけれども、この丸腰の思想は、実は私たちにもともとたいへん親しいものだつたのではないか、と私は思っています。

この憲法は私たち日本人だけでつくったものではないからイヤだ、という気持ち、私もわからないではありません。きょう、国会図書館のホーム・ページに憲法のいろいろな資料が、新たに公開されました。私も今朝見てきました。そのなかにGHQの憲法執筆者の名簿があります。いろんな軍の位のついた人名がならんでいるのを見ると、正直、違和感は感じます。けれども、それらアメリカの人びと、そして執筆に加わった日本の人びとは、終わったばかりの戦争で、身近に死者をたくさん見送った方々です。一人ひとりが人間として、かつての敵も味方もなく、死者の思いはどうであったろうか、死者たちはどんな世界に生きたかったろうかと、死者の思いに寄り添い、衝き動かされながらつくったのがこの憲法なのではないか。今回、翻訳しながら、そういうことを思いました。

私は、物語、昔話をやっています。物語とは、死者の思いを、こうもあったろうかと、物の怪がついたように語る、というのが語源だそうです。たとえば『平家物語』で、木曽義仲が今井四郎とたった二人になってしまったとき、義仲が今井にいう言葉、「日ごろは何とも思えぬ鎧が今日は重うなったるぞ」。このすぐ後に二人とも死んでしまい、この言葉は今井しか聞いていないのです。なのにどうして、私たちは義仲がそういったということを知っている、あるいは知っているつもりになっているのでしょうか。それは誰も聞かなかった、けれども私たちの心の耳にはしっかりと届いているのです。その後の、「つまらない者の手にかかる前にご自害を」とかきくどく今井の長いセリフも、私たちの心が耳をすましたときに、たしかに届いてきた死者の言葉です。

憲法前文は文学的だといわれます。文学的だというのは悪口らしいのですね。文学をやっている私としては、文学的でなぜ悪い、と思います。これは、次の世代にはこのような世の中に生きてほしい、このような世界にしてほしい、という夢を、死者たちが私たちに託したのだ、そういう死者の声に一心に耳をすました人びとが書いて、私たちに贈ってくれたものだ、と思います。その意味で、憲法前文は、文学のおおもとである物語の精神につらぬかれています。

夢を見た人の国籍を問うことのほうが大切でしょうか。それよりも、私たちは死者の夢を託された夢の子どもなのだということのほうが、うんと大切だと、私は思います。

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