2002年5月3日憲法集会

作家 小田 実

昨日私はベトナムのホー・チ・ミンにいました。そして飛行機に乗って、夜中飛んできて、朝六時二〇分について、いまここに来たんです。

なぜ、ホー・チ・ミンに行ったかというと、私は最近二度行っているんです。一度目は二月に行きました。私はベトナムに平和を市民連合、略してベ平連という運動を長年やっておりました。去年から話があってベ平連の運動の資料を、ホー・チ・ミンにあるいちばん重要な博物館である戦争ショウセキ博物館――戦争の跡を残す、巨大なアメリカ合衆国が投下した大きな爆弾の抜け殻、あるいは枯れ葉剤をたくさん撒いてめちゃくちゃしたその惨憺たる跡、そういうものと同時に、世界のいろいろな支援運動の成果が少しは飾られているのだけれども、ぜひとも私たちベ平連の運動の資料を展示したいという希望がありまして、それではというので準備をして、かつてのベ平連の活動家を中心に、いろいろな人がベトナム反戦運動をしたので、私を含めて三〇人ほどがいっしょに行きました。

贈呈式をして、ほんらいはそれで終わる予定だったんです。終わらなかったんです。なぜ終わらなかったかというと、現在の世界情勢をベトナム側も日本側も考えている。その贈呈式に来られたのが、南ベトナム民族解放戦線の一人の重要人物であったグエン・ティ・ビンです。女性。その方がいま副大統領なんです。私は一九七〇年のパリ会談の時に会ったことがあるけれども、その時には南ベトナム臨時革命政府の外務大臣をしていたのですね。ジャングルから出てきてパリ会談に臨まれたわけ。私はその時、会ったんです。その方がいま副大統領でいらっしゃって、それからいろいろな重要人物も出てきて、私は話をし、世界情勢のなかでもう一度ベトナム戦争のことを考えなければいけない時にきているのでしはないかと。もうこれで終わったんではないんではないかという話をしたら、向こうは非常に同感だと。もういっぺんいっしょにやろうではないかと、むしろ向こうの方が提案しまして、それでいろいろなことをこれからやっていかなければならない、平和はまだ来ていないと。ベトナムには平和が来たけれども、その後、現にアフガニスタンとかイスラエル問題とか、やたらに戦争がある。きな臭いところにきている。これをいったいどうしたらいいか、お互いにう話し合いをして、いっしょにやろうではないかと。運動の形は別にして、とにかく現在のこの情勢にたいして。

ベトナム戦争という戦争をアメリカは何も反省していないじゃないか。現に同じことをやっているのですね。たとえば戦争ショウセキ博物館には巨大な七トン爆弾が置いてあるんです。これは不発弾を持ってきて中の火薬を全部取り出したものだと彼らは言っていましたけれども。そのもっと巨大なものがアフガニスタンで使われているんですね。枯れ葉剤はまだ使っていないだろうけど、いろんなものが使われている。それに対してアメリカ政府はいっさい責任を負わず、枯れ葉剤にたいして何ら補償をしていないし、責任を認めていない。その惨憺たる跡です。それは、私たちの日本政府が、中国をはじめとするアジア侵略の責任を十分に認めていない。補償も十分にしていない。まったく同じなんですね。だから日本とアメリカはいっしょになって、いま軍事戦略を展開している。

そういう怖るべき状況をお互いに話し合って、これを何とかしなければならないのではないか。他の国にたいしても責任があるという話になりまして、それでもう一度来てくれということになって、それでまた出かけたんです。今度は二〇人くらい連れていきました。それでグエン・ティ・ビン副大統領がやってきて、また具体的な話をする。そうするとやはりだんだんと情勢が悪くなるということがわかります。二月三日段階では、ベトナム側はアフガニスタンにあまり言及しなかったし、その時の事態はあまり深刻ではなかったけれども、アメリカを後ろ盾にしてイスラエルがパレスチナにたいしてメチャクチャな戦争をしかける、そういうことが二月にはそれほど起こっていなかったのですけれども、その間にものすごく起こった。

そうすると皆が公式的な話で、いったい世界情勢はどうなっているのか、アメリカは何だ、という気持ちですね。あれほどアメリカに虐げられて、ともかく自力で戦って、世界中の運動の支援も得て、ともかく勝った。勝って平和がきたと思ったら、その責任も何もかも放り出して、アメリカはまた非常に巨大な戦争を引き起こしつつある。その危機感です。その危機感を私も共有して、これは何とかしなければならない、というこくとを私はグエン・ティ・ビンとかいろいろな人と昨日まで話し合ってきて、そして夜行の飛行機に乗ってここに来たのです。

やはり世界はそういうところに来ているのだと。アメリカのムチャクチャな攻撃をいちば受けたのはどこかというと、それは最近ではベトナムです。その前は、日本でしょうけれど。ベトナムがそうした攻撃を受けて、そして、今度はそれがあちこちに広がっている。それはいったい何だというベトナムがそれを受けて、そして、今度はその形があちこちに広がっている。それはいったい何だということをアメリカ側も日本側も問題にしなければならない。そういうことを、これから共同の行動を皆様方にも参加していただいてしようかと思っている矢先です。

