2003年5月3日憲法集会

教育基本法「改正」問題について

法政大学名誉教授 永井 憲一

今年の憲法集会に、現在の政治的時局のなかで非常に重要な問題の一つとされています教育基本法「改正」問題がとりあげられ、私が発言の機会を得ました。いまここに立ちまして思い出します。もう、かなり前の60年安保の頃のことですが、当時、社会党の委員長だった浅沼稲次郎さんが、この会場で、この場で右翼の少年に刺されて亡くなりました。その時に訴えていたのも、軍備の拡張反対、憲法「改正」反対だったことを思いだし、責任と緊張を覚えます。もう、かなり前から、憲法にたいして、そういう攻撃がかかっていたのです。

教育基本法についての話題提供をします。3月20日に中教審が教育基本法のあり方についての答申を出しました。その日は、ちょうどアメリカのイラク攻撃が始まった日でした。新聞報道などでもかなり隠されていたという感じがいたします。けれども、専門的に関心を持っています私は、それに注目しておりました。これを見ました時に、まず一つ、大きな疑問を感じたのは、教育の改革のために教育基本法の「改正」をするのだといって進められてきた中教審の議論のなかに、教育の現場の悩みがまったく採り挙げられ議論されていないということはどういうことなのか、ということでした。中教審に集まっている人たちの中には、現場の代表者が誰もいません。そこで教育改革が提言できるのか、ということです。そう考えるだけでも、いかにこの答申が政治的な提言なのかということが感じ取れるのではないかと思います。

内容につきましても、教育基本法の中には「公共心」とか「愛国心」の教育という目線がないので、それを教育基本法の中に入れろというのです。それも、なぜ、そういう必要があるのか、どういう「愛国心」、どういう「公共心」をこれから教育の基本目標に据えていくのかという説明が全くないのです。そこにも大いに疑問を感じます。

この教育基本法「改正」問題は、これまで憲法の「改正」問題とリンクされてすすめられてきました。そのことに注目される必要があります。それもそのはずです。戦後の政府と国民のこれからの新しい日本の国づくりのために制定された教育基本法は、前文で、「(日本国憲法がめざす理想の実現は)根本において教育の力にまつ」と宣言しております。そして、その教育基本法の第一条には、「人格の完成をめざし」――要するに、国のためというよりは、むしろ一人ひとりの人格の完成を優先的な目的として、一人ひとりが平和を愛する国民――次の時代の主権者が日本国憲法の平和主義、民主主義を担っていく、そういう国民を教育をつうじて育成することを目標としています。要するに、日本国憲法の理念をこれからの社会において、そういう教育を通して実現していく、それを教育の目標にしなければならないということを教育基本法は定めているのです。

実は、ここがジャマなんです。だから憲法の「改正」をする前に教育基本法の「改正」をしたいのだと思います。その証拠に、この答申が出ました後の3月31日の朝日新聞に、中曽根元総理大臣が登場しまして、『この教育基本法「改正」の答申を足がかりにして憲法の「改正」問題に取り組んでいく必要がある』ということを堂々と強調しています。

憲法の「改正」問題の中心は、憲法9条にあります。さいきん盛んに北朝鮮からの脅威とか、あるいは日本は国際社会への人的貢献まで必要だということが強調されています。そして、そういう方向への法整備の一環として有事立法なども考えられようとしています。けれども、日本国憲法が制定された時には、それを制定する第一の責任者であった内閣総理大臣だった吉田茂さんは、こう言っていました。「日本は明治維新いらい、10年に1度ずつ戦争を繰り返してきている。その戦争は、すべて軍備をもっているので、もっているから使いたくなって、使った。その戦争は、すべて自衛の名のもとに行われてきた。だからこれからの日本は、持っているものは使いたくなるのだから、持たないことにする。これが日本国憲法の理念なのです。」と。吉田さんの、この憲法をつくる時の理念は、このように明らかに交戦権を否認し、それをもってこれからの国際社会に役立っていく憲法をつくるのだといっていました。それに国民が協力していかなければならないといっていたのです。

ところが、それがいまジャマになってきたわけです。私どもは、この50年間、私そして妻、子ども、孫、みんな具体的に血を流す戦争を体験することなくすごしてきました。これは憲法のおかげだと思います。私がそう申しますと、「最近、国が乱れているのはキミみたいな平和ボケがたるんでいるからだ」とか、「戦争をすることによって平和が維持されるのだ」とブッシュの言うようなことを平気で言うような政治家がどんどん増えてきました。そういうことを堂々と言わせるようになったのも、実はそれに対抗するわれわれの力が少し弱まったからかなあ、という思いがします。

また当時、吉田さんは、この憲法を制定する国会で、こうも言っていました。「どこの国も自衛権は持つけれども、自衛権の行使のしかたには2つの方法がある。1つは軍備を持って自分を守ることだが、これからの日本は、もう1つの方法を選び国際社会において軍備をもたないで自衛権を行使する、すなわち、平和的な外交交渉等をつうじて国際社会において名誉ある地位を占める方向を選んだのだ」と言っておりました。このことを思い起こして、初心に帰って、この憲法の集会でもう1度憲法の初心を守る決意を新たにすべきではないかと思います。そして、そのような憲法の普及を基本目標とする教育基本法を、これからはむしろ生かしていく方向で考え、協働し合う姿勢を確認し合いたいと思います。

イラク戦争に反対するアメリカの市民、そして有事立法に反対する日本の国民の良心は、みな軍備をもち戦争をして平和を築くのではなく、軍備をもたず血を流さない平和を本当に求めるのだという気持ちで活動しているものと思います。そうだとすれば、その原点になるのは国際社会において、まさに名誉ある地位を占めたいとの願いの根拠である憲法9条を今後も生かしていくことこそ必要なのだと思います。これは「平和ボケ」ではなくて、平和にめざめているのです。これこそが新しい国際社会にたいしての日本の使命として再び自覚しなければならないし、語りついでいかなければならないと思います。

私の妻や子どもに対しても、私の孫にも平和な社会を今後も維持していくことの責任を私は、いま痛感します。みなさんも同じ気持ちだと思います。時間がないので、ごく簡単な問題提起をさせていただきましたが、こういう教育基本法の「改正」問題が、いま政治的な問題になってきているということを頭にいれて、いっしょに考えていただきたい。そのことをお願いして終わります。

このページのトップに戻る
「活動報告」のトップページに戻る