この二度目のベトナム行きの前にギリシャに行きまた。アテネの国立大学で講義を前から頼まれていたので。アテネには大きな広場がありますが、憲法広場というのです。市内の中心広場ですが、そこで大きな集会が開かれました。ちょうど私がアテネ国立大学で教えた前の日ですが、それは音楽集会なんです。一流の作曲家とか歌手だとか、皆集まって、日本の場合にはなかなかそうはならないけれども、パレスチナ支援の反戦大集会です。いったい、アメリカはなんだというのが共通の旗印だったのではないかと思います。

世界情勢は、そうなっているのだと私たちは認識し、世界的な視野でわれわれの憲法を考えるときにきていると思うのですね。私は、それは非常に大事なことではないかと思うのです。ここのところをしっかり踏まえておかないと、われわれの憲法の重要性というのが認識されずに済んでしまうと思うのです。私はそのことをまず最初に申し上げたいと思います。

私は、考えてみますと、私たちの憲法は、十分に実現していないと思うのです。この頃の新聞などを開きますと、憲法のことが自由に論議されるようになったというようなことを褒めて書いている、つまり、憲法改正に向かって動くのいいような論調が多いですね、見ていると。しかし、いちばん大事なことは、この憲法は実現されていないでしょ。憲法九条がありながら、どうみても堂々たる軍隊である自衛隊がある。どう考えても軍隊ですよ。この頃は公然と言い出したけれども。何も実現していないのですよ。憲法九条といったところで実現していなのです。われわれは、もつと、いかに実現するかという論議をすべきですよ。憲法を変えようという論議は多いけれども、われわれ市民が考えて、いかに憲法を実現するか、そのことをお互いが考えて討議する、そういう集会をもっと開くべきだと思います。市民がそれぞれに。そうでないと、憲法を守れと言ったって実現していないですから。

いかに実現するかということが欠けていたと思います。だから、そうした憲法を変えろという声が当然出てくると思います。われわれの憲法の素晴らしさは言うけれども、実現していないんですから、それをいかに実現するかを具体的に考えることが必要ではないかと思います。

それから論議の一番中心になるのは理念あるいは理想だと思います。理念、理想は何かということを考えてみる必要があると思います。それは平和主義だと思います。平和主義というのは、問題の解決、矛盾の解決に絶対に武力を用いないということでしょう。それは、いちばん大事な原理として憲法にあると思います。それを抜きにしては語れないと思います。

私は原理の底にあるのは体験だと思います。われわれは戦争体験をした。戦争体験で、まとめて言えば、殺し、焼き、奪うことをやったわけです。そして、それが全部もどってきて、殺され、焼かれ、奪われることになったわけです。殺し、焼き、奪うのいちばんいい例が南京虐殺というのがありますね。殺され、焼かれ、奪われたいちばんいい例は原爆ですよ。広島、長崎。それで戦争は終わった。

だから結局、連合国も正義の戦争とかいろいろいったけれど、最後は原爆を落としたではないかと、原爆投下の責任をわれわれが追及すると、"おまえたちが戦争を始めたんだ"と。これは実際そうですね。こういうことで、戦争というのはいけないことである、ということを私たちは痛感した。それが体験なのです。その体験の上にわれわれは理念を組み立てた。それが平和主義です。そうやって順序立てて考える必要がある。

そのことをいちばんちゃんと書いてあるのが憲法前文です。憲法前文というのは非常に大事だと私は思います。憲法前文の平和主義を具体化したのが憲法九条なんですよ。そうやって理念から入り考え直す時にきていると思います、私たちの議論は。そのことが非常に大事な気が私はします。

私はいま全世界で平和主義か戦争主義かという二つがあると思います。戦争主義というと軍国主義とか侵略主義ととられがちですが、そうではありません。つまり、われわれは問題解決に仕方がないから武力を使うという前提、正義の戦争はあるんだと、他国を侵略するつもりはないんだと、あるいは軍国主義をやるつもりはないんだけれども、仕方がないから戦争をやるんだという論理です。これがいま世界を覆っていると思います。ことに去年の九月十一日以来、そういう戦争主義が全世界に蔓延していると思います。

平和主義はだんだんと押されているという感じを私はしています。全世界的に。たとえば子どもをつかまえていうと、正義の戦争はあるんだということを言うでしょう。だから問われているのは平和主義でいくのか戦争主義でいくのかということです。軍国主義でいくとかそういうことではなくて、やはり戦争を断固としてやらないのかどうかというけじめが私たち求められていると思います。あいまいなことは許されない。

そして一方で、理想を考えていく必要があると思います。そしてその理想を追求していくとどうなるかというと、私は良心的軍事拒否国家というものをわれわれの目標にすべきだと思うのです。良心的兵役拒否というのはご存知ですね。ドイツの基本法、ドイツはいま憲法がなく、基本法というのが憲法です。ドイツは軍隊を持っています。徴兵制です。しかし、そこには一つ立派な条項がついているんです、基本法には。個人の権利として兵役につかない。個人の権利として武器をとらない。それを個人の基本的人権として認めるという一項があるんです。それをつけたんですよ。NATOに加盟することによって軍隊をもたざるをえないところにドイツは追い込まれた。同じような歴史をもった国ですけれども、その時に一つの大きな条項をつけたのですね。それはドイツ基本法にあります。

つまり、個人の権利として武器をとらないということを認めた。それで彼らがつくったのが良心的兵役拒否の制度です。ドイツ人は二十歳になると決めるんですね、どっちをとるか。良心的兵役拒否の道をとるか、あるいは兵役につくか。それは個人の権利として認められています。

ドイツのみならず、ヨーロッパはだいたいそうなってきています。イタリアも然りです。良心的兵役拒否を認める。だが、良心的兵役拒否は遊んでいるのではありません。その間はシビル・サービス、市民的奉仕活動をするのです。日本の辞書にはそういうことは一つも書いてありません。英語の辞書をみても。ドイツやイタリアの坊やはみんなシビル・サービスという言葉を知っていますが、日本の子どもは知らないですね。いかにのんきに平和ボケになっているかわかりますけれども。彼らは二十歳になったら兵役に直面するんです。シビル・サービス、市民的奉仕活動とはどういうことかというと、たとえば社会福祉の仕事に従事する。老人の福祉、介護とかですね。それをやるか、あるいは兵役につくか。それを決めるわけです。

堂々たる法制度として、良心的兵役拒否制度が成立しているわけです。ドイツの場合でいいますと、いまは良心的兵役拒否の道をとる方が兵役の道をとるより多いんです。それから、ドイツの社会福祉産業のうち、老人介護は良心的兵役拒否の若者がいなかったら成立しないです。ドイツの社会保障はちゃんとしていますけれども、そこで働く人の大半は良心的兵役拒否の人たちがやっておられる。

私はドイツに住んでいたことがあるので、日独平和フォーラムという運動をつくったんです。その実践としてドイツの若者が良心的兵役拒否を日本でもできるようにしました。いま東京都に二人、兵庫県芦屋市に二人、ドイツの若者が日本に来ていますが、一年間、良心的兵役拒否として老人福祉の介護をやっています。

そういうことで平和主義の道をともかくとろうではないか、戦争主義ではダメなんだということになり、いま平和主義が認められて実践しているんですね。そういうことを考えるならば、日本国というのは、全体として良心的軍事拒否ですよ。良心的軍事拒否としてわれわれは今後活動する必要があると思います。それが十分に認識されてこなかったと思います。非武装中立というのは何もしないということでしょ。それにたいして、お前はなんだ、世界がみんな苦しんでいるのに何もしないとは何事だと言われる。冷戦構造のなかでは非武装中立は一つの態度ですけれども、もうそれではやっていけないでしょ。そこで湾岸戦争いらいオタオタしてきた日本なんです。そこまで認識を深くしていなかったと思う。だから、そういう中でなんとなく護憲、護憲と叫んできたのですね。それではやはりやっていけない。そこを突かれていま有事立法までやってきているのではないかと。われわれとして考えるべき時にきている。

さきほどギリシャの話をしましたが、私は三年前にギリシャに行きました。ちょうどコソボの問題でユーゴスラビアにたいするNATOの空爆が私がついた日に始まった。日本修好百年で私はアテネで講演したのですが、ものすごいデモです。全ギリシャあげて反戦、反米デモです。ギリシャ人は日本人と違って人と違うことを言うのが大好きで、そういう人々が挙国一致になったのはその時なんです。まさに反戦、反米で挙国一致です。その時に言われたことは、"われわれはEUの一員であり、NATOの一員である。しかし断固反対だ。武力では問題は解決しないんだということを信ずる。ところがあなたの国の日本は平和憲法を持って何をしているのですか"と。何もしていないでしょ。なんとなく容認してしまった。これは非常に大事です。

たとえばイスラエルとパレスチナがいまは絶望的な状態にあるけれども、少なくともノルウェーがかつて平和のプロセスをつくったでしょ。国連ではなくノルウェーなんです。なんで日本がやらなかった。イスラエルとパレスチナの仲介ぐらい日本がすべきですよ。どちらにも仲良いはずなのに。それが平和憲法の道なんです。それが良心的軍事拒否国家の道なんです。そういうことをお考えになる必要があると思って、私は引き受けてここにきました。あと二つだけいいます。

一つは、日米安全保障条約、これは軍事条約です。これを友好条約に変えなければならない。日中関係では日中友好平和条約があるでしょ。覇権は求めず、求められず。これは大事です。それからもう一つは、問題解決に武力は用いないと書いてあります。国連憲章に反したことはやらないと書いてあります。安保条約も友好平和条約に変えなければならない。

それからもう一つ大事なことは、軍縮をやりましょう。少しでも減らしていく。軍隊を減らしていく。「構造改革」ということを小泉さんが言うなら、軍隊の構造改革をやるべきです。

